1月28日(土)の午後6時から,奈良・若草山の山焼きが,いつもにも増して豪勢な打ち上げ花火の前座のあと,点火された。よく知られているように,毎年,第4土曜日に開催されている年中行事である。しかも,長い歴史をもっている。ことしは,奈良の1300年祭とも重なってか,打ち上げ花火がたくさん上がった。押しかけた多くの観光客は大喜びだったと思う。天候にもめぐまれ,申し分のない山焼きだった。
ただひとつの難点,ことしは「寒かった」。驚くほどに寒かった。わたしはこの15年間,欠かさず定点鑑賞(奈良教育大学の屋上)をつづけているが,こんなに「寒かった」ことは初めてだ。じっと立っているだけで,足の指先から氷になっていくのがわかる。これはいけない,と途中で危険を感じて引き上げた。こんなことは初めてだ。もっとも,毎年,「山焼き」の日は寒い,ということでは有名なのだが・・・・。
ことしは,風がほとんど吹いていなかったので,まだ,屋上に立っていてもよかったと思う。あの寒さに風が吹いたらひとたまりもない。ものの10分ももたないだろう。風が吹かなかったのはよかったのだが,豪勢な花火の連打には不向きだった。なぜなら,花火の煙が上に上がっていかないのだ。風も吹かないからそのまま停滞して宙に浮いている。それでいて,下がりもしない。ちょうど,花火が弾けたあたりにそのまま停滞しているのだ。だから,花火の美しさの邪魔をしているような結果となる。もったいないかぎりだ。
いつもに比べたら3倍も長く打ち上げ花火があげられて,いよいよ,若草山に点火である。奈良県のほとんどの消防団員が掻き集められ,燃やすべき枯れ草の周囲を固める。その人たちが手にもっている懐中電灯がいっせいに光る。それが点火の合図だ。周囲から少しずつ燃え上がる。いつものことだが,左下あたりから勢いよく燃えはじめたのだが,その他のところはなかなか燃え上がらない。枯れ草が湿っているのだろうか。雨が降ったとは聞いていない。では,乾燥しすぎて水でもまいたのか。それは,よく聴くことだ。ただ,ひたすら,勢いよく燃え上がることを期待して待つ。待てど暮らせど,火勢は上がらない。ちょろ,ちょろ,とあちこちが順番に燃え上がるだけ。迫力なし。
その間に底冷えが全身にまわり,これ以上,屋上に立っていたら,完全に風邪を引いてしまう,と判断。そこまで,ということで逃げるようにして退散する。いつのまにか,大勢いた見物人も,あっという間に姿を消していた。残っていたのは,われわれのグループだけだった。
翌29日(日)は,思ったよりは早く起床したので(午前7時20分),京都に向かう前に,わたしの好きな奈良の隠れ道を散歩することにした。東海大のM.M君も一緒に行くというので,連れ立って歩く。奈良教育大学のすぐ北隣の細い路地を入る。その通りには,春日大社の宮司さんの住いもある。その途中から,さらに細い露地に入って志賀直哉旧居に向かう。むかし高畑クラブを組織した志賀直哉が,多くの文人・画人を集めてにぎわったという建物である。建物の設計も志賀直哉が書いたといわれる建物で。いまは,名所のひとつとなっていて観光客にも解放している。もちろん,有料。
そこを通過すると,旧柳生街道にでる。そこを横切って春日大社の境内に入る森のなかの小道(別名:ささやきの小道)をのんびりと歩く。このあたりから鹿があちこちで顔をみせる。こんな朝早くから,森のなかに大きな画架を立てて絵を描いている絵描きさんにばったり。やはり,プロは違うなぁと感心してしまう。ゆるやかな傾斜を登りつめると,いよいよ春日大社への参道にでる。両脇に石でできた灯籠をみやりながら,そのむかし何回もお参りをしたことのある万灯籠を思い出す。もう,遠い記憶になってしまっているから,なおのこと,懐かしい。
