2013年9月30日月曜日

「盤双六をする遊女とお客」の屏風絵(国宝)について考える。


                    盤双六を楽しむ遊女と若い客

 盤双六(ばんすごろく),英語でいえばBackgammon,日本の古くからのこの遊びを知っている人はいまではほとんどいないらしい。それもそのはず,徳川幕府が徹底的に弾圧をくわえ,天保年間(1830~33)に消滅してしまった,といわれている。それほどにこの盤双六はむかしから大流行していて,江戸時代に入ってもその勢いが収まらないでいた。幕府はこの傾向をこころよしとせず,徹底的に取り締まり,とうとう姿を消すにいたったという。

 この謎の盤双六,もともとはインド発祥の波羅塞戯(ばらそくぎ)。盤上遊戯としては,いま確認されているかぎりでは,世界最古のものらしい。日本には中国経由で仏教とともに伝わった,という。采棒(木または竹,のちに六面体のサイコロとなる)を振って,でた目の数に応じて石の位置取りをし,相手の石の邪魔をしながら,早く自分の石を相手陣営に全部送り込んだ方が勝ち。ルールはかんたんだが,その駆け引きには含蓄があり,なかなか奥の深い遊びらしい。

 
 元来は神聖なる占い用の呪具だったが,世俗の世界に取り入れられると博奕(賭博)の道具と化した。以来,大人気で,各地で大流行したという。『日本書紀』にも,あまりに流行したために禁令を発した,と記されているほどだ。清少納言の『枕草子』には「つれづれ慰むもの」のひとつとして数えられている。鎌倉時代や室町時代には絵巻物にも数多く描かれるようになり,その人気ぶりが忍ばれる。戦国時代には留守を預かる武家の女性たちが気晴らしに楽しんだ,ともいう。そうして,江戸時代に入っても衰えることはなかった。そこで,幕府は強権を発令して禁止し,とうとう廃絶に追い込んだ,という。そして,いまや幻の遊戯と成り果ててしまったという次第である。

 この絵の出どころは,彦根屏風(国宝)。彦根城主であった井伊家に代々伝わった六曲一双の屏風という意味でこの名が残る。描かれたのは寛永年間(1624~44)で,狩野派の画家の手になると考えられているが,詳細は不明。江戸初期の室内男女の遊楽のさまを写したもの。初期風俗画のなかでは傑作の部類だという。

 さて,この絵に注目してみよう。左側に立て膝で座り,采棒を右手にもっている女性は,どうみても鉄火場で腕をあげたプロの姐御さんのように見受けられる。まだうら若い,お人好し風の男性は,女性のもつ采棒に見とれている。もう,すっかり姐御の術中にはまっているかのように,間抜けた顔をしている。おそらくは,正面奥の女性が遊女で,姐御と二人で色仕掛けに彩られたあの手この手で若者のこころを誑かしているに違いない。

 この場所は遊廓の一室。いろいろの室内遊戯が用意されていたようで,歌舞音曲とともに,飲食したりして一夜を楽しむ。ここでの盤双六は,間違いなく「賭ごと」として行われていたといってよいだろう。いわゆるサイコロ賭博の勝った・負けたの単純な勝負の世界とは違って,男女の色事のなかでの「賭ごと」は,あの手この手の千変万化の応酬があって,人情の機微に富んだものだったのではないかと想像される。

 こうした色事を含む遊びこそ,全知全能をかけた男女の互酬性の表出である。つまり,お互いの全存在を賭けた,まるでポトラッチのような「贈与」なのだ。すなわち,「生」の琴線に触れる,命懸けの消尽なのだ。だからこそ,一度でも,このエクスターズの味を占めてしまったが最後,足が抜けられなくなってしまう。

 たかが盤双六などと思うことなかれ。フロイト流に考えれば,盤双六はセックスそのものだ,ということになる。その意味では,江戸時代初期の遊廓では,セックスの前哨戦として盤双六が重要な役割をはたしていたのかもしれない。しかし,フロイトは,逆に,あまりに盤双六に熱中してしまうと,セックスレスに陥る危険がある,と警告を発している。

 それにしても,人間という「生きもの」は謎だらけで奥が深い。どこまでいっても解明不能だ。だからこそ,あれこれ試行錯誤しながら,いくつになっても生きられるのかも知れない。

 というところで,今日はおしまい。




  
 

2013年9月29日日曜日

フロイトとユングの関係をテニスにたとえると・・・? フロイトの手紙より。

 9月26日のブログで紹介しました『フロイトの「セックス・テニス」──性衝動とスポーツ』(青土社)のなかに,つぎのようなフロイトの手紙が紹介されています。

 私は常に「道徳こそ自明の理」という優れた格言に従う道徳的な人間であると,あなたに言っておかねばなりません。正義感と他人への配慮,人を苦しめたり利用したりすることに対して感ずる嫌悪感に関して,私の右に出る者はいないと思っています。未だかつて意地悪や悪意ある行為をしたことはないし,しようと考えたこともありません。ただ一つの例外は,私がネット際でスマッシュチャンスを得た時,いつもユングの奴にスマッシュを食らわしてやるんだと思うことです。もちろんそれには明らかな理由があるわけですが・・・・。
      ──ジェームス・J・パットナムへの手紙 1914年

 このページの左側のページにはテニス姿のカール・ユングを中心に5人の紳士の写真が掲載されていて,しかも,以下のようなキャプションがついています。

 カール・ユングをキャプテンとする
 ひとりよがりのチューリッヒ派遣団が,
 ウィーン協会とのテニス果たし合いを待っているところ   1911年

 さて,この手紙と写真をどのように読み解くか,それが今日のブログの主題です。
 

 まずは,手紙が書かれた1914年という年号と,写真のキャプションの最後に書き込まれている1911年という年号がここでは重要です。フロイトとユングの蜜月は1913年まではつづいていたと言われています。1911年といえば,ユングはフロイトの推薦で初代の国際精神分析学会会長に就任した年でもあります。その年に,写真のキャプションにあるような「テニス果たし合い」が実際に行われたとすれば,「ひとりよがりのチューリッヒ派遣団」という表現との齟齬が,いったいなにを意味しているのか,気になります。

 ほかのページの写真のキャプションなどを比較してみますと,写真を探してきたのも,それにキャプションをつけたのも,このテクストの編者テオドール・サレツキーの手になるものではないか,と推測することができます。だとしますと,編者のサレツキーはいささか思考が乱れているのではないか,と思われます。そのポイントは,簡単に言ってしまえば,「ひとりよがりの」と「果たし合い」という用語の齟齬にあります。

 1911年は,フロイトとユングは蜜月関係にありますので,このようなテニスによる交流会が行われていたとしてもなんの不思議もありません。ですから,「果たし合い」という表現もきわめて妥当です。この「果たし合い」は険悪な関係を意味しているのではなく,この当時のテニス試合の手続きにしたがった表現にすぎません。といいますのは,親しい関係のある相手チームのキャプテンに向けて,試合を希望するチームのキャプテンは,まずは「果たし状」を書いて,試合の申し入れをします。一般的に,この「果たし状」にはきわめて文学的な表現が用いられていて,教養のレベルを誇示する装置になっています。それに対して,みごとな詩文で応答したときに,初めて試合が成立します。この「果たし状」は,場合によっては,何回もやりとりをした上で,ようやく試合にいたるということも少なくなかったようです。

 ということは,このときの試合は「チューリッヒ派遣団」がウィーンに乗り込んできたようですので,
ユングがフロイトに「果たし状」を書いて,それにフロイトが応答した,という経緯があったと考えてよいでしょう。つまり,この両者は,間違いなく蜜月関係にあった,という次第です。しかし,そこで気になるのは「ひとりよがりの」という形容句です。

 「ひとりよがりの」という言い方は,のちのフロイトとユングの離別を予見したものなのか,あるいは,このときすでに「ひとりよがり」な傾向がユングには表れていた,ということなのでしょうか。少なくとも,1914年には「犬猿の仲」になってしまっていたことが,フロイトの手紙に残されています。「奴(ユング)にスマッシュを食らわしてやるんだ」という敵愾心むき出しの表現にはいささか驚きを禁じ得ません。が,それほどに深い溝ができてしまうほどの離別だったことを,わたしは注目したいと思います。

 その決別の原因が,フロイトの「性愛理論」や「エディプス・コンプレックス」の定式化を,ユングが反対したことにあった,ということに注目しておきたいと思います。そして,以後,フロイトはユングを頂点とする国際精神分析学会の進む「精神分析」の傾向にことごとく批判を浴びせていきます。そして,その傾向をユングの「ひとりよがり」,すなわち,ユングの独断と偏見によるものだ,と断定しています。

 この傾向を,編者が,この写真のキャプションに利用したのではないか,というのがわたしの推理です。とりあえず,このテクストに対するクリティークの第一弾まで。

2013年9月28日土曜日

「高江に行ってきます」とNさん。「えっ?」と驚くわたし。「ちょっとだけ座ってきます」とNさん。

 25日(水)の太極拳の稽古のあとの昼食をとりながらの雑談で,ふと,ひとりごとのように「高江に行ってきます」とNさんがぽつりと言う。「えっ?あのー,やんばるの?」とわたし。「そう。ちょっとだけ座ってきます」とNさん。わたしは呆然としてしまって,つづくことばが出ない。頭の中では,ああ,目取真俊さんや中里効さんのことなどが浮かんでいるのだが,会話をはずませることができない。残念の極み。Nさんは,そのあとひとこと,ふたこと加えただけで,話題を変えてしまった。なんだか,申し訳ない,と思う。

 わたしはNさんの個人的な生活サイクルのすべてを知っているわけではない。しかし,毎週,太極拳で汗を流し,昼食をとる間柄になれば,おのずから,いま,どんなスケジュールをこなしていらっしゃるかは,想像できるようになる。でも,それもほんの一部にすぎないはずだ。それでも,わたしなどは想像もできないほどの過密スケジュールをこなしていらっしゃる。たとえば,このときも「今月は雑誌原稿をひとつ落としてしまったんですよ」といささか寂しげにぽつりとおっしゃる。

 なのに,「高江に行ってきます」とおっしゃる。このところ自分のことで精一杯の生活を送っていたわたしは「高江」と聞いても,ピンとこなかった。そのあと,鷺沼の事務所に着いてから,なぜ,いま,なのだろう,と考える。そういえば,最近,高江関係のネット情報をチェックしていないなぁ,と気づく。慌てて,検索をはじめる。

 2012年9月29日,この日は,前代未聞の「アメリカ軍・普天間基地が封鎖された日」だった。つまり,オスプレイを配備することに反対する住民が立ち上がって,敢然として普天間基地のゲートを封鎖したのだった。高江はそのオスプレイの演習場として想定されていたのだった。だから,ここでも村民が立ち上がって,封鎖の座り込みが行われたのだった。

 そんなことが,つぎつぎにわかってくる。ああ,そうか,Nさんはそのことが念頭にあって,この9月29日に合わせて,たった一日でもいい,とにかく「行って,座ってこよう」と決心されたのだ,と気づく。あの,超多忙のスケジュールをこなしているNさんが・・・・。自分のことを犠牲にしてでも,とにかく「高江で座る」ことを選ぶ,その心意気。このことに気づいて情けなくなるわたし。

 沖縄のことはかなり意識してきたつもりだった。しかし,やはり,他人事でしかなかった,と。自分自身の問題として真っ正面から対峙する自覚に欠けている,と。もう少し,日常的にも,沖縄のことをわが身に引き受けることをしなくては・・・,と悄気てしまう。

 ふと,Nさんが講義のなかで語られた「自発的隷従」のことを思い出す。このことばは,ルネッサンス期にエティエンヌ・ドラボエシーという18歳の若者が書いた論文のタイトルに使われたのだ,という。しかも,たった一つのこの論文によって,ドラボエシーは後世にその名を残すことになったという。ドラボエシーのいう「自発的隷従」とは,以下のような意味できわめて重要であり,いま,まさに,このことばの意味をしっかりと受け止めなくてはならない,という。

 ときの権力は,力で住民をねじ伏せて,権力の維持・拡大をはかるのではない。むしろ,住民がなにも文句もいわずに我慢しているから権力がのさばるのだ,と。これが骨子だという。つまり,多くの住民は,多少の不満があっても我慢する。文句も言わず,意志表明もしない。もちろん,デモもしない,座り込みもしない。むしろ,自発的に権力にすり寄っていき,率先して隷従を引き受ける。だから,権力は力を誇示する必要もなく維持され,ますます増長するのだ,と。

 こんにちの日本人の圧倒的多数が,いまや,この「自発的隷従」の陥穽のなかに,無意識・無自覚のまま陥っている。だから,この「自発的隷従」の状態をしっかりと自覚し,それを突破すること,これこそが喫緊の課題である,とNさんは講義を締めくくったように記憶する。

 Nさんは,それをみずからに課して,実行していらっしゃる。雑誌原稿を一つ落としてもなお,いまは,高江で座ることを優先させる。時間もカネもかかる。しかし,背に腹は代えられぬ。まずは,立ち上がって,行動すること。ここからすべてがはじまる。それに引き換え,このわたしは口で言うだけ。行動が圧倒的に足りない。深く恥じ入るばかり。

 この歳になっても,まだ,ひとりの人間として自立・自律できていない。情けない。わたしも「自発的隷従」に与していたことを深く恥じ,こころを入れ換えて,今日からの生き方をきびしくチェックしていくことにしよう。などと言わずに,気がついたら「自発的隷従」の<外>にでていた,といえるようになりたい。もって瞑すべし。

岩波の雑誌『世界』に原稿を書きました。東京五輪招致をめぐる問題系について考えてみました。

 このブログで,しつこく東京五輪招致運動をめぐる不満を書きつづけていたら,岩波の雑誌『世界』の編集者の目にとまり,原稿依頼がありました。いろいろの予定がびっしり詰まっているときでしたので,ほとんど時間がとれないまま,大急ぎで書きなぐって送りました。

