2012年7月31日火曜日

「動作に合わせて目線をゆっくりまわす」・李自力老師語録・その16.

 目線は大事です。目線が安定していないと動作もばらばらになってしまいます。目線は周囲に注意を払いながら,動作に合わせてゆっくりとまわします。点から点へと目線を飛ばしてはいけません。腰の回転に合わせて頭もまわし,その動きに合わせて目線もゆっくりと移動していきます。そして,そのとき周囲のあらゆる情況に対応できる目線のまわし方が求められます。ですから,目線が安定すると動作もどっしりし,大きなひろがりをもつようになります。

 と,李自力老師はおっしゃる。このことばは,ジュニアのトップ・レベルの選手の個人練習を見学させてもらったときに聞いたものです。ここでは,ひとまとめにして書きましたが,実際には何回にもわけて李老師が語ったものです。この動作のときにはこのように,つぎの動作のときにはこのように,という具合にです。すると,みるみる選手の動作が変化してきます。まるでマジックにかかったかのように動作がしっかりとしてきます。それはみていても感動的でした。

 もちろん,選手の素質もあるのでしょうが,みごとに美しく,大きくて,どっしりとした動作に変化していくのです。もちろん,わたしたちの稽古のときにもいつも「目線!」という鋭い声の檄がとびます。そのつど,わたしなどは慌ててしまっておろおろするばかりですが,それでもときおりは「そうです!」と褒めてくださる。これが嬉しい。

 ところが,李老師のほめ言葉は,じつは「ようやくその意味がわかりはじめましたね」というものであって,「それで完璧です」という意味ではありません。目線はしっかりと自分で意識して稽古しないと安定してこないことは,わたしにもわかります。が,つい,うっかりして忘れてしまいます。そして,点から点へと一直線に動かしてしまいます。そのたびに,「目線!」という鋭い声がとんできます。そして,何回も何回も同じことを繰り返し指摘されてしまいます。

 目線のポイントは,太極拳は武術である,ということを強く意識することにあるようです。つねに,あらゆる方向から敵に囲まれているという情況を意識的に設定すること,そして,どこから敵が襲ってきてもそれに対応できる姿勢を作り上げること,それがしっかりとした目線を作り上げていくのでしょう。敵の存在,技の意味,それらを深く理解していれば,目線は自然に安定してくるはずです。

 頭のなかではわかったつもりなのですが,それをからだに染み込ませるのは大変です。目線を「自動化」するところまで精度を高めるには身の入った,気持の入った稽古を積み重ねるしかありません。そこがむつかしいところです。わかっているけれどもできない,それがふつうの人間です。そこを克服すること,そこに武術である太極拳を稽古することの意味があるのでしょう。

 目線は大事です。李老師がおっしゃるのとは別の意味でも,目線は大事です。街中を歩いていても,目線は大事です。しかし,近頃は自分の周囲に注意を払う人がどんどん減ってきています。いわゆる「ながら歩き」をしている若い人が激増しているからです。ぶつかりそうになるのを避けて歩いているのは高齢者の方です。これを「世の中が平和になった証拠だ」とみるか,それとも「人間が自分の身を守るという本能を失った結果だ」「だから,退化だ」とみるかは意見の分かれるところでしょう。

 わたしは個人的には「退化だ」と考えています。やはり,人間として生まれたからには,そのもてる能力を十全に活用して生きていく,これが基本だと思います。使わない器官は退化します。その退化を防止する意味でも,太極拳の稽古は大事だと思っています。ですから,目線の稽古は,ある意味では生きることの基本になっているのではないか,と考えています。

 一度,李老師に確認してみる必要がありそうです。でも,稽古になると,質問することを忘れてしまいます。なんとも情けないことですが・・・・。

2012年7月30日月曜日

「奄美自由大学」(今福龍太主宰)の案内がとどきました。

 昨年,初めて参加させていただいた「奄美自由大学」の記憶がまだ鮮明に残っているのに,もう,ことしの開催案内がとどきました。この一年,いったいなにをしていたのだろうかと首を傾げてしまいます。早いものです。

 奄美大島は文字通り大きな島で,山また山の,ほとんどが山で,平地は海岸沿いにほんの少しだけ。その猫の額のような土地に人びとはむかしながらの生を営んでいる・・・・それが昨年のもっとも強烈な印象でした。もっといえば,「自然」と向き合うことなしには生活は成り立たない,本来の人間の暮しの基本形がいまもそっと生きている,そういうところでした。ですから,なんだかとても懐かしい気持にさせられる,子どものころにほんの少しだけ経験した暮しの仕方が,突如,からだの記憶をとおしてよみがえってくる,そんな体験をいっぱいすることができました。ですから,いまも,チャンスがあればあの静謐な時空間のなかに身を置いてみたい,そんな衝動にかられます。

 ことしの案内は,つぎのような今福さんの魅力的な文章で呼びかけられ,読んだその瞬間から「行く」とこころを決めずにはいられない,恐るべき魔力をもっています。
 以下に引いてみます。

奄美自由大学2012への誘い──<ウトゥ・ヌ・クラスィン>へ

 珊瑚の汀,ヒカゲヘゴの鬱蒼たる森,巨大なガジュマルの根元に口を開ける洞窟。島々のすみからすみまで,豊かな<沈黙>が静かにうち騒いでいます。それは音のない沈黙ではなく,音の充満する沈黙。都会とメディアの喧騒のなかで生きている現代人の耳にはもう届かなくなってしまった,万象のささやき声からなる,静謐な音と声の充満です。

 それは,群島が古くから受けついてきたカナシャル(愛おしい)<沈黙>。

 荘子は,人間の根源的な姿への回帰について語るのに「小鳥を鳴かせずに鳥籠に入れる」と言いました。これは豊かな沈黙をどのようにして捕獲するかという技法について語ったものといえます。あるいは今年生誕百年になる作曲家ジョン・ケージは,まさに「沈黙」と題された名著『サイレンス』のなかで,自然界の音楽として静かに鳴り響く<沈黙>を再発見し,自己の意思や意図を捨ててキノコの森にひろがる奥深い智慧の闇へと入っていくことで,誰もつかめなかった快活な自由を手にしました。

 この<沈黙>,この豊穣な音と意味を秘めた深遠な<しじま>を,あらたに私たちは奄美言葉でこう名づけました。<ウトゥ・ヌ・クラスィン>,つまり<音の暗がり>。都会の饒舌と喧騒からいさぎよくたち去って,沈黙の夜へと参入してみませんか? 奄美群島のなかでもっとも「静謐」なシマをめざして,今年の奄美自由大学は,鈍く光りながら深い闇の沈黙を奏でる怪しき島,請島(うけしま)へのはるかな巡礼の旅を企画しました。

 この案内文を読んだ瞬間に,ことしの今福さんの「企み」が透けてみえてきて,こころもそぞろです。こんな誘いを無視することはできません。「沈黙」かあぁっ,とひとつため息。今福さんは荘子とジョン・ケージを引き合いに出していますが,わたしの脳裏には,まっさきにル・クレジオの『物質的恍惚』が津波のように押し寄せてきています。「生前」「生後」「死後」の三部作になっているル・クレジオの,とりわけ「生前」と「死後」の世界が彷彿としてきます。あるいは,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』で展開されている「動物性」(聖なる世界,内在性の世界)は,まさに今福さんのいう「沈黙」に通底するものに違いない,とこれはわたしの確信のようなもの。

 田舎の小さな寺に育ったわたしも,夜の静けさと真っ暗闇はからだのなかに染み込んでいます。ですから,<ウトゥ・ヌ・クラスィン>(音の暗がり)といわれて,理由もなく「ピン」とくるものがあります。たとえば,本堂の裏側にあった墓地がそうでした。鬱蒼と繁った木に囲まれた小さな空間でしたが,夜になると静謐とざわめきが真っ暗な闇のなかで蠢いているような,「多にして一」「一にして多」というような,禅的な世界がひろがっていたこととつながっているようにも思います。しかし,いまは,そう断言するだけの勇気はありませんが・・・・。

 これはもう,「鈍く光ながら深い闇の沈黙を奏でる怪しき島,請島」に行くしかありません。そして,その場に立つこと,ただそれだけ。そこで,わたしのからだは請島の放つ「闇の沈黙」とどのような会話をはじめるのだろうか,それを心静かに待つのみ。

 やはり,もう一度,ル・クレジオの『物質的恍惚』を読み返そう。請島に向かう前に。そして,ついでにジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』も。あるいは,この2冊は持参することになるかも・・・・。愛読してやまないこの2著の世界に,請島という場を借りて,身もこころも丸投げにしてみたい。そのとき,わたしはなにに触れ,なにを感じ,なにを吸収するのだろうか。もう,想像するだけで足が地につきません。

 原初の人間が,動物性の世界から<横滑り>したときの経験とはなにであったのか,これが,こんどの奄美自由大学でのわたしのテーマ。面白くなりそうだ。

2012年7月29日日曜日

「蛇の生殺しのような世界を生きています」と東北のK市で被災し,仮説住宅で暮らす友人からのメールに接し,絶句。

 朝食時のテレビでニュースをみようと思ったら,いきなり,ロンドン・オリンピックの開会式の映像が流れ,それが延々とつづく。職業柄,一応は見ておかなくてはと思いながら,あれこれメモをとりはじめる。いつからオリンピックの開会式のアトラクションが,こんなに演劇的になったのかなぁ,と考えたり,いったい,なんのために,だれのために,このアトラクションが演出されているのだろうか,と考えたり・・・・。やがて,選手団入場。ただ,漠然と入場行進を眺めているだけ。テレビのナレーションも気が抜けている。退屈してくると,いつしか,このオリンピックの安全を確保するために3万人に及ぶ軍隊,警察,その他の関係者が動員されているんだったなぁ,おまけに地対空ミサイルまで設置されているんだよなァ,と考えたりしている。そして,オリンピックはいまや戦争と同じになってしまったなぁ,などと考えはじめてますます興ざめとなる。なのに,とうとう,3時間もこの映像をみるはめになってしまった。

 これからオリンピックが終わるまで,もっと重要なニュースがあっても,みんなカットされてしまう。あるいは,軽くあしらわれてしまうことになる。そうして,脱原発デモも,国会審議の重要案件も,国際社会の動向も,どこか遠いところに霞んでしまい,人びとの意識から消えてしまう。オリンピックが終わったころには,もう,かつての「茹でガエル」になりはてているだろう。こうして,オリンピックは多くの人の「思考停止」のために大きな貢献をすることになる。つまり,オリンピックはアホの大量生産装置。

 そんなことを考えている折も折,東北のK市で被災し,仮説住宅暮らしを強いられている友人から表記のようなメールがとどく。「蛇の生殺しのような世界を生きています」と。

 いま友人と書いたが,じつは面識はない。わたしの書いたブログにコメントを入れてくれた人で,仮にTさんと呼ぶことにしよう。K市もTさんも,みんな実名で書いた方がいいかなとも考えたが,いつ,どんな形でK市にも,Tさんにもご迷惑をおかけすることになるかわからないと考え,イニシャルにした。じつは,Tさんからはこんどのメールが2回目である。しかも,1回目のメールからはずいぶん間が空いている。

 Tさんも,長い間,迷っていたが思いきってこのメールを送信することにした,と書いていらっしゃる。添付ファイルが膨大なので,3分割して,つまり,3回に分けてメールが送信されてきている。あちこちファイルを開いて,ちょいと覗いてみたら,これはおいそれと簡単に読めるメールではないし,ましてや簡単に返信を書けるメールではない,と気づく。そこで,正直に「いま締め切りのきている原稿と格闘中なので,しばらく時間をください」と応答。

 そのまま,原稿にとりかかる。しかし,Tさんのメールが気になって仕方がない。こんな気持では原稿どころではないと考え,原稿を中断してTさんからの長い手紙を開いて読みはじめる。Tさんの,胸のうちに湧き起こってくる感情を極力コントロールした,落ち着きのある重い文章がつづく。Tさんの個人情報はほとんどなにもわからない。ただ,65歳であるということだけで,どういう経歴の方かもわからない。しかし,文中に用いられていることばづかいからして,かなりの読書家であり,インテリであることだけは確かだ。

 Tさんのおっしゃる趣旨はおおよそ以下のとおり。
 こんどの大震災で家を流され,実母と義父の命を奪われてしまい,いまは,仮説住宅に住んでいる。しかし,仕事はない。K市の復興は遅々として進まない。政府による被災住宅再建のための500万円の資金援助の話もどこかに立ち消え。K市の人口はどんどん流出し,商店も閉じたまま。土地はあるがそこに家を建てることは許されず,それ以外の土地に家を建てるだけの資金がない。おまけに,仮説住宅を追い出されたら,家賃を払うお金がない。まったく身動きできないまま,このさきの展望も得られず,無為の日々を送っている。絶望のどん底から這い上がる目処も立たない。まるで,「蛇の生殺しのような世界を生きている」とTさんはおっしゃる。

 この他にも,Tさんは日本の社会の歪みの分析,たとえば,政府や地方自治体や企業などの「無責任体質」がどこから生じてきたかといった問題について,じつに適切な分析をなさっている。その道の専門家ではないか,とすら感じられる思考の深さが伝わってくる。

 このTさんに,どのような応答をすればいいのか,わたしはしばし考えてしまう。復興のための軍資金が宙に浮いてしまって,被災者の手元にとどかないまま,どこかに消えてしまっている。この複雑なからくりについて,Tさんは考え,苛立ちを禁じえない,とおっしゃる。

 こうなったら,まだ,開いていないファイルの資料や手記などを丹念に読んで勉強してから,わたしなりのスタンスを構築する以外にはない。重い宿題をいただいた。しかし,Tさんのお蔭で,被災者の生の声を聞かせていただくことができる。その上で考えることができる。新聞や本を読んで考えるのとはまったく違ったリアルがそこにはある。わたしにとっては,しっかりと勉強することのできる,ありがたいチャンスである。

 ロンドンでオリンピックが開催されようが,脱原発のデモが盛り上がろうが,Tさんのような被災者の生活は宙に浮いたままなのだ。それどころか,「蛇の生殺しのような世界を生きている」人たちの存在すら,多くの人びとの記憶から消えていく一方なのだ。

 東日本大震災からの「復興」は,これからが正念場だ。これから,どのような忍耐と努力を積み上げていくことができるか,その一点にかかっている。そして,遠く離れて暮らしているわたしたちが,これからどのような支援をしていくことができるのか,本気で考えなくてはならないだろう。

 ピンチはチャンスでもある。「復興」とはどういうことなのか。こんなことすら考えることができない,狂気と化してしまった「理性」を,もう一度,振り出しにもどすこと。そして,人が生きるための「理性」をわがものとすること。そこからの「復興」こそが待ち望まれるところだ。そのために,いま,わたしたちはなにをなすべきか。

ロンドン・オリンピックで浮かれている場合ではないのだ。



2012年7月26日木曜日

NHK・クローズアップ現代「デモは社会を変えるか,声をあげる市民たち」・考。

 今日の午後にブログを書いた(「日本のメディアはいつから「世論操作機関」と化したのか)同じ日の午後7時30分のNHK・クローズアップ現代で,「デモは社会を変えるか,声をあげる市民たち」というタイトルで,最近の脱原発・原発再稼働反対のデモをとりあげていた。夕食の準備をしながらの「ちらり見」なので,見落としがあるかもしれない。が,いかにもNHKらしい取り上げ方だなぁ,と半分は不満であった。最後に解説者として登場した映画監督の森達也さんの話はうなづける部分も多かったが,いささか物足りなかった。時間が足りないから仕方がないのかもしれないが,もっと踏み込んでほしかった。

 ほかのメディアでの報道の仕方もみんな同じなのだが,これまでの組織立ったデモとはまったく異質の,個々バラバラの市民が集まってきて,それぞれのやり方で自分の意思を表明するところに今回のデモの特徴がある,というところに話題が終始している。このこと自体はなにも間違ってはいない。しかし,では,どうして,こういう組織にも縛られてはいない,まったく自由意思にもとづく人びとが,自発的に集まってくるのか,というもっとも重要な点についての絞り込みと分析が欠けている。場合によっては,意図的に忌避しているのではないか,と思われる節もあるが・・・。

 少なくとも,これまでデモなどとはほとんど無縁で,どちらかと言えば他人まかせで,傍観者的な立ち位置にいた人たちが今回は主役である,なぜ,そういう人たちが登場したのか,ということにもっともっと光を当てるべきではないのか。なぜ,そういう人たちが,つまり,子ずれの主婦たちが,勤め帰りのサラリーマンが,若い学生さん風の男性や女性たちが,中高年のおじさん・おばさんたちが,そして,初老からかなりの高齢者の人たちまでが,首相官邸前に金曜日になると集まってくる。すでに,これがはじまってから4カ月を経過している。しかも,毎回,その数が増えつづけているという。そして,ついに20日には10万人を越えたという。

 ここには,特定のイデオロギーもなにもない。その動機はじつに簡単だ。原発から「命を守る」にはどうしたらいいのか,ただ,それだけだ。少なくとも,わたしはそれだけの理由でこのデモにも出かけるようにしている。そして,その場に立ち,いろいろの人の立ち姿をみながら,わたし自身がなにをこれからしていくべきかを考える。未来を生きる幼児や青少年たちに,安心して生きていかれる社会を残すにはどうしたらいいのか。かれらの「命を守る」ためには,いま,なにをしなくてはいけないのか。そんなことを,あの場に立ちながら,ひたすら考える。その場にいる人たち同士で,お互いに語り合うこともなく,みんな黙って思考をめぐらせている。その雰囲気は,すぐとなりに立っている見知らぬ人からも伝わってくる。

 60年安保闘争を,わたしは学生として経験している。その場はイデオロギーで塗り固められていた。そして,曲がりなりにもひとかどの理論武装(なにゆえに,この闘争に参加しているのか)が必要だった。そして,ある会派別に,それぞれの主張を展開していた。70年安保ではもっと過激になり,ついには「内ゲバ」まで発生して,やがて孤立していくことになった。このときも,わたしはわたしのやり方でシンパ的な立場で行動をしていた。それでも,なにかしっくりこないものが残った。

