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2016年1月23日土曜日

ベッキー,バス事故,SMAP騒動に隠されてしまった国会の議論。

 このところ連日,遅い昼食をとりながらNHKの国会中継を眺めていました。リアル・タイムで流れてくるので,なんの編集の手も加えてない生の情報が直接飛び込んできます。そこでは,信じられない議論が展開されていました。小学校低学年の学芸会よりももっとひどい,稚拙な猿芝居が繰り広げられていました。これが国会の議論というものなのか,といまさらながらあきれはててしまいました。

 政権にとって都合のいい質問には,真っ正面から嬉々として答えています。しかし,厳しい質問になると,とたんに質問の趣旨をすり替えて,政権の立場を延々とつづけます。そして,結局は,まともな応答はまったくなしのまま時間切れになってしまいます。つまり,質問時間まで,政権の主張に食われてしまう始末です。

 ときには,質問に答えられないまま,10分も15分も中断してしまうこともありました。それも,政府が示した予算の数字の根拠を説明してほしい,わたしの計算だとそうはならない,それも4000万円もの誤差はなぜなのか,という問いです。官僚からのカンニング・ペーパーもとどきません。ということは,でたらめな予算案であることがバレてしまった証拠。そして,窮した政府は,後日,調査をしてから答えます,というような塩梅です。

 こんなとんでもない議論が国会では連日,行われていたのです。にもかかわらず,国会の議論を整理してニュースにする努力を,報道各社はいちじるしく欠いています。もし,とりあげたとしても,政府が不利になるようなところはすべてカットして,アベノミックスが成功したと主張するアベ君の顔ばかりがアップで写し出されるだけです。そして,国民として考えなくてはならない,大事な問題の本質についてはすべて隠蔽されてしまっています。

 こうして,みごとなまでに世論が操作されています。

 この隠蔽操作に大いに貢献しているのが,ベッキー情報であり,バス事故であり,SMAP騒動,というわけです。こちらは,四六時中,どこもかしこも,これでもか,これでもか,と連日,微に入り細にわたり報道しています。たしかに,バスの事故に関しては厳しい検証が必要ですが,それにしても過剰としかいいようがありません。ベッキーのことなどどうでもいい。SMAP騒動もどうでもいい。こんな話題は週刊誌にまかせておけばいい。

 こんな情報にテレビが飛びつくのは,単なる視聴率稼ぎ以外のなにものでもありません。

 そんな時間があったら,フクシマの「いま」を連日,報道してほしいし,国会の恐るべき議論をきちんと整理して報道してほしい。しかし,そんな気はさらさらありません。いまや,「自発的隷従」もいいとこです。率先垂範して,政府をよいしょしているのですから。それは奇怪しいではないか,とまともな発言をするキャスターは軒並み排除(クビ)です。

 この4月から,大型のニュース番組が,みんな骨抜きになってしまいます。

 そうして,芸能界のスキャンダルばかりが時間を独占してしまって,重要なニュースをどこかに追いやってしまって,国民の総白痴化がいやおうなく進行していくことになってしまいます。

 だれがその仕掛け人であるか,などはいまさら言う必要もないでしょう。
 わたしたちにできることは,つぎの選挙で,みずからの意思を正しく表明するのみです。そのための準備に,もう,いまからとりかからなくてはなりません。
 ほんとうに情けない時代になったものです。

 政治家も嫌気がさしたのか,ベテランの政治家がつぎつぎに引退を表明しています。こうなってきますと,いま,自民党の内部で蠢いているマグマがいつ噴出するか,それを待つ以外にないのかと情けなくなってしまいます。

 とうとう,嘆き節になってしまいました。今夜はこの辺で。

2016年1月11日月曜日

廃車寸前のポンコツ車を乗りこなす法。

 こんどの3月で78歳になる。考えてみればいい歳だ。ひとむかし前なら,立派な老人だ。しかし,最近はみんな元気で老人くさくない。姿勢もいいし,歩き方もいい。わたしも76歳になる直前まではそうだった。老人という意識はまったくなかった。考えたこともなかった。そこに慢心があったか,神の天罰がくだった。
 
 あらためて言うまでもなく,2014年2月2日の吐血・入院,胃ガンの手術。つづけて2015年7月7日の肝臓に転移した癌の切除手術。この2回の手術ですっかり体力を消耗し,単なる痩せ老人と化してしまった。それはそれはみごとなまでの痩せ方である。60㎏あった体重が,いまや50㎏を割っている。一回手術するたびに5㎏ずつ痩せた。術後の回復には筋肉のタンパク質が役に立つそうで,若いときに鍛えたからだがこのとき救いの手を差し伸べてくれた。

 と同時に,からだのあちこちに異変が起きはじめてもいる。それらの異変(病気とまでは言えないからだの変調)となんとか折り合いをつけながら,日々の生活をかろうじて維持している,というのが正直なところだ。言ってしまえば,からだのご機嫌をうかがいながら,だましだまし生きている,という次第。

 わかりやすく言えば,廃車寸前のポンコツ車になってしまった,ということ。あとは,このポンコツ車をいかに上手に乗りこなすか,その方法を工夫するのみだ。しかし,不思議なことに,そうっと上手に乗りこなしてやるとまだまだ機嫌よく元気に走ってくれる。この状態を上手に維持していけば,まだいくらかは走ってくれそうだ。

 でも,基本的にガタがきてしまったからだなので,細心の注意が必要だ。ちょっとでも油断すると,このからだはすぐに弱音を吐く。「イヤイヤ」というサインを送ってくる。もっとも多いのが「食べ過ぎ」。胃腸は頭より賢いというが,いまは実感としてよくわかる。眼はまだ食べていいという。いや,食べたいという。脳に判断してもらうと「もう少しくらいは大丈夫」という。それで食べてしまうと,数分後にはかならず胃腸が文句をいいはじめる。さあ,たいへん。胃腸はオーバー・ワークを断固として拒否するのだ。そして,下痢。だから,こうなったら胃腸のご機嫌をうかがいながら,すべての排便が終わるまで,素直に付き合うしかない。

 アルコールの飲み方はとても上手になった。日常的には「飲みたくない」とからだが言う。だから,飲む気にもならない。しかし,久しぶりに友人などに会うと,ちょっとだけ飲もうか,という気分になる。それでも,すぐにからだが温かくなってくると,もういい,とからだがいう。あとは,ほとほととゆるい酔いが持続する程度にちびりちびり飲む。つまり,会話が楽しく進展する程度に。それでも,うっかり酔いがまわってくると,からだが「もういい」とサインを送ってくる。その声に素直にしたがえるようになったのは進歩だ。からだはじつに正直だ。嘘をつかない。

 たぶん,これが老人のからだなのだろうとおもう。だから,できるだけ術後のからだの異変とは考えないことにしている。そうではなくて,本来の年齢相応のからだになったのだ,と考えることにしている。それ以前があまりの健康体にめぐまれていただけのことだ,と。だから,うっかり自分の年齢を忘れて生きていたにすぎないのだ,と。

 いま,振り返ってみれば,ずいぶんと乱暴なからだの使い方をしてきたものだとおもう。いっときは,からだなどというものは,使っても使ってもへこたれないものだと過信していた。だから,これでもか,これでもかとおもうほどに酷使した時代もあった。それでも平気だった。その延長線のまま76歳の直前まできてしまった。その意味ではなんとありがたいことであったか,といまになって感謝している。

 まもなく78歳になる。週一回の太極拳の稽古が,からだの状態を確認する上でとても大事な機会になっている。とりわけ,脚の筋力は正直だ。一週間の稽古の間に,ほんの少しだけでも脚力が衰えないように刺激を与えてやると,とても調子がいい。しかし,横着をして,なにもしないでいると,とたんにふらふらして乱れがでてくる。脚の筋力は,あっという間に衰えていく。ちょっとやるだけで筋力を維持することはできる。だから,太極拳の稽古は,いまのわたしにとっては脚力の状態を確認するための絶好のバロメーターになっている。

 もっとも自然でいいのが,鷺沼の事務所への出勤(?)だ。パソコンをリュックに入れて背負い,鷺沼往復するだけで,脚力は間違いなく維持できる。のみならず,気分転換にもなって,とてもいい。だから,いまでは,健康法のために,よほど天気が悪くないかぎり,鷺沼に出勤することにしている。

 そこにだれか遊びにきてくれると,もっといいに違いない。しかし,そうは問屋が卸さない。これからは積極的に声をかけて,人と会うように努力しなくてはいけない,と考えている。いまは仕事は二の次だ。それより楽しい会話をして笑う時間を少しでも多くもつことの方がずっと大事だ。

 しかし,この程度のことで,わたしのからだが現状維持できるのであれば,そんなありがたいことはない。これもまた天から与えられた恩寵というものだろう。そう信ずることにしている。その方がからだの調子がいいのだから。

 もう,どう考えたって廃車寸前のポンコツ車であることに間違いはない。上手にご機嫌をうかがいながら,だましだまし乗りこなしていく以外にはない。ところが,である。これがなかなかどうしてたやすいことではない。なにせ,これまでに経験したことのない未知のからだとの会話が必要なのだ。しかも,相手は無理が効かないからだなのだ。これは相当に広範囲なからだに関する知識と,からだから送られてくる微妙なサインを鋭く感じとる感覚の冴えと,そして,それに対応するための高度なテクニックを必要とする。

 こんな風に書くと,なんとまあ大げさな,と笑われるかも知れない。しかし,わたしは本気だ。長年培ってきたからだに関する知識と,自分のからだからのサインを聞き取る感性と,わたしのからだが喜びそうな処方箋,そのすべてを総動員して対処していこう,と。言ってしまえば,生きる力を総動員すること,個人的に蓄積してきたノウハウをフル活用すること。そして,それができるだけ幸せ,ということだ。

 この点,いまの癌に対する医療は脆弱だ。一般的なマニュアルはあっても,個別の,固有のからだに対応できるところまでは触手が伸びてはいない。しかし,からだは個体ごとにできが違う。よほど優れた医師でないかぎり,違う個体に対応する癌治療は不可能に近い。となれば,あとは自助努力しかない。

以上,ポンコツく車と付き合う法の一端まで。

2016年1月6日水曜日

「紅白」(NHK)のお粗末。もう,これでお終いね。

 娘夫婦が沖縄から帰省していたこともあって,何年ぶりかで年末恒例の「紅白」をみながらすき焼きを囲んだ。かつては(もう15,6年前の話),その年に活躍した歌手とベテラン歌手とが男女対抗の形式で「歌合戦」を展開する,一年の総まとめの歌番組として充実していた。そして,最後のトリをだれが勤めるのか,大きな話題となったものだ。

 しかし,それに比べて,今回の「紅白」の体たらくはいったいどうしたというのか。もはや,「歌合戦」ではないし,歌手としての一年間の実績も,ベテラン歌手としての評価も,はちゃめちゃ。なにを基準にして歌手を選別し,序列化しているのか,そのコンセプトがまったくわけがわからない。一方的な垂れ流し。それをただ視聴するだけ。なにも伝わってくるものがない。

 どうやら,前半は若い世代に向けてのサービスを中心にし,後半は中高年の視聴者に向けて歌手を登場させたようだが,それにしても最後のトリはいったいどうしたことか。あきれ果てて,もはや,ものも申せません,というところ。ひょっとしたら,NHKのディレクターあたりが,自分の青春時代の思い入れと重ね合わせただけのアイディアだったのではないか,と勘繰られてしまう。だとしたら,公私混同もはなはだしい。

