2015年6月29日月曜日

癌転移の治療計画が決まりました。もう一度,復帰をめざします。

 6月29日(月)午前9時。予約どおり主治医さんとの面談。第一声。局所的なものでした,と声に力がある。そこから始まって縷々,細かな説明がありました。その上で,どうします?と。わたしとしては,局所的なものであれば,切除手術,全身転移であれば,少し時間をかけて考える,と方針を決めていましたので,その場で即決。切除手術をお願いします。

 そうとなれば,早速,その準備をしましょう,ということで現場の担当者たちとの打ち合わせ・段取りに入る。つまり,執刀医,麻酔医,その他のスタッフの手配,手術室の予定,病室の確保,などなど。その間,わたしは廊下のベンチで待機。

 ということで,一気に入院・手術に向けて始動。主治医さんが院長さんでもありますので,その手際のよさは抜群。どんどんことが運んでいく。その間,待っている時間に採血,レントゲン,心電図,と済ませ,さらに,問診票への記入をしたり,とこちらの方も忙しい。

 やがて執刀医の先生との面談,麻酔医の先生との面談,いずれもとてもいいお人柄であることがわかり,大いに安心。よし,この人たちにすべておまかせしようという気持になる。ここのところが,じつは,とても大事。ここに不安があったら前へは進めない。わたしの気持がほぐれたのを察知してか,だんだんと表情が柔らかくなり,しまいには笑顔も。わたしもつられて饒舌になってしまう。これで,すっきりした気分で手術を受けることができる。これがなにより。

 そうして,最後にふたたび主治医さんとこんごの具体的な治療計画(スケジュール)の詰め。その結果,以下のように決まりました。

 7月2日(木)午前9時。血液検査。手術に向けての特別の検査らしい。
 7月4日(土)午前9時。CT検査。患部の詳細についての最終チェック。そのまま入院。
 7月7日(火)午前9時。切除手術。

 順調にいけば3週間ほどで退院できるでしょう,とのこと。

 たしか,前回の手術のときも,順調にいって「約3週間」と言われた記憶がある。それを「10日」で退院した実績がある。ならば,このたびも,あわよくば予定よりも少しでも早い回復をしてみようと,すっかりその気になる。気持が前向きになることは,この際,大事だ。よし,あの痛みに耐えて,必死で歩いたことが功を奏したとすれば,痛みなどなんでもない。ぐっと耐えればいい。

 ここで,前回の経験が生きてくる。息が止まるほどの痛さは3日ほど。あとは,徐々に痛みは軽くなっていく。その3日を耐えればいい。なんだか自信満々。夢よもう一度。

 とまあ,そんな前向きな気分で帰宅しました。

 というようなわけですので,どうぞ,ご安心ください。取り急ぎ,ご報告まで。

2015年6月28日日曜日

アベ独裁は時間の問題か?小選挙区制の呪縛からの解放。支持率39%からさらに低下すれば・・・・。

 アベ独裁がますます露骨になってきた。みるにみかねた自民党の長老たちが,ポツポツと政権批判をはじめた。が,まだまだ手ぬるい。若手議員たちの間にも不満が鬱積しているという。しかし,だれひとりとして大きな声を挙げる若手議員はいない。むしろ,足並みを揃えたかのごとく貝のように押し黙っている。なぜか。

 理由はかんたんだ。すべては,小選挙区制にある。その呪縛力の強さだ。

 小選挙区は,原則として,党の推薦は一区一人だ。このたった一人の党推薦を,まずは確保しなくてはならない。だから,つぎの選挙に向けて,現職議員たちは神経をとがらせている。なにを措いても,党の推薦を受けて公認候補になりたいからだ。

 そのためには党の執行部に睨まれるようなことはしてはならない。だから,個人的には不満があっても,党執行部を批判するような言動はさしひかえるということになる。それどころか,党執行部にすり寄ってさえいく。つまり,自発的隷従。

 それが自民党となれば,ますます露骨だ。アベ政権が高支持率を維持しているかぎり,この権力にすり寄っている方が無難だ。たとえ,それが独裁専横であろうとも,そこはじっと我慢。そして,党の推薦を受けて公認候補として選挙を戦う方がはるかに有利だから。

 その表れのひとつが,自民党若手議員たちの勉強会だ。いわゆる「アベ・ポチ」集団。その名も「文化芸術談話会」。このネーミングをみてついつい笑ってしまう。政治家が「文化芸術」の勉強をするかのように見せかけているからだ。その母体はなにを隠そう自民党の極右を支える「日本会議」。現在のアベ政権の6割の閣僚がこの会議に所属しているという。もちろん,アベ君もそのメンバーのひとり。

 その「文化芸術」を勉強する会の講師に招かれたのが,あの悪名高き「百田尚樹」。「沖縄2紙はつぶしてしまえ」の暴言をはじめ,事実無根の沖縄県民を冒涜する発言の連発。知性のかけらもない。そのレベルの低さは想像を絶するものだ。

 その沖縄2紙は,ただちに「抗議声明文」を発表。徹底抗戦の構えをみせている。とんでもないところから火種が生まれ,アベ政権も自民党本部も大慌て。野党も千載一遇のチャンスととらえ,アベ政権攻撃の手を緩めない。

 こんなことが起こる前に,新聞の世論調査が,ついにアベ政権の支持率が39%に下落した,と報じている。そろそろ,つぎの世論調査をやってもらいたいものだ。おそらく,アベ政権の支持率はもっと下落しているだろう。こうなると,その勢いは止まらなくなる。あっという間に支持率が低下し,政権の影響力も地に堕ちてしまうだろう。

 このときが,アベ独裁が倒れるときだ。そして,小選挙区制の呪縛が無効となるときだ。そして,つぎの権力へと移行していく。

 その意味で,支持率は重要な鍵をにぎる。アベ独裁に対する国民サイドからの批判の声を挙げる絶好のチャンスが到来した。

 憲法違反と専門家が口を揃える安全保障法案を,どんなことがあっても「強行突破」させてはならない。その前に,なんとしてもくい止めなくてはならない。

 いよいよ重要な局面を迎えることになった。

2015年6月27日土曜日

「みるく世(ゆ)がゆやら」。知念捷君(17)の詩の朗読に感動。

 6月23日の「慰霊の日」に挙行された追悼式で,自作の詩を朗読した知念捷君(17)の印象が鮮烈だった。随所にちりばめられた琉球語はまったく理解できないのに,なぜか,わたしのこころの奥深く染み込んでくる。だから,いまも,時折,YOUTUBEで,繰り返し知念君の詩の朗読の部分だけに,じっと耳を傾ける。不思議なことに涙が流れてくる。

 なにがなせるわざなのだろうか,と考えてしまう。これは理屈を超えている。理性の手のとどかない次元の問題だ。人間のこころを打つのは,その次元だ。

 知念君の落ち着きはらった,清々しい態度,顔,透きとおった声,あふれくる感情を抑制しつつ,そこに深い思いをこめる詩の朗読。そして,その途中に織り込まれた「琉歌」。意味はなにもわからないのにわたしのこころを「ぐいっ」と鷲づかみにする。そして,陶酔させられてしまうその声,旋律。なにが起きているのだろうか,とわが耳を疑う。しかし,まぎれもなく遠いどこかにわたしをまるごと誘ってくれる。そして,ふたたび詩の朗読にもどる。

 まるで浦島太郎のような気分だ。

 この知念君の詩の朗読を聞いてしまうと,翁長知事の静かな気魄のこもった平和宣言も,どこか霞んでしまう。なぜか。それは理性のレベルでの深い感動と共感をともなうものではあるが,それ以上ではない。よくぞここまで覚悟を決めて言い切ってくれた,という感動と共感のレベルなのだ。ましてや,アベ君の祝辞は,まったくとってつけただけのことばの羅列を,ただ,朗読するだけだ。そこに人間としての気持が籠もっていない。だから,「戦争屋,帰れ!」と怒声がとぶ。それにうろたえ,泳いだアベ君の眼だけが印象的だった。唯一,人間アベが露呈したからだ。

 やはり,詩のもつ力,琉歌に籠められたさまざまな情感,言ってしまえば芸能の力,これに勝るものはない。それを,また,みごとに演じきってみせた知念君の力量。恐るべし。だから,何回,聞いても,そのつど新たな感動をよぶ。不思議な力が満ちあふれている。

 このときの様子を,沖縄タイムスがネットをとおしてつぎのように伝えている。あまりの名文なので,そのまま書き写しておく。(沖縄タイムス,6月24日 06時00分配信)。

 鎮魂の思いを込めた古(いにしえ)の歌が夏の風に乗り,人々の胸に届いた。

 「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世(ゆ)や やがて嘆(なじ)くなよ臣下 命(いぬち)ど宝」

 追悼式で自作の平和の詩「みるく世がゆやら」を朗読した与勝高校3年知念捷君(17)。第1連の琉歌は,「つらね」と呼ばれる独特の節をつけて歌い上げた。凛(りん)とした響きに会場は一気に引き込まれ,呼応するように指笛や拍手も起きた。

 「琉歌には沖縄の人の悲しみも喜びも,価値観もアイデンティティーもすべて含まれる。心に伝わるものがあったらうれしい」。琉球舞踊などの素養があり,「緊張することなく思いを表現できた」と涼やかな笑顔で話す。

 詩では「みるく世がやゆら(今の世は平和でしょうか)」との問いかけが静かに繰り返される。参列者はうなずいたり,目を閉じたりしながら,思いを巡らせている様子だった。

 試作に駆り立てたのは,戦争で夫を失った祖父の姉の姿。会場には,同じような年代のお年寄りも多数詰め掛けた。「戦争が終わってから70年たっても,悲しみを背負っている人がこんなにいると感じた。少しでも寄り添いたい」と誓う。

この記事を読みながら,わたしはふたたび涙する。沖縄にはこんな文章の書ける記者がいる。持ち合わせているハートが違う。沖縄の底力,恐るべし。高校教員や県庁の役人や新聞記者のなかから芥川賞作家や詩人がいくらでも輩出する地力が沖縄にはある。芸能人,しかり。知念君もそういう系譜につらなる逸材に違いない。

 だから,わたしは魅せられてしまうのだ。もう一度,繰り返すが,それは理性の力ではない。芸能の力だ。

2015年6月25日木曜日

最悪の選択。新国立競技場の最終案。クレージーとしかいいようのない決定。

 だれが,いつ,どこで,どのような議論(検討)をして,このような最終結論に達したのかまったく不透明なままだ。いつもの密室会議。つまり,だれも責任を取らなくてもいい決定の仕方をしたということだ。裏を返せば,まことに無責任きわまりない決定,としかいいようがない。しかも,最悪の選択をしてしまった。それは,まるで,つくってはいけない原発を新たにつくるにも等しいような決定だ。つまり,悔いを千歳に残す決定ということだ。

 数日前,下村文部科学大臣が,わざわざ記者会見して,槇文彦案も含めて再検討をする,と柔軟な姿勢をみせた。ようやくザハ案のかかえる問題の大きさに気づき,賢い落としどころを見出そうとしているのかな,とささやかな期待をいだかせた。わたしは,個人的には,この段階にあっては槇文彦案がベストだと考えていたので,なおさら,大きな期待を寄せていた。

 しかし,その夢はわずか数日で儚くついえ去ってしまった。文部科学大臣の,やらずもがなの世を憚る単なるフェイントにすぎなかったと知り,その落胆も激しかった。

 6月24日の東京新聞夕刊が一面トップにこの問題を取り上げた。そのことは大いに是としたいが,紙面の制約と記者の力量不足とが相俟って,なんとも陳腐な記事になってしまっている。まことに,残念。なぜなら,問題の本質を取り違えてしまって,ひたすら経費の問題に矮小化してしまっているからだ。金の問題も重要だが,それ以上に見過ごしてはならない大問題が,今回の決定の背景に隠されている。そこのところに焦点を当ててほしかった。

 問題は,悔いを千歳に残す,取り返しのつかない選択をした,というその一点に絞るべきだっだ。要するに担当記者の取材不足。つまり,新国立競技場はだれのためのものなのか。そして,それをだれが,どのように活用していくのか。近未来の日本にとって新国立競技場のはたすべき役割はなにか。などなど,こういう思想・哲学的な視点をまったく無視した「決定」に対して,ジャーナリスティックな批評を展開してほしかった。

 新国立競技場に関する問題の所在をひとことで言ってしまえば,こんな巨大な建造物をつくること自体がすでにして「時代錯誤だ」ということにつきる。つまり,ロンドン五輪のメイン会場の3倍(予算規模では4倍)にもなる特大サイズと奇抜なデザインをもつ競技場を神宮外苑という歴史的風致地区に建造することの意味はもはやなにもない,ということだ。槇文彦さんが指摘しているように,2050年の日本の人口の推移,そこから想定される国民総生産力を考えると,もはや右肩上がりの発想はありえない,とわたしも考える。むしろ,最初から解体可能な,つまり,順次,解体して競技場を縮小していく,そういう競技場を志向すべきなのだ。

 どうしても8万人収容したいのであれば,それはそれでやり方はいくらでもある。その案もいくつも提案されている。経費も安く,しかも工期も短くできる案だ。それらをすべて蹴って,ザハ案を約2割縮小した案で押し切った。これが,最悪の選択,とわたしが断じる最大の根拠だ。

 なぜ,最悪の選択なのか,その理由の主なものだけを箇条書きにして挙げておこう。

 1.維持管理費が膨大なものとなり,赤字経営となることがだれの眼にも明らかであること。
 2.その赤字を埋め合わせるために巨大なイベント(たとえば,コンサート)を開催する,というがそんなことは不可能であること。
 3.つまり,スポーツの競技会(陸上競技,サッカー,ラグビー,など)とコンサートと併用することは不可能であること。第一,芝が育たない。枯れてしまう。毎回,芝を植え替えるとでもいうのだろうか。そのための経費,期間ははんぱではないこと。
 4.神宮外苑という歴史的景観が,巨大モンスターの出現によって,根底から破壊されてしまうこと。
 5.槇文彦案によれば,経費も工期も圧倒的に縮小できるのに,それを排除したこと。これから一年,議論してからでも間に合う(ラグビーW杯),と提案しているにもかかわらず・・・・。そして,なにより,国民的合意を形成することが重要だ,と提案しているにもかかわらず・・・。
 6.施工予定者(と新聞は書いているが)である大成建設と竹中工務店は,設計には協力するが,施工を引き受ける意思はない,と一部ではささやかれていること。つまり,二本の巨大アーチを建造する技術は橋梁建造によって培われてきたもので,これを地上で建造するとなるとさらなる技術開発が必要となり,時間も経費も算定できない,というのが建築エコノミスト・森山高至さんの主張だ。大手ゼネコンの腰が引けているのは,ここに原因があること。
 7.大手ゼネコンですら,予算をいくら積んでくれても採算がとれない,と踏んでいること。
 8.では,なぜ,こんなに困難な建造案にこだわるのか。そこに群がるハイエナのような闇の集団がたむろしているからだ。諸悪の根源はここにある。要するに闇取引が,あちこちで行われているということ。
 9.そのために,新国立競技場建造計画は弄ばれているということ。
10.その悪循環を断ち切るために構想され,国民的合意形成をめざす槇文彦案を,わたしは全面的に推奨したい。だが,これこそが利権を弄ぶことに関しては定評のある文部科学大臣がもっとも忌避したかったことに違いない。

 こうして,箇条書きにしていくだけでもエンドレスだ。ことほど左様に,新国立競技場建造にかかわる「陰の部分」こそが大問題なのだ。まさに,伏魔殿そのものだ。ほじれば,ほじるほどに,いくらでも問題がでてくる,恐ろしい世界だ。それらをすべてブルー・シートで覆い隠し,目の前の利害得失だけでことを処理しようとしている。

 この方法は,憲法を無視し,違憲法案を提出しておいて,なに憚ることなく「わたしは正しいと確信している」と言い切るアベルフ・シットラー閣下のやり方そのものだ。

 いま,政府自民党がやろうとしていることは,まさに,悔いを千歳に残すことばかりだ。この新国立競技場建造案(最終案)もその一つとして,重く受け止めなくてはならない。

アベ政権の支持率,急降下をはじめる。それいけ,ワッセイ。

 とうとう化けの皮が剥がれはじめたようだ。それもそうだろう。あれだけ嘘ばかりついてきたのだから,いかに善良なる国民といえども,そうそう騙されてばかりはいない。ちょっと変だよなぁ,という人が,やはり変だよ,に変わりはじめたということだろう。

 これから,まだまだつづく重要な国会討論をもっとしっかりと見極めていこう。アベ君は「丁寧に説明する」と言いつつ,いつも同じ自説を繰り返すのみ。安全保障法案を「合憲」とする確たる根拠も提示できないまま,もちろん,国民の大多数が納得しないまま,強引に議会の多数で押し切ろうとしている。その姿が次第に露骨になってきたので,これではいけない,と気づいた国民がここにきて急増しているようだ。

 朝日新聞社が20・21の両日に行った全国世論調査(電話)の結果が,その実態をみごとに映し出しているようだ。どの質問項目も前回(5月16・17日)の調査結果から軒並み下落している。それも著しい。わずか一カ月余にして,こんな急降下をはじめるとは,だれも予測しなかっただろう。あと,一カ月もすればもっともっと急降下していくだろう。

 アベ政権を支持しますか・・・・支持する39%。前回は45%。6ポイントの下落。政権維持の大きな目安の一つといわれる40%を,ついに割った。これは特筆すべきできごとだ。

 安全保障関連法案について・・・・賛成29%,反対53%。この差も大きすぎる。

 女性の動向はもっと顕著である。
 アベ政権を支持しますか・・・支持する34%。前回は42%。8ポイントの下落。戦争への危機意識は男性よりも女性の方がはるかに強いようだ。支持しないは37%。前回は31%。6ポイント増。ついに,不支持率が支持率を逆転した。

 安全保障関連法案は憲法違反であるか・・・・違反である50%。違反ではない17%。この圧倒的な「差」は尋常ではない。こここそが,今国会で議論すべき「肝」だ。国会は徹底して憲法論議をつくすべし。そして,法案提出の順序が逆であることを国民に周知徹底させるべし。

 順序としては,まずは,憲法改正を国民に問うべきだ。そして国民の承認を得たのちに安全保障関連法案を提出すべきだ。それが順序というものだ。ここを誤魔化して,無理矢理,閣議決定をして憲法解釈を正当化し,議席数を頼りに強引に押し切ろうとするところに「無理」がある。これでは道理がとおらない。

