2013年3月29日金曜日

「一票の不平等」は「違憲,無効」と高等裁判所判断。こんどは最高裁判事の判断に注目。

  あなたは自分の一票がどのくらいの「不平等」にさらされているかご存じですか。わたしも知らなかったので,調べてみたら,なんと「衆議院議員選挙:0.58票,参議院議員選挙:0.26票」(川崎市高津区)であることがわかり,びっくり仰天です。わたしの1票は衆議院選挙では半人前,参議院選挙にいたっては四分の一人前でしかない,というのです。

 これはちょっと本気で考えなくてはいけない・・・といまごろになって気づいた次第です。いささか恥ずかしい話ではありますが・・・・。もちろん,かなり大きな不平等だろうなぁ,とかねてから想像はしていました。が,しっかりとした根拠のある「数字」までは知りませんでした。ですから,この「不平等」を「数字」でみせつけられて愕然とした,というのが正直なところです。

 わたしの住んでいる川崎市高津区(溝の口)は田園都市線と南武線がクロスしているところで,いわゆる会社勤めをするサラリーマンが多く住んでいる,いわゆる新興住宅地です。まあ,言ってみれば,日本人の平均的な納税者が多く住んでいるところです。その人たちの投票権が,一人一票に対して,半分とか,四分の一にしか値しない,というのです。ならば,税金も半分,あるいは,四分の一にしてくれ,といいたくもなります。

 税金だけは一人前に「平等」にとっておいて,投票権は四分の一という「不平等」では割に合いません。いやいや,これは税金などというような世俗の金勘定の問題ではありません。そんなことよりなによりも,もっとも大事な国民としての「主権」にかかわる問題です。つまり,「主権在民」という憲法の根幹にかかわる大問題が軽んじられているということです。もっと言ってしまえば,いまの国会議員さんたちは,みんな「憲法違反議員」ということです。わたしたちの主権を正しく反映していないのですから。

 別の言い方をすれば,現職議員はみんな「違憲議員」であり,その代表が安倍晋三総理大臣ということになります。つまり,憲法に定められた手続を経ないで,国民の信託をえた偽の総理大臣だということです。そういう人が,なんのことはない,憲法を改正するといいはじめています。違憲総理が「第九条」までいじろうとしているのですから,世も末です。

 秋の参議院議員選挙の結果いかんによっては,「第九条」に手を染めることになりかねません。それにストップをかけようとしても,わたしの権限は四分の一人前しかない。それでいて,最終的な議会決定は「多数決」原理で裁かれてしまいます。そういう情況にいまいたっている,ということを考えると背筋が寒くなってきます。ほんとうに,ゆゆしき問題です。

 国民の主権をないがしろにしたまま,憲法改正だの,TPP参加だの,米軍基地移設だの,等々のことを決する権限は,厳密にいえば,いまの国会には存在しません。つまり,合法的に,正しい手続を経た国民の付託をえてはいないのですから。

 これらの責任のすべては定数是正を,長年にわたって忌避してきた国会にあります。肝心要の国会に自浄能力が欠けているのですから。しかし,それを長年にわたって,みてみぬふりをしてきたわたしたちにも責任があります。

 いずれ,この問題は最高裁での判断を待つことになるでしょう。秋にはその判断がくだされるといいます。わたしたちは,どの判事がどのような考えで,どのような判断をくだすか,こんどこそ真剣に検分する必要があります。そして,つぎの選挙のときに最高裁判事として「不適格」と思われる人には「×」をつけなくてはいけません。

 そして,そのことを最高裁判事に強く意識させる運動を展開しなければなりません。そうして,こんどというこんどは,最高裁判事としての出処進退をかけた,厳密な「判断」をくだしてもらわなくてはなりません。ここでは,わたしたちにも,堂々と重みのある「一票」を投ずることができるのですから。

 3月27日の『東京新聞』「本音のコラム」で,斉藤美奈子さんが,「一票の格差」ではなくて「一票の不平等」と呼ぶべきだと主張する「一人一票実現国民会議」をとりあげて,歯切れのいい批評を展開していました。そして,コラムの最後のところに「一人一票」で検索を,と書いてありましたので,早速,検索してみました。その結果が,冒頭に書いたような次第です。

 27日の段階で,全国14の高裁・高裁支部で計16件の判決が,ひととおり出そろいました。そのうち,12の高裁・高裁支部が「違憲」,2つの高裁が「違憲状態」と判断し,残りの2つの高裁・高裁支部(広島高裁と高裁岡山支部)が初の「違憲・無効」を宣告しました。これは画期的なことでした。すでに,あちこちで大きく報道されていますので,みなさんもよくご存じのとおりです。

 問題はこれからです。ようやくスタート地点に立つことができたのですから。「遅れてやってきた青年」であるわたしも,こんどというこんどは選挙制度の改革に,どの政党がどのような提案をするのか,しっかりと見届けておいて,秋の参議院議員選挙に反映させたいと思います。ことばの正しい意味での選挙制度改革を選挙の「争点」にする政党がでてくることを期待したいと思います。

 選挙制度の改革こそ最優先課題であるということを,すべての政党に危機意識をもって対応させるべく,わたしたちが働きかけていくこと,これを目指したいと思います。

2013年3月28日木曜日

嘉納治五郎が泣いている。全日本柔道連盟上村春樹会長はいつまで居すわるつもりなのか。

 傷は深まるばかりだ。上村春樹会長が長く居すわれば居すわるほど傷は深くなるばかりだ。このままでは,全日本柔道連盟はますます奈落の底に落ちこんでいく。どうしてこれがわからないのだろうか。ここは,だれがどう考えても,会長みずから責任をとって辞任し,執行部の人心一新をはかる以外に再生の道はない。

 しかし,悲しいかな。一度,権力のおいしい汁を味わってしまった人間は,おしなべて権力の座にしがみつく。それは世の習いではあるが,みっともない。ましてや高邁な理想をかかげる講道館柔道の精神を継承する全日本柔道連盟にあっては,なおさらである。

 嘉納治五郎さんが泣いている。情けない,と。

 ちなみに,上村春樹会長は講道館館長でもある。しかも,嘉納家以外の館長としては「初代」である。言ってみれば期待の☆だった。にもかかわらず・・・・・。

 3月26日に開催された臨時理事会では,結局,だれも責任をとらないまま,現体制維持を確認し,若干の人事案を決めたにすぎない。助成金問題を検証するための第三者委員会の設置,暴力根絶担当に山下泰裕理事,強化委員に山口香さん,など。こんな小手先の人事程度でこの難局をなんとか凌ぎきろうということらしい。

 おまけに,助成金問題については組織ぐるみでプールしていたことの実態も,23日には各紙が一斉に報じていて,ほぼ,その裏までとられているのに(該当の強化委員理事はみずから証言し,辞表を提出),26日の臨時理事会では「組織ぐるみの関与を否定」とある。しかも,記者会見では「事務レベルでやっていたこと」としらを切っている。そして,斎藤仁強化委員長の責任は問われることもなく,続投である。もし,ほんとうに強化委員長がその実態を知らなかったとしたら,そのことの方がむしろ責任重大である。なんのための「委員長」なのか。事務レベルが勝手にやっていた,などという組織そのものがすでに崩壊していることになる。一般の常識からして,事務レベルは上からの指示のないことを勝手にやるはずがない。そんなことはあってはならないし,ありえない。にもかかわらず,しらを切った。

 斎藤仁強化委員長は,自分の管轄下でおきた不祥事件に対し,まずはお詫びして責任をとるのは当たり前のことではないのか。とれをトカゲの尻尾きりで済ませようというのだ。おまけに,辞表をだした強化委員の穴埋めに,山口香さんを投入して,なんとか凌ごうというのだとしたら,あまりにお粗末。

 もっとお粗末なのは,上村会長が,暴力指導問題を検証した第三者委員会の提言を具体化する「改革・改善実行プロジェクト」のトップに就任することが決まった,という話。すでに,23日の段階で,JSC(日本スポーツ振興センター)の幹部が「一般的な行政では,利害関係者が自らの組織をチェックすることはない」と指摘しているというのに。つまり,JSCは事前に駄目だしをしているにもかかわらず,聞く耳をもとうともしない。もはや断末魔の修羅場と化している。

 こうした一連の臨時理事会決定に対して,各県の柔道連盟を代表する評議員のなかから,相当に厳しい声が多くあがったにもかかわらず,上村会長は「真摯に受けとめる」とだけ述べ,あとは握りつぶしたという。厳しい声とは,「トップが出処進退を明らかにすべきだ」(執行部の辞任要求),「地元体育協会でも問題になっている。もはや,柔道だけの問題ではないところにきている」,「子どもに柔道をさせられないという保護者の声がとどいている」,「柔道が好きな人間としていいかげんにしてくれという切実な思いだ」,等々。

 こうなってくると,やがては理事会と評議員会との対立抗争問題に進展しかねない。一度,そういうところを通過する以外にはないのかもしれない。「自浄能力」をもたない組織・団体は,いずれは自己崩壊する以外にないのだから。

 競技のすそ野を支える各県連の評議員の声に耳を貸さなくなった理事会は,もはや,存続すること自体が犯罪的ですらある。そのことに早く目を覚ますべし,としか言いようがない。

 地下の嘉納治五郎さんが泣いている。柔道も地に堕ちたものだ,と。

 おまけに,東京オリンピック招致も遠のいていく。

2013年3月26日火曜日

蒼国来よ,あなたは信念の人。立派。力士の鏡。応援したい。

 蒼い草が生い茂る国,内モンゴルからやって来た力士=蒼国来関よ,あなたの「生きる姿勢」にこころからの敬意を表します。「やってないものはやってない」と,みずからのこころに誓った真実を貫きとおす意志の強さ,そして,それをあきらめることなく主張しつづけ,ようやくそれが認められたことに対し,こころからの祝意を表します。

 あなたは偉い。立派。力士の鏡。

 あなたの主張は最初から首尾一貫していました。「やってないものはやってない」と。それを,なぜ,「やってました,と言わなければならないのか」「退職金のためにか」「ならば要らない」として,みずからの潔白を主張する道を選びました。

 あなたが涙ながらに記者会見で語ったことばが,いまさらのように蘇ってきます。「引退届けを出せば退職金がもらえるって?」「冗談じゃない」「引退届けをだせば,八百長をやっていたことをみずから認めることになる」「それだけはなんとしてもできない」「やってないものはやってないのだから」「自分の良心を裏切るようなことだけは,なんとしてもできない」「たとえ一銭ももらえなくてもいい」「裁判に訴えて,ことの白黒をはっきりさせたい」「仮に負けたとしても,天の神様はわかってくれる」「自分に嘘をつくことは,天の神様を裏切ることになる」「そんな人生は送りたくない」,つぎつぎにあなたの語ったことばが蘇ってきます。これぞ,「正しい生き方」。

 この記者会見を見ていて,あっ,この人は「無実だ」と直観しました。が,ずぼらなわたしはそのまま見て見ぬふりをしてしまいました。こんな自分が恥ずかしい。変だなと思ったら行動を起こさなくてはいけない,と理性ではわかっていても,からだがともないません。それは許されることではありません。原発と同じです。変だと思ったら,まずは,行動で示さなくては・・・。なぜなら,黙ってなにもしないでいることは,日本相撲協会の「解雇」処分を認めることに等しいから。ほんとうなら,「COME BACK蒼国来 勝手連」のメンバーに入れてもらって,わたしも蒼国来の「無実」を応援すべきだったのに・・・・と残念でなりません。

 蒼国来は「早く土俵に戻りたい」と言っています。日本相撲協会は「上告を断念した」とのコメントのみ。それだけでいいのでしょうか,日本相撲協会としては。蒼国来にくだした「解雇」というもっとも重い決定にたいして,これからどのような対応をしていくことになるのでしょうか。蒼国来もすでに29歳。力士としてはピークを迎える年齢です。でも,この「失われた2年間」,力士としては最後の仕上げの段階にさしかかるもっとも重要なこの「2年間」にたいして,日本相撲協会はどのように対応するのでしょうか。ただ,給料を払えばいいという問題ではないでしょう。まずは,なによりも,わが非を認めて,こころのこもった「詫び」を入れるべきでしょう。そして,一刻も早く,気持ちよく蒼国来関を相撲界に迎え入れるべきでしょう。

 でも,新聞報道などによると,日本相撲協会は一度,解雇した力士をふたたび迎え入れた前例はない,といいます。ですから,どのように対応したらいいのかとまどっているのかもしれません。しかし,そんなことを言っている場合ではありません。「2年間」もの間,無実の罪を被せられてきたのですから。しかも,力士生命をかけたもっとも重要な時期に。

 このことを重く受けとめ,一刻も早く,穏便に話し合いが済まされ,もとどおりの環境を整え,蒼国来関が相撲に集中できる環境を整備すること,ただ,それだけを祈ってやみません。

 わたしとしては,せめてもの罪滅ぼしとして,来場所から復帰するであろう蒼国来の相撲をこころから応援したいと思っています。写真でみるかぎり,なかなかのイケメン。おばちゃんのファンが多いらしい。得意の右四つからの投げを楽しみにしたい。

 蒼国来関よ,あなたは立派です。こころから敬意を表します。

 かつて,日馬富士が横綱に昇進したときに「勝つことよりも,正しく生きることをこころがけたい」と言ったのは,あなたのことが念頭にあったのかもしれない,といまにして思っています。当時は,まぎれもなく,勝ちにこだわる白鵬に対する牽制だと受けとめていましたが・・・。

 蒼国来関よ,あなたは,日本相撲史にその名を刻むことになる「正しい生き方」を,身をもって証明してみせてくれました。それは,とても感動的なことでした。ですから,これからも長く日本人の記憶に残ることでしょう。

 近頃,醜聞ばかりで,いい話題のない日本のスポーツ界にとって,あなたの生き方は久々にみる快挙です。ありがとう。こころから感謝します。そして,来場所からの活躍をこころから期待しています。にわかファンのひとりとして。いやいや,ひとりの人間として。

「四分の三世紀」を生きる。嬉しくもあり,侘しくもあり。いよいよ<幕引き>のとき。

 今日はなんだかひやっこい(三河弁)なぁと思いながら,いつものように鷺沼の事務所に出勤。昨夜,確認したメールの返信にとりかかりました。そうしたら,「誕生日おめでとう」メールが業者を含めて7人の方から入っていました。おやおや,とびっくり仰天です。そうかぁ,そうだったのかぁ,と溜め息まじりです。

 とうとう「四分の三世紀」も生きてしまったか,と嬉しくもあり,侘しくもあり,というところ。なんともはや複雑です。でもまあ,まずは,元気いっぱい,ここまで生きてこられた丈夫なからだに恵まれたことを両親に感謝したいと思います。そして,遅きに失した感はありますが,いまごろになってますますスポーツ史・スポーツ文化論の世界の面白さがみえてきたことに,わたしを支えてくださった多くの研究者仲間に感謝したいと思います。とくに,最近の10年間は,わたしにとってとても充実した時間が過ごせたと感じています。

 思い出すのは,ちょうど10年前の春,ドイツ・スポーツ大学ケルンから客員教授として招聘され,半年間,命懸けでゼミナールをこなしてきた経験です。いま,思い出しても冷や汗の流れることばかりでした。でも,このときのゼミナールの内容を帰国後,すぐに刊行して報告書代わりにみなさんに読んでいただきました。それが『身体論──スポーツ学的アプローチ』(叢文社,2003年)でした。ここを通過したことによって,ようやくわたしの思考の基盤が固まったように思います。

 ここからあとは迷うことなく,わが信ずる道をまっしぐら。楽しい夢をいっぱい見させていただいています。その夢はいまもつづいていて,ますます展望が開けつつあります。そして,とうとう「スポーツとはなにか」という本の執筆にとりかかっています。これも,昨年,一年かけて神戸市外国語大学が主催する連続講演の通しテーマとしてお話をさせていただいたお蔭です。もう,内容の骨格はできていますので,あとは,どのように「編集」するかだけのことです。これが,神戸市外国語大学の客員教授としての最後のお勤めでした。

 この3月末で,客員教授としてのお勤めも終わりです。その意味では公的な身分もなくなり,これからはまったくのフリー・ランサーとなります。もう,これからは失うものはなにもありません。ほんとうの意味で,わが心の赴くままに,わが信ずるところを,自由自在に尋ね歩いていきたいと思います。これまで長い間,わたしの背後で,不意に現れては,あれこれ指示をしていた不思議な存在の声にも,素直に耳を傾けていきたいと思います。

 昨年の秋,わたしたちの研究者仲間と有馬温泉で過ごしたとき,西谷修さんから「稲垣さんもそろそろ<幕引き>のことを考えないと・・・」と天啓のような話がありました。はっ,と虚を突かれたように,一瞬,声を失ってしまいました。まったく唐突に(わたしにはそう聞こえました),<幕引き>ということばが飛びだし,考え込んでしまいました。そうかぁ,そうなんだぁ,と。その夜はほとんど眠れないまま,この<幕引き>ということばを反芻していました。やがて,そこには深い意味がある,ということも朧げながらみえてきました。

 あれ以来,この<幕引き>のことを考えつづけてきました。もちろん,その後の太極拳の稽古のあとの昼食のときに,心根の優しい西谷さんはわたしを気遣いながら,<幕引き>の真意はこういうことです,と教えてくださいました。わたしが考えていたことが外れてはいなかったので,とても安心しました。しかし,その方法はとてもむつかしい,ということだけがこころにひっかかっていました。でも,方法ばかりを考えていてもはじまらない。なるようにしかならない,と割り切って行動を起こすことが大事とみずからに言い聞かせていました。

 あとは,そのタイミングです。ちょうど,今日は「四分の三世紀」を生き長らえた記念すべき誕生日。天から降ってきたかのような「節目の日」。それも,わたし自身はすっかり忘れていた「3月26日」。そういう「節目の日」であることを,親切に教えてくれた人たちに,まずは,感謝しなくてはなりません。ありがとうございました。このタイミングを逃してはならない,とわたしの背後の声が申しています。ここは素直にその声に従うことにしたいと思います。

 これから一年ほどかけて,ゆっくりと<幕引き>にとりかかりたいと思います。いろいろな人に,いろいろにご迷惑をおかけすることになると思います。どうぞ,お許しください。そして,わたしがほんとうの意味でのフリー・ランサーになったとき,それが,わたしの<余生>への最後のスタートの日となるでしょう。そこで書きはじめる文章は,たぶん,遺書のようなものになるでしょう。もう,すでに遅きに失しているかもしれません。でも,なんとか頭脳を鍛えておいて,しっかりしたものを書いてみたいと思います。

 その第一作が『スポーツとはなにか』になればいいなぁ,と考えています。ですから,勘違いしないでください。わたしの<幕引き>は,公的な身分から離脱し,わたしが完全なるフリーランサーになるための,言ってみれば,まったく自由な身分に「移動」するための儀礼です。「水の中に水があるような」存在になるための予祝の儀礼です。

 「遅れてやってきた青年」の,最後の夢の実現に向けて,これから気を入れ直して励みたいと思っていますので,よろしくお願いいたします。

 嬉しくもあり,侘しくもあり,四分の三世紀。(空色)


2013年3月25日月曜日

『琉球新報』(Ryukyushimpo.jp)をお薦めします。<自立>のために。

 唐突な,あまりに唐突な,「辺野古埋め立て申請」について沖縄の人びとがどのような反応を示しているのか,本土の新聞・テレビはほとんど報道しない。だから,国民の圧倒的多数は「怒っているらしい」くらいの認識しかない。こうして,沖縄差別が,国民の無意識のうちにますます醸成されていくことになる。

 「辺野古埋め立て申請」書類が提出された日には,『琉球新報』も『沖縄タイムス』もこぞって「号外」を刷り,街ゆく人びとに配布したという。地元のテレビもラジオも一斉にこの問題をとりあげ,いよいよ決戦のときがきた,と受けとめていたという(沖縄在住者からの情報による)。

 川崎市に暮していると,どうしても沖縄情報には疎くなってしまう。こんな重大なニュースですら,ヤマトでは,ほかのニュースに掻き消されてしまう程度にしか扱わない。だから,こういうときは,ネットで『琉球新報』の情報を入手することにしている。Ryukyushimpo.jp で無料でほとんどの情報を読むことができる。場合によっては,過去の記事を検索することもできる。まことに便利で,助かる。メディアとはなんであるかという気概が感じられる。

 今日(25日)の『琉球新報』によれば,4月には自民党県連の総会を開き,「米軍基地県外移設」を再度確認する,という。自民党の沖縄県連が「県外移設」をずっと前から主張しているというのに,中央の自民党政権は知らん顔で,辺野古移設を強引に押し進めようとしている。いったい,自民党という政党はなにを考え,なにをやろうとしているのか。県連が全会一致で決議していることをも,本部は無視して平然としている。説得の努力すらしていない。

