2015年10月31日土曜日

立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「安保法制以後の憲法と民主主義」に行ってきました。

〔立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム〕

日時:10月30日(金)18:00~20:30
場所:日本教育会館3Fホール(神田神保町)
テーマ:安保法制以後の憲法と民主主義
司会:山口二郎
演者:杉田 敦,五野井郁夫,青井未帆

 かなり大きなホールでしたが,ほぼ満席。盛況でした。
 司会の山口二郎さんはもとより,演者のみなさんも気合十分。気魄のこもったシンポジウムになりました。それに呼応するかのように聴衆もまた一流でした。壇上とフロアの呼吸が合うと拍手が起きたりして,とてもいい雰囲気でした。あの安保法制の議決の仕方をみて,すっかり熱が冷めてしまったかとおもっていましたが,どっこい,前にも増して熱気を帯びていることを知り,大いに勇気づけられました。壇上の演者もそれを聞く聴衆も,これから以後も,みんなやる気十分でした。ちょっと無理をしてでかけてよかったとおもいました。

 まずは,開会の挨拶に立った樋口陽一さんのことばが印象的でした。そのいくつかを紹介しておきますと,「終わりなき長期戦のはじまりである」「学問は多数決ではない」「徹底した相互批判をすることが学問の本質だ」「個でありつづけて,連帯を恐れず」,など,かつての東大全共闘との団交でのやりとりなどを交えたお話が強く印象に残りました。

 
つづいて杉田敦さん。「立憲デモクラシー」ということばが日本の社会にも定着しはじめたことが,今回の安保法制の議論をとおしての一つの成果だったのではないか。じつは,立憲デモクラシーということばは,立憲主義+民主主義という意味なのだが,この二つの主義は相反する要素をもっていて,相互に緊張関係にあることを忘れてはならない。立憲主義は「法の支配」を意味するし,民主主義は「個としての自律性」を守る。憲法は準則ではなく原理である(長谷部)という立場を支持したい。世間には分離解釈の立場をとる人たちがいて,その立場からの批判もあるが,それは憲法解釈には不適切であり,間違っている。憲法はどこまでも権力の暴走を食い止めるための装置なのだから,原理として重視しなくてはならない。それがはずれてしまったら,権力は暴走するのみだ。それが,いまの情況を生みだしている。

 つぎに,五野井郁夫さん。議会制民主主義はみるも無惨に崩壊してしまったが,議会の外での民主主義が大きく育ち,政治の理想を語る文化が誕生した。とりわけ,SEALDs の若者たちの活動が際立っていた。たとえば,プラカードをはじめ,英語が多用されたことが,これまでの抗議行動にはみられなかった新しい傾向として注目されてよい。それは,日本のメディアが頼りにならないので,英語表記を多用することによって外国のメディアに訴え,外国の新聞が大きく取り上げることによって,日本の新聞社などがそれを報道する,という効果を狙ったものだ。これは「ブーメラン効果」と呼ばれる一つの運動の手法である。これがみごとに成功していた。

 
つづいて,青井未帆さん。安保法制は違憲である,という立場から発言したい。憲法を無視し,議会法をも無視して誕生させた安保法制は,違憲以外のなにものでもない。こんな異常なことが議会をとおして起きてしまった。つまり,ルールのない世界に突入してしまったということだ。こんなことは前代未聞である。しかし,なぜ,こんな異常な事態が起きてしまったのか。ひとつには,国民の責任を問わなくてはならない。ふたつには,国会議員に立法府の人間としての特権が認められているという自覚が欠落しているのではないか。議員を自律させるための国民の厳しい監視が求められるだろう。「人間かまくら」的議決は断じて許せない。かくなる上は,わたしたちがルールをつくっていかなくてはならない,そういう現状認識と自覚が必要。わたしたちの「立憲デモクラシー」を作り上げていくこと,そして,法秩序を回復させること,それが重要である。

 
とまずは,シンポジストの基本的な考えがひととおり述べられてから,司会の山口二郎さんからもひととおりの所感が述べられた。そのあと,演者間のディスカッションに。その内容は,とても魅力的なものでしたが,長くなるので,ここでは割愛。

 そして,最後に,山口二郎さんの指名を受けて,西谷修さんがフロアから,立教大学の事例をジョークを交えて報告。つまり,学者の会の研究会のための会場貸し出しを拒否した,そのことの意味とその余波について,を報告。今回のシンポジウムで,初めて会場が笑いにつつまれた時間でもあった。笑いのなかに,じつは,日本の社会が抱え込んでいる「政治的中立」の歪みという普遍のテーマを浮き彫りにする,とても重要な話をされました。

 
以上,シンポジウムを傍聴した感想の,ほんの一部の紹介です。詳しくは,IWJの動画がネット上で流れているとおもいますので,そちらをご覧ください。とりあえず,これにて。

2015年10月30日金曜日

この国はもはや「無法」状態。だれも責任をとらない。日本国,一気に崩壊か。

 運動会の組体操で事故が多発し,大きな話題になっています。人間ピラミッドやタワーは,運動会の人気プログラムで,多くの学校で実施されているようです。しかし,組体操とはいかなるものかという専門的な訓練を受けた教師はほとんどいないため,子どもたちの能力の限界を見極めることができず,事故があとを絶ちません。にもかかわらず,だれも責任をとろうとはしません。教育委員会も校長も指導に当たった教員も,俺は悪くない,と責任をなすり合っています。

 学校問題でいえば,これは氷山の一角にすぎません。

 ことほど左様に,社会もまた乱れにみだれてきました。わずか,ここ数年の間に。急激に。

 なぜでしょう。

 ひとことで言えば,「3・11」以後,未来に夢も希望もいだけなくなってしまったからです。みんなその場しのぎの刹那主義に走るようになってしまいました。そして,切羽詰まって,身動きとれなくなってしまうと,「自爆」してしまいます。「だれでもいいから殺してみたかった」という具合に。あるいは,横領,詐欺,データの改竄・・・・等々,きりがありません。

 言ってしまえば,未来の不在。

 この元凶をたどっていきますと,新自由主義経済に行き着きます。フリードマンが仕掛けた人間不在の経済優先主義。これがノーベル賞を受けた経済理論だったことが悲劇のはじまり。アメリカが一気に新自由主義経済にその舵を切り換えてしまいます。その結果,その余波は全世界に拡散し,日本もそっくり取り込まれてしまいました。

 とりわけ,小泉政権の郵政民営化あたりから顕著になってきました。いまは,アベノミクスがそれです。しかも,「新三本の矢」なる絵空事のような経済政策を打ち出して,国民の眼を欺こうとしています。なにがなんでも景気をよくするためには,原発を再稼働させ,外国に売りに出し,それでも足りないので税率を高くし,さらに武器を生産・輸出したり,戦争ができるようにして非常事態で切り抜けようというわけです。そのためには,憲法の曲解解釈を閣議決定して,無法状態をつくりだしました。もはや,政府のやりたい放題です。憲法を無視する方法を編み出した以上は,もはや怖いものはなにもありません。憲法の下にある法令など屁の河童です。

 たとえば,辺野古問題をみていれば,もはや,日本国は「無法」状態であることがよくわかります。翁長知事による工事差し止め要請に対して,政府は,法律を悪用して(使えない法律を使って),むりやり翁長知事の「工事差し止め」効力の無効措置をとり,工事を再開しています。この措置に対しては,「普天間・辺野古問題を考える会」(代表・宮本憲一)が「知事判断を支持する」という声明を発表し,強く抗議をしました。また,行政法学者93名による「行政法違反」(政府のとった手続の不当性)を指摘した声明を発表しました。その一方では,辺野古3区に対して,政府が直接,地域振興補助金を交付するという,とんでもない暴挙にでました。これは,明らかに「地方自治法」違反です。それでも,政府は知らん顔です。さらに,熊本県でのオスプレイの飛行訓練は地元の賛成が得られないので見送るという(スガ官房長官)。熊本県民の民意は尊重するが,沖縄県民の民意は無視。これがアベ政権のやり方。これでは長年にわたる「沖縄差別」が,いまもなお,露骨に行われているとしかいいようがありません。

 ことほど左様に,いまのアベ政権は憲法も法律も無視して,自分のやりたい放題がつづいています。「丁寧に説明する」と約束した舌の根も乾かないうちに,野党の要請する臨時国会はスルーして,喫緊の課題が山積しているのに(たとえば,TPP問題,など),すべて蓋をして知らん顔。これもとんでもないことで,立派な憲法違反です。「丁寧に時間をかけて説明する」と約束したアベ君は,またもや大嘘をついて,外遊に必死です。そして,金の大盤振る舞い。冗談じゃあない。国内には貧困家庭がいっぱいあって,食事もまともにできない子どもたちが「6人に1人」もいるというのに。あるいは,原発事故のために故郷を追われて放浪している人たちがいっぱいいるというのに。あるいはまた,ブラック企業にこき使われて,残業手当てももらえないまま,泣き寝入りしている若者たちがごまんといるというのに。

 主要メディアも政権のいいなりなので,こうした「無法」状態にあることを批判しようともしない。だから,多くの国民も,なにも知らないまま,自分のことで精一杯。ジャーナリズム死して,残るは山河のみ。人間はみんな「事物」と化してしまいました。

 こんなデタラメな政治が行われているのに,いやいや政府による立派な「犯罪行為」が行われているのに,野放しのままです。政治のトップから末端にいたるまで,まさに「無法」状態。これをいいことに「ばれなきゃあ丸儲け」とばかりに,守銭奴たちは,だれもかしこも「悪」の道に走り出してしまっています。

 これでは,一気に,日本国が崩壊してしまうのは必定。いな,もう立派に崩壊しています。あとは,戦争状態に持ち込んで,国民の眼を欺き,逃げ切ろうという算段なのでしょうか。おそらく,アベ政権は,政治的なトラブルが起きてにっちもさっちもいかなくなったら,すぐにも自衛隊を海外に派遣して,非常事態を出来させる暴挙にでることでしょう。そうなったら取り返しのつかないことになってしまいます。それではわたしたち国民が困るので,その前に,「お腹が痛くなって」,政権を投げ出してほしいものです。

 こんな危険な状態になっているというのに,野党は野党で,目先の利害打算に眼を奪われていて,大局を見失っているようにおもいます。唯一,共産党だけが,現段階では正常な見識を示しているようにおもいます。

 たったひとりの人間が狂ってしまったからとんでもないことになってしまったとおもっていたら,どっこい,気づいてみたらわれわれもみんな狂ってしまっていた,というのが現状のようです。こうして,独裁政治が独走し,ファシズムが全体を覆うようになっていくのでしょう。空恐ろしいことが現在進行形で進展していることに,わたしたちはもっともっとナーバスにならなくてはなりません。

 SESLDs の若者たちは,しっかりと,ここに照準を当てて,つぎなる戦略に取り組んでいるようにおもいます。わたしたち大人はもっと頑張らなくてはいけません。黙っていることは,現段階では,アベ政権支持と同じことを意味します。もし,そうでないのであれば,自分の声をあげるか,行動にでる以外にはないのです。

 わたしは,いま,こんな風に考えていることを宣言します。10月30日。大場亀三郎(これはわたしのペンネーム)。

2015年10月29日木曜日

「気場」ということについて。李自力老師語録・その63。

 たまたまご縁があって,李自力老師の特別レッスンを見学させてもらったことがありました。対象は日本を代表する女子選手たち。その折に,李老師が説かれた「気場」ということばがずっと気がかりになっていました。

 かんたんに説明しておけば,気の置き所,あるいは,気を入れるポイント,というような意味であったと記憶しています。とくに,陳式などの早く力づよい動作を決めるときに強調されていたようにおもいます。が,それだけではなくて,ゆっくりとした動作の楊式などでも,一つの技が決まる動作のときには,この「気場」が大事です,と仰っていたようにおもいます。

 つまり,「気」をどういうときに,どこに置くのか,その「場」をわきまえなさい,という教えなのでしょう。ということは,わたしたちが長年とりくんでいる「24式」にも該当することになります。言ってみれば,「気」をどのように遣うのか(=「気遣い」),ここがポイントになってきます。別の言い方をすれば,「めりはり」をどのようにつけるか,ということにもなるでしょう。もっと厳密に言えば,技の決めに「気」を籠めろ,ということなのでしょう。

 「気」の抜けた太極拳などは,どう考えてみても,それはもはや太極拳とはいえません。むしろ,まったく逆に「気」の流れが,一つひとつの動作に表出するような太極拳こそが,理想として求められることになります。この肝心要の「気」をわがものとし,その上で,動作に合わせてどのようにしてとおすのか,あるいは,流すのか,ここが大きな課題となってきます。

 こうなりますと,「気」とはなにか,という議論になってきますが,この話はいずれまた別の機会に書いてみることにします。ここでは,とりあえず,経験則にもとづく「気」の範囲という程度で理解しておいてもらえればいいとおもいます。つまり,「気分がいい」「気持ちがいい」「気合を入れる」「気が合う」「気力が充実している」「気がみなぎる」「気を鎮める」「気が滅入る」「気が狂う」「気が散る」「気が多い」「気が短い」「気がいい」「気が知れない」「気がない」,というような具合で用いられる「気」です。

 しかし,これだけでは,やはり,やや片手落ちだとおもいますので,もう少しだけ補足しておくことにしましょう。「気」のもともとの意味は,天地を満たし,宇宙を構成する基本となるものの総称です。もう少しだけ踏み込んでおきますと,生命の原動力や勢いのこと,あるいは,活力の源,といったところです。なんのことはありません。これこそが太極拳の「太極」の意味そのものなのです。すなわち,混沌(老子),宇宙の本体,万物生成の根源,というわけです。

 ですから,「気」はすべて万物生成の根源から発せられるものだということになります。その「気」を,わたしたちのからだで受け止め,それを太極拳でもちいる「場」,それが「気場」ということになるのでしょう。

 こういう眼で,李老師の動作に注目してみますと,まさに,この「気」が全身を駆けめぐるようにして動いていくのが見えてきます。そして,それは,もはや異次元の世界を彷彿とさせるものです。なぜなら,日本を代表するような選手たちを前にしてみせる動作は,ごく簡単な動き方からして,選手たちのそれとは次元が違います。この違いはどこからくるのでしょうか。

 その結論は,「気場」を,どこまでわがものとしているのか,その一点にあるとおもいます。そして,それを自由自在に駆使できるようにするための稽古の蓄積であり,同時に,こころの置き所,すなわち「気場」との一体化にある,ということだとおもいます。

 道は遠く険しい。だが,歩まねばならない。
 そうこころに決めて,前を向きたいとおもいます。 

2015年10月27日火曜日

「国民舐めるな」。「若者を使い潰し」ておいて,「一億総活躍社会」だって?ヘッ!

 馬鹿も休みやすみ言え!日本もアメリカと同じように,1%の富裕層のために99%の国民が「貧困化」に向かっているというのに・・・・。その上,「労働者派遣法」などという「悪法」まで制定して,「若者を使い潰し」ている「ブラック企業」を,さらに野放しにするどころか「助勢」までする,とんでもないアベ政権が,なんと「一億総活躍社会」だって,サ。聞いて呆れる。

 国民舐めるな!

 
アベの頭が狂っていることは,いまにはじまったことではないが,その狂人に隷従する自民党・公明党の議員諸氏の頭も相当にイカレている,としかいいようがない。どう考えてみても,完全なる「思考停止」状態。裸の王様をみてみぬふりをしている。そろそろ純粋無垢のこころをもった子どもの登場があってもいいのだが・・・・。それも叶わぬらしい。なぜなら,来るべき選挙で,党の推薦が欲しいから。少しでも抵抗しようものなら,党の推薦からはずされてしまう。それでは,小選挙区は戦えないのだ。こういうからくりをスガは存分に悪用し,アベ独裁を産みだしている。

 わずか30%足らずの得票率で,圧倒的多数の議席を確保できてしまうからくりも,この小選挙区制にある。だから,この小選挙区制をなんとかしなくてはならないのだが,自民党に有利に機能している間は維持しつづけることだろう。もっとも,この制度は,ひとたび,潮目が変わると大逆転を起こす制度でもある。その意味では,われわれ選挙民が問われている制度でもあるのだ。だから,われわれ自身がよくよく考えて投票することが先決なのだ。言ってしまえば,逆に,われわれが利用すべきだ,と。

 
この新聞が報じていることはきわめて深刻だ。こんなブラック企業を野放しにしたまま,新「三本の矢」のひとつに「国民総活躍社会」をかかげ,その実現をめざすという。前の「三本の矢」の総括もしないで,またまた,眼くらましのようにしてつぎの新「三本の矢」の提示である。メディアもまた,すぐにそれに飛びついて,話題をころがして,弄んでいる。こちらもまた「思考停止」状態のまま,政府与党のご機嫌とりに必死だ。なんともはや,みっともない。

 まずは,「三本の矢」政策の結果はどうだったのか,その総括をするのがメディアの役目ではないのか。いやいや,その前に,アベ君がみずからかかげた政策の総括をすべきなのだ。そして,その反省の上に立ち,新「三本の矢」の提示をすべきなのだ。しかし,なぜか,そこには蓋をしたまま,だんまりを決め込んでいる。もし,どうしても総括しない/できないということであるならば,暗黙のうちに「失敗」だったことを認めていることになる。だから,なにも言わないでやりすごし,国民の目先をつぎの「三本の矢」にすり替える。やっていることがあまりに稚拙である。ほんとうに国民を馬鹿にしている。

 国民舐めんな!

 「国民総活躍社会」を目指そうというのであれば,まずは,派遣社員や契約社員を正社員にする手立てを明らかにすることだ。そういう法律を整備することだ。かつては,「3年継続したのちには正社員にする」という法案が準備されたこともある。そこに希望を託して,派遣社員や契約社員として,正社員なみに頑張っていた若者たちがたくさんいた。いまは,その希望もないまま,ずるずると「使い潰し」「使い捨て」にされている。遠い将来に向かって夢も希望もない生活を余儀なくされている若者が,どれほど多くいることか。

 まずは,この若者たちの救済策を講じてからの話ではないのか。「国民総活躍社会」の実現をめざすのは・・・・・。こうした根源的な矛盾には眼をつむって,ことば面だけを飾りつけ,国民を躍らせればいい,と考えているらしい。もはや,そんな甘い手で誤魔化されるような国民ではない。アベ君とその取り巻きは,このことをしっかりと自覚すべし。

 そうでないと,その「お返し」は選挙に跳ね返ってくる,と自覚すべし。
 もう一度,言っておこう。

 国民舐めんな!

