2015年4月30日木曜日

『スポートロジイ』第3号ができあがりました。感無量。こみ上げるものあり。

 待望の『スポートロジイ』第3号の見本刷りができあがってきました。実際に店頭に並ぶのは連休明けになる予定。表紙の色は,ややグリーン系の薄いものにしてみました。発生学的にいいますと,生命の始原はまだ,海水のなか。『スポートロジイ』の生命もまだ揺籃期。これから少しずつ確固たるものに向けて努力を積み上げ,やがて陸生の植物になることを目指します。そんなイメージを籠めてみました。

 
本来の予定としては,昨年の4月に第3号は誕生することになっていました。が,わたしの突然の病気により,それどころではなくなってしまいました。一時は,もう第3号を刊行することは不可能か,と絶望の淵に立たされました。緊急入院のときには胃潰瘍という診断でしたが,それから組織検査を経て胃ガンの診断に。ステージ「3-C」。要するに末期癌の一歩手前。宣告を受けて3日ほど考え抜き,これまでか,と腹をくくりました。

 胃を三分の二切除。そこから驚異的と担当医が言うほどの回復ぶりをみせ,術後,10日で退院。その後は,抗ガン剤治療でさんざん悩まされ,ついに抗ガン剤治療を放棄。再発・転移のリスクを背負ったまま,こんにちにいたっています。その詳しい経過については,この第3号の「編集後記」に書いておきました。そちらで,ご確認いただけると幸いです。

 いまは,残された命を精一杯生き切ることに専念。つまり,胃ガンのことは忘れて,面白いと思えることに全力投球をすること。その代わりに,世の中の義理を欠くことがあってもいい,と割り切ることにしました。ですから,いまでは,不義理をあちこちに残したまま,好き勝手な生活をさせてもらっています。ことしの3月で満77歳に突入しましたので,「惚けたふり」でもしているうちに,やがて立派に「惚けて」くるだろう・・・とそんなことを夢見たりしています。と同時に,もう,いつ死んでもいい,という覚悟もできてきました。

 サクセスフルエイジング。

 そんな経過をたどっての第3号の誕生でした。ですから,感無量。密かにこみ上げるものがありました。それには,もう一つの大きな理由がありました。

 かんたんに言ってしまえば,内容の充実ぶりです。西谷修さんの特別講演の採録内容が素晴らしく,それがこの第3号の中心をなす軸になっていて,それを二つの特集が側面から支えるような効果を発揮しているからです。つまり,第一特集のコートジボワールのダン族のすもうであり,第二特集の太極拳です。もう一歩,踏み込んでおけば,西谷さんの提起してくださったジャン=ピエール・デュピュイの「破局の思想」に対して,真島一郎さんの「ダン族のすもう」と劉志さんの「太極拳と道家思想」がみごとに応答しているからです。

 いささか我田引水的な語りになってしまいましたが,実際にどうであるかは,現物でご確認いただければ,とおもいます。入手方法は,できれば書店で,見つからない場合は,みやび出版への発注でご確認ください。いずれ,リーフレットができあがってくる予定です。それが手に入りましたら,このブログでも紹介させていただきます。

 ということで,今日のところは,とりあえず第3号が間もなく書店に並びます,というご案内まで。

2015年4月29日水曜日

「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

 東京は,全部で3回も五輪を招致することに成功しています。その第一回目の五輪招致が「1940」年開催予定の第12大会でした。が,第二次世界大戦に向かってまっしぐらの日本は,五輪どころの騒ぎではなくなってしまいました。そして,あっさりと五輪返上を決めました。その結果,日本に代わって五輪を開催する国はなかったので,中止となりました。このあとの,1944年の第13大会も第二次世界大戦の真っ最中で,五輪など世界中のどの国も開催を口にできる状態ではありませんでした。

 こうして,国際平和の推進をかかげるオリンピック・ムーブメントは,2回連続で中断せざるをえない,屈辱の歴史を刻んでいます。この事実を知る人もいまでは少なくなってしまいました。しかし,オリンピックの歴史を考える上では,きわめて重大なできごとであり,オリンピック・ムーブメントの根幹にかかわるできごとでした。繰り返しておきますが,名誉あるオリンピック・ムーブメントに大きな穴を空けるという,この空前絶後の歴史に東京(日本)の名前が刻まれたということを肝に銘じておきたいとおもいます。

 もっとも,最初にオリンピック・ムーブメントを中断させたのは,ベルリン(ドイツ)です。1916年に予定されていた第6回大会です。こちらも第一次世界大戦の勃発が中止の理由です。五輪開催を招致しておいて,みずからの都合で返上・中止にしてしまったのは,ベルリンと東京の2都市だけです。しかも,いずれもみずから仕掛けた戦争にその原因がありました。ここにも不思議な奇縁を覚えずにはいられません。ついでに言っておけば,東京五輪1940は,これまたオリンピック史上にその名を刻むことになった1936年ベルリン大会のあとを引き受けての開催予定でした。

 この東京五輪1940の招致運動に全力を注いだ嘉納治五郎(当時のIOC委員)は,疲労困憊の末,招致が決まって帰国する途上の帰国船の上で亡くなってしまいました。嘉納治五郎がどれほどの苦労を重ねたかは,また,いつか詳しく書くことにします。いずれにしても,それほどの努力の結果が,戦争という理由であっさり返上しなければならないことになった,このむなしさは嘉納治五郎を筆頭とする関係者のこころに深く刻まれたことでしょう。

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」。

 このことばは,4月25日(土)に開催された対談「東京五輪2020を考える」(西谷修×稲垣正浩,於・青山学院大学,主催・ISC・21,午後3時~6時)の席上,西谷修さんの口から飛び出したものです。しかも,これが対談の最後の締めくくりのことばでした。

 わたしは一瞬,虚をつかれ,ハッとしてしまいました。強烈な印象を与えるひとことでした。

 といいますのも,じつは,わたしも同じように,東京五輪2020の招致が決まってからのこんにちまでの推移を考え,このさき2020年までの5年間の展望を考えたとき,いずれは「返上」しなければならない情況に追い込まれていくに違いない,と考えていたからです。その最大のポイントは「フクシマ」です。厚顔無恥の安倍首相は,IOC総会で最終決定がなされる,あのプレゼンテーションで最大の不安材料であるべき「フクシマ」について「under control 」と言ってのけたことは,よく知られているとおりです。

 しかし,その「フクシマ」は手も足も出せないまま,いまもなお,なりゆきまかせにするしかありません。しかも,情況は日に日に悪化しています。小出しにされるフクシマ関連情報こそ「under cotrol 」にあって,精確な情報のほとんどが極秘とされたままです。それどころか,メルトダウンしたままの核物質がどのような情況になっているのか,ということもまったく把握できてはいません。一説によれば,いつ,臨界点に達して,大爆発が起きても奇怪しくはない,そういう情況下にある,とすら言われています。

 その一方で汚染水は海に向かって垂れ流し。空気の汚染も放置されたまま。汚染は日々,拡大していくばかりです。こうしたことも改善される目処はまったく立ってはいません。2020年に向けて,なにが,どのように改善されるのか,その具体的なプランもまったくみえてはきません。これらすべてを総合的に判断してみても,情況はますます悪化の一途をたどっているとしかいいようがありません。

 江戸川や隅田川を流れていく汚染水は,間違いなく東京湾に蓄積されていきます。そのデータも民間団体の調査(あるいは,新聞社の調査,など)によって,逐次,公表されています。このようなデータのことを考えると,ますます「絶望」的にならざるをえません。言ってしまえば,明るい材料はひとつもありません。

 が,そんなことは「みてみぬ」ふりをして,東京都も組織委員会も文部科学省も,足並みを揃えて東京五輪2020に向けてまっしぐら。にもかかわらず,新国立競技場を建造する資金が圧倒的に足りず,早くも頓挫しそうになっています。そこで,苦肉の策に打ってでようという話が取り沙汰されるようになってきています。それが,サッカーくじだけでは足りないので,野球くじを導入して,不足分を賄おうという,恐るべき案の登場です。つまり,文部科学省がなりふり構わず,国営の野球賭博をはじめよう,というのです。

 世も末というべきか,狂気の沙汰としかいいようがありません。が,そんなことが大まじめに,日本の権力の中枢で議論されているというのです。

 ここでは,もう,これ以上のことは割愛させていただきます。が,これに加えて「オキナワ」の問題に火が点きました。海外のメディアまでもが注目しはじめ,直接,取材をはじめています。アルジャジーラまでもが,乗り込んでいます。こうなってきますと,国際社会でも大きな議論が湧くことになりそうです。いや,すでに,そうなってきています。そうなりますと,日本という国家の信用問題になってきます。

 「フクシマ」と「オキナワ」の二つが引き金になって,これからますます外圧が強くなってくる可能性も,すでに視野のうちに入ってきました。

 おそらく,西谷修さんの頭のなかでは,もっともっと多くの要素が見え隠れしながら,このさきの展望はますます絶望的にならざるをえない,という判断がくだされているのではないか,とわたしは推測しています。その結論が,このブログの見出しのことばです。もう一度,おさらいをしておきましょう。すなわち,

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

2015年4月28日火曜日

毎日新聞・余祿から。漱石の『三四郎』の「運動会」で100分の1秒を計測。

 数日前に,毎日新聞社のO記者からメールと電話で取材があり,このような記事を書きたいという連絡がありました。O記者とは以前からの知己でしたので,快諾。でも,どんな記事になるのかはいささか不安はありました。以前,痛い思いをしたことがあるからです。でも,O記者なら大丈夫と信じて,記事の内容についてはお任せしました。

 それが下の写真のとおりです。とても面白い内容になっていて,よく調べて書いているなぁ,と感心してしまいました。さすがにO記者だなぁ,と。


 もう少しだけホットな話題を提供しておけば,以下のとおりです。
 4月25日(土)にわたしが主宰しています「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の月例研究会を青山学院大学で開催しました。この案内をO記者にも流しておきましたところ,時間を割いて参加してくださいました。というより,ご縁があるのか,地下鉄の表参道から青山学院大学に向かって歩いていたら,その路上でばったりお会いしました。

 おやまあ奇縁ですねぇ,という話からはじめて歩きながら,今回のこの記事にまつわる雑談を交わしました。そのときのお話でとても興味深かったのは,新聞がスポーツ情報をいかに伝えるか,マンネリ化してしまっていて,記者はみんな頭を悩ましている,ということでした。つまり,スポーツ情報が,饅頭に例えれば,表層の薄皮の部分だけに集中していて,スポーツの肝ともいうべき「餡子」の部分を描ききれないでいる,というのです。もっと言ってしまえば,スポーツの「文化性」に触れる記事にできないでいる,と。

 わたしも,まったく同感でしたので,スポーツ記事が少しも面白くない,その理由などをあれこれ話しながら歩きました。少しきつい言い方をすれば,スポーツ担当記者の勉強不足。我田引水になってしまいますが,スポーツの歴史的なバックグラウンドに関する知識不足であったり,アスリートの人間性に触れるような情報不足にその原因があります,と。しかし,スポーツ担当記者の置かれている環境情況もきわめて劣化しているようです。もう,かなり以前からひどい情況になっている,というお話を元毎日新聞記者で『甲子園球場物語』などの著書もあり,いまは,わたしたちの研究者仲間になっているTさんから伺っています。

 つまり,むかしは野球担当,相撲担当,という具合にスポーツの担当部門がかなり専門分化されていたので,十分に時間をかけて取材もし,調査もし,じっくり熟成された記事を書くことができた,というのです。ところが,しばらく前から「合理化」の名のもとに,いわゆるスポーツ記者として特定される記者はほんのわずかな人数になってしまい,しかも,あれもこれもひとりで担当することになってしまったので,とても時間的な余裕がなくなってしまったというのです。ときには,手が足りなくなって,ほかの部局の記者の応援を頼むこともまれではない,といいます。

 そう言われてみれば,数年前に朝日新聞社の記者から取材を受けたときに担当してくださった女性記者は,所属部局は「政治部」だと言っていました。が,個人的にスポーツにも興味があるので,ときおり応援に引っぱりだされるのだ,と笑っていました。最近では,雑誌『世界』に女子プロレスの草創期の話を連載しており,そのみごとな描写に感動しています。人間性にあふれた温かなまなざしが文面の裏に感じ取られて,読者をぐいっと惹きつけます。

 やはり,書くべきものをきちんともったひとが書くといいものになる,これがわたしの現段階での結論です。それと共に思い出すのは,東京五輪1964のときには,各新聞社とも,一流の作家を動員して,見聞記を書いてもらっていたという事実です。三島由紀夫や井上靖といった錚々たる作家が名を連ねて,日替わりメニューのようにして登場していました。ですから,毎日,新聞でオリンピック見聞記を読むことがとても楽しみでした。

 今回の,この毎日新聞の「余祿」を読んで,こんなことを思い出していました。やはり,いろいろ事情はあるでしょうが,劣化した情況のなかにあっても,ピカリと光る記事を書く記者はいるのだ,と。だから,書き手次第だ,と。O記者もそのうちのひとりだ,と。

2015年4月27日月曜日

WHOが抗ガン剤の全面使用禁止を決議(2014年5月),加盟各国に勧告。日本政府はこれを封印。なぜ?

 「抗ガン剤を用いるガン化学療法は,極めて危険性が高く,加盟国政府に全面禁止を勧告する」と,2014年5月に開催されたWHO理事会で決議されました。考えてみれば,わたしが抗ガン剤治療をはじめたのも,同じ2014年5月。偶然の一致とはいえ,妙なご縁。

 それはともかくとして,日本政府(厚生省)はこのWHOの勧告を封印してしまいました。ですから,いまでもこの事実を知る人はほとんどいません。わたしもその一人でした。ですが,わたしは,友人がアップしたFBをみて,初めてこの事実を知りました。あわてて,WHOと抗ガン剤に関連する情報をチェックしてみました。

 驚いたことに,アメリカでは30年も前に,すでに抗ガン剤による化学療法は「無力である」ということが議会で報告され,確認されていました。それによると,アメリカ国立ガン研究所(NCI)の所長が,議会で詳細な報告をし,それが承認されていた,というのです。そして,いまでは,「抗ガン剤は,ごく一部の腫瘍は除去されるが,ガン細胞はみずからの遺伝子を変化させ,より凶暴なガン細胞になる」ということが広く認識され,共有されている,といいます。

 にもかかわらず,日本では抗ガン剤を用いる治療法は立派なセオリーとして承認され,医療の現場では大手を振って歩いています。ただし,患者が抗ガン剤治療に同意することが前提となっていることは,かなり広く知られています。けれども,一般的には,あまりしっかりとした認識もないまま,また,十分な説明もないまま(抗ガン剤治療とはどういうものであるのか,ということを説明した数ページの手引き書を渡され,よく読んでおくようにといわれ)同意書にサインをさせられる,というのが現状のようです。

 ですから,癌になると,当たり前のようにして抗ガン剤治療がはじまります。患者の方も,詳しい情報もないまま,そして,しっかりとした自覚もないまま,抗ガン剤治療を受けざるを得ないというのが現状だといっていいでしょう。

 わたしの場合は,一応,抗ガン剤治療を受けるかどうかは患者の側に選択権があるということは承知していましたし,主治医からもきちんと説明がありました。それでも,雰囲気としては,抗ガン剤治療を受けるのが,ごく当たり前のことのように,わたしには聞こえてきました。つまり,切除手術はうまくいったので,あとは,抗ガン剤を飲みながら転移・再発を予防しましょう,という流れでした。わたしは,やや疑問をいだきましたが,人によってはほとんど副作用はない,ということばに期待を寄せることにしました。

 しかし,その結果は惨憺たるものでした。そのお蔭で,わたしの決断も早く,抗ガン剤治療を放棄することができました。

 ですから,いまにして思えば,正解だったことを知り,ほっとしています。

 問題は,いまも厚生省は,WHOのこの勧告を公表していない,という事実にあります。そして,抗ガン剤治療が,いまも,ごく当たり前のように行われている,という事実にあります。

 なぜ,そういうことになるのか,ここには深い病根があるようです。あまり詳しいことは知りませんが,医薬共同体のようなものががっちりとできあがっていて,その癒着ぶりはひどいものだという情報はかなり広くしられているとおりです。その実態については,もう少し精確に調べた上で,書いてみたいとおもいます。

 一説によれば,抗ガン剤が大量に製造・保有されているので,抗ガン剤治療を放棄するわけにはいかないのだとか,抗ガン剤治療を否定してしまうと,大きな病院などは経営できなくなってしまうからだとか,言われています。これらの説が事実だとしたら,それはそれで恐ろしいことだ,と鳥肌が立ってきます。

 いずれにしても,WHOの勧告を,いつまでも秘密のままにしておくことなどできるわけがありません。だとすれば,そのうちに大きな議論が立ち上がってくることは間違いないでしょう。ひと波瀾ありそうです。

2015年4月26日日曜日

戦争の記憶・その2.「耐えがたきを耐え・・・」玉音放送を聞いた日のこと(1945年8月15日)。

 1945年8月15日。わたしは愛知県渥美郡杉山村(現・豊橋市杉山町)の宝林寺というお寺の広庭にいた。そこは母の実家で,わたしたち一家は豊橋市の空襲で焼け出され,疎開していた。大伯父のお世話になり,二家族が一緒に食事をし,仲良く暮らしていた。夏休みだったので,従姉妹たちと一緒に大きな楠の日陰にむしろを敷いて遊んでいた。昼近くになって,突然,寺の庫裡の中から大きな声で,みんな集まるように,と呼び込まれた。なにごとか,とおもって庫裡の中に入ると,大黒柱の周囲に大人たちがみんな真剣な顔をして座っている。ザーザーという雑音だらけのラジオが鳴っている。

 しばらくすると,突然,大人たちが立ち上がって直立する。お前たちも立ちなさい,といわれる。ザーザーという雑音にまじって,なにやら人の声がする。なにを言っているのかは,わたしにはよく聞き取れなかった。ずいぶん,長い間,立ったままでいたようにおもう。みんな真剣な顔をしているので,動くこともできなかった。

 これが,のちに知ることになる「玉音放送」だった。そして,その後も何回も,折あるごとに編集されて放送されたようで,わたしの頭には「耐えがたきを耐え,忍びがたきを忍び」というフレーズだけが強く印象に残った。天皇の声と,あのなんともいえない抑揚のある読み方を面白がって,よく,物真似をしたり,ジョークにもこのフレーズは用いられた。

