2011年2月28日月曜日

「油断騎乗」で黛騎手,30日の騎乗停止処分。

 競馬では「油断騎乗」といいます,という情報を太極拳の兄弟弟子のNさんがメールで知らせてくださった。関連のURLも付記して。とてもありがたいことです。感謝あるのみ。
 で,そのURLを開いてみたら,つぎのような記事が載っていた。
 黛騎手を30日間,騎乗禁止
 日本中央競馬会(JRA)は26日,第2回小倉競馬第1日の第12レースを黛弘人騎手に,「注意義務を著しく怠った油断騎乗があった」とし,27日から3月28日まで騎乗禁止の処分を科した。騎乗停止30日は,レースの裁決委員が科すことのできる最長の処分。
 黛騎手はメジロガストンに騎乗したが,決勝線手前で2完歩ほどを追う動作を緩めた結果,1着とハナ差の2着に終わった。(時事通信)
 競馬は公営ギャンブルという性格もあってか,騎手の騎乗の仕方についてきびしい眼を光らせているなぁ,としみじみ思う。それにつけても,大相撲は甘いなぁ・・・とこれまたしみじみと思う。
 大相撲にも,じつは,「無気力相撲」を禁止するための監察委員会なるものが存在していて,毎場所,「無気力相撲」を監視していることになっている。しかし,どうやら機能していなかったようだ。元力士,それも,かなりの上位にまで上り詰めた人たちの眼から見れば,「無気力相撲」などは,すぐにわかるはずだ。にもかかわらず,この数年の間,「無気力相撲」ということばがあることすら,忘れていた。だから,わたしは「無気力相撲」は消えてなくなったのだ,と信じていた。しかし,八百長問題が,いまも色濃く残存していることを知り,組織のたがの緩みを感じてしまう。
 監察委員会の委員長は,貴乃花親方である。かれのように清廉潔白を貫いてきた大横綱であれば,びしびしと「無気力相撲」を摘発し,処分をしていくだろうと期待していた。しかし,どうやらなにもやってなかったようである。これでは,貴乃花が理事となり,監察委員会委員長となった意味がどこかにふっとんでいってしまう。
 大相撲の八百長を,土俵の上での取り組みをとおして見破るのはきわめてむつかしい,と言われてきた。たしかに,そのとおりなのかもしれない。しかし,貴乃花のような,八百長をいっさい拒否してきたといわれている大横綱の眼をもってすれば,わたしは見破ることは可能だと信じている。もちろん,他の元力士だって同じだ。にもかかわらず,その眼が機能していないとなれば,それこそが大問題である。たぶん,機能させると困る問題が,その背景にはあるのだろうと推測している。それほどに相撲界を生き延びていくということは,われわれ通俗の世界とはちがって,ちょっと考えられないほどの複雑怪奇さなのであろう。
 この複雑怪奇さのなかに,じつは,大相撲の良さも悪さも全部詰まっているのだ。ここを,どの程度まで暴けばいいのか,その手加減はきわめて微妙なところである。かといって放置しておくわけにもいかず・・・・。日本相撲協会の苦悩たるや尋常一様ではない(はずだ)。
 でも,ここはひとつ蛮勇をふるって改革すべきは改革し,温存すべきは温存するという覚悟が求められている。組織のピンチは改革のチャンスでもあるのだから。この機会を逃してはなるまい。公益法人とかなんとかは,もっとあとの問題。いまは,大相撲を存続させるのかさせないのかの「関が原」の戦いの真っ最中なのだから。
 その意味でも,大相撲とはなにか,という根源的な問いをみんなで発しつつ,みんなでその答えを模索していくときなのだ,とわたしは考えている。
 競馬の話がそのまま大相撲の話になってしまった。
 そんな含みもあって,Nさんはわたしに情報を提供してくださったに違いない。だから,わたしとしても,それなりの応答をしてみたつもり。
 このブログが〔未完〕のままの段階で,すでに,コメントが入っていました。わたしのこころに響くものがありましたので,珍しくわたしも応答しています。コメントの方も併せて確認していただければ幸いです。

2011年2月27日日曜日

ペルー・リマのフィエスタで歌いつがれてきたクレオール音楽を聴く。

 このところ音楽とはとんと縁がなくなってしまっていたが,親しくしている編集者から突然CDが送られてきて,聴いてみてくれ,という。なんだろうと思って開けてみたら,ペルーの首都リマのバリオ(貧民窟)のフィエスタ(宴会)で歌い継がれてきた民衆音楽。
 さっそく無心で聴いてみる。にぎやかな雰囲気のなかで男性ボーカルがやさしい歌声を響かせている。ギターとリズム楽器だけの素朴な演奏がつづく。聴いていてとても心地よく響く。自然にからだが揺れ動きはじめる。だが,どこかでからだの動きが抑制されてしまう。動きたいのに,どこかちぐはぐなのである。気持ちはとてもなごんでいるのに,からだがぎこちない。おさまりが悪いのである。なんだろう,このぎこちなさは・・・と考える。
 そこで,やおら,折り込みの解説を読む。いきなり「8分の6拍子」ということばが眼に飛び込んできた。なんじゃ,これは?「4分の3拍子」でもない「8分の6拍子」。2拍子や3拍子,そして「4分の2拍子」くらいまでは小学校のときに教えてもらった記憶がある。がしかし,「8分の6拍子」とはなんじゃい?
 というわけで,もう一度,聴いてみる。しかし,わたしのようなリズム感のない人間にはしっかりとは聴きとれない。何回も何回もチャレンジしてみるが,どうも,いま一つしっくりこない。つまり,感覚的に,とても息が長く,「8分の6拍子」までついていかれないのである。たぶん,わかる人にはすぐにわかるのだろう。でも,わたしにはわからない。理性的に数えれば数えるほどに,わけがわからなくなる。もっと,ぼんやりと聴いていた方がいいのだろう。でも,なんとかして分かろうと努力してしまう。これが間違いのもと。
 男性ボーカルの声はとてもやさしく響いてくるし,メロディもそんなに難しいものはない。だれでも,すぐに口ずさみたくなるような,親しみのある旋律がつづく。だから,こころはとても気持ちよくなる。それにつられるようにしてからだが揺れはじめる。しかし,あるところで,からだは居心地が悪くなる。リズムに乗り切れないのである。妙なところで肩すかしをくってしまう。一種独特のリズムがわたしのからだを揺さぶる。しかし,そのリズムに乗れない。
 あきらめて,解説を読み込むことに。
 白人系の音楽(ワルツ,ポルカ)と黒人系の音楽とがミックスした,いわゆるクレオール音楽。人種も,スペイン系の白人を筆頭に,さまざまな白人と,アフリカから奴隷として移住させられた黒人と,さらには先住民とが混血をくり返していくうちに,何人でもないクレオール人が出現する。その人たちがバリオと呼ばれる貧民窟で世代を重ねていくうちに,フィエスタ(宴会)で即興的に歌われ,歌い継がれていくうちに,「8分の6拍子」という形式とともに誕生した民衆音楽。だから,バリオの住人以外の人に歌って聴かせる歌ではない。自分たちの,仲間うちの楽しみのためだけに歌われる音楽。いうなれば,音楽の源泉に現れる音楽。それが,この混血音楽(ムシカ・クリオーヤ)。
 ということは,白人の身体にも,黒人の身体にも快感を与えない「8分の6拍子」。ただ,ひたすら混血を重ねたバリオの住民にのみ快感を与える「8分の6拍子」。それでいて,わたしのような日本人(つまり,ほとんど日本の旋律しか知らない人間)にも,なにか惹きつける力をもっている,不思議な「8分の6拍子」。
 男性ボーカルの甘い声とメロディが,まずは,わたしたちを「歓待」してくれる。そして,うっとりと聞きほれてしまう。でも,からだまでは同調させてくれない。どこかで軽くいなされてしまう。それは,まるで,リマのバリオの住人としてのアイデンティティを主張しているかのように。歓待といなし,それがバリオの民衆音楽「ムシカ・クリオーヤ」(クレオール音楽)。
 さらに,解説には,19人の名人に1曲ずつ歌ってもらった,とある。しかも,2007年に録音をはじめてCDが完成する2009年までに,19人のうちの4人までもが鬼籍に入ったという。この男性ボーカリストたちの平均年齢がなんと「75歳」。それにしては若々しくて元気のいい声ばかり。この人たちは死の直前まで歌いつづけているということ。
 「8分の6拍子」の歌と踊り。踊りも,どうやら即興らしい。
 ふと,こどものころ,ラジオが我が家に入ったとき(戦後は焼け出されて,借家を転々としていて,とても貧乏だった),どこか遠くの方から聞こえてきたと錯覚を起こした,九州の民謡「五木子守歌」を思い出す。たしか,五木の老人が,その地に継承されてきた歌い方で歌ったものだった。「おど~まぼんぎりぼ~んぎり,ぼんからさきゃ~おらんと~」。ふつうの旋律とはまた違う,ほんの少しだけメロディもリズムも違う,なんとも不思議な歌に聴こえた。ことばも,なにを言っているのかさっぱりわからなかった。でも,なぜか,不思議に惹きつけられるものがあって,いまも,その声を鮮明に思い出すことができる。
 「8分の6拍子」は,西洋の近代音楽のような,形式が数学的に計算され,構成されたものとは違って,どこかリズムもメロディも間延びしつつ,崩れているようでいて崩れてはいない,そういう近代以前の人間の古層に宿る音感を呼び覚ましているのかもしれない。だから,どこか「懐かしい」という感情を呼び戻してくれるのかもしれない。
 それにしても,不思議な音楽に触れさせてもらった。しばらくは,この音楽を聴いて,楽しんでみようと思う。そうすれば,いつのまにか「8分の6拍子」が,わたしのからだと同調するようになるのかもしれない。そうなれたら,楽しさはまた倍増する。まあ,音楽なのだから,まずは,楽しむこと。
 ペルーの,リマの,バリオの,クレオール音楽の話,でした。

2011年2月25日金曜日

『アンチ・クライスト』のブログが毎週500ページヴューを超えている。

 いまさら笑われてしまいそうだが,自分の書いているブログが,どんな風に,そして,どんな人たちに読まれているのか,まったく感知しなかった。というよりも,恥ずかしいことにそれを知る方法を知らなかった。
 ところが,である。自分の書いているブログのページに,まだクリックしたことのない「見出し」がいくつかあったので,それを端からクリックしてみた。そこに「統計」という見出しがある。これを開いてみて,びっくり仰天したのである。
 最初にでてきたのが「サマリー」というページ。ここには,日・週・月・全期間,という四つのクリック項目があって,それぞれのページヴューの統計数字が現れるようになっている。そこで,まず,びっくりしたのが,週に1,500ページヴューを超えているという事実である。これは週7日間で割ると,毎日平均しても200ページヴューを超えている,という数字だ。エーッ,と思わず大きな声を出してしまった。
 なぜなら,以前にもここに書いたように,わたしのブログの末尾に「おもしろい」という窓があり,そこをクリックすると,その数が累積されていって,そのブログをおもしろいと思って読んでくれた人の数がでてくる。これまでの最高が18。多くても10前後。少ないときには2とか,3。こういうときは,落ちこむ。そうか,面白くないのか,と。だから,10を超えていくと,もう,それだけで嬉しくて仕方がない。これまでは,そんなところで一喜一憂していたのだ。
 ところが,である。毎日,平均して,200ページヴューを超えている。これはじっさいに読んでくれたかどうかは別にして,とにかく,そのページを開いてくれたことは間違いない。よーしっ,こうなったら勇気百倍。これからも休まずにかくぞー,とすぐに調子にのる。他愛もないものだ。やはり,人間は自分が公開しているものは「みて」ほしいのである。
 つぎに開いてみて驚いたのは「投稿」というページ。ここには,これまでに書いたブログのうち,もっとも訪問者の多かった順番に,上位10個くらいが並んでいる。それが,日・週・月・全期間別に開くことができる。パソコンの威力たるや恐ろしい。瞬時にしてその数字を知ることができるのだから。意外だったのは,ずっとむかしに書いたものでも,いまも,かなりの数で開かれているということだ。たとえば,昨年の11月11日に書いた映画の試写会の話。映画は『アンチ・クライスト』。これは,いよいよ明日から全国ロードショーに入るので,いまも訪問者は圧倒的に多い。そのつぎに多いのは,有名人を話題にしたブログ。そうか,なるほどなぁ,と納得。個人名をブログで書くときには,相当に注意しないといけない,と片方では反省も。
 そのつぎに開いてみたのは「トラフィックソース」。ここでは,やはり,わたしのホーム・ページから入ってくる人が多く,これはまあ,言ってみれば仲間うちの人たち。それにしても数が多いところをみると,このホーム・ページも相当数の訪問者があるということだ。ならば,もっと掲示板などを活用して,活発に活動する必要がある,と自覚。それ以外では,yahoo経由の人が多い。そこを開いてみたら,なんと,わたしの『アンチ・クライスト』のブログが検索項目の上位で登場してくる。これまた,びっくり仰天である。
 最後の項目は「参加者」。これはなにがでてくるのだろうかと思っていたら,なんと,どの国の人がこのブログを読んでいるのか,という数字がでてきた。もちろん,圧倒的多数は「日本」。それは当たり前。しかし,意外だったのは,第二位にフランス,第三位にUSA,第四位にマレーシア,という順序になっていて,ここまではほぼ安定。それ以下は,フィリピン,タイ,中国,韓国,ドイツの五カ国が日替わりのように入れ替わる。これにも驚いた。そうか,日本語で書いているブログなのに,世界にも開かれているのだ,と。
 という具合で,とても元気がでてきた,というお話。
 それにしては,「おもしろい」をクリックしてくれる人がもう少し増えるように努力しなくてはいけない,という反省。もう一つは,「コメント」を入れてくれる人が増えると嬉しいのだが・・・・という,こちらは「おねだり」。よろしくお願いいたします。
 