2015年10月26日月曜日

CT検査の結果,転移の疑い。再度,精密検査をすることに。

 26日(月)の午後,CT検査の結果がわかりました。専門医のコンファランスの結果,転移の疑いがあるとのこと。場所は,肝臓の末端の表側に「一つ」。胆管には遠いところなので,外科医としては切除手術を薦めるとのこと。なお,慎重を期して,MRIでの検査をして,その他への転移がないかどうかを確認した上で,善後策を講じたいとのこと。

 その他の血液検査の結果は,総合的にはかなり回復してきており,順調な経過をたどっているとのこと。癌マーカーも反応なし。

 さてはて,参りました。限りなく黒に近い灰色だというのです。おろおろしていても仕方ありませんので,とりあえず,MRIの検査を受けることにして,つぎなる対策を考えることにしました。このままの流れですと,年内に切除手術ということになりそうです。もう一つの選択肢は,もう十分に生きたので,このまま放置して,元気なうちは好きなことをやり,あとはホスピスで,というものがあります。これも悪くはないなぁ,と視野のうちに入れています。

 そろそろ天命をまっとうしたと言ってもいい年齢にきていることも間違いありません。そのこころの準備もある程度はできています。

 しかし,残念なのは,この年齢になって,これまでむつかしくて歯が立たなかった哲学・思想の本が,ようやく読めるようになってきたということです。そして,ものごとを考える上での見晴らしがとてもよくなってきたばかりなので,もう少しだけ深淵を覗き見してみたい,という欲がでてきています。これさえなければ,もう少しかんたんに対応できるところなのですが・・・・。

 もっとも,こういう見晴らしのいいところにでてくることができたのも,癌と向き合い,二度の手術を経験したからかも知れません。なぜなら,それ以前とは,人生観が一変してしまい,まったく新たな地平に立ってものごとを考えることができるようになってきたからです。言ってしまえば,わたしの「生」の破局が,突然,目の前に立ち現れ,この破局との折り合いのつけ方そのものが忌避できない情況に追い込まれてしまったからです。

 こうなると,人間とは不思議なもので,みずからの「死」を視野に入れてものごとを考えることが当たり前になってきます。いままでは,遠いさきのことだとばかりおもってきた「死」が,もうすぐ目の前にきているのですから。もはや,くよくよしても仕方がありません。真っ正面から向き合い,目の前の「死」を少しでもさきおくりすることを考えるしかありません。こうなりますと,意外に,わたしの腹は決まってしまい,すっきりとしてきました。つまり,みずからの「死」を対象化し,一定の距離をもって対処することができるようになってくる,ということです。

 こういう経験は,当然のことながら,初めてのことですので,意外な発見の連続です。心境も驚くほど変化していきます。最終段階でこんな人生が待っていようとは夢にもおもいませんでした。これもまた面白い人生ではないか,とすらおもうほどです。

 つまり,「死」が視野に入ったとたんに,「生」がリアリティをもち始めたというわけです。すなわち,人間が「生きる」とはどういうことなのか,と本気で考えることができるようになった,というわけです。これもまた人生冥利につきると考えますと,人生観も世界観も一変してしまいます。こうして,広い意味での「宗教」が,自然に視野のなかに入ってきます。そして,じつに身近な,切実なテーマとなってきます。すると,道元さんの『正法眼蔵』が,もっと深いところで共振・共鳴できるようになってきます。

 こんな経験をしますと,やはり,もう少しだけ「生きてみたい」という未練が残ります。もう少し生きていたら,もっとよい見晴らしに到達することができるのではないか,と。でも,それは間違いのようです。道元さんに言わせれば,悟りは一瞬のできごとだといいます。しかも,その一瞬が連続していくというのです。死にいたるまで「只管打坐」だというのです。ということは,仏道もまた終わりがないということです。ましてや,人生に満足のいく終わりのあるはずがありません。

 どこかの時点で,「ここまで」と腹をくくる覚悟が必要なのでしょう。
 このあとに残されたわたしの人生は,その覚悟のタイミングをどこでとらえるか,にかかっているようです。それを楽しみにして,いまの一瞬,一瞬を生きていこうとおもいます。

 取り急ぎ,今日の検査結果を踏まえての心境を整理してみました。言ってみれば,自分自身への引導渡しのようなものですが・・・・。

『SEALDs  民主主義ってこれだ!』(SEALDs編著,大月書店)を読む。必読です。

 とうとう鷺沼の書店でみつけました。二日前には,この書店にはありませんでした。今日(24日)になっても,溝の口の書店にはまだありません。10月20日発売と聞いていましたので,すぐにも手に入るものとおもっていましたが,そうは問屋が卸しませんでした。

 この本が目に入ったとき,あったぁ!とおもわず小さな声で叫んでいました。急いで,どうしても必要な本は,アマゾンで買うことが常態化しています。しかし,やはり,本というものは自分の手にとって,匂いを嗅ぎ,中味を拾い読みしてから購入しないと,どこかしっくりきません。若いころからの本の購入の仕方がからだに染み込んでいるからです。

 ですから,ようやくにしてこの本を見つけたときは,むかしの恋人に出会ったような気分でした。急いで,中味を拾い読み。わたしの場合には,右手の親指でページを流していく習慣になっていますので,後ろのページから拾い読みです。いわゆる,逆読みです。つまり,「あとがき」から。

 
ところが,この本には「あとがき」なるものはありません。最初に目に入ってきたのは,真っ黒な紙が2枚,つまり,4ページ。もちろん,なにも書いてありません。あわてて,表の表紙を開いてみたら,やはり,同じつくりになっていました。なるほど,黒いページが8ページあるぞ,と考え込んでしまいました。ふつう内扉は1枚(2ページ)だ。なのに,その倍ある。これは単なるデザイン上の問題だけではないだろう,と勝手に推測する。

 と,こんな風にして,あちこちページをめくってみると,ふつうの本にはない,とても面白い編集になっていることがわかりました。とうとう,書店で立ったまま,1ページずつ,全部めくってみることになってしまいました。そして,なるほど,こんなつくりになっているんだ,と感心してしまいました。こんなにぐいぐいと内容に引き込まれてから本を購入するという経験も珍しいことでした。

 なんで,こんな書き出し方をしているのかというと,これまで慣れ親しんできた本のつくり方からすれば,相当に逸脱した,自由奔放なつくりになっているからです。なにかのカタログのような雰囲気もあれば,思いがけないページに著名人のメッセージが織り込まれていたり,といった具合です。まさに,奇想天外。自由自在の発想がそのまま本づくりに表出しているのです。ですから,ページをめくりはじめると,途中でやめることができなくなってしまう,そういう不思議な魅力的な仕掛けになっています。

 こんな本のつくり方があるのだ,とおもわず感心してしまいました。奥付をみると,そこには「スタッフ」の分担一覧が書いてあります。アートディレクター,デザイナー,チーフエディター,エディター,フォトグラファーのそれぞれに担当した人の名前が入っています。ということは,この本は,すべてSEALDs のメンバーによる手作りなんだな,ということがわかってきます。ということは,この人たちが智恵を出し合って,さんざん議論をし,最終的に落ち着いたのが,この本のつくりとなって現れているのだ,とわかります。

 そこで,はっと気づくのは,こんなところにも,かれらの主張である「民主主義ってこれだ!」のひとつの答えが隠されているということです。「民主主義ってなんだ!」から進化して,「民主主義ってこれだ!」にいたったその経緯も,こんなところにも表出しているんだ,とこれまた感心してしまいました。

 もう,はっきり断言しておきましょう。この本は素晴らしい,と。それも単なるお世辞ではなくて,本というものの概念を変えてしまうほどのインパクトをもっているという意味で,素晴らしい,と。まさに,民主主義というものを,本づくりにおいて実践してみたら,こんなものになった,というみごとなサンプルになっているのです。むしろ,それは驚くべきことだ,というべきでしょう。

 言ってしまえば,この本そのものが「民主主義ってこれだ!」の,ひとつの答えを提示しているといっていいとおもいます。みんなで,どんな本にしようか,というところから模索しながら,さまざまな提案をたたき台にして意見を交わし,紆余曲折を経て,とりあえずの落としどころをみつけていく,このプロセスそのものが,SEALDsの模索する「民主主義」のひとつのサンプルになっている,とわたしは受け止めました。ですから,SEALDsという運動体の内実が,この本のつくり方からも窺い知ることができる,というわけです。

 なお,本文を読んでいくと,もっともっと面白い発見が随所にでてきます。SEALDs とはなにかを知り,かつ,民主主義とはなにかを考える絶妙のテクストになっています。

 ぜひ,ご一読を。読み始めたら止まりません。

2015年10月25日日曜日

「赤い実」のなる木。ちいちゃい秋みーつけたぁ。

 鷺沼の事務所に通う,いつもの道沿いに,「赤い実のなる木」を発見。久しぶりに青空が広がったので,ひときわ,美しく映えていました。しばらく立ち止まって鑑賞していましたが,やはり,写真に撮っておこうと考え,ザックからカメラを取り出して撮影。

 
肉眼でみるのと,写真でみるのとでは大いに違うので,撮影にはいつも苦労する。肉眼だと,とてもきれいにみえているのに,写真にすると,これなに?という感じになってしまう。こういうことはよくあることだ。この写真もその一つ。いったい,なにが撮りたかったの?と自問自答。

 
これでは駄目だと考え,アップにしてみれば,この赤い実がきれいにみえるのではないか,と考えて撮ったのがこの写真。いくらか「赤い実」がみえてきた。でも,なんだかもの足りない。肉眼では,もっともっと「赤い実」がくっきりとみえているのに・・・・。

 
では,もっとアップにしてみればどうだろう,と考えて撮ったのがこの写真。ようやく,肉眼でみえている「赤い実」に近くなってきた。それでも,まだ,満足はできない。それほどまでに,肉眼には美しく青空に映えているのだ。もう,これ以上は無理だ,と判断して諦める。

 そして,しばらくは肉眼で鑑賞。きれいだ。ほんとうにきれいだ。おそらく,この枯れ葉が落ちてしまえば,もっと「赤い実」が際立ってくるだろうなぁ,とあれこれ想像してみる。ザックを下ろしたまま道路脇に立ってぼんやり上を眺めているので,道行く人が不思議そうな顔をしてとおりすぎていく。その人たちにしてみれば,なにも立ち止まってみるほどのものではないのかもしれない。しかし,ほとんどの時間を部屋に閉じこもって生活している者にとっては,こんな「小さな秋」発見ですら嬉しくて仕方がないのだ。なぜ?

 こういう光景に出会うと,わたしの記憶は一気に子ども時代に飛んでいく。そして,この赤い実は,竹鉄砲の絶好の弾になるな,とひらめく。でも,この赤い実を弾にするにちょうどいい雌竹を見つけるのはむつかしいかなぁ,とおもったりする。駄目なら,太さの違う雌竹を何本も用意すればいい。そうして,サイズを合わせればいい,などと勝手に想像だけが一人走りしていく。

 至福のひととき。あの時間が止まったかのような,遊ぶ時間がたっぷりあった子ども時代の記憶がつぎつぎに蘇ってくる。

 やはり,道行く人にとっては,変な老人に見えたのだろう。だって,こころ,ここにあらず,という顔で空を見上げているのだから・・・・。

「波風立つ 五輪海の森」。400億円「高い」とIOC。国際カヌー連盟も苦言。

 東京五輪は大丈夫か。そんな不安材料がつぎからつぎへと露呈している。東京五輪の不安材料については,大手のメディアがみんな腰が引けているのに,それでも後を断たないほどに,ぼろぼろとでてくる。東京新聞はその先陣を切るようにして,その不安材料を報道している。それでもまだ足りない,というのがわたしの立場。不安材料はもっともっと,いっぱいあるのだ。にもかかわらず,この程度だ。東京新聞ですら,東京五輪となると腰が引けている。なぜ?

 東京五輪を,世界に向けて誇れる大会にしたいのであれば,不安材料を早めに指摘して,それをクリアすることが先決ではないか,これがわたしのスタンスだ。

 
10月22日(木)の東京新聞が,写真のような記事を報じている。これも氷山の一角にすぎないのだが,他の全国紙に比べれば,踏み込んだ報道となっている。まずは,この記事のつかみの部分を引用しておく。

 2020年東京五輪でボートとカヌースプリントの競技会場として新設される「海の森水上競技場」について,国際カヌー連盟の幹部が,東京都が16日に発表した基本設計に「風や波の対策が不十分」と不満を示していることが,関係者への取材で分かった。都は詳細設計と施工を一括で入札業者の公募を始めており,競技団体の理解を得られないまま整備事業が本格化する。(中沢誠)

 問題点は挙げていけばきりがないほどあるが,新聞が指摘する核心部分だけを引用しておけば,以下のとおり。

 東西にコースが延びる水上競技場は近くで風車が稼働していて風は強く,夏は南風が多いので横風になる。水路は垂直護岸なので波が跳ね返り,護岸に近いコースが不利になりかねないとの懸念もある。

 と新聞は遠慮がちに報じているが,国際カヌー連盟は,これでは駄目だから改善を,とはっきり求めている。それに対して東京都は「善処する」という程度の姿勢で,入札業者の公募を始めている。国際カヌー連盟の要望がどこまで反映されるかも未知数のままだ。ここでも,新国立競技場のときと同じような「見切り発車」をしようとしている。この,いい加減な体質は,どこも変わらないようだ。政治の堕落が官僚の堕落にまで蔓延してきている。

 なぜ,こんなことになるのか。

 そこには,東京都が必死になって隠しつづけている「止むにやまれぬ事情」がある。「海の森水上競技場」などという,あまりにできすぎたネーミングにすべてが秘匿されている。「海の森」などと,なんとまあ美しいネーミングをしたものか,と裏事情を知っているわたしには笑止千万である。この「海の森」と称する地域一帯は,東京都が埋め立てた土地で,長年にわたって売りにでていたが,だれも買い手がなかった土地である。少し年配の人ならだれでも知ってのとおり,つい,この間まで有毒ガスが漏れていたり,発火して燃えていたり,といったどうにもならない土地なのだ。しかも,地下になにが埋まっているのかも,廃棄ゴミ以外にはない,ということもはっきりわかっている。その下は海底だ。こんな土地を買い取る不動産屋はいない。

 東京都は困りはてていたのだ。この難題を解消するために,じつは,東京五輪招致のアイディアが浮かんだ,そのアイディアに当時の石原都知事が食らいついた,というのがことの真相だ。そして,どうにもならない土地は全部植樹をして覆い隠し,そこに「競技コース」(2000m×8レーン)を設定すれば,すべて問題が解消するという算段だ。だから,少々,「横風」吹こうが,波が跳ね返ろうが,そんなことを忖度している猶予はない。なんとか,口裏を合わせて,さも善処し,対応したかのようなポーズをつくって乗り切ろうというのが本音だ。

 しかし,こんなことをしていると,最終的にどうなるか,だれの目にも明らかなのに・・・・。
 これほどに,政治が堕落し,官僚も堕落し,組織委員会(森喜朗会長)も堕落し・・・・,とその連鎖は止めようがないほどだ。国のトップが堕落しているのだから・・・・。実務に当たっている官僚もまた同様だ。言ってしまえば,総無責任体制。

 これで,東京五輪2020をやれるとおもっているのだろうか。わたしには理解不能である。

 どうやら,東京五輪という一大事業に群がる利権屋たちが・・・・,このさきは恐ろしくて,さすがのわたしも書く気になれない。あとは,想像にお任せする。
 ちょっと,テーマが大きすぎるので,いつか機会をみつけてしっかりと書いてみたい。ということで,今日のところはここまで。

2015年10月24日土曜日

「日本の中央政府はイカれている」(佐藤優)。

 10月23日(金)の東京新聞「本音のコラム」で,佐藤優さんがきっぱりと言い切っています。これを読んで,わたしの胸のつかえがすーっとおりていきました。

 「国家機関の申し立てを身内の国家機関が判断するのだから,結果はあらかじめわかっている。こんな茶番劇で新基地建設を強要できると考えている中央政府はイカれている。」

 
そう,翁長沖縄県知事が,辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対して,防衛省沖縄防衛局が,不服審査請求と取り消しの効力停止を,同じ政府の国土交通相に申し立てた件の話です。言ってしまえば,防衛省がやっていることに対して,沖縄県が文句を言ってきたので,仲間うちの国土交通省にその判断を求めて決着をつけようとしている,という小学生でも笑ってしまうような茶番劇というわけです。

 こんな茶番劇で,お茶をにごして,辺野古埋め立てを「正当化」して,強行突破しようとしているのですから,佐藤優さんのみならず,だれしも「中央政府はイカれている」と,腹立たしくおもうのは当たり前でしょう。

 しかも,この手続は違法だと多くの法律の専門家たちは主張しています。佐藤優さんも指摘していますように,行政不服審査法は,第一条で目的を「国民の権利利益の救済を図る」と明記されているのです。ですから,政府や地方自治体などの行政機関同士の紛争を対象とした法律ではありません。それを無理矢理,防衛省を「私人」と見立てて,この手続は正当であると主張しているのです。いつ,だれが,防衛省のやることを「私人」の場合と同じだ,と(ワル)智恵をつけたのでしょう。こういう詭弁を用いるのは高級官僚の,それもエリート官僚のやりそうなことであって,並の政治家ではここまで頭がまわりません。自分の出世や天下りのためには,あらゆるワル智恵を働かせるのがエリート官僚の「本能」のようなものです。

 そのワル智恵のしり馬に乗って,のうのうと政治権力を振り回すのが,悪党の政治家たちです。その先陣を切っているのか,アベルフ・シンドラーだというのですから,もはや話になりません。佐藤優さんではないですが,「中央政府はイカれている」としかいいようがありません。

 しかも,佐藤優さんは,この短いコラムの最後のところで,きわめて重大な予告をしています。
 「日本の中央政府が,沖縄県の決定を茶番劇で覆そうとするならば,沖縄では,差別が構造化された日本法に対する不服従運動が起きる」と。それも,きっぱりと断言しています。わたしの,あまり多くはない沖縄情報からしてみても,不服従運動が起きる可能性はきわめて大である,とおもいます。それどころか,沖縄独立論に火がつくのではないか,とすら考えています。

 相撲でいえば,「猫騙し」のような手で目くらましをかまし,勝ち星を稼ごうなどという政府は,あまりに幼稚で,甘いとしかいいようがありません。やはり,国家の命運をあずかる政府としては,「イカれている」以外のなにものでもありません。

 情けないかぎりです。だれが? われわれ国民の意識の低さが。政府に舐められてしまう無抵抗ぶりが・・・・。なんとも情けないかぎりです。もっともっと声を出して,意思表明をしていかなければなりません。SEALDs の若者たちのように。

 安保関連法案は通過してしまいましたが,いまのアベ政権は臨時国会も開けないほど腰が引けています。国会前で声をあげ,デモをしたことが,かなりのカウンター・ブローとなって効いている証拠です。これからも手綱を緩めてはなりません。これから,もっともっと抗議行動を持続させ,盛り上げていくことが重要だとしみじみおもいます。

2015年10月23日金曜日

日本大学が「五輪養成学部」をスタート。さてはて?

