2015年2月28日土曜日

政治献金「知らなかった」で済ませられる問題ではない。

 冗談も休みやすみ言ってもらいたいものだ。
 「知らなかった」で逃げ切ろうというこの根性がいやらしい。
 じゃあ,これまでに「辞任」してきた大臣たちや議員たちはなんだったのか。

 かつて吉田茂首相は,国会で「バカヤロー」とつぶやいた声がマイクに拾われ,それが原因で内閣総辞職をしたことがある。俗にいう「バカヤロー解散」だ。

 アベ君は「ニッキョウソ,ニッキョウソ」と,それもしつこくヤジを飛ばした。質問していた議員が怒ってしまった。議長もみるにみかねて,首相に「ヤジを飛ばすな」と注意を与えた。吉田首相時代であれば大きな責任問題となり,内閣総辞職・「ニッキョウソ解散」になってしかるべき情況だ。にもかかわらず,なにごともなかったかのようにやり過ごされていく。ここが大問題だ。

 つまり,「茹でガエル」状態のジャーナリズムも国民も,ことの重大さに気づかない。そのまま,見過ごしてしまう。このマヒ状態こそが,すでに,つける薬もない重篤な病気なのだ。

 今回も「知らなかった」で逃げ切ろうという作戦。では,西川農相の辞任はなんだったのか。もっとも,芋ずる式につぎつぎに「知らなかった」献金が発覚してしまったいま,右へならえで辞任したら,残る方途は内閣総辞職しかなくなる。ようするに「シラナカッタ解散」に追い込まれてしまう。それをなんとしても忌避するためのアベ君の「居直り」でしかない。

 しかし,絶対にこんなことを許してしまってはならない。断固として許してはならない。

 
今回の発覚は,すべて報道機関による調査の結果だ。それを議員が取り上げただけの話。これがなかったら,永遠にほうかむりをして「知らん顔」を決め込むつもりだったのだろう。そんなことは火をみるより明らかだ。

 それどころか,ほんとうに「知らなかった」としたら政治家としての基本要件を欠いている。そういう悪質な秘書・身内に支えられて政治を行っていること自体が大問題だ。「知らなかった」などと,そんな「ノーテンキ」なことを政治家が言ってはならない。また,してはならない。それが国民の付託を受ける前提条件だ。

 もし,「知らなかった」などと居直るような議員であることがわかっていたら,だれも票を入れることなどしない。だから,「知らなかった」は支持者に対する「裏切り行為」だ。

 これがわかったら,さっさと責任をとって辞任するのが「スジ」だ。それを「居直る」というのだ。それも一国の総理大臣が音頭をとって・・・・。もはや,言うべきことばもない。

 奢れるものは久しからず。いよいよ「幕引き」のときがきたか。こんどばかりは,ジャーナリズムの踏ん張りを期待したい。そして,腰抜けの野党議員もふんどしを締め直して,本気で立ち上がってほしい。われわれ国民も声を大にして,行動を起こそう。千載一遇のチャンス到来である。

 こんな「居直り」をなにくわぬ顔をして正当化するような政府自民党に,政権を委ねておくわけにはいかない。いま進行中の政治の目茶苦茶ぶりが,この「知らなかった」に集約されている。

 だから,ここから「姿勢を正す」ことをはじめるしかないのだ。そういう政権を選出してしまったわれわれ国民もまた同罪だ。だから,出直そう。ゼロから。

2015年2月27日金曜日

東京五輪2020を返上しなければならない二つの理由。

 もう,何回もこのブログをとおして「東京五輪2020を返上すべきだ」と書いてきました。そして,ここにきて,やはり,東京五輪2020は返上しなければならない,と確信するにいたりました。その理由は二つあります。

 一つは,フクシマの情況は改善されるどころか,ますます悪化し,空・陸・海ともに汚染が拡大するばかりで,それを「コントロール」する手立ての見通しが立たないこと。つまり,東京五輪を開催する基本的要件を満たすことができなくなってきているということ。すなわち,危険この上ないということ。しかも,フクシマの情況の精確な情報が,とくに危険な情報についてはほとんど秘匿されているらしい,ということが徐々に明らかになってきていて,不安がいっぱい,ということ。

 もう一つは,憲法9条を放棄して,戦争のできる国家を政府自民党がめざしていること。つまり,オリンピック・ムーブメントは平和運動であるという,最優先の理念に反するということ。長年にわたって世界から高く評価されてきた,まさに世界の冠たる「平和憲法」を護持する国家であればこそ,堂々と東京五輪を開催する資格があるというもの。それを放棄しようという国家には,もはや,その資格はありません。

 前者については,ここ数日,大きな話題になっていますので,すでに衆知のとおりです。要約しておけば,フクシマ原発の2号機屋上汚染雨水が排水溝をとおして港湾外に流出していたという事実を,東京電力は昨年4月には把握していたにもかかわらず,これを隠蔽してきました。それをいまごろになって公表する,この神経が理解できません。

 東京電力といえば,こんどの原発事故が起きるまでは,長年にわたって人気企業でしたから,毎年,各大学のエリートたちが殺到したことでも知られています。いうなれば,いまの経営のトップに立っている人たちは,そのまたエリート中のエリートと言っていいでしょう。しかし,ここに大きな落とし穴が待ち構えていました。「エリートは責任をとらない」。責任をとらなくてもいい仕組みを,企業内に巧みに張りめぐらせてあって,なにか不祥事が起きてもだれも責任をとる必要がないようにできています。

 ですから,原発事故以後も,一般世間の常識では考えられないような重大な瑕疵があったにもかかわらず,だれひとりとして責任をとってはいません。首にもなっていません。ですから,やりたい放題の無責任体制が骨の髄までしみ込んでいます。

 いまさら,こんなことをあげつらってみてもなんの役にも立ちません。指摘しておくべきことは,東京電力には安全管理能力が欠落している,という一点だけでいいでしょう。つまり,重篤な病的症状を呈している,きわめて危険な企業であるということです。この病的症状を政府自民党は無視したまま放置しています。それどころか擁護・救済さえしています。税金を湯水のように垂れ流して・・・。

 後者の平和運動。問題は憲法9条だけではありません。それに関連する法案がつぎつぎに議会を通過していき,気がついたときには身動きできない情況になっているのではないか,と危惧されるからです。すでに,メディアは完全に包囲されてしまって,情けないことにジャーナリズムの精神もどこへやら・・・。いまでは,みずから率先して「自発的隷従」を垂範するのみ。国民まるごと,政府自民党のおもうがままに「洗脳」されつづけています。

 そのさらなる暴挙のひとつが,沖縄の辺野古で繰り広げられている,約束(「計画書」)を無視した強引な基地移転工事です。そして,それに反対する住民の意思をも踏みにじる,おそるべき政府自民党による「暴力」が,いまも粛々と繰り広げられています。ついには,米軍まで乗り出してきて,不当な逮捕劇まで演じています。

 翁長沖縄県知事が,何回にもわたって上京し,政府首脳との面談を求めても,すべて拒否。だれも会おうともしません。民主主義もなにもあったものではありません。そんなことが,いま,日々,平然と行われているのです。しかし,こういうとんでもない事態が毎日,繰り広げられているにもかかわらず,メディアも政府自民党と足並みを揃えるようにして「無視」。知らぬは本土の国民ばかりなり,です。沖縄のメディアは連日この情報をトップにかかげて報じ,批判を繰り広げています。ですから,いま,沖縄は,これまでにも増してヒートアップ・アイランドと化しています。

 以上,二点の理由で,わたしは一刻も早く「東京五輪2020を返上すべきだ」と考えています。

『万葉集があばく 捏造された天皇・天智』上(渡辺康則著,大空出版,2014年刊)を読む。

 天智天皇はなぜ飛鳥ではなく大津に宮を移して天皇となったのか,これはわたしの長年の疑問でした。この疑問に真っ正面から応答してくれた初めての本がこれでした。この渡辺康則さんの主張がどこまで信頼できるのか,はひとまずおくとして,いささか驚きの新説が飛び出したものだと半ばあきれながら,また,あらたな想像をたくましくしています。

 日本の古代史は面白い,と。なかでも,歴史の中から忽然と消された出雲族と蘇我一族をめぐる推理が,です。諸説紛々とするなかで,根拠と想像力の入り交じった推理が,ある意味では自由自在の世界です。そうであるとも言えないけれども,そうでないとも言えない世界,この狭間で揺れ動く推理,と言ったら言い過ぎでしょうか。

 
その新手の,意表をつく,実証を試みたのがこのテクストと言っていいでしょう。
 書名のタイトルにも明らかなように,天皇・天智は捏造されたとする仮説を,『万葉集』のなかに埋め込まれた万葉コード,あるいは万葉史観をとおして『日本書紀』を,ありのまま読み解くという方法を徹底することによって,これまでとはまったく違う解釈・世界が立ち現れる・・・。この方法論を著者の渡辺康則さんは徹底して貫きます。

 そして,とうとう天智天皇は中大兄時代から生涯にわたって飛鳥に居住した痕跡はない,と渡辺さんは結論づけています。では,どこに居たのか。九州の筑紫王朝に居て,そこから勢力を伸ばし,やがて大津宮に遷都した,つまり,「東征」してきたのだ,といいます。

 その謎を解く,最大の鍵が『万葉集』の冒頭を飾る倭三山歌にあるとして,詳細にその分析を展開しています。つまり,倭三山を引き合いに出して歌った天智,天武,額田王の「三角関係」にある,というのです。とりわけ,額田王の歌はいかようにも解釈可能な意味深長な内容になっていて,そこに「万葉コード」や「万葉史観」のヒントが隠されている,と渡辺さんは説いています。

 そして,この『万葉集』と『日本書紀』は連動していて,『万葉集』の立場に立って『日本書紀』を読み解くと,これまでのアカデミズムのとってきた立場とはまったく異なる解釈が可能になる,というのです。そして,それを実践してみせていきます。

 これまでの『日本書紀』読解は,本居宣長以来,つじつまの合わない記述については,ことごとく「転記ミス」「誤記」「誤字」「脱字」として取り扱い,無理矢理つじつま合わせをしてきましたが,それが,そもそもの間違いなのだ,と渡辺さんは強調します。そうではなくて,「つじつまの合わない記述」こそが『日本書紀』を読み解くためのヒントになっているのだ,と。つまり,当時の伝承や資料そのものが乱れていて,その実態を反映しているのだから,それはそのまま受け止めて,なぜ,そのような乱れが生じているのかを読み解くことが重要なのだ,というわけです。

 わけても,謎だらけの中大兄・天智の足跡をたどる上では不可欠だ,と。その謎解きの,最大の鍵となっているのが額田王が中大兄に返した歌だといい,額田王は中大兄をこけにしている,つまり,皇太子としては扱っていない,と渡辺さんは解釈しています。くわしくは,テクストでご確認ください。この部分が,このテクストの冒頭を飾る圧巻の部分でもあります。

 この本を読んでのわたしの感想は,長年の疑問だった中大兄と大海人はほんとうに兄弟だったのか,という謎が一気に晴れて,すっきりしたというものにつきます。そして,同時に,新たな,とてつもなく大きな疑問が立ち上がってきました。それは,では,いったい,皇極・斉明天皇とはなにものだったのか,という疑問です。そして,なにゆえに中大兄と大海人を兄弟にしつらえ,斉明天皇の息子にして,まったく別の歴史を捏造しなくてはならなかった藤原不比等の企みは,いったい,なんだったのか。

 おそらくは,乙巳の乱と大化改新(聖徳太子の捏造もふくめて)の正当性を主張するための,歴史の改ざんが,どうしても必要だったのでしょう。のちの天皇制の土台を固めるための歴史修正主義の権化,それが藤原不比等であったことは明らかですが,ならばこそ,そこに隠された歴史の真実はなにであったのか,知りたいところです。

 わたしの幻視によれば,ここにも,出雲族の陰がちらついているようにおもえてなりません。詳しくは,いずれまた。今回は,とりあえず,このテクストのご紹介まで。

2015年2月26日木曜日

「力を用いず,意識を用いよ」・李自力老師語録・その55。

 久しぶりの「李自力老師語録」です。このところ李老師がけたたましく忙しい日程を過ごしておられ,わたしたちの稽古に顔を出すことがめっきり少なくなっていました。そこへ,ひょっこりと李老師のお弟子さんである劉志老師が遊びにきてくださいました。まあ,言ってみれば,李老師の師範代
というところ。

 したがって,今日の語録「力を用いず,意識を用いよ」は劉志老師のことばです。子どものころから李老師に師事し,日本への留学も李老師のあとを追ってのものでした。そして,博士号取得も李老師と同じ道を歩みました。博士論文の骨子は「太極拳と道家思想」です。つまり,文武両道をみごとに成立させているという点でも,李自力老師と同じです。

 ですから,劉志老師のことばは李自力老師のことばと受け止めても,なんのさしつかえもないものだ,とわたしは確信しています。ので,このシリーズに加えておきたいとおもいます。

 その劉志老師が,わたしたちの稽古をみていての「ひとこと」(これはわたしの求めに応じたもの),それが表題の「力を用いず,意識を用いよ」というものでした。

 結論から言ってしまえば,もっと,からだの力を抜きなさい,そして,意識をのびやかに広げていきなさい,ということだと受け止めました。

 からだの力を抜く,このことばの平易さとは裏腹に,実際に実行するとなると,こんなにむつかしい身体技法はありません。からだの力が抜けるということは,太極拳に熟達して,余分な筋肉を使うことなく,必要な筋肉を最小必要限度だけ動かすことができるようになること,と同義です。もっと言ってしまえば,筋肉を作動させているということすら忘れてしまうこと,つまり,なにも考えることなくからだが動くということ。

 日本の芸能の世界では,たとえば,地唄舞などでは「筋肉を動かすのではなく,骨を動かせ」というそうです。つまり,動きの究極は「骨が動く」ということ。筋肉を作動させることなく,「骨を動かす」ということ。その境地こそが「骨(こつ)をおぼえる」「骨をつかむ」ということなのだ,と。

 「力を用いず,意識を用いよ」とは,つまるところ「骨をつかめ」,と同義。力(筋肉)ではなく,意識を用いて,からだを動かせ,というわけです。

 別の言い方をすれば,たぶん,「気を用いよ」。そして,そのヴァリエーションが「気を向ける」「気をやる」「気が立つ」「気づく」「気づかう」「気を入れる」「気を籠める」「気を立てる」「気に入る」・・・ということなのでしょう。

 こんな奥の深いことばをさらりと言ってのける劉志老師も只者ではありません。さすがに,李自力老師の薫陶を受けた名人のことばだと感心してしまいます。そんな劉志老師が,ふらりと遊びにきてくださる・・・・,ありがたいことです。

2015年2月25日水曜日

「甘樫丘」は「阿毎ケ氏の丘」(あまがしのおか)。蘇我氏の姓は「阿毎」(柴田晴廣)。

 前回のブログで飛鳥をフィールド・ワークしてきた総論的な話を書きました。そこに,甘樫丘の展望台に立ったときの感想を書きました。すなわち,甘樫丘は蘇我氏の拠点であったこと,しかも,飛鳥を一望のもとに見下ろすことのできるロケーションであること,天皇の宮をも上から見下ろすポジションにあること,だから,飛鳥時代の蘇我一族は最高の権力者であったに違いない,と。

 すると,すぐに,柴田晴廣さんから「乙巳の乱までは蘇我一族が大王家」であり,中国の『隋書』には,蘇我氏のことを「姓は阿毎(あま)」であると記述されている,だから,蘇我氏が拠点としていた「甘樫丘」は「阿毎ケ氏の丘」を意味している,というご指摘がありました。そして,詳しくは「拙著『牛窪考・補遺』(改訂版)(電子版)を参照せよ,と。

 簡潔で,あまりにみごとな説明に思わず唸ってしまいました。

 そこで,柴田さんから送られてきていたファイルをあわてて開いて読んでみました。わたしの不勉強をさらけ出すようで恥ずかしいばかりですが,そこには「よくぞ,ここまで調べ上げたものだ」と驚くばかりの記述が延々と書きつらねられていました。まあ,いつものことながら,柴田さんの隠されたもうひとつの日本史の謎解きに寄せる情熱に,一種のめまいすら覚えながら『牛窪考・補遺』(改訂版)を読みふけることになりました。その仮説と論考の展開は,驚くことばかり。

 だからといって,この柴田説をまるのみにしてしまったら,わたしの謎解きはなくなってしまいます。それでは面白くないので,柴田説に寄り掛かりながらも,ここはあえて初心者の素朴な疑問を書きつらねてみたいとおもいます。

 まずは,『隋書』に記述されている「姓はアマ(アメ),名はタシリヒコ,号はオオキミ」という情報は,いったい,だれが伝えたものなのでしょうか。『日本書紀』によれば,小野妹子が第2回目と第3回目の遣隋使として派遣されています(第1回目の記述はなし)。単純に考えれば,小野妹子が伝えたということになります。小野妹子と同時代の代表的な人物といえば推古朝の聖徳太子であり,蘇我氏でいえば馬子です。

 だとしたら,聖徳太子・馬子の認識では,大王(おおきみ)であった蘇我氏の姓は「アマ(アメ)」という点で一致していた,ということになります。この「アマ(アメ)」に相当する文字は,『隋書』の「阿毎」だけではなく,「天」「海人」「海部」「海」,などが思い浮かびます。

 ですから,柴田さんは「大海人」は蘇我氏の血を引く人物と推定し(『牛窪考・補遺』改訂版),むしろ,中大兄の方こそ出自不明としています。この二人が兄弟ではないことは,すでに多くの人が指摘しているとおりです。だとしたら,だれが,なんのためにこの二人を兄弟とし,皇極・斉明の息子としたのでしょうか。そして,皇極・斉明とは,いったい,なにものなのでしょうか。

