2011年7月29日金曜日

今福龍太著『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)を読む。

今月のはじめに今福さんからこの新著が送られてきた。すぐに拾い読みをして,いきなり衝撃を受けてしまった。わたしがこれまでに読んできて理解したつもりでいたレヴィ=ストロースはいったい別人だったのだろうか,と。それほどまでに,この書のなかに描かれているレヴィ=ストロースは,生き生きとした人間そのものなのである。人間レヴィ=ストロースが忽然とわたしの前に立っている。そんな印象をまず最初にもった。

もうひとつの衝撃は,今福さんの文章が,いつもにも増して美しいのである。読んでいて涙が流れだす。なんだろうか,と考える。西谷修さんの本を読んでいるときにも同じようなことが起こる(たとえば,『理性の探求』岩波書店)。でも,それとは内容も質も違う。どこか別のものなのだ。しかし,わたしのこころの琴線に触れるという意味ではまったく同じだ。それもまったく予期せざるときに,突如としてやってくる。ぐっ,と詰まってしまうのだ。

名うての思考者であり書き手を俎上にのせて論評できる立場にはないが,それでも文章の美しさが
胸に「ジン」とくる。それはなにものにも代えがたい至福の時の到来である。嬉しくて仕方がない。なのに,突然,本を閉じてしまった。なぜか。

書けなくて困っていた原稿がいくつも残っている。こんな涙が流れるような本に魅了されていたら,ますます書けなくなってしまう。あまりにみじめな自分の文章に絶望してしまう。でも,引き受けた以上はきちんと書かなくてはいけない。と,みずからを鼓舞する。とにかく,締め切りのきてしまっている仕事を片づけてから,じっくりと読もう,と。

しかし,そんな時間のこようはずもない。つぎからつぎへと,野暮用が入ってくる。で,とうとう昨日からみずからの禁を破って,この本を最初から読みはじめた。どうせ締め切りはきてしまっているのだ,と開き直って。

まずは,冒頭の「リトルネッロ──羽撃く夜の鳥たち」で,この本のアウトラインが示される。それがまた詩を読んでいるような気分にさせられる。それでいて,レヴィ=ストロースへの深い愛情がそこはかとなく伝わってくる。いや,それどころか,今福さんとレヴィ=ストロースが一体化してしまっている。今福さんがレヴィ=ストロースになりきっている。いや,レヴィ=ストロースが今福さんに乗り移っている。そんな錯覚を起こしてしまう。そんなことが起きても,じつは,なんの不思議もない。2008年(この年に,今福さんは3冊もの大著を世に送り出している)には,レヴィ=ストロースとの共著『サンパウロへのサウダージ』(みすず書房)を書いているくらいだから。

以後,第一章 ジェネレーション遠望,第二章 サウダージの回帰線,第三章 かわゆらしいもの,あるいはリオの亡霊,第四章 夜と音楽,とつづく。こうして読み進んでいけばいくほど,今福さんとレヴィ=ストロースの境界は薄くなっていく。一人の偉大なる人物を「評論」ではなくて,「批評」するということは,こういうことなのかとわたしは考える。なぜなら,今福さんは,明らかに「評論家」と「批評家」とを区別していて,みずからの肩書は「批評家」だと表明しているからだ。

今福さんの文章の美しさは,詩的な感性から紡ぎだされるものであることは当然なのだが,その上に,さらに,全体重をかけた,ぎりぎりのところまでみずからの思考を追い込んだのちに飛びだしてくる「究極の言語」だからだ,とわたしは思う。だから,わたしの涙腺がゆるんでしまうのだ。今福さんの文章が,わたしの自己を超え出るところに知らずしらずのうちに誘ってくれる。その自己を超え出たと感じた瞬間,わたしの頬を涙がつたう。

第四章の「夜と音楽」にいたって,ようやく,この本のタイトルになっている「夜と音楽」の内実を知ることができる。レヴィ=ストロースが生涯をかけて追い求めてきたものが,今福さんの手にかかるとこういうことになるのか,とまさに眼からウロコである。あえて言ってしまえば,ヨーロッパ近代がとっくのむかしに置き忘れてきてしまった(いな,排除,隠蔽してしまった),時間のない世界,無の世界,動物性に近い世界,そこにのみ温存されている「生命」の豊穣さ,これをいかにして,現代社会のなかに「現前化」させるか,レヴィ=ストロースは考えつづけたのだ,と。

こういう章に出会うと,わたしがスポーツ史やスポーツ文化論をとおして考えつづけてきたことが無駄ではなかった,としみじみ思う。このことを決定的に教えてくれたのは,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』だった。このバタイユもまた,マルセル・モースやレヴィ=ストロースを視野のなかにいれて,それを批判的に乗り越えようとした人である。

第五章 ドン・キホーテとアンチゴネー,を読み終えたところでまたまた衝撃が走る。レヴィ=ストロースとシモーヌ・ヴェイユの同時代人としての不思議な接点に,今福さんの透視術が冴え渡る。ギリシア神話に精通していたシモーヌ・ヴェイユと,まだ,神話世界に踏み込む前のレヴィ=ストロースとがニューヨークで出会って話をしている。このとき,なにが語られたのだろうかと,今福さんの想像力はフル回転する。たった二カ月しか年齢が違わない二人,1931年に哲学教授資格試験を同時に受験してともに合格した二人。

と,ここまで読んだところでこのブログを書いている。
残りはつぎのような章立てになっている。
第六章 野生の調教師/第七章 ヴァニタスの光芒/第八章 人間の大地/カデンツァ──蟻塚の教え。
あとは,書誌(これがとても丁寧),図版出典,あとがき。

最後まで読んだら,また,このブログに書きたくなるに違いなかろう。
とにかく,わたしにとってはとんでもない本が現れたものだ,と感じ入っている。今福さんの本はあとを引く。何回も何回も読みたくなるのである。この本は,それ以上のなにか恐ろしいほどの魅力に満ちあふれている。
そして,もう一度,レヴィ=ストロースの本を読み直さなくてはならなくなる。困ったものだ。でも,こんどは,もっともっと楽しく読めるはずだ。ありがたさと恐ろしさと相半ば,というところ。

2011年7月28日木曜日

『河北新報』特別縮刷版,3・11東日本大震災「一カ月の記録」,お薦め。

気がつけば大震災から4カ月が経過。まもなく5カ月になんなんとしている。わたしはいったいなにをしていたのだろうか,と忸怩たる思いでいっぱいである。たった一度だけ,仙台にいる友人のお誘いがあって,ようやく重い腰を上げて,三日間ほど海岸線を中心に現場に立つ機会をえた。やはり,その場に立つということの重要性をいまさらながら知った。

以後,新聞の読み方が変わった。雑誌の読み方も変わった。これまで想像の世界でしかなかった被災地の現実が,わたしのからだをとおして繋がった。だから,現地に急行し,からだを張った取材をとおして書かれる記事と,そうではなくて,間接的な情報を入手して想像力で書かれる,一見したところヒューマニズムに彩られたかにみえる記事とは,天と地ほど違うということがすぐにわかるようになった。そのころから,長年愛読してきた(ほぼ50年)わたしの朝日新聞に対する憤りは抑えようがなくなってきた。そうして,東京新聞に乗り換えたことは,すでに,このブログでも明らかにしたとおりである。

6月の後半に入ったころ,書店の風景が一変した。目立つところに,いわゆる大震災関連の特別企画本が並んだ。大震災をテーマにした単行本,特集雑誌,新聞縮刷版,写真集,など多岐にわたる出版物が並んだ。3カ月・・・これが出版のひとつのサイクルであることが,この事態の現出で明らかになった。なるほどなぁ,と思いながら,片っ端からめくってみる。が,どれもこれも一長一短があって買う気にはならない。

しかし,新聞の「2011・3・11~4・11」紙面集成の一冊くらいは手元においておきたいと考えた。そこで,朝日,読売,毎日・・・・という大手新聞社のものから,地方紙にいたるまで,ひととおりめくってみた。そうしたら,驚くべき発見があった。

『河北新報』の特別縮刷版だけが,ひときわ,わたしの眼を釘付けにした。それはひとくちで表現するのはなかなか困難なのだが,あえて言うとすれば「記事を書く人の温度差」とでもいえば,比較的近いだろうか。つまり,記者の取材の姿勢,まなざしの向け方・温かさ,痛みを分かち合う感覚,遺族や死者との共振・共鳴,などがまるでわがごとのように受け止められ,それが文章をとおして伝わってくる。思わず涙が浮かび,いつしか流れ出している。

どういう事情があるかは問わない。しかし,少なくとも,その地に生活し,同じ空気を吸って生きていた人間が,隣人を思いやる気持で書かれる記事,つまり,それは自分自身のことであったかも知れない,あるいは,親族・友人とともに被災を共有しているのかも知れない,そういう記事はわたしのこころを鷲掴みにする。そして,その記事にこころから「信」をおくことができる。

いまもなお,この種の企画ものは書店の店頭を飾っているので,ときおり立ち止まって他紙の縮刷版をめくってみる。目線がまるで違うのである。言ってしまえば「他人事」。「上から目線」。「温度差」。ようするに「そらぞらしい」のである。一度,騙されたと思って,書店で読み比べてみていただきたい。新聞とはなにか。メディアとはなにか。情報とはなにか。ジャーナリストとはなにか。そして,人が生きるとはなにか。わたしはこんなことをいつも考える。情報とは恐ろしいものだ。しかし,人間は情報なしには生きてはいかれない。だから,失望が大半。でも,ときおり,ほのかな期待や希望も見出すことができる。ほんものの「ジャーナリスト」との出会いがあったとき。

『河北新報』特別縮刷版は,いまや,わたしの座右の書である。ちょっとした時間があると,これをめくって読みふける。真実は小説より奇なり,という。わたしは,東北の人の心情に触れるという経験がほとんどなかった。いまのわたしにとっては,人間理解の教科書であり,もし,存在するとすれば「東北人」理解の教科書である。

いま,是々非々でフットワークの軽い地方紙が歯切れがいい。それに引き換え,全国紙と呼ばれる大手新聞は「原子ムラ」に支配されてしまっていて,まことに歯切れが悪い。いや,思考能力が停止してしまっているのだから,頭が悪い,というべきか。

いまという時代は,ありとあらゆる事象が「大震災・原発」というできごとと無縁ではない。すべての人がなんらかのかたちで「大震災・原発」という「踏み絵」を通過することなしには生きてはいかれない。ほとんどの人は気づいていないかも知れないが,いまを生きている人間の一挙手・一投足が,そのまま「大震災・原発」の写し鏡となっているのだから。

ぜひ,一度,書店で『河北新報』特別縮刷版をめくってみていただきたい。


「自民個人献金72%電力業界」(信濃毎日新聞)という記事をどう読みますか。

昨日の太極拳の稽古の折に,兄妹弟子のKさんが「信濃毎日新聞」(7月23日)の切り抜きをもってきてくださった。それによると,自民党政治資金団体「国民政治協会」本部がまとめた2009年度分政治資金収支報告書を,共同通信が調べてわかったこととして「個人献金額の72.5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによる」と報じている。おまけに,「現職役員の92.2%が献金していた実態も判明した」という。

あわてて,朝日・読売・毎日の3社ではどんな扱いになっているかとおもって調べてみたが,わたしの調べた範囲では,どこの社も「ひとこと」も触れてはいない。ということは,共同通信社の調査結果として,各地方の新聞社に配信された記事らしい。それにしても,共同通信を中心とする地方紙が,いま,とても歯切れがいい。その点,中央の3紙は情けない。ここにも,電力業界との癒着がとりざたされている実態が浮かび上がってくる。わたしの個人的な印象としては毎日はやや救いがあるが・・・。(近くの地域の図書館に行くと,各種の新聞が見られるので,ときおりでかけてはチェックを入れている。)

それにしても,これまでの原発を「国策」という名のもとに推進してきた自民党の個人献金の72%が電力業界によって占められていたというこの事実に,いまさらながら唖然とするほかはない。しかも,現職役員の92.2%が献金していた,という話にいたっては,もはやどうしようもないという憤りさえおぼえる。独占の公益企業たる電力業界が,当時の政権党を長期にわたって,意のままに動かしてきたことが実証されたようなものだ。

しかも,その延長線上に,いまもある。なぜなら,現政権党の民主党にも,自民党時代に原発推進の中枢にいた与謝野馨君をはじめとする多くの議員がいる。それ以外の議員ですら,「脱原発」をひとこともいえないどころか,カン君がそれをひとこというと必ず抑え込む力となって貢献している。その意味では,自民党も民主党も一蓮托生,電力業界の「支配下」にあることは,もはや疑いようもない。

しかも,その「金」のでどころは,われわれの支払う電気料金だ。ヨーロッパ諸国のほぼ2倍に相当する電気料をとられている。その理由が,なんと原発推進と政治献金にあったとは・・・。わたしたちは好むと好まざるとに関係なく,みんな電気料金を支払うことによって,気がつけば原発推進に大いなる貢献をしていたことになる。いま,「反原発」と叫んでいても,毎月支払う電気料金は「原発推進」に使われている。このやり場のない憤り。これを忘れてはならない。

やはり,独占の公益企業からの脱出が大きなテーマとなってくる。電力の発電と送電の区分も必要となってこよう(ヨーロッパでは,それが当たり前となっている)。あくまでも,独占でいくのなら,国営にすべきではないのか。この話は,また,いつか別の項目を立てて考えることにしよう。

「金」の欲しい議員さんは,みんな「原発推進」派。しかし,「命」を守りたい国民は,みんな「脱原発」派。経済優先を説く人もみんな「原発推進」派。健康不安に怯える国民はみんな「脱原発」。とても,わかりやすい構図がしだいに浮かび上がってきている。

それをなんとしても混沌状態にしようとする評論家という人たちも暗躍しはじめた。「わたしは脱原発でも原発推進でもない」と平気で嘯く連中のことだ。しかも,きわめて著名な学者・研究者・評論家諸氏。そういう人たちに限って,インテリぶりたい愚かな若者たちが群がる。トンカチを持っていって頭をぶん殴ってやりたい。あるいはまた,素晴らしい哲学者だとおもっていた人が,じつは,「原発推進」派で,その一方で,人間の「命」のかけがえのなさを自著に書いていたりする。あんたは「アホか」と直接声をかけたくなる人も意外に多いことに気づき,これまた唖然としている。

他人の「命」を犠牲にしていることには眼をつむって(ひょっとしたら,気づいていないのかもしれない),とりあえず,自分の「命」に別状がなければそれでよしとする人たち。おまけに,「放射能なんて大したことない」と豪語してはばからない人。みんな「原発推進」派。無責任な人たち。もっと悪い奴もいる。「節電」の名のもとに,電灯も暗くし,エアコンも止めて,まことに劣悪な条件のもとで労働を強いている企業主。従業員を犠牲にして金儲けを企んでいる。最低必要限度の電力は使っていいのに。たかが15%の節電のはずが,過剰な節電を徹底させて利益を企む最低の企業主がいる,と聞いてわたしはこれまた唖然としてしまう。

上が上なら,下も下。でも,そこからつぎの時代への一歩を踏み出すしかないのだ。そのためには,まずは,わたしたち一人ひとりが支払っている電気料金の行方をしっかりと見極めることからはじめよう。そこから一つひとつ考えを立ち上げるしか方法はないのだから。

2011年7月26日火曜日

東京新聞への「いやがらせ」なのでしょうか。それとも,単なる縄張り争い?

7月1日から東京新聞を購読しています。長年(半世紀以上),愛読してきた朝日新聞に見切りをづけて,東京新聞に乗り換えました。すでに,ご報告のとおりです。「脱原発」の姿勢が明確な東京新聞は,読んでいてとてもここちよく快適です。論旨が一貫していて,企画も面白い。紙面構成もなかなか意欲的です。

と思っていたら,わたしのまわりでも東京新聞に乗り換えたという人が増えているようです。そんなことが影響しているのかどうかわかりませんが,今日,不思議なことがありました。事実なので,みなさんにも考えていただきたく,報告します。

わたしの住んでいるところの新聞配達を受け持っているのはK新聞店。だから,朝日から東京に乗り換えるときには,このK新聞店に電話をして了解してもらった。ところが,今日になって,不思議な文書がK新聞店からとどいた(わたしの留守の間にK新聞店の従業員が尋ねてきて,A4の文書を置いていったとのこと)。

それによると,以下のとおりです。
括弧内の※はわたしのコメント。
「この度,東京新聞社が当店に何の説明,話し合いもなく,勝手に当店の配達区域内に東京新聞専門の販売店を作り,8月1日から配達を始めようとしております。(※ほう,縄張り争いですか。朝日新聞でも専門の販売店を作って,配達をしてはいけない,というのでしょうか。なにか,法律に触れるのでしょうか。どう考えてみても,やくざの縄張り争いとしか思えませんが・・・)
東京新聞社が独自にご愛読者様の住所を調べ上げて,配達を始めるようですが,全てのご愛読者様を把握するのは絶対に不可能です。(※そりゃそうでしょう。あなたが愛読者の住所を教えないのでしょうから。これまで,東京新聞社に儲けさせてもらったという意識はまったくないようですなぁ。新聞を配達してやった,という恩義を押しつけているとしか思えませんが・・・。なにか大いなる勘違いをしていませんか。それとも,東京電力さんからお金でももらってしまった・・・ということでしょうか。それならそれとはっきりとオッシャイ。)
8/1から,突然,新聞が入らなくなる可能性がかなり大きいと思われます。(※東京新聞社がそれほど間抜けだと思っているのでしょうか。すでに,東京新聞M専売所からは,もっと丁寧で,気持ちのこもった文書が各戸に配布されています。なんの混乱も起きません。)
折り込みチラシの枚数がかなり少なくなるのは間違いないでしょう。(※チラシが減るのは大歓迎。捨てるのに困っていたのですから。)
ご愛読者の皆様にも大変なご迷惑がかかると思います。(※残念ながら,かかりません。)
K新聞店としては,このような横暴・強引なご愛読者不在のやり方は看過することは決して出来ません。(※あなたのやっていることも「ご愛読者不在」のやり方です。意地悪をしないで,ご愛読者さまの住所一覧をM専売所に渡せば,ご愛読者さまにご迷惑をかけることはありません。)
そこで皆様にはお願いがあります。(※お願いなどは不要です。)
当店で扱っている他紙(朝日,毎日など)に変更していただけないでしょうか?(※なにを寝ぼけたことを言ってるんですか。他紙が駄目だから東京新聞に乗り換えたというのに・・・。あなたの配達している新聞がいかなる内容の新聞であるかを,とくとご検討されたし。考え方によっては,とても恥ずかしいことをしているんですよ。もっと単純に言ってしまえば,「わたしたちに儲けさせてください」と言っているだけの話。冗談じゃないよ。そのために新聞を変えてください,だって?)
当店従業員がお客様のところへ,順番にご訪問しておりますのでよろしくお願いいたします。(※わたしがいるときに来たら,どういうことになるか覚悟してお出でください。」

