2012年9月21日金曜日

オスプレイの試験飛行の愚。アメリカは民主主義国家ではなかったのか。

 とうとう新型輸送機MV22オスプレイ四機の試験飛行がはじまった。民意をまったく無視した愚行としかいいようがない。にもかかわらず,アメリカ政府と日本政府はこれを愚行とは思ってもいない。民意よりも自分たちの意志決定の方が大事だといわぬばかりに,悪ぶれるそぶりもみせない。たぶん,これがアメリカ的「正義」の実態なのだろう。

 日本の敗戦を国民学校2年生の夏に経験し,代わって小学校2年生の二学期からはアメリカの占領下のもとでの民主主義教育を受けることになったわたしには,なんとしても解けない謎がある。そのとき受けた教育では,アメリカは民主主義の国で,国の意志は国民の意志によって決められる,と教えられた。そして,日本はそのアメリカをお手本にして民主主義国家をめざすのだ,と教えられた。

 その民意によって国家の意志決定がなされるはずの民主主義国家が,いまや民意などまったく無視する国家となりはてている。そして,恥じるところがない。アメリカも,日本も。かくして,日米両政府の合意のもとに,民意は踏みにじられたまま,ついにオスプレイの試験飛行がはじまった。そこになんの矛盾も感じないで平気でいられる両国政府の姿勢に,ただ,ただ,唖然とするばかりだ。この人たちに「倫理」の感性はあるのだろうか。「人の道とはなにか」を考える能力をどこかに置き忘れてきてしまったのではないか。それとも人非人か。

 沖縄県民10万人集会が示した民意を,なにごともなかったかのように無視して平気でいられる日米合意とはなにか。このままいけばオスプレイは沖縄の普天間基地だけでなく,日本各地の基地に配備され,試験飛行がはじまることになる。問題は,オスプレイの「安全性」を問うことにあるのではなく,日本全土を沖縄化しようとする恐るべき企みが隠されているということだ。

 問題の核心は,沖縄の米軍基地の県外移転でもなく,ましてや国外移転でもなく,それどころか日本全土の米軍基地化への道を一直線に突き進んでいる現状にある。そこには民主主義は不要らしい。だから,完全無視だ。あるのは,その「そぶり」だけ。いかにも民意を「説得」しているかのようなポーズはとるものの,すでに「シナリオ」は決まっている。民意を無視して決定したことを,日米合意の名のもとに粛々と,推し進めていくだけのことだ。

 こうして封じこめられた民意は,ジャック・デリダが指摘したように,いつか,必ず,姿・形を変えて「亡霊」のごとく突如として立ち現れる。民主主義を無視した圧政は,必ずその報いを受けることになる。

 今日(9月21日)の『東京新聞』「本音のコラム」で,佐藤優が「沖縄を軽く見るな」という見出しで警告を発している。ウチナンチューの血をひく佐藤優の言説は激烈だ。凝縮したことばの発する威力を知ってほしいので,以下に引用しておく。

 森本敏防衛相と防衛官僚は沖縄の力を明らかに過小評価している。MV22オスプレイの国内運用について日本政府は「安全宣言」を行った。米国が要請する十月中に沖縄県の米海兵隊普天間飛行場にオスプレイを移送する流れを森本氏らは本気でつくろうとしている。
 尖閣問題で手いっぱいの首相官邸はオスプレイ沖縄配備がいかなる影響をもたらすかについて,緻密な情勢分析を行える状態ではない。外務省に関しては,竹内春久沖縄大使が玄葉光一郎外相に対してオスプレイの沖縄配備を強行した場合,どのような反発が現地であるかについて,正確な報告をしていないようだ。
 政府が十月にオスプレイを沖縄に配備することを決定すれば,飛行機が到着する前から,普天間飛行場中央ゲート前で座り込みが行われるようになる。そこには沖縄戦を経験した八十歳を超える高齢者も参加するであろう。沖縄県警に強制排除を命じても,沖縄出身の機動隊員はサボタージュする。本土の警官が強制排除を行い,特に高齢者がけがをするような事態になれば,「島ぐるみ」で全米軍基地の閉鎖を求める運動に発展する。
 沖縄が従順と勘違いしている防衛官僚,外務官僚に,1913年1月に発生した,内務省任命の知事の悪政に抗議して行われた沖縄県庁放火事件について研究してみることを勧める。

 以上である。
 沖縄に火がつけば,全国の基地周辺の住民も黙ってはいないだろう。そのさきは,もはや,想定すらできない事態が待ち構えているように思われてならない。世も末だ。なぜ,こんなことが,いまの政治家にはわからないのだろうか。器が小さすぎる。

 




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