 ラジオの放送が終わったところで,大伯父がひとこと「終わったな」と言った。みんな肩を落としたまま,黙り込んでいる。子どもたちのだれかが,「ほんとうに終わったの?」と聞く。そして,これもだれが答えたのか記憶にないが,「戦争は終わった」と言った。すると,子どもたちが一斉に声を挙げる。「じゃあ,もう,空襲警報はでないの?」「艦載機の攻撃はなくなるの?」「艦砲射撃はなくなるの?」「学校は始まるの?」と矢継ぎ早に問いがつづく。

 わたしは子どもたちの中でも小さい方だったので,みんなの会話を黙って聞いていた。そして,もう戦争は終わったのだ,B29も飛んでくることもなくなるんだ,ということだけがほんやりとわかったにすぎなかった。しかし,それで十分だった。なんだかこころの底から安堵した記憶だけは鮮明に残っている。もう,鬼畜米英に攻撃されて殺されることはないのだ,と。これが国民学校2年生(いまの小学校)の夏休みの最大のできごとだった。

 この日は朝から真っ青な空がひろがり,強い日差しが朝から照りつけていた。だから,子どもたちは広庭の木陰を選んでむしろを敷いて,そこで遊んでいた。あまりの空の青さが,なぜか強く印象に残っている。そして,むしろの上に仰向けにころがり,じっと空を見つめたことも覚えている。それ以外はなにをして遊んでいたのかも,昼食になにを食べたのかも記憶がない。

 それまでに,子どもごころを震え上がらせる,戦争の恐ろしい体験をいくつもしていたので,いつも怯えながら日々を送っていた。一般の国民に向けての艦載機の攻撃が頻繁に起こるようになり,子どもたちもしばしばそのターゲットにされた。登下校も危険だということになり,とうとう学校での授業は中断された。そして,字ごとの集会所に集まり,上級生がリーダーになって自習をしていた。先生が時折,巡回してきて,勉強をみてくれた。それ以外は「自習」とはいえ,みんなで遊んでいるのも同然だった。

 そんな,恐ろしい記憶のいくつかを取り出して,このブログで公表してみたいとおもう。そして,戦争だけはどんなことがあっても忌避すべきだ,と一人でも多くの人びとにわかってもらいたい。それは戦争の恐ろしさを肌で感じた人間に残された,いまもっとも大事な使命だ,とおもうから。

2015年4月25日土曜日

からだの「知」・その3.抗ガン剤を拒否するわたしのからだ。

 昨年の5月22日(木)から胃ガンの再発・転移予防のための化学療法,すなわち抗ガン剤治療に入りました。まず,最初は比較的弱い抗ガン剤(錠剤)から入り,様子をみることに。つまり,抗ガン剤の副作用は個人差が大きいので,まずはどんなものかテストするというわけです。飲み始めはそれほどでもなかったので,それならばということで,途中で,点滴による強い抗ガン剤注入(入院・2泊3日)治療が組み込まれました。が,これが強烈でした。あまりに効きすぎて(?),さすがのわたしも参りました。正直言ってへこたれてしまいました。三日目には食事も拒否するほどの強烈な副作用がでました。

 このとき,はっきりと抗ガン剤はわたしのからだには受け入れられない化学療法だと知りました。しかし,主治医が,もうしばらくつづけましょう,かならず,ぴったり合う抗ガン剤がみつかるはずだから,と丁寧に説明する。相性のいい抗ガン剤と出会えば,ほとんど日常生活に影響はでないから,ともいう。

 ならば,ということで相性のよさそうな抗ガン剤を試みることに。3週間飲んで,2週間お休み。これをワンクールとして,繰り返すことになる。こんごの見通しを聞いてみると「数年かかります」という。数年とは,1,2年のことか,それとも2,3年のことか,あるいは,それ以上か,とわたしは聞く。すると,やってみないことにはわからない,という。それもそうかなぁ,とおもう。

 かくして,一番弱い抗ガン剤で,2クール,3クール,4クール,とつづけてみる。最初のうちはまずまずでしたが,次第にからだの拒絶反応がきびしくなってきました。これはまずいと判断し,内緒で,朝晩2回飲むところを,朝をはずして晩だけにする。そうすれば,日中はいくらか仕事もできるからです。晩は早めに寝てしまえばいい。しかし,それでもからだは徐々に抗ガン剤を受け付けなくなる。飲まない日が次第に増えてくる。

 しかし,面白いことに,頭(理性)は飲め,と命ずるのに,からだ(知にあらざる知)は拒否します。この両者のせめぎ合いをじっと観察する,第三のわたし。不思議な光景ではある。が,なんといっても断然強いのはからだの拒絶反応。すなわち,自然に備わったからだの「知」。頭(理性)がいくら説得しても,からだは「NO!」を連発。

 これはいったいどういうことなのだろうか,と考えました。これほどまでに拒否するからだとはなにか,と。薬を飲まなくてはいけない,と理性が命令しても,からだはどこ吹く風とばかりに「横を向いた」ままです。最後は,強権を発動して,脳が手に命じて薬に手を伸ばさせます。すると,こんどは胃袋が吐き気を催します。いま食べたばかりの食べ物が,一気に逆流をはじめそうです。これをひとまずぐっと堪えて,しばらく様子をみることにしました。ところが,一向に改善される様子はありません。こんなことの繰り返し。

 そこで,とうとう,主治医にことの顛末を話し,抗ガン剤を中止することにしました。抗ガン剤をつづけるかどうかは患者の選択権だということは承知していましたが,こんなにあっさりと了解してくれるとはおもってもみませんでした。が,逆に助かりました。もし,主治医がNoと言ったらどうしようか,と。それが昨年の10月のことでした。

 以後は,抗ガン剤の呪縛から解放され,徐々に,からだが楽になってくるのが手にとるようにわかりました。が,抗ガン剤というものは不思議なもので,飲まなくなっても,その前に飲んだ抗ガン剤がからだの中に蓄積されていて,なにかと妙な症状が顔をみせます。いままで経験したことのない,不思議なからだの現象です。このことについては,また,いつか詳しく書くことにします。

 とにもかくにも,抗ガン剤から解放された,わたしのからだはほっと一息でした。そして,明らかに,からだが喜んでいるのがわかるのです。こんな体験は初めてでした。そうか,からだはいい条件が整うと喜ぶんだ,と知りました。以後,わたしは,なにごとも,みずからのからだに問いかけながら,その是非を判断するよう努めることにしました。このことの具体的なことがらも,これから書いていくことにします。

 いまにして思えば,このときのからだの拒絶反応が,いまのわたしをあらしめている,という以外にはありません。理性の命ずるがままにしていたら,いったい,わたしのからだはどうなっていたのだろうかと考えると,ゾッとしてしまいます。わたしのなかの,からだの「知」がわたしを救ってくれたと,いまも信じて疑いません。なんだか妙な気分ですが・・・・。

2015年4月24日金曜日

わたしたちは沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい。

 わたくしごとながら,娘が沖縄に住むようになってかれこれ20年近くになる。それがきっかけとなって,わたしの眼もいつしか沖縄に向くことが多くなった。そして,沖縄を訪れるたびに新しい発見があって,かなりの情報通になったつもりでいた。しかし,それはとんでもない間違いであったことを知る。

 その理由は,沖縄2紙,つまり,『琉球新報』と『沖縄タイムス』のネット購読者となってみたら,日々,新しい沖縄の日常を知ることになり,わたしの沖縄認識がまったく表面的なものでしかなかったことが明らかになったからである。昨年の4月から購読をはじめたので,ちょうど一年になる。その間に,沖縄という土地・文化のもつ懐の深さと人間性が,本土のそれとは相当に異なるものである,ということをじっくりと学ぶことになった。それは驚くべき経験でもあった。

 ひとくちで言ってしまえば,沖縄には「人間が住んでいる」ということだ。つまり,生身の血も涙もある,人情味豊かな人間関係が,まだ生き生きと躍動している,という印象である。そして,その人間の生きざまを沖縄2紙はしっかりと報道している。それに引き換え,本土のわれわれは血も涙も枯れはてた「モノ化」してしまった人間があまりにも多くなってしまった,ということだ。その上,ジャーナリズムが形骸化してしまい,ことなかれ主義に逃避してしまったから,なおさらのことだ。この違いは天と地ほどもある。

 たとえば,沖縄には,いわゆる「芸能」が人びとの日常生活のなかに深く根を下ろしている。その根幹に三線(さんしん)がある。ちょっとした宴会があれば,すぐに男が三線を弾き始め,みんなが立ち上がってカチャーシーを踊りはじめる。宴会でなくても,嬉しいことがあれば,即興でカチャーシーが飛び出す。そこでは大人も子どもも,男も女も,区別はない。みんな,渾然一体となって,その場でみずからの気持を表現し,楽しむ。つまり,歌と踊りが日常的に根づいている,ということだ。こうして,嫌なことは一刻も早く忘れ,明日への希望につないでいく。これがむかしからのウチナンチュの慣習行動であり,原動力となっていて,それがいまも息づいている。

 この延長線上に,小さな居酒屋やカフェのわずかなスペースを利用してのささやかなライブがある。それも夕食後の午後8時とか,午後9時とかの開演だ。それがいたるところで行われている。それらの情報は,そのほとんどが口コミ情報だ。友だちから友だちへと伝えられ,都合のつく者だけが集まってくる。終わったあとも,演奏者とお客さんとで盛り上がる。つまり,みんな友だちなのだ。それで食べていかれるわけではないので,みんなそれぞれに仕事をもちながら,週末のライブに備えている。そんなライブがいたるところで行われている。

 こういう広い意味での芸能に代表されるように,小中学生のスポーツ大会や,地域の小さな祭りにいたるまで,じつに熱心に行われていて,みんながそれぞれに楽しんでいる。それらが事細かに紙面を飾っている。だから,いま,沖縄のどこでどんなことが行われていて,盛り上がっているかが,その気になれば新聞で知ることができる。本土で暮らしているウチナンチュも,多くの人がこの沖縄2紙を愛読している理由がよくわかる。それだけで故郷情報は完璧なのだ。

こうした人間味あふれる情報もさることながら,それよりなにより,圧巻は,真のジャーナリズムが生きている,ということだ。つねに,ウチナンチュの目線から,政治・経済を論じ,是々非々の姿勢を貫いている。それを2紙が競い合うようにして論戦を展開しているのだ。だから,両紙ともおざなりの情報提供ではすまされない。なぜなら,激しい読者獲得競争がその背景にある。だから,そのジャーナリスティックな議論のポイントは,政治も経済も,みんなウチナンチュの日常生活にとっていかなる意味をもつのか,という点に絞られている。だから,その論旨はじつに明快であり,しかも日常生活の細部にまで伸びていく。

 たとえば,米軍基地問題も,単に安全・騒音だけではなく,沖縄の経済を阻害している最大要因であることを,日々,詳細にデータを提示しながら論じている。そして,政府による沖縄振興予算などは,むしろ,ウチナンチュの経済的自立を阻害するばかりではなく,アイデンティティをも阻害するものであって,なんの役にも立たない,ということもきちんと説明している。そして,その目線の先は,基地を県外に移設したのちの,自律・自立した沖縄経済の活性化に向けられていて,着実にその基盤が構築されつつある。とりわけ,IT関連事業については確実にその基盤が整いつつある。そして,東南アジアや中国と本土とを結ぶ重要なハブ拠点となりつつある。しかもその成果は着実に上がっていて,経済も活性化の一途をたどっている。こういう情報・議論が毎日のように新聞紙上を賑わせている。だから,沖縄県民の意識は,本土のわれわれが知らないところで,はるか先に進んでおり,その実現に向かっている。

 翁長知事が中国や台湾に足を運ぶのは,こうした大きな流れの上に立ち,沖縄の経済的自立を視野に入れた上での政治活動だ。そのことを本土のメディアのほとんどは理解していない。のみならず,翁長知事の行動を疑問視するメディアも少なくない。それどころか,中国のスパイ呼ばわりさえする新聞も登場している。あきれ返ってものも言えない,とはこのことだ。自分たちの不勉強を棚に挙げて,自分たちに理解できない行動はすぐさま批判する。それも完全なる「上から目線」だ。しかも,劣悪なことばで。ここには悪意以外のなにも存在しない。ジャーナリズムの腐敗であり,死そのものだ。そのことに気づいている様子もない。最悪だ。

 沖縄2紙を読んでいて,しみじみと感じるのは,両紙ともに沖縄県民の「生」をしっかりと見つめ,これを擁護する姿勢に貫かれているということだ。辺野古新基地建設に反対する沖縄県民の意識の根っこはここにある。この点は,みごとに沖縄2紙ともに徹底している。そして,しのぎを削っている。だから,論旨はますます冴え渡ってくる。読んでいて,じつによくわかる。沖縄県民が選挙行動で示した「反基地建設」は,こうした磐石な論旨に支えられてのものだ。しかも,一朝一夕のうちにできあがったものではない。深い歴史過程と連動している。しかも,すでに,沖縄県民はそのさきを見据えている。

 日本政府はもはや当てにはならない。沖縄県として自立した立場で,直接,アメリカと折衝をするしかない,と。翁長知事はこうした県民の圧倒的な支持を受けて,いよいよアメリカ政府との直接交渉に向かう。83%の県民の支持を受けて。

 一昨日のブログにも紹介した『沖縄タイムス』の記事も,そうした流れの上に立つ,堂々たる論陣の張り方である。本土のメディアはとても太刀打ちはできないだろう。なぜか。ジャーナリズムの精神を放棄してしまっているから。すなわち,人間の「生」を肯定し,擁護する,人間として生きる原点をどこかに置き忘れてきてしまったから。

 わたしたちは「沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい」と表題に掲げた。その理由は本土のジャーナリズムの腐敗・死にある。だから,わたしたちは沖縄のほんとうの姿をほとんどなにも知らないままなのだ。しかも,そこに政府自民党の圧力がかかっている。これから,ますます,沖縄情報は本土では忌避されてしまいかねない。これから最大のピークを迎えるというのに。

 わたしたちは,いまや,沖縄県民を師と仰ぎ,教えを請わなくてはならないところに立たされている。このことだけは,声を大にして叫びたい。われら「茹でガエル」たる同胞に向けて。

2015年4月23日木曜日

政権評価の潮目が変わったか。政府の沖縄対応に「No」,女性たちもアベ政権に「No」。

 新聞各社による政府の沖縄対応についてのアンケート調査の結果が,軒並み「No」をつきつけているという。読売,日経の読者ですら,「No」の方がわずかだが多いという。その他の毎日,朝日になるとかなり大きな差がついているという。沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)にいたっては,圧倒的な差だという。

 そのきっかけとなったのが,菅×翁長対談であり,さらに駄目だしをしたのが安倍×翁長対談だという。この二つの対談によって,沖縄の真実が,はじめて日の目をみたからだ。それまで,沖縄関連情報は,そのほとんどが政府の垂れ流し情報で埋めつくされていた。それに対する批評も評論もないままに。だから,国民の圧倒的多数は,沖縄についての精確な情報をほとんでなにも知らないままでいた。

 ところが,今回の二つの対談によって,いやでも沖縄の真実の声が公にならざるをえなかった。しかも,翁長知事の単刀直入な,わかりやすいことばが,ストレートに読者の胸に落ちた。それに引き換え,菅,安倍の両氏は,翁長発言に対して説得力のある応答はひとつもできなかった。そこには「丁寧な説明」はひとこともなかった。これで勝負あった,となった。

 以後,新聞各社は,温度差はともかくとしても,沖縄の「真実」を独自の取材をとおして書きつぐことになる。ここにきて沖縄情報が,それ以前にくらべたら,信じられないほど多くなってきた。これから,新しい事態がつぎつぎに起こることが予想されているので,ますます,沖縄情報は多くなるであろう。だとすれば,ますますピンチに陥るのは官邸の方だ。これまで一方的に沖縄情報を抑圧し,隠蔽し,排除してきた官邸の悪事が,つぎつぎに明るみにでてくるだろうから・・・。

 こうして沖縄情報が流れれば流れるほど,沖縄の真実は明らかになってくる。そして,これまで無知・無関心だった本土の人たちにも,少しずつ沖縄理解が深まってくる。これは,もはや,止めようのない流れとなってきた。となれば,その行き着く先もみえてくる。

 明らかに,政権評価の潮目が変わった,とみてよいだろう。

 加えて,女性週刊誌がこぞって女性の不安を取り上げ,多くの読者の支持をえているという(『毎日新聞』の特集)。こちらの引き金となっているのは,原発問題と生活不安。つまり,わたしたちの命と生活はこれでいいのか,という女性特有の鋭い感性に訴える記事が圧倒的支持をえているというのだ。この特集はなかなか説得力があって,いい記事になっている。

 ジャーナリズムが死んでしまったとわたしは嘆いてきたが,どっこい,女性週刊誌の世界ではしぶとく生き残っていたようだ。こういう女性たちの声を取材して書かれる記事に対しては,さすがの官邸も手も足も出せないのだろう。あるいは,盲点になっていたか。これからしばらくは女性週刊誌に注目である。

 詳しいことは毎日新聞にゆずるが,ひとつだけ,面白いとおもったことに触れておきたい。

 アベ君は,折あるごとに「女性の力を活用したい」と言ってきた。一見したところ,女性を大事にしていこうとする姿勢にみえるが,さにあらず。これが,上から目線であることに女性たちは反発しているというのだ。つまり,「女性の力を活用」するのはあくまでも「男」たちであって,女性はその道具でしかない,という姿勢が透けてみえてくる,というのだ。これは,菅長官が沖縄の辺野古新基地建設を「粛々と進める」と繰り返していることが「上から目線」だと批判されたのと,まったく同じ道理だ。

 官邸が気づいていない驕り,高圧的な姿勢が,女性たちの鋭い感性に見破られた,と言ってよいだろう。しかも,この姿勢は耐えられない,我慢ならない,というのだ。それが,戦争法案(福島瑞穂発言)の議論にも現れているし,原発再稼働の議論にも感じられるし,ましてや「戦争のできる国家」など,とんでもない,という次第だ。こうして,一度,気づくと,つぎからつぎへと官邸のやることなすことが不安になってくる,と女性たちはいい始めているという。この連鎖反応は大きい。