 その結果が,
 今国会での成立は・・・・必要ない65%(前回60%),必要である17%(前回23%)
という数字となって表れている。

 みごとに国民の良識・見識が機能している。この声に政府は謙虚に耳を傾けるべきだ。これを無視して強引に成立を目指して突っ込んでいけば,つぎの選挙で自民党・公明党はほとんどの議席を失うことになるだろう。そんなこともわからないのだろうか。それほどまでに議員として,いや,人間として「堕落」してしまっている,ということなのか。いや,狂ってしまっている,というべきか。

 このところのアベ君を筆頭に政府・自民党(それに公明党も)の議員さんたちは,どう考えてみても正気の沙汰ではない。みんながみんな狂ってしまうと,それが当たり前になってしまうらしい。恐ろしいことだ。

 23日の沖縄全戦没者追悼式でのアベ君の祝辞に対し,「戦争屋,帰れ!」という怒号が飛び交った。とたんに,アベ君の眼が泳ぎ始めた。久しぶりにみせた人間らしい顔であった。

 アベ君よ,その顔で政治と向き合ってほしい。沖縄県民の声を真摯に受け止めるとは,そういうことなのだから。珍しく眼が泳ぐほどに動揺したのだ。ということは,痛いところを突かれた,というまことに人間らしいハートがまだ残っているではないか。でも,坊ちゃんはそこから依怙地になって居直ってしまうんだよね。その直後の記者会見は,もののみごとにもとの鉄面皮にもどっていた。それは,もはや,人間の顔ではなかった。亡者の顔でしかなかった。

 でも,そういう顔をみせればみせるほど,アベ政権の支持率は間違いなく低下していく。いやいや,もっと加速するだろう。

 国民を甘くみてはいけない。

2015年6月23日火曜日

6月23日「沖縄全戦没者慰霊の日」。沖縄タイムス,毎日,東京の3紙を読み比べてみてびっくり仰天。

 沖縄タイムス,毎日,東京の3紙に見られるこの温度差はいったいなにか。開けてびっくり玉手箱・・・・というほどの驚きである。

 沖縄タイムスが,ほぼ全紙面にわたって「慰霊の日」関連記事で埋めつくしたのに対して,毎日も東京も眼を皿にして記事を探してようやくほんのわずかな情報を見つけることができるにすぎない。沖縄と本土のこの温度差は,もちろん,ある程度の予測はできたことだとはいえ,それにしてもひどすぎる。

 6月23日。沖縄のすべての戦没者を慰霊する日。

 3月26日の渡嘉敷島への米軍による沖縄戦の戦闘開始,そして,4月1日の沖縄本島への上陸作戦の展開,北谷町にはじまり首里城をめざして南下する米軍の作戦は,当時の最新兵器であった火炎放射器を用いて,あたり一面を焼け野原にする殲滅作戦だった。「ありったけの地獄をひとつにした」首里北方の前田高地の壮絶な戦闘を体験した外間守善さんの手記(『私の沖縄戦記』)が,わたしの脳裏から離れない。しかも,外間さんは敗戦を知らないまま9月までゲリラ兵として戦いつづけていた,という。

 このわずか半年足らずの間に,20万人余の人たちが命を奪われたのだ。しかも,尋常一様の死に方ではなかった。この悲惨な事実については,すでに,多くの媒体をとおして多くの国民の知るところだ。だから,ここでは繰り返さない。

 あれからことしで70年。節目の年だ。

 その重さを配慮してか,総理大臣,衆参議長,関係大臣,それに駐日米国大使,などいつもにも増して多くの要人がこの式典に参列し,挨拶をした。全式典の模様はYOUTUBEでみることができる(約1時間30分)。簡潔にして要を得た翁長知事による平和宣言を聞いたあとの,総理のむなしいことば遊び,衆院議長の漢字の誤読(おそまつ),などは聴くに耐えないものだった。

 そして,なにより光ったのは高校生による自作詩の朗読だった。詩の内容もさることながら,感情を抑制した朗読の説得力,詩の途中に織り込まれた歌唱力,などなど,わたしは強烈な印象をもった。こういうところにも,沖縄の底力が溢れている。芸能界に多くの人材が輩出する土壌が透けてみえてくる。つまり,まっとうな「人間」が育っているということだ。それは,ものの豊かさとは正反対のこころの豊かさがもたらす力だ。

 さてはて,明日の新聞各紙が,この模様をどのように伝えるのか,興味津々。

天保10(1839)年ころの菖蒲打ち(子どもたちの遊び)。

 月刊雑誌『SF』(体育施設出版刊)の6月号に掲載した,江戸時代の子どもの遊び「菖蒲打ち」を紹介したいとおもいます。隔月の連載で,これが第38回目になります。単純に計算して,年6回ですので,6年を超える長期連載となっています。まあ,素材はいくらでもありますので,もういい,と言われるまでは続けてみようとおもっています。


今回は,「天保10(1938)年ころの菖蒲打ち」がテーマ。掲載されたページをそのままアップしてみましたが,絵も小さいし,文字も小さくて読めません。仕方がないので,絵だけ大きくして,文章はもう一度,書き直して紹介してみたいとおもいます。


まずは,絵の拡大写真です。急いで複写をし,そのまま送ってしまったので,ピントが合っていません。残念。というより,恥ずかしい。これからは時間に余裕をもって,きちんと写真を撮って,チェックしなくては・・・と反省しています。

 菖蒲打ちという遊びを知っている人はもうほとんどいないとおもいます。が,敗戦直後の,おもちゃもなにもない時代には,子どもたちはみんな手作りの遊具を工夫して遊んだものです。それも自然の野草に手を加えて遊具にするのが主流でした。ありとあらゆる野草の葉っぱで草笛をつくって鳴らしました。絶対に鳴らないとおもわれる野草の葉っぱをみごとに鳴らした者が英雄でした。

 そんな,むかしからの遊びの一つが,この菖蒲打ちでした。それも五月限定の遊びでした。菖蒲の花が咲くころ,つまり,5月5日の端午の節句のころには,菖蒲湯を涌かし,父親は菖蒲酒を楽しみ,子どもたちは菖蒲打ちで遊ぶ,これは定番のようなものでした。この遊びが天保時代にはもっと盛んに行われていたと知ると,なんとも懐かしいものです。

 しかし,こうしたむかしからの慣習行動も,敗戦後の占領政策によってあえなく費えさってしまいます。アメリカ流の民主主義とアメリカ的な「生活の合理化」運動の推進によって,日本の古い慣習や年中行事がすべて封建主義の名のもとに排除されてしまったからです。

 菖蒲打ちをして遊んだのはわたしたちの世代が最後だったかもしれません。

 菖蒲は勝負の意。その葉は刀剣の形に似ていて,切ると強い香りを発します。菖蒲湯はその香りと成分によってからだが温まり,身が引き締まるようにも感じたものです。

 菖蒲打ちという遊びは,菖蒲の葉を三つ編みにして長い紐のようにし,それを地面に強く打ちつけます。すると,ビシッという鋭い音を発します。その音色のよさを競い合う遊びです。ポイントは三つ編みの技術と打ちつける技術の二つです。いい音色が出はじめると,ほどなく千切れてばらばらになってしまいます。そうなったら,また,すぐに新しく編み直して挑戦というわけです。「ビシッ」といい音色が響いたときの快感はたまりません。ですから,友だちと交互に必死になって地面に打ちつけました。こんな単純な遊びにこのころの子どもたちはみんな熱中したものでした。

 この図版には,歌川国芳が天保10(1839)年ころに描いた大判錦絵五枚組「雅遊五節句之内端午(みやびあそびごせっくのうちたんご)」と名前がついています。端午の節句はむかしから男の子の健康と出世を祈る祭日でした。とくに,初節句には親戚から武者人形,飾兜,鎧,青龍刀,などが贈られました。この風習はいまもつづいています。最近では「鯉のぼり」が人気のようです。

 天保年間でも「鯉のぼり」は人気があったのですが,防火の邪魔になるとか,華美に走りすぎるとして禁止されていました。ですから,この図版でも,室内飾り用の鯉のぼりが描かれています。鯉のぼりは,鯉の滝登りの故事にならい立身出世のシンボルでした。

 この図版をよくみると,ずいぶん太く菖蒲の葉が編み込まれていることがわかります。これは,たぶん,三つ編みにしたものを3本つくり,それをさらに三つ編みにしたものではないか,とこれはわたしの推測です。

 もっとよく見てみますと,強く打ちつけられた菖蒲の葉が千切れて散らばっています。後ろには大きな青龍刀をかついだ子どもと小さな鯉のぼりを手にした子どもが描かれています。左側奥には幟旗を固定する土台がみえていますので,この遊びは神社の境内で行われたようです。神社の境内は子どもたちの絶好の遊び場でもあったことが,ここからも窺い知ることがてきます。

2015年6月22日月曜日

「其帰依三宝とは正に浄信を専らにして・・・」。『修証義』第13節。

 其(その)帰依(きえ)三宝(さんぼう)とは正(まさ)に浄信(じょうしん)を専(もっぱ)らにして,或(あるい)は如来(にょらい)現在世(げんざいせ)にもあれ,或(あるい)は如来(にょらい)滅後(めつご)にもあれ,合掌(がっしょう)し低頭(ていず)して口(くち)に唱(とな)えて云(いわ)く,南無帰依仏(なむきえぶつ),南無帰依法(なむきえほう),南無帰依僧(なむきえそう),仏(ほとけ)は是(こ)れ大師(だいし)なるが故(ゆえ)に帰依(きえ)す,法(ほう)は良薬(りょうやく)なるが故(ゆえ)に帰依(きえ)す,僧(そう)は勝友(しょうゆう)なるが故(ゆえ)に帰依(きえ)す,仏弟子(ぶつでし)となること必(かなら)ず三帰(さんき)に依(よ)る,何(いず)れの戒(かい)を受(う)くるも必(かなら)ず三帰(さんき)を受(う)けて其(その)後(のち)諸戒(しょかい)を受(う)くるなり,然(しか)あれば則(すなわ)ち三帰(さんき)に依(よ)りて得戒(とくかい)あるなり。


この第13節はとてもわかりやすく,仏の道への入口の話をしています。そこからは道元の絶対的な自信と,その自信に裏づけられた余裕のようなものすら感じとることができます。仏の正しい教え(正法)を伝授され,さらに一歩,その真理を深めた境地から湧き出てくる不動の信念といってもいいでしょうか。

 まずは,第13節の冒頭から,わかりやすく読み下してみることにしましょう。

 仏法僧の三宝に帰依するということは,こころをまっさらにして(浄信),如来さまがこの世にいようがいまいが,あの世にいようがいまいが,そんなことは関係なく,ただひたすら合掌して頭を低くし,南無帰依仏,南無帰依法,南無帰依僧と口に唱えることなのです。

 なぜなら,仏は偉大なる師匠であるからこそ帰依し,その偉大なる師匠の教え(法)は良薬となるがゆえに帰依し,それを説く僧はすぐれた友であるから帰依するのです。

 つまり,仏弟子となるということは,この三つの宝(仏法僧の三宝)に帰依するということなのです。どのような戒(戒律)を受けることになるとしても,必ず三宝に帰依してから,そののちに諸戒を受けることになるのです。

 そういうことですから,まずは三宝に帰依することによって,はじめていろいろの戒を得ることができるようになるのです。

 第13節は,たった,これだけです。なんとわかりやすいことでしょう。

 これで終わってしまっては,なんともはや物足りないとおもわれますので,少しだけ補足の説明をしておきたいとおもいます。それは,「南無」と「帰依」ということばの意味についてです。

 まずは,「南無」。「ナンマイダー」「ナンマイダーブ」「ナンマイダーブツ」「ナムアミダーブ」などと唱えるときの「ナン」「ナム」が「南無」のことです。「ナンミョウホウレンゲキョウ」と唱えるときの「ナン」もまた「南無」です。つまり,お題目を唱えるときの冒頭に置かれていることばが「南無」です。

 では,いったいこの「南無」とはなにを意味しているのでしょうか。仏教辞典を引いてみますと,「南無」はサンスクリット語の namas を漢字で音写したことばである,と書いてあります。その意味としては,「帰命,頂礼,恭敬,敬礼,信受」などを意味する,とあります。これらの一つひとつのことばの意味はそれぞれに深い意味があるわけですが,それらの意味をすべてひっくるめたことばが「南無」だということです。だとすれば,「南無」とは,敬いの気持,あるいは畏敬の念を表するためのことばの冒頭につける挨拶ことばである,と考えていいようです。

 ここまでわかってきますと,南無阿弥陀仏とは,恭しい阿弥陀仏さま,と呼びかけていることばだということがはっきりしてきます。それがいろいろに音韻変化して「ナンマイダーブ」「ナンマイダー」「ナムアミダーブ」「ナンマイダーブツ」となったということもわかってきます。

 つぎは「帰依」です。「帰依」はサンスクリット語を漢語に意訳して,編み出されたことばである,と辞典には書いてあります。そして,「帰」とは,最終的にみずからの落ち着き場所に帰着すること,本来あるべきところにもどり落ち着くこと。「依」とは,なにかのかげを頼りにして姿を隠すこと,転じてなにものかを頼り,なにものかに依拠すること。

 したがって,「帰依」とは,優れたものに帰投し依伏すること,すなわち「信仰すること」,ということになります。

 これで,南無帰依仏,南無帰依法,南無帰依僧,と唱えることの意味もおのずからはっきりしてきます。恭しく敬い身もこころも投げ出して全身全霊で信仰いしたます仏さま,というのが「南無帰依仏」というわけです。以下,同じように「法」と「僧」にも誓います。これが「全身全霊」で「三宝」に「帰依」するということの意味となります。

 以上で第13節の読解は終わりです。

2015年6月21日日曜日

沖縄のことを語りたかったら,まず沖縄の新聞を読め。そして沖縄のラジオを聞け。まるで別世界だ。

 テレビや新聞で,沖縄のことをさも熟知しているかのように,しかも高みから,平然と論評するヤマトの評論家や知識人のなんと多いことか。わたしは,そのたびに,吼えている。もっと勉強してからものを言えっ!と。かく申すわたしとて,沖縄のことについては,まだまだうぶな初心者だ。にもかかわらず,たった一年余ながら,『沖縄タイムス』を読みつづけただけで,沖縄観がひっくり返り,世界観までひっくり返ってしまうほどの衝撃を受けた。

 本土に生まれ育ち,本土で得られる沖縄情報だけで構築される沖縄観が,いかに歪で,間抜けたものでしかなかったのか,このことをこの一年余の『沖縄タイムス』を読みつづけることによって,痛いほど知った。そして,ときおり,耳を傾ける沖縄のラジオから流れてくる不思議なテンポの会話を聞きながら,まだまだ,なにもわかってはいない,ということを思い知らされる。

 もう,ずいぶん前のことになるが,沖縄の写真家・比嘉豊光さんと,沖縄をこよなく愛し,沖縄のことを知りたいとおもっている本土の若者たちと徹夜で飲んだことがある。豊光さんも相当に酒量がかさんでいたこともあってか,とつぜん「お前らに沖縄のことがわかってたまるかっ!」と吼えて,号泣したことがあった。わたしたちはだれも手も足も出せないまま,静まり返ってしまった。ひと泣きしたあと,豊光さんは,そのままうっ伏して眠ってしまった。

 そのあと,残されたわれわれだけで,豊光さんの真意はどこにあったのだろうか,という話になった。たぶん,こうではないか,ああではないか,というとりとめもない話に終始した。が,結局は,だれもが納得できるもっともらしい回答は得られなかった。

 しかし,いまにしておもうと,ほんの少しだけ豊光さんの気持がわかってきたようにおもう。それは新聞をとおして学んだことも多いのだが,それ以上に,ラジオをとおして伝わってくる沖縄のひとたちの情感だった。つまり,その情感のよりどころが,本土のわたしたちのそれとはまったく違うということだ。それは,端的に言ってしまえば,ことばのイントネーションや沖縄独特の言い回しにあると言ってよいだろう。

 それは,たとえば,わたしで言えば,愛知県豊橋市の育ちなので,情感を籠めた語りとなれば「三河弁」をおいてほかにはない。もはや,法事のとき以外には「三河弁」と接する機会もほとんどなくなってしまったが,それでも「三河弁」を聴くとほっとするものがある。それは,高校を卒業するまで,どっぷりと浸りこんでいた「三河弁」の世界に,一瞬にしてもどることができるからだ。そして,なにより気持が安心するし,温かいものがからだの中を流れはじめる。この情感に支えられた「世界」は,ほかの地域とはまったくの別世界だ。

 これと同じことが,沖縄にも当てはまる,と考えればわかりやすいかもしれない。それでも,まだまだ,とても説明しきれてはいない。つまり,わたしたちが想像する沖縄とは,まったく別の世界がそこには存在しているのだ。豊光さんに言わせれば,そんなものとも,もっともっと違う世界が沖縄には広がっているのだ,と。そして,それをウチナンチュはきちんとからだごと共有しているのだ,と言うに違いないだろう。

 そうした別世界の「根っこ」にあるものが,わたしの想像では,たぶん,沖縄の「芸能の力」ではないか,とおもう。ざっくり言ってしまえば,歌と踊りだ。あの哀愁を帯びた沖縄民謡ときらびやかで美しく,それでいてもの静かな琉球舞踊。あるいは,エイサーのような勇ましく力強い男の舞い踊り。祝いごとには不可欠なカチャーシー。三線が奏でる自由自在な旋律とリズム。ウチナンチュのハートの根っこにはこれらの芸能の「力」がびっしりと埋め込まれている。と,わたしは考えている。

 この世界は,もはや,東京弁や標準語では語り得ない,遠いとおい存在なのだ。つまり,対象化して言語化することが不可能なものなのだ。すなわち,それらは,生まれ落ちたときからからだごと包み込み,徐々にからだの中に染みこんでいき,やがては,それを肥やしにし,バネにして表出してくる沖縄の芸能の「力」となる。そう,それは芸能の「力」としかいいようのないものに違いない。理性をはるかに超越した「情動」とでもいうしかない,ドロドロしてつかみ所のない,それでいて空恐ろしいような「力」の世界だ。

 わたしのイメージとしては,これもまことに勝手な言い方になってしまうが,沖縄は,まるで龍宮城のような世界,そんな存在のようにみえてくる。

 言ってしまえば,沖縄を「理性」だけで語ることはできない,ということだ。

 だから,本土の人間は,沖縄について「論評」はできても「批評」はできない。つまり,無責任で勝手な「論評」(コメント)はできても,全生涯をかけた,あるいは,全体重をかけた「批評」(クリティック)はできない,ということだ。

