8月22日(金)から26日(火)まで,4泊5日の沖縄の旅を満喫して,もどってきました。沖縄滞在中もブログを書こうと思ってパソコンも持参したのですが,毎晩,深夜まで居酒屋めぐりで,ホテルに戻ったらそのままバクスイ。きわめて健康的であるような,不健康であるような・・・・。でも,自分の好きなことに熱中できることはなによりの幸せです。
22日(金)と23日(土)は連夜で,カッパ・ロッラーズなるロックのライブ。これがまた強烈なものでした。そして,ようやくロックなるものの本質が少しみえてきた,そういうライブでした。と同時に,沖縄におけるライブの位置づけというか,ウチナンチュのライブの楽しみ方が,生活の中に浸透している,という印象をもちました。もう一点は,ロックン・ローラーが自己超越し,その世界で自分自身がほかの誰よりも憑依している,ということがわかりました。このことについては,このブログで取り上げて,詳細に語ってみたいと思っています。ライブが終わるのが夜の10時過ぎ。それから夕食とドリンク。沖縄タイムを満喫です。
23日(土)の昼中は,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加。「県民2000人集会」の企画。場所が那覇からも遠く,しかも不便なところですので,そこまで到達するのがたいへん。車で送ってもらい,帰りは拾ってもらって,という参加でした。にもかかわらず,目標の「2000人」をはるかに超えて「3600人」が集まりました。実行委員会が用意したバスの台数が足りなくて,ここに到達できなかった人がかなりいた(新聞報道)ということですので,実際にはもっと多くの人が参加したことになります。午後2時にシュプレヒコール,国会議員団の挨拶,デモ行進。この場の熱気は相当なもので,沖縄県民の人たちのこころのうちを垣間見る思いがしました。
24日(日)は「ひめゆり平和記念資料館」へ。ここも本島の南端ですので,那覇からはかなりの時間がかかります。しかし,ここの資料館で流している「映像資料」(当時の戦争の実写フィルムとわずかに生き残った「ひめゆり」の元隊員だった女性たちの回想フィルム)が,わたしにはきわめて強烈でした。そして,戦争を引き起こす人間の「愚かさ」がいやというほど見せつけられ,いかなる理由があろうとも,戦争だけは回避しなくてはならない,としみじみ思いました。このときになにを考えたかも,いつか,このブログで取り上げてみたいと思っています。
その日の帰路,奥武山運動公園にある野球場で開催されていた「第50回記念エイサー祭り」に立ち寄りました。これがまたとてもみごとなものでした。これまでいろいろのショーとしてみてきたものや,インターネットで眺めてきたものとはまったく違った印象を受けました。それは野球場という場所から生みだされるスケールの大きさとエイサーを演ずる人たちの心意気がまるで異なるということでしょう。各地域の予選をへて選りすぐりの青年団によるエイサーです。同じエイサーと呼ばれている踊りが,こんなに多くのバリエーションがあるのか,と驚くほどでした。終わったのが夜の8時過ぎです。それから那覇までもどって夕食+トリンケン。これらのエイサーを眺めながら考えたことも,いつか,このブログで書いてみたいと思います。
25日(月)は朝10時県庁前から出発するバス(「島ぐるみ会議」がチャーター)に乗って,再度,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加するために,午前9時30分にならんでチケットを購入。先着順ということでしたので,乗り残されることのないように・・・という備えです。すでに,長蛇の列になっていましたが,そこに,N.O.さんから携帯に電話が入り,N.I.さんが車で案内してくれることになり,いま,県庁前に向かっています,という。あわてて,バスのチケットをキャンセル。返金は「カンパ」することに。車に乗り込んでみたら,N.C.さんが乗っていて,ひとり分の空席がある,ということがわかりました。車中,話しがあれこれ盛り上がり,また,バスでは不可能な寄り道をいっぱいしてくださり,いろいろの場所から辺野古崎周辺海域を眺めることができました。このときの経緯もいつかこのブログで書いてみたいと思います。
この日の夜は,午後7時開演のシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」(「新外交イニシアティブ」主催)に出席。午後9時30分に終了。それからN.O.さん,N.C.さんと合流して,夕食+トリンケンに。ここでのシンポジウムについての講評とそこから派生する思考の展開がとても刺激的でした。たとえば,政治的な抗議行動には,単なる二項対立的な意思表明だけではなく,もっと祝祭的な要素(「まつりごと」の本来の意味で)を加味して,多くの人間の共感を呼ぶことが重要なのだ,そして,そこには「ノロ」の大集結も不可欠だ,などというようなお話です。この夜はさすがに午前様にならないところでお開きに。それらの内容についてもいつかこのブログで書いてみたいと思っています。
このほかにもいろいろありましたが,公けにできるお話はこの程度。
