ラベル アートの話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アートの話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年11月9日月曜日

書芸の愉しみ。「へた・うま」の世界を超える経験。田中象雨。〇

 書は上手に,きれいに書かなくてはならない,という一種のトラウマのようなものがわたしたちのこころの片隅にあります。ですから,筆で文字を書くということは,できることなら避けたいと恐怖観念のようなものがあります。その結果,筆で文字を書くという習慣はどこかに消え失せてしまったようです。のみならず,手書きの文字すら姿を消しつつあります。

 ワープロが登場し,パソコンが普及するにつれ,もはや「直筆」の文字そのものがとても珍しい時代になってしまいました。その典型的な例が年賀状です。宛て名書きもすべて印字されたものばかりになってきました。そんな中で,手書きの宛て名に出会いますと,とても新鮮です。そして,その人の体温や呼吸までもが伝わってくるようにおもいます。そんな中に,時折,まさに例外的に,毛筆のものがでてきます。これはもう感動ものです。「いいなぁ」とおもわず声に出してしまいます。

 じゃあ,お前はどうだ,と問われますと,情けないことにこの2年ほどは年賀状も書けないほどの体たらくです。なのに,毎年,ことしこそは毛筆で・・・・とみずからを叱咤激励しています。が,実行力はゼロ。情けないかぎりです。ことしは,せめて,いただいた賀状に返信くらいはしなくては・・・とみずからに言い聞かせていますが・・・・,はたして,どうなることやら・・・・。

 さて,日展・書道をみてきてからというもの,妙に書に惹かれるようになってしまいました。大いなる刺激を受けてしまったようです。

 で,このブログでも紹介しましたが,又吉直樹の『新・四字熟語』に添えられている書が,たまらなく魅力的で,ぐっと惹きつけられてしまいました。ということで,その一端を,ここでは紹介してみたいとおもいます。まずは,以下の8点の書をとくとご覧ください。

 



驚くべきことに,これらの8点の書はすべて田中象雨の手になるものです。書にはいろいろの書体があることはだれでもご承知のとおりです。その書体を使い分けることも書の楽しみのひとつだとということも承知しています。しかし,たったひとりの手で,これだけの変化を可能にする,それもみごとに味を出す,その手法に驚いてしまいます。しかも,これらはそのほんの一部にすぎません。この本に載っているだけでも,240書体です。もはや,唖然とするほかありません。

 この書をみれば,一目瞭然,書は上手に書かなくてはいけない,という縛りはなにもないということがよくわかります。むしろ,自由闊達に,そのときの気分や書く文字の含意や紙の大きさや選んだ筆の太さや,その他,もろもろの条件に合わせて,好きなように書いていいのだ,ということがよくわかってきます。

 では,こんな文字がだれにでも書けるのかといえば,そうは問屋が卸しません。ひとつひとつの書法を初手からきちんと練習をして,そこを通過した者にしか不可能であることは明らかです。しかし,わたしたちは書家ではありません。ですから,それを作品として人さまにみてもらう必要はありません。書いている自分自身が楽しくさえあれば,それで十分です。ときに,親しい友人にでもちらりとみせて,それとなく論評してもらえれば,御の字でしょう。

 どんな紙に書いてもいいのです。いまでは,コピー用紙の裏側がふんだんに使えます。広告の裏紙でもいいのです。なんでもいいのです。そういう紙を集めておいて,惜しげもなく書き散らす。もう,衝動的に書き散らす。そのうちに筆遣いがわかってきます。そうしたら,つぎは和紙に挑戦です。この和紙もまた,いろいろの特性をもった紙が何種類もあります。となると,こんどはそれらの和紙に合う墨を選ぶことになります。その先は,もう,セミプロのやる世界だと思えば,そこに分け入っていく楽しさも倍増します。

 ちなみに,上の書の3段目の左は「矛先無茶」,右は「馬鹿駅員」と読みます。崩し方や筆順なども,自分で工夫して,その味を愉しむという手もあることを教えてくれる作品です。「矛先無茶」の「無」の字をよく眺めてみてください。おもしろい発見があるはずです。こんなことまでやってしまっていいんだ・・・・というような・・・・。

 さあ,どうですか。筆をもって遊んでみませんか。練習用の墨汁はどこにでも売っていますので,これを買ってきて,水で少し薄めて使うといいとおもいます。そうすれば,硯も墨も不要です。百均ショップで,お皿を2,3枚買ってくれば,それでもう準備完了です。

 上の書の「幹事横領」くらいから遊ぶといいとおもいます。場合によっては,左手で書くという遊び方もあります。そのくらいの気楽さではじめましょう。

※どうしても,画像が移動してしまいます。どうか,ご判読くださるようお願いいたします。

2015年11月6日金曜日

芸術の秋。日展・書道で,日比野光鳳(顧問),吉川美恵子(会員・審査員)さんの作品に出会う。感動。

 知人から日展のチケットをいただきましたので,早速,でかけてみました。秋晴れのいい天気でした。いつも感ずるのは新国立美術館の中のロビーに入ると,まるで空港のロビーに到着したような気分になることです。白い鉄骨を組んだ,全面,明るいガラス張りの明るい窓。しかも,全体が直線ではなく曲線。だから,室内の空間が広く感じられ,しかも,ソフトな雰囲気につつまれている。いい感じ。

 日展の全部門の展示が全館に繰り広げられているので,とても一日でみてまわれるようなわけにはいきません。だから,最初からみるポイントを決めてでかけることになります。

 わたしの場合には,いつも,まっさきに書道から。あとは,体力・気力の残余にしたがうことに。つまり,それほどに疲れるということです。作品の数と展示場の広さは半端ではないからです。延々と,何時間あっても見終わることはありません。疲れたら途中でロビーにでて,コーヒー・タイムをしながら,休憩をとります。この日は,風もなく晴れ渡っていたので,オープン・スペースにでてコーヒーを飲みました。紅葉した欅の葉が,時折,舞い落ちてくる。なかなか風情があっていい。

 さて,書道展。入口を入ったところから不思議な緊張感があって,例年になく作品に力があるな,と感ずる。このところ(ほぼ,毎年,見にきている),いろいろ騒動(審査の方法をめぐって)があったために,こちらの見る目が疑心暗鬼になっていたこともたしかだ。だから,どことなく「上手ではない」という先入観があった。でも,ことしはちょっぴり違う感じ。やはり,いい作品はないなぁ,などと勝手に類推していました。

 ことしはもうそういう先入観から抜け出たのか,比較的素直にみることができました。第一感は,みんないい作品ばかりだ,というもの。よくよくみてみると,入口にいい作品が集めてあるようです。が,それにしても上手い。達意の書が並ぶ。みごとなものだ,と感心してしまいました。が,欲をいえば,横一線。みんな似たような雰囲気の作品ばかり。つまり,そつなくこなれた筆づかいの作品ばかり,ということ。作品に,もうひとつ,気魄のようなものが感じられない。みる者のこころを「グイッ」と鷲掴みにして,動けなくさせるような迫力のようなものが伝わってこない。これは「ないものねだり」なのだろうか。

 ある展示室の入口のあたりに人が大勢いて,だれかが解説のようなことをしている。名札をつけた人も数人いる。ちょっと邪魔だなぁ,とおもいながら通りすぎようとしたら,「かな」の素晴らしい作品がかかっている。ああ,この作品の鑑賞をしているんだ,と納得。わたしは,作品全体の印象がとてもよかったので,足を止めてじっくりと鑑賞する。

 作品の右肩のところに「日展会員賞」と書かれた金紙が貼ってある。その下に,「春日の山」とあり,さらに「吉川美恵子(会員,審査員,奈良県)」とある。おもわず「アッ」と声を挙げてしまった。あの「吉川さん」だ,と。わたしが奈良教育大学に勤務していたころ(もう,30年以上前になる)に,新しい書道の先生として着任されたうら若き女性の名前が「吉川美恵子」さん。以後,年に何回かある懇親会でお話もさせてもらった懐かしい人。もともと書道は好きだったので,書道の先生方とは仲良しでした。しかも,奈良教育大学の書道の先生方はむかしから実力者ばかり。だから,書道科には全国から学生が集ってくる,人気の学科でした。

 大学祭や奈良県の芸術祭や,その他のもろもろのアート関連の展覧会があると,書道科の先生方がふるって作品を投じていました。そのたびに,わたしは足を運んで楽しませてもらいました。だから,先生方もとても喜んで迎えてくれました。そんな懇意にしていた先生のおひとりである吉川美恵子さんの作品に,期せずして,ことしの日展で出会うことになるとは・・・。しかも「日展会員賞」。

 
作品は,「春日の山」という題で,つぎのような歌が書かれていました。
 「妹が目を始見の崎の秋萩は
 この月ごろは散りこますゆめ
 雨隠り情いふせみいで見れば
 春日の山は色づきにけり
 ──以下略。」

 
かなりの大作で,しっかりと鑑賞させてもらいました。

 じつは,奇跡はこれだけではありませんでした。

 この作品の斜め向かい側に,なんと「日比野光鳳」さんの作品が額に入ってかかっているではないか。この日比野光鳳さんも奈良教育大学の書道の先生で,学内では「池田先生」でした。わたしとほとんど同じ年齢でしたので,とても仲良くさせてもらいました。スキーの好きな先生で,学生のスキー実習に参加させてほしいと言って奥さんとお二人でいらっしゃったことがあります。お手並みを拝見したら,思いの外お上手でしたので,わたしの班(1班,一番上手なクラス)に入ってもらって,一週間ともに楽しく過ごしたことがあります。

 池田先生もわたしもまだ若かったので,お互いにまだ無名でした。が,すっかり意気投合し,仲良しになりました。しかし,その直後くらいから池田先生の大活躍の時代がはじまります。あっという間に日展・特選をへて会員となり,審査員となり,いまや「顧問」です。気持ちのやさしい人で,いつも飄々として,空気のような存在でした。なにごとも淡々とやりすごしながらも,時折,きらりと目が光ることがありました。そんなところを,池田先生のお師匠さんは(日比野五鳳),しっかりと見ておられたのでしょう。池田先生の号は「光鳳」。

今回,展示されていた作品は,以前にもまして飄々とした作風になっていました。
作品は以下のとおり。(大伴家持 新年)

「新しき年の初めの
初春の今日降る雪の
いやしけ吉事」

 
まあ,偶然とはいえ,こんな「出会い」もあるんだと欣喜雀躍の日展・書道の部でした。会場をあとにするときには,なんだかわたしまでも「偉く」なったような気分でした。古い知己の人びとが,世の中で活躍している姿に接するのは,これまたなにものにも代えがたい至福の時と言っていいでしょう。

 やはり,長生きはするものだ,としみじみ。とてもいい秋の一日でした。

2015年7月1日水曜日

「マスク展」をみてきました。お目当ては「ダン族の競技者」のかぶった仮面。図録,売り切れ。残念。

 しばらく前の新聞で,コートジボアールのダン族の競技者が勝利を収めたときにかぶる仮面などが展示されている,と紹介されていましたので,なんとしてもみておきたいとおもっていました。スケジュールのやりくりがつかず,今日(6月30日),最終日にようやく駆けつけたという次第です。

 場所は東京都庭園美術館(TOKYO METROPOLITAN TEIEN ART MUSEUM)。65歳以上は600円。旧朝香宮邸。目黒駅から徒歩5分。都心なのに,深い森につつまれた閑静な庭園のなかにたたずむ旧朝香邸をそのまま美術館にしたもので,まずは,なにより雰囲気がいい。建物も,1920年代にパリで流行していたアール・デコ様式の雰囲気を存分にとりこんだ貴重な歴史的建造物。東京都指定有形文化財。

 「マスク展」。正式な名称は「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵マスク展」。

 とても素晴らしい内容で,存分に堪能することができました。ただ,残念だったのは,図録が売り切れで手に入れることができなかったことです。なにより,お目当ての「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面を,家でじっくりと繰り返し眺めて復習することができないことが残念。というわけで,ここにも紹介できないことがもっと残念。

 「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面は,全部で4面。やや小型で,とても素朴なものばかり。目の穴が大きくくり抜いてあり,口を開けて前に突き出している。そこに書いてあったかんたんな説明によると,仮面をかぶった者がかぶっていない者を追いかける,そういう競技のための仮面,とありました。その競技で優れた能力を発揮した者に与えられる,と。また,この競技は若者たちの敏捷な動きと健康状態を競い合うものだ,とも。

 この説明を何回も読み返して確認をしてみましたが,どうもピンとこないものでした。そこで,わたしは勝手に想像して,これは「鬼ごっこ」のような遊びではないのか,と考えました。つまり,わたしたちの知っている日本の「鬼ごっこ」は単なる遊びにすぎませんが,それでも,もともとは「神ごと」遊びです。神と戯れる,神と交信する,そういう神事儀礼に端を発しています。

 たぶん,コートジボアールのダン族の「鬼ごっこ」も,さまざまな精霊との戯れであり,交信・交流であり,ときには恐ろしい悪魔との闘いでもあるはずです。それだけに,真剣そのものの「鬼ごっこ」のはずです。なにしろ,ダン族の人びとは,いまでも空中を精霊が飛び交う姿を自分たちの眼でみることのできる人たちなのですから(真島一郎さんの論文による)。

