2012年2月29日水曜日

「猫の足のように,静かにそっと運ぶ」(李自力老師語録)・その7.

「猫の足のように」音を立てることもなく,そうーっと前に出し,静かに着地させること。今日(29日)の稽古で李老師が発したことばです。なぜか,とても得心がいったので,ぜひとも,忘れないうちに記述しておきたいと思います。

李老師の動きに無駄はひとつもありません。脚は脚,腕は腕,腰と上体,それぞれの動きはお互いに独立しています。しかし,それらはお互いに連動しながら一つに溶け合ってみえます。みごとな連鎖をなしています。しかも,それらの一つひとつの動きが止まっていることは一度もありません。つねに,全体が連鎖反応しながら動きつづけています。

このことを,もう,ずいぶん長い間,観察しながら考えつづけていました。しかし,名人の動きを分節して見透かすだけの力は素人にはありません。ですから,ただ,ひたすら真似をするだけです。見よう見まねで,名人の動きを模写するしかありません。ですから,李老師はひたすら模範を示してくださいます。ことばによる説明は最低必要限にとどめます。そこから,ことばは悪いですが,「盗め」というわけです。つまり,眼力を養うべし,と。

そうした謎の一つが脚の運び方です。軸足に体重を乗り移らせた瞬間から,体重から解放された脚はゆっくりと軸足の方に引き寄せられたのちに,こんどは前に向けて送り出されます。この脚の運び方が,以前から不思議で仕方がありませんでした。一瞬たりとも止まることなく,しかも,ゆったりと引き寄せられ,送り出されていくのです。

この動作をどれほど盗み取ろうとしたことだろうか。それでも,ずっと謎でした。が,今日の李老師のひとこと。すなわち,「猫の足のように」。そうか。李老師の脚の運びは「猫」の方法だったのか,という次第です。

猫が獲物をみつけて,獲物に気づかれないように音もなく接近するときの足の運びは,まさに,李老師の脚の運びとぴったり一致します。

そして,この脚の運び方を可能にしている最大のポイントは,じつは,腰の回転でした。この腰の回転と脚の送り出しが連動して,はじめて「猫の足のように」なる,という次第でした。

いまごろになって,と笑われそうですが,気づいたときが吉日です。今日は赤飯を炊いてお祝いをしなくてはなりません。そんな気分にさせてくれるほど嬉しい李老師のひとことでした。

イメージはできあがりました。あとは,稽古を積んで,それを可能とするからだをわがものとするだけです。これで,また一つ,太極拳をする身体に接近できる,その道が見えたことがなによりでした。
李老師に感謝。

「超哲学」ではなくて,「チョー哲学」でした。いよいよもって不可解。されど魅力的。

今日の太極拳のあとの「カキフライ・オムライス」の時間は,急遽,「やきそば・ミミンガ」の時間に変更になりました。こんなことがあっていいのだろうか,というようなまことに贅沢な話ですが,でも,それがほんとうにあったことですので正直に書いておきます。

いつもはなかなかきていただけない李老師から,昨夜,遅くに「明日,時間に余裕ができましたので,稽古に参加します。稽古が終ったあと,家に寄っていきませんか。簡単な<やきそば>をつくります」というメールが入りました。欣喜雀躍,さっそく,NさんとKさんにメールで連絡。

朝になってみれば,なんと雪が降っているではありませんか。久しぶりの銀世界。電車が動いていてくれればいいが,と心配しながら稽古場に出かけました。ひとりで着替えをして,準備運動をしていましたら,三々五々,多少の遅れがあったようですが,みなさんが集まりました。が,Kさんからはメールが入り,体調が思わしくないので休みます,とのこと。残念。

いつものとおりに稽古をはじめていたところに,李老師がふらりと現れ,わたしのからだの緊張度が一気に高まりました。こころの方は李老師がきてくださって嬉しくて仕方がないのに,からだの方は緊張してしまうのです。不思議なものです。久しぶりに,わたしのからだはフル回転。いつもはかかない汗が背中を流れていきます。Nさんから,顔まで赤くして,どうしたんですか,と冷やかされてしまいました。そうか,顔まで赤くなっているのか,それは気がつきませんでした。

李老師に見られている,というただそれだけでわたしのからだに緊張が走ります。これはとてもいいことなのですが,あまりに緊張してしまうと,いつもできていることができなくなってしまうこともあって,これは困ったものだ,とも思っています。そんな緊張の中で,今日も,李老師語録が一つ増えました。「猫の足のように」です。このことについては,別のブログで書くことにします。

いささか前置きが長くなってしまいましたが,こんな稽古のあと,李老師のお招きでご自宅に伺いました。早速,ご自慢の雲南省産のお茶をいただきながら,雑談に入ります。李老師は,その間,せっせと「やきそば」の準備に入ります。そのわずかな時間を見つけて,Nさんが忘れないうちに,と言ってわたしが昨日書いたブログの話を切り出してくれました。

あれは,稲垣さんが書いたような「超哲学」ではなくて,「チョー哲学」です。「超」はカタカナ表記の,そのまま「チョー」です。意味は,若い女の子たちが多用している例の「チョー」です。「チョーかわいい」「チョーおいしい」「チョーおもしろい」というときの「チョー」です。これを,たとえば,「チョー音楽」とか,「チョー数学」というように置き換えてみればいいわけです。ですから,そのまま「チョー哲学」ということです。

この授業は学部の演習ですので,どんなテクストでもとりあげて一緒に読もう,というそういう授業です。くわしくは,シラバスをご覧ください。たとえば,イグナチオ・ロヨラの『霊操』(門脇佳吉訳,岩波文庫)なども取り上げましたし,プラトンなども読みました。ときには,デカルトを読んだり,スピノザを読んだり,もしました。テクストもまったく限定はありません。ですから,ことしの4月からはなにを読もうかと考えているところです。

じゃあ,わたしがブログで書いたことは,そんなには外れてはいないですね。むしろ,それをも軽々と超えでていく,そういう「哲学」ですね。言ってしまえば,これまでの「哲学」の概念という枠組みなど無視して,いかなるテクストも「哲学」になりうる,そういう実験的な意味も籠められている,と受け止めていいですね。

まあ,そんなもんです。

というような次第でした。じつは,このあとも,とても刺激的なお話があったのですが,わたしの提起した「超哲学」とは直接の関係がない話ですので,割愛します。

このお話を受けて,わたしはわたしで「超哲学」という概念を明確にして,自分の研究に役立てていけばいいのだ,と得心がいきました。少なくとも,Nさんの掲げていらっしゃる「チョー哲学」とバッティングすることはない,と。

ならば,「スポーツ学」(Sportology)構築のための「超哲学」的アプローチ,という研究ノートの表題は大丈夫だ,と。よし,これで行こう,と腹をくくることにしました。

その間に,李老師は,じつに手際よく5人分の特製の「やきそば」を調理してくださいました。なんという贅沢。にもかかわらず,Nさんはなんと言ったと思いますか。「ぼくは気が弱くて言いづらいんですが,稲垣さんの眼が,これにミミンガがあるといいなぁ,と言ってるんですよね」。一瞬,唖然としてしまいましたが,ここは外してはならずとばかりに「えっ,いつからぼくのこころの内まで透視することができるようになったんですか」と応答。みんな爆笑。

李老師も心得たもので,「ミミンガ? ああ,すぐできますよ」と言って,あっという間に仕上げてくれました。しかも,ネギを長く細切りにしてミミンガの上に乗せてあり,これがまた絶妙の味なのです。じつは,李老師は四川省出身のお母さんゆずりの四川料理の名手なのです。詳しいことは,いつか,あらためてご紹介することにしましょう。

というわけで,今日の太極拳の稽古のあとは,「カキフライ・オムライス」ではなくて「焼きそば・ミミンガ」でした。

いやいや,このブログとしては,「超哲学」ではなくて「チョー哲学」でした,というのが本来の「落ち」でした。そして,わたしは,しばらくの間は,近代を超克するための後近代の新しい論理を「超哲学」という方法で探索してみたいと,それもジョルジュ・バタイユを手がかりにしてと,本日,ただいま,決断しました。

李老師に二重,三重の感謝です。ありがとうございました。

2012年2月28日火曜日

西谷修さんのいう「超哲学」とはいかなる学問なのだろう?いま,とても知りたい。

西谷修さんが,東京外国語大学で「超哲学」という授業を展開されているという話は,しばらく前から聞いてはいました。この「超哲学」ということばの響きが,最近になってとてもいい具合に,わたしの耳に入ってくるようになりました。できることなら,もぐり込んで聴講させていただきたい,と強く思うようになってきました。こんどの4月から,本気で通ってみようか,と考えはじめています。

しかし,残念なことに,この「超哲学」という授業をとおして,どのような話をなさっているのかはお尋ねしたことがありません。わたしが勝手に想像しているだけのことなのですが,それでも,とても魅力的な授業がイメージできてしまうから不思議です。

そのむかし木田元さんが「反哲学」という概念を提示され,『反哲学史』なる本まで書いていらっしゃいます。その当時は,なんということを言う人なのだろうか,と半信半疑で読んだものです。しかし,その後,木田さんのハイデガーに関する著作を何冊か夢中になって読むことになり,ようやく「反哲学」の意味がおぼろげながら納得できるようになりました。

わたしの理解によれば,ニーチェによってヨーロッパの伝統的な哲学,すなわち形而上学が痛烈に批判され,その<外>にでて,新たな哲学の方法を立ち上げることが叫ばれるようになりました。このニーチェの主張を真っ正面から受け止め,ニーチェの思想を継承すると宣言して,ハイデガーの哲学が誕生します。この事態をとりあげて,木田さんは「反哲学」という概念を用いて,さらに深いところに思考を掘り下げていった,とわたしは理解しています。

しかし,どういうわけか,木田さんは,ハイデガーを批判的に超克することを目指したジョルジュ・バタイユのことはほとんど無視されました。バタイユは,ハイデガーの思想・哲学が,なにゆえにナチズムに利用されることになってしまったのか,という点に注目し,そこを超克することに力を注ぎました。バタイユは,ハイデガーがニーチェを継承すると宣言したことに対して,「わたしはニーチェを生きる」と宣言し,実践していきます。そうして,オーソドックスな哲学者たちがいまでも忌避するような,バタイユの独特の思想・哲学を展開していきました。それは,バタイユの膨大な著作を一望すれば明らかです。とりわけ,「エロチシズム」に深く踏み込んでいったかれの思考は,形而上学に慣れ親しんだ哲学者にとっては鬼門ですらあるのでしょう。しかし,「エロチシズム」を排除した哲学とは,いったい,どういうことなのか,とわたしなどは逆に考え込んでしまいます。

存在論が,ものの存在から,人間の,血の流れている生身の人間の存在,つまり,存在者へと踏み込んだあたりから,形而上学はもはやなにも語れなくなってしまった,とわたしは理解しています。だとすれば,スポーツする身体や,スポーツする人間についての哲学は,形而上学の<外>に踏み出すしかありません。そのきっかけを与えてくれたのがニーチェだとすれば,ニーチェの思想・哲学に注目しなければなりません。その点,ニーチェが提示したとてもわかりやすい概念があります。それは,『悲劇の誕生』のなかで提示された「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」の二つの概念です。

このうちの「ディオニュソス的なるもの」を継承し,さらに,大きな構想で思想・哲学を練り上げたものがバタイユの「エロチシズム」に関する論考だった,とわたしは考えています。ですから,わたしが「スポーツ学」(Sportology)を構築するための哲学的なバック・グラウンドを固めるには,バタイユの思想・哲学がもっとも有効ではないかと,現段階では考えています。

ニーチェを継承したハイデガーが「反哲学」(木田)であるとすれば,ニーチェを生きると宣言したバタイユは「超哲学」の実践者ではないか,とわたしは考えています。

しかし,西谷さんがお考えの「超哲学」がどのようなものであるのかは,わたしはまだ知りません。おそらくは,バタイユから始まって,ブランショやレヴィナスやジャン=リュック・ナンシーを経て,ドグマ人類学の提唱者であるピエール・ルジャンドルにまで射程がのびているのだろうなぁ,と想像はしていますが・・・・。明日,太極拳の稽古でお会いしますので,稽古のあとの「カキフライ・オムライス」の時間にお尋ねしてみたいと思っています。わたしの考える「超哲学」が当たらずといえども遠からずであってくれたら嬉しいなぁ,と胸をときめかせています。

じつは,いま,<ISC・21>の研究紀要『スポートロジー』(創刊号)の編集作業に入っていて,終盤にさしかかっています。その中に,わたしの「研究ノート」を一本加えようと考えています。そのタイトルはつぎのようにしてみたいと考えているのですが,いま,決断できないで迷っているところです。つまり,「超哲学」ということばの使用法について,です。そのタイトルは,つぎのようです。

「スポーツ学」(Sportology)構築のための「超哲学」的アプローチ
──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論

この研究ノートのネタは,このブログの熱心な読者であれば,あっ,あれだな,と推測できると思います。そうです。神戸市外国語大学の集中講義のために準備した講義ノートです。受講する学生さんたちに予習してもらうために,このブログをとおして公開したものです。それを,もう一度,加筆・訂正して,なんとか「研究ノート」に仕上げてみたい,という次第です。

さて,西谷さんがなんと仰るか,明日の太極拳がいまから楽しみです。いささか怖くもありますが・・・・。

2012年2月27日月曜日

『スポートロジー』(Sportology)を紀要名にして,「3・11」後の新たなスタートを切ろう。

2月16日のブログで,「3・11」は後近代のはじまり。新しい学としての「スポートロジー」(Sportology)を立ち上げよう,と書きました。しかし,あまりいい反応がありません。いつものことではありますが,いささか寂しい思いをしています。でも,そこでめげてしまっては男が廃る,とばかりに気合を入れ直して,さらに,もう一歩前に出ようと覚悟を決めました。

「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究紀要『IPHIGENEIA』の2011年版を出そうと編集作業の最終段階のところで,「3・11」に遭遇してしまいました。いっぺんに,それどころの話ではなくなってしまいました。さきゆきがまったく見えなくなってしまい,なにも手につかなくなってしまいました。あれから,もう,一年が経過しようとしています。

この一年間,ほんとうにいろいろのことを考えつづけてきました。まずは,ひとりの生身を生きる人間として,そして,つぎにはスポーツ史・スポーツ文化論の研究者として,いったい,なにが間違っていたのだろうか,と。具体的な仕事としては,「ISC・21」のこんごのあり方もふくめて,これまでの研究活動に誤りがなかったかどうか。

毎月の月例研究会のあり方も,そして,これまで刊行してきた研究紀要の内容についても,一度,原点に立ち返って考えてみなければならない・・・と。しかし,なかなか,明確なイメージが浮かばないまま,おろおろと無為の日々を送っていました。ときが問題を解決するともいいます。そろそろその傷も癒えつつあるのでしょうか,もぞもぞと,新たな情熱が頭をもちあげるようになってきました。

ちょうどタイミングがよかったといえば変ですが,昨年(2011年)は,神戸市外国語大学の前期・後期の集中講義で,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をテクストにして,必死でその読解に取り組みました。そのかなりの部分は,このブログにも公開しましたので,ご記憶の方も多いかと思います。とても,難解な文章ですが,読書百回といいますとおり,くり返しくり返し読み直しているうちに,ある一筋の道がみえてきました。

細かな点については,このブログを検索してみてください。

とにかく,バタイユの『宗教の理論』を手がかりにして,0(ゼロ)からの再スタートを切ることにしました。つまり,破綻してしまった近代の論理を超克して,新たな論理(後近代の論理)を構築するには,現段階でのわたしの知るかぎりでは,バタイユの『宗教の理論』がもっとも「信」をおくことができる,と納得したからです。

で,気づいてみれば,もう2月も終わろうとしています。じつは,年が明けたころから,ことしこそは研究所の紀要を刊行しようと,その心構えだけはできていました。が,からだが動きません。こんな不思議な経験もはじめてでした。そのからだにようやくエンジンがかかりはじめたのは,つい最近になってのことでした。

そして,今日(27日)になって,頭のなかの靄がスカッと晴れました。よし,これでいこう,という基本方針が決まりました。そして,その覚悟も決めました。それが標題に書いたとおりのことです。

長年,紀要名として用いてきた『IPHIGENEIA』に別れを告げ,それに代わる『スポートロジー』という名前で再スタートを切ろう,と。そして,いま,手元にある原稿をかき集めて,できるだけ早く冊子にしよう,と。

そうと決まれば,あとは走るのみ。不思議なもので,気力も体力もみるみる漲ってきました。ここ数日は,かつての絶好調の時代にもどってきたように思います。

「ISC・21」の新しい紀要名は『スポートロジー』。
特集のタイトルは,「スポーツ学」(Sportology)の思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)を手がかりにして。
この内容は,このブログにわたしが書きつづけてきたものをベースにして,加筆修正したものになる予定。つまり,神戸市外国語大学の集中講義でのたたき台として,わたしが提示したものです。
これを,まずは,「スポートロジー」の思想・哲学的な出発点として,世に問うてみよう,という次第です。その意味では,いま,とても新鮮な気持ちでいる,と同時に,いささか緊張しています。

このほかの,いま,予定されている原稿は,合評『理性の探求』(西谷修著,岩波書店)と鼎談「現代の能面・Part 2.」(今福龍太,西谷修,稲垣正浩),それに原著論文(松浪稔)です。まだ,整理できていない原稿がほかにもありますが,それらは次号に回そうと考えています。

諸般の事情で,この号に原稿を掲載したいという方は,ご一報ください。相談に乗ります。

ということで,いま,現在の研究所紀要のご報告まで。
4月には刊行したいと考えています。
乞う,ご期待!