 このあたりに「万世一系」の天皇家を合理化するための諸矛盾が凝縮されているようにおもえてなりません。たぶん,柴田さんの書かれた『穂国幻史考』をきちんと読めば,すでに解読済みのことなのでしょう。あとで,確認しておきたいとおもいます。

 それにしても「甘樫丘」を「阿毎ケ氏の丘」と読み解くことによって,柴田さんは,めくるめくような日本史の隠された系譜を明らかにしていきます。阿毎ケ氏を蘇我氏と読み解くことによって,歴史の表舞台から消されてしまった蘇我氏の末裔が「海部」(あまべ)となり,「余部」(あまべ)となっていった可能性を探っていきます。当然のことながら,野見宿禰や菅原道真との関係,橘家との関係,そして,河童・兵主部(ひょうすべ)との関係にまで触手を伸ばしていきます。

 こうなってきますと,もう一度,甘樫丘の展望台に立って,蘇我氏から河童までのはてしない夢物語を追ってみたいとおもいます。気がつけば,柴田さんの謎解きの術中にはまりはじめてしまったようです。

 さてはて,そんな謎解きのための時間が与えられているのだろうか,といよいよ残された時間をカウントしなければならなくなってきました(笑い)。
 

2015年2月24日火曜日

「飛鳥」のフィールド・ワークからもどりました。

 2月22日(土)「ISC・21」2月神戸例会(『遊ぶロシア』合評会),23日(日)・24日(月)奈良・飛鳥のフィールド・ワークからもどってきました。合評会については,いずれ書くことにして,今回は奈良・飛鳥のフィールド・ワークについて,短い報告をしておきたいとおもいます。

 奈良に住んでいたころから数えれば,飛鳥へは何回もでかけていてその回数もわからないほどです。つまり,知り尽くしていたはずです。しかし,『日本書紀』などによく登場する大事な場所はほとんど素通りで,実際にその場所に立つということはしてきませんでした。その典型が,たとえば「甘樫の丘」であり,「川原寺跡」でしょう。いつも,車の中から「甘樫の丘」だねぇとか,「川原寺跡」だねぇとか言いながら車窓から眺めて通過。

 ですので,今回はできるだけ「歩く」「その場に立つ」「空気を吸う」「肌で感じる」「自分の眼でじかに確認する」をテーマにしました。もう一つのテーマは,「推古-皇極/斉明-持統」という飛鳥に宮を営んだ女帝時代の実像に迫る,というものでした。この戦略は大成功で,飛鳥のイメージががらりと変わってしまいました。やはり,「歩く」「その場に立つ」,つまり,からだをとおして記憶を刻み込む,このことの重要さが文字どおり身にしみてよくわかりました。

 詳しくは,一つずつテーマを掲げて,フィールド・ワーク報告を書いてみたいとおもっていますので,今回は,総論的な感想・印象を書いておきたいとおもいます。

 たとえば,「甘樫の丘」の展望台に立って,おもったこと。
 飛鳥は眼下にあって,その全貌は手にとるように見えています。この盆地の中央は飛鳥川が流れ,その両岸に名所・旧跡がひしめいています。そして,どの宮跡も寺も神社も,全部,上から見下ろす,そういうロケーションであるということ。そして,北をみれば,大和三山もすぐそこにあり,奈良平野が一望のもとにあります。シンボリックな三輪山と二上山が左右に控え,その間に矢田丘陵,登美が丘,生駒山系,青垣,春日山系,若草山,などがくっきりとみえています。

 22日(日)は,比較的眺望にめぐまれた天気だったので,北は京都まで見えていました。もっと,天気がよければ,遠く六甲山がみえる,と地元の老婦人が教えてくれました。西側には葛城山,金剛山が大きく聳え,その裾野にひろがる丘陵地帯が長々と伸びています。まさに,一大パノラマをこころゆくまで堪能することができます。

ここが蘇我一族の拠点であったということの地政学的な意義は計り知れない,と驚愕してしまいました。蘇我稲目,馬子,蝦夷,入鹿の4代にわたる一族が,この甘樫の丘に居を構え,飛鳥を足下に見下ろしていた,この事実。推古朝の豊浦宮は甘樫の丘の麓(裾野)に接して位置し,皇極/斉明も持統の宮も飛鳥の盆地の中です。まるで箱庭を上から見下ろしているようなものです。

 天皇といえどもその宮(居宅)は平地です。その宮を蘇我一族は上から見下ろしているのです。これは,どうみても,飛鳥時代の実質的な権力者は蘇我一族以外にはありえない,とはっきりわかります。蘇我一族の権力に裏づけられた栄耀栄華が眼に浮かびます。

 その蘇我一族の権力をひっくり返した「中大兄と鎌足」とは,いったい何者なのか。この二人の出自を初手から考え直す必要がある,ということも甘樫の丘に立っていて思い浮かんだことでした。この二人に関する『日本書紀』の記述を,根っから疑ってかからねばならない,と。

 と同時に,推古-皇極/斉明-持統の女帝時代に,いったい,なにが起きていたのか。少なくとも,この時代に,日本という国家の骨格が決まったと考えるときに,やはり見過ごすことはできません。なにか,空恐ろしい「真実」が隠されているのではないか,と。その「真実」を糊塗するために『日本書紀』にはいくつもの策が弄されているのではないか,と。

 とまあ,こんな具合です。眼からうろこでした。ということで,今日のところは総論。これから各論に挑んでみたいとおもいます。

2015年2月23日月曜日

「今(いま)の世(よ)に因果(いんが)を知(し)らず業報(ごっぽう)を明(あき)らめず」。『修証義』第4節。

 まずは,第4節の全文を引いておきましょう。

 今(いま)の世(よ)に因果(いんが)を知(し)らず業報(ごっぽう)を明(あき)らめず,三世(さんぜ)を知(し)らず,善悪(ぜんあく)を弁(わき)まえざる邪見(じゃけん)の〇侶(ともがら)には群(ぐん)すべからず,大凡(おおよそ)因果(いんが)の道理(どうり)歴然(れきねん)として私(わたくし)なし,造悪(ぞうあく)の者(もの)は堕(お)ち,修善(しゅぜん)の者(もの)は〇(のぼ)る,毫〇(ごうり)も〇(たが)わざるなり,若(も)し因果(いんが)亡(ぼう)じて虚(むな)しからんが如(ごと)きは,諸仏(しょぶつ)の出世(しゅっせ)あるべからず,祖師(そし)の西来(せいらい)あるべからず。


 第4節も,それほどむつかしいことは言っていません。ふつうに読んでそのまま理解が可能だとおもいます。ただ,仏教用語の特殊な用法がありますので,そのことばの意味だけはしっかり抑えておきましょう。

 この節では,「業報」(ごっぽう)ということばをきちんと抑えておけば,あとは大丈夫でしょう。「業報」とは「業の報い」という意味です。「業」(ごう)という読み方は仏教用語とてしの読みです。ふつうには「業」(ぎょう)と読みます。

 わたしたちがふつうに「業」(ぎょう)ということばから連想する意味は,事業,業績,業務,といった仕事をさしています。しかし,仏教用語としての「業」(ごう)は,「なすこと(もの)」「なす力」「作用」「行為」「祭祀」などを意味します。ですから,「業報」(ごっぽう)とは「行為によってもたらされた結果としての報い」,と考えればいいとおもいます。

 もっとも,『修証義』の解説本などを読んでみますと,人によってはこの「業報」について詳細な解説を加えています。興味のある方はぜひ,そちらの文献にあたってみてください。ややこしい議論はさておき,ごくかんたんに説明をしておけば,この「業報」こそが仏教思想の中心をなす概念の一つと考えられている,ということです。

 わたしたちに馴染みのことばで言えば「因果応報」ということです。すなわち,善い行為には善い結果が,悪い行為には悪い結果が伴われるというのが因果応報の摂理(「善因善果,悪因悪果)である,というわけです。ですから,いまを,清く,正しく生き,善行を積むこと,そうすれば必ずよりよい生を受けて,ふたたび,現世にもどってこられる,とする輪廻転生の考え方と結びつくことになります。

 それでは,最後にわたしの読解文を提示してみたいとおもいます。

 いま,この世を生きている間は,因果応報の摂理を理解することもできない,過去・現在・未来の存在も知らない,善悪も弁えられない,よこしまなこころしかもたない人間と友だちになってはいけません。まずはなにをおいても,因果応報の摂理こそが私利私欲をはなれた立派な教えである,と理解することです。悪をなす者は地獄に堕ちていきますよ,善を修める者は浄土の世界に近づいていくことができますよ,この教えに嘘偽りはありません。もし,因果応報という摂理が間違っていたとしたら,諸仏はこの世に現れなかったでしょうし,祖師もこの世にやってはこなかったでしょう。

2015年2月22日日曜日

「ランニング・ポリス」(東京マラソンで採用)って,少し変だとおもいませんか。

 
 東京マラソンが「攻撃」のターゲットになっている・・・・。だから,ランナーたちの安全を守るために「ランニング・ポリス」制度を採用した・・・。なにか,もっともらしい話に聞こえますが,どこか本末転倒しているのではないか,とおもうのはわたしだけでしょうか。

 マラソン大会を開催すること自体が危険にさらされている・・・まずは,こういう事態を回避するための智恵・方策こそが求められるべきなのに・・・とおもいませんか。つまり,原因を除去することが先決なのに,対象療法的な小手先の対処でことの本質をごまかそうとしている・・・のでは,と。

 
だれかさんの手法とまったく同じ。テロリストがすべて悪い。だから,テロリストを徹底的に撲滅することだけが「正義」。そのためには手段を選ばず。一般の市民や女性・子どもを巻き添えにしても,すべて許される。この発想自体が狂っているということに気づいていない。いな,気づいていても「みてみないふり」をしている。ましてや,声に出して言うことは憚られる,そういう雰囲気が蔓延している。だから,みんな黙っているだけ。

 そして,これが日常化してしまい,その奇怪しさがふつうになってしまう。それが当たり前に。

 その結果,ゆきついた結論のひとつが「ランニング・ポリス」の登場ではないか。そして,このこと自体が狂っている,奇怪しいとおもう感性すら,すでにマヒしてしまっている,のでは。だとしたら,重病です。

 いま,必要なのは,なぜ,テロリストが生まれるのか,そして,なぜ,テロリストが蔓延しているのか,その原因を明らかにすることではないでしょうか。テロリストを圧倒的な(あるいは,一方的な)「暴力」で排除しようとすればするほど,テロリストが蔓延していくのは,なぜか。そして,この日本の若者のなかにもテロリスト集団に身を投じたいという願望をいだく者がでてくるのは,なぜか。

 いま問われているのは,このことです。

 この悪循環の輪を断ち切るための智恵・方策こそが,いま求められている喫緊の課題ではないでしょうか。

 今日(2月20日)の東京新聞の記事を読みながら,素直におもったことを書いてみました。

2015年2月21日土曜日

じわじわと広がっている放射能汚染。それでも原発再稼働なのか。

 あれからまもなく丸4年になろうとしています。

 
手も足も出せない放射能汚染。空に向かって拡散しつづけ,山林や平地に積もった放射能汚染は雨に流されて河川へ,そして沼や海洋に流れこむ。ただ,これあるのみ。必死になって掻き集めた汚染物質も行き先不明なまま,山積みにされ,放置されるのみ。

 
時間の経過とともに,わたしたちの記憶が徐々に,徐々に薄れていく間にも,放射能汚染はまぎれもなく蓄積され,新たな事態へと進展をつづけています。

 千葉県の手賀沼といえば,東京都からもすぐそこ。その手賀沼の底土が放出セシウムによって高濃度に汚染されている,といいます。ということは,濃度の差こそあれ,東京都の河川や湖沼もそこそこ汚染されている,と考えていいでしょう。

 しばらく前の東京新聞の報じたところでは,東京都新宿区の測定ポイントの放出セシウムが驚くほど高くなっている,とのこと。そのときの測定では,遠く離れた三重県でも高濃度が検出された,といいます。もはや,放射能汚染国家の態をなしつつあります。

 この進み行きに対して政府・自民党は手を拱いているだけ。まるで,「under control」と言わぬばかりに・・・。のみならず,原発再稼働ありきの政策を推し進めつつあります。いったい国民の命をどのように考えているのでしょうか。

 口を開けば,「国民の生活と安全を守るために」とアベ君はまるで「お題目」のように繰り返します。それでいて原発再稼働であり,原発輸出をめざしてまっしぐら。

 いったい,どういう知性と情動の持ち主なのでしょう。そのアベ君を一丸となってサポートする自民党議員たちとは,いったい,どういう「生きもの」集団なのでしょうか。わたしの辞書にはそのための語釈はありません。困ったものです。

 いま,政府自民党のセンセイたちに必要なものは,幼い子どもをもつ母親の「目線」でしょう。そんなにむつかしいことではありません。素直な眼とこころで,この子どもたちの未来を考えるだけでいいのです。政治とはそういうところから出発するものではないですか。アベ君。

2015年2月20日金曜日

『<遊ぶ>ロシア』(ルイーズ・マクレイノルズ著,高橋一彦ほか訳,法政大学出版局,2014年10月刊)を読む。

 『<遊ぶ>ロシア──帝政末期の余暇と商業文化』,ルイーズ・マクレイノルズ著,高橋一彦・田中良英・巽由樹子・青島陽子訳,法政大学出版局,2014年10月刊。6,800円。500ページに手のとどく大部。ハードカバーのしっかりした本です。

 
まずは,手っとり早く,表紙帯のキャッチ・コピーを引いておきましょう。

 「劇場,スポーツ,観光旅行,ナイトライフ,映画・・・・・
 アスリートが映画スターに,給仕はレストランの支配人からエンターテイナーの世界を仕切る帝王へ。
 健康ブームがスポーツ熱を煽り,淑女たちはリングサイトでレスラーに嬌声を挙げる・・・・。
 戦争と革命ではなく,様々に<遊ぶ>ロシアを<余暇>を通して描写する。」

 これを読むだけで,この本の内容の概要はつかむことができます。まずは「スポーツ」ということばに惹かれ,早速,該当ページを探す。第三章 モダンライフとしてのスポーツ(P.95~144.),という魅力的なタイトルがついています。なかの小見出しも,「帝室馬場の民主化」「スポーツとしての狩猟」「運動の教授と体育教育」「ヨットと自転車──移動とスポーツ」「サッカー──チームと工場」「ロシアの女性アスリート」「ロシアのオリンピック選手──スポーツ・ナショナリズムの国際化」,とあります。これは面白そうだとばかりに,そそっかしいわたしは,なにも考えないで,いきなり,この第三章から読み始めました。

 しかし,どうしても,いろいろのところで引っかかってしまって,すんなりと読み進めることができません。わずかばかりのロシアのスポーツに関する知識しかありませんが,それでも,こんなはずではない,こんな叙述でいいのだろうか,と疑問ばかりが湧いてきます。ロシアの歴史研究の仕方もも叙述の仕方もずいぶんと変わったものだなぁ,と不思議におもいながら・・・。これでは,もはや,西側の歴史叙述とどこも違わないではないか,と。さらに読み進んだところで,はっ,と気づきました。ひょっとして,この著者は西側の人?

 あわてて確認しましたら,アメリカ生まれのアメリカ育ちの研究者。2006年からはノース・カロライナ大学で教鞭をとっている,とのこと。

 わたしたちの世代のロシアの歴史研究・叙述といえば,まず,なによりもマルキシズムに則った唯物史観に身を固めた,ごりごりの文章で書かれたものというのが定番になっていました。もっとも,わたしの場合には,ロシア語が読めなかったものですから,当時の東ドイツの文献をとおして,ロシアのスポーツ事情を探っていました。

 たとえば,Enzyklopaedie der Koerperkultur (直訳すれば,肉体文化の百科事典)という当時の東ドイツから出版された,もっとも信頼のおけるといわれた文献がありました。ですから,この文献をとおして,あちこちページをめくりながら,想像をたくましくしていました。とりわけ,この事典の冒頭に,いきなり「史的唯物論」についての,まるで一枚岩のような文章が掲載されていて,ここを読まないことにはさきへは進めさせない,というような印象を与えていました。つまり,ここを理解しないことには,このさきの叙述は理解できませんよ,というわけです。ですから,難解なドイツ語(しかも史的唯物論についての内容も馴染んでいませんので,ほとんど理解不能)を必死になって読んだ記憶があります。

 ここを通過しておくと,あとは,どの項目も同じパターンの繰り返しでしたので,比較的読みやすくなってきました。つまり,史的唯物論の立場から「スポーツ」を語るのはこのパターンしかない,ということがはっきりしてきたからです。

 ですから,「帝政末期の余暇」とくれば,ああ,あのパターンの叙述が展開される,とわたしの頭は勝手に予測を立ててしまっていたというわけです。その頭で,いきなり,読み始めましたので,どうにもひっかかってしまって,前に進みません。変だ,こんなはずではないのに・・・?というわけです。若いころに叩き込まれた情報の刷り込みは深く,いまも鮮明に残ったままです。ですから,その頭を切り換えるには,手間がかかりました。

 アメリカの研究者が,ロシア帝政末期の余暇を語っているのだ,と考えればなんのことはありません。しかし,同時に,また,別の疑問も湧いてきます。歴史を叙述するということはどういうことなのか,と。つまり,時代や社会が変わると歴史叙述の方法も変化する,そういう「歴史」とはいったいなんなのか,と。米ソの冷戦時代の歴史叙述は,お互いに真っ向から対立していました。まさに,「右」と「左」ほどの違いでした。そういう時代が終わり,新しい世界情勢に変化するとともに歴史叙述の方法も変化してきます。そして,いまは,「9・11」以後を生きるわたしたちにとって歴史叙述とはなにか,が問われるようになってきました。日本でいえば,「3・11」以後の歴史叙述は明らかに変わらざるをえませんでした。そして,いまや,「破局」を生きる時代の歴史とはなにか,が問われています。