2011年2月24日木曜日

下田歌子伝記漫画本『きらりうたこ』を読む。

 太極拳の兄妹弟子の柏木さんから本のプレゼントがあった。驚くほどの読書家の柏木さんがくれる本なので,なんだろうと思って開けてみたら漫画本。あれっ?柏木さんは漫画本も読むんだ,と思いながら手にとってみたら下田歌子さんの伝記であった。
 これで納得。柏木さんは,ついこの間(2月7日~12日),銀座・文藝春秋画廊で「能面新作」展を開いた能面アーティスト。で,その新作の中に「現代人」を作品にしたものがあって,その一つが「下田歌子」面。「江田五月」面と並んで展示されていて,異彩を放っていた。気品があって理性的な,とても美しい面に仕上がっていて,存在感があった。となりの「江田五月」面と,堂々たる勝負を挑んでいるように見受けた。
 この展覧会の折に,実践女子大学の学長さんもお見えになり,わたしたちのやった鼎談もお聞きになり,そのあとのパーティにも参加された。ので,わたしも少しだけ親しくお話をさせていただいた。ここでお断りするまでもなく,下田歌子さんは実践女子大学の創設者。柏木さんは卒業生ということもあって,大学からの依頼があって「下田歌子」面を制作した(2010年)。すでに,大学に寄贈してあって,今回は出張・出品というわけ。
 で,この漫画本『きらりうたこ』は,学長さんからのプレゼントとのこと。たくさんもらったので,ということで,そのお裾分け。精確に紹介しておくと,牧野和子著,原案/杉原萌,監修/実践女子学園,小学館スクウェア,2011年3月3日,初版第一刷。ということは,まだ,書店には並んでいない本。まだ湯気がたっている本だ。
 ちかごろでは,ニーチェの思想ですら漫画で説明されてしまう時代である。もう,ずいぶん前から,世界史も日本史も漫画で語られたし,仏教やキリスト教なども漫画になっている。なにを隠そう,わたしの手元には〔マンガ〕『正法眼蔵入門』道元の「仏法」に迫る,監修・秋月龍民(民は王偏がつく),サンマーク文庫,2004年第4刷,という本がある。
 だから,この本を開いたとき,なるほど,と素直に納得した。いまや大学もどうやって生き延びていくかたいへんな時期を迎えている。とにかく学生さんが集まらないことにははじまらない。だから,あの手この手で,学生さん集めの努力が惜しみなく繰り出されている。大学紹介もマンガ,創設者の伝記もマンガ,そのうち教科書もマンガになるのでは・・・(すでに,なっていると聞いたことがある)。とにかく「入り口」のハードルをいかに低くして,若者たちに親しんでもらえるか,ということに必死である。大学のシラバスなどを学生に配布するのも,そういう一環(こちらは,文部科学省の指導があって,義務づけられている)。
 下田歌子さんについての知識は断片的にしかなくて,どんな人かと聞かれても,ちょっと説明に困るところであったが,この漫画本を読んで,ああ,なるほど,とすっぽりと頭に入った。本筋のところが頭に入ったので,もう,怖くない。多少の尾ひれをつければ,かなりのモノガタリを語ってしまうこともできそうだ。漫画本はありがたい。第一に,いつのまにか読むつもりもなくめくっているうちに,夢中になり,気がつけば最後まで読んでしまっている。あっという間のこと。それでいて記憶にも鮮明に残る。
 明治天皇・皇后,両陛下に可愛がられ,短歌の才能が飛び抜けているというので注目され,以後は「歌子」と名乗りなさいと命名までされた,という。まあ,両陛下の信任がとくべつに篤かったということもあって,まずは,華族女学校の創設に力をそそぐ。それが手始めの「学校づくり」で,以後,立て続けに学校を創設していく。その初期のころの,自分のアイディアで創設したのが実践女学校(こんにちの実践女子大学の前身)。そして,校長に。津田塾大学を創設した津田梅子さんも,じつは,下田歌子さんの学校で教鞭をとっていた人だった,ということもこの本で知った。
 わたしにとって,大きな発見だったのは,下田歌子さんが子どものころから,とても活発な女の子で,剣道,なぎなた,柔道などを好んで修得に励んだ,というくだりである。だから,学校を創設しても,体育の授業をとても重視し,新しいカリキュラムを率先して導入した,という。明治の女子教育に情熱を燃やした人たちに,ある意味では共通した見識ではあるのだが,下田歌子さんもそういうお一人だったということは知らなかった。メイポール・ダンスなどは,いまでも付属学校の運動会で,継承されている,という(こちらは写真まで掲載されている)。
 で,最後に,作者の「牧野和子」さんの略歴がカバーの内側にあって,愛知県豊橋市生まれ,とある。おやっ?と直観が走る。わたしの高校時代の同級生に,牧野圭一君というのがいて,日本で最初に大学に漫画学部(京都精華大学)をつくった男である。手塚治虫の1年前に文春漫画賞をとった男。わたしとは親しくしていたので,読売新聞社の政治漫画を担当するようになったころ,千葉・舟橋の自宅に遊びに行ったことがある。そのときに,お茶を出してくれたのが,若い女性で「妹です。漫画家の卵で,ぼくの助手をしています」と紹介してくれた人がいた。名前までは覚えていないが,ひょっとしたら・・・・と思った次第。いつか確認してみようと思う。
 犬も歩けば棒にあたる,という。やはり,歩いてみないことにはなにもはじまらない。漫画本も読んでみるものである。

2011年2月23日水曜日

ラース・フォン・トリアー監督の『アンチ・クライスト』が,2月26日に封切り。

 昨年の11月に,ラッキーなことに試写会で早々とこの映画をみる機会に恵まれ,しかも映画評まで書かせてもらった(『嗜み』9号,文藝春秋,P.120.)。
 最近になって,いろいろなメディアをとおして,この映画が取り上げられている。それもそのはずで,2月26日(土)から新宿武蔵野館やシアターN渋谷,など全国の映画館で,いよいよロードショーがはじまる。で,ついついこの映画の評論がでていると読んでしまう。しかし,なんとさまざまな評論が展開していることか,といささか驚く。それほどに,この映画のメッセージ性は多様なのだ。だから,みる人によって,いかようにもみえてしまう,そういう映画なのだ。だから,名作なのかもしれない。
 話題の中心にあるのは,主演女優であるシャルロット・ゲンズブールの「大胆不敵」な(と多くの評者がいう)演技。とりわけ,性愛表現。しかし,わたしにはこのこと以上に,映画のタイトルになっている「アンティ・クライスト」の意味とそれにかかわる映画表現の方に惹きつけられるものがあった。そして,キリスト教文化圏で生きるということは,わたしのような仏教者とはまるで違う営みなんだ,ということが強烈につたわってきた。そして,やっかいだなぁ,とも。セックス依存症の夫婦が,しかも,大学で魔女の研究をしているエリートの妻が,愛する子どもの不慮の死をきっかけにして,人間が生きるということに根源的な懐疑をいだくようになる。そこから,すべての悲劇がはじまる。簡単に言ってしまえば,理性だけでも生きられない,ましてや性愛だけでも生きられない,その狭間で葛藤し,苦しむ夫婦のモノガタリだ。最後は,とんでもないところまで行ってしまうのだが・・・。
 わたしたちの内なる「動物性」を,理性に代表される「人間性」が,いかに取り込んで折り合いをつけていくのか・・・・これは永遠のテーマなのだ。つまり,人間が生きるということはそういうことなのだ。だから,この映画をホラー映画だなどという人の気がしれない。もちろん,映画の描写の手法としては,随所に非現実を取り込み,そのことによってよりリアルが強調される,という仕掛けにはなっているのだが・・・・。
 まあ,いずれにしても,もう一度,この映画の主題についてしっかりと考えてみるためにも,このロードショーにでかけてみようと考えている。ひょっとしたら,みるたびに,その印象は変化するのかもしれない。だとしたら,それこそ名作だ。この3カ月の間に,わたし自身にもなんらかの変化が起きているはず。だとしたら,最初の印象とは違うものが現れるはず・・・。楽しみにではある。

2011年2月22日火曜日

八百長ごときで場所を休んではいけない(野坂昭如・永六輔)。

 急ぎの原稿依頼があって,大相撲の八百長問題について,大急ぎで新しい資料を集め,考え,『相撲の歴史』(新田一郎著,講談社学術文庫)まで読み返しながら,昨夜遅く書き上げ,雑誌社に送信したばかりである。
 そんな日の翌日の今日(22日),毎週一回は顔を合わせている太極拳の兄弟弟子のNさんから(明日の23日は稽古日で顔を合わせる),封書,それも毛筆で宛て名の書かれた封書がとどいた。いったいなにごとか,と一瞬驚きつつ封を開ける。でてきたものは,新聞の切り抜きであった。しかも,大相撲の。Nさんは,わたしが大相撲問題の原稿依頼があったことを知っていて,そのために役立てば・・・という気持ちをこめて切り抜きを送ってくれたのだ。あの超多忙なNさんが,こんな心優しい気配りをしてくださるとは・・・・。感動で涙する。
 封筒からでてきた切り抜きは,「場所を休んではいけない」(野坂昭如)と,「今からでも大阪場所復活を」(永六輔)という署名入りの記事(いずれも『毎日新聞』2月19日付)であった。なるほど,この世代の,しかも「芸能」のなんたるかを熟知している人たちは,大相撲を芸能としてとらえている。そして,八百長を容認はしないけれども,場所を休んではいけない,という立場をとっている。わたしとほぼ同じ考え方をしていることがわかり,安心。こういう人たちの声が,ようやく,ここにきて聞こえるようになってきた。これまでは,まったく聞こえてこなかった。
 わたしの周囲の人たちの意見は,場所を休むことはない,というものが圧倒的に多かった。しかし,八百長が発覚した以上,この問題に決着をつけないかぎり,場所を開いたとしてもお客さんはだれもこない,という主張が新聞・テレビを支配していた。はたしてそうだろうか,とわたしの周囲の人たちはいう。わたしも,相当のダメージはあるものの赤字になることはないだろう,といまも考えている。なぜなら,大相撲を健全化させるためにわたしのようなファンにできることは,場所に行って,八百長相撲が起きないように,きびしい眼を光らせるしかないからだ。そして,土俵に向って声援を送ることが,もっとも手っとり早い方法だと考えているからだ。力士たちもまた,身の潔白を証明するためにも土俵に全力をそそぐだろう。そういう流れをつくっていくことも,八百長を排除していくための,もっとも身近な方法ではないか,とわたしは考える。だから,日々の雑用に追われて,ついついテレビ観戦で済ませていたほんとうの相撲好きは,こういうときこそ場所に足を運ぶと思う。かく申すわたしは,このあたりにいる相撲ファンのひとりだ。

 それにしても,この八百長問題というのは複雑な要素が二重三重に折り重なっていて,これを解きほぐすことは容易ではない。八百長はあってはならない。このことは自明だ。かりに大相撲が芸能であるとしても,勝ち負けという勝敗原理を取り込んだ芸能である以上,そこで八百長が演じられることはなんとしても排除されなければならない。そうしないと,見せ物として成立しなくなる。このことも自明である。しかし,である。にもかかわらず,大相撲という芸能には八百長が紛れ込む要素があまりに多い。あるいは,八百長であるとも,八百長ではないともいえる,いわゆるグレー・ゾーンというか,境界領域に,大相撲という芸能の醍醐味が隠されてもいる。だから,大相撲に通暁しているベテランのファンは,その複雑であいまいな部分をも堪能しているのである。
 さらに触れておけば,よく鍛練された力士の身体は,力士自身がよく言うように「からだが勝手に動く」のである。つまり,意のままにはならない,意志のコントロールを超えた,力士の想像もつかないような超越的で自動化した身体が表出することも,ときには起こるのである。そこは,もはや,神の降臨する世界でもある。サッカーのスーパー・プレイのように(ピッチに神が降臨した,というように)。そんな力士と取り組む相撲は,まるで八百長をやっているようにみえる,という。しかし,それをきちんと見届けることのできる,そんな眼力をもつファンはそんなには多くないともいう。

 いつのまにか,まったく別の話をはじめてしまった。
 途中の展開を省略して,結論だけ述べておこう。
 昨年の野球賭博問題の名古屋場所こそ休場にすべきであったのに対して,今回の八百長問題では休場にすべきではない,というのがわたしの考え。
 取り急ぎ,ここまで。





2011年2月19日土曜日

大相撲とはなにか,という根源的な議論を。その6.八百長とはなにか。

 通称「八百長」と呼ばれていた八百屋の長兵衛さんが,ご近所の相撲部屋の親方と仲良しになり,気慰めに囲碁を打って楽しんでいた。長兵衛さんは親方にいつもお世話になっているので(野菜を部屋で大量に買ってくれる),囲碁の勝負ではいつも「一勝一敗」になるように帳尻合わせをしていた,という。
 ところが,あるとき,囲碁のプロがやってきたので,ご近所の囲碁好きの仲間と一緒に指導を受けることになった。このときばかりは,長兵衛さん,本気を出してプロの胸を借りた。そうしてとうとう,長兵衛さんがプロも舌をまくほどの実力者であることがバレてしまった。
 しかし,親方は自分の不明を恥じて,以後は,長兵衛さんを師匠と呼んで,教えを請うたという。これが「八百長」の語源だといわれている(異説あり)。
 ここで注目しておきたいことは,八百長とは,いまでいうところの「片八百長」がはじまりだ,という点だ。しかも,きちんと「一勝一敗」になるように貸借関係も「ゼロ」になるように帳尻合わせまでしていたという点だ。これはある意味では人間が生きていく上での立派な智慧というべきだろう。この種の「片八百長」は,日本の社会にはむかしから深く浸透している一種の文化ですらある。そして,現代社会においても,この種の「片八百長」は臨機応変に,さまざまな職域や組織や共同体のなかで機能している,とわたしは思っている。
 かく申すわたしも,学生時代の合宿などで,先輩たちと囲碁を打つことは多々あった。しかし,絶対に勝ってはいけない,という不文律のようなものがあって,だれいうこともなく,それはきちんと守っられていた。頑張ったとしても「一勝一敗」,つまり,勝率は五分にしておくこと。間違っても勝ち越してはいけない。これはある特定集団や特定社会にあっては,必要不可欠の潤滑油のようなものではないか。この考えはいまも変わってはいない。
 だから,相手の実力がどの程度なのかは,不明なままである。それでも,手の内を読んだり,詰めのきびしさや甘さをうかがったりしながら,阿吽の呼吸までふくめて,ある程度までは相手の実力を推し量ることはできる。だから,そのあたりのところは,所詮,遊びの囲碁ということに徹して,あまりきびしく詮索しない方がいい。ましてや,囲碁での「ガチンコ」勝負など,挑むべくもない。なかにはそういう人がいて,困ったこともある。だから,そういう人とは友だちにはなれなかった。類は友を呼ぶ。「ガチンコ」の好きな人はそういう人で集まっている。それでいいのだと思う。「遊び」なのだから。
 人生も社会もけしてフェアではない。アンフェアな方が多い。だから,人間はないものねだりをする。それを理想としてかかげる。近代の競技スポーツはその代弁者の代表のようなものである。だから,近代スポーツは徹底して八百長を排除するルールをつくった。近代合理主義の名のもとに。それでも,八百長を根絶することはできなかった。だから,いまも,ときおり,亡霊のように噴出する。そのたびに大騒ぎになる。プロ野球でも,サッカーでも同じだ。定期的に八百長問題が持ち上がる。みんな日常生活では八百長をしているのに,スポーツでは許さない。なぜか。個人(俗人)では実現不可能な理想だから。
 話をもとにもどそう。さて,八百長には,こうした「片八百長」からはじまって,だんだんと手のこんだ八百長へと進化していく側面がある。それは政治や経済はもとより,ありとあらゆる分野にまで,いわゆる八百長文化は浸透していき,それぞれに固有の形態をとる,と言っていいだろう。驚くべきことに教育の現場にも八百長は存在するのである。これを暴き出したら,日本の教育現場は崩壊してしまうだろう。なかには「褒め殺し」などという八百長もある。
 いま,問題になっている大相撲の八百長に限定しても,その内実はじつに複雑で,厳密な意味でその実態を把握することは不可能であろう,とわたしは思っている。なぜなら,たとえば,片八百長などは,当事者にもわからないらしい。講談のネタにもなっている谷風の片八百長の話は有名である。母親が病気でお金がなくて困っている親孝行の力士に,谷風が勝ちを一方的に譲った,という話である。これは「美談」として長く語り伝えられ,こんにちでも引き継がれている。
 しかし,いま,メディアをとおして八百長を批判している多くのジャーナリストたちは,「美談」どころか,スポーツマンにあるまじき行為として一蹴するだろう。それはあまりにも大人げない,とわたしは思う。プロ野球の選手たちにしろ,Jリーガーたちにしろ,もちろん大相撲の力士たちにしろ,よほどの例外でないかぎり,みんな,とても仲良しなのである。だから,長い間,ケガを最小限に防ぎつつ選手/力士生活ができるのである。それを,全部,「ガチンコ」勝負でなければならない,と主張するある種の原理主義者的なジャーナリストが,ここにきて急増している。こういうジャーナリストたちによってスポーツ文化はどんどんやせ細っていってしまう。
 スポーツ文化には,近代化しなければならない部分と,近代化してはいけない部分とがある。別の言い方をすれば,「透明化」しなければならない部分と,「透明化」してはならない部分とがある,ということだ。この矛盾する両者の微妙なバランスのとり方を間違えると,スポーツ文化に未来はない。21世紀はそういう時代を迎えている,とわたしは考えている。
 たとえばの話である。千秋楽に「七勝七敗」の力士と対戦する力士は,もし,こちらに勝ち越しという余裕がある場合には,そして,深い友情がある場合には,わたしなら迷わず片八百長をするだろうと思う。少なくとも「ガチンコ」では闘えない。それが人間だと思う。しかし,同じ相手が初日とか,前半戦の取り組みだったら,それは間違いなく「ガチンコ」でいくだろう。それが友情の証というものだ。だから,大相撲を観戦する場合には,場所の前半と後半では,わたしのみる眼はまるで違う。後半戦の方が,いろいろの力学が複雑にはたらいていてはるかに面白い。もちろん,そこには片八百長もある。だから,絶対にバレないように,力士たちは熱戦を繰り広げる・・・・。なぜなら,興行だから。なによりも,お客さんに満足していただくことが最優先されるから。
 大相撲の八百長には,こうした片八百長から,「拝み」「注射」「星の貸借」「金銭の授受」「賭博」など,わたしが知っているだけでも,さまざまな種類があって複雑怪奇である。おそらく,これ以外にもさまざまな八百長の方法はあって,つぎつぎに新手が生まれていることだろうと思う。
 いま,話題になっている八百長は,少なくとも「賭博」とはなんの関係もないものだ。つまり,大相撲の世界の中での,当事者間でのやりとりであって,自己完結しているものばかりである。だから,犯罪ではない。ただし,倫理的・道義的に許されない。そういう範囲の内側のものである。ここには警察は関与しない。しかし,世論というものが許さない(と,ジャーナリストは言う)。ここが問題だ。はたしてそうだろうか,という疑問がわたしにはある。わたしにとっては許容範囲だから。むしろ,これから土俵をみる大相撲ファンの眼がもっと厳しく,鋭くなってくるだろう,と思うから。そうなると,力士の技量はますますレベルアップすることになる。そういう相乗作用が期待できる。大相撲はもっともっと面白くなる,と確信する。
 そこで,日本相撲協会は自主的に「調査特別委員会」を設けて,八百長の根絶に全力を傾けている,というのが現状だ。しかし,ここで問題になっている「八百長」の定義が,いまひとつ明確になっていない。たぶん,金銭の授受をともなう八百長に限定されてのものだろう,とわたしは推定しているのだが・・・・。ひょっとしたら,片八百長まで,調査の対象にしているのだろうか。

