2014年8月31日日曜日

第50回記念青年ふるさとエイサー祭り,を見学。歌と踊り・・・生の源泉。郷土愛の「根」。

 本場の,生のエイサーを見たいと思っていました。初めて,本場の,生のエイサーを見たのは数年前の渡嘉敷島でした。スペインのバスク大学からのお客さんたちと一緒でした。かれらとは,「日本・バスク国際セミナー」をとおして顔なじみでしたので,一緒に楽しく見学しました。終わってから民宿で夜遅くまで「エイサー」論議で盛り上がりました。わたしにとっても,深く考えるところがあり,とてもいい経験でした。

 それ以外では,東京のデパートなどでの沖縄バザールの催し物の一つとして,数人の人によるエイサーを時折,見かけるだけでした。しかも,この人たちはほとんどセミプロで,沖縄バザールと一緒に各地を移動しているようでした。人数は少ないけれども,とても気合の入った演技で,見るたびに感動していました。そして,「エイサー」とはいったいなにか,と考えてきました。

 あとは,YOUTUBEで流れているエイサーを,気が向くと開いて眺めていました。ひとくちにエイサーと言っても,それを演ずる人びとの住む地域によって,ずいぶんと異なります。とても派手な衣装に身を固めて,大きな動作ではなばなしく演ずる地域もあれば,地味な衣装で,静かに祈りにも似たエイサーを演ずる地域もあります。この地域ごとに違うエイサーとはなにか,とずっと考えてきました。

 たまたま,ひめゆり平和記念資料館の見学を終えた帰路,那覇空港に近い奥武山スポーツ公園でエイサー祭りをやっていると知り,即決でそこに立ち寄ることにしました。すでに,夕闇が迫る時刻でした。行ってみると,野球場でやっているとのこと。入場券を購入して入ってみると,ライトが煌々と輝いていて,すでにスタンドにはかなり多くの人たちがびっしりと座って,飲み食いをしながらエイサーを見物していました。


 日時:2014年8月24日(日)16:00~21:00
 場所:那覇市奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)
 エイサーが一同に集う!!青年たちの甲子園!

 入場したときにもらったリーフレットをみると,前日の23日(土)にも〔創作・郷土芸能の部〕というプログラムが行われたことがわかります。二日間にわたって「青年ふるさとエイサー祭り」が,どうやら毎年,夏の終わりのシーズン・オフの最後の催し物として行われてきて,偶然にも「第50回」という記念の年に出くわした,という次第です。


 どの地域の青年会の演ずるエイサーも,それぞれに特徴があって,その意味の違いなどがわかるともっと楽しめたのでしょうが,なにせ,飛び込みですのであまり詳しいことはわかりません。大づかみのところの知識としては,お盆のときに祖先を迎え・送る儀礼がそもそもの基だ,と聞いています。あとは,白塗りの道化はチョンダラーではないか,ということ。チョンダラーは京太郎の沖縄訛りで,京都出身の芸人が沖縄までたどりついて,その芸の一部が継承されたのでは・・・ということくらいです。上り旗は地域の所在を示し,そのすぐ後ろを瓶を担いだ二人がつづきます。その瓶には泡盛が入っていて,いわゆる祭りの振る舞い酒だったようです。いまでは,形骸化してしまって,瓶のようなものを担いでいますが,踊りの激しさからすれば,たぶん空っぽか,それともつくりものではないかと思います。

 それと,もう一つのルーツにまつわる話としては,一遍上人がはじめたと言われる踊り念仏があります。もし,一遍上人の踊り念仏が流れてきたのだとすれば,これは相当に激しい踊りであっていいことになります。なぜなら,踊り念仏の発端は,ほとんど飢餓状態で旅をつづけていた一遍上人とその弟子たちが,ある日,突然,迫りくる死を目前にして踊り始め,ほとんどトランス状態(憑依)になって踊ったと伝わっているからです。言ってしまえば,死と隣り合わせの踊りです。その系譜がエイサーに流れているとしたら,これはとても興味深いことになります。一遍上人は時宗の開祖で,阿弥陀仏のお札を全国に配ってあるいた人として知られています。その時宗の人がお札を持って沖縄までやってきたとしたら,これまた面白い話だと思います。なぜなら,沖縄には,いわゆる仏教が本土のようには普及しなかったからです。が,そのほんのわずかな仏教の一つの宗派が伝承していた踊り念仏が沖縄にまで達していたとしたら,これも凄いことだと思います。

 が,また一方では,沖縄にはミルクさんという存在がいまでも親しまれています。それは,弥勒菩薩の弥勒のことだそうです。しかし,なぜ,弥勒菩薩の存在が沖縄に伝わったのか,これも興味が湧いてきます。弥勒菩薩は困った人がいると浄土の世界から世俗の世界に降りてきて救済してくれる仏さまとして知られています。ですから,弥勒信仰は宗派を超えて,広く普及していったと言われています。それが,沖縄にまで達していたということなのでしょう。

 エイサーには,このほかにもいろいろの文化要素が入り交じっているように思います。たとえば,太鼓や鐘を踊りながら打ち鳴らすやり方は,韓国の伝統芸能とよく似ています。そのもとは,ひょっとしたら中国かも知れません。沖縄と中国との古くからの交流史を考えてみますと,そんな気もしてきます。たぶん,エイサーにはもっともっと多くの文化要素が組み込まれ,沖縄的に消化吸収され,一種独特の文化としての体裁をもつようになったのだろう,と推測されます。

 こんなことを考えながら,第50回記念青年ふるさとエイサー祭りを堪能しながら眺めていました。このようなエイサーという沖縄に固有の文化が,ウチナンチューとしてのアイデンティティを支える重要な「根」の一つになっているのだろうなぁ,などと考えていました。沖縄の芸能の奥は深いだけではなく,きわめて幅が広く,しかも,日常生活のなかにいまも生きている,この事実には注目していきたいと思っています。カチャーシーなどは,キャンプ・シュワブゲート前の抗議集会でも踊られています。政治と祭りが,いまも同居している,としみじみ思います。

 最後に,プログラムの最終を飾ったうるま市平安名青年会の踊ったエイサーが,わたしの眼にはとても印象深く映りました。それは,全体として,とても静かに,丁寧に踊られていました。まるで,エイサー全体が「祈り」そのものではないか,と思ったほどです。衣装もとても地味で,踊りの所作も派手なものではなく,それでいてどこかにため込まれたエネルギーがふつふつとわき出てくるような,そんな印象をもちました。これが,ひょっとしたら,エイサーの原点に近い形態なのかな,と考えたりしました。



 
 来年もこの時期にきて,〔創作・郷土芸能の部〕も合わせて二日間,この「青年ふるさとエイサー祭り」を楽しんでみたい,といまから楽しみにしています。

 最後の締めは,いつものようにカチャーシー。大勢の人がグラウンドに降りていって,エイサーの演者たちと一緒になってカチャーシー。ウチナンチューが一つになれる文化。これぞ,沖縄の「根」の根幹にある,と言っていいでしょう。

「ひめゆり平和記念資料館」を見学。映像資料に驚愕。戦争する人間の「愚かさ」がひしひしと・・・・。

 8月24日(日)の午後,沖縄のひめゆり平和記念資料館を訪ねました。長年の念願でした。思い返せば,もう,ずいぶん前のことになりますが,別のところで時間を消費してしまい,すでに夕刻になっていましたので,この資料館の入口周辺をちらりと歩いただけで通過してしまいました。それからずっと気がかりになっていました。が,今回,ようやくその念願が叶い,じっくりと時間をかけて見学させていただきました。


 とても綺麗な建物で,上の写真は資料館の入口を横から撮影したものです。左側が正面になります。芝や屋根の漆喰もきれいに手入れがされていて,とても清潔感に満ちていました。このひめゆり平和記念資料館を維持・管理している人たちの,密やかな,内に秘めた心意気のようなものが伝わってきました。この写真はそんなつもりで撮りました。


 正面入口の右側に建つ戦没者・学徒の名前を刻んだ立派な碑が,これです。その手前は,ここもまたひめゆり部隊が医療介護のためにに用いたガマの一つでしょう。こういうガマがあちこちに散在しています。沖縄の島全体が石灰岩が多く,このようなガマが自然にあちこちに出来上がったと聞いています。そこが,防空壕となり,医療施設となり,人びとの命を守る最後の砦となりました。が,このガマで多くの人びとの命が消えていきました。米軍の火炎放射器による攻撃や集団自決もこのガマの中でした。それを思うと,黙って通過するわけにはいきません。おのずから,般若心経が口をついてでてきてしまいました。


 入館したところでいただいたリーフレットの表です。ここにひめゆり平和記念資料館の概要が書かれています。沖縄本島の北部から米軍に追われて日本軍も学徒兵も一般市民も,夜道を這うようにして南下し,この辺りの森やガマを逃げまどった末の,沖縄戦終焉の地がこの周辺でした。ですから,この辺り一帯は多くの人びとの命が散っていった「聖なる地域」でもあります。このリーフレットを読みながら,そんな思いに駆られました。


 リーフレットの裏側です。この資料館の展示コーナーの説明図です。中央の中庭を取り囲むようにして展示室がしつらえられています。順路にしたがって左側から右回りに一巡すると再び入口のカタログなどの販売コーナーにもどってくるようになっています。館内の撮影は禁止されていましたので,どこも撮影することができませんでした。綺麗な中庭は撮影してもいいだろう,と思いましたがなんとなく気が引けて撮ることはできませんでした。

 展示の内容は素晴らしく,これを「撮影禁止」にする理由がわたしには理解できませんでした。日本の美術館や博物館,そして,資料館などのほとんどが展示物の撮影を禁止しています。しかし,ウィーンの美術史美術館のような有名な絵画がずらりと展示されているようなところでも,撮影はできるようになっています。ただし,フラッシュと三脚の使用は禁止です。つまり,プロのカメラマンが撮影し,それで収入を得ることを禁じているだけです。素人が,とりわけ,子どもたちが喜んで写真を撮ることは,むしろ推奨されてさえいます。なぜなら,写真を撮って,友人たちに見せることによって,美術館の楽しさを拡散してくれるからです。イギリスの大英博物館も撮影はOKです。ここは,ところどころに貴重な展示物があって,そこだけは禁止されていますが,それ以外はすべて撮影可です。そういう美術館や博物館の方がヨーロッパでは多いと思います。

 とりわけ,ひめゆり平和記念資料館のような,できるだけ多くの人びとに,ここで起きた悲劇の実態を知ってもらうための啓蒙を目的とした資料館であれば,なおさらのことだと思います。この点は,ひとつ,早急に検討していただきたいことだ,と痛感しながら展示物に見入りました。やはり,強烈な印象を残す展示物がいくつもありました。

 たとえば,慶良間諸島の中の渡嘉敷島への上陸作戦を開始したのは「3/26」という日にちの入った大きな地図がありました。そうか,沖縄上陸作戦のはじまりは1945年3月26日だったのか,とこれは強烈でした。なぜなら,この日はわたしの誕生日であり,わたしもまた愛知県豊橋市の東田国民学校一年生として,防空頭巾をかぶっていろいろの訓練を受けていた,それらの記憶とが,一瞬にして火花が散ったように結びつき,しばらくは震えながら,ぶつぶつと口ごもりながら呆然と立ちつくしていました。そして,少し落ち着いたところで,この日付の入った部分だけでも写真に収めたいという衝動が湧いてきました。が,それすら「館内撮影禁止」という威圧感に負け,諦めるしかありませんでした。

 撮影禁止の理由も根拠もわたしには理解できませんでしたので,大いに不満でした。写真というものは,瞬間の閃き,あるいは感動が引き金となって撮影されるものであり,それがその個人にとってはかけがえのない写真になります。ひめゆり平和記念資料館で,「3/26」が渡嘉敷島への上陸作戦開始の日であることを知ったよ,と言ってその写真を友人たちに拡散したい,この素朴な欲望が「禁止」されている,というわけです。この矛盾をどうか館長さん,できるだけ早く解消してくださるようお願いします。

 終わりの方の展示コーナーで流されていた映像資料は,わたしにとってはきわめつけの衝撃でした。米軍による上陸作戦の映像(渡嘉敷島の海域を軍艦で埋めつくした,船だらけの海)をはじめ,恐るべき艦砲射撃からの砲弾の雨・嵐,上陸してからの火炎放射器による焼き尽くし作戦,などなど。そして,その間に挿入されているひめゆり学徒隊の,奇跡的に生き延びた人たちの(すでに,みんな老婆になっている)証言が,これまた衝撃でした。

 これをみながら,何度も何度も,どんなことがあっても「戦争だけはしてはいけない」と口ずさみ,そして,インドのガンジー首相が唱えた「無抵抗・不服従」という戦争回避のためのスローガンが脳裏に浮かんでは消えを繰り返していました。そして,「憲法九条」をどんなことがあっても守り抜かなくてはならない,という覚悟というか,いや,決意を新たにしていました。

 集団的自衛権の行使容認を推進している安倍政権の政治家諸氏に,この映像で証言しているおばあたちのことばを,のしをつけて送り届けたい,と強く思いました。なかでも「戦争は勝っても,負けても同じです。尊い命を犠牲にするだけのまったく意味のない無駄な行為です」という,きわめつけのことばがわたしの脳裏から離れません。少し冷静に考えれば,だれにでもわかるこの理屈を無視して,戦争をはじめてしまう人間という生き物の愚かさに,なんとしても歯止めをかけなくてはなりません。

 21世紀の最大の課題は,戦争回避と原発廃止のこの二つだと考えています。経済などは,言ってしまえばどうでもいい。生きてさえいかれれば,それでいい。そう,資本主義経済の軛からするりと抜け出して,贈与経済の原点に立ち返る,それだけで済むこと。世界中の知性がそう叫んでいるのに,権力者たちは無視して,金の亡者のままです。諸悪の根源は,ただ,この一点にあります。そこから脱出すること。

 21世紀スポーツ文化研究所のミッションもまた,この一点と深く切り結んでいます。

 唐突ですが,このあたりで一区切りさせていただきます。ここで得た深い深い思いは無限です。また,機会をみつけて,ひめゆり平和記念資料館のことは書いてみたいと思います。ではまた,お元気で。

2014年8月30日土曜日

第151回芥川賞受賞作『春の庭』(柴崎友香)を読む。なにか物足りないのだが・・・・。

 毎年,芥川賞受賞作だけは読むことにしています。その理由は,新しい文学の可能性が若い新人作家によってどのように模索されていて,それが審査員によってどのように評価されるのか,それが知りたいからです。

 ですから,文藝春秋の掲載号を購入して,まずは,「芥川賞選考経過」を読み,つづいて「芥川賞選評」をかなり丹念に読みます。どの選考委員が,どの作品を,どのように評価したか,がかなりわかってくるからです。もう一つの楽しみは,この選評の文章をとおしてその作家の力量が,わたしなりに理解できるように思うからです。そして,究極の楽しみは,芥川賞の選考というものがいかにいい加減なものであるか,ということが透けてみえてくることです。

 第一に,芸術作品を点数化して,比較することの是非論があります。しかも,その点数を合計して順位を決める,この一種マンネリ化した方法にいたっては,もはや言うべきことばもありません。一見したところ,いかにも合理的で,民主主義的で,なんの矛盾もないようにみえます。が,どっこい,そうは問屋が卸しません。なぜなら,芸術作品を評価する客観的な基準はどこにも存在しないからです。すべては,審査委員の「主観」でしかありません。その主観を「点数化」することによって,いかにも比較可能な客観的な評価がなされたかのごとき体裁をとること自体が矛盾です。

 そういう馬鹿げたことが大まじめに,長年にわたって繰り返えされてきたのです。ですから,この馬鹿馬鹿しさのわかっている作家は,審査委員になることを断っている,と聞いています。そういえば,この人が審査委員なのか,といささか奇異な感じもする作家さんもいます。その逆に,たとえば,わたしの好きな作家で,しかも一般的に評価も高い作家が,このメンバーには入っていません。なるほどなぁ,と納得してしまいます。

 とまあ,いささか余分なことを書いてしまいましたが,ことほど左様に芥川賞作品だからといって,過剰に評価する必要はほとんどないに等しい,ということが言いたかったという次第です。しかも,今回は三つの作品がほとんど同列に並んで,なにやら妙な議論が展開したらしいことも,選評を読んでいると透けてみえてきます。ということは,どの作品が受賞作になっても不思議ではなかった,ということでもあります。

 ですから,今回の受賞作は,まあ,運がよかった,という程度に受け止めておけばいいのかな,という印象をもちました。そんな先入観があったからかもしれませんが,今回の受賞作『春の庭』の読後感は,「なにか物足りない」というものでした。過去の受賞作の中にもかなり妙な印象を残した作品もありましたが,それでも,こういう点が新鮮だなぁ,というものが一つや二つはありました。が,今回のこの『春の庭』には,とりたててこれという魅力がわたしには感じられませんでした。なぜなのか。

 いささか古くなった木造二階建てのアパートで暮らす住人たちが,大家さんから立ち退きを求められます。そして,一人消え,二人消え,という具合に住人が減っていきます。立ち退き期限ぎりぎりまで居残る3人のアパートの住人の日常が,とても繊細に描かれていきます。その観察眼がとても秀でている,と選考委員の何人かが評価しています。そして,唯一,物語の仕掛けとして幅をもたせているのが,アパートのすぐ隣にかなり立派な一戸建てのお屋敷があって,この建物の元住人のアーティストが自分たちの部屋の中での暮らしぶりを写真集にして発売し,それを読んで記憶している住人が,新しい住人と仲良しになり,少しずつその部屋の探訪をするという,一種異様な「欲望」が描かれている点でしょうか。月並みなことばで言ってしまえば,他人の生活を「覗き見」して,あれこれ推理する「欲望」ということになるでしょう。

 その「欲望」を残ったアパートの住人たちが分かち合い,共通の話題として仲良しになっていく,その描写がなかなか秀でていると某審査員は選評で書いています。しかし,わたしの中に他人の暮らしぶりを覗き見したり,あれこれ邪推する興味も関心もないためか,なんの感興も湧いてはきません。人情の機微も,どこかドライでいて,それでいてお互いに仲良しを装っているようにも読み取れます。

 この東京砂漠を生き延びるためのオアシスは,せいぜいこんな殺伐としたものでしかない,と言いたいのだとしたら,そんなテーマはもうすでに多くの作家たちによって取り上げられ,描かれてきました。ですから,いまさらとりたてて,つまり,芥川賞の当選作としての賞に値するとは,わたしには思えませんでした。

