5月下旬に大きな地震に見舞われたイタリアでどうしているかなぁ,と心配していたイタリア・ボローニャの友人から手紙がとどく。日本の地震を気遣いながら,イタリアもあちこちで大きな被害がでていることをつづった手紙だ。とても忙しくしているので,と断りながらも簡潔に情報を伝えてくれた。
みんな元気にしているし,住んでいる家は大丈夫だったので,ご安心を,とある。そして,7月末には,ポーイフレンドと一緒に日本に行く,とも書いてある。この友人は,じつは,わたしの娘の友だち。何回も日本にやってきて,沖縄にいる娘とは別個に会っているうちに,わたしたちとも友人となった。2003年には,イタリアの彼女の家を起点にして,別荘や親戚の家を尋ねながら,われわれ家族と一緒に,一週間の旅の計画を立て,案内をしてくれた。だから,もう,すっかりみんな家族ぐるみの友だちのつもり。
この彼女は,ベネツィア大学の日本語学科の卒業なので,日本語はなんの不自由もない。卒論で,日本の戦争文学について書くことになり,その資料集めに少しだけ協力してあげたことがある。とても賢い理性的な女性なので,つい夢中になって日本人でもあまり通用しない話をしてしまうことがある。だから,彼女は,ときどき難しい日本語につまると,英語とドイツ語を交えた会話になる。お互いに外国語になるので,この方が盛り上がることもある。娘と同じ歳なので,彼女たちはもっと仲良くしている。
さて,その彼女(ミケーラ)が,彼女の職場のあるボローニャと,実家のあるモデナ(ボローニャの北,列車で20分ほど,ここも古い都市で,歴史的建造物が多い)の地震被害の様子を伝えてくれた。日本のメディアも大きく報道していたので記憶している人も多いと思う。5月20日と29日に,大きな揺れがあったのだが,その前後にも小さな地震は頻発していたという。
イタリアといえば,ピサの斜塔が有名だが,それと同じような傾いた塔はどこにでも見られる。地盤の柔らかいヴェネツィアには,傾いた教会の塔がここかしこに見られる。一度,数えてみたことがあるが,途中でやめてしまった。それほど沢山ある。
ボローニャもまた古い大学都市として有名だが,町の中心部(古都)は,これで大丈夫かと不安になるような傾いた歴史的建造物がたくさんある。旧市街のど真ん中には,傾いた塔があり,しかも有料で登らせてくれる。傾いた螺旋階段を登っていく。なんだか,荒川修作の「太陽の塔」で経験したような身体感覚になる。しかし,この塔の上からの見晴らしは抜群にいい。なるほど,これがボローニャの旧市街かと,一望のもとにある。
ミケーラの実家のあるモデナも,旧市街はボローニャほど大きくはないが,古い町並みがそのまま温存され,使われている。一種独特の雰囲気があって,わたしの気持としては,モデナの旧市街の方が落ち着けた。時の流れが違う。そう,タイムスリップして,イタリアの中世の世界に飛び込んだように気分がする。ここで,のんびりと過ごしたときのことを思い出している。
しかし,これらの歴史的建造物の多くが,相当にひどい被害にあったようだ。石を積み上げただけの建物で,しかも,古いから傾いている。それを地震で揺すられたのだから,たまったものではない。その石がボロボロと崩れ落ちてしまったらしい。修復には相当の時間がかかるだろう,と書かれている。
ウィーンでもそうだったが,教会を中心とした旧市街をとても大事にしていて,第二次世界大戦の爆撃で相当にダメージを受けたにもかかわらず,市民が立ち上がって修復している。つまり,新しい都市に作り替えるようなことはしないで,もとのままの状態に修復するのである。石造建築物だからこそ可能だともいえるのだが,それにしても歴史的建造物に対するつよい思い入れのようなものが伝わってくる。
7月末には,ボーイフレンドとふたりでミケーラは日本にやってくる。そして,ボーイフレンドに日本の美しい景色をみせてやりたいのだ,とミケーラはいう。彼女の好きな町は京都と奈良。こんどは,わたしたちが道案内をしなくては・・・・と思っている。できることなら,観光案内書(外国語版)には載っていないような,日本のよさを教えてあげたいと思う。沖縄にも行くのだろうなぁ。これから詰めをしなくては・・・・。