 書きはじめたら止まらない。まだまだ,論じなくてはならないことがある。
 それらはすべて宿題ということにして,今回は〔未完〕のまま,一区切りとする。
 お許しください。

2011年2月18日金曜日

大相撲とは何か,という根源的な議論を。その5.相撲は「神事」であるという根拠も見当たらない。

 相撲は「神事」である,という俗説もまた一人歩きをしている。そして,多くの人びとがそれを信じている。のみならず,著名なジャーナリストまで,この俗説を固く信じて論陣まで張っている。
 そこで,もう一度,虚心坦懐にさまざまな文献を探索してみた。
 が,やはり,相撲が「神事」であるとする有力な根拠はどこにも見当たらない。
 で,仕方がないので,逆に,これが根拠になっているのではないか,と思われる事象を取り上げて考えてみることにする。
 一つは,神事相撲である。これは,すでに何日か前に書いたことがらである。だから,かんたんに触れておけば,神事相撲の根幹にあるものは「約束事」である,ということだ。この「約束事」を再現すること,そして,それをみんなの眼で再確認することに意味がある,ということだ。ここには,いわゆる「ガチンコの勝負」は認められない。それどころか「ガチンコ勝負」などあってはならない世界なのだ。なぜなら,神事相撲の原点にあるものは「神遊び」なのだから。つまり,神と人間との「交信」 「交感」「共振」「共鳴」なのだから。
 となると,こんどはこの「神遊び」をどのように考えるか,ということが大きなテーマになってくる。この「神遊び」については,それこそジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』まで立ち返って,しっかりとした議論をする必要がある,とわたしは考えている。じつは,わたしが「根源的な議論を」と言っているのは,ここまで降りていって議論するくらいの覚悟が必要だ,という意味なのである。ここの議論を通過すると,大相撲とは何か,という問いに対する応答の仕方が一変してしまうはずである。なぜなら,それは人間の「原罪」に触れることになるから。
 バタイユの『宗教の理論』については,すでに,かなりの分量のブログを書いているので,そちらを参照していただきたい。もちろん,また,チャンスがあれば,相撲─神遊び─動物性への回帰,というわたしの仮説について論じてみたいと思う。今回はこの程度にして。つぎの問題へ。
 二つめは,行司さんの役割があろう。烏帽子・直垂をつける衣装は,いかにも神官を想像させるに十分なものがある。この衣装は,さも,古くから用いられたような錯覚を起こすが,じつは,1926年以後のことである。しかも,吉田司家の創作だという。吉田神道の衣装をアレンジして,それをそのまま行司さんに着せてみたら,とても評判がよかったので,そのまま継承されることになった,という。行司さんは,もともと,相撲部屋に所属する人だったわけだから,吉田神道とは直接はなんの関係もない。もし,あっとしても,かつてむかしのこと,吉田司家で神官としての多少の作法や所作の仕方くらいは指導を受けたことがあったかもしれない(残念ながら,そういう記録を眼にしたことがない)。しかし,吉田神道と日本相撲協会とは,1945年に,完全に関係がなくなっている(GHQの指導により)。したがって,第二次世界大戦後は,大相撲と神道とはなんの関係もなくなっている。もちろん,神道的な様式の残像は否定すべくもないが,実態としては,ほとんど形骸化していて,それ以上のものではない。
 三つめは,土俵祭りがあろうか。土俵祭りは行司さんが最初から最後まで仕切る。新しく土俵をつくるための土を積み上げて,固め,そこに御幣を立てて,神々を降臨させるお祭りである。面白いことに,土俵にお招きする神々もまた,時代によって変化しているというのである。たとえば,江戸時代の土俵にお招きされた神々は「郡八幡宮,天照皇大神宮,春日大明神」の3人だったという(山田知子著『相撲の民俗史』東京書籍,平成8年)。なにゆえに,この三神だったのか,いささか理解に苦しむ。あるいはまた,1945年の敗戦までは,「天神(あまつかみ)七代」と「地神(くにつかみ)五代」の合計12柱の神々が土俵祭りの祝詞のなかで読み上げられていた,という。これは明らかに天皇制護持を万全なものにするための,一つの儀礼と考えることができよう。そして,敗戦後は,「戸隠大神(とがくしのおおかみ),鹿島大神(かしまのおおかみ),野見宿禰(のみのすくね)」の三神になったという。なぜ,この神々になったのかは不明だが,少なくともGHQに対して,天皇制とは関係がないということだけは意識していたのではないか,と思われる。あえて推測すれば,戸隠神社は「アメノタジカラオノミコト」,鹿島神社は「タケミカヅチノカミ」,野見宿禰は文字どおり相撲の神様,ということになろう。アメノタジカラオノミコトは,アマテラスオオミカミが隠れてしまったアメノイワヤドの岩をこじ開けた力自慢の神。タケミカヅチノカミは,国ゆずり神話のなかで,オオクニヌシの次男であるタケミナカタノカミと相撲をとった力自慢の神,そして,ノミノスクネである。これらの神々は,明らかに相撲に縁のある神様ばかりである。
 こんにちの大相撲の土俵にはこの三神をお招きして祀ってあるというのである。しかし,この三神をお迎えする行司さんたちは神官としての修行をしたわけでもないし,神官の資格をもっているわけでもない。ただ,相撲の行司をする専門職が,神官に成り代わって三神をお迎えするだけの話である。つまり,俗人が執り行う「神事」であって,特定の神道とはなんの関係もない。
 この他にも「神事」らしきことを挙げていけばないわけではない。しかし,それらはもはや大勢に影響はないだろうと思われるので割愛する(土俵入,塵手水,四股,塩,力水,など)。
 このように大相撲が「神事を積み上げてきて国技となった」とされる根拠はどこにも見当たらないのである。では,いったい大相撲とはなにか。
 もうしばらく,この問いをつづけていきたいと思う。

2011年2月17日木曜日

河津桜がちらほらと咲き始める。もう,春なのだ。

 このところの寒気が少しゆるんで,今日はとても暖かに感じられる。鷺沼の駅から,いつもの道を歩いていても,じんわりと汗が浮かんでくる。
 空は高曇で,ときおりうっすらと陽がさす程度。なのに暖かい。一度,きびしい寒さを経験すると,ちょっとでも気温が上がるとからだは素直に喜び,暖かいと感じる。今日はそんな日。
 ところが驚くべき発見があった。いつもの植木屋さんのところに差しかかったときに,桜らしき花がみえるではないか。一瞬,立ち止まって,眼をこらす。そういえば,あのあたりに河津桜の木があって,去年も早めに咲いていたなぁ,と思い出す。道路から駐車場の方に踏み込んで,近づいてみる。まぎれもなく,河津桜がちらほらとほころんでいる。ああ,春だ。もう,春がきているんだ。これからここを通るたびに,桜花を楽しむことができる。河津桜につづいて,早咲きの桜(こちらは名前がわからない)のつぼみがすでに大きくなっている。染井吉野はまだまだつぼみは固い。が,もう少しすると急につぼみがふくらみはじめる。こちらも楽しみ。
 鷺沼の,東京にくらべたらかなり気温が低いところなのに(溝ノ口とくらべてもかなり低い),もう河津桜が咲き始めたということは,本場の伊豆の河津ではちらほらどころではないだろう。もう,五分咲きくらいにはなっているのだろうか。ちょっと調べてみて,もう咲いているようだったら,ちょっぴり遠出をして桜見物としゃれこんでみたいものだ。
 ついこの間まで,午後4時をすぎると,なんとなく暗くなってくるように思っていたが,いまは,午後5時をすぎてもまだ明るい。そうなんだ。日照時間は間違いなく自然の法則どおりに進展しているのだ。部屋に閉じこもってばかりいないで,もっと,外にでて,歩くべきなのだ。
 よし,こんどの原稿が終わったら,少し,行動半径を大きくしよう。
 日照時間の延長に合わせて。
 この近く(鷺沼)にも桜の名所はいっぱいあるのに,いつも気持ちばかりが焦っていて,まだ,どこにも行っていない。これは間違いだ。自然の空気に触れ,物見遊山を楽しまなくては・・・・。神遊びの原点に帰って・・・・。
 などと,なんだか毎年,同じことをくり返しているような気もする。が,ことしこそは・・・。
 まずは,河津まででかけてみよう。それからだ。すべてのはじまりは。
 明日から,毎日,鷺沼の河津桜を眺めながら,実行する覚悟を。
 春はいい。寒い冬を通過するからこそ,春はいい。
 わが人生の春はいつやってくるのだろうか。もう,秋しかないのだろうか。いやいや秋のあとは冬がやってくる。そのあとは,春なのだ。その春を待つ,しかないか。

大相撲とは何か,という根源的な議論を。その4.大相撲は「国技」である,とする根拠はどこにも見当たらない。

 このところ,熱心に相撲の本を読んでいる。手元にある本はもとより,新たに資料となりそうなものまでかき集めて,問題の「国技」「神事」の根拠となりそうな事実関係を確認している。しかし,どこまでいっても,その根拠は見当たらない。
 あるのは,明治42年(1909年)に両国に国技館ができてから,大相撲と「国技」が結びつき,巷に膾炙されるようになった,ということだけである。
 そういう風潮を受けて,日本相撲協会の寄付行為の第3条(目的)のなかで「この法人は,わが国固有の国技である相撲道を研究し,相撲の技術を錬磨し,その指導普及を図るとともに,これに必要な施設を経営し,もって相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的とする」と謳われていること(あとで詳しく触れる)。
 その流れのなかで,新弟子たちを集めて行われる相撲研修所の教室に「力士修行心得」なるものが貼りだされていて,「第一条 相撲は日本の国技と称されていることを忘れないこと」と書いてある,という。
 まことに正直といえば,あまりに正直。「相撲は日本の国技と称されていることを忘れるな」というのである。こんなところに本音が露呈してしまっている。「国技と称されている」という認識なのである。「国技である」と新弟子たちに教えてはいない。国技と言われているのだから,そのように心得なさい,と新弟子たちは「正しく」教えられているわけだ。
 寄付行為の方は,日本相撲協会の前身である大日本相撲協会が財団法人として認可されたのが1925年なので,国技ということばが公式に用いられたのは,それ以後のことである。ここでも,「わが国固有の国技である相撲道を研究し」という具合に,相撲が国技であるとは言っていない。相撲道と逃げている。なぜ,相撲道といわなければならなかったのか。
 その背景として考えられることは,柔道である。柔術が嘉納治五郎によって「柔道」に再編され,術が「道」になったことによって,たんなる「やわら」ではなく,人間修養の「道」として知識人の間で高く評価されるようになった,という歴史過程がある。相撲も,たんなる力人(ちからびと)ではなく,人間としての「道」を探求する「相撲道」になって,はじめて「国技」と呼ばれるに値するという隠喩をそこに読み取ることができる。こんなところに,「相撲は国技である」とは言い切れない,ある種の「うしろめたさ」のようなものを感じてしまう。
 しかし,このことがいつしか忘れ去られ,「相撲はわが国固有の国技である」に転化していく。なぜなら,柔道にしろ,剣道にしろ,ここでいう「道」とは禅の思想であり,道家思想(道教)がその基本となっているにもかかわらず,相撲道とはいかなるものなのか,ということがきちんと定義できていないからだ。こんなところにも,なんとなく「引け目」や「うしろめたさ」を感じてしまう。だから,都合のいいときだけ「相撲道」ということばが用いられ,それ以外のときにはほとんど無視されてきた。つまり,内実がなにもないのである。だが,なんとなく相撲道というものが「あるもの」として,こんにちまで扱われてきた,ただ,それだけ。
 ここで言いたいことは,国技であると言う以上は,それなりの歴史的な根拠や理論的な根拠(思想・哲学)を明らかにし,大方の合意がえられなくてはならないだろう,ということだ。そういうものがなにもなくて,ただ,一方的に「国技だ」と言われても困る。だから,相撲研修所の教室に貼りだされている「力士修行心得」の第一条でいうところの「相撲は日本の国技と称されている」という認識はまことに正直な表現である,というわけである。つまり,これが真実なのだから,それはそれでいい,とわたしは思う。
 どうも,大相撲の世界には,「・・・・といわれている」ということが多くあって,それがいつのまにか「・・・・である」という断定となり,それがさも真実であるかのように一人歩きをはじめているのが実情のようである。問題は,それを歴史的事実と勘違いをしてしまう世論と,それを背に受けて論陣を張るジャーナリズムの側にある,とわたしは考えている。
 雨天でも興行のできる常設相撲場を建設し,その建物に国技館という名前をつけるときの委員長を務めたのは板垣退助である。かれは最後まで「尚武館」(しょうぶかん)とすべしと主張し,国技館という命名に反対した,という。しかも,数年経ったのちになっても,はやり「国技館」という命名は間違いだったと言っている。なぜなら,相撲を「国技」だと多くの人びとが勘違いするようになったから。この話はあまりにも有名なので,ちょっとした相撲の本ならどこにでも書いてある。そこにだけ焦点を当てた本としては『相撲,国技となる』(風見明)がある。参照されたい。最近,でた本では,高橋秀美の『おすもうさん』(草思社,2010年)が,かなり丁寧に調べて書いている。わたしがもっとも信頼を置いている文献は,新田一郎の『相撲の歴史』(講談社学術文庫)である。この本は何回もくり返し読むだけの価値がある。日本中世史の専門家の書いたものとしての学術的な信頼度(東大法学部教授で日本中世の法制史の専門家)のみならず,なによりも相撲を愛する現役の相撲の指導者(東大相撲部監督)でもある。
 いずれの著書も,「国技館ができたから国技と呼ばれるようになった」というのが結論。
 しかも,第二次世界大戦中の国粋主義者たちの言論をとおして,「相撲は国技である」ということばが定着していったプロセスもまた見逃してはならないだろう。その中心に「双葉山」の活躍があったことも。一説によれば,双葉山の69連勝は「国策」であった,とも言われている。もし,これが事実だとすれば,国家がらみの「八百長」ということになってしまう。この点については,また,いつか取り上げてみたい。

