2014年8月30日土曜日

第151回芥川賞受賞作『春の庭』(柴崎友香)を読む。なにか物足りないのだが・・・・。

 毎年,芥川賞受賞作だけは読むことにしています。その理由は,新しい文学の可能性が若い新人作家によってどのように模索されていて,それが審査員によってどのように評価されるのか,それが知りたいからです。

 ですから,文藝春秋の掲載号を購入して,まずは,「芥川賞選考経過」を読み,つづいて「芥川賞選評」をかなり丹念に読みます。どの選考委員が,どの作品を,どのように評価したか,がかなりわかってくるからです。もう一つの楽しみは,この選評の文章をとおしてその作家の力量が,わたしなりに理解できるように思うからです。そして,究極の楽しみは,芥川賞の選考というものがいかにいい加減なものであるか,ということが透けてみえてくることです。

 第一に,芸術作品を点数化して,比較することの是非論があります。しかも,その点数を合計して順位を決める,この一種マンネリ化した方法にいたっては,もはや言うべきことばもありません。一見したところ,いかにも合理的で,民主主義的で,なんの矛盾もないようにみえます。が,どっこい,そうは問屋が卸しません。なぜなら,芸術作品を評価する客観的な基準はどこにも存在しないからです。すべては,審査委員の「主観」でしかありません。その主観を「点数化」することによって,いかにも比較可能な客観的な評価がなされたかのごとき体裁をとること自体が矛盾です。

 そういう馬鹿げたことが大まじめに,長年にわたって繰り返えされてきたのです。ですから,この馬鹿馬鹿しさのわかっている作家は,審査委員になることを断っている,と聞いています。そういえば,この人が審査委員なのか,といささか奇異な感じもする作家さんもいます。その逆に,たとえば,わたしの好きな作家で,しかも一般的に評価も高い作家が,このメンバーには入っていません。なるほどなぁ,と納得してしまいます。

 とまあ,いささか余分なことを書いてしまいましたが,ことほど左様に芥川賞作品だからといって,過剰に評価する必要はほとんどないに等しい,ということが言いたかったという次第です。しかも,今回は三つの作品がほとんど同列に並んで,なにやら妙な議論が展開したらしいことも,選評を読んでいると透けてみえてきます。ということは,どの作品が受賞作になっても不思議ではなかった,ということでもあります。

 ですから,今回の受賞作は,まあ,運がよかった,という程度に受け止めておけばいいのかな,という印象をもちました。そんな先入観があったからかもしれませんが,今回の受賞作『春の庭』の読後感は,「なにか物足りない」というものでした。過去の受賞作の中にもかなり妙な印象を残した作品もありましたが,それでも,こういう点が新鮮だなぁ,というものが一つや二つはありました。が,今回のこの『春の庭』には,とりたててこれという魅力がわたしには感じられませんでした。なぜなのか。

 いささか古くなった木造二階建てのアパートで暮らす住人たちが,大家さんから立ち退きを求められます。そして,一人消え,二人消え,という具合に住人が減っていきます。立ち退き期限ぎりぎりまで居残る3人のアパートの住人の日常が,とても繊細に描かれていきます。その観察眼がとても秀でている,と選考委員の何人かが評価しています。そして,唯一,物語の仕掛けとして幅をもたせているのが,アパートのすぐ隣にかなり立派な一戸建てのお屋敷があって,この建物の元住人のアーティストが自分たちの部屋の中での暮らしぶりを写真集にして発売し,それを読んで記憶している住人が,新しい住人と仲良しになり,少しずつその部屋の探訪をするという,一種異様な「欲望」が描かれている点でしょうか。月並みなことばで言ってしまえば,他人の生活を「覗き見」して,あれこれ推理する「欲望」ということになるでしょう。

 その「欲望」を残ったアパートの住人たちが分かち合い,共通の話題として仲良しになっていく,その描写がなかなか秀でていると某審査員は選評で書いています。しかし,わたしの中に他人の暮らしぶりを覗き見したり,あれこれ邪推する興味も関心もないためか,なんの感興も湧いてはきません。人情の機微も,どこかドライでいて,それでいてお互いに仲良しを装っているようにも読み取れます。

 この東京砂漠を生き延びるためのオアシスは,せいぜいこんな殺伐としたものでしかない,と言いたいのだとしたら,そんなテーマはもうすでに多くの作家たちによって取り上げられ,描かれてきました。ですから,いまさらとりたてて,つまり,芥川賞の当選作としての賞に値するとは,わたしには思えませんでした。

 この小説の最後のところの描写もまた,全体のコンテクストとはなんの脈絡もない,とってつけたような意味不明なものでしかない,とわたしには感じられました。審査員の何人かも,同じような指摘をしていました。にもかかわらず,この作品を押した,といいます。なぜか。この作者・柴崎友香は,すでに芥川賞の候補に4回もなっていて,日常性を描く視力と筆力はすでに高く評価されてきたけれども,今回はそのレベルを超え出て新境地を開いた,というのがこの作品を押した選考委員たちの言い分のようです。ですが,どこが,どのように新境地を開いたのか,という点についてはだれも語ってはいません。

 わたしのような素人の小説好きには,なんとも平凡なアパート生活者たちの日常が描かれている,それだけではないか,という程度の感想しかもてませんでした。どこか「物足りない」のです。ないものねだりにすぎないのかも知れませんが・・・・。

 でも,なんといっても,天下の芥川賞作家の作品です。なにか,わたしのような凡人には理解不能ななにか秀でたものがあるのでしょう。これは相性の問題かも知れません。ですから,それはそれでいいとしておきましょう。唯一,救われるのは選考委員のなかにも,この作品をまったく評価しないという人もいたことでしょうか。

 この作者が受賞後の新作で,どのような作品を提示してくるのか,それを楽しみにすることにしたいと思います。以上が,わたしの独断と偏見を前提にした読後感です。その意味では嘘偽りはありません。ということで,今回はここまで。

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