昨夜(2日)テレビでみた「ガレキに立つ黄色いハンカチ 被災地巡る山田洋次監督」(NHK第一)のなかで登場した元小学校校長先生と山田監督との対談が,とてもこころに響くものがありましたので,その印象を書き残しておきたいと思います。もう,先生の名前も小学校の名前も,すぐに忘れてしまっていますので,わずかな記憶が頼りです。
被災地(場所はいろいろのところに山田監督が移動しているので,その地名すら忘れている)のある所に,津波で跡形もなく全部流されてしまってガレキだけになってしまった自分の屋敷跡に,「黄色いハンカチ」を飾ったところ,これが話題になり,その話が山田監督の耳に入ります。山田監督は早速,仮設住宅に避難している元住人宛てにはがきを書いて,「感動した」と伝えます。そして,その地を尋ねていきます。そのとき,映画で使ったホンモノの「黄色いハンカチ」を持参し,プレゼントします。元住人は感激して,涙します。もちろん,わたしも涙。
そうした話題の主を,山田監督が尋ねていき,話を聞き出します。そのひとつに,高台にあった小学校の校長先生が,津波を避けるために子どもたち全員を学校に残して,生徒全員の命を救った,という話があります。その校長先生は,昨年の3月末で定年退職しましたが,つぎの校長先生と一緒に,山田監督との対談に参加して,とても,印象的な話をしています。
単刀直入に言いますと,つぎのような話が,わたしのこころにグサリと突き刺さりました。
以下は,その元校長先生の話の要約です。
「3・11」以前までの小学校の教育を根本から改めなくてはいけないのではないか,と退職後,真剣に考えています。もっともいけないのは教科の勉強に眼を向けすぎて,点数や偏差値ばかりに拘りすぎたことではないか,と。そして,教室の中で,静かに先生の話を聞き,おとなしく勉強する子がいい子だと信じ込んでいたことではないか,と。一番,大事なことは,子どもたちが元気であること,休み時間には校庭に歓声が上がるような,そういう学校をめざすべきではないか,と。教室の中でも,元気が余って,多少は騒然としているくらいの方がいいのではないか,と。
なによりも大事なことは,子どもたちが学校が好きになること。学校が楽しくて楽しくて仕方がない,という環境をつくること。友だちがいっぱいできて,みんなで元気よく遊びまわれる環境を,教師は創意工夫すること。これが小学校教育の根幹ではないか,と。子どもたちの「生きる力」は,この遊びの中から育つのだから,と。喜怒哀楽を素直に表現できる環境を,学校は準備すること。喧嘩をすることも,優しさも,助け合うことも・・・・,ありとあらゆる教育の場を学校は用意すべきだったのではないか,と。この一番,大事な教育が「3・11」以前には軽視され,忘れ去られていたのではないか,と。
教科の勉強は,その上に成り立つものではないか。教育の土台・基礎のないところに,点数主義や偏差値主義に傾いた教育をしてきたこと,ここに「3・11」以前の教育の根本的な誤りがあったのではないか,と。わたしは,いま,本気でこのことを考えている,と元校長先生は情熱を傾けて,山田監督に訴えています。
山田監督は,静かに頷きながら,短いコメントを挟みます。それが,絶妙なタイミングでなされるものだから,元校長先生はますます饒舌になっていきます。そして,「3・11」以後の教育のあり方について熱弁をふるいます。しかも,そのイメージが,よくよく考えると山田監督が,もう,かなり以前から取り組んでいる「学校」とか「同胞(はらから)」というような映画で提示してきた問題であることが明らかになってきます。その極めつけが,じつは,「寅さん」シリーズだったということも。
テレビでは,この元校長先生の話の間に,山田監督の制作した映画のシーンを,いくつも折り込みながら,問題の本質に接近していこうと試みています。寅さんが,生まれ故郷の柴又に帰ってきても,すぐに喧嘩をしたり,イザコザを起こして,また,家を飛び出していくシーンは,その極めつけというわけです。つまり,寅さんは,「社会の常識」という「うわべ」だけの,寅さんに言わせれば「嘘だらけ」の社会規範や了解事項に,どうしても馴染めない,というわけです。「そんなおべんちゃらみたいな,いい加減なことを言われて,喜んでいていいのか。そんな人間なんて信じられない」と,寅さんは啖呵を切ります。
