2010年12月31日金曜日

我が家は旧正月で・・・・。

 いつもなら家で,少なくとも自分の部屋くらいは片づけをし,正月用の飾り物などを買ってきて飾りつけるのがわたしの大晦日なのだが,ことしは情けないことに鷺沼の事務所に「ご出勤」である。ことしは正月もなし,と諦めた。仕方がないので,月遅れの正月に,いやいや,旧正月で祝うことにしよう・・・・とこれは自分に対するいいわけ。
 もちろん,年賀状も一枚も書けなかった。いやいや,いつもの年賀状用の文案も考えてもいないし,当然のことながらプリントアウトもできていない。まっさらなままの年賀状が封のまま積んである。これに手がつけられるようになるのは,いつのことになるのやら・・・・。でも,どこかで時間をつくって,いただいた年賀状への応答はしなくては・・・などと思案投首である。
 では,仕事に専念できているのかといえば,そうではない。やはり,大晦日という意識がどこかにあって,気持ちが落ち着かない。それどころか,浮足立ってしまっている。だから,なにかをやろうとしても,すぐに気が変わる。で,別のことをはじめても,またすぐに気が変わる。あれこれ,つぎつぎに手をつけるのだか,つぎつぎに気が変わる。こんなわけのわからない,自分をコントロールできないほどの浮足立った状態を久しぶりに味わっている。というより,そこから抜け出せないまま,おろおろしているというのが実情。
 ならば,せめて,事務所の掃除くらいはしようと覚悟を決めてとりかかる。こちらも,滅多に掃除などはしないから,あちこちからゴミやらホコリやらがいっぱいでてくる。おまけに,不要なものまでがいっぱいしまい込んであることに気づく。それらの選別をはじめたら,これまたキリがない。でも,この際,捨てるものは捨てようと腹を決めてとりかかる。と,思って選別していたら,本棚が眼に入り,こんどはこちらが気になりはじめた。なぜなら,古い本を搬送して,そのときは時間がなかったから,どこでもいい,端から本棚に並べただけになってきる。だから,いつも必要な本が見つからなくて苦労するので,本の整理もしよう,とこれまた気が変わる。本を分野別,著者別,傾向別,大きさ別,などと思いつくままにグルーピングしはじめたら,これはちょっとおもしろくなってきてて夢中になってとりくむ。
 しばらくしたら,どこからか魚を焼いているような匂いがしてくる。変だなぁ,と思って窓の外を眺めたりしてみる。が,考えてみれば,窓は全部締め切りになっているのに,外の匂いが入ってくるわけがない。ひょっとしたら火事か?と一瞬,緊張が走る。そう思って,窓を開けて確認する。なんの匂いもない。きれいな空気が流れ込んでくる。そのつぎの瞬間,あっと気づく。
 遅い昼ごはんに,残り物のおでんを温めて食べようと思って,鍋をかけて火を点けたことをすっかり忘れていたのだ。あわてて台所に駆け寄ってみれば,鍋から水蒸気ならぬ烟が立ち上っているではないか。しまった,とおもったがもう手遅れ。あわてて火を止めて,恐る恐る蓋をとってなかを確認する。無残。水分が完全になくなっていて,おでんの具も大根も,みんな真っ黒。鍋底に触れていた部分は,すでに炭になっている。下敷きにしてあったこんぶの大半は炭素と化している。見るも無残な姿になりはてている。
 台所の火を点けたら,そこから離れてはいけない。もう,そういう年齢になっているのだ。火を使いながらの「ながら族」などはもってのほか。火を消すまで動いてはいけない。と,一年前に自分に言い聞かせたのに・・・・。じつは,前科があるのだ。小さな鍋で,やはり,前日の残り物を温めて・・・・と火をつけて,その場を離れて,大失敗をしてしまったのである。やはり,まっ黒こげ。それに懲りているはずなのに・・・・,また,やってしまった。
 鷺沼の事務所で起きた2度目の失敗である。3年に2回は,多すぎる。自分で料理をつくるのは嫌いではないので,昼御飯は自分でなにかを工夫しながら,食べている。この習慣も,この事務所をもってから,新たにはじめたことだ。もう,半世紀も前に,自炊していたころ以来のことだ。こどものころから母親のそばにいつもくっついていたので,台所の手伝いをすることが多く,調理の仕方も自然に覚えた。でも,そのほとんどは忘れてしまった。だから,思い出しながら,少しずつレパートリーを増やすことにつとめている。
 台所をやることは悪くはない。でも,火を点けたことを忘れてしまって,別のことに熱中してしまうのは,危ない。どう考えても,危ない。もし,どうしても本が読みたくなったりしたら,ガスコンロの前に椅子をもっていって,そこで読むこと。そうすれば,異変にすぐに気づく。事務所の構造上,台所と机のある場所は二つある部屋の,一番遠いところにある。したがって,異様な匂いがとどくにも時間がかかる。だから,火を点けたら,要注意。それあるのみ。
 というようなわけで,大晦日は,焦げついた鍋をこすりながら,落ち込んでしまった。
 テレビもなにもないので,今夜は,大好きな泡盛でも飲んで早めに眠ることにしよう。そして,いよいよ明日から早起き鳥を目指そう。ちなみに,今朝は,いつもよりも1時間早く起床した。そして,朝飯前の一仕事を,ほんの少しだけ,やることができた。今日の大晦日は,とてもいいスタートを切ることができた,と喜んだのに・・・・。事務所で大失敗。
 でもまあ,これを教訓にして,来年からは「早起き鳥」と「火の用心」の二つを目標に頑張ることにしよう。なんともはや,情けない大晦日で,ことしも終わり。除夜の鐘とともに,悪い思い出は忘れることにしよう。そして,気持ちを新たにして,明日から・・・・。なんだか,必死で自分を慰め,鼓舞しているようで,ちょっとばかり恥ずかしい。
 それでは,みなさん,よいお正月をお迎えください。
 そして,このブログへの叱咤激励もよろしくお願いします。

2010年12月30日木曜日

通天閣で干支の引き渡し式,トラからウサギへ。

 いよいよことしも師走のどん詰まりまでやってきた。通天閣では恒例の干支の引き渡し式が行われ,トラからウサギへの移行も準備完了というところ。ところで,このわたしはどうか。
 ことしはトラ年ということで,わたしの干支の年でもあり,72歳の節目の年でもあり,21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)開設3年目ということもあり,じつは密かに期するところがあった。が,はたして結果はどうであったのだろうか。つらつらと振り返ってみると・・・・。
 いま現在の心境からすれば,ずいぶんといろいろの仕事を積み残したままの越年となり,いささか残念,というところ。もう少し頑張って,なんらかのけじめをつけて置きたかった。が,いまから悔やんでも仕方がない。段取りが悪かったというべきか,気力が衰えたというべきか,欲張りすぎたというべきか,集中力の不足というべきか,手を広げ過ぎたというべきか,それとも体力の低下というべきか,はたまたボケの始まりか,おそらくはこうしたことのトータルの結果なのであろう,と自分に言い聞かせることにしている。
 でもまあ,ことし一年を振り返ってみると,わりと頑張ったのではないか,とおもう。とくに,体育・スポーツという閉じられた世界から<外>に飛び出す,つまり,世間一般のスタンダードの世界で仕事ができるようになることをこのところの目標にしてきたので,その点では一歩前進したか,とおもう。これを手がかりにして,来年はさらなる展開を期待したいところ。
 たとえば,大相撲の問題をめぐっても,雑誌『世界』(岩波書店)での今福さんとの対談(4月号)や,雑誌『現代思想』(11月号)での西谷・今福の両氏との鼎談をとおして発言することができた。こういうステージで,それぞれの世界の第一線で活躍される賢者とご一緒させていただけることに深く感謝しなくては・・・としみじみおもう。このお二人には,いろいろの意味で,これまでにも,もうずいぶん長い間にわたって助けていただいてきている。
 こんにちのわたしがあるのは,まさに,このお二人のお蔭なのである。たとえば,5月には日本記号論学会(神戸大学)でのスピーカーのひとりとして招いていただいたのも,このお二人との仕事があったからだ。こんなことは,わたし一人の力だけでは不可能である。それでもなお,こんなことはこれまでの常識では考えられないことだ。招いていただいた学会は,日本を代表する思想,哲学,美学,などのトップ・レベルの研究者の集まる学会である。そんな場に,わたしごときが招かれたのだ。だから,とても緊張しながらお話をさせていただいた。結果はともあれ,このことは,わたしの生涯にわたるもっとも光栄なことのひとつとして忘れることはできないだろう。
 もうひとつのトピックスは,「スポーツ史家」という肩書で本や映画,美術などの評論をさせていただけるようになったことだ。これにはいささか驚いたが,折角のお誘いだったので勇を奮い起こして挑戦させていただくことにした。掲載誌は『嗜み』(文藝春秋)。季刊雑誌なので年に4回。この雑誌での評論コラムはひとつひねりが効かせてある。それは,同じ本や映画について二人の評者がコメントをする,という形式である。わたしの初仕事は,マイケル・ジャクソンのDVD「This is IT」の評論で,なんとわたしのお相手は香山リカさんであった。このことがゲラの段階でわかり,びっくり仰天。以後も,超一流の評者との組み合わせで評論をさせていただくことになり,いつも緊張しながら取り組んでいる。こんな歳になって,まだ,新しい自分の可能性に挑戦できるのだから,こんなありがたいことはない。だから,とてもいい刺激をいただいている。
 という具合で,いいことばかりを並べていくと,ことしは大収穫の年であった,ということになり,万々歳になってしまう。が,そうは問屋が卸さない。たとえば,わたしの仕事のメインである「ISC・21」の研究紀要である『IPHIGENEIA』の発行が頓挫しているのである。原稿も順調に集まり,いつもと同じ手順で進行していたのだが,あるところで妙なことが起きた。詳しいことは控えることにして,そこでのロス・タイムがわたしの意気を阻喪させた。運が悪いときとはえてしてそういうものだが,そのころからわたしのスケジュールが猛烈にタイトになってきた。あと少しの編集作業でけりがつくという段階で,頓挫してしまったのである。とても残念なことではあった。が,まあ,いまさら焦っても仕方がないので,来年早々の刊行をめざして頑張るしかない。一度,めげてしまった気持ちを建て直すのはたいへんである。しかし,やるしかない。
 もうひとつ慙愧の念がぬぐえないのは,「スポーツ学選書」での単著を出すことができなかったことだ。ここしばらくの間,ご無沙汰になってしまっているので,ことしあたりはなんとか一冊ものにしたいと考えていた。が,残念ながら・・・・。しかし,何冊分かの構想もできており,そのうちの何冊かは,あと少し頑張れば出版できるところまできている。が,こちらもあと一歩がでない。なんとかしなくては・・・と焦るばかりで仕事ははかどらない。こういうときに限って,アイディアはつぎつぎに浮かんできて,出版メモばかりが増えていく。が,肝腎な原稿を書くという作業にとりかかれない。なにかが欠落しているのである。その欠落がなにであるのか,なぜ,そうなるのか,ということをしっかりと確認する必要がある。
 それは,ひょっとしたら一日の時間配分が悪いのではないか,と考えたりしている。仕事のできる人は「朝型」である,とよく聞く。夜は早めに眠って,早朝に起きて,まず,一番大事な仕事からとりかかるのだという(外山滋比古さんの著書による)。いわゆる「朝飯前の一仕事」だ。この時間帯で,たとえば,原稿を書く。その日のノルマを朝飯前に済ませておけば,あとは気持ちの上でも楽になるはずだ。言ってしまえば,あとの時間はもうけもの。のびのびと好きなことに使える。
 じつは,ことしの夏に一度,チャレンジしてみたことがある。そして,これがまことに能率的であることを知り,欣喜雀躍,驚いたほどである。しかし,夜鷹の長年の習性はそんなにたやすく変えることはできなかった。睡眠不足なのに,夜になるとランランと眼が輝いてきてしまうのである。そして,好きな小説でも読みはじめようものなら,読み終わるまで駄目。しばしば,朝になってしまう。この快楽から逃れられなくなって,挫折。
 でも,そんなことを言っていては,やるべき仕事は進まない。よし,来年の正月から「早寝早起き」を励行することにしよう。一念発起だ。あっ,そのためには大晦日は「早寝」をしなくてはいけない。まずは,この関門をどうやって突破するか,そこが最大の課題だ。
 トラからウサギへ。肉食から草食へ。これは大転換だ。そのくらいの覚悟で,夜鷹から早起き鳥へ。これは大変なことだ。その鳥が「マボロシの鳥」にならぬよう要注意。善は急げ,という。今夜から,まずは予行演習をして,早めの就寝。そして,明日の夜からこころを鬼にして「朝型」への転身をはかろう。ここではっきりと宣言をしておいて,あとへは引けないようにみずからに引導をわたすことにしよう。意思薄弱のわたしのために,みなさんもきびしい監視で協力してくださることを・・・・・。

2010年12月29日水曜日

『快楽の動詞』を読む。

 山田詠美の『快楽の動詞』(文春文庫,2007年第7刷)という,いささか特異な短編小説集がある。表紙カバーは,つい最近,ガンで亡くなってしまった佐野洋子の絵。そして,巻末には奥泉光の解説がある。
 この解説が秀逸である。きわめて短いものではあるが,山田詠美という作家の特質をみごとにとらえている。その解説によると,山田詠美の小説の中核を形成している特質は「批評性」にある,と奥泉はいう。このところ「批評性」ということばが気になっていて,機会があるたびにこの問題を考えている。なぜなら,アカデミズムの世界でも,ある先端的な議論の場では,この「批評性」が問われているからだ。わたしの分野でいえば,「批評性」の欠落したスポーツ史研究やスポーツ文化論があまりにも氾濫しすぎている。それでいて,そのことの重大性にほとんどの研究者たちが気づいていない。だから,「批評性」の欠落した論文やエッセイは,もはや,なんの意味もないということを(いや,むしろ,大罪であるとすらわたしは考えている),声を大にして言いたい。
 では,どうすれば「批評性」をわがものとすることができるのか,ということをこのところずっと考えてきた。だから,小説の作品に「批評性」があるとはどういうことを意味しているのか,というところにわたしの関心はおのずから吸い込まれていく。
 いうまでもなく,「批評」ということばと共に,すぐに想起されるのは今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社)である。そのサブ・タイトルは「サッカー批評原論」である。しかも,目次の序章のタイトルのサブタイトルにも「サッカー批評は世界批評である」と高らかに宣言されている。こちらの本については,「ISC・21」が主宰する月例研究会でも何回も合評会をもち,最後の合評会には今福さんにもお出でいただき,徹底した議論を行ったこともあり,深く記憶に残っている。それ以前にも,「批評」と「評論」の違いについて,今福さんの力説をうかがったことがある。「批評」は文字どおり「クリティック」であり,当然のことながらその人の思想・哲学が問われることになる。一方,「評論」は単なる「コメント」にすぎない,という説明がわたしにはすんなりと腑に落ちた。
 さらには,蓮実重彦さんの『スポーツ批評宣言』などという奇書も,頭の隅で連想しながら,山田詠美の短編小説のもつ「批評性」というものを考えている。蓮実さんは「潜在的なるものが顕在化する瞬間を擁護すること」,これがわたしのスポーツ批評の原点だ,と断言なさる。たとえば,サッカーなどのスーパープレイはゲームの流れの中に潜在化していて,なかなか顕在化はしない。が,あるとき突然,顕在化する。そのとき,人びとは「サッカーの神さまがピッチの上に降臨した」という。こういうプレイを「擁護すること」,これがわたしのサッカー批評の原点である,と蓮実さんは主張される。見えないものを見えるようにすること,人間わざとはとても考えられない神わざを導き出すこと,聖なるもの,すなわち「神」をこの俗界に呼び出すこと,あるいは,聖なるものへの回帰願望を達成させること,もっと言ってしまえば「動物性」への回帰願望を達成させること,という具合にその世界は広がり,かつ,深まっていく。蓮実さんはここまでは言ってはいないが,わたしの勝手な推測を,あるいは,蓮実さんの主張のさきに透けてみえてくることがらを,書き加えてみると,という話である。が,じつは,わたしの「スポーツ批評」の原点は,いま列挙したようなことがらを「擁護すること」にある,と考えている。とはいえ,さきに述べたことはかなり抽象的なものの言い方をしているので,具体的なイメージについては,もう少し,噛み砕く必要があろう。
 それらは,また,別の機会に述べるとして,山田詠美の小説世界に見られる「批評性」とはなにか。山田詠美の小説の,どこに,その「批評性」をみとどけることができるのか。そこを確認することがこのブログのポイントだ。いささか前置きが脱線してしまって,長くなってしまったが,要点だけを述べておけは,以下のとおりである。
 『快楽の動詞』とはよく言ったもので,なんのことはない,その「動詞」はなまなかには口に出すことは憚られるが,だれもが,いざというときには口にする,もっともポピュラーな動詞である。すなわち「いく」。
 この動詞を,詠美ちゃんは高校生のときにはじめて知って,クラスメイトたちに教えてやろうとおもったら,もう,みんな知っていてがっかりした,という話からはじまる。「快楽の動詞」。そこから,詠美ちゃんの恐るべき作家魂が炸裂して,「いく」とはなにごとか,なぜ「いく」などと口走るのか,どこに「いく」のか,などに関して深い洞察を展開。緻密にして繊細な思考をとおして,肉体の快楽に小説はどこまで迫ることができるのか,と問いかける。そして,日本語と日本文学の現状の貧困さを,徹底して笑いのめす。たったひとつの動詞「いく」しか,「快楽の動詞」はないのか,と。
 その上で,詠美ちゃんはおそるべき蘊蓄を傾けて「快楽の動詞」の探索をはじめる。このあとは,どうぞ,テクストに直接あたってほしい。でないと,詠美ちゃんの文章をそのまま書き写すだけで終わってしまいそうだから。ひとつだけ,お断りしておこう。詠美ちゃんの小説は単なるエロ本ではないということを。エロ本であることを否定はしないが,そこには深い思想・哲学によって裏打ちがなされていることを,よも忘れてはなるまい。そこまで読み取れたときに,はじめて詠美ちゃんの本の奥深さをしることができるのだから。だからこそ,山田詠美の小説の根底には「批評性」がある,と解説の奥泉光をして言わしめるのだ。

2010年12月28日火曜日

太田光著『マボロシの鳥』(新潮社)を読む。

 いよいよ師走の大詰めだというのに,呑気に小説を読んでいる・・・・といえばまことにのどかで聞こえはいい。が,じつは,ストレスがたまりすぎてしまって,どこかで欲求不満を昇華させないことには大爆発を起こすか,病気になってしまいそうな状態なのだ。こういうときのわたしの処方箋は,買い込んである小説のなかから適当な本をとりだしてきて読むこと。この方法は長い間の習慣になっている。ストレスのたまる日常とは次元の違う別世界に遊ぶことができるから。言ってしまえば,現実逃避。ときには,こういうこともやむなし,とする。
 そこで,すでに買い込んである小説本の中から太田光著『マボロシの鳥』(新潮社)をとりだしてきて,読みはじめる。もう少し精確にいえば,未読の小説本の中から,どれにしようかな,と眺めていると,ほぼ間違いなく小説の方が「手を挙げて」くる。そして「俺を読んでくれ」という声がこころなしか聞こえてくる。そういうときは,迷わずその本に手を伸ばす。そして,そういう本の選び方はほぼ間違いなく「当たり」である。つまり,そのときの気分をなんらかの形で和らげてくれる。なんともはや,不思議ではある。が,なにかが,そこにはある,とわたしは以前からおもっている。
 太田光に言わせれば「繋がっている」というだろう。この『マボロシの鳥』という短編集に収められた小説に共通しているひとつのキー・ワードは「繋がり」である。宇宙に存在するすべてのものが「繋がっている」と太田光は考えている。そして,その「繋がり」について,手を代え品を代えしながら,さまざまな場面設定をした短編をとおして,解きあかそうとしている。
 わたしの,こうした買い込んである本の中から読みたい本を選定する方法は,本屋さんで,なにか面白い小説はないかなぁ,とおもって書棚を眺めているときも同じだ。あまたある本のなかから,なぜか,ある一冊が「読んでくれ」とわたしに呼びかけてくる(ような気がする)。そういうときは迷わず購入することにしている。そして,そのほとんどは「当たり」である。もちろん,「はずれ」も少なくない。でも,こういう本の買い方はいまもつづいている。
 な~んだ,そんな本の買い方をし,そんな本の読み方をしているのか,と笑われそうだ。笑われても仕方がない,とおもっている。いや,笑う人は笑えばいい,とおもっている。たぶん,理性的で教養のある近代合理主義者は,笑う,だろうとおもう。でも,わたしはひるむことなく,この方法で本を買うし,本を読むことにしてきたし,これからもそうするだろう。ある確信をもって。
 よくよく考えてみてほしい。わたしの人生だって,ほんとうのところはなにもわからないまま,ある種の「ひらめき」によって,あまたある選択肢のなかから「あるなにか」を選びながら生きてきたら,こんにちの姿になっていた。そのときの「ひらめき」は,わたしの印象では,いつも向こうからの「呼びかけ」があったようにおもう。そして,わたしは,ただ,その「呼びかけ」に素直に応答してきただけのような気がする。職業にしても,結婚にしても・・・・・。
 いま書いているこのブログですら,書きながら,書かされている。なにかひとつのことを書きはじめると,かならず,向こうから「ひらめき」がやってくる。その「ひらめき」に導かれるようにして,この文章を書いている。この「ひらめき」を「萌(もえ)の襲(かさね)」と表現したのは詩人の吉増剛造だ。この人もまた,わたしは「書かされている」と言っている(講演で聞いたし,著書のなかでも書いている)。詩人だから,とくに,そういう感覚が鋭いのだろうとおもう。でも,詩人でなくとも,大なり小なり,みんな,なんらかの「萌の襲」に依拠しながら生きている,とわたしはおもう。
 もちろん,このブログを書きはじめたそのきっかけは,太田光の『マボロシの鳥』を読んだ感想文でも書こうとおもったことだ。しかし,書きはじめてみたら,いきなり「萌の襲」が連続して起きて,気がついたら,いま,こんなことを書いている。さて,これからどうしようか・・・と考える。しかし,ここで考えすぎてしまってはいけない。ちょっとだけ考えて,つぎなる「萌の襲」を待つ。
 これはまったくのわたしの想像にすぎないが,太田光も,「萌の襲」に導かれるようにしてこの小説を書いたに違いない,とおもう。だから,書かされた,に違いない。わたしの推測では,たぶん,太田光は,この短編集を書きながら(あるいは,書かされながら),いつもドキドキしながら,目の前に現れる文章を眺めていただろうとおもう。自分の文章であって自分の文章ではない,その文章に驚きながら・・・・。そのドキドキ感が,それを読むわたしにも伝わってくる。こうした作家が小説を書く行為からはじまって,それを読む人のなかで起きる「萌の襲」までふくめて,太田光は「繋がり」と呼ぶ。しかも,ここに人間の生きる「希望」が託されているのではないか,とこれはこの作品を読んだわたしの受け止め方。
 