 そんな視点から,このテクストを読んでみますと,おやおやとおもうことがたくさんでてきます。こんどの土曜日(21日)には,神戸市外大の竹谷和之さんのセットした研究会で,このテクストの訳者2名の参加を得て,合評会が行われます。その場で,訳者お二人のご意見などうかがいながら,楽しい議論ができれば,とおもっています。もちろん,その中核になる議論は,著者のルイーズ・マクレイノルズの歴史観とわたしたちのそれとのすり合わせになろうかとおもいます。楽しみです。

2015年2月19日木曜日

「指定海域外での工事作業を中止せよ」(翁長知事)。それを無視する政府自民党。

 昨年8月に仲井真前知事が許可を出した「指定海域」(「計画書」記載)を無視して,勝手に「海域」を広げてブイを浮かべ,それを固定するための「トンブロック」を海底に沈め,それを鎖でつなぐ工事作業が行われました。その結果,海底の珊瑚礁が著しく破砕されている実態が明らかになってきました(『琉球新報』の写真班撮影)。

 この事実を見届けたところで,これまで慎重姿勢を保ってきた翁長新知事が,ついに伝家の宝刀を抜きました。知事職権の発動です。

 「指定海域外での工事作業を中止せよ」

 この知事権限にもとづく「工事中止命令」をも無視して,沖縄防衛局は夜討ち朝駆けで,反対住民をあざ笑うかのように,工事作業をつづけています。

 さきの「計画書」(昨年8月許可)の末尾には,この計画書に違反した場合には知事権限により工事を中止させることができる,とただし書きがついています。今回の翁長知事の「工事中止命令」はこの付帯事項にもとづく知事権限の発令です。したがって,沖縄防衛局は,まずは,工事を一旦中止し,現状確認のための話し合いに入る,というのが約束です。が,この約束を反故にしたような,最悪の事態がいま進行中です。

 なんということでしょう。

 もはや法治国家の態もなしていません。政府自民党の「暴走」をもはやだれも止めることはできないのでしょうか。そして,沖縄県民の「総意」も完全に無視されたまま,それも法を無視する一方的な国家の「暴力」のもとで,泣き寝入りするしかないのでしょうか。

 こんな馬鹿なことがあってはなりません。断じて許せません。

 まったく考えられもしない事態が起きているにもかかわらず,本土のメディアのほとんどもまた「無視」です。二重の「暴力」構造。その結果,本土の国民の大半が,沖縄でいま起きているとんでもない事態の進み行きを知らないままでいます。そして,その多くが現政権を支持する,というこれまたとんでもない事態が進行中です。もはや,二重,三重,四重の包囲網によって沖縄県民の意思が封殺されようとしています。

 それに引き換え,『琉球新報』も『沖縄タイムス』も,連日,紙面の多くを割いて,いま起きている事態を詳細に報じています。沖縄県民の忍耐も,もはや臨界点に達しています。

 これを書いているわたしも,もはや,我慢なりません。一刻も早く沖縄に飛んで,いま引き受けている仕事を全部反故にして,反対闘争の輪に加わりたい,そんな衝動に駆られています。困りました。

2015年2月18日水曜日

「体重が増えません」(わたし)。「新しい平衡状態で落ち着きます」(主治医)。

 2月16日(月)の診断余話。

 「なにか気になることがありますか」(主治医)。
 「体重が増えません」(わたし,以下同じ)。

 「みたところちょうどいいように見えますが・・・・」
 「60㎏あった体重が52㎏で低迷しています」

 「なんとか元の体重にもどそうと必死で食べています。そうするといくらか体重が増えてきます。しかし,つい調子にのって食べすぎてしまいます。するとすぐに下痢してしまいます。で,気がつけば元の体重にもどっています。」
 「胃を三分の二切除していますから,そんなにかんたんには胃のはたらきも回復することはありません。少し時間がかかります。焦らずに,じっと待つことにしましょう。」
 「でも,ある程度,食べないとどんどん体重が落ちていくのではないかと不安です。」
 「そんなことはありません。あまり多く食べなくても,体重はあるところで安定してきます。」

 「そういえば,元気だったころは体重が増えて増えて困っていました。ですから,いかに少なく食べて満足するか,と必死でした。それでも体重は減りませんでした。」
 「そうです。体重はいろいろの条件の総和で定まってくるものです。食べものや運動だけで体重をコントロールすることはきわめて困難なことです。言ってしまえば,生活のすべてを見直すことからはじめなくては体重をコントロールすることはできません。体重を増やす場合も同じです。」

 「ということは,胃腸が喜びそうな状態を保ちながら,様子をみるということでしょうか。」
 「そうです。いまは胃腸に大きな負担をかけている時期です。ですから,その負担をできるだけ軽減してやること。そして,下痢をしないレベルで食事をコントロールすること。そうすることによって,術後のからだの新しい<平衡状態>が生まれてきます。そこが,稲垣さんの新しい適正体重だとおもってください。」

 「なるほど。よくわかりました。それでは自分なりのやり方で,からだの声に耳を傾けながら,仲良く付き合っていくことにします。」
 「稲垣さんは,ご自分のからだのことをよくわかっていらっしゃるから,大丈夫です。その調子でじっくりと向き合ってみてください。そして,からだが喜びそうな方に導いてやってください。そこが,あたらしいからだの居場所だとおもって・・・。」
 「それなら,ある程度,自信があります。努力目標がはっきりしましたので,つぎの診察まで頑張ってみます。」

 「頑張ってください。期待しています。」
 「ありがとうございました。」

 もともとの60㎏まで体重をもどすことは無理だとしても,55㎏くらいにもどすことはできるのではないか,とおもっていたことが間違いでした。からだというものは,単に胃袋が三分の二なくなっただけの話ではなくて,その余波があらゆるところに波及していて,その総和によってバランスをとっているものだ,ということがよくわかりました。

 どうも,近代栄養学の単純な収支決算法的な発想にすっかり毒されていたようです。一日〇〇カロリーとか,栄養のバランスだとか,数値化された情報に無意識のうちにふりまわされていた,といっていいでしょう。体重というものはそんな単純な仕組みで変化するものではない,ということをしっかりと肝に銘じておきたいとおもいます。

 これから,まったく新しい発想でのからだとのお付き合いがはじまります。なんだか,楽しくなってきました。ここをエンジョイしてみることにしましょう。

2015年2月17日火曜日

池澤夏樹訳『古事記』(日本文学全集・01,河出書房新社,2014年11月刊)を読む。

 池澤夏樹=個人編集『日本文学全集』全30巻が河出書房新社創業130周年記念企画として刊行されるという話題は,雑誌や新聞でちょこちょこと眼にしていました。しかし,正直に言ってしまうと,へーえ,池澤夏樹ってそんなに偉いんだ,くらいの認識でしかありませんでした。なぜなら,池澤夏樹という作家の作品はデビュー当初はいくつか読んでいましたが,あまり好きになれないなぁ,という印象でした。そのまま,なんとなく遠ざけていました。

 今回のこの刊行も,書店に行けば目立つところに平積みになっていましたので,ふーん,ピンクかぁ,それにしても厚い本だなぁ,と眺めるだけ。手にとろうとはしませんでした。なぜなら,もう,何人もの手になる「現代語訳」がでていて,そのほとんどを買って読んでいたからです。ですから,いまさら『古事記』の新訳かぁ,といささか辟易としていました。

 
なのに,あるとき,なぜ,こんなに分厚いのだろう?とおもったのが間違いのはじまりでした。つい,わたしの右手が伸びていき,本を開いてた間から池澤夏樹のマジックにひっかかってしまいました。なんじゃ?この本は?あちこちのページをめくりながら,そのままほぼ1時間ほど立ち読み。あらかた読んでしまったも同然。なのに,まっすぐカウンターへ。

 結論から入りましょう。とんでもない本です。このひとことでつきています。池澤夏樹が好き勝手に『古事記』を切り刻んでしまい,まったく別物のというか,まったく違う雰囲気の物語に仕上げてしまっているのです。少なくとも,わたしにはそんな印象をつよく与えました。なぜなら,これまで読んできたどの「現代語訳」ともまったく異なる「仕掛け」がしてあって,そのせいか,まったく新しい物語を読んでいるように感じたからです。

 その池澤夏樹マジックの「仕掛け」をここで一つひとつ解説するのも不粋な話ですので,割愛。ただ一点だけ,わたしが「あっ」と納得したことについてだけ,触れておきたいとおもいます。

 池澤夏樹は『古事記』を徹底して「文学」として扱っている,ということです。日本文学全集の第一巻として『古事記』を位置づけたのですから,当然といえばあまりに当然のはなしです。しかし,わたしがこれまで読んできた「現代語訳」は,みんな日本古代史の謎解きに迫ろうとする,いわゆる正攻法。もっと言ってしまえば,アカデミックな姿勢を貫いていました。もっとも,なかには「ふざけた」現代語訳もありましたが・・・。それは別として,みんな本居宣長の呪縛のなかでの「芸」の見せ合いをしている,そんな印象でした。

 しかし,池澤夏樹はそんな呪縛から解き放たれた,別次元の世界に,つまりは「文学」の世界に,この『古事記』を投げ出して,その上で「鑑賞」しようと試みたのです。ですから,いわゆる逐語訳のようなことはいっさいせず,大意を思い切った手法でアレンジし,「翻訳」(池澤夏樹によれば,翻訳とは「熟読」することだ,といいます)しています。それだけでは理解不能とおもわれる人名,地名などについては脚注で,これもごくかんたんに説明するだけです。

 『古事記』の世界にある程度,通暁している読者であれば,脚注を無視して,本文だけを追っていくことをお薦めします。しかも,だれだれの娘を妻として生んだ子ども,だれだれ・・・,以上3名,というようなところも軽く流して,物語らしいところだけをしっかり読むと,まったく新しい古事記ワールドの世界が開けてきます。少なくとも,わたしにはそうでした。

 しかも,その結果,日本古代は,かなりのちの時代まで「混沌」としており,たくまざる権力闘争が繰り広げられたのだ,と確信するにいたりました。「万世一系」の天皇家などというでっちあげ(藤原不比等,など)をしなければならないほど,カオスの世界であった,ということもより明白になりました。とりわけ,推古から持統までの,あの時代はいったいなんだったのか,と。

 これからも,ちょっとした時間があったら,面白い物語の部分だけでも拾い読みして,楽しんでみようとおもいます。

 というところで,池澤夏樹の『古事記』のご紹介まで。

2015年2月16日月曜日

「中の上」というところ。2月の診察結果。まずまず。

 今日(2月16日)は月1回の診察の日でした。
 いつものように朝早く病院にでかけ,まずは,採血。その血液検査の結果をまって診察。

 主治医のNさんの第一声。血液検査の結果は「中の上」ということろですね。
 「中の上」とはどういう意味ですか,とわたし。
 これまで何回も血液検査をしながら経過を観察してきましたが,徐々に回復してきており,ようやく標準値をやや上回るところまできた,ということです。つまり,とても順調ということです。

 でも,胃腸の機能はまだ完璧ではありません。ついつい食べすぎると下痢をしてしまいます。でも,その下痢はたった一回だけで,もとにもどりますので,そんなには心配していませんが・・・。
 大きな手術をしたあとですから,胃腸の機能が完全にもどるには時間がかかります。その程度で落ち着いているということは,よい傾向だとおもいます。

 最近になって気づいたのですが,食べものによって胃が喜んだり,嫌がったりしていることがあります。ですので,ここを基準にして胃が喜ぶものを食べるように努力しています。胃が嫌がる食べものにはそれなりの理由があるとおもいますので,できるだけ避けるようにしています。こんな食事のとり方でいいですか。
 そういうことがわかるというのは素晴らしいことです。そして,そういうことがご自分できちんとできるのであれば,あとは心配ないですね。胃腸のはたらきを支援したり,促進するような薬を出すこともできますが,その必要性ないようですね。
 はい。長年,薬とはできるだけ無縁のままに暮らしてきていますので,わたしのからだそのものは自力で回復することの方が慣れているとおもいます。
 ああ,そうですか。では,そうしましょう。

 さて,次回はいつにしましょうかねぇ(と言いつつ,パソコンでカレンダーを開く)。
毎月でなくてもよければ,少し間を空けるというのはどうでしょうか。
 そうですね。とくに問題はなさそうですので・・・。では,二カ月後(4月)にしましょうか。そして,その二カ月後(6月)には,少し詳しい検査をすることにして,様子をみることにしましょう。
 はい,わかりました。では,そういう計画でよろしくお願いいたします。

 以上で,今日の診察は終わり。あとは,例によって,ちょっぴり雑談。

 この調子でいけるとなれば,やはり,QOLを選択してよかったとしみじみおもいます。なぜなら,抗ガン剤の副作用による閉塞感は相当に大きく,わたしのからだにはかなりの負担になっていた,といまごろになってよくわかるからです。ですから,自力の免疫力を高めて,癌転移のリスクに備える方が,わたしの場合には合っているのではないか,としみじみおもいます。

 今日の結果良好をバネにして,これからは少しでも多く,自分にとって楽しいとおもわれる時間を確保していきたいとおもいます。4月の桜の花の咲くころには,胃腸の機能もしっかりしてくれることを期待したいとおもいます。

 以上,今日の診察結果のご報告まで。

2015年2月15日日曜日

「坐禅は,悟りの手段ではなく,悟りそのものである」(道元)。

 「観音導利興聖宝林禅寺」。通称「興聖寺」(こうしょうじ)。日本で最初の中国式僧堂。道元が中国の如浄禅師から「正法」(しょうぼう)を面授され,帰国後に,最初に建てた僧堂,それがこの通称「興聖寺」です。

 しかし,わたしの眼は最後の「宝林禅寺」という名称に釘付けになっています。なぜなら,わたしの母の実家が禅寺で,その寺の名前が「宝林寺」。この寺に,アメリカ軍の空襲(いまの「空爆」と同じ)により焼け出され,すべてを失って着の身・着のまま疎開し,ほぼ1年,寄留生活をしていたことがあります。文字どおりに読めば「ほうりんじ」のはずなのに,なぜか村の人たちは「ほうれんじ」と呼んでいるように聞こえ,不思議におもった記憶があります。

 僻村にしては立派な門構えの寺で,子どもごころにも,どことなく誇りを感じていました。村の人たちのまなざしも暖かく,親切にしてくれました。疎開してまもなくは,通学(国民学校,いまの小学校の2年生)の途中で村の人に挨拶をすると,初めて逢った人はかならず声をかけてくれました。
「あんた,どこの子だん?」「宝林寺」と答えると「ほいじゃぁ,たえちゃんの子かん?」「うん」「ほいじゃぁ,いい子だのん」「?」
 このとき,寺の子は「いい子」でなくてはならないのだ,と知りました。が,我が意に反して,悪さばかりするとんでもない子として育ちましたが・・・・。

 敗戦直前から敗戦直後の,ほぼ1年,この寺で生活をしました。天皇による「玉音放送」もこの寺で聞きました。当時,寺の住職をしていた大伯父もまだ若々しく,とても元気でした。夏の風呂上がりにはふんどし一丁で涼をとっていた姿が印象に残っています。逆三角形の筋肉隆々たる上半身はみごとでした。恐るおそる近寄って,肩の筋肉にそうっと触ると,にっこり笑って「おしも大きくなったら柔道をやりゃあいい」と教えてくれました。

 この大伯父が,いま考えてみると,世を達観したような日常の立ち居振る舞いをしていました。それはみごとというほかはない,淡々とした生き方でした。この話をはじめますとエンドレスですので,今回は割愛。

 でも,ひとことだけ。どうやらこの大伯父は「道元」さんの存在をつねに意識しながら生きていたのではなかったか,とこれも今回の発見でした。なぜなら,この大伯父が「観音導利興聖宝林禅寺」の存在を知らなかったはずはないでしょうし,道元が「常住坐臥これ坐禅」と説いた話も,「身心脱落」(しんじんだつらく・しんじんとつらく)して悟りに達した話も,「修証一等」(しゅしょういっとう)を説いた話も,みんなからだの中に叩き込まれていたに違いありません。そして,それをみずから実践しておられたのではないか,と。つまり,道元さんのいう意味での「坐禅」に徹して生きておられたのではないか,と。

 わたしは子どもごころに,「宝林寺」の意味がわからず,不思議で仕方がありませんでした。「宝の林の寺」とは,いったい,どういうことなのか,と。いつか,大伯父に聞いてみようとおもいながら,ついに,そのチャンスを逸してしまいました。が,いまごろになって,ようやくその意味がこころの底から腑に落ちました。

 すべては道元さんが建てた僧堂「観音導利興聖宝林禅寺」の名づけのなかにある,と。不粋ながら,この僧堂の名づけの意味を,わたしがどう読み取ったかを明らかにしておきましょう。

 観音さまがお釈迦さまの教え(「正法」)を導いてくれる禅寺,そして,聖なるものを説き興こし盛んにしてくれる禅寺,だから,ありがたい宝ものがいっぱい詰まった禅寺,これがわたしの建てた禅寺です,とこれは道元さんのこころの底から発せられた一大決意であり,その宣言である,と。

 観音さまとは『般若心経』の冒頭に登場します「観自在菩薩」のことです。そして,『般若心経』は衆知のようにお釈迦様の説いた「正法」のエキスを集約して,観音さまが舎利子(修行僧)に説いて聞かせているお経です。ですから,禅寺では毎朝のお勤めは『般若心経』の読経からはじまります。大伯父もまた「宝林寺」の朝を『般若心経』の読経からはじめていました。

 道元さんもまた,「観音導利興聖宝林禅寺」の朝は『般若心経』をあげることからはじめていました。そして,修行僧に向かって,声高らかに宣言したことば,それが今日のブログのテーマです。

 「坐禅は,悟りの手段ではなく,悟りそのものである」,と。

 すなわち,「修証一等」。

 鎌倉時代の仏教界に衝撃が走りました。なぜ? この問題はいつかまた。 

2015年2月14日土曜日

「東京五輪2020」を政治利用しようとしているアベ君にひとこと。

 アベ君! やろうとしていることは逆だよ。施政方針演説のなかで「私たち日本人に2020年という共通の目標ができた」とちらつかせ,集団的自衛権の行使や憲法改正(改悪・とくに9条にかんしては)を正当化しようという下心がみえみえ。

