2013年2月28日木曜日

『銀しゃり抄』(稲垣瑞雄著,中央公論新社刊)が香典返しになるとは・・・・。

 ことしいただいた年賀状には,1月末に『銀しゃり抄』が出ます,秋には二人誌『双鷲』が80号を迎えます,そうしたらお祝いをしますのでよろしく,とあった。宛て名書きの毛筆も,いつもどおりの達筆で,お元気そのものだった。

 長い闘病生活がつづいていることは『双鷲』をとおして知らされていた。が,創作へのあくなき情熱が病いを克服するさいこうの良薬である,とみずから書きつけていたように,何回もの死線をうまくクリアしては作家としての意地をみせつけていた。もちろん,その陰には奥さん(信子さん:作家の楢信子)のなみなみならぬ献身的な看護(あらゆる手だてを講じて,なんとしても救出してみせるという強い信念もみごとだった)があってのことだ。

 わたしはこの年賀状をしげしげと眺めながら,ああ,元気なんだ,久しぶりにお会いすることができるなぁ,と秋がくるのを楽しみにしていた。そして,早速,『銀しゃり抄』を購入して,その研ぎ澄まされた人間観察と文体を堪能していた。『双鷲』に連載されていた短編集なので,すでに,内容については了解していた。しかし,こうして単行本になると,また,一味ちがった新鮮なものが伝わってくる。なので,一編ずつ,丁寧に読むことをこころがけていた。そして,こんどお会いするときにはどんな話をおねだりしようかなぁ,といろいろの思い出をたぐったりして楽しんでいた。が,その夢はかなえられなかった。

 2月23日,虚血性心疾患。26日の新聞に載った訃報をみつけて,あっ,と小さな声をあげた。しばらくは,その紙面をじっと眺めていた。なぜか,次第に,これまでに感じたことのない寂寥感がわたしの全身を襲った。こんなことは初めてだった。これまでにも多くの先輩たちを見送ってきた。そのつど,なにがしかの感懐はあった。が,それらともまるで違う,別物だった。稲垣瑞雄の存在が,わたしにとってどんなものだったのか,ということが次第に鮮明になってきた。それまでは考えたこともなかった思いが次第に姿を表してきた。考えてみれば,瑞雄さんの書かれる小説は好きで,かなりまじめに読んでいた。同じ時代の同じ地方の同じ空気を,そして,同じ人情をそこから読み取ることができたから,いずれの作品も他人事ではなかった。

 なかでも『風の匠』(岩波書店)には泣かされた。この作品のなかに登場する「記憶力抜群の老婆」のところは何回,読み返したことか。そして,そのつど,わたしは嗚咽した。なにを隠そう,この老婆こそ瑞雄さんとわたしが共有する祖母がモデルとなっていた。この祖母とわたしは,一度だけ,手をつないで約1里の畑道を歩いたことがある。わたしが小学校の4年生の夏(1947年)だった。敗戦直後の,まだ,食べ物も着るものもままならないときの経験である。「マサヒロさん,あんたはいい子だねぇ。やさしい立派な人になれるよ」と言ってくれたことばがいまも記憶に鮮明である。祖母は,だれに対しても「さん」づけで呼びかけた。息子であるわたしの父にも「カイシンさん」と呼びかけていた。わけへだてのない姿勢は,じつに立派だった。

 瑞雄さんは,この作品のなかに登場する主人公たちを,ある種のとくべつのリスペクトを抱きながら,気持ちを籠めて丁寧に描いている。その感情の籠め方,豊穣さ,広がりが,わたしにはよく伝わってきた。ああ,瑞雄さんはこんな人だったんだ,とあらためて認識したこともよく覚えている。だから,わたしにとっての瑞雄さんは,いつのまにかとくべつな存在になっていたのだ。わたしの知らないうちに。無意識のうちに。だから,訃報が,眼に痛かった。

 いま,わたしの手元には2冊の『銀しゃり抄』がある。1冊は,わたしが購入したもの。もう1冊は,なかに「謹呈 稲垣瑞雄」のしおりの入ったもの。つまり,香典返し。こんな結末をだれが予想しただろう。ご本人はもとより,信子さんも,こんなに突然に・・・とは思ってもみなかったことだろう。信子さんのお話では「ぼくはまだ108編の短編を書き終えてはいない」と,まだまだ書く意欲は満々だったとのこと。

 『銀しゃり抄』。薄いピンクがかったハードカバーのおしゃれな本。その上に,川端玉章による鮨の図(明治10年)を載せたカバーが被せてある。装丁も本文レイアウトもとても神経のゆきとどいたいい本に仕上がっている。

 そして,帯に踊るコピーの文句がいい。

   舞い踊る 鮨の醍醐味
 精魂こめて紡ぎ出された色と形
  立ち昇る香り 返しの手捌き
 君はその誘惑に勝てるだろうか

 瑞雄さんの笑顔が,このコピーの向こう側から透けてみえてくる。
 瑞雄さんは,わたしのもっとも尊敬していた,自慢の従兄弟だったのだ。そのことに,通夜の読経を聞きながら,ようやく思い至った。いつまでも鈍感な,情けないわたしである。

 それにしても,久しぶりに聞く,気持ちの籠もった天下一品の読経に酔い痴れた。まるで,導師と瑞雄さんが会話しているように聞こえた。これだけが唯一の通夜の夜の救いでもあった。

 瑞雄さんのご冥福をこころから祈りたい。合掌。

『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)を読む。歴史的事件に等しい。

 雑誌『世界』に以前から広告がでていたので,刊行を楽しみに待っていた。1月22日刊行。早速,近くの比較的大きな本屋に行く。同時に刊行されたほかの岩波新書は全部並んでいるのに,お目当ての『出雲と大和』だけがない。書店に聞いてみると「そのうち届くと思います」といういい加減な返事。もう,この書店は信用しない。

 それからしばらくして,神田の三省堂に用事があったので(某編集者との待ち合わせ),ここならあると信じて探す。やはり,『出雲と大和』だけがない。カウンターで聞いてみる。すると,ちょっとお待ちください,と言って調べてくれる。「売り切れで増刷中です」とのこと。いつごろになりますか,と問う。「そんなに時間はかからないと思います」とのこと。

 こうしてようやく手に入れたのは2月8日。奥付をみると,2月5日第二刷発行,とある。なるほど,刊行と同時に,すぐに売り切れ。そして,すぐに増刷に入ったことがわかる。こんどは大増刷をしたようで,あちこちの本屋さんに山積みにして置いてある。さて,二匹目のどじょうがそんなにうまくいくとは思えないのだが・・・・。

 それにしても,この売れ方はどういうことなのか。
 たしかに,いま,日本の古代史が面白い。相次ぐ発掘の結果,驚くべき考古遺物がつぎつぎに発見され,古代史の「定説」がつぎつぎにくつがえされつつあるからだ。そして,どちらかといえば,その土地に古くから伝承されてきた物語を裏づける物的証拠が多く見出される傾向がある。だから,古代史研究者のみならず,古代を専門とする歴史作家たちが,さまざまな想像力ゆたかな仮説を展開して,新たな物語を紡ぎだしつつある(この点についても,いずれ書いてみたいと思う)。じつに多くの著作がつぎからつぎへと刊行されている。枚挙にいとまがないほどである。

 そんななかでひときわ異彩を放つのが,この『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)であろう。村井さんは,日本古代・中世史を専門とする研究者で,長くこの世界で仕事をしてこられた,いわゆる専門家である。1965年には『古代国家解体過程の研究』(岩波書店)という本格的な学術論文の刊行でデビューされ,早くからこの人の研究は多くの研究者から注目されてきた。現在は国際日本文化研究センター名誉教授。すでに83歳。言ってみれば,今回の新書はライフ・ワークの総決算にも値するみごとな作品となっている。その論旨の構築の仕方もゆるぎなく,きわめて説得力がある。

 いまも,全国各地の「出雲」がらみの伝承を頼りに,自分の足で現地をたずね,自分の目で確かめ,関係者の話に耳を傾け,そして,『魏志倭人伝』や『風土記』や『記紀』などの古代史に関する基本文献を徹底的に読み込み,そこに書かれていることの真偽を問いつつ,再読解を試み,新たな仮説を立てて,その傍証を固める,という村井さん独自の研究スタイルを踏襲していらっしゃる。そうして誕生したのが,この『出雲と大和』である。

 その結論は,「邪馬台国は出雲勢力の立てたクニであった」(P.250.)という衝撃的なものである。最初のページから丹念に読みつないで,この結論までたどりついたとき,一読者にすぎないわたしは,なんの疑念もいだくことなく,すんなりとこの結論をそのまま受け入れていた。そして,静かな,深い感動すらおぼえた。やはり,そうだったのだ,と。

 わたし自身は,まったく別の興味関心から野見宿禰の実像をさぐってきた。もちろん,あの相撲の話が直接的な引き金となっているのだが。そして,近々では,ようやく桜井市の「出雲」の地に足を運んで,その地に立ち,周辺を歩き回って空気を吸い,地形や景色を眺めながら,さまざまな推理をはたらかせることをしたばかりである(1月27日)。そして,明治になるまで存在したという野見塚の碑の立っているところにも足をはこんだ。塚をつくるのは野見宿禰が死んだあとに残された人びとだ。その人びとにとって大事な人だからこそ,そこに塚をつくる。それを土地の人たちは大事に守ってきたはずだ。それを,なにゆえに,わざわざ野見塚を取っ払ってしまったのか。碑文によれは,明治政府の農地改革のため,とある。しかし,猫の額のような面積の田んぼしかそこにはない。それを田んぼにしたからといってなんの功徳があるというのだろうか。そこには明らかに権力サイドからの強い「他意」が感じ取られる。しかも,いまも碑の前の花は枯れることはないという。地元の人たちにとっては忘れてはならない大事な「記憶」なのだ。そのことのもつ意味の大きさが,わたしにはひしひしとつたわってくる。

 そんな,多少なりとも,わたしなりの予備知識もあったので,村井さんの気宇壮大な出雲研究は,なおさらにわたしを圧倒した。その一つひとつがこころの底から納得できるものだった。

 この本の提示している,いくつかの思考のヒントをもとに,わたしも,あちこち尋ね歩いてみたいと思っている。少なくとも,大和盆地のなかだけでも・・・・。三輪山の存在がますます大きくなってくる。「国譲り」をしたとはいえ(この実態がどのようなものであったかは,いまだに不明),この三輪山には大和朝廷といえども指一本触れさせてはいないのである。そして,むかしながらの磐座信仰を,こんにちにまで伝承しているのだ。このことのもつ意味について深く考えてみたい。そして,そのことと野見宿禰伝承が関西方面に,かなり広い範囲で残っていることとは無縁ではない,とわたしは考えている。しかも,野見宿禰の直系の子孫から菅原道真が登場する。そして,あの太宰府流しという悲劇が生まれる。それを仕組んだのは藤原氏の末裔たちだという。そこには,とんでもない古代史の深い「闇」が潜んでいるらしい。

 わたしたちは,どうやら,嘘の古代史を教えられてきたらしい。その一角をもののみごとに崩す,立派な仕事のひとつとしてのこの『出雲と大和』の刊行は,歴史的事件にも等しいとわたしは受けとめた。ご一読をお薦めしたい。

2013年2月26日火曜日

東京マラソンは新しい文化,新しい祝祭空間となりうるか。

 マラソン・レースはテレビでみるものであって,沿道にでてみるものではない,とずっと思っていた。しかし,とうも,そういうものではなくなってきているらしい。それが数字で現れている。主催者発表によれば,沿道に繰り出して応援した人びとが173万5千人という。これには驚いた。この人たちは,一瞬にして目の前を駆け抜けていく選手たちを,ただ,ひたすら応援していたのだろうか。どうも,そうではないらしい。

 1964年の東京オリンピックのときのマラソンを甲州街道の歩道で応援したことを思い出す。アベベ選手がやってきたと思ったら,あっという間にとおりすぎて行った。ほかの選手たちも同じだ。本ものを見た,ということだけが自慢で,あとはなんの感懐もない。むしろ,味気なかった。もう,二度と沿道に立つのはやめておこうとさえ思った。以後はもっぱらテレビ観戦である。

 しかし,何年か経って,数年前,箱根駅伝を藤沢まで見物に行ったことがある。復路の応援をする人たちの姿がみたかった。そして,自分自身もその集団のなかに身を置いて,一緒に応援してみようと。しかし,このときも,つぎつぎに選手たちはやってくるが,あっという間に目の前をとおりすぎて行って終わりである。でも,沿道の人びとは無邪気に応援をしていた。しかし,わたしは退屈した。もう,こんご二度と沿道には立つまいとこころに決めていた。

 でも,マラソンは好きなので,テレビでは熱心に眺めている。

 こんどの東京マラソンもテレビで観戦した。お目当ては,2時間4分台で走る選手の4人。いったい,どんな走りをするのか見たかった。が,残念なことに「ペースメーカー」なる存在に邪魔されて,30キロまでは大集団のまま。なんの駆け引きも起こらない。しかも,予定よりも遅い。なんともつまらない展開。4分台選手にとってはまるでジョギングでもしているような余裕さえ感じられる。が,レースは30キロすぎて「ペースメーカー」がはずれてからはじまった。それもあっという間のできごと。一気に集団がばらけたところで,あとは,飛び出したキメットと,それを追うキビエゴの勝負となる。

 これをみて,ペースメーカーは不要だ,と思った。むしろ,記録をよくするよりも悪くすることに貢献しているではないか。なんのためのペースメーカーなのか。疑問だらけ。ペースメーカーがいなかったら,このレースはどうなっていただろうか。選手たち同士が,もっと激しいレースの駆け引きを展開して,みる者を熱狂させたのではないか。と,そちらの方に気持ちが向かう。

 テレビは,ひたすら優勝争いと,話題の選手を追いかけるのみ。あとのことはどうでもいいかのようだ。解説も平凡。なぜ,ケニアの選手たちはこんなに強いのか,とアナウンサーに聞かれた瀬古のピンぼけな応答。解説者としての勉強が足りない。それに比べれば,増田明美は事前に取材もして,下調べがしてあり,場面,場面に応じて的確な解説をしていた。立派である。それから,高橋尚子の解説も歯切れがよくなった。彼女もよく勉強しているなぁと思った。もう,瀬古の解説なら聞かない,聞くまでもない。

 気がつけば大いなる脱線。話を本題にもどそう。
 テレビにはほとんど映らないにもかかわらず,いや,それだからこそほんの一瞬の映像が強い印象を残すのかもしれない。仮装をしたランナーの即興のパフォーマンスに沿道の人たちが大喜びをしている。そのあたりのことがもう少し知りたいと思った。そこで,新聞やネット情報を掻き集めてみると,意外な(いや,もう,多くの人の知るところかもしれない)ことがわかってきた。

 それは,東京マラソンに参加しているランナーたちは,大きく三つに分かれているようだ。一つは,いわゆるエリート選手たちの競走。徹底して勝ち負けにこだわるグループ。競技としてのマラソンに真摯に向き合っているランナーたち。テレビは,このうちのトップ集団しか映さない。だから,あとのことはテレビ観戦者にはほとんどなにもわからない。二つ目のグループは市民ランナーと呼ばれる人たち。いわゆるトップ・アスリートを目指すのではなく,一人ひとりの目標があって,それを実現させるべくランを楽しんでいる人たち。三つ目は,ファンランを楽しむ人たち。いろいろに仮装をしたり,ランの途中で面白いパフォーマンスを繰り広げたり,沿道の人たちと交流することを楽しんでいる人たちだ。

 そこで,なんとなくわかってくるのは,沿道に立って応援していると,三つの性質の異なるランナーたちがとおりすぎていくことだ。エリート集団が,勝つこと,順位,記録をめざして必死で駆け抜けたあとに,走ることそのことを楽しんでいる市民ランナーが,思いおもいのランを繰り広げてくれる。そして,最後の集団はファンラン。とにかく完走すればいい。記録よりも,みずからの仮装をみてもらうこと,ついでにその仮装に見合うパフォーマンスをみてもらうこと,このことに主眼を置いたグループがやってくる。

 この三つ目の集団はお祭り集団だ。いかにして祝祭空間を演出し,沿道の人びとと一体化し,笑いをとるか,そこに参加する意味を見出している。そここそが勝負だ。受けがよければ,沿道の人たちのところに近づいて行ってハイタッチもありという。立派な市民交歓会が繰り広げられているらしい。ときおり,それらしき光景がテレビに瞬間的に映ることがある。これは,少なくとも,ここ数年の間に急激に増えてきた現象らしい。だとすれば,これは面白い。つまり,ある意味では,多数の役者たちによって延々と演劇的なパフォーマンスが繰り広げられていることになるからだ。だとすれば,沿道に出て行って,それらを楽しむ人がでてきてもおかしくはない。こういう光景が見られるのなら,わたしも出かけてみようかと思う。

 残念なことは,テレビをそういう光景を映そうとはしないことだ。これもまた東京マラソンの一つの重要な要素であるとしたら,しっかりと報道すべきではないのか。それとも主催者たちはこの手のランナーを「困った輩」とでも思っているのだろうか。ファンランはそんな雰囲気を肌で感じながら,意図的・計画的にアゲインストしているのだろう。だとしたら,それは,明らかにマラソン文化に革命が起きている,なによりの証拠となるだろう。

 いっそのこと,テレビ観戦者のために,テレビの画面を4分割ぐらいにして,東京マラソンを多面的・多層的に見せることをやってみてはいかがか。一つは,これまでどおりにトップ集団を中心にした映像を送りつづけること,もう一つは市民ランナーたちの走りをじっくりと見せること,三つ目はファンラン。沿道の人たちとのコミュニケーションがどのように展開されていくのか,これは面白いと思う。あと一つは,その他の情景を拾っていくこと。たとえば,ボランタリーの人たち(約1万人が参加しているという)の活躍ぶりを追うこと。給水や誘導,など。そうして,東京マラソンの全体像を浮き彫りにすることを考えるべきではないのか。勝ち負けだけがスポーツではないのだから。

