ロンドン・オリンピックで男子柔道が惨敗。その責任問題が持ち上がっている。篠原監督は「すべてわたしの責任」といって,自分が金メダルを逃したときと同じ姿勢を貫いている。現場の監督としてはそういう態度をとる以外にはない。しかし,個人が腹を切ればそれで問題が解決するかといえばそうではない。
一部の報道によれば,コーチの数を減らしたために選手の指導が十分に行き届かなかったとか,厳しいスパルタ式稽古により選手たちと指導者たちの間に亀裂ができていたとか,いろいろともめていたかのような話が多い。しかし,選手や監督・コーチを責めてはならない。みんな必死で頑張ったのだから。少なくとも「篠原体制」でいくと決めた段階で,柔道関係者のこれまでの経験と叡智が結集され,必勝パターンを模索した結果なのだから。
問題は,柔道がJUDOになってしまった,その経緯にあるとわたしは考えている。
いま,国際柔道連盟には日本人理事はひとりもいない。すべてが,外国人。それもヨーロッパ系の人が多い。この人たちが集まって,柔道を議論し,ルール改正(改悪?)をしてきた。今回のジュリーなどという制度をつくったのも,日本人理事のいない理事会だった。つまり,国際的な柔道の主流は,日本人の手から離れ,外国人の手にゆだねられてしまったのだ。だから,いまや完全なJUDOへの道をまっしぐら,という体制ができあがってしまっている。(※山下理事の落選以後)
なぜ,こんなことになってしまったのか。
柔道を世界に正しく伝えるための「外交力」の不足。
もっと簡単に言ってしまえば,外国語の話せる柔道指導者を養成してこなかった,ということ。もっと言ってしまえば,いま,現役のトップ・クラスの選手たちに外国語の話せる選手がどれだけいるのか,ということだ。
国際試合で闘うには,ただ柔道が強いだけでは駄目なのだ。ゴルフの選手たちをみれば明らかだ。国内試合では強くても外国にでるとさっぱりだ,という選手がほとんどだ。そして,外国語がある程度話せるようになって,ようやくその実力を発揮できるようになってくる。プロ野球の選手たちだってそうだ。外国にでて,実力を発揮できる選手には共通したものがある。長谷川投手が早くから英語で記者会見をしていたり,サッカーの中田選手はイタリアではイタリア語で記者会見をし,イギリスに移籍すれば英語で記者会見している。柔道の選手たちにその例をみた記憶がない。
柔道でいえば,日本の看板ともいうべき山下泰裕選手(現・東海大体育学部長)だって,現役を引退してからイギリスに2年間ほど留学している。だから,英語はかなり達者なはずである。しかし,国際柔道連盟の理事として,会議をリードするほどの英語力はなかったらしい。だから,理事二期めの選挙では落選している。もちろん,その他にも理由があったらしいが・・・・。
いずれにしても,これまでの柔道の国際試合では,その判定がデタラメだったというのは,よく知られている事実である。当初はとくにひどかった。柔道をよく知らない協会の幹部が審判員として派遣されてくることが多かったからだ。その傾向はいまも払拭されたとはいえないらしい。今回のロンドンでの柔道の判定をみていればよくわかるように。
ことしのロンドン・オリンピックでは,27億円をかけて日本選手団をサポートする「マルチ・サポート・システム」が機能して,それが大きな成果をあげる一因になった,と聞いている。そのなかには,もちろん,通訳も雇われている。しかし,通訳は日常生活のサポートには役に立つとしても,試合会場での「抗議」には役立たない。現場の抗議には瞬発力が必要だ。間髪を入れずに,気合の入った抗議をしないかぎり,相手にしてはもらえない。ここには,通訳の出番はない。
今回の判定が逆転したときにも,最初の判定がでた瞬間に,篠原監督がスタンドから吼えていた映像が映し出されていた。あれを,選手をサポートしていたコーチが,即座に英語で抗議することが必要なのだ。そのシーンは残念ながらテレビ観戦では確認できなかったが・・・・。それでも,どこかからの抗議を受けてジュリーが動きだしたのだろう(これは推定)。
男子柔道の今回の惨敗は,日本の柔道界がこれまで怠ってきた積年の「外交努力」の不足の総決算にすぎない,とわたしは考えている。そこから立て直さないかぎり,日本の柔道は国際社会から消え去り,JUDOだけが世界を一人歩きをしていくことになる。すでに,そうなってしまっているのだが・・・。その意味では「手遅れ」か。
フランスの柔道人口はすでに日本より圧倒的に多いという。フランスの柔道の普及は,最初に乗り込んでいった日本の柔道指導者の貢献によるところが大きい,と聞いている。しかし,そのあとにつづく日本人柔道指導者については,あまりいい話は聞いていない。その壁になったのがフランス語だった。だから,フランスJUDOは一人歩きをはじめたのだ。そして,フランスJUDOが旧植民地を経由して世界に広まっていったという経緯がある(この点については,いまも精査中)。
さて,みなさんは,どのようにお考えでしょうか。