 でも,いまのNHKならやりかねない。だれかの一声で。

 どうしてもやりたいというのであれば,歌謡曲一本に絞るなり,あるいは,ジャンル別に選ぶなり,歌唱力の評価の高い歌手を選ぶなり,歌と踊りで新境地を開いたと評価されたグループを選ぶなり,なにか筋をとおすべきではないのか。

 くろやなぎてつこ,という人の起用も,なにがなんだかわけがわからなかった。しかも,危なっかしくて,不安でみていられなかった。あまりに痛々しくて,ときには不快でもあった。まわりの気遣いもわからぬではないが,あそこまでしなくてはならない人を,一年の締めくくりの長時間番組で起用すべきではないだろう。もっとも,本命には逃げられてしまったようだが・・・・。

 昨年の際立った存在として話題になった作家・芸人又吉直樹あたりを起用してみたら面白かっただろうに,とおもうのはわたしだけだろうか。NHKの意外な番組(経済)でもMCをつとめていて,わたしはとても面白いとおもってみているのだが・・・・。もっとも,あのキモさはお祭りには不向きではあろうが,起用の仕方によっては新局面を展開する起爆剤にはなったのではないか・・・などと,勝手に推測。なにを隠そう,作家としての又吉直樹の才能に,わたしはかなり注目しているので,過大評価をしている節はあるのだが・・・・。

 まあ,そんなことはともかくとして,今回の「紅白」はまるでダメ,というのがわたしの評価。もう,次回からは見ることはないだろう。大晦日のテレビはやめにして,その年,印象に残った本でも山積みにして,チビリチビリと日本酒でも舐めながら,読書三昧にふけるというのも手だなぁ,といまから楽しみにしている次第。

 NHK紅白よ,さようなら。
 長い間,ご苦労さまでした。
 もうそろそろ幕引きのときでしょう。

 ついでに,NHKも幕引きにしてもらいたいところ。とりわけ,ニュース番組の体たらくは,今回の紅白よりももっと酷いのだから・・・。
 いま,フクシマがどうなっているのか,まったく蓋をしてしまって,事実を伝えようとはしない。
 アベ政権のいいなり。
 冗談じゃない。
 受信料を返せ!と怒鳴りたいくらいだ。
 受信料をとっている以上は,視聴者の要望に応えるニュース報道に専念すべきではないのか。
  
 その義務を放棄してしまっている。体たらく・・・・。

 ああ,いけない。余分なことまでいい始めている。
 というところで,今日のところはお終い。
 NHKもお終い。
 もちろん,「紅白」もお終いね。

2016年1月5日火曜日

「<破局>(デュピュイ)に向き合う」(西谷修),再読。年頭なればこその所感。

 <破局>。カタストロフ。世界が根底から壊れてしまうような大惨事。この世の終わり。そんな,いつか,遠い未来にやってくるであろうとおもわれていた<破局>が,いま,すでに,わたしたちの目の前にやってきてしまった。わたしたちは,もはや,この<破局>と無縁では生きられない。この<破局>という現実を避けて通ることはできない。

 フクシマ。

 このフクシマと,どのように折り合いをつけながら,生き延びる方途を見出すべきか。このことのために全知全能を傾け,ありとあらゆる努力をしなくてはならない時代,それが<いま>だ。つまり,<破局>を迎えてしまった<いま>という時代だ。

 なのに,アベ政権は背を向けたまま無視だ。そして,放置したままだ。しかも,<破局>の事態はますます悪化の一途をたどっているというのに。世の識者たちの多くもまた,この事実を語ろうとはしない。メディアも忌避しているかのように,触れたがらない。むしろ,積極的に蓋をしてしまっている。まるで,なにもなかったかのように・・・・。

 しかし,ジャン=ピエール・デュピュイは,多くの著作をとおして,フクシマだけではなく,経済の問題をも包括した世界全体の<破局>問題を取り上げ,重視し,警鐘を鳴らしつづけている。このデュピュイの論考にいちはやく反応した,西谷修さんを筆頭とするグループの人たちは,この問題こそこんにちの思想・哲学上の喫緊の課題であるとして,真っ正面から向き合い,熱心に発言を展開している。

 その中核ともいうべき西谷さんの論文「<破局>に向き合う」(『カタストロフからの哲学』──ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって,渡名喜庸哲・森元庸介編著,以文社,2015年10月刊に収められた巻頭論文)を,新しい年を迎えた年頭に当たって,気持ちも新たに再読してみた。案の定,ずっしりと重いものがわたしのからだを駆け抜けていく。しばらくの間は震えが止まらないほど興奮する。読むたびに,それまでになかっか,なにか新しい共感が立ち現れてくる。この感覚はいったいなんだろう,と考える。

 ひとつには,まことに個人的な事情と直接,深く,重くかかわっている,と正直に告白しておこう。言うまでもなく,わたしはいま末期癌のステージ4を生きている。しかも,決め手となる治療の方法が見つからないまま,残りの「生」と向き合う日常を生きている。個人的な,まことに個人的な<破局>が目の前にきてしまった,というのが実感である。それでも,自助努力としてできることはやってみようとあらゆる智恵を絞り,よさそうだと納得できるところから始めている。そして,少しでも<破局>を向こう側に押しやるべく,ささやかな実践をこころがけている。

 こんな個人的な事情もあって,デュピュイのいう<破局>は,わたしにとっては切実な「生」の問題となって跳ね返ってくる。そして,西谷さんの説く「<破局>に向き合う」という論考が,きわめて深いところでわたしのこころに響いてくる。驚くほどの現実味を帯びて・・・・。それでいて,どことなくわたしのこころを癒してもくれる。

 それはなんと仏教的な世界観をわたしに想起させてくれるからだ。西谷さんは,この論考のどこにも仏教にかかわるような言説はしていないのだが,それでもなお,わたしの想像力は仏教的コスモロジーをつぎからつぎへと引き寄せてくる。仏教とはなんの関係もない西谷さんの言説にもかかわらず,わたしは勝手に仏教の世界に遊んでいる。これはいったいどういうことなのだろうか,と考えてしまう。しかし,そんなことはどちらでもいいことだ,と自分に言い聞かせる。

 詳しいことは割愛するが,西谷さんは,<破局>を回避するためには,発想の出発点を180度,転換させるほかはない,と断言する。つまり,人が「生きる」ということを第一優先として擁護することだ,と。「生きる」ということを肯定する思想こそが「善」なのだ,と。西田幾多郎の『善の研究』も,人が「生きる」ということを擁護している論考として読むと理解が深まる,と以前に聞いたことがある。つまり,与えられた「生」を生き切ること,あるいは,まっとうすること,そのことのためにわたしたちがなすべきことはなにか,そこから考え直すこと,これが<破局>を目の前にした<いま>,わたしたちがやるべきことだ,と。

 こうした西谷さんの言説が,わたしには,いま与えられている「生」をまっとうすること,と響いてくる。では,<破局>と向き合う<いま>を,わたしが「生きる」とはどういうことなのか,という命題がくっきりとみえてくる。すると,おのずからなる答えがみえてくる。そこに救済が透けてみえてくる。ああ,この「道」を行けばいい,と。それが,わたしには子どものころから馴染んできた仏教的世界観であり,その後も読み続けてきた仏典の解釈から得た知識であり,智恵である。その中に,その「道」を考えるヒントの多くが秘められている。

 と,そんな風にわたしは考えはじめている。

 やはり,再読をしてよかった,としみじみおもう。
 断っておくが,ここに書くことができたことがらは,わたしの思考のほんの概略にすぎない。曖昧模糊とした,いまなお言説化できない思考の部分にも,もっともっと重要なテーマが潜んでいる。これから思考が深まってきたら,また,言説化してみたいとおもう。たぶん,可能だとおもう。それを楽しみたいともおもう。あるいは,それがいまわたしが「生きる」ということの内実なのかもしれない。そんなことも含めて「生きる」とはどういうことなのか,を考えてみたい。そんなところにまで,西谷さんの論考の触手は伸びているようにおもうから。

 だから,これからも何回でも再読しながら,思考を深めていきたいとおもう。わたしが真に「生きる」ために。

2016年1月4日月曜日

あっぱれ!青学院大,箱根駅伝,完璧な2連覇。

 一区で首位に立ったタスキは最後までトップの座をゆずることはなかった。それどころか,一人ひとりがその役割を果たし,着実に二位との差を拡げていく。完璧と言ってよい2連覇を達成。感動しました。

 勝者の表情はいいものです。晴れやかな笑顔だけではなく,なにかをなし遂げた達成感のようなものが表出していて,それがじかに伝わってきて心地よい。しかも,冷静で,その奥に秘められた賢さも見え隠れしている。なのに,とても無邪気。天真爛漫。選手全員が並んでインタヴューを受けている間も,他の選手の発言や,監督の発言に,じつに素直に反応し,子どものような笑顔をみせ,頷いている。高感度100%。

 やはり,人間として立派。自律しているなぁ,としみじみおもいました。選手である以前に,まずはひとりの人間として自律(自立)しているなぁ,と。だからこそ,自分が任された区間の走りも,きちんと自分のペースを守り,その日の調子をみとどけた上で,徐々にペースを上げていくという理想的な走りをまっとうすることができる。もちろん,監督からの指示を背中に受けながら,右手を挙げて応答し,大きく顔をゆがめるような無理な走りはしない。冷静沈着。それでいてこころの奥底に秘めた闘志を燃やす。

 タスキの受け渡しもみごと。きちんと,両手でタスキを長く横に伸ばして,つぎの選手が受けとりやすくする基本を守っている。しかも,必ず待っている選手の右側に走り込み,右手で受けとれるように配慮されている。これも基本どおり。こんなことはどのチームも練習しているはずだ。しかし,いざ,本番となるとなかなか実行はできない。なぜ?