 こうして,あちこち検索していたら,書評情報にゆきあたり,思わず「オーッ!」と声を挙げてしまった。そこには,西谷修編『<復帰>40年の沖縄と日本──自立の鉱脈を掘る』(せりか書房,2012年12月刊)が取り上げられていたのだ。評者は桃原一彦さん(沖縄国際大学)。そうか,桃原さんが読むと,こういうことになるのか,ととても新鮮な感じがした。やはり,本土で育った評者と,沖縄に生まれ育った評者の間には,基本的な違いがあるのだ。たとえば,<復帰>40年と向きあう姿勢が違う。そこには実際に40年を生きた人間の実体験がある。だから,記憶の密度が違うのである。つまり,からだに刻み込まれたさまざまな記憶とともに「40年」が回顧される。だから,血がかよっている。

 そこで,あらためてこのテクストをとり出してきて,あちこちページをめくってみる。そこに,真島一郎さんの論考がある。すでに,読んで承知していた。しかし,3月9日(土)の研究会のゲスト・スピーカーとしてお話を聞かせていただくにあたって,わたしの意識は『20世紀<アフリカ>の固体形成』(平凡社,2011年)のなかの真島さんの冒頭論文「序 固体形成論」に惹きつけられていた。でも,この論旨がなかなか難解で確信がもてるところまでにはいたっていなかった。

 偶然とは恐ろしいものである。今日になって,この『<復帰>40年の沖縄と日本──自立の鉱脈を掘る』のなかの真島さんの論考「「異族の論理」──死者的な」を読み返してみて,ハッと気づくものがあった。真島さんの主張される「固体形成」とは,換言すれば「自立」ということではないか,と。だとすれば,「「異族の論理」──死者的な」は,そのまま「沖縄自立論」として受けとめることができるではないか,と。

 このテクストの編者である西谷さんが,サブタイトルに「自立の鉱脈を掘る」と命名したことの意味もすっきりととおる。そう考えなおして,もう一度,真島さんの論考を読み返す。仲里効さんの「いとしのトットロー──目取真俊とマイナー文学」(『悲しき亜言語帯──沖縄・交差する植民地主義』所収,未來社,2012年)を手がかりにして,川満信一さんの長年にわたる主張と目取真俊の文学とを重ね合わせた,きわめて濃密な論考であることがわかってくる。そして,なんと,その主張に一貫しているものが「自立」であった。

 この論考のなかにも,真島さんがみずから書き込まれているように,「私個人には『ヤマトのアフリカニスト』としての自己否定が懸かっていた」,とのっぴきならない思考の深みへとみずから身を投げ出していく,そんな迫力満点の文章がつづく。

 ウチナンチュが,死者的な「異族の論理」を生きているとしたら,では,ヤマトンチュの「生」はいったいなんなのか,という鋭い矢がUターンして飛んでくる。だから,真島さんは真剣勝負としての「自己否定」を懸けて,それも二重の「自己否定」を懸けて,あのとき以来の沖縄シンポジウムに臨み,この論考を書いているのだ。

 運がよければ,こんどの4月にも,真島さんをまじえた3人で,あるシンポジウムでご一緒できるかもしれない。それまでに,きちんとした準備をしておかなくてはならない。真島さんに比べたら,わたしのスタンスはあまりにも甘い。第一に,「自己否定」が懸かっていない。スポーツの問題をもっともっと先鋭化して考えていかなくてはならない,としみじみ思う。わけても,いま,問題の渦中にある「スポーツマンの自立」をテーマ化しつつ,思考を深めていきたいと。

 これもまた,Ryukyushimpo.jp のとりもつご縁というべきか。

ああ,左足首。日馬富士,残念。でも,よくやった。

 初めての東正横綱の地位についた日馬富士。終わってみれば,9勝6敗。片や白鵬は全勝。メディアがどのように論評するかは,火をみるより明らか。でも,それは素人の遠吠えにすぎない。

 千秋楽の一番。白鵬は負けていた。完全に日馬富士のペース。日馬富士が全勝優勝を飾ったときの千秋楽の一番と同じパターンとなった。日馬富士の「左足首」の故障さえなかったら,またまた,あのときと同じように日馬富士の右上手投げと白鵬の左下手投げの打ち合いとなり,土俵を一周して上手投げが決まる場面だった。が,今場所は,その右上手投げが打てなかった。「左足首」の故障で。だから,最後は,白鵬のなんでもない左下手投げになんの抵抗もみせず,自分から転んでいった。「左足首」をかばっての,ひとり八百長。それでいいのだ。わたしには見応えのある立派な相撲にみえた。あれだけの故障をかかえていても,あそこまで抵抗し,館内を沸かせる攻防を繰り広げられる力士がほかにいるか。十分にゼニの取れる相撲だった。

 日馬富士は,「左足首」の故障さえ直せば,白鵬には負けない,と確信した一番だったはず。片や,白鵬は「苦い思い」をしたに違いない。今場所,もっとも後味の悪かった一番のはず。あんな左下手投げで転がるような日馬富士ではない。そんなことは,本人が一番よくわかっていることだ。

 でも,そんなこととは関係なくメディアは白鵬の全勝優勝を讃え,ついに双葉山・大鵬を抜いて全勝記録を9回に延ばした偉業を絶賛することだろう。たしかに,今場所の白鵬は調子がよかった。でも,相撲の内容はあまり褒めたものではなかった。それよりは,大関陣が弱すぎた,そのひとこと。これまでの白鵬の優勝回数も,すべては大関陣が弱すぎただけのこと。だから,日馬富士が大関から横綱に上がるときの,あの絶好調のときの日馬富士には白鵬は全部負けている。でも,大関のなかでただひとり,鶴竜は,今場所,白鵬に善戦した。おおいに自信をえたはず。これで鶴竜の相撲が化けるかもしれない。来場所の取り組みが面白くなりそうだ。

 星勘定から離れて,相撲内容をみたとき,白鵬の「張り差し」の多さはなんともいただけない。調子がいいのに,なぜ,「張り差し」にいくのか。双葉山のような横綱になりたいと言っているわりには,こまかなところでえげつない。勝ちにこだわりをみせすぎる。ほんとうに強い横綱はそんなけちなことはしない。勝ち負けを超越した横綱相撲をめざしてほしい。かつての千代の富士のように。それだけの逸材なのだから。

 かつて,日馬富士が上がってくるときに「張り差し」を多用して,メディアから叩かれた。日馬富士こそ,「張り差し」で先手をとって,あとはスピードで相手を攪乱し,自分の型にもちこむ,それが日馬富士本来の持ち味なのだから。にもかかわらず,メディアは叩いた。得意の右のど輪で相手をのけぞらせる相撲も,なにかとけちがつけられた。なぜか,日馬富士には必要以上に横綱らしい相撲が要求される。それは「ないものねだり」というものだ。かつての栃の海のように,あの手この手とあらゆる手を使って,スピードで勝負する横綱がいたっていいではないか。

 今場所の日馬富士の相撲は,「左足首」のことはひとまず度外視するとして,いろいろな立ち合いをみせ,これまでとは一味違ったさまざまな試行錯誤がなされていたように思う。わたしの眼に深く印象に残ったのは,相撲に自信ができつつある,ということだ。たとえば,立ち合い,真っ正面からぶつかり合い,相手を両腕で挟み付けるようにして前にでようとした相撲がそれだ。以前には感じられなかった上半身の力強さと,どこからでも来いという自信・気魄のようなものが表出していたように思う。これは明らかに,日馬富士のこころとからだに,これまでになかった充実感が漲り,余裕すら感じさせるものだった。

 しかし,いかんせん。時限爆弾の足首の故障が,今場所は,左足首の故障が命取りとなった。負けた相撲のほとんどは,左足首をかばっての転び方だった。だから,本人はすべて納得の上だ。その仕上げが千秋楽の相撲だった。白鵬が巻き変えて,右四つに組み止めて,これでよしと思ったはずだ。その瞬間に日馬富士は右上手の方に腰をひねって,白鵬の右上手を切った。これで日馬富士は万全の体勢を整えた。あとは,右上手投げを打つだけだ。

 しかし,相撲はここまでだった。日馬富士の右上手投げは不発に終わった。左足首をかばうために。たぶん,全勝対決だったら,あそこから,日馬富士は左足首がどうなろうとも,右上手投げを打ってでただろう。そして,あの大一番のように,白鵬の左下手投げとの打ち合いになり,土俵を一周してでも上手投げを打ちつづけたことだろう。

 ここは大事をとって来場所に備えた。それでいい。白鵬に貸しをつくっておけばいい。これが大相撲というものだ。プロなのだから,たった一番のために,無理をして相撲の寿命を縮めることはない。今場所はボロ負けの場所。来場所,故障をなおして万全の体勢で出直せばいい。そして,打倒白鵬,全勝をめざせ。故障さえ直せば,いまの日馬富士にはそれが可能だ。白鵬がもっともいやがるところ。

 でも,いつか,二人の横綱の全勝対決をみたい。このときこそ,ガチンコがみられる。そして,白鵬の張り差しを,一瞬の「後の先」でかわし,左上手を引いて日馬富士が暴れ回る相撲がみてみたい。そんなことを予感させる千秋楽の相撲だった。

日馬富士よ,メディアがなんといおうと,気にすることはない。ちゃんと相撲がわかっているほんもののファンもいることを忘れないで,来場所に向けて,まずは,故障を直そう。君の相撲は無形文化財ほどの価値がある。相撲の天才だ。君にしかできない芸だ。その芸がますます輝きを増すように,日々,精進しよう。かつて,君が言ったように「優勝することよりも,正しく生きることをめざしたい」という名言を,わたしは忘れてはいない。

お疲れさま。日馬富士!
来場所を待っている。

2013年3月23日土曜日

ウチナンチュがヤマトンチュを見限る日も遠くない。辺野古埋め立て申請。

 沖縄のすべての県・市・町・村長が辺野古埋め立てに反対を表明していて,沖縄県民もこれを支持し,これまでに例をみないほどの結束を固め,島民の圧倒的多数が完全な「一枚岩」になっていることを,ヤマトを代表する安倍政権はなんと心得ているのだろうか。安倍政権は,そのウチナンチュの強い意思を,まったく無視するような暴挙にでた。それが「辺野古埋め立て申請」だ。ウチナンチュを説得する努力もせずに・・・。まさに,民主主義を踏みにじる暴挙としかいいようがない。

 この暴挙は,自民党憲法改正(<改悪>)草案を前倒しにして,強行突破をはかろうという典型的な事例,とわたしにはみえる。その草案によれば,主権は国民にはなく,国家にある,と声高らかに謳っている。つまり,国民の意志を問う必要などはなく,政権与党の思いのままになる,と書いてある。その悪夢のような憲法改正(<改悪>草案が前倒しになって,いま,目の前に繰り広げられている。なんと破廉恥なことか。

 圧倒的な不平等条約にも等しい「日米地位協定」なるものに,ウチナンチュはこれまでどれほど泣かされてきたことか。ウチナンチュにとっての「戦後」処理はまだ終わってはいないのである。にもかかわらず,ウチナンチュが「屈辱の日」と受け止めている「主権回復の日」を政府式典として4月に開催することを,安倍政権は決めている。ウチナンチュの神経を逆撫でするようなことを平気で決定しておいて,それに追い打ちをかけるかのように「辺野古埋め立て申請」である。安倍政権には人間の「血」が流れているとは思えない。独裁者ヒトラーの再来である。

 安倍政権による「辺野古埋め立て申請」をアメリカは大歓迎だという。そして,米軍普天間飛行場を辺野古に移し,嘉手納基地以南の米軍施設・区域の返還・統合という安倍首相の要望に応えるべく努力するという。

 ウチナンチュの希望は,あくまでも,米軍基地の県外移設だ。もう,これ以上の基地負担はごめんだ,と。72年に「本土並み」を条件に本土復帰をはたしたが,長年の夢であった「本土並み」もみごとに裏切られてしまった。米軍基地はそのまま据え置かれ,なんの進展もみなかった。それから40年。その前の27年間も含めれば,敗戦後の67年間にわたって米軍基地の負担を背負わされてきたのだ。その基地を県外に移転することは,ウチナンチュの67年もの長きにわたって夢見てきた,本土復帰の最終ゴールだ。

 もはや,ヤマトは頼りにならない。それどころか,ヤマトはアメリカの肩代わりをして,アメリカの喜ぶことを先取りして,強行突破をはかろうというのである。いまや,ヤマトはアメリカ以上に恐ろしい存在になりつつある。ヤマトとはそういうところであったか,と。

 こちらのメディアはほとんど取り上げないが,すでに,相当数のウチナンチュがヤマトンチュを見限る行動にでている,という。『琉球新報』や『沖縄タイムス』では,しばしば,この問題が大きく取り上げられ,多くの若者たちの関心を引いている。もはや,ヤマトには頼らない。自分たち独自の生き残りの道を模索していこう,という主張をかかげる若者たちが急増していると聞く。

 辺野古埋め立て申請にたいして「諾・否」の結論を出すのは仲井真知事の権限だ。結論を出すまでに,8~10カ月かかると言われいる。仲井真県知事の「諾」が得られないかぎり,辺野古を埋め立てることはできない。政府は年内妥結を目指す。しかし,そうは問屋が卸さない。

 これから年末に向けて沖縄は正念場を迎える。島民にとっては,避けてとおることのできない熱い夏の闘いがはじまる。

 わたしたちも,もはや,傍観しているときではない。反原発があり,大震災からの復興があり,それ以上に良心の呵責なしには済まされない沖縄の米軍基地「県外移設」の悲願がある。こんな大事なときに,わざわざ尖閣諸島に火を点けた大馬鹿者がいる(実効支配をつづけているだけでよかったのに)。そこに便乗して,一気にナショナリズムを煽り,憲法を改悪して軍隊までもとうと,まっしぐらに走る安倍政権がある。

 わたしたちは,いま,ほんとうに重大な危機に直面しているのだ。これは笑い事ではない。みんな顔色を変えて,真剣に,考えなくてはならない一大事なのだ。しかし,その自覚に欠ける人が多すぎる。

 トップ・アスリートたちも,そのなかに入って唯々諾々としている。まさに,「思考停止」状態だ。一刻も早く,そこから脱出して,まずは,ひとりの人間として自立し,いま,なにをなすべきかを考え,判断し,行動を起こしてほしい。スポーツマンらしく,スポーツマンシップに則り,正々堂々と発言し,行動してほしい。そういうトップ・アスリートが続々と誕生するとき,日本のスポーツ文化も,ようやく一人立ちし,国際社会に認められるようになるだろう。

 道は遠く険しい。しかし,最初の第一歩を踏みだすのは,「いま」しかないだろう。
 ウチナンチュに基地負担をさせておいて,スポーツで<気晴らし>をしているとしたら,それこそパスカルのいう「不幸」のはじまりである。

2013年3月22日金曜日

「ひずるしいのん」「春だのん」。さくらの「陽光」が満開だぞん。

  わたしの出身地の愛知県豊橋市では,太陽の光が強くなってくる春の挨拶ことばが「ひずるしいのん」,あるいは「ひずるしくなってきたのん」でした。「ひずるしいのん」と挨拶されたら,「春だのん」と応ずる。村人同士はこれでお互いの気持ちが通い合う。なんとものどかな,幼少年時代を過ごした故郷の光景が思い浮かんできます。

 「ひずるしい」は「まぶしい」の三河地方の方言です。もっと精確にいえば,東三河地方の方言です。そして,「ひずるしい」と「まぶしい」はかならずしもイコールにはなりません。標準語の「まぶしい」の使用範囲はかなり広いと思いますが,「ひずるしい」は太陽限定です。それ以外のときの「まぶしい」には使いません。「のん」もまた東三河地方独特の語尾で,「ですね」に相当しますが,わたしには単なる確認の語尾ではなくて,もっともっと暖かい話者の感情が伝わってきます。

 嫁入りの日に娘さんが実家を出ていくときには,近所の人たちがみんなで見送ります。そのときに聞こえてくることばが「けっこいのん」です。「きれいだね」に相当しますが,とてもとても「きれいだね」では納まらない情感がこの「けっこいのん」には籠められています。隣の,よその娘を褒めているのではなくて,まるでわがごとのように嬉しいという気持ちが伝わってきます。自他の区別がかぎりなく薄くなっている,濃密な人間関係の表出といえばいいでしょうか。

 今日(22日)は朝から晴れ上がり,溝の口をでるときに太陽の日差しが強くなってきたなぁ,と思いました。が,鷺沼の駅を降りて改札口をでたとたんに,わたしの口をついてでたことばが「ひずるしいっ!」でした。久しく使ったことのないことばが,無意識のなかから,思いがけず飛びだしたという次第です。ああ,純粋経験だ,とひとりで「ニヤリ」。

 溝の口から電車で7分(急行だと4分),西に移動しただけなのに,鷺沼は「ひずるしい」ほどの太陽が輝いていました。いつもの高台にやってきたときに東の高層ビルの方向を眺めてみると,どんよりと黄砂がかかったような春霞です。東京タワーもスカイ・ツリーもほとんど見えません。振り返って,西の空をみやると,こちらは真っ青な空が広がっています。その境界線が,どうやら多摩川らしくて,溝の口はその多摩川沿いにありますので,どちらかといえば東京の空。鷺沼は東京圏の外の空。

 いつもの植木屋さん(大久保庭園)のところにさしかかって,庭の奥の方をみやると,まだ若木のさくらが満開になっていました。数日前にご主人に教えてもらった「陽光」という種類のさくらです。ピンクの色が鮮やかな,きれいなさくらです。まだ,若木なので,そこはかとなく勢いを感じます。それにしても,みごとな咲きッぷりです。そして,その名前がいい。「陽光」。まさに,今日のこの太陽の光りそのもの。「ひずるしい」。そして,カメラを出してパチリ。


東三河地方の方言には,語源の不明なものがいくつもあります。ですから,ことばの意味を超えて,独特の音のひびきの心地よさが深くこころの隅々まで行き渡ります。それがまた,なんともいえない情感を呼び起こすようです。

 このことと関係するのかどうかわたしにはよくわかりませんが,なんとなく予感のようなものがあります。三河の国の一宮は砥鹿神社。ここの祭神は,なんと「大己貴命(オオナムチノミコト)」。すなわち,「大国主命」。なんと「穂の国」,東三河は出雲族が多く住んでいたところらしい,というわけです。

 あわてて,このあたりの地図を調べてみたら,なんと出雲系の神さまを祀る神社があちこちに遍在しています。なかには,野見神社まであり,これはいよいよもってフィールド・ワークにでかけなくてはいけない,と思っているところです。そういえば,この地方も相撲が盛んなところでした。最近はどうか知りませんが,わたしの子どものころには神社に土俵があって,お祭りのときには子ども相撲が奉納されました。わたしの育った村のとなりの村からは幕内力士も誕生し,つい,この間まで活躍していました。

 三河の国の一宮・砥鹿神社は,この地域では一番高い山・本宮山をご神体としています。小学校の遠足でこの山に登ったことがあります。この山の頂上の手前のピークに奥宮があり,そこには大きな岩があって,これが磐座。神さまの降り立つところ。その裏側を少し下っていくと,水が流れでている「蛇口」。磐座と蛇口は,パワー・スポットの必須要件(植島啓司)。磐座信仰こそ出雲系の神社の基本要件(村井康彦)。奈良の三輪山をご神体とする大神神社の祭神は大国主命。

 「ひずるしいのん」「けっこいのん」などの方言のひびきを思い浮かべている間に,妄想ははてしなく広がっていきます。

 かつての朝鮮通信使は,いろいろの地方で熱烈に歓迎されたという伝承がありますが,この地方もまた例外ではなかったようです。その朝鮮通信使が行ったパフォーマンスを継承したのではないかしたといわれる,この地方に独特の「笹踊り」という民俗芸能が伝承されています。わたしの育った村でもお祭りのときには村の各字を踊りながらまわっていきました。わたしの住んでいた寺の前では,かならず「笹踊り」が行われることになっていましたので,多くの人が集まってきました。わたしは居ながらにして,毎年,それを眺めていました。いつか,大きくなったら,あれを踊るんだ,とこころに決めていました。

 わたしの予感では,この「笹踊り」と方言は無縁ではない,と思っています。そして,その出自は出雲族との関係のなかに求めることができる・・・・とまあ,そんな春の夢をみているという次第です。