 そうしたら,枚数オーバーになるので,この話はやめておこうと思ってカットしたところを,ピン・ポイントで「これこれの内容のものがほしい」とみごとに指摘されてしまいました。さすがに切れ味鋭い編集者はすごいなぁ,と感心してしまいました。追加分の字数は「650字」でした。

 しかし,いざ,書こうとしてパソコンに向かったら,わたしの頭の中では「6枚半」(400字)に切り替わっていて,せっせと書きつらねていました。書き終わって,やれやれと思ったら,なんと「650字」だったという記憶がよみがえり,唖然としてしまいました。まあ,いいや,ひとまずこのままの原稿を担当編集者に送信して,「なんとか圧縮して,指定枚数に収める努力をします」と書き加えておきました。すると,この追加部分が欲しかったので,このままでページ数を増やします,という返信。思わず飛び上がって喜びました。

 よしっ,これでいい,と。この追加分が入ることによって,ちょうど,全体のバランスがよくなる。もし,あちこち圧縮するとなると,話がややこしくなってしまう・・・と危惧していたからです。このままが一番いい。それがわかってくれる担当編集者はすごい,と二度びっくり。その日の夜はすっかり安心して,熟睡することができました。

 いまはもう,最終ゲラのチェックも終わり,あとは,10月8日発売を待つのみとなりました。

 この原稿の下書き段階でチェックを入れてもらった友人たちも,とても面白い,と言ってくれていますので(しかも,追加原稿のない段階で),ぜひ,書店で手にしてみてください。

 書いた内容は,ブログで書いたことの焼き直しはいやでしたので,少しだけ視点をずらして,『世界』の読者に読んでもらえるように頑張りました。タイトルは「オリンピックはマネーゲームのアリーナか」──「魂ふり」から「商品」へ 変転するスポーツ,です。メイン・タイトルはわたしのつけたもの,サブ・タイトルは編集者の工夫。なるほど,このサブ・タイトルのつけ方もうまいものだ,とわたしが感心。いい編集者に出会うと,駄目な原稿も一味違ったものに化けてくれます。まことにもって,ありがたいかぎりです。

 タイトルと,わたしがこのブログで書いてきたこととを重ね合わせれば,だいたいは推測していただけるのではないかと思います。オリンピック憲章からアマチュア規定が消えたあたりから,アスリートたちの金融化が急速に進み,同時に,IOC会長がサマランチに代わったあたりから,オリンピックもまたマネーゲームに狂奔することになり,もはやオリンピック・ムーブメントの理想はどこかに消えてしまったのではないか,という趣旨のことを書きました。

 そして,担当編集者の求めた「スポーツとはなにか,オリンピックとはなにか」を書き足しました。短い文章のなかに,わたしの言いたいことを凝縮して書いておきました。もし,まったく新しい思考を見いだすことができるとすれば,この部分です。この部分は,長年かけてジョルジュ・バタイユを読み込んできた,その成果(精華)がようやく実ったところでもあります。

 スポーツの感動は「魂ふり」にある。アスリートたちはもとより,それを見ているわたしたちをも「魂ふり」を体験させる源泉は,サルがヒトに,そして,ヒトが人間にと進化してくる過程で,失ってきた動物性に「触れる」ところにある。そのためには,近代的合理主義や理性中心主義(科学的合理主義)から離脱して,マルセル・モースのいう「贈与」(ポトラッチ)を可能とする世界へと移行することが必要である。そのことが無意識のうちにできるアスリートとサポーターが出会うとき,至福のとき,すなわち「魂ふり」=「感動」に出会うことができる。100mのウサイン・ボルトや大相撲の朝青龍はそういう存在であった。だから,この人たちが絶好調で,最高のパフォーマンスを実現したときには,じつに多くの人が「魂ふり」に遭遇し,「感動」に打ち震えることになる。

 この「魂ふり」,すなわち「感動」の場であるはずのスポーツや,オリンピックを金融化してしまい,切り売りをはじめるとき(サマランチ会長以後,とみに顕著),もはやそれはスポーツでも,オリンピックでもなくなってしまう。もはや,オリンピックのミッションは終わった,としかいいようがない。だから,東京五輪開催を機会に,スポーツとはなにか,オリンピックとはなにか,原点に立ち返って,みんなで智恵を出し合うことを願ってやまない。

 同時に,東京五輪開催によって,いま,日本が抱え込んでいる非常事態=フクシマを筆頭に,難題が山積しているその実態が隠蔽されることを危惧する,と。以下,省略。

 というようなことを縷々,書きつらねてみました。
 どうぞ,10月8日には書店に並ぶことになっていますので,『世界』11月号を手にとってご覧になってください。

 なお,マルセル・モースやジョルジュ・バタイユについては,このブログでも扱っていますので,以前からの読者にはすでにおなじみの話になっているはずです。詳しくは,検索をかけて調べてみてください。とりわけ,バタイユについては,膨大な論考を積み上げてきていますので,ぜひ,参照してみてください。さらには,『スポートロジイ』(みやび出版,創刊号・2012年,第2号・2013年)にもブログからの転載したものがありますので,ご確認ください。

 とりあえず,今日のところは,ここまで。

2013年9月26日木曜日

『フロイトの「セックステニス」──性衝動とスポーツ』(テオドール・サレツキー編,福原泰平・大川恵里訳,青土社,1990年)を再読。

 大量の蔵書を「T文庫」に寄贈するにあたって,どうしても手元に置いておきたい本だけを選別する作業をしました。そのときにでてきた(長い間,探していたのですが,どうしても見つからなかった)本の一つがこの本でした。いまから23年前に刊行されて,すぐに購入した本でした。

 当時から,この本に大きな衝撃を受けていたのですが,それをどのように表現したらいいのか,その思考の再構築に悩まされていました。あれから20年余,わたしの読解力がかなり向上したことを実感しました。久しぶりに再読してみて,この本は人間のとんでもない深淵にフロイトが分け入っていったさきに見える心象風景を,正直に,そのまま,断片的に書き残したものである,ということがよくわかりました。

 フロイトがテニスの熱烈な愛好者であったということはよく知られているとおりです。早朝の7時にはテニス・コートに立っていた,などという逸話すら残っているほどです。しかも,相当の腕前であったともいわれています。そのかれが,テニスをとおして性衝動との関係に着目し,精神分析の洞察を深めていき,それらを論文にして残したとしてもなんの不思議もありません。しかも,その数はなんと59本もあったといいます(巻末に年表風にまとめた「ジークムント・フロイトのテニス分析論文」による。P.208~213.)。

 が,このテクストに収録されたフロイトの論考は,ノートに書き残されたまま秘匿されていた,とのことです(編者の序文による)。そこには,つぎのように書かれています。
 「1980年春,私は古いかびの生えたトランクを,サザビーズのジークムント・フロイト記念オークションで買った。家に帰り,トランクの中身を綿密に調べ始めた時,『ジークムント・フロイト テニス著作集大要』(1938年)と題された,フロイト自筆の黄ばんでぼろぼろになった原稿を見付けて驚いた。」

 そして,その原稿の書き出しが引用されています。そのまま書き写してみます。
 「以下の記述は,どうであれセックスは素晴らしいものだが,テニスはもっと長く出来るものだ,という私の理論を追求する試みである。私は最近の精神分析的な思考傾向を考える時,ごく少数の仲間以外に誰がこの文章を読んでくれるだろうかと疑いたくなる。ただ時だけが真実を語ってくれるだろう・・・・・」。(P.14.)

 また,この序文の冒頭にはフロイトのつぎのような箴言が引かれています。
 「テニス本能理論によって露わになった真実は,危険と挑発に満ち,永遠に隠蔽されるべきものだろう・・・・。──S.フロイト 1938年」(P.13.)

 また,さらに表紙扉にはつぎのような箴言が掲げられています。
 「人類が誇る文化財,精神的価値,その他それに類するものすべては,
 根底にある本能的衝動の昇華されたものに過ぎない。
 性とテニスは,その最も基本的なものである。
        ──S.フロイト 1923年」

 こんな箴言が随所に散りばめられた,みごとなテクストになっています。その意味では読み始めたらもう止まりません。一気に,最後までいくことになります。

 とりわけ,わたしには「セックスはスポーツである」という長年のテーゼがあります。もっと言ってしまえば,「セックスこそスポーツの始原を構成する原形(Urformen)である」というテーゼをもっています。このテーゼを,どのようにして説得力のあるものにすればいいのだろうか,と長年,考えつづけてきました。その試みの一つが,ジョルジュ・バタイユ読解(『宗教の理論』『呪われた部分 有用性の限界』)でした。そこから導き出された結論の一つは「スポーツは動物性への回帰願望の表出である」というものでした。

  ですから,この到達点に立って,このテクストを再読してみますと,「テニスはセックスそのものだ」というフロイトの主張が随所にでてきて,こころの底から共振・共鳴します。そして,それをもののみごとに精神分析的手法で解きあかしてくれます。これは,やはり,ドイツ語版を手に入れて,しっかり読み込んでみる必要がありそうです。

 なぜなら,このテクストは,ドイツ語で書かれたフロイトの手書き原稿を英語に翻訳して出版されたものを,さらに日本語に翻訳したものですので,日本語に無理があってとても読みにくい部分が少なくありません。やはり,肝腎なところは原文にあたってみる必要があります。

 いずれにしても,このテクストはわたしのテーゼを補強してくれる強い味方であることに間違いはありません。その意味で,とても重要です。

 なお,このテクストは,二部構成になっています。一部では,編者の解説風のまとめ「ジークムント・フロイトの秘められた脅迫観念 テニス本能理論の進化と発展」があって,二部が「ジークムント・フロイトの秘匿したノートの断片と注釈」となっています。当然のことながら,面白いのは「二部」です。そこには編者による「注釈」がついていて,これがとても役に立つ部分と,逆にテニス史からみるとどうかと首を傾げたくなる部分とが混交しています。そこは,読み手がしっかりと腑分けしていく必要があるようです。

 ただ,この注釈のなかには,つぎのような指摘もあって,興味はつきません。
 カール・ユングとフロイトの離別
 ユングはフロイトの夢理論に興味を持ちウィーンでフロイトと劇的な対面をする。その後,フロイトの寵愛を一身に受け1911年,国際精神分析学会の初代会長となる。しかしフロイトの性愛理論やエディプス・コンプレックスの定式化などに反対,1913年には袂を分かっている。

 この指摘は,いまのわたしにはとてもありがたいものでした。それは,ユンク理解を深めることができたばかりではなく,フロイトの目指していた人間洞察の方向性が,バタイユ的思考に引き継がれ,さらには,ドグマ人類学のピエール・ルジャンドル的思考に継承されている,と考えられるからです。このあたりのことは,一度,詳しく考えてみたいと思います。

 そのためのヒントをこのテクストはふんだんに含んでいるという点で,これからも重視していきたいと思います。この奇書に乾杯!というところで,今日はおしまい。

2013年9月25日水曜日

ロウシアウフで払った手は,体重を後ろに引きながら腰の回転力で返す(李自力老師語録・その36.)。

 太極拳の手足の動作はすべて「わざ」としての意味をもっている,と最初に教えていただきました。しかし,そのことのほんとうの意味はほとんど理解しないまま,みようみまねで,それらしきことをやっているにすぎない,と今日の稽古で知りました。正直に言ってショックでした。この8年間,いったいなにをやってきたのだろうか,と。

 今日の稽古は,基本の動作の徹底的なおさらいでした。まずは,軸足を安定させること。膝関節を曲げて片足で立ったまま,浮いた足を前に出したり,うしろに下げたりを繰り返します。そのときに,軸足の股関節をゆるめ,腰を回転させながら,足を前に出したり,うしろに下げたりします。しかも,足を前に送り出すときにはお尻をまるめるようにして,という注文がつきます。これを右足を軸足に,そして,左足を軸足に,と交互に繰り返します。

 その上で,両腕をうしろにまわして,手の平を腰のうしろで合わせ,上体をまっすぐに立てた姿勢で,足の運び方の稽古を,丁寧に,何回も何回も繰り返します。李老師が先頭に立って,示範しながら,前に進んだり,うしろに下がったりを繰り返します。いつものことですが,李老師は,この足の運び方の稽古をとても重視していらっしゃる。このことは十分に理解しているつもりでしたが,まだまだ,甘いということが,今日の稽古で,あらためて気づかされました。

 結論を言ってしまえば,この基本の動作,すなわち足の運び方にこそ,太極拳のすべてが含まれている,と。その内容は,股関節をゆるめて腰を回転させること,それに合わせて足を運ぶこと,そのための軸足をしっかりとさせること,この基本の動作がきちんとできれば,あとは手足の動きをつけるだけ,と。如是我聞。

 じつは,この稽古に入るには理由がありました。それは,ロウシアウフで相手の足を払った,その手の返し方ができていない,と李老師は仰るのです。たとえば,右足を軸足にして,右側に右手を肩の高さと水平に振り上げ,左手を右手の肘のあたりに添えながら,左足を前に送り出し,そこから左手で相手の蹴り足を払いながら,右手を相手の顔に向けて突き出します。そして,ゴンブの姿勢で終わります。そこから,左足にあった体重をうしろの右足に移しながら,右手を水平に払い,左膝近くにあった左手の手の平を返します。そして,その左手の手の平を返すのは軸足である右足の股関節をゆるめながらの腰の回転力で行いなさい,と。そのあとは,左手を左後方に振り上げながら,体重を右足から左足に移動させなさい,と。

 このときの,左手の返し方は,腰の回転力に従うこと,ここがポイントであるというわけです。しかも,このときの左手の返しは,左手が相手にしっかりと握られてしまったことを想定して,その相手の手を解きほどくための「わざ」なのだ,という次第です。そのことを念頭において稽古しないさい,と李老師。

 そこが,たんなるものまねから,わざを表演する武術に切り替わるポイントです,と。

 なるほど,とこころの底から納得です。
 股関節をゆるめて腰を回転させるのは,「わざ」の威力を増すため。
 上半身の力を抜くのも,手足の力を抜くのも「わざ」の威力を増すため。
 その原点は軸足の安定。
 太極拳は武術なのだ,とみずからに言い聞かせた次第です。