 この小説の最後のところの描写もまた,全体のコンテクストとはなんの脈絡もない,とってつけたような意味不明なものでしかない,とわたしには感じられました。審査員の何人かも,同じような指摘をしていました。にもかかわらず,この作品を押した,といいます。なぜか。この作者・柴崎友香は,すでに芥川賞の候補に4回もなっていて,日常性を描く視力と筆力はすでに高く評価されてきたけれども,今回はそのレベルを超え出て新境地を開いた,というのがこの作品を押した選考委員たちの言い分のようです。ですが,どこが,どのように新境地を開いたのか,という点についてはだれも語ってはいません。

 わたしのような素人の小説好きには,なんとも平凡なアパート生活者たちの日常が描かれている,それだけではないか,という程度の感想しかもてませんでした。どこか「物足りない」のです。ないものねだりにすぎないのかも知れませんが・・・・。

 でも,なんといっても,天下の芥川賞作家の作品です。なにか,わたしのような凡人には理解不能ななにか秀でたものがあるのでしょう。これは相性の問題かも知れません。ですから,それはそれでいいとしておきましょう。唯一,救われるのは選考委員のなかにも,この作品をまったく評価しないという人もいたことでしょうか。

 この作者が受賞後の新作で,どのような作品を提示してくるのか,それを楽しみにすることにしたいと思います。以上が,わたしの独断と偏見を前提にした読後感です。その意味では嘘偽りはありません。ということで,今回はここまで。

「ロ・カッパ・ローラーズ」のライブを聞きながら考えたこと。それは「自己超越」。

 8月22日(金)・23日(土)と二晩つづけて,沖縄でロックのライブを聞きました。グループの名前は「ロ・カッパ・ローラーズ」。といえば,なんだかそれらしくなりますが,なんのことはないカッパ君こと竹村匡弥とヤッシーこと大城安志の2名に,わたしの知らない若いドラマーが一人加わった,いわゆる即興のバンド。


 まあ,ありていに言ってしまえば,竹村匡弥はカッパの研究者でありミュージシャンであり,わたしの教え子。そして,大城安志は仕事をもちながらプロのロックン・ローラーであり,わたしの娘婿。この二人がなぜか馬が合い,こんどのライブで3回目。1回目は大阪,2回目は奈良。そして,こんどの沖縄での3回目と4回目,という次第です。そこに新しく,若いドラマーが参入。まあ,言ってみれば身内の顔なじみの速成バンド。

 もっと言ってしまえば,リハーサルもほとんどなしの「ぶっつけ本番」。ロックの詳しいことははわたしにはわかりませんが,それなりに楽しく聞かせてもらいました。

 23日のライブは,三部構成。第一部で大城安志がピンで歌い,ギターを演奏。第二部は竹村匡弥がやはりひとりで歌い,ギターで伴奏。第三部で,この2人に若いドラマーが加わり3人の演奏。それぞれ個性がまるで違うにもかかわらず,第三部は不思議な盛り上がりがありました。これぞライブというのでしょうか。


 上の写真は演奏中の大城安志。気合の入った,絶叫に近い,全力で声を張っての迫力のある歌唱と,テクニックも相当なものなのだろうなぁと想像させる(わたしにはよくわからないのですが)みごとな演奏でした。これまでにも聞いたことはあるのですが,いつも遠くから聞いていました。今回,初めて,卑近距離で聞いたこともあって,その迫力が直につたわってきました。この男はいったいなにものだろうか,と。

 伝え聞くところによれば,中学生のときにロックに目覚め,高校生でバンド・デビューし,一時,相当の人気がでてその勢いでプロを目指して上京。何年か臥薪嘗胆の時期を送りますが,ついに夢敗れて沖縄にもどり,アルバイトをしながらロックのバンドを組み,活動をつづけてきたという。そして,いまもロックとの縁を切ることはできず,毎晩,練習に励み,機会があればどこにでもでかけて行ってライブ演奏をするという日々を送っているそうです。


 この写真をみると明らかなように,ロックの世界に忘我没入してしまうと,まるで別人になってしまいます。もはや,この世の人ではなくなり,どこか次元の違う世界の「なにか」に向かって,必死になって「なにか」を伝えようとしているように見受けられました。瀧のように流れる汗をものともせず,全身,バネのようにしてステップを刻み,飛び跳ねての文字通りの熱演です。そうして,次第にかれの世界に聞く者たちを引きずり込んでいきます。いやはや,驚くべき演奏でした。

 こんな激しい演奏のなかに,バラードが一曲入り,これはこれでしっとりと聞かせる自作自演でした。全体的に伝わってくるのは,人間の日常の思いやりややさしさに触れたときの感動をロックにして,全身全霊を籠めて表現しているように,わたしには聞こえてきました。ひとことで言ってしまえば「自己超越」。別の言い方をすれば「聖なるもの」(ジャン=ピエール・デュピュイ)に触れる体験。ロックをとおして人間が生きる喜びの源泉に触れる,その快感を追い求めているように聞こえてきます。かれ自身が,演奏をとおして自己を超え出ていくときの快感と同時に,その向こう側に透けて見えてくる純粋無垢の世界への限りない愛,あるいは憧憬。それがかれのロックの真髄となっているのだろう,と想像してしまいました。

 この際,はっきりとエールを送っておきましょう。間違いなくロック歌手として一流の域に達している,と。ただ,不運にして売れないだけの話。優れた音楽評論家との出会いに恵まれていない,というべきか。でも,その世界での評価は高いらしく,本土からやってくる一流の演奏家の前座を務めることもあるのだそうです。でも,いまは売れても売れなくても,そんなことは超越したところでロックの面白さを探求しているように見受けます。また,ひとつ上のステージの世界を堪能しているのかもしれません。


 片や竹村匡弥の演奏は,大城安志とはまったく対極にあるような演奏で,しっとりと聞かせるものでした。かれとは付き合いが長いので,学生時代から演奏はちょこちょこと聞かせてもらってきました。これまではすべてバンド演奏でしたので,こうして一人語りのような,椅子に座って歌うのははじめてのことでした。

 若いころは「ライオン」の異名をもつ声の大きな,吼えるような演奏でした。バンド演奏とピンでの演奏では本質的に演奏スタイルが違いますので,比較することはできません。が,今回の演奏を聞いていて,味のある,そして伸びのある歌唱力に驚きました。こんなに上手いとは,じつは思っていませんでした。加齢とともに腕も心境も高まってきているのでしょう。

 河童の研究者としても,近年,とても充実してきていて,将来が嘱望されるところにきています。すでに,某大手出版社からオーダーがきているほどです。これまでの蓄積をまとめれば,いつでも本になる,そういう域に達しています。このことと,ロックの演奏は,どうもシンクロしているのではないか,と聞きながら思っていました。

 つまり,河童の研究は,いわゆるヨーロッパ近代が生みだした資料実証というアカデミズムにはそぐわない世界です。その資料実証主義の厚い壁をぶち破っていくことが河童研究には求められます。言ってみれば,それは想像の世界であり,創造の世界でもあります。そのためには,読者を納得させるだけの説得力ある論理構成と情動を突き動かす文章表現が求められます。

 このアカデミズムの壁を突き破るための努力とロックの演奏は,なんの矛盾もなくシンクロする,とわたしは考えています。つまり,硬直してしまったアカデミズムの土手っ腹に穴を開ける営みは,ロックそのものではないか,という次第です。


 この表情からも,やはり,もう一つの「自己超越」の世界が予感されます。歌っている本人が気持よくならなければ,それを聞く人に伝わるわけがありません。ミュージシャンにはそういう世界にみずから飛び込んでいける才能が不可欠です。竹村匡弥には,そういう才能が備わっているように思います。それは日常生活にも現れていて,初対面の人とも,それも大物の研究者とも,すぐに友だちになれる才覚はみていて羨ましいかぎりです。わたしには持ち合わせがない,素晴らしい才能の持ち主だということを,今回,再認識した次第です。いやいや,恐れ入りました。

 というところで,第三部の感想は割愛。

 いずれにしても,この二人の演奏に触れて,わたし自身の認識が大きく変化させられたことを,ここでは正直に告白しておきたいと思います。人間はみんなそれぞれの世界で伸びていく,成長していく,そのよきサンプルに久しぶりに出会った,という心地よい印象が強烈です。

 至福の二晩のライブでした。ありがとう。二人のロックン・ローラーにこころからの敬意と感謝の気持を表して,このブログを閉じたいと思います。謝謝。

〔追記〕
お詫びと訂正。「ロ・カッパ・ローラーズ」はバンドの名前ではなく,ライブの名前だそうです。お詫びして訂正させていただきます。

2014年8月29日金曜日

「九条の会」弾圧,「国会デモ規制」検討,「沖縄と安倍政権」(佐藤優)。29日の『東京新聞』から。

 今朝(8月29日)の『東京新聞』の一面トップのニュースに愕然としてしまいました。もはや世も末だと。憲法九条を守るという活動を,とうとう地方自治体(国分寺市)までもが排除しはじめた,というのです。その理由が「内容が政治的」だから,と。


 「9条の会」が,いろいろの地域でそれぞれ独立して,草の根的な運動を展開していることは衆知のとおりです。わたしの住んでいる川崎市高津区にも「9条の会」が組織され,街頭にでてビラを配ったり,講演会や勉強会を開催しています。それは,いわゆるプロの活動家ではなく,ごく一般的な市民の有志の集まりです。

 それも,日本国の骨格を支える「憲法」を守る,という国民としてのきわめてまっとうな運動です。そして,その中核をなす「9条」を守ろう,という運動です。学校教育でも熱心に教育されてきた重要なカリキュラムの一つでした。いやいや,いまも,きちんと教育されているはずです。わたしの学生時代には「憲法」という科目が必修でした。この単位を取得しなければ大学を卒業することはできませんでした。

 それを「なにを血迷った」のか,国分寺市ともあろう地方自治体が,自主的に安倍政権に「自発的隷従」をするかのように,「9条の会」に「圧力」をかけてきたのですから・・・・。もはや,開いた口がふさがらない・・・・。国分寺市民は黙ってはいないだろう,とわたしは期待しています。「冗談じゃあない」と声を挙げてほしいところです。

 しかも「国分寺まつり」に出店を出すことを「まかりならぬ」というのです。「まつり」は「まつりごと= 政」であって,どのような「まつり」もすべて「政治的」です。政治的でない「まつり」は古来,わが国には存在しません。「9条の会」を弾圧すること自体が,まさに「政治的」です。

 この調子でいくと,世界でも類をみない,国民に自国の憲法を教えてはいけない,という世にも不思議な国家が誕生しそうです。世界中の「笑いもの」になってしまいます。なにより,おそろしいのは,政権が狂いはじめると,あっという間にあちこちの地方自治体までもが「狂い」はじめてしまうという,この「連鎖」です。そのうち憲法のことを口にしただけで,「白い眼」でみられる社会が出現するのではないか,と不安になってきます。


 この一面トップのニュースのすぐ左隣の記事が,この写真です。こちらも,もはや開いた口がふさがらない,そういう事態です。一体,政府自民党の政治家の頭はどこまで「狂って」しまったのでしょう。自分たちに都合の悪いことは,ことごとく排除してしまえ,というきわめて単細胞的な発想しかできない「大馬鹿者」,いやいや桁外れの「愚者」の集団でしかありません。こうした「馬鹿さ」加減に歯止めをかける議員もいない,なんたる堕落した政党なのか,あきれはててしまいます。

 「奢れるものは久しからず」といいます。精確には「奢る者は心つねに貧し」(『譚子化書』)といいます。いつまでも国民の眼を欺くことはできません。嘘に嘘を重ねてきた安倍政権です。ほんとうにどこまで嘘をつきつづけるのか,いつか,必ずその嘘で固めたお城はあっという間に崩壊するでしょう。国民はそれほど愚かではありません。ただし,いまのところは「猫騙し」が効果を発揮している・・・・かにみえるだけのことです。

 それに気づいたのか,内閣改造だそうです。こちらも壁紙を張り替えるだけの話。党内の不満分子のガス抜き。政権を維持するための小手先のお遊び。国民のことなどかけらも考えてはいません。ただひらすら権力を持続させるための「保身」あるのみ。


 今日の新聞の最後のきわめつけは,佐藤優の本音のコラム「沖縄と安倍政権」。この記事に解説や感想は不要でしょう。ありのままの沖縄の現状を簡潔にまとめたコラムです。ただし,最後の3行はぎくりとさせられます。「その結果,沖縄の分離傾向がかつてなく強まるかもしれない」と結んでいます。「分離傾向」ということばに籠められた佐藤優さんの思いは単純一様ではありません。かれの著作を読めばよくわかることですが・・・・。このことについては,また,機会を改めて検証してみたいと思います。

 このことと関連してひとこと。これも今日の同じ『東京新聞』の広告欄に載っていた本のコマーシャルです。川満信一・仲里効編『琉球共和社会憲法の潜勢力』(未來社,2600円)。この本は,これまでとこれからの沖縄を考える上では必読の書と言っていいでしょう。いつかまた,この本のことについても書いてみたいと思います。

 長くなってしまいました。今日のところはここまで。

2014年8月27日水曜日

「辺野古移設反対・80%」を超える(『琉球新報』・8月25日)。沖縄県民の怒り,歴然。

 しばらく前のアンケート調査で,すでに「辺野古移設反対」が70%を超えているという『琉球新報』の報道がありました。それも当然だろうとわたしは受け止めていました。わたしが沖縄県民であったら,公約違反をした仲井真知事を許すことはできません。完全なる「裏切り」行為です。詐欺師であり,ペテン師です。そんな人を知事として認めることはできません。

 そういう沖縄県民の怒りが,なんの説明もなしに唐突にはじまった辺野古崎周辺海域の工事の開始,しかも,無謀ともいえる強引な「暴力」をもって漁民の抗議行動を排除する政府自民党のやり方で,さらに火が点いたとしてもなんの不思議もありません。その結果というべきでしょう。「辺野古移設反対」が,ついに「80%」を超えた(『琉球新報』8月25日)ということです。

 沖縄県民の8割を超える人が反対している,というこの事実はとても尋常とはいえません。それどころか緊急事態の発生にも匹敵する重大事です。沖縄県知事としては,急遽,しかるべき対応が不可欠です。にもかかわらず,仲井真知事は政府自民党のやり方を「擁護」するのみで,顧みるそぶりもありません。

 となれば,仲井真知事に対する不信感はますます増えていくことになるでしょう。ですから,仲井真知事の再選はありえない,とつとに政府自民党も読み切っています。その上での辺野古崎周辺海域の工事の「前倒し」開始であることも明らかです。そうして,基地移転を既成事実化することだけが目的の今回の「暴挙」です。

 こうして,辺野古移設反対を主張して当選した稲嶺名護市長につづき,11月に選出される知事もまた辺野古移設反対の候補が当選するとなると,基地の辺野古移設が膠着状態に入ることは間違いありません。そうすれば普天間基地がそのまま継続することになってしまいます。となると,沖縄県の基地負担は半永久的に継続することになってしまいます。

 そんなことになってしまっては元も子もありません。そこで,唯一残された選択肢は,沖縄県知事選挙の「圧倒的勝利」です。8割はおろか9割に達するほどの「圧勝」です。そういう沖縄県民の総意としての「意思表明」を選挙で示すことです。そういう驚異的な「圧勝」を現実化させ,この事実を国際社会に訴えることです。となれば,アメリカだって黙視するわけにはいかないでしょう。日本政府がいかにこじつけを駆使して,強烈な圧力をかけようとも,もはや,なんの意味もなくなるでしょう。そのゆきつく先は,アベ政権の崩壊です。

 このシナリオ以外に沖縄県民の選択肢はない,というのがわたしの読みです。しかも,こうなることを本土の人間として,こころから願っています。なぜなら,11月の沖縄県知事選挙の行方は,日本国の命運がかかっているからです。それは,10月に行われる福島県知事選挙とも連動していくことになります。言ってしまえば,関が原の戦いでもあります。

 ですから,これから秋にかけては,本土にいる私たちもまた,いたるところでフクシマとオキナワの惨状を訴える抗議行動を展開して,両県の知事選挙にエールを送る努力を惜しんではなりません。その意味で,こんどこそは本土で安穏な生活を送っている,フクシマもオキナワも眼中にない,残念ながらわたしたちの同胞たちにも「目覚め」てもらわなくてはなりません。

 こんなことを,今回の沖縄旅行中に,二度にわたってキャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加し,辺野古崎周辺海域を巡りながら,考えました。もちろん,限られた範囲ではありますが,沖縄県民との直接の接触によっていろいろの情報を得た上でも,同じことを考えました。

 日本国はいまたいへんな時期を迎えている(いろいろの意味で),こんな思いがさらにさらにわたしの中で膨らみつづけています。ピンチはチャンスということばがスポーツ界にはあります。その意味では,いまが最大の「チャンス」なのだ,とみずからに言い聞かせつつ・・・・・。

沖縄4泊5日の旅からもどってきました。濃密な日々。刺激的な出会い。

 8月22日(金)から26日(火)まで,4泊5日の沖縄の旅を満喫して,もどってきました。沖縄滞在中もブログを書こうと思ってパソコンも持参したのですが,毎晩,深夜まで居酒屋めぐりで,ホテルに戻ったらそのままバクスイ。きわめて健康的であるような,不健康であるような・・・・。でも,自分の好きなことに熱中できることはなによりの幸せです。

 22日(金)と23日(土)は連夜で,カッパ・ロッラーズなるロックのライブ。これがまた強烈なものでした。そして,ようやくロックなるものの本質が少しみえてきた,そういうライブでした。と同時に,沖縄におけるライブの位置づけというか,ウチナンチュのライブの楽しみ方が,生活の中に浸透している,という印象をもちました。もう一点は,ロックン・ローラーが自己超越し,その世界で自分自身がほかの誰よりも憑依している,ということがわかりました。このことについては,このブログで取り上げて,詳細に語ってみたいと思っています。ライブが終わるのが夜の10時過ぎ。それから夕食とドリンク。沖縄タイムを満喫です。

 23日(土)の昼中は,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加。「県民2000人集会」の企画。場所が那覇からも遠く,しかも不便なところですので,そこまで到達するのがたいへん。車で送ってもらい,帰りは拾ってもらって,という参加でした。にもかかわらず,目標の「2000人」をはるかに超えて「3600人」が集まりました。実行委員会が用意したバスの台数が足りなくて,ここに到達できなかった人がかなりいた(新聞報道)ということですので,実際にはもっと多くの人が参加したことになります。午後2時にシュプレヒコール,国会議員団の挨拶,デモ行進。この場の熱気は相当なもので,沖縄県民の人たちのこころのうちを垣間見る思いがしました。

 24日(日)は「ひめゆり平和記念資料館」へ。ここも本島の南端ですので,那覇からはかなりの時間がかかります。しかし,ここの資料館で流している「映像資料」(当時の戦争の実写フィルムとわずかに生き残った「ひめゆり」の元隊員だった女性たちの回想フィルム)が,わたしにはきわめて強烈でした。そして,戦争を引き起こす人間の「愚かさ」がいやというほど見せつけられ,いかなる理由があろうとも,戦争だけは回避しなくてはならない,としみじみ思いました。このときになにを考えたかも,いつか,このブログで取り上げてみたいと思っています。