 オーバー・ペースで疲労困憊してしまうと,タスキをわたすことすら定かではなくなってしまう。なかには意識朦朧としてしまって,われを見失ってしまう選手もいる。タスキをわたすのが精一杯で,わたしたとたんにその場に倒れ込んでしまう選手も少なくない。だから,選手の右側も左側もかまわず突っ込んでいき,片手でタスキを渡したりする選手もいる。

 しかし,青山学院大の選手たちは,みごとにこの基本を実行している。というより,実行できている。なぜか?それは,オーバー・ペースで走ってしまうという選手がひとりもいない,ということの証明である。それほどにきちんと自らを律して,最高のペースを守り,自己ベストを叩き出していくことができる能力を身につけているということのなによりの証だ。

 アンカーの「としのり」選手にいたっては,ウィニング・ロードだったので,最後はペースを少しだけ落とした,とまで発言している。この冷静さには圧倒されてしまった。ゴールを目の前にしたら,嬉しくて舞い上がるはずなのに,レースが終わるまで,つまり,走りきるまで,きちんと自分と対話している。だから,ゴールしても余力があるので,仲間が横一列に並んで待っているのを見届けると,そこに向かってスピードを挙げて駆け込んで行きました。このゴール後の「走り」が,なぜか,とても印象に残りました。そして,胴上げ。

 レース後の記者会見もみごとでした。選手一人ひとりが,それぞれに固有のことばをもっていて,自分の思いをしっかりと述べていました。それもおざなりのことばではなく,そのとき,その瞬間の本人のことばがするりとでてくる。おもわず耳を傾けてしまう。借りものの,決まり文句のようなことばはひとつもない。全部,自分のことばだ。それも,その瞬間にしかでてこない,ありのままのことばだ。だからだろう,聞いていて心地よい。

 こんなところからも,日ごろ,どんな練習をしているのか,ということが透けて見えてきます。本番さながらの,気持ちの入った,密度の濃い練習を,日々重ねていることは間違いありません。言ってみれば,毎日が本番。だから,自分の能力の限界と可能性との境界領域を知り尽くしている。チームのメンバー全員が,こういう取組をしているとしたら,空恐ろしい。

 3年生以下の選手たちは,また,来年に向かってスタートだ。しかも,「3連覇」という重圧がかかってくる。この重圧をいかに克服していくか,また,新たな挑戦のはじまりだ。こんどこそ「俺の出番だ」と満を持している選手たちが目白押しだ,と聞いています。こうして,チーム内の切磋琢磨がはじまります。また,一段とたくましいチームが育っていく。たとえ選手になれなくても,立派な人間が育っていく。

 来年の,また,新たなるドラマを楽しみにしたい。
 いい駅伝でした。青山学院大学駅伝チーム(裏方さんも含めて)にこころからエールを送りたいとおもいます。ありがとう。こころの底から感謝しています。

2016年1月3日日曜日

溝口神社に初詣。夕刻なのに行列。勝海舟の幟。

 家から歩いて10分ほどのところにある溝口神社に初詣をしてきました。それも,寝正月を存分に堪能して,夕刻になってから初詣にでかけました。この時刻なら,ほとんど人もいないだろうと想定してでかけました。ところが・・・・。驚くことに長蛇の列。警備員が列の最後尾にいて,交通の邪魔にならないよう任務についていました。この神社は,いわゆる大山街道に面していますので,交通量はかなりのものがあります。

 
この列に並んで牛歩ならぬ立ち止まりつつ前進。社殿に到達するまで約1時間半。狭い境内は参拝客でいっぱい。お守りや護符を売る出店がずらり。なかにはお神酒を販売している出店も。社殿の裏側では甘酒が無料でふるまわれていました。社務所ではご祈祷をしていて,その順番を待つ人もいっぱい。おやおや,と驚くことばかり。

 
ふだんは参拝客などほとんどみかけたこともない閑静な小さな神社です。ただ,安産の神様としては知られているらしく,ネット情報によれば,水天宮につぐ関東では第二の安産の神様だとか。そういえば,この列に並んでいる人は概して若いカップルが多かったようにおもいます。

 狛犬さんと社殿の間には大きな幟旗が二本立っていました。よくよくみると,「総氏子中 海舟勝安房」というサインが左側の幟旗の下のところにありました。あわてて,近くにあった説明を読んでみますと,あの勝海舟が,この溝口神社の氏子であったこと,そして,この幟旗を寄贈したこと,現代のものはその複製であること,などが書かれていました。

 
 
これには驚いてしまいました。いまでこそ,こんなに小さな境内の構えになってしまっていますが,往時は相当に大きな構えの社殿であったに違いありません。また,ロケーション的にも大山街道というかつての重要なネットワークをコントロールすることのできるポイントにもなっています。ですから,勝海舟はこの神社を自分の勢力下に抱えておく必要があると考えたのでしょう。

 
社殿の正面には茅の輪がセットしてあって,全員がここをくぐり抜けてから,社殿の前に立つようになっています。わたしは,おもわず被ってきた帽子をとって,あらたかな気分でくぐることにしました。くぐったあとは,横6人ずつ並んで参拝をします。なんだか妙な気分でしたが,みんながしているように作法を守りました。すなわち,ニ礼,二拍手,一礼,です。

 

参拝を済ませて,社殿の裏にまわりますと,大きな欅の木があって,ライトアップされていました。とても神秘的な光景で,おもわず足を止めてしばらく佇んでしまいました。立派な古木に注連縄が張ってあって,貫祿十分でした。折角でしたので,おみくじを引いてみました。結果は,「吉」。病気は長引くが平癒する,とありちょっぴり安心しました。

 参拝が終わって帰宅したら,すでに午後7時を過ぎていました。
 新年早々,想定外の面白い経験をしました。
 ことし一年がどんな風に展開するのか,楽しみにしたいとおもいます。

 以上,初詣の巻。

2016年1月1日金曜日

「暮々満湖之景」(伊藤博文)。ことしも暮れていきます。

 いよいよ大晦日。ことしも暮れていきます。
 積み残した仕事のあまりの多さに後ろ髪を引かれながら・・・・。
 時間の流れに棹さすことはできません。が,それでもできることなら,時間を止めておきたい・・・。
西の空に沈む太陽を,もう一度,押し戻して,時間を確保した・・・という八郎潟伝説を思い出しながら・・・・。

 同じ西の空に太陽が沈む光景を,滋賀県知事室から眺めていた伊藤博文は,当時の知事に揮毫を頼まれ,大きな文字で「暮々満湖之景」と書きました。同じ夕日が沈む光景を眺めていた知事は感動して,この書を立派な掛け軸に表装して知事室に飾りました。数年後に,この知事室を尋ねた伊藤博文は,この掛け軸をみるやいなや,いきなり駆け寄って行って引きずり下ろし,ずたずたに割いて破り捨てた,という有名な話があります。

 そして,ひとこと。「お前はアホか」と。

 当時の宰相は,こんなジョークを大まじめに揮毫して,書き与え,相手の器の大きさを測っていたと考えると,なかなか興味深い話ではあります。

 こんなことを思い出したのは,暮れの慌ただしさを目の前にして,これを余裕でやりすごせるようになるのはいつのことやら,と考えてしまったからです。もっと器が大きかったら,こんなにあくせくしなくてもやり過ごすことができるだろうに・・・と。でも,持って生まれた器のサイズは,いかんともしがたく,多少の努力で補正はできたとしても,本性が変わるわけではありません。

 で,伊藤博文の揮毫の話からさらに飛躍して,そうだ,書き初めをしよう,と思い立ったことも正直に書いておきましょう。じつは,毎年,書き初めをしようと考えるのですが,はたせないままでした。ですから,こんどこそはなんとか実行してみよう,と。

 さて,そのとき,わたしはなんと書くのだろうかと想像してみました。これはなかなか楽しい想像で,いくつもの名句が浮かんでは消えていきます。ついでに,筆ペンで,裏紙を使って,つぎつぎに書いて遊んでみました。これは大晦日の遊びとしては最高です。もう,やらなくてはならないことを放り投げて,居直っています。そして,早速,思いっきり自由な書体で書きなぐってみました。いえいえ,文字どおり「書き殴り」ました。この遊びは,なかなか楽しく,来年の年間をとおしてのカリキュラムのひとつに,ぜひ,加えたいとおもいます。

 まあ,こんな戯事でもして遊ぶくらいの余裕がないと,世の中,面白くないことだらけでやってはいけそうにありません。ことし最後のブログということで,こんな戯文を書いてしまいましたことをお許しください。

 それでは新年もまたよろしくお願いいたします。

2015年12月21日月曜日

元・武雄山には古代の英雄・トミノナガスネヒコの遺伝子が?

 伝説や伝承は,よほどの傍証でもないかぎり,いまの歴史学は認めようとはしない。しかし,だからと言って完全に否定できる根拠もない。だから,伝説や伝承は,いわゆるグレイ・ゾーンに位置づくものだ。つまり,正しいとも,間違っているとも断定できない「境界領域」にある。

 ということは,信ずる人には「正しい」とおもわれ,信じない人には「間違い」だ,という話になる。しかし,真実は「虚実皮膜の間(あわい)に存在する」とも言う。ここらあたりに,古代史謎解きの妙味がある,とわたしは考えている。

 たとえば,中臣鎌足の出自はよくわかっていない,という。しかし,茨城県の香取神社のすぐ近くに「鎌足神社」があって,この神社の氏子さんたちは,鎌足の出身地はここだ,と信じて疑わない。そのように,代々にわたって語り継がれてきているからだ。要するに「伝承」を「信ずる」立場をとっている。「信ずる」人にとっては伝承が真実なのだ。

 それと同じように,家伝として,我が家の祖先はトミノナガスネヒコである,と伝承されている家系が存在する。その本家の祖父から直々に,その話を聞いた,という人(わたしの若い友人)からの情報である。プライバシーにかかわることなので,実名は控えるが,信頼できる確かな人物である。しかも,古代史研究者として,大部の著作もものしている。しかも,きわめて特異な視点から,日本の歴史を根底から読み直そうという志をもった,素晴らしい人物である。このブログの読者であれば,実名を想定することもむつかしくはないだろう。

 そのトミノナガスネヒコの子孫であるという本家筋からすると,新家の新家筋から力士として活躍した元・武雄山が誕生している。いまは,引退して親方・山分を名乗って,後進の指導に当たっている。本名は冨永丈喜。突き押し一本の,まっすぐな相撲で人気があった。小細工などいっさいしない。勝っても負けても,つねに同じ相撲をとりきることに徹していた。相撲通にはたまらない力士だった。

 その遠い祖先に,トミノナガスネヒコがいる。
 トミノナガスネヒコと言えば,知る人ぞ知る,古代の英雄である。神武天皇が大和に攻め込んできたときに,真っ正面から立ちはだかり,二度も撃退した,という有名な英雄である。しかし,あえなく暗殺され,ついに大和の地を神武天皇に明け渡すことになった。言ってみれば,神武天皇以前の大和を支配していた大王である。その遺跡は大和の各地にいまも残っている。わたしも何回もフィールド・ワークをして尋ね歩いている。

 トミノナガスネヒコとは,文字どおり,「ナガスネヒコ」というとおり,「脛の長い大男」であったことを暗示している。いかにも英雄にふさわしい名前である。その戦いの実績からして,一騎当千の大男で,向かうところ敵なしの武勇を誇っていたに違いない。その遺伝子が,脈々と受け継がれ,こんにちに至り,武雄山を誕生させた,というのである。醜名の「武雄山」には「武勇」の意味も籠められているように,わたしには見える。

 武雄山の出身地は,現役時代には,土俵に上がるたびに場内アナウンスが告げていたように,愛知県豊橋市長瀬町である。長瀬町は,わたしの育った大村町の隣の町で,小学校はこの二つの町が一緒だった。だから,わたしにも長瀬町の友人が何人もいる。長瀬町といえば,冨永と平尾の二つの家系がほとんどで,同級生にも冨永姓が二人,平尾姓が三人もいた。みんな仲良しで,羨ましいほどだった。

 だから,この話は,わたしにとっても他人事ではない。

 隣の町に住む人たちが,そのような伝承を引き継いでいるという「事実」はあだやおろそかにしてはならない,と考えるからです。その長瀬町よりは立地的にはるかに劣悪な大村町(わたしが育った町)に住みついた人たちというのは,いったい,どういう人たちだったのだろうか,と考えてしまうからです。しかも,この町から,ときおり,間違えたかのように立派な人物が誕生しています。大雨が降れば豊川の水が氾濫し,集落が寸断され,学校はお休みになる,というのがわたしの子ども時代の話です。いまは,豊川放水路ができあがり,この問題は解消したようですが・・・・。

 ひょっとしたら,流れ,流れた「河童族」の末裔ではないか,と。しかも,この「河童族」のなかから,驚くほどの人物が登場するというのも,歴史の醍醐味ではないか,とおもったりしています。