 というところで,今日はここまで。
 

2013年9月24日火曜日

「幕引き」への助走開始。蔵書,600㎏余を「T文庫」に寄贈しました。

 そろそろ「幕引き」のことを考えなくてはいけません,と数年前の有馬温泉でNさんに教えられ,ハッとしたことを昨日のことのように記憶しています。しかし,身心ともにどこも違和感がなかったものですから,まだまだいいのでは・・・・?とあまく考えていました。それでも,ことしの3月には75歳となり,自分の年齢を他者化してみてびっくり仰天。そうかぁ,お前ももう75歳かぁ,と。74歳と75歳では大違いだということを実感しました。つまり,単なる数字以上の違いがそこにはあるということです。言ってしまえば,四捨五入すれば80歳,というそんな感覚です。

 そこで,なんとか「幕引き」のことを具体化しなくてはなるまい,と覚悟しました。で,まずは,以前から考えていた蔵書を,もう,おそらく二度と開くことはないだろうと思われるものだけでも,どこかに寄贈しようと決断しました。そこで,以前から,かれなら喜んで引き受けてくれるのではないかと心づもりをしていたTさんに相談してみました。予想どおり,大きな声で「喜んで!」と言ってくれました。よし,以心伝心。これが一番。

 その実行を済ませて,いま,なんとも清々しい気分です。もっと寂しさがくるのでは・・・と密かに心配していましたが,そんなことはありませんでした。むしろ,どの部屋も廊下もあらゆる隙間は本に占拠されていましたので,それがなくなったお蔭で,あちこち,余白ができました。その余裕といえばいいでしょうか,遊び空間に救われて,ほっとした気分です。長年の,本に占拠された生活から開放された喜びです。

 今朝(24日),10時30分に日通(以前から頼んであった)がやってきて,あっという間に運び出しました。段ボール箱(やや大きめ)にして27個。コンテナー一つに約30箱は入ると聞いていましたので,安心して出しました。ところが・・・・・です。日通の人の言うには,コンテナー一つの計算は,段ボール箱一つで約20㎏,それが30個で,合計600㎏,なのだそうです。ところが,わたしの出した段ボール箱はやや大きめのサイズ。しかも,箱の内容によっては30㎏を優に超えてしまうものもいくつかあることは,わたしが一番よく承知しています。日通の人は,申し訳なさそうに,一つのコンテナーに600㎏以上を詰めてしまうと,途中で事故を起こす可能性があるので,コンテナー二つでお願いしたい,と。とても感じのいい若い男性でしたので,わたしは素直に了解することにしました。しかも,愛着のある大事な本ばかりですので。

 この本の箱詰めのために,娘夫婦に応援にきてもらい,しかも,Tさんにも手伝ってもらいました。Tさんには,どこの運送屋が安上がりで,仕事内容の評判がいいかまで調べてもらい,予約の交渉まで全部してもらいました。おんぶにだっこ,とはこのことです。合計3人の若者(いや,中年?)が,21,22,23日の三日間,いっぱいいっぱい働いてくれました。お蔭さまで,無事にこの作業を終えることができました。

 Tさんには,「T文庫」として受け取ってもらい,あとは,どのように処分しようと好きなようにしてください,とお願いをしました。かれは律儀にも,文献リストを作成して,どんな本があるのかわかるようにしたい,と言ってくれました。それは大変なことですので,あまり無理しなくてもいい,と話した次第です。いずれは,いま,手元にある蔵書も,すべて「T文庫」に寄贈することになっています。ので,もし,目録をつくってくれて,親しい人たちだけにでも配布し,閲覧できるようにしてくれたら,こんな嬉しいことはありません。

 あとはTさんのアイディアで,これらの本が近所の子どもたちの手垢にまみれるようにしていただけたら,もっともっと嬉しいかぎりです。もっとも,子どもたちには見せられない本もなかには混じっていますが,それもそっと潜ませておくといいのでは・・・などとわたしは勝手に想像しています。どの本もすべて「身体文化」にかかわる本ですから。とりわけ,動物性への回帰願望を充足させることは,これからの時代はとくに大事です。などと理屈をこねて合理化することにしましょう。

 こうして,まずは,Nさんに忠告された「幕引き」の第一歩を踏み出しました。どこかでそのきっかけを作らなくては・・・・と思ってきましたが,これが一番いい方法だったように思います。さて,かくなる上は,つぎなる方法をこれから考えようと思います。もう,いい加減,惚けてきていますので,ものごとがある程度きちんと判断できるうちに「幕引き」は完了させたいと思っています。なにかいいアイディアがありましたら,教えてください。

 今回は,「幕引き」の第一歩を踏み出しました,というご報告まで。
 

2013年9月21日土曜日

8年間,愛用したパソコンがクラッシュしてしまいました。

 20日締め切りの原稿があって,この原稿をどのように書こうかと18日の真夜中まで考えていました。そうして,だいたいの方針が決まり,よし,明日(19日)の朝から集中して一気に書こうと思って眠りました。粗削りでもいいから,とにかく書き上げておけば,20日,一日かけて推敲すればなんとかなるだろう,と考えていました。20日締め切りとは,わたしの頭のなかでは,20日の深夜12時前までと了解しています。

 19日朝,気合十分に,さあ,原稿を書くぞ,と自分に言い聞かせてパソコンに向かいました。ところが,です。パソコンがいつものようには立ち上がりません。ブルーの画面に白抜きの文字がでてきて,パソコンが壊れている,Ctrl+Alt+Delを押して,Restartせよ,と書いてある。指示どおりにこれをやってみる。しかし,何回やってみても,すぐに同じ表示がでてきます。その繰り返しだけ。

 時間がどんどん過ぎていきます。なんとか早く回復させて,一刻も早く原稿にとりかかりたい。でも,どうにもなりません。わずかしかないパソコンの知識を総動員して,あれこれ試してみますが,埒があきません。そういえば,最近になって,「パソコンが危険な状態です」という表示がしばしば現れて,「おやっ?」とは思っていたのですが,無視して使いつづけていました。が,とうとう,動かなくなってしまった,というのが実情です。やはり,パソコンの指示にはしたがって,早めに直しに出さなくてはいけなかったようです。

 そんな反省もこめ,とうとうあきらめて,新しいパソコンを買おう,と決心したのは昼近くでした。わたしの場合は,Fujitsuの親指シフト,という特殊事情があります。ですから,ふつうの量販店には置いてありません。それに,すでに生産は中止していて,特注だということも聞いていました。でも,たった一軒だけ(たぶん,そうだと思います),Fujitsuと特約して,わたしが愛用している「親指シフト」を特注して扱っている店があります。それは表参道の駅近くです。以前にも,持ち運びのできる小型のノートを買ったことがあります。

 もう,迷うことなく一直線にその店(Access)に向かいました。若い男性の,とても親切な店員さんが応対してくれました。壊れたパソコンも持っていきましたので,みてもらいました。よく使い込んでありますねぇ,キーボードの文字が消えていますねぇ,この型のパソコンは近頃見かけたことがありません。ああ,2006年の製品ですねぇ。いや,これだけ使ってもらえたら,パソコンも喜んでいるでしょう。などといいながらコードをつなぎ電源をいれたら,すぐに見慣れた画面が現れました。店員さんは,「あっ,これはハード・ディスクの寿命ですね。直りません。」という。

 じゃあ,新しいのを買います,とわたし。幸いなことに3台ほど店に置いてありました。機種も機能も選択肢はなし。これでよければ・・・と店員さん。もちろん,発注すればいろいろの機種があります。が,お急ぎであれば,この機種だけになります,と店員さん。わたしの方は,すぐに帰って仕事をしなくてはならないので,ここにあるもので結構です。セットアップして使えるようにしてください,とお願い。

 壊れたパソコンのハード・ディスクから,どのくらい修復できるかどうかはわかりませんが,やれるだけのことをやってみます。2時間ほど時間をください,と店員さん。

 時間をみたら午後1時。久しぶりだから,スパイラルで昼食でもしながら,原稿のメモでもとっていれば,2時間はすぐだろう,と考えながら歩きはじめました。青山通りを挟んで向かい側です。目的のスパイラルに入ってみましたら,内装が変わって,以前の,あの天井が抜けるような空間がありません。わたしからすれば,余分としかいいようのない吊り天井がぶら下がっていて,照明もやや暗くなっています。

 これは違うと直感。すぐ近くに青山学院大学があります。ここは,しばしば研究会で使わせてもらっているので,学生食堂の空間もメニューもよく知っています。この時間ならたぶんすいているだろう,と考え直行。予想どおり。一番奥の四人掛けのテーブルを独占して,食事をし,メモをとりました。とても静かで,空間も広くて,快適です。

 午後3時に,店にもどりましたら,もう,しばらく時間をくださいとのこと。で,そのパソコンに仕事をさせながら,別の画面を開いて,いろいろ説明をしてくれました。わたしの知りたかったことをいろいろと教えてくれましたので,とても助かりました。これからちょくちょく訪ねてくるので,よろしくとご挨拶。店員さんが名刺をくれました。

 店をでたときには午後4時を過ぎていました。大急ぎで帰宅して,すぐに原稿にとりかかろうとしましたが落ち着きません。いつもチェックするメールをみると,こういうときに限ってよくあることですが,大事なメールが入っていました。その応答をしたり,ブログをチェックしたりしているうちに,落ち着いてきました。

 まあ,とにかく原稿を書かないことにははじまりません。一区切りつくところまで,と書き始めたら止まりません。気がついたら夜中の12時を過ぎていました。慌てて,夕食を済ませて,とにかく眠ることに。

 翌日(20日)も朝から奮闘。まあ,とにかく書けたところを推敲しては,つぎを書く,全体の流れを確認しながら推敲しては,つぎを書く,これの繰り返し。なんとか結末まで書けたのが夜の9時。そこから,最後の推敲(事実確認のための校閲もかねて)を終えたのが夜の12時直前。ここで目をつむって,直ちに,編集者宛に送信。

 それから,夕食(好物の麻婆豆腐)。ビールを少々。
 なんとか責任をはたすことができて,やれやれ。熟睡でした。いや,バク睡でした。

2013年9月19日木曜日

オリンピックとマネーゲーム。その5.クーベルタンとサマランチの違い。

 クーベルタンは1896年から1924年までの28年間IOCの会長をつとめた。いっぽう,サマランチは1980年から2001年まで21年間会長をつとめた。この間,100年弱,つまり1世紀ほどのへだたりがある。が,それにしても,この両者の会長としての仕事ぶりはあまりにもかけ離れたものだった。その差を,ひとことで言うとすれば,マネーに関する考え方の,まったく対照的なほどの違いと言ってよいだろう。

 クーベルタンは会長として,オリンピックに関するほとんどすべての経費を,私財で充当していた。選ばれたIOC委員もまた会費を払って,委員としての活動を展開していた。つまり,まったくの私的なクラブとして出発したIOCにとっては,それはごく当たり前のことだった。クーベルタンは,そのために,フランス貴族の一員として継承した莫大な遺産を使いはたし,最後は破産宣告までされてしまったという。それに対して,サマランチは,会長就任から退任するまでの21年間,スイスのIOC本部に近いホテルのスイートルームで過ごしたという。その費用は年間約20万ドル。日本円に換算(当時のレートによる)して,約2300万円。これを日割りにしてみると,約6万3000円。この経費はすべてIOCが負担したという。

 この事実が示すように,クーベルタン時代には各IOC委員もまた委員としての活動費のすべてを自己負担していた。他方,サマランチ時代には,IOC委員の活動費はすべてIOCが支払うようになっていたという。クーベルタン時代にはIOC委員はわずかに15人(1894年,IOC設立当初)だったが,参加国の増加とともにIOC委員も増加し,サマランチが会長に就任した1980年には80人を超えていたという。にもかかわらず,サマランチはすべてのIOC委員の活動費をIOCが負担する方針を打ち出している。

 そのため,サマランチ時代には,IOCという組織を維持していくために莫大な経費を必要とするようになっていた。そのための費用を賄うためという大義名分を背景にして,サマランチはマネーゲームに強い関心を示しはじめた,と言っていいだろう。折も折,1984年のロサンゼルス大会ではP.ユベロスの登場によって,オリンピックの金融化が一気に進展していく。そして,オリンピックは大きな黒字を出す一大スポーツ・イベントへと変身した。オリンピックの金融化の主役を演じたのが,TOP(The Olympic Partner:オリンピック公式スポンサー)とテレビ放映権であった。この金融化にともなって生まれてくる旨味を,サマランチは,つぎつぎにIOCの傘下に収め,莫大な利益を手に入れることに成功する。

 のみならず,サマランチは,スポーツマーケッティング会社「ISL(International Sports Culture & Leisure Marketing AG)」に委託していた各国オリンピック委員会との交渉や企業への権利の販売を,IOCの手で直接行えるようにするための組織改革を行っている。そして,ついに,マーケティングの専門家をIOCの組織に招き入れ,マーケティング局長に任命した。こうして,とうとうIOCは本格的なマネーゲームに参入することになる。

 その結果というべきか,こんにちでは,IOC委員が本部のあるローザンヌに会議のために出席するときには,飛行機はファーストクラス,ホテルの宿泊費,飲食費はもとより,日当(日本円にして一日約1万3500円)までつくという。

 しかも,IOCはもともとクーベルタンを中心とするヨーロッパの貴族たちが集まって結成した特権的な私的クラブであった。だから,外部のいかなる団体や個人からも影響されることなく,自分たちで意思決定をすることができた。そうした私的クラブの特権をどこまでも保持していたので,経理に関する決算報告書を公開する義務もなかった。だから,IOCがどのような財政運営をはかってきたのかは,その大半は闇のなかである。

 IOCが法人格を得たのは2000年になってからのことである。スイスの国会(連邦評議会)から法人格を認められ,一定の法的管理のもとに置かれることになった。それでも税制上の優遇措置を受け,国際的な非政府非営利団体として活動をいまも維持している。だから,いまもなお,IOCの財政に関する実態は,わたしたちの知ることのできない,闇のなかである。こういう組織が世界に君臨しているということ自体が,まことに不可解なことではある。

 それにしても,クーベルタン時代とサマランチ時代との,このあまりに大きな落差はなにを意味しているのか,わたしたちは一度はとくと考えてみる必要があろう。こういうテーマは,じつは,つぎからつぎへと湧いてくる,そういう不思議な団体,それがIOCという組織体なのだ,ということも銘記しておこう。

 ここに引き合いに出したデータの多くは,小川勝著『オリンピックと商業主義』(集英社新書)による。この著者はとても穏健な人らしく,わたしのような過激な批判は回避しつつ,冷静に問題提起をしている。オリンピックとマネーゲームについて考えるには,最近出た関連の本のなかでは抜群である。ここまでのブログを書くにあたって,とても参考になった。記して,感謝の意を表したい。同時に,みなさんにもご一読をお薦めしたい。

 まだまだ,オリンピックとマネーゲームについては書きたいことが山ほどあるが,ひとまず,ここで打ち切りとする。また,これからも折にふれ論じなくてはならない事態が起きてくることだろうと,これはわたしの予感のようなものである。そのときまで,このテーマはしばらくおあづけにしたい。

 とりあえず,今日のところはここまで。

2013年9月18日水曜日

オリンピックとマネー・ゲーム。その4.「より速く,より高く,より強く」はIOCのマネー・ゲームのモットーだった,のか?