 コートジボアールのダン族の「すもう」について報告した真島さんの論文によれば,すもうをとる力士たちは精霊の「力」を身に帯びて,その「力」の優劣を競う,というのです。しかも,その精霊が力士のからだに乗り移る場面をダン族の人びとはみんな自分の眼で確認できるというのです。ですから,この「鬼ごっこ」も,仮面をかぶった人間が,どれほどの精霊の「力」をわがものとすることができるか,その優劣を競ったのではないか,とわたしは考えてみました。

 そのように考えますと,その仮面がまた一段と生き生きとして,わたしの眼に映るようになってきました。眼が大きくくり抜いてあるのは,相手を追いかけるときによくみえるようにしてあるのだろうし,口を開けて前に突き出しているのは,走りまわって呼吸が苦しくなるときの顔の表情を表現しているようにおもいました。

 4面中,3面はあどけない子どものような表情をしていましたが,あとの1面は神々しい雰囲気を漂わせていました。いずれも木製でしたが,その最後の1面だけは,まるで鉄製ではないかとおもわれるほどの固さと茶色の錆色を浮かべていました。一見して一目置かざるを得ないような,そこはかとない神秘性を帯びた,貫祿十分という仮面でした。

 こういう仮面をみながら,もう一つ,重要なことを考えていました。それは,自己の存在を否定しつつも,他己との折り合いのつけ方が二重・三重に複雑に構築されているのではないか,というようなことがらです。この点については,いささか複雑で長くなりますので,また,機会を改めて取り上げてみたいとおもいます。

 今日のところはここまで。

2015年6月18日木曜日

「さるゆみ」さんのTシャツ,届く。「動物性回帰願望」(バタイユ)を彷彿とさせる。

 わたしの敬愛する沖縄のデザイナー,自称「さるゆみ」こと,うちまゆみこさんがとうとう「猿」をデフォルメしたデザインのTシャツを「制・咲く」(このことばは,さるゆみさん独特の「さるご」です)し,販売をはじめました。わたしはこのデザインをみた瞬間に,直感的にピンとくるものを感じましたので,早速,注文し,購入しました。

 わたしのFBも確認してくださっている方にはすでにお分かりのように,うちまゆみこさんは最近,とても元気です。なにかが弾けたように,つぎつぎに面白いデザインを発表していらっしゃいます。それらのほとんどを,ゆみこさんは包み隠さずFBに公開中。この際,ぜひとも,わたしのFBもチェックしてみてください。面白い記事が満載です。


さて,わたしが気に入って購入したTシャツです。宅急便の封筒を開けてみましたら,中から上の写真のような包みがでてきました。大きなお猿さんの写真が目に飛び込んできて,まずは,びっくり。そして,その下には,MASARIRO SPECIAL とあります。これをみて思わずニヤリとしてしまいました。いかにもゆみこさんらしいギャグを一発というところです。


この包みを開いてみましたら,上の写真のようなシャツがでてきました。いわゆる真っ白ではなくて,生成りの生地でした。この色も,じつはわたしのお気に入り。おさるさんのデザインとみごとにマッチング。ヨシッ!と一声。さすが,ゆみこさん。いいですねぇ。


で,すぐに試着。そして,自撮り。うん,サイズもぴったり。少しだけよゆうがあって,しかも大きすぎず。申し分なし。早速,今日(17日)の太極拳の稽古用シャツとして下ろしました。初下ろしというのは気分がいいものです。そのせいか,今日の稽古はいつもにもまして実のあるものになりました。と,ひとりニヤニヤ。

 この「サル」のデザインが気に入った理由を少しだけ。
 うちまゆみこさんは,以前から「猿願望」がとてもつよくて,FBの登録写真はお猿さんのぬいぐるみの頭の部分をかぶったものです。そして,その写真に「さるゆみ」と命名して,掲載するという入れ込み方です。このことそのものには「ふーん,そうなんだぁ」くらいの感じでわたしは受け止めていました。しかし,こんどのこのデザインをみた瞬間に「アッ」とおもうところがありました。

 それは,わたしがジョルジュ・バタイユからヒントをもらった「動物性への回帰願望」がスポーツの始原にはつきまとっている,というものと通底しているものを感じたからです。人間性とは,動物性から<横すべり>をしてしまった原初の人間が,それこそ間違って獲得してしまった,まったく新たな属性にすぎません。別の言い方をすれば「理性」の獲得です。もっと言ってしまえば「狂ったサル」の誕生です。それが人間のはじまりです。その「狂ったサル」はとうとうこんにちの人間に到達してしまいました。言ってしまえば,狂った文明に到達してしまい,みずから生みだした文明にがんじがらめにされてしまい,もはや,どうにもならなくなってしまいました。そして,ついには「破局」を迎えてしまいました。

 そんな時代を生きなくてはならないわたしたちのこころの奥底には,まぎれもなく「動物性への回帰願望」がそこはかとなくうごめいています。そこのところに,いちはやく反応したのが「さるゆみ」さんではないか,とこのTシャツのデザインをみて気づいたという次第です。このテーマについては,もっと踏み込んだロジックを展開したいところです。が,ここは禁欲的にこの程度で抑えておきたいとおもいます。また,なにかの機会に触れることになるとおもいますので・・・・。

 で,以下の写真のものは,このTシャツを包むようにして覆っていたフライヤーの数々です。いったい,うちまゆみこさんというデザイナーの活動範囲はどうなっているのだろうか,ともはやわたしの想像を超えてしまっています。これは,どうやら,沖縄まででかけて行って,この目で確認しなければなるまい,と考えています。たぶん,とんでもなく面白いアートの世界を繰り広げていらっしゃるに違いない,とわたしは確信しています。

 みなさんも,どうぞ,下のフライヤーを眺めながら,あれこれ想像してみてください。いろいろの仕掛けがしてあることが,なんとなくわかってきます。まさに「さるゆみ」の企みです。ですので,これ以上,わたしがとやかく言わない方がいいとおもいます。どうぞ,ごゆるりとご覧ください。

 というところで,今日のブログはおしまい。



 

2015年1月30日金曜日

アートを学ぶ人たちの前に立つことになりました。驚きと歓喜。

 ある日,突然,小澤慶介さんという方からメールが入ってきました。原則的に知らない人からのメールは開かないことにしています。ですから,このお名前をじっと眺めて,どうしようかと考えました。しかし,そのときの直観は「開け」でした。そこで恐る恐る開いてみました。そうしたら,とても丁寧な文章で,まずはお詫びからはじまり,ご相談の主旨が的確に書かれていて,ほっとしました。意外に直観というものは当たるものだ,とわれながら驚きでした。

 さて,その小澤さんとお会いしてお話を詳しくお聞きしているうちに,ああ,これは断れない,いや,喜び勇んでお引き受けしなくてはいけない,と途中から立場が逆転していました。そこが,まさに小澤さんの炯眼のなさしめるワザでもありました。

 まずは,わたしのブログを追跡して読みました,と切り出しました。そして,読めば読むほどに,この人に講演をしてもらいたいと強くおもうようになりました,と仰る。もう,ここで勝負ありです。その上で,テーマは「東京オリンピック1964と2020」という二つのオリンピックの間に日本人の身体はどのように変化したのか,というもので,それをスポーツというアングルから話してほしい,と仰る。もう,ここまで聞いた段階で,わたしは嬉しくてたまらず,早速,こんなことが言える・・・・というような話をはじめていました。

 小澤さんは聞き上手で,ひとしきり話が盛り上がったところで,そういうお話をぜひともお願いします,となりました。もう,あとには引けません。前にでるしかありません。面白そうなので,ぜひ,やらせてください,ということになりました。

 そんな話が終わったところで,じつは・・・と言って,西谷修さんのお話がでてきました。学生時代に西谷先生のゼミに入りたかったのですが,どうも敷居が高いと自分で判断して,遠くから羨望のまなざしで眺めていました,とのこと。でも,その思いを忘れることができないまま,その後もずっと西谷先生のお仕事は追っかけています,と。そして,いまもなお多くのことを学ばせていただいています,と。で,勇気を出して西谷先生とコンタクトをとって,西谷先生にも講演をお願いしています,とのこと。

 なるほど,そういうことであったか,と。これですべてが瓦解しました。なーんだ,それならそれと最初から言えばいいのに・・・と。でも,小澤さんの偉いのは,やはり,まずは自分で努力をして自分の眼で確かめた上で,自分の意思でわたしとの接触をはかったことです。ますます,小澤さんという人物が好きになってしまいました。

 話が前後してしまいましたが,小澤さんは,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕のMADプログラム・ディレクターをされている方です。MADとは,現代アートの学校:Making
Art Different (アートを変えよう,違った角度で見てみよう)の略称です。

 
そして,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕とは,現代アートを考えるさまざまな「場」をつくるため,2001年に設立したNPO。アーティストやキュレーター,美術館やギャラリーのほか,企業,財団,行政と連携しながら,現代アートの複雑さや多様さ,驚きや楽しみを伝えています,とこのリーフレットには説明されています。

 現代アートの学校MADは5つの「ジェネラル・スタディーズ」,3つの「アドバンス・スタディーズ」,3つの「ゼミ」およびす「MADフェンバーガー」から構成されています。その詳細は下の写真のとおりです。読んでみますと驚くべき内容が提示されています。思わず,わたしが受講してみたくなるようなプログラムになっています。

 
わたしの出番は「アドバンス・スタディーズ」の中にありました。それによりますと,テーマ①「二つのオリンピックの間で変容するカラダ」(2015年4月~6月)という通しテーマで3人の講師が,それぞれのスタンスから話をすることになっています。わたしに与えられたテーマは「オリンピックの変容からカラダを考える」というものです。こうなってきますと,いまから,もう,どんな話をしようかと胸が高鳴ってきます。このワクワク感がたまりません。

 なぜなら,この「アドバンス・スタディーズ」の中の「アートの存在論へ──3.11以後から考える」のテーマのもとで,西谷修さんも「破局に向き合い,創造を思考する」というお話をされることになっているからです。まことにもって光栄です。ありがたいことです。

 
講師一覧をみますと,それぞれの専門の分野で大活躍されていらっしゃる方たちばかりです。そんな中で,たとえアイウエオ順だとはいえ,わたしの名前がトップにでてきますと,これでいいのかなぁ,といささか腰が引けてしまいます。と同時に,ちゃんと責務を果たすべく頑張らねば,という気持にもなってきます。まあ,いまさらどたばたしても仕方がありませんので,少なくとも自分に納得のいくお話ができるように準備をしたいとおもいます。

 
いずれにしましても,アートはスポーツからも養分やエネルギーを得ようとする,このアイディア/姿勢に接し,こういう時代になってきたんだなぁとおもうと同時に,こういうアイディアを展開させる小澤慶介さんは凄い人だなぁ,と感心してしまいます。その小澤さんの期待に応えるべく,わたしも頑張らねば・・・とますます考えてしまいます。

2015年1月29日木曜日

「2015・手工芸フェア」に行ってきました。能面アーティストの柏木裕美さんも出展。

 「2015・手工芸フェァ」に行ってきました。読売・日本テレビ文化センターが主催している「よみうりカルチャー」で講師をしていらっしゃる先生方の「手工芸展示即売会」です。ここに,わたしたちの太極拳の兄妹弟子である柏木裕美さん(能面アーティスト)も,講師の一員として参加されているからです。

 日程は,1月29日(木)~2月3日(火)。午前10時~午後7時。
 場所は,東急百貨店渋谷本店・3階イベントサロン

 
初日ということもあってか,超満員。柏木さんのお話では,みなさんカルチャーの生徒さんたちではないか,とのこと。それにしても,あまり広くない会場に「アートフラワー」「押し花」「手作り帽子」「伊勢型紙を彫る」「日本刺繍」などといった展示と即売をするテーブルが並び,盛況でした。その中に「能面を打つ」というコーナーで柏木さんがちょこんと座っていらっしゃいました。


周囲の手工芸の展示即売とはひとあじ違った凛とした雰囲気が,柏木さんのコーナーには漂っていました。やはり,能面のもつ迫力がそうさせているのだとおもいました。わけても正面中央に飾られた「鑑真さん」がひときわ威厳を保っていました。そして,その左右に「小面」と「愛ゆえに」が控えているのですから,当然といえば当然でしょう。

 いわゆる手工芸という分類のなかに入ると,能面は異彩を放ちます。と同時に,作品の一つひとつが力をもっていますので,なおさらです。まったく存在感が違うのです。アートの力とでもいえばいいのでしょうか。気魄がつたわってきます。

 テーブルの上には下の写真のような作品が,こんどは下から見上げています。ものすごい迫力です。ある年配のご婦人は正直に「なんか怖い・・・そんな感じ」とおっしゃるので,ここに作品のアルバムがありますのでご覧ください,ここには「小面百変化」というテーマで打った創作作品がありますから,とそのページをめくってみせてあげました。そうしたら,とたんに,「これは面白い・・・」と言って,とても興味を示されていました。ちょうど,柏木さんが席をはずしているときでしたので,留守番をしながらついついでしゃばってしまいました。