 その日の帰路,奥武山運動公園にある野球場で開催されていた「第50回記念エイサー祭り」に立ち寄りました。これがまたとてもみごとなものでした。これまでいろいろのショーとしてみてきたものや,インターネットで眺めてきたものとはまったく違った印象を受けました。それは野球場という場所から生みだされるスケールの大きさとエイサーを演ずる人たちの心意気がまるで異なるということでしょう。各地域の予選をへて選りすぐりの青年団によるエイサーです。同じエイサーと呼ばれている踊りが,こんなに多くのバリエーションがあるのか,と驚くほどでした。終わったのが夜の8時過ぎです。それから那覇までもどって夕食+トリンケン。これらのエイサーを眺めながら考えたことも,いつか,このブログで書いてみたいと思います。

 25日(月)は朝10時県庁前から出発するバス(「島ぐるみ会議」がチャーター)に乗って,再度,キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動に参加するために,午前9時30分にならんでチケットを購入。先着順ということでしたので,乗り残されることのないように・・・という備えです。すでに,長蛇の列になっていましたが,そこに,N.O.さんから携帯に電話が入り,N.I.さんが車で案内してくれることになり,いま,県庁前に向かっています,という。あわてて,バスのチケットをキャンセル。返金は「カンパ」することに。車に乗り込んでみたら,N.C.さんが乗っていて,ひとり分の空席がある,ということがわかりました。車中,話しがあれこれ盛り上がり,また,バスでは不可能な寄り道をいっぱいしてくださり,いろいろの場所から辺野古崎周辺海域を眺めることができました。このときの経緯もいつかこのブログで書いてみたいと思います。

 この日の夜は,午後7時開演のシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」(「新外交イニシアティブ」主催)に出席。午後9時30分に終了。それからN.O.さん,N.C.さんと合流して,夕食+トリンケンに。ここでのシンポジウムについての講評とそこから派生する思考の展開がとても刺激的でした。たとえば,政治的な抗議行動には,単なる二項対立的な意思表明だけではなく,もっと祝祭的な要素(「まつりごと」の本来の意味で)を加味して,多くの人間の共感を呼ぶことが重要なのだ,そして,そこには「ノロ」の大集結も不可欠だ,などというようなお話です。この夜はさすがに午前様にならないところでお開きに。それらの内容についてもいつかこのブログで書いてみたいと思っています。

 このほかにもいろいろありましたが,公けにできるお話はこの程度。
 今回の沖縄旅行の概要はこんなところです。各論については,また,のちほど。以上,とりあえずのご報告まで。

2014年8月23日土曜日

8・23「沖縄県民2000人大集会」に参加してきました。大盛況。

 8月23日午後2時に,キャンプ・シュワブゲート前での「沖縄県民2000人大集会」が,参加者全員によるシュプレヒコールによって開始されました。「島ぐるみ会議」をはじめとする超党派による県民の大集会です。実行委員会の開会時の発表では,当初の目標であった「2000人」をはるかに超える参加者に感動し,こころから感謝します,とのこと。しかも,まだ続々と人は集まってきていました。それはそれは,びっくりするほどの熱気にあふれていて,そこはかとなく沖縄県民のみなさんの強い意思を感じることができました。

 シュプレヒコールのあと,沖縄県選出の衆議院議員さん(3人)の挨拶と参議院議員の糸数慶子さんの挨拶がありました。ほかの議員さんの挨拶は意外に平凡なもので,なにも記憶には残っていませんが,糸数議員さんの話は印象に残りました。「昨日,ジュネーブから戻りました。国連の場を借りて,沖縄県民の人権を脅かす由々しき事態が,いま米軍基地移転をめぐって,辺野古崎周辺海域で展開されています。この窮状を救うべく,国際社会のみなさんのご理解とご協力をいただきたい,とお願いをしてきました」(ここで大きな拍手)。

 キャンプ・シュワブゲート前を走る道路の両側にある「歩道」での集会です。そこに2000人を超す人間が集まっています。ですから,ゲート前を中心にして左右300m(計600m)もの細長い集団を形成しています。歩道は移動するのも困難なほどの人(立っている人,座り込んでいる人)であふれ返っていました。もちろん,ゲート前周辺の土手の上にも人がいっぱいです。

 連日,座り込みをして抗議している人たちは青いテントを張って陣取っています。わたしたちが駆けつけ,その前を歩いていきますと笑顔で拍手をしてくださいます。なんだか恐縮してしまいました。こちらこそエールを送り,感謝の気持を表現したいところなのに,逆でした。なんと気持の温かい人たちなのだろう,と感じ入ってしまいました。

 本土のメディアはどこもきてはいませんでした。NHKをはじめ,民放も,そして,大手新聞社の取材班も眼にすることはありませんでした。ただし,沖縄のテレビ局と主要新聞社の取材は,だれの眼にもはっきりとわかりました。それと,意外に目立ったのは,外国の記者とおぼしき人たちがカメラマンと一緒に,あちこちでマイクをもってインタヴューをしていたことです。なかには,たった一人でノートを片手に,なにげなく参加者に声をかけ,熱心に話し込んでいる姿もありました。

 なのに,こんどもまた本土の主要メディアは無視するのでしょうか。
 これはこんごの検討課題としておきましょう。

 とりあえずは,今日,撮ってきた写真だけでも列挙しておくことにしましょう。

連日,座り込みをしている人びと。その前を通りがかった稲嶺名護市長さん(青いシャツを着てうちわをもっている人)を拍手で迎えています。
 
キャンプ・シュワブゲート前の警備員の人びと。その前にあるのがあの悪名髙き三角型鉄板。いつもですと,この後ろに警察官,そのまたうしろに自衛官が横一列に並んでいます。なぜか,今日はこれだけの警備。これもまた「みせかけ」なのでしょう。
 
ゲート前の土手の上にも大勢の人が立っていました。
 
琉球大学学生会と沖縄国際大学学生自治会の巨大な立て看板。
 
実行委員会のバスの屋根に立つ国会議員の人びと。赤いジャケットと白い帽子の人が糸数慶子議員。
 
沖縄大学の学生さんたち。
 
この抗議行動に参加した諸団体の登り旗。
 
〔追記〕
※その後の沖縄のメディアの報道によれば,3800人もの県民が集結したとのことです。この交通の便の悪いところに(那覇から車で約2時間,名護市からも約30分というロケーション),これだけの県民が集まったということに,感動を覚えます。
 
※この同じ日に,首相官邸前でも同様の抗議行動(デモを伴う)が展開された,と報道されています。いよいよ全国的な運動に展開していくのでは・・・と期待しています。
 

2014年8月22日金曜日

NHK籾井会長の辞任を求めるNHK元職員1500人とアベ政権との対決。

 まずは,籾井会長の辞任要求を提出したNHK元職員1500人の勇気と品位のある行動にこころからエールを送りたいと思います。この行動はなにを隠そう,アベ政権との勇気ある対決そのものだからです。

 NHKの看板番組の一つであった「クローズアップ現代」をつぶしてしまったのもアベ政権です(とわたしは確信しています)。国谷裕子キャスターによる国民目線からの鋭い切り込みが,アベ政権の弱点をみごとに露呈させてしまったことが,アベ政権の沽券にかかわる一大事になってしまった,だから「許しがたい」「由々しき事態である」として,国民の見えないところで悪魔の手が伸びた,とわたしは推測しています。その直接的なきっかけとなったのが,つまり,アベ政権の「逆鱗」に触れるきっかけとなったのが,菅長官の「クローズアップ現代」への出演でした。

 わざわざ菅長官が出演するということは,とりもなおさず政権の宣伝に一役買うことであり,NHKも当然のことながら協力するものと信じて疑わなかったに違いありません。ところが,案に相違して,「国民目線」が優先されてしまった,というのがことの真相のようです。

 このときの映像はインターネットで確認できますので,ぜひ,ご確認ください。菅長官が,いつもの調子で,集団的自衛権の正当性をへらへらと述べたのに対し,国民はとても納得できないまま大きな不安をいだいている,と突っ込んだのが国谷キャスターです。それでも,菅長官は,いい加減な「3原則」を楯にして,のらりくらりの応答をつづけます。国谷キャスターは,言いたいことの8割は抑えて,それでも国民の多くは納得できないだろうとして,やんわりとした質問をつづけます。途中から菅長官の顔がひきつってくるのが手にとるようにわかります。明らかに国谷キャスターに敵愾心をいだきはじめています。それでもひるむことなく国谷キャスターは質問をつづけます。しかも,菅長官の応答の途中で時間切れで,この番組を終わってしまいます。

 この番組が終わったあとに,菅長官サイドからあれこれあったとかなかったとかが,週刊誌などで取り沙汰されています。ことの真相は藪の中ですが,なにかがあったことは確かなようです。それも国家権力を背景にした強烈なものであった,とわたしは推測しています。その最たる根拠は,菅長官が「そんな事実はない」と否定した上で,「この問題をこれ以上,追求するつもりはない」として放棄したことにあります。ほんとうに「事実ではない」のであれば,その事実関係を調査し,その責任者を追求すべきでしょう。それを,明らかに忌避しています。それこそが菅長官の「うしろめたさ」の表出以外のなにものでもない,というのがわたしの言い分です。

 このことと,元職員1500人の署名運動とは直接の関係はありません。その前に,籾井会長の言動そのものが,NHKの規定に違反している,というのが理由です。もう,これ以上は黙認するわけにはいかない,として立ち上がったのがこの元職員1500人です。この行動をアベ政権がどのように受け止めるか,そして,どのような対応をするのか,ここが天下分け目の天王山です。NHKのごんごの命運を占う上でもきわめて重大なポイントとなってきます。

 当然のことながら,いま渦中にある国谷キャスターのこんごの処遇の問題にもつながってきます。つまり,「クローズアップ現代」が復活するか,あるいは,そのまま国谷キャスターの退陣となるか,というところにつながっていきます。のみならず,国谷キャスターがNHKを去るということになると,これまた一大事になります。なぜなら,フリーになった国谷キャスターは,ことの真相を「暴露」する可能性がでてくるからです。となったら,アベ政権の命取りになる可能性もでてきます。さてはてNHKの命運やいかに・・・・。

 いま,水面下ではたいへんな「やりとり」が展開されているに違いない,とわたしは推測しています。アベ政権としては,すんなりと籾井会長を取り下げ,「クローズアップ現代」を復活させるわけにもいきません。さりとて,これを拒否すれば,事態はますます悪化の一途をたどることになりかねません。となると,前代未聞のとてつもない「泥試合」が,これからしばらくはつづくことになりそうです。

 そろそろ持病の「腹痛」が出そうな気もしてきました。強権をふりまわす恐怖政治家は,意外にからだが弱いものです。なにか都合の悪いことがでてくると,すぐに持病も頭をもたげてきます。そういう意味で,「腹痛」も間近ではないか,とそんな気がしてなりません。

 NHK元職員1500人の勇気と品位ある行動が,国家の姿勢を糺す引き金になってくれることを,わたしは密かに期待しています。その意味で,これからも応援していきたいと思っています。

〔追記〕
「クローズアップ現代」は25日から復活されるという情報が友人から入ってきました。わたしの早とちりでした。が,しかし,どのようなかたちで復活するのか,これもみものだ,と思っています。しばらく,注目してみたいと思います。取り急ぎ,お詫びかたがた感想まで。
 

2014年8月21日木曜日

いま,キャンプ・シュワブと辺野古崎周辺海域でアベ政権の「暴力」が剥き出しになっています。

 本土のメディアのほとんどが,いま,沖縄のキャンプ・シュワブゲート前と辺野古崎周辺海域で起きているアベ政権の剥き出しの「暴力」,それも目も当てられない無茶苦茶な「暴力」について,無視しつづけています。政権とメディアが一体となって,またもや,沖縄「切り捨て」を実行に移しています。知らないでいるのはわたしたちヤマトンチュだけです。

 沖縄の「琉球新報」と「沖縄タイムス」だけは,県民目線から,連日,アベ政権の「暴力」を一面トップで報じています。わたしのFBでは,いろいろの人から流れてくるキャンプ・シュワブと辺野古崎周辺海域で起きている情報をシェアして,流していますので,そちらをご確認ください。インターネットでは,リアルな写真つきで,その実態が流れています。それはそれは,これが人間「アベシンゾウ」のやることか,と目を覆うばかりです。

 アベシンゾウの「二枚舌」はつとに知られているとおりですが,それにしても,あまりに酷すぎます。表面では,稚拙というか,バカの一つ覚えというか,同じ「きれいごと」の繰り返しでメディアも巻き込んで押し切ろうとし,その裏ではあくどい「取引」が展開されています。その最たるものが,いま,沖縄で展開されている,というわけです。

 そのひとつが「国民の命と安全を守る」という常套句です。これまでの政権は,「国民の命と安全を守る」ために憲法9条を守ってきたのに,アベ政権ではそれをひっくり返し,解釈改憲を閣議決定して,それがあたかも政権をになう者の責任であるかのごとく主張してやみません。これは,明らかに憲法違反です。わたしごときが言うまでもなく,憲法の専門家の大多数が「憲法違反」の声を挙げているとおりです。

 その「国民の命と安全を守る」ために,辺野古崎への米軍基地移転は必要だ,とアベ政権は主張します。このときの「国民」とはだれのことか。それは本土に住む「国民」のことであって,沖縄に住む「国民」はその犠牲になる,ということを意味します。それを誤魔化すために,尖閣諸島をもちだし,まっさきに攻撃されるのは沖縄だ,と煽り立てます。しかし,だまされてはいけません。尖閣問題は,もとの「棚上げ」状態にもどせば,紛争は解決です。中国もそう主張しています。その中国との「約束ごと」を一方的に破棄して,「わが国固有の領土である」と宣言したのがアベ政権です。そのために,戦える軍隊が必要になり,集団的自衛権の行使容認が必要となってしまっただけの話です。その負債を,すべて沖縄県民に押しつけ,本土では涼しい顔をして「国民の命と安全」を享受して平然としている,というのがわたしの現実認識です。

 「丁寧な説明をして,ご理解をえる」・・・これもまたアベシンゾウの常套句です。米軍基地反対をスローガンにして当選した仲井真知事を「寝返らせ」(公約違反で,即辞表を提出すべきなのに,アベ政権に守られて再選をめざす,というこの厚顔無恥もあきれてものが言えません),その裏切り知事の言質を根拠に,沖縄県民にはなんの説明もなしに,まったくの唐突に,辺野古崎周辺海域の調査・工事にとりかかりました。それも過剰警備のもとに。

 たった5杯のカヌーを,海上保安庁の監視船をはじめ,自衛艦まで出動させて取り囲み,「これ以上近づいてくると,体当たりをくらわすぞ」と脅しています。カヌーからは「近づいてはいけない海域を教えてください」と繰り返し,ハンドマイクで問いかけているのに,それは「無視」して,「これ以上,近づいてはいけません。危険です」を繰り返すのみ。

 しかし,さすがの海上保安庁の役人の中には「海の安全を守るのがあなた方の仕事でしょう」「海で漁をすることを職業としているわたしたちの安全を守るのもあなた方の仕事でしょう」「なのに,なぜ,わたしたちを危険な目に合わせなくてはいけないのか」というカヌーからの呼びかけに,じっと耳を傾け「無言」の監視をつづける船もあった,とネット情報では流れています。まともな人間であれば,だれでも気づくことです。

 こうしたアベ政権の,矛盾だらけの,一方的な「暴力」に対して沖縄県民も黙ってはいません。連日,多くの県民がキャンプ・シュワブゲート前に「座り込み」の抗議行動をつづけています。23日には「2000人県民大会」がキャンプ・シュワブゲート前で予定されています。25日(月)(毎週月曜日,午前10時,県庁前)には「島ぐるみ会議」がバスを仕立てて,キャンプ・シュワブゲート前に向かうという情報も入っています。しかも,25日の夜には「シンボジウム」も予定されています。こちらには,すでに申し込みを済ませました。

 わたしはまったく偶然にも,明日の22日から26日まで沖縄に滞在する予定を,もう,半年も前から組んでいました。それが,ほんとうに偶然にも,沖縄の,いや,日本の分水嶺ともいうべき運命の時期に重なりました。当初の予定をできるだけ圧縮して,残りの時間を,可能なかぎりキャンプ・シュワブゲート前と辺野古崎周辺海域で起きていることをこの目に刻み,しかるべき抗議の意思表明をしたいと考えています。

 いま,沖縄で起きているアベ政権の断末魔とも思われる「悪あがき」に,みなさんも注目して,情報を収拾してください。インターネットには,これでもか,というほどのリアル・タイムの情報が流れています。それも匿名ではありません。すべて,責任の所在がはっきりしたものばかりです。しかし,これらの情報もまた,数時間後には「消去」されていることが頻繁に起きています。その「消去」をしているのもまたアベ政権です。恐るべき時代への突入です。このあとに待っているのは「恐怖政治」だけです。もうすでに,自発的に,アベ政権に「隷従」する自治体もあとを絶ちません。各地の教育委員会も同様です。

 いま,立たずしていつ立つのか,とみずから老骨に鞭打って,明日からの沖縄に臨みたいと考えています。いまのアベ政権は,ほんとうに「断末魔」の「悪あがき」を,恥じることなく展開しています。NHKの「クローズアップ現代」は,なぜ,消えてしまったのか,とくとお考えください。

では,行って参ります。

2014年8月20日水曜日

李自力老師,今日(8月20日)は来日16周年の記念日です,とのこと。

 今日(8月20日)は,朝から猛烈な暑さ。ことし一番の暑さではないか,とわたしのからだは言っています。稽古場につくなり,みなさんは汗びっしょり。もちろん,稽古中も汗びっしょり。それでもわたしのからだはあまり汗をかきません。水分摂取不足かな?といささか心配。

 めずらしく稽古の途中で,汗をふきなさい,水分も補給して,と李老師から指示がでました。でも,わたしのからだからは汗がほとんどでていません。むかしから夏でもあまり汗をかくことはありませんでした。そういう体質でした。が,みなさんの汗をみていると,やはり,いまのわたしのからだは普通ではないなぁ,とちょっぴり不安。でも,からだが水分を要求していないのだから,これでいいのだ,とみずからを納得させています。

 でも,昼食のときにはサービスの水がとてもおいしかったので,お変わりしました。これで,まあ,ふつうかなぁ,と少し安心。と,突然,「今日,8月20日で,わたしの日本滞在は満16年になります。北京で暮らした時間よりも日本の時間の方が長くなりました。故郷の昆明には19歳までいましたので,まもなく昆明よりも日本の生活の方が長くなります」と,李老師。