2012年2月25日土曜日

恐るべし,原子力ムラの「東大話法」。「思考停止」のからくり。

今日(25日)の『東京新聞』「こちら特報部」に仰天するような記事が載っていたので紹介しておきます。安冨歩さん(東大教授)が先月出版した「原発危機と『東大話法』」(明石書房)を取り上げ,紹介する記事です。ほんとうはわたしもこの本を読んでから紹介すべきところですが,あまりの酷さに,とりあえず中間報告をしておきたいと思います。

いつものように2面にわたって,安富教授の顔写真と大きな見出しが躍っています。大きな活字の順番に列挙しておきましょう。まず,右側の紙面から。

思考奪う偽りの言葉
原子力ムラでまん延「東大話法」
「安全神話支え,事故招く」
危険なものを危険といわず

つぎに,左側の紙面から。

高慢 無責任な傍観者
「見つけたら笑ってやって」
周囲もあぜん「記憶飛んだ」
プルトニウム拡散の”遠因”

おまけに「東大話法規則一覧(抜粋)」なるものが,「規則20」まで紹介されています。たとえば,
規則1 自分の信念ではなく,自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則3 都合の悪いことは無視し,都合のよいことだけ返事する。
規則5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
規則9 「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘(うそ)をつく。
規則20 「もし〇〇〇であるとしたらお詫びします」と言って,謝罪したフリで切り抜ける。
という調子です。

この記事は,中山洋子記者による記名記事で,冒頭の書き出しは以下のようです。

原子炉の老朽化ではなく「高経年化」と言い換える。原発を監視する役所を「原子力安全庁」と呼びたがった──。とかく高飛車で欺瞞的な”原子力ムラ”の言葉や言い回しを,東京大東洋文化研究所の安冨歩教授は「東大話法」と名付けて警戒する。東大OBの官僚や御用学者に多い空疎な言葉こそが,一人一人からまともな思考を奪う元凶だという。同教授に「東大話法」の見破り方を聞いた。

これだけ書いておけば,あとは,記事の内容を事細かに解説する必要はないでしょう。あとは,安冨さんの書かれた『原発危機と「東大話法」』(明石書房)で,とくとご鑑賞のほどを。

この記事について,すぐにもブログで書いておこうと思いたったのは,理由があります。今朝のテレビ(NHK)で,電力問題を取り上げていて,そこに専門家と称する二人の人物が登場。一人は,元経済産業省の役人で,いまは,〇〇〇研究所所長,もう一人は,富士通の〇〇〇研究所の研究員。で,前者が,みごとにこの「東大話法」の使い手であったこと,そして,後者は,その正反対で,きちんと自分の言葉で語っていたこと,があったからです。後者の人のお話は,なぜか,小出裕章さん(京大原子炉実験所助教)の物言いのあの確かさを連想していました。にもかかわらず,前者の元役人さんは,後者の人の発言を混ぜっ返す内容ばかりでした。

ですから,ああ,これぞ「東大話法」ともののみごとに納得してしまいました。

このときもそうでしたが,最近のわたしは,テレビに出演される「専門家」と称する人たちの発言に向かって「ごまかすなっ!」「すり替えるなっ!」「ほんとうのことを言えっ!」と大声を発することが多くなりました。ときには,バカバカしくて見てはいられない,とばかりにテレビを切ってしまいます。そして,NHKはカネを返せ,と怒鳴ってしまいます。

「3・11」以後,いわゆる専門家と呼ばれる人びとの言説が,一種の「踏み絵」のようにして,読者にきびしく選別される時代に突入しました。しかし,そのことに鈍感というか,保身に走るというか,「東大話法」に逃げ込む人,つまり,原子力ムラの一員になる人が圧倒的に多くなったことも,一方の現実です。とくに,学者・研究者の言説の多くがまことにお粗末。その一方で,圧倒的少数ながら,ピカリと光る言説,つまり,知への愛(フィロ・ソフィア)に満ちた言説も厳然と存在しています。わたしは,こういう人たちの言説に「信」を置きたい。

ソクラテスが毒杯をあおることになっても,みずからの「知への愛」に殉じたように。

2012年2月24日金曜日

第58回「ISC・21」3月東京例会開催のご案内・第1報。

※「ISC・21」のHPの掲示板が炎上して閉鎖していますので,その掲示板の代わりに,このブログでのご案内です。よろしくお願いいたします。

第58回「ISC・21」3月東京例会開催のご案内。

「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)が主催する第58回3月東京例会を下記の要領で開催しますので,万障お繰り合わせの上ご参加くださいますようご案内いたします。



1.日時:2012年3月19日(月)13:00~18:00
1.場所:青山学院大学・ガウチャー礼拝堂のある建物の5階第13会議室
※ガウチャー礼拝堂のある建物は,正門をまっすぐ進んで突き当たりの右側にある大きな建物です内側にガウチャー礼拝堂があります。そこを左側から迂回するようにして上階に上がるエスカレーターがあります。そちらをご利用ください。
1.プログラム
〇第一部:13:00~14:30 情報交換(研究活動,ブックレヴュー,その他近況など)
〇第二部:14:45~18:00 西谷修先生を囲む会。
テクスト:ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』──惨事便乗型資本主義の正体を暴く,幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年刊)。
このテクストのもつ意味について,西谷先生のお考えをじっくりとお聞きしたいと考え,この企画を立ててみました。西谷先生も喜んでお引き受けくださり,わたしたちの問いに応答してくださるとのことです。とても,ありがたいことです。
まずは,「世界」とはなにか,わたしたちが,いま,直面している「世界」とはどういう情況にあるのか。そして,名にし負うあのフリードマンが仕掛けた新自由主義にもとづく経済戦略とはなにであったのか(小泉改革もふくめて),そして,グローバリゼーションとはどういうことなのか,グローバル・スタンダードなる暴力装置がどのようにして仕掛けられ,実践されたのか,いまや狂気と化した理性の行方は・・・・,などについて西谷修先生から「ホンネ」のお話を引き出すことができれば・・・と密かに考えています。
同時に,ことしの8月6日(月)~9日(木)に予定されています「第2回日本・バスク国際セミナー」(神戸市外国語大学)のメイン・テーマは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」です。この研究会はそれに向けての助走のひとつでもあります。
21世紀を生きるわたしたちは,期せずして「9・11」を経験し,さらには「3・11」を通過してしまいました。いまから過去にもどることはできません。そういうわたしたちにとって,これからの時代を「生きる」とはどういうことなのか。大きな問いが待ち受けています。そして,同時に,「グローバリゼーションとはなにか」「伝統スポーツとはなにか」という,スポーツ史・スポーツ文化論という土俵で仕事をしているわたしたちにとっては大きな問いが覆いかぶさってきています。
ヨーロッパに起源をもつ近代論理の破綻現象がますます大きくなりつつある現代世界にあって,わたしたちは,いよいよ「後近代」の論理を構築し,新たな理論武装をすることが避けては通れないところに立たされています。
そういうことも広く視野に入れて,西谷先生を可能なかぎり挑発しつつ,エッジに立つぎりぎりのお話を引き出すことができれば・・・と企んでいます。
そういうことが可能な「場」をわたしたちはできるだけ多くの人たちと共有したいと思います。
この会は,オープンで,どなたにも開かれた会ですので,どうぞ,興味・関心をお持ちの方はご遠慮なく参加してみてください。
ただし,この会の趣旨はよくご理解の上で,少なくとも,ナオミ・クラインのテクストだけはしっかりと読み込んだ上で参加してくださることを期待しています。

もし,可能であれば,西谷修さんの著作を一冊でも多く読み込んできてくださると,とてもエキサイティングな会になると思います。
たとえば,『理性の探求』(岩波書店),『<経済>を審問する』(〇〇社),などは必見です。

なお,終了後には,ささやかな懇親会を予定していますので,こちらにも参加してください。第2報で,最終的な,参加申込みの手続を表示しますので,その折にお知らせください。

とりあえず,第一報まで。

※掲示板の代わりですので,この「第一報」を確認された方は,この下にある「共感した」をクリックしてください。

訂正「哲学のはじまり」,お詫びと訂正。

2月23日(木)に書いたブログ「哲学のはじまり」のうち,もっとも肝腎なところが,わたしの理解不足のため,きちんと書けていませんでした。早速,このブログを読まれたNさんからメールでご指摘をいただきました。それに基づいて,全部,書き直そうかとも思いましたが,それよりもどのようなご指摘があったのかを,そのままお伝えする方が間違いがないと考え,ブログの末尾に「追記」として書き加える形をとりました。この方がわかりやすいと思います。

その結果,とてもすっきりしたブログになりました。
すでに,読まれた方のために,ひとことお詫びかたがたお知らせします。
なお,コメントなどいただければ幸いです。

以上。

2012年2月23日木曜日

「哲学のはじまり」について。ソクラテスの毒杯と西田幾多郎の『善の研究』。

太極拳の稽古場が大岡山から溝の口に移ってからは,稽古のあとのハヤシライスもまた変化して,こんどは稽古のあとのカキフライ・オムライスになりつつあります。メンバーも,そのときの都合で変化しますが,どうやらNさん,Kさんにわたしが加わって3人で定着しつつあります。

そんな情況のなかでの昨日の稽古のあと。いつものファミレスへ。
そして,久しぶりに話に熱が入りました。例によって,KさんがNさんに質問を投げかけます。それらの質問の一つひとつに懇切丁寧にNさんが応答してくださいます。それがとてもわかりやすい。だから,ついつい,これは,あれは・・・という具合に話が広がっていきます。

どういう話の流れでそうなったのかは,あまり定かではないのですが,気がついたら「哲学のはじまり」(起源)の話になっていました。わたしの朧げな記憶では,ポピュリズムなる悪しき風潮が世論を構築して力をもちはじめ,さまざまな制度を改悪する動きが目立つ(小沢裁判や少年の死刑判決,裁判員制度の導入,など),というような話がきっかけだったと思います。そして,そのポピュリズムの犠牲者のひとりが古代ギリシアの哲学者ソクラテスだ,とNさんが切り出したように思います。以下の話は,わたしはこのように聞いたという要約です。事実に反する内容が含まれていたとしたら,それはわたしの誤解であり,わたしの責任です。お許しのほどを。

ソクラテスの説く辻説法が,世の中の人びとの思考を混乱させ,悪い影響を及ぼす,という風評がアテネ市民の間に広まり,アテネ市民による直接民主主義の制度に則り,ソクラテスに「死刑」が宣告されてしまいます。ソクラテスの弟子たちは,アテネの外に逃げましょう,と説得にかかります。しかし,ソクラテスは動きません。しかも,死刑を執行する刑吏はいません。ソクラテスが,目の前に置かれた毒杯をみずから飲み干すことによって,この死刑が実現するというわけです。ですから,この毒杯を飲まない,拒否する,という選択肢もあったはずです。

しかし,ソクラテスは,アテネ市外に逃げることもせず,黙って静かにこの毒杯をあおります。そして,死を迎えるそのさなかに,弟子たちに向かって,民主主義には大きな落とし穴がある,民主主義のすべてが正しいとはかぎらない,そのことを後世の人びとの記憶にしっかりと銘記するために,わたしは命をかけてアテネ市民の決定に従うのだ,みずからの思考(哲学)の正しさに殉ずるのだ,と語ったといいます。

ここが「哲学」のはじまりだ,とNさんは力説します。つまり,それまでの人間の生死の問題は神の領域にあった,つまり,宗教の問題であった,というのです。しかし,ソクラテスは,みずからの「哲学」に殉じたのだ,これが哲学の起源だ,と。

民主主義が衆愚政治に悪用されてしまうと,つまり,ポピュリズムに便乗してしまうと,少数意見はいともかんたんに抹殺されてしまいます。それは,まさに,殺人行為そのものになってしまいます。そういうことを肝に銘すべし,とみずからのからだを張ったところに,ソクラテスの存在理由がある,というわけです。つまり,これがソクラテスの「生き方」の問題であり,かれの「哲学」(フィロ・ソフィア」そのものだった,ということになります。

この話にいたく感動したわたしは,直観的に,「じゃあ,西田幾多郎が『善の研究』を書いたのも,同じ理由ですね」と問うていました。Nさんは,にっこり笑って,そのとおりです,と。

西田のいう「善」の意味は「生きる」ことです。人間は生きることが「善」なのだ,と説いたのです。ですから,西田幾多郎の『善の研究』は存在論なんです。ものの「不在」「欠落」「死」は「悪」なのです。ですから,人間は生きることに意味があるんです。では,どのように「生きる」かが問われることになります。それが西田のいう「善」なのです。西田の場合には,そこに,「禅」の思想をまぶしながら,人間が生きるとはどういうことなのか,という存在の根源に迫ったというわけです。ですから,日本の哲学のはじまりは,西田幾多郎にあります。西田幾多郎が日本の最初の哲学者です。

この話を聞いて,西田幾多郎が提起した「純粋経験」や「行為的直観」の周辺にあったモヤが一気に晴れてしまいました。そして,「場の理論」も,なるほどと得心してしまいました。こうなると,もう一度,西田幾多郎を読んでみたいという衝動が突き上げてきます。たぶん,これまでとはまったく違う読解の世界が開けてくる,そういう予感でいっぱいです。

稽古のあとのカキフライ・オムライスの時間が,とても楽しみになってきました。
取り急ぎ,ご報告まで。


※訂正について。
このブログを読まれたNさんから,つぎのように訂正を,というメールをいただきました。やはり,わたしの力量の及ばないところがありました。そして,それを忌憚なくご指摘くださるNさんに感謝です。メールの部分をそのまま転載するのは失礼かもしれませんが,わたしがいじるよりは精確に伝えられると判断しました。そのポイントとなる部分だけを抜き取りますと,以下のとおりです。

弟子たちは,論敵が民会を煽っただけで,ソクラテスの方が正しいのだから,と逃亡を進めるのですが,逃亡する必要もないし,する理由もない,死ぬのもまたよいではないか,と言って毒杯をおあります。このことを解釈すると,・・・・・となる,という話です。
自分だけが賢くて正しいのだから判決を受け入れない,というのでは,ソクラテスの知は独断になります。独断ではなく,知への愛による正しい知がある,ということは,他者の承認によるしかないでしょう。
ソクラテスは死ぬ。その死の空白のなかに,知への愛(フィロ・ソフィア)がすっくと立つ。
トラは死して皮を残し,ソクラテス死して哲学を残す。

以上です。Nさん,ありがとうございました。

2012年2月21日火曜日

「股関節をゆるめる」「自由自在に」(李自力老師語録)その6。

太極拳の稽古をはじめたばかりのころ,「股関節をゆるめる」と言われ,なんのことかわからなくて困ったことがあります。その後,少しずつわかってきたのですが,じつは,いまでもあまりよくはわかっていません。

なぜなら,李老師の股関節の緩み方と,わたしたちのそれとはまったく異質なものにみえるからです。その点を,李老師に尋ねてみると,「それは当然です。素人とプロの違いです。」といとも簡単に言われてしまいました。なるほどなぁ,プロとしての研鑚の蓄積と,アマの駆け出しの「股関節を緩める」とを一緒にされては困ります,というニュアンスが感じられて,それはそれで感動してしまいました。その上で,李老師は仰います。「股関節はできることなら,つねに緩めておくのです。そして,必要最小限,その瞬間だけ締めればいいのです」と仰る。

そう言った直後に,わたしたちの目の前て,やってみせてくださる。しかし,なにがどうなっているのか,さっぱりわかりません。つまり,つねに緩んでいるとしか,わたしの眼にはみえません。いつ,どこで締めているのか,わたしには見えません。言ってしまえば,自由自在にいつでも股関節が緩んでいる,というように見えます。緩みっぱなしだ,と言った方が正しいようにみえます。

