2012年8月13日月曜日

李自力老師の表演とワークショップ(第2回日本・バスク国際セミナーにて)

 すでに書きましたように,第2回日本・バスク国際セミナーの第3日目(8月8日)の午後のプログラムに李自力老師による太極拳のワークショップと表演が組まれていました。8月下旬に予定されている太極拳のアジア選手権大会の選手たちの最後の仕上げの段階で,ナショナル・チームのコーチとして超多忙をきわめていらっしゃる時期でしたので,相当の無理をお願いすることになってしまいました。にもかかわらず,李老師はこころよくお引き受けくださり,日帰りでこの仕事をこなしてくださいました。ありがたいことです。

 李老師による表演とワークショップは三つの部分に分けて行われました。
 最初に,李老師とその弟子(Nさん,Iさん,Mさんの3人)の計4名による「24式」の表演が行われました。この中の「Iさん」とは,じつは,わたしのことです。じつを言いますと,わたしは太極拳の表演に加わることには反対でした。人さまの前で演ずることなど恥ずかしくてできません。ひとりで,しこしこと稽古をするのは好きですが,人前で演ずるのは好きではありません。ところが,Nさんはまったく別の考え方をされます。他人に観てもらうことも大事な太極拳の稽古なのだ,と主張されます。そして,自分ひとりの世界も大事だが,人前で演ずることはもっと大事だ,と言うのです。なぜなら,否応なくみずからのすべてを曝け出すことになるからだ,と。つまり,自己を超えでる経験の積み重ねこそが,太極拳を稽古することのもっとも重要な要素となるからだ,と。

 この理屈はよくわかります。日本舞踊の世界でも,100回の稽古より1回の舞台,という言い方をします。人間は追い込まないと本気にはならないし,その追い込まれたところでの経験こそが,また,新たな自己を構築していく上では不可欠だからです。

 言われてみれば,原稿を書いたり,講演をしたりするのも同じです。ただ,ひたすら本を読むだけでは,たんなる物知りな人,それだけの人間で終わりです。しかし,原稿を書く,講演をするという,みずからを曝け出す行為によって人間はそのつど生まれ変わります。とても苦しい,辛いことではありますが,そこを通過するのと,通過しないのとではまるで人間の到達点が異なります。むかしから「苦労は拾って歩け」というのも同じことでしょう。

 そんなわけで,わたしも生まれて初めて太極拳の表演なるものを経験しました。いまの感想は,やはり,やってみてよかったということです。Nさんは,また,機会があったらやりましょう,とわたしを誘ってくれます。なるほどなぁ,とある意味では納得です。Nさんの,あの驚異にも値する好奇心の強さ,そして,なんでも経験してやろうとする姿勢,知らないことにはことのほか強い関心を示す,あの生き方がこんにちのNさんを構築したのだ,と納得できるからです。それに引き換え,わたしはことあるごとに「逃げてきた」という忸怩たる思いが脳裏をかすめます。

 さて,話をもとにもどしましょう。「24式」の表演のあとは,太極拳のワークショップです。参加者全員による太極拳の体験学習です。まずは,基本の姿勢からはじまって,基本の歩き方(足の運び方),・・・・という具合にみなさんに経験してもらいました。バスクの人たちも興味津々で参加してくれました。やはり,アマイヤという水泳のバックストロークで世界選手権に出場した経験をもつ女性は,下半身もしっかりしていて,ほとんどなんの違和感もなく,足の運び方ができてしまいます。しかし,そうでない人たちはなかなかの苦戦を強いられることになりました。見た目よりも,やってみると大変だということを理解してもらったところで,ワークショップは終わり。

 で,最後に,李老師ひとりによる「楊式」の表演です。いつものように,李老師が姿勢を正した瞬間から,みんなの視線が一点に集中します。音楽が聞こえはじめるとその音楽に溶け込むように李老師のからだが動きはじめます。静まりかえった会場は,いつもとはまったく次元の違う世界を醸しだしています。言ってしまえば,明鏡止水といった雰囲気のなかにみんな吸い込まれてしまったかのようです。あとは,李老師ひとりが行雲流水のごとく,やわらかくもあり力強くもあり,一瞬一瞬のすべてがゆるぎない,みごとな太極拳を繰り広げていきます。

 驚いたことに,「楊式」をお願いしたはずなのに,途中で「陳式」の動きが現れました。あれっ?と思いましたが,李老師はときおり気持が乗ってくると,そのときの気持が突如として表出してきて,まったく別の太極拳を折り込むことがある,ということを思い出しながら拝見していました。あとで確認してみましたら,案の定,にやりと笑って「気がついたら陳式が入っていました」ということでした。名人の身体はときおり,こうして「乱丁」を折り込んでしまうようです。そして,そのとき,なんとも言えない快感が全身を駆けめぐるのだそうです。この瞬間が太極拳をやってきてよかったと思う瞬間だそうです。

 名人の表演は,素人がみてもすぐにわかるようで,「とんでもないものを観てしまった」「あれはアートですね」とみんな感動していました。やはり,ふつうの身体からは現れえない,どこか次元の異なる神技のようなからだの動き,そして,その気魄がじかに伝わってきたとき,人は感動するのだ,と確信をえました。

 わたしは,この卑近距離で,李老師の表演をみるのは初めてでした。途中からは,李老師のからだの動きにつられて自分のからだまで動きはじめていました。すると,偶然なのか,それとも必然なのか,李老師がほんの一瞬でしたがわたしの方をみました。そして,みごとに視線が合ってしまいました。その瞬間,わたしのからだに電撃が走りました。そして,そのまま,わたしのからだは固まってしまい,李老師の表演が終わるまで微動だにしませんでした。こんな経験は生まれて初めてのことでした。これがなにを意味しているのか,こんど李老師にお会いしたときに聞いてみたいと思います。

 それにしても,李老師の「楊式」(+陳式)に酔い痴れることができ,至福のひとときでした。
 李老師,ありがとうございました。国際セミナーに参加していたすべての人を代表して,こころからお礼を申し上げます。そして,わたしからもう一度,ありがとうございました,と。

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