 たぶん,いま,単なる競走・競技であったマラソンから,マラソンの全コースを祝祭空間に仕立て直して,そこでの時空間を,ランナーも沿道の人も一体となって,新たなお祭り広場を演出しようとしているかにみえる。これは「21世紀のマラソン」という名の新しい文化の誕生ではないか。主催者が仕掛けたわけでもなく,沿道のファンが仕掛けたわけでもない。マラソンに参加するランナーたちのなかから自発的に,いかにしてランを沿道の人たちとともに楽しむかという創意工夫が生み出した,まったく新しいスポーツ文化の出現ではないのか。

 ここまで考えたら,来年はどこか冷たい風が吹かない場所を選んで,沿道に立ってみたいと思い出した。ある意味では,スポーツ文化の先祖返り。そして,そこにこそ,21世紀スポーツ文化の新たな可能性が秘められているのではないか。勝利至上主義も,自立したランナーとしての自己実現も,ファンランも,そしてそれらを支える裏方さんも,そしてなによりも沿道で声援を送りつつ,ファンランをする人たちとの交流を楽しむ。そんなスポーツ文化が実現したら,なんと素晴らしいことか。これこそが,わたしが待ち望んでいたスポーツ文化のひとつの新しいモデルであり,スタイルでもある。

 よし,こんど,そのようなマラソン・レースがあったら,出かけていって沿道に立とう。そして,こちらからも声援という名のパフォーマンスを繰り出してやろうではないか。

2013年2月25日月曜日

「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」(真島一郎)。

 第70回「ISC・21」3月東京例会の真島一郎(東京外国語大学大学院教授)さんのお話のタイトルが決まりました。慎重な真島さんはまだ仮のタイトルですが,という付帯条件付きで送られてきたタイトルが「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」です。わたしは思わず膝を打って,ウーン,と唸ってしまいました。

 じつは,わたしはお節介にも,こんなタイトルではいかがでしょうかという愚案を提示して,それに手を加えて適切なタイトルにしてください,とお願いがしてあったからです。その応答がこのタイトルです。目からうろこが落ちるとはこのことでしょう。わたしが研究室にお伺いして,わたしの方の研究会の蓄積や趣旨をお話して,こんなお話をしていただけると嬉しいという注文をいくつか出させていただきました。それらのすべてをみごとにクリアするタイトル,それがこれでした。

 このタイトルを眺めながら,日本語の表現力はすごいなぁ,と感じ入ってしまいました。それは<もの>ということばです。「からだにつく<もの>」といったときの<もの>です。日本人であれば,これだけで多くの人はピンときます。つまり,「つきもの」ということばが,ついこの間まで,わたしの子どもの時代を過ごした田舎では,ごく日常的に用いられていたからです。あるとき,突然,ある人のからだに「つきもの」がつく。

 わたしの田舎では「きつねがつく」ということばをよく耳にしました。「きつねがつく」とは,要するに「気がふれる」こと。ふつうの人ではなくなること。なにかが乗り移り,もとのその人ではなくなること。そこまではっきりしないときには,なにか<もの>がついたらしい,ときどき変なことを口走ったり,奇行に走る,といいます。これが「つきもの」です。

 漢字で書けば「憑き物」。このときの「物」が,すなわち,<もの>。広辞苑によれば,「人にのりうつったものの霊。もののけ。風姿花伝『仮令(けりょう)憑き物の品々,神・仏・生霊・死霊の咎めなどは』。『憑き物が落ちる』」とあります。それらのすべてを総称して<もの>。

 大国主命は多くの別名をもつが,そのひとつに大物主命というのがあります。大物主の「物」は「魂」を意味するとのこと。「魂」とは「鬼がものを云う」と書きます。鬼とは神のことですから,神がものを云う,それが「魂」です。国魂神,葦原醜男,八千矛神,などの大国主命の別名もまた神がかった「魂」を意味するとのこと。つまり,漢字で書けば「物」,ひらがなで書けば「もの」,というわけです。

 そのような日本の社会にもむかしから馴染んできた「つきもの」=「からだにつく<もの>」。それとまったく同じとはいえないまでも,かなりの部分で重なっているであろう,コートディヴォワール・ダン族の「からだにつく<もの>」,それを「力士と仮面」をとおしてお話してくださる,というようにわたしは受けとめたわけです。ですから,ずっしりと重くわたしのこころの奥底に「するり/すとん」と落ちたのです。

 「霊力でとるすもう・ゴン」,そのゴンをとる力士のからだは,ふつうの人とは違って霊力を受け入れる能力に秀でている,ということなのでしょう。そして,「仮面」についてはもはや説明するまでもなく,ふつうの日常のからだではなくなるための,自己を超えでるための装置。ですから,これもまた「からだにつく<もの>」であるわけです。さらには,秘密結社のシンボルともなる仮面。こうして,結社社会を構成するコートディヴォワールのダン族がトータルに語られるとしたら・・・。いまから,わたしの胸は高鳴ります。

 なぜなら,いまでは遠い過去のこととして忘れられてしまったスポーツの原風景をそこに見届けることができるからです。日本の力士も,いまの力士はともかくとして,雷電為右衛門らが活躍した江戸の勧進相撲の時代には,力士はとくべつの霊力をもつ人として崇められたものです。つまり,世俗の人間と神との中間に位置づく人,神との橋渡しをしてくれる人。力士のことを「醜男」とも呼ぶのも,桁外れに強く頑丈なからだをもつ男という意味であるし,梅ケ谷などという「醜名」も,並の人ではない強い力をもつ人という意味での力士の呼び名のことです。

 日本の力士は,髷を結い,締め込み(まわし,ふんどし)を身に帯びることによって力士に変身します。ましてや,化粧まわしをつけたときには,もう,ふつうの人ではありません。言ってしまえば,もうすでに,神がかっています。これもまた仮面と同じような役割をはたしているように,わたしには思われます。

 さあ,真島一郎さんの「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」のお話はどんな展開になるのでしょうか。いまから楽しみです。

 3月9日(土)の午後3時から,青山学院大学を会場にして,第70回「ISC・21」3月東京例会が開催され,そこで真島一郎さんがこのお話をしてくださることになっています。詳しくは,「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のホーム・ページの掲示板をご覧ください。開催要領が公開されています。一般にも公開されていますので,興味のある方はお出かけください。無料です。

2013年2月24日日曜日

11世紀・棺をかつぐ力士たち・中国遼寧省出土。

 月刊誌『SF(Sports Facilities)』(旧『月刊体育施設』)に隔月で連載しているシリーズの最新号を紹介します。題して「絵画にみるスポーツ施設の原風景」。今回は第24回目。出典は,図録『特別展 日中国交正常化40周年 中国王朝の至宝』(東京国立博物館,2012年)。

 これまで雑誌などに掲載された原稿をこのブログで紹介することはほとんどなかったのですが,今回は,いささか意図があって,とりあげておこうという次第です。断るまでもなく,「日中国交正常化40周年」を記念したイベントがあれこれ企画されていたのですが,それが一挙に消えてしまいました。たったひとつ,この企画だけはすでに「至宝」が日本に運び込まれていて,日本各地の博物館・美術館を巡回することが決まっていました。そんなわけで奇跡的にこの企画だけは実施されることになった,という次第です。

 この展覧会は,日本各地を巡回した最後,4月7日まで神戸市立博物館でみることができます。興味のある方はぜひご覧になってみてください。展示の素晴らしさはもとより,考古遺物が出土した中国の地方都市の現在の街の全景や,人びとの暮らしぶりが,各コーナーごとに上映されていて,これがわたしには強烈な印象となって残りました。なぜなら,中国の地方都市とはいえ,どこもかしこも日本の大都市とまったく遜色ありません。近代的な高層ビルが立ち並び,清潔な近代都市の街並みを,人びとは悠々と歩いています。中国はもはや立派な近代国家であって,わたしたちがイメージしている貧困にあえぐ僻地の農村はほんの一部でしかないということです。それを知っただけでも,この奇跡的に開催された展覧会の意味は十分にあったと思います。「日中国交正常化40周年」を寿ぐべき企画として,もっともっと多くのイベントが準備されていたのに残念でなりません。それらがすべて開催されていたら,わたしたち日本人の中国観も大いに変化したでしょうし,日中の関係ももっともっと親密になれたのに・・・・と。

 一昨年(2011年)の9月に,昆明から雲南省の山奥の古い街並みめぐりをしたときにも,その経済的発展に驚いたものです。まずは,あの山の中にある昆明が恐るべき大都会であることに度胆を抜かれました。翌日からの長時間かけてバスで山を越え,田園風景を走り,いわゆる観光旅行とは異なる,少数民族の人たちが多く住む土地を訪ねるという,とても地味な旅をしました。そこで眼にしたものは,中国はどこもかしこも建設ラッシュで,道路工事や鉄道建設が雲南省の山岳地帯で行われていた,という事実です。人びとはとても優しいことにも驚きました。最後に尋ねた北京は東京とどこも違いません。むしろ,道路の幅などは広く,よく整備されていて,車の数も多いのではないかとさえ思いました。

 わたしたち日本人は,中国に関する精確な情報を,ほとんど手にすることができません。なぜなら,日本のメディアが中国に関する偏見にみちた情報ばかりを流すからです。そのために,わたしたちもいつのまにか偏見だらけの中国観をもつはめになってしまうわけです。

 中国の良識ある人びとは,いまでも,きわめて冷静に日本をとらえています。そして,その子どもたちが日本に留学することになんのためらいもありません。その具体的な事例をわたし自身もいくつか知っています。市民レベルでは,いまも,お互いに信頼関係は崩れてはいません。それは「日中国交正常化40周年」という実績によるものです。その信頼関係を一挙に突き崩すような愚挙が,「棚上げ」になっていた尖閣諸島を,わざわざその約束を反故にして,突然の,しかも一方的な国有化宣言です。あきれはててものも言えません。そして,今日も,中国の船が領海を侵犯して入ってきた,とニュースが声高に報じています。日本が「だまし討ち」にしたことは,まるでなにもなかったかのように。それどころか,そんな約束はなかった,とまで言い切っています。ならば,「日中国交正常化40年」はいかにして可能だったのか,考えてみればすぐにわかることです。それすらも隠蔽して押し切ろうというのが,いまの日本の政府のやり方です。

 そんな気持ちが強くあるものですから,日中の文化交流の一端が,この険悪な情況のなかにあってなお,みごとに実行されていることは特筆に値すると考えています。本来ならば,メディアも,もっともっと大きくこの「中国王朝の至宝」展を報道するはずです。それすらも,日本のメディアは無視して,平然としています。

 そういう事態に対するアゲインストとして,わたしなりのやり方で,この連載を活用させてもらうことにしたという次第です。あっ,こんなことを書いてしまうと,この連載もストップされてしまうかもしれません。まさか,そんなことはないと信じていますが・・・・。

 さて,連載のテーマは「11世紀・棺を担ぐ力士・中国遼寧省出土」です。そして,この写真をかかげ,その下にかんたんな説明文を載せています。そのまま,転載しておきましょう。


 力士が棺を担ぐというイメージは,いまのわたしたちにはほとんどありません。しかし,時代を遡っていくと,なぜか,力士は葬送儀礼と深くかかわっていたということがわかってきます。これは洋の東西を問わず共通しています。力士は,ただ,相撲をとるだけではなく,相撲をとることによって鎮魂の役割もはたしていた,というのが実態だったようです。
 日本の古代では,野見宿禰がそうであったように,力士であると同時に葬送儀礼を取り仕切る専門職でもあったようです。天皇が亡くなると,お付きの者たちの多くが人身供犠として生き埋めにされるのが習わしになっていましたが,野見宿禰はそれに代えて埴輪を提唱しました。その埴輪のなかには力士埴輪もふくまれています。
 今回の図像は,中国遼寧省朝陽市から1992年に出土した10~11世紀の力士〇棺です。石製で,棺の大きさは縦55.5cm,幅16.5cmです。とても小さなものですので,火葬後の骨を納めたと考えられています。
 力士は上半身裸,下半身は短いパンツを穿き,長靴を履いて両手は腰帯(まわし)を掴んでいるように見えます。しかも,目を瞑って,深い瞑想のなかに入りこんでいるようにもみえます。
 詳しいことはわかっていませんが,力士は棺をかついで葬送の行列に加わり,その墳墓に棺を納めたあとに,相撲をとって鎮魂の儀礼を行ったようです。また,死後の法事の折にも相撲をとったのかもしれません。それらはすべて死者の鎮魂を目的としたものであったに違いありません。となれば,場所はいずれも墳墓や墓所の前の広場だった,ということになります。いわゆる奉納相撲です。
 この力士〇棺は,一種の骨壺ですので,力士もまた死者の骨と一緒に死後も連れ添い,死者の霊魂を守ったということを意味しています。となると,仏教的な慣習行動がこの地方にも広く普及していたということも意味します。

以上。

※この棺のなかに一刻も早く入ってもらいたい人がなんにんもいます。困ったものです。





「丹田の下のボールを回しなさい(尾てい骨を巻き込むために)」(李自力老師語録・その28.)

 「尾てい骨を巻き込むようにして・・・」と,もう耳にたこができるほど李老師から注意を受けている。しかし,李老師がやってみせてくださる「尾てい骨を巻き込む」は,たしかにそのように動いているのが目にみえる。ならば,というので頑張ってやってみる。李老師はやさしいから,少しでも似ていれば「あー,そうそう」といって励ましてくださる。しかし,鏡に写るわが姿をみて,「似て非なるもの」でしかないことが歴然としている。しかも,自分の感覚として尾てい骨を巻き込んでいるという実感もない。

 ずーっと長い間,もう8年も考え,悩んできた。どうしてもわからないのだ。人体解剖学の本をめくって,尾てい骨を巻き込むための「筋肉」はどうなっているのだろうか,と必死で探す。しかし,どう考えてみても,解剖学的にはそのような「筋肉」は存在しない。でも,なぜ,李老師は尾てい骨を巻き込むことができるのか。しかも,ぐりぐりぐりともののみごとに巻き込まれていく。不思議なことだ。ひょっとしたら,子どものころから「尾てい骨を巻き込む」稽古をしているうちに,そのための筋肉がとくべつに発達しているのだろうか,と考える。しかし,それも解剖学的にはありえない。では,どうなっているのか。なにゆえに,李老師の尾てい骨は巻き込まれていくのか。

 仕方がないので,勇を起こして李老師に尋ねてみる。
 尾てい骨を巻き込むための方法を教えてください。自分の意識をどこに置けばいいのですか。

 すると意外なことばがかえってきた。
 しばらく,わたしの眼を見据えたあとで,「下腹部・丹田よりやや下のあたりにボールがあると思いなさい。このボールを回すのです」と仰る。そして,「とりあえずは,このボールを後ろに回しなさい。そうすれば尾てい骨は巻き込まれてきます」と。

 早速,やってみる。しかし,ボールはどこにもない。ないボールはまわせない。李老師,曰く。「ボールはそのうち意識できるようになります」と。「意識できるようになると,このボールを前後にまわしたり,左右回転させたりする稽古をします。すると,次第に,自在にまわせるようになります。そうしたら必要に応じて,好きなときに,好きなようにまわせばいいのです」と。

 わけがわからない。まるで禅問答のようだ。仰ることは,なんとなく理解することはできる。そうなのか,そういうものなのか,と。しかし,体感としてはさっぱりわからない。第一,ボールの存在が確認できないのだから。仕方がないのでさらにしつこく質問をつづける。いろいろと説明してくださるのだが,どうも要領を得ない。とうとう李老師も音をあげて「これはことばで説明できることではありません。感覚で理解できたら,ひたすらそこに意識を向けて稽古するのみです」,と。

 かくなる上は・・・と覚悟を決めて,事務所でひとり稽古をしてみる。とりあえずは,肛門のあたりをギュッと締めておいて,それを前に引っ張りだすように腹筋の一番下の部分を収縮させてみる。すると,骨盤がうしろに倒れていく感覚が伝わってくる。軸足に体重をかけたまま送り出される足とともに骨盤がうしろに倒れていくように感ずる。もし,この感覚どおりに骨盤がうしろに倒れていくとすれば,尾てい骨はおのずから巻き込まれていくはずだ。

 この感覚が正しいかどうかはわからない。しばらく稽古を重ねてみて,李老師にみてもらうしかない。しかし,いままでのように闇に向って尾てい骨を巻き込む努力をしているのとは,明らかに異なる。具体的な目標がはっきりしただけでも努力する甲斐があるというものだ。

 肛門から前立腺にむけて筋肉を締め上げていって,それを腹筋の一番下につなげて,ぐいと腹筋を収縮させてみる。すると,下腹部の丹田よりも少し下のあたりに空洞があるように感ずる。この空洞に感じられる部分にボールが感じられるようになるのだろうか,と勝手な想像をしてみる。しばらくは,ひとり旅だ。試行錯誤を繰り返しながら,模索していくしかないのだから。とりあえずは,その端緒にとりついたというところか。

 この方法でいいのかどうか,つぎに李老師が稽古にきてくださるのを待つのみ。それまでに,少しでもそれらしきことができるようにしておこう。この方法が,李老師の仰る「秘法」につながるものであることを祈りつつ。

『週刊読書人』最新号(2月22日)の一面トップにシャモワゾーと肩を組む西谷修,星埜守之さんの写真をみつけて。

 「クレオールとは何か」という大きな文字の見出し語が躍る。そして,パトリック・シャモワゾー講演会in東京大学,とある。そして,かなり大きな写真が掲載されている。そのなかに,シャモワゾーを真ん中にして右側に西谷さん,左側に星埜さんが写っている。なんだか嬉しくなって,しばらく,この写真に見入っていた。

