2012年8月21日火曜日

「カラオケに行きなさい」「音楽とからだをシンクロさせなさい」李自力老師語録・その17.

  トップ下のランキング選手の個人レッスンを見学させていただいたときのことです。ひととおり,稽古が終わり,汗を拭きながら整理運動に入ったときに発した李自力老師のことばが,標記に書いたことばでした。

 「カラオケに行きなさい」
 「音楽とからだをシンクロさせなさい」

 なぜか,強くこころに響くものがありました。なるほど,と。
 がしかし,同時に,李老師はカラオケに行って歌を歌っているのだろうか,という疑問も湧きました。ですから,稽古が終わって着替えも終わったところで,聞いてみました。「李老師はカラオケに行くことがあるんですか」と。

 ちょっと恥ずかしそうな顔をしながら,意外なことに,つぎのような話をしてくれました。

 最近はあまり行きません。遊びのお付き合い程度です。しかし,学生時代(北京体育大学)にはカラオケではないけれども,同級生の前で歌を歌うことはよくありました。偶然,指名されて歌うことがあって,うまいと褒められて,以後,機会あるたびに歌うことになりました。歌っているうちに,だんだん好きになり,いつのまにかはまっていました。歌の中に自分自身が溶け込んでいくことの快感を覚えました。そのときの経験が,のちに,太極拳の表演をするときに役立ちました。伴奏音楽のなかに,身もこころも溶け込ませていき,音楽とからだがシンクロするとき,全身に快感が走ります。そういう表演ができるようになるには,相当の工夫と努力が必要です。わたしは,いまでも,その意味では進化していると感じています。からだを駆け抜ける快感は,かならず太極拳の表演に表出しているはずです。それは,見る人のからだにも共振・共鳴するはずです。そういう表演が人のこころを打つのです。そこを目指して頑張るよう若い選手たちには期待しています。

 珍しくご自分の太極拳の経験について,かなり踏み込んだお話をしてくださいました。思わず,じっと耳を傾けました。

 ※注・これこそ,まさしく「如是我聞」です。つまり,李老師がこのとおりに話をした,ということではなくて,「わたしはこう聞いた」という話です。

 わたしたちも,たとえば,「24式」の動作をひととおり覚えて,全体を流して稽古ができるようになったころから伴奏音楽に合わせて稽古をするようになりました。李老師の動作に合わせて動いているときは,それとなく音楽にシンクロしていることがわかります。しかし,李老師から「はい,つぎは自分たちだけでやってみましょう」と言われると,とたんに動作がぎこちなくなり,伴奏音楽を聞いてはいるのですが,シンクロするにはとてもとてもという状態に陥ってしまいます。

 第一,李老師にじっと見られているということを意識したとたんに,わたしのからだはわたしのからだではない状態に半分入ってしまっています。ですから,いつもはできていることが急にできなくなってしまいます。こころここにあらざるがごとき状態に陥ってしまいます。そうなると表演は安定を欠いて支離滅裂になってしまいます。そして,ふらついたりして,しまった,と思った瞬間には李老師の視線が針のようにチクチクとからだに突き刺さってくるのを感じます。伴奏音楽などどこかにふっとんでしまっています。

 ひとりで,無心になって稽古しているときがあります。このときには,時折,伴奏音楽が心地よく聞こえてきて,ほんの一瞬ですが,音楽とからだがシンクロするときがあります。あっ,これだっ,と思った瞬間から,もう,いつものわたしのからだにもどってしまっています。自己を超えでていくからだの経験は,いくつものヴァージョンがあるわけですが,まだまだ「道は遠く険しい」ものがあります。

 太極拳は奥が深い。だからこそ面白いのだと思います。

 自己と自己を超えでていく自己との境界領域で遊ぶ「からだ」の快感が,いつの日か到来することを夢見ている,今日このごろです。

1 件のコメント:

竹村匡弥 さんのコメント...

李老師が仰った、その場面を想像してしまうだにぉ。
とても深い内容だとおもっただにぉ。
想像するだけでしびれてしまうだにぉ。。。
「溶け込む」んだに。音楽の中に音楽として身体があるんだに。。。身体全体が共振して、それ自体が音楽となってしまっているんだに。。。それは、   なはずだに。。。