 
テーブルの一番手前には,柏木さんの描かれた能面の絵がぞろりと無造作に並んでいます。こちらもちらちら眺める人はいても長居はしません。やはり,手工芸好きの人たちの興味・関心からは少しずれているようです。でも,思わず足を止めて眺めるという人はたくさんいらっしゃいました。やはり,気になる存在ではあったようです。

 
柏木さんはそういう人たちには,せっせと声をかけ,能面の話を熱心にされていました。少しでも能面の世界をわかってもらいたいという情熱のようなものを感じました。ご自分のお仕事が根っからお好きで,能面の話になると別人です。能面アーティストという肩書のもつ可能性に誇りと夢を託していらっしゃることがよく伝わってきます。

 わたしにとっては,すでに馴染みの深い作品ばかりです。しかし,久しぶりに拝見させていただくと,やはり凄いなぁ,と感じ入ってしまいます。どの作品も素晴らしい傑作ばかりです。売らない方がいいとおもわれる作品も並んでいます。ただし,ほんとうに売りたくない作品には高い値段をつけていらっしゃるようです。でも,もし,売れてしまったらどうするんだろう,と他人ごとながらいささか心配になっていまいました。それほどにいい作品ばかりなのです。

 能面に興味をお持ちの方はぜひ出かけてみてください。目の前の,手のとどくところに高価な作品がずらりと並んでいます。それよりなにより能面アーティストの柏木裕美さんというお人柄もまた天下一品ですので,ぜひ,会話も楽しんでみてください。

 柏木さん。あと5日間。長丁場です。頑張ってください。ご盛況を祈ります。

2014年12月2日火曜日

日展・書道展をみてきました。日展は改革されたのか。

 世の中,誹謗中傷やウソが飛び交い,しかも,政治の世界で,うんざりすることばかり。でも,そうはいってもこれからの日本の行方を決定づける,きわめて重大な選挙。ぐちをこぼしているだけでは済まされません。憲法を無視し,福島・フクイチ,沖縄・辺野古に蓋をしたまま,国民の自由な言論活動を封じ込め(特定秘密保護法),民主主義に背を向け,ひたすら戦争に向かってまっしぐら・・・・としか思えない現政権党の暴挙に有効な歯止めをかけなくてはなりません。そのためにのみ,こんどの選挙は意味をもつ・・・と覚悟を決めています。

 そんな暗い気分のままではやってかれませんので,ここは一息入れて,と気分転換をはかることにしました。日曜日の午後,国立新美術館で開催中の日展を見にでかけました。お目当ては書道展。

 そのポイントは,日展審査の裏側の小細工が暴かれて,さまざまな改良がなされた結果,それがどのように作品選定に反映されたのか,を確認すること。ことしがそういう意味での日展,再出発の第一年目。

 結論。書道に関しては,全体的にやや元気がでてきたかに見受けられました。とはいえ,以前よりも厳正な審査がなされたとも思えませんでした。なぜなら,ことしもまた玉石混淆の作品がずらりと並べられていたからです。つまり,ピンからキリまでの幅が広すぎる,というのがわたしの印象でした。しかも,はっとするような「力」のある作品は一点もありませんでした。

 巻紙に書かれたかな文字以外は,みんな大作ばかり。その大作のなかには力作もありましたが,「へたうま」に凝りすぎた駄作も少なくありませんでした。こちらは見るに耐えかねる駄作,しかも会場の緊張感を一気にぶちこわしてしまいます。もちろん,そのような「へたうま」を良しとする流派もあるわげで,一概に否定することはできません。

 「いいちこ」のラベルの文字を書いた榊莫山さんのような「へたうま」はその典型でしょう。しかし,この莫山さんは小学校6年生のときに,楷書で文部大臣賞を受賞している,楷書の名手です。それは一部のスキもない,切れるような文字です。そういう楷書がしっかりとからだに叩き込まれたのちに,いろいろと進化をとげ,最終的に行き着いた世界,それが莫山さんの「へたうま」です。ですから,莫山さんの「へたうま」の文字には一部のスキもありません。それでいて,これ以上に自由闊達に躍り上がることはできない,そのぎりぎりの世界から生まれてくる「へたうま」です。それを修行半ばの書家が真似をすると,とんでもない大火傷をするという次第です。

 もともとが,数えきれないほどの流派書道が乱立するなかで,それらを均してしまって作品の優劣の審査をするということ事態が,所詮,不可能なことなのです。それを無理矢理やろうとする,これぞ近代の「合理主義」の驕り以外のなにものでもありません。科学的合理主義という考え方は一定の条件付きで正しいのであって,それを普遍化して良しとすると,そこには大きな落とし穴があるということです。アートの世界に多数決は通用しないのと同じです。

 ですから,これまでの日展の審査では仕方がないので,流派別に入選作品の数を分配して,その中での優劣を競わせるという,苦肉の策が生まれたというわけです。しかも,家元的なしきたりもあります。美の力点のおきどころも違います。スポーツの世界のように,たとえば,100mを走って1000分の1秒まで計測して(人間の目では判定できない世界),優劣の判定をする世界とはまるで違います(これはこれでまた狂気の世界だとわたしは考えています。人間の目に見えない差を判別して優劣を競うことの意味がどこにあるのか,と)。

 書道展を面白くなくしているのは,審査員の先生を喜ばせるような作品ばかりが提出される,という一点にあるとわたしは考えています。つまり,先生のご機嫌を伺うばかりに,没個性的な作品に陥ってしまう,というわけです。わたしは,書は一人一派である,と考えています。たとえば,いくら真似て書いても良寛さんの書にはなりません。王羲之の書にもなりません。弘法大師の書にもなりません。つまり,書にはその人の,その時点での,すべてがトータルになって表出する,そういうものだと考えているからです。

 このように考えたとき,日展の書道展のつまらなさが,そこはかとなくわかってきます。もっと書家のからだから,抑え込んでも,隠そうとしても,するりと表出してくる,そういう文字に出会いたいと考えています。つまり,計算も打算もない,理性がはたらく以前に,立ち現れてくる文字に突き動かされるようにしてつぎの筆が走る,そうして生まれる書のもつ「力」に触れてみたい,これがわたしの願望であり,期待であり,夢であり,快感です。

 わたしの友人である能面アーディストの柏木裕美さんは,能面を打つときに,頭ではなにも考えていませんと言い,「わたしの目が考え,手が動く」のです,と言っています。この世界にわたしは深く感動し,そして,こころの底から共感します。

 言ってしまえば,西田幾多郎が『善の研究』のなかで述べている「純粋経験」の世界であり,のちに主張することになる「行為的直観」の世界に通底する境地から生まれてくる書,これがわたしの書の理想です。ちなみに,西田幾多郎の書は,これまた天下一品です。深い味わいのある素晴らしい書です。

 このさきの話は,また,いずれ。

2014年10月1日水曜日

「美術する身体」展。ピカソ,マディス,ウォーホル,など。名古屋ボストン美術館で。Gestaltungを考える。

 「美術する身体」・・・このテーマに惹かれて,名古屋・金山へ。27日の犬山例会を主宰してくださった船井廣則さんの情報提供を受けて,翌日(28日),栄の「これからの写真」展(愛知県美術館)をみたあと,金山に足を伸ばしてみました。栄から地下鉄で四つ目が金山。

 金山の駅を降りて,地上に出てきてびっくり。むかしは(いまから60年前の話)名鉄とJRの駅が別々にあったし,駅名も名鉄は「金山橋」でした。そして,金山橋の駅は路面にあったと記憶しています。ところがどっこい,これまた立派なモダンな駅舎となり,駅名も「金山総合駅」とあります。名鉄とJRがひとつ駅舎にまとめられ,とても便利になっていました。

 その駅前に,名古屋ボストン美術館がありました。栄の愛知県美術館もびっくりするほどの立派な建築でしたが,ここもまた素晴らしい建築でした。名古屋はすごいエネルギーに満ちている,そんな印象をもちました。

 さて,問題の「美術する身体」展。こちらはなかなかの充実ぶりで満足。

 
 
  この展覧会で考えていたことは,ただ一点。それは,27日の犬山例会で議論になった Gestaltung ということについてです。すなわち,「美術する身体」の Gestaltung とはなにか。それが手にとるように,わたしの眼には見えてきました。とてもありがたいことでした。

この展覧会に展示された作品は1940年代から現代まで。とくに,第二次世界大戦以後,ピカソやマティス,ウォーホルなどといった画家たちが,人間の「身体」をどのように捉え,描こうとしてきたのか,ということがメイン・テーマとなっています。ですから,各作家たちが「身体」を創造する意図,託す思いのようなものが,それぞれの作家の生きた時代や国・地域によってさまざまに表出している,その現物と向き合うことができる,というわけです。各作家たちは,それまでの「美術する身体」描写を批判的に乗り越えようと必死で考え,みずからの手法を編み出します。そして,それぞれの思いを籠めて「美術する身体」の理想を探求していることが手にとるようにわかってきます。これこそが,「美術する身体」の Gestaltung そのものではないか,と考えた次第です。

そこには,人間の運動の Gestaltung とはなにか,ということを考える上での大きなヒントがある,と。つまり,Bewegungsgestaltung とはなにか。人間の運動にはさまざまな階層があります。たとえば,Uebung/Training とBewegung/Movement との間には大きな違いがあります。修練やトレーニングはある目的があって,その目的に対して合目的的に組織された運動のことを意味します。しかし,そこで組織される前の「運動」(Bewegung/Movement )は,純粋な意味での人間の運動そのものを意味します。となりますと,人間がからだを動かす,あるいは,人間のからだが動く,とはどういうことなのか,という根源的な問いが発生してきます。その問いに応答するものが,すなわち,Gestaltung ではないか,というわけです。

この仮説が正しいとすれば,Bewegungsgestaltung という課題は,きわめて哲学的な問いに応答しなければならなくなります。1920/30年代にあっては,この要求に応答する哲学となれば,それは「生の哲学」(Lebensphilosophie )ということになるでしょう。となると,忽然と立ち現れるのが,たとえば,ニーチェの哲学,ということになります。ならば,ニーチェ的な発想による Bewegungsgestaltung とはどのようなものなのか,と思考を伸ばしていけば,おのずからなるひとつの解がみえてきます。

 このように考えてきますと,では,こんにちのわたしたちにとっての Bewegungsgestaltung はどのようなものなのか,ということもみえてきます。「美術する身体」の Gestaltung が作家の力量を反映するように,Bewegungsgestaltung もまた,それを模索する体操指導者によって異なってきます。となると,ドイツ体操( Deutsche Gymnastik )の改革運動のなかで探求された Bewegungsgestaltung は,ひとつの「イズム」となっていく方向と,各個人のレベルの探求に委ねられる方向とに分裂していくことになります。と同時に,ゴールのない理想の探求であり,永遠の哲学的なテーマである,ということになります。すなわち,Bewegung/Movement なるものの,もうひとつの顔がそこに現れてくることになります。すなわち,体操運動と思想・哲学運動の二つの顔がある,と。

 こんなところにたどりつくことができたという意味で,「美術する身体」展は,わたしにとってはまことに有意義なものとなりました。これを手掛かりにして,さらに思考を深めていきたいという意欲までおみやげとして頂戴することになりました。ありがたきかな,美術展。

 
 
 

2014年9月30日火曜日

男性ヌードは卑猥かアートか。愛知県警の勇み足。薄い布で隠して透けてみえる方が卑猥。

 男性の性器があるがままに写っている写真を「卑猥」であるとして,愛知県警にクレームをつけられ,展示写真に薄い布をかけてカメラマンが妥協した,と話題になった「これからの写真」展が,名古屋の栄にある愛知県美術館で開催されており,9月28日が最終日であるというので,友人3人と一緒に,犬山の例会の帰りに立ち寄った。

 まず,驚いたのは愛知県美術館の壮大な建物。東京六本木にできた新国立美術館よりも立派。しかも,フロアごとに多種多様なアートの展覧会が催されていて,そのプログラムを見ただけでも圧倒されてしまうほどだ。ちなみに,愛知県美術館はこの建物(愛知芸術文化センター)の10階・11階にある。いやはや,おどろきもものきさんしょのき,おそれいりやのきしぼじん,といった塩梅である。まずは度肝を抜かれた。

 だから,「これからの写真」展も,ゆったりとしたスペースにぜいたくの限りをつくした展示になっている。なのに,なぜか,展示作品にパンチ力がなく入れ物に圧倒されてしまっている。展示をする器の方が時代を先取りしていて,展示されている写真の方が遅れをとっているのでは・・・,というそんな印象も受けた。つまり,わたしの感性に訴えるような作品はほとんどなかった,ということ。前衛アートはいつもそうなのだが,わたしにはいまひとつピンとくるものはなかった。