 シャモワゾーという人の写真をしげしげと眺めるのはこんどが初めて。ああ,こんな顔をした人なのか,と納得。西谷さんはいつもよりご機嫌か,とても柔和な顔で写っている。その反対側には星埜さんがいつもの表情で写っている。

 いつもの表情と書いたが,じつは,星埜さんはいつも同じような顔をしているからだ。無理して大まじめな顔をすることもなく,ごく,自然体で脱力された柔らかな笑顔である。ああ,こういうときも同じ顔だ,という意味で「いつもの表情」と書いた次第である。

 というのは,星埜さんとは,一昨年の奄美自由大学(今福龍太主宰)で初めてお目にかかった。初日の入島式(これから奄美大島の島巡りをさせてもらいます,という島の神様に許可をいただく式。島には聖なる場所がここかしこにあるので,そこに行って主宰者のご挨拶があり,島巡りの予定表を書いたリーフレットと笛(いずれも今福さんのゼミ生さんたちの手製)を分けてもらって,いよいよ行動開始)のときに,わたしは初めての参加だったので,まずは,わたしの方から星埜さんに声をかけ,これこれの者ですと自己紹介をした。が,星埜さんは,いつものにこにこした顔をして「ああ,そうですか。星埜です。よろしく」と言ったきりなにも仰らない。あれっ,と思って少し考えた。ああ,そうか,星埜さんのことは知らない人がいないとお考えかも・・・と思って,勇気を奮い起こして「失礼ですが,どういうお仕事をなさっていらっしゃるのですか」と問う。すると「大学でフランス語を教えています」とだけ。わたしは知らないから,ああ,そうか,フランス語の先生なのだ,とだけ記憶にとどめた。あとは,まったく不明。そして,奄美自由大学でご一緒した三日間,いつも,どこにいても,にこにことした笑顔で,飄々と歩いていらっしゃる。不思議な存在感のある人だなぁ,とは思ったが,それ以上のことはわからない。

 それっきりになっていた星埜さんが,突然,『週刊読書人』の一面トップの写真に現れたという次第。しかも,西谷さんと一緒だ。ええっ,と思って,急いで経歴を探した。そうしたら,東京大学教授とある。ふたたび,ええっ,である。人は見かけによらないもの。奄美大島で初めてお会いしたときには,どこで,なにをしていらっしゃる方かもわからないので,無精髭をのばしたどこかのおじさんだと思っていた。しかし,この写真をみると,いまも,その無精髭があるので,ああ,あれはおしゃれなんだと納得。そして,「クレオール」というところで西谷さんともつながっていることも納得。そうして,いまさらのように奄美自由大学に来られる人たちというのはたいへんな人たちばかりなのだ,とこれまた納得。わたしのような者がひょこひょこ顔を出していていいのだろうか,と考えてしまう。でも,今福さんから,来年また奄美で会いましょう,と言われると嬉しくなってまたいそいそとでかけてしまう。奄美大島という磁場のようなものがわたしを引きつけてやまない。なんなのだろう,あの島の発する雰囲気は。わたしが戦前の子ども時代に吸っていた空気と同じようなものをここかしこで感ずる。だから,いまでは完全に消え失せてしまった,わたしの子ども時代に味わった郷愁を感じ,懐かしくなるのだろう。そんな場で星埜さんとも出会った。そして,あの,ゆるい,なんともいえない味のあるにこにこした笑顔に。その笑顔を久し振りにこの『週刊読書人』で発見。やはり,懐かしい。いまも同じ笑顔だから。

 紙面は全面2ページにわたって,シャモワゾーの講演会が載録されている。このときの司会を星埜さんと塚本昌則さん(東京大学教授・フランス文学)がつとめていらっしゃる。講演会のタイトルは「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」。この記事のつかみのところだけ転載しておくと以下のとおり。

 昨年11月13日,東京大学(文京区本郷)において,パトリック・シャモワゾーによる講演会「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」が開かれた。シャモワゾー氏は,1992年に『テキサコ』(星埜守之訳,平凡社)でゴンクール賞を受賞し,国際的にその名が知られるようになった。また,ラファエル・コンフィアンとの共著『クレオールとは何か』(西谷修訳,平凡社)は世界中で読まれ,「クレオール」という言葉を定着させるきっかけを作った一冊である。この講演の模様を載録させてもらった。進行は星埜守之氏と,『カリブ海偽典』(紀伊国屋書店)の翻訳者である塚本昌則氏が担当した。

 わたしは,最初に今福さんの『クレオール主義』という本を読んだときに,なんのことかがよくわからないまま苦しんでいたが,西谷さんの『クレオールとは何か』がでて,その巻末に書かれた西谷さんの「解説」を読んではじめて「クレオール」ということの重大さを知った。そして,クレオール語ということばもそうだが,スポーツもまた民族の出会い・衝突によって新しいスポーツ文化を生み出す,その意味ではことばもスポーツも同じではないか,とあれこれ考えてきた。

 星埜さんがそういう方だったということがわかった以上は,『テキサコ』を読んでおいて,こんどお会いできるかも知れない奄美自由大学に備えておこう。星埜さんは,とくに,だれとも会話をされるわけでもなく,悠々とひとりで奄美の雰囲気を楽しんでいらっしゃる方だ。せめて,夜の宴会の折には『テキサコ』を話題にできるようにしておこう。そうすれば,奄美自由大学がもっともっと面白くなりそうだ。そして,同時に,わたしのやってきたスポーツ史やスポーツ文化論を考える上でもシャモワゾーの書いたものはとても重要なヒントを与えてくれるはずだ。その意味でも必読の書だ,とこの講演会載録を読んでますます強く感じた。

 わけても,スポーツ文化がヨーロッパ近代の呪縛から解き放たれるためにも。

2013年2月23日土曜日

久しぶりにロック・バンド Ain Figremin のライブを聞く。

  ふだんは大阪を拠点にして活動している Ain Figremin が東京でライブをするというので出かけてみた。21日(木)は高円寺で,22日(金)は府中でやるという。21日はすでに予定が入っていたので,22日に出かけた。

 もちろん,お目当てはリードヴォーカルの三井雄介だ。詳しいことははぶくが,個人的なある事情があって,かれの子どものころから,その成長過程をなぞることができるほどに雄介のことはよく知っている。だから,年々,成長していくその姿はいつも気がかりになっている,と同時に楽しみにもしている。

 今回,わたしが聞くのは,バンドのメンバーが変わってからの初めてのライブである。昨年の暮れにはこの新しいメンバーによるCDが制作されている。そして,その1枚がわたしのところにも届いていたので,すでに何回か聞いている。だから、以前とはだいぶ違う雰囲気になっているなぁ,と感じとってはいた。が,やはり,ライブはもっとその違いを鮮明にしてくれた。

 まずは,Ain Figremin というバンドが驚くほどにレベル・アップし,進化しているではないか。迫力がまるで違う。切れ味が鋭い。雄介のギター・テクニックも歌唱力も抜群によくなっている。しっかりとした目線がいい。たしかななにかをしっかりと見据えている目線だ。だから,引き寄せられる。魅力的だ。それからベースが面白かった。なにせ,裸足でステージに立ち,所狭しとばかりにギターをかかえて演奏しながらこんなパフォーマンスができるかという極限に迫る。本人は必死で,からだごと音をギターに埋め込んでいく。ときには祈っているようにもみえる。ドラムの顔がこれまた印象的だった。ときに泣いているような顔になり,ときには般若の顔になる。しかし,そのほとんどは髪の毛に隠れてみえない。能面アーティストの柏木さんの作品(創作面)に「心眼」という傑作面があり,それを思い浮かべていた。かれもまたドラムと一体化している。雄介の眼が余韻を残す。目力(めぢから)がついたというか,眼力がついたというか,眼がらんらんと輝くようになってきた。もはや,この世のものとは思えない雰囲気がでてきた。そのうち幽体離脱をするのではないか,といささか心配であると同時に楽しみでもある。

 なぜなら,ロックというのは,なにものにも束縛されることのない,そういう幽体離脱寸前の境界領域で遊んでいる音楽ではないか,とわたしは受けとめている。つまり,この世とあの世を自由に往来する音楽ではないか,と。そういうところから音が溢れ出てきて,ことばがそれに乗って天を駆けめぐる。天と地の交信・共鳴・共振。天なる存在に向かって裸足で大地からのエネルギーを吸い上げ天に送り込む(ベース)。すると,こんどは天から大地に雷鳴のごときドラムが響く。ボーカルが必死になって天と地の間に音とことばを繋ぎ止めるかのように,全身全霊を傾ける。このとき,聞く者たちとステージはひとつになる。

 以前,渋谷のライブで聞いたときよりも,はるかに骨太の,逞しいバンドに変身している。雄介も大人になってきたなぁ,としみじみおもう。この間までのひ弱さが消えた。もう,びくともしない,自分で納得のいく立ち位置が決まったという印象だ。さあ,いよいよこれからだ。

 この3人は,おそらく,まったく異なる個性の持ち主で,その音楽性も異なるのではないか,と聞きながらちらりとおもった。それでいて,不思議に噛み合っている。お互いがそれぞれの音楽性をリスペクトしつつ主張し合う,その上で,がっぷり四つに組み合っている。お互いに一歩も譲らないで個性をぶっつけ合うことによって,1+1+1=3,などという単純な和算の範囲を大きく超えでていく可能性を秘めている。3が,6にも9にもなりうる,そういう「大化け」の可能性を感ずる。

 これから面白くなりそうなバンドだ。

 Ain Figremin. 国籍不明の言語。もとをたどればドイツ語もどき。Ein とかけば立派なドイツ語になることを知っている雄介は,わざわざそれをはぐらかす。Figremin もどこかドイツ語にありそうでないことば。雄介のことだから,このことばにあるメッセージを籠めているはず。ありそうでない,なさそうだがあるような気もする,が,やはりない,怪しげなことばの創作。min で終わるところからの連想では「くすり」のイメージか。では,Figre はなにか。あるいは,Fig と re と分離するのか。ならば,こうも考えられる・・・・という具合にことば遊びも際限なくつづく。

 Ain.ひとつでもなくふたつでもない。ひとつから不特定多数まですべてをつつみこもうとでもしているのか。まさに,不定冠詞の王。かたちあるものはやがてくすりによってきえゆくのみか。きえゆくさきにこそりそうのおうこくがまちかまえている,か。

 自他の境界領域を超えでていくことは容易ではない。しかし,かつては自他の境界のない動物性(あるいは,内在性)を生きていたわれわれ人間は,どこかに動物性への回帰願望を抱え込んでいる。それはもはや人間である以上,どこまでいっても避けがたいことなのだ。不可避なのだ。だから,ひとたび,動物性(あるいは,内在性)に目覚めた人間は,動物性への回帰願望に揺さぶられながら,宙づりの「生」を生きることになる。それしかないのだ。

 こんな話を雄介をまじえて,このバンドのメンバーたちと,うまい酒でも酌み交わしながら語り合いたいものだ。その日もそんなに遠くはあるまい。楽しみにしよう。

2013年2月22日金曜日

ヤマトのアフリカニスト・真島一郎さんにお会いしてきました。

 笑顔の美しい人,これが今回お会いしてつよく印象に残った真島一郎さんのイメージでした。西谷修さんから「真島さんはまじめな人ですから」と何回も聞かされていましたので,失礼がないようにということだけはこころがけたつもりです。最初はとても緊張しましたが,真島さんの「お久し振りです」のひとことと,その瞬間に表れたさわやかな笑顔に接してどれほど気持ちが楽になったことか,はかりしれません。

 人は笑うとみんないい顔になります。が,ときには,笑ってもどこか冷たい印象を与える人もいます。しかし,真島さんの笑顔はとびきりでした。わたしの話を聞くときの真島さんの眼は鋭く光り,わたしの眼をじっとみつめて離しません。そして,わたしの眼の奥の奥まで見とおしていくような,そんな強いまなざしでした。ですから,わたしの方が目線をときおり外さないと圧倒されてしまうほどの迫力です。わたしはなにかを思い出そうとするふりをして天井に視線を向けたり,やや斜め下に目線を落してなにかを深く考えようとしているふりをしなければならないほどでした。こんな体験は久し振りでした。でも,真島さんの中でなにかが深く納得できたときには,パッと明るい笑顔に変わります。この落差なのでしょうか。それはそれはみごとな笑顔なのです。わたしの気持ちは,そのたびに,大いに救われました。

 とまあ,こんな具合にして,3月9日(土)に予定されている第70回「ISC・21」3月東京例会の打ち合わせが行われました。真島一郎さんのことを初めて知ったのは,『季刊民族学』(国立民族学博物館発行の機関誌)に掲載された,コートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」に関する真島さんの論考でした。この論考はとても刺激的でした。なにせ,「霊」の力ですもうをとる,というお話ですから。詳しいことはここでは省略しておきますが(当日,お話をしてくださる予定),読んだ瞬間からこの真島さんという人にお会いしてお話を伺いたいとおもっていました。ところが,当時の真島さんは東京大学の大学院生で,ダン族の「結社社会」の研究のために現地に滞在中でした。そんなことで,いつか,どこかで,と楽しみにしていました。

 あれから何年になるでしょうか。その間,忘れていたわけではないのですが,そのままになっていました。が,偶然,そのチャンスはめぐってきました。それは,西谷さんが仕掛けるシンポジウムに真島一郎さんが,ほとんどレギュラーのようにしてシンポジストをつとめていらっしゃったからです。最初にプログラムで「真島一郎」という名前をみつけたときに,もしかしたら?と一瞬わたしの脳裏をよぎりました。しかし,シンポジウムのテーマは「沖縄問題」です。あるいは,もっと違うテーマであったりします。なにせ,西谷さんの守備範囲はきわめて広いので,シンポジウムのテーマは多岐にわたります。そんな中に,毎回のように「真島一郎」という名前があり,実際に発言を生で聞いてもいるわけです。しかし,真島さんの発言のなかにはアフリカのことはひとこともでてきません。ですから,同姓同名の別人だとおもっていました。

 ところが,です。目取真俊さんをお迎えしての,やはり,西谷さんが仕掛けた沖縄問題でのシンポジウムの折に,大きなチャンスが訪れました。壇上の真島さんが,発言の冒頭で「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定をかけて・・・・・」と仰ったのです。わたしのからだに電撃が走りました。そして「アフリカニスト」のひとことで,確信しました。同姓同名の人はよくあることです。しかし,「アフリカニスト」という限定がついた以上,もう,同姓同名はありえない,と。同時に,「自己否定をかけて」発言をするという真島さんの覚悟のほどが,鮮烈な印象を残しました。このあたりのことを西谷さんは「まじめな人」と仰るのだろうなぁ,と思います。

 そこで,シンポジウムが終わったときに,勇気を奮い立たせて真島さんに声をかけさせていただきました。やはり,間違いありませんでした。真島さんは,いったい,どういう人なんだろうかと真剣なまなざしです。眼が光っていました。「ダン族のすもう・ゴンを『季刊民族学』に書かれた・・・・・」というところで,パッと笑顔になられ「はい,そうです」。あとはとんとん拍子で,いつか,わたしの主宰している研究会でお話を・・・・,「はい,わかりました。喜んで」と仰っていただきました。ですから,今回は二度目のミーティングという次第です。

 3月9日(土)の会の名前は,第70回「ISC・21」3月東京例会,というものです。この会は,一般公開されていますので,どなたも参加可能です。詳しい情報は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの掲示板に掲載しますので,そちらでご確認ください。もし,興味をもたれて参加したいという方は,以下の文献などに目をとおして,予習をしておいてくださることを希望します。そういう前提で会を進行させます。

 真島一郎さんの書かれたテクストは以下のとおりです(こんどの研究会に関連するもののみ)。
 『20世紀<アフリカ>の固体形成』,平凡社,2010年。
 「装わねばならぬ力」,『季刊民族学』,第56号。
 「呪術と精霊のうずまくすもう・ゴン」,『季刊民族学』,第58号。
 「秘密 コートジボアール・ダン族の結社社会」,『季刊民族学』,第62号。
 ※『季刊民族学』に書かれた論考のタイトルは,わたしの記憶で書いていますので,あとで確認をして訂正をさせていただきます。お許しのほどを。

 なお,わたしも真島さんの論考に触発されて,以下のような文章を書いていますので,ご参考までに。今回の会の趣旨を手軽に知るには役立つと思います。
 「霊力を競うアフリカ・ダン族の『すもう』」,拙著『スポーツの後近代』,三省堂,1995年,P.34~41.

 映像も用いて,できるだけ楽しく,わかりやすくお話をしてくださるように,真島さんにはお願いをしてきました。もちろん,快諾してくださいましたので,いまから,3月9日が楽しみです。一般の方の傍聴は自由ですので,興味・関心のある方は,どうぞ,お出かけください。

2013年2月21日木曜日

第148回芥川賞作品・黒田夏子著『abさんご』を読む・その1.

