田舎の小さな禅寺で育ったわたしの子どものころの夏休みはお盆すぎからでした。それまでは,お盆を迎えるための準備に子ども(小僧)のときから追われていました。ですから,お盆がすぎると,ようやく自分の自由になる時間がやってきました。それから慌てて,夏休みの宿題にとりかかり,あっという間に夏休みは終わりでした。
お盆が終わると,一度に,なにもかもが変化する,そういう印象が子どものころから強くありました。その習慣はいまも,わずかながら,からだのなかに残っているようです。
その最たるものが「秋の気配」でした。
夏の湿った空気から,秋の乾燥した空気に変化すると,まずは,空の青さが際立ってきます。ふと,真っ青な空を仰ぎみながら,胸一杯に空気を吸い込んだものです。そして,同時に,吹く風も爽やかになってきます。強い日差しはそれほど変化はしないのに,日陰に入ると,心地よい風が皮膚をなぜてくれます。そんなほっとした安らぎのようなものは,いまも,はっきりとからだが記憶しています。
今日(21日)も快晴の一日でした。鷺沼の駅を降りたら,いつもにも増して空の青さが眼にしみました。溝の口の空とはまったく違います。電車でわずかに7分(急行だと4分),西に移動するだけです。それなのに,とにかく空が「明るい」のです。そして,空気が澄んでいます。駅の改札口を出るといきなり高台になっていますので,風も爽やかに吹き抜けていきます。帽子が風に飛ばされないように手で抑えながら,サングラスをとり出します。陽の当たるところと日陰のところとの明暗のコントラストが,サングラスによって一段と強調されるせいか,しみじみと「秋だなぁ」とひとりごち。その秋の気配に身をゆだねながら歩きはじめます。
身もこころも,お盆前とはまったく違う自分に気づき,ひとりでニヤリとしてしまいます。事務所に向かう下り坂の一番見晴らしのいいところからは,東京の都心をみることができます。お盆前まではどんよりとスモッグがかかっていたスカイ・ツリーも六本木ヒルズも東京タワーも,みんなくっきりと見えるようになります。さらに坂道をくだると,いつもの植木屋さんの屋敷に差しかかります。強い日差しに照らされながら,木々の葉も負けてはならじとばかりに,テカテカと光っています。とくに,山茶花や椿の葉,そして,泰山木の葉が,一段と輝いてみえます。大王松も長い葉を風に吹かれながらキラキラと光っています。百日紅の花も元気です。
こんな風景をみながら,子どものころ住んでいた寺,堀内山長松院を思い出します。文字どおり,門の横には大きな見越しの松がありました。4,5キロ離れた豊橋市内の吉田城の石垣からも,わが家の松を確認することができました。あそこの松がおれんちの松,と友だちに自慢したものです。その松の太い幹がつくる日陰の色が一段と濃くなってくるのもお盆すぎのことでした。その日陰に筵を敷いて,寝ころんで本を読んだり,友だちとふざけ合ったりしたものです。でも,時折,太陽の移動とともに筵も移動させなくてはなりません。日没が早くなるのもお盆すぎのことでした。
秋の気配とともに思い出すことはたくさんあります。
それらもいつしか遠いむかしの記憶のかなたに消え去ろうとしています。
人生の秋の気配もとっくのむかしに通過してしまいました。なのに,気持だけは,いまもむかしも変わりません。だから,毎日,毎日が楽しく過ごせるのでしょう。
「お迎えがくるまじゃぁ,生きとるだぁやれ」と晩年を迎えた,大伯父・一道和尚の声が聞こえてきます。この人の達観した生き方が,秋の気配とともに思い出されます。まだ,子どもだったころに「人は死ぬとどうなるだのん」と尋ねたことがあります。「死んでみにゃぁ,わからん」と,いまにして思えばお釈迦様と同じ答えでした。禅坊主としてのみごとな生涯でした。曹洞宗ですので,道元さんの「正法」(お釈迦様の教え)を大事にしていたのだろう,といまは想像するだけです。
『般若心経』も『法華経』も通過して,お釈迦様のことばとして伝えられている「犀の角のように,ひとりで生きていけ」をみずから実践していたのでしょう。ようやく大伯父の前に坐して,静かに語り合えるところに近づいてきたかなぁ,とほんのちょっぴり思います。