 10月22日(木)の東京新聞が,日本大学に新しく増設される「スポーツ科学部」について,大きな記事として扱っている。そして,その見出しが仰々しい。

 
日大が「五輪養成学部」
競技向上に特化「まず東京で成果を」
スポーツ科学部 大嶋,エドバー進学へ
教員も大物ずらり

 とまあ,鳴り物入りの記事の書き方だ。
 これを読んだ第一印象は「甘い」というものだ。

 この「甘い」には二つの意味がある。
 一つは,記事の書き方が「甘い」。
 もう一つは,日本大学の考え方が「甘い」。

 前者は新聞社のデスクの問題。この記事は記名記事なので,直接的には「森合正範」氏の考え方が「甘い」ということになろうか。オリンピック選手を養成するにはこれが一番と考えているらしいが,はたしてそうだろうか。日本大学といえば,古橋広之進をはじめ,国際的にその名を馳せた名選手を何人も輩出してきている。その人たちは,みんな文学部や法学部といった専門の学問を学びながらスポーツに打ち込んできた。また,それが魅力で,普通の学部の勉強をしながら,スポーツにも全力を投じたいという学生さんが集ってきた。

 それを,なぜ,わざわざ「スポーツ科学部」に特化して,オリンピック選手養成を目指すことがベストであると考えるのだろうか。この点は,たぶん,世間の考え方とも一致しているのだろう。普通の学部で勉強しながらよりも,スポーツ科学部で専門の勉強をしながら,競技に打ち込む方が効率的である,と。記者氏も日本大学の経営者も,考え方としては同じであろう。

 ならば,あえて,問おう。日本には,すでに,体育・スポーツ系の単科大学はいくつもある。さらに,体育・スポーツ系の学部もいくつもある。言ってしまえば,ありあまるほどだ。大学や学部によっては,学生を掻き集めるのに苦労しているところも少なくない。しかも,これらの単科大学や学部から,オリンピック選手が,圧倒的に多く輩出しているかといえば,必ずしもそうではない。

 むしろ,総合大学の一般の学部から,オリンピック選手はいくらでも生まれている。はたして,この事実はなにを意味しているのだろうか。熟慮を要する点だ。

 もう一点。「教員も大物ずらり」と新聞の小見出しにあるので,どんな人たちかとみてみると「日大スポーツ科学部の主な教員」として,以下の人たちの名前があがっている。陸上:小山裕三・森長正樹,水泳:上野広治,柔道:北田典子,体操:西川大輔,の5名。言っては悪いが,このレベルの指導者なら,体育・スポーツ系の単科大学にはいくらでもいる。いや,もっと名前の知られた指導者を,もっと多く集めている。体育・スポーツ系の学部でも同じだ。

 それと,名選手,必ずしも名指導者とは限らない,ということ。選手時代はほとんど無名であったが,指導者として名をなした人もいくらでもいる。

 最後にもう一点。新聞の見出しによれば,「スポーツ科学部 大嶋,エドバー進学へ」とある。この二人は,インターハイなどで男女の短距離で活躍した高校生だ。どのような経緯で,この二人の進学が決まったのかは記事にはないのでわからないが,相当に熱心なスカウティングがなされただろうということは想像に難くない。それどころか,高校生の名選手の過激なスカウティングが,こんごますます盛んになり,それによる弊害の方が,無視できなくなってくるのなはないか,とどこか危ぶまれて仕方がない。

 以上,凡人の杞憂まで。

2015年10月22日木曜日

術後3カ月の検診を受けてきました。

 肝臓への転移がみつかったのが6月の上旬。これによって,とうとうステージ4の末期癌の宣告。切除手術を受けるかどうか,さんざん考えた挙げ句,手術を受けることにしました。この段階で,放置するのはもったいない,という主治医の診断が大きな動機となりました。いろいろと詳しい説明を受けて,わたしなりに納得がいきましたので,決意しました。

 手術は7月7日。集中治療室に48時間。初発の胃ガンのときよりも,今回の術後の方がダメージは大きく,相当に堪えました。じっと我慢の日がつづきました。が,術後5日目くらいから,右肩上がりに回復のきざしがみえてきて,よし,復帰できる,と確信しました。気持ちが前向きになったせいか,リハビリ(歩行訓練)にも力が入りました。その結果,18日には退院することができました。入院11日間。主治医も信じられない,とのこと。

 それから3カ月。ここまでくるには,人には言えないからだの不調もありました。が,なんとか騙しだましして,回復曲線を描くように努力しました。いまも,まだ,完璧ではありません。が,かなりのところにまでは回復してきたのではないか,と自己診断をしています。酒も,日常的には飲んでいませんが,みんなと集まったときには,様子をうかがいながら飲んでいます。ひとりでは飲む気持ちにならない,というのが正直なところ。からだは嘘をつかない,とおもっています。ときおり,からだが予想外に元気なことがあります。そのときには「飲もうよ」とからだ催促してきます。ですから,最近は,もっぱら,自分のからだと会話しながら,日々の暮らし方を決めています。

 そんななかでの術後3カ月検診。朝食抜きで,朝一番の予約で病院へ。まずは,採血から。近頃は医療の中心は「血液検査」に移ったようで,患者本人の状態については,ほとんどなにも尋ねられなくなっている。言ってみれば,血液中心主義。医師は,血液検査の結果を,これまでのデータと突き合わせて,確認するだけ。検査・分析も機械が全部やって,その結果を数値化して,パソコンに入力するのも機械。医者はパソコンのディスプレイを覗きながら,若干の説明をしてくれるだけ。結果がよければ,「とてもいい状態ですね」で終わり。なんだか,味気ない。

 今日は,輸血の副作用がでていないかどうかの検査もやるというので(これは事前にわたしの意思を確認してのこと),少し多めに血液をとる。採決した管の数をみて,びっくり。まあ,こんなものかとおもっただけで,数えてもみない。このことがあってか,採決のあとはすぐに,点滴をする。そして,この点滴セットを引きずりながら,エコーの検査へ。これまでと比べるとかなりの時間をかけて丁寧にやってくれました。正面の腹全体と,右脇腹のかなりうしろまで。指示にしたがって「大きく息を吸って,止めて,はい楽にしてください」「少し吸って,少し吐いて,はい,そこで止めて,楽にしてください」などの繰り返し。

 これが終わると,こんどはCT検査。造影剤を注入すると,たちまちにして腹部全体が熱くなり,「気持ち悪くないですか」と確認して,いよいよ検査。といっても,横になった寝台ごと,丸い穴の中を一往復して終わり。呼吸も一回だけ。「大きく息を吸って,はい,止めて,楽にしてください」で終わり。あとは「水分を補給してください」との指示。

 外科の受け付けにもどって,窓口で「水を買いにいってきます」と告げて,院内のコンビニへ。もどって,待合室(といっても廊下)で水を飲みながら,点滴が終わるのを待つ。点滴が終わると,今日はここまで。結果についての診断は,26日(月)の午後。ちょっと間があきますが,結果がどうでるか,期待半分,不安半分。自己診断としては「きわめて良好」と,自分に言い聞かせています。そうしていないと,落ち着かないから。

 最後に会計へ。清算は機械の指示にしたがって行います。「診断カードを入れてください」「カードの向きを確認して,もう一度,入れてください」「確認ボタンを押してください」「お金をいれてください」(あるいは,クレジット・カードを入れてください)「領収書をお取りください」「おつりをお取りください」「診断カードをお取りください」「お忘れ物のないように」「お大事に」。

 なんだか,ジョージ・オウエルの『1984年』の世界が脳裏をよぎります。

 毎回,おもうことですが,いまや,人間は機械にコントロールされている,ということ。医療も,主要な部分は,ほとんど機械。医師はその結果を読み取って,総合的な判断をし,つぎの医療計画を立てるだけ・・・と懇意になった医師が教えてくれました。やがては,ロボット医師が,手術もやるようになるだろう,とのこと。実際に,患者として医療を受けていると,医師が直接,患者のからだに触れたり,問診をしたり,ということはほとんどない。なにか,ベルトコンベアの上に乗せられて,一巡してきて,終わり。なんだか「医療工場」に放り込まれた患者という名の「物体」(Koerper )でしかないではないか,としみじみおもう。

 どこか,基本的なところで,間違っているのではないか,といつもおもう。この点については,いつか,しっかりと考えて書いてみたいとおもう。題して,『患者学のすすめ』。

『民主主義って,なんだ?髙橋源一郎×SEALDs 』(河出書房新社刊)を読む。

 この本の中に登場する対談者のひとり,SEALDs の牛田悦正君が,17日(土)の「ISC21」10月東京例会に参加してくれましたので,そのあとの懇親会で少しばかりお話をさせてもらいました。驚くべきことに,みずから「ルジャンドリアン」です,と名乗るほどのルジャンドルの本を読み込む思想・哲学の徒でした。ですから,今日のお話はどうしても聞きたかった,とのこと。もちろん,ルジャンドルだけではなく哲学一般の本が好きで,暇があれば本を読んでいるとのこと。ですから,受け答えがじつにしっかりしていて,眼を見張らせるものがありました。

 そんなこともあって,翌日(18日)のSEALDs の渋谷・街宣の集会にもでかけました。そして,その帰りに『民主主義って,なんだ?髙橋源一郎×SEALDs』(河出書房新社刊,10月18日,5刷)を買ってきました。これを読んで,二度,びっくりでした。なぜなら,この本に登場するSEALDs の奥田愛基君と牛田悦正君の語る内容が,じつに素晴らしいからです。SEALDs を引っぱっている人たちが,こんな人たちだったのだ,と再認識しまいました。

 ひとことでいえば,じつによく勉強している。そして,じつによく考えている。その上で行動している。行動して,議論して,反省して,勉強して,考えて,決断して,ふたたび行動する。この繰り返し。そして,民主主義って,こういうことなんだと断言する。つまり,暗中模索しながら,みずからの手でつかみ取るものだ,と。恐るべし,だ。

 わたしが学生時代のことを考えると恥ずかしくなってしまいます。それどころか,この歳になったいまですら,民主主義について,どこまで考えたことがあるか,また,自分の意見がいえるのか,と問われたら穴があったら入りたい,そんな思いです。行動に責任をもつということは,それだけの裏付けが必要です。ですから,なにがなんでも勉強し,考え,議論をすることが不可欠となります。すると,人間は,とりわけ,若い人たちは短期間のうちに生まれ変わってしまうほどの成長をします。その典型的な事例をみるおもいがします。

 公聴会で証言をした奥田愛基君の,あの名スピーチが注目されましたが,この本を読むと,なるほどなぁ,と納得します。牛田君は,奥田君とは少しタイプが違いますが,その読書量は驚くべきものがあります。そして,そこで得られた知見を,いずれもみごとに骨肉化しています。この二人がコンビを組んで,ここまでSEALDs をリードしてきた,その経緯が,この本を読むと手にとるようにわかります。

 「民主主義って,なんだっ!」という呼びかけのコールを何回も,何回も繰り返すかれらの背景には,じつに多くの思考の積み重ねがあったことも,この本を読んで知りました。そして,このコールを繰り返しながら,議論を重ね,さらにもう一歩前にでるコールが生まれます。それが「民主主義って,なんだっ!」「これだっ!」に進化し,さらに「民主主義って」「これだっ!」へと進化していきます。その裏側には,なみなみならぬ思考と議論の積み重ねがあることがわかります。

 こんなこととは露知らず,国会前に足を運ぶたびに,コールの方法が変化しているなぁ,とぼんやり考えていました。しかし,「民主主義って」「これだっ!」になったとき,これはなにを意味しているのだろうか,と考えました。「これだっ!」の中味はなんなのか,と。そのとき,頭に浮かんだことは二つ。一つは,国会の中で行われている議会制民主主義のもとでの空虚な議論,もう一つは,国会前で繰り広げている抗議活動そのもの。つまり,コールを繰り返し,自分のことばでスピーチをすること,そうして,少しずつ変化し,進化していく,その運動体のこと。

 かれらは,この抗議行動をとおして,いろいろのことを学び,進化していくこと,それが民主主義の内実なんだというところに到達します。そのプロセスがこの本によって明らかにされます。みごとというほかはありません。

 正直に告白しておきます。恥ずかしながら,わたしは,この本をとおして,初めて「民主主義」なるものの懐の深さと,多様性を学びました。そして,民主主義とは,両刃の剣のように,よくも悪くも機能する,そういう仕組みのものなのだ,ということも。だからこそ,主権者である「わたしたち」自身が,しっかりと民主主義を行動で示していかなくてはならないのだ,ということも。

 ご一読をお薦めします。

 なお,この本の続編ともいうべき本が10月20日付けで刊行されています。『民主主義って,これだ!』(SEALDs編,大月書店)。こちらは,すべてSEALDs の仲間たちの手づくりになるものだ,と聞いています。明日,買いにいく予定。残念ながら,溝の口の書店にはありません。

2015年10月21日水曜日

「演出,あるいは人間的生存の基底。ルジャンドルのダンス論」(森元庸介)。如是我聞。

 10月17日(土)の「ISC21」10月東京例会で,念願のピエール・ルジャンドルの「ダンス論」について,森元庸介さんにお話をしていただきました。嬉しいことに,わたしの期待をはるかに上回る踏み込んだお話をしてくださり,わたしの胸は高鳴りました。正鵠を射るとはこのことでしょう。わたしの期待した問題の核心に,ズバリ切り込んでくださり,加えて,ルジャンドルの含意する知の地平にまで触手を伸ばしてくださった,というわけです。ルジャンドル読みの第一人者として評価の高い森元さんならではのお話でした。

 その全貌を,このブログで語ることはとても不可能ですので,その一部をご紹介しておきたいとおもいます。というよりは,興奮つづきの,わたし自身の頭の中を整理しておく,と言った方が正しいでしょう。

 この研究会の冒頭で,わたしは,つぎのようなお話をさせていただきました。その要点は以下のとおりです。

 スポーツ史・スポーツ文化論を長年にわたって考えてきましたが,ここにきて,とりわけ「3・11」以後にわたしがはっきり意識するようになった新たなテーマがあります。それは,西洋近代が生みだした近代スポーツ競技のミッションは臨界に達し,もはや,つぎなるステージに第一歩を踏み出さなければならない重大な局面を迎えているのではないか,というものです。そして,この局面を打破するためには,もう一度,スポーツ文化とはなにか,人間にとってスポーツとはなにか,スポーツする人間とはなにか,生身のからだを生きる人間にとってスポーツとはなにか,といった根源的な問いを発し,初手から再スタートしなければならないのではないか,ということでした。

 このテーマを考えていきますと,当然のことながら,スポーツ以前の,武術と舞踊の問題が大きく浮上してきます。しかし,いずれも,こんにちの武術や舞踊とはまるで異質の,呪術や儀礼の世界に踏み込んでいくことになります。そして,この問題は,ヒトが動物性から離脱して人間性の世界に移行するところで,いったい,なにが起きたのか,というところに到達してしまいます。もっと言ってしまえば,人間は,生きものとしての動物性と,ことばを話す生きものとしての人間性,すなわち,理性によってコントロールされる人間性との折り合いをどのようにつけようとしてきたのか,というところに至りつくことになります。

 このとき,舞踊はどのような役割をになったのか,舞踊とは生身のからだを生きる人間にとってなにであったのか,その原点を探り当てたい,それがわたしの最大の関心事です。この関心事にルジャンドルはどのように関与しているのか,いまからとても楽しみです・・・・というようなお話をさせていただきました。

 なぜなら,この研究会のために森元さんが立ててくださったテーマはつぎのようなものだったからです。「演出,あるいは人間的生存の基底 ピエール・ルジャンドルのダンス論から」。あらかじめ,このテーマが送られてきていましたので,何回も,何回もこのテーマとにらめっこをしながら,あれこれ考えました。考えるヒントは,ルジャンドルのダンス論のテクストのタイトル『他者たらんとする情熱 ダンスのための考察』(1978年)です。この二つの間を行ったり来たりしながら,思いっきり想像の世界をふくらませていました。

 このわたしの個人的なレディネスにたいして,森元さんのお話は,じつに刺激的であり,むしろ挑発的ですらありました。そこまで踏み込むか,と驚くと同時に,そこまで踏み込まないかぎりルジャンドルの思考をたどることはできないのだ,ということもわかってきました。法制史の専門家であるルジャンドルが「ドグマ人類学」を標榜し,精神分析学を法制史研究に取り込んで,まったく新たな「人間の学」の地平を切り拓こうとしている,ルジャンドルならではの「ダンス論」読解は,そこまで踏み込まなくてはならない不可欠な助走だったのだ,とわたしは大満足でした。

 わたしが聞き取ることのできた,ルジャンドルの「ダンス論」の「肝」に当たる部分は,以下のとおりです。

 「他者たらんとする情熱」・・・ここにルジャンドルのダンス論の源泉をくみ取ることができるのではないか。「他者たらんとする」とは,一つは,セックスのカップルとしての他者に成りきろうとする,という意味であり,もう一つは,わが内なる他者,すなわち,動物性に回帰したい,という意味。この二つは表裏一体のものと考えてよいだろう。言ってしまえば,人間は,セックスをとおして他者と「一つ」になりたい,つまりは,剥き出しの動物性に回帰したい,という二重の拘束を受けている,というわけである。

 しかも,この二つの行き着く先は「情熱」(passion)。この情熱=passion もまた二重・三重の意味を帯びている。日本語では,文字どおり「情熱」であるが,ルジャンドルが用いる passion にはいくつもの意味が織り込まれている。もともとは「苦しむこと」を意味し,キリストの「受難」であり,「(強い)感情」であり,「激情のほとばしり」である,と辞典の語釈にはある。ここを起点にして,まずは「情熱」を筆頭に,「激情」「熱中」「(男女間の)(激しい)愛情」「情欲」「キリストの受難」とつづく。

 つまり,passion とは,受け身の感情であり,その軛からは逃れられないもの,と考えられる。したがって,「他者たらんとする情熱」とは,「他者たらんとする止むに止まれぬ情熱」,あるいは「もう一人でありたい(セックスで交わりたい),止むに止まれぬ苦しみ」を含意している。これこそがルジャンドルの考える「ダンス」の中心にあるものだ,と。

 しかしながら,ダンスは「セックス(=動物性)の成立」を認めない。あるいは,「セックス」が成立したところで,それはダンスではなくなる。すなわち,人間性からの逸脱となる。このぎりぎりの瀬戸際で,ダンスは成立していることになる。

 ルジャンドルの説によれば,ダンスは「もっとも動物的な芸術」であり,「無内容性」にその特質があるという。だから,ダンスにあっては,セックスをどうするのか(あるいは,動物性をどうするのか)という問題がつねにつきまとう。したがって,この「動物性」を「調教」(dressage)する必要がでてくる。これが「制度」(institution)であり,「規範」(nome)である。

 この「制度」や「規範」のなかに隠された論理が「演出」(mise en scene)。なぜ,演出が必要なのか。それは動物性を排除・抑圧・隠蔽し,人間的生存を確保するため。すなわち,剥き出しの動物性を「禁止」(interdit)するための「演出」が,人間的生存の「基底」を確保するために不可欠となる。

 こうして,森元さんが提示されたテーマ「演出,あるいは人間的生存の基底」が明らかにされていきます。以上は,わたしが理解しえた範囲での,それも骨子を要約したにすぎません。もちろん,ことば足らずの説明になっていることは覚悟の上です。しかし,その核心部分のロジックは推測していただけるのではないかとおもいます。

 ここで論じられた森元さんの言説は,いずれ,『スポートロジイ』第4号に掲載する予定です。そこでは,森元さんのプレゼンテーションの全貌が明らかになります。それまで,いま,しばらく時間をください。

 以上,わたしの思考の整理まで。

2015年10月19日月曜日

NHKスペシャル「バガン遺跡の謎」。貧富の差のない社会。

 10月18日(日)の夜9時からのNHKスペシャル「バガン遺跡の謎」をみて,久しぶりに感動しました。こんなにいい番組がつくれるではないか,と。それに引き換え,ニュース番組の体たらく,と鑑賞後につよくおもいました。

 ミャンマーのバガンというむかしの宗教都市には,いまも無数の仏塔や寺院が遺跡として残されています。なぜ,この地にこんなに多くの仏塔や寺院が残されたのか,その謎に迫る,というドキュメンタリーでした。

 11~13世紀にかけて栄えたバガン王朝時代に,7×6㎞ほどの土地に,映像でみるかぎり驚くほどの仏塔や寺院が点在しています。見渡すかぎり,仏塔・寺院の建造物だらけです。いったい,なぜ,これほど多くの仏塔や寺院が所狭しとばかりにバガン王朝時代に建造されたのか,それは長い間,謎とされてきました。

 しかし,最近の研究によって,ようやくその謎のヴェールが取り除かれつつあるということです。そして,現段階での結論が,きわめて興味深いものでした。

 それによりますと,「貧富の差のない社会」が実現していたということ,そして,その「貧富の差をなくすための装置」として,仏塔や寺院の建造がなされた,というものです。あるいは,仏塔や寺院を建造した結果として,「貧富の差のない社会」が実現したのではないか,というものです。