 「より速く,より高く,より強く」は,オリンピックのモットーである,などということはいまでは小学生でも知っているかもしれません。そして,だれもが発育・成長段階のどこかで「より速く,より高く,より強く」なりたいとおもったことでしょう。人間であれば,だれだって,できることなら「より速く,より高く,より強く」なりたいとおもうのはごく自然なことです。これは,ほとんど本能にも近い人間の願望ですので,だれも止めることはできません。ましてや,アスリートであれば,なおさらのことです。ですから,オリンピックのモットーとして,この標語が採用され,多くの人に支持されてきたのも,当然といえば当然のことです。

 人間が「より速く,より高く,より強く」と希求するのは,言ってしまえば,自分の限界を乗り越えて,さらに高いレベルに到達することに限りない快感を覚えるからです。いままでできなかったことができるようになる,自己記録が更新できた,いままで勝てなかった相手に勝てるようになる,こういう経験はなにものにも代えがたい特別の快感です。ましてや,世界の頂点に立つ,世界新記録を出す,神がかりにも等しい美しい演技ができた,という経験はまさに選ばれた人にしか与えられないものです。それは,地球上のたったひとりの,その瞬間での経験でしかありません。こういう経験をした人たちは,みんな,「神」の降臨をみています。ですから,アスリートは感動のあまり,感涙にむせぶことになります。アスリートになる醍醐味はここにあります。

 同時に,そういうパフォーマンスに立ち会うこと,自分のこの眼で見届けること,アスリートとともに同じ時空間を共有すること,などが観衆をも感動の渦に巻き込んでいきます。必死になって夢中で応援をしている観衆にとっては,まるで,自分が体験したかのような錯覚にとらわれます。身もこころもアスリートと一体化してしまいます。ですから,まるでわがことのように感動に打ち震えます。スポーツを観戦し,応援する醍醐味はここに尽きます。

 いまでは,この感動を茶の間のテレビで味わうことができます。場合によっては,いろいろに脚色もされて報道されますので,また,違った感動を味わうことにもなります。言ってしまえば,神話的世界に感動してしまいます。いまでは,テレビが普及していますので,圧倒的多数のスポーツ観戦者はテレビ観戦者です。そして,テレビ報道という,ある一定の脚色されたスポーツを,真実のスポーツだと信じて疑いません。いな,これこそが,こんにちのスポーツのイメージであり,広く理解されているスポーツの実態だというべきでしょう。じつは,ここにひとつ重大な問題が隠されていますが,今回は割愛。

 さて,「より速く,より高く,より強く」というオリンピック・モットーはまことに言いえて妙だと,これまた感動してしまいます。ですから,このモットーに多くの人たちが強く惹かれ,なんの疑念もなくスポーツの感動を味わってきました。

 しかし,このオリンピック・モットーが,いつのまにかIOCのマネー・ゲームのモットーにも活かされていたとしたらどうでしょうか。その萌芽はかなり早い時期から確認することができますが,その画期となったのは,1984年のロサンゼルス大会でした。開催都市の税金をいっさい使わないで,多大な収益を残したP.ユベロスが,その開拓者でした。よく知られているように,テレビの放映権を入札制度を導入して落札させるという,まったく新たな方法を編み出したのも,ユベロスでした。あるいは,聖火リレーを金融化して売りに出すというアイディアもまた,ユベロスのものでした。そうして,やはり多くの収益を生み出しています。これらはそれ以前にはなかった,この大会からはじまったオリンピックの新しい収入源でした。こうして,オリンピックはさまざまに切り刻まれて商品化できるものは商品化され,競売に出されるということが,この大会をとおして一気に加速されることになります。

 なかでも,もっとも大きな収益を生むことがはっきりしたテレビ放映権の売買にIOCの会長が注目します。そして,これを大会組織委員会に委ねておく手はないと考えました。当時のIOC会長サラマンチはIOCのなかに放映権交渉委員会を設け,ここで一括して放映権を取り扱うことになります。1988年のソウル大会以後のテレビ放映権に関する交渉はすべてIOCのなかのこの委員会が引き受けることになりました。かくして,巨額のマネーがIOCのふところに転がりこむことになります。このときから,IOCの狂気は加速されていきます。

 そうして,とうとう,いつのまにか,入札制度も廃止してしまい,放映権交渉委員会が窓口になって,より高額な契約をとりつける方向に突き進んでいきます。こうして,IOCは「収入の最大化」をめざす組織へと変身していきます。しかも,IOCは収支の決算報告を明らかにすることが義務づけられていません。ですから,契約を結んだ企業側が金額を明かさないかぎり,その額すらわかりません。IOCは非営利団体であることを逆手にとって,どれだけの収益があって,それがどのように支出されているのかを明らかにはしていません。ですから,闇から闇へと巨額なマネーが流れていることになります。言ってしまえば,IOC委員はその甘い汁を吸っているという次第です。

 やがては,複数大会の放映権を同時に契約するようになります。しかも,入札制度ではありませんので,IOCが「OK」を出すまでは,個別に条件交渉が行われます。こうなりますと,企業側は他のどの企業よりも,「より速く,より高く,より強く」,IOCの放映権交渉委員会との契約をとりつけるべく,法外な金額を提示しなければならなくなっていきます。ついには,開催都市もまだ決まっていないのに,前倒しをして,他の企業に取られないように,複数年前倒し契約,などというとんでもないことまで行われるようになります。

 このほかにも,IOCがかかわっているマネー・ゲームがありますが,割愛します。まあ,驚くべきマネー・ゲームのシステムがIOCのなかに仕掛けられていることは間違いありません。そして,その傾向を改めるという話はありません。いったい,IOCという組織はどこに向かって進んでいくのでしょうか。おそらくは,オリンピック憲章も忘れてしまい,行き先不明の,まるで「失見当識」患者のようです。

 そういうIOC委員たちに選ばれた東京は,はたして喜ぶべきでしょうか。ここにも大きな問題が横たわっているようです。

 取り急ぎ,今日はここまで。

2013年9月17日火曜日

オリンピックとマネー・ゲーム。スポーツの金融化。その3.テレビ・マネー に群がるハイエナ?

  たった一度でも,その匂いを嗅ぎ,汁を吸い,注射をしたりして,心ゆくばかりのお接待を受け,天国にも昇るようなエクスタシーの快感を味わってしまったが最後,もうそこから足を洗うことのできない,まるで麻薬の世界のようなもの,それがテレビ・マネーの世界。その恐るべき舞台裏を,きわめて冷静に,やや遠慮がちに描いてみせた『オリンピックと商業主義』(小川勝著,集英社新書)を再度,通読してみました。

 今日(16日),予定されていた名古屋での研究会に行かれなくなり(東海道新幹線の一部運休により),ならば,というわけで再度,このテクストを読みなおすことにしました。細切れに拾い読みしかしてなかったテクストですが,通読してみると,著者が書き切らないで言い残した部分が,もののみごとに浮かび上がってきて,いまさらのように考え込んでしまいました。

 それが冒頭に書いた,テレビ・マネーという麻薬の世界。1960年のローマ大会の折にアメリカのCBSが120万ドルでテレビ放映権を買い上げたときには,驚きのできごとではありましたが,それでもなお大会運営のための総収入の22%を占めるにすぎませんでした。しかし,テレビの普及と宇宙衛星放送によるテクノロジーのお蔭で,世界にむけてビッグ・イベントの同時生中継が可能となってきますと,テレビ局側が黙ってはいませんでした。放映権料は大会を重ねるごとに鰻登りに高額化していきました。組織委員会は売り手市場でだまって待っていれば,向こうから買い出しにやってきてくれるのですから,ただ,高値のところと契約をすればそれで済むことでした。だからこそ,一度,味をしめてしまったら最後,もう,やめられない麻薬づけの体質そのものになってしまいました。

 聖火リレーを金融化して,世間をあっと言わせ,なおかつ税金をいっさい使わないでオリンピックを開催し,大きな黒字を出してその名をとどろかせたロサンゼルス大会の組織委員会委員長ピーター・ユベロスは,このテレビ放映権に入札制を初めて導入した男でもありました。しかも,放映権料の額を一気につり上げることに成功します。さすがに,大実業家だなぁ,と感心してしまいます。しかし,このときからテレビ放映権料の額は,まったく異次元の世界に突入していきます。しかも,これ以後,その,とんでもない異次元世界がオリンピックの世界では,ごくごく当たり前となってしまいます。こうして,IOCは情けないことに「より速く,より高く,より強く」値段をつり上げることに狂奔していくことになります。その姿は,まるでハイエナのように放映権料の甘い汁になりふり構わずむしゃぶりつくことになってしまいます。

 その実態の一部を知るために,IOCが公表したファイルによるテレビ放映権料が紹介されていますので,それを引いておこうとおもいます。

 1976年・モントリオール   3490万ドル
 1980年・モスクワ       8800万ドル
 1984年・ロサンゼルス 2億8690万ドル  ◎
 1988年・ソウル     4億2600万ドル
 1992年・バルセロナ  6億3610万ドル
 1996年・アトランタ   8億9830万ドル
 2000年・シドニー   13億3160万ドル  ◎
 2004年・アテネ    14億9400万ドル
 2008年・北京     17億3900万ドル

 この数字をどのように読み取るかは,レートとの関係もあっていささか複雑ではありますが,ここでは単純比較でお許しいただこうとおもいます。それでも充分に理解していただけるとおもうからです。しかも,そんなに大きな間違いではないとおもうからです。

 そこで,際立って大きな変化を起こしたと考えられるところに◎をつけておきました。そうです。1984年のロサンゼルス大会と,2000年のシドニー大会です。ここで契約額が大きく飛躍しています。ロサンゼルス大会のときのことはすでに書きましたように「入札制」を取り入れたことによる高騰です。それまで,入札すら行われていなかったということ事態が,わたしには異常にみえてしまいます。そんなことが,なんの違和感もなく行われていたということ自体が,やはり,IOCという特殊な組織の,世間の常識とはかなりかけ離れた,逸脱した特権的な異質性が,ここに表出しているのではないか,とわたしにはみえてきます。

 では,シドニー大会のときにはなにが起きたのでしょうか。

 これはもう,ここに書くことすら憚られるような,わが眼を覆いたくなるような恐るべきことが,ごく当たり前のことのように平然と行われていたのです。言ってしまえば,このときを境に,IOCと放映権をめぐる取引は狂気の沙汰としかいいようのない,この世にはありえない別世界と化してしまいました。しかも,困ったことに,そのことにだれも歯止めをかけることができなかった,という事実です。こうして,ますます,IOCという特権的な団体は狂気の世界に突入していくことになります。

 なにがあったのか。それは簡単に言ってしまえば,「複数大会の同時契約」という鬼の手でした。つまり,二つの大会を一緒にして,同時に契約して利権を確保してしまおうという,企業側の要求を「利益が増大」するのであればという,まさに稚拙な資本主義的な発想のもとにIOCが認めてしまったということです。このアイディアを生み出したのは,オーストラリアのテレビ局「チャンネル7」でした。

 1996年のアトランタ大会のオーストラリア向け放映権料の入札に際して,自国で開催される2000年シドニー大会とセットにして契約すれば,これまでとは比較にならない高額を提示できるとして,IOCの放映権交渉委員会委員長ディック・バウンドと交渉し,契約を成立させていまいます。これが新しいテレビ放映権契約のモデルとなって,以後,継承されることになります。

 この契約を見届けたアメリカのNBCは,すぐに行動を起こします。2000年のシドニー大会と2002年の冬季ソルトレークシティ大会の放映権を同時に獲得することをめざして交渉に入ります。くわしいことは省略しますが,NBCは,まず,スウェーデンのイエテボリにいたIOC会長のサラマンチに会って了承をとりつけ,すぐに,モントリオールに飛んでIOC放映権交渉委員会委員長ディック・パウンドに会って基本契約を交わします。その間,たった三日間だったといいます。

 このことはなにを意味しているのでしょうか。まるで抜け駆けの闇の中での交渉です。しかも,IOC会長とIOC放映権交渉委員会委員長の,たった二人の合意だけでテレビ放映権の契約がなされてしまう,という事実です。つまり,IOCという組織は,わたしたちが考えているような近代的な,合理的な組織ではない,ということです。もっと言ってしまえば,IOC会長がOKといえば,それがそのまま認められてしまう組織だということです。ですから,放映権交渉委員会委員長もまた,IOC会長のお墨付きのことであれば,独断で契約を結ぶことも可能だ,ということです。IOCという組織はそういう組織であるということを,わたしたちはしっかりと認識しておく必要があります。