 今日(2月14日)の東京新聞「こちら特報部」で,改憲問題を大きくとりあげています。その最後のところに,「『2020へ共通目標』東京五輪の機運利用される?」という見出しの記事が掲載されています。この問題に警告を発している高良鉄美(琉球大学教授・憲法学)さんのことばを引いておきましょう。

 「20年の東京五輪が近づくにつれて『新しい時代を迎える』という空気がつくられ,国威発揚の動きも強まる。これを利用し,改憲の動きが加速するのではないか。十分な議論がなく,何となくの雰囲気の中で質の悪い改憲案が通るのが怖い」。

 高良さんの仰るとおりで,すでに,アベ君は「東京五輪2020」を視野に入れた三味線を弾きはじめています。これからもっともっとけたたましく弾きはじめることでしょう。「東京五輪2020はテロに狙われて危ない。国民の命と安全を守るために・・・・」という常套句を用いて,情熱をこめて(最近の演説がヒトラーに似てきて怖い)世論操作をはじめるのは眼にみえています。

 しかし,アベ君。思考のヴェクトルがま逆ですよ。改憲をして軍隊をもてば「安全」なのではなくて,ますます「危険」にさらされることになるんですよ。しかも,オリンピック・ムーブメントの基本は「平和運動」ですよ。アベ君の考える「積極的平和主義」は,いくら美辞麗句を並べ立てて誤魔化そうとしたところで,しょせんは武力に守られた,戦闘力を前提にした「平和主義」でしかない。戦争も辞さない「東京五輪2020」なんて,日本国民の多くは望んではいません。

 そうではなくて,「憲法9条」を死守していくことこそが,真のオリンピック・ムーブメントの「精神」を推進していくための,ほんとうの「力」になる,ということをお忘れなく。そして,「憲法9条」の旗印のもとで「東京五輪2020」をデザインし,その内実を構築し,実践していくことこそが,国際社会での日本国の地位を確保する唯一無二の道だ,ということを。

『スポートロジイ』第3号の編集にとりかかる。特集はアフリカ・ダン族のすもう「ゴン」と太極拳。

 ようやく元気がでてきました。でも,以前のフットワークに比べれば半分くらいです。が,それでもまわりにみえる景色はとてもよくなってきました。ここでこの勢いに乗らないとタイミングを逸してしまうと考えました。一歩だけですが,前に出よう・・・・と。

 思い返せば,去年のいまごろは入院生活の真っ只中。典型的な古典的胃潰瘍という初診から一転して,癌の疑いがでて,組織検査。一回目は「白」。ほっとしていたら,もう一度,組織検査をやるという。こんどは7個とって5つが「黒」。最終的な判定はステージ「3-C」。胃の三分の二を切除する手術について,執刀医から詳しい説明を受ける。何枚もの承諾書にサインをして,17日に手術。経過はすこぶるよくて27日には退院。その間,窓からみえる景色が真っ白になるほどの降雪が2回。その景色を不思議な気分で眺めていましたが,わたしの脳裏に閃いていた直観(予感)は「治る」というものでした。なんの根拠もなく,ただ「治る」と。あるとしたら,からだの「芯」の部分に感じる「力」のようなものでした。

 予定していた『スポートロジイ』第3号の編集・刊行も,遅ればせながら,なんとかとりかかれるのではないか,とそのタイミングを計っていました。

 日に日に元気がでてきて,予想以上の回復ぶりで,自分でも気分をよくしていました。が,5月からはじめた抗ガン剤治療が,わたしのからだには合わなかったようです。これで,折角,元気になってきたからだが相当のダメージを受けることになり,苦しむことになりました。もっとも気がかりだったのは,からだの「芯」の部分の「力」が,どんどん低下していくことでした。これはよくない傾向だ,と。かなり細かく自分のからだの状態を観察しながら,様子を伺っていました。が,抗ガン剤治療を5カ月つづけたところで 決断をしました。これ以上つづけては駄目だ,と。そこで,主治医にはQOLを選択したいと相談し,いまにいたっています。

 ことしの1月中旬くらいから,からだの「芯」の部分の「力」にしっかりとした手応えのようなものを徐々に感ずるようになりました。よし,これでいける,と。2月に入ったところで,丸一年,遅れをとってしまった『スポートロジイ』第3号の編集・刊行にとりかかろう,と腹を決めました。そして,いま,すでに届いている原稿を整理しながら,できあがった原稿から順番に出版社に送信をはじめたところです。あと少しで,原稿の整理が終わります。予定している原稿を全部,出版社に送信することができれば,こんどは「目次」づくりです。そして,「刊行のことば」と「編集後記」を書けば,初校ゲラ作成に入ることになります。

 いまのところの見通しでは,特集は2本。1本は,真島一郎さんの論考を中心にしたアフリカ・コートジボアールのダン族のすもう「ゴン」,もう1本は,劉志さんの「太極拳と道家思想」を中心とした「太極拳」です。

 この他の目玉は,西谷修さんの講演「デュピュイをどう読むか」の再録です。実際の講演録に徹底的に手を加えた素晴らしい読み物になっています。現代社会の根源的な問題を考える上での,きわめて示唆に富んだ内容になっていますので,ご期待ください。近代合理主義(あるいは,近代科学主義)という考え方が徹底して排除してきた「聖なるもの」との折り合いのつけ方こそが,いま,問われている,としみじみ感じます。デュピュイのいう「聖なるもの」をどう読み解くか,西谷さんの透徹したまなざしとその精緻な分析には,近代科学主義を超克していくための不思議な魔力のようなものさえ感じられます。ご期待ください。

 というようなわけで,このまま順調に編集作業が進展していけば,春にはなんとか刊行に漕ぎつけるのではないか,と楽しみにしています。また,そのつもりで頑張りたいとおもっています。

 取り急ぎ,近況のお知らせまで。

2015年2月13日金曜日

沖縄のいま。まるで治外法権か。アベ君のやりたい放題。ハチャメチャ。

 イスラム国人質問題がメディアを独占している間に,沖縄ではたいへんなことが唯々諾々と進行しています。アベ君のおもうツボというところ。こまったものです。

 昨日(12日)の施政方針演説でも,沖縄問題に触れたのはほんのわずか。しかも,その内容にあきれはててしまいます。短いので引いておきましょう。(『東京新聞』演説全文より)。

 現行の日米合意に従って,在日米軍再編を進めてまいります。3月末には,西普天間住宅地区の返還が実現いたします。学校や住宅に囲まれ,市街地の真ん中にある普天間飛行場の返還を,必ずや実現する。そのために,引き続き沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら,名護市辺野古への移設を進めてまいります。今後も,日米両国の強固な信頼関係の下に,裏付けのない「言葉」ではなく実際の「行動」で,沖縄の基地負担の軽減に取り組んでまいります。

 たったこれだけです。しかも,売り文句だけを強調して,内実はウソで固めた恐るべき内容になっています。よくもまあ,国会の場で,しかも施政方針演説で,こんのウソをいけしゃあしゃあと言えるものだと,開いた口がふさがりません。これで本土の人びとの圧倒的多数の支持がえられるとソロバンをはじいた上での発言です。それほどに国民はバカにされているというなによりの証拠。

 もう一度,しっかりとそのウソを検証しておきましょう。

 「引き続き沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら,名護市辺野古への移設を進めてまいります」・・・そうですか。「引き続き」沖縄県民の意思を無視し,翁長県知事が二度も本土にやってきて会見を申しいれても会おうともせず無視し続けながら,「名護市辺野古への移設を進めてまいります」ですか。

 翁長知事が,仲井真前知事が許可した移設工事の手続に瑕疵がなかったかどうかを調査する委員会を立ち上げ,その結論がでるまで「工事延期」を求めているにもかかわらず,これも「無視」して工事を加速させています。しかも,その工事内容も仲井真前知事が許可した内容を大きく逸脱しているのも承知の上で,強行突破をはかろうとしています。もちろん,話し合いにも応ずることなく「無視」です。

 一方,名護市議団は,沖縄防衛局を訪ね,辺野古移設に反対し,作業中止を求める意見書を井上局長に手わたしました。しかし,局長は「これまで通り作業を続ける」と応答。ここも軽く「スルー」した上で無視。

 また名護市議団は,那覇市の第十一管区海上保安本部と県警本部を訪れ,「移設先周辺で辺野古反対派の市民が続ける抗議活動への警備で負傷者が出ていると抗議」しました。しかし,こちらも確たる応答もなく無視。

 こうした市民の抗議活動では,県警や海上保安局による「暴行」は日常茶飯,怪我人も続出,そのうち3人は「特別公務員暴行陵虐致傷容疑で那覇地検などに告訴状を提出しています。にもかかわらず,県警も海上保安局も,その過剰警備の手をゆるめようとはしていません。それどころか,さらに警備が「過激」になりつつある,と地元紙の『琉球新報』も『沖縄タイムス』も,連日,詳細に報じています。

 こうした沖縄のすさまじいばかりの「現実」を百も承知の上で,アベ君は,すべて「無視」して,正々堂々たる「ウソ」を国会の場で述べ立てているわけです。

 もう,この国はとっくのむかしに「破綻」をきたしています。そのことに多くの国会議員や国民が気づいていない,これが最大の悲劇です。

 「裏付けのない『言葉』ではなく実際の『行動』で」,沖縄県民を騙しつづけます,とアベ君は声高らかに宣言しました。そして,みごとに,それを「実行」しています。たいしたものです。だれも真似のできない「芸」としかいいようがありません。もはや,ハチャメチャ,です。

 その責任は,そのハチャメチャを許しているわたしたち国民にあります。そのことも忘れてはなりません。いまこそ,声を挙げるべきときです。できるところから・・・・。その自覚と覚悟がなにより大事です。

人間は自然存在(Naturwesen)であると同時に文化的存在(Kulturwesen)です。すなわち,絶対矛盾的存在。

 
 この稿は,いま,少しずつではありますが,書きついでいるシリーズ「スポーツ学」とはなにか,を始める前の書きかけのものでした。もう棄ててしまおうとおもっていましたが,なんだか棄てきれず,残しておいたものです。しかし,いま,読み返してみますと,これはこれで面白かろうとおもいましたので,少し手を加えて,公開することにしました。

 その稿は,つぎのような書き出しではじまっています。

 まことに唐突ですが,かねてから構想中の「スポーツ学」の骨格について,そろそろ世に問うてみたいと考えるようになりました。そこで,まずは,「スポーツ学事始め」の先鞭をつける意味で,「スポーツ学宣言」のためのラフ・スケッチをしてみようと思い立ちました。まだまだ,ほんとうに荒っぽくて,素朴なラフ・スケッチにすぎません。が,まずは,どんなものになるのか,その全体像を明らかにしてみたい,という程度のものです。ご一読の上,忌憚のないご意見や感想などをお聞かせいただければ幸いです。以上が前置き。

 「スポーツ学とはなにか」

 人間は自然存在(Naturwesen)です。と同時に,人間は文化的存在(Kulturwesen)でもあります。ということは,人間は自然存在でありつつ文化的存在である,という相矛盾した存在であるということです。つまり,絶対的矛盾を内に秘めた存在である,というわけです。

 別の言い方をすれば,人間は本能的で情動的な動物であると同時に,情緒的で理性的で知的な生を営む生き物でもある,ということです。もっと言ってしまえば,動物であると同時に人間であるという,股裂き状態,あるいは宙づり状態を生きる生き物である,ということです。

 わたしたちが生きることの困難,悩み,苦しみ,矛盾,苦悩をはじめとする苦難や,折にふれて泣いたり笑ったりする喜怒哀楽の感情が表出する源泉はここにあります。

 この厳然たる事実を確認したところで,まずは,結論のもっとも重要なところをさきどりしておけば以下のようになります。

 スポーツは,動物的な闘争本能を,人間的なルールによって止揚し,成立する文化です。つまり,動物性と人間性という人間存在の根源的な矛盾をそのまま引き受け,理性的なルールによってバランスをとり,コントロールすることによって初めて成立する,文化の一つの様式です。ですから,人間が内包するあらゆる能力を全開にしつつ,止揚することが要求される,人間存在のすべての要素が動員されるきわめて重要な文化なのです。したがって,スポーツに精通するということは,心技体の総合的な能力を錬磨し,そのレベルを高めると同時に,ひとりの人間としての完成をめざすことになります。スポーツ学はその道を極めるための根幹となる学問領域なのです。

 このことを確認した上で,さらに,思考を深めていってみたいとおもいます。

 人間は,自然の中にあって,その中で生を営む生き物です。つまり,海や川や山や平野の中にあって,それらが生みだす恵みをいただくことによって,わたしたちは生きているのです。つまり,きれいな水や空気に守られ,植物や動物のいのちをいただくことによって,わたしたちは生きているのです。ですから,こうした自然環境や動植物のいのちを無駄にしてはなりません。そのことに気づくところから,おのずからなる「もったいない」というこころが芽生えてきます。

 これが自然存在である人間のありのままの姿です。わたしたちは,まず,この事実をしっかりと銘記しておきましょう。

 この自然存在であると同時に文化的存在である人間にとって,スポーツとはなにかと問う学問,それが「スポーツ学」(Sportology)です。この学問は,これまでにはなかったまったく新しい視座に立つ学問です。日本中,いや,世界中を探してみてもどこにも存在しない画期的な学問です。そのなによりの根拠は,Sportology という英語そのものもわたしの発案になる和製英語です。この英語を日本から発信しようというわけです。

 では,なぜ,いま,「スポーツ学」なのでしょうか。それは,21世紀という時代や社会や世界が要請しているからです。なかでも,「9・11」と「3・11」は現代という時代のかかえる諸矛盾をまるごと映し出す象徴的なできごとでした。このできごとを契機にして,わたしたちは好むと好まざるとにかかわらず,ありとあらゆるものの見方や考え方を根源から問い直す必要に迫られることになりました。〔この点については,のちほど,もっと詳しく説明をする予定です〕。その結果,スポーツの世界もまた例外ではありませんでした。そうして,熟慮に熟慮を重ねた末に到達した結論が「スポーツ学」という発想でした。

 その意味でも,「スポーツ学」は日本から世界に向けて発信する,まったく新しい学問である,といっていいでしょう。その新しい学問を立ち上げる現場にいま,わたしたちは立ち会っているのです。世界の最先端に立つ新たな学「スポーツ学」の構築に向けて。ですから,この新しい学をどのような方向に導いていくのか,その内容をいかに構築するのか,ということについては関連するあらゆる分野の専門家の叡知を結集することが必要です。

 その具体的な作業はこれからです。そのためには多くの人たちの情熱的な協力が不可欠です。

 そのためには,まずは,議論のための「たたき台」が必要です。そこで,以下には,そのたたき台となる「スポーツ学」の具体的な骨格について提案してみたいと思います。

 「スポーツ学」は三つの柱を想定しています。
 一つは,スポーツ実践学。
 二つ目は,スポーツ科学。
 そして,三つ目は,スポーツ文化学。
 この三つです。

 まず最初のスポーツ実践学から,順に,いま考えていることを,ごくかんたんに触れておきますと以下のようになります。

 スポーツ学の目玉は「スポーツ実践学」です。基本的には,スポーツ科学とスポーツ文化学とを車の両輪とし,具体的なスポーツ実践の学の構築をめざします。ここには,大きく分けて三つの分野があると考えています。一つは生涯スポーツ,二つには競技スポーツ,三つには学校体育です。これらの分野には,すでに多くの「実践」の叡知が蓄積されています。しかし,初心者からベテランに至る「実践」のノウハウは,個人的な名人芸であったり,ある特定のグループのトップ・シークレットであったりして,そのスタンダードを共有するところには達していません。そのスタンダードを共有し,さらにブラッシュ・アップしていくこと,それがスポーツ実践学のめざすところです。

 二つ目のスポーツ科学については,すでに,多くの実績を積んできており,しかも公開され,共有されてきています。ですので,それらのもつ可能性と限界を見極めつつ,いかなる専門領域がこんごも有効かどうかを検討し直して,再構築していくことになろうかとおもいます。そこにこそ多くの議論と叡知が求められることになるでしょう。

 三つ目のスポーツ文化学の中核になる学問は,スポーツの思想・哲学とスポーツの歴史です。つまり,哲学と歴史を中核に据えないスポーツ文化学は,ゆくさき不明の迷い舟となってしまいます。この二つは「スポーツ学」の根幹をなすと言っても過言ではありません。このスポーツ文化学のなかで,きわめて重要だと考えている学は「スポーツ人間学」です。まずは,人間とはなにかを問い,そして,スポーツをする人間とはなにかを考える領域です。この「スポーツ人間学」に,さらにどのような学を加え,スポーツ文化学の全体を構想するかは,これからの議論に委ねたいと思います。

 さて,最後にもう一度,スポーツ実践学にもどって,この稿のまとめをしておきたいとおもいます。

 スポーツを実践するのは,生身の生き物,すなわち自然存在である人間であると同時に,社会的なルールやマナーを身につけた文化的存在である人間でもあります。最初に書きましたように,この絶対的矛盾を内に秘めた人間がスポーツを実践すること,このことの意味はどこにあるのかということを明らかにしておきたいとおもいます。

 長くなっていますので,手短に結論部分だけを書いておきますと以下のとおりです。

 西田幾多郎のいう「絶対矛盾的自己同一」を実現すること,この一点にあります。人間の内なる動物性と,後天的に身につけることになる人間性とを「自己同一」させること。大相撲の世界では「心・技・体」ということがよく言われます。スポーツ実践においても同じです。日々の練習をとおして「技能」を高めていくこと,そのことによって「心」と「体」とが一つに結びつくことになります。トップ・アスリートとは,この理想を体現することができた人,と言っていいでしょう。このことは,生涯スポーツや学校体育についても同様です。

