しばらく前に日本にいく予定,というメールが届いて,それっきりになっていましたので,それとなく気がかりになっていました。そのイタリアの友人から14日の夕刻になって,明日(15日)会いたいと突然のメール。すでに東北方面を旅してきて,最後に富士山を眺めたいと思って三島のホテルを予約した,という。その間隙を縫っての再会です。急いで時間調整をして,15日午後6時に品川駅で待ち合わせることに。
少し早めに所定の場所で待っていましたら,かれらも早めに到着。すぐに予約をしておいた渋谷の沖縄料理店・うりずんに向かいました。二年ぶりの再会。主役はボーイ・フレンドと一緒にやってきたミケーラさん。彼女は,ヴェネツィア大学で日本語・日本文化を専攻。卒論は,日本の戦争文学の研究。そのときに,いくらかお手伝いをした記憶がありますが,研究の視点がみごとでびっくりしました。ですから,日本語でなに不自由なく会話ができます。彼氏とは英語で。彼氏は音楽の先生。なかなかの好漢。
もとをたどれば,ミケーラさんがまだ学生だったときに一人旅で来日。鹿児島から沖縄に渡るフェリーの船上で,娘と出会い,以後,親交を深め,こんにちに至る,ということです。その間,わたしたち家族でイタリア旅行を計画したときに(2003年,ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として招聘されたときの夏),ミケーラさんには家族ぐるみでお世話になりました。ヨーロッパ中が猛暑に襲われ,日本でも経験したことのない暑さのなか,ローマの遺跡めぐりをした記憶がいまも鮮明に蘇ってきます。ミケーラさんは,わざわざ,わたしたちのために一週間休暇をとって,車を運転してふつうの観光客では行かれないイタリアの穴場を案内してくれました。汽車の旅とはまた一味違うものがありました。ありがたいことでした。
イタリアの思い出はまだまだ山ほどありますが,それは割愛。
このお二人,もうすでに2週間,日本に滞在していて,東北のお祭をみてきたとのこと。青森のねぶた祭,秋田の竿燈祭,石巻の友人のところの村祭,などを堪能して,東京に戻ってきたとのこと。青森のねぶた祭がとても印象に残ったようでしたので,その由来である坂上田村麻呂の話と蝦夷の英雄アテルイの話をしてあげました。この話ははじめて聞く,と言って喜んでいました。たぶん,彼女のことですから,事前に相当調べてきていて,予備知識も充分だったはず。そのアテルイのお墓が能登の明通寺にあるという話も(こちらは,西谷さんの集中講義で仕入れたばかりの,わたしにとってもホットな情報)。
15日の夜は三島のホテルに宿泊,ということでしたので,早めに渋谷うりずんをでて,品川駅へ。天気がよければ富士山を眺めて,それから関西(大阪)に向かうとのこと。大阪にもたくさんの友人がいるようで,時間のやりくりが大変の様子。もちろん,奈良・京都へも足をのばすつもり,と。そこで1週間を過ごして,イタリアに帰るとのこと。全部で3週間のバカンスだそうです。
こんな話を聞きながら,帰りの電車のなかで,はたとわが身をふり返り,なんと「貧しい」人生であったことかと情けなくなってしまいました。わたし自身としては大満足だったはずなのに・・・。
日本人で3週間のバカンスをとって,外国旅行を楽しめる人が,はたして何人いるだろうか,と思わずにはいられませんでした。ヨーロッパ人にとっては当たり前の話。しかも,3週間は短い方で,ふつうは一カ月は完全に休みがとれるとのこと。これは,わたしの知っているドイツやオーストリアでも同様です。日本の「豊かさ」などというものは,単なる「数字」の上だけのことであって,内実はなにもないに等しい,こころのゆとりという点ではまことに「貧しい」ものでしかない,ということを思い知らされた次第です。
8月15日。日本人にとっては忘れることのできないポツダム宣言受諾の日。すなわち,連合国軍に対して,無条件降伏をした日。このときの連合国のなかには,中国もソ連も入っていた,という事実を忘れてはなりません。中国が,折あるごとに「歴史に学べ」と日本に要求してくるのは,こういうことです。こんな話もミケーラさんとしてみようかと考えましたが,やめておきました。また,いつか,時間のあるときに,じっくりと深い話もしてみたいなぁ,と思いながら品川駅でお別れしました。