 トミノナガスネヒコの末裔も,たぶん,さまざまな名を名乗りながら,生き延びてきているはずです。その直系が,いまも「冨永」姓を名乗って,実在している・・・・,ロマンがあっていいなぁ,とわたしは夢見ています。 

2015年12月20日日曜日

羽生結弦選手とクマのプーさん。老子の「無為自然」につうじるこころ。

 羽生選手が帰国した直後のテレ朝の報道ステーションが,羽生選手を招いて生出演させた番組をたまたまみていたら,おやおや?とおもうシーンが少なからずありました。

 ひとつは,スタジオに大がかりな森のセットをしつらえて,冒頭から,いったいなにごとかと視聴者のわたしにおもわせたこと。
 ふたつには,そこに羽生選手が大好きだというクマのプーさんを隠すようにして置いたのに,入場と同時にすぐに羽生選手にみつけられてしまったこと。
 みっつには,古舘キャスターの羽生選手へのインタヴューが,ほとんど空回りをしてしまったこと。つまり,いろいろと企みすぎたインタヴューが,ことごとく滑ってしまったこと。
 よっつには,その企みを羽生選手に見破られ,みごとにはぐらかされてしまったこと。
 いつつには,その結果,ほとんど視聴するに値しない内容に終わってしまったこと。
 むっつには,セットといい,仕掛けといい,すべてがやり過ぎで,不快だったこと。

 とまあ,挙げていけばきりがないほどでした。それに引き換え,羽生選手は一枚も二枚も上手だったということです。つまり,羽生選手を21歳の若い青二才と甘くみていた節がみえみえでした。これは大いなる勘違いであり,勉強不足というほかありません。羽生選手は並の若者ではありません。間違いなく類稀なる天才です。その鋭い感性がわかっていなかった,テレ朝がアホだった,ということでしょう。

 なかでも,面白かったのは,クマのプーさんをめぐる古舘キャスターと羽生選手のやりとりでした。
 古舘「見えないところに隠して置いたつもりのクマのプーさんの人形を,スタジオに入ってきて,すぐにみつけましたね」
 羽生「だって,アッ,森のセットだ,とおもって全体を見渡してみたら,すぐにクマのプーさんは目に入りました。」
 古舘「さすがですねぇ。羽生選手がクマのプーさんが好きなのは,いわゆる自然体ということを意識してのことですか」
 羽生「本来の意味はそういうことのようですが,ぼくが好きなのは癒されるからです。」

 古舘キャスターは,羽生選手にクマのプーさんの哲学を語らせようと仕掛けたのですが,すぐに気づいた羽生選手は,一瞬,ことばを飲んで,さらりとかわしてしまいました。つまり,クマのプーさんの哲学を語るにはふさわしくない場である,と羽生選手はとっさに判断した結果です。キラリと光った目がそれを物語っていました。もし,語るのであれば,こういう番組ではなくて,たっぷり時間をくださいといわぬばかりの表情でした。

 つまり,羽生選手はクマのプーさんの哲学をかなり詳細に理解しているがゆえに,世間一般に言われている程度の解釈などしたくなかったということです。その点,おそらくは,古舘キャスターの方がほとんどなにもわかっていなくて,「自然体」だけにわか勉強で得た知識をもとに,話を向けてみたにすぎない,というのがわたしの見立てです。

 あらためて断るまでもなく,クマのプーさんの出典は,道家思想の原典である『老子道徳経』にあります。「プー」は中国語の「〇」(僕という漢字の人偏の代わりに木偏を入れた文字)です。この中国語の発音が「プー」です。日本語では「アラキ」と読ませています。あるいは,「はく」とも読ませています。アラキとは,森から伐りだしたばかりの,なんの加工もされていない自然のままの木のことを意味します。クマのプーさんは,人間と違って,動物界での自然のままの生き方しかできません。つまり,アラキと同じだというわけです。というより,動物そのものだ,ということです。これは,世間一般に流布されている「自然体」とは,厳密にいえば違います。

 このことを知っている羽生選手は,厳密にいうとそれは違うんです,と応答しなくてはなりません。が,それでは古舘キャスターの顔に泥を塗ることになりかねないし,その違いをここで説明するには相手が悪すぎる,と即座に判断したようです。それが,一瞬の間となって表出していました。古舘キャスターのにわか勉強は,そこで頓挫してしまいました。しかし,ほんとうの深い意味を知っていたら,羽生選手の「癒されますから」ということばを受けて,さらに話をふくらませていくことは十分にできたはずです。

 クマのプーさんが「癒し」の力をもっているのは,クマのプーさんは自他の区別をしないで,自他が溶融して一体化している動物性の世界に生きているからです。ですから,すべての他者を全面的に受け入れる力をもっているのです。動物好きの人間が,こよなく動物に惹かれていくのは,このことをからだで感じているからでしょう。人間もまた動物と溶融し,一体化していく快感を享受している,ということでしょう。

 もっと言ってしまえば,人間が潜在的に持っている動物性への回帰願望が,クマのプーさんによってその一部が満たされる,ということです。ここまで古舘キャスターが理解していたら,「癒されますから」という羽生選手の発言を受けて,さらなる問いかけができたはずです。そうすれば,かなりレベルの高い話が展開し,羽生選手のフィギュア・スケートの選手としての凄さ(思想・哲学的根拠)を引き出すことができたであろうに・・・・と残念でなりません。

 クマのプーさんの本は,大学の哲学の授業のテキストとして,イギリスでも日本でも用いられています。このことはよく知られた事実です。ここでは,その一端を例として引きだしたにすぎませんが,『老子道徳経』の中で論じられている「プー」(アラキ)の話は,多岐にわたっていますが,たとえば,天下を統治するための理論としても,きわめて重要な役割をはたしています。その根はタオイズムの根幹に達しています。

 詳しくは,『老子道徳経』を繙いてみてください。多くの解説書が,いまも刊行されていますので,どれでも読みやすそうなものを選んでみてください。面白い発見がたくさんあるとおもいます。

 というところで,今日のブログは終わりです。

2015年12月14日月曜日

「天と地のレクイエム」を滑る羽生結弦選手に感動。

 グランプリ・ファイナルのフリーの演技でも,またまた世界最高得点を叩き出した羽生選手。おみごと。自己のもつ世界最高得点をさらに超え出る快挙。自己との闘いに打ち勝つ,そう位置づけたグランプリ・ファイナルで,みごとにそれを達成してみせました。そこに忽然と姿を現した新しい自己との出会いに喜び,そして咽び泣く羽生選手の姿。筆舌に尽くしがたい強烈な印象が残りました。

 つぎつぎに自己を超え出ていく姿を,こんな短期間のうちに見てしまうと,やはりスポーツというもののもつパワーの凄さを考えないではいられません。それを,みずからの課題として取組み,みごとに実現してしまう羽生結弦選手の,人間としての底力の凄さに,ただただ感動するのみです。21歳の若者とはとてもおもえません。

 異次元世界で遊ぶことのできる人間を,この眼で確かめることができたわたしは幸せです。このことは,どのように表現してみてもことばは追いつくことができません。

 この感動もさることながら,わたしは,もっともっと大きな感動を味わわせてもらいました。それは,エキシビションで滑ってみせてくれた「天と地のレクイエム」です。演技そのものとしては,こまかなミスがあったようです。が,それをも「演出」ではないかとおもわせるほどの,思いの籠められた滑りでした。羽生選手が,東日本大震災の「ツナミ」と「フクシマ」に全身全霊を籠めて,そこに意識を集中して滑っている「祈り」のようなものが,テレビ画像をとおしてわたしにも伝わってきました。

 おそらく羽生選手の強さの秘密はここにある,とわたしは感じました。「地震」や「ツナミ」や「フクシマ」の災害で苦しめられている人びとのことをおもえば,練習の苦しさなどは問題ではない,と。家・土地を失い,故郷を追われ,放射能に汚染され,癌に怯えながらの生活をおもえば,自分はなんと幸せなことか,と。フィギュア・スケートは自分が好きで選んだ道。その好きな世界での苦しみなど,なんと贅沢な話ではないか,と。東日本大震災の被災者のことをおもえば,自分の努力など取るに足りない,と。

 もっともっと自分自身を追い込んでいくことによって,異次元世界に突入していくこと,そして,そこでの演技を確実に実現してみせること,これこそがフィギュア・スケートで勝負することを決意した自分の宿命のようなものだ,と。そのための苦しさは苦しいほどたしかなものになる,と。そして,その苦しさの極限を通過してこそ,初めて東日本大震災の被災者たちに寄り添うことができるのではないか,と。

 こんなことを,「天と地のレクイエム」の滑りを見ながら,ひしひしと感じていました。

 ですから,グランプリ・ファイナルのフリーの演技として滑った「セイメイ」の凄さをも超え出ていくような,異次元世界をも超えていくような,「なにか」(etwas )を,「天と地のレクイエム」の滑りから感じました。それは,あえて言ってしまえば,ツナミに命を奪われた人びとの「死」や,いまも放射能に怯えながら「死」と向き合っている人びとへの「レクイエム」として,人間・羽生結弦選手がこころの底から祈っている姿をそこにみてとれたからです。

 羽生選手の演技は,もはや競技の世界を飛び出してしまっているのではないか。演技の前に,十字を切り,合掌する姿は,ふつうのトップ・アスリートたちがする所作とは,これまた次元が違います。神々と交信し,共鳴し合う,ことばの正しい意味での「遊び」をわがものとせんとしている人間の姿,といえばいいでしょうか。わたしにはそんな風にみえてきました。

 そして,ここが,羽生結弦選手の底知れぬ凄さの源泉ではないか,と。

2015年12月12日土曜日

異次元の世界に遊ぶ羽生結弦選手。緊張のなかの弛緩,みごと。

 テレビの放映をみる前に,ネットで「世界最高点を更新」という情報が流れていましたので,いったい,どんな滑りをしたのか,と楽しみにしていました。

 グランプリ・ファイナルともなれば,選手たちの緊張感も極限に達していることは,だれの眼にも明らかです。ファイナルに選ばれた6人の選手たち全員が,ことしの最後の滑りにすべてを賭けてくるのは必至です。しかも,一発勝負です。失敗は許されません。ショート,フリー,それぞれ一回ずつの演技ですべては決まります。緊張するなという方が無理な話です。

 今夜(11日)のファイナルを見ていても,みんな顔が引きつっていました。そんな中で,意外に冷静に集中していたのが,やはり羽生選手でした。例によって,十字を切り,そして合掌する「祈り」の儀礼を済ませてリンク中央に立つ,ここまではいつものとおり。音楽が鳴りはじめてもしばらくはポーズをとったまま。演技がはじまる寸前に顔がアップになりました。そのとき,羽生選手は軽く鼻をすすり,呼吸を整えました。これを見た瞬間,ああ,なるほどと納得しました。あまりの緊張を,あえて解きほぐすための,意図的な意思をそこにみたからです。

 案の定,羽生選手は上半身の力みをまったく感じさせない,ゆったりとした長い腕の動作が,緊張どころか余裕すら感じさせる演技の入り方をしました。いつもよりも脱力された柔らかい腕の動きをみていて,これは大丈夫だ,と確信しました。他の選手たちが,みんな緊張のあまり腕に力みがみえていたのとは対照的でした。

