土俵の上には魔物/鬼が棲むという。と同時に,神が降臨する聖なる場所,女人禁制の聖域でもある。いまは釣り屋根だけになり,屋根を支える柱はなくなったが,屋根の四隅には四神(しじん)が祀られている。すなわち,東に「青龍(せいりょう)」,西に「白虎」,南に「朱雀(しゅじゃく),北に「玄武」が飾られている。四神相応ということばがあるように,大相撲の土俵はこれらの神々に守られているのである。この理念を土俵は継承している。つまり,官位・福禄・無病・長寿を併有する場であることをも意味している。
この聖なる場=土俵上で,力士たちは命懸けで相撲をとる。立ち合いの頭と頭のぶつかり合いは,ときに脳震盪を起こしたり,頸椎に電気が走る(相撲用語で「しびれる」の意)ことがある。だから,多くの力士たちはこれを嫌がる。これを怖がり,嫌がる力士は上位には上がれない。その恐怖心を克服する強い意思・気持をわがものとした力士だけが上位に昇進していく。よほどの天賦の才能がないかぎり,少なくとも役力士にはなれない。
そんな意地と意地のぶつかり合いが,大相撲の立ち合いだ。怖がった方が負け。稽古場で,至近距離の目の前で頭と頭がぶつかる音を聞くと,見ているこちらが目眩を起こすほどだ。初めて稽古場を訪れたときのわたしがそうだった。途中で吐き気を催したほどだ。それは,その場に立った者でなければ理解不能だと思う。それはそれはすさまじい光景だ。ぶつかり稽古や三番勝負に入ると稽古場の雰囲気は一変する。ピーンと張りつめた緊張感が漲ってくる。ここからが,本番さながらの稽古となる。迫力満点である。
こういう厳しい稽古をとおして横綱の地位を手に入れた日馬富士と,三役経験者である嘉風が18日に対決した。小兵といわれる両者は,人一倍の厳しい稽古を経て,こんにちの地位を確保した素晴らしい力士である。わたしは,こういう小兵力士が好きだ。かれらが体格に恵まれた大型力士を倒すところに,大相撲の魅力を感じてきた。そのために磨き上げられた心技体の絶妙なバランスをわがものとした力士に,わたしは敬意を表したいほど好きだ。だから,この両者はいずれもわたしの熱烈なるご贔屓なのである。
18日のこの両者の立ち合い。そこがすべてだ,勝負の分かれ目だ,と予想しながらじっと眼を凝らす。お互いに低い姿勢から頭と頭で当りあった。が,ほんのわずかに日馬富士の頭が左に逸れた。このとき,嘉風の頭が日馬富士の右眼窩を直撃した。このあとの展開は,これまた意外な経過をたどることになる。このことはここでは触れないでおく。
勝負が終わった土俵下の日馬富士は右手で右目を抑えたまま動かない。すぐそばで嘉風が心配そうに見ている。しばらくその状態がつづき,やがて,日馬富士が気を取り直したようにして土俵上に上がってくる。すでに,右目が腫れ上がっている。最初,わたしは立ち合い後の激しい攻防の間に,嘉風の指が日馬富士の眼に入ったのだろう,と考えた。それにしては,こんなに早く眼が腫れ上がってくるのをみるのは初めてだ。
しかし,その日の夜のネット情報では「右目眼窩内壁骨折」と報じられ,嘉風の頭が直撃したのが原因とあった。そうか,頭頂骨の固さに比べれば眼窩の内壁の骨は柔らかいのだ,と納得。今朝の新聞も同じ報道だった。手術をするかどうかは経過をみながら判断するという。手術をすれば全治3カ月,手術をしなくて済めば全治1カ月,という。なんとか,出血が止まって,手術をしなくても治る状態であってほしい,とわたしは祈る。
今場所の日馬富士のアキレス腱である左足首の状態は悪くなさそうにみえた。この調子で前半戦を勝ちつづけていけば,最後の5日間の横綱・大関戦が面白くなる,とわたしは期待していた。久しぶりに日馬富士旋風を巻き起こすか,と。しかし,残念ながら,その夢はあっけなくついえさってしまった。こうなってしまった以上は治療に専念し,一刻も早い再起を待つしかない。
日馬富士の絶好調のときの,あのアーティスティックな相撲を,いま一度みてみたい。白鵬にも鶴竜にもない,日馬富士の固有の世界だ。その再現をいまから期待し,じっと待つことにしよう。元気な姿で土俵にもどってきてくれることを。その間に,足首の治療にも取り組んでほしい。これさえ克服できれば,鬼に金棒である。新生・日馬富士の再登場を,いまから夢見ている。