春日大社の本殿でいろいろの祈願をするために賽銭をさがす。自分としては気前よく,奮発。ことしに懸ける気合を籠めて。なんとしても,新たな展開がはじまりますように。その大きな転機となりますように,と。おみやげをひとつ買って,本殿の横の灯籠づたいに歩いて,日本最古の酒造所をとおり,宝物殿を通過し,駐車場にでる手前の道を山沿いに折れる。一言主を祀った神社や,その他の神様を祀った小さな祠が並ぶ。春日山から流れてくる川をわたって,石段を一気に昇ると,そこは若草山の麓。
石段には,昨日の山焼きの燃えた黒い灰(草の茎)が散らばっていた。真下から見上げる若草山の最初の笠(三笠山の最初の山)の部分は,みごとに焼けている。最後まで見届けることができなかったので,どうなったかな,と思っていた。が,燃え上がりは上等だったことがこれでわかる。右に若草山,左にお土産物屋さんの軒並みをみながら,手向山神社に向かう。途中の「菊一文殊四郎包永」という有名な刃物屋さんが開いていたら,ペティ・ナイフを買おうと思っていたが,残念ながら,まだ,早くて開店前。
ここからさきは省略。
最終の目的地である二月堂の欄干から奈良盆地を眺めて,JR奈良駅を目指す。小一時間のつもりが,意外に長かったことに気づく。途中で,気温がどんどん下がっていくのがわかる,この日もまたとてつもなく寒い日だった。歩いても,歩いても,しかも,大きなバッグを肩にかけて歩いているのに,少しも暖かくならない。それどころか手の指先から冷えてくる。奈良盆地の底冷えを久しぶりに体感した。そういえば,こういう寒さだったなぁ,とむかしを思い出す。
わたしの大好きな奈良散策コース(そのむかし,よく歩いたコース)をたどることができ幸せいっぱい。M君に,いろいろの思い出話を聞いてもらいながらの散策だったので,さらに一味違う。満足,満足。
JR奈良駅から,M君も一緒に京都に向かう。まもなく,京都駅に到着というときに,昨日書いたブログの『ボクシングの文化史』の書評の情報がとどく。吉報なり,とふたりで喜ぶ。
来年も,もっと大勢で山焼きをみることができるよう,動員をかけておこう。いまから,楽しみ。
ただひとつの難点,ことしは「寒かった」。驚くほどに寒かった。わたしはこの15年間,欠かさず定点鑑賞(奈良教育大学の屋上)をつづけているが,こんなに「寒かった」ことは初めてだ。じっと立っているだけで,足の指先から氷になっていくのがわかる。これはいけない,と途中で危険を感じて引き上げた。こんなことは初めてだ。もっとも,毎年,「山焼き」の日は寒い,ということでは有名なのだが・・・・。
ことしは,風がほとんど吹いていなかったので,まだ,屋上に立っていてもよかったと思う。あの寒さに風が吹いたらひとたまりもない。ものの10分ももたないだろう。風が吹かなかったのはよかったのだが,豪勢な花火の連打には不向きだった。なぜなら,花火の煙が上に上がっていかないのだ。風も吹かないからそのまま停滞して宙に浮いている。それでいて,下がりもしない。ちょうど,花火が弾けたあたりにそのまま停滞しているのだ。だから,花火の美しさの邪魔をしているような結果となる。もったいないかぎりだ。
いつもに比べたら3倍も長く打ち上げ花火があげられて,いよいよ,若草山に点火である。奈良県のほとんどの消防団員が掻き集められ,燃やすべき枯れ草の周囲を固める。その人たちが手にもっている懐中電灯がいっせいに光る。それが点火の合図だ。周囲から少しずつ燃え上がる。いつものことだが,左下あたりから勢いよく燃えはじめたのだが,その他のところはなかなか燃え上がらない。枯れ草が湿っているのだろうか。雨が降ったとは聞いていない。では,乾燥しすぎて水でもまいたのか。それは,よく聴くことだ。ただ,ひたすら,勢いよく燃え上がることを期待して待つ。待てど暮らせど,火勢は上がらない。ちょろ,ちょろ,とあちこちが順番に燃え上がるだけ。迫力なし。
その間に底冷えが全身にまわり,これ以上,屋上に立っていたら,完全に風邪を引いてしまう,と判断。そこまで,ということで逃げるようにして退散する。いつのまにか,大勢いた見物人も,あっという間に姿を消していた。残っていたのは,われわれのグループだけだった。