「股関節を緩めるのは,力を出すためです。緩めなければ締めることはできません。いつも緩めておけば,いつでも締めることができます。」なるほど,ことばの上ではまことにごもっとも,と理解できます。しかし,わたしの下半身,すなわち股関節を中心とした動きは,まことにぎくしゃくとしているのです。どうみても,まったく違う動きしかできません。

仕方がないので,家に帰ってからDVDで何回もくり返して凝視することに。その結果,わたしの眼にみえてきたことは,「緩めつつ締めている。そして,締めつつ緩めている」ということでした。この経験はスキーに熱中していたときに,わたしのからだに記憶されています。スキーもまた同じです。下半身を緩めつつ締める,締めつつ緩める,この微妙なバランスのとり方が,たとえば,ウェーデルンで滑るときの極意でもあります。しかし,それがそのままできるかどうかは別問題。あとは,稽古を積んで,その微妙な感覚をからだに記憶させる以外にはありません。

たぶん,稽古のときの意識としては,このことをしっかり念頭においておくことが大事なのだと思います。しかし,それをつづけている間に,いつのまにか忘れてしまうことも大事なのでしょう。なぜなら,「緩めつつ締める,締めつつ緩める」ができるようになれば,つぎの段階の「からだの快感」がやってくるはずです。李老師がつねづね仰る「気持ちいい」という感覚です。それまでは,黙々と稽古をし,太極拳をするからだができあがるのを待つのみ,なのでしょう。

道は遠く険しい。でも,歩まねばならない。このことばは,わたしの高校時代の校長先生がアルバムの第一ページに墨書したことばです。なぜか,なにかの折にこのことばがわたしの脳裏に浮かんできます。わたしにとっては大事な校長先生でしたから(このことの意味はいつか,別のかたちで書いてみたいと思います)。

はやく「気持ちいい」の段階に到達したいものです。そのためには,自由自在に股関節を緩めることができるようになること,なのでしょう。あの流れる水のような李老師の表演は,自由自在に緩めることのできる股関節から生まれているということが,最近になって,少しずつわかってきたという次第です。

沖縄返還40周年を迎えようというのに,米軍基地は固定化しかないのか。

昨夜(20日)のNHKクローズアップ現代では,玄葉光一郎外務大臣を招いて,沖縄返還40周年と米軍基地移設の問題について,国谷キャスターが鋭く切り込んだ。しかし,外務大臣は,子供だましのような理屈をならべて,ひたすら全力で取り組んでいる,このことだけをくり返し強調しただけで,中味はなにもない応答となった。

国谷キャスターは,沖縄県民は復帰40周年を機に,米軍基地の県外移設(できれば,国外移設)を強く望んでいることは,今回の宜野湾市長選挙をとおしても,はっきりとしている,と指摘した上で,政府のこんごの取組みを多角的に問いかけていた。その中心にあった問いかけは,このままでは,結果論として,嘉手納基地固定化しかないのでは・・・という点にあった。わたし自身も,このままの膠着状態がつづけば,最終的にはそこに行きつくしかない,と考えていた。だから,外務大臣がどのように応答するか,注意して耳を傾けた。

しかし,外務大臣は,嘉手納基地固定化はあってはならないし,絶対にそれを許してはならない,と強調するのみで,あとは,日米合意にもとづき,県内移設を認めてもらえるようこころからお願いし,ご理解をえられるよう最善の努力をするつもりだ,ということをくり返すだけの話。失望以外のなにものもない。

この外務大臣の応答を聞いていて,ああ,もはや民主党政権は嘉手納基地固定化で腹をくくっている,と思った。なぜなら,外務大臣の応答に,なんの苦渋も感じられない,むしろさばさばしたものを感じたからである。この人たちは,人間のこころを持ち合わせてはいない,とも感じた。ひたすら,日米合意と閣議合意の路線に沿って,それらを実現させることだけが努力目標であって,それ以外のことは見向きもしない。そして,これだけ努力したにもかかわらず沖縄県民は理解してくれなかった,と開き直るのみ(アメリカに対しても,日本国民に対しても)。それで仕方がない,と腹をくくっている。そういうものが,応答をとおして「透けてみえて」きてしまった。

アメリカが岩国基地も移設の候補に・・・・という案は,あっさりと「そのつもりはない」と野田総理も国会の予算委員会で答弁しているとおりだ。その前に,外務大臣が岩国の陳情団に応対し,そこでも「そのつもりはない」と明言している。この案について,政権与党のなかでも,真剣に協議をしたり,検討した痕跡はどこにも見受けられない。

県外移設についても,政府がやったことは,各都道府県知事にアンケート調査をしただけだ。たった,それだけで県外移設は不可能だと,さっさと結論を出した。あとは,なにもしないで,だから,沖縄県内移設しかないのだ,と押し切ろうとしている。こんな子供だましのようなゲームを平気でくり返している。(「3・11」以後の原発に対する対応も同じ)

沖縄県を除くすべての都道府県民が,みんな,知らぬ顔の勘兵衛さんを決め込んでいるだけだ。それを,政治家が代弁しているだけだ。これが「すべて」だ,とわたしは考えている。もっと,日本国民みんなが真剣に考えなくてはならない問題として,仕立て上げようという政治家はひとりもいない。

嘘でもいいから,東京湾を埋め立てて,嘉手納基地を移設するとしたら,どういう問題があるのか,と東京都知事,千葉県知事,神奈川県知事が問題提起してみてはどうか。全地域住民に考えてみてもらったらどうか。わが身に火の粉が降りかからないと,だれも,本気では考えない。大阪府知事だったときの橋下君は,さきのアンケート調査のときに,「検討する準備はある」と応答している。このように応答したのは大阪府だけだった。にもかかわらず,「検討してみてください」というお願いを政府がしたとは聞いていない。

最初から,沖縄に押しつけておけばいい,という暗黙の了解があるかのごとくだ。

しかし,ことしの5月15日,復帰40周年を迎える沖縄は,そんなに単純には済みそうにない。このあとに残された時間は,3カ月弱。この間にどのようなことが起こるのか,それ次第だ。

わたしもそれなりの覚悟が必要だと,いまから,気を引き締めている。

2012年2月20日月曜日

もうすぐ春ですねぇ。ちょっと〇〇しませんか。

今日(20日)で三日間,東京地方は快晴です。ということは,日本海側は大雪ではないかと心配です。でも,こちらは日毎に暖かくなっているように感じます。数日前までの寒さが嘘のように,今日はおだやかな小春日和でした。

今日はいつもよりも少しだけ早めに家をでて,鷺沼の事務所に向かいました。溝の口から電車でたった4分(各駅停車で7分),西へ向かって移動するだけなのですが,鷺沼の駅を降りて仰ぐ空は,溝の口のそれよりも「蒼い」のです。気温も少しだけ低い。でも,その分,空気はきれいで,美味しい。鷺沼の駅を降りて歩きはじめると,なんとなく深呼吸をしてしまいます。なぜなら,景色がいいから。東京都心が一望のもとに見えますし,おまけに「スカイツリー」がどの建物よりも高く聳えているのか見えます。それがなんとも気分をよくしてくれます。

そうして,いつもの植木屋さんのところに差しかかって,そこに植えてある樹木を一つずつ観察してみて,この数日の間に,またまた,木の芽が大きくなっていることを発見。早速,カメラを出して撮影。その一部を,ここに掲載しておきましょう。

一枚は,こぶし。近くに寄って,しっかり観察してみました。もう,こんなに大きくなっているとは・・・,驚くばかりです。思わず,三好達治の詩を思い浮かべていました。
遠山なみに 日は落ちて
こぶしの花も 咲き出でぬ
雲は流れて 帰れども 
帰る方(へ)もなき わが憂い

まもなく74歳になろうというこのわたしは,まだまだやり残したことばかり多く,これらをなんとか裁いて,それらをやり終えたとしたら,いったい,このわたしはどこに帰っていけばいいのだろうか。と,そんなことを思い浮かべながら。

それでも「こぶしの花」は間違いなく咲くべく,いまから,着実に準備をしています。すごいなぁ,と感動してしまいます。その点,人間は駄目だなぁ,と。妙な欲望ばかりが大きくふくらんでしまって,みずからの行くべき道もわからないまま,憂えている,そんなわが身を深くふかく反省しています。もっともっと,なるがままに,「無為自然」(むいじねん)にわが身をゆだねるべきだ,とわが理性は言うものの,自然の法則に近いはずの「からだ」がなかなか言うことを聞いてはくれません。困ったものです。情けないというべきか。

この「こぶし」の花芽を存分に眺めて堪能して,帰ろうと思ってふり返ったら,目の前にさくらの花の芽がこんなにもふくらんでいて,これまた,びっくりです。全体を撮ろうか,部分を撮ろうか,と迷った挙句この一枚にしました。

これらの写真を撮って歩きはじめたら,いつのまにか「もうすぐは~る(春)ですねぇ」というピンク・レディの歌が頭の中に流れてきました。そして,いつのまにか口ずさんでいました。が,何回も何回も繰り返し口ずさんでいるうちに,「ちょいと,〇〇してみませんか」のところで替え歌風にアレンジすることを楽しんでいました。いくとおりにもそのアレンジができるということを知り,すっかり,嬉しくなって,つぎつぎに自分の願望をそこに当てはめながら歩いていました。

どんなことばを当てはめたかって? それは言えません。とても恥ずかしくて言えません。そういう「禁句」をつぎからつぎへと当てはめながら,たったひとりの世界を楽しみながら歩いていました。これなら,だれにも迷惑をかけるわけでもなし,それでいて,とんでもなく卑猥なことばを頭の中で探索する遊び堪能できるのですから・・・・。

というわけで,写真を2枚,掲載しておきます。
「もうすくは~るですねぇ」
「ちょっと,〇〇してみませんか」



おやおや顔が赤くなってきました。ので,ここまでで終わり。

※お詫びと訂正・・・・上の文中に「ピンクレディ」と書きましたが,これは「キャンデーズ」の間違いだという指摘を,わたしが親しくしている比較的若い友人(複数)からいただきました。もはや,わたしの頭の中では,「ピンクレディ」と「キャンディーズ」の区別はつきません。同じような可愛いらしい女の子たちだった,という記憶だけです。残念ながら。ご指摘,ありがとうございました。

芥川賞作品『道化師の蝶』(円城塔)を読む。

昨日につづいて,もう一つの芥川賞作品,円城塔の『道化師の蝶』を読みました。選考委員の「選評」を読んで,もっとも気になっていたのがこの作品でした。選考委員の間で大きく議論が分かれ,激論が闘わされたようです。

最初にわたしの感想を書いておけば,とても面白かった。そして,もう一度読んでみたいと思いました。いやいや,一度ではなく,これから何回も読んでみようかな,と思っています。なぜなら,読むたびごとに新たな発見がありそうな,そういう予感がするからです。それだけではありません。この作品の奥行きの深さは,いまのわたしの理解のかぎりでも「無限」です。しかも,さまざまな隠喩が隠されていて,読み方によっては恐ろしい作品にもなっています。そのうちの一つを紹介しておけば,いまの日本人が立たされている情況(「3・11」以後を生きるわたしたち)にも,そのまま当てはまってしまう展開にもなっています。

とりわけ,後半に入ってくるとにわかに隠喩が伝わるようになり,鉛筆を片手に,線を引き,書き込みをしながら読みました。こんな小説は久しぶりです。ですから,また,しばらく時間をおいて読むことになるだろう,とこれはもはや間違いないでしょう。それほどまでに魅力的な作品だとわたしは受け止めました。

受賞者インタヴューでは,「小説製造機械になるのが夢です」と作者は語っています。その意味は,おそらくは,伝統的な近代小説の枠組みを取り払って,わたしのことばで言えば,後近代の小説を徹底的に展開してみたい,ということのようです。その意味でも,わたしとはフィーリング的には合うところが多くあります。しかし,この人の小説は「難解」です。わかろうとすることを拒否しているようにも受け取れます。逆にいえば,わかりやすく書くこと,そのこと自体が「近代」の虚構であった,と作者は主張したがっているようにもみえます。つまり,近代の論理的整合性の枠組みこそが,わたしたちの生き方そのものを歪曲してしまい,挙げ句の果ては,核による汚染社会に到達してしまいました。しかも,その道筋は正しいと信じて。

まずは,あまり先入観なしに,円城塔さんの『道化師の蝶』を,真っ白なこころで読んでみてください。そして,自由自在に,さまざまなことを連想してみてください。そこで浮かび上がってくる世界が,その人の読みなのですから。そこには「正しい」読み方も「間違った」読み方もありません。作品そのものが発している「なにか」のどこに反応するかは読み手の自由です。

そのことを前提にした上で,イシハラ委員の感想の一部を紹介しておきます。
「どんなつもりでか,再度の投票でも過半数に至らなかった『道化師の蝶』なる作品は,最後は半ば強引に当選作とされた観が否めないが,こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに突き合わされる読者は気の毒というよりない。こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなばだ疑わしい。」

それに引き換え,川上弘美委員の「選評」はみごとです。この評を読むだけでも,ひとつの作品を読むような,なんともさわやかな気分にさせてくれます。そして,いかにも川上弘美だなぁ,と感心もしてしまいます。部分だけでも紹介してみたいと思って探してみましたが,やはり,無理でした。全体でひとつの作品の体裁をなしているのですから。ぜひ,書店で立ち読みでもしてみてください。ここだけで結構です。イシハラ君が,いかに「消え去るのみ」の存在であるかは,ここでも明らかです。

選考委員の「選評」を読んでみると,どうやら川上弘美,山田詠美,小川洋子の三人が『道化師の蝶』を推したようですが,なかなか同意がえられず,最後の最後になって,黒井千次,島田雅彦,宮本輝,の三人が同意したようです。もちろん,実際はどうであったかはわかりません。以上は,「選評」を読んでのわたしの印象です。イシハラ君だけは,最後まで反対だったのでしょう。

いずれにしても,円城塔さんの作品は,未来に向けて限りなき可能性を秘めた素晴らしい作品だ,というのがわたしの感想。この作品を読みながら,わたしの脳裏には,ソシュール,デリダ,ラカン,バタイユ,という人たちの思想が,何回も駆けめぐっていました。そういう思考回路のない人には,たんなる「難解」な小説でしかないのだろうなぁ,と思います。

まずは,ご一読の上,感想などお聞かせくだされば幸いです。

2012年2月19日日曜日

芥川賞作品『共喰い』(田中慎弥)を読む。

芥川賞作品に,だれが,どのような作品で選ばれるのか,じつは毎回密かに楽しみにしている。だから,『文藝春秋』の芥川賞発表号は欠かさず購入している。それ以外には買ったことはない。ただし,書店で,毎月,手にとってめくってはいる。そして,どんな特集を組み,どんな話題を取り上げているかは,やはり知っておきたいことなので(わたしのとっては),かなりまじめにページをめくって眺めてはいる。

『文藝春秋』3月特別号が,芥川賞発表号になっているので,この号だけは購入した。しかし,そのときは期限のきていた原稿があったので,しばらく,机の横に積んである本の中にまぎれていた。今日は,ちょっとだけわがままを言わせてもらって(ほんとうは,さきに片づけなくてはならない要件があったのだが),芥川賞作品を読むことにした。

今回は,田中真弥さんが,受賞のスピーチで,かなり意図的に審査員の一人であるイシハラシンタロウさんを,ジョークとしてコケにした。これが大受けに受けて,話題を独り占めにしてしまった。こんなことが受賞のスピーチで言えるというのはただものではない,とわたしは直観して,その作品がどんなものなのか楽しみにしていた。

結論からいえば,感動と失望とが相半ばした,というのがわたしのもっとも正直な感想である。その理由は,情況描写(登場人物以外の時空間の描写)は,こんなに美しいことばを羅列して,こんなに懐の深い描写ができる作家として感動したのが一つ,その反面,登場人物の人間そのものの読みの深さという点では,いささか甘い,単純にすぎる,もっと言ってしまえば,人間というものがわかっていない,という不満がわたしには残った。そのために,感動と失望とが交錯する,不思議な作品,というのがわたしの正直な感想である。

「共喰い」という作品のテーマからして,まことに怪しげなものではあるが,内容を読んでみると,まさに「共喰い」以外のなにものでもない。作品の軸になっいるのは,父親と息子が,似た者同士で,セックスをするときに暴力をふるうことによって快感をえる,そういう遺伝子を持ち合わせていることに関する親子の葛藤である。もっと言ってしまえば,息子は父親の相手と交接し,父親は息子の彼女を犯す,だから「共喰い」だというのだ。しかし,そのことによって最後にはとんでもない破局を迎えてしまう。この後半の盛り上がりの描写は,なるほど,芥川賞をもらう作家ならでは・・・という印象をもつ。迫力満点である。

