2015年7月31日金曜日

公明党よ,目覚めよ。創価学会の学会員から「三行半」を突きつけられた,いまこそ目覚めよ。

 創価学会の学会員の一部が,とうとう「戦争法案反対」の狼煙をあげ,抗議行動のデモに参加しはじめた,というニュースが流れている。その情報によれば,創価学会の三色旗を掲げ,日比谷公園の野外音楽堂の集会に参加し,その後のデモ行進にも参加したという写真つきである。

 断るまでもなく,創価学会を最大の支持母体とする公明党は,戦争に反対し,平和を希求する政党としてスタートを切った。そして,自民党と連立を組むときの条件もまた,自民党の「暴走」に「歯止め」をかけることが最大の目的である,と宣言している。

 にもかかわらず,このところの公明党の体たらくはいったいどうしたというのだろう。国土交通省の大臣ポストをひとつ確保するための犠牲にしてはあまりに大きすぎる。立党の精神はどこに行ってしまったのか。なぜ,忘れてしまっているのか。いな,忘れたふりをしているのか。それほどまでに,政権党に身を寄せていることのメリットは大きいということなのか。

 でも,それは間違いだろう。

 真面目な創価学会の学会員は,その間違いを許すことができない。がまんにがまんを重ねてきたが,とうとう堪忍袋の緒が切れた,ということだろう。公明党がこのまま自民党にずるずると引きづられて行ってしまうのならば,表立って,戦争法案に反対する抗議行動を立ち上げよう,という正統派学会員の決意表明だ。この運動は間違いなく徐々に全国的な展開になっていくだろう。なぜなら,これぞ立党の精神に則った,本来あるべき姿勢の表明なのだから。

 残る手段は,現職公明党議員の選挙区での学会員の態度表明だ。現職公明党議員がみずからの選挙区での支持がえられなくなると覚ったとき,はじめて現職議員に危機感がはしることになる。ここがポイントだ。

 もうすでに,自民党議員にたいする造反への働きかけははじまっている。つまり,戦争法案に反対の意思表明をし,反対票を投じた自民党議員の再選への支援を約束する,というものだ。逆に,戦争法案に賛成票を投じた議員には票を投じない,つまり「落選」させる戦法をとる,という運動である。そして,造反してくれそうな議員一覧,戦争法案絶対支持の議員一覧,その他の議員一覧,などといった手のこんだ一覧も,ネットをとおして流通している。

 創価学会の学会員が,その組織力にものを言わせて,上記のような行動にでたとき,これが日本の政治を大きく変える転機となる。戦争法案を廃案にもちこむには,こうした力がどうしても必要だ。

 すでに,SEALDs を名乗る若者たちの運動が大きな輪となって全国展開をしている。この人たちの運動によって覚醒した大人たちも,いろいろなかたちで戦争法案廃案に向けた活動をはじめている。8月から9月にかけて,この動きはますます大きくなっていくだろう。

 そこに公明党議員の造反が加わると,文字どおり,国政の大転換が起こる。たぶん,こうした動きはお互いに連動していくものだと考えられるので,まずは,自分の持ち場でできることからはじめること,そこが第一歩だ。

 公明党の議員諸氏も,初心に立ち返って,「平和主義」の立党の精神を復活させてほしい。安倍首相のいう「積極的平和主義」という名の「戦争主義」の虚像を打ち破って,公明党がめざすべき本来の「平和主義」をとりもどしてほしい。いわば,最短距離のキャスティング・ボートをにぎっているのが公明党なのだから。

2015年7月30日木曜日

国会劇場・中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」が面白い。演出なしの生中継だから。

 エアコンが壊れているので,窓を全開にして風を呼ぶ。時折,気まぐれに吹く風がなんとここちよいことか。あとは,ビタッと風が止まってしまって,サウナ状態。仕方がないので,安物の扇風機をつけて,上半身裸で濡れタオルを背中に乗せて,猛暑をしのぐ。体力というよりは精神力が必要。くそおもしろくもない午後のひととき。

 遅い昼飯にそうめんを茹でて,ざるに盛ってすする。そのついでにテレビをつけてみる。ここ数日,午後はNHKテレビのお世話になっている。

 国会中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」。生中継なので,ほとんどこれといったカメラ操作もせず,だらだらと質疑を,そのまま垂れ流す。これがまことに結構。国会劇場をリアル・タイムで見物することができる。他のテレビ番組の追随を許さないほど面白い。

 なぜか。延々と5時間余にわたって,質疑が繰り返される。安倍首相,中谷防衛大臣,岸田外務大臣の3人が主役。あとは,必要に応じて他の大臣もときおり顔を並べる。が,この3人については,不動のメンバー。だから,質疑を重ねているうちに,文句なく丸裸の人間性が剥き出しになってくる。それが面白い。

 質問に立つ与党議員は,まるでちんどん屋。よくも恥ずかしげもなく,お約束どおりの質問を,よいしょも含めて,だらだらとつづける。それを,安倍・中谷・岸田の3人が,予定どおりの原稿を読み上げて終わり。どこに「わかりやすく,丁寧に説明する」姿勢があるというのか。あきれ果ててものも言えないほどだ。この馬鹿馬鹿しさが,テレビをとおして国民の前にストレートに垂れ流されている。ふつうの高校生なら,なんと馬鹿げた紙芝居をやっていることか,とすぐに気がつく。少し,賢い中学生なら,総理大臣ってこんな人なんだ,とびっくり仰天するだろう。

 折しも,夏休み。たぶん,かなりの中学生・高校生が,たとえ短い時間とはいえ,ちらりとこの番組をみているのではないか,とおもう。政治の現場を知る絶好の機会だ。選挙権が18歳に下げられたので,政治に関心をもつ若者たちも増えているはず。ましてや,いま議論されているのは,「平和安全法制」という名の「戦争法案」(福島瑞穂)だ。このままこの法案が通過してしまえば,いつの日にか若者たちは戦場へと駆り立てられることになる。にもかかわらず,これを「平和維持活動」と呼ぶ安倍首相に対して,それこそが「戦争」以外のなにものでもないと断ずる福島瑞穂(これは,今日・30日の質疑)。この安倍流騙しのテクニック満載の「法案」の質疑だけに,しっかり耳を傾けていると,まことに面白い。

 国会審議の第二日目の28日(火)からは,自民の愛知治郎氏以外は,4人とも民主・新緑風会の議員。順に,福山哲郎,小川敏夫,大塚耕平,大野元裕の4氏。この野党4氏からの鋭い質問にしどろもどろとなる安倍・中谷・岸田の3氏。丁寧な説明どころか,とんちんかんな答弁ではぐらかし作戦。「まじめに質問に答えろ」と吼える議員も少なくない。このあたりのやりとりは,下手な芝居をみているよりも,はるかに迫力があって面白い。同時に,野党側議員の力量もまるみえ。

 第三日目の29日(水)は,小池晃(共産),松田公太(元気・無所属会),和田政宗(次世代),水野賢一(無所属クラブ),吉田忠智(社民・護憲連合),山本太郎(生活),荒井広幸(新党改革・無所属の会)の7氏。それぞれの党利党略を反映した質問がつづく。それぞれに面白いが,ここでも政治家としての能力差が歴然としていて,そこがみどころ。その点,山本太郎の問い詰めの姿勢が際立っていた。ただ,かれの持ち時間があまりに短いのが残念。

 第四日目の30日(木)は,前川清成,谷合正明,真山勇一,井上哲士,山田太郎,中山恭子,中西健治,水野賢一,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の11氏。今日は途中で眠くなってしまい(そのくらいレベルの低い質問がつづいたということ),ひと眠り。そして,目が醒めたら,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の3氏の質疑を聞くことができた。福島みずほは「なぜ,この法案を戦争法案と呼ぶか」その根拠を提示しての質問。これには安倍首相もたじたじ。途中で,どもってしまったりして,あわてぶりが露呈。つづいて山本太郎。昨日につづいての質問。自衛隊がすでにアメリカで訓練を受けているが,その内容は,まさにアメリカ軍とともに最前線で戦う訓練になっているが,なぜ,こんな訓練をいまから始めているのか,と迫る。安倍首相も中谷防衛相も,きちんとした説明ができないまま,いつもの「一般論」に逃げ込む。答えを拒否している,としかみえない。

 こんなお粗末な「議論」が,国会という場で,しかも参議院という良識の府で展開されている。しかも,このことがそのままテレビをとおして国民にまるみえ。

 これでは国民の支持率はどんどん落ちていくのは必定。福島県民に限定した支持率調査結果(30日発表)によれば,ついにデッドラインである30%を割って28%に達したという。

 この戦争法案に関しては,議会で徹底して議論してほしい。そして,NHKは,すべて国会中継として放映してほしい。国民が,直接,議論を注視し,考えるための最高の素材なのだから。

 なお,テレビでリアル・タイムでみられなかった人は,YOUTUBEで,必見の質疑はみることができるようになっているので,ぜひ,ご確認ください。いかに,とんちんかんな議論が行われているか,百聞は一見にしかず,でとてもわかりやすい。こんな人が日本の総理大臣なのか,と背筋が寒くなることもしばしばだ。中谷,岸田両大臣にいたっては,もっとお粗末。

この猛暑。ついに壊れたエアコンを買い換えることに。でも,取り付けは一週間後。

 連日の猛暑のなか,とうとう耐えきれずに,長年使わずにきたエアコンにスイッチ・オン。電源は入るもののエアコンとしての作動はせず。暖房にもならず。近くの量販店で相談したら,使用年数から判断して修理はむつかしい,という。仕方がないので,買い換えることに。

 もともとエアコンは嫌い。暑さは平気。汗もほとんどかかない体質。でも,水分だけは補給。もっとも原始的な方法で夏の猛暑もやりすごしてきた。しかし,ことしはそうはいかない。入院生活の後半は快適な環境に守られ,暑さも知らずにすごしていた。二度目の手術ということもあって,体力はさらに低下。ついていた筋肉の大半はそげ落ちてしまい,みじめな姿。

 そこに退院後の連日の猛暑。汗とともに体重がどんどん落ちていく。これはいけない,と反省。太極拳の稽古のあとのランチの折に,それとなく相談。異口同音に「それは駄目ですよ。体力が落ちているのだから,熱中症でやられてしまいますよ。すぐに買い換えて,猛暑に備えるべし」と厳しいおことば。そのとおり,と納得。

 ランチのあと,すぐに近くの量販店に行く。すでに,数日前にそれとなく相談し,ある程度の情報はえていたが,いまひとつ納得できなかったので留保。つまり,応対してくれた店員さんがなんとなく頼りない。が,今回,応対してくれた店員さんは適切に応対してくれ,信頼ができそうだったので,ここで決めようと腹をくくる。

 でも,いまはエアコンの取り付け工事が満杯で,今日(29日)頼んでも工事は一週間後だという。このあとになればなるほど,工事待ちの期間は長くなる,とか。それではなんの役にも立たなくなってしまうので,とりあえず,夕刻に出直して,購入手続をする。

 今朝も朝から高曇。薄日がさしたり隠れたりを繰り返している。風はほとんど無風。気温は鰻登り。朝から汗びっしょり。仕方がないので,扇風機で当座のところをしのぐことに。でも,首も振らない安物のサーテュレーターなので,あまり長いこと風に当たっているわけにもいかず・・・・。随時,つけては切ってを繰り返している。

 外からの風はときおり吹いてくる。マンションの9階なので,とても涼しげな風で気持がいい。が,すぐに止んでしまう。窓は東西にあるので,どちらからでも吹いてくれれば快適。しかし,最近のこの猛暑つづきの風は,ほとんど吹かない。そよそよと吹いていたかとおもうと,パタリと止んでしまう。情け容赦もないとはこのことだ。

 8月5日(水)の朝,工事の電話が入ってきて,時間の確約ができるとのこと。それまではじっと我慢の子。そのうち猛暑も終わるのではないか,と微妙な気分。でも,それまではひたすら耐えるのみ。なんとか体力を温存して,この猛暑を乗り切るしか方法はない。

 早く来い。8月5日。いまはその一念のみ。

2015年7月28日火曜日

此帰依仏法僧の功徳必ず感応道交する時成就するなり・・・・。『修証義』第14節。

此(この)帰依(きえ)仏法僧(ぶっぽうそう)の功徳(くどく)必(かなら)ず感応(かんのう)道交(どうこう)する時(とき)成就(じょうじゅ)するなり,設(たと)い天上(てんじょう)人間(にんげん)地獄(じごく)鬼畜(きちく)なりと雖(いえど)も感応(かんのう)道交(どうこう)すれば必(かなら)ず帰依(きえ)し奉(たてまつ)るなり,已(すで)に帰依(きえ)し奉(たてまつ)るが如(ごと)きは,生生(しょうじょう)世世(せせ)在在(ざいざい)処々(しょしょ)に増長(ぞうちょう)し必(かなら)ず積功(しゃくく)累徳(るいとく)し阿〇多羅三〇三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就するなり,知(し)るべし三帰(さんき)の功徳(くどく)其(そ)れ最尊(さいそん)最上(さいじょう)甚深(じんじん)不可思議(ふかしぎ)なりということ世尊(せそん)已(すで)に証明(しょうみょう)しまします,衆生(しゅじょう)当(まさ)に信受(しんじゅ)すべし


 ここでは「感応道交」という,ふだん眼にしない仏教用語が登場しています。しかし,この文字をじっと眺めていますと,なんとなくこんな意味ではないかなというイメージが湧いてきます。このイメージ・トレーニングはとても大事だとおもいます。とくに,道元さんは,漢語をそのまま日本語に導入しているばかりでなく,その漢語をひとひねりもふたひねりもして,独自の意味を付与させたりしています。しかも,それについてとくに説明をしたりもしません。ですので,まずは,そのまま道元さんの用語を受け止めておいて,あれこれ想像してみることが大事だとおもいます。また,道元さんはそのように読むことを,むしろ,強要しているようにおもいます。言ってみれば,道元さん特有のことば遊びが随所に登場しますし,その「遊び」のなかに,じつは深い真理が隠されているといっても過言ではないからです。

 こんな文章を書いてしまいますと,お前はいったいなにを考えているのか,道元さんのことがわかっていないのではないか,とお叱りを受けるかもしれません。しかし,その叱咤をしっかりと受け止めた上で,さらに,つぎのように言っておきたいとおもいます。

 道元さんは,漢語と日本語との区別をほとんど無視して,自由自在にこの二つの言語の間を往来させています。しかも,漢語にしろ,日本語にしろ,そのことばの持っている固定化した概念をつぎつぎに壊していきます。そして,それらのことばに新しい生命を吹き込もうと必死に創意・工夫を加えていきます。しかも,みずから概念崩しをし,新しい生命を吹き込んだ,そのことばすら,さらにその概念を崩し,もっと深い概念をそこから読み取ろうと,絶えることのない努力を積み重ねていきます。それが,道元さんのいう「修行」であり,「悟り」であるということです。

 このことを一語で現したことばが「修証一等」ということばです。そして,このことばこそが道元さんの主著である『正法眼蔵』を貫くきわめて重要な柱となっていることを,ここではあえて指摘しておきたいとおもいます。

 なぜ,こんなことを書くのかといえば,ここに登場する「感応道交」ということばもまた,道元さんの思考を受け止める上できわめて重要な概念のひとつであるからです。つまり,「修証一等」と同じように「感応道交」もまた,それが成就する時節はつぎつぎに進化していくからです。このことがわかっていれば,この第14節は,問題なく理解できるとおもいます。

 感応道交とは,「感」はわたしたち衆生が仏の威力,慈悲力などを感じとること,「応」は,衆生の願いや祈りに対して仏が応答すること,「道交」とは,この二つが互いに交信・共鳴すること。したがって,感応道交とは,仏と衆生とがひとつになって共振・共鳴することを意味します。

 ですから,冒頭の「此帰依仏法僧の功徳必ず感応道交する時成就するなり」は,文字どおり読んだとおりの意味を示しています。すなわち,仏法僧に帰依し祈りつづける功徳は,かならず仏と一体化して感応道交するときに成就されますよ,というわけです。

 たとえそれが,天上界であろうとも,あるいは人間界であろうとも,地獄界,鬼畜界であろうとも,仏と感応道交すればかならず仏法僧の三宝に帰依することができるのですよ,と説いています。