 これもまた,パスカルのいう<気晴らし>のひとつ。不幸にならない程度の<気晴らし>にとどめおきたいと思います。

 「ひずるしくなってきたのん」「春だぁ~のん」。


2013年3月21日木曜日

パスカルの「気晴らし」について。再考。

 しばらく前の太極拳のあとの昼食のときに,Nさんが,どんな文脈だったかは定かではないのてすが,パスカルの<気晴らし>の話をされました。あまり精確ではありませんが,おおよそ「人間はどこかで気晴らしをしないと生きてはいけない生き物なんですよ」と,かなりシニカルな言い方をされたように思います。その上で「だから,人間は救われもするし,安易に<気晴らし>にふけって隘路に落ちこむ危険もはらんでいるんですよ」と。その話をお聞きしたときには,「そうなんですよね」と納得していたはずなのに,それ以後,わたしの頭のなかでひっかかるものがあって,それとなく考えていました。

 といいますのも,もうずいぶん前の話になりますが,わたしもパスカルの『パンセ』をかなり真剣に読んで,そこに一貫してながれているパスカルの<気晴らし>と<賭け>のことを考えたことがあるからです。そして,その当時,ある雑誌に連載していた「文学にみるスポーツ」でとりあげ,何回かに分けて原稿を書いたことがあります。そのときの原稿に,さらに手を加えたもの(ほとんど全部を書き直したもの)を,拙著『評論文学のなかにスポーツ文化を読む』(叢文社,2003年)に収めました。かなり長い論考となっていますので,参照していただければ幸いです。

 このときも,正直に告白しておけば,自分のなかで完全には消化できていなくて,パスカルの真意をはかりかねていました。なぜなら,パスカルのいう<気晴らし>の概念は,ごくふつうの日本語として巷間に用いられているそれとは明らかに異なるからです。もちろん,<気晴らし>ということばの大意においては違いはありません。しかし,このことばをそのまま是として容認するか,そこにこそ人間を理解する上での大きな哲学的な問題が存在すると考えるか,という大きな違いがその背景にはあります。

 もう少し踏み込んでおけば,アメリカの占領政策の一貫として「レクリェーション」という考え方が敗戦後の日本に導入されました。つまり,労働者が「リ・クリエイト」(recreate)するための余暇活動として,最初は企業に持ち込まれました。それは,厳しい労働から解放された時空間のなかで<気晴らし>をし,ふたたび労働に従事するための文化装置として歓迎された,という経緯があります。つまり,<気晴らし>は,レクリェーションということばとなって日本の社会のなかに浸透していくことになりたました。わたしは,その当時から,どこか違うのではないか,どうもすっきりしない,という疑問をもちつづけていました。

 その疑問が,Nさんの話をきっかけに,ふたたびわたしのなかで頭をもたげてきていました。ちょうどそんなとき,藤田正勝さんの『哲学のヒント』(岩波新書)に出会いました。最近,でたばかりの,いわゆる哲学の入門書です。が,この本はとてもよくできていて,いまのわたしにはちょうどいいテクストになっていました。ですから,なるほど,なるほど,と思いながら読んでいたところに,ひょいとパスカルの<気晴らし>の問題が取り上げられていました。とてもわかりやすくて,すんなり納得です。ですから,すっきりとわたしのなかの疑問が瓦解しました。

 藤田正勝さんは,西田幾多郎の研究者として,わたしにはある程度なじみがありました。この『哲学のヒント』のなかでも,しばしば,西田幾多郎の考え方を引き合いに出して(とくに,純粋経験と行為的直観の話),話が展開していきますので,それもわたしにはとても助かりました。

 さて,パスカルの<気晴らし>。
 人間は,死と不幸と無知を癒すことができなかったので,幸福になるために,それらのことについて考えないことにした。
 と,パスカルは『パンセ』のなかで述べています。
 死のことを考えることは怖いし,不幸のことは考えたくないし,無知であることなど知りたくもない,それらから遠ざかって幸福になるためには,それらについて「考えない」ことだ,というわけです。ですから,これらの問題を忌避するために,手っとり早い方法は,気を紛らすこと,すなわち,<気晴らし>(divertissement)をすればいいというのです。

 藤田さんによれば,パスカルはこの<気晴らし>ということばをとても広い意味で用いた,といいます。そして,つぎのように述べています。
 
 パスカルにおいてこの「気晴らし」という言葉は,非常に広い意味で使われています。仕事のあとの遊びや賭け事のような,文字どおりの気晴らしから,政治や戦争のようなことまでも,すべてひっくるめてパスカルは「気晴らし」という言葉で表現しました。人間が「気晴らし」に身を投じるのは,一人何もしないでいれば,必然的に自分自身に向きあい,自己を直視しなければならないからです。いまも言いましたように,それは非常に恐ろしいことです。
 「気晴らし」は確かに一時的には「幸福」をもたらしてくれます。しかし「気晴らし」は,決して本当の意味での解決ではないとパスカルは言います。むしろそれは「不幸」だ,というように述べています。

 として,こんどはパスカルの文章を引いています。

 われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは,気を紛らすことである。しかしこれこそ,われわれの惨めさの最大なものである。なぜなら,われわれが自分自身について考えるのを妨げ,わほれわれを知らず知らずのうちに滅びに至らせるものは,まさにそれだからである。

 そして,藤田さんは,つぎのように締めくくります。
 何も確実なものを手にすることなく死に至ることほど大きな悲惨はないと言うのです。パスカルは『パンセ』のなかでつねにこの問題と向きあっていたのではないでしょうか。

 ここまで読んだときに,Nさんが仰ったことの真意が,すとんと伝わってきました。こういうことなのだ,と。Nさんの仰る「思考停止」は,一種の<気晴らし>ではないか,と。いやなことには眼を瞑り,一時的な享楽に耽る。つまり,「思考停止」とはたんなる「自己逃避」にすぎないではないか,と。そのために<気晴らし>はおおいに有効である,と。しかし,それはほんとうの意味での解決にはいたらない,一時的なみせかけの「幸福」にすぎないから,最終的には「不幸」になる,と。

 いま,わたしたちをとり囲む環境世界は,うすっぺらな「幸福」を売る文化装置に満ちあふれています。ですから,なんとなく楽しいと感じ,「幸福」だと勘違いする人が,圧倒的多数を占めています。そのための装置として,茶の間にまで侵入して,大いなる貢献をしているのがほかならぬテレビです。まともにものごとを考える番組はほとんどありません。みんな一時しのぎの娯楽番組ばかりです。こうして,国民の圧倒的多数の「思考」を「停止」させるために大活躍というわけです。

 このことにも気づかないで,「テレビがこう言っていた」を金科玉条のように信じている人がなんと多くなってきていることか。最近では,お笑い芸人がネタで言っていることまでも信じてしまう人がでてくる始末。しかも,かなりのインテリです。もちろん,「思考停止」したインテリです。マックス・ウェーバーが予言したとおり,「知的精神をもたぬ専門家」が,ここにきて続出です。

 みんな現実を逃避して,<気晴らし>にうつつを抜かし,つかのまの「幸福」に耽っているようです。その現れのひとつが,アベノミックス支持の70%です。恐ろしいことが脈々と進行していきます。恐ろしい世の中になってきました。

 まずは,自由民主党憲法改正草案を手にとって,じっくり読むことからはじめるしかありません。そして,少しでも多くの人とこの改正案(実際は改悪案ですが)について意見を交わす必要があります。できることなら,この政治ゲームをこそ<気晴らし>にしてみたいものです。

2013年3月20日水曜日

全日本柔道連盟にJOCが交付金停止処分。ことの重大さに眼を覚ますべし。

 前代未聞の処分がくだされた。まさに,鉄槌の一撃である。ことの重大さに全日本柔道連盟執行部は眼を覚ますべし。ぬるま湯の「ゆでガエル」体質からの脱出こそが喫緊の課題である,ということがJOCの手によって天下に示されたのだ。26日に予定されている全柔連の臨時理事会で,思い切った執行部刷新という人事に踏み込まないかぎり,日本の柔道に未来はない。

 ここで,またまた,人事でもたつくような醜態を曝け出すようなことになると,こんどは国際柔道連盟からの介入が余儀なくされることになろう。ということは,日本はスポーツ的に自立できていない未熟国だ,ということを世界に発信するに等しい。すなわち,日本は「スポーツ後進国」なのだ,と。スポーツについての認識がこの程度のものでしかなかったのか,と。

 となれば,当然の帰結として,東京にオリンピックを招致する資格などあろうはずもない,と。この問題が,IOCにまで飛び火することは必定だ。秋にはIOC委員による投票が行われる。そのことを深く憂慮したJOCは猛勇をふるって,全柔連にたいして毅然たる姿勢を示したというのが本筋であろう。

 しかし,今日(20日)の新聞を読むかぎりでは,望み薄だ。最大の癌である上村春樹会長にその自覚が感じられない。たとえば,JOC常務理事でもある上村会長は,6月に改選を迎えるJOC理事職について「今月中に全柔連から推薦者を出すが,そこに私が入ることはない」という談話を発表している。なにを呑気なことを言っているのか。そんなことを言っている場合ではないだろうに。

 今回の不祥事の責任はすべてわたしにある,として会長職を辞任すること,そして,全柔連からJOC理事推薦も当分の間,辞退すること(推薦できる競技団体として認められるまで),さらに,講道館館長としての地位も明け渡すこと。そして,すべては新しい執行部のもとで「出直す」こと。

 これが,交付金停止処分を受けた競技団体の最高責任者の示すべき誠意ではないのか。現会長がここまで決意表明したときにはじめて,現理事,現評議員が眼を覚ますことになるだろう。でないかぎり,みんな危機意識の欠落した,これまでどおりの「ゆでガエル」のままだ。その体質はなにも変わらない。

 佐藤宣践副会長の「執行部引責辞任」の提言が,採決にもいたらなかった理事会の体たらく。この理事会の体たらくにたいして,なんの反応も示さない評議員/会も同じ。評議員がなすべき職務をほとんど理解していないのではないか,とすら思ってしまう。

 すでに,組織として「死に体」そのものだ。
 あわてて,全柔連の定款を読んでみると,役員選出の方法に大きな問題がある,とわたしは読み取った。この問題については,また,機会をあらためることにしよう。

 JOCの「緊急調査対策プロジェクト」の報告書のなかに記述された〔不当行為〕のひとつに,1.「ブス」「ブタ」「死ね」「家畜と一緒」など選手に侮蔑的発言,がある。こんな発言をしていたことを承知で,なお留任させようとした執行部の責任は重大である。あなた方こそ,人間失格であるのみならず,「家畜」以下である。なぜなら,家畜は,こんな「暴力」をふるわない。

 これは,ほんの一例にすぎない。報告書を熟読して,ことの重大さに目覚めよ,とここでは指摘するにとどめおきたい。

2013年3月19日火曜日

不可解な全日本柔道連盟の理事会決定。だれも責任をとらないニッポン国の見本。

 「ブス,ブタ,死ねっ!」「お前らは家畜か」と怒鳴ったと伝えられる女子柔道前監督を,15選手の告発後も「続投」させようとした現執行部が,誰一人として責任をとることもなく,留任が決まった。おまけに,現執行部の体質に問題がある,と反省を迫り辞意表明までした田辺勝監督代行を,謝罪して留意させ,次期女子代表監督昇格を約束までしておいて,土壇場で切って捨ててしまった。やはり,執行部に楯突く人間は処分される,という暗黙の了解事項がこれで明るみにでてしまった。この体質こそが問われたのが,今回の騒動の発端にある。にもかかわらず,そのことはどこ吹く風とばかりに,なんの反省の色もみられない。むしろ,居直ったか,とわたしにはみえる。

 告発15選手をサポートした山口香さんの談話が鮮烈だ。短いので引用しておく。
 「この決定を世間はどう見るか。自浄作用のない組織だということだ。これまでわれわれ女性たちは理事に入れてもらえなかったが,逆にこのメンバーに入っていなくてよかったと思うほどだ。執行部はこれからどんなことが起きても辞める気はないのだろうし,この組織は何があっても変わらないと実感した。」

 敢然たるダメだしである。わたしも同感だ。まったくもって手の施しようもない。

 たぶん,こんなことになるだろうとは想像していても,それでも,わずかに救いがあるかと期待していたのは,佐藤宣践副会長が17日の記者会見で,「不祥事を招いた責任を問い,上村春樹会長に辞任を求める」という考えを明らかにしていたからだ。しかし,それも徒労に終わった。理事会では,佐藤副会長が自らを含む執行部の辞任を持ち掛けたが,他の役員からはほとんど意見が出ないまま,採決にも至らなかったという。もう,事前に,しっかりと裏で手を結んでいたことが透けてみえてくる。

 他方では,日本スポーツ新興センターから選手強化のために指導者が受ける助成金の一部を強化委員会が徴収していたという不祥事が起きている。しかも,それを「飲み食い」に使っていたという。この問題についても,「調査チーム」を設置して,助成金の使途としての正当性などの実態解明につとめる,という。この腐り切った「体質」で,そんなことができるはずもない。それを平然とやろうとしている。いつかみた「原子力保安委員会」の悪夢と同じである。

 こんごは,第三者委員会による報告書をもとに,これから具体的な改革に着手するという。そして,そのための計画を,26日の臨時理事会で練るという。とりあえずは,お手並み拝見というところ。

 でも,そのさきは見えている。こんな,だれも責任をとらない,自浄能力を欠く組織にどんな改革ができるというのか。みんな「仲良しクラブ」のぬるま湯に浸ってきた「ゆでガエル」で,身の保全にのみ熱心なオホモダチが,みずからの身を切って膿を出すなどということができるわけがない。みんなでお互いの脛の傷を舐め合いながら,みせかけの「改革」を提示するのが関の山だ。

 きちんとした意見を述べる人はみんな切り捨てられていく,そんな体質を十分に承知した上で,なおかつ「内部告発」に踏み切った15名の女子選手たちの果敢な勇気に,いまさらながらこころからの敬意を表したい。ブスと言われようが,ブタと言われようが,ひたすら「家畜」のように盲目的に服従し,かつ,率先して「自発的隷従」する者だけが生き残ることのできるこの「体質」にこそ問題があるとして,勇猛をふるって立ち上がった15名の女子選手たち。この人たちの,最後の一縷の希望も,これで完全に裏切ることになった昨日の理事会。

 佐藤副会長ただひとり,みずからも含めて責任をとろうと提案したのに,それに応ずる人がほとんどいない,未熟で自立していない人間の集団。それこそが問われているというのに・・・・。

 山口香さんが,以前にも談話を発表しているように,柔道は,まずは,ひとりの人間として自立・自律することを学ぶ行であって,強い/弱い,勝った/負けたはそのつぎの話なのだ。この伝によれば,現執行部,および,理事の諸氏は,圧倒的多数が「自立・自律」できていない,中途半端な人たちだということになる。すべての序列の基準は段位と優勝経験にある。この人たちの頭のなかには「金メダル」しかないのだろうか。

 どこぞのおぼっちゃまリーダーのように,「カネ」が大事で,「命」は二の次という体質ととてもよく似ていらっしゃる。困ったものだ。もちろん,こちらの人にこそ「自立・自律」してもらわなくては・・・。

 もちろん,それを許しているわれわれもみんな同罪なのだが・・・・。

2013年3月18日月曜日

「スポーツ人,原発考えて」(新聞投書)に共感。

 3月16日(土)の東京新聞・朝刊の投書欄に,「スポーツ人,原発考えて」と題して松田まさる(76歳・家事手伝い・千葉県柏市)が下記のような一文を投じています。一瞬,ドキッ,としました。そして,深く考えてしまいました。短いので, まずは全文,引用しておきましょう。

 9,10日にあった脱原発集会で,先頭にはいつものように作家の大江健三郎さんなどの方々がいた。本当に頭の下がる思いだ。そして,そのたびに腹立たしく思うのが,なぜそこに芸能やスポーツ界の重鎮がいないのかということだ。
 万人に影響のある人々の参加こそ,こうした運動に有効である。原発は政治問題ではない。次世代の命の問題である。沈黙は許されないと思う。
 五輪招致やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)と熱が入っているが,スポーツは別だなんて理屈は通らない。社会への関心度の低さが,体罰を温存させるなど古い体質をつくる。
 スポーツ人よ,原発のない,汚れた土地と空気のない日本にしてこそ,世界に範となる五輪を開催できるのだと思いませんか。

 投稿者の松田まさるさんはわたしより1歳上で,柏市から熱心に日比谷公園や首相官邸前に足を運んでいらっしゃる方だとわかり,頭が下がります。それに比べるとわたしなどは,今日こそ行くぞ,と自分を叱咤激励しないとなかなか足が向かいません。その意味で,この投書を読んで「ドキッ」とした次第です。

 松田さんの主張はまことにもっともな話。なぜ,「次世代の命を守る」運動だというのに,スポーツ界(ここではスポーツ界に限定しておこう)の重鎮は行動を起こさないのか。そして,アスリートたちも行動を起こさないのか。このことと「社会への関心度の低さが,体罰を温存させるなど古い体質をつくる」という松田さんの主張にこころから賛成です。

 その意味では,スポーツ界が社会と断絶した「閉鎖社会」を構成しているのは事実です。ですから,多くのアスリートたちは,その「閉鎖社会」が当たり前のこととなり,そこで通用する慣習行動が常識になってしまいます。スポーツ界にはびこる「体罰」は,その「閉鎖社会」で生まれてきた悪しき慣習行動です。

 そこを通過してスポーツ界の重鎮になった人たちのほとんどは,社会への窓口をもっていません。そうやって生きてきたのですから。

 このことの意味は重大です。つまり,野球とか,相撲とか,サッカーとかの専門家としては通用しても,日本人として,ひとりの社会人としては通用しない人がたくさんいます。つまり,ひとりの人間として「自立」していない,ということです。そういう人たちは,原発のことは,自分のかかわっているスポーツとはなんの関係もない,と信じて疑わないでしょう。

 なかには,しっかりと「自立」しているアスリートや監督・コーチもいます。重鎮にもいます。そして,個人的に話すとみんな「反原発」を口にします。しかし,この人たちもまた公的な場にでると「無口」になってしまいます。黙り込んでしまって,行動も起こさない,ということは「原発推進」に賛成しているのと同じですよ,と伝えることにしています。しかし,それでも行動を起こすことはできない,と下を向いてしまいます。

 オリンピック・ムーブメントが「平和運動」だというのなら(オリンピック憲章にそう書いてある),「反核」「反原発」を訴えるべきです。それこそがオリンピック招致運動のトップに立つ都知事をはじめとするJOCや日本体育協会,そしてスポーツ界の重鎮,監督・コーチ,さらには,トップ・アスリートたちの「責務」であるはずです。この人たちが「反原発」の先頭に立ち,デモ行進に参加するようになったら,わたしも「オリンピック東京招致」に賛成するでしょう。オリンピックは「平和運動」であるという原点を忘れてはなりません。

 しかし,そういう人たちが,みんな「われ関知せず」という姿勢をとっています。つまり,長いものに巻かれて,大樹の陰に身を寄せ,上意下達の「閉鎖社会」のなかで保身に励んでいます。そこからは「自立」した人間は育ちません。むしろ,口に蓋をして「思考停止」し,率先して「自発的隷従」をし,忠誠心を示すことが,こういう「閉鎖社会」を生き延びていくためには必要になってきます。これがスポーツ界という「閉鎖社会」の実態です。どこぞで聞いたような社会と「瓜二つ」です。

 しかし,このことは,なにもスポーツ界だけの特殊事情ではありません。わたしたちの身のまわりの「組織」「団体」,すべからく,似たような「体質」をもっています。この「体質」から抜け出すこと,そして,ひとりの人間として「自立」すること,そこを目指す以外には日本の未来はなさそうです。

 そういう日本社会の異常性が,「3・11」以後,つぎからつぎへと露呈してきました。「体罰」問題もその一環です。その意味では,日本の社会を変革させるべき絶好のチャンスです。そのためには,わたしたち一人ひとりが「自立」して,生き物として生きのびる方途を考えることが,必要不可欠だと考えます。その第一歩が「反原発」です。わたしは,そんな風に考えています。

 松田まさるさんの,こころの声に,敬意を表しつつ。

 ※この問題は,きわめて重大なことがらを含んでいますので,これからも対象を代えて論じてみたいと思っています。

2013年3月17日日曜日

三浦雄一郎さんは重さ「5キロ」の靴を履いて街中を闊歩しているとか。

 数日前のNHKテレビの朝番組に,三浦雄一郎さんが出演しているのを,ちらりと見掛けました。というのも,朝食の準備のために台所に立ちながら,手が空いたときにちらちらと眺めていたという次第。いいお爺さんになったなぁ,とある種の感慨とともに眺めていました。青森の酸ヶ湯温泉のスキー場でお会いしたときには,もっと精悍な顔をしていらしたのに・・・,と。もっとも,いまから40年も前の話ですが・・・・。