 しかし,今回のデモはなんの心配もいらない。言ってしまえば,考えていることはみんな違うだろう。厳密に問い詰めていけば,みんな,ばらばらの考えになるのだろう。でも,たったひとつだけ共通していることがある。それが「命を守る」という立場だ。

 この一点を共有しつつ,それぞれのやり方でデモに参加している。ちょっと顔を出すだけで,すぐに帰っていく人もいる。遅れてやってくる人もいる。まったく自由なのだ。なんの拘束力もない。知った人もいない。一人ひとりがどこからともなく集まってくる。これから育っていく子どもたちの「命を守る」ために。

 原発は一触即発だ。ひとたび,直下型の大地震に見舞われたら,それでお終いである。しかも,期限切れの原発をこれからも再稼働しようというのである。子どもたちの「命」の大切さに想像力をめぐらすことができない人びとが,日本の国家の中枢を占めている。このことに対する怒り・憤り・情けなさ,その他もろもろの感情が渾然一体となって,ついに,ふつうに生活している人びとを動かすにいたったのだ。そのことの重大さに,NHKをふくめたメディアがなぜ気づかないのか。気づこうとしないのか。いやいや,「見て見ぬふり」をするのか。

 政治家も官僚も財界人も学界もメディアも,みんな「人が生きる」ということの意味,「命の尊さ」,人の存在の尊厳というものを考える「理性」を欠いてしまっているのだ。人の命よりも,経済が大事なのだ。もっと言ってしまえば,アメリカとの連帯が大事なのだ。そのためには,国民の「命」を犠牲にしてもいいと思っているのだ。だから,沖縄の基地の問題も,長年にわたって放置していても平気なのだ。それ以上に,アメリカさんのご機嫌をうかがうことの方が大事なのだ。

 長くなってきたので,この辺りで終わりにしておこう。
 NHK・クローズアップ現代は,これから何回にもわたって,いま起きているデモの本質はなにかを取り上げ,多くの識者を登場させて議論してもらいたい。そして,日本という国家が,アメリカさんのために「自発的隷従」の姿勢をとりつづけ,みずから「思考停止」してしまって平気なのだという,その諸悪の根源を明らかにしてもらいたい。少なくとも,その周辺まで分け入り,問題の本質を明らかにすべく努力してもらいたい。

 それが,国民から視聴料を徴収して番組を制作している国営放送局の,最低限の義務ではないか。でなければ,まったくの詐欺にも等しい。しかし,そんなことには無頓着できたし,いまも平気なのだ。その体質は,断るまでもなく,東電とまったく同じだ。

 「デモは社会を変えるか」などというタイトル自体が,古いデモの見方から脱していないなによりの証拠だ。すでに,社会は大きな変化を起こしていて,人びとの意識も大きく変化している。断っておくが,社会を変えるためのデモではないのだ。人びとの意識の変化がそのまま露出しはじめた,ただそれだけだ。このことがなにを意味しているか,その重大さは,これから徐々に形となって表出してくるだろう。

 その最大の表出は,すでに,既成政党への圧倒的不信感と絶望だ。選挙公約すら守らずに平気でいる政権党。これは選挙民に対する詐欺行為にも等しい。こんなことが許されると思っている,狂った「理性」の持ち主たちが,日本の中枢に居すわってきたということだ。その人たちへの「信」が,いま,大きな音をたてて崩れ落ちているというのに・・・・。まだ,気づいてはいない。あるいは,気づこうとはしない。あるいはまた,「見て見ぬふり」をしている。この厚顔無恥。

 一般市民は,そこに「NO」をつきつけるために,だれに拘束されることもなく,まったく自発的に,個人の立場でデモに参加するようになったのだ。もう,これ以上黙っているわけにはいかない・・・と。このこと自体が,革命的なことだ,とわたしは考えている。そのことになぜメディアは眼を瞑ろうとするのか。「思考停止」と「自発的隷従」に慣れきってしまった「茹でガエル」は,気づいても身動きできないのだろう。しかし,そんなこととは無縁のところで,もう,すでに市民も社会も大きく変化しているという認識こそが大事だ。

 今日一日のうちに,こんなブロクを二度も書くことになろうとは・・・・。
 これを契機にして,わたしはわたしの思考をさらに深めつつ,そのときどきの行動をとることにしよう。いま,日本は正念場に立たされている。その日本を支えるひとりの市民として。

日本のメディアはいつから「世論操作機関」と化したのか。

 フランスのル・モンド紙が,日本のメディアはなぜ毎週金曜日に行われている首相官邸前デモを報道しないのか,と疑問を投げかけているという。つまり,毎週,デモに参加する人数が増えつづけているのに(20日には10万人に達した・主催者発表),それを無視する日本のメディアが,フランスでは大きなニュースになっているというのだ。この異常さに,多くの日本人が気づきはじめているというのに,多くの報道各社はなぜか頬被りをして知らん顔のままだ。

 さすがのNHKも具合が悪いと気づいたのか,ほんのちょっぴりだけ,とってつけたような報道をするようになった。しかし,まったく腰が引けているのは,手にとるようにわかってしまう。民放テレビはもっとひどい。まったく無視したままのテレビ局がほとんでだ。大手新聞社も同様だ。近くの図書館で土曜日の新聞をひととおりチェックを入れるようにしているが,それはそれはみごとなものである。最近では,朝日新聞がいくらか目覚めたのか,少しずつ分量が増えはじめている。が,あとは毎日がつづくくらいのもの。読売,日経にいたってはまったく無視。その姿勢たるや恐るべしだ。

 「3・11」は,いろいろの意味で日本の中枢部にはびこる恥部が曝け出されることになったが,それにしも眼を覆いたくなるほどのみじめさ,無残さだ。これほどまでに堕落し,腐敗していたとは気づかなかった。その中心に「原発」があったということも知らなかった。そして,いまでは有名になってしまった「原子力ムラ」の住民が日本の中枢部に居すわっていて,自由自在に政治を「操作」していたこと,そして,いまも「操作」していることも明々白々となってしまった。にもかかわらず,まだ,平然とその権力を行使して恥じるところがない。なぜなら,そのことを批判するメディアがあまりにも少なすぎるからだ。だから,いまでも,多くの国民はその実態を知らないままでいる。

 東電の電気料金値上げの手続きをみていれば,この国の狂い方が手にとるようにわかる。まるで東電にはなんの手落ちもなかったかのようだ。全部,津波が悪いのだから,国民みんなで負担せよ,と。政府も手を拱いて,見て見ぬふりをしているだけだ。そして,最後は談合して「認可」するのみ。それを報道各社はなんの批判も加えることなく垂れ流し。かりに批判があったとしても,犬の遠吠えのような記事でしかない。情けなくなってくる。

 いま,首相官邸前で繰り広げられている金曜デモは,かつての安保闘争にも匹敵する規模になっているのだ。あのころのメディアは安保闘争のデモを,一面トップにもってきて大々的に報道していたではないか。脱原発を主張する首相官邸前デモは,それほどの大きな意味をもつ,ごくふつうの国民による直接的な意思表示であるにもかかわらず,いっさい無視をして平気なメディアとはいったいなんなのか。

 以前から変だと思っていたことのひとつに,選挙のたびに行われる新聞各社の「世論調査」がある。投票日が近づくと頻繁にくり返される。そうして,さも,民意がこんな風に変化しているよ,と教え諭すような振りをして暗示をかけ,「世論を操作」していたのだ,ということが今回のデモ報道の姿勢からして丸見えになってしまった。

 いったい,いつから,日本のメディアは「世論操作機関」と化してしまったのか。

 若者たちは,はるかに敏感なので,とっくのむかしに新聞もテレビも信用してはいない。だから,新聞を読まないし,テレビも見ない。もっぱら,インターネットを流れる情報を自分で選んで,読み比べている。そして,冷めた眼で日本の中枢部の狂った「理性」を批判的に眺めている。しかも,基本的に大人を信用してはいない。わたしのような世代が抱いていた,かつての若者特有のロマンなどかけらもないようだ。じつに現実的なのだ。

 なのに,つい最近になって不思議な現象が出はじめているように思う。それは,週刊誌の編集方針が変わりはじめている,ということだ。簡単に言ってしまえば,原子力ムラ路線の記事よりも,脱原発路線の記事の方が売れる,ということに気づきはじめたらしい。週刊誌の立ち読みはどこでもできるので,時折,めくりながらチェックを入れてみる。なかなか面白い発見がある。大手出版社が刊行している週刊誌なのに,意外に過激な脱原発記事を展開しているときがある。週刊誌の記事ほど信用ならないものはないが,それでも,多くの読者がいて,大いに「世論操作」する力をもっているのだから,むしろ要注意だ。だから,週刊誌が脱原発路線を「シャットアウト」したまま放置しておくのではなくて,そこから抜け出して,少しずつながら脱原発の主張を取り込もうとしつつあることは歓迎したい。

 むかしから読んでいるからそのまま同じ新聞を読みつづけるというのではなくて,どの新聞に「信」を置いて(そんな新聞は皆無に等しいが,それでもいくらかいいと思われるものを選んで)読むか,考えるべきときがきている。そして,テレビも漫然とつけっぱなしにするのではなくて,見たい番組を選んでみることを心がけるべきだろう。そうしないことには,いつまで経っても「世論操作機関」としての姿勢を崩そうとはしないだろう。

 わたしたちにできることはそんなささやかな抵抗でしかない。でも,こんなささやかな抵抗こそが,すべての意思表示のはじまりであり,やがてはデモにも参加して,自分なりのやり方で行動を起こすことにもつながっていく。まずは,読者,視聴者として,もうちょっとだけ「批評」のまなざしを向ける努力をしよう。このことが,いま,日本を変えていくための第一歩であるように思う。

メディアに,無意識のうちに「暗示」を掛けられ,「操作」されないように,ご用心を。

2012年7月25日水曜日

「オスプレイなど,どこ吹く風か」と沖縄の友人から。それよりも「差別」を乗り越えることを,とも。

 少年のころにみた原子力船,原子力空母のことが頭から離れません。以後,いくたびか,アメリカ軍の存在に不快を覚え,基地さえなければ,たとえ貧しくともむかしながらの助け合いの精神で,みんな仲良く楽しく暮らすことができるのに・・・と考えつづけてきました。しかし,現実はそうではありませんでした。それどころか,わたしたちはアメリカ軍の存在に悩み,ときには怯え,しばしば事件が起き,抗議をし,さんざんやってきたけれども事態はなにも変わりませんでした。「復帰」40年はその事実を,わたしたちのからだの芯までわからせてくれました。どんなにわたしたちが頑張っても,結局は「アメリカ支配」という実態はなにも変わりはしない,ということです。日本政府がアメリカ軍の肩代わりをしているだけで,「復帰」はそのフェイントでしかなかったではないか。そのことだけがまぎれもない事実として明らかになりました。だから,いまさら,オスプレイが来ようがなにも驚くことはありません。ああ,こんどはオスプレイか,とただそれだけです。こころはなんの反応も示しません。単なる傍観者でしかありません。それが沖縄に住むわたしを含めた一般的市民の感情だと思います。オスプレイどころか,わたしたちは,「いま」を生き延びることで精一杯なのです。明日のおまんまをどうやって食べていくのか,そのことと日々向き合って生きているのです。

 日本政府のフェイント・プレイやスタンド・プレイに,もう,これ以上,騙されることはないと思います。わたしたちは,より深く現実を見据え,自分たちの,つまり,沖縄固有の未来を模索していくしかないと考えています。だれも頼りにはならないということが骨身にしみたからです。これまでのような甘い夢(「本土なみ復帰」,など)をみることはやめにして,地に足のついた地道な努力を重ねていくことが大事だと気づきました。日本政府から,見栄えのいいエサをばら蒔かれても,もう飛びつくことはしないと思います。なぜなら,エサの美味しいところは本土のゼネコンがやってきてみんな吸い上げてしまって,あとの残り滓だけが沖縄に置き去りにされるだけだということもよくわかりました。そして,そのあとに遺るものは,すさんだこころの傷跡だけだということも,いやというほど知りました。

 これからはウチナンチュの温かいこころを軸にした,生き残りの道を,つまり,「自立」への道を模索していきたいと思います。つまり,カネではなくハートということです。

 本土ではオスプレイの沖縄配備に敏感に反応し,反対運動が展開しているようですが,わたしたちからすればなんだか漫画チックにみえて仕方ありません。なぜなら,その真意は沖縄の基地問題とはなんの関係もなく,オスプレイによる本土での飛行訓練計画に反対しているだけだからです。まことに自己中心主義的な主張であり,行動であるとしかいいようがありません。自分たちの県の上空が飛行計画に入っている,ということだけが反対の理由であって,それ以外のなにものでもないからです。

 沖縄のことをほんとうに考えてくれているのなら,沖縄の基地の肩代わりを,各県がほんの少しずつでもいいから引き受けてほしい。わたしたちは,オスプレイどころか,もっと恐ろしい危険飛行や騒音(基地の近くの学校では授業ができなくなる)に悩まされつづけてきているのです。それが日常なのです。この現実を,敗戦後67年,本土「復帰」後ですら40年,ずっと背負わされたまま,本土のどの県からも同情こそされても,結果的には「見て見ぬふり」をされ,基地を押し付けられてきたのです。これを「差別」と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか。

 朝鮮戦争のときや,ベトナム戦争のときの,昼夜を問わず離着陸をつづけたときの基地周辺のウチナンチュは,ただ,ひたすらじっと耐えてきただけです。その他にも書きたいことは山ほどあります。が,それもいまとなってはむなしいだけです。ですから,わたしたちにとってオスプレイなど,どこ吹く風か,という程度の反応でしかありません。

 もちろん,8月5日(日)に予定されている県民集会では,激しい抗議が展開されることでしょう。その人たちにはこころから敬意を表したいと思います。が,本音のところは,だからといってなにも変わりはしないという冷めた気持ちがわたしの中にはあります。ですから,そういうことも見据えた上で,そのさきを見通し,まったく新たな道を模索していくことが重要ではないか,といまは考えています。つまり,「差別」からの脱出と「自立」への模索です。

 すっかり長くなってしまいました。
 こんなことを,いまは,じっと考えています。
 また,いつか,こんなことをともに考え,語り合える機会があることを待ち望んでいます。


 こんな趣旨のメールが沖縄の友人からとどきました。
 くり返しくり返し読みながら,ふと思い出したことがあります。それは,奈良に住んでいたころ(35年前),被差別部落の集会に参加したときのことです。参加者のひとりが「わたしたちはなにも知りませんでした」と発言した瞬間に「それが差別ということなんだ」という怒声が飛びました。そして,「見て見ぬふりをしてきただけではないか」,なのに「知りませんでした」で済まされると思っているのか,とつづきました。わたしの背中には冷や汗が流れていました。

 このときの情景はいまもありありと脳裏に焼きついています。それとまったく同じ構造が,沖縄問題には厳然として存在することを,このメールはわたしに教えてくれました。こんどかれに逢うときには,そのことをしっかりと認識した上で話をしなければならない,と肝に銘じているところです。ヤマトンチュであるわたしにできることはなにか,という問いをみずからに課しながら。重い宿題ができてしまいました。

2012年7月23日月曜日

おめでとう!白馬富士,全勝優勝!さあ,つぎの目標・横綱だ!

 理想的な白鵬との全勝対決を制しての優勝,おめでとう!強い,強い日馬富士がもどってきた。しかも,傷だらけのからだのままで。右手の回復もまだ充分ではない。左足首も完治してはいない。この状態で,強い日馬富士が蘇ってきた。


 心技体とはよく言ったものだ。今場所の日馬富士の最大の武器は心が強かったことだ。相撲に一点の迷いもなかった。立ち合いに集中して,激しい攻撃を仕掛けた。左からの張手を多用し,かつ右からのおっつけ,のどわ,と相手を脅かしておいて左上手を引く。そこからのスピードに乗った攻め。こうした心と技が,まだ完治していない体を補完して余りあるものがあった。どのスポーツにも共通するのだが,心の充実なしにはもてる力は出せない。このことを身をもって示してくれた。その意味でも,今場所の日馬富士の全勝優勝は注目すべき教訓を残すことになった。15日間,強い気持ちをもち続け,一番,一番の相撲に集中する力。これがどれほど大変かということを,わたしは学んだ。強い心をもち続けること。だから,日馬富士の全勝優勝を喜ぶ以上に,心の範を垂れてくれたことに感謝したい。


 さあ,つぎの課題は来場所までに体を完治させること。右手と左足首が癒えてしまえば,あとはなんの不安もない。ますます多彩な攻撃が自由自在となる。しかも,スピードがある。投げがある。相手の態勢を崩しておいてからの寄りがある。そうなったら,もはや敵なしである。


 今場所の全勝対決は,その意味でとても大事な一番だった。その結果は,日馬富士の一方的な相撲に終わったが・・・・。白鵬は最初から最後まで受け身にまわり,防戦一方だった。そして,なすすべもなく敗れた。白鵬にとってはショックが大きかったと思う。その反面,日馬富士にとっては大きな自信になったと思う。つまり,立場が逆転してしまったということだ。これからは白鵬が日馬富士を倒すための戦略を練る番だ。


 千秋楽の結びの一番,全勝対決は,立ち合いにすべてがある,と予想していた。そして,わたしの予想は,日馬富士が左から張ってでて,つぎの瞬間に右のどわを入れて,左上手をとる,というものだった。しかし,その予想は反対になった。右からののどわ(つっぱりにもみえた)がさきで,つぎの瞬間に左からの張手,そして左上手を引くという手順になった。白鵬としては予想していたはず。いずれにしても,白鵬には立ち合いの攻撃がない。一歩踏み込んで,自分充分の態勢をつくる。これだけだ。しかし,日馬富士にはこの立ち合いは通用しない。だから,毎場所,日馬富士には後手にまわることになる。それでも白鵬には,左上手で半身となってからの日馬富士の攻撃に耐えられるという自信もある。いつかの場所では,そのどうにもならない態勢からすそはらいという奇襲攻撃で日馬富士を裏返しにしてしまったこともある。だから,今場所も白鵬にはどことなく余裕すら感じられた。いつもの態勢になったから。