 ですから,すでに三宝に帰依している人たちは,生まれ変わり死に変わりして未来永劫の時間が経ても,そして,その場所が変化しようとも,その功徳は積み重ねられていき,アノクタラサンミャクサンボダイの最高の正しい悟りに到達することができるのです。わたしたちがわきまえ,知らねばならないことは,仏法僧の三宝に帰依する功徳こそがもっとも尊く,もっとも上等なものであるということ,しかも,それははなはだ不思議なものであり,人間的思惟の範疇を超え出たところのものであるということです。このことをお釈迦様がすでに証明されているのですから,わたしたち衆生はそれを確信して,「信受」する以外にはないのです。

 というのが,第14節での,わたしの読解です。

2015年7月27日月曜日

退院後,初の診察。どこも問題ありません。アルコールもいいですよ。「エッ?」。一安心。

 今日(27日),退院後,初の診察を受けてきました。まずは,採血して血液検査。それと,胸部と腹部のレントゲン撮影。待つこと約1時間半。

 呼び出しがあって診察室へ。執刀医のN先生がにこやかに迎えてくださる。
 そして,第一声「どうですか,その後の調子は?」
 「順調にきているとおもいます」
 「そうでしょうね。今日の検査結果をみても,どこも問題はありません。肝機能もほとんどもとにもどっています。心配していた体内に体液が貯まったり,水が貯まったりすることもなく,とてもきれいに回復していることが確認できました。術後の経過としてはもはやなんの問題もありません。」
 「なにを食べてもいいですか」
 「もちろん,食事制限すべき理由はなにもありません。」
 「アルコールはしばらく辞めておこうかと考えていますが・・・・」
 「いや,飲んでも大丈夫ですよ。量さえ度がすぎなければ・・・」
 「エッ,ほんとうですか」
 「まだ,術後,日が浅いですから,飲み過ぎないようにさえ気をつけていれば・・・・」
 「まあ,加齢とともに量は減ってきていましたから,飲み過ぎはないとおもいますが・・・」
 「それなら安心です」
 「そろそろ遠出をしようかと考えていますが・・・・」
 「疲れを溜め込まないように気をつけていれば,多少の遠出は問題ありません」
 「ありがとうございました。それでは社会復帰を兼ねて,少しずつ行動半径を広げていこうかとおもいます。」
 「楽しい経験が待っているのであれば,遠出は大いに結構」
 「ありがとうございます。それでは,自分の体調と相談しながら,ペース配分を考えてみたいとおもいます」
 「それがいいとおもいます」

 というようなわけで,アルコールまで解禁。ちょっと信じられない話ですが,ほんとうの話です。でもまあ,アルコールは,もう少しさきまでお預けにしておこうとおもっています。

 いずれにしましても,わたしにとっては朗報。ここで躓いたらどうしよう・・・・という一抹の不安がないわけではなかったからです。こればっかりは運を天に委ねるしかない,と自分に言い聞かせての,初診察でした。

 ですから帰りの足の軽いこと。こんなに快調に歩けるのかとおもうほどのステップにわれながらびっくり。気持の問題は大事です。

 となれば,これから少しずつペースを上げていってもいいな,と皮算用。でも,疲れを残さないように,とN医師からの注意もありますので,それを念頭におきながら・・・・。

 以上,今日の診察の結果のご報告まで。

『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(監修・千田稔,洋泉社刊)を読む。

 連日の猛暑。にもかかわらず,連日,戦争法案に対する抗議デモが繰り広げられています。頭が下がります。本来ならば,毎日でも,でかけていって一声挙げて・・・というところなのですが,やはり,いまのからだでは無理と考え,臍を噛んでいます。その代わりに,社会復帰の第一歩のつもりで,鷺沼への事務所通いをはじめました。

 できるだけ涼しいうちに家をでて・・・とおもうのですが,朝食後,ほんの少しだけとおもってパソコンをいじっていると,すぐに11時,12時になってしまいます。それでも思い切って家をでます。ちょうど,鰻登りに気温があがっていく真っ最中。電車で冷やされたからだに,熱風が容赦なく襲いかかってきます。それをじっと我慢して事務所に向かいます。

 事務所のすぐ近くにできたコンビニで,ポカリスエットとヨーグルトとバナナを買って事務所に駆け込みます。すぐに,空気を入れ換えて,エアコンをつけて,シャワーをひと浴び。でてくるころには,部屋は28度ちょうどになっていて,気持よく汗が引いていきます。しばらく,はだかのまま,ぼんやりと過ごしてから,いま,読めそうな本を読み始めます。

 
今日は,千田稔さん監修の『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社,2015年7月刊)を読みました。購入した動機は,千田稔さんの古代史に対する見方に,以前から興味をもっていたからです。そして,第二章 地形と地理から探る古代日本──飛鳥・奈良時代,というのが目次をみて目に飛び込んできたからです。これはきっと,これまでとは違う新たな解釈・見解が披瀝されているに違いない,と勝手におもいこんだからです。

 しかし,その期待はみごとにはずれてしまいました。
 たとえば,つぎのような魅力的な小見出しの節が並んでいます。
 Q18 なぜ,飛鳥に古代都市が建設されたのか
 Q19 なぜ,蘇我氏は仏教を受け入れ飛鳥寺を建てたのか
 Q20 なぜ,聖徳太子は飛鳥から離れた「斑鳩」に宮殿を建てたのか

 こんな問いが17項目も並んでいます。みたところ,いずれも魅力的なテーマばかりです。しかし,読んでみたら,いずれも気の抜けたサイダー同然でした。いわゆる初心者向けの概説で,教科書に少しだけ付け足した補足説明をしているにすぎません。とりわけ,「飛鳥」に関しては,もはや解釈が古くて,読むに耐えません。なぜ,最新の学説も取り入れて,読者をピリリッとさせる内容があってもいいのに・・・・と。

 つまり,そこには千田説もほとんど反映されてはいませんでした。あわてて執筆担当者を確認してみましたら,納得でした。第2章の執筆担当者は,上永哲矢(歴史文筆家),黒田香澄(山口市歴史民俗資料館文化財専門職員)のお二人。購入するときに,ここまで確認すべきでした。そうしたら,買わなかったでしょう。監修本には,これから気をつけたいとおもいます。わたしは,千田稔説が,新しいヴァージョンで書き直されているものと勘違いをしてしまいました。

 でもまあ,これから日本古代史の謎解きをはじめてみようという初心者には,絶好の入門書であることは間違いありません。しかも,もっとも温厚な古代史解釈の姿勢が貫かれています。ですから,とても手堅く,諸説を取り上げながら,現段階での論点を浮き彫りにさせてくれています。その意味ではとてもいい勉強になるとおもいます。

 しかし,いまや,古代史論争は,もっともっと,ずっとはるか先へ進んでいます。そして,ぎょっとするような仮説がつぎからつぎへと提起されています。それらについては,ほとんど触れられてはいません。編集方針がそういうものではないのですから,当然といえば当然です。それにしても,各項目に,たった一行でもいい,こんな新説も提起されている,くらいの指摘があってもいいとおもいました。そうすれば,古代史の謎解きの面白さがもっと浮き彫りになったろうに・・・・。と,いささか悔やまれます。

 でも,千田さんの名誉にかけても触れて置かなくてはならないことは,いくつかの項目のなかには秀逸な解説をしているものもある,ということです。かく申すわたしも,なるほど,なるほど,とおもった項目も少なくありません。

 まあ,リハビリを兼ねて,さっと読むにはとてもいいテクストでした。こういうものを読みますと,もうずいぶん前に購入して,途中まで読んでストップしてしまっている『日本古代史と朝鮮』(金達寿著,講談社学術文庫,2011年刊)を読もうという意欲が湧いてきます。こちらは,徹底して「飛鳥」の謎解きに迫っています。つまり,天智・天武・持統の時代になにが起きていたのか,そして,藤原不比等とは何者なのか,を同時代の朝鮮からの視線で解きほぐそうとする,意欲作です。

 日本の研究者の虚をつくような仮説がつぎつぎに飛び出してきて,きわめて刺激的です。しかも,その根拠をマニアックに追求していきます。古代史の謎解きのひとつの典型的なサンプルとして,わたしには魅力的です。

 いずれ,このテクストについてもこのブログで取り上げてみたいとおもいます。
 以上,本日のブックレヴューまで。

2015年7月26日日曜日

『103歳になってわかったこと』──人生は一人でも面白い(篠田桃紅著,幻冬舎刊)を読む。

 近所の大型書店に久しぶりにでかけてみてびっくり。売り場の配置換えがなされていて,すっかり様変わりをしていたからです。わたしの目的は,エアコンが壊れているので,猛暑を避けて涼をとるためです。その意味では,売り場を点検しながら,たっぷりと時間を過ごすことができましたので,大満足。

 意外な発見のひとつは,いま話題の又吉直樹の芥川賞作品『火花』(文藝春秋刊)が売り切れで
,かなり広いスペースの棚ががらんどうになっていたことです。へーえ,そんなに売れてるんだ,といささか驚きでした。わたしは,雑誌『文学界』に掲載されて話題になったとき,雑誌を購入して読んでいました。が,その後,単行本となって刊行されたときにも購入。やはり,雑誌で読むのとはちがった印象がありました。二回目ということもあってか,落ち着いて読むことができました。が,どういうわけか,家には2冊あります。どこかで買っていたのに,そのことをすっかり忘れてしまって,購入してしまったようです。こういうことは,最近,よくあることです。困ったことではありますが・・・。

 この本の感想については,もう一度,読み直してから書いてみたいとおもいます。なぜなら,一回目と二回目では,かなり違った印象が残ったからです。ですから,もう一度,先入観をかなぐり棄てて,無垢の状態で読み直してみたいとおもいます。

 まあ,書店の中を隈なく歩きまわり,全体像がかなりはっきりしてきましたので,そろそろ帰宅しようと思い立ったとき,ふと気になった本があったことを思い出し,それらを買って帰ることにしました。
 それは,つぎの3冊。

 『水木しげるの古代出雲』(水木しげる著,角川文庫,平成27年6月刊)
 『103歳になってわかったこと』──人生は一人でも面白い(篠田桃紅著,幻冬舎,2015年5月刊)
 『なぜ,地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(千田稔監修,歴史新書,洋泉社,2015年7月刊)

 まだ,固い本を集中して読むだけの体力も気力ももどってはいませんので,まずは,こんなところから読書を楽しむことにしようかとおもった次第です。いずれも,ぺらぺらとめくりながら,気楽に読める本ばかりです。

 
そのうちの,篠田桃紅さんのものをまっさきに読みました。「103歳」になった篠田桃紅さんがみている世界とはどんなものなのか,そこに興味がありました。篠田桃紅さんの書は,一度みたらわすれない,独特のスタイルがあって,わたしの好きな書家のひとりです。ですから,わたしの頭のなかでは書家の篠田桃紅というイメージで固定されていましたが,この本の奥付をみますと「墨を用いた抽象表現主義者」となっていて,いささか驚きました。

 いずれにしましても,「103歳」の篠田桃紅さんが,いまみえている世界がどんなものなのか,この本のなかにみごとに映し出されています。あの書芸の鋭さとはまったく違って,なんともはや力の抜けた,悠々自適の世界を生きていらっしゃることがよく伝わってきました。まさに,生きているというよりは,ご本人もいうとおり「生かされている」という世界にどっぷりと身を沈めている,平安そのものの心境が語られています。

 わたしが敬愛してやまなかった大伯父の晩年の語り口が,いくどとなく思い出され,やはり篠田さんも同じ心境に達しているんだなぁ,と親近感を覚えました。それに引き換え,我が身のなんと生身の欲望の多いことかとあきれ果ててしまうほどです。もっともっと枯れていっていいんだ,そして,「生かされてある」というところに身を委ねていいんだ,と自分に言い聞かせている次第です。

 それにしても,「103歳」にして,いまなお現役のアーティストとして第一線の活動をつづけていらっしゃる,その飄々とした姿には,おもわず頭がさがります。「自らに由る生き方」をわがものとされた篠田さん,文字どおりの「自由な生き方」を,なにものにも束縛されない「自由」を大切にして生きてきた結果が,いまのわたしの生き方そのものです,と言い切ることのできる人・・・。

 わたし自身のこれからを,本気で考えさせられる本でした。

2015年7月25日土曜日

悔しい。デモに行く気力・体力がもどらない。明日は事務所往復にチャレンジを。

 今夜の「7・24」国会前集会には,日比谷公園と合わせて7万人が集まったという。今日はなんとしてもデモに参加しようとこころに決めていましたが,最後まで迷ったあげく,ついに諦めてしまいました。気力も体力もまだもどってはいない,と判断したからです。

 仮に,電車に乗って国会議事堂前駅に降り立ち,その場にほんの少しの間だけでも立って,一声,二声,叫んですぐに引き返してもいい・・・・とそこまで考えました。が,やはり駄目でした。どうしても,その気にならないのです。やはり,まだまだ,病の途中にあって,どうしても防衛反応の方が強いということがよくわかりました。

 そこで,まずは,明日(25日),鷺沼の事務所往復を試みてみようとおもっています。しばらく,事務所には行ってませんので,郵便物やらなにやらいっぱいたまっているはずです。その処理だけでもしておかないと,ひょっとしたら,重要な郵便物が届いているかもしれません。冷蔵庫の中のものも,処分しなくてはならないものがたくさんあるはず・・・・。

 第一,部屋の空気を入れ換えてやらないと,妙な匂いが定着してしまいます。

 もちろん,以前のように,パソコンをリュックに入れて担いで往復するのは無理だとおもいますので,一番小さなリュックを背負って,まずは「往復」することをめざして・・・・。それもできないようでしたら,これは重症ということになります。

 最大のネックは,筋力の低下です。からだに力が入らない。二回の手術の前までは,有り余るほどの筋肉が残っていたのに,二度の手術で,すっかり底をついてしまいました。こういうからだの状態というものは,初めての体験で,なにからなにまで試行錯誤しながらの模索状態です。

 とりわけ,背筋力の低下が激しい。それとなく手を背中にまわして探ってみますと,いままであったはずの筋肉がそっくりそげ落ちてしまっていて,直に,あばら骨が指先に当ります。もう一点は,腰のまわりの筋力の低下です。椅子に座っていても,長い時間は駄目です。すぐに,ベッドに行ってからだを伸ばしてやらないと,腰のまわりの筋肉が文句をいいます。少しだけでもいい,休ませてくれ・・・と。

 ですから,暇さえあればベッドで横になっています。毎食後,からだを横たえて休み,パソコンを少しいじっては横になり,散歩に行ってきてはベッドに横たわる,そんなぐーたらな生活を送っています。やはり,病人なんだなぁ,と自覚せざるをえません。

 このあたりのところは前回の術後とは大いに違う点です。前回は,まだ,体幹を支える筋力が,かなり残っていました。ですから,退院したその日の夕刻には夕食用の食材を買いにいそいそとでかけました。そして,どっさりと買った食材を,それほど重いともおもわずに持ち帰ることができました。今回はそうはいきません。小分けにして,何回も,スーパーを往復しています。

 とはいえ,鎮痛剤を飲まなくても痛みをやり過ごすことができるようになってきましたので,からだは大分楽になってきました。あと一週間もすれば,パソコンを背負って事務所に通うこともできるようになるでしょう。そこが,一つの目安です。

 そうなったら,金曜日の夜のデモにも参加できるようになるだろう,と希望をもっています。これから正念場を迎える参議院での審議に向けて,微力ながら,わたしも「7万分の1」(今夜の場合であれば)に加わりたいと切望しているところです。

 まずは,焦らず,じっくりと腰を据えて,社会復帰をめざしたいとおもっています。そして,その第一歩は,鷺沼の事務所往復から・・・・と。

2015年7月24日金曜日

新国立競技場建造をめぐる「無責任ドミノ」の構造。東京新聞が一面トップで。

 
新国立競技場の第一の使用目的は陸上競技場としてである。こんなことは自明のことであったはずである。しかし,このきわめて当たり前の自明なことが関係者の頭から消えたまま,ことはとんでもない方向に向かって走り出してまい,それにブレーキをかける人はひとりもいなかったらしい。それが,128項目にものぼる要望を盛り込んだ「多目的競技場」への暴走である。これらのすべてを満たすための施設をつくる・・・・こうして,経費はいくらあっても足りない情況がつくられていく。いわゆる「無責任」体質を剥き出しにしたまま・・・・。

 この問題は,ひとり新国立競技場建造に限られたことではない。いま,大問題となっている「戦争法案」もまた,同質・同根の問題である。なぜなら,もっとも肝腎なことを誤魔化し(違憲を封印)た上で,法案の正当性を,なにがなんでもこじつけ,辻褄合わせをしようと必死にもがいているのと,まったく同じ発想をそこにみてとることができる。あとは,数の力で押し切ればいい,という楽観主義も同じである。