 つぎなる問題は,なぜ,会長と委員長の合意だけで,放映権の契約ができてしまうのか,ということです。そこにも,やはり,それなりの根拠がありました。入札なしでIOC側が納得するだけの額,つまり,入札をしてもそれ以上にはならないだろうとだれもが納得するだけの桁外れの額を提示すれば,だれも文句はないだろう,という条件を契約者側が提示した,ということです。こうして,即時契約という,通常の社会の契約ではありえないことが,IOCでは行われたというわけです。

 条件さえよければ,IOC会長と放映権交渉委員会委員長の,たった二人だけの合意で契約ができてしまうという,これがIOCという組織体の実態であるということです。

 こういうことが,なんの違和感もなく,正々堂々と行われている,しかも,これらの契約を承認する組織体,それがIOC理事会であり,IOC総会である,ということです。

 こういう組織体が,オリンピック東京招致を,多数決で承認した,ということです。このテレビ・マネーに群がるハイエナのようなIOC委員に承認された,ということの内実を考えていきますと・・・・。もう,これ以上のことをここに書くことはできません。4500億円もの備蓄があると宣言した東京都です。これ以外の機密費がどのように使われたのかと考えると,今回のIOC総会の決定が,なんとダーティな決定であったことか,と茫然自失してしまいます。

 人格・識見ともに優れたIOC委員さんがたくさんいらっしゃるにもかかわらず,あえて,ハイエナのような,と言わせていただきます。なぜなら,圧倒的多数がハイエナだからです。ロビー活動などといえは聞こえはいいのですが,なにを隠そう圧倒的多数のハイエナに餌づけをしているだけの話です。

 考えれば考えるほどに,情けなくなってきてしまいます。でも,これが現実なのだ,ということを忘れてはなりません。そして,この現実を踏まえて,つぎなる行動を起こすしか方法はありません。

 わたしは,きびしくIOCを批判しつつ,この現実を現前にして,では,お前はどうするのか,と自問自答を繰り返しています。でも,その答えはなかなか見つかりません。なぜなら,わたし自身が優柔不断な生き方をしてきたからだ,とこんどは自分を苛むことになっています。

 他者を批判することは容易ではあっても,それをわが身に引き受けるとなると,ことは容易ではありません。でも,言うべきことは言って,みずからを他者化して,その正当性を問い返す以外にはなさそうです。批評するという行為は,なんと厳しい現実を生きることを,その結果として要求してくることなのでしょう。

 じっと,わが手を眺めてみる。

2013年9月16日月曜日

オリンピックとマネー・ゲーム,スポーツの金融化。その2.テレビ放映権売買の実態。

 1956年のメルボルン大会には日本のオリンピック代表選手たちが,その費用捻出のためにたいへん苦労していた話を書いたが,このときのIOC会長だったキラニンも同じように自費でこの大会にでかけている。もっとも,かれは自分の経営している会社の出張旅費で賄ったと,自著のなかで書いているが・・・。

 このように考えると,メルボルン大会あたりまでは,まあまあ例外はあるものの,アマチュア精神に則った,地味で,まともな大会運営がなされていたと考えてよさそうである。しかし,そのつぎのローマ大会(1960年)には,初めてテレビ放映権が金融化されて取引されるようになる。精確にいうと,その年の2月にアメリカ・スコーバレーで開催されたオリンピック冬季大会で,テレビ放映権をアメリカのCBSが5万ドルで買ったのが嚆矢である。この前例に夏季大会がつづいたという次第である。(これらの情報は小川勝著『オリンピックと商業主義』,集英社新書,2012年,による。以下も同様。)

 ちなみに,ローマ大会のときの放映権料は,IOCの公式資料によると総額120万ドルだったという。これを当時のレートで円に換算すると4億3200万円になる。1960年といえば,わたしが大学の4年生。当時の一ヶ月の生活費が約5000円前後(寮生活)。ラーメンが一杯15円。カツ丼が50円。ここから逆算するといまの値段は約20倍として,テレビの放映権料は約86億4000万円。この額は,ローマ大会総収入の22%だったという。

 このテレビ・マネーが,その後,あれよあれよという間に高騰化し,オリンピックはマネー・ゲームのアリーナと化す。しかも,IOCは売り手市場だから,労することなく巨額のカネが転がり込んでくる。こうなると,もはや,歯止めがきかなくなる。IOCの会長を筆頭にIOC委員もみんなそろってカネの亡者となりはてる。もちろん,選手とて負けてはいない。まずは,なにがなんでも金メダルだ。そして,名が売れれば売れるほど,つまり,商品価値が上がれば上がるほど,高値がつく。こうして,アスリートもまた金融化の道をまっしぐら。ドーピングをして早く死んでしまってもいいから金メダルがほしい。こんなアスリートがあとを絶たない。

 こうして,ついにはテレビ・マネーによってオリンピックは乗っ取られてしまうことになる。そして,ついには,その弊害が出はじめる。記憶している人も多いとおもうが,1988年のソウル大会で,とうとうテレビ放映側の都合による競技時間の変更ということが現実化したのである。

 例のカール・ルイスとベン・ジョンソンとの100m対決が世界的な関心を呼んでいたために,決勝レースをアメリカのゴールデンタイムに合わせてテレビ中継するための措置だった。こんなことは前代未聞のできごとだった。どんなことがあろうと,現地時間のもっとも条件のいい時間帯に決勝レースを行うことは,なによりも優先されてきた。にもかかわらず,その鉄則がテレビ・マネーによって突き崩されることになった。

 オリンピックの競技時間を決める権限は,各スポーツ競技種目の国際競技連盟がもっている。国際陸上競技連盟が最初に組んでいた大会スケジュールでは,男子100mの決勝レースは午後5時になっていた。しかし,ソウルの午後5時は,アメリカ西海岸の時間でいうと午前0時,東海岸でいえば午前3時になる。これでは最高のお客さんであるアメリカの放送局に高値で放映権を売ることができない。ここから,組織委員会と国際陸上競技連盟会長(ネビオロ)とIOC会長(サマランチ)の三つ巴の,血みどろのマネー・ゲームがはじまる。

 こうして,ついに,「収入の最大化」をめざす論理が,100m決勝レースの最適条件下での実施を凌駕するという,とんでもないことが起きてしまったのである。つまり,カネの論理のためならスポーツの論理も引き下がる,という本末転倒が起きてしまったのだ。かくして,オリンピックはスポーツの祭典ではなく,マネー・ゲームの祭典と成り果ててしまった。

 オリンピックが4年に一度の世界中が注目する最大のスポーツの祭典だ,などと思ってはいけない。オリンピックは,スポーツに名を借りた世界最大規模のマネー・ゲームの熾烈な戦いを繰り広げるためのアリーナなのだ。

 しかも,困ったことに,ここでもアメリカン・スタンダードを押しつけてくる。世界の中心はアメリカであるということを,オリンピックまで支配下に置いて,いや,私物化して,世界にアピールしようというのである。アメリカのやりたい放題。だれも口出しもしない。

 こうなってくると,2020年の東京オリンピックは,忠犬ポチが,飼い主のアメリカに忠誠をつくす証として開催されるものである,と断言しておこう。そして,大震災やフクシマの被災者を「勇気づける」とか,「元気づける」とか,真顔で訴えた能天気なアスリートたちに告ぐ。そんな気持ちがひとかけらでもあるのなら,たった一日でもいい,フクシマの作業員として,被曝線量とにらめっこしながら勤労奉仕でもしたらどうだ,と。オリンピックで活躍する前に,まずは,こちらが先決だ,と。

 もはや,オリンピックのミッションは終った,としかいいようがない。この事実をしっかりと胸に刻んでおきたい。

 ああ,またも過激になってしまった。溜まりにたまった鬱憤晴らしだと思って,どうぞ,ご海容のほどを。

2013年9月15日日曜日

オリンピックがマネー・ゲームに転じたのはいつからか。スポーツの金融化のはじまりについて。その1.

  東京オリンピック招致が決まってからというもの,ほんとうにこれでいいのか,駄目だろう,じゃぁどうすればいいのか,と自問しつづけている。気持ちが落ち着かない。ここは少し冷静になって,オリンピックとはなんなのか,スポーツとはなにか,と虚心坦懐にゼロから考え直してみようとおもう。でないと,わたしまで狂気と化した「オリンピック狂騒曲」のまっただなかに巻き込まれてしまいそうだから。

 でも,やはり気になるのはけたのはずれたマネー・ゲームの実態である。とくに,オリンピック招致の切符を手に入れるためにいくら機密費を投じたのか,知りたい。しかし,こちらは極秘情報なので,まずは表にでてくることはない。ちらほらと,これから漏れ出てくる程度だ。それも,この程度の額だったらしい,という程度に。

 それにしても,オリンピックにマネー・ゲームが侵入しはじめるのは,いったい,いつからなのだろうか,と考えてみる。そんなに遠いむかしの話ではないはずだ。あるいは,ひょっとしたら,最初から・・・?ここらあたりはとても微妙なところがあるようだ。

 まずは,わかりやすいところからはじめよう。
 たとえば,わたしの記憶をたどってみても,1956年のメルボルン大会のときには,オリンピック代表選手たちがオリンピックに出場する費用はみんな自己負担だった。かく申すわたしも,じつは体操競技でオリンピックに出場することを夢見ていた人間のひとりだった。だから,メルボルン大会(1956年)のときには体操競技の代表選手たちがその費用をかき集めるために,たいへんな苦労をしていたのをこの眼でみて知っている。あまり詳しいことは書けないが,一部,わたしもお手伝いをさせてもらったこともあった。

 だから,自己資金のほとんどなかった選手などは,「そこそこの成績を収めてこないと帰ってからがたいへんなんだよ」,と顔を引き締めていた。当時はお茶の水にあった日本体育協会の前からバスで羽田に向かう選手たちを見送りに行ったときの雰囲気は一種異様なものがあった。わたしは小野喬選手に8ミリカメラを渡されて,必死になって撮影していた。だから,そのときの選手たちの表情をよく覚えている。一瞬の笑顔はみせるものの,つぎの瞬間には顔が引きつっていた選手もいた。ある意味で「決死の覚悟」でオリンピックに向かうというつよい決意が,選手たちの間にまだ漂っていた時代だった。

 「リラックスして,思いっきり楽しんできま~すッ」などとあっけらかんと報道陣に向かって言える選手たちとは天地ほどの違いがある。いまでは,基本的に税金で賄われているし,一流選手になれば企業スポンサーもついている。それもたやすい額ではない,と聞いている。いずれにしろ,こんにちのオリンピック代表選手たちは,少なくとも,最低限の必要経費は保証されているのだ。言ってみれば,オリンピック代表選手はそれだけの商品価値がある,ということを国が認めたということだ。場合によっては,株式の取引と同じように,若手の選手などは「有望株」として,さきもの取引の対象にもなりかねない。いな,もう,とっくのむかしから現実になっている。たとえば,高校野球の選手にまで,その触手がのびていることは,よく知られているとおりだ。

 こんなことを書きながら思い浮かべるのは人見絹枝という,かつての名ランナーのことだ。毎日新聞社の新聞記者をしながら,陸上競技の練習に励み,海外遠征やオリンピックに出場する費用をかき集めるために,全国を駆け回って講演をしたり,コーチをしたり,と身を粉にして獅子奮迅の奮闘ぶりだった,と伝記が語っている。帰国したら帰国したで,全国にお礼の講演やコーチをして回ったという。まじめで,律儀な人柄とはいえ,1910年代のオリンピック代表選手の実態はこういうものだったのだ。まことに残念なことに,あまりのハードスケジュールを無理にこなしたために過労死してしまう。わずか24歳という若さたった。

 こういう例をあげていくと際限がなくなる。
 もうひとつだけ。最初のころのIOC委員は,すべての費用を自己負担していた。初代会長であったピエール・ド・クーベルタンにいたっては,オリンピックのために必要な経費を惜しみなく負担していたという。その結果,莫大な遺産をすべて使い果たし,ついには破産してしまい,失意のうちに没したという。ここまで徹底しないまでも,個人として必要な経費(旅費,滞在費,など)の負担は,ミスター・アマチュアリズムの異名をとった第5代会長アベリー・ブランデージの時代(1952~72)までつづいた。

 そして,オリンピックにおけるアマチュアリズムの縛りが緩むにつれて,マネー・ゲームが本格化することになる。しかし,このマネー・ゲームもよくよく調べてみると一筋縄ではないことがわかってくる。詳しいことは『オリンピックと商業主義』(小川勝著,集英社新書,2012年)を参照のこと。いずれ,この本の情報にもとづく私見を展開してみたいとおもっているが,今回は,とりあえず,ここまでとする。

2013年9月14日土曜日

なぜ,アスリートたちは自律しないで事物化(モノ化,ロボット化)していくのか。その哲学(バタイユ)的アナロジーについて。

 昨日のブログのつづきです。昨日は,アスリートたちの多くが自律することなくモノ化していくのはなぜか,その理由をアスリートたちが育つこんにちのスポーツ界の環境条件に絞って,考えてみました。その最後のところで,じつは哲学的にもアスリートたちが「モノ化」(事物化)してしまう道筋が考えられる,と書きました。今日は,そのつづきを,すなわち,アスリートたちが事物化してしまう哲学的(主としてバタイユの哲学に依拠しつつ)アナロジーについて書いてみたいとおもいます。

 ちなみに,バタイユの思想・哲学については,このブログでも数年前から折あるごとに,かなり詳細に論じていますので,そちらを参照してみてください。全部でいうと相当のボリュームになります。また,そこで書かれたバタイユ論は『スポートロジイ』創刊号(21世紀スポーツ文化研究所<ISC・21>紀要,2012年,みやび出版,「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)解読・私論,P.148~274.),『スポートロジイ』第2号(2013年,スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして,P.190~279.)にも掲載しておきましたので,併せてご確認いただければ,とおもいます。これからコンパクトに書くことになる内容をより深く理解していただけるとおもいます。