 話題の男性ヌードも同じだった。なんだかうっとうしい,厚ぼったいカーテンで仕切られた展示室。そのカーテンをかき分けて,この展示室に入る。入ってすぐ右側の最初の写真は男女が並んで立っている全裸写真。それもとてつもなく大きく引き延ばされている。この写真には男性の性器は写っていなかったが女性の性器(外観)はまるみえ。なのに,この作品はおとがめがなかったらしい。しかし,この写真だけが,なぜか,わたしの印象に強く残った。あとは,男性が二人並んで立ち,ごくふつうに写っているだけ。モデルも素人さん。だから,女性のヌードもごくふつうの,やや太めの外人女性。そして,すべての写真にカメラマン自身が被写体となって写っている。つまり,カメラマンが相手をとっかえひきかえしながら,自分ともうひとりとで被写体となっている。

 「これからの写真」の鑑賞ガイドによれば,以下のように説明がある。
 鷹野隆大
 写真は「写真家か/被写体か」ではない(ここだけ大きな活字)。
 どの写真にも写っている男性が,写真家本人である鷹野です。
 ふつう,写真家はカメラの背後に立ち,一方的に,被写体を見つめます。
 ところが,鷹野は被写体となったモデルと一緒に裸になって,カメラの前で肩を組んで並んでいます。
 中には,被写体となった人がシャッターを切っているものもあります。
 写真家と被写体との新しい関係性を予感させる作品です。
 また,衣服を着た人間からは職業や社会的立場などが想像されますが,
 裸になると,途端にそれらがわからなくなります。
 衣服という社会的な符合なしでまじまじと人を見るという不思議な体験ができます。

 いまは,いわゆる公衆(大衆)浴場というものが激減してしまったので,すっぽんぽんの男性の裸をみるという経験が希有なものになってしまった。残っているのは温泉くらいなもの。それもまあ,みんな前をタオルで隠しているので,まともに性器が眼に入ってくることも少ない。むかしの公衆浴場では,前を隠すこともなく堂々と歩いている人をみかけることも少なくなかった。だから,人さまざまな形態の性器をもっているものなのだなぁ,となんの抵抗もなく当たり前のように納得した記憶がある。

 だから,写真という表現の枠組みのなかで,しかも,美術館という限定された展示場で,男性ヌードが大まじめな顔をして二人並んで立っているだけの姿は,別に卑猥だとは思わない。それよりも,男女で並んで立ち,その女性のぶよぶよのからだの,どちらかといえば醜悪な姿をさらけ出し,しかも,ほとんど陰毛らしきものがない女性の性器をみせられる方が,みた経験がないだけに強烈な印象となった。しかし,それが卑猥だとは,感じなかった。いわゆる見慣れた女性ヌード写真は,プロのモデルさんの美しい肢体と,とってつけた前張りの陰毛に覆われた性器は,ワンパターン化していて,なんの変哲もないものでしかない。しかし,素人さんモデルの,ありのままの全裸ヌードは,つまり,前張りのない,生身の性器には,なにか異様なものを感じさせられた。それが,カメラマンの企み/意図だったのだろう,と思う。

 しかし,薄い布をかけて下半身だけを見えなくした問題の写真の方がはるかに違和感を覚えた。なぜなら,薄い布をとおして,男性性器がぼんやりと透けてみえているからだ。これだったら,薄い布などで隠さないで,そっくりそのまま展示した方があっけらかんとしていて,アートとしての意味もでてこようというものだ。展示場を右側から左回りでみていった最後の一枚が,この問題の写真である。それだけに,なおさら,微妙な印象を残す。しかも,その問題写真のすぐ横に椅子に座って微妙な表情をしてこちらを見ている女性がいるのも,なんとも不可思議な光景だった。もっと,あっけらかんとした,ふつうの表情でいてほしかった。眼が合うと,とまどったような表情のまま眼を逸らす。この人の存在が,かえって気がかりになり,鑑賞の邪魔にすらなっていた。

 結論から言えば,男性の性器の写っていない,肩を組んで立っているだけの写真は,海水浴場の光景と変わらない平凡なものだ。しかも,表情がほとんどない写真だ。むしろ,大まじめに構えてみえる。というか,すっぽんぽんになってカメラの前に立つ緊張感が,むきだしになっていると言った方がいいかもしれない。ただ,それだけだ。見ている途中で,全部の写真に同じ男性が写っているんだなぁ,と気づき,なぜだろう,と疑問を感ずる程度。あとで鑑賞ガイドなるものを読んで,なるほど,そういうことだったのか,と思う程度。そんな程度の写真だ。わたしの感性では退屈さだけが目立つ「駄作」。その退屈さの中に,性器丸出しの男性ヌードを織り込むこと,それこそがカメラマンの最大の企みであったはず。でも,それでも「駄作」は駄作だ。そんな駄作に愛知県警がいちゃもんをつけたばかりに,カメラマンの鷹野隆大の名が広く認知されることになってしまった。県警のやったことは,完全なる「勇み足」であり,カメラマンの名前を有名にしただけの話。なんのこっちゃ,というのがわたしの率直な感想。

 なぜか,砂を噛む思いで美術館をあとにした。いつもなら,間違いなく図録を買うのだが,その意欲もないまま・・・・。そして,アートとはいったいなんなのだろうか,という根源的な疑問すら湧いてきた。文学作品のセックス描写(たとえば,有名な『チャタレイ夫人の恋人』の裁判)も同じだ。でも,この問題は解決し,問題箇所の「全訳」版もでて,一件落着。それからすでに相当の時間が流れている。そして,第二次安倍政権の出現。これによって時代は一気に逆流をはじめた。やはり,時代が逆流しはじめた兆候のひとつがここにも現れた,ということなのだろう。いやな予感ばかりが脳裏を駆けめぐる。そのことを露呈させたという意味では,この写真展は意味があったというべきかもしれない。だとすれば,ナチズムのようなアート監視体勢が,頭をもたげた,その魁としかいいようがない。

 憂鬱な世の中になっていく。

 

2014年9月6日土曜日

今福龍太×中川五郎,トーク・イベントを堪能。硬直化したアカデミズムを批判。

 この夏,沖縄に久しぶりにでかけ,戻ってきた日(8月26日)の翌々日(28日)に,今福さんから直々にトーク・イベントがあるので,ぜひに,とお誘いがありました。ので,喜び勇んででかけてきました。今福さんの仕掛けたトーク・イベントなので,どんな場所で,どんな展開になるのかなぁ,と楽しみでした。

 案内によりますと,場所:art & eat (馬喰町)とあります。「art & eat」 ?  韻を踏んでいて,口当たりがとてもいい。しかし,アートと食べることとがどうシンクロするのかなぁ,とまずは想像力をかき立てられました。行ってみて,その謎が解けました。 


 この写真をご覧いただければ,いくらか納得できるのではないかと思います。つまり,アート・ギャラリーとキッチンの組み合わせになっていて,壁面にアートを展示し,かつ,食べ物を提供するレストランでもある,という次第です。写真の右側は入口で,その壁面に張ってあるイベントのポスターの前で談笑する今福さん(帽子をかぶっている)と中川さん。そして,その右側では食べ物を準備している女性とその奥がキッチン。手前の椅子が,今日のトークを聞く人のための椅子。


 壁面に飾ってある写真を眺める来場者。左奥に今福さん。こうして,トーク・イベントがはじまる前には,アート(今回は今福さんと中川さんの撮影した写真)を鑑賞します。今福さんも中川さんも来場者と一緒に,展示を見ながら談笑して,楽しんでおられます。アートを実作者とお話しながら一緒に鑑賞できるというのも,いいアイディアだと思いました。鑑賞する側からすれば,まことに贅沢の極みというところです。

 日時:8月28日(木)18:00~20:00
 対談者:今福龍太×中川五郎


 こうして,時間前のアートの鑑賞を楽しみ,いよいよトーク・イベントの開始です。

 ドリンク付きなので,わたしはビールを飲みながらの拝聴。中川さんは赤ワイン,今福さんのドリンクは不明(色からすると,ビールに見えますが・・・)。つまり,アルコール付きのトーク・イベントです。もちろん,ソフト・ドリンクも用意されています。でも,奄美の焼酎も日本酒もウィスキーもオーダーできるようになっています。みなさん,それぞれにお好みのドリンクを片手に,トークを拝聴という,なんともなごやかな雰囲気でした。

 トークは,お二人の出会いから始まって,中川さんの作品(小説)をめぐる裁判の話(ワイセツ問題で,約10年闘争),今福さんのメキシコ放浪時代の話,80年代の終わりころに帰国し,フリーのライターをしていたときに安原顕さんに拾われた話,そのころ,中川さんは詩の翻訳者として登場する話,その翻訳された詩がポルノグラフィー的な描写が多くとても惹かれた話,翻訳は原作者との共感,共鳴,共振が基本,だから翻訳しているとポルノグラフィーの世界に入りこんでしまって,気づくと自分も同じことを体験してしまった話,など。

 ここでの話の骨子は,裁判所で語られることばは,日常語とはまったく無縁な,抽象的なことばでしかないこと,だから,ワイセツの定義もわけがわからない,つまり,死語にも等しいことばが,あるいは,そういうことばだけが支配している世界であること,そこには「愛」を語る力はどこにも見当たらないこと,したがって,愛とワイセツの区別もできないこと,だから,裁判所は「愛」を裁くことはできないこと,ということは生身の人間を裁くことはほとんど不可能ではないか,などが語られ,硬直化してしまったことばの無意味性の問題が熱く語られました。

 ここで,2003年のアリゾナのバンドの演奏(もちろん,録音されたもの)を聞き,つぎの話題に入っていきました。こでは,インストゥルメンタルな音楽の話となり,音の出てくる源泉に強く惹かれることの意味について考え,あるいは,歌詞があってもことばになっていない音楽・・・ひたすら単語が羅列されるだけの歌詞・・・注書きのようなもので,しかも危ない注の連続・・・このことの意味についてかなり突っ込んだ議論がなされました。

 そこから,写真の話に転じて,ある写真家の撮った写真とまったく同じ場所から,同じアングルで,30年後に撮るという試みについて,そのことの意味について考える話へと入っていきます。今福さんにはレヴィ・ストロースの写真を手がかりに,その30年後に,レヴィ・ストロースとまったく同じアングルから写真を撮る,という経験があります(著書のなかに登場します)。そのとき,何気なく「そこに座る」。しかし,それは「そこに座らされる」ことではないか,このことの意味を考えてみる。すると,それは「生きる」ということと同義ではないか,ということに至りつく,と。そこには「聖なる力」とでも名づけるしかない,ある「力」が働いているのでは・・・と。

 という具合にまだまだ面白い話がつづくのですが,ここでは割愛。


 そのあとで,中川さんの演奏(もとはシンガー・ソング・ライターとしても活躍したことがある)が入りました。ギターの演奏もじつに繊細で,歌も声に伸びがあって,どこかほっとさせてくれる響きがありました。この音楽に触れたところで,ああ,中川さんの書かれた本を読んでみようという気にさせられました。なぜなら,このとき,初めて,頭ではなく,からだがそれを求めていると感じたからです。これも不思議な体験でした。

 この歌のあと,今福さんが,最後のまとめのようなお話をされました。
 それは以下のとおりです。

 ひとことで言えば,「殻を破る」ということ。その骨子は,ファーブルの実証的な研究とダーウィンの進化論との違いはなにかというお話であった,と言っていいでしょう。ファーブルの『昆虫記』は,徹底的に観察をつづけ,一つひとつ,じつにきめ細かに分析をしながら因果関係を明らかにした,まさにアカデミックな実証的研究であった。にもかかわらず,アカデミズムからは排除されてしまい,単なる物語作家として位置づけられてしまった。他方,ダーウィンの進化論は,短期間の観察をとおして,それを抽象的な議論のまな板に乗せ,整理しただけの話にすぎない。にもかかわらず,ダーウィン的世界がアカデミズムには歓迎され,それがアカデミズムの主流をなすに至った。しかし,ファーブルに言わせれば,ダーウィンは「ちゃんと物を見ていない」,外観のみだ,と批判している。こんにちのアカデミズムはダーウィン的世界に陥ってしまっていて,現実からは,つまり生き物のほんとうの世界からは無縁なものになってしまった。一刻も早く,ファーブルの研究がアカデミズムとして評価されるときがくることを祈っている。これから求められているのは,まさに,ファーブル的学問である,と。すなわち,アカデミズムの「殻を破る」ことを希求する,と。

 この日のトーク・イベントを締めくくることばとして,これ以上のものはない,と深く感動してしまいました。この話を聞きながら,今福さんの処女作ともいうべき作品『荒野のロマネスク』を思い浮かべていました。このことは,わたしが長年にわたって疑問に思っていたことでもあったからです。生身のからだを生きる人間にとって「スポーツとはなにか」を語ること,これを実現しようとすれば,ひょっとしたら詩のような形態になるかもしれない,でもそれがもっとも本質を明らかにする方法であるかもしれない。真実を語ることは,硬直化したことばには不可能だと,ずっと考えてきました。その意味で,このトーク・イベントを聞かせていただいてよかった,と久しぶりに至福のときを過ごせたことに感謝。