 ただ唯一,違ったのは新国立競技場建造のための経費がかかりすぎる,というだれの目にもわかりやすい理由がターゲットになってしまったことだ。ロンドン大会のときのメイン・スタジアムであれば,5個もつくることができる,というこの法外な金のかかり方は尋常ではない。だから,一斉に,これは奇怪しい,と多くの国民が気づいた。

 それでもなお,五輪推進本部の本部長であるアベ君は,2520億円の経費を必要なものとし,規定方針どおり,この工事を推進する,と見栄を切った。しかし,それからわずか2週間後には,一転して「白紙撤回」に踏み切った。なにを隠そう,この問題が火達磨となって燃え上がってしまったら,肝心要の「戦争法案」まで炎上しかねないと危惧したからだ。つまり,猫騙しの手を打っただけの話である。

 しかし,ことはそれほど単純ではなかった。ほじればほじるほどに,そこには「無責任ドミノ」の構造が浮き彫りになってきたからである。しかも,この曖昧模糊とした組織を隠れ蓑にして,だれひとりとして責任をとるものがいない。アベ本部長を筆頭に,下村博文文部科学相,河野一郎日本スポーツ振興センター理事長,森喜朗五輪組織委員会会長,安藤忠雄デザイン・コンペ審査委員会委員長,のだれもが「わたしの責任ではない」と逃げ回っている。ついには,内輪もめの材料にまでなってしまい,責任のなすり合いまではじまっている。

 さあ,どうするアベ君。秋口までの時間稼ぎで誤魔化すか,それとも剥き出しの丸裸にされて炎上するか,ことは急を告げている。早晩,参議院での議論になろう。すでに,下村文部科学相の辞任要求の声が野党からはあがっている。政局はいよいよ,「戦争法案」とからめてたいへんな局面を迎えようとしている。

 アベ内閣の支持率もすでに風前の灯火である。国民の批判の声は燎原の火のごとく,どんどん燃え広がっている。もはや,消し止めようがない勢いだ。国民にとっても,これからが正念場だ。一国の命運がかかっている。

2015年7月23日木曜日

SEALDsは本気です。その本気度にほだされて・・・・。西谷修さん談。

 術後,はじめての太極拳の稽古に参加しました。かなり手抜きをして,適当にやったつもりでしたが,はやり相当に疲れました。

 その昼食のときの話が,とても印象的でした。たまたま,会食者が少なかったということもあってか,ずいぶんとくつろいだ様子で,本音に近い話題がたくさん飛び出しました。これを全部,書くわけにはいきませんが,いまの日本の情況とからむ部分については,とても大事な内容でもありましたので,その一部は書き留めておきたいとおもいます。

 第一声。「森元,眠ってる?」「はい,睡眠時間だけは確保しています」「そう,それはよかった。とにかく眠りだけはとっておかないと」という短い会話のあと,「昨夜も遅かったのに,今朝早く目が醒めてしまったので,とりあえず,短い原稿をひとつ仕上げて,ちょっと眠ってからとおもって横になったら,つい寝過ごしてしまい,太極拳,遅刻してしまった」とのこと。

 今日はこのあと一風呂浴びて,4時からの勉強会に備えるつもり。そこには,以前から集まっている西谷さんのお弟子さんたちに加えて,SEALDsの若者たちも参加しているとのこと。つぎの若い世代が育ってくれているので,とても楽しみだ。この連中がどんどん育って行ってくれれば,もう,いつ死んでもいいとおもっている,とも。

 いい種まきをしていますね,とわたし。すると,かれらは本気です。その本気度にほだされて,いつのまにか抜き差しならなくなってしまって,いまでは完全に入れ込んでいます。ですから,SEALDs企画の集会にはすべて参加しています。その他の大人の会の世話人もやっているので,記者会見なども含めて,休む暇がないとも。なおかつ,小森陽一さんとの対談,雑誌『世界』用の対談,『夜の鼓動に触れる』の文庫本化のための追加原稿,などとつづく。これらは,たまたま,わたしが耳にした範囲の,つい最近の話。これ以外にも多くの仕事を抱え込みながら,FBでも旺盛な発信をつづけています。それはそれは信じられないほどの仕事量といっていいでしょう。

 それにしても,SEALDsの,このところのめざましい活躍ぶりと,その波及効果もものすごいものを感じます,とわたし。そして,その波及効果は,全国区に広がり,各地の学生さんたちが立ち上がっています。それに刺激されて大人たちも,ようやく重い腰を持ち上げて行動を起こすようになってきました。その結果の現れの一つが,支持率。7月上旬には拮抗していた支持率が,わずか2週間の間に,逆転し,ついには40%を切って35%(毎日調査)になりました。いよいよ政権デッド・ラインに接近してきました。とわたし。

 すると,SEALDsの連中は,そんなに甘くみていませんよ。支持率が下がって20%を割っても,いまのアベ政権は安保法案成立にすべてを賭けるでしょう。そうなることを見越して,そのさきの選挙で,徹底的に自民党・公明党をつぶす戦略まで視野に入れています。その気魄たるや見上げたものです。こういう若者たちが存在するかぎり,日本の未来は明るい,といまは確信に変わりつつあります。ほんとうに,この連中の考えていることは凄いですよ,と西谷さん。

 このSEALDsの活動に,多くの高校生も反応を示しているようですので,選挙権を18歳まで下げた政府・自民党の思惑は大いなる誤算となりつつあります。こうなりますと,学校の先生の役割もむつかしいところに立たされることになりますね。とわたし。

 いやいや,学校の先生は,なにかあったら,「それは<政治的>なことなので学校では教えません」「ああ,それも<政治的>なことなので・・・」と言って,はっきりと政府・自民党の意図するところをすべて指摘してやることはできますよ。かえってやりやすいのでは・・・・?感度のいい高校生はすぐに気がつきますよ。それに,SEALDsの情報発信がもっともっとみごとな力を発揮することになるでしょうね。もはや,若者たちにとっては,新聞もテレビも不要な時代に入っていきますよ。と西谷さん。

 ということは,いまの若者たちは,ものすごいことを学んでいることになりますね。文部科学省も政権与党も手も足も出せない「聖域」をフィールドにして,若者たちはとてつもなく大きな「力」をわがものとしつつあるのですから。とわたし。

 そういうことです。ですから,わたしも手抜きはできません。SEALDsの若者たちのあとを必死で追いながら,いま,自分にできることを全力で出し切る以外にないのです。と西谷さん。

 なんと謙虚な西谷さんだろう,とおもわず顔をじっとみつめてしまいました。

 このところ超過密なスケジュールをこなしていらっしゃることは,それとなく察してはいましたが,今日,たまたま,ちらりと耳にしたかぎりでも,わたしの想像をはるかに超えるとてつもなく多忙の日々を送っていらっしゃることが,よくわかりました。

 その発露が「森元,眠ってる?」という問いでした。このことばにすべてが物語られている,とわたしは直観しました。そして,凄い人と昼飯を食べているんだぁ,と。

 わたしの人生の終盤に,こんなさん然と輝く素晴らしい時間が待っていたとは・・・・。わたしは幸せ者です。わたしを取り巻くすべてに感謝したい,そん気持でいっぱいです。今回の術後の回復も,そんな流れのなかのひとつだったようです。ありがたいことです。まずは,西谷さんに感謝。そして,同席していた森元さんにも。

2015年7月22日水曜日

太極拳の稽古に復帰しました。その喜び。そして,貴重な経験,至福のとき。

 7月22日(水)午前。2週間のお休みをしてしまいましたが,3週間ぶりに太極拳の稽古に復帰することができました。もちろん,体調はまだ十分ではありませんので,ほんの少しだけからだを動かしただけのことではありますが・・・・。でも,復帰は復帰です。あの「場」に立てたことがなによりの喜びです。

 太極拳の稽古は楽しい。なにより,そこに集まってくる友人たちの顔ぶれがいい。みなさん自律した大人ばかりですので,しかも,厳しいお仕事と対決していらっしゃる方たちばかりですので,他者を思いやる気配りも尋常ではありません。それが,そこはかとなく伝わってきます。こういう人たちに囲まれて,そこに空気のように存在するだけで,わたしは幸せです。

 のみならず,大発見がありました。

 前回の術後に,李老師から「高い姿勢で,からだもこころも力を抜いて,のらりくらり」と適当にやりなさい,と繰り返し言われていました。しかし,それがどうしてもできませんでした。からだに力がもどっていて,そんなに力まなくてもふつうにできてしまうからです。ですが,今回は,そうではありませんでした。

 腹部の切開した傷跡の周囲の皮膚が,まだ,ピリピリと痛みます。のみならず,切除した肝臓の傷口も,周期的に痛くなってきます。周期的というのは,鎮痛剤を飲んでいますので,その薬効が切れてくると,ズキズキと痛みます。ですから,つねにからだの声に耳を傾けながら,恐るおそるからだを動かすことになります。その結果が,今日の太極拳の稽古でした。とにかく,痛みのないところで,それんとなく流していくことになりました。

 やっている途中で,「ああ,李老師が仰っていたことはこれだな」と感じとることができる部分がありました。と同時に,なんだか嬉しくなってきて,こころもからだも喜びでいっぱいになってきます。あふれるほどの喜びであり,快感でもありました。これなんだ,これこそが李老師が「めざせ!」と仰ってくださっていたことだったのだ・・・・と。

 こと運動に関しては,近代合理主義者であり,体操競技出身のわたしとしては,そんな「でれでれした」太極拳などはあってはならない,ありえない,と固く信じていました。しかし,そうではありませんでした。これこそ怪我の功名というやつでしょうか。動かすことのできないからだで,いま,できることをやるとしたら,これしかない・・・・この「これしかない」がじつは太極拳の奥義のひとつだったのです。

 「からだの力を抜く」ことの,ようやく,その入口に立ったようにおもいました。なにごとによらず,ある境地が開かれてくる,その現場に立ち合うことのできる喜びは筆舌につくしがたいものがあります。ことばで表現のしようがないことを,禅仏教では「不立文字」といいます。だからこそ,もっともっと言語化すべきだ,と道元さんは説きました。そして,既製の概念をつぎつぎに打ち壊していく,その作業の連続が修行であり悟りなのだ,と力説しています。すなわち,道元のいう「修証一等」というわけです。

 かつて,森本和夫さんが『デリダから道元へ』という著作のなかで,説いていらっしゃったツボがここです。

 たぶん,「からだの力を抜く」の極意も,まだまだ奥が深いようで,これからさき何回も,到達した境地を「脱構築」しながら,より深いところに根を下ろしていくことになるのだろう,といまから楽しみで仕方がありません。

 術後復帰の初日に,こんな貴重な経験をさせていただきました。ありがたいことです。この気持ちよさ,快感を追っていってみたいとおもいます。まさに怪我の功名そのもの。病徳。

2015年7月21日火曜日

自分の「からだ」を取り戻すということについて。

 点滴によって守られ,医科学的に管理された「からだ」から,経口食物によって栄養を補給し,自立(自律)する「からだ」への移行過程の考察。

 あるいは,歩行運動と胃腸の機能回復についての考察。

 歩くことが人間の基本運動であることを再認識するための考察。

 人間の脳はあとから取って付けた程度のものでしかなく,生命維持ということに関しては,ほとんど無能である,このことを実証するための考察。

 あるいはまた,本来の自己を取り戻す(道元禅師)ということの意味内容を明らかにするための考察。

 以上,本論考を完成させるためのサブタイトルをつけてみたら,全部で5本の論文が必要であることがわかった(笑い)。と同時に,これらのサブタイトルをつけてみたら,もう,この論考は完了したも同然であることも明らかとなった(笑い)。

 したがって,本論考は以上で終わり。

 以下は,後産的異物の排泄作用にすぎない。がしかし,この中にこそ本質的なことがらが含まれているのではないかと本気で考えているので,ぜひともご笑覧のほどを。

 医科学,恐るべし。患者本人の意思も意欲もなんのその,患者本人の肉体を完全に自家薬籠中のものとして,自由自在に操作し,ひたすら患部を除去したあとの肉体の機能回復をめざす。それはそれはそれはおみごととしか言いようのないものである。

 患者本人は,ただひたすら「激痛」との闘いだけで,あとはすべて医科学にみずからの肉体を委ねているだけ。その肉体は,ほぼ完璧にコントロールされ,栄養も満点なのであろう。「激痛」さえなければ快適ですらある。顔色はいいし,顔の皮膚もしっとりとしている。不思議なことに術後4日目には性欲すら湧いてくる。なんなんだ,これは?と考えてしまう。ひょっとしたら,生命体の最後の「悪あがき」?だとしたら,やばいぞ,と。でも,そうでもないらしい。翌日も,そのまた翌日も,同じように性欲が頭をもたげてくる。

 ところがである。おかゆからはじまる経口食物をとりはじめ,点滴が一つずつはずれていくにしたがって,この性欲は収まってしまった。完全に点滴が終わり,全粥からご飯になるころには,性欲は陰もなく消え去り,あれこれ想像力をたくましくしてみたところで「ピクリ」とも反応しない。あれれっ?

 ところがである。いよいよ本格的に歩行運動をはじめたころから,徐々に,食欲が湧いてきて,同時に,わたしのからだに「軸」のようなものが蘇ってくる。これはいいぞ,とばかりに距離をのばしていく。一日に2000mを超えたころから,なんと,ふたたび,性欲が立ち現れたではないか。「ナヌッ?」

 執刀医が回診にこられたときに,この話をむけてみる。大笑いして「そんな話は聞いたことがない」と執刀医。そうなんだ。患者には「とくに変わったことはありませんか」と問うだけで,あとは,パソコンのなかにデータ化された血液成分の状態や,レントゲン撮影の画像や,CTスキャンの画像とにらめっこなのだ。患者の病状は,データ化されたものだけで把握され,処方がされていく。

 しかし,生命体にとって性欲は重要である,とわたしは考えている。とりわけ,オスにとっては。健康状態がすこぶる良好なときには,毎朝のようにその「きざし」が立ち現れる。たとえ,一瞬のこととはいえ,これは健康のバロメーターのひとつとして,わたしにとっては重要であると長年,信じてきた。しかも,その性欲が朝だけではなく,読書中にも突然,立ち現れるようになれば,もう完璧である,といまでも信じている。

 だから,いまも,その日がくることをひたすら待ち望んでいる。もはや,ありえないことかもしれない。しかし,不可能ではないはずだ。しかも,ほんとうの意味で,自分の「からだ」を取り戻す,ということはこういうことなのではないか,と密かに期している。

 そんな日が,早やかれ遅かれ,かならずやってくるに違いないと信じて。
 これは,儚い夢,まぼろしなのだろうか・・・と半信半疑ながら・・・・。

2015年7月20日月曜日

やっぱり「戦争法案」は駄目なだげなぞん。47%あった支持率がいっぺんに37%に減っちゃっただげなぁ。

 まあ,駄目だぁのん。こんなにいっぺんに支持率が下がっちゃうなんてことたぁ,滅多にあることじゃあなんぞん。ほいッ。みんな,よっぽど腹が立っとるらしいぞん。

 あんた,どうおもうかのん。わしゃぁ,やっぱり,この「戦争法案」だけは駄目だとおもうがのん。こいつだけは「廃案」にしないことにゃぁ,このさき夢も希望もなくなっちゃうでのん。

 アメリカじゃぁ,はえ,この「戦争法案」がとおることを当てにしとるということだにぃ。これがとおりゃぁ,日本の自衛隊を戦争に駆りだすことができるっちゅうので,アメリカの軍隊4万人を削減する予算を組んで議会に提出しとるだげなぞん。というこたぁ,アメリカの軍隊4万人分の肩代わりを日本の自衛隊がになうっちゅうこったのん。

 こりゃあ,えらいこったぞん。

 日本の自衛隊は,他国にまででかけて行って,鉄砲を撃つ訓練はしとらんでのん。もっぱら,専守防衛のための訓練だけだでのん。自衛隊員自身も,そんな覚悟はできとらんだげなぞん。ほいだもんだえ,訓練が最近になって厳しくなってきたら,ノイローゼになる隊員が続出したり,自衛隊を去る人も続出だげなぞん。

 これじゃあ,自衛隊員が足りなくなるというので,こんだぁ学生さんに眼をつけとるだげなぞん。奨学金をもらっとる学生さんに,卒業後,自衛隊に入りゃあ,奨学金を返さなくていいっちゅう法律をつくるらしいって,聞いたことがあるでのん。それが駄目なら「徴兵制」も視野に入れて検討をはじめとるっちゅう話も聞いたことがあるでのん。