 さて,本題に入ります。
 ジョルジュ・バタイユは『宗教の理論』のなかで,つぎのような論を展開しています。
 サルがヒトになるとき<横滑り>現象が起きて,動物性(内在性)の世界から人間性の世界に飛び出してたこのとき,ヒトは理性を獲得する,と。どういうことかといいますと,ヒトが動物性の世界にいたときには内在性を生きているわけですので,自他の区別なく「水のなかに水があるように」生きていたのですが,その動物性の世界から飛び出すということは,動物性の世界が他者になることを意味します。この動物性の世界を他者として意識したとき,驚きとともにヒトは理性に目覚め,他者ではない自己をはじめて意識するようになります。

 そうして,たとえば,目の前にある「石」を他者としてじっと見つめたとしましょう。このとき,はじめてヒトはオブジェ(対象)として「石」をとらえることになります。そうして,どういう経過をたどったかについては諸説がありますが,ヒトは「石」のなかに自己とは異なる特性を見いだします。たとえば,その「石」が道具としてヒトの役に立つということを知ったとき,その「石」はたんなる石ではなくヒトにとって役に立つ石器となります。そうして,ヒトはその石器を自己の所有物として大事に取り扱うようになります。このとき石器はヒトにとってのショーズ(事物)となります。もはや,石器はたんなる石ではなく,ヒトにとって不可欠の宝物になります。つまり,たんなる他者としてのオブジェ(対象)から,自己の所有物であるショーズ(事物)になります。

 このようにして,ヒトは自己の役に立つと思われるオブジェ(対象)をつぎつぎにショーズ(事物)にして,自己の所有物にしていきます。ここからは一足飛びで話をしていきます。たんなるオブジェにすぎなかった動物も,捕獲して飼育し,食糧にしたり,労働力として利用したりして,人間の役に立つショーズ(事物)にしていきます。こうしてショーズ(事物)を所有するという観念が生まれてきます。まったく同じようにして,植物を栽培して,たとえば,米や小麦を人間の事物と化していきます。
 
 こうして人間は自然存在をつぎつぎに自分の役に立つ事物にしていきます。このとき働いている原理は「有用性」です。しかし,この有用性には限界があるということをバタイユは見抜いているのですが,ヒトから人間になった生き物は,この有用性を無限に信じてしまいます。有用性を軸にして働く理性はますます進化・深化していき,ついには「科学神話」を生み出し,こんにちの文明社会を築き上げてしまいます。

 ところが,ここに大きな落とし穴が待ち受けていたことに,いまも多くの人間が気づいていません。それは,生き物としての人間の役に立つべき理性が,いつのまにか狂気と化し,生き物としての人間を攻撃するという逆転現象が起きているという事実です。

 その萌芽が,じつは,オブジェ(対象)をショーズ(事物)にし,それを所有し,私財を蓄えることを考え出したときにみてとることができます。ここからはじっくりと話を進める必要があるところですが,あまりに長くなりますので,さきを急ぐことにします。

 なお,表記が長くなりますので,以下,オブジェ(対象)を対象と,ショーズ(事物)を事物と表記することにします。生き物としての人間が動物や植物をたんなる対象から事物にしたのは,生き延びるための最小必要限の手段としてでした。詳しいことははぶきますが,原初の人間は動物や植物に対する畏敬の念をつよくもっていました。ですから,神に祈りをささげながら,必要最小限の動物や植物の命を「いただく」というのが基本でした。ですから,無闇にたくさん動物を捕獲したり,植物を栽培したりはしていませんでした。

 しかし,そこに動物や植物を私財として蓄えようとする人間が出現します。このときから人間の歴史はややこしくなってきます。貧富の差や争いごとや戦争は,ここからはじまります。それを回避するための智慧として人間は,祝祭の時空間をさまざまに工夫し,定期的に私財を不特定多数の人びとに贈与し,消尽することを考え出しました。こうして,できるだけみんなが平等に,そしてなにより諍いを起こすことなく生き延びていくための文化装置が工夫されました。それが,マルセル・モースの『贈与論』に展開されている世界の心象風景です。

 ところが,この贈与経済に風穴を開ける,とんでもない経済の考え方が登場します。乱暴な言い方になりますが,それが,資本主義経済というわけです。つまり,価値観がすっかり変わってしまいます。贈与経済の社会にあっては余分な備蓄は悪,資本主義経済にあっては備蓄は多いほど善にと,逆転してしまいます。ですから,人びとは競って備蓄をはじめます。その成れの果てが,こんにちのこの社会です。

 この資本主義の考え方こそ,人間の理性が狂気と化す第一歩だったのではないか,とわたしは考えています。

 ここでもう一度,事物の話に立ち返って考えてみたいとおもいます。
 たとえば,小麦の栽培について。自然存在であった小麦が事物と化すプロセスを考えてみましょう。自然存在としての小麦は,こぼれ落ちたタネが春には芽を出し,葉を繁らせ,花を咲かせ,稔ります。そして,やがてタネとなって地に落ちる,これが小麦の一生であり,世代から世代へとバトン・タッチをしていく,この繰り返しです。しかし,事物と化した小麦はそうではありません。人間が手をかけて生育させ,小麦が稔るとそれを収穫し,保存します。保存された小麦は必要に応じて取り出され,粉にされ,いろいろに加工されて,火で焼かれて(じつは,このことに重大な意味があるのですが,ここでは割愛),パンにされ,人間に食べられてしまいます。このプロセスは小麦の一生にとっては,まことに不本意なものです(この問題を解消するためにいろいろの儀礼が生まれますが,これも割愛)。つまり,自然存在の小麦が,人間の食糧としてパンにされてしまうこと,これが小麦の事物化ということの意味です。

 もうひとつの小麦の事物化についても考えておきましょう。小麦はやがて過剰に生産され,私財として備蓄されるようになります。この小麦はやがて商品として取引されるようになります。つまり,小麦がお金に替えられてしまうわけです。お金に替えられてしまった小麦は,こんどはお金としての運命をたどることになります。つまり,小麦の金融化です。このことを銘記しておいてください。

 小麦がお金になるということになりますと,こんどはもっと多くの小麦を生産しようということになります。こうして,生き延びるための小麦生産から,より多くのお金を得るために働くという事態が起こります。

 このとき,小麦栽培の意味の逆転が起こります。なぜか? 自分で満足すればいいだけの小麦の栽培は自分のコントロール下にあります。しかし,金儲けのための小麦の栽培となりますと,もはや主客が転倒してしまいます。つまり,小麦を事物として支配し,小麦の主人であったはずの人間が,より多くの小麦生産のために働かされる,つまり,小麦の奴隷と化してしまうということです。ということは,小麦を事物と化したつもりが,いつのまにか人間が小麦の事物になってしまっている,という奇妙なことが起こります。つまり,人間は小麦を事物にしたつもりでいたのに,いつのまにか人間もまた事物と化してしまっていた,というわけです。

 ここで想起してほしいことは,贈与経済です。贈与経済は,この事物化の悪循環を断ち切るための,まことに優れた文化装置だったのです。こうして人間は,一年に一回(あるいは数回),過剰となった事物を祝祭時空間をとおして贈与することによってみずからの事物化の問題を解消すると同時に,みんなが同じスタート・ラインに立って再出発する,という智慧を生み出していたのです。

 しかし,資本主義経済はこの人間の長年にわたる智慧の集積を破棄してしまい,まったく新しい経済の仕組みを編み出しました。しかも,それは「家政の賄い」に起源をもつ経済という語源からも大きく逸脱してしまうものでした。言ってしまえば,経済が勝手に一人歩きを始めてしまい,もはや人間によるコントロールはおろか,人間そのものが資本主義経済の事物と化してしまう,というとんでもない事態が出現してしまいました。つまり,資本家と労働者という階級分離の問題です。原則的には,いまも,この構造は少しも変わってはいません。しかも,資本家も労働者も,気がつけばみんな資本主義の事物と化してしまっている,というのが現状です。

 さて,いよいよ結論のところにさしかかってきました。
 ここまで書けば,もう,勘のいい人はピンときていることでしょう。
 アスリートの多くが事物化するのは,それは必然だ,と。

 さて,このさきを詳細に書く必要があるでしょうか。
 もう,すでに,相当に長くなってしまっていますので,この稿はこのあたりでひとまず終ることにしたいとおもいます。

 ただ,ひとことだけ。この資本主義社会にあっては,アスリートは事物と化して,金融化され,だれかに所有される以外には,ほとんど生きる術はない,ということです。そして,そのさきに待っているものは,たとえば,オリンピックはマネー・ゲームのアリーナにすぎない,ということです。

 これらのテーマについて,どのように書くか,またまた,宿題ができてしまいました。
 今回は,取り急ぎ,ここまで。(未完)。

2013年9月13日金曜日

自律しないトップ・アスリートたち。その多くは思考を停止したスポーツ・ロボットにすぎないのか?

  トップ・アスリートと呼ばれる人たちはふつうの人間とはいささか違う人種のようだ。むかしからトップに躍り出てくる選手は,ふつうとは少し違う人が多かった。それもそのはずで,ふつうの人がふつうの努力をすればふつうの選手で終る。そこに一工夫を加えて,日々精進し,それをやりとおす意志の力が必要となる。その分,ふつうの人がもっているもの以上のなにかが加わると同時に,ふつうの人が備えているなにかがそちらに奪われていくことになる。たとえば,付き合いが悪いとか,他者の意志を無視するとか。つまり,自分のペースを守り抜く,そういう意志の力が必要だ。しかし,それは自分で考え,自分でコントロールしながら,自分の意志で実行していく。そこから生まれてくるものは個性の範疇に収まるものだ。

 しかし,近頃のトップ・アスリートと呼ばれる人たちは個性の範疇を越えているのではないか,と思われることが多い。思い切って言ってしまえば,人間というよりはモノに近いのではないか,ということだ。もっと言ってしまえば,ロボット。そう,スポーツをするロポット。だから,スポーツ・ロボット。略して「スポロボ」。わたしの眼にはそんな風に写るトップ・アスリートが多い。

 その大きな特徴は,自分の頭では考えない。考えようともしない。自分より目上の人から言われたことにはまことに従順で素直。というより,言われるがまま。言われたことをそのまま順守し,実行する。それでなんの疑問もいだくことはない。素直そのもの。というか,無知。言われたことに対して,条件反射的に「ハイ」と答えて,平気でいられる。無理なことを言われても,すべて「イエス」で答える。いわゆる体育会的性格。絶対服従。

 われわれの眼に触れる場面でいえば,試合が終った直後のインタヴューの受け答え。マニュアルに書いてあるとおりのワン・パターンの応答。聞いていてなにも面白くない。インタヴューをする方もマニュアルどおり。こちらもインタヴューアーとしての職業的な自覚がない。だから,間違いのないように,とマニュアルにしがみつく。そこには,なにかを問い質して,その選手独特の個性を引き出そう,などという意志はない。つまり,インタヴューアーも自分で考えるということを放棄してしまっている。そして,そつなくこなせばいい,というただそれだけ。だから,わたしのような人間には退屈この上ない。単なるとおりいっぺんのやりとりがあるだけ。なにも面白くもなんともない。そこには,ロボットとロボットの,入力されたとおりの会話があるだけ。

 そこには,人間らしさはなにも感じられない。つまり,人間としての喜怒哀楽や,素朴な疑問とそれへの応答というものがなにもないからだ。だから,おやっ?なぜ?という素朴な疑問すらいだかない,モノ的な人間,機械的な人間,すなわと,ロポット。マニュアルとして入力されたこと以外のことはなにも問わないし,なにも答えない。

 しかし,優れたインタヴューアーは違う。まず,基本的に人間的魅力というものに強い関心をもっている。だから,相手選手の人間的魅力はどこにあるのだろうか,というところから会話がはじまる。その上で,その選手が取り組んでいる競技種目の特性に関心を示す。だから,その競技種目の面白さはどこにあるのか,どこがむつかしいところなのか,という問いを発する。こうなると,ロボット選手はことばに詰まる。しかし,自律している選手であれば,ことばを絞り出すようにして自分の考えを語りはじめる。それはとても味のあるものが多い。

 言ってしまえば,インタヴューアーの方に,スポーツとはなにか,という根源的な問いをもっていて,つねにその答えを模索しているかどうか,そうすれば必ずその答えを求めるような問いが飛び出してくる。そこがポイントとなる。つまり,まずは,選手としての魅力,つぎに競技種目の魅力,さいごにスポーツとはなにかというもっとも基本的な問いをもっているかどうか。それに対してどこまで応答できるかどうかは,アスリートとしての自律の度合による。

 ところが,競技者たちには,人間として自律するというプログラムがほとんどない。これが最近の競技者を取り囲む環境の大きな特徴でもある。競技者としての練習のプログラムは,すべて上級生が用意しているか,監督・コーチが用意している。初心者のときから,この練習パターンは変わらない。だから,考える必要はないのだ。かえって考えたりすると衝突が起きてしまう。考えないで,黙々と練習プログラムをこなしていく競技者がいい競技者と評価される。

 これが習い性となり,いつしかなにも考えないモノ的な人間,すなわち,スポーツ・ロボットが誕生する。マニュアルはだれかが考えて,与えてくれる。それにおとなしく従っていれば,なにごともそつなくこなすことができる。ただし,自律とはほどとおい人間になってしまう。

 スポーツ界にはこういう人が多すぎる。ただし,組織で出世するには,この方が無難である。人の顔色をうかがいながら,つねに,多数派に身を寄せる。そして,余分な発言はいっさい控える。会議が終ってから主流派の人にすり寄っていって胡麻をする。あとでプレゼントでもしておけば,万全である。そうして,仲良しクラブの一員として,忠節をつくす。

 なにをイメージしているのか,おわかりのとおり全日本柔道連盟の理事会,評議員会のメンバーのことだ。

 思い切って言っておけば,IOCの委員たちもまた大同小異だ。
 こちらは国際的な関係があるので,いささか複雑ではあるが,基本的には変わらない。
 なにせ,王族・貴族が主導権を握っている団体なのだから。
 このことについても,このブログで考えてみたいとおもっている。

