10月13日(日),まる一日,快晴の秋日和。
パークシティ溝ノ口 第14回 総合防災訓練が行われる。
朝8時30分から11時30分まで。
実際の訓練は午前9時30分から。
パークシティ溝ノ口は,わたしが住んでいるマンションの名前。全部で1104戸もある大型マンション。わたしは,この4月からこのマンションの管理組合の役員さん。抽選であたってしまった。ことしは抽選の当たり年で,引くたびにあたってしまう。今回は,避難誘導係なる腕章をつけるくじ引きにあたってしまった。ついでに宝くじでも買ってみようかと思うほどだ。
というようなわけで,今朝は8時30分に集合して,テントを張ったり,防災備品を運び出したり,とお手伝い。ただ,うろうろするだけでなんの役にも立たないのに。さも,なにかをしているようなふりをするのも楽ではない。
まあ,そんなことはどうでもいい。このマンションに移住して初めて「防災訓練」なるものに参加。とてもいい経験ができたので,そのことの報告。
その1.「震度7」の揺れを体験。起震車なる特種な自動車が川崎市からやってきて,4人一組ずつで「震度5」から徐々に揺れを強くしていって,最後は「震度7」まで揺すってくれる。時間にして2分弱。でも,想像以上に強烈な体験だった。自動車に仕組まれた「起震」装置なので,いつもの地震とはいささか感じが違う。ガタガタ揺れる音がすさまじい。しかも,いきなり「震度5」からはじまるので,覚悟をしていても意表をつかれる。なぜなら,「震度5」という地震の揺れを予想できないからだ。つまり,経験したことがないから。
第二次大戦の末期のころに,三河大地震が起きた。戦時中のことだったので,極秘にされたらしい,とのちに聞いたことがある。このとき,わたしは小学校1年生。忘れもしない12月8日。開戦記念日で,アメリカの大空襲がある,というので学校はお休みになっていた。だから,近所の友達たちと道路で遊んでいた。そこに大地震が襲ってきた。わたしは,なにが起きたのか,なにがどうなっているのか,なにもわからないうちに,地面をころがっていた。周りをみまわしたら,みんな道路の上をころがっている。まだ,なにが起きたのかわからない。
そのうちに遠くの方から大人の人が「地震だっ!」と怒鳴っている声が聞こえた。横に揺れる地震は知ってはいたが,地面を転がりつづける地震は初めてだ。長い間,転がりつづけていたように記憶している。
「震度5」で,まずは立ってはいられない,ということを知った。最初の揺れくらいは立っていられるだろうと予測して,どこにもつかまらないでいたら,いきなり,どーんと下から突き上げられ,あっという間に重心を失った。だから,すぐに備えつけの手すりつかまった。それでも片手で大丈夫だった。それが次第に揺れが強くなる。テレビのモニターを見ながら立っていると,「震度5強」となったところで両手で手すりにつかまらないとバランスがとれない。さらに「震度6」「震度6強」と強度を挙げていく。もう,両手でしがみついているのが精一杯。そのあとにきた「震度7」は,もはやこの世の揺れだとは信じられないものだった。右に左に,そして,下からと,もののみごとに翻弄されてしまい,生きた心地もしないほどの揺れである。
もし,こんな揺れにほんとうに遭遇したら,おそらく生きた心地はしないだろう。きっと,死を覚悟するだろうなぁ,と想像していたら,こんどは,無性に可笑しくなってしまって哄笑したくなってしまった。だれも見ていなかったら(順番待ちの人が長蛇の列をなして,この揺れを見守っている),たぶん,大声を出して笑ってしまっただろうと思う。つまり,わたしがわたしではなくなってしまっているのだ。身体的自由が完全に奪われたまま,主体を喪失した状態で激震で揺すられると,そんな気分になってしまうのだろうなぁ,とあとで思った。
その2.初期消火訓練。用いるのは水消火器。ヘッドについている栓を抜いて,ホースをはずして放水方向を定めたら,グリップを強く握る。これだけで水が勢いよく出てくる。原理はどの消火器も同じなので,これですべて応用ができるとのこと。いままで触ったことがなかったので,これでもう,いつでも消化活動はできる,と安心。見て知っているよりも,やはり,実際にやってみて,からだで記憶させることが大事。もう,自信満々である。もっとも,消火器などを使わない生活の方が優先ではあるが・・・・。
その3.AED(ハートスタートHS1)を使用した心肺蘇生法。この機器の存在は聞いてはいたが,どんなものか見たこともないし,もちろん,触ってみたこともない。だから,いかなるものなのか,知っておこうと興味津々。そういえば,松村某という物真似芸人がマラソンの途中で倒れ,AEDのお蔭で命拾いをしたという話が記憶に新しい。だから,なおのこと,どんな装置なのか知りたかった。が,意外に簡単で,これならだれにもすぐに利用できると知った。