2014年7月8日火曜日

いただいた「蹴鞠」の手拭いを事務所に飾りました。ちょっといい感じ。

 しばらく前にいただいた「蹴鞠」の手拭いを,事務所の一角に飾ってみました。隣の能面「延命冠者」さんとさりげなくいい具合にシンクロ。とても気に入ってます。


 これまで長い間,柿の実の熟した手拭いを上野の国立博物館のミュージアム・ショップでみつけ,飾ってありました。これも奈良の法隆寺の「柿食えば・・・・」を思い出させる雰囲気があって,とても気に入っていました。ですが,やはり長い間,同じものを眺めていますと,少しずつ平凡な感じになっていました。



 面白いもので,たった一点,壁面を飾る手拭いひとつで,事務所の雰囲気が「パッ」と一変してしまいました。これぞアートの力とでもいうのでしょうか。

 この二つのアート作品を眺めていましたら,妄想が妄想を生んで,とてつもなく面白い空想の世界を遊ぶことができるようになってきました。一つは蹴鞠にまつわる逸話。もう一つは能の世界のいまとむかし。あるいは,能楽が足利義満に見出される「前」と「後」の「投企の時間」(J=P.デュピュイ)。

 最初に蹴鞠にまつわる逸話。よく知られるように「大化の改新」は中大兄皇子と中臣鎌足とが,談山神社で蹴鞠をしながら談合し,そこからはじまったという逸話。その談合の内実は,蘇我入鹿をだまし討ちにすること,そこからはじまってつぎは・・・,という具合に連鎖していきます。が,この話はここでは割愛。そして,その後がこれまた大問題。

 中大兄皇子はのちの天智天皇。そして,天智は自分の子を宿した女性を中臣鎌足に下賜し,生まれた子どもが藤原不比等。天智と鎌足は蘇我一族を全滅させ,大化の改新から律令国家へと大きく舵を切った,時の中心人物。そして,天武の時代になって,不比等はそれ以前の歴史の改竄に着手(記紀の編纂・異説あり)。それが「正史」としてみなされ,持統へとバトンタッチされて,日本の国家としての屋台骨を築き,以後の日本の歴史に大きな影響を与えることになります。こうした大和朝廷と藤原一族の結託の話。

 こんなことを考えながら,この蹴鞠の手拭いを眺めて,妄想の世界を楽しんでいます。

 もう一つは能面の延命冠者。つまり,能楽の世界。足利義満によって観阿弥・世阿弥親子が見出され,中央権力の注目を集めるまでの能楽は,猿楽,散楽と呼ばれ地方の神社の祭礼を巡りながら曲芸にも似た演芸をみせて小銭を稼ぐどさ回り芸でした。しかも,名前からも明らかなように,いわゆる世にいう阿弥衆でした。それ以前はもっと身分の低い芸能集団の繰り出す芸にすぎませんでした。

 つまり,義満の「前」と「後」とでは月とスッポンほどの違いがありました。その流れがいまの能楽界を形成しています。その気位の高さは恐るべきものがあります。しかし,その気位の高さばかりを鼻にかけ,芸の研鑽がおろそかにするあまり,一部の名手を除けば芸が荒れてしまい,どこかに破局の音がするとまで噂されています。

 この「前」と「後」の間のあまりの溝の深さが意味するもの・・・・,別の言い方をすれば,破局の「前」と「後」の間の時間,これはJ=P,デュピュイのいうところの「投企の時間」とどのようにかかわってくるのだろうか,などという具合に想像力をたくましくしているところです。

 これからしばらくの間は,楽しみがつきることはなさそうです。
 ときには,こんな話も骨休めに・・・・。これもまた「投企の時間」?

2014年6月29日日曜日

日曜美術館:東松照明・沖縄に恋した写真家の謎を追って,をみる。

 毎週,楽しみにしている日曜美術館が,このところ雑用にまぎれて久しくみることができませんでした。が,今夜はうまくタイミングが合って,嬉しいかぎり。しかも,わたしの好きな写真家・東松照明さんの特集でした。

 午後8時はわたしの夕食の時間。しかし,食事をするのも忘れて,ノートにメモをとることに追われながらの鑑賞でした。冒頭から,顔なじみの仲里効さん(わたしの娘も可愛がってくださっている)が映像批評家という肩書で登場し,わたしなどの知らない東松照明さんの骨格というか,輪郭を,いつものように慎重にことばを選びながら語ってくれました。この入り方がわたしにはとても心地よく響いてきて,一気に番組にひきこまれていきました。

 東松照明を語る写真家・森山大道さん(『ブラジルのホモルーデンス』(今福龍太著の表紙カバーの写真を撮った人。なんと群衆の腰からしたの「足」ばかりを撮った傑作。サッカー批評原論の本ですので,まことにピッタリ)の話も,なるほどなぁ,と感じ入りました。「対象が醸しだすあいまいなものを写し撮る感性が写真の新しい時代を切り拓いていった」(名取洋之助を乗り越えて)や「自分が裸になることによって,対象もまた裸にみえてくる。そして,写真を撮らされていたのではないか」と語り,とりわけ,東松照明の写真集『太陽の鉛筆』をとりあげて,「写真の原質のようなものを感じる」と語ったことばが印象に残りました。

 番組の終わりの方では,今福龍太さん(この三月にわたしの研究会でお話をしてくださったばかり)が登場し,『太陽の鉛筆』の復刻版の編集作業の現場を背景にして,この東松照明の傑作のもつ意味を語ってくれました。近く復刻版が刊行されるようですので,楽しみです。この写真集に今福さんがどのような解説を加えるのか,いまからどきどきしています。

 とてもいい番組だったなぁ,と満足して,ふたたび食事にとりかかりました。が,突然,あっ,あの番組はどこか変だ,と気づきました。なぜか,わたしの理解していた東松照明のイメージの半分が欠落しているではないか,と。それは,沖縄の古くから伝承されている祭祀儀礼に注目し,そこになみなみならぬ情熱を傾けた東松照明の立ち位置とその評価です。たとえば,よく知られているように,いまは絶えてしまったという久高島のイザイホーの祭祀儀礼を撮った素晴らしい仕事には,この番組はひとことも触れていないのです。12年に一度の,それこそ沖縄の原初の信仰形態であり,ウチナンチュの原質をかたどっているともいわれる,海のかなたからやってくるカミとそこに生きる人間との関係,折り合いのつけ方,あるいは,母系社会の残像といえばいいのだろうか,いわばウチナンチュの「根っこ」となっているもの,ここにこそ東松照明の「恋した沖縄」の純粋無垢の対象があったのではないか,とわたしはひとりで納得していたのですが・・・・。わたしにとっては,そのもっとも重要だと思われるウチナンチュのこころの支えの問題が,この番組ではすっぽりと抜け落ちてしまっているではないか,と。

 ディレクターがだれであったのか,控えるのを忘れてしまったことが悔やまれる。もちろん,いまから調べればわかることではありますが・・・。

 なにを言いたいのか。

 NHKの報道の,最近の目にあまる偏向ぶり(政府の圧力とNHKの自発的隷従による思想コントロール)が,こんな番組にまで浸透しているのか,と気づかされたことにいまさらながらびっくり仰天している,ということを。こんなところにまで触手をのばして,情報コントロールをし,国民を無意識のうちに「洗脳」しようという許されざる公共放送の,これはもはや「犯罪」としかいいようのない恐るべき悪魔の手を,そこに垣間見てしまった,ということを。

 もうすでに,戦前の治安維持法の時代が,さきどりしたかたちではじまっている,としみじみ思った次第です。3・11を通過することによって,日本はそれまでの過去を清算し,まったく新しい国へと向かうものとばかり思っていたら,気づいてみれば,一気に戦前への転向でした。その悪魔の手が,こんなアートの世界を鑑賞する番組にまで,すでに伸びてきているとは・・・・。

 折角の番組の感動が,いつのまにか色あせたものになってしまいました。そして,東松照明さんを傷つけ,この番組に登場し,丁寧な解説をしてくださった仲里効さん,森山大道さん,今福龍太さんまで巻き込んで,傷つけてしまっていることに,わたしとしては複雑な気持でいっぱいです。

 これからのテレビへの対応に苦慮することになりそうです。そして,その恐ろしい時代の足音が次第に現実となりつつあります。困ったものです。のみならず,サブイボが立ちます。

2014年5月17日土曜日

クレーの絵「天使というよりむしろ鳥」と「動物たちが出会う」から見えてくるもの。

 このブログは5月8日のブログのつづきです。つまり,パウル・クレーの「十字架のもう一人の天使」と『ユダ福音書』について,のつづきです。

 パウル・クレーの「天使」の絵を探していたら,「天使というよりむしろ鳥」という題の絵が見つかりました。この絵は眺めていると不思議な光景が立ち現れてきます。たとえば,天使が羽を休めてうたた寝をしているようにも見えます。そして,その内に自分が天使であることも忘れてしまって,いつのまにか鳥になってしまっている・・・・そのことにすら気づいてはいない天使・・・。そんな絵にもみえてきます。


 たぶん,この絵を描いたクレー自身も描きあげてからじっと眺めているうちに,天使を描いたつもりだったのに,よくみると「むしろ鳥」ではないか,と気づいたに違いありません。そこで,ありのままに「天使というよりむしろ鳥」という題名をつけたのでしょう。

 ここまではいいとして,ここからさきが大変です。

 つまり,画家としてのパウル・クレーの立ち位置の問題です。つまり,この絵はパウル・クレーという人間の境涯がそのまま表出している・・・・,そのことに間違いがないとすれば,その立ち位置とはいかなるところになるのか,が問題となります。いろいろな見方があるかと思いますが,わたしの見方は,簡単に言ってしまえば,「天使と鳥の間」を自在に行き来することのできる位置,ということになります。それがクレーの創作の原点である,ということになります。

 このあたりのことを,前回のブログの最後のところに掲げた詩がよく表現しているように思います。もう一度,確認の意味で,そのポイントの部分を引用してみましょう。

 この世はぼくを捉えようもない。
 死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
 ちょうどよく暮らしているのだから。
 創造の中心にふつうよりちょっと近く。
 でもまだ十分に近くはない。

 ここが,恐らくパウル・クレーの立ち位置なのでしょう。つまり,内在性を生きる場。そこが「創造の中心」。その中心に「ふつうよりちょっと近く」「でもまだ十分に近くはない」とクレーが自覚しているその場。そこは「死者たちや,生まれてもいない者たちのところ」。すなわち,「この世」とは次元の異なる世界,自他の区別のない霊的な世界,なにものにも拘束されることのないまったくの自由自在の世界,すなわち「内在性の世界」。

 その世界で身もこころも自由に浮遊しながら鉛筆を走らせ天使を描いてみる・・・・なにが表出してくるかは自分にもわからない。だって,自分の存在すら不明なのですから。そこから「天使というよりむしろ鳥」という作品が生まれてくるわけです。

 このことを,わたしに確信させた作品が「動物たちが出会う」という作品です。


 この作品に出会って,まっさきに直感したのが,バタイユのいう「動物性」の世界でした。あの有名な「水の中に水があるような存在」の仕方,それがバタイユのいう「動物性」の世界であり,「内在性」の世界です。

 当然のことですが,この絵のなかにはヒトも描かれています。それは,もはや「人間」ではなく,純粋な動物としての「ヒト」です。まさに「ヒト」という動物になりきって,動物たちのなかに溶け込んでいます。クレーもまたこの世界のなかに溶け込んでしまっています。ですから,「この世はぼくを捉えようがない」と書き,「死者たちや,生まれてもいない者たちのところで」「ちょうどよく暮らしているのだから」と書くわけです。

 もう少しだけジャンプしておけば,この世界は,『ユダ福音書』をとおしてグノーシス派が伝えるイエス・キリストの理想とした霊魂の自由な世界に通じているように思います。それは,同時に,仏教的世界観にも通底しているように思います。仏教は,死によってなにかと拘束の多い肉体から解放された霊魂が,ようやく自由を獲得し,涅槃の世界に遊ぶことを理想とするからです。禅の世界でいうところの禅定もまた「自己と自然存在との融合」をめざします。

 さきほど引用した詩の最後の一行はつぎのようになっています。
 「・・・・それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら」。
 ここのところをどのように読み解くかは,ここではこれ以上の深入りはしないでおこうと思います。また,機会をみつけて挑戦してみたいと思います。ただ,ひとことだけ。それは,クレーはグノーシス派のキリスト教解釈と共感していたのではないか,ということだけは指摘しておきたいと思います。

 こうなってきますと,クレーの描いた「新しい天使」から「歴史の天使」をイメージしたベンヤミンの洞察力の深さに,いまさらのように驚いてしまいます。そして,「歴史とはなにか」と問う地平の深さの前で茫然自失してしまいます。このあたりのことを17日の午後に開催される5月大阪例会で,どこまで踏み込んで話すことができるか,わたし自身へのチャレンジです。