以上です。
このご時世,「脱原発」か,「原発推進」かで,ある意味では「踏み絵」を踏まされているようなところがあります。死んだふりをしていた「原発推進」派が,とんでもないところから動き始めたか,とわたしなどはついつい勘繰ってしまいます。

みなさんはどのように,このできごとを考えられるでしょうか。
ご意見などいただければ幸いです。

2011年7月25日月曜日

なぜ,指紋をとられるのはいやのなか。

23日の「ISC・21」7月大阪例会の余韻にまだ浸っている。そう,橋本一経さんの『指紋論』(青土社)の合評の余韻である。コメンテーターの人たちの話や,それに応答する橋本さんのお話や,帰りの新幹線のなかで窓の外の景色を眺めながら考えたことなど,ごちゃまぜになりながらも「指紋」というものはふしぎなものだとしみじみ思う。

理由はともかくとして,指紋をとられる,ということに抵抗感がないという人はきわめて少ないだろう。いまでも,思いがけないときに指紋をとられることはある。
Tさんの話。むかし,泥棒に入られて警察に連絡したら,出頭を求められ,いろいろと調書をとられた。ここまでは当たり前のこととして納得していた。が,最後に,両手のすべての指の指紋をとります,といわれて「おやっ?」と思った。でも,指紋を拒否するわけにもいかないので,しぶしぶ指紋をとることにした。そうしたら,横にいた担当官がTさんの指を上から抑えて,しっかりと押せという。「えっ?」「おれは疑われているのか?」と思った,と。

この話については,さまざまな意見がでて,面白かった。それぞれの情況判断は微妙だが,目的はまずその家の住人の指紋をしっかり確認しておいて,その上で,それとは違う指紋を探すためのものではなかったか,ということに落ち着いた。が,Tさんご本人はとても複雑な気分だったという。やはり,被害者なのに指紋をとられる,ということにはかなりの抵抗があった,ということなのだろう。でも,なぜ,そうなるのかという点が重要だ。なぜ,ごくふつうの日常生活を営んでいる人なのに,指紋をとられることには抵抗があるのか。

指紋はもともと犯罪者や被疑者がとられるものというわれわれの方の先入観がある。だから,なんの罪も犯していないのに,あるいは,被害者にもかかわらず指紋をとられることには,妙な抵抗感が生まれるのだろう。でも,問題はそれだけなのだろうか,と橋本さんは考える。詳しい論理の展開については,著書の『指紋論』にゆずるが,Tさんの話に関連する範囲で考えてみるだけでもなかなか面白いところまで到達する。

被害者なのに指紋をとられることに抵抗がある,とTさん。わたしも,たぶん,同じ立場に立ったら「いやな気分」になるだろうと思う。どうしてか,と考える。指紋が一人歩きすることがいやなのだろうか。あるいは,わたしという人格がまるごと指紋というたんなる記号に絡め捕られてしまうことに。言ってしまえば,「おれは指紋ではない」と。指紋は指紋であって,その指紋の持ち主の人格とはなんの関係もない。たんに,人間を識別するための道具にすぎない。その道具に「わたし」という存在がまるごと乗っ取られてしまうような,妙な気分になる。

指紋が,もし,取り扱いを間違えられたら・・・という不安もある。そのとき,指紋はなんの異議申し立てもできない。が,わたしがなにかの疑義をかけられたとしたら,直接,異議申し立てをすることができる。人間である以上はどこで,どのような間違いを犯さないとも限らない。そのための歯止めはどうなっているのかが,不安の根っこにある。それらを超えて,指紋は存在する。そして,指紋としての役割をはたすことになる。わたしという存在とは関係のないところで。

しかし,それだけでもなさそうだ。
指紋は身体の一部である。このときの身体とはなにか。身体はあるようであってないに等しい。わたしの身体ははたして存在するのか。どのように存在するのか。あるいは,わたしの身体はわたしの身体であるといえるのか。つまり,わたしの身体はわたしが「所有」できるものなのか。わたしの身体はわたしの意志で獲得したものなのか。そうではないだろう。わたしたちは「生まれてきた」のであって,自分の意志で,この世に生を得たわけではない。つまり,わたしの身体は「所与」のものなのだ。その身体は,はたして<わたし>とイコールなのか。

ここのところに,じつは,わたしと指紋との複雑にして微妙な関係がある。
わたしの手の指先にある指紋は,わたしの意志とはなんの関係もなく存在する。つまり,所与のものとして存在する。言ってしまえば,指紋はわたしにとっては他者なのである。指紋をとられるという事態にいたって,はじめて指紋の他者性に気づく。指紋はわたしの「もの」でありつつ,わたしの「もの」ではない。このギャップに気づく。そのギャップが埋め合わせられないために,わたしたちは,なんとも居心地の悪い思いをすることになる。

わが内なる他者に,指紋押印という事態に向き合うことによって,はじめて真っ正面から対峙することになる。指紋という自己の内なる他者の存在を,わたしたちはふだんは忘れている。意識したこともない。指紋の存在すら考えたこともない。指先の単なる文様ぐらいにしか考えたことはない。あとは,犯罪者が身元の識別のための証拠として押印を強制されるものであって,ふつうの生活をしている「わたし」とはなんの関係のないものとして忘却のかなたに置き忘れてしまっている。だから,指紋はわたしにとっては存在しない。その存在しないものが,ある日突如として立ち現れる。自己ではない指紋が,突如として自己を主張しはじめる。しかも,その指紋に自己のすべてをゆだねなくてはならない事態が現前したとき,わたしたちは思わずたじろいでしまうことになる。それが指紋押印に対する抵抗感の源泉だ。

この問題は,さらに,主観と客観の問題にも波及していく。それがひとりの人間のなかで展開する。そういう矛盾を内包している存在,それが人間なのだ,ということを指紋が教えてくれる。

ちょっとしり切れとんぼになってしまうが,橋本さんの『指紋論』は,これまでの身体論の盲点のようなところに一矢むくいるかのような鋭さで,わたしたち読者に迫ってくる。わたしとはなにか。身体とはなにか。自己を規定するアイデンティティとはなにか。わたしたちはなにひとつとして「確かなもの」を持ち合わせることもなく生きている。それが真相であり,実態だ。それでは困るので,ヨーロッパ近代の「合理主義」的なものの見方・考え方を立ち上げ,なにかと人間としての存在のあり方に「手かせ」「足かせ」をして,それを制度化し,法律で規定し・・・と努力してきた。しかし,それでも「こぼれ落ちてしまうもの」の存在をどうすればいいのか,ということに気づきはじめた。それが21世紀を生きるわたしたちの課題として大きくのしかかってきている,とわたしは考えている。

橋本さんの身体論が,こんご,どのような展開をみるのか,わたしにとっては眼を離すことのできない大きな存在となってきた。そして,とても楽しみでもある。すでに,つぎなる身体論の構想をもっていらっしゃって,その一部は雑誌連載で吐露されている。楽しみに追いかけみたいとおもう。

2011年7月24日日曜日

もどってきた日馬富士,おめでとう!

日馬富士が2度目の優勝を飾った。2年ぶりである。この日をわたしは首を長くして待っていた。右足首をはじめ,満身創痍のからだと向き合いながら,なんとか大関の地位を守ってきた。からださえもとにもどれば・・・,つぎは横綱だとわたしは密かに期待していた。なぜなら,いま,真向勝負で白鵬に勝てる力士は日馬富士しかいないからである。

真っ正面から激しく当たって,左前みつをつかんで食い下がる。左足を軸にして回転しながら相手の態勢をくずし,決めの態勢に入るのは右足だ。この右足に故障をかかえていて,おもうような相撲がとれなかった。が,ようやくその故障も癒えてきたようだ。今場所をみるかぎり,8割方の回復とみた。あとは絶好調まで2割ほど。そのすべてが右足首の捻挫にある。これさえなくなれば,あとは怖いものなしだ。

天性のスピードといい,相撲カンのよさといい,わたしの好きなタイプの力士だ。まずは,小兵であることが嬉しい。いまは,だいぶからだもできてきて,堂々たる体躯をほこることができるところまできた。そして,安馬時代からみたら雲泥の差である。ひょろひょろのからだはどこかひ弱ささえ感じたものだ。にもかかわらず,安馬は,立ち会い一歩も引かず真っ正面からぶつかった。そして,どんな相手にも押し込まれない立ち会いを身につけたときから,一気に大関に駆け上がった。が,そこに右足首の捻挫という宿敵が待っていた。

右足首に力が入らない,右足で踏ん張れないということは,得意の低く当たって左前みつをとるという態勢に入れない。そのために,無理をして,からだのあちこちに故障を呼び込んでしまった。不甲斐ない負け相撲がつづいたのはそのせいだ。そのねばることのできない不甲斐ない負けが,今場所は姿を消した。そして,見違えるような相撲内容を展開した。白鵬との一戦はそれをみごとに証明してみせた。右足の復活である。

怪我を克服したあとの力士は強くなる。精神的にも肉体的にも。自分でも納得のいかない,不甲斐ない相撲が日馬富士のこころもからだも強くした。これで一気に横綱だ。からだをしっかり休めてから,もう一度,きちんとからだをつくり上げ,来場所に臨んでほしい。そして,来場所は全勝優勝で,横綱昇進を実現しよう。そうなると,日馬富士の時代の到来である。

小兵,スピード,相撲カン,理詰め・・・・かつての横綱栃の海の再来である。顔もよく似ている。栃の海は横綱としては短命だったが,日馬富士は大丈夫。そういうからだを作り上げてきた。どんな相手にも怯むことなく真向から当たる馬力を持っている。というよりは,相手の圧力を吸収してしまう足腰の柔らかさがある。そして,ヌーボーとした表情がいい。だれを相手にしても表情を変えない。平常心そのままだ。だから,土俵上でほとんど緊張感を感じさせない。朝青龍,白鵬との違いである。勝負師としては一枚上である。

千秋楽の今日,稀勢の里に負けたのがよかった。最後の詰めが甘くなり,土俵際の突き落としをくった。はっきりとした課題が残ったとみるか,星ひとつ貯金ができたとみるか,稀勢の里に大関への道を用意したとみるか,見方はいろいろあろう。大相撲とはこういうものなのだ。その読みが深くなればなるほど大相撲の醍醐味を味わうことができるようになる。

それに引き換え,白鵬の3敗はいささか意外であった。
わたしの読みは,日馬富士との直接対戦で勝っておいて,14勝1敗同士になり,千秋楽の優勝決定戦で日馬富士に優勝させる,というものであった。が,そうはならなかった。そこがまた大相撲の面白いところでもある。
それにしても,琴奨菊は惜しいことをした。せっかく,白鵬に勝って,それいけ,というところでこけてしまった。自滅である。もうひとまわり強いこころをわがものとして,来場所に期待しよう。今場所はいろいろの意味で収穫が多かったはず。自信にもなったはず。あとは,自分の型にみがきをかけて,一気にがぶり寄りをしてほしい。

もどってきた日馬富士に,もう一度,おめでとう!を。
そして,来場所は横綱だ。怪我さえしなければ大丈夫だ。頑張れ,日馬富士!

橋本一径著『指紋論』(青土社)を再読。

昨日(23日),「ISC・21」7月大阪例会(会場・大阪学院大学,世話人・松本芳明)が開かれ,橋本一径さんの『指紋論』の合評会がおこなわれた。もちろん,著者の橋本さんにお出でいただいて,熱の入った議論がおこなわれ,とても楽しい会であった。

司会進行役は松本芳明さん。コメンテーターは,井上邦子さん(奈良教育大学),竹村匡弥(21世紀スポーツ文化研究所特別研究員),三井悦子(椙山女学園大学)の3人。井上さんはモンゴルの伝統スポーツ研究の立場から,竹村さんはカッパ研究の立場から,三井さんは身体論の立場から,それぞれユニークな『指紋論』読解を提示され,そこから著者橋本さんへの問題の投げかけがおこなわれた。そして,それらのコメントにたいして,橋本さんから丁寧な応答があり,わたしの頭もフル回転。久しぶりに興奮した。

以下には,わたしの頭のなかにつよく印象づけられたことがらについて,いくつかを記録(記憶)するつもりで書いておくことにする。

まず最初は,指紋が脚光を浴びることになるヨーロッパ近代,とりわけ,19世紀の後半という時代はどういう時代だったのか,ということだ。写真が登場し,心霊主義が誕生し,幽霊の存在が注目され,わたしをめぐるアイデンティティが議論され,指紋という「不変なるもの」への信頼と疑義が論じられ,人間(個人)の同一性の認証が問題となる時代。

その背景には,ヨーロッパ中世のキリスト教的な世界観から抜け出し,ヨーロッパ近代の合理主義的な世界観へと移行していく時代の苦悩が隠されている,という。とりわけ,「魂」の問題をどのように処理していくのか,という課題がある,と。つまり,近代的な科学主義が否定する「見えないもの」(魂,など)との折り合いのつけ方が確定しないまま,揺らいでいるのでは,と。

これまで言い習わされてきた言い方をすれば,ニーチェのいう「神は死んだ」のあとを生きる人間(近代的人間)にとって,わたしの同定,つまり,神との契約なきわたしの同定をどのように諮るべきか。前近代的な人間の存在様式から近代的な人間の存在の仕方への変化にたいして,どのような対応が迫られることになったのか。すなわち,「わたし」なるものが宙に浮いてしまったヨーロッパ近代の個人主義の問題が浮かび上がってくる。

この時代は,なにを隠そう,スポーツ史的に考えてみてもきわめて重要な「謎」がいくつも秘められているのだ。健全娯楽運動というような,ある種の福音主義的な運動がイギリスでは展開され,このイデオロギーと近代スポーツの誕生とは密接・不可分な関係にある。アマチュアリズムのような考え方もまた,一種の差別主義を産み出し,選ばれた人間とそうでない人間とに二分し,二項対立や序列化をいやおうなく引き出すことになる。優勝劣敗主義の合理化である。このことがこんにちのスポーツ競技のあり方にどれだけ大きな影響を及ぼすことになったかは,測り知れないものがある。それは同時に,資本主義の合理化にも大いに貢献することとなった。

短絡的なもの言いを恐れずに指摘しておけば,ヨーロッパ近代が産み出したこの近代スポーツの論理(優勝劣敗主義,競争原理,自由競争,平等主義・・・など)が,姿・形を変えて,こんにちの原発問題に一直線につながっているのではないか,というわたしのなかにはほとんど確信に近い「憶測」がある。

指紋の問題も,わたしの観点からすれば,ここに直結する。
こんにちのわたしたちの存在は『指紋論』のなかで展開されている「幽霊」にも等しいのではないか。つまり,身体の不在,という点で。身体を構成する「器官」は存在する。だから,臓器移植が肯定される。しかし,身体となると,とたんにその具体性がどこかに雲散霧消してしまう。命を宿す「うつわ」としての身体をどこかに置き忘れてきてしまっている。だから,人間の命がどれだけ犠牲になっても,原発は必要だ,という議論が成立してしまう。そういう人たちが原発推進をごり押しする。片や,命を重視する人たちは,なにがなんでもまずは脱原発を主張する。すべては,そこから議論すべきだ,と。(このあたりのことは,いつか詳しく書いてみたいとおもう)。

人間を指紋で管理する発想も,総背番号制で管理する発想も,ほとんど同じだ。
※途中ながら,ひとまず,ここで切っておく。時間切れのため。折をみて「補足」するつもり。

2011年7月22日金曜日

うりずんで藤木勇人(テンペストで銭蔵筆者多嘉良役)さんにバッタリ。

14日から19日まで,沖縄にこれまでにない長期滞在をした。その間,日が暮れると自然にわたしの足はうりずんに向う。理由は簡単。居心地がいいからだ。泡盛が美味しい。料理が美味しい。そして,オーナーの土屋さんがニコニコ笑顔で迎えてくれる。運がよければ常連さんに会うことができる。わたしにとって,こんなにいいところはない。

今回は最後の夜,娘夫婦と土屋さんと一緒に呑みながら話をしていたら藤木勇人さんがふらりと現れる。大きなトランクを一つもって。帽子を深くかぶっていたのでわたしは気づかなかったが,土屋さんは一目見るなりすぐに反応して,「やあやあやあ・・・」と二人で握手をしている。わたしはまだわからなくて「どこかで見たことのある顔だがなぁ」と考えている。すぐに,土屋さんが紹介してくれたのですぐにわかった。「ちゅらさん」のときの居酒屋のおやじをやっていた藤木さんだよ,と。

こちらはすでに出来上がっていたので,元気よく「テレビよりもほんものの方がずーっと男前ですねぇ」と声をかける。藤木さんは「うちなーの噺家」という肩書があるように,会話のテンポがいい。二階でテンペストのスタッフと打ち合わせがあるので,さきにそれを終えてきます,と言って二階へ。30分も経たないうちに降りてきて,わたしたちの仲間入り。

テンペストの銭蔵筆者の多嘉良の役をやっているということで,話題はすっかりテンペスト。沖縄に行く前に『テンペスト』(池上永一著,角川文庫)くらいは読んでおかなくては,と思って読んでおいてよかった。こんなところで役に立つとは。読んだばかりなので話したいことは山ほどある。そこに,多嘉良役の藤木さんが現れたのだから,話がはずむ。