 この壁を超えるためには,まずは,沖縄の新聞を読むべし。これだけで,あっと驚く体験をすることができる。加えて,ラジオを聴くべし。その奥深くには,もう,気の遠くなるような懐の深さを垣間見ることになる。そして,そのさきのさきには芸能の「力」がうごめいている,そこに触れて初めて沖縄の底力のなんたるかを知ることになるのだろう。

 沖縄の民意が,辺野古新基地建造反対にまとまり,党派を超えた「オール沖縄」の結束が可能となったのも,そういう深い深い「根っこ」を共有できているからに違いない。翁長知事が,自民党出身の政治家でありながら,沖縄の政治のあり方に関しては,その呪縛を解き放ち,「オール沖縄」に居場所を見出したのも,この「根っこ」を分かちもつ,根っからのウチナンチュであるからだ。

 わたしたちヤマトの人間は,そういう世界からあまりに遠いところにきてしまった。「根っこ」を失い,「茹でガエル」に慣れきってしまったヤマトンチュは,もはやゼロから思考をリセットするしかない,とウチナーをみていると,そうおもう。

 いまや,ウチナーはヤマトの師匠となった。教えを乞い,学ばなければならないことが山ほどある。これが,わたしが沖縄の新聞を読み,ラジオを聞いた経験をとおして到達した,現段階での結論である。こののち,また,この見解は変わるかもしれないが・・・・。

2015年6月20日土曜日

『沖縄タイムス』をネット購読して1年余が経過。批評性が高く,魅力的。カラーも多く,記事も面白い。

 沖縄を代表する2紙,すなわち『琉球新報』と『沖縄タイムス』が面白いと聞き,一カ月ほどネットの無料サービスで両紙を読み比べてみて,最終的に『沖縄タイムス』を選んだ。『沖縄タイムス』を選んだ理由はさほどの根拠はない。言ってみれば判官贔屓。『琉球新報』の方がなんとなく上位であるかのような余裕が感じられたのに対して,『沖縄タイムス』はなんとかして追いつき追い越そうとしているような気魄が感じられたからだ。つまり,後追いの印象のあった『沖縄タイムス』の方が必死さが伝わってきたからだ。

 あれからもう一年以上が経過している。『毎日新聞』も,ほとんど同時にネット購読をはじめ,紙媒体は『東京新聞』だけ。つまり,この一年余は,それぞれ視点の異なる3紙を読み比べている,という次第。それぞれに特色がでていて,読み比べてみるとまことに面白い。

 この3紙で比べてみると,面白いのはだんぜん『沖縄タイムス』。なにが面白いかというと,「沖縄」という立地条件に恵まれた地方紙としての情報が満載であるからだ。とりわけ,一面トップを飾る情報が際立っている。つまり,沖縄県民として,もっとも大事な情報はこれだ,というものが如実に表出しているからだ。ちょっとオーバーに言えば,社命をかけている,と言っても過言ではない。それは,おそらく対抗する新聞『琉球新報』との勝負を賭けた一か八かのジャーナリスティックな博打勝負に打ってでるかのような気魄すら感じられる。それほどに気合十分な記事が一面トップを飾っている。その点は,『琉球新報』とて同じだ。だから,沖縄県民にとって,もっとも重要な情報はこれだ,というものが手にとるようにわかる。

 しかし,当然のことながら,大事件になれば,沖縄2紙も,毎日も東京も全部同じニュースが一面トップを飾るということになる。しかし,日常的には,これら3紙ともに一面トップの記事はみごとに分かれている。そこに,3紙の立ち位置のようなものがはっきりとみえてくる。そこが面白い。とりわけ,沖縄県民のまなざしをとおしてみえてくる重要な情報はなにか,ということが『沖縄タイムス』からは如実に伝わってくる。そのまなざしは,これまでのわたしにはなかったものだ。だから,この一年余は,わたしにとっては日々新たな自己との出会いでもあった。

 その沖縄的まなざしは全紙面にわたって見受けられるものでもある。そのうちのもっとも際立ったものは「訃報」欄。この欄の情報の分量ははんぱではない。沖縄2紙ともに,まず,間違いなく,毎日,どこかの紙面の全面のスペースを使って「訃報」だけが掲載されている。沖縄の人に聞いてみると,この情報はとても大事で,毎朝,まっさきに開くのはこのページだという。そして,友人,知人,恩人,職場の関係者らの「訃報」がないかどうかをチェックするのだそうだ。そして,ちょっとでも関係のあった人の「訃報」がでていたら,かならず,だれかに頼んで香典を包むという。その額は関係の深さにもよるが,「1000円」からあるとのこと。つまり,額の多寡ではなくて,そのつながりが大事なのだという。

 ここからみえてくることは,沖縄の人びとの日常的な人間関係の重要さだ。というか,とても密度の濃い人間関係がそこにはいまも生きているということだ。たとえば,人の名前を呼ぶときも,名字ではなく下の名前を呼ぶ。でないと,同じ名字の人がどこにでもいるので,混乱してしまうのだ。年齢性別に関係なく,たけしさん,ゆみこさん,と呼ぶ。近しい関係であれば,たけちゃん,ゆみちゃん,あるいは,たけし,ゆみこ,と呼び捨てになる。そして,その呼び方をしても,けして人を傷つけることのない温情のよくつたわる独特のイントネーションがある。

 この人間関係の密度の濃さは,たとえば,スポーツ面にも表れている。プロ野球やサッカーのようなメジャーな情報は,本土とほとんど同じだが,違うのは,沖縄出身の選手が活躍すると必ず記事になるという点だ。もう一つは,ローカルなスポーツの大会の記事がこと細かく掲載されている点だ。聞いてみると,それらの記事を追っていくと,たいてい一人や二人,だれかの甥や姪,弟,妹,などの名前が見つかるのだそうだ。それも楽しみの一つなのだ,と。そして,中には,中学生の将来有望なランナーが現れたといって写真まで掲載されることもある。とくに,九州大会で優勝すると,写真入りの記事になる。そして,そのことを県民みんなが誇りにおもうというのだ。

 そこからみえてくることは,同じローカルな情報でも,沖縄は一つに結束している,ということだ。たとえば,わたしは愛知県出身だが,浅田真央や鈴木明子といったスケート選手たちを,敬愛はするけれども,郷土の誇りだとはほとんどおもわない。鈴木明子は,同じ豊橋市の出身なので,いくらか郷土愛的なものを感ずる程度で,それ以上ではない。活躍していて立派だなぁ,くらいのものである。だから,新聞を読んでいるだけでも,沖縄県民の郷土愛の強さがひしひしと伝わってくる。この感覚がなんともいえない心地よさを伴う。そして,どことなく羨ましくもある。

 さてはて,もっとあっさりと『沖縄タイムス』の面白さを紹介できるとおもっていたら,どっこい,そうはいかないということがわかってきた。これ以上のことは残念ながら,割愛するしかない。でも,もう少しだけ。もっと面白いのは,地域の祭りやエイサー大会や闘牛などの記事だ。わたしのような本土の人間であっても,それらの記事を読むと,でかけて行ってみたくなるから不思議だ。そういう読者のこころをくすぐるような記事の書き方になっているのだ。ただ,こんな催し物がある,という単なる紹介ではないのだ。そこに,味を引き立てる薬味のようなやさしい情感が籠もっている。記事があたたかい,のだ。

 要するに,沖縄に特化した地域密着型・生活密着型の情報がふんだんに盛り込まれているのだ。だから,本土の中央紙に慣れ親しんだ人間には,こんな新聞があるのかと驚いてしまう。それは本土の地方紙ともいささか趣が異なる。本土でいえば折り込み広告になるような衣料や食品などの広告が,沖縄では新聞紙面を飾っている。一見したところ,どうして?と不思議でもあるが,そうではない。日々の食材を購入するときの重要な情報が新聞をみればわかる。しかも,その日の物価の動向もひとめでわかる。衣料でも同じだ。買い手に情報(知識)があるから,売り手もバカなことはできない。

 ことほど左様に,沖縄の新聞は面白い。そして,これだけは書いておかなくてはならないことがある。それは新聞の発する「批評性」がきわめて高いということだ。つまり,徹底して是々非々の姿勢を貫いていて,事実をありのままに書いている点は,本土の新聞の遠く及ばない点だ。さすがの自民党政権も,沖縄の新聞をコントロールするところまではいっていないようだ。もっとも,そんなことをすれば,たちどころに新聞が書き立てるだろうから,藪蛇というところ。ここでは,正しい意味でのジャーナリズムが生きている。その点,沖縄2紙が競合していることがいい結果をもたらしているようにもおもう。

 たとえば,辺野古で,その日に起きていることはじつに詳細に,連日,報じている。わたしなどは『沖縄タイムス』をとおして,辺野古の大事な情報のほとんどを得ている。本土の中央紙のほとんどがスルーしてしまい,遠く及ばない点だ。もちろん,戦争法案についても,本土の新聞とは,その主張の仕方がまるで違う。戦後70年もの長きにわたってずっと米軍基地と向き合って生きてきた人たちが受け止める戦争法案の意味は,本土の人びとのそれとはまったく次元が異なるからだ。言ってしまえば,つねに「エッジ」に立たされて,ぎりぎりの生活を耐え抜いてきた人びとの鋭いまなざしが,そこにはゆきわたっている。

 こういう新聞を読んでいると,われわれ本土の人間が,いかに「茹でガエル」に成り果ててしまっているかということを痛感させられる。わたしにとっては,もはや,不可欠の新聞だ。『沖縄タイムス』を読むことによって,わたしのスタンスも,絶えず修正を加えていかなくてはならない,そういう厳しさも教えられる。いまやわたしにとっては日々の大事なテクストになっている。そのお蔭で,わたしの心構えを日々に新たに練り上げることができているのではないか,とこころの底から感謝している次第である。

 以上,ご報告まで。

2015年6月19日金曜日

本日より,わたくしはアベ・シンゾウ改め,独裁者アベルフ・シットラーを名乗ることにいたしました。

 〔悪夢の緊急記者会見〕
 わたしくは,ついに,父祖もはたし得なかった夢を実現することにいたしました。
 本日より,アベ・シンゾウ改め,独裁者アベルフ・シットラーを名乗ることにいたしました。これは,ボクちゃんの長年の夢でした。このたびの「戦争法案」を,多くの憲法学者たちの違憲判断を無視して,なにがなんでも通過させるための,最後の切り札として「アベルフ・シットラー」の名こそもっともふさわしいと考えました。先達「アドルフ・ヒットラー」には,まだまだ,遠く足元にも及びませんが,そこを目指して,臥薪嘗胆,鋭意,努力していく所存でございます。国民のみなさま,どうぞ,よろしくお願いいたします。

 昨夜,とうとう,こんな悪夢をみてしまいました。

 沖縄県民の民意を無視して,なによりも日米同盟を優先させ,辺野古での反対運動に国家権力による容赦なき「暴力」を繰り返し,なんら省みようともしないこの政治姿勢。長年にわたる沖縄県民の人権と民主主義を否定して,それでもなお「わたしは正しい」と確信してゆるぎない姿勢をとりつづける「アベルフ・シットラー」。

 圧倒的多数の憲法学者が,アベルフ・シットラーの「戦争法案」を「違憲」であるとし,日本弁護士会も「違憲」声明を明らかにしているにもかかわらず,「わたしは合憲であると完全に確信している」と繰り返すばかり。その根拠も「砂川判決」しか提示できないお粗末さ。しかも,その「砂川判決」ですら,なんの根拠もない,と専門家は口を揃えている。

 戦争法案をめぐる国会でのアベルフ・シットラーの答弁も支離滅裂。党首討論での応答も支離滅裂。論理的整合性はどこにもみられない。閣僚間の足並みも揃わない。共産党の志位委員長の鋭い切り込みにはひとことも答えられず,ひらすら,はぐらかすのみ。そして,まったく意味のない危機意識を煽り,この国を守るには集団的自衛権の行使を容認するしかないのだ,それを認めないのは政治家として「無責任だ」とまで「吼えた」。

 しかも,アベルフ・シットラーは非戦闘地域での兵站支援は戦争行為ではない,とまで嘯いた。戦争の標的として敵からまっさきに狙われるのは兵站だ。これは戦争の常識だ。かつてアメリカはアルカイーダとの戦闘の折に,米軍の死傷者を減らすために,兵站支援を民間会社に委託した。民間会社は委託料をふんだんに受けとって,その金をアルカイーダに支払って,自分たちの安全を確保した,という笑い話のようなほんとうの話がある。戦争をすればするほどアルカイーダは金持ちになった,というのだ。つまり,兵站の輸送は戦争の「命綱」なのだ。それを,日本の自衛隊は友軍(アメリカ軍)のために引き受けるというのだ。そこに待ち受けているのは,自衛隊の恐るべき「リスク」の高さだ。それをも嘯いて,「わが軍の安全はあくまでも確保される」と,声を張り上げ,周囲を威圧する。

 そういえば,最近では,手振り・身振り,そして声の張り上げ方,物言いまで本家のアドルフ・ヒットラーのそれにそっくりになってきた。あとは「チョビヒゲ」をつければ完成だ。

 こうしたアベ・シンゾウの変貌ぶりは,まさに,アベルフ・シットラーと呼ぶにふさわしい条件が日毎に高まってきた。

 このシンちゃんの,露骨な変貌ぶりに,さすがに多くの国民が気づき,不安をいだくようになってきた。つまり,シンちゃんの本質は「独裁者」であり,めざすのは「アベルフ・シットラー」だったのだということに気づいてしまったのだ。

 とうとう,この剥き出しの独裁者ぶりに危機感をいだいた国民が立ち上がった。いまや,国民の圧倒的多数が,「戦争法案」に「異」を唱えはじめている。そして,多くの国民が連日のように反対集会を開き,デモを繰り広げるに至っている。それも全国規模だ。そして,ついに,若者たち(SEALDs,など)も,これ以上は我慢できないとばかりに立ち上がった。こちらはインターネットを武器にして,全国ネットで運動を展開している。いまや怒濤の勢いと言っていいだろう。

 ついに,アベルフ・シットラーの掲げる「戦争法案」は,いまや,圧倒的少数派。世論調査では8割近くが反対しているという。もてるのは議席の多数のみ。これを最後の砦として,「戦争法案」を強行突破しようという構えをみせている。

 そうはさせじと,今日(6月19日)も国会周辺では,いくつもの反対集会や抗議デモが予定されている。アベルフ・シットラーの「暴走」をくい止めるために。

2015年6月18日木曜日

PET検査を受けてきました。問診票に記入,同意書にサイン。「モノ」そのものになりきる経験。

 数日前に「PET検査を受けることになりました」というブログをアップしたら,たちまちにして何人かの人から,メールがありました。いずれも経験者でした。意外に多くの人が検査を受けていると知り,なんだか少しだけほっとしました。

 しかし,その検査の方法はかなりヴァリエーションがあることがわかり,さてはて,わたしの場合はどうなんだろうと身構えてしまいました。が,意外にも,もっともシンプルな方法の部類に入るものでした。これまで経験してきたCT検査よりも合理的でした。たぶん,設備がPET/CT検査用に特化されていたからではないか,とこれは素人判断。

 とりあえずは,痛くも痒くもなく,無事に終了。問題はその結果です。23日には,この検査結果がわたしの主治医に届くことになっています。が,わたしとの面談は6月29日(月)。それまでの執行猶予の身。あれこれ考えるとなにかと不安が募りますので,まあ,なるようにしかならない,と腹をくくることにしました。いまは,できるだけいい結果であることを祈るのみ。

 ただひたすら,祈りあるのみです。

 ブドウ糖の注射をしてから1時間ほどの安静時間がありました。リクライニングの椅子を倒して,ほとんど横になった状態で,じっとしていなさいという。本を読んでもいけません。お話をしてもいけません。黙って静かにしていなさい。水は多めに飲んでください。おしっこにも自由に行ってください。なにかなったら,このブザーを鳴らしてください。

 という具合で,なんだか妙な時間がありました。その間,ぼんやりと,この検査はいったいなんなのだろうか,と考えていました。そうだ,このところ受けている医療は,まさにわたしの「ボディ」だけが対象になっていて,「マインド」の方は対象外だなぁ,とそんなことを考えていたら,妙に面白くなってきて,あれこれ考えることになりました。

 明治になって「身体検査」なるものが導入されたなぁ。その結果,日本国民は小学校に入学するとすぐに全員が「身体検査」を受けることになったなぁ。このときから,国民の「ボディ」が国家の管理下に置かれることになったんだよなぁ。国民はとくに考えることもなく,無意識のうちにそれを受容してしまったんだよなぁ。こんな風にして,近代国民国家が求めた国民の「身体」は,文字どおり「ボディ」=Body=「物質,モノ」として取り扱われることになってしまったんだよなぁ,という具合です。

 その後の医療の主流もこの路線を走ることになったようなんだよなぁ。だから,今日,記入して提出した問診票も,あくまでもPET検査のために必要最小限の「問診」であって,わたしの方からの要望を述べる欄はどこにもないんだよなぁ。すべては「物質,モノ」に向けての問いかけばかり。だから,わたしはひたすら「物質,モノ」として応答するのみ。なんだかもの足りないんだよなぁ。

 最終目的の検査も,狭い台の上に横たわると,両腕はだらりと台から落ちてしまいますので,思わず,この腕はどうしたらいいですか,と聞いてしまいました。すると,なんということはない,太くて厚めのベルトでからだの両サイドに「気をつけ」の姿勢のまま固定してしまいました。かくして,わたしのからだは,まさに検査を受けるための「ボディ」そのものになりきってしまいました。あとは,音声による指示にしたがい,呼吸をし,停止し,楽にする,これの繰り返しでした。なるほど,「モノ」そのものになりきること,ただ,これだけがこの検査では要求されることでした。

 もっとも,これまで受けてきたCT検査も同じでした。要するに検査の対象として必要なものは「モノ」そのものとしての「物体」だけなのです。その「物体」としての「身体」を精確に把握するための検査,それがPET検査である,ということなわけです。当然といえば当然のこと。そのための検査なのですから。

 でも,少し落ち着いて考えてみると妙なものではあります。と同時に,つぎなる治療にあたっては必要不可欠なものであることも事実です。ここでは人間としてのわたしはひとまず措くことにして,まずは,「ボディ」としての「身体」だけがその対象になる,ただ,そのことだけが重要なのです。ああ,心身二元論・・・・・。