 女性の感性とは,すなわち,からだに支えられたものだ。女性の,とりわけ,母性からくるものだ。だから,母性本能に直結する「命」の安全への反応は,男の比ではない。ここが目覚め,ここから政権に疑問を感じ,批判が出はじめた,というのだとしたら,これはもう政権にとっては命取りのようなものだ。男は目の前のエサを追いかけることに必死で,森を見失うことが多いが,女性は,子どもたちの「命」がどうなるのか,という長いスパンで身構える。

 官邸はこの虚をつかれた格好だ。いずれにしても,女性たちによる政権党に対するきびしいまなざしが,徐々に頭をもたげはじめていることは事実のようだ。

 ここでも,潮目が変わった,とみるべきだろう。
 なにかがはじまろうとしている。それに期待したい。

2015年4月22日水曜日

茹でガエル亡国論・その1.茹でガエルとはなにか。総論。

 茹でガエル。

 だれがいい始めたのかは知らないが,どこかでみかけたとき,「うまいっ!」と感心し,以後,わたしも多用させてもらっている。まことに言い当てて妙。

 たしか,わたしの記憶では,「カエルは変温動物なので,周囲の温度の変化に,ほとんど抵抗なく適応していく。冬になれば冬眠まですることができる。そして,春になれば眼を覚まして,またもとどおりの生活をはじめる。これは優れて環境への適応能力というべきである」と持ち上げたうえで,つぎのようにつづられていたようにおもう。

 「最近の日本人は,快適な環境温度にどっぷりと順応し,いつのまにか温度が必要以上に高くなっているのも気づかないまま日常生活を送っているうちに,気づいたら筋肉が茹で上がってしまって,もはや身動きならないからだになってしまった。そして,国家権力のなすがまま,無抵抗。それどころか自発的に隷従している方が楽だという技をも無意識のうちに身につけ,ついには思考まで停止してしまった。もはや,完全に茹で上がったカエルも同然。かくして,国家権力は,あとは,邪魔にならない程度に飼い馴らしておけばいい。これで清き一票もやすやすと手に入る。妙に目覚めたままでいるカエルは脅すなり,排除するなり,あるいは,食すなり,掃いて棄てるなり,殺処分にすればいい。かくして盲目的多数派工作は完了である。」

 「それでもなお,しぶとく自己主張をする輩が生き残っているので,こちらは目立たないように恫喝をかけておけばいい。とりわけ,報道機関の垂れ流す情報のうち,国家権力にとって都合の悪い情報を流す報道機関に対してだけ,裏でこっそりと厳重に注意を与えればいい。それでも足りない場合には,堂々と調査委員会なるものに呼び出して,密室であからさまに恫喝すればいい。それでも,世間一般には,ただ事情を聴取しただけ,ととぼけておけばいい。」

 「かくして,メディア・コントロールも思いのまま。かくなるうえは,長年にわたって夢にまで見,思い描いてきた理想の国家づくりに励めばいい。そう,憲法9条という看板をはずし,戦える軍隊をもち,堂々と戦争のできる国家をめざして。いまや,準備万端整えり。いざや,いざ。」

 というようなことがつづられていたと記憶する。あまり自信はないが・・・・。

 以下はわたしの感想。

 しかしながら,茹でガエルを大量生産することには成功したものの,その一方で,茹でガエルになることを拒否しつづけている強力な分子も少なからずいる。この分子たちが,少しずつ,異議申し立てをしはじめている。それぞれのやり方で。それに反応して,なんとなく変だと気づきはじめた茹でガエルも,多くはないが出はじめている。

 国家権力が,唯一,展望を誤ったのがオキナワだ。沖縄にだけ特化した振興予算などというエサをほどほどにばらまいておけば,どうにでもなる,と甘く考えてきたオキナワだ。しかし,この手で何回も騙されつづけてきたウチナンチュも,こんどばかりは騙されなかった。長年にわたる艱難辛苦と向き合い,かつ,日常的な騒音と危険と向き合い,おまけに,約束を無視した巨大な「軍港」にも等しい辺野古新基地建設という,日米合意を楯に,日本国という権力による一方的な暴挙を目の当たりにするにつけ,ウチナンチュは立ち上がった。
 
 ウチナンチュを茹でガエルにしないように頑張ったのは,オキナワのジャーナリズムだ。とりわけ,沖縄2紙といわれる『沖縄タイムス』と『琉球新報』だ。この2紙が競い合うようにして,オキナワの置かれているありのままの現実を包み隠さず明らかにし,県民が重要な判断をくだすための情報を提供しつづけてきた。この功績は大きかった。わたしは,このことの重大さを,この一年間のネット購読者としての経験で知った。じつにわかりやすく,懇切丁寧に,しかも,何回にもわたって,辺野古新基地建設に関する経緯(歴史的事実)を説明しつづけてきているのだ。それは,いまも,つづいている。

 先日の翁長知事と首相との初の対談が終わった直後には『琉球新報』は号外を発行して,町行く人びとにばらまいた。翁長知事に与えられた5分という冒頭の発言時間を,約束を破って,たった3分で中断させ,報道陣を追い出しことや,全部で,たった35分の対談であったことや,それも官邸側が一方的に打ち切ったこと,などが報じられている。そして,翁長知事が「辺野古新基地建設は断じて許さない」と首相に迫ったことを,圧倒的に支持する声明文ともなっている。

 ついに,死んだふりをしていた獅子が眼を覚まし咆哮した。ウチナンチュはまったく新しい局面に向かって勇気ある第一歩を踏み出した。この沖縄県民の圧倒的支持に背中を押された翁長知事の決断に,慌てたのは官邸の方だ。それでもなお,,本土の思考停止した茹でガエルに支持されている政府自民党が,民主主義を無視してでも,押し切ろうとするのか。

 ことここにいたって,ついに,「茹でガエル」が恐るべき暴力装置として,新しい歴史の扉の前に立ちはだかり,沖縄県民の意思を踏みにじってしまうのか,きわめて重大な局面を迎えている。これを名づけて「茹でガエル亡国論」。

 次回からは,このテーマを少しずつかみ砕いて,各論を展開してみたいとおもう。ご批判をいただければ幸いである。

2015年4月21日火曜日

ママァ! AIIBは悪い高利貸しだって?  アベちゃんが言ってたよーッ。幼稚園児の会話。

 ママァ! AIIBは悪い高利貸しだって? アベちゃんが言ってたよーッ。
 ヘーェ,そうなの? ママはそうはおもわないけどねェ。アベちゃんのおじいちゃまがそう言ってたのかしらねェ。まさかねェ? そんなはずはないとおもうけどねェ?
 だって,アベちゃん,みんなにそういってたよーッ!

 幼稚園での子ども同士の会話を,家に帰ってきてさっそくママに報告しているような,そんな光景が眼に浮かびます。そんなレベルの話。

 頭脳が幼稚園児なみ。だれがこんな間抜けな智恵をアベちゃんにつけたのでしょうねぇ。それをそのまま鸚鵡返しにして,触れまわっているなんて・・・。まさか,アベちゃんが自分で考えたともおもえないし・・・・。第一,そんな思考力があるともおもえないし・・・。

 まことにもって,情けない話です。

 アベちゃんは,ヨーロッパ世界がアメリカ一極主義からシフトしたことに気づいていません。予想をはるかに超えて,57カ国が参加してスタート切ったAIIB。これは,中国がアメリカにつぐ第二極として国際世論が認知したなによりの証拠。

 なのに・・・・,アベちゃん,なんにもわかっていない。その取り巻きも・・・取り巻きだ。だれかが,ポロッと,悪い冗談でも言ったのを,小耳にはさんで,そのまま信じてしまったのでしょうか。だとしたら,真正のバカとしかいいようがありません。太田光君のいうとおりです。

 このところ考えつづけている「茹でガエル」君のモデル第一号はアベ君だった。その特性である「思考停止」,「自発的隷従」,「盲進・妄信」,ついでにもう一つ「猛進」,すべて当てはまってしまう。なんともはや恐ろしや。

 ドイツのメリケルちゃんですら,わざわざアベちゃんに声までかけて誘ってくれたのに・・・。「あーとーでー」だって。「つまんないなー」。ヤマグチさんちのツトム君じゃあないんだから・・・。だって,ツトム君は「このごろ少し変よ」と友だちも気づいていますが,アベちゃんは最初からずーっと「変よ」なんだから・・・。

 のっけから「♪狂っちまってンだからァー♪」。久間無視じゃないんだから。エッ? アッ,パソコンの変換ミス?・・・じゃあないよ。パソコンはミスしないもん。命令されたとおりに間違いなくはたらくだけだもん。操作している人間の変換ミスだよォ。無責任なんだからァ♪・・・。

 放火魔は,かならず火事の現場に姿をあらわす,といいます。「悪い高利貸し」なんていうセリフはやったことのない人には実感がないはず・・・。ということは,アベちゃんは,隠れて「悪い高利貸し」をやっているということ・・・・?!身からでた錆か。

 そういえば,あちこち,たいして意味もない,わけのわからない金をばらまいているもんねぇ。あの金も別のなにかで回収しようと企んでいるのだろうか。

 ここにきて,あまりにお粗末なボロが出すぎる。そろそろ幕引きのときが近づいてきたか。

からだの「知」・その2.免疫力=自然治癒力に秘められた「知」。

 赤ん坊や幼児は,興味・関心をいだくとすぐにそれを手にとり,口にもっていく。清潔であるか,汚れているかは問題ではない。とにかく手で触れて,口で確認する。これはもう遺伝子に刷り込まれたからだの「知」としかいいようがない。知や意識がはたらく以前のからだの,素のままの反応だ。いわゆる純粋経験。

 しかし,そのお蔭で,幼児は母親からもらった免疫力から自立して,自分の免疫力を獲得していく。その功労者は「汚れたもの」だ。つまり,非衛生的なものだ。ありとあらゆるからだにとっての「異物」,つまり,バイ菌を筆頭とするさまざまな「異物」(抗原)がからだの中に入り込むことによって,それに対抗する「抗体」をつくる。これが免疫力を高める基本原理だ。だから,一定の「異物」がからだの中に入ることによって,免疫力は維持され,さらに高められていく。

 いわゆる「抗原抗体反応」は,人間の理性とは別物だ。つまり,からだの自律的なはたらき以外のなにものでもない。これを,わたしは,からだの「知」と名づける。からだは理性とは関係なく,みずからの原理原則をもっている。そうして,その原理原則にもとづいて,その機能を高めたり,低めたりしている。だから,かんたんに言ってしまえば,一定の「汚れたもの」(異物)が,周期的にからだの中に入り込むことが免疫力を維持し,高めていく上では不可欠なのだ。

 にもかかわらず,世はあげて衛生管理主義が徹底している。つまり,「衛生的」ということばに弱い。衛生的によくない,と言われるとすぐにそれに従う習性が身についてしまっている。科学万能主義や科学神話が徹底した結果なのだ。だから,世の中の組織や制度も「衛生的」に構築されてしまっている。その最先端に学校教育が大きな役割を果たしている。

 外出から家にもどったら,すぐに「手を洗い」ましょう,「うがい」をしましょう,と教えられる。母親もそのように教える。だから,子どもたちは,みんな条件反射のようにして,なんの疑問もいだくことなく,「言われたとおり」に手を洗い,うがいをする。こうして,バイ菌をからだの中に入れないようにしているのだ。とても清潔で,衛生的で,よろしい,ということになる。

 名づけて「衛生帝国主義」。しかしながら,この結果は,免疫力の低下だ。だから,一年中,ちょっとしたことですぐに体調を崩す人間が激増している。というよりは,医療依存症というべきか。なにか,からだに少しでも変調がみられるとすぐに病院にいく。そして,医師に診てもらって処方をしてもらい,薬をもらって帰ってくる。医師も診療点数を稼ぐためにせっせと薬を処方する。患者の多くは,ただ,それだけで安心立命している。

 からだの異変が尋常ではない場合には,医師に診てもらう必要がある。しかし,ちょっとからだがだるい,その程度の異変でも,すぐに医師のところに行って薬を処方してもらって,それを飲む。あるいは,自分でそれらしき薬を買ってきて飲む。流行性感冒でもはやろうものなら,予防注射までしてもらうご時世だ。食品関係を直接扱うような特殊な職業の人であればともかくも,ごくふつうの生活をしている人も列をなして予防注射をしてもらう。

 これでは,折角の「抗原抗体反応」のしくみを稼働させる絶好のチャンスを,みずから放棄するに等しい。その結果は,免疫力の低下だ。だから,ますます風邪を引きやすくなる。そして,常時,医者のお世話になる,という悪循環に陥る。このことに気づいていない人は意外に多い。

 ここには多くの問題が隠されている。一つは,自分のからだと向き合って,考える機会をみずから放棄していること。つまり,「思考停止」。もう一つは,からたの「知」力を高める機会,つまり,免疫力を高める機会を放棄していること。もっと言っておけば「自然治癒力」の放棄である。その結果が,医師・薬依存症への道だ。すなわち,人間が人間であることを放棄して,人間ではなくなる,「事物化」への道だ。そして,医療費の高騰だ。ここからさきのことは,いずれまた機会を改めて書くことにしよう。

 いま,必要なのは,ひとりの人間として自立/自律して考える力だ。その基準は,医療の助けが必要かどうかの判断力だ。つまり,免疫力を高めるためのチャンスとみるか,あるいはその限界を超えていると判断するか,を見極める力だ。そうして,自分のからだの「知」力を高めていく心構えをしっかりともつことだ。つまり,免疫力=自然治癒力を高めていくために。

2015年4月20日月曜日

東京五輪2020批評・その1.東京五輪はだれのためのものか。国民無視の実態。

 東京五輪2020の招致運動からこんにちまで,国民の意思はほとんど無視されたまま,どこかの密室で着々と推し進められている。当該担当部局に議事録の開示を求めても,3カ月も6カ月も待たされた上に,開示される議事録は真っ黒に塗りつぶされたものがほとんどだ。読んでもなんの役にも立たない代物ばかりである。それでも議事録を開示している,としらを切る。

 東京五輪2020の招致・開催の主体は東京都である。しかし,その東京都が五輪招致のために作成した開催要領がどのような議論を経て作成されたのか,わたしたちは知るすべをもたない。詳しいことはだれも応答してくれないからだ。すべては密室でことが運ばれたということだ。それでも開催要領をよくよく分析すれば,だれが,なにを,企んで作成されたものであるかは,一目瞭然である。

 たとえば,東京湾岸を中心に「5キロ圏内」ですべての競技を行う,いわゆる「コンパクトなオリンピック」というキャッチ・フレーズの陰に隠された本音は,まるで子どもじみた理屈である。ごくかいつまんで書いておけば以下のとおりである。

 東京都が東京湾にゴミを棄てて埋め立てた土地が,大量に空き地のままになっている。だれも買い手がいないからだ。つまり,使えない土地なのだ。だから,その表面に芝を植え,植樹をして緑地公園にし,部分的にスポーツ施設をセットして,都民に解放されている。しかし,コストの上で採算がとれない。そこで飛び出した名案(迷案・明暗)が,オリンピックを招致して,全部,スポーツ関連施設にしてしまおう,というわけだ。それを「東京湾副都心計画」と銘打って,選手村やマンションも建造して,終わったら民間に払い下げればいい,と考えた。この案が都議会をとおして承認され,晴れて日の目をみた。この仕掛け人は石原慎太郎である。日本はこの案を引っさげてIOC総会に乗り込んだ。

 当時のIOCの考え方としては,経費のかからない,こじんまりとした大会の運営をよしとする機運が高まっていたので,この提案は高評価を受けた。そして,その他の手も使って,みごとに五輪招致を勝ち取った。フクシマは「under control 」という首相の名セリフのもとに,あからさまな嘘をつき,投票権をもつ委員たちを誑かした。その結果の五輪招致である。

 なぜか,最初から,五輪招致のための動機が不純である。政治家の弄びものの匂いがふんぷんとしている。

 のみならず,いよいよ五輪施設の建造にとりかかろうとしたら,建築資材費と人件費が急騰して,準備されていた「5000億円」ではとても賄いきれないということが判明した。当然である。東日本の復興,フクシマの応急処置,集中豪雨などによる災害,などが重なってあっという間に土木・建築費の高騰となった。こんなことは建築家の間では早くから指摘されていたことだった。それが現実となっただけの話である。このために,五輪が大きな壁にぶち当たっただけではなく,東日本の復興も,フクシマも,災害地の復興も,なにもかもが頓挫することになった。

 その典型的な例のひとつが,国立競技場を取り壊し,新国立競技場を建造するという計画である。このことについては,このブログでも何回もとりあげてきているので割愛する。が,その後のこと,つまり,現在進行形の話は少しだけ触れておこう。多くの専門家集団や市民団体がJSC(日本スポーツ振興センター)の計画に反対し,改善案まで提示したが,それらのすべてが無視されたまま,とうとう解体工事がはじまってしまった。まるで,沖縄の辺野古新基地建設と同じ手口だ。一切,聞く耳をもたない一方的な強行突破である。

 このことが,じつに象徴的にこんにちの国家権力の姿を浮き彫りにしている。すべてが万事,このやり方がまかりとおる不思議な国家に成り果ててしまった。いまや,言論の自由もままならず,新聞・テレビの報道までもが「放送法」などを無視して,政府自民党が公然とプレッシャーをかけてくる時代である。民主主義の憤死。

 ところが,五輪施設づくりに関しては,IOCから新しいアジェンダが発表され,開催都市の意向を最優先するということになった。そのとたんに,招致運動のときのキャッチ・フレーズであった「5キロ圏内」での五輪開催という原案はどこかに吹っ飛んでしまった。いまでは,広域開催に向けてせっせと裏工作がなされている。遠く愛知県まで開催地候補に名乗りを挙げるにいたっている。しかし,この段階にいたっても,計画・立案はすべて「密室」審議のままである。

 東京都民の意思は,議会が代行するとはいえ,ほとんど無視されたままである。少なくとも,都議会議員のなかに,オリンピックとはなにか,オリンピック・ムーブメントとはなにか,これまでの歴史過程でなにが問題となってきたのか,などについてきちんと判断できる議員がなんにんいるだろうか。心もとないかぎりである。言ってみればオリンピック・ムーブメントについては素人集団だ。だから,ここには,少なくとも専門家の意見を求める諮問委員会を設定し,議論すべきなのに,それすら十分に機能しているとはおもえない。

 この状態はいまもつづいている。少しずつ専門家と称する委員がいろいろの組織に追加されてはいるが,わたしの知るかぎりでは,みんな元オリンピック選手ばかりだ。少なくとも,オリンピックを「批評」できる専門家はひとりも加わってはいない。なぜ,加えないのか。加わってくれては困るからだ。都合の悪い人間は加えない。いまは,とくに,この傾向は顕著だ。