久しぶり(2年ぶり)のイタリアはモデナ(ローマの北にある歴史的に由緒ある古都)の友人との再会でした。このあとも楽しい旅であることを祈りつつ,今日のところはここまで。
少し早めに所定の場所で待っていましたら,かれらも早めに到着。すぐに予約をしておいた渋谷の沖縄料理店・うりずんに向かいました。二年ぶりの再会。主役はボーイ・フレンドと一緒にやってきたミケーラさん。彼女は,ヴェネツィア大学で日本語・日本文化を専攻。卒論は,日本の戦争文学の研究。そのときに,いくらかお手伝いをした記憶がありますが,研究の視点がみごとでびっくりしました。ですから,日本語でなに不自由なく会話ができます。彼氏とは英語で。彼氏は音楽の先生。なかなかの好漢。
もとをたどれば,ミケーラさんがまだ学生だったときに一人旅で来日。鹿児島から沖縄に渡るフェリーの船上で,娘と出会い,以後,親交を深め,こんにちに至る,ということです。その間,わたしたち家族でイタリア旅行を計画したときに(2003年,ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として招聘されたときの夏),ミケーラさんには家族ぐるみでお世話になりました。ヨーロッパ中が猛暑に襲われ,日本でも経験したことのない暑さのなか,ローマの遺跡めぐりをした記憶がいまも鮮明に蘇ってきます。ミケーラさんは,わざわざ,わたしたちのために一週間休暇をとって,車を運転してふつうの観光客では行かれないイタリアの穴場を案内してくれました。汽車の旅とはまた一味違うものがありました。ありがたいことでした。
イタリアの思い出はまだまだ山ほどありますが,それは割愛。
このお二人,もうすでに2週間,日本に滞在していて,東北のお祭をみてきたとのこと。青森のねぶた祭,秋田の竿燈祭,石巻の友人のところの村祭,などを堪能して,東京に戻ってきたとのこと。青森のねぶた祭がとても印象に残ったようでしたので,その由来である坂上田村麻呂の話と蝦夷の英雄アテルイの話をしてあげました。この話ははじめて聞く,と言って喜んでいました。たぶん,彼女のことですから,事前に相当調べてきていて,予備知識も充分だったはず。そのアテルイのお墓が能登の明通寺にあるという話も(こちらは,西谷さんの集中講義で仕入れたばかりの,わたしにとってもホットな情報)。
15日の夜は三島のホテルに宿泊,ということでしたので,早めに渋谷うりずんをでて,品川駅へ。天気がよければ富士山を眺めて,それから関西(大阪)に向かうとのこと。大阪にもたくさんの友人がいるようで,時間のやりくりが大変の様子。もちろん,奈良・京都へも足をのばすつもり,と。そこで1週間を過ごして,イタリアに帰るとのこと。全部で3週間のバカンスだそうです。
こんな話を聞きながら,帰りの電車のなかで,はたとわが身をふり返り,なんと「貧しい」人生であったことかと情けなくなってしまいました。わたし自身としては大満足だったはずなのに・・・。
日本人で3週間のバカンスをとって,外国旅行を楽しめる人が,はたして何人いるだろうか,と思わずにはいられませんでした。ヨーロッパ人にとっては当たり前の話。しかも,3週間は短い方で,ふつうは一カ月は完全に休みがとれるとのこと。これは,わたしの知っているドイツやオーストリアでも同様です。日本の「豊かさ」などというものは,単なる「数字」の上だけのことであって,内実はなにもないに等しい,こころのゆとりという点ではまことに「貧しい」ものでしかない,ということを思い知らされた次第です。
8月15日。日本人にとっては忘れることのできないポツダム宣言受諾の日。すなわち,連合国軍に対して,無条件降伏をした日。このときの連合国のなかには,中国もソ連も入っていた,という事実を忘れてはなりません。中国が,折あるごとに「歴史に学べ」と日本に要求してくるのは,こういうことです。こんな話もミケーラさんとしてみようかと考えましたが,やめておきました。また,いつか,時間のあるときに,じっくりと深い話もしてみたいなぁ,と思いながら品川駅でお別れしました。
久しぶり(2年ぶり)のイタリアはモデナ(ローマの北にある歴史的に由緒ある古都)の友人との再会でした。このあとも楽しい旅であることを祈りつつ,今日のところはここまで。
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