 とまあ,こんなことを考えながら,帰ってきました。朝からなにも食べていませんので,途中で空腹に襲われ,これだけが苦痛でした。以上,ご報告まで。

「さるゆみ」さんのTシャツ,届く。「動物性回帰願望」(バタイユ)を彷彿とさせる。

 わたしの敬愛する沖縄のデザイナー,自称「さるゆみ」こと,うちまゆみこさんがとうとう「猿」をデフォルメしたデザインのTシャツを「制・咲く」(このことばは,さるゆみさん独特の「さるご」です)し,販売をはじめました。わたしはこのデザインをみた瞬間に,直感的にピンとくるものを感じましたので,早速,注文し,購入しました。

 わたしのFBも確認してくださっている方にはすでにお分かりのように,うちまゆみこさんは最近,とても元気です。なにかが弾けたように,つぎつぎに面白いデザインを発表していらっしゃいます。それらのほとんどを,ゆみこさんは包み隠さずFBに公開中。この際,ぜひとも,わたしのFBもチェックしてみてください。面白い記事が満載です。


さて,わたしが気に入って購入したTシャツです。宅急便の封筒を開けてみましたら,中から上の写真のような包みがでてきました。大きなお猿さんの写真が目に飛び込んできて,まずは,びっくり。そして,その下には,MASARIRO SPECIAL とあります。これをみて思わずニヤリとしてしまいました。いかにもゆみこさんらしいギャグを一発というところです。


この包みを開いてみましたら,上の写真のようなシャツがでてきました。いわゆる真っ白ではなくて,生成りの生地でした。この色も,じつはわたしのお気に入り。おさるさんのデザインとみごとにマッチング。ヨシッ!と一声。さすが,ゆみこさん。いいですねぇ。


で,すぐに試着。そして,自撮り。うん,サイズもぴったり。少しだけよゆうがあって,しかも大きすぎず。申し分なし。早速,今日(17日)の太極拳の稽古用シャツとして下ろしました。初下ろしというのは気分がいいものです。そのせいか,今日の稽古はいつもにもまして実のあるものになりました。と,ひとりニヤニヤ。

 この「サル」のデザインが気に入った理由を少しだけ。
 うちまゆみこさんは,以前から「猿願望」がとてもつよくて,FBの登録写真はお猿さんのぬいぐるみの頭の部分をかぶったものです。そして,その写真に「さるゆみ」と命名して,掲載するという入れ込み方です。このことそのものには「ふーん,そうなんだぁ」くらいの感じでわたしは受け止めていました。しかし,こんどのこのデザインをみた瞬間に「アッ」とおもうところがありました。

 それは,わたしがジョルジュ・バタイユからヒントをもらった「動物性への回帰願望」がスポーツの始原にはつきまとっている,というものと通底しているものを感じたからです。人間性とは,動物性から<横すべり>をしてしまった原初の人間が,それこそ間違って獲得してしまった,まったく新たな属性にすぎません。別の言い方をすれば「理性」の獲得です。もっと言ってしまえば「狂ったサル」の誕生です。それが人間のはじまりです。その「狂ったサル」はとうとうこんにちの人間に到達してしまいました。言ってしまえば,狂った文明に到達してしまい,みずから生みだした文明にがんじがらめにされてしまい,もはや,どうにもならなくなってしまいました。そして,ついには「破局」を迎えてしまいました。

 そんな時代を生きなくてはならないわたしたちのこころの奥底には,まぎれもなく「動物性への回帰願望」がそこはかとなくうごめいています。そこのところに,いちはやく反応したのが「さるゆみ」さんではないか,とこのTシャツのデザインをみて気づいたという次第です。このテーマについては,もっと踏み込んだロジックを展開したいところです。が,ここは禁欲的にこの程度で抑えておきたいとおもいます。また,なにかの機会に触れることになるとおもいますので・・・・。

 で,以下の写真のものは,このTシャツを包むようにして覆っていたフライヤーの数々です。いったい,うちまゆみこさんというデザイナーの活動範囲はどうなっているのだろうか,ともはやわたしの想像を超えてしまっています。これは,どうやら,沖縄まででかけて行って,この目で確認しなければなるまい,と考えています。たぶん,とんでもなく面白いアートの世界を繰り広げていらっしゃるに違いない,とわたしは確信しています。

 みなさんも,どうぞ,下のフライヤーを眺めながら,あれこれ想像してみてください。いろいろの仕掛けがしてあることが,なんとなくわかってきます。まさに「さるゆみ」の企みです。ですので,これ以上,わたしがとやかく言わない方がいいとおもいます。どうぞ,ごゆるりとご覧ください。

 というところで,今日のブログはおしまい。



 

2015年6月17日水曜日

陸上競技もラグビーもコンサートもできる新国立競技場,そんなものはつくれません(森山高至)。

 昨日(6月16日)の夜,「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」の第二回目の勉強会が開催され,それに参加させてもらいました。建築エコノミスト森山高至さんが講師をつとめられ,とてもわかりやすい,ためになる勉強会でした。

 実施要領は以下のとおりです。
 日時:2015年6月16日(火)19:00~21:00
 場所:日本建築家協会・建築家会館本館1Fホール(渋谷区神宮前2丁目3-6)
 テーマ:緊急開催・まだまだ終わらない公開勉強会・2.
 講師:森山高至(建築エコノミスト)

 この勉強会にさきだって,緊急の記者会見が行われました。森まゆみ,大橋智子,清水伸子さんらの共同代表(11名)の方たちが雛壇にならび,それぞれに発言をされました。まずは,「新国立競技場現行案に対する緊急市民提言」を提示し,森まゆみさんからその趣旨説明がありました。とても静かな会見でしたが,なぜ,いまごろになって,こんな不可思議なことが起こるのか,理解に苦しむ,というそこはかとない怒りの感情が伝わってきました。

 
提言は以下の8項目です。
 1.現行案をあきらめること。
 2.過去の競技場を指針とすること。
 3.アスリートやスポーツ関係者の意見を集約すること。
 4.周辺を含めた総合的な検証を行うこと。
 5.既存の環境と現在の住民を尊重すること。
 6.現実の難題を考慮し,誰もが納得できる施設にすること。
 7.既存施設の活用を検討すること。
 8.第三者検証委員会を設置すること。

 わたしもこの会の活動に賛同し,できるだけ機会をとらえてはいろいろの企画に参加させていただいてきました。この会の共同代表のお一人である大橋智子さんは,4月に開催したわたしたちの研究会にも参加してくださいました。そんなご縁もあって,賛同者のリストにも名前を連ねさせていただきました。

 
 
さて,本題の森山高至さんの講演は,新国立競技場建造に関する問題の核心部分に焦点をあて,じつにわかりやすく語ってくださいました。そして,O(ゼロ)から仕切り直し,というわたしの意見とまったく同じ結論を提示され,こころの底から納得させていただきました。そのさわりの部分だけを紹介させていただきますと以下のとおりです。

 新国立競技場の現行案は,陸上競技場もラグビーもコンサートもできるものにしようという発想そのものが根本的に間違っているだけではなく,技術的にも建造は不可能だし,つくったとしても莫大な維持経費がかかるだけで意味がない,というものでした。

 その比喩として,つぎのようなお話をされました。車でいえば,スポーツカーも,ワゴン車も,ダンプカーも,たった一台の車でそれらのすべての用途を満たす車をつくれ,と言っているようなものだ。最先端技術を駆使して理想的なスポーツカーをつくれといわれればこれは可能である。ワゴン車の理想を追求した夢のような車をつくれといわれればこれも可能である。ダンプカーの頑丈で壊れない理想的な車をつくれといわれればこれも十分可能だ。しかし,これらの三つの理想を全部網羅して,たった一台の車で実現せよといわれたら,それは不可能であるということは,だれの目にも明らかだ。

 こんな馬鹿げたことを,知ってか知らずにか,競技場づくりでやろうとしているのだ,と森山さんは熱弁をふるう。このお話にはだれもが納得し,おおきく頷いていました。わたしもまったく同感。

 ラグビーやサッカーなどのボール・ゲームは,陸上競技場兼用だと走路のレーン(8レーンがふつう)の分だけ観客席とピッチとの距離が離れてしまって,間近でプレイを鑑賞する興味が半減してしまう。それを埋め合わせるためには,スタンドの基礎部分に移動式客席を設備しなくてはならない。このためのコストも無視できない。のみならず,ラグビーなどのボール・ゲームは一度,試合をすると芝が痛んでしまって,修復をし,使用可能になるのに約1週間はかかる。したがって,ラグビーなどのボール・ゲームでは試合会場をいくつも用意して,そこを巡回しながら予選を闘う必要がある。つまり,連日,同じ競技場を使うことはできない,ということだ。

 そこに,コンサートが参入するという。ここに屋根の敷設の問題が生ずる。たとえ屋根を開閉式にしたところで,芝は腐ってしまう。だから,トヨタ球技場は,屋根を取り外すことにした。これは,建築の専門家ならだれでも知っていることだ。なのに,コンサートを開催して,維持管理費をはじき出そうというのだ。相矛盾したことを,強引に推し進めようとしている。まったく理解に苦しむ,と森山さんは問題の所在を明確にしてくださいました。

 これ以上は長くなってしまいますので,まだまだ,魅力的な森山さんのお話があったのですが割愛させていただきます。あとは,森山さんのブログ(こちらは詳細に,かなり専門的な話にまで及んでいますが,とても勉強になります)でご確認ください。「森山ブログ」で検索すれば,すぐにでてきます。

 また,「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」の活動も,詳しくはホームページでご確認ください。これまでの活動の経緯がじつに丁寧に記録されています。新国立競技場建造に関する資料としても抜群です。
http://2020-tokyo.sakura.ne.jp

 以上,取り急ぎ,ご報告まで。 
 

2015年6月16日火曜日

憲法学者による「憲法違反」の一撃,国民覚醒,若者も立ち上がる。6月14日を境に流れが変わる。

 2015年6月14日(日)。歴史に残る記念すべき日になった,とわたしは確信している。アベの目くらまし作戦の欺瞞性が,憲法学者の「憲法違反」という鶴の一声で暴露され,多くの国民の目が醒めた。そうとわかった以上,黙っているわけにはいかないとばかりに,老いも若きも一斉に立ち上がった。分けても若者たちの行動と連帯がたくましかった。その記念すべき日,2015年6月14日。国民の声と行動によるアベ政権撃退開始の日。

 6月14日。この日になにが起きたのか,テレビはほとんどスルーしてしまった。とりあげても,ほんのおざなり。しかし,実際は違った。FBに流れた情報は,その質・量ともにかつてないほどの盛り上がり方だった。そして,IWJはリアル・タイムで集会とデモを追っていた。この様子を15日の朝刊はどのように報ずるのだろうかと楽しみにしていたら,なんと運の悪いことに休刊日。

 ならば,16日(火)の朝刊は・・・と期待したが,どこもスルー。愛読している東京新聞もスルー。一日前のできごとは「ニュース」にはならないということなのか。それも休刊日だったのに・・・・。6月14日に東京だけではなく,全国展開された国民や若者たちの声(研究集会)とデモは,これまでに例をみない盛り上がりをめせたというのに・・・・。


仕方がないので,わたしの個人的なFBのネットワークに流れてきた情報を整理しておくことにしよう。その結果は,以下のとおりのことが明らかになった。わたしのようなごくふつうの平凡な人間ですら知り得た情報は膨大なものになっている。だから,全国で展開された抗議行動のすべてが把握できたら,とてつもないことが起きていたと知ることができるだろうに・・・・。それこそがジャーナリズムの使命ではないか,とおもうのだが・・・・。残念でならない・・・。

 とりあえず,わたしの掌握できた部分だけを紹介しておくと以下のとおりである。

 SEALDs(自由と民主主義を守る学生有志の会)は,このところ毎週金曜日の午後に「戦争法案に反対する国会前抗議行動」を展開している。ここには,西谷修,小森陽一,といった学者さんも支援に駆けつけ,スピーチを行っている(6月12日・YOUTUBE)。この学生有志の会=SEALDsが,いまや全国ネットで活動を展開しており,6月14日(日)には,SEALDs in 渋谷が「若者憲法集会&デモ」を組織し,宮下公園に集結し,渋谷の街に繰り出しデモ行進をした。その数,3000人を超えたという。

 これに呼応して,「若者憲法集会 in 高知」が集会終了後,帯屋町商店街をデモ。また,京都では,「戦争反対平和がだいすき声をあげよう大集会」が,京都四条通りで,神戸大学,関西学院大学,同志社大学のSEALDsのメンバーと一緒になって会場に入り,研究集会に参加。「若者憲法集会」沖縄分科会も開催され,研究集会を開いている。

 なお,SEALDs KANSAI は《戦争立法に反対する学生デモ》を下記のように組織し,参加を呼びかけている。
 日時:2015年6月21日(日)
 集合:14:00 円山公園(京都)
 出発:14:30 
 コース:円山公園─四条河原町─三条大橋─四条河原町─京都市役所

 以上がSEALDs関連の,わたしが目にした情報である。6月14日には,学生さん以外の団体もさまざまな抗議行動を組織して,大きな集会を開いている。その主なものは以下のとおり。

 「ストップ戦争法案!国会包囲デモ」(6月14日)には,25,000人が参加。
 「東京都臨海公園・反安倍政権大集会」(6月13日)には,16,000人が参加。
 「集団的自衛権行使のための法整備に反対する愛知大会」には,4,000人が参加。
 「憲法違反の集団的自衛権に反対する市民集会」が,福岡県福岡市,佐賀県鳥栖市,長崎県佐世保市,などで開催。
 「戦争をさせない1000人委員会」
 「解釈で憲法を壊すな!実行委員会」
 「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」
 「総がかり行動実行委員会」
などなど。

 なお,「戦争法案反対国会前集会」は6月24日(水)18:30~20:00に予定されている。この他にも大小さまざまな団体が抗議集会や抗議行動を組織し,それぞれに個別に展開されることになっている。

 わたしのFBのネットワークに流れた情報だけで,これだけある。新聞・テレビなどがその気になって情報を蒐集すれば,想像を絶するほどの抗議集会や抗議行動が「6月14日」だけでも展開されていたに違いないのだ。にもかかわらず大手メディアは一斉にスルーしてしまった。この責任は重大である。このことは強く銘記しておきたい。つまり,この大手メディアの意図的・計画的な「スルー」が,アベ政権を支えているのだから。つまり,自分からはなにも考えない,行動もしない,目先の欲望だけを満たせばそれでいいという,いわゆる「茹でカエル」が多数を占めており,その人たちが無意識のうちにアベ政権を支えていることになっているのだから。

 しかし,ようやく,その「茹でカエル」が目覚めはじめようとしているかにみえる。こうなったら,大手メディア以外のメディアを活用するしかない。その点,SEALDsのネットワークは自由自在だ。思考が柔軟で,発想が豊かだ。かれらは定期バスの窓をもメディアとして活用している。のみならず,「友だちの友だちはみんな友だち」といった沖縄的手法ももちこんで,そのネットワークをあっという間に拡大している。さらには,自主制作のビデオ映像をネットに流す。そして,徹底したネットの多用だ。これも得意中の得意,お手の物だ。

 新しい時代を切り拓くとしたら,この世代しかないだろう。ジャーナリズムが死んでしまい,メディアは政権党のいいなり,という逼塞した時代を突き破る智恵と手法とエネルギーをもっているのは若い学生さんたちしかいない,と断言しておこう。その意味で,恥ずかしながら,老いたる者は,この若者たちに寄り添いながら「ともに頑張ろう」というしかない。言ってみれば,「おんぶにだっこ」だ。それでもなお,いまは,行動を起こすときだ。

 そのことを明確に提示してくれた日,それが「6月14日」だった。わたしはそう確信している。

 さあ,時は今だ。ともに立ち上がろうではないか。

2015年6月15日月曜日

PET検査を受けることになりました。ゲリラ的な癌の転移がないかどうかの検査です。

 今日(6月15日),予約してあったとおり,主治医の診察がありました。予定としては,手術を受けるかどうかの確認(わたしの意思の確認)とこんごの治療計画についての相談をすることになっていました。

 ところが,冒頭に主治医さんから,つぎのような提案がありました。肝臓への転移は,CTスキャンの検査結果によってみつかったものなのだが,これが,この部位だけの局所的なものなのか,あるいは,ゲリラ的な癌転移の一部なのかは不明です。したがって,このことをしっかり把握した上で,どのような治療計画を立てるかを考えたい,とのことでした。PET検査はそのためのもので,全身を対象にした検査だ,ということでした。

 お話を伺って,即座にそのとおりだと納得できましたので,その検査を受けることにしました。この検査はいささか特殊な検査なので,外部に発注するとのこと。病院間の提携を結んでいる病院は横浜にあるとのこと。早速,向こうの病院と連絡をとってくれ,18日(木)に検査予約がとれました。すぐに,こちらの主治医の紹介状とCTスキャンの画像(CD)を用意してもらいました。これを持って,検査を受けに行くことに。

 この結果は,23日(火)にこちらの病院に知らせてくるとのこと。それをこちらの病院のそれぞれの専門の医師が集まって検討し,こんごの治療方針を決めることになる,とのことでした。

 次回の,主治医とわたしとの面談は6月29日(月)となりました。このときには,すべての方針が決まることになります。

 以上が,今日の診察結果のご報告です。

 悪い方を考えると際限がなくなってしまいますので,まずは,前向きに,いい結果がでることを期待することにしましょう,と主治医からも励まされました。もちろん,そのつもりでいます,と大きな声でわたし。えらい元気ですなぁ,と主治医が笑う。だって,いまのところなんの自覚症状もないのですから,とわたし。その元気で乗り越えましょう,と主治医。はい,ありがとうございます。頑張りますのでよろしくお願いいたします,とわたし。

 こんな会話ができることが,唯一の救いというところでしょうか。やはり,主治医との信頼関係が患者にとっては命綱ですから。

 ということで,取り急ぎ,今日のご報告まで。

新国立競技場,ついに暗礁に乗り上げる。八方塞がり。出口みえず。すべては「無責任」体質のツケ。

 ここまで醜態をさらけ出してもなお,だれ一人として「責任」をとる者が現れない。この,お役所というところの,世にも不思議な「無責任」体質,そして,それに支配されている政治の堕落,それがいまの日本のすべてだ。その典型のひとつがフクシマだ。こんな大問題が起きているのに,いまもなお,だれ一人として「責任」を負わない。まるで「空洞」のようなわけのわからない世界・・・・。