 さて,その話のなかで,加山雄三さんがビデオ出演していて(三浦雄一郎さんと大の仲良しらしい),ちょっと面白い話題を紹介していたのが耳に残っています。その話とは,三浦雄一郎さんは,いまでも5キロの靴を履いて東京の街中を歩いている,というものでした。番組の進行係はびっくりした声を挙げていましたが,わたしは「当たり前ではないか」とこころのなかでつぶやいていました。プロのスキーヤーであり,登山家なのだから,と。

 あるとき,なにかのテレビ番組で一緒に出演したあと,加山雄三さんが「このあと,どうやってお帰りですか」と三浦さんに聞いたら,「歩いて帰る」とのこと。ならば「わたしの車で送ります」と誘ったら,「わたしは歩くのが楽しいので・・・」とやんわりと断られてしまった,とのこと。あとで,三浦さんから直接聞いた話では,まだまだ現役の登山家として,また,スキーヤーとして活動するためには,日々のトレーニングは欠かせない,と。なかでも,歩くのはもっとも基本的なトレーニングで,ふだんから特製の靴を誂えて,それを履いて歩いているのだ,という。その特製の靴が「5キロ」あるのだ,と。

 三浦雄一郎さんが日頃からトレーニングをしている話は,つとに有名な話で,三浦さんを知る人はみんな知っています。たとえば,65歳でエベレスト登山を決意したとき,5年計画でからだを鍛えなおし,70歳で登頂に成功します。このときには,毎日,20キロのリュックザックを背負って,なおかつ,両足に特別の錘をくくりつけて歩くトレーニングをした,という話は有名です。

 「5キロ」の靴は,日常の歩行訓練のために,たぶん,そのあとで工夫をし,誂えたものではないかと思います。ですから,加山雄三さんとのテレビ出演のときにも,その靴を履いて自宅からテレビ局まで歩いて往復した,ということのようです。三浦さんにとっては,それが「日常性」そのものでしかありません。

 ここからは我田引水の話。2012年3月22日のブログで「ウォーキング・シューズは軽い方がいいのか? わたしは重いチロリアン・シューズの愛好者」を書きました。このブログが,その後も多くの人に読み継がれていて,いまも,今週のベスト10にランクされています。詳しくはブログで確認してください。その要旨は,ウォーキング用のシューズはみんな「軽さ」を競っているけれども,それは本末転倒ではないか,少しでも「重い」靴を履くことこそが目的にかなっているのではないか,というものです。わたし自身は,若いころに山歩きをはじめたときから,日常的にも「チロリアン・シューズ」を履いてトレーニングをしてきました。いまも,同じ靴を履いています。雨の日も風の日も,毎日,同じチロリアン・シューズです。少し値段が張りますが,10年はもちますので採算は合っています。むしろ,安いくらいです。いまも健脚でいられるのは,毎日,履いているこのチロリアン・シューズのお蔭だと,わたしは信じています。

 ですから,三浦雄一郎さんが,80歳になるいまも,「5キロ」の特別誂えの靴を履いているという話にはいたく共感できるものがありました。この話に勢いづいて,そろそろ,もう少し重い靴に履き替えようか,と意欲が湧いてきました。でも,あまり無理はしない方がいい,という声も片方から聞こえてきます。まあ,いまのまま,生涯,チロリアン・シューズ愛好者でとおすのが無難のようです。

 それにしても,三浦雄一郎さんのご活躍は,わたしを大いに勇気づけてくれますので,これからも楽しみに期待したいと思います。

2013年3月16日土曜日

玄侑宗久さんの短編「Aデール」(『四雁川流景』所収)を読む。

 「Aデール」というタイトルをみて,いったい,なんの話なのだろうと思いながら読みはじめました。読むほどに身につまされる話で,最後には,腕組みをしてじっと考えこんでしまいました。ああ,わたしも自分では気がつかないうちに,まぎれもなく「Aデール」のレベルが低くなっている,とわかったからです。しかも,この数カ月の間に顕著になっている・・・・と。

 「Aデール」の種明かしは,この作品のなかで,ユーモアとともに語られているのですが,ここでは直截に説明しておきましょう。「Aデール」とは,「ADL」のこと。つまり,Activities of Daily Living の頭文字。日本語では「日常生活動作」というわけです。この英語の頭文字を,いくぶん訛って,「D」を「デー」と発音すると「エーデール」となります。それを,わざわざ「Aデール」と表記したところに,玄侑宗久さんの文学的な工夫とユーモアが表れている,ということでしょう。

 この短編の主人公の千鶴さん(20歳)は特別養護老人ホームで働くヘルパーさん。まだ,駆け出しですが,介護福祉士の資格取得をめざして修行中。ですから,このホームにきて,所長さんたちがときおり発する「ADL」ということばが「Aデール」と聞こえてしまったので,そのままの発音で,その意味を問いただす,という場面が小説のなかに折り込まれています。

 まあ,そんな経緯はどちらでもよくて,このホームにいるご老人たちは基本的には認知症のために日常生活動作,つまりは「Aデール」のレベルが低下しています。で,その認知症の治療のために「回想法」をもちいています。つまり,むかしの若かりしころのしっかりした記憶を「回想」することによって,脳を活性化させ,日常生活活動のレベルを高めようというわけです。

 この小説を読みながら,これは他人事ではない,と本気で身につまされることになってしまった,というのが正直なところです。つまり,立派な認知症がわたしにも発症している,と自覚させられてしまったからです。もう,ずいぶん前に,ゲーテという固有名詞が思い出せないことがあって,慌てたことがありました。が,その症状はまぎれもくな徐々に徐々に進行していました。いまは,もう,加速度的に,有名人の名前が口からでなくなってきています。いよいよだなぁ,とそれなりに覚悟をしはじめていました。

 が,この短編を読みながら,「Aデール」のレベルが下がってきていることを知り,これは只事ではない,と焦りはじめています。たとえば,自分の身のまわりのものの片づけができなくなってきています。とりわけ,書斎のなかはゴミの山です。捨てればいいのに,それができません。あとで,あとで,と思っているうちに,どんどんたまってきます。気づけば,ゴミの山の隙間にかろうじてパソコンを置いて,そのわずかなスペースで仕事をしています。

 それだけならまだしも,最近は,片づけなくてはならない,締め切りのきている仕事が山ほどあるのに,平然と「あとで」と居直っています。少しも仕事がはかどらないのに,焦ることもなく平気でいます。ここが大問題です。急がなくてはいけない仕事も放りっぱなしにして,好きなことだけは忘れることなく夢中になっています。まるで幼児のようです。困ったものです。これは相当に重症だ,ということを「Aデール」という短編が教えてくれました。ありがたいような,ありがたくないような,悲しいお話です。

 いよいよこのことに気づいた以上は,この「Aデール」のレベルを上げるために「回想法」を施さなくては・・・と,こんどは真剣です。さて,どんな「回想法」がいいのだろうか,と考えてしまいます。亡父の晩年のころ,「わが生い立ちの記」を熱心に書きつづけていたことを思い出します。そのころは,とても元気で,趣味の俳句もときおり新聞に掲載されたりして,喜んでいました。そうか,「わが半生記」ならば,頼るべきはわが記憶のみ。「回想法」としては効果があるかもしれない,とたったいま思いついたところです。

 でも,それに夢中になると,頼まれた仕事は,やはり放りっぱなしになってしまいそう・・・・。それはやはりちょいとまずいなぁ・・・・,などとあれこれこれから検討しなければなりません。

 それにしても,玄侑宗久さんの「Aデール」には参りました。「Aデール」のつぎには認知症が待ち受けているというのですから・・・・・。

3月15日のブログ「春よ来い」に写真を追加,タイトルを変更しました。

 3月15日のブログ「春よ来い,は~やく来い。歩きはじめたミヨちゃんは,いずこへ。クォ・ヴァディス。」のタイトルを変更し,写真を追加しましたので,どうぞ,ご確認ください。

 新しいタイトルは「春よ来い,は~やく来い。創作能面「パンドラの箱に残る<もの>」。クォ・ヴァディス。」です。

 創作能面は,能面アーティストの柏木裕美さんの最新作品です。とてもいい作品です。というより,これまでの「小面変化」シリーズから,もうワンランク上に突き出る新境地を開く傑作だ,とわたしは受けとめています。写真だけで,これだけの迫力があるのですから,実物はもっとすごいだろうと想像しています。おそらく,ちゃんとした画廊に飾られると,いちだんとその輝きを増すことでしょう。

 「パンドラの箱に残る<もの>」,すなわち「希望」。

 現代社会は,日本だけではなく世界をふくめて,まるで「パンドラの箱」をひっくり返したような情況に陥っています。これから,いったい,なにがはじまろうとしているのか,みんな戦々恐々としているのではないかと思います。もはや,打つべき手もない,断末魔の情況に陥っている,と感している人も少なくないと思います。

 柏木さんは,そのあたりのところを感性鋭く感知して,それでもなお,最後の「希望」だけは捨ててはいけない,というメッセージをこの作品に籠めていらっしゃるように思います。

 わたしは,この作品に触発されて,「春よ来い・・・・」というブログを書きました。そして,柏木さんから写真を転送していただき,転載させていただきました。実際のところは,柏木さんのブログを読んで,この写真をおねだりした,というのがことの真相です。

 どうぞ,柏木さんのブログもご覧になってください。
 とても魅力的なブログを書いていらっしゃいます。

 以上,取り急ぎ,お知らせまで。

2013年3月15日金曜日

You Tube 「あぶない憲法のはなし・小森陽一・自民党憲法改正草案解読」に注目。必見。

 世の中の眼が,いや,国民の眼が,安倍首相のTPP参加表明に釘付けにされている間に,もっともっととんでもない話が,その裏側で堂々と進展している。つまり,憲法懇談会で憲法9条を改正することに自民,維新,みんなの3党が同意しているというのだ。そして,いよいよ「国民軍」の結成に向けて,着々とその準備に入ろうとしている。おいおい,ちょっと待った!いくら,いま,安倍首相の支持率が高いとはいえ,それとこれとは話が違う。

 新聞もテレビもみんなTPPに集中していて,自民党の作成した憲法改正草案などには眼もくれない。だから,なにも報道していない。が,インターネットでちらりと流れた。もう一度,確認しようと思ったらもう消えている。あれっ,奇怪しい。幻視かなぁ,と不思議に思っていたら,さすがに西谷修さん。今日のブログでこの問題を取り上げ,「憲法論議に備える」と題して,読者に向け,その危険性について呼びかけている。そして,そのブログの最後のところで,小森陽一さんがYou Tubeで,きわめて簡潔に「憲法論議」の問題の所在を解説しているので,必見のこととして紹介している。

 早速,拝見。じつに,わかりやすく「9条問題」を解説してくれている。ので,みなさんにも見ていただきたく,緊急にこのブログを書いている。

 題して「あぶない憲法のはなし」小森陽一自民党憲法改正草案解読,とある。現行の憲法と自民党の草案とを比較しながら,どこに,どのような危険な罠が仕掛けてあるかを,きわめて明解に説いている。時間は,27分07秒。

 小森陽一といえば,もう周知のごとく近代日本文学の研究者。東大教授。たとえば,一般向けには『漱石を読みなおす』(ちくま新書,1995年)をはじめとする「漱石論」に関する著書が多い(『漱石論 21世紀を生き延びるために』岩波書店,2010年,など)。また,『村上春樹論──『海辺のカフカ』を精読する』(平凡社新書,2006年)などでもよく知られている。そして,もうひとつの顔「9条の会・事務局長」としてもよく知られている。

 その小森陽一さんが「自民党憲法改正草案」を解読し,どこに大きな問題が潜んでいるかを解き明かしている。それをYou Tubeにアップしたのが「3日前」というのだから,このタイミングのよさに感嘆してしまう。それを,また,目敏く見つけ出して,自分のブログで紹介する西谷さんもみごと。もっとも,このお二人は,年に2回は,朝日カルチャー・センターで対談をする間柄でもあるので,お互いに密接な連絡をとりあっているとも考えられる。

 安倍首相に,このまま憲法9条改正まで突っ走られたのでは困るので,これだけは阻止すべく,緊急にこのブログを書くことにした。そろそろ,支持率を下げて,この暴走を食い止めないといけない。なんとなく「安倍支持」という人は,そろそろ眼を覚ましていただきたい。気がついたら銃を構えて戦場に立っていた,などということにならないように。

 取り急ぎ,ここまで。

体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知)・25文科初第1269号,を読む。

 平成25年3月13日付けで,表記の〔通知〕が,文部科学省初等中等教育局長・布村幸彦,文部科学省スポーツ・青少年局長・久保公人の名前で出された。

 この〔通知〕の相手先は以下のとおり。
 各都道府県教育委員会教育長殿
 各指定都市教育委員会教育長殿
 各都道府県知事殿
 付属学校を置く各国立大学法人学長殿
 小中高等学校を設置する学校設置会社を所轄する構造改革特別区域法第12条第1項の設定を受けた各地方公共団体の長殿

 そして,長い前文があり,そのあとに「記」として,以下の5項目に分けて詳細な内容が示されている。
 1.体罰の禁止及び懲戒について
 2.懲戒と体罰の区別について
 3.正当防衛及び正当行為について
 4.体罰の防止と組織的な指導体制について
 5.部活動指導について

 これに「別紙」なるものが付されている。それは,
 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例,とある。内容をみると,
 (1)体罰(通常,体罰と判断されると考えられる行為)
  〇身体に対する侵害を内容とするもの(7項目)
  〇被罰者に肉体的苦痛を与えるようなもの(3項目)
 (2)認められる懲戒(通常,懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし,肉体的苦  痛を伴わないものに限る)(6項目)
 (3)正当な行為(通常,正当防衛,正当行為と判断されると考えられる行為)

 以上が,今回の〔通知〕の概要である。

 かなりの分量があり,その上,役所の文書に慣れていないので,読解するのに相当の時間がかかる。もっとも,これを受け取る各「長」の方々にとっては問題はないのかもしれない。しかし,わたしのような法令文に慣れない人間にとっては一苦労である。しかしまあ,このご時節でもあるので,頑張って熟読してみた。

 ひとことで言えば,拍子抜けがした。とりわけ,「別紙」に記載された,(1)体罰,(2)認められる懲戒,(3)正当な行為,のなかに示された具体例を読んで呆気にとられてしまった。

 まずは,(1)体罰(通常,体罰と判断されると考えられる行為),という表記につまずいた。そして,何回も読み返してみた。その結果,「体罰」の概念を明確に表記することは不可能なのだ,と理解した。だから,「通常,体罰と判断されると考えられる行為」と括弧書きすることになる。「体罰と判断されると考えられる行為」ということは「体罰と判断されないと考えられる行為」も,このなかには含まれているということらしい。

 もっとわかりやすくするために,
 〇身体に対する侵害を内容とするもの,の具体例を以下に列挙してみよう。
 ・体育の授業中,危険な行為をした児童の背中を足で踏みつける。
 ・帰りの会で足をぶらぶらさせて座り,前の席の児童に足を当てた児童を,突き飛ばして転倒させる。
 ・授業態度について指導したが反抗的な言動をした複数の生徒らの頬を平手打ちする。
 ・立ち歩きの多い生徒を叱ったが聞かず,席につかせるため,頬をつねって席につかせる。
 ・生徒指導に応じず,下校しようとしている生徒の腕を引いたところ,生徒が腕を振り払ったため,当該生徒の頭を平手で叩(たた)く。
 ・給食の時間,ふざけていた生徒に対し,口頭で注意したが聞かなかったため,持っていたボールペンを投げつけ,生徒に当てる。
 ・部活動顧問の指示に従わず,ユニフォームの片づけが不十分であったため,当該生徒の頬を殴打する。

 以上である。

 何回も何回も読み返してみた。茫然自失というべきか,だんだんと情けなくなってきた。こんなレベルの作文を文部科学省の官僚が大まじめに書いていること,そして,これを直属の局長がチェックをし(そこにいくまでに何人ものチェックがなされているはず),なんの疑問もいだくことなくみずからの名のもとに,各都道府県教育委員会教育長をはじめ,学長,知事宛てに〔通知〕として発令する,この無神経さ,無責任さがまかりとおっているという事実。

 わたしは若いころには,かなり長い間,体育教師として仕事をしていたことがある。そして,いまも,教え子たちから学校現場の実情については,かなりの情報をえている。そういう視点から,この文章を読むと,おそらくは,教育現場のことは<報告>という名の「伝聞」「絵空事」程度にしか理解できていない人たちの作文ではないか,と考えてしまう。もし,これが日本の教育行政の中枢の実態だとしたら,日本の教育に未来はない。

 教育現場の最先端で,必死になって児童・生徒と向き合っている先生たちが,この〔通知〕を読んだら,笑ってしまうだろう。なんの問題解決にもなっていないから。問題は,体罰の「グレイゾーン」を明らかにし,そこに,どのような線引きをするのか,そこが問われているのだから。

 この〔通知〕については,いいたいことが山ほどあるが,今日のところはここまでとする。
 みなさんのご意見をお聞きしたい。

春よ来い,は~やく来い。創作能面「パンドラの箱に残る<もの>」。クォ・ヴァディス。

  ことしの桜の開花は例年よりも早いといいます。東京では17日には開花。一週間後には都内の桜の名所が見頃を迎えるとのこと。この暗いニッポン国にあっては,久しぶりの想定外の朗報です。やはり,大自然は偉大です。世俗の見苦しい騒音など素知らぬ顔,超然としています。やはり,こうでなくてはいけません。

 鷺沼の事務所に通う道筋にあるいつもの植木屋さんの庭の桜は,もう,満開です。ただし,こちらは染井吉野ではなくて,河津桜です。そのすぐとなりにある赤い桜(名前がわからない)ももうすぐ開花です。しかし,さらに奥にある八重桜はまだつぼみも固く,素知らぬ顔をして,これまた超然としています。まさに,わが道をゆくです。同じ桜でも,それぞれに「自立」して,それぞれにマイ・ペースを守っています。立派なものです。


  寒くて暗かった冬が過ぎ去り,春の嵐が吹き荒れているとはいえ,吹く風はどことなく温んできています。冬の寒さから解き放たれ,春は,やはり,新しいなにかがはじまる予感に満ちた,心浮き立つ季節です。ピカピカの一年生も,もうすぐ誕生です。

 能面アーティストの柏木裕美さんが,「パンドラの箱に残る<もの>」というタイトルの作品をブログで紹介されています。わたしは,思わず,アッ,と声を発してしまいました。傑作なのです。これまでの創作能面とはいささか趣が異なる傑作です。これまでの制作のレベルから,なにかまたひとつ突き抜け出たなぁ,と思わせられる傑作です。

 この作品もまた「小面変化」のひとつです。ふつうの小面の周囲から太陽のコロナが広がっていて,しかも,それが小面のうしろに流れていくように,立体的になっています。しかも,この小面の眼が,どこか視点が定まらず,神がかった力をもっています。つまり,太陽神となった小面,というわけです。もっとも,これはわたしの勝手な解釈ですが・・・・。

 しかも,この太陽神の小面が「パンドラの箱」に残っていた最後の<もの>,すなわち<希望>というわけです。このネーミングがこれまたおみごと。ギリシア神話に詳しい人ならば,その意味の深さに感動です。

 柏木さんのブログには,「3・11」によって「パンドラの箱」のふたが開けられ,あらゆる「わざわい」が世に蔓延し,絶望の淵に立たされたいま,最後の望みは<希望>しか残されていない,と結んでいます。この最後に残された<希望>に一縷の救いを求め,そこに生きものとしての<生>のすべてを賭けるしかない・・・と。そんな柏木さんのイメージが,太陽神としての小面となって表出した,ということなのでしょう。いまのわたしたちの未来は,もう一度,人間にとっての宇宙の中心にある太陽から出直すしかない・・・と。



 は~るよこい,は~やくこい,あ~るきはじめたミヨちゃんが,あ~かいはなをのじょじょはいて,おんもにでたいとま~っている。

 そんな春が,フクシマの家・土地を追われた人びとや,津波に襲われて肉親を失った人びとや,そして,米軍基地のみならず危険なタケトンボとも闘わなくてはならない沖縄の人びとや,あるいはまた,体罰やいじめに苦しめられている人びと(体罰はスポーツ界のみならず,家庭でも,施設でも,企業でも日本中のすみずみまで広く蔓延しているという)にも,分け隔てなく,満遍なく訪れることを<希望>してやみません。

 太陽は生きとし生けるもののすべてに,あまねく光と熱を送りつづけてくれます。太陽は,自分のためでもない,だれのためでもない,ただ,ひたすら燃焼するのみです。バタイユのいう「消尽」の原イメージは,まさに,この太陽です。わたしたちの生命もまたその原点は「消尽」あるのみなのです。このことを忘れてしまったときから,生きものとしての人間の悲劇がはじまった,とわたしはバタイユから教えられました。

 生きものとしてのヒトは,内在性の世界から<横滑り>して,人間性の世界をめざしたときから逸脱をはじめました。そして,21世紀を迎えた人類は,とうとうまったき「事物」と化してしまったことにも気づかないまま,思考停止と自発的隷従の「ぬるま湯」に浸って,なんの矛盾も感じなくなってしまいました。

 こうなったら,もう一度,一からやり直しです。そこにしか<希望>を見出すことができません。それがわたしたちがいま,現在,向き合っている現実の世界なのでは・・・,と柏木さんの「パンドラの箱に残る」は,無言のうちに語りかけているように思います。

 歩きはじめたミヨちゃんは,春になったら,どこに向って歩きはじめることでしょう。ミヨちゃんは,そのままわたしたち自身の写し鏡でもあります。わたしたち自身が,あまりに「眼」と「頭」に頼りすぎることなく,「ミヨちゃん」のように,もっと耳を働かせ,匂いを嗅ぎ,皮膚で感じ,味覚を鋭くし,五感のすべてを動員し,かつ,第六感も働かせつつ,トータルに「考える」ことをはじめなくては・・・・と,これはわたし自身への警告です。

クォ・ヴァディス。主よ,いずこへ?