 こんなこともあってずら,きっと。SEALDs (Students Emergency Action for Liberal Democracy-s=自由と民主主義のための学生緊急行動)を名乗る学生さんたちの集団が雪だるま式にふくらんで,いまや国会前に10万人の人を集める力をもつようになっただげなぞん。それも,全国ネットで活動を展開しとってのん。どえらいことになっとるらしいぞん。

 ほんだもんだえ,みんな大人衆も,やっぱり「戦争法案」は駄目だ,と考えるようになったらしいだのん。それが,47%の支持率が一気に37%に減ってしまった大きな原因じゃあないか,という人がいっぱいでてきたでのん。

 このままいきゃあ,あっという間に,37%が27%に,そして,17%に支持率が落ちていくこたあ,間違いないらしいでのん。ほいだで,戦争だきゃあ,どんなことがあっても避けていきたい,「憲法9条」を守っていきたい,という人たちゃあみんなアベ政治に「反対」と言い出しただげなぞん。

 あんた,まだ,決めとらんのなら,よくよく考えて,わしゃんとうと一緒に「反対」と書いたプラカード(「安倍政治を許さない」)をもって近くのデモに行かまいかのん。プラカードはコンビニで印刷してくれるげなでのん。それを,まずは,家のどこかに張り付けておいてのん。

 「戦争法案」が廃案になるまで,大事に飾っておいてのん,デモのたんびに持ってでかけまいかのん。そうすりゃあ,なんとか廃案に追い込むことができるだげなぞん。いまのところは,それしか方法がないだげな。

 わしもガンバるでのん。あんたも頑張っとくれん。

 若い衆を戦争に送り出すなんてこたぁ,絶対に許しちゃあ駄目だでのん。
 70年も戦争をしないできた日本だでのん。

 ここを頑張って,戦争法案を廃案にしたら,日本国民に「ノーベル平和賞」が与えられる可能性が大いに開けてくるっちゅう話もあるでのん。

 頑張らまいかのん。本気で。

2015年7月19日日曜日

娑婆にでてみたら,世の中,とんでもないことになっていた。浦島太郎症候群。

 15日ぶりで娑婆にでてきたら,世の中,騒然。とんでもないことになっていました。まるで浦島太郎症候群です。

 今日(19日)は朝からたまっていた新聞を大急ぎでめくってみました。この短期間のうちに,世の中,こんなことになっていたのかと驚くことばかり。

 しかし,なによりの「朗報」は,アベ内閣支持率が37%(毎日新聞)に急激に下がったこと。しかも,大手新聞社の調査結果も軒並み「30%台」だという。まずは,このことをなにより言祝ぎたいとおもいます。おそらくは、SEALDs の若者たちの大活躍が大きく影響しているものとおもわれます。そして,ようやく国民の多くが「目覚め」,これではいけない,と気づいたということなのでしょう。

 これほど政府・自民党が徹底してメディアに対する言論統制を強いてきたにもかかわらず,やはり,「真実の女神」は立ち現れるものです。今回は,「安保法制」=「戦争法案」というイメージがじわじわとひろがり,とりわけ,若者たちと幼い子どもをもつ母親たちが声を挙げ始めたことが大きな分水嶺となったようにおもいます。

 にもかかわらずコウムラ氏(高村)は,「支持率が下がっても安保法案は必要」と豪語しています。つまりは,民意など聞く耳はもたぬ,と声高らかに宣言しているのです。

 その一方で,新国立競技場問題については,朝令暮改(舛添)にも等しいやり方で,白紙撤回してしまいました。どうだ,やるべきときには「素早い決断」をして,民意に答えるのがアベ政権なのだと言わぬばかりのみごとなまでのスタンド・プレイでした。しかし,その「計算づくの演出」はまるみえで,裏の事情をある程度理解している人間からすると,まるで「猿芝居」そのものです。

 いちはやく『東京新聞』の朝刊は,スポーツ基金を取り崩して建設費にまわし,そのツケを五輪後も毎年,国費で5億円を補填する,という合意が財務省と文科省の間で取り交わされた,とすっぱ抜いています。しかも,エンドレスだという。なんというお粗末。スポーツ基金は選手育成のための助成金を出すための基金。これを建設費に使ってしまってどうするというのでしょう。もう,わけのわからないことを平気でやるのが,いまのアベ内閣です。

 さあ,アベ君は「白紙撤回」などと大見得を切ってみせたものの,その化けの皮ははやくもはがれはじめています。これも,どうやらアベ君独特の計算の上に立つ得意の「大嘘」のようだ。となると,その落としどころをどこに求めて行くことになるのか。みものだ。官邸主導とはいえ,事務局は五輪担当大臣のところに置かれた。水面下では,森喜朗組織委員会委員長を筆頭に,これから,さまざまな裏取引がなされることになるだろう。責任問題と抱き合わせにして・・・・。

 せっかく「白紙撤回」したのだから,これからの会議は国民も参加した公開のガラス張りで行われるのが理想だ。そうすれば,あらゆる疑惑から解放され,みんなが納得のいく結論にいたるはず。それができなかったら,元の木阿弥。またまた,とんでもない「伏魔殿」での「密室会議」のはじまりです。そして,総経費は国民の顔色をうかがいながら,いつしかとんでもない額に達するのではないか,とわたしは推測しています。最後は,「時間がない」で逃げ切る。常套手段。「60日ルール」の応用編。

 建築エコノミストの森山高志さんは,旧国立競技場は使い勝手がよく,建築的にも傑作だったのだから,これを若干の手直しをして復元することを提案している。そうすれば,図面も全部あるし,工期も短くて済むし,経費もかからない,という。しかも,このことは官邸の勉強会でも説明済みだという。

 これを承知の上で,官邸はどの手を打ってくるのか。なにせ,沖縄の辺野古問題では徹底して民意を無視しているし,安保法制でも民意を完全に無視して,平気な官邸である。新国立競技場問題も,最後は,官邸の独断先行で押し切ってしまうでしょう。そういう「体質」なのだから。人の話に耳を傾けることなど,とうてい想定できない。それがアベ政権だ。

 だから「安倍政治をゆるさない」というカードを掲げる女性デモが,静かなブームを呼んでいる。このカードをかかげて静かに行進する。いかにも,女性らしい,がしかし,力強い意思表明ではある。

 どうやら,新国立競技場問題と安保法制とは「セット」で国会論議を呼ぶことになりそうだ。新国立競技場問題は,わたしが承知しているだけでも,もっともっと深いところに根があるのだから,つまり,政権の意思決定の方法は同根という意味で,ワン・セットにしてとことん問題を掘り下げてほしい。野党にそれだけの力があるかどうか,そこが問題だが・・・・。

 いやはや,これから会期末まで,国会から眼が離せない。また,国会前でのデモも眼が離せない。なんとか早く体力を回復して,でかけることができるようになりたいものだ。

 退院早々,大問題に直面。えらいこっちゃ,です。

2015年7月18日土曜日

退院。やっぱり家(うち)はいいのん。まずはベッドの上で大の字になってのん。最高だにぃ。

 病院のベッドじゃあのん,幅が狭(せば)いもんだいのん。両腕を広げて寝るわけにゃあいかんだぁのん。ああ,やっぱり家(うち)の幅の広いベッドはいいのん。大の字になれるで。これで,やっとかめで家(うち)に帰ってきたなぁ,としみじみおもうだぁのん。からど(体)がどえらいよろこんどるだにぃ。

 考えてみりゃぁ,こんどで2回目。前は去年の2月。胃ガンがみつかってのん。ほいでぇ,3分の2を切り取っただぁのん。そんときも,どえらい治りがよくて,手術後11日で退院しただあのん。こんだは肝臓に転移がみつかっちゃってのん。3分の1を切り取っただぁのん。こんだも治りが早くてお医者さんにのん,ほめられただにぃ。こんだは手術後12日で退院。ありがたいことだぁのん。

 2回もこんなことを経験してのん。あれやこれや考えることはどだくさんあるだぁのん。ほいでも,最初に思い浮かぶのはのん。どんだけ多くの人たちに支えられてわし(私)という人間が生きとるか,ちゅうことだのん。直にゃぁ,ほりゃあ,病院の先生や看護師の衆たちのお蔭だあのん。ほりゃあまあ,当たり前のこととしてもだのん。家族や友人たちの温かい励まし・・・・,ここからさきを思い浮かべていったらきりがないでのん。

 なんでわかったかちゅうとのん。スペインでダンス公演をやって帰ってきた人から話を聞いて,びっくりだぁのん。あの衆はのん,成田空港からまっすぐ病院に駆けつけてくれて,いきなり「ハグ」されてのん。日本から指令があって,稲垣先生のために「気」を送れって言われたので,必死になってスペインから送ってくれただげなあ。まっと話を聞いてみりゃあのん。稲垣先生に「気」を送るネットワークがあって,みんなが連絡し合って「気」を繰り返し,繰り返し送ってくれただげなぁ。ありがたいことだあのん。

 そのせいずらのん。一日,一日,わしのからどがぐんぐんよくなるのがわかったでのん。不思議なくらいに。なんでだろなあ,とぼんやり考えとっただあのん。ひょっとしたら,なにか想像もつかない大きな力が味方になってくれとるのかなぁ,とのん。たいていのん。よくなる人たちっちゅうのはのん。こういう力に導かれているのじゃないか,とわしゃあおもうだのん。

 ほいだで,みんなが送ってくれた「気」も,この大きな「力」と一緒になって,わしのからどに届けてくれたのかなぁ,とそうおもうだあのん。そうおもうとありがたくて,ありがたくて,泣けてきちゃうだにぃ。宇宙・天地・自然であるマクロ・コスモスと,わしゃんとう一人ひとりのからどやこころであるミクロ・コスモスとは一直線につながっておってのん。それがお互いに共振・共鳴したとき,なにかが起きる,そういうとんでもないパワーが生まれるっちゅうでのん。

 田舎の小さな禅寺で育ったわしゃあのん。すぐに,道元さんの『正法眼蔵』を思い出すだあのん。そんなかに,そういうことがいっぱい書いてあるでのん。まあ,この話はまたやるとしてだのん。どえらいありがたい「力」に支えられてるっちゅうことを,こんだほど実感したこたあないだあのん。 

 ほいでも3度目はまあいいのん。こりごりだぁのん。
 なんとか救ってもらえるようにお釈迦さまに,まっとまじめにお祈りすることにするだあのん。
 まずは,『般若心経』を朝夕に唱えることから・・・・。
 天地・宇宙と我との一体化を念じて・・・・。

 まずは,家(うち)に帰って,ほッ。

2015年7月17日金曜日

明日(18日)の午後,退院決定。バンザイ!

 今朝からなんだか忙しい。朝,目覚めと同時に「採血」。朝食が終わったら「レントゲン」。そのあと「シャワーを浴びますか」という。もちろん,「喜んで」とわたし。このとき,??とおもう。なぜなら,前回の退院前の流れとよく似ているからだ。そうか,採血もレントゲンも最終チェックなのだ,とピンとくる。この結果さえよければ,ゴー・サインがでるな?と。

 それとなく期待して,担当医の訪れを待つ。すると,予測どおりに,昼食後,まもなく現れ,今日の午前中の検査結果についてお話がありました。血液検査の結果はきわめて良好。肝機能も回復のきざしがあり,心配ありません。レントゲンの結果は,肝臓と肺の間に水がたまっていたが(これは必然的にそうなる),その水もきれいに消えていました。今回の医療計画としてはこれで一区切りです。ここからさきは「経過観察」に入ります。したがって,体力に自信があれば,いつ,退院してもいいですよ。早い方がいいですか。

 もちろん,そのつもりで体力回復のための歩行運動はきちんとこなしてきました。昨日は,10往復(2000m)を歩きました。かなり,脚力ももどってきています。あとは,体幹の筋力ですが,これはおいおいとりもどすことができるでしょう。退院したら,週1回の太極拳の稽古もありますので,そこに少しずつ復帰したいとおもっています。あとは,8月に入ると,神戸,岐阜,沖縄と移動する予定がありますが,そのつど,そのときの体調と相談しながら判断したいとおもいます。

 よくわかりました。では,明日の昼食後,退院ということにしましょう。あとは,わたしのところの外来として通院してもらいます。しっかりと経過を追いながら,もっとも適切な事後の対応の仕方を考えたいとおもいます。

 ありがとうございました。よろしくお願いいたします。

 ということで,ついに今回の入院治療の一応のゴールに到達することができました。
 「ヨシッ!」と気合が入ります。

見ろ,SEALDs の底力を。国会前に10万人。全国各都市でも大挙して集結する若者たち。

 見たか。SEALDs の底力を! 国会前に堂々の10万人を集結させたではないか。このまったく新しいスタイルの若者たちのネットワークの構築の仕方には眼を見張るものがある。そうか,この手があったか。でも,よく考えてみれば,だれにもわかっていたことだ。しかも,だれでもできることだ。しかし,実際にやった者はいなかった。コロンブスの卵。

 そうだ。SEALDs は不可能を可能としたのだ。そして,だれでもできる,まったく新しい政治参加の方法をみごとに実現させてみせたのだ。そこが偉大なるところだ。素晴らしい快挙というべし。

 アベが憲法を無視して「クーデター」を企てたのなら,それならまったく別の方法で対抗してやろうという若者たちのアイディア満載の運動の展開。アベが,国民の総意を踏みにじってまでして議会の議席の数を頼りに,あらゆる手段を用いて,強引に「悪法」を押し通そうとする。そんな無謀なことが許されてたまるか,われわれ若者たちの「怒り」の声を聞け,とばかりに現代文明の生みだした利器を最大限に駆使して,巨大ネットワークを構築した。そこには名簿もなにもない。友だちから友だちへ,そして,その友だちからつぎの友だちへ,とその輪はあっという間に広がっていった。

 はじめ,数百人の若者集団からはじまって,あっという間に,国会前だけで「10万人」を集めた。しかも,この輪は全国ネットだ。テレビも新聞もほとんど報道しないが,全国の大都市で,同じ若者集団の結束による抗議活動が展開している。それこそ,ネットの世界をたどっていくと,いくらでもその情報は集まってくる。

 若者たちは,とうのむかしにテレビも新聞も信用してはいない。得意のスマートフォンを駆使して,自分にとって必要な情報を手当り次第に蒐集し,取捨選択をしている。そして,自分の生きる糧となる情報を精選している。そして,大人たちが想像もつかないネット世界のなかに無限の可能性を予知している。

 このSEALDs  の若者たちの運動は,これから燎原の火のごとく燃え広がっていくだろう。この火はもはや政府・自民党をしても消し止める手立てがない。そして,ほんとうに「安保法制」成立にストップをかけるだろう。わたしはいつのまにか,そう確信するにいたっている。

 なぜなら,この「安保法制」を前にして,これを食い止めるだけの力は,いまの政党政治では限界があるということを,だれよりもよく知っているのが,この若者たちだ。もっと言ってしまえば,姑息なイデオロギー論争や政党利害にこだわっていて,その上での政治的駆け引きには限界があるということだ。その体質は弾劾すべき自民党となにも変わらないからだ。政党政治そのものが堕落してしまったということだ。

 このことに,いちはやくSEALDs の若者たちは気づいている。だから,イデオロギーもいらない,利害得失もいらない,ただ,この憲法を無視した逸脱行為でしかない政府・自民党の「暴挙」=「安保法制」だけは,「なにがなんでもとおすわけにはいかない」と腹をくくった。ただ,この一点のみにおいて,賛同者に声をかけた。それ以上でもそれ以下でもない。ただ,純粋に,憲法を無視して「戦争」に向かうのだけは嫌だ。「戦争のことを考えるとからだがふるえる」。この感性を共有する若者たちが集まった。

 だから,この燎原の火はもはや止めようがない。これから,「安保法制」が廃案になるまで,この運動はやむことなくつづくことだろう。しかも,全国区で。

 もう一点だけ。この運動は,若者たちの力で,政治の流れを変えることができる,ということを学ぶ最大の場になっているということだ。この運動が成功したら(成功するとわたしは確信しているが),日本の政治情況は一変するのではないか,とおもう。あまり大風呂敷を広げない方がいいとおもうので,ここでも一点だけ。選挙行動に新たな流れが生まれるだろうということだ。選挙権が18歳まで引き下げられた。この若者たちの情報は,そのほとんどがスマートフォンからえられる。この世界を自家薬籠中のものとしているのが,このSEALDs の若者たちだ。この若者たちが,つぎの選挙の折にどのように運動を展開するか,みものだ。18歳,19歳の若者たちの票の多くは,ここで動きそうだから。