 太田光という人は恐るべき読書家である。そのことが,この小説を読んでいてもよくわかる。たけしという人も同じだ。たけしは,この本の帯に,つぎのようなコピーを寄せている。「どうせ爆笑小説とか言うコントだろう。えっ,マジ小説?おいらより先に直木賞とったら許さないからね。コノヤロー!!」と。いかにもたけしらしいコピーだ。たぶん,たけしは,お笑いタレントで,俺よりたくさんの本を読んでいる奴はいない,と確信していただろう。しかし,この太田光の小説を実際に手にとって読んだら,驚愕するだろうとおもう。
 太田光は,たんなる読書家ではない。その読書の傾向は,きわめて哲学寄りであり,自然科学寄りである。つまり,この二つの極をきちんと視野に入れて読書をし,みずからの生き方を考えようとしている。その姿勢の一端が,短編小説となって噴出した,ということだろう。わたしは感心しながらこの小説を読みはじめた。そして,すぐに直感したことは,太田光はジョルジュ・バタイユの本まで,本気で読んでいる,ということだ。そして,そのかなりの部分を自分のものにしている。その片鱗が小説のなかに遍在している。わたしは何回も何回も「なるほど,なるほど」とひとりごとをいいながら夢中になって読んでいた。なぜなら,バタイユ的思考の展開とおもわれる部分にくると,作者とわたしとの波長がぴったりと合ってしまうからだ。だから,わたしはじつに心地よくこの短編集を読ませてもらった。
 そればかりではない。どの短編とは言わないで伏せておくが,その短編の最後のところまできたところで,わたしは号泣してしまった。最初は,必死で感情を抑え込んだ嗚咽だった。が,だんだんとその嗚咽が膨張してきて,ついにはそれが破裂してしまい,とうとう号泣してしまった。わたしのこころの奥底にしまってあった「琴線」に触れてしまったのだ。もう,とどまるところを知らず,泣きたいだけ泣くことにした。こんなことは,かつて,あっただろうか。泣くという行為がこんなに快感であったとは・・・・。泣き終わったあとの,あの爽快感はなんなのだろう・・・としみじみ考えてしまった。よし,これからも,チャンスがあったら,思いっきり泣くことにしよう。
 鷺沼の事務所はそのためにあるようなものだ。言ってみれば,わたしの「隠れ家」。わたしという「特殊個」が,なにものにも抑圧されることなく,全開する場。ひとりごとを言おうが,鼻唄を歌おうが,おならをしようが,まったく自由気まま。わたしの思考はこの場をえて,ようやく全開状態に入ろうとしているかにみえる。わたしは,わがままを言って個人事務所をもって,ほんとうによかったとおもう。なぜなら,ほんとうの自分自身と向き合うことができるから。太田光も,たぶん,かれの「隠れ家」があって,そこで,この小説を書いたのだろうなぁ,と勝手な想像までしている。
 作家の角田光代さんが,やはり,この本の帯にコピーを寄せている。
 「びっくりした。太田光という人は,本気で信じているのだ。私たちのあるべき世界は,もっとうつくしくてまっとうなはずだと。そのことに私は本当に胸を打たれる」と。
 わたしもまた,角田光代さんと,まったく同感である。
 この世のあらゆるものが「繋がって」いることをみんなが確信できるようになれば,この世界はなんと美しいことか。そういう太田光の理想とする世界を取り戻すためには,人間としての「原点」に立ち返らなくてはならない,と。しかし,そこに到達するためには,あまりにも醜い現実と対面しつつ,その超克の方法を探らなくてはならない。その道は遠く,険しい。でも,歩まねばならぬ。
 太田光に脱帽である。単なる芸人ではない。恐るべし,だ。

2010年12月27日月曜日

山茶花の花が真っ盛り。懐かしさの源泉。暮れだなぁとおもう。

 しばらく前から山茶花の花が真っ盛り。わたしの事務所のある鷺沼は「植木の里」と呼ばれるほど,植木屋さんが多いところだ。そのせいか,屋敷の垣根を山茶花で囲っている家が多い。高級住宅地なので,一軒家はとても立地条件のいいところにある。だから,山茶花は一日中日当りのいいところで満開の花を咲かせている。いまにもこぼれ落ちそうだ。一方,マンションの日陰の,一日中,太陽があたることもないような,猫の額のような狭い路地にも山茶花が植えてある。ここでも満開の花を咲かせている。山茶花という木の生命力の強さを感じないではいられない。それももっともな話ではある。なぜなら,この冬の寒い時期に花を咲かせるというのだから。
 このあたりの山茶花は,どこもかしこもみんな赤い花を咲かせている。赤といっても真っ赤ではなく,ややピンクがかったやわらかい赤である。寒さにふるえながら歩くわたしのこころには,とてもやさしいメッセージを送りとどけてくれる。なぜか,山茶花の花が満開に咲いていると,ほっとする。懐かしいのである。
 わたしの育った田舎の小さな禅寺の境内には,あちこちに山茶花の木があった。たぶん,何代か前の住職に山茶花の好きな人がいたのだろう。その山茶花は,赤だけではなく,白,赤白のまだら(これにもいろいろのパターンがあって,それぞれが屹立して自己主張をしていた)の,大きくは3種類。それもむかしの品種だから,一本の木につく花の数はそんなには多くない。どちらかといえば,葉陰にひっそりと咲いていた。白い山茶花は,静かに,しかし,存在感豊かに自己をアピールしていた。わたしは山茶花の中では白い花が好きだった。
 少年のころのラジオ歌謡に山茶花をテーマにした曲があった。題は忘れてしまった。が,わたしはその歌が大好きで,音楽の時間に先生にリクエストして,歌ってもらったことがある。以後,わたしはその歌を密かに愛唱していた。だから,いまでも,山茶花の花に出会うとこの歌のメロディーが頭の中を流れていく。そして,小さな声で口ずさむ。
 山茶花は,密かにも,咲いていた/霜白く,庭の垣根に降りた朝/母のおもかげ,しのばせて。
 たしか,これが一番の歌詞だったと記憶している。この山茶花の花は,わたしのイメージでは「白」なのである。それが「母のおもかげ」であったから。
 食糧難で食べるものもままならないわたしの子ども時代の母は,朝から晩まで働いた。ほんとうによく働く人だった。父も勤めから帰ると懐中電灯をもって畑にでた。子どもの多い貧乏寺は食っていくだけで大変だったのである。お金はすべて食べ物で消費された。着るものまではまわらなかった。われわれ子どもたちもボロを着て耐えていた。母のモンペもすり切れてお尻が透けてみえていた。もちろん,膝はとっくのむかしにすり切れて膝当てがしてあった。が,お尻の方は気づいていなかったようだ。ある日,わたしはいたずらをして,母のモンペのすり切れたところから指を入れてお尻に触れた。母はびっくりして,わたしの手を払いのけた。その触れたお尻の色が「白」だった。だから,わたしの母のイメージは,なにをおいても「白」なのである。
 だから,このラジオ歌謡を口ずさむと,間違いなく子どものころの母の思い出がつぎからつぎへとよみがえってくる。嬉しいことも悲しいことも怖かったことも・・・・そして,褒められたことも。だから,山茶花の花をみると,ほっとすると同時に,懐かしい母の思い出がよみがえるのである。
 今日の鷺沼は快晴無風。雲ひとつなく青空がひろがっている。少しだけ寒いが,快適そのものである。鷺沼駅のブリッジの上からはとても眺望がよく,東京の都心の高層ビルが視野の中に入ってくる。東京タワーはもちろんのこと,六本木ヒルズののっぽビル,そして,だんとつに高くなったスカイ・タワー。しばらく立ち止まって,久しぶりの東京の都心を眺めていた。
 気分がよかったので,少し遠回りをして事務所に向った。その途中で,なんと,白い山茶花の花と出会ったのである。赤い山茶花よりは花の数は少なめではあったが,子どものころ見慣れた白い山茶花よりははるかに多くの花をつけていた。ちょっと違うなぁ,とは思ったが嬉しかった。こんなところで母に出会うとは・・・・。しばらく立ち止まって,懐旧の情にひたった。懐かしい・・・という感情がこころの奥底からわき上がってくる。久しぶりの感情だ。至福のひととき。
 明日も天気がよかったら,違う道を歩いて,白い山茶花を探してみよう。いまは亡き母との出会いを期待して・・・・。
 

2010年12月26日日曜日

「孤族の国の私たち」という記事について。

 このところ朝日新聞(もう何年も愛読してきた新聞)の悪口ばかり書いてきたので,今日は,珍しく褒めてみたいと思います。
 日曜日だから,ということでもないでしょうが,今日の朝日は読みごたえのある記事がたくさんありました。近頃久しくなかった珍事,と言ったら叱られるでしょうか。いやいや,やればできるではないか,というのがわたしの感想です。これまであまりに杜撰な編集に甘んじていただけの話ではないか,と。こういう気合の入った記事をわたしたちは期待しているのだから。
 「孤族の国の私たち」・・・これが一面トップの大見出し。「孤族」という表現がいいかどうかについては,若干,留保しておきたいところですが,少なくとも朝日新聞としては「孤族」という概念をあえて設定して(朝日新聞社のオリジナルな用語),いま,日本の社会で起きている「家族共同体」という基本的な共同体組織の崩壊現象にスポットを当てようというその気概は高く評価したいと思います。もちろん,これからどのような特集記事が連載されていくことになるのか,その成り行きを見届ける必要があるのは当然のことですが。なんといっても,一面,二面とつづき,さらに三面の半分を割いて「孤族の国の私たち」の記事で埋めているのですから,その気概を感じないわけにはいきません。しかも,4人の記者が「実名」で記事を書いているのです。こんなことが,これまでの朝日新聞にあったでしょうか。
 それから,日曜日は読書欄に,まず,眼が向かうことになります。ここがまた大幅に改善されたことに驚きました。もちろん,条件つきではありますが。これまでのような「おざなり」な書評が姿を消して,まったく違った視点からブック情報にスポットを当てようとする意欲だけは伝わってきました。しかし,全体の印象としては,どこかレベル・ダウンというか,大衆化路線というか,ライト・リーディングスへと軸足を移したというか,さらりと読めるわりには記憶に残らないという感じです。ここは勝負にでたというようにも読めるし,手抜きと読むこともできそうです。なぜなら,読書関連ページが7ページもあるのに,新聞社独自の記事は3ページで,あとの4ページは「広告特集」だからです。
 ただでさえ,新聞の広告が増えてきて,全面広告も珍しくなくなっている時代です。広告なしには新聞が成り立たなくなっているとは,ずいぶんむかしから聞いてはいました。が,これほどまでに酷いことになっているとは,いささか驚きです。結果的には,大部分のページは飛ばして,面白そうな記事だけを拾い読みして終わり,ということの繰り返しです。
 ならば,広告をどこかに限定して,ページ数を減らし,読みごたえのある記事だけを並べたらどうか,とわたしなどは思う。新聞がこんなにページ数を増やしたのは,バブル経済時代の名残でしょう。あの時代に,各新聞社はこぞってページ増に走りました。かつては,新年正月用だけの,お年玉つきかと思われる大サーヴィスとして,週刊誌ばりの厚さの新聞が配達されました。ここは大量の広告と同時に,ふだんの新聞ではできない「特集」を,ある意味では新聞社の総力を挙げて,新聞社独自の主張も籠めた内容のある記事を,組んでいました。だから,正月の新聞はある時期,とても楽しみにし,また,切り抜きもいっぱいつくって保存までしたものでした。しかし,ここしばらく前から,正月の新聞は,まったくの「手抜き」記事ばかり・・・・。なにをやってんだ!と正月早々から怒鳴り声をあげなければならない始末。
 そんなこともあって,「孤族の国の私たち」という連載記事のスタートには,これまでとは違う別の新鮮な風と気概を感じましたので,大いに期待したいと思います。同時に,年末にこんな特集記事をスタートさせるということは,正月の新聞にも,なにか新機軸が登場するのだろうか,という期待を呼び込むことにもなりました。それだけに,正月の新聞がずっこけたら,このときこそ朝日新聞とのお別れのときがきたと決断しなくては・・・・などと考えたりしています。
 まずは,「孤族の国の私たち」という特集記事が,どこまで問題の本質に迫ることができるのか,その取材能力と,その情報の分析能力と,そこから導き出される問題の所在の抉出,そして,その対策の提示・・・・などなどがどこまでできるのか,大いに楽しみにしてみたいと思います。
 新聞メディアは,このままの路線をいつまでも歩みつづけるかぎり,やがてメディアの舞台から退場を迫られることは間違いないと思っています。なぜなら,ひと時代を風靡した百貨店が,その役割を終えて退却路線に入ったことはよく知られるとおりです。新聞も,わたしの眼からみれば,同じ路線を歩んでいるようにみえるからです。
 そんなきびしい現実を見定めたとき,新聞が生き残る道は,徹底した取材にもとづく上質の情報を提供すること,他のメディアにはできないノウハウを活かした情報の分析と対策の提示(きちんとした思想・哲学にもとづくものであることは当然のこと),それしかない,とわたしは考えています。いまのような新聞メディアの体たらくであれば,インターネット情報で十分です。しかも,こちらの方がリアル・タイムで情報が流れ,新聞は一日遅れです。だったら,このハンディを超える情報の「質」を盛り込むことが不可欠です。でなければ,新聞の情報は不要。
 朝日新聞が,これからどのように戦略に打ってでるのか,その結果の一つがこの「孤族の国の私たち」であるとしたら,ここは朝日の試金石ということになろう。そして,日曜日の書評欄も同じ。さてはて,その結果やいかに,というところ。
 みなさんの意見も聞かせていただけると幸いです。

2010年12月25日土曜日

「うつ病」で5000人以上の先生たちが休職している,とか。

 今日(25日)のインターネット情報(NHK)によると,学校の先生たちの休職者がこの1年で8,627人であったという。去年よりも49人増で過去最高とのこと。そのうち,うつ病や適応障害など精神的な病気で休職した人が63.3%で,5,458人だという。こちらも去年より58人増で過去最高とのこと。この数字は文部科学省が調査した結果,明らかになったという。しかも,公立の小・中・高校の先生が対象である。ここには私立の先生たちの数は入っていない。それにしては,その数の多さに驚いてしまう。いったい,いま,学校現場でなにが起きているのだろうか。こんなにも多くの休職者がでてくるにはそれなりの原因があるはずである。
 教育委員会の説明によると,1.学校業務が増えたことによるストレス,2.保護者・住民からの苦情増によるプレッシャー,3.初任者の先生たちは予想していたイメージと違う格差によるショック,などが主な理由だとのこと。休職者が年々増えつづける現状に対して,対症療法的な措置はとっているものの,その抜本的な対策はとられていないらしい。というのは,最近,会った中堅どころの気合の入った男の先生からの情報による。
 その先生の話によると以下のとおりである。
 たとえば,50歳台の女性の先生たちの間に,なにか困ったことが起きると,すぐに「うつ病」を理由に休職する人が増えてきている,というのである。「うつ病」を理由にされると,校長先生も手も足も出せないまま,それを認めるしかないのだそうである。そして,しばらく休職して,元気になると復職するのだが,長くはつづかないそうだ。問題は,その先生が休職している間は,だれかが肩代わりをして,二つのクラスの担任をすることになる。たださえ学校業務が多い上に,二クラス分を処理しなくてはならなくなる。もう,すでに,限界を超えている,とかれは嘆く。その現状のきびしさは教育委員会も承知しているので,休職が長くつづくようだと,臨時の教員を派遣してくる。しかし,この臨時教員は,いわゆる教員予備軍なので,実務経験はほとんどない。だから,ことあるごとにこの人の指導に当たらなくてはならない。それがまたたいへんなのだ,とかれは嘆く。場合によっては,いない方が楽だ,とも。
 なぜなら,担任が休職してしまうようなクラスは,それ以前にすでに学級崩壊しているのだそうだ。だから,担任は「うつ病」になってしまうのだ,とかれは言う。で,その崩壊したクラスを,二つ目のクラスとして担任するかれは,必死になって建て直しにとりかかり,なんとか軌道に乗りはじめたかなと思ったころに臨時教員が配属されて,その先生にバトンタッチする。すると,不慣れなために,またまた,学級崩壊を起こすのだそうな。それを,こんどは側面からサポートすることになる。この方が手間暇がかかってたいへんなのだ,という。とても,よくわかる。
 いま休職している女の先生は,じつはとてもやさしい心根の持ち主で,いい先生なのだそうな。しかし,その先生の心根のやさしさに意地悪な生徒たちが付け入って,さんざん悪さをして,先生の言うことを聞かなくなってしまう・・・,その結果として学級崩壊がはじまる・・・,そういう悪循環があるという。だから,男の中堅どころの気合の入った先生が,担任の代理としてクラスにいくと,その悪童たちはおとなしく言うことを聞くのだそうだ。だから,いとも簡単にクラスは機能しはじめる,と。
 こういう心根のやさしい先生は,保護者からも攻撃されてしまう,というのである。いまの親は,先生が「弱い」とわかると「いじめ」にかかる,というのである。いまの世の中で起きていることがそのまま学校で起きているようだ。保護者たちは先生を「勝ち組」と「負け組」とに二分して,「負け組」を徹底していじめにかかるというのだ。なんということが,いま,学校で起きているのか,とわが耳を疑う。そんな風潮が学校社会のなかにも浸透しているとは・・・・?最近では,ますますそれがひどくなっている,とかれは言う。
 もうひとつはパソコンへの適応不能の問題が,高齢の先生たちの間にある,というのである。こどもの扱いは抜群にうまいベテランの先生なのに,学校業務をパソコンで情報処理をするのが苦手という人も少なくない,という。しかも,新しい教育機器はつぎつぎに導入されてくる。それらはすべてパソコン操作と連動している。だから,その取り扱いをおぼえるだけでも大変だという。ここでつまずいてしまうと,先生としての負担は想像を絶するほど大きくなる。そうなると,周囲にいる先生たちが助けの手をさしのべて,なんとかやりくりをしていこうとする。でも,いつもいつも,いいタイミングでサポートできるとはかぎらない。自分の業務だけでもたいへんだから,とても他人のサポートまで手がまわらないことは,いくらでもある。
 その上に,若手の教員は,みんな大学で「情報処理」という授業を必修で受けている。だから,パソコンを自由に扱って当たり前になっている。しかし,ベテランの先生たちにとっては,まったくの素人からの手さぐりでのパソコン技術の習得となる。しかも若いうちならすぐに身につく操作も,ある年齢を超えるととても大変である。超ベテランであるわたしには,そのことの意味はとてもよくわかる。今日2時間かかってようやく覚えた単純な操作を,翌日にはケロリと忘れている。がっかりである。そんなことのくり返しである。そして,そういうベテランの先生たちを,馬鹿にする若手の先生たちが増えてきている,という。つまり,学校現場では「お荷物」になってしまっている,というのである。だから,言っては悪いけれども,あと何年で・・・と指折り数えるようになってしまう,という。
 この他にも,ここでは書けないような話が学校の中ではいっぱい起きている(わたしが聞き知っただけでも)。世の中の狂気が学校社会にまで蔓延しているのだ。この狂気が立ち現れる根源を断ち切らないかぎり,学校の正常化はありえない,とわたしはおもう。しかし,そのための方策を提示できる人がいない。いま,教育学の研究者はなにをしているのだろうか,と首を傾げてしまう。教育の方法論ばかりに眼を奪われていて,肝腎の「人間」の問題(生徒も先生もふくめて)がないがしろにされつつある。困ったものである。
 問題の解決方法はきわめて簡単だ,とわたしは考えている。
 教員に優秀な人材が集まるシステムを構築すること。たとえば,給与を高くすること,休暇を多くすること(たとえば,夏休みなどを完全に休めるようにすること,そして,教員としての自己研修が十分にできるようにすること,など),学校業務を少なくすること(事務職員を増員して教員の負担を軽減すること)。たったこれだけで,教員はかなり魅力的な職種となる。そうすれば,おのずから優秀な人材が集まるようになる,とわたしは考えるのだが・・・・。
 最大のネックは,教育にお金をかけるという政治的判断が欠落していること。明治以後の日本の驚異的な躍進を支えた立役者のひとりは,学校の先生たちだった。優秀な先生たちが優秀な生徒を育てあげた。その先生を養成する師範学校では,その生徒たちに給料を支払っていた。だから,家庭の事情で上級学校にいかれない優秀な人材が師範学校に集中した。だから,師範学校に入学するにはたいへんな競争率を突破しなくてはならなかった。しかも,卒業後は確実に教員になれた。しかも,社会的地位もきわめて高かった。
 いま,考えてみると夢のような話である。しかし,そんなことを言っていてもはじまらない。なにはともあれ,教育予算をしっかりと確保して,抜本的な改革をしないかぎり,学校現場はますます荒廃していくばかりだ。いまは,かろうじて,教育に情熱を傾けることのできる熱いハートをもった一握りの優秀な教員によって,ボーダーラインぎりぎりのところで踏みとどまっているにすぎない。痩せ細ってしまった教育予算を,まずは,増やすこと。そのためには,小回りのきく地方自治体から運動を起こすことが先決ではないか,とわたしは考える。
 ハシモト君やカワムラ君あたりが,声を大にして,この問題に取り組んでほしいとおもう。イシハラ君でもいい。ヒガシ君でもいい。なんとかせにゃ,あかんがや。感が鈍ってしまったカン君を待っていてもはじまるまい。のん,ほい(三河弁)。
 こんな話を,つい最近,聞いたばかりだったので,今日のインターネット情報には思わずしらず目がとまり,学校の先生もたいへんな時代になったものだなぁ,とあらためて考えることになった次第である。 