 その仕組みは以下のとおりです。

 バガン王朝が現れる前までは,さまざまな原始的な宗教がひろまっていました。たとえば,親殺しをしても呪文を唱えれば許されるとか,盗人であっても禊ぎをすれば罪はなくなるとか,種々雑多な宗教が蔓延していて,世の中が乱れていました。ところが,バガン王朝の初代の王が「仏教」を王朝の宗教と定め,仏教の教えを広めることに熱心に取組ました。

 ここで採用された仏教は,日本にも伝わった大乗仏教ではなく,上座部仏教といわれるもので,きわめて戒律の厳しいものでした。王が率先してこの上座部仏教の信者となり,その教えを実践に移しました。その一つが,仏塔や寺院を建造することでした。

 仏塔は,上座部仏教の宇宙観を視覚化して,だれの眼にもみればすぐにわかるように工夫されて建造されました。大きな土台部分が下界(悪事をはたらいて救われない人びとの世界,すなわち地獄),その上に人間界(仏教を信仰してまじめに暮らしている人びとの世界),さらにその上に天界(出家をして修行に励んでいる人びとの暮らす世界),そして,頂上には涅槃の世界(悟りに到達した人びとが暮らす世界)という,四つの層に分けて,わかりやすくしました。そして,その仏塔には,無数の仏像が刻まれ,出家をして悟った人の姿が,日常的に眼でみて確認できるようにしました。ですから,人びとは,この仏塔を眺めるだけで,仏教の宇宙観を日常的に窺い知ることができました。

 しかし,この巨大な仏塔を建造するには,多くの資金と人材を必要とします。王は,住民たちから集めた税金を,惜しげもなく仏塔建造のために使いました。そのために働く人びとには,それに見合うだけの賃金を支払いました。こうして,集めた税金は,ふたたび住民のもとに還元されていきます。しかも,王は仏塔を建てることは仏教の教えにしたがって「功徳」を積むことだ,そして,この仏塔を拝むこともまた「功徳」を積むことだ,さらには,仏塔の維持・管理に勤めるのも「功徳」である,と説きました。そうすれば,人間界から天界へ,そして涅槃に到達することも可能なのだ,と。

 ですから,人びとはみんなこぞって上座部仏教の熱心な信者となりました。そして,信者のなかには,金持ちになる者も現れます。すると,その信者は,私財をはたいて仏塔を建造します。こうして,金持ちのお金もまた再配分されて,住民のもとに還元されていきます。

 こうして,お金は,つねに循環してまわっていきますので,仏塔建造の仕事に従事することよって,一定の生活水準を維持することができる,というわけです。その結果として,「貧富の差のない社会」が実現され,人びとはとても幸せに暮らしていた,ということです。

 この伝統は,いまも生きていて,人びとは生涯に一度は出家をし,得度式を経験し,一定期間,寺院で修行をすることが慣習化されています。この得度式を受けるためにはお金が必要なので,そのために10年も20年もかけて貯金をして準備します。そうして,そのお金をすべて寄進して,得度式を経験し,修行することが「功徳」になり,生涯にわたる幸せをわがものとすることができる,と信じています。

 こうして,お金というものは,自分ひとりで抱え込むものではなくて,「功徳」を積むためのものであり,そのために潔く寄進することが幸せな暮らしを生みだすのだ,というわけです。

 ここには,いわゆる資本主義経済の考え方は存在していません。むしろ,マルセル・モースのいう贈与経済の一つの典型例をみてとることができます。つまり,貯まったお金は潔く「贈与」すること。ここでいえば,「寄進」すること。これが「功徳」を生み,幸せをもたらす源泉なのだ,というわけです。

 こういう上座部仏教が,いまもミャンマーの古都バガンには,立派に引き継がれ,実践されているというのです。その結果,いまも「貧富の差のない社会」が維持されており,みんな幸せに暮らしているといいます。

 これも,ルジャンドルのいう「法」(のり)が共同体の安寧を維持していく上では必要なのだ(西谷修)という,ひとつのサンプルとみていいのではないか,と考えました。そして,この上座部仏教の「法」もまた,立派な「ドグマ」なのだ,と。そして,道元さんの説く「正法」(眼蔵)もまた立派なドグマである,というわけです。安保関連法案もまた,立派な「法」であり,ドグマです。ですから,いかなる「法」をわがものとするか,が一大事というわけです。その意味でも,良質のドグマを手に入れなくてはなりません。憲法は,いま,わたしたちが手にしている「法」の根本です。ですから,この「法」を,もし,変更するのであれば,徹底的な議論を経てからのものでなくてはなりません。勝手に解釈を変えられてはたまったものではありません。それほどに「法」というものは大事なのだ,ということを肝に銘じておきたいとおもいます。

 ルジャンドルに言わせれば,ダンスもまた「法」(あるいは,「制度」)によって,表現の「限界」が定められているのだ,というわけです。土曜日の研究会でのお話が脳裏に鮮明に蘇ってきます。この話はまたいずれ・・・・。

SEALDsの渋谷街宣(10.18)に行ってきました。

 10月18日(日)。午後1時より。渋谷・ハチ公前広場。通行人の通る道を確保した上で,それ以外のところは立錐の余地もないほどの人でいっぱい。その熱気に驚きました。強行採決によって,熱気が冷めるどころか,ますます意気盛ん。とりわけ,聴衆の熱気が頼もしい。

 
スピーチとラップ調のコールと音楽とが,ほどよくかみ合って,会場の雰囲気も上々。こういう演出もまた,これまでの抗議集会とは違った親しみやすさを生みだしている。いろいろな専攻の学生さんたちが,それぞれの立場からもてる力を持ち寄って,一種独特の雰囲気を醸しだしているらしい。そして,スピーチは,すべて個々人の考えたことを自分のことばで語っている。じつに素直に,思いのままを露呈させながら。それだけに,聞く人のこころを打つ。

 
高校生もまたマイクをもって訴える。強行採決後は失望し,落胆したが,学校に行ってみると,それまで無関心だった友だちが寄ってきて,いろいろ質問してくれるようになった。いまではみんなで集って,熱い会話ができるようになった。これでぼくは助けられ,救われた。というより,未来に希望がもてるようになった。これからも,変だとおもうことはそのまま変だと素直に声をあげるつもりだ。そして,ひとりでも多くの賛同してくれる友だちをつくっていきたいとおもう,と熱く語ってくれた。聴衆からは大きな拍手がわいた。

 
多くの東南アジア系の観光客が興味深そうに,あちこち眺めながら,聴衆集団の間の狭い通路をとおりすぎていく。なかには写真まで撮っている人も。それも長いハンドル付きのカメラで。動画も撮っているらしい。彼らの眼にはどのように映っているのだろうか。

 スクランブル交差点のこちら側でも,SEALDsの集会に耳を傾けている人たちがいる。それも,けして少なくはない。しかも,若い人たちが多い。

 大勢の人たちがとおりすぎていく。みんなそれとなく聞き耳を立てながら,とおりすぎていくようにみえる。このうちの何人かは,ちょっと恥ずかしそうな表情をしている。どこかしら,こころに負い目を感じてでもいるのだろうか。そうであってくれたら嬉しい。この街宣が,少しでも多くの人たちが考えるきっかけになってくれれば,ありがたい。それだけで,この街宣は成功である。

 帰りに近くの書店で『髙橋源一郎×SEALDs  民主主義ってなんだ?』(河出書房新社刊)を購入。わたしの住んでいる溝の口の書店には,なぜか,置いてない。鷺沼の書店にも置いてない。どうやら,書店の方針らしい。いやな気分。これからは,書店に立ち寄るたびに,意図的・計画的に,これこれの本はありませんか,と店員に聞いてみることにしよう。

 追加の情報を一つ。10月20日には『民主主義って,これだっ!』(大月書店刊)が発売になる。表紙カバーの写真から,そのデザイン,内容もすべてSEALDsのメンバーたちの手作りだという。とても素晴らしい出来ばえに「驚嘆」した,と西谷修さんのブログに紹介されている。ぜひ,覗いてみてください。

 20日には渋谷の書店まで足を伸ばそうとおもう。 

2015年10月17日土曜日

「踊る人間」とはなにか。P.ルジャンドルはなにを語ったのか。

 ドグマ人類学者=J.P.ルジャンドル。と,まずは位置付けておこう。わたしの畏敬する西谷修さんもまた,時折,みずからをドグマ人類学者と名乗ることがある。しかしながら,「ドグマ人類学」という学問はまだ承認されてはいない。なぜか?西洋近代由来のアカデミズムの限界,とだけひとまず応答しておこう。

 では,いったいドグマ人類学でいう「ドグマ」とはなにか。ルジャンドルによれば,人間は「ことばを話す生きもの」だ,という。この人間の話す「ことば」そのものが「ドグマ」なのだ,という。わかりやすくしておこう。たとえば,日本語では「木」と名づけたオブジェが,英語では「tree」,ドイツ語では「Baum」という具合に,用いられる言語によってことなる。どれが「正しい」のか,その根拠はなにもない。それぞれの言語が勝手にそう呼び習わしてきただけのことだ。すなわち,「ドグマ」。もともとは,宗教の「教義」のことを意味する。いま,わたしがチャレンジしている道元の『正法眼蔵』もまた立派な「ドグマ」ということである。たとえば,道元の思想の中核をなす概念のひとつ,「修証一等」。すなわち,道元の「思い込み」。

 これ以上の議論は,ルジャンドルのテクストに委ねよう。あるいは,今日(10月17日)の午後に展開される研究会での議論を待つことにしよう。

 そう,今日,10月17日(土)13:00より,青山学院大学で,「ISC・21」10月東京例会が開催される。そのテーマがJ.P.ルジャンドルの舞踊論。ルジャンドル読みの第一人者と言われる森元庸介さんにお願いをして,ルジャンドルの舞踊論を紹介していただくことになっている。題して「演出,あるいは人間的な生存の基底。ピエール・ルジャンドルのダンス論を中心に」(仮)。

 この演題をいただいたときギクリとした。そうか。「演出」なんだ,と。そこに「人間的な生存の基底」がある,と。ルジャンドルは「ダンス論」を語りながら,「人間的な生存の基底」を解き明かそうとしていたのだ,と。それを,ひとことで言ってしまえば,「演出」,なのか,とわたしはある種の衝撃を受けた。そうか,人間が「存在」するとはどういうことなのか,を語っているんだ,と。

 なぜ,この演題に衝撃を受けたのか。

 わたしは長い間,「スポーツする人間」とはなにか,という大きなテーマを追ってきた。人間は,なぜ,スポーツをするのか。生身を生きる人間にとってスポーツとはなにか。言ってしまえば,哲学的なテーマを追ってきた。

 そこから派生して,では,「武術する人間」とはなにか,を考えるようになり,やがては「舞踊する人間」とはなにか,と考えてきた。当然のことながら,そのさきに現れてくる風景は「人間が生きる」とはどういうことなのか,という問いであった。生命が躍動するということはどういうことなのか。それを支える衝動の「根」はなにか。

 そうして,いつしか,「芸能」とはなにか,と考えるようになる。そこにみえてくるのは,「歌い,踊る」生身の人間の姿である。アメノウズメの世界である。

 ルジャンドルのダンス論を読み込んでいって,森元さんが到達したひとつの結論が「演出」だったのか,とこれはわたしの受け止め方である。しかも,そこに「人間的な生存の基底」を見届けようとしたのが,ルジャンドルの「ダンス論」なのか,と。そして,これもまた立派な「ドグマ」。

 今日の森元さんのプレゼンテーションに向けての,わたしのレディネスは以上のとおり。厳密には,もっともっと付け加えたいところであるが,この程度にとどめておこう。その方が単純明快でわかりやすい。

 コメンテーターを,新進気鋭のイスラム研究者・小野純一さんにお願いがしてある。もちろん,西谷修さんも参加してくださるので,ルジャンドルの「ダンス論」を議論する上で不足はない。そこに,全国からわたしの研究者仲間が集ってくる。お膳立ては整っている。あとは,本番を待つのみ。珍しく鼓動が高鳴ってくる。

 いい研究会になる,そんな予感に満ち満ちている。嬉しい。

2015年10月16日金曜日

「おや,だれかとおもったら,この門のかめんだわ」(浦島太郎)。

 最近,なんの脈絡もなく突然,こどものころのことがふっと脳裏に浮かんでくることが多くなってきたようにおもいます。加齢による特異現象の一つなのでしょうか。あるいは,惚けのはじまりか。でも,慌てても仕方ありません。あるがままの「いま」を素直に受け止めて,そのことをエンジョイすることにしています。

 その中の一つ。赤っ恥をかいて,顔から火がでそうになった思い出。

 1945年の初夏。敗戦直前の,国民学校2年生のときのこと。戦時中は小学校とはいわず,国民学校と呼んでいました。新しい担任の先生ともなじんできて,授業がとても楽しかった記憶が,遠い向こうの方にみえています。ある日の授業で,国語の教科書の「浦島太郎」の物語を勉強して,つぎの時間は,その物語の中の一節を「絵」にしなさい,という課題がでました。

 絵は嫌いではなかったので,夢中になって描きました。でも,完成しないうちに時間がきてしまいました。それでも提出しなさいと先生が仰るので,持っていきました。ところが,絵の一節となる文章がまだ書いてありませんでした。先生が,「急いで,ここで書きなさい」と仰るので,教科書も見ないで記憶だけで書き込みました。

 それが「おや,だれかとおもったら,この門のかめんだわ」という次第です。慌てて書いたものですから,二カ所に,誤字・脱字があります。それは「門」は「間」の間違い,「かめんだわ」は「かめさんだわ」で「さ」が脱字。正しくは,「おや,だれかとおもったら,この間のかめさんだわ」となります。

 ところが,先生はなにをおもったのか,この絵を教室のうしろの掲示板に張り出しました。全部で3人の生徒の絵が張り出されました。まあ,比較的うまく描けた絵を張り出したのでしょう。ですから,わたしとしては得意満面でした。3人のなかに選ばれた,と。このときは,まだ,このような誤字・脱字があるということを,わたし自身が知らないでいました。たぶん,先生も気づいていなかったのではないかとおもいます。

 この絵を,なぜか,たまたまわたしの教室を通りがかった次兄(4年生)がみて,その日の夕食どきにこの絵を話題にしました。しかも,いきなり「この門のかめんだわ」というのはなんなんだ,と詰問です。わたしは,なんのことやらさっぱりわからず,呆然としていました。しかし,次兄は「わけのわからん文章を書いて,それが張り出されている。恥を知れ」というわけです。でも,なんのことかわたしにはわかりません。

 翌日,教室に入って真っ先に自分の描いた絵をみました。「アッ」とおもわず声を出してしまいました。顔から火がでる,とはこのことです。もう,恥ずかしくて恥ずかしくて,友だちに顔向けもできません。しかし,クラスメイトのだれ一人として,わたしの絵の間違いのことは話題にもしません。たぶん,だれもしっかり読んではいないのでしょう。

 それをいいことにして,休み時間にみんな校庭に飛び出して行って,だれも居なくなるのを待って,大急ぎで「門」を「間」に,「かめんだわ」を「かめさんだわ」に直しておきました。それでも,教室ではなんの話題にもならないまま,過ぎていきました。

 こうして,教室では,先生も友だちもなんの問題もなく,平穏に終わりました。

 しかし,次兄からは,その後も折あるごとに「この門のかめんだわ」を話題にされ,わたしを冷やかします。それが,いまも続いています。法事などがあって,大勢の人が集って会食するときなどに,酒もほどほどにまわってきたころになると,これを話題にし,兄貴風を吹かせます。ですから,親戚中,この話を知らない人はいないほどです。いまは,もう,どんな風にからかわれようと,どうということはありません。が,かなりの年齢になるまでは,いやな奴だ,いつまでも・・・,と腹におもっていました。

 どこかにしこりが多少は残っているのでしょうか。ふと,なんの脈絡もなく,このときのことが脳裏をよぎります。そして,こんなことがあったなぁ,という懐かしさと,くそっ,この野郎,いまにみてろ,とこころに誓って臥薪嘗胆,40歳をすぎたころから,ずいぶんと頑張って勉強したことを思い出します。こういう「負荷」を与えられて初めて発奮することもある,と感謝することすらあるのですから,兄弟というものは不思議なものです。

 最近の次兄が酔いにまかせて吐くセリフは,「こんにち,お前があるのは,だれのお蔭だとおもっとるのか」というものです。わたしはなんの抵抗もなく,「はいはい,お兄様のお蔭でございます」と馬鹿丁寧に応答します。それでその場の笑いがとれればそれでおしまい,というわけです。

 こどもが成長するにあたって受ける刺激(情報)のうち,なにがよくて,なにが悪いのか,こればっかりは個人差があって決められるものではありません。まあ,わたしなどは運がよかった,というべきかもしれません。このほかにも,いま,考えてみれば,ずいぶん酷い扱われ方をしたことが,子ども時代にはありました。そのために,一時は引き籠もりになり,口もきかないでいたこともあります。いまでは,だれも信じてはくれませんが・・・・。

太極拳の奥義をさぐる。月刊『武道』10月号からの転載。

 月刊『武道』(10月号,日本武道館発行)という雑誌に投じた拙稿を,恥ずかしながら,ここに転載しておきたいとおもいます。なぜなら,この雑誌,どうやら定期購読者に配布されていて,書店には並んでいないようですので。もっとも大きな図書館などには置いてあるかもしれません。

 というわけで,以下は,拙稿の転載です。
 なお,転載原稿はそのままではなく,多少の訂正・加筆があることをお断りしておきます。

テーマ:太極拳の奥義をさぐる。

太極拳の二つの流れ
 もう,かれこれ10年ほど,太極拳の稽古に励んでいる。稽古を積めば積むほどに,その奥の深さがみえてくる。じつに,懐の深い武術なのだ。まるで,坐禅の世界を思わせる。
 それもそのはずで,太極拳の思想・哲学的なバックグラウンドの一つは「道家思想(『老子道徳経』)にある。そう,一般的には「道教(タオイズム)」で知られている老子の教えである。禅仏教そのものが,インドの仏教と中国のタオイズムとの接触によって生まれたことを考えれば,当然のことではある。嘉納治五郎が説いた「柔よく剛を制す」もまた老子の教えにその根を求めることができる。柔道の「道」の根拠だ。オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』もまた同じだ。つまり,武道の奥義はみんな一つのところに向かっていく,と言っていいだろう。
 さて,太極拳を語る上で,あらかじめお断りしておかなくてはならないことが一つある。中国の太極拳は,もともと武術として編み出され,伝承されてきた。しかし,日本には最初に「健康体操」(楊名時)として紹介されたのち,武術としての太極拳が導入されるという経過をたどった。そのため,いまでも多くの日本人は,太極拳は「健康体操」だと思っている人が多い。また,そのつもりで慣れ親しみ,愛好している人も多い。しかし,その後,武術としての太極拳が日本に導入されことになり,それを競技として愛好する人もどんどん増加し,いまでは日本武術太極拳連盟を組織して,全日本選手権大会を開催したり,世界選手権大会に選手を送り込んだりしている。
 太極拳の愛好者の数は,ひとくちに,連盟に加盟している競技志向の会員約100万人,それ以外の健康体操志向の愛好者約100万人といわれている。この数は,他のスポーツ競技団体と比べても,群を抜く数の多さだと言っていいだろう。つまり,こんにちの日本には,大きく分類すると,太極拳を競技として取り組む集団と,健康体操として愛好するグループの二つが存在している,と言ってよいだろう。