 これらの各論については,また,稿をあらためて論じてみたいとおもいます。それは,いま,展開していますシリーズ「スポーツ学」とはなにか,のなかで試みてみたいとおもいます。その一部は,すでに,論じておきましたので参照していただければ幸いです。

2015年2月12日木曜日

慶応病院の「怪」。恐るべき近藤誠医師叩き。定年後に,恩を仇で返す仕打ち。

 これだけは書かないでおこうかと迷いましたが,医療現場でいまなにが起きているのか,その実態を共有することの方が大事だと考え,書くことにしました。

 まずは,まっさらなこころで,以下の要望書を読んでみてください。

 「慶応義塾大学病院放射線治療科への紹介に関する要望書
 ここ約一年,近藤誠がん研究所から慶応義塾大学病院放射線治療科にご紹介いただいた患者さんに対応してまいりましたが,連携する他科の中には近藤誠先生からの紹介というだけで過剰な反応を示す医師も少なくありません。
 今までも他科との連携を取ることが困難な事例が複数あり,我々医療スタッフの負担増大,なによりも患者さん自身にも円滑に治療が進められないなどの不利益が生じてしまっています。
 放射線治療科外来担当医全員の意見として,次の事項について要望いたします。
                記
 慶応義塾大学病院放射線治療科への患者さんの紹介は,近藤誠がん研究所からではなく,紹介元病院の担当医からしていただきたい。」

 この要望書は,近藤誠著『何度でも言う がんとは決して闘うな』(文春文庫,2015年1月刊)の「文庫版のためのあとがき」(P.344~345.)に掲載されているものを転写したものです。

 この要望書の前段には,近藤誠医師のことばとして,つぎのように書かれています。
 「研修医になって以来,四十一年勤続していた慶応義塾を2014年3月末に定年退職したところ,一週間もたたないうちに古巣の慶応大学病院放射線治療科から封書が届きました。何かと思って開けたら以下の文面です。がん治療現場で医者たちが何を考えているのか,患者ないし患者予備軍の読者には知る権利があると思うので,全文を掲載します。」

 近藤誠医師の名誉のために少しばかり補足しておきましょう。近藤医師は,この絶縁状を突きつけられた慶応義塾大学病院放射線治療科に定年まで勤務しており,まさに,行列のできる医師として勇名を馳せていました。いうなれば,近藤医師はその後輩(=放射線治療科外来担当医)たち全員から,貴方の紹介による患者さんの治療はしない,と拒絶されてしまったというわけです。なんということでしょう。あの名だたる慶応病院ですよ。有名人が大好きな・・・。もっとも,以前から慶応病院は奇怪しいという風評がなかったわけではありませんが・・・。しかし,こんなあからさまな絶縁状を,定年退職直後の先輩医師に対して突きつけるところだとは・・・・。だれが想像したでしょうか。

 ちなみに,近藤医師は,別の著書のなかで「慶応義塾大学病院放射線治療科は,けして居心地の悪いところではなかった」と書いています。ということは,直接,顔を合わせれば,ふつうに対応する医師たちが,こころの中では鬼のように怒り狂っていた,ということなのでしょう。定年で辞めたのを合図に,本音をぶちまけた,というのが実態のようです。なんともはや,まるで伏魔殿のようなところではないですか。

 近藤医師は若いときからじつに研究熱心なひとで,がん治療に関する国の内外の研究成果を総ざらいしながら,がん治療のためのもっとも合理的(科学的)な方法を模索しつづけてきた方です。そして,特別の場合を除き,原則として,がん治療は放置しておくのが一番いいという結論に立ち,その姿勢を貫いてきたひとです。しかも,その実績もあげています。学会にもでかけていって講演もし,研究発表もして,反論があったらいつでも反論してほしい,と身を投げ出して格闘してきた医師です。議論でも,ディベートでも,いつでも受けて立つと宣言して,著作にも取り組んできました。まさに,ひとりわが道を行く,という孤軍奮闘でした。

 こういう医師としての活動を許容してくれる慶応病院は,やはり,いい病院だ,と自画自賛さえしていた近藤医師です。それが,定年退職と同時に,後輩医師たちの突然の君子豹変であり,裏切られてしまった,ということです。なぜ,このようなことが起きるのか,近藤医師は上記の著書の「文庫版のためのあとがき」のなかで,ごく簡単に手際よく説明しています。それを読みますと,われわれ患者の側からは想像もつかない空恐ろしい「力」が医療の現場を支配している,ということがわかります。医師たちは,その「力」に押しつぶされてしまっているにすぎない,と近藤医師はむしろ弁護しているほどです。

 ぜひ,書店で,この「あとがき」だけでもいいですからご覧になってみてください。そうすれば,このような異常事態が,慶応病院だけの問題ではない,ということも明らかになってきます。しかも,これは世界的な異常事態なのだ,ということもわかってきます。むしろ,現代という時代が,いかにして,どのような「病んだ」社会を生みだしているのか,ということを浮き彫りにさえしてくれます。空恐ろしい時代をわたしたちはいま生きているのです。いや,生かされているのです。その軛から離脱し,移動することが喫緊の課題であることは,もはや,論を待ちません。

 その軛とは,経済原則に絡め捕られてしまった医療システム,ということです。つまり,医療が単なる金儲けの手段になってしまっている,ということです。

 近藤医師は,孤軍奮闘,その軛からの離脱をはかろうと必死で格闘している,と言っていいでしょう。立花隆さんとの対談も雑誌に掲載されて,話題になりました。持論を展開した多くの著作も高く評価され,文藝春秋賞を受賞されています。そして,最近では,少しずつではありますが,良識的ながん専門医は,近藤方式をアレンジして活用・併用するようになってきています。いまは大きな過渡期にあるのかもしれません。

 「医は仁なり」といいます。ひとりでも多くの赤ひげ先生が出現せんことを祈っています。

2015年2月11日水曜日

「無常(むじょう)憑(たの)み難(がた)し」。『修証義』第3節。

 無常ほど頼りにならないものはありません,と第3節は切り出しています。まずは,第3節の全文を挙げておきましょう。

 「無常(むじょう)憑(たの)み難(がた)し,知(し)らず露命(ろめい)いかなる道(みち)の草(くさ)にか落(お)ちん,身(み)已(すで)に私(わたくし)に非(あら)ず,命(いのち)は光陰(こういん)に移(うつ)されて暫(しばら)くも停(とど)め難(がた)し,紅顔(こうがん)いずくへか去(さ)りにし,尋(たず)ねんとするに〇跡(しょうせき)なし,熟(つらつら)観(かん)ずる所(ところ)に往時(おうじ)の再(ふたた)び逢(お)うべからざる多(おお)し,無常(むじょう)忽(たちま)ちに到(いた)るときは国王(こくおう)大臣(だいじん)親〇(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子(さいし)珍宝(しんほう)たすくる無(な)し,唯(ただ)独(ひと)り黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり,己(おの)れに随(したが)い行(ゆ)くは只(ただ)是(こ)れ善悪(ぜんなく)業(ごう)等(とう)のみなり」。

 ※ワープロ機能の漢字レベルが低いために,打ち出せない漢字については「〇」としておきました。そこに入る文字は,下の写真で確認してください。お許しのほどを。

 
この第三節でもむつかしいことはなにも言ってはいません。毎日変化する日常なんてなんの当てにもなりませんよ。人の一生などというものはあっという間のできごと。気がついたときには死ぬときを迎えていますよ。死ぬのはたった独り。だれも助けてはくれません。一緒についてくるのは生涯にわたって自分で積み上げた「善悪の業等」だけですよ,と説いています。大意はこんなところです。もう少し詳しい読解は,最後に述べてみたいとおもいます。

 ここではまず「無常」ということについて考えてみたいとおもいます。

 「無常(むじょう)憑(たの)み難(がた)し」。

 「無常」と「無情」とを混同している人は意外に少なくありません。かく申すわたしも若いころはきちんとした区別もできないまま混同していました。しかし,あるとき,「無常」=「常が無い」と「無情」=「情が無い」とでは,まったく次元の違う話ではないか,と気づきました。そして,「常が無い」とはどういうことなのだろうか,と本気で考えるようになりました。すると,そこにはとてつもない広がりがあり,深い哲学的な思考が隠されていることに気づき,唖然としてしまったことがあります。

 以来,「無常」とはなにか,と自問自答を繰り返してきました。「常が無い」。では「常」とはなにか。仏教用語としては,「常」とは「一定の静止した状態のこと」を意味します。森羅万象からはじまって,身近な存在である動植物も,そして,わたしたち人間も,一瞬たりとも「静止した状態」は「無い」と説きます。変化などしないとおもわれがちの鉱物(石や鉄など)も,時間の単位が異なるだけで,「常」に時々刻々と「変化」しつづけている,というわけです。

 わたしたちの生命も,誕生から死まで,いっときたりとも「静止」することはなく,「常」に変化しつづけ(誕生・成長・成熟・老化・死)ています。お釈迦さんはこれを「生・老・病・死」と位置づけ,人間の四つの苦しみ=「四苦」と呼びました。そうです。四苦八苦の「四苦」です。こんなことは一度,耳にすればだれにでもわかっていることです。しかし,わたしたちは,日々の暮らしに押し流されて,このことをすっかり忘れてしまっています。つまり,目先の,ごく日常的な変化に眼が奪われてしまい,人が「生きる」ということはどういうことなのか,という一番大事な要件を忘れてしまい,ないがしろにしたまま生涯を過ごしてしまいがちになる,ということです。つまり,自分の「存在」をしっかりと視野に取り込むことを忘れてしまいます。

 この辺りのことは,ドイツの哲学者・ハイデガーも同じような思考を名著『存在と時間』の中で展開しています。「いま,ここ」にある「わたし」は,瞬時にして過去の「わたし」になってしまいます。「いま」と言った瞬間に,その「いま」は過去になってしまいます。つまり,わたしたちの「存在」は,「時間」の流れの中に押し流されてしまい,見失ってしまう,というわけです。そして無為のうちに日常性のなかに埋没してしまう,と。

 そうして,いつのまにか,日々,同じ生活のパターンの繰り返しを,惰性的に「生きる」ようになってしまう,と説きます。それが,ハイデガーの主張した重要な概念の一つ「頽落」(Verfallen)というわけです。ふつうのことばに直せば「堕落」ということです。そして,この「頽落」から抜け出すにはどうすればいいのか,という問いをてがかりにして「存在」とはなにか,人間が「存在」するとはどういうことか,という思考が展開されていきます。

 世界観も方法も異なりますが,道元が説いたこととハイデガーが説いたこととは,もののみごとに符合するところがあります。

 「無常(むじょ)憑(たの)み難(がた)し」とは,そういうことなのです。

 このことをしっかりと押さえておけば,あとは,ごくごく当たり前のことを説いているだけです。が,この「当たり前」がもっとも困難なことであるわけです。このことも,ここではとくに注意を喚起しておきたいとおもいます。

 それでは最後にわたしの読解を提示しておきたいとおもいます。

 無常はなんの頼りにもなりません。知らないうちにみずからのはかない命の露を道端の草の上に落とすだけです。そのとき,すでに,わたしのからだはわたしのものではなくなっています。わたしの命は時間の流れのなかに取り込まれてしまって,いたずらに押し流されていくだけです。少年時代はもう遠い過去となり,振り返ってみてもこれといった思い出はなにもありません。よくよく考えてみても,一番よかったとおもわれる時代を取り戻すことはほとんど不可能です。あっという間の人生を終えるときは国王も大臣も親しき友も弟子も妻子も宝物もなんの助けにもなりません。たった独りで黄泉の国に旅立つのみです。わたしに従ってついてくるものは,生涯にわたって積み上げてきた「善悪の業等」だけです。

 ※「善悪の業等」については,このあとに詳しく展開されてきますので,そのときに考えてみたいとおもいます。

2015年2月10日火曜日

たばこの煙に植栽が音をあげている?「指定喫煙場所」の功罪。

 わたしの住んでいる溝の口駅前のコンコースの一角に「指定喫煙場所」が設定されています。喫煙者はみんなここにきてたばこを吸っています。最近の喫煙者は概してマナーのいい人が多いようで,歩きながらたばこを吸っている人は滅多にみかけません。ですから,駅を降りてすぐにたばこを吸いたい人はみんなここに集まってきます。その結果でしょう。このコーナーは常時,愛煙家でとても賑わっています。

 
この写真のような天気のいい日の朝の一服はさぞかしおいしかろうなぁ,と想像しています。わたしもかつては愛煙家でしたので,すがすがしい朝日を浴びながらの一服のおいしさはわかります。みなさん,それぞれにここで喫煙を楽しんでいらっしゃいます。

 でも,いわゆる嫌煙家ではないわたしは,このコーナーを通るたびに,なんだか世の中少し奇怪しいよなぁ,とおもっています。なぜなら,こんな風にして「囲い込み」をしなければならない根拠が,わたしにはあまりピンとこないからです。たとえば,たばこの煙害と自動車の排気ガスと,どちらが人体に悪影響をおよぼすのか,と考えてしまうからです。もっとも,最近の自動車の排気ガスはあまり気にならなくなってきています。が,それでも自動車のたくさん走る大通りは異臭でいっぱいです。それに比べたら,たばこの煙害などたいしたことはない(現状をみるかぎりでは),と考えてしまいます。

 だからといって,どこでもところかまわずたばこを吸っていいとはおもっていません。もちろん,そこには愛煙家としての一定の良識がはたらいていて,臨機応変にTPOを考えてもらえる,ということが前提条件ではありますが・・・・。

 しかし,この写真をよくよくご覧ください。指定喫煙場所を区切っている可動式の植栽(檜葉?)は赤く変色しています。あれっ?枯れているのかな,とおもって近くに寄って葉をかき分けてみますと,幹に近い部分は若干ですが「みどり」色の葉が残っています。が,大半はご覧のとおり立ち枯れ寸前です。

 さらに,このコーナーを囲んでいる外側の植栽は,完全に立ち枯れています。見るも無惨としかいいようがありません。また,このコーナーの近くの「つつじ」も一部,枯れてしまっています。

 この情況をみていますと,やはり,たばこの煙害なのでは・・・・?と考えざるを得ません。しかし,たばこの煙くらいで植栽が枯れてしまうものなのでしょうか。この因果関係はもう少し精確なデータを確認してみる必要があるでしょう。それにしても,目の前でこのような現象を,日々,目の当たりにしていますと,やはり,そうなんだろうなぁ,とおもってしまいます。

 街の景観ということを考えますと,あまりいい光景ではありません。たばこの煙に強い植栽も可能ではないか,と考えたりします。といいますのは,一昔前に大きな自動車道路の中央分離帯の植栽が枯れてしまい,問題になったことがあります。その後,自動車の排気ガスに強い植栽をしたところ,みごとに「みどり」を維持することができるようになりました。ですから,たばこの煙に強い植栽をすれば,この問題は解決できるのでは,とおもいます。

 しかし,愛煙家を「囲い込んで」しまえば,それでいいのかといえば,かならずしもそうではない,というのがわたしの考えです。やはり,どうみても奇怪しな光景だからです。不自然です。法律をつくって,それで管理すればそれでいい,というのは成熟した社会とはいえないでしょう。法律で管理しなくても,愛煙家の良識にゆだねておくだけで,それで問題が起きない社会の方がはるかに成熟した社会ではないでしょうか。

 つまり,自動車のハンドルのように,「あそび」があることによって,よりハンドリングがスムースにできるというような具合に・・・・。もう少しお互いに「ゆとり」がほしいとおもいます。喫煙に関しては,法律という「線」を引いて,そこを超えると罰,という時代はもう卒業したいものです。なぜなら,喫煙マナーを法律で管理するようになってから,人と人との絆がまたひとつ断ち切られたようにおもうからです。

 先年訪ねた中国・雲南省の昆明では,立派な「たばこ文化」が生きていて,とてもうまい具合に機能していることを目の当たりにして驚きました。道がわからなくて教えてもらうときのための「たばこ」(やや高級なもの)と,自分が吸うたばこの両方を,愛煙家は持ち歩いている,というのです。なにか,人に尋ねたりするときには,まず「たばこをどうですか?」と薦めた上で,要件を切り出すのが習慣になっているというのです。そして,尋ねられた人はとても親切に,楽しそうに,知らない人同士なのに会話がはずんでいるのです。そういう光景に出くわしますと,なんとも「ほのぼの」としたものを感じます。

 たばこの「功罪」を,もう一度,原点に立ち返って考え直すことも必要なのではないか,と最近は考えるようになっています。たばこの「罪」ばかりをあげつらい,排除してしまえばいい,という発想だけではなく,たばこの「功」の側面にも光をあてて考えてみることも必要なのではないか,と。そして,愛煙家も嫌煙家の境界線を「ゆるやかな」ものにしていく工夫が,これからの時代には必要なのではないか,と。

 善か悪かの二項対立的な発想だけでは,これからの時代はやってはいけない・・・と,最近の国際的な諸般の情況を鑑みるにつけ,考えざるをえません。

2015年2月9日月曜日

わが「抗ガン剤治療」白書。その1.からだの発する悲鳴。

 抗ガン剤治療による副作用が,わたしの自己診断によればことのほか大きくでてきましたので,抗ガン剤治療を辞することにしました。しかし,主治医の診断では,ごく,ふつうの経過で,とくに取り立てて異常は見られない,というものでした。でも,よくお話をして,最終的にQOL(Quality of Life)を選びたいとお願いしました。主治医もすぐにわたしの考えを理解してくださり,それでは・・・ということになりました。

 抗ガン剤というものに対するわたしの認識が甘かった,といえばそれまでですが,これは思いの外,強烈なものでした。しかも,累積してからだに残り,その威力を発揮しながら,徐々に徐々にからだの仕組みを根っこから崩しにかかってきます。加えて,一度,取り込んだ抗ガン剤はしっかりとからだのなかに居つき,なかなか抜けていかない,そういう代物だということもよくわかりました。抗ガン剤をやめてからすでに4カ月を経過していますが,その副作用とおぼしき症状はまだしっかりと残っています。ただ,ほんとうに徐々にですが,軽くなってきていることは事実で,それだけが希望の星です。

