6月17日(日)の午後は第1コートの自選難度競技部門を堪能させていただいた。熱のこもった迫力満点の演技がつづいた。選手のみなさんに感謝である。もちろん,失敗して涙を飲んだ選手もいれば,予想以上の高得点を獲得して喜びを隠さなかった選手もいた。しかし,優勝候補の選手たちは,演技の結果はともかくとして,じつに冷静に自分の演技に向き合っていたように思う。どこか風格のようなものを感じた。素晴らしいと思う。
感動したのは,選手の層が厚くなったというか,ボトムアップしたというか,レベルの高い選手が多くなったことだ。この点は,去年とは格段の差がある,という印象を受けた。2005年に施行された「新国際競技ルール」に慣れてきたというべきか,あるいは,ルールに対応する演技構成の研究が進んだというべきか,あるいはまた,選手たち同士の切磋琢磨の結果というべきか。もっとも,トップ下に連なる選手たちは,何回も強化合宿をくり返しているので,おのずから気合が入ってくるのは当然というべきだろうが・・・・。
それにしても,上手になっている。着実に腕を上げている。そういう印象が強く残った。それをもっとも強く感じたのは,選手たちの演技に余裕が感じられるようになってきたということだ。見ている者に安心感を与えるような,動きに溜めがある。選手自身も明らかに演技を意識しているようで,いかにも心地よさそうに見せてくれる。そういう選手が増えてきている。これが,第8回アジア武術選手権大会(ベトナム・ホーチミン市)にむけての日本代表選手選考会かと思わせるほどの,心地よい緊張感と余裕が伝わってくる。選手たちが育っている証拠だ。
わたしが全日本武術太極拳選手権大会を初めてみたのは,2003年と記憶している。そのころの自選難度競技部門(当時は,こんな名称ではなかったように思うが,確かではない)は,いま思い浮かべてみれば,じつにのどかな競技会だったように思う。なぜなら,10点満点で採点した結果を一人ずつの審判が表示して,それを集計した平均点が選手の得点となっていた。
わたしは若いころは体操競技の選手だったので,この採点方法には馴染んでいる。初めて見せていただいたのに,しばらく眺めていたらなんとなく採点ができるようになった。自分の予想した得点と最終的な得点との間に,そんなに大きな差がないのである。だから,すぐに面白くなって夢中になって採点しながら,集計された得点との差を縮めることに熱中していた。素人でも,すぐに,楽しめたのである。
しかし,2005年以後の新ルールによる採点方法がとられるようになってからは,点数の予測がつかなくなってしまった。これは,いまの体操競技と同じである。むかしは,スタンドで眺めながら,自分で採点して,ほとんど間違いなく点数をはじきだすことができた。しかし,いまのルールは理解不能である。自分で採点できないのである。これは上手だとむかしの採点方法でやってみても,まったく予想外の得点がでてくる。わけがわからない。だから,試合会場にも行かなくなってしまった。時折,テレビでみても,点数はまったくわからない。表示された点数をみて「ヘェーッ」と思うだけである。前の選手との演技の「差」を自分の目で確認することはできないのである。すべて,結果待ちなのだ。
自選難度競技部門の採点方法も,体操競技やフィキュア・スケートの採点方法をヒントにして編み出されたものだと聞いている。だから,フィギュア・スケートなどと同じで,回転ワザなどの着地の角度は,スタンドからはわからない。結果待ち。体操競技にいたっては,もっともっと複雑な採点方法をとっているので,ますますわからない。得点が発表されるのをじっと待つのみである。
自選難度競技部門の演技も,得点が発表されるまでは,さっぱりわからない。スタンドからみていて,この選手はいい点がでるぞと期待しても,まったくそうではないことが多々あった。それは,A組審判の点数はほぼ予測がつくのだが,B組審判とC組審判の点数は,まったく予測がつかない。会場で手に入れたプログラムに「解説:新国際競技ルールによる〔自選難度競技〕とは」という詳しい説明があるので,そこを何回もくり返し確認するのだが,とても複雑で読んだだけでは理解不能である。