 かれらは,言ってしまえば無党派層。どこでもいいのだ。ただ一点。「憲法9条」を守る。その上で政治を行ってほしい。つまり,若者たちに夢と希望を与えてくれる政治を。

 さあ,こうなったら,「安保法制」廃案まで,とことん反対運動を展開して,政府・自民党にゆさぶりをかけることだ。そして,もし,このまま押し切ったら,つぎの選挙では,自民・公明の候補者を軒並み「落選」させることだ。それだけの力を,この若者たちは手にするだろう。

 そして,政治の流れを変えることができる,ということをこの若者たちが学んだとき,日本の政治情況は大きく変化するだろう。また,そうなることを願っている。だから,ほんとうの闘いはこれからだ。

 さあ,わたしの退院の日も近い。すぐには無理でも,体調が回復ししだい,この結集の最後尾にぶらさがりたい。老骨に笞打って。

2015年7月16日木曜日

さあ,今日からリハビリ開始。社会復帰をめざして。

 今朝(16日)から,ふつう食になりました。ふつうのご飯にふつうのおかず。お味噌汁。昼には,エビフライが二つ,白身のフライが一つ。あとは野菜炒め。もう,完璧にふつう食です。不思議なもので,これをみた瞬間から食欲が湧いてきて,完食しそうな勢いでした。が,そこは腹と相談しながら,やや抑えめにしておきました。

 便通も快調。朝目覚めて,すぐに一往復(廊下,片道100m)。のどが乾いていたので水をコップに少々。それからすばらくしたら,急に便意をもよおし,みごとに排便。昼食後にも,排便。これまでたまっていた便が順調に排泄されるようになってきました。そのせいか,気分もとてもよく,そのあと廊下を二往復。

 残る課題は傷口の痛みのみ。こちらも薬剤師さんと相談して,つぎの痛みがくるまでは飲まなくていいことを確認していましたので,今日は,昨日の夕食後に飲んでからずっと様子をみていましたら,夕刻になって痛みがでてきましたので,飲みました。約20時間,飲まずにいました。廊下で出会った薬剤師さんにその報告をしたら,そんなに我慢しなくていい,ある程度は痛みを抑えておいて,活発に動いた方がいまのからだにはいい,とのこと。このご意見にはすぐに従うことに。

 ということは,わたしの仕事は,この痛みを上手にコントロールしながら,からだを動かしてリハビリに努めること。となれば,方針がはっきりしましたので,あとは得意のからだほぐしから,マッサージ,脚筋力,歩行運動,など,かんたんにできることからはじめよう,と今日からはじめました。

 夕刻には,院長先生が病室を尋ねてくれました。なんだか,いつもよりも長い時間,わたしの体調のことについてあれこれチェックしてくださいました。その結果は,とてもいい経過をたどっているので,安心してください,とのこと。

 後半は例によって余談。珍しくわたしの方に話を振ってくれましたので,今日の午前中にあった安藤忠雄会見の話と,それをめぐる新国立競技場問題についてを話しました。結構,興味をもって聞いてくださったので,わたしもつい長話をしてしまいました。ちょっと驚いたような顔つきで聞いてくださいました。が,どうやら,このわたしの話しっぷりも病気の回復の度合いを見計らっているようにも見受けました。ありがたいことです。

 さあ,これで退院後の社会復帰をめざして,さらなるリハビリにつとめることにしたいとおもいます。退院まで,あと少し。元気が湧いてきます。

2015年7月15日水曜日

シャワーを浴びました。気分爽快。

 今朝(15日),早朝に院長先生が顔をみせてくれました。いつもに比べて鋭い目つきをしていましたので,一瞬,身構えてしまいしまた。「その後,どうですか」と院長。この問いにどう答えようかと迷いましたが「からだ全体に力がもどってきたようにおもいます」とわたし。「それはよかった」「ありがとうございます。先生方のお蔭です」。

 このあとの院長先生のお話の要点は以下のとおりです。
 とてもいい経過をたどっています。一応,当初に予定していた医療計画の主だったところは昨日の夕刻までで完了しました。あとは,稲垣さんの体力の回復を待つのみにです。そのための支援をします。なにか,ありますか。

 ⇨このあとの肝臓の回復はどのような経過をたどるのでしょうか。
 肝臓という臓器は意外に野性に富んでいて,再生能力がとても高いので,かなりの部分までもとにもどります。だから,安心してください。ただし,アルコールは以前ほどは飲まない方がいいでしょう。ほどほどに楽しむ程度にしてください。

 ⇨もう,しばらく前から量は圧倒的に減りました。いまや,飲もうとおもってもそれほどは飲めません。年齢相応にとおもっていますが・・・(笑い)。
 それがいい,それがいい。

 このあたりから,いつもの会話に入り,楽しいひとときを送りました。

 その後の回診のお医者さんに,昨夜遅くに便通があったことを報告。それはよかった。座薬をしなくて済みましたね。それから,ドレーンの跡を確認し,もう大丈夫ですね。今日はシャワーを浴びていいですよ。と待望のことば。これを待っていました。

 午後のシャワーの予約をいれておいたら,午後3時15分からに決定。このシャワーを浴びていたら,スペイン帰りのダンサーが立ち寄ってくれました。乗り継ぎ時間の合間を縫って駆けつけてくれました。あわただしい時間でしたが,とても重要な話(舞踊論に関する)とこんごの予定などの約束などもできて,とても有意義でした。

 友あり。遠方より来たりぬ。スペイン帰りの舞姫よろしく「ひまわり」の花,一輪をもって。これでまた元気百倍。

さあ,明日からリハビリに専念。わたしの得意とするところ。ここで以前の経験が生きてきます。さて,あと何日で退院ができるか。自分への挑戦です。

2015年7月14日火曜日

ようやく最後のドレーンが抜けました。からだ本来の姿にもどりました。ここからは自力回生が中心です。

 「体液の状態もとても落ち着いてきたので,もう,いいでしょう」という執刀医の判断で,今日(14日)の夕刻,残っていた1本の最後のドレーンが抜けました。これで晴れて,もともとの自分のからだにもどりました。さあ,これで医療器具に身を固められていた他者の身体から解放され,いよいよ自立して,みずからの自力回生をめざすことになります。

 これで大きなハードルを一つクリアしたといっていいのでしょう。これからの課題は,歩行訓練をしっかりやってふつうに歩けるようになること(こちらは自信あり),傷が完全に癒えること(まだ,ひりひりと周期的に痛む),そのために用いている鎮痛剤から解放されること,血圧を下げること(途中で血圧が急激に下がったことがあって,それを上げるためにした点滴が効きすぎたのか,いまや高めの血圧が推移),排便がしっかりできるようになること(ガスはいくらでもでてくるのに,そのガス元がでてこない,なので,このままの状態がつづくようだったら座薬を考えるとのこと),以上,いま,わたしが認識できていることはこんなところでしょうか。

 まずは,どん底から這い上がってきて,ようやく「ふつう」に向かって一歩一歩階段を登っていくことになりました。まだまだ,医療の手助けが必要ですので,もう,しばらくは入院生活がつづきそうです。が,これまでの入院生活にくらべたら,天と地ほどの差があります。これで,ようやく希望をもって,「ふつう」の生活にもどれるよう努力していけばいい,という目処が立ちました。

 さあ,明日から頑張るぞ,と腹を決めたら,なんと明日(15日)には安保法制の委員会採決を強行するという。じつは,今夜も大きな抗議集会があちこちで開かれていたのに,NHKが流したニュースは,日比谷野外公会堂に1万人余が集まった,というたったこれだけのニュース。まるで,なにごともなかったかのようなニュースの流し方でした。その一方では,いまもなお,ネットの上は,各地で展開された抗議行動がつぎつぎに流れています。

 こういうほぼ完璧ともいえる「報道規制」を政府与党が構築した上での,委員会強行採決です。しかも,その非を激しく攻撃する大手報道機関はほとんどなし。完全なるアベ恐怖政治の実態が露骨にその姿を現しつつあります。

 こんな国家の存亡にかかわる大事なときに,情けないことに,わたくしめは,入院生活をつづけなくてはならない,そして,自分の養生につとめなくてはならない,という体たらくです。役立たず,とはこのことを言うのでしょう。

 でも,ここはじっと我慢の子を決め込んで,養生に励みます。そして,一刻も早く退院して,社会復帰をはたしたいとこころより願っています。以上。

2015年7月13日月曜日

新大関・照の富士が順調な滑り出し。大きな世代交代が起きようとしている。

 連日の猛暑のなか,いよいよ,これまた猛暑で名高い名古屋場所がはじまった。さて,今場所の行方やいかに。その焦点の人,新大関・照の富士。この人の今場所の乗り切り方によっては,大相撲に新時代が登場する,と楽しみにしている。

 この二日間をみるかぎり,まったく問題なし。堂々たる大関相撲である。不安な材料がひとつもない。立派なものだ。心身ともに充実したものを感ずる。

 初日の立ち合いで足を滑らせたとき,あっ,とおもったがすぐに体勢を整え直し,あとは余裕すら感ずるほどの大関相撲である。碧山に押されても,余裕をもって押させている。そして,俵に足がかかった瞬間に右からの上手投げ。まるで,稽古場でのぶつかり稽古をみているようだった。絵に描いたようにみごとにごろり。相当に自信がないと,そして,相当に力の差がないと。あんな相撲はとれないだろう。

 二日目の今日の相撲。過去2回対戦して2回とも勢が勝っている。だから,照の富士には多少なりとも苦手意識があるのではないかとおもっていたが,まったく,そんなものは無関係。それどころか勢がとりたい得意の相撲を,自分がとって見せた。昨日の立ち合いは,やや腰高だったその反省に立ってか,勢よりも低い立ち合いをしてみせた。しかも,その瞬間に浅い下手が引けた。これでもはや勢の動きは封じられてしまった。あとは,一直線に寄ってでた。勢が土俵際で必死にこらえたが,新大関はなりふり構わずがぶり寄りをみせた。

 この新大関・照の富士の相撲にくらべて横綱・白鵬の相撲は対照的だった。初日・宝富士,二日目・高安。いずれも手こずって,長い相撲となった。よくいえば白鵬が土俵上で相撲を楽しんだ。わるくいえば力が衰えてきて大苦戦となったということだろう。もっとも,宝富士も高安もここにきて急速に力をつけてきた力士だ。こういう力士たちが白鵬の立ち合いから一気の攻撃に耐えられるようになってきた,というところがポイントだ。つまり,これまで圧倒的だった横綱との力の差がつまってきたということだ。

 つまり,上位と下位との差がなくなってきたということ。その好例が,琴奨菊と豪栄道のふたりの大関。残念ながら,ふたりとも連敗スタートとなった。重症だ。それに付き合うかのように稀勢の里が,二日目にして早くもこけた。こんなところをみていると,何だか大きな世代交代が起きようとしているかにみえる。つまりは,若手の伸びが著しいということだ。

 その筆頭に立つのが照の富士。その面構えがまずはいい。相手をのんでかかっている。負けることなど考えてもいない。おれが勝つと信じている。しかも,勝って当たり前という顔をしている。だから先場所までは,勝って引き上げる花道の奥に入ると,付け人の方をふりかえりながら子どものような無邪気な笑顔をみせていたのに,今場所はにこりともせずきびしい表情のまま歩いていく。そうとうに強くこころに期するものがあるな,と感ずる。

 こんなところをみていると,どうやら,白鵬にとって代わって照の富士時代の到来を予感させるものがある。こんなに堂々と相撲をとられてしまったら,もはや奇襲戦法でもしかけるしかないだろう。ひょっとしたら,それすら通じないかもしれない。とくに,今日の立ち合いの姿勢の低さ,踏み込みのよさ,左上手をとる位置,などをみるかぎりスキなしだ。

 こうなってくると三日目の相撲が待ち遠しい。

2015年7月12日日曜日

歩行開始。食事をはじめました。点滴が減り,管も減りました。

 昨日(11日)の夕刻,執刀医の回診があり,夕食から重湯を出します,と言われる。まずは,食べる練習のつもりで,食べられる範囲で食べてみましょう,と。食べすぎないように上手にコントロールしましょう,とも。

 出てきた夕食は,重湯200g,吸い物130g,豆乳1箱,番茶(湯飲み1杯)でした。7月4日(土)に入院する前日の夕食が最後でしたので,7日ぶりの食事でした。食欲はまったくなし。食べたいとおもわない。それでもとおもって,じっと重湯を眺めてみた。米粒一つない完璧な重湯でした。小さな塩の袋がありましたので,その塩を少し振りかけてみる。

 吸い物の蓋をとって中を覗いてみる。透明な吸い物だけ。具はひとつもなし。こちらにスプーンを入れてひとくち呑んでみる。からい。久しぶりの口にはからいのだろう。そのままじっと眺めている。あとは,豆乳か,と。重湯と吸い物と豆乳を順に眺めまわしていたら,胃袋の底の底の方でちらりと食欲らしきものが動いた。「あれッ,いまのはなんだ」とひとりごと。

 人間のからだとは不思議なものだ。たとえ食欲がなくても,食べ物をじっと眺めているうちに,そこはかとなく食欲らしきものが立ち上がってくる。「よしッ」と気合をいれてスプーンを重湯に突っ込む。そして,ひとくち。まったく味がしないが,重湯というものはこんなものだろう,と二口目に進む。そこで,しばらく外の景色を眺めたりして,いいぞ,いいぞ,ちゃんと食べているではないか,と自分をほめてやる。

 ほめられたせいか食欲がいくらか増大する。吸い物も重湯と合わせてみたら,そこそこにいい味がしている。それでも,ほんの数口食べたら,もう胃が張ってくる。そこで,また,一休み。こんなことを繰り返しながら,たっぷりと時間をかけて,重湯を半分(約100g),吸い物は3分の1ほどを呑んだところで,胃が「もういい」という。よしッ,ここだ,と判断。

 この判断は正解だった。食後の過食感はまったくなく,快適だったからだ。夜も快適。

 つぎに歩行訓練。朝になって,夜勤のナースさんと交代した日勤のナースさんが挨拶がてらやってきて,「今日から歩きましょう」という。「えッ?」とわたし。どうやらわたしのカルテを読んで勉強してきたらしい。「でも,気が向かなかったらいいですよ」ともいう。この手があったか,とわたしはまんまとはまってしまった。

 ああまで言われたら,わたしのやる気が疼きだす。午前中の病室での恒例の行事(部屋の掃除,ホット・タオルのサービス,いつもの回診,体温,血圧の測定,薬剤師さんの問診:昨夜から鎮痛剤の種類を変えた結果の確認,など)が終わったところで,「思い立ったらすぐやる」と気合を入れて立ち上がる。点滴台を押しながら,廊下を行く。ナース・センターの前まできたら,くだんのナースさんが驚いて飛び出してきて後ろに立ってケアしてくれる。できるだけ自分ひとりでやってみます,とわたし。でも,ずっと付き添ってくれた。長い廊下を一往復。つまり,200mを歩く。

 午後にも,一番,隙な時間をつかって歩行訓練。こんどはわたしひとりで200m。午後の方が楽に歩けた。

 2本の針がささっていた点滴の針が1本に減りました。尿管もはずれました。その代わり自分でトイレに行かなくてはなりません。これが頻尿のわたしにとってはかなりの運動。

 残るは,点滴がいつ終わるか。これはわたしの食欲と関係しているらしい。そして,ドレーンが2本。横隔膜の上と下(下腹部)にそれぞれ1本ずつ。これらが取れれは,シャワーも浴びられますよ,とナースさん。あと幾日でこれらのハードルをクリアすることができるか。少しだけ,先がみえてきた。

 午後から『正法眼蔵入門』(頼住光子著,角川ソフィア文庫)を読み始める。

現実と非現実,意識と無意識の境界領域で起きた幻覚症状か?病室のなかに巨大なパソコンのディスプレイが登場。

 重篤な病気にかかり,死線をさまようような状態に入ったことのある人たちの何人かにひとりは,死んだおじいさんやおばあさんが「おいで,おいで」とにっこり笑って手招きしてくれる,という話をこどものころに聞いた覚えがある。へぇ,そんなもんかなぁ,と不思議におもっている。そして,「絶対に向こう側に行っては駄目だよ」と強く大人たちにたしなめられた。「こっちにもどってこれなくなるから」と。

 これと同じ話がきちんとした仏教書の中にも書かれていて読んだ記憶がある。たしか,インドの話だったようにおもう。ということは,これと同じような話があちこちに伝承されているらしい。手招きされたさきの方をみるときれいなお花畑が広がっている。ああ,なんてきれいなお花畑なんだろうとおもってついていってしまった。しばらく遊んだあとで,どうしても戻らなくてはならない用事を思い出したので,もどってきてしまった。戻ってから偉いお坊さんにその話をしたら,お前は黄泉の国につれていかれて,そのままあちらに居ついてしまえば,もう二度とこちらには戻れなかったんだよ。