 抗ガン剤治療の真っ最中には,ほとんど気づかなかったのですが,徐々に回復のきざしがみえはじめたころから,副作用の大きさがみえてきました。少しオーバーな言い方をすれば,地獄からの脱出,それものろのろと,という印象です。ここはじっと耐えながら,副作用が軽減されていくプロセスとじっくり付き合うことにしようとおもいます。

 では,わたしの場合の副作用とはどのようなものであったのか,振り返ってみたいとおもいます。まずは,からだやこころに現れた抗ガン剤の副作用と思しき症状を,思い出せるところから順に,箇条書きにしてみましょう。
 1.味覚の鈍麻・・・味のない世界。ごはんが砂を噛むような不快感。これは参りました。いまは,かなり改善されてきました。
 2.胃腸の麻痺と機能低下・・・満腹感の消滅,消化・吸収の不安定。すぐに下痢をする。最近になって空腹感が少しもどってきました。でも,食べ方は要注意。
 3.食欲の減退・・・時間がきても食べたいとはおもわない。食べないと体重が落ちるので必死で食べる。ただし,分食。食べる量が少なくても平気でいられる。食の鈍麻。
 4.食後,脳の中心が熱くなる。軽い痛みを伴って。なんとなく不安になる。
 5.そのあと,強烈な眠気が襲う。さっさと眠ることに。
 6.顔のしみの色が黒く,大きくなる。なんとも見すぼらしい顔になる。一気に老人の顔に。
 7.額の皮膚が黒ずんできて,かゆくなる。典型的な副作用の一つ。
 8.頭の頂上が禿げてくる。脱毛がはじまった,と覚悟をしましたが,いまは止まっている。
 9.左目の視力が低下。老眼もすすむ。老眼鏡と遠近両用眼鏡を調整してもらって作成。
10.手の指,足の指が黒ずんでくる。
11.手のひらが赤みを帯び,油が浮いたようにテカテカと光る。
12.爪が薄く,柔らかくなる。
13.指先の表皮が薄くなる。湯飲み茶碗が熱くてもてなくなり,気づく。
14.手足の指先が,すぐに冷たくなる。血行不順か。
15.足の指,ふくらはぎ,が眠っているときに痙攣を起こす。
16.頻尿・・・昼はふつう。夜明けがたになって立て続けにトイレに通う。これが不思議。
17.12月後半から1月の前半にかけて,歯がボロボロになる。折れた歯が3本。治療してブリッジをかけていた歯が外れる。根っこから抜けた歯が1本。歯医者に通院中。
18.足首周辺にむくみ。こちらは抗ガン剤をやめてしばらくしたら消えました。
19.胸椎に鈍痛・・・痛いというほどではないけれども,違和感がぬぐえない。どことなく気になる程度の鈍痛がある。最近,少しずつ軽減されつつある。
20.肩こり・・・肩こりをしない体質だったのに,抗ガン剤をはじめてから肩こりが出現。いまも対策を検討中。肩・首まわりの体操が効果的。
21.採血後の注射針の跡が痒くなる。古傷まで痒くなる。周期的にやってくる。いまは,かなり軽減され,それほどではなくなってきている。
22.気力の減退・・・なにもしたくないという状態がつづく。でも,最近になって急速に回復傾向。
23.集中力の減退・・・気持が分散していて一点に集中できない。これも回復傾向に。
24.持続力の減退・・・好きな本を読み始めても長くつづかない。最近は読めるように。
25.なにかと消極的・・・前に出ようとしない。おとなしく部屋に閉じこもりがちに。
26.電話恐怖症・・・電話が鳴るとビクッとする。出たくない症候群。これは以前からある傾向ですが,さらにひどくなる。最近,やや回復。
27.わがままになる。我慢がきかない。すぐに腹を立てる。テレビに向かっても吼える回数が増えてきている。こちらはいまも回復しない。
28.対面恐怖症・・・人と会いたくない。とくに初対面の人が苦手に。
29.仕事をあとまわしにする。たとえば,振り込みなど。どうせやらなければならないのだから,すぐにやっておけばいいのに,それをあとまわしにしてしまう。そして,早くしなければと気をもむ。無駄な気遣い。
30.手紙の返信が書けない。メールはすぐに返信ができるのに。しばらく前からあった傾向が顕著になっただけかも。あるいは,単なる老化現象か。 

 こうして列挙してみますと,ずいぶんあるものだなぁ,とわれながら驚いています。こんなにあった/あるのか,と。でもいまは,全体的にかなり軽減され,改善されてきていますのでご安心ください。それでもなおこれらの症状を引きずっていることは間違いありません。

 もちろん,外にでて人と逢うときには気づかれないように気を張って誤魔化しています。ですから,みなさん,そろって驚いたように「元気ですねぇ」と仰います。で,わたしも「元気ですよぉ」とできるだけ大きな声で応答します。ですから,ほとんどの人は不思議そうな顔をして,わたしの方を眺めています。ですから,なおのこと元気を装います。

 正直に告白しておけば,体調のいい日とあまりよくない日とあります。それを繰り返しながら少しずつではありますが,体調のいい日が多くなってきています。最近は,食事のとり方も上手になってきましたので,かなり快適に過ごせる日が多くなってきました。

 というようなことで,これから少しずつ「抗ガン剤治療白書」なるものを書きつらねてみようかな,と考えています。今回は「その1.からだの声の記録」ということで,いわば「総論」です。これからは各論に入ります。つまり,抗ガン剤治療というものがどういうものだったのか,患者の目線から分析してみようという次第です。

 ということで今回はここまで。

2015年2月8日日曜日

「この道しかない」はずはない! 西谷修×中野晃一対談(『世界』3月号),必読。

 いつも楽しみにしている雑誌『世界』3月号がとどきました。今月の特集は「不平等の拡大は防げるのか」で,伊東光晴,間宮陽介,ロバート・ライシュ,ウォルデン・ペローの4氏の論考が掲載されています。そして,対談「この道しかない」はずはない!(西谷修×中野晃一)が表紙を飾っています。まずは,ここから・・・・という次第で読み始めました。

 
この間の選挙で政府自民党がかかげた「この道しかない」というスローガンが登場してくる背景がもののみごとに抉りだされています。そして,このスローガンがいかに欺瞞に満ちたものであるのか,というからくりをわかりやすく解説してくれています。お二人の冴えわたった思考にもとづく対談が深く印象に残ります。

 たとえば,以下のような発言があります。

 「安倍政権のDV的手法は,解釈改憲による憲法の破壊,社会保障の切り下げによる貧困の悪化,さらには特定秘密保護法の制定やメディアコントロールなど情報の遮断にまで及んでいます。有権者は「この道しかない」と思わされ,何をやっても無駄だという無力感を受け入れさせられる。「お前には俺しかいないだろう」というささやきが聞こえるようです」(中野晃一)。

 安倍政権のやっていることは,DV(ドメスティック・バイオレンス)と同じだ,というわけです。ここからはじまるお二人の対談は徐々にその鋭さを増していきます。見出しを拾っておきますと以下のようです。

 「この道しかない」はずはない!
 「政治の新自由主義化」を超えて
 安倍政権のDV的手法
 情念や欲望を煽る政治マーケティング
 新自由主義を覆い隠す国家保守主義の幻影
 新自由主義はもはや自由ではない
 奴隷が漕ぐ「ガレー船」国家
 ポジティブな言葉で人と人とをつないでいく

 読後の強烈な印象となって残っている発言を拾ってみますと,以下のようです。

 「現在の日本をどう表現すればよいかを考えていて,手漕ぎの軍船「ガレー船」を思い浮かべました。ローマ時代には敗(ま)けた国の捕虜が奴隷になって船を漕いだ。
 この日本で,レント階層が自分たちの地位を確保するためには,グローバル経済秩序で勝ち抜かなければならない。そのためには,システムか閉め出されて低賃金で働かされている人びとに日本というガレー船を漕がせて,世界市場に泳ぎ出す。とはいえ,漕ぎ手の奴隷の反乱がいつ起こるかわからず,グローバル経済秩序もいつまでもつかわからない。だからこそ,日米安保体制を強化して日本の軍事化を進めることで,自らが寄生する体制の強化を図ろうとしているのが現状でしょう。でもそれは,必然的に軋轢(あつれき)を生む」(西谷修)。

 「安倍政権の経済政策は,『デフレ脱却』を旗印に,日銀に大量のカネを刷らせ,それによって円安を引き起こし,とにかく輸出企業を助ける。つまり基本的には企業を助ければ経済がよくなるという『トリクルダウン論理』で動いています。これは一般的にはまだ通用力があって,会社が繁栄しなければ給料はもらえず,国が繁栄しなければ生活水準も上がらないと思いこんでいる。しかしこのしくみは,先進国ではなくいわゆる発展途上国が『成長』を体験するときに言えることで,社会の底上げの原資を稼ぐために企業を儲けさせ,国家主導の殖産興業がなされる。
 しかし現在,先進資本主義諸国では経済政策が悪いから成長しないのではなく,成長する余地が資本主義のメカニズムからはもう出てこなくなってしまったわけです。」(西谷修)。

 というような調子で,西谷修×中野晃一対談は,ますます佳境に入っていきます。そして,これまであまり話題にならなかった(少なくとも,大手メディアでは)問題の根源にどんどん切り込んでいきます。読んでいて心地よいくらいです。

 しかし,考えてみれば,このような議論は,ついこの間までテレビや新聞でごくふつうに紹介されていたのに,いまではすっかり陰をひそめています。それどころか,意図的に忌避されています。いま,真っ向からこのような議論を取り上げるメディアは,雑誌では『世界』,新聞では『東京新聞』くらいなものでしょう。あとは「自発的隷従」よろしく権力にすり寄っています。こんな異常事態に突入してしまっているのに,多くの日本人は気づかずにいます。そして,どんどん「戦争のできる国家」をめざしてまっしぐらです。

 もはや,一刻の猶予もない,そういうところに差しかかってきています。そのための答えを探るためのヒントが,この対談にはいくつも盛り込まれています。ぜひ,ご一読いただきたく,お薦めいたします。

 というところで,今日のところはここまで。

2015年2月7日土曜日

「スポーツ学」とはなにか。その10.スポーツとはなにか。Ⅱ.スポーツは「贈与」である。

 このシリーズ,少し休んでしまいましたが,再開したいとおもいます。これからも,とびとびになるかも知れませんが・・・・。

 マルセル・モースの名著である『贈与論』は,わたしの考える「スポーツとはなにか」という問いに対して,じつに多くのヒントを提供してくれるとてもありがたいテクストです。現代社会で用いられている「贈与」ということばはどこかうさんくさい匂いがしますが,マルセル・モースの言う「贈与」はそれとはまるで別世界の用語です。

 かんたんに触れておけば,近代経済学(資本主義経済)が確立する以前の,前近代までの経済の根本原理は「贈与」にあった,ということを人類学的手法を用いて明らかにしたもの,それがマルセル・モースの『贈与論』です。この『贈与論』のなかで展開されている一つの重要な概念に「ポトラッチ」という前近代社会の習俗があります。

 たとえば,ポリネシアの島々では,島から島へと「贈与」が行われていた時代があります。それは,ある島で冨(財産)が蓄積されると,その冨をあまり豊かではないとおもわれる島にプレゼント(贈与)します。それを受けとった島は,そのプレゼントにさらに冨を加えて,また,別のあまり豊かではないとおもわれる島にプレゼントします。こうして,つぎからつぎへとプレゼントを繰り返しているうちに,とてつもなく大きな冨となって,もとの島にもどってきます。すると,この冨をみんなのみている前で惜しみなく海に棄ててしまったり,火を放って燃やしてしまいます。そうして,一旦,冨をゼロにしてしまいます。こうした「贈与」行為を「ポトラッチ」と呼びます。

 こうした「ポトラッチ」は,個人のレベルでも行われます。たとえば,ある島の中で,ある特定個人が必要以上に冨を蓄積した場合,この冨を近所の困っている人にプレゼントして,自分はゼロからスタートし直します。このプレゼントを受けとった人は,この冨に少しでも上乗せをして,これをまた別の困っている人にプレゼントします。こうして,巡り巡ってふたたび最初にプレゼントした人のところにもどってきます。すると,そのとき自分が所有していた冨と併せて,みんなのみている前で海に棄ててしまったり,火を点けて燃やしてしまいます。そして,一旦,ゼロの状態にもどします。

 あるいは,一年一度,必要以上に冨がたまってしまった人は,その冨をみんなに分け与えてしまい,ゼロにもどして,再スタートを切るということも行われていたことが知られています。

 こうした個人のレベルでの「ポトラッチ」は,「男らしさ」の証とされ,人びとの信頼をえることになり,みずからの住み心地をよくするための文化装置だったのではないか,と考えられています。島から島への「ポトラッチ」は,一種の平和外交と考えられ,敵愾心はありませんよ,戦争をする冨はもっていませんよ,という証として行われたのではないか,と考えられています。

 こうした,個人,または,集団がもっている冨を「贈与」する行為は,貧富の格差の解消を目指すと同時に,つねに身の潔白を証明する行為として考えることもできます。言ってみれば,無償の「消尽」と同じような意味をもっていたのではないか,と。つまり,冨を溜め込まないで,公衆の面前で「消尽」する,そして,ゼロにして再スタートを切る,これが「みんな仲良く暮らしていく」ための智恵の所産だったのではないか,という次第です。

 このもっとも典型的な文化装置のひとつが「祝祭」(日本で行われてきた「お祭り」)です。年に一度,蓄積された冨を「消尽」することを,集落全員で言祝ぐための文化装置,というわけです。こんにちでも,お祭りの「寄付」をけちると,その家の屋敷の中で,神輿が暴れたり,獅子舞いが暴れたりして,それなりの見せしめが行われることはよく知られているとおりです。

 さて,前置きが長くなってしまいましたが,この「ポトラッチ」という「贈与」の話をひととびにスポーツにつなげてみたいとおもいます。

 たとえば,古代ギリシアで行われていたオリンピアの祭典競技(古代オリンピック競技)で繰り広げられた「祝祭」は,まさに,この「ポトラッチ」の精神,すなわち「消尽」が重要な役割をはたしていたと考えていいでしょう。それぞれのポリスを代表して出場する選手たちは,それぞれにゼウスの神殿の前で生贄の牛を捧げ,祈ります。そして,殺した牛の血を祭壇に塗り,肉は焼いてみんなで分け合い,共食します。その上で,選手たちは,それぞれの競技で全力を出し切り,全エネルギーを「消尽」します。そうすることによって,ゼウス神の神判を受けるわけです。古代ギリシアの人びとは,勝敗は神の意思によって決まると信じていました。ですから,競技は人間(ポリス市民)から神への「贈与」として行われていた,と考えることができます。

 これが近代オリンピック競技になりますと,すっかり様変わりをしたかにみえますが,その骨格の部分はほとんど変わってはいません。たとえば,ゼウス神が,別の「神さま」に変わっただけの話です。選手たちはそれぞれの信仰のレベルで「神さま」に祈っています。いわゆる必勝祈願です。あるいは,古来からの神さまの代わりに,「科学」や「経済」という新しい「神さま」に祈りをささげています。つまり,新しい「神話」(「科学神話」,「経済原則」,「自由競争」,など)の世界に,こんにちのアスリートたちの身体はからめ捕られ,もはや,そこから抜け出すことは不可能になってさえいます。それは,日々のトレーニングからしてそうです。

 近代のスポーツ競技は,こうした新しい神々への「贈与」ではないか,とわたしは考えています。つまり,自己を超越するものへの「贈与」というわけです。

 このあたりのことも書きはじめますと,際限がありませんので,ここではこの程度にとどめおきたいとおもいます。しかし,もう一点だけ触れておきたい重要なことが,「スポーツ贈与論」としては不可欠ですので,その点については書いておかなければならないとおもいます。

 が,すでに,長くなっていますので,この稿はここで一旦,カットして,この稿の「つづき」として書いてみたいとおもいます。
 ということで,今日のところはここまで。

2015年2月6日金曜日

「人身(にんしん)得(う)ること難(がた)し」。『修証義』第2節。

 昨年の魔の2月からちょうど一年。いろいろのことを考えました。そろそろ年貢の納め時がきたか,という覚悟まで,あれやこれや・・・・。そんなときにふと口をついてでてくるのは『般若心経』でした。そして,『修証義』の断片的なことばでした。坊主の遺伝子がこんなところで表出してくるのか,とわれながら驚きました。

 たとえば,「人身得ること難し」。『修証義』第2節の冒頭の書き出しです。このたった一行の文章が,元気だったころとはまったく違う意味内容となって,わたしに問いかけてきます。重く,ずっしりと。この世に生まれ出ずることの困難を説いただけの文言ですが,ただ,それだけではないいろいろの意味を帯びてわたしのこころに響いてきます。この世に生を受けること自体が大事業であるにもかかわらず,他の動物や植物としての生ではなく,人のからだで生まれることの奇遇・・・。まさに「人身得ること難し」としみじみおもいました。

 まずは,第2節の全文を引いておきましょう。

 人身(にんしん)得(う)ること難(がた)し,仏法(ぶっぽう)〇(お)うこと希(まれ)なり,今(いま)我等(われら)宿善(しゅくぜん)の助(たす)くるに依(よ)りて已(すで)に受(う)け難(がた)き人身(にんしん)を受(う)けたるのみに非(あら)ず遇(あ)い難(がた)き仏法(ぶっぽう)に〇(あ)い奉(たてまつ)れり,生死(しょうじ)の中(なか)の善生(ぜんしょう),最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし,最勝(さいしょう)の善身(ぜんしん)を徒(いたず)らにして露命(ろめい)を無常(むじょう)の風(かぜ)に任(まか)すること勿(なか)れ。