2013年3月14日木曜日

TPP反対緊急声明への連名,ありがとうございました(内田聖子)。

  NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC=Pacific Asia Recource Center)の事務局長の内田聖子さんから,標記のようなメールがとどきました。一昨日のブログにも書きましたように,13日にも安倍首相が「TPP参加」表明をするらしいという情報をとらえての「反対緊急声明」への連名の呼びかけがありました。そこで,早速,連名の意思表明をしました。それに対するお礼のメールというわけです。

 このお礼メールのなかに,以下のような情報が盛り込まれていました。
 米国NGO/パブリックシチズンのロリ・ワラックさんからのビデオメッセージ(12日撮影)をウェブにアップしたのでご覧ください,とありました。
 http://www.youtube.com/watch?v=fm-6DR6o3vs&feature=player embedded

 このなかで,「TPPは危険すぎる。なぜ安倍首相は参加を急ぐのか。日本は何も決める権利を持てないのに」とロリ・ワラックさんが強調しています。ぜひ,ご覧になってください。

 これをみて,なんて無謀なことを安倍首相はやろうとしているのか,ということがよくわかってきました。この内実をひた隠しにして,つまり,明白な事実(いまから参加しても,実質的にはなにも交渉はできないという事実)をひた隠しにしたまま,自民党の党員総会の了承をとりつけて,15日には正式に「TPP参加」表明をする,というわけです。自民党の党員ですら,このような事実を認識しないまま,党としての意思決定をしようとしているわけです。

 それにしても恐ろしい話しです。
 政治家ですら,いまからTPPに参加してもなんの意味もないということがわかっていないというこの現実に茫然自失するほかありません。しかし,それならばこそ,そのことを知ってしまったわたしたちが「行動」を起こすしかありません。

 偶然とは恐ろしいものです。
 そんなことを考えながら,13日の午後8時30分ころ,夕食をとりながらラジオを聞いていました。J-wave(81.3)です。そうしたら,そこに内田聖子さんが登場してきたではありませんか。それも,シンガポールで行われているTPP交渉の現場に取材にきている,その途中での電話応答でした。思わず惹きつけられるようにして耳を傾けました。そこでは,おおよそ,つぎのような話がなされていました。

 TPPの交渉そのものは極秘会議ですので,なにが話し合われているのかは,なにもわからないこと。各国の代表に体当たりで取材し,その応答のニュアンスから,あれこれ想像することしかできないこと。最終声明を発表するまでにあと4回の会議が予定されていること。日本がこれから参加することはほとんど想定内のこととして認識されているらしいこと。日本がこれから参加表明をしたとしても,手続的には,最終回に出席が可能となるにすぎないこと。その最終回には追加交渉のほとんどの議題は終わっていて,とりまとめの段階に入っているはずであること。したがって,日本はなにも交渉するチャンスはないこと。最終回の会議の議長国はアメリカなので,アメリカのとりまとめる声明文に賛成をする以外にはなにもできないこと。だから,いまさら慌てて参加してもなんのメリットもないこと。むしろ,すべての交渉条件が明らかにされるまで待った方がメリットは大きいこと。などなどでした。

 こんな話を聞いていますと,すでに参加している国々に対して,まるで無条件降伏をするに等しいような「TPP参加」になるというわけです。「聖域」など,とんでもない話です。こんなにまでして,なぜ,いま,参加表明なのでしょうか。安倍首相とオバマ大統領との間に,いったい,どのような密約が交わされているというのでしょうか。

 わたしたちは,いま,アメリカとの「密約」なるものをなにも知らされないまま,闇に向かって猪突猛進していくに等しい立場に置かれています。

 昨夜,ここまで書いておいたら,今朝には,もう新しいメールが内田聖子さんからとどいていました。15日の抗議行動についての情報です。詳しくは,PARCのホーム・ページをご覧ください。わたしは,ほんのちょっとの時間でもいいから,抗議行動の場に立ってみたいと思っています。

 取り急ぎ,情報提供まで。

2013年3月13日水曜日

春の嵐が吹きまくる。ニッポン国の未来への警告か。

 3月10日(日)の煙霧にはじまり,東京はこのところ春の嵐が吹きまくっている。今日(13日)もまた,朝から猛烈な突風が吹いている。風に向って歩くと押し戻されてしまう。後ろから吹かれると走らされてしまう。春に嵐はつきものとはいえ,いささか異常な吹き方ではある。

 こころなしか,15日にはTPPへの参加表明をする予定の安倍君への「はなむけ」の煙霧ではないか,と勘繰ってしまう。それだけではない。尖閣問題から竹島問題もふくめて,もっとも仲良くしなくてはならない燐国を敵にまわすような政策に猛進するニッポン国の,未来への警告ではないか,とすら思えてくる。

 いよいよもって救いようのない方向にひた走るニッポン国。この危機的な情況に,「思考停止」し,「自発的隷従」に慣れっこになってしまったニッポン国民は,なんの危機意識もないらしい。だから,現政権に70%もの支持率を与えてしまう。この体たらく。安倍君はますますその気になってしまう。戦争に行けと言われれば行きますよ,という若者も少なくないと聞く。幼少期に恐ろしい戦争を経験した者としては理解不能である。

 政権にべったりのメディアも,このところ連日のように「復興情報」を取り上げている。まるで,もののけに取りつかれたかのように。しかし,よくよく観察してみると,「復興」という問題の本質的な部分はうまく忌避しながら,みんな元気に頑張っている人びとの生活ぶりを追うものが多い。つまり,「情報」として取り扱いやすいものばかりが浮き彫りになっている。しかし,大事なのは,「情報」にもなりえないような,闇から闇へと葬り去られてしまうような,「復興」の陰の部分に,いかにして救いの手を差し伸べていけばいいのか,ということをみんなで共有することではないか。

 この数日間の,突然に襲ってきた「復興」情報の乱舞もまた,わたしには「春の嵐」にみえてくる。ふだんは,ほとんど「復興」情報など扱わないのに,新聞もテレビも「復興」情報で満載である。こうして,ニッポン国の国民の意識が「復興」情報に取り込まれている間隙を縫うかのようにして,「TPP」参加表明ときた。まるで絵に描いたような戦略ではないか。しかも,安倍君は「時間がない」という。なんのための?

 いま参加表明したとしても,3年前から参加した国々によってすでに決まっている取り決め内容については,3カ月後でないと開示されないという。新聞によれば「7月」にならないと,その内容を知ることはなきないという。しかも,すでに決まってしまっている内容については,一切の変更は認められない,という。つまり,なにが決まっているかもわからない条約に,眼を瞑って,参加表明をし,さらに3カ月,じっと待つのだという。

 これでは,条約の内容をなにも知らないまま「めくら判」を押すのと同じではないか。身もこころも丸投げにして,みなさんの取り決められたことに同意します,とまあこんなことをニッポン国はいまやろうとしているのだ。からだは売ってもこころは売らない,最低限の「みさお」さえ放棄して。それはないだろう,と春の嵐が吹きまくる。わたしには,そんな天の声に聞こえる。

 ニッポン国の未来によくない予兆としての春の嵐。煙霧。

 不意に,ちあきなおみの名曲「喝采」という歌が聞こえてくる。「あれは3年前,止めるあなた駅に残し,動きはじめた汽車にひとり飛び乗った・・・・」。その3年後に「あなた」からとどいた手紙は「黒い縁取りがありました・・・・」。

 こんな嵐にも負けずに自然界はいつものように粛々とことを運んでいく。鷺沼駅前のロータリーのなかに立つ白いモクレンが満開である。カメラをとり出して構えていたら,通行人の見知らぬ人が近寄ってきて携帯で撮影をはじめた。一声,二声,ことばを交わした。なぜか,その人は「ありがとうございます」と言って去って行った。一瞬,さわやかな春風が吹いたように思った。


2013年3月12日火曜日

TPPには参加しない,というのが自民党の選挙公約ではなかったのか。

 立派な選挙公約をかかげて政権与党を奪取した自民党が,はやくも選挙民をあざむく行動に出はじめている。そのことを新聞もテレビもほとんど問題視することもなく,黙って容認してしまっている。だから,国民の多くは,ちょっと話が違うのになぁ,と思いながらもそれでいいのだと思い込んでしまう。その結果が,安倍支持66%(あるいは,70%)という数字となってあらわれてしまう。それをみて,なにも考えない国民の多くはこの多数に身を寄せていけばいい,と無意識のうちに「洗脳」されていく。悪循環,悪の連鎖。いまや,とどまるところを知らず・・・・。

 安倍君はなにを血迷ったか,選挙公約でTPPには参加しないと約束していた,そのTPPに参加するという情報が流れている。それも大急ぎで「13日」にも,という話。もう,あきれてものも言えないとはこのことだ。

  詳しくは,PARC(NPO法人アジア太平洋資料センター)のホーム・ページでご確認ください。
http://www.parc-jp.org/teigen/2011/syomei201303.html

  これから十分に議論をつくして,多数の国民の納得がえられた上で・・・・・というならまだしも,「熟慮する時間がない」と安倍君はいう。冗談じゃない。国民の納得が得られなかったら,参加しなければいいだけの話。それが日本国総理大臣としての責務であろうに。なにを勘違いをしているのか,安倍君は。

 こんなに性急にことを運ぼうとするには,そうしなければならない「特殊な事情」があるに違いない。それも国民には知らせることのできない事情が・・・・。そのもっとも大事な情報をひた隠しにして,ことを運ぶ。とりわけ,「3・11」以後,日本国政府は,国民が知っていなくてはならない情報までひた隠しにする。そうして偏向独断で突っ走ろうとする。民主党政権がそれで崩壊したという教訓を忘れたかのごとくに,自民党政権も同じ轍を踏んでいる。こんなことをしていれば,いずれ遠からず,国民の多くが気づきはじめることは間違いない。それでもなお,誤魔化しきれると踏んでいるとしたら,それはとんでもない話だ。いったい,だれのための政治なのか。

 すでに,新聞などで知られているように,TPP参加のタイム・リミットはことしの10月だ。しかも,過去3年間の参加国間の交渉で合意している内容には,いかなる変更も許されない,という。にもかかわらず,カナダとメキシコは,そうした不利な条件のすべてを認めて,去年の12月に参加を決めた。日本はそれにつづこうというのである。

 これは日本国という主体の放棄であり,自殺行為に等しい。にもかかわらず「参加」する,と安倍君はいう。ことの真相をよくよく調べてみると,それはたんに農業の破壊だけの話ではない。医療制度から保険制度はもとより,わたしたちの生活のすみずみまで,グローバル・スタンダードという経済統制のもとに「根こぎ」にされ,地ならしされてしまう。そこには,もはや,日本国である根拠はなにもなくなってしまう。つまり,日本人としての存在理由もなくなってしまう。

 下手をすれば,母国語まで奪われて,みんな「英語」を話さなくてはならなくなる。すでに,見切り発車をして,某企業では英語を話すことが義務化されているという。そして,外国人役員を雇い入れて,重要な会議はすべて英語でなされているという。英語の話せない社員は,つぎつぎに窓際族にされてしまう,という。小学校に英語教育を導入しようとした意図は,こうした動向を見据えての先取りであり,それこそ「自発的隷従」そのものだ。そのうち,日本語の話せない日本人が続出するかもしれない。

 PARCのホーム・ページには,TPPが内包する問題点が詳細に述べられている。ぜひ,ご一読を。そして,TPP参加反対署名活動を展開しているので,その趣旨をよく理解した上で,署名していただけるとありがたい。署名さきのアドレスは以下のとおり。
kokusai@parc-jp.org
署名の要件は,氏名・肩書・メールアドレス,だけです。

 その上で,安倍君の動向から眼を離さないようにしたいと思います。
 いささか焦りながら,このブログを書いています。
 こころある人はお力添えのほどを。



ダン族のすもうは「人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割をになっている」(西谷修)。

 3月9日(土)の研究会は,とてもいい雰囲気のなかで展開し,まことに稔り多い成果をあげることができました。講師をつとめてくださった真島一郎先生にこころから感謝しているところです。参加してくださったみなさんも,とても喜んでくださり,わたしとしてはほっと一息というところです。

 いくつもの面白い議論があったのですが,まずは,わたしにとって特筆すべきコメントがあったこと,そして,そのコメントが強烈な印象を残しこと,このコメントはこれからのわたしたちの研究の行方にも大きな影響をもつものであること,がありましたので,その話題を記憶が鮮明なうちに記録しておきたいと思います。

 それは西谷修さんが指摘されたコメントです。結論からいいますと,
 「ダン族のすもうは,たんなる余暇の楽しみではなく,たとえば沖縄の島々の人たちにとっての祀りとか,ニガイの儀礼のように,人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割をになっているのでは・・・・?」
 という内容のコメントでした。

 実際には,もう少し長いお話をされた上で,このような結論を導き出すかたちでなされました。真島先生はこの西谷さんのコメントを受けて,さらに補強するようにして,詳細にその根拠となることがらについてお話してくださいました。そこで,はっと気づいたのですが,西谷さんのコメントは,わたしのような,近代的な二項対立的な思考法になじんでしまった人間に警告を発するためのものであった,ということです。つまり,つい習慣化してしまっている近代の二項対立的思考の呪縛から解き放ち,もうひとつ違う次元に立つ思考法を取り入れるべきではないか,という深い意味が籠められていたということです。その理由は以下のとおりです。

 ダン族のすもうは農作業のできない乾期に行われるということ,そして,雨期に入ると農繁期に入るのですもうは行われない,というわけです。これがダン族のすもうの大きな枠組みです。すると,わたしたちは,いともかんたんに「ああ,農閑期の暇なときの娯楽・楽しみとしてすもうが行われているのだ」と思い込んでしまいます。そして,労働と余暇との二項対立で整理すると,いかにももっともらしく聞こえ,多くの人が納得しやすいというわけです。こういう近代的な思考癖に対する警句として,西谷さんのコメントがなされたのでは,というわけです。

 秘密結社を組織しているダン族の人たちの「すもう」は,そんなに単純なものではない,ということです。むしろ,結社社会を組み立てるためにはなくてはならない文化要素,つまり,必要不可欠のものとして「すもう」が存在するのでは,というわけです。秘密結社の中核にあるものが仮面だとすれば,「すもう」はもうひとつの仮面に相当するのではないか,という次第です。

 ここまで考えてきますと,わたしの思考はジョルジュ・バタイユが『宗教の理論』のなかで展開した「祝祭空間」の成立の問題につながっていきます。それは,いささかややこしい議論なのですが,ごく簡単に整理してしまえば,以下のようなことになろうかと思います。バタイユは,祝祭空間は「有用性」を打破するために,つまり,事物化したものをもう一度,内在性の世界に送り返すという意味が原点にある,といいます。だとすれば,祝祭空間では,ただ,ひたすら消尽が繰り広げられるということになります。それは,マルセル・モースのいう贈与でもあります。

 こうした消尽や贈与もまた,文明の進展とともに「有用性」に絡め捕られていきます。そして,ますます事物化していきます。その成れの果てが近代スポーツ競技としての「レスリング」だというわけです。

 西谷さんは,こういう思考の枠組みを念頭におきながら,さらに,ピエール・ルジャンドルのドグマ人類学的な発想を加味して,表題のようなコメントをしてくださったのでは,というのがわたしの推測です。

 さらに,付け加えておけば,「人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割」という西谷さんの発想の含意としては,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』とも響きあうものがある,とわたしは受けとめています。つまり,結社社会を組織するということは,まさに,ダン族としての「根をもつこと」のための文化装置として仮面やすもうを共有するということでもあるからです。

 というような次第で,西谷さんのコメントは,考えれば考えるほど重い意味を帯びてきます。そして,このような視点を加えることによって,これまでのスポーツ史やスポーツ人類学やスポーツ文化論の語り口も,みごとにひっくりかえっていくことになります。それほどに大きな問題を秘めたコメントであった,とわたしは考えています。そして,これからの研究会でも,このコメントは継続して議論していきたいものだと考えています。

 以上です。

2013年3月11日月曜日

「3・11」から丸二年。「0310」集会とデモに行ってきました。

 昨日(3月10日)は,ポカポカ陽気に誘われるようにして,早めに家をでて日比谷公園に向いました。奈良からやってきた若い友人と一緒に。時間がたっぷりあったので,地下鉄を少し手前で降りて道路にでてきたら,いきなり右翼団体の街宣車が隊列をなしてとおりすぎてゆきます。その数の多さにまずは圧倒されてしまいました。それぞれの車から大音響の音楽やアジテーションの演説が流れ,お互いに反響し合って,結局はなにも聞き取れません。というか,伝えるべきメッセージはなにも印象に残りませんでした。

 そんな光景に度肝を抜かれながら,「国を愛するということはどういうことなのか」と,まずは,考えてしまいました。郊外に住んでいると,こういう光景からも縁遠くなっています。ですから,なんともいえぬ摩訶不思議な,新鮮な刺激でした。そうか,こういう人たちも相変わらず元気なんだ,こういう人たちの存在も現代日本の社会を考える上では不可欠なのだ,としみじみ考え,思いを巡らせていました。

 その隊列を見送ってから,自民党本部を左手にみやりながら,国会議事堂前に。その前にある公園のなかに入り,「日本水準器」の設置してある建物を過ぎて,時計塔の下のベンチに座り,一休み。ここには灰皿もセットされていて,愛煙家の若い友人は一安心。国会議事堂と皇居方面とを交互に眺めながら,二人で「この二年」を振り返る話をしました。

 お互いに確認できたことは,わたしたちの住んでいたこの国が,これほどまでにお粗末な国だったとは気づかなかった,ということでした。「3・11」以後,これまでうまく隠蔽されてきたことがらが,一挙に露呈するはめになってしまい,おまけに,ことごとく収拾がつかなくなってしまっている,というみじめな現実でした。

 なかでも,メルトダウンしてしまった核燃料棒がどこに,どういう状態で存在しているのか,その在り処もわからない,という事実。そして,その存在を確認するためのロボットをこれから開発しなければならない,という事実(このために10年くらいはかかるとか),もし,かりにこのロボットを開発することができたとしても,こんどはメルトダウンした核燃料棒をとりだすための機械・道具をこれまた新たに開発しなければならない,という事実,そのために,また,さらに何十年とかを要する,という事実,そして,さらには,とりだした核燃料棒をどのように保管するのか,そのための・・・・・,という具合に気の遠くなるような現実がいまも,そして,これからも半永久的につづく,という事実。終わりのないストーリーは,いま,はじまったばかりです。

 そういう現実が日ごとに明らかになってくる,これがわたしにとっての「この二年」の重く,息苦しい日々の実態でした。それに加えて,この気の遠くなるような現実に蓋をすべく,早々に「収束宣言」をして,はちゃめちゃな政治を展開した民主党政権。それを国民は見逃してはいませんでした。敵失というか,自滅の民主党をしりめに,漁夫の利をかすめ取るようにして浮上してきただけの自民党が,さも国民に支持された正義であるかのような顔をして,一気呵成に強行路線を突っ走ります。しかも,それが国民の多くの人たちに支持されているという現実(70%を越えるという)に,これまた,わたしは呆然としてしまいます。この国はいったいどこに行こうとしているのだろうか,と。フクシマのことをほったらかしたままにしたまま・・・・。

 おまけに,つい先週までは,東京にオリンピックを招致しようという,まやかしの「正義」の名のもとに,またまた,国民に「めくらまし」をかまして平然としている政府自民党,そして,都知事。都合の悪いことには「蓋」をしておいて,都合のいいことのみを声高に喧伝する利害打算の政治ばかりが横行してやまないこの国の現実。「めくらまし」政治。「ねこだまし」政治。

