2014年5月31日土曜日

さしたる副作用なし。明日(1日)午前,退院。予定通り。

 本格的な抗ガン剤治療のワンクール目の入院(補助的化学療法)でしたが,今朝の回診で「さしたる副作用はありません」という診断をいただきました。これで予定どおりの4泊5日の入院が終わり,明日の午前には退院できることになりました。ありがたいことです。

 かなりの確率で副作用にやられる人が多い,と話にも聞いていましたし,病院からもらったパンフレットにもデータを挙げて図表になっていましたので,じつは,心配していました。が,なんとか乗り切ったようです。

 乗り切ったとはいえ,完璧になにもかも大丈夫だったというわけではありません。顕著な副作用が出現して,それに対する治療を要す,ということには至らずに済んだというのが現実的なところです。それにしてもやれやれです。これで大きな関門を一つ通過することができた,ということのようです。

 実際のわたしの体感したところの経過は以下のようです。
 何種類かの予備的な点滴を終えて,いよいよ本格的な抗ガン剤の点滴がはじまってしばらくはなにごともありませんでした。が,2時間かかる点滴の終わりころになるとからだがかっかと熱くなり,頭もぼうっとしてきました。あれあれと思っていましたが,それ以上の変化はないので,様子をみていました。この点滴がおわって,つぎの利尿剤入りの点滴に入るとすぐにひっきりなしにおしっこが出始め(これに通うのが面倒なほど)ました。そのうちにからだの熱さも頭のぼうっも消えていきました。そして,しばらくするとおしっこの間隔も少しずつ遠のいていき,頭のてっぺんから足のさきまですっかり洗い流されたような,すっきりした気分になりました。

 夕食も全部おいしく食べられました。夜は久しぶりに頭が冴えていましたので,これならというので持参した『バタイユ──呪われた思想家』(江澤健一郎著,河出ブックス,2013)を読み始めました。この本がまたたまらなく面白くて,深夜まで読みふけっていました。個室ですので,消灯時間は関係ないのですが,みるにみかねた看護師さんから「明日のための体力も温存しておいてください」と忠告されてしまいました。

 夜も熟睡。相変わらず,おしっこの回数は減らず。水分を補給して,おしっこで洗い流すための点滴を24時間体制でやっているわけですから,これは仕方ありません。でも,おしっこを済ませて横になればすぐに眠りに入ることができましたので,さしたる気にはなりません。

 一夜明けた翌日も快適そのもの。食事も全部たいらげました。そのあと朝の回診があり,このときは型通りの確認がなされただけでした。が,そのすぐあとに,院長先生がふらりと現れて,いろいろと詳しい説明をしてくださいましたので,わたしの方も甘えて,いろいろと疑問に思っていることを尋ねてみました。そのうちにいつものように雑談になり,盛り上がったところに院長コールが入り,残念ながら中断。そのあと,昨日のブログの最後のところに書きました本を差し入れてくださったというわけです。雑談の中味は,出雲大社の話でした。

 午後の2時ころになると,また,からだが熱くなり,頭がぼうっとしてきました。おやっ,と思って様子をうかがっていましたら,そのうち,すーっと引いていき,もとのすっきりしたからだに戻りました。ちょうど,抗ガン剤を注入した24時間後に相当しています。そうか,薬効とはこんな具合に巡ってやってくるんだ,と自分なりに納得。

 夜は院長先生にいただいた例の本を読み始めました。これがまたとびっきり面白い本で,熱中して読みました。でも,半分ほど読んだところで集中力がとぎれ,眼もかすんできましたのて,そのまま就寝。でも,12時はすぎていました。

 今朝の回診のときに担当医から「さしたる副作用なし」の診断を受け,「いつ,退院してもいいですよ」とのこと。そこで,「大事をとってもう一晩おいてください。そして,明日,退院ということで」とお願い。「では,そのように手配します」。

 回診がおわってまもなく院長先生が顔をみせてくれました。

 とてもいい経過なので,これからの治療もそんなに心配することはないでしょう。でも,大事をとって慎重に進めましょう。このあとのスケジュールは,3週間刻みでワンクールをこなし,2週間薬剤投与を休んで,ということの繰り返しだそうです。つまり,5週間単位で,その語の経過をチェックしていくということだそうです。次回からは様子がよければ3泊4日くらいの入院でいいでしょう,とのこと。さあて,どんな経過をたどることになるのやら・・・。あとは,神さまがうまく味方をしてくれることを祈るのみです。

 ということで,とりあえず,経過のご報告まで。

井上靖著『額田王』を読む。天智・天武と額田王との関係を読み解く井上靖の想像力が面白い。

 愛知県の三河地方に「額田郡」という地名があります。もう,ずいぶん昔,この額田郡は額田王との接点があり,この地方に古代のみやびことばが断片的に残っている,と書かれた本を読んだ記憶があって,ずっと気になっています。そのテクストがなにであったのか,すっかり忘れてしまっていて,探しあぐねています。

 額田郡に住んでいる友人のOさんに,地元にそのような伝承は残っていないか尋ねてみたら,そういう話は聞いていない,とおっしゃる。しかし,Oさんの名字も,古代史に登場するある有名な一族と同じですし,優秀な人材が輩出していますので,その末裔ではないかと尋ねてみましたところ,たしかに古い家系図は残っているけれども,そこまではたどれない,とのことでした。

 『穂国幻史考』の著者・柴田晴廣さんによれば,穂国(東三河地方の古代の名称)には日本の古代史の謎を解く大きな鍵が隠されている,と力説されています。そして,持統天皇が伊勢から穂国に船でわたってきたという史実を手がかりに,壮大な構想の研究を展開されています。いったい,持統天皇はなんのために穂国にやってきたのか,という問いです。

 この持統天皇はいうまでもなく天武天皇の妃であり,額田王は,天武が大海人皇子であった時代に愛された才媛です。そして,大海人皇子との間に十市皇女を生んでいます。しかも,この十市皇女は天智天皇の長子・大友皇子(のちの弘文天皇)の妃となります。言ってみれば,いとこ同士の結婚ということになります。もっとも,この時代の結婚は,なによりも政略が優先されていましたので,驚くには値しません。たとえば,天智天皇の皇女のうち4人までもが叔父である天武天皇の妃になっています。おまけに,額田王は天武から天智に譲渡され,天智にも愛される,という不思議な関係になっています。そのさらに上をいく政略結婚が大友皇子と十市皇女の結婚というわけです。にもかかわらず,その結末は,大友皇子は天武天皇によって自殺に追い込まれます(壬申の乱)。

 まあ,以前から,天智天皇と天武天皇の関係というのはどうなっているのか,という大いなる疑問がありました。そして,そのキーマンの役割をはたしたのが額田王ではなかったか,というのがわたしの仮説でした。しかし,このあたりのことはアカデミックな論文には見当たらず,また,市販の概説書を読んでみてもまったく不明のままでした。

 そこで,ならば作家の想像力に頼ってみたらいかがなものかと考え,井上靖の『額田王』(新潮文庫)を読んでみました。しかし,わたしの期待は大きくはずれてしまいました。といいますのは,井上靖の主たる興味関心は,額田王を優れた歌人として捉え,その内面の葛藤(神事に仕える女性として,朝廷歌人として,そして,愛を受け止める女性として,母として)を詳細に描くことにあった,と思われるからです。当然のことながら,中大兄皇子と大海人皇子との関係も描かれてはいます。が,おおむねこの兄弟は仲がよく,お互いに協力し合っていたかのように井上靖は描いていて,この二人が,いつ,どのようにしてすれ違うようになるのか,そのきっかけはなにかについては,井上靖には興味がなかったようです。ですから,壬申の乱がどういう理由で始まったのかという背景についても,なにも語ろうとはしていません。

 つまり,井上靖の興味は,あくまでも額田王の人間としての内面の葛藤にあって,その他のことは多少どうでもいいという印象が残りました。ですから,この小説の構成も,大海人皇子と額田王との出会いからはじまって,大海人皇子が天武天皇になったところで終わっています。つまり,天皇になったところで額田王は朝廷を退き,天武との関係は完全に立ち消えになる,という設定です。

 わたしとしては,この朝廷を退いたあと,額田王の人生がどのように転変していくのか,そこが知りたかったところです。それと,もう一点は,額田王と持統天皇との関係です。どのような接点があったのか,それともなかったのかも井上靖には興味はなかったようです。

 持統天皇という,天智天皇の娘にして天武天皇の妃となり,天武なきあとの権力を独り占めにしつつ,後世に大きな影響を及ぼすことになるこの人物と,晩年のことがほとんどわかっていない額田王とがどのような関係にあったのか,わたしには興味のつきないテーマです。なぜなら,このことが「穂国」のその後のゆくえになんらかの影を落としているはずであるし,その影を消すためにさまざまな細工がなされたに違いない,と考えるからです。もっと言っておけば,「穂国」の謎を解くことは大化の改新以後の日本の古代史に秘められたもうひとつの歴史を白日のもとにさらけ出すことになると主張する柴田晴廣さんの説に共鳴するからです。

 天智・天武・持統の,この時代にいったいなにが行われたのか,その真相を隠すためにどんな物語が創作され,その物語を補填するための新たな歴史がどのように創作され,それを正当化するための抑圧・隠蔽工作がどのように行われたのか,知りたいことは山ほどあります。権力によって押し流されてしまった歴史の真実,すなわち,W.ベンヤミンがいうところの「瓦礫」や「残骸」,これに注目する「歴史の天使」(P.クレーの「新しい天使」)に応答するための試みを,ここでも適用してみたいとわたしは考えています。

 もうひとこと言い添えておけば,崇神天皇と垂仁天皇の時代に起きたことと,この天智・天武の時代に起きたこととが,どこかで共鳴・共振するものを感じるからです。つまり,もっとも肝腎なことを抑圧・隠蔽するための歴史上の工作がこのときに起こったと考えるからです。もっとはっきり言ってしまえば,藤原不比等によって陣頭指揮がとられたとされる記紀編纂事業です。この物語がのちの日本の歴史にどれほど大きな影響を及ぼしたかは想像を絶するものがあります。

 その裏で脈々と大きな力を温存していたのが出雲族ではなかったか,その糸口が野見宿禰であり,その末裔・菅原道真であり・・・・という具合です。神社の系譜でいえば,全国にネットワークをもつオオクニヌシを祭神とする神社(一宮の多くがこれ)であり,野見神社や兵主神社です。そして,河童伝承もまた,同じ系譜でさぐることができます。この話をはじめるとエンドレスですので,ひとまず,今日のところはここまで。

 天智・天武・持統のこの時代に,伊勢神宮と出雲大社がどのような扱いをうけたのか,興味のつきないテーマがいっぱいです。そこに,額田王(この人の出自は出雲だとする説もある)がからむ,というわけです。しかも,朝廷の神事を司っていたという額田王なのですから・・・・。

 見果てぬ夢はどこまでもつづきます。

〔追記〕今日(30日),いま入院している病院の院長先生から『新版・古代の地形から「記紀」の謎を解く』(嶋恵著,海山社,2013年刊)をプレゼントされました。ちょっと読み始めてみたら,とても説得力があってびっくり。この本のレヴューも近日中に書いてみたいとおもいます。
 

2014年5月30日金曜日

「大丈夫か リオ五輪」(木村太郎)。「大丈夫か 東京五輪」(わたし)。

 5月25日の東京新聞のコラム「太郎の国際通信」(ジャーナリストの木村太郎氏のコラム)で,「大丈夫か リオ五輪」という見出しの記事が掲載されていました。もう,ずいぶん前からリオ五輪の開催が危ないという報道がなされていましたので,その後,どうなっているのかなぁ,と気がかりになっていました。そこに木村さんのコラムです。ああ,やっぱり・・・と思いました。

 来月,開催されるサッカーW杯ですら,競技場の工事半ばのまま(外装が終わっていない),試合を行うことになった,とつい最近も報じられていたところです。あのサッカー王国のブラジルですら,サッカーのW杯開催に反対の市民運動が展開されているといいます。この流れは,当然のことながらリオの五輪開催にも連動していて,最近はその激しさを増しているとも伝わってきます。あと2年後に迫ったリオ五輪の開催を危ぶむ声も次第に大きくなりつつあるようです。

 その背景にあるものは,ブラジル国民にとっては,いまはスポーツにうつつを抜かしている場合ではない,そんな金があるのなら国民の生活を守ることに使え,という「生きる」ことの根源にかかわる国民のやむにやまれぬ要求です。この声は,とても他山の火事だとは,わたしには思えません。東京五輪もまったく同じだからです。

 いまも避難生活を余儀なくされている人びとの実情を隠蔽するための道具として,東京五輪が利用されていることは間違いありません。そして,その真相を暴くような情報は,ことごとく排除・隠蔽されています。それどころか,いま東京五輪開催批判を展開したら国賊と罵られてしまいます。しかし,そのうちに東京五輪開催の裏に隠された恐るべき実態が徐々に明らかになってくるはずです。そうしたときに,どのようなことが起きるのか,わたしにはなんとなく透けて見えてきます。

 そのお手本がリオ五輪の現段階での実情です。
 木村太郎さんは,つぎのように伝えています。

 「私がこれまで経験した中で最低」
 国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長がこう酷評したのをきっかけに,場合によっては開催地を変更することもあるという情報が飛び交い始めている。
同副会長によれば,五輪開催まで二年を残してリオではいまだ主競技場に次いで重要なデオドロ地区の競技施設の建設も始まっていない。また,新競技種目のゴルフも,芝の養生に二年はかかるというのにいまだにゴルフコースの建設も終わっていないという。

 あと6年後に控える東京五輪ははたしてどうか。

 資材も人材(労働力)も不足。東日本大震災の復興すらままならない,という。その上,フクイチの廃炉処理も遅々として進まない(すでに,労働力が底をついている,という)。避難生活者の保障も展望なし。新国立競技場の建造は技術的にきわめて困難だとも聞く。そのため,想定外のコスト高が付随してくるので,ゼネコンも腰が引けているとか。その他の競技施設もこれから一斉に建造にとりかかるという。どのような計画で,それらが進められようとしているのか。その情報は公開されておらず,すべては藪の中。

 もっと恐ろしいことは,放射線量のホットスポットが埼玉県や千葉県のあちこちに散在しているという。どうやら,東京都内にもあちこちにあるらしい。しかし,そういう情報はすべて「コントロール」されているとか。しかし,これらの情報が流れ出るのは時間の問題です。いずれ,あちこちから漏れ出てきます。フクイチはいまも立派な活火山です。しかも,メルトダウンしたまま不思議な「安定」状態を保っているこの奇跡的な均衡がいつ崩れるかは,だれにもわからないといいます。

 こんな危険な状態にあることをひた隠しにするために,政府は矢継ぎ早に,つぎからつぎへと国民の「目くらまし」政策を繰り出しています。とうとう「残業手当てなし」などというとんでもない政策をぶち上げて,国民の目をこちらに引きつけていこうとしています。そして,話題づくりのためには「山の日」などという祝日案までぶち上げました。こんなことを急ぐ必要などどこにもありません。とにかく,いまの政府はやることなすことはちゃめちゃです。

 ですから,国民の眼をごまかすめにの絶好の話題が東京五輪です。しかも,それはもののみごとに成功しています。でも,その実態はきわめて危険きわまりない状態ばかりです。

 「大丈夫か 東京五輪」。

2014年5月29日木曜日

「意識引導動作」ということについて。李自力老師語録・その44。

 太極拳の動作は意識が引き出し,導くのです。それを中国語では「意識引導動作」といいます,と李自力老師は仰います。

 以下はわたしの「如是我聞」です。李老師のお話をわたしがどのように聞いたか,そこにはわたしなりの解釈が加味されていることをお含みおきください。

 まず,どこに意識をおくのか,どのような意識をもつのか,なにを意識するのか,それによって動作は変わってきます。あるいは,どのようなイメージを思い描くかによっても動作は大きく変化してきます。意識の持ち方次第で太極拳の動作はさまざまに変化します。

 ここでいう意識とは創意工夫と置き換えてもいいでしょう。

 いけないのは,なにも意識しないで漠然と太極拳をやっていることです。また,あまりに意識を強くもちすぎて,動作は間違ってはいないけれども,堅苦しい動作になってしまうのもいけません。まずは,気持をできるだけリラックスさせること,そうすれば自然にからだが弛緩します。その上で,軽く意識しながら,動作を導くこと,これが肝要です。

 このときに,なにを,どのように意識するか,これが大事です。そのためには,つねに,自分の理想とする太極拳の動作を探求し,イメージすることです。そうすると,おのずからその人なりの太極拳の味がでてきます。あるいは,その人独特の雰囲気がでてきます。ここを目指すこと,太極拳の稽古にとってはそれが大事なことです。

 しかし,うっかり勘違いして,間違った動作の仕方を身につけてしまいますと,とんでもない我流の太極拳になってしまうこともありますので,注意が必要です。

 太極拳は上達していきますと,次第に心地よくなってきます。自分のからだと向き合い,からだと会話しながら,その心地よさを楽しむことができるようになります。そうなればもうしめたものです。これもまた「意識引導動作」ということの一つです。

 こうして太極拳は,意識のおき方,もち方によって,動作は限りなく変化していきます。それは無限といっていいでしょう。それほどに太極拳の奥は深いのです。精進すればおのずからなる味がでてきますし,オーラがでてきます。それがまたたまらない魅力です。

 その境地をめざして頑張りましょう。

 以上が,今回のわたしの「如是我聞」です。

2014年5月28日水曜日

今日(28日)から「補助化学療法」のための入院。4泊5日の予定。

 時の経つのは早いもので,胃ガン摘出手術をして退院したのが2月27日。それから3カ月が経過した今日(5月28日),「補助化学療法」を行うために入院しました。予定では4泊5日。個人差があるとのことですので,この予定で退院できることを祈るのみ。

 「補助化学療法」などといわれてもピンときません。なんのことはない,要するに抗ガン剤療法ということ。病院でも抗ガン剤ということばに抵抗があるらしく,このことばをわたしの主治医もほとんど使わないで「薬剤による治療」をやりましょう,とおっしゃる。患者としては,やると決めたら覚悟はできているのですから,わかりやすく抗ガン剤治療と言ってくれた方が気が楽です。

 まあ,それはともかくとして,TS-1(通称,ティーエスワン)という錠剤を飲み始めて8日目から,さらにこの「補助化学療法」を行うということです。ですから,今日は入院手続やら同意書やら,なにやらの書類にサインをして,担当医さん,薬剤師さんとの面談があって,看護師さんが血圧を計って,体温を計って,という程度のことでおしまい。明日から,採血をして,その結果をみて治療にとりかかるということのようです。

 いよいよ治療開始となれば,〇〇〇とかいう強い抗ガン剤を点滴によって注入します。その前に,その抗ガン剤の副作用を予防するための点滴がいくつかあって,その後はこの抗ガン剤を早く対外に排泄させるための利尿剤などの点滴があるとのこと。明日は,すぐにはそれほど大きな副作用はでてこないはずだそうで,時差をおいて明後日くらいから徐々にさまざまな副作用がでる人はでてくるとのこと。

 さあて,わたしの場合にはどのようなことになりますことやら・・・・。「やってみなければわかりませんから」というのが院長先生のおことば。おやおや,です。要するに抗ガン剤治療というのは,まだまだ,そんな程度のレベルでしかない,ということでもあります。ですから,抗ガン剤治療は拒否しなさい,というお医者さんもいて,たくさんの本も書いていらっしゃいます。

 いずれにしても,抗ガン剤治療を拒否するリスクと抗ガン剤治療を受けるリスクの二つのうちの一つを選ぶしかないわけですので,困ったものです。運を天にまかせて・・・という次第です。でも,わたしの場合には,幸いなことに院長先生とかなり突っ込んだお話をさせていただきましたので,それなりに納得の抗ガン剤治療の受容です。

 今日,提出した「同意書」の主文にはつぎのように書かれています。
 私は,このたび「胃癌手術後の補助化学療法」の必要性,それに伴う今後の見込み等について,別紙により充分な説明を受け,理解できましたので,その実施について同意します。

 この同意書にサインして提出したのですから,あとはまな板の上の鯉です。
 まあ,今夜はゆっくり眠ることにしましょう。そして,病と戯れる夢でもみることにしましょう。

東京五輪「顧問会議」の議長にアベ君が就任。東京都は?