 新国立競技場建造計画もまた同じ。最初から「空洞」のようなわけのわからない「密室」の世界で,ことは進められた。まずは,デザイン・コンペ。その「公募条件」がでたらめだった。建築場所の神宮外苑が100年も前から風致地区として特別の扱いをされてきた一種の「聖地」であることも,建物の高さ制限があることも,利用可能な敷地面積の提示も,なにもなしで「公募」された。だから,外国からの応募者はまったく自由な発想で,近未来志向型の思い切ったデザインで応じてきた。

 その代表格がザハ・ハディド案である。しかも,この奇想天外なデザインに,審査委員長である安藤忠雄が飛びついた。しかも,その審査方法もまことに杜撰だった。重要な審査委員が複数欠席のまま決定をみるという異常なものだった。のちにわかってきたことから類推すると,ほとんど安藤忠雄の一声で決まったらしい。このときの議事録は,墨で真っ黒に埋めつくされたものが請求者に送られてきた。

 かくして,すべては「ザハ案」ありき,でことは進められた。風致地区条例による縛りは強権を発動して無視され(新宿区と渋谷区の区議会が屈伏),高さ制限は条例に特例を設けてごまかし,面積は周囲の建物を除去し,それでも足りず,中央線をまたいで新宿御苑・慶応病院あたりまで伸びている。さすがに,これはまずいと事業主体であるJSCが判断したのか(表向きには経費軽減のためという理由),設計に大幅な修正が加えられた。

 このザハ案の修正は,当然のことながら,JSCがザハ氏側と交渉し,合意の上で進んでいるものとばかりおもっていたら,じつはそうではない,ということが今日(14日)の東京新聞一面トップの記事でわかった。これはとんでもないことだ。もっとも重要な,肝心要の設計変更すら,ザハ氏側の了解もとりつけてはいない,というのだ。しかも,ザハ氏側は,いまから設計を変更するなどとは「クレージーな考えだ」として一蹴している。

 
さあ,こうなったら,経費節減も工期短縮の問題もすっとんでしまう。残された方法は二つに一つ。もはや,日本の建築技術と資金の総力をあげてザハ案どおりに工事を進めるか,さもなければ「賠償金」を支払ってザハ案を取り下げてゼロから出直すしかない。しかし,このどちらも不可能に近い。これで新国立競技場建造の計画は,完全に宙に浮いてしまった。手も足も出せない「八方塞がり」となり,その出口すらみえない。

 こんな異常な事態に至ってもなお,おそらく,だれも「責任」はとらないのだろう。かくして,新国立競技場建設問題は,ますますわけのわからない伏魔殿の闇のなかに封じ込まれ,埋没していくことになりそうだ。

 新国立競技場建造の責任は,事業主体であるJSCにある。しかも,その監督官庁は文部科学省だ。その財源については財務省が握っている。しかも,この問題の基本的なことは閣議決定を経ている。ということは,アベ君,君の「責任」なんだよ,ということになる。かくなる上は「鬼の手」を編み出してでも,官邸は問題解決に乗り出さなくてはなるまい。しかし,いまは,それどころではないだろう。

 なぜなら,憲法違反問題で揉めに揉めている戦争法案を,どのタイミングで強行突破して通過させるか,あるいは,一呼吸入れて先のばしにするか,その空気を読み切ることだけで,官邸は頭が一杯のはずだ。下手をすれば政権の命取りともなりかねない重要な局面を迎えている。

 国会の外では,多くの団体が「憲法を守れ」と声を上げている。若い学生さんまで結束して声をあげはじめている。しかも,その声は日毎に大きくなり,その輪も広がり,とうとう,全国展開の様相をみせはじめている。

 こんな緊迫した国会運営の真っ只中に,とんでもない大問題が天から降ってきた。この問題の処理をひとつ間違えてしまうと,それこそ国際社会での日本の信用は地に堕ち,東京五輪2020は「返上」するしか方法はなくなってしまう。それほどの大ピンチなのである。

 さて,どうする? シンゾウ・アベラーどの。

 政権全体が風雲急を告げる事態が,ますます緊迫の度を高めてきている。

2015年6月14日日曜日

「弱肉強食」=アベの正体=別名「弱きをくじき,強きを助く」。世も末か。否。若い力の台頭あり。こちらに期待。

 社会的弱者は徹底的に叩いて金を巻き上げておいて(増税),強い親分には自発的に隷従して,せっせと貢ぐ。まるでヤクザの世界の論理が,いまや,日本のこの世の中をまかりとおっている。親分の名はシンゾウ・アベラー。

 シンゾウとは,嘘をいくらついてもものともしない心臓の強さに由来するという説と,戦争主義を積極的平和主義と言い換える,みせかけの「新造語」を生みだす名手であるという意味での「シンゾウ」からきたという説の二つがある。

 もっとも前者の説には,嘘をついてもそれが嘘であるという自覚がまったくない真正のバカだから当たらない,とする反対説もある。後者の「新造語」については,たとえば,集団的自衛権には,国内向けの定義と,国際社会で用いられている定義とは違う,というややこしい使い分けをしているために閣僚ですら勘違いする人がでてきて,まともな議論が成立しなくなってきており,しだいに論理的整合性を欠く事態が引き起こされつつある。とくに,正直な防衛大臣は,頭のなかがこんがらがってしまって,わけがわからなくなってしまい,とうとう,国会答弁で本音がでてしまった。「集団的自衛権の行使容認は自衛官のリスクが増大する」,と政府の統一見解から逸脱する答弁をしてしまう,といった具合に。

 シンゾウ・アベラーの真実を隠蔽するための必死の努力も水の泡。

 それはさておき,子育て支援には3000億円が不足している,と弱者を締めつけておいて,その一方では,シンゾウ・アベラーは海外にでかけては金をばらまいている。ネット上を流れている情報によれば,1年3カ月の間に,52兆5400億円もばらまいた,という。個人の金をみずからの意思で贈与したというならまだしも,われわれの税金である。閣議決定をしたとも聞いていない。国会で承認をえたとも聞いていない。ソーリの自由裁量らしい。

 そのうらでは,フクシマの原発事故のために故郷を追われて仮住まいをつづける流浪の民が,いまも苦しんでいる。東電から支払われていた10万円程度の補助金も,近々,打ち切られるという。だから,政府は追われた故郷に帰宅せよ,という。まったくもって無茶苦茶な話だ。この人たちはどうすればいいのか。

 あるいは,敗戦後のアメリカ統治下から本土復帰後のこんにちまで,米軍基地に土地を奪われたまま,空軍の騒音に悩まされ,軍事訓練の実弾の音に怯え,なおかつ,米兵による子女暴力があとを断たない,そういう生活を強いられたままの沖縄の人たちの生活,そこに加えて辺野古の新基地建造である。こうした長年の事態に対する沖縄県民の意思は一つにまとまったのに,シンゾウ・アベラーはみてみぬふり。沖縄県民の我慢もすでに臨界点に達しつつある。

 かとおもえば,学校給食のパートとして働きながら一人娘を必死で育てようと頑張った母親,離婚した夫の借金の返済に苦しみながら,とうとう県営住宅の家賃を滞納したばかりに追い立てをする情け容赦もない行政,生活保護も受けられないまま,ついに最愛の娘を絞め殺してしまった母親に有罪判決。哀れ。

 こんな事例はあとを断たない。まさに,政治の堕落であり,行政の貧困である。そのしわ寄せは,すべて弱者のところにいく。

 その一方では,大企業のほとんどは税金を免除されている,という事実(ここから当たり前の税金をとれば,国民の税負担は軽くなるというのに)。それに加えて,労働者派遣法を改悪して,労働者を使い捨てにしてよいことにし,政治献金をたくさんしてくれる事業主擁護の法案をとおそうとしている自民党と公明党。

 アメリカ並みに,1%の富裕層のために99%の貧者を犠牲にして省みない政府与党の姿勢。シンゾウ・アベラーはさらに上位の強い親分(アメリカ)のために自発的に隷従しつつ,国内の弱者を締め上げていく。その最大の代償が,辺野古新基地であり,「集団的自衛権」の行使容認だ。

 「集団的自衛権」の行使容認については,議会での参考人証言でも,圧倒的多数の憲法学者も「憲法違反だ」と言っているにもかかわらず,一切,耳をかそうともしない政府与党。まさに,立憲デモクラシーの否定であり,国民無視の政治だ。いよいよもって独裁者シンゾウ・アベラーの真の姿が浮き彫りになってきた。

 その影の主役「日本会議」(このことについては,いつか,じっくり書いてみたい)に支えられたシンゾウ・アベラー。いや,「日本会議」の操り人形というべきか。言ってみれば,魂の息が吹き込まれていないピノキオだ。だから,議会の多数をバックに,独裁者はやりたい放題だ。情け容赦なしで平気なのだ。

 しかし,それは許さないとばかりに若い学生さんたちが,ついに立ち上がった。その名も「SEALDs」(自由と民主主義を守る学生有志の会)。全国ネットで運動を展開していくという。すでに,スタートを切っている。昨夜(12日)の国会前の集会には,西谷修さんや小森陽一さんらも駆けつけ,応援のエールを送っている。このことについても,また,いつか,じっくりと書いてみたいとおもう。逞しい若者たちの登場である。しかも,発想がユニーク。じつに柔軟で,アイディアも満載である。大いに期待したい。

 この他にもいくつかのグループが名乗りを上げ,各地で活動を展開している。いよいよ,新しい事態が連鎖反応を起こしはじめている。とりわけ,若い学生さんたちの情熱に期待したい。そして,一緒に頑張りましょう,と声をかけたい。

 今日のところは「アベの正体」=「弱肉強食」に光を当ててみた。そして,その欺瞞性に迫ってみた。加えて,若い学生さんたちの登場にも注目してみた。これからも,この新種の独裁者シンゾウ・アベラーの真相についてはあくことなく追求していきたいと考えている。というところで,今日のところはここまで。

2015年6月13日土曜日

「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」をみる。

 ほんとうに税金の無駄としかいいようのない国会での茶番が,あまりにも馬鹿馬鹿しくて,みてられない。しかし,それでも黙って見過ごすわけにもいかず,あちこちにアンテナを張って,きちんとした判断ができる程度の情報だけは集める努力をしている。

 このところの日課になっているのは,まずは,この人の情報なら大丈夫という信頼できる人の情報をインターネットをとおして蒐集し,それから,やおら東京新聞を読み,あとは遅い夕食のつづきでNHKの「ニュースウオッチ9」をみて,その流れでテレビ朝日の「報道ステーション」をみること。これだけで一日の大半を費やすことになってしまう。

 とりわけ,テレビのニュースはからだに悪い。肝腎要の戦争法案に関するニュースはおざなりにさらりと流し,どうでもいいニュースを根掘り葉掘り洗い出す。そのつど,テレビの画面に向かって吼えている。お隣から苦情がくるのではないか,と心配しながら・・・。

 それでも「報道ステーション」は,時折,しゃれた情報を工夫して流すことがある。今夜(6月12日)はそんな幸運な日に当たっていたようだ。

 内容は見出しに書いたとおりの「米兵の父と日本人の母への憎しみとゆるし,盲目のテノール歌手荒垣勉×古舘伊知郎」である。

 荒垣勉さんについては,沖縄生まれの盲目のテノール歌手として,これまでにもしばしばテレビにも出演しているので,すでに多くの人が知るところであろう。しかし,どれだけ詳しく荒垣さんのライフ・ヒストリーを知っているかといわれると,わたしも自信がなかった。だから,今日のこの番組をみて,そうだったのか,と納得できることが多かった。そして,考えるところも多かった。

 印象に残ったシーンのいくつかを拾っておくと以下のとおりである。

 荒垣さんが生まれてまもなく両親は離婚し,米兵だった父はアメリカに帰国,母は再婚,祖母に預けられて母と呼び,ときおり訪れる母を姉と呼びならわして育った。産婆さんの不手際で,荒垣さんは光を失う。盲目の子どもとして数えられないほどの苦難に遭遇しながら祖母の愛情のもとで育てられる。

 しかし,自分を棄ててアメリカに帰ってしまった父を探し出して殺してやりたい,と涙ながらに教会の神父さんに訴えたとき,神父さんは黙って抱きしめてくれ,一緒に涙を流してくれた。このとき,はじめて自分の気持を真っ正面から受け止めてくれる人がいると知った,という。以後,教会で聖歌を歌っている間に,その声の音色と精確な音感の才能を見出され,歌手の道をめざすことになる。

 こういう話を古舘伊知郎が上手に引き出す。荒垣さんは,最初は自分を棄てた父を恨んだが,この声と音感は父の遺伝子を受け継いだからだと知り,恨む気持のなかに,徐々に,感謝の気持も芽生えてきた,と語る。そして,悪いことのなかにも学ぶべきことはある,と知った,と。

 また,沖縄で戦争があったこと,そして,米軍基地があったからこそ自分が存在することになったこと,最初は戦争を恨み,米軍基地を恨んでいたが,こうしたことは,いいとか悪いとかというレベルを越えたところの,大きな力によるものであって,わたしの命は神様からのプレゼントだったのだ,と理解するようになった,とも荒垣さんは語る。

 だから,わたしは神への感謝の気持を籠めて,戦争をしない社会をめざし,平和を希求するこころを広めるために歌を唄いつづけるつもりだ,と。

 そうして,やはり辺野古の海を守りたいと語り,古舘と一緒にボートで海をまわる。そして,切々と基地を排除して,平和を守らなくてはならない,と訴える。

 こうした話を聞きながら,荒垣さんには立派な思想があり,哲学がある,としみじみおもった。苦難の人生経験から導き出された立派な哲学がある,と。

 いま,急速にクローズアップされている沖縄問題を考えるにあたって,こういう荒垣勉さんのような人物をとおして,その背景にあるものを浮き彫りにしていくという手法もまた,きわめて重要なことだとしみじみおもった。沖縄問題を考えることは,そんなにたやすいことではない。その意味で,この取組は,久しぶりのクリーンヒットだったとおもった。

 こういう魅力的な報道を期待したい。

2015年6月12日金曜日

からだの「知」・その4.内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない(三木成夫)。

 もうずいぶん前になるが,神戸市外大の丹生谷貴志さんから『胎児の世界』(中公新書)という本をプレゼントされてから,その著者である三木成夫さんの語る世界にすっかりはまってしまった。その後,だれかの本を読んでいたら,三木成夫の『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院,1992年刊)という名著があるということを知り,急いで取り寄せた。取り寄せたというのは,もはや,ふつうの書店では売っていないので,古書を探して購入したからである。しかし,名著に違いないとおもったので,「新品」を指定した。正解だった。

 以後,この本は,わたしの秘密の「座右の書」となった。秘密のというのは,わたしが人間を考え,からだを考え,生きるということを考え,生まれるということを考える上で,これほどわかりやすく,ふんだんに発想のヒントを与えてくれるテクストはほかにない,とおもわれたので,このテクストだけは「秘密」にしておこうと姑息なことを考えたからである。とりわけ,このテクストが仏教経典の一つである『般若心経』や,道元の『正法眼蔵』の読解にもとても役に立っているだけでなく,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』読解にもじつに多くのヒントを与えてくれたことは,あえて特筆しておきたい。三木成夫のいう世界とは,そういう世界なのである。

 名著というものは,みんな,ある一点に論点が集まってきて,そこには普遍的なある共通の「土俵」があるということを教えてくれる。そのことをとてもわかりやすく教えてくれたのが三木成夫さんのこの著作である。もはや,いっときも手放すことのできない,わたしにはなくてはならない秘密の「座右の書」である。

 なにをおいても,まずは,「文章」がいい。簡潔で平易。解剖学や発生学の専門家にもかかわらず,そうしたテクニカル・タームはほとんど用いることなく,ごくふつうの日常語で,わたしたちの「からだ」の成り立ちとその機能のそもそものはじまり(始原)について,するりとわかるように語り聞かせてくれる。じつに自然体で,読んでいてここちよい。こんなテクストも珍しい。

 こんなことを書き始めると,肝心要のテクストの内容に踏み込んでいくことができないほど,三木成夫さんについての話題はつきない。が,ここは禁欲的にがまんしておくことにしよう。また,そのことについては述べる機会もあろう。

 さて,表題の「内蔵の感受性が鈍くては世界は感知できない」という論文は,わずかに8ページほどの小論である。だから,読みたくなれば,いつでも,すぐに開いて読み返すことができる。しかも,読むたびに,いつも新鮮な発見があり,気づきがあるのだから不思議だ。それだけ含蓄のある深い真実に近い世界を描いているということだろう。

 この小論の全体は以下の三つの小見出しでまとめられている。
 〇私たちの行動は内蔵の声に突き動かされる
 〇内蔵の機能は四季の移り変わりに沿って動く
 〇あらゆるものを心ゆくまで舐め回す幼児の行動が内蔵感覚を鍛える

 ある感性の鋭い人であれば,この小見出しをみただけで「ウヌッ!」「これはなにごとか!」とピンとくるものがあるに違いない。そう,そのとおりなのだ。この小見出しに,すでに,結論がそのままストレートに表出しているのだから。

 たとえば,最初の小見出し「私たちの行動は内蔵の声に突き動かされる」の冒頭の書き出しは以下のようだ。

 赤ん坊が大声あげて泣き叫ぶのは,つぎの三つの場合ときまっている。一,おっぱいが足りない。二,おしめが汚れた。三,眠りが不十分。だから,この三つさえ満たされておれば,もうご機嫌でニコニコだ。しかし,よく考えてみると,こうした問題は赤ん坊の時代に限られるというものではない。乳離れしておしめがとれて大人になっても,この,いわば”三つ子の魂”は,依然として変わることがないのだ。さすがに”大声あげて泣き叫ぶ”といったことだけはなくなるだろうが・・・・。以下,この問題について考えてみよう。

 というようにして,各論に入っていく。それがまた,一つひとつ,まことに説得力があって,こころの底から納得させられてしまう,みごとな展開となっている。それらの一つひとつをここで紹介することは不可能に近い。なぜなら,前提に前提を積み重ねながら,「内蔵の感受性」の謎が語られているからだ。だから,紹介するとなると,おそらく全部を転載することになりかねない。そこで,強烈なメッセージを発信しているとおもわれるいくつかのセンテンスを紹介しておくので,あとは,想像力をたくましくして,あれこれ思い描いていただければ・・・・とおもう。

 ・内臓系にかかわる出来事というものは,人びとの意識のおよそ届かぬ生命の最深奥にまで,それは及ぶものだから・・・。
 ・内臓は,本来,天体の運行に乗っかって,その機能を営む。
 ・内臓系は,悠久の進化の流れの中で,ただひたすら宇宙空間の「遠」と共振を続けてきたことがうかがわれる。
 ・卵巣は暗闇の腹腔内で月齢を知っている。
 ・内臓に起こるすべての出来事は肉体の奥底に蠢く無明の情感として,ただそこはかとなく意識の表に姿を現わすにとどまる。内臓の不快が思考の不快に”化ける”ゆえんは,ここにあるのではなかろうか・・・・。
 ・豊かに育った内臓の感受性というものは,ものの「すがたかたち」いいかえれば,その「こころ」を感じとるための,隠されたつっかい棒になる。