頑張れ!日馬富士!勝つことよりも「正しく生きること」を横綱の目標に掲げた人間・日馬富士にこころからのエールを送りたい。そして大学院生として学位論文にも挑戦してほしい。史上初の学位取得横綱への先鞭をつけてほしい。ひとりの熱烈なファンとして,まるごと,いまの日馬富士の努力に声援を送りたい。
この聖なる場=土俵上で,力士たちは命懸けで相撲をとる。立ち合いの頭と頭のぶつかり合いは,ときに脳震盪を起こしたり,頸椎に電気が走る(相撲用語で「しびれる」の意)ことがある。だから,多くの力士たちはこれを嫌がる。これを怖がり,嫌がる力士は上位には上がれない。その恐怖心を克服する強い意思・気持をわがものとした力士だけが上位に昇進していく。よほどの天賦の才能がないかぎり,少なくとも役力士にはなれない。
そんな意地と意地のぶつかり合いが,大相撲の立ち合いだ。怖がった方が負け。稽古場で,至近距離の目の前で頭と頭がぶつかる音を聞くと,見ているこちらが目眩を起こすほどだ。初めて稽古場を訪れたときのわたしがそうだった。途中で吐き気を催したほどだ。それは,その場に立った者でなければ理解不能だと思う。それはそれはすさまじい光景だ。ぶつかり稽古や三番勝負に入ると稽古場の雰囲気は一変する。ピーンと張りつめた緊張感が漲ってくる。ここからが,本番さながらの稽古となる。迫力満点である。
こういう厳しい稽古をとおして横綱の地位を手に入れた日馬富士と,三役経験者である嘉風が18日に対決した。小兵といわれる両者は,人一倍の厳しい稽古を経て,こんにちの地位を確保した素晴らしい力士である。わたしは,こういう小兵力士が好きだ。かれらが体格に恵まれた大型力士を倒すところに,大相撲の魅力を感じてきた。そのために磨き上げられた心技体の絶妙なバランスをわがものとした力士に,わたしは敬意を表したいほど好きだ。だから,この両者はいずれもわたしの熱烈なるご贔屓なのである。
18日のこの両者の立ち合い。そこがすべてだ,勝負の分かれ目だ,と予想しながらじっと眼を凝らす。お互いに低い姿勢から頭と頭で当りあった。が,ほんのわずかに日馬富士の頭が左に逸れた。このとき,嘉風の頭が日馬富士の右眼窩を直撃した。このあとの展開は,これまた意外な経過をたどることになる。このことはここでは触れないでおく。
勝負が終わった土俵下の日馬富士は右手で右目を抑えたまま動かない。すぐそばで嘉風が心配そうに見ている。しばらくその状態がつづき,やがて,日馬富士が気を取り直したようにして土俵上に上がってくる。すでに,右目が腫れ上がっている。最初,わたしは立ち合い後の激しい攻防の間に,嘉風の指が日馬富士の眼に入ったのだろう,と考えた。それにしては,こんなに早く眼が腫れ上がってくるのをみるのは初めてだ。
しかし,その日の夜のネット情報では「右目眼窩内壁骨折」と報じられ,嘉風の頭が直撃したのが原因とあった。そうか,頭頂骨の固さに比べれば眼窩の内壁の骨は柔らかいのだ,と納得。今朝の新聞も同じ報道だった。手術をするかどうかは経過をみながら判断するという。手術をすれば全治3カ月,手術をしなくて済めば全治1カ月,という。なんとか,出血が止まって,手術をしなくても治る状態であってほしい,とわたしは祈る。
今場所の日馬富士のアキレス腱である左足首の状態は悪くなさそうにみえた。この調子で前半戦を勝ちつづけていけば,最後の5日間の横綱・大関戦が面白くなる,とわたしは期待していた。久しぶりに日馬富士旋風を巻き起こすか,と。しかし,残念ながら,その夢はあっけなくついえさってしまった。こうなってしまった以上は治療に専念し,一刻も早い再起を待つしかない。
日馬富士の絶好調のときの,あのアーティスティックな相撲を,いま一度みてみたい。白鵬にも鶴竜にもない,日馬富士の固有の世界だ。その再現をいまから期待し,じっと待つことにしよう。元気な姿で土俵にもどってきてくれることを。その間に,足首の治療にも取り組んでほしい。これさえ克服できれば,鬼に金棒である。新生・日馬富士の再登場を,いまから夢見ている。
頑張れ!日馬富士!勝つことよりも「正しく生きること」を横綱の目標に掲げた人間・日馬富士にこころからのエールを送りたい。そして大学院生として学位論文にも挑戦してほしい。史上初の学位取得横綱への先鞭をつけてほしい。ひとりの熱烈なファンとして,まるごと,いまの日馬富士の努力に声援を送りたい。
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