太極拳の奥に広がる禅的世界
 しかし,わたしの仲間たちが取り組んでいる太極拳は,この二つの系譜を継承しながらも,さらに,もう一つの可能性を追究している。それは,端的に言ってしまえば,太極拳の稽古をとおして垣間見えてくる,精神世界の時空間である。
 つまり,冒頭に書いたように,坐禅に通ずる「無心」の世界に遊ぶこと,すなわち,坐禅の神髄に近い経験に接近していくものとして,日々の稽古を位置づけてみよう,というのである。
 坐禅は,道元禅師(『正法眼蔵』)のいうには,修証一等の世界である。すなわち,修行すること(=修)と悟ること(=証)とは一つのことであって,表裏一体のものだ,と道元禅師は説いている。別の言い方をすれば,「証中の修」であり,「修中の証」である,と道元禅師は説く。「証中の修」とは,修行は悟りの範囲内でのものであり,それ以上のものでけはない,と。また,「修中の証」とは,悟りは修行の中に顕現するものである,と。すなわち,修行と悟りとは表裏の関係で結ばれ,たえず,両者の相補関係が維持され,悟りは修行そのものとして表出するのだ,と。
 また,道元禅師はつぎのようにも言っている。坐禅をしてみようと発心することが,すでに,一つの悟りであって,そうしてはじまる坐禅はすでにその悟りの表出そのものなのだ,と。「修証一等」とは,こういうことなのだ,と。すなわち,修行と悟りとは車の両輪のようなもので,相互に影響し合いながら,そのレベルを上げていくのだ,と。だから,無理をして修行しようとしてもなんの意味もない,と道元禅師は説く。

修証一等の世界と太極拳
 翻って,太極拳の場合はどうか。
 この道元禅師のいうことが,いちいち太極拳の稽古にもそのまま当てはまる。
 まずは,太極拳をするにふさわしいからだが出来上がるのに,2~3年はかかる。そして,太極拳らしい動作ができるようになるのに,さらに2~3年はかかる。少なくとも,わたしの場合はそうだった。しかも,この4~5年の間の稽古は,そのつど発見の連続でじつに苦しくもあり,楽しくもあった。
 つまり,からだが出来上がってくるにつれ,太極拳の動作もそれらしくなってくるのである。
 そして,次第に,からだと動作の微妙な緊張関係の狭間に,こころの有り様がきわめて重要な意味をもっていることに気づきはじめる。そこで,この気づきを追究することになる。すると,やがては,心技体がみごとに調和しはじめるようになる。このとき,なんとも言えない快感が全身を走る。
 これは,上手・下手とは関係ないところで起きる現象である。下手は下手なりに,上手は上手なりに,その快感を味わうことができる。この世界は,坐禅のそれときわめて近い,とわたしは受け止めている。つまり,修証一等の世界のそれである。
 初心者も上級者も,いま,持ち合わせているからだにふさわしい表演ができたとき,ある種の喜びの感情・快感が沸き上がる。
 この経験が,おそらくは太極拳のステップ・アップのきっかけとなり,からだも動作もつぎのステージへと押し上げられていく。
 この世界は,もはや,修証一等のそれとなんら変わるものではない。

「無心」──行雲流水の世界
 その究極の世界の一つのサンプルが,わたしたちを指導してくださっているR老師の表演である。初めて,公の場でR老師の表演を見せていただいたとき,直観的にわたしの脳裏に浮かんだのは「行雲流水」ということばだった。じつに静かで,滑らかで,それでいて力強く,からだのあらゆる部位がつねにしなやかに動きつづけるR老師の表演は,わたしに鮮烈な印象を残すものだった。後日,このことをR老師に告げると,「行雲流水」は太極拳の目指す究極の目標の一つだ,だから,わたしはつねにそれを念頭に置いて表演を行うようにしている,と。
 ところが,競技を志向する太極拳は,採点基準が明確に示されていて,そのルールに拘束されてしまう。つまり,少しでもよい得点がでること,これが最優先される。しかも,「行雲流水」的な表演を評価する得点の配分はきわめて少ない。その結果,競技太極拳の動作はますます形骸化していき,太極拳本来の精神世界は軽視され,薄っぺらな表演になってしまう。R老師もこの点を嘆き,憂えている。
 他方,健康体操を志向する太極拳もまた,精神世界のことはあまり重視してはいない。むしろ,舞踊的な美しい動作が求められ,その結果としてこころとからだのバランスを取り戻し,健康をわがものとすることをよしとしているように見受けられる。
 わたしの仲間たちの目指す太極拳は,この両者の狭間をすり抜けるようにして,もともとそうであったように,太極拳本来の奥義ともいうべき精神性に接近してみようというのである。そして,ここにこそ,嘉納治五郎が説いた柔道の世界とも通底する太極拳のもう一つの可能性が開かれている,と固く信じている。わたしたちの太極拳に対するR老師の教えのポイントもここにある。最近は,とくに「無理をしない」「力を抜いて」という檄が多くなってきている。それはまさに「修証一等」の世界の実践である。重く受け止め,その奥義を極めたい,と念じている。
 太極拳のもう一つの可能性,そのゴールは「無心」──行雲流水の世界である。

 以上。月刊『武道』,10月号,P.16~19.

2015年10月15日木曜日

「太極拳をならうというは,自己をならうなり」(補遺)。李自力老師語録・その62.

 「仏道をならう」ということと,「太極拳をならう」ということとは,ほとんど同義です。つまり,「ならう」ということの内実は同じである,というわけです。

 「仏道をならう」というと,なにか特別のことのようにおもいがちですが,「ならう」ということにおいては芸事を「ならう」ことも,太極拳を「ならう」ことも,みんな同じです。

 その「ならう」ということの内実を,道元さんはもののみごとに短いことばで断言してみせました。もう一度,引いておきましょう。

 仏道をならうというは,自己をならうなり。自己をならうというは,自己を忘るるなり。自己を忘るるというは,万法(まんぽう)に証せらるるなり。万法に証せらるるというは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。(『正法眼蔵』「現成公按」)

 道元さんのこの凝縮した密度の濃いことばを,少しだけ開きながら,仏道を太極拳に置き換えて,文章化してみると以下のようになろうかとおもいます。

 太極拳をならうということは,自己をならうことです。自己をならうということは,師範について一心不乱に「まねぶ・まねる」(学ぶ)うちに,自己を忘れてしまうことです。自己を忘れてしまうということは,太極拳の奥義(本質・真理)に触れ,魅了されていくことです。太極拳の奥義に触れ,魅了されていくということは,自己の身心を脱落させるのみならず,自己をとりまく環境世界をも開くことになり,自他の境界がなくなること,すなわち,「物我一如」となることです。

 お断りしておきますが,この読解はあくまでもわたしの個人的見解です。もちろん,このような読解をする背景には李自力老師との,かなり踏み込んだ会話があります。その意味では,李老師のお考えに沿ったものであると言っていいとおもいます。

 太極拳をならう(中国語の「習」は「学ぶ」という意味)ということが,やがては「物我一如」に到達するということが,ここでのポイントです。「物我一如」になったとき,李老師が理想とされる「行雲流水」のような太極拳の表演が可能になる,というわけです。

 これを別の言い方をすれば,仏道をならうということも,太極拳をならうということも,自己を超え出る経験である,ということになります。自己超越は,なにも宗教上の経験だけではなく,あらたになにかを「ならう」ときには,大なり小なり経験することです。ですから,太極拳を本気で「ならう」ことになれば,そして,その奥義に触れ,魅了されるようになると,もう,かつて存在した自己はどこかに消え失せています。そして,そこには自他の区別のつかない世界で遊ぶ「自己」が立ち現れることになります。

 この世界のことを,月刊『武道』(10月号,日本武道館発行)に書いてみましたので,参照していただければ幸いです。

「要虚実分明」と「虚実要分明」について・李自力老師語録・その61。

 今日(10月14日)の稽古はいつになく刺激的なものになりました。

 ことの発端は,Nさんの24式の動作のなかに呉式の動きが現れている,という李老師のご指摘からはじまりました。24式を目指す上ではよくない動作ではあるものの,太極拳というものをトータルで考えたときには,一概に否定はできない,そういう微妙な問題がそこにはある,と李老師。24式を熱中してやっているうちに,無意識のレベルで呉式が表出してくるのは,ある意味では自然なことであり,理にかなっている,というのです。

 それはどういうことなのですか,とわたし。すると,24式の一つひとつの「技」の意識が強くなってくると,その動作が強調されるようになってきます,と李老師。24式は楊式が基本になっているので,一つひとつの「技」の動作がゆっくりで,やんわりと行われます。しかし,それでも「技」はきちんと表現されているわけですので,動作の強弱は,ゆっくりではあるけれども現れてきます。その「技」がいつしか強調されるようになってくると,楊式から,呉式や,陳式になっていく可能性はいくらでもあります。だから,そういう傾向そのものは,太極拳全体を視野に入れて考えた場合には,ある意味で自然ななりゆきなのです。と李老師。

 それが,たまたま,Nさんの雲手の動作の中に表出した,という次第です。Nさんはもともと若いころに空手をやっていた経験がありますので,24式をやっていても「技」の意識がきちんと念頭にあるわけです。ですから,その「技」の意識が強くでてくると,楊式からはみ出して,呉式や陳式になっていく,というわけです。ですから,このこと自体はどこも悪いことではない,と李老師は仰います。そして,つぎのようなお話をしてくださいました。

 それは,「要虚実分明」と「虚実要分明」ということばについてです。

 「虚実」とは,文字どおり,虚と実のこと。虚は力の抜けた状態。実は力が入った状態。日本語の「強弱」と置き換えることも可能だ,とのこと。虚は弱,実は強。「分明」は,はっきりと使い分けること。つまり,虚と実をはっきりと使い分けなさい,ということ。日本語でいえば,強弱のアクセントをはっきりとさせなさい,ということ。「要」は必要である,重要であるという意味。

 「要虚実分明」とは,虚実分明ということば全体に「要」がかかっていますので,虚実分明ということが重要ですよ,ということになります。

 他方,「虚実要分明」の方は,「要」は「分明」にかかっていますので,虚実をはっきり分けることが重要ですよ,ということになります。こちらの方がことばとしては強調されている,とのことです。

 まあ,いずれにしても,「虚」と「実」ははっきりと分けることが重要というわけです。

 このことを説明した上で,楊式の場合の虚実分明はこうです,呉式の場合はこうです,陳式の場合にはこうなります,といって一つひとつ実演してみせてくださいました。直近の目の前で,それらの動作がつぎつぎに行われるのをみていて,息を飲むおもいがしました。その迫力,鋭さ,切れ味,粘り強さ,などが惜しげもなく繰り広げられたわけです。つまり,虚から実への切り換えの瞬間の気魄溢れる動作=技。あるいは,ゆっくり粘り強く虚から実へと変化する楊式の動作=技。

 とんでもない名人芸に,思いがけずも触れることになり,鳥肌が立ちました。

 そして,わたしの眼にはっきりと見てとれたことは,技は,つねに虚から実への移り行きであるということ,つまり,必要がないときにはつねに虚,すなわち,脱力,いざというときは瞬時にして実に変化するということ。ですから,瞬時に実を導き出すためには,つねに虚の状態を保っていることが大前提となる,ということ。24式は,その虚実をゆっくりと表現しているだけのことである,ということ。

 だからこそ,「脱力」が大事なのだ,ということ。李老師が繰り返し,繰り返し仰ることがこの「脱力」。すなわち「虚」。首の力を抜きなさい。肩の力を抜きなさい。腕の力を抜きなさい。股関節を緩めなさい。それらはすべて「実」を導き出すための大前提であるということ。

 問題は,どこまで「力」を抜くことができるか,ということ。

 このテーマは,やがて「行雲流水」につながり,「平常心是道」へと展開していくことになります。禅仏教では,平常心とは自己を「空ずる」ことだ,と説きます。昨日まで,このブログで「平常心是道」の解釈にこだわりつづけたのは,太極拳の稽古の心得にもつながるものがある,と考えたからです。そして,この考えは李老師との,二人だけの踏み込んだ会話のなかからもヒントを得ています。

 言ってしまえば,修行の奥義はすべて同じところにゆきつく,ということだとおもいます。

2015年10月14日水曜日

観音導利興聖宝林寺。道元が建てた日本初の中国式禅道場。

 観音導利興聖宝林寺。通称・興聖寺(こうしょうじ)。道元が建てた日本初の中国式禅道場。寺を名乗っているが,道元が建てたのはすべて禅道場。のちの永平寺も,道元が生きている間は禅の修行道場であった。すなわち,雲水たちのみならず,道元自身の修行道場でもあったのだ。なぜなら,禅僧は生涯にわたって修行をつづけるものであって,悟ったからそれでもういいということはありえない,と道元は考えていたからである。つまり,ひとくちに悟りといっても「その時その位」というものがあって,悟りそのものはどこまでも際限がないものだ,というのが道元の基本的な考え方であった。したがって,寺の住職として安穏な生活を送り,修行を怠るのは,禅僧としては堕落である,と考えていた。

 その終わりのない修行のために建てた日本初の中国式禅道場,それが観音導利興聖宝林寺。この長い寺の名前が,ふつうなら,通称は宝林寺であるはずなのに,そうではなく興聖寺。なぜ,そのように呼ばれるようになったのか,わたしは長い間,疑問をもっていた。が,その解答はなかなか見つからなかった。が,ようやくそのヒントを見つけることができた。そして,それはたぶん,正解だろうとおもうにいたった。

 その前に,なぜ,宝林寺という呼称にこれほどまでにこだわるのか。その理由を明らかにしておく必要があろう。じつは,わたしが敬愛してやまない大伯父が住職をつとめていた寺の名前が宝林寺。その宝林寺に,わたしたち家族は空襲で焼け出され路頭に迷ったときの,戦中・戦後のしばらくの間,疎開してお世話になった。その間,従姉妹たちと生活をともにした。一緒に食事をし,遊び,学校に通った。だから,宝林寺は,わたしたち家族にとっては,最大のピンチを救ってくれた,大事な大事な「とまり木」でもあった。その上,大伯父と大伯母が,気持ちを籠めてわたしたち家族を擁護してくださった。その記憶は,小学校2年生とはいえ(であったからか),深く鮮明に印象に残るものであった。だから,わたしたち家族にとっては生涯にわたって忘れることのできない,宝物のような思い出となった。

 だから,道元の建てた寺の通称も,興聖寺ではなくて宝林寺であってほしいという願望がこころの奥深くにある。これが本音である。実際にも,道元の建てたこの寺の影響は大きく,全国に「宝林寺」を名乗る寺はたくさんある。興聖寺とは比較にならないほど多い。大伯父が住職をつとめた宝林寺もまた,その流れを汲む禅寺のひとつなのだ。

 さて,話を本題にもどそう。
 観音導利興聖宝林寺。この寺の名称からは,観音さまがご利益を導き,「聖」(正法)を興して,栄える寺,というような含意をくみ取ることができる。しかし,ここにいう「宝林」とはなにか。たんに「宝が林のようにたくさんある」というだけの意味ではなかろう,というのがわたしの疑問であった。つまり,「宝」とはなにか。もっと具体的な含意があるはずだ,と。

 この謎解きのためのヒントに,ようやくにして出会うことができた。ちょうど,いま,読み込みをはじめている秋月龍みんの「道元禅師の『典座教訓』を読む」(ちくま学芸文庫)のなかに,つぎのような文章がある。

 「清規」とは,”清衆の守るべき叢林の生活規則”の意である。「叢林」とは,文字どおり”クサムラやハヤシのように,多くの雲水(修行僧のこと)が集って修行する道場”の意である。その叢林で修行する僧を尊んで「清衆・せいしゅ」といい,その”清衆の守るべき道場の規則”という意味で「清規」と書いて「シンギ」と発音した」(P.38.)。

 ここにでてくる「叢林」を,道元はもう一つ格上げして,「宝林」と読み替えたのではないか,これがわたしの仮説である。その根拠はなにか。道元が最初に建てたこの禅道場では,在家・出家を問わず,しかも男女も問わず,修行することを奨励した,という。そして,ここに集ってくる衆(清衆)は,単なる「クサムラやハヤシ」(=叢林)ではなく,「タカラの集まり」(=宝林)だ,と道元は考え,そのように接したのではないか。その願望も籠めて,「叢林寺」ではなく「宝林寺」としたに違いない,とこれはわたしの解釈であり,仮説である。

 実際にも,大伯父が住職をつとめた宝林寺には,本堂の西側に「衆寮」(しゅりょう)があり,東側には立派な庫裡があった。衆寮とは,文字どおり,衆(清衆)が寝泊まりするところ。本堂とは切り離された独立した建物になっていた。いっぽう,庫裡の出入り口には広い三和土の土間があり,その右側にはこれまた広い台所があった。ここが典座の活躍する場である。庫裡はさらに奥に伸びていて,大きな客室が並んでいて,さらにその奥には方丈さんが執務する部屋が並ぶ。この他にも搗き屋や蔵が独立して建っていた。これ以外の細かなことは省略するが,この寺の境内の構えからして,往時には,かなりの雲水を擁した禅道場であったことがうかがわれる。

 そこは,まさに,近隣から清衆が集いきて坐禅・修行に励んだところであっただろう。

 この,わたしの推理は,たぶん間違ってはいないだろう,とおもう。全国に散在する宝林寺と名のつく寺を尋ね歩いてみたいものである。また,新たな発見があるかもしれない。見果てぬ夢ではあるが,楽しみではある。

「仏道をならうというは自己をならうなり」。「平常心是道」の道元的解釈。

 禅仏教では,「平常心是道」の「道」は「仏道」のことを意味する。そして,「平常心」とは「仏道」のことだ,と解釈する。では,その仏道とはなにか。それがわかれば,平常心のなんたるかはおのずからわかってくることになる。

 たとえば,日本に曹洞禅をもたらした道元さんは「仏道」をどのようにとらえていたのか。まずは,道元さんのいう「仏道」についての有名な一文を引いてみよう。

 「仏道をならうというは,自己をならうなり。自己をならうというは,自己を忘るるなり。自己を忘るるというは,万法(まんぽう)に証せらるるなり。万法に証せらるるというは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」(『正法眼蔵』「現成公按」の冒頭にある文章)。

 道元さんの文章にしては,珍しく,とてもわかりやすいところなので,とりたてて解説をする必要はないだろう。ここでのポイントは「自己を忘るる」ことにある。自己を忘れることができれば,あとは,仏の教え(万法)に身もこころも委ねることができる。そうなれば,自己も他己もなくなる,「物我一如」の境地に達するというわけだ。

 しかし,その前に「自己をならう」がある。「ならう」(=習う)の「習」の字のもともとの字は,「羽」の下に「白」ではなく「自」と書いた。つまり,中国語では,雛鳥が親の羽ばたくのをみて,自分の羽をばたばたさせて習うことを意味した,というのである。つまり,「まねぶ」(まねる),「まなぶ」こと。このことを中国語では「習」という。

 道元さんのいう「自己をならう」は,先覚を手本にして自己を「習う」ということを意味する。そうやって,まずは自己を否定して「無我」にすること,すなわち,自己を「空」にすること,これが道元さんのいう「自己を忘れる」ということの意味だ。こうして,自己を「無」にして「空」になると,自己をとりまくすべての他己との境がなくなってしまう。このことを「脱落」と道元さんはいう。つまり,身もこころも,すべて仏陀の教え(万法)にゆだねてしまうことだ。

 こうして,まずは自己否定を通過して,その暁に真の自己肯定が実現する,というわけだ。仏道を習うということは,こういうことなのだ。そして,これが「平常心」ということの内実であり,実態なのである。言ってしまえば,「平常心」とは「自己の身心も他己の身心も脱落」した状態(=ある時のある位)のことを意味する。もはや,そこには自然と融合した,あるがままの「物我一如」の境地があるのみである。是れ,すなわち「平常心」=「仏道」。