「八百長と日本社会」(朝日新聞)の3人のオピニオンに拍手。

 今朝の朝日新聞の「耕論」(オピニオン)で,「八百長と日本社会」というテーマがとりあげられ,3人の識者がそれぞれの専門の立場から意見を述べている。いずれも傾聴に値する内容になっている。ようやく朝日新聞が大相撲に関するまともな記事を掲載したことに,こころから拍手を送りたい。やればできるではないか,と思いつつ・・・。
 3人の識者とは,御厨貴(政治学者)さん,金田一秀穂(国語学者)さん,柳澤健(ノンフィクションライター)さんの3人。ごく簡単に紹介しておくと以下のとおり。
 御厨さんは「語られざるもの生かす道は」という見出しに明らかなように,八百長は昔から「語られざるもの」としてあったんでしょう,と述べ,全部ガチンコで,というのは緊張感があっておもしろい。でも,「語られざるもの」を組み入れ,政治と同様に第三のスタイルを探ることはできないのか。それができれば,そこに新しい大相撲の魅力というか,おもしろさが出てくるんだと思いますよ,という。そして,専門である政治の世界での議員運営委員長というポスト(国会の正式な役職)と国対委員長(こちらは非公式な役職)という二つの役職があって,ここでいろいろな「裏取引」がなされている,という。しかも,「当然,お金も絡んでくる」という。それでも,政治がうまく回るならそれでも良い,と納得してきた,大きな声では言えないけれど,それでうまくやるのが大人の世界だよ,と。だから,大相撲の世界でも,その仕組み(第三の道)をさぐるべきだ,と。そこから新しい大相撲の魅力やおもしろさが開かれてくるのでは・・・と。
 政治の問題はともかくとして,大相撲は娯楽であり,遊びなのだから,この「第三の道」をさぐるという考え方には賛成である。もっと言っておけば,わたしは大相撲の八百長をふくめて存分に楽しんできたので,それがわからない人のために,この御厨さんの提言に賛成である。
 つづいて,金田一さんは「白黒つけない人情の言葉」として「八百長」ということばがあるのだ,と仰る。そして,日本の社会を動かす原理は,人と人の情である,と。ところが,最近の世相は白黒つけることが分りやすくて良いという考えが広がっているが,これはいささか幼稚な考えではないか,と。「白黒つけないのが大人,日本人的なんです。大相撲は,日本の文化の中に深く入り込んだものです。日本の文化,芸術,美学であってスポーツじゃない。誰が悪い,誰がやったんだ,と白黒つけることはなじまない。白黒つけなくていいんです」とまで仰る。
 「大相撲は,日本の文化,芸術,美学であってスポーツじゃない」という発言に拍手喝采である。この点に関しては,わたしとまったく同じお考えなので,安心もし,勇気をいただいた。これから書こうとしている原稿も,この路線(わたしの本音)でいこうと覚悟を決める。おもしろいものが書けそうだ。その意味では感謝。
 そして,言語学者らしく,「融通をきかせる」「手心を加える」「顔を立てる」ということが日本の社会のなかでは,一種の潤滑油として,きわめて重要な役割をはたしてきている,と。八百屋の長兵衛さんは,そういう日本人の典型のひとりだったわけで,こんなことはいまでも立派に行われている,と。
 そのとおりで,接待ゴルフや接待麻雀などでは,絶対にお客さんに勝ってしまってはいけないというのは暗黙の大原則である。それが,最初からわかっていても,お客さんは喜ぶのである。だから,いまでも平然とそれが行われているのだ。ここが,八百屋の長兵衛さんの原点なのだ。世の中をうまく回すための「方便」なのだから(この「方便」をとんでもないところで用いた人もいて,あきれ返ってしまったが)。
 最後のひとりは,柳澤健さん。ノンフィクションライターの肩書で幅広く活躍されている人だが,とりわけ,プロレスに関する著書で知られる人。この人は大相撲の世界にも明るく「保身の念,一刀両断できぬ」という。
 「もちろん八百長はない方がいい。でも八百長があるからといって大相撲のすべてを否定するのは愚かなことです。」
 「八百長は,この国の一面を示しているともいえます。千秋楽を7勝7敗で迎えた力士が対戦相手から星を買うことを,私は全面的にとがめることができません。八百長の動機の一つに,番付を落したくない保身があったと言われますが,ある意味,保身に走るのは人の常だとも言えます。例えばお中元やお歳暮には,人によっては保身をはかる意味もあるでしょう。」
 「星の売り買いは昔からあったでしょう。でも,それは一部に過ぎず,大部分は真剣勝負だと思います。八百長事件は,海外も含め野球やサッカーなど他のスポーツでも起こっています。」
 とまあ,スポーツの世界に明るい人のことばがつぎつぎに飛び出してくる。
 こういう実態を,だれよりも熟知しているのはスポーツ担当記者であるはず。その人たちのほとんどが「頬被り」をして「知らぬ勘兵衛」を決め込み,にわかに「正義」の使者に成り代わって大相撲叩きをする。このことの異常さに,わたしはただ,ただ,唖然とするのみである。そうではなくて,この「耕論」を企画し,人選し,それを取材した記者のような人たちもいるのだ。もっと,もっと広い視野に立ち,多くの人の意見を聞いてみたいものである。それが新聞の一つの役割ではないのか。一方的な弾劾だけでこと足れりとする,了見の狭い記者の猛省をうながしたい。

 

2011年2月16日水曜日

大相撲とは何か,という根源的な議論を。その3.

 大手のメディアを筆頭とする大相撲バッシングが後を絶たない。「八百長」は悪である,と。しかし,賭博に関係のない内輪の八百長は犯罪ではない。だから,警察は一切ノー・タッチである。わたしのように,大相撲は「勝敗原理を取り込んだ伝統芸能である」と,長い間,信じてきた人間からすれば,観客にバレない八百長は立派な「芸」であり,金を払うに値する。しかし,観客にバレてしまうような下手な八百長をしたら「金を返せ」と,土俵に向って吠えるだろう。ただ,それだけの話。なのに,なにゆえにメディアはかくも大相撲を目の敵にしなくてはならないのか。
 大相撲は,土俵の上で力士が繰り広げる相撲の「芸」と,その「芸」にお金を払って観るお客の満足度との関係の上に成り立つ,日本の「伝統芸能」である。だから,素晴らしい相撲の「芸」が展開されれば,お客が殺到し,連日の「満員御礼」の垂れ幕が下がるし,相撲の「芸」がやせ細ってくれば(たとえば,下手な八百長をして),金を払うお客がいなくなるだけの話である。ただ,それだけの話だとわたしは考えている。だから,八百長をやりたければやればいい。お客がつくかつかないか,それだけの話。
 もう一度,くり返す。なのに,なにゆえにメディアはかくも大相撲を目の敵にしなくてはならないのか。わたしには,このことこそが異様であり,異常にみえる。狂気にみえるときもある。日本のジャーナリズムは狂ってしまったのではないか,と。
 その最大の根拠は,大相撲とは何か,というもっとも基本的な認識が不確かなまま,じつに勝手な論陣を張っていることにある。もっと言ってしまえば,大相撲についての信頼のおける歴史認識をもたないまま(あるいは,確認もしないまま),曲解された通説にあぐらをかいて,恥ずかしげもなく署名記事まで書いている始末だ。
 いま,必要なのは,大相撲に関して議論するための事実確認(前提条件)ではないか。
 たとえば,以下のように。
 大相撲は「国技」なのか。なにを根拠に「国技」といえるのか。
 大相撲は「神事」なのか。なにを根拠に「神事」といえるのか。
 大相撲は「スポーツ」なのか。なにを根拠に「スポーツ」といえるのか。
 ここでいう「スポーツ」とはなにか。「スポーツ」の概念をどのようにお考えなのか。
 大相撲でいう「八百長」とはなにか。なにをもって「八百長」というのか。
 「阿吽の呼吸」「待った」のもつ文化性をどのように考えるのか。
 「相撲道」とはなにを意味するのか。
 「横綱の品格」とはそもそもなんなのか。
 このあたりで止めておこう。少なくとも,こうした大問題について確たる根拠もあいまいなまま,論陣を張るジャーナリズムとはなんなのか。

 とりあえず,今日はここまで。つづく(予定)。

2011年2月14日月曜日

自分の顔は自分ではみることができない。そのさきに起きていることは?

 柏木裕美能面展・鼎談のつづき。その3.
 昨日のブログでは,今福龍太さんがこんなお話をしてくださった,ということをinamasa流にアレンジして報告をした。つぎは,西谷修さんのお話である。
 しかし,ここではたと困ってしまった。西谷さんのお話を整理して,概要を伝えるということは至難の業であるということがわかったからである。そこで,西谷さんの論法をお借りして,西谷さんのお話をわたしはこんな風に受け止めて,こんな風に考えました,というように書こうと思う。それなら書ける。多少,間違っていたにしろ,わたしはこう受けとった,となればさしもの西谷さんといえども,「ああ,そうですか」と答えるしかないからだ。以下は,この論法の展開である。
 まず,お話の冒頭で,西谷さんは「テンションの高さ」というお話をされた。
 その枕の部分で,みんなさんの爆笑を誘った。
 「柏木さんは,マッシュ・ルームを食べすぎて,ハイ・テンションに入り,幻覚症状のなかであの創作面を打ったのではないか」と。
 芸能もスポーツも一流の役者やアスリートは,われわれ常人とはまったく次元の違うハイ・テンションの状態に入り,演技やプレイを展開する。だから,多くの人びとを感動させることができるのだ,と。柏木さんも,いまや,その世界に入り込んでお仕事をしているに違いない。それでなければ,2年間にあれほど多くの創作面が誕生するはずがない。それも,気がついたらできあがっていた,と仰る。これこそが「一流」の証である,と。
 つづいて,「能面とはなにか」という問いを立てて,つぎのような刺激的な,ある意味で挑発的なお話をされた。まるで,柏木さんの作品群に煽り立てられるようにして。
 まず,能面は人間の顔を写し取ったものであるが,人間の顔をそのまま写し取ったものではない。じつは,人間の顔というものは,考えれば考えるほど不思議な存在なのだ。まず,第一に,自分の顔は自分ではみることができない。では,自分の顔はどこに行ってしまうのか。自分の顔は,この顔をみている人の眼のなかに入り込んでしまって,その人の印象のなかにある。しかも,自分の顔は瞬間,瞬間に変化していくので,みる人によって,どの瞬間をみているか,どの瞬間の顔がみる人の印象として強く残るかは,まったく個別的なものとならざるをえない。したがって,自分の顔は,それをみる人によって個々ばらばらな印象となって拡散していく。
 つまり,自分の顔は,もし「みんな」というものが存在するとすれば,みんなのものになっていく。つまり,自分ではみることのできない顔が「みんなのもの」になっていくのである。もっと言ってしまえば,自分の顔は他者に預けられてしまう,あるいは,預けられたものとしてしか存在しない,ということになる。その他者に預けられた顔が自分の顔として認知されていくことになる。だから,自分の顔は100分割にも,1000分割にもなりうる。それが顔というものである。
 こういう人間の顔を,能面に写し取るとはどういうことなのか。それは,たとえば,小面でいえば,ある若くて美しい女性の顔を写し取ったものである,と言われている。そこには必ずある「モデル」となった女性がいたはずである。この「モデル」となった女性の顔を,最初は,ある特定の面打師が自分のイメージだけで制作したに違いない。しかし,別の面打師が異議を唱えて,この「モデル」の顔はこうだ,といってその面打師のイメージで制作する,ということが起こったに違いない。そうして,多くの面打師が「小面」と題する面を制作していくうちに,次第に淘汰されていって,やがて「みんなの小面」が集約されて,一定の様式にもとづく定番の「小面」ができあがっていったのだろう。それが,こんにちに伝承されている「小面」である。だから,「小面」のなかには,さまざまな女性の感情が凝縮したかたちで埋め込まれている。世にいう「小面のうらに般若あり」は,こうした背景を伝えているのだろう。
 だとしたら,柏木さんが「小面変化」を100分割する試みをはじめたとしても,なんの不思議もない,ごくごく当然の成り行きである,と言ってよいだろう。しかし,これまでの面打師は,こんなことは考えようともしなかったし,思いも及ばなかったことに違いない。ただ,ひたすら伝統面の様式に則って,そのコピーを制作することに情熱をそそいできた。しかし,柏木さんは,同じ道筋を歩みながら,伝統面のなかに安住することに満足できなくなってしまった。そうして,依頼されて制作した「鑑真」面が,柏木さんの無意識の世界になにかを持ち込むこととなった。それがうずうずとうずきはじめて,とうとう身近にいる人間の顔を,それこそ最初は実験的に制作する,ということをはじめた。そこに,たまたま,太極拳の仲間として一緒にいた,「ヒー君」(inamasa)「オー君」(西谷修さん)「李自力老師」が,つごうのいいモデルとして使われることになった。
 西谷さんは,ここで必殺のジョークをとばす。
 「われわれは柏木さんの不朽の名作となる恩恵に浴することになった」(大爆笑)と。
 柏木さんの「小面百変化」はここからはじまった。
 そのことと,面打師という肩書を捨てて,「能面アーティスト」を名乗るのは同時だった。以後,水をえた魚のように,じつに生き生きと泳ぎはじめた。毎晩,夜中の3時,4時まで,制作に熱中し,根も精もつきはてるまで打ち込み,太極拳の稽古にきたときには,からだが動きません,という状態にまで自分のからだを酷使していた。それがいまもつづいている,という。
 ここから,柏木さんの能面につけられているキャプションについて,西谷さんは不思議な見解を披瀝する。
 今福さんも感心されたように,柏木さんの創作面につけられたキャプションが,とても上手だと思う,と。そして,よくよくみていくと,そのキャプションがどこからでてくるのかが気になってくる。そして,そのうちにこのキャプションが「声」となって聞こえてくる。しかも,その声が,どこからでてくるのか,それが一カ所ではなく,あちこちから聞こえてくる。つまり,面自身の声であったり,そうではなくて面をみている人の声であったり,作家の声であったり,とさまざまである。しかし,その声にじっと耳をすませていたら,はっと気づくことがあった。その声は能楽の舞台の奥の方からでている,ということに。
 だから,柏木さんの制作している創作面もまた,まさに,能面なのだ,とわたしは確信した。つまり,能楽の舞台の奥から聞こえてくる声に促されるようにして制作した創作面なのだ。だから,これこそが能面なのだ。
 こうして,伝統面という,一種の呪縛から解き放たれた,あるいは,伝統面を「脱構築」するような営みとしての柏木さんのお仕事は,まさに21世紀の未来に向けた新しい伝統文化の創造の出発点に立つものだと言ってもいいだろう。
 と,以上は,西谷さんのお話を聞いたわたしのレポートである。だから,わたしの創作もずいぶんと紛れ込んでいる。西谷さんには,あちこち曲解だらけであると叱られそうだが,わたしとしては覚悟の上である。しかも,西谷さんのお話のお蔭で,柏木さんの能面をみる眼が,根底からひっくり返され,まったく新たな地平からものごとを考える土台をいただいた,とこころから感謝である。
 以上で,わたしのレポートは終わり。