 東京五輪組織委員会会長森喜朗君がアベ君と会い,「顧問会議」の議長に就任することを要請。アベ君は「たいへん名誉なことだ」と快諾したという。この「顧問会議」は組織委員会に助言する組織で,約130人規模になるという。森氏の談話によれば「オールジャパン態勢で五輪招致に協力してもらった業界,団体に幅広く顧問に入ってもらい,お知恵を借りたい」とのこと。

 おやおや,である。

 五輪の主体は開催都市であるはずだ。つまり,2020年は東京都が開催の主体のはずだ。にもかかわらず東京都の存在がますます薄くなってきている。舛添君はいったいどういうつもりなんだろうか。国立競技場問題についても「これから視察をして勉強する」などと呑気なことを言っている。猪瀬君は出たがり屋さんだったので,必死になって目立とうと努力していたが,舛添君の姿がみえてこない。その間に,森君がヘゲモニーを握って,どんどん突っ走る。舛添君はおいてけぼり・・・か。

 約130人といわれる「顧問会議」のメンバーも,たぶん,森君の好みの人材がかき集められるのだろう。しかも,業界,団体から幅広く,と言っている。ああ,東京五輪で一儲けしようという輩ばかりが烏合の衆のように手を挙げている光景が眼に浮かぶ。そして,その頂点にアベ君が座る。なにをやりはじめるかは,火をみるよりも明らかだ。

 経済活性化という名のもとに手を替え品を替え,矢継ぎ早に,なんでもありの手を打ってくるだろう。そして,国民の眼を「経済」と「五輪」に釘付けにしておいて,フクシマをいかにして隠蔽するか,これが最大の目的だ。そのために「130人」もの人間をかき集めるのだ。もちろん,その中にはメディアのボスも抱き込んで,メディア操作も試みるだろう。そうして,ワッショイ,ワッショイのお祭り気分を盛り上げていくことだろう。そして,フクシマは国民の視野から遠のいていく。これがアベ君のいう「under control」の実態。

 要するに,東京五輪もまた権力と金をもつ人間たちの都合のいいように利用しようというだけの話だ。そうして,国民目線の五輪はどんどん遠のいていく。すべては「お上」のなさること,という旧態依然たる体質は少しも変わらない。国民の眼には「勝った,負けた」の世界だけをばらまいておけば,それですべてはうまくいく,と考えているらしい。いや,スポーツなんてそんなものだ,と単純に考えているのかもしれない。

 本来ならば,東京五輪を成功させるべく国民の声を草の根からを立ち上げ,国民が納得の上で全国的な盛り上がりを生みだす,そういう一大イベントであるはずだ。つまり,東京五輪は民主主義の大原則を実地に学ぶ絶好のチャンスなのだ。しかし,そんなことをして国民が目覚めてしまっては権力は都合が悪い。したがって,肝腎なところは極秘に,宣伝になることは公開し,という具合のご都合主義を貫くらしい。

 もうひとつの問題は,この「顧問会議」の設定は,組織委員会の責任逃れのための装置としても大きな役割が期待されているのではないか,という点だ。組織委員会が独走しているような印象を国民に持たれてしまうのはよくない。そこで,さも多くの意見を吸収しているかのような装置が必要だ。そのために,組織委員会が進もうとする方向を,「顧問会議」で発議してもらい,それを受けて組織委員会が拾い上げるというスタンスが無難でいい,というわけだ。

 あとでなにか問題が生じたとき,だれがそういう発議・提案をしたのかわからない方がいい。どうせ,尻尾をつかまれるような,まともな議事録は残さないのだろうから。かくして,だれかが責任を取らなくてはならないという事態を回避しようという組織として,この「顧問会議」は,まことに都合がいい。森君は組織委員会委員長としてやりたいことは,だれか別の委員なり,顧問なりに発議してもらえばいいのだ。そうして,「ああ,そうですか」という姿勢を貫けば,すべて思惑どおりにことは進む。

 いつのまにか日本の社会のなかに上から下まで定着してしまった「無責任体制」のひとつのシステムだ。おそらく,組織委員会にとってこの「顧問会議」ほど都合のいいものはないだろう。しかも,五輪が生みだす利益のおこぼれも,各顧問に満遍なく配分されるようちらつかせればいい。おとなしく「賛成多数」に身を寄せていれば・・・という期待をもたせつつ。だから,すべては仲良しクラブのお手打ち会議でことはすまされることになる。そのために「130人」もの規模の会議体が必要なのだ。

 かくして,わたしたちの眼のとどかないところで,東京五輪の根幹にかかわることはすべて決まっていく。そして,なにか問題が発覚したときは,「時間切れ」で逃げ込む。新国立競技場の建造と同じように。そんなことの繰り返しだ。

 どうやら,もっともフェアであるべきはずのスポーツ界がもっとも隠蔽体質が浸透しているらしい。なにか問題が発覚しそうになると,一斉に口をつぐんで,親分の顔色をうかがう。そして,親分の気に入るように「自発的隷従」の姿勢を貫く。そういう人間が,やがてトップに立つ。まともな意見を述べる者は,それが正当なものであれ,なんであれ,組織にとって不都合なかぎり排除されていく。

 今回もこの「顧問会議」の設立に異議申し立てをする人間は,スポーツ界からはでてこないだろう。「そんなものは不要だ。むしろ,われわれの声を吸い上げてくれ」と声を挙げる勇気のある人間はでてこないだろう。

 かくして,東京五輪は,政界,経済界,メディア界,などによって完全に囲い込まれ,乗っ取られていく。この組織体は,世にいう原子力ムラと瓜二つだ。

 それほどに,東京五輪は甘い蜜がいっぱいだ,ということの証左だ。そこには力の強い者ばかりが寄り集まってくる。そして,仲良しクラブを構築する。こうした果てしない連鎖が,社会の隅々まで浸透していく。困ったものだが,これが現実だ。

 なんとまあ,生きにくい社会になってしまったことか。
 仲良しクラブに入らないかぎりは・・・・。

2014年5月27日火曜日

「どっこいしょ」の語源は「六根清浄」(玄有宗求)。

 和室で立ったり,座ったりするときに無意識のうちに「どっこいしょ」と声にしている自分に気づくことが多くなってきました。ついこの間まで,年寄りは立ったり,座ったりすることが大変なんだなぁ,と傍観者であったはずのわたしが,いつのまにか「どっこいしょ」と声に出して言っています。言ってしまってから,あわてて周囲をみまわして,だれにも気づかれないでいるとほっとしたりしています。いやはや,年齢は隠しようもありません。

 この「どっこいしょ」の出どころは「六根清浄」だ,と玄有宗求さんはおっしゃる(『さすらいの仏教語』,中公新書,2014年)。いまでも信仰登山をする人たちは「六根清浄 お山は晴天」と声にだしながら山に登ります。志賀直哉の小説『暗夜行路』のなかで,主人公の時任謙作が大山に登山する場面がでてきます。この小説のクライマックスの一場面です。そのとき,「六根清浄 お山は晴天」とお互いに励まし合いながら山に登っていきます。そして,小休止をするときに「どっこいしょ」と言って地面に腰を下ろします。志賀直哉はこのことを知っていて書いたのだろうか,といまごろになって勝手に想像しています。

 六根清浄の六根は般若心経にもでてくる「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官のことです。そに対応する感覚内容は「色・声・香・味・触・法」です。般若心経では,こんな見たり,聞いたり,臭いを嗅いだり,味わったり,触れ合ったり,意識したりする感覚器官はもともと無いものと思いなさい,と説きます。いろいろのものがあるように思っているけれども,そんなものにはなんの実体も無いのだ,と。あるようであって無い,無いようであってある,そこが浄土の世界だというわけです。それを端的に表現したものが「色即是空 空即是色」です。

 六根清浄とは,この六根をきれいに洗い流してしまいましょう,そうすればこころもからだもさっぱりして,さわやかな生をとりもどすことができますよ,という教えです。そのさきに浄土の世界が待っているんでよ,と教えます。その手始めとして,まずは,登山をしながら,全身からおしみなく汗を流しましょう,それによって清らかな世界に接近していくことができるのですよ,というわけです。

 この六根清浄が,どうして「どっこいしょ」になってしまうのでしょうか。玄有宗求さんは面白い説明をしています。

 登山をしながら六根清浄と唱えている人の声が,完全に疲労困憊し,意識も朦朧としてきた登山者の耳には「どっこいしょ」と聞こえたとしてもおかしくない,というのです。しかも,そのように聞こえる人こそ,すでに六根清浄に達している人に違いない,と。ですから,「どっこいしょ」こそ六根清浄の真髄ではないか,と。ましてや,日常生活のなかで無意識のうちに「どっこいしょ」と声に発する人こそ六根清浄の世界を生きている人ではないか,と玄有宗求さんはおっしゃいます。

 そして,つぎのように結んでいます。

 余計な思惑のなくなった「どっこいしょ」の眼に,この上なく美しい太陽が昇る。

 そうか,加齢とともに世俗の欲望も少なくなって,ごく自然に「どっこいしょ」といえる人は,もはや自然界にかぎりなく接近していて,そういう人の眼には「この上なく美しい太陽が昇る」というわけなのでしょう。「どっこいしょ」を気にしているようではまだまだ枯れていないという証拠。

 これからは,だれ憚ることもなく,堂々と「どっこいしょ」ということにしよう。ましてや,他人が「どっこいしょ」と言ったといって冷やかすようなことはしないようにしよう。その世界はじつに美しい世界なのだから。

 そして,これこそが「サクセスフル・エイジング」。

2014年5月26日月曜日

千秋楽の一番。下手くそな八百長相撲。後味の悪さが残る。

 白鵬の圧倒的な強さだけが光った一番だった,と多くのメディアは絶賛するだろう。そして,白鵬の優勝を絶賛し,こころから言祝ぐことだろう。そして,日馬富士は優勝戦線から脱落して気落ちしたか,雑な相撲をとった,と。

 しかし,わたしの眼にはそうは写らなかった。
 これは日馬富士のひとり八百長だったのだろうか。それとも白鵬も承知の上だったのだろうか。あるいは,途中でわかったのだろうか。と,三つの見方が同時にわたしの頭のなかを駆けめぐっている。

 土俵上の相撲の流れをみるかぎりでは,日馬富士のひとり八百長,とみるのが自然だ。それにしては下手すぎた。最後の投げられ方(上手出し投げ)は,昨日の琴奨菊とまったく同じだった。まるで,格の違いをみせつけるような演出だった。あそこまでやってはいけない。少し眼の肥えた相撲ファンにはバレバレになってしまう。

 ひとり八百長でもなさそうだな,という見方もある。それは,控えに入ってからの白鵬の顔つきがいつもとは違っていた。いつもは,控えに入ってからも眼つきは鋭く,闘志を全面にみなぎらせている。しかし,千秋楽はそうではなかった。腰を下ろして座ったときから,どこか悟りきったようなおだやかな顔をしていた。目つきもどこかトロンとしている。このときから,わたしは「おやっ?」と思って,以後,土俵に上がるまでの白鵬の目つきを追った。ずっと静かな,そして柔らかなまなざしのままだった。

 土俵に上がってからは,いつもの白鵬の目つき・顔つきになった。日馬富士の方はいつもとまったく同じ顔つき。そして立ち合い。日馬富士はもろ手突きででたが足が動いていない。まったくいつもの立ち合いとは違う。白鵬は左から張手,そして,やや左に回り込んで左上手をとる。これで十分の組み手となる。日馬富士は左上手も引けないまま,右を差して,動こうとはしない。どうしたんだ,とわたし。動け,動いて動いて左の上手を狙え,さもなくば巻き替えて双差しを狙え,とわたし。しかし,一向に動こうとはしない。それどころか,日馬富士のやったことは両足を揃えて腰を低くして身構えたことだ。まるで白鵬の寄り身に備えているかのようにみせていたが,その意図は激しい寄り身をみせた上で,上手出し投げを打ってくれという合図を送ったのだ。

 白鵬は,よしわかった,とばかりにちょっと寄りをみせてすぐに出し投げを打った。日馬富士はなんの抵抗もしないでみごとに投げられ,転がっていった。これは日馬富士の思惑とはいささかズレがあった。日馬富士は白鵬の寄り身に備える体勢をつくったのだから,激しく寄り身をみせて,それを日馬富士が必死でこらえる,その場面を演出したかったのだ。その上で,出し投げを打ってくれ,と。だが,白鵬はほんのちょっと寄りをみせてすぐに出し投げを打った。さきを急ぎすぎたのである。少なくとも,あの場面は,真っ赤になって寄り身をこらえる日馬富士の見せ場をつくった上で,最後に出し投げを打つべきだった。そうすれば申し分のない完璧な八百長だった。まだまだ白鵬はわかっていないなぁ,そして,下手くそだなぁ,というのがわたしの見立て。

 さて,みなさんの見立てはいかがなものだったのでしょうか。

 もうひとこと加えておけば以下のとおり。
 稀勢の里が,もしも負けていたら,日馬富士は勝ちにいっただろう。しかし,稀勢の里が勝ったので,ここは白鵬に華をもたせてやろう,ということになったのだろう。その意味では,日馬富士のひとり八百長。でも,最初から仕組まれていた可能性もなきにしもあらず,という見方もある。

 これもまた大相撲の醍醐味というもの。こういう楽しみ方もあり,というのがわたしのスタンス。

2014年5月25日日曜日

新国立競技場計画はこのまま突き進んでしまって,ほんとうに大丈夫なのか。

 日本建築家協会が,国民の間に異論が多いので,国立競技場の解体工事を延期するよう関係機関に申し入れをした。それに対して,文部科学大臣兼五輪担当大臣である下村氏は「もう時間切れだから予定どおり進める」と応答し,東京都知事の舛添氏は「これから視察をして判断したい」とこれまた時間切れ作戦の応答。JOCの竹田会長はIOCとの約束ごとでもあるので,いまさら変更はできないと応答。

 しかも,新国立競技場のコンペから選定,そして工事計画にいたるまで中心的役割を担っているはずの日本スポーツ振興センター(近く改組される予定)は,一切を無視してだんまりを決め込んでいる。だから,関係者がどのような議論をし,どのような計画変更をし,最終的にどのような案で進めていこうとしているのか,まったく不明。まさに,藪の中。まるで秘密保護法に守られているかのように。

 なんともはや気の抜けた応答ばかり。

 新国立競技場問題は,コンペの段階から,つまり,去年の夏前から,建築家の間では大いなる疑問の声があがり,もう一度,見直すべきだという声があがっている。それ以外の市民団体までも声を挙げ,運動を展開している。そして,多くの意見書が提出されてきている。

 建築家の槙文彦氏は,公開のシンポジウムまで開催し,コンペの主査をつとめた安藤忠雄氏に参加を呼びかけた。しかし,あっけなく拒否されてしまった。なんとも情けない男であることか。元ボクサーで,独学で東大教授になった,国際的に著名な建築家,ともあろう人が。シンポジウムに参加してみずからの主張をすることもできないなんて・・・。公の席に顔を出すこともできないほどの「後ろめたさ」を背負っている,ということがバレバレ。

 
 オリンピック・ムーブメントを国民の間に周知徹底させる上でも,新国立競技場の建設計画については,公開すべきではないか。そして,大いに議論をして,多くの国民が納得づくで五輪開催を盛り上げるべきではないか。そのための絶好のチャンスではないか。それをあたら握りつぶしてしまい,すべては密室で決めようとしている。民主主義を標榜する日本国家として情けない。

 いったいオリンピックはだれのものなのか。広く国民のものではないのか。特定の関係者だけが密室で好き勝手に,なにもかも決めてしまっていいのか。しかも,巨額の税金を使って。狭い範囲の仲良しクラブのお友だちだけで,お手打ち式に,ものごとが決まっていく。そこには批評の目が抜け落ちてしまう。大きな落とし穴にだれも気づくことなくことが進んでいく。そのさきに待ち受けているものは「カタストローフ」。

 このまま新国立競技場の建設に突き進んでいけば,間違いなく破局が待ち構えていることを予言しておこう。その理由をいちいち論うことはやめておくが,そんなことをしなくても,いまや,だれの目にも明らかなことだ。

 それでもやみくもに突き進んでいくのだろう。しかし,その最後の責任はいったいだれが取るのだろうか。どうやら,だれも責任を取らなくて済むように「密室」と「守秘義務」が用意されているらしい。そして,なにもかも闇から闇へ。そのツケは全部,国民に押しつけて,おしまい。

 日本という国家はどこまで腐ってしまったのだろうか。東京五輪開催もまた,その腐ったままの体質で押し切られようとしている。あなおそろしや。

 くわばら,くわばら。どうせ,もとはすがわら。
 えっ? いずもだって?
 そう,カッパの屁。

2014年5月24日土曜日

野口雨情・覚書。「橘」─「楠」姓から「野口」姓へ。三河・加茂郡野口村に縁故。

 北茨城市に旅にでる機会があって,野口雨情の生家を尋ねました。この生家の屋敷内に「野口雨情生家資料館」を建てて,雨情の直系の孫にあたる野口不二子さんが管理されています。わたしが尋ねたときには不二子さんはご不在で,その婿養子になられた旦那さんがガイドをしてくださいました。

