2015年9月25日金曜日

オンデマンド出版による『牛窪考』(柴田晴廣著),刊行。電子版も。

 『牛窪考』。牛窪とは,こんにちの地名でいえば,愛知県豊川市牛久保町のこと。この牛久保町とその周辺に伝承されている祭りの祭祀儀礼をてがかりに,古い神社・仏閣の来歴や伝承を,文献とフィールドワークをとおして蒐集・分析し,「牛窪」という地域がもつ不思議な磁場の意味を徹底的に探求する意欲作です。

 意欲作だと書いたことには理由があります。『牛窪考』は,一見したところ,牛窪という地方を対象にしたごくふつうの地方史研究のようにみえますが,そうではありません。直截に言ってしまえば,「牛窪」という地方の庶民生活の目線から中央の権力構造を逆照射する,という立場を著者はとります。そのことによって浮かび上がる,「記紀」に基づく日本史(=正史)の諸矛盾を徹底的に洗いざらいにし,なにゆえにこのような事態が起きているのか,その理由を明らかにしようという深慮遠謀がその裏に隠されているからです。もう一歩踏み込んでおけば,権力によって構築された表の日本史を,権力によって抑圧・排除・隠蔽されてきた陰の日本史の側から,その欺瞞性を根底から解き明かそうという,とてつもなく壮大な企みが著者・柴田晴廣さんの問題意識として脈々と流れているからです。

 著者の柴田さんには,『穂国幻史考』(常左府文庫,2007年)という大部の名著があります。今回の『牛窪考』は,『穂国幻史考』のなかに収められている「第三部 牛窪考」を抜き出して独立させ,その後の研究成果を加え,全面的に改訂・増補したものです。しかも2000ページにもなんなんとする大著です。

 さて,牛窪とその周辺の地域は,そのむかし,穂国(ほのくに)と呼ばれていました。その呼称の由来は,開化天皇を曾祖父とする朝廷別(みかどわけ)王にこの地を治めさせ,穂国と名づけ,穂別の祖となった(『古事記』開化条による)のがはじまり,だといいます。しかも,柴田さんの考察によれば,朝廷別王は,じつは,垂仁の悲劇の皇子ホムツワケだ,ということになります。となりますと,これはただごとでは済まされません。しかし,この穂国の歴史は,いわゆる古代史の正史からは徹底して排除され,無視されてきました。なぜ,そのようなことになったのか,その謎解きをしようというのが,柴田さんの野望のひとつです。

 しかし,柴田さんは,そんな野望などおくびにも出さず,「牛窪」という視点から,この地方に伝承されている祭り祭祀を淡々と語っていきます。しかも,微に入り細にわたり,じつに詳細に,持論を展開していきます。その迫力には圧倒されてしまいます。ぜひ,手にとって読んでみてください。

 少しだけ余談を。牛窪は,じつはわたしの育った豊橋市大村町とは,すぐ眼と鼻のさきに位置しています。その意味では,わたしもまた穂国の文化圏の真っ只中で育ったと言っていいでしょう。たとえば,牛窪のお祭りと同じ奉納芸能である「笹踊り」は,わたしの育った大村町の八所神社でも行っていました。三人一組になって太鼓を打ちながら舞い踊る,とても不思議な芸能です。ですから,大きくなったら(青年団に入ったら),この踊りをやるんだ,とこころに決めていました。

 その「笹踊り」の話も,穂国に分布しているすべての事例を詳細に探査し,分析した論考がみごとに展開しています。ですから,わたしにとっては,読み始めたら止まらない,ドキドキ・ワクワクのテクストとなっています。

 しかし,一般の人が読んでも,こういうアングルからの研究があるのか,と眼を見張ることは間違いありません。その意味でも,是非にご一読をお薦めしたいとおもいます。

 もうひとこと,書き加えておけば,わたしの個人的な関心事である「出雲」幻視のスタンスからも興味津々です。穂国のヘソとも言うべき三河一宮である砥鹿神社の祭神はオオクニヌシです。そして,この地方にはスサノオ神社がいっぱいあります。あるいは,天王社の系譜もあちこちにあります。こういう興味をもつ者にも,それとなくメッセージを発しているテクストでもあります。あるいは,また,「ひょうすべ」の考察もあり,河童研究のヒントもここに隠されている,と言っていいでしょう。柴田さんの視点はじつに多岐にわたる,みごとなものです。

 このテクストを入手したい人は,わたしまでご連絡ください。柴田さんに取り次ぎます。

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