わたしの不満は,この父親と息子をめぐる女性たち,つまり,息子の実の母,そして,義母,息子の彼女,そして,ひたすら男の来訪を待つ女性,この人たちをとおして描かれるべき「人間とはなにか」という根源的な問いと,その描写がほとんど欠落していることに対する失望にある。人間認識についての人生経験がいちじるしく欠落しているのではないか,とこれはわたしの読後の感想である。

それから,慌てて,受賞者インタヴューを読む。そして,芥川賞選評を読む。うーん,と唸ってしまった。ああ,この人は生身の人間との触れ合い,葛藤,ぶつかり合い,悩み苦しみ,というものがほとんどない。すべては,ほんのわずかな実体験と,小説世界を読み込んでえた想像の世界,それだけだ,と。こういう人が,これからどのような作品を書くのか,わたしはあまり期待しない。小さな世界の極限状態を想像力に頼って書くしかない,と思うからだ。

などと,いささか偉そうなことを書いてしまって,ちょっとまずいなぁ,と反省。一瞬,取り消そうかと思ったが,自分が正直に思ったことを書いているのだから,これでいいのだと自分に言い聞かせる。もともと,単なる素人の読解なのだから。

今回の芥川賞の発表を機に,二人の選考委員が辞めるという。いずれもニュースとなって流れているとおり。一人は,石原慎太郎,もう一人は黒井千次。黒井千次は,今回で25年間,50回を機に辞するという。これは一つの見識だろう。しかし,石原慎太郎は,もう,数年前から,芥川賞候補作品にみるべきものはなにもない,とみずからの感性の衰えを棚に上げて,文句ばかり言い続けてきた。だから,辞めて当然,というのがわたしの感想。もはや,若い人たちの書く作品を評価するだけの力はないのだから。

いつものことながら,選考委員による「選評」は,じつに面白い。みんな勝手なことを言って,最終的には自己主張のみ。なぜか自己弁護が多すぎる。そんな中で,ただひとり,山田詠美だけが,候補作品を一つずつ取り上げて,自己の感想をきちんと書いている。しかも,強烈に。というか,ほんとうに感じたことをそのままに。これが「選評」というものなのだろう,とわたしは思う。あとの人は誤魔化した。あるいは,逃げた。お茶を濁した。

その典型は,今回から新しく選考委員に加わった島田雅彦。委員を引き受けるときには,「おれは芥川賞を受賞していないから・・・」とかなんとかいいながら,いそいそと引き受けた。そして,今回の,初の「選評」。その見出しが「人を虚仮にしたっていいじゃないか,小説だもの」。ちょっと面白いと思って読みはじめたら,いつのまにか上から目線の,ご高説を披瀝されている。ああ,やっぱり逃げたな,と思った。この人は格好をつけすぎ。

その点,山田詠美は偉い。5人の候補作品を一つずつ取り上げて,その核心に触れ,いいところはいい,でも,駄目なところは駄目,とはっきり言っている。これが言えるというところに,じつは,山田詠美の作家としての凄さがある。わたしなどは,山田詠美の選評を読んで,候補作品5点,全部読んでみたいと思ったほどだ。いまの選考委員の中では,ただひとり,抜け出ているとわたしは思う。さらには,「島田君,そんなことを言ってちゃ駄目じゃん」という山田詠美の声までも聞こえてくる。この二人は特別の仲良しだから。

『太陽の季節』で鮮烈な作家デヴューを果たした石原慎太郎が,「老兵は消えていくのみ。さらば芥川賞」と書いて,この舞台から消えていく。時代は変わったというべきか,はたまた,生理的な老化現象はいかんともしがたいというべきか。

もうひとりの芥川賞作家となった円城 塔の作品「道化師の蝶』は,とてつもなく複雑な作品らしい。いつか,機会をみつけて読んでみたい。

2012年2月18日土曜日

「スポーツが問われている」(『myb』みやびブックレット,No.39)がとどく。

以前から何回も,この『myb』(みやびブックレット)のことは紹介しているのて,できるだけ重複は避けたい。でも,それを承知で,少しだけ。

この『myb』が「スポーツが問われている」という特集を組んだ。その冊子を,いま,直に編集長さんがわたしの事務所に届けてくださった。ありがたいことである。早速,匂いなど嗅ぎながら,ぺらぺらとめくって拝見させてもらった。そのついでに,一献傾けることになって,いまのいままで話が盛り上がっていた。いい人だ。一緒に酒が飲めるということだけで,無条件に「いい人だ」になる。その上,波長が合えばなおのこと。楽しい話がたくさんできた。だから,もっとモットいい人だ。

この編集長の名前は伊藤雅昭さん。かつて,三省堂の『ぶっくれっと』を命懸けで編集していた人だ。三省堂に入社する前の早稲田大学の時代から,すでに,なにやら不思議な冊子の編集長を務めていたらしい。精確なことは,みんな忘れてしまった。でも,最初から編集者になるという夢を追いつづけ,それを達成して,退職後も,なお,その夢の延長線を「楽しんで」いらっしゃる。やはり,文句なくいい人だ。

その『myb』が「スポーツが問われている」を特集してくださった。わたしは『スポーツの後近代』のときのご縁があって(この本の編集を担当してくださったのが伊藤さん),今回の特集にも拙文を書かせていただいた。しかし,この特集の筆者の顔ぶれをみて驚いてしまう。なんと,西谷修,今福龍太,森田浩之,松浪健四郎,そこにわたしが入っているのだ。なんともありえない顔ぶれのなかにわたしが入っている。じつは,この原稿依頼があったときから,この執筆者の名前は知っていた。しかし,この人たちが全部,そろって原稿を書いてくださるとは信じてはいなかった。誰かがお断りするだろうし,なんらかの理由で書けないという事態が起こるだろうと想定していたからだ。しかし,この人たちが全員そろって素晴らしい原稿を寄せていらっしゃる。びっくり仰天。

これも編集長伊藤雅昭さんの人徳のいたすところ。伊藤さんがどのような口説き方をされたかは,わたしの知るよしもない。しかし,みなさんがそろって原稿を書かれたということで,すべては明白だ。説明の余地もない。みなさんが「よし,書こう」と思われた,ただ,それだけ。それですべてだ。これがなによりも大事なこと。

以下に,それぞれの筆者がどういうタイトルで書かれたか紹介しておこう。
西谷 修:スペクタクルという欲望のアリーナ
今福龍太:「イカレタ接触」への礼賛
森田浩之:本当に怖いスポーツニュース
松浪健四郎:新法と国際協力──スポーツは人類共通の文化
稲垣正浩:「3・11」以後のスポーツを考える

いま,この時期に,この書き手を並べて「スポーツが問われている」という特集ができる辣腕の編集者はそんなにはいない。いな,まったくいないだろう,とわたしは思う。このメンバーは素晴らしい。でも,気がついてみれば,この人たちは,じつは,みんなわたしの親しい人たちばかり。これから,一人ずつ,声をかけてお会いしたいと思っているほど。

いまさら,断るまでもなく,間違いなく,どの人の論考も必読のものばかり。ぜひ,講読して読んでみてほしい。その他の常連の執筆者の人たちもまた素晴らしい人たちばかり。この人たちの名前をみるだけで伊藤雅昭という編集者がいかなる人物であるかは明白。

この冊子が,なんと320円+税。詳しい情報は以下のところに。
面倒な人は,わたしにご連絡ください。とりもちをします。

E-mail:miyabi@themis.ocn.ne.jp
URL:http://www4.ocn.ne.jp/-miyabisp/
電話:044-855-5723

どうぞ,よろしくお願いいたします。

フード・コートが満員。コンビニ食が美味くて安い。食文化に異変か?

最近,気になっていることがある。「食べる」という文化に異変が起きているのではないか,と。

つまり,「食べる」基本は家庭であって,外食はとくべつの事情があるとき,というのがわたしの世代での常識のはず。勤め人もみんな弁当を持参した。高校生も弁当だった。大学に入って,寮生活をはじめたときから,昼食は大学の学生食堂を利用するようになった。しかも,外食券を持って行くと,少しだけ安く食べられた。(外食券ということばがすでに死語かも)

それから55年。この間の変化のことは省略。
そして,一足飛びに,いま,現在に。

土日のフード・コートは超満員。ほとんど時間に関係なし。多くは家族連れ。ひとり,というのもあり。老いも若きも関係なし。駅前のデパートの1階に,フード・コートがあって,わたしは出勤(?)の往復のときにここを通り抜ける。いろいろの面白い発見があるから。すなわち,わたしの「考現学」。

出勤時間はいつもバラバラ。午前10時30分から午後1時くらいの間。帰宅時間の方は安定していて,午後7時30分前後にここを通る。土日(わたしは土日も出勤日)はとくに多い。ウィークデーにも,少しずつ多くなっているように思う。この点は,もう少し追跡調査が必要だろう。

不思議に思って,最近は,このデパートの8階にレストラン街があるので,そちらにも足を向けてみる。午前12時前後には,ほとんどの店の入り口に行列ができている。みんなおとなしく並んで待っている。こんなことは,少なくとも2,3年前まではなかった。フード・コートが満員でも,上のレストラン街に行けば,よほどのことがないかぎり並ぶということはなかった。

そうか,そういう時代になったのか,とむりやり自分を納得させていた。
ところが,である。

あるコンビニ(Sチェーン)の弁当系の食べ物が,安くて,美味いと評判なので,最近,意識的に試している。なるほど,味がいい。よほど味覚のしっかりしたシェフが中心になって,新しいメニューを開発しているらしい。つぎつぎにヒット商品が登場する。昼食なら,500円も出せば,贅沢な部類だ。安くあげようと思えば250円からある。しかも,美味いのである。

鷺沼のS店は,夜の6時すぎになると勤め人でいっぱいになる。電車が到着するたびに,店は満員になる。そして,買っているのは,夕食用の食べ物。比較的若い世代が多い。男女の比率は同じくらい。ときには,かなりの高齢者も混じる。焼き魚や野菜炒めなども,小分けにして売っている。それらが飛ぶように売れていく。

たぶん,いま,コンビニは過剰な競争の時代に入っているのだろう。ちょっと評判がいいと客の流れはいっぺんに変わる。

同じ鷺沼の駅前にあったTストアが,名前を変えて,内装を整え,店も入れ換えて,並ぶ商品が一変した。とくに,食品売り場は,大きく変化した。その特色の第一は,料理済みのパック商品の売り場が広がったことだ。そのパック商品も,一人用から2,3人用まで,じつに懇切丁寧に準備されている。しかも,安いのだ。ここも「考現学」を兼ねて,最近は,時間帯を変えてフィールドワークをしている。結構,売れている。もちろん,わたしも買う。

ランチ・タイムの定食屋さんは相変わらずの態勢。一食1000円前後。夕食になると,もう少し高くつく。それを考えると,コンビニやスーパーで,出来合いのパック食品を買ってきて,チンすればすぐに食べられる。しかも,格安だ。

ここまで書いてきたら,終わりそうもない。ここで,一旦,終わりにして,つづきを書くことにする。すでに,お気づきのように,もっと,大きな変化が起きているからだ。どんな現象に注目しているのか,お楽しみ。ではまた。

『核のある世界』未来を切り開くために(西谷修・中山智香子編)がとどく。

昨日(17日)の夜,寒さにふるえながらいつものように事務所から家にもどったら,西谷修さんから科学研究費による報告書がとどいていた。題して,ドキュメント2008/2011『核のある世界』未来を切り開くために(西谷修/中山智香子編)。協力:広河隆一,萱野稔人,土佐弘之,七沢潔。

この報告書は,全体が三部構成になっている。
第一部は,シンポジウム「核と未来」(2011年7月16日,於・東京外国語大学研究講義棟226教室)の載録。ゲスト:広河隆一,萱野稔人,討論者:土佐弘之,西谷修,中山智香子。
第二部は,座談会「アフター・フクシマ」(2011年8月11日,於・『DAYS JAPAN』事務所)。座談者:広河隆一,西谷修,中山智香子。
第三部は,シンポジウム「核と現代」(抄録)(2008年7月12日,於・東京外国語大学事務棟中会議室)。抄録執筆者:七沢潔,土佐弘之。

第一部と第二部は,東京外国語大学クローバル・スタディーズ・ラボラトリー(GSL)が,科学研究費補助研究(B)「生命統治時代の<オイコス>再考とポスト・グローバル世界像の研究」(代表:西谷修)による研究の一環として,2011年3月11日の東日本大震災とそれに始まる東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け,7月16日(土)に開催したシンポジウム「核と未来」と,8月11日に開催した座談会「アフター・フクシマ」を載録したものである。

第三部は,前の科学研究費にもとづくシンポジウム「核と現代」のうち,第一部・第二部に連動する内容で,しかもきわめて重要と思われる七沢潔さんの報告「被ばく・その隠蔽と忘却~あるいはメディアの不能について」と土佐弘之さんの報告「リスク/ハザードの配分とポストコロニアリズム」を収録したものである。

この報告書の趣旨は,西谷修さんの「はしがき」によれば,以下のとおりである。
本研究は,グローバル化した世界で,国家横断的な政治的統治が個々の人間の生命レヴェルにまで及ぶ今日,人間を生かし社会を機能させるとみなされる普遍的活動としての「経済(オイコーノミア)」を,上からの管理と調整の観点ではなく下からの具体的生存の場面からもう一度問い直すこと,また,その問い直しを通じて既成のグローバル世界秩序を組み替える,ありうべき世界像を模索するということを課題にしている。

さらに,つぎのようにつづく。
この研究は,とりわけ2008年の世界金融危機といわゆる「テロとの戦争」の破綻とをきっかけとして組まれたものであり,その意味では東日本大震災や福島第一原発事故の以前から,現代世界にとっての喫緊の課題になっていた。そこに,二つの(いや一つの)出来事はその緊急性をさらに高めるものとして出来したのである。3月11日以来多くの人びとは,日本は(あるいは,世界は)もはやこれまでと同じではありえないと感じてきた。その具体的な内容については別稿に譲るが(西谷修「近代産業文明の最前線」『世界』2011年5月号,「”自由”のもたらす破壊と荒廃,ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』に寄せて」『世界』2011年10月号などを参照されたい),「千年に一度」と言われたこの大災害があらわにしたのは,近代二百年の技術・産業・経済システムの行き詰まりと破綻であり,その延命を支えてきた核エネルギー利用の危うさだった。

このあとにも西谷さんによる「はしがき」には重要なことが書かれているが,長くなるので,このあたりで割愛。あとは,この報告書を手にとって確認してみてください。

わたしのような人間でも,もはや,「3・11」以前の社会にもどることはできない,と痛切に考えています。また,もどってはいけない,とも考えています。「3・11」以前の,どこが,どのように間違っていたのか,そこをきちんと検証した上で,「3・11」以後の社会のあり方を模索していくことが,いま,わたしたちに課された喫緊の課題である,と。

もちろん,わたしの場合には,それをスポーツ史研究やスポーツ文化論という領域で考え,あらたな提案をしていこうというわけです。その一つが,最近,書いたばかりの「スポーツ学」(Sportology)の提唱です。その内容については,これから追々,書き加えていきたいと考えています。そのためにも,この西谷さんが送ってくださった『核のある世界』未来を切り開くために,は必読の書というわけです。

また,いつか,この本を読んで,「ISC・21」の月例研究会などでみなさんと一緒に議論をしたいと思っています。

今日のニュースでは,またぞろ経団連のお偉方たちが民主党政権に圧力をかけて,原発再稼働に向けて舵を切ろうとしています。その一方では,福島原発の第4発電所の直下で大地震が発生する確率がきわめて高いことを実証する論文が国際学会誌に掲載され,強い警告を発している,といいます。

時々刻々と,信じられないことばかりが起きています。ここは,なにがなんでも,一度,原発を止めて,原発だけではなく,わたしたち自身の頭も冷やして,つぎなる方法を模索していくしかない,とわたしは考えています。

なお,この報告書は,市販はされていません。もし,興味・関心のある方は,直接,東京外国語大学に問い合わせるなり,わたしのところに連絡してください。とりもちます。

2012年2月16日木曜日

「3・11」は後近代のはじまり。いまこそ,新しい学としての「スポーツ学(Sportology)」を立ち上げよう。

「3・11」を通過したいま,わたしたちは,それ以前とはまったく異なる社会を生きることを余儀なくされている。しかも,その社会は人類がはじめて経験する未知のものだ。いま,わたしたちが生きているこの社会は,眼にみえない放射性物質なるものに日々怯えながら,いかにして「折り合い」をつけ,生き延びていけばいいのか,その方途すら見出せないままの暗中模索の社会なのだ。