 驚いたのは,野口雨情の祖先はたどっていくと,楠正季(正成の弟)にゆきつくということ,しかも,楠一族の祖は橘諸兄だというのです。その家系図が掛け軸になって掛けてあって,たしかにそのように書いてありました。橘諸兄といえば,母は橘三千代。その夫は藤原不比等。橘諸兄の父は敏達天皇の子孫である大宰師美努王。光明皇后(夫は聖武天皇)の異父兄。本命からは少しはずれるものの藤原一族の末端に位置づく人物です。のちに,藤原不比等の4人の息子がことごとく病死してしまったので,急遽,その穴埋めとして朝廷の左大臣として取り立てられます。そして,ついには聖武天皇を支える重鎮として大きな業績を残すことになります。

 この橘諸兄の末裔が楠一族だそうで(これには異説も多い),その頂点に立つ楠正成の弟の正季が野口雨情の祖だというのです。が,この楠一族は南北朝時代の南朝・後醍醐天皇に味方し,湊川の合戦で敗れて,逃げ落ちていきます。そして,ついには身分を隠して,三河・加茂郡野口村(現・豊田市野口町,いまも飯田街道沿いの小さな町)に逃げ込みます。そこで,追手の目をくらますために楠の姓を捨てて,野口姓を名乗ります。このときから野口家がはじまります。

 それからさらに時代がくだって,江戸時代に入り,楠一族の残党が北茨城に隠れ住んでいるという話を頼りに移住し,こんにちの磯原に定住することになります。そして,初代水戸藩主徳川頼房(家康の第11男)に取り立てられ,郷士として仕えることになります。水戸黄門さんも野口雨情の祖先を可愛がり(水戸学によって楠正成は「悪党」から一気に「勤皇の志士」に引き上げられます),しばしば磯原の野口家を訪れ,海を眺めて楽しみ,とうとう「観海亭」と命名したといいます。それが,こんにちの雨情生家のもとだというのです。

 そして,以後,野口家からは数々の名士が誕生し,各界で活躍をし,その名を残しているといいます。その最後に登場したのが野口雨情というわけです。

 こんなことがわかってきますと,三河出身のわたしとしては,とても他人事とは思えなくなってしまいました。ので,帰り際に,野口不二子著『野口雨情伝──郷愁と童心の詩人』を買ってきました。これから中を読んでみようと思っています。

 そして,ふと気づくのは,童謡はいろいろの人がつくった歌もふくめて,ずいぶん馴染んできたはずですが,いまも記憶していて歌えるのは野口雨情の童謡ばかりです。そして,その歌詞をよくよく考えてみますと,ふつうの日本語とはいささか趣を異にしていることがわかります。ちょっと変な日本語という感じなのですが,なぜか,すんなりとからだの中にしみ込んできます。そして,そのままこころの奥深くに定着し,記憶されてしまいます。野口雨情の「童心」のままに作詩された歌詞がそのままわたしのこころを捉えて離さない,そんな感覚です。

 伝記には「CD」がついていますので,あとで歌詞を堪能しながら,ゆっくり聞いてみようと思います。ちらりと本の中を覗いてみましたら,野口雨情のヒット曲のほとんどは中山晋平が作曲していることがわかります。なるほど,この名コンビが,あの数々のヒット曲を生んだのだ,と納得してしまいます。

 北茨城市の旅で,思いがけない発見をすることになり,とても満足しています。北茨城市といえば,岡倉天心の六角堂があります。ここも尋ねました。こちらについては,また,いずれ書いてみたいと思います。

2014年5月23日金曜日

〔主文〕大飯原発3,4号機を運転してはならない。

 大飯原発訴訟の判決要旨を熟読してみました。何回も何回も繰り返して読み直してみました。とてもよくできた判決文で,感動しました。そこには生きものとしての生身の人間を重視する立派な思想・哲学が存在している,と感じ取りました。この判決を導き出した樋口英明裁判長にこころから敬意を表したいと思います。「司法は生きている」と心強くも思いました。

 この判決文を読んで,もっとも印象に残ったことは,「3・11」以後を生きる人間にとってなにが大事なのか,という司法の考え方が明らかにされたことでした。「3・11」以前と以後とでは,この国のあり方そのものが根源的に変わらざるをえなくなった,という良識がこの判決文に生き生きと脈打っています。まずは,そのことに,感動しました。これでなくてはいけない,とつねづね考えてきたことが,司法の場で機能していることを知り,こころから安堵しました。

 政治家の圧倒的多数が,上はトップから下は地方議会の議員にいたるまで,「思考停止」状態のまま,狂ったトップの言いなりになろうとしています。情けないことに・・・。韓国のセウォル号の悲劇はけして他山の火事ではありません。日本という国全体を巻き込んだ「日本丸」が,いま,まさに沈没しそうになっているのですから。そのことに,ようやく多くの国民が気づきはじめた「いま」,この大飯原発訴訟の判決が出されたことはとてもタイムリーで意義のあることだった,とわたしは考えています。

 「大飯原発3,4号機を運転してはならない」。これが主文です。まことに簡明で分かりやすい名文です。そして,〔求められる安全性〕の冒頭には以下のように書かれています。

 「原発の稼働は法的には電気を生みだす一手段である経済活動の自由に属し,憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。」

 なんと明快な文章でしょう。法律の世界に疎いわたしのような人間にも,すんなりと呑み込めてしまいます。原発の稼働は経済活動であって,人間の命にかかわる人格権よりも劣位にあるのだ,と明言しています。電気代と命,どちらが大事か,ということの憲法上の考え方(法的根拠)が提示されたのです。

 その上で,〔原発の特性〕を説き,〔大飯原発の欠陥〕を指摘し,〔冷却機能の維持〕についての考え方があまりに楽観的にすぎると批判し,さらに〔使用済み核燃料〕の処理方法についても,確かな展望もえられない脆弱なものだと断定。さらに〔国富の喪失〕について触れ,以下のような重要な指摘をしています。

 「被告は原発稼働が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが,多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり,議論の当否を判断すること自体,法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても,豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ。」

 「被告は,原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが,福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり,原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。」

 そして,最後に〔結論〕として,「原告のうち,大飯原発から二百五十キロ圏内の住民は,直接的に人格権が侵害される具体的な危険があると認められる。〕と結んでいます。

 以上のように,この判決文は,とてもわかりやすくて,説得力のある,みごとな見解を示してくれています。少し冷静に考えれば,だれでもわかる理屈ばかりです。にもかかわらず,「思考停止」してしまった政府(菅義偉官房長官)は「再稼働方針は変えない」と判決後の記者会見で述べて平然としています。また,原子力規制委員長の田中俊一氏も「大飯原発は従来通り,われわれの考え方で適合性審査をする」と言っています。(※原子力規制委員6名全員が,もちろん,委員長もふくめて全員が電力会社や関連会社から研究費という名のリベートをもらっている,という事実が今日・23日の新聞に報じられています。規制委員会とは名ばかり。この委員会こそが「規制」されている,という笑えない事実こそが肝要。)

 わたしたちは,この司法による,じつに明快で,論理的整合性に支えられた立派な判決文を熟読玩味して,原発再稼働に突っ走る政府自民党に歯止めをかけていくことが,まさに,喫緊の課題です。これからは,この判決文を旗頭にして,あらたな闘争の段階に入っていくことができます。ひとつの明るい灯火がえられた,とわたしはこころから喜んでいます。

 みなさんはどのようにこの判決文を読まれたのでしょうか。お聞かせください。
 ではまた。お元気で。
 

2014年5月22日木曜日

抗ガン剤(TS-1)投与の開始。はたしてその反応やいかに。

 兼ねて主治医と相談の上,今日(5月22日)から抗ガン剤(TS-1)投与がはじまりました。まずは,ワンクール・3週間の予定です。そして,そのあと3週間,お休みをして,また,ワンクール・3週間,という具合につづきます。問題は副作用です。はたしてどのような副作用と遭遇することになるのか,こればかりはやってみないとわからない世界だそうです。

 錠剤とわたしとの相性の問題だそうです。個人差があって,どのような反応がでてくるかはまったくわからない,とのこと。主治医から手渡されたマニュアル本は,読めば読むほどに不安になってくる不思議な本です。まあ,癌細胞の活動を抑え込むためには,正常細胞も相当のダメージを受けるわけですから,ある意味ではいたちごっこのようなところがあります。ですから,まずは,癌細胞と上手に付き合っていくしかないというわけです。

 気がかりなのは,白血球の数が減少するので,免疫力が低下する・・・・というマニュアル本のくだりです。そして,衛生マスクをするように,とあります。一番の基本がやられてしまうのか,と思うとあまりいい気分ではありません。つまりは,そのつもりでおとなしくしていなさい,と宣告されているわけです。これまで免疫力だけは自信があったのに,それが低下するという。ちょっと参りました,というところです。

 でもまあ,そんなことは言ってられませんので,しばらくは様子をみながら抗ガン剤とお付き合いをしていこうと思っています。もし,なにか致命的な不都合なことが起きるようでしたら,主治医と相談をして,つぎの方法を考えるようにしたいと思います。

 マニュアル本というものはとても親切というか,微にいり細にわたって説明がしてあります。しかし,活字で書かれた内容は,情け容赦なくわたしのこころにぐさっと突き刺さってきます。たとえば,副作用として考えられるものは以下のとおりです,と書かれてあって一覧表になっています。発熱,吐き気,下痢,腹痛,うつ,・・・・・というような症状がでる確率が,それぞれ10人中何人と書いてあるわけです。そうすると,いずれ,このうちのどれかには出会うことになるのだろうなぁ,と思わずにはいられなくなってしまいます。

 下痢などは,いまでも食べすぎると,ほぼ間違いなく起こります。他の症状も同じです。そうなりますと,これらの症状が抗ガン剤による副作用なのか,それとも食事のとり方の問題なのか,その区別がつけにくくなってしまいます。ですから,これはあまり神経質にならないで,なるようにしかならない,と覚悟を決める以外にないようです。

 まあ,こんな錠剤投与を一週間つづけたあとの8日目には入院して,さらに強い抗ガン剤の投与があるとのことです。そして,水分をふんだんに補給して,薬を流しだすことをやるそうです。これでどんな具合か様子をみようというわけです。期間は4泊5日の予定です。

 なにもかも初体験。しかも,他人の経験知はほとんど役に立たないという世界。とにかく,やってみて様子をみる。そして,ちょうどぴったりと合う処方を見出すこと,それにつきるようです。ですから,いまから騒いだところではじまりません。

 幸いなことに主治医との気心が通じ合っていますので,その点は安心です。ですから,大船に乗ったつもりで,あとは漕ぎだした海洋の状態がいいことを祈るのみです。

 今朝から錠剤の投与をはじめて,いつものようにパソコンを背負って鷺沼の事務所にやってきて,このブログを書いています。いまのところこれといった変化はみられません。できるだけ,これまでの日常性を維持していきたいと思っています。変に引っ込み思案になるよりは,「いつもどおり」を心がけてみたいと思います。

 以上,ご報告まで。
 

白鵬に土。いよいよ大相撲が面白くなってきた。ここからが星のつぶし合い。

 白鵬に土がついた。負けるはずのない相手に,墓穴を掘るような負け方だった。勝った豪栄道を褒めるべきだが,こんな雑な相撲をとった白鵬はみずから敗因をつくってしまった,というのが実情だ。この相撲をどうみるか。

 白鵬は取り組み後に「勝負あったと思った」と言ったそうだが,それは言い訳にすぎない。今日までの白鵬の相撲をみていてそう思う。相手を寄り切って,自分も土俵の外にでているのに,相手をさらに土俵下に突き落とした(つまり,駄目だしをした)相撲があった。なんということをするんだ,とわたしは憤った。また,相手を一直線に電車道を走るように寄り切って勝負がついているのに,勢い余ってそのまま土俵下まで転げ落ちていった相撲もあった。なにをやってるんだ,とわたしは独りごちた。

 今日の一番は,肩すかしを引いた白鵬の体勢も崩れていて,土俵際まですっとんでしまった豪栄道を,あと一押しするだけの体が残っていなかったのだ。だから,慌てて突き出そうとした。その崩れたままの体をいなされた。こんどは白鵬が土俵際まで飛ばされた。かろうじて残し,振り返ったときには,もう豪栄道の思いのままだった。

 白鵬は強い。他の力士とは格段の差がある,そういう強さがある,と解説の元力士たちは口を揃えて言う。そして,その強さを見せつけることに生きがいを感じているのではないか,と解説者はみんな口を揃えるようにして言う。あまりにみんながみんな同じことを言うので,これは日本相撲協会の興行上の戦略ではないか,とわたしは勘繰っている。

 わたしの眼には,白鵬は焦っているように見える。実力的にはもはやそんなに大きな差はない。それに以前のような長い相撲をとるだけのスタミナに自信がない。だから,できるだけ早く勝負の決着をつけてスタミナを温存しようとしているように見える。だから,土俵下にいるときから眼はぎんぎらぎん。土俵に上がるとさらに目つきが鋭くなり,相手を威圧するかのように睨み付ける。そして,立ったらすぐに攻撃にでて,一気に勝負をつけようとする。それで,地位の低い力士には通用する。しかし,上位の力士にはそうはいかない。その好例が今日の豪栄道との一番だ。

 さて,残るはあと4番。2大関,2横綱との対戦を残すのみだ。白鵬がほんとうに強いかどうかは,この4日間ではっきりする。とりわけ,明日(22日)の稀勢の里との一番がみものだ。大関がここまで落ち着いた相撲をとってきているので,明日あたりひと波瀾あってもおかしくはない。けんか四つなので,立ち合いがみもの。そして,得意の組み手になった方が有利。

 先場所は,鶴竜に突きたてられて,なすすべもなく負けている。鶴竜の今日のような低い立ち合いから,思い切った突っ張りが炸裂すると面白くなる。日馬富士も,前半の負けが嘘のように,スピードに乗ったいい感じの相撲がもどってきている。千秋楽の一番は日馬富士も燃えるだろう。となると,終盤の白鵬は先場所と同様に黒星を重ねることになりかねない。

 こういうことが白鵬の念頭にあるために,前半戦はどんなことがあっても取りこぼしをするわけにはいかない,という引くに引けない強い決意が,最初から顔に現れていた。ただ,それだけのこと。それほどに焦っている,というのがわたしの見立て。

 これは,以前からのわたしの持論であるが,白鵬がひとりダントツに強いのではなくて,他の力士が弱すぎた,ただそれだけ。ところが,ここにきて他の力士が力をつけてきた。そして,肉薄するようになった。しかも,調子のいいときの日馬富士には勝てない。鶴竜にも,先場所をみるかぎりでは,実力的には超えられてしまった。この二人に勝つための先制攻撃が白鵬にはない。だから,先手がとれない。どうしても受けにまわってしまう。そこが白鵬の大問題だ。

 さて,明日からの星のつぶし合いが熾烈になる。その最初の難関が稀勢の里戦だ。お互いの実力が伯仲してきたので,まったく予断を許さない。だからこそ面白い。これぞ大相撲の醍醐味。

 残り4日間。存分に堪能することにしよう。

2014年5月21日水曜日

西谷修さんのFacebookを拝見して,びっくり仰天。

 稽古のあとのランチタイムで,久しぶりに話が盛り上がりました。西谷さんがしばらく前からFacebookをはじめられたという話はうかがっていました。が,ああ,そうなんだ,という程度の認識でしかありませんでした。といいますのは,わたしもFacebookなるものに参入しようと考え,開設してしばらく様子をみようと思っていましたら,そこにつながってくる人たちの話題が,わたしの関心事とはかみ合いませんでした。みなさん,それぞれにご自分の世界を楽しんでいらっしゃって,それはそれで楽しそうなのですが,ここ数年のわたしの関心事とはクロスしませんでした。ですから,西谷さんが発信するFacebookとはどんなものなのかなぁ,と想像はしていましたが,それっきりになっていました。

 しかし,今日の西谷さんと柏木さんの会話(西谷さんのFacebookの内容についての話題)を聞いていて,えっ,そんな話題が書かれているのか,と驚いてしまいました。そういえば,最近の柏木さんのブログが冴え渡ってきていて,この人はすごいなぁ,と感心していたところでした。たしかに,西谷さんの著書をせっせと読んでいらっしゃることも知っていましたので,さもありなん,と思っていました。が,それに加えて西谷さんのFacebookの熱心な読者でもあった,という次第です。

 そこで,今日は雨も降っていましたので,鷺沼の事務所に行くのは中止して,自宅に引き返し,大急ぎで西谷さんのFacebookに飛び込みました。そこは「西谷ワールド」満開の世界でした。西谷さんのブログとはまた一味違ったフットワークの軽さと守備範囲の広さ,そこにカミソリのような鋭い警句が織り込まれていて,すっかり瞠目してしまいました。

 なにより驚いたのは,西谷さんのアンテナにひっかかってくる情報提供者たちの,それぞれの専門的なバックグラウンドに支えられた情報の質の確かさです。たとえば,いま,話題の『おいしんぼ』の「鼻血」問題も,それは間違いのない,しっかりとした事実にもとづく作者の取材の結果であることを,教えてくれます。しかも,四つの大学が調査した結果のデータまであって,その報告書も当該の各地方自治体には提出されている,といいます。もちろん,政府機関にも提出されていることも明らかにされています。

 だとしたら,嘘をついているのはだれか,ということになります。それにメディアが加担して,「風評被害」だけがクローズアップされ,そこにポピュリズムが便乗していきます。そして,肝心要の事実関係の確認が宙に浮いてしまっています。こうして,またまた大事な事実が隠蔽されようとしています。イシハラ君などは担当大臣として,ポピュリズムを煽るようにして,かくなる事実のもみ消しに必死です。しかし,こんなことは,やがて事実関係が明らかになるのは時間の問題です。鈍感で,アホなメディアも,そろそろ変だな,と気づきはじめてきているように思います。その原動力になっているもののひとつが,このFacebookによって構築されている情報ネットワークである,ということがわかってきます。

 というような具合で,このネットワークは使い方次第だ,ということに気がつきました。遅きに失した感はありますが,気づいたときが吉日。これからは,テーマごとにそのアンテナを張って,その背後にある事実関係を確認していこうと思いました。もちろん,がさネタもネット上にはいっぱい流れていますので,そのあたりのところをきちんとチェックしていく必要があります。そして,ソースの源までたどりつく努力をすれば,あとは安心です。

 いつしか文明の利器から取り残される年齢になっていることに,いささか焦りを感じないわけではありません。でも,それはまあ仕方のないこととして,えっちらおっちら,できる努力をしていくことにしましょう。それにしても,西谷さんのFacebookによって開眼させられました。そして,楽しみがひとつ増えました。これで,テレビに向かって吼えることも,いくらか軽減されることでしょう。それどころか,ことの真相により接近できる喜びを感じることができるでしょう。あるいは,真相を知れば知るほど,逆に絶望に追いやられてしまうかもしれません。

 いずれにしても,当分の間は,Facebookで情報探索を試みてみようと思います。
 その意味で,西谷さんに感謝。そして,柏木さんに感謝。
 こういう人たちと接点がもてるということは,まことにありがたいことです。
 