以上。

2015年6月11日木曜日

「女子プロレスラー・小畑千代──闘う女の戦後史」(秋山訓子)を読む。『世界』7月号。

 小畑千代といえば,知る人ぞ知る女子プロレスの草分けの花形ヒロインである。彼女は,小柄ながらも切れ味の鋭い技といい,プロレスの盛り上げ方のうまさといい,大向こうを唸らせる演出の名手だった。わたしなども,テレビの画像を食い入るように見入り,その闘志あふれる闘いぶりに舌を巻いたものだ。小畑千代という名プロレスラーの登場によって,女子プロレスというものの存在が戦後の日本の社会にあって,一気に注目されるようになった。

 もともとプロレスといえば,男のものと相場が決まっていた。女だてらにプロレスをしたところで,稚児のお遊びくらいの扱いしかされなかった。実際に,世間もまたそんな目でみていたとおもう。かく申すわたしも,女のプロレスかぁ,どうでもいいよね,迫力もないだろうし・・・・,くらいの認識でしかなかった。その世間一般の認識を,えっ?なんだ?これは?女子プロレスは面白いぞ,という具合に変化させた。その原動力となったのは,まぎれもなく小畑千代だった。

 そうして,徐々に女子プロレスの人気はうなぎ登りのように高まっていった。そして,小畑千代につづく名レスラーが続々と登場した。こうして,その後の女子プロレスの隆盛を考えたときに,小畑千代の功績は計り知れないものがあった。

 この小畑千代のすさまじいばかりの生きざまを,女性の戦後史と重ね合わせながら描き出そうという意欲作が,雑誌『世界』(岩波書店)に短期連載というかたちで5月号から掲載されている。今月の7月号で第3回を迎えている。

 著者は秋山訓子さん。朝日新聞社政治部次長。肩書だけをみると一瞬,おやっ?と思う人も多いかもしれない。わたしは一度だけ取材を受けたことがあるので,秋山さんのお人柄をいくらか承知している。取材内容はもうあまりはっきりとは覚えていないが,たしか,男性中心の近代スポーツの世界に女性が参加するようになる歴史過程について問われたようにおもう。なにか,とてつもなく大きなテーマだったので,必死で語った記憶だけが残っている。

 そのときの印象は,女性がひとりの人間として社会のなかで認められ,男性と同等に生きがいを感じられるようになるにはどうしたらいいのか,というようなテーマを追っているジャーナリストなんだな,というものだった。そして,それは,その後の秋山さんのお仕事をそれとなく追っていると,次第に具象化され,記事や作品となって表れている。いまや,大活躍の人だ。

 その秋山さんが,なんと,女子プロレスの草創期の人,小畑千代に眼をつけた。敗戦後まもない,どん底にあった日本が,復興に向けて必死になっている時代,その中心をになっていたのは男性だった。女性は,その陰の支援者的役割しか与えられていなかった。しかし,米などの闇物資をかついでせっせと運んだりして,生きるための道を切り拓いていたのは,ほかならぬ逞しい女性たちだった。

 小畑千代の実家は,父親が大きな稼ぎがあって,浅草界隈では知らぬ人とてない裕福な家だった。だから,小畑千代(これはリング・ネーム)は金稼ぎのために女子プロレスの世界に入ったのではない。プロレスのジムでみた光景が,小畑のからだのなかに眠っていた,なにかあるものに火をつけた。その瞬間,「これだっ!」と直観した,という。

 詳しいことは,秋山さんの作品にゆだねるが,その語り口はとても魅力的である。草創期の女子プロレスラーに光を当てながら,ひとりの女性としての小畑千代を語り,さらに広い視野に立って,戦後史のなかで女性の地位がいかにして向上していくのか,というところにまで秋山さんのまなざしは伸びていく。

 ただ,残念なことに,たぶん,時間がないのだろう,かなり乱暴なラフ・スケッチに終始している。それでも,ご自身も述べているように,単なる女子プロレスの話で終わりたくはない,という。女性のスポーツ史を語りながらも,そこから浮かび上がる人間としての女性像を,そして,その女性像を造形する社会的背景や歴史性をも描いてみたい,と。

 そこに,わたしは「スポーツ批評」(今福龍太氏のいう意味で)の萌芽をみる。

 なにを隠そう,かく申すわたしは「スポーツ史」という領域で長年にわたって格闘をつづけてきた人間である。そうして,たどりついた結論が,「批評性」の欠落した「スポーツ史」は,21世紀を生きるわたしたちにとってはもはや意味がない,というものだ。だから,わたしのめざす「スポーツ史」は,わたしという人間の全存在を賭けた語りでなくてはならない。すなわち,「批評」そのものでなくてはならない。したがって,いやでも語り手の思想・哲学がおのずから表出することになる。これからの「スポーツ史」とはそういう領域なのだ。

 秋山さんは,彼女なりの独自の方法で,「スポーツ史」に挑戦しているように,わたしにはみえる。だから,とても共振・共鳴するところが多い。

 この短期連載はラフ・スケッチでいい。とにかく,どのゴールに向かって進んでいくのか,わたしは楽しみにしている。そして,この連載が終わってから,どこかで時間をみつけて,補筆・加筆をし,推敲を重ねて,新書本にでもしてもらいたい,とおもっている。きっと,これまでに前例のない「スポーツ史」の本が出現することになるだろう。

 そういう時代のさきがけとなってほしい,とこころから願っている。

 その意味で,秋山訓子さんにこころからのエールを送りたい。

2015年6月10日水曜日

アベの二枚舌。国内向けには戦争には加担しないといい,国外には軍事協力拡大をアピール。

 「アベ・シンゾウ」。多重人格者。行くさきざきで言っていることが違う。発言に一貫性がない。しかも,本人はそのことになんの矛盾も感じてはいないらしい。そのとき,そのときで,精一杯のいいことを言っているつもりでいるらしい。だから,この人「アベ・シンゾウ」は二枚舌どころか,何枚の舌をもっているのか数えられない。

 6月9日の東京新聞朝刊はつぎのように報じている。

 G7首脳会議に出席した安倍晋三首相は,ドイツ,英国,フランス,イタリア4カ国首脳との個別の階段で,安全保障関連法案の成立を前提に,二国間の軍事協力や海外での自衛隊活動が広がると強調した。国内では,自民党が推薦した憲法学者も他国で武力を守る集団的自衛権の行使容認は違憲と断じるなど,安保法案への疑義が拡大しているが,首相は憲法解釈を変えたことには言及しなかった(ミュンヘンで,高山晶一=安倍首相同行)。


アベ君は,さきの訪米したときにも,安保法案を「夏までに成就させる」と断言したときと同じで,この人の頭のなかでは安保法案成立はもはや既成事実となってしまっているようだ。国会審議などは単なる儀式のようなもので,適当に,のらりくらりと尻尾をつかまれないようにかわしながら,ひたすら自説をバカの一つ覚えのように何回でも繰り返す,それだけで国民に向かって「丁寧に説明した」つもりでいるらしい。


G7首脳会議を終えた記者会見では,砂川判決を持ち出してきて,安保法案は合憲だと見栄を切った。この根拠もじつに曖昧なもので,とってつけたような稚拙なものだ。砂川判決が安保法案合憲の根拠になるのなら,なぜ,自民党の歴代政権はそれを主張しなかったのか。それは,どう考えてみたところで集団的自衛権容認の根拠にはならないと判断したからこそ,歴代政権は「集団的自衛権は憲法に違反する」という姿勢を貫いてきた。

 にもかかわらず,アベ君は父祖伝来の家訓を無視して,いや,家訓を否定して,そこからはみ出してしまった。そして,閣議決定という卑劣なやり方で憲法を拡大解釈し,集団的自衛権は合憲である,と主張することにした。このことがなにを意味しているのか,アベ君はわかってはいない。自民党執行部の人間もわかってはいない。あるいは,そういうそぶりをしている。それほどまでに,戦争がやりたくてうずうずしている,頭の狂った人間ばかりなのだ。狂人と狂人が大合唱をはじめてしまったら,もはや,それは制止のしようがなくなってしまう。そして,それが唯一絶対の正義になってしまう。

 アベ君はG7首脳会議に出席して,ますます,その二枚舌(=嘘つき)術に磨きをかけてきた。他の6首脳は,みんな日本の姿勢に賛意を示したというが,腹のなかではどうか。少し賢い首脳であれば,自国の憲法を歪めてまでして,戦争のできる国にしようとするリーダーを,そのまままるごと信用はしないだろう。「いいね」とは言っても,それは通りいっぺんの社交辞令にすぎないだろう。しかし,みずから戦争協力すると言っているのだから,大いに利用はしてやろう,とは思っているだろう。

 またもや,国際社会の笑い物になっているにもかかわらず・・・・。

 あなおそろしや,あなおそろしや・・・・・・。

2015年6月9日火曜日

東京五輪2020,競技会場を大幅に変更。招致運動時のコンセプトとは一変。

 今日(6月9日)の東京新聞一面が,東京五輪の主な競技会場計画について,以下のように報じています。

 〔ローザンヌ=渡辺泰之〕2020年東京五輪の競技会場見直しで,大会組織委員会は8日,未定だった10競技のうち,自転車とサッカーを除く8競技の7会場を,国際オリンピック委員会(IOC)理事会に報告し,了承を得た。全28競技のうち18競技は既に会場が決まっており,決定した会場数は,26競技で計28になった。

 そうして,以下のような図入りで会場計画を明らかにしています。


この会場計画をみれば明らかなように,当初,予定されていた東京湾周辺に競技施設を集中させ,半径8㎞圏内で五輪を開催するとした「コンパクトな五輪」というコンセプトはどこかにすっ飛んでしまっています。上の左の図に円のラインが描かれていますが,これが「8㎞圏内」ということです。そこからはみ出す競技会場が右上にあるとおりです。サッカー一次リーグ会場はまだ検討中としても,かなりの広域を考えているようです。右下には東京都の西部にある武蔵野の森総合スポーツ施設や味の素スタジアムや馬事公苑,それに東にある幕張メッセやさらに南西の江ノ島,北側のさいたまスーパーアリーナが東京五輪の会場として取り込まれています。


東京五輪招致運動の目玉のひとつだった「コンパクトな五輪」のイメージは一変してしまっています。この「コンパクトな五輪」というコンセプトが招致運動のときに高く評価されて五輪開催を勝ち取ったことを考えると,これではまるで「詐欺」ではないか,とおもってしまいます。しかし,そこには抜け道も用意されていて,昨年12月にIOCが発表した五輪改革方針「アジェンダ2020」がありました。この「アジェンダ2020」は,これからの五輪開催が金のかからぬ大会へと脱皮をはかるための思い切った改革でもありました。なぜなら,その背景には経費がかかりすぎるという理由で五輪招致を敬遠する都市が増えてきているという事情があります。たとえば,2022年の冬季五輪では,6都市が招致に名乗りを上げながら,財政的な理由などから4都市が辞退した,という現実があります。

 まあ,言ってみれば,東京五輪2020は,この「アジェンダ2020」に救われたと言っても過言ではありません。なぜなら,「コンパクトな五輪」を開催するために,当初の計画では,競技会場の約6割を新設,仮設することになっていました。しかし,コストの高騰と工期の関係から,当初,予定していた予算ではとても足りないことが判明し,大きな壁にぶち当たっていました。そこに「アジェンダ2020」の決定がありました。渡りに舟とばかりに,この「アジェンダ2020」に飛びつき,それから大急ぎで競技開催の会場の見直しが行われたというのが真相です。

 この「アジェンダ2020」が出なかったら,東京五輪2020は開催不可能となり,それこそ「五輪返上」になりかねないところでした。

 これで会場変更により,なんとか一難を回避することができましたが,その代わりに犠牲になったのは,もう一つのコンセプトであった「アスリート・ファースト(選手最優先)」です。選手村から競技会場まで遠い武蔵野の森総合スポーツ施設までは20㎞以上もあります。都心を抜けて西の郊外まで往復しなくてはなりません。渋滞につかまったら,どれだけ時間がかかるかわかりません。この問題をクリアする方法をこれから考えなければなりません。

 
といったような具合に,まだまだ,東京五輪2020を開催するには問題が山積しています。第一,メイン会場となる新国立競技場ですら,まだ,建設の目処が立っていません。それどころか内部分裂を起こして,責任のなすり合いをはじめています。それもひどいものです。文部科学省(新国立競技場の事業主体・JSC)と東京都(五輪開催都市)と組織委員会が三つ巴の論争をはじめているのですから・・・・。まさに想定外の醜態です。とんでもない恥さらしです。

 みるにみかねたバッハIOC会長までもが「憂慮している」という声明を発したほどです。

 それ以外にも,問題は山積です。もっと強烈な問題は手つかずのままです。つまり,原発事故後の「under control」の問題です。それに,地震,火山とつづきます。はたして,ほんとうに東京五輪2020を開催する資格,あるいは,条件が整っているのだろうか,とわたしは日毎に疑問を募らせています。早めに返上した方がいいのではないか・・・・と。

NHK Eテレ・オイコノミア 又吉直樹×経済学をみる。視点が面白い。

 ちょっと事情があって夕食が遅くなり,食休みをしながら「報道ステーション」を見ようか,「オイコノミア」を見ようかと迷った末に,こちらにチャンネルを合わせてみた。新聞の番組紹介には,オイコノミア 又吉直樹×経済学▽誰からモノを買う?現代の買い物トレンドとその背景,とある。

 番組の構成は,又吉直樹がいろいろの現場を取材して歩き,その取材の結果を経済学の東大教授(名前は忘れてしまった)と,その友人でベンチャー・キャピタリスト(こちらの名前も忘れてしまった)とを交えて3人であれこれ意見を交わす,というもの。通しテーマは「顔のみえない買い物か,顔のみえる買い物か」を軸にして,どちらが買い物上手と言えるのか,を考えることにあるのかな,というところが見ていて感じたところ。

 取材先は,老舗の眼鏡屋さん(当代で4代目),神奈川食べもの通信,保育を支援するNPO法人,など。経済学の東大教授は,新美南吉の『手ぶくろを買いに』という童話を紹介しながら,経済の仕組みについて解説をする。それに又吉直樹がからみ,ベンチャー・キャピタリストがからむ,という具合に番組は進展していく。意外なのは,東大教授でもなく,また,ベンチャー・キャピタリストでもなく,又吉直樹の存在が光っているということだ。

 地味なお笑い芸人としてデビューして注目を集めながら,その一方では『火花』(文藝春秋)という小説を書いて話題となった作家という二つの顔をもつ又吉直樹の持ち味が,この「オイコノミア」という番組をとおして存分に発揮されている。つまり,インタヴューアーとして,あるいはMCとしての,もう一つの顔がこの番組をとおして現れつつある,ということだ。

 相変わらず地味なのだが,素人目線から「オイコノミア」の世界に分け入っていこうとする姿勢が,じつに自然体で落ち着いて耳を傾けることのできる番組になっている。まあ,不思議な魅力をもった男であることを再認識させられた。この番組は長続きするのではないか,とそんな予感ももたされた。次週もみてみようとおもわせられる,そんな番組になっている。

 老舗の眼鏡屋さんでは,4代目という店主がお客さんの要望をしっかりと引き出しながら,一番気に入ってもらえる眼鏡を探し当て,お客さんの顔を採寸して,それを熟練の職人さんにオーダーし,できあがったものをお客さんに手わたす,そのときに,さらに細かなお客さんとの打ち合わせをし,微調整を職人さんに依頼する,という段取りが細かに紹介される。そういう話を店主から又吉直樹が引き出す。そういう老舗ならではの仕組みを明らかにしていく。当然のことながら,値段は相当に高いものになる。こうした買い物を「高い」とみるか,好みや安心や修理という長い目でみれば「安い」とみるか,この点を東大教授とベンチャー・キャピタリストを交えて,又吉直樹がさらに話題を広げ,深めていく。そうして,オイコノミアの始原の問題へと思考を導いていく。このあたりを,ごくふつうの会話をとおして,核心に迫っていく又吉直樹の手腕はなかなかのものだ。

こうして,二番目の現場である「神奈川食べもの通信」の編集者を取材し,そこでの話題をみごとに引き出していく。育児支援をめざすNPO法人の取材も同様だ。これらの取材をみながら,それだけでも,いろいろとわたしは考えさせられた。そうか,そういう仕組みになっているのか,と。つまり,大企業によってみえにくくなってしまった経済の仕組みを,もう一度,もっとも素朴な「オイコノミア」が立ち上がる始原の姿から見直してみよう,というのだ。

 そのことに気づいたときに,わたしは思わず「ニヤリ」と笑ってしまった。この番組のプロデューサーやディレクターの意図するところがみえてきたからである。そして,それを,又吉直樹というキャラクターをとおして導き出そうとしている意図も納得できたからである。その意味で,この地味な芸人・又吉直樹を起用したのは大正解だった,と言ってよいだろう。

 そして,又吉直樹もまた,もう一皮剥けようとしている。まだ,とてもたどたどしいのだが,それがまたなかなかいい。双方にとってめでたし,めでたしだ。この番組はしばらく追っかけてみようとおもう。仕掛けが意味深であって,魅力的でもある。別の見方をすれば,この番組がどこまで進化(深化)を遂げるかも魅力の一つだ。

 久しぶりに「なるほど」と首肯した,いい番組だった。そして,これからの楽しみにもなった番組でもあった。お薦めである。

2015年6月8日月曜日

安保法案,憲法違反へと「潮目」が変わる。さあ,天下分け目の決戦だ。

 このところの国会論戦を聞いていてほとほと嫌気がさしていた。なぜなら,野党からのまっとうな質問をことごとくはぐらかし,決まり文句をながながとしゃべりまくり,いたずらに質問時間を消費させるだけ。とくに,アベ君の応答がひどすぎる。しかも,それで「ていねいな説明」をしていると嘯く。まったくもって度し難い。

 仏教では「縁なき衆生は度し難し」という。まさに,アベ君は「縁なき衆生」というほかはない。「縁なき衆生」とは,真理を求めようとはしないアウトローを生きる人間のことだ。そういう人間に「法」を説いてもなんの意味もない。その点,憲法を無視して,その制約の外で生きることを選択しているアベ君は「縁なき衆生」そのものだ。