それが日本という国で起きたのだ。ヒロシマ・ナガサキを経験した被爆国である日本が,一転して,こんどは世界を放射性物質で汚染する国となったのだ。しかも,原子力に関する科学技術という点では世界のトップレベルにあるとされた日本が・・・。その幻想はもろくも崩れさり,放射性物質による反撃を受け,それに対応する決め手もないまま,浮遊するという体たらくである。これから,5万年とも,10万年ともいわれる気の遠くなるような長期間にわたって(これは天文学的な時間だ),放射性物質との「折り合い」のつけ方が求められることになってしまった。

世界はいま,日本を,放射性物質汚染実験国家として,息をひそめて注視している。にもかかわらず,わたしたちはいま,なにも手出しもできないまま,「3・11」以前の日常性にもどろうとしている。それが,さも,復興への道であるかのように。

それは違うだろう。もはや,どう逆立ちしたところで「3・11」以前の社会にもどることはできないのだ。いまも拡散しつつある放射性物質を完全にコントロールできるのであれば,ともかくも,まったく手も足も出せない現状にあっては(一説によれば,放射性物質を制御することは永久に不可能だ,とも聞く),ただ,ひたすら耐えるだけだ。となれば,もう,これ以上の放射性物質を拡散させない方途を見出すことに全力を挙げるしかないではないか。

こういう社会は,ヨーロッパ近代が求めたような,つまり,人間の理性に絶大なる信をおき,自由競争による予定調和をめざした社会とは,もはや,まったく異質なものだ。つまり,近代論理の破綻だ。だとしたら,この近代論理を超克するための新しい論理を構築する方向へと舵を切る必要がある。その中核にある概念のひとつは「自由競争原理」だ。わけても「過剰に」機能しはじめた「競争原理」だ。もっと端的に言ってしまえば,世界経済を支配している「競争原理」だ。

経済の国際競争に乗り遅れてはならない,というお題目に怯えながら,わたしたちは,いつのまにか「カネ」の亡者になってしまった。原発推進もまた,その延長線上にあった。こちらには,「科学」とうものに対する絶大な信があった。「科学信仰」と呼んでもいいほどに,わたしたちは「科学的に正しい」ということばに酔った。しかし,その「科学」も大自然の災害には及ぶべくもなく,フクシマの原発事故を引き起こしてしまった。

その恐るべき現実を目の当たりにして,茫然自失,それがこんにちのわたしたちのありのままの姿だ。なんとも情けないことではあるが。

このように現状を認識するかぎりにおいて,わたしは,以前から提案してきた理論仮説としての「後近代」という概念が,いよいよ実態をもつにいたった,と考えている。つまり,「3・11」以後は,明らかに「近代」という時代を通過して,「後近代」という時代に突入したのだ,と。つまり,近代の論理が破綻をきたし,それに代わるべき新たな論理を構築し,そちらに向って舵を切る以外に「復興」への道はない,と考えている。

かつて,わたしは『スポーツの後近代』(三省堂出版)という著書をとおして,スポーツ史という視座に立つ「スポーツの後近代」というものを考え,問題を提起したことがある。しかし,それはあくまでも理論仮説としての「後近代」であった。しかし,「3・11」を通過したいま,実態としての「後近代」がはじまった,と考えている。

スポーツの近代は,あらためて指摘するまでもなく,「競争原理」にもどづくスポーツ文化の統廃合をくり返した時代であった。その結果,「優勝劣敗主義」を生み,「勝利至上主義」を導き出し,ついには「スポーツ科学」信仰にまで到達した。その結果,近代スポーツ競技は「ドーピング」問題という病理現象をもたらすこととなった。

こうした歩みは資本主義経済と表裏をなしていた,とわたしは考えている。詳しいことは割愛するが,たとえば,フリードマンの新自由主義にもとづく経済革命(市場原理,など)は,まさにその頂点に立つものと考えてよいだろう(『ショック・ドクトリン』参照)。

近代スポーツ競技の世界でおきているさまざまな,摩訶不思議な現実を目の当たりにして,わたしは『スポーツ科学からスポーツ学へ』(藤井英嘉氏と共著,叢文社,2006年)という著作を世に問うた。その主眼は,「スポーツ科学」という隘路から抜け出し,それに取って代わるべき新たな学としての「スポーツ学」を提唱することにあった。しかし,時代がまだ早すぎたというべきか,いまもなお,ないがしろにされたままである。

いま,「3・11」を通過して,「後近代」という時代の幕が切って落とされた,というわたしの時代認識に立てば,いま,まさに,「スポーツ科学」万能の時代を脱して,生身の人間にとって,あるいは,「いま」という時代を生きる人間にとって「スポーツとはなにか」と問う学,すなわち,「スポーツ学」(Sportology)を立ち上げるべきときだ,とわたしは考える。そして,声を大にして,「スポーツ学」を提唱したい。

では,「スポーツ学」(Sportology)とはなにか。この問いについての応答は,稿をあらためて,書いてみたいと思う。とりあえず,今回はここまで。

2012年2月14日火曜日

福島第一原発2号機の温度計が上限の400度を超えて振り切れたという。大丈夫なのか。

なにかとてつもないことが起きているのではないか,と不安が広がる。その不安を打ち消すだけの説得力のある説明がどこからも聞かれない。東電はもとより,原子力安全保安院からも,そして政府からも,なにもない。そして,ひたすら「冷温状態に変わりはない」というわけのわからない説明だけだ。おまけに,聴こえてくるのは「温度計が故障しているらしい」という頓珍漢な情報だけだ。ならば,というので,政府は法律にもとづき「代替の計器を補充しろ」と東電に対して指令した,という。

なんともはや頼りない話である。もっと迅速に対応できないのか,といらいらしてくる。どこかの火力発電所の温度計が故障したとかのレベルとはまるで別次元の話であることくらいは,子どもでもわかる。原発の,しかも,福島第一の2号機なのだ。すでに,壊れてしまっている原発だ。そこの原発をなんとか力づく(物理的にも,政治的にも)で「冷温状態」に持ち込んだばかりのところだ。もし,この温度計が故障ではなかったとしたら・・・・。

昨夜のニュースに登場した政府の関係閣僚の答弁は,すべて,抽象的な表現からでるものはひとつもなかった。すなわち,「あらゆる可能性を探りつつ,最大限の努力をしているところです」,と。そんなことは当たり前のことだ。そうではなくて,いま,現在の時点で明らかになっていることはどういうことなのかをわたしたちは知りたいのだ。闇から闇へ。重大な情報ほど秘匿されてきた。国民を混乱状態に陥らせないために・・・とのちに弁明するだけ。

不安が募ると,インターネットを流れている情報を探索することになる。
そんな中で,J-CASTニュースが,つぎのように報じている。

原子炉内の温度が上昇していた福島第一原発2号機について,東京電力は2012年2月13日,原子炉圧力容器の底にある温度計が記録上限の400度を超えて振り切れたことを明らかにした。
ネット上では,これまでの経緯から不安視する声が相次いでいる。これに対し,東電では,温度計の電気回路の電気抵抗が通常より大きく,温度が高く出やすくなっているなどとして,温度計が故障していると説明している。

故障しているなら,なぜ,修理するなり,取り替えるなりしないのか。答えは簡単,できないからだ。できないからという理由で放置されているのだ。この無責任さ加減。そこで業を煮やした政府は法律で計器の補充指令を出した。それで,どうなったのか。その後の情報はいまの段階ではない。できないことを指令してもやはりできない,ということで済まされてしまうのか。残された方法は,決死の覚悟で突入する以外にはないのだ。からだを張る人間はでてこないのか。

かつて,よど号乗っ取り事件のときには「からだを張った」代議士がいた。「男でござる」と名乗りを挙げて。相手が原発ではからだも張れないのだ。手を拱いて,ただ,見守るだけだ。いざ,壊れたとなると,手も足も出せなくなる,そういう制御不可能に陥る原発を,承知の上でつくってしまったのだ。いまは一刻もはやく原因を究明して,安全策を講ずるしか方法はないのだ。なのに,だれも手出しができない。情けないかぎりだ。

そう思いつつ,さきほどのJ-CASTニュースの東電の説明を読み返してみると,ここにも大きな誤魔化しがあることがわかる。
「東電では,温度計の電気回路の電気抵抗が通常より大きく,温度が高く出やすくなっているなどとして,温度計が故障していると説明している」という,この文章が奇怪しい。いかにも温度計が悪いかのように責任のすり替えがなされている。温度計は正常に機能したがゆえに,記録上限の400度まで測定し,ついに振り切れてしまったのだ。温度計を壊してしまうほどの「電気回路の電気抵抗を大きく」している原因についてはなにも触れていない。問題の核心は,温度計にあるのではなくて,温度計を壊してしまうほどの電気抵抗がなぜ「大きく」なってしまったのか,ここがポイントだ。

こんな子ども騙しのような説明で逃げ切ろうとするところに,なにか,重大な事態を隠蔽しているのではないかと勘繰りたくなってくる。なんの理由もなく「電気抵抗」が大きくなるわけがない。その電気回路はどこにつながっているのか。「原子炉圧力容器の底」につながっているのだ。そのための温度計ではないか。ということは「原子炉圧力容器の底」になんらかの「異変」が起きているとしか考えようがない。しかし,わたしのような素人にはここまでしか考えは及ばない。

温度計が記録上限を振り切れてしまったいまとなっては,もはや,それこそ手も足も出せません。原子炉圧力容器の底の温度すら不明になったのだ。いつ,いかなる理由で,大事故に進展していくかもわからない闇の世界への突入なのだ。400度という記録上限を超えていくことは「ありえない」と想定したからこそ,いまの温度計が設置されたはずだ。しかし,その想定をいとも簡単に超えてしまったのだ。またしても「想定外」というのだろうか。こんどの場合は,そんな説明では済まされまい。何カ月ものちになって「じつは,あのときの温度計の故障は・・・」という話になるのだろう。いや,そういう話になれば,御の字だ。このあと,なにごともなく推移するということが前提になるのだから。

わたしたちは理由がわからないと不安になる。それでも,じっと耐えて,なにごとも起きませんようにと祈るしかないのだ。このあと,なにかが起こったら大変なことになってしまうから,できるだけそうは思いたくない。しかし,原発はすでに「万が一」のことが起きてしまったのだ。だから,つぎなる「万が一」が起きないとはだれも断定はできない。

「3・11」以後を生きるとは,そういうことなのだ。昨日のブログのくり返しなるが,西谷修は『世界』(2011年5月)の中で「近代産業文明の最前線に立つ」という論文を書き,日本の社会は「3・11」を境にして,それ以前とはまったく異なる社会に突入したのだ,と喝破している。さらに,2011年7月の「核と未来」という講演会では,「未来の可能性が放射能汚染によって制約されているという点で,3・11後の日本はそれ以前とは全く異なる社会である」と追い打ちをかけている。

原子炉圧力容器の底にとりつけてあった温度計が記録上限を超えて振り切れてしまったことに,わたしたちはこれほどまでに怯えなくてはならないのだ。これからさきも,原発の,どんな些細な「異変」にも,敏感に反応し,怯えつづけなくてはならないのだ。それが「3・11」以後を生きるということなのだ。

まことに哀しいことではあるが,これが,わたしたちのありのままの「生きる」ということの現実なのだ。

2012年2月13日月曜日

文芸・評論誌『Kototoi』第一号を読む。

11日(土)の名古屋の研究会の席で,Mさんからこの文芸・評論誌『Kototoi』の紹介がありました。どこかでこの誌名を眼にしたな,とピンときたのですが,そのさきが思い出せません。手にとって見せてもらい,拾い読みしてみたら,とても面白い。あとで購入しようと思っていたら,Mさんが帰り際にこっそりとプレゼントしてくれました。

今日(13日),ほかの仕事を脇において,この本を読みはじめました。最初から最後まで,読みはじめたら止まらない。一気呵成に読んでしまいました。その途中で,あっ,この本のことは『東京新聞』のコラムかなにかに書いてあった,と思い出しました。

Mさんの話では,この本との出会いはとても偶然とは思えません,とのこと。玄侑宗久さんが書いているというので買ってみましたが,この本全体のコンセプトがいまのわたしにとっては絶妙なタイミングでの出会いでした,これは必然以外のなにものでもありません,と。そう聞いていましたので,わたしも楽しみにしていました。

読んでみて,なるほど,Mさんの仰るとおりの本でした。その感想はわたしにもそのまま当てはまるものでした。いよいよ,こういう本がでるようになったか,と感慨無量です。しかも,菊谷文庫と銘打つように菊谷さんご夫妻が,手作り(和綴じ)で,丹念に作り上げたものだ,ということがインターネットで調べてみましたら,わかりました。こういう上質の文庫は,それ相応の思い入れのある編集者が,小さなグループで,採算を度外視して取り組まなくてはできないものです。大手の出版社はいくら逆立ちしてもできないものです。これからの出版のあり方に大きな波紋を呼ぶことになりそうです。また,ぜひ,そうあって欲しいと思いました。

この菊谷文庫の『Kototoi』は,ひとことで言ってしまえば,「3・11」以後を生きるわたしたちにとって「生きる」とはどういうことかと問いかけ,「3・11」以前とはまったく異なる「生」のあり方を模索しよう,そのためには「詩」の復権が必要だ,と声を大にして叫んでいる,そういう本です(わたしの印象では)。そうして,当然のことではありますが,もちろん「脱原発」を標榜する新しい感性の持ち主を,あらゆるジャンルで仕事をしている人たちの中から見出そう,そういう情熱が強く伝わってくる本です。

書き手は,玄侑宗久さんのような作家・僧侶をはじめ,吉本隆明(詩人・評論家)さんのような著名な方たちを含む詩人や音楽家や画家や,そして,新進気鋭の学者さんが並んでいます。わたしには詩を論評する力がありませんので,そこの部分だけがまことに残念ですが,あとは,いずれの論考もとても魅力的でした。

わたしが考えているような「3・11以後のスポーツを考える」という論考なども,しっかり書けば掲載してくれそうだな,と思いました。編集長の菊谷さんが意図している編集方針とどこも齟齬がありません。それどころか,スポーツの分野からの投稿はかえって歓迎してくれるのではないか,とさえ思いました。たとえば,「近代スポーツ競技の促進と原発推進のロジックは瓜二つ」というようなタイトルで(すでに,このブログの中で書いていますが)書けば,いけるのではないかとそんな気にさせてくれる本です。いつか時間がとれたところで,気合を入れて,もう少し論理的に(あるいは詩的に)書いてみようかな,と思っています。

たくさんの論考のなかでも,わたしの考えていることと,とことん共鳴した論考がありましたので,紹介しておきたいと思います。
それは,中野佳裕さんの「リスク社会から脱成長社会へ」です。まだ若い新進気鋭の学者さんです。なにが嬉しかったかといえば,論考の冒頭から,西谷修さんの『世界』(2011年5月)に書いた「近代産業文明の最前線に立つ」が援用され,そのあとにも,西谷さんの論考に共鳴・共振している記述があちこちで顔をみせることです。たとえば,「核と未来」と題した東京外国語大学の講演会(2011年7月23日)での発言を引用し,「未来の可能性が放射能汚染によって制約されているという点で,3・11後の日本はそれ以前とは全く異なる社会である」と西谷修は述べている・・・・という具合です。

ついでに我田引水を承知で書いておきますと,中野さんの「脱成長社会」の主張は,わたしがもう何年も前に「下降志向のスポーツ」の模索をと提言したときのものと,基本的にはまったく同じベクトルのものだ,ということです。こうなりますと,もはや,偶然の出会いではなく,間違いなく必然ではないか,と思いたくなってきます。

もうひとつだけ。高坂勝さんの「うつらうつらテツガクする──第一回 昼寝革命」などは傑作と呼びたいほどのエッセイになっています。第一回,とあることは連載ということのようですので,これからどのような論考が展開するのか,とても楽しみです。このエッセイの柱もまた「ダウンシフター」という概念を提示し,その生き方の実践例が紹介されています。つまり,あくせく働かないで,必要最小限の労働をして,あとは,できるだけなにもしないで昼寝をしていましょう,というまことに説得力のあるテツガクを展開してくれています。まさに,「3・11」以後の日本人としての生き方のひとつのサンプルのようなお話です。