わたしがみていて不思議だったのは,この選手はじつにいい演技をした(魅せる演技までできている)と思って結果を待っていると,A組審判が満点の5点を出しているのに,B組・C組の点数がまったく伸びない。そのために,総計ではとても低い得点になってしまうことだ。ジャンプの高さも滞空時間も長い。余裕たっぷりの演技なのに,残念ながら,B組・C組のルールの減点で,大きく順位を落とす。選手は,それほど悔しそうにもしていないところをみると,選手自身はどこで減点されたかを自覚しているらしい。
李自力老師とは,以前から(たぶん,新国際ルールが制定されるころに),武術太極拳がスポーツ競技の方向に舵を切ることに対する危惧について,ずいぶん話し合ったことがある。その大きなポイントは,空中で宙返りをすることが武術の本質に照らし合わせてみて,いかなる意味があるのか,同じように,ジャンプして回転すること,そして着地するときの足の角度が,武術となんの関係があるのか,とわたしは強く主張したことがある。李老師も同じ意見だった。しかし,武術太極拳が国際化し,世界に普及していくためには,ヨーロッパ的な合理主義の考え方に立ち,客観化・数量化の道を選ぶしかないんだよね,と話し合ったことを思い出す。しかし,その道は間違いなく「武術」の世界からは遠のいていく道でしかない。そのことは間違いない。そして,武術太極拳は近代スポーツ競技の仲間入りを果たすことになるだろう(その最終ゴールはオリンピック競技の正式種目として公認されることだ)。では,本来の「武術」としての太極拳はどうなるのか。
このあたりのことについては,李自力老師の博士論文『日中太極拳交流史』(叢文社)に詳しく論じられているので,参照していただきたい。この当時に二人で議論をし,予測されたことが現実となって,いまわたしたちの眼前に展開している。そのことの良否はともかくとして,いま,とても大事な分岐点にわたしたちは立っているのだ,と思う。そして,この道は,日本の柔道が通った道でもある。そして,こんにちでは,柔道とJUDOとは別物になってしまった,というのがわたしの考えである。
さて,太極拳が,こんごどのような経緯をたどることになるのか,わたしはしっかりと見極めていきたいと考えている。その意味でも「自選難度競技」は目が離せない。
感動したのは,選手の層が厚くなったというか,ボトムアップしたというか,レベルの高い選手が多くなったことだ。この点は,去年とは格段の差がある,という印象を受けた。2005年に施行された「新国際競技ルール」に慣れてきたというべきか,あるいは,ルールに対応する演技構成の研究が進んだというべきか,あるいはまた,選手たち同士の切磋琢磨の結果というべきか。もっとも,トップ下に連なる選手たちは,何回も強化合宿をくり返しているので,おのずから気合が入ってくるのは当然というべきだろうが・・・・。
それにしても,上手になっている。着実に腕を上げている。そういう印象が強く残った。それをもっとも強く感じたのは,選手たちの演技に余裕が感じられるようになってきたということだ。見ている者に安心感を与えるような,動きに溜めがある。選手自身も明らかに演技を意識しているようで,いかにも心地よさそうに見せてくれる。そういう選手が増えてきている。これが,第8回アジア武術選手権大会(ベトナム・ホーチミン市)にむけての日本代表選手選考会かと思わせるほどの,心地よい緊張感と余裕が伝わってくる。選手たちが育っている証拠だ。
わたしが全日本武術太極拳選手権大会を初めてみたのは,2003年と記憶している。そのころの自選難度競技部門(当時は,こんな名称ではなかったように思うが,確かではない)は,いま思い浮かべてみれば,じつにのどかな競技会だったように思う。なぜなら,10点満点で採点した結果を一人ずつの審判が表示して,それを集計した平均点が選手の得点となっていた。
わたしは若いころは体操競技の選手だったので,この採点方法には馴染んでいる。初めて見せていただいたのに,しばらく眺めていたらなんとなく採点ができるようになった。自分の予想した得点と最終的な得点との間に,そんなに大きな差がないのである。だから,すぐに面白くなって夢中になって採点しながら,集計された得点との差を縮めることに熱中していた。素人でも,すぐに,楽しめたのである。