土屋さんも嬉しそうに割って入ってくる。「銭蔵というのは酒蔵のことなんだけど,琉球王朝時代には100年ものの泡盛の古酒が貯蔵されていて,その酒は「銭」以上の価値があったから,酒蔵とはいわないで銭蔵というんだよ。そこの管理人を「筆者」という肩書で呼ぶのは,銭蔵に関するすべての書類を書く人という役人の地位なんだよね」と蘊蓄を傾ける。さすがに,「100年古酒の会」を主宰する人だけあって,こと泡盛に関しては生き字引だ。

でも,銭蔵筆者の多嘉良は,その100年ものの古酒を盗み呑みしているんですよね,とわたし。それは小説での話。じっさいにそんなことをしたら即刻,打ち首だったはず,と土屋さん。そして,土屋さんは「銭蔵の管理人の役はぼくの役だよ」「ぼくにその役を回しなさい」と藤木さんに振る。藤木さんはあわてて,「せっかくいただいた大事な役をとられてしまったら,おまんまの食い上げですよ」と笑わせておいて,ドラマはこしらえものだから演技が必要なんです,ほんものは演技にならないんですよ,そのままだから,ぼくは俳優だから・・・と話がはずむ。

わたしも調子に乗って,どんどん割り込んで,われながらあきれるほどしゃべっている。泡盛の威力たるや恐るべし。ふだんは無口でおとなしい性格なのに。土屋さんが「大城立裕さんが,史実を歪曲していると言って『テンペスト』を批判してますよね」といえば,「それは大城さんが純文学の人だからで,その立場の人からみたら,『テンペスト』の中の話は作り話がいっぱい。第一,主人公の真鶴(女性)を宦官ということにして「孫寧温」という男性に仕立てあげ,科試(こうし)の試験を受けさせて琉球王朝の高級官僚として大活躍させること,このこと自体がありえない話ですから。この作品はあくまでもエンターテイメントとして楽しめばいいんですよ」とわたし。藤木さんも「そうそう,もともとがファンタジー・ノベルの世界で活躍している作家なんだから」といった調子。

こっちですっかり話がはずんでしまっているので,二階のテンペストのスタッフたちが心配して藤木さんを呼び戻しにやってくる。とうとう,プロデューサーまで降りてきて,こんどは名刺の交換がはじまる。

というようなことで,この話はエンドレス。
沖縄の最後の夜を娘夫婦と一献という場が,いつのまにか主客入り乱れての盛り上がり方になる。これが「うりずん」の楽しいところ。この夜もまた忘れられない思い出となりそうだ。
土屋さん,藤木さん,楽しいひとときをありがとうございました。

2011年7月21日木曜日

八百長花盛り。大相撲の醍醐味。こんなに面白い場所はない。

大相撲名古屋場所が,俄然,面白くなってきた。なぜなら,みごとな「八百長」が花盛りだからだ。断わっておくが,わたしのいう「八百長」とは片八百長のことだ。つまり,片方の力士が一方的に相撲をこしらえているという意味だ。八百長ということばが生まれる前,つまり,谷風の時代には人情相撲と言った。そして,それは美談として持て囃された。わたしは,そういう相撲の楽しみ方が好きだ。その意味で今場所はみるべき内容が豊富だ。

ほんとうはこんなことは書くまいと思っていた。しかし,ジャーナリズムの相撲をみる眼が低俗化してしまって,相撲文化がますます痩せ細ってしまう,この状態を黙っているわけにはいかないと思い,書くことにした。「八百長」は大相撲の「華」である,とわたしは信じている。そして,そういう眼で大相撲の奥行きの深さ,広さを楽しんできた。今場所はみごとにそれが展開している。ほんとうの相撲通はそれを楽しんでいるが,アマチュアリズムに毒されたジャーナリストの眼にはなにもみえてはいない。それでいいのだ。ほんとうのプロの男芸者の演ずる,ほんものの「八百長」は素人の眼にはわからない。玄人筋だけが,ハラハラドキドキしながら,上手にやれよ,と密かに声援を送っている。

その面白さのほんの少しだけお裾分けしよう。ただし,これは,あくまでもわたしの独断と偏見にもとづく大相撲の楽しみ方であって,それが事実であるかどうかは神ならぬ身のだれにも,まったくわからない世界だ。そういう世界を楽しむこと,大相撲の醍醐味はそこにある,とわたしは勝手に信じている。だから,ますます面白い。

昨日の一番。白鵬と琴奨菊。みごとな,金のとれる八百長相撲。この相撲を八百長とみる人はほとんどいないだろう。しかし,わたしと同じように,この八百長はみごと,歴史に残る一番,と手を打って喜んでいるファンも少なからずいるはずだ。もちろん,ことの真相はわからない。しかし,そこを推理しながら勝負を楽しむ。これが大相撲の醍醐味。

白鵬が真の大横綱になるには,琴奨菊との一番に「負ける」ことができるかどうか,つまり,「勝ち」をゆずることができるかどか,にかかっているとわたしは考えていた。しかし,この八百長(片八百長)を成立させるためにはむづかしい条件がいくつも重なっている。ひとつは,「八連覇」がかかっている。もうひとつは,最大のライバル白馬富士が久しぶりに絶好調で全勝で走っている。しかし,新しい大関を誕生させないことには大相撲人気が凋落の一途をたどることになる。魁皇の引退もみえている(あるいは,内々には知っていたかもしれない)。

ここで琴奨菊を蹴落としてしまったら,白鵬は,かりに八連覇をなしとげたとしても人気は翳りをみせることになろう。そのことは,白鵬が一番よくわかっていただろうと思う。しかし,負けるわけにはいかない。かといって勝つわけにもいかない。そこで,いろいろと考えたはずである。ここで一つ負けをつくっておいて(つまり,琴奨菊に大関になるチャンスを与えておいて),その上でひとふんばりして白馬富士に勝って,八連覇を達成するというシナリオが浮かんできたとしても少しも不思議はない。それが,もし,実現したら,白鵬はまさに大横綱の名をほしいままにすることができる。そして,人気も最高潮に達するだろう。大相撲人気の復活も間違いない。これはあくまでわたしの個人的な推理(しかし,ほぼ,間違いないという確信はある)にすぎない。

その結果は,琴奨菊の勝利。もののみごとに白鵬は「調子を下ろす」「格を下げる」と新聞は書いてくれた。これで「セーフ」である。しかし,これはなにを隠そう,わたしのいうところの「八百長」(片八百長)そのものなのである。わたしの眼からしたら,白鵬の八百長はいささか下手だった。もっと強烈に立ち会いで当たるべきだった。にもかかわらず,最初から「ふわっ」と立ってしまった。わたしは一瞬「まずい」と思った。が,なんとか琴奨菊の得意の型に入って,だれも文句の言えない流れができたので,なんとかことなきを得た。これでやれやれである。琴奨菊は大関になるための内容のある横綱戦の内実を示すことができた。

これで琴奨菊が大関になる道は開かれた。横綱がみずから率先垂範した。問題は,このあとの対戦相手たちがどのような取り口を残すかである。善戦して負ける,銭のとれる大相撲をみせることができるかどうか。大相撲ファンは,単なる勝ち負けだけではなく,その内実をも楽しむこと。そうなったときに,力士はますます腕をみがいて「八百長」で銭がとれるようにならなくてはならない。かつての,栃錦と若乃花のように。

苦労したのは,魁皇と対戦した力士たちである。初日の嘉風は,八百長疑惑をかけられるのが怖くて,一直線の勝負にでた。これはこれでいい。しかし,嘉風の相撲はまだまだ「青いなぁ」と思った。案の定,翌日からだれも手抜きをしてくれない真剣勝負がつづき7連敗を喫してしまった。これでいいのである。これで嘉風はますます強くなってくるだろう。この壁をぶち破る力をつけること。そして,貸し借りの勘定もできるようになること。大相撲は勝てばいいという単純なものではない。どういう勝ち方をするのか,どういう負け方をするのか,これが大事。

魁皇がおすもうさんとして,どれほどみんなに好かれていたかは,引退会見を聞いていてよくわかった。あの晴々とした顔が,そのなによりの証拠だ。土俵に上がるときの魁皇の顔はまるで別人だ。ほっとしたことだろう。

今場所の台風の目は白馬富士。これで,白鵬との対戦がいまからとても楽しみ。白馬富士としては,白鵬と琴奨菊との一番が頭に焼きついているはずだ。だとすれば,本割で白鵬に負けておいて,優勝決定戦に持ち込む,というシナリオが当然描かれるはず。そこに持ち込んだら白馬富士も立派。みずからの横綱への道もできる。こうして新大関誕生も実現したら,大相撲人気もふたたびもとにもどるだろう。

この他にもいろいろの「読みすじ」がある。それは大相撲みる「目」のレベルによって異なる。それぞれが,個々人のレベルで大相撲を読み切りながら楽しむこと,それが「ツウ」に到達するための大相撲の楽しみ方である。

終わってみれば白鵬。しかし,来場所に白馬富士の横綱昇進の道を残すこと。そのシナリオをだれにも気づかれないように展開していくこと。これがプロの力士の芸だ。その意味で,大相撲は芸能なのだ,とわたしは理解している。だから,その芸能としての大相撲を楽しむこと。近代スポーツのような「勝ち負け」だけですべてを判断してはならない。勝ち方,負け方に深い味わいがある。そこを味わうこと,それが大相撲の醍醐味だ。

わたしは個人的には白馬富士に大いなる期待を寄せている。かれの相撲がどのようにして完成するか,そのときが横綱を張るときだ。頑張れ,白馬富士!


消す方法のない「火」をつけてしまった人間の愚をこそ思い知れ。沖縄・うりずんで。

原発問題に関しては,ヤマトンチュー(大和の人=本土の人)は鈍感。ゆでガエル。ウチナンチュー(沖縄の人)はとても感度がいい。さすがに米軍基地問題で苦しんできた人たちの感性は鋭い。それも半端ではない。きちんと,ものごとの本質を捉えている。

沖縄・うりずん(本店)の常連のお客さんと泡盛を呑みながら,たまたま原発の話になり,そのことをしみじみと感じた。ふだんは米軍基地の問題もほとんど話題にすることもなく,ただひたすら楽しく泡盛が呑める話題がつぎからつぎへと展開していく。その話題の多いこと,そして,それをまたジョークまじりで話し,大笑いしながら盛り上がる。そうして,みんな仲良し(友だち)になっていく。だから,わたしのような,ほんのたまにしか沖縄に行かない人間でも,一度,一緒に呑んだらもうみんな友だち。イチャリバ チョーデー(出会えば兄弟)ということばも,うりずんの店で教えてもらった。

そのチョーデー(兄弟)にも等しい常連さんとの会話のなかで,地震・津波の話から,珍しく原発の話になった。常連さんから問われるままに,わたしなりに考えていることを話した。それらについて,いちいちもっともだ,と賛成してくれた。これで話も終わるなと思ったら,どっこい,もっと大事なことがあるのでは・・・?という。

わたしは,原発は止めればいいという問題では収まらない,使用済み燃料棒は永遠に冷やしつづけなければならないし(10万年とも,100万年ともいわれている),制御不能となった原発はチェルノブイリと同じことを繰り返すしか,いまのところ見とおしがないのが大問題だ,その上,放射能で汚染された土地,海水,空気,動植物,人間(とりわけ,子どもたち)の問題とどこまでも向き合っていかねばならない,というようなことをかなり熱心に話しつづけたつもりである。それらの一つひとつについて,「そのとおりだと思う」と賛意を示してくれた。その上で,常連さんは「もう一つ,付け加えて考えるべきではないだろうか」とおっしゃる。

それは「消す方法もわかっていない段階で第二の<火>をつけてしまったわれわれ人間の愚かさをこそ思い知るべきではないか」というのである。つまり,震災後の経緯はともかくとして,そして,結果がどうなったかもともかくとして,核エネルギーに手を染めてしまったこと自体,そして,それを「平和利用」と称して原発に応用するという現実を容認してしまった人間の「愚」をこそ思い知るべきではないか,というのである。もっといってしまえば,民主主義的(?)な手続を経て,このような事態に当面することになった現実そのものこそが問題なのだ,と。

いまにして思えば,原発の推進は,最初からすべてウソで固められていたことが明白であるが(よくぞここまでウソで固めてしまったものだと驚愕するのみだが),それでもなお,それをわたしたちは信じてしまったことは事実だ。少なくとも,原発推進を「阻止」することはできなかったのだ。この事実の重みをもっともっと肝に銘ずるべきではないか,と。

ヤマトンチューもゆでガエルのまま惰眠をむさぼるのではなく,ウチナンチューの米軍基地問題で培われてきた感性の豊さに目覚めなくてはならない。もう一つは,沖縄戦で祖父母や兄弟を失った経験の記憶がいまも生きていることだ。門中(一門の親戚)が集まって,亀甲墓でいまも祖先霊への祈りが捧げられている。そして,サンシン(三線=三味線)を軸にして民謡を歌い,カチャーシーを踊る。オトゥーリなるご挨拶(ひとこと述べて泡盛で乾杯)。こうしてウチナンチューはとても仲良く暮らしている。ウィーチェー ウガマビラ(行き会うことを拝みましょう=お会いします)。

ウィーチェーは「行き会う」,ウガマは「拝みま」,ビラは「しょう」。このこころがウチナンチューの人と人との絆を深くしている。濃密な人間関係はこうして維持されていく。

うりずんという居酒屋さんもまた,この精神に貫かれている。だから,とても居心地がいい。みんなチョーデーになって泡盛を酌み交わす。

消す方法のない「火」をつけてしまった人間の愚は,こうした人と人とのこころの通い合いが希薄化してしまった,東京を筆頭とする都会的生活者(いまは,田舎も同じだという)たちの「こころの貧しさ」にある。そして,この「こころの貧しさ」(大塚久雄)が,形骸化した民主主義を生む。その間隙を縫うようにして「原発推進」が「国策」となっていったことに,いまは,慙愧の念をもって反省する以外にない。残念ながら。

人が生きるということはどういうことなのか,原点に立ち返るときだ。
歌と踊りとは,いかなる文化装置だったのか。
贈与経済とはなにであったのか。

資本主義も民主主義も,その根幹が問われつつある。

そして,いまは,消す方法のない「火」を消すための「技術」をわがものとすべく,あらゆる叡智を結集する以外に,いまは方法がない。悲しいことながら。

2011年7月18日月曜日

泡盛文化=「水合わせの儀」(結婚式披露宴)に感動。

昨日(17日),沖縄である結婚式があり披露宴に出席した。その折に,「水合わせの儀」という初めての経験をした。さすがに沖縄式の披露宴だなぁ,と感心したので報告しておこうと思う。もう,とっくのむかしにご存じの方は読みとばしてください。

新しい夫婦が誕生することを祝って,両家の井戸水を持ち寄り,出席者がひとりずつそれぞれの水を大きな瓶に入れながら,お祝いの口上を手短に述べる。そして,お互いの水がうまく溶け合って,末永く幸せな家庭が築かれることを祈念する。これがむかしながらの風習のひとつとして伝承されてきているという。

最近では,両家の井戸水の代わりに「あわもり」が用いて「水合わせの儀」が行われるようになったとのこと。まだ,それほど広く普及しているわけではないそうだが・・・・。その「水合わせの儀」が行われたという次第。

ラウンド・テーブル(8~10人着席)に,新郎・新婦の名前入りの泡盛(一升)が一本ずつ中央に置いてある。ひととおり,新郎・新婦の紹介,主賓のご挨拶,余興芸が披露されたあと,「水合わせの儀」が行われた。出席者全員がひとりずつ順番に,泡盛を瓶に注ぎ,口上を述べていく。ひとりずつ,みんな新郎・新婦との関係が語られ,それぞれの思いをこめた口上が述べられていく。なるほど,あーそうだったのか,という秘話も飛びだしとてもなごやかな雰囲気のうちにこの「水合わせの儀」が進行していく。小さな子どもさんもひとこと口上を述べる。これはこれでまたなんとも微笑ましい光景である。

この日に用いられた泡盛は「50度」のものだそうで,50年,100年,と時間が経てば経つほどに泡盛は熟成し,素晴らしい味に変化していくという。出席者全員の気持のこもった泡盛の熟成にあやかって,いい家庭を築けというメッセージが籠めらている。だから,この「水合わせの儀」で誕生した瓶は,その家の家宝として,大事に保存されることになる。

この「水合わせの儀」は,泡盛文化史の研究者でもある新婦の強い希望で行われることになったそうだ。その希望を「うりずん」のオーナーの土屋実幸さん(「百年古酒の会主宰者」)が受けてくださり,実現した。土屋さんの解説・立ち会いのもとで,この「水合わせの儀」は粛々と,しかも,なごやかに執り行われた。出席者全員がみんなで手をつなぎ,同じ経験を共有することによってひとつになる,一体化する,そういうことが「からだ」をとおしてしみこんでくる。

儀礼というものの意味が,実体験として,からだに入り込んでくる。意味のない儀礼はいつのまにか廃れていく。しかし,みんなが納得できる儀礼は継承しれていく。「水合わせの儀」は,水が泡盛に代わって,ふたたび息を吹き返したということだろうか。しかも,泡盛は「熟成」する。この隠喩がいい。泡盛が100年熟成されたら,なにものにも代えがたい価値を産む。まさに,家宝となる。これもまたいい。家宝は開いて飲んでしまってはいけない。だから,永遠に大切にされていくことになる。つまり,「終わりがない」。

披露宴の最後に,ロックシンガーである新郎の挨拶があった。これがまた感動的であった。前後は省略するが,ポイントだけを引くと以下のようだ。
「ぼくは,結婚式も披露宴もなんの意味もない,と思っていた。だから,なにもしないつもりでいた。しかし,新婦の父親から,一生に一度の大切な区切りとしてやるべきだといわれてやることにした。いまは,こういうものであったのかということがよくわかった。みなさんが気持をこめて協力してくださった「水合わせの儀」にはことのほか感動しました。こんな意味があるとは夢にも思ってはいなかった。やはり,結婚式も披露宴もやってよかったと思っています。この感動は生涯忘れることはないとおもいます。その意味で,みなさんにはこころから感謝しています・・・・。ありがとうございました。」

「水合わせの儀」という儀礼の恐るべき「力」。
ひとが生きるということの意味。ひとは一人では生きられない。ひとはいかようにも変わりうる。そんなことを思い起こさせてくれる新たな儀礼が沖縄という「地の力」にささえられながら生まれようとしている。しかも,そんな「現場」に立ち合うことができた幸せ。