翌29日(日)は,思ったよりは早く起床したので(午前7時20分),京都に向かう前に,わたしの好きな奈良の隠れ道を散歩することにした。東海大のM.M君も一緒に行くというので,連れ立って歩く。奈良教育大学のすぐ北隣の細い路地を入る。その通りには,春日大社の宮司さんの住いもある。その途中から,さらに細い露地に入って志賀直哉旧居に向かう。むかし高畑クラブを組織した志賀直哉が,多くの文人・画人を集めてにぎわったという建物である。建物の設計も志賀直哉が書いたといわれる建物で。いまは,名所のひとつとなっていて観光客にも解放している。もちろん,有料。
そこを通過すると,旧柳生街道にでる。そこを横切って春日大社の境内に入る森のなかの小道(別名:ささやきの小道)をのんびりと歩く。このあたりから鹿があちこちで顔をみせる。こんな朝早くから,森のなかに大きな画架を立てて絵を描いている絵描きさんにばったり。やはり,プロは違うなぁと感心してしまう。ゆるやかな傾斜を登りつめると,いよいよ春日大社への参道にでる。両脇に石でできた灯籠をみやりながら,そのむかし何回もお参りをしたことのある万灯籠を思い出す。もう,遠い記憶になってしまっているから,なおのこと,懐かしい。
春日大社の本殿でいろいろの祈願をするために賽銭をさがす。自分としては気前よく,奮発。ことしに懸ける気合を籠めて。なんとしても,新たな展開がはじまりますように。その大きな転機となりますように,と。おみやげをひとつ買って,本殿の横の灯籠づたいに歩いて,日本最古の酒造所をとおり,宝物殿を通過し,駐車場にでる手前の道を山沿いに折れる。一言主を祀った神社や,その他の神様を祀った小さな祠が並ぶ。春日山から流れてくる川をわたって,石段を一気に昇ると,そこは若草山の麓。
石段には,昨日の山焼きの燃えた黒い灰(草の茎)が散らばっていた。真下から見上げる若草山の最初の笠(三笠山の最初の山)の部分は,みごとに焼けている。最後まで見届けることができなかったので,どうなったかな,と思っていた。が,燃え上がりは上等だったことがこれでわかる。右に若草山,左にお土産物屋さんの軒並みをみながら,手向山神社に向かう。途中の「菊一文殊四郎包永」という有名な刃物屋さんが開いていたら,ペティ・ナイフを買おうと思っていたが,残念ながら,まだ,早くて開店前。
ここからさきは省略。
最終の目的地である二月堂の欄干から奈良盆地を眺めて,JR奈良駅を目指す。小一時間のつもりが,意外に長かったことに気づく。途中で,気温がどんどん下がっていくのがわかる,この日もまたとてつもなく寒い日だった。歩いても,歩いても,しかも,大きなバッグを肩にかけて歩いているのに,少しも暖かくならない。それどころか手の指先から冷えてくる。奈良盆地の底冷えを久しぶりに体感した。そういえば,こういう寒さだったなぁ,とむかしを思い出す。
わたしの大好きな奈良散策コース(そのむかし,よく歩いたコース)をたどることができ幸せいっぱい。M君に,いろいろの思い出話を聞いてもらいながらの散策だったので,さらに一味違う。満足,満足。
JR奈良駅から,M君も一緒に京都に向かう。まもなく,京都駅に到着というときに,昨日書いたブログの『ボクシングの文化史』の書評の情報がとどく。吉報なり,とふたりで喜ぶ。
来年も,もっと大勢で山焼きをみることができるよう,動員をかけておこう。いまから,楽しみ。
1 件のコメント:
充実した3日間の一部分だけでもご一緒できたのは、私にとっても貴重な時間でした。
先生の講演を、学生時代とは全く違う聴き方をしている自分に驚きをもっていました。働いている今だからこそ、内容の奥に見え隠れするものがあることに気づけるのかなあととも思いました。
ますます、このブログが楽しみになりました。
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