 このブログの結論は,「自律しないトップ・アスリートたち」が多すぎる,ということ。ここに,こんにちの日本のスポーツ界の根源的な問題が潜んでいる。だから,「スポーツとはなにか」などという不毛なことは,だれも考えようともしないし,そんなことは自明のことであり,熟知している,と勘違いしている。そんな人たちがスポーツ界の圧倒的多数を占めている。そして,メディアにいたっては,もっと酷い。

 じつは,スポーツ界は問題が山積みのままなのだ。つまり,古い体質のまま,なんの矛盾も感じてはいない。そういう人たち,時代の大きな転換期に,うまく対応できないままでいる,すべてはそこからはじまる。

 考えれば考えるほど,どうしようもない泥沼のなかに入り込んでいく。
 これから少しずつ問題をほぐしながら,問題の所在を明らかにしていきたい。

 トップ・アスリートたちがモノ化していくのは,哲学的に考えてみても,人間の文化の必然である,ということが可能なのだ。そこから,いかにして脱出をはかるか,というじつは遠大な課題がこのさきに待ち構えている。このことも,いつか,書いてみたいと思う。

 とりあえず,今回はここまで。

五輪招致のとんだ成果?安倍首相の「大嘘」に外国のメディアが猛反発。お蔭でフクシマに光が。

 IOC総会でぶち上げた安倍首相の「大嘘」がどえらいことになってきた。まずは,お膝元の東電が,そんな情報を事実であると首相に伝えたことはいない,としどろもどろにコメント。外国のメディアは,「そんな事実があるとは聞いたことがない」と猛反発。そして,これから特別取材班を派遣して徹底的に事実関係を探査する,という。もちろん,IAEA(国際原子力機構)も近々,調査団を派遣して,その後のフクシマの実態を確認する,と声明を発表。

 安倍首相の「大嘘」が国際的な大問題となってきた。まだ,各国の首脳は口を固く閉じたままだが,シリアの問題にある程度の目処がついてくれば,その矛先は必ず安倍首相に向けてくるだろう。あるいは,すでに,この男は信用ならない,と見切りをつけているかも・・・・。

 この「大嘘」によってフクシマは一躍,世界の注目を集めることになった。こうなると無責任な東電や原子力規制委員会も,これまでのような「事実隠し」や「時間稼ぎ」といった引き延ばし作戦でごまかしているわけにはいかなくなる。これまで押し隠してきた「事実」を,どのような方法にしろ公開する方向に舵を切るだろう。

 その前に,外国のメディアがフクシマの海に船を浮かべて,独自の方法で徹底的にデータを収集するという。そして,問題の「0.3キロ」の範囲内の状態についても,自分たちの手で確認するという。要するに日本側がこれまで公開してきた情報が「全否定」されたということだ。日本のメディアも信用ならない,と。

 安倍首相の「大嘘」が,これからいろいろのところに波及していくことになるのは必定だ。これまで長年にわたって蓄積されてきた日本人のイメージ(信頼度)は一気に失墜し,ゼロからのやり直しを迫られることになる。哀しいことだが,避けてとおることもできない。愚かな男をヘッドに据えたわれわれの責任だ。覚悟するしかない。ただし,二度と,こんな愚かな男を選ばないことだ。

 国際社会がこれまで息を潜めて見守ってきたのは,フクシマの原発事故による放射能汚染がどのような進みゆきになっているのか,という事実だ。空からの汚染はもとより,海に流れ出る汚染水がこんごどのような経緯をへていくことになるのか,そして,その根源にあるものはメルト・ダウンした原発の地下がまったく手つかずのままである,制御する方法もない,という大きな不安である。しかも,その下には地下水が流れていて,海に垂れ流し状態なのだ。この事実を日本政府はまるで腫れ物に触れるようにひた隠しにしてきた。しかし,そんなことはすぐに知れ渡っていく。国際社会の眼は,いま,この一点に釘付けになっている。みんな不安なのである。いずれ海洋をとおして世界中にこの汚染水がひろがっていく。その事態に対して,手も足も出せない不安である。

 そんな折も折,「フクシマは完全にコントロールされている」「過去にも,いまも,そして未来も」と世界中のメディアが注目する大舞台で,日本の総理大臣が「大嘘」を放った。それを「鵜呑み」にして一票を投じたIOC委員が「過半数」を超えた,という事実にもわたしは腰を抜かしてしまった。IOC委員の知的レベルはそんなものだったのか,と。

 この話もじつは大問題で,わたしは迂闊だったと大いに反省している。なので,次回のブログでこの話を取り上げてみることにしよう。

 さて,少し冷静に考えてみよう。安倍首相の「大嘘」は,日本人総員が将来にわたって大きな負の遺産を背負わされることになったが,ひるがえって考えてみると,とてつもなく大きな「功績」を残すことにもなった。すなわち,フクシマを世界の百日のもとに曝け出すことになったのだから。あるメディアは「墓穴」を掘ったと書いたが,いやいや,この「墓穴」のお蔭でフクシマが世界の注視の的となり,ようやく正当な地位を獲得した,とわたしは評価したい。

 まことに乱暴な外科手術にも等しい「外圧による劈開」によって,フクシマが初めて世界の重大問題として,真っ正面から見据えられることになった,と。

 今回の東京五輪招致というとんでもない狂騒曲が演じた最大の成果は,フクシマがようやく世界の檜舞台に登場した,ということだろう。

 これからさきは,外国のメディアに負けないよう,国内のメディアも気合を入れてフクシマの行方を追ってほしい。それも国際的な視野に立つ,勇断を携えて。

 東京五輪という狂騒曲はこれからも鳴り響く。なぜなら,東京五輪は「諸刃の剣」だから。これを振りかざせば,成らぬ話も成ってしまう。安倍首相はまことに都合のいい「名刀」を手に入れてしまったのである。使いようによっては,いかようにも使える。その使いようをひとつ間違えると命取りにもなる。それをきびしく監視するのはわれわれの役目だ。

 あるいはまた,東京五輪は,安倍首相にとっては時限爆弾になるかもしれない。折角,世にも不思議な,まことに面白いおもちゃを手に入れたのに,そのおもちゃが,ある日,突然,不如意になり,みずからに襲いかかってくるかもしれない。またぞろ,突然,「おなかが痛い」病が発症しないともかぎらない。お坊っちゃまは病気に弱い。我慢がきかない。

 世界の首脳陣は,それを期待しているかもしれない。もはや,まともな話し相手ではない,と見極めをつけているはずだから。

 いささかことばが過ぎたとしたらお許しいただきたい。でも,これが,偽りなきわたしのホンネである。思い浮かぶことをそのまま素直に書いてみた。良識ある批判は甘んじて受ける覚悟はついている。忌憚なきご意見を。

2013年9月11日水曜日

「9・11」から12年。監視社会化が進むアメリカ。五輪招致で日本も右にならえ,か。

 五輪狂騒曲の煽りで「9・11」がどこかに霞んでしまった。あれから12年。アメリカは,世界は,そして,日本は,どのようにそれを受け止め,変貌してきただろうか。やはり,一度は立ち止まって,深く考えるべきだろう。

 などと偉そうなことをいうわたしも,じつは,今日が「9・11」であることをすっかり忘れてしまっていた。たまたま夕食時につけたラジオ(今日は鷺沼の事務所で残業。ここにはテレビはない)が教えてくれた。このところ,ラジオはJウェーブ・エイトワンポイントスリー(81.3)と決めている。この局ではときおり,きわめてまっとうなキャスターが登場して,まっとうな情報を解説し提供してくれる。今日のキャスターがだれであるかも,そして,話題を提供してくれたゲストがだれであるかも,忘れてしまった。しかし,その内容はわたしのこころを震撼させるような話題でてんこ盛りだったので,その一部をここに記しておきたいと思う。

 アメリカは「9・11」の直後の10月には大急ぎで「愛国者法」(パトリオット)を制定した。これは,知る人ぞ知る恐るべき悪法で,かつての日本の治安維持法にも相当するものだという。アメリカの本性を剥き出しにした,とんでもない法律で,アメリカ憲法をも凌駕する特例法だという。この法律ができたために,恐るべきアメリカの監視社会化が一気に進んだという。たとえば,図書館の貸し出し名簿を国は自由にチェックすることができるようになり,だれが,どんな本を借りているのか,といった個人情報も国家の管理下におかれることになった。

 のみならず,それを根拠にして思想犯,政治犯を特定し,逮捕することも可能になったという。もちろん,密告もあり,という。国家の機密を守るという名目のもとに,国はなんでもできるようになったというのだ。その結果,突然,隣人が姿を消し行方不明になる,というような事件が頻発しているとも。まるでジョウジ・オーウェルの『1984年』の世界を彷彿とさせるような話ではないか。さらに恐ろしいことに,ある政治犯は収容所で,外科手術の名のもとに内蔵を一つずつ切り取られていき,最後には腕や足までも,一本ずつ順番に切り取られたという事実も報告されている,という。

 自由と民主主義を標榜するアメリカがいつのまにか世界一の「不自由の王国」になりはてている,というのである。

 「9・11」後の,アメリカのこうした監視社会化の傾向は,少なくとも「テロとの戦い」を支持する国々にも浸透している,という。もちろん,日本も例外ではない。機密情報保護法などは,アメリカからの機密情報が日本をとおして駄々漏れにならないようにするために,アメリカの圧力のもとで急ぎつくられたのだ,という。

 ということは,アメリカの「愛国者法」がグローバルスタンダードとなって,いわゆる「情報の統制」が世界に広まっている,ということだ。TPPも,同じ発想から,アメリカンスタンダードによる世界制覇への道を開くものだ。そのアメリカに盲目的に追随する姿勢を明確にしつつある安倍首相は,TPPはもとより,五輪の安全開催を理由に,アメリカと同じような「愛国者法」をも視野に入れている,ともいう。となれば,尖閣諸島を守るための軍隊も,そのための憲法改定も,すべて五輪を口実に押し進めることができる,という次第だ。

 かくして,日本の監視社会化は,五輪という絶好の「眼くらまし」を手に入れたことによって,国の思いのままだ。

 もっと恐ろしいことは,世界を相手にあれだけの大嘘をついて,こんどは汚染水対策に国民や世界の眼を釘付けにしてしまうことだ。その結果,メルト・スルーであるのか,メルト・ダウンであるのかすらその実態もわからないまま放置されている原発の最悪の情況(レベル・7?)に蓋をして,人びとの記憶から遠ざけてしまうことだ。

 「9・11」後のアメリカの「愛国者法」の余波が,いま,日本の社会にも人知れず浸透しつつある,ということを忘れてはならない。そして,そのための絶好のツールとして五輪開催が利用されようとしていることに,わたしたちは厳しい「監視」の眼を光らせなくてはならない。「9・11」は,どのように隠蔽・排除しようとしても,いまも,姿・形を変えて,まるで「亡霊」(デリダ)のように,思いがけないときに,思いがけないところに出現しているのだ。せめて,そのことだけでも,今日という日にしっかりと想起し,銘記しておこう。

2013年9月10日火曜日

いよいよ東京オリンピック狂想曲のはじまり,はじまりっ!7年間も鳴りっぱなし?

 どこもかしこもオリンピック情報ばかり。新聞は各社ともいっせいに「招致レースの裏舞台」をテーマに,しばらくは連載になりそうな勢い。テレビも朝から,どの局もオリンピック情報をてんこ盛り。それもお馴染みの顔ばかりが繰り返し繰り返し登場して,いささか食傷ぎみ。どんな風にメディアがオリンピック招致をとりあげるのか,一応は,見届けておかなければ・・・とおもって努力してみたが,もういい。

 これから7年間もの間,東京オリンピック狂想曲が演奏されつづけるのかとおもうと,世も末だなぁと絶望的になってしまう。しかし,世間では,この狂想曲が「元気のでる」音楽だと囃し立てる。この場合「元気がでる」は,オリンピックに名を借りた「空元気」にすぎない。つまり,なにも考えないで浮かれていればいい,ただ,この狂想曲に身をゆだねていればなんとなく心地よいと勘違いしているだけのこと。

 辺見庸(『しのびよる破局』)ではないが,テレビはみごとに日本人「総員」の思考を停止させる役割を,なんの犯意もなくはたしてくれる。無意識のうちに,気がつくいとまもないまま,思考停止,空元気,失見当識・・・へとまっしぐら。

 流れてくる情報は,まるで凱旋将軍を迎えるような勢いだ。いっそのこと銀座で「ちょうちん行列」でもやったらどうだ。すでに,10万人を集めた実績もあることだ。そして,日本人総員をますます浮かれ気分にさせるにはナイス・アイディアではないか。

 と思っていたら,神奈川新聞のネット記事によれば,やはり,子どもの被曝を恐れて,福島から実家のある神奈川で避難生活を送っている女性(夫は福島で働いている)は,まことに複雑な心境だと語っている。東京にオリンピックがくることによって,福島がなにかと話題になるとすれば,それはありがたいことだが,ひょっとすると都合の悪い情報はすべて蓋をされてしまって,人びとの記憶から忘れ去られてしまうのではないか,という不安もある,と。そして,安倍首相のプレゼンテーションはまるで絵空事のように聞こえた,とも。あまりに現実ばなれしていて・・・・。でも,あそこまで断言したのだから(まったく問題ない),そのようにしてほしい。そういう努力を本気でしてくれるのなら,オリンピックがくることを歓迎したい。これからしっかりと見守りたい,と。

 浮かれてお祭り気分の東京都民の背景には,東京都民に電力を供給するために力を貸した人びとが,家・土地を追われ,流浪生活を余儀なくされている,というこの重い事実があるということを忘れてはならない。故郷という土地に根づき,からだに馴染んだ山や川,美しい田園風景,清澄な空気,力を合わせ仲良く暮らしてきた隣人・友人たち・・・・そういった生きていく上での最高の財産を一瞬にして失うことの過酷な経験・・・・わたしたちの想像をはるかに越える,耐えがたい不慮の災難・・・・。

 安倍首相の脳裏には,この人たちの姿がどのように写っているのだろうか。 

 日の当たる明るい場所には,かならず日の当たらない暗い陰になる場所が生まれる。光の法則。この単純な必然ともいうべき事実を,わたしたちはつねに忘れてはなるまい。せめて,むこう7年間は。