 がしかし,今場所の日馬富士は違った。なにがなんでも勝ってみせる,という強い心が漲っていた。日馬富士が何回も左からの上手投げをくり出すものの白鵬は余裕をもってそれを防いでいた。そして,さて,どの手で攻めようかと白鵬の気の緩んだ瞬間を日馬富士は見逃さなかった。左上手をぐいっと引きつけたとき,白鵬の右腰が伸びきってしまった。そこを逃さず右はずで寄りたてた。すでに,白鵬には残る腰はなく,あっさり土俵を割ってしまった。一見したところ,あっけない勝負にみえたかもしれないが,理づめのみごとな内容のある相撲だった。

 白鵬にとっては,23回目の優勝と,歴代最多となる全勝優勝(9回目)という記録への挑戦があった。それがあえなくついえ去ってしまった。しかし,こんなことは大したことではない。来場所,頑張って達成すればいい。まだ,27歳と若い。いくらでもチャンスはある。しかし,ショックだったのは,日馬富士の想定外の「成長」ぶりだっただろう。こんな相撲を取られたら,もはや,白鵬に勝つチャンスはない。そのことをだれよりも深く理解したのは白鵬自身に違いない。

 だから,白鵬は,土俵を引き上げる通路の途中で立ち止まり,上体を深く前に曲げて頭を下げ,両手を膝にあてた姿勢でしばらく動かなかった。これがなにを意味していたか,わたしには痛いほどわかる。これまで苦労して積み上げてきた白鵬の相撲のすべてが音を立てて崩れ落ちた瞬間だったのだ。でも,さすがに白鵬。控えにもどってからのインタビューでは「なにかが足りない。原点に戻って,基本からしっかり思い出したい」と応答している。つまり,一からやり直さないかぎり,これからの日馬富士には勝てない,と自覚したのである。

 この一年の両者の取組みをみると,3勝3敗の五分なのである。日馬富士が怪我で不調がつづいていた間でも五分。白鵬が唯一,苦手としている相手がじつは日馬富士だったのである。これから,充実期に入る日馬富士に勝つためには「原点に戻る」しかないのである。ここで白鵬がさらに精進して(じつは,今場所は稽古不足。前半戦のあの不調をみれば明らか),心技体のバランスをとりもどして,土俵にもどってきてほしい。

 そのとき,さらに次元を異にする二人だけの相撲の世界が開かれてくる。他の力士との差を見せつけるような土俵が展開することを,わたしは密かに期待している。

 日馬富士は,すでに気合充分だ。優勝決定後の土俵下でのインタビューで,「横綱への抱負は?」と聞かれて,「なりたいからなれる地位ではない。運命によってなるべくしてなるもの」と答え,「全身全霊で頑張ります。よろしくお願いします」と声高らかに宣言した。この心意気に館内も湧いた。そして,控えにもどってからのインタビューでは「神様が与えてくれたチャンス。気持ちは次の場所に入っている。しっかり心と体を鍛えたい」と応答している。

 まだ,入幕したばかりのころの,日馬富士のしこ名をもらう前の,安馬のころからのファンとしては,いまの日馬富士を眼の前にして,涙なしにはいられない。じつは,昨夜から「嬉し涙」に暮れている。幸せである。

 日馬富士公平。本名ダワーニャム・ビャンバドルジ。モンゴル・ゴビアルタイ出身。伊勢ヶ浜部屋。28歳。二人の子の親。

 頑張れ,ビャンバドルジ。もうひとりの尊敬する「ドルジ」の分まで。力士の元祖は金剛力士だ。あの恐ろしい形相を内に秘めた,新しい「ドルジ」の誕生に向けて,「全身全霊」で頑張ってほしい。神様に与えられた絶好のチャンスだ。そのためには,自己を超えでていくことだ。その勇気をわがものとせよ。

2012年7月21日土曜日

オリンピック,オスプレイ,オキナワ,センカク,オオイ,フクシマ,テロリスト,ノダッ!

 あと一週間後にはオリンピックがはじまる,と今朝のテレビが暢気なことを言っている。みんなオリンピックを楽しみにしている,と。そして,どことは言わないが,一局だけが「オリンピック・スペシャル」という特番をベタに組んでいる。他局は意外に冷めている。そうだろう。放映権を独占されてしまったのだから。高い金を払うつもりもないようなので,こちらはむしろ健全?

 ノダ君がオリンピックの開会式に行きたがっていたが,とうとう諦めたそうな。政権がいつ崩壊するかわからない状況ではどうしようもないではないか。イシハラ君もオリンピック誘致運動のためになにがなんでも行きたがっていたが,こちらは早々と諦め宣言だ。こちらは体調不全が理由にしてはやや早い。相当に悪いということか。とうとうガタがきたか。健全なる身体に不健全なる精神が宿る見本のような人だったが・・・・(あえて,過去形にしておく)。

 オスプレイ,オキナワ,オオイ,フクシマを抱え込んで政権どころか,社会全体にガタがきていることが露呈してしまった日本に,国を挙げてオリンピックを招聘しようという夢もはかなく消えていくだろう。もっとも,東京都民はとっくのむかしから冷めた眼で眺めてきた。オリンピックを招聘するくらいなら,それよりさきにやらなくてはならないことが山ほどあるではないか,と。

 日本の首相も来られなかった,東京都知事も来られなかった,「やっぱり!」と世界の首脳もIOC理事もなっとくすることだろう。第一,フクシマが最終的な解決をみないことには,ことのほか放射能に神経質なヨーロッパ人は寄りつきはしない。

 オキナワの人たちにとってオリンピックは眼中にない。目の前にオスプレイの脅威が待ち受けている。基地問題もどこまで行っても出口はみえてこない。8月5日(日)には沖縄県民集会が待っている。そして,沖縄県民のこころを一つにして,仲里さんや西谷さんのことばを借りれば「自立」への道を模索することになる。(沖縄の「自立」については西谷さんのブログを参照のこと)。ちょうどオリンピック開催中の半ばをすぎたころのことになる。日本の政府がなにひとつ沖縄のために手をさしのべてはくれないことを見届けた「復帰」40年,沖縄県民の,最後の手段としての「自立」への道。沖縄がどうやって生き延びていくのか,という瀬戸際にあって,オリンピックなどという狂気の祭典は眼中にない。

 同じように,フクシマの汚染が片づかないかぎりは先祖伝来のわが家に帰ることすら不可能となってしまった人びとにとっても,オリンピックは絵空事でしかない。避難生活を強いられ,働きたくても仕事さえ与えられなくて,毎日,無為に日を送っている人びとにとっても,オリンピックは遠い国の夢物語でしかない。

 オオイの再稼働以来,いちだんとデモの人数が増大しつつある首相官邸前に集まってくる人びとにとっても,もはやオリンピックどころではない。自分たちの生存の基盤がゆらいでいるというのに,一過性のロマンを追っているときではない。

 そして,断末魔を迎えつつあるノダ君。そして,そのノダ君を必死になって支えつづけるオカダ君以下執行部の面々。あなた方の「理性」はなんのために働いているのか。ただ,保身のためでしかないではないか。一度握った権力は死んでも離さない覚悟なのか。その政権交代の立役者だったオザワ君が「公約違反」をつづける党にはいられない,とさっさと身を引いたというのに。かえって,すっきりしたと喜ぶ,その「理性」とはな,な,な,なにか。

 ひるがえって,世界中内紛だらけ。圧政,貧困,飢餓,病気,・・・・・,民族闘争。わけても,パレスチナ。アメリカの「正義」によって国際社会から排除され,徹底的に弾圧を受けているテロリスト(こんな人たちは不在なのだが)たち,その見えない敵を恐れて「地体空ミサイル」まで配備して開催を強行するロンドン・オリンピック。この奇型化したオリンピックになんの疑問もいだかない文明先進国の人びと(日本人もいつのまにかこの中にいる)。

 オリンピック・ムーブメントそのものが,じつは,統合と排除のための巧妙なシステムであることを指摘する言説があまりに少なすぎる。そういうことを見届けている人たちの声は,メディアからシャットアウトされてしまう。平等で自由に競争できるはずのオリンピックには,参加標準記録というかなり高いハードルが仕掛けてある。あるいは,地区予選を勝ち抜かなくてはならないというハードルがある。この段階で,圧倒的多数の文明後進国はあっという間に「排除」されてしまう。いうまでもなく,オリンピックは文明先進国の独壇場なのだ。

 これらの問題については,いつか,もっと詳しく書くことにしよう。

 日本はオリンピック出場を辞退するくらいの覚悟が必要だったのではないか,とわたしはひとり考え込んでいる。もちろん,圧倒的少数意見であることは覚悟の上で。

 オリンピック,オスプレイ,オキナワ,センカク,オオイ,フクシマ,テロリスト,ノダッ・・・・というカタカナ語とにらめっこしながら。

2012年7月19日木曜日

元気な日馬富士がもどってきた。今場所はいけるか。白鵬との全勝対決が楽しみ。

このところ怪我などの影響で不振にあえいでいた日馬富士。久し振りに元気をとりもどしてきたようだ。この人が元気になると,レベルの高い相撲が期待できる。とりわけ,白鵬との一戦で。

でも,いささか気になるのは,相変わらず「左」腕一本に頼りすぎる相撲が多いことだ。ということは,左足首の状態があまりよくないということ。じつは,ここに日馬富士は時限爆弾をかかえこんでいるのだ。この左足首が完治すれば,こんどは右腕が使えるようになる。そうなると,突っ張りもでるようになる。突っ張っておいて,いなしたり,おっつけたりして早めに勝負にでることができる。悪くても,自分十分に組み止めることができる。

いまのところは,左からの張手で相手の出端をくじく立ち合いが多い。あとは,持前のスピードのある展開を仕掛け,勝負をつける。こうなると,もう日馬富士の独壇場だ。

今日の鶴竜戦は立ち合い負け。一瞬早く鶴竜が低く立ち,日馬富士のふところに飛び込み双差しとなる。鶴竜は「しめたっ!」と思ったに違いない。そして,外掛けにいった。一方,日馬富士は「しまったっ!」と思ったはず。でも,特異の左上手がとれたので瞬時に右で相手の首を巻き,左から思いきった上手投げにでる。このほんの一瞬の間が明暗を分けることになる。鶴竜の外掛けが空を切り,つぎの瞬間には裏返されてしまう。ここに日馬富士の調子の良さが現れている。元気のないときなら,この相撲は間違いなく鶴竜のもの。一瞬の呆気ない取り口であったが,内容のある攻防があり,レベルの高い相撲だった。わたしは大満足。なぜなら,両方とも好きな力士だから,どちらにも勝たせたかった。そして,どちらも十分に力を発揮した。この勝負はどちらが勝手も不思議ではなかった。あの一瞬の間がすべてだった。

白鵬は前半の相撲をみるかぎりでは,前場所のくずれた相撲からもどっていない,という印象を受けた。しかし,さすがに白鵬。徐々に自分の相撲を取り戻してきた。今日の相撲は,白鵬全開とみていいだろう。琴奨菊が得意の左前まわしに手がかかり,右も入った。これは琴奨菊の勝ちパターン。これまで白鵬に勝った相撲は,すべてこの型だった。白鵬は「しまったっ」と思ったか,瞬間に琴奨菊の右の差し手のひじを決めるようにして小手に振った。このひじをはずすために腰が引けた。そこを見逃さずに白鵬は右腰を引いて琴奨菊の命綱である左前まわしを切った。ここで勝負ありだ。あとは,からだが離れた琴奨菊の胸をどーんと一発突いて,土俵下まで飛ばしてしまった。強い白鵬がもどってきた。というか,きびしい相撲がもどってきた。みごたえ十分。

さて,この両者が,千秋楽で全勝で対戦することを期待したい。そのとき,二人の全身全霊が火花を散らすことになるだろう。そして,一瞬の間が明暗を分けることになるだろう。いったい,どんな立ち合いとなるのか。いずれにしても,眼が離せない。

日馬富士が左から張手を繰り出して,左上手をとりにいくか,それとも左張手,ついで右のどわで攻めておいて左からいなして左上手をねらうか,そうはさせじと白鵬がどんな立ち合いをみせるか,いずれにしても一瞬の立ち合いがみものである。ここで先手をとった方が勝ち。いずれにしてもレベルの高い立ち合いの駆け引きを期待したい。場合によっては,お互いに十分にまわしを引き合ってがっぷり四つになる可能性もある。こうなったときに,さて,どのような展開が待っているのか。館内は湧きに湧くことになるだろう。今場所は日馬富士に分がありそうに思うが,勝負はやってみないとわからない。だから,面白い。両者の仕掛ける攻防に注目。

最後に苦情をひとつ。
稀勢の里と把瑠都の一戦。稀勢の里は立ち合いに二度つづけて「つき手」不十分で取り直しとなった。把瑠都は二度とも両手をついて待っていた。問題の三度目の立ち合い。稀勢の里の右手は「つき手」不十分。左手は砂をかすめただけ。把瑠都の眼には稀勢の里の右手が「つき手」不十分なのは見えていたはず。だから,また,やり直しだろうくらいの気持で立った。だから,把瑠都は相撲をとることもなく土俵を割った。が,行司からも土俵下の勝負審判役からも,なんの「ものいい」もつかず勝負成立。把瑠都は黙って土俵を引き上げていった。ビデオで流れた映像からも稀勢の里の「右手」は土俵に手をついてはいない。アナウンサーも後味の悪い相撲となった,とコメントしている。

稀勢の里は言わずもがな,行司は見えていたはず。そして,勝負審判役も目の前のことだから見えていたはず。把瑠都もしっかりと見えていたはず。つまり,関係者はみんなわかっていたはず。「見て見ぬふり」をした勝負審判役がもっとも悪い。行司は三度もやり直しをすることに躊躇もあっただろう。これには同情の余地がある。一番,釈然としないのは把瑠都。でも,この人は「お人好し」で有名だ。一瞬,茫然としていたが,なにも言わずに土俵をあとにした。

これが逆だったらどうだっただろう,と想像してしまう。あ,こんな想像はしない方がいい。とんでもない話になっていくことは必定。

それよりも,こんな立ち合いをしているようでは稀勢の里は強くはなれない。この人にはなにか,とても大事なものが欠けているように思う。相撲の才能は十分に持ち合わせていながら,ポロリと下位の力士に負ける。要するに波があるのだ。それが今日の相撲にも現れた。ここを糺すべきだろう。そうしないと横綱にはほど遠い。

テレビでスローが見られる時代に,こんな「目こぼし」,しかも「見て見ぬふり」は許されない。きびしく注文をつけておきたい。

「ひまわりの花も花,芍薬の花も花,たんぽぽの花も花」「自分の花を咲かせなさい」・李自力老師語録・その15.

 李老師のお話はだんだんと佳境に入ってきました。
 その14.の話のつづきのような話ですが,とても大事な内容ですので,書き留めておきたいと思います。

 最初に李老師の口からでてきたことばは,「大きな円も円,小さな円も円」,どちらも「円」であることに変わりはない,というものでした。

 わたしは禅寺育ちの人間ですから,おおきな円を筆で書いた掛け軸にこどものころから馴染んでいました。禅仏教では悟りの境地を「〇」で表現します。「〇」はどこにも角がない。転がせばどこまでも転がっていきます。なんの抵抗もしません。なされるがままに身を委ねています。自由自在にどこにでも転がっていきます。他者の働きかけしだいでどこにでも転がっていきます。つまり,自己を完全に脱却した状態,すなわち「無私」,あるいは「無」の状態です。

 ですから,なるほど,そのとおり,と応対していたのですが,さらに加えてつぎのようなお話をしてくださいました。

 「ひまわりの花も花,芍薬の花も花,たんぽぽの花も花」というお話です。どの花も花として完璧です。どれがよくてどれが悪いということはありません。花としてみんな完成されています。花同士の序列もありません。ただ,大きいか小さいか,そして,それぞれの花の個性が違うだけ,花としてはみんな同じです。だから,自分の花を自分らしく咲かせなさい,と李老師。

 そうか,師匠はとうとう,こういうことをわたしたちに要求されるようになったか,と兄弟弟子のNさんとにっこり笑顔で顔を見合わせました。まことに嬉しいかぎりです。

 さて,こうなるとわたしはどういう花になるのだろうか,と考えてしまいます。肩に力が入ったままの花は,たぶん,どこかゆがんでいて花としては不完全のままのはず。とにもかくにも,花として,とりあえずは十分に咲ききることが先決です。だとしたら,上手も下手もありません。とりあえずは自分の花を咲かせることだ,と気づきます。

 そこで思い起こす李老師のことばがあります。足など高く挙げる必要はありません。それよりも大事なことは「安定」。そして「ゆったり」と表演すること。余分なことは考えない。自分のからだの心地よさと向き合うこと。そこに集中すること,などなど。

 と考えてくると「自分の花を咲かせなさい」ということばも奥が深いことがわかってきます。そんなにかんたんに「自分の花」は見つかりません。自己にこだわり,自己を見つめつつ,自己を超えでて,自己を忘却していくこと・・・・まるで「十牛図」の段階を踏んでいくことと瓜ふたつです。つまりは禅の世界です。もっとも,禅のルーツをたどっていきますと,そのひとつは『老子道徳経』にいたりつきます。つまり,道家思想です。この老子の世界が太極拳の思想的なバックグラウンドのひとつになっているのですから,当然といえば当然の話です。

 老子のいう「無為自然」も「行雲流水」も,みんな太極拳の極意中の極意と言われています。もちろん,李老師も,よくこの話をされます。いずれ,このブログでも取り上げて書いてみたいと思っています。今日のところはとりあえずパス。

 最初は小さくてもいい。まずは自分の花を咲かせなさい。その花の咲かせ方を極めていけば,たとえ小さな花であっても,いつか存在感のある,大きな花に見えるようになります。ひとつの花として立派に咲ききれば,その花は無条件に美しいし,人びとのこころを惹きつけるに十分な力を身にまといます。

 この地平こそ,哲学用語でいえば「脱自」「脱存」と訳されるジョルジュ・バタイユの「エクスターズ」(extase)の世界ではないか,とわたしは考えています。ハイデガーはドイツ語でEkstase(「エクスターゼ」)という造語で表記しました。人間存在の原点をどこに求めるかは,個人差があってその主張はさまざまですが,おおよそのところは「脱自」(自己の軛を脱すると解釈すれば,禅の「無私」や「無」と通底していきます)のあたりに集約されるのではないか,とこれまたわたしの解釈です。

 こんな風に考えていきますと,太極拳もじつはたいへんな思想・哲学の実践であることがわかってきます。いい師匠にめぐまれ,いい兄弟弟子にめぐまれ,いい兄妹弟子にもめぐまれ,わたしは幸せでいっぱいです。少しだけ追加しておけば,兄弟弟子のNさんはジョルジュ・バタイユの研究者としても著名な方です。同時に,わたしの思想・哲学の師匠でもあります。兄妹弟子のKさんは能面を打つ天才です。とんでもない人たちに凡人のわたしがひとり囲まれているというのが真相です。これまたありがたいことです。

 そして,この李自力老師語録を書くたびに,書いているわたしのこころが洗われて(現れて),とてもすっきりした気分になります。これもまたありがたいことだと感謝しています。

今日のところはここまで。

「からだで感じなさい」「からだの声に耳を傾けなさい」・李自力老師語録・その14.