2010年12月24日金曜日

「海女」,自然と向き合って生きている人びとの素顔。

 神戸市外国語大学の集中講義(3日間・15コマ)も無事に終わり,ほっと一息。その翌日(23日)には「ISC・21」12月神戸例会が行われ,こちらは久しぶりに盛り上がり,充実した時間を過ごすことができた。そして,今日(24日)の午後,帰宅した。かなりの強行軍ではあったが,帰りの新幹線の中でぐっすりと眠ることができたので,帰宅したらスッキリ。いつものペースにもどることができた。嬉しいかぎりである。
 この4日間のことで報告したいことはたくさんある。が,まずは,23日(木)に開催された「ISC・21」12月神戸例会のことを書いておきたいと思う。それは久しぶりに刺激的な内容だったから。そして,参加者みんなが大満足したであろうから。なかでも,このわたしが一番,大満足したから。なぜなら,三日間,必死で取り組んだ集中講義の抽象的な議論の具体的な事例が,詳細に紹介されたからである。
 プレゼンテーターは山本茂紀・山本和子の両先生(愛知大学)。テーマは「海女の衰退を潜水科学,ジェンダーの視点より実証的に研究し,再生の道を提案する」(科学研究費対象研究)のなかの第4報。今回の主眼は,「海女の体力と健康調査」「ジェンダーの視点より見た海女とその仕事」「海女再生への道」の三つの柱。しかし,海女のことも,潜水科学やダイビングのことなどについてもほとんど予備知識のないわれわれの仲間に向けて,第1報:「海女の潜水道具」,第2報:「海女と海女小屋」,第3報:「海女さんの仕事」の内容を紹介してくれただけでなく,海女さんをとりまく日常生活や年中行事や祭祀儀礼に至るまで,きわめて広い視野にわたって調査してこられたことがら(未発表)を,懇切丁寧に,詳細に紹介してくださった。この研究にこめる山本先生ご夫妻の情熱が,お二人の巧みな話術とともに,ひしひしとわれわれのからだに伝わってくる。まるで,海女さんにかんするすべて,という高級料理(鮑アラカルト?)を腹一杯ご馳走になった気分だ。参加者全員が,いつもとは次元の違う集中力で聞き入っている。わたしにとっても至福のひとときだった。
 その理由は,さきに書いたとおりだ。が,この点について,もう少し踏み込んでおこう。
 集中講義でとりあげたテクストは,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)。その中の第一部 基本資料(Ⅰ.動物性,Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則)。ここには,原初の人間が「動物性の世界」から「人間性の世界」に<横滑り>するときに起きたことはどういうことだったのか,ということを丹念に分析したいわゆる「バタイユ仮説」が提示されている。この「基本資料」をスポーツ文化論的に読み解くと,どういう世界が新たにみえてくるのか,というのが集中講義のメイン・テーマ。その詳細の一部は,これまでのブログで公開してあるとおり。
 その要点を,もう一度,概説しておくと以下のとおり。動物性の世界からはみだしてしまい,動物性の世界にもどれなくなってしまった人間が,それに代えて新たに構築した俗なる世界(人間性の世界)とはどのようなものであったのか,ヒトが人間になるとはどういうことを意味しているのか,人間性の世界が立ち現れるとき,「聖なるもの」や「スポーツ的なるもの」がどのようにして出現することになったのか,人間性の世界とは「聖なるもの」への,つまり失った動物性の世界への回帰願望の表出としてとらえることができるのではなかろうか,だから,「聖なるもの」と「スポーツ的なるもの」はワンセットで展開したのではなかったか,などなど。にもかかわらず,とりわけ,近代以後の人間性の世界は,近代科学の急速な進展の結果,加速度的に動物性の世界から乖離し,人間性をも否定する方向に走りつづけているのではないだろうか,というのがわたしの近年の思考の原点となる仮説である。
 これらのことがらについての各論はすでに書いたブログにゆずることにしよう。そして,こうした思考を深めていたわたしの頭脳が,山本先生ご夫妻のプレゼンテーションにもっとも強く反応したことがらについて,以下に触れておきたいとおもう。
 それは,海女さんの存在は世俗のわれわれとはまったく別の存在ではないか,という印象である。しかも,海女さんの存在様式は,かつての人間がみんな共有していたものであったはずだ。にもかかわらず,その多くをどこかに置き忘れてきてしまったのではないか。それが今日のわたしたちの姿ではないか。そんなことを,まず,最初におもった。
 たとえば,海女小屋の入り口には注連縄がかかっている。ということは,海女さんがこの小屋に入るということは,世俗とは異なる聖別された空間に入るということを意味するだろう。そして,その海女小屋の多くはその中に神棚を設置しているという。その神棚に祈りをささげてから,あるいは,神棚のないところでは別のところにある神様に向かって祈りをささげてから海に向かう。さらに,海に入るときには船縁に少しだけ水をかけ,「チッチッ」とねずみの鳴き声のような声を出してイソノミ(あわびを取る道具)で船縁を叩いて,海の神さまにご挨拶をする。
 海女さんの仕事は命懸けである。海の中ではなにが起きても不思議はない。からだに,どんな異変が起きるかはだれも予測はつかない。突発的な事故で,海女さんが命を落すことは少なくない。中でも,過呼吸による失神事故が多いのではないか,と山本先生ご夫妻は推測する。その根拠を潜水科学にもとめながら,さまざまなケースについて類推していく。あるいはまた,耳栓をしてもぐることの弊害についても,潜水科学が明らかにしているという。水中深くもぐるときには,耳栓をしない方がいい。しかし,すでに2000年にわたる長い歴史をもつ海女さんたちの世界では,古くから耳栓をしていた,という(蕗の茎を煮詰めて,成型した耳栓が紹介された)。それが原因で,耳の遠くなる海女が多いのではないか,と山本先生ご夫妻は考える。たとえば,水圧の関係で,耳栓がかえって鼓膜を痛める原因になるのだ,と。それこそ,鼓膜を圧迫し,ついには鼓膜を突き破って水が流れ込むようなことが起これば命取りとなりかねない。あるいは,そこまでいかなくとも三半規管が狂ってしまって,水中でのバランス感覚を失い,溺れ死ぬことも起こる。
 いずれにしても,海女さんの仕事は命懸けである。
 だからこそ,むかしから海女さんたちは神に祈りながら,仕事に励んできた。海から上がるときも,海岸でコンコンと叩いて,海の神様にご挨拶をする。そして,海女小屋にもどって,もう一度,今日の無事を神棚に祈り,感謝する。
 これ以外にも,集落のあちこちに祈る場所があって,そこを通りがかるときには必ずご挨拶をするのが慣習行動になっている,という。あるいは,家のまわりのあちこちにも,ほんのちょっとした食べ物を供える,という。これは,バリ島などにも見られるアニミズム的なコスモロジーと共通しているようにおもう。いわゆる,自分たちの身のまわりに存在する自然物には「精霊」が宿るというコスモロジーである。この「精霊」とうまく折り合いをつけておかないと,この「精霊」たちにいじわるされることもある,と人びとは考える。だから,身のまわりのありとあらゆる自然存在と同調し,過誤を起こさないことが最優先される。バタイユ的に言えば,「内在性」の世界に限りなく近い感覚を海女さんたちはからだ(五感)をとおして感じ取っているのではないか,とおもわれる。つまり,海という大自然と溶け合っている身体,あるいは,陸にあっても,空気のように(あるいは,風のように),大自然と共振・共鳴し合っているのではないか,とそんなことを考えさせてくれる。
 毎日,海という大自然と向き合い,かつ,そこを職場とし,つねに死と背中合わせで仕事をする海女さんたちにとって,あらゆる自然物とうまく折り合いをつけておくことが肝要であろう。だから,海女さんたちが,ことあるごとに祈り,供物を捧げ,身の安全をはかるのはごく自然のなりゆきというべきであろう。しかも,その仕事は生きたあわびをはじめとする,いわゆる海の幸を,人間の一方的な都合で採集し,その命をいただくことだ。だから,いまでも国崎町でとれたあわびは伊勢神宮に奉納され,神様のお許しをえる神事儀礼が行われている,という。
 ジョルジュ・バタイユの理論仮説に引き寄せて,もう一度,考えてみると以下のようになろうか。
 海女さんたちは,海にいる間は,どっぷりと自然の中に身をおいている。つまり,海という聖なる世界に身をおいている。言いかえれば,「水の中に水があるように存在する」存在様式としてバタイユが提示する「内在性」にかぎりなく近い世界を,海女さんたちは日々体験している。海に逆らうことはできない。だから,海といかに同調し,同類と化すか,ここが大きな課題なのであろう。あるいは,そんなことは当然のこととして,もはや,なにも意識していないかもしれない。それほどに海女さんたちの身体と海とは一体化しているに違いない。禅の世界でいえば,石と一体化する境地,竹林の中の一本の竹と一体化する身体,自他の区別のない世界,明鏡止水の世界,つまりは「悟りの境地」ということになろうか。そういう世界に海女さんたちは生きているように見受けられる。その世界は,世俗の真っ只中を生きるわたしたちとはまるで別世界なのだ。そして,海から上がったときは世俗の世界を生きる。言ってしまえば,海女さんたちの現実の生活は,聖なる世界と世俗の世界の二つの世界を往来している,ということになろうか。だから,自分を超越する存在に対する畏敬の念が,つまり,自然に対する畏敬の念が,そして,神々に対する畏敬の念が,世俗にどっぷりと浸かっているわたしたちよりもはるかに強い。そして,じつに清らかな世界に生きているようにおもわれる。
 このことと,つぎの話は無縁ではない,とわたしは考える。山本先生ご夫妻のお話では,海女さんたちは,ほんとうにいい人たちだ,という。とても思いやりがあり,賢くてやさしく親切で,嘘をつかない。そして,いつでもこころの底から歓待してくれる,と。
 たとえば,時間を間違えて,食事時に尋ねたりすると必ず食事をしていけと強く誘われるという。一緒にご飯を食べるということの,ほんとうの意味(これについては,また,別の稿で書いてみたい)が無意識の中に位置づいている。人間が生きることの基本がからだの中にしみこんでいる。だから,それがごく当たり前のこととして表出する。共に生きるということの基本が共に食べるということだ。伊勢神宮で行われる神様との「共食」儀礼(「直会」もその一種)は,その典型的なものだ。なぜなら,「食べる」という営みは他者の命を「いただく」ということだ。そのためには神様のお許しをえなくてはならない。これが原初の人間の考えたことだ。わたしたちが,いまでも,日常的に「いただきます」と食事の前に唱えるのは,この儀礼の残像である。競争社会にどっぷりと浸っているわたしたちが,とうのむかしに忘れてしまった感覚である。

 三重県鳥羽市の石鏡(いじか)町,国崎(くざき)町,相差(おうさつ)町の三つの町に住む海女さんたちの実態について,何年にもわたって丹念に調査をつづけ,すべての海女さんたちと仲良しとなり,絶大なる信頼を受けている山本先生ご夫妻のお話には,だから,とてつもなく深い情愛が籠もっている。だからこそ,聞く者はみんなこころを打たれる。フィールド・ワークとはかくあらねばならぬ,というお手本のようなものだ。
 今回は,5時間をかけての(途中休憩を入れて)「大」プレゼンテーションであったが,それでも時間は足りなかった。それほどに情報量が多いのである。今回は,とりあえずの導入のお話として位置づけさせていただき,次回からできるだけ小さなテーマを立てて,一つひとつ詳細なお話を聞かせてもらうことにしよう,とおもう。いまから楽しみである。

 山本先生・和子先生,ありがとうございました。こころからお礼を申しあげます。そして,これに懲りずに,これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2010年12月22日水曜日

就職活動=「就活」とはいったいなにごとなのか。

 「就活」なることばが,しばらく前から新聞紙上に目立つようになった。いまの世の中はそんなものか・・・と遠くから眺めていた。ところが,急に,「わがこと」として対面することになった。
 20日から,神戸市外国語大学で集中講義に取り組んでいる。その受講生の主体は学部の3年生である。その3年生が「就活」のために授業を休ませてくれ,というのである。まるまる一日,休めば,それだけですでに3分の1の欠席となる(集中講義は3日間で15コマの授業を行う)。その上,残りの2日間のうち,午前だけとか,午後だけを休ませてくれ,という。となると,15コマのうち半分近くを欠席することになる。ルールどおりであれば,単位の認定はできなくなる。
 だとすれば,「補講」をすることになるのであろうか。「補講」とは,原則として担当教員の都合で15コマの授業をすることができなかった場合の緊急措置として行われるものだ,と承知している。あるいは,学校行事のために,授業回数が不足した場合の措置として。だから,学生さんの「就活」のために「補講」をしなくてはならない,という理由はどこにもない。
 となると,「特別指導」なる手当てをして,欠席分を補充して,単位認定ということにでもなるのであろうか。
 しかし,こんなことよりも大事なことがある。わたしのここでの集中講義は一種のゼミナールである。テクストも予習用のスクリプトも,あらかじめ提示してあって,学生さんたちは順番にプレゼンテーションを行い,みんなで議論をしていく。わたしは,担当者として,ゼミナールの導入のレクチュアをしながら,少しずつ議論を深めていくべくサポートしていく。そうして,議論の成果を一つひとつみんなで共有しながら,ゼミナールの議論を盛り上げていくことを目指す。最終的には,このゼミナールはこういうものであったのか,ということをみんなで了解できるところまで努力を積み重ねていく。これがうまくいくと,学生さんのみならず,担当者であるわたしも,思いもよらない新たな知の地平を切り開くことができる。
 ところが,「就活」なるものによって,この授業計画は,ズタズタに寸断されてしまう。ちなみに,受講している3年生7名のうち,全部出席できる学生さんはたった2名だけである。こうなると議論の蓄積はほとんど不能である。となると,ゼミナールの本来の目的はどこかにすっ飛んでしまう。その場かぎりの議論をして,済ませてしまうしか方法がない。なんとも,やるせない。もったいない話ではある。
 いったい,企業は大学教育というものをどのように考えているのだろうか。3年生の後期の授業をズタズタにしてしまうことの意味を考えているのだろうか。自分のところにいい人材を早めに確保してしまえば,それでいいと考えているのだろうか。大学教育の4年間のうち,2年半しか授業を受けていない学生さんを「刈り取ろう」ということの意味を,少しでも考えたことがあるのだろうか。残りの1年半で,学生さんはいかようにも変化することを考慮に入れているのだろうか。極論してしまえば,企業は大学教育というものになんの期待もしていないのだろうか。
 こんな疑念ばかりが脳裏をかすめていく。
 「就活」からもどってきました,という黒いスーツで身を固めた学生さんたちに罪はない。むしろ,可哀相に・・・・と思う。なぜなら,世俗のことなど忘れて,学生という特権を思い切り生かした自由な時空間での学生生活を堪能することもできない情況に身をさらされているのだから。そして,残りの1年半の学生生活こそ,人間的にも,もっとも飛躍できる時期なのだから。それをもズタズタにされてしまうのだから。将来の職種すらまだ定かではない3年生の段階から,浮足立ってしまって,地に足がつかない生活に追われなくてはならないのだから。
 こうして学生さんたちは,早くも,そして,ますます「事物」(ショーズ)と化していくのである。こんなことを野放しにしておいていいのだろうか。新聞などの報道によれば,来年からはもう少し遅くする方向で検討中だとか。当然だ。
 大学教育を企業が破壊している実態をもっともっと世間に訴えていくべきだ。大学も企業も,双方ともになんの得にもならないのだから。それどころか,学生さんが最大の被害者だ。もっともっと青春を謳歌させてやらなければ,ほんとうのいい人材は育たない。このことに社会全体が気づかなくなってしまったら,世も末である。
 人間の「事物化」現象に少しでも歯止めをかける努力をしていかなくては・・・・。
 そして,一人ひとりの人間としても,「事物化」に抵抗する生き方を模索しなくては・・・・。

 さて,今日が集中講義の最終日だ。気を取り直して,頑張ることにしよう。
 

2010年12月19日日曜日

キッズ・チャンバラを見学,殺陣剣術体験の記。

 昨日のキッズたちのチア・リーディングをみて,その感想をブログに書いていたら,そういえば,しばらく前にキッズ・チャンパラなるものを見学したなぁ,と思い出した。
 12月9日(水)午後6時から9時までの3時間。その前半でキッズ・チャンバラを見学し,その後半は殺陣剣術を体験させてもらった。NPO法人たかつのスポーツ・クラブが組織するプログラムのなかの一つを,友人の戸沼資貴さんが担当している。この戸沼さんは税理士の高橋さんに紹介してもらった。なんと,戸沼さんは義足の殺陣師である。ふつうに歩いているときはほとんど気づかない。それほどにリハビリに励み,調整をされた人だ。そして,いまは,人の前に立って,殺陣剣術の指導に取り組んでいる。いささか人間のできが違う。
 さて,キッズ・チャンバラというものを以前から話には聞いていたが,実際に,どんな具合にしてレッスンを展開しているのか知りたかった。そして,殺陣剣術なるものがどういうものなのか,それも知りたかった。その夢がようやくにして実現したという次第。
 まずは,キッズ・チャンパラから。午後6時,すでに,かなりの子どもたちが集まっている。下はどうだろう,小学校3年生くらいか,上は6年生だろうと思う。女の子も相当数いる。半数近いか。こんなことも確認しないまま,ただただ,見とれていた,というのがほんとうのところ。久しぶりに子どもたちが集まって元気にはしゃいでいる姿を目の前にしたからだ。みんな仲良しなのか,底抜けに元気がいい。というか,落ち着きがない。まずは,きちんと正座して瞑想とご挨拶から入る。瞑想と言ったところで,ひとりふたりはお茶目な子がいて,人を笑わせている。何人かがつられて笑ってしまう。でも,先生もその他の子どもたちも知らん顔をして瞑想している。そのテーマは,自分が一番なりたいものをイメージしなさい,というもの。つぎに,ご挨拶。正面に礼。お互いに礼。チャンバラに使う剣に礼(剣といってもウレタンでできた柔らかい棒)。これも子どもたちの大半は,きわめて形式的。しかし,何人かの子どもたちは先生のやるとおりの礼をしている。
 こうしてレッスンがはじまった。先生は,戸沼さんのお弟子さんたち。戸沼さんは,それとなく遠巻きにサポートしながら,みてまわっている。先生は「これをしてはいけない」という注意はほとんどしない。しかし,「〇〇をするときに守らなくてはいけないことは,なにかな?」という問いを投げかけ,子どもたちに答えさせている。それ以外のことは自由自在に対応している。だから,一見したところ,子どもたちも勝手気ままにみえる。先生の話はほとんど聞いていないようにみえる。それほどに子どもたちは勝手なことをしている。それでも不思議なことに,レッスンはそれなりに流れていく。大きな流れとしては,先生の計画どおりに流れている。話を聞いていなくてわからなくなった子どもは,あわてて,近くにいる子に聞いている。そして,すぐに,仲間の中に入っていく。
 剣は軽くて柔らかなので,どんな風にからだを叩こうと,痛くもなんともない。説明をしている先生のうしろからいきなり背中を叩きにいく子もいる。先生は,そんな子を無視して,必要な説明をしている。ほとんどの子は動きまわりながらも,それとなく話を聞いているのがわかる。それで,どんどん,レッスンは進んでいく。一見したところ,とても大雑把にみえるが,じつは,基本的なことはすべて押さえてある。だから,わずかに数人の子どもたちはきちんとレッスンの流れにそって動いている。それで,十分にレッスンは浸透していく。勝手なことをしている子どもたちも,それとなく,レッスンの流れにアンテナを張っているのがよくわかる。これでいいのだ,とわたしは膝を打ちながら,じっと見守る。
 終盤にさしかかったところで,赤白の二手に分かれて,全員で一斉にチャンバラごっこに入った。もう,大変な騒ぎである。全員が所狭しと駆けずり回りながら,チャンバラごっこに余念がない。面白いことに女の子が一歩も負けてはいない。堂々と対等に討ち合っている。小学生くらいだと男女の性差はほとんどない。わたしの記憶では,小学生のころ,相撲をやると女の子の方が強かった。だから,この子どもたちもチャンバラごっこを男女対等に闘っている。だから,みんな必死で,全力を投球している。これはやろうとしてやっているのではない。気がついてみれば,そうなっている,という理想的なパターンになっている。
 そして,最後に,どういう約束事になっていたのか,二人の男の子が呼びだれて,コートの中央に登場して,一本先取の真剣勝負を行った。のっぽの子とちびさん。なぜ,この二人なのかな?と思ったほどだ。これでは最初から勝負がついているではないか,と。先生は,もう一度,確認のために勝負判定のルールを説明。二人は真剣に聞いている。その他の子どもたちは,そのまわりを囲んで坐っている。なぜか,このときはみんなおとなしく坐っている。その前のチャンパラごっこで疲れていたのかもしれない。しかし,じっと,ことの成り行きを見つめている。
 「相討ち」は勝負なし,で試合ははじまる。審判は,先生二人と,一人の主審。驚いたことに,双方ともに最初から積極的に討ってでる。しかも,同時の相討ちになる。休むことなく討ってでる。そして,何回も,何回も相討ちがつづく。二人とも必死である。こんなにも真剣に討ち合いをするとは,わたしは予想していなかった。徐々に疲労がでてくる。その瞬間である。のっぽが討ってでて空振りとなる。その瞬間をちびが討ってでた。それが,みごとに一本となり,勝負あり。のっぽ君は天を仰いでしばし動けない。先生の指示で,握手,うしろに下がって礼。のっぽ君は,正座したまま上を向いて涙をこらえている。まわりの子どもたちもみんなのっぽ君を注視している。やがて,涙があふれてきて頬をつたって流れ落ちる。静かに,全員がじっとしたまま見守っている。さっきまで,先生の話もそこそこにしか聞いていなかった同じ子どもたちなのだろうか,と不思議なくらいだ。この時間は貴重だなぁ,とわたしまで感動してしまった。
 しばらくして,二人を立たせて,もう一度,握手をするようにと指示。戸沼さんは,しっかりとお互いに手を握らせて,お互いの眼をみつめるように,と指示してカメラを向ける。そして,そのままの姿勢をとらせておいて,さまざまな角度からシャッターを切る。その間,二人は握手をしたままお互いの眼を見つめ合っている。戸沼さんはそれを計算に入れたかのように,しっかり,時間をかけてシャッターを押している。これを全員の子どもたちがみつめている。
 レッスンの前半にみられたような,勝手気ままな,多動性症候群ともおぼしき子どもたちとは打って変わって,みんな神妙な顔をしている。
 そうして,最後に,全員,正座。そして,瞑想。ご挨拶とつづく。
 後片付けをして,解散。子どもたちは,着替えを済ませると,大きな声で「ありがとうございました」といって帰っていく。みんな生き生きとしたいい顔をしている。
 わたしがもっとも救われたのは,いわゆる「体育座り」を強制していなかった,という点だ。みんな,それぞれに思いおもいの坐り方をしている。中には寝ころがって先生の話を聞いている子もいる。その間,ふざけ合っている子もいる。でも,先生は必要最小限のことだけ話すとすぐにチャンバラに入る。なにをしたらいいかわからなくなった子どもは,しばらく立ってみている。そして,様子がわかると中に入っていく。先生は黙ってみているだけ。この「待つ」という時間が重要なのだ。子どもに判断させること。そして,いま,どうすればいいか,を考えさせること。ここを大人たちは「待つ」だけのこころの大きさがないので,すぐに,指示を出してしまう。ひょっとしたら,お説教をはじめてしまう。子どもはすでに「しまった」と思っているのだから,それにかぶせるようにしてお説教をする必要はない。その「しまった」で自己を取り戻しているのだから,あとは,自己の判断にゆだねてやればいい。こうして,子どもは成長していくものなのだから。
 まあ,久しぶりの子どもたちの活動ぶりに接して,そして,人間というものをきちんと見極めている指導者のもとでのレッスンを拝見させていただいて,世の中,捨てたものではないなぁ,としみじみ思った。NPO法人の活動については,いろいろの意見があることもよく承知しているつもりである。しかし,実際にその現場をみてみると,どこの世界も同じで,そこを仕切る人による,としみじみ思った。どの世界も少数のすぐれた人材によって基本的なところは支えられている。だから,世の中はなんとか成り立っているのだ。この人たちの努力と活躍がなかったら,世も末である。こういう人たちが一人でも多く日の目をみる社会になってほしいものだと思う。
 いいものを見せていただいた。
 長くなってしまったので,殺陣剣術体験記は,またいつか。
 今日はここまで。