ことしの秋の気配は,これまでとは違った,またまた,新しい生き方を教えてくれるようです。ありがたいことです。このさきに見えてくる光景を楽しみに,秋の深まりを静かに見つめてみたいと思います。
お盆が終わると,一度に,なにもかもが変化する,そういう印象が子どものころから強くありました。その習慣はいまも,わずかながら,からだのなかに残っているようです。
その最たるものが「秋の気配」でした。
夏の湿った空気から,秋の乾燥した空気に変化すると,まずは,空の青さが際立ってきます。ふと,真っ青な空を仰ぎみながら,胸一杯に空気を吸い込んだものです。そして,同時に,吹く風も爽やかになってきます。強い日差しはそれほど変化はしないのに,日陰に入ると,心地よい風が皮膚をなぜてくれます。そんなほっとした安らぎのようなものは,いまも,はっきりとからだが記憶しています。
今日(21日)も快晴の一日でした。鷺沼の駅を降りたら,いつもにも増して空の青さが眼にしみました。溝の口の空とはまったく違います。電車でわずかに7分(急行だと4分),西に移動するだけです。それなのに,とにかく空が「明るい」のです。そして,空気が澄んでいます。駅の改札口を出るといきなり高台になっていますので,風も爽やかに吹き抜けていきます。帽子が風に飛ばされないように手で抑えながら,サングラスをとり出します。陽の当たるところと日陰のところとの明暗のコントラストが,サングラスによって一段と強調されるせいか,しみじみと「秋だなぁ」とひとりごち。その秋の気配に身をゆだねながら歩きはじめます。
身もこころも,お盆前とはまったく違う自分に気づき,ひとりでニヤリとしてしまいます。事務所に向かう下り坂の一番見晴らしのいいところからは,東京の都心をみることができます。お盆前まではどんよりとスモッグがかかっていたスカイ・ツリーも六本木ヒルズも東京タワーも,みんなくっきりと見えるようになります。さらに坂道をくだると,いつもの植木屋さんの屋敷に差しかかります。強い日差しに照らされながら,木々の葉も負けてはならじとばかりに,テカテカと光っています。とくに,山茶花や椿の葉,そして,泰山木の葉が,一段と輝いてみえます。大王松も長い葉を風に吹かれながらキラキラと光っています。百日紅の花も元気です。
こんな風景をみながら,子どものころ住んでいた寺,堀内山長松院を思い出します。文字どおり,門の横には大きな見越しの松がありました。4,5キロ離れた豊橋市内の吉田城の石垣からも,わが家の松を確認することができました。あそこの松がおれんちの松,と友だちに自慢したものです。その松の太い幹がつくる日陰の色が一段と濃くなってくるのもお盆すぎのことでした。その日陰に筵を敷いて,寝ころんで本を読んだり,友だちとふざけ合ったりしたものです。でも,時折,太陽の移動とともに筵も移動させなくてはなりません。日没が早くなるのもお盆すぎのことでした。
秋の気配とともに思い出すことはたくさんあります。
それらもいつしか遠いむかしの記憶のかなたに消え去ろうとしています。
人生の秋の気配もとっくのむかしに通過してしまいました。なのに,気持だけは,いまもむかしも変わりません。だから,毎日,毎日が楽しく過ごせるのでしょう。
「お迎えがくるまじゃぁ,生きとるだぁやれ」と晩年を迎えた,大伯父・一道和尚の声が聞こえてきます。この人の達観した生き方が,秋の気配とともに思い出されます。まだ,子どもだったころに「人は死ぬとどうなるだのん」と尋ねたことがあります。「死んでみにゃぁ,わからん」と,いまにして思えばお釈迦様と同じ答えでした。禅坊主としてのみごとな生涯でした。曹洞宗ですので,道元さんの「正法」(お釈迦様の教え)を大事にしていたのだろう,といまは想像するだけです。
『般若心経』も『法華経』も通過して,お釈迦様のことばとして伝えられている「犀の角のように,ひとりで生きていけ」をみずから実践していたのでしょう。ようやく大伯父の前に坐して,静かに語り合えるところに近づいてきたかなぁ,とほんのちょっぴり思います。
ことしの秋の気配は,これまでとは違った,またまた,新しい生き方を教えてくれるようです。ありがたいことです。このさきに見えてくる光景を楽しみに,秋の深まりを静かに見つめてみたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