 7月18日の稽古で教わったことはたくさんありました。約2カ月ぶりの李老師のご指導でしたから,わたしたちの我流が目についたようです。その指摘はすぐに納得できましたので,修正は可能だと思います。それにつけても李老師の「ものまね」のうまさには,いつものことながら,感動してしまうと同時に笑いころげてしまいました。たとえば,わたしの悪いクセをオーバーにやってみせてくれます。見ていて,あんなことをやっているのか,と恥ずかしくなってしまうくらいうまく見せてくれるのです。ですから,二度と李老師に「ものまね」されないように絶対に直そう,という気持ちを新たにしてくれます。

 そういえば,能の世阿弥もこどものころは「ものまね」の名人としてその名を馳せた人でした。やはり,名人はなにをやってもすぐできるということなのでしょう。こんなことを書くと叱られそうですが,李老師の「ものまね」芸はほんとうに見せ物としても通用しそうです。

 さて,それはともかくとして,今回指摘された大きな課題のひとつは「からだで感じなさい」というもの。なるほどと思いつつも,どこか漠然としていてつかみどころがありません。いよいよ禅問答の域に入ってきました。

 わたしのいまの課題は上半身の力を抜くこと。これは前から言われていたことではあるのですが,その上半身,とくに「肩」の力を抜くことがなかなか思うようにできません。若かりしころ,体操競技をやっていた関係もあるかも知れません。体操競技は演技の要所,要所はからだを引き締めて,きちんとしたポーズをとります。そのクセが残っているのかもしれません。ですから,太極拳をやっていても,決めのポーズ(とくにゴンブの姿勢)をとるときには,なんだか体操競技の着地のイメージが湧いてきてしまいます。

 もう一点は,わたしの勝手な解釈なのですが,書道のように,最初は楷書をきちんと身につけて,その上で行書を,さらに上達したら草書を,というように段階を踏めばいいと考えていました。そして,いまは楷書の段階だから,一つひとつの動作をきちんとやらなくてはいけない,ということにこだわっていました。しかし,それは間違いだったようです。

 太極拳をする身体(わたしの場合は24式)は,そういうものではありません,と李老師。自然の流れに身をまかせることが大事,と。

 考えすぎは駄目,やりすぎも駄目,上手な人の「ものまね」も駄目,そういうものはすべて忘れなさい。自分のからだが徐々に解きほぐされ,こころも自由になってくる,そこのところにすべてを委ねなさい,そこに無限のひろがりが待っています。そこを探しなさい,と李老師はおっしゃる。

 そこを「からだで感じなさい」。からだはいろいろのメッセージを発信しています。そのメッセージを受け止めることです。あるいは,「からだの声に耳を傾けなさい」。からだはおりおりにさまざまな「声」を発しています。その「声」を聞く耳を育てなさい。身もこころも解き放たれたときに聞こえてくる「声」です。全身全霊で受け止める「声」です。集中して,忘我没入するとと聞こえてくる「声」です。そこを目指しなさい。と李老師はおっしゃる。

 その第一歩が「からだで感じなさい」ということのようです。でも,それを言われた瞬間に,わたしのなかにある変化が起きました。ことばにはなりませんが,「あっ,あのことかな?」というひらめきのようなものがありました。そうして,稽古の最後に,みんなで「24式」を流したときには,なんとなく「肩」が軽く感じられ,これかな?という「感じ」がありました。

 なにか,ようやく,長いトンネルを抜け出て,「からだで感じなさい」の入り口が見つかったように思いました。ここから入っていけばいい,という安堵の気持も湧いてきました。

 さて,この禅問答のような公案をどこまで深めていくことができるか,楽しみがひとつ増えました。ふだん,ほとんどしない自主稽古も,これから増えるかも・・・・と楽しみです。

2012年7月18日水曜日

マラソンランナーのボディーを分析する「科学」のいい加減さ。つまり,ディレクターの無知。

 7月16日(日)の夜も,ちょうど夕食時だったので,昨夜と同じNHKスペシャルをみるともなくみてしまった。目的は,午後7時からの「ニュース7」で,代々木公園で開催された「脱原発10万人集会」をどのようにNHKが報道するか,それをみることだった。案の定,終わりの方でとってつけたような報道しかしなかったのだが・・・・。17万人が集まった過去最大級の集会だというのに,これだ。まあ,いやいや報道したという姿勢がまるみえだったので想定どおり。でも,さすがにNHKも無視はできなくなったようだ。金曜日の首相官邸前のデモはずっと無視してきたのに・・・。最近になって,ちょろっとだけ報道するようになった。この姿勢にNHKの体質のすべてが映し出されているということを知ってか知らずにか・・・・。

 話をもとにもどそう。
 7月16日(日)午後7時30分。NHKスペシャル「ミラクルボディー」マラソン世界最強軍団▽続々と2時間3分台▽アフリカの大自然が生んだ驚異の心肺機能▽疲れない走りの秘密。

 この番組も冗長だった。中味がないのだ。しかし,夕食を摂りながら,つまりビールを呑みながら見るにはちょうどよかったかもしれない。そういう番組だったのかも。なぜなら,昨夜の内村航平選手のボディーに迫る「科学」と同じで,まったく馬鹿みたいな「科学」のお話だったから。退屈しのぎのつもりだったが,やはり退屈してしまった。のみならず,テレビに向かって吼えつづけなくてはならない,というおまけつき。

 もう,皇帝と呼ばれたハイレ・セラシエ,などという固有名詞はぜんぶはぶいて,「科学」の力を借りて「ミラクル・ボディー」を解析しようとする番組制作者の愚かしさと,その到達した結論の「無」に注目したい。この「無」にはあらゆる意味をこめている。無意味,無知,無能,無目的,無内容,無駄,無実,無根,無思想,無批判,無理,・・・・あとはお好きなように。

 番組の小見出しに沿って,かんたんにわたしの感想を述べておく。
 ▽続々と2時間3分台・・・・たとえば,4000人の集落に1000人のランナーがいるからだという。この数字には驚いたが,マラソン・ランナーとして成功すれば,一族郎党みんなが安心して生活できるようになる,という貧困が背景にある,とテレビはさももっともらしく映像を流す。ならば,日本人もみんな貧困になればいい。ハングリー精神が必要だとは,以前から言われている。しかし,それは必要条件ではあっても,十分条件ではない。2時間3分台の選手が続出する背景にはこんな貧困があるということを,わたしたちはもっと別の角度から考えなくてはならないだろう。これを単なる説明論理として使うだけで済まされる問題ではないだろう。しかも,「ミラクル・ボディー」などという「科学」の視点から眺めてそれでよしとしている場合ではないだろう。こんなところにも,番組制作者たちのとんでもない「理性」の狂い方をみてとることができる。

 ▽アフリカの大自然が生んだ驚異の心肺機能・・・・標高2000mを超える高地で生まれ生活をしている人びとを映し出す。そして,子どもたちが毎日裸足で走って学校に通う姿が映し出される。そのなかからランナーが選ばれ,高い授業料を払ってトレーニング・スクールに入り,合宿生活をしながら厳しいトレーニングに耐える。その数たるや信じられないほどの数だ。そうして鍛えられた「驚異の心肺機能」だ。別に「科学」で明らかにしてくれなくても,映像をみているだけでわかることだ。それをまことしやかに「科学」の力を借りて,事細かに心肺機能を測定し「数量化」して比較する。なるほど,と一瞬思う。しかし,そんなことをしなくても初めからわかっているし,その「数量化」の数字は想定どおりであって,新しい知見でもなんでもない。環境に意図的・計画的に適応しただけの話ではないか。

 ▽疲れない走りの機能・・・・「つまさき」走りということがしばらく前から話題になっている。それを「科学」してみた,というだけの話。こまかな話は省略するが,この走りを身につけるのは容易ではない,とわたしは映像をみながら考える。前に送り出した足のつま先から順にかかとへと体重を移動させながら着地のときのショックを軽減している,と「科学」(者)は説明している。そして,これが可能なのは,「足底筋群」が発達しているからだ,と結論づける。それでおしまい。アホか,と思う。つまり,足の着地部分しか見ていないのである。だから,そこだけをスローモーションで動きを分節化し,その足の運び方だけに注目する。そして,日本人選手(可哀相に)の走りと比較する。その上で,かかとから着地する日本人選手の足が受ける衝撃は大きい,と説明する。その結果,大腿筋に大きな負荷がかかる,としてそれを測定する。それを数量化して,比較して,こんなに違うという。それで,おしまい。

 これがNHKスペシャルのいう「科学」なのだ。子供騙しもいいところ。こんなレベルで「科学神話」が構築されようとしているのだから恐ろしい。これを,世間では「スポーツ科学」だと信じている。名誉のために言っておくが,「スポーツ科学」はそんな幼稚なものではない。もっと,運動の特性をしっかりと把握した上で,トータルに分析のまなざしを投げかける。つまり,スポーツ科学にはその競技種目の専門家の意見を取り入れながら,分析対象を絞り込んでいく手続がある。それさえできてはいない,まことに素人考えの,稚拙な「科学」の援用でしかないのである。これが制作担当者の狂った「理性」であり,「無」だ,とあえてもう一度言っておく。

 わたしはアフリカのランナーたちの映像をみながら,まったく別のことを考えていた。
 足首の驚くべき柔らかさ,膝の柔らかさ,そして,股関節の柔らかさ・・・・つまり,全部の関節が「ゆるんで」いるのだ。だから,単にフラットに足を着地するだけではなくて,着地のときの衝撃を腰から下のすべての関節で順番に分担して受け止めつつ,それを推進力に変えている。しかも,受け止めた衝撃をバネに変えて足の蹴り出しにつなげている。これはかなり高度な技術だといわなけばならない。

 なぜなら,かれらの足の裏は手の平と同じくらい鋭敏な感覚と情報収集能力をもっているはずだ。それは,こどものときから裸足で駆け回り,足の裏からえられる情報を走りの改善に還元しているのだ。そうして,自分なりの走り方を創意工夫して身につけていく。

 もっと言っておけば,かれらの足は自然のままの,いかなる地形にも対応できる走りを,先祖代々にわたって受け継いできているのだ。つまり,まだ,退化していない足なのだ。それに引き換え,文明先進国の人間の足は幼児のころから靴を履き,大地から直接情報を受け止める能力を失っている。つまり,退化してしまっているのだ。一度,退化してしまった足をもとにもどさないかぎり,かれらの走りをわがものとすることは不可能なのだ。

 思い起こされることは,荒川修作が「死なないために」と言って養老天命反転地というテーマ・パークをつくったことだ。つまり,荒川修作は文明化した社会に生きている人間のからだはどんどん死に向かって直進していく。だから,「死なないために」は,人間の住環境を反転させて,まことに住みにくい家を建て,でこぼこの道をつくり・・・・して,その環境で生活することが必要なのだ,と荒川は主張した。そして,多くの作品を残している。かれの建築のテーマのひとつは「転ぶ」だった。「転ぶ」瞬間,人間は自己を失う。そこが生存の原点であり,その経験をとおして自己をとりもどしていくのだ,とかれは考えた。

 裸足で走る人たちの足の感覚は,文明人のそれとはまったく異質なのだ。

 そこからもう一度,走るとはどういうことなのかを考える必要がある。これがこの番組をとおして,わたしが学んだことだ。その意味では,まことにいい番組ではあった。しかし,このことは番組が意図した「科学」による分析とはなんの関係もない。バタイユは「有用性の限界」ということを言ったが,まさに「科学の限界」をしっかり認識することが,現代社会にあっては重要なのだ。それが「科学神話」から離脱し,移動するための手順なのだ。

 以上が,わたしからの報告です。

2012年7月17日火曜日

内村航平選手の体操を「科学神話」構築のために利用するな。

 久々に現れた天才・内村航平選手の体操を「科学」的に分析して,こういうことが明らかになった,とさもすごい秘密が隠されていたかのようなテレビ番組をみて,「なんじゃっ!この野郎っ!受信料を返せぇっ!」とついつい怒鳴ってしまった。この番組を制作した人たちもまた,相当に「理性」が狂っているなぁ,とあきれはててしまった。なぜなら,こういう人たちによってもまた日本国民の多くが「科学神話」に汚染されていくのである。そう,ちょうど「原発安全神話」に汚染されたときとまったく同じ構造のもとで。

 「科学」は素晴らしい。しかし,「科学」は万能ではない。とりわけ,体操競技にとって「科学」はほんの部分でしか貢献はできない。そのことを,このテレビ番組を制作したスタッフたちはわかっていない。「科学」の力を借りれば,内村選手のあの驚異的なパフォーマンスの「秘密」が明らかになる,と信じて疑わない。しかし,その映像をみせられたわたしには「だから,なんだと言うのだ」という感想しかない。つまりは,時間の無駄づかい。損をした。

 いったい,この番組はだれのために制作され,だれのために放映されたのだろうか,としみじみと考えてしまった。少なくとも,内村君のためにはなんの役にも立ってはいない。そして,わたしのような体操競技経験者にとっても,なんの役にも立ってはいない。第二の内村選手を夢見ている若い選手たちにとってもなんの役にも立たたない。もちろん,体操競技のコーチや監督にとっても,なんの役にも立たない。なぜなら,「科学」的な実験結果の総括に,なにひとつとして体操競技についての新しい知見はみられなかったからである(場合によっては極秘で,非公開なのかもしれない)。それらは,すべて「経験知」で集積された体操競技の技に関する知見の初歩の初歩のレベルにも達してはいないのだ。

 たとえば,「内村選手の並外れた空中感覚はこどものころから鍛えられた鍛練の賜物である」といったナレーションのレベルである。だから,わたしはテレビに向かって吼える。「冗談もいい加減にしろっ!」「ならば,こどものころから鍛えれば第二,第三の内村選手がつぎつぎに生まれるのかっ!」と。「じゃあ,やってみろよっ!」

 天才の秘密は,いまの「科学」の力ではほとんどなにも解明できないのだ。それが天才というものだ。そして,天才はそんなに多く生まれるものではない。何年に一人,何十年に一人,あるいは,何百年に一人の確率でしか誕生しないのだ。だから,天才なのだ。

 大脳生理学の第一人者が内村選手の脳をCTスキャンしたところでなにがわかるというのだろう。他の選手と比較して,ここが違うという指摘(大脳に色づけされた赤い色の量が違う,ただ,それだけ)ができる程度のことでしかない。だから,なんなんだ,と聞いてみたい。認知心理学の権威者が分析したところで,なにがわかるというのだろう。その他,さまざまな専門家が寄ってたかって内村選手の「秘密」に挑戦する。が,なにも確たる解答はかえってこない。ただ,部分,部分のデータがでてくるだけだ。その部分を全部トータルにすれば内村選手の謎は解けるとでもいうのだろうか。それにしては,あのナレーションはかったるくて,もどかしいだけのものだった。

 ついでに言っておけば,冗長にすぎる。内容がないから,無駄な映像を使って引き延ばす。とても,退屈である。時間の無駄。(それを見てしまったわたしが愚かだった。)

 結局は,なにもわからなかった,というのがわたしの印象。だから,単なる時間の無駄。残るのは,なにも知らない人たちだけが,なんとなく「科学」の力はすごいものだなぁ,と感心するくらいのものだ。だとしたら,この人たちに向けて,この番組はつくられたのだろうか。こうして新たな「科学神話」を構築し,さらに持続させ,無意識のうちに「原発推進」を容認させることを意図したのだとしたら,これまたとんでもない策士としかいいようがない。でも,そんな策士が裏で糸を引いているようにも思えてしまう。

 だとしたら,この番組は原子力ムラの意図を引き受けた,素晴らしい番組だということになる。こんなところにも,原子力ムラの手が伸びていたとは・・・・!?