2010年12月18日土曜日

キッズのチア・リーディングを見る。

 今日(18日),鷺沼の事務所に向う途中,キッズのチアリーディングのパフォーマンスに偶然,出会った。いつもの溝ノ口駅に向って歩いていたら,駅前の丸井のところに人だかりがある。近づいていってみると,これからキッズのチアリーディングのパフォーマンスがはじまるところだった。思わず足が止まってしまった。
 小学生3年生くらいから6年生くらいの可愛い女の子たちが,およそ20人くらい。いくつかのチームに分かれているらしく,また,演技内容によってメンバー構成も入れ替わったりして,さまざまな集団が演技をみせてくれた。チア・リーダーの存在は,アメリカで初めてすぐ近くでみる機会があって,それ以後,わたしの意識のなかに,かなり不思議なものとして残っている。
 今日,出会ったキッズのチアリーディングは,とてもよく訓練されていて,動きの切れもいいし,リズム感も抜群でみていて楽しかった。お年寄りから親子連れまで,さまざまな人たちが足をとめて,「ウォー」と声をあげて感動している。満面の笑顔ではじける動きをみせるチアの女の子たちも,ほんとうに嬉しそうにみえた。が,途中で,おやっとおもうことがあった。
 彼女たちは,とても薄着で,寒くて震えているのである。だから,演技が終わると,みんな一様に暗い顔になってしまう。その落差の大きさに気づいたとき,あれっ?と思った。そして,つぎの出番を待つ間,彼女たちは震えながら待っている。箱根駅伝などの選手たちが,バトンを受けとる寸前まで羽織っているダウンのロング・コートがあるではないか。ああいうものを,出番を待っている間くらい着せてあげればいいのに・・・,とひとりごと。
 こうして,何組かの演技がつぎつぎに繰り広げられていったのであるが,満面の笑顔はステージに立った瞬間からで,終わって控えになると暗い顔。見ているうちにだんだんと可哀相になってくる。そして,こんどは逆に,よくもまあここまで訓練されたものだなぁ,と妙なことを考えはじめてしまう。女の子たちは,大好きで楽しいから,このチームに入って練習をつづけているのだろうが,この子たちにどこまで自主性が認められているのだろうか,などと勝手なことを思い浮かべてしまう。その指導者たちとおぼしき女性たち(わたしの眼で確認できた人は3人)はみんなロング・コートを着ていた。指導者の配慮の欠落もさることながら,女の子たちが自主的に「寒い」と訴えることをしないでいることの不自然さの方にわたしの関心は向かう。ひょっとしたら,体育会的な上下関係があって,まるで,奴隷のような訓練を受けているのではなかろうか・・・などと。
 こんなことを考えながら眺めていたら,こちらのこころだけでなく,からだまでが寒くなってきた。
 しかし,そこに,もう一つの面白い光景が眼に飛び込んできた。
 まだ,よちよち歩きの小さな女の子が,お母さんの手を振り切って,ステージの真ん前に近づいていって,見よう見まねでチアをはじめたのだ。もちろん,歩くことさえ覚束ないくらいだから,チアの動きにはなっていない。チアの女の子たちがジャンプすると,その小さな女の子は足をバタハタとさせ,チアの女の子たちが素早くからだを回転させると,その小さな女の子はよたよたとかなりの時間をかけて一回転する。母親はあわてて,手をつないで引き戻す。しばらくすると,また,その小さな女の子は母親の手を振り切って,同じことを繰り返している。別に迷惑をかけているわけでもないし,危険であるわけでもない。だから,好きなようにさせてあげればいいのに・・・とわたしは遠くから眺めていた。しかし,母親は止めに入る。そのたびに,その小さな女の子は地団駄を踏んで怒っている。そのうちに,母親もあきらめたのか,そのまま,しばらく傍観をはじめた。もう,その小さな女の子は,夢中になって,チアのまねごとをしている。眼をらんらんと輝かせて・・・・。

 で,ここまで眺めていたら,突然,バタイユの『宗教の理論』が頭をかすめた。あっ,チアの女の子たちは「事物」ではないか。そして,その小さな女の子は,チアの女の子たとを「同類」だと思っているのではないか,と。チアの女の子たちは,教えられたことをそのまま,まるで,ロボットのように,全員が同じリズムで同じ動きをしている。そして,それを喜びである,ということを実証するために満面の笑顔を「つくって」いる。ほんとうのところは寒くて仕方がない。笑顔など「つくって」いる場合ではないのかもしれない。しかし,満面の笑顔をくずそうともしない。寒くて震えている控えでの姿との,そのあまりのギャップの大きさが不自然だ。
 それに引き換え,その小さな女の子は母親の制止を振り切って,ステージの真ん前に立ち,よたよたとしながらも夢中になって同じふりをしているつもりになっている。チアの女の子たちと「同類」になったつもりで。つまり,彼女の気持ちの上では,チアの女の子たちとなんの違和感もなく,一体化しているつもりなのであろう。まさに,自他の区別のない,内在性のなかに溶け込んでいるようにみえる。そこには計算も打算もない,ただ,ひたすら,まねごとに熱中しているだけである。それ以外のなんの目的もない。ただ,ひたすら「消尽」されるのみ。この小さな女の子は,まだまだ,動物性を存分に引きずっている。そして,このリズミカルな動きに反応して,無心に同一化をめざしている。
 これはどうみても,事物たる人間性の世界と,同類と一体化しようとする動物性の世界が,いま,わたしの目の前で展開している・・・・と。生まれたばかりの赤ちゃんは,おそらく,まだ,動物性の世界にどっぴりと浸っているはずだ。その赤ちゃんが,眼がしっかりとみえるようになり,はいはいをはじめ,やがては立ち上がって歩きはじめるにしたがって,次第に動物性の世界から人間性の世界へと移行していく。
 教育は(親も学校も社会も),もって生まれた子どもの動物性をいかに排除・隠蔽するかということに全力をあげる。つまり,人間性の世界に適応できるように「しつけ」ようとする。こうして,りっぱな「事物」に仕立て上げていく。チアの女の子たちは,特別のプログラムをとおして,他の女の子たちよりも特異な事物に仕立てあげられていく。その,みごとな「事物性」に触れて,もっとも標準的な事物と化してしまった大人たちが感動している。しかし,その中にひとりの小さな女の子が紛れ込んでくると,事物が支配している時空間に,突然,純粋無垢な動物性の世界が切り開かれていく。しかし,鈍麻してしまった事物たる母親をそれを制止しようとする。その他の大人たちも(わたしもふくめて),その制止を制止しようとはしない。事物だらけのその場で,動物性をいっぱいかかえこんだままの小さな女の子だけが異彩を放っている。
 やがて,チアリーディングのパフォマンスは終わり,集団がくずれた。わたしは,少し離れたところに立ち,その後の彼女たちの様子をさぐっていた。案の定,彼女たちは三列横隊に並び,直立不動の姿勢で,指導者のお話を聞いている。なにか,確認のことばが指導者から発せられると「ハーイ」という,これ以上の声はでません,というほどの大きな声で返事をしている。しかも,女の子たちは寒くて震えているのである。にもかかわらず,延々と,そのお話はつづいている。可哀そうに,と思いつつなにもできない自分を歯痒く思いながら,きびすを返すことにした。
 なにか見てはいけないものを見てしまったあとのような,後味の悪さを残したまま,電車に乗る。あの見物集団のなかには親もいたはずだろうに・・・・,などと思いながら。

2010年12月17日金曜日

9.労働する人間と道具。

 この節では,ノートに書き写しておきたいような名言が,あちこちに登場する。そうしたバタイユの名言を手がかりにして思考のトレーニングをしてみることにしよう。
 まずは,冒頭の書き出しから。
 「一般的に言って事物たちの世界は,ある失墜状態と感じられる。なぜならその世界は,それを創り出した人間の疎外をもたらすようになるからである。」(P.52.)
 「一般的に言って事物たちの世界は・・・」と言われると,なんだか他人事のように聞こえてしまうが,「事物たちの世界」とは,言うまでもなく「人間たちがつくった世俗の世界」であり,なにを隠そう,わたしたちが生きているこの現実の世界は,その成れの果てなのである。その世界が「ある失墜状態」だと感じられる,とバタイユは言うのだ。その理由は,「事物たちの世界」を創り出した人間そのものの疎外をもたらすようになるからだ,という。わたしたちがこんにち生きている社会は,かつて話題となったパッペンハイムの「人間疎外論」をもち出すまでもなく,長い人類史にあってもっとも過酷な人間疎外をもたらしている時代なのだ。つまり,自分たちが創り出した事物そのものによって自分自身が傷ついているのである。現代科学文明による人間疎外がいかなるものかは,ここであえて述べる必要もないであろう。このことを,バタイユは,事物を産み出した原初の人間に向けて,はっきりと断言しているのである。つまり,人間になるということが,そのまま人間疎外をもたらすことになる,と断じているのである。だから,それは「失墜状態」だとおもわれる,と。
 ここにこそ,「ヒトが人間になる」という事態の背景に隠された根源的な謎を解くための最大の鍵がある,とわたしは考えている。動物性から離脱して人間性へと移行するときに,いったい,なにが起きていたのか,と問うわたしの問題意識はここにある。そして,21世紀のスポーツ文化論を考えるための出発点を,限りなく原点にまで遡らせること,そして,そこから議論を構築すること,そうしないことには,時代精神を超克する新しいスポーツ文化の創造は不可能だ,と考えている。こんにちのスポーツ情況を超克するための,残された唯一の方法がこれだ,というのが長年にわたって模索してきたわたしの結論である。
 つぎなるバタイユの名言に移ろう。
 「従属させるということはただ単にその従属させた要素を変えるということだけではないのであって,そうする者自身が変えられるということなのである。」(P.53.)
 と述べた上で,これは「一つの根本原則とみなしてよい」とバタイユは断言している。こういう文章に出くわすと,バタイユの得意とするアフォリズム的箴言が脳裏をかすめていく。ニーチェのアフォリズムの精神をしっかりと継承し,『内的体験』で示したバタイユのアフォリズムは,ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』に匹敵する名著である。「従属させる」という行為は,まるでブーメランのように投げた者のところに舞い戻ってくる。一方通行ではないのである。このことを深く胸に刻んでおくべきだろう。
 さらに,バタイユの名調子にしばらく耳を傾けることにしよう。
 「道具は同時に自然と人間を変える。つまり道具はそれを創り出し,使用する人間に自然を服従させるけれども,また同時に道具はその服従した自然に人間を縛りつけるのである。自然は人間の所有物となるが,それによって自然は人間にとって内在的であることを止めるのである。人間にとってそれが閉ざされているという条件において,自然は人間のものなのである。人間は自分自身が世界であることを忘却していくが,まさにちょうどその度合に応じて世界を自分の手中に握るようになるのである。人間は世界を否定するけれども,否定されるのは彼自身である。」
 バタイユはきちんと論理を立てて,ひとことずつ,極めつけのことばを刻みつけている。しかし,これらの文章は一つずつ独立させて並記しても,それだけで十分な意味をもっていいて,立派な箴言となっている。しかも,説明不要の簡明さである。世界の極限にまでまなざしが行き届いている人の文章は,どんなにむつかしいことを述べていても,つねに,簡潔で,明快である。このあたりのバタイユの論考は,余裕綽々で,ゆとりさえ感じられる。「人間の疎外をもたらすようになる」その理由が懇切丁寧に説明されていて,コメントをさしはさむ隙間すらない。
 「・・・私が自分にとって同類であるものを,もはやそれ自身の目的=究極のために存在するのではなくて,それにとってはまったく疎遠な目的=究極のために存在するようにと還元してしまったということなのである。」
 このように述べた上で,小麦と子牛を事例として取り上げ,農耕者と牧畜者を対比させながら,それらがいかに「本来の目的=究極」から遠ざかっているか(疎遠な目的=究極に奉仕することになっているか)を説く。つまり,小麦も子牛も農耕者も牧畜者も,みんな「事物」と化してしまって,「本来の目的=究極」からは完全に遠ざかってしまっていると強調する。
 たとえば,小麦の「本来の目的=究極」は,地面に落ちて根を張り芽を伸ばし,生育して種を実らせて,その種を地面に落し,本体は枯れて朽ち果てること,ただそれだけである。つまり,小麦としての「生」をまっとうすることにある。しかし,小麦の殻粒が農業生産の単位となり,農耕者の手にかかると,完全なる事物と化す。そこでは小麦の「本来の目的=究極」からは切り離されてしまって,小麦はもっぱらパンに製造加工されて,人間に食べられることのためにのみ,農耕者によって栽培されることになる。小麦を栽培する農耕者もまた,小麦の種をまくという労働は,かれにとっての「本来の目的=究極」ではない。かれが種を播くという労働そのものは,だれかがパンにして食べるための小麦の栽培に従属しているのであって,かれがいま行っている労働(種まき)の「本来の目的=究極」ではない。
 「農耕者は一人の人間ではない。それはパンを食べる人の犂(すき)である。極限的にはパンを食べる人自身の行為がすでに田畑の労働であって,食べる行為はその労働にエネルギーを供給しているのである。」
 このことと,まったく同じことが,子牛の飼育にも当てはまる。
 こうして人間は,小麦や子牛を事物と化すことによって,みずからもまた事物となってしまうのである。これを「失墜状態」と言わずしてなんと言うべきか,とバタイユはわたしたちに重い問いを投げかけてくる。
 最後にひとこと。「道具は自然と人間を変える」というテーゼをスポーツ文化論的に解釈すると,どういうことが言えるのだろうか。これは宿題。
 ということで,この節はここまで。

2010年12月16日木曜日

8.食べられる動物,屍体,事物。

 ことここにいたって,バタイユは「食べられる動物」について驚くべき見解を提示している。
 人間は,当然のようにして,動物を事物として扱う。人間は,動物を同類とはみなさなくなったのである。そのため,人間はみずからの内なる動物性に向き合うことになると,それを自分の欠陥だとみなし,あわててそれを隠そうとする。そこには「一片の虚偽」が隠されている,とバタイユは指摘する。つまり,一匹の動物はそれ自身として生きているのであり,それ以外のなにものでもない。にもかかわらず,人間はその一匹の動物を事物と化してしまう。そのためには,なんらかの「抑圧・隠蔽」の力が加えられることになる。そして,つぎのように述べる。
 「(動物が)一つの事物とされるためには,死んでいるか,あるいは家畜化していなければならない。だから食べられる動物が一つの物=客体として定置されることができるのは,それが殺されて食べられるという条件が充たされる場合だけなのである。さらにはそれは,炙り焼き,網焼き,煮ものといった形において初めて十分に事物となるのである。」
 ここには,「物=客体」(オブジェ)と「事物」(ショーズ)という二つの概念の違いがみごとに提示されている。そして,二段構えの「抑圧・隠蔽」の力が加わっていることが,これらの概念をとおして明らかになってくる。その意味でも,「物=客体」と「事物」というバタイユが提示する概念装置はきわめて重要な役割を果たしていることになる。
 この文章につづけて,つぎのような見解をバタイユは提示する。
 「そもそも肉を調理するためにあれこれ手間をかけるのは,本質的には美食の追求という意味を持つのではない。それ以前に問題となっているのは次のような事実,すなわち人間はなにものであれそれを一個の物(オブジェ)に変えてからでなければなにも食べない,という事実なのである。」
 こんにちのわたしたちの常識を一転させる,驚くべき言説である。調理とは,単なる美食の追求のための営みではなく,まさに,一匹の動物を「事物」にするための「儀礼」であった,とバタイユはいうのだ。そうしないことには,人間は動物を食べるということはできない。人間は人間になってしまったために,動物が動物を食べるのと同じ方法では食べられなくなってしまった,というわけである。逆にいえば,それこそが「人間になる」ということの「一片の虚偽」の内実だった,ということでもあろう。
 他方では,「人間を切り裂き,焼き,食べるということは,忌まわしくぞっとすることである」とも述べている。そして,「人間を一個の事物にすることは──炙り焼き,煮込みシチュー・・・にすることは,つねにかわらず罪なのである」とも。解剖学の研究ですら,つい最近まで言語道断なことである,と考えられてきた,とも。
 そして,その理由を以下のように説明している。
 「そもそも身体に対する人間の態度は,驚くほど複雑な様相をみせている。人間が動物の身体を持つこと,そしてそのせいで一つの事物のように存在することは,人間が霊=精神である限り,その惨めさであり,苦悩である。が,しかし一つの霊=精神の基体であることは人間の身体の栄光でもあるのである。そして,身体-事物には精神がきわめて緊密に結びつけられているので,その身体はいつも絶え間なく霊的なものに憑きまとわれており,ぎりぎりの極限において以外はけっして事物ではないのである。」
 と,述べた上で,人間の屍体のもつ意味について述べる。ここでの指摘も,わたしたちの今日的な解釈とはまったく次元を異にする。たとえば,以下のとおりである。
 「人間の屍体は動物の身体が事物の状態へと還元される過程が完了したことを示しているのであり,したがってつまり生きている動物が事物の状態まで完全に還元され尽くしたことを啓示しているのである。原則としてそれは厳密に従属した要素であり,それ自体としてはなんら重要性を持たない。布地,鉄,あるいは加工された木材と同じ性質の有用性なのである。」
 人間が死ぬということの内実は,こんにちのわたしたちが考えていることとはずいぶんとかけ離れている。原初の人間が立ち現れるときの,いわゆる移行期の人間のイメージする「死」は,動物的身体への回帰的な意味がこめられている。そして,事物となった身体は,もはや「有用性」以外のなにものでもない,というバタイユの指摘に,またまた,驚かされることになる。となれば,こんにちの臓器移植の考え方も,原初の人間の発想の延長線上にぴたりとはまってしまうことになる。「有用性」の限界については,別のテクストで,バタイユは詳細に議論を展開している。この問題については,また,別のテーマで述べてみたいとおもう。
 こうして,「人間性と俗なる世界の形成」の実態が浮き彫りとなってくる。
 この節は,ここまで。