2011年2月13日日曜日

「仮面」は動物的身体に回帰するための「道具」。

 昨日のブログのつづき。
 わたしの話のあとを引き継いで,今福さんがとても魅力的なお話をなさった。いつものことながら,さすがだなぁ,と思う。
 その今福さんのお話のうち,わたしの記憶に鮮明に残った部分について,かいつまんで書き留めておきたい。
 まず,仮面とはなにか,という根源的な問題をなげかけ,そこに能面を置いてみるとなにがみえてくるのか,と問う。そして,仮面(=能面)とは「人間が人間以上のものになるための装置(あるいは,「道具」)」である,という。たとえば,「翁」という面がある。これはかならずしも老人を表しているわけではなくて,「時間を超越する存在」であり,そういう存在の象徴としてある。だから,翁が童であってもさしつかえないのだ,として「翁童論」をごくかんたんに紹介する。つまり,「翁」の面をつけることによって,時間を超越した存在となり,本人の意識とは無関係に,翁面に自分のからだが動かされていく,ということが起きる。つまり,翁面をつけた人のからだが翁面にからめ捕られていく。すなわち,翁面をつけると,どんな動き方をしてみたところで,それはすべて「翁」の動きになってしまうのである。鬼の面をつけてもまったく同じことが起きる。それが能面(仮面)というものの本質である,と。
 これを枕にして,メキシコ・コーラ族の仮面について,とても興味深い話,すなわち,今福ワールドを展開。
 コーラ族の若者たちは,お祭りのときには三日三晩,不眠不休で駆けずり回る通過儀礼を何年間にもわたって(成人になるまで)行う(この話については『荒野のロマネスク』という今福さんの初期の作品に詳しく述べられているので,ぜひ,参照のほどを)。ペヨーテというフォーク・メディシンでもちいるサボテン系の一種の幻覚剤を用いることにより,身心の限界を超越した時空間に身を投げ出していくことが可能となる。同時に,ボディ・ペインティングをし,仮面をかぶる。ボディ・ペインティングのことをコーラ族は,からだの上に白と黒の色を「塗る」とは言わないで,白と黒の色で「消す」と表現する,という。つまり,人間としての身体を「消す」というわけだ。そして,人間の身体ではなくなることによって,動物の身体にのっとられていく。その極めつけが「仮面」である。今福さんは,みずからフィールド・ワークをされた折に,コーラ族の若者たちに教えられながらつくったという「オオカミの面」をとり出してみせてくれる。この面を顔につけて,走りまわるのである。さらに,「ことば」はいっさい禁止される。こうして,ほぼ,完全に「動物性の世界に回帰」してしまうことになる。オオカミの三日間を過ごすことになる。その上で,「交尾」を行う。つまり,人間ならば「セックス」になるが,もはや,動物になりきっているので,それは単なる「交尾」でしかない。かれらは「性」の世界へ動物になりきった身体から入っていく。
 この話は,いま,ちょうどバタイユの『宗教の理論』の冒頭にでてくる「動物性」と「人間性」の問題を考えている最中だったので,その典型的な事例の一つとして,わたしには衝撃的な話であった。いまの,このタイミングでこの話を聞くことができたことは,なにか特別な「ご縁」があるなぁ,と不思議な気分になった。人と人との出会いは大事である。同じ話であっても,受け手のレディネスがないと,ただの話で,そのまま通り過ぎていく。しかし,なにかの都合でこころの琴線に触れるとする。それは運命の出会いとなり,その人生をも決しかねないことになる。これからなにかが始まるな,という予感に襲われる。喜びの身震いをともなって。
 いささか,脱線。今福さんは,この話につづけて,洞窟画などに描かれている原初の人間たちの狩り(ハンティング)の絵をとりあげる。ハンターはみんな動物の身体になってハンティングをしている。なぜか。人間が人間の身体を「消して」,なんらかの動物の仮面をつけて,その動物に変身して(その動物になりきって)獲物に接近する。動物と動物は,よほどの関係でないかぎり,至近距離まで近づくことを可能とする。その距離から武器を用いて狩りをする。したがって,原初の人間にとっては,動物的身体にどのようにして入っていくか,はきわめて重要なことであった。そのために工夫されたものが,ボディ・ペインティングであり,仮面である。
 このようにして仮面は,人間が人間以上のものになる,つまり,人間を超えていくための道具としての地位を確保することになる。能面もまた,日本中世の芸能の世界で開発された,人間が人間でなくなるための特別の道具・装置と考えることができる。
 仏像もまた,能面と同じように,仏師のさまざまな思い・信仰が凝縮されたかたちで封じ籠められている,典型的なものの一つと考えてよい。あるとき,フォーク・メディシンで用いられるマッシュ・ルームの幻覚性の実験をしたときに,不思議な経験した,という。光源を一つにして(ローソク一本),仏像の写真集を眺めていたら,突然,仏像の顔が動きはじめたという。そして,それがいくとおりにも変化していき,恐るべき幻覚をそこにみたという。仏師の力というものはすさまじいものだ,こころの底から思った,という。
 われわれ人間は,「視覚」と「時間」によって抑圧を受けながら,日常の生活を営んでいる。だから,われわれ現代人は,ありのままの現実をかなり歪んだかたちで,受け止めることになる。つまり,抑圧によって変容されたものを現実として受け止めることになる。しかし,人間がひとたびこの抑圧から解き放たれると,そこにはまったく自由なのびのびとした,別世界が立ち現れることになる。能面を用いた能楽という芸能は,この「視覚」と「時間」による抑圧を解き放つ,そういう舞台装置なのだ,と考えてよいだろう。
 柏木さんのお仕事は,能面のなかに封じ籠められた「視覚」と「時間」による抑圧を,一つひとつ引き剥がそうとしているような,そういう前代未聞の世界を切り開く,きわめて貴重なものではないか,と考える。
 とまあ,以上は,わたしの牽強付会のような解釈に近いものではあるが,いま,現在の今福さんのお話からえられた印象をそのまま記してみた次第です。これからボイス・レコーダーで確認をしてみて,あまりにわたしの曲解であった場合には,このブログで訂正をさせていただきます。
 とりあえず,今福さんのお話からの,わたしの印象は以上のようなものであった,というご報告まで。
 

2011年2月12日土曜日

鼎談「現代の能面」Part Ⅱ.無事に終わる。

 銀座・文藝春秋画廊で開かれている柏木裕美さんの「能面展」──うつりゆくもの「小面変化」(こおもてへんげ)70/100,のなかのプログラムのうちの一つ,鼎談「現代の能面」Part Ⅱ.が昨日(12日午後5時30分~7時),行われ,無事に終了した。
 鼎談のメンバーは,2年前と同じ。今福龍太,西谷修の両氏とわたしの3人。2年前の鼎談の内容は「現代の能面」と題して『IPHIGENEIA』<ISC・21>版紀要(創刊号)に掲載されている(P.6~49)。したがって,今回はその「Part  Ⅱ」となる。
 いつものように,なんの申し合わせもなしに,わたしから口火を切る。わたしの立ち位置は,司会進行係兼スピーカー。まずは,今回の柏木さんの能面展の趣旨と展示の内容について概要を紹介し,今回の展覧会のもつ意味について所感を述べる。
 柏木さんの今回の作品は大きくわけて四つに分類することができる。一つは,今回の展覧会のテーマである創作面(小面変化・63面),二つには,伝統面(13面),三つには,現代人の面(8面),四つには,能面の絵(きちんと数えてないが,ざっと30か?)である。
 圧巻はなんといっても「小面変化」。この2年間に制作された43面が,びっしりと並べられ,みる者のこころの細部をくすぐってくる。まず,間違いなく笑いを誘い,しかも,それが次第に他人事ではなくなり,だれもが内に宿している感情であることに気づく。すると,次第に,笑い事ではなくなってきて,身につまされてくる。そして,ついには,全部,自分のこころの表象ではないか,と気づく。そして,その瞬間,瞬間のこころの動静をみごとにとらえ,表現する柏木さんの感性のするどさに圧倒されてしまう。まさに,アートの世界への誘いである。これらの作品をとおして,柏木さんは,明らかに面打師の世界から能面アーティストの世界に飛び出した,と言ってよいだろう。その転身ぶりはみごとというほかはない。
 それでいて,伝統面を軽視しているわけではけしてない。むしろ,よりいっそう幽玄の世界に踏み込んだ表現の豊ささえ感じられる。それを助長するかのような展示方法に,2年前とは異なる,あらたな新境地をみる。たとえば,伝統面のすべてが,額ではなく,栗の木に漆をかけた板に伝統面が飾ってある。この展示の方法は柏木さんのオリジナルのアイディアから生まれたものである。とても落ち着いた素晴らしい雰囲気を醸し出している。だから,一つひとつの能面がいちだんと生き生きとし,輝いてみえる。みごとな演出である。こんなところにも柏木さんの,一種独特の才能の表出をみることができる。
 三つめの,現代人の能面が,さらに進化しているようにみえる。2年前のオバマ面,ライス面の迫力に加えて,新作の江田五月面,下田歌子面が格調高い気品をただよわせている。みる人のハートを釘付けにする美しさである。この品格はどこから生まれてくるものだろうか,としばし立ち止まって考えてしまう。両面ともに,オブジェとしての気品と同時に,制作者の品格がそこに映し出されているかのようだ。そこにはつけ入るすきはない。
 四つめの,能面の絵がまた素晴らしい。さらりと,なんのてらいもなく描かれている。能面とはまた違った作家のこころの内面が表出しているようにみえる。あるがままの,きわめて自然体の,作家の素の姿をそこにみる思いがする。だから,みる者のこころが落ち着く。安心する,といえばいいだろうか。部屋に一枚飾っておきたくなる絵である。
 さらに,この2年間に,新たにブログを書きはじめ,こちらの文章表現にもみごとな才能の開花をみせている。日々の日常の話題を取り上げながら,機知にとんだ分析をとおして,人間や社会のあり方にも鋭い批評のまなざしを向ける。しかも,その批評性が,新しく制作された創作面とリンクしていく。こんなところにもまた新たな柏木さんの可能性が開かれつつある。つまり,文筆家への道である。
 という具合に,この2年間に柏木さんは,それまでとは違って,すっかり変身してしまった。まったく新しい柏木さんの誕生である。すなわち,「面打師」という呪縛から解き放たれ,まったく自由な時空間に飛び出した「能面アーティスト」柏木裕美の誕生である。
 今回の展覧会をとおして,「能面アーティスト」としての基盤は固まった。ここからつぎの2年間に向けて,柏木さんはどのような変身をとげるのだろうか,いまから楽しみではある。
 今福さん,西谷さんのお話については,また,稿をあらためて書いてみたいと思う。
 とりあえず,今夜はここまで。

2011年2月11日金曜日

大相撲とはなにか,という根源的な議論を。その2.

 昨日のブログのつづき。題して「その2.」。
 西村欣也氏は,「記者有論」の前段の終わりのあたりで,ご自身の立場を明白にしていらっしゃる。これはとてもありがたい表明でした。これがあったので,わたしは,あえて議論を仕掛け,わたしの主張も明らかにしたいと考えた次第です。お互いの立場の違いがはっきりしていれば,そこを起点にして議論を展開することができるからです。
 西村さんはつぎのように表明していらっしゃる。
 「・・・私は大相撲の屋台骨はスポーツであると思っている。その上に興行と神事が積み重なった国技だという認識に立ってきた。」
 じつに,コンパクトにみずからの立場を表明していらっしゃる。みごとというほかはありません。しかし,ここにも問題がひとつだけあって,西村さんの仰る「スポーツ」は,わたしのことばで言えば「近代競技スポーツ」ということになります。それに引き換え,大相撲は「伝統スポーツ」ということになります。この「スポーツ」の概念についても,いつか,きちんと議論をしてみたいと考えています。それをしないことには,この議論が建設的な方向に向かわないと考えるからです。この問題は,ひとまず,ここでは禁欲。
 で,西村さんの立場表明を受けて,わたしは昨日のブログにも書きましたが「大相撲は勝敗原理をとりこんだ芸能である」と考えています。しかも,大相撲は「神事」でも「国技」でもない,と考えています。そのような立論の根拠は,主として(文献をあげればきりがないので),新田一郎さんの『相撲の歴史』(講談社学術文庫)です。その他にも,宮本徳蔵さんの『力士漂泊』(奇しくも,大相撲の八百長問題が発覚した日の新聞で訃報をしりました。ご冥福をこころからお祈りいたします),舟橋聖一さんの『相撲記』(これは名著。第2代目の横綱審議委員会委員長)を挙げておきたいと思います。当然のことながら,西村さんもお読みの本ばかりだと思います。にもかかわらず,まったく違う立場になってしまうということ,このことが問題なのだと思います。議論するとすれば,ここに極まるとわたしは考えています。もし,これらの文献を読んでいらっしゃらないとしたら,これはもはや,論外です。この議論を取り下げるしかありません。よもや,そんなことはありますまい。
 そこで,疑問がひとつ。西村さんは,どのようにして「神事が積み重なった国技だという認識」に到達されたのか,その根拠をしりたいのです。ここでいう「神事」とは「神事相撲」と考えてよろしいですね。だから,それは「国技」だ,と。
 ここには,二つの大きな認識の違い,わたしとの認識の違いがあります。
 ひとつは「神事相撲」に関する認識。もうひとつは「国技」に関する認識。この二つです。
 わたしが読んできた文献によるかぎり,「神事相撲」のほとんどは約束事です。どちらが勝つかはあらかじめ決まっています。つまりは,八百長です。あるいは,勝敗を競わない神事相撲もあります。それは「所作」だけです。あるいはまた,神社の祭礼のときに開催される赤ん坊の「泣き相撲」があります。この勝敗の原理は地方によって異なります(泣いた方が勝ちとするか,負けとするか)。こういう神事相撲が「積み重なった国技」,それが大相撲だという認識の仕方が,わたしには理解できません。ここのあたりを,わかりやすく説明していただけるとありがたい。
 あるいは,ひょっとしたら,吉田司家の演出になる横綱免許や行司作法が吉田神道にもとづく,とお考えでしょうか。たしかに,その痕跡をいまもとどめてはいます。行司さんの装束や身振りは,ひとつの伝統様式を維持しています。それが,土俵のもうひとつの華となっていることも事実です。が,これもまた,もとを糺せば,第11代将軍家斉(この人は晩年,相当に好き勝手なことをした将軍として知られる。また,江戸の町人文化爛熟期にあって,相撲にも大いに関心を示したといわれている)が上覧相撲を催すにあたって,吉田神道の吉田司家を登用したことに由来する,といわれている(前掲書)。その横綱免許制度も,1945年以後は,吉田司家から日本相撲協会に移行して,神道とは無縁という立場を日本相撲協会はとっている。
 しかも,この吉田神道と「国技」はまったくなんの関係もありません。「国技」は,よく知られるように,国技館ができてから人びとの口の端にのぼるようになった慣用句にすぎません。ですから,言いたい人は言えばいい。言いたくない人は言わない。ただ,それだけの話。それを,わざわざ大相撲は「国技」である,と言挙げして論陣を張るには,いささか無理があります。もし,言うのであれば,「天皇賜杯」が授与されるから「国技」だ,と仰ればいい。単一競技種目で「天皇賜杯」が授与される競技はありません。つまり,近代競技スポーツには「天皇賜杯」は授与されていないのです。では,なぜ,大相撲に「天皇賜杯」が授与されるのか。それは,日本に固有の様式美を整えた「伝統スポーツ」(=「芸能」)だからです。
 公益法人化への道が開かれているとしたら,この一点を保存することの意義を認めるかいなか,にあるとわたしは考えています。西村さんの仰るような,「全力士の調査」をして,身の潔白が証明されなければ,あるいは,「ウミを出し切らなければ」「認められない」とは考えていません。
 このことについても,また,稿を立てて論じてみたいと思っています。
 とりあえず,今日はここまで。