 こんな,ふだんからのたまりにたまった鬱憤を,若い友人と語り合いました。そこから,ぶらぶらと皇居のお掘りをわたって皇居前広場に向かいました。その手前の広場には,障害者のマラソン・ランナーと伴奏者,そして,家族の人たちでごった返していました。まもなく,スタートを切る,そのための準備におおわらわの様子が伝わってきました。なるほど,こういうイベントも今日は組まれているんだなぁ,と思いながら・・・。でも,ポカポカ陽気に恵まれましたので,みんなとても楽しそうな顔をしていました。

 そこから,少し早いけれどもそろそろ日比谷公園野外音楽堂をめざすことにしました。日比谷公園に入ると,もう,すでに大勢の人でごった返していました。ああ,今日は,さすがに大勢の人が集まってきているなぁ,と思いながら野外音楽堂に到着。そこはもう立錐の余地もないほどの人です。なんで,みんな立ち止まったままでいるのだろうと不思議に思いながら,人をかき分けて入り口をめざします。すると,すでに満員で入場できません,という突然のアナウンスが響く。エッ!? こんなことは初めてのことでした。野外音楽堂に入れなくて,その外で待機している人たちがこんなにもあふれているとは・・・・。しかも,集会がはじまる30分前だというのに・・・・。

 仕方ないので,別のイベント広場を散策しながら昼食をとることに。タコライスなるものを初めて食べました。ああ,こういうものであったか,と新しい学習でした。どこかで音楽が聞こえてきましたので,そちらに向う。ちょうど,つぎのステージに変わるところに出くわしました。すると,なんと,加藤登紀子さんが登場です。短いスピーチ(当然,「3・11」後とこれからに向けての熱の入ったご挨拶)につづいて歌がはじまりました。加藤登紀子さんの生演奏を聞くのは初めてでしたので,感動しました。選曲もすべて東日本大震災,フクシマに触発されての新曲ばかりでした。

 ですが,あまりにも暑いので,日陰に入ろうとしたそのときです。北東の方角の空の色が茶色がかったねずみ色になっているではありませんか。頭の上は,真っ青な空。風もないポカポカ陽気。なんだろうと思っている間もないほどの速さで,その変色した空がこちらに押し寄せてきました。猛烈な突風が吹きはじめ,日比谷公園の木の葉や砂が渦を巻いて空に舞い上がっていきます。これはえらいことになったと覚ったわたしたちは,急いで松本楼の陰に隠れました。雨がパラパラときたように思いましたが,手を伸ばしてみるとそうでもありません。

 が,この砂嵐が襲ってきたころには,デモに出発する14:00になっていました。わたしたちも出発口に向かいました。人でいっぱいです。いくつものグループに分かれて,つぎつぎに出発していきます。わたしたちは「サウンド・グループ」というところにもぐり込んで,ラッパーの囃子詞を聞きながら歩きはじめました。が,相変わらず砂嵐は止まりません。眼が開けられないほどの砂嵐です。そして,あっという間に冷え込んできました。こんどは寒いということばがふさわしいほどの冷え込みでした。国会議事堂の前の坂道にさしかかったときに隊列の長さがどのくらいあるのだろうか,と確認してみました。が,前も後ろもまったく見極めがつかないほどの長蛇の列です。

 今日の新聞によれば,国会周辺に4万人がデモ,とあります。砂嵐は「煙霧」ということも新聞で知りました。

 長くなってしまいましたので,このあとのことは,また,後日。
 取り急ぎ,昨日のレポートまで。

2013年3月9日土曜日

3月10日(日)の反原発集会・デモの予定が新聞の記事となる。

 「3・11」を直前にして,メディアもなにかと東日本大震災や原発のその後の話題を提供するようになってきた。しかし,反原発をかかげる市民運動をとりあげることは,これまでも,ほとんどなかった。当然のことながら,「あすデモ」という見出しの新聞記事が掲載されることも,まず,なかった。が,今日(9日)の東京新聞には三面記事ながら,記者会見の写真入りで,かなり大きく報道している。ようやく,ここまできたか,としみじみ思う。他紙については,これから確認の予定。

 東京新聞には,「3・11前に反原発連合」「事故風化させぬ」という見出しが躍る。最初のつかみの文章を引用しておこう。

 3・11を前に,脱原発を訴えるデモや抗議活動が10日,日比谷公園や国会周辺で行われる。毎週金曜日,首相官邸前で抗議活動を続けている「首都圏反原発連合」の主催。東京都内で八日記者会見した,中心メンバーのミサオ・レッドウルフさんは「原発事故のことを風化させず,記憶によみがえらせる」と力を込めた。

 このあとに,詳しい説明文がつづく。(割愛)。

 昨日のブログにも少しだけ触れたが,わたしの住んでいる溝の口の近くの中原平和公園でも集会やデモが予定されている。ネットでみると,全国各地で「0310」集会が企画されていることがわかる。

 考えてみれば,もう丸2年が経過しようとしている。なのに,この無力感はなんだろう。

 最新号の『世界』(4月号)は,特集1.で「終わりなき原発災害」─3.11から2年,を組んで,いろいろの立場に立つ多くの識者たちの意見を掲載している。そして,巻末の広告ページの最後のところに,木野龍逸(『検証福島原発事故・記者会見2』─「収束の虚妄」)の著者からのメッセージが掲載されていて,ひときわ,わたの眼を引いた。そこには,以下のように書いてある。

 「まだ何も終わっていない」
 2011年12月16日に野田佳彦首相(当時)は「発電所の事故は収束に至った」と発表しました。しかし当時はもちろん,今でも,福島第一原発ではメルトダウンした核燃料がどこにあるのか判明しておらず,貯まり続ける放射能汚染水も処理の目処が立っていません。
──中略。
原発事故は継続中であり,忘れてはいけない現実であることを,お伝えできればと思います。

 以上。

 今日は,午後から,真島一郎さんを囲む大事な研究会が控えている。珍しく,少しずつ緊張感が高まってきている。そろそろ頭をそちらにシフトしなければ・・・・。というわけで,今日のところはここまで。

 もちろん,明日は日比谷公園から首相官邸前にでかけるつもり。
 その場に立つ。そして,考える。からだに記憶を刻み込むために。

2013年3月8日金曜日

決め手を欠く「五輪東京招致」運動。運営能力だけでなく,情緒に訴えるものを。

 IOCの評価委員会による現地調査が終わった。その結果に関する精確な情報が知りたかったので,家で講読している新聞のほかに2紙を駅(溝の口)で購入して,いつものように電車に乗って鷺沼の事務所に向う。春のような陽気で,少し歩くと汗ばんでくる。

 駅前(鷺沼)では,「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」のビラが配られていた。もらって見ると「2013/3/10 SUN.川崎市中原平和公園」とあり,この日に行われる各種イベントの予定表が書いてある。スペシャルゲストに,「経済界から脱原発宣言」,城南信用金庫理事長吉原毅さんの名前もある。

 このような活動をメディアはほとんど無視しているが,ネット上では多くの情報が流れている。「3・11」以後のこの2年間はいったいなんだったのだろうか,という批判が圧倒的に多い。そして,3月10日には「0310 原発ゼロ☆大行進」が日比谷公園野外音楽堂を基点にして展開されること,それに呼応して脱原発運動が全国各地で展開されること,などもよく知られているとおりだ。

 鷺沼駅でもらったビラにも,「官邸前脱原発金曜日アクションに地域から連帯しよう!」と書いてある。こんどこそ,つまり,「3・11」から「丸2年」が経過したにもかかわらず,事態はなにも改善されないままになっていることに対する国民の苛立ちの意思表明を,メディアはきちんと報道してほしいものだ。とんでもない「アベノミクス」に躍らされないで。

 事務所にくる途中の,いつもの植木屋さんの庭の河津桜が三分咲き。根元には諸葛菜が薄紫の花を咲かせている。モクレンのつぼみも日ごとに大きくなっている。

 事務所に到着して,コーヒーを淹れて,新聞を読みはじめる。どの新聞もIOC評価委員会関連の情報を満載している。全部,読み終えたときに,なんともいえぬ虚脱感をおぼえる。読むべき内容がほとんどないからだ。もちろん,最初からそんなことはわかっている。しかし,念のために,確認したかった。やはり,予想どおり。

 ただひとつ,これは,と思ったくだりがあった。引用しておこう(『毎日新聞』)。

 東京招致委員会は「震災からの復興」を前面に出さなかった。東日本大震災に話題が向けば,原発事故など「負」の印象を与えかねないとの思惑が見え隠れする。
 東京招致委は「Discover Tomorrow ~未来(あした)をつかもう」との抽象的なスローガンの下,充実した交通体制など都市力を前面に出したプレゼンテーションを続けた。だが最後の東京招致委の記者会見で海外メディアからこんな質問が飛んだ。「運営能力があるのはわかった。で情緒的に訴えられるものは?」

 この問いにどのように応答したかは,どこにも書いてない。答えに詰まってしまって,だれも適切な応答ができなかったのだろう。

 ここに招致委員会の盲点がみごとに露呈している。「震災からの復興」を封印して,表面づらを整えて,支持率を上げれば,招致に成功すると考えていたはずだ。甘い,のひとこと。

 「震災からの復興」を封印しなければ五輪招致に不利だと考えたとしたら,その時点で,すでに勝負あった,である。つまり,最大の弱点を隠蔽したのだから。しかし,このスローガンをIOC評価委員会のメンバーが知らないはずはない。のみならず,日本国民に対する冒涜ではないか。被災者を勇気づけるためにも五輪は必要なのだ,と都知事を筆頭に総理大臣ですら主張してきたではないか。

 海外メディアの記者が問う「情緒的に訴えられるものは?」は,まさに,この点をついたはずだ。言ってしまえば,マドリードにもイスタンブールにもなくて東京に固有の「情緒的に訴えられるもの」は,すなわち,「震災からの復興」しかないではないか。この唯一のセールス・ポイントを封印してしまったのだ。ということは,もはや,東京に五輪を招致する最大の根拠はどこにもない,ということだ。「Discover Tomorrow」などというスローガンはどの都市でも言える。なにも,東京でなくてもいい。

 支持率が高かったことに招致委は大喜びをしたそうだが,ごもっとも。でも,これは前回の減点対象をクリアしただけのことで,ポイントにはならない。他の立候補都市は,昨年5月の段階で,すでに,もっと高い支持率だったのだから。

 となれば,なにが「決め手」になるのか。
 それは,2020年に,なぜ,東京で五輪を開催する意味があるのか,ということを世界に示すことだろう。その点は,マドリードも同じだ。大した根拠は見当たらない。その点で,もっともわかりやすいのはイスタンブールだ。イスラム文化圏で初の五輪開催だ。オリンピック・ムーブメントの根幹に触れる説得力をもつ。運営能力などは,無事に大会を運営する能力があれば,事足りる。そこに点数をつけて差異化するとなると,文明化の遅れた国は永遠に五輪を招致することはできなくなってしまう。だから,運営能力は最低限のレベルをクリアしていればいいのである。必要なのは,なぜ,その都市で五輪を開催するのか,というわかりやすい説得力だ。

 どの新聞も,総じて,現地調査はうまくクリアできた,という評価の高い報道だった。しかも,これからさきは「ロビー活動」にかかっている,と各紙とも口を揃える。意見を聞かれた識者たちも異口同音に「ロビー活動」が重要だ,と指摘している。しかし,そうだろうか。わたしはまったく違う受け止め方をしている。

 「ロビー活動」とはなにか? 政治や経済の世界での「ロビー活動」は,よく知られているとおりである。そこではいろいろの裏取引がなされていることもよく知られているとおりだ。その論理をそのままスポーツの世界に,つまり,五輪招致運動に持ち込んでいいのだろうか。簡単に言っておけば,ロビー活動とは「よろしく」という肩たたきだ。肩をたたかれただけでIOCの投票権をもつ委員たちがこころを動かすとは思えない。過去の事例からみても相当の金品が飛び交っている。それを封じ込めるためにあれこれ対策が立てられていることもわかっている。しかし,その眼をかすめて行われるのが「ロビー活動」だ。言ってしまえば,「八百長」工作のことだ。こんなことが,これまでも営々として行われてきたのだ。それが五輪招致運動の陰の実態だ。

 オリンピック・ムーブメントも,もはや,地に堕ちた★にすぎない。
 わたしがオリンピックのミッションは終わったという根拠のひとつは,ここにもある。だから,そろそろ「幕引き」をすべきだ,というのがわたしの基本的な考え方である。あるいは,抜本的な改革をほどこして再生をはかるべきだ。このことの具体的な提案も考えている。いつか,チャンスがあったら公表してみたいと思っている。

今日のところは,ここまで。

2013年3月7日木曜日

「裸体文化の妙」・男性裸体像の彫刻展に全裸男性客が殺到(ウィーン)。

  ちょっと記憶があいまいなので,間違いがあるかもしれませんが,お許しください。
数日前のテレビでの話です。これがニュースだったのか,なにかのびっくり番組だったのか,たぶんニュースだったと記憶するのですが,たしかではありません。つぎのような話が紹介されました。

 芸術の都・ウィーンの美術館で男性裸体像ばかりを集めた彫刻展を開催したところ,全裸で鑑賞したいという男性の申し入れが殺到し,それを許可したところ大勢の男性(映像をみるかぎり,中年から初老の太った男性が多かった)が押しかけた,というのです。さすがに下半身はボカシの入った映像でしたが,なかなかの壮観でした。「こんなとんでもないことが芸術の都ウィーンでは行われています。いったいどういうつもりなんでしょうか」という驚きの解説つきでした。

 日本では,まずは,どう考えてもおかしな話になってしまいますが,ウィーンの人びとにとってはなにも驚くことでもないし,騒ぐほどのことでもありません。そういう人たちが希望するなら,時間を指定して鑑賞させればいい,というだけの話です。ひょっとしたら,女性裸体像ばかりを集めた彫刻展をやったら,女性からもそのような希望がでてくるかもしれません。たぶん,それもなんの抵抗もなく許可されることでしょう。

 裸体に関しては,ヨーロッパの人びとは概しておおらかです。歴史的にみれば,1920年代の後半から30年代にかけて,かなり熱心に裸体主義運動(ヌーディスト・クラブ)が展開し,かなりの支持をえていたことがあります。老若男女が集団で裸体生活をともにしたりしていました。場所は山のなかだったり,あるいは,海岸だったり,あるいはまた,とこかの人里離れた湖畔だったりしています。当時の写真も多く残っています。本もたくさん出版されています。検索してみてください。日本の研究者による本も少なくありません。

 もともとヨーロッパは北半球のかなり緯度の高いところに位置していますので,日照時間がとても短い上に,冬はほとんど太陽が顔をみせません。そのため,くる病,皮膚炎などのある種の風土病がとても多く発生しています。ですから,機会があれば,かれらは日光浴を楽しむことにとても熱心です。冬のスキー場も,滑って楽しむ人と日光浴をしている人とが相半ばというところです。日本では考えられません。日光浴も,その多くは「全裸」です。その場所も,都心の公園だったり(たとえば,日比谷公園のようなところ),森のなかの野原だったり,湖の砂浜だったり,などなど。そして,男性も女性も。日本人のわたしたちは眼のやり場に困るほどです。

 ウィーンの旧市街のど真ん中にある由緒ある市営プール(屋内プール)では,一年中,水曜日の午後1時から5時まではヌーディスト・タイムがセットされていました(わたしが滞在した25年前の話ですが)。つまり,ヌーディストが集まってくる時間というわけです。それはそれは驚きの光景でした。といいますのは,プールに付設のカフェからプールの全景が見下ろせるようになっていましたので,一度だけ,後学のためにと思いコーヒーを飲みにでかけたことがあります。距離的にはかなり離れていますので,別にどうということもないのですが,わたしにとってはまことに珍しい光景でした。プールでは男女の区別もなく,みんな楽しそうに泳いだり,ベンチに坐って談笑したり,子どもたちは駆け回ったりしていました。

 そればかりではありません。春まだ浅い,風が冷たい日でも,太陽が照ると自宅の庭先にマットを布いて,全裸で日光浴をしている光景は,都心から離れた住宅地ではよくみかける光景でした。それは夏の間も,そして,秋が深まりゆくぎりぎりまでつづく,ごく日常的な光景でした。道を散歩していると,そういう光景に出あうのは当たり前のことでした。そこに生まれ育った人びとにとっては,ごくふつうのことなのです。

 「文化の妙」としかいいようがありません。

 日本でも,わたしの子どものころの田舎では,夏になると庭先でみんな行水をしていました。一仕事終えて畑から帰ってきた夕刻どきの,ごくふうつの風物でもありました。おばちゃんもおねえちゃんも,みんなすっぽんぽんで行水していました。道行く近所の人とそのまま話をしたりしていました。街中から疎開して,寺で育ったわたしにはとても珍しかったので,よく覚えています。

 田舎ののどかな光景でした。思い出はすべて美しいものです。懐かしささえおぼえます。古き良き時代のイメージというものはこうして創造されるものなのでしょう。伝統も同じです。

IOCの支持率調査は東京70%。昨日のブログを一部訂正します。

 昨日(6日)のブログでは,東京新聞の報道に触発されて,いささかポイントのずれた内容のものを書いてしまいました。やはり,きちんと情報を収集してから書くべきだったと反省しています。これから気をつけますので,お許しのほどを。

 今日(7日),ネットに公開されている「毎日jp」を読んでいたら,以下のような記事がありましたので,訂正させていただきます。記事のもとは毎日新聞2013年03月05日21時33分,藤野智成さんの記名記事です。

 IOCの支持率調査によると,東京70%,全国(東京以外)67%,という調査結果だったとのこと。この調査はことしの年明けに実施されたらしい,とのこと。この数字はIOCの評価委員会の作成する報告書に盛り込まれる,といいます。

 このIOCの調査結果をみて思うことは,わたしの周囲にいる人たちの意識と,平均的日本人のそれとはかなりの差がある,ということでした。ことの是非はともかくとして,これがことしの正月明けころの意識調査の結果だとしたら,いまはもっと高い数字がでるのかもしれません。

 去年のロンドン・オリンピックで日本選手が大活躍したことが,この数字の高さに反映しているようです。そして,例の銀座パレードには50万人が押し寄せたという関心の高さも忘れてはならないでしょう。それにしても,今回の70%という数字には驚きました。

 ちなみに,昨年5月(つまり,ロンドン・オリンピック前)に公表されたIOCによる開催立候補都市の支持率は以下のとおりです。
 東京:47%,マドリード(スペイン):78%,イスタンブール(トルコ):73%。この数字をみたときは,逆に,東京はこんなに低いのかと驚きました。

 かつて,16年開催予定の五輪招致のときの『評価報告書』には,東京の支持率は55.5%と書き込まれていました。そのときは,なるほど,東京都民の意識はこんなところなんだろうなぁ,と納得でした。この数字は,このときの立候補4都市のなかでは最低の支持率でした。これが,16年招致失敗の最大の原因だったともいわれていました。ですから,今回は支持率アップにむけて東京都も招致委員会も必死のPRを展開してきました。そのひとつが,ブログにも書きましたように,自治会連合会をとおして行われた回覧板による署名運動でした。もちろん,この方法はわたしは認めることはできません。ただ,こんなに必死になって世論操作をした結果としての「70%」の達成であったという事実はしっかりと見届けておくことが重要だと思います。

 さて,今回は70%の支持率があったとIOCは公表したわけですが,ほかのマドリードやイスタンブールの調査結果はまだ発表されていません。が,もっと高くなっているのだろうなぁ,とこれはわたしの勝手な想像です。

 取り急ぎ,昨日のブログの訂正まで。

2013年3月6日水曜日

東京五輪招致支持率73%のなぞ。調査方法のマジックか?

