2012年6月20日水曜日

暑いときは汗をかけ,からだを冷やすな,寒いときは寒さに耐えろ。むかしの人の生活の智慧。

台風一過とはよくいったもので,今朝,目を覚ましたときは一瞬,騙されたかと思いました。青空がのぞいているではありませんか。昨夜の0時前後のニュース(ネット)をみているかぎりでは,東北新幹線も東海道新幹線も一部運転見合せ,東京都内の各線も一部見合せというニュースでいっぱいでした。もちろん,避難勧告や命令まで各地で出されていて,これはえらいこっちゃと覚悟をしていました。それが,一夜明けたら青空でした。

でも,お蔭さまで今日の午前中に予定されていた太極拳の稽古はいつものとおりに実施することができました。西谷さんはいそいそと愛車のオートバイで現れ,ときおり突風が吹いていて怖かったよ,と言っていました。帰りも同じような風が吹いていましたので,気をつけて,と声をかけました。

そんな稽古のあとの昼食会で,いろいろの話で盛り上がりました。16日(土)の橋本さんのお話(ドーピングと「生まれながらの身体」の虚構)をはじめ(この話については,西谷さんの鋭い指摘があって,これからも議論を積み重ねる必要がある,と思いました),8月のバスク・日本国際セミナーでの講演の話,新たに8月に割り込んできた上海大学からの招聘(講演会)の話,NHKからの取材の話,右膝の怪我でお休みしているKさんのお話,この夏にフランスに留学する予定のS君が入籍しましたという報告,などなど。

そんな話の中で,西谷さんが右手を出して,「この匂い,なんの匂いかわかりますか」という。ちょっと不思議な匂いでした。どこかで嗅いだことのある懐かしい匂いではあるのですが,少し違うような気がする。考えていると「ぬか漬けの匂いです」と仰る。「えっ?ぬか漬けですか?ちょっと違うように思いますが」とわたし。「そうかぁ,ぬか漬けの匂いとは違うんだぁ。この間から,どうも糠床がうまくつくれなくて変だなぁ,と思っていたんですよ」と西谷さん。「長くぬか漬けをやっている名人からほんの少しだけ糠床を分けてもらって,それを増やしていったら・・・」とわたし。そして「体調の悪いときに糠床をつくると,いい糠床にならない,とわたしの祖母は言ってましたよ」とわたし。「いやぁ,体調はいつも悪いから,だから駄目なんだ」と西谷さん。なんと今日は朝起きて,キュウリのぬか漬けを1本食べて稽古に駆けつけたと仰る。それにしても,ぬか漬けまで自分でつくって食べていらっしゃる。そういう労を少しも厭わない,まめな人だなぁ,と思いました。

その話の延長線で,むかしの人の智慧の話がひとしきり。
そのひとつが,「梅干しは体調のいいときに漬けろ」(体調の悪い人が漬けると,まともな梅干しにはならない)でした。やはり,漬け物(たくあん漬けも)は漬ける人の体調がそのまま乗り移るらしい。むかしの人たちは生活の智慧として,それを知っていました。いまのわたしたちはすっかり忘れてしまっているだけの話。

もうひとつ。「暑いときは汗をかけ,からだを冷やすな,寒いときは寒さに耐えろ」。
わたしのこども時代は,いまの時代とはまるで違っていて(敗戦直後のなにもない時代だから当然なのですが),どこの家にもエアコンなどはないし,扇風機もない。みんな団扇で自分で扇ぐ。汗びっしょりになっても,首に手拭いをかけて顔の汗を拭きながらひたすら団扇で扇ぐしか方法がない。大人もこどもも,みんな上半身ははだかでした(わたしの育った愛知県の農村では)。ふんどしひとつで鍬を担いで畑に行く男の人も珍しくはありません。女の人も腰巻き一枚で歩いていました。夕方になると,農家の庭先にたらいを出して,みんなで交代で行水をしていました。若いお姉さんもはだかになって行水をしていました。こどものわたしたちも入れてもらったりしました。それが当たり前の光景でした。

夜寝るときには,どんなに暑くても,こどもたちは「金太郎」さんの腹かけをしていました。これをしないと酷く叱られました。腹だけはどんなことがあっても冷やしてはいけない,と。夏の夕立がきて,雷が鳴ると,急いで「金太郎」の腹かけをして「臍を隠す」のに必死でした。雷さんはこどもの臍が大好物なのだ,とこれも祖母から教えられました。急いで蚊帳を吊って,「クワバラ,クワバラ」とお祈りをしていました。かなり大きくなるまで信じていました。この「クワバラ」が河童伝承とノミノスクネと菅原道真につながる話である,というのはスポーツ史を研究するようになってから知りました。単なる呪文だと思っていましたが,そうではなく,きちんとした来歴があることに感動もしました。長く伝承される文化にはそれなりの意味がある,ということも知りました。

これが,ついこの間まで,みんなが行なっていた日本人の「自然」との折り合いのつけ方でした。ここでは省略しますが,こんな風にして,冬には冬のしのぎ方の方法がありました。なんと豊かな文化なのだろうか,といまごろになってしみじみ思い出し,考えてしまいます。日本人が日本人になるための,じつにみごとな文化装置だったではないか,と。

いまは,あまりに単純すぎます。暑ければエアコン,寒ければエアコン。それで終わり。暑さに耐える,寒さに耐える,ということをしません。人間のからだは,どこかで負荷をかけてやらないと,免疫力が衰えてしまいます。つまり,「生まれながらのからだ」に埋め込まれている免疫力を伸ばすチャンスを奪い取り,エアコンに身を委ね,守られるからだのまま,大きくなってしまいます。それが,こんにちのわたしたちの「ありのまま」の身体の現状です。ひ弱なものです。日本人としても「立つ」ことができません。ですから,電気が足りない,と言われるとその理由や根拠を考えることもしないで,素直に怯えてしまいます。まことにやわな人間(国籍不明の)の姿がそこに浮かび上がってきます。なんと情けないことか,と。

電気が足りなければ足りないように暮らせばいい。わたしたちの世代はなにも驚きません。ほんとうに暑くてどうにもならないのは,一夏のうちほんの数日のことです。そのときはそのときで,それなりの祖母の智慧がありました。庭のいたるところに水を打ったり,井戸水(夏でも10℃前後)で顔を洗ったり,濡れ手ぬぐいでからだを拭いたり・・・・と方法はさまざまでした。それでも,こどもたちの「金太郎」さんの腹かけははずすことは許されませんでした。飢えや暑さもときには必要なものです。

お蔭さまで,わたしはこどものころから,こんにちまで(いまも,ほとんどエアコンはつけません),いわゆる風邪を引いたことは,ほんの数えるほどしかありません。丈夫に育ててくれたのは,祖母の智慧であり,それを継承した母の智慧だったように思います。老人の智慧を見倣うべし。

いま,考えてみれば,迷信のような,お呪(まじな)いのようなものもたくさんありました。が,よくよく考えてみると,なるほどと思うこともたくさんありました。人間の生活の智慧は,現代の科学をもってしても説明のできないことがたくさんあります。だからといって,切り捨ててしまっていいということにはなりません。近代合理主義はそこのところを間違ってしまったのだ,といまごろになって気づきます。気づいたら「隗より始めよ」ではないですが,まずは実行あるのみ。

みなさん,ことしの夏は思いっきり暑さと戯れてみようではありませんか。
汗を流す快感を,じっくりと味わってみましょう。
これもまた,原発にさよならするための,ひとつの方法。
風邪引き体質からさよならするためにも,お薦めです。

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