泡盛文化の威力。恐るべし。

キジマヤーが棲む世界(沖縄のこころ)

久しぶりに牧志の公設市場を通り抜けて,やちむん通りを散策。やちむんとは焼き物のこと。この通りを歩きながら,これはと思う焼き物屋の店内をみせてもらう。これがなかなか楽しい。今は亡き金城次郎(人間国宝)の作品に出会うことも少なくなったが,それでもところどころに置いてある。さすがに,金城次郎の作品はガラス・ケースの中にしまってあって,鍵がかかっている。しかも,値段はついていない。

しかし,金城一門の作品はどこに行ってもみることができる。いわゆる「魚紋」(金城次郎の創作)がトレードマークになっているので,すぐにわかる。金城次郎の三人の子どもさん(2男,1女)はみんな焼き物作家となって活躍している。また,金城次郎の甥やその子どもさんたちも,金城一門に入門し,腕を磨いて活躍している。同じ「魚紋」を描いていても,一人ひとり微妙に違う。手が違えば,それぞれの個性がおのずからにじみでてくる。だから,楽しい。

そんな店の一軒に,創作ものが並んでいるところがある。一本の大きな木に,不思議なかたちをした動物が群がっている。最初は,シーサーがモディファイされたものかなと思って眺めていたがどうも違う。ひょっとするとカッパかな,と想像しながら眺めてみたが,それも違うようだ。なんだろうと思って店番をしていた中年の女性に聞いてみた。そうしたら,これは「キジムナー」です,という。あっ,そうか,と納得。

キジムナーとはガジュマルの巨木に棲むといわれている精霊。だから,じっさいにその姿を確認した人はいない。それぞれ個々人が思いおもいに想像するイメージがあるだけである。ガジュマルの巨木は,那覇のような都市で見かけることは少なくなったが,郊外にでればあちこちで見ることができる。離島に行けばもっと自然がゆたかなので,たくさんのガジュマルの巨木に出会うことができる。また,そういうこんもりとした茂みがあちこちにある。そんなところの巨木には一種異様な神々しい雰囲気があって,なにも知らないわたしたちのような者でも,おやっ,となにかを感じることがある。それがキジムナーだ。

こんなアニミズム的な世界が,まだ,沖縄では大事にされている。とりわけ,幼い子どもたちにとっては,一度は真剣に向き合うことになる大事な存在だという。こういうところを通過して大人になる人たちと,まったく文明化してしまった世界,つまり,自然との触れ合いがほとんどないまま,ましてやキジムナーと向き合うこともなく大人になる人たちとは,大げさにいえば人種が違うとわたしは思う。そこに,わたしなどは,人間の情愛の深さの違いを感じてしまう。

とにかく,沖縄の人たちは「情が深い」。一見したところ,淡々としていて,冷たい態度にみえる。顔の表情もどこか厳しい目つきをしていて,人を寄せつけないものを感ずる。が,ひとたび胸襟を開いて語りはじめると,それはそれはハートの温かい人たちばかりである。この落差にも一瞬驚くことがあるが,まあ,なんとハートのいい人たちなのだろうとしみじみ思う。そんなハートの温かさを形成するひとつの要素として「カジマヤーの棲む世界」を共有し,そこを通過する経験があるのではないか,と考えたりしている。

キジマヤーとガジュマルの木とを一体化させた創作の焼き物を眺めながら,また,ひとつ沖縄のこころの懐の深さを感じた次第。

2011年7月16日土曜日

五輪招致用にプールした東京都の積立金5000億円を原発被災者救済のために使え。

東京都にはオリンピック開催のためにプールした金が5000億円(4000億円?)もあるという。ほんとうなのか,とわが眼を疑う。この金を2020年オリンピック招致運動のために使おうとしているらしい。冬季オリンピック開催が韓国に決まったので,つづけて夏季オリンピックを日本に招致することは,過去の実績からみてほとんど不可能だといわれている。にもかかわらず,イシハラ君は「関係ないね」と断言して,オリンピック招致を正式表明した(16日,日本体育協会JOC結成100周年記念式で)。すでに,JOCにはそのための組織もつくられ,GOサインがでていることも衆知のとおりである。

チェルノブイリの後始末のことを考えてみただけでも,20年に東京でオリンピックを開催する見通しはまったく立たない。おそらく,福島第一原発の後始末におおわらわで,国としてもオリンピックどころではないだろう。ましてや,放射能の脅威にたいして敏感に反応するヨーロッパの人たちが,日本でのオリンピック開催を認めるとも考えられない。いくら「復興五輪」と銘打ったとしても,まだまだ,「放射能脅威」の方がイメージとしては強いだろう。いい材料は一つもないのである。

にもかかわらず,イシハラ君は強行突破しようと企んでいる。しかも,日本体育協会をはじめとする各種スポーツ団体もオリンピック招致に賛成という。いったい,この人たちの頭のなかはどうなっているのだろうか,と覗いてみたい。スポーツは善なるものだと頭から信じきっていて,いかなる場合にも疑うということをしない。ときと場合によっては,スポーツもまた恐るべき暴力装置と化すことがわかっていない(あるいは,わかろうとはしない)。困ったものだ。

5000億円とも4000億円ともいわれる東京都の備蓄金が,そのままオリンピック招致に使われるとしたら,ほとんど無駄遣いに終わるだろう。こんな大金が露と消えることを東京都民は黙って見過ごすとも思えない。これから侃々諤々の議論をしてほしいものだ。

第一,こんな大金を使わなくてはオリンピック招致ができないという,この不自然な構造を改めるべきではないか。この歪んだ構造を黙認したまま,その路線の上を突っ走ろうとしている,この行動そのものが奇怪しい。そんなにまでしてオリンピックを招致するメリットがはたしてあるのだろうか。しかも,ほとんど実現不可能といわれているのに・・・・。

こんな大金を無駄に使うくらいなら,なぜ,原発被災者救済のために使わないのか。東京都という大量に電気を消費する首都のためにこそ福島第一原発はつくられたのではなかったか。そして,長年にわたって電力供給を受け,その恩恵に浴してきたのではなかったか。そのことをケロリと忘れたかのように,東京都民の眼をオリンピックに釘付けにしようというのだ。

ここには明らかにイシハラ君の計算がみてとれる。つまり,いま高まってきている「脱原発」の流れをなにがなんでも阻止しなければならない。そして,なにがなんでも「原発推進」の流れにもどさなくてはならない。だから,「日本は原爆をもつべきだ」などという物騒なことも,あえて発言する。さらに追い打ちをかけるようにして,こんどは「オリンピック招致」宣言である。こうして,なりふり構わず原発から人びとの眼を逸らす必要がある。

これが事実だとしたら,イシハラ君にとって(もちろん,原発推進派にとって)4000億円・5000億円などは安いものである。人間を使い捨てにして,原発で取り返せばいいのだから。

つまり,イシハラ君にとっては,オリンピック招致に成功するかどうかなどはどっちでもいいのだ。だから,韓国の冬季オリンピック招致成功についても,「関係ない」などという発言も飛びだしてくるのだ。まさに「関係ない」のだから。つまり,本音が表出してしまったにすぎない。ところが,メディアはそのことに気づいてはいない(あるいは,気づかないフリをしている)。

2011年7月15日金曜日

『テンペスト』(池上永一著,集英社文庫)を読む。

小説などを読んでいる場合ではない。考えなくてはならないことが山ほどあるのに・・・・。頼まれ仕事も山ほどあるのに・・・・。こういうときに限って小説が読みたくなる悪いクセがむかしからある。困ったものだ。でも,一瞬でもいいから,まったく別種の刺激で頭をリフレッシュすることも大事だとも思う。ときにはこういうことも,長い人生を生きていく上では必要なのだ,とつごうのいい「合理化」をしてみずからを納得させる。これもまた大事なこと?。

所要があって昨日(14日)から沖縄にきている。19日までの長滞在だ。いろいろな人と会う予定。で,ふだん遠ざかっている沖縄情報を少しは取り入れよう,沖縄的思考にもいくらかなじんでおこう,という下心もあって,いま話題になっている『テンペスト』(全4巻)を読みはじめた。沖縄を舞台にした時代小説だから軽い読み物だろうと思って選んだのだが,それが,それが,とんでもなく面白くて仕事もそっちのけで,一気に読まされてしまった。

よくもまあ,こんな奇想天外な小説を構想し,こんなにも面白い小説に仕立てあげたものだとあきれかえってしまうほどだ。さすが池上永一。現実にはありえない主人公を創作し,この主人公をめぐって起こるこれまたありえない事件がつぎつぎに起きて,気持の休まるときがないうちに,最終局面を迎える。まさに,書名どおりの「テンペスト」(波瀾万丈。たしかシェークスピアの戯曲に同名のものがあるので,それをヒントにしたらしい)。

こういうありえない虚構の世界を設定することによって,はじめて可能となる小説の世界がある。いわゆる純文学などではとうてい及ばない世界だ。人間というものの不思議さなどは,非現実を設定することによって,まったく自由な時空間を誕生させ,どこまでも掘り下げていくことが可能となる。生きるということはどういうことなのか,アイデンティティとはなにか,琉球王朝とはどういうものであったのか,沖縄に固有の論理を再確認しつつこれからの沖縄の進むべき道へのヒントを提示していたり・・・・と読み方によってはいくとおりにも読める。だから,名作なのだろう。

テレビでは仲間由紀恵が演ずる「孫寧温」は,もともとは女性なのだが,わけあって「宦官」と名乗って女性でもない,男性でもない「性」を生きる。幼少より頭脳明晰で,科試(こうし,と読む。中国の科挙に相当する試験制度)の試験に最年少で合格し,琉球王朝の外交の枢軸をささえ,大活躍をする。ストーリーは,琉球王朝最後の滅亡(明治維新による併合)にいたる経緯を,意外な視点から展開していく。後半に入ると,主人公は,高級官僚(男)でありながら,運命のいたずらで第二尚氏の側室(女)の,一人二役を生きることになる。まあ,笑ってしまうような話なのだが,意外なことに笑ってすませられないことがわかってくる。ここには「性同一性障害」という重要なテーマが,これまた意外な側面から浮かび上がってくる。

性同一性障害,高級官僚として,どこまでも「理詰め」でものごとを考え処理していく男の生き方と,王の側室として,あるいは,薩摩の武士雅博の恋人として,まったく新たに開かれていく情愛の世界に身をゆだねていく女の生き方との,どうにもならない葛藤が描かれいる。非現実だからこそ可能となる人間世界の掘り下げ,の一つの例。

こんな具合に,面白奇怪しい話がつぎつぎに展開していくのだが,はからずも意外に深く考えさせられる内容になっている。それ以外にも,わたしのような涙もろい人間は,何回にも分けて「嗚咽」させられる。しかも,突然。

もっとも考えさせられたのは,中国と日本との両極外交を展開する沖縄の地政学的な力学のなかを生き延びるための智慧。理詰めと思いやりと明確な一線。これまでと,これからの沖縄を考える上でも,なかなか示唆に富んだ小説になっている。

時間のあるときに,ぜひ一度,ご一読を。ただし,読みはじめたら止まらなくなることも計算に入れておいてください。このことに関する弊害について当局はいっさい関知しません。

2011年7月14日木曜日

東京にオリンピックだって?ならば東京に原発を!。

「日本も原爆をもつべきだ」,だから「原発は必要なのだ」と公言してはばからないイシハラ君が「東京にオリンピックを」という。ならば,東京に原発を!それをも東京都民が賛成するなら,東京にオリンピックをどうぞ。

原爆は既得権を根拠に保有していい国だけがあって,その他の国は保有してはならない,という国際条約のもとに管理・支配されている。明らかに「差別」だ。こんなことがまかり通っている。
「原発は差別のもとにつくられた」(小出裕章)ことは,日々,明らかになってきている。もはや繰り返す必要もなかろう。いつも犠牲者は弱者だ。こんなことがまかり通ってきた。
「オリンピックもまた差別の構造の上に成り立っている」ことも次第に知られるようになってきた。何故に,世界の平和の祭典であるはずのオリンピックがテロリストの攻撃の対象になるのか,考えてみればわかる。文明先進国しか参加できない仕組みをでっちあげておいて,それ以外の国はオリンピックから排除してしまっている。たとえば,オリンピックに参加するには「標準記録」を突破しなければならない。圧倒的多数の発展途上国は,この時点ですでに「差別」「排除」されてしまっている。こんなことがまかり通っている。

原爆も原発もオリンピックも「差別の構造」はまったく同じなのだ。
原爆実験を繰り返した国,原発を推進した国,そして,近代オリンピックを提唱した国,これがフランスという国だ。もちろん,フランスにはこれらとは違う,別のもっともっと素晴らしい顔があることも事実だ。が,それはひとまず措くとして,フランスのクーベルタンが近代オリンピックを復活させた野望がどこにあったかは,すでに,よく知られたとおりである。

にもかかわらず,東京にオリンピックを招聘するためのキャンペーンの一環として,この近代オリンピックを礼賛する記事が,つい最近の新聞に掲載された。しかも,新聞記者が二人の専門家を取材してまとめたものだ。幸か不幸か,この二人の専門家はわたしと同業者でよく知っている人たちだ。ひとりはオリンピック史の研究者と自称するWさん。クーベルタンを取り上げて,オリンピックは素晴らしいと説く。もうひとりはスポーツ人類学の専門家と自称するSさん。嘉納治五郎の精神はいまも立派に生きていると説く。そして,東京にオリンピックを招聘することに賛意を示している(ことになっている)。

こんな記事がまかり通っている。
いいたいことは山ほどある。
が,ここでは,ごく簡単に要点だけを書いておく。

近代オリンピックを立ち上げるときの,最初のIOC委員はクーベルタンの「お友だち」(ヨーロッパの貴族ばかり)に声をかけて選ばれた人たちである。ヨーロッパの貴族たちが集まって,自分たちの意志で,つまり,きわめて恣意的な貴族趣味のもとで,最初の骨格をつくりあげたのだ。だから,最初から「差別の構造」をもっていた。しかも,この構造はいまも基本的に変わってはいない。たとえば,ヨーロッパ出身のIOC委員が全体的には圧倒的多数を占める。いうまでもなく,ヨーロッパの意志を体現したIOC委員たちによって思うままにオリンピックは運営できるようになっている。つまり,オリンピックはユーロセントリズムによる「世界支配」という企みを背後に隠した世界の「平和の祭典」という構造をもっている。こういう「差別構造」を容認していることの結果として「抑圧」「隠蔽」「排除」されてしまう集団の中から,それこそヨーロッパが「テロリスト」(このことばを安易に用いたくはないが)と名づける人たちが現れる。つまり,オリンピックの現体制が維持されるかぎり,そこから「排除」されてしまう人たちの不満は解消されることはない。そのことに怯えながらも,しかも巨額なテロ防衛策を講じてまで,オリンピックを維持しようというこの体質,発想は,まさに「原発推進」の構造そのものである。

現段階でのオリンピック・ムーブメント推進は,原発推進と変わらない。なぜなら,オリンピックには「美味しい蜜」がいっぱいだから。「原発金」(ゲンパツ・マネー)と同じ「五輪金」(オリンピック・マネー)が飛び交っているのだ。その「美味しい蜜」に「汚染」されてしまった人たちが必死になって大義名分を歌い,ウソの上塗りをしているにすぎない。

クーベルタンも嘉納治五郎も,近代国民国家を立ち上げ,その国民国家を支える「有能な国民」形成のために役立つ「青少年教育」の一環としてスポーツをとらえ,柔道を考えてきた人たちだ。いまや,そんな時代ではない。そんな精神が,いまも生きている,役に立つ,と考える「専門家」とはいったいどういう頭脳の構造をもった人びとなのだろうか,と考えてしまう。やはり,「原発は安全です」と証言してきた東大の学者先生たちと同じ体質の「アカデミズム」を呼吸している人たちなのだろう。象牙の塔に籠もって研究一筋で生きた東大教授が,第二次世界大戦が終わったときに,「戦争をやっているとは知らなかった」という有名な話があるが,それと五十歩百歩というべきだろう。いまも,そういう「専門家」はうようよいる。いな,そういう「専門家」の方が圧倒的多数なのだ。なぜなら,そういう研究をやっている方が身の安全を保てるし,教授会という組織のもとでの「昇任人事」をうまくすり抜けるのに必要だから。(ここで引き合いに出してはまことに失礼だが,つねに現実を見極め,ほんとうのことを発言し,行動する人,小出裕章さんは助教である。申し添えておくが,小出さんは自分の身分になんの不満もいだいているわけではない)

最後に新聞記者さんにお願い。専門家を取材するときには,すくなくとも,その専門家の書いたものを読んで,自分なりに大丈夫だという展望をえてから,記事を書いていただきたい。そうしないと,読者はそのまま「鵜呑み」にする人が多いのだから。しかも,そうして「世論」というものが構築されていくのだから。

そして,最後にもうひとこと。
東京にオリンピック?ならば,東京に原発を!