 ことここにいたって,ふたたび,わたしの脳裏に鮮明に浮かび上がってくるのは大伯父の最晩年のことばである。すなわち,「まんだぁ,お迎えが来んでなぁ,生きとるだぁやれ」。

 これこそが「身心脱落」のお手本そのものではないか。そして,「物我一如」の境地を悠然と生きている姿そのものではないか。だから,わたしと話をしているときの,にっこりと笑った笑顔が,わたしのこころを強く打った。めくるめくような,不思議な感覚だった。まるで「脱落」せんばかりに・・・。「おしも,いつかは,こんな風になるだぁやれ」という声が,いまごろになって聞こえてくる。なにか,これから歩むべき道筋を指し示してくれているような気がする。

 最近,道元さんの本を読みたがるわたしのこころはなにかに突き動かされている気がしてならなかった。ひょっとしたら・・・・・。そんな予感のようなものもふくめて,そろそろ大伯父という先覚をお手本にして「自己をならう」ことからはじめようか,とさえ思いはじめている。でも,この俗物には無理だなぁ,ともおもう。まあ,いいではないか。慌てることはない。ひとつの流れがいまつくられつつある,とありのまま受け止めておけば・・・。そして,その流れに身をゆだねていけば・・・・。

 今回もきりのいいところで,ここまでとする。また,いずれつづきを。

2015年10月13日火曜日

「びょうじょうしん・しー・たお」「平常心,是れ,道」。

 「平常心是道」。

 中国人の友人に,このことばのことを聞いてみた。
 問:中国でもよく知られていることばですか。
 答:中国人なら,だれでも知っていることばです。
 問:中国語ではどのように発音しますか。
 答:「びょうじょうしん・しー・たお」
 問:どういう意味ですか。
 答:直訳すれば,平常心がタオである。つまり,余分なことを考えないこと。自然のままに身もこころも委ねること,これがタオである,と。

 これと同じ質問を,中国人の友人に問い返されたので,つぎのように応答した。
 日本では,仏教用語として知られているので,知らない人もいる。とりわけ,禅の世界でどのように解釈されているかを知っている人は稀である。
 読み方は,「平常心,是れ,道」。
 意味は,平常心でいることが仏道を生きる道である,と。

 すると,中国人の友人はつぎのように語った。
 中国では,仏教用語だと認識している人は少ないとおもう。道(タオ)といえば,だれもがタオイズム(道教)の中心概念を思い浮かべる。だから,道教のことばだとおもっている人が多い。したがってけ,禅仏教のことまで知っている人は少ない。
 そして,「平常心,是れ,道」の「是れ」とはどういう意味なのか,と聞かれる。中国語の「是」(シー)は,英語でいえば「be」動詞に相当する。だから,「である」であって,「是れ」にはならないから,と。

 ここでハッと気づく。日本語では「平常心,是れ,道」と読んだり,耳にしたりして,なんの矛盾も感じない。しかも,「是れ」という日本語もある。だから,そのまま日本語に読み下すことで,なるほどと納得する。しかし,「是」(シー)は「be」だという。ということは「平常心=道」ということになる。しかも,タオイズムの「タオ」である,と。

 もともと,禅仏教は,インドの仏教と中国の道家思想とが融合して生まれた,仏教の新しい宗派のひとつであることを考えれば,タオイズムと禅との親近性があってもなんの不思議もない。むしろ,タオイズムの「タオ」(道)が,仏教のなかに持ち込まれたと考える方が自然である。このことを念頭において,もう一度,日本語で読み下してみる。

 「平常心,是れすなわち,仏道なり」。あるいは,「平常心,是れすなわち,禅なり」,と。

 ここまで考えが至りついたときに,ふたたび,くだんの大伯父の背後を飾っていた掛け軸「平常心是道」の「文字」がありありと蘇ってくる。それは,いわゆる書家の文字ではない。明らかに,禅僧が書いたものに違いない。どこにも力みがない,平常心そのままの文字なのだ。上手でもない。下手でもない。そういうレベルを超越している文字なのだ。使った筆も,相当に使い古した,穂先がすり減ってバサバサになった筆である。だから,おのずから枯淡の味が伝わってくる。掛け軸が,なにも主張することなく,楚々としてそこにある。しかし,よくみると,いつのまにやらその文字に魅了されていき,虜になってしまっている。身動きがとれなくなってくる。懐の深い,底無しの世界,とでもいえばいいのだろうか。あるいは,これぞ「空」というべきか。

 この掛け軸をこよなく愛したであろう大伯父は筆の立つ人であった。それも尋常一様の筆の使い手ではなかった。いまもありありと思い出すことのできる大伯父の書いた扁額がある。本堂(仏殿)の裏側に位置する祖堂(法堂・ほっとう)にかかっていた扁額である。そこには「無二無三」と書かれてあった。それはそれは切れ味鋭い,覇気迫るものであった。仰ぎ見る者に向かって,これでもか,といわぬばかりの迫力に満ちていた。

 「二」もなければ,「三」もない。あるのは「一」だけだ。ましてや,「四」の「五」の言うな。真実はたった一つ「正法」のみ。ただ,それだけだ。その「一」に向かって歩む道。「一道」。一道無為心。

 しかし,大伯父自身は「若書きの至り」と述懐されていた,と聞く。なるほど,と納得。だからこそ,あの枯淡の味がにじみ出ている「平常心是道」の掛け軸を身近においたに違いない,と。

 今回もまた,「平常心是道」の禅仏教的解釈にまで踏み込むことはできなかった。したがって,もう一度,このテーマについては書くことにしたい。今日はここまで。

「平常心是道」。「まんだぁお迎えが来んでなぁ,生きとるだぁやれ」。

 一年半の間に,二度の大手術を受けて,ようやく「死」というものが目の前に見えてきたようにおもいます。それまでは,まったく健康そのものでしたので,「死」などというものを考える暇もありませんでした。まるで,遠いさきの世界の,非現実的な想像上の問題だとおもっていました。しかし,昨年と今年と短期間のうちに二度もの大手術を受け,集中治療室での一昼夜,二昼夜を過ごして,そこからなんとか這い出して一般病室に移り,必死のリハビリをして退院する,などという経験をすると,人間はいやでも人生観・死生観が変わるものです。いや,変わらざるを得ないものです。

 そんなこともあって,最近は,道元さんの本を読むことが多くなりました。同時に,苦労して育ててくれた両親をはじめ,空襲で焼け出されて丸裸になってしまったわたしたち家族をまるごと面倒をみてくださった大伯父・大伯母のことや祖父母のこと,などなど生前なにかとこころに響くことばをかけてくださった人びとのことが,走馬灯のように思い起こされます。同時に,日一日とともにあの世のことが身近に感じられらるようにもなってきました。

 そんなとき,ふと脳裏をよぎるのが,晩年の大伯父がお会いするたびに言われたことばです。「まんだぁお迎えが来んでなぁ,生きとるだぁやれ」。にこやかな笑顔にだまされ,うまいジョークを言うなぁ,と思いながら笑って受けとっていました。その大伯父の背後の床の間には「平常心是道」という掛け軸がかかっていました。わたしはこの掛け軸のことばがずーっと気になっていて,一度,どこかでチャンスをみつけて大伯父に聞いてみようとおもっているうちに,そのチャンスを逃してしまいました。残念の極みです。

 最近になって,道元さん関連の本を読んでいると,しばしば,このことばに出会います。そして,いろいろの解釈ができることばなのだということも知りました。ならば,わたしも自己流の解釈をしてみようと思い立ちました。そうして,いろいろと考えているうちに「ハッ」と気づいたことがありました。それは,さきほどの大伯父のことば「まんだぁお迎えが来んでなぁ,生きとるだぁやれ」がそのまま「平常心是道」そのものではないか,ということです。

 それには伏線があります。わたしがまだ小学生のころですので,大伯父もまだ若かったころのことです。ある日,大伯父が本堂でお経を上げていました。そのとき,突如として雷が鳴り始めました。それも稲妻と同時に雷鳴が轟くという,とんでもない雷でした。みんな怖くなって,大伯母と子どもたちは庫裡の奥の部屋に蚊帳を釣ってそのなかに集まって震えていました。しかし,本堂のお経は止むことなく,いつもどおりのリズムの木魚の音とともに読経がつづいています。その間も,雷は激しく鳴り続けていました。

 読経が終わって庫裡に引き揚げてきた大伯父は,通りすがりにひとこと。「雷は落ちるときには落ちる。落ちないときは落ちない」,と。すました顔をしていました。このときのことを思い出すたびに,大伯父は達観している,ふつうの人ではない,と思い描いていました。まさに,大事にしていた掛け軸の「平常心是道」をそのまま生きていたんだなぁ,といまにして納得です。

 最晩年のある日,いつものように朝食をとり,大伯母が裏の畑にでかけている間に,おそらく「お迎え」の声を聞いたのでしょう。ひとりでふとんの中に入り,大往生を遂げていた,といいます。

 この大伯父の生きざまをみていて思うことは以下のようなことです。平常心とは,死の承認ではないか,と。死を受け入れるということ。死と正面から向き合うということ。この境地に達してしまえば,もはや畏れるものはなにもない。その境地を淡々と生きること。それが平常心そのもの。それこそが仏道の道。「平常心是道」とはこのことを言っているのだろう,と。

 馬祖道一のことばと言われているこのことば。仏教用語としてはどのように解釈されてきたのか,そしてまた,曹洞禅ではどのように受け止められてきたのか。この点については,少し長くなりますので,別の稿として書いてみたいとおもいます。

 ということで,今日のところはここまで。

2015年10月12日月曜日

「道元禅師の『典座教訓』を読む」(秋月龍みん著),を読み始める。

 ふらりと散歩にでたついでに,近所の本屋さんに立ち寄りました。散歩の途中で本屋に立ち寄るのはいつものこと。いつも行っている本屋さんなので,どこにどのような本が置いてあるかは,百も承知の介。文庫はつぎからつぎへと新しい本がでてくるので,きちんとアンテナを張っていないと置いてけ堀になってしまいます。というわけで,いつも文庫のコーナーから見て回ります。

 そうしたら,いきなり,平積みになっているこの本が目に飛び込んできました。
 秋月龍みん著「道元禅師の『典座教訓』を読む」(ちくま学芸文庫,2015年9月10日発行)。

 
もうずいぶん前のことになりますが,『典座教訓・赴粥飯法』(講談社学術文庫,1991年刊)という本を読んでいました。「典座」(てんぞ)というのは,禅寺における料理を担当する修行僧の役職の名前。しかも,道元さんが中国で修行していた曹洞禅ではとても重要視されていた役職で,地位も高く,尊敬されていたといいます。その秋月版が今回,刊行されたというわけです。

 道元さんは,若いころに建長寺で臨済禅の修行をしますが,そこでは「典座」という制度はありませんでした。つまり,日本に伝えられた臨済禅には「典座」という考え方も制度もなかった,ということです。そこで,道元さんは「正法」を如浄禅師から伝授されて帰国した後,禅道場を建て,そこで修行する人たち(出家と在家の両方)のために最初に書いた本がこの『典座教訓』だった,ということです。

 ですから,道元さんが,「食べる」ことにかかわる作務をとても重視していたことがわかります。つまり,献立を考え,食材を買い集め,調理して,雲水たちに提供する,という一連の作務そのものに「こころ」を籠めることの大事さを,この本は説いているわけです。すなわち,「典座」は,道元さんの説く「禅」の中核をなすものと言っても過言ではありません。日常の「行住坐臥」すべて「坐禅」なり,と説いた道元さんからすれば,「典座」がいかに重要な「修行」のひとつであるかはすぐにわかるとおもいます。

 以前,読んだときには,かなり苦労して読んだ記憶があります。しかし,こんどの秋月龍みんさんの『典座教訓』の読解はじつに明解です。まず,道元さんの書いた「和文」が提示され,ついで「現代語訳」があり,さらに「解説」がついています。ですから,なにも考えることなく順番に読んでいけば,すんなりと理解できるようになっています。もちろん,秋月さんの文章がじつによくこなれていて,道元禅の初心者にも楽に理解できるように気配りがなされています。

 このような文章が書けるということは,道元禅に対する秋月さんの造詣の深さがあってのものであることは,もちろんのことです。ものごとをよく見極めた人の達意の文章は読んでいて心地いいものです。この本はそういう部類に属する名著だとおもいます。

 加えて,この本は「典座」を語りながら,なんのことはない,道元禅の本質をじつにわかりやすく説いている点が素晴らしいとおもいます。有名な「只管打坐」(しかんたざ・ただひたすら坐禅に専念しなさい)や,「修証一等」(しゅしょういっとう・修行することと悟ることとはひとつのことですよ)ということばと,「典座」もまたまったく同じことばなのだ,ということも難なく理解できてしまいます。なにをしているときも,全身全霊を籠めて取り組むこと,これが「坐禅」であり,「悟り」なのだ,というのです。このことを「典座」の作務をとおして,道元さんは説いている,という次第です。

そのことを秋月さんはみごとに描き切っている,と言っていいでしょう。
お薦めの名著です。

TPPは決定したわけではない。まだまだ時間がかかる。

 TPPが大筋合意したというだけで,日本のメディアはまるで決定したかのような騒ぎ方をしている。その騒ぎを受けて,早くもアベ政権はTPPに対応するための予算措置まで講じようとしている。まだ,TPPが決定されたわけでもないにもかかわらず・・・・。

  TPPが成立するかどうかの大きな鍵を握っているといわれるアメリカですら,賛否両論があって,真っ二つに割れて大きな議論になっている。はては大統領選挙の行方にも大きな陰を落としている。TPP推進派であったクリントンも,ここにきてTPP反対の立場に切り換えた。大統領選挙に不利だと判断したからだ。つまり,アメリカの世論は,すでに,TPP反対の方向に潮目が変わったということだ。にもかかわらず日本のメディアはほとんどこのことを伝えていない。

 このようなアメリカの動向を知ってか知らずか,アベ政権はわき目もふらずTPP推進にまっしぐらである。そして,気の早いことに,いまから決定することを当然のこととして,TPP対応のための前倒しの政策があれこれ検討されている。それも,じつに熱心に。いったいなにゆえに,これほどまでにTPP推進にこだわるのか。

 一説によれば,来年夏の選挙対策だ,という。一瞬,どうして?とおもう。が,実際のところはこういうことらしい。TPPが実際に効力を発して動きはじめると,農業をはじめ,医療,自動車,保険,など多岐にわたって相当のダメージを受けると予想されている。そのため,多くの反対意見が噴出してくることは必定だ。このままでは選挙は闘えない。ただでさえ安保法案の強行採決でミソをつけたばかりだ。だから,TPP対策のための予算をふんだんに盛り込んで,政府がこれだけの面倒をみますよ,というポーズをとらなくてはならない。そのための絶好のチャンスだ,というのだ。

 つまり,安保法案からTPPへと国民の目をずらすこと。そして,票のとりまとめに入ろうというのだ。しかも,TPP対策のための金は,選挙運動の資金に転用されてしまう可能性がある,というのだ。なぜなら,TPPが,もし,かりに成立してその効力を発揮しはじめるとしても,それはまだまだずっとさきのことだから,今すぐに対策費が必要ということではないからだ。つまり,見せ金にも等しいからだ。

 すなわち,TPPを徹底的に選挙で利用しようという戦略なのだ,という。

 ひょっとしたら,最終的にはTPPは空中分解する,ということも視野に入れているのではないか,という論者もいる。だとしたら,アベ政権にとっては,安保法案をすり替え,国民の目をTPPに惹きつけておいて,金まで使えるようにして,来るべき選挙を闘うことができるという,まさに渡りに舟なのだ。

 その根拠になっているのが,大筋合意から文書合意にいたるまでの,最後の詰めの段階で「合意」が得られなくなる可能性は十分にある,という予測である。世によくある「総論賛成,各論反対」というやつだ。実際の利害が条文ごとに確認されはじめると,かならず起きることだ。その壁をいかにして乗り越えるかは,こんごの大きな課題なのだ。したがって,これからかなり長い時間をかけて条文の詰めをしていくことになる。

 この難関を通過してはじめて文書合意となる。ここから,さらに各国の議会の承認を得なくてはならない。アメリカの場合には「90日ルール」があって,最低でも3カ月は議会承認をとりつけるために必要だという。いまから,その日数を計算していくと,アメリカは大統領選挙に突入してしまって,TPPどころの話ではなくなってしまう,という。しかも,有力な大統領候補が,TPPには反対を表明している。

 ことほどさように,TPPの行方はまだまだ不透明なままなのだ。クリアしなくてはならない難題がいくつもある。大筋合意ということはそういうことなのだ。

 なのに,アベ政権とそれに隷従するメディアは,まるでお祭り騒ぎである。その裏にはなにかある,と勘繰られても仕方がないほどに,条件が揃っている。

 しかも,TPPには大きな爆弾が隠されている。あまり議論されていないが,大問題なのだ。この点については,また,稿を立てて論じてみたいとおもう。

2015年10月11日日曜日

『森のなかのスタジアム』──新国立競技場暴走を考える(森まゆみ著),を読む。

 「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」(以下,「手わたす会」)の2年間にわたる活動をまとめた森まゆみさんの入魂の記録です。わたしも何回か,この人たちの活動に参加させていただきました。「この人たち」と書いたのは,森まゆみさんを含め,女性ばかり11名が,この会の共同代表となり,互いに手をとりあって会を運営してきたからです。

 ひとことで言ってしまえば,男性が組織した会とは違って,いかにも女性らしく,じつにきめ細かに気配りの効いた,しかも粘り強く,みごとなチームワークで会が運営されているという点に,大きな特徴と魅力がある,とおもいます。この会の共同代表のひとりである大橋智子さんは,わたしの主宰する研究会(4月25日・青山学院大学で開催。テーマは「東京五輪2020を考える」)にも参加してくださり,お馴染みです。

 そんな関係もありましたので,このテクストが刊行されてすぐに書店に走りました。『森のなかのスタジアム』──新国立競技場暴走を考える(森まゆみ著,みすず書房,2015年9月25日刊)。しかし,溝の口の書店ではみつからず,渋谷まで足を運ぶことになりました。

 
著者の森まゆみさんのことは,お名前だけで,書かれたものについてはほとんどなにも知らないでいました。ですから,このテクストを読むことによって,初めて森まゆみさんのイメージがしっかりと固まってきました。たくさんの著作があり,数々の受賞作品もあることも,今回,知りました。が,なによりの発見は,地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を1984年以来,ずっと発行してこられたということ,でした。つまり,ご自分の生まれ育った地域にしっかりと「根」を下ろし,地域文化の発掘と保存・普及に力を注いでこられたということです。その延長線上に,東京駅のレンガづくりの駅舎保存・修復の活動があったことも,知ることができました。

 わたしは迂闊にも,森まゆみさんという作家が,なにを,突然,国立競技場問題に首を突っ込んできたのだろうか,と不思議におもっていました。そして,共同代表をつとめていらっしゃるほかの10名の方たちの経歴をみても,まだ,なんとなくピンときませんでした。なぜ,この人たちは,こんなに熱心に国立競技場問題に取り組んでいらっしゃるのだろうか,と。

 その疑問は,このテクストを読むことによって一気に氷解しました。その鍵は,なんと,その会の名称にありました。すなわち,「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」に。