 みんなびっくり。ああ,そうですか,と。時間が経つのは早いものですねぇ,と。じゃあ,一度,どこかのタイミングで「暑気払い」をしながらお祝いをしましょう,とこれはわたしのこころの内。そういえば,兄弟弟子のNさんも定年一年前に退職して私学に転職。ことしになって訳本(『聖なるものの刻印』,以文社)も単著(『アフター・フクシマ・クロニクル』,ぷねうま社)も出版していらっしゃいますので,そちらのお祝いも兼ねて・・・とわたしのこころの内。弟弟子のMさんも,精力的に訳本を刊行。最近では,猫がらみの翻訳『猫の音楽』(勁草書房)もでて,新境地を披瀝されています。妹弟子のKさんは,能面アーティストを名乗りながら,最近では能面の絵に開眼。こちらも精力的に描きつづけていらっしゃいます(Kさんのブログに公開中)。もう一人の弟弟子は,心機一転,減量に成功。最近は,自転車で稽古場までやってきます。汗びっしょりかきながら,とてもいい表情になってきました。少し明るくなったということか。最後は,わたしのからだ。大事にいたることもなく,なんとかことなきをえようとしているように感じられます。で,まずは,みんなひっくるめて,「暑気払い」を,と考えた次第です。

 それにしても李老師の16年間。日本武術太極拳連盟のナショナル・チームのコーチとして招聘され,この長きにわたる功績。このことは,なによりも,李老師の人格者としての素晴らしさ,そして太極拳に関する識見の深さ,すばらしい指導力,加えていまも現役として表演をなさるその実力が高く評価されてきた,それらのトータルの評価以外のなにものでもありません。さらには,日中太極拳交流の架け橋としての実績。その間,大学院に入学し,苦労して論文の書ける日本語を習得。そして,立派な博士論文『日中太極拳交流史』を書き上げ,すぐに単行本として刊行もされました。これは名著です。わたしもドクター・ファーザーとして,少なからずお手伝いをさせていただきましたので,その内容のレベルの高さは承知しています。こんごも長く古典として生き残る立派なご著書と言って過言ではありません。その後も,中国で開催される太極拳に関する研究会やシンポジウムには,なくてはならない存在として,毎回のように招聘されていらっしゃいます。そして,これからの太極拳の行方についても深い洞察をなさっていらっしゃいます。

 この李老師の博士論文が完成し,論文審査が終わってから,わたしは恐るおそる太極拳の弟子入りを申し出ました。もちろん,李老師はこころよくお引き受けくださいました。そのときに,わたし一人だけではもったいないと思い,Nさんをお誘いしました。それから,まもなく10年になろうとしています。その間にいろいろの人の出入りがありました。が,なんとなく,いまのメンバーに定着しました。でも,来年4月には仲間に入れてほしいという人もいらっしゃって,それも楽しみの一つになっています。そうだ,こちらも李老師への感謝の意を籠めて,「暑気払い」のプログラムの中に加えることにしよう。

 考えてみれば,わたしたちの太極拳仲間は,ほとんど飲み会なるものをしたことがありません。別に嫌いなわけではないのですが,なんとなく,それぞれにご多忙で,やるべき仕事が山ほどある人ばかりです。ですから,それとなく,忘年会も,打ち上げも,なにもしないままできてしまいました。が,そろそろ,そういうこともいいではないか,という心境になってきました(これは,わたしひとりだけかもしれませんが)。

 お断りしておきますが,週一回の稽古の時間は,みんな真剣そのものです。まったく手抜きなしで,全力投球をしています。そのピーンと張りつめた雰囲気がまたたまりません。一流の仕事をなさっている人たちが放つ,なんともいえないオーラのようなものを感じます。それらが一つになったときの快感はまた特別のものです。

 最近では,李老師が,この緊張感を解き放つかのように「リラックス,リラックス」を連発されます。ときには,みずからジョークを飛ばして雰囲気を和らげたりしてくださいます。また,ときには,悪いクセの見本を面白おかしく,もののみごとに演じてみせてくださいます。これがまた絶品です。みんな腹をかかえて大笑い。そうしておいて,つまり,こころもからだも緊張から解き放たれたところで,「はい,もう一度,24式を」と指示されます。

 李老師という人は不思議な人です。お付き合いが長くなればなるほど,味がでてくる,そういうお人です。やはり,一道に秀でた人というのは,まずは,人間としてのできが違う,としみじみ思います。晩年になって,師匠も一流,弟子仲間も一流,そういう人たちと週一回,時空をともにすることができる,この巡り合わせにこころから感謝したいと・・・・最近はとくに思うようになりました。

 李自力老師の「16周年」を,そういうもろもろの感謝の気持を籠めて,どこかでセットしたい,としみじみ思う,今日の稽古でした。老師,謝謝。

2014年8月19日火曜日

『かもめのジョナサン』完成版(新潮社,2014年刊)を読む。失望。

 正直に言って,失望。とってつけたような「Part Four」。「自由」と「愛」ということばを多用し,なにか崇高な理想を描いているかにみえるが,中味は空疎。理が先走ってしまって空中分解。自滅してしまった,というべきか。

 もう,ずいぶん前の話になるが,そう,1974年版の「Part Three」までの『かもめのジョナサン』を読んだときは,素直に感動した。これは,まるでスポーツのトップ・アスリートたちが到達するであろう「ゾーン」の世界を描いたものだ,と感じたからである。ちょうど,「ものの豊かさ」がゆきわたりはじめ,物欲に眼がくらんだ人びとの精神の荒廃が,なにかと取り沙汰された時代だった。そして,アメリカからはヒッピー文化が伝わり,日本でも一種のブームを呼んでいたころだ。「こころの貧しさ」に警鐘を鳴らす本もまた出回りはじめたころだった。

 だからこの本は不思議な魅力を備えた本として,多くの読者を獲得した。そして,絶賛された。わたしもその中のひとりだった。だから,ちょうどそのころ連載していた「文学にみるスポーツ」の題材としても取り上げた。つまり,ジョナサンのストイックなまでに飛行技術を探求する姿が,トップ・アスリートたちの姿と二重写しになってみえてきたからである。それはそれで一つの読み方として間違っていたとは思わない。

 しかし,今回,「Part One」から「Part Four」まで一気に読んだ感想は,「失望」そのものだった。それは「Part One」を読み始めた冒頭から,違和感が浮き彫りになって,その違和感がしつこく最後までとりついて離れようとはしなかった。

 その違和感とは,ジョナサンが仲間の群れのかもめたちを見る視線,と言っていいだろう。つまり,群れのかもめたちが,ただ,餌をわがものとするためだけに飛行することの無意味さに気づいていない,という「上から目線」にはじまる。それは,くる日もくる日もただ餌をわがものとするためだけに飛行し,ただ,それだけの繰り返しで生涯を終えていくことの虚しさを,「無意味だ」と言って切って捨てる描写にある,と言い換えてもいい。

 著者のリチャード・バックの頭には,「食べる」ことしか,生き物の最重要課題はないかのように,それ以外のことはいっさい触れようともしない。「生きる」とはどういうことか,という根源的な問いが著者の頭にはあって,それに対する疑問をジョナサンにしきりに語らせる。ただ「食べる」ことのために飛行するのなら,「生きる」に値しない,と。そして,平凡な日々を送る群れの仲間を「上から目線」で卑下し,群れを無視して単独行動をとりはじめる。そして,ついにはその群れから追放されることを,勝ち誇ったかのように描く。つまり,「自由」を獲得したのだ,と言わぬばかりに・・・。

 しかし,それは違うのではないか,とわたし。

 かもめにとって飛行するのは,まずは「食べる」ことを確保するためだ。しかし,それだけではない。かもめの生涯は,「食べる」「眠る」「生殖する」の三つが少なくともベースにあって,これがかもめの「生」の基本である(人間も生き物という点では同じ)。このことと,著者が主張する「自由」と「愛」は切っても切れない関係にある,とわたしは考える。しかし,リチャード・バックは「食べる」ことだけを取り上げ,それで「よし」とする。

 もっとはっきり言ってしまおう。リチャード・バックは「生きる」ことの意味を追求しつつ,「セックス」についてはなにも語らない。なぜか? そこには二つの理由があるように思う。一つは,キリスト教的世界観にあってはセックスは「原罪」であり,一種の「タブー」であること。もう一つは,ヨーロッパの伝統的な「哲学」にあってはセックスは思考の対象外であること。リチャード・バックもまた,その世界にどっぷりと浸かり,それでよしとしている,とわたしは受け止める。言ってしまえば,ヨーロッパ・キリスト教文化圏に生きる人間としての「制約」を,無意識のうちに体現しているのだ,と。

 1974年版からは,すでに40年という時間が経過している。その間,わたし自身の世界観や人生観(思想・哲学もふくめて)もまた大きく変化した。とりわけ,「9・11」を経て,「3・11」を通過したいま,未来のない「破局」と向き合って「生きる」ことを余儀なくされ,その意味を根源から日々,問い続けなくてはならない,そういう「とき」に身をゆだねるしかない,となっては・・・・。

 しかし,著者リチャード・バックもまた,こんにちの「破局」には気づいているのである。この完成版の序文の最後のところに,つぎのように書き記している。引いておこう。

 「・・・・・カモメたちは,世界の自由の終わりを見たのか?
 ついにあるべきところに置かれた最終章 Part Four は,そうは言わないだろう。誰も未来を知らなかった時に書かれたものなのだから。しかし,いまわたしたちはその未来を知ってしまっているのである」。

 完成版のPart Four が,とってつけたような陳腐なものにみえる原因はここにあったのだ。著者も承知の上で,この最終章を「40年前」に書いたそのままを,「とってつけたように」加えたのである。なぜ,こんなことをしたのか。なぜ,40年後の「いま」を踏まえて修正を加え「完成」としなかったのか。理解不能である。

 わたしが「失望」を感じた概要は以上のとおりである。

 なのに,メディアはこぞって,この「完成版」を持ち上げ,絶賛する。なぜなのか。わたしにはこのことの方が「不気味」(Unheimlichkeit)である。そして,なぜか,空恐ろしくなってくる。

2014年8月18日月曜日

木田元さんが逝く。85歳。こころからの哀悼の意を表します。

 わたしのハイデガー理解は,木田元さんの著作によってだった。それまで,いろいろの人のハイデガー解説本を読んでみたが,いまひとつ納得がいかなかった。というより,なにを言っているのか理解不能でした。しかし,木田元さんのものは,じつにわかりやすく,こなれていました。ですから,木田元さんが書かれたハイデガー本はほとんど全部読んだと思います。読めば読むほどに理解が深まり,読むのが楽しみでした。そのお蔭で,ジョルジュ・バタイユ理解も深まりました。ありがたいことでした。

 その木田元さんが逝った。85歳。考えてみれば,希有なる人生を歩まれた,叩き上げの哲学者。自分が納得するまで,妥協を許さぬ知へのあくなき挑戦の結果が,わたしのような人間にまでハイデガーをわからせてしまう,深い洞察を生んだのだろうと思います。『闇屋になりそこねた哲学者』(晶文社,2003年⇒ちくま文庫)によれば,若き日の木田元さんが古本屋で手にしたハイデガーの『存在と時間』の訳本が,なにを言っているのかさっぱりわからず,でも,なにか重要なことを言っているらしいと予感し,この本を理解するにはドイツ語で読むしかないと決意し,それから東北大学哲学科への進学をめざした,といいます。そうして,まずはドイツ語を習得し(3カ月後には『存在と時間』を読めるようになった,とのこと),つづけて一年に一つずつ,ラテン語,ギリシア語,フランス語を習得し,語学の幅を広げていきます。まさに血のでるような研鑽を積み,徹底してハイデガー読解に挑んでいきます。

 柔道で鍛えた強靱なからだで,一度は病魔に倒れるもみごとに復帰され,やはり凄い人だなぁと感心していました。が,とうとう完全復帰を果たすことなく,最後は肺炎に襲われてしまいました。もう少し,人生をふり返った余談を書き残してくださるものとばかり思っていました。が,残念なことにその期待には応えてもらえませんでした。

 竹内敏晴さんとの対談『待つしかない,か』──二十一世紀身体と哲学(春風社,2003年)は,わたしたちが竹内さんと昵懇の間柄になってからの著作でしたので,とても興味深く読ませていただきました。竹内さんは演劇の現場から編み出した,竹内さん固有の身体論をベースにした,生身で生きる人間の哲学を展開すれば,それを受けて木田元さんは「反哲学」(西洋の形而上学に縛られない哲学の立場)という木田元さん固有の哲学で応答する,とても息の合った対談でした。その竹内さんもまた,病魔に襲われ,あっけなくお別れしなくてはなりませんでした。わたしたちの研究会との約束もペンディングになってしまいました。残念の極みでした。

 木田元さんの書かれた『反哲学史』(講談社,1995年⇒講談社学術文庫)を最初に読んだとき,びっくり仰天し,わたしの頭の中がひっくり返されたような衝撃を受けました。わたしの頭の中には,いわゆる西洋の伝統的な「哲学史」がベースにあって,それが唯一絶対のものだと信じて疑わなかったからです。それに対して,木田元さんは「反哲学」という考え方を打ち出されたのでした。このあたりが木田元さんの真骨頂だったように思います。

 わたしはこの本に勇気をいただき,スポーツの「哲学」の可能性を探る決意をしました。といいますのは,わたしの恩師の岸野雄三先生から,「君,スポーツに哲学はある,と思うかね」と問われ,絶句したことがあり,そのまま答えを導き出せないまま尾を引いていたからです。この問題をなんとかしなくては・・・と苦慮していたからです。

 ですから,木田元さんの「反哲学」の土俵を借りれば,「スポーツの哲学」はなんとかなるのではないか,とひらめきました。そして,なんとかしてみよう,と模索をはじめました。そこに,忽然とジョルジュ・バタイユの思想・哲学が,わたしの手のとどくところに現れました。その後押しをしてくれたのも,冒頭で触れたように木田元さんのハイデガー解釈でした。それで,一気に世界が開かれた思いがしました。いまは,その延長線上の思考を重ねているところです。

 この木田元さんの「反哲学」をもっともっと大きな視野から,それもまったく次元の異なるレベルから発想されたのが西谷修さんの仰る「チョー哲学」ということになるのでしょう。そして,そのベースになっているのが,ジョルジュ・バタイユの思想・哲学であり,ルジャンドルの「ドグマ人類学」ではないか,とこれはわたしの勝手な推測です。最近では,そこにジャン=ピエール・デュピュイの『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(西谷修・森元庸介・渡名喜庸哲訳,以文社,2014年)が加わるのかな,とこれまたわたしの推測です。

 いささか脱線してしまいましたが,木田元さんの提起された「反哲学」から受けた衝撃は,以上に述べてきましたように,計り知れないものがありました。その木田元さんが,とうとう逝かれてしまいました。謹んで,こころからの感謝と哀悼の意を表したいと思います。もう一度,『闇屋になりそこねた哲学者』でも読み返しながら,木田元さんの面影を忍びたいと思います。合掌。 

2014年8月17日日曜日

対談「社会規範が液状化するスパイラル」(西谷修×小森陽一,『世界』9月号を読む。深く納得。

 お二人の息の合った対談が,読んでいて心地よいのです。すでに,何回も朝日カルチャーセンターで対談を重ねてきていらっしゃるお二人ですので,お互いに開かれた関係がしっかりと出来上がっています。ですから,余分な前提もなにもなしに,いきなり問題の本質に切り込んでいきます。そこが心地よいのだと思います。

 それに,なんといっても,テーマ「社会規範が液状化するスパイラル」が魅力的です。わたしには,まだ,よくわかっていなかったことがらがみごとに解消される内容で,深く納得してしまいました。なぜなら,,「どこかで大きな地殻変動が起きている」という漠然としたわたしの疑問にもののみごとに応えてくださっていたからです。その理由を「社会規範の液状化」ということばで言い当ててくださり,一気にわたしの中の疑問が氷解しました。

 子どものころ,みんなで順番に将棋の駒を一つずつ積み上げていく遊びをしたことを思い出します。慎重に積み上げていくと,かなり高いところまで到達します。が,どこかでバランスが崩れると一気に倒壊してしまいます。

 それと同じようなことが,ことしの「7月1日」に,日本の政治の世界で起こりました。集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定。この閣議決定は,言ってしまえば,憲法9条を無視した「憲法違反」です。「解釈改憲」などということばを編み出し,あたかも合法であるかのごとき「毒」を撒き散らし,国民にめくらましをかましておいて,憲法9条をないがしろにしてしまう,そんな暴挙にでた日,それが「7月1日」。

 このできごとを小森さんは「まさしくクーデターです」と断言し,西谷さんは,「本当にそうです」と応答。さらに,この7月1日が「歴史的な日」だという意味は,あらゆるレジディマシーの足元が崩されたということです,と応じています。

 その前の段階の議論のなかで,西谷さんは,つぎのようにも発言されています。
 「・・・憲法はこの国や社会の基本法です。あらゆる法の参照軸です。そして,様々な法律ができる際の枠組みを決めています。それが強引かつ勝手な解釈で変えられると,根幹が崩れて規範のいわば液状化が起こります。要するに政府自らが無法状態を作り出すということです」。

 解釈改憲による集団的自衛権の行使容認の閣議決定とは,憲法を無視した暴挙であり,政府自らが無法状態を作り出す,そういう規範の液状化を引き起こす,きわめて重大な事態を率先垂範してみせた,ということです。

 「規範がなかったら人間社会は成り立たない。最初の規範を受け入れることで,コミュニケーションが可能になります。憲法は,社会を成り立たせる法システムの,最初の基軸です。これを液状化させていいのかと,問いたい」,とも西谷さんは発言されています。ここが「社会規範が液状化するスパイラル」ということの肝だと受け止めました。

 思い起こせば,すでに一年前には,この規範の液状化ははじまっていました。政府のやることなすこと,はちゃめちゃでした。それを批評する論者はことごとくメディアから排除され,イエスマンだけを取り立てる,そういうメディア対策を政府は強烈に推し進めてきました。その結果が,こんにちのメディアのこの体たらくです。この流れに抗して,雑誌『世界』は必死になって防戦の論陣を張ってきています。その一つの重要な警鐘が,この小森陽一・西谷修対談となって表出しているのだ,と思います。

 以上が,わたしの読後の感想の要点です。じつは,この対談は多岐にわたる問題を取り上げ,「いま,現在」わたしたちが熟慮しなくてはならない,きわめて重要な視点をいくつも提示してくれています。その見出しだけでも紹介しておきたいと思います。