2011年7月13日水曜日

日本という国家は「原発金」に汚染され,メルトダウンはおろかメルトスルーを起こしてしまった・・・のか。

日本の原発が,すべて「金儲け」のために仕組まれた国策であったことが,ここにきて一気に露呈しはじめた。国策という名のもとにあらゆる手段をつかって「ウソ」に「ウソ」を重ね,それを「真実」として押し通し,「原発安全神話」をでっちあげ,巨額の富を「仲良しクラブ」で分け合い,美味しい汁を吸ってきたが,ここにきてとうとう化けの皮がはがれはじめた。

しかし,その化けの皮がはがれはじめて,ほんとうの「真実」が姿を現しはじめたとたんに,お先真っ暗になってしまうほどの恐ろしい構造がみえてきてしまった。その全容が明らかになるには,まだまだ時間がかかりそうだが,それでも垣間見えてきた「亡霊」の姿は恐ろしい怪物だ。それは,日本という国家を支えてきた中枢部をすべて取り込んでしまった「原発金」というとんでもない怪物である。もはや再起不能といってもいいほどに,日本の中枢部はこの「原発金」に完全に乗っ取られてしまった末期癌の患者の姿となって,わたしの眼に映ってくる。

国民の意志が,とっくのむかしに「脱原発」に向っていることが明白なのに,政権党の民主党も自民党も手も足も出せない膠着状態に入ってしまっている。いま,「脱原発」に舵をきって,それを旗印にして総選挙を闘えば,民主党だって,自民党だって,かならず「勝てる」。にもかかわらず,身動き一つできない。なぜか。みんな「原発金」に汚染されているからだ。ときおり,「原発金」を無視して,正当論を吐くと,民主党の議員も,自民党の議員もみんて爪弾きにされてしまう。

弱小政党は,いまこそ,「脱原発」をかかげて打って出るべき絶好のチャンスなのに,まことに歯切れが悪い。なぜか。この人たちもまた,ほとんどが「原発金」のおこぼれを頂戴してしまっているからだ。そして,この政治の空白になすすべもなく手を拱いているだけだ。ときおり,狼の遠吠えのような言説でお茶をにごしているにすぎない。

この「原発金」の汚染は,高級官僚の世界にもおよんでいる。保安院や原子力安全委員会などをみれば,一目瞭然だ。終始一貫して,あれほどの醜態をさらけ出しながらも東電擁護の姿勢を貫いた。みごととしかいいようがない。良識のひとかけらもみられない,人間の顔をした「事物」(ショーズ)が,シナリオどおりの答弁をくり返すのみだ。しかも,精確な情報はひた隠しに隠したままに。そして,毎日のように情報訂正をくり返し,いったい,なにがほんとうなのかわけがわからなくすることを目指しているかのように。

最悪なのは,マスメディアのほとんどもまた,「原発金」に汚染されてしまっているということだ。だから,都合の悪い情報は一切無視する。そして,都合のいい情報だけをかき集めてくる。さらに,都合のいい「お話」をしてくれる学者先生,評論家だけに発言の場を与え,「脱原発」を鮮明にしている学者や評論家の意見は排除する。

以前のブログにも書いたように,政界・官僚・財界・メディア・学者の黄金の「五角形」がみごとにタッグを組み,この日本をコントロールしようとしている。この黄金の「五角形」こそが「原発金」に汚染され,すでに,メルトダウンどころかメルトスルーを起こしてしまっている。ということは,もはや,再起不能ということだ。

トランプ・ゲームなら,持ち札を全部取り替える「総替え」も可能だが,現実の社会では不可能だ。だから,困ってしまう。この黄金の「五角形」を一つずつ切り崩していくには,相当の時間が必要だ。なにせ,末期癌の患者にも等しいのだから。まるで,福島第一原発の現状そのものだ。いつはてるともない,長い時間をかけた闘争が待っている。が,国民にそんなに息の長い闘いを押し通すだけの力はない。

だとすると,気がついたときには,またまた「原発推進」がはかられ,再軍備への道をまっしぐら・・・ということになりかねない。それは,もはや,人類絶滅へのシナリオ以外のなにものでもない。そんなことは分かりきっているのに,それでもなお,そちらに向う狂った「理性」が日本の中枢を占めていることの恐ろしさに,わたしの全身は打ち震え,サブイボが立つ。

2011年7月12日火曜日

小出裕章著『原発のウソ』(扶桑社新書)を読みましょう。

いまさら紹介するまでもなく,ほとんどの方は読んでいらっしゃることと思いますが,やはり,いい本は何回でもお薦めすべきだと考えました。ご存じ小出裕章さんの『原発のウソ』はまぎれもなき名著です。わたしは当分の間,この本をバイブルのようにして何回も何回も読み返してみたいと思っています。それだけの中味のある素晴らしい本です。なので,まだ,読んでいらっしゃらない人には,ぜひ,ご一読をという次第です。

わたしはこの人の静かなたたずまいのなかに一歩も引かない強い意志と情熱が感じられ,そこがものすごく好きです。わたしは香山リカさんがいうところの引きこもりでもニートでもありませんが・・・。その好感のもてる小出さんの姿勢はテレビでの証言(参議院)で強烈に感じましたし,この『原発のウソ』を読んでいても終始一貫してわたしに伝わってきます。この小出さんの不動の姿勢に,わたしは人間としての絶大なる信を感じとることができます。久しぶりに,こういう人に出会ったなぁ,とおもいます。幸せです。

参議院での証言のときもそうでしたが,無駄なことはひとことも言いいません。定められた時間内に,言うべきことを理路整然と述べ,しかも,そこに人間としての情感まで漂わせています。このとき,すでにわたしはホロリときてしまい,気持の温かい人なんだなぁ,としみじみ思いました。が,この『原発のウソ』を読んでいてもまったく同じことが,何回も何回もくり返し,じわじわと伝わってきます。ほんとうに凄い人だなぁと思いました。

この本の冒頭の文章から,いきなり,わたしはしっかりと惹きつけられてしまいました。
「私はかつて原子力に夢を持ち,研究に足を踏み入れた人間です。でも,原子力のことを学んでその危険性を知り,自分の考え方を180度変えました。『原発は差別の象徴だ』と思ったのです。原子力のメリットは電気を起こすこと。しかし『たかが電気』でしかありません。そんなものより,人間の命や子どもたちの未来のほうがずっと大事です。メリットよりもリスクのほうがずっと大きいのです。しかも,私たちは原子力以外にエネルギーを得る選択肢をたくさん持っています。
私が『原発は危険だ』と思った時,日本にはまだ3基の原発しかありませんでした。私は何とかこれ以上原発を造らせないようにしたい,危険性を多くの人に知ってほしい,それにどういう方法があるんだろうかと,必死に模索してきました。しかし,すでに日本は54基もの原発が並んでしまいました。
福島原発の事故も,ずっと懸念していたことが現実になってしまいました。本当に皆さん,特に若い人たちやこれから生まれてくる子どもたちに申し訳ないと思うし,自分の非力を情けないとも思います。」

ここからはじまって,順々に,わたしたち素人にもわかることばで原発のメリットとデメリットを解説してくれます。そして,最後には,類としての人間の絶滅のシナリオがはじまった,と説きます。しかも,いまならまだそのシナリオを止めることができる,と。その結論は,やはり経済優先よりも人間の命優先へと思考の回路を変えることだ,とおっしゃいます。「起きてしまった過去は変えられないが,未来は変えられる」と言われてしまうと,わたしなどは目頭が熱くなってきて,そうだ,そうだ,とひとりごとを言いながら嗚咽しています。

どうぞ,騙されたと思って,まだ読んでいない人は読んでみてください。
この程度ではまだ物足りないという人は,『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社)を読んでみてください。初版は1991年7月です。チェルノブイリの原発事故が起きたあとに,原発がなぜ危険なのか,ということをかなり専門的にきちんと書かれた本です。こちらは相当に踏ん張らないと最後まで読み切るのはたいへんです。が,小出さんの主張するバックグラウンドを知る上では申し分のない本です。

国民の圧倒的多数が「脱原発」に向かっているというのに,政府はまたまた,原発ありきの政策に転換しようとしています。東電の力がどれほど強く政界をコントロールしているか,ということが垣間見えてきます。今日からはじまった全国知事会は,東電の政治献金に汚染されていないことを立証するかのように,「卒原発」なる新語まで登場させてひとつになろうとしています。

この本の書名にありますように,この本では『原発のウソ』がとことん解明されています。読後の強烈な印象は,東電は最初から政府と一体となって,原発に関するあらゆることがらを「ウソ」で固めてきたということがよくわかります。ですから,いまもなお,「ウソ」で押し切ろうとしています。国策という名のもとに,真実をひた隠しにし,都合のいい「ウソ」で固めて,あとはメディアをとおして押し切っていく,その体質はいまもまったく変わりません。

そのことのからくりもまた,この本を読むとすべてわかるようになっています。
ぜひともご一読をお薦めします。
騙されたと思って読んでみてください。
いま,日本が当面している原発事故がどれほどたいへんな事態にいたっているのかが手にとるようにわかります。人類の存亡の岐路に,いま,わたしたちは立たされているのです。ですから,わたしたちの意志表示ひとつで,人類の未来が決まるといっても過言ではありません。そういう時代を,いま,わたしたちは生きているということです。

2011年7月11日月曜日

自選難度競技部門(第28回全日本武術太極拳選手権大会)は見応えたっぷり。

数年前に,いま考えてみればまことに分不相応にもかかわらず,大会本部席の村岡理事長さんの横に坐らせていただいて,なにもわからないまま見物させていただいたことがあります。しかも,わたしの横には李自力老師がつきっきりで,目の前に繰り広げられる競技を事細かく解説してくれていたのです。こんな話を,太極拳関係者にすると,間違いなく羨ましがられて「どうして?」という問いが跳ね返ってきました。この応答にはいつも困ってしまうのですが,いつか,この関係(李自力老師とわたしとの関係)についてもきちんと書いてみたいと思っています。

が,今日は,まだ興奮冷めやらないうちに,自選難度競技部門の面白さについて書いておきたいと思います。自選難度競技部門と聞いても太極拳について知らない人にとっては「なんのこっちゃ」という話になってしまいます。簡単に言ってしまえば,太極拳のスポーツ部門と考えてもらえばわかりやすいかと思います。つまり,太極拳の世界選手権大会で競われる競技種目だと思ってください。この中には,男女それぞれの「南拳」「長拳」「太極拳」の三つの部門があります。

この競技がはしまりますと,一気に会場が盛り上がってきます。
それぞれに応援団が控えていて,「コーキ」「ジャアオ」,「コーキ」「ジャアオ」という呼吸の合った掛け声が飛び交います。解説するまでもなく「コーキ」は選手の愛称,「ジャアオ」は中国語の「加油」で,直訳すれば「頑張れ」(油を加えて燃え上がれ,ということなのでしょうか)ということだ,とわたしと一緒に観戦してくれた劉志さんの説明。この掛け声がじつにタイミングよく飛び交う。一応のルールがあるらしく,選手の名前が呼び上げられたときと,演技の後半の息切れがしてくるタイミングを見計らって,声援が飛ぶ。聞いていて心地よい。歌舞伎の「音羽屋」という掛け声や,大相撲の「日馬富士ーっ」という掛け声と同じである。劉志さんも南拳が専門なので,この演技の途中で「呼吸困難になって死ぬ思いになる」という。ああ,それはわたしの経験でいえば体操競技の「ゆか運動」がまさにそれと同じ。1分30秒の「ゆか運動」の演技は,呼吸との勝負。途中で酸欠になって,このまま死んでしまう,という経験をわたしもしているので,わがことのようにわかる。でも,体操競技は演技の途中では声をかけない。たった一人で孤独な闘いに挑む。が,太極拳は応援席と一体化している。これはいいなぁ,としみじみ思う。

南拳の女子の小島恵梨香さんのことは昨日のブログで書いたとおり。
南拳のあとに長拳が行われた。こちらも,とてもダイナミックで,みていて楽しい。体操競技のゆか運動と似た要素がたくさんあるので,わたしにも上手・下手の違いがなんとなくわかる。だから,みていて楽しい。点数も予想しながら楽しめる。眺めているうちに,わたしの予想点数と審判の点数とが,どんどん誤差がなくなっていく。これは楽しめる。

体操競技と同じ「側宙」や「ネックスプリング」という技が長拳には入っているが,これは体操選手の演技を取り入れるといいな,と思った。滞空時間が短いのである。どのように跳ねると滞空時間が長くなるかは体操競技の選手たちは知っている。「ネックスプリング」はもっともっと大きくすることができる。もっと,ポーンと大きく撥ね上げておいて,空中で相手を睨み付けるくらいの余裕が生まれたら,もっとすごい演技になると思う。これは外野席のたわごとかも。でも,やれるのだからやってみたら面白いと思う。

さらに感動したのは,自選難度競技部門の「太極拳」。数年前に比べたら,とてもアーティスティックになったと思う。ひとつは選手のレベルが高くなったこと。それともう一点は音楽。音楽と演技とが協調・共鳴したとき,太極拳のもう一つの可能性が開けてくる。これは,今回の発見であった。これまでは,音楽が未熟だったように思う。今回は,全部ではないが,何人かの音楽は素晴らしかった。演技内容とぴったり一致していて,アートだなぁ,と感じた。

体操競技の女子のゆか運動や,フィギュア・スケートの演技と同じだ。選曲・編曲のうまさ(演技との同調性)が勝敗に大きく影響する。ここはセンスの問題だ。選手なのか,コーチなのか,音楽家なのか,さて,だれのセンスが問われるのか。でも,演ずるのは選手なのだから,わたしとしては選手のセンスが問われるべきだと思う。

その意味で,今回,わたしの印象に残ったのは女子・太極拳の宮岡愛選手。3人の選手が登場してその技を競ったのだが,みんな,とびきり上手い。甲乙つけがたいほど上手い。そして,身体能力もきぬて高い。しかし,演技の違いはみごとに現れている。みんな,それぞれの個性を生かして,得点を高くしようと工夫していることは手にとるようにわかる。そして,みんて上手い。なのに,その違いはどこからくるのか,と考えてみる。それはまさに体操競技と同じなのだ。「自選難度」をどのように組み合わせて印象づけるか,それを音楽がどこまでバックアップすることができるか。そこに心血をそそいでここに登場してきたな,ということも手にとるようにわかる。なのに,その差は歴然としてでてきてしまう。

ここまでくると,もはや,太極拳の自選難度競技は,アーティストとしてのセンスの問題ではないかとわたしは思う。体操競技もそうだし,フィギュア・スケートもそうだし,選手たちは,もはや立派なアーティストなのだ。そのレベルでの競争が展開している。だから,みていてとても面白い。逆にいえば,その選手の内面を垣間見ることも可能だ。プロポーションは演技では大事ではあるが,それ以上に,からだ全体から発散されてくる自由奔放な「遊び」ごころのようなものが,それをはるかに上回るなぁ,と眺めていて感じた。それは,西田幾多郎のいう「行為的直観」の世界にも通底することがらだ。そここそが武術太極拳の究極の美の世界であるはずだし,人間の存在の普遍につながる問題であろう,と密かに考えたりしていた。

この問題はいつかまた別のテーマのときに触れてみたいと思う。
毎年,みごとに進化している武術太極拳選手権大会がこれからどういう方向に向かっていくのか,わたしなりにとても楽しみにしているところだ。この点については,李自力老師と,また,機会をみつけて大いに語り合いたいと思っている。同時に,選手の人たちにもインタヴューしてみたいなぁ,と思っている。いつか,チャンスを見つけて。

2011年7月10日日曜日

第28回全日本武術太極拳選手権大会2011,を見る。

7月8日(金),9日(土),10日(日)の三日間にわたって,ことしの太極拳の全日本選手権が開催されました。毎年,楽しみにしている大会です。そして,大会を覗いてみていつも思うことは,太極拳が年々,進化しているということです。選手たちのレベルが上がってきているというべきでしょうか。あるいは,太極拳の試合の仕方が進化しているというべきでしょうか。やはり,試合のルールが変わると,演技内容も変わるわけですので,当然といえば当然なのですが・・・・。それにして,毎年,新しい発見があってとても楽しい大会であることは間違いありません。

ことしは,わたしの日程がどうしてもやりくりがつかず,今日の10日(日)の最終日にでかけるのがようやくでした。でも,行くことができてよかった。その代わり朝一番から全部みてやろうと意気込んででかけました。

そして,結論。大満足。大,大,大満足。
理由はたくさんあります。

一つは,朝9時45分にはじまる第4コートの女子・陳式太極拳をみること。ここに,娘の友だちが出場することが事前にわかっていたので,まずは,ここに注目。去年は第二位だったそうです。しかし,それだけでもすごいなぁと思っていたら,ことしのプログラムをみるとシード選手になっている。名前は八木原由希子さん(大阪府武術太極拳連盟所属)。楽しみにしていたこの人の表演が素晴らしかったので「想定外」の感動をしてしまいました。こんなにうまくなっているとは,じつは,思っていませんでした。そのうまさも群を抜いてのうまさでした。他の選手たちとはまったく別の世界を遊んでいる,それもじつに楽しげに遊んでいる,そういう太極拳でした。もう,なにものにも邪魔されることなく,悠々自適の境地を歩む,そういうものを感じました。完全に彼女の世界に入り込んでいて,この太極拳は他のだれも真似はできない,そういう深いものを感じました。
しかし,結果は第二位でした。第一位は陸〇(揺を王編に訂正)さん。結婚して日本に住むようになった中国の人。しかも,太極拳のプロとして中国で活躍していた人だそうです。日本でも太極拳を仕事にしている人。太極拳を教えることはもとより,太極拳関連のユニフォームや器具を輸入販売している人だそうです。さすがに,この人の太極拳もみごとなものでした。が,どちらかといえば,いかにも中国人的な,個性的な表演でした。この中国のプロと互角に闘い,僅差の第二位です。この第二位はとても価値のあるものだとわたしは思います。
それよりなにより,この八木原さんの陳式は,一つひとつの所作にゆとりがいっぱいで,みていて心地よい。それでいて,締めるところはピシッと締まっている。その呼吸が絶妙でした。わたしが審判員だったら,間違いなく八木原さんに高得点をつけたでしょう。現に,何人かの審判員は,八木原さんの方に高い得点を表示していましたから,とても微妙であったことは事実でしょう。その意味で,八木原さんは大健闘。この調子なら,来年は間違いなく抜きさっていることでしょう。いまから,とても楽しみ。
この八木原さんが,今月の17日(日)には沖縄での娘の結婚披露宴に出席してくれるとのこと。沖縄でひとしきり,陳式太極拳で盛り上がりそうです。じつは,この八木原さんを演技のあと,わたしよりもさきにみつけて,わたしを呼びにきてくれたのは西谷さんです。なんと,西谷さんは沖縄ですでに八木原さんとは面識があって,一緒に太極拳の演技を披露し合った関係です。西谷さんもなかなか隅にはおけません。その西谷さんも17日に沖縄で合流することになっています。