 長野の冬季オリンピックのころには,わたしのような人間でも,文部科学省の諮問委員会の委員として招聘され,何回かは意見を陳述する機会もあった。そして,多少なりとも,その意見は取り入れられた。あのころまでは,まだ,民意を尊重する姿勢が生きていた。いまや,皆無だ。政府が立ち上げるどの委員会もすべて「仲良しクラブ」のメンバーばかりだ。これではもはやなんの意味もない。ただ,形式と手続だけ整えれば,すべて合理化される,という詭弁にすぎない。それがまかり通っている。

 現段階での東京五輪2020の最大の問題点は,国民無視のまま突っ走っていく,権力の思いのままのまことに都合のいい道具と化してしまっていることだ。こんなことで東京五輪2020が国民のためになるとはとても考えられない。いったい,だれのための東京五輪2020なのか,根源的な問いを,いまからでもいい,発しなくてはならない。

 体育・スポーツ関連学会は無言のまま「自発的隷従」を貫こうとしているかにみえる。それを見過ごしているわれわれにも責任は重い。いまこそ,声を挙げるべきときではないのか。

2015年4月19日日曜日

我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょあくごう)・・・・。『修証義』第10節。

 我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょえくごう),皆由(かいゆう)無始(むし)貪〇痴(とんじんち),従身口意(しゅうしんくい)之(し)所生(しょしょう),一切(いっさい)我今(がこん)皆懺悔(かいざんげ),是(かく)の如(ごと)く懺悔(ざんげ)すれば必(かなら)ず仏祖(ぶっそ)の冥助(みょうじょ)あるなり,心念(しんねん)身儀(しんぎ)発露(ほっろ)白仏(びゃくぶつ)すべし,発露(ほっろ)の力(ちから)罪根(ざいこん)をして〇〇(しょういん)せしむるなり。

 以上で『修証義』の第二章懺悔滅罪の終わりです。要するに,仏さまの前で懺悔をすれば罪は消えてなくなりますよ,という教えを説いた章の最後の節(第10節)です。

 
この第10節の冒頭の四句は経文そのままが並んでいます。一見したところ,なんのことかさっぱりわからないように見えますが,不思議なことにじっと眼をこらして眺めていますと,なんとなく意味がわかってきます。そして,ある程度,意味が透けてみえてきましたら,こんどは声に出して何回も何回も読み上げてみましょう。すると,なんとなくわかったような気持にさせてくれます。

 実際にも,この四句の懺悔のための文言を唱えれば,お釈迦さまのあらたかなる助けの手が伸びてきますよ,とそのあとに書かれています。ですから,何回も何回も唱えつづけるだけでも,意味がおのずから通じてくるようです。でも,それだけではあまりにも不親切のようにおもわれますので,ここは参考書を手がかりにして,ひとまず読みくだし文にしてみましょう。

 「われ,むかしより造りしところのもろもろの悪業は,みな,無始の貪〇痴(とんじんち)に由る,身口意より生ずるところなり,一切われ今,みな懺悔したてまつる」となります。この読みくだし文を何回も何回も唱えるだけで,さらにその意味が次第に鮮明になってきます。

 この読みくだし文を,さらに現代語風に意訳をすれば以下のようになります。

 わたしがそのむかしに造りだしたところのもろもろの悪業は,どれもこれもみんな無始の貪〇痴(とんじんち)から生ずるものであります。(ここでいう貪〇痴の「貪」とは貪欲のこと,「〇」(じん)とは怒りのこと,「痴」とは愚痴のこと,つまり「おろかさ」のことです。)これらは身口意の三つの活動にしたがって生ずるところのものであります。(すなわち,「身」とは身業(殺生・盗み・邪淫)のこと,「口」とは口業(妄語・綺語・悪口・両舌)のこと,「意」とは意思による悪業(貪欲・怒り・邪見)のこと,です。)これらのすべてを,いま,懺悔いたします。

 というような具合になります。

 残された難関は,「冥助」と「心念身儀発露白仏」,の二つの文言だけでしょう。

 まず「冥助」とは,知らずしらずのうちにいただく仏さまの加護・助力というほどの意味です。
 つぎの「心念身儀」とは,心や意識の念想と,身体の威儀作法のこと,つまりは全身全霊のことです。「発露」とは,ありのままにすべてをさらけ出すこと,「白仏」とは,仏に告白すること,したがって,「発露白仏」とは,仏さまの前で自己の罪悪を包み隠さず,すべてをありのまま告白・懺悔することを意味します。

 これだけのことを頭に入れた上で,なんども声にして読み上げてみましょう。第10節の最後の文言もなんなく理解できることでしょう。

 さて,最後にわたしの意訳を挙げておきましょう。

 わたしがそのむかしになしたもろもろの悪業は,みな,はじまりもわからない貪欲と怒りと愚かさによるものであり,それらは身・口・意の悪業にしたがって生ずるところのものであります。わたしは,いま,ここでこれらすべてのことを懺悔いたします。と,このように懺悔すれば,かならず仏祖はそこはかとなく助けの手を差し伸べてくれます。ですから,誠心誠意,全身全霊をこめてありのままをすべて仏の前でさらけ出し,告白しなさい。そうすれば,告白・懺悔の力によって,これまでの罪根をすべて消し去ってくれるでしょう。

2015年4月18日土曜日

翁長知事・首相対談を『沖縄タイムス』で読む。この迫力。圧巻。

 昨日(17日)の翁長知事と首相との対談は,どのメディアもとりあげ,それぞれの立場から論評を加えている。しかし,そのとりあげ方の温度差・内容・視点・批評性のいずれもまったく異なる。当然といえば当然。しかし,そのあまりの落差には唖然とせざるをえない。

 たとえば,『産経新聞』などは「またまたゴネる沖縄」「金ゆすり対談」といった体たらくである。沖縄の民意が,いま,どのように「進化」しているかというその実態をなにも把握できていない。あまりに稚拙。なんともはや,あきれ返ってしまうばかり。まあ,ジャーナリズムとしては「赤っ恥」に類する取り扱いだ。

 今日の新聞は,ネットでヘッドラインだけでもチェックしてみるといい。各紙の特色がもののみごとに映し出されていて,それだけでも勉強になる。ひとくちに言ってしまえば,いずれも「腰砕け」である。その意味では,政府自民党による圧力が,そのまま表出しているとみていい。それに比べたら沖縄2紙の報道は気合が違う。その迫力たるや,これまたすさまじいばかりだ。そして,感動的ですらある。

 以下は『沖縄タイムス』のネット購読者用の紙面を,パソコンからじかに写真にしたものである。写真のとり方がまずいので恐縮だが,それでも,見出しを拾い読みすることはできるだろう。ぜひ,ひととおり眼をとおしていただきたい。

 あまりに面白い記事なので,いろいろコメントしたいことは山ほどあるが,ここは禁欲することにしよう。そして,ありのままの紙面を提示するにとどめ,あとはみなさんの判断にすべて委ねることにしよう。それが一番だとおもうから。


戦争の記憶・その1.戦争のことを話そう。ひとりの語り部として。

 まもなく敗戦後「70年」を迎える。遅ればせながら,この3月でわたしも「77歳」になった。敗戦の年,わたしは7歳だった。当時の小学校である国民学校2年生。まだ,小さかったが,それなりに戦争の記憶は鮮明に残っている。というか,加齢とともに幼かったころの記憶がつぎからつぎへとよみがえってくる。だから,すっかり忘れていた戦争の記憶もまた,新しい発見のようにして思い出されてくる。とても不思議だが事実だ。

 これが「77歳」という年齢になって,はっと気づいたことだった。それまで考えたこともなかったことだ。というよりは,思い出したくなかった。むしろ,忘れようとしていた。あるいは,忌避していた。しかし,それが一変した。なぜか。その一因に,昨年の大病の経験があるようだ。病気などとはまったく無縁な人間として,ほとんど一直線に生きてきた。だから,うしろを振り返るということもなく,ただ,ひたすら前を向いて生きてきた。これからやらなくてはならないこと,まだ,やり残していることなどを,どのようにしてなし遂げるか,そんなことばかりを考えていた。

 しかし,大病は大きな転機となった。初めて「死」と向き合った。わが生涯もここまでか,といっときは腹をくくった。ならば,生きているうちにやれることをやろう,と本気で「幕引き」を考えた。このとき,初めて自分の歩んできた道を振り返った。このときから,わたしの考え方も大きく変化した。そして,まずは,残り時間をつねに考えるようになった。早い人なら半年だ。しかし,ゆっくりの人であれば,まだ,多少はゆとりがある。

 幸いなことに,発病後,まもなく1年と4カ月となるが,いまのところ元気だ。というか,発病前の元気さをとりもどしつつある。これはラッキーというしかない。ありがたいことだ。初めて,いただいた命を大切にしなければ・・・とおもうようになった。

 そこで,ふと,周囲を見回してみると,いつのまにかわたしより年齢の上の人があっという間に少なくなっていることに気づく。すでに,そういう年回りになってきたのだ,と教えられる。しかも,ことしは敗戦後「70年」を迎える節目の年でもある。70年もの長きにわたって,日本は戦争をしないできた。感慨無量である。と同時に,憲法9条の重みをおもう。

 なのに,政府自民党は,敗戦の教訓を忘れてしまったかのように,ひたすら戦争のできる国をめざして,法改正にとりかかっている。その中心人物を筆頭に,政府執行部のほとんどは戦争を知らない世代だ。ということは,政界のみならず,財界も官界も学界もメディア界も,同じように戦争を知らない世代が主役となっている。だから,だれも戦争のほんとうの悲惨さを身をもって体験してはいない。頭のなかでの,つまりはヴァーチャルな知識としてしか戦争を理解してはいない。からだの痛みとしての記憶がない。だから,まるでゲーム感覚でしかない。恐ろしいことだ。

 このままいくと,とんでもないことになりそうだ。

 手を拱いているだけでは駄目だ。ならば,残された時間を,なんとか戦争の悲惨さを語る「語り部」としての時間にも割くことにしよう。そうして,少なくとも「憲法9条」を死守する側に身をおくことにしよう。そのための一助になれれば・・・と考える。後期高齢者に与えられた唯一の特権であり,最大の使命は,まずは,ここからだろう,と。

 その手始めに,まずは,このブログをとおして,ささやかなわたしの「戦争の記憶」を書きつらねてみたいとおもう。そうして,少しでも多くの人たちに共有してもらえたなら,こんな嬉しいことはない。あまり気張ることなく,ごく自然体で,わたしの「戦争の記憶」をたどってみたいとおもう。今日は,そのための導入。

 戦争に「正義」はない。そのことを肝に銘じて・・・。

2015年4月17日金曜日

からだの「知」・その1.幼児は触覚をとおして学習する。

 熱いものに触れるとからだは条件反射的に反応して,その危険を回避する。脳に伝える前に,からだが反応する。そのあとで,脳に情報が伝えられ,なにが起きたのかの判断がなされる。つまり,脳が判断する前に,からだは独自の判断をし,いちはやく危険を回避する仕組みをもっているということだ。すなわち,意識以前のからだの反応。身体知。からだの「知」。

 どうやら皮膚感覚(触覚)の方が脳よりも先行して,さまざまな情報処理をしているらしい。だとしたら,この皮膚感覚(触覚)を上手に伸ばすことが肝要である。そのためにはどうしたらいいのか。たぶん,それは経験知とでも名づけるべきものなのだろう。

 あまり大きな声では言えないが,娘がまだはいはいをしているころに,我が家では石油ストーブのアラジンを使っていた。娘がはいはいをしながらアラジンに近づくと家内はあわてて抱き起こし,危ないから近づいては駄目だよ,と話しかけていた。しかし,何回も何回も同じことを繰り返し注意しても,興味のあるものには近づいていく。そして,触りたいのだ。幼児は,なにごとにつけ,まずは皮膚感覚でまわりの事物を学んでいく。だから,納得がいくまでは,どうしても触りたいのだ。だから,わたしは,「触らせてやればいい」と言っていたが,家内は「そんなことをしたら大火傷をしてしまう」と主張。

 ある日,わたしが留守番をしているとき,娘がアラジンに近づいていくことがあった。もちろん,わたしは止めはしない。どうするのだろう,とじっと観察する。そして,もし,危険だと判断されたときには,すぐに止めに入る体勢をとっていた。4~50㎝くらいの距離まで接近したところで,娘はじっとアラジンをみている。つまり,確実に暖かさを感じている。それから,しばらくして,さらにその距離を詰めていった。が,それでもじっとみつめている。なんだか熱いなぁ,とでもおもっているように。そして,とうとう意を決したかのようにさらに接近して,手を伸ばした。赤く炎が燃えているのがみえるところに手が触れた瞬間,のけ反りかえって横転した。それから一呼吸したところで烈火のごとく泣きだした。すぐに触れた手を確認。少し赤くなっているが,たいしたことはなさそうだ。それでも,一応,やけどの初期手当てとして,水道水で冷やしてやる。

 しばらくして泣き止んだ。手をみると,どうということもなさそうなので放置した。そして,娘はいつものようにはいはいをしながら,あちこち興味のあるところに移動していっては,面白そうなものをみつけると,それに手を触れ,口にくわえたりして,遊んでいる。いや,学習をしている。

 その後,娘はアラジンには4~50㎝の距離で折り合いがついたらしく,それより近くには寄っていかない。たぶん,ホワッとした暖気を感ずるだけで,熱かった記憶がよみがえり,それ以上は近づかない。これでよし,とわたしは大満足。家内はなにも知らない。自分が教えたから近づかなくなったと確信している。わたしは黙って見過ごす。それでいい。

 成長してから娘にそっとこの話をしてみたら,なにも覚えてはいない,という。そして,アラジンが危険なものだともおもってはいない,という。それでも「熱いもの」だから,「触れてはいけないもの」だ,とはおもっていた,という。やれやれ安心。

 一度,記憶したからだは,きちんと危険を回避させる能力を身につける。そして,やがては無意識のなかにしまい込まれていくようだ。このようにして,考える以前にからだが反応するという身体知が構築されていくらしい。

このシステムはなにも危険回避のためだけではなく,日常的な立ち居振る舞いといった所作もまた,同じようにして積み重ねられ,無意識のうちに構築されていく。あるいはまた,さまざまなお稽古ごとや遊び・スポーツなども同じだ。

 このような,からだの「知」とはいったいどういうものなのか,これから一つずつ事例を挙げて考えていってみたいとおもう。今回は,その第一回目。これからどんな話題が登場することになるのか,わたし自身も楽しみだ。乞う!ご期待!

2015年4月16日木曜日

ネット情報リテラシー。FB,g+,ブログ,沖縄タイムス,など。

 政府自民党の情報規制がますます露骨になってきています。とうとう,NHKとテレ朝の2局を召喚して,調査するといいます。なにを考えているのやら・・・・。とおもっていたら民主党も同じようなことをやっている,という。こうなると,もはや,世も末というしかありません。

 政治の堕落,腐敗はどこまで進むのやら・・・。

 批評家の不在,ジャーナリズムの死,などと吼えていてもどうしようもない。いまや,大手メディアのニュースの体たらくぶりは,いよいよ眼を覆うばかりに酷くなってきた。わけても,NHKの情報操作は眼にあまる。

 その一方で,ネット情報は百花繚乱のごとし。質のいい情報からきわめて悪質な情報にいたるまで,なんでもござれ。たとえば,ネトウヨもサヨクも入り乱れて情報合戦を繰り広げている。まったく話にもならないレベルの低いものも,堂々の宣戦布告をしている。もちろん,パロディーもあれば,大まじめな論文まで手に入れることができる。趣味のいい写真から風俗まで,場合によっては「まるだし」の写真までが大手を振ってまかりとおっている。

 こうなってくると,大の大人といえども,しっかりとしたリテラシーが必要になってきます。とはいえ,そんなにかんたんではありません。まずは,試行錯誤しながら,自己流のリテラシーを模索していく以外にはありません。がしかし,こちらのネット情報をうまくコントロールできるようになり,上質な情報を手に入れることができるようになれば,大手メディアの貧困情報を補って余りあるものがあります。それどころか,そうしないことには,わたしたちは愚かな政治家たちの思いのままに情報コントロールされて,なにも知らないまま<破局>に向かってまっしぐらということになってしまいます。

 その意味では,本気で大手メディアへの徹底した批判を籠めた実名での,それもよく知られた信頼できる批評家や専門家の提供してくれる情報も「無料」で手に入れることができる,というこのメリットを活かすべきでしょう。たとえば,小出裕章さんのような・・・・。

 ちなみに,わたしはいま,このブログはともかくとして,FBとg+の二つの方法で情報リサーチをしています。そして,もう一つは新聞のネット購読(『琉球新報』『沖縄タイムス』『毎日新聞』)です。それに加えて,ネット・サーフをして遊んだりしています。

 最初はわけもわからないまま,無制限に手を広げ,手あたりしだいにリンクを張って,楽しんでいました。が,途中で,なにを馬鹿なことをやっているのかと気づき,急いで縮小しました。

 最初に困りはてたのはFBでした。こちらも無制限に開いていたら,とてつもない情報の波に乗っ取られてしまい,自分の流したい情報や受けとりたい情報が沈没してしまいました。そこで,あわてて,ネットの張り方に制限を加え,わたしが欲しい情報を提供してくれる信頼できる人に限定するようにしました。それでも相当に時間をとられてしまいます。ので,もう少し工夫をしなければ・・・と考えているところです。いま,取り組んでいるのは,FBに関しては,フクシマ,オキナワの2点に特化し,その他,これだけはとおもわれる重要な情報だけを時折,取り上げるという方法です。それでも,まだ,相当の分量になってしまいます。ですから,抜本的な対策を立てる必要がありますす。

 他方,g+は,解放したまま。これはこれで面白いということがわかってきました。つまり,なんでもありの世界をセットしてみたわけです。最初は,風俗に乗っ取られそうになりましたが,根気よく「ミュート」するよう努力をしたところ,一気に激減しました。このくらいならよかろう,ということでいまはミュートもしないで放置しています。ですから,こちらには種々雑多な情報が入り乱れています。これもまあ,ネット情報の飛び交い方のひとつのサンプルとして,時折,さーっと流しながら眺める程度にしています。その中に,このブログも共有できるようにしてあります。まあ,言ってみれば,ネット情報のごった煮です。これはこれで「世の中」をみるひとつの視点にはなっているのではないか,と考えています。