 社会規範が液状化するスパイラル
 「歴史的」閣議決定の日に考える
 1.閣議決定が意味するもの
 2.憲法が持つ規範とは
 3.再軍備へ向けたアメリカの思惑
 4.「歴史的な日」7・1
 5.多国籍企業は何をもたらすか
 6.教育改革がむかう場所
 7.靖国問題が照らす英霊の創出
 8.憲法九条が成し得る国際貢献
 9.第二次安倍政権崩壊の兆し
10.社会の液状化をふせぐ市民の声

 以上です。ぜひとも,ご一読のほどを。

 

2014年8月16日土曜日

友あり,遠方より来たりぬ。イタリアはモデナから。

 しばらく前に日本にいく予定,というメールが届いて,それっきりになっていましたので,それとなく気がかりになっていました。そのイタリアの友人から14日の夕刻になって,明日(15日)会いたいと突然のメール。すでに東北方面を旅してきて,最後に富士山を眺めたいと思って三島のホテルを予約した,という。その間隙を縫っての再会です。急いで時間調整をして,15日午後6時に品川駅で待ち合わせることに。

 少し早めに所定の場所で待っていましたら,かれらも早めに到着。すぐに予約をしておいた渋谷の沖縄料理店・うりずんに向かいました。二年ぶりの再会。主役はボーイ・フレンドと一緒にやってきたミケーラさん。彼女は,ヴェネツィア大学で日本語・日本文化を専攻。卒論は,日本の戦争文学の研究。そのときに,いくらかお手伝いをした記憶がありますが,研究の視点がみごとでびっくりしました。ですから,日本語でなに不自由なく会話ができます。彼氏とは英語で。彼氏は音楽の先生。なかなかの好漢。

 もとをたどれば,ミケーラさんがまだ学生だったときに一人旅で来日。鹿児島から沖縄に渡るフェリーの船上で,娘と出会い,以後,親交を深め,こんにちに至る,ということです。その間,わたしたち家族でイタリア旅行を計画したときに(2003年,ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として招聘されたときの夏),ミケーラさんには家族ぐるみでお世話になりました。ヨーロッパ中が猛暑に襲われ,日本でも経験したことのない暑さのなか,ローマの遺跡めぐりをした記憶がいまも鮮明に蘇ってきます。ミケーラさんは,わざわざ,わたしたちのために一週間休暇をとって,車を運転してふつうの観光客では行かれないイタリアの穴場を案内してくれました。汽車の旅とはまた一味違うものがありました。ありがたいことでした。

 イタリアの思い出はまだまだ山ほどありますが,それは割愛。
 このお二人,もうすでに2週間,日本に滞在していて,東北のお祭をみてきたとのこと。青森のねぶた祭,秋田の竿燈祭,石巻の友人のところの村祭,などを堪能して,東京に戻ってきたとのこと。青森のねぶた祭がとても印象に残ったようでしたので,その由来である坂上田村麻呂の話と蝦夷の英雄アテルイの話をしてあげました。この話ははじめて聞く,と言って喜んでいました。たぶん,彼女のことですから,事前に相当調べてきていて,予備知識も充分だったはず。そのアテルイのお墓が能登の明通寺にあるという話も(こちらは,西谷さんの集中講義で仕入れたばかりの,わたしにとってもホットな情報)。

 15日の夜は三島のホテルに宿泊,ということでしたので,早めに渋谷うりずんをでて,品川駅へ。天気がよければ富士山を眺めて,それから関西(大阪)に向かうとのこと。大阪にもたくさんの友人がいるようで,時間のやりくりが大変の様子。もちろん,奈良・京都へも足をのばすつもり,と。そこで1週間を過ごして,イタリアに帰るとのこと。全部で3週間のバカンスだそうです。

 こんな話を聞きながら,帰りの電車のなかで,はたとわが身をふり返り,なんと「貧しい」人生であったことかと情けなくなってしまいました。わたし自身としては大満足だったはずなのに・・・。

 日本人で3週間のバカンスをとって,外国旅行を楽しめる人が,はたして何人いるだろうか,と思わずにはいられませんでした。ヨーロッパ人にとっては当たり前の話。しかも,3週間は短い方で,ふつうは一カ月は完全に休みがとれるとのこと。これは,わたしの知っているドイツやオーストリアでも同様です。日本の「豊かさ」などというものは,単なる「数字」の上だけのことであって,内実はなにもないに等しい,こころのゆとりという点ではまことに「貧しい」ものでしかない,ということを思い知らされた次第です。

 8月15日。日本人にとっては忘れることのできないポツダム宣言受諾の日。すなわち,連合国軍に対して,無条件降伏をした日。このときの連合国のなかには,中国もソ連も入っていた,という事実を忘れてはなりません。中国が,折あるごとに「歴史に学べ」と日本に要求してくるのは,こういうことです。こんな話もミケーラさんとしてみようかと考えましたが,やめておきました。また,いつか,時間のあるときに,じっくりと深い話もしてみたいなぁ,と思いながら品川駅でお別れしました。

 久しぶり(2年ぶり)のイタリアはモデナ(ローマの北にある歴史的に由緒ある古都)の友人との再会でした。このあとも楽しい旅であることを祈りつつ,今日のところはここまで。

2014年8月15日金曜日

抗ガン剤治療,第3クールが終了。今回は眼,鼻,喉に副作用。でも,まずまずのところか。

 8月14日で抗ガン剤治療の第三クールが終了しました。この間,神戸での集中講義聴講(あしかけ5日間)が入っていましたので,どうなることかといささか心配ではありました。が,大したこともなく,無事に通過。ところが,最後の5日間に副作用がでてきました。家にもどってきて,やれやれという安堵感もあって,たまっていたものが一気に表出したということでしょうか。

 味覚障害は以前と同じ。食欲の減退も以前と同じ。顔の皮膚が痛痒いのも以前と同じ。薬を飲んで一時間後くらいに頭がぼーっとしてくるのも以前と同じ。それらに加えて,今回は眼,鼻,喉に違和感がでてきました。これはちょっと意外でした。

 眼はドライ・アイのような感じ。ざらざら感と痒みと充血したように赤くなるのは,むかし経験したことのある結膜炎とよく似た症状。目薬(生薬系)をさしてやると一時的に回復。でも,まもなくもとに戻る。これも薬を飲んだあと数時間つづく眠気と同じ症状で,あとはもとに戻ります。なので,それほど心配はしませんでした。たぶん,これから休息期間に入りますので,自然に消えていく症状だろうと推測。

 鼻は,最初は左の鼻孔に違和感。そのうち,水っぱながツルーと落ちるようになり,やがて右の鼻孔にも。三日目くらいにはふつうの鼻をかむような状態に。そして,その間隔もしだいに長くなってきましたので,こちらも休息期間に入れば自然に治るのではないか,と推測。

 喉は,最初はむず痒い感じ。そのうちに軽く咳がではじめ,おやおやと思っていましたが,こちらは2,3日で消えました。意外に早かったので,ちょっぴり驚き。自然治癒。よしよし,まだ,いくらか免疫力が残っているわい,と安心。

 というようなわけで,最後の5日間で体重が1キロほど減退して,51.5キロ。これはまずいので,休息期間の間になんとかとりもどす予定。52キロ代から53キロ代まではなんとかとりもどしたいところ。はたしてうまくいくかどうか。

 主治医のおっしゃるには,体重はそんなにかんたんには回復しないので,あまり焦らないでじっくり構えましょう,とのこと。わたしの場合には,とくに消化器系に相当のダメージがきていますので,仕方のないところかもしれません。去年のいまごろは,まだ,食欲旺盛で,ほんの少し気をゆるめただけで2~3キロはすぐに増える体質だったのが嘘のようです。まあ,慌てずにのんびりと抗ガン剤治療に付き合うことにしましょう,とみずからに言い聞かせています。

 さて,月の後半,どれだけ回復するか楽しみにしたいと思います。
以上,現状の自己分析とご報告まで。

 

来春着工予定の辺野古崎周辺海域の調査掘削を,なぜ,前倒しして「いま」なのか。わけがわかりません。

 安倍首相という人はどういう人格の人なのだろうか。こんな首相はこれまでみたことも聞いたこともありません。嘘をついても平然としていらっしゃる。ひょっとしたら,ご自分が嘘をついているという自覚すらないのかもしれません。だとしたら,これはもはや「虚言癖」というご病気以外のなにものでもありません。葬送に,いな,早々にご退陣願うほかはありません。

 辺野古崎への基地移転は,沖縄の負担軽減のためだ,と仰る。言っていることの意味がわかりません。しかも,辺野古崎への基地移転に関しては,丁寧な説明をする,と仰った。いったい,どんな説明をされたのでしょうか。なんの説明もないまま,いきなり,14日早朝から,辺野古崎周辺海域の調査掘削のための準備にとりかかりました。この作業は,来春にとりかかる予定,となっていたはず。そして,それまでの間に沖縄県民の理解と協力を得るために「丁寧な説明をする」と約束されたはず。なのに,この暴挙です。もっとも卑劣な「嘘つき」の仕上げです。おまけに首相はいま,のんびりと「夏休み」をエンジョイしていらっしゃる。

 沖縄の主要新聞である琉球新報や沖縄タイムスは,本土の新聞社とは違って,徹底して沖縄県民の立場で論戦を展開しています。テレビも同様です。ですから,沖縄県民のほとんどすべての人が,いま,辺野古崎周辺海域でなにが起きているのかを,こころの痛みとともに見守っています。この点が本土とはまったく違う点です。それでも金の亡者たち(仲井真知事のような人たち)は,移設賛成の立場をとります。なぜなら,巨大な金が沖縄にばらまかれるからです。その金が,沖縄県民の基本的人権と命の代償である,ということも承知の上で。

 しかし,安倍首相のこの暴挙は,まさに,自殺行為にも等しい,とわたしはみています。たとえば,11月に予定されている県知事選挙にとって,なんのメリットもない,それどころか致命傷だ,と考えるからです。そして,選挙の結果,仲井真知事の再選がかなわなかったときには,もはや辺野古崎への移設は宙に浮くことになります。しかも,「島ぐるみ会議」は「建白書」の実現に向けて,日本政府ではなく,アメリカ政府と直接の直談判をすると宣言しています。なぜなら,頼りにしてきた日本政府こそが沖縄県民の意思をねじ曲げて,アメリカ政府におもねってきた事実が歴然としてしまったからです。

 今回の政府のとった暴挙は,沖縄県民の意思決定に大きな影響を及ぼすことは間違いないでしょう。これから連日のように,政府のとりつづける暴挙を,新聞もテレビも容赦なく弾劾しつづけることになるだろうからです。となると,「県内移設も仕方ないか」とあきらめかけていた県民も,ついに反旗を翻すしかない,と覚悟を決めることになるでしょう。潮目がはっきりとしてくることは間違いありません。

 それほどまでに,今回の安倍首相の「嘘つき」は,政権の致命傷になる,とわたしは考えています。また,そうなることを願っています。でなければ,日本は救われません。そして,情けないことではありますが,またもや,本土のわたしたちは沖縄県民の良識に「おんぶにだっこ」してもらうしかありません。ほんとうに情けないかぎりですが,沖縄県民のみなさんに「縋る」しかありません。

 その負い目を少しでも軽減すべく,わたしはわたしなりの方法で,できる言動を展開していこうと考えています。昨日のブログに書いたこともそのうちの一つの選択肢です。それ以外にも方法はいろいろあります。できるところから,一つひとつ実践に移していくのみです。

 まずは,「虚言癖」症候群が高じて,ついに完璧な「虚言症」となりはててしまった安倍首相のご退陣に向けて,その道筋を開くことからはじめたいと思います。

 ご参考までに,沖縄の「いま」は,YOUTUBEに,リアルタイムで情報が大量に流れていますので,ぜひともご覧になってみてください。日本政府のとっている行動がいかに「トチ狂って」いるかが,いやというほどに伝わってきます。たった6杯のカヌーによる抗議行動に,自衛隊の護衛艦まで出動してのものものしさです。これは「狂気」以外のなにものでもありません。しかも,税金の無駄使いです。まるで,マンガの世界をみるようです。ぜひとも,ご確認のほどを。

2014年8月14日木曜日

キャンプ・シュワブゲート前に結集を呼びかける目取真俊さんに応答したい。

 FBにもシェアしておきましたが,目取真俊さんのブログ(「海鳴りの島から──沖縄・ヤンバルより」)に注目したいと思います。行動する作家・目取真俊さんのキャンプ・シュワブゲート前での連日の抗議行動には頭が下がります。遠く離れている川崎からもこころからのエールを送りたいと思います。そして,この夏休みの間に,一度は,キャンプ・シュワブゲート前に立って,ささやかながら抗議行動に加えてもらいたいと思っています。

 目取真俊さんはブログで必死に訴えていらっしゃいます。
 「難しい理屈はいらない。戦争のための軍事基地をこれ以上沖縄に造らせたくない。辺野古のちゅら海を守りたい」。この純粋無垢な主旨に賛同される人はキャンプ・シュワブゲート前に結集して欲しい,と。

 折しもお盆休みの真っ只中を,狙い撃ちしたかのように今日(14日)の午前には,辺野古崎周辺海域へのブイ設置を開始しています。沖縄県民の意思を踏みにじるばかりか,沖縄県民の基本的人権と命をも犠牲にして(これはまるで供犠だ),基地移転を強行突破しようとしています。この恐るべき現実を,本土のメディアはほとんど無視して,なにごともなかったかのように振る舞います。無視するということは容認を意味します。恐るべき暴力です。なにも知らないまま黙っているわたしたちもまた同罪です。

 わたしも,これ以上,黙っているわけにはいきません。なんとか,この夏休みの間に時間を割いて,沖縄に飛びたいと思っています。そして,キャンプ・シュワブゲート前に足を運びたいと考えています。こんな老人になにができるわけでもありませんが,枯れ木も森の賑わいと考え,目取真俊さんの呼びかけに微力ながら応答したいと考えています。

 電力問題と同じで,米軍基地問題も,東京から遠く離れた土地の住民にその負担を押しつけ,そのおいしいところだけをいただいて,それが当たり前のように振る舞ってきました。しかし,もう,これ以上,この状態を放置しておくわけにはいきません。それはあまりにも無責任です。いな,シモーヌ・ヴェイユに言わせれば「義務」の放棄です。それは,人間として生きるための「根」をもたない,勝手気ままな人間(自分さえよければあとは知らんぷりをする人間)であることを宣言しているのも同然ということになります。

 もう一度,生き物としての人間の原点に立ち返って,いま,わたしたちはなにをしなければならないのか,なにをどのように考えなくてはいけないのか,素直に反省すべき時代に立ち会っています。いま,現在のわたしたちの選択が子々孫々にまで大きな影響を及ぼすことになるのは,火を見るより明らかです。

 ささいなことでいい。身近なところから,生きるということの原点に立ち返って,総点検すること。そして,まずは,できることからはじめること。そういう小さな積み重ねこそが大事だと思っています。いきなり,高嶺の花ともいうべき理想に飛びついてもはじまりません。こつこつと大地に足がついた努力こそが稔りをもたらすのだ,と思います。

 目取真俊さんのブログを一度,確認してみてください。こころの叫び声が聞こえてきます。わたしたちもその何分の一でもいい,なにかをはじめようではありませんか。いまこそ,行動を起こすべきときだと,わたしはみずからに言い聞かせています。まずは,隗より始めよ,です。

 なにかとてつもないことが,眼に見えないところで起きている・・・・・そんな予感に苛まされている今日このごろです。じっとしていてもはじまりません。この不安を払拭するためにも,行動を起こすしかない,と覚悟を決めました。まさに「遅れてやってきた青年」のように。

 目取真俊さんに感謝。サングラスをかけたおっかないおじさんですが・・・・。



 

戦争の足音と共に,69回目の「8月15日」がやってくる。

 わたしの耳には遠くからトルコ行進曲が聞こえてきます。まだ,その足音は遠くて小さい音でしかありません。が,少しずつ大きくなってくるように聞こえます。最近は老人性の難聴もあって,周囲の音が次第に小さくなっていくというのに,やけに戦争の足音だけは徐々に,徐々に,大きくなってくるように聞こえます。

 まもなく戦後69回目の「8月15日」を迎えます。最初の「8月15日」はわたしが国民学校(小学校とは呼ばなかった)2年生のとき。空襲で焼け出されて疎開していた母の実家の寺の本堂の前の広庭の木陰でいとこたちと遊んでいました。真っ青に晴れた空と強烈な日差しはいまでも記憶に鮮明です。子どもの記憶としては,油蝉の鳴き声だけが響きわたっていて,でもあたりは静謐そのもの。まるで,時間が静止していたかのような,まさに永遠の時間のなかで遊びに熱中していました。

 そんなとき,庫裡の中から「みんな家のなかに入りなさい」という声がしました。だれの声であったかは記憶がありません。なかに入ると大人たちが全員揃っていて神妙な顔をして立っていました。庫裡の太い大黒柱の近くにラジオがあって,そのラジオを取り囲むようにして,だれもことばを交わすことなく立っていました。そして,だれ言うともなく「これから大事な放送がはじまるから,じっとして聞きなさい」と言う。

 正午の時間だったと記憶します。玉音放送のはじまりでした。雑音が多く,表浜の大きな波が寄せては返すように,大きくうねっているように聞こえました。なにを言っているのかは,子どもの耳にはまったく理解できませんでした。でも,周囲の緊張感に圧倒されて,身動きひとつしないでじっと立っていました。終わると,これもだれかが「戦争が終わった」とぽつんと言いました。たぶん,大伯父だったように思います。その瞬間,子どもごころにまっさきに浮かんだことは「これで殺されなくて済む」,というものでした。

 愛知県の渥美半島にも,毎日のように艦砲射撃の音が響き,B29が上空高く飛び交い,ときには艦載機が低空飛行で射撃することもありました。そのつど空襲警報がでて,あわてて防空壕のなかに飛び込み,息をひそめて,じっとしていました。その間,ずっと「殺される」という「死」の恐怖に怯えていました。なによりも恐ろしいことでした。そんな日常的な恐怖から解き放たれたのだという安堵感はいまも忘れてはいません。

 毎年,「8月15日」を迎えるたびに,あの日のことを思い出しています。そして,ことしはとうとう69回目の「8月15日」を迎えようとしています。しかも,ことしの「8月15日」はいつもとはまるで違う,リアリティをともなった恐怖,というお土産付きです。

 正直に書いておきましょう。すでに手遅れではないか,と。もはや引き返すことのできないところまできてしまっている,と。去年の「8月15日」は,なんともいやな雰囲気になってきたなぁ,という程度でした。が,このたった一年の間に,事態は急変してしまって,「もはや手遅れ」ではないかという段階にきてしまっています。こんなところまでくるとは,夢にも思っていませんでした。