2014年5月19日月曜日

「ISC・21」5月大阪例会(通算82回目),無事に終了。

 表記の研究会(世話人・松本芳明)が5月17日(土)の午後に,大阪学院大学を会場にして開催され,無事に終了しました。通算82回目の研究会でした。数えてみてびっくりです。よくつづいているなぁ,とわれながら感心。でも,いつのまにか淘汰されて参加する人数は減少。でも,その代わり参加される人はみんなとても熱心。白熱した議論で盛り上がります。

 とくに盛り上がった議論のいくつかを紹介しておきますと,以下のとおりです。

 まずは,学会誌に論文を投稿する段階で,ドイツ語の訳語をどのようにすればいいか,という問題がSさんから提起されました。ひとつは,Eigenwesen.もうひとつは,Kunstbewegung.いずれも直訳では日本語として意味をなしません。そこで,ドイツ語の意味内容にできるだけ近い日本語を,ある程度,意訳して当てはめていくしかありません。

 まずは,Eigenwesen.訳本によれば「固有性情」と訳されているのですが,これではなんのことか意味が不明になってしまいます。むしろ,直訳して「固有の本質」,あるいは,「個々の本質」,または,本質のところを「存在」に置き換えてみる方がなんとなく意味がみえてきます。しかし,それでもまだしっくりはしません。ですから,もう少し意訳して,ぴったりの訳語を探さなくてはなりません。いろいろ議論してみましたが,結論には達せず。

 もうひとつのKunstbewegungもまた同様でした。直訳すれば「芸術運動」となってしまい,これでは思想運動になってしまいます。体操運動の訳語としては不適切です。芸術に代わる訳語としては「技術」「技芸」などがありますが,いずれもぴったりきません。こちらも結論には達せず。

 しかし,いま,少し気持の落ち着いたところで考えてみますと,以下のように考えるといいのではないかと思います。

 Eigenwesenは,運動をする存在ということを前提に考えてみますと,「生きもの」そのものを意味していることがわかってきます。となりますと,「個々の生きもの」というイメージが湧いてきます。しかも,生きもののうちでも,植物ではなくて動物であることもわかってきます。となれば,「個々の動物」くらいの意訳も可能となってきます。

 もうひとつのKunstbewegungは,その対立語がNaturbewegung(自然運動)だということですので,それを強くイメージして訳語を考えてみればいいように思います。自然運動は,あらゆる動物が生まれながらにしてからだを動かすことのできる運動の総称だとすれば,Kunstbewegungは,Naturbewegungをベースにした,人間だけに可能な創意工夫した運動のことではないか,ということがわかってきます。だとすれば,Kunstbewegungは「創意工夫運動」,あるいは「創造運動」という訳語が可能ではないかと思います。

 このあと,わたしのプレゼンテーションがありました。題して「歴史の天使」と「クンスト」(Kunst)について。(内容は省略)。

 最後に,『聖なるものの刻印』(ジャン=ピエール・デュピュイ著,西谷修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,以文社)の読書会。こちらは時間切れになってしまいましたので,次回(6月神戸例会)に引きつづき行うことになりました。

 以上。時間切れ。未完成。
 

2014年5月17日土曜日

クレーの絵「天使というよりむしろ鳥」と「動物たちが出会う」から見えてくるもの。

 このブログは5月8日のブログのつづきです。つまり,パウル・クレーの「十字架のもう一人の天使」と『ユダ福音書』について,のつづきです。

 パウル・クレーの「天使」の絵を探していたら,「天使というよりむしろ鳥」という題の絵が見つかりました。この絵は眺めていると不思議な光景が立ち現れてきます。たとえば,天使が羽を休めてうたた寝をしているようにも見えます。そして,その内に自分が天使であることも忘れてしまって,いつのまにか鳥になってしまっている・・・・そのことにすら気づいてはいない天使・・・。そんな絵にもみえてきます。


 たぶん,この絵を描いたクレー自身も描きあげてからじっと眺めているうちに,天使を描いたつもりだったのに,よくみると「むしろ鳥」ではないか,と気づいたに違いありません。そこで,ありのままに「天使というよりむしろ鳥」という題名をつけたのでしょう。

 ここまではいいとして,ここからさきが大変です。

 つまり,画家としてのパウル・クレーの立ち位置の問題です。つまり,この絵はパウル・クレーという人間の境涯がそのまま表出している・・・・,そのことに間違いがないとすれば,その立ち位置とはいかなるところになるのか,が問題となります。いろいろな見方があるかと思いますが,わたしの見方は,簡単に言ってしまえば,「天使と鳥の間」を自在に行き来することのできる位置,ということになります。それがクレーの創作の原点である,ということになります。

 このあたりのことを,前回のブログの最後のところに掲げた詩がよく表現しているように思います。もう一度,確認の意味で,そのポイントの部分を引用してみましょう。

 この世はぼくを捉えようもない。
 死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
 ちょうどよく暮らしているのだから。
 創造の中心にふつうよりちょっと近く。
 でもまだ十分に近くはない。

 ここが,恐らくパウル・クレーの立ち位置なのでしょう。つまり,内在性を生きる場。そこが「創造の中心」。その中心に「ふつうよりちょっと近く」「でもまだ十分に近くはない」とクレーが自覚しているその場。そこは「死者たちや,生まれてもいない者たちのところ」。すなわち,「この世」とは次元の異なる世界,自他の区別のない霊的な世界,なにものにも拘束されることのないまったくの自由自在の世界,すなわち「内在性の世界」。

 その世界で身もこころも自由に浮遊しながら鉛筆を走らせ天使を描いてみる・・・・なにが表出してくるかは自分にもわからない。だって,自分の存在すら不明なのですから。そこから「天使というよりむしろ鳥」という作品が生まれてくるわけです。

 このことを,わたしに確信させた作品が「動物たちが出会う」という作品です。


 この作品に出会って,まっさきに直感したのが,バタイユのいう「動物性」の世界でした。あの有名な「水の中に水があるような存在」の仕方,それがバタイユのいう「動物性」の世界であり,「内在性」の世界です。

 当然のことですが,この絵のなかにはヒトも描かれています。それは,もはや「人間」ではなく,純粋な動物としての「ヒト」です。まさに「ヒト」という動物になりきって,動物たちのなかに溶け込んでいます。クレーもまたこの世界のなかに溶け込んでしまっています。ですから,「この世はぼくを捉えようがない」と書き,「死者たちや,生まれてもいない者たちのところで」「ちょうどよく暮らしているのだから」と書くわけです。

 もう少しだけジャンプしておけば,この世界は,『ユダ福音書』をとおしてグノーシス派が伝えるイエス・キリストの理想とした霊魂の自由な世界に通じているように思います。それは,同時に,仏教的世界観にも通底しているように思います。仏教は,死によってなにかと拘束の多い肉体から解放された霊魂が,ようやく自由を獲得し,涅槃の世界に遊ぶことを理想とするからです。禅の世界でいうところの禅定もまた「自己と自然存在との融合」をめざします。

 さきほど引用した詩の最後の一行はつぎのようになっています。
 「・・・・それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら」。
 ここのところをどのように読み解くかは,ここではこれ以上の深入りはしないでおこうと思います。また,機会をみつけて挑戦してみたいと思います。ただ,ひとことだけ。それは,クレーはグノーシス派のキリスト教解釈と共感していたのではないか,ということだけは指摘しておきたいと思います。

 こうなってきますと,クレーの描いた「新しい天使」から「歴史の天使」をイメージしたベンヤミンの洞察力の深さに,いまさらのように驚いてしまいます。そして,「歴史とはなにか」と問う地平の深さの前で茫然自失してしまいます。このあたりのことを17日の午後に開催される5月大阪例会で,どこまで踏み込んで話すことができるか,わたし自身へのチャレンジです。

 大きなテーマがまたまた立ち現れてきました。楽しみがまたひとつ増えました。これぞ,元気の源というべきか。とりあえず,今日はここまで。
 

2014年5月16日金曜日

「集団的自衛権,そんなんあかんやろ?」(奈良の中学生の声)。

 奈良県で教職についているわたしの若い友人から,5月14日の朝,つぎのようなメールがとどきました。前日(13日)夜の親子の会話です。息子さんは中学生(?,わたしの推測)。夕食時のテレビ・ニュースを聞いていての会話だそうです。

 息子:あれは許されへんわ。
 父親:なに?
 息子:集団的自衛権。そんなん安倍さんが変えたら,つぎ代わった人がまたそれを使ってええように変えるやん。そんなンあかんやろ。
 父親:たしかになぁ。
 息子:それにな,第三次世界大戦に日本が参戦するということになるやん。あかんやろ。なんで今変えようとするん?
 父親:アメリカに「言うこと聞いてますよ」とアピールしてはるんちゃう?
 息子:もう変えられへんねやろ?安倍さんが進む方向を。僕らとか,国民が,おいおい,と言っている間に変わっちゃうねんな。あかんやろ。

 こういう会話が,父と子の間で成立している家庭がまだまだ健在だということを知って,それがまずなにより嬉しかったことでした。そして,こういう会話ができる家庭の子どもは,たぶん,素直に世の中と向き合い,疑問に感じたことをそのまま「あかんやろ」と表現できるようになるのだろうなぁ,と想像しました。

 ごくふつうに育ち,ごくふつうの感性をもち,ごくふつうに考える力をもった中学生なら,ごくふつうに疑問をいだく,それが「集団的自衛権」。そして,それをくい止めることもできないなんて「あかんやろ」と素直に言うことができます。。しかし,思考を停止してしまって,単なる金の亡者となりはててしまった大人は,なんの疑問もいだくことなく,総理大臣の言うことだから,とまるごと信じてしまいます。

 自分の主張をとおすためなら,どんな詭弁でも,いやいや真っ赤な嘘(under control)でも平気で言えるアベ君ですので,その本性は集団的自衛権の主張でも同じでした。

 昨日(15日)の記者会見でも,みごとな詭弁を弄していました。たとえば,こんな事例を挙げていました。アメリカの輸送艦船に日本人(あなたの子どもさんやご両親)が乗っているときに,敵の攻撃を受けたとしても,日本は手も足も出せないのです。こんなことでいいのでしょうか。日本人の命を守るのは国家として,政府として,総理大臣として当然の義務です。それができるようにしようというのが集団的自衛権です。という具合でした。おまけに,稚拙なパネルまで提示して。

 聞いていて笑ってしまったのは,アメリカの輸送艦船に乗船する日本人とはどういう人のことを言っているのでしょう。その艦船に敵が攻撃してきたとき・・・というときの「敵」とはどういう国のことを言っているのか。いま,攻撃してくる可能性があるとしたら,アメリカがテロリストと名づけている集団だけです。しかも,テロリストの集団は国家ではありませんから,戦争にはなりません。一発攻撃だけです。しかも,攻撃される理由は不問に付しておいて,ただちに日本国は友軍を送らなくてはならない,と考えるアベ君の思考のレベルの低さが恐ろしいと思いました。こんな人がいまの日本国のリーダーなのです。恐るべしです。

 日本は戦争をしないと宣言し(憲法第9条),軍隊ももたない姿勢を貫いてきました。ひたすら,警察権と自衛権を前面に押し立てて,その姿勢を貫いてきました。なによりも,それを求めたのはポツダム宣言の戦勝国でした。ですから,国際社会もまた,それを守りつづける日本国を高く評価してきました。最近の情報では,日本の憲法第9条はノーベル平和賞にノミネートされたといいます。それほどに世界が注目している憲法なのです。

 積極的平和主義とは,憲法第9条を全面に押し立てて,世界外交を展開していくことだ,とわたしは考えます。しかし,アべ君はそうではありません。集団的自衛権の行使を容認することによって「抑止力」が高まること,これがアベ君のいう積極的平和主義だそうです。このことを15日の記者会見では何回も繰り返し主張していました。「あかんやろ」とくだんの息子さんなら言うでしょう。こういうアベ君の単純な発想による「抑止力」の最終ゴールは「核」を保有することになります。この発想は北朝鮮とまったく同じです。

 いよいよ日本国は戦争のできる国へと第一歩を踏み出そうとしています。くだんの息子さんに「あかんやろ」と言われないように,われわれ大人の踏ん張りどころを迎えました。こんどこそ「火の粉」がふりかかってくる話です。黙っているわけにはいきません。なにはともあれ,まずは,できるところから行動を起こすしか方法はありません。

 くだんの息子さんには,はがき一枚でいいから,官邸にむけて「集団的自衛権,それはあかんやろ」と書いて送るよう提案します。そして,友達にも声をかけて,その輪を広げていってください,と。沖縄では基地反対闘争には親子で参加し,小学生も中学生も,壇上に立って声明文を読み上げています。それが当たり前の風景になっています。本土ははるかに立ち遅れています。これからでも遅くはありません。できるところから,まずは,行動を起こしましょう。

(未完)。

5月15日はなんの日?「おんぶにだっこ」のヤマトンチュのほとんどの人は知らない。

 「沖縄の人に会ったら,抱きつきたい」と去るシンポジウムのコメンテーターをつとめた和田春樹さんが発言され,以後,ずーっとこのことばがわたしの耳の奥で鳴り響いている。和田さんの真意がどこにあったのかはわからない。コメンテーターとして与えられた時間があまりに少なかったために,要点だけを語り,語りきれなかった思いのすべてを総括するようにして,わたしの結論は「沖縄の人に会ったら,抱きつきたい」,と発言を締めくくったのだ。

 だから,和田さんのこの発言は,聞く人によってそれぞれ受け止め方が違うようだ。現に,和田さんのこの発言を聞いたあとの,他のシンポジストの発言は微妙にすれ違っていた。それはともかくとして,では,お前はどのように受け止めたのか,とみずからに問いかけ,みずから確認しておくことが肝要だろう。

 1972年5月15日,沖縄が本土に復帰。そのときの沖縄県民の願いは「本土並み」になること。つまり,米軍政下の支配から解き放たれ,日本国憲法に守られ,基本的人権が保護され,かつ,軍事基地負担から解放されること。これが「本土並み」の中味だ。最小限,これだけは実現されるはずだ,とこのときの沖縄県民は夢を描いた。それから42年目の今日(5月15日)になっても,事態はなにも改善されない。それどころか,事態はもっと悪化しているというのが現実だ。1972年当時は日本全体の59%だった米軍基地が,いまでは74%に増大している。おまけに基地移転問題に対する沖縄県民の意志は完全に踏みにじられ,日本政府は前倒しをして工事着工をもくろんでいる。こんな悲惨な状態におかれている沖縄の現状にたいして,本土の人間は「見て見ぬふり」をして知らん顔。自分たちも負担すべき米軍基地の74%も沖縄に押しつけて知らん顔。だから,5月15日がどういう日であるかも知らない。知ろうともしない。

 かくして,沖縄県民は「本土」の人間に見切りをつけ,沖縄独立を視野に入れた新たな試みをはじめている,という。たとえば,沖縄独立学会は「日本国は琉球国から独立すべきだ」という声明文を明らかにしている。この逆説的な表現がなにを意味しているかは明らかだろう。日本国はいつまでも琉球国に凭れかかったままで,甘えているんではない。さっさと独立せよ,と。

 こうした経緯をみるだけでも,わたしは琉球の人たちに「おんぶにだっこ」までしてもらって,安穏な生活を享受してきたではないか,といたく反省する。その琉球の人たちが日本国の人たちに見切りをつけて独立を模索するとなったら,日本国のわたしたちはどうすればいいのか。そのとき,困り果てて,はじめて路頭に迷うことになる。

 そうして悩み,苦しんでいるときに,琉球の人に出会ったら「抱きつきたい」と衝動的に思うだろう。そうして,日本国を見捨てないで,と。わたしは,和田春樹さんのことばを,こういうコンテクストのなかで受け止める。

 去るシンボジウムのコメンテーターのお一人の方は,「沖縄の人に会ったら,だっこしてあげたい」と言い切った。おやおや,この人はなにを勘違いしているのだろうかと思いつつ,ひょっとしたら,琉球の基地をすべて本土で引き受けてやろうではないか,とでも言いたかったのだろうか,などと想像している。

 5月15日。少なくとも,この日だけは沖縄のことを本気で考える日にしたい,と念じている。ましてや,忘れることがあってはならない,と肝に銘じておきたい。
 

2014年5月15日木曜日

『街場の五輪論』(内田樹,小田嶋隆,平川克美著)を読む。残念。

 もう,内田樹さんの「街場」ものはいい,と思っていましたが,「五輪論」となれば見過ごすわけにもいかず,とりあえず,さっと読みました。大きな活字で,余白もいっぱい。3人の友情あふれる馴れ合った関係がまるみえの「雑談」。

 ひとことで感想を言わせてもらえば,本にすれば「売れる」,という単純な発想の企画でしかありません。じつに安易で,いい加減なお話がほとんど。鼎談のなかでは,オリンピックが商業主義に毒された単なる金儲けでしかない,だから,東京での五輪開催に反対だ,とこき下ろしながら,自分たちもまったく同じことをやってらっしゃる。その自己矛盾にも気づいていないとしたら,この人たちももう「おわっ」ですね。

 でも,さすがに内田樹さんは,ほかの二人のどうでもいい「雑談」にはほとんど参加せず,大事なポイントに入ってくると,いつもの切れ味鋭い「街場」論を展開しています。が,その部分があまりに少なく,いったいこの企画はなんだったのか,と首を傾げてしまいます。編集者の手抜きなのでしょうか。それとも計算されつくした企画だったのでしょうか。それにしても,なんでもいいから出せば売れる,という安易な発想がまるみえの企画。それにやすやすと便乗してしまった内田さん,いささか恥ずかしい。

 もっとも,この程度のレベルの低さで本にするからこそよく売れる,という利点もあるのでしょう。それにしてもこんなことで「東京五輪論」を片づけられてしまったのでは困ります。これではほんとうの意味での「街場」の陰口でしかありません。もうほんの少しでもいい,「街場」でもこのくらいのことは論じているんだよ,という程度の激辛の論評を展開してくれてもよかったのではないでしょうか。これでは3人の論者が眼をつむって象のからだをなぜまわし,それぞれがその感想を述べているにすぎません。で,いったい,象とはなにか,という肝心要の話が欠落しています。

 つまり,五輪の本体をなすものは「スポーツ」です。そのスポーツそのものが五輪という一大イベントの名のもとで,時の権力者たちによって都合のいいように歪曲され(ときには嘘で固められ:under control ),金儲けと政治のために好き勝手に利用されていることがもたらす弊害についてはなにも語られてはいません。つまり,この人たちにとっては,スポーツなどはどうでもいいのでしょう。そして,「東京五輪」という文化装置がここにきて目障りになってきたので,それを遠巻きにして,高みの見物よろしく,まさに無責任な「街場」の長屋談義を展開しているにすぎません。