 もう,決まってしまったことにケチをつけるのはやめよう。その代わり,首相が世界に向けて約束した「まったく問題ない」状態を,一刻も早く取り戻すべく,国を挙げて全力投球するよう,わたしたちの監視の目をきびしくしていくことにしよう。そして,それが誠実に実行されはじめたら,大きな拍手を送ろう。ただし,少しでも手抜きをしたら,徹底的に抗議の行動を起こそう。それが国を愛する人間のとるべき必要最小限の行動だろう,とわたしは確信する。

 IOC委員(100数人)に目くらまし(ネコ騙し)をくらわせるほどの「はったり演説」の名手は,その裏でなにをやりはじめるか油断ならないから,くれぐれも要注意。これでオリンピックと経済で国民を煽っておけば,当分の間,安泰とタカをくくっていることだろう。その間にどんな奇手を仕込んでいこうか,と虎視眈々とねらっているに違いない。

 いま,鳴り響いている音楽はオリンピック狂想曲である,ということを肝に銘ずべし。そして,その狂想曲が,イチエフで働いている作業員の人びとを勇気づける音楽として,高らかに鳴り響かせることこそ,わたしたちの重要な任務だ。そういう狂想曲にすべく,これから頑張るしかない。いっときも浮かれてはいられない。

2013年9月9日月曜日

『しのびよる破局』(辺見庸著,角川文庫,2009年)を再読。わたしたちは失見当識患者か。

 安倍首相はIOC総会の五輪招致の最後のプレゼンテーションで,フロアからの質問に対して,「フクシマは完全にコントロールされている」「フクシマ近海の海洋汚染もレベル以下である」「日本は世界一きびしい基準で安全につとめている」と数字まで挙げて,「フクシマはまったく問題ない」と言い切った。この首相プレゼンが五輪招致を決定づける要因のひとつだったとメディアはなんの臆面もなくつたえている。

 安倍首相のこの発言は,わたしには,どう考えてみても「正気の沙汰」とは思えない。では,なぜ,福島の漁業は停止されたままなのか。なぜ,福島の農産物が・・・・,と多くの日本人は疑問をいだいたに違いない。『世界』10月号が特集を組んだように「イチエフ 未収束の危機──汚染水・高線量との苦闘」がいまもつづいているのである。イチエフで働いている作業員の人たちは,まさに,線量とにらめっこしながら,からだを張っているというのに・・・・。

 安倍首相は国際社会に向かって,かくも堂々と,詭弁・虚言を並べ立てたのだ。そして,その発言をIOC委員たちの多くが信じた結果が「東京五輪」の決定だった。国内向けの選挙演説ではないのだ。それは選挙民が責任を負えばいい。しかし,IOC委員を誑(たぶら)かしたのだ。(※「誑かす」とはこんな漢字なのだ,と自分で変換してみて驚いた。)これから7年間,日本は「未収束のイチエフ」を,どのようにして「まったく問題ない」ことにしていくのか,とんでもなく大きな負債を背負うことになった。

 こんな「正気の沙汰とも思えない」狂想曲が演奏されている現実を前にして,絶望の思いに打ちひしがれていたら,ふと思い当たることがあって,辺見庸の『しのびよる破局』を読みなおしてみた。この本がでたのが2009年。その内容は,わたしたちの多くが失見当識患者になりはててしまっていて,<わたし>を見失い,どこに向って進んでいけばいいのかもわからないまま,ただ,目の前のものに押し流されながら,さまよいつづけているのではないか,というもの。つまり,「わたしたちは狂っている」,と。しかも,その狂っていることに気づいていない。ここにこそ底知れない,恐るべき「破局」がしのびよっているのだ,と辺見庸は嘆く。

 少しだけ,辺見のことばに耳を傾けてみよう。
 かくして私たちは狂っている。そんな大それたことはだれも大声ではいったことがない。だから,そっと小声でいわなくてはならない。私たちはじつは狂(たぶ)れているのである。「私たち」といわれるのが迷惑なら,いいなおそう。この私は,かなり狂っている。自信をもって正気とはいいかねるのだ。私のばあい,傾向は,つらつらおもうに,統合失調よりも”失見当識”というのに近いようだ。見当識は,時間や場所など現在自身がおかれている状態をしっかり認識する能力で,いわば,オリエンテーションであり,体内の羅針盤みたいなもの。それをなくしたり,機能不全におちいったりすることが失見当識(ディスオリエンテーション)である。時間,空間,人物や周囲の状況,関係性をただしく認識する機能が,なんらかの原因で障害された状態だ。私は「いま」の時空間をただしく理解できていない。ディスオリエンテーションに,だからこそ,私はつよい関心をもっている。(P.209~210.)

 辺見のことばは,わたしのこころに痛く突き刺さってくる。引用をはじめると,つぎからつぎへと書き写したくなってくる。が,そうもいかないので,最後の決めのことばを引いて終わりにしよう。
 ・・・・今日ただいまの破局とは,じつのところ,資本主義経済のそれだけではなく,私たち総員の内面におけるかつてないディスオリエンテーションと,深まる一方の荒(すさ)みの状態をもいうのだと私は確信している。(P.212.)
──中略。
 テレビという,なにより資本主義の統合失調性を象徴する装置は,ごくまれに魂にひびく番組も流せば,同時にそれをあざ笑うような番組もたれ流すことにより,視聴者とともに陽気に荒みつつ,総員のディスオリエンテーション化をなんらの犯意もなく実現するのだ。(P.214.)

 辺見庸に,ここまで現代の病根の核心部分をえぐり出されてしまうと,安倍首相に対して「正気の沙汰」とは思えない,などということはできなくなってしまう。辺見庸が,みずから「狂っている」と宣言するからには,このわたしも立派に狂っているとしかいいようがない。じゃあ,みんな狂っているのだから,みんな同じではないか,という議論になる。

 しかし,そうではない。狂っていると自覚している狂者と,狂っていることを自覚していない狂者とは,まったく次元が異なる。かつて,ソクラテスが言った「無知の知」だ。賢者は,みずから無知であることを知っている。

 辺見庸と安倍首相の違いはここにある。
 失見当識(ディスオリエンテーション)ということを自覚しつつ,そこからの脱出の方法を模索する人と,失見当識などということを考えたこともないほんもののディスオリエンテーション患者との違いである。

 突然,スポーツに興味をもったディスオリエンテーション患者が,オリエンテーリングというゲームに参加したような,とんでもないことが,これからはじまろうとしている。だれかが「あなたは狂っている」と教えなくてはならない。「裸の王様」のように。やはり,少年の純粋無垢のこころをわたしたち自身がとりもどす以外にないのだろうか。

2013年9月8日日曜日

「五輪招致レース」という馬鹿げた狂騒曲はだれのためのものなのか?

 「五輪招致レース」という,まことに馬鹿げた狂騒曲にようやく終止符が打たれた。

 クーベルタンが生きていたら,「こんなオリンピックなら止めた方がいい」と断言したに違いない。かれは第一次世界大戦後の1924年のパリ大会の開会式に招かれて,あまりに盛大なお祭騒ぎにあきれ返ってしまい,以後,オリンピックには背を向け,失意のうちに没したという。

 クーベルタンの夢は「健全なる青少年教育」の実現にあった。それは,19世紀末のアルコールと暴力に汚染され,荒れ放題だったフランスの青少年たちを救済することだった。そして,大地にしっかりと根を張った樹木のように,ひとりの人間として青少年たちを自律(自立)させるにはどうしたらいいかを考え,そのヒントをえたものが,当時のイギリスのスポーツ教育だった。

 かれはイギリスに渡り,じかにスポーツ教育を学んだ。そこで大きな感銘を受けたクーベルタンは,やがて,世界の青少年たちをスポーツをとおして交流させることに思いを馳せるようになる。こうして帰国したクーベルタンは,古代オリンピアの祭典競技にヒントをえて,近代オリンピック大会の構想を練る。そして,第一回大会をギリシアに敬意を表し,アテネで開催し(1896年),第二回大会をパリで開催した(1900年)。

 クーベルタンが音頭をとって開催した第二回パリ大会は,よく知られているように,パリで開催された万国博覧会と共同開催だった。言ってしまえば,万国博覧会のためのアトラクションのひとつとして開催された。しかも,万国博覧会と同じ期間,すなわち,半年にわたってオリンピック大会も行われていたのである。それは,万国博覧会会場近くの公園の芝生を利用し,週末の土日を中心にして大会プログラムが組まれていた。まことにのどかな田園風景がそこにはひろがっていたのだ。そして,まことに素朴なスポーツ大会が開催されたのである。これが,クーベルタンのオリンピックに関する原イメージであった。

 だから,五輪を開催する都市を決定するのに,都市どうしを競合させ,「招致レース」を展開させる,などという発想は,少なくともクーベルタンにはなかった。すべては,クーベルタンが仲良しだったヨーロッパの貴族であるIOC委員が集まって,話し合いで決まった。開催都市の選定も,1904年はセントルイス(万国博覧会と共催),1908年はロンドン,19012年はストックホルム,という具合に巡回する方式がとられた。問題は,第一次世界大戦後になると,オリンピックを開催したい都市がつぎつぎに立候補するようになったことだ。

 こうして,オリンピックは徐々に注目されるようになり,その開催都市の選定をめぐって次第に加熱してくる。クーベルタンが失望した1924年のパリ大会の翌年,1925年のプラハで開催されたIOC総会においてオリンピック憲章が制定された。つまり,憲章を制定しないと運営がうまくいかなくなってしまったというわけだ。

 かくして,オリンピック・ムーブメントの目的,IOCの組織・権限・会議,NOCの権限,聖火,開閉会式,エンブレム,競技プログラム,五輪旗,選手宣誓の内容から表彰式の運営,とうとうにいたるまでことこまかに条文で規定された。以後のオリンピック大会はすべてこのオリンピック憲章の精神にもとづいて運営されることになる。もちろん,条文はそのときどきの国際情勢に応じて,改変をくり返し,こんにちにいたっている。

 「五輪招致レース」などという「正気の沙汰」とも思えない,馬鹿げた狂騒曲が演奏されるようになったのも,こうした経緯による。とりわけ,オリンピック大会が金儲けになることを実証してみせたロサンゼルス大会(1984年)以後のことである。かの実業家P.ユベロスはそれまでのオリンピックの運営とはまったくことなる「金儲け」の仕組みを編み出した。そして,その手腕が高く評価された。その結果,開催を希望する都市が激増した。

 つまり,「五輪招致レース」はオリンピックが経済に絡め捕られてしまったエンブレムでもあるのだ。以後,聖火リレーは商品として売りに出され,テレビの放映権はもとより,アスリートのからださえも金融化していく。そうしてとうとう金の亡者と化したサマランチ会長を筆頭に,IOC委員の圧倒的多数がそのあとに連なった。そのもっとも醜悪な,現代世界の縮図ともいうべきシンボリックなエンブレムが「五輪招致レース」なのだ。

 今回の,この狂騒曲を,日本の小中学生たちはどのように受け止めたであろうか,と考えるとわたしのからだは凍りついてしまう。なりふり構わず「勝てば官軍」という狂騒曲を安倍総理を筆頭に,チームニッポンが一致団結して(まるで,原子力ムラのように),熱演してみせたのだから。それをメディアは執拗に写し出し,リピートしたのだから。
 
 こうして,弱者の論理はますますこの世の片隅に追いやられ,一気に,強者の論理が世に憚ることになるだろう。政府自民党は,自信をもって憲法改変に走り,自衛隊の軍隊化へと触手を伸ばすだろう。こうなると,つぎなる演奏は「トルコ行進曲」だ。もう,その足音がすぐそこに聞こえてくる。

 こうして「五輪招致レース」の論理が,世界のすみずみにまで浸透していくことが,なによりも恐ろしい。しかも,無意識のうちに。

2013年9月7日土曜日

”Emergency Without End” ”Neverending Crisis” 肝に銘ずべし。

 『世界』10月号がとどいた。

特集・イチエフ 未収束の危機──汚染水・高線量との苦闘,とある。
 恥ずかしながら「イチエフ」ということばを知らなかったので,一瞬とまどったが,すぐに「フクイチ」のことだとわかった。しかし,なぜ,『世界』の編集者たちは「イチエフ」というのか。

 こういうときには,すぐに調べてみるにかぎる。
 『ルポ イチエフ』福島第一原発レベル7の現場,布施祐仁著,岩波書店,2012年9月刊。
 放射能汚染のなか,原発事故の現場で作業にあたる原発作業員が「イチエフ」と呼ぶ福島第一原発。なぜ,改善されない劣悪な労働環境,横行する違法派遣・請負,労災隠し,危険手当さえピンハネされる,それでもなぜ彼らは働くのか。「誰かがやらなければいけない仕事」にあたる作業員数十名の肉声を伝える。

 東京新聞(2012年11月3日),朝日新聞(2012年12月9日)の両紙が書評で取り上げる。
 第18回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2012年),とある。

 そういえば,ひところ話題になった本であったことを思い出す。読まなくては・・・と思いつつ,なにかにまぎれていつしか忘れてしまっていた。情けない。反省。

 『世界』がとどくのを,じつは,毎月楽しみにしている。表紙をみただけで,今月はひときわ充実していると直観。特集の他にはつぎのような見出しが表紙に躍っている。
 〇歴史認識問題と戦後補償──歴史の新しい舞台に立つために
 〇対談・あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく(西谷修・小森陽一)
 〇レスター・ブラウン:ピーク・ウォーターという危機

 とっくに締め切りのきている原稿をそっちのけにして,『世界』10月号にしがみつく。
 まっさきに読むのは「編集後記」(編集長・清宮美稚子)。毎号,文体まで工夫したりして,きめ細やかな気配りと鋭い切れ味が心地よい。その清宮さんの文章のなかに,このブログの見出しのことばがでてきて,わたしのこころが凍りついた。

 もう一度,挙げておこう。
 汚染水問題は,海外でも”Emergency Without End” ”Neverending Crisis”などと