 大きなテーマがまたまた立ち現れてきました。楽しみがまたひとつ増えました。これぞ,元気の源というべきか。とりあえず,今日はここまで。
 

2014年5月8日木曜日

パウル・クレーの「十字架のもう一人の天使」と『ユダ福音書』について。

 パウル・クレーの描いた「新しい天使」を,ヴァルター・ベンヤミンが「歴史の天使はこのような様子であるに違いない」と評したことを多木浩二さんが取り上げ,「歴史の天使」というタイトルの短いエッセイを書いている(『多木浩二 映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,oS.)。そして,この「新しい天使」の絵は本文の脚注のところに小さく紹介されている(P.122.)。しかし,あまりに小さすぎて,うまくイメージがつかめない。そこで,もう少し大きな絵がないだろうかと思って探したみた。

 たまたま手元にあるパウル・クレーの画集をめくっていたら,めざす絵はみつからず,別の「天使」の絵がみつかった。題して「十字架のもう一人の天使」とある。鉛筆で描かれた,いかにもクレーらしい絵である(写真参照。1939年,45.6×30.3㎝)。



 ぼんやり眺めているうちに,さまざまなことを連想しはじめている自分に気づき,おやっ?と思う。一般的な十字架の絵から連想される残酷な痛ましい受難のイエス・キリストの像とはまったく次元が異なる絵なのに,なぜか妙に惹きつけるものがある。なぜだろう,と考えていたら,ひょっこりと思いがけない記憶にたどりついた。

 それは『ユダ福音書』である。山形孝夫さんと西谷修さんとの対談をまとめた『3・11以後 この絶望の国で』──死者の語りの地平から(ぷねうま舎,2014年)のなかで,この『ユダ福音書』がとりあげられ,熱く語られている。言ってみれば,この本の肝に相当するきわめて重要な部分である。だから,この話を読んだわたしは衝撃のあまり,しばし呆然としてしまったほどである。そして,歴史とはなにか,と頭を抱え込んでしまったほどである。

 詳しくは,山形孝夫さんの語りの部分と,そこにも紹介されている山形さんが翻訳された『『ユダ福音書』の謎を解く』(E.ベイゲルス/K.L.キング著,河出書房新社,2013年)にゆずるが,その骨子は以下のとおりである。

 わたしたちは,ユダがイエス・キリストを裏切って密告をし,イエスの逮捕・身柄の拘束・裁判,そして処刑というイエスの受難物語を,信じて疑おうとはしていない。それほどに『正典福音書』が広く知られていて,すべてのキリスト教徒がその教えに沿って生きている姿に馴染んでしまっている。そして,ユダとユダヤ人を悪者に仕立て上げ,「裏切り者」のレッテルを貼って,それで納得してしまっている。わたしも,そういうものなのだ,と思い込んでいた。しかし,それはキリスト教が生き延びるために時の権力にすり寄っていき,ほんとうのイエス・キリストの教えを歪曲してでっちあげた,まやかしの物語である,という新たな証拠が見つかったというのである。それが,つい最近になって発見された『ユダ福音書』だというのである。

 そして,いま,この『ユダ福音書』読解の研究が深まりつつあり,ますます,このテクストのみがイエス・キリストの教えを純粋に受け止め,伝えているのだ,という結論に至りつつある,というのである。それによれば,イエスは贖罪も殉教も否定しており,それとはまったく逆に,イエスにとって十字架は朽ち果つべき肉体からの自由を意味していた,というのである。つまり,朽ち果つるべき肉体にたいして,それからどのように脱出し,霊的自由を獲得するかが救済なのだ,と説いているというのだ。

 だとしたら,キリスト教はこの2000年の長きにわたって虚構の歴史を刻んできたことになる。そして,それはもはや取り返しのつかない歴史である。しかも,ローマ・カソリックが,こんご『正典福音書』を改めて,『ユダ福音書』に宗旨がえをする,などという保障はどこにもない。まず,不可能であろう。あるとすれば,グノーシス派が息を吹き返し,いささかの隆盛をみるかもしれないという程度にすぎないであろう。もうすでに出来上がってしまったキリスト教の「権威」はあまりにも堅固であるためにゆるぎもしないだろうし,ゆるがせもしないだろう。この虚実逆転の宗教思想がヨーロッパの歴史をリードしてきたという現実の前で,わたしはたじろいでしまう。歴史とはこんなものだったのか,と。

 それは日本の古代史も同じだ。でっちあげにつぐでっちあげの連続。権力・権威を維持するためには不可欠の手法だ。だからこそ,「歴史の天使」が焦っているのだ。時の権力によって推進される「進歩」という名の「強風」に煽られてしまって,もとに戻れないどころか吹き飛ばされてしまった結果,取り返しのつかないとんでもないカタストローフを目前にしてしまうことに・・・・。

 この話はともかくとして,クレーの描いた「十字架のもう一人の天使」は,この『ユダ福音書』の説く「霊的自由を獲得し,救済」されることを目指した真のイエス・キリストの姿に重なってみえてくる。このことがわたしの言いたかったことである。

 ちなみに,クレーはつぎのような詩を残している。

 この世はぼくを捉えようもない。
 死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
 ちょうどよく暮らしているのだから。
 創造の中心にふつうよりちょっと近く。
 
 でもまだ十分に近くにはない。

 ぼくから発するのは温かみか,冷たさか?
 すべての炎を超えてしまったら,もう分からない。
 遠く離れているほどぼくは敬虔な気持ちになる。
 この世では時々ひとの不幸を喜んでいるけれど。
 でもそれは同じひとつのことの濃淡(ニュアンス)に過ぎない。
 坊さんたちはそれに気づくほど敬虔じゃないだけだ。
 それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら。
  (1920年)
 

2013年11月29日金曜日

日展・書道の部をみてきました。奮い立つような「書」なし。楷書作品がひとつもないのはどうして?

 書道は好きではないのですが,「書」は好きです。たとえば,良寛さんの書などはたまりません。その筆頭は「天上大風」。なにも書いてない白紙のままの凧をあげていた子どもがいじめられていたので,良寛さんがその凧に書いた文字。童心そのままの天衣無縫の文字が躍っています。ついで,良寛さんの写経「般若心経」。こちらは般若心経の経文をそのまま2回,つづけて書いてあります。しかも,一回目の写経と2回目の写経とは,まるで,コピーしたかと思われるほど,そっくりそのまま同じです。最初の書き出しのときの精神状態と,2回目の写経を終える最後の1文字まで,まったく変わってはいない,ということをストレートに伝えてきます。良寛さんのこころの奥の深さをかいま見る思いです。これなども,何回,繰り返し眺めていても飽きるところがありません。それどころか,ますます,その味のよさがつたわってきます。そして,ときには,「えっ!」と驚くような発見があったりして,奮い立つことすらあります。

 焼酎「いいちこ」のコマーシャルでよく知られるようになった榊莫山さんの書も心地よい。まるで酔っぱらった老人のイメージのまま筆を動かしたのではないか,と思わせるほどに無駄な力みのない,さらりとした書風はよく知られているとおりです。しかし,この榊さんが日展に初入選した作品は「楷書」でした。しかも,小学校6年生。それも,いきなり文部大臣賞でした。この書などは,一目みただけで奮い立ちます。凛とした端正な文字は,身のひきしまる思いがします。そんな文字を小学校6年生のときに,すでに書いていたという事実が,なにものにも勝る重要なことだとわたしは考えています。

 その榊莫山さんは,戦後まもなく,若くして日展から身を引いてしまいます。そして,いっさいの展覧会への応募をやめてしまいます。それからあとは,みずからの道を暗中模索しながら歩みます。審査を受けて権威づけられるシステムを,自分の方から拒否したという次第です。以後,榊莫山さん独自の世界である自由奔放な書法を編み出します。そして,いかなる流派にも身を寄せることなく,みずからの道を歩みます。それこそが書芸の本道ではないか,とわたしは本気で考えています。楷書の榊莫山でなくては果たせない芸だと思います。

 もう一人,紹介しておきましょう。東大寺の管長さんとして親しまれた清水公照さんの書。いまも,奈良の商店街を歩いていると,この人の手になる看板をあちこちに見つけることができます。観光気分でぶらぶら歩いていても,この人の手になる看板が眼に入った瞬間に,わたしの足が止まります。ピタッと止まってしまいます。そして,眼が点になっています。その数秒後には,全身が奮い立ってきます。そして,なんともいえない至福の時が流れます。

 ですから,わたしは奈良に住んでいたころ,街中をぶらぶらと歩くのが好きでした。そして,いたるところに清水公照さんの文字を見出すたびに,なにか大きな得をしたように思ったものです。それはなんでもない板ッペらに書かれていたり,手拭いであったり,ごくふつうの家の表札だったり,観光案内所のちらしだったり,選ぶところがありません。清水公照さんは,頼まれればどこにでも書いたようです。まるで,良寛さんのようです。

 まだまだわたしの好きな書,つまり,奮い立たせてくれるような文字を書くひとはたくさんいらっしゃいますが,ここらあたりで止めにしておきましょう。

 そこで,今日(29日)の日展・書道の部。みなさん,おしなべて上手。間違いなく上手。とりわけ,万葉仮名で書かれた和歌の類が,ひときわ上手だなぁ,と感心しました。それでも,奮い立つものが伝わってきません。ガクンッとスウィッチが入る,そういうものがありません。たぶん,お師匠さんについて長年にわたって指導を受け,上手な文字を書くことがてきるようになった人たちなのだろう,と想像しながら鑑賞させていただきました。しかし,それ以上のものがわたしには伝わってはこないのです。

 これはどういうことなのだろうなぁ,と考えながら眺めて歩きました。そこで,はたと気付いたことがありました。それは,気迫の籠もった「楷書」の作品が一つもない,という事実でした。じつは,わたしは「楷書」が大好きなのです。楷書が,それもみる人を圧倒するような楷書が書けない人は,草書も行書も隷書も書けるはずもない,ましてや創作の書などはありえない,と考えています。榊莫山さんの例をみれば歴然としています。

 にもかかわらず,不思議な創作が紛れ込んでいます。とてもみるに耐えないような作品もちらほら,いや,かなり多くちらほらです。わたしのような素人に見破られてしまうような作品が,なぜ,日展入選になるのか,故無しとはしないのもよくわかります。そして,この人たちの楷書がどのような書になるのか,みなくてもわかってしまいます。それは,たぶん,見るに耐えないと思います。そんな作品も眺めながら,あれこれ考えてしまいました。

 やはり,書は,みる人のこころを打ち,奮い立たせる「力」がなくてはならない,とわたしは勝手に考えています。どんなに上手であっても,こころを打たない書というものはざらにあります。上手の上に,「力」と「美」を感じさせる書,そういう書に出会いたくて日展に通っているのですが,そういう作品は年々少なくなってしまって,とうとうことしはひとつもありませんでした。残念。

 こうなったら,やはり,自分で筆をもつしかないか,と少しずつ思いはじめています。でも,筆をもつということは,平常心とはまったく別次元の,想定外のエネルギーを必要とするものです。そのことがわかるだけに,いまも,躊躇しているという次第です。でも,そろそろ取りかかっておかないと永遠に筆はもてなくなるのでは,と案じてもいます。

 でも,今日の日展見学はとてもいいきっかけになったと思います。まずは迷わず筆をとること。かまわほず書いてみること。そして,まずは,楷書から。カミソリのような切れ味鋭い楷書から。それができれば,あとは風の吹くまま,気の向くまま。自由自在の世界が待っているはず。そう,榊莫山さんのように。

 新年の書き初めから始めるとするか。鷺沼の事務所をアトリエに変えて・・・・。

 今日の日展見学はとてもいい勉強になりました。

〔追記〕じつは,今日は知人の知人の油絵作品を見せていただくことが第一の目的でした。そして,期待どおり,この作品からいろいろと考えることが多くありました。このことについては,いずれ機会をあらためてわたしなりの感想を述べてみたいと思います。とてもいい作品でしたので。

2013年11月20日水曜日

能面の撮影現場に立ち会う。カメラマン,デザイナー,編集者の絶妙のチーム・プレイを知り,感動。

 友人の能面アーティストの本の刊行がいよいよ軌道に乗り,仕事が動きはじめました。そのためのひとつの大きな山場の仕事であるすべての能面作品の撮影が今日(19日)の朝からはじまりました。わたしもお預かりしている能面作品(4面)を持って,撮影現場に馳せ参じました。場所は,能面アーティストのご自宅。全部で130面以上もの作品を撮影するというのですから,大変なことです。

 カメラマン,デザイナー,編集者の3人が揃ったところで撮影開始。わたしの興味は,友人の能面アーティストの全作品が一度にみられることと,プロのカメラマンがどんな風に撮影するのかということと,さらには,デザイナーという人の役割がどういうものなのかということ,の以上3点でした。もちろん,編集者は本の刊行までの全体のマネージメントをしていくわけですので,こういう撮影現場でどのような働き方をするのかということも,大いに関心がありました。

