政権の舵取りが狂うと,国民の意識も狂ってしまうらしい。もともと「長いものには巻かれろ」的な,権力に従順な国民性も加味して,政権のやりたい放題の政治が,まかりとおっている。まさに,恥も外聞もない,とはこのことだ。ほんとうに,でたらめな政治がまかりとおっていく。しかし,いかに権力に従順な国民性とはいえ,憲法を無視して戦争のできる国への大転換だけは許せない,と多くの国民が目覚めた。にもかかわらず,議会の多数にものを言わせて,国会のルールを破ってまでして法案を押しとおしてしまう。
こうして,日本国は,まったく新しい歴史の扉を開き,70年の貯金をすべてはたいてしまうという大きな博打に打ってでた。大博打を打ったアベ君は,戦争法案を手土産にアメリカに渡り国連で演説をし,積極的平和主義を貫く,と見得を切った。しかし,その会場の席はがら空きで,アベ君の演説に耳を傾ける外国の首脳はほとんどだれもいなかった。おまけに,オバマ大統領との会談も叶わなかった。なんたる体たらく。
政権の生命線を賭けてわがものとした戦争法案が,国際社会ではなんの勲章にもならなかった。むしろ,立憲デモクラシーを否定し,国民の意思を無視してまで強引に押し切った政治手法が顰蹙を買うところとなってしまった。もはや,国際社会はアベ君を相手にはしなくなってしまったのだ。戦争法案をごり押ししたあのたった一夜にして,日本国は世界から軽んじられる国家になりはててしまった。
この事実を,日本のメディアはひた隠しにしている。日本のジャーナリズムは自死にも等しい道を歩みつづけている。だから,国民の大多数はなにも知らないままだ。逆に,アベ君が派手に立ち回っているかのような錯覚を起こすような報道をしている。意図的計画的に。その結果,とんでもない錯覚に陥っている日本人は少なくない。
たとえば,戦争法案は日本の安全を守るために必要不可欠な法案である,と信じている。事態はまったくの逆だ。戦争法案をもったことによって,日本は安全な国家から危険な国家へと舵を切ってしまったのだ。なぜなら,日本は「戦争をしない国」として70年の実績を残した。だから,国際社会はこの「70年」を奇跡として高く評価してきた。「戦争をしない」と憲法で宣言している国を,一方的に攻撃することはできない。しかし,いつでも戦争ができる国になったとたんに,日本に対する評価は一変してしまったのだ。
日本国は単なるアメリカの属国にすぎない,と。
そのアメリカからも総スカンを食ってしまった。それどころか,アベ政権はなにをはじめるかわけがわからない,という根底的な不信感を募らせることになってしまった。むしろ,アベ政権に反対する国民の民意の動きに注意を払い,沖縄の辺野古の基地問題にも,沖縄県民の意思を尊重して,議会の議決に気配りをする姿勢まで示した。アベ政権(戦争法案)に反対する国民の意思や,米軍基地に反対する沖縄県民の意思は,日本国政府にではなく,アメリカ政府にとどいている。こんな珍現象が,いま,粛々と進行している。
いま,わたしたちの目の前で,これまでとはまったく違った日本国の歴史が「つくられ」つつある。立憲デモクラシーを否定するアベ政権と,それによって目覚めた国民の護憲精神との闘いが,アメリカ政府や国際社会の注目するところとなりつつある。しかも,日本のジャーナリズムは死んだふりをして,政権党のいいなりになっている。その結果,政権党にとって都合のいい情報だけが大手をふってまかりととおっていく。気がつけば,国民の一割にも満たない支配層の利益だけが優先され(冨を独占),それ以外の国民は使い捨てにされる(貧困化)。そういう法案がつぎからつぎへと提出され,成立している。こういう現実のなかで,ことの本質を見極めることができないまま,多くの国民が路頭に迷っている。
それでもなお,憲法違反だけは許せない,という声だけは生きている。そして,戦争だけはいやだ,という感性も生きている。この,たった2点だけでもいい,野党連合を構築てしていくことはできないのか。共産党の志位委員長の提案が際立つ。にもかかわらず,日本会議に片足を突っ込んでいる民主党の腰が引けている。ならば,さっさと政党を再編して,大所高所から大勇断をすべきではないか。小沢一郎が,とうとう,ここにきて「吼えた」。