グローバリゼーションのはらむ諸問題を「柔道」をとおして考えてみると,とてもよくわかる。つまり,どの分野にしろ,グローバリゼーションの推進にはくれぐれも要注意,ということ。
一部の報道によれば,コーチの数を減らしたために選手の指導が十分に行き届かなかったとか,厳しいスパルタ式稽古により選手たちと指導者たちの間に亀裂ができていたとか,いろいろともめていたかのような話が多い。しかし,選手や監督・コーチを責めてはならない。みんな必死で頑張ったのだから。少なくとも「篠原体制」でいくと決めた段階で,柔道関係者のこれまでの経験と叡智が結集され,必勝パターンを模索した結果なのだから。
問題は,柔道がJUDOになってしまった,その経緯にあるとわたしは考えている。
いま,国際柔道連盟には日本人理事はひとりもいない。すべてが,外国人。それもヨーロッパ系の人が多い。この人たちが集まって,柔道を議論し,ルール改正(改悪?)をしてきた。今回のジュリーなどという制度をつくったのも,日本人理事のいない理事会だった。つまり,国際的な柔道の主流は,日本人の手から離れ,外国人の手にゆだねられてしまったのだ。だから,いまや完全なJUDOへの道をまっしぐら,という体制ができあがってしまっている。(※山下理事の落選以後)
なぜ,こんなことになってしまったのか。
柔道を世界に正しく伝えるための「外交力」の不足。
もっと簡単に言ってしまえば,外国語の話せる柔道指導者を養成してこなかった,ということ。もっと言ってしまえば,いま,現役のトップ・クラスの選手たちに外国語の話せる選手がどれだけいるのか,ということだ。
国際試合で闘うには,ただ柔道が強いだけでは駄目なのだ。ゴルフの選手たちをみれば明らかだ。国内試合では強くても外国にでるとさっぱりだ,という選手がほとんどだ。そして,外国語がある程度話せるようになって,ようやくその実力を発揮できるようになってくる。プロ野球の選手たちだってそうだ。外国にでて,実力を発揮できる選手には共通したものがある。長谷川投手が早くから英語で記者会見をしていたり,サッカーの中田選手はイタリアではイタリア語で記者会見をし,イギリスに移籍すれば英語で記者会見している。柔道の選手たちにその例をみた記憶がない。
柔道でいえば,日本の看板ともいうべき山下泰裕選手(現・東海大体育学部長)だって,現役を引退してからイギリスに2年間ほど留学している。だから,英語はかなり達者なはずである。しかし,国際柔道連盟の理事として,会議をリードするほどの英語力はなかったらしい。だから,理事二期めの選挙では落選している。もちろん,その他にも理由があったらしいが・・・・。
いずれにしても,これまでの柔道の国際試合では,その判定がデタラメだったというのは,よく知られている事実である。当初はとくにひどかった。柔道をよく知らない協会の幹部が審判員として派遣されてくることが多かったからだ。その傾向はいまも払拭されたとはいえないらしい。今回のロンドンでの柔道の判定をみていればよくわかるように。
ことしのロンドン・オリンピックでは,27億円をかけて日本選手団をサポートする「マルチ・サポート・システム」が機能して,それが大きな成果をあげる一因になった,と聞いている。そのなかには,もちろん,通訳も雇われている。しかし,通訳は日常生活のサポートには役に立つとしても,試合会場での「抗議」には役立たない。現場の抗議には瞬発力が必要だ。間髪を入れずに,気合の入った抗議をしないかぎり,相手にしてはもらえない。ここには,通訳の出番はない。
今回の判定が逆転したときにも,最初の判定がでた瞬間に,篠原監督がスタンドから吼えていた映像が映し出されていた。あれを,選手をサポートしていたコーチが,即座に英語で抗議することが必要なのだ。そのシーンは残念ながらテレビ観戦では確認できなかったが・・・・。それでも,どこかからの抗議を受けてジュリーが動きだしたのだろう(これは推定)。
男子柔道の今回の惨敗は,日本の柔道界がこれまで怠ってきた積年の「外交努力」の不足の総決算にすぎない,とわたしは考えている。そこから立て直さないかぎり,日本の柔道は国際社会から消え去り,JUDOだけが世界を一人歩きをしていくことになる。すでに,そうなってしまっているのだが・・・。その意味では「手遅れ」か。
フランスの柔道人口はすでに日本より圧倒的に多いという。フランスの柔道の普及は,最初に乗り込んでいった日本の柔道指導者の貢献によるところが大きい,と聞いている。しかし,そのあとにつづく日本人柔道指導者については,あまりいい話は聞いていない。その壁になったのがフランス語だった。だから,フランスJUDOは一人歩きをはじめたのだ。そして,フランスJUDOが旧植民地を経由して世界に広まっていったという経緯がある(この点については,いまも精査中)。
さて,みなさんは,どのようにお考えでしょうか。
グローバリゼーションのはらむ諸問題を「柔道」をとおして考えてみると,とてもよくわかる。つまり,どの分野にしろ,グローバリゼーションの推進にはくれぐれも要注意,ということ。
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