 わたしの理解は以下のとおりです。「神宮外苑と国立競技場」は,わたしたちみんなの文化遺産である。その大事な文化遺産を,わたしたちの知らないところで,言ってしまえば密室で,好き勝手に作り替えようとしている,しかも,じつに杜撰で,無責任に。ですから,そのとんでもない手法に待ったをかけた,ということ。こんなに大きな国民的な大事業を,国民に非公開の場(=密室)で,どんどん推し進めてしまっていいのか,しかも神宮の景観を破壊するようなとんでもない建造物を建ててしまっていいのか,と。少なくとも,「国民にわかりやすく説明」をし,「国民の理解と支持」を得て,進めるべきではないのか。すなわち,民主主義のルールをきちんと守ってほしい,と。

 ですから,最初は,まことに楚々として会を立ち上げ,声明文に遠慮がちな「質問状」を付して,関係各省庁にはたらきかけることから会の活動をはじめています。しかし,関係各省庁からはほとんどなしのつぶて。なんの応答もなし。そこで,これではいけないということになり,いろいろの分野の専門家を招いて「勉強会」をはじめます。そうして,人脈を拡げながら,少しずつ力をつけ,地に足のついた活動を展開していくことになります。そして,いまや,その存在を無視することのできないところまで,実績を残してきました。

 デモも行いました(わたしも参加しました)。国会議員への請願書の提出もしました。できることはなんでもやる,という地道な活動を共同代表のみなさんが手分けをして,積み上げてきました。その「2年間」の活動記録が,このテクストとなって結実したと言っていいでしょう。

 10月1日には,「リセット 東京五輪」②国立競技場問題,というタイトルで,これまでの活動報告がなされました。森まゆみさんが基調報告を,そして,大橋智子さんが建築家の視点からの問題提起を,さらに,清水伸子さんからは請願書提出の経緯についての報告がありました。こちらは,YouTubeで見ることができます。ご確認ください。

 この席でも,森まゆみさんが,最後におっしゃっていますように,このテクストは共同代表のみなさんの結束とそれを支えてくださった各界の専門家の方々のお蔭であって,わたしひとりの作品ではありません,と。とりわけ,巻末に付された「関連年表」は,みんなで作り上げた作品です,と。

 この「関連年表」は「手わたす会」のHPに,どんどん書き加えられていくことによって出来上がったものです。これまでは,いちいち,HPを開いて,活動の足どりを確認していましたが,これからはこのテクストを開けばすぐに事足りることになり,わたしにはとても助かります。

 それ以外の「資料編」に収められた要望書や質問状も,とても貴重なものばかりです。その内容は以下のとおりです。
 1.要望書等リスト
 2.国際デザイン競技に関する公開質問状(2013年12月24日)
 3.新競技場に関する公開質問状(2014年1月31日)
 4.国立競技場を壊したくない10の理由(2014年6月9日)
 5.解体と樹木伐採への抗議声明(2015年3月5日)
 6.現行案に対する緊急市民提言(2015年6月16日)
 7.関連年表

 長くなってしまいました。
 こんご,国立競技場問題を論議する上での必読のテクストであることは間違いありません。そして,このテクストをとおして,さらなる議論が立ち上がることも間違いないでしょう。その意味できわめて重要なテクストの出現と言っておきたいとおもいます。

 わたしの主宰しています研究会でも,ぜひ一度,合評会を開催したいとおもっています。
 広く,一般の方々にもお薦めしたいとおもいます。名著です。

2015年10月10日土曜日

セシウム汚染,深刻。東京五輪は大丈夫なのか。

 お台場といえば,いまや若者たちの人気のスポットだ。最先端の文化施設がいっぱいあって,観光客もいっぱい集ってくる。まあ,言ってしまえば,東京でも指折りの超人気スポットだ。


当然のことながら,お台場海浜公園にも大勢の人が押し寄せる。都会の喧騒を忘れて,海を眺めながら散策するには絶好のポイントだ。海を眺めているかぎり,一瞬,東京にいることを忘れることができる。しかし,その海水がどのような状態になっているのか,じっくりと観察した人はどのくらいいるだろうか。そして,ここの海水がセシウム汚染でどの程度犯されているのか,注意を向けた人はどのくらいいるだろうか。

 わたしが訪れたのは,3・11以前のことだったが,それでも気になったのは海水の汚れ具合だった。こんなところではとてもじゃないけど,海に入って泳ぐ気にはなれない,とそうおもった。しかし,調べてみると,2001年から毎年,日本トライアスロン選手権大会がここで開催されているという。ことしも,10月11日に開催されるという。選手たちは,この程度の汚れなど気にもとめず,泳いでいるのだ。いや,気にしながらも泳いでいるのだ。慣れというものは恐ろしい。一度,経験してしまえば,あとは平気。いやいや快感ですらある,かもしれない。

 こうした大会の実績と,地元の熱心な勧誘によって,東京五輪2020のトライアスロン競技の会場となることが決まったという。それにしても,はたして海外の選手たちは大丈夫なのだろうか,といささか心配ではある。

 そんな折も折,今朝(10月9日)の東京新聞の一面トップで下の写真のような記事が掲載された。この記事をじっくり読みながら,「トライアスロン競技は大丈夫なのか」とかなりの不安をいだかざるを得なかった。もちろん,セシウムのレベルは基準以下とはいえ,着々とこの汚染が進行していることは間違いない。しかも,下流にいけばいくほど,セシウムの値は高くなっているという。


この記事では,東京湾の海水汚染の度合いは調査対象になっていないので,詳しいことはわからない。しかし,しかるべきところでは測定をしているはず。その測定結果を公表していないだけのことらしい。場合によっては「秘密保護法」に守られ,囲い込まれているのかもしれない。その数値を公表してしまうと,東京湾で採れた魚介類の市場に大きな影響がでかねない,という理由で。これはあくまでもわたしの憶測にすぎないが,ありえない話ではない。

 
この記事は,主として神田川と日本橋川の汚染の実態を調査した結果に焦点が当てられている。詳しいことは新聞で確認していただきたいが,汚染が「広範囲」に及んでいることだけは,みてとれる。しかも,下流ほどセシウムが蓄積されていることも明らかだ。となると,これらの汚染水がすべて東京湾に流れ込んでいくわけだから,その結果が気がかりだ。しかも,東京湾に注ぐ川はほかにもたくさんある。それらが集積されるとどういうことになるのか。その実態を知りたいところだ。

 少なくとも,日本トライアスロン連合は,スイム競技の会場となるお台場海浜公園の海水の検査くらいはやっているはずだ。そして,選手たちに「安全である」という説明をしているはずだ。その根拠となるデータくらいは公表してもらいたいものだ。もっとも,日本トライアスロン連合に問い合わせれば,すぐにわかることではある。しかし,ひょっとしたら関係者のみで,「部外マル秘」になっているかもしれない。

 放射能汚染に関して,一般的に,ヨーロッパ人はきわめて敏感な反応をする。神経質なほどにぴりぴりしている。それに比べて,日本人は,わたしもふくめて,一般的におおらかというか,鈍感である。なんとかなるさ,と楽観的だ。だから,トライアスロンのスイムも,国内の選手権大会なら,それほどまで問題になることもなく開催が可能なのだろう。これまでに放射能汚染の問題で「もめた」という話は聞いたことがない。しかし,国際大会ともなると,話はいささか違ってくるのではないだろうか。と,わたしは心配だ。これが単なる杞憂ならいいが・・・。

 海水汚染くらいなら,まだいい。もっと大きな問題をわたしたちは抱え込んでいる。フクシマの原発問題だ。アベ君は「アンダー・コントロール」と大見得(大嘘)を切ったが,現実は深刻の度をますます深めるばかりだ。いつ,なんどき,大爆発を起こさないとも限らない。まったくの未知の世界で,ことは進行している。専門家ですら,なにが,どのようになっていて,この平衡状態が保たれているのかわからない,という。つまり,真実はなにもわかってはいないのだ。

 そういう大問題を抱え込んだまま,東京五輪2020開催に向かってまっしぐらだ。このあたりで,一度,真摯にフクシマ原発問題に目を向け,そこで起きていることがらを真っ正面から受け止め,検討し,暫定的な結論を導き出す,というくらいのことはすべきではないのか。この点について,組織委員会をはじめ,東京都,文部科学省,JSCなどに,考えを聞いてみたい。

 ことは緊急を要する事態だ,とわたしは考えているのだが・・・・。

2015年10月9日金曜日

特集・法治崩壊──新しいデモクラシーは立ち上がるか。『世界』11月号がとどく。

 安保法案の参議院における最後の審議・採決のドタバタ劇(9月19日)をテレビでみていて,心底腹が立ちました。こんなことが許されるとしたら,もはや議会は不要,と絶望の淵に立たされてしまいました。そして,アベ政権は,あらゆる手段をつくして,可能なかぎり早く退陣させなくてはならない,とこころに誓いました。

 冗談じゃあない。「国民,舐めんな」「憲法,守れ」「アベは,辞めろ」という,国会前でみんなと一緒に大声を張り上げたシュプレヒコールが耳に蘇ります。そして,一日中,頭のなかで鳴り響いていました。そんな興奮した日々がつづきました。少し落ち着いたところで,なぜ,こんなことになってしまうのか,なぜ,こんなデタラメが許されるのか,と考えるようになりました。

 いろいろ考えてみましたが,どうしても納得いかないのは,特別委員会の議決が成立していないのに,しかも議事録も記録不能と書き残すしかない法案が,なぜ,参議院で採決され,成立することになるのか,ということでした。そうして,自分なりの解答をいろいろ用意してみました。しかし,これでいいのだろうか,という疑念はいつまでもつづきました。そんな悶々とした日々を送っていたあとの,このタイミングでの『世界』11月号です。

 
そして,その特集が「法治崩壊──新しいデモクラシーは立ち上がるか」でした。

 まさに,わたしの抱いていた疑問に真っ正面から応答してくれる特集テーマでした。欣喜雀躍とはこのことでしょう。そこには,いろいろの専門家の主張が織りなされていました。

 早速,いつものように清宮美稚子編集長の「編集後記」から読み始めました。ああ,やはりそうなんだ,と共感しながら,安心立命。そして,特集の執筆者とテーマを確認する。山室信一,山口二郎,福山哲郎,中野晃一,ほか8名の名前が並ぶ。ついでに拾い読みに入る。つまみ食いとはいえ,読むほどに,わたしの気持ちは落ち着いてくる。やはり,みなさんも一様にご立腹。自分ひとりだけではなかった・・・と。その内容については,自説と突き合わせながら,これからじっくりと堪能したいとおもいます。

 ページをめくって,最初に目に飛び込んでくるのが,A SHOT OF THE WORLD の写真。「パリ18区のタウンホールの前で。スーダンからの難民がテントを設置し,キャンプ生活を送っている。というキャプションを読み,ショックを受ける。パリのど真ん中で,難民がキャンプ生活を送っている。日本ではとても考えられない光景だ。じっと考え込んでしまう。難民を生みだしたのはだれか。われわれ文明先進国だ。その責任を忌避するアベ政権には,ほとほと嫌気がさしてしまう。

 そのつぎに目に入るのが,「昔日」と題するグラビア。工藤隆太郎の公募作品。モノクロのしっとりとした作品が8ページにわたる。忘却のかなたに消え行きそうな,作者の故郷に足を運び,みずからのこころの「根っこ」を確認するかのような作品が並ぶ。故郷を去り,都会で生きる道を選んだ者たちの「宿命」,あるいは「業」のようなものを,わたしはその写真から受けとる。わたしもまた同類だったから。

 そんなことを思い浮かべていたら,表紙の写真が気になりはじめた。雑草が生い茂る原野。なのに,なぜか電信柱や電線が朝もやをバックに浮かび上がっている。そこで,ピンときた。むかし,人が住んでいたのに住めなくなった地域。そう,フクイチの被災地。

 表紙の言葉──福島はいま。飯舘村草野。鈴木邦弘。撮影者の短い解説の最後に「2014年秋撮影。放射線量:1・98マイクロシーベルト」とある。これまた,日頃,忘れがちな原発災害への思いを一気に新たにしてくれる,みごとな作品。

 さてさて,こんなことを始めてしまうとエンドレス。あとは読んでのお楽しみ。今月号もまた,いつもにもまして読みごたえのある号となっている。秋の夜長にはもってこいの読み物。「世界」に目を開くためにも。お薦め。

2015年10月8日木曜日

もっと真剣に議論を。運動会の人間ピラミッド。

 10月3日の東京新聞「こちら特報部」に,下の写真のような記事が掲載された。読んでみて驚いたのは,その記事の薄っぺらさだ。こんないい加減な記事だと,世論はますます混乱をきたすことになる。もっと,しっかりと取材をして,問題の本質をつきとめて欲しい。

 
もっともよくない点は,事実誤認の内容が,まことしやかに書かれていることだ。少なくとも,専門家の「校閲」を経てから掲載すべきではないか。

 たとえば,以下のとおり。

 「組み体操のピラミッドは,四つんばいの人間が下から順番に積み上がっていく。」⇨このピラミッドは,ひとむかし前の方法。いま,行われているピラミッドはまったく違う原理と方法で組まれている。考案者はよしのよしろう。写真をよくみてみればわかるように,四つんばいになっているのは前列の一番下と,その後ろにつづく一列おきの土台,それに上の二段だけである。あとは,みんな足を伸ばして上体を前に倒し下の土台の肩甲骨のあたりに手をついている。つまり,四つんばいの人間は全体の一部でしかない。第一,全員が四つんばいであったら,立錐体のピラミッドを組み上げることは不可能に近い。もう一点は,全員四つんばいで組み上げていったら,上からの重力はとてつもないものになってしまう。この重力をいかに分散させて,高さを可能とするか,という点に考案者・よしのよしろうの工夫が隠されている。しかも,簡単で高度な技術を必要としない,というところに普及の秘密がある。小学生でも,7段くらいまでなら,いとも簡単にできるようになる。しかし,8段以上になると,一気に,異次元の世界に突入する。ここからは,重力に耐える体力と高度な技術と気力を必要とする。このあたりのことを記者(沢田千秋)は十分に理解していないようだ。

 大阪市教委は「先月一日,ピラミッドの高さは五段,タワーは三段までとする規制を各校に通知した」という。この大阪市教委の規制のいい加減さ。いま,行われているピラミッドの方法であれば,五段までだったら「遊び」の世界である。小学生でも,なんの感動もないだろう。ましてや中学生だったら,だれもやる気にはならないだろう。組み体操の最大のポイントは,児童・生徒がその気になる。そして,指導する先生も真剣になる。それをみる者が感動する。この三点がセットでそろったときに,初めて組み体操の魅力が生まれる。安全第一はわかる。そのとおりだ。しかし,安全圏があまりに大きすぎると,こんどは魅力に欠けてしまう。つまり,危険と背中合わせの真剣勝負,その限界への挑戦が組み体操にとっては必要不可欠な要素なのだ。だから,それを「安全に」可能とさせるためのきめ細かな手順・方法(指導・学習)が必要になってくる。議論すべきは,このあたりのことでなければならないはずである。。ただ,ひたすら安全だけを主張する人たちは,いとも簡単に「やめてしまえ」という。それでは話にならない。

 「下から六段目にいた一年の生徒(一二)が右腕を骨折するなど六人が重軽傷を負った。」⇨ピラミッドでもっとも難しいのは,ちょうと「六段目」あたりのポジションなのだ。このあたりには,小柄ながら体格のしっかりした,我慢強い生徒を配置するのがセオリーだ。この写真をよくみると,五段目の生徒の背中が伸びてしまって,六段目の生徒の右手は滑ってしまっている。そして,その上に四つんばいの馬が七段・八段と乗っかっている。ここから明らかなように,この六段目の生徒のポジションが肝心要なのだ。なのに,この六段目の生徒を後ろから支える力が逃げてしまっている。そのため,六段目の生徒の右手が滑ってしまい,五段目の生徒の腰を押す結果を生んでいる。ここの連携の技術の習得がまだ不十分だったことがここからわかる。原因のない事故はない。本番前の練習で,六段目までの組み上げ方をもっと徹底して練習しておけば,力が後ろに逃げるという事故は防げたはずである。また,途中で修正することもできたはずである。後ろの生徒にその自覚が不十分だったのだろう。ここに指導上の問題点があったのでは,とわたしは推測する。

 もう一点は,内田良(名古屋大学大学院准教授・教育社会学)氏の分析である。記者は,この人の談話に凭れかかりすぎている。一応,内田氏はこの世界(スポーツ事故)の第一人者ということになっているので,ある程度は仕方がないところではある。しかし,内田氏のこれまでの主張(柔道事故,など)の根底にあるものは,数量的合理主義である。一見したところ,いかにも合理的で,説得力があるように見える。しかし,組み体操に必要とされる技術や気力・体力についてはあまり理解があるとはいいがたい。それを,どのような段階を踏んで習得していくか,ということもあまりご存じないようだ。だから,もっぱら数量化することのできる要素に焦点を当てて,論陣を張る。が,それだけでは,片手落ちというものだろう。

 「周りにいくら教師がいても,子どもにかかる重量は一グラムも軽くはならない。」⇨教師はただ立ってみているだけではない。手をつく位置,重力のかかり具合,励まし,など注意深くアドバイスを送っているのだ。現に左から二人目の黒いシャツを着た教師は,右手を伸ばして重心を前にかけろと指示していることが見てとれる。この教師の目には,これでは崩れるということが予見できていたはずだ。だから,修正しようと必死になっていたはずだ。また,一番右側の黒いシャツを着た教師も同様に,もっと重心を前にかけろと左手で尻を押している。この失敗の原因は,力が前後に分散してしまったことにあることが,以上からも明らかとなる。教師たちは,これでは危ないと予知して,必死で檄を飛ばしていたはずである。

 「教師には高さ七メートルかち落ちてくる子どもを受け止めることはできない。」⇨もし,一番上の生徒が落ちてくるとしたら,斜めに転げ落ちてくる。それを受け止めることはできる。そのために,何人もの教師が中央部分に立っている。それは練習を繰り返していて得た経験知であろう。それをまるで「無意味」であるかのように切って棄てる内田氏の見解には納得できない。もっとも,内田氏はもっとことばを尽くして話をしているのに,記者が端折ってしまったのかもしれない。新聞から求められる談話とはそういうもので,わたしにも心当たりがある。

 「感動の呪縛というわなにとらわれリスクが見えなくなっていた。」⇨このような断定的な言い方をしているのだろうか。もし,そうだとしたら,教育社会学者のまなざしとはこの程度のものなのか,といささか呆気にとられてしまう。教育の専門家として,教師を見下しすぎてはいないか。組み体操のリスクに盲目になるほど教師は無能ではない,とわたしは信じている。むしろ,そのリスクを意識しているからこそ,教師を周囲に配置して,可能なかぎりの万全な安全対策をとっているのではないのか。ここに至るまでには,何回もの教員会議をとおして,議論を重ねてきたはずである。その上で,運動会の組み体操実施が決定されたに違いない。

 とまあ,この記事を読むだけでも,これほどの問題が浮かび上がってくる。

 結論:組み体操の問題をもっと真摯に受け止め,問題の所在を明らかにし,問題解決の方法をつきとめること。そのために,組み体操の専門家もまじえて,もっと真剣に議論をすべきである。市教委の対応にしても,あまりにおざなりで,無責任というほかない。

2015年10月7日水曜日

TPPにストップを。齋藤美奈子さん「あっぱれ」。

 今日(10月7日)の東京新聞・本音のコラムに拍手。こんな小さなスペースのなかに,TPPを考えるための肝を暴き出した齋藤美奈子さんに「あっぱれ」といいたい。すなわち,所詮は「強者の論理」だ,と。