 『abさんご』が単行本で刊行されているのは知っていたが,やはり,芥川賞選考委員の人たちの選評や受賞者のインタヴューなども合わせて読みたかったので,掲載誌が書店に並ぶのを待った。そうして,ようやく出た,と思って買ってきたところに別件の飛び込みの仕事が入ってしまった。だから,昨日までおあずけのまま机の上で眠っていた。

 前評判どおりの不思議な小説だった。でも,いちど読んだら忘れられない,こころの奥底に眠っていたものがつぎつぎに呼び起こされるような,どこか時空間がどんどんぼやけてしまいそんざいすらふたしかになっいくような,それでいてそこはかとなく寂寥感がただよいはじめる不思議な小説だった。そう,ひとくちで言ってしまえば,今福龍太が『薄墨色の文法』のなかで展開した世界を彷彿とさせるような,そんな作品だと思った。あるいは,記憶というものの危うさ,つまり,aであったともいえるし,bであったかもしれないし,そういうあやういものが入れ子状態になってもやもやとうごめいているようなもの,そういうもののちくせきが記憶というもののじったいなのだ,と主張しているような・・・・。そして,それが人生なのかも・・・・。というような印象をもった。おやおや,すでに,作者・黒田夏子の文体にかぶれはじめている自分が表出している。

 とにかく,わたしのとおい記憶のそこにうずもれてしまっていて,にどとよみがえってくることはなかろうと思われるような,そんなやみよにしずんでしまっていたふかくてとおい記憶が,このさくひんをよみながらつぎつぎに浮かんでくるから不思議だ。

 それをもっともらしくせつめいすれば,作者の黒田夏子とわたしは年齢が同じだから,というのがひとつある。そのほかにもいくつも似たようなところがあって,いちいちなっとくしてしまうので,どんどんかのじょの小説世界にひきこまれていく。それらについては,これから,たぶん,なんかいにもわけて書くことになるだろう。

 つまり,同世代として,おなじじだいやしゃかいのくうきをすって生きてきた。そうしていまをいきている。だから,作品のぎょうかんにしょうりゃくされてしまっているようなことがらまでが,このまかふしぎなしょうせつをよまされる者たちのひとりであるわたしには,そのきょをつくようにしてひょこひょことおもいだされてくることになる。ああ,もう,ほとんど黒田夏子菌にかんせんしてしまっている者たちのひとりになりきっている。

 この作品はみじかいフラグメントのような記憶をとりだしてきて,それをつぎからつぎへとつみかさねていく,そんなしゅほうで書かれている。だから,ほとんどなんのみゃくらくもないようにみえるが,ふかいところにながれている通奏ていおんの音はとだえることはない。そして,その音がしだいになりひびきだすかとおもうと,つぎのしゅんかんにはするりとかわされてしまう。つまり,たしかな記憶というものはどこにもそんざいしないのだ,とばかりに。そうして,かぎりなく「む」のせかいにわたしをいざなっていく。

 たとえば,3さい児が母の死をどのように記憶し,そのご,どのように回想するのか,というモチーフがひとつながれている。ほとんど,なにも記憶していない,とさしょに書く。しかし,いろいろの記憶をたどるうちに,じょじょにそのときのふんいきのようなものをおもだす,あるいは,おもいだしたつもりになっている。それでも母のデスマスクは記憶にないとだんげんする。にもかかわらず,このしょうせつのおわりのほうでは,かなりしょうさいに葬儀のひとつひとつのばめんがかいそうとしてきじゅつされている。しかも,それらの記憶もまた,のちに,しゅういのいろいろの人たちからのはなしをつなぎあわせて,じぶんになっとくできるものがたりをこうちくしたにすぎないのかもしれない,ともいう。けっきょく,たしかなものはどこにもそんざいしない,といっているような・・・・。

 あまりかんたんにだんげんしてしまうことはつつしまなければならないが,たしかなものなどどこにもない,ふたしかなじょうたいのままちゅうづりにされて,じかんだけが流れ去っている,というていねんににたような世界にいざなっていく。こうしてじぶんのなかのたしかだとおもっている記憶をたどっていくとそんなふたしかなものしかうかんでこない。それでも,そんなふたしかな記憶をてがかりにしながら,どこかにみずからのよってたつ「ね」をさがしもとめているようにもよみとれる。

 もう,すっかり過去をふりかえるなどというせいかつからとおざかってしまっている,あるいは,ふれようとしていない,あるいはまた,てっていてきにきひしてにげているだけかもしれない,げんざいのわたしには虚をつかれたような不思議なけいけんとなった。

 そのことを,もっともしょうちょうてきに表現しているのがこの作品のタイトルである『abさんご』ではないか,と考えている。このことは「その2.」で書いてみることにしよう。

 今日のところはここまで。

2013年2月18日月曜日

グレコローマン・スタイルって? ウムッ? 史実に反するものはやめよう。

 グレコローマン・スタイルは史実に反する,と恩師の岸野雄三先生からわたしの学生時代に教わったことがある。岸野先生の古代・中世体育史という授業だった。いまから55年前の話である。岸野先生はギリシア語・ラテン語を駆使して,原著に分け入り,とくに古代ギリシアのスポーツの研究者として異彩を放っていた。大学2年生の学生を前にして,英語・ドイツ語・フランス語・ギリシア語を多用しながらの授業は一種異様な雰囲気があった。わたしは,ただ目を丸くして,呆然としながらお話を聞いていた。ノートがとれないのである。

 そんな授業のなかで,ときおり,とてもわかりやすいお話をされた。その一つが,「レスリングのグレコローマン・スタイル」という競技は史実に反する,というものだった。そうして,ギリシア時代のレスリングの仕方について,じつに詳細に話してくださった。その根拠はこれだ,と言って示されたのが,のちに先生の手によって翻訳出版されることになるガーディナーの『古代ギリシア競技史』である。そして,古代ギリシアのレスリングも,古代ローマのレスリングも,あんな形式ではやっていない,まったくのでっち上げにすぎない,と力説された。

 わたしも先生の薫陶をつよく受けて,卒業論文では「オリンピック起源論」をテーマに選んだ。当時のドイツの雑誌「Olympisches Feuer 」(直訳すれば「オリンピックの火」,すなわち『聖火』)に連載されていたUlrich Popplovの論文(Zur Ursprung der Olympischen Spiele:オリンピック競技の起源について)を翻訳し,紹介しながら,それまでのオリンピック起源論を批判したものだった。それがきっかけとなって,研究者の道に迷い込み,こんにちに至っている。ご縁というものは不思議なものである。

 こんな個人的な経緯もあって,以前からグレコローマン・スタイルなどというレスリングの方法を,後生大事に伝承していることに大いに疑問をもっていた。このレスリングのスタイルは近代になって,クーベルタンの周辺にいた人たちが捏造したものにすぎない。それをこともあろうに,古代ギリシアのオリンピック競技会に範をとった近代オリンピック競技会で営々と引き継がれてきたのだ。しかも,テレビの解説では,かならずと言っていいほどに「古代ギリシアと古代ローマのレスリングを再現したものである」と,間違った説明までしてくれる。こうしてご丁寧に,間違いの再生産まで行われ,いまでは,これが捏造された競技種目であるという事実を知る人はほとんどいない。

 こうした,もっとも本質的な議論はかけらもみられないまま,グレコローマン・スタイルという競技を面白くみせるためのルール改正に血道をあげている。ならば,男女比のアンバランスはどうするのか。女子にもグレコローマン・スタイルを加えるとでもいうのだろうか。それは無理だろう。かと言って,男子にだけグレコローマン・スタイルを残すというのもスジがとおらない。

 ここはいっそのこと,歴史上,存在したことのない、近代の捏造品であるグレコローマン・スタイルを廃止すべきだろう。そし,古代ギリシアで行われていたレスリングはこういうものではなかった,ということを国際レスリング連盟の名のもとで認めるべきだろう。その上で,世界的に広く伝承されてきた,さまざまな形式のレスリングの基本は,いま行われている「フリー・スタイル」なのだ,ということを宣言してほしい。

 そうした手続を経た上で,レスリングは男女とも4種目,と定めたらいかがか。

 スポーツ史家を名乗るわたしとしては,ぜひ,このような改正をしていただきたい。そして,レスリングを中核競技からはずすなどという愚挙には走らないでほしい。レスリングは,走・跳・投とならぶ人類の誕生以来からつづくもっとも古い競技の一つなのだから。

 オリンピックの中核競技については,この際,徹底的にその存続理由をチェックすること,このことを再度,提案しておきたい。

2013年2月16日土曜日

フランスの柔道指導者の国家資格免許について。最新情報。

太極拳仲間の若い院生さんが,いま,フランスに留学していますので,少しだけ時間を割いて調べてほしいと依頼をしました。もちろん,フランスの柔道指導者の国家資格免許の制度が,具体的にどんな内容のものであるのかを調べてもらいました。その第一報の返信がもどってきましたので,その概要をお知らせします。

フランスでは,1955年に,柔道指導者の国家資格を法律で定めたのが最初で,1972年には,具体的な国家資格制度が整備されました。それがBEES(Brevet dEtat dEducateur Sportif)〔※フランス語のソフトが入っていませんので,アクサンテギューなどの記号が抜けています。お許しのほどを〕です。

そのBEESの内容は以下のとおりです。
BEES 1級・・・18歳以上で2段以上・・・教育・組織(編成),基礎体力づくり,スポーツ活動の運営,各県やクラブでの指導。
BEES 2級・・・BEES1級を取得してから2年以上,3段以上・・・管理職としての技術の改良教育や訓練計画,運営を行う,レジョン,インターレジョン,国家レベルでの指導。
BEES 3級・・・BEES2級を取得してら4年以上・・・鑑定や研究業務,ナショナルレベルや国際大会レベルの指導。

もちろん,これだけではまだわからないことがたくさんありますが,それでも,おおよその制度の概要はわかります。きちんと組織立った試験制度になっていると思います。

この制度は2011年12月31日までで,2012年1月1日からは,BEESを改訂した新しい国家資格免許(資格試験証明書)が発行されている,とのことです。その内容は以下のとおりです。
DE JEPS(Diplome dEtat de la jeunesse,de leducation populaire er du sport)⇒BEESのレベル1.に対応。
DES JEPS(Diplome dEtat superieur de la jeunesse,de leducation populaire et du sport)⇒BEESのレベル2.に対応。
※BEESのレベル3.はフランス柔道連盟のホームページに公開されていない,とのこと。

そこで,このDE JEPSの試験内容をみてみると,大きく二種類の試験があることがわかります。
 1.formatif(一般教養試験)
 2.certificatif(能力証明試験)
の二本立てになっています。

さらに,ホームページに公開されている certificatif の参考例としては以下のような内容が示されているとのこと。
 1.「教育計画」をテーマに30ページほどのペーパーを作成し,20分で発表,その後20分の面接試験。
 2.「クラブの発展計画」をテーマに30ぺーじほどのペーパーを作成し,20分の発表,その後20分の面接試験。
 3.1時間ら1時間半の会議形式のセッションを行って,その後,20分の面接試験。
 4.技術試験。解説をしながら攻撃と防御のデモンストレーションと型の実演を行う。
というものです。

これを見るかぎりでは,さまざまな「計画」についてペーパーを作成する能力,そして,プレゼンテーションの能力,そして口頭試問に対する応答能力が,かなり厳密にチェックされるシステムであるということがわかります。

これがBEES 1級に相当する試験だというわけです。だとすると,レベル2.やレベル3.の試験内容がどんなものなのかが知りたくなってきます。いま,調べてもらったかぎりでは,ホームページに掲載されている内容はここまでだそうです。たぶん,国家資格試験を受験する人のための手引き書のようなものがあるはずなので,それを手に入れるよう依頼がしてあります。

いま,一番知りたいのは「一般教養試験」のレベルです。かなりレベルの高い内容らしく,柔道指導者の社会的ステータスが高いのも,ここに根拠があるようです。つまり,教養人としての評価が定着しているというのです。たとえば,文学や思想・哲学などの試験が,それもかなりレベルの高いものが課されているようです。

もう少し精確な情報が入ってきましたら,また,紹介したいと思います。
いまの段階で,あまり踏み込んだ論評はしない方がいいと思いますので,今回はこの程度の紹介ということで終わりにしておきます。

これだけでも,いろいろと考えさせられるものが多々ありますので,みなさんも,いろいろと考えてみてください。ではまた,次回の柔道情報まで。

2013年2月15日金曜日

オリンピック実施競技の総点検を。

 オリンピックの実施競技は時代とともに変化する。1896年以来の近代オリンピックもすでに113年を経過している。だから,実施競技もめまぐるしく変化してきている。その間に議論されてきたことの中核は,競技人口(世界的な普及度)が主たる目安になっていた。それがいつのまにか論理のすり替えが行われ,商業主義に乗っ取られてしまっているかにみえる。

 IOCの理事会が検討すべきは実施競技の精選である。すでに,時代にそぐわなくなってしまったと思われる実施競技がまだまだたくさん残っている。そこに蛮勇をふるってメスを入れることだろう。その対象が,さしあたってレスリングであったというのなら,それはそれでおみごと。ならば,レスリングを除外した理由をIOC会長は世界に向けて公開すべきだろう。しかし,それができない。やはり,公開できない理由があるのだ。だから,話はややこしい。

 レスリングを除外するなら,その前に,近代五種,馬術,射撃,などを除外対象として検討すべきではないか。とりわけ,近代五種については,相当に深く踏み込んで議論すべきではないのか。もはや,ほとんど無用の長物になりはてているのではないかとわたしは考えている。

 そもそも近代五種は1912年(オリンピック・ストックホルム大会)に新しく加えられた競技である。それも,古代ギリシアの五種競技に代わる近代の五種競技を考案してほしいというクーベルタンの意向を受けて,スウェーデン軍隊が将校の斥候を想定してつくったものである。

 競技内容は,ひとりの競技者が,射撃(ピストル),水泳(300m,女子は200m),フェンシング(エペ),馬術(障害飛越),陸上(4000mクロスカントリー,女子は2000m)の五種目を行い,その総合得点を競うというもの。当初は,一日一種目ずつおこなっていたが,1996年のアトランタ大会からは,一日で全種目を行う。2000年シドニー大会より女子種目が加わった。驚くべきことに,1948年のロンドン大会までは将校にのみに参加資格が与えられていた。

 言ってしまえば,軍隊の将校用に考案された競技を,たとえ一般男女に開いたとしても,いまも実施しなければならないとする根拠はもはやほとんどない。なのに,なんの疑問もなく,いまも安泰である。なぜなら,近代五種の国際連合副会長がサマランチ・ジュニアだから。しかも,かれはIOC理事でもある。だから,近代五種を除外するという話が持ち上がっても,最後の投票では生き残ることになる。現に,今回もそのプロセスを経ている。

 しかし,考えるまでもなく,近代五種を競技として楽しめる人たちというのは,世界広しといえども,ほんの一握りの人たちだけだ。日本では,皆無に等しいだろう。こんなものが,どうどうと中核競技の,それも別格として扱われている。それと同じように,馬術,射撃も,これらをスポーツとして楽しむことのできる人が,この地球上にどれだけいるのだろうか。わたしには疑問だ。

 ちなみに,2012年のロンドン五輪で実施された競技は以下の26競技である。
 陸上,水泳,アーチェリー,バドミントン,カヌー,ホッケー,バスケットボール,ボクシング,自転車,馬術,近代五種,フェンシング,サッカー,体操,ハンドボール,柔道,卓球,ボート,セーリング,射撃,テコンドー,テニス,トライアスロン,バレーボール,重量挙げ,レスリング。

 これらの実施競技をじっと眺めているだけでも,レスリングを外すのであれば,この競技がさきだろう,という競技がみえてくる。

 2016年のリオデジャネイロ五輪では,この26競技に,ゴルフとラグビー7人制を加えた計28競技が実施されることになっている。

 ところが,2020年五輪では,レスリングを外した25競技にゴルフとラグビー7人制を加えた27競技が決定していて,残りの1枠をめぐって7競技がしのぎを削ることになっている。その7競技は以下のとおり。
 レスリング,野球・ソフトボール統合,空手,スカッシュ,ローラースポーツ,スポーツクランミング,武術,水上スキー(ウェークボード)。

 しかし,この投票も密室で決まる。なにが生き残るのか,まったく予断を許さない。なぜなら,生き残るための論理的整合性が明示されていないからだ。だから,声高に言われていることは「ロビー活動」だ。まさに政治の世界と同じだ。こういう政治力が問われているのだ。このこと自体がオリンピック憲章に違反する行為ではないか。

 IOC理事会は,もはや,そういう良識のコントロールの外に飛び出してしまっているのだ。最終的な決定力は「カネ」。拝金主義がまかりとおっている。どれだけロビーで「おみやげ」を渡すことができるか。地獄の沙汰もカネ次第という。そういうところに堕してしまったのだ,IOC理事会という組織が。

 もう,いっそのこと,オリンピックで実施競技となるための条件を洗いざらい明確にすること,そして,その条件を満たすデータを各競技ごとに公表すること,その上で,各専門家の意見を聴取すること,さらに国際社会で承認を得られるような基準を設けること,IOC理事会は,そこから出直すしかない,とわたしは考える。

 なんだか,どこもかしこも組織が疲弊してしまって,箍が緩みっぱなし。余命いくばくもない命を惰性に委ねているだけ・・・・そんなイメージが浮かんでくる。いまこそ,大英断をくだすことができるかどうか,わたしたちはいま大きな岐路に立たされている。

2013年2月14日木曜日

レスリングを中核競技から除外。IOC理事会,暴走す。

 貢ぎ物が足りない。少々,お灸をすえておこうか。あわてて,どれだけの貢ぎ物を送り届けてくるか,様子をみてやろうか。それによって,これからのことも考えようか。そんな「影」の声がリアルに聞こえてくる。

 IOC理事会が中核競技からレスリングを排除するという決定を知り,唖然としてしまった。そして,そのつぎの瞬間,「ああ,オリンピック・ムーブメントのミッションもとうとう終わったなぁ」という感慨がわたしの脳裏をよぎった。いよいよもって葬送行進曲のはじまりだ。

 これから,いわゆるスポーツ評論家諸氏の出番で,いろいろの議論が闘わされることになるのだろう。しかし,どこまでオリンピック・ムーブメントの本質に迫る議論が持ちあがることになるのか,お手並み拝見というところ。もちろん,ほとんど期待はしていないが・・・。

 そこで,現段階でのわたしの感想を述べておけば,以下のとおり。

 オリンピック競技の中核競技からレスリングを排除するというシナリオを,どこの国のだれが,なにゆえに,用意したのだろうか。要するに仕掛け人はだれだったのか。そして,その意図はなんだったのか,ということだ。