今回の沖縄旅行の概要はこんなところです。各論については,また,のちほど。以上,とりあえずのご報告まで。
22日(金)と23日(土)は連夜で,カッパ・ロッラーズなるロックのライブ。これがまた強烈なものでした。そして,ようやくロックなるものの本質が少しみえてきた,そういうライブでした。と同時に,沖縄におけるライブの位置づけというか,ウチナンチュのライブの楽しみ方が,生活の中に浸透している,という印象をもちました。もう一点は,ロックン・ローラーが自己超越し,その世界で自分自身がほかの誰よりも憑依している,ということがわかりました。このことについては,このブログで取り上げて,詳細に語ってみたいと思っています。ライブが終わるのが夜の10時過ぎ。それから夕食とドリンク。沖縄タイムを満喫です。
23日(土)の昼中は,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加。「県民2000人集会」の企画。場所が那覇からも遠く,しかも不便なところですので,そこまで到達するのがたいへん。車で送ってもらい,帰りは拾ってもらって,という参加でした。にもかかわらず,目標の「2000人」をはるかに超えて「3600人」が集まりました。実行委員会が用意したバスの台数が足りなくて,ここに到達できなかった人がかなりいた(新聞報道)ということですので,実際にはもっと多くの人が参加したことになります。午後2時にシュプレヒコール,国会議員団の挨拶,デモ行進。この場の熱気は相当なもので,沖縄県民の人たちのこころのうちを垣間見る思いがしました。
24日(日)は「ひめゆり平和記念資料館」へ。ここも本島の南端ですので,那覇からはかなりの時間がかかります。しかし,ここの資料館で流している「映像資料」(当時の戦争の実写フィルムとわずかに生き残った「ひめゆり」の元隊員だった女性たちの回想フィルム)が,わたしにはきわめて強烈でした。そして,戦争を引き起こす人間の「愚かさ」がいやというほど見せつけられ,いかなる理由があろうとも,戦争だけは回避しなくてはならない,としみじみ思いました。このときになにを考えたかも,いつか,このブログで取り上げてみたいと思っています。
その日の帰路,奥武山運動公園にある野球場で開催されていた「第50回記念エイサー祭り」に立ち寄りました。これがまたとてもみごとなものでした。これまでいろいろのショーとしてみてきたものや,インターネットで眺めてきたものとはまったく違った印象を受けました。それは野球場という場所から生みだされるスケールの大きさとエイサーを演ずる人たちの心意気がまるで異なるということでしょう。各地域の予選をへて選りすぐりの青年団によるエイサーです。同じエイサーと呼ばれている踊りが,こんなに多くのバリエーションがあるのか,と驚くほどでした。終わったのが夜の8時過ぎです。それから那覇までもどって夕食+トリンケン。これらのエイサーを眺めながら考えたことも,いつか,このブログで書いてみたいと思います。
25日(月)は朝10時県庁前から出発するバス(「島ぐるみ会議」がチャーター)に乗って,再度,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加するために,午前9時30分にならんでチケットを購入。先着順ということでしたので,乗り残されることのないように・・・という備えです。すでに,長蛇の列になっていましたが,そこに,N.O.さんから携帯に電話が入り,N.I.さんが車で案内してくれることになり,いま,県庁前に向かっています,という。あわてて,バスのチケットをキャンセル。返金は「カンパ」することに。車に乗り込んでみたら,N.C.さんが乗っていて,ひとり分の空席がある,ということがわかりました。車中,話しがあれこれ盛り上がり,また,バスでは不可能な寄り道をいっぱいしてくださり,いろいろの場所から辺野古崎周辺海域を眺めることができました。このときの経緯もいつかこのブログで書いてみたいと思います。
この日の夜は,午後7時開演のシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」(「新外交イニシアティブ」主催)に出席。午後9時30分に終了。それからN.O.さん,N.C.さんと合流して,夕食+トリンケンに。ここでのシンポジウムについての講評とそこから派生する思考の展開がとても刺激的でした。たとえば,政治的な抗議行動には,単なる二項対立的な意思表明だけではなく,もっと祝祭的な要素(「まつりごと」の本来の意味で)を加味して,多くの人間の共感を呼ぶことが重要なのだ,そして,そこには「ノロ」の大集結も不可欠だ,などというようなお話です。この夜はさすがに午前様にならないところでお開きに。それらの内容についてもいつかこのブログで書いてみたいと思っています。
このほかにもいろいろありましたが,公けにできるお話はこの程度。
今回の沖縄旅行の概要はこんなところです。各論については,また,のちほど。以上,とりあえずのご報告まで。
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