 しかし,残念なことに政府自民党はトチ狂ったように暴走をはじめ,憲法9条をねじ曲げてまでして閣議決定をし,集団的自衛権の行使容認を合法化しようとしています。もはや,この流れを止める手立ては国民の多くがこの暴挙に気づく以外にはありません。ところが,その頼みの国民が,国家権力によってほとんど掌握されてしまった報道機関の情報操作に乗せられて,戦争に備えることは必要だ,と考えはじめています。そして,その情報操作はじつに巧妙で,ついには地方自治体までもが国民のことは無視して,国家権力の前で自発的隷従の姿勢をとりはじめています。

 これ以上のことはここでは割愛します。
 ことしの「8月15日」は惨憺たる思いで迎えなくてはならない,というこの悲劇の前でわたしは茫然自失の状態です。さて,この難局をどのようにして切り抜けるか,ことしの「8月15日」を軸にして,しっかりと考えてみたいと思います。当面の課題はフクシマとオキナワです。ここが天王山。日本の将来の命運がかかっている,と。

 69年前の,あの「死」の恐怖から解放された,あの安堵感を肝に銘じて,みずからの,これからの言動について考えをこらしてみたいと・・・・。

 トルコ行進曲が目の前に接近してくることなく,一足飛びに遠ざかっていくことを念じつつ・・・。

2014年8月13日水曜日

「人間,もう一度見つけ出す」(中村桂子,国分功一郎,鷲田清一)『談』100号記念特集を読む。

 わたしの愛読書の一つに『談』という雑誌があります。発行所は公益財団法人たばこ総合研究センター〔TASC〕。むかしの専売公社のこんにち版。編集長は佐藤真さん。旧専売公社が発行する一風変わった雑誌ですが,なかなかどうして中味は濃い。すこぶる濃いのです。それでついつい読んでいるうちに,すっかりとりこになってしまいました。言ってみれば,編集長の佐藤真さんの術中にはまってしまったということです。

 内容は時代の最先端をゆくアカデミックな研究の現状と未来像を描こうとする,きわめてハードなものです。しかもその領域は,人文系の思想・哲学をはじめ,社会科学系のものから自然科学系のものにいたるまで,さらにはアートや科学技術の現状を照らし出すことまで,幅広くテーマとして取り上げられています。佐藤真さんのアンテナの広さと高さには,毎回驚かされています。

 その『談』という雑誌は年に3回発行で,今回(7月刊行)が100号の記念号になります。ということは,すでに30年以上の長きにわたってこの雑誌が発行されていることになります。地味な仕事ですが,立派な実績というべきでしょう。

 さて,こんな前置きを語っていると際限がなくなりますので,本題に入ります。
 今回が100号ということで,一度,原点に立ち返って足元を見つめなおすという意味も籠めて「人間,もう一度見つけだす」という特集を組んだそうです(編集後記による)。それで佐藤さんが選んだ論者は,中村桂子,國分功一郎,鷲田清一さんの3人。その3人に佐藤さんがインタビューをして,それぞれの論者の核心にふれるエキスを引き出す,という仕掛けになっています。

 中村桂子さんのテーマは,人間は生き物であり,自然の中にある・・・科学者と共につくる生命論的世界観,というものです。わたしの好みからすれば,この人の「人間は自然の中にある生き物」だ,という持論に賛成で,これまでの単行本(たとえば,『科学者が人間であること』,岩波新書,2013年)も併せて,今回の論調も大満足でした。人間が自然存在であるという,あまりにも当たり前のことを,わたしたちは近代という時代をとおして忘れてしまいました。そのために,こんにちの人間不在のこの混迷をもたらしてしまったのですから,もう一度,「生き物」という原点に立ち返ってやり直そう,という中村さんの主張にこころからエールを送りたいと思います。

 新進気鋭の哲学者・國分功一郎さんのテーマは,人間の自由,あるいは思考のための退屈のススメ,というものです。人間の自由を語る國分さんの視座は,これまでの論者にはみられなかった新しさが感じられました。それは,國分さんの著書『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社,2011年)の中ですでに展開された論理でもあるのですが,そのキー・ワードは「楽しみ」です。この「楽しみ」が社会を改革していく原動力になる,と主張されています。このスタンスはとても魅力的で,これからのスポーツ文化を考えていく上でも,多くのヒントを与えてくれるものでした。少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 最後の鷲田清一さんのテーマは,「人間的」のなかには,「非人間的」が内蔵されている,というものです。このテーマにピンとくるものがあって,読み始めたのですが,わたしの予想とはやや違った論が展開されていて,ウーンと思わず考え込んでしまいました。それは,佐藤さんの問いかけが,鷲田さんの近著『<ひと>の現象学』(筑摩書房,2013年)で語られているヒューマニズムから入ったからだろう,と想像しています。そして,鷲田さんはこのヒューマニズムについて懇切丁寧に解説をされています。そして,ヒューマニズムのグローバリゼーションの問題が取り上げられ,難民の話題へと展開していきます。そして,原発問題をとりあげながら,わたしたちもまた難民予備軍なのだ,と結論つげていらっしゃいます。もちろん,この論旨に異論はないのですが,わたしの期待と違う論の展開に,なにかひとつもの足りないものが残りました。

 しかしながら,いつものように冒頭に提示される佐藤真さんの「editor's note」(3・11以後の「人間」)が秀逸で,とても勉強になりました。第100号を編むことの意味が,ヨーロッパの哲学の系譜をふまえて,みごとに結実しています。みごとな模範答案というべきでしょう。ただ,ないものねだりをすれば,東洋的な思想・哲学,たとえば,仏教思想のような視座が加わると,もっと厚みのある論考になり,わたしの期待にも応えてくれることになっただろう,という感想をいだきました。

 このあたりのことは,いつか,佐藤真さんと直接お会いしてお話ができればなぁ,と密かに考えているところです。あるいは,わたしの主宰する東京例会にきていただいて,お話を伺うという方法もあるなぁ,と思っています。

 いずれにしても,佐藤さんがおっしゃるように,いま,「人間とはなにか」という根源的な問いに立ち返って,もう一度,出直すことが喫緊の課題である,という点ではまったく同感です。そして,わたしが仮説としていま考えていることは,ジョルジュ・バタイユの思想(たとえば『宗教の理論』)と仏教思想はきわめて近いところにあり,しかも,人間とはなにか,を考える上での洞察の深さも秀逸のものだ,ということです。そして,そこにジャン=ピエール・デュピュイの『聖なるものの刻印』を重ね合わせることによって,現代の人間が抱え込んでいる,つまり,わたしたち自身が当面している「破局」の問題が浮かび上がってきます。

 「人間とはなにか」は永遠のテーマですが,だからこそ,つねに問い続けることが重要なのだと思います。とりわけ,科学的合理性のなかに埋没してしまい,歯止めのきかない「暴走」状態に陥っている現在のわたしたちにとっては・・・・。

2014年8月12日火曜日

オリンピック・ムーブメントはヨーロッパ・キリスト教文化圏による世界制覇のための一つの文化装置であった。

 神戸市外国語大学で行われた西谷修先生の集中講義を聴講させていただきながら,ずーっと考えつづけていたことがあります。それは,わたしが生涯にわたって携わってきたスポーツ史研究やスポーツ文化論研究はこれでよかったのか,という自己反省でした。と同時に,これからとりかかろうとしているスポーツ批評のための理論武装のことでした。

 目的意識をはっきりもつということはとても大切なことで,三日間の集中講義は,最初から最後まではらはらドキドキの連続でした。これまでなら,たぶん,一度や二度は居眠りをしたであろうに,今回はそれどころではありませんでした。ボイス・レコーダーをセットしておきながら,書き取りつづけたノートは膨大なものになりました。

 いま,それらを整理しながら,西谷先生の発しつづけておられたメッセージはなにであったのだろうか,と考えているところです。そして,まず,最初に脳裏に浮かんできたことは,ヨーロッパ・キリスト教文化圏が世界史の上ではたしてきた役割はなにであったのか,というきわめて大きなテーマでした。

 ひとくちに,ヨーロッパ・キリスト教文化圏といってもあまりに抽象的でわかりにくいかも知れません。もう少しくだいておけば,ヨーロッパ・キリスト教社会/国家/文化/言語/思想・哲学/歴史/というように細分化して考えてみるとわかりやすいでしょう。もっと言ってしまえば,ユダヤ・キリスト教のものの見方や考え方,そして,そこから生みだされてくる法律や制度や組織と言ってもいいでしょう。

 そのように考えてきたときに,はたとわたしの胸を打つものがありました。それは,オリンピック・ムーブメントとはいったいなにであったのか,という問いでした。問いが浮上するということは,その問いを浮上させる答えも同時に浮上している,ということでもあります。その答えとは以下のとおりです。

 オリンピック・ムーブメントはヨーロッパ・キリスト教文化圏による世界制覇のための一つの文化装置ではなかったか,と。

 クーベルタンが最初からこのことを意図していたとは考えられません。クーベルタン自身は,きわめて素朴な,のどかな青少年教育の一環としてオリンピック・ムーブメントを位置づけていたはずです。その証拠には,1924年のオリンピック・パリ大会に招待されて開会式をみたあと,「わたしの考えていたオリンピックはこんなものではなかった」と失望を語り,以後,オリンピックに背を向けたと伝えられているからです。そして,同時に,パリ大会直後のIOC総会ではオリンピック憲章の大幅な改正が承認され,オリンピック・ムーブメントはあらたなステージに一歩を進めることになります。そこから,1936年のベルリン大会を経て,こんにちのオリンピック・ムーブメントまでは一直線といっていいでしょう。

 つまり,オリンピック・ムーブメントは創始者のクーベルタンの意思とは無縁のところで,一人歩きをはじめていたということです。そして,1924年以後は,IOCを構成する主要メンバーであるヨーロッパ・キリスト教文化圏から選出された理事たちの思いのままに,オリンピック・ムーブメントは演出されることになるからです。

 その変化をもののみごとに示しているのは,たとえば,「オリンピックは参加することに意義がある」というステージから,「より速く,より高く,より強く」というオリンピックのモットーへと進展し,やがてはメダル獲得競争へと変身していく,この事実にもみることができます。つまり,開催の主体が都市から国家へと傾斜し,ナショナリズムの色彩が一気に強くなることにも,オリンピック・ムーブメントの大きな変容をみることができます。

 こうした動向は,スポーツという名のもとでの勝利至上主義を生み出します。勝つことは「正義」である,と。そして,弱肉強食を合理化する上で眼にみえないけれども,きわめて大きな影響力をもつことになります。すなわち,戦争の論理とのみごとなまでの符合であり,共鳴・共振です。

 言ってしまえば,戦争とオリンピックは車の両輪のようにして,第一次世界大戦,第二次世界大戦を通過して,ますます「勝つ」ことだけが正義として定着していくことになります。その結果,メダル獲得競争は国力の反映を意味し,オリンピックは一種の代理戦争となりはてた,と言っても過言ではないでしょう。

 こうしたオリンピック・ムーブメントを支えた理念の一つは「自由」の獲得であり,「自由」の理念を世界に普及させることにありました。ですから,近代スポーツ競技は「自由競争」の名のもとに合理化され,多くの支持を得ることになります。つまり,同じ条件のもとで,同じアリーナでの「自由競争」が最大の「売り」になりました。

 一見したところ,まことに理路整然としていて,なんら付け入る隙がないようにみえます。しかし,そこには大きな落とし穴が待ち受けていました。なぜなら,同じ条件のもとでの「自由競争」などということは,ことばの綾であって,実情はとてもとてもそんな理想とはほど遠いものだったからです。それはいまも変わりません。それどころか,先進国と途上国の間の格差はますます広がるばかりです。

 つまり,スポーツは,いまや単なるスポーツではありません。まさに国力を反映させる映し鏡であると言ってよいでしょう。端的に言ってしまえば,金と最先端科学技術をどこまでスポーツに注ぎ込むことができるか,その競争になっているということです。

 かくして,スポーツの世界にも科学的合理主義が神のごとく君臨し,生き物であるはずのアスリートたちの人間性には「盲目」のまま,ますますアスリートたちがロボット化していくことに,なんの矛盾も感じない世界が広がっています。それどころか加速さえされているというべきでしょう。いささか飛躍した話に聞こえるかもしれません。しかし,ジャン=ピエール・デュピュイの『聖なるものの刻印』を通過した人間にとっては,ごく当たり前の話にすぎません。

 このように考えてみますと,オリンピック・ムーブメントは,キリスト教文化圏が生みだした「科学的合理主義」による世界制覇のための一つの文化装置であった,というわたしの仮説がほぼ間違いない,というところに到達するのではないでしょうか。

 いささか荒っぽい論法になってしまいましたが,この各論は,また別の機会に書いてみたいと思います。ということで,今日のところはここまで。

2014年8月11日月曜日

「八百長相撲擁護論」を雑誌『ひろばユニオン』に投稿しました。

 長年,温めてきた「八百長相撲擁護論」を,はじめて世に問うてみることにしました。実際に雑誌が刊行されるのは8月の20日すぎになると思います。ので,その予告編(要点)を書いてみたいと思います。

 投稿した雑誌は労働者学習センターが発行する『ひろばユニオン』です。この雑誌の8月号から「撃!スポーツ批評」という3ページのコラムの連載を依頼され,今回がその2回目の投稿ということになります。第一回目は,このブログにも紹介させていただきましたように,「サッカー熱狂症候群 なぜ熱くなる?」でした。

 この第一回目につづけて,今回は「八百長相撲擁護論」と題して投稿。実際に雑誌に掲載されるときには,このタイトルは使われなくて別のものになる可能性もあります。が,とりあえず,わたしの主張の主旨は「八百長相撲擁護」にあり,その理由・根拠(reason)を示すことにありました。

 その柱立ては,最初に八百長には大きく分けて2種類のものがあることを説き,つづいて八百長の語源を確認し,「谷風の人情相撲」を紹介し,大相撲は見世物興行であって近代スポーツ競技ではないことを提示し,力士は歌舞伎でいえば同じ役者同士の仲間であり,お互いに仲良しであることが前提であることを説き,片八百長や人情相撲は大相撲の世界には抜きがたく存在するものであること,しかも,それらが大相撲の奥行きの深さ,文化としての豊穣さを醸しだす,きわめて重要な文化装置でもあることを説き,最後に,日本の伝統芸能の一つである大相撲をヨーロッパ・キリスト教が生みだした近代スポーツ競技の論理で批判することはナンセンスであることを提示しておきました。

 これらを一つひとつ論じていくと,投稿した原稿と同じものになってしまいますので,ここでは説明が必要だと思われる重要なポイントだけを捕捉するにとどめたいと思います。

 まずは,八百長相撲には2種類あるということについて。一つは,金銭授受をともなう八百長相撲,もしくは,談合による八百長相撲,これらは犯罪であること。これらの八百長相撲は,もちろん排除しなくてはなりません。もう一つの八百長相撲は,片八百長,いわゆる人情相撲です。こちらの八百長相撲は,大相撲にとっては命綱にも等しい,きわめて重要な要素になっていること,つまりこの装置がうまく機能することによって大相撲は成立しているのだ,ということについて縷々説明を加え,こちらの八百長相撲を擁護する,というのがわたしのスタンスである,と。

 その上で,八百長ということばの語源を確認。こんにちの国語辞典には,八百長はわるい意味の語釈しか載っていないので,八百長=悪,というパターンが定着しているようです。が,それは辞典編集者の誤解,あるいは偏見によるものです。できれは,つぎの改訂版を出すときに訂正してくれるよう申しいれるつもりでいます(三省堂の『広辞林』のスポーツ担当の執筆者のひとりはわたしです)。

 八百長のもともとの意味は「手加減」です。八百長ということばそのものは,八百屋の長兵衛の通称がはじまりです。この八百屋の長兵衛さんこと八百長さんが囲碁友だちの大相撲の年寄り・伊勢の海五太夫さんと囲碁を打つときに手加減をして,勝ったり負けたりの互角の勝負を楽しんでいたことに由来します。しかし,ある時,八百長さんの囲碁の力量が並外れたものであることが発覚し,八百長の手加減がばれてしまいます。この「手加減」を拡大解釈して,伊勢の海をとおして相撲の世界に入り込んでいきます。その結果,いい意味の手加減が最初にあったのに,談合や金銭の授受をともなう「手加減」が加わってきて,もっぱら,悪い意味の手加減のことを「八百長」と呼ぶようになった,という次第です。

 しかし,江戸時代には「谷風の人情相撲」という逸話が残されるほどに,八百長は,場合によっては絶賛を浴びる立派な文化であり,大相撲の人気を支える重要な要素のひとつでもありました。ですから,さまざまな八百長相撲が手を変え品を変えして,大相撲の伝統を築いてきました。しかし,大相撲も近代化し,合理化して,とりわけ,昭和のはじめに天皇杯を賜杯されてからはあたかも神事であるかのように崇め奉られるようになります。このあたりから,八百長についての考え方や対応の仕方が大きく変化してきます。

 わけても,日本相撲協会が公益法人としての認可を受けることになると,さらなる合理化が求められることになりました。その結果,徹底的に八百長を排除することが,あたかも正義であるかのようにことは進展していきました。しかし,これは誤りです。大相撲を合理化してしまったら,単なる近代スポーツ競技と同じになってしまいます。味もそっけもない勝ち負けだけの世界になってしまいます。そうなったら,スペクタクルとしての興行は不可能になってしまいます。つまり,「がちんこ勝負」が支配するようになり,力士は怪我人ばかりになってしまうでしょう。

 現代の親方衆のなかでも,一度も八百長相撲をとらなかったと噂されているのは貴乃花親方だけだそうです。しかし,その貴乃花親方ですら,お兄ちゃんとの横綱対決の優勝決定戦では,みごとな八百長(片八百長)相撲をとりました。これはだれの眼にも明らかでしたが,だれひとりとして異論を唱える人はいませんでした。メディアも黙って黙認しました。もちろん,日本相撲協会もなんのコメントもしませんでした。それでいいのです。

 ですから,そんなに簡単に八百長相撲を根絶させることは,わたしからすれば不可能に近い話です。いな,不可能です。というより,片八百長に関しては見破られないように演出に工夫をこらし,見応えのある相撲を展開することの方が,相撲人気は上がってくると思います。かつての,栃錦と若乃花(初代)の八百長相撲は,それはそれはみごとなものでした。一分以上も土俵の上でくんずほぐれつしながらの熱戦を展開するのですから。それに引き換え,がちんこ勝負のときはあっけなく勝負がついてしまい,かえって味気ないほどでした。

 最後に,ヨーロッパ・キリスト教文化圏で生まれた近代スポーツ競技を支える近代合理主義の考え方,もっと言ってしまえば,科学的合理主義の視点からだけの,スポーツのグローバル化の路線で,大相撲を批判することがいかにトンチンカンなことであるか,あるいは,トチ狂っているか,を指摘して,この原稿を閉じました。人間は生き物であること,しかも,感情をともなった生き物であること,相手への思いやりのこころをもつ生き物であること,このことを忘れてはなりません。みんな仲良しの力士同士が,力を合わせて,裸で稽古をし,巡業をし,興行としての本場所をつとめる,そういうスペクタクルであることを忘れてはなりません。