 
初めに少しだけお断りをさせていただきます。『修証義』に関する解説本はたくさんあります。それらの解説本をくらべてみますと,『修証義』のなかにでてくる漢字のふりがなやおくりがなが微妙に違っています。どの本を底本にしようかと考えましたが,ここはやはり宗門が発行した『昭和訂補・曹洞宗日課経大全』(昭和15年初版,平成10年重版)に収められている『修証義』を原本として引用させていただくことにしました。それが上に挙げた写真です。漢字も,厳密にいいますと,わたしのワープロ・ソフトにはない漢字もあります。仕方がないので「〇」という符合を当てています。その〇がどの文字であるかは,写真でご確認ください。そのために,この写真を乗せることにしました。お許しのほどを。

 弁解がましいことばかり書いてしまいました。が,さて,この第二節をどのように解釈し,受け止めるか。ここが問題です。経文はむつかしいと一般的には思い込まれていますが,じつはそうではありません。むしろ,逆です。むつかしいことをいともかんたんに解き明かしているもの,それが経文です。ですから,じつは,まことに単純明解なのです。

 ですから,この第2節も,経文をそのまま素直に受け止めればいい,とおもいます。わたしの読解は以下のようです。

 人としてこの世に生まれることは奇跡に近いことです。ましてや仏の教え(仏法)に出会うことはもっと希(まれ)なことです。いま,わたしたちはこれまで積み重ねてきた善行(宿善)の助けによって,滅多に受けられない人の身をいただけただけではなく,ありえない仏の教え(仏教)にまで出会うことができたのです。生まれてから死ぬまでの間,清く正しく生きること(善生),これこそがもっとも立派な生き方(最勝の生)というものです。このもっともめぐまれたわたしたちの善なる身(最勝の善身)をおろそかに扱って,はかない命を成り行き任せにしてしまってはいけません。

 以上です。

 ここでちょっとだけ立ち止まって考えておきたいことは,「宿善」ということばです。仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方をとります。つまり,生まれては死に,また,生まれては死ぬということを繰り返すという考え方です。生死(しょうじ)ということはそういうことを言っています。この生死を繰り返す間に善なる行い(善行)を積み上げていくと,いつか,人の身に生まれ出ずることができる,と考えます。この積み重ねが「宿善」ということです。さらに「宿善」を重ねていきますと,最終的には「涅槃」に至るという次第です。「涅槃」に至れば,もはや,輪廻転生を繰り返す必要がなくなります。「涅槃」,すなわち,まったき自由な時空間のなかで,永遠の「生」(しょう)を享受することができるようになる,というわけです。ですから,最終ゴールともいうべき「涅槃」に向かって日夜励め,それが修行というものだ,と説きます。このように考えてきますと,「宿善」とは修行の結果として得られるものなのだ,ということがわかってきます。

 あと一点は「無常」ということばです。このことばについては第3節の冒頭にでてきますので,そこで考えてみたいとおもいます。

2015年2月5日木曜日

東京マラソンに「ランニング・ポリス」だって? だったら中止にしたら?

 イスラム国の人質殺害事件後,アベ君の言動がますます過激になってきました。言ってみれば,一種のヒステリー症状です。日本国は,もはや一刻の猶予もない緊急事態に突入です。そして,「報復」に向かってまっしぐらです。これでは「憎しみ」の連鎖は終わりません。ますます「憎悪」を煽り立てるのみです。しかも,この自作自演の「憎悪」をアベ君は最大限に利用して,一気に「戦争のできる国家」へと突き進もうとしています。

 こんどの参院選後には憲法改正を発議すると言っています。いよいよ,来るときがやってきた,というところです。ならば,その前に,わたしたちは憲法改正(正しくは「改悪」)を阻止すべく覚悟を決めて,きちんとした備えをしていかなくてはなりません。

 そんなことを考えていたら,今朝のニュースで,東京マラソンでは「ランニング・ポリス」を配備して,テロに備える,と言う。???・・・・。なぬッ? いったいなにを考えているのだろうか,とあきれはててしまいました。

 一方で「報復」を強調すればするほど,東京マラソンはますますテロの絶好の標的になっていきます。だから,それに備えて「ランニング・ポリス」を配備するという。元箱根駅伝経験者などの警察官を起用する,とか。馬鹿もいい加減にしてほしい。こんなものがなんの役に立つというのか。少し考えてみれば火をみるよりも明らかです。まるで子供騙しです。

 それよりなにより,「ランニング・ポリス」は単なるみせしめ。テレビ映像をとおして,これほど警備をしっかりやってもテロの恐怖は消えません,という走る宣伝マン。だから,集団的自衛権を確保し,憲法改正をやって,正規軍を結成して,本格的な「報復」に取り組む必要があるのだ・・・と。つまり,アベ君の描くシナリオどおりに,世を挙げて動きはじめた,ということ。

 NHKのニュースはアベ君の顔と発言だけをクローズ・アップして,くる日もくる日も垂れ流すのみ。完全な戦前の「大本営発表」と化してしまっている。すでに戦時体制に入っていると言っても過言ではありません。そのためには,東京マラソンというスポーツまで巻き込んで,緊急事態であることを国民の眼に焼き付けておこう,という戦略。その意図が丸見えです。

 はっきり言っておきますが,東京という都市がテロの標的として狙われたら,ひとたまりもありません。防ぎようがないからです。言ってみれば,隙だらけの都市。だからこそ住み心地のいい都市でありえた(欧米の主要都市にくらべて)と,わたしは考えています。ですから,東京マラソンでランニング・コースに多くの警察官が動員されて配備されれば,それ以外のところは,まさに無防備状態になってしまいます。

 そんな危険を犯してまで,東京マラソンをやらなければならない理由はどこにあるのでしょうか。これをわかりやすく説明してほしい。東京マラソンを開催すると,だれが喜ぶのか,だれのふところが暖かくなるのか,だれの主張が正当化されるようになるのか,だれの眼をオキナワやフクシマから塞ぐことになるのか,最後にほくそ笑むのはだれか,・・・・?

 スポーツは平和の祭典だそうです。日本国はもうとっくのむかしに「平和」な国ではなくなっています。後方支援という名のもとで,立派に戦争に参加しています。いくら説明したって,攻撃を受けている相手側からすれば,立派な戦争協力国家(有志軍連合)の一員です。それを事実に反するなどといくら吼えたところで,それは「国内向け」のプロパガンダにすぎません。国際社会や,ましてやイスラム国に通じるロジックではありません。多くの国民は平和惚けした「茹でカエル」ですから,そのことばをそのまま信用してしまいます。こうして,世論を動かし,正規軍をめざしていく言動を正当化しようというわけです。

 「ランニング・ポリス」は茶番です。権力の走る宣伝マンにすぎません。

 ですから,東京マラソンなどは,さっさと中止すればいいのです。それほど事態は風雲急を告げていると事実をありのままに国民に知らせればいいのです。しかし,それはしません。なぜなら,事実を知られることをもっとも恐れているのが権力ですから。ほどほどにみせかけの平和ムードを漂わせつつ,その一方で,ほどほどに危機意識を煽る,これが国民をわけのわからないうちに戦時体制に誘導していくための最良の方法であり,常套手段だからです。

 このままでは,東京五輪2020を返上する条件が,外圧によって,さらに整うことになります。

 いまこそ「憎悪」の連鎖を断ち切り,平和をとりもどすためにはどうしたらいいのか,叡知をしぼる絶好のチャンスです。そちらに舵を切る勇断が,いま,もっとも求められている喫緊の課題ではないでしょうか。政府自民党に猛省をうながすと同時に,わたしたちも理論武装をして,明確な「意思表明」という行動を起こすときがやってきた,とほんきで考えています。

 わたしにとっては,「ランニング・ポリス」がその引き金となりました。

『Wunderland der Unsterblichkeit』(『不死のワンダーランド』西谷修著のドイツ語版)が刊行されました。

 いまからもう12年も前になるでしょうか。ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として半年間,ゼミを担当したことがあります。このときに,ケルン大学の日本語・日本文化研究所のアンドレアス・ニーハウス教授が多くの学生さんを引き連れて,わたしのゼミに参加してくださいました。ニーハウス教授の目的は,日本語・日本文化を学ぶ学生さんたちにネイティーブの日本語の授業を聞かせることにありました。

 これがご縁で,ニーハウス教授と仲良しになりました。かれは若いときに慶応大学に留学し,「嘉納治五郎研究」をテーマにし,のちに,このテーマで学位を取得しています。わたしがお会いしたときにはすでに本になって刊行されていました。もちろんドイツ語で書かれた論文です。「嘉納治五郎」と聞いては黙っているわけにはいきません。早速,読ませてもらいましたが,ところどころ気になる部分がありましたので,そのたびにわたしの感想と考えをかれに伝えました。すると,とても喜んでくれて,改訂版が出るときには訂正・加筆したいと言ってくれました。

 その後,かれが日本にやってきたときに西谷修さんを紹介しました。すると,かれは西谷さんのお仕事に強く興味をいだき,できればドイツ語に翻訳したいという話になりました。そのとき西谷さんからは『不死のワンダーランド』をという提案があり,ニーハウス教授も「ぜひに」ということで話がまとまりました。それから幾星霜,じつに粘り強くかれはこの仕事に取り組みました。それがようやく世にでるというわけです。


その本のフライヤー(上の写真・パソコン画面を撮影)が西谷さん経由でわたしのところにとどきました。感慨無量です。まるで,わたしのことのように嬉しくて,このフライヤーとずーっとにらめっこをしていました。そして,ニーハウス教授のことや美人の奥さん(フランス語の先生)のこと,ドイツ・スポーツ大学ケルンでの半年間のゼミのこと,あるいは,かれの紹介で訪ねた「日本文化センター」でのこと,などいろいろの懐かしい思い出がつぎからつぎへとフラッシュ・バックしてきて,時間の経つのも忘れてしまいました。

 このフライヤーをよくみますと,右上のところに囲みの記事があります。これが,たぶん,刊行される本の表紙になるのではないか,とおもいます。中央には,やや大きな文字で「西谷修」と日本語で書かれています。これはナイス・アイディア。漢字の文字がデザインとしても生きています。ちなみに,ドイツ人は日本語の文字にとても興味をもっている人が多い。夏になって露出が多くなりますと,漢字をタトゥーで入れたドイツ人をよくみかけます。二の腕に「合格祈願」と入れた初老の男性に出会ったときは,おもわず笑ってしまいました。

 ですから,哲学に興味をもつ人であれば,「西谷修」の文字をみて,すぐに日本の哲学者の本だとわかることでしょう。そして,ローマ字ではなく,この漢字で,著者の名前が印象づけられることは素晴らしいことだとおもいます。

 こんど,ニーハウス教授が日本に来られることがありましたら,ぜひ,研究会を開いて「合評会」でもやろうかといまから楽しみです。西谷さんからは,近日中に本がとどくとも聞いています。手にとって感触を楽しみ,あちこちのページをめくって眺め,匂いを嗅いだら,またまた,感動することでしょう。

 西谷さんには,これまで長い間,なにかとお世話になり,いまもなお懇意にさせていただいています。わたしがこんにちあるは西谷さん抜きでは考えられません。わたしにとってはもっとも大事な恩人です。その恩人に,万分の一かの恩返しができたとすれば,こんな嬉しいことはありません。

 ニーハウス教授のお仕事が,わがごとのように嬉しい,という最大の理由がこれです。

 このあとは,ドイツでどのような読まれ方をするのか,大いに期待したいとおもいます。

〔追記〕
 ドイツ・スポーツ大学ケルンで担当したゼミの内容は,『身体論──スポーツ学的アプローチ』(叢文社,2004年)にまとめておきました。ご笑覧いただければ幸いです。

2015年2月4日水曜日

『何度でも言う がんとは決して闘うな』(近藤誠著,文春文庫,2015年刊)を読む。理路整然。必読。

 がんに関する本は,胃ガンを患う前から,いつのまにかたくさんの本を読んできました。手術をしてからはなおさらです。本屋で,これは?とおもわれる本をみつけると,片っ端から買ってきて,むさぼるようにして読みました。帯津良一さんの本も近藤誠本も山ほどあります。どの本もだれでもわかる,読みやすいものばかりです。

 
が,今回取り上げましたこの本の,ふつうで言えば第2章に相当する二番目の話題のところは秀逸です。近藤本の決定版といっていいでしょう。目次を書いておきましょう。
 
がん治療の常識をくつがえした『患者よ,がんと闘うな』の衝撃
 近藤先生,本当にがんと闘わなくていいのですか? 宮田親平×近藤誠
 がん専門医よ,真実を語れ 宮田親平×近藤誠
 すべての批判に答えよう 『患者よ,がんと闘うな』反論への反論

 まずは,宮田親平×近藤誠の対談が凄い。やや専門的な話になっていますが,わたしたちでも読めます。なにが凄いのか。近藤さんが「消化器集団検診学会」(現・消化器がん検診学会)にスピーカーとして招聘され登壇し,議論したときの話が凄い(1996年10月19日)。こまかな議論は省略しますが,なにせ,れっきとした学会だというのにまともな議論が成立せず,近藤理論をあげつらって,ひたすら寄ってたかって誹謗中傷するばかり・・・・,その現場に対談者の医療ジャーナリストである宮田親平氏が立ち会っていて,そのときの話題が展開するくだりは必読です。消化器がん検診学会というものの実態が浮き彫りにされています。深読みをすると「鳥肌」が立ってくるほどの迫力満点の内容です。

 要旨だけ触れておきますと,近藤さんの「がん検診不要論」(その根拠もきちんと提示している)に対して,会長以下,総掛かりで近藤さんを孤立無援の情況に追い込み,しかも,なんの根拠も提示しない/できない,たんなるあげ足取りに終始する学会員の人たち。この議論を見届けた上でのお二人の結論は,がん検診を否定されたら食べていかれなくなってしまうというたんなる条件闘争にすぎない,というもの。しかも,がん検診にまつわる暴利をむさぼっている数多くの利害団体がバックに控えていて,なにがなんでも「がん検診」は必要なのだ,という結論ありきの議論でしかなかった,と。そして,お二人の到達した結論は,たんなる金儲けのための「がん検診」でしかない,ということが逆に明るみにでてきた,と。

 近藤さんの結論は,「がん検診は百害あって一利なし」。

 それを裏づける近藤さんの理論は明快そのものです。がんには大別して二つの種類がある。一つは「スピードがん」,もう一つは「のんびりがん」。「スピードがん」は文字とおり進行の速いがんで,検診で見つかったときにはすでに手遅れであり,すでに手のほどこしようがない「がん」。「のんびりがん」も文字どおりのんびりと進行するがんで,検診で見つかっても放っておいて構わない「がん」。「スピードがん」は急いで治療しても手遅れだから治らない。それどころか,治療することによって,かえってがん細胞を散らすことになり,寿命が短くなる。「スピードがん」であっても,むしろ,放っておいた方が長生きできる。「のんびりがん」は,逆に,進行がのんびりしているので,下手に手を出して治療するよりは放っておく方が長生きできる。

 近藤さんは,この理論を裏づけるデータもきちんと提示しています。そして,もし,反論があったら,きちんとデータを提示して反論してほしい。そして,より精度の高い理論を構築するために協力してほしい,と主張しています。

 だから,現段階では,いずれにしても,がん検診などをしても意味はない,と。

 「早期発見・早期治療」がむかしからうたい文句のようにして掲げられてきました。わたしの頭のなかにも立派に刷り込まれています。だから,早く発見すれば助かる,と思い込んでいました。もはや,これは動かしがたい日本人の「神話」となっています。

 がしかし,この理論にはなんの根拠もないということを近藤誠さんは,外国の事例をはじめ,ご自分のもっているデータまで提示して完全否定しているのです。これに対して「反論」があったらしてくれ,と近藤さんはがん専門医に向けて挑発してきました。が,だれひとりとして反論する人は現れない。なぜなら,がん専門医ならだれでも知っている常識だから,と。知らないのはがん専門医以外の人たちだけで,いまや,神話化してしまって独り歩きをしている,と近藤さんは声を大にして主張しています。

 こうした近藤理論に対して,雑誌や週刊誌で批判をするがん専門医が現れるので,そのつど,直接,議論をしたいと近藤さんは申し入れをするそうです。しかし,だれひとりとして対談・議論に応じてくれる人はいないのだそうです。これも奇怪しな話です。

 このさきは深い闇につつまれています。しかし,少しものごとを考える力のある人ならば,その理由がどこにあるかは簡単に推測できることです。ですから,ここでもこれ以上は深追いしないでおくことにします。わたしは考えれば考えるほどに「鳥肌」が立ってきます。とてつもなく恐ろしい地獄のような世界が広がっている,と想像がつくからです。さらに,詰めていきますと,矛盾だらけの医療システムの恥部をひた隠しにする,これまたとてつもなく大きな力がはたらいていることも,透けてみえてきます。そこは「経済」と「政治」の恥部でもあります。

 「医療」と「経済」と「政治」の三位一体。そこに「最先端科学技術」が加わります。恐るべき世界の絶ちがたい連鎖です。

2015年2月3日火曜日

白鵬の謝罪はないのか。稀勢の里戦は白鵬の完敗。ビデオ分析だけなら。

 日本相撲協会は親方に厳重注意をしただけで,ことを片づけようとしています。問題の白鵬は知らぬ・存ぜぬのほおかぶり。わずかに,テレビ出演したその番組のなかで視聴者に向かって「お詫び」をしただけ。それで済ませられる世界ではありません。この問題は,よほどきちんとけじめをつけておかないと,尾をひくことになりそうです。

 たとえば,ビデオ判定。唯一,ビデオ判定がもっとも正しいとするのであれば,問題の一番(稀勢の里戦)は白鵬の完敗です。いまも,YouTubeで確認することができますので,ぜひ,ご覧になってみてください。ストップ・モーションにして,問題の部分を追ってみてください。白鵬の完敗であることがよくわかります。