メディアの力は恐ろしい。よくも悪くも利用可能だから。

※7月15日(日)午後9時,NHKスペシャル「ミラクルボディー」無敵の王者・内村航平激撮!驚きの空中感覚▽初公開!究極の新技▽超人までの成長記録,という番組をみてのわたしの感想である。

2012年7月16日月曜日

ダン族の相撲「ゴン」の報告者・真島一郎さんにお会いしました。

  「日本のアフリカニストであることを自己否定するところから今日のお話をはじめたいと思います」と語りはじめた真島一郎さん。そして,「西アフリカのコートジボアールをフィールドにして文化人類学の研究者としてのスタートを切りました」ので・・・・・と言うところでわたしの背中に電撃が走った。「えっ,では,あのコートジボアールのダン族の相撲「ゴン」を『季刊民族学』に書いた,あの真島一郎さんではないか」と。

 長い間,わたしの頭のなかにはダン族の相撲「ゴン」のことがしっかりと焼きついていて離れることはなかった。なぜなら,霊力・呪力で闘う相撲「ゴン」とはいったいいかなるものなのか,何年もフィールド・ワークをしてこられた真島一郎さんから直接,お話を伺いたいと思っていたからだ。呪術師が送り出す「霊」が力士のからだに乗り移り,力士は元気を取り戻すという。しかも,その「霊」を呪術師が力士のからだに送り込む途中の,空中を移動している「霊」をダン族の人びとはみんな「見えて」いて,「霊」が飛ぶと一斉にみんなの視線が同じ軌跡を追っていく,という。しかし,その同じ場に立っている真島さんにはなにも見えない,と『季刊民族学』で真島さんは書いていらっしゃる。この差はなにか。

 でも,その後,何回ものフィールド・ワークをしているうちに,真島さんにも「見える」ようになったのではないか,と密かに期待もしていました。「見える」人間と「見えない」人間が,同時にこの地球上には生きている。この違いをどのように考えていけばいいのか。これがわたしの長年の課題でもありました。その真島さんにようやくお会いすることができました。

 それも,なんと,一昨日(7月14日)の西谷修さんが仕掛けたシンポジウム・沖縄「復帰」40年・鳴動する活断層の<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐっての,ひとりの討論者として参加していらっしゃったのだ。冒頭に引いたのは,その討論者としての真島さんの発言である。

 じつをいうと,いまから5年前に,やはり,沖縄問題をとりあげた西谷さんのシンポジウムの討論者のひとりとして真島一郎さんは参加していらっしゃったのだ。しかし,そのときには,わたしが『季刊民族学』で知っている真島一郎さんとは別人である,と勝手に決め込んでいました。ですから,なんの疑念もなく沖縄に関係するなんらかの研究者に違いない,と。このときの真島さんの発言は『沖縄/暴力論』の中に「神話・耳・場所」という小見出しで収録されています。これを読んだ時点で「おやっ」と思わなくてはいけないのに,頭から別人と思いこんでいたので,なにも感じないままでした。しかも,巻末の「著者略歴」をみれば,「専門は西アフリカ民族誌学」ときちんと書いてあります。これはいまにして思うこと。

 しかし,今回のシンポジウムでは真島一郎さんの冒頭の発言で,「まぎれもない同一人物」ということがわかりましたので,お話を聞くわたしの耳も一段と真剣味を帯びてきました。それに呼応するかのように,真島さんの話は刺激的でした。なんと,きっちりと,理路整然とお話をされる方なのだろうか,と感動してしまいました。しかも,その切り口が鋭いのです。こうなってくると,仲里さんや西谷さんはどのように応答されるのだろうか,と興味津々です。が,この応答については,今回は割愛させていただきます。(※長くなりすぎるので)

 シンポジウムが終わったところで,思いきって真島一郎さんのところに走りました。で,じつは,これこれで・・・・というお話をさせていただきました。そうしたら,真島さん,とても喜んでくださり,「打ち上げ」のところでゆっくりお話を・・・ということになりました。ところが,「打ち上げ」に参加した人の人数が多かったために座席が遠くなり,ゆっくりお話することはできませんでした。が,別れ際に,また,機会をみつけて西谷さんと一緒にお尋ねしたい,とお願いをしてきました。そして,できれば,わたしのやっている研究会にきてお話をしていただきたい,ともお願いをしておきました。

 シンポジウムのときの鋭い言説で論旨を展開される真剣勝負の真島さんとは打って変わって,個人的にお話をすると,まことにフレンドリーでこころの広い,温かい人だということがわかり,安心しました。やはり,ダン族の中で生活できる(させてもらえる)人間は,こうでなくては駄目なんだろうなぁ,とこれまた勝手に想像し,感心した次第です。

 いよいよ「霊力」が闘う相撲・ゴンのお話をじかにお聞きすることができると思うと,いまから胸がときめきます。さて,どのタイミングでそれが実現するか,急いで計画を立てなくては・・・と思っています。が,ことしはなにかとイベントが多く,東京で開催できる研究会は年末になりそうです。でも,どこかで実現させなくては,と楽しみです。

 以上,長年,お会いしたいと思っていた真島一郎さんとお話することができました,というご報告まで。

2012年7月15日日曜日

シンポジウム・沖縄「復帰」40年・鳴動する活断層(西谷修主宰)を聞いて収穫がいっぱい。

 いつものことながら,西谷修さんの仕掛けるシンポジウムは,絶妙なタイミングで強烈なメッセージを送り届けてくれました。至福のとき,というのはこういう時間をいうのだろうと思います。西谷さんのさいごの締めのことばにもありましたように,ひとりひとりが,それぞれの問題を受け止めてお帰りいただき,みずからの解を求めていっていただきたい,そのための場としてお役に立てれば・・・・というのにまことにふさわしい場であり,時間でした。

テーマ:沖縄「復帰」40年 鳴動する活断層
日時:7月14日(土)14:00~17:30
場所:東京外国語大学(府中キャンパス)研究講義棟226教室
13:30 プレリュード『Condition Delta OKINAWA』上映(約30分)
<第一部>「復帰」40年を考える
  提題  西谷修「擬制の終焉」
  基調講演 仲里効「思想の自立的拠点」
<第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐって
  討論者  土佐弘之(国際政治社会学)
             中村隆之(クレオール文化)
             中山智香子(社会思想)
             真島一郎(文化人類学)
             米谷匡史(東アジア)
主催:東京外国語大学大学院GSL/科学研究費研究「生命統治時代の<オイコス>再考とポストグローバル世界像の研究」

 このプログラムをにらんでいるだけで,さまざまなイメージを浮かべることが可能なほどの多彩・多才なひとびとが集まってのシンポジウムでした。

 まず,プレリュードとして上映された映画のエンディングに流れた監督の名は「チュー・リー」。どこかで聞いたことがあるような,いや,初めて聞くような・・・・と思っていたら西谷さんから<第一部>の冒頭に説明がありました。「仲」という文字は中国語にはもともとなかった文字らしいので,精確に中国語風に標記するとすれば「中」,そして「リー」に相当する漢字は「里」でしょう,と。ここで会場は笑いにつつまれる。ゲストの仲里さんをみたらにこにこ笑ってらっしゃる。お二人のとてもいい関係と雰囲気が会場をつつみはじめる。

 こうして,<第一部>の西谷修さんの提題「擬制の終焉」が始まりました。
 このお話が,いつもにもまして鳥肌の立つほどのみごとなものでした。ああ,今日も西谷さんは絶好調。この「復帰」40年という節目の年に吉本隆明が他界したこと。そして,われわれ世代に「ものを考える」ということを教え,「世界を考える」ということを教えてくれた,その意味ではこの「40年」を考える上では,きわめて重要な役割を果たした人だったこと。そして,振り返ってみれば,戦後の日米安保条約にはじまる日米関係の「擬制」(日本の「自発的隷従」),沖縄の(日本に潜在主権を残しながらの)米国統治の「擬制」,日米関係の再構築が課題であったはずの政権交代の「擬制」(それは沖縄基地問題でいきなり馬脚を露すこととなる),原発問題を契機に露呈された日本という国家の統治構造の「擬制」,その結果としての統治構造のメルト・ダウン。そして,オスプレイ,尖閣諸島,などの問題。中略。沖縄の人びとは「復帰」40年をとおして,結局は,本土はなにもしてはくれないということがはっきりした,と認識。そこから「自立」の道を模索しはじめている情況,そこにこれからの可能性が期待されること。とりわけ,グローバル世界の中で日本がどうしていくのか,沖縄の「自立化」の動きが重要なヒントになること,沖縄を考えることは世界を考えることだ・・・・という趣旨のことを説得力のある,情感の籠もった語りで話してくれました。

 この西谷修さんの提題を受けて,仲里効さんの基調講演「「思想の自立的拠点」がはじまりました。いつものように,仲里さんはゆっくりと,ことばを噛みしめるようにして沖縄がめざす「自立」とはどういうことなのかを,「復帰」40年をとおしてみえてきた拠点について諄々と説いていかれました。長い時間をかけて練り上げられた仲里さんの思想が,わたしたちにもわかりやすく伝わってきます。ちょうど今回は,仲里さんの三部作(『オキナワ,イメージの縁(エッジ)』,『フォトネシア-眼の回帰線・沖縄』,『悲しき亜言語帯』)が完結した時期でもあり,仲里さんもまた絶好調。

 <第二部>『悲しき亜言語帯』と「自立」をめぐって・・・・は割愛(書きはじめたらエンドレスになること間違いなし)。ひとことだけ。この豪華な討論者のキャスティングをみただけで,どんな話が展開したかは想像可能だろうと思います。

 さいごに,このシンポジウムのために配布されていたリーフレットのキャッチ・コピーがみごとなので,それを引いておきたいと思います。

 『沖縄・暴力論』からはや5年,その間にアメリカでも日本でも「政権交代」があり,沖縄は一時クローズアップされた。だが,その後東北地方を襲った大災害とともに後景化し,原発事故と同じように,何ら実質的な対処がなされないまま「再稼働」(オスプレイ配備?)だけが急がれている。40年間基地の減らない沖縄は,「本土」に対しいまや公然と「差別」を語り,「統合」に見切りをつけてグローバル世界での「自立」を展望しようとしている。沖縄の地熱は高まっている。政治が経済の下僕と化すばかりのこの地殻の変動期,いま一度「沖縄と日本」の接合と分離を問い直す。

 このコピーを,どうぞ,熟読玩味してみてください。
 やがて,このシンポジウムもまた文章化され,単行本となって刊行されるものと思います。そのときを楽しみにしたいと思います。

 以上,ご報告まで。


2012年7月13日金曜日

首相官邸前のデモから,いま,もどりました。初めて感じた不思議な感性。なにかが変化している。

いわゆる連帯しているような連帯していないような,それでいてどことなく連帯しているような,でも,どこか違う。これまでのデモとはひと味もふた味も違うなにかが伝わってくる,不思議な感性のようなものが静かに流れている。これが今日の首相官邸前のデモに参加した第一印象。

ひとむかし前のデモに流れていた「団結」のような,うさんくさい縛りがどこにもない。感じられない。みんな勝手にここにやってきて,どこからともなく始まったシュプレヒコールに,みんなそれぞれ勝手に調子を合わせて声を発しているだけ。黙って立っているだけのひともいる。団結しているようであって,じつはバラバラ。バラバラのようであって,基本的なところでは連帯し,団結している。が,そこにはなんの拘束もない。

第一,だれがリーダーで,だれが主催者で,どこで,だれが,どのようにしてこのデモを組織し,動かそうとしているのか,さっぱりわからない。ただ,人,人,人で埋めつくされた首相官邸前周辺の歩道に立っているだけ。前にも後ろにも動けない。ときおり起こるシュプレヒコールに,それぞれのやり方で唱和しているだけだ。

じつに熱心に,シュプレヒコールに応答する中年女性の人もいれば,黙って持参の鈴を鳴らしているだけの若者もいる。ときおり,警官にくってかかる元気のいいおじさんが現れると,そことなく割って入って,静かにもとに引き戻す初老の人もいる。あれあれ,いろいろの役割を,勝手に担ってそれを実行している人もいるのだ,と次第にわかってくる。

しかし,どこで,なにが行われているのか,なにもわからない。ただ,前にも後ろにも動かない大集団の中に孤立しているだけだ。そして,だれひとりとして,この状態を変だとは思っていないらしい。みんな,それぞれにそこに立ち尽くし,それぞれのやり方で意思表示をしている。それでいいのだ,と達観しているかのようだ。若い人たちもじつに落ち着いたものである。

警備に当っている警官の方が顔が引きつっている。そして,困り果てた顔をしている。職務だから仕方なくこの警備に当っているという本音が丸見えだ。だから,楽しみ半分で,おじさんやおばさんが声をかける。ときおり,にっこり笑ったときの警官の童顔が可愛らしい。しかし,難しい微妙な問いかけにはしどろもどろになりながら,できるだけ応答しないようにつとめている。すると,「おれが質問しているのに,なぜ,知らん顔をするのか」とおじさん。「あっ,聞いてませんでした」と警官。「じゃあ,もう一度聞くよ。この前の方に並んでいる装甲車の中には催涙弾を積んでいるのだろ?」とおじさん。「そういう情報についてはなにも知りません」と警官。しかし,はたでみているかぎりでは,この警官は事実を知っていると感じた。やはり,積んでいるんだな,とわたしは理解した。そのおじさんも「やっぱり積んでいるんだぁ」と大きな声。「積んでなかったら積んでない,と言えるはず」とあとのことばを濁した。

わたしのすぐ後ろでは,こどもを抱いたおかあさんが若い女性記者の取材を受けていた。それとなく聞こえてくる応対を聞いていると,もう何回もこの場にきている人らしく,かつてのような組合が組織するデモなどとは違う,静かで,安心できるデモだということを強調していた。

テレビ・クルーが行ったり来たりしながら,何組もとおりすぎてゆく。確認できたのは,TBSとテレ朝だけ。あとは,どこのテレビ局なのか確認できなかった。あるいは,その下請けのテレビ・クルーだったかもしれない。少なくとも,NHKはわたしの立っている前をとおりすぎた様子はなかった。

わたしの立っていたのは,地下鉄の国会議事堂前駅の出口のすぐそば。午後5時少しすぎに,教えられたとおりタクシーを使って首相官邸前の交差点のところで降ろしてもらった。これは正解であった。すでに,地下鉄の出入り口には警官が群れをなしていて,地下鉄に乗る人は入れてくれるけれども,降りて出てくる人はシャットアウトされている。もう,その周辺は人でいっぱいである。

わたしは,その地下鉄駅の出口の反対側でタクシーから降りて,すぐにその人の群れに向かってカメラを構えた。とたんに,警官が寄ってきて,すぐに歩道に上がれという。歩道の花壇の上に立ち,装甲車の間からカメラを構える。すると,いまいましそうに,警官が危ないからすぐに降りろ,という。じつは,わたしはカメラを構えるふりをして装甲車の中になにが入っているのか,必死で観察していたのである。警官はとうにお見通しであった。だから,わたしが花壇の縁から降りるまでじっとわたしの方を見つめたままであった。

そうして,向こう側にわたるにはどうしたらいいのか,と尋ねたら,もっと大きく迂回して向こう側の列の後ろにつけ,という。言われたとおりに横断歩道のあるところまで行って,向こう側にわたる。そして,それとなく前に歩いていく。すでに,行列はできている。仕方がないので,動かないで立ったままの行列の間を縫うようにして前に進む。そして,地下鉄駅の出口の手前のところで行き詰まってしまった。身動きならないので,そこに立つことにした。場所的にはとてもいいところで,警官の動きもよく見えたし,報道関係者の動きもみえたし,デモの組織者らしき人たちの動きもよくみえた。

しかし,このデモ隊のトップがどうして動かないままでいるのか,いま,どういう情況になっているのか,なにもわからないままだ。周囲の人たちも同じだ。しかし,だれひとりとしてそのことに不平をいう人間はいない。ただ,警官が「この辺りは人が過密になっているので,もう少し後ろに下がってください」と呼びかけたときに,「先頭をなぜ止めているんだ。先頭を前に動かせばそれですむことではないか」と食ってかかった初老のおじさんがいた。それに「そうだ,そうだ」と呼応したのはわたしひとりだけ。それどころか,そのおじさんが警官に激しく挑みかかろうとしたら,すぐそばにいたこれまた初老のおじさんが「まあ,まあ」と言って引き止めた。そして,「ここはケンカはしないこと」などと言っていたように思う。

わたしが立っていたところから知り得た情報はこの程度のものでしかない。全体はなにもわからない。だいたい,デモに参加すると,全体の動きはさっぱりわからないものだ。自分のいた周辺のことしかわからない。

夕闇が迫ってきて,反対側の歩道にも人があふれるようになってきたとき,わたしのからだがなにかを察知した。午後7時をすぎると,もっともっと人が多くなり,なにかが起こりそうだ,と。しかも,今日は13日の金曜日。仏教徒のわたしはそんなことはどうでもいいことだが,やはり,気にはなる。2時間近くも立ちっぱなし。ただひたすらシュプレヒコールの繰り返し。少し,飽きてきてもいたのは事実だ。

唯一,わたしの笑いを誘ったのは,橋本某と名乗った男がボリュームをいっぱいにあげたハンドマイクで,「民主党の橋本〇〇です。党員資格を停止されている。増税反対,原発反対,再稼働反対,野田は首相を辞めろ」と吼えて,さっとどこかに消えてしまったときだ。そんなら,なぜ,民主党にしがみついているのか,さっさと離党届けを出して,ひとりでも闘えばいいではないか。そうすれば,そんなにあわてて引っ込まなくても,思いのたけをぶちまけて演説をぶてばいいではないか。腰の引けたヘボ犬の遠吠えをして・・・・,みっともないことこの上なし。あんな程度のことなら,やらない方がずっとましだったのに・・・。笑ってしまった。こんなレベルの人間が議員になっているのが現状なのだ。

こんなハプニングもあって,これはどうやら引き時だ,と直観した。いまごろ(午後10時),あの辺りはどんな雰囲気になっているのだろうか。いささか心配ではある。第一陣,第二陣と人も入れ代わりしているのだろうか。

こんなところが,終章(首相)官邸前に立ったわたしの印象であり,感想である。さて,これからなにを考えはじめるのだろうか,と自分自身に問いかけつつあるところ。いま,一番,けしからんと思っていることは,ほとんどのマスメディアがこの事実を無視しようとしていることだ。いったい,報道とはなにか。わたしたちは,この報道に自由に操られている。許せない。この枠組みの外にでるこころみのひとつが,今回のこの金曜日のデモだ。新しい民意の表明の仕方を,もっと工夫をし,研究をしていかなくてはなるまい。われわれひとりひとりが。本気で。








2012年7月12日木曜日

ロンドン・オリンピック会場近くに「ミサイル」配備と聞いて・・・・,絶句。

 オリンピック・ムーブメントは平和運動である・・・・・・・・・・,ということばが虚ろに聞こえはじめてすでに久しい。しかし,とうとう「ミサイル」を配備しなくてはならないオリンピック・ムーブメントとはいったいなにか,とその論理矛盾の前に茫然自失してしまう。なんということか。平和運動とは「ミサイル」に守られなければ実現できないものなのか,と。そういう平和運動とはいったいなにか。