というような調子で書いていくと際限がなくなりそうですので,このあたりで,このブログはおしまい。詳しい情報は「Kototoi」で検索してみてください。ホーム・ページにすべて必要な情報はアップされています。お薦めの一冊です。

沖縄・宜野湾市長選挙,両候補とも「県外移設」「普天間固定化回避」を主張。

昨日(12日),行われた沖縄・宜野湾市長の選挙の結果,保守系前県議の佐喜真淳(47)氏が,わずかに900票差で,元市長の伊波洋一(60)氏をかわして当選。両候補とも普天間基地に関しては「県外・国外移設」を求め,「固定化回避」を主張し,大きな主張の違いはみられなかったという。明暗を分けたのは,伊波候補が,市長現職中に知事選に立候補して破れ,市長への返り咲きをねらったことへの批判票だったのでは・・・・と毎日新聞は分析している。

選挙途中に,沖縄防衛局長の「講話」問題が発覚し,保守系の佐喜真氏に不利ではないかと,その行方が注目されたが,なんとかクリアした形となった。

民主党は自主候補を立てることができず,情けないかぎり。普天間基地を抱えている中核都市である宜野湾市長選挙に,民主党の主張を展開することすらできない政権が,日米合意にもとづく名護市辺野古への移設を進めようというのである。沖縄県民や宜野湾市民の意思とはまったく関係のないところで,基地問題を押し切ろうとするこの暴挙は,どう考えてみても奇怪しい。こんなことが,いまも,平気で行われているのである。民主主義を語るのも恥ずかしい。

この選挙結果によってはっきりしたことは,仲井真知事と佐喜真市長とが手を結んで,どこまでも普天間基地の「県外・国外移設」を主張していく態勢ができあがったということだ。民主政権はますます窮地に追い込まれ,このさき,どのような対応をしていくことになるのか,まったく不透明なままだ。地元住民の同意も得られないまま,強権を発動させるつもりなのだろうか。

ことし一年は,日本という国家の骨格が決まる,きわめて重要な年になりそうだ。長年にわたる沖縄基地問題の決着,東日本大震災の復興,そして,フクシマの事後処理,さらには,TPP問題があり,国政選挙が待っている。これから問われるのはわたしたち国民の側だ。どの問題にも国民一人ひとりがきちんとした意見をもち,行動がとれるかどうか,その一点にかかっている。ここで進むべき道を間違えたら,もう,半永久的に,わたしたちはどうにもならない迷路を彷徨うことになるだろう。恐ろしいのは,このような混乱にまぎれて,選挙をとおして「独裁」体制をととのえたヒトラーのような人物が登場する可能性が高い,ということだ。

まだまだ,なにやら,とてつもない「異変」が,この日本の未来に待ち構えているように思えて仕方がない。日本版「ショック・ドクトリン」の実験が,いまも,そして,これからもつづくのだろうか。もう,これ以上の「異変」は起きてほしくない。しかし,火山列島日本の天変地異だけは,地球の歴史とともに歩んできた自然現象だ。そういう圧倒的な力をもつ自然との折り合いのつけ方を,わたしたちは「科学」の名のもとに忘れてきてしまったのだ。

原点回帰を「いまこそ」,とわたしは主張したい。沖縄基地問題も同じだ。詳しくは,いずれまた。時間切れ。


2012年2月12日日曜日

「スポーツに思想はあるか」,『ショック・ドクトリン』合評会での議論。

昨日(11日)の午後,椙山女学園大学(日進キャンパス)で,予定どおり『ショック・ドクトリン』の合評会が行われました。三井悦子さんの司会ではじまり,橋本一径さん,船井廣則さん,井上邦子さんの3人のコメンテーターの読解を手がかりにして,参加者,みんなで議論しました。まずは,驚くほどいろいろの読解があることを知り,とても勉強になりました。

それらの議論のうちのひとつを紹介しておきたいと思います。
それは,第9章「歴史は終った」のか?──ポーランドの危機,中国の虐殺,を取り上げて緻密な読解とコメントを展開してくださった船井廣則さんのパートでの議論です。

船井さんは,まず,冒頭で井上陽水の「限りないもの・・・それが欲望」という『限りない欲望』(1972)の歌の一節を引いて,人間の「欲望」とはいったいなにか,と問いかけた上で,第9章を以下の6つの視点から読解と問題提起をしてくださいました。
1.歴史の終わり
2.天安門事件との関連
3.ポーランドのショック療法
4.ドイツにおける「第三の道」とネオ・リベラリスムス
5.「ネオリベ」はおわったか? 『”経済”を審問する』が答える
6.ドライビング・フォースとしてのメガロサミア

これらのうち,5.「ネオリベ」はおわったか?『”経済”を審問する』が答える,のところで,船井さんはきわめて重要な指摘をしてくださった。当日,配布されたレジュメのなかから引用しておくと,以下のとおりです。

西谷修は同書の中で「市場の法則は「客観的」なのではなく,カール・ポラニーの言うように制度的に作りだしたフィクション。とすれば経済学は科学などではなく,世界を造形するある種の思想を含んでいる。つまり経済学は思想だ。」と,読者の目から鱗を落とさせるフレーズを叫んでいる。また,西谷は別の所でもオバマの「アメリカの原罪」に触れて,「結局アメリカの「自由」というのは,基本的に人を抹消しないと成り立たないもので,アメリカがその原罪を忘れ帳消しにするためには自分の「自由」を世界に広めればよい・・・という衝動からアメリカは免れることができない」と鋭い論理を展開している。

ここには二つの重要なポイントが指摘されています。言うまでもなく,一つは「経済学は思想だ」という指摘であり,もう一つはアメリカの「原罪」と「自由」についての指摘です。後者のアメリカの「原罪」とは,アメリカ立国の前提条件となった先住民を抹殺しなければならなかった歴史過程を意味します。そして,その先住民を排除・抹殺することによってわがものとした移住民のための「自由」,これが,アメリカの求める「自由」にほかなりません。ですから,「テロとの戦い」はその延長線上にある,という次第です。つまり,アメリカの「自由」とは,「テロとの戦い」をとおして,アメリカに反抗する勢力を完全に排除することなしには成立しない,というわけです。

が,ここでの議論で盛り上がったのは,「経済学は思想だ」とする西谷修さんのロジックでした。それに追い打ちをかけるようにして,船井さんはつぎのようにレジュメに書き込んでいます。

6.ドライビング・フォースとしてのメガロサミア
フリードマン主義=自由市場主義の「自由」とは欲望を制限無く開放する自由ではないか。井上陽水の言うように制限のない=限りないものが「欲望」であるなら,制約の取り払われたむき出しの欲望と市場主義とが結び着いたのが新自由主義か。人間が持っている優越願望(megalothymia)の顕現化が根底にありはしないか。
人間をスポーツ現象・行動に向かわせるのも「俺はおまえよりも速い・高い・強い」を達成したい,という優越願望がドライビング・フォースとなっているのでは。とすれば,人間の傾向の一側面をデフォルメしたものとして近代スポーツもネオ・リベラリズムと同根なのか・・・・。たとえば,スポーツの記録の限りない更新。100m走の推定限界値は9秒48。ウサイン・ボルトの北京での記録9秒69。残り余地0秒21。しかし,計測方法や装置の精密化が余地を拡大,記録更新の可能性を引き延ばす。限りないものそれはメガロサミア=欲望=自由?

以上が,船井さんの問題提起です。こういう挑発的な問題提起をされると,議論は一斉に活気づいてきます。そこで取り上げられた話題は多岐にわたりました。たとえば,4月からの中学校での柔道必修化の問題は,目前に迫る大テーマでしたので,さまざまな意見が飛び交いました。そうして,最終的に行き着いたわたしなりの結論は「スポーツに思想を」というものでした。つまり,思想なきスポーツはもはやありえない,と。

スポーツは,もはや,単なる遊びや娯楽ではなくなっています。現代という時代を生きるわたしたちにとっては必要不可欠の文化となっています。しかも,人間の生き方までをも規定する力をもちはじめています。場合によっては,政治や経済よりも大きな影響力をもつにいたっています。にもかかわらず,スポーツには「思想」が欠落しています。

思想なき経済が迷走するのと同様に,思想なきスポーツもまた迷走してしまいます。いま,わたしたちに求められている最大の課題は「思想」ではないか,というところに徐々に話題が集結していきました。司会者のそろそろ終わりに・・・・という発言を振り切って,もう一つだけ,もう一つでけという具合に議論に熱中しているあまり,気がついてみれば,予定時間を30分もオーバーしていました。

「スポーツに思想を」。これが当分のわたしたちの共通の大きな課題として浮上することになりました。いささか遅きに失した感もなきにしもあらず,というところですが,気がついたときが吉日,まずは「隗よりはじめよ」という次第です。

しかし,少しだけ補足をさせていただければ,わたしたちのこの研究会は,じつは,当初から「スポーツに思想を」という大きなテーマをもっていました。しかし,それを全面に押し出すようなプレゼンテーターが少なかった,ということです。その意味では,この『ショック・ドクトリン』合評会は絶妙なタイミングだったと思います。

次回,3月19日(月)には,西谷修さんをゲスト・スピーカーにお迎えして『ショック・ドクトリン』読解に取り組みます。できることなら,フリードマンの新自由主義を標榜した経済学(一般経済学)にたいして,バタイユの目指した「普遍経済学」の位置づけなどのお話がうかがえたらありがたいと思っています。とりわけ,マルセル・モースの『贈与論』と関連させて。そのほかにも,お聞きしたい話は満載です。いまから,とても楽しみにしています。

2012年2月10日金曜日

「北海道いももち」にはまっています。これはウィーンの「クヌードル」の日本版。

数日前,鷺沼のスーパーの食品売り場で「北海道いももち」なる商品が眼に飛び込んできて,「おやっ?」とひらめきました。「北海道いももち」・・・だって?みると「みたらし団子」のように,甘そうなタレがたっぷりかかっていて,美味しそう。あっ,これはウィーンで食べたクヌードル(Knoedel,精確にはOにウムラウト)の団子版ではないか,とピンときました。あとは,躊躇することなく手が伸びてワンパック購入。小型の団子状のものが8個。

大急ぎで事務所に駆け込んで,チンして,すぐに食べました。予想どおり。いや,それよりももっともっと「もち」になっていました。団子よりも,もちっとしていて,食感がいいのです。これはもう堪りません。以後,毎日,ワンパックを購入。ひとりでニヤリとしながら悦に入っています。至福のひととき。童心に帰って。

ウィーンで食べたクヌードルは,いろいろの種類があるので,ひとくちにはなんとも言えませんが,食材はじゃがいもです。いわゆる,ドイツ語圏の人たちがむかしから食べてきた郷土料理です。もっとも一般的なのは,じゃがいもをふかしてつぶし,しっかり捏ねて練り上げ,それをテニスボールくらいの大きさの球体にし,それをさらに「ふかす」か「ゆでる」かして出来上がり。これに,好みのタレをかけて,ナイフとフォークで切り分けて,暖かいうちに食べます。店によって,みんな味が異なります。また,家庭によっても味が違います。それぞれに腕によりをかけて,美味しく仕上がる方法を探索しているようです。

わたしの出身地である三河の郷土料理に御幣餅があります。これと同じで,作り方は,さまざまに工夫が加えられていて,いわゆるスタンダードはありません。家庭によって,みんな味が違います。タレの工夫も大事です。秘伝と称して,だれもその極秘の方法を教えてはくれません。しかし,一般的な作り方はだれにも知られていますし,簡単ですので,だれでも作れます。

じつは,クヌードルにはウィーンでの忘れられない思い出があります。在外研究員としてウィーン大学スポーツ科学研究所でお世話になったシュトローマイヤー教授の大好物が,このクヌードルでした。わたしたちは家族ぐるみでお付き合いをさせていただいていましたので,郊外の土地の人たちが親しんでいるレストランに連れていってもらうことが,しばしばありました。その折に,シュトローマイヤー教授は,かならず,自分用にこのクヌードルを注文していました。そのうちに,わたしも味を覚えて,一緒に頼むと心配そうに「無理をしなくていいんだよ」と念を押してくれました。しかし,一度,この味を覚えてしまうと,この店のクヌードルはどんな味がするのだろうか,という探究心がでてきます。そのことをシュトローマイヤー教授に話したら,「おまえはもはや立派なウィーン人だ」と太鼓判を押してくれました。

しかし,困ったのは発音です。きちんと発音しないと,どうも別のものになってしまうようで,店員さんが何回も聞き直すのです。さきほども書きましたように,Knoedel のnoeのところはnoにウムラウトがついたものが正式のドイツ語表記です。このoウムラウトの発音がとても難しいのです。oの発音の口をして,エという音を出せというのです。

仕方がないので,シュトローマイヤー教授に,何回も何回も発音の仕方を教えてもらいました。最後には,奥さんのイレーネさんが笑いながら心配してくれて,間違っていても大丈夫,大きな声で言って,手で団子の形をつくれば,OKです,と教えてくださった。以後は,その伝に従い,大きな声と手振りで立派に押し通しました。

クヌードルとは,あとで辞書を引いてみましたら,なんと「団子」そのもののことでした。わたしは,ジャガイモでつくった大きな団子の食べ物の名前(固有名詞)だと思っていましたが,そうではありませんでした。つまり,団子には,肉の団子もあれば,じゃがいもの団子もある,というわけです。ですから,手振りで大きな団子をつくると,店員さんは「じゃがいも」の団子だと理解してくれたという次第です。

さあ,これから,わたしの昼食の時間です。午後3時です。今日,買ってきた「北海道いももち」を「チン」して,熱々を「フーフー」しながら食べます。この「快楽」,いつまでつづくのでしょう。童心に帰る至福のとき。ワンパック(8個入り),278円。安い昼食代です。

早咲きのさくらの蕾が赤みを帯びてきました。

日本海側は大雪警報。太平洋側は快晴。冬型の典型的な気象。
雪国の各地から雪による被害(死者も多数)情報が,ニュースの多くの時間を割いている。
同時に,インフルエンザの大流行で,この10年間の記録を残しはじめてから,過去最悪の状態という。
小中学校の学級閉鎖はもとより,学校全体をお休みにするところもでている,という。
関西では急性腸炎をともなう風邪も大流行,とか。

気候やインフルエンザだけではない。
しばらく鳴りをひそめていた原子力ムラの人びとが反撃に転じはじめた。それを受けてメディアも妙な情報を流しはじめている。申し合わせたように大飯原発のストレス・テストの一次評価は妥当だったとか,原発を止めて火力発電にしたから二酸化炭素の汚染が広がったとか,地球温暖化が進んだとか(こんなに寒いのに),沖縄の防衛局長の更迭騒ぎがいつのまにか取り消されたり,厚かましくも東電の電気料金の値上げが発表されたり,政府・官僚の情報隠匿を合法化するための法案を成立させようとしていたり,いったい,この国はいつからこんなに「デタラメ」なことを平気で行い,また,それを許す国になってしまったのか,と世俗の世界もまた情けないことばかり。

それでも,自然界は凄い。たんたんとわが道を進む。寒い日には,泰山木の葉は裏返るようにして立ち上がり,寒さから身を守っている。そのすぐ下では寒椿が赤い花を咲かせていたり,馬酔木の花が芽吹きはじめていたり,柊の花芽が伸びはじめていたり,といつも歩いて通る鷺沼の事務所の近くの植木屋さんの屋敷の植物は,着々とわが道を進んでいる。そのなかで,いつも,早めに咲くさくらの木の花芽もいつしかふくらみ,赤みを帯びている。この寒さがつづく日々のなか,あと,一カ月半後には花を咲かせるための準備に入っている。感動である。

木の芽は,間違いなく春に向かって,その準備に入っている。まるで枯れ木のようにみえる名も知らぬ木の芽も,近くに寄って,よくよく観察してみると,枝の最先端の芽はふくらんでいる。細葉の新芽の黄緑色も目立つようになってきた。

事務所の近くの公園には,わたしの知らない小鳥たちの鳴き声が,ここかしこに聞こえる。餌付けでもしているのだろうか,立派な屋敷の植え込みのある一本の木に,雀が姦しく鳴いている。そうっと近づいてみると,相当の数がいる。どこかでパターンと大きな音がしたら,その雀たちが一斉に飛び立った。予想をはるかに越える数で,驚いた。どの雀もまるまると太って,まさに食べごろ。「寒雀は太っていて美味い」とこどものころに大人たちがそう言っていたことを思い出す。いま,寒雀の味を知っている人はいないだろう。食料事情が悪かったころ,つまり,わたしのこどものころには,競って雀をつかまえて食べた。雀の卵も集めてきて焼いて食べた。食べ物がろくになくて飢えていたころを思い出す。