 「犠牲は弱いところに行く。戦争も経済戦争も。」

 なのに,朝日も毎日も日経も,いわゆる「全国紙各紙は一様に祝賀ムードだ」という。なんというジャーナリズムの怠慢というべきか。もっと本気で取材をし,本気で分析していけば,TPPの本質がどこにあるのか,こんなことは容易に見定めができるはずだ。しかし,そのような努力をしようとはしない。あるいは,問題の本質を見極めているにもかかわらず,自発的にアベ政権に「隷従」しているというのだろうか。だとしたら,情けない。

 その点,齋藤美奈子さんはおみごと。TPPは「経済戦争」だと見切っている。

 
そうなんです。TPPは「経済戦争」なんです。言ってしまえば,アメリカン・スタンダードを環太平洋諸国にまで拡大して,支配してしまえ,ということです。もっと言ってしまえば,フリードマンの新自由主義による世界支配の環太平洋版,そのひとことに尽きる,とわたしは考えています。

 SNS情報によれば,2012年6月14日(木)の段階で,ニューヨークの独立放送局Democracy Now!によって、このTPPの問題点はみごとに暴き出されていました。ロリ・ウォラック氏(市民団体パブリック・シチズン代表)はつぎのように指摘しています。

 「これは貿易協定ではない。企業による世界支配の道具です。1%の富裕層が私たちの生存権を破壊する道具です。」

 つまり,TPPは「ドラキュラ」のようなもので,太陽の光にさらせば溶けてなくなってしまう,すなわち,TPPの実態を多くの人が知れば反対する人が続出する,というわけです。あるいは,「トロイの木馬」で,見せかけと中味はまったく別物だ,というわけです。しかも,一度,決めてしまったらもはや後戻りはできない,という意味で「セメント」だともいわれています。

 こうした主張はいまも根強く残っていて,世論を二分するほどの大きな議論がアメリカでは沸き起こっている,といいます。そして,最近になって,TPPに反対する議員の数が過半数を越えたのではないか,とする観測もなされているほどです。ということは,アメリカの議会が,このTPPを否決する可能性があるということです。

 なのに,日本の全国紙は「祝賀ムード」だというのです。そのノー天気ぶりが恥ずかしいばかりです。これでは,日本列島は,この「経済戦争」に巻き込まれて「沈没」していくこと必定です。その危機感は,むしろ地方紙の方にある,と齋藤美奈子さん。

 こうなったら,わたしたち国民の出番です。強者の論理に対抗して,弱者の論理を立ち上げ,闘いを開始することです。すなわち,「戦争法案」と「TPP協定」とをセットにして,どちらも廃案・脱退を実現させる政権の誕生をめざして,新たな運動を展開していくしか方法はありません。

 TPP=Trance-pacific partnership=環太平洋パートナーシップ協定,またの名を「環太平洋戦略的経済連携協定」ともいう。

 この協定に参加している国は,太平洋を取り囲むチリ,ペルー,メキシコ,アメリカ,カナダ,日本,ブルネイ,ベトナム,マレーシア,シンガポール,オーストラリア,ニュージーランドの12カ国です。はたして,これらの国のすべてがこの協定を結ぶことに賛成する(議会の議決を得る)ことができるのかどうか,しかと見極めていくことにしたい。

2015年10月6日火曜日

「マイナンバー」。とうとう番号になってしまう「わたし」たち。物品管理。丸裸。人権無視。

 「マイナンバー」だって?冗談じゃないよ。

 俺たちは人間なんだ。物品じゃあないんだ。

 倉庫にぶちこまれた物品じゃあないんだ。

 人権をもった人間なんだ。血も涙もある人間なんだ。生身のからだを生きる動物なんだ。

 どこまで行ったって,「モノ」じゃあないんだ。立派な「生きもの」なんだ。

 その「生きもの」を,倉庫の物品と同じように,番号をふって整理し,物品の中味の情報をすべてパソコンにインプットし,一人の人間のあらゆる情報を国家が把握するという。プライバシーもなにもあったもんじゃあない。内緒でやっているアルバイトもみんなバレてしまう。たった一銭の税金も間違いなく取り立てる。光熱水費の支払い情況も。給料明細も。なにもかも。

 これじゃあ,ジョージ・オウエルが描いた小説『1984年』よりも酷いじゃあないか。

 2015年の日本が,マイナンバーというカード一枚で,すべての国民の情報をすべて把握する国家になろうとは・・・・。いったい,だれが想像しただろうか。

 憲法を無視し,議会のルールまでも無視して成立させた「戦争法案」は,日本の憲政史のなかに最悪の歴史を刻んだ。しかし,それに負けず劣らず最悪の制度が,このマイナンバー制度だ。ここには,基本的人権の保護もプライシーの保証もなにもない。人間が「生きもの」であることも否定され,完全なる「モノ」にされ,物品化されて,国家に管理される,というのだ。

 かつて,ジョルジュ・バタイユは,「有用性の限界」ということを言った。その骨子は,人間は自分にとって役に立つ「有用性」を追い求めていくと,便利な生活ができるようになるが,やがて自分たち自身をも「有用性」の枠組みのなかに閉じ込めてしまい,気づいたときには,人間が人間ではなくなり,「モノ」と化してしまう,というものだ。

 それを小説化したものが,さきにあげたジョージ・オウエルの『1984年』であり,最近の小説でいえば,カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』だ。

 これらは小説だ。しかし,マイナンバー制度は,現実の,いまを生きるわたしたち人間を「モノ」として管理するリアルな話なのだ。

 なぜ,こんな制度をアベ政権は編み出したのか。いわずとしれた「戦争法案」とセットなのだ。話をわかりやすくするために,ざっくりと言わせてもらおう。それは「徴兵制」がその裏に隠されている,ということだ。生活に苦しんでいる若者たちを自衛隊に勧誘するのも,このマイナンバー制度があれば自由自在になるのだ。

 この他にも,国民を自由自在に操る装置が,このマイナンバー制度にはいっぱい隠されている。それらについては,いずれ,このブログでも書いていくとして・・・・。

 ああ,やだやだ。マイナンバーなんて,考えるのもやだ。

 こんな鬼の手を,よくもまあ考え出したものだ,とあきれ返ってしまう。官僚のなかには血も涙もない「鬼」のような人が少なくないと聞く。優秀な官僚ほど,冷徹そのものだ,とも聞く。国民を虫けら同然・・・,いや,虫けらどころか,「モノ」同然とみなして平然としていられる人種だ,とも聞く。そういう官僚たちが,鬼の悪知恵を働かす。そうして,アベを喜ばせる。あとは,とんとん拍子で出世する。そして,天下る。そんな筋書きまでが透けてみえてきてしまう。

 あなおそろしや,あなおそろしや。天神様にお願いをしよう。藤原氏の末裔が,いまも悪さを働いていて困ります,と。祟り怨霊のパワーで,なんとか,そこを・・・・。お助けのほどを・・・・と。

2015年10月5日月曜日

いま,目の前で歴史が「つくられ」ていく。瓦礫の山を目の前にして。この国の行方やいかに。

 政権の舵取りが狂うと,国民の意識も狂ってしまうらしい。もともと「長いものには巻かれろ」的な,権力に従順な国民性も加味して,政権のやりたい放題の政治が,まかりとおっている。まさに,恥も外聞もない,とはこのことだ。ほんとうに,でたらめな政治がまかりとおっていく。しかし,いかに権力に従順な国民性とはいえ,憲法を無視して戦争のできる国への大転換だけは許せない,と多くの国民が目覚めた。にもかかわらず,議会の多数にものを言わせて,国会のルールを破ってまでして法案を押しとおしてしまう。

 こうして,日本国は,まったく新しい歴史の扉を開き,70年の貯金をすべてはたいてしまうという大きな博打に打ってでた。大博打を打ったアベ君は,戦争法案を手土産にアメリカに渡り国連で演説をし,積極的平和主義を貫く,と見得を切った。しかし,その会場の席はがら空きで,アベ君の演説に耳を傾ける外国の首脳はほとんどだれもいなかった。おまけに,オバマ大統領との会談も叶わなかった。なんたる体たらく。

 政権の生命線を賭けてわがものとした戦争法案が,国際社会ではなんの勲章にもならなかった。むしろ,立憲デモクラシーを否定し,国民の意思を無視してまで強引に押し切った政治手法が顰蹙を買うところとなってしまった。もはや,国際社会はアベ君を相手にはしなくなってしまったのだ。戦争法案をごり押ししたあのたった一夜にして,日本国は世界から軽んじられる国家になりはててしまった。

 この事実を,日本のメディアはひた隠しにしている。日本のジャーナリズムは自死にも等しい道を歩みつづけている。だから,国民の大多数はなにも知らないままだ。逆に,アベ君が派手に立ち回っているかのような錯覚を起こすような報道をしている。意図的計画的に。その結果,とんでもない錯覚に陥っている日本人は少なくない。

 たとえば,戦争法案は日本の安全を守るために必要不可欠な法案である,と信じている。事態はまったくの逆だ。戦争法案をもったことによって,日本は安全な国家から危険な国家へと舵を切ってしまったのだ。なぜなら,日本は「戦争をしない国」として70年の実績を残した。だから,国際社会はこの「70年」を奇跡として高く評価してきた。「戦争をしない」と憲法で宣言している国を,一方的に攻撃することはできない。しかし,いつでも戦争ができる国になったとたんに,日本に対する評価は一変してしまったのだ。

日本国は単なるアメリカの属国にすぎない,と。

 そのアメリカからも総スカンを食ってしまった。それどころか,アベ政権はなにをはじめるかわけがわからない,という根底的な不信感を募らせることになってしまった。むしろ,アベ政権に反対する国民の民意の動きに注意を払い,沖縄の辺野古の基地問題にも,沖縄県民の意思を尊重して,議会の議決に気配りをする姿勢まで示した。アベ政権(戦争法案)に反対する国民の意思や,米軍基地に反対する沖縄県民の意思は,日本国政府にではなく,アメリカ政府にとどいている。こんな珍現象が,いま,粛々と進行している。

 いま,わたしたちの目の前で,これまでとはまったく違った日本国の歴史が「つくられ」つつある。立憲デモクラシーを否定するアベ政権と,それによって目覚めた国民の護憲精神との闘いが,アメリカ政府や国際社会の注目するところとなりつつある。しかも,日本のジャーナリズムは死んだふりをして,政権党のいいなりになっている。その結果,政権党にとって都合のいい情報だけが大手をふってまかりととおっていく。気がつけば,国民の一割にも満たない支配層の利益だけが優先され(冨を独占),それ以外の国民は使い捨てにされる(貧困化)。そういう法案がつぎからつぎへと提出され,成立している。こういう現実のなかで,ことの本質を見極めることができないまま,多くの国民が路頭に迷っている。

 それでもなお,憲法違反だけは許せない,という声だけは生きている。そして,戦争だけはいやだ,という感性も生きている。この,たった2点だけでもいい,野党連合を構築てしていくことはできないのか。共産党の志位委員長の提案が際立つ。にもかかわらず,日本会議に片足を突っ込んでいる民主党の腰が引けている。ならば,さっさと政党を再編して,大所高所から大勇断をすべきではないか。小沢一郎が,とうとう,ここにきて「吼えた」。

 その行方やいかに。

2015年10月4日日曜日

運動会の組体操・巨大ピラミッドは,なぜ,やめられないのか。

 運動会の人気プログラムのひとつ。組体操の巨大ピラミッド。10段組みから11段組みへと挑戦する時代に突入。となると,怪我をする危険も増大する。現に,程度の差はあれ,事故もかなり起きている。でも,他の教材よりは怪我の確率は高くない。が,怪我は確率の問題ではない。そういうリスクと教育的価値とのバランスの問題だ。

 折も折,巨大ピラミッドの考案者であるよしのよしお先生が指導する「10段ピラミッド」が,運動会の本番で崩れ落ち,怪我人が二人でた。その動画がYouTubeで流れて,話題騒然。即刻,やめるべきだという意見が噴出している。

 この動画は何種類も流れているので,それらを可能なかぎりチェックしてみた。そのうちのもっとも詳細に描写されている動画をみると,よしのよしお先生の談話まで入っているものがあった。それによると,ことしは「11段ピラミッド」に挑戦しようということで練習をしてきたが,まだ,少し無理だと判断し,本番は「10段ピラミッド」にした。生徒たちは「10段」ならいつもできているので,大丈夫と考えたらしい。そこに油断があった,とよしの先生。

 「11段」の練習では,何回も崩れている。だから,本番は諦めたという。ということは,何回も崩れているのに怪我人はでなかったようだ。実際にも,巨大ピラミッドの練習中には,何回も何回も崩れているはずだ。それでも,怪我人はほとんどでないのが現実なのだ。なのに,目標を1段下げた「10段」で崩れて怪我人がでた。これは,よしの先生をはじめ指導してきた先生方,そして,生徒たち,それに父兄も含めて驚き,ショックを受けたことは間違いないだろう。

 世間では,この崩れた瞬間の動画と怪我人がでたという事実だけをとらえて,即刻,中止すべきだ,といかにもまっとうな批判の声をあげる。しかし,このような怪我は,もう,ずいぶん前からあちこちで発生していて,組体操の巨大ピラミッドは中止すべきだ,という意見が出されていた。そして,その是非論もかなり議論されてきた。

 にもかかわらず,運動会の組体操・巨大ピラミッドはやめられない。なぜか。

 その理由は「達成感」にある。運動会の本番で成功したときの達成感は,第三者のわたしたちが想像する以上の,とてつもなく大きなものがある,ということだ。先生と生徒と父兄のこころがひとつに結ばれ,その喜びを分かち合う瞬間だ。この感動はなにものにも代えがたい大きなものがある,ということだ。現代のこの時代・社会にあって,先生と生徒と父兄が一体になって取組み,感動を分かち合える唯一の文化と言ってもいいだろう。

 よしの先生の学校では,もう何年にもわたって,運動会でこの巨大ピラミッドに挑戦してきた。最初は低い「7段」くらいから成功させ,徐々に,その技量を高め,そのノウハウを蓄積して,いまや「11段」に取り組むまでにいたっている。ということは,この小学校に入学したときから,下級生は毎年,この巨大ピラミッドをみて感動し,やがて,5,6年生になったら自分たちもやるんだと憧れてきたはずだ。その期待を受けて,よしの先生は低学年からやさしい組体操の指導に取り組んでいる。二人組みの体操や三人組みの体操などを順序を追って指導している。そして,その成果を学年ごとに運動会で発表している。そういう低学年からの蓄積があって,上級生になって初めて「10段」から「11段」への挑戦が可能となる。

 父兄たちも毎年,その成果の発表を楽しみにしている。父兄以外の近所の住民たちも,その時間になると見物に集ってくるという。そして,これまで怪我人はでなかった。だから,それをみたすべての人が感動し,その喜びを分かち合ってきた。

 しかし,ことしはとうとう怪我人がでてしまった。すると,こうした長年の実績を無視して,世間は寄ってたかって叩く。これはあまりに無責任,かつ表層的で,不毛ではないか。

 もっと多面的・重層的に,この組体操・巨大ピラミッドが内包する問題について客観的な議論を重ねていくべきではないのか。そうして,なんらかの善後策が講じられるところまでもちこむことこそが喫緊の課題ではないのか。そのための建設的な議論の場が,一刻も早く設定されることを期待したい。単なる誹謗中傷を重ねているときではない。

 かつて,高校体操部の部員として組体操を運動会で披露した経験をもち,かつ,体育の教師として組体操を指導した経験もあり,さらには,教員養成大学で組体操の指導の仕方を教えた経験をもつ者として,今回のこの問題は,安易に看過するわけにはいかない。慎重に,だれもが納得のできる善後策を真剣に模索すべきだ,と考える。

2015年10月3日土曜日

「安倍政権NO!1002」の集会とデモに参加してきました。2万人が集結。

 10月2日。うまい具合に雑用に一区切りつきましたので,急ぎ,日比谷に向かいました。野外音楽堂に到着したのが午後6時ちょうど。すでに人であふれ返っていて,野外音楽堂には入れませんでした。集会開始予定時間は,午後6時30分。デモ開始予定時間は午後7時。なのに,もう,人でいっぱいでした。

 
デモ出発までの時間つぶしに,暗い公園のなかを散策。同時に,どんな人たちが集まっているのかにもアンテナを張りながら。いわゆる高齢者の姿はほとんどなし。少なくとも,わたしより高齢とおもわれる人はみかけませんでした。夜ということもあってのことか,と類推。国会前集会でも,昼にはかなりの高齢者が集まっていましたが,夜になると帰宅される人が多かったことを思い出しながら・・・。

 
それから,労働組合系の人たち(幟旗を立てているのですぐにわかる)の集団が意外に小さい,ということ。つまり,ここに集ってきている人たちのほとんどが,個人の意思できているということ。友人と思しき人の集団であったり(それも2,3人程度),ゼミの先生を中心とした学生さんたちであったり,という具合。あとは,わたしのように個人で,たった一人で参加している人たちばかりです。

 
ひととおり様子がわかったところで,デモ隊列をつくっている列のうしろに並ぶ。この人数だと,相当に長いデモ隊列になりそうなので,早めに出発して,早めに解散する戦略をとることにしました。が,それでも,すでに遅し。出発するときにわかったことは,わたしが並んだ隊列は第4番目のグループでした。そのあとにも相当に長い列ができていましたので,あとの人たちの出発は相当に遅くなったことでしょう。

 
デモの流れ解散のところ(有楽町)でのアナウンスによれば,デモ参加者は「2万人」。「オーッ」とどよめきの声があがりました。

 デモのコースは,日比谷野外音楽堂と日比谷図書館の間のところから出発,新橋をとおって銀座にでて有楽町をとおりすぎたところで流れ解散。

 
今回のデモで気づいたことは,歩道を歩いている一般の人たちからの同意・声援が多くなっているということでした。自分の意思を表明することに抵抗感が少なくなってきているのかな,という印象を受けました。あるいは,こんどばかりは黙ってはいられない,という人が増えてきているのかな,と。集会やデモにでかける時間はないけれども,目の前にデモ隊がとおりかかったときには応援をしたい,という人は確実に増えているようにおもいました。

 
法案がとおったからといって,人びとは忘れてなどいません。政府与党は「すぐに忘れる」と踏んでいるようですが,そうは問屋が卸しません。それどころか,相当の覚悟をもった人たち(顔をみればわかります)が増えている,という印象でした。これでいいのだ,という確かな手応えのようなものも感じられました。

 
帰宅してから,NHKのニュースを追ってみましたが,この集会とデモについては「ひとこと」もありませんでした。「やはり」と納得。それ以上に,NHKが無視して「スルー」することの意味の方が重い,とにんまりしてしまいました。なぜなら,「2万人」(主催者発表)もの集会・デモがあったことに「蓋をして」なかったことにしなければならないNHKの幹部連中(会長を筆頭に)の「焦り」のようなものを感じとることができたからです。

 NHKが「蓋をする」ということは,アベ政権の意思をそのまま反映しているといってよいからです。ということは,間違いなくこの集会・デモのプレッシャーが政権・与党にとどいているということになるからです。たぶん,内心,相当に焦っているに違いありません。政府与党の議員のなかには良心的な人もいるはずです。その人たちのこころの内はけして穏やかではないとおもいます。

 地味ではありますが,この運動を持続させていくだけで,政権党に相当のダメージを与えることは間違いありません。全国の各地で,それぞれのやり方で,意思表明を持続させること,これが一番です。地元選出議員は,もっとストレートにダメージを受けることになるでしょう。

 いささか疲れましたが(デモの距離が意外に長かった),あらたな希望も生まれました。世の中が「動きはじめた」という実感が湧いてきました。これがなによりの「収穫」でした。このつぎも,体調を整えてでかけることにしよう。枯れ木も森の賑わい・・・・。