 そういえば,あの世から生還した,つまり,九死に一生をえた人のお話を集めた本にもそんなことがたくさん書いてあった。長いトンネルのようなところをくぐりぬけると,そこは綺麗なお花畑だった,と。科学的合理性の権化のような宇宙飛行士のひとりもそんな経験をしたことがある,と書いていたようにおもう。のみならず,宇宙飛行士をやめたあと,宗教者に転じて布教に励んでいるとか。

 別に「あの世」があるとも信じてはいないし,来世願望が強いわけでもない。こんなことを思い出したにはわけがある。5時間半におよぶ手術を受けたのち,集中治療室で2日間をすごした。この間に不思議な体験をした。うつらうつらとまどろんでいたら,突然,パソコンの画面が目の前に現れだ。それも,桁外れに大きなディスプレイである。そこには,さまざまな記事がつぎつぎに現れては消えていく。大急ぎで読めばなんとか読める。すると,また,づきの画面が現れては消えていく。これは幻覚に違いないとおもいながらも,結構,楽しんでいる。

 たとえば,まことにもっともらしい国会中継が流れてきた。みると,アベ君に野党議員のだれかに食いつかれている。いつものように意味不明の丁寧な説明を繰り返すアベ君。それでは説明になってはいない,と野党のだれかが食い下がる。じゃあ,もう一度,繰り返します,とアベ君。議場からは時間の無駄だ,と野次が飛ぶ。まるで,デジャヴュー。わが眼を疑う。

 あるいは,この巨大画面でだれかのFBを夢中になって読んでいたときなどは,あまりに面白かったものだから,途中で消えてしまったときに,慌ててその画面を復元させようとして手を前に伸ばしたほどであった。するとわたしの手は空を切っているではないか。ここで,初めて,ああ,これは非現実のできことだと再確認。しかし,記事の内容はいずれも立派なもので,文章もしっかりてしいる。新聞の記事とはいえ,こんな文章が書ける記者がいるんだ,と感心までしていた。

 それからあとは,いまみているパソコンの画面は非現実のものだということをはっきり意識しながらみている。それでも何回も手が空を切る。そのたびにはっと吾に帰り,ああそうだった,と気づく。こんなことが二晩つづいた。内容は,さもありそうなデモの話であったり,だれかのFBだったり,ブログであったりと,さまざまだ。

 パソコンの画像は想像を絶するほどでかい。ベッドの向こう側の壁全体がディスプレイとなっている。これは非現実だと自分に言い聞かせながら,みて,楽しんでいる。意識も非現実と現実の境界領域を自在に出入りてしいるし,いつのまにか無意識そのものに埋没したりしている。慣れてくると面白い遊びだ。この技を身につけようとおもっているうちに,元気がでてきて,三日目の夜を最後に,この遊びは終わった。

 しかし,この話にはつづきがある。

 いったい,これはなんだったのだろうか,と考えている。

2015年7月11日土曜日

鎮痛剤の相性がいいのか痛みがだいぶ収まってくる。ありがたいことだ。

 今日(10日)の午前中に胃と肝臓と肺のレントゲン撮影がありました。歩いて行くかと聞かれましたが,なんとなく後ろに倒れそうな感覚がありましたので,車椅子で運んでもらいました。でも,レントゲン室の中での撮影はできるだけ自分の足で歩きました。こんなにゆっくりにしか歩けないことを知り,いささか愕然とてしまいました。脳梗塞や脳卒中を起こして倒れた老人たちのリハビリをやっているようなものです。足の長さ(フィート)の半分くらいしか一歩で前に運ぶことはできません。この先の道は長いぞ,と覚悟しました。

 からだを動かしたのがよかったのか,個室にもどってからは,ガスの連発でした。このガスが,なんと自分の意思で出すことはできないのです。いろいろの条件が整うと,自然にポコポゴと音を立ててでてきます。ちょうど,看護師さんが来室して体温と血圧を計っている最中に,意に反して「ポコッ」とでてまいしました。看護師さんが喜んで,今日はいいことがありそうだ,とジョークをとばしてくれました。出そうとおもっても出ないし,出てはいけないとおもっていてもでるときは出る,そういうものです,とあえて説明してくれました。

 一日に何回も廻ってきてくれる回診の先生に夕べは背中と手術の傷跡が痛くてよく眠れなかった,と報告。この先生のおっしゃるには,いまの背中からいれでいる鎮痛剤は質がよく成っているので,いたいときはどんどん使いなさいとのこと。自分の感じでも相性がいいとおもっていたところなので,安心しました。早速,今夜はこれでいこうと考え,先ほど「ワンプッシュ」入れてもらいました。すぐに眠くなりましたので,一休みして,先ほど目覚めたところです。よし,これで今夜は安眠ができる。この調子でいくと,明日は歩けるかも・・・。

 今日のレントゲンの結果がよければ,食事もそんなに遠くはないと聞いています。点滴も日ごとに減ってきて,いまは1本をのこすのみとなりました。これは抗生剤だと聞いています。このあとは,栄養補給の点滴が待っています。少なくとも,右手が自由に使えるのがなによりありがたいことです。

 こうして,毎日,一つずつなにかがはずれて,回復にもどっていくときというのは,そこはかとなく希望がもてるものです。こんどで二度目ですが・・・・。

 明日は橋本一径さんのトークショウに申し込みがしてありましたが,残念ながら欠席です。いま,絶好調の橋本さんのお話が早く聞けるようになりたい・・・・・・。これを希望に代えて頑張ります。

まずは順調ということで。

2015年7月10日金曜日

ガスか抜けました。ホッ。

下腹がはってきて,もうすぐガスが抜けますよ,と言われていてなかなか抜けなくて困っていました。下腹がパンパンに張ってきたのになかなか抜けません。おしまいには座っているのも耐えられないほどになってきました。腹をさすったり、深呼吸をしたり,あ、い、う、え、おと声に出して言ってみたり,ありとあらゆる手を使ってみましたが,どうにもなりません。

そのうちにガスが暴れ出してきました。あっちへ動いたりこっちへ動いたりしはじめたのです。そのたびに痛い。これは駄目だと観念して,ベッドの中に入り,からだ全体を温めてやり,全身の力を抜いてリラックスにつとめました。するとガスが軽快に動きはじめ,ほどなく「ポコッ」と卵でも生んだように大きなのが一つ。そのあとは断続的にちいさなのが連発。それがまたクサイので驚いてしまいました。

ああ,これですっきりしたとおもっていたら,そのあとも何回もでます。それはそれは不思議なほどの数でした。

これで気分がすっきりしましたので,7,8,9日の三日間に「100通」をこえるフェイス・ブックをよみはじめました。これはさすがに多くて手に負えません。仕方がないので,途中であきらめてしまいました。こんなことをはじめたら,なんきためにここにきているのかわかりません。それこそわたしのことを気遣ってくれていく人たちに申し訳ない,とおもって断念しました。

あとは,ひたすら眠ることに専念。そうして少しでもはやく元気をとりもどすこと。
奏して,神戸市外大でおこなわれる西谷さんの集中講義を受講したいのだが,無理かなぁ・・・・・・。  

というところで,今日のところはここまで。                       

2015年7月9日木曜日

集中治療室に2日,今日,一般病室(個室)にうつりました。順調です。

担当医は1日でいいと言う判断でしたが,院長先生は大事をとろうという判断でした。血圧の上下動を気にして慎重論を優先させました。お蔭で昨日一日ですっかり安定しました。今日は,自分で起き上がって病室まであるきました。偉いえらいとおだてられて。ほめられるといつもより元気がでます。いくつになっても同じ。

その代わり,病室に入ったら,もうひとりで寝起きができますね,と放り出されてしまいました。しまった,とおもったのは後の祭り。さあ,これからがたいへんてす。

食事は当分の間は点滴。胃には関係ないからこんどは早いとおもっていたら,そうは問屋が卸しませんでした。でも,おもったより顔色がよく,気をよくしています。

とりあえず,第一報まで。

2015年7月6日月曜日

残念!デモに行かれない。最悪のタイミングの入院生活。

 いよいよアベは7月15日を軸に強行採決を断行するようだ。タカムラまでも公言した。これまでも学者の意見も世論も無視してやってきたことがある,とまでタカムラは公言して憚らない。なんというこっちゃ。ふざけるのもいい加減にしろ。そんなことはなんの根拠にもなりはしない。なぜなら,「憲法」を無視して法案をつくろう,というとんでもない「愚行」に突っ走る・・・・こんなことは過去の自民党は一度だってやってはいない。少なくとも「憲法」だけは守るという姿勢を貫いてきたではないか。アベのじいちゃんだって,この一線を超えてはならない,と言ったではないか。

 70年間もかけて「不戦」を貫き,国際社会から高く評価されてきた,日本国の唯一の誇るべき遺産を一夜にして放棄してしまおうというのか。このことの重大さをアベはなにもわかってはいない。情けない。もはや,国家の行く末を見極め行動する政治家ではなく,私利私欲の欲望の固まりそのものの政治屋に堕してしまっている。

 国民は馬鹿ではないので,少しずつアベの正体を見破りつつある。その結果は支持率の低下に現れている。毎日新聞のアンケート調査によれば,ついに,支持率を不支持率が上回ったという。しかも,戦争法案を認めないという人が7割を超えたという。なのに,そんな民意を無視して,15日前後には強行採決に踏み切ると公言している。

 そんなことを許すわけにはいかないとばかりにデモに集まる人びとの人数が増え続けている。しかも,全国各地に広がっている。その数たるや相当なものになるはずだ。こういう情報をNHKを筆頭にテレビはほとんど流さない。新聞の全国紙も同様だ。だから,多くの国民はなにごともないかのように,知らないままでいる。

 しかし,インターネット上では,じつに多くの情報が流れている。わたしのFBにもリンクした友人たちから,続々と上質の情報が流れてくる。その他にも検索すれば,いくらでもその種の情報は流れている。出何処が怪しいものは要注意だが,実名で,著名な人からも情報が発信されているので,そういう人たちの情報をサーフすることになる。すると,その人たちも,徐々に,発言の口調が過激になっているのが手にとるようにわかる。

 もはや,ネットで情報を探っているだけでは済まされない事態が目の前に控えている。書を棄て,パソコンを棄てて,町に出よう!ではないが,まずは,外に飛び出そう。そして,周囲の人に呼びかけて国会前に行こう。それが無理なら,住んでいる近くで開かれている抗議集会やデモに参加しよう。そうして,とにかく,声を大にして意思表明をしよう。

 真宗大谷派の坊さんたちも,全国の坊さんに呼びかけ,僧職を表明する衣を身にまとって集結するという。全国に動員をかける僧衣のデモも壮観だろうなぁ,と感心している。これはたまたまネットをとおしてわたしが知り得た情報にすぎない。たぶん,キリスト教関係の団体もいくつか行動を起こしているに違いない。

 フレッシュな学生有志の会・SEALDsのみなさんの活動も盛り上がってきている。渋谷を拠点にして,何回も街宣活動を展開し,多くの支持を得ているようだ。

 その他,ネットで確認するかぎりでも,じつに多くの団体が抗議行動を組織し,デモを展開している。しかも,全国的な展開である。

 いよいよ天王山の闘いが控えているというのに,このわたくしめは,情けないことに入院生活だ。本来ならば,毎日がサンデーなので,いつ,どこのデモにも参加できるのに残念でならない。こういうのを役立たずというのだろう。ほんとうに困った奴だ。

 でも,委員会の強行採決が行われたとしても,闘いはまだまだつづく。これからの長い闘いに思いを馳せながら万全の体調を整え,退院後の抗議活動に備えることにしよう。

 そのためには,まずは,手術の成功が大前提だ。そこが,このわたくしめのスタート。首尾よく手術が終わることを祈ることにしよう。

スポーツの歴史を叙述するということについて。東ドイツを事例として(船井廣則)。

 1990年,東西ドイツが統合(Reichsgruendung )されたのち,東ドイツのスポーツの歴史をどのように叙述すべきか,という論争がつづいている。断るまでもなく,第二次大戦後,ドイツは東西の二つの国家として分断された。西ドイツは西側の資本主義や自由主義を標榜する国家と足並みを揃えて,戦後の再建に立ち上がる。一方,東ドイツはソ連を宗主国とする国家としてスタートを切る。つまり,マルキシズム(あるいは,史的唯物論)を旗印にした国家づくりである。言ってしまえば,イデオロギーを最優先する考え方が,あらゆる分野にわたって浸透していった。

 当然のことながら,東ドイツのスポーツは,ソ連を手本にした振興策が展開する。そして,スポーツ史を叙述する場合にもマルキシズムのもとでの理想的な共産主義社会建設をめざすことが大前提となった。だから,いかに厳密に史的唯物論の指標に立つ叙述がなされているかどうかが,評価の対象となった。他方,西ドイツはこれまでどおりの資本主義社会を前提とする自由競争の原理を是とするスポーツ史の叙述が展開された。そして,それぞれの国家がお互いに切磋琢磨して,スポーツ競技の世界でも,スポーツ史叙述の分野でも,激しい議論が展開されてきた。

 この両国が統合されて一つの国家となった(1990年)。当然のことながら,さまざまな分野で軋轢が生ずることになった。その一つが,スポーツ史の分野での「叙述」をめぐる論争である。つまり,史的唯物論をいかに超克して,ドイツ・スポーツ史を叙述するか,という問題である。

 この重い問題をテーマにして,船井廣則さんが定年退職を機に,長年の研究成果のエキスを注ぎ込む気合の入った研究発表をした。(日時:6月27日(土)午後2時より。場所:神戸市外国語大学。主催:「ISC・21」6月神戸例会)。補足をしておけば,2年前のスポーツ史学会大会シンポジウム(東洋大学)のシンポジストとしても登壇し,同じ問題を取りあつかった詳細な問題提起をしている。さらに,それをもとにした論考を『スポートロジイ』第3号にも寄稿している。今回は,この論考についての合評会という形式をとったものである。

 詳しいことは,当日の船井さんの発表抄録にゆずることにして,ここでは,その核心部分と,そこから派生してくる重大な諸問題について触れておきたいとおもう。それはわたしたちスポーツ史研究に携わっている者全員が背負わされた十字架のようなものでもある。

 核心部分とは,史的唯物論というイデオロギーはもとより,政治性や社会性にいたるまで,すべて排除して,スポーツを純粋なる「文化」として叙述すべきだ,という主張に対して,それはあまりにもやりすぎだろうという立場の論争である。旧東西ドイツの当事者にとっては大問題であることは間違いないのだが,遠く日本という立場から考えてみると,不思議な議論をいまも大まじめにやっているんだなぁ,と感心してしまう。しかも,「文化」という概念をそんな風に用いてしまっていいものかどうかももあやしいのに・・・。

 とはいえ,この問題は他山の火事ではすまされない。つまり,東西ドイツ統合という「大事件」が引き起こした必然の結果でもあるということを重視すれば,これと同様の,あるいは,もっと大きな問題が,わたしたちにも迫ってきているからである。しかも,それがたいした論争にもならないことの方が大問題かもしれない。

 たとえば,「9・11」という大事件が起きた。これはそれまでの世界秩序を根底からひっくり返すほどの,世界史のターニング・ポイントともなるべき大事件であった。つまり,それ以前と以後とでは,世界というものを考える認識の大前提を大きく揺るがすことになった。歴史家はいちはやくこの問題に対応すべきなのに,黙して語ろうとはしなかった。管見ながら,西谷修さんがいちはやく『世界史の臨界』(岩波書店)を投じて,歴史家たちの反論を待ったが,やはり沈黙のままだった。

 この西谷さんの問題提起を受けて,わたしたちの「ISC・21」月例研究会では,しばしば議論を積み重ね,それぞれの研究テーマに則して,再度,スポーツ史とどのように取組み,いかに叙述すべきかを模索してきている。たとえば,「グローバリゼーション」という世界的趨勢がスポーツ(文化)にいかなる変容を余儀なくしつつあるのか,については何年にもわたって,いまもなお継続して取り組んでいる。