そのころの人間,つまり,敗戦後の復興に,全国民が力を合わせて奮闘していたころの人間の方がはるかに「健全」だったように思う。

今日は快晴だったこともあって,犬や猫たちも飼い主に連れられて散策。まだ,育ち盛りの犬たちはとても元気よく動きまわりながら飼い主を引っ張っていく。が,大半は,どうやら老人らしくて,飼い主と一緒にのろのろと歩いていく。しかも,肥満体。猫も同じ。首にひもをつけられて,威風堂々たる猫が歩いていく。なんとも不思議な光景である。犬の散策をしているご婦人たちの何人かは,見ず知らずのわたしが興味深そうに犬を眺めているからか,「こんにちは!」と言って声をかけてくれる。じつは,わたしは「可哀相に,こんなに太ってしまって」と犬に同情しながら眺めているのだが・・・・。それでも,声をかけられると嬉しいもので,わたしも大きな声で「こんにちは!」と応じる。犬が,まだ若いな,と思われるときには「かわいいですね」とひとこと添える。すると,まず,間違いなく,嬉しそうに「ありがとうございます」「ほらっ,〇〇ちゃん,褒められたよ」と笑顔が返ってくる。

こんなささやかなことでも,都会生活では,なんともほのぼのとするのである。それほどに他者との会話もなく,無味乾燥な日々。ましてや,メディアから流れてくる情報は,もっと酷い。人間の品性もなにもあったものではない。みんな飽食・運動不足剥き出しの肥満体。それに甘んじて平然としている。ものの豊かさに慣れきってしまった人間の理性は完全に狂ってしまったとしかいいようがない。しかも,その自覚もない。そういう人たちが日本の中枢を占めている。なんともはや,うら寂しいかぎりである。

その一方では,災難に遭遇した人たちは必死になって助け合い,励まし合って,その日その日を生き延びることに精一杯の努力を積み重ねている。こどもたちも同じだ。寒いこの冬をどうやってやり過ごしているのだろうかと被災者の人たちの避難生活を,みずからの体験に引きつけ,想像力を駆使して思い描いている。わたしは,小学校1年生のとき,戦争末期の空襲に合い,九死に一生を得た。その結果,焼け出され(なにもかも全部,燃えてしまった)者となり,農家の鶏小屋を借りて,コンクリートの土間に藁を敷き,寒い冬を越したことがある。飢えと寒さに,毎日,震えていたことを思い出す。よく生き延びたものだと思う。

テレビでは,相変わらず,面白おかしくさえあればいいという「馬鹿番組」と,なぜ,ここまで,とあきれ返ってしまうほどの「おいしんぼ」料理の連続。いったい,なにを考えているのか,といいたくなる。しかも,贅沢きわまりない料理を,これでもか,と見せつける。いらない。そんなものはいらない。まずは,生き延びていくに必要最小限の食べ物があればいい。それを地球上に生きている人びとすべてが分け合うことが第一ではないのか。あちこちで食べ物もなく餓死する人があとを絶たない現実を,頭のなかでは承知しつつ,自分だけはおいしものを食べたがる。この国に住む人たちの「理性」とはなにか。

アスファルトの隙間から芽を出し,花を咲かせるタンポポもある。与えられた命を,与えられた場所で,精一杯に生ききること。

ヘミングウェイは『日はまた昇る』という小説を書いた。

さくらの蕾が赤みを帯びてきたのをみて,なんだか,ほっとした。これでいいのだ,と。

※もう少し書きたいところ。でも,時間切れ。ここまでとする。残念。

2012年2月9日木曜日

『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)読解のための研究会開催。

ことしの8月に第2回日本・バスク国際セミナー(場所:神戸市外国語大学)を予定している。そのテーマは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」だ。しかし,ひとくちに「グロバリゼーション」と言ってもいろいろの顔をもっていて,一筋縄ではいかない。しかし,そこに「スポーツ」という補助線を一本引くと,急に視界が明るくなってくる。さらに,「伝統スポーツ」と「近代スポーツ」という具合に補助線を増やしていくと,さらに焦点がはっきりしてくる。

それでも「グロバリゼーション」という怪物は,驚くべき顔をちらりとみせることがある。昨年の9月に翻訳された『ショック・ドクトリン』(岩波書店)もそのひとつだ。こんな仕組みが作動しているのか,と呆気にとられた。しかも,上下2巻におよぶ大著だ。まだ若い女性ジャーナリストが追った現代世界をゆさぶる仕組みの解析。文字通りの力作である。

この本の読解は,8月に予定されている国際セミナーのウォーミング・アップとして不可欠であると判断し,まずは,2月に名古屋で,そして,3月は東京で研究会をもつことにした。
名古屋は2月11日(土)に椙山女学園大学で,東京は3月19日(月)に青山学院大学で開催。いずれも主催は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)。

本来ならば「ISC・21」のHP「掲示板」に掲示されているのだが,いま,悪質な書き込みに襲われ炎上。修復までに時間がかかるので,とりあえず,このブログで代替することに。
以下に詳細を記しておきましょう。

「ISC・21」2月名古屋例会
日時:2月11日(土)13:30~18:00
場所:椙山女学園大学(日進キャンパス)
プログラム
 第一部:情報交換
 第二部:『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)合評会
  司会:三井悦子
  コメンテーター:橋本一径,松本芳明,井上邦子
 ※終了後,懇親会あり。懇親会まで参加される方は三井さんに連絡のこと。
 ※なお,12時10分には,わたしの他に何人かの人が名古屋駅新幹線改札口で待ち合わせて,軽い昼食をとり,12時40分発のバス(愛知学院大学行き)に乗る予定。行き先に不案内な方はここにお出でください。

「ISC・21」3月東京例会
日時:3月19日(月)13:00~18:00
場所:青山学院大学(ガウチャー礼拝堂のある建物の5階第13会議室)
プログラム
 第一部:情報交換
 第二部:『ショック・ドクトリン』読解──グローバリゼーションとはなにか。
  司会:稲垣正浩
  ゲスト・スピーカー:西谷修
  ※会の進行のさせ方については,かなり自由に,と考えています。つまり,全員参加型のトークになれば・・・という次第です。
  ※終了後,懇親会あり。懇親会まで参加される方は稲垣まで連絡のこと(一週間前までに)。

これらの研究会は公開ですので,どなたでも参加できます。ただし,初めての方は稲垣までご連絡ください。このブログにコメントを入れてくださっても結構です。「参加希望」と「名前」を書き込んでくだされば,非公開でメールで応答します。

以上が開催情報です。
多くの方々のご参加を楽しみにしています。
お断りするまでもないことですが,テクストは事前にきちんと読んでから参加されますよう,お願いいたします。

取り急ぎ,掲示板代わりの情報提供です。

2012年2月8日水曜日

「太極拳のゴンブー(弓歩)の姿勢は相撲の基本の姿勢と同じ」(李自力老師語録)その5.

相撲のぶつかり稽古のときに上位の力士が胸を出して,下位の力士がぶちかましてくるのを受け止めるときの姿勢。両脚を前後に大きく開いて腰を落として構える。前脚は深く曲げ,上体をその上にしっかりと固定し,後脚を大きくうしろに伸ばしてかかとで踏ん張り,胸を出して「さあ,来い」と構える姿勢。下位の力士は上位の力士の胸に向ってぶちかまし,胸に頭をつけ,もろはずで力一杯に押す。胸を出した力士は,そのままの姿勢を保ちながら,土俵の上をすべるようにしてズルズルと後退する。土俵の俵に後脚がかかったところで,こんどは頭つけている力士を押し返す。腰の構えはそのままで,相手の力士の両腕をはさみつけるようにして,ぐいぐいと押していく。そして,相手の力士の後脚が俵にかかったところで,もう一度,相手力士に押させる。これをくり返す。下位の力士は,あっという間に息が上り,ふらふらになる。こうして意識が朦朧となるまで力を出して,相撲の基本の姿勢を身につける。

このときの胸を出す力士の両脚・腰・上体の構えの姿勢が太極拳のゴンブー(弓歩)の姿勢と同じです,と李自力老師は仰る。相撲の好きなわたしには,とてもわかりやすい説明である。すぐに頭で納得できたので,早速,やってみる。なるほど,この姿勢がゴンブー(弓歩)の決めの姿勢だったのか,とわたしのからだが納得。基本の稽古のときの腕を腰のうしろで組んで,脚だけのゴンブーの稽古はなんとかできるようになる。しかし,ゴンブーの姿勢は,24式のなかにもいろいろのところに組み込まれている。手足を同調させながらのゴンブーは,これまた,別物である。一つひとつ,稽古を重ねていって身につける以外に方法はない。

しかし,わたしたち素人のする太極拳の稽古は,大相撲の稽古場のような激しいものではない。ゴンブーの構えを完全に身につけるまで追い込むほどの時間もかけない。あとは,自分ひとりで稽古をしなさい,ということになる。しかし,ひとり稽古はついつい甘えがでてしまう。適当なところで終わり。だから,なかなか上達しない。みんなで稽古するときに,その場の力を借りて,ゴンブーの構えの姿勢を何回も何回もくり返して覚えるしか方法はない。

つまり,太極拳もまた,自己との闘いなのだ。みずからを律する力のレベルに応じて,ゴンブーの構えの姿勢もできあがってくる。それは,一緒に稽古をしている人たちのゴンブーの構えの姿勢をみれば一目瞭然だ。

だから,李老師はその人に合わせて指導助言をしてくださる。李老師の動きを盗み取るようにして凝視し,動きを分節化し,自分のなかにイメージをつくる。それでも足りないので,DVDをくり返しくり返し眺めて,少しずつ李老師の動きに近いイメージを脳裏に焼き付けていく。

いやはや,こんなに簡単な動きなのに,そして,ゆっくりとしたスロー・モーションなのに,こんなに難しいとは・・・・。太極拳は奥が深い,としみじみ思う。

2012年2月7日火曜日

4月から中学校の柔道必修化。問題あり,とNHK「クローズアップ現代」がとりあげる。

昨夜(6日),午後7時30分から,NHK「クローズアップ現代」が,この4月からはじまる中学校の柔道必修化問題をとりあげていた。ちょうど,食事どきだったので,しっかりと視聴した上で,問題の所在を少しだけ考えてみた。

結論から述べておこう。
中学校の柔道必修化も,原発推進に踏み切った(東海村に1966年に設置)ときと,まったく同じ思考パターンである,ということ。すなわち,アフター・ケアがまったくなされないままの「見切り発車」である,ということ。

原発が使用済み核燃料を処理する方法(技術,施設,など)を整備する前に,原発建造,稼働へと見切り発車したことは,もはや繰り返すまでもないだろう。詳しくは,今日(7日)の『東京新聞』の「こちら特報部」を参照のこと(青森県の六ヶ所村の処理施設が,稼働停止のまま,再開の目処も立っていないことを詳細に報道)。にも,かかわらず,いまなお,原発推進派は着々とつぎなる手を打ち,原発稼働に向けて突進しようとしている。わたしたちの「命」を犠牲にしてでも,原発による「利権」を守りとおしたい輩が日本の中枢に巣くっている。この理性の「狂気化」現象が,平然と見過ごされてしまう,日本の現状に唖然としてしまう。

しかし,この理性の「狂気化」現象は,いまにはじまったことではない。
その一端が,4月からの中学校の柔道必修化問題だ。

断っておくが,柔道を中学生に教えることには賛成である。しかし,そのためには,しっかりとした指導者を養成しておかなければならない。それが先決だ。

問題は,きちんと柔道を教えることのできる教師が,きわめて少ないというところにある。そんなことは柔道必修化の議論をする段階でわかっていたはずだ。そして,そのような議論も行われたようだが,医科学委員の中にも脳外科のお医者さんが入っておらず,さっさと多数決で決められてしまった,というのが実情のようだ。

つまり,はじめに柔道の必修化ありきの議論なのだ。そのために,審議会がある。つまり,このメンバーは,厳密な思想チェックがなされた上で選考される。わたしも経験したことがあるが,会議の進行はすべてお役人さんが作成したシナリオ(議長が話すセリフまで書いてある)どおり。最後に多数決で決定。わたしのような少数意見は「貴重なご意見ありがとうございました」のひとことで片づけられてしまう。なんとも歯痒いかぎりだった。もちろん,以後,声もかからなくなったが・・・・。

中学校の体育の教員免許をもつ教師には,2種類がある。ひとつは,教員養成系の大学で教員免許を取得した人,もうひとつは,体育大学もしくは体育学部で教員免許を取得した人である。いずれも,体育を得意とする人たちではあるが,こと柔道に関しては,その経験に大きな個人差がある。その多くは,大学に入って,授業ではじめて柔道を経験した人たちである。いかに運動神経抜群とはいえ,柔道を教えるということになると話は別だ。

ボールゲームなどでは,よほどのアクシデントでないかぎり「死亡」事故は,まずは起こらない。しかし,柔道は,ひとつ手順を間違えたり,情況判断をミスしたりすれば,事故は大なり小なり起こる。つまり,怪我と背中合わせの格闘技なのだ。だから,よほどの経験豊かな指導者でないかぎり,中学校での必修の柔道はまかせられない。つまり,必修だから,からだのひ弱な子どもたちも,そして,極端に運動神経の未発達な子どもたちも,なかには柔道が嫌いな子どもたちも混じっている。しかも,多人数だ。

部活の柔道であれば,まずは,希望者であり,しかも少人数なので,生徒の習熟度に合わせて稽古をすることもできる。しかし,必修となれば,そうはいかない。

柔道を必修化しようという志は反対ではない。が,そのためのお膳立てをきちんとすることが先決だ。いまからでも遅くはない。きちんとした指導のできる先生を確保できた学校から始めればいい。それまでは,指導者養成のために万全をつくすことだ。

「クローズアップ現代」では,フランスの授業が紹介されていた。それによれば,柔道の指導者になるためには特別の「国家試験」を課しているという。しかも,きわめて難関な資格試験だという。そうして,じっくりと基本を教える。投げ技などは,体力も技量も整ったところで教える。ましてや,「乱取り」などは,柔道する身体ができあがってからだという。

いまの子どもたちは「ひ弱」だから柔道でもやらせて鍛えなくてはいけないという発想は,クリーンなエネルギーは原発しかない,だから原発推進だ,という発想と瓜ふたつだ。どちらも,一番大事な「手順」を飛ばしてしまっている。

柔道は「乱取り」が最終ゴールではない。「自他共栄」「精力善用」と嘉納治五郎が主張したように,人間としての「道」を教えることにある。柔道の精神を表す「道」は,その淵源を尋ねると道教(タオイズム)にいたる。そのことを熟知していた嘉納治五郎は「柔よく剛を制す」とも言っている。これはまさに「タオ」(=「道」)の精神そのものだ。「無為自然」の「タオ」と「無常」の仏教が混淆して「禅」の思想が生まれる。嘉納治五郎の求めた柔道のゴールは「禅」の精神を体得すること,そして,その実践にあった。

こうした柔道の深い理念を体得した人こそ,中学校の柔道を教える資格所有者であり,親や子どもたちも安心して「必修化」のもとでの授業を受けることができる。そのための,特別の国家試験を課しているフランスは立派だ。いいことは,すぐにも取り入れるべきだ。逆輸入だと笑われても仕方がない。それほどまでに,わたしたちの理性は狂気と化してしまっているのだから。

もう一度,初心に帰ろう。狂ってしまった理性を捨てて,生きる命にとって理性とはなにかを問い直すこと。とりわけ,「3・11」を通過したいま,わたしたちは,もう一度,スタート地点に立って,そこからやり直すしか方法はないのだから。

そういう議論がこれからでもいい,起こってくることを,こころから祈っている。

2012年2月6日月曜日

太陽光発電は駄目だ,という風評が流れている。ほんとうにそうなのか。

ことしになって,複数の人から「太陽光発電は駄目だ」という,あまり根拠のはっきりしない話を聞かされた。いずれも,わたしが「脱原発」への方途をさぐるために,原発に代わる再生エネルギーへとシフトすべきだという,きわめて個人的な雑談の折のことである。

ひとりめの人から「太陽光発電は駄目だ」と聞いたときには,「へえーっ,そんなものなの?」と受け流したが,ふたりめのときには「おやっ?」と思った。しかし,さんにんめのときには「まてよ?」,これはちょっとおかしな話ではないか,と気がかりになった。よにんめのときには,完全に,なにかの意図がはたらいていると考え,すこしばかり調べてみた。

「太陽光発電は駄目だ」という根拠は,わたしが聞いたかぎりでは,きわめてあいまいだ。「太陽電池はおよそ10年が寿命で駄目になる。その使用済み電池の処理の方法が確立されていない。つまり,捨て場所がない」というのである。