 それでは議論にならないのも当然だ。最初から憲法にたいして顔を横に向けているのだから・・・。しかし,そんな政府与党に激震が走った。

 6月4日に開催された憲法審査会で,3人の参考人がそろって「安保法案は憲法違反」であると陳述したからである。その中には,政府与党の推薦した参考人もふくまれていた。閣議決定をした憲法の拡大解釈を擁護してもらえるつもりの参考人が,みごとに「正論」を吐いてしまった。しかも,正々堂々と。一糸の乱れもない論調で。政府与党はとりつく島もない,とはこのことだろう。


これで一気に野党が活気づいた。質問の舌鋒も鋭くなり,アベ君を筆頭に,にわかに答弁が乱れはじめた。論旨不明の言説がつぎつぎに繰り出され,説明不能であることが露呈してしまった。こうして,ようやく新聞・テレビといった大手メディアも,その実態を少しずつではあるが報道をせざるをえなくなってきた。国民もまた「やはり,そうだったか」と得心。ならば,そんな「憲法違反」の法案を認めるわけにはいかない,と目が醒めた。


ここから安保法案の「各論」審議から,本丸である「憲法違反」論議へと急旋回した。そして,論戦は野党有利の方向に「潮目」が変わった。多くの国民も「憲法違反」は許せないとばかりに行動をはじめた。国会周辺だけではなく,大阪や九州でも大きなデモが繰り広げられるようになった。加えて,若い学生さんたちも立ち上がった。


いよいよ,本丸攻めの天下分け目の決戦の様相を示しはじめた。

 6月6日に立憲デモクラシーの会が主催した「憲法の危機」というシンポジウム(東京大学法文1号館)には,主催者の予想をはるかに上回る「1,400人」が集まった。700人収容の会場から人があふれ(開会20分前に),急遽,第二,第三会場まで用意して,テレビ中継で応答することになった,という。これまでにも,立憲デモクラシーの会は,何回にもわたってシンポジウムを開催してきたが,こんなことはなかった。嬉しい悲鳴をあげた・・・と呼びかけ人のひとりからメールをいただいた。


この集会を毎日新聞は一面トップで,大きく報道した。この衝撃は大きかっただろう,と推測する。しかし,朝日,読売,日経はスルー。東京新聞も,なぜか,社会面で小さく取り上げたにすぎない。が,インターネットでは,さまざまなメディアがこのシンポを取り上げ,その論調まで詳細に報じられている。だから,ネットで大手メディアでは取り上げられない情報をチェックしている人びとには熱く伝わったのではないかとおもう。

 いずれにしても,安保法案は憲法違反だ,と憲法の専門家たちが口をそろえ,法曹界も共同声明を発し,各種の団体も「憲法違反」を唱えはじめている。もはや,この流れはとどめようがないだろう。このままでは政府与党の立場は面目丸潰れになってしまうと焦れた谷垣幹事長が街頭演説に打ってでた。ところが,この演説に「怒号」が飛び交ったという。

 いよいよ国民の「怒り」はほんものだ。

 それでも安保法案を支持するのか,玉虫色の政党は「踏み絵」を踏まされることになる。つぎの選挙に向けて,国民もまた,大きな決断を迫られることになった。歴史に残る,大きな決定が,いま,まさになされようとしている。悔いの残らない決断のとき,それは「いま」だ。


いよいよもって天下分け目の決戦のはじまりである。

2015年6月7日日曜日

老いては子にしたがえ,とむかしの人は言った。さて,いまのわたしは・・・・?

 父方の祖母の葬式のとき,父と従兄弟の会話をそれとなく耳にしたことが,急に昨日のように思い出される。

 「わしゃあのん,息子に財布をわたして,これからぁ息子のいうとおりにせえかとおもっとるだのん」と父の従兄弟さん。
 「そりゃあ偉いのん。そうはおもってもなかなかそうはいかんでのん」と父。
 「老いては子にしたがえって言うでのん。それをそのままやってみいかとおもうだのん」
 「そうだのん。それにしても,それを決心して,実行しとるあんたは偉い」
 「まあ,どうなるかわからんけどのん。しばらくはやってみるだぁのん」

 この会話を聞いたのはわたしが大学2年生(19歳)のときのことだ。いまから58年も前のことだ。ずいぶんむかしの話ではある。

 このたびのわたしの癌転移の報にあわてた娘夫婦が,急遽,沖縄からかけつけてくれた。この金・土・日の3日間,久しぶりの再会をはたし,たっぷりと時間をかけて,お互いのご無沙汰の溝を埋めあった。

 遠く離れていると,よほどのことでもないかぎり,お互いにそれぞれの生活に追われていて,ついつい無沙汰をつづけてしまう。「便りなきは無事の知らせ」とむかしの人は言った。その伝にならって,わたしも,あまりうるさく干渉するよりはそっとしておこうと考え,無沙汰に身をゆだねていた。娘夫婦も同じように考えていたらしく,時折はわたしのブログを読んだりして,元気な様子だからと受け止め,安心しきっていたらしい。

 そこに,こんどのわたしの突然の病変である。これはかれらには相当にショックだったようで,どうしようか,と大いに悩んだらしい。そして,とにもかくにも直接会って話をする以外にはない,と決心して,急遽,飛行機のチケットを手配してやってくることになった。

 2泊3日。これまでの無沙汰による情報不足をお互いに埋め合わせつつ,お互いの考え方や思いのたけを吐露し合った。こんなに真っ正面から向き合って,必死で語り合うのは初めてのことだ。これまであまりみえていなかった,また,みせる必要もなかった人間としての本音の部分が,今回は恥も外聞もなく最初から剥き出しになって,相互理解にはとてもいい機会だった。不幸中の幸いというべきか。

 お蔭で,雲間に見え隠れしていた月が,はっきりと顔をみせ,なんの陰りもない月となってお互いを照らし合うようになって,こころの底からすっきりした。これでもう,余分な誤解や不安や推測もなくなり,お互いにやるべきことをしっかりとやっていこう,と誓い合うことができた。もう,これでお互いに思い悩むことはなくなった,と言っていいだろう。

 結果的には,わたしが考えていたことと娘夫婦が考えていたこととは,そんなに大きな齟齬はなかった。ただひとつ言えるとすれば,これまでは一方的にわたしの意向をそのまま娘夫婦に押しつけてきた(そんなつもりはわたしにはないが)らしい,だから,娘夫婦の側からあれこれわたしに言うことは憚られたらしい,その壁が今回の話し合いで,きれいに取り払われたのではないか,ということだ。もっとも,これもわたしの主観的な見方にすぎないのだが・・・。

 もう一つ,踏み込んでおけば,やはり,娘夫婦が共有していた日頃の思いのたけを,わたしがしっかりと受け止めることができた,ということだ。そして,そのことになんら異論はない,とわたしなりに得心したことだ。言ってみれば,「老いては子にしたがえ」のわたし編。そうして,またひとつ,大きな流れの局面が動きはじめた,ということだろう。

 まあ,こんな風にして娘夫婦と相互理解を深めることのできた3日間だった。わたしの人生にとっても大きな転機のひとつとなった。この3日間で共有した気持をお互いに分かち持ちながら,これからの人生を展望できることは,とても幸せなことだ。やはり,遠路はるばるながら,来てもらってよかった,としみじみおもう。

 最寄りの駅まで見送り,別れぎわに交わした会話。
 「おれも頑張るからお前も頑張れ」とわたしから娘へ。
 「熱いハートはしっかりと受け止めたよ。ありがとう」と婿どのに。
 「8月の後半には沖縄に行くよ」とわたし。
 「そんな無茶な!」とかれら。
 「いやいや,そういう楽しみをセットしておいて頑張るということだよ」とわたし。
 「ああ,それなら大賛成!」とふたり。

 でも,わたしは8月には沖縄に行く,とこころに決めている。そして,それは実現できる,と確信している。なぜだかわからないが,いつのまにか,なんの疑念もなくその気になっている。

 「老いては子にしたがえ」とみずから口ずさみつつ・・・・。

2015年6月6日土曜日

若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶お聞き奉らざるなり。『修証義』・第12節。

 若(も)し薄福(はくふく)少徳(しょうとく)の衆生(しゅじょう)は三宝(さんぼう)の名字(みょうじ)猶(な)お聞(き)き奉(たてまつ)らざるなり,何(いか)に況(いわん)や帰依(きえ)し奉(たてまつ)ることを得(え)んや,徒(いたず)らに所逼(しょひつ)を怖(おそ)れて山神(さんじん)鬼神(きじん)等(とう)に帰依(きえ)し或(あるい)は外道(げどう)の制多(せいた)に帰依(きえ)すること勿(なか)れ,彼(かれ)は其(その)帰依(きえ)に因(よ)りて衆苦(しゅく)を解脱すること無(な)し,早(はや)く仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぼう)に帰依(きえ)し衆苦(しゅく)を解脱(げだつ)するのみに非(あら)ず菩提(ぼだい)を成就すべし。

 
この第12節も,二つほどのタームを除けば,あとは難しいことばもありませんので,比較的容易に理解できるのではないかとおもいます。ですから,そちらから調べてみたいとおもいます。

 まずは,「所逼(しょひつ)」。辞典で調べてみますと,「押しつけられること,強要されること,迫られること」とあります。逼迫(ひっぱく)の「逼」のある「所」と解釈すればいいようです。

 つぎは「制多」。こちらも調べてみますと「霊廟,塔廟,霊祠」とあります。そして,さらに「神聖視されている樹木,樹木の下の祠,石の塔,蟻塚,お堂など,そこになにか霊のようなものが宿っていそうなもの全般」を意味する,とあります。

 それではつづいて,最初から,センテンスごとの解釈を試みてみましょう。

 「若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶お聞き奉らざるなり,何に況や帰依し奉ることを得んや」=もし,福が薄く,徳が少ない衆生は三宝(仏法僧)の名前すらまだ聞いたことがないのです。ましてや仏法僧の三宝に帰依するなどということができるわけがないのです。

 〔※ここで説かれている「福徳」については『正法眼蔵』のなかでも,いろいろのところで説かれていて,じつは,とても深い意味があります。が,ここでは,ごくふつうに「福徳」として受け止めておくことにしましょう。ただ,仏教的な意味での福徳であることだけは意識しておきましょう。ひとつだけ例を引いておきましょうか。たとえば,「よのつねに打坐する,福徳無量なり」=いつも坐禅に打ち込むことは,仏道に邁進することであるので,ここには福徳が限りなく備わっている,という具合です。〕

 「徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し,或は外道の制多に帰依すること勿れ」=わけもわからないままに不気味で威圧されるようなものに怯えて山神や鬼神などに帰依したり,仏教以外の霊廟に帰依してはならない。

 「彼は其帰依に因りて衆苦を解脱すること無し」=人間はその帰依の仕方によってもろもろの苦しみから解き放たれることはない。

 「早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて,衆苦を解脱するのみに非ず菩提を成就すべし」=すみやかに仏法僧(仏とその教えとそれを説く僧)の三つの宝に帰依することによって,もろもろの苦しみから解き放たれるだけではなく,悟りの境地に到達するのです。

 以上の読解をつなげてみますと以下のとおりです。

 もし,福が薄く,徳が少ない衆生は三宝(仏法僧)の名前すらまだ聞いたことがないのです。ましてや仏法僧の三宝に帰依するなどということができるわけがないのです。わけがわからないままに不気味で威圧されるようなものに怯えて山神や鬼神などに帰依したり,仏教以外の霊廟に帰依してはならない。人間はその帰依の仕方によってもろもろの苦しみから解き放たれることはない。すみやかに仏法僧(仏とその教えとそれを説く僧)の三つの宝に帰依することによって,もろもろの苦しみから解き放たれるだけではなく,悟りの境地に到達するのです。

 第12節の読解は以上です。

2015年6月5日金曜日

「安保法案は憲法違反」。参考人全員が証言。自民党推薦参考人までも。さあ,どうする?アベ君?

 進路を塞がれたアベ政権。もはや,これ以上,前へ進むことは不可能だ。良識のある政権ならば。しかし,狂人と化したアベ政権は,そんなことは感知しないらしい。早速,菅長官は,「憲法解釈として法的安定性は確保されている。違憲との指摘は全く当たらない」,と記者会見。いやはや・・・・開いた口が塞がらない。

 もう一度,中学生にもどって,憲法の勉強をし直してもらうしかない。憲法9条をどのように解釈し直したところで,海外での交戦権は認められない。第9条の条文を読めば素人でもわかる。

 何回でも繰り返そう。憲法第9条は以下のようにたった2項だけだ。
 1.日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するために,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

 むつかしいことはなにも言ってはいない。こんな単純明快な「第9条」を,ひねりにひねって拡大解釈をし,海外で戦争ができる国家に作り替えようとアベ政権は必死だ。国家の骨格を定めた憲法を無視してまでも・・・・・。

 これまでの自衛隊をもつときの議論ですら,憲法違反とする憲法学者は圧倒的に多かった。にもかかわらず,拡大解釈をして,憲法の範囲内で,というご都合主義的解釈で押し切ってしまった。こんどは,それを,さらに拡大解釈をして,ということは憲法の規定する範囲を大幅に逸脱して,それを「合憲」であるとして押し通そうとする無理難題を,国会につきつけてきたのだ。

 それに対して,衆院憲法審査会に参考人として国会に召喚された各党推薦の憲法学者は,全員,その法(のり)を超えることなく,まっとうな証言をした。安保法案(=戦争法案)は「憲法違反」である,と。あわてたのは自民党・公明党であろう。まさか,自分たちが推薦した参考人までもが「憲法違反」であると証言するとは考えてもいなかったはずだから。

 今朝(5日)の東京新聞は一面トップにこの記事を掲げた。そこには以下のように記されている。

 参考人質疑で,自民,公明両党の与党と次世代の党が推薦した長谷部恭男早稲田大教授は,集団的自衛権の行使を認めた昨年7月の憲法解釈変更に基づく安保法案にいて「従来の政府見解の論理の枠内では説明できず,法的安定性を揺るがす」と批判した。与党が推薦する参考人が,政府提出法案に異論を唱えるのはもちろん,違憲と明言するのは極めて異例だ。

 以上が新聞記事。長谷部教授にこころからエールを送りたい。憲法の専門家として,学者生命のすべてをかけて,みずからを参考人と指名した政治権力に「NO」をつきつけたのだから。まだ,こういう人がいる。生きている。世も棄てたものではない。

 さあ,ここからは野党の踏ん張りが重要になってくる。議論はただ一点に絞ってやってほしい。「違憲」か「合憲」か。二者択一。これだけでいい。なぜ,違憲なのか,あるいは,なぜ,合憲なのか,徹底的に明らかにしてほしい。

 折しも,明日(6日)の夕刻からは,立憲デモクラシーの会が主催する「シンボジウム<立憲主義の危機>」が東京大学(法文1号館25番教室)で開催される。日本を代表する憲法学者を立てて,講演とシンポが行われる。ここでの議論が楽しみになってきた。

 いよいよ政治の潮目がはっきりと変わりはじめたようだ。
 日本人の良識が,ようやく,機能しはじめた,というところ。
 さあ,これからだ。手綱を引き締めて,一歩を踏み出そう。
 若者たちも立ち上がっている。

 こんどは,われわれ国民の番だ。われわれ一人ひとりが,それぞれの立場から声を大にして意思表明を展開していくことだ。頑張ろう。

Ain Figremin の新しいアルバム『By Play』を聴く。またまた進化していて驚く。

 小さな幼児だったころから知っている男の子が,やがて少年になり,音楽に目覚め,バンドを組んで活躍するようになり,とびとびながらライブも聞かせてもらってきたAin Figremin のリーダーMii(ギターとボーカル)の新しいアルバム『By Play』を聴かせてもらった。前回,ライブを聴かせてもらってから少し間が空いたせいか,すっかり進化していることにびっくり。

 まずは,なにより「しっとりと」聴かせるバンドに変身していて驚いた。まずは,ボーカルの声の音域がはるかに広くなっているように感じた。しかも,高音が聴かせる。切々と歌に籠められた思いが伝わってくるのだ。しかも哀切を帯びていて,じつに自然体だ。サウンドも以前はかなりうるさかったが,こんどのアルバムはボーカルを引き立てるようにアレンジされている。気持が落ち着くというか,すんなりと歌詞と音が聴く者の内面にしみこんでくる。

 歌詞カードの奥付をみると,all songs & all words by Mii, all arranged by Ain Figremin, とある。なるほど,曲と歌詞はMii が担当し,編曲はバンドのメンバー全員で取り組んだことがみえてくる。ということは,バンドのメンバー全員の志向する音楽が,こんどのアルバムを生みだしたのだと納得する。そして,それがボーカルを引き立てるサウンドとなって表出しているのだ,と。

 まあ,年齢的にも,ただひたすらエネルギーを爆発させ,全面的に燃焼しつくすというか,つまりはバタイユのいう「消尽」(存在の原点に触れる)に向けて全身全霊を籠めて突っ込んでいく,いわゆる青年の時代を通過して,やや成熟した成年へと加齢したからだろうか。それもあるだろうが,それだけではなさそうだ。そうではなくて,バンドのメンバーが共有するコンセプトが,みごとなハーモニーを生みだしている,その結果なのだということのようだ。

 思いなおして,歌詞カードを手に,もう一度,聴き入ってみる。なるほど,全体を流れているトーンは「By Play 」なのだ。主役を演ずるほどには気を入れることもできないまま,さまよいつづける魂に身をゆだねつつ,そのさきにあるはずの「なにか」(Etwas )が見え隠れしている,そんな風景が浮かんでくる。そんな情況に置かれている人間の「湾曲するhuman play 」と「凝固するtender land 」が交叉する世界。Miiの独特のまなざしから透けてみえてくる世界。

 アルバム全体を貫くコンセプトが明確になった分だけ,サウンドもみごとに調和しているように聴こえてくる。このバンドは,まだまだ「のびしろ」がいっぱいありそうだ。つまり,いま,Miiの視界のなかに見え隠れしている世界が,これからさきどういう方向に向かうのか,それ次第で「大化け」する可能性を秘めているようにおもう。楽しみがいっぱいだ。

 Mii の歌唱力も,ますます非凡なものを感じさせるようになってきている。ひところはギターのテクニックの非凡さに驚いたが,こんどは聴く人を一気に惹きつける歌唱力が大きな魅力になってきているようだ。加齢とともに,Mii のなかに秘められた非凡な才能がますます開花してくる,そんな予感につつまれた優れたアルバムにこころからのエールを送りたい。

 Mii !  進め !  おのれの信ずる道を,まっしぐらに !