 わたしの主張したいことは以下のとおりです。
 「いま」という時代に,この「日本」という場で生きているわたしたちにとって,スポーツとはなにか。もっとわかりやすく言えば,「3・11」以後を生きるわたしたちにとってスポーツとはなにか。さらには,沖縄基地移転問題をはじめ,尖閣諸島をめぐる日本の一方的な領有権主張の問題(「実効支配」の原則にもどすべし),これらと無縁ではない集団的自衛権の行使の問題,憲法9条をめぐる解釈改憲の問題,等々と直面しているわたしたちにとってスポーツとはなにか。その他のことは省略します。こうしたきわめて困難な問題を抱え込んでいる「いま,現在」の日本にとって,そして,東京にとって「スポーツ」とはなにか,その具現である「五輪」とはなにか,を問うことが喫緊の課題ではないか,というのがわたしの言い分です。

 もし,五輪がほんとうの意味での「平和運動」であると考えるならば,五輪招致委員会(もうすでにお役が終わりましたが)や東京五輪組織委員会,日本スポーツ振興センター,文部科学省,そして,それらをバックアップしている日本政府,そして東京都は,なによりも「憲法9条」死守を,世界に向けて宣言すべきではないか。それこそが五輪精神を体現し,東京で五輪を開催することの意義ではないか,と。

 もう,これ以上は書く必要はないでしょう。いま,日本は国を挙げて(財界と政界),戦争ができる国へと舵を切っています。そして,この動向に歯止めをかけることのできる政治勢力も存在しません。メディアもだんまり。学界もだんまり。国民もだんまり。つまりは,どこもかしこもみんな「自発的隷従」。そして,ほんのわずかな良識ある人びとが声を挙げると「国賊」よばわり。こんなにも狂ってしまった国情の中で,いま,わたしたちは生きていかなくてはならないのです。

 まるで「裸の王様」よろしく,国のトップが精神に異常をきたすと,その異常が正常となり,正常が異常となってしまいます。いまの日本の姿は,わたしの眼には,そんな風にみえてきます。いまこそ,振り出しにもどって,仕切り直しをしないといけません。

 「五輪論」を語るのであれば,スポーツとはなにか,という原点に立ち返って議論をはじめなくてはなりません。その意味で,いまこそ,東京五輪を考えるための啓蒙活動(たとえば「スポーツ教育」)が必要です。その原点は,「スポーツは平和のシンボルである」ということにつきます。つまり,スポーツは戦争を否定し,その対極に位置づく文化です。ですから,戦争の歯止めとしての,スポーツの存在意義を誇示していくべきです。

 いまこそ,スポーツ界は一致団結して,声を大にして「平和」を訴えるべきです。東京五輪を成功させる最大の鍵は,東京から「戦争反対」と「平和推進運動」のメッセージを発信していくことです。それを目指さないかぎり,わたしは東京五輪開催には反対です。

 このことを,このテクストの読後感として強く思いました。その意味では立派な反面教師的役割をはたしてくれる・・・と言うことも可能でしょう。

ぜひ,本屋さんでの立ち読みをお薦めします。斜め読みで結構ですから。
 

2014年5月14日水曜日

『週刊新発見!日本の歴史』(朝日新聞出版,通巻45号)に「2000年歴史絵巻・スポーツ」の解説文を寄せました。

 毎週火曜日に発売される『週刊新発見!日本の歴史』(朝日新聞出版)という冊子があります。A4サイズよりもひとまわり大きい贅沢な冊子です。その通巻45号が今日(5月13日)発売になりました。この号の巻末に「超ワイド・2000年歴史絵巻・スポーツ」という年表と図版・キャプションと解説が5ページ分,綴じ込まれています。この企画の監修を依頼されましたので,全体の構想をチェックしながら,その「解説」を書きました。


 もう少し精確に書いておきますと,まず最初に,この企画(スポーツ2000年)の構成を担当された十枝慶二さんから相談がありました。そこで「スポーツ2000年」を描くためのいくつかの重要なポイントについて確認をしました。その上で,年表と図版・キャプションは十枝さんが担当,それを監修者であるわたしが校閲をし,全体をまとめる「解説」を書きました。

 わずか5ページ分のスペースに「スポーツ2000年」を概観しようというのですから,かなり大鉈をふるわなければならない,大胆不敵な仕事になりました。しかし,十枝さんはわずかな時間の間に,相当数の資料を読み込み,全体の枠組みをよく理解された上で,素晴らしい構成をし,その内容を埋めてくださいました。

 ちなみに十枝さんはフリー・ライターでスポーツ,教育,サイエンスを得意領域とされています。なぜ,スポーツなのか,と伺ってみましたら,なんと京都大学相撲部のご出身とのこと。ですから,いまも,大相撲の取材をしながら相撲の原稿を書いていらっしゃいます。当然のことながら,わたしとは最初の打ち合わせのときから意気投合してしまいました。この仕事に一区切りついたら,反省会を兼ねてこころゆくまで相撲談義をしましょう,ということになっています。

 それにしても,フリー・ライターという肩書で生きている人の力量には驚かされました。ほんの短時間の打ち合わせで,もののみごとに勘どころを把握し,それに沿って「スポーツ2000年」の構成を立ち上げてしまうのですから。わたしが何十年もかけて,ようやく到達できた展望を吸取紙のように吸収して,それを「かたち」にして提出してくれるのですから。

 その意味で,今回はとてもいい勉強をさせていただきました。
 わたしの解説も,2000字そこそこの分量。題して「自己を超え出る経験。これぞスポーツの醍醐味」。いつものわたしの持論を圧縮して文章化してみました。一般読者のことを念頭において,十枝さんが取り組んでくださった図版・キャプションを引き合いに出しながら,大胆な仮説を提示してみました。例によって,スポーツの始原から伝統スポーツ,そして近代スポーツへの跳梁,さらに現代スポーツが直面している問題点の指摘まで,欲張って書いてみました。

 どこぞの書店でご笑覧いただければ幸いです。
 

2014年5月13日火曜日

日馬富士・乱舞,白鵬・目一杯,鶴竜・飄々。三者三様で面白い。

 日馬富士が乱舞している。なりふり構わずひとり相撲をとっている。このあと日馬富士がどんな相撲をとっていくのか,興味津々である。金を払って,この眼でとくと検分してみたいものだ。乱舞しながら徐々に自分の相撲にもどしていくであろう,そのプロセスをじっくりと味わってみたい。

 初日,嘉風の気魄を真っ正面から受けてしまい,吹っ飛ばされてなすすべもなく土俵下に落ちた。この傷は深い。ここから立ち直るのは大変だ。その結果が二日目の碧山戦にでた。「乱暴な相撲」と解説者が切って捨て,横綱らしくない相撲をきびしく批判した。しかし,この相撲はみている方は面白かった。あの張手の乱発がなにを意味しているのか。しかも,何回も負けてもおかしくない体勢を建て直す運動神経の良さ,そして,前に落ちない反応のよさ,最後は相手のふところに飛び込んで押し出し。

 よほど足首が悪いのか。それともこころの乱れからくるものなのか。もともとなりふり構わず,サーカス相撲も計算のうち。とにかく勝ち星を拾うためならなんでもやる,そういう横綱なのだ。二場所連続で全勝優勝をはたしたときも,何番も,負相撲を勝ちにつなげた取り組みがあった。それがこの日馬富士という力士の持ち味でもある。さて,今場所,このあとの取り組みをどのように建て直してくるか,興味はそこにつきる。うまく調整が進めば,場所終盤の5日間が盛り上がる。そのキーマンは日馬富士になるだろう。

 白鵬は一見したところ安泰,磐石にみえる。しかし,かれもまたどこかおかしい。今場所こそ優勝するぞとばかりに気合が入っている。わたしの眼からすると気合が入りすぎているように見える。そうしないと,ひょっとしたら負けてしまうかもしれない,という不安の裏返しのように見える。つまり,実力差が小さくなってきている,と自覚しているのではないか,と。その証拠に,ここ何場所か残り5日間の取り組みに負けが集中している。つまり,上位陣が力をつけてきて,その差がほとんどないところまできている・・・・とわたしは見る。

 白鵬の最大の焦りは,調子のいいときの日馬富士には勝てない,という過去の実績にみることができる。もうひとつの焦りは,鶴竜が力をつけてきたことだ。こちらもがっぷり四つに組むと勝ち目がなくなる。だから,白鵬はなんとしても,自分の相撲の流れに持ち込む必要がある。そのためには気魄で相手を圧倒する以外にない。だから,仕切り直しのときからはじまる,あの「にらみ」ようは異常だ。しかし,最近はその「にらみ」をものともせずに,むしろ無視するかのように,自分の仕切りに徹する若手力士が現れた。

 いま,白鵬の心中をよぎっているものはなにか。それを土俵上にみとどけるのも大相撲の醍醐味というものだ。その点で,後半戦が楽しみだ。

 さて,新横綱の鶴竜。飄々とした土俵態度は先場所と変わらない。しかも,からだの張りもいい。強くなっているようにもみえる。いつもの自分の相撲をとるだけ,という淡々としたこころの置き所が素晴らしい。勝ち負けを超越している。だから表情もまったく変化なし。気合が入っているのか入っていないのかもわからない。これぞ勝負師。終盤の横綱対決を制するのは鶴竜ではないか,とわたしは期待する。がっぷり組み合えば負けないという自信のようなものが伝わってくる。

 だから,あわてない。相手力士にも相撲をとらせておいてなお,余裕がある。あるいは,相撲がみえている。またまた,ひとまわり大きく成長したようにみえる。だとすると,まだまだ強くなりそうな予感に包まれる。わたしが注目している鶴竜の相撲のポイントは「股関節」のよさ。ここを見極めるのは「股関節」についての相当にレベルの高い知識を必要とする。それは,いつか書くことにして,結論だけ書いておこう。

 股関節がいいので,まず第一に腰がよく割れている。ついで,低い姿勢からの立ち合いができる。それ以後の攻防も腰の位置が低いまま相手を正面にとらえることができる。だから上体と下半身の軸が股関節を中心にしてぶれない。その結果として,軸脚にしっかりと体重が残ったままの半回転しての「はたきこみ」が生きてくる。もちろん,この「はたきこみ」は軸脚がぶれるとときおり失敗することがある。だから,安易に「はたき」に行ってはならない。でも,この「はたき」がある,と相手力士が意識するだけでもひとつの武器にはなっている。

 まだ大相撲ははじまったばかりだ。これから日を追うごとに,どの力士の相撲内容も変化してくるだろう。みんな智恵をはたらかせて作戦を練ってくる。そのせめぎ合いなのだから。

 しばらくは,じっくりとなりゆきを楽しむことにしよう。今場所の後半は眼が離せなくなるような,そんな充実した場所になりそうだ。楽しみ。

「つぎの段階の治療に入りましょう」(院長先生)。「はい,わかりました」(わたし)。

 4週間ぶりに院長先生の診察があって,病院に行ってきました。前の診察のときに予告されていましたように,つぎの段階の治療計画が提示されました。院長先生はことばを慎重に選んで,「薬剤による治療です」と仰る。そして,薬剤を飲み始めたら8日目に入院,さらに別の薬剤を投入して,副作用の反応についての追跡チェック・観察をおこないます,と。そこから,さらに詳しい治療内容についての説明がありました。その途中で,わたしの考えや疑問についても何点か相談に乗ってもらいました。そのつど,納得のいく説明がありましたので,いよいよ抗ガン剤治療だな,と覚悟を決めました。

 その決め手となったのは,ステージ「C-3」とリンパに転移あり,という最終の診断結果でした。現段階では他臓器への転移はないものの,リンパへの転移はとりあえず薬剤によって抑え込んでおく必要がある,というわけです。

 抗ガン剤による副作用は個人差があって,実際にやってみないことにはわからないので,その点については慎重に取り組みたい,と院長先生。だから,薬剤投与8日目からの入院によって,慎重に追跡チェックをします,とのこと。その結果をみて,からだに合った薬剤のレベル,投与の方法を検討していきます,と仰る。

 わたしが,あまりにいろいろのことを質問するものですから,院長先生はひととおり説明をしたあとで,「稲垣さん,腰が引けてますねぇ」と,例のジョークまじりのちょっかいをかけられてしまいました。わたしも負けずに「もちろん腰が引けてますよ。できることなら抗ガン剤治療は受けたくないくらいです」と応酬。院長先生にカッカと大笑いされてしまいました。そして,「稲垣さんのからだにもっとも合うように,薬剤のレベルや投与の方法を見つけ出しますので,ご心配なく」と慰めてくださいました。

 こうなったら,院長先生を全面的に信頼するしかない,と腹をくくることにしました。わたしをこの病院に紹介してくれたドクターYさんやKさんとの関係もあります。ここまでくるにはいろいろの経緯もありました。ひょっとしたら,いまごろ,まったく別の病院で,まったく知らないお医者さんのお世話になっていたかもしれません。いや,その方が展開としてはありえたことです。それが,まったく大した意味もなくはたらいたわたしの直感が,一度は乗り込んだ救急車から引き上げる,という選択でした。そうして,一日,様子をみた結果が,こんにちへの道を開くことになりました。偶然とはいえ,これもひとつの流れなのだから,この流れに便乗していこう,とも考えました。

 が,なにより優先させたことは,信頼でした。院長先生との波長がうまい具合に合うのです。ですから,院長先生もかなりはっきりとものを言ってくださいますし,わたしも負けずに言い返したりしています。とりわけ,ジョークの好きな院長先生の生き方に,ひとりの人間としての余裕といいますか,なんとなく安心感が漂います。このことが,わたしにとっては,とても大きな要素のひとつになっています。

 それともうひとつは,医療全体のあり方についても,とても勉強家で広い見識をもっていらっしゃるという点です。わたしの入院中に,ふらりと病室に現れて,それとなくわたしの様子を窺いながら,いつしか話題が脱線して,とても大まじめな医療の話に及ぶことがありました。わたしはN教授の「医療思想史」を下敷きにして,いろいろと院長先生に問いを発したところ,一気に院長先生は饒舌になられ,ふだんからお考えのことを話してくださいました。このときは,もはや,患者と医師の関係から解き放たれた,人間対人間のありがたい時間でした。

 この関係は,わたしとドクターYさんとの関係と同じです。120%信頼できる医師,そう信じることができる医師に出会えたことはラッキーとしかいいようがありません。ありがたいことです。あとは運を天にまかせて・・・・よい結果が生まれることを祈るのみ・・・と考えています。

 まあ,これでしばらくは,真っ正面からからだと向き合う生活がはじまることになります。あまり力むことなく,自然体で付き合って行くことにしたいと思います。病いと闘う,「闘病」ではなく,戯れ合うくらいの気持で,これを「戯病記」と命名。折に触れ,書いてみたいと思います。

 というわけで,ひとことご挨拶まで。

 

2014年5月12日月曜日

W杯競技場建設工事で死者が続出(2014年ブラジル,2022年カタール)。

 他山の火事だなどと呑気なことは言ってられない。W杯競技場の建設工事現場で死者が続出しているという。それも半端な数ではない。無理に無理を重ねると,どこの国で起きても不思議ではない。なにも,ブラジルやカタールだけの話では済まされまい。

 これから東京五輪のための競技施設づくりが,新国立競技場を筆頭に,あちこちで着手される予定だ。もうすでに,いまから,資材不足と労働力不足が叫ばれている。その結果は,建設費が当初の予定よりもはるかに高額なものになることがはっきりしている。しかも,法外な値段に。となると,建設費削減が当面の大きな課題になってくる。そのしわ寄せがどこにいくか。少し考えるだけでそれは明らかだ。

 同時に,外国人労働者の導入がもうすでにはじまっている。政府もその方針で,さまざまな手を打っている。しかし,労働者は頭数だけ揃えばいいという問題ではなかろう。ことばもままならない労働者が即戦力になるとは考えられない。工事現場の意思疎通はきわめて重要なことだ。チームワークのいい熟練の労働者によって,はじめていい仕事が生まれる。

 こうしたしわ寄せが,建設工事現場の事故の誘因になる。新聞に報じられたブラジルとカタールの死亡事故はこうした背景と無縁ではないだろう。

 ことしの6月にはじまるサッカーW杯開催に向けてブラジルではいま急ピッチで工事が進んでいる。これまでにもいろいろとトラブルがあって,競技会までに間に合わないのではないか,と心配されていた。その矢先,ブラジルではついに死者8人目が記録されたという。

 6月24日に日本対コロンビアの試合が予定されている,ブラジル中西部のクイアバの競技場建設現場で,電話回線を設置していた作業員(32)が感電事故で死亡した,という。かねてから工事が遅れていて,W杯の開催に間に合うのかと懸念されていた現場だ。地元警察は工事を中断させて捜査に入った。こうして,またまた,工事は遅れていく。そして,そのしわ寄せが・・・・。という具合に悪循環に陥ってしまっている。

 いっぽう,2022年にサッカーW杯開催が予定されているカタールでは,「関連の工事のために低賃金で雇われた外国人労働者の事故が多発している」という。すでに,1200人超の死亡者があったのではないかという情報もあり(国際労働組合総連合:ITUC),国際人権団体アムネスティ・インターナショナルはカタールに対して外国人労働者の環境を改善するよう求めた,という。いったい,1200人もの外国人労働者が死亡するような工事現場とはどういうところなのか,わたしには想像もできない。

 こんな考えられないようなことが,これから開催される予定のサッカーW杯の準備段階で起きている。こういう不可解な現実が,これからはじまる東京五輪の競技場建設現場で起こらないとは,だれも保障できないのだ。東京五輪招致が決定した瞬間のあの喜びようの背景には,こうした厳しい現実が待ち受けているということを忘れてはならない。

 そして,なにより恐れるのは,東日本大震災の復興がさきのばしにされていくのではないか,ということだ。すでに,大手ゼネコンの主要チームは東北から引き上げつつあるという。そして,東京五輪関連事業の入札に備えている,と。にもかかわらず,新国立競技場の,きわめて高度な技術を要する現場については,大手ゼネコンも入札に二の足を踏んでいる,という。

 いったい,この国は,なにを考え,どこに向かって,なにを,どのようにしようとしているのだろうか。じっくりと見極めて行かねばならないことが多すぎる。由々しきかな・・・・。
 

2014年5月11日日曜日

1886年・日本にやってきたイタリア・チャリネ曲馬団。

 もう何年か前に,「サーカスがやって来た」というテーマの展覧会が兵庫県立近代美術館で行われていることを新聞で知り,ちょうど神戸にでかける用事があったので,その折に足を運びました。大いに期待してでかけたのですが,その予想をはるかに上回る内容の濃い展覧会で,わたしは存分に堪能しました。

 いつもの習慣で,気に入った展覧会のときには図録を購入します。ついでに言っておきますと,展覧会の図録ほど割安な出版物はない,とわたしはつねづね思っています。とても贅沢な製本で,しかもボリュームもあり,オール・カラーで,一流の執筆陣。こんな本を一般の書店で買おうとしたら倍くらいの値段になるのではないでしょうか。いつも,そんなことを思いながら,ひとり悦に入って購入しています。そして,根をつめて仕事をしたあとなどに,時折,引っ張りだしてきてはこの図録を楽しんでいます。そこには専門家の手になるさまざまな解説があって,わたしの知らなかった新しい発見も多々あるので,とても勉強になります。