理由は簡単。ケースの蓋を開けると,自動的に電源がONになり,音声ガイダンスがスタートする。その音声にしたがって,言われるとおりの手順を踏んでいけばいい。でも,一度はじっさいに人形さんを使ったリハーサルが必要。電極パッドを貼る位置が,人形さんには印がついているが,実際の人体にはそれがない。だから,その位置をしっかり記憶にとどめておくことが重要。それさえ間違わなければ,あとはとくに問題はない。すべて,音声ガイダンスが教えてくれる。人工呼吸の方法はいくらか練習しておいた方がいいと思った。わたしは,むかし,人工呼吸の実習を受けたことがあったので,すぐに,思い出してできたが,初めての人は相当に手こずっていた。
が,いずれにしても,AEDがこんなに便利で,取り扱いが簡単だとは知らなかった。だから,これはとても大きな収穫だったと思う。少なくとも,使い方がわからなくて困ることからは解放されたと思う。ひとつ財産が増えた感じ。
さて,そのほかにも「煙体験訓練」「仮設トイレほか展示・デモ」「日赤による救急訓練」「消火栓による初期消火訓練」「マンション内防災備品倉庫検分」など,カリキュラムはまことに豊富。こちらについては省略。
このマンションに住んで15年。毎年,この訓練が行われていることは知っていたが,一度も参加したことはなかった。「備えあれば憂いなし」のことわざのとおり,最小必要限の予備知識は得ておくべきだ,と反省。そして,年に一度くらい,AEDなどの使用訓練をして,記憶をリニュウアルしておくことも重要。二年目からは,要領よく回れば,1時間くらいですべて終わる。もう,役員として駆り出されることもないので,来年からは楽しみながら,復習をしておこうと思う。
ということで,防災訓練はとても役に立つというお話。
とりわけ,大きな地震に襲われたら,なにもできないということ。運を天にまかせて哄笑するのみ,と覚えたり。地震に襲われたら急いで火を消して避難しましょう,なんて言える程度の地震なら大したことはない。大きな地震に襲われたら「転がるのみ」。転がりながら哄笑するのみ。と覚悟を決めることにした。
パークシティ溝ノ口 第14回 総合防災訓練が行われる。
朝8時30分から11時30分まで。
実際の訓練は午前9時30分から。
パークシティ溝ノ口は,わたしが住んでいるマンションの名前。全部で1104戸もある大型マンション。わたしは,この4月からこのマンションの管理組合の役員さん。抽選であたってしまった。ことしは抽選の当たり年で,引くたびにあたってしまう。今回は,避難誘導係なる腕章をつけるくじ引きにあたってしまった。ついでに宝くじでも買ってみようかと思うほどだ。
というようなわけで,今朝は8時30分に集合して,テントを張ったり,防災備品を運び出したり,とお手伝い。ただ,うろうろするだけでなんの役にも立たないのに。さも,なにかをしているようなふりをするのも楽ではない。
まあ,そんなことはどうでもいい。このマンションに移住して初めて「防災訓練」なるものに参加。とてもいい経験ができたので,そのことの報告。
その1.「震度7」の揺れを体験。起震車なる特種な自動車が川崎市からやってきて,4人一組ずつで「震度5」から徐々に揺れを強くしていって,最後は「震度7」まで揺すってくれる。時間にして2分弱。でも,想像以上に強烈な体験だった。自動車に仕組まれた「起震」装置なので,いつもの地震とはいささか感じが違う。ガタガタ揺れる音がすさまじい。しかも,いきなり「震度5」からはじまるので,覚悟をしていても意表をつかれる。なぜなら,「震度5」という地震の揺れを予想できないからだ。つまり,経験したことがないから。
第二次大戦の末期のころに,三河大地震が起きた。戦時中のことだったので,極秘にされたらしい,とのちに聞いたことがある。このとき,わたしは小学校1年生。忘れもしない12月8日。開戦記念日で,アメリカの大空襲がある,というので学校はお休みになっていた。だから,近所の友達たちと道路で遊んでいた。そこに大地震が襲ってきた。わたしは,なにが起きたのか,なにがどうなっているのか,なにもわからないうちに,地面をころがっていた。周りをみまわしたら,みんな道路の上をころがっている。まだ,なにが起きたのかわからない。
そのうちに遠くの方から大人の人が「地震だっ!」と怒鳴っている声が聞こえた。横に揺れる地震は知ってはいたが,地面を転がりつづける地震は初めてだ。長い間,転がりつづけていたように記憶している。