 その意味で,手加減,片八百長,人情相撲については大切に温存すべきだ,というのがわたしの八百長相撲擁護論の骨子です。まだまだ,ことばが足りませんが,概要は理解していただけたのではないかと思います。あとは,刊行される予定の原稿でご確認いただければ・・・と思います。

 今日のところはここまで。
 

2014年8月9日土曜日

西谷修先生の集中講義「戦争・メディア・スポーツ」を聴講。感動の3日間でした。

 西谷修先生のご講義は,とくべつのお許しを得て,これまでも何回も聞かせていただいてきました。そして,そのつど,新しい発見があって,生まれ変わるような経験の連続でした。今回もまた,これまでにもまして濃密な時間を過ごすことができました。とりわけ,今回は集中講義ということで,一日5コマずつ,三日間で15コマの授業を一気にシャワーのように浴びることになりました。もう,頭の中はてんやわんやです。あれやこれやの新知識の飽和状態です。これからノートの整理などしながら頭を冷やす必要がありそうです。

 場所は,神戸市外国語大学。期間は8月6・7・8日の三日間。8日の夜はわたしたちの仲間(7人)と一緒に有馬温泉へ。一泊。夕食後も,朝食後も集中講義の番外編を聞かせていただき,なんだかもったいない,という思いでした。至福のとき。

 さて,講義題目は「戦争・メディア・スポーツ」。このテーマで西谷先生はなにを,どのように語られるのか,わたしなりに想定してでかけました。しかし,その想定は全部はずれてしまいました。まさか,こんなに気宇壮大なお話をされるとは,まったく考えてもみませんでした。古代から現代までの典型的な戦争のトピックスを取り上げ,分析しながら,そこからみえてくる,これまでとはまったく異なる斬新な世界像や歴史や宗教や思想や人間像などについて,詳細に論じてくださったからです。それらの具体的な内容については,これから何回にも分けて,このブログに書いてみたいと思っています。今回は,その概要というか,わたしがとくに興味を惹かれた部分を取り上げて,その概略を書いておきたいと思います。

 たとえば,戦争という切り口からみえてくるヨーロッパ・キリスト教世界のなんとも異形としかいいようのない真相でした。そして,わたしの中にあったこれまでのヨーロッパのイメージは一新されてしまいました。こんにちのアメリカの傍若無人ぶり(たとえば,「テロとの戦争」という名のもとに展開されたアフガニスタンやイラクへの侵攻,など)は,古代ローマ帝国がキリスト教を国教としたとき以来,みゃくみゃくと受け継がれてきた世界制覇に向けた「唯我独尊」的なふるまいである,というように。そして,その猫の首に鈴をつける勇気あるねずみは一匹もいない,というこんにちの実態。ひたすら,「テロ」と名づけることによってすべてを正当化して恥じない,その姿勢とそれに従属するヨーロッパ・キリスト教連合国,などなど。

 あるいは,フランス革命。長くつづいたフランスの絶対王制をひっくり返し,市民の自由を獲得するための勇猛果敢な戦いでしたが,その自由を手にした結果として,その自由を守るための兵役義務が新しく生まれることになった,というそのパラドックス。しかも,その自由を守るために編成されたナポレオンの率いた義勇軍は,それまでの傭兵とは比較にならない強力な軍隊であったこと。つまり,戦うことの意味をしっかりと自覚した,ほんとうの意味での兵士の誕生であり,集団であったこと,など。

 そして,このできごと(革命)がどのように伝達されたか,というメディアについての詳細な論の展開がありました。

 こうした戦争とメディアの関係を論じながら,ここにスポーツの含みもつ問題性を連結させて論じながら,スポーツの特質をえぐり出してくださいました。ここが,わたしの聴講したかった「目玉」に相当する部分です。これらについても,問題を整理して,これからこのブログで書いてみたいと思っています。

 今日のところは,とりあえずのご報告ということで,ひとまずここまで。

2014年8月7日木曜日

真夏に咲く花。サルスベリ,夾竹桃。その逞しさにいつもながらの敬意を。

 鷺沼の事務所に通う道筋に植木屋さんの庭があり,春夏秋冬,季節ごとに咲く花を楽しませてもらっています。歩きながら,きれいだよ,とか,すごいね,とか,そのとき感じたことをそのままことばにしながら通りすぎることにしています。

 今日はとうとうリュックサックからカメラを取り出して,写真を撮るね,と声をかけて撮影開始。すると,これは空耳というか,錯覚というべきか,なにか応答したような気がしました。そして,カメラを向けるとなんだか動いているようにみえます。なんのことはない。風が吹いてきただけの話です。で,少し待って静止したのでふたたびカメラを向けますと,また,揺れ動くのです。それは,まるで嬉しくて動いているようにみえます。やはり,喜んでいるのではないか,とわたしには思えてしまいます。こうなりますと,単なる写真のオブジェ(対象)ではなくなってしまいます。感情移入がともない,なんとなく会話をしているような気になってきます。

 まずは,道沿いに一番近い白い花をつけたサルスベリ。すっくと上に伸びた枝の先端に真っ白の花をいっぱいつけています。こんなにたくさんの花を,この真夏の暑い盛りに咲かせる,そのパワーに驚いてしまいます。ほかの植物たちはなんとなく元気がないのに,この白い花をつけたサルスベリだけが特別に元気なようにみえてしまいます。しかも清楚で,一段と気品に溢れているようにみえます。立派だよ,と声をかけてしまいました。


 この白い花のサルスベリのもっと奥の方にピンクの花のサルスベリが咲いていましたので,少しだけ庭に入れてもらって撮影。この植木屋さんの親父さんとは顔なじみになり,会えば挨拶をする間柄ですので,一声かけて(だれもいないのですが),中に入りました。もう,母屋のすぐ近くです。屋根にはソーラー・パネルが張ってあるのがみえます。こんなピンクの花も柔らかな温かみを感じさせてくれます。なんとなくホッとします。いいね,と声をかけました。


 角を曲がった道沿いには,真っ赤な花を咲かせはじめた夾竹桃。これから盛りの時期がやってきて,真夏の間じゅう花をつけています。まさに,真っ赤に燃える太陽のようにみえるときがあります。これからを楽しみにしているからね,と声をかけました。


 最後に大好きな木,泰山木です。母の実家の寺の本堂の前の広庭に,立派な泰山木の木がありました。子どもごころにも,凄い木だなぁ,と畏敬の念をいだいていました。なんとなく近寄りがたい,そんな気がしていました。その記憶が,この植木屋さんの庭にある泰山木をみると蘇ってきます。そして,この泰山木は威厳があるばかりでなく,とても繊細な木でもあります。真夏になると,暑さに参ったという合図か,泰山木の葉が上に向かって直立します。ですから,下から見上げると葉が裏返ったようにみえます。温度に合わせて,まだ,大丈夫な葉は下に垂れ下がっています。ほんとうに暑い日は全部の葉が直立します。まさに,ギブアップという状態になります。今日はまだ余裕があるね,と声をかけました。

2014年8月6日水曜日

スポーツの問題(たとえば,東京五輪)を考えることは,フクシマ,オキナワ,ガザを考えることと同根です。

 いささか愚痴っぽい話になりますが,このブログでフクシマやオキナワやガザを取り上げますと,とたんにページヴューの数字がダウンしてしまいます。場合によっては,個人的によく知っている友人たちから,スポーツの問題を考えることと,フクシマやオキナワやガザを考えることとは別問題ではないのか,という親切なご指摘をいただくこともあります。そのたびに,わたしはひどく落ち込んでしまいます。

 たしかに,わたしたちの世代でスポーツの世界に飛び込み,長年,その仕事に従事してきた人間は,学生時代に「スポーツと政治・経済は別問題だ」と教えられ,その考え方がしっかりと「刷り込まれ」,それを信じてきた人が多いことは事実です。しかし,わたしのようにスポーツの歴史に興味をもち,それぞれの時代や社会に生きる人びとにとって「スポーツとはなにであったのか」と問い始めた人間には,「スポーツと政治・経済は別問題」という教えそのものが,ある特定のイデオロギーに支えられて登場してきたものだ,ということにかなり早い時期に気づいてしまいます。

 それどころか,スポーツ(とりわけ,近代スポーツ競技)は,それぞれの時代や地域に根づく独特の考え方や風俗習慣をみごとなまでに映し出す「鏡」そのものだったのではないか,と気づきます。すると,では,なぜ,「スポーツと政治・経済は別問題だ」というようなテーゼが正当化され,喧伝されることになるのか,そして,そこで働いている力学はなんなのか,という疑問が湧いてきます。つまり,早い話が,だれのためにこのようなテーゼが提出され,だれが支持してきたのか,ということです。もっと端的に言ってしまえば,だれが得をして,だれが損をすることになったのか,ということです。

 そのようなことを長年にわたって考え,問い続けてきたわたしのような人間にとっては,フクシマやオキナワやガザで起きていることと,スポーツ(たとえば,東京五輪をめぐる諸問題)をめぐって起きていることとは,一直線につながっている,としかいいようがありません。つまり,根っこは一つ,ということ。まさに,それらは現代という時代をもののみごとに反映しており,言ってしまえば,すべて同根異花にすぎません。

 ですから,わたしの意識としては,このブログで書いていることのほとんどは,すべてわたしの根っこの部分にある同じ疑問から発しています。そして,わたしなりの答えを導き出してみようという発想から書かれたものばかりです。テーマはいちじるしく変化しても,わたしの意識のなかでは全部同じ問題にすぎません。

スポーツの世界で起きていることがらを深く洞察すればするほど,フクシマ,オキナワ,ガザ,などで起きていることとは瓜二つにみえてきます。結論的に言っておけば,それらは人間の傲慢さ,驕りからくるものであって,強者による弱者支配,それも有無を言わさぬ強権の発動です。世に言う「体育会」的体質です。

黒いものも「白い」と強者に言われたら,黙ってそれにしたがうしかない世界です。東京は世界一安全な都市です,と言われたら「ハハァーッ」とひれ伏すしかありません。世界一厳しい条件で原発の再稼働をチェックしている,と言われたらこれまた「ハハァーッ」と言ってしたがうしかありません。沖縄の米軍基地問題も,県知事が承諾したからという言質を錦の御旗にかかげて,辺野古周辺の住民にはなんの説明もなしに強行突破をはかろうとしています。ガザにいたっては,もはや,なにをか況んや,です。

新国立競技場の建造に関する手続も,コンペの審査過程も,審査の基準も,そして景観問題も,すべて強者の論理で押し切られようとしています。これほどまでの多くの専門家集団が異議を唱えているにもかかわらず,耳を貸そうとはしません。ただ,黙っておとなしくしているのはスポーツ関連団体のみです。

こんな奇怪しなことが平然として行われているのです。どこもかしこも,奇怪しなことばかりです。それは日本だけではなく,世界中がそうなってしまっています。それが「現代」という時代や社会の特質と言っていいでしょう。大義名分もどこかに吹っ飛んでしまって,目先の利益の追求に汲々としている,とわたしの眼には映ります。憲法まで無視して平気なのですから。あるいは,国連を無視しても平気なのですから。

ジャン=ピエール・デュピュイを引き合いに出すまでもなく「破局」(カタストロフィ)は,「いま,ここに」きてしまっている,と言わざるをえません。それに対して,わたしたちはどのように対処しなくてはならないのか,これが現代世界の喫緊の課題です。しかし,そんなことはどこ吹く風かとばかりに,経済の成長路線をまっしぐらです。アベノミクスがフクシマに蓋をし,経済成長(それも金融経済の数値のみ)に国民の眼を引きつけ,その裏で特定秘密保護法をとおし,集団的自衛権容認を閣議決定のみで押し通そうとしています。

こうしたやり方は,スポーツ界とそっくりです。表面では,健全で,美しいスポーツ神話を演出し,それを全面に押し出して「眼くらまし」をかませておいて,その裏の闇の世界では強者の論理が闊歩しています。

こういう話をはじめますとエンドレスです。また,そのつど,機会をみつけて考えてみたいと思います。今回は,ざっくりと,スポーツ,フクシマ,オキナワ,ガザは一蓮托生であるというわたしの仮説を提示させていただきました。ご叱声を賜れば幸いです。

2014年8月5日火曜日

「どっこいしょ」の語源は「六根清浄」(玄有宗求)。

 玄有宗求著『さすらいの仏教語』暮らしに息づく秘話(中公新書,2014年刊)によれば,「どっこいしょ」は「六根清浄」がなまったものだ,ということです。おやおや,というような話ですが,玄有宗求さんが仰るのですから,間違いはないでしょう。

 「どっこいしょ」は加齢とともにからだが衰えてきて,立ち上がったり,座り込んだりするときに,無意識のうちについついこのことばが口をついてでてきてしまうものです。要するに,「どっこいしょ」と声に出すことによって自分を叱咤激励をしている,というわけです。ですから,若いひとでも疲れたときなどには,つい無意識のうちに「どっこいしょ」と言ってしまうことがあります。すると,お前も歳だなぁ,と冷やかされたりします。

 玄有宗求さんの説によれば,むかしから信仰登山などで,高い山に登る人たちが「六根清浄,お山は晴天」と声をそろえて唱え,足並みを揃え,お互いに励まし合ったのが,いつのまにか簡略化され,なまってしまったのが「どっこいしょ」の語源であろう,ということです。

 なるほど,仏教的コスモロジーの世界観のもとで生きていた古代・中世の日本人が,信仰のために山に入るとなれば,相当の覚悟が必要であっただろうと思います。山は神仏のみならず,魑魅魍魎の跋扈する恐ろしいところでもあったわけですから。やはり安全を祈願し,無事の下山を祈りながら,登山に挑戦したのであろう,ということは容易に想像できることです。

 そのためには「六根清浄」でなければなりません。つまり,身を清めて魑魅魍魎を近づけないようにすることが大事です。六根とは,般若心経にもでてきますように,「眼,耳,鼻,舌,身,意」を意味します。つまり,わたしたちが外界と接する感覚器官のことです。それらの器官をとおして,わたしたちは「色,声,香,味,触,法」を受け止めることになります。しかし,こうして得られる情報はすべてその人の個人的な欲望に左右される「偏見」にも等しいものであって,その実体は「無」に等しいのだ,と般若心経は説きます。

 この「無」になった状態こそが「清浄」の世界であって,そういう清らかなからだが「六根清浄」だというわけです。信仰登山はそういうからだであることを自分自身に言い聞かせながら,どうか「晴天」を恵んでください,と祈るのが「六根清浄,お山は晴天」の意味になります。

 しかし,登山というのは容易ではありません。富士山ともなれば,3000mを超えてから,さらに776mも登らなくてはなりません。空気を薄くなり,酸素不足になります。呼吸は激しくなり,足もなかなか前には進みません。そんな疲労困憊の状態で「六根清浄,お山は晴天」などと,きちんと唱えることはほとんど不可能になってきます。

 最初の「六根清浄」ですら,最後まで唱えきるのは容易ではありません。となると,「六根清」(ろっこんしょ)まで唱えたところで酸素が足りなくなり,一呼吸入れなくてはならなくなってしまいます。そして,そのあとで「浄」(じょう)をとってつけたように唱え,さらに一呼吸いれて「お山は」と唱え,「晴天」と細切れになっていったというのが実情でしょう。その「六根清」(ろっこんしょ)が,しだいになまっていって疲れたときの「どっこいしょ」となった,と考えると納得がいきます。

 あるいは,当初は「六根清浄」と唱える代わりに「どっこいしょ」でいい,と教えた先達の僧がいたのかもしれません。ちょうど,「南無阿弥陀仏」という代わりに「なんまいだー(ぶ)」と唱えるだけでいいと説いた僧がいたように。

 というわけで,「どっこいしょ」の語源は「六根清浄」だった,というお話まで。

※玄有宗求の「有」は,ただしくは有に人偏をつけたものです。わたしのパソコンがいまわがままを言っていて正しい文字を表記してくれません。近日中にしつけ直しが必要です。お許しを。

2014年8月4日月曜日

白鵬の優勝はこれが最後か。北の湖理事長の「苛立ち」の背景をさぐる。

 ほとぼりが冷めたところで,名古屋場所の大相撲を振り返ってみたいと思います。全取り組みを見たわけでもありませんし,特別のニュースソースがあるわけでもありません。ただ,できるだけ午後5時から1時間の取り組みだけは見る努力をしただけの話です。それと,大相撲の千秋楽後の北の湖理事長の談話「日馬富士と鶴竜の両横綱はあまりにふがいない」という相当にきびしい,ある意味では「苛立ち」のようなものまで伝わってきたことが,いささか気がかりになった,というだけの話です。

 この二つのことを手がかりにして,わたしが考えたことをまとめておきたいと思います。
 一つは,白鵬の優勝はこれが最後だろうなぁ,ということ。
 二つには,大相撲の星勘定の面白さ。そこに展開されている微妙な駆け引き。
 三つには,いわゆる片八百長は止めようがないということ。
 四つには,大相撲は近代スポーツ競技ではない,ということ。
 五つには,大相撲は見世物であり,金儲けのための興行であるということ。
 六つには,力士はみんな裸で付き合う「お友だち」同士なのだ,ということ。
 七つには,したがって,ことばの正しい意味での八百長はあとを絶たないということ。
 八つには,だからこそ,大相撲の醍醐味の一つは,その八百長をも楽しむこと。

 箇条書きにしてみて,わたし自身が驚いています。こんなにあったのか,と。でも,今回の名古屋場所は,わたしにとってはとても堪能できる,いい場所であった,と思っています。とりわけ,最後の5日間はとても密度の濃い取り組みが多く展開しました。

 が,じつは,北の湖理事長の苛立ちは,この5日間に展開した相撲内容にある,とわたしは受け止めています。端的に言ってしまえば,モンゴル出身の3人の横綱同士のとった相撲内容にある,と。わたしの眼からみても,とても面白い八百長相撲(ことばの正しい意味で)であったのですから,北の湖理事長にはもっと露骨にそれがみえていたに違いありません。

 もっとはっきり言っておきましょう。この横綱対決の二番は,明らかに白鵬に優勝の道を開き,これが最後ですよ,という引導をわたす儀礼であった,ということです。つまりは人情相撲であった,と。しかも,じつに巧妙で,おそらく3人の間ではなんの打ち合わせもなしに,阿吽の呼吸のうちに展開されたことだと思います。極端な言い方をすれば,つまりは,この3人の横綱に日本の大相撲が乗っ取られた,というのが北の湖理事長の「苛立ち」の中味ではないか,と。これはあくまでもわたしのアナロジーでしかありません。