 あえて正解を書くまでもない。オリンピックは,ミサイルに守られる人々のための平和運動でしかないということだ。それ以外の人はみんな「敵」である。その「敵」はいかなる方法を用いて殺しても「国際社会」は咎め立てはしない。それが,こんにちの平和運動の実態である。(どこぞの国では,増税に反対した議員はつぎの選挙では党の公認候補としては認めない,という。あまりに似すぎていて怖いほどだ。)

 文明先進国の安寧な生活を脅かす勢力はすべて「テロリスト」と名付け,手段を選ばす殺戮に及ぶ。それが「正義」の名のもとに正当化される。それが「国際社会」というものの実態だ。オリンピック・ムーブメントもまた,そういう「国際社会」に守られることによって,はじめて存続が可能なのだ。ということは,全地球上に棲息する人間の総数からすれば,圧倒的少数の「正義」が世界を支配しているということだ。これが,武力と経済に守られた「民主主義」の実態でもある。

 オリンピック・ムーブメントとはなにか。近代スポーツ競技とはなにか。

 片田舎のヨーロッパという世界文明史から考えたら,もっとも遅れた後進国だからこそ,そして,キリスト教国だからこそ,世界を支配するカトリシズムを普遍の原理として展開する運動の,最先端の片棒をかつぐことになったのがオリンピック・ムーブメント(いささか圧縮した書き方になっているので,なんのことかと疑問を持たれる方も少なくないだろう。しかし,これを説明しはじめると一冊の本にもなる,わたしなりの根拠があることはここで指摘しておきたい)。ついてに,もっと言っておこう。欧米を機軸とするグローバル・スタンダードを世界に広める戦略の,最先端の役割をはたしているのもまたオリンピック・ムーブメントなのである,と。

 だから,それらの勢力にとっては,オリンピック・ムーブメントは世界平和運動の象徴として,なにがなんでも守られなくてはならないのだ。いかなる「テロ」攻撃にも対応できる態勢を整えることが,グローバル・スタンダードを推進し,維持していくためには不可欠であるから。

 軍隊・警察,およそ3万人を配備して安全を確保し,なおかつ,地対空ミサイルまで配備して開催されるロンドン・オリンピックとはいったいなにか。そういうオリンピックを東京に誘致しようという,その真意はなにか。わたしには「狂気」としかいいようがない。そこには「理性」のかけらも働いてはいない。ただ,あるのは利害・打算のみ。なにがなんでも「オリンピックありき」でものごとを進めていく,原発推進と同じ論理がそこに透けてみえてくる。メディアも,政治も,なにもかもがそれに便乗して。

 しかし,東京都民だけは「冷静」だ。もはや,オリンピックを招致することの是非を論じている場合ではない,その前にもっとやるべきことが山ほどあるではないか,と。これこそが真の「理性」の働きだ。

 ロンドン市民は,ミサイル配備に反対運動を展開し,その無効性を訴えて裁判所に持ち込んだ。その判決が7月10日,英国高等法院によってくだされた。「ミサイルは住民の脅威とならず,五輪の安全を確保する重要な一部だ」として。

 おやおや,これまた「原発は住民の脅威とならず,国民全体の生活を確保する重要な一部だ」とそっくりそのまま置き換え可能だ。狂っているのは日本国だけではなさそうだ。

 東京にオリンピックがくることになれば,アメリカさんは喜んで,日本の各地に「過剰に」ミサイル配備することに協力してくれることだろう。第二,第三の「オキナワ」が本土に誕生することになる。だれかさんにとっては,めでたし,めでたし,である。いよいよ,星条旗の「星」がもうひとつ増える日も間近にみえてくる。そのくらいの覚悟が必要だということだ。いや,すでに,実質はそうなっている,という声が聞こえてくる。これは「空耳」であってくれればいいのだが・・・・。でも,そうではないらしい。オキナワを見据えていると,そうとしか思えない現実がどんどん進展していく。日本政府は,オキナワの住民を守ろうという意思は毛頭ないかのように。

 ロンドン・オリンピックも,こうした動きと無縁ではないのだ,ということを強調しておきたい。むしろ,まったく同じロジックの上に成立しているということ,この事実だけは,しっかりと認識しておこう。

明日は金曜日,首相官邸前で意思表示をしようと思う。

 いろいろの仕事や行事がかぶっていて,金曜日の夕刻の時間が自由にならなかった。明日はなんとか大丈夫なので,でかけてみようと思う。終章(首相)官邸前へ。そして,自分なりの意思表示をしてみたい,と。その場に立ち,その場で考え,その場で意思表示をすること。いま,できることのひとつとして,できることはやる,それが生きることの基本と考えて。

 これまでも,昨年の「4・11」デモ参加以来,できる範囲でちょこちょこととあちこちの集会にはでかけるようにしてきた。が,このところめっきり遠ざかっていたので,久しぶりだ。

 長い間,死んだふりをしていた原子力ムラがここにきて自信を取り戻したかのように,さまざまな揺さぶりにでてきている。自分たちの責任問題はなんとか回避できると踏んだのだろうか。この手法で乗り切れると読んだのだろうか。「そんなことは言った覚えがない」「そんなつもりはなかった」「議事録はありません」「それは社内の機密事項です」などと馬鹿みたいな問答をくりかえし,それで切り抜けられると確信したのだろうか。

 そうは問屋が卸さない。世の中,そんなに甘くはない。問題の核心はこれからだ。なにもかも「不明」な段階での現状では身動きがとれないし,ある程度までは仕方がない。しかし,「事実」はいつかかならず明らかになる。

 フクシマの原発事故は「津波」によるものだという一点張りだった東電の主張に対して,ようやく国会の事故調査委員会が発表した調査報告書が,一歩踏み込んだ解釈をした。「地震による損傷の可能性は否定できない」,と。毎度のことながら,『東京新聞』(7月12日)の「こちら特報部」が大きく取り上げている(出田阿生,小倉貞俊記者)。国会の事故調査委員の一人である田中三彦氏(原子炉圧力容器の元設計者・現在は科学ジャーナリスト)は,津波がくる前にすでに原子炉には異常が起きていた,つまり,地震による事故が最初であった,と指摘し,その根拠について丁寧に説明している。この説は,これまでも多くの専門家が指摘してきたことがらだ。しかし,東電は事実無根として無視してきた。この東電発表の「ウソ」が,ひとつずつ暴かれはじめている。外国の専門家からも同じような指摘がされているという。

 にもかかわらず,大飯原発は安全評価(ストレステスト)の一次評価だけで,政府は再稼働を決めてしまった。本来のルールでいけば,06年に制定した「指針」にもとづき「再点検」することが不可欠のはず。そのように国民に約束したルールのはず。それを政府は無視した。そして,津波対策だけをして,あとは時間がかかるからという理由で省略してしまった。こんなことが平然と行われているのである。

 これは,もはや,黙って見過ごすべき事態ではない。
 わたしも政府の,このむちゃくちゃな決定の仕方に異議申し立てをする一人として,首相(終章)官邸前に立ち,意思表示をしなければならない。明日の金曜日,ついに,そのチャンスが巡ってくる。

 聞くところによれば,地下鉄で行くと出口を機動隊が塞いでいて,外にでることはできないという。タクシーは通すことになっているので,タクシーで首相官邸前の交差点まで行き,そこで降ろしてもらうのがいい,と友人のNさんが教えてくれた。

 なにはともあれ,明日は可能なかぎり平常心を心がけながら,首相官邸前に立とうと思う。そして考え,シュプレヒコールをし,帰ってこようと思う。たぶん,帰ってきてから,さらに考えることは多くなるのだろう。それが大事だと思う。

2012年7月11日水曜日

大津中,男子生徒の自殺問題。「見て見ぬふり」「無責任」が日本中に蔓延。

毎日,毎日,新聞を読むのがつらい。かといって,インターネット情報は新聞よりももっともっと怖い情報が日々流れている。いったい日本という国はいつからこんなに堕落してしまったのだろうか。わたし自身の74年の人生と重ね合わせながら考え込んでしまう。

それにしても,大津中の男子生徒の自殺問題。事態が明るみになればなるほど,ますます人間不信に陥ってしまう。こんなにも教育の現場は荒廃してしまったのだろうか,と。わたしのかつての教え子たちの多くは学校の教師になり,いまも現場で指導にあたっている。かれらとは,定期的に会って,いろいろと現場の話を聴かせてもらっている。少なくとも,わたしのところに伝わってくるかぎりでは,現場は相当に大変なようだ。だから,相当に頑張らないとやっていかれない,という。とりわけ「いじめ」に関しては細心の注意を払いながら,大事にいたる前に必死で格闘しつつ(この内容についてはあまり赤裸々に書くことができないほど),「いじめ」に遭遇している生徒を守っているという。にもかかわらず,そういう教師の不足している学校では「無責任」に放置されてしまい,不幸な事件が起きてしまうのだろう。

それにしては,全国各地に,「いじめ」に遭遇している生徒を守れない学校が相当数ある,ということが日々明らかになっている。しかし,文部科学省が把握している数字は不可解で,恐ろしいほどだ(今日の『東京新聞』「本音のコラム」井形慶子さんの「見て見ぬふりの根深さ」による)。2010年文科省が発表した「児童生徒の自殺の状況」によると,命を絶った156人中,「いじめ」で自殺したのはわずか4人。周囲から見ても普段と変わらず,特に悩んでいる様子もないとされる「不明」が最多の87人。「極めて不自然ではないか。本当に追跡調査をしたのだろうか」と井形さんは書いている。

これが文科省によって公開された数字だ。その数字が示す意味は,井形さんの仰るとおり「不自然」だ。もっと恐ろしいことは,「自殺」と判定されないまま,別件(不慮の事故,など)として処理された生徒の数が相当数にのぼるのではないか,と推定されることだ。要するに「うやむや」にされたまま処理されてしまう実態調査こそが問題だ。

今回の事件も,3回も被害届を受理しなかったという警察の姿勢に,如実に現れている。つまり,もみ消しだ。これはすでに情報として流れているように,加害者の生徒のひとりの親は警察関係者だという。こんご事実は次第に明らかになると期待したいが,はたしてどうか。3回も被害届を拒否した滋賀県警が,とうとう専従の捜査班を編成して,「暴行容疑」事件として中学校と教育委員会の強制捜査に踏み切った(11日午後7時37分,大津市教育委員会に)。警察庁によれば,「いじめ」が背景にある場合には,学校と教育委員会から証拠の「任意提出」を求めるのが通例だという。ついでに,被害届を受理しなかった県警の姿勢も別の容疑で捜査の対象にしてほしい。

こんなことをじっと考えていると,原子力ムラの体質がそのままある特定の中学校・教育委員会・警察に蔓延していただけの話ではないか,ということに気づく。「見て見ぬふり」をする,「やることはやった」「責任はないと居直る」,このことは「3・11」後の日本では当たり前のことになってしまった。現に,「3・11」の原発事故に関しては,だれも責任を問われていない。あんなに「無責任」と批判されても,それを断定する「証拠」がない,という理由で。要するに原発の事故原因の真相がわからないことをいいことにして,時間稼ぎをしているとしか考えられない。つまり,ルールや法律を楯にして身の保全につとめているだけの話だ。それと同じことが日本の組織の末端まで蔓延しているかのように思えて仕方がない。

かく申すわたしなども,電車の中で「いじめ」に等しいような行為をする無頼漢に遭遇しても,できることなら「見て見ぬふり」をしていたい。数年前までは滅多にお目にかからなかった車内で「お化粧」をはじめる女性たち,食べ物を広げて周囲をはばかる様子もなく食べはじめる若者たち,車内をわがもの顔で駆け回る子どもたち,それを止めようとはしない親たち,など,いまでは当たり前になってしまっている。みんな「見て見ぬふり」をしている間に,それが当たり前になる。

そういう風潮がますます蔓延しつつある。
教育現場でいえば,一部の教員,校長,PTA,教育委員会,文部科学省,警察,とうとうが一丸となって「見て見ぬふり」をする。つまり,ことなかれ主義の体質が広がりつつある。それは大学でも,大学院でも,基本的に同じだ。ひょっとしたら,大学の方がもっと質が悪いかもしれない。要するに「無責任」体質の蔓延である。「知らなかった」ことにすれば,証拠がないかぎり責任は問われない。君子,危うきに近寄らず,だ。いつのまにか,みんな「君子」になってしまったというわけだ。困った世の中になったものだ。

それが,政府を筆頭に政治家,官僚,学界の偉い先生,メディア,といった日本の中枢を占める人たちが先陣を切っているというのだから,もはや手のつけようがない。しかも,政府よりも偉い「東電」の患部(幹部)は重症だ。もう,どうしようもない。あなた方の「理性」は完全に狂っている。

もう,こうなったら,自分の命は自分で守るしかない。場合によっては家族ですら頼りにはならない。幼い子どもをもつ母親の感性しか,いまのところ信頼できるものはなくなってしまった。その母親の一部もまた崩壊しつつある。もう,ほんとうに一人ひとり,バラバラにされたまま,国民は日本社会という「砂漠」に投げ出されたも同然である。

こういう状況は,1920年代の後半にドイツの独裁者ヒトラーが選挙によって登場したときと,とてもよく似ている。しかも,そのヒトラーになりそうな人物が多くの支持を受けている,というのだから恐ろしい。もう一度,冷静になって,まともな「理性」をとりもどすしか方法がなさそうだ。それができなかったとき,日本はまたまた暴走をはじめそうだ。それは,一重にわれわれの責任だ。心せねばなるまい。

2012年7月10日火曜日

NHK・BS1「古田敦也のスポーツ・トライアングル」にVTR出演します。

 たったいま,NHKから情報が入ってきましたので,お知らせします。
 6月21日(木)にVTRに収録されたわたしの談話の映像が採用され,正式の番組で放映されることになった,とのことです。番組タイトル・日時を以下に書いておきます。

タイトル:
BS1スペシャル
古田敦也のスポーツ・トライアングル
世界に挑め! JAPANアスリート

日時:
7月13日(金)NHK BS1
 前編 23:00~23:50
  (10分間,ニュースで中断)
 後編 24:00~24:49

 以上です。
 事前に収録された映像は4時間くらいしゃべっていますので,どの部分が使われるかはまったくわかりません。ほんの数秒で終わりかもしれません。あるいは,ことば足らずできわどい部分を切り取られて使われるかもしれません。その意味では,いささかドキドキ。わたしとしては,かなり思い切った話をいくつかしていますので,そのあたりのところを使ってもらえれば,ありがたいと思います。が,なにせ,NHKですので,たぶん,無難なところを使うことになるのでしょう。どうなるかは,まったくわかりませんが,それなりに楽しみにしたいと思います。

 放送後にはDVDにして送ってくれるということですので,かなり長く使ってくれたのかな,とも勝手に想像しています。

 まずはお楽しみに。
 そして,コメントなど入れてくださると助かります。
 取り急ぎ,お知らせまで。

両足義足のランナー「ピストリウス選手」考。

 両足義足のランナー「オスカー・レオナルド・カール・ピストリウス(Oscar Leonard Carl Pistorius,1986年11月26日生まれ)」が南アフリカ共和国のオリンピック代表選手となり,いま,なにかと話題になっている。男子400mと1600mリレーに出場の予定。ベスト・コンディションで走れば決勝進出も可能な実力者である。

 問題の核心は,健常者とはなにか,障害者とはなにか,という根源的な問いにある。ピストリウス選手は,両足義足なるがゆえに健常者の大会に出場することはできないという暗黙の了解事項に対して,断固として宣戦布告をし,それを勝ち取ったのだ。

 かれは必死に頑張って練習を重ね,パラリンピックの陸上競技選手としてその名を馳せることになった。しかし,かれの最終の目標は,障害者大会という枠組みの外にでて,健常者と対等の勝負をすることにあった。だから,さらに激しい練習を重ね,ついにオリンピック出場に手がとどく記録を出すにいたった。そして,北京オリンピックに400mで出場することをめざしたが,国際陸上競技連盟(IAAF)はそれを拒否した。理由は,カーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触する,というもの。こうして北京オリンピック出場の夢が絶たれてしまった。

 ピストリウス選手は,アイスランドの義肢メーカー・オズールに特注したカーボン製の競技用義肢を使用している。いわゆる「ブレード・ランナー(Blade Runner)」だ。かれは生まれたときから腓骨がない先天性の身体障害者で,生後11カ月で両脚の膝から下を切断。したがって,自分の脚で立つ,歩くという経験がない。幼児から義肢とともに成長した。かれにとっては義肢こそが自分の脚だ。そして,周りの子どもたちと分け隔てなく,自分の脚である義肢を駆使して,あらゆる遊びやスポーツを経験しながら成長した。

 「障害によって不可能なのではなく,持っている能力によって可能なのだ。」(You're not  disabled
by the disabilities you have,  you are able by the abilities you have.)
 これがピストリウス選手のモットーである。

 かれは国際陸上競技連盟(IAAF)の決定を不服とし,スポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えを起こした。CASは,2008年5月16日,IAAFの判定を覆し,ピストリウス選手が健常者のレースに出場することを認める判定を下した。

 かくして,2011年の世界陸上競技選手権大会(韓国)に出場し,400mで準決勝に進出している。かれの自己ベストは,100m:10秒91(2007),200m:21秒41(2010),400m:45秒07(2011)である。

 ピストリウス選手のロンドン・オリンピックでの活躍が期待される。そして,活躍すればするほど,健常者とはなにか,障害者とはなにか,という問題について本格的な議論が生まれてくることになるだろう。そして,かれの存在が,言ってしまえば,近代社会のなかで構築された制度的差別を,すなわち,障害者という一種の囲い込みを,批判し,無化する上で大きな役割をはたすことになるだろう,とわたしは密かに期待している。

 そして,わたしたちは健常者というお城のなかでぬくぬくとして,なんの矛盾も感じないできたことに深く反省しなくてはなるまい。そして,「生きる」という次元から,もう一度,みずからの「理性」を働かせなくてはなるまい。その意味でも,ピストリウス選手の活躍を,大いに期待したい。