 とくに,ショートの前半の腕の動作は,どこにも緊張など感じさせないみごとなものでした。緊張するなと言っても緊張するファイナルの舞台です。もちろん,羽生選手が緊張していないはずはありません。演技前のインタヴューでも,世界チャンピオン・フェルナンデスの演技の前の滑りなのでプレッシャーがかかっている,とみずから発言しているくらいですから。裏を返せば,いい滑りをして,フェルナンデスにプレッシャーをかけたい,ということでもあるのですから。

 羽生選手は,この極限に近い緊張と,うまく折り合いをつけながら,ゆったりと滑りはじめました。選曲といい,演技内容といい,滑り出しの緊張を解きほぐすにはもってこいのものだった,と言っていいでしょう。とりわけ,腕の力みがなく,むしろ,しなやかに,柔らかい動きがとても美しくみえていました。逆に言えば,極度の緊張のなかでの上半身の弛緩ができている,これがすべてだ,とわたしはうっとりと眺めていました。

 この羽生選手の演技に比べると,フェルナンデス選手の演技は,正反対でした。選曲も演技内容も,歯切れのいい腕の動作を要求するものでした。ですから,逆に気合が入りすぎ,からだの力みが表出してしまい,からだ全体がガチガチになっているのが,手にとるようにわかりました。その瞬間に,勝負あった,とおもいました。間違いなく,羽生選手の「世界最高点更新」の演技がフェルナンデス選手にとっては大きなプレッシャーになっているな,と感じました。

 結果は,ご覧のとおりです。

 演技後のインタヴューで,羽生選手はつぎのように応答しています。
 「ものすごく緊張しました。が,その緊張している自分がみえていました。その分,冷静さを保つことができたようにおもいます」と。

 異次元世界に「遊ぶ」とはこういうことなのだろうなぁ,とおもいました。「遊ぶ」とは,緊張度が高ければ高いほど,その質も高まるというものです。緊張のない「遊び」は面白くもなんともない,のは周知のとおりです。最高の緊張の中での「遊び」こそが最高のものであり,それこそが「異次元」世界の不可欠の前提条件でもあります。

 羽生選手は,いよいよ,この異次元世界に遊ぶことのできる,数少ない,神に選ばれたアスリートへの仲間入りをはたしたようです。

 二日後のフリーの演技を楽しみにしたいとおもいます。

2015年12月11日金曜日

食欲がでてきました。小食の効果?

 小食をこころがけるようになってから,なんだか食欲がでてきました。これが,小食の効果なのかはよくわかりません。が,小食の結果,どうやら胃腸がフル回転することなく,いくらか休めるようになったことが功を奏し,胃腸が元気をとりもどしたのではないか,と勝手に想像しています。

 これがほんとうだとしたら,とても嬉しいことです。

 なんと言っても,わずか1年5カ月の間に,胃は三分の二切除,肝臓は三分の一切除したのですから,胃腸に相当のダメージがあったことは間違いありません。

 それにもまして,最大のダメージだったのは,抗ガン剤による副作用で味覚が麻痺してしまったことだ,とわたしは感じています。最初の胃の切除手術をしたあとの経過はきわめて順調でした。味覚も大丈夫でした。食欲もありました。しかし,抗ガン剤を服用するようになってから,あっという間に味覚が麻痺してしまいました。なにを食べても味がしません。ご飯にいたっては「砂」を噛んでいるような感覚でした。ですから,まずは食べたくない,拒否です。でも,少しでも食べなくてはという強迫観念にとらわれ,必死で食べました。が,多くは食べられません。かろうじて「梅干し」や味の強い「漬け物」は味がありましたので,それを頼りにしていました。

 抗ガン剤の服用をやめたあとも,味覚の麻痺はつづきました。それは,二回目の肝臓切除手術後も,ほとんど変わりませんでした。仕方がないので,あれこれ試してみた結果,ご飯に「寿司酢」をたっぷりかけてやると,いくらか味がすることがわかり,もっぱら,この方法でご飯を食べることにしました。が,それが,ようやく最近になって,「寿司酢」がなくても,ご飯本来の味が少しだけもどってきました。これはいいな,とおもっていましたら,こんどはなんと「空腹」を感ずるようになりました。

 もちろん,健康だったころの空腹感に比べればまだまだ弱いものにすぎませんが,それでも,たしかに「なにか食べたい」という欲望が湧きはじめていることは間違いありません。おやおやと驚きながらも喜びでいっぱいです。でも,食べすぎないように気をつけなくてはなりません。やや控えめに食べておくと,すぐにまた空腹感がやってきて,気分をよくしています。

 なぜなら,からだが空腹を訴えているということは,なにかが足りないから補給せよというからだからのサインだかです。そのサインを無視して我慢すると,その不足分を,からだのなかに備えてある予備分で賄おうとします。これが,むかし習った「生体防衛反応」というやつで,いざとなるとここにスイッチが入ります。ここにスイッチが入ると,当座の命を維持するためのからだのあらゆる機構が働き始めます。

 広い意味での「恒常性(ホメオスターシス)維持」機構が総動員されるというわけです。ということは,「免疫」に関する機能もフル回転をはじめます。その結果,免疫力も高まることになります。つまり,生命を維持する機能のレベルがアップすることになります。

 ですから,むかしから,一日に一度は胃腸を空っぽにして空腹を味わえ,そういう人は健康そのものだ,といわれてきました。これは,単なる経験知ですが,それには立派な根拠があったという次第です。

 小食の効果は,この空腹感を引きだし,食欲をもたらし,かつ,免疫力を高める,というところにあったとしたら,これは一石三鳥です。

 もうしばらくの間,様子をみてみたいとおもいます。
 楽しみが増えました。

2015年12月6日日曜日

「朝になったら死んでいた」。理想的な「幕引き」。

 「朝,見にいったら死んどっただげな」。こんな会話を子どものころにはよく耳にしたものです。田舎の小さな禅寺で育ったわたしは,村の衆がどんな風にして死んでいったのか,という情報はふつうの農家の子どもたちよりかなり多かったようにおもいます。ときには,死んだ人を寺の本堂に一晩,寝かせておいて,翌日,焼き場に運ぶということもありました。そういうときには,襖ひとつ隔てた部屋に,わたしたち兄弟3人が寝ていました。夜中にトイレに行くときには,棺桶の横をとおります。小さな村のことですので,生前の顔もよく知っています。

 「ケンちゃんとこのおばあさん,死んじゃっただげな」
 「うん,昨日の夜も,ちゃんとご飯を食べて寝ただげな」
 「そういやぁ,食べる量はどんどん少なくなっていたっちゅうに・・・」
 「ほうだらぁのん。あんなに痩せちゃっとったでのん」
 「骨と皮しかなかったでのん」

 こんな会話が繰り返されていたことを,昨日のことのように思い出します。そういえば,当時(敗戦直後)の村の衆は,みんな痩せていました。体重が16貫(60㎏)もある人は,数えるほどしかいませんでした。とくに,年寄りはみんて痩せていました。
 
 みんな農家ですから,食べ物に特別に困っていたわけではないはずです。しかし,贅沢をしたり,腹一杯食べる習慣はなく,「腹八分目」がそれとなく実行されていたようにおもいます。つまり,みんなつつましく暮らしていたのです。

 病気になっても医者には,よほどのことがないかぎり行きませんでした。その代わりに,むかしながらの民間療法がほどこされていました。こういうときは年寄りの出番でした。ほとんどの家は,医者に診てもらうほどの余裕がなかったようです。ましてや,街中の病院に入院するなどということは,余程のことがないかぎり,村ではほとんどありませんでした。みんな多少のことは我慢して耐えていたのです。

 貧しい農家では,「年寄りは無駄飯を食うな」ということが平気で言われていました。「一膳しか食べさせてもらえんでのん」とグチをこぼすお年寄りも少なくありませんでした。

 そんなお年寄りが,あるときから,ほとんど食事をしなくなってしまうことがあります。こういう話題もすぐに村中を駆けめぐります。
 「〇〇さんとこのおじいさん,一口くらいしかご飯を食べんだげなぞん」
 「そういやぁ,このごろみるみる痩せてきたのん」
 「どっか悪いんじゃないかのん」
 「ほんでもどっこも痛いところもないだげな」
 「それでも,あんなに痩せちゃったじゃぁ,長いことはないのん」

 こんな会話が交わされるようになると,日を経ずして「朝,見にいったら死んどっただげな」という話になります。

 『どうせ死ぬなら「ガン」がいい』(宝島新書)の対談者・中村仁一×近藤誠たちによれば,こういう話はむかしからたくさんあって,こういう事例はほぼ間違いなくガンだったのではないか,とのことです。ガンは発症しても本人も周囲も気づきません。病状が進行しても,痛みもありません。ただ,やせ細っていきます。そして,食欲もなくなっていきます。その結果,文字どおり,骨と皮だけになって,最後は眠るようにして死んでいく,と。

 これはガンによる「自然死」に違いありません,とお二人の意見は一致しています。もし,これが事実だとしたら,ぜひとも,あやかりたいものだとおもいます。

 むかしの偉いお坊さんは,死期を自分で定め,「生き仏」(「生き菩薩」)となることをめざした,といいます。その方法はかんたんです。断食をし,水だけを飲んで痩せていき,坐禅をしたままこと切れることを理想としました。

 こんな真似はわたしにはできませんが,ガンが進行していって,徐々に食欲が落ちていき,食べる量も減り,骨と皮だけになって,朝になったら死んでいた,これならできそうです。そして,これこそが,いまのわたしに与えられた「自然死」そのものではないか,といまは心底おもうようになりました。

 これができたら,ちょっと,格好よすぎかも・・・・・(笑い)。
 でも,いいなぁ。憧れます。

2015年12月4日金曜日

通夜式。東京ルンペンクラブ(登山)時代の友人が逝く。

 昨年の夏,わたしの胃ガン手術後の経過を心配してくれて,「励ます会」を開いてくれた友が,さきに逝ってしまった。昨夜(12月3日),通夜式があった。かれも同じ時期に「おしっこの出が悪くなるガン」(彼はそれ以上のことを語らなかった)で余命を宣告されていた(X年以上生存する確率はY%と予告されたと彼の弁)。かれは手術を拒否して,親からいただいたからだを生きる,と元気よく語っていた。そして,手術を受けたわたしを心配し,「おれよりさきに死ぬなよ」と励ましてくれていた。そのかれがわたしよりもさきに逝ってしまった。

 人生というものはわからない。

 ちょっとことばにならない感慨がある。あえて言うとすれば,「こんなものなのかなぁ」というところ。寂しいといえば寂しい。かといって悲しいかといえば悲しくはない。もうちょっと生きていたってよかったろうに・・・・。でも,そうもいかないんだよな・・・。だから,「こんなものなのかなぁ」となる。言ってしまえば,自分の身に起きたことのように「ぼんやり」と感じられるのだ。それは,わたしが手術を受けることにしたときとおなじように「ぼんやり」としたものだ。

 もちろん,手術を受けるとなれば,こころは千々に乱れる。そして,いろいろ考える。しかし,最終的には,「ぼんやり」と「こんなものなのかなぁ」というところでみずからのこころを落ち着かせる。そうしないと,前に進まないからだ。というより,前に進むうちに,こころは落ち着いてくる。いや,「ぼんやり」してくると言った方が精確かもしれない。そして,身を委ねることができるようになる。