 いよいよ撮影がはじまりましたら,その瞬間からピンとした緊張感がその場にみなぎります。まず驚いたのは,撮影方法でした。一つは作品への光の当て方。ちょっとした光の当て方の違いによって映像がいかようにも変化するということ。カメラマンはデジタルカメラのディスプレイをみながら,矢継ぎ早にシャッターを切っていきます。そして,カメラマンのイメージに近い映像が得られた段階で,こんどは,その映像をパソコンで確認していきます。映像を大きく拡大して細部のチェックをしたり,色の出方を微妙に調整したり,明暗のバランスを確認したりしていきます。その上で,再度,カメラの位置や光の加減を調整しながら,撮影をつづけます。そうして,これでよし,というところまでカメラのディスプレイで確認し,それをパソコンでチェック。最終的な微妙な調整をしていきます。そして,カメラマンは「これだ」という画像を保存していきます。一つの能面の写真の画像が決まるまでに,これほどの手続きを経ていくのだということを知り,驚きつつ感心してしまいました。その間,カメラマンは真剣勝負です。

 その間,デザイナーと編集者は,画像を覗き込みながら,「あっ,いいですねぇ」とか,「もうちょっとアクセントをつけてみて」とか,「優しい表情がいいですねぇ」とか,「この能面は恐さを強調しようか」とか,カメラマンに声をかけながら被写体となる能面をセットしたり,片づけたりしています。そんな作業をしながら,さらに,これらの能面の画像がきれいに印刷できる紙質の相談をしたり,本の大きさ(サイズ)を決めたり,表紙の能面をどれにするか,というような話をしています。さらには,正面アングルからの映像だけではなく,能面によっては横から,上から,下から,あるいは,部分のアップ,という具合にカメラマンに注文をつけていきます。カメラマンはそれらの注文に応じて,驚くような画像を生みだしていきます。それを見たデザイナーと編集者は,誌面の構成の仕方や,能面の種類による分類の仕方や,この画像はこんな風に使おうとか,その瞬間瞬間のアイディアを出し合いながら,本の全体のイメージが共有されていきます。この三者の絶妙な呼吸が,みているわたしにはとても刺激的でした。そして,この三者の阿吽の呼吸がかみ合っているかぎり,この本はいい本になる,と確信しました。

 昼食をはさんだ雑談をとおして,この人たちが「ただ者」ではない,ということが次第にわかってきました。30代から40代の,どちらかといえば若い人たちです。しかも,3人とも,フリーランサーで,独立して立派な仕事をしている人たちです。しかも,話題の質のレベルがとても高いのです。無駄なことは言わず,ポイントを外さない話術を身につけています。ですから,とてもいい雰囲気をかもしだしています。ああ,やはり,どの世界でも一流といわれる人たちは,そのできが違う,と納得してしまいました。

 と同時に,カメラマンの仕事はたいへんなものだ,ということを肌で知ることができました。まず,なによりも体力勝負であること,そして,集中力,持続力,忍耐力,その上に「この画像で決まり」と見極める「眼力」(アーティスティックなセンス)が必要だということです。これは並大抵の仕事ではありません。そして,そのことを熟知しているデザイナーと編集者は,それとなくカメラマンを元気づけることばを発しています。この人たちもすごいものだ,と驚くことが多々ありました。しかも,この人たちに機嫌よく仕事をしてもらえるように,そこはかとなく気配りをする友人の能面アーティストも,いつもながらの,いや,それ以上の気持の籠もった振る舞いをみせ,すごいものだとあらためて認識し直しました。

 やはり,一流は違う,これが今日の撮影現場での体験から得られた結論です。そして,いい本はこのようにして生まれるのだ,と。
 まだまだ,勉強しなくてはならないことは山ほどある,と思い知らされた次第です。

 本が刊行されましたら,実名を挙げて,カメラマンさん,デザイナーさん,編集者さん,そして能面アーティストさん,みなさんのすごさについて,もう一度,語ってみたいと思っています。本は,来年2月刊行の予定だそうです。乞う,ご期待!
 

2013年11月3日日曜日

「観天望気」って知ってますか,と問われて・・・・。

 明日(4日),奈良の鳥見山(とみやま)に登りたくて,いま桜井市のホテルにいます。さっきまで,奈良在住のTさんファミリーと一緒に食事をしていました。その席で,Tさんファミリーの小5のMちゃん(お嬢さん)から,「カンテンボウキ」って知ってますか,と問われ慌ててしまいました。こんなときは躊躇してはいけないと判断し,正直に「知りません」と答ました。

 すると,ヒントを出すので,考えてみて,という。「カンテン」は漢字で書くと「観天」,では,その下につく「ボウキ」はどんな漢字でしょう,という。

 さて,困ったことになった,と真剣に考えました。わたしの頭のなかにはなんの予備知識もありません。まっさらです。そこにTさんが「四字熟語」です,とヒント。そこからスイッチが入りました。「観天」の下につく「ボウキ」の漢字を,つぎつぎに当てはめてみました。どれもぴったりする二字が浮かんできません。しかし,何回も口のなかで「カンテン,カンテン」と繰り返しているうちに,「観天」という以上は「ボウキ」の「キ」は「気」に違いないと見当をつけ,ならば「ボウ」にはどんな漢字を当てればいいのか,とあれこれ考えました。ここにくる「ボウ」は「忘」ではないだろう,ならば「望」に違いない,とひらめきました。そこで思い切って「望気」と答えてみました。すると,なんと,それで正解だといいます。応答したわたしの方がびっくり仰天でした。

 「観天望気」は,小5の理科の教科書のなかの「気象・天気」を学ぶ単元のなかの囲み記事として書かれていたとのこと。そこには,太陽に二重の傘がかかると明日は雨になるとか,つばめが低く飛ぶと雨になるとか,の事例が書いてあって,科学的根拠はないけれども,むかしから言い伝えられてきた,天気を予想する言い習わしのこと,と書いてあったそうです。

 Mちゃんは,そのことにとても興味をもち,もっと詳しいことを知りたいと思い,本屋さんを探してみたが,その種の本はみつからなかった,とのこと。

 こんな話を聞きながら,わたしは三橋美智也の歌を思い出していました。
 「夕焼け空はまっかっか,とんびがくるりと輪を描いた,ホーイのホイ,そこから東京が見えるかい,見えたらここまで降りてきな・・・・・」
 そうだ,「夕焼け空がまっかっか」も「とんびがくるりと輪を描いた」も,みんな「観天望気」だなぁとひとりむかしのことを懐かしく思い出していました。

 と同時に,「夕焼け空がまっかっか」と歌ってみると,もうそれだけで気分がよくなり,明日はいいことがあるに違いない,と楽しくなったことも思い出していました。「とんびがくるりと輪を描いた」とくれば,これまた明日は今日よりももっといいことがあるに違いない,とそんな気分になったこともこころを過(よぎ)りました。ということは「観天望気」とは,たんなる天気予報だけではないぞ,と思い至ります。むしろ,天気のことを考えつつ,明日はなにをしようかというほのかな「希望」や「望み」のようなものを抱かせることも含んだ四字熟語ではないか,と気づきます。つまり,天を仰ぎ見(観)ながら,みずからのこころが動く,そのことを言っているのではないか,ととっさに考えました。そうです。天の「気」と我の「気」との微妙な関係性のことではないか,と。

 だとしたら,天気(観天)という宇宙のマクロ・コスモスと,望気という人間のミクロ・コスモスとが接する境界領域(「時空間」)に起こるトータルな現象のことを意味していることになるではないか,と。それは,おそらくは,アートの世界も同じで,そんなマクロ・コスモスとミクロ・コスモスとの境界領域に無限に広がる「時空間」こそが,アートがひろがる根源的な「場」ではないのか,と。このことは,スポーツの世界にも通底しているではないか,と。そんな思い,連想がつぎつぎに生まれ,いやはや「観天望気」とは単なる天気予報の言い習わしでは納まらない,人間の存在論にもかかわる無限のひろがりがそこにあることがわかってきます。

 とまあ,こんな話をしながら大いに盛り上がりました。今夜は小5のMちゃんのクイズに触発されて,とんでもない無限の世界に遊ぶことができました。ありがたいことでした。Mちゃん,謝謝。

 

2013年10月31日木曜日

日展で入選を事前に配分していた,とメディアは一斉に批判。では,その代案はあるのか。

  朝日新聞のスクープ記事が大きな話題になっています。わたしはネット情報をみてから,鷺沼の事務所に行く途中のコンビニで朝日新聞を購入しました。なるほど,証拠の手紙まで抑えて,詳細に日展の舞台裏を劈開してみせています。みごとな記事になっています。ネット情報によれば,茂木健一郎さんが絶賛しているとか。

 しかし,わたしのような日展などにまったく縁のない素人でも,かなり以前から「入選事前配分」の話は知っていました。それも「篆刻」部門だけではない,ということも。ですから,美術界では公然の秘密なのだと思っていました。つまり,日展に入選するには「しかるべきルート」を通過することが必要なのだ,と。もっと言ってしまえば,どの先生のところに入門して弟子となるか,これがきわめて重要である,と。

 しかし,よくよく考えてみますと,美術作品のできばえを比較してその優劣を決めるということはいったいどういうことなのか,という疑問がその背後にはあります。たとえば,近代オリンピック競技でも「芸術部門」を設けて,メダル競争をしたことがあります。1928年のアムステルダム大会(オランダ)です。このときに「文学部門」で金メダルをとった作品が,フランツ・メゾーの『古代オリンピックの歴史』です。日本でも翻訳されていますので,ご存じの方も少なくないとおもいます。わたしは,まだ翻訳がでる前でしたので,ドイツ語版で読み,自家用に翻訳もしてみました。ですから,この著作が「金メダル」を授与された作品だということをよく知っています。

 「芸術部門」は,この作品のような文学(歴史書を文学として扱うことにも違和感がありましたが)もあれば,絵画,彫刻,音楽,など多岐にわたっていたように記憶します。これらがどのようにして審査されたのか,調べてみると面白いと,いまごろになって思っています。

 なぜなら,陸上競技のように,速さは時間で,高さや距離は巻き尺で,という具合に「計測」ができ,客観的に「判定」することができます。が,美術作品を判定する客観的な方法というものはあるのだろうか,とその当時,大いに疑問におもいました。それと近いところで,いまも問題になっているのが,採点競技です。体操競技,フィギュアスケート,シンクロナイズド・スウィミング,など。これらは,いずれも「美」の基準を定めて,それを点数化して,比較しています。しかし,そこには問題が山積です。

 ましてや,美術作品となったら,それは,もはや比較のしようがないのではないか,しかも,優劣を決めるなどということは,とんでもないことと言うしかありません。たとえば,ピカソの絵とゴッホの絵を比較して点数化する,という情景を思い描いてみてください。

 それは,わたしの比較的よく知っている書道の世界でも同じです。流派の違う作品の優劣は決めようがありません。たとえば,同じ流派のなかでの優劣の比較なら,その流派の達人がみれば,たちどころに判定は可能でしょう。しかし,流派を越えたとたんに,それは比較の対象とはなりえない,とわたしはおもいます。

 その結果,編み出された方法が,日展方式なのではないか,とわたしはむかしから思っていました。つまり,流派(あるいは,会派)ごとに入選作品の数を配分して,その中で競い合い,判定をしてもらう,というわけです。これは奇怪しいといって批判することはいとも簡単です。そして,多くの人たちが「そうだ,そうだ」といって声を大にして賛同することでしょう。では,それに代わる「判定」の方法を提案しろ,といわれたらどうするのでしょうか。よくも,悪くも,長年にわたって,苦労に苦労を重ねてゆきついた究極の「判定」方法が,おそらくこれだったのではないか,とわたしなどは,ひとまず弁護しておきたいとおもいます。

 代案なしに批判することは簡単です。しかも,いかにも正義に満ちた,非の打ちどころのない立派な批判に聞こえます。では,それがいけないというのなら,それに代わる代案を提示してもらいたい。いったい,どうすればいいのか,メディアの側からの提案が可能なのか,わたしはしばらくの間,この様子を傍観してみたいと思っています。おそらく,まことに馬鹿げた「批判」「批難」「誹謗」「中傷」,これに類するありとあらゆる言説が飛び交うことだろうと思っています。

 しかし,大山鳴動して鼠一匹・・・・・。

 例題・その1。
 ピカソ,ゴッホ,セザンヌ,モネ,ルソー,岡本太郎,横山大観,梅原龍三郎,以下,だれでもいいのですが,それぞれの代表作を並べて,その中から金メダル,銀メダル,銅メダルに相当する人を選べ,といわれたらあなたならどうしますか。

2013年7月15日月曜日

日曜美術館・鈴木其一の「朝顔図屏風」をみる。解説がなにか変?