 いま,伝えられている情報によれば,IOC理事15人の投票によって決めたという。それも3回,投票をくり返して,徐々に対象をしぼり,最後に3競技種目のなかからレスリングが選ばれたという。しかも,最初の投票のときからずっととおして,レスリングはワースト・ナンバー1だったという。この一点からして,あからさまな仕掛けがあった,ということがわかる。

 レスリング排除の理由は,ロンドン大会のときの入場者数,チケットの販売数,競技人口,競技運営コスト,男女比のバランス(レスリングは男子14種目,女子は4種目),放映権料,などが勘案されたのだろう,と言われている(現段階で推測されているかぎりでは)。ここにちらつくのは,経済的合理主義の考え方である。オリンピック・ムーブメントの精神や,オリンピックの理想,などというものは,どこかにかき消えてしまっている。のみならず,レスリングが,ほんとうに他の競技種目に比べてワーストだと判断できる根拠があったとも思えない。だから,なにゆえにレスリングが?という疑問は払拭できない。

 さらに驚くべきことに,レスリング関係者が異口同音に吐いたことばは,「ロビー活動が足りなかった」「不用意だった」というものであった。ということは,危ないと予想されていた競技団体は,そうとうに周到な「ロビー活動」が行われてきた,ということだ。わけても,接戦を制した韓国のテコンドー関係者の「ロビー活動の成果だ」と大見得を切った発言が印象に残る。なるほど,と。

 というのも,テコンドーがソウル・オリンピックで正式競技種目に決定したとき,相当のカネが動いたという情報が流れたことを記憶しているからだ。当時,わたしは日本のテコンドー関係者との接点があり,かなり詳しい情報もえていた。そして,オリンピックの開催国とはいえ,新しい競技種目を正式競技種目に加えるには,相当の政治とカネの力が不可欠なのだと知った。

 こういう裏情報のようなことを言い出すと際限がなくなるので,やめにしておく。大切なことは,いろいろの「力学」が働くとしても,最終的決定権はIOC理事会にある,ということだ。つまり,ひとえにIOC理事の見識にかかっているということだ。

 そこで,今回の決定をくだしたIOC理事のメンバーを確認してみて驚いたことがいくつかあった。
 ひとつは,15人の理事のなかに,ギリシア,フランス,アメリカ,ロシア,イタリア,などという主要国からの理事は一人もいない,ということだ。アジアでいえば,中国,日本,韓国からの理事もいない。まことに不思議なメンバー構成になっていることだ。
 もう一つは,競技経験のない理事が二人もいるという事実だ。そのうちの一人は,なんと,前会長のサラマンチの「ジュニア」だ。競技歴もない,ただ親の七光だけでIOC理事に選出されているというこの事実は不可解である。

 以前から,IOC理事になるには,強い「ボス」を中心とした「仲良しクラブ」の一員になることが先決だと言われていた。はっきり言っておけば,前会長サラマンチを中心とした「仲良しクラブ」だ。この連中がIOC理事会の主導権を握っているということだ。だから,アメリカもフランスもロシアも中国も,対等にものを言う国の代表は排除されてしまう。

 ちなみに,IOC理事会メンバーの国籍と競技歴とを列挙しておくと以下のとおり。
 ベルギー(セーリング),シンガポール(セーリング),ドイツ(フェンシング),モロッコ(陸上),英国(バドミントン),オーストラリア(ボート),南アフリカ(水泳),スェーデン(なし),スペイン(なし),ウクライナ(陸上),グアテマラ(野球),台湾(バスケットボール),スイス(アイスホッケー),アイルランド(柔道),ドイツ(フェンシング)。

 この一覧を眺めているだけで,思い当たることはたくさんある。
 が,これ以上のことは,ここでは控えておこう。
 あとは,読者のみなさんの想像力におまかせしよう。

 3月4日にはIOCの評価委員会のメンバーが大挙して日本に視察にやってくる。東京都はすでにその応対のためのリハーサルに入って,本番に備えているという。さて,このときの「ロビー活動」の戦略と手土産やいかに・・・・。オリンピック招致はそれ次第。以前には,それで失敗している。こんどはそのリベンジだという。いやはや,とんだ珍道中が展開されることになりそうだ。とりわけ,報道の姿勢には注目していたい。

 IOC理事会に,もはや,的確な思考力も判断力もない,とわたしは考えている。
 おまけに,アメリカもロシアも中国も,かつてのようなオリンピックに寄せる情熱は消え失せてしまっている。もはや,どうでもいいのである。そういう国がこれから増えていくことだろう。

 その意味で,オリンピック・ムーブメントのミッションは終わった,と言っておこう。
 その理由についても,このブログでもおいおい書いていこうと思う。

2013年2月13日水曜日

「ユエンタンカイクア」ということについて(李自力老師語録・その27.)

 降雪が心配された今日(13日)の太極拳の稽古でしたが,朝方には止んで,快晴の青空が広がりました。その上に李自力老師が久しぶりに指導にきてくださいました。みんなの緊張感が高まります。李老師の鋭いまなざしのもとで,わたしたちもふるえながらも集中して,レベルの高い稽古ができました。

 今日の李老師の教えのひとつは「ユエンタンカイクア」(yuan dang kai kua)というものでした。わたしのパソコンの漢字ソフトがレベルが低いために漢字表記ができません。したがって,いささかややこしい話になってしまいますが,ことばで説明します。

 ユエンは円という漢字の古い書体,タンは衣偏に当の旧漢字,カイは開,クアはにくづき偏に誇という字の右側(旁)を組み合わせた文字。

 つぎはその意味について。ユエンタンは「ズボンの股の内側のまち」,カイクアは「腰の両側と股との間の部分」。つまり,どちらのことばも同じことを意味しています。つまり,同語反復(トートロジー)です。しかし,厳密にいうと微妙に意味が違います。でも,ここは同語ということにしておきます。そして,このあたり全体を表現している,と理解することにしましょう。

 さて,ここからが肝腎なところです。このユエンタンカイクアにボールをはさんで,股関節をゆるめながら,そのボールをベアリングのようにして腰を回転させなさい,と。この腰の回転の仕方を,イエマフントゥンのゴンブ(弓歩)のあとの体重移動,すなわち,体重を前足加重から後ろ足加重に移しながら腰を回転させる,このときに行いなさい,と。このときの腰の運動は単なる回転ではなくて,回転に体重移動がともなうので,腰全体はゆるやかな「円運動」になります,とおっしゃる。そして,その動きを,少しオーバーにするとこうなります,と言って李老師が実際に垂範してくださいます。それはそれはみごとなゆるやかで,粘り強い円運動になっていました。

 そして,さらに重要な指摘をしてくださいました。それは,腰の回転の軸足となる後ろ足を,やや外側に開きなさい,と。同時に,前足もやや外側に開きなさい,と。つまり,がに股の姿勢を経過させなさい,と。すると,腰の回転と体重移動がじつに滑らかになり,腰全体がゆるやかな円運動になり,しかも,粘り強さがでてきます。その上,膝の負担もなくなります,と。

 太極拳をやって膝を痛める人が多いのは,この運動を理解し,マスターできていないからです,と。指導者の中にも,このことがわかっていない人は少なくありません,とも。ですから,このユエンタンカイクアを徹底的に稽古して,ただ頭で理解するだけでなく,からだにしみ込ませなさい,と。そうすれば,膝を痛めることはありません,とも。

 この稽古をとおして気づいたことは,これまでの股関節をゆるめるということの理解が浅かった,ということでした。言ってしまえば,円運動ではなくて,直線的で角張った運動で処理していた,という次第です。じつは,このことはうっすらと気づいていました。李老師の動きが,わたしたちのそれとは似て非なるものだ,と。しかし,どこが,どのように違うのか,必死で観察するのですが,理解不能でした。しかし,今日の稽古で,なるほど,と合点。

 早速,事務所にきておさらいをやってみました。すると,股関節をゆるめて「滑らせる」イメージが,これまでとまったく違うことがわかってきました。そして,ユエンタンカイクアの部分にボールをはさんだ感覚で,その部分全体をベアリングのようにして,滑らせながら体重移動とともに腰を回すと,ゆるやかで粘り強い腰全体の円運動が生まれる,ということも頭では理解することができました。あとは,この感覚をからだにしみ込ませるまで稽古をすること。

 なんとなく,手のとどきそうなところに新たな光明をみた思いがします。これまで,わけもわからないまま,見よう見まねで稽古してきた段階から一歩,前に踏み出せた,そういう充足感が湧いてきました。李老師のお蔭です。

 太極拳は奥が深い,としみじみ思います。何年かけても「24式」を卒業することはないでしょう。気の遠くなるような話ですが,だからこそ,面白いのだと思います。この面白さが感じられる間は,太極拳から離れることはないと思います。いや,それどころか,いまの生活のリズムのなかでは欠かすことのできない至福の時もあります。大事にしなくては・・・とみずからに言い聞かせています。李老師,Nさん,Kさん,Sさん,ありがとうございます。こころから感謝しています。

2013年2月12日火曜日

西谷修さんが「山口香」論をブログで展開しています。必読です。

 いま話題の「女三四郎」山口香さんの言動について,西谷修さんが注目し,ご自身のブログでとても魅力的な「山口香」論を展開されています。ぜひ,ご覧ください。お薦めします。

 www:tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/
 西谷修-Global Studies Laboratory
  女三四郎・山口香の大技「自立」のやまあらし

 もともとはフランス現代思想を中心に活躍してこられた西谷さんですが,すでに,よくご存じのように戦争論や世界史論といった広い視野に立つ秀逸な著書も多く,最近では沖縄問題や経済に関するシンポジウムを仕掛け,それらをまとめた本もつぎつぎに刊行されています。まだ,本にはなっていませんが,医療思想史やアメリカ立国論などの講義もされています。そのほかにも,絵画論,写真論,舞踊論などの分野でも,多くの評論をされています。

 もともとスポーツ好きの人で,学生時代は空手部に所属,いまはライダーであり,太極拳の名手でもあり,マラソン・レースはテレビで欠かさず楽しんでいらっしゃるようです。わたしは西谷さんの学生時代からの知己で,親しくさせていただいてきましたが,長い間,ずっと「青白きインテリ」だと思い込んでいました。ところが,一緒に太極拳の稽古をはじめるようになって,驚くことが多々ありました。

 その一つは,西谷さんの大胸筋の発達具合はただものではないという発見。ふだん,やや猫背ですので気づかなかったのですが,太極拳の稽古の折に姿勢を正して立つ姿はみごとです。大胸筋がみごとに盛り上がっています。しかも,それだけではありません。床の上で,両腕で支えての脚前挙ができるのです。いまも。これは驚きでした。いろいろお尋ねしてみますと,中学生のころには鉄棒が好きで,よく友達と一緒に遊んでいたとのこと。なるほど,と納得。

 いやはや,西谷さんは肉体派であり,かつては体育会にも所属していた立派なスポーツマンでした。その西谷さんが,今回の女子柔道の暴力問題に強い関心を寄せたとしてもなんの不思議もありません。むしろ,武道つながりということでいえば,必然です。そこに「山口香」という立役者の登場です。そして,山口さんのインタヴュー記事に真っ正面から反応しての,今回のブログです。あっという間に山口香情報を収集して,みごとな「批評」を展開していらっしゃいます。

 西谷さんの書かれたブログにコメントする立場にはありませんが,ひとことだけ,ワンポイントの感想を書いておきたいと思います。

 それは山口香さんの主張する「自律・自立」というキー・ワードを西谷さんもことのほか重視していらっしゃるということです。それは,ひとり柔道界やスポーツ界に向けての呼び掛けではなく,日本国民全体に向けて檄をとばしているのだ,と。強い風が吹くと,なんの考えもなしにその風に流されていく,現代日本人に向けての「檄」でもあるのだ,と。その強い風のなかにはさまざまな「暴力」が秘匿されていることにも気づかないで,あるいは,気づいても見て見ぬふりをして,なんの考えもなしに,ただ,流されていく圧倒的多数の日本人に向けての「檄」なのだ,と。このあたりのことを,西谷さん独特の言いまわしで,みごとに説明してくれています。

 これからは,「スポーツ批評」の分野でも,西谷さんに大いに発言していただきたいものだ,といまさらのように思います。

 いささか余分なことまで書いてしまって,あとで,西谷さんに叱られそうですが,これはわたしからの畏敬の念をこめての西谷さんへのエールのつもりです。

 ぜひとも,西谷さんのブログを読んでみてください。必読です。

「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」(Nさん)。

 スポーツ界になにかスキャンダラスなできごとが起きると,すぐにマス・メディアが反応して,寄ってたかってその「異常性」を叩く。この傾向はもうずいぶんむかしからつづいている。しかし,わたし自身はそんなに異常なことだとは考えてこなかった。なぜなら,日本社会のあちこちで日常的に起きている不祥事と,本質的にはなんの違いもないことだ,と考えてきたからである。つまり,同根異花にすぎない,と。しかし,そのことを支持してくれる人はほとんどいなかった。

 もちろん,だからといってスポーツ界に起きている不祥事(最近は多すぎる)を容認するつもりは毛頭ない。社会でおきている不祥事と同じように,なんとかして根絶すべき問題だと考えている。ただ,スポーツ界の不祥事だけが特異現象のように扱われることに異を唱えているにすぎない。しかし,社会一般に起きている不祥事と,スポーツ界での不祥事は別問題だ,という指摘をこのブログへのコメントとして匿名さんからしばしばいただいている。とりわけ,原発問題とスポーツ界の問題とを「混同するな」という罵声にも似たコメントをいただくことが多い。

 しかし,よくよく考えた末のわたしなりの結論なので,そんなにかんたんに譲歩するわけにはいかない。つまり,よりよい社会を構築するために考え出された近代論理(自由,平等,自由競争,優勝劣敗主義,科学的合理主義・・・等々)を,一生懸命に追求し,実践してきた必然的結果が,残念ながら,こんにちわたしたちが目の前にしているこの社会なのだ。近代スポーツ競技もまた,その必然の産物のひとつにすぎない,と。

 このことを,ここ数年,講演を頼まれるさきざきで主張してきたのだが,あまり芳しい反応はない。もちろん,わたしの話し方にも問題があるのだろうが,どうも,それは別のことだろうという一般の認識の方が強いようである。だから,どうしても違和感を拭いきることができないままで,話は終わってしまう。

 このブログでも,これまで,何回も話題を変えてはこの問題について言及してきたつもりである。しかし,どうも,いま一つ,いい反応がみられない。寂しいかぎりであるが・・・・。

 ところが,である。今日(11日)の昼下がりに,嬉しい人から電話があった。太極拳の兄弟弟子のNさんからである。わたしの思想・哲学の師匠でもあるNさんから,山口香は素晴らしいねぇ,さすがに「女三四郎」だけあって切れ味抜群だねぇ,と。彼女の主張を全面的に支持したい,とも。

 話はここからはじまって,女子柔道界に起きているさまざまなことがらから,全日本柔道連盟のあり方,JOC理事の橋本聖子の言動批判,さらには,スポーツとはなにか,といった普遍につながる大問題にも話が展開し,いくつもの考えるヒントをいただいた。まことにもって嬉しいかぎりである。

 その中の一つが「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」というNさんの指摘だった。そして,「だから,柔道界の問題を特異現象として歪曲化しないで,社会全般のあり方の問題として,その本質に斬り込んでいく必要がある」とも。わたしは嬉しかった。一瞬,涙が出そうになったが必死でこらえた。

 なぜなら,そんな感傷的な気分に浸っている猶予もなく,Nさんの口からつぎつぎに重要なことばが繰り出されてくるからだ。たとえば,「いま,スポーツの問題を考えることはとても重要なことなのだ」からはじまって,「スポーツのスペクタクルは現代人の規範構築にとてつもなく大きな役割をはたしている」とか,「前近代までは,その役割は宗教が担っていたのだが,宗教なき時代にあっては,スポーツがその肩代わりをしている」とか,「山口香は平成日本のジャンヌ・ダルクだ」「だから,いかようにも利用可能だ」「でも,ジャンヌ・ダルクに終わらないようにしないと・・・」という具合である。こうした,指摘の一つひとつが,わたしにはとても刺激的で,重く響いた。

 これらの指摘の一つひとつは,とても重要な問題をはらんでいる。しかも,奥が深い。いずれ,それら問題のわたしなりの受けとめ方については,このブログをとおしてしっかりと考えてみたいと思っている。

 これから当分の間は,スポーツ界のスキャンダルの話題がつづくことになるだろう。3月にはIOCの理事たちが,また,遠からず国際柔道連盟の調査団が,そして,秋にはオリンピック招致運動の決着がつく。だから,どうしてもスポーツに固有の問題として,いま起きている「暴力」の問題が矮小化される傾向がある。

 しかし,そうであってはならない。なぜなら,
 「いま,スポーツ界で起きている問題は日本社会の縮図」なのだから。そして,同時にそれは「世界を写しだす鏡でもある」のだから。つまり,いま,スポーツ界について考えることは世界を考えることなのだから。

 だから,いまこそ,「スポーツ批評」を立ち上げる絶好のチャンスでもある。それも,しっかりとした思想・哲学に支えられ,武装した骨太の「スポーツ批評」を。そして,これをこそ,わたしのこれからの仕事の重要な柱のひとつにしていかなくてはなるまい。

 こんなことを考えさせられた今日のNさんからの電話であった。感謝あるのみ。

2013年2月11日月曜日

「自律と自立を併せ持つ人間を」(山口香・『毎日新聞』)。

 2月10日(日)・11日(月),二日つづけて山口香さんのインタヴュー記事を『毎日新聞』が報じています。7日の『朝日』,9日の『読売』につづく『毎日』のインタヴュー記事です。これで三役揃い踏み,といった感じです。