 もう一つの問題は,「3・11」という未曾有の事態に対して,わたしたちのスポーツ史叙述はこれまでどおりでいいのか,という議論である。すでに,わたしたちは遠い未来にあるべきはずであった「破局」を迎えてしまった,という認識に立つJ.P.デュピュイの警告の書『ツナミの小形而上学』(嶋崎正樹訳,岩波書店,2011)を手にしている。その他にも,『経済の未来──世界をその幻惑から解くために』(森元庸介訳,以文社,2013年),『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(西谷修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,2014年)がある。そして,それらの訳者のひとりである西谷修さんもJ.P. デュピュイに鋭く反応して,この「破局」をいかにして「先送り」するか,その手立てについて多くの論考を明らかにしている。

 東西ドイツ統合によるイデオロギー論争とは違って,「9・11」も「3・11」もそのよってきたる原因を考えると,気の遠くなるような深刻な問題を内包している。それというのも,ざっくり言ってしまえば,資本主義経済やそれを支える自由競争の原理そのものがすでに「破綻」をきたしているにもかかわらず,それを隠蔽し,現体制を維持しようとする,いわば,国際社会を支配する主要国(G7,など)が居座っているからである。その結果,貧富の格差はますます拡大し,「3・11」のようなどうにもならない「破局」を迎えているにもかかわらず,旧態依然たる秩序体制を維持しようとやっきになっている。

 この問題は,あえて指摘しておけば,近代スポーツ競技の論理とまったく同根であり,その事象そのものが二重写しになっている。スポーツは善なるものだという神話を信じて疑わない人が圧倒的多数であって,このことに気づいて警鐘を鳴らす人はまだ希少である。しかし,近代スポーツ競技がすでに「臨界点」に達していることはだれの眼にも明らがだ。にもかかわらず,その発想から離脱し,移動し,新たな地平に立ち向かおうとする主張もまだまだ希少である。

 当然のことながら,スポーツ史研究の分野でも,真っ正面からこの問題を論ずる者は現れていない。わたしたちの「ISC・21」の研究会は,その希少な事例の一つなのだ。

 このような連関のなかに位置づくものとして,わたしは船井廣則さんのこの間のプレゼンテーションを受け止めている。だから,その意味できわめてセンセーショナルな問題提起だったのだ。そして,わたし自身に突きつけられた宿題も大きくて重い。が,それを避けてとおるわけにはいかないのだ。これを契機にして,これからも折あるごとに,この問題は議論していきたいとおもう。

 本来ならば,東京五輪2020を目前に控えて,こうした議論が熱く語られるべきだと考えているが,そうはならない。そこに,日本国の大きな病根が宿っている,とわたしは考えている。が,この問題はまた別のテーマを立てて論ずることにしよう。

 ということで,今日のところはここまで。

2015年7月5日日曜日

J=P.ルジャンドルの「舞踊論」をテーマに。「ISC21」10月東京例会の予定が決まる。

 かねてから,J=P.ルジャンドルの古典的名著の一つと言われている「舞踊論」(『他者たらんとする情熱』,1978年)が,日本ではまだ紹介されていません。ルジャンドルが研究者としての道を歩みはじめた初期のころの論文で,念入りにこってりと多岐にわたる内容を詰め込んだ力作だと聞いています。しかも,難解きわまりないとも。

 この手ごわいテクストを,ふつうの読者ではとても読みきれない難物を,日本におけるルジャンドル読解の第一人者といわれる森元庸介さんに,わかりやすく紹介していただけることになりました。お願いをするときは,胸が高鳴りましたが,エイヤッ!と気合を入れました。西谷修さんからも,森元さんがいい,と推薦をいただいていましたので,背中を押されました。

 いまのところの予定としては,以下のとおりです。
 主催:「ISC・21」10月東京例会
 日時:2015年10月17日(土)午後3時~6時。
 場所:青山学院大学
 テーマ:J=P.ルジャンドルの「舞踊論」(=『他者たらんとする情熱』1978年)について。
 プレゼンテーター:森元庸介(東京大学准教授)
 コメンテーター:交渉中

 ルジャンドルの「舞踊論」は,おそらく本邦初公開になるとおもいます。ので,この情報を聞いたわたしの友人たちから,どのような準備をすればいいのかという問い合わせが殺到しています。そのように問われても困るのですが,なにせ,ルジャンドルのことですので,ありきたりの「舞踊論」ではないことは容易に想像できます。

 そのことは論文のタイトル『他者たらんとする情熱』からもある程度の推測ができます。きわめて哲学的であると同時に,精神分析学的でもあるのでは・・・というのがわたしの見立てです。ですから,いま,日本語で読める「舞踊論」のテクストはあまり参考にはならないのではないか,とわたしは想像しています。

 ですので,手っとり早いのはルジャンドルの著作を手当たり次第に読むこと。そして,ルジャンドル的思考の特徴・傾向を理解しておくこと。その「舞踊論」的ヴァージョンが展開されているのだ,と考えるしかないのでは・・・と現段階ではおもっています。まだ,さきが長いですので,どのような準備をすればいいか,森元さんはもとより,西谷さんにもうかがってみようとおもいます。

 ルジャンドルの著作のうち,日本語で読める文献は以下のとおりです。
 1.『第Ⅷ講 ロルティ伍長の犯罪 <父>を論じる』,西谷修訳,人文書院,1998.
 2.『ドグマ人類学総論 西洋のドグマ的諸問題』,西谷,嘉戸,橋本,佐々木訳,平凡社,2003.
 3.『西洋が西洋について見ないでいること』,森元庸介訳,以文社,2004.
 4.『第Ⅲ講 真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』,西谷修訳,人文書院,2006.
 5.『ルジャンドルとの対話』,森元庸介訳,みすず書房,2010.
 6.『西洋をエンジン・テストする キリスト教的制度空間とその分裂』,森元庸介訳,以文社,2012.
 7.『同一性の謎 知ることと主体の闇』,橋本一径訳,以文社,2012.

 いずれも深い洞察にもとづいたテクストばかりですが,比較的読みやすいのは3,5,6,7,でしょうか。とはいえ,重要なのは1,2,4,です。思考力と忍耐力を鍛えるにはとてもいいテクストです。ぜひ,挑戦してみてください。

2015年7月4日土曜日

予定どおり入院しました。前回と同じ病室でした。いい感じ。

 7月4日(土),予定どおり入院しました。

 前回,入院したときと同じ病室でした。見晴らしのいい明るい部屋で,とても気に入っている病室です。丘の上の3階ですので,病院内の大きな樹木越しに二子玉川の建物群が一望のもとにみえます。高島屋のビルも,新しくできたミッド・タウンののっぽビルも,手前の246号線のブリッジもみえます。その向こうには多摩川の向こう岸を走る車もみえます。さらに遠くに眼を転じますと,わたしの住んでいるマンションの建物群もみえます。

 二度目ということもあってか,知らないところにきたというよりも,日常性の延長線上にいるような安心感があります。看護師さんのほとんどの人が顔見知りで,笑顔で迎えてくれました。何人かの人は,ふらりと部屋にやってきて「覚えてます?」と笑顔で声をかけてくれ,激励してくれました。ありがたいことです。

 今日は,手術前のいくつかの検査がありました。CTの造影剤の注射が,今回はよく効いたのか,最初にむかっときたあと腹全体がいつもよりも熱くなり,両手の手のひらまで熱くなりました。が,検査が終わるころには,その熱さもすーっと引いていったのでやれやれ。でも,どことなくからだがだるく感じられたので,少しばかり午睡をしました。これですっきりしました。

 昨夜,遅くまで起きていて,ごそごそと片づけ仕事をしていて,少しばかり寝不足ではありましたので,そのせいかな,とおもったりしています。あるいは,手術前の患部の確認ということで,いくらか造影剤がいつもより多かったのでは・・・などと想像したりしています。しかし,いまは,もうすっかりいつもの状態にもどっていますので,よしっ!と気をよくしています。

 ちょっと意外だったのは,病院食が少ない,ということでした。前回は,胃を切除したあとの食事でしたので,食べきれずに残していました。ですので,病院食は多いものだという印象が残っていたせいか,今回は少ないのに驚いています。いまも,どことなく空腹感があり,アレッ?と首をかしげています。今夜は我慢することにして,明日は間食用のクッキーでも調達しておこうかと考えています。幸いなことに病院内にコンビニがありますので,ちょっとしたものは調達できます。

 手術は7月7日(火)。七夕の日。覚えやすい日です。午前9時からはじまる予定。術後は24時間,集中治療室でチェックしてもらい,そのあと病室にもどることになります。ですので,8日の午後にはこの病室にもどる予定。

 問題は,それから3日間くらいをどのように克服するか,にあります。ここで前回の経験が生きてきます。気持の上ではすっかり準備はできていますので,あとは術後の経過が順調であることを祈るのみです。痛みを克服できれば,あとは,リハビリに頑張るだけです。担当医も,しっかり動きましょう,と励ましてくれています。

 そんなわけで,たぶん,7日・8日・9日・10日の4日間は,このブログが中断することになるとおもいます。椅子に座ることができるようになりましたら,すぐに,術後の報告をしたいとおもいます。逆に,5日・6日は時間がたっぷりありますので,時流に関係のない内容のものを書きためておこうかなどと考えています。

 ということで,とりあえず,今日の入院に関するご報告まで。

「戦争法案」,強行採決の日程が聴こえてくる・・・・・。「憲法違反」と国民世論の圧倒的多数の反対を無視して。

 はじめに,7月20日にやるらしいという情報が入ってきたかとおもったら,その日の夜には7月16日で自民・公明が申し合わせたという情報が入ってきました。3日の夕刻には,15日を軸に自公が確認した,との情報が流れました。

 いよいよやる気で,その日程も視野に入ってきました。

 3日の午後,ちょっとだけ見ておこうとおもって国会中継を覗いてみました。安保法案の衆院特別委員会。野党からは民主党,維新の党,共産党の順番に質問者が立ち,それぞれに質問をする。応答者は,アベ,キシダ,ナカタニ,スガの4氏。

 感想をひとことで言えば,相変わらずのすれ違い討論。野党は直球勝負なのに対して,政府はするりとはぐらかして,自分たちの言いたいことだけを飽きもせず繰り返す。アベにいたっては質問とはなんの関係もないことをべらべらとしゃべって,ひたすら質問時間をつぶしにかかっている。これがアベの言う「丁寧な説明」らしい。そして,もうすでに耳にタコがあたるほど聞かされた決まり文句を何回も繰り返す。すなわち,「国民の命と安全を守るために」。ここからさきの説明を聞きたいのに,説得力のある応答はなにもない。これがたぶんアベの言う「丁寧な説明」ということなのであろう。

 予想どおり,議論はまったく深まることなく上滑り。それでいて時間をかけたからもう十分というところで虎視眈々と見切り発車を狙っている。それが,今月の15日を軸に,という自公の確認事項らしい。

 「戦争法案」に反対する世論が日毎に盛り上がり,内閣支持率がどんどん低下するなか,これは急がねば・・・と焦っての強行突破の構えなのでしょう。その裏では,たぶん,維新の党との取引が行われているに違いありません。なぜなら,全野党が欠席してしまうと,強行採決に入るだけの自信はいまの自民党にはないからです。ですから,なにがなんでも野党の一角を切り崩しておいて,野党同席での強行採決という手続をとりたいのです。

 しかし,維新の党も一枚岩ではありませんので,場合によっては二つに割れるのではないか,という予測もされています。それよりもなによりも,ここで踏ん張ってもらいたいのは公明党です。あれほど,戦争はいやだと長年にわたって言ってきたにもかかわらず,ここにきてだんまりを決め込んでいます。その意味では,いまもっとも堕落した政党,それが公明党と言っていいでしょう。ここで,自民党と袂を分かって,「戦争法案反対」に転ずれば,つぎの選挙では間違いなく議席数倍増間違いなしなのに,もったいないかぎりです。

 「思考停止」してしまった公明党。「自発的隷従」の姿勢を貫く公明党。党の存在をアピールする絶好のチャンスなのに,むざむざ見送っている。ここまで堕落してしまうとは・・・・。

 いずれにしても,国民世論の圧倒的多数が「戦争法案」に反対しているにもかかわらず,さらには,圧倒的多数の専門家が「憲法違反」だと言っているにもかかわらず,それでも戦争法案成立に向けて強行突破しようというのですから,もはや,何をか況んや,です。

 振り返ってみれば,自民党は選挙公約にもなかった,突然の憲法解釈の閣議決定,そして「戦争法案」の提出。しかも,国民の多くを説得できるだけの十分な根拠も見出せないまま,強行採決に踏み切ろうというのです。まるでだまし討ちのようなものです。まさに,藪から棒です。こんな無責任な政党が政権をにぎっているのです。

 もし,強行採決に踏み切って,60日ルールまで利用して,なにがなんでも「戦争法案」を成立させてしまう,というようなことにでもなれば,無理が通れば道理が引っ込むの俚言どおり,世の中は乱れに乱れていくことになります。

 第一,憲法は閣議決定でどうにでもなる,という前例をつくってしまうことになります。つまり,ときの政権のおもうがままに,国民を無視して,やろうとおもえばなんでもできる国家になろうとしているのですから・・・。

 憲法を無視することのできる稀有なる国家の誕生です。世界中,探してもこんな国家はありません。世界の笑い物です。そんな「愚」だけはなにがなんでも忌避しなくてはなりません。国民主権,立憲デモクラシーを堅持するためにも,ここは踏ん張りどころです。そして,それがキープできること,ただ,それだけを祈るのみです。

2015年7月3日金曜日

沖縄2紙が吼えた。当然だ。百田尚樹の発言よりも,それに同調した自民党議員の方が問題だ。

 7月2日,『琉球新報』と『沖縄タイムス』の,いわゆる沖縄2紙の編集局長が揃って共同記者会見をし,その怒りを露わにした。その矛先はいわずとしれた自民党若手議員の勉強会「自由芸術懇話会」に講師として招かれた百田尚樹氏の「暴言」である。

 「沖縄2紙はつぶれた方がいい」「普天間の米軍基地はむかしは田んぼで人が住んではいなかったところだ」「騒音保障費がもらえるというので基地の近くに移り住むようになって市街地になった」
「地主は巨額の土地使用料をもらって悠々自適の暮らしをしている」といったような一連の「暴言」を吐いた。それに呼応するようにして自民党の若手議員の間から「文化人に頼んで経団連に依頼し,新聞に広告を載せないようにしたらいい」というような沖縄2紙をつぶすための提案まであった,という。

 編集局長の二人は,「沖縄県民の気持を逆撫でするような暴言だ」「沖縄県民を馬鹿にした発言だ」「新聞に認められた言論の自由・報道の自由を弾圧する発言だ」「百田氏は作家で自由人,かれがなにを言おうともたいした問題ではない。問題は,それに呼応した自民党の議員たち「公人」だ」「作家の発言と議員の発言とはその意味が違う」「自民党の議員が言論の自由・報道の自由を封殺するような発想をもっていることが露呈したこと,しかも,集団で。これこそが大問題だ」というような主張を展開した。

 以上,記憶を頼りに書いているので,あまり精確ではないことをお許しいただきたい。が,わたしの耳に残ったことは以上のような内容だった。

 さすがにこのたびの百田氏の発言には多くのメディアが反応し,言論の自由を冒涜するとんでもない発言だという点で足並みを揃えていたようだ。しかし,アベ君は公明党にはわざわざ出向いて行って謝罪したが,国民には「党のことなので,わたしがとやかく言うべき筋合いではない」(国会答弁)として謝罪を拒否した。

 今日(7月3日)になると,複数の報道関係者の間から百田氏の発言を擁護する声があがっている,という情報が流れた。「沖縄2紙はつぶれた方がいい」という発言は百田氏のジョークのようなものなので(本人もそう釈明),「笑って済ませられる程度のもの」だ,という。だから目くじら立ててとやかく言うこと自体の方が言論の自由を封殺することになりかねない,と。

 といった調子で,百田発言の是非論に論議が集中している。が,ここには『沖縄タイムス』の編集局長が指摘した「百田発言よりもそれを支持した自民党議員の存在そのものの方が重大だ」という論点は登場していない。どうやら,作家の言論の自由を擁護する立場を主張することによって,それを隠れ蓑にして,自民党議員の「暴言」を薮の中に封じこめてしまおうという意図が働いているようだ。これもまたアベ君の意図を受けた大手メディアの仕掛けた罠なのか。

 言ってみれば,百田氏がなにを言おうと,いまさら驚くべきことではない。こんなレベルの低い作家を,自民党の議員さんたちが勉強会の講師として招いたこと,そして,その言説に同調して「沖縄2紙をつぶせ」の方向に流れたこと,しかも,そのなかにひとりとして「それは違う」と発言する議員はいなかったこと,つまり,自民党の議員は百田氏と足並みを揃える「愚者」ばかりだったということが露呈してしまったこと,こちらの方がはるかに大問題だ。

 この重大な事態を取り上げる新聞・テレビが現れないこと,これこそがNHKを筆頭にした政府による「言論統制」のなによりの証拠だ。その逆に,SNSのネット上では,的確に問題の所在を提起しながら,鋭い「批評」が数多く展開している。しかも,新聞・テレビから排除され,発言を封じられている名だたる論者たちが実名で自論を展開している。こちらからは教えられることが多い。

 自民党若手議員たちの勉強会「文化芸術懇話会」(このネーミングからしてナンセンス)は,要するに「アベ・ポチ」たちが主たるメンバーで,アベ君の応援団なのだ。その応援団が,あまりに愚かで稚拙なばかりに,ボスの背中から槍を突きつける結果になってしまったという次第だ。だから,大手メディアは急遽,問題の論点を「百田発言」にすり替え,作家の言論の自由を擁護する,という戦略に転じたのだろう。

 この戦略はもののみごとに功を奏しているようだ。こうして,いまや,アベ政権による世論操作は自由自在だ。こうなってくると頼れるのはネットを流れる「上質な情報」だけだ。ネット情報は「ピンからキリまで」あるので,その見分けが重要だ。しかし,名だたる論客が実名で書いているものは一読に値する。それを怠ると,わたしたちもまた自民党の若手議員たち,すなわち「アベ・ポチ」と同じレベルに堕してしまう。

 それだけは忌避しなくてはならない。要心しなくては・・・・。クワバラ,クワバラ・・・・。

SEALDsの活動に注目。新鮮で影響力大。インターネットを武器に。スマホの時代。

 爽やかな一陣の風が吹き始めたとおもったら,あっという間に大型台風並みに成長し,「戦争法案」を吹き飛ばしてしまいそうな勢いだ。

 その名は,SEALDs=Students Emergency Action for Liberal Democracy-s.