みんな元気にしているし,住んでいる家は大丈夫だったので,ご安心を,とある。そして,7月末には,ポーイフレンドと一緒に日本に行く,とも書いてある。この友人は,じつは,わたしの娘の友だち。何回も日本にやってきて,沖縄にいる娘とは別個に会っているうちに,わたしたちとも友人となった。2003年には,イタリアの彼女の家を起点にして,別荘や親戚の家を尋ねながら,われわれ家族と一緒に,一週間の旅の計画を立て,案内をしてくれた。だから,もう,すっかりみんな家族ぐるみの友だちのつもり。
この彼女は,ベネツィア大学の日本語学科の卒業なので,日本語はなんの不自由もない。卒論で,日本の戦争文学について書くことになり,その資料集めに少しだけ協力してあげたことがある。とても賢い理性的な女性なので,つい夢中になって日本人でもあまり通用しない話をしてしまうことがある。だから,彼女は,ときどき難しい日本語につまると,英語とドイツ語を交えた会話になる。お互いに外国語になるので,この方が盛り上がることもある。娘と同じ歳なので,彼女たちはもっと仲良くしている。
さて,その彼女(ミケーラ)が,彼女の職場のあるボローニャと,実家のあるモデナ(ボローニャの北,列車で20分ほど,ここも古い都市で,歴史的建造物が多い)の地震被害の様子を伝えてくれた。日本のメディアも大きく報道していたので記憶している人も多いと思う。5月20日と29日に,大きな揺れがあったのだが,その前後にも小さな地震は頻発していたという。
イタリアといえば,ピサの斜塔が有名だが,それと同じような傾いた塔はどこにでも見られる。地盤の柔らかいヴェネツィアには,傾いた教会の塔がここかしこに見られる。一度,数えてみたことがあるが,途中でやめてしまった。それほど沢山ある。
ボローニャもまた古い大学都市として有名だが,町の中心部(古都)は,これで大丈夫かと不安になるような傾いた歴史的建造物がたくさんある。旧市街のど真ん中には,傾いた塔があり,しかも有料で登らせてくれる。傾いた螺旋階段を登っていく。なんだか,荒川修作の「太陽の塔」で経験したような身体感覚になる。しかし,この塔の上からの見晴らしは抜群にいい。なるほど,これがボローニャの旧市街かと,一望のもとにある。
ミケーラの実家のあるモデナも,旧市街はボローニャほど大きくはないが,古い町並みがそのまま温存され,使われている。一種独特の雰囲気があって,わたしの気持としては,モデナの旧市街の方が落ち着けた。時の流れが違う。そう,タイムスリップして,イタリアの中世の世界に飛び込んだように気分がする。ここで,のんびりと過ごしたときのことを思い出している。
しかし,これらの歴史的建造物の多くが,相当にひどい被害にあったようだ。石を積み上げただけの建物で,しかも,古いから傾いている。それを地震で揺すられたのだから,たまったものではない。その石がボロボロと崩れ落ちてしまったらしい。修復には相当の時間がかかるだろう,と書かれている。
ウィーンでもそうだったが,教会を中心とした旧市街をとても大事にしていて,第二次世界大戦の爆撃で相当にダメージを受けたにもかかわらず,市民が立ち上がって修復している。つまり,新しい都市に作り替えるようなことはしないで,もとのままの状態に修復するのである。石造建築物だからこそ可能だともいえるのだが,それにしても歴史的建造物に対するつよい思い入れのようなものが伝わってくる。
7月末には,ボーイフレンドとふたりでミケーラは日本にやってくる。そして,ボーイフレンドに日本の美しい景色をみせてやりたいのだ,とミケーラはいう。彼女の好きな町は京都と奈良。こんどは,わたしたちが道案内をしなくては・・・・と思っている。できることなら,観光案内書(外国語版)には載っていないような,日本のよさを教えてあげたいと思う。沖縄にも行くのだろうなぁ。これから詰めをしなくては・・・・。
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