7.事物たちの世界の定置および身体を事物として位置づけること。

 この節をとおして,読み取らなくてはならない重要なポイントは,なにゆえに身体が事物として位置づけられることになるのか,というロジックであろう。
 わたしたちの思考も,かなりのレベルでバタイユに接近できるようになってきているので,もはやその解説のために多言を要することもないかもしれない。しかし,確認の意味で以下の点だけは明らかにしておくことにしよう。
 原初の人間が,動物性から離脱し人間性へと移行しつつある段階にあっては,「人間たちが活動する世界はまだ根本的な様式では,主体から発しての連続性としてある」とバタイユは明言する。つまり,過渡期の人間は,基本的にはまだまだ動物性の世界にどっぷりと浸かっていた,というのである。このことをしっかりと念頭に置いておけば,あとのことはそれほどの問題となることもなく読み取ることができるとおもう。
 この段階で,すでに原初の人間たちは「聖なるもの」(「神的なるもの」)を意識しはじめ,やがて「神々の世界」を構築する。そうなると,神々の世界である非現実的世界と,自分たちの生きている現実的世界とを区別するようになる。
 「こうして神聖かつ神話的な世界の対面に,俗なる世界の,つまり事物たちや身体=肉体たちの世界の現実が定置されることになるのである。」
 さて,ここからがバタイユの独壇場となる。
 「連続性という枠の内においては,全てが霊的(スピリチュエル)なものであって,霊=精神と身体との対立はないのである。しかし神話的な精霊(エスプリ)たちの世界を定置すること,およびその世界が至高な価値を受けとるようになることは,当然のなりゆきとして,死をまぬがれない身体を霊=精神の対極として定義づけることに結びついている。霊=精神(エスプリ)と肉=身体(コール)の相違は,連続性と(つまり内在性と)物=客体との違いではけっしてないのである。」
 こうして,身体が事物として位置づけられることになる。換言すれば,原初の人間たちが,神々の世界を構築したその結果として,「死をまぬがれない身体(コール)」と「霊=精神(エスプリ)」とを対極的に定義づけることになった,と。言ってしまえば,「霊=精神(エスプリ)」を神々の世界に連結したまま,「身体(コール)」だけを事物として位置づけることになった。こうして,人間は神々の世界と世俗の世界の二つの世界に引き裂かれ,宙づりにされることになる。同時に,心身二元論の端緒がこのようにしてスタートしたことも注目しておくことにしよう。
 となると,心身一元論とはなにか,という根源的な問いが頭をもたげてくる。神々の世界を否定し,もちろん,事物としての身体を否定し,物=客体としての身体をも否定し,さらには,霊=精神をも否定し,連続性,内在性,動物性のもとに回帰していくことを意味しているのであろうか。つまり,心身二元論とはまったく逆のベクトルをもつものとして。ついでに,極論しておけば,禅的世界に限りなく近い世界がすぐそこに見え隠れしている。
 この議論はともかくとして,バタイユはつぎのように述べて,この節を閉じている。
 「現実的世界は,神的な世界が誕生した後の残滓としてとどまるものである。つまり現実の動物や植物は彼らの霊的な真実から切り離されて,ゆっくりとではあるが道具の空虚な客体性と結びつくようになり,死をまぬがれない人間の身体は少しずつ,事物たちが形成している総体に同化していくのである。」
 「人間的な現実とは,それが霊=精神でありうる度合にちょうど応じて神聖なものであるけれども,それが現実的である程度にまさしく応じて俗なるものなのである。諸々の動物,植物,道具そして加工されたり,取り扱われたりする他の事物たちは,それらを取り扱う身体とともに一つの現実的世界を形成する。その現実的世界はさまざまな神的力に服従し,それら諸力に横切られてはいるけれども,失墜した世界である。」
 バタイユが,最後に投げつけた文章「失墜した世界である」が,すでに,このあとに控えている「Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則」のための,予告的な言説として注目しておきたい。つまり,バタイユは,人間的世界は,動物的世界に比べたら「失墜した世界である」というのである。もうひとことだけ述べておけば,供犠とは,この「失墜した世界」からの救済のための儀礼なのである。世俗の世界に「失墜してしまった」事物たちをもう一度,「聖なる世界」へ,そして,「内在性の世界」へと送り返すための儀礼なのである。
 ということで,この節はここまで。

 

6.精霊たちと神々。

 前の節(5.聖なるもの)で取り上げられた,動物性と人間性の間(はざま)で立ち現れる「聖なるもの」が,それにつづく今日の節(6.精霊たちと神々)にいたって,ついに「精霊」となり,「神々」となるプロセスが明らかになる。この原初の神々をどのように理解するかということが,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則,を読み解く上で不可欠となる。そして,さらには,この供犠や祝祭空間で繰り広げられるさまざまなパフォーマンスの意味を考える上でも不可欠となる。ということは,スポーツ文化の原初の姿を想定する上でも不可欠である,ということになる。
 したがって,この節は慎重に考察をすすめる必要があろう。
 「聖なるもの」が立ち現れるときの「多様な存在」たちの間の関係は,「同等な場合もあり,また優劣の異なる場合もあるけれども,やがてついには精霊たちが構成するある階層制度(ヒエラルキー)へと帰着することになる」とバタイユは説く。ここで突然,「精霊たち」ということばが登場して,読み手のわたしたちはいささかとまどいを感ずるが,それを意識してか,すぐにバタイユは精霊についてつぎのように補足説明をしている。
 「人間たちや<最高存在>はむろんのこと,原始的な表象においては,さまざまな動物,植物,大気現象・・・なども精霊(エスプリ)である。このような位置づけのうちには,ある横滑りが生じている。つまり,<最高存在>とはある意味で一つの純粋な精霊である。同様に死者の霊(エスプリ)は,生きている人間の霊=精神(エスプリ)のように明確な物質的現実に依存することはない。そしてまた動物の精霊,あるいは植物の精霊,等々と,個体としての一匹の動物,一本の植物との間の絆はきわめて漠然としている。」
 これで「精霊」のイメージがかなり明確になってくる。つまり,「原始的な表象」にあっては,そこに存在するものはすべて「精霊」なのである。しかし,そこには「ある横滑り」が生じている,と。すなわち,<最高存在>の精霊,人間の死者の霊と生きている人間の霊=精神,動物や植物と個体としての一匹の動物や一本の植物,などの間には自ずからなる「ヒエラルキー」を構成することになる,と。こうして「しだいしだいに一方には人間の霊=精神(エスプリ)がそうであるような身体=肉体に依存する精霊たちを置き,他方には<最高存在>や,動物,死者などの独立した精霊たちを据えるという根本的区別の上に立脚するようになっていく。」
 こうして,まずは,精霊の存在様式を大きく二つに分類している。一つは,生きている身体=肉体に依存する精霊たちであり,二つには,現実には存在しない死者たちの精霊である。そのうち,後者の独立した精霊たちは「ある神話的な世界を形成する傾向」をもつことになる。ここが「神々」が立ち現れてくる原点というわけである。
 「<最高存在>は神々のうちの至高者であり,天空の神であるので,一般的に言って他の神々よりも強力であるが,しかし同じ性質の神にしか過ぎないのである。」
 こうして神々の間にも,あるヒエラルキーが生まれてくるが,それでもなお,もともとの「神性」としては,みんな同じ性質にすぎない,とバタイユは指摘している。この点はおおいに注目しておきたいところである。なぜなら,のちに考察することになるが,神々に捧げる「祝祭空間」とそこで繰り広げられる「パフォーマンス」との関係を考える上で重要な意味をもつとおもわれるからである。なぜ,そうなるのか,これは授業までの宿題としておこう。
 そして,最後に,バタイユはつぎのように述べて,この節を締めくくる。
 「神々とは単に,現実的な基層を持たない神話的な精霊たちのことである。死をまぬがれない身体=肉体という現実に服従していないような精霊は,神であり,純粋に神的(聖なるもの)なのである。人間はそれ自身霊=精神(エスプリ)である限りは,神的(聖なるもの)であるけれども,彼は至高権を持ってそうなのではない。なぜなら彼は現実的に実在するものだからである。」
 みごとなまとめである。素直に納得である。ただひとことだけコメントしておくとすれば,フランス語の「エスプリ」ということばが,バタイユの思考を展開していく上できわめて有効に機能しているということだ。このあたりのことを日本語だけで説明するとしたら,日本語のもつ語感の貧弱さからして,きわめて困難な論理展開になってしまうだろう,ということだ。このフランス語と日本語の表現の差異がどこからくるのか,ということもスポーツ文化論を考える上ではきわめて重要な課題の一つなのである。なぜか? これも宿題としておこう。
 この節は,ここまで。

2010年12月15日水曜日

5.聖なるもの。

 この節には,バタイユの美しい文章が登場する。ここまで読み進んできて,ようやく,バタイユ的世界のアウトラインがみえてきたからかもしれない。余分なコメントをもちだすよりもさきに,まずは,その美しい文章を読むことにしよう。 
 「あらゆる点から判断して,原始人たちはわれわれよりもずっと,動物に近く存在していたと考えられる。彼らはたぶん動物を自分自身から区別はしていたが,その区別に関してある疑いを,恐怖とノスタルジーの混じり合ったある疑惑を持たないわけにはいかなかったのである。われわれが動物のものとみなしている連続性の感情が,それだけで原始人たちの精神を占めているというのではもはやなかった(そもそも判明に区切られた物=客体たちの定置とはそのことの否定であった)。そうではなくて彼らの精神は,事物たちの世界に対して連続性が提起した対立から,ある新しい意味を引き出していたのである。連続性とは動物にとっては他のなにものとも区別されない物であって,動物においては即自的にも対自的にも唯一可能な存在の様態なのであるが,人間においてはその連続性は,俗なる道具の貧困さ(非連続な物=客体の貧困さ)に対し,聖なる世界のあらゆる魅惑を対比させたのである。」(P.45.)
 これほどみごとに動物性の世界と人間性の世界を描き分けてくれると,もはや,いかなるコメントも不要である。そのものずばりである。そこで,あえて,スポーツ文化論的読解にとって重要だとおもわれるところを指摘するとすれば,「恐怖とノスタルジーの混じり合ったある疑惑」と「聖なる世界のあらゆる魅惑」の二点であろうか。
 前者は,動物性から離脱することに対する原始人の感情を意味している。つまり,ひとつは,動物性から離脱することの「恐怖」の感情であり,ほんとうに動物性から離脱してしまっていいのだろうか,という素朴な疑問から発する「恐怖」の感情である。そして,もうひとつは,動物性の世界への「ノスタルジー」の感情である。
 後者は,個々バラバラに存在する世俗的な道具や物=客体(オブジェ)の貧困さに比較して,連続性(内在性)の世界は「聖なる世界のあらゆる魅惑」に満ち満ちてみえたのであろう。ことここにいたって,原初の人間は,はたと困惑することになる。そして,人間はさらに<横滑り>を重ねていくことになる。
 「聖なるものという感情はもはや明らかに,連続性のせいでそこではなにものも判明に区切られていない濃霧の内に消失していた動物の感情ではありえないのである。まず泰一に言えることは,濃霧の世界においては絶えず混同が生じていたのは真実であるとしても,こうした濃霧は一つの明晰な世界に,ある不透明で見通せない総体を対比させるということである。この総体は,明晰であるものの極限に判明に区切られて現れる。それは少なくとも外部からは,明晰であるものと区別されるのである。」(P.45~46.)
 このようにして,「聖なるものという感情」は人間に固有の感情であることを,バタイユは浮き彫りにしていく。動物は連続性のもとに埋没し,濃霧につつまれ,「不透明で見通せない総体」の中に身をゆだねている。この濃霧の総体と明晰であるものとが区別される極限に人間は立つことになる。その極限の間(あわい)から,人間の聖なる感情が立ち現れることになる。
 「また他方で動物はなんら眼につくような抗議もすることなしに,自分を埋没させる内在性を受け入れていたのに対し,人間は聖なるものという感情の中で,ある種の無力な怖れを味わうのである。この怖れ=嫌悪〔horreur〕は両義的である。聖なるものが魅惑し,惹きつけること,ある比類のない価値を持っていることは疑問の余地がない。しかしそれと同時にその聖なるものは,この明晰かつ俗の世界にとって,つまり人間がその特権的な領域をそこに据えるこの俗なる世界にとっては,眩暈を生じさせるほど危険なものとして現れるのである。」
 わたしは,このバタイユの文章に陶然としてしまう。なるほど,このようにして人間にとっての「聖なるもの」は浮かび上がってくるものなのか,と。そして,何回も何回も読み返しているうちに,まことに突拍子もない方向にわたしの思いが馳せる。この「聖なるもの」が発現してくる背景と,わたしの考える「スポーツ的なるもの」が発現してくる背景とが,なんと近い関係にあることか,と。
 なぜなら,わたしの考える「スポーツ的なるもの」は,人間の意識のエッジにぶら下がりつつ,その多くは無意識の領域から立ち現れるからだ。意識と無意識の「境界領域」という言い方をわたしはする。そこが,「スポーツ的なるもの」の発現の「場」ではないか,と。だから,スポーツと「陶酔」が切っても切れない関係にあるのは,こういうことだ。バタイユ的表現を借りれば,動物性と人間性のせめぎ合いの間(あわい)から,「聖なるもの」の感情をともなって立ち現れる,ということになろうか。
 この問題は,書いていくとエンドレスになってしまうので,このつづきは授業の中で展開してみたいとおもう。それまでの宿題にしておこう。
 というところで,この節はここまで。

2010年12月14日火曜日

4.最高存在。

 この節はどのように読み解いたらいいのだろうか。
 前節の「事物を主体として定置すること」の結果として,つまり,事物(ショーズ)が主体を確保することによって<最高存在>が誕生する,と,極論すれば,バタイユはそう主張しているように読める。しかし,このロジックは一筋縄ではいかないが,ひとまず,そのように了解しておくことにしよう。
 バタイユはまず,つぎのような前提条件を提示した上で,議論を展開する。
 「いまわれわれが,世界を連続した実存の様態(自分たちの内奥性に対して,また自分たちの深い主観性に対して)の光の下に了解している人間たちを想像してみるとすると・・・」(P.42.)
 という冒頭の書き出しに注目したい。つまり,まだ,半分以上を内在性に生きている人間たちを想定した上で,つぎの議論に移っていく。
 そういう状態にある人間にとって,「世界に一つの事物が持つ諸能力」(「動き,考え,語ることが可能な」事物)が「内在的な実存の様態がそうであるような神的な性格も合わせ持つ」ことになっても不思議ではない,とバタイユは言う。このことが,前節でバタイユが述べていたように「事物を主体として定置すること」ということの内実でもある。つまり,事物を主体として定置することによって,<最高存在>が誕生する道が開かれることになる。(いささか簡略に走りすぎ,ロジックをとばしてしまっているので,不可解であるかもしれないが,テクストをよく読んで補足しておいてほしい)
 で,ここでも注意しておいてほしいことがらは,<最高存在>というものの誕生の仕方である。なぜなら,このからくりは現代社会にあってもなおその一部は生き長らえているのではないか,とわたしは考えるからだ。たとえば,スポーツ界にあっても,いろいろの性格をもった<最高存在>的存在があちこちで誕生しているように思えるからだ。この具体的なイメージについては,宿題としておこう。授業までに考えてきていただきたい。
 もう少し,追加しておこう。ある事物に特定の超越性と能力が付与されれば,<最高存在>はいとも簡単に誕生する,と考えられないだろうか。ある事物とは,主体として定置されたものという前提条件があるものの(第3節),そこには「人間たち,動物たち,植物たち,星辰,大気現象・・・・こうしたものが同時に事物でもあり,また内奥性を持つ存在であるとすれば」という条件も付与されている。だとすれば,<最高存在>の誕生のきっかけはどこにでもある,ということになる。これもまた,動物性から人間性への移行の段階(内在性に半分以上も身を置いた段階)でこそ,いとも簡単に起こる現象の一つということになろうか。だとすれば,現代社会にあってもなお<最高存在>がいとも簡単に誕生することの意味を考えなくてはならない。このことを考えていくと,恐るべき深淵が顔を覗かせる。そこにみえてくるものはなにか。授業までの宿題とする。
 そのことと関連して,この節の最後のところでバタイユはきわめて重要な指摘をしているので,そこをとりあげてみよう。
 「私はこのような意図せざる貧困化と限界づけの性格を強調すべきであると思う。キリスト教徒たちは今日なんの躊躇もなく,いわゆる『原始人たち』がその記憶をなんらかの形で保存しているようなさまざまな<最高存在>の内に,自分たちが信ずる<神>の原初的な意識を認めている。しかしながらこの生まれつつある意識は,動物的な感情の開花であるのではなくて,むしろ逆に償いようのないその減退であり,衰弱なのである。」(P.44.)
 バタイユは<最高存在>を生み出した意識は,動物的な感情の「減退であり,衰弱なのである」と強い口調でなじっている。なぜなら,この意識が,バタイユが重視する「動物的な感情の開花」のチャンスを放棄してしまったからである。ここにも,バタイユの主張する<横滑り>の悔恨が込められている。つまり,人類史にとっての後戻りの不可能な悔恨というべきか。
 このことと,スポーツ界に雨後の筍のごとく頭をもたげる<最高存在>の乱立と,その活躍(無謀ぶり)は無関係ではない,と考えるのだがどうだろうか。授業での応答を楽しみにしよう。
 この節は,とりあえず,ここまで。

3.事物を主体として定置すること。

 「事物を主体として定置すること」,まるで,禅問答のようである。事物とはショーズ。物=客体をオブジェとすれば,事物はさらに人間性の世界に踏み込んだ存在。物=客体が「主体-かつ-客体」の「客体」に相当するとすれば,事物は「主体」に相当する。つまり,主体によって所有されているもの,あるいは,主体に従属するもの,と考えられているから。ところが,この主体に従属しているはずの事物が主体となる,というのだから・・・・・。禅問答たる所以。
 「たとえば一本の矢を,自分の同類とみなすことが可能であり,しかもだからといってその矢を操作=作業する能力や物としての超越性を取り除くことなしにそうすることができるのである。その事情を極限的に見ると,このような具合に転位された物=客体は,それを着想し,考え出す者の想像力の中では,その人自身がそうであるものと異ならなくなる。彼の眼にはこの矢は,彼と同じように動き,考え,語ることが可能であると見えるのである。」(P.41.)
 この文章を読みながら,わたしはオイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』を思い浮かべている。この中では,自分を無に帰すること,弓と一体化すること,などが語られている。禅の世界ではこのような「転位」は当たり前のこととして認知されている。また,竹内敏晴さんが語ってくれた「一万射」の話を。竹内さんもまた禅には相当に深く踏み込んだことのある人だ。しかも,弓の名人でもあった。弓をもつ左手(ゆんで)が的のなかに突き刺さっているような感覚になったことがある,とも。
 「一本の矢を,自分と同類とみなす」という,ここでのバタイユの文意は,明らかに,内在性の内に入るということであり,動物性の世界に入ることを意味する。しかし,「その矢」の超越性や作業能力を取り除くことなしに「同類とみなす」となると,これは人間性の世界での問題である。物=客体よりもさらに一歩人間性の世界に接近した「一本の矢」=事物と「同類」となる(内在する)ということは,なにを意味しているのだろうか。
 人間が所有しているはずの,つまり人間の事物としての「一本の矢」と,その矢を所有しているはずの人間が「同類となる」,つまり「一体化」するということ。これは,まぎれもなく禅僧の到達したある境地とほとんど違わない。たとえば,『十牛図』でいう「人牛一体」となることと,ほとんど同じことを言っている。
 しかし,バタイユは,われわれ自身が動物性から人間性へと移行する過程で起きたであろう,本質的な問題として,つまり「主体-かつ-客体」という存在様態を説明するために,この話を持ち出したにすぎない。とはいえ,禅でいうところの坐禅修行は,ベクトルが逆である。禅では,人間性のなかにふくまれている世俗性をいかにして排除し,明鏡止水の境地に到達するか,が目指されることになる。言ってしまえば,人間性から内在性(動物性)への離脱と移動である。
 にもかかわらず,バタイユの言うことと禅の目指すものとが,ここで「対面」することになる。この問題をどのように考えたらいいのだろうか。禅の思想に支えられながら,その骨格を明確にしてきた武道は,まず間違いなく「事物との一体化」を重視している。つまり,「事物を主体として定置すること」を。
 柔道,剣道,弓道,などはもとより,日本の伝統芸能のほとんどのものが「事物との一体化」を目指している。ここにも,バタイユが提起する「主体-かつ-客体」というカテゴリーの問題が頭をもたげてくる。この問題は,わたしが主張している「わたしの身体がわたしの身体であってわたしの身体ではなくなる」地平と,どこかで通底しているようにおもう。
 とりあえず,この節はここまで。

2.内在的な諸要素を物=客体の面の上へ定置すること。

 このタイトルはそのまま素直に受け止めてみると以下のようになろうか。
 動物的世界の内在性を生きているときの「内在的な諸要素」,すなわち,環境世界のすべての存在,たとえば,植物,動物,大気現象,精霊,われわれ自身(対自),などを人間性の世界の存在である「物=客体」(オブジェ)として定置すること,という具合に。もっとくだいて言ってしまえば,動物性の世界にあったものを人間性の世界に引きずり出してきて,物=客体(オブジェ)として定置すること,となろうか。
 では,バタイユは具体的になにを言おうとしているのか。思い切って単純化して言ってしまえば,つぎのようになろうか。つまり,動物性の世界から人間性の世界へ離脱し,移行する,このときに「われわれ自身」(原初の人間であり,主体であり,対自であるもの)は動物性と人間性の二つの世界に引き裂かれた状態にあるので,二つのことが同時進行していくことになる。すなわち,「われわれ自身」は,内在的な諸要素と溶け合って存在しつつ,徐々に内在的諸要素を物=客体(オブジェ)として認識するようになる。
 この進行状態が進展する程度に応じて,われわれ自身をも物=客体(オブジェ)として認識するようになる。われわれ自身とは,主体であり,「対自」のことである。物=客体(オブジェ)とは文字どおり客体であり,「即自」のことである。こうして,主体と客体の混同がはじまるのである。バタイユは,このことを「主体-かつ-客体」というカテゴリーを設定して説明している。
 「ついにわれわれは,出現してくる各々の姿──すなわち主体(われわれ自身),動物,精霊,世界──を,同時に内からと外から統覚するようになり,さらにはわれわれ自身に対して連続性として,かつまた同じく物=客体として統覚するようになるのである。」(P.40.)
 「その要素は同時に主体のあらゆる属性と客体のあらゆる属性を,混ぜ合わせて保持するからである。道具の超越性と道具の使用に結ばれたなにかを創り出す能力は,このような混同された状態において,動物,植物,大気現象にそれらの属性として付与されることになる。また同様にそういう超越性や創作能力は,世界の全体にも属性として付与されるのである。」(P.40.)