 こういう図録が長年の間に相当数たまっていて,退屈しのぎにはとても役に立っています。それ以上に,いま連載中の「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の原稿を書く上で,いまやなくてはならないネタ本になっています。この連載は隔月ですが,すでに第31回目を数えるところにきています。なにかの都合で時間がないときのために,とっさに書けるネタはいくつか用意してあるのですが,この写真もそういうネタのひとつでした。

 出典は,図録『サーカスがやって来た』,神奈川県立美術館/兵庫県立近代美術館編集,1996年,P,49,です。なお,掲載誌は『SF』,体育施設出版,April 2014,P.29.です。


 この図像にはつぎのようなキャプションをつけてみました。

 欧米からサーカス団が日本にやってきた嚆矢(こうし)は,1864(元治元)年のことでした。アメリカ人のリチャード・リズリー・カーライルが率いる「リズリー・サーカス」は,10人の団員と8頭の馬で構成されていました。以後,明治に入るとつぎつぎに欧米のサーカス団が来日します。
 なかでも1886年に来日したイタリアのチャリネ大曲馬団は,その規模の大きさとライオンの登場で大評判となりました。この曲馬団は横浜,外神田で興行したあと,吹上御苑で天覧があり,さらに築地,浅草,靖国神社,再度横浜,大阪,京都と長期にわたる巡業を行いました。
 各地で大人気を博し,大きな話題となりました。わけても,円形の小さな馬場を駆けめぐりながら,馬上でつぎつぎに曲芸(曲乗り)を繰り出す曲馬団の芸は,当時の日本人にとっては初めての経験であり,新鮮な驚きだったようです。その驚きがそのまま「曲馬」,「曲馬団」という日本語になって,またたく間に広まっていきました。
 馬を走らせ,その上で曲乗りを見せるために必要最小限の空間は,円形の馬場でした。同じ場所をぐるぐる周りながら,さまざまな曲乗りを見せる・・・・この曲芸を欧米ではサーカスと呼びました。  その語源は,古代ローマのキルクス(circus)にありました。これを英語読みしたものが「サーカス」です。
 キルクスは,古代ローマの人気スポーツ「馬車競技」のことで,観客席に囲まれた広大な楕円形の馬場を7回半,回って勝負の決着をつける競技でした。そのイメージがそのまま受け継がれ,馬場を縮小し,馬車競技に代わって曲馬・曲乗りに変容したものが「サーカス」というわけです。ですから,サーカスは「円形の馬場」で人馬一体となった芸を見せるのが基本です。
 やがて,近代の機械文明の進展とともに,馬に加えて,自転車,オートバイによる曲乗りが新しい演目として人気を博すようになってきます。こんにち私たちが眼にするサーカスは,科学技術の最先端の成果を取り込んで,驚異的な性能をもつ施設・用具を用いた曲芸の世界を切り拓いています。それでも変わらないもの,それが「円形の馬場」です。

 以上です。

 隔月の連載で,この回が第31回となります。ので,丸5年が経過して6年目に突入という,かなりのロングランとなっています。でも,とても愉しい企画ですので,ネタのつづくかぎりこの連載は大事に継続したいと思っています。

 というところで今日のブログはおしまい。
 

2014年5月10日土曜日

「ボクサー崩れ」という偏見に抗して──袴田事件 もう一つの闘い(落合博)を読む。

 雑誌『世界』6月号が「冤罪はなぜ繰り返すのか」──刑事司法改革の行方,という特集を組んでいます。冤罪にかかわる諸問題を取り扱っていてじつに読みごたえがありました。この特集の引き金となったのが「袴田事件」であったことはだれの目にも明らかなところでしょう。

 この特集と連動して,とても興味深いエッセイが掲載されています。「ボクサー崩れ」という偏見に抗して──袴田事件 もう一つの闘い,と題した落合博さん(毎日新聞記者)が書いたものです。しっかりとした取材に裏付けられたみごとなエッセイで,なかなか読みごたえがありました。記者でなければ書けない内容になっていて,すっかり感心してしまいました。わたしのような立場とはまったく違った視点からの分析で,半ば羨ましくも感じました。

 落合さんのエッセイの書き出しは以下のようにはじまります。
 最高裁で上告が棄却され,死刑が確定していた約30年前,元プロボクサー袴田巌さん(78)が死刑執行の恐怖にさらされながら,拘置所で書いた手紙がある。
 「リングの中で応援してくださっているとのこと,誠に誠にありがとうさまでございます。リングの中は前も後ろも右も左もみなお客様が見ておられます。その中で拳ひとつだけで闘ってきたことが私の唯一の誇りなのです。リングの中において応援してくださることが何よりの真実であり,本当に本当にうれしいです。リングの中においてもリングを降りてからも反則行為は一度たりともしておりません・・・・」

 ここまで読んだだけで,わたしはもう胸が詰まってしまって,あとが読めませんでした。涙があふれ出てきて文字が読めません。それどころか,もう,読む必要はない,と感じました。これだけでもう十分。袴田巌さんという人がどういう人であるかは,もはや疑う余地がない,と確信したからです。こんなにも純で,まっすぐなこころの持ち主が,どうしてまた死刑囚の汚名を注がれなくてはならなかったのか,わたしには信じられません。

 落合さんはここから書き起こして,ボクシング界がいかにして袴田さんを支え,いかにして再審決定にこぎ着けたかを丹念に描き出しています。そこには,いかにも落合さんらしい「愛」が通っている,と感じました。ボクシングを愛するこころ,あるいは,広くスポーツを愛するこころが,このエッセイを生き生きとさせている,と。

 そして,最後にちくりと蜂の一刺しをすることも忘れてはいません。「モノ言わぬスポーツ界」にあって,ボクシング界のこの快挙は異例のことであるとし,「この事実をスポーツの歴史に書き留め,袴田事件を語る時に思い出したい」と結んでいます。この落合さんの指摘はまことに当をえた,わたしにとっては「痛い」ひとことでした。

 つまり,このところ世情を騒がせている「特定秘密保護法」や「集団的自衛権の行使」,あるいはまた沖縄の「基地移転問題」や「尖閣諸島の問題」などに関して,映画監督や俳優たちが名前を連ねて自分たちの主張を明らかにしているのに,スポーツ界は沈黙を守ったままだ,と。それでいて,オリンピック招致が決まったときのあの熱狂はいったいなんなのか,と。さらには,東日本大震災以後,声高に言われるようになった「スポーツの力」とはいったいなんなのか,と。

 ここに籠められた落合さんのメッセージをわたしは重く受け止めたいと思いました。できることなら,このつづきの話を落合さんと個人的にでもいいので,してみたいと願っているところです。落合さんが,みずから提起された「モノ言わぬスポーツ界」のことをどのように考えていらっしゃるのか,とくとご意見を伺ってみたいのです。もちろん,わたしにも考えがありますので,それを落合さんに聞いてもらいたいのです。その目指すところは「スポーツとはなにか」という根源的な問いです。もっと言ってしまえば,いま,この時代を生きているわたしたちにとって「スポーツとはなにか」という問いです。

 いま,わたしのようなスポーツ史・スポーツ文化論に身を寄せている者も,そして,メディアでスポーツを取り扱っているジャーナリストも,決定的に欠落しているのは,この根源的な「問い」だ,とわたしは考えているからです。こういう議論を,できることなら公開の「場」でとことん尽くすことが喫緊の課題だと考えるからです。いつか,落合さんとそういう機会をもちたいと切に願っているところです。

 その意味で,この落合さんのエッセイはわたしにとってはきわめて重要なメッセージを伝えてくれるものとなりました。

 というところで今日のブログはおしまい。
 

2014年5月9日金曜日

五輪放送権料,うなぎのぼり。2032年夏季大会まで契約(米・NBC)。狂気の沙汰。

 スポーツは政治とは関係ありません。スポーツは経済とも関係ありません。純粋なアマチュアリズムの精神のもとで,純粋にスポーツの優劣を競うことに価値があるのです。だから素晴らしいのです・・・・・・・と,わたしたちは教えられ,それを信じていました。ですから,みんな手弁当で競技会に参加していました。旅費も滞在費もユニフォーム代も,みんな自己負担。

 いまから50年前。それが当たり前でした。

 それがいまから30年前,1984年のロサンゼルス大会から五輪の金融化の幕が切って落とされました。詳しいことはこのブログにも,雑誌『世界』にも書いてきましたので割愛します。今回は,その五輪の金融化が,ついに狂気の領域に踏み込んだ(とわたしが感じる)ニュースに接し,あきれ果てたというか,世も末だと思いましたので,その問題を考えてみたいと思います。

 今朝(9日)の朝日新聞は,「五輪放送権料 天上知らず」という大きな見出しの記事を掲載しました。見出しを順にあげておきますと以下のとおりです。「米向け6大会7780億円でNBC獲得」,「契約の相場に」,「日本のTV局『東京に影響』」,という具合です。

 内容を読んでみますと,アメリカではこれまで自由競争で入札が行われてきたのに,IOCは今回初めてNBC側とだけ交渉し,契約してしまった,という驚きの事実がひとつ。もうひとつは,2022年冬季大会から2032年夏季大会までの6大会を一括して7780億円という巨額の契約をNBCが結んだという事実。

 アメリカではこれで採算がとれるらしいが,これが他の国との契約額の相場になるといいます。だとすると,日本のTV局(ジャパン・コンソーシアム:NHKと民放連で組織)はとても対応できない,といまから恐れているという。

 たとえば,2018年の平昌(ピョンチャン)冬季大会と2020年の東京・夏季大会は時差の心配がないので,前回の倍近い700億円くらいの強気の提示をIOCがしてくるのではないか,という。だとしたら,日本のTV局は対応不可能だという。なぜなら,すでに2012年のロンドン五輪ですら収支が赤字になった,という事実があるからだ。にもかかわらず,その倍もの金額を要求されたら,日本のTV局はお手上げだ。場合によっては,東京五輪をリアル・タイムで見ることはほとんど不可能になってしまう,という。

 こんなことをIOCと米国のNBCが,まるで独占して,決定してしまっているというのです。しかも,この契約金額にすべての国が「右へ習え」というのです。もちろん,これから個別の交渉がはじまるのですが,それにしても,すでに現実ばなれした金額になってしまっています。このところ,IOCは恐ろしいほど強気ですから,東京五輪のときの放送権料を,NBC基準で(あるいは,自国開催だからというのでもっと高額で)提示してくるのではないかと思います。

 IOCは,だれでもご承知のように,もうすでにいい加減馬鹿げたマネーゲームに終始しています。そして,前倒しをして(NBCは2032年大会まで。どの都市で開催されるかも決まってもいない大会までもふくめて)まで,各主要国にテレビの放映権料を要求してきます。いったい,これほどの巨額の金をIOCはなぜ前倒しをしてまでして手に入れようというのでしょうか。

 こういう姿勢そのものが,すでに,狂気の領域に踏み込んでしまっている,というのがわたしの受け止め方です。こういう事態もまた,IOCがひとつの時代精神をになう役割を終えて,幕引きの段階に入った(あるいは,自己崩壊の段階に入った),典型的な表象のひとつではないか,と。

 IOC帝国もいよいよ断末魔の情況を露骨に示すようになったか,とわたしは本気で考えています。しかも,その情況に歯止めをかけようという動向もみられません。大きな国家(帝国)や大企業が崩壊していくときというのは,わが身の重さに耐えかねてつぶれていきます。ローマ帝国しかり。そして,IOC帝国もしかり,と。

 ついでに書いておけば,2020年の東京五輪は(つまり,東京だからこそ),ほんとうに開催可能なのかという不安がわたしのなかには「つねに」あります。フクシマは「under control」どころか,ますます「uncontrollable 」な状態へと日々突き進んでいます。この状態に蓋をすべく,アベ君は出かけても物笑いにされるだけのヨーロッパ歴訪の旅にでかけ,ニュースをつくることに必死です。そして,積極的平和主義という名の戦争擁護論まで展開しています。もどってきたら,またまた集団的自衛権の行使をちらつかせ,あまり先を急がないと言って,国民の目をここに釘付けにしようとしています。こうして,フクシマはますます過去のことにされつつあり,忘却の彼方へと追いやられていきます。ほんとうに困ったものです。しかし,フクシマの事態は深刻です。ますますその度合いを日々深めています。ですから,いまからでもいい,辞退すべきではないか,と。

 またまた,脱線してしまいましたので,このあたりで今日のブログはおしまいにしたいと思います。
 

2014年5月8日木曜日

パウル・クレーの「十字架のもう一人の天使」と『ユダ福音書』について。

 パウル・クレーの描いた「新しい天使」を,ヴァルター・ベンヤミンが「歴史の天使はこのような様子であるに違いない」と評したことを多木浩二さんが取り上げ,「歴史の天使」というタイトルの短いエッセイを書いている(『多木浩二 映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,oS.)。そして,この「新しい天使」の絵は本文の脚注のところに小さく紹介されている(P.122.)。しかし,あまりに小さすぎて,うまくイメージがつかめない。そこで,もう少し大きな絵がないだろうかと思って探したみた。

 たまたま手元にあるパウル・クレーの画集をめくっていたら,めざす絵はみつからず,別の「天使」の絵がみつかった。題して「十字架のもう一人の天使」とある。鉛筆で描かれた,いかにもクレーらしい絵である(写真参照。1939年,45.6×30.3㎝)。



 ぼんやり眺めているうちに,さまざまなことを連想しはじめている自分に気づき,おやっ?と思う。一般的な十字架の絵から連想される残酷な痛ましい受難のイエス・キリストの像とはまったく次元が異なる絵なのに,なぜか妙に惹きつけるものがある。なぜだろう,と考えていたら,ひょっこりと思いがけない記憶にたどりついた。

 それは『ユダ福音書』である。山形孝夫さんと西谷修さんとの対談をまとめた『3・11以後 この絶望の国で』──死者の語りの地平から(ぷねうま舎,2014年)のなかで,この『ユダ福音書』がとりあげられ,熱く語られている。言ってみれば,この本の肝に相当するきわめて重要な部分である。だから,この話を読んだわたしは衝撃のあまり,しばし呆然としてしまったほどである。そして,歴史とはなにか,と頭を抱え込んでしまったほどである。

 詳しくは,山形孝夫さんの語りの部分と,そこにも紹介されている山形さんが翻訳された『『ユダ福音書』の謎を解く』(E.ベイゲルス/K.L.キング著,河出書房新社,2013年)にゆずるが,その骨子は以下のとおりである。

 わたしたちは,ユダがイエス・キリストを裏切って密告をし,イエスの逮捕・身柄の拘束・裁判,そして処刑というイエスの受難物語を,信じて疑おうとはしていない。それほどに『正典福音書』が広く知られていて,すべてのキリスト教徒がその教えに沿って生きている姿に馴染んでしまっている。そして,ユダとユダヤ人を悪者に仕立て上げ,「裏切り者」のレッテルを貼って,それで納得してしまっている。わたしも,そういうものなのだ,と思い込んでいた。しかし,それはキリスト教が生き延びるために時の権力にすり寄っていき,ほんとうのイエス・キリストの教えを歪曲してでっちあげた,まやかしの物語である,という新たな証拠が見つかったというのである。それが,つい最近になって発見された『ユダ福音書』だというのである。

 そして,いま,この『ユダ福音書』読解の研究が深まりつつあり,ますます,このテクストのみがイエス・キリストの教えを純粋に受け止め,伝えているのだ,という結論に至りつつある,というのである。それによれば,イエスは贖罪も殉教も否定しており,それとはまったく逆に,イエスにとって十字架は朽ち果つべき肉体からの自由を意味していた,というのである。つまり,朽ち果つるべき肉体にたいして,それからどのように脱出し,霊的自由を獲得するかが救済なのだ,と説いているというのだ。

 だとしたら,キリスト教はこの2000年の長きにわたって虚構の歴史を刻んできたことになる。そして,それはもはや取り返しのつかない歴史である。しかも,ローマ・カソリックが,こんご『正典福音書』を改めて,『ユダ福音書』に宗旨がえをする,などという保障はどこにもない。まず,不可能であろう。あるとすれば,グノーシス派が息を吹き返し,いささかの隆盛をみるかもしれないという程度にすぎないであろう。もうすでに出来上がってしまったキリスト教の「権威」はあまりにも堅固であるためにゆるぎもしないだろうし,ゆるがせもしないだろう。この虚実逆転の宗教思想がヨーロッパの歴史をリードしてきたという現実の前で,わたしはたじろいでしまう。歴史とはこんなものだったのか,と。

 それは日本の古代史も同じだ。でっちあげにつぐでっちあげの連続。権力・権威を維持するためには不可欠の手法だ。だからこそ,「歴史の天使」が焦っているのだ。時の権力によって推進される「進歩」という名の「強風」に煽られてしまって,もとに戻れないどころか吹き飛ばされてしまった結果,取り返しのつかないとんでもないカタストローフを目前にしてしまうことに・・・・。

 この話はともかくとして,クレーの描いた「十字架のもう一人の天使」は,この『ユダ福音書』の説く「霊的自由を獲得し,救済」されることを目指した真のイエス・キリストの姿に重なってみえてくる。このことがわたしの言いたかったことである。

 ちなみに,クレーはつぎのような詩を残している。

 この世はぼくを捉えようもない。
 死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
 ちょうどよく暮らしているのだから。
 創造の中心にふつうよりちょっと近く。
 
 でもまだ十分に近くにはない。

 ぼくから発するのは温かみか,冷たさか?
 すべての炎を超えてしまったら,もう分からない。
 遠く離れているほどぼくは敬虔な気持ちになる。
 この世では時々ひとの不幸を喜んでいるけれど。
 でもそれは同じひとつのことの濃淡(ニュアンス)に過ぎない。
 坊さんたちはそれに気づくほど敬虔じゃないだけだ。
 それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら。
  (1920年)
 

2014年5月7日水曜日

『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著,幻冬舎新書,2014年3月)を読む。

 わたしの育った穂の国(愛知県の東三河地方)では八幡神社のことを「八幡さま」とか「八幡さん」とか「八幡社」と呼んでいたように記憶します。そして,とても多かったという印象もあります。そうしたら,見出しタイトルに挙げましたように『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』という名の本を書店でみつけました。そうか,やっぱり八幡神社が多いはずだ,と納得しました。

 そこで,すぐに購入して読んでみたのですが,最後まで,なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか,という問いの答えが見つかりません。しかし,よくよく読んでみると,いろいろの八幡神にまつわる話題をとりあげながら,これらがその根拠なのだと言っているようにも読み取ることができます。が,わたしが期待したような内容で,はっきりとこれこれの理由で八幡神社が日本でいちばん多いのだ,とはどこにも書いてありません。

