2014年9月11日木曜日

「トロッケンシュヴィンメン」(乾いた水泳)のための練習器具。合理的思考の落とし穴。

 トロッケンシュヴィンメン」(Trockenschwimmen)は直訳すると「乾いた水泳」,つまり「濡れない水泳」,水の中に入らない水泳,意訳すれば「空中水泳」ということになります。雑誌『SF 月刊体育施設』8月号,P.28.からの転載です。これが第33回目の連載となります。夏ということを意識して,水泳の練習器具を取り上げてみました。


 1853年のドイツでは,このような器具を用いて水泳訓練をしていたというのです。対象は海難訓練所や海軍の初年兵であったといいます。

 それにしても,こんにちのわたしたちからみると,どう考えてみてもどこかへんてこりんです。こんなことが,実際に,大まじめに行われていたとしたら・・・・。いったい,Trockenschwimmen という発想はどこからでてきたのでしょう?

 1853年のドイツといえば,ナポレオン戦争の敗戦を契機にして,ドイツ統一をはたし,ようやく近代国家としての体裁が整いつつある,いわゆるヨーロッパの後進国でした。ですから,イギリスやフランスに追いつけ,追い越せという機運が高まっていた時代です。そこで採用された考え方が「合理主義」です。そして,いわゆる「合理化」運動が展開されました。

 このTrockenschwimmen のための練習器具の考案はフランス人です。先進国フランスで考案された器具というわけで,すぐに輸入して活用したのでしょう。それより15年も前に,ドイツでも同じような器具が考案されていましたが,どうやら実用の役には立たなかったようです。それで,フランスの器具の導入となったと思われます。

 しかし,「合理的」であるという理由で,こんなことが大まじめに考えられ,実践されていたというこの事実にわたしは注目してみたいと思います。なぜなら,「合理的」という発想には大きな落とし穴があるということ,あるいは,盲目にも等しいという考え方が,つい最近の思想・哲学でも議論されているからです。たとえば,ジャン・ピエール・デュピュイ著『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(西谷修・森元庸介・渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)があります。

 このテクストによれば,原子力発電所の建設などはその典型的な事例ということになります。使用済み核燃料の処理の仕方も見つからないまま,見切り発車をして実用化し稼働させてしまいました。単位時間に発電する能力は抜群で,その一点だけで計算するとコストも安い,ということになります。科学的合理性に基づく発想はこの一点だけに集中していて,その他のことは軽視してしまいます。その結果,フクシマの悲劇が出来しました。しかも,手も足も出せないで,おたおたしているだけです。すべては,あとの祭りです。

 こうした発想の発端の一つが,1853年当時の水泳の練習器具の開発にも現れていて,この器具はその典型的な事例の一つです。このように考えてみますと,「へんてこりん」などと言って笑っている場合ではありません。それとまったく同じ「愚」を,いまもなお,大まじめに原発の「再稼働」に向けて,政府自民党は推進しようとしているのですから。

 そんなことを念頭に置きながら,いま一度,この Trockenschwimmen のための練習器具をじっと眺めてみてください。合理性の落とし穴が,はっきりと見えてくることでしょう。

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