 さて,スポーツ文化論的読解をめざすわれわれとしては,バタイユのいう「主体-かつ-客体」という混同した存在の様態をしっかりと視野に入れておきたいとおもう。なぜなら,われわれの遠い祖先が,動物性から人間性へと移行するときに,自分自身の存在が「主体-かつ-客体」という混同した状態を通過してきた,という事実に注目しておきたいからである。そして,この混同した要素(「主体-かつ-客体」)があらゆるものの属性として,動物,植物,大気現象,世界,自分自身にまで付与されることになる。
 ここからさきは,授業の中で議論したいことがらとして,あらかじめ提起しておくと,この「主体-かつ-客体」という人間の存在様態と,こんにちの「スポーツする身体」の存在様態には,あるところで通底しているものがあるのではなかろうか,という仮説である。この仮説を問題提起としてあらかじめ提示しておくので,なんらかの答えを用意しておいてほしい。
 ひとまず,この節はここまで。

2010年12月13日月曜日

1.物=客体の定置,道具

 ここからは,一つずつ節をとりあげて,各論に入りたいとおもう。そして,そこで述べられていることがらのうち,われわれのディスカッションの糸口となりそうなところに焦点を当ててみたい。
 まずは,物=客体(オブジェ)とはなにか。それを定置するとはどういうことなのか。その典型例としての道具とはいかなる性質のものなのか。この3点が問題となろうか。
 最初の,物=客体(オブジェ)という用語については,すでに,Ⅰ.動物性,のなかでもくり返しでてきていたので,ことばとしてはなじんでいることとおもう。しかし,物=客体(オブジェ)という言い方は,日本語としてはほとんど用いられることがないので,とまどう人も少なくないだろう。彫刻の世界などでは,物=客体ではなく,オブジェというフランス語がそのまま用いられていて,「オブジェ・Ⅰ」とか,「オブジェ・Ⅱ」などという具合に彫刻にネーミングがなされているのは周知のとおりであろう。彫刻作品に具体的な名前はつけられないが,抽象的な形態のどこかにふつうではないなにかを感じたり,作家の創作意図の具象以前の原イメージのようなものを表すときに,この「オブジェ」ということばが用いられているようにおもう。ということは,たんなる物であり,客体にすぎないのだけれども,その作家にとってはどこかふつうではないなにかを感じ取っている,どこにでも転がっている物のようであってどこか違うなにかをメッセージとして発信している,そういう物=客体をオブジェと表記しているようだ。
 ここを手がかりにして考えてみるとわかりやすいのではないか,とわたしは考える。動物性の世界にあっては(つまり,内在性の世界),バタイユがくり返し述べているように,自他の区別のない連続性の中に生きている,つまり,「水の中に水があるように」存在している。この世界では,物=客体(オブジェ)というものは存在しない。みんな同類であって,ひとつながりになって存在しており,対立する関係はどこにもないからである。
 そういう内在性の世界にあって,ある日,原初の人間が物=客体(オブジェ)の存在に気づく。この事態こそは「啓示」というにふさわしいだろう。こうして,物=客体(オブジェ)の存在がはじまる。しかし,バタイユは,ここでいきなり「道具」を引き合いに出して説明をはじめる。それほどに,この部分,つまり,最初に物=客体(オブジェ)の存在に気づく,その契機をどのように説明するかという問題は微妙なのである。だから,バタイユは,たぶん,意図的に省略している(もちろん,バタイユは個人的には仮説をもっているはず。でも,それを書きはじめたら膨大なぺージ数を必要とするだろう)。そして,道具から直接入っていく。
 バタイユにとっては,道具こそ,物=客体(オブジェ)の典型的なものなのである。つまり,動物には与えられていなくて,人間にのみ与えられているものが道具だ,というわけである。だから,バタイユは,まずは,道具から議論をはじめる。
 「意識はそれを(道具を)物=客体として,判明に区切られていない連続性における中断として定置していく。練り上げられた道具は,非-自己の生まれつつある形態である。」(P.33.)
 この引用をよく読めば,「定置する」ということの意味は理解できるだろう。別の言い方をすれば,「原初の人間は,動物性の連続性を中断するものとして道具を意識し,それを内在性から分け隔てられるものという意味での物=客体(オブジェ)として,あらたな存在として位置づける」ということもできよう。こうして,道具は,さらに練り上げられていくにしたがって,人間とは別の存在として,固有の形態として形成されていく。このようにして道具が出現することによって,それが人間によって工夫され,改善されたものであるにもかかわらず,人間は,他者としての道具の存在を意識するようになる。その結果として,人間はそれに対立する「自己」というものを意識するようになる。ここで,記憶にとどめておいてほしいことは,自己の存在にさきがけて他者が存在する,ということだ。こうして,オブジェが人間の身のまわりにふえていくにつれ,人間はますます「自己」というものを強く意識せざるをえなくなってくる。
 「その道具を作るために経過した時間が直接にその道具の有用性を位置づけ,ある目的を目ざしてそれを使用する者への従属を,さらにはその目的への従属を措定する。それと同時にそうした時間は,目的と手段との明確な区別を定めるのであるが,道具が出現することによって定義された面そのものの上にその区別を位置づけるのである。こうして不幸なことに,目的は手段の面の上に与えられ,つまりは有用性の面の上に与えられる。」(P.36.)
 「有用性」というバタイユの思考を展開する上できわめて重要な役割をはたす概念装置が,このような地平から立ち上がることを,ここでは注目しておきたい。こうして,目的が手段に乗っ取られてしまうのである。このあとのバタイユの論考はきわめて魅力的である。
 「長い棒切れは地面を掘り返すが,その目的は植物の生長を保証するためである。その植物が栽培され,生長するのは,食べられるためである。植物が食料として食べられるのは,それを栽培する人間の生命を維持するためである・・・・。こうした無限に続く送り返しという不条理さをよく考慮することによってのみ,真の目的=究極という不条理さ,つまりなにものにも役に立つはずのないほんとうの目的=究極というそれに勝るとも劣らぬ不条理さが,もっともなものとして首肯されるのである。」(P.36~37.)
 こうして,なにかの役に立つという有用性が次第に大きな力をもつことになり,人間性への道が切り開かれていくことになる。それに対して,動物性の世界にあっては,すなわち「諸々の存在たちがそこでは判明に区切られずに消失しているような世界のみが,なんの必要性もない余剰であり,なにものにも役に立たず,なすべきことはなにもなく,なにも意味しないのである。」(P.37.)
 こうして,動物性と人間性との根源的な違いが明確にされていく。しかも,ここに,こんにちの経済原則の原点,すなわち,「有用性」という考え方の原点を確認しておくことは,これからの議論を展開していく上できわめて重要な意味をもつだろう。

 

Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成,について。

 バタイユのテクスト『宗教の理論』のⅠ.動物性,を終わりにして,Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成,に入っていくことにしよう。ここは1.から9.まで小見出しのついた節からなっている。で,まずは,各論に入る前に全体像について概観しておきたいとおもう。
 Ⅰ.動物性,では徹底して動物的世界である「内在性」の実態を明らかにすることにバタイユの言説は集中していた。しかし,それでもなお,バタイユは,内在性(動物性)は,こんにちの人間の側からすれば完全に「閉じられた」世界であり,そこに分け入っていく方法はなにもない,と嘆息している。そこで,かれの用いた方法は「詩的な虚偽」という方法であり,動物性から人間性への<横滑り>という現象を,傍証をもちいて推量するという苦肉の策であった。こうして,なんびとたりとも分け入ることのできない「内在性」(「動物性」)の世界を,自他の区別のない「連続性」の内に生きる世界として,ある程度のイメージを構築してくれた。
 それを前提にして,Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成,では動物性の聖なる世界からいかにして<横滑り>して人間性の世界,つまり,俗なる世界に移行していったのか,ということに焦点を当てる。バタイユの思考は,つねに,動物性の世界と人間性の世界とを自在に往来しながら,この両者の「中間領域」で,いったいなにが起きたのか,どのようにして聖なる世界から俗なる世界へと移行をはたしていくのか,を明らかにしている。もう少し言っておけば,動物性を生きていた時代のなにを失い,人間性としてなにを新たに獲得していったのか,と問いかける。そして,そのプロセスを経て,新たに登場してくるものが,「超越」であり,「最高存在」であり,「聖なるもの」であり,「精霊」であり,「神々」である,と。つまり,原初の人間は,動物性から離脱するにつれて,それを補完するかのように「宗教的なるもの」(あるいは「宗教的感情」)を求めていく。それは,ある種,必然でもあるのだが,厳密にいえば,「大いなるボタンのかけ違い」でもあった。言ってしまえば,動物性と人間性の間(はざま)で揺れ動く「生」の表出の方法が,さまざまに模索されていくことになるのだが,そのときに「聖なるもの」と「俗なるもの」の激しいせめぎ合いが起きる。ここからさきのバタイユの論考は,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則,で明らかにされることになる。
 以上が,おおまかなⅡ.人間性と俗なる世界の形成,の概要である。その細部については,稿を建て直して,考察を深めていきたいとおもう。
 この稿は,とりあえず,ここまでとする。

2010年12月12日日曜日

親友の7回忌。

 2004年の12月に,まったく突然のようにして,わたしは親友を失った。それはまさに青天の霹靂であった。体調をくずして入院したという電話を,半信半疑で,現実とは無関係の遠いところで起きていることのように,ぼんやりとした意識で聞いていた。かれのことだから,ちょっとからだを休めてやれば,すぐに復調するに違いない,と信じて疑わなかったからだ。しかし,神様はいじわるだった。強引に,しかも,短時間に,かれを別の世界に連れて行ってしまった。わたしは虚を突かれたように茫然自失し,思わず天を仰いだ。
 仏教でいうと,昨日(11日)はかれの7回忌だった。しかし,強い信念をもって無信仰・無宗教を主張していたかれの意を受けて,いわゆる法事ということはしないで,「故人を偲ぶ会」が未亡人によって開催された。ごく近い親族に加えて,わたし一人が友人代表ということで声をかけていただいた。墓もいらない,と主張していた故人ではあったが,ご遺族のはからいで本家の墓に入れてもらった。それは狭山湖畔霊園にある。
 昨日は,幸いなことに快晴・無風。春の陽気を感じさせるやわらかな日差しを浴びながら霊園に立つ。参加者全員が順番にお線香をあげ,合掌した。わたしは順番を待つ間,こころのなかで「般若心経」を何回も何回も繰り返し唱えていた。このわたしの無声の読経を故人はどんな顔をして聞いているのだろうなぁ,と思いながら。「お前は坊主の息子だから,まあ,しょうがないか」とあきらめ顔でつぶやいていたかもしれない。
 かれと,こころの奥深くで「じか」に触れ合った瞬間が,何回かあった。それらはいずれも学生時代の4年間でのことであった。それも山歩きをとおしてだった。かれはスポーツ万能だったが,とりわけ,強靱な足腰のバネと気の遠くなるような忍耐力をもっていた。そして,もう一つ,山の中を歩き回るために必要な動物的な感覚にもめぐまれていた。それは恐るべき直感力だった。だから,かれはいつも山のリーダーだった。
 かれを筆頭に結成した山仲間のグループ名は「ルンペン・クラブ」。みんな貧乏学生だったので,金がない。だから,最小必要限の山の装備をして山に向かった。登山帽すら,まともなものは買えなかったので,使い捨てられていたフェルト製の帽子をさがしてきて,それをお湯で煮立てて変形させ,自分流に「ルンペン・ハット」をデザインしてかぶった。世界にたった一つしかないオリジナル作品だといって本人たちは得意満面だった。服装もまともな登山スタイルの者はひとりもいなかった。全部,着古して廃棄寸前の衣服に,自分で手を加えて着用していた。こちらも半分は手作りだった。だから,全員揃うとみごとな「ルンペン」になっていた。唯一,登山靴だけは貯金をして,手作りの特注品を依頼した。登山は靴が命と知った。
 冬山にも行きたかったが,装備をととのえる金がない。だから,「ルンペン・クラブ」の活動はすべて夏山縦走に主眼がおかれていた。ずいぶん,あちこちの山に出かけたが,われわれにとっては最高の遊びだった。なぜなら,都会で本気で遊ぼうとおもったら,金がかかって仕方がない。しかし,登山は,交通費と食料費だけが実費で,あとは金がかからない。しかも,こころもからだも丸抱えで,体力のすべてを投入し,みずからの肉体の限界への挑戦である。エネルギーのあり余っていた若者を完全燃焼させるには,これ以上の方法はない。場合によっては生きるか死ぬかという瀬戸際にまで追い込まれることもある。大自然の山懐に抱かれながら,動物的感覚を研ぎ澄ませ,五感のすべてを全開にし,ときには第六感をも動員して,山と一体化していく。遠い人類の祖先の世界に思いを馳せながら・・・・。そして,できることなら原初の人間のところまで到達したいという願望を,密かにこころの片隅に抱きながら・・・・・。
 かれとわたしとの最大の想い出は,南アルプス全山縦走である。静岡県の大井川鉄道を終点(千頭)までたどり,そこからはダム工事を横目に睨みながら全部,徒歩。南アルプス最南端の「光岳」をとっかかりに,最後は山梨県の「鳳凰三山」を経て甲府市に至る,全日程14日間。前半の塩見岳の手前までは,総勢6名で行ったのに,なぜか,ここまでたどりついたところで4名が下山。残ったのは,かれとわたしの2名だけ。ここからの7日間が,かれとわたしとの「じか」に触れ合う体験のはじまりだった。このときの体験は,なんびととも分かち合えない,わたしたち二人だけの固有のものだった。そして,このときの体験をことばで表現することも,ほとんど不可能な,こころの奥深くでの交信・共振であった。その世界は,言ってみれば,いま読み込みをすすめているバタイユの『宗教の理論』の世界にも通底するものだった。つまり,内在性を二人で生きていたような体験だった。山を吹く風の音や沢の音やガレ場を転げ落ちていく石ころの音や,あるいはまた,姿のみえない動物たちのあちこちから聞こえてくる鳴き声,そして,かれの息づかいや足音,それにつづくわたしの息づかいと足音,息づかいはお互いに次第に荒くなってくる。それらをなんとも心地よく聞きながしながら,山という大自然のなかに溶け込んでいく。環境世界とわたしとの境目が次第に希薄になっていく。それは疲労による効果であったのかもしれない。意識も次第に遠のいていく。そして,いつのまにか無意識の世界に入り込み,ただひたすら歩くという行為に専念し,やがて陶酔と化す。あと一歩でフロー状態に。
 いま考えてみれば,バタイユのいう動物性へと限りなく接近し,内在性を生きる疑似体験とでもいうべき世界に身を投げ出しながら,たった二人だけの時空間を共有したことになる。この体験こそが,二人を分かちがたい関係性へと繋ぎ止めることになる。世にいう「親友」。この関係はその後もゆるぎなくつづいていく。この体験を語るには,ふつうの言語では不可能だ。バタイユに言わせれば,「詩的な虚偽」が必要だ。あるいは,<横滑り>。
 あれからもう半世紀がすぎている。驚くべきことだ。だが,つい,昨日のことのように鮮明に,山での記憶は甦ってくる。狭山湖畔霊園の親友の眠る墓地に立ち,真っ青な空と,時間が止まってしまったかとおもわれるほどの無風状態に身をあずけていると,またまた,あのときの自然との一体感や内在性へと,かぎりなく接近していくような錯覚を起こす。いつのまにか,7年前にこの世を去った親友が,すぐそこにいるような,あるいは,わたしの身辺に遍在しているような,そんな感覚に浸っている自分に気づく。このとき,たぶん,かれと交信できていたに違いない,とわたしは確信する。他人がなんといおうと,わたしはそうおもう。
 親友の7回忌。とてもいい一日が過ごせた。かれも安らかな風になって,もう一つの次元の違う世界を,自由自在に駆け回っているに違いない。そう,こころから信じたい。合掌。

2010年12月10日金曜日

内在性への回帰願望とスポーツの関係について。

 わたしたちには,締め出されてしまった動物的世界への回帰願望が,どこかに秘められているのではないか,という仮説をわたしはもっている。そして,スポーツの中には動物性への回帰願望を充足するなにかがあるのではないか,と考えている。しかも,トップ・アスリートのなかには,内在性ともおぼしき追体験をしている人も,相当数いる,と聞く。
 スポーツ競技におけるフロー体験や,ゾーンに入るとか,陶酔や憑依(トランス)の体験などについては,これまでにも少なからず知られている。
 たとえば,ドイツの哲学者のハンス・レンクはその著『スポーツの哲学』の冒頭で,オリンピック・ローマ大会でボート(エイト)競技の決勝レースのゴール寸前で起きた「フロー体験」について,鮮烈な印象とともに語っている。それは,一瞬,時間が停止してしまったかとおもわれるような状態に入り,あらゆるものがスローモーションのように見えはじめ,肉体疲労の極限状態にあるにもかかわらずその疲労感すらどこかに消えてしまった,という。まるで異次元の世界,あるいは,夢の中の世界に入ったかのようにおもったという。にもかかわらず,堂々たる優勝を果たし,かれは金メダリストとなった。
 このような事例は挙げていけば際限なくある。が,いまは,そこに深入りすることは避けよう。
 ここでは,バタイユが,このことと共振・共鳴するような言説を残しているので,それとの関連につて考えてみることにしよう。
 たとえば,「動物的世界は,内在性と直接=無媒介=即時性の世界であると私は言うことができた」(P.30)とバタイユは述べている。そして,「それはどういうことかと言うと,この世界はわれわれにとっては閉じられているように思えるということ」とつづけている。ということは,わたしたち人間には与り知らぬ世界だ,ということを意味しよう。つまり,人間に固有の鮮明な意識の<外>にある世界,というように考えることができる。つまり,人間としての意識のコントロールの効かない世界である。
 にもかかわらず,わたしたち人間はそういう動物的世界への憧憬や親近感を,忘れてはいない。バタイユは,「動物は私の眼前に,私を魅惑して惹きつけるような,そして私にとって慣れ親しい深淵を開く。この深淵を,ある意味で私は知っている。それは私の深淵だからである」(P.28)と述べた上でつぎのようにも述べている。「なにかしら甘美なもの,秘められて痛々しいものに促されて,われわれの内部でいつも目覚めている内奥的な光明が,こうした動物的な暗闇の底を照らし出すまで伸びていくのである」(P.29)と。
 この感覚は多くの人が共有できるものだろう。そして,人間と動物が一体化する経験をもつ人も少なくないだろう。人間と動物とは,かなりの部分で通じ合えるものをお互いにもっていることは事実だ。にもかかわらず,わたしたちは,ある瞬間に,動物性の前で足踏みをしなければならなくなる,とバタイユは言う。「意識の判明に区切られた明晰さのために,私がこの知りようのない真実から遠ざけられてしまう瞬間,つまり私自身から世界へと,私の眼前に出現するや否や逃れ去るこの認識しようのない真実から,ついに最も遠ざけられてしまう瞬間があるのだけれども,そのような瞬間に逆向きに接近可能にするということだけなのである。」(P.30)
 バタイユは,はっきりと動物との親近感を受け止めつつ,ある瞬間に動物性の前で閉じられてしまう,と述べている。ここで述べられていることは,人間と動物との連続性と断絶性の問題である。言い方を変えれば,意識と無意識の間の連続性と断絶性,と考えることもできよう。だとすれば,一人の人間の中で起こることと同じこととなる。フロイトを引き合いに出すまでもなく,意識と無意識のはざまで揺れ動く人間としての困難を,わたしたちはみんな共有している。だから,人間は,人間性豊かな生を営むと同時に,ときには動物性に身をゆだねることもある。
 スポーツ文化は,こうした人間のかかえこんでしまった人間性と動物性のはざまで揺れる諸矛盾を,同時に解消するための一つの文化装置として生成・構築されてきたものではなかったか,とわたしは考えている。だから,動物性とはなにか,それを問い詰め,深く考えることが人間性とはなにかの答えを導き出すためには必須のことだ,とわたしは考える。
 動物性から抜け出して人間性へと移行していくときに失った内在性への回帰願望が,わたしたち人間の内奥の奥深くに秘められていることは,まず,間違いはないだろう。問題は,その受け皿の一つとして「スポーツ文化」をとらえることはできないものか,ということだ。この問題にどこまで接近することができるか,バタイユのテクスト=『宗教の理論』には,他の類書よりもはるかに深く応答してくれるものがある,とわたしは考えている。

2010年12月9日木曜日

動物性から人間性への<横滑り>ということについて。

 テクストのP.25に,3.動物性の詩的な虚偽,というちょっと風変わりな見出しではじまる文章がある。しかも,この文章には,この本文にも匹敵するほどの長い注がついている。その両方を読んでみて,はじめてバタイユが言わんとすることの真意が伝わってくる。
 最初に,ごく簡単に,バタイユがここで言おうとしたことを,わたしなりに解釈したことを述べておくことにしよう。
 わたしたち人間は,動物の世界から抜けだして,人間の世界を構築した。だから,人間はいまも動物と多くのものを共有しているはずなのに,この「動物の生」をほとんど忘れてしまっている。だから,もし,どうしてもこの「動物の生」について語らなくてはならないとしたら,それは「詩的」な言語で語るしかない,とバタイユは説く。なぜなら,「動物の生」を語るということは,人間にとっては,閉ざされた動物の世界に向けて,想像力を最大限に駆使し,しかも,それを説明するための論理を飛躍させることを余儀なくさせられるからだ。だから,人間性の側から動物性について語ることは「詩的な虚偽」になってしまう,というのである。
 このことを,バタイユは「動物性から人間性への<横滑り>」という言い方をする。<横滑り>ということは,そこには主体性が認められないということなのだろう。つまり,人間は気がついたら動物の世界からはみだしてしまっていた,ということなのだろう。そして,このことが,バタイユが考える『宗教の理論』のキー概念になっているようだ。断るまでもなく,バタイユがいう「宗教」とは,いわゆる宗派宗教のことではなく,人間を超越するものの存在を認め,そこに湧きおこる畏敬の念や祈りのこころを意味している。そういう意味での「宗教」が誕生するきっかけとなったものが,この<横滑り>ではなかったか,とバタイユは考えているようにおもう。
 したがって,人間性の側から動物性を語るということは,この<横滑り>をどのように説明するか,ということになろう。だとしたら,人間は,もう一度,動物性へと<横滑り>をする必要がある。しかし,それは不可能だ。では,どうすればいいのか。それには詩的な言語が必要なのだ,とバタイユは説く。つまり,詩的言語は<横滑り>以外のなにものでもないからだ,とバタイユはその経緯について丁寧に説明している。そして,詩的言語によって説明されることがらであるので,それは厳密には「詩的な虚偽」に等しいともいう。つまり,想像力の世界である,と。
 で,問題は,この<横滑り>をしたときに,いったい,なにが起きたのか。つまり,動物から原初の人間が誕生するときになにが起きたのか,ということである。このことは,すでに,このブログのなかでもくり返し取り上げてきたとおりである。おさらいの意味で,もう一度,整理しておこう。
 動物はみずからをとりまく環境世界の中に内在したまま生きている。つまり,「水の中に水があるように」存在し,そのままを生きている。つまり,環境世界の中に完全に溶け込んで生きている,というわけだ。しかし,原初の人間が,その内在性(動物性)から抜け出ることになった直接の引き金は動物的「欲望」であったことは,A.コジェーヴからの引用文の説明のところで書いたとおりである。言ってしまえば,この動物的「欲望」が<横滑り>をはじめるための必要条件であった,というわけである。しかし,それだけでは十分条件にはなりえない,とコジェーヴは書いている。そして,そこに,バタイユは着目する。
 さて,この「詩的な虚偽」にも等しい<横滑り>を通過した人間には,動物とは異なる「意識」が芽生えてくる。この意識が人間を人間たらしめる原動力となる。しかし,もともとが確固たる根拠をもたない「詩的な虚偽」である<横滑り>を経験し,そこを通過することによって,人間はさまざまな「不安」を抱くことになる。
 その発端となるものが,物体・対象(オブジェ)や事物(ショーズ)の出現であった。これらのオブジェやショーズの出現に際しては,環境世界の中に溶け込むようにして存在しているものに対して,ある「超越」が必要であった。つまり,環境世界の中にあって「特別のもの」という意識が人間の側に生ずることが不可欠となる。そうして出現した「特別のもの」,すなわち,人間を「超越」する存在という意識の中から,畏敬の念が生ずることになる。事物崇拝の原初の感情の芽生えである。
 と同時に,人間は,これらのオブジェやショーズを,人間にとって役に立つものとして,利用・活用するようになる。つまり,「有用性」の考え方が生まれる。そうして,こんどは人間がこれらのオブジェやショーズを「超越」することになる。「超越」されつつ「超越」するという,この二つの「超越」が,原初の人間の感情を複雑にする。
 こういう含みを込めて,バタイユは,動物性から人間性への<横滑り>という表現の仕方をしている。つまり,これが<横滑り>という詩的な虚偽の内実なのだ,と。人間は好きこのんで動物の世界から抜け出して,人間になったのではない,と。気がついたら,人間になっていたのだ,と。そうしたら,二つの「超越」に直面しなければならなくなってしまった,と。だから,これは<横滑り>なのだ,と。逆戻りのできない<横滑り>なのだ,と。




