7月30日(月)・31日(火)の二日間,東京に滞在するというメールが少し前にイタリアからとどいていた。そのあとは関西方面に旅にでるという。日本にはもう何回もきているので,東京での案内は不要ですという。では,二晩の夕食を一緒にしましょう,と約束。
ミケーラ。ヴェネツィア大学で日本語・日本文学を専攻した女性なので,日本語はまったく不自由しない。でも,長い間,使っていないので忘れてしまった,と本人は笑う。
2003年に,わたしがドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授をしていた夏に,彼女の住んでいるイタリアのモデナを家族で尋ねたことがある。このときには,彼女はわざわざ休暇をとって,いわゆる旅行客では行かれないところに車を運転して案内してくれた。しかも,行くさきざきの親戚の家にも立ち寄ったりして。どこに行っても熱烈に歓迎してくれた。
もともとは娘の友達。娘がまだ学生だったころ,ミケーラも学生さんだった。そのころに,二人は鹿児島から沖縄行きのフェリーに乗り合わせ,その船の上で知り合い,すっかり意気投合して仲良しになった。以後,お互いに連絡を取り合いながら,楽しい交流をつづけている。
今回はボーイ・フレンドを連れて日本にやってきた。名前はマルコ。マルコといえば,すぐにヴェネツィアのサン・マルコ広場を思い出す。聞いてみると,音楽学校の先生をしているという。日本に興味があって,ミケーラが教えている日本語学校に通い,そこで知り合い,仲良しになったとのこと。ミケーラよりはかなり若い青年。でも,なかなかのいい男。わたしたちの話す日本語にも一生懸命に耳を傾け,ときどきわかるらしくて大きくうなづく。わからないところはミケーラに説明を求めている。それで,もう,最初からすっかり打ち解けた会話がはずむ。
話題は,ご両親やお姉さん家族のことからはじまって,やはり,この間の大きな地震の話になる。彼女の住んでいる町はモデナ。ボローニャのやや北にある古い町。たしか,ボローニャまでは汽車で30分くらいだったと記憶する。モデナの旧市街には,むかしながらの古い石造の教会やそれに関連する建物がたくさんある。しかも,わたしの記憶では,そのほとんどが傾いている(イタリアの古い町の建物はほとんどが傾いている)。そして,ボローニャの古い町並みの建物の多くも傾いている。ピサの斜塔しか知らなかったわたしは,イタリアの古い町に入ると,どこの塔もほとんど間違いなく傾いているのをみて驚いた。
ミケーラが学んだ大学のあるヴェネツィアには,傾いた塔が数えきれないほどある。だから,イタリアに大きな地震が襲ったと聞いて,まっさきにわたしの脳裏に浮かんだのは,あの傾いた塔は大丈夫だったのだろうか,というものだった。しかし,それらの塔は昨日や今日つくられたものではない。すでに,1000年近くもの長い間,立っているのである。だから,そうそう簡単には倒れないのだそうだ。だから,市民もなんの不安もなく暮らしている。日本では考えられないような光景である。
かなり詳しく,イタリアの各地の危なそうな建物について尋ねてみたところ,そういう文化遺産的な建物はほとんど大丈夫だったという。それよりも,ミケーラの住んでいるマンションの壁にはあちこちヒビが入り,修復にたいへんだったとのこと。近代建築の方が地震には弱いということなのか。石造の古い建物は意外に地震に強いらしい。力を吸収してしまうからなのだろうか。
地震の被害が大きかったのは,モデナからもボローニャからもほぼ30キロほど離れたところの地域が集中的にやられてしまったとのこと。そこは,ほとんどの建物が崩れ落ちてしまい,多くの死者もでたという。壊滅的な被害が,そういう特定の局地を襲ったのだ。
そして,こんどは日本の東日本大震災の話になる。地震の被害については,イタリアではほとんど情報が流れることなく,あの大津波の映像がくり返し流れたとのこと。その点は日本国内でも同じだった,と説明。つづいて,フクシマの爆発の映像が最初から流れていて,とても緊張したという。しかし,われわれは最初のうちは知らされていなかったので,ぼんやりしていたと話す。しかし,徐々に情報が流れるようになり,東京脱出をした人も少なくない,とくに,外国人は早々に引き上げた人が多かった,と。
そうして行きつくところは,どうしてもフクシマの話。こちらは半永久的に解決しない,困ったものだとわたし。日本人は賢いから必ず乗り越えていくとミケーラ。いやいや,最近の日本人はあまり賢くない人が権力の中枢に大勢いて,その人たちに振り回されているから,そこから抜け出すことが大きな課題だ,と話す。それには政治の流れを変えるしかない,と。イタリアの政治もひどいものだ,とミケーラ。政治はどうしてこんなにヤクザな人ばかりが屯すことになったのだろうね,とお互いに笑う。
といったような話をしてお別れ。あとは,関西方面(京都,大阪,奈良,そして広島)を旅して,帰路,できれば白川郷を尋ねる予定だ,という。時間がかかるよ,と話すと二日を充てている,とすでに調べつくしている。それなら大丈夫。帰りは一直線に成田にもどって,イタリアに飛ぶとのこと。
では,次回はイタリアで逢おうと約束。
久しぶりに楽しい夕べが二日もつづいた。
そして,地震の話題から政治の話題まで,さらには,これからの世界にとって大事なことはなにか,まで広がり,いい時間を過ごすことができた。お互いにとてもいい思い出になったと思う。こうなったら,イタリア語の勉強でもはじめて,準備にとりかかろうか。そんな夢でもみていないと,いまの日本を生きていくのはつらい。この困難な情況から一刻も早く抜け出す手筈を,本気で考えなくてはいけない,としみじみ思う。