2012年7月9日月曜日

「孫文記念館」に行ってきました。

7月7日(土)の午前中の空き時間を利用して,友人のTさんが明石海峡大橋のたもとにある「孫文記念館」を案内してくれました。明石海峡大橋をその直下から仰ぎ見るのも初めての経験でしたが,その大橋を建造するために移築されたという「孫文記念館」を訪ねるのも初めてでした。

雨模様の空で,ときおり強い通り雨があるという天気予報でしたが,なぜか,わたしの行く先はいつも雨が止み,ときには青空さえ顔をみせてくれるという幸運にめぐまれました。もちろん,車で移動中には,予報どおり雨に見舞われました。が,到着すると雨は止む,ということのくりかえしでした。なんともラッキーなことでした。

「孫文記念館」は,JR舞子駅から徒歩5分。かつては白砂青松の名所で,海水浴客で賑わったと聞いています。が,いまは,しっかりと護岸工事がなされ,わずかに松林が残されているのみです。が,土曜日ということもあってか,海岸沿いの道路をジョギングする人を多くみかけました。「孫文記念館」もまた明石海峡に面した岸壁に建っています。そのすぐ右手上には明石海峡大橋が,それはそれは雄大な姿で聳え立っています。淡路島まで伸びている大橋の中程は,潮の流れが激しくぶつかり合うところらしく,黒い潮の流れと白波がみえていました。

「孫文記念館」には中国人のお客さんが多いようで,わたしたちが入ったときも,何人かの中国人の姿をみかけました。また,受け付けの女性も日本語の上手な中国の人でした。展示会場では,中国語が飛び交っていて,この記念館で働いている人と思しき人の説明も,みごとな中国語でした。帰りにそれとなく受け付けの中を覗いてみましたが,どうやら,みなさん中国系の人のようでした。

その理由は,そのときもらったリーフレットを読んでみたら,なるほどと納得。長い文章ではありませんので,転載しておきましょう。

この記念館は,中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山,又は逸仙,1866~1925)を顕彰する日本で唯一の施設で,1984年11月に開設されました。この建物はもともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855~1926)の別荘「松海別荘」を前身としており,1915年春,その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられました。外観が六角に見えるところから,地元では「舞子の六角堂」として親しまれていました。
孫文と「松海別荘」(移情閣)の関わりは,孫文が1913年3月14日,来神したとき,神戸の中国人,経済界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときにはじまります。
その後,1983年11月,兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ,改修を行い,1984年11月12日,孫文生誕の日に「孫中山記念館」として一般に公開されました。1993年12月には「兵庫県指定重要文化財」に指定されました。1994年3月,明石海峡大橋の建設にともない,いったん解体され,西南200mの現在地に移転,復原工事が進められ,2000年4月に完成しました。2001年11月,移情閣は国の重要文化財に指定されました。2005年10月,孫中山記念館は「孫文記念館」と改称されました。
この記念館には,日本と孫文,神戸と孫文の関わりを中心に,呉錦堂の生涯,移情閣の変遷などに関する展示が行われています。

以上です。
建物の外側はブロックを積み上げた洋館風ですが,内側は木造でした。窓には,鉄製の扉がついていて,なんだかものものしい防御の構えが感じられます。当時の治安の残像をみる思いがします。

展示物は写真や手紙などを中心に,当時の孫文を歓迎する雰囲気が感じられるようになっていました。わたしの関心事からすると,二階に展示されていた孫文の「書」が印象的でした。歓迎パーティの慌ただしいところで書いたと思われるような,いささかテンションが高くなっている書もあれば,ひとりで落ち着いた気持ちのときに書いたと思われるみごとな書(堂々とした威風すら感じられる書)があり,やはり人間的にも大きな人だったんだなぁ,としみじみ思いました。

全体の印象としては,中国の清朝を倒すために革命軍を組織し,戦いをいどむものの,そのたびに敗戦し,日本に亡命したり,華僑をたよりに東奔西走して資金を集め,ふたたび革命戦争を挑んだ人なんだ,ということが伝わってきます。久しぶりに中国の辛亥革命のいきさつを,そして,「三民主義」のことを思い出すことができました。

神戸というところは,やはり,一種独特の雰囲気のあるところだ,と再認識しました。三宮の賑わいが見せ掛けだけではない,なにか大きなバイタリティを帯びたものだということが,少しずつわかってきたように思います。また,チャンスがあったら,探索してみたいなぁ,と思いました。もっとも,Tさんに案内してもらわないと,どこにも行けませんが・・・・。

「孫文記念館」はお薦めのスポットのひとつです。ぜひ,訪ねてみてください。
今回はここまで。


2012年7月8日日曜日

「布引の瀧」(新神戸駅から400m)に行ってきました。

新幹線の新神戸駅から400mのところに「布引の瀧」があります。新幹線の駅の下に降りていくと,「←布引の瀧・400m」という案内板もあります。

以前から,友人のTさんから,一度,案内しますというお誘いを受けていたのですが,なかなかそのチャンスがありませんでした。が,今日(7日),ようやくそのチャンスをつかむことができました。

日曜日ということもあって,午前10時ころの新神戸駅の下の広場には,登山の出で立ちの中高年の団体さんがいっぱいでした。なかには,幼稚園のこどもたちを引率する団体もいました。みなさん,きちんとした登山姿。この人たちは,たぶん,「布引の瀧」を経由して,頂上まで登り,さらに足を伸ばして六甲山の方をめざすようです。わたしたちは,普段着のまま。なんだか,申し訳ないなぁ,と思いながら登りはじめました。400mさきの「布引の瀧」まで行くだけですから。

Tさんは,学生さんを引率してトレッキングなどの授業も展開している野外活動の専門家です。言ってみれば,この六甲山系は手の内も同然。そのむかし,この六甲山系を自分の庭のように楽しんでいた加藤文太郎を思い出しながら,Tさんも同じだなぁ,とひとりごとを言いながら登りました。

新幹線の下をくぐり抜けるようにして登山口にとりつきます。もう,そこで大きな発見がありました。いつも乗り降りしている新幹線の駅のプラットフォームの真下を「布引の瀧」から流れ落ちてくる川が音を立てて流れているではありませんか。いつも,プラットフォームから山側を眺めると,眼の前に岩肌が迫っていて,崖崩れが起きたらこの駅はひとたまりもないなぁ,などと呑気なことを考えていました。が,なんのことはない,足下は川でした。

登り口から一気に石段がつづきます。その石段の歩幅がわたしの寸法に合わず,中途半端な歩き方を強いられてしまいます。が,そのさきはさらに急になり,こんどは歩幅が狭すぎるくらいになってきます。元気のいい若い人たちがとっとと追い抜いていきます。わたしとTさんはゆっくりと,一歩一歩楽しむように歩いて行きます。典型的な山屋さんの歩き方です。わたしも若いころには南アルプスを中心に,かなりの熱を入れて歩いていましたので,山屋の端くれぐらいの知識はもっています。ですから,あんなに急いで登っていかなくてもいいのに。しかも,すでに荒い息遣いをしながら。まあ,それも経験のうち,と見送りながら,あちこちの景色を堪能しました。

やがて,瀧がつぎつぎにみえてきます。どれも立派な瀧なのに,Tさんはちらりと見るだけで,さきに歩いていきます。その山道のここかしこに万葉集や古今和歌集などにでてくる歌人たちの歌碑が立っています。読めそうな歌碑の前では足を止めて読む努力をし(ほとんどは苔むしていて読めない),それとなく雰囲気を嗅ぎ取ることを楽しみました。

やがて,大きな音が聞こえはじめたら,これが「布引の瀧」です,とTさん。ものすごい轟音です。この数日間,山には相当の雨量があったようで,怒濤のように大量の水が落ちています。瀧つぼの手前にある展望台に立つと水しぶきを浴びてしまうほどです。仕方ないので,ちょっと右手に登ったところの眺望のいいポイントをみつけて,しばし鑑賞しました。瀧はいいものです。なにか不思議な世界に連れていってくれます。

Tさんの話では,いつもは,糸を引くような瀧で,布が張りついているようにみえるので「布引の瀧」という名がついた,という。こんなに水量の多いのは初めてです,とのこと。その意味ではラッキー。迫力満点の瀧を眺めていたら,ここから200mほど登ると神戸市が一望できる展望台がありますが,どうしますか,とTさん。折角なので行ってみましょう,とわたし。

なるほど,急な坂道を登ってきたので,すでにかなり高いところに立っていました。神戸市の高層ビルがこの山の自然に囲まれるようにして建っていました。海に広がるポートアイランドや,そのさきにある神戸空港もみえました。左手には六甲アイランドも見えました。なかなかの眺望で,やはり,ここまで登ってきてよかったなぁと思いました。

帰路は,また,別の登山道を通って景色を楽しみながら降りてきました。
考えてみれば,久し振りに山道を,それもかなりの急坂を歩きました。わたしの両脚は,遠い過去の記憶のなかに埋もれている,心地よい刺激を楽しんでいるようでした。まだ,ゆっくりなら,歩けるではないか,といささか自信をとりもとしました。でも,わたしはもう本格的な登山は遠慮しようと思っています。その理由についても,また,いつか書いてみいたと思います。

その理由のひとつは,今日もたくさん見かけましたが,両手にストックを持って,それにすがるようにして歩いている,すなわち,片足加重もできない中高年の登山家の姿を見たくないからです。衣装も装備もなにもかも立派。なのに,片足加重という登山の基本ができていない。だから,歩く姿勢が不自然。一歩一歩,からだの軸ができていない。姿勢がくずれている。山を歩く人の姿は本来,美しいものです。その美しさが備わっていない登山家には会いたくないからです。

ここにも,「テクノサイエンス経済」の魔の手が忍び込んでいます。困ったものです。

でも,何人かの高齢の方の,みごとな片足加重の美しい歩行に出会うこともできました。まだまだ,健在なんだ,美しい登山家も,となんだか嬉しくなりました。また,機会があったら,この「布引の瀧」くらいなら,ちょいと覗いてみたいなぁ,と思いました。からだが喜んでいる声を,久し振りに聞くことができました。Tさん,ありがとうございました。

連続講演「スポーツとはなにか」・第2回「伝統スポーツの存在理由について考える」・無事に終了。新たな展望が開ける。

7月6日(金)の連続講演第2回につづいて,7月7日(土)の「ISC・21」7月神戸例会(第63回)にも参加して,いま,帰宅したところです。帰りの新幹線の中は,わたしの反省の場所であり,思考の時間です。とりわけ,連続講演で意図したところがどこまでお伝えできたのか,考えると背筋が寒くなってきます。が,不思議なことに,講演のあとになると,もっとこのように話すべきだった,という問題の整理ができてきます。

というわけで,新幹線の中で考え,わたしの頭の中でいくらか整理できたかな,と思われることをメモ代わりに書いておきたいと思います。


 自然存在であったヒトが人間となり,さらに事物化して,こんにちのわたしたちに至ることと,こんにちもなお伝統スポーツが存在する理由,との関係について。とりわけ,供犠とスポーツが結びつく根拠について。


 ヒトは生まれて,同類を食べることによって成長し,生殖を営み,子孫を残し,死んでいく。これが自然存在としてのヒトの一生である。


 そのヒトが<横滑り>して人間となる。(この<横滑り>については割愛)
 <横滑り>することによって人間はことばを考え出し,道具を工夫し,さらに植物栽培や動物飼育を営むに至る。そして,ついにはサイエンスやテクノロジーや経済へとその触手を伸ばしていく。こうして,人間は,自然存在であったヒトから人間になると同時に,周囲の<もの>それ自体をも人間のための道具として事物化し,植物を栽培し,動物を飼育して,自分たちの生活に役立つ「有用性」に促されるようにして,植物も動物も事物化していく。そして,ついには栽培しているつもりの人間が栽培させられる存在となり,飼育しているつもりの人間が飼育させられる,という逆転現象がおきる。そして,とうとう,人間は,人間そのものをも事物化してしまう。それが,こんにちのわたしたちの真の姿だ。(※原発を利用するつもりの人間が,その原発に逆襲をうけておろおろしている,わたしたちの姿は,事物化した人間のなれの果てなのだ。)


大地に落ちた小麦の種は水や太陽や大地の力をいただいて,やがて芽を出し,大きくなって葉を繁らせ,花を咲かせ,種を実らせて,その一生を終える。

ところが,この小麦を栽培しようと考えた人間は,大地を耕し,肥やしをほどこして,より多くの種を収穫して,それを粉にしてパンに仕立てて,食べるということをはじめた。これは,自然存在としての小麦にとっては,まことに予期せざることであった。つまり,人間のための事物とされ,しかも,食べられてしまう。小麦としての本来の使命である子孫を残すという,もっとも重要かつ基本である「生」の連鎖の断絶である。

同じように,牛や豚は,自然存在であったヒトと同じように,生まれて,食べて,成長して,生殖を営み,子孫を残して,死んでいく。「生」の連鎖の完了である。

しかし,飼育された牛や豚は,人間の有用性のためにのみ利用され,使役され,食べられて,その生涯を終える。自然存在としての「生」の連鎖の断絶である。

のみならず,栽培・飼育をしているつもりの人間もまた,いつのまにか栽培・飼育をさせられる,という情況に追い込まれる。つまり,事物と化したはずの植物や動物に「従属」させられる,という事態が起こる。

こうして,人間もまた事物と化してしまうことになる。

しかし,人間は事物のままで「生」の連鎖を断絶させるわけにはいかない。ここにいたって,人間は,動物性と人間性のふたつの相矛盾したロジックの股裂きに直面することになる。人間は大いに悩み,苦しむことになる。ここに「宗教的なるもの」の立ち現れる,避けがたい回路が成立する(ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を参照のこと)。

これを解消するための文化装置が「聖なるもの」を言祝ぐための祝祭的時空間なのである。こうした時空間の中で営まれる中核的な儀礼が「供犠」だ,と言っていいだろう。つまり,供犠とは,事物と化した動物や植物を,事物の呪縛から解き放ち,自然存在の本来のあるべき姿へと送り返すための儀礼なのだ。

古代オリンピアの祭典競技で,まず最初に,雄牛がゼウス神殿に供犠として捧げられることの根拠もここにある。事物と化した牛は供犠に捧げられることによって,事物から解放されることになる。それにあやかるようにして,事物と化してしまった人間も,「全裸」で競技をすることによって,つかのまの事物からの解放を体験する。つまり,古代オリンピアの祭典競技は,供犠の延長線で展開される競技なのだ。だから,競技者は「全裸」でなければならないのだ。「全裸」とは,世俗の人間から「聖なる」存在へと「変身」することを意味しており,その上で行われる競技は一種の「供犠」にも等しいと考えることができる。すなわち,人間を「全裸」のヒトの世界に送り返す供犠である,と。だからこそ,この競技にあっては,第一位だけが意味があって,第二位以下は無視される。なぜなら,第一位だけがゼウスの神にもっとも愛でられた者として考えられていたからである。つまり,神の世界にもっとも近い人間を選別するための文化装置だったのだ。

こまかなことは割愛するが,伝統スポーツの精神は,この古代オリンピアの祭典競技に端を発するような,それぞれの地域や社会や時代の精神を継承しつつ,こんにちにいたっている,という次第である。(※これに連なる思考については,また,別の機会にゆずりたい。)

講演の最後の質問に,スポーツと供犠の関係について,とりわけ,こんにちの近代スポーツ競技のなかに供犠の要素が表象的に組み込まれているのではないか,という問いがありました。その問いを受けて,その場では十分に応答できなかったという反省に立ち,新幹線の中で考えた答えのひとつをここに書き記したという次第です。

まだまだ仮説の域をでません。が,さらに仮説を積み重ねてみたいと考えています。大方のご批判をいただければ幸いです。

2012年7月5日木曜日

連続講演「スポーツとはなにか」・第二回「伝統スポーツの存在理由について考える」のレジュメ。

明日の講演用のレジュメがようやくできあがりましたので,紹介しておきます。
いろいろご批判いただければ幸いです。

連続講演「スポーツとはなにか」
日時:2012年7月6日(金)14:30~16:00
場所:神戸市外国語大学三木記念会館
稲垣正浩(神戸市外国語大学客員教授/「ISC・21」主幹研究員)

1.「スポーツとはなにか」連続講演の全体の見取り図
第1回:スポーツのルーツについて考える・5月10日(木)
第2回:伝統スポーツの存在理由について考える・7月6日(金)
第3回:グローバル・スタンダードとしての近代スポーツについて考える・11月30日(金)
第4回:21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える・1月25日(金)

2.第2回目の話のおさらい・・・ヒト(動物)が人間になるときに起こったこと/動物性と人間性に引き裂かれた存在=人間(存在不安)/そのための折り合いのつけ方/超越するもの(カミ)への祈り/供犠・儀礼・祭祀・贈与・消尽(祝祭の時空間=ディオニュソス的時空間・酒池肉林)/祈り・舞い踊り・歌・力くらべ・スポーツ的なるもの/古代オリンピアの祭典競技(聖と俗とのはざま)

3.伝統スポーツの存在理由について考える
3-1.伝統スポーツとはなにか(民族スポーツとの違い)
3-2.伝統スポーツの存在形態のさまざま(映像で確認)
3-3.祭祀儀礼/神聖なるものの世俗化/遊び・娯楽
3-4.いくら世俗化しても捨てきれないものが残る・・・「聖なるもの」(=「呪われた部分」=「動物性」)
3-5.伝統スポーツとは「聖なるもの」への回帰願望の表出形態のひとつ。
3-6.「呪われた部分」=「動物性」への回帰願望の表出
3-7.人間性が抑圧・隠蔽・排除してきた「動物性」への回帰願望を再現するための文化装置=伝統スポーツ
3-8.「動物性」=「呪われた部分」と,「人間性」=「有用性」の葛藤
3-9.逆の見方をすれば,「動物性」=「呪われた部分」を封じ込めるための文化装置=伝統スポーツ
3-10.伝統スポーツの存在理由は,抑圧・隠蔽・排除されてきた「動物性」への回帰願望を再現することによって,「有用性」(近代合理主義)に偏りすぎてしまった「人間性」のインバランスを修正して,本来の「人間」そのものをとりもどすことにある。

主な参考文献:マルセル・モース著『贈与論』/ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』『呪われた部分 有用性の限界』/ピエール・ルジャンドル著『ドグマ人類学総論』『同一性の謎 知ることと主体の闇』/西谷修著『理性の探求』/稲垣正浩編『スポートロジイ』,ほか。

以上です。
ご批判をいただければ幸いです。

「安定が第一」「無理をしてはいけません」・李自力老師語録・その13.