2011年2月10日木曜日

大相撲とはなにか,という根源的な議論を。

 今日(2月10日)の朝日・朝刊の「記者有論」というコラムに,またまた,西村欣也氏が登場し,「大相撲と八百長」と題して恐るべき「暴論」を展開しているのにあきれはててしまった。もう,こうなると無視するわけにはいかない。きちんと,書いておかなくては・・・と思う。しかし,このスペースで一気にというわけにもいかないので,小分けにしてこれから書いていこうと思う。
 で,まずは,今日の西村氏の主張について。見出しは,「スポーツなら全力士の調査を」,というもの。本来なら全文を紹介して,一字一句,きちんと確認した上で,持論を展開したいところであるが,その余裕もない。
 まず,最初に断わっておきたいことは,「西村さん,もう少し冷静にことに当たっていただきたい」「あなたの影響力は甚大なのだから」,と。書き出しの冒頭から喧嘩口調では困ります。冒頭の一文はこうだ。「それならば,どうぞ,八百長をしてください,と思う」。それにつづけて「大相撲の話だ」と。これではとりつくしまもない。その根拠として,さまざまな意見のあるなかに「『大相撲は日本の伝統文化でファンは八百長があることを薄々知っていて,それも承知の上で楽しんでいる』という言説がある。ならば,どうぞ,だ」。
 これでは議論になりません。西村さんのとりあげた識者の「意見」は,八百長を無制限にやっていいなどとはひとことも言っていません。「この程度の」八百長なら,大相撲の楽しみを疎外するものではない,と言っているだけの話です。その言説の意味をよくよく考えてみてください。たとえば,テレビ観戦をしていて,八百長であることが丸見えの相撲が続出したら,だれもみなくなるだけのことです。しかし,テレビ観戦をしているかぎり,だれも,八百長相撲に気づいていません。だから,「薄々知っていて,それも承知の上で楽しんでいる」と言っているわけです。つまり,「この程度の」八百長といった意味はそういうことです。
 日本相撲協会には,「故意による無気力相撲懲罰規定」(昭和47年制定)というものがあって,監察委員会を設け,土俵上の力士の相撲を「監察」していることは,西村さんもご存知のとおりです。この当時(昭和47年),「無気力相撲」が目だってきたために,このままてはファンが離れていってしまうという危機意識が日本相撲協会のなかに生まれ,急いで,このような「懲罰規定」を設け,監視することになりました。以後,しばらくは「無気力相撲」が監察委員会によって指摘され,注意を受けた力士がいました。が,最近では,ほとんどなくなってきています。ですから,もし,八百長相撲が仕掛けられていたとしても,だれも気づかない,そういうレベルで相撲が展開している,ということです。ですから,西村さんが取り上げた「意見」は,「この程度」の八百長なら,許容範囲の内である,というものです。けして,八百長をやっていいとはひとことも言ってはいません。それを「ならば,どうぞ,だ」では話になりません。
 そこで,わたしからの提案です。西村さんの眼でみて,「これぞ八百長相撲だ」という取り組みがあったら,教えていただきたい。そして,そういう相撲が多くなっているとお考えでしたら,やはり,八百長が仕掛けられているではないか,という証拠(傍証でも可)を提示してほしいのです。携帯電話でのメールを復元して明らかになったという八百長相撲の内容が「見るに耐えないものであった」という論説をみたことがありません。しかも,その当時,だれも,それが八百長相撲であったとは気づいていません。監察委員会の委員ですら(つまり,プロの眼ですら),見破ることはできなかった,ということです。
 わたしのいいたいことは以下のとおりです。金品の授受をともなう八百長相撲は絶対に許されるべきものではありません。あってはならない,と考えています。ですから,それをさせないように,しっかりと管理態勢をととのえることは急務です。その上で,わたしは,さらに,大相撲は「土俵の上がすべてだ」,と考えています。わたしは基本的に大相撲は,勝敗原理を取り込んだ芸能だ,と考えています。それはアート(芸術)にも匹敵する美しさをもっていると感じています。しかも,人間の極限状態での素の姿を無意識のうちに表出させるパワーをもっています。ですから,大相撲は「土俵=舞台」がすべてだ,とわたしは考えています。この問題はもっと掘り下げて論ずべきことがらですので,また,稿をあらためて論じたいと思います。
 が,こうした「勝敗原理を取り込んだ芸能」と考えるわたしの立場と,西村さんの仰る「屋台骨はスポーツだ」という立場とは根源的なところで違っています。どうしてこういうことが起こるのか,こここそが議論すべき喫緊の課題ではなかろうか,とわたしは考えています。
 この問題は,また,稿をあらためて書くことにしたいと思います。
 とりあえず,今回はここまで。

2011年2月8日火曜日

能面は「アート」ではないの?

 能面アーティスト・柏木裕美さんの私設応援団長をみずから任じている(団員はひとりもいない)わたしとしては許せないことがある。そのことについて少しだけ書いておこう。
 柏木さんのブログに,ときおり,「じーじ」と名乗る人が「能面とはかくあらねばならない」「そこからはずれる能面は認めない」「お前のやっていることは邪道だ」「能面を侮辱している」といったような論調のコメントを書き込んでいる。どこをどう読んでみても建設的な意見ではない。読んでいて不愉快そのもの。
 自分の考えだけが唯一正しくて,その考えからはずれるものはすべて邪道である,というドグマ。そのドグマに本人はまったく気づいていない。だから,ますますたちが悪い。「じーじ」という人はそういう人だ。だから,その論法をそのままいただくとすれば,いやいや能面などというものは,いかようにも存在することは可能であって,新作能のシナリオが書かれれば,それに合わせた能面が制作されるのは当然のことだ。世阿弥の時代から,世阿弥が新しいシナリオを書けば,それに合わせて能面を「創作」してきた。それが,かりにシェイクスピアのシナリオを能楽に書き写して演ずることになれば,たとえば,ヘンリー8世の顔をした能面が制作されても,なんの不思議もない。じじつ,鑑真和上の能楽が演じられたときには,鑑真の能面が制作されている。しかも,その能面を制作したのは,なにを隠そう,われらが柏木裕美先生なるぞ。嘘だと思ったら,銀座・文藝春秋画廊まで足を運んでいただきたい。オバマさん,ライスさんと並んで鑑真さんの能面が飾ってある。しかも,いずれも傑作である。
 こうした延長線上に,今回の「小面変化」の能面が新作として,ほぼ40面ほど展示してある。これらの小面変化は,それに見合うシナリオが書かれれば,いつでも舞台で使えるものである。すでに,能楽以外の舞台では,これらの創作面は使われている。そして,いずれもきわめて好評を博している。おそらく,これからさきに,いつかかならず,これらの小面変化は能楽の舞台でも用いられることになるであろう。わたしは確信している。柏木さんのアーティストとしてのセンスが,いささか時代をさきどりしているだけの話である。
 こういうことを「じーじ」なる人は,なにも知らないまま,伝統的な能面だけが能面であって,それ以外のものは能面ではない,と仰る。そういう考えもあって,わたしは一向に構わないと思う。しかし,その考えを他者に押しつけることはいかがなものかと思う。俺の考えだけが正しい,というのはどこぞの国の大統領と同じだ。その結果はどうなるか。戦争しかない。つまり,俺が正しくて,お前は間違っている,という断定の仕方は,戦争の論理そのものである。
 そうではなくて,俺の考えもあり,お前の考えもあり,では,どうすればいいか,どこかで妥協点をみつけよう,つまり,どこかで折り合いを見つけようではないか,という段取りが重要なのだ。「正・反・合」のヘーゲルの弁証法の初歩だ。
 能面をアートとしては認めない,という人たちは意外に多い。現に,能面は,日展にも,伝統工芸展にも,作品を受け付けて審査するシステムがない。つまり,制度としても,能面はアートとして認知されていない。しかし,このことはよくよく考えてみるとかなり変であり,異常な事態であるということがわかる。いったい,なにゆえに,能面を芸術作品として審査する制度がないのか。それには長くて,深い理由がある。このことはいつかまた書くことにしよう。ヒントは,戸井田道三さんの本(たくさんあるので省略するが,たとえば,『能藝論』という代表作がある)を読めば,かなりのところまでは推測できる。
 こうした現状に大いなる疑問をいだき,あえて,柏木さんはアートとしての能面制作への道を切り開いた。その第一歩が,2年前の文藝春秋画廊での展覧会であった。創作面を20面,展示した。そして,面打師から能面アーティストへの転身していく。そうして,ある意味では,能面界を敵にまわしてでも「わが道」を行く,という不退転の決意を固める。それから,はじけるように創作面の制作がはじまる。まるで水をえた魚のように。そうして,この2年間に制作された「小面変化」の創作面のうち40面余が出品されている。それが,今回の文藝春秋画廊での展覧会である。
 こんなことも知らない・わからないまま「じーじ」なる人は,一方的に誹謗中傷のことばを投げつける。お気の毒な方だと思う。心根が貧しい。まずは,他者を認めることが自己の存在を認めてもらうことの大前提である,という広い視野をもってほしい。他者を否定するということは,自己を否定することなのだから。これもまた哲学の初歩だ。
 しかし,世の中は面白い。捨てる神あれば,拾う神あり,という。「マッチャン」なる人が救いの神として登場した。この人は,どこのどなたかは知らないけれど(笑い),心根のやさしい人だと,文面から伝わってくる。柏木さんが,どれほど,喜ばれていることか,想像に余りあるものがある。こういう人たちの支援があってはじめて,未知なる世界に第一歩を踏み出した能面アーティストの誕生が可能となる。
 というわけで,能面はアートです,いや,アートへの道を切り開かなくてはいけない,という激しい情熱と夢の実現への願望とが,一気に噴出したのが,今回の柏木さんの展覧会ではないか,とわたしは考えている。こんなことも,11日の鼎談ではお話できればいいかなぁ,とあれこれぼんやり思い浮かべている。
 柏木さん,頑張れ! あなたの背後にはものいわぬ応援団がいっぱいいます。そして,息を潜めて,つぎなる創作面の誕生を待っています。私設応援団長・inamasa君がついています。あまり,頼りにはなりませんが・・・・。
 そこで,このブログの読者のみなさんにお願いです。柏木さんの展覧会に足を運んで,その眼で作品を観賞してみてください。その上で,柏木さんのブログに,激励のコメントを。私設応援団長・inamasaからのお願いです。

柏木裕美さんの能面展,初日。

 親しい人の展覧会には,できるだけ初日に伺うようにしている。それも,できることならオープンして一番乗りで。なかなかそうはいきませんが・・・・。
 今日(7日)は,太極拳の兄妹弟子である柏木裕美さんの能面展の初日。2年に一度,開催される恒例の銀座・文藝春秋画廊での展覧会である。こちらは,なんといったって暇人だから(すべての時間が自分の自由になるという意味で),午前10時のオープンに合わせて,画廊に押しかける。まだ,だあーれもいない画廊に,柏木さんがひとりで公開制作の場所の準備をしていらっしゃる。明らかに緊張している表情がみてとれる。目つきが違う。眼がギラギラしている。人相までいつもとは違う。相当に気合が入っている証拠。滅多にこんなきびしい表情をすることのないお人だけに,慎重に声をかける。
 「おはようございます!」 その瞬間から,いつものあの笑顔にもどって,こころの籠もったお礼のことばが飛び出してくる。そして,すぐに,オバマ面の位置が低いので,もう少しだけ高くしておいて・・・という具合に仕事がはじまる。よしよし,この調子。つぎは,額が傾いているので,その調整を・・・と。やはり,早くきてよかった,と思う。じつは人手が足りないので,できるだけ手伝ってほしい,とは言われていた。が,それほどでもなかろう,と高をくくっていた。しかし,こういう展覧会の準備というのは,完璧ということはありえないので,なにやかやと後追い的に補足をしなくてはならないことが多い。とりわけ,初日はたいへんなのだ。
 ようやく,まあまあ,こんなところですか,というころにお客さんが入ってくる。それがまた,真板先生の未亡人。柏木さんが大好きだった真板先生の奥様である。とても物腰の柔らかな,エレガントな女性。表情がとてもチャーミング。お人柄が一目でわかる。わたしは初めてお目にかかる。なんとまあ,素晴らしい女性であることか。しばらく3人で歓談。
 そのうちに,つぎつぎとお客さんが入ってくる。
 入り口のすぐ左側に公開制作の場所を設けてあるので,そこで制作をはじめると道行く人たちが立ち止まって覗き込んでいる。そして,そのうちのかなり多くの人がなかに入ってくる。
 正面奥に,サイズの大きい般若面(白い般若が真っ黒の漆の額に入っているので,存在感は満点)があり,そこにまずは眼が吸いよせられる。そして,左側には江田五月さんと下田歌子さんをモデルにした新作面。この2面がとてもいい。というか,えもいわれぬ独特の雰囲気がある。ある種の気品がただよう。その奥に並んで,小面,黒式尉,万媚,などの伝統面が,栗の木に漆をかけた板に収まっている。これが,とても落ち着いた雰囲気があっていい。そして,右側をみると,ここに40面もの「小面変化」の新作面が所狭しと,びっしりと展示してある。入ってきたお客さんのほとんどが,思わず驚いて足が止まる。みる人をして圧倒する迫力である。
 リーフレットにも大きな見出しとなっている「小面変化」(こおもてへんげ),100分の70。つまり,小面から般若までを100分割して,女性の喜怒哀楽や日常の表情を「アート」として表現してみようという壮大な企画の展覧会である。それが70面まではできた。あと,30面で目標達成というわけだ。全部が完成して,一堂に会することになると,いったい,どんな展覧会になるのだろうか,といまから楽しみである。少なくとも,2年後の銀座・文藝春秋画廊では,「小面100変化」展が間違いなく実現する。そのとき,わたしたちは柏木さんの意図するところを,ようやくこの眼にすることができることになる。
 そのうちの40面(この2年間に制作されたもの)が,一階の右側に集中して展示されている。このなんともいえない迫力の前で,みなさん,動かない。じっと眼を凝らして一点ずつ,じつに丁寧にみていかれる。それほどに一点,一点が個性的でおもしろいのである。とくに,女性の方たちの受けがいいようだ。多くの方が,わたしのこころを映し出されているような気がする,とおっしゃる。なかにはケラケラ笑い出される方もいらっしゃる。あまりに大きな声で笑ってしまったあと,わたしと眼が合ってしまい,「すみません」と謝る人もいらっしゃる。そこで,「作者はお客さんが笑ってくださることを期待してますから」とわたしが助け船をだす。そして,ついでに,作者はあの方です,と制作途中の前掛け姿でお客さんと立ち話をしている柏木さんを紹介する。すると,「あの方がお一人でこの作品を全部・・・・ですか?」と聞かれる。「そうです,この2年間で。それ以外にも,江田五月先生や下田歌子先生,その他の創作面も制作されていらっしゃいます」とわたし。「えーっ,そうなんですか」と一様に驚かれる。なんだか,自分の自慢話をしているような気分になってくる。やはり,太極拳の兄妹弟子は身内も同然なのだ。わたしもお客さんのつもりだったのに,いつのまにか,受け付け係をやりながら,お客さんのお相手までしている。
 初日ということもあってか,柏木さんとのお付き合いの深い方たちが,つぎつぎに現れる。それも一流の仕事をしていらっしゃる方たちばかり。ふだんの柏木さんからは想像もつかない交際の広さがかいま見られる。これもまた楽しいかぎり。そのつど,柏木さんがわたしを紹介してくださるので,一緒におしゃべりをさせていただいたりしながら,いつのまにか長居をしてしまう。夕刻には,江田五月先生が秘書とご一緒に現れる。ふと,気づくと入り口にSPの男性がひとり立っている。なぜだか,わたしもご挨拶をさせていただく。2年前に鼎談をさせていただいた稲垣です,と。「あー,あのときはわたしもうしろの方の席で聞かせていただきました」と記憶していらっしゃる。毎日,何十人,何百人という人に会っているはずなのに,やはり政治家のプロはすごいなぁ,と感心する。それにしても現役の法務大臣のお出ましである。こういう人を引き寄せるだけの「なにか」が柏木さんにはある。
 あっという間に一日がすぎてしまった。
 水曜日の午後には,知り合いの編集者がやってくることになっているので,もう一度,でかけようと思っている。こんどは,鼎談のネタづくりも兼ねて。