 恥ずかしながら鈴木其一という琳派の流れをくむ画家の名前も画業も知りませんでした。が,今日(14日),NHKの日曜美術館をみて初めて知りました。そして,ごの人の絵は桁がはずれていると素直に思いました。こんな凄いひとがいたんだ,とびっくりしました。「青い」朝顔を屏風いっぱいにうねりくねった姿で描いたこの屏風は素晴らしいと思いました。「青い」色にこんなに奥行きがあって,しかも柔らかい。変幻自在の「青」。この絵をみるためだけでもいいからメトロポリタン美術館へ行ってみたいとおもいました。

 しかし,この人の絵をめぐって,日曜美術館の制作者たちは,科学的なデータを示したり,解説をする画家や美術史家とか美術評論家といわれる人たちに,NHKにとって都合のいい解説ばかりを「編集」してみせていました。この人たちの解説を聞いていて,いったい,この人たちはなにを考えているのだろうか,と強烈な違和感を感じました。どう,考えてみても,今日の番組に登場して解説した人たちはみんな奇怪しい,とわたしは感じました。また,この人たちを起用したNHKの制作者たちも奇怪しい,と。

 まず,第一に,鈴木其一の「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)という傑作を,科学的に分析してみると・・・・という発想そのものが奇怪しい。鈴木其一が描いた朝顔の「青い」色使いを科学的に分析してみた結果は,膠を混ぜる量が少し少なめであった,だから,其一独自の「青」が出せたのだ,という説明。バカいってんじゃないよ,と画面に向かっていつものように「吼え」てしまいました。画家が自分の好みの色をどのようにして出すか,そんなことを「科学」で説明してみたところで,だからなんなんだ,と聞きたい。ならば,どのくらいの割合で膠を混ぜたのか,そのデータを一つひとつ提示せよ,といいたい。そして,この色合いを出すにはこの割合だったと,もし,科学的根拠の正当性を主張したいのであれば,きちんとその「科学的」データを提示すればいい。でも,そんなことはなにもしませんでした。たぶん,それをやっている制作者たちも意味がないということを承知しているはず。だから,それで終わり。

 こうやって,NHKという公的メディアは,「科学」という名のもとに「正しい」とされる分析結果を提示することによって,これを視聴する国民の意識に対して,無意識のうちに大きな影響を与えつつげているのです。この事実にわたしは驚愕の念を禁じえません。「アート」を「科学」で説明してなんになる,というのがわたしの立場です。ことばでも科学でも説明できない世界のひろがりがあるからこそ,「アート」の存在理由がある,とわたしは考えています。それを「理性的」に,「合理的に」解説することの無力さをわたしは痛切に感じています。ですから,もし,どうしてもそのような議論をしたいのであれば,そのことの意味(有用性)と限界をはっきりと提示した上で,議論をしてほしいと考える者であります。

 それともう一点。何人かの解説のために登場した人びと(画家,美術史家,美術評論家,など)の多くの人が,鈴木其一を「「奇想の人」とか,「狂気の人」とか,「クレージー」ということばを用いて評論したこと。これは断じて許せません。あなた方はいつから「上から目線で」ものをいう資格をわがものとしたのでしょうか。これはこの番組を制作したプロデューサーやディレクターも同じだと思いますが,江戸時代の画家は,近代のわたしたちからみれば,まだまだ発展途上の未熟な存在でしかない,という不遜な目線に満ちあふれているように思います。この姿勢に対して,わたしは全体重をかけて「ノー」と言いたいのです。

 天才と呼ばれる人たちを,ふつうの物差しではかってはいけません。そこからはずれるからこそ「天才」なのです。そうでなかったら,ふつうの人で終わりです。鈴木其一は,ただ,ひたすら,みずからの信ずる「美」を追求しただけのこと。師匠を超えてやろうとか,ライバルを意識して違う方法を編み出したとか,そんなことはどうでもよかったはず。たとえば,「青」を,自分にとっての理想の「青」を出すためには,ありとあらゆる創意工夫・試行錯誤を繰り返したはずです。そして,この「青」こそが求めてやまなかったものだ,ということがはっきりした段階でその「青」をとことん表現していくのだと思います。

そのなによりの証拠を,青の色粉60グラムで米一俵に相当した,といわれる色粉を惜しげもなくつかってこの屏風図を描いたというところに,みてとることができます。鈴木其一にとって,カネなどというものはどこかにすっとんでいたはずです。ですから,解説者たちは「奇想の人」「狂気の人」「クレージー」などと名づけて平気でいられるのでしょう。しかし,このような「名づけ」をして平然としている人たちがもし「正気」であるというのなら,「正気」からはなにも新しいものは生まれてこない,ということです。むしろ,なにものにもとらわれない美意識をそのまま表現する営みこそが「正気」であって,近代合理主義的な考え方に支配された計算・打算で生きている人たちの方がむしろ「狂気」なのではないか,と考えます。裸の王様に向かって「裸だ」という人こそ「正気」であり,それが言えない人たちこそ「狂気」ではないか,と。

 「日曜美術館」を制作しているあなた方は,いまもなお「進歩発展史観」にあぐらをかいて,いまという時代を生きている自分たちこそが最高の歴史的遺産の上に存在しているのだ,と信じて疑わないのだろうなあ,と思いました。しかし,それこそが根本的に間違っているというのがわたしの立場です。いま,この日本で生きているこの社会は,はたしてわたしたち日本人がめざしてきた理想的な社会だったのでしょうか。そうではなくて,とてつもない「破綻」をきたした社会であることはだれの眼にも歴然たる事実です。ここで,あえて,原発の問題をもちだすまでもないでしょう。

 ましてや,「アート」の世界を近代論理(あるいは,近代の「科学神話」)で解説したところで,なんの意味があるというのでしょうか。「アート」の世界こそ,つねに,時代を超越した新しい感性が,時代の制約を突き破って花開く場だとわたしは考えています。たとえば,ピカソ。かれは,鋭く時代精神と対峙しつつ,そんなものはどこ吹く風とばかりに飛翔し,みずから信ずる「美」の世界の探求に没頭しました。それは,近代論理の限界をはるかに超越した,いや,近代の呪縛から解き放たれた「自由の世界」を遊ぶことだった,とわたしは受け止めています。

 ですから,鈴木其一の描いた「朝顔図屏風」を,近代論理の高みから解説することの「愚」を,今日の日曜美術館をみていて,いやというほど感じてしまいました。ああ,こうやって権力にとって都合のいい価値観を「日曜美術館」という番組をとおして,視聴者の無意識の底に流し込んでいくのだ,ということがよくわかりました。

 すこし前のブログで紹介した辺見庸の『青い花』(角川書店)のなかに,「模範的国民意識形成機関NHK」という痛烈な批評表現が書き込まれています。このことを,まさに,「地」でいく番組のひとつが「日曜美術館」であったかと,いまさらのように驚いている次第です。

 まあ,ここまで書いてしまいましたので,最後に,思い切って辺見庸の文章を引いて,このブログを閉じたいと思います。どうか,最後まで読んでみてください。そして,途中で笑い出さないでください。なにはともあれ,大まじめに読んでみてください。それが,わたしの願いです。

 ・・・・・・・・下痢ばかりしている戦争狂の道化。軍事オタクの同輩。テレビからひりだされてきた大阪のあんちゃん。あんちゃんに土下座してあやまる自称進歩的新聞社。どこまでも図にのるあんちゃん。道化どもをもちあげるマスコミ。模範的国民意識形成機関NHK。いいね! サムアップ。拡散希望! 歓呼の声をあげる貧しきひとびと。携帯をだきしめる貧しきひとびと。いきわたる貧困ビジネス。スマホ。スアホ。ドアホ。闇汁ファシズムは骨がらみひとをだめにする。闇汁ファシズムにとくていの領野はない。なんでも融かすのだ。石でも良心でも憎悪でも「不幸な意識」でも共産党でも,なんでも。だれをも不感症にしてしまう。税金と受信料と新聞代,携帯料金をはらってファシズムを買っている。われら貧しきひとびと。虐げられしひとびと。いいね! サムアップ。拡散希望! わたしはあるいている。風にのってどこからか,しずやかな歌声が聞こえてくる。これは演歌ではないか。わたしは耳を澄ましてあるいている。これはコロッケのふざけた声ではない,本物のちあきなおみの哀しい声だ。声が闇にとろけていく。ちあきなおみ本人の姿はない。「・・・こんなにはやく時はすぎるのか・・・紅い花,暗闇のなか・・・踏みにじられて流れた・・・紅い花・・・」。こんなにもはやくときはめぐるのか。青い花よ。きょうこ。わたしはあるいている。わたしは線路をあるいている。


2013年1月4日金曜日

NHKスペシャル・楽吉左衛門・究極の茶碗づくり密着9カ月をみる。

 利休の愛した茶碗をつくった長次郎を始祖とする楽焼の当主・第15代楽吉左衛門に密着取材したNHK新春スペシャル(1月3日午後9時~10時,NHKテレビ)をみた。午後8時45分からのニュースをみて,テレビを切ろうと思った瞬間に,楽吉左衛門という名前が画面に現れて,そのまま居すわって見入ってしまった。

 とてもいい番組をみせてもらった。近頃はテレビでみるべき番組がほとんどなくなってしまって,もう,テレビの時代も終わったと嘆いていたが,こんないい番組もあるではないか。こういう番組をもっともっと制作してほしいものだ。

 以前から少なからず,この第15代目となる楽吉左衛門の存在が気になっていた。最初に意識しはじめたのは,かれの書いた文章を読んで,この人はいったい何者?と思ったのがきっかけだった。以後,びわ湖にある佐川美術館へも足を運び,不思議な構造の地下展示場から天窓をふり仰ぎながら,いくつかの逸品を満喫したこともある。この人のみている世界はどんなものなのか,そこのところがわたしの最大の関心事。

 その楽吉左衛門に2012年の9カ月間を密着取材したものが昨夜の映像だった。春と秋の年2回,窯に火を入れる。それに合わせて制作にとりかかる。土を練り,手ひねりで造形をし,さらにそれを削って,釉薬をかけ,みずからの理想の実現に向けて情熱を傾ける。その過程で発するかれのことばがとても印象的だった。今回は,そのいくつかを紹介しておこう。

 その1.エネルギーがたまってくると,バンと爆発する。それを待つ。
 基本は伝統的な茶碗をつくること。これをやっていると,それでは満足できなくなり,創作のエネルギーが溜まってきて,パンと爆発する。そのとき,創作に挑戦する。むかしは創作茶碗の形が現れ,これでよしとして手を引くまでに相当の時間がかかったが,最近はどんどん手が進む。手の動くままにまかせている。

 その2.表現するとはどういうことかと考える。意識と自然とがうまく同調する,そのとき傑作が生まれる。
 茶碗を焼くという仕事は,どこまで行っても自分の思うようにはできない。なぜなら,土も水も火もみんな自然のものだ。この自然との折り合いのつけ方は終わりがない。自分で表現したいという理想の造形は意識の中に鮮明にある。それを手びねりや削る作業をとおして表現する。しかし,最後は火という自然の力に委ねなくてはならない。その火加減にも細心の注意を払うが,これもまた終わりのない道だ。自分の意識と自然とがうまく同調したとき,傑作が生まれる。だから,表現するとはどういうことなのか,といつも考えている。表現とは,自分の意識の及ばないはるかな向こうからやってくるもの,だから,それを引き寄せる力をいかにしてわがものとするか,茶碗をつくるとはそんなものではないかと思っている。

 その3.理想は存在感のあるもの・・・・岩石のような。
 自然の存在にはいつも圧倒されてしまう。人の手をとおしてつくるものにはおのずからなる限界がある。茶碗は手びねりによって生み出される。それは手の形になじむものだ。つまり,手成りの世界だ。それはとても柔らかい表現になってしまう。だから,手びねりでできあがったものを,へらで削って削って,荒々しく存在感のある造形をめざす。そして,ようやく岩石のようなものが現れたとき手を引く。こうして焼きにとりかかる。焼いてみるとまた違ったものが現れてくる。そこはもはや人知を超えた世界だ。そのとき,どれだけ存在感のあるものが現れるか,そこが勝負だ。しかし,自然の岩石には遠く及ばない。

 その4.長次郎の茶碗は,世の中に刃を突きつけている。
 本阿弥光悦の意を帯してつくったといわれる長次郎の茶碗は,世の中に刃を突きつけているように見える。この激しさ,鋭さ,意思力には圧倒されてしまう。「わび」の世界は地味にみえるが,じつはそうではない。秀吉の,ピカピカの派手好みに対する徹底した抵抗の姿勢,それが「わび」の根源をなしている。その迫力を創作茶碗のなかに取り込みたい。が,まだまだ道は遠い。

 その5.表現者の矛盾・・・・引き方がわからない。
 制作の途中で自分がわからなくなることがある。自分はいったいなにをやっているのだろうか,と。つまり,表現の引き際がわからなくなる。だから,「いま」という瞬間に身を委ねるしかなくなる。「いま」のその瞬間の判断にまかせる。生きているということはそういうことではないのか。だから,前に向かってひたすら歩くしかない。立ち止まったら終わりだ。

 まだまだ名言はあるが,このあたりにしておこう。
 番組の終わりに,第15代楽吉左衛門は,「プロフェッショナル」について問われ,「そんなものはいません」とはっきりと言い切り,高笑いした。ちなみに,この番組の名前は「プロフェッショナル 新春スペシャル」だ。NHKの企画そのものを,高笑いで締めくくるあたりに楽吉左衛門の「突きつける」心意気を感じた。おみごと。爽快。