ミケーラ。ヴェネツィア大学で日本語・日本文学を専攻した女性なので,日本語はまったく不自由しない。でも,長い間,使っていないので忘れてしまった,と本人は笑う。
2003年に,わたしがドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授をしていた夏に,彼女の住んでいるイタリアのモデナを家族で尋ねたことがある。このときには,彼女はわざわざ休暇をとって,いわゆる旅行客では行かれないところに車を運転して案内してくれた。しかも,行くさきざきの親戚の家にも立ち寄ったりして。どこに行っても熱烈に歓迎してくれた。
もともとは娘の友達。娘がまだ学生だったころ,ミケーラも学生さんだった。そのころに,二人は鹿児島から沖縄行きのフェリーに乗り合わせ,その船の上で知り合い,すっかり意気投合して仲良しになった。以後,お互いに連絡を取り合いながら,楽しい交流をつづけている。
今回はボーイ・フレンドを連れて日本にやってきた。名前はマルコ。マルコといえば,すぐにヴェネツィアのサン・マルコ広場を思い出す。聞いてみると,音楽学校の先生をしているという。日本に興味があって,ミケーラが教えている日本語学校に通い,そこで知り合い,仲良しになったとのこと。ミケーラよりはかなり若い青年。でも,なかなかのいい男。わたしたちの話す日本語にも一生懸命に耳を傾け,ときどきわかるらしくて大きくうなづく。わからないところはミケーラに説明を求めている。それで,もう,最初からすっかり打ち解けた会話がはずむ。
話題は,ご両親やお姉さん家族のことからはじまって,やはり,この間の大きな地震の話になる。彼女の住んでいる町はモデナ。ボローニャのやや北にある古い町。たしか,ボローニャまでは汽車で30分くらいだったと記憶する。モデナの旧市街には,むかしながらの古い石造の教会やそれに関連する建物がたくさんある。しかも,わたしの記憶では,そのほとんどが傾いている(イタリアの古い町の建物はほとんどが傾いている)。そして,ボローニャの古い町並みの建物の多くも傾いている。ピサの斜塔しか知らなかったわたしは,イタリアの古い町に入ると,どこの塔もほとんど間違いなく傾いているのをみて驚いた。
ミケーラが学んだ大学のあるヴェネツィアには,傾いた塔が数えきれないほどある。だから,イタリアに大きな地震が襲ったと聞いて,まっさきにわたしの脳裏に浮かんだのは,あの傾いた塔は大丈夫だったのだろうか,というものだった。しかし,それらの塔は昨日や今日つくられたものではない。すでに,1000年近くもの長い間,立っているのである。だから,そうそう簡単には倒れないのだそうだ。だから,市民もなんの不安もなく暮らしている。日本では考えられないような光景である。
かなり詳しく,イタリアの各地の危なそうな建物について尋ねてみたところ,そういう文化遺産的な建物はほとんど大丈夫だったという。それよりも,ミケーラの住んでいるマンションの壁にはあちこちヒビが入り,修復にたいへんだったとのこと。近代建築の方が地震には弱いということなのか。石造の古い建物は意外に地震に強いらしい。力を吸収してしまうからなのだろうか。
地震の被害が大きかったのは,モデナからもボローニャからもほぼ30キロほど離れたところの地域が集中的にやられてしまったとのこと。そこは,ほとんどの建物が崩れ落ちてしまい,多くの死者もでたという。壊滅的な被害が,そういう特定の局地を襲ったのだ。
そして,こんどは日本の東日本大震災の話になる。地震の被害については,イタリアではほとんど情報が流れることなく,あの大津波の映像がくり返し流れたとのこと。その点は日本国内でも同じだった,と説明。つづいて,フクシマの爆発の映像が最初から流れていて,とても緊張したという。しかし,われわれは最初のうちは知らされていなかったので,ぼんやりしていたと話す。しかし,徐々に情報が流れるようになり,東京脱出をした人も少なくない,とくに,外国人は早々に引き上げた人が多かった,と。
そうして行きつくところは,どうしてもフクシマの話。こちらは半永久的に解決しない,困ったものだとわたし。日本人は賢いから必ず乗り越えていくとミケーラ。いやいや,最近の日本人はあまり賢くない人が権力の中枢に大勢いて,その人たちに振り回されているから,そこから抜け出すことが大きな課題だ,と話す。それには政治の流れを変えるしかない,と。イタリアの政治もひどいものだ,とミケーラ。政治はどうしてこんなにヤクザな人ばかりが屯すことになったのだろうね,とお互いに笑う。
といったような話をしてお別れ。あとは,関西方面(京都,大阪,奈良,そして広島)を旅して,帰路,できれば白川郷を尋ねる予定だ,という。時間がかかるよ,と話すと二日を充てている,とすでに調べつくしている。それなら大丈夫。帰りは一直線に成田にもどって,イタリアに飛ぶとのこと。
では,次回はイタリアで逢おうと約束。
久しぶりに楽しい夕べが二日もつづいた。
そして,地震の話題から政治の話題まで,さらには,これからの世界にとって大事なことはなにか,まで広がり,いい時間を過ごすことができた。お互いにとてもいい思い出になったと思う。こうなったら,イタリア語の勉強でもはじめて,準備にとりかかろうか。そんな夢でもみていないと,いまの日本を生きていくのはつらい。この困難な情況から一刻も早く抜け出す手筈を,本気で考えなくてはいけない,としみじみ思う。
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