 IOC評価委員会の現地調査がはじまって,連日,ニュースは盛り上がっている。しかし,上滑りのニュースばかりで,東京五輪招致の是非を考えるための素材はほとんどなにもない。そんななか,東京都民の支持率が73%という数字だけが一人歩きをしている。この数字ははたしてほんものなのか。わたしは大いに疑念をいだいている。

 東京五輪招致の最大のネックは支持率だと,前回の招致失敗の反省に立ち,東京都も招致委員会もやっきになって宣伝にこれつとめてきた。そのこと自体はなんの問題もない。なんとしても五輪を東京に招致したいと考える人たちにとっては,そこが命綱でもあるのだから。しかし,支持率の高さを示す「数字」が捏造されているとしたら,これは大問題である。

 3月2日のブログ(IOC評価委員長がやってきた。都民の支持率は大丈夫か)にも書いたように,東京新聞の読者の投書に,やはり・・・・と思わせる内容が書かれていた。そして,今日(6日)の東京新聞(こちら特報部)にも,自治会が回覧板で署名をとる方法に疑念が提起されていた。つまり,となりの家が賛成して署名しているのにうちが反対で署名しないというわけにはいかない,というのだ。これは,いくら自由意志による署名活動とはいえ,回覧板をまわすという方法はどう考えてみても奇怪しい。となり近所の眼を気にする人はまだまだ多い。そして,行動の仕方もおのずから制約をされる。

 読者の投書も,そのことを指摘したもので,投書者の自治会では回覧による署名をやめにして,署名簿の置いてある場所を指示して,そこに署名にきてもらうようにしたところ,署名者は「0(ゼロ)」だったという。このことの意味は重い。少なくとも,積極的に五輪招致に賛成という人はひとりもいなかったということだ。わざわざ署名をしにでかけてまで賛成の意思表示をする人はひとりもいないということだ。署名活動をしようとした自治会の役員の人も,ひとりも署名をしていない,というのも変な話ではある。たぶん,自治会の役員の人ですら,回覧板がまわってきたら,みなさん署名しているのでわたしも署名する,ということになるのだろう。東京都や招致委員会が,それを計算の上で「東京五輪招致」の雰囲気を盛り上げようと画策しているとしたら,それはまぎれもない「洗脳」であり,「詐欺」のようなものだ。

 そして,その結果が「73%」だったとしたら恐ろしい。

 この数字は,招致委員会が1月に電話による調査の結果だと聞いている(サンプル数は400?)。ただし,その電話が,どのような問い方をしたのか,誘導尋問的なものではなく客観性がどこまで保証されるものであったのか,そのあたりのことは闇のなかだ。

 しかも,この「73%」という数字は,すでに一人歩きをしている。メディアもその路線で報道をくり返している。都民はいつのまにか,みんな五輪招致に賛成なんだ,と無意識のうちに刷りこまれてしまう。公器を用いての「洗脳」であり,世論操作である。

 こうして,五輪招致反対の立場は無視されていく。のみならず,五輪招致に向けて一致団結することが正義であって,反対するものは国賊扱いされかねない。すでに,そんな雰囲気が生まれつつある。とりわけ,この数日は顕著である。こうして押せ押せムードに乗せて都民の支持率を,この数字に近づけようとしているように,わたしにはみえる。

 いずれ,しかるべきタイミングで,IOC評価委員会が独自の方法で支持率の調査を行うことになるだろう。そのときに,はたして「73%」という数字がでてくるかどうか,わたしには大いなる疑問である。もし,このときに「50%」を切ったとしたら,招致委員会の出した数字がいかにまがいものであったかということが露呈してしまうことになる。それは逆効果ではないか。それをも無視して押し切ろうというのだろうか。

 いま大事なのは,新聞社が独自の「客観的」な手法によるアンケート調査を行い,この「73%」という数字の的確性を検証することではないのか。それを放棄して,既成事実であるかのごとくこの数字をくり返すところに,こんにちのメディアの無能ぶりが露呈している。

 その典型的なものが,今日の東京新聞「こちら特報部」の記事だ。しかも,その仕上げをするかのように「デスクメモ」が小さく掲載されている。わたしは唖然としてしまった。開いた口が塞がらないとはこのことだ。以下に引いておこう。

 「いろんな問題も承知の上で,個人的には東京五輪をやってもいいと考えている。最近,この国は意見対立だらけだ。ちょっと疲れる。2020年はもっとそうだろう。東京五輪を開催し,みんなで面白かったね,良かったねと単純に言い合える機会があってもいいんじゃないかなあ。それが幻想でも。(栗)」

 これが「デスク」のことばか?冗談じゃない。これこそ権力の思うツボではないか。こんな程度の思考しかできない人がデスクとは・・・。情けない。

2013年3月5日火曜日

三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』(中公新書)と再会。

 ふだんあまり立ち寄ることのない書店にふらりと入ってみたら,「社員が推薦する中公新書30冊」というフェアをやっていた。中公新書創刊50周年だという。そうか,もう,50周年か,といささか驚きもした。当時,岩波新書しかなかった時代に,透明のビニール・カバーをかけた中公新書が登場し,とても新鮮な気分で手にとった記憶があるからだ。

 この50周年のアニパーサリー・フェアのなかに,三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』があった。迷わず購入した。奥付をみると27版とある。やはり,名著は静かに版を重ねているものなのだ。なるほどなぁ,と納得しつつも,えもいえぬ感慨深いものがあった。

 なぜなら,数年前,三木成夫という著者の話を丹生谷貴志さんから伺い,かつ,この本の初版本の残部が研究室にあるからといってプレゼントしてくださった。1983年にでた本なので,すでに,カバーのビニールは縮んでしまっていびつになり,ページを開いてみると紙が変色して,周囲の余白の部分は茶色に近い。古色蒼然とした本になっていた。「こんなになってしまっていますが・・・」と丹生谷さんは笑いながら,気前よくくださった。嬉しかった。

 なぜ,こんな話になったのか。面白い逸話がある。三木成夫さんは東大医学部をでたお医者さん。この人が東京芸術大学の教授として勤めておられたころに,丹生谷さんは学生として在籍していて,いつも研究室に出入りしていた,という。当時は,三木先生と野口三千三先生(野口体操の創案者)が学生たちの間で人気があり,多くの学生さんが,いつもお二人の先生の研究室に入り浸っていたという。

 この野口三千三さんの話がでたところで,わたしの目の色が変わった。それを察知した丹生谷さんは,「じつは,三木先生と野口先生は大の仲良しで,いつも,お茶を飲みながらよくお話をされていました」という。そして,野口体操の発想の原点は,じつは,三木先生の研究にある,とも。そのネタになったのがこの本です,というわけだ。

 なるほど,人間のからだは水の入った革袋だと思え,という野口体操の説く根拠はここにあったのか,とわたしは納得した。そして,蛇になったり,手足を人にゆすってもらったりする,いわゆる「脱力」を基本とする野口体操の原理はここからきているのか,と。それは,わたしたちが学生時代に学んだ「体操」とはまるで別世界だった。デンマーク体操やドイツ体操などの影響を受けてラジオ体操が考案された経緯とはまるで異なる,三木成夫さんの人間学(発生学)に立脚したものだったのだ。不思議に思って,当然だったわけだ。

 この三木先生は,じつは,大のトラ吉(阪神タイガース・ファン)だったそうで,よく,大学をさぼって内緒で甲子園まで足を運んでいたという(古き,よき時代だった)。そして,ある日,いつものように内緒で甲子園にでかけてスタンドで熱心に応援をしていたときのこと,選手の名前は忘れたが,9回裏に逆転のホームランを打った。このときに大喜びをして,飛び上がってバンザイをした瞬間に心臓発作を起こして倒れ,そのまま死んでしまった,という。なんだか,丹生谷さんのこしらえ話ではないかと疑ったら,これはほんとうの話です,とまじめに駄目だしをされてしまった。

 わたしもトラ吉のはしくれのひとりなので,なんとまあ,幸せな人なんだろう,といまでも本気で思っている。人は,こんな風にして死にたいものだ,といまも憧れている。だから,三木成夫という人の人となりとともにその名前は忘れられない。

 話はこれだけでは終わらない。三木成夫さんの研究が野口体操のヒントとなり,その影響下に竹内レッスンがある。この話はまた別にしたいと思うが,こういう関係性のなかに竹内レッスンがあるということだけは,ここで指摘しておこう。こうして人間の原初の存在様態に「じかに」触れることが竹内レッスンの根幹をなすことになる。だから,竹内レッスンをより深く理解するためには,このテクストは不可欠なものだ。と同時に,21世紀のスポーツ文化を考える上でも,このテクストの存在は大きい。みなさんにもお薦めしたい。必読の書である。

 内容について触れる余裕がないので,まえがきの一節を紹介しておく。それだけで,十分イメージをふくらませることができる,と信じて。

 このⅡ章に登場する胎児たちは,あたかも生命の誕生とその進化の筋書を諳(そら)んじているかのごとく,悠久のドラマを瞬時の”パントマイム”に凝縮させ,みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。それは劫初いらいの生命記憶の再現といえるものであろうか。──中略。
 胎児の演ずる変身の象徴劇は,こうして卵発生の秘儀として,代から代へ受け継がれるのであるが,この,つねに生命誕生の原点に帰り,そこから出発しようとする周行の姿,すなわち「生物の世代交替」の波模様こそ,すべての「生のリズム」を包括する,まさに「いのちの波」とよばれるにふさわしいものではないか。それは生命起源の根原をなすものでなければならない。

以上。けだし,名文である。からだのこと,あるいは人間のことを考える人にとってはバイブルに等しい。

「五輪は東京」を国を挙げてアピールするが,ほんとうにそれでいいのか。否。

 今日(4日)から4日間(7日まで)の予定の,IOC評価委員会による現地調査がはじまった。安倍首相は国会決議を演出し,猪瀬知事はこの4日間のために入念なリハーサルを繰り返し,インパクトのあるお土産まで用意しているという。つまり,国を挙げて五輪招致に全力投球である。

 国会決議では「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」と謳い挙げている。はたして,これが全国民の意思なのだろうか。2020年に東京でオリンピックを開催する意味はなにかということについて,いつ,どこで,だれが,どのようにして,本気で考え,議論したというのだろうか。国会でも,まともな議論もないまま,突然の「決議」表明である。

 政治先行,国民不在(都民不在)の五輪招致運動がいよいよ大詰めを迎えている。スポーツはいまやその理念も理想もどこかに消えてしまって,完全に政治課題になっている。つまりは,「五輪招致」を勝ち取るためのゲームと化してしまった。こうなると,勝つことだけが意味があることになり,負けは許されなくなる。

 この雰囲気のなかで,「五輪招致」反対と意思表明するだけで「国賊」扱いされかねない。それでも,ひとこと,「五輪招致」反対,と言っておこう。国賊にされることを覚悟して。

 いま一度,国会決議文を確認しておこう。「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」。ほんとうにそうだろうか。わたしはそうは考えない。

 わたしの「五輪招致」反対の理由は,まず第一は,「オリンピック・ムーブメントのミッションは終わった」という歴史的な認識にある。それに加えて,日本という国家がいま現在抱え込んでいる「国難」を隠蔽する行為に与すべきではない,というのが第二の理由である。第三には,スポーツ界に深く浸透している「暴力」体質がある。第四,第五,とつづく。

 第一の理由については,『近代スポーツのミッションは終わったか』(稲垣正浩・西谷修・今福龍太共著,平凡社)に詳しいので,そちらに譲る。

 第二の理由,つまりは「国難」については,以下のとおり。スペースがないので,ごく簡単に箇条書きにしておく。
 1.フクシマは,ほんとうに終息したといえるのか。いまもきわめて危険な状態がつづいているのだ。政府もメディアもひた隠しにしているが・・・・。
 2.沖縄の基地問題をいつまで沖縄県民に押しつけて,ヤマトのわたしたちは知らぬ勘兵衛を決め込もうというのか。沖縄県民に「夢と希望を与え」ることが,「五輪招致」によって,ほんとうに実現すると考えているのか。
 3.自分の家・土地を追われてしまって,帰るに帰れない人びとにとってオリンピックはなんの意味があるというのか。
 4.原発再稼働に向かうこととオリンピック・ムーブメントの理念(より速く,より強く,より高く)とは,「同根」「異花」である。すなわち,勝利至上主義。
 5.憲法改悪,軍隊,戦争,「強い国家」をめざす思想もまた,オリンピック・ムーブメントと同根である。つまり,優勝劣敗主義。
 6.東日本大震災からの復興と五輪招致はなんの関係もない。
 7.その他(割愛)。

 第三の理由も箇条書きにしておく。
 1.全柔連柔道女子で起きた監督・コーチによる「暴力」問題は,日本のスポーツ界に潜む氷山の一角にすぎないこと。今日(4日),いみじくも監督代行の田辺勝さんとコーチの貝山仁美,薪谷翠さんが辞意表明をしている。この根は深い。いよいよクーデターか。
 2.桜宮高校で起きた暴力事件もまた氷山の一角にすぎない。
 3.高校野球も同じ。PL学園が暴力事件にからみ出場辞退,など。
 4.こうして挙げていくと際限がない。そういう「スポーツ未熟国」からの脱出が先決である。
 5.つまり,監督もコーチも選手たちも,ひとりのスポーツを愛する人間として,スポーツ的に自立・自律することが先決である。それができていないかぎり「五輪を招致」する資格はない。

 第四,第五の理由を挙げつらう意欲も萎えてきた。まとめておけば,ある特定の「だれか」が得をするために「五輪招致」運動が展開されている,ということ。この「だれか」を推論していけば,おのずからその実体は明らかになってくるだろう。つまりは,総理大臣を筆頭に,都知事,JOC会長,マス・メディア,財界,官界,学界,そしてゲンシリョクムラの住民・・・・などなど。

 すなわち,「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」という決議文に鮮明に表れているように,「五輪招致」運動は,まさにわたしたちが直面している「国難」の「隠れ蓑」として絶好のツールなのだ。「国難」を忘却のかなたに送り込み,排除・隠蔽するための,まことに便利な,そして扱いやすい「お道具」なのだ。権力にとって,これほど役に立つ文化装置は,ほかにはない。

 かつての古代ローマの皇帝たちが好んだ「パンとサーカスを」の現代版を,いま,日本は国を挙げて再現しようとしているのだ。国民を愚民化することのために国会まで動員して。このことの重大さに多くの国民が気づいていない。こうして「正義」が形成され,「国賊」が槍玉に挙げられることになる。洋の東西を問わず,むかしからくり返されてきた愚行ではあるのだが・・・・。

 以上が,「国賊」たるわたしの「五輪招致」反対の理由である。そろそろ,このことに多くの国民が気づいてほしいものだが・・・・・。

2013年3月4日月曜日

フランスからの柔道情報・第2報.ボルドーの道上道場。

 フランス現代思想の勉強のためにフランス・ボルドーに留学している若い友人・藤山真さんから,久しぶりにメールがとどいた。以前から,時間があったらボルドーの柔道場を訪ねて,いろいろ情報を集めて知らせてほしい,とお願いがしてあった。その第二報である。第一報は,フランスの柔道に関する国家試験制度について,でこのブログでも紹介済み。

 ボルドーといえばワインの名産地として知られる。そこの柔道場を訪ねてみたら,偶然にも日本人がつくった道場で,その名も「道上道場」というのだそうだ。道場主(フランス人)は温かく迎えてくれ,とても親切にあれこれお話をしてくれたという。そのときの話とその後に藤山さんが調べてくれたネット情報を整理すると以下のとおり。

 この道場をつくったのは,「道上伯(みちがみ・はく)」(1912年10月21日~2002年8月4日)という日本人。経歴を調べてみると,1926年愛媛県立八幡浜商業学校入学。このときから柔道をはじめる。すぐに頭角を表して,最年少初段(15歳)を取得。アメリカに渡航しようとして失敗。1933年立命館大学入学。1934年武道専門学校柔道科に入学。実技試験は1番,学科試験は2番だったという(受験生500人ほど)。1938年卒業と同時に,旧制高知高等学校助教授として赴任。1940年上海東亜同文書院に招かれる。1945年帰国。

 1953年フランス柔道連盟の要請を受け渡仏。ボルドーに定住。ここを拠点にして柔道の国際的な普及に努める。
 1953年11月,クーベルタン・スタジアムで行われた柔道の試合では,フランスを代表する強豪10名と連続して対戦。6分30秒の間に13回の技を掛け,10人抜きを達成。
 1955年,オランダを訪問した際に,当時,建設作業員だった20歳のアントン・ヘーシングに出会い,その才能を見出し,とくべつの指導を行う。
 1961年,アントン・ヘーシンクは世界柔道選手権大会無差別級で優勝。
 1964年,東京オリンピック柔道無差別級で日本の神永選手を袈裟固めで押さえ込み金メダル獲得。当時の日本人に大きな衝撃を与えた。しかし,このヘーシンクの優勝によって,柔道はオリンピックの正式競技種目として認められることになった(柔道は開催国指定種目として,東京オリンピックで初めて実施され,1回かぎりの予定だった)。

 フランスの柔道は,1935年に渡仏した川石酒造之助(1899~1969)によって指導・普及がなされ,フランスの柔道の父として尊敬を集めたこと,1950年には粟津正蔵が川石に招聘され,二人で力を合わせて,柔道の国家試験制度を整備したこと,そして,その試験制度の内容の概略までは,第一報で書いたとおりである。

 しかし,この道上伯という人の存在はわたしも知らなかった。しかも,川石,粟津の二人との関係がどのようなものであったのかも,いまの段階ではわからない。しかし,調べてみたら『ヘーシンクを育てた男 道上伯の生涯』(真神博著,文藝春秋,2002年)という本が刊行されていることがわかる。この本を読めば,もっと詳しいことがわかるはずだ。そういえば,こんな題名の本があったなぁ,というかすかな記憶はある。しかし,わたしの怠慢で買って読むことにはいたらなかった。

 ついでに,この本の存在と同時に,『世界にかけた七色の帯──フランス柔道の父・川石酒造之助伝』(吉田郁子著,駿河台出版社,2004年)という本がでていることも知った。こちらもわたしの怠慢で,まだ,読んではいない。

 なお,You Tubeを検索してみたら,「1997年柔道家道上伯(85歳)。フランス・ボルドーにて最後の夏げいこ」の映像をみることができる。見てみると,元気いっぱいの道上氏が柔道着を着て道場に立ち,実際に技の指導を実演して見せている雄姿がでてくる。驚くべしである。そして,そのお弟子さん二人がインタヴューに応じている。
 Aさんは,「柔道の技の指導だけではなく,生きる哲学も教えてくれる」といい,
 Bさんは,「まっすぐな精神,誠実さに人間としての品格を感じます」と言っている。

 藤山さんのお蔭で,わたしの眼も開かれることになった。フランスの柔道が,本家の日本を超えて,フランス人の人気スポーツとして盛んになっていることの背景にあるものがなにか,これから少し追ってみたいと思う。また,チャンスがあれば藤山さんがボルドーにいる間に一度,訪ねてみたいとも思う。藤山さんには,もっと道上道場に通ってもらって,できれば,体験入門もしてもらって,生の情報をもっともっと送ってもらいたいと思っている。参与観察だけではなくて・・・。

 取り急ぎ,フランスからの柔道情報・第二報まで。

2013年3月3日日曜日

研究会情報・真島一郎さんをお迎えして(ダン族の力士と仮面)。3月9日・青山学院大学。

 3月9日(土)に予定されています研究会についてお知らせします。
このブログにもすでに予告してきましたように(2月22日:ヤマトのアフリカにスト・真島一郎さんにお会いしてきました,2月25日:「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」),真島一郎(東京外国語大学大学院教授)さんにお出でいただいて,研究会を開催します。開催要領の詳しい情報は,以下のホームページのアドレスでご確認ください。
http://www.isc21.jp

 なお,参加申し込み期限が3月6日(水)必着ですので,お間違えのないように,お願いいたします。申し込み方法も,上記の開催要領のなかに書いてあります。そちらでご確認ください。よろしくお願いいたします。

 この研究会は,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)の月例会です。原則として,毎月1回,東京,名古屋,大阪,神戸,奈良,などを巡回しながら開催しています。公開の月例会ですので,どなたでも参加できます。そして,無料です。話や議論を聞くだけという人からプレゼンテーションを希望される方まで,多種多様です。そこで取り上げられる話題やテーマも多種多様です。ちょうど,このブログがそうであるように。つまり,スポーツの問題を掘り下げていけばいくほど,普遍の問題にゆきつくからです。ですから,言ってしまえば,なんでもあり。ただし,スポーツにはじまって,スポーツにもどってくることが原則です。

 もし,興味のある方は,上記のホームページ・アドレスで,情報をそのつどチェックしていてください。毎回の月例会の開催要領がそこに公開されています。そして,そのつど,月例会の世話人の担当が変わりますので,申し込みの方法も変わります。それに応じて,手続きをしてください。もし,面倒な方は,わたしに直接,ご連絡ください。ただし,匿名さんの参加はお断りさせていただきます。

 この月例の研究会も,こんどの3月9日(土)で70回目を迎えます。ときおりお休みの月もありましたので,年に10回開催したとして,もう7年が経過します。そして,「21世紀スポーツ文化研究所」を立ち上げてから,ちょうど満5年が経過します。4月からは6年目に突入です。その意味では,こんどの月例会はいろいろの面でアニバーサリーでもあります。