 

2010年12月8日水曜日

バタイユの説く「動物性」「内在性」について。

 「動物は世界の内に水の中に水があるように存在している」とバタイユは喝破している。みごとな表現としかいいようがない。これほどみごとに「動物性」とか,「内在性」とかを簡潔に表現する方法をわたしは知らない。
 動物は世界の内に存在するとき,「水の中に水がある」ように存在する,という。「水の中に水がある」とは,いうまでもなく,水と水との区別のつかないところ,つまり,「自他」が一体化したところ,ということだ。動物は,自己と世界の区別がない,自己と世界とは一体化している,ということになる。では,同じ動物である人間の場合はどうか。人間は「水の中に水がある」ようには存在できない。なぜか。気づいたときには,すでに,「自己」があって,そこからつねに「他者」である世界を眺めているからだ。ほんとうのところは,他者(世界)がさきにあって,その存在に気づいたところから「自己」が立ち現れる。だから,自他がどうしても区別されてしまうのだ。
 したがって,人間が「自他」を一体化するには相当の修練を必要とする。理念や宗教的な教義としては「自他」が一体化することを理解できるので,ある一定のプログラムにしたがって修練を積めば,ある程度までは「水の中に水がある」ような存在に接近することはできる。しかし,完全に一体化するには,禅でいえば,『十牛図』の「牛に乗る」境地に到達しなくてはならない。キリスト教のイエズス会でいえば,『霊操』(イグナチオ・デ・ロヨラ)の最終段階を通過しなければならない。という具合に,特別のプログラムを消化して,ゴールに到達することが不可欠となる。なぜ,このようなやっかいなことが生じてしまったのか。
 人間が,動物のままであれば,つまり,100%の動物性を維持していれば,なんの苦労もなく,あるがままの姿で「水の中に水がある」ように存在することができる。しかし,人間は,動物でありながら,そのもっとも重要な「動物性」(あるいは,「内在性」)をどこかに置き忘れてきてしまった,ということだ。いや,置き忘れてきたのではなく,動物性から意識的に「離脱」し,人間性へと「移動」することによって,「内在性」を失ってしまったのだ。もっと言ってしまえば,意図的・計画的に「内在性」を拒否したのだ。いつ,いかなる理由で?このことをまずしっかりと頭に入れておこう。

 そこで,もう一度,振り出しにもどって,本題である「動物性」とはなにか,「内在性」を生きるとはどういうことなのか,という点について考えてみることにしよう。
 バタイユはつぎのように定義している。
 「動物性は直接=無媒介=即時性であり,あるいは内在性である。」(P.21.)
 「動物的世界は,内在性と直接=無媒介=即時性の世界であると私は言うことができた。」(P.30)
 二つとも同じことを言っているのであるが,後者の方がわかりやすいだろう。バタイユにしても,試行錯誤的に,動物性や動物的世界をどのように表現したらいいか,必死にさぐっていることがテクストをしっかり読み込んでいくとわかる。思想・哲学は生きものだから,つねに,進化しながら変化・変容していくものだ,だから,あわてて断定する必要はない,とバタイユは言い切る(緒言,P.13.
)。だから,われわれもそれにあやかって,「動物性」とはどういうものであるのか,「動物的世界」とはどういう世界のことを言うのか,素描的に(スケッチ風に),さまざまに描いてみることが許されている。なぜなら,だれも,厳密には「動物性」や「内在性」を断定することはできないし,「動物的世界」を断定することは不可能だからだ。あくまでも,推定であり,素描でしかない。それが,どれだけ説得力をもつかどうか,ということだけが意味をもつのだから。
 これで勇気百倍。ここからは,自由自在に,「動物性」や「内在性」について想像力をふくらませながら,自分で納得のできるイメージを構築することだ。あとは,若くて,柔軟性に富んだ学生さんたちの頭脳を期待することにしよう。
 ただし,バタイユは,「動物性」や「内在性」を考えるための重要ないくつかのポイントを提示しているので,それだけはきちんと抑えておくことにしよう。
 Ⅰ.動物性(P.21),の冒頭にあげられている小見出しは,いささかわたしたちを驚かせるものだ。それは,
 1.食べる動物と食べられる動物の内在性,というものである。
 バタイユはつぎのように言う。「動物がその環界に対して内在性としてあることは,ある明確な情況の内に与えられており」と述べ,「その情況とは,ある動物が他の動物を食べるときに与えられている」という。そして,「ある動物がなにか他の動物を食べるときに与えられるのは,いつでも食べる動物の同類である。この意味で私は,内在性と言うのである。」と。
 この言い回しをそのまま受け止めるのは難しいかもしれない。なぜなら,人間が他の動物を食べるときに,その動物の「同類」であるとは考えないからだ。しかし,動物は「食べる動物の同類」と思っている,とバタイユは考える。つまり,食べられる動物は自己でもあるのだ。タコが空腹に耐えきれなくなると自分の足(手?)を食べるという。この延長線上に,食べる他の動物がある,と考えればわかりやすいかもしれない。人間でいえば,野イチゴや桑の実をみつけると,無意識のうちに手が伸びていって,いつのまにか食べていることがある。これが,比較的「同類」に近い感覚かもしれない。しかし,人間は,厳密にいえば,明らかに野イチゴや桑の実を「食べられるもの」として対象化(オブジェ)し,それは自分のためになるもの,つまり,事物(ショーズ)として認識している。だから,厳密には「同類」とは考えていないけれども,なんの抵抗もなく無意識のうちに食べている感覚は,それに近いと言っていいだろう。
 この動物が他の動物を食べるときに与えられている「同類」という感覚(自分の延長上にあるもの)が,内在性の根拠である,とバタイユは主張するのである。しかし,人間には,目の前で生きている動物を「同類」として食べるという感覚はない。さきほどの例のように,植物なら,比較的「同類」という感覚に近いかもしれない。この「同類」という感覚を,人間は,いつ,どこで,どのようにして失ってしまったのか,ここを考えるのが,この集中講義の最大の目的である。そして,このとき,広義の「宗教」(的なるもの)が立ち現れるのであり,そのことと表裏一体となって「スポーツ」(的なるもの)が姿を現す,というのがわたしの仮説である。
 もう一度,繰り返しておくが,原初の人間が,「内在性」から離脱し,動物性から人間性へと<横滑り>するとき,なにが起きたのか,ここに問題意識を集中していくことにしよう。
 とりあえず,今回はここまで。

2010年12月7日火曜日

A.コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』からの引用文について。

 いよいよ神戸市外国語大学の集中講義に向けての具体的な準備に入ろうとおもう。そのための予習として,テクストの中のいくつかの重要と思われる断章をとりあげて,思考のウォーミング・アップからはじめることにしよう。
 そこで,まずは,『宗教の理論』(ジョルジュ・バタイユ著,湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)の巻頭を飾るアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』からの引用文をとりあげてみることにしよう。なぜなら,バタイユが,なにゆえにA.コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』からの引用文を自著の冒頭にかかげたのか,その理由をまず最初に考えておくことが肝要である,と考えるからである。ただ,意味もなく,自著の巻頭に,他者の著作から特定の文章を引いてくるわけはない。だとすれば,バタイユの意図はなにであったのか,それが問われることになる。
 引用文はそれほど長くないので,全文を紹介することからはじめよう。
 「それ自身によってそれ自身へと,認識(真正な)のうちに啓示された<存在>を,ある「主体」へと啓示される一個の「客体」に変えるのは,すなわちその客体とは異なり,その客体に対立しているような一個の主体によって,その「主体」へと啓示されるある「客体」へと変化させるのは,<欲望>である。人間は「彼の」欲望のうちに,かつ欲望によって,あるいはむしろその欲望として──自分自身に対しても,また他者に対しても──,自らを一個の<自己>とし,すなわち<非-自己>とは本質的に異なっており,かつ根底的にそれと対立するような<自己>として構成し,啓示するのである。<自己>(人間的な)とは,一個の<欲望>の──あるいは<欲望>そのものの──<自己>である。
 人間の<存在>そのもの,つまり自己を意識している存在とは,したがって<欲望>を当然のものとして含んでおり,またその前提として仮定している。だから人間的現実とは一つの生物学的現実の内部,また動物的な生の内部においてしか構成されず,維持されることはできないのである。しかし,動物的な<欲望>が<自己意識>の必要な条件であるとしても,それはその十分な条件ではない。この欲望はそれだけでは,<自己感情>しか構成しないのである。
 人間を受動的な平静さ(キエチュード)の内に維持する認識とは反対に,<欲望>は人間を不安(アンキエ)にし,行動するように促進する。行動はこうして<欲望>から生まれたものであるから,それを充足させようとする傾向を持つけれども,行動がその充足をなし遂げることが可能なのは,その欲望の対象を「否定」すること,それを破壊するか,あるいは少なくともそれを変化させることによる以外ない。たとえば飢えを充足させるためには,食料となるものを破壊するか,あるいは変化させる必要がある。このように全て行動というものは,「否定的」に作用するものである。」
 以上が引用文の全文である。ところで,この手の文章に不慣れな読者にとっては,相当に苦戦をしいられる文章ではある。しかし,よくよく熟読玩味していくと,おぼろげながらその言わんとすることはみえてくる。スペースがあれば,逐語的に解釈を加えながら読解をしてみたいところであるが,そうもいかないので,ここではその概要を要約するにとどめたいとおもう(集中講義では,逐語的にくわしく解説する予定)。思い切って意訳をすると,以下のようになろうか。
 「主体と客体の区別のない<存在>が,ある啓示とともに主体に認識され,それが主体にとっての客体へと変化するのは<欲望>による。すなわち,主体と客体とが区別され,主体にとってそれが客体として<存在>するものへと変化させるのは,<欲望>である。人間はみずからの欲望のうちに,かつ欲望によって,あるいはむしろ欲望として,<非-自己>とは本質的に異なり,かつ根底的にそれと対立するような<自己>を構成し,啓示するのである。人間的な<自己>とは,一個の<欲望>の(あるいは<欲望>そのものの)<自己>である。
 自己を意識している人間の<存在>とは,<欲望>を当然のものとして含んでいる。また,それが前提でもある。だから,人間的現実とは,一つの生物学的現実の内部(あるいは動物的な生の内部)にしか構成されないし,維持されることもない。しかし,動物的な<欲望>が<自己意識>の必要条件であるとしても,それは十分条件ではない。この動物的な<欲望>は,それだけでは<自己感情>しか構成しないのである。
 認識は,人間を受動的な平静さに保つけれども,<欲望>は人間を不安にし,行動を促す。行動は<欲望>から生まれたものであるから,それを充足させようとする傾向を持つ。しかし,行動がその充足をなし遂げるには,その欲望の対象を「否定」すること,すなわち,欲望の対象を破壊するか,あるいはそれを変化させることが必要となる。たとえば,飢えを満たすには,食料となるものを破壊する(殺す)か,あるいは変化させる(飼育・栽培する,あるいは,調理する)必要がある。このように,あらゆる行動というものは,「否定的」に作用するのである。」
 これで,いくらかわかりやすくなったであろうか。
 さらに,思い切って,もっと噛み砕いてしまえば,以下のようになろうか。
 「自他の区別のない状態から,その区別がはじまるのは動物的な<欲望>による。しかし,この動物的な<欲望>は<自己意識>の必要条件ではあるが,十分条件ではない。つまり,動物的な<欲望>は<自己感情>を構成するにすぎない。だから,人間はどこまで行っても生物学的現実(動物的な生)の外にでることはできない。しかし,この動物的な<欲望>が人間を不安にし,その欲望を充足させるべく行動を促す。その行動とは,<欲望>の対象を「否定」することである。すなわち,それを破壊するか,変化させる以外にない。たとえば,飢えを充足させるためには,食料となるものを殺し,調理する必要がある。このように行動というものはすべからく「否定的」に作用するのである。」
 これで,だいぶ,すっきりしたのではないかとおもう。
 その上で,ここで,はっきりと意識しておかなくてはならないことは,バタイユは,みずからの『宗教の理論』を立ち上げる出発点として,コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』に依拠している,ということである。つまり,ヘーゲルの主張を,みずからの主張の原点に据えているということだ(他の文献で,バタイユは,わたしの思考の出発点はヘーゲルの『精神現象学』にある,と明言している)。もっと言ってしまえば,この引用文を手がかりにして,徹底的に自己の思考を掘り下げたもの,それがバタイユの『宗教の理論』である,ということである。
 一見したところ,ヘーゲルの思考とバタイユの思考とは,まったくの逆方向を向いているようにみえるし,一般的にそのように理解されてもいる。たとえば,「絶対知」と「非-知」という具合に。しかし,その逆方向に向かう思考のヴェクトルは,たとえば,地球上を東と西に向かって進んだとき,その裏側で真っ正面から対面することになる。だから,バタイユが『宗教の理論』を説き起こすにあたって,ヘーゲルから出発することになんの矛盾もないのである。むしろ,正鵠を射ていると言っていいだろう。
 ただ,ひとことだけ,先取り的に予告しておけば,バタイユは,ヘーゲルのいう「動物的な<欲望>」から出発するものの,それを「消尽」と「有用性」という二つの概念を用いて,動物性と人間性とに引き裂かれ,宙づり状態にある人間存在の救済として「宗教」の問題に切り込んでいく。この「宗教」の問題と同時進行するようにして,スポーツ文化の原形態(Urformen)も立ち現れる,というのがわたしの現段階での仮説である。
 そこを読み解いてみようというのが,今回の集中講義の最大の狙いどころである。
 さて,神戸市外国語大学の学生さんたちは,この狙いどころに対して,どこまで食いついてくれるだろうか。大いに期待したいところである。すでに,前期の,マルセル・モースの『贈与論』を通過している学生さんたちであるので,大いなる飛躍が期待できると確信している。なぜなら,マルセル・モースの『贈与論』を,さらに時代を遡ったところの,まさにヒトが人間になる,つまり,動物性から抜け出して,原初の人間が登場するときになにが起こったのか,という問題意識がバタイユの『宗教の理論』の出発点になっているからだ。バタイユのことばを借りれば,動物性から人間性へと<横滑り>をしていく,このときに「宗教」の問題が立ち上がる,ということになる。そして,そこにこそ,わたしの考えるスポーツ文化のアルケー(古層)が,混沌とした状態ではあれ,芳醇な香りを放っている,というわけだ。
 さて,これからさきは冒険の旅だ。不安でもあり,楽しみでもある。そして,「不安」(Sorge)こそ,ヘーゲルのいう人間的「行動」の原点であり,ハイデガーのいう人間「存在」の出発点なのだから。いざ,旅立とう,「不安」をこそ大切な糧にして,知的な冒険の旅へ。

2010年12月6日月曜日

テクストとしての『宗教の理論』について。

 集中講義を受講する予定の神戸市外国語大学の学生さんのために,もちいるテクスト『宗教の理論』について,どのように対応したらいいかというわたしからの提案をしておきたい。
 まず,授業で主として取り上げ,読解を試みたい部分は,第一部 基本的資料のみである。すなわち,Ⅰ.動物性(P.21),Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成(P.34),Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則(P.55)から最後のP.81までの,わずか60ページである。少なくとも,この60ページだけは,くり返しくり返し読み込んでおいてほしい。これだけはノルマとして,全員が取り組んでおいてほしい。
 ちなみに,その内容を示す小見出しを挙げておくと,以下のとおりである。
 Ⅰ.動物性
   1.食べる動物と食べられる動物の内在性
   2.動物の依存と独立
   3.動物性の詩的な虚偽
   4.動物は世界の内に水の中に水があるように存在している
 Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成
   1.物=客体の定置,道具
   2.内在的な諸要素を物=客体の面の上へ定置すること
   3.事物を主体として定置すること
   4.最高存在
   5.聖なるもの
   6.精霊たちと神々
   7.事物たちの世界の定置および身体を事物として位置づけること
   8.食べられる動物,屍体,事物
   9.労働する人間と道具
 Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則
   1.供犠が応じている必然性,供犠の原理
   2.神的世界の非現実性
   3.死と供犠の通常行われる連合
   4.供犠という消費
   5.個体,不安,供犠
   6.祝祭
   7.祝祭の限界づけ,祝祭が有用なものであるとする解釈および集団の定置
   8.戦争──暴力が外部へと奔騰するという幻想
   9.戦争の奔騰を人間-商品の連鎖へと還元すること
  10.人身供犠
 以上。
 一見したところ,スポーツとはなんの関係もないように思われるかもしれない。しかし,わたしの現段階での仮説では,このバタイユが提示してくれた「動物性」⇒「人間性」⇒「供犠・祝祭」というプロセスを抜きにしてスポーツ(あるいは,スポーツ的なるもの)の起源は考えられない。しかも,ここまで問題意識を掘り下げて「スポーツの起源」を問いかけた人・研究者を,管見ながら,いまだ聞いたことがない。その意味で,今回の集中講義は,わたし自身にとっての初の試みであり,大冒険なのである。だから,いまからドキドキしている。
 スポーツとはなにか,スポーツ文化とはなにか,この問いに対してもっとも根源的な応答をする方法があるとしたら,いまのところこのバタイユの提示した『宗教の理論』を手がかりにするのが,もっとも説得力があるとわたしは考える。これ以上の方法があるとしたら,教えてほしいものだ。それほどの起爆剤を秘めたテクストが,この『宗教の理論』なのである。そのつもりで,学生さんも,ある覚悟をもって参加してほしい。なぜなら,集中講義が終わったときには,世界中のだれにも負けない「スポーツ起源論」を展開できるいっぱしの論者になっていることも夢ではない。それは,わたしが保証する。
 もちろん,そのためには相当の事前の準備をしてきてほしい。断るまでもなく,いま提示した,たった60ページのテクストの内容は生易しいものではない。間違いなく悪戦苦闘することと思う。それを助けてくれるのが,訳者の湯浅博雄さんの手になる「意識の経験・宗教性・エコノミー」──解題に代えて(P.183~241),である。この文章は,じつにわかりやすく,しかも説得力がある。これを読むと,なんとなくバタイユがわかったような気がしてくるから不思議だ。だから,バタイユの本文の60ページと,訳者・湯浅さんの解説(60ページ)とを合わせ読むことをお薦めする。そうすれば,ほぼ,間違いなく,わたしが意図していることの全体像がみえてくるはずである。
 さらに,「文庫版あとがき」(P.242~258)のなかに,前期に読んだマルセル・モースの『贈与論』との関連についても,湯浅さんが懇切丁寧に触れてくれているので,われわれにとってはとても助かる。また,バタイユ自身も,参照文献としてマルセル・モースの二つの著書について触れている(P.158.)。『贈与論』を通過して『宗教の理論』に到達することが,きわめて自然な流れであるということが,ここからも理解できる。われわれは王道を歩いている,と言っていいだろう。
 では,以後,しばらくはテクストの読解に取り組むことにしよう。
 このブログにも,そして,これから書く読解のためのブログにも,末尾にある「リアクション」(おもしろい)にチェックを入れたり,コメントを入れてくれるとありがたい。ここからすでに授業ははじまっているつもりで・・・・。

2010年12月5日日曜日

神戸市外国語大学の集中講義について。

 12月20日(月)8時50分から,神戸市外国語大学の後期の集中講義がはじまる。その準備のことが少しずつ気になりはじめている。
 前期の集中講義では,マルセル・モースの『贈与論』をテクストにして,スポーツ文化を「贈与」として読み解くとどうなるのか,という大いなる冒険を試みてみた。途中で空中分解してしまうのではないかと危惧したが,神外大の学生さんたちはよく頑張ってくれて,予想外の成果をあげることができた。それは提出されたレポートをみて,確認できたことだ。授業中のプレゼンテーションやディスカッションなどでは,どこか自信なさげにやや腰が引けていて,暗中模索的なところがあった。だから,わたしの試みはうまく伝わっているのだろうか,といささか心配ではあった。しかし,三日間の,朝から晩まで,ぶっ通しの授業を最後までたどりついたところで,全体のイメージがようやく視野に入ってきたようで,一気に展望がひらけたようだ。レポートを読むかぎりは,そういう印象が強い。だから,その大半のレポートが,わたしの予測とはまったく正反対に秀逸のできばえになっていた。読む方のわたしが驚いたほどだ。
 若い頭脳というものはいいなぁ,といまさらのようにおもう。とても純粋で柔軟だから,相当にややこしい議論であっても,とまどいながらも追いかけてくる。そうして,いつのまにかぼんやりとしたイメージを構築しはじめる。そして,最後の授業が終わるころには,みごとにそのイメージが明確となり,そのロジックもまた完結しているのである。だから,レポートを書く段階には,相当に体重をかけて自己主張をすることができるようになる。
 ならば,ということで,後期は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をテクストにして,これをスポーツ史・スポーツ文化論の視点から読み解くことにした。さて,そろそろ学生さんたちもこのテクストの読解にとりかかっているはずなので,どうしているだろうか,と気がかりになっている。で,まずは,その読解のための手がかりになりそうなことを,わたしの方から提示しておきたいとおもう。つまり,わたしの関心事から読み解くと,こういう具合になる,というサンプルの提示である。それをきっかけにして,学生さんたちが,さらに個別の読解を展開してくれればいいなぁ,と考えている。前期にも,この方法をとったので,たぶん,学生さんたちの読解に役立ったのではないかと推測している。いいと思われることは継承するにかぎる。