 あとは,新聞のネット購読です。紙媒体としては『東京新聞』だけですので,その他の新聞もときには確認しておきたいと考え,とりあえず最近頑張っていると聞く『毎日新聞』と,本土の新聞とはまったくちがう個性をもった沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)を読んでいます。

 意外な発見があったのは,沖縄2紙です。このことは,また,機会を改めて取り上げ,考えてみたいとおもいます。それほどに,驚くべき発見がありました。まあ,とにもかくにも「素晴らしい」のひとこと。沖縄というところはこういうところであったのか,という発見の連続です。ということは,わたしたちは沖縄について,ほとんどなにも知ってはいない,わかってはいない,ということです。そして,本土とはまったく異なる一種独特の文化圏を構築していて,ゆるぎない,堂々たるものだ,ということです。そして,なにより,生きた人間が躍動している,そのことがひしひしと伝わってくるということです。つまり,情報に「血」がかよっている,ということです。いずれ,詳しく,このブログで書いてみたいとおもいます。

 その他にも,インターネットを活用していけば,驚くべき情報までもが,かんたんに手に入るということです。いまや,よくも悪くも,空恐ろしい時代に突入していて,遅れているのは人間の方だと言っていいでしょう。つまり,情報が独り歩きをしていて,人間が取り残されている,という実態が浮き彫りにされている。ここのギャップをどうやって埋め合わせていくのか,人間の智恵が問われていると言っていいでしょう。

 つまりは,ネット情報リテラシーをどのようにして確立していくのか。このことが個々人に問われている。わたしもまた格闘中というわけです。そうして,時代や世界をどのように把握していくか,このことが大きく問われているのだとおもいます。ネット情報リテラシーとは,そういうことだと考えています。けしてないがしろにしてはならないとおもっています。

2015年4月15日水曜日

戦争放棄を銘記した「憲法9条」をもつ唯一の文明先進国・日本。この「70年」の実績を世界に誇るべし。

 世界に一つくらい戦争をしないと宣言した国家があってもいい。そして,ことあるごとに戦争をしかける国家を批判する,そういう国家があってもいい。いかなる理由があろうとも戦争だけは認めないと言い続ける国家があってもいい。いな,あった方がいい。

 わが日本国には,それを言う資格がある。「憲法9条」を楯にして,世界に向かって,あらゆる戦争に反対する立場を貫くべきだ。その資格があるのに,そのような主張を強くすることもなく,地味だが,まがりなりにも「70年」,戦争を回避してこんにちまでやってきた。

 戦争協力の仕方については,いろいろ批判も受けてきたが,国際社会の信頼は間違いなく蓄積されてきた。戦争をしない国家・日本として。その貯金分を一気にとり壊しても構わないというのが改憲論議の根本にある。とんでもない見当違いの考えだ。先人たちの苦労を水泡に帰する,とんでもない暴論だ。

 戦争に「正義」はない。「正義」は神のみが判断しうるのであって,人間が判断できることではない。戦争を仕掛ける側に「正義」があるとしたら,その反対勢力にもまったく同等の「正義」が存在する。どちらの「正義」が正しいか,神のみぞ知る。

 人間が選択できる唯一の「正義」は,戦争をしないことだけだ。いかなることがあっても戦争はしない,これに勝る「正義」がほかにあろうか。もしあるとしたら,神(一神教)を守るための戦争だけだ。だから,一神教の存在を認めれる側に立てば,戦争はありえない。日本国はこの立場に立ってきた。これまで穏便にやってこれたのはそのせいだ。

 しかし,ここにきて政府自民党は一転して,戦争ができる国家をめざそうとしている。そして,とうとう,もっとも危ない国家イスラエルとも手を結んでしまった。そのために,ISをはもとより,国際社会からも危険視され,一斉に日本国の動向に注目しはじめている。改憲して正規軍をもったら,情勢は一変する。その覚悟が国民にあるか。残念ながら,茹でガエルにはその覚悟はもとより,気力も体力もない。のみならず,認識すらない。なのに,政府自民党は猪突猛進する。

 どんなことがあっても戦争だけは回避しなければならない。これは人類の永遠のテーマだ。それを愚直に追求する国家が,世界に一つくらいあってもいいではないか。いや,あるべきだろう。そして,その立場から正々堂々と,戦争を仕掛ける国家に異議申し立てをしていく,言いつづける,そういう国家があってもいいではないか。いな,あった方がいいだろう。

 日本国はそういう国家をめざすべきではないのか。「70年」の実績をバネにして。この貯金を無駄にしてはならない。

2015年4月14日火曜日

「茹でガエル」に未来はない。哀れ。もはや「危機」に反応もしない。<破局>に向かってまっしぐら。

 国破れて山河あり,という。

 しかし,これは遠いむかしの話だ。戦に破れても,山河があれば,O(ゼロ)からのやり直しがきく。いまや,その山河すら失われてしまった。

 いま,わたしたちは,どこに立っているのか。
 ケイザイ,ケイザイというエサに釣られて,欲望の世界を右往左往するのみ。気がつけば,ぬるま湯にどっぷりと浸りこんだ茹でガエルばかり。

 とうとう,国は荒廃し,人心も乱れるばかり。だれでもいいから殺したい・・・という人間があとを絶たない。八つ当たり的に国宝に油を撒き散らす・・・不満や怒りの充満。当然だ。夢も希望もなくなり,絶望の日々を生きる人間の選択肢はそれしかない。

 だれが,そんな人間を生みだしているのか。
 その主犯は,政府自民党とそれを支持する茹でガエルだ。

 土地も山河も汚染されて,水も空気も危ない。とうとう,住処も追われ,流浪する民。国内難民。

 その真実の姿をひた隠しにし,放置する政府自民党。救済を叫ぶだけで内実は空洞。のみならず,復興予算まで党利党略のための食いものにする。さらには,自分たちの懐にまで回収して,恥じるところもない。

 かと思えば,米軍のための新基地建設を,約束違反までして,強引に推し進める政府自民党。半永久的に米軍基地の過重な負担を押しつけ,アメとムチを使い分けていけばいい,それしか考える能力を持ち合わせないこの政治の貧困と腐敗。加えて,上から目線の蔑視と差別。人権無視と民主主義の否定。

 沖縄県民の意思は選挙をとおして鮮明になっているにもかかわらず,政府自民党は理屈にもならない稚拙な理屈をこねて,逃げ切ろうとする。普天間の危険性を除去するために新基地の建設は必要だ,と政府自民党はいう。馬鹿もいい加減にせよ,だ。右隣の人命を脅かす危険な家を,左隣に移築するだけの話だ。なんの問題解決にもなってはいない。しかし,茹でガエルは「思考停止」しているから,なにもわからない,知ろうともしない。政府自民党の言いなり。

 いま,日本国にとっての最大の課題は,フクシマとオキナワだ。そして,その背後には「憲法9条」の問題がからんでいる。つまり,原発も基地も「戦争のできる国」をめざす政府自民党にとっては,どんなことがあっても手放すわけにはいかないのだ。だから,どんなことがあっても,その「真実」が国民に知られることがないよう,隠しとおさなくてはならない。それが「秘密保護法」の最大の狙いだ。それをなんとしても隠さなくてはならないから,朝から晩まで,国民の眼くらましのためのアベノミクスなる「ケイザイ,ケイザイ」音頭を唄いつづけるのだ。

 あとは,脅しをかけて報道規制を厳しくしていけばそれでいい。政府自民党にとって不都合な情報はいっさいシャットアウト。国民を無知の闇に閉じ込めておけばそれでいい。

 茹でガエルを支配するにはそれで十分なのだ。

 その結果が,こんどの地方選挙だ。つまり,大成功だ,という次第。

 なるほど,独裁専制国家はこのようにしてできあがっていくのだ。戦争ごっこが大好きな坊ちゃん宰相の繰り出す,自分にとって都合のいい政策・法案に酔い痴れたまま,それを支持する多数派工作に踊る茹でガエルたちによって。

 わたしたちは,いま,そういう歴史の真っ只中に立たされているのだ。

 このことをしっかりと見極めながら,つぎの選挙に備えなくてはならない。もはや,過去の選挙とはまるで別世界に突入している。まずは,戦争を容認するかどうか(憲法9条),そして原発再稼働を認めるかどうか(フクシマ),米軍の新基地建設を認めるかどうか(オキナワ),カネと命とどちらを優先するのか(人権),少なくともこの4点だけはチェックして,それに合致する候補者を眼をつむってでも投票するしかないのだ。

 政府自民党と公明党の「暴走」を阻止するためには。きれいごとは言ってはいられない。

 それから,「知らない」「わからない」は許されない。上の4点はだれでも判断できる。その眼でこれからの情報をチェックしていこう。ここを突破しないことには,なにもはじまらない。

 わたしたちの命を守るために。そして,国家の存続を確保するために。<破局>だけはなんとしても回避しなくてはならない。まずは,身近にいる茹でガエルの肩を叩くことから・・・・。

2015年4月13日月曜日

報道規制のもとでの選挙。これぞ官製選挙=八百長選挙。民主主義の憤死。

今朝起きて,新聞を読み,テレビをみて,怒り心頭に達す。

選挙結果のこまかな数字など,もはや,どうでもいい。

わたしのなかに,いま,燃えたぎっている怒りの感情をそのまま吐き出しておこう。そうでもしないと気が狂ってしまいそう・・・・。

菅官房長官による報道規制下での選挙。

文書による圧力が露呈したのは氷山の一角にすぎない。

その他の有形無形の圧力がいたるところに浸透し,国民も無抵抗。

それに対して「報道各社」も無言のまま。

ジャーナリズムの「死」。

これは,完全なる官製選挙だ。

安倍政府自民党の思いのまま。やりたい放題。

野党までもが無抵抗。いや,同じ穴の狢。

いまこそ声を挙げなければならない。この選挙は無効である,と。

権力の「脅し」に屈した八百長選挙。

民主主義の憤死。

国政の堕落,腐敗(翁長雄志沖縄県知事語録)。

こうなったら沖縄県民を見習って「目覚めよ」,そして,「立ち上がれ」,ホンドの小国民。

これ以上「無言」を貫いていたら,もはや,妄想野郎たちの「暴走」は止まらない。

箍のはずれた国家の「暴走」は,<破局>に向かってまっしぐら。

まさに「自殺行為」そのものだ。



ああ,もう,これ以上,書くこともままならない。全身のふるえが止まらない。
頭からふとんでもかぶって寝たふりでもしないことには・・・・。

2015年4月12日日曜日

翁長雄志沖縄県知事語録。沖縄の夜明け前がひしひしと伝わってくる。

 『世界』5月号の翁長雄志×寺島実郎対談は,ピンチのなかにチャンスありをおもわせる,まさに沖縄の夜明け前の予感でいっぱいです。読んでいてワクワクドキドキしてくるほどの迫力をもっています。沖縄に関してはかなりわかっていたつもりでしたが,沖縄の最先端の議論や世論はもうずっとさきに進んでいるということが手にとるように伝わってきて,茫然自失といった状態です。やはり,ヤマトンチュは駄目だなぁ,危機意識が圧倒的に足りない,と痛感してしまいました。エッジに立たされた人の考えや行動は,それを傍観している人間とは天と地ほどの差がある,としみじみ考えてしまいました。

 ここでは,こまかな議論はともかくとして,この対談をとおして飛び出した翁長知事の,刮目すべき語録をとりあえず採録して,のちの議論の資料として提供しておきたいとおもいます。以下は,翁長知事の発言を順に列挙したものです。

 「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」が浦添美術館で開催されており,そこには,琉球王国がアメリカ,フランス,オランダと結んだ三条約の琉球側原本を展示しています。このなかで,アメリカの国務省歴史事務所が琉球国について「19世紀半ばには,琉球は日本とアジア大陸との交易に特化した,独立した王国だった」と定義しています。(38ページ)

 私がいま「オール沖縄」や「イデオロギーよりアイデンティティ」とお話ししているのも,歴史の新しい1ページを開いたという気持があります。(P.38.)

 ・・・・時代が来たという感覚と,私自身政治家としてこれ以上望むべくもないところまできて,沖縄のために,沖縄のためにということは日本のために,さらには世界のためにもなるのだという信念,沖縄問題解決なくして日本が一人前になるわけはないという思いを持って,この数年来動いてきました。(P.38~39.)

 沖縄が日本に甘えているのでしょうか,日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決,あるいは日本を取り戻すことはできない。(P.39.)

 終戦直後から6~7年はまだ産業も何もありませんから,基地関連収入が50%で,生きるか死ぬかというきわめて深刻な話だったのです。基地関連収入はその後復帰時に15%に落ちて,いまは5%を切っています。(P.41.)

 47都道府県の中で,沖縄には日本国から来た在沖大使がいらっしゃるのです。意外と本土の方々はご存じないのですが,何ゆえ沖縄には大使が置かれているのか,また日本国は沖縄というものを一体どのようにとらえて向き合っているのか,このことからもよくわかると思うのです。(P.44.)

 道州制度が始まったら,沖縄の意思は単独州を望んでいます。今日までの議論で県議会関係,経済界,諸団体の多くが単独州として改めて万国津梁(しんりょう)の精神をもってアジア,世界に飛び立っていこうという思いを,沖縄県民ははっきり持っているのです。(P.45.)

 なぜ辺野古の新基地建設に反対するか,それは当然のことながら単に反米という話ではありません。このままでは日米両政府が沖縄のあるべき姿,アジアとの関係をちゃんと話し合わないのではないかという意味からなのです。辺野古について再考することが,日米関係,日米安保体制を問い直し,さらには米中,日中関係を,尖閣諸島をどうするかという,たくさんの課題を整理し改善していくことにつながる。だから私は,まず基地問題に取り組んでいきたいのです。(P.45.)

 2~3年前から,沖縄県民自らが策定をした21世紀ビジョン,まさしくアジアの経済成長と連動していく計画が見えてきています。(P.45.)

 沖縄の歴史,伝統,文化,自然,琉球王朝時代のアジアへの架け橋となるという思想といったソフトパワー,それから東西1000キロ,南北400キロに有人の島が約40,全部入れると160,ここにある海底資源,それから日本の排他的経済水域も,沖縄の広大な海域がある事で世界第7位という優位性がある。これらをベースにしながら,アジアのダイナミズムと連動していこうと考えているところです。(P.45.)

 一番目に先頭を切ったのが6年前に始まったANAの国際物流拠点で,始めた当初は約1900トンでしたが,いまはその100倍になっています。北海道の海産物や長野のイチゴなどが沖縄に集積されて,アジアに24時間以内に持って行ける。逆もまたしかりで,24時間以内にアジアの物産が沖縄から本土へ,という動きが大変活発になってきています。初めて沖縄が日本のフロントランナーとしての役割を果たせるものが,地政学的にも大変いい形で動き出してきました。まさしく日本とアジアの架け橋になるわけです。(P.46.)

 もう一つは情報通信関連産業で,10年前から沖縄に集積して,その労働人口が約3万人となっています。観光産業は約4500億円ですが,情報通信産業は3000億円をうかがうようなところまできています。もともと県として国際海底ケーブルを使う情報通信関連企業の誘致を進めていたのですが,今年度には首都圏と沖縄,香港,シンガポールを結ぶ通信回線が完成する予定です。この海底ケーブル事業には,アメリカのヒューレット・パッカードという2兆円企業や中国からも沖縄立地の話があり,情報通信産業のアジア中心地になる可能性があります。(P.46.)

 以上で,終わりにします。でないと,際限なく,翁長語録がつづくからです。まだまだ,重要な発言がつづきますので,ぜひ,雑誌で確認してみてください。

 とはいうものの,最後にこの一文だけはどうしてもここに書き留めておきたいと思います。

 沖縄の基地問題の解決は,日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー,世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。辺野古の問題で,日本と沖縄との関係は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが,そうではないのです。沖縄の基地問題の解決は,日本が平和を構築していくのだという意思表示となり,沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。様々な意味で沖縄はアジアの架け橋になれる。

2015年4月11日土曜日

小六児童が蹴ったボールによる交通事故に親の賠償責任はあるか。

 昨夜のNHKニュースで,「小六児童が蹴ったサッカーボールによる交通事故に親の賠償責任」が問われた裁判に対して,最高裁はその責任はないと判断した,と報じられた。短いニュースだったので,ことの真相がよくわからないまま,変な話だなぁとおもっていた。今日になって,新聞やネットに流れている情報を集めてみたら,こんな馬鹿げた事件が,10年以上も争われていたということがわかり,呆気にとられてしまった。日本の司法も穴だらけだと知って・・・・。

 その理由はいくつもある。

 まずは,事件の全体像を明らかにしておこう。小六児童が学校の校庭で,放課後,サッカーのゴールに向かってシュートを打つ練習をしていたら,そのボールが校庭の柵を超えて道路に飛び出し,たまたまバイクで通りがかった80歳の男性がそれを避けようとして転倒し,骨折。それが原因で,惚けがでて,1年半後に肺炎を起こして死亡した,という。この経過について,NHKは手抜きをしたために,さも,小六児童の一方的な過失であるかのように聞こえ,だから親の監督責任が問われた,と聞こえてきてしまった。だから,変な話だなぁ,と。しかも,こんなことが10年余も争われてきた,というのだからなおさらである。

 もう少し踏み込んで考えてみよう。
 まずは,学校の校庭でサッカーのゴールに向かってシュートの練習をしていた,という事実を飛び越えて,いきなり親の監視責任が問われることの不思議だ。シュートの練習をしていれば,そのボールが大きく外れて,遠くまで飛ぶことはだれにも予測ができたはずである。そのボールが校庭の外の道路まで転がり出た・・・それが引き金になって死亡事故につながった。これが親の責任だ,と問われたのである。

 ここには三つの要素がある。
 一つは,学校の校庭という場所の問題。
 二つには,骨折事故。
 三つには,親の監視責任。

 サッカー・ゴールの後ろには1.3mの高さの門扉につながるフェンスがあっただけだという。だとしたら,ボールが校庭の外に飛び出すのは日常茶飯のことだった,と考えられる。それでも事故もなくこれまできていたはず。つまり,あまり交通量の多くない,田舎の道路だったのだろう。テレビでちらっと写った映像の印象では,校庭の外側には小さな排水路があって,その外側に道路が平行していたようにおもう。だから,学校も教育委員会も,これといった対策を必要としないと判断し,そのままになっていたのだろう。