 その記念すべき月例会に真島さんにお出でいただけることをわたしは誇りに思います。しかも,長年,夢にまでみてきた「ダン族の力士と仮面」についてのお話です。つまり,わたしの立場からすれば,スポーツのルーツをたどるお話です。それは「21世紀スポーツ文化研究所」のめざす重要な柱のひとつでもあります。過剰な競争原理が支配し,勝つことだけが目的の優勝劣敗主義に陥ってしまった近代スポーツ競技が,その隘路から脱出するには,もう一度,スポーツの原点に立ち返って,スポーツとはなにか,と問い直すしかありません。

 そのための最高のステージを真島さんにお願いしようという次第です。その世界は,いわば自己を超えでていくものとの交信・共鳴・共振する世界であり,祈りにも似た無心に「舞い踊る」世界,人間の原初の姿を彷彿とさせる世界でもあります。言ってしまえば,エクスターズ(バタイユの意味で)する世界。

 そんな世界にどこまで肉薄することができるか,いまから楽しみにしているところです。コメンテーターの井上邦子(奈良教育大学)さんも,そして,三井悦子(椙山女学園大学)さんも,その点をしっかりと踏まえて,それぞれの研究テーマの立場からコメントをしてくださることになっています。こちらも楽しみです。

 というような次第ですので,興味・関心のある方はぜひお出かけください。
 真島一郎さんもとても楽しみにしていてくださいます。

 それでは会場でお会いできますことを楽しみに。

2013年3月2日土曜日

IOC評価委員長がやってきた。都民の支持率は大丈夫か。

 「3・11」以後の憂鬱の度合いがここにきてもっとひどくなってきた。もはや,うつ病と診断されてもおかしくない。毎朝,新聞を開くたびに,その病いは進行していく。落ち込んでいく記事ばかりだ。いっそのこと世俗を捨てて,どこぞの禅寺にでも飛び込んで,修行三昧の生活に入りたい,とさえ思う。もう少し若かったら,せめて,50歳前後だったら,わたしは間違いなく実行しただろう。しかし,もはや手遅れだ。それだけの体力も気力もない。仕方ないので,ときおり,「躁」を装い,明るくふるまうふりをしてごまかすことに。そうやって,なんとかバランスをとろうとしている。わたしのこころは,いま,躁と鬱の間を行ったり来たり。まさに「abさんご」状態。

 補正予算案が1票差で決まった。日本国が,いま,綱渡り状態にあることの象徴だ。つまり,aにもなり,bにも転ぶ,どちらにもなりうる,そういう状態にある。まさに「abさんご」。

 TPP問題も,自民党も民主党も党が割れるほどの賛否両論の議論がつづいている。この議論も票決してみれば,1票差くらいになりかねない。つまり,どちらに転ぶかわからない「abさんご」だ。にもかかわらず,アベノミクスはがむしゃらにTPP参加への路線を模索し,強行突破しようとしている。いやいや,それどころか,もはや,既定路線となりつつある。

 今日(3月2日)の新聞によれば,エネルギー基本計画を検討する有識者会議の新たな委員15人を経済産業省が発表し,そのうち「脱原発」を鮮明にしている委員は2人だけ,という。これまで5人いた委員のうち3人は外されたというのだ。その代わりに推進派の委員が補充された。これで推進多数で押し切る体制はできあがった。原発の最終処理の方法も確立されないままに。またぞろ,人の命は軽視される方向に舵が切られる,その準備がととのった・・・と。こちらも,いま,国民投票をすれば,どちらに転ぶかわからない「abさんご」。

 こんな情況のなか,IOC評価委員長が来日。これから4日間にわたって,競技施設や財政,輸送,宿泊施設など開催能力をチェックするという。他の立候補都市にくらべて,東京のネックになっているのは都民の支持率。前回はそこでつまずいた。しかし,1月に東京の招致委員会が電話で調査した結果では,73%が支持しているという。ほんとうだろうか,とわが眼を疑った。こんな数字がどうしてでてくるのか,いささか驚きである。

 はたして,今日(2日)の新聞の読者投書欄に,(東京オリンピック)「招致賛成」73%に疑問,が載っている。短いので転載しておくと,以下のとおり。
 昨年,中野区の町会連合会の会合で,2020年夏季五輪の東京招致支持を拡大し協力しようと,各町会ごとに署名活動を実施することになった。
 通常,署名活動は街頭や催し物会場で呼び掛ける。私たちの町会でも役員から,町民に回覧して署名を集めるのは個人の自由意思が損なわれ,少し筋が違うのではないかとの意見が出た。確かに回覧だと「あの家が署名したので」とか「あの家はしなかった」と,なってしまう。
 そこで,ポスターに「五輪招致」に賛同される方は〇〇店に署名簿がありますので〇日までに面倒でも署名にお越しください」と書き足し掲示板に貼った。ところが,署名には一人も来なかった。
 一方,東京の招致委員会が一月に電話で都民に行った世論調査では「招致に賛成」が73%に達したという。
 方法が違うので何とも言えないが,約五百人いる私たちの町会のうち,三百五十人以上が,都民約千三百万人のうち約九百五十万人が賛成した計算になる。本当か?(無職 宮沢武志・68・東京都中野区)

 この投書はいろいろのことを考えさせてくれる。ここから読み取れることは,積極的に「招致賛成」という人は一人もいないということ,署名活動を提案した町会の役員さんのなかにも一人もいないということ,それが電話による聞き取り調査では,73%が招致賛成と意思表明しているということ,つまり,積極的に反対する人もほとんどいないということ,どちらでもいいが悪いことではないので賛成という人が圧倒的多数を占めるということ,など。

 前回の招致のときのIOCの調査結果は55%だった。時代が大きく変わり,都民の意識が変わったとも思えない。違いは調査方法。つまり,この手の調査は方法一つでいかようにも数字は変化する。電話で上手に誘導尋問的に声をかけられれば,数字はたちまちよくなるだろう。アンケート調査でも,誘導尋問的な設問をしかければ,数字はよくなる。問題は,調査方法がどこまで客観的かによる。

 つまり,招致賛成(a)も,招致反対(b)も,どちらでもない(c)も,たいして意味はないのだ。そのときの風の吹きようで,どのようにも変わる。この手の調査によって導き出される数字をわたしはまったく信じるつもりはない。被調査者として受け答えをしてきた経験からの信念だ。

 ある地方都市に住んでいたときのことだ。市役所からのアンケート調査が配られ,住まいの近くにテニス・コートがあった方がいいですか(a.はい,b.いいえ,c.どちらでもない),といったような設問が並ぶ。記入していて,途中で吹き出してしまった。いつのまにか,a.はい,にばかり〇をつけている自分に気づいたからだ。が,この調査結果は集計されて,市議会に資料として提出され,「圧倒的多数の市民がテニス・コートの設置を望んでいる」と報告されたそうだ。その結果,立派なテニス・コートが設置された。しかし,半年も経たないうちに草だらけになっていた。

 aの賛成の仲間に入るのか,bの反対の仲間に入るのか,と逢う人ごとに聞かれたが,いつしか東京の隣県(c)に引っ越すことになっていた。

 まさに,日本国/日本人は「abさんご」の世界を浮遊しているようだ。

作家・稲垣瑞雄さんの思い出。多芸多才の人。

 通夜の読経を聞きながら(このときの読経は素晴らしかった),瑞雄さんの生涯とはどのようなものだったのだろうかとあれこれ推測しているうちに,いつのまにかわたしは子ども時代の思い出をたどっていた。瑞雄さんとわたしは7つ違いの従兄弟。敗戦後の混乱期に,わたしたち家族は住む家がなくて,瑞雄さん家族(父の兄家族)の住む豊橋市のはずれの禅寺・長松院(山号・堀内山)に転がり込んだ。1947年夏・わたしが小学校3年生のときのこと。瑞雄さんは新制高校の1年生だったか。このときが,瑞雄さんとの最初の出会いだった。子どもだったわたしには,もう,立派な大人にみえた。

 ほんの短い間だったが,二家族がともに暮らした。寺とはいえ,子どもが5人と4人,両親を含めて全部で13人の暮らしである。賑やかなものである。食事のときには,13人,勢ぞろいしてみんなで食べた。とはいえ,食べるものもほとんどなくて,ずいぶんと苦労していたことを思い出す。いよいよというときには,鶏のえさとなる米ぬかを捏ねてだんごにし,庭で取れる野菜と一緒に炊いて「だんご汁」と称して食べていた。だれひとりとして文句は言わない。文句を言った瞬間に食べ物をとりあげられ,その日の夕食はおあずけ。大勢のわりには静かな食事の時間だった。いつも空腹をかかえていたから,もくもくと食べた。もちろん,瑞雄さんも黙って食べていた。子どもたちの坐る席の一番の上座で。こんな大家族の食事を用意していた伯母さんもたいへんだったんだなぁ,といまごろになって思う。

 伯父と父とは年子だったから,一つ違い。だからというわけでもないのだが,瑞雄さんとわたしの長兄が一つ違い,以下,二人の兄弟ともにそろって一つ違い。下の妹たちも一つ違い。だから絶妙なバランスのもとで,みんなで仲良く遊んだ。いがみ合ったり,喧嘩したり,ということはまったく記憶にない。たぶん,瑞雄さんがうまく取り仕切ってくれていたのだろうと思う。そういう裁量のある人だった。ユーモアがあって,みんなを笑わせてくれたので,みんなから好かれていた。それでいて勉強がよくできる人だと聞いていた。だから,みんなが頼りにしていた。瑞雄さんがこう言っていたよ,というとみんな素直にそれに従った。ありがたい存在だった。

 遊びといっても,物資にこと欠く時代だったので,全部,自分たちで工夫した。つまり,お金のかからない遊びばかりだ。たとえば,釣りを筆頭に,めじろ取り,魚すくい,かぶと虫さがし,蝉とり,とんぼ取り,水遊び,等々。みんな自然を相手にした遊びばかりだった。だから,上手に遊ぶには智慧が必要だった。みんなそれぞれに面白く遊ぶための創意工夫をしていた。

 なかでも,釣りがもっとも高尚な遊びにみえた。なぜなら,釣りの極意なるものを瑞雄さんが初手から教えてくれたからだ。その教え方がまたみごとだった。まるで,マジックにかかったようにわたしは釣りに夢中になった。

 寺のすぐ裏に小さな池があったので,ここで手ほどきを受けた。まずは,浮きの動きをよく観察せよ,と。浮きはつねに微妙に動く,その動きによって,魚がえさに接近していることを察知せよ,と。それによって,魚が大物か小物かがわかる,と言って,いま目の前にある浮きをみながら解説をしてくれる。この動きは小物,なかなか食いつかない,浮きがゆらりと動いたときは大物,だから,ひといきで食いつく。すぐに,竿を挙げられるように身構えよ。という具合である。

 えさのつけ方,針の大きさは狙う獲物によって全部違う。その微妙な違いまで,ちくいち,なにからなにまで教えてくれた。まるで生き字引のように。

 同時に釣りの心得も。糸を投げて竿を固定したら,じっと動くな。ひたすら,浮きを見つめること。そして,なにも考えるな。無心になれ。そうしないと,魚は近づいてはこない。池のまわりにある木や竹藪と同じようにじっとしていろ。つまり,まわりの景色と一体化しろ,という。不思議なことを言う人だなぁ,と小学校3年生は思っていた。いまにして思えば,すでに,坐禅の心得を説いて聞かせていたのだ。釣りは坐禅への第一歩だった。

 言われたとおり,じっと浮きを見つめてみる。なるほど,少しも動かないものだと思っていた浮きは,つねに,微妙に動いている。もちろん,ほんのちょっとした風が吹いても動く。しかし,そのうちに風で動くのか,水中の魚の接近で動くのか,その違いもわかるようになる。そして,浮きの動きにあるきわだった変化が起きた瞬間に糸を挙げることもおぼえた。そして,いつのまにかまわりの自然と一体化することもわかってきたような気がした。ここちよかったことを記憶している。

 「マサ君は才能がありそうだなぁ」と褒められたから,もう,たまらない。天にも昇る気持ちで,翌日から,せっせと煉り餌をつくり,池に通った。とうとう,母親から「ほどほどにしろ」と叱られたこともある。瑞雄さんに相談したら,「そう,毎日よりも,ときおり間を空けて,距離をおいて考えることも大事だよ」とのこと。ここでも優等生の指導。

 とまあ,こんな思い出をつぎからつぎへとたどっていた。

 長じてからは,落語を聞かせてくれたり,歌舞伎役者のものまねを聞かせてくれたり(これがまた天下一品だった),絵が上手だということを知ったり,つぎつぎに瑞雄さんの新しい側面を知ることになった。もっとも鮮烈な記憶に残っているのは,瑞雄さんの毛筆の文字の冴え具合だ。
 
 父のところにきた年賀状の宛て名書きをみて,わたしは「アッ」と息をのんだ。こんな書の達人だったのか,と。切れ味鋭く,のびやかで,寸分のすきもない字配りに,わたしは眼を奪われた。そして,ひそかに「稲垣」という名字の崩し字を脳裏に焼き付けておいて,それを手本に必死で真似た。そして,ほとんどそっくりに書けるようになったころ,わたしも瑞雄さん宛てに年賀状を書いた。すると,こんどはまったく別の崩し字で「稲垣」と書いてあった。こういう崩しもあるのか,とこれも驚いた。もちろん,それもすぐに真似た。わたしがつぎつぎに真似るので,たぶん,瑞雄さんはそのヴァリエーションを増やしていったのではないか,と勝手に想像している。いつか,このことをご本人に確かめてみたいと思っていた。晩年は,たぶん,わざと筆の毛のさきの部分を丸く切り揃えて,上手そうにみえないように,ちょっと抑え気味に宛て名を書いていたのではないか,とこれまた想像していた。その字は,もはや,わたしの真似のできない書の風格をもっていた。これには参った。書を上手にみせる書き方は練習すれば,かなりのところまでは上達する。しかし,下手そうにみえて味のある書は努力して書けるものではない。良寛さんの書のように。

 こんなことを考えながら,なんと天分に恵まれた人だったのだろか,と羨ましくも思う。そんななかで作家への道を選んだのだ。それも真っ正面から対象を見据え,透徹したまなざしと思考回路をとおして,熟慮の末に独特の小説世界を切り開く,真っ向勝負の小説だった。処女作『残り鮎』を送ってもらったときの感動はいまも鮮烈である。詩の世界は,わたしには荷が重すぎた。ときおり,はっとさせられることもあったが,その多くはわたしの手のとどかない別世界だった。

 おそらくは,どの芸の道を選んでも一流になれる人だったに違いない。人を惹きつける話術にも卓越していた。こんな多芸多才な先生に教えてもらった立川高校の生徒さんたちはなんと幸せなことだったことか。
 
 こんなことを書きはじめたら際限がない。しばらくは,わたしのなかの瑞雄さんの思い出を反芻しながら,送っていただいた作品の数々を読み返してみたい。もっと違ったなにかが透けてみえてくるような予感もある。もっと接触してお話を聞いておくべきだった,と臍を噛みながら。ご冥福を祈りたい。



2013年3月1日金曜日

『abさんご』(黒田夏子著)解題。その2.

 『abさんご』。
 この小説の題名からはなんのイメージもわかない。少なくともわたしにはなんのことかわけがわからなかった。しかし,最後まで読み終えたときに,ようやく,なんともいえない感慨のようなものがそこはかとなく,しかも際限もなく湧いてくる。そうして,なるほど『abさんご』かと納得。しかも,この題名もさることながら,小説全体の構成から細部にいたるまで,よくぞここまで練り込んだものだと感心する。10年がかりで完成した作品だというだけあって,小説のそこかしこに,味わい深い仕掛けがあって,表層から深層までの奥行きの深さにしばしば立ち止まって,考えさせられてしまう。もう一度,読むとどうなるんだろうか,とそんな気にさせられる。

 しかし,それにしても,なぜ『abさんご』なのか,とみずからに問いかけてみる。

 名は体を表すという。ましてや,小説の題名はその内容を表象するものであるはずだ。だとすれば,『abさんご』とは,いったいなにを表象しているのだろうか。この謎解きは面白そうだ。芥川賞の選考委員のだれひとりとして,この問題に触れた人はいない。まさか,自明のことだ,というわけでもないだろうに。そこで,疑問に思ったわたしは,この小説をもう一度,読み直してみた。その結果の,わたしのアナロジーは以下のとおりである。

 「ab」については,小説の冒頭と末尾の話に表れているので,これは間違いないだろう。つまり,「ab」とは,「a」と「b」という二つの選択肢のこと。a君とb君,というような具合に。あるいは,aという考えとbという考え,のように。いうならば二項対立。小説のなかではもっと複雑な「階層秩序的二項対立」(J.デリダ)をまったく無意味なものとばかりに溶解させ,どちらでもあり,どちらでもない,あるいは,どうでもいい,さらには,なるようにしかならない,といういわばこの小説の核心部分をなしている。だから,この「ab」はじつに大事な暗示でもある。

 たとえば,小説の冒頭の書き出しは以下のようである。
 「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.」

 いま,こうやって書き写してみると,なお一層,この小説の冒頭の書き出しのなかに「abさんご」という題名のニュアンスがみごとに凝縮していることに気づく。この文体については,すでに,芥川賞選考委員の人たちが口々に論評を加えているので,ここでは触れない。が,題名の「abさんご」との関連でいえば,この文体もまたかったるくて,セピア色の情景のかなたにさまざまな情念がうごめきあっている,いわゆる近代の合理的・論理的な文章をあたまから否定してかかっていることが,じわじわとつたわってくる。そして,文末で「みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある」と結ぶ。これで完璧である。ここに,まさに,この小説を「abさんご」と題した著者の思い入れが,存分に表出している。言ってしまえば,禅者のさとりの境地のような情景が「abさんご」なのだ。そこへの誘いの文章が冒頭の書き出しである。「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのか・・・・・,aにもbにもついにむえんだった」。世の中を生きるということは,いろいろなせめぎ合いのなかで悩まされることでもあるけれども,しょせんは「みゃくらくもなくあやれよせる野生の小禽たちのよびかわし」でしかないのだ,と。

 こうして,この小説の世界が,なんともかったるくはじまる。が,このかったるさこそがこの小説の命綱のようなもので,しだいに,このかったるさに慣れていく。そして「このうえない軽さのうちへ」誘ってくれる。そのさきに広がっている世界が「野生の小禽たちのよびかわし」なのだ,と。すなわち,中西悟堂(禅者で,日本野鳥の会初代会長)の世界そのものだ。

 こうして,小説はますますそのかったるさの世界に誘ってくれる。
 が,長くなってしまうので,ここでは割愛。
 一気に終わりに向かう。

 そして,小説の末尾のところの描写は以下のとおりである。
 「巻き貝のしんからにじりでた者は,小児をつれてしばしば長いさんぽをした.晴れておだやかな日にならいっそう長いさんぽになった。松と花木の庭庭にやぶまじりの,人と行きあうことのまれな土地で,よく知っている道も,まれにもくりこむ道も,はじめての道も,ぜんぶうれしがられた。
 道が岐れるところにくると,小児が目をつぶってこまのようにまわる.ぐうぜん止まったほうへ行こうというつもりなのだが,どちらへだかあいまいな向きのことも多く,ふたりでわらいもつれながらやりなおされる。目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた.aの道からもbの道からもあふれよせた.」

 この小説を,そのかったるさのなかに身をゆだねることのできた読者には,この結末の文章は感動的である。わたしは,しばし呆然としたまま天を仰いでいた。極めの一文は「目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた」である。視覚よりも臭覚を,と著者はこころの奥底から叫んでいるように聞こえる。言ってしまえば,見た目よりも,匂いの世界の方に,生の実体がある,と。もっと言ってしまえば,理性的な視覚重視の痩せた近代よりも,本能的な臭覚重視の前近代の豊穣さをとりもどせ,と。

 もはや,これ以上は言うまでもないであろう。わたしがこの小説にこれほどまでに反応する理由を。手法も視点もまるで別物ではあるが,拙著『スポーツの後近代』(三省堂)に通底するものを感じとることができるからだ。そして,「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)を立ち上げ,「21世紀のスポーツ文化」を模索する作業に,まったく別の方向から,深くふかくくい込んでくるものを,この小説をもっていると感ずるからである。

 最後に,辞書的な確認を。
 「さんご」に相当することばは二つある。
 「三五」と「参五」。

 「三五」は,1.(3と5の積)十五。十五歳。十五夜。2.(長さが3尺5寸あることから)琵琶の異称。3.三皇五帝。4.こちらに三つ,あちらに五つとちらばること。まばらなこと。三々五々。─・や(三五夜)。─の十八。

 「参五」は,いりまじること。

 ここからさきは,想像力の問題だ。読者の思いのままだ。この作品の奥行きは無限(夢幻,無間,ムゲン)だ。読者の感性次第。