 わたしがFBで得た情報によれば,以下のとおりである。
 政府の安全保障関連法案に反対する学生有志の団体。
 特定秘密保護法への抗議活動をしてきた学生たち(SASPL)を中心に「立憲主義を尊重する政治を求める」として,今年5月に発足。高校生から大学生まで約250名が参加し,インターネットでデモへの参加者を募っている。

 SEALDsのフェイスブック・ホームページに掲載されている行動提起は以下のとおり。
 「日本が戦争できる国になる前に,この「戦争立法」の成立を阻止するべく,私たちは毎週金曜日に,学校帰りに,バイト帰りに,仕事帰りに,国会前に足を運びます。毎週毎週,知り合いや家族に呼びかけてください。毎週毎週増やして行きましょう。よろしくお願いします。」

 https://www.facebook.com/events/315488835241525/
 自由と民主主義のための学生緊急行動SEALDs
 http://www.sealds.com/

 ことしの5月に発足した高校生・大学生約250名の団体が,集会では西谷修さんや小森陽一さんらの支援を受けながら,いまや,幼い子どもをもつ母親や一般市民を巻き込み,老若男女を問わず参加するようになり,ついには,野党の大物政治家たちまでこの流れに便乗しはじめた。この勢いは止めようがない。

 この若者たちの姿勢がいい。いかにも素人らしく,ありのままの,素朴な疑問を投げかけ,戦争反対を叫ぶ。それだけでいいのだ。余分なイデオロギー論争も党派の勢力争いも必要ない。戦争はいやだ,ただ,この一点を共有するだけでいい。この感性をテコにして,戦争法案の成立をなんとしても阻止する行動に打ってでる。心底,純真そのものだ。

 いまどきの若者らしく,すべてインターネットでネットワークを構築し,お互いに呼びかけ,抗議行動を展開する。かれらのショート・スピーチはYOUTUBEでいくらでも聞くことができる。つっかえ,つっかえながらのスピーチが多いが,その方がむしろかれらの必死さや心情がじかに伝わってくる。わたしのような老人が聞いていても胸が熱くなり,涙腺が緩んでくる。よし,こんどの金曜日にはおれもでかけよう,とそんな気持にさせてくれる。

 インターネットで「SEALDs」を検索すれば,膨大な情報を手に入れることができる。その凄さは眼を見張るものがある。しかし,この動向を,NHKも民放も,みてみぬふりをし,極力無視しようとする。全国紙も同様だ。その点,地方紙の方が若干,感度がいい,という程度だ。だから,インターネット情報と無縁の生活をしている人びとは,SEALDsのほんとうの姿を知る由もない。野党の政治家たちが,この団体に便乗しようとしていることも,まったく知らない大人たちは少なくない。

 たとえば,菅直人,志位和夫,山本太郎をはじめ,多くの野党議員が参集している。維新の会の議員さんなどは可哀相に,ここに参加したばっかりに除名処分を受けそうになっている。政党・党派に固執した旧態依然たる政党の抗議活動は,すでに時代錯誤だ。もはや,そんな時代ではないのだ。そのことにすら気づいてはいない,情けない野党が多すぎる。いまは,そんな党利党略などを論議している場合ではない。

 その点,SEALDsの若者たちは,じつに自由で柔軟な発想で行動を起こしている。そして,どんな立場の人たちの参加をも拒まない。「戦争できる国家をめざす政権は許さない」,ただ,この一点だけを共有できればだれとでも手をつなぐ。

 選挙権が18歳まで引き下げられた。若者たちはインターネットで情報を分かち合い,お互いに論議を交わすようになるだろう。既製の大手メディアには見向きもしないで・・・・。いま,まさに,これまでとは異なるまったく新たな政治の流れが生まれようとしている。選挙行動にスマホが大活躍する時代が,すぐそこまできている。

 そんなことを存分に予感させるSEALDsのこれからの活動に大いなる期待を寄せたい。

2015年7月2日木曜日

いま,『女性自身』がかっこいい。堂々10ページに及ぶ「戦争法案」反対記事。女性の立場から。

 正直に書きます。わたしは週刊誌をバカにしていました。根も葉もないスキャンダルを,さもあったかのごとく書きつらね,記事の最後のところで「・・・・なのであろうか」と疑問符をつけるだけで,すべてを免罪してもらうというあざとさ。つまり,事実無根。単なる「噂」。それを「真相」などと銘打って,大見出しで読者の眼を惹きつける。

 それはそれで面白いとおもった時代もありました。火のないところに「煙」は立たない。だから,「噂」になるということは,それらしき情況がかもしだされつつあるに違いない,と。でもまあ,そんな「噂」話ばかりでは読者はリピーターとはならない。ついてはこない。飽きてしまう。それを防止するために,いくばくかの「真実」を織り込む。

 『女性自身』が,このところ頑張っていて,「戦争法案」反対の女性の声を反映させる記事を書いている。とりわけ,子をもつ母親はなんとしても子どもを戦争にだけはいかせたくない,という母親の気持を代弁する記事が激増している。しかも,ここにきて母親たちは黙ってはいない。ささやかながら立ち上がり,抗議行動にも参加するようになっている,と。

 そういう母親の主張もみごとにすくい上げている。母親としての母性をそのままストレートに受け止めている。自分の息子が,人を殺したり,殺されたりする人間にはなってほしくない,また,そんな社会に,そんな国家にしてはならない,と素直に寄り添う。そして,そこを基盤にした確固たる信念に支えられている。立派だ。

 この点,男は駄目だ。自分の息子を母親に預けっぱなしで平気だ。父親は,ひたすら仕事に打ち込み,そのエネルギーの大半を仕事に費やし,夜遅くに帰宅する,を繰り返す。そして,息子の成長ぶりを遠くから眺めているだけ。つまり,肌を触れ合う機会が圧倒的に少ない。だから,息子に対する父性が,母性のそれに追いつかない。つまり,「生きる」ことの根幹がどこかズレてしまっているのだ。そのつけがどんどん大きくなってきているようにおもう。

 その分,子育てに関する母親の分担は大きくなる。息子は,つねに,自分の身近に存在している。場合によっては,母親と息子は一心同体だ。日常的な喜怒哀楽をも共有する。度がすぎると「溺愛」に堕ちる。

 しかし,母の愛は海より深く,山よりも高い。だから,息子が母親に寄せる愛は「無条件」だ。理屈を超えている。この絆は磐石だ。

 「戦争法案」の国会での議論が空中戦に走りがちなのに対して,母親たちのそれは地に足がついている。まだ幼い男の子をもつ母親は,純粋に危機意識に目覚めている。だから,まずは「憲法9条」をなんとしても「守る」という立場に立つ。議論はそこからはじまる。どこかの海峡の機雷除去がうんたら・・・などという架空(仮設)の話はどうでもいい。眼の前にいる幼い息子が,将来,「戦争」という危険な場に送り込まれることのないようにしよう,とこの一点に集中し,その実現をひたすら願う。

 だから,女性たちの「戦争法案」に対する反応の仕方はきわめて「健全」だ。「生きる」ということをしっかりと視野に入れたところから疑問を立ち上げる。どんなに立派な抽象論をぶち上げることよりも,まずは,「生きる」ことを原点に据えた議論を優先させる。ここに,わたしも「信」をおきたい。

 その意味で,最近の『女性自身』の勇気ある報道に教えられることは多い。それに引き換え,男性が多く手にする週刊誌がだらしない。新聞が駄目ないまこそ,しっかりとした論調の記事を書くべきではないのか。「思考停止」「自発的隷従」にはまり込んでしまって目覚めようとはしない男性は多い。すなわち,「生きもの」であるはずの男性の「モノ化」現象だ。しかし,女性はどこまでも母性という「動物性」を護持している。だから「健全」なのだ。

 「戦争法案」はそんな「踏み絵」にもなっている。

2015年7月1日水曜日

入院・加療のため,残念ながら太極拳の稽古をしばらくお休み。3週間後の復帰をめざして。

 今日(7月1日)の稽古を終え,いよいよ入院・加療の体勢に入ります。明日(2日),日帰りで血液検査,4日,入院して,さらなる術前のもろもろの検査。7日,手術。順調に行っても,退院までに3週間前後はかかるとのことですので,それまでしばらく太極拳の稽古はお休みです。できることなら,月末の29日(水)の稽古には復帰できるよう頑張りたいとおもっています。

 李自力老師は出張中のため,今日の稽古はお休み。わたしたち弟子だけでの自主稽古でした。が,これがわたしたちの稽古のふつうの状態。李老師は,たまたま時間的な余裕ができたときに,ひょっこりと顔をみせてくれることになっています。ですから,神出鬼没。そういうことを承知で,自分たちだけでできる稽古に励んでいます。

 ですから,師範代は兄弟弟子の西谷さんとわたしとで阿吽の呼吸で勤めています。これがまたなんともいえないいい雰囲気になっていて,凛とした空気を漂わせながらも,くつろいだ,リラックスした気持がかよいあっています。ほんとうにありがたい「場」ができあがっているとおもいます。この「場」から離脱するのは残念の極みですが仕方ありません。あとは,西谷さんにお願いをして・・・といささか後ろ髪を引かれるおもいです。

 この,とてもいい雰囲気の稽古場に,ひょっこりと李老師が現れますと,わたしのからだはにわかに緊張して,いつもできていることもできなくなってしまうのですから,太極拳というものは不思議なものです。

 別に李老師が厳しいことをおっしゃるわけではありません。口数も多くはないし,黙って,一緒に稽古をつけてくれるだけです。そして,わたしたちの悪い癖がでているときには,みずから率先垂範して,ここはこのように直しましょう,とおっしゃるだけです。なのに,わたしのからだもこころもガチガチになってしまいます。畏敬の念の表出・・・・としかいいようのない状態をいつも経験してしまいます。この経験がまた快感なのですから,これまた,不思議です。

 太極拳とはいったいなにか。入院・加療中に,太極拳のイメージ・トレーニングをしながら,考えてみたいとおもいます。もちろん,『老子道徳経』と『正法眼蔵』を両脇に置き,熟読玩味しながら。それも,できるだけ自分流の読解を試みながら・・・・。

 手術のその日は,24時間,集中治療室で過ごしますが,翌日には一般病室にもどります。そして,二日後には,自分で起き上がってトイレに行ってもらいます,と執刀医。動くほど回復が早くなるからだ,という説明がありました。これは,昨年2月に経験済みで,納得です。しかし,術後4日間ほどは激痛が走り,地獄をみるおもいでした。それでも,一生懸命に歩いたお蔭で,ふつうの人よりかなり早い退院となりました。

 この経験を生かして,今回も頑張ってみようとおもっています。

 さて,今回は何日で退院許可がもらえることやら・・・・。
 それだけを楽しみに励みます。

「マスク展」をみてきました。お目当ては「ダン族の競技者」のかぶった仮面。図録,売り切れ。残念。

 しばらく前の新聞で,コートジボアールのダン族の競技者が勝利を収めたときにかぶる仮面などが展示されている,と紹介されていましたので,なんとしてもみておきたいとおもっていました。スケジュールのやりくりがつかず,今日(6月30日),最終日にようやく駆けつけたという次第です。

 場所は東京都庭園美術館(TOKYO METROPOLITAN TEIEN ART MUSEUM)。65歳以上は600円。旧朝香宮邸。目黒駅から徒歩5分。都心なのに,深い森につつまれた閑静な庭園のなかにたたずむ旧朝香邸をそのまま美術館にしたもので,まずは,なにより雰囲気がいい。建物も,1920年代にパリで流行していたアール・デコ様式の雰囲気を存分にとりこんだ貴重な歴史的建造物。東京都指定有形文化財。

 「マスク展」。正式な名称は「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵マスク展」。

 とても素晴らしい内容で,存分に堪能することができました。ただ,残念だったのは,図録が売り切れで手に入れることができなかったことです。なにより,お目当ての「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面を,家でじっくりと繰り返し眺めて復習することができないことが残念。というわけで,ここにも紹介できないことがもっと残念。

 「ダン族の競技者」がかぶったとされる仮面は,全部で4面。やや小型で,とても素朴なものばかり。目の穴が大きくくり抜いてあり,口を開けて前に突き出している。そこに書いてあったかんたんな説明によると,仮面をかぶった者がかぶっていない者を追いかける,そういう競技のための仮面,とありました。その競技で優れた能力を発揮した者に与えられる,と。また,この競技は若者たちの敏捷な動きと健康状態を競い合うものだ,とも。

 この説明を何回も読み返して確認をしてみましたが,どうもピンとこないものでした。そこで,わたしは勝手に想像して,これは「鬼ごっこ」のような遊びではないのか,と考えました。つまり,わたしたちの知っている日本の「鬼ごっこ」は単なる遊びにすぎませんが,それでも,もともとは「神ごと」遊びです。神と戯れる,神と交信する,そういう神事儀礼に端を発しています。

 たぶん,コートジボアールのダン族の「鬼ごっこ」も,さまざまな精霊との戯れであり,交信・交流であり,ときには恐ろしい悪魔との闘いでもあるはずです。それだけに,真剣そのものの「鬼ごっこ」のはずです。なにしろ,ダン族の人びとは,いまでも空中を精霊が飛び交う姿を自分たちの眼でみることのできる人たちなのですから(真島一郎さんの論文による)。

 コートジボアールのダン族の「すもう」について報告した真島さんの論文によれば,すもうをとる力士たちは精霊の「力」を身に帯びて,その「力」の優劣を競う,というのです。しかも,その精霊が力士のからだに乗り移る場面をダン族の人びとはみんな自分の眼で確認できるというのです。ですから,この「鬼ごっこ」も,仮面をかぶった人間が,どれほどの精霊の「力」をわがものとすることができるか,その優劣を競ったのではないか,とわたしは考えてみました。

 そのように考えますと,その仮面がまた一段と生き生きとして,わたしの眼に映るようになってきました。眼が大きくくり抜いてあるのは,相手を追いかけるときによくみえるようにしてあるのだろうし,口を開けて前に突き出しているのは,走りまわって呼吸が苦しくなるときの顔の表情を表現しているようにおもいました。

 4面中,3面はあどけない子どものような表情をしていましたが,あとの1面は神々しい雰囲気を漂わせていました。いずれも木製でしたが,その最後の1面だけは,まるで鉄製ではないかとおもわれるほどの固さと茶色の錆色を浮かべていました。一見して一目置かざるを得ないような,そこはかとない神秘性を帯びた,貫祿十分という仮面でした。

 こういう仮面をみながら,もう一つ,重要なことを考えていました。それは,自己の存在を否定しつつも,他己との折り合いのつけ方が二重・三重に複雑に構築されているのではないか,というようなことがらです。この点については,いささか複雑で長くなりますので,また,機会を改めて取り上げてみたいとおもいます。

 今日のところはここまで。