 しかし,ここにサッカー・ゴールをセットするのであれば,やはり,ボールが外にでないように防護柵が必要なのはだれの眼にも明らかだ。子どもたちは,いちいち,外に出てしまったボールを拾いに,門扉をとおってでていった・・・これが日常だった。

 この情況のなかで起きた事故。これを子どもの過失と決めつけ,親の責任だ,と訴えた遺族の発想に,わたしは著しい違和感を覚える。訴えるべきは,学校の管理責任ではないのか。しかも,何年にもわたって事故が起きていないところで起きた事故。それを裁判にまで持ち込むことになった経緯が,たぶん,その裏にはあるのだろう。でなければ,学校ではなく,親を訴えるという異常性が理解できない。

 それにしても,変な話である。こういうご時世になってしまったんだなぁ,とあらためて考えこんでしまう。のどかな田舎の風景がいっぺんに殺伐とした砂漠にみえてくる。人のこころの崩壊,家族間の関係の崩壊,社会の崩壊・・・・日本国の崩壊。その根がこんなところにも見え隠れしているようにおもう。

 こんな「できごと」が,10年余も裁判所で争われていた,という事実。しかも,これまでの判例では,この種の事件はほとんど無条件に親の責任とされてきた,というのだ。だから,「親の責任なし」とされた最高裁の判決は画期的なできごとだった,という。いささか,あきれてしまう。

 最高裁は「日常的な行為のなかで起きた,予想できない事故については賠償責任はない」と言い渡した。これが「画期的だ」というのだから,司法とはいったいどういことなのだろう,と大いに首をひねってしまう。その背景には,被害者擁護の精神が法の建て前になっていて,この事件にかかわる民法にも,その精神に則った法律が規定されているのだ,という。

 しかし,それにしても,事件の内実を少し考えてみれば,だれの眼にもかんたんに理解できることではないのか。それを無視して,定められた法律の枠のなかでのみ判断がくだされる。この民法が定められた時代といまとではまったく異なる時代に突入しているというのに・・・・。なのに,法律はそのまま・・・・。こういう生身の,血のかよった人間の生き方を無視した法の形式主義こそが,もう一度,検討されなくてはならない問題ではないのか。

 訴えられて少年(6歳)は,それから10年余の間,どんな思いで生きてきたのだろうか。いまは高校生になっているはず。この予期せざる「加害者」というレッテルを貼られ,そのレッテルといかに葛藤しながら生きてきたのだろうか,と想像するとわたしはむしろこちらの側に立ってしまう。そして,よくぞ最高裁まで持ち込んだ,その精神力に敬意を表したい。これで晴れて少年は「加害者」のレッテルをはがすことができる。しかし,この10年余という時間は帰ってはこない。そして思うことは,「被害者」遺族の「こころ」の有りようや人生観に疑問を感じてしまう。

 80歳を越えた老人の骨折は命取りになる,とはむかしから言われてきたことだ。その老人がバイクに乗って移動していた(田舎では仕方のないことかもしれない),ということもいささか疑問ではある。しかも,骨折がきっかけになって「惚け」が発症した,という経過を考えてみても・・・・。

 これから,スポーツにかかわる事故は増え続けるだろう。そして,それにかかわる係争事件もますます多くなるだろう。若年性痴呆症も増えているという。しかも,責任はとらない。すべて他人のせいにする。それで当たり前だとおもっている人間が増えている。そういうご時世に,だれがしてしまったのか,そういう新人類をだれが生みだしてしまったのか。その思いは際限なく広がっていく。いま,わたしたちは,そういう時代を生きているのだ,ということを再認識させる事件であり,判決であった。

 不思議な時代になったものである。まさか,こんな時代を生きることになるとは夢にもおもっていなかった・・・・。人心の乱れは政治の腐敗に由来する。いまこそ政治家の責任を問うときだ。厳しいまなざしで,政治家の言動をチェックしていくこと,そして,それを選挙につなげること。そこからはじめるしか方法はないのだ。残念ながら・・・・。

2015年4月10日金曜日

『世界』5月号が面白い。翁長雄志×寺島実郎対談,小畑千代論,槇文彦談話,など。

 まっとうな月刊誌が少なくなってしまった現在(いま),岩波の『世界』が頑張っている。いま,まさに,「世界」を視野に入れてものごとを考えることのできる,あらゆる分野の識者にアンテナを張り,そのときどきの時流に合わせた発言を求めている。その感度が抜群といっていい。わたしなどは大いに啓発されることが多い。いまや,毎月の楽しみになっている。

 
今月も,例によって清宮編集長の「編集後記」から読み始める。理由はかんたん。面白いからだ。しかも,たった1ページのなかに,じつに的確に当該号の問題点を,ピンポイントで指摘してくれているからだ。嘘だとおもう人は,本屋さんで立ち読みでいい,確認してみていただきたい。いつも感心するのは,過激にとんがるわけでもなく,ソフトに,そして冷静に,それでいて鋭く問題の所在に光を当てていく,その情緒と炯眼とバランス感覚に教えられることが多い。

 「沖縄の基地問題の解決は,日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー,世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです」(翁長氏)。明快なビジョンをもち「全体解」に向けて一つひとつ布石を打っていく,その静かだが力強い意気込みに圧倒された。

 清宮編集長はこのように書く。こんな風に書かれてしまったら,もう,そこから読むしかないわたし。読んでみて驚いた。これまでにえがかれてきたわたしなりの「翁長像」が一変してしまった。どちらかといえば足どりが重く,自己主張もあまり鮮明にしないまま,知事着任後の時間が無為のまま過ぎてしまい,いささか焦れていたわたし。でも,ようやく,沖縄防衛局に海上作業を停止するよう指示した(23日)ことによって,事態が動きはじめ,よし,これでいいのだ,とひとりごとをつぶやいたわたし。

 寺島実郎さんという絶好の対談者をえて,水を得た魚のように翁長節が流れはじめる。そうか,そんなことまで考えているのだ,とただ,ただ,感心してしまった。いやはやなまはんかな知事ではないぞ,と。「県益と国益は一致するはずだ。そのためにも,辺野古新基地は絶対に作らせてはならない」「沖縄はアジアの成長と連動する新たな経済圏のハブになりつつある」などなど,翁長知事の発言はじつに力強い。

 これを読むと,沖縄がこれまでとは違うまったく新しいステージに,着実に歩みはじめていることがみえてくる。少なくとも展望が開けている。そこに明るい光明をみる。沖縄県民が一つになる原動力がほのかに見えてくる。これからの動向が楽しみだ。それに比べると,政府のやっていることはまことに姑息で,自閉的だ。これまでの諸矛盾が一気に露呈されつつある。メディアはもっともっとオキナワに光を。その真実の姿を描き出すことに全力をそそいでほしい。

 このほかにも,面白い読み物が満載である。たとえば,以下のとおり。
 新連載「女子プロレスラー・小畑千代」闘う女の戦後史・第1回。秋山訓子。
 連載「建築から都市を,都市から建築を考える・第4回・メトロポリス東京の過去と未来。槇文彦・聞き手:松隈洋。
 ※東京五輪とメトロポリス東京との関係についても,鋭い指摘をしていて,刺激的。いずれ,このブログでも取り上げてみたいとおもう。上の「小畑千代」論も。

 このようにして挙げていくと際限がなくなってしまうので,このあたりで留め置くことにする。あとは,ぜひ,『世界』5月号を手にとってご確認のほどを。書店に並ぶのは数日後になるが・・・。

2015年4月9日木曜日

・・・願(ねが)わくは我(われ)設(たと)い過去(かこ)の悪業(あくごう)多(おお)く重(かさ)なりて・・・。『修証義』第9節。

 其(その)大旨(だいし)は,願(ねが)わくは我(われ)設(たと)い過去(かこ)の悪業(あくごう)多(おお)く重(かさ)なりて障道(しょうどう)の因縁(いんねん)ありとも,仏道(ぶつどう)に因(よ)りて得道(とくどう)せりし諸仏(しょぶつ)諸祖(しょそ)我(われ)を愍(あわれ)みて業累(ごうるい)を解脱(げだつ)せしめ,学道(がくどう)障(さわ)り無(な)からしめ,其(その)功徳(くどく)法門(ほうもん)普(あま)ねく無尽(むじん)法界(ほっかい)に充満(じゅうまん)〇(りん)せらん,哀(あわれ)みを我(われ)に分布(ぶんぷ)すべし,仏祖(ぶっそ)の往昔(おうじゃく)は吾等(われら)なり,吾等(われら)が当来(とうらい)は仏祖(ぶっそ)ならん。

 
お釈迦さまもむしかは凡夫だったのですよ。わたしたちも仏道に励めば,やがて仏になれるのですよ。このように説いているのが第9節の骨子です。そのためには,まずは,懺悔をしなさい,と。人間はさまざまな煩悩に取りつかれていますので,どうしても意に反して悪いことをしてしまいがちです。つい,うっかりということもあります。そういうときには,なにをおいても,まずは懺悔しなさい,という次第です。

 そうすれば懺悔の功徳が現れて,罪が贖われ,救われるだけではなく,周囲のあらゆるものにも波及していくのですよ。だから,さらに精進を積み上げていけば,必ず仏の道に入ることができるのですよ,というのが前節の第8節の教えでした。そのあとを引き継いで,この第9節では,その懺悔の功徳の大意がどういうものであるのかが説かれた上で,お釈迦さまもわたしたち同様の迷える凡夫だったのだから,わたしたちもまた懺悔の功徳の力と精進によって悟りの道を切り拓くことができるのですよ,と説いています。

 この第9節は,ことばもあまりむつかしいことは言っていませんので,このまま読めば大意はつたわってきます。ただ,若干,補足の説明が必要であるとすれば,「悪業」「業累」「法門」「法界」(ほっかい)くらいのものでしょう。

 「悪業」とは,「悪業報」(あくごっぽう)の略語。過去に行った悪い行為の報いのこと。
 「業累」とは,過去の業による障(さわ)りのこと。あるいは,これまでに積み重なった業によって縛り上げられていること。
 「法門」とは,文字どおり,法はお釈迦さまの説く教え・真理のことですので,そこに到達するための門,すなわち入口のこと。その用法は多岐にわたっています。たとえば,信心(澄浄心)の道に入る門であり,生死を脱して涅槃にいたる門であり,「坐禅はすなわち安楽の法門なり」というように用いられたり,あるいはまた,宗門の意味で用いられたり,仏法そのものの意味で用いられたりします。とても,広い意味をもっていると承知しておいてください。
 「法界」とは,十八界の一つで,法の世界,すなわち,真理の世界のこと。十八界とは,六根,六境,六識のこと。すなわち,眼・耳・鼻・舌・身・意の六根,色・声・香・味・触・法の六境,そして,眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識です。このうちの六根の「意」,六境の「法」,六識の「意識」が,ここでいう「法界」に相当します。

 仏教で説く真理の世界はきわめて奥が深いので,分け入っていくと際限がありません。ですから,ここでも「無尽法界」という言い方をしています。

 さて,最後にわたしの拙い意訳を試みてみたいとおもいます。

 懺悔の功徳の及ぶ大意というものは,以下のとおりです。わたしはこころから懺悔をしますので,わたしの過去の悪業がいっぱいあって仏の道に入ることに障(さわ)りがあったとしても,お願いですから,仏道をきわめて悟りの境地に達した先輩たちよ,わたしに憐愍の情をほどこして,わたしを縛り上げている過去の悪業による呪縛から解き放ち,精進努力の道に障りがないようにしてください。そして,その功徳や法門を,あまねく無尽にひろがり充満している法界の哀れみをわたしにも分け与えてください。お釈迦さまも,そのむかしはわたしたちと同じように凡夫だったのですから,わたしたちをもまたお釈迦さまと同じように導いてくださるに違いありません。懺悔の功徳というものは,そういうものなのです。

然(しか)あれば誠心(じょうしん)を専(もっぱ)らにして前仏(ぜんぶつ)に懺悔(ざんげ)すべし。『修証義』第8節。

 然(しか)あれば誠心(じょうしん)を専(もっぱ)らにして前仏(ぜんぶつ)に懺悔(ざんげ)すべし,〇〇(いんも)するとき前仏(ぜんぶつ)懺悔(ざんげ)の功徳力(くどくりき)我(われ)を〇(すく)いて清浄(しょうじょう)ならしむ,此(この)功徳(くどく)能(よ)く無〇(むげ)の浄信(じょうしん)精進(しょうじん)を生長(しょうちょう)せしむるなり,浄信(じょうしん)一現(いちげん)するとき,自〇(じた)同(おなじ)く転(てん)ぜらるるなり,其(その)利益(りやく)普(あま)ねく情非情(じょうひじょう)に蒙(こう)ぶらしむ。

 〇印のところは下の経文の写真でご確認ください。〇印だらけで申し訳ありません。ワープロソフトのレベルを上げればいいのですが,ふだんの文章を書くには必要がないので,ついつい,さきのばしにしています。ご寛容のほどを。

 
さて,しばらくお休みしていましたが,第8節の読解を試みてみたいとおもいます。

 ところが,この第8節はことのほか難解なことばがいくつも並んでいて(〇印のところ),いまのわたしの力量では読解ができません。そこで,「修証義」の解説本の助けを借りることにします。何種類も解説本は出ていますので,自分に一番合っている本を選ぶといいとおもいます。わたしにとっては,一番わかりやすい解説をしてくれているとおもわれる『道元禅師のことば「修証義」入門』(有福孝岳著,法蔵館,2010年刊)が,とてもありがたい導師の役割をはたしてくれています。ので,このテクストに助けてもらいながらの私的読解に挑戦してみたいとおもいます。

 誠心(じょうしん)とは,わたしたちがふつうに誠心誠意と言うときの「誠心」のことです。嘘偽りのないまことのこころのことです。あるいは,構えたところのないあるがままのまっさらなこころのことです。このまことのこころをそのままさらけ出して,一心不乱に仏の前で(前仏に)懺悔しなさい,と説いています。「いんもするとき」とは,まことのこころで懺悔することができたとき,というほどの意味と理解しておきましょう。

 そういう懺悔がきちんとできたときには,「前仏懺悔(ぜんぶつざんげ)」がもっている功徳の力が,わたしの中に入り込んできて,わたしのこころをさらに「清浄(しょうじょう)」にしてくれます。

 この功徳の力は素晴らしいはたらきをするものですので,「浄信精進」をますます生長させてくれるのです,とつづきます。ここでいう「浄信精進」については,さきの参考書を頼ることにしましょう。そこには,つぎのような解説がなされています。

 「浄信」の「信」とは,仏教では「心澄浄」のことを意味するのだそうです。つまり,「山奥の清らかな水が澄みきっていて川の底まで見えるように,心が清浄で汚れないことを意味します」,と。そして,さらに,『大智度論』では「仏法の大海は信を能入となす」といわれていて,「禅門では,信は仏道入門の要心であり,また究極的な悟りの境地(証心)ともいわれます」とのことです。

 ということは,「信」を浄らかにすることが,まずは仏道に入るための大前提であり,それがそのまま究極的な「悟り」の境地につながっていく,と考えられているようです。だとすると,「浄信精進」とは仏道に入る者にとっては,なにものにも代えがたい,もっとも重要なポイントになるというわけです。つまり,澄みきった浄らかな心を片時も忘れることなく「精進」する,そのこころを「前仏懺悔」が導き出してくれ,さらに生長させてくれるのだ,というわけです。

 そうして「浄信一現」(じょうしんいちげん)するとき,つまり「浄信」が立ち現れるとき,自他の区別がなくなり,他者をも同じ「浄信」に導き入れることになるのだ,と説いています。そして,そのご利益はありとあらゆるものに波及していく,というわけです。ここにいたったとき,お釈迦さまが悟りを開いたときと同じ情況ができあがるのだ,といいます。ここでいう「情非情」とは,情のあるもの(有情)=動植物と情のないもの(非情)=鉱物をふくめた「世界の万物」のことを意味します。ですから,ひとたび「浄信」が立ち現れるやいなや,自己と自己をとりまく環境世界(世界の万物=情非情)とがひとつになって,「法喜禅悦」(ほっきぜんえつ・仏道禅法に対して喜悦の信心をもつこと)に浸り,その恩恵に浴することができるようになる,というわけです。

 では,最後に,この第8節の私的読みくだし文を提示しておくことにしましょう。

 そういうことですので(第7節までの教え),まっさらなまことのこころ(誠心)になって,仏の前で懺悔をしなさい。それがうまくできれば,その功徳が現れて,自己のこころがさらに清浄になっていきますよ。この功徳の恩恵に浴しながらさらに精進を重ねていけば,なにものにも遮られることのない「浄信」を生長させることができますよ。そして,ひとたび「浄信」が立ち現れると,自他の区別がなくなり,世界の万物がみんなひとつになり,共振・共鳴する「法喜禅悦」の境地に達することができますよ。そこは,もう,お釈迦さまが悟りの境地に達したときと同じ世界ですよ。

2015年4月8日水曜日

火中の栗に手をつっこんだ菅官房長官。翁長知事の一人勝ち。沖縄県民の支持83%。

 誤魔化しの詭弁は正論には通じなかった。そのことは最初からわかっていたことだ。しかし,政府が翁長知事からの面談要求を無視し,しかも逃げ回っているという批判の声が高まってきたために,方針を転換した。そして,いかにも誠意があるかのようなポーズをとって,いやいや菅官房長官は沖縄県に乗り込んだ。そして,なんとかなるのでは・・・とタカをくくっていたが,そうは問屋が卸さなかった。

 「辺野古の移設を拒否すれば,普天間が固定化されることになる」(ゾッ!)と脅しをかければ,翁長知事の態度も軟化するのではないか,沖縄県民も「それは嫌だ」というのではないか,と菅長官は計算していたようだ。そういう反応を予測して,辺野古の移設は「法的手続にもとづいて<粛々と>進める」のだ,と打ってでた。しかし,それはあまりにも相手を甘くみすぎていたようだ。翁長知事は待ってましたとばかり噛み付き,反論を展開した。つまり,「上から目線」の傲慢な態度だ。そういう発言を繰り返せばくりかえすほど,県民の反発は高まるばかりだ。そうではなくて,選挙をとおして明白になった県民の民意を尊重し,民主主義を否定するような政治はすべきではない,それはたんなる政治の堕落にすぎない,と。