 相撲の流れは,これは間違いなく白鵬です。ですから,行司は白鵬に,迷うことなくサッと挙げられました。しかし,わたしの眼には稀勢の里の小手投げが優位とみえました。微妙なところですが,稀勢の里の体が割れたようにみえたからです。しかし,物言いがついた段階で,同体・取り直しが穏当なところだろうなぁ,と考えていました。そして,そのとおりの判定がくだされました。これで正解だったとわたしは納得でした。

 しかし,白鵬はからだを預けながら,右手で稀勢の里の左足を払い,小手に振られた左腕で稀勢の里を押し倒し,自分の眼の前で,一瞬,稀勢の里の体が土俵につくのが確認できたのだろうとおもいます。その段階で,かれは勝ちを確信したのでしょう。

 ところが,問題はそんなところにはなかったのです。ビデオ判定を担当した元・寺尾の記者に対する説明によれば,「白鵬の右足の甲が土俵につくのと稀勢の里の体が宙に浮くのとがほとんど同時とみて同体とみて,取り直しとした」というきわめて明解なものでした。

 にもかかわらず,白鵬はみずからの眼でビデオを確認した上で「子どもでもわかる。ビデオをもっとしっかりみてもらわなくては困る。こっちは命をかけているのだから」と審判部の判定に苦言を呈しました。そうか,白鵬はビデオ判定を信じているのだ,とわかりました。ならば,そのビデオ判定に持ち込まれた映像を,わたしの眼で確認してみようと思い立ち,徹底的に分析してみました。

 ストップ・モーションにして,一刻,一刻とからだが倒れていく瞬間を見極めてみました。すると,稀勢の里が小手投げを打った瞬間,白鵬のからだは完全に伸びきり,よくみますと右足の指が裏返っています。そして,さらによくよく観察してみますと,右足の指の爪が土俵についています。このとき,稀勢の里の両足はまだ土俵に残っています。両者の体勢は,稀勢の里は両足で立っており,その稀勢の里の左足に白鵬の右手がかかっています。このあと,白鵬は稀勢の里の左足を右手で払いながら小手を巻かれた左腕で稀勢の里の体を押し倒していきます。このあとの体勢をみますと,稀勢の里が重心を失って,ストンと落ちるように倒れていきます。ですから,ここからさきの体の落ち方からすると,白鵬は自分の勝ちを確信したでしょう。しかし,勝負はその前についていたのです。ビデオ判定が唯一絶対に正しいとするのであれば・・・・。

 元・寺尾は,このあたりのことを十分に見届け,承知した上で,相撲の流れとビデオの両方を総合的に判断して,「同体・取り直し」と判定したのだとわたしは理解しています。この判定にわたしはなんの文句もありません。これでいいのだ,と。

 ところが「勝ち」にこだわった白鵬は,起死回生の自分の放った「わたし込み」と稀勢の里の体が土俵に落ちる瞬間を見極めて,みずからの「勝ち」と判断していたようです。しかし,勝負はその前についていたのです。そこを見過ごしている白鵬のビデオの見方は甘いというほかはありません。

 白鵬が尊敬しているという双葉山が,行司さし違えで,勝っていた相撲を負けと判定されたことがありました。周囲からも,完全に双葉山が勝っていた,という声があがったときに,「そういうあいまいな相撲をとる横綱が悪い」とみずからを戒めたという有名な話があります。白鵬はこの逸話を知らなかったのでしょうか。横綱というものはそういうものなのです。

 もう一点。最悪なのは,相撲協会に出向いて「謝罪」をしていない,ということです。親方だけが呼び出されて,「指導責任」を注意され,親方は部屋に帰ってから白鵬に伝えた上で「本人も反省している」と語っただけです。本人の口からはなにも聞こえてきません。ただ,テレビ出演したときに,お義理のようにひとこと「お詫びします」と言っただけです。それは単なるご挨拶。謝罪とは,みずから異議を唱えた勝負審判部に,そして,日本相撲協会理事長に,さらには横綱審議委員会に対して,直接,お詫びをすることです。

 日本相撲協会としては,後味の悪い終わり方になっているはずです。その証拠に,横綱審議委員会でも話題になっており,委員のひとりは「きちんと謝罪をすべきだ」という談話を出しています。そのほかには「奇怪しい」とおもっている親方衆は少なくないとおもいます。なぜなら,白鵬が自分が所属する親方とは,ほとんどまともな会話は成立しない状態がすでに長くつづいている,という話はよく知られているとおりです。

 白鵬は前人未踏の「33回優勝」という記録をつくり,角界のトップに立ったと勘違いしているのではないでしょうか。横綱の偉大さは優勝回数だけではありません。むしろ,これからの立ち居振る舞いや言動によって定まってくるものです。土俵上の,賞金を受けとった直後のあの所作もいただけません。どうも,この人には「勝つ」ことだけが価値があって,その他のことはどうでもいいという考えがあるようにみえて仕方ありません。

 だれか,しっかりした谷町がきちんと説諭する必要がありそうです。

〔追補〕
 2月1日(日)に行われたちびっこ相撲世界選手権大会「白鵬杯」での,白鵬の記者会見は「問題発言」については質問をしないという前提で行われたといいます。やはり,白鵬は謝罪する意思はない,ということのようです。困ったものです。折角の大横綱なのに・・・・。

2015年2月2日月曜日

アウシュヴィッツ解放70年(1月27日)。ワイツゼッカー氏逝去・94歳(1月31日)。

 後藤健二さん追悼に,国民の眼が奪われてしまって,その陰で大事な情報が消し去られようとしている。ここは冷静になって,もう一度,世界を注視する必要があろう。それは二つの大きなニュースである。

 巨星,堕つ。ワイツゼッカー氏・94歳(1月31日)。天寿をまっとうしたというべきか。
 折しも1月27日はアウシュヴィッツ解放70周年。このとき,ワイツゼッカー氏は24歳。
 敗戦後の西ドイツを,こんにちのドイツをヨーロッパ(EU)の中枢国にまで導いた立役者。
 偉大なる哲学者にして大統領。
 こういう宰相が日本にもいてくれたらなぁ,としみじみおもう。

 
今朝(2月1日)の東京新聞を読みながら,考える。
 よろけながらも「憲法9条」のお蔭で,日本国はなんとか国際社会への復帰もはたした。
 1964東京五輪はそのご褒美でもあった。
 ところが,2020東京五輪は,軍隊に守られる「平和運動」をめざそうとしているかにみえる。
 イスラム国に宣戦布告をしたかのような行動をとった政府自民党。
 アメリカべったり路線をひた走り。
 いまの日本。どこにいこうとしているのか。
 戦争の悲劇も忘れてしまって・・・・。
 戦争のできる国に向かってまっしぐら・・・・。
 現国会議員の84%が憲法改正に賛成だとか,国民は33%だというのに,この落差はなにか。
 沖縄の民意を踏みにじり,フクシマの後始末も無視して・・・。
 いったい政治とはだれのためのものなのか。その基本を忘れてしまっている。
 情けない。

 「クォッ・ヴァディス?」

 アウシュヴィッツ。いまの若者たちの間にどの程度,アウシュヴィッツは記憶されているのだろうか。戦争がはじまったら「戦争に行く」と断言してはばからない若者が激増しているという。それでも物足りない若者はイスラム国をめざすという。しかも,これは世界的な若者の動向だともいう。若者たちから「夢」を奪ってしまったおとなたちの責任。こころが悼む。

その最大の元凶は,新自由主義経済による貧富の格差の拡大。そして,歴史修正主義。過去の歴史上の事実・教訓をひた隠しにし,権力にとって都合のいい歴史に塗り替えようと必死。この二つの大きな波に多くの人びとが呑み込まれていく。なんの抵抗もなく。そこに,メディアの批評精神の貧困が覆い被さる。もはや,手のつけようがない。

そんな中にあって,若くして会社勤めを辞し,ひとりポーランドにわたり,ポーランドの国家試験をパスしてアウシュヴィッツのガイドをしている日本人のことが東京新聞(2月1日)に掲載されている。読んで,こころ打たれる。こういう人物がいてくれる・・・ふたたび希望が湧いてくる。

 
詳しくは新聞記事に委ねたい。新聞の見出しにもあるように「超えてはならぬ常識をつくろう」と中谷さんは地に足のついた思考を深めている。日々,アウシュヴィッツと向き合いながらの思考,わたしたちはじっと耳を傾ける以外にはない。平和惚けしてしまった「茹でカエル」の耳にはとどかないのかも知れない。では,われわれが声を大にして伝えていかなくてはならない。

 それは同時に,イスラム国に対してとった政府自民党の姿勢を問い直すことでもある。単純な二項対立の,勧善懲悪主義に立つ「正義」はもはや通用しないのだ。世界観も価値観も違う人間同士が,仲良く暮らしていくにはどうしたらいいのか,というもっとも基本的なことが問われている。哲人・ワイツゼッカーはそのことを説いた。まずは,互いに生き延びるための智恵を出し合おう,と。

 もう一度,わたしたちは「戦争とはなにか」という,もっとも基本的な問いからやり直さなくてはならない。ワイツゼッカーの名著を読み直そう。智恵を出し合って,そこを通過しないかぎり「超えてはならなぬ常識」は生まれてこない。

 道は遠く険しい。でも歩まねばならない・・・・高校時代の校長がわたしたちの卒業アルバムに書き込んだ色紙のことばである。全校生徒を集めてのスピーチが長すぎるという批判もあったが,どことなくみんな尊敬していたようにおもう。そんなことが,ふと,脳裏をよぎる。 

嗚呼,ついに後藤健二さん逝く。そこにイスラム国の声明(全文)が。

 息をひそめるようにして後藤健二さんの無事を祈っていましたが,とうとう叶いませんでした。ほんとうに哀しい・・・・。と同時に悔しい・・・。それ以外のなにものでもありません。後藤健二さんのご冥福をこころから祈ります。

 この情報を知った瞬間から,なぜか腹の底から怒りの感情がわきおこってきました。そして,すぐに「〇〇ッ,お前の責任だッ!」と吼えていました。〇〇とはいわずと知れた〇〇のことです。 「〇〇が後藤さんを見殺しにしてしまったんだッ!」「それだけではないッ!」「日本国の名誉もプライドも一瞬にして投げ捨ててしまっのは〇〇,お前だッ!」「とうとう日本国がイスラム国の真ん前に武器をもって躍り出てしまったことになったのは〇〇,すべてお前の言動が発端だッ!」

 終わることのない罵詈雑言を思いつくままに吐きつづけていました。
 それでもわたしのこころは納まりません。
 仕方がないので,手当たり次第に,インターネット情報を渡り歩いてみました。

 すると,「イスラム国の声明(全文)」という情報に出会いました。情報源は,毎日新聞・02月01日16時41分配信,となっていました。これを読んで意気消沈。「えらいこっちゃ」と小さな声で独り言。短い文章ですので,全文,引いてみましょう。

 日本政府へ。お前たちは邪悪な有志連合と愚かな参加国と同様,我々がアラーのご加護によって権威と力を備えたイスラム教カリフ国家であり,お前たちの血に飢えた軍であることを理解していない。
 アベ(安倍晋三首相)。勝てもしない戦いに参加するというお前の無謀な決断のせいで,このナイフがケンジ(後藤健二さん)を虐殺するだけではなく,お前の国民を見つければどこにいようと大虐殺を引き起こしていく。日本にとっての悪夢を始める。

 以上です。
 その後の情報をさぐっていましたら,日本政府は急遽,臨時閣僚会議を開き,この声明への対応について協議したとのことです。しかも,政府は重大事として受け止め,かなり神経質になっている,とも。なぜなら,テロリストが日本に侵入してくる可能性が一気に高くなってしまったからです。しかし,それに対応する準備はほとんどなにもできてはいません。ですから,これから必死でその体勢を整えなくてはなりません。

 たとえば,2020東京五輪では,外国からのお客さんが大挙してやってきます。そのときに,きちんとテロリストを制御することができるのか,という問題が喫緊の課題として大きくクローズ・アップされることになります。

 逆に,〇〇にとってはまことに都合のいい口実ができたも同然です。これから,なにかといえば対イスラム国対策として・・・・といえば,すべてまかりとおる情況が生まれたのですから。こうして,関連法案がつぎからつぎへと矢継ぎ早に国会に提出されていくことになるでしょう。あっという間に日本国はとんでもない国家に生まれ変わってしまうでしょう。ああ,これをいい始めると際限がなくなってしまいます。〇〇の軽はずみな言動によって,これほどのたいへんな事態を招くことになってしまったのだ,ということだけはしっかりと銘記しておきましょう。

 すべては,〇〇よ,「お前の無謀な決断のせい」(声明)ではないか。いや,待てよ。いまとなっては,〇〇よ,お前が意図的・計画的に仕組んだ猿芝居にみえてくるが,そうだったのか。これからことの真相が少しずつ明らかになってくることでしょう。そうすれば,〇〇よ,お前の責任問題も持ち上がってくる。首でも洗っておとなしく待っているがいい・・・。

 またまた,怒りの感情が爆発しそうです。
 これ以上の追求はやめにして,今夜はおとなしく眠ることにしましょう。
 ではまた,いずれ。

2015年2月1日日曜日

胃腸は脳より賢い・説。どうやら正しいようです。

 胃腸は脳より賢い,という説が巷ではかなり知られているようです。わたしも,なにかの本で読んだ記憶があります。へぇー,そんなもんかねぇ,くらいの認識でしかありませんでした。ところが,この説は意外に正しいのではないか,と最近,おもうようになってきました。

 といいますのは,抗ガン剤をやめた効果がこのところ少しずつ現れはじめていて,これまでマヒしていた器官がもとに復しつつあるようにおもうからです。そうした現象のひとつが,味覚の鈍麻からの解放,ほんの少しだけですが,これは思いの外とても嬉しいことなのです。オーバーに言えば生きがいが蘇ってきたようなものです。味覚のない世界を想像してみてください。文字どおり,味気ない世界です。わかっていただけるとおもいます。この味覚と同時に回復しつつあるようにおもわれるのが,胃腸のはたらきです。しかし,この胃腸は以前のものとはいささか違うものになってきているように感じます。

 もともと,わたしの胃腸はふつうの人よりも丈夫にできていて,消化吸収力は抜群でした。かなりの無茶食いをしないかぎり,胃がもたれるなどということはありませんでした。そして,いかなる食べ物にも対応してくれ,消化不良を起こすようなことも滅多にありませんでした。腸にいたっては,その存在を意識することもほとんどなく,なにごともなく平穏な日常を送ることができていました。まあ,自慢の胃腸でした。

 それが味覚の回復傾向とともに,胃腸も回復をはじめているように感じられ,それが以前とはいささか様子が違うようにおもわれるのです。

 まず最初におことわりしておかなければならないことは,味覚が鈍麻している間は,胃腸の感覚もほとんどマヒしていて,胃腸からの合図はなにも感じられなかった,ということです。ですから,食べる時間も量も内容も,すべて脳が考えて判断し,その命令にしたがうだけでした。

 それが少しずつ回復するにつれ,胃腸の存在が意識されるようになってきました。その最たるものが食欲です。しかも,なにを食べたがっているかも,朧げながら,わかるようになってきています。しかも,食べたあとも,胃腸がじつに微妙な反応をしていることが意識されるようになってきました。ですから,いまは,胃腸の様子をうかがうのが楽しくなってきています。

 かんたんに言ってしまえば,胃腸が喜ぶ食べものと嫌がる食べものとの違いがはっきりしてきた,ということです。ところが,脳は以前の記憶のままで,味覚も記憶にしばられたままです。しかし,胃腸は違います。食べた瞬間に,まずは,胃が喜んでいるかどうかがすぐにわかります。それから,しばらくしてこんどは腸が喜んでいるかどうかがわかります。胃が喜んだ食べものはまず間違いなく腸も喜んでくれます。しかし,胃が嫌がる食べものは,やはり腸も嫌がります。この両者はほぼリンクしていると言っていいとおもいます。ただ,違うのは「時間差」がある(当然ですが)という点だけのようです。

 食べる量についても同じです。ある一定量を食べると,ここでいい,という合図を送ってくれます。その合図に素直にしたがっていると,そのあともとても快適です。からだ全体がうまくまわってくれているようにおもいます。これはたまらない快感です。

 ところが,脳は違います。すでに長年かけて洗脳されてしまっています。たとえば,もっと食べなくてはいけない,こんな量では体重はもどらない,栄養も足りてはいない,加えて,残すのはもったいない,ときます。ですから,この脳の呪縛から解き放たれないと胃腸はすぐに文句をいいます。そして,胃腸がかなり無理をして必死で格闘していることが伝わってきます。胃腸は正直です。嘘をいいません。ああ,胃腸とはこういうものだったのか,といまさらのように認識を新たにしています。大発見です。

 ですから,いまは,この両者の間での葛藤を楽しんでいるところです。

 ほんとうの意味での,「からだの声に耳を傾ける」ことの初歩がはじまったばかりのようです。朝起きたときから,夜寝るまで,それも眠りに落ちるまで,いまは胃腸の声に耳を傾けています。すると,じつに微細なサインを発しつづけていることが,少しずつわかるようになってきました。こういう感覚をこれまで味わったことがなかったことを驚きとともに知りました。まさに,発見です。こういう胃腸との会話をしていれば,栄養学などという近代科学を無視しても大丈夫ではないか,と少しずつ信じられるようになってきました。

 さて,このさきどうなりますことやら・・・・。しばらくは,まじめに胃腸と向き合い,機嫌よく付き合っていくことにします。たぶん,これからもっといろいろの発見があるような気がします。死ぬまで発見の連続なのでしょう。

 サクセスフル・エイジング。このゴールは,ころりと機嫌よく死ぬこと,にあります。ただし,これはわたしの個人的な定義ですが・・・・。まずは,自分で納得のいく,そのゴールを目指して,日々を大切に生きていきたいとおもっています。

 サクセスフル・エイジング。わたしの好きなことばです。