 お別れというものは必然だ。だから,かならず,いつかは,こういう日がくる。自分がさきか,友人がさきか,その前後が異なるだけだ。それも,自分たちの意思ではなく,それを超越したところの「力」によるものだ。この人間の意思を超越した「力」の存在が,わたしの中で次第に大きくなりつつある。もう,ここまできたら,この「力」に身を委ねるしかない,と心底考えるようになった。

 昨夜の通夜式の間も,「ぼんやり」とそんなことを考えていた。立派な読経のできるお坊さんだった。うっとりとさせられるほどの読経だった。浄土真宗の,とても音楽的な,それでいて気持ちの入った,聞いていて心地よいみごとな読経だった。久しぶりに聞いたこころに響く,素晴らしい読経だった。この「響き」にこそ読経の大事な意味があるのだなぁ,とこれまた「ぼんやり」とおもっていた。

 読経の「響き」は,まるで,人間の意思を超越する「力」に向かってひとすじの道筋をつくっているように,わたしには聞こえてきた。人間という小さな「ミクロコスモス」と,それを超越する「力」というおおきな「マクロコスモス」との間に橋わたしをする,そういう「響き」に聞こえてきたからだ。それは意味不明のことばの羅列であるお経だからこその「威力」というべきか。つまり,「呪文」と同じなのだ。「呪文」など,なんの意味もない,と近代の科学的合理主義を信ずる人びとは笑うだろう。しかし,わたしは笑えない。なぜなら,そこに科学的合理主義では説明不能なある「なにか」(Etwas)の存在を感ずるからだ。

 ああ,これで故人となった友人も,こころおきなく旅立つことができるなぁ,と素直に嬉しかった。これでいいのだ,ともおもった。こういう読経に出会えたのも,故人の持ち合わせていた「ご縁」というものだ。よかったなぁN君,とこころの中で声をかけた。なんだか,正面に飾られた遺影がにっこりと笑ったようにおもった。

 たんなる錯覚だと人は笑うだろう。しかし,それは違う。わたしにとっての「真実」はこれだ。人がなんと言おうが,かれは笑った。わたしにとっての「詩と真実」はこれだ。ゲーテのことばを引き合いに出すまでもないだろう。人はこうして自分にとっての「真実」に命を賭ける。それが生きるということの内実なのだ。N君もまた,そういう命を生き切った人だ。

 昨年夏の「励ます会」での,N君のいつもにも増して大きな声と明るさは,どこか達観したものが感じられた。立派としかいいようのないものがあった。

 今日の告別式は,諸般の事情で欠礼する。その代わりといっては変だが,このブログを書いている。自分のこころを納得させるために・・・・。そして,いま,気づいたことだが,時計をみたら,まさに,いま読経が行われている時間だ。これもまた,偶然ではない。シンクロにシティだ。だから,このブログをもって,わたしから貴君への鎮魂歌としたい。

 南アルプスは光岳(テカリダケ),そこの「あの」お花畑で待っていてくれ。
 そこで再会しよう。楽しみにしているよ。

2015年12月1日火曜日

いま,辺野古では国家(=アベ政権)による「暴力」が野放しにされている!!

 いま,辺野古では,連日,国家による「暴力」が野放しにされたままになっている。早朝から,おじい,おばあたちが座り込みをして,裁判の結果がでるまでの間の,工事の中止を訴えている。それを,問答無用とばかりに,本土から送り込まれた機動隊が情け容赦なく「ごぼう抜き」にして排除し,工事をつづけている。なかには怪我人もでて,救急車で病院に運ばれる人もでている。無抵抗の「非暴力」の座り込みをしている老人たちを。

 一方,辺野古の海では,海上保安庁の保安員たちが,小さなカヌーを漕いで抗議している沖縄県民の人びとを海に突き落とし,海中に頭を押さえつけたりして,過剰な警備(=暴力)を行っている。カヌーを漕いでいた人に「死ぬかとおもった」と言わせるほどの,しつこい「暴力」である。こんなことが国家の名のもとで平然と行われている。

 これらの「暴力」行為は,連日,写真入りで,『琉球新報』や『沖縄タイムス』では大きく取り上げられ,詳細に報道されている。沖縄県民にとっては大問題となっていて,日本政府に対する不信感はますます増大するばかりだ。知らぬは本土でのほほんと平和惚けした生活を送っている本土のヤマトンチュだけである。

 なぜか。本土の大手メディア(全国紙,テレビ,など)は,この事実を一切無視して,蓋をしたまま伝えていないからだ。日本政府にとって都合の悪い報道をすると「偏向報道だ」と,すぐに政府自民党から強烈なプレッシャーがかかる。そのプレッシャーのかけ方も,日毎に露骨になってきている。この事実すらもほとんど報道されてはいない。しかし,SNSでは,大問題になっていて,大きな論議を生んでいる。

 テレビからは,名だたる評論家(正論を吐く人)たちが,つぎつぎに姿を消している。そして,政府自民党の都合のいいことしか言わない人だけが,テレビや新聞で生き残っている。いま,テレビに登場している評論家・解説者の部類は,すべて政府自民党の代弁者にすぎない。消された評論家たちはどこにいったのか。みんな,SNSで,FBやブログをとおして激しく抗議の声をあげている。多少の温度差はあるものの,それぞれの立場から,しっかりとした根拠を提示して,激しく政府自民党を批判している。

 しかし,残念ながら,SNSの情報とは無縁の生活を送っている人たちが,圧倒的多数を占めているのが現状だ。だから,アベ政権の支持率が,いまごろになってまたぞろ上がってきているという。この調査の方法も結果も怪しいものだが・・・。こうして,アベ・ファシズムはとどまるところを知らないまま,ますます凶暴化し,暴走しはじめている。

 ただ,唯一の救いは,若者たちの圧倒的多数は,新聞(全国紙)やテレビから離脱し,SNS情報に傾斜しつつあるということだ。選挙権が18歳までさがったけれども,この若者たちのうち,選挙権を重く受け止めている若者たちは,もっぱらSNSをとおして情報を収集し,真面目に勉強しているという。これもまた救いのひとつだ。こういう若者たちの輪が広がっていくと,これまでの選挙行動とはまた違った新しい展開が期待できそうだ。

 いま,辺野古で繰り広げられている「暴力」に対しては,さまざまな分野からの新たな批判が生まれていることも救いのひとつだ。たとえば,昨日(11月29日)は,日比谷野外公会堂では抗議集会が開かれ,そのあと銀座に向かって4500人がデモを繰り広げている。この情報を沖縄2紙は,一面トップにカラー写真つきで大きく取り上げている。辺野古のキャンプシュワブの抗議現場には,加藤登紀子や大江健三郎さんなどの著名人も応援にかけつけている。アフリカ・セネガルからやってきたヒップホップ集団<クルギ>も現場に駆けつけ,抗議の声を挙げている。アメリカの上院議員が辺野古で起きていることは,アメリカにもその責任の一端がある,とアメリカの新聞で発言したことも沖縄2紙で報じられている。また,アメリカの最大手の労働組合も,正式に抗議声明を発表した,という。その他,外国の学者・有識者たちの集団もまた,抗議声明を出している。

 こうした情報もまた,SNSでは,ごくふつうに流れている。もちろん,沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)では,いつも大きなニュースとして報じられている。これらの情報をまったく無視して,流そうとはしないのは本土のメディアだけである。いまや,本土は完全なる情報管理社会と化している。日々,戦時体制にますます近づいている。おまけに,「共同謀議」を取り締まる法案を議会にかける準備までしているという。こうなったら,もはや,おしまいである。

 アベ政権は,完全に,戦争をやる気でいる。そのための言論統制の備えを着々と進めているとしかいいようがない。だから,辺野古で野放しにされている「暴力」などは,アベ政権にとっては当たり前のことをやっているだけだ。これから,もっと厳しく取り締まる,そういう体勢に入りつつある。沖縄の離島にも自衛隊基地を増設したり,ミサイルの発射基地をつくろうとしていたり,矢継ぎ早やにつぎからつぎへと新手を繰り出してくる。

 70年前の戦争を記憶しているわたしとしては「恐ろしさ」で「からだがふるえる」思いである。だから,なんとしてでも辺野古の工事はストップさせなくてはならないし,基地廃絶に向けてわずかに残る命を役立てる以外にはない。そして,憲法9条を旗印にして,世界に向けて「不戦」を呼びかけ,「非暴力」こそが最大の「武器」であることを訴えていかなくてはならない。

 いま,それをしないで,いつ,可能なのか。気持ちばかりが焦ってくる。まずは,声を挙げていこう。できるところから。

2015年11月23日月曜日

重粒子線・陽子線治療(癌)という選択肢について。

 しばらく前のブログで,主治医から切除手術と抗ガン剤治療のふたつの治療法の提示があったことを書きました。すると,もう一つの選択肢があるが,そのことも検討してみてはどうか,という提案がありました。提案してくださったのは,むかしの教え子(ご主人がお医者さん)。

 選択肢は一つでも多い方がいい。そして,広い視野から検討した上で,最終的に自分の治療法を選択すべきだと考えましたので,早速,ご主人(N医師)に直接,お会いしてお話を伺うことにしました。場所は京都。これまでにも何回かお会いしたことがありますので,安心して,わたしのこれまでの経過と現状について,ありのままを報告させてもらいました。しっかりと耳を傾けてわたしの話を聞いた上で,あらかじめ用意してくださった印刷物を提示して,お話をしてくださいました。

 A4用紙に,「放射線治療」「重粒子線・陽子線治療」「ラジオ波治療」の3項目に分けて,それぞれの特徴,メリット,デメリットを,素人にもわかることばで解説がしてありました。いわゆる要点を整理したレジュメのようなものです。これを元にして,いろいろとお話をうかがうことができました。ありがたいことです。

 そこに書かれていたことの要点は,以下のとおりです。
 〔放射線治療〕・・・高エネルギーのX線をあてて,病変を治療。局所治療なので,全身への影響は少ない。が,一度照射した部位には再度(一定量以上)照射することはできない。治療法が確立されている。病変の種類により効果が違う。患部周辺に障害の可能性あり。被ばくあり。
 〔重粒子線・陽子線治療〕・・・炭素原子や陽子を使用し患部を照射する。放射線治療にくらべて副作用が一般に少ない。保険適用ではないので,かなりの高額の費用がかかる。治療施設が限定。被ばくあり。
 〔ラジオ波治療〕・・・AMラジオなどの周波数に近い周波数約450キロヘルツの高周波のことで,他の医療機器(電気メスなど)に使用される高周波と同じものを使用。身体に対するダメージが少ない。適用範囲が限定される。被ばくなし。

 これらの情報を元にいろいろのお話を聞かせていただきました。なるほど医療の最先端は日進月歩で,つぎつぎに新しい治療法が開発されているのだ,ということがよくわかりました。

 帰りの新幹線の中で,いろいろと思いをめぐらせながら,さて,どうしたものかと沈思黙考。問題は,わたしの癌がどういう性質のものであるのかを見極めることだ,という点に到達。が,こればかりは推測はできても断定はできない,そういう種類のものだ,ということも思考の中に入れて,さらにその先を考える以外にはありません。

 そのポイントは,これまでの経過をみるかぎりでは,初発が胃癌,転移が肝臓,そして,肝臓にもう一度,という具合に「一点」ものであるということです。つまり,転移が同時多発的に拡散するのではなく,一点ずつ発症しているということです。ということは,ダルマ叩きではないですが,一つ叩くと,つぎにまた別のところからダルマが顔を出す,というそういう種類のものらしいと考えることができそうです。