 これで勝負あった,だ。

 それにしても,今回のような公開の対談はとてもいい。ガラス張りですべてが可視化された。なによりよかったのは,本土のメディアも一斉にこの対談を取り上げ,大きく報道したことだ。もちろん,NHKなどのような「粛々と」ということば遣いだけを取り上げ,問題の本質を歪曲したみっともない報道が多かった。がしかし,なかにはきちんと対談の内容を分析し,問題の所在を浮き彫りにしたメディアもあった。

 これでようやく本土の人間の眼にもオキナワ問題が視野のうちに入ってきた。そして,少なくとも政府と沖縄県との見解が根本的に「すれ違っている」くらいの認識はもったはずだ。少しは関心度が高まったはず。そして,もう少し関心をもった人には,インターネットをとおして,菅×翁長対談の「全文」が読めるようになったことだ。ここには嘘偽りはない。生の声を知ることができる。しかも,もっと知りたい人は『沖縄タイムス』や『琉球新報』をみれば,詳細に対談の内容が分析され,問題の根底になにがあるのか,を知ることもできるようになった。これは,これまでの膠着状態のままの,狸と狐の騙しあいのようにみえる世界から一歩抜け出して,両者の見解の相違を公開の場で明らかにした,という点で大きな前進である。

 両者とも,これからも対談を積み上げようと合意したという。ぜひとも,この約束を菅官房長官は守ってほしい。そして,とことん議論をすべきだ。そして,積み上げたその議論を,つぎつぎに白日の下にさらけ出すことだ。そして,この議論に下手な論評は加えないことだ。両者の生の声をそのまま流すだけでいい。それをどのように受け止めるかは読者が判断することだ。権力におもねるようなげすな評論家の意見などは,かえって邪魔だ。

 このようにして,対談を重ねることによって,本土の人間も少しずつオキナワ問題の,なにが,どのように問題なのかがわかってくる。そうして,オキナワ問題は本土の問題なのだ,という認識に到達するだろう。そうしたとき,はじめて「県外移設」ということが意味をもちはじめてくる。

 その第一歩が踏み出された,その事実を高く評価したい。そして,火中の栗に手をつっこんだ菅官房長官の勇気も高く評価したい。そして,つぎなる対談に臨んでほしい。それこそが公約の「丁寧に説明する」ということだ。そして,問題の本質を明確にした上で,国民の信を問えばいい。

 手練手管の菅官房長官がつぎにどんな手を打ってくるのか,楽しみでもある。それに対して翁長知事は迷うものはなにもない。ひたすら,オキナワが歩んできた「歴史」と「民意」を語るだけでいい。こんどの対談の結果,翁長知事を支持する県民が「83%」に達しているという(『沖縄タイムス』)。この数字は政府にとっては脅威だろう。しかし,だからといって対談を拒めば,さらにこの数字は高くなっていく。まずは,真っ正面から向き合うことが先決だ。

 それよりさきに,まずは,工事を一時中断すべきだ。そして,対談を先行させるべきだ。あるいは,沖縄県が請求している海底調査をさせるべきだ。少なくとも,仲井真前知事の「承認」手続に瑕疵がなかったかどうかの調査結果がでるまでは,工事を中止すべきだ。こんな非民主主義的なことをいつまでもつづけていると,海外のメディアも放ってはおかない。すでに,かなりのメディアが直接,取材に入っているという。そして,民主主義と人権が,当面の話題になっているとも聞く。

 こうなってくると日本政府のみならず,アメリカ政府にとっても看過できない事態というべきだろう。権力を嵩にかけての詭弁は,いつか,必ず化けの皮がはがれるものだ。この際,とことん議論を重ねて,「日米地位協定」の存在まで突っ込んでいくことを期待したい。諸悪の根源はここにあるのだから。人を人として扱わない「協定」などが存在すること自体が奇怪しいのだから。アメリカ政府ともあろうものが・・・・。いやいや,アメリカ政府だから,というべきか。

オキナワ問題の正念場だ。こうなったら,遠く本土からも熱い支援をしていきたい,としみじみおもう。いつも書くことだが,まずは,できることから。

2015年4月7日火曜日

正常値に限りなく接近。血液検査の結果。あと一息。

 今日(4月6日)は佳き日。あちこちで入学式。わたしのからだもあと一息のところまでもどったことがわかった日(2カ月に一度の定期診察日)。最近,実感していたからだの充実感を裏づけるような血液検査の結果。こんな嬉しいことはありません。

 次回は,6月1日(月)を予約。こんどは内部の様子をチェックしたいとのことで,超音波とCTの検査が予定されています。まあ,こんなことまでしなくてもいい,という気持が半分ありましたが,主治医さんが「もう,これでよしと判断するかどうか。でも,もう一度,慎重を期して,この二つの検査をしておきましょう」と熱心に言われるので,とりあえず,受けてみることにしました。

 前回の診察から2カ月の間に,わたしの感じているからだはとてもいい方向に進んでいました。まずは,気力がもどってきたこと,そして,下痢をしなくなったこと(胃腸のバランスがよくなってきた,と自己診断),からだの軸がしっかりしてきたこと,脚力もかなりもどってきたこと,そして,なによりも『スポートロジイ』第3号のための原稿(書き下ろし,推敲,などかなりの分量)の整理,そして全体の編集作業とハードなスケジュールをこなすことができたこと,など。

 わたしの実感としては,絶好調だったころの7~8割の力がもどってきたようにおもいます。

 今日は,これまでの血液検査の結果をグラフにして,その推移を追った画面(パソコン)をみせてもらいながらの説明でした。わたしの耳は主治医のお話に,そして,わたしの眼はグラフに釘付けでした。そのグラフをよくみますと,やはり,抗ガン剤治療をしていた時期がどん底で,そのあと徐々に回復してきていることが一目瞭然でした。そして,正常値のラインにいくつかの項目はすでに達していました。あとわずかな項目が,ほんの少しだけ足りない,というだけです。

 主治医さんのお話では,「やや貧血気味の方がからだの状態としてはいいので,これで<よし>と判断することもできないわけではない」とのこと。でも,「ここは慎重に」というのが主治医さんの判断てした。一瞬,そのむかし,膵臓癌を疑われたとき(50歳)に「すべてを忘れて,自分の一番やりたいことに専念せよ」と助言してくれたY医師のことばが脳裏をよぎりました。主治医とY医師は親友同士ですので,ついことばにしてしまいそうでしたが,そこは禁欲的に我慢しました。

 いずれ,どこかのタイミングで,「無罪放免」をわたしの方からお願いしてみようと考えています。とにかく主治医さんは,一生懸命にわたしのからだのことを考え,取り組んでくださっていることが伝わってきますので,そのご好意は無為にはしたくない,といまの段階では考えています。こんごのこともありますので,心情的にいい関係だけは保っておきたい・・・と。

 まあ,ここまでとても順調にきていますので,この調子で血液の数値もすべて「正常値」に達する日も遠くないと信じて,いま,しばらく追跡検査をしていくことにします。なによりありがたいのは,わたしの素朴な疑問に,とても適切な医学的根拠を提示して熱心に説明してくださることです。こんな会話をはじめると,いつも,看護師さんが妙な顔をしてわたしの方をみつめています。たぶん,わたしと主治医との関係を知らないのでしょう。その方がありがたいですが・・・。

 さて,これで安心して,こんどの診察日である6月1日まで,もうひとつレベルを上げて,たまっている仕事に取り組んでみようとおもいます。読みたい本も山ほど積んでありますので・・・・。

 以上,今日の診察結果のご報告まで。

2015年4月6日月曜日

映画「博士と彼女のセオリー」をみる。ホーキング博士の自伝。男と女の物語。

 このところずっと根を詰めた仕事がつづいていましたので,それが一区切りついたところで,今日(5日)は映画を見てきました。あのホーキング博士の自伝映画「博士と彼女のセオリー」です。原題は,The theory of Everything.  こちらの方が,この宇宙の真理(セオリー)をできるだけ簡単な公式(数式)で表現したいと情熱を傾けた宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士の思いの籠もったタイトルになっています。

 しかし,映画をみたあとの感想からすれば,日本語訳の「博士と彼女のセオリー」の方が名訳です。この映画は,長年かけてホーキング博士を口説き,博士の了解のもとでシナリオが完成し,撮影も行われた,とこれはネット情報です。映画の主題は二つあって,一つは,文字どおりホーキング博士の偉大なる業績の足どりをたどるもの=こちらは宇宙のセオリー,もう一つは,恋をし,妻となり,友人となった彼女の生き方のセオリー=「彼女のセオリー」,です。原題の「Everything 」はこの二つを併せ持つ意味が籠められているようです。

 映画をみた印象としては,宇宙物理学上の業績については比較的軽く扱われており,逆に比重をかけて,丁寧に描写されたのは「博士と彼女」の微妙な恋人・妻・友人へと変化していくこころの移り変わりでした。

 若き日の,運動好きのホーキング青年(自転車,ボート,クロッケー,など)は,思いのままに青春を謳歌しながらも,数学にも破格の才能を発揮し,ケンブリッジ大学に進学します。そこで,「彼女」と出会い,恋に落ちます。その一方で,ここでも数学の天才ぶりを発揮し,将来を嘱望され,博士論文にとりかかります。その途中で突然の発作に襲われ,キャンパスの中を歩いていて倒れます。運動神経麻痺症と診断され,頭脳のはたらきはそのまま残るものの,全身の運動神経系はどんどん衰えていき,やがて全身が衰弱していくと医師から告げられ,余命2年を宣告されてしまいます。

 これを聞いた「彼女」はスティーブン(ホーキング博士の名前)に寄り添い,ともに病と闘う決意をし,結婚します。幸いにもスティーブンの命は先送りされ,3人もの子宝に恵まれます。スティーブンの仕事(研究)も順調に進み,スティーブン・ホーキンス博士の名はあっという間に世界に知られ,著名人になっていきます。でも,運動神経系は着実に衰えていき,生活上の負担分はすべて「彼女」にのしかかっていきます。こうして,「彼女」は,みずからの博士論文と子育てと夫の介護という苛酷な日常に耐えられなくなっていきます。ここからドラマは大きく動きはじめます。

 このさきが,この映画のクライマックスに相当する部分ですので,映画をみていただきたいとおもいます。抽象的な言い方をしておけば,夫婦とはいえ,「男と女」の関係が希薄になるにつれ,微妙なすれ違いが起きてきます。それを察知したスティーブンは「彼女」の気持を尊重しながら,つぎのステージに進んでいきます。この辺りの描写はじつによくできていると感動しました。

 実写をみたホーキング博士自身も「涙を流した」と伝えられています。
 スティーブン・ホーキング博士は,いま72歳で,健在(?)です。素晴らしい介護者に支えられて。
 まさに数奇な人生というほかはありません。

 がしかし,この映画をみて,わたしたちはなにを受け止めるのか,それはたぶん個人差があろうとおもいます。わたし自身は正直に告白しておけば,人生はどこまでいっても「男と女」の関係性から解き放たれることはない,というごく当たり前の真実でした。生身で生きる動物性を否定することはできない,という大前提をもっともっと重視すべきだ,とホーキング博士みずからが強く主張しているという点が,こころの奥深くに突き刺さりました。

 とてもいい映画でした。

2015年4月5日日曜日

シンポジウム:ICC加盟はパレスチナを救うか。勉強になりました。

 いわゆる「パレスチナ問題」。長い間,ずっと気がかりでした。イスラエルによるガザ地区への無差別攻撃(2014年夏)以後,事態がどのように推移しているのか,詳細がわからなかったからです。日本のメディアはパレスチナ問題にきちんと対応していない(とくに,最近は)ので,わたしを含め多くの日本人はパレスチナの現在がどうなっているのか,ほとんどなにも知りません。

 それでも,アベ君がメタニヤフと握手したことによって,その結果がイスラム国による人質事件へと展開し,いっときは連日,このニュースでもちきりでした。世界中でもっとも握手をしてはいけない人物と握手したアベ君の「無知・無能」ぶりが露呈してしまったわけです。このままでは,日本国はイスラエルに対して武器支援までしかねない,とんでもない方向に向かって舵を切っています。それを止める自民党議員もいないとは,いったい,どういうことになっているのでしょうか。

 このメタニヤフこそ,戦争犯罪人として国際司法裁判所に何回も召喚されているにもかかわらず,すべて無視して,いまもパラスチナ攻撃をつづけています。それを公約して再選された大統領ですから,始末に終えません。しかし,その陰でパレスチナ問題は無視され,国際社会からも孤立したままです。日本の主要メディアも無視したまま放置です。

 いまもなお,イスラエルによるガザ地区の封鎖はつづいているのだろうか,医薬品や食品,などの物資はどうなっているのだろうか,破壊された建物を再建するための建築資材などは足りているのだろうか,そして,いまもなお,イスラエルによる無差別攻撃はつづいているのだろうか,いまもなお,ガザ地区の人びとの野ざらし生活はつづいているのだろうか,などなど。

 これらの疑問がすべて晴れました。それどころか,もっともっと大事なことをいっぱい勉強してきました。

 たとえば,「普遍的管轄権」というものの存在。この普遍的管轄権を行使する権利が日本にもあって,これを行使すれば,プーチンもオバマも立派な「戦争犯罪人」ですので,日本に入国した段階で「逮捕」し,国際刑事裁判所に訴えることができる,そういう法的手続の方法がある,ということを初めて知りました。しかし,その権利を日本政府は行使しようとはしません。なぜなら,日本もまた「戦争犯罪人」と手を結び,その仲間入りを果たそうとしているからです。しかし,この権利を支えている母体が,今日のシンポジウムのテーマにもなっている「ICC」=国際刑事裁判所というものの存在であり,役割だ,ということでした。

 このICCに,パレスチナが大変な外交努力を重ね,ようやく,この4月1日に加盟・発効が認められました。世界で123番目の国となったとのことです。これで,ようやく国家としての承認が得られたということでもあります。この結果,パレスチナは救われることになるのか,それを考えようというのがこの日のシンポジウムの最大のテーマでした。ちなみに,日本は2007年10月に加盟。

 シンポジウムの開催要領は以下のとおりです。
 テーマ:ICC加盟はパレスチナを救うか。
 日時:2015年4月4日(土)13:30~16:30
 場所:青山学院大学・総研ビル11F第19会議室
 シンポジスト:新倉 修(青山学院大学法務研究科教授)
        伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長・弁護士)
        志葉玲(ジャーナリスト)
 コーディネーター:阿久根武志(世界連邦運動協会事務局長)
 主催:世界連邦運動協会
 共催:ヒューマンライツ・ナウ
 協賛:青山学院大学法務研究科(法科大学院)

 結論は以下のとおり。パレスチナのICC加盟によって,どの程度の効果が現れるのかは未知数だとのこと。なぜなら,ICCは加盟国の条約によって支えられている団体であって,法的に拘束する力はないからだ,とのこと。しかし,パレスチナが刑事告訴をすることは可能になったので,国際社会に向けてパレスチナの主張を表明する道は法的に開けたので,これが有力な「歯止め」になることは間違いないだろう,とのこと。少なくとも,これまでの放置状態・無視状態からは一歩前進した,と言ってよいだろう,とのこと。

 ちなみに,このパレスチナ問題は,そっくりそのまま沖縄問題と重なっているように,わたしの眼にはみえてきました。つまり,人権無視という点で。沖縄の島ぐるみ会議は,当面は,国連に向けて「日本政府による沖縄県人の人権無視」を訴える方針で活動を展開していますが,いずれ,ICCをも視野に入れた活動も展開されることになるのだろう,とそんな感想を持ちました。

2015年4月4日土曜日

田中ミンの太ももの筋肉。バレーボールで鍛え,ダンスで仕上げ。そして,メンタリティ。

 「あの歳(72歳)で大きな桶にいっぱいの海水をばらまく体力があるのはすごい」と評判だとか。そんなの当たり前ではないか,とわたし。なぜなら,もともとはバレーボールの名選手。そのバレーボールを棄ててダンサーとなる。東京教育大学中退。わたしの後輩でもある。

 たまたま昼食をとりながら,NHKの連続テレビ小説「まれ」をみていたら,そのシーンが眼に飛び込んできた。たしかに,いともかんたんに大きな桶いっぱいの海水を何杯も四方八方にばらまいている。からだのこなし方がうまい。バランスもいい。そして,美しい。さすがに田中ミンの面目躍如たるものがある。

 それよりなにより,わたしの眼を釘付けにしたのは,田中ミンの「太ももの筋肉」。なみの筋肉ではない。鍛え込まれた,いまも現役バリバリのダンサーの筋肉。舞台に立てば,180㎝の長身を自由自在に操ることのできるダンサー。それを支えている太ももの筋肉。海水をまくときに右脚から左脚へと体重が移動する,そのときに太ももの筋肉がみせる美しい表現。これだけでも「絵」になっている。わたしの眼はその一点から動かない。

 もっともっとこのシーンを流してほしいのに,ほんの数秒のカットで消えてしまう。もったいない。田中ミンのこのシーンだけは,これからも何回も繰り返し見せてほしい。海水をまくだけの動作が,すでに,美しいダンスになっている。ふつうの役者には真似のできない田中ミンならではの俳優(わざおぎ)の表出である。

以前に,松浦静山役で出てきたときは,その渋い演技でわたしたちのこころを鷲掴みにした。田中ミンのダンス表現で鍛えられた独特の精神世界が,ここでの見せ場だった。時代劇なので,この大きな身長は撮影に際して相当に苦労したはずである。少なくとも部屋の中で立っている演技は,よほどカメラ・アングルを工夫しないかぎり,妙なものになってしまうはずである。一つの部屋から別の部屋に移動するカットは無理だ。だから,立ち姿のシーンはみんな屋外だった。

 さて,こんどの「まれ」ではどうか。やはり,部屋の中での演技は,全部,座ったままのシーンだ。しかも,ほとんどセリフがない。それでいて別格の存在感を漂わせている。これはこれでいい。素晴らしい。

 これから見せてほしいのは,塩田での塩づくりのシーンだ。機械文明を拒否して,あくまでも人間の肉体をとおして,汗水垂らして,ほんとうの塩の味を保持していこうという,頑なな姿勢がいい。これがなにを意味しているのか,一人ひとりが考えればいい。いま,この国で問われている根源的な問題のひとつだから・・・・。

 一人で海水をまいているだけなら,かれの大きすぎる身長はなんの苦にもならない。そして,作業着の下から垣間見ることのできる「太もも」の美学をぞんぶんに楽しむことができる。肉体を酷使しながら働くことの重要さ,そのこんにち的意味も,田中ミンの「太もも」をとおして学ぶこともできる。