2015年6月4日木曜日

新国立競技場がまたまた暗礁に。ここは大勇断をふるって,0(ゼロ)からの仕切り直しを。

 国立競技場建て替えについては,最初から問題だらけだったが,ここにきて,とうとう開催都市である東京都と文部科学省とが正面衝突。どちらも一歩も譲らず,暗礁に。そこに割って入った組織委員会会長の森喜朗がまたまた余分な,無責任きわまりない記者会見。こうなると,問題はますます泥沼化してしまい,もはや,解決の糸口もなくなってしまいそう・・・・。

 ここはいっそのこと,すべての計画案をご破算にして,0(ゼロ)からの仕切り直しを提案したい。

 リーズナブルな設計であれば,2年もあればできると建築の専門家たちはいう。だから,これまでのようにJSC(日本スポーツ振興センター)ひとりに委ねないで,東京都や関連各機関の代表者を集め,これから半年かけてじっくり議論を重ね,合意形成をすべきだ,と識者たちは主張する。たしかに,それ以外にこの問題の解決策はなさそうだ。

 そういう大勇断をすべし。

 新国立競技場建造計画問題の発端からこんにちまで,すべての不手際は文部科学省の所管法人であるJSCの無能力・無責任につきる。それをみてみぬふりをしてきた文部科学省,つまりは文部科学大臣の下村に最終責任がある。ふつうなら,ここで下村は責任をとって辞任すべきだ。しかし,いまの政権の責任逃れ体制では,こんなのはたいした瑕疵ではない,という判断なのだろう。しかし,下村のこれまでやってきたことをトータルに考えると,これを機会に責任をとって辞任するのが筋だ。ところが,そんな議論はどこにも起こらない。ジャーナリズムの「死」。

 今日の森喜朗会長の記者会見(TBS 6月3日(水)19時38分配信)によれば,東京都が五輪を開催したいと言ったのだからその会場のすべてを東京都が準備するのが筋ではないか,と切り出す。もう,この冒頭の発言からして嘘だ。政治家はこういうもっともらしい嘘をついて世論を動かし,問題の本質をはぐらかしてしまう。この発言は,明らかに下村をかばうための予防線だ。そして,いかにも東京都にも責任の一端があるかのように見せかける。

 新国立競技場は国立の施設なので,すべては国の予算で行われるという前提で,文科省の下部機関であるJSCが事業主体となって,これまですべてを取り仕切ってきた。つまりは,東京都は蚊帳の外だった。設計コンペもその選定もすべてJSCが取り仕切った。そして,あの悪評高い「ザハ」案が採用された。しかし,槇文彦さんを筆頭とする建築家集団はいっせいに,技術的にも,コスト的にも,景観的にも,こんな建築は認めるわけにはいかない,と反発した。そして,そのための代替案がいくつも提示された。そして,つい最近もまた,槇文彦さんグループが新たな解決案を提示している。が,JSCはまったく聞く耳をもたずに,ここまで押し切ってきた。

 その間の動向は以下のとおり。12年11月にはザハ案の総工費は1300億円と試算されていた。しかし,その後の試算では一気に3000億円に跳ね上がった。そこであわてたJSCは,床面積を25%削減して,総工費1785億円(13年11月公表)に押さえ,さらに資材などの見直しをして1692億円(14年1月)と試算していた。

 しかし,ことしの5月になって,突如として,屋根なし,仮設スタンドで五輪を開催し,五輪終了後に屋根をつけ,仮設スタンドを撤去する,という案を文科省が公表し,なおかつ,東京都に金を負担しろ,と言ってきた。理由は,屋根をつけると工期が間に合わないばかりか,費用が足りない,というのだ。どの顔をして,そんなことが言えるのか,最初から建築の専門家たちが,何回にもわたって警告を発してきていたではないか。

 問題は,ザハ案は東京五輪招致の目玉として,多くのIOC委員の耳目を集めることに大いに貢献したにもかかわらず,そのザハ案は陰も形もなくなってしまい,あげくのはてには金がない,工期が間に合わないという醜態を,世界に向けてさらすことになったことだ。これで日本の国際社会での信頼は一気に瓦解してしまうことになる。それでは困るから,東京都は黙って総工費の3分の1を負担すべきなのだ,それが,これまでの約束だった,と森喜朗は記者会見で主張する。

これでは都知事ひとりが駄々をこねているかにみえる。さて,この会見を聞いて,舛添知事はどのような反応を示すのか,みものではある。しかし,もはやそんな泥仕合をこれ以上つづけている猶予はない。それこそ時間切れになってしまう。だから,まずは,そんな裏社会の闇取引はすべて御破算にして,O(ゼロ)から仕切り直しをする以外に,いまは,うまい解決策は見当たらない。

 はたして,そのような大勇断をくだすことができるかどうか。

 それができなかったら,そのさきには,おそらく間違いなく東京五輪を返上しなくてはならないような事態が待ち受けていることだろう。それ以外にも返上しなくてはならなくなる時限爆弾をいくつも抱え込んでいるのだから。

 いよいよ暗雲漂う・・・・とわたしの眼にはみえるのだが・・・・。

2015年6月3日水曜日

いま一度,憲法第9条・ポツダム宣言・カイロ宣言をしっかりと頭に刻め。そして,アベの嘘を見抜け。

 このところの連日の国会での「戦争法案」をめぐる議論が,想像を絶するお粗末さに,多くの国民がうんざりしていることは間違いないだろう。自民党支持者ですら今国会で「戦争法案」を通すべきでないとする人が過半数を超えている。「丁寧に説明されていない」とする人は8割を超えている。それでもアベ政権は民意を無視してなにがなんでも通過させようと必死になっている。もはや,まともな人間とはとても思えない。それどころか,すでに狂人の領域に入っている,としかいいようがない。

 第一,野党のよく勉強してきた議員による質問に対して,アベを筆頭に各大臣も,官僚も,誰一人としてまともには応答していない。いや,できないのだ。だから,全部,空回りの,はぐらかしの答弁に終始する。そして,自分たちの決まり文句を繰り返すばかり。勉強のレベルが違いすぎるほどに,アベも各閣僚も不勉強なのだ。あるいは,頭が悪いのだ。

 とおもっていたら,じつは,そうではないらしい。なぜなら,勉強すればするほど,自分たちの提出している法案がでたらめで,矛盾だらけで,無理難題を押しつけていることがわかってきたからだ。だから,ここは「のらりくらり」と交わして,すり抜ける手にでたのだ。だから,バカ丸出しの,矛盾だらけの答弁を平然とやるしか方法はないのだ。

 アベが「ポツダム宣言」を詳らかには「読んでいない」と答弁したのも,「ポツダム宣言」についての議論をしたくなかったからではないのか。それは,予期された意図的・計画的な戦略だったのではないか,とわたしはみている。一国の総理大臣が「ポツダム宣言」を読んでいないはずがない。なぜなら,全文を読むにしても,全部で13条,5分もあれば読める,そういう代物だ。しかも,むつかしい議論はなにもない。単純明快な取り決めだけである。

 たとえば,そのポイントとなる第7条・第8条・第9条を取り出してみよう。

 第7条 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノココニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
 第8条 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島に局限セラルベシ
 第9条 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭に復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ

 これがいわゆる「無条件降伏」の中核をなす部分である。しかも,この宣言はアメリカ・中国・英国の3カ国によってなされ,ソ連はそののちに加わった。つまり,中国が聯合国の主要な一員であったことを,わたしたちは忘れてはならない。

 しかも,改めて指摘するまでもなく,このポツダム宣言は「カイロ宣言」(日本国に関する米・中・英三国宣言・1943年12月1日)を前提にしてまとめられたものである。そこには,1914年の第一次世界大戦後に日本国が中国から奪った領土はすべて中国に返せ,と謳われている。この前提に立てば,尖閣諸島は中国のものであり,少なくとも「係争地」であることは間違いない。この事実を無視して,日本国は勝手に日本の固有の領土だ,と嘯いているにすぎない。アベはこのだまし絵をみごとに利用して「危機的情況」を生みだしているにすぎない。

 国会の場での議論で,ここに触れられると中国による脅威論が根底からくずれてしまい,「戦争法案」を提出する大きな根拠のひとつがなくなってしまう。だから,アベは「知らない」で押し通してしまった,とわたしは推理する。

 中国の言うように,尖閣諸島を「棚上げ」にもどせば,とりあえずは「係争地」として封印しておくことができる。そうすれば,日中の関係はもっともっとよくなっていく。事実,尖閣諸島を日本固有の領土であると宣言する前までは,この地での日中共同開発の計画も進んでいたではないか。中国が「歴史に学べ」と主張する根拠はこれだ。それに対して日本国は尖閣諸島をめぐる「領土問題は存在しない」という一方的な主張で切り抜けようと必死だ。中国が国際司法裁判所で決着をつけようという提案に対して,日本国はそんな必要はない,と逃げ回っているのが実態だ。

 最後に,日本国憲法第9条の条文を挙げておく。これをとくと眺めてみれば,素人でも,アベの提出している「戦争法案」が憲法違反であることは明々白々である。どうしてもやりたいのであれば,まずは,憲法を改めてから「戦争法案」にとりかかるべきではないか。つまり,順序が逆なのだ。この憲法第9条があるかぎり,「戦争法案」はいかなる理由があろうとも,国会を通過させてはならない。それは,日本の政治の堕落であり,日本国民の恥だ。

 日本国憲法第9条
 1.日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

 こうした経緯をしっかりと頭に入れた上で,いま国会で行われている茶番にも等しい「議論」を監視していくことが,いまのわたしたちにとっての喫緊の課題なのである。 

2015年6月2日火曜日

林(りん)神社=日本に唯一の「饅頭の社」。漢國(かんごう)神社の境内。奈良市街地のど真ん中。

 登大路の高天交差点から三条通りにむかって歩いていくと右手に赤い鳥居が目に飛び込んできます。一瞬,足をとめて鳥居の周囲の社標を眺めていたら,意外なものがあってびっくり。

 
ひとつは「漢國(かんごう)神社」という表記,もうひとつは「林(りん)神社」という表記。こちらには,わざわざ「饅頭の社」という社標も立っている。さらには,徳川家康公鎧と鎧蔵などの標示もある。白雉塚(はくちづか)があるとか,平安城宮内省へ勧請したとか,まあ,いったいこの神社はどうなっているの?というわけのわからない標示がいっぱい。

そこで,迷わず境内の中に一歩を踏み入れる。すると,さらに驚くことになる。
 正面の拝殿のところに「漢國(かんごう)神社由緒略記」というB4サイズの説明書が積んであったので,お賽銭を少しだけはずんで,一枚,頂戴する。

 冒頭に大きく,つぎのように書いてある。
 祭神三座
 園神(そのかみ) 大物主命(おおものぬしのみこと)
 韓神(からかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)

 なんのことはない,出雲の神様ではないか。しかも,大物主と大己貴は同神異名の同一の神様ではないか。しかも,大物主は「園神」で,大己貴は「韓神」だとある。いったい,「園神」とはどういう神様のことなのか,そして,「韓神」とはどういう意味なのか,と首を傾げる。ひょっとしたら,園神とはむかしからいる土着の神様のことで,「韓神」は渡来神のことかな,などと勝手に勘繰ってしまう。だとしたら,話は矛盾してしまう。もっとも,大物主は大国主と同一の神様と位置づけ,それを古くから居ついている土着の神様としておいて,大己貴を大黒様に,少彦名を恵比寿様に置き換えて,この人たちを渡来の神様にしてしまった,とも考えられます。

 古代の神様たちはいかようにも変容してしまうところがまたなんともいえない面白さ。

 これらの神様の鎮座由来によれば,以下のとおりです。
 当神社は推古天皇の元年2月3日(今より1400年前),大神君白堤(おおみわきみしろつつみ)と申す方が,勅(みことのり)を賜いて園神の神霊をお祭りせられ,其後元正天皇の養老元年11月28日,藤原不比等公が更に韓神の二座を相殿として祀られたのが漢國神社であります。古くは春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称しました。

 これを読みますと,大神君白堤という人物が三輪山の大神神社に関係する人らしいということがわかります。だから,園神が,大神神社と同じ大物主で,ぴったり一致します。しかし,面白いのは,藤原不比等が,わざわざ韓神の二座を合祀したことです。そして,それが漢國神社であると言っていることです。しかも,それ以前は春日率川坂岡社と呼ばれていたというのですから,なぜ,その社名を変えなくてはならなかったのか,そこに藤原不比等の密かな陰謀が隠されているようにおもわれます。

 ちなみに,この神社の裏側は開化天皇陵と隣接しています。その意味でも微妙な位置にあるといっていいでしょう。

 この漢國神社の境内の中に,「饅頭の社」と呼ばれる林神社がであります。この神社の由緒は以下のとおりです。

 
林神社は,林浄因命を御祭神として御祀りする我が国で唯一の「饅頭の社」であります。林浄因命は中国浙江省の人,林和靖の末裔で,貞和5年に来朝され,漢國神社社頭に住いされるや,我が国で最初の饅頭を御作りになり好評を博しました。その後,足利将軍家を経て,遂には宮中に献上するに至り,今日全国の菓業界の信仰を集めています。以下略。


 この話も,別の資料にあたって調べてみますと,まことに面白いことがわかってきます。が,長くなってしまいますので,ここでは割愛。ただ,饅頭は中国から伝わった食べものであった,という根拠がこの神社にある,ということだけは指摘しておきたいとおもいます。


 JR奈良駅と近鉄奈良駅のちょうど中間のところにありますので,どちらからでも,すぐに歩いて行けるところです。機会があったら,ぜひ,立ち寄ってみることをお薦めします。

 今日のところはここまで。

2015年6月1日月曜日

突然ですが,肝臓に転移がみつかり,ステージ4と判定。さあ,どうする?

 今日(6月1日),2カ月ぶりの胃ガンの定期検診に行ってきました。エコーとCTの検査を受けました。その結果,胃ガンの方は順調な回復ぶりで,とくに問題なしとのこと。やれやれ。ところが,新たに重大な問題が見つかりました。ガンが肝臓に転移している,というのです。この段階で,ステージ4,ということになります,と。すなわち,末期ガン。主治医も,これまで順調にきていたので,こんなことになるとは予想もつかなかった,と弁明。いえいえ,わたしの強い希望で抗ガン剤治療を放棄したのですから,覚悟の上です,とわたし。

 パソコンのディスプレイを丸見えにしてくれ,これがその部分です,と指し示しながら丁寧に時間をかけて説明してくれました。大きさは2~3㎝。昨年12月のCTの映像と比較しながら,この半年の間にできたものです,と。最近では,肝臓ガンの治療技術も上がってきていますので,この段階だったら切除手術をするのが担当医としての判断です,と。医学的にもこの段階で放置するのはもったいない,と。つまり,治療可能な範囲内である,と。ですから,医者としては手術をお薦めします,と。あとは,総合的に判断して結論を出すのは稲垣さんの問題です,と。そして,Yドクター(担当医・院長の友人で,わたしの教え子)とも相談してみてください。わたしからも話はしておきます,と。

 わかりました。Yドクターともよく相談をして,結論を出すことにします,とわたし。

 とはいえ,さあ,困った,というのが正直な話。

 わたしの選択肢は大きくは二つ。
 一つは,このまま手術をしないで,この肝臓ガンと付き合っていくか,もう一つは,担当医の薦めるように切除手術を受けるか,です。

 前者を選べば,いまは元気そのものですので,この元気がつづくかぎり,残された仕事に専念して,書けるものは書き残しておくことに全力を注ぐ,その気力・体力に限界がきたところで,ホスピスに身をゆだねていく,ということになります。この期間がどのくらいになるのかは,だれにもわからない。病状の進行と肝機能が低下していく速度は予測できない,というわけです。ひょっとしたら,ゆっくりで,長い時間があるかもしれない,あるいは,思ったよりも短いかもしれない。それは神さまのみが知ること。つまり,まるごと神さまに身をゆだねるかどうか,という選択。

 後者を選べば,確率の問題。切除手術を受ければ,この患部に対する処置は済むわけで,一旦はかなりの確率で元気にはなれる。しかし,そのあとの対応をどのようにしていくかによって,また,選択肢がいかようにも増えていくことになります。たとえば,また,どこかに転移していくかもしれません。あるいはまた,奇跡的に完治してしまうかもしれません。そんなことはありえないにしても,そういうありとあらゆる想定のもとに,さて,わたしの仕事はどの程度,実現可能なのか,ということになります。こちらもまた,神さまの領域です。

 したがって,あとは「エイッ,ヤッ」と気合一つで決めるしかありません。一種の「宙づり」状態に置かれてしまったわけですので,デリダのいう「力の一撃」を加えるのみです。正義はそれしかない,のですから・・・・。

 とまあ,いま,突如として立たされているきびしい情況をみずからに知らしめ,気持を落ち着かせるために,このブログを書いています。そして,公表することによって,気持の整理をし,みずからに引導をわたそうという算段です。

 こんなときにわたしの脳裏をよぎるのは,道元さんだったらなんと言うだろうかとか,ジョルジュ・バタイユだったらどんな判断をするだろうかとか,ジャン=リュック・ナンシー(心臓の移植手術を受けたフランスの哲学者,いまも存命)だったらどのように考えただろうかとか,その他,もろもろのにわか勉強をして知り得たガンに関する知識や事例です。そして,日進月歩のように進歩しつづけているガン治療の現場ですが,それにもかかわらず,駄目なものは駄目(このところ立て続けに著名人が胃ガンであっという間にこの世を去っている)の世界でもあります。

 わたしが胃ガンの手術を受けてから1年と4カ月。そして,肝臓への転移の発覚。ゆっくり進むガンであることは間違いありません。早いガンであったら,去年のうちにこの世を去っています。ですから,問題は,このゆっくり進むガンのスピードと,老化現象が進むスピードと,切除手術をしてガンと闘いながら衰弱していくスピードの,どこに「賭ける」か,ということになります。

 金銭を伴う「賭け」も含めて,「賭け」は,みんな立派な神さまの領域の問題ですので,それらはすべて,まぎれもなき「正義」の世界の話です。

 これから2週間後に向けて,いろいろの人のご意見に耳を傾けながら,最後はサイコロでも振って,神さまのご意思を伺うことになるのでしょう。でも,それにしても,ここはひとつ「賢い」選択ができるように,これもまた神さまに祈るのみです。

 人間はサイエンス(=パン)のみで生きるにあらず,ということです。

 さてはて,神さまの判定やいかに。