教育という常識も,どうやら理性中心主義的で,一見したところ理路整然としているかにみえるけれども,そこには人間としての情緒や喜怒哀楽といった感情の問題が,ほとんど省みられていないのではないか,と訴えかけているように,わたしにはみえてきます。ここにも,じつは,理性が「狂気」と化してしまっている現実をみることができます。この理性の「狂気」化の頂点に立つものが,人間の「命」を軽視した「原発推進」という考え方だ,ということは,もはや,説明の必要もないことでしょう。
元小学校校長先生の行き着いた結論は,どうやら,そういうところにあったとわたしは類推しています。あの先生の口ぶりからすれば,当然,そういうところまで話は行き着いていたに違いない,と。しかし,ここがNHKの悲しいところ。そういう「原発推進」批判になるような言説は,やんわりと,編集でカットされてしまったに違いありません。
山田監督は,そのあたりのことは十分承知の上で,もっぱら「命」を大切に,という立場を貫いています。ただ,ごく簡単に,天災と人災は区別して考えないといけない,とだけ言っています。すべてをお見通しの上で,放送されるぎりぎりのところで発言をコントロールしていることが,見ているわたしにも伝わってきます。
同じような場面は,吉永小百合との対談や,蒼井優との対談の中にもあって,もっぱら「命」が第一,を繰り返しています。それは,そのまま「原発推進」は困ります,と言っているのですが・・・。まあ,最終的に放送されないよりは,放送された方がいい,そうすれば,いくらかは隠されたメッセージを送り届けることができる,と山田監督は考えたに違いありません。
山田監督は,東京を舞台に,「3・11」を主題にした映画を構想中で,ほぼ,そのシナリオもできあがっているようです。主役は蒼井優さん。ラスト・シーンも決まっているとか。たぶん,山田監督は映画をとおして,自分の主義・主張は的確に提示してくれることでしょう。この映画の完成がいまから待ち遠しい・・・・。
「3・11」以後の教育とはなにか,なにを改めなくてはならないのか,現場の学校の先生たちが,どのように考えているのか,生の声を聴いてみたいと思っています。
被災地(場所はいろいろのところに山田監督が移動しているので,その地名すら忘れている)のある所に,津波で跡形もなく全部流されてしまってガレキだけになってしまった自分の屋敷跡に,「黄色いハンカチ」を飾ったところ,これが話題になり,その話が山田監督の耳に入ります。山田監督は早速,仮設住宅に避難している元住人宛てにはがきを書いて,「感動した」と伝えます。そして,その地を尋ねていきます。そのとき,映画で使ったホンモノの「黄色いハンカチ」を持参し,プレゼントします。元住人は感激して,涙します。もちろん,わたしも涙。
そうした話題の主を,山田監督が尋ねていき,話を聞き出します。そのひとつに,高台にあった小学校の校長先生が,津波を避けるために子どもたち全員を学校に残して,生徒全員の命を救った,という話があります。その校長先生は,昨年の3月末で定年退職しましたが,つぎの校長先生と一緒に,山田監督との対談に参加して,とても,印象的な話をしています。
単刀直入に言いますと,つぎのような話が,わたしのこころにグサリと突き刺さりました。
以下は,その元校長先生の話の要約です。
「3・11」以前までの小学校の教育を根本から改めなくてはいけないのではないか,と退職後,真剣に考えています。もっともいけないのは教科の勉強に眼を向けすぎて,点数や偏差値ばかりに拘りすぎたことではないか,と。そして,教室の中で,静かに先生の話を聞き,おとなしく勉強する子がいい子だと信じ込んでいたことではないか,と。一番,大事なことは,子どもたちが元気であること,休み時間には校庭に歓声が上がるような,そういう学校をめざすべきではないか,と。教室の中でも,元気が余って,多少は騒然としているくらいの方がいいのではないか,と。
なによりも大事なことは,子どもたちが学校が好きになること。学校が楽しくて楽しくて仕方がない,という環境をつくること。友だちがいっぱいできて,みんなで元気よく遊びまわれる環境を,教師は創意工夫すること。これが小学校教育の根幹ではないか,と。子どもたちの「生きる力」は,この遊びの中から育つのだから,と。喜怒哀楽を素直に表現できる環境を,学校は準備すること。喧嘩をすることも,優しさも,助け合うことも・・・・,ありとあらゆる教育の場を学校は用意すべきだったのではないか,と。この一番,大事な教育が「3・11」以前には軽視され,忘れ去られていたのではないか,と。