二つ目は小島恵梨香さん(滋賀県武術太極拳連盟所属)の南拳をみることができたことです。小島さんはすでに日本を代表する選手として活躍された方ですが,いろいろ事情があって,二年間ほど日本を離れて台湾に留学されていました。その間,南拳の選手としての活動はストップしていました。久しぶりに日本に帰ってきて,やはり,できることをできるうちにやっておきたいと考え,今回の現役復帰ということでした。このことを大阪学院大学の松本芳明さんから聞いていましたので,なにがあっても小島さんの演技だけはみておきたいと考えていました。
一流選手の気迫というものはすごいなぁ,と今回もまたしみじみと思いました。わたしはご縁があって,小島さんが大学に入るときから面識がありました。そして,卒業するころには,大阪学院大学での「ISC・21」の月例研究会で研究発表までしてもらっています。その後,どうしているのかなぁ,とこころの隅で気になっていました。が,松本さんから,こんどの大会でカムバックするはずです,と連絡がありました。
この小島さんの演技がまたまた素晴らしかった。わたしは彼女の顔をみるなり,「完璧な演技でしたね。おめでとう!」と声をかけました。すると返ってきたことばは「ありがとうございます。徹底的にからだをいじめましたので,なんとか,やるべきことはできたかな,と思っています。でも,課題がいっぱいあってこれからがたいへんです」という。「課題があるからまだまだ伸びる。課題がなくなったら,そのときは引退だよ」と言って笑い合いました。
この小島さんたちの部門は「自選難度競技部門」といって,いわゆる国際大会などで「競技」として行われる太極拳の部門です。それぞれの競技種目の全国の予選を突破した人たちが集まってきて,今日がその「決勝」ラウンドだということです。ですから,こんにちの競技としての日本の太極拳を代表する選手たちが一堂に会して,その技量を競うというたいへんな種目だったわけです。小島さんはこの部門での堂々たる優勝です。

その他としては,「総合太極拳C」という競技がみられたことです。わたしはこの種目がどういものであるのか,じつは,知らなかったのです。で,どんな競技がはじまるのかなぁ,とぼんやりした意識で眺めていたら,なんと「42式」をやっているではないか。ああ,そうであったか,とばかりにわたしの眼は釘付けです。しかも,男子が第3コート。女子は第5コート。同時にあっちをみたり,こっちをみたりと楽しませてもらいました。わたしは,これまで李自力老師の42式しか見たことがありません(DVDで)。そのDVDをみながら,わたしは独学で42式を覚えました。これでいいのかなぁ,と半信半疑のまま,ひとりで稽古をしていました。ですから,今日は,全国の都道府県を代表する選手たちの「42式」(すなわち,総合太極拳C」を拝見させてもらいました。
なるほどと思ったのは,一人ずつ演技の内容が違うということでした。それは指導者にもよるでしょうし,一つひとつのわざの解釈の違いもあるでしょうし,それを演ずる個体の違いもあるでしょう。ですから,この人たちは間違っている,と最初は思いました。しかし,よくよく考えてみれば,レベルが高くなってくれば,その人なりの表現がでてくるのは当然のことです。ですから,わたしはわたしの解釈でとことん追い込んでいいのだ,と考えました。しかし,わたしには李自力というとんでもない師匠がいてくれますので,この人のDVDを徹底的に分析しながら,わたしの理想とする42式を追求してみようと今日考えました。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが,とりあえず,今夜はここまで。
とてもハッピーないい一日でした。

2011年7月9日土曜日

香山リカさん,あなたもですか?「ことば足らずでした」だなんて?

いまにはじまったことではないが,みずから発した言説が物議がかもしだすと「ことば足らずでした」という弁明が行われる。たしかにやむを得ない場合もあるが,そのほとんどは不注意というか,無神経というか,鈍感な場合が多い。なかには「確信犯」だと丸見えなのに,本意が伝わらなくて残念,などと嘯く「ベテラン」も少なくない。

その多くは政治家なのだが,最近は,その「流行」が徐々に拡散をはじめ,財界,官僚,学者(御用)さんにおよび,とうとう良心的と目される知識人や評論家に及んでいる。とりわけ,「3・11」以後の言説に多い。このことについては考えるところがあるので,いつか,きちんと私見を述べてみたいと思っている。

さて,今日は,香山リカさん。これまでの言説についても,時折,おやっ?と思うこともあったが,この人のバランス感覚のよさと独自の分析の鋭さに,わたしは賛意を示してきた。しかし,今回の「おやっ?」はそんなに単純ではなさそうだ。

香山リカさんの書いているブログがネット上で話題になっている。賛否両論が飛び交っているが,わたしは,今回に関してはいささか厳しい点をつけざるをえない。どうして香山さんが,こんな内容のブログを書いてしまったのか,そして,そのブログに対する読者からの異議申し立て(書き込み)が殺到しているというのに,その対応がこの程度でいいのだろうか,とむしろ同情しつつも,こころから危惧している。

もうひとこと申し添えておけば,香山リカさんとはある雑誌の「クロス・カルチュラル・レヴュー」というコラムで,時折,同じ映画や単行本を評論するというお仕事でご一緒させていただいている。だから,本来ならば,わたしとしても香山リカさんを全面的に「擁護」する立場を貫きたいところである。が,今回ばかりは,黙って無視するわけにもいかない重要な問題をはらんでいるので,わたしとしても「ひとこと」意見を述べておきたいと考えた次第。意とするところをおくみ取りいただければ幸いである。

問題になっている香山リカさんのブログは以下のとおりです。
香山リカの「こころの復興」で大切なこと──震災で負った傷をいかに癒すか──
第12回・2011年7月1日,小出裕章氏が反原発のヒーローとなっかもう一つの理由

香山さんのブログは以下のようにはじまる。
「震災や原発事故は『まるでなかったかのように』して,3・11以前の生活に戻ってしまおうとする人が増えています。そして前回お話ししたように,現代社会は『被災者支援を持続させられない社会』になっています。
 その一方で,ネットの世界を中心に,原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。
 彼らの多くは,知的レベルが高く,情報収集に熱心で,いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。
 特に,これまで一般社会にうまく適応できなかった,引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます。」

という具合に冒頭から,なにやら怪しい雰囲気が漂っています。精確を期すためには,香山さんのブログの全文をそのまま引用しておきたいところです。しかし,かなり長いので全文を引用できないのが残念。で,わたしが受け止めた要約を以下に述べておきます(が,これはあくまでもわたしの受け止め方にすぎませんので,必ず,香山さんのブログを直接読んで確認してください。その上でご意見をいただければ・・・と思います)。

問題の核心は,引きこもりやニートといった人たちは,結局は,自立できない親がかりで面倒をみてもらわなくてはならない「適応障害」だ,と精神科医としての立場を明らかにした上で,その彼らが小出裕章さんを「神さま」のように崇拝していて,それが「小出裕章氏が反原発のヒーローになったもう一つの理由」だ,というのだ。なぜなら,引きこもりやニートにとっては,もうすぐ定年を迎えようとする小出裕章さんもまた教授にも準教授にもなれずに「助教」という身分に甘んじたまま我慢してきて,ようやく日の目をみたヒーローにみえるからだ,という。

香山さんの意図としては,小出裕章さんが反原発のヒーローとして一躍有名人となった背景には,こんな一面もあるんですよ,と精神科医としての「まなざし」からの分析結果を紹介した,ただそれだけのつもりなのだと思います。しかし,わたしが読んでも,この第12回目のブログに関するかぎり,香山さん大丈夫ですか,と声をかけたくなってしまいます。あまりに香山さんらしからぬ「軽さ」とある種の「毒」を感じてしまうからです。

ひとつには,引きこもりやニートと呼ばれる人たちがどのようにして小出裕章さんを「神さま」にまつり上げたか,という点については香山さんの意見に逆らうものはなにもありません。しかし,そこで終わってはいけなかった,とわたしは思います。なぜなら,小出裕章さんは,引きこもりやニートの人たちが勘違いして「思い込んだ人物」とはまったく違う人なのですから。少なくとも,反原発という姿勢を貫きとおして,この何十年もの間,各地の反原発の裁判闘争にも証人として立ち,機会があればどこにでもでかけていって,みずからの主張を明らかにしてきた,きわめて意志の強い「闘う人」である,という事実を書き添えるべきだったのではないでしょうか。このことをきちんと明言しなかったことの意味を,わたしは考えてしまいます。「ひょっとしたら,香山リカさん,あなたもまた・・・・?」と。

しかし,このブログを読んだ読者の多くが不思議な反応を示しました。ここには一応,賛否両論がある(現在も進行中),と紹介しておきます。質の悪いどぎつい否定論はともかくとして,冷静な否定論には耳を傾けるべき意見が多くあります。ですから,香山さんは〔号外〕と称して,「前回のコラムについて──お詫びと補足」を7月5日付けで書いています。
「前回のコラムについて多くの方から批判的なご意見をいただき,言いたかったことの真意がうまく伝わっていなかったことに気づかされました。私の言葉足らずが招いたことです。お詫びと補足をさせてください。」

こんなことで済ませてしまっていいのでしょうか。
ほんとうに「言葉足らず」だったのであれば,真意はこういうことでした,と〔補足版〕をもう一度,書くべきではないでしょうか。それもなさらないということの真意がわかりません。たぶん,「時間がない」とおっしゃるでしょうが・・・・。でも,そういう問題ではない,とわたしは考えます。
わたしが講釈するまでもなく,ことばは生きものです。一度,書いたことばは「一人歩き」をはじめます。もはや,著者の手のとどかないところに行ってしまいます。それでもなお,あの文章は間違いだ,いや,誤解を与えた,とおもったら,「書き直す」しか方法はないでしょう。

あの第12回目の文章をそのまま残すとしたら,それはそれで香山さんなりのお考えがあってのことと,わたしは受け止めます。それはそれで立派なことだと思います。

たぶん,そのあたりのことが第13回目のブログとなって登場するのだろう,とわたしは期待したいと思います。次回こそ,わかりやすい(いつものような)文章で,説得力のある内容を提示してくださることを楽しみにしたいと思います。

2011年7月8日金曜日

拝啓 江田五月どの。熱中症と節電とは別問題では?

あえて江田五月さんと呼ばせていただきます。
前参議院議長,現法務大臣兼環境大臣の江田五月議員を,わたくしごとき人間が「さん」づけで呼ぶのはたいへん失礼なこととは承知していますが,ここはあえて「さん」づけで呼ばせてください。なぜなら,たった2回とはいえ面識があってお話もさせていただいたことがあり,わたしなりに親しみを籠めてのつもりです。

最初は,能面アーティストの柏木裕美さんが銀座文藝春秋画廊で展覧会をされた折(2年前の2月)に,西谷修さん,今福龍太さん,そしてわたしの3人で「現代の能面を語る」という鼎談をしたときにご来席され,そのあとのパーティでお話をさせていただきました。二回目は,ことしの2月,やはり柏木さんが銀座文藝春秋画廊で展覧会をされたときに,偶然,会場でお会いし,お話をさせていただきました。「2年前の鼎談,覚えてますよ」と江田五月さんから言われ,政治家の記憶力に舌を巻いたものです。こういう人でないと政治家はつとまらないのだろうなぁ,と感心しました。

ですから,民主党の現政権にあって,もっともっと江田さんには活躍してほしい,と個人的には応援をしていたつもりです。やはり,面識のある人が活躍されるのは嬉しいものです。が,どちらかといえば「地味」な方ですので,あまり表立ってニュースになるようなことも少なく,堅実に職務をこなしていらっしゃるのだなぁ,と思っていました。

最初にお会いしたときに名刺交換をしましたので,そのあとから江田さんが発行していらっしゃる「メールマガジン」が送信されてくるようになりました。当時,参議院議長という人が,日常的にはどんな日々のスケジュールをこなしていらっしゃるのかがよくわかって,たいへんなお仕事をなさっていらっしゃるのだなぁ,と感心していました。いまも,法務大臣として,あるいは,環境大臣としての激務をこなしながら,メール・マガジンも発行されていらっしゃいます。その中に「ショート・コメント」というコラムがあって,ご本人が書いていらっしゃるとのことです。この「コラム」がわたしにはとても重要なところで,毎回,楽しみにしています。なぜなら,江田さんが日頃からなにを考え,政治に従事されていらっしゃるのかを知る,もっとも手っとり早い方法だからです。

ところが,7月7日(第1081号)の江田五月メールマガジンに掲載された「ショート・コメント」の文章をみて,びっくり仰天してしまいました。その冒頭につぎのようにあったからです。
「福島第一原発事故と原発稼働抑制により,全国的に節電が求められ,あおりで熱中症が多発している。」
この認識は,たぶん,ことば足らずになっているのだと思いますが,あまりにも誤解を招きやすい文章になっています。たしかに,エアコンをつけなかったために熱中症で亡くなられたお年寄りがいらっしゃったことは新聞の記事で知っています。が,この事例はきわめて特殊なもので,例年少なからずあることだとわたしは認識しています。

いま,多発している熱中症は,節電とは別のところでの問題です。屋外での,直射日光に照らされたり,あるいは,長時間の屋外での暑さに適応できなくなった人たちの症状です。つまり,節電と熱中症とは,ひとまず切り離して考えるべきことだ,というのがわたしの考えです。節電は節電,熱中症は熱中症として区別して考えるべきだ,と。そうしないと,とんでもない誤解が生じてしまう,と危惧するからです。

江田さんの書かれた文章を「深読み」しますと,ああ,江田さんは「原発推進派」なのだ,と読めてしまいます。もっと電力を潤沢に供給できれば,熱中症を防ぐことができる。だから,原発を止めてしまうのではなくて,「安全」を確保して(ここが問題なのですが),原発を稼働させるべきだ,ということになります。このことを,もし,意識的に書かれたとしたら,そのような意見表明をどこかできちんとなさった方がいいと思います。そして,その根拠も。もし,無意識で書かれたとしたら,これはやはり大きな誤解を招くことになりますので,大いに謹んでいただきたいと思います。江田五月さんのような「知性派」の政治家がおっしゃることだから,多くの人たちは「節電すると熱中症になる」と思い込んでしまいます。

わたしは,もともとエアコンなるものが体質的に好きではありませんので,相当に暑くても我慢しています。が,いよいよ,これ以上,我慢していては危ないと感じたときは,やはり,エアコンをつけます。そして,一時の涼をとります。そして,ある程度,からだのほとぼりが収まったら,また消しています。でも,こんなことは一夏に2,3回しかありません。あとは,団扇・扇子の大活躍です。これでなんとかやり過ごしています。大抵の人は,自分で判断して,これ以上は駄目だと思ったらエアコンは入れていると思います。それが「ふつう」の人のやることだと思います。

それを身の危険を犯してまで我慢するというのは,よほど特殊な考え方の人だと思います。背に腹は代えられないという俚諺のとおりだと思います。あるいは,エアコンを入れることすら判断できない特別な状況にあったのではないか,とわたしは考えています。それを「全国的に節電が求められ,あおりで熱中症が多発している」と書かれてしまうと,ちょっと困ります。企業のオフィスなどで「節電」につとめたあおりで熱中症が発症しているとは聞いていません。

江田さんのメールマガジンは,言ってしまえば,その中心になっている読者は支持者です。それだけに,ほとんど批判もなしに「鵜呑み」にする人も多かろうと思います。ならばこそ,十分にお気をつけていただきたい,というのがわたしの希望です。

余分なことかも知れませんが,最近の政治家の不用意な発言(だれとは言いませんが)は眼を覆いたくなるものが多すぎます。親子で「暴言」を吐いて,大騒ぎになったりしています。困ったものだと思っています。理性が狂気を帯びた時代ですので,なおさらのことです。原発こそそのシンボルになってしまいました。ですから,原発をめぐる言説をみると,その人の「理性」のレベルが明確に現れています。学者,評論家,作家という人たちの「理性」の狂い方が,原発をめぐる言説をとおして「露呈」してきていることは,よく知られているとおりです。

それだけに政治の舵取りはきわめて重要です。
国民が原発について,どのようにして欲しいかは,すでにいくつものアンケート調査をとおして明白です。その国民の意志を酌み取って,100年,200年さきを見据えた政治を実現してください。いまこそ,狂った「理性」を糺す絶好のチャンスだとわたしは考えています。ここで失敗したら,日本に未来はなくなってしまいます。

「知性派」の江田さんには「釈迦に説法」をするようなことになってしまいました。そのご無礼をお許しください。が,日本の未来がかかっていますので,あえて,ひとこと苦言を呈した次第です。どうぞ,よろしくお願いいたします。最近,氾濫している「ことば足らずでした」というような「弁明」はもう聞きたくありませんので・・・。

2011年7月7日木曜日

線量計,牽牛織女も,ひとつずつ。

いよいよ線量計を購入しようかと考えはじめている。東京にもホットスポットがあちこちにある,という情報が入ってきたからである。となれば,多摩川を渡っただけの川崎にもあって不思議はない。むしろ,東京よりも多いのではないかとすら想像している。

福島の飯館村を通過するときに観察しながら感じたことは,こんもりとした森のそばを通過するときに線量が急高下することが多いというものだ。もう一つは,三方が山や森に囲まれたスポットの線量が多かったということ。つまり,窪地になっているようなところ。山の中腹よりは平地におりてきた窪地が危ない,と。

こんなことを考えると,東京都内よりも起伏の多い田園都市線沿線は線量がたまりやすいのではないか・・・とおもう。森も多いし,谷間も多い。とくに,わたしの事務所のある鷺沼などはそのための条件がとても整っている。溝の口から,まずはお隣の「梶が谷」。文字どおり,不思議な谷が四方・八方にのびている。しかも,その谷が深い。その窪地になっているようなところはあやしい,とわたしはみている。その隣の宮崎台も駅は高台にあるが,駅からどちらに向って歩いても谷間に向う。そのまた隣の宮前平は,谷底に当たるところを尻手黒川ラインという幹線道路が走っている。つまり,川崎と府中をつなぐ,むかしからの道路である。その両サイドは,どこまで行っても急坂があり,ところどころに窪地がある。そして,鷺沼の駅は高台にあるが,ここもまたどちらに向って歩いてもすぐに谷間に向って進むことになる。しかも,じつに複雑な地形をしていて,窪地のようなところがあちこちにある。そのあたりの線量は危ないのではないか・・・?と,わたしは睨んでいる。だから,線量計を手に入れて,あちこち散策がてら測定してやろうかと考えている。小学校の運動場も地形によっては危ないのではないか,とおもうからだ。