 なぜ,著者の島田裕巳さんはそのような言説を避けたのでしょう。そのことが,かえって,わたしには気がかりになってきます。なのに,島田さんは,わざわざ「八幡は外来,韓国の神だった!」という小見出しまで立てて,その根拠についてかなり詳細に語っています。これだけはっきりと「外来,韓国の神だった」と書かれたものは,わたしにとってははじめてのことです。ですから,逆に驚きました。なぜなら,わたし自身も,宇佐八幡はどう考えてみても半島からの渡来神に違いない,とひそかに考えていたからです。しかし,それを誰憚ることもなく声高に宣言する人はこれまでなかったように思います。そこに,突然,宗教学者とてしの評価の高い,つまり,ある程度の信頼のできる著者として,島田裕巳さんが現れたというのが,わたしの印象です。

 ここまではっきりと島田さんは書いているのに,「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という問いに真っ正面からは応答していない,というのがわたしの不満です。もっとはっきりと言えばいいのに・・・とわたしは考えます。わかり切っているのですから・・・・。

 そこで,わたしが島田さんに書いてほしかったことを代弁してみますと,つぎのようになります。

 韓半島から九州に渡来した宇佐八幡の氏子になる人たちが,またたく間に日本全国に広がっていった,あるいは,八幡神の信仰を旗頭にした氏子集団を形成しながら,全国各地に定住していった,やがて,そういう人たちが全国ネットワークを構築してひとつの大きな勢力をもつにいたった。その数もはんぱではなかった。だから,のちの大和王権もこの八幡信仰をおろそかに扱うことはできなくなって,なにかことあるときには宇佐八幡宮にお伺いを立てる必要が生じてきた。そして,ついには伊勢神宮と並び称される石清水八幡まで建立されるにいたった。そこに神仏習合が起こり,八幡大菩薩が誕生する。こちらは武士の守り神としても多くの支持を集めるようになり,八幡さまの人気は一気に高まっていき,他の神社を圧倒するまでにいたった。

 という程度のことは書いてほしかったのだ。でも,もう一度きちんと,このテクストを読み返してみると,島田さんはもっともっと詳細に八幡さま信仰の広がりを語っていることがわかる。しかし,表題の疑問文に真っ正面から答えることを忘れてしまったようだ。あるいは,意図的に。

 しかし,島田さんがこのテクストをとおして言いたかったことは,もっと他にもいっぱいあったのではないか,とわたしは読後の感想として持った。そのあたりのことを,さりげなく忌避しながら,でも,読む人が読めばそれとなくわかるように,みごとな言説を連ねていることも事実だ。

 それもわたしが代弁してしまうと以下のようになろうか。
 天孫降臨の神々もまた「渡来」系の神々と考えられる。それより先に大きな勢力を築いていて「国譲り」をさせられた出雲神もまた「渡来」系であったと考えられる。というように考えていくと,日本全国の神社のほとんどが「渡来」系の神々を祀っているということになってしまう。それでは具合が悪いというので,百済を経由して伝来した仏教を取り込んで,うまく神道と仏教を習合させることを試みた。その切り札ともいうべき考え方が「本地垂じゃく説」で,神々はみんな仏・菩薩の生まれ変わりとなって天から降ってきたのだ,というみごとなものだ。こうして「渡来」系の神々も,じつはみんな仏教からきているのだという印象を植えつけ,ほんとうの話をもみ消してしまった,というわけだ。なぜ,そんなことまでしなくてはならなかったのか。ここからが,じつは,ほんとうの問いのはじまりである。

 こんなことを思い描きながらこのテクストを読んでいると,つぎからつぎへと新しいアイディアが浮かんでくる。このテクストでは日本にもっとも多い神社10傑を取り上げて,一つひとつ詳細な解説を付している。その10傑の神社もよくよく眺めてみると,おやおや?と思うことがいっぱい湧いてくる。ひとことで言ってしまえば,出雲系の神様が圧倒的に多いということである。が,ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

 われわれ日本人は,いずれにせよ,韓半島からにせよ,中国本土からにせよ,あるいは北方の樺太からにせよ,あるいはまた南方諸島からにせよ,あらゆる地方から移住してきた人びとが混血してできあがったことには間違いがない。その人びとが,この土地の気候風土に馴化しながら,特有の骨格や性格や心情を生みだし,独特の美意識に支えられた文化を構築してきたのだ。だから,渡来してきた時期が早いか遅いか,混血の度合いがどの程度のものなのか,ただ,それだけの違いでしかない。それどころか,いまや,世界中の人びとが日本にやってきて住み着く時代を迎えている。日本人はますます混血していく。それが過去から現在までを貫く,人類全体をカバーする自然な流れなのだ。

 一方で,このような認識を保持しながら,この島田さんのテクストを読むと,日本の古代はますます面白い話題が満載であることがわかってくる。その意味で,お薦めである。
 

2014年5月6日火曜日

コンピューター(ロボット)が脳(人間)を超えるとき。「2045年問題」。ほんとうだろうか。

 2045年といえば,わたしは106歳。こんなことはありえないので,ちょっとだけ安心。
 でも,このときにはコンピューター(ロボット)が脳(人間)を超えていく,と聞くといささか不安。
 というよりは,いったい,どういうことが起きるのか,いまのわたしの脳では理解不能である。
 その理解不能なことが起きるということが不安なのである。

 4月21日(月)の東京新聞に「20XX年の人類」という記事があって,「機械進歩 脳を超える」という大きな見出しが躍っている。そのつぎの見出しは,「2045年問題」技術予測困難に,とある。なあんだ,専門家でも予測困難だというのであれば,わたしごときが理解不能であってもなんの不思議もない。が,それにしてもいったい,なにが,どういうことになってしまうのか,不安ではある。なにせ,予測不可能な時代に突入していくというのだから。

 新聞によると,ムーアの法則というものがあって,大雑把に言ってしまえば,コンピューターに積み込まれたトランジスタの数が一年半ごとに倍になる,というものだ。その法則にしたがえば,5年で10倍,10年で100倍,20年で一万倍になる。こんなことは起こりえない,集積回路には限界があると何回も言われてきたが,そのつど,その難題を克服して,法則どおりにいまもその数を増やし続けている,というのである。

 その結果が,新聞でも取り上げられたように「コンピューターソフトに敗れ,頭を下げるプロ棋士」である。新聞記事によれば,すでに優れた人工知能が一部のスマートフォンには搭載されていて,単に博学なだけではなく,「愛している」と呼びかけると「ごめんなさい」と応答するという。これに豊かな表情をする顔が加われば完璧だという。そうかなぁ・・・とわたしは疑心暗鬼。

 さらに新聞記事はつづく。引用してみる。
 コンピューターは人間的になってきた。特定の機能に優れているだけでなく,感情を持ったコンピューターの登場もありうる。コンピューターの能力が全人類を超えてしまう今世紀半ばのある時期は,技術的特異点とも呼ばれる。こそれから先は,どのように技術が進歩していくか,見当がつかなくなるからだ。

 そして,さらに,
 特異点を超えて進歩した人口知能は,人類には理解できない文化を築き,その動向を予測できなくなる可能性もある。一方,人間が脳を直接コンピューターに接続し,生物としての限界を超えることもできるとみる。

 こんな記事を読んでいると,そういえば,どこかで不思議な話(講演)を聞いたことがあるなぁ,と思い出す。詳しいデータは省略するが,そこでの話は以下のようである。イギリスとアメリカの研究者が共同で研究プロジェクトを立ち上げ,人間の身体を遠隔操作で動かす実験をやっている,と。ある特定の筋肉細胞にチップを埋め込んだアメリカにいる人間を,イギリスからコンピューターで操作して動かす,というのである。しかも,すでに原理的には成功している,という。あとは実用段階で,チップを埋め込まれた人間の意志と,それを操作する人間の思惑とをいかにして同調させるか,だという。

 ここでパッとわたしの脳にひらめいたことは,ドーピング・チェックをかいくぐるスポーツ選手の登場である。たとえば,100mランナーの脚部に必要なチップを埋め込んでおいて,遠隔操作をして,早く走らせることが可能となるのでは・・・というようなこと。あるいはこんなことは極秘裏に,すでに行われていて,だれも気づかないでいるのかもしれない・・・ということ。

 でもまあ,スポーツの領域でのことは小さな問題だ。それより,「人類には理解できない文化を築」いたり,人間が「生物としての限界を超える」ような事態が生まれてくることの方がはるかにことは重大である。そうなると,もはや「人間の歴史」は終焉を迎え,新しい「ロボット人間の歴史」がはじまることになるのだろう。ということは,「人間が生きる」という根源的な問いをどのように克服していくのか,という新たな難題がそこには生まれてくることになる。

 しかし,ここにはさらに考えるべき重大な問題が横たわっている。特異点に立ったときに,人間はいったいなにを考えるのだろうか。あるいは,その前にどれだけのことを考えておかなくてはならないのか。コンピューターの急速な進展と人間の「思考停止」は無縁ではない,と考えているのでなおのこと,そこはかとない恐怖感が襲ってくる。

 20XX年にならないと,だれも,なにも予測もできないのだろうか。それにしても「2045年」がその年に相当するとすれば,そんなに遠い先のことではない。下手をすると,わたしは106歳で生きていたりして・・・・。あな恐ろしや。

2014年5月5日月曜日

練習量がすべてを決定する柔道(井上靖『北の海』)。柔道の真髄は寝技にあり。

 作家井上靖の自伝的小説三部作といわれている作品群があります。『しろばんば』,『夏草冬濤』(上・下),そして『北の海』(上・下)です。いずれも主人公は「洪作」。すなわち,作家井上靖の少年時代のある側面を代弁する人物。

 父親の職業(軍医)の関係で転勤が多く,幼少時から親元を離れて育てられた「洪作」少年の,こころ暖まる忘れられない日々を描いた作品『しろばんば』,親の監視の目のとどかない旧制中学時代の自由奔放な生活ぶりを描いた『夏草冬濤』,そして,高校受験に失敗して浪人の身でありながら柔道三昧に明け暮れる日々,そんななかで高専柔道の名門・四高(旧制第四高等学校・現金沢大学)受験を決意するまで,を描いた作品『北の海』です。

 時代は大正末期から昭和のはじめにかけての,ある意味では日本の激動期にあって,洪作少年はそんな世の中の動向とはまったく無縁な,天衣無縫な生活を堪能します。金は親元から必要なだけは送られてくる。ふしだらな日頃の生活ぶりを監視する人はいない。まことに自由奔放な生活をこころゆくまで満喫します。その結果は二度にわたる受験の失敗(中学受験,高校受験)となって跳ね返ってきます。が,そんなこともどこふく風とばかりに,生活そのものをエンジョイします。

 洪作少年の特異な生活環境と生来の性格がうまくマッチングして,古きよき時代の少年の「暮らし」ぶりがもののみごとに描かれています。わたしが育った時代はもう少しあとになりますが,それでもかなり多くの部分が共有・共感できるものがあって(バンカラ風を装う立ち居振る舞い,など),その意味では「懐かしさ」でいっぱいになります。

 前置きが長くなってしまいましたが,本題に入りたいと思います。

 「練習量がすべてを決定する柔道」というものの存在を,浪人中の洪作少年は,たまたま沼津中学の柔道部の道場に遊びにきた四高柔道部の蓮実に教えられます。そして,この蓮実の説得力のある話に惹きつけられ,即座に,四高を受験し,柔道部に入ることを決意します。その説得力の一つは,蓮実は背も低く,体格も貧弱,筋力もそれほどでもない,そんな蓮実に洪作少年は,立ち技では勝っていても寝技に入ると手もなく締められてしまいます。この寝技こそが柔道の真髄であり,「練習量がすべてを決定する」と蓮実がいうのです。つまり,寝技は練習すればするほど強くなる,というのです。

 四高柔道部のめざすところは高専柔道大会で優勝することにあります。高専柔道大会の存在はあまり知られていませんが,第二次世界大戦前までは(つまり,1945年までは),講道館が主催する柔道大会など,比べ物にならないほどの,圧倒的な人気がありました。

 高専柔道大会とは,旧制の高等学校・専門学校の柔道大会であって,その主催は京都大学(のちに,東京大学と共催)でした。全国の予選大会を勝ち抜いてきたチームが集まってきて決勝大会を開催します。試合の方法は,10人1チーム(人数は何回も変更されている)で,「勝ち抜き」戦。したがって,戦法・戦略は,最悪でも「負けない」柔道をすること。たとえ弱くても強い相手と引き分ければ互角の勝負。そのための最大の武器は寝技。立ち技は,たとえ強くてもはずみで投げられる,ということが起こりえます。しかし,寝技は「練習量がすべてを決定する」というわけです。勝てないと思ったら逃げて逃げて「引き分け」ればいい。それで立派に一人前の役割をはたすことができるというわけです。

 ご存じのように寝技は「関節技」か「締め技」のいずれかで勝負が決まります。つまり,相手がギブ・アップするまで闘います。しかし,チームの名誉を背負って闘う選手たちは,自分からギブ・アップするのは不名誉なので,関節技は「折れる」まで,締め技は「落ちる」まで,闘うことになります。それでは困りますので,これを「防ぎ切る」ための研究を徹底的にやります。それが「練習量」ということの意味です。

 もともと柔道は素手で闘う格闘技です。格闘技の最終ゴールは「相手を殺す」ことです。殺すためには「締め技」が手っとり早い。関節技で腕をへし折ったとしても相手は死ぬわけではありません。ましてや,立ち技で相手を投げ飛ばしたところで,相手は立ち上がってきてまた闘いを挑んできます。ですから,立ち技はみた目には派手でも実用性という意味では,ほとんど役に立ちません。最終的には寝技にもちこんで「締める」しかありません。

 高専柔道大会はこの精神を保守していたというわけです。ですから,寝技の優劣が高専柔道大会を制することになる,とどこの柔道部も考え,そのための練習をし,新しい「締め技」の研究に取り組みます。そして,新しい「締め技」が毎年のように開発され,そのチームが活躍することになります。ですから,どこの柔道部も必死です。

 かくして,四高柔道部では「練習量がすべてを決定する柔道」を目指すことになります。洪作少年をスカウトにきた蓮実は,その代表的な存在だったというわけです。そして,そのことばに鋭く反応した洪作少年は四高受験をめざすことになります。そして,受験勉強もほったらかしたまま,まずは,四高柔道部の練習とはいかなるものかを知りたくて,四高柔道部の熾烈をきわめる夏合宿に参加します。

 ここでの描写が,この作品の一つのクライマックスを構成しています。このあたりには作家井上靖実体験にもとづく描写がふんだんに盛り込まれているはずです。ですから,迫力満点です。柔道を語らせたら井上靖にまさる作家はほかにいないのではないでしょうか。のちに,みずからも選手として活躍した高専柔道大会がめざしたものはなにか,ということがリアルに描かれています。その意味で,この時代の柔道の実情を知る上で,これ以上の優れたテクストはないと言っていいでしょう。

 さらに付け加えておけば,講道館柔道が戦後になって追求した柔道は「スポーツ」でした。開祖嘉納治五郎は総合格闘技としての柔道を構想していましたが,戦後は,GHQの占領政策に迎合するかたちで「柔道はスポーツである」宣言をします。このあたりから,柔道の形骸化が一気に進展していきます。なぜなら,高専柔道大会も武徳会柔道も姿を消してしまうからです。その結果,講道館柔道の一人勝ちとなります。こうなりますと,もう,歯止めがききません。その醜態ぶりは,近年の不祥事をみれば明らかです。

 時代の風(GHQ占領政策)に吹き飛ばされた高専柔道大会も武徳会柔道も,じつは柔道の真髄を死守しようとした結果です。「歴史の天使」(ベンヤミン,クレー)は必死で「柔道の真髄」を死守すべく振り返るものの,強い風(GHQ,講道館)に吹き飛ばされてしまいました。その結果が,こんにち目の当たりにする「JUDO」の惨状です。

 「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった現代人の頽落(ハイデガー)ぶりは目を覆うばかりです。この問題は,なにも柔道に限ったことではありません。現代社会・世界を生きるわたしたち全員が背負わされた宿命のようなものです。そこからの脱却のために,いまこそ智恵を絞り,行動を起こさなくてはならない,きわめて重大な局面を迎えている,とわたしは考えています。

 さらに,もう一点。高専柔道大会と寝技の関係を,わたしは,「歴史の天使」と「Kunst」の関係で捉え直してみたいと考えています。どこまで可能か,5月17日(土)の楽しみです。
 

2014年5月2日金曜日

瑞穂の国と穂の国との接点はなにか。出雲族の存在か。出雲幻視考・その17。

 それは,子どものころからの疑問でした。いまも,その謎は解けていません。

 日本全国には八百万(やおよろず)の神様が点在していて,神無月(旧暦の10月)になると,すべての神様たちが出雲大社に集合するのだ,と初めて聞いたのは敗戦の年の秋(つまり,1945年10月),母方の祖母からでした。この祖母は結婚する前までは尼さんとして修行をしていた人です。そのとき,わたしは小学校2年生(戦中の国民学校が敗戦によって小学校に呼称が変わる)でした。

 どういうきっかけで,なんのために祖母がこんな話を,それも敗戦直後の世の中が混乱している真っ最中に,しかも,まだ幼いわたしにしたのか,不思議でなりません。しかし,最近になって「ハッ」と気づくことがありました。ここからは,現段階でのわたしの推理であり,「幻視」です。

 祖母の生まれは下佐脇(愛知県豊川市)。この「佐脇」には「上佐脇」と「下佐脇」の二つの集落があります。三河湾に面した海沿いの集落です。この辺りの海岸に,そのむかし,持統天皇が周囲の反対を押し切って伊勢行幸をはたし,さらに足を伸ばして伊勢から船で穂の国にやってきて上陸した,と言われています。この佐脇というロケーションは穂の国の玄関口に相当します。三河湾でいえば,一番奥まったところです。その地に,なぜ,わざわざ持統天皇はやってきたのでしょうか。しかも,持統天皇は歓迎されるどころか,激しい戦いとなり,尾張に逃れて,伊勢を経由して大和にもどって行ったと考えられています(柴田晴廣著『穂国幻史考』に詳しい)。

 つまり,大和朝廷のあった瑞穂の国と,こんにちの東三河地方を指す穂の国とは,なんらかの深い関係があって,しかも,どうやら敵対する関係にあったらしい,ということです。その穂の国の玄関口の一つが佐脇です。ひょっとしたら,佐脇の祖先は,先陣を切って持統天皇と戦った人たちだったかもしれません。だとすると,その祖先とはいかなる人たちだったのでしょうか。もっと言っておけば,大和朝廷にまつろわぬ人びととは・・・?