教科の勉強は,その上に成り立つものではないか。教育の土台・基礎のないところに,点数主義や偏差値主義に傾いた教育をしてきたこと,ここに「3・11」以前の教育の根本的な誤りがあったのではないか,と。わたしは,いま,本気でこのことを考えている,と元校長先生は情熱を傾けて,山田監督に訴えています。
山田監督は,静かに頷きながら,短いコメントを挟みます。それが,絶妙なタイミングでなされるものだから,元校長先生はますます饒舌になっていきます。そして,「3・11」以後の教育のあり方について熱弁をふるいます。しかも,そのイメージが,よくよく考えると山田監督が,もう,かなり以前から取り組んでいる「学校」とか「同胞(はらから)」というような映画で提示してきた問題であることが明らかになってきます。その極めつけが,じつは,「寅さん」シリーズだったということも。
テレビでは,この元校長先生の話の間に,山田監督の制作した映画のシーンを,いくつも折り込みながら,問題の本質に接近していこうと試みています。寅さんが,生まれ故郷の柴又に帰ってきても,すぐに喧嘩をしたり,イザコザを起こして,また,家を飛び出していくシーンは,その極めつけというわけです。つまり,寅さんは,「社会の常識」という「うわべ」だけの,寅さんに言わせれば「嘘だらけ」の社会規範や了解事項に,どうしても馴染めない,というわけです。「そんなおべんちゃらみたいな,いい加減なことを言われて,喜んでいていいのか。そんな人間なんて信じられない」と,寅さんは啖呵を切ります。
教育という常識も,どうやら理性中心主義的で,一見したところ理路整然としているかにみえるけれども,そこには人間としての情緒や喜怒哀楽といった感情の問題が,ほとんど省みられていないのではないか,と訴えかけているように,わたしにはみえてきます。ここにも,じつは,理性が「狂気」と化してしまっている現実をみることができます。この理性の「狂気」化の頂点に立つものが,人間の「命」を軽視した「原発推進」という考え方だ,ということは,もはや,説明の必要もないことでしょう。
元小学校校長先生の行き着いた結論は,どうやら,そういうところにあったとわたしは類推しています。あの先生の口ぶりからすれば,当然,そういうところまで話は行き着いていたに違いない,と。しかし,ここがNHKの悲しいところ。そういう「原発推進」批判になるような言説は,やんわりと,編集でカットされてしまったに違いありません。
山田監督は,そのあたりのことは十分承知の上で,もっぱら「命」を大切に,という立場を貫いています。ただ,ごく簡単に,天災と人災は区別して考えないといけない,とだけ言っています。すべてをお見通しの上で,放送されるぎりぎりのところで発言をコントロールしていることが,見ているわたしにも伝わってきます。
同じような場面は,吉永小百合との対談や,蒼井優との対談の中にもあって,もっぱら「命」が第一,を繰り返しています。それは,そのまま「原発推進」は困ります,と言っているのですが・・・。まあ,最終的に放送されないよりは,放送された方がいい,そうすれば,いくらかは隠されたメッセージを送り届けることができる,と山田監督は考えたに違いありません。
山田監督は,東京を舞台に,「3・11」を主題にした映画を構想中で,ほぼ,そのシナリオもできあがっているようです。主役は蒼井優さん。ラスト・シーンも決まっているとか。たぶん,山田監督は映画をとおして,自分の主義・主張は的確に提示してくれることでしょう。この映画の完成がいまから待ち遠しい・・・・。
「3・11」以後の教育とはなにか,なにを改めなくてはならないのか,現場の学校の先生たちが,どのように考えているのか,生の声を聴いてみたいと思っています。
3 件のコメント:
確かに、『3.11』は現在の学校教育を見直すきっかけになると思います。
一つ一つの課題に対して、吟味が必要です。
一つ例をあげると、一番わかりやすかったのが、学校の危機管理ですね。避難経路の通り避難していたら、全員助からなかったのに、先生の判断で違う避難をしたから助かったという話があります。学校で行っている避難訓練がどうなんだ、という議論をしないといけない例かと思います。
願わくば、現役の校長先生がこのブログの元校長先生のような意識を持ってほしいですね。
興味深く読みました。
ただ、最後のいわき市を舞台にというのは違います。
舞台はあくまで東京です。
匿名さんへ。
ご指摘,ありがとうございました。早速,修正させていただきました。
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