 太極拳は「安定が第一」と李自力老師は力説されます。「無理をしてはいけません」とも。いまできる範囲でやればいいのです。そして,なによりも「安定」していることが大事なのです,と。

 人に見られていると思うとついつい無理をして,少しでも上手に見せようとしてしまいます。しかし,この心構えを早く捨てなさい,と李老師は戒めています。まずは,ゆったりと自分のこころと向き合いなさい。そして,心地よいところを探しなさい。上手・下手は関係ありません。どれだけ自分のからだやこころと向き合い,からだの声を聞き,こころの声に耳を傾けることができるかが重要なのです。そして,静かに集中することです。

 足を無理して高くあげようとしてふらふらするよりは,足は低くてもいい,安定させることが第一です。軸足にしっかりと体重を乗せ,安定しているかどうか,からだ全体をきちんとコントロールできているかどうかが大事です。

 見ている人に安心感を与えるような,安らぎを与えるような表演がいいのです。無理な力が抜けて,安定してくるとおのずからそういう雰囲気がでてきます。そして,いつしか他を圧倒するような迫力がにじみでてきます。それを待てばいいのです。高齢者のベテランになればなるほど,安定さえしていれば,とても味のある表演ができるようになってきます。

 と,李老師は繰り返しくりかえし仰います。ことばとしては,まったくなんの抵抗もなく,しっかりわかったつもりになっています。しかし,ことばのとおりにできるかと言えば,それは別問題です。人間はとてもデリケートなものです。わたしなどは,李老師にじっと見つめられただけで,もう,いつもの自分のからだではなくなっています。こころはもっと緊張してしまいます。すると,いつもはできていたことまでできなくなってしまい,自分のからだもこころも自分のものではなくなってしまいます。いま,表演をしているこの「わたし」はいったい「だれ」なのだろうか,と思ってしまいます。

 「自然体」とか,「無為自然」ということばは承知していても,それを実践するとなると簡単ではありません。まことに奥の深い,無限のひろがりをもったものである,ということが少しずつわかってきます。「安定が第一」「無理をしてはいけません」という李老師のことばは,じつは,『老子道徳経』のなかで説かれていることを,わたしたちにわかりやすく翻訳してくれているものだ,ということに気づきます。

 太極拳は最終的には,老子の世界,つまり,タオイズムの世界に分け入っていくことでもあります。ありのままの自分をそのまま認めること,そういう自分をまるごと他者の前に投げ出して泰然自若としていられるようになること,「行雲流水」をそのまま生きること,という次第です。

 いつも一緒にやってくださる李老師の「24式」は,どこにも無理がなく,ゆったりと,しかも,じつに安定していて,それでいていつもからだのどこかが動いていて,淀むことなく,止まるところを知りません。一分の無駄な動きもありません。しかも,一分のすきもありません。泰然自若とした堂々たるものです。

 どうやら,わたしに足りないものはこころの修行ではないか,と最近とみに思うようになってきました。坐禅でもしながら「あるがまま」という公案と向き合うことが必要なようです。

 道は遠く,険しい。でも,歩まねばならない。
 わたしの高校時代の校長先生がアルバムに書き残したことばです。いまごろになって,このことばの重さがわかるようになってきました。気づいたときが吉日。あとは励むのみ。

2012年7月4日水曜日

連続講演「スポーツとはなにか」第2回「伝統スポーツの存在理由について考える(於・神戸市外国語大学)。

神戸市外国語大学の客員教授という肩書をいただいて,ことしで4年目になる。ありがたいことである。これまでの3年間は,前期・後期にそれぞれ集中講義をおこなってきたのだが,ことしは年4回の市民公開の講演をやってほしいとのこと。ならば,というので「スポーツとはなにか」という通しテーマを立てて,それをさらに4分割して,それぞれの回ごとに各論的なテーマを立てることにした。

その第1回目は,去る5月10日(木)に「スポーツのルーツについて考える」というテーマでお話をさせていただいた。神戸市外国語大学の竹谷和之さんに助けていただいて,映像や画像の資料を用意してもらい,わたしはその上に胡座をかいているだけの,もったいないようなお世話をしてもらっている。

今回も同様で,第2回目は,7月6日(金)の午後2時30分~4時まで。つまり,明後日。場所は神戸市外国語大学の正門を入ってすぐ左側の三木記念会館。参加申し込み不要。無料。どなたでも聴講できるとのこと。市民の方がたを中心に,学生さんもちらほら,というのが第1回目の様子でした。

第2回目のテーマは,「伝統スポーツの存続理由について考える」。ついでに,こんごの予定を書いておくと以下のとおり。
第3回目:「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツについて考える」・11月30日(金)。
第4回目:「21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える」・2013年1月25日(金)。

スポーツとはなにか。この大きな問いに応答するために,「ルーツ」を考え,「伝統スポーツ」を考え,「近代スポーツ」を考え,「21世紀のスポーツ」を考える,という四つの柱を立てて考えてみようというのである。

子どものころからスポーツが大好きで,というより屋外で遊ぶことが大好きだった。寺の本堂の屋根に登って叱られ,その本堂よりももっと高い椋の木に登って叱られ(この木の一番高いところに登るには,途中で「逆上がり」をしなければならなかった。しかし,それを達成するとはるか遠くに海を眺めることができた),夏は親の目を盗んでは大きな川に泳ぎに行き(2度ほど溺れている),四つ手をもって魚を追い,天気の悪い日は傘をさして釣り糸を垂れ,囮を使ったメジロとりに熱中したり,ときにはチャンバラごっこで勇気を競ったり,と年柄年中,なにかを見つけては熱中して遊んでいた。サマー・タイムのあったころ(1948年ころ?)には夜の9時すぎまで明るかったので,腹ぺこなのに遊びに熱中した。

スポーツらしいスポーツとしては野球が最初だった。そのあとは体操競技,登山,スキー,テニス,卓球,バドミントン,水泳,と幅を広げ,いまは太極拳。

そして,いつのまにやら「スポーツとはいったいなんなのか」と考えるようになり,その謎解きのために「スポーツ史」の領域に踏み込んで,こんにちに至っている。スポーツの歴史を勉強することによって,スポーツとはなにか,のかなりの答えをみつけることはできた。しかし,いまだに,その核心の部分がわからない。というよりも,自分で納得できる答えがみつからない。仮説はいくつかみえてきた。しかし,それらあまりに表面的で,ありきたりである。そんな仮説よりもはるかに深いところに,わたしが探し求めている「解」がある,ということがおぼろげながら透けてみえてきた。その「解」をわがものとしたい。

今回は「伝統スポーツ」が存続する理由はなにかを考えることだ。ここには,「伝統スポーツ」とはなにかという根源的な問いと同時に,なぜ,「伝統スポーツ」がいまも存続しているのか,その根拠を問うというふたつの問題系がある。

この問題系をわたしの思考方法に置き換えると,思想・哲学的な思考と歴史的な思考とが渾然一体となったところで成立する,そういう思考方法ではないか,と考えている。そうして,最近になって,わたしにとってもっとも納得のいく「解」に到達するための重要なヒントを提示してくれるるものの根幹をなすものが,マルセル・モースの『贈与論』であり,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』であり,ピエール・ルジャンドルの『ドグマ人類学』である。そこに,以前からの蓄積である仏教経典(たとえば,『般若心経』)や西田幾多郎の『善の研究』や・・・・という具合にいくつもの宗教哲学や思想・哲学が加わっていく。

つまり,「スポーツとはなにか」と問うことは「人間とはなにか」と問うこととイコールになってくる。それほどに奥の深いものだ,と考えている。だから,一筋縄ではない。

で,明後日の7月6日(金)には「伝統スポーツ」が存続する理由について考えることになっている。これもまた,とんでもなく大きなテーマであるが,なんとかその輪郭だけでもわかりやすく語ることができれば,と考えている。これからその構想を練るところ。

興味と時間のある方は,ぜひ,神戸市外国語大学でお会いしましょう。お待ちしています。



2012年7月2日月曜日

びっくり仰天の街頭演説。みんなの党の旗が立っていました。

 「自由党さんが悪いのではありません。民主党さんが悪いのでもありません。政治家はそんなに馬鹿ではありません。どの政党の政治家もみんなよくよく考えて政治を行っています。悪いのは政治の仕組みです。この仕組みを直さなくてはなりません。そのためには,みなさんがもっと積極的に選挙に関心をもって,行動で示すことが必要です。どこのだれそれさんに頼まれたとか,お金をもらったとか,そういうことを繰り返してきた結果がこんにちの政治の腐敗を産んだのです・・・・・」

 今日の午後7時すぎの溝の口駅前のコンコースで,「みんなの党」という旗を立ててひとりの比較的若い男性が演説をやっていました。駅を降りたときから,珍しいなぁ,久し振りに演説をしている人がいる。どこの,だれかな,と一瞬考えました。そして,すぐにピンときたのは,地元選出の民主党代議士日高剛君かな,というものでした。なぜなら,かれは小沢派の中枢にいるひとりで,民主党離党予定者のメンバーであることはすでに新聞などで明らかになっていたからです。そうか,日高君はさっそく地元の街頭演説に打ってでたか,と納得しました。いまこそ,小沢派は打ってでなくてはなりません。離党の理由を,徹底して訴えるべきです。なぜなら,マスメディアの多くが恥知らずにも,相も変わらず小沢叩きをつづけているからです。

 が,そうではありませんでした。

 しかも,それとなく演説を耳にしながら,だんだんと近づいていくと,冒頭に書いたような,とんでもないことを言っているではありませんか。もう,かなり前からムカッときて,どこの,どいつだ,いったい,こんな演説をぶって平気でいられるのは,と探すようにして近づきました。そして,演説している本人の真っ正面にきたときに,わたしの足が止まりました。だれひとりとして足を止める人はいませんでしたから,演説者はさも嬉しそうにわたしと眼を合わせました。

 ところがです。わたしは怒り心頭に発して,いまにも飛び掛からんばかりの,怒りの感情をむき出してにして睨み付けていたものですから,演説者は一瞬,ことばに詰まって,しばらくはにらめっこになりました。が,かれの方から眼をそらしてしまって,あとはわたしの方を見向きもしませんでした。これで,じつは,助かりました。

 なぜなら,かれの方からほんの少しでも挑発的な態度を示してきたら,わたしは文句なく近づいて行ったでしょう。そのあとは,どうなったか保証のかぎりではありません。みんなの党の若い世代にこんな演説をぶっている人間がいるとは・・・・。情けないかぎりだ。そういう人間こそが日本の政治を腐敗させてきたんだ,とそのことがわかっていない。それでいて,政治家を目指そうというのだから,開いた口が塞がらない。困ったものだ。

 ここからさきは言わぬことにしておこう。言いはじめたら際限がなくなってしまう。
 政治家に人材が集まらない現実は,こんなところにも窺い知ることができる。
 それにしても,こんなレベルの人物を街頭に出し,演説をさせていてもいいんですか。みんなの党さん。ますます,馬鹿にされるだけですよ。

 もう少し勉強してからにしてはいかがでしょうか。
 そして,確たる政治哲学のひとつくらいは身につけてからにしてほしい。
 通行人を不愉快な思いにさせる「罪」が,あなたにはある。
 そのくらいの自覚と覚悟が必要だ。ねえ,君ッ。
 こんど街頭にでてきたら,演説の途中からでも割って入るから,そのつもりで。

『出版ニュース』に『スポートロジイ』創刊号が紹介されました。

 みやび出版の伊藤さんから,『出版ニュース』に『スポートロジイ』創刊号が紹介されました,というメールをいただきました。伊藤さんからは,スキャンしてPDFで全文が送られてきたのですが,残念ながら,それをそのままこのブログに転載することができませんでした。仕方がないので,それを写真にとって「画像」としてここにもってきました。その一部をご覧いただければ幸いです。

 全文が読めるといいのですが,申し訳ありません。冒頭の書き出しをみていただけるだけでも,と考えてこんな風にしてみました。もっともっとパソコンを自在に使いこなせるようにならなくては・・・とつねづね反省しています。

 紹介文はとてもよくできていて,さすがに『出版ニュース』の編集者はすごいと感動しました。といいますのは,『スポートロジイ』のような発想の本はこれまでになかったものですし,「理性」とスポーツの接点についてもみごとに的を射た解説をしてくれています。どこかで『出版ニュース』をみかけたら(大型書店には置いてあるとのこと),ぜひ,全文を読んでみてください。

 じつは,この『スポートロジイ』創刊号がどのように受け止められるのか,ということについては刊行以来,心配だらけでした。が,のっけから『出版ニュース』のような専門誌で取り上げてもらえた上に,この特異な内容や主張を真っ正面から受け止めていただけたことが,なにより嬉しいことでした。といいますのは,体育やスポーツの分野の,いわゆる蛸壺型の特殊個の研究から脱して,一般の思想・哲学のような普遍のレベルでスポーツの問題を受け止めていただけるような,専門性の高い雑誌をめざしていたからです。特殊個から普遍へ,スポーツの側から発信したいと考えてきたからです。とりわけ,「3・11」後は,そのことを考えつづけてきました。

 それが,このような形で世に受け入れられるとしたら,こんなにありがたいことはありません。これから,どんな反響が返ってくるのか,楽しみになってきました。

 余談になりますが,渋谷や神田に用事があってでかけたときには,大型書店に立ち寄って『スポートロジイ』がどのように陳列されているのか覗いてくることにしています。たとえば,神田神保町の三省堂書店(本店)には,スポーツのコーナーの「理論書」という区分けの棚の下に平積みになっておいてありました。最初に行ったときには10冊ほどが平積みになっていましたが,二度目に行ったときには,その山が3冊になっていました。少なくとも7冊は売れたということのようです。なんとも言えない不思議な感動がありました。

 できることなら,どこかのメディアが書評などしてくれるとありがたいのだがなぁ,と夢見ています。が,そうは問屋が卸さないでしょうね。でも,期待だけはしていたいと思っています。夢や願望はあった方がいいと思っていますので・・・・。

 あとは,身内の口コミを期待するしかありません。
 わたし自身もこれから営業活動に入ろうと思っています。
 創刊号がなんとかなれば,第2号への展望も開けてきます。じつは,もう,すでに,第2号の編集作業に入っています。もっともっと面白い内容になる予定で,いま,段取りを進めています。なんとか頑張って,「3号雑誌」などと笑われないように努力しますので,みなさんのご支援をよろしくお願いいたします。

 以上,『スポートロジイ』創刊号の近況のご報告まで。


2012年7月1日日曜日

ライフ・スタイルを変えよう。「わが家は電気代500円」(4人家族)・『東京新聞』。

 昨日のブログを書きながら考えていたことの一つが,早速,今朝の『東京新聞』一面トップに大きく取り上げられている。偶然というか,必然というか,こういう奇遇はなにかを予感させる。ユンクのいう「集合的無意識」の考え方にはどこか惹かれるものがある。

 記事は全部,実名で紹介されているので,それに倣うことにする。
 竹上順子記者の書く冒頭のつかみの文章は以下のとおり。

 「節電で月の電気代は五百円程度」という主婦の投稿が,五月末の本紙発言欄に載った。どうすればそな生活ができるのか。東京郊外に住む読者を訪ね,さまざまな工夫を重ねた暮らしぶりを見せてもらった。

 記事によると,会社員の夫(37)と長女(5),長男(2),奥さんの東奏子さん(32)の4人暮し。東京都あきる野市の住宅地(木造二階建て)に住む。

 「電気料金等領収証」が大きな写真で紹介されている。ことしに入ってからの1月分600円,2月分527円,3月分547円,4月分512円。

 右下には東さんと長男くんが,洗濯板を使って手で洗濯をしている写真が載っている。そして,そのすぐ右側に「冷蔵庫も洗濯機もない,超エコ生活」という見出しが踊っている。

 詳しいことは省略するが,いろいろと工夫がされていて,なるほど,やればできるではないか,と納得。洗濯機や冷蔵庫は必需品だと思い込んでいる人が多い(わたしもその一人)が,なんのことはない,ついこの間までは,こんなものは一般家庭にはなかったものだ。テレビでさえ,東京オリンピック(1964年)以前は,一般家庭にはなかった。

 東さんのお手本は,大田区の一軒家で暮らす92歳の祖母だという。子どものころに,ものを大切に使い切るコツを学んだ。大学では環境保護を学び,登山サークルで毎年一週間は山小屋で過ごした経験がいまに生きているという。電気,ガス,水道のない生活が,山小屋では当たり前だ。そこを起点にして考えれば,都会での生活は楽なものだ。

 テレビもパソコンも,使うときだけコンセントを入れる。電話も夜間はコンセントを抜く。
緑のカーテン(ヘチマなど),太陽光で充電したソーラーランタン,ふとんにはござを敷き,水枕,どうしても熱い夜は扇風機を1時間ほど使う,など生活のすみずみまで気配りをしながら,できることはやってみようという実験感覚で楽しんでいるという。

 ブログ名「エコを意識しながら丁寧に暮らす」を書いている。
 早速,覗いてみたら,創意工夫がいっぱい。
 でも,なにからなにまで東さんのようにはできないまでも,これならできるというところから真似していけばいい,そして,それに自分なりの工夫を加えていけば,もっともっと楽しくなるはず。

 やればできることはいっぱいある。

 やはり,基本は,これまでの(「3・11」以前までの)ライフ・スタイルから抜け出すこと。そして,少しずつ,できるところから自分のライフ・スタイルを変えていくこと。

 創意工夫あるのみ。つまり,「思考停止」からの脱出。「暮しを考える」。そこからすべてははじまる。「経済」の原義はここにある。この原点をわすれてしまった「テクノサイエンス経済」(ルジャンドル)という化け物にわたしたちは振り回されてしまっている。なぜか。「思考停止」してしまったからだ。

 ライフ・スタイルを変えよう。そのために「理性」を活性化させよう。「人が生きる」ということを出発点にして。