 これらの報道をとおして,はからずも新聞社の姿勢というか,取材した記者の実力というか,そういうものが露呈したという点でとても面白い記事でした。ひとことだけ,わたしの感想を書いておけば,最初だったということもあってか,『朝日』の記事がもっとも鮮烈で強烈なインパクトがありました。ついで,『毎日』。ここは無難に,しかし,かなり踏み込んで山口さんの主張を受け止めている姿勢がつたわってきました。『読売』は,残念なことに,もうすでに記憶がない程度の内容でした。断っておきますが,これはあくまでもわたしの個人的な感想にすぎません。

 『朝日』の記事に関するわたしの感想は8日のブログに書いたとおりです。かつての「女三四郎」の面目躍如といった切れ味抜群の発言内容に,こころから賛同し,全面的に支持したいというわたしの意志表明をしたものでした。で,今日(11日)は,『毎日』のなかに取り上げられていた山口さんの発言内容に注目してみたいと思います。なかでも,つぎの発言に,わたしの考えていることと大いに共鳴・共振するものがありましたので,それを取り上げてみたいと思います。まずは,その部分の引用から。

 欧州ではスポーツで何を学んでいるかといえば,自律です。やらされるとか,指導者が見ている,見ていないとかではなく,ルールは自分の中にあります。ゴルフがいい例で,スコアはセルフジャッジ。ラグビーやテニスも近くに監督はいません。自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます。

 この中での,とりわけ,「自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます」のくだりが,わたしのこころにいたく響いてきました。

 理由はかんたんです。2月4日のブログ「スポーツ界は挙げて『スポーツ的自立人間』の育成をめざそう」に書いたとおりです。このときのブログに少しだけ補足をさせていただきますと,以下のとおりです。

 いまから35年ほど前に「スポーツ的自立人間」という考え方に行きついたとき,わたしは,最初のうちは「スポーツ的自律人間」ということばを用いていました。まずは,「みずからを律することのできる人間」をめざすべきだ,と考えての造語でした。しかし,なかなか周囲に浸透していきません。その理由は,「スポーツ的自律人間」と言ったときの具体的なイメージがつかみにくい,というところにありました。そこで,では「スポーツ的自立人間」ではどうかと提案してみましたところ,この方がわかりやすいということになり,以後,こちらを用いることにしました。

 しかし,精確にいえば,「自立」するためには,みずからを律するこころの力,すなわち「自律心」が不可欠の前提条件になります。ですから,わたしが「スポーツ的自立人間」と言うときには,「自律心」をもった「自立人間」という意味を籠めていました。

 このあたりのことを,山口さんはしっかりと認識していらっしゃって,「自律と自立を併せ持つ人間」という表現をされています。ですから,わたしはすっかり嬉しくなって,「この人はわかっている人だ」とこころのうちで快哉を叫びました。さすがは,「女三四郎」の異名をとるだけのことはある,と。ふつうのアスリートたちとはレベルが違う,と。みえている世界が違う,と。

 そうなんです。すぐれたトップ・アスリートは,やはり,ふつうのレベルをはるかに超えた世界に突き抜けています。その世界こそが,「自律と自立を併せ持つ人間」の世界です。スポーツの目的はここに到達することにある,と山口さんは断言しています(『朝日新聞』のインタヴューのなかで)。

 もちろん,トップ・アスリートでなくても,「自律と自立を併せ持つ人間」に到達しているアスリートもたくさんいます。この世界をスポーツをとおして経験し,体得した人間は,どの世界にいっても通用する,という次第です。

 これと同じことをドイツの哲学者ハンス・レンクも言っています。かれはみずからの著作の多くのところでこのことを強調しています。かれ自身もオリンピック・ローマ大会の折にボートの選手として金メダルを獲得するトップ・アスリートのひとりでした。のちに,哲学の道に進み,大成しました。

 山口さんのいう「自律と自立を併せ持つ人間」を,そして,わたしのことばで言えば「スポーツ的自立人間」を,こういう人間の育成を目的とするスポーツ文化の確立に,いまこそ,舵を切るときではないか,と声を大にして言っておきたいと思います。

 わたしが5年前に設立した「21世紀スポーツ文化研究所」は,この「スポーツ的自立人間」の育成をめざす,新しい,「21世紀のスポーツ文化」の確立をめざしたいと考えています。ご支援のほどをよろしくお願いいたします。

2013年2月9日土曜日

柔道の指導者資格に国家試験(フランス)。

 フランスの柔道人気はとても高い,と聞いている。こどもたちなどは,日本人をみると「柔道ができるか」と聞くそうだ。「できるよ」と答えるととたんに尊敬される,という。

 わたしの経験では,アメリカでは空手だった。住んでいたアパートの近くの顔なじみになったこどもたちが,最初にわたしに声をかけてきたことは「空手ができるか」というものだった。「できない」というと失望の色を隠さなかった。あれっ?と思ったので「柔道ならできるよ」というと,一度に尊敬のまなざしに変わった。そのうちの何人かのこどもたちは親とも仲良しになったので,その家の芝生で柔道の初歩を教えたりした。教えたのはもっぱら「受け身」。「受け身」の上手な子でないと柔道は強くなれない,と教えた。子どもたちは真剣そのもの。親も興味津々。

 さて,フランスに柔道を伝えたのは講道館の門人たちである。その歴史は古い。かれらは徹底して嘉納治五郎の精神を説き,柔道の技を教えたという。立ち居振る舞い,礼儀作法,精力善用,自他共栄,等々。柔道は相手があってはじめて成立する。相手のお蔭で自己が存在し,柔道が成立する。その関係性を大事にすることが柔道の基本である。そのむかしに読んだ本の記憶を思い出しながら,この文章を書いている。

 フランスの柔道は,はじめにインテリ層に広まっていったらしい。そのため,柔道のもつ精神性に強い関心が向かい,東洋的なオリエンタリズムの助けもあって,じわじわと一般の人びとの間にも普及していった。

 毎日締める帯の色で区別する段級制度はとてもわかりやすかったようで,みんな一生懸命に昇段試験に挑戦したという。やがて指導者になりたいという人間が現れる。そのときの日本人指導者が,柔道は強いだけでは指導者にはなれない,と教えた。指導者は,高い教養と立派な人格者でなければならない,と。そうして,柔道指導者となるための試験制度が少しずつ整備されていったという。それがこんにちの国家試験につながっている,と。

 フランスでは,柔道の指導者になるには国家試験を受けて合格しなければならない。その試験はとてもむつかしくて,相当のインテリでもなかなか受からないという。なぜなら,段位は少し頑張ればなんとかなるが,教養の試験はかなりの広範囲にわたるからだ。しかも,柔道の指導者は一般の生活人の範となるレベルが求められている。さらに,指導法の巧拙が問われるからだ。指導法は,まずは,子どもたちに好かれ,信頼される人格者であるかどうか,その上で,子どもの興味・関心を上手に引き出せるかどうかが問われる,という。

 こうして,柔道指導者は国家試験をパスしてその資格をもつだけで,社会的ステータスが保証されるという。だから,柔道が好きになった人は,将来指導者になるかどうかは別にして,とりあえずは指導者資格取得をめざすそうである。こうして柔道の指導者資格をもった人たちが,いまも,増えつづけているという。

 こういう人たちが,道場に通ってくる柔道愛好家や子どもたちを指導し,あるいは,学校に派遣されて,子どもたちに柔道を教えている,という。だから,子どもたちはみんな一度は柔道に憧れる,という。しかも,柔道による事故はゼロ。日本では100人を越す死者がでている,という。もちろん,フランスでは,柔道指導者による体罰もなければ,暴力もない,パワハラもない。もし,そんなことをしたら社会的な信頼を失い,生きていくことすらままならなくなるという。

 柔道の本家であるはずの日本が率先垂範しなくてはならないことを,柔道移入国のフランスが行っている。全日本柔道連盟は,まずは,こういうところから手をつけていかなくてはならないのだろうと思う。柔道を必修化すればいいという問題ではない。柔道指導者としての資格のない先生が短期間の講習を受けて,にわかづくりの柔道の指導者で間に合わせていること自体が奇怪しい。その奇怪しさを文部科学省は目を瞑って,見て見ないふりをしている。いま,まさに向き合っているこの柔道指導者の不足をどのように解消していくのか,そこからはじめなくては。

 まずは,隗より始めよ,という。
 全日本柔道連盟の理事のみなさん。フランスの国家試験を受験することからはじめてみてはいかがですか。そして,それに合格した人のなかから監督・コーチを選んだらどうですか。そのくらいの思いきった改革でもしないかぎり,15人の「自立」した選手たちの要望に答えることにはならない。厳しいが,一度は通過しなくてはならない,きわめて重要な課題である。

 それくらいの勇気と決断をなしうる力量が,いま,全日本柔道連盟に問われている。

2013年2月8日金曜日

女子柔道・山口香さんの覚悟(朝日新聞インタヴュー記事)を全面的に支持。

 この前のブログ(女子柔道「悩み聞くシステムの導入を」(山口香)。そんな問題ではない)を読んでくれたある出版社の編集者から,個人的にメールをいただきました。それは,山口香さんの朝日新聞のインタヴュー記事を読んだか,というご指摘でした。

 わたしは「アッ」と思わず声を出してしまいました。少なくとも,大手3紙の記事くらいは確認してから書くべきでした。大急ぎで,インターネットでその情報を確認しました。とても立派な記事になっていて,読んでいて感動しました。山口さんがとてもしっかりした思考のできる人だと知ったからです。その意味では,わたしのブログは「勇み足」でした。

 朝日新聞のインタヴュー記事の詳しいことは割愛させていただきますが,わたしが同意する山口さんの発言のポイントは三つ。
 ひとつは,選手たちが「これは奇怪しい」と「気づいた」ことに山口さんは注目したこと。
 ふたつめは,「気づき」から告発へという行動にでる決意をしたとき,選手たちは「自立」への第一歩を踏み出した,という指摘です。しかも,これこそが嘉納治五郎の教えに則する行動なのだ,という指摘です。
 みっつめは,こうした選手たちから相談を受け,それを支持し,彼女たちのために全面的に「矢面」に立とうと決意した,ということです。

 これは日本のスポーツ史に残る画期的なことだ,とわたしは考えました。あるいは,女性スポーツの黎明期ではないか,と。もっと言ってしまえば,これはある意味で,立派な「クーデター」ではないか,と。

 つまり,女性スポーツは,これまでの男性中心の近代スポーツにあっては,副次的なもの,付け足し程度にしか扱われてきませんでした。しかし,最近になって,これではいけないという主張が,女性のスポーツ研究者の間からでてくるようになりました。が,まだまだ,無視されがちでした。そこに,今回の15人の女子柔道の,日本を代表する選手たちの決意と行動です。これは全日本柔道連盟を震撼させるできごととなりました。

 しかし,このできごとは,まだ,その端緒についたばかりです。その背景には,二重・三重の複雑な権力闘争が隠されているようにわたしは思えます。ですから,山口さんはそのことを十分に承知した上で「全面的に矢面に立つ」という決意をし,そのように発言しているのだと思います。今回の事態の全貌がまだわからないわたしの立場からは,山口さんの決意の真相・深層までは理解できませんが,それでもこの問題はただごとでは済まされないきわめて重大な問題をふくんでいることくらいは理解できます。

 たとえば,いまは政治家になった谷亮子さん(わたしの教え子でもありますが)が,柔道家としてこんごどのような発言をし,行動するのか,わたしは大いに注目しています。チャンスがあれば直接会って話を聞いてみたいと思っています。それから,スケート出身の橋本聖子さん。この人がどのような言動をとるのか。そして,その他のスポーツ出身の議員さんたちの言動にも注目したいと思います。

 なぜなら,3月にはIOC委員が来日します。これは予定されたスケジュールで,オリンピック招致に向けて東京がどのように準備を進めているかの現地調査です。当然のことながら,この騒動にも大きな関心を寄せていることは間違いありません。となると,柔道やスポーツの固有の議論では済まされなくなります。もっと大きな,政治的な力学がはたらくことになります。そのとき,スポーツ議員さんたちはどのような言動をとるのか,これはただごとでは済まされません。

 わたしが危惧するのは,いつもの手口「隠蔽体質」の作動です。

 そんなことも当然,視野のうちに入れた上で,山口香さんは女子柔道の「自立」のために「全面的に矢面に立つ」という覚悟を決めたという次第です。そして,なにがなんでも女性スポーツの「自立」のために,そして,女子柔道の「自立」のために全力をつくすという覚悟です。なんとして「隠蔽体質」を打破して,公明正大な体質へと,つぎなる選手たちのための道を切り開く,という覚悟が伝わってきます。ですから,わたしとしては,ここはなにがあっても山口香さんを支援していかなくてはならない,と覚悟を決めました。

 「スポーツ的自立人間」を,ひとりでも多く育成していくこと,これがわたしの長年の研究者としてのコンセプトであります。「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)を立ち上げたのも,「スポーツ的自立人間」の考え方を広めていくためでした。

 いま,ここに山口香さんという「自立」を目指す同志を知り,これを支援しないという手はありません。いまは山口さんは渦中の人でたいへんだと思いますが,わたしのこの志をなんらかの方法で伝えたいものです。

 とりあえず,前回のブログの訂正と補足まで。
 そして,山口香さんにこころからのエールを送ります。

女子柔道「悩み聞くシステムの導入を」(山口香)。そんな問題ではない。

 かつて「女三四郎」と異名をとった女子柔道の世界の女王,山口香さん(48歳)。現在は筑波大学で教鞭をとるかたわら,日本オリンピック委員会の女性スポーツ専門部会会長をつとめている。『女子柔道の歴史と可能性』という著書もある。

 その山口香さんが女性スポーツ専門部会の会議後に記者たちの取材に応じて,「選手たちの悩みや意見を吸い上げるシステムを迅速に構築する必要性」を訴えたという。この記事を読んで,わたしは唖然としてしまった。これでは,斎藤美奈子さんのいうとおり「隠蔽体質」から抜け出すことはできない,同じ穴の狢(むじな)そのものではないか。

 選手たちを悩ませたり,恐怖に陥れたりするような「指導」が行われているということ,そのことの異常性こそが問われているのに,そこには目が向かない。それも,オリンピック代表選手をめざす日本のトップクラスの選手たちばかりを集めた場の,最高の「指導」が行われなくてはならない現場での話だ。言ってみれば,オリンピック候補選手たちの最終段階の,ブラッシュ・アップするための,仕上げの場での「指導」だ。その最高の場で,選手たちを「悩ませ,恐怖に陥れ」ていることの,とんでもない実態には目を向けようとしていない。

 言ってみれば,同業者仲間の庇い合い体質が剥き出しだ。「見て見ぬふりをしている」か,あるいは,そういう「指導」が常態化しているために「気づかない」のか。

 名選手,かならずしも名監督ならず,という名言がある。名選手が名監督になるには,選手としての実績に+αが必要なのだ。プロ野球の監督は,シーズン・オフのキャンプをとおして選手たちを鍛え,チーム・ワークを構築していく。このプロセスもオープンにされている。密室で行われるのは「ミーティング」くらいのものだろう。あとは,何万人という大観衆の前で試合をし,その采配ぶりが,試合ごとにチェックされ,評価されていく。そうして厳しい淘汰を経て,名監督として名を残す人はほんの一握りの人になる。

 女子柔道のトップ選手たちを集めての,最終段階での「指導」は,かなり異質なものにみえる。第一,選手たちはそれぞれの指導者のもとで育ち,全日本のトップ選手として活躍できるところまで登りつめてきている。その育ての親ともいうべき指導者の手を離れたところで,まったく新たな別の指導者のもとに委ねられる。選手たちは,大きな夢や憧れと同時に大きな不安もかかえて,全日本の合宿練習にやってくるはずである。

 そこで待っていたものが,一方的で過剰な狂った愛,すなわち,地獄のようなしごきだったとなれば・・・・・。

 全日本の監督を選出し,それを引き受けさせるということが,どういうことなのか,全日本柔道連盟の幹部たちがわかっていない。園田監督にどれだけの指導実績があったというのか,あの年齢からは想像もつかない。そして,各選手たちを育ててきた各監督さんたちから,どれほどの信頼をされていたのか。園田監督の指導は公開されていたのか。それとも密室だったのか。監督選出のプロセスを透明化すること,練習を公開すること(少なくとも,選手を送り込んだ各監督さんや部員,そして,肉親,友人には),などなど。反省点は山ほどあるはずだ。

 その上で,ほんとうに人間的に信頼できる人に監督になってもらいたい。15人の選手たちが訴えていることは,そういうことではないのか。そのための「システム」をしっかりと構築することが求められている,とわたしは考えるのだが・・・・。

 「選手たちの悩みを聞くシステムの導入」は,これまでの指導体制はそのままで,選手たちの苦情を聞いてやろう,それでいいだろうというように聞こえる。それは,やはり隠蔽体質そのものでしかない。そこにメスを入れること。

 もっとも,いま,わたしたちにわかっていることは氷山の一角でしかないように思う。理事会内部の熾烈な派閥争いもちらほらと聞こえてくる。国際柔道連盟に,柔道の本家である日本から,たったひとりの理事も送り込めないという惨状もまた,もうひとつの隠された大問題である。全日本柔道連盟が抱え込んでいる問題の全容が明らかになるのは,まだまだ遠いさきのようだ。その前になんとか「まるく収めよう」という力学ばかりが先行する。

 山口香さん。「まるく収めよう」という力学を打破すること,JOCの女性スポーツ専門部会会長としての仕事はそこからはじまることを銘記しておいてほしい。

 3月にはIOC委員たちが日本のオリンピック招致に関する準備段階について調査にやってくる。それへの「影響が懸念」されるなどというケチな考え方をも打破すること。女子柔道の未来のために。ひいては日本柔道の未来のために。