 身長180㎝,年齢72歳。鍛え上げられた肉体。映像で見られるのは「太もも」だけ。かれのダンスをまた見にいきたくなってきた。そこでは惜しみなくかれの肉体のすべてを凝視することができる。そして,その鍛え上げられた肉体をとおして表出される深い精神世界。

 また,ひとつ違う世界に足を踏み入れているのではないか,という期待がいっぱい。
 楽しみにしよう。

 そして,テレビの「まれ」では,田中ミンの「太もも」を惜しみなく映し出してほしい。

2015年4月3日金曜日

「飛鳥の原に百済の花が咲きました」(Hong-june You)。韓国からのまなざし,強烈なインパクト。

 「飛鳥は百済のコントロール下にあった」とは言っていませんが,内容はまさにそのままの印象です。韓国の美術史の専門家(Hong-june You)の眼には,飛鳥は百済の支配下にあった,とみえているようです。飛鳥時代に飛鳥の各地に残された,これだけの仏教文化の影響をみれば一目瞭然ではないか,と言外に含ませています。

 この韓国の研究者のまなざしは,一瞬,虚をつかれ,びっくりさせられますが,それでもなお,なるほどと納得させられてしまいます。そういう説得力を持ち合わせています。単なる紀行文のかたちを借りた著者の強烈なメッセージは,大成功と言っていいでしょう。

 正直に告白しておけば,古代史がひっくり返る,そんな印象です。そして,そのようにみた方がはるかに自然でもあります。しかし,その実態をいかに隠蔽・排除するか,そして,万世一系の天皇制をいかに正当化するか,知恵者・藤原不比等はあらんかぎりの手段をつくして,記紀編纂の仕事に取り組んだ,という見方がますます正当性を帯びてきます。

 やはり,すべての謎は蘇我4代にわたる大王の存在をいかにして矮小化し,否定するか,そして,その実態をいかに隠すか,そこに尽きるようにおもいます。それでもなお隠しきれずに露呈してしまうものが,あとを絶ちません。

 その筆頭が,石舞台,すなわち蘇我馬子の墓。それも,「そう言われている」というだけで,断定はされていません。なぜ?もし,違うとしたら,では,蘇我馬子の墓はどこにあるのか,それすらわかってはいません。なぜ,これほどの大王の墓が特定できないのか,そこにすべてが集約されているようにおもいます。

 
だれか,都合の悪い人が,必死になって隠したのです。蘇我一族の墓は寄ってたかって破壊したか,土を積んで隠してしまったに違いありません。

 石舞台とはよく名づけたものです。この場に立って考えてみると,いろいろのことが透けてみえてきます。たとえば,このロケーションの良さ。飛鳥の中でも一等地です。後ろに山を背負い,川が流れ,眼下に飛鳥平野が一望のもとです。風水から考えても文句なしの条件が整っています。しかも,この一等地に,墓らしきものがあるのはこの石舞台だけです。こんなところに墓(古墳)を,しかも巨大な墓(古墳)をつくることができた大王は,どう考えてみても蘇我馬子くらいしか考えられません。なのに,そのような伝承すら残ってはいないというのですから,よくもまあ,ここまで徹底して,その痕跡を消したものだと感心してしまいます。

 この石舞台も長い間,土に埋もれ,小高い丘になっていたようです。そして,灌木が生い茂っていたようです。しかし,長い歳月を経て,土は少しずつ雨水に流され,巨大な岩が姿をあらわすことになります。そして,いつの頃かに,盗掘され,石室の中には遺骨も宝石らしきものも,なにも残ってはいません。単なる空洞だけです。虚しいかぎりです。

 蘇我馬子と同時代にともに天皇を支えたといわれる聖徳太子の誕生寺・橘寺は,この石舞台のはるか下に位置しています。しかも,聖徳太子の墓は,なんと飛鳥ではなく,山一つ越えた難波にあります。これもまた,大きな謎です。

 そして,飛鳥の原の中心に位置して大きな役割をはたした寺,それこそが飛鳥寺です。仏教伝来の中心です。いまでこそ小さな寺にしかみえませんが,その遺構をみると,当時にあっては巨大な伽藍が立ち並んでいたことがわかります。そのシンボルともいうべき飛鳥大仏はいまも健在です。そして,異様な雰囲気をかもしだしています。手を伸ばせばとどきそうな至近距離というのも,この飛鳥大仏の魅力の一つといっていいでしょう。

 この飛鳥寺を中心にして,周囲にさまざまな仏教文化の花が咲き誇ることになります。その一つひとつを尋ね歩きながら,著者のHong-june You は「飛鳥の原に百済の花が咲きました」と宣言します。詳しいことは省略しますが,この本を読んで,わたしの飛鳥を見る眼は一変してしまいました。そして,もう一度,全部,自分の足で歩きながら,「百済の花」をみてまわりたいとおもっています。そういう距離に全部,そろっているのですから。

 とてもとても不思議な本です。ぜひ,ご一読をお薦めします。
 立ち位置が違うだけで,こうも古代史の見方が変わるものか,といういい見本です。
 そして,古代史はまだまだ謎だらけだということもよくわかります。

 ということは,いま,学校で教えている日本の古代史は,いったい,だれのために,だれが書いた歴史なのか,ということも大問題となってきます。

 歴史認識ほど恐ろしいものはありません。それはいまも隣国との紛争の種となってつづいているのですから。

脚力への過剰な負担が上半身を緊張させます。李自力語録・その57.

 久しぶりに李自力老師が稽古に顔をみせてくださいました。いつもよりも,どこかすっきりしたいいお顔をしていらっしゃいました。いい男がますますいい男に。なにかいいことがありそうな予感。わたしたちもいい気分。

 さて,久しぶりだったこともあって,最初はアップをしながら,じっとわたしたちの稽古をご覧になっていました。ひととおり,24式の稽古まで終わったときに,集合がかかりました。とくに,わたしに向けて,つぎのような指摘がありました。

 もっと高い姿勢でやりなさい。無理して重心を下げると,その分,両脚の負担が大きくなります。ということは,両脚の筋肉を全開にしなくてはなりません。つまり,ふだんとは違う過剰な筋力を必要とします。そうなりますと,下半身が緊張でいっぱいになります。その緊張が全身にも広がります。とくに,上半身の肩・首・両腕に現れます。そのため,なにをやっても,上半身はカチカチに固まってしまい,全体的にみてもギクシャクした動作になってしまいます。

 まずは,脚の負担をできるだけ軽くすること。つまり,高い姿勢を保つこと。立っていることが負担にならない程度に高い姿勢を保つこと。そうすれば,上半身の緊張がなくなります。この状態で24式をとおしてご覧なさい。からだも楽ですし,気持もリラックスして,とてもいい太極拳が表出してくるはずです。こころもからだもすべてよし,となります。ここが太極拳で<遊ぶ>場なのです。ここを目指しなさい。

 わたしはショックでした。上半身を緊張させないように笑顔をつくったり,意識的に脱力したり,楽に楽にと言い聞かせたりして,自分としては上半身の緊張は卒業したものとばっかりおもっていましたから。思わず「まだ緊張してますか」と李老師に問いただしてしまいました。すると,こんな風に,と言って例の「ものまね」をされてしまいました。それをみて,ふたたびショック。

 ですから,「そんなはずはない」と食い下がりました。すると,李老師は,「意識的には緊張していないように思えても,脚に極度の緊張があれば,無意識のうちに首・肩は緊張してしまいます。これは,自分では気づきません」とカウンター。もうこれ以上はなにも言うことはありません。なるほど,緊張がほぐれて,完全に「弛緩」するには,まだまだなのだ,と納得。

 これまでは,脚力を強くすれば,バランスもよくなり,安定してくるはず,そうすれば,上半身の緊張もなくなるはず・・・と考えてきました。そして,脚力もかなりついてきましたので,重心を下げてもできるようになってきたつもりでした。が,それは自己観察であって,他者観察によれば,しかも,李老師のような人の眼からすれば,まだまだ早い,ということなのでしょう。もっともっと力を抜きなさい。そのためには高い姿勢から始めなさい。つまり,初手からやり直しなさい,というわけです。これもまたショックでした。

 もう10年以上も太極拳の稽古をやってきて,いまふたたび初手からやり直しだ,と宣告されてしまったのですから。なにをか況んや,です。

 しかし,よくよく考えてみれば,これまで身につけたものを一度,全部捨て去って,初手から組み立て直すということは,ひょっとしたら,もう一つ上のステージに上がれ!と言われているのかもしれない,と気づきました。そうだとしたら,これまでの貯金を潔く,さっさと捨て去り,O(ゼロ)からやり直しをすればいい,と。つまりは,「死と再生」。

 そうとわかれば,踏ん切りもつきます。

 明日からはまったく次元の異なる世界での太極拳を楽しめばいい。いやいや,それしかない,とおもえばいい。まったくの自由な世界を堪能すればいい。

 さてはて,結果やいかに。楽しみです。

2015年4月2日木曜日

『スポートロジイ』第3号が校了となりました。4月25日(土)に間に合うか。

 本日(4月2日)午前11時に,わたしの手元にあった初校ゲラはすべて校正を終えて,みやび出版の伊藤さんにお渡ししました。まだ,一部,著者校正が終わっていないとのことですが,今日か明日にはとどくものと信じています。

 これで,ようやく『スポートロジイ』第3号(21世紀スポーツ文化研究所紀要)の刊行の目処が立ちました。わたしの突然の病気ということもあって,一年遅れの刊行です。いろいろの方たちにご無理をお願いして,なんとかここまでたどりつくことができました。この場をお借りしてお礼を申しあげたいとおもいます。ありがとうございました。

 これで,順調にいけば,4月25日(土)の午後に予定されています「ISC・21」4月東京例会(於・青山学院大学)に間に合うかどうかのぎりぎりだそうです。伊藤さんの話では,なんとか,先行刊行50部を確保できるよう努力してみますとのこと。会場に直送になるかも・・・とか。それでも,なんとか間に合えば,とてもありがたいとおもっています。

 第3号の内容は,すでにこのブログでもご紹介していますが,再度,お知らせしておきたいとおもいます。

 目玉となる最大の柱は,西谷修さんの講演を採録したもので,「破局の思想にむけて──デュピュイの『聖なるものの刻印』をどう読むか」です。ほとんど書き下ろしと言っていいほどに講演録に手を加え,みごとな内容になっています。デュピュイの思想をめぐる周辺の問題を手際よく整理し,デュピュイの思想の位置づけを明確にした上で,その特質を浮き彫りにしてくださっています。わたしのようなデュピュイ読解に手こずっていた人間にはとてもありがたい導入論文になっています。「聖なるもの」のイメージが明確になり,これからのわたしの思考を練り上げていく上でも,とても役立ちます。たぶん,何回も読み返しては,いくつものヒントをもらい,さらに思考を重ねていくことになる,きわめて重要な論文になっているとわたしは信じています。ぜひ,ご期待ください。

 この論考に加えて特集を2本立てました。
 一つは,真島一郎さんのアフリカ・コートジボアールのダン族のすもうについてのフィールド・ワーク報告です。この論文が,また,みごとにデュピュイのいう「聖なるもの」とリンクしていて,強烈な印象を与えるものになっています。このダン族のすもうが特殊な地域の特殊な文化として存在しているのではなく,きわめてこんにち的なテーマと「地続き」になっている,というところがポイントだとわたしは受け止めています。そして,この真島さんの論考に触発され,興奮し,つぎつぎに浮かび上がるアイディアを思いつくまま展開した文章をわたしも寄せさせていただきました。

 もう一つは,太極拳です。劉志さんの博士論文のエキスを「道家思想と太極拳」というテーマでまとめていただきました。骨太の,日本語で読めるこの種の論文は本邦初と言っていいとおもいます。この論考を柱に,瀧元誠樹さんの太極拳留学の記録(武当武術),李自力老師語録「如是我聞」(拙稿)を加え,なかなかの読み物になっているとおもいます。

 ここに,研究ノートとして船井廣則さん,竹村匡弥さんの論考が加わります。

 全部で約300ページにわたる大部なものとなります。

 ぜひ,ご期待ください。

2015年4月1日水曜日

アンドレアス・ニーハウスさん(『不死のワンダーランド』西谷修著のドイツ語訳者)と久しぶりに再会。

 西谷さんから電話が入り,「まだ,関西ですか。東京にもどってますか」という。なんだろうとおもって聞いてみると,「アンドレアスが日本にきています。一緒に夕食でもと考えていますが」とのこと。もちろん,すぐにOK。

 何年ぶりだろうか,といろいろと思いを巡らす。
 アンドレアス・ニーハウス。ベルギー・ゲント大学教授。もともとはドイツ・ケルン大学(日本学研究所)で教鞭をとっていた。そのときに,わたしと出会った。わたしがドイツ・スポーツ大学ケルン客員教授として招聘されたとき(いまから12年前),お隣のドイツ・ケルン大学から日本語・日本文化専攻の学生さんを引き連れて,わたしのゼミに参加してくれた人。そのときにひとかたならぬお世話になった。

 この人,ひとくちで言ってしまえば「いい男」。じつに「いい男」なのだ。とにかくハートがいい。明るいし,まじめで,聰明。ジョーク好き。学位論文は嘉納治五郎研究(慶応大学)。内容が手にとるように理解できたので,すぐに意気投合して,すっかり仲良しになった。ケルン大学の図書館(日本学専門の)をフリー・パスで利用できるようにしてくれたり(これはゼミの準備をする上でとても役に立った),家にまで招待されてご馳走になったり,ゼミのあと遅くまでビールを飲みながら語り合ったり・・・と思い出はつきない。

 わたしのゼミのテーマは「身体論」。帰国後すぐに,このときのゼミの内容を整理して『身体論──スポーツ学的アプローチ』(叢文社,2003年)というタイトルで単行本にした。毎週,次週の授業内容をドイツ語に翻訳したもの(スクリプト)を学生に渡しておいて,それを議論するという形式でゼミを進めた。その予告用のスクリプトを作成するために,ケルン大学の日本学の図書館に通い,下書きをし,それをドイツ語に翻訳する,という作業で一週間はあっという間に過ぎて行った。こんなに密度の濃い時間を過ごしたのも初めてだった。そのとき65歳。これがとてもいい勉強になった。以後,このときの財産をさらに拡充することで,つぎからつぎへとテーマが生まれた。

 さて,こんな話をはじめてしまうとこれまたエンドレス。
 そうではなくて,主役はアンドレアス。
 わたしは,このときのゼミで,しばしば西谷修さんの文献を取り上げ,それを下敷きにして身体論の仮説を提示した。このことがアンドレアスさんの脳裏に深く刻まれていたようで,その後に,西谷さんの著書をドイツ語に翻訳したいという連絡があった。そこで,アンドレアスさんの来日の折に,西谷さんを紹介し,直接,翻訳の交渉がはじまった。その結果,西谷さんが提示した著書が『不死のワンダーランド』(青土社,1990年)。

 このテクストはハイデガーをいかに超克するかを説いた,かなり難解な哲学書ではあるが,ドイツ人の読者を想定したときには,これが一番。と,わたしは即座にそうおもった。たぶん,西谷さんもそのようにお考えだったとおもう。

 しかし,ここからアンドレアスさんの日本語との格闘がはじまった。というよりは西谷さんの思想・哲学との格闘がはじまった。日本の読者ですら,このテクストを読める人は,相当にレベルの高い人に限定される,深い思考で練り上げられた,難度の高い専門書である。したがって,このテクストの翻訳は,日本語読解能力ではなくて,ハイデガーをめぐる1990年当時のあらゆる議論を網羅する思想・哲学を読解する能力が問われることになる。

 翻訳の話がまとまってから約10年。アンドレアスさんは格闘をつづけたわけだ。それもじつに緻密に,西谷さんが提示した参考文献を一つひとつ精査し,自分で納得のいくところまで追い込んだ。その苦労話を引き出そうとすると,アンドレアスさんは「苦しくなるとビールを飲みながら考えた」とジョークを飛ばして,さらりと流す。そこを,西谷さんが,アンドレアスさんとのやりとりを紹介しながら,その質の高さを絶賛。

 翻訳本をいただいて,帰りの電車のなかから読み始めた。まずは,訳者あとがき,から。そこには,じつに多くの人の力を借りて,この翻訳という仕事をなし遂げたか,がはっきりとわかる解説と謝辞が述べられている。この人は,明るく,ジョークを飛ばして,人を笑わせることが大好きな割には,仕事はじつに緻密で慎重だ,ということが伝わってくる。

 その中には,わたしの名前まで挙げてあって,この翻訳のきっかけを与えてくれたのはInagaki Masahiroだと書いてある。びっくりすると同時に感動。ありがたいことである。わたしにとっても,とてもいい記念になるドイツ語訳の誕生である。

 それよりも,なによりも,西谷修さんの『不死のワンダーランド』がドイツ人に読まれることになる,このことの重大さ,事件・事態を言祝ぎたい。なぜなら,わたしが滞在した2003年のドイツ・ケルンの大きな書店ですら,ハイデガーの本は一冊も置いてなかった。書店で聞いてみると,注文すれば「取り寄せる」という。ドイツ・スポーツ大学ケルンの何人かのスタッフに問いかけてみると,ハイデガーはヒトラーの協力者なので,われわれは全否定している。だから,だれもハイデガーの本を読む人はいない,という。たぶん,その情況はいまも大きく変わっているとはおもえない。

 そういうドイツ人が圧倒的多数を占めるドイツの思想・哲学情況のなかに,この訳本がデヴューしたのである。これは,わたしの眼からすれば「事件」にも等しい。この本をまじめに読んだ人(哲学の専門家)は一様に驚くに違いない。本家本元のドイツが排除しようとしているハイデガーの哲学が,遠い日本の国で研究対象として取り上げられ,しかも,ハイデガーに関する最先端の議論(主としてフランス現代思想家たちの議論)を提示している,というこの事実に驚かないドイツの哲学者はいないはずだ。

 さて,この翻訳本が,ドイツでどのような反響を呼ぶことになるのか,わたしは密かに期待している。

 まずは,アンドレアスさんの忍耐強いお仕事にこころからの敬意と拍手を。そして,西谷さんに,その労作がドイツで紹介されることになった「事件」を,こころから喜び,ともに分かち合いたいとおもいます。

 そして,お二人にこころからの祝意を表したいとおもいます。「おめでとうございます」。