福島の道路を車で走りながら,線量計とにらめっこしていたかぎりでは,平地の見通しのよいところは線量が低い。見晴らしのいい田んぼの真ん中を走っているときは,線量の値は低い。だから,20キロ地点の検問所のすぐ近くのコンビニに立ち寄ったときも,線量は低い。ここも広い田んぼが周囲にひろがっている。さわやかな風も吹いていた。気温は上がっていたが,田んぼをわたってくる風は涼しかった。もちろん,稲は植えてない。青々とした雑草が繁っている。だから,うっかりしていると稲田にみえる。が,そうではない。

田園都市線もまた,高台に住んでいる人たちは風が流れているので,いくらか安心。しかし,窪地や谷間に住んでいる人たちは要注意ではないか,とわたしは考えている。時折,散歩にでる鷺沼のあたりも,谷間であっても風の通り道になっているところと,まったく風が流れないところとがある。住宅地にある小さな公園はほとんど風が流れない。猫の額ほどの公園の中央にある広場を大きくなった周囲の木が枝を張って,上から覆いかぶさるように包み込んでいる。日当りが少ないので,小さなこどもをつれたお母さんたちが,おしゃべりを楽しんでいる。大丈夫だといいのだがなぁ・・・と余分な心配をしながら,わたしは遠くから眺めている。

やはり,線量計ではかってみよう。

今日は七夕さんにもかかわらず,筆をもって,わら半紙を切った短冊に,モンジュ,ゲンカイ,ハマオカ,フクシマ,ヒロシマ,ナガサキ,チェルノブイリ,スリーマイルズ,などという文字ばかり書いている。ときには,トウデン,キュウデン,ホアンイン,マダラメ,カイエダ,カンカン,ザワザワ,などと書いている。なぜか,漢字を書く気にはなれない。みんなカタカナ。あの世に送るために。

今夜は牽牛・織女も天の川で線量計をひとつずつもって数値を確認するのにおおわらわではなかろうか・・・・などと妄想している。

2011年7月6日水曜日

被災地短報・飯館村の子どもたちが心配(甲状腺微量被曝45%)

昨日の東京新聞一面トップの記事は「甲状腺微量被ばく45%」「福島第一周辺の子1000人調査」「精密検査は不要」(安全委)というものだった。微量とはいえ甲状腺被曝が45%にも達しているという調査結果は,わたしには衝撃的だった。この中には,6月30日(木)に案内してくれたNさんと恐怖に震えながら通過した飯館村の子どもたちがふくまれている。

30日の飯館村の天気は,くもりときどき晴れ。国道から少し離れたところに小学校がみえた。時刻は午前11時ころ。線量計の値が驚異的に上下動を繰り返している。暑い日で,気温もすでにかなり高くなっていた。しかし,小学校の教室の窓は締め切ったまま。さぞや暑かろうに・・・と想像する。(この日の午後,わたしはNさんの非常勤先の仙台市内にあるT大学での講義に参加。理事長命令で,今夏のエアコンの使用は禁止。なので,窓を開け放って授業を行ったが,暑かった。東北地方としては異例の暑さだという)。

Nさんの話では,自分の家でも窓は締め切っている,という。窓を締めても開けても放射線に関してはなんの関係もないと理屈ではわかっている。でも,心理的には締め切っていた方がなんとなく安心する。だから締め切っている,と。ふとんも外には干さない。これもほとんど無意味だとわかっている。しかし,そうしている,と。野菜なども福島産だとなぜか緊張してしまう,と笑う。考えはじめるとすべてが不安材料になってしまう,とも。線量計を自前で購入したのも,そういう不安心理の裏返しです,と話してくれる。

飯館村もさることながら,ここからそんなに遠くない宮城県の柴田町に住むNさんの気持ちは,わたしなどには推測もつかないほどの「不安」で一杯なのだろう,ということが伝わってくる。しかし,考えてみれば,この事実はとても他人事ではすまされない。インターネット上に流れているドイツ気象台の毎日発表するフクシマ情報をみれば一目瞭然だ。東京も神奈川も,その日の風向きによって,フクシマからの放射能は遠慮なく流れてきている。そして,同じように「汚染」されているのだ。そのことは神奈川県の山間の茶畑が汚染されていることがわかり,大騒ぎになったことからも知ることができる。

ほとんど垂れ流し状態になってしまったフクシマの放射能は,いまや,世界中を駆けめぐっているのだ。だから,ドイツ気象台はその観測をつづけ,インターネット上に公開している。「甲状腺微量被曝45%」は他人事ではない。かつて,チェルノブイリの報道が流れはじめたとき(わたしは,たまたま,ウィーンに住んでいた),わけのわからない「恐怖」に怯えたことを思い出す。娘の通っていたギムナジウムは屋外の運動をすべて禁止し,体育館の中だけとなった。プールの授業も,室内にある小さなプール(ウィーン市内で最初にできたプール,1920年代にK.ガウルホーファーによって設置されたものであることが,途中でわかった。幅3m,長さ8m,ほど。プールの側壁をよじ登らないと中には入れない。とても体育的(?)なつくりになっている)で行われていた。

未来のある子どもたちを犠牲にしてはならない。いかなる手をつくしてでも,まずは,子どもたちのからだを守らなくてはならない。Nさんの教え子は,結婚して子どもが生まれてまもないいま,母親としてこのまま郡山市内に住みつづけることはできないといって,沖縄への移住を決めたという。玄侑宗久さんの住む三春町でも,小さな赤ん坊をかかえる若者夫婦は,一大決心をして移住する人が増えてきている,という。しかし,移住ができる人はまだいい。その手だてすら得られないで悩み,苦しんでいる若い夫婦がどれほどいることか。このことを考えると,居ても立ってもいられなくなってくる。こういうことが,福島第一の周辺では日常化しているのである。

それでもなお「原発の安全宣言」をして,再稼働に踏み切ろうとしている経済産業省のカイエダ君はいったいなにを考えているのだろうか。人間の命よりもお金の方が大事だというのだろうか。多少の犠牲を払ってでも(多少どころの話ではない),経済優先の政策をとりつづける日本の中枢にいる「狂ったサル」たちに,いつまでわたしたちは身をゆだねていなくてはならないのだろうか。しかも,きわめて「理性的」に「狂ってしまったサル」たちに。困るのは,このサル族は自分が狂っていることに気づいていないことだ。ボタンとボタン穴の一つひとつは整合性がある。が,最初のボタンとボタン穴を一つかけ違えていることに気づいていないのだ。最後に残ったボタンをどうしたらいいかも,その処置の方法すら未定のまま,平気でなおも走りつづけようとしている。

「精密検査は不要」と安全委。
安全委とは,いったいなにをするところなのか。
危険なことであっても,「差し当たって危険ではない」と解釈しなおす,すり替え機関なのか。
いよいよ「安全」ということばの新しい語釈を,大至急,「国語辞典」に書き加えねばならない,そういう場面にいまわたしたちは立ち合っている。かつて,「貴様」の意味がひっくり返ったように。

2011年7月5日火曜日

被災地短報・ズタズタに寸断されてみるも無残な気仙沼線。

気仙沼線というローカル電車が美しいリアス式海岸に沿って走っていたことを知っている人は,地元の人以外では,よほどの鉄道マニアでないかぎりいないだろう。その気仙沼線がこの間の津波でズタズタに寸断されている。6月29日に,わたしたち(Nさんと二人)はこの気仙沼線に沿って,海岸線を北上し,気仙沼まで行った。自動車の走る道路も段差ができていて,いたるところ応急処置をしてかろうじて通行可能となっていた。道路も完全復旧にはまだまだ時間がかかる。が,この気仙沼線の全線回復はほとんど不可能だろうといわれている。

前谷地から志津川までは内陸(山の中)を走っているが,志津川から気仙沼までは,ほとんどが海岸線である。リアス式海岸だから,山が海岸まで迫り出しているところはトンネルで,トンネルを抜けると海岸線を走る。この絶妙の変化が面白い。このラインは観光気分で乗っていたら最高に楽しいだろうなぁ,と想像したりしながらも,もう復旧が無理なのかと哀しい思いに沈む。

この気仙沼線はトンネルから海岸へ,そしてまたトンネルへ,トンネルから海岸へをくり返しながら走っているので,自動車道よりは直線に近い。だから,自動車道はあちこち迂回しながら,この気仙沼線に絡みつく縄のように,巻きついたり離れたりしながら志津川から気仙沼までつづく。リアス式海岸というものをからだで知る絶好のコースだった。

海岸に沿って走っているところの線路はほとんど津波に流されて見当たらない。運良く線路が残っていても枕木も砕石も,その下の土も流されていて,みるも無残な姿を晒している。途中の何カ所かはトンネルからトンネルへ谷を渡って高いところを走っている。自動車道はその下をくぐり抜けるようにして走る。そういうところは鉄道の橋桁だけが残っている。線路もなにもない。トンネルのあたりに線路がぶら下がっている。自動車道路から見上げると10m以上も上まで橋桁は伸びている。しかも,海からはかなりの距離がある。狭い山間の谷間の光景である。こんなところまで津波が押し寄せてきたのか・・・ととても信じられない。津波のもつエネルギーというものが,常軌を逸したものであることが,あちこちの痕跡から推し量ることができる。狭い,山間の漁港ほど津波のエネルギーは集積されて,小さな沢を駆け上り,驚くべき高さに達している。

だから,ここなら大丈夫と思われるような高台にある民家まで,津波にさらわれている。それは不思議な光景でもある。海岸からの距離といい,標高差といい,まずはありえないと思われるようなところにまで津波は押し寄せている。リアス式海岸にはいたるところに小さな漁港があって,そのすべてが大きな被害に遭遇している。このことはほとんど報道されていない。そして,復旧の手はほとんどとどいていない。あちこちに壊れた家の残骸や流木が,そして,なにより大事な漁船が仰向けになったまま散らばっている。発することばもない。

このラインが止まってしまって困っているのは,自動車を運転することのできないお年寄りやこどもたちだという。なぜなら,学校も病院も大きな町まで行かないとない。漁港といっても数十軒しかない小さな集落なので,小学校から電車通学,中学,高校となればさらに遠くまで通わなくてはならない。病気の治療をしている人もこの電車に乗って気仙沼まで行かなくてはならない。いまは,その頼みの気仙沼も壊滅状態なのだ。だとすれば,仙台まで行かなくてはならない。自動車で往復するとすれば一日仕事になってしまう。その頼みの自動車すら,津波にさらわれてしまっている家がほとんどだという。おそらくは,運良く難をまぬがれた家がフル回転で助け合っているのだろう,と推測するのみである。

新聞もテレビも,着々と復旧作業が進んでいるかのように報道しているけれども,それはほんの一部のことでしかない。大きな漁港を除けば,どこも手つかずのまま放置されている。そして,みんなじっと耐えるしかない現実と向き合って日々を送っている。

7月に入った東京は,電車もデパートも,6月末よりも一段と冷房を効かせている。ひんやりして寒くなるほどだ。去年と同じ。一枚上着をもって歩かなくてはならない。いったいなにを考えているのだろうか。朝晩のラッシュ・アワーは仕方ないとしても,昼間のガラガラにすいた電車の冷房は少しだけでいい。

身動きもできなくなっている気仙沼沿線の人びとのことに思いを馳せながら,わたしのこころは複雑に揺れる。(そこにまたぞろ,着任早々のアホな大臣の暴言が飛び出している。この国は,ほんとうに箍(たが)の外れた桶のようになってしまっている。情けないかぎり。)

2011年7月4日月曜日

東電株主は賠償金を負担する覚悟はあるのか。

東電の株主総会の様子を,わたしは宮城県岩沼市のホテルに滞在中のテレビ・新聞で追っていた。29日は,宮城県の海岸沿いに北上し,気仙沼まで,いたるところ手つかずのまま瓦礫が散在し,海水が水たまりをつくっている様子をつぶさに眼にしていた。その日の夜,テレビで総会の様子を映し出していた。もっと長い時間,くわしく放映してほしかったが,どこもとってつけたような報道でしかなかった。まるで大したことはなにもなかったかのごとくに。

そして,30日は,わたしは海岸沿いに南下し,南相馬市の20キロ喚問所まで(途中,救援センターや仮説住宅の様子なども見届けながら)行ってみた。そして,その場に立って,この境界線がなにを意味しているのか,しみじみと考えてみた。そこから折り返して,放射線量の高いと言われている飯館村を通り,伊達市のそばを通過して,福島市に到着。福島市内でも,持参した計器の警報が鳴りやまない。つまり,0.50マイクロシーベルトを超えているのだ。それもはるかに高い値を示しつづける。飯館村のある地域では,4.80マイクロシーベルトに達している。

ちなみに,この日にコンビニで購入した「福島民友」という地方紙に掲載されている「29日の県内環境放射能測定値(単位:マイクロシーベルト/時)を書き写しておこう。たとえば,福島県北部の午前11時の数値を挙げると以下のとおり。
福島:1.33,伊達:0.78,二本松:1.28,本宮:1.19,郡山:1.21,白河:0.50,会津若松:0.16,南会津:0.07,南相馬:0.50,いわき:0.20,田村:0.22,飯館:2.89。
20キロ県内の測定結果は以下のとおり。
楢葉町繁岡:1.50,広野町二つ沼:0.75,旧冨岡町役場:4.36,原子力センター:7.36,浪江中央公園:1.32,浪江町幾世橋小:0.68。

これからの数値をどのように読むかはここでは割愛しておく。ただ,福島市内や郡山市内の数値がいかに高いかはとりたてて注目しておく必要があろう。こういうところで,文部科学省はプールで泳がせてなんら問題はない,と平然としている。多くの専門家が警告を発しているにもかかわらず。

こういう現実について,東電の株主たちはどの程度の認識をもっているのだろうか。
東電は賠償金を支払うと言っている。しかし,その額については明らかにしてはいない。仮払い補償金ですら,明らかにされてはいない。が,すでに,賠償金を全額負担することは不可能だと言われている(つまり,破産してしまうということ)。その不足分は国に肩代わりしてもらおうとしている。国もまた,いつのまにか,そのつもりになっている。

ちょっと待ってほしい。株主たちは,これまで他社を圧倒するほどの「配当金」をもらっている。もらうものはもらっておいて,賠償金は負担しない,という法はないだろう。やはり,ここは,持ち株に応じて,応分の賠償金を負担すべきではないのか。このまま,国が肩代わりをしなければ,東電が破産することは明らかなのだから。もし,いやなら株を放棄して(売って),株主であることを止めるしかないだろう。

株主総会では「怒号」が飛び交ったというが,その中味を知りたい。どんな顔をした人が,どんな「怒号」を発したのか。株主は,その企業を支援しながら利潤の配当を受けることが当然の権利として認められている。だとしたら,その企業が破産するときには,それ相応の負担(負債)を背負うことになるのは当然ではないのか。少なくとも,株主は賠償金の一部を負担する義務がある,とわたしは考えるのだが,間違っているのだろうか。すでに長年にわたって手にした配当金で巨額の冨を築いている人たちがいることも知られているとおりだ。そういう資産の一部を賠償金に充当する考えはないのだろうか。それで平気なのだろうか。

もっとも金の亡者たちに,わたしのような庶民の考えは通用しないことはわかっている。しかし,それを黙って見過ごしていていいのだろうか。庶民は庶民の立場で,主張すべきは主張していかないと,世の中はなにも変わらない。またぞろ「3・11」以前にもどるだけの話になってしまう。

今回の株主総会の様子をみていて,一刻も早く以前と同じ「原発推進」の路線に立ち返ること,そういう底知れない恐るべき「亡霊」の姿を垣間見た思いがする。そういう恐るべき「意志」が,厳然として存在する,ということも明らかになった。

ならばなおのこと,株主はこれまでに手にした配当金の半分でもいい,賠償金として負担すべきではないのか。原発推進か,脱原発かの議論は,すくなくとも株主に関しては,この「義務」をはたしてからの話ではないのか。

東電の株主は,たった一日でいい,原発事故の現場に立って,作業員を経験してみてほしい。この人たちの命懸けの努力の上に「あぐら」をかいて平然として,いまもなお,自分の利潤追求しか考えない株主とはいったい,どういう人たちなのだろう。同じ株主にも「脱原発」を唱える人たちもいる。その人たちの「提案」をにべもなく「否決」する,その冷血さに身をゆだねているかぎり,日本の未来はない。

2011年7月3日日曜日

被災地短報・松島は手つかずのまま,闇の中。

「松島は被害が少なかった」と報道されたばっかりに,東京の人たちの多くは「松島は大丈夫だったらしい」と思い込んでいる。しかし,実際に現地に行ってみると,とんでもない。同じように大きな被害に会っている。

気仙沼や大船渡のような大きな漁港をかかえた,人口も多いところの津波による被害に比べれば,という前提つきの話であることを,わたしも知らなかった。松島にある群島が,津波被害を軽減したらしい,という話になっているが,はたしてそうだろうか。

たまたま通りがかった時刻が夜の8時を過ぎていたために,真っ暗闇の中を自動車のライトだけが行く手を明るく照らしだしていた。案内してくれたNさんが,このあたりが松島です,と教えてくれてはじめて気づく。が,そうでなければどこか山の中を走っているとしか思えない真っ暗闇である。そこで,よくよく自動車のライトの先に気をくばる。なるほど,海側には松島の島影がところどころ確認できる。そして,山側には民家がまばらながら建っている。その民家の周辺には,根こそぎになった松の木が転がっている。民家には灯はない。交差点の信号機も作動していない。鉄筋コンクリートで造られた電信柱が,ところどころでへし曲がったまま立っている。電線に支えられているかのように。真っ暗闇のなかに灯のない家が点在する光景は不気味である。

つまり,松島を通り抜ける国道の周辺は,罹災後,まったく手つかずのままに放置されているというのである。国道だけは,まっさきに津波の運んだ瓦礫を片づけて,通れるようにしたが,それ以外のことは「後回し」になっている,という。ようするに,ライフ・ラインが回復していないのだ。だから,家があっても住むことはできないし,あるいは,津波の恐怖を体験したいまとなってはもどってくる気持ちにもなれないのかもしれない。いずれにしても,松島の辺りは「後回し」にされたままだという。