しかし,2005年以後の新ルールによる採点方法がとられるようになってからは,点数の予測がつかなくなってしまった。これは,いまの体操競技と同じである。むかしは,スタンドで眺めながら,自分で採点して,ほとんど間違いなく点数をはじきだすことができた。しかし,いまのルールは理解不能である。自分で採点できないのである。これは上手だとむかしの採点方法でやってみても,まったく予想外の得点がでてくる。わけがわからない。だから,試合会場にも行かなくなってしまった。時折,テレビでみても,点数はまったくわからない。表示された点数をみて「ヘェーッ」と思うだけである。前の選手との演技の「差」を自分の目で確認することはできないのである。すべて,結果待ちなのだ。
自選難度競技部門の採点方法も,体操競技やフィキュア・スケートの採点方法をヒントにして編み出されたものだと聞いている。だから,フィギュア・スケートなどと同じで,回転ワザなどの着地の角度は,スタンドからはわからない。結果待ち。体操競技にいたっては,もっともっと複雑な採点方法をとっているので,ますますわからない。得点が発表されるのをじっと待つのみである。
自選難度競技部門の演技も,得点が発表されるまでは,さっぱりわからない。スタンドからみていて,この選手はいい点がでるぞと期待しても,まったくそうではないことが多々あった。それは,A組審判の点数はほぼ予測がつくのだが,B組審判とC組審判の点数は,まったく予測がつかない。会場で手に入れたプログラムに「解説:新国際競技ルールによる〔自選難度競技〕とは」という詳しい説明があるので,そこを何回もくり返し確認するのだが,とても複雑で読んだだけでは理解不能である。
わたしがみていて不思議だったのは,この選手はじつにいい演技をした(魅せる演技までできている)と思って結果を待っていると,A組審判が満点の5点を出しているのに,B組・C組の点数がまったく伸びない。そのために,総計ではとても低い得点になってしまうことだ。ジャンプの高さも滞空時間も長い。余裕たっぷりの演技なのに,残念ながら,B組・C組のルールの減点で,大きく順位を落とす。選手は,それほど悔しそうにもしていないところをみると,選手自身はどこで減点されたかを自覚しているらしい。
李自力老師とは,以前から(たぶん,新国際ルールが制定されるころに),武術太極拳がスポーツ競技の方向に舵を切ることに対する危惧について,ずいぶん話し合ったことがある。その大きなポイントは,空中で宙返りをすることが武術の本質に照らし合わせてみて,いかなる意味があるのか,同じように,ジャンプして回転すること,そして着地するときの足の角度が,武術となんの関係があるのか,とわたしは強く主張したことがある。李老師も同じ意見だった。しかし,武術太極拳が国際化し,世界に普及していくためには,ヨーロッパ的な合理主義の考え方に立ち,客観化・数量化の道を選ぶしかないんだよね,と話し合ったことを思い出す。しかし,その道は間違いなく「武術」の世界からは遠のいていく道でしかない。そのことは間違いない。そして,武術太極拳は近代スポーツ競技の仲間入りを果たすことになるだろう(その最終ゴールはオリンピック競技の正式種目として公認されることだ)。では,本来の「武術」としての太極拳はどうなるのか。
このあたりのことについては,李自力老師の博士論文『日中太極拳交流史』(叢文社)に詳しく論じられているので,参照していただきたい。この当時に二人で議論をし,予測されたことが現実となって,いまわたしたちの眼前に展開している。そのことの良否はともかくとして,いま,とても大事な分岐点にわたしたちは立っているのだ,と思う。そして,この道は,日本の柔道が通った道でもある。そして,こんにちでは,柔道とJUDOとは別物になってしまった,というのがわたしの考えである。
さて,太極拳が,こんごどのような経緯をたどることになるのか,わたしはしっかりと見極めていきたいと考えている。その意味でも「自選難度競技」は目が離せない。
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