2013年10月14日月曜日

ニギハヤヒを祀る磐船神社の岩窟くぐり。進退極まり,神に触れる。(出雲幻視考・その9.)

 大阪の交野市の私市(きさいち)まで,阪急の交野線が走っています。つまり,私市はその終点ということです。どうして,こんなところを終点とする交野線が引かれたのか,この地方になじみのないわたしには,ちょっと理解しがたいものがあります。

 しかし,いささか強引なこじつけをすれば,私市は磐船神社への参拝客の入り口だったのではないか,と思われます。私市からなだらかな傾斜地を登りつめ,急坂を分け入ると,そこに磐船神社が鎮座ましましています。しかも,水量はそんなに多くはありませんが川を挟んだ渓谷に,巨岩が折り重なって崩れ落ちていて,思わず息を飲むほどです。その巨岩が並の巨岩ではありません。学校の教室くらいの大きさの岩がいくつも,複雑に折り重なっています。なにも知らずにここを通りがかったとしても,思わず足を止めてしまうでしょう。この世にあらざるものを見てしまった,そんな驚きを伴って。

 わたしたちは奈良から車を駆って磐船街道を北上したのですが,途中で道に迷い,私市に降りてきてしまいました。第一,「私市」を「きさいち」と読むことを知って(道路表示で),びっくりしたほどでした。しかし,あとで大阪の人間に聞いてみたら,みんな知っていました。それなのに,磐船神社のことは,ほとんどの人が知りませんでした。が,そんな遠回りをして,やっと捜し当ててたどりついたにもかかわらず,山道のカーブを曲がって,この巨岩の積み重なり具合を目にした瞬間に,神社もなにもみえない段階で「ここだっ!」と思わず叫んでいました。

 この巨岩の陰に,ちいさな祠と社務所がありました。駐車場に車を止めて,しばらくは呆然としながら,この巨岩群を眺め,その下を流れる川を覗き込んだりして時間を過ごしました。それから,気を取り直して,社務所の窓口をたたき,巨岩群の中に分け入る「岩窟くぐり」の入場券を求めました。入り口からずっと赤い矢印があるので,それに沿って進むように,と注意をされ,途中でものを落とすと拾えないので,ポケットのものも全部預かると言われました。

 が,財布とデジカメくらいは大丈夫だろうと考え,あとのものは車に残して,勇んで岩窟くぐりの巨岩群のなかに入場しました。少し進んだところで,しまった,甘く考えすぎていた,とすぐに気づきました。最初のうちこそ,岩に衣服をこすらないようにと注意しながら,慎重に進んで行ったのですが,とんでもない,ということが途中からわかりました。巨岩と巨岩の間を斜め下に降りていくときには,からだをまっすぐに伸ばして,ずるずると滑るようにして降りていくしか方法がありません。しかも,そのあたりの岩は上から落ちてくる水の滴で濡れています。ですから,あっという間に,衣服は濡れて,泥だらけです。

 もう,こうなったら意を決してなりふり構わず前進あるのみです。しかし,考えてみたら,後戻りはできない構造になっていることに気づき,度肝を抜かれてしまいました。このさきがどうなっているのかも,まったく予測がつきません。岩と岩の間が離れているところには,間伐材を2本並べただけの狭い丸太橋が架けてあります。これも濡れていて,まことに滑りやすいのです。わたしは,ビブラム底の登山靴でしたので,なおのこと滑りやすいので,往生しました。一緒に行ったT君は,スポンジのサンダルだったので,じつに安定していて,すいすいとさきを進んでいき,わたしを待っていてくれます。

 それで焦ったわけではないのですが,岩の頭の上で右足の靴を滑らせてしまい,完全にバランスを崩し,ぐらりと左にからだが傾いてしまいました。ちょうど,左手を伸ばしたさきに巨岩があったので,それを支えにして,かろうじて静止することができました。が,そのまま体勢をもとにもどすことができません。斜めに両手を伸ばしてもたれかかったままの姿勢で止まっています。下を見ると,川が流れています。ああ,このまま,あの川に飛び込むしかないなぁ,とそんなことが脳裏をよぎりました。

 しばらくして,T君が気づき,にやにや笑っています。が,わたしの顔が必死であることに気づき,あわてて救いの手をさしのべてくれました。そして,なんとか窮地から脱出することができました。それにしても,なんという岩窟くぐりなのか,と考えてしまいました。まずいところに入り込んでしまったものだ,と。途中から靴を脱いで裸足で歩こうかと考えましたが,脱いだ靴をどうするか,その方法がみつかりません。ですから,仕方がないので,そのまま履いて歩くことにしました。急に怖じ気づいてしまったのか,ますます,靴がよく滑るのです。進退極まれり,とはこのことだとしみじみ思いました。でも,とにかく前に進むしかありません。まるで,神様の試練にさらされているような気分でした。

 もともと,神様はいるかいないか,と聞かれれば「いる」という方に賭ける(パスカルの『パンセ』)方なので,このときは,出口にたどり着くまで,まさに「神に触れ」ているような感覚でした。やはり,神様はいるよなぁ,と。そして,とんでもない試練を与えるものだなぁ,と。齢75歳にして,初めて真剣に神と向き合った気分でした。

 明るい出口にでてきたときには,T君には内緒でしたが,足がわなわなと震えていました。社務所に,無事帰還を報告して,車に戻ろうとしたら「注意書き」が目に入りました。そこには,なんと「小学生,および70歳以上の人は入場お断り」とありました。それをみて,再度,冷や汗が背中を流れました。

 ここが,ニギハヤヒが天磐船(あまのいわふね)に乗って天から降ってきたという伝承のある聖地です。天孫族の一人とされていますが,登美長髄彦(とみのながすねひこ)とともに神武軍と死闘を展開しているところをみると,どうやら,あとからこじつけた神話のようです。このニギハヤヒが,さらに空を飛んで,大和国の鳥見(とみ)の白庭山に降り立ったといわれています。その地もまた富雄川(とみおがわ)に沿ったところです。いずれも,登美,鳥見,富,の一族の拠点です。すなわち,出雲族ではないか,という次第です。

 だとすれば,野見宿禰から菅原道真までは一直線でつながっていくことになります。その意味で,ニギハヤヒの存在は重要だと考えています。このニギハヤヒについては,いずれ,もう少し深く考えてみたいと思います。

 以上,この夏の忘れられない記憶をたどってみました。取り急ぎ,今回は磐船神社の岩窟くぐりのお話まで。

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