「震度5」で,まずは立ってはいられない,ということを知った。最初の揺れくらいは立っていられるだろうと予測して,どこにもつかまらないでいたら,いきなり,どーんと下から突き上げられ,あっという間に重心を失った。だから,すぐに備えつけの手すりつかまった。それでも片手で大丈夫だった。それが次第に揺れが強くなる。テレビのモニターを見ながら立っていると,「震度5強」となったところで両手で手すりにつかまらないとバランスがとれない。さらに「震度6」「震度6強」と強度を挙げていく。もう,両手でしがみついているのが精一杯。そのあとにきた「震度7」は,もはやこの世の揺れだとは信じられないものだった。右に左に,そして,下からと,もののみごとに翻弄されてしまい,生きた心地もしないほどの揺れである。
もし,こんな揺れにほんとうに遭遇したら,おそらく生きた心地はしないだろう。きっと,死を覚悟するだろうなぁ,と想像していたら,こんどは,無性に可笑しくなってしまって哄笑したくなってしまった。だれも見ていなかったら(順番待ちの人が長蛇の列をなして,この揺れを見守っている),たぶん,大声を出して笑ってしまっただろうと思う。つまり,わたしがわたしではなくなってしまっているのだ。身体的自由が完全に奪われたまま,主体を喪失した状態で激震で揺すられると,そんな気分になってしまうのだろうなぁ,とあとで思った。
その2.初期消火訓練。用いるのは水消火器。ヘッドについている栓を抜いて,ホースをはずして放水方向を定めたら,グリップを強く握る。これだけで水が勢いよく出てくる。原理はどの消火器も同じなので,これですべて応用ができるとのこと。いままで触ったことがなかったので,これでもう,いつでも消化活動はできる,と安心。見て知っているよりも,やはり,実際にやってみて,からだで記憶させることが大事。もう,自信満々である。もっとも,消火器などを使わない生活の方が優先ではあるが・・・・。
その3.AED(ハートスタートHS1)を使用した心肺蘇生法。この機器の存在は聞いてはいたが,どんなものか見たこともないし,もちろん,触ってみたこともない。だから,いかなるものなのか,知っておこうと興味津々。そういえば,松村某という物真似芸人がマラソンの途中で倒れ,AEDのお蔭で命拾いをしたという話が記憶に新しい。だから,なおのこと,どんな装置なのか知りたかった。が,意外に簡単で,これならだれにもすぐに利用できると知った。
理由は簡単。ケースの蓋を開けると,自動的に電源がONになり,音声ガイダンスがスタートする。その音声にしたがって,言われるとおりの手順を踏んでいけばいい。でも,一度はじっさいに人形さんを使ったリハーサルが必要。電極パッドを貼る位置が,人形さんには印がついているが,実際の人体にはそれがない。だから,その位置をしっかり記憶にとどめておくことが重要。それさえ間違わなければ,あとはとくに問題はない。すべて,音声ガイダンスが教えてくれる。人工呼吸の方法はいくらか練習しておいた方がいいと思った。わたしは,むかし,人工呼吸の実習を受けたことがあったので,すぐに,思い出してできたが,初めての人は相当に手こずっていた。
が,いずれにしても,AEDがこんなに便利で,取り扱いが簡単だとは知らなかった。だから,これはとても大きな収穫だったと思う。少なくとも,使い方がわからなくて困ることからは解放されたと思う。ひとつ財産が増えた感じ。
さて,そのほかにも「煙体験訓練」「仮設トイレほか展示・デモ」「日赤による救急訓練」「消火栓による初期消火訓練」「マンション内防災備品倉庫検分」など,カリキュラムはまことに豊富。こちらについては省略。
このマンションに住んで15年。毎年,この訓練が行われていることは知っていたが,一度も参加したことはなかった。「備えあれば憂いなし」のことわざのとおり,最小必要限の予備知識は得ておくべきだ,と反省。そして,年に一度くらい,AEDなどの使用訓練をして,記憶をリニュウアルしておくことも重要。二年目からは,要領よく回れば,1時間くらいですべて終わる。もう,役員として駆り出されることもないので,来年からは楽しみながら,復習をしておこうと思う。
ということで,防災訓練はとても役に立つというお話。
とりわけ,大きな地震に襲われたら,なにもできないということ。運を天にまかせて哄笑するのみ,と覚えたり。地震に襲われたら急いで火を消して避難しましょう,なんて言える程度の地震なら大したことはない。大きな地震に襲われたら「転がるのみ」。転がりながら哄笑するのみ。と覚悟を決めることにした。
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