 だとしたら,一つずつ,しかるべき治療法を用いて対応していけばいいのか,あるいは,もう少し別の視点からの治療を考えた方がいいのか,判断がむつかしいところです。

 もう一点は,わたしの癌の場合は,どうやら速いスピードで病変する種類のものではなさそうだ,ということです。どうやら,ゆっくりとやってくる癌であるようにおもわれることです。だとしたら,のんびりとやってくる病変のスピードに合わせて付き合うという方法もありかな,と考えたりします。つまり,QOL(Quolity of Life )。

 まあ,いずれにしても,もう一つの選択肢が加わったことによって,わたしの思考の幅が広がりました。これらを含めて,もう,しばらく,じっくりと考えてみようとおもいます。

 N医師には,ご多忙のなか,わたしのために時間を割いてくださり,幾重にも感謝する以外にありません。ありがたいことです。少なくとも,精神的には,以前よりは安心して,冷静に考えることができるようになりました。これだけでもありがたいことでした。いずれまた,困ったときには相談に行きたくなるようなお人柄のN医師との距離が縮まったことがありがたいことです。

 こうして,多くの方々が心配してくださっていることを,なによりも感謝しなくてはいけないとみずからに言い聞かせている今日このごろです。これも「大きな流れ」のなかでのできごとと受け止め,おおらかな気持ちで,最終的な決断をしようとおもっています。

 とりあえず,直近のご報告まで。

2015年11月21日土曜日

末期癌を生きる。そのからだとこころ。

 2014年2月に初発の癌がみつかり(胃癌),切除手術。つづいて2015年7月に肝臓への転移がみつかり,切除手術。最初のときが,すでにステージ3のCという診断。転移した段階で,ステージ4に突入。すなわち,末期癌患者の宣告を受けました。短期間の間に二度もの大手術を受け,からだもこころもボロボロ。このダメージは筆舌に尽くしがたいものでした。

 いま,ようやく回復期に入って,さあ,これからという段階でまたまた肝臓の別のところに転移がみつかり(10月),さて,これをどうするかと思案中。主治医(外科)も,さすがに三度目の手術には慎重になり,いくつもの治療法の選択肢を提示してくれました。が,最後はご自分で決めてください,とのこと。

 それを受けて,いま,いろいろの人に相談したり,本を読みまくったり,と慌ただしい生活を送っています。この間にも,わたしのからだとこころは微妙に変化しています。揺れ動くからだとこころ,と言えばいいでしょうか。でも,その割には,自分で言うのも変ですが,意外に本人はケロリとしています。ここにきて,腹が決まりはじめているようです。

 基本的には,大きな流れに身を委ねる,という心境です。いまさら,じたばたしたところでどうなるわけでもありません。いま,肝臓の末端に転移した癌が,これからどのような動き方をするかはだれにもわからないのですから。ここはじっくりと自己と向き合い,そのからだとこころの声に耳を傾けながら,それなりの結論を導き出してみようとおもっています。

 まあ,それにしても1年5カ月の間に二度の手術を受けますと,人間,すっかり様変わりをしてしまうものです。いまや,まるで別人です。外見は,少し痩せたね,と言われる程度ですが,内面はまるで別世界を生きているというのが,わたしの正直な実感です。

 まずは,からだ。癌の宣告を受ける前までは,病気とはまるで縁のない,健康そのものの生活を送っていましたので,記憶に残るような病人のからだというものを経験したことがありませんでした。いまは,そのま逆のからだを生きているのですから,不思議な体験の連続です。たとえば,全身のいろいろの部位から日替わりメニューのように,いろいろのサインが送られてきます。それをどのように読解したらいいのかわかりません。仕方がないので,サインが出てくる元の原因を考え,それに対応するのが精一杯。

 いま,一番多いサインは,胃腸と背中。胃腸は食事をすると,必ず,なんらかのサインを発してきます。まずは,心地よいか,違和感があるか,を知らせてくれます。違和感がある場合には,その原因をあれこれ推測しながら考えます。そして,思い当たることがあればそれに対応して,つぎからはそうならないように気をつけるようにします。それらはじつに微妙なサインも含めると数えきれないほどです。背中にいたっては,まさに日替わりメニューのように痛む場所が転々と移動します。これはいったいなにごとだろうか,と最初は考えあぐねました。が,最近は,だいぶベテランになってきましたので,このサインはこれこれ,こんどのサインはこれだな,という具合にある程度は判断できるようになってきました。こうして毎日,四六時中,からだと会話を交わしていると言っても過言ではありません。

 つきは,こころ。癌については以前から関心がありましたので,かなりの本を読んでいました。たとえば,帯津良一さんの本はほとんど読んでいました。つづいて,近藤誠さんの本もセンセーショナルな内容でしたが,言っていることの根本はよくわかりました。ですから,最初の癌の宣告を受けたときには,手術を受けるべきかどうか相当に考えました。が,それほど動ずることはありませんでした。ただ,「来たか」という驚きはありました。もっとさきにあるとおもっていたものが,手のとどくところにきてしまったか,という一種の感慨のようなものでした。

 それからも癌の本は集中して,かなり読みました。しかし,癌というものの全体像はかなり明確になってきましたが,わたしの「こころ」の問題に応答してくれる本は,あってもほとんどピントがづれていて,役立たずでした。むしろ,いま,そうだったのか,と気づいて再読をはじめているのは『般若心経』であり,道元さんの『正法眼蔵』であり,『修証義』であり,はたまた西田幾多郎の本です。そこに,なんとフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェやマルチン・ハイデガーやジョルジュ・バタイユが加わり,一気にジャン=ピエール・デュピュイやジャン=ピエール・ルジャンドルへと連鎖してきています。そして,この人たちにはある共通点があることもわかってきました。ひとことで言ってしまえば,それは「ドグマ」。あるいは,「人間的生存の基底」。はたまた「演出」。つまりは,ルジャンドルの世界に回帰してくるというわけです。

 そして,つまるところ,こころの拠り所というものは自分で決めるしかない,ということ。それが正しいとか,間違っているとかは問題ではなく,いま,このとき,このところにおいて,わたしは「かく考え,そこに信をおく」ということ。すなわち,わたし自身がこころの底から納得するかどうか,ただそれだけ。古いことばを使えば,それは「信心」。いな,これこそが宗教の核心。「信ずる」ということが,どれほど大きな意味を持っているかということが,ようやくわかってきたようにおもいます。

 でも,まだまだ,どのように変化していくかはわかりません。道元さんのことばを借りれば「修証一等」です。つまり,死ぬまで悟りと修行の連続ですから。

 ここまで書いてきて,ふと,脳裏をよぎるのは,やはり『修証義』の第一節です。これもまた道元さんの名文の一つです。

 「生を明らめ,死を明らむるは仏家一大事の因縁なり,生死の中に仏あれば生死なし,但生死即ち涅槃と心得て,生死として厭うべきもなく,涅槃として欣うべきもなし,是時初めて生死を離るる分あり,唯一大事因縁と究尽すべし」。

 「生死を離るる分あり」ということばが,不思議な響きとともにこころにすとんと落ちてきます。よし,これで行こう,と。

2015年11月19日木曜日

「空腹」のすすめ。免疫力を高めるために。

 「癌」という字をよく見れば,「病だれ」に「品物」の「山」。
 つまり──食品を,山ほど食べれば,癌になる──という戒めなのです。

 『かんたん「一日一食」!!』(船瀬俊介著,講談社文庫,2015年8月初版)のP.306.からの引用です。散歩がてらの書店でみかけ,タイトルをみて,この本大丈夫かな,と首をかしげながら中味を拾い読み。やはり怪しいなぁとおもいながら第4章もめくってみる。ここから一気に正攻法。それまでは,もっぱら「体験談」で,いわゆる「ツカミ」の部分。しかし,第4章には,わたしをこころの底から納得させる理論が展開されていました。即,購入。

 「腹八分で医者いらず」
 「腹六分で老いを忘れる」
 「腹四分で神に近づく」
 (P.25.)

 むかしから言われてきた俚言です。科学とは無縁の「経験知」が生みだした智恵の産物です。このむかしの人の智恵が,最近の科学によって立証されるようになってきました。しかし,近代医学(西洋医学)と近代栄養学は,人間機械論の立場に立っていますので,むかしの人の智恵とはま逆の考え方をしています。すなわち,粗食ではなく,栄養価の高いものを,バランスよく,カロリーを計算して,一日3回食べなさい,というわけです。

 その結果は言うまでもなく「過食・運動不足」による肥満の大量生産です。要するに,からだが必要としない余分な栄養分も取り込み,それらが消費されることなくどんどん体内に蓄えられていくというわけです。この過剰な栄養が,じつは,からだには「毒」となり,病気の誘因になっている,と著者の船瀬氏は力説します。だから,減食をして,「空腹」を楽しむようにすれば,余分な栄養である「体毒」は燃焼したり,体外に排出されたりして,健康体をとりもどす,と。のみならず,「空腹」が免疫力を高めるので,悪い病気にとりつかれることも激減する,と説きます。

  この理論的根拠が,第4章にこってりと書き込まれています。そのごく基本的な考え方について述べておきますと,以下のとおりです。

 人間には,もともと「ホメオスターシス」(恒常性維持)という機能がからだに備わっている。からだをつねに一定の状態に保つはたらきのこと。たとえば,体温調節はその代表的なものの一つ。暑いときには汗をかいて体温を放出する,寒いときには身震いして熱を産出し体温を保つ,というわけです。これらは,自分の意思とはなんの関係もなく,からだのなかに備えられたホメオスターシスという仕組みが,自然にはたらくというわけです。このような仕組みが神経系(交感神経と副交感神経)やホルモン系(アドレナリン,インシュリン)をはじめ,からだを一定の状態に保つために,じつに巧妙に張りめぐらされています。

 このホメオスターシスのはたらきこそが,世間でいうところの免疫力であり,自然治癒力というわけです。しかも,このホメオスターシスをフル回転させ,万全の体勢を整えるためのウォーミング・アップが「空腹」状態だ,というのです。つまり,空腹はからだに「生体危急反応」を起こさせ,からだによくない危急状態に備えるのだ,というのです。もし,骨折したり,下痢をしたりしたときには,まずは断食をすることが一番なのだ,と。断食をすることによって,自然治癒力がフル回転し,骨折も下痢も自力で治してしまう,というわけです。

 まさか,骨折は断食とは関係ないだろう,と多くの人は考えます。しかし,シートンの『動物記』に,しばしば登場する狼は,骨折すると穴を掘ってその中にからだを隠し,骨折した前足を入口のところに出して砂をかけて一週間から10日ほど飲まず食わずでじっとしています。そとに出した前足の砂は雨に濡れて固くなり,ギブスの役割もはたしている,といいます。これだけで,狼は骨折が治るまでじっと断食をして待つ,という次第です。

 下痢の場合は,食べないでおくことが一番だ,ということは説明する必要はないでしょう。ことほど左様に内臓疾患の場合には,薬よりなにより,断食が一番だ,と船瀬氏は力説します。しかし,医者にかかると薬を与えられ,それを飲みます。すると,折角の持ち合わせの自然治癒力を発動させる機会を失い,ますます免疫力は低下していく,というわけです。