 後期の集中講義で用いるテクストは精確には,以下のとおり。
 ジョルジュ・バタイユ著/湯浅博雄訳『宗教の理論』,ちくま学芸文庫,2002年,第1刷。
 テクストを開くと,まず,目次にも載っていないアレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』からの引用文が提示されている。いきなり,この文章に出会う人は,まずは一様に度胆を抜かれるに違いない。この文章はいったいなにを言わんとしているのか,と。それほどに難解きわまりないのである。しかし,こころを落ち着けて,何回も何回も読み返しながら,それこそ熟読玩味していくうちに,最初の疑問はおのずから氷解をはじめる。「読書百回,意,自ずから通ず」である。そのときの爽快感もまた抜群だ。
 結論から言ってしまえば,この引用文に,じつはバタイユが仕掛けようとしている議論(=「宗教の理論』)のエキスが,濃密に書き込まれているのである。だから,この引用文の読解ができれば,そのあとに展開されるバタイユの議論は,ほとんど間違いなく読み解くことができることになる。それほどに,この引用文は重要な役割をはたしているのだ。
 もう少し詳しく注釈として付け加えておけば,以下のとおり。
 バタイユは,ヘーゲルの『精神現象学』を徹底的に読み込んで,そこを通過することによって,かれ固有の思想・哲学のよって立つべき根拠を見出すにいたったのである。若き日のバタイユにヘーゲルの『精神現象学』読解の手ほどきをしてくれたのが,この引用文の著者であるアレクサンドル・コジェーヴである。バタイユの思想・哲学は,あまりに特異な展開をみせたために,いまでも,これを敬遠する一般的傾向は強いが,さりとて,これを完全に否定することはだれにもできないのである。それほどに,特異であり,しかも,深く本質的な思考を展開している,ということでもある。にもかかわらず,そこを避けて通ろうとする人が多い。しかし,それは間違いだろう,とわたしは考える。その最大の根拠の一つが,ヘーゲルの哲学をきちんと踏まえた上での,つまり,それを批判的に継承しつつ,それを超克するための思想・哲学の地平を切り開いた,という点にある。その到達点の一つとして,ヘーゲルの「絶対知」に対して,バタイユは「非-知」という概念を立ち上げたことを指摘することができよう。このことの詳しいことは,いささか手間がかかるので,集中講義の授業の中で詳細に説明したいとおもう。
 というわけで,まずは,この引用文をどのように読み解くか,という作業からはじめよう。
 明日から,しばらくは,バタイユのテクスト読解という作業がつづくことになろうか。お付き合いいただければ幸いである。

2010年12月4日土曜日

『<スポーツする身体>とはなにか』──バスクへの問い・PART 1.──が出る。

 3年前の2007年に開催された第一回日本・バスク国際セミナーの日本側の研究者の発表草稿が単行本となった。それにしても予想以上の長い年月を要した。もう少し早く刊行すべであったが,諸般の事情でやむを得なかった,というべきだろう。いささか遅くなったとはいえ,それでも間違いなく一つの歴史的な足跡として重要な意味をもつ刊行になったとおもう。その意味では,忍耐強く,諦めないで頑張った編著者の竹谷和之さんにこころからの拍手を送りたい。
 すでに,来年の8月29日(月)から9月1日(木)までの4日間にわたって,第二回日本・バスク国際セミナーが開催されることになっている。その準備のために竹谷さんはおおわらわである。なにせ,こんどはバスク大学の研究者たちが大挙して日本にやってくる。その受け入れ態勢をどのように構築するか,いまから大変である。伝え聞くところによれば,神戸市外国語大学の特別プロジェクトの一つとして取り上げてくれることになり,大学を挙げての態勢づくりに取り組んでいるとか。それに加えて,神戸市がバックアップ体制をととのえてくれる手筈にもなっているとか。それに加えて,関連各位の支援をお願いすることまで,なにやかやと大変である。
 その意味で,今回のこの本の刊行は,ぎりぎりのところで間に合ったということでもある。これから,あちこち頭を下げて挨拶まわりをしながら後援・支援をお願いしなくてはならない。そのときに,この本を提示して,第一回日本・バスク国際セミナーの成果が,このような形になって結晶化している,と説明することができる。これはとても大事なことである。ことばだけで,日本・バスク国際セミナーについて,逐一,事細かに説明するのは容易ではない。しかし,このような具体的な本を提示しながら,そこから国際セミナーの細部に話を進めていくのは,比較的容易であるし,相手の理解も得やすい。そして,第二回目のセミナーの成果も,当然のことながら,このような単行本にする予定である,と説くことができる。
 今回のこの単行本は,日本側の研究者の発表草稿に手を加えて,出来上がったものである。したがって,バスク側のものはまだ未刊である。が,いずれ,翻訳をして刊行する計画も進んでいる,と聞く。こうして,日本とバスクの発表草稿が比較対照できるようになると,さらに,その価値が高まってくる。そういうことが軌道に乗ってくると,この日本・バスク国際セミナーはこんごも長く持続性をもっていくことができる。ぜひとも,そこをめざしていきたいものである。
 これまでにも,体育・スポーツに関する国際セミナーは,あちこちで開催されてきた。そして,いまも,いろいろの組織体をとおして開催されている。しかし,そのセミナーの成果が刊行物となることは比較的少ない。ましてや,一般の出版社をとおして刊行し,市販されるという例はほとんど聞いたことがない。大半は,セミナーをやりっ放しで終わる。その意味で,この本の刊行は意義深いものがある,とわたしは考えている。
 今回の本は,<スポーツする身体>とはなにか,という大きな問いを投げかけながら,サブ・タイトルとして「バスクへの問い・PART 1.」とうたっている。ということは,「PART 2 」「PART 3」と継続していくということを暗示している。こうした研究成果をこつこつと積み上げていき,それがあるまとまりをもったとき,驚くほどの大きな意味をもつことになろう。それまで息長く地道に頑張っていくことが不可欠だ。
 ちなみに,今回の執筆者は以下のとおり。
 編著者の竹谷和之さん(「水に溶ける」身体─ジャック・マイヨール)を筆頭に,三井悦子(個と関係性について─「わたし」であること,つながること),松本芳明(「ヨーガする身体」を考える─瞑想系身体技法における「身体」考),林郁子(フソトテニスをする身体),松井良明(賭けをする身体─日本の動物闘技と刑法を手がかりとして),船井廣則(遊び戯れる身体─東西における子どもの遊びの類似と相違),寒川恒夫(スポーツ人類学の現状と可能性),そして,わたし(<21世紀の身体>を考える─「近代的身体」からの離脱と移動)の計8名。一人ひとりが,それぞれ得意とするテーマをかかげて,力の籠もった論考を展開している。いずれも読みごたえがあって,読んでいて楽しい。詳しくは手にとってご覧いただきたい。
 この本は,叢文社の「スポーツ学選書・25」として刊行されたもので,この選書の第25番目の節目の刊行ともなっている。この「スポーツ学選書」も,当初は10冊をめざし,それを達成すると20冊をめざし,という具合につぎつぎにハードルを高くしてきた。そして,とうとう25冊目の達成である。こうなったら,30冊はおろか,さらにその上をめざして頑張っていきたいとおもう。もし,かりにこの選書が50冊を達成したら,それはこの世界にあっては快挙というべきであろう。その実現をめざして,これからも頑張っていこうとおもう。それは単に偉業の達成であるから,というだけではなく,この営みそのものが楽しいことでもあるから。
 みなさんのご支援をお願いする次第。
 とても,いい本ですので,どうぞご講読くださいますように。
 もし,必要なら,親しい執筆者宛てに注文してみてください。喜んで送ってくれるとおもいます。みんな,相当の部数を自己負担して購入していますので。

2010年12月3日金曜日

目取真俊の小説に注目したい。

 目取真俊の小説は,わたしの虚をついてくる。つまり,沖縄ということを考え,人間ということを考えるときの,わたしの中にある盲点といえばいいだろう,その虚である。もう少しだけ踏み込んでおけば,わたしがこれまで沖縄問題に関して,無関心を装ってきた虚,すなわち,知らぬ勘兵衛を決め込んで平気でこられた,その虚である。言ってしまえば,自分さえよければ他人のことなど知らぬ,という<わたし>という利己的な「人間性」が丸裸にされてしまう,その虚。だから,いやがおうでも,自己中心的な生き方の根源的な醜さが露呈されてしまい,丸裸のままの<わたし>が吹きさらしにされてしまうのである。その瞬間に,さぶいぼが全身を覆うことになる。その意味で,目取真俊の小説は恐るべきである。
 第一に,目取真俊という作家の風貌そのものが,ただ者ではない,という一種異様な雰囲気を漂わせてもいる。東京外国語大学で開催されたシンポジウム(西谷修主宰)で,一度だけ,生の姿と,その発言ぶりに接したことがある。サングラスをかけたまま,一歩も引かぬという強い決意を内に秘め,単刀直入に切り込んでくる発言は,まるで,街中のやくざが,敵対するやくざに出会って,覚悟の上で喧嘩を売っているようにも聞こえてくる。なんともはや迫力満点なのである。琉球空手の相当の使い手であるとも聞く。そのせいか,小柄ではあるが,上半身はがっしりしている。それでいて,どこか底抜けのロマンチックな繊細さというか,純朴な童心のようなものも,そこはかとなく伝わってくるから,いやはや不思議な存在ではある。つまり,いろいろの顔が,そのときどきの雰囲気によって表出してくるのだ。その意味ではとてつもない懐の深さを感ずる。
 それが如実に現れているのが,本業である小説作品であろう。
 ちなみに,いま思い出せる印象的な作品をあげてみると,以下のようだ。
 『風音』・・・・異郷の共同体の風葬場でいまだ野ざらしにされている旧日本兵の骨たちの発する「風音」から,さまざまな記憶が掘り起こされていく。その主人公には,特攻兵の所有物と思われる高級万年筆を盗み取った,という羞恥がつきまとう。
 『群蝶の木』・・・・「慰安婦」(沖縄の女性きたち)をめぐる悲劇。
 『魂込め(まぶいぐみ)』・・・・日本兵に殺された村の娘や男たちの話。そして,その遺体は消されてしまって,どこにも見当たらない。仕方がないので,その周辺の浜辺から珊瑚のかけらを拾い集め,それを骨代わりに。
 こんなことを思い浮かべながら書いていたら,突然,平敷兼七さんの写真集『失われしものたち』や大城弘明さんの写真集『地図にない村』などが脳裏をよぎる。俺たちの写真集についても書いてくれとばかりに。
 今日は気持ちが千々に乱れて,一点に集中していかない。
 どうしてだろう。とても,不思議だ。
 どうやら,目取真俊の毒気に当てられて,<わたし>そのものが粉砕されてしまったのかも知れない。こんなこともあっていいのだろう。いな,それどころか,このような経験こそが大事な自己変革の契機なのだから,もって瞑すべし,と言うべきだろう。

 残念ながら,今日はここで打ち止め。
 また,機会をあらためて,ポイントを絞って再挑戦することにしよう。

2010年12月2日木曜日

衛生帝国主義を野放しにしておいていいのか。インフル予防接種をめぐって。

 ことしもインフルエンザの流行シーズンが到来した。街中を歩く人や電車の中で出会う人たちの多くがマスクをかけている。そして,インフルの予防接種を多くの人たちが,みずからすすんで受けているという。
 過日,珍しく長兄から電話。親戚の法事の日程についての知らせだった。久しぶりだったせいか,長兄が長話をはじめた。「お前はインフルの予防接種は受けたか」と聞く。「ううーん」とわたし。「早めに受けておいた方がいいぞ」と長兄。「この何年間もの間,風邪というものを引いた覚えがないから,必要ないとおもっている」とわたし。「そういう奴が一番危ないのだ」と長兄。という調子でどこまでもつづく。
 折角の親切心で言ってくれているのだから,別に逆らうつもりはなかった。が,だんだんと風邪に関する世間一般の通説を一方的に押しつけてくるので,とうとう,こちらも我慢していたことを言ってしまう。「風邪は引いたら,自然治癒にまかせることにしている」とわたし。「そういう素人判断が一番いけないことだ」と長兄。「いやいや,この方法は,いまや名医の誉れ高い帯津良一さんや鎌田実さんが提案している方法だ」とわたし。「だれだ,そんな奴は知らん」と長兄。「じゃあ,この話は,これ以上は無駄だから止めよう」と言って,電話を切った。
 なんとも後味が悪い。
 予防接種をして,マスクをかけて,早めに風邪薬を飲んで・・・・というこの方法が,いかに一人ひとりの免疫力を低下させることに貢献していることか,ということを考えようともしないで,「自然治癒力」を頭から否定する人が多い。そして,薬,薬,薬の一辺倒である。「風邪を引くことは免疫力を高める絶好のチャンスなのだ」などといおうものなら・・・・。ましてや,「マスクなどはなんの役にも立たないから,俺はしないよ」,外出したあと「嗽もしないよ」「手も洗わないよ」などと言おうものなら,「お前は野蛮人だ」と一喝。
 もちろん,個人差があるから,あまり強制するつもりはないが,わたしは徹底的に帯津良一さんの考え方を支持する。そして,一人ひとりに見合った方法で免疫力を高める努力をすべきだとも考える。だから,わたしはわたしのやり方で,すでに,長年,その努力をつづけている。なんにもしないで放ってあるわけではない。日々,細心の注意を払って,自分の「からだの声」に耳を傾けている。長年やってくると,「からだの声」はとてもよく聞こえるようになってくるから不思議だ。この方法を医者も保健所も積極的に教えようとはしない。
 そして,いまでは行政が予防接種の補助金までも出して,インフル対策を推進している。ことしはワクチンが間に合っているそうだから,あまり,慌てることはないそうだ。でも,去年のようにワクチンが足りなくなってしまうと大変なことになる,とわたしに忠告してくれる人は少なくない。しかし,よくよく考えてみればわかるように,昨年も,行政とメディアがひとりで踊っていただけのことであって,例年の流行現象となんら変化はなかった。わたしに言わせれば,過剰防衛である。そして,その結果は,免疫力の低下である。
 その人たちが,すでに,率先して風邪を引いているらしい。そして,ご丁寧にもマスクをしている。そのマスクもずいぶん改良されていて,これをしていればインフル対策は完璧と錯覚を起こしかねないほどのできばえである。電車の中は風邪薬の匂いでいっぱい,ほてった体温が輻射熱のようにしてこちらのからだに伝わってくる。そして,ゲホ,ゴホと激しい咳き込みをはじめる。君子危うきに近づかず・・・だ。つぎの駅で飛び下りて,別の車両に乗り換える。
 最近では,意図的に,一番前の車両か一番後ろの車両に乗るようにしている。ここは昼中など,ガラガラに空いている。そして,わたしのようにからだの声が聞こえる人が多い。マスクをした人などほとんど見かけない。みんな賢い人たちばかりだ。ここに乗る人たちの多くは予防接種など受けてはいないだろう,とわたしは推測する。
 しかし,圧倒的多数は予防接種派である。そして,それが「正しい」予防対策だそうな。そして,その多数派が「正義」派を形成している。
 わたしは,こういう現象をとらえて,あえて「衛生帝国主義」と名づけている。予防接種を受けない人間は「悪」であって,こういう連中が風邪を蔓延させているのだ,という。行政から補助金をもらって予防接種をする人が「正義」で,わたしのような人間は「テロリスト」だ,とでも言わぬばかりの勢いである。困った,困った,である。
 しかし,ひとことだけ最後に言っておこう。この多数派を形成している正義派こそ,文字どおりの「ドーピング」派でもある,ということを。そして,スポーツの世界では,それが逆転する。なぜだろう?近代合理主義の論理矛盾の典型。
 この問題については,また,いずれ。

2010年12月1日水曜日

友あり,遠方より来りぬ。上海大学社会学部教授陸小聰氏。

 しばらく前に,太極拳の李老師から電話で,陸小聰さんが日本にきていて,逢いたいと言っている,という知らせがあった。その数分後には,陸さんから直接,電話が入ってきた。大きな声だったので,瞬時にして,あっ,絶好調だ,と判断した。久しく会っていないが,元気な人に会えるのは嬉しい。すぐに,会う日時を約束した。
 日本人も同じだが,中国人にもいろいろの人がいる。概して,自己主張が強く,妥協するということを好まない,というのが一般的な印象だ。しかし,わたしは職業柄,かなり多くの中国人と接してきたが,運が良く,とても柔軟性のある人が多かった。しかも,それぞれのスポーツ競技での一流選手が多かった。この人たちはどこか抜け出たところがあって,とてものびのびとしているし,自由の許容範囲が広い。それでいて我慢強いし,ひそやかな努力家でもある。
 太極拳の李老師はその代表的な人のひとりである。この李老師よりも先輩にあたる陸さんもたいへんな努力家である。この二人はとても仲がよい。李さんは太極拳の,そして,陸さんは卓球のプロとして子供のころから活躍していた。だから,子供のころから中国全土をくまなくまわって,その技を披露してきた。ので,中国ではきわめて有名な人たちである。この人たちが,ご縁があって,二人とも,わたしのところで博士論文を書き,博士取得者となった。激しい情熱を内に込めつつも,表面ではいつもニコニコと笑顔で,とてもソフトに他者と対応する。安心して会話を楽しむことができる。だから,わたしはこのお二人が大好きである。ともに立派な人格者であるから。
 ここでは李老師のことは,ひとまず措いておくとして,話題の中心は陸小聰さんである。
 陸小聰さんとは久しぶりに会ったので,その間のギャップを埋めるのに,お互いに必死である。話したいことが山ほどあって,お互いに話があちこちに飛ぶ。まるでまとまりのない話が断続的につづく。そして,あっという間に2時間,3時間が過ぎていく。気がついたら,まとまった話はなにひとつしていなかった。しまった,と思ったがあとの祭りである。
 陸さんは,ヨーロッパに出かけて行って,国際学会(スポーツ社会学)で発表をして,その帰路,日本に立ち寄ったという。娘さんが,国費留学で慶応大学に1年間の予定で在籍しているので,ついでに逢いにきた,とも。もちろん,かれの日本の知己にも会いたくて,万難を排してやってきたのだが・・・・。わたしもその中のひとりというわけだ。
 いろいろの話をしたけれども,印象に残った話をいくつか整理しておきたい。ひとつは,来年9月に中国で逢いましょう,という約束。陸さんは,来年4月から10月まで,イギリスに国費で留学する予定になっている。が,ならば,9月上旬には戻るように日程を前倒しにして,変更する,という。そんなことできるの?と聞くと,なんとかなる,という。よし,それでは決定だ。われわれの日程は,9月の18日から25日まで。その間に,北京,上海,昆明(雲南省)をまわることに。詳しい詰め(研究会,講演,シンポジウム,フィールド・ワーク,など)は,これからやっていくことに。こういう話になるととんとん拍子でまとまる。これで決定。あとは,万難を排して実行に移すのみ。

 じつは,この中国旅行については,ここ数年の間,李老師と太極拳の兄妹弟子であるNさんとKさん,そしてわたしの4人で珍道中をやってみようではないか,という計画があった。が,みなさん,それぞれに忙しすぎてなかなか成立しない。これではいつまで経っても実現は不可能に違いない,とわたしは判断し,一年前に日程だけ決めておこうと提案。そして,この9月には李老師とわれわれ3人の間では合意していたのである。そこに陸小聰さんの登場と相成った次第。
 この顔ぶれでの中国旅行には,当然のことながら,いろいろの目的がある。
 ひとつは,なにがなんでも李老師の故郷である昆明に行くこと,そして,中国で一番気候が安定していて快適なところと言われている雲南省を旅行すること。そこでは,少数民族によって温存されているさまざまな伝統芸能に触れることができる。しかも,そこが日本民族とも因縁浅からざる関係があることもよく知られているとおり。ここは1週間くらいではとても日数が足りないと李老師はおっしゃる。でも,そんな贅沢は言ってられない。昆明は,最近では,世界中のスポーツのトップ・アスリートたちが高地トレーニングも兼ねて,集まってくるスポーツのトレーニング・スポットとしてもよく知られている。その設備も完備しているという。
 さらに,Nさんが行くとなれば,上海でも,北京でも,講演やシンポジウムをやってほしいというわたしの知人も待ち構えている。上海は,ここで紹介している陸小聰さんである。場合によっては,わたしにもやってほしい,という。ならば,Kさんにも・・・,ということになる。北京には劉正愛さんが待ち構えている。その他の都市にも,連絡すれば,放ってはおかない知人たちがいる。さて,どの範囲で日程調整をするか,これも楽しみのひとつ。
 それから,なんと言っても,「中国のいま」を現地に立って,その土地の空気を吸ってみたい,というわたしなりの強い思いがある。もう,ずいぶん前に,上海体育学院でのシンポジウムと中国少数民族伝統運動会(南寧市で開催)の取材を兼ねて,大勢の仲間たちとでかけたことがある。上海という都市の開発が着手されはじめたばかりのころだから,どれほどの変貌ぶりなのか,興味津々である。作家の宮城谷昌光さんも書いているように,古い城跡を訪ねていくが,そのほとんどは跡形もなくなっている,でも,そこに「立って,空気を吸う」ことによって小説の構想が動きはじめる,という。まあ,わたしの場合には,それにあやかろうというわけだ。
 こうして書き出すと際限がなくなる。やはり,李老師を先導にお願いして,Nさん,Kさんとわたしの4人が旅をするのだから,なにが起こるかわからないという不確定要素がいっぱいだ。だからこそ面白いのだろうとおもう。
 というわけで,陸小聰さんが来日し,お会いしたことによって,このわたしたちの中国旅行計画は,また,一段と実現への道を歩みはじめた,という次第。この話は,これからもちょいちょい登場することになりそう。ぜひ,そうなるようわたしも努力したいとおもう。
 来年こそ,なにがなんでも実現させよう。これで駄目なら,もう,このさきはない,と覚悟して。