女子柔道のパワハラ告発についての斎藤美奈子さんのコラムがみごと。

 2月6日(水)の東京新聞・本音のコラムに文芸評論家の斎藤美奈子さんがみごとなコメントを寄せている。この人の文芸評論は,一種独特の視点があって,わたしは以前から注目して読んできた隠れファンのひとり。その斎藤さんが,女子柔道の今回の告発問題について,じつに的確な評論をしていて,やはりさすがだなぁと感心している。

 このコラムは短い文章なので,そのまま,紹介してみたい。そして,熟読玩味の上,みなさんのご意見も聞いてみたい。斎藤さんの文章は以下のとおり。

 女子柔道の日本代表選手が監督のパワハラを告発した件で,東京五輪招致への「影響が懸念」されているという。
 関係各位は火消しに躍起だ。下村博文文部科学相は「IOCの現地調査が入る来月までに信頼回復に努めよ」と指示。JOCは「スポーツ現場から暴力を一掃する」との緊急声明を発表。猪瀬直樹東京都知事は「非常に不愉快」だが,「全体への影響はない」と懸念を振り払った。
 しかし「影響が懸念」って何だろう。日本では不祥事が発覚するたびに組織の隠蔽体質が問題になる。もみ消しが横行するのは「影響が懸念」されるためである。
 一月,ロンドンを訪れた猪瀬知事は「東京の放射線数値は平常値」などと述べ,安全性をPRした。が,東京電力福島第一原発の事故は収束しておらず,日本は脱原発へのかじも切れていない。加えてこのパワハラ事件である。それでも安全だ,暴力は一掃する,で押し切るのは隠蔽以外の何物でもない。
 原発事故もパワハラ問題も解決には長い時間がかかる。小手先の手当てで済む話ではない。東京都はこの際,立候補を取り下げてはどうか。
 「影響が懸念」とはそもそも外づら重視の思想である。本気で選手を案じ,信頼回復を目指すなら内側の立て直しが先。足元の火事を放置して,わが家にお客を呼べると思う?」

 このわずかなコラムの枠のなかに,これ以上のメッセージを盛り込むことは不可能と思われるほど,コンパクトにみごとに問題の本質を暴き出している。コラムを書くお手本のようなみごとさである。しかも,スポーツの専門家ではなく,名うての文芸評論家のまなざしを全開させて,問題の所在のど真ん中に踏み込んでいる。

 この斎藤美奈子さんのコラムを全日本柔道連盟の幹部の人たちはどのように読みとるのだろうか。そして,どのような対策をとろうとするのだろうか。いまのところ見えていることは,残念ながら,必死の「もみ消し」しかない。

 「外部調査委 設置へ」「暴力問題 来月にも再発防止策」(全柔連),「悩み聞くシステムを」(山口香),などという見出しが新聞紙上に躍っている。なんだか「いつかきた道」にそっくりだ。いや,「いつも来る道」そのものではないか。大相撲問題,原発問題,東京電力問題,体罰問題,家庭内DV問題・・・・等々,枚挙にいとまがない。

 斎藤さんが主張していることは,世の中,なにか起きるとすぐに「もみ消し」に躍起になる体質のこと。そして,トカゲの尻尾切りでことを片づけようとする体質。ここに日本社会がかかえこんでいる重大な病根のひとつが潜んでいるということだ。

 このことを全日本柔道連盟の幹部の人たちは,どこまで「自分たちの問題」として理解しているか,それが問われているのだ。

 この際,15人の勇気ある選手たちの声が無駄にならないよう祈りたい。そして,これからも柔道界をよくするために,ねばり強く主張を展開してほしい。この人たちもまた「スポーツ的自立人間」への第一歩を踏み出した,柔道界の魁として,これからも支援していきたいと思う。

2013年2月7日木曜日

尖閣諸島を「棚上げ」状態に戻せ。戦争を回避し,日中友好を深めるために。

戦争だけは絶対にやってはいけない。
こんなことはだれだってわかっている。
第一,日本は戦争を放棄した国ではないか。
なのに,いまにも戦争がはじまりそうな報道が飛び交っている。
尖閣諸島沖ではすでに一触即発の状態になっているという。

その上で,日本政府はその非を中国にあり,と主張する。
日本のメディアは,なんの疑問をいだくこともなく,そのまま「右へならえ」をする。
そうして,日本国民の圧倒的多数が「中国はけしからん」と刷り込まれていく。

尖閣諸島を日本政府が一方的に「国有化」してから,ずっと,この論調がつづく。
それに対して,「国有化」は間違っている,「棚上げ」にもどすべきだ,と発言すると「国賊」扱いにされてしまう。だから,いつのまにかだれも「棚上げ」を言う人がいなくなってしまった。いや,じつは,「棚上げ」にもどさなくてはいけないと主張する何人もの有識者はいるのだが,ほとんどのメディアは取り上げようともしない。

だから,圧倒的多数の日本人は,日中間に尖閣諸島「棚上げ」という約束があったことすら,すでに忘れてしまっている。あるいは,知っていても「知らぬふり」をしている。

日中国交回復後のこの「40年」間は,尖閣諸島「棚上げ」という約束を,日中ともに守ってきた。そして,「40周年記念」を祝う式典」や各種のイベントが準備されていた。日中両国ともに「40周年」を祝福することを楽しみにしていた。そして,一部のイベントは開催されてもいる(準備万端ととのってしまって,引くに引けなくなってしまったからだ:『日中国交正常化40周年・特別展 中国王朝の至宝』,東京国立博物館,ほか。4月7日まで神戸市立博物館で開催)。

これをぶち壊したのがイシハラ君だ。突然,東京都が民間所有者から尖閣諸島を買い取るといいだした。それに驚いた当時の首相のノダ君があわてて,それなら国が購入し,「国有化」すると宣言し,中国とはなんの相談もなしに,一方的に「日本固有の領土」にしてしまった。

中国からすれば,約束を反故にされ,「だまし討ち」に会ったようなものだ。
尖閣諸島の領有権についてはしばらく「棚上げ」にしておこう,それでも日本の「実効支配」は認めよう,という中国側のかなりの譲歩のもとで成立した「40年」前からの約束が,一瞬にして消えてしまったのだ。つまり,日本は,一方的に約束を破棄して,自分たちの領土にしてしまったのだ。国と国との関係のもとで,日本はこういうことをやってしまったのだ,という認識が欠落している。

こんなことをされて黙っているわけにはいかない,これが中国の立場だ。だから,あの手この手で日本に揺さぶりをかけてくる。その手はますますエスカレートしてくる。日本側になんの反省もないし,外交努力も怠っている。当然のことではないか。

その中国を「悪者」扱いにして,日本国民の関心を尖閣諸島に引きつけておいて,そのドサクサ紛れに,経済発展というエサをばらまきながら,憲法改正(改悪),再軍備(膨大な予算の確保),オスプレイの沖縄配備(追加),米軍基地の沖縄県内移転,原子力ムラの復権(原発推進)・・・・等々の恐るべき方向にまっしぐら。それに対して真っ向から異を唱える政治家も見当たらない。いったい,いまどきの政治家はなにをしているというのか。だから,マス・メディアをとおしての,まともな議論もわき起こらない。テレビのゴールデン・タイムは相も変わらず「バカ番組」だらけ。日本国民総白痴化のためにみごとな貢献をしている。いったい,この国はどうなってしまったというのだろうか。

このまま放置しておいたら,尖閣諸島をめぐる問題はますます悪化の一途をたどることになる。レーダー照射だけの話では収まらなくなってくる可能性が大だ。

これからの日本の行く末を考えたときに,隣国の一番大切な国・中国と,こんな馬鹿げたことで対立するメリットはなにもない。一刻も早く「固有の領土」論から「棚上げ」論に立ち返って,しばらくの間は「凍結」すると宣言すべきだ。そして,両国の友好関係を深めていくことが先決ではないか。

よく知られているように,ピンポン外交が日中間の冷えきった関係の突破口となったことを,日中両国ともに記憶している。それがきっかけとなって「日中国交正常化」が一気に進展した。

もう一度,「棚上げ」論から出直すこと。このことをあえて主張しておきたい。

「国賊」と言われようが,なんと言われようが,わたしはこの国に住みたい。住みたいからこそ,隣国とはできるだけ仲良くしたい。ただ,それだけのことだ。なにゆえに,「40年」間,守りつづけてきた約束ごとである「棚上げ」論を,いま,この時点で,一方的に破棄して「固有の領土」にしなくてはならないのか,その理由がわからない。そして,なにゆえに,これほどのリスクを背負ってでも日本という国のメンツを立てていかなければならないのか,わたしには理解不能である。

どなたか,わかりやすく,的確に説明していただけたら,とてもありがたいのだが・・・・。

2013年2月5日火曜日

「スポーツ的自立人間」のパイオニア,マラソンの川内優輝さんにこころから敬意を表します。

 「ぼくが尊敬するのは,家庭も仕事も大事にする市民ランナーです」と,川内優輝さんは断言しています。おみごと。こころの底から「おみごと」だと敬意を表したいと思います。なぜ,おみごとなのか,少し考えてみたいと思います。

 「市民ランナー」ということばが,川内さんの活躍とインタヴュー記事をとおして,新たな意味を帯びて,ますます輝きを増してきているように思います。わたしの記憶では,ジョギング・ブームが起きたころ,ジョギング出身の,一般市民がマラソン競技に参加しはじめたころから「市民ランナー」ということばが使われるようになりました。いわば,素人さんなのに偉いねぇ,というある種「上から目線」がありました。それは,いまでも基本的には変わりません。ですから,川内選手が活躍すると「市民ランナー」なのに偉い,立派だ,ということになります。

 しかし,それはちょっと違うのではないか,とわたしは考えています。
 なぜなら,マラソン・ランナーというものは,大学や企業の陸上競技部で,いわゆる科学的で専門的なトレーニングや指導を受けた人でなければなれないもの,という世間の通念ができあがっていて,それ以外の人は除外されている,という認識の仕方が間違っていると考えるからです。つまり,そこを通過しないで,自分で勝手に走っている素人さんの出る幕ではない,という暗黙の了解事項のようなものが前提となっている,そのことに異を唱えたいからです。

 たとえば,川内選手が活躍しはじめたころの日本陸上競技連盟の対応は,どこかぎくしゃくしていたことを記憶しています。記憶に新しいところでは,昨年のオリンピック代表選手選考にあたっての,日本陸上競技連盟の狼狽ぶりがありました。そして,結局は,代表選手からはずされてしまいました。あれだけの実績があるのに,なぜ? というのがわたしの実感でした。

 そのからくりは簡単です。単純に言ってしまえば,川内選手を支持する理事がいなかったということです。理事とは,それぞれの大学や企業のチームを率いている監督・コーチ,あるいは,そのOBたちで構成されています。ですから,川内選手は孤立無援だったわけです。言ってしまえば無視されてしまったということです。それでも,川内選手は「記録が悪かったのだから仕方がない。また,頑張ります」と,まことに潔かった印象があります。

 そんなことは百も承知です,と言わぬばかりのみごとなものでした。この人には「走る哲学がある」と感じました。これだ。これが,これまでのランナーには欠けていた,と。もちろん,これまでのマラソン・ランナーに「走る哲学」がなかったとはいいません。しかし,次元が異なります。たったひとりで,孤立無援のなかで,みずからの「走る哲学」を貫きとおして,その結果については一切コメントはしないという姿勢はただごとではありません。

 もう少し踏み込んで考えてみましょう。たとえば,公式のマラソン・レースに参加するには,どこかのクラブに所属し,日本陸上競技連盟の会員登録をしなければなりません。個人で登録することは,制度的にまったく考えられていませんでした。そんなことはありえないこととして無視されてきました。つまり,理事といわれる人たちがとおってきた道しか念頭にはなかったということです。それが当たり前と考えられてきました。ですから,それ以外の道からやってきた選手,つまり,異端者は排除されるという力学がはたらきます。

 つまり,マラソン・ランナーにかぎらず,トップ・アスリートというものは,優れた指導者によって育成されるものだという,一種の信仰のようなものが,現代社会でも支配しています。すなわち,科学的で,合理的で,専門的な指導を受けなければトップ・アスリートにはなれない,という信仰です。そのためには大学を卒業したら,レベルの高い,どこかの企業クラブに所属して,さらに専門的な指導を受けることが不可欠である,とみんな考えています。

 しかし,そこに大きな落とし穴が待ち受けている,ということに多くの人びとは気づいていません。ですから,選手たちはいつまで経っても「自立」しません。監督・コーチからの指導・助言にもとづいて,黙々と努力することになります。これが間違っているとは思ってもいません。むしろ,その方がいいと信じている選手たちが圧倒的多数を占めています。しかし,すべての選手たちをこのパターンにはめ込んでしまう,こんにちのこのシステムはそろそろ見直さなくてはならないのではないか,とわたしは考えています。

 今回の女子柔道でおきた園田監督辞任問題は,このケースの最悪の事態が起きていたということなのでしょう。ですから,もっともっと根の深いところまで見直さないかぎりは,女子選手15名の提起した問題が解決したことにはならないでしょう。それにしても,意を決して異議申立をした15名の女子柔道の選手たちには,こころからの拍手を送りたいと思います。この選手たちもまた,「自立」への第一歩を踏み出している,と考えるからです。

 話をもとにもどします。
 わたしはトップ・アスリートである前に,まずは,立派な「人間」,立派な「市民」であることが不可欠である(成年の場合)と考えています。トップ・アスリートだから,世間の常識が欠けていてもある程度は仕方がないのだ,という甘い考え方がどこかにあります。しかし,それは基本的なところで間違っているとわたしは考えています。

 いかなるスポーツであれ,柔道であれ,その道を極めるということは,最終的にはひとりの人間として「自立」すること,それもふつうの道をとおってきた人とは,一味もふた味も違う,味のある人間として「自立」することだ,というのがわたしの考えです。

 「スポーツ的自立人間」ということばは,このような意味を籠めて,わたしが創作したものです。

 その意味で,マラソンの川内優輝さんは,わたしの考える「スポーツ的自立人間」のパイオニアです。ですから,こころからの敬意を表したいと思います。

 科学的合理主義も自分で納得できることは取り入れる。しかし,それだけではない,という強い信念のようなものを,わたしは川内さんから感じます。人間は非合理な存在なのだ。そのことをしっかり認識した上で,みずからの「からだの声」に耳を傾けながら,日々,どのような練習をすべきか,どのタイミングでレースに出場するか,などなどをトータルに考えるランナー。いかなるものにも束縛されることなく,ひたすら自己と向き合いながら走るランナー。

 試合もまた練習の一環と位置づけ,目標を遠いところにしっかりとセットし,日々,走りつづけるランナー。だれからも干渉されることなく,みずからの信念を貫くランナー。これが「市民ランナー」の真の姿だと川内さんは信じているように思います。

 このように考えてきますと,逆に,企業に抱えられたランナーたちがみじめにみえてきてしまいます。ある一定の「しばり」のなかでの競技生活を送るしかありません。真に自由で,スポーツ的に自立している人間は,間違いなく「市民ランナー」の方です。

 川内優輝さんは,いろいろのことがらに絡め捕られている企業ランナーとは異なる,真の「スポーツ的自立人間」の理想を追求するパイオニアです。しかも,上から目線でみられる「市民ランナー」の位置を逆転させて,これこそが「自立」したランナーの真の姿なのだ,ということを周知させることに大きな貢献をしています。

 経済的な不安のない企業ランナーであるよりは,こころの豊さを求める「市民ランナー」の道を選んだ川内さんに,21世紀の新しいスポーツ文化の可能性をみる思いがします。

 そういうことも全部含めて,万感の思いを籠めて,川内優輝さんにこころからの敬意を表します。ありがとう。新しい21世紀のスポーツ文化の創造に向けて,これからも頑張ってください。こころから応援しています。

2013年2月4日月曜日

スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざそう。

 連日のように,スポーツ界の醜聞がつぎからつぎへと報道されて,すっかり気が滅入ってしまいます。暴力的な体罰とはまったく無縁のところで,クラブ活動や体育の授業に情熱をそそぎ,多くの生徒たちを喜ばせ,感動させ,圧倒的な人気をえている先生たちのことを考えると,残念でなりません。現実には,こういうまじめで,生徒たちをこよない愛し,気配りのできる先生たちが圧倒的多数であって,暴力をふるわなければ気がすまないという指導者はほんの一握りの人たちだということです。ですが,毎日の新聞やテレビで報道されるニュースを聞いていると,雨後の筍のように,いたるところで暴力が蔓延しているのではないかという錯覚を起こしてしまいます。

 わたしもかつては現場に立って指導に当たっていた人間のひとりですので,残念でなりません。

 それでもなお,体育・スポーツ界がある隘路にはまり込んでいるのではないか,という危惧は若いときからいだいていました。その危惧がますます増幅してきているように,いまは考えています。それは,「より速く,より高く,より強く」というオリンピックのモットーを旗印に指導が展開され,それが,いつのまにか,あらゆることがらが勝利至上主義に収斂してしまっている傾向のことを意味します。最近では「勝たなければなんの意味もない」と考える指導者も少なくないように思います。

 しかし,こうした傾向に対して日本体育学会でも,早くから危機感をいだき,そのための対策を講ずるべきではないかという動きがありました。たとえば,1976年の「体育学研究の成果をふまえた体育指導者養成のあり方について」(科学研究費・総合研究A・研究代表者前川峯雄)があります。2年間の継続研究で,事前に共同研究者の公募がありましたので,わたしも応募して仲間に入れていただきました。わたしがまだ38歳のときのことです。

 この課題研究はいくつかのワーキング・グループに分かれて,さらにテーマを絞り込んで研究に取組みました。わたしは第一課題「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」に所属し,さらに,そのなかの第二ワーキング・グループのリーダーを委託されました。そこでの課題は,体育・スポーツをとおしていかなる人間を育成するのか,その理想像を模索せよ,というものでした。