松島のような全国に知られた観光の名所ですら,このような状態である。ましてや無名のところの罹災については,まったく手つかずのまま放置されている。その面積たるや恐るべき広がりであることを,家にもどってきて地図を拡げてみて知る。気仙沼でみた壊滅状態の惨憺たる光景は,何回もメディアがとりあげているとおりである。が,そこには,重機が何十台も入り,瓦礫の処理に従事しているし,その瓦礫を運ぶ他府県ナンバーのダンプカーがひっきりなしに走っている。復興へのエネルギッシュな活力をみることができる。しかし,気仙沼の周辺の小さな川が流れ込んでいる,ほんとうに小さな集落は,瓦礫すら放置されたままなのである。

この落差は仕方がないのかもしれない。しかし,遠く離れて住むわたしたちは,なにも知らないまま,メディアの報ずるところだけに眼が向かっている。そして,着実に復興に向かって頑張っている東日本の姿ばかりが印象に残る。しかし,復興に向かっているのは,全体のほんの一部にすぎない,ということをもっと精確に報道してもらいたいものである。

しかし,地元新聞の「河北新報」などは,じつにきめ細かく復興情報を伝えている。そして,まだ,手つかずの地域がどのような状態になっているのかも,しっかりと伝えている。つまり,地元住民の目線で報道がなされているのである。よくないのは,東京の大手新聞社やテレビ局の報道だ。「上から目線」で,ちょこちょこと取材をして,つまり「目立つ」ところだけをとりあげて,こと足れりとしている。だから,そこからは震災復興の実態はみえてこない。わたしたちは,その虚構に踊らされているにすぎない。

その結果として生ずるのが,東京と被災地との「温度差」である。これが関西にいくともっと「温度差」が広がる。九州にいくと,もはや,遠い国のできごとのようにみえているのかも知れない。東京にいるわたしたちが,鹿児島の桜島が噴火しても,ほとんど実感としては理解不能であるのと同じように。この「温度差」を埋め合わす努力をしていかないと,ほんとうの意味での「災害復興」は実現しない,とこんどの旅でしみじみと思った次第。

とにもかくにも,いま,東日本で進行している事態は,まさに「非常事態」そのものであるにもかかわらず,それをむしろ隠蔽するかのように「政局」争いをしている,わが日本酷(国)政府はなにを考えているのか・・・・と情けなくなる。選挙をすれば原発推進のイシハラ君を選んでしまう東京都民も情けないが・・・・。みんな,自分のことではないのだ。他山の火事を高見の見物で終わらせてはならない。必ず,その「死の灰」はわが身に降りかかってくるのだから。

2011年7月2日土曜日

電気予報ではなく,節電成果の報道を。

今日も気温は上がったが,曇っていたのでいくらか楽だった。それに風も吹いていたので,とても助かった。しかし,風向きがころころ変わるので,部屋の中にいると,窓から入る風はときどき止まってしまう。そのときは,小さなおもちゃのような扇風機の活躍だ。これは冬の暖房用に買ったものだ。床の冷たい空気を天上に向けて吹き上げ,天上の温かい空気を攪拌させるのが目的の扇風機。これを夏に使うとは思ってもいなかった。

これでも今日はいささか暑くて汗が流れた。仕方がないので,ずっとずっとむかし,エアコンもなかった時代の稲垣流「涼」のとり方を復活させた。家の中で机に向かってする仕事なので,だれ憚ることもない。上半身ははだか。下はステテコ。背中に濡れタオル。若かったころはこの濡れタオルがすぐに乾いてしまったが,今日やってみたら,いやはや何時間も乾かない。面倒がなくて嬉しいというより,なんだか寂しい。でも,この「涼」のとり方をしていると眠気まで追い払うことができる。一石二鳥だ。これで,これからの夏の対策もできた。

エアコンは夜の蒸し暑いときのために残しておこう。部屋を締め切ったまま,エアコンもつけずに頑張っていたお年寄りが熱中症で死んだというニュースがあった。そうか,頑張っているうちに死んでしまうこともあるのがお年寄りだ,と知る。わたしにもその資格が十分にある。もう,これからは,夜の眠りに関しては,わがままを通そう。

事務所では,パソコンを使っている間は電灯は要らない。午後7時になっても,いまは,部屋の灯りは不要。お茶を飲むためのお湯も,これまでは面倒だったので,チンで沸かしていた。しかし,3・11以後は,ガスで沸かす。風呂だけは,夜間電気でお湯がでるようになっているので,贅沢に入ることにしている。暑い夏は熱い風呂に限る。

今日も,事務所に到着するとすぐに汗が吹き出してくる。そのついでに,太極拳の稽古に入る。準備運動をかなり省略しても大丈夫だから。でも,膝を痛めてはいけないので,このあたりのアップだけは念入りにして,あとは省略。そして,ほぼ,40分。太極拳の世界に遊ぶ。終わると汗びっしょりである。そのまま,「〇〇の湯」というパウダーを入れた風呂に入る。これが結構,楽しめる。毎回,違う温泉の素を用いる。気分転換にはもってこいだ。そして,しっかりと頭のてっぺんから足の先まで洗う。たっぷりと汗を流して,さいごは水シャワー。これで気持ちも引き締まる。

7月1日から,官庁も企業も事業所も商店もみんな「15%」の節電に頑張っている(はずな)ので,わたしもささやかながら,やれることからやってみようと努力中。でも,わたしにとっては,なんのことはない,ほんの20年ほど前にライフ・スタイルを戻せばいいだけのこと。でも,便利さに慣れきってしまった「からだ」はわがままになっている。その「からだ」をなだめすかして,むかしの状態に引き戻していく。これもまた楽しいものである。自己のからだとの会話が,久しぶりにはじまる。時折,声に出して話しかけている。「おいっ,まだ,大丈夫か?」と。

世の中,みなさん,相当に,節電に努力されているはずだ・・・と想像している。しかし,どのくらいの節電が可能となっているのか,インターネットを調べないとわからない。そのインターネットも「電気予報」などということには熱心であるが,「節電成果」については,なぜか,熱意が感じられない。そこに,なにかが働いている,などとわたしなどは勘繰ってしまう。そう,「節電」をお願いしつつ,じつは,あまり熱心に「節電」されては困る企業の影の「力」が,こんなところにまで及んでいるのか・・・と。そう,戦時中の大本営ほどの「力」がある・・・とも聞いていますので。

わかりやすく,天気予報のとなりに昨日の「節電成果」をグラフと数字でわかりやすく示してほしい。そうすれば,今日の努力目標が定まる。意欲も湧く。そうして,この夏を乗り切るための心構えもできてくる。

しかし,なぜか,この「節電成果」を公表することに,新聞もテレビも積極的ではない。しかし,いまのわたしたちにとっては,ぜひとも知りたい情報であり,努力目標でもある。にもかかわらず,そのような情報が流れない。なぜ,このようなことが起きるのか,とくとお考えください。このようにして,わたしたちは,いまもみごとに情報コントロールされているのです。こんなことがなにげなく行われているということだけは,忘れないようにしましょう。

わたしは,昨日の「節電成果」を知りたい。てっとり早く。天気予報よりも,知りたい。

〔追記〕
東京新聞には「電力の情報」という囲み記事があり,前日(1日)の「電力使用状況」が棒グラフになっている。一時間ごとの推移が棒グラフになっていて,キロワット数も書いてある。その隣には「最大供給力」4660万kw,「予想最大電力需要」3650万kw,とありピークは午後2時台,という予報が書いてある。これはとてもありがたい。インターネットで追跡しなくても済む。一目瞭然。その隣には「節電の工夫」という囲みがあり,「打ち水でエアコン控える」とある。幼いこどもたちが桶の水を撒いている写真まで載っている。この写真だけで「涼」を呼んでいる。
ちなみに,7月1日(金)のピークは午後1時台で,使用量は4170万kw。供給電力5100万kwの81.8%。「やや余裕」という判定までしてある。1日は相当に暑い日だったのに,この程度で収まっているということは,相当に「節電」努力があったということだ。
こころを引き締めていけば,この夏は大丈夫だ,とわたしは確信する。同時に,安心も。

7月1日から東京新聞。福島県伊達市4地区,新たに特定避難勧奨地点に。

恥ずかしながら,長年愛読してきた朝日新聞に別れを告げ,7月1日から東京新聞に乗り換えました。同じ新聞なのに,そこから伝わってくるメッセージ性はまるで違います。わたしの,かねてからの感想をひとことで言えば,東京新聞は「市民目線」,朝日新聞は「上から目線」。あるいは,前者は「生命重視」,後者は「経済重視」。この違いは,3・11以後のわたしたちの生き方を考える上では,天と地ほどの違いがある,と考えています。

これからは(3・11以後は)「生命重視」,つまり人間が「生きる」という原点から考え直さなくてはいけない,と覚悟を決めました。これは一種の「踏み絵」のようなものでもあります。その点で,いまの朝日新聞は地に足がついていない,とわたしは判断しました。

さて,7月1日の東京新聞一面は,放射能汚泥関東3万トン(焼却灰など保管限界,業者引き取り拒否),東電作業員1295人所在不明(4月以降従事4325人,半数が未検査),伊達市4地区避難勧奨(政府指定ホットスポット113世帯),消費増税2010年代半ば(一体改革最終案,段階的に10%,政府案骨抜き)という四つの記事が大見出し。

まずは伊達市の記事に目がいきました。伊達市は,飯館村の隣りにある山の中の市。福島第一原発からは50キロも離れているのに,放射線量が局地的に高いホットスポットが4地区にあるので,そこを新たに「特定避難勧奨地点」として政府が指定したという記事です。伊達市の隣の飯館村は,一昨日,車で通り抜けたときに,驚くほど高い放射線量の値を示したところです。ここはすでに避難勧奨地点として指定されていますが,ほとんどの家は,いまもここで暮らしていて,農作業もいつもどおりに行われている,と聞きました。実際,わたしの眼にも,いわゆるふつうの山の中の農村風景とどこも違わない,のどかな光景としてみえていました。痛くもない,眼にもみえない放射性物質の恐さを感じました。

新聞記事によれば,「勧奨地点は,原発の半径二十キロ圏内にある警戒区域や計画的避難区域から外れているのに,年間の積算被ばく線量が二〇ミリシーベルトを超える可能性がある場所が対象。住居単位で指定する」とあります。問題はこの「年間積算被ばく線量二〇ミリシーベルト」という基準にあります。「小学生以下の子どもや妊産婦がいる家に配慮した」と記事にありますが,ほんとうに「二〇ミリシーベルト」で大丈夫なのか,という議論があるのはよく知られているとおりです。これは,医学的根拠というよりは,政治的根拠の方が強いのではないか,というのが今回のわたしの三日間の旅で考えたことでした。

それを裏づけるような記事が,同じ7月1日の「こちら特報部」という2面ぶち抜きの囲み記事で,大きく取り上げられています。そこには「外部被ばく年1ミリシーベルト超」(学校疎開求め仮処分申請,福島・郡山小中7校の児童や保護者」という見出しが躍っています。その左側のページには「健康守るのが最優先」という大きな活字が躍り,「同級生と一緒なら我慢」「原発事故後500人転校」という小見出しがつづき,「学校疎開」を申し立てた母親の記事が大きく取り上げられています。

福島市や郡山市では,年間「1ミリシーベルト」で大議論になっているのに,伊達市のホットスポットでは「二〇ミリシーベルト」が基準になっています。この「差」はいったいなにを意味しているのでしょうか。確たる医学的根拠にもとづくものではない,ということは明らかです。もし,「1ミリシーベルト」を基準にしてしまうと,福島市や郡山市はすべて「避難勧奨」の対象となってしまいます。そうなると,もはや,受け皿が間に合いません。民族大移動がはじまることになるからです。そこを視野に入れての「政治的判断」をめぐる議論の攻防が繰り広げられている,ということのようです。しかし,その「差」の大きさはなにか,と首をかしげてしまいます。

こういう人間の死活問題にかかわる大問題が,福島県では日々,繰り広げられているというのに,世の中,あげて「節電」関連情報で埋めつくされています。これから7月,8月は,おそらく「節電」に人びとの目は釘付けにされたまま,フクシマもツナミも忘却の彼方に消え去ってしまうのではないか,とわたしは危惧しています。その点で,東京新聞は7月1日の一面には「節電」の「せ」の字もありませんでした。そして,現段階での最大のテーマである「放射線量」をめぐる事態の推移に,読者の目を向けさせている東京新聞の姿勢を高く評価したいと思います。

これでようやく新聞紙面に向って大きな声で「違うだろう!」「なにを考えているんだっ!」などと吼えなくてもすみそうです。わたしにとって東京新聞はとてもいい精神安定剤となることでしょう。ありがたいことです。


2011年7月1日金曜日

衝撃の三日間・東北被災地を巡る。

6月28・29・30日の三日間,東北の被災地を巡ってきました。
仙台大学に勤務する友人のNさんが,わたしのために時間を割いてくださり,精力的にあちこち案内してくれました。やはり,こちらにやって来て,現場に立ち,じかに空気に触れ,匂いを嗅ぎ,じっと見つめ,思いをいたし,呼吸をする,そして,時間経過とともにからだに記憶を刻み込む・・・・このことの重要性についていまさらのように思い知らされました。

フル・タイムでわたしを案内してくださった友人のNさんにこころから感謝したいと思います。お蔭さまで,出かける前と後とでは,わたしの見方・考え方に大きな変化が生まれました。またひとつ,自分を「超えでる」経験をすることができました。ありがとうございました。

テレビや新聞,雑誌などでえられる情報は,どこまでいっても,それは「与えられる情報」でしかありません。つまり,ある特定個人によって切り取られ,演出された情報でしかありません。今回は,わたしの注文とNさんの見せたいところとがうまくマッチしていて,ありがたいことでした。

これから,このブログをとおして,印象に残ったこと,考えたこと,感じたことなどを少しずつ報告したいと思っています。ですので,細部については,のちほど・・・ということにして,今回の旅の大枠を報告させていただきます。

初日の午後に仙台大学に到着(船岡駅にNさんが待っていてくれました)。そこで,岩瀬さんという女性との出会いがありました。この人の話もまた,のちほど。Nさんは,すぐに会議があって,その終わりを待ちながら,岩瀬さんとずいぶんとおしゃべりを楽しむことができました。才気煥発の女性で,とても楽しく会話がはずみました。ほどなく,Nさんが会議からもどり,日和山公園に向かいました。それは,わたしの注文でした。もっと近いと思っていたら,船岡からはとんでもなく遠く,わたしの誤算でした。が,ここからの眺望は,やはり,衝撃的でした。山の頂上には鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)が祀ってあって,ここから文字通り海の「日和」を見定めていたことが,からだをとおして納得できました。この帰路には日が暮れてしまい,周囲は真っ暗。途中の松島のあたりも電気の回復が遅れていて,どこもかしこも真っ暗。もちろん,交差点の信号機も作動していません。出会った車同士がお互いに判断して,優先順位を決めています。この「暗さ」のなかに,車のライトに照らされて,根こそぎになった松の大木が道路のすぐわきに姿をみせたりします。転々と家があるのに,どこも「真っ暗」。もちろん,人は住んでいません。こういう光景もまた異様でした。

翌日の29日は午前6時にホテルまでNさんが迎えにきてくださり,行動開始です。この日はまる一日,岩沼市の海岸線を北上し,仙台空港をとおり,どんどん北上。気仙沼から陸前高田まで行って,折り返しました。帰路,一関をとおるというので,世界遺産になったばかりの中尊寺をお参りして帰ってきました。ホテルにもどったのは午後6時をすぎていました。まるまる12時間以上も車で移動していたことになります。この詳細な報告もまた,のちほど。

最後の30日は,午前7時にホテルを出発。こんどは海岸線を南下して,南相馬に向かいました。その途中,二カ所ほど役場に立ち寄り,ボランティア活動の拠点を見学させてもらいました。そして,相馬市を通過して,南相馬に入り,20キロ圏内の関門所まで行きました。放射線の計数器をNさんがとりだし,その数字とにらめっこしながらの旅でした。0.50マイクロ・シーベルトに設定してある計数器が,途中で鳴りはじめ,ドキッとしました。が,まもなく鳴りやみ,ほっと一息。関門所は,近くのコンビニ店の駐車場から観察。警察官の許可をもらって,20キロ圏内に入っていく車が相当数あり,なんとも複雑な気持ちにさせられました。おそらくは,そこに家のある人たちがほとんどでしょう。中に入れば入るほど放射能の値は高くなるわけです。それを承知で入っていく,入っていかなくてはいられない,そういう人たちの思いを,これはその場に立ち尽くしたまま憶測するのみでした。

ここから折り返しですが,南相馬から飯館村を通過して福島市に向かいました。が,これは,言語につくし難い恐怖体験でした。20キロの関門所では,0.50マイクロ・シーベルトよりも値が低かったので,ある程度は冷静にいられました。が,福島市に向かう方向にハンドルを切ったとたんに,計数器が断続的に鳴りはじめました。が,山に近づくにしたがって,断続的ではなく,ひっきりなしに鳴りつづけです。しかも,その値はどんどん上がっていきます。1.00を超えたところで,大丈夫なのかなと思っていましたが,飯館村の前後の山の中では,どんどんその値が上がっていき,とうとう4.80まで上がったときにはわたしの前腕の血液が逆流しはじめました。もう,引き返すに引き返せません。福島市に向かう一本道をひたすら車を走らせるのみです。この道は相馬市と福島市を結ぶ幹線道路で,多くの車が往来しています。みんな,どんな気持ちで運転しているのだろうか,考えてしまいました。

福島市に到着しても,計数器は鳴りっぱなしです。1.80から2.50くらいの間を行ったりきたりしています。福島市を通過して高速道路にのって北上をはじめたら,値が一気にさがり,計数器も鳴らなくなりました。途中で,昼食を済ませ,一路,こんどは東北福祉大に向かいました。午後から,Nさんの講義(非常勤講師)があるからです。Nさんに誘われて,一緒に授業をやりませんか,ということになり,わたしも参入(乱入?)。30分くらい話をしてくれ,ということだったのに気づいたら40分も話していました。この話もいずれのちほど。

この授業を終えて,仙台駅まで送ってもらって,東北新幹線で帰ってきました。
以上が,この三日間の大枠の報告です。
密度の濃い,自己を「超えでる」経験の連続でした。
やはり,思い切って出かけてよかった,といましみじみと思っています。
これから,少しずつ,詳しい報告を書きたいと思っています。
とりあえず,この三日間のご報告まで。