2011年2月6日日曜日

笑うに笑えない「耳」の話。

 加齢とともにからだはどんどん変化していく。それはもう十分に承知していることだ。最近でいうと「耳が遠くなってきたなぁ」ということをひしひしと実感している。でも,ふつうに生活しているだけなら,不自由はない。ただし,ラジオの音声は,ある距離をとるととたんに聞こえが悪くなる。これは大勢で会議をしたり,研究会などでの議論でも同じである。近くにいれば,かなり小さな声でも聞き取れる。しかし,少し離れると(たぶん4~5m),音声が細切れに聞こえてくる。つまり,音声が流れるように連続して聞こえない。電車のなかも同じ。ここは,近くにいても駄目。だから,あとは想像力をたくましくして聞き耳を立てるしかない。
 つい最近,こんなことがあった。笑うに笑えない話。
 ある編集者のSさんと待ち合わせて電車に乗った。車中で立ち話をしている途中で,Sさんが「ちょっとドトールに寄りませんか」という。この「ドトール」がわたしには「トイレ」と聞こえた。だから,「ああ,いいですよ。それなら二子玉の長い階段を降りた左側にありますから」とわたし。「えっ,あそこにありましたか?」「階段を降りきったすぐ左側ですよ」「あそこには売店しかなかったと思いますが・・・・」「いいえ,間違いなくありますよ」とわたしは自信満々。Sさんはあきらめ顔で,「じゃぁ,缶コーヒーでもいいことにしましょう」という。「?」,とわたし。なにか変だなぁ,とはじめて気づく。「なんで缶コーヒーなんですか」とわたし。「ちょっと小腹がすいているので,ホットドックとコーヒーでも・・・と思ったんですが・・・」「えっ?トイレじゃないの?」とわたし。こんどはSさんが「えっ?」ちょっとだけ間があいて,「わたしはドトールの話をしていました」「ぼくはトイレの話です」と,ここでようやく大笑い。Sさんは,ただ話が行き違っただけのことと受け止め,明るく笑ってすませてくれたが,わたしの心中はおだやかではない。「ああ,とうとう,ここまできてしまったか」「よほど気をつけないと・・・」と反省ばかり。
 以来,新聞広告に毎日のように掲載されている通販ページの「補聴器」に眼が釘付けになる。ずいぶん,いろいろの種類があることがわかり,こんどは品定めに困る。しばらくは,あれこれ考えてみることにしよう。
 考えてみれば,父親も晩年は耳が遠くなっていた。補聴器をプレゼントしたが,あまり使おうとはしなかった。雑音がうるさい,というのである。そうか,補聴器の雑音はうるさいのだ。それならいっそのことなにも聞こえない方が静かでいいんだ,と納得したことを記憶している。それ以後は,父親の耳元で話をすることにした。距離をおいて大きな声で話しても聞こえないのに,耳元であれば,かなり小さな声でもちゃんと聞こえていた。この遺伝子がどうもわたしの耳にもつたわったようだ。ならば,きちんと養生をしていれば長生きができる,とまあ自分に都合のいい理屈をつけて,気持ちを静めることにした。父親は死を迎える3日前までは元気だった。95歳だった。そこまではむつかしいかもしれないが,ひとつの目標ではある。
 それにしても,間近にひかえた鼎談(11日・文藝春秋画廊)が心配である。「ドトール」を「トイレ」と聞いてしまう耳だ。こんどは笑い事ではすまされない。みなさんに迷惑をかけてしまう。そうならないよう,それまでに補聴器を購入すべきかどうか・・・・。いまも踏ん切りがつかない。これはわたしの悪い性格。まあ,当分の間は迷えばいい,と自分に言い聞かせる。
 こうしてわたしのからだもまた,生物学的法則に則り,人生という「歴史の終焉」(ヘーゲル)に向けてまっしぐらである。とはいえ,やがて大自然と一体化するための通過儀礼を一つひとつ執り行っているだけの話。ならば,もっともっとエンジョイしなくてはいけない。そうだ,こんど補聴器を購入したら祝賀会を主催しよう。いよいよ補聴器をわがものとする資格をえたことを祝って・・・・。そして,悔しかったら補聴器をつける「資格」をわがものとせよ・・・・と声高らかに宣言するいうくらいの覚悟で。 

2011年2月5日土曜日

「スポーツとは認めぬ」(西村欣也)にひとこと。

 しばらくは触れないでおこうと思っていたが,どうしても気になって仕方がないので,ひとこと書いておくことにした。2月3日(木)の朝日・朝刊に大相撲問題が大きくとりあげられた(これはどこの新聞社も同じだった)。そうした記事のなかで,ひときわ大きな文字で「スポーツとは認めぬ」という見出しで「編集委員(ゴチ)西村欣也」(この文字も小さくはない)という署名入りの論評がわたしの眼に飛び込んできた。「?」,なにがいいたいのだろうか,と。
 読んでみたら,もっとも平均的な日本人のスポーツ観(ということは,まことに素人的スポーツ観)にもとづく評論が展開されているだけだった。少なくとも,そこには朝日を代表するスポーツ記者としての矜恃はどこにも感じられなかった。だからこそ,この記事を読んだほとんどの読者は「そうだ,そのとおりだ」と,自分と同じ目線であることに安心もし,拍手喝采をおくったことだろう。そして,文部科学省のお役人さんもこの作文には「花丸」をつけて,いい子いい子と頭をなぜるだろう。しかし,この記事にはいくつかの重大な誤りがある。
 まず,第一に「スポーツとは認めぬ」とはどういうことか。この言説は,まさに,「朕は国家なり」と言ったむかしむかしのどこぞの王様と同じで,さぶいぼが立つほどの怖気とともに驚いた。いまどき,こんなに偉い人がいるんだ,と。「スポーツのことなら俺に聞け」「その俺が『スポーツとは認めぬ』と言ってるんだ」と聞こえてくる。まるでヒトラーの演説を聞いているようだ。
 たしかに,今回の八百長問題は,どのように批判されても仕方がないほどの大きな瑕疵を残したことは間違いない。みんなびっくり仰天して,腰を抜かしていることだろう。かくいう,わたしとて同じだ。しかし,だからといって一方的に大相撲をまるごと批判して,切って捨ててしまえばそれでいいという問題ではないだろう。こういう批判の仕方は(一方的な誹謗中傷もふくめて),もういやというほど日本の社会に蔓延している。しかも,そのことが野放しになっている。いいたい放題だ。そのことによって日本の社会がどれほど歪みを起こしているかは,みんな承知しているはずだ。その先鞭をつけるかのような役割を,なぜ,西村欣也氏がはたさなくてはならないのか。
 相手の非を突いて,一方的な批判をし,相手に有無を言わせぬようなことはしてはいけない,とヘーゲルの『精神現象学』の冒頭の「まえがき」(これが,なんと50ページにもわたる大論文)にくり返しでてくる。つまり,弁証法的な議論の積み上げには,なんの役にも立たない議論で,不毛である,と。だから,この愚を避けつつ,きびしい論評を展開してほしい,これがわたしの真意。
 しかし,今回の八百長問題に関しては,こうした不毛の論調があまりにも多い。ここは冷静に考えてみてほしい。力士の圧倒的多数は,まじめに稽古を積み,明日の横綱をめざして日夜精進しているのだ。そして,少しでもいい相撲をとってお客さんに喜んでもらいたい,とこころから念じている。こういう力士が多数を占めてきたからこそ,こんにちの大相撲が成立しているのだ。この事実を忘れないでほしい。そして,もし,言うのであれば「スポーツとは認めぬ」などという「上から目線」ではなく,まじめに努力している同僚力士に対して,どうやって償いをするのか,その罪の重さをこそ指摘し,そこからの救済の方法をさぐるべきではないのか。めざすべきは,どうやって今回の不祥事を乗り越えていけばいいのか,という議論ではないのか。
 第二に,西村欣也氏の考えるスポーツとはどういうものをいうのか。あえて,際立つように,わたしの考えを述べておこう。わたしは,大相撲になにが起ころうとも「スポーツである」と認めます。力士たちが八百長をしようが,賭博をしようが,大相撲はスポーツです。西村欣也氏に,少しだけ身をよせてわたしの考えを述べておけば,以下のようになろうか。
 西村欣也氏のいう「スポーツとは認めぬ」は,ややことばが乱暴すぎただけで,わたしなら,「大相撲は近代スポーツではない」と言うでしょう。そうです。大相撲は近代スポーツではありません。しかし,大相撲はスポーツではあります。この違いをスポーツを担当する記者のみなさんにはわかっていてほしいのです。
 スポーツ史という分野で長い間,仕事をしてきた人間としては,このことは強く主張しておきたいことがらなのです。大相撲は,どう考えてみても近代スポーツではありません。髷を結い,まわしひとつの裸体競技,土俵は神聖な場所で女性を立たせない,行司の装束,部屋制度,呼び出し,床山,などなど,いずれも前近代のままです。そういう前近代性を大相撲の世界はまだまだ多く引き継いだままです。そしてまた,それが様式美もふくめて,たまらない魅力にもなっているわけです。ただひとつ,勝負の判定についてだけはきわめて近代的な手法を導入しているために,それに付随して,優勝劣敗主義が徹底しているために,ついつい大相撲を近代スポーツと勘違いしてしまう人は多いと思います。
 しかし,近代スポーツもまた,もとを質せば前近代のスポーツから誕生したものです。その意味では,大相撲は前近代と近代の両方の論理に引き裂かれた状態にある,というのが現状でしょう。ですから,大相撲は,ノミノスクネとタイマノケハヤの決闘にしろ,タケミナカタとタケミカヅチとの決闘にまでさかのぼるにしても,それらもふくめて,わたしは「スポーツである」と考えています。この点は,ヨーロッパ産のスポーツもまた同様です。たとえば,もとをたどれば,古代ギリシア時代のレスリングのはじまりは決闘でした。日本の相撲の起源と変わりません。つまり,スポーツの概念はきわめて広いものだ,ということをここでは確認しておくにとどめます。
 ここでは,これ以上のところには踏み込みませんが,スポーツの長い歴史過程を視野に入れた上で「スポーツ」ということばの概念を用いていただきたい,それがわたしの願いです。
 西村欣也氏を名指しで批判する結果になってしまったかもしれません。が,いつも書いていますように,朝日新聞の長年の読者として(たぶん,大学に入って上京して以後ずっとですから,50年以上もの読者),しっかりしてほしいのです。ですから,わたしの主張の根底には悪意はありません。むしろ,かつての栄光に輝いていたころの朝日新聞に立ち返ってほしいという深い愛情が,あえて,西村欣也氏に集中したと受け止めてください。
 この問題は,西村欣也氏にかぎりません。わたしが眼にする多くのスポーツ記事が,あまりにも貧しいので,ついつい我慢できなくなってしまった,というだけの話です。なかには,素晴らしい感動的なスポーツ記事を書いてくれる記者の方もいらっしゃいます。相当に,スポーツ史やスポーツ文化論を勉強していらっしゃって,そういう素養に支えられた記事は,読んでいて安心です。そして,現実に生きている生身の人間にとってスポーツとはなにか,というもっとも基本的な問いかけがどこかに感じられると,わたしなどは拍手喝采を送っています。
 次回は,そういうスポーツ記者を紹介したいと思います。

2011年2月4日金曜日

『精神現象学』の目次を読む。

 昨日のブログを読み返してみたら,あまりにひどい文章だったので驚き,あわてて推敲しながら補筆・訂正をしましたので,お許しください。いくらかはよくなっているはずです。すでに,読んでしまったという方には,再度,お目通しをいただければ幸いです。
 以上,お詫びまで。
 さて,『精神現象学』の目次をつらつらと眺めてみる。
 大きな柱は,A,B,Cの三つ。
 A.意識,B.自己意識,C.理性・精神・宗教・絶対知。
 意識の問題は,AとBで終わっているのではなくて,C.理性のなかでもくり返しとりあげられ,議論を深めている。小見出しだけでも,「純粋な状態にある自己意識の観察,および,外界と関係する自己意識の観察」「自己意識と身体──人相学と頭蓋論」「理性的な自己意識の自己実現」という具合である。もっとも,見出しに「自己意識」という表記がでてこないとはいえ,C.理性・精神・宗教・絶対知のいずれも,自己意識と関係しないものはない。精神のなかで取りあつかわれる「共同体」も自己意識抜きには議論は成立しない。宗教も同様である。絶対知にいたっては,自己意識の究極の到達点でもある。
 つまり,目次を読み込んでいくだけでも(巻末には丁寧にも,「詳細目次」が提示してあって,しかも,ドイツ語表記と対になっているので,とても役に立つ),そのアウト・ラインはみえてくる。つまり,A.意識,ではもっともプリミティーブな意識の出現から説きはじめ,B.自己意識,にいたって人間の意識がどのように構築されていくかが論じられ,さらに,この自己意識がC.理性・精神・宗教・絶対知,というように細分化し,それぞれに固有の領域を形成しつつ,その精度を高めていく。そして,ついには「絶対知」というゴールにいたりつく,という次第である。
 言ってみれば,ヘーゲルのいう「精神」(Geist)の中核をなすものは「自己意識」であることがわかってくる。この自己意識がさまざまに変化・変容しながら,人間としての「精神」を構築していく,とヘーゲルは考えていたようである。そして,その精神の本質としての「否定」運動をくり返しながら(弁証法的に),少しずつ精神の高みへと向っていく。その究極の到達点が「絶対知」である,と。だから,つねに,その中核には「自己意識」がはたらいていることになる,とわたしは理解する。
 しかし,わたしの関心は,ヘーゲルのいう「自己意識」のすべてをトータルに理解しようというのではなくて,「自己感情」から「自己意識」へとスライドしていく,そのプロセスを明らかにすることにある。ところが,わたしの不十分なヘーゲル読解では,「自己意識」については詳細な分析がなされているものの,動物次元の「自己感情」ということについては,なにも語ってはいなかったのではないかと記憶する。だから,アレクサンドル・コジェーヴは,ヘーゲルのどの部分から『ヘーゲル読解入門』のあの解釈を引き出したのか,そこを探るしかない,といまのところは考えている。あの「読解」がコジェーヴの独創によるものだとすれば,バタイユが飛びつき,そこをヒントにして『宗教の理論』の発想をえたとしても,不思議ではない。
 もし,これが事実だとすれば,バタイユがみずからのテクストの冒頭にコジェーヴの「読解」をもってきた理由は,まことにもっともだ,ということになろう。この課題は,これから時間をかけてじっくりと探っていくことにしよう。

 ついでに,『精神現象学』の帯にあるキャッチ・コピーと本文より,という紹介文を転記しておこう。なぜなら,このテクストを読み解く上で,わたしには,とてもありがたい導きの糸(Leitfaden)となっているので・・・・。
 「日常的な意識としての感覚的確信から出発して時空の全体を見はるかす『絶対知』に至る意識の経験の旅。揺るぎなき理性への信頼と明晰な論理で綴られる壮大な精神のドラマ。」(キャッチ・コピー)
 「力なき美意識が知性を憎むのは,自分にできないことを知性が要求するからだが,死を避け,荒廃から身を清く保つ生命ではなく,死に耐え,死のなかでおのれを維持する生命こそが精神の生命である。精神は絶対の分裂に身を置くからこそ真理を獲得するのだ。精神は否定的なものに目をそむけ,肯定のかたまりになることで力を発揮するのではない。・・・・精神が力を発揮するのは,まさしく否定的なものを直視し,そのもとにとどまるからなのだ。そこにとどまるなかから,否定的なものを存在へと逆転させる魔力がうまれるのである。」(本文より)
 熟読玩味するに値する,鋭い切れ味をみるのは,わたしだけではないだろう。こういう文章が随所に点在するこのテクストのすごさは,わたしのような者にもひしひしとつたわってくる。
 さて,これからしばらくは『精神現象学』の私的読解を楽しむこととしよう。

 なお,蛇足ながら,アレクサンドル・コジェーヴですら『精神現象学』を4回,とにかく強引に読破してみたが,なんのことやらさっぱりわからなかった,という。しかし,ある思想・哲学遍歴をへてのちに,第4章まで読み終えたところで(A.意識からB.自己意識まで),これは「歴史の終焉」を語ったものであり,内容はナポレオンのことだ,と直観したという。そのあとは,面白いように読めるようになったという。そうして,コジェーヴはゼミナール形式の講読をはじめた。そこに集まってきたのはほんのわずかな人たちだったという。しかし,いずれも,のにに大成する大物ばかりである。ちなみに,われわれにもお馴染みの人たちを紹介しておくと以下のとおり。ジャック・ラカン,レーモン・クノー,ロジェ・カイヨワ,モーリス・メルロ=ポンティ,エリック・ヴェイユ,アンドレ・ブルトン,そこにジョルジュ・バタイユである。不思議なのは,ここにサルトルが加わってはいなかったことだ,と伝記作者ミシェル・シュリヤは書いている。
 このゼミナール形式の講読は,6年がかりで読み終えることができた,という。どんな議論がそこで展開していたのかは,知るよしもないが・・・・。恐るべき渦が巻いていたことだろう,とわたしは勝手に推測するのみである。