その行方やいかに。
こうして,日本国は,まったく新しい歴史の扉を開き,70年の貯金をすべてはたいてしまうという大きな博打に打ってでた。大博打を打ったアベ君は,戦争法案を手土産にアメリカに渡り国連で演説をし,積極的平和主義を貫く,と見得を切った。しかし,その会場の席はがら空きで,アベ君の演説に耳を傾ける外国の首脳はほとんどだれもいなかった。おまけに,オバマ大統領との会談も叶わなかった。なんたる体たらく。
政権の生命線を賭けてわがものとした戦争法案が,国際社会ではなんの勲章にもならなかった。むしろ,立憲デモクラシーを否定し,国民の意思を無視してまで強引に押し切った政治手法が顰蹙を買うところとなってしまった。もはや,国際社会はアベ君を相手にはしなくなってしまったのだ。戦争法案をごり押ししたあのたった一夜にして,日本国は世界から軽んじられる国家になりはててしまった。
この事実を,日本のメディアはひた隠しにしている。日本のジャーナリズムは自死にも等しい道を歩みつづけている。だから,国民の大多数はなにも知らないままだ。逆に,アベ君が派手に立ち回っているかのような錯覚を起こすような報道をしている。意図的計画的に。その結果,とんでもない錯覚に陥っている日本人は少なくない。
たとえば,戦争法案は日本の安全を守るために必要不可欠な法案である,と信じている。事態はまったくの逆だ。戦争法案をもったことによって,日本は安全な国家から危険な国家へと舵を切ってしまったのだ。なぜなら,日本は「戦争をしない国」として70年の実績を残した。だから,国際社会はこの「70年」を奇跡として高く評価してきた。「戦争をしない」と憲法で宣言している国を,一方的に攻撃することはできない。しかし,いつでも戦争ができる国になったとたんに,日本に対する評価は一変してしまったのだ。
日本国は単なるアメリカの属国にすぎない,と。
そのアメリカからも総スカンを食ってしまった。それどころか,アベ政権はなにをはじめるかわけがわからない,という根底的な不信感を募らせることになってしまった。むしろ,アベ政権に反対する国民の民意の動きに注意を払い,沖縄の辺野古の基地問題にも,沖縄県民の意思を尊重して,議会の議決に気配りをする姿勢まで示した。アベ政権(戦争法案)に反対する国民の意思や,米軍基地に反対する沖縄県民の意思は,日本国政府にではなく,アメリカ政府にとどいている。こんな珍現象が,いま,粛々と進行している。
いま,わたしたちの目の前で,これまでとはまったく違った日本国の歴史が「つくられ」つつある。立憲デモクラシーを否定するアベ政権と,それによって目覚めた国民の護憲精神との闘いが,アメリカ政府や国際社会の注目するところとなりつつある。しかも,日本のジャーナリズムは死んだふりをして,政権党のいいなりになっている。その結果,政権党にとって都合のいい情報だけが大手をふってまかりととおっていく。気がつけば,国民の一割にも満たない支配層の利益だけが優先され(冨を独占),それ以外の国民は使い捨てにされる(貧困化)。そういう法案がつぎからつぎへと提出され,成立している。こういう現実のなかで,ことの本質を見極めることができないまま,多くの国民が路頭に迷っている。
それでもなお,憲法違反だけは許せない,という声だけは生きている。そして,戦争だけはいやだ,という感性も生きている。この,たった2点だけでもいい,野党連合を構築てしていくことはできないのか。共産党の志位委員長の提案が際立つ。にもかかわらず,日本会議に片足を突っ込んでいる民主党の腰が引けている。ならば,さっさと政党を再編して,大所高所から大勇断をすべきではないか。小沢一郎が,とうとう,ここにきて「吼えた」。
その行方やいかに。
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