 若さというものはすごいエネルギーを発揮するものです。このときも,たまたま,いいメンバーに恵まれて何回も合宿して議論を積み上げました。そのときに到達した結論のひとつが「スポーツ的自立人間」という考え方でした。つまり,「スポーツ的に自立した人間」を育成すること,これが当時の日本社会にあっては喫緊の課題である,と。

 当時はまだ,柔道や剣道の道場があちこちに残っていて,すぐれた指導者のもとで礼儀作法からはじまり,なにからなにまで「教えてもらう」ということが多くの日本人の伝統的な考え方になっていました。このパターンが戦後の学校体育やクラブ活動にも継承されていました。ですから,体育やスポーツは指導者がいないとできないもの,という固定観念が広がっていました。ここでは,指導者は絶対的な権力者でした。ですから,一方的に指導者が課題を提示し,それに従うというのが常識でした。つまり,「絶対命令」「絶対服従」という構造が当たり前となっていました。もちろん,その背景には,戦時中の軍隊の軍事訓練という名のもとでの厳しい規律訓練の悪しき慣習が大きな影を落としていました。

 ですから,この悪しき構造から抜け出すことが「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」の最大のテーマである,とわたしは考えました。そうして,幾晩もの合宿研究会を重ねて,激論の末に到達した概念のひとつが「スポーツ的自立人間」というものでした。この考え方については,1977年4月23・24日の課題研究代表者会議(銀杏荘・渋谷)で発表したのが最初でした。つづけて,その年の日本体育学会の学会大会でも発表させていただきました。

 このときの反響は意外に強く,「スポーツ教育と指導法」──”スポーツ的自立人間”にむけて(『体育科教育』12月号/1977,大修館書店),「体育学研究と体育指導者養成」(『体育科教育』2月号/1978,大修館書店)など(あとは割愛)の多くの原稿を書かせていただきました。新聞社も注目してくれました。たとえば,「『スポーツ的自立人間』のすすめ」(共同通信社・文化欄,10月/1978年)の原稿が日本の多くの地方紙に掲載されました。

 そんなわけで,一時の話題にはなりましたが,残念なことに,いつのまにか消え去ってしまいました。いま,思えば,このときにもっと大きな運動に展開しておくべきだった,と悔やまれてなりません。それは,きちんとした報告書にまとめて世に訴えるということをしなかった日本体育学会の責任でもあります。

 そんな悔しさとともに,いまごろになって,わたしの記憶が蘇ってきたという次第です。

 ものごとに速い・遅いはありません。気づいたときが吉日。

 いまこそ,スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざすべきではないでしょうか。

 体罰批判も大事ですが,それに代わるべき新しい指導理念をもたないことには,現場は混乱するばかりです。上手にすること,強い選手を育成することも大事ですが,それ以前に,まずはひとりの人間として「自立」することが不可欠です。それでないと,遠い将来を見据えた立派なアスリートは育ちません。「スポーツ的に自立すること」,そのことのために指導者たちは創意工夫を重ね(マニュアル的なワンパターンではないということ),その実績を積み上げていくこと。これしか体罰地獄から脱出する手だてはない,とわたしは考えています。そして,スポーツの未来もない,と考えています。一人ひとりが自立して,それぞれのスポーツ・ライフをエンジョイできるようになること,これがわたしの考える「スポーツ的自立人間」の,ひとつのモデルです。

 長くなっていますので,この稿はひとまずここまで。いずれ,このつづきを書いてみたいと思っています。

2013年2月3日日曜日

今日は節分。太陽の光は春の気分。でも,暴走する政治はもう十分。だから,憂鬱な自分。

 日曜日だということも忘れて,自動機械のように鷺沼の事務所に「出勤」。いつも通り抜けるフードコートにこどもがいっぱい。このとき,あっ,日曜日だ,と気づく。のんきなものだ。

 溝の口ではそれほどとも思わなかったのに,鷺沼の駅を降りたら,太陽の光りがいっぱい。その強さが違う。ただ,明るいだけではない。まぶしいのだ。しかも,光が暖かい。あっ,もう春だ,と実感する。そういえば,今日は2月3日。節分だった。のんきなものだ。

 社会との接点がどんどん少なくなってきて,社会一般の生活のリズムとはまったく無縁のところで生きている。いまでは,週一回の太極拳の稽古の日だけが唯一の社会との接点となっている。このときだけ,それぞれに別の世界で仕事をしている人と接することができる。しかも,一流の人ばかり。いまのわたしにとっては,まことに貴重な社会との接点である。

 あとは,研究会か講演か,なにか特別なことでもないかぎり,毎日,ここ鷺沼に出勤して,好き勝手なことをして,日々の退屈をしのいでいる。

 鷺沼の駅近くの高台から,いつものように東京都心のビル群を眺める。スカイツリーも東京タワーも六本木ヒルズも,みんなみえる。しかし,真冬の透明な空は,もう,そこにはない。雲ひとつない晴天なのに,ぼんやりと霞がかかっている。やはり,春だなぁ,とおもう。

 途中の植木屋さんの植栽も,日々,春めいているのがわかる。ヒイラギの黄色の花が枝いっぱいに開いて,ひときわ目立っている。少しはなれたところには,サザンカの花が満開。葉っぱよりも花房の方が多い。みごとである。その少しさきには,コブシの花がもうかなり大きくふくらんでいる。もちろん,サクラの花芽も赤く色づき,日々,大きくなっている。しばらく立ち止まって眺めやる。地形的にも,ちょうど日溜まりになっているので,植栽には好都合なのだろう。太陽の光が燦々とふり注ぎ,からだにも温もりが伝わってくる。ああ,もう,すっかり春の気分。

 事務所は,北向きに窓がある。だから,外気とはまったく無縁で,冬真っ盛り。久しぶりに窓を開け放って空気を入れ換える。少しは春の空気が入ってくる。これでは不満とばかりに扇風機を回して,部屋のなかの冷たい空気を追い出す。

 その間に,いつものように,お湯を沸かし,コーヒーを挽いて,好みの味に挑戦。毎日,味が違う。だから,あたりはずれがある。あたりの日は嬉しいが,はずれの日はなんとなく一日中,憂鬱な気分。でも,今日は,まあまあの味がでた。だいたい今日のようなカラッとした上天気の日は,なぜか,おいしいコーヒーになる。どうも,湿度の関係らしい。厳密にいえば気温も微妙に影響する。まあ,コーヒーとは長年の付き合いだが,いまだに,思うようにはならない。まるで,こころの内に秘めた恋人のように。

 コーヒーを飲みながら,やおら,新聞を開く。気合を入れないと,近頃は新聞を読むこともできない。まじめに読めば読むほどに憂鬱になってしまうからだ。ああ,もう,世も末だ,というニュースばかり。

 支持率が上がったというのでアベ君の暴走はますます勢いづく。自民党のなかにも「それは違うよ」という勢力がいるはずなのに,表にはでてこない。じっと耐えているのだろうか。この我慢,どこまでつづくのか。そのうち大きな爆発が起きそうな予感(これは,たぶん,わたしの単なる願望にすぎないのだろうが・・・)。

 スポーツ界の醜聞はあとを絶たず。追い打ちをかけるように,役人が,警察官が,校長先生が・・・という人たちが,こともあろうに「下半身」の醜聞。かと思えば父親がこどもを殴り殺した,とくる。最後のとどめは,アベ君。沖縄まででかけて,カネをやるから命と不安を売り渡せ,と迫る。なんという政治家か。政治家の第一の使命は,国民の命を守ることではなかったか。なのに,戦争をはじめるから我慢せよ,その代わりにカネをやる,と。それもこどもだましの「はしたガネ」でしかない。おまけに,オスプレイの飛行訓練を本土にも展開するという。

 おうそうかい,そうかい。ならば,いっそのこと「立川基地」を復活させてはどうだい。いまも,広い公園のままだから,いつでも転用できる。国会議事堂の上も,皇居の上も,ブンブン飛ばせばいい。ビルの谷間を隠密のように飛行訓練するには,東京都心ほどすぐれた環境はない。

 やぶれかぶれにこれだけほざいても,やはり,憂鬱な自分に変わりはない。

 ああ,こんなことを考えていては,仕事も手につかない。いっそのこと「カッパーク」(以前のブログに書いたとおり。写真付き。広くて明るい公園)にでも出かけて,大の字になって日光浴でもしてくるか。それとも,こどもたちの仲間に入れてもらって,フットサルでもしてくるか。

 たまにはいいではないか。
 のんきなものだ。
 でも,憂鬱な気分は変わらない。春だというのに。

2013年2月2日土曜日

園田監督辞任,内柴被告判決。柔道界に激震が走る。それも国際柔道連盟からの「外圧」によって。

 桜宮高校バスケットボール部での事件をきっかけにして,同様の暴力的な体罰があちこちで起きていることが炙りだされ(駅伝の豊川工業高校,など),ついには,柔道界を震撼させる事件にまで進展し,とどまるところを知らない。まるでスポーツ界だけが駄目になってしまっている,といわぬばかりの報道が連日賑わせている。こういう報道がつづくと,スポーツ界だけがとてつもない病理に陥っているという印象を,多くの人びとに与え兼ねない。もちろん,いま,スポーツ界で起きている一連の暴力事件についてはなんの弁護の余地もないが,しかし,これはスポーツ界だけの特異な現象なのだろうか。

 昨日(1月31日)の園田監督辞任の報道につづいて,今日(2月1日)は,内柴被告の判決(懲役5年の実刑判決)が言い渡された。連日にわたる柔道界を震撼させる大事件である。柔道関係者のみならず,多くの人びとが,なんとも言えない複雑な感想をもったことと思う。かく申すわたし自身も,穏やかな気分ではいられない。あまりに根の深い問題だけに,軽々しくものを言うことはできないからだ。ここは慎重な言動を要する,と。

 そう考えていたら,夕刻には,ドイツの友人から「どういうことが起きているのか,お前の考えを知らせろ」というメールが入った。園田監督辞任も,内柴被告判決も,すでに世界を駆けめぐる重大なニュースになっているのだ。問題が「柔道」であるだけに,世界に及ぼす影響は測り知れない。

 ドイツの友人からのメールによれば,「ドイツでは考えられないことだ。われわれが理解している柔道とはまったく別世界のことが本家の日本で起きているように思う。いったい,なにが起きているのか,ことの真相を教えてくれ」という。

 困った。正直にいえば,日本社会全体が病んでいる,その一端が,たまたま柔道という場で表出した,というただそれだけだ,とわたしは考えている。しかし,このことをそのままドイツの友人に伝えるには相当の勇気と手間隙がかかる。かといってごまかすわけにもいかない。さあ,どうしよう,と考えあぐねているところに,別の情報が入ってきた。

 午後9時からのNHK「ニュース・ウォッチ9」で,国際柔道連盟が「嘉納治五郎の精神に反する事件だ。必要な措置をとる」という批難声明を出した,と報じたのだ。こうなると,もはや,日本国内だけの問題ではなくなってくる。さあ,全日本柔道連盟はどのような対応をするのだろうか。園田監督を訓戒処分にして,そのまま留任させる,という程度の認識しかなかった全柔連の「甘さ」がすでに露呈している。もちろん,このことを承知の上での国際柔道連盟の批難声明であろう。そこには,あまりに大きなズレというか,ギャップがある。

 場合によっては,国際柔道連盟から一時的に「除名」される可能性もある。あるいは,期限付きで,国際大会への出場停止処分,この可能性は大きい。少なくとも,国際柔道連盟による実態調査は行われるだろう。あるいは,最低でも,全柔連に調査報告を求めてくるだろう。

 断っておくが,これほどまでに堕落した日本の柔道界(あるいは,スポーツ界)の実態は,日本社会全体の単なる縮図にすぎない,ということだ。なにもかもが,なあなあ主義,ことなかれ主義,みてみぬふり主義,無責任主義,そして「声の大きな人」の意見に従う「自発的隷従」主義が,日本社会のすみずみまで浸透している,ということだ。その緩みきった体質からの「甘え」の一端が露呈したにすぎない。

 しかし,国際社会からすれば,まったく通用しない非常識もいいところ,とんでもない国,そして,なんとも不可思議な国・日本ということだ。そういう実態を,わたしたちですら「3・11」以後になって,その事後処理の,あまりの無責任さ,いい加減さを,連日のテレビ報道をとおして,初めて学び知ったにすぎない。そして,そのお粗末な実態はいまもつづいている。第一,だれひとりとして「責任」を問われることもなく,ましてや「被疑者」にも「犯人」にもされることなく,全体責任で逃げ切ろうとする姿勢が,政界・財界・官界・学会・報道界にまで浸透している。

 この体質と,柔道界の体質は,瓜二つである。ほとんどどこも違わない。

 これから日本の柔道界は国際社会のなかで,ある種の審判を仰ぐことになる。が,それでもその大本は大した痛手になることもなく,やり過ごすことになるのだろう。そして,まるで「トカゲの尻尾切り」のようなかたちで柔道界やスポーツ界がメディアの槍玉に挙げられ,世の集中攻撃を浴びることになるのだろう。まるで,見せしめの「さらし首」のようにされて。しかも,それを隠れ蓑にして,本家本元の巨悪は懲りることもなく生き延びていく。

 こんな図式がわたしの頭のなかに浮かび上がってくる。
 さて,このことをドイツの友人に,どのように伝えようか。

 いやいや,ドイツの友人は,おそらく,このブログを読んでいる。日本に2年間,留学していたので会話はほとんど不自由しない。しかも,このブログはグーグルをとおして多くの外国語に翻訳可能なシステムになっている。

 それだけに,わたしの責任は重い。覚悟が必要だ。

2013年2月1日金曜日

「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」(納谷幸喜=元横綱大鵬)。

 名横綱大鵬さんが亡くなった。同世代の人が亡くなるというのはなんとも寂しいことである。個人的に思い出すことは山ほどあるが,ここでは控えめにしておこう。

 1月31日の東京新聞・朝刊に「取材ノート」という記名の囲み記事が載った(21ページ,高橋広史)。とてもいい記事だったので,その一部を紹介しておきたい。その書き出しは以下のようである。

 「2006年に相撲博物館館長だった大鵬さんを両国国技館内の館長室に訪ねた。モンゴル人ら外国勢が席巻する相撲界。どうしたら日本人横綱が誕生するのか。昭和の大横綱に聞くためだった。
 『力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ』。話題はあらゆる方向に飛んでも,結局は飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた。『マスコミも,あなたも含めてだ。企業だって,社員を褒めておだてて使えという時代なんだから』と。」

 このあとにもいい話がでてくる。が,残念ながら割愛。

 それらの名言のなかで,とりわけ「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」というこのことばにこころの底から共振・共鳴。納谷幸喜さんとは,一つ違い。だから,まったく同時代を生きた人間として,このことばにこころから共感する。

 「日本人全体が駄目になっている」という現実は,どの日の新聞でもいい,開いて読んでみればすぐにわかることだ。1面トップの記事から最後まで,「日本人全体が駄目になっている」ということを証明するような記事ばかりである。

 とりわけ,最近は,「駄目になっている」に輪をかけたように,加速度までつけて「盲進/猛進」している。このままいけば間違いなく日本に軍隊ができ,戦争に突入していく。それも,なんの役にも立たない軍隊ができる。駄目な日本人になってしまったいま,強い軍隊など望むべくもない。天皇のために,国家のために,命を捧げます,などという若者がどれだけいようか。

 「飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた」とあるように,まさに「飽食」が日本人を駄目にしている諸悪の根源だ,とわたしもまったく同じことを考えている。いつのころからか,テレビ番組の大半が,お笑いと食べ物番組で埋められるようになった。日本人は,このころから「思考停止」に慣れっこになってしまった。なにも考えない。見ても見ぬふりをする。惰性に流されている方が無難に生きられる。こんな楽な暮しはない,と思いはじめた。そして,それが「当たり前」となった。そんな日本人の姿を「茹でガエル」と命名した人がいた。このことばに痛く感動したわたしは,このブログでも多用している。

 そう「日本人全体が駄目」=「茹でガエル」になっている。

 政治も経済も,「人の命を守る」ことすら棚にあげて,ひたすら「カネ」ばかり追求する。そうすれば,「茹でガエル」は黙ってついてくる(票が集まる)。現に政権の支持率が上昇し,東京都民のオリンピック招致支持率も上がった。ほんとうなのか,とわが目を疑ったほどだ。東京都民とは,いったい,どういう人種なのか,と。「暴走老人」のワン・プレイで,一気に,日本を没落のシナリオに陥れてしまったというのに・・・。

 このさきは書きたくもないスポーツ界の腐敗。しかし,この構造は,政界や経済界とまったく同じ体質から吹き出したウミのようなものだ。そして,それを報じるマスコミの堕落。「マスコミも,あなたも含めてだ」という納谷幸喜さんのことばは正鵠を射ている。みんながみんな「茹でガエル」になってしまったために,己の堕落には気づかないまま,氷山の一角のような醜聞を寄ってたかった叩く。それが正義だとばかりに。ますます世の中を駄目にする「ポピュリズム」に支えられて。それもまた「儲かればいい」という経済原則に乗っ取られたままに。

 納谷さんに叱られて目が覚めたか,高橋記者はとてもいい記事を書いた。これから大相撲を批判するときにも,「飽食」の結果,「日本人全体が駄目になっている」という納谷さんのことばを念頭において,展開していただきたい。

 つまり,「飽食」によって「根こぎ」にされてしまった日本人のなかに,大地にしっかりと根を張ったモンゴル人がやってきて,横綱を輩出するのは当然のなりゆきだ,ということだ。

 納谷幸喜さんのご冥福をこころから祈りたい。