2011年2月3日木曜日

『宗教の理論』と『精神現象学』の関係について。

 さて,予告しておいて書かないでいるのは心苦しいので,早めに整理しておこう。『宗教の理論』にとことんこだわるがゆえに,なぜ,わたしがヘーゲルの『精神現象学』に踏み込もうとするのか,これが今日のテーマ。
 『宗教の理論』を手にとって読んでみようとした人ならだれでも経験していると思うことがひとつある。それは,このテクストの冒頭にかかげられたアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』からの引用文を,どのように受け止めるのか,ということである。その理由は,まずは,文章の意味を理解することがきわめて困難である,ところにある。わたしもひっかかって,何回も何回も読み返して考えたからである。しかし,思考のトレーニングにはみごとなテクストであることが,次第に浮かびあってくる。つぎの理由は,なぜ,バタイユはこの引用文をこのテクストの冒頭に置いたのか,というその根拠である。しかも,あれほど批判的にヘーゲル哲学をとらえ,みずからの主張(思想・哲学)の対極に位置づけたバタイユが,「へーゲルをどのように読むか」というコジェーヴの入門書からの引用文を,もっとも根源的な問いを発することを意図した『宗教の理論』の冒頭にもってきたのか。
 この2点については,かなり多くの人が共有できる経験ではなかったか。
 とりわけ,第2点については,どう考えてみても矛盾ではないか,とわたしはずいぶん考えた。しかし,『バタイユ伝』上,1897~1936(ミシェル・シュリヤ著,西谷修・中沢信一・川竹英克訳,河出書房新社,1991年,P.242~246.「歴史とその目的──歴史の終焉」)を読むと,なんの問題もなく氷解する。若き日のバタイユは(36歳のときからだから,けして若いとはいえないが),ヘーゲルの『精神現象学』を真っ正面から理解すべく努力していることがわかるからだ。そのひとつが,アレクサンドル・コジェーヴ(このとき31歳)が行っていた「ヘーゲル読解」の講義に,3年間もの間,聴講生として熱心にかよったという事実である。そして,ほぼ,完璧にヘーゲルを通過することによって,みずからの思想・哲学のよって立つスタンスがより鮮明に意識されるようになってきた,ということもみえてくる。つまり,ヘーゲルの思考・哲学の論理構造をしっかりと理解した上で,それとはまったく対極にみずからの思想・哲学を位置づけるスタンスを構築していく。すなわち,ヘーゲルの「絶対知」に対するバタイユの「非-知」である。(この伝記によれば,バタイユは生涯にわたってヘーゲル哲学を研究していた,という。そして,コジェーヴとは生涯にわたる交友をもちつづけ,ヘーゲル哲学についてはまだまだ論じなくてはならない問題がある,と最後の手紙にバタイユは書いている,という。つまり,バタイユにとってヘーゲル哲学は生涯をとおして,きわめて重要な意味をもっていたということが明らかになってくる。)
 では,なぜ,みずからのきわめて重要なテクストの冒頭にコジェーヴのヘーゲル読解の「この部分」を提示しなければならなかったのか。ここが最大のポイントとなろう。
 しかし,これもまた,『宗教の理論』をある程度読み込んでいくと,なるほど,と納得できるようになる。言ってみれば,バタイユがこのテクストを書くことになる,そのきっかけとなったと思われる発想が,きわめて濃密に,凝縮された文章で記述されているからだ。コジェーヴの難解きわまりないその文意を,あえて,わたしなりに要約しておくと以下のようになろうか。
 コジェーヴは,動物性のまっただなかに生きていた時代のヒトが,あるとき,なにかの拍子に「客体・対象」(オブジェ)となるものの存在に気づき(啓示),ここから人間への道がはじまるととらえ,この問題をとりあげる。そして,このオブジェの存在を気づかせるその直接的な引き金となったと考えられる契機は,まだ動物性を生きているヒトの<欲望>だという。この欲望こそが,オブジェ(客体)と自己(主体)との差異を気づかせ,はじめて自己が立ち現れることになる。だから,自己とは,一個の欲望の自己である,ととらえる。
 したがって,人間の存在は(あるいは,自己を意識している存在は),欲望を含んでおり,また,それが前提となる。だから,人間的現実とは,どこまで行っても生物学的現実から解き放たれることはない。つまり,人間は動物の枠組みのなかから抜け出すことはできない,と。しかし,動物的な欲望が<自己意識>が立ち現れる必要条件ではあっても,十分条件にはならない。つまり,動物的な欲望は,それだけでは自己感情しか構成しないからだ。
 この動物的な欲望は人間を不安にし,行動を引き起こす。その行動によって不安を埋め合わせようとするが,それが可能なのは,欲望の対象(オブジェ)を「否定」するか,破壊するか,変化させる以外にはないのである。たとえば,空腹を充たすには,食料となるものを破壊するか,あるいは調理して変化させる必要がある。
 だから,行動とは,つねに「否定的」に作用するのである。
 以上が,このテクストの冒頭に引用されているコジェーヴのヘーゲル読解からの文章の<私的>要約である。
 このように理解すると,ヘーゲルのいう「自己意識」とはどういうものであるのか,そして,「自己感情」からいかにして分離・独立していくのか。そこのところが知りたくなってくる。なぜなら,ここのところをしっかりと理解・把握しないかぎり,動物性から人間性へと<横滑り>していく,もっとも重要なプロセスを,厳密に説明することはできない,とわたしは考えるからだ。
 そう考えて,再度,『精神現象学』(長谷川宏訳,作品社,1998年)をとりだしてきて目次を確認してみると,ヘーゲルが「自己意識」ということにどれほどのこだわりをもっていたか,その大きさに気づく。
 この問題は,つぎのブログで取り上げることにしよう。
 とりあえず,今日のところはここまで。

大相撲の八百長問題。さてはて・・・?!

 昨日(2日)はいろいろのことがあって,結局,このブログはお休みにしてしまった。ちょっと平常心を超えた興奮がつづいてしまったからだ。こういうときは,いつでも失敗してきたことを思い出す。いっときの興奮は文章を書くときには危険だ。それで一拍入れることにした。
 なにがあったのか。
 いつもの太極拳の稽古がはじまる着替えのとき,西谷さんの口から「『宗教の理論』,いちどやりましょうか」ということばが飛びだした。一瞬,あっ,ブログを読んでくれている,しかも,最新のものを。ありがたい,と同時にちょっぴり腰が引ける。「あの問題は大事だから・・・」と西谷さん。「ありがとうございます。ぜひ,お願いします。できるだけ早い時期にチャンスをつくります」とわたし。で,勢い余って「とうとう,ヘーゲルの『精神現象学』をもう一度,読み返そうと思っています。とくに,ヘーゲルのいう自己意識の問題をきちんと考えておきたいので・・・・」とわたし。西谷さんはギラリと光る眼で「うん,うん」とうなずいてくれる。で,このつづきは昼食のときに,とわたし。いや,今日は少し早めに切り上げて大学へ行かなくてはいけないので,と西谷さん。残念,では,いつかまた・・・とわたし。
 で,このことが太極拳の稽古の間,わたしの頭のなかを駆けめぐっている。でも,気づかれないように必死で稽古に集中する。抑えてもおさえてもわき上がる喜び(感情),それをまた必死になって抑えようとする意志。この決定的な自己分裂。これがまたたまらない。自己が「存在」するなぁ,自己意識の強度を感ずるなぁ,などとヘーゲルの『精神現象学』の一節を思い出したりしている。こんな太極拳も滅多にあることではない。
 こんな余韻を引きずりながら,稽古が終わり,李さんとわたしのお面,それに額を二つ,柏木さんの家までとどける。柏木さんのブログにしばしば登場する「3ちゃん」(愛犬)が,熱烈歓迎をしてくれる。こういう純粋無垢の,感情のありったけを表出させる歓迎の仕方を,人間はどうして忘れてしまったのだろうなどと,こんどはバタイユの『宗教の理論』のなかの「動物性」のあたりを思い出したりしている。コーヒーと美味しいクッキーをご馳走になっておいとま。ついでに,3ちゃんの散歩にでるからといって,大井町の駅の近くまで送ってくれる。
 それから,鷺沼の事務所に向う。到着して,着替えをしていたら,電話。いつもの郵便局への間違い電話(番号がよく似ているらしく,ここにかかってくる電話のほとんどは間違い電話)だと思っていたら,留守電に伝言している声が聞こえる。よくは聞き取れなかったが,八百長問題がどうの・・・と言っている。そこで,あわてて再生して聞いてみる。なんと,同じ人が3回も留守電を残している(過日,ここに尋ねてこられた共同通信社のK記者)。よほど急いでいたようで,留守電の内容がつぎつぎに変わっていく。そして,最後の3回目の留守電では,わたしの『現代思想』(11月号)での発言を援用させてもらったので,その確認です,とある。ああ,もう終わったことなのか・・・とちょっぴり残念。
 でも,八百長問題があらたに発覚して,大問題になっているらしい。で,まずは,インターネットで情報の概略をつかむ。なるほど,と納得したところで,そのK記者に電話を入れる。この問題,ちょっと長引きそうなので,また,話を聞かせてください,とのこと。そこで,わたしの携帯の電話番号を知らせて,いつでもどうぞ,と伝える。
 そして,インターネット情報を,あちこち確認しながら,わたしの頭のなかはますます興奮してくる。ああ,こういう時代になったのか,と。つまり,消去した携帯メールは,警視庁の手にかかれば修復させることができるのか,と。そこに,八百長と思しき内容のメールがやりとりされている,というのだ。つい,この間までは,こういう証拠はありえなかった。が,これからは消去したはずの携帯メールを復元させることも技術的には可能なのだ。
 さあ,こんどこそ,日本相撲協会は逃げられない。これはいくところまでいくなぁ,とあれこれ想像をする。考えれば考えるほど,またまた,わたしの頭は興奮してくる。これでいよいよ日本相撲協会がひた隠しにしてきた「八百長」問題が,百日のもとにさらけ出されることになる。問題は,それからだ。完全にうみを出し切るところまで,つまり,大改革まで踏み込むのか,それとも,公益法人登録をあきらめてとかげのしっぽ切りで終結させようとするのか,という点だ。
 そして,どうしても避けられない問題は,「大相撲とはなにか」という根源的な問いである。これまでの報道は,まず,間違いなく大相撲を「スポーツ」としてとらえる姿勢である。しかも,一元的なスポーツ観を貫いている。スポーツにはさまざまな存在形態がある,という認識は欠落している。一度,「スポーツとはなにか」と自分自身に問い返してみるといい。
 プロレスはスポーツか。囲碁・将棋はスポーツか。登山はスポーツか。ウォーキングはスポーツか。釣りはスポーツか。ホエール・ウォッチングはスポーツか。浅井慎平は「写真はスポーツだ」と言い切った。しょっきり相撲はスポーツか。散歩はスポーツか。合コンはスポーツか。セックスはスポーツか。応援団はスポーツか。チア・リーディングはスポーツか。スタントマンはスポーツマンか。縄跳びはスポーツか。綱引きはスポーツか。民族(民俗)スポーツはスポーツか。ダンスはスポーツか(ダンスにもいろいろある。その一つひとつを検証してみるといい)。日光浴はスポーツか。
 エンドレスなので,このあたりで止めにしておこう。この延長線上に,「大相撲はスポーツか」と置いてみればいい。さて,あなたの答えはどうなりますか。
 わたしの答えは「大相撲は近代スポーツではない」というものだ。
 その根拠は『近代スポーツのミッションは終わったか』(西谷・今福・稲垣の共著)を読んでもらえれば明らかである。
 というところで,一旦,終わりにしましょう。
 当分の間,この問題は話題になることでしょうから。

2011年2月1日火曜日

バタイユの『宗教の理論』にとことんこだわってみたい。

 昨年の神戸外国語大学の集中講義では,前期にマルセル・モースの『贈与論』をとりあげ,後期にはジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をとりあげた。いささか欲張った授業を展開したわけだが,予想外に学生さんたちは意欲的に食いついてくれた。それは提出されたレポートを読んで確認することができた。とても,嬉しかった。
 もっとも,この授業にでてくる学生さんの大半は,竹谷さんのゼミの学生さんで,すでに『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社)を輪読しながら,民族スポーツとはなにか,という初歩的な指導を受けている。だから,いささか突拍子もないわたしの話にも,かなりのレベルで食いついてくれたのだと思う。昨年の後期のレポートもかなりのレベルの高さで応答があった。そのうちの3人には「100点」をつけた。こんなことは珍しいことである。バタイユについて,相当に読み込んで(他の関連の文献も読み込んで)いるということが如実につたわってくる,よく練れたレポートであった。おそらく,本人たちも大満足だっただろうと推測している。おそらく,世界がひっくり返るような経験をこの3人の学生さんたちはしただろうと思う。その代わり,予習もなにもしないで,ただ出席して坐っていただけの学生さんたちには,なんのことやらさっぱりわからなかったことだろうと思う。授業中でも,まことにつまらなそうな顔をしていたし,レポートも半分はなげやりだった。こういう学生さんをも拾えるような授業の展開の仕方を考えなくてはいけないなぁ,というのが反省点。
 で,ことしも次年度のシラバスを書いて提出せよ,という連絡があった。どうしようかとさんざん考えあぐねた結果,竹谷さんとも相談をして,再度,『宗教の理論』をとりあげることにした。その理由は以下のとおり。
 昨年の後期の授業では,『宗教の理論』の第一部・基本的資料のⅠ.動物性(P.21~33)とⅡ.人間性と俗なる世界の形成(P.34~54)をとりあげただけで終わってしまった。時間が足りなかったのだ。で,一番肝腎な,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則(P.55~81),が残ってしまった。ここまで読み切って,はじめてマルセル・モースの『贈与論』につながるのである。バタイユ自身も,この『贈与論』をしっかり視野に入れた上で,さらに,ポトラッチなどが行われるようになる前の段階の人間の問題に焦点を当てていることは,『宗教の理論』を読めば明白である。だから,バタイユは問題の設定を,「動物性」から「人間性」に<横滑り>する,その過程(プロセス)を詳細に分析するところに置き,ヒトが人間になるときに「宗教的なるもの」が立ち現れる,という根拠を明らかにした。わたしの着眼点もここにある。つまり,「宗教的なるもの」が立ち現れるときに,同時に,「スポーツ的なるもの」が立ち現れる,と。すなわち,「宗教的なるもの」と「スポーツ的なるもの」とは渾然一体となって立ち現れる,と。その根拠を,わたしは,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則,のなかに読み取ることができると考えているのである。
 2011年度の前期の授業は徹底的に,Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則,を深読みしてみたいと考え,そのようにシラバスを作成して提出した。手の内をさきに明らかにしておけば,この授業がうまくいけば,わたしは一冊の本を書こうと考えている。題して『スポーツとはなにか──その根源的問い直し』(仮題)というような。その意味では,これまでにもまして気合が入る。これまでにもやってきたように,ブログをとおして,事前にわたしの「読解」を公開しておいて,それをめぐって学生さんたちに議論をしてもらおう,と考えている。授業が近づいてきたら,書きはじめる予定。興味のある人はアンテナを張っていてください。
 ちなみに,ことしの前期の集中講義は8月4日(木),5日(金),8日(月)の三日間。朝8時50分から午後5時40分まで。一日5コマの授業。6日(土)と7日(日)は大学が休み。この間に,かんたんなフィールド・ワークと「ISC・21」の8月例会を考えている。詳しくは,いずれHPの掲示板に案内がでる予定(世話人は竹谷さん)。ぜひ,いまから時間を確保して,この授業に参加してみてください。授業の前と後とでは世界がひっくり返るような体験ができると確信しています。なぜなら,わたし自身が,この授業をとおしていつも大変身しているのですから。ただし,事前に相当の予習をしてきてください。それがないと,まったく,わけのわからない授業になること間違いなし,です。
 そのための準備として,わたしはヘーゲルの『精神現象学』をもう一度,精読しておこうと考えている。その理由については,明日のブログで。