わたしのもっとも苦手な分野なので,早速,むかしの友人(専門家)に聞いてみた。すると,とても親切に教えてくれた。それによると以下のとおりである。

太陽電池には,いろいろのタイプがある。
たとえば,
 1.単結晶シリコン型太陽電池
 2.多結晶シリコン型太陽電池
 3.薄膜シリコン型(アモルファスシリコン型)太陽電池
 4.化合物系太陽電池
 5.色素増減型太陽電池
 6.有機薄膜型太陽電池
 7.量子ドット型太陽電池
などがある。
それぞれ一長一短があり,大手メーカーの研究所をはじめ,大学の研究者たちも全力で,より安全で,性能のいい太陽電池の開発に取り組んでいる。将来的な展望が得られない方法(技術)は,おのずから淘汰されていく。すでに,いくつもの方法が駄目だということで脱落している。いま,残っている方法もいずれ淘汰されていくだろう。最後にどの型の太陽電池が残るかは,現段階ではわからない。しかし,どのメーカーも命懸けで,将来的な展望を見据えて,研究に取り組んでいる。さきに,挙げた7つの型の太陽電池は,ほとんどの大手メーカーが開発に手を染めていて,どれが生き残るか,戦々恐々とした状態だ。

たしかに,一部に危ない化学物質が用いられていることもたしかだ。しかし,それを言うなら,いま使われている乾電池も同じだ。可能なかぎり回収して,安全に処理する方法がとられている。少なくとも,原発事故により放出される放射性物質や,使用済み核燃料の最終処理などのことを考えれば,それらは比較の対象にもならない。

したがって,どういう理由・根拠にもとづいて「太陽光発電は駄目だ」というのか,しっかりと確認する必要がある。もし,そのような論文などがみつかったら教える。

とのこと。わたしに「太陽光発電は駄目だ」と言った人間は,いずれもそれぞれの道は違うものの,立派な職業についている人たちである。もう少し調べてから,わたしは,もう一度,それぞれの人に会って話を聞いてみようと思っている。

それにしても,意外なところから,意外な方法で,「太陽光発電は駄目だ」という,わたしとしては意表をつく「風評」が流れはじめているようだ。どう考えてみても偶然ではなさそうだ。このような風評こそ,人びとの無意識に働きかける「悪意」以外のなにものでもない。恐ろしいことだ。

しかし,よくよく考えてみれば,世の中「風評」ばかり。その「風評」を,一人ひとりがよく考え,見きわめながら生きていくしか方法はない。

それにしても悪魔の手が,手を変え品を変えして,伸びてきている。しかも,その手に踊らされてしまっている「ジェントルマン」がいかに多いことか。作家の山田詠美は,学校の先生の中にも,この手の「ジェントルマン」が,品行方正で,信念と情熱をもつ「いい先生」のお手本のようにして棲息しているが,少し感性の豊かな子どもたちには,その本性がみごとに見破られている実態を,同じ名前の作品『ジェントルマン』で描いている。

「原発安全神話」構築のために,その最先端で貢献したのは文部科学省の傘下にある学校の先生たちであったことを忘れてはならない。

原発事故に関する事実関係を秘匿しつづける現政権のもとで,風評もまた悪質化しつつあり,それに乗せられてしまう危険性が,わたしたちの身のまわりにはいっぱいだ。きちんとした根拠を見きわめて,適切に判断していくことが,こんご,ますます重要になってきた。

「太陽光発電は駄目だ」という風評についても,もう少し,追跡していきたいと思う。恐ろしい世の中になったものだ。

2012年2月5日日曜日

「百会を高くして立つ」(李自力老師語録)その4。

太極拳の稽古の最初の姿勢。両足を合わせて立つ。いわゆる直立姿勢。ただし,両足先は開かないで閉じたまま立つ。やや骨盤が締めつけられる感じがある。膝を伸ばし,ほんの気持だけ「出っ尻」「鳩胸」。顎をやや引いて,頭のてっぺんを高くして立つ。この直立姿勢が太極拳をはじめるときの基本姿勢。

李自力老師のこの立ち姿がまことに美しい。さりげなく大胸筋が盛り上がっていて,腕,肩の力も抜けていて,しかも,一寸の隙もない。この姿勢をとると,顔の表情まで,一瞬にして変わる。日常の李老師とは別人になる。太極拳をする身体になりきる。

頭のてっぺん,頭頂の一番高いところにあるツボを「百会」(ひゃくえ)という。もう少し精確にいうと,左右の耳介(耳たぶ),または,左右の耳孔を垂直に結ぶ線と顔の真ん中を走る正中線とが交叉するところ。解剖学的にいうと,頭蓋骨の縫合結合が最後に完成するところ。生まれたばかりの赤ん坊の頭蓋骨の縫合は完成していないので,ペコペコと動いているのがわかる。その部分が「百会」。

指先の感覚の鋭い人であれば,正中線をたどって頭頂にいたると,ほんのわずかに窪んで柔らかいところを見つけることができる。ここが「百会」というツボ。もちろん,赤ん坊の百会に触れてはならない。からだの中の気がとおる道。

この百会に対応しているツボが「湧泉」(ゆうせん)。足の裏にある土踏まずの部分にある。この湧泉から大地の気を吸い上げ,からだを通過させて百会から,外に放出する。気がとおる,という。熟達してくると,涼しげな風を感ずる。とても気持よく,快感そのもの,と李老師はいう。

「百会を高くして立つ」と,李老師はいともかんたんに仰る。ところが,これがまた,とても難しい。ただ,立つだけのこと。太極拳は,この立つ姿勢にはじまって,最後もまたふたたび,ここに帰ってくる。礼にはじまって礼に終る,と武術の世界ではいう。太極拳ではこの立ち姿にすべてが集約されている。この立ち姿をみれば,どれだけの熟達者であるかは,即座にわかるという。気の流れるからだをわがものとすること・・・・これが太極拳の究極のゴールでもある。

百会が開くと,大地の気と天の気が自由自在にからだを流れるようになる。すなわち,自然界とからだとの一体化。このときが至福のときだ,と李老師はいう。「気持ちがいい」「快感」「恍惚」と表現はさまざまに変化する。しかし,そこは明らかに自己の身体の<外>と交信する場でもある。「わたしの身体がわたしの身体であって,わたしの身体ではなくなる」<場>。

2012年2月4日土曜日

神戸市外国語大学の講演,無事に終了。

昨日(2月3日),神戸市外国語大学の講演にでかけ,夜の部の懇親会も堪能し,今日(4日)の午前中に竹谷さんとことし夏に予定されている国際セミナーの打ち合わせなどをして,さきほど帰宅しました。密度の濃い時間を過ごすことができました。

でも,昨日の行きの新幹線はたいへんでした。関が原のあたりの積雪が多く,徐行運転。そのため,新神戸到着が45分遅れ。すでに午後2時。迎えにでてくれていた月嶋君に頼んで,竹谷さんに連絡。少し遅れてしまうので,つなぎの話をしていてください,と。

昼食を食べ損なっていましたので,新神戸駅のコンビニでドーナッツやマフィンなど買いこみ,地下鉄の中で食べて,講演会場に飛び込み。しかし,講演開始時間の午後2時30分を15分ほどまわっていました。竹谷さんが,バスクの伝統スポーツのスライドなどをパワーポイントを使って説明していてくださったので,そのあとを引き継ぐかたちとなりました。

講演のテーマは「『3・11』以後のスポーツ文化を考える」。これまでも,何回も同じようなテーマで話をしてきていましたので,それとはちがうヴァージョンを組み立てながらお話をしました。が,気持ばかりが焦ってしまい,話の流れがつかめないまま,時間切れという,とても悪いパターンになってしまいました。集まってくださった方たちには申し訳ないかぎり。でも,終ったあとの感想などを聞いてみましたら,いくつか印象に残る話があって,楽しかったとのこと。わたしを傷つけまいとする心遣いを感じながらも,すこしだけ,安心しました。

メインの話題は,1964年の東京オリンピックを機会に,日本の社会は激変していったことをとりあげてみました。とりわけ,家電製品が一般家庭のなかに浸透していき,大量の「電気」を消費するようになったことと,原発建設へと政府(当時の中曽根内閣)が舵を切ったのは同時だったことに焦点をあててみました。

1964年以前の日本の一般家庭には,テレビも冷蔵庫も洗濯機もありませんでした。しかし,東京オリンピックを契機にして,テレビが一気に普及していきました。それ以後,あれよあれよという間に,家電製品が家庭のなかに入り込むようになりました。それとともに,電気の消費量が飛躍的に多くなっていきました。水力発電や火力発電だけでは足りなくなると判断した当時の政府は,原発の建造に踏み切りました。しかも,原発はクリーンで安全であるというキャンペーンに多くの国民は踊らされてしまいました。その結果が,こんにちの悲劇です。

東京オリンピックを契機にして,新幹線が走り,首都高速道路が開通し,電化製品が普及し,日本人の欲望が一気に拡大し,充足される時代に突入していきました。この欲望の増大が,わたしたちの理性を狂わせていく大きな誘因になったことは間違いありません。「欲望という名の電車」(映画のタイトル)が,現実の日本社会のなかで暴走をはじめます。それに歯止めをかけることなく,ますます加速していった・・・・というのが,現時点での大きな反省点でもあります。

加えて,体力づくり運動も東京オリンピックを契機にしてはじまりました。道楽の遊びでしかなかったスポーツが,健全な青少年育成のための重要な教育の一環として,立派な正義の味方として厚遇されるようになっていきます。以後,勝利至上主義や優勝劣敗主義が大手を振って歩くようになりました。これは,資本の論理とまったく同じからくりでした。そして,ついには,巨大なスポーツ・イベントと資本が結びつき,スポーツの「金融化」があっという間に進みました。いまでは,トップ・アスリートは立派な「商品」として「売買」されるのは,当たり前となってしまいました。しかも,巨額な商取引の対象として。

こうしたスポーツの商品化の流れと原発推進の流れは,偶然の一致ではなく,まさに,車の両輪として相互に影響し合ってきたという事実に注目して,可能なかぎりの説明を試みてみました。が,まだ,わたしの頭のなかでの練り込みが足らず,苦戦することになりました。このあたりのロジックについては,もう少し,磨きをかけていきたいと思っています。そして,だれが聞いても「なるほど」と思ってもらえるようにブラッシュ・アップしていきたいと思います。

不思議なもので,一度,講演をするたびに,いつも,新たな課題がみつかります。それがあるからこそ,あまり得意ではない講演を引き受けたりするわけです。今回もまた,反省点の多い講演となりましたが,それなりに収穫もあった,と冷静に受け止めています。

このあたりのことは,また,ブログをとおして新しい見解を公表していきたいと考えています。
取り急ぎ,神戸市外国語大学での講演のご報告まで。


2012年2月2日木曜日

「足の指全体で大地をつかむようにして立つ」(太極拳・李自力老師語録)・その3.

太極拳の稽古中に,李自力老師は,しばしば名言を吐かれる。それらは長年の経験と伝統によって練り上げられてきた珠玉のようなことばである。李老師は,細心の注意を払いながら,そのときどきにふさわしいことばで説明をしてくださる。

すでに,いくつもの名言を聞き,そのときは「なるほど」と感動とともに納得するものの,愚かな弟子はすぐに忘れてしまう。これではあまりに勿体ないので,これから折にふれ,李老師の名言を書き留めておこうと思う。題して「李自力老師語録」。今日は「その1.」。

1.「足の指全体で大地をつかむようにして立つ」

重心の置き所を示す名言。太極拳は基本的に「武術」である。したがって,いつ,いかなるときにも,仮想の敵が存在する。そのために忘れてはならないことは,その仮想の敵に対して,いつでも,瞬時にして動くことのできる姿勢が求められる。その要領のひとつが「足の指全体で大地をつかむようにして立つ」である。

太極拳の重心の置き所は足裏全体の真ん中ではない。ましてや「かかと」ではない。足裏全体のやや前,土踏まずの前の部分,足指の付け根あたりに重心を置く。そして,足の指全体で大地を「つかむ」ようにして立つ。つまり,一本,一本の指がそれぞれ独立して大地をつかむ要領で。

起勢のときの両足で立つときから,まずは,はじまる。これが立つ姿勢の基本となる。そして,両腕を静かに肩の高さまで押し上げるときには,さらに,微妙な体重移動をともなう。上げた両腕を押し下げるときも同様である。仮想の敵を念頭におけば,その理は明らかである。膝の曲げ伸ばしをともなうときも同じである。

両足から片足に重心を移していき,片足で立つときも同じである。太極拳の動作の基本は「歩行」運動にあるので,常時,片足ずつ体重移動を繰り返す。このときも,きちんと「足の指全体で大地をつかむようにして立つ」ことが肝要である。

以上が,李老師がわたしたちに説明してくださったことを,わたしの理解の範囲で,わたしのことばに置き直したものである。もし,間違いがあったら,忌憚なくご指摘いただきたい。李老師に確認して,修正を加えていきたい。そして,よりよい「語録」にまとめ上げていきたい。みなさんのご協力をいただければ幸いである。


2012年2月1日水曜日

日本相撲協会は,北の湖理事長でいいのか。覚悟はあるのか。

1月30日に大相撲の理事の改選が行われ,新理事の互選により,北の湖親方が新理事長に選出された。北の湖親方といえば,弟子の不祥事を理由に理事長を途中で辞任に追い込まれた人だ。その人が,またまた,再登場である。こんなことでいいのだろうか。

外部理事で任期切れのある人の発言によれば(テレビ発言),「人材不足。だから,仕方がない」という。はたして,そうなのだろうか。ベテランに人材がいなければ,若手に眼を向ければいい。むしろ,若手を育てるべき絶好のチャンスではないのか。しかし,そうはならない。なぜか。理由は簡単。利権争いが水面下で激しさを増しているからだ。

利権をめぐる私利私欲の固まりのような人たちが親方集団を形成している。そういう親方のなかから理事が選ばれる。当然のことながら,自分の立場に有利な人を選ぶことになる。しかも,一門の持ち株は決まっている。だから,簡単に票数を割り出すごとができる。造反がないかぎり,新しく選出される理事は,最初から決まっている。

今回もまた,かなりの造反親方が現れ,予想を覆す新理事が誕生している。10人の理事枠のところに12人の立候補があり,選挙に突入した。前回につづいて2回目の投票である。しかも,投票の前に立候補者たちの立ち会い演説会も行われている。さらには,〇印をつける選挙方法から記名式の方法に変えている。この直前の選挙方法の変更にも,いろいろととりざたされる材料がある。その背後にいろいろと画策があったようだ。

そういう詮索をひろい集めていくと,最終的に,新理事は北の湖親方を理事長に選出しなければならない「からくり」があったようだ。だとしたら,これは完全なる八百長ではないか。現に,表集めのために高砂一門の親方が動いたことが,情報として流れている。そのほかにも,さまざまな表集めのための運動があったことは明らかだ。そのとき,カネが動いたかどうかは,まったく「藪の中」だ。

一般的な常識からすれば,北の湖親方が復活する道はありえない。これから公益法人としての手続きに入るという重要なこの時期に,一度,×のついた旧理事長が復活するというのはありえない。しかも,北の湖親方といえば,守旧派のトップに立つ人だ。これでは改革ビジョンは望むべくもない。そういう人を理事長に迎えなくてはならなかった新理事とはいったいどういう人たちなのか,とくと顔ぶれを眺めていただきたい。

日本相撲協会のこんごの命運をかけた理事選挙が,こんなことでいいのか。その結果として生ずるであろう事態,すなわち公益法人としては「不可」という結論に対する覚悟はできているのだろうか。そんなことも眼中にない親方衆の選挙結果が,これだ。

もう一点,不思議なことがある。

なぜか,今回の選挙に関しては,意外に情報が少ない。新理事が口を固くとざしているからなのか,あるいは,メディアが「自発的隷従」に徹しているからなのか,とにかくわたしの知りうる情報が少なすぎる。なにか不穏な動きがあったとしかいいようがない。公けにすることが憚られるような,きわめて不可解なことがあったのではないか。メディアはそれを知っていて,いつもの「知らぬ勘兵衛」を決め込んでいるのではないか。

これからひと波瀾も,ふた波瀾も起きそうな,そんな予感がしてならない。そんな日本相撲協会の今回の理事選挙であり,理事長選挙だったのではないか,とわたしは勝手な勘繰りをしている。もし,そうならなかったとしたら,事態はもっともっと深刻だ,ということだ。

日本の社会のひとつの縮図をみているようで恐ろしい。