 そういう地政学的な背景をもつ下佐脇で生まれ,育った祖母が,なぜ,渥美半島の中程にある尼寺に修行にでたのか。そのとき,だれが,どのように仲介したのか。そこには表面にはでてこない,なにか大きな力がはたらいていたのではないか,と思われてしかたありません。

 その近くには長仙寺という古刹があり,別名「おたがさま」とも呼ばれています。この地方の人たちの多くが,初詣にでかける名所です。わたしも何回も初詣をした思い出があります。「おたがさま」とは多賀神社の親称です。祭神はイザナギ・イザナミです。この地方では「おいせさん」よりも親しまれている,と言っていいでしょう。わたしのなかにもそういう心象があります。なぜなら,アマテラス(おいせさん)はイザナギ・イザナミ(おたがさま)の娘なのですから。

 この渥美半島の「あつみ」という地名は,「あずみ」族との結びつきが考えられており,もしそうだとすると信州の安曇野に鎮座する穂高神社との関連も視野のうちに入ってきます。また,その近くには諏訪大社があります。いずれも出雲族との関係が深い神社です。こうなってきますと,穂の国だけの問題ではなくなり,さらに広大な視野に立つ考察が必要になってきます。しかも,きわめて煩瑣な分析・思考が必要になってきますので,ここでは,この程度にとどめおきたいと思います。(※この話を敷衍していくと,八百万の神様の話になっていきます。)

 話をもとにもどします。祖母が下佐脇から渥美半島の尼寺に修行にでた経緯は不明ですが,なにか地政学的なつながりがあったのではないか,とわたしは推測しています。つまり,穂の国という視野に立つとき,下佐脇も渥美半島も同じ根をもつ同族意識がつよくはたらいていたのではないか,ということです。そして,祖母の若かったころにはまだその意識がかなり濃厚に残っていたのではないか,と。

 さらに飛躍しますが,穂の国の時代からこの地方で重要な役割をはたしてきたと考えられる神社に砥鹿神社があります。のちに三河一宮となり,その祭神はオオクニヌシです。つまり,砥鹿神社を支えてきた氏子は出雲族ということになります。そういう目で,もう一度,この地域の神社を総ざらいしてみますと,まぎれもなく出雲系の神社が多いことがわかってきます。わたしの子どものころは,神社といえばみんなスサノオ神社だ,思い込んでいたほどです。

 少なくともわたしの子どものころの生活圏で目にした神社は,そのほとんどがスサノオ神社でした。しかし,その当時,スサノオ神社がいかなる神社であるかということなど知るよしもありません。のちになって『古事記』に登場する神話によれば,アマテラスの弟がスサノオである,つまり姉弟関係である,ということになっていることを知ります。しかも,姉アマテラス神にまつろわぬ弟スサノオ神という設定になっています。このことがなにを意味しているのか,じつはまことに意味深長である,とわたしは考えています。

 もっと言っておけば,アマテラスのモデルは持統天皇だ,というかなり有力な説もあります。だとすると,では,スサノオのモデルはいったいだれか,ということになります。姉弟なのに「うけい」までして,子孫を残しています。まことに不思議な話です。ここに隠されている秘密はなにか。アマテラスとスサノオを姉弟関係にして封じ込んでおかなければならなかった,きわめて重大な問題がそこにはあった,と考えるのが妥当でしょう。

 まつろいつつ,まつろわぬ関係。それは大和と出雲の関係ではないか,とわたしは「幻視」しています。それが瑞穂の国と穂の国の関係にも影を落としているとしたら・・・・・。興味はつきません。

 というところで,今日のところはおしまい。

山中六さんから詩集『指先に意志をもつとき』(南方新社)がとどく。

 一昨年(2012年)の奄美自由大学(今福龍太主宰)でお会いした詩人の山中六さんから新しい詩集『指先に意志をもつとき』(南方新社)が送られてきました。二泊三日の奄美自由大学の全日程が終了し,これで解散という間際になって山中六さんと,あわただしくことばを交わし,メール・アドレスを教えていただいてお別れしました。が,わたしが聞き間違えたのか,このメール・アドレスでの交信はできませんでした。ああ,ご縁がなかったんだ,と諦めていました。

 そこへ,つい先日,鷺沼の事務所の方に山中六さんの新しい詩集がとどきました。文庫本サイズのとてもおしゃれな詩集です。書名の「指先に意志をもつとき」というのは,「私が書き続けていくこと。感謝の意」である,とあとがきにあります。この書名からも推測ができますように,六さん(奄美では「六さん」でとおしていましたので)は肉体派の詩人だと,わたしは受け止めています。

 奄美でお会いして最初に話がはずんだきっかけは,六さんが若いころに土方巽が立ち上げた暗黒舞踏に触発されて舞踏をめざしたことがあった,と聞いたときです。そうか,この人は奄美で生まれた人なのに,どうしてまた舞踏なのか,とそれはまた新鮮な驚きでした。舞踏に反応するそういう感性の持ち主であり,また,そういう肉体を持ち合わせている人なのだ,と。

 ひところ,わたしも大野一雄や土方巽の「舞踏」に惹かれたことがあり,舞台公演を追いかけたことがありました。そして,この人たちの書いたものも,かなりまじめに読み込みました。そこには確たる思想があって,そこから舞踏が立ち上がってくるのだ,ということも知りました。それは土俗的な,あるいは土着的な,大地から突き上げてくるようなエネルギーを,生身の肉体を剥き出しにして表出させる,そんな生の躍動なのだ,ということも知りました。

 こういう舞踏に反応して,若き日の情熱を注ぎ込んだ六さんという人の生き方に興味がありました。そうして,お話を伺っているうちに,舞踏のつぎは焼き物の世界に飛び込み,ゼロからの修業をした,とも伺い,これまたどういう人なのだろうか,びっくり仰天です。それからまた紆余曲折を経て,こんどは詩人になります。もう書かずにはいられない,そういう強い衝動が沸き上がってきて,その衝動のままに書いた詩集『見えてくる』(1992年)を刊行。この詩集で翌年,第16回山之口貘賞を受賞。以後,詩人として創作に励むかたわら,出版社のお仕事をなさっています。(※これらはわたしの記憶と略歴をたよりに書いていますので,あるいは間違っているかもしれません。その場合にはお許しください。)

 気がつけば,わたしの指先が勝手にキー・ボードを叩いています。六さんの情念のような,それに似たなにかに突き動かされてでもいるかのように。こころをまっさらにしてパソコンに向かうとき,時折,こういうことが起こります。これってなんだろうなぁ,と思うことがあります。が,考えてもしかたがありません。指は動くのです。もちろん,脳からの指令で動くのですが,その自覚がありません。そして,目の前に現れる文字をみて,わたしの脳がわれに返ります。そんな時は,かけがえのないわたしの至福のとき。

 六さんが詩のことばを書きつけるときというのは,どんな具合なんだろうなぁ,と想像しながら詩集を繰り返し読んでいます。しかし,詩を論評する力はありませんので,最後に,書名となった詩「指先に意志をもつとき」を紹介しておきたいと思います。


指先に意志をもつとき


反論などない
生かされている
闘争のなかに
一瞬の合間
見えてくるのは 愛

日常と非日常
醸し出す文字
その愛 闘争
反映することは
あるのだろうか

雨が降る
今日という日常
変えようとしている
友といる
勘違いをしてしまう

ゆ る ぎ な き こ と

親指の先
人指し指の先
中指の先
脈々と流れている
薬指の先
小指の先
たしかな水脈

そこに船を 浮かべよ!

掲げる拳
この
指の
先に

意志を も つ と き
 

2014年5月1日木曜日

「日米共同声明全文」を読む。空虚感が漂う。なぜか?

 オバマ大統領から「オーラ」が消えた,これがわたしの第一印象。ぐいっと惹きつける魅力が消えた。それどころか疲労困憊の,疲れ切った老人の顔が透けてみえてきた。

 どうしたのだろうか。結論は簡単。

 バラク君はシンゾウ君が好きではない。できることなら会いたくない。しかし,なんとしてもTPPでリーダーシップを発揮して米国議会の支持を得たいバラク君としては,最終段階にきているTPPの目処をつけたかった。そのためには直接会って,強引に押し切るしかない。だから,苦渋の選択をして来日した。

 ところが,「オーラ」がない。いまひとつ迫力が伝わってこない。これはいままさに国際社会からも見放されつつある米国が凋落の一途をたどりはじめた象徴のように,わたしには見える。なのに,シンゾウ君にはそれが見えないので,わき目もふらずこれまで以上に「自発的隷従」の態度をとりつづける。そして,それをマニピュレートするかのように尖閣問題とTPPを際立たせる。しかも,メディアまで便乗して,まるで取引に成功したかのように報道する。

 はたしてそうか。メディアは信用できないので,自分で「日米共同声明全文」を読んでみる。この手の文章は読み慣れていないので苦戦する。日本語として理解不能の文章もある。わたしの能力の低さかと反省しつつ,外務省のHPに公開されている「英文版」と比較してみる。日本文を読んでから英文を読むととてもよくわかる。手間がかかるが,一文ずつ,それを繰り返してみる。そういうことなのか,と納得できる部分が多々ある。でも,最後までどういうことを言おうとしているのか分からない部分も少なくない。これは明らかにわたしの予備知識の不足からくるものなのだろう。でも,一国民として,最小限の努力だけはしておこう,と必死。その甲斐あってか,一応の目的は達したとみずからを慰める。

 そうしてわたしなりにみえてきたことを少しだけ書いておきたいと思う。

 一つは,「日米両国は・・・」ではじまる文章が多いのは当然として,時折,「米国は・・・」という文章が織り込まれているにもかかわらず,「日本国は・・・」ではじまる文章はひとつもない,ということだ。これはいったいなにを意味しているのだろうか,と考える。こんなところにも「日米安保条約」よりも怖い「日米地位協定」の影がちらついているように,わたしにはみえる。日本国はいまだに米国の属国でしかないのだ・・・・と。日本国がこんな米国にべったり追随の姿勢を維持しているかぎり,沖縄の基地問題の解決は永遠に不可能だ。米国のいいなりなのだから。それどころか,それ以上の「贈与」(沖縄特別措置法の連発,たとえば沖縄県民の人権侵害をも正当化する特別措置法を制定して,米国に代わって沖縄を弾圧する,など)まで自発的に進呈しているのが,これまでの実態なのだから。

 二つには,尖閣諸島は日米安全保障条約によって守られるという確約をえた,だから安心だ,という誤った言説が横行していることだ。しかし,日米共同声明をよく読めば,それが日米両国によるみごとなまでの「マニピュレーション」にすぎないということがよくわかる。にもかかわらず,メディアもこぞってシンゾウ君の発言を鵜呑みにしたまま,その情報を「垂れ流す」だけだ。ジャーナリズムの批評精神はどこに行ってしまったというのだろうか。

 日米共同声明の該当する文章を引いておこう。

 ・・・・・米国は,最新鋭の軍事アセットを日本に配備してきており,日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している。これらのコミットメントは,尖閣諸島を含め,日本の施政の下にある全ての領域に及ぶ。この文脈において,米国は,尖閣諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する。

 この声明文を読み解く上でのポイントはいくつもあるが,問題の核心を明らかにするために,ここでは一つだけ取り上げることにしよう。それは「日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たす・・・」という文章だ。この文章をどのように読み解くか,それが問題だ。つまり,日米安全保障条約の下に尖閣諸島も含めて対応する,ということの内実である。

 ならば,日米安全保障条約では具体的にどのように記述されているのか,そこを確認しておく必要があろう。そこで,外務省のHPにアップされている「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」を読んでみると,第五条にその対応の仕方が記述されていることがわかる。そこには,つぎのように記述されている。

 第五条 各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め,自国の憲法上の規程及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 ここにははっきりと「自国の憲法上の規程及び手続に従って・・・」と記述されている。ということは,日本国にあっては「憲法第九条に従って・・・・」尖閣諸島にも対応する,ということを意味している。すなわち,米国サイドからすれば,これまでとなんら変化はない,ということだ。尖閣諸島の問題が生じているので,これまでよりも一歩踏み込んだ姿勢を米国が示した,と日本国は受け止めているようだが,それは事実に反している。「憲法九条」が生きているかぎり,米国サイドもいかんともしがたいのである。

 そこで,この窮状をなんとか打破すべく,シンゾウ君は「解釈憲法」を提案し,「集団的自衛権の行使」が可能になる道筋をつくろうと必死なのだ。しかし,このシンゾウ君の意図がきわめて重大な危険性をはらんだものであることは,米国も百も承知で,むしろ危険視さえしている。バラク君の不機嫌さはそこにある。だから,一見したところシンゾウ君の意図に妥協したかのように見せかけておいて,その交換条件としてTPPを・・・ともくろんだのだ。

 この声明文ですら難産の末の苦肉の策だったのだ。米国は,尖閣諸島の問題については戦略どおりうまくかわしておいて,TPPで内実をとろうという策をとった。問題は「水面下」でどのような「駆け引き」(裏約束)がなされたか,にある。それらはこれから徐々に明らかになってくるだろう。

 こんな風にして日米共同声明文の読解を進めていくと,この声明文とはいったいなんなのだろうか,という「空虚感」ばかりがひろがってくる。にもかかわらず,日本政府は鬼の首をとったようにはしゃいでいる。そして,メディアをも躍らせている。虚々実々どころか,「虚々」ばかりが情報化されて,日本国を席巻していく。しかも多くの国民がその情報を鵜呑みにする。

 かくして,また新たな,権力好みの「歴史」が創造されていく。
 わたしのこころは満たされることのない「空虚」ばかり。

 

『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(多木浩二著,岩波現代文庫,2013年)を読む。

 3月29日(土)に今福龍太さんにお出でいただき,わたしたちは「ISC・21」3月東京例会(第81回)を開催しました。主たるテクストは『多木浩二「映像の歴史哲学」』(今福龍太編,みすず書房,2013年)でした。内容は,レニ・リーフェンシュタールの映画『オリンピア』(1936年のオリンピック・ベルリン大会を撮った二部作)の話題からはじまって,『プロヴォーグ』の時代の話題,そして,ベンヤミンの話題へと展開させながら「映像」というものの「歴史哲学」を,多木浩二さんが語ったものです。

 このテクストを手がかりにして,今福さんは多木浩二さんの生き方,思想,哲学について,じつに愛情の籠もったことばで,わたしたちに語りかけてくださいました。予定していた時間をはるかに延長する,熱弁をふるってくださいました。それは,ある意味で,多木浩二さんに対する今福さん流のレクイエムにも聞こえました。その触手はわたしにも及んでいて,わたしはいたく感動し,同時にたくさんの宿題を胸に秘めることになりました。

 そのひとつが,多木浩二さんとヴァルター・ベンヤミンとの関係でした。とりわけ,多木浩二さんが「歴史の天使」(パウル・クレーの絵をベンヤミンが読み解いた断章を多木浩二さんが引用しながらみずからの写真論を展開。ここにベンヤミンと共振する多木さんの「歴史哲学」を見届けることができる)と「Kunst」(カントのいう意味での「生活のなかの技芸」)との関係をどのように考えておられたのか,この点にいたく惹きつけられるものがありました。なぜなら,これを明らかにすることが,たとえば「スポーツの歴史哲学とはなにか」「スポーツにとってKunstとはなにか」を考えていく上できわめて重要であると気づいたからでした。

 そこでやおら取り出してきたテクストが,この多木浩二さんが書かれた『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』でした。この種の本は,いつか読まなければならないという本として,かなりの量の買い込みがしてあります。ですから,まずは,このテクストを読むことから作業にとりかかろうと,ピンとくるものがありました。

 わたしたちにとって必要なことは,レニ・リーフェンシュタールの記録映画『オリンピア』(二部作)をどのように受け止めるか,そして,それをどのように「批評」するのか,という大きな課題に応えることです。そのためには「映像」というものを読み解くための「歴史哲学」が必要です。となると,多木さんがみずからの「歴史哲学」を構築する上で大きな位置を占めてきたと仰るベンヤミンの「歴史哲学」を見届けることが不可欠となります。

 そのテクストのひとつがベンヤミンの書いた論文「複製技術時代の芸術作品」であります。しかも,この論文を多木さんが「精読」する,というとてもありがたいテクストまであるのですから,これを手始めに読むのは常道というものでしょう。しかも,当たり前といえば当たり前の話ですが,「複製技術時代」に当面した芸術作品の問題は,そっくりそのままスポーツ文化に当てはめて考えることができます。

 たとえば,ベンヤミンが提示した芸術作品が「礼拝的価値」から「展示的価値」へと移行するという概念装置は,そっくりそのままスポーツ文化を分析する手法として応用できるのではないか,と考えるからです。ベンヤミンは,絵画というものが前近代までは(とりわけ,「複製技術時代」が到来するまでは),たったひとつの作品として,ある特定個人の所有になっていて,その所有者の承認がなければ鑑賞することができない,そういう「礼拝的価値」をもっていた(つまり,アウラがあった)のに対して,近代の,それも「複製技術時代」(写真から映画へと移行する時代)にあっては美術館に公開「展示」されるものへと絵画のあり方そのものが大きく変化することに注目しています。なぜなら,この変化によってそれを享受する人間の生き方(あり方)そのものも大きく変化していくことになるからです。この問題は,そっくりそのまま,わたしが提示してきました「ヴァナキュラー・スポーツ」から「セントラル・スポーツ」へという概念装置と二重写しになってみえてきます。これが一つです。ですから,このことを知ったことだけでも,多木さんの「精読」は,わたしにとっては大きな転機になりそうです。ほんとうにありがたいかぎりです。

 問題は,この概念装置を用いて,では,そこからなにを導き出すのか,そのための方法はなにか,ということになります。すなわち,複製技術時代(写真,映画,など)を通過するときに,スポーツ文化と人間との関係はどのように変容したのか,そこに分け入っていくための方法,すなわち「歴史哲学」が問われることになります。さらには,その時代になって新たに生まれたものはなにか(新たな可能性はなにか),そして,それによって失ったものはなにか,を腑分けしていく作業が必要になってきます。わたしちの作業(スポーツ史,スポーツ文化論)は,大きな概念装置を設定したところまでで,止まってしまっています。なぜなら,スポーツ史研究のための「歴史哲学」を欠いていたからです。

 このような問題意識で,このテクスト『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を読み進めていきますと,目からウロコが落ちるような新しい発見の連続です。そこはまさに,新しいスポーツ史研究のための発想の宝庫だと言っても過言ではないでしょう。

 このことに勇気づけられましたので,次回の「ISC・21」5月大阪例会では,「『歴史の天使』と『Kunst』について」というテーマで問題提起をさせていただこうと考えています。これまでのスポーツ史研究の大きな壁を,この際,ひとつ突き破ってやろうではないか,と意欲満々です。きっと多くの人がなんらかの反応を示してくれ,さらに面白い議論が展開できるのではないか,と期待しているところです。そして,そのさきに新たに見えてくる地平がどのようなものか,いまから楽しみにしているところです。

 ということで,今日のところはこのテクストに触発された,そのほんの一部を紹介させていただきました。