 その根拠を書いておきましょう。
 鶴竜も日馬富士も,完璧に白鵬を凌駕する相撲内容を展開した上で,勝ちを譲っているということです。もし,この二人ががちんこで勝負にでていたら,白鵬は負けを喫して,最終的には4敗となり,優勝は消えています。しかし,30回目の大台に乗るかどうかの大一番です。史上3人目の快挙がかかっています。白鵬の顔も引きつっていました。なんとしても勝つのだ,と自分に言い聞かせるように。その心情を対戦する鶴竜も日馬富士も知らないはずはありません。この時点で,相撲の勝負はすでについている,ということです。

 しかし,横綱としての意地もあります。ですから,立ち合いから前半の相撲の流れは自分有利に展開し,勝ちパターンをみせつけています。その上で,体勢を白鵬有利に持ち込ませて,勝ちをゆずっています。白鵬は,当然,そんなことはからだでわかっています。そして,いまは意識としても,しっかりと噛みしめていることだろうと思っています。つまり,来場所はこの二人には勝てない,と。ましてや,相星対決,あるいは,優勝の行方を左右する大一番となったときには,絶対に勝てません。なぜなら,気持の上で「借り」があるばかりか,相手は手抜きをせず,がちで勝負にでてくるからです。

 これをどのように演出して見せるか,それが横綱の仕事だと,わたしは受け止めています。つまり,歌舞伎と同じで,名優の演技をいかに盛り立てるか,脇役は一致団結して頑張ります。それが興行成功への大原則です。大相撲も基本的には同じです。升席があって,酒を飲みながら,大声で力士にエールを送り,身もこころも大相撲の雰囲気のなかにどっぷりと浸りこんでいきます。そのために高いお金を払っているのですから。

 大相撲は近代スポーツ競技とはまったく異質の,伝統文化です。それを同列に位置づけて,八百長は断じて許されるべきことではない,と断ずる記者や評論家は,もはや大相撲を語る資格はありません。もちろん,金銭の授受を伴う八百長は別です。これは,明らかな「犯罪」です。贈収賄と同じです。八百長の原義は「片八百長」であり,「人情相撲」にあります。これは大相撲の奥深さと豊穣さを証明する立派な文化なのです。

 ですから,北の湖理事長の「苛立ち」は,偏狭なナショナリズムにその根がある,というのがわたしの見立てです。それをあからさまに言うことはできませんので,負け相撲の数をかぞえて「横綱としてあまりにふがいない」と表現したにすぎません。しかし,なんのことはない,この二人の横綱が本気で勝ちにいき,勝っていたら白鵬も11勝4敗という「ふがいない」成績に終わっていたことになるのです。

 ほんとうの相撲通は,勝ち敗けなどはあまり気にしていません。それ以上に,アーティスティックな相撲,あるいは,理詰めの美しい相撲,それに圧倒的な力技を展開する相撲,さらにはスピード感あふれる相撲,そして,星勘定の貸し借りの清算を気づかれないようにとる気魄あふれる力相撲,などなどの方に興味・関心が向かっています。勝っても負けても,どこまで自分の相撲を展開することができたのか,どこでその流れが変わってしまったのか,気力はどうだったのか,などなど。言ってしまえば,心技体の完成度がどの程度のところにきているのか,それを見届けつつ,相撲の展開(成り行き)を楽しんでいる,ということです。相撲の醍醐味は挙げていけば際限がありません。そして,個人差もありますから・・・。

 さてはて,白鵬の来場所以後の相撲はどうなることでしょうか。対戦相手によって,どんな相撲の展開になるのか,わたしには興味津々です。それと合わせて,鶴竜,豪栄道の相撲に注目したいと思っています。日馬富士は時限爆弾の両足首次第。それでもカミソリのような相撲が飛び出すところが魅力。

 というところで,このブログを閉じることにします。大相撲は,勝っても負けても,面白い。

2014年8月3日日曜日

いま,ガザ地区で起きていることは,イスラエル軍による無差別殺人です。

 日本の主要メディアはほとんど無視して,きちんとした情報を流していないので,ことの真相がよくわからない人がわたしの周囲には多い。そして,異口同音に言うことは「どっちもどっちだ」という冷たいことば。3人の少年が殺されたからといって,1500人以上もの一般市民(女性も子どもも含む)を無差別に殺してもいい,という理屈は成立しません。しかも,国連が提供した学校に避難していた市民までもターゲットにして,たんなる無差別の殺人行為が行われています。

 こうした事実を無視して「どっちもどっちだ」で片づけられては困ります。

 ことの発端は,イスラエルがパレスチナの居住区を封鎖して,行動の自由を奪ってしまったことにあります。もちろん,その前の経緯があるのですが,とりあえず,いまハマスというパレスチナの武装集団が主張しているのは,この不当な封鎖を解除せよ,という一点です。そして,基本的人権を保障された平和な生活を取り戻すことにあります。この主張は,イスラム原理主義の立場に立つ人びとでなくても,われわれ日本人にとっても当然の主張と言っていいでしょう。(この主張は,基本的人権と命を守るために米国の基地を県外に移設してくれ,という沖縄県民の長年の主張と,基本的なところで通底しています)。

 国連とアメリカが割って入って,72時間の休戦をとりつけたのに,たった9時間後にはイスラエル軍による戦闘がはじまって,またまた,無差別殺人行為が繰り返されています。イスラエル軍にはアメリカやイギリスから最先端の武器が供与されています。いっぽう,パレスチナには軍隊はありません。陸軍も海軍も空軍もありません。武装集団ハマスはイスラム原理主義を標榜する宗教団体です。そして,ほんのわずかな武器を手に圧倒的な武力に勝るイスラエル軍に対抗しているのです。それは,イスラム教を冒涜するいかなる相手も許すことはできないとする聖戦,つまり,ジハードであるわけです。ジハードを戦って死ぬ人は聖人であり,かならず天国にいくことができる,というイスラム原理主義の信仰が背景にあります。ですから,死ぬことを恐れてはいません。それどころか,聖人になる道でもあるのですから。

 ですから,武器のないパレスチナの一般市民は,石を投げて抵抗しているのです。つまり,丸腰の市民相手にイスラエル軍はやりたい放題です。インターネット上を流れている外国の新聞社の写真をみると,無抵抗の家族に銃口を向けた写真とか,たった一人の子どもに銃口を向けているイスラエル軍の兵士の写真とか,もっと酷い,ここに書くことさえはばかられるような殺人行為の現場写真まで,無数に公開されています。

 これはもはや戦争でも戦闘でもありません。単なる,無差別の殺人行為です。しかも,イスラエル軍のこの殺人行為が,アメリカに支援されているという事実を無視してはなりません。アメリカが支援するということは,集団的自衛権を主張する日本も同じ立場に立つことになります。このことを日本の主要メディアは熟知しているはずですので,ときおり,おざなりな情報を流す程度でごまかしています。そのおざなりな情報だけを受けとって,それをそのまま信じている人たちは,「どっちもどっちだ」という立場をとることになります。

 これはイスラエルのプロパガンダの勝利です。パレスチナのハマスがさきに手を出したので,われわれは応戦しているにすぎない,とするイスラエル軍のプロパガンダです。そして,われわれは正当防衛をしているだけだ,と。それが,1対100,あるいは,1対500,という死者の数であっても,です。こんなことを国際社会が許すはずもありません。

 ここにきてヨーロッパ諸国が一斉にイスラエルの暴挙に対して批判的な態度をとるようになりました。これが,またまたやっかいなことにキリスト教文化圏とユダヤ教との対立という構造を生みだすことになっています。とうとう,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の一神教同士の「3兄弟」の対立抗争という図式が立ち現れることになってきます。となると,こんどは全世界に広がっている,しかも,もっとも人口の多いイスラム教信者たちが黙ってはいません。もう,すでに水面下ではそういう動きがあるとも聞いています。となると,とんでもないことがそのさきには待ち受けている,ということになります。

 集団的自衛権を主張する日本も,完全に,その図式のなかに巻き込まれていくことになるのは必定です。いまはじっと我慢している全世界のイスラム教徒の,こんごの動向が気がかりです。同朋たちが,こんな無差別殺人行為にさらされている実態をいつまでも黙って見過ごすわけにはいかないでしょう。

 こうなってきますと,「どっちもどっちだ」などとノー天気なことを言っている場合ではなくなってきます。火の粉がわが身にふりかかる,そういう事態が目の前に迫っている,そういう自覚こそがいまわたしたちにもっとも求められていることではないか,とわたしは考えています。

 長くなってしまいました。この続きはまた機会をみて書いてみたいと思います。
 今日のところはここまで。

2014年8月2日土曜日

沖縄の「いま」にアンテナを高く張ろう。内海正三さんのFBが素晴らしい。

 沖縄の友人(じつは娘の友人)であるうちまゆみこさんのFBと最近になってつながり,いろいろとウチナンチュの眼をとおした刺激的な情報が入るようになりました。うちまゆみこさんとつながると,そのまた友人とつながり・・・という具合にどんどんその輪が広がっていきます。そうして,いわゆるふつうに暮らしている沖縄の人たちのものの見方・考え方・生き方のようなものが少しずつみえてくるようになりました。(いささか遅きに失した感はありますが・・・)

 そのうちまゆみこさんのFBで,内海正三さんのFBを知りました。早速,わたしのFBにリンクさせていただき,わたしの友人にも知ってもらえるようにしました。たぶん,内海正三で検索していただければ,この人のFBはすぐに見つかると思います。ので,是非,試みてみてください。とにかくその内容の密度の濃さに圧倒される,凄いFBになっています。

 なにがそんなに凄いのか。内海さんのFBの主体は,琉球新報と沖縄タイムスの切り抜きです。そして,それがもう何年つづいているのでしょうか。わたしは必死になって内海さんのFBを一つひとつ過去に向かって遡っていきましたが,2013年7月までたどりついたところで精根尽き果てました。それも大きな見出しを追うだけの作業で,です。

 とりわけ,最近の7月の沖縄で起きている異常事態を追った琉球新報と沖縄タイムスの切り抜き記事は迫力満点です。そこには,本土の大手新聞社は遠く及ばない,ジャーナリズムの批評精神がきわめて旺盛に展開されているのです。徹底した取材と,その裏付けもしっかりしていて,読んでいて圧倒されてしまいます。本土でいえば,東京新聞の「こちら特捜部」に取り上げられるような,素晴らしい切り込みの記事が満載なのです。

 かつてわたしが若かったころの朝日新聞を読むような思いです。政府であろうと財界であろうと官僚であろうと,是々非々の姿勢を貫き,駄目なものは駄目,いいものはいい,とはっきりと書き切っていました。ですから,読んでいて爽快でした。ときの総理大臣の発言に矛盾があれば,堂々と真っ正面から論戦を挑んでいました。政府といえどもたじたじになることも少なくありませんでした。が,いまはどうでしょう。もはや,権力に対して真っ正面から堂々と論戦を挑むことのできる大手新聞社は残念ながらなくなってしまいました。みんな腰抜けの御用新聞になってしまいました。最近,少し立ち直りつつある新聞社もありますが・・・・。まだまだ腰が引けています。

 そんな眼で琉球新報や沖縄タイムスを読んでみますと,いずれも沖縄県民の立場に立ち,県民の基本的人権と命を守る視点から,基地問題やそれをめぐる反対運動や,本土の沖縄見殺しの問題や,国際社会が沖縄をみる眼や,沖縄の日々の生活の問題などを鋭く分析し,眼を見張るような記事でいっぱいです。そのなかの,さらに注目すべき記事を,内海正三さんは丹念に切り抜き,短いコメントを付して,FBで公開しています。しかも,それらの記事に対する読者のコメントもすべて公開されています。

 いま,沖縄でなにが起きているのか,そして,なにが問題なのか,そのすさまじいまでのリアルな内容が「じか」に伝わってきます。読み始めたら留まるところを知りません。今日も3時間ほど夢中になって記事を読みつづけましたが(写真の新聞記事の文字が小さいこともありますが),精根尽き果てました。また,日を改めてそのつづきを読もうと思っています。が,そのいっぽうでは,新しい記事がつぎつぎにアップされてきますので,その作業はエンドレスです。

 でも,本土で暮らしているわたしたちヤマトンチュは,沖縄の過去も現在も,哀しいことにほとんど無知のままです。そうしたヤマトンチュの実態にほとほと愛想をつかしたウチナンチュは,もはや本土を充てにはしない,沖縄のことはわれわれの意思で決める,そして,沖縄県民の総意ともいわれる『建白書』の実現をめざして,「島ぐるみ会議」を結成し,大きな運動を展開しています。そして,その近い将来には沖縄独立がイメージされています。

 いまや日本国である必要はどこにもない,と見切りをつけたのです。いな,それどころか日本国に属しているがために,長年にわたって(本土復帰後も)日本国の基地負担を一手に押しつけられたまま放置されてしまっています。しかも,日本政府はアメリカの言うがまま。いや,それ以上に「自発的隷従」までして,ご機嫌をとっています。ならば,日本政府を超えて,直接,沖縄県としてアメリカ政府と交渉に入るべきだ,その方がずっと話が早いし,ストレートに沖縄県民の意思を伝えることができる,というのです。その問題の『建白書』ですら,日本政府によって握りつぶされてしまって,相手にもしてくれません。あるいは,見て見ぬふりをして放置しています。一向に埒があかない。ならば,いっそのことアメリカ政府と「じか」に交渉した方が話が早い,というのです。

 そんな「島ぐるみ会議」の日々の議論が,内海正三さんのFBをとおして,手っとり早く知ることができます。

 「本土なみ」を条件に本土復帰をしたのに,その期待を裏切ったのはわたしたちです。1972年からこんにちまで,本土は沖縄のためになにをしてきたのでしょうか。基地負担も「本土なみ」というまっとうな沖縄県民の総意を踏みにじってきたのは,わたしたちヤマトンチュです。このヤマトンチュにいまや見切りをつけよう,というところまでウチナンチュのこころは動いてきています。

 沖縄は,いま,大きく様変わりをしようとしています。その決め手となるのが,こんどの知事選挙(11月)です。日本政府もアメリカ政府も固唾を飲んで見守っていることでしょう。いな,すでに水面下では,すでにとてつもない力による操作が展開している,とも聞いています。それが基地反対派候補者の乱立だといいます。つまり,敵に塩を送って,自滅させる,という戦略です。このことはまた,別の機会に書くことにしましょう。

 長くなってしまいました。
 結論。一度は,騙されたと思って内海正三さんのFBをチェックしてみてください。これはわたしの切なる願いです。

2014年8月1日金曜日

脳よりも胃腸の方が賢い。つまり,理性よりも野性の方が賢い,ということ。

 「脳よりも腸の方が賢い」というようなタイトルの本が出ているようです。が,今回のこのブログで書くことの具体的な内容は,わたしの主治医がわたしの体調について診察しているときに,たまたまそういう話題になり,詳しく話してくださったものです。

 わたしが「天ぷらを食べるとどうも下痢をしてしまうようです」と話すと,「そうですかよ。それは胃腸はまだ天ぷらを食べては駄目だというサインを送っているんですよ。脳はそのことがわかっていないんです」,と。以下は主治医さんのお話の要約です。

 脳は栄養価やカロリー計算は得意ですが,いま,胃腸がなにを食べてはいけないと言っているかについてはまったくの「盲目」です。稲垣さんはたぶん管理栄養士の指導を受けて,栄養のバランスやカロリーのことを考えながら,献立をいろいろ工夫していると思います。それは間違いではありません。が脳は意外に「欲望」に弱いのです。ですから,献立を考えるときも脳は欲望と手を結んでしまいます。つまり,脳は計算・打算が得意だというわけです。その結果,調理された食べ物が胃腸にとっていいかどうかは,まったくの別問題です。

 胃腸はひたすら,いま現在のからだのトータルの状態を引き受けつつ,食べられたものが適切かどうかを判断します。そして,駄目なものはできるだけ早く「スルー」させて,体外に排泄する,そのことに関しては天才です。脳はその点ではまったくの「盲目」としかいいようがありません。つまり,生命を維持管理していく上での役割分担,あるいは機能の領分の次元がまったく異なるということです。ですから,脳と胃腸のお互いの得意なところをうまく組み合わせていく,協調させていくことが大事です。

 なるほど,と納得。「ということは,生身のからだを生き延びていくためには,理性よりも野性の方が頼りになる,ということになりますね」とわたし。「まあ,言ってしまえば,そういうことになりますね」と主治医。そこで,わたしは図にのって「理性がいくら正しいと主張しても,野性が<ノー>と言ったらそれでおしまいですね。人間の生身のからだに君臨しているのは脳ではなくて,胃腸(内臓消化器官)の方ですね」,と。

 こんなやりとりをしたあとで,じっくりと考えてみました。そして,ゆきついた結論は,理性は野性にはどこまでいっても勝てない(上位にはなれない),そんなからくりになっているんだ,ということでした。たとえば,睡眠,食欲,性欲,の三大本能に対して理性は意外にもろい。もちろん,理性は必死になって社会生活を営む上での必要最小限のことは守るべく頑張ります。が,その抑制がとれてしまうと,にわかに野性が活躍しはじめます。そのゆきつくさきは「快感」(「恍惚」)です。

 その抑制(日常のストレス,など)から逃れるようにして頼るのが,一般的にはお酒。いっときの理性からの解放。それが高じてくると薬物に手を出すことになります。スポーツもまた,じつは,からだの快感(恍惚)がその原動力となっています。つまり,理性のはたらきの外に飛び出す経験,これをわたしは自己を超え出る経験と名づけています。広い意味での「自己超越」ということになります。そこは,まさに「聖なるもの」の世界です。

 言ってしまえば,自他の区別のない世界,内在性の世界,動物性の世界,すなわち野性の世界。わたしたち人間はこんにちの高度に文明化した世界に生きることになり,理性万能の世界にどっぷり浸たりこんで生きることを余儀なくされています。つまり,野性がかぎりなく排除され,抑制され,隠蔽されています。その代償として,野性への回帰願望がマグマとなってからだのなかを渦巻くことになってしまいます。ですから,どこかでこのマグマのエネルギーを昇華させる必要があります。そのための文化装置がいろいろに工夫されてきましたが,その多くはアングラの世界に広がっているとしか,いいようがなくなってしまいました。

 その点,スポーツは「健全なる身体」と「健全なる精神」を育成するものとして,近代になって合理化されてきました。が,ここでも大きな矛盾を抱え込むことになります。この問題はまたの機会に取り上げてみたいと思います。

理性よりも野性の方が,生きる源泉に近いということをここでは確認できればいいだろうと思います。そのきっかけと根拠を与えてくれたものが,なんと,脳よりも胃腸の方が賢い,というテーゼでした。

 やはり,わたしたちはもっともっと「からだの声」に素直に耳を傾ける努力が必要だ,とこれはわたしの反省。