 そのもっとも典型的な事例が「風邪」です。市販薬がたくさん出回っていますので,自分で適当に薬を買ってきて飲用することは,もはや当たり前のようになっています。しかし,風邪もまた断食をして,自力で治すのが一番。そうすれば,免疫力が高まり,風邪が大流行しても,ひとり超然としていられるというわけです。

 この本は,基本的には,ファスティング(断食,減食,小食,など)によってデトックス(体毒の排出)し,「自己浄化」をめざすことを,微に入り細にわたり,ていねいに説いています。そして,どのような段階を踏んで,一日一食に到達するかを説いています。いきなり断食をしたり,小食にしたりするのではなく,自分のからだの声に耳を傾けながら,「空腹」を楽しめ,と説いています。このあたりのこともふくめて,わたしにはとても納得のいく一冊でした。

 ので,早速,手短にできるところからはじめることにしました。まずは,「空腹」を楽しむことから。つまり,一日に一回は「空腹」の時間をセットして,空腹を感じながら,「いいぞ,いいぞ」と声をかけ,「いま,ホメオスターシスにスイッチが入ったぞ」「さあ,来いっ!」と自作自演の演出を楽しんでいます。何カ月後には,たぶん,一日一食に到達することができるな,という確信のようなものも,いつのまにか芽生えてきています。

 「癌」という文字を筆で書いて飾り,「山のように食べてはいけない。病気になるぞ!」と言い聞かせながら・・・・。

2015年11月18日水曜日

パリ燃ゆ。後方支援の根っこが攻撃されたということ。いまや,戦場にならないところはない。

 こころを鬼にして,あえて書くことにしよう。

 マス・メディアをはじめ,世は挙げて「パリ市民の犠牲者に哀悼の意を表します」の一色のみ。それ以外の意見はすべて闇の中。ネットで,乙武さんのように勇気ある発言をすると,寄ってたかって「袋叩き」。議論すら許さない。

 この国の「一億総狂気化社会」はすでに完成している,としかいいようがない。
 同じように「国際社会」(このことばそのものがうさんくさいが)も,完全に「狂気」と化している。

 「9・11」のときもそうだったが,相手側からの攻撃を受けたところから,すべての物語がつくられていく。今回もまた同様。パリ市民が攻撃されたというこの一点から,今回の物語がつぎつぎにつくられている。欠落しているのは,なぜ,このような事態が生じてしまうのか,という問いだ。

 この問いには,完全なる蓋をしなければならない,大きな理由がある。

 「9・11」も,今回の「パリ燃ゆ」も,もとを糺せばアメリカが育てた武装集団による攻撃であるからだ。当初は,アメリカが武器も資金も与え,アメリカの役に立つ武装集団として育てあげたものだ。そして,アメリカのために大きな貢献をしたにもかかわらず,最後は,うっとうしくなってきて,なんの報償も与えることなく見捨ててしまった。武装集団の怒りの減点はここにある。以後,アメリカに対して徹底抗戦にでる。となると,こんどはアメリカの攻撃の対象にされる。しかも,圧倒的な武力の差のもとで一方的な空爆に曝され,一般市民をも巻き添えにした「無差別大量殺戮」の犠牲が日常化することになった。

 ことの経緯や詳しいことは,志葉玲(フリージャーナリスト・「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」事務局長)氏,安田純平(フリージャーナリスト)氏,伊藤和子(弁護士・国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長)氏,らのネットで展開しているFBやブログで確認されたい。

 たとえば,志葉氏はつぎのように訴えている。

 「不平等がテロを生む」
 どこかの国は人を殺してもいいのに,
 どこかの国が人を殺すとテロと言われる。
 この不平等がテロを生む大きなファクターになっている。
 どこの国だろうと国際法違反の犯罪を許さないということが必要だ。

 ここで言う「国際法違反の犯罪」を犯しているのは,アメリカを筆頭とする「有志国」であり,テロ集団だ。しかも,その犯罪の大きさは圧倒的に「有志国」である。この事実に蓋をし,無視する「国際社会」とはなにか。そして,自分たちは間違っていないとし,「正義」を主張してさえいる。こうなってくると,もはや,「狂っている」としかいいようがない。

 また,伊藤和子氏はつぎのように訴えている。

 アメリカやフランスの残虐さを棚に上げて「イスラム国」を邪悪だと言う。
 どれだけイラク戦争や空爆で市民が殺されたか。
 イラク政府による人権侵害について誰も何も言わない。
 国際社会を構成している大国は見て見ぬふりだ。
 人権侵害が追及されない。
 イスラエルの責任は追及されない。
 「イスラム国」だけが邪悪なのか。

 カナダは,ついに,「対ISの空爆」から離脱することを発表。
 この勇気ある決意に賛同する国家が陸続と現れてほしい。

 日本国は,アメリカ様・フランス様の主張を全面的に支持し,これからも全力で「協力」する,と声高らかに宣言した。これで,一気に,東京が「戦場」と化す可能性が高まった。後方支援の根っこを絶つ,ということはこういうことだ。

 国際法違反の犯罪を犯している「有志国」とそれを支援する国家は,もはや,戦場にならないところはない。いつ,なんどき,どこを攻撃されても文句は言えない。いまや,日本国民全員が,国際法違反の犯罪者の片棒をかついでいるのだから・・・・。

 この自覚・認識なくして,ただひたすら「パリ市民の犠牲者にこころから哀悼の意を表します」などと,のうのうと言える圧倒的多数の日本人(もちろん,「国際社会」も)は,もはや「正気の沙汰」とはいえない。

 この「狂気」が「ファシズム」を生んできた。過去の歴史を学ぶべし。

 いま,わたしたちはこういう時代・社会を生かされている,このことを肝に銘ずべし。

 東京が戦場になる。その日は遠くない。

 いたるところを赤・白・青の三色でライトアップしている無邪気な人たちに,その覚悟があるとはとてもおもえないのだが・・・・・。

2015年11月16日月曜日

これは新しい「戦争」のはじまりだ。テロも空爆も殺人行為。そこに「正義」はない。

 「無辜のパリ市民を無差別に殺すなんて・・・」とパリ市民は怒っている,と新聞が書いている。ほんとうにそうだろうか,とわたしは首をひねる。ほんとうに怒る資格があるのだろうか,とわたし。フランスがシリア(IS) の空爆に軍隊を送り出しているのは,パリ市民のみなさん,あなたがたなんですよ。その空軍が「無辜のシリア市民を無差別に,しかも<超大量に>殺戮している」という事実はご存じですよね。しかも,ときには「誤爆」までして・・・・。その責任は,パリ市民のみなさんにあるのですよ。

 こんな風に書き出すつもりはなかった。なのに,いつのまにか指が勝手に動いている。不思議だ。どうやら,わたしは,いま,本気で「恐怖」におののいているらしい。なぜなら,いずれ,近い将来,東京でも同じことが起きる,と痛切に感ずるからだ。つまり,わたしたちは「集団的自衛権」の行使容認を止めることができなかったからだ。このままでは,アベ総理は間違いなく自衛隊を海外に派遣し,戦闘に参加させることになるだろう。それが日々,現実味を帯びてきている。だから,わたしは「恐怖」におののいている。

 そうなれば,こんどは東京がIS の攻撃のターゲットになる。そのことは間違いない。しかも,絶好のターゲットになる。そのときに,「無辜の東京都民を無差別に殺すなんて・・・」と言えるだろうか。言う資格があるだろうか。ない。いや,あるもないもない。なぜ? それはまったく新しい「戦争」のはじまりだから。戦争による殺人行為は犯罪ではなく,当たり前のことだから。

 もし,かりに,日本の自衛隊の活動が後方支援に限定されたとしても,その先端では空爆による大量無差別殺戮が行われ,「無辜のシラク市民が無差別に」殺されているという現実に変わりはない。となれば, IS からすれば,後方支援であろうがなかろうが,戦争に加担するかぎりすべて「敵」であることに変わりはない。しかも,後方支援を絶つ,のは戦略の大原則だ。ここを叩かないことには勝ち目はない。だから,前線よりも後方支援の方がより危険度は高いとさえ言われている。

 第一,東京が IS の絶好のターゲットになる理由は多すぎる。一つには,東京は丸腰の無防備に等しい,ガードの甘い都市だということ。二つには,東京五輪2020が控えていること。つまり,世界の注目を集めやすいということ。三つには,多くの外国人観光客がやってくること。四つには,すぐ近くに原発があること。あるいは,日本全国に原発があること。ここがテロのターゲットになったら,終わりだ。五つには,地下鉄,高速道路,新幹線といった交通網はスキだらけであること。というより安全確保はほとんど不可能に近いということ。六つには,日本人IS 要員は少なくないこと。等々,数え上げていけば際限がない。

 つまり,明日は我が身だ。そのことを考えるから,わたしはパリ市民の反応,そして,国際社会(これが問題だが)の反応に,それも「衝撃的だ」という反応に,首をかしげてしまう。もちろん,日本のマスメディアの報道の仕方にも。

 わたしたちは,無差別空爆の下で,どれだけ多くの無辜のシリア市民が犠牲になっているか,この目で確認することができないだけだ。SNS で映像を確認しようとしても,例外的に市民が逃げまどっている映像がほんのわずかに確認できるだけだ。大半は闇のなかだ。そして,マス・メディアが報じている映像は,爆弾が投下される場面と,それが命中したかどうか,という映像しか目にすることはできない。つまり,そこで犠牲になっている「人間」の姿を確認することはできない。

 だから,シリアでどれだけ多くの人びとの命が犠牲になっているのか,それもじつに無惨に殺されているか,という事実を「視覚的に」とらえることはできない。その結果,なにごともなかったかのように錯覚をしてしまう。空爆の下でどのようなことが起きているのかという想像力すら失っている。つまり,感性が欠落したままなのだ。

 ひるがえって,ある日,突然,パリ市民が攻撃を受け,目の前で犠牲になっていく人びとの姿を見て,そのあまりの残虐性に驚き,怒りをあらわにする。自分たちの犠牲には過敏なほどに反応するが,シリアの市民の犠牲にはほとんど無感覚なままである。しかも,その空爆は,自分たちの「意思」で行われていることも忘れて・・・・・。

 要するに,テロも空爆も立派な「殺人行為」なのだ。そして,それぞれの立場で,その殺人行為を正当化している。しかし,殺人行為に「正義」はない。だから,これは新しい「戦争」のはじまりなのだ。「テロとの戦争」とはこういうことなのだ。自分たちが攻撃しているときは当たり前のような顔をしていて,いざ,こちらが攻撃されると大騒ぎをする。「9・11」も同じだ。

 もう一度,言っておこう。戦争に「正義」は存在しない。あるとしたら,両方にある。だから,殺人行為が繰り返される。ただ,それだけだ。

 今日はここまでで留め置くことにする。この問題は,書かなくてはならないことが多すぎる。

 でも,ひとつだけ書いておこう。わたしたちは戦争に加担してはならない,ということ。つまり,集団的自衛権の行使は阻止すること。そして,積極的に「不戦」を誓うこと。そのためにこそ「憲法9条」がある。それを守ることこそが「人間の尊厳」を守るということだ。このことだけは肝に銘じておきたい。

〔付録〕
IS を生み,育てたのはだれか。それが,なぜ,反逆行為をはじめることになったのか。
IS を支援している「死の商人」たちがいる。それはだれか。そして,なぜ?
この問いを解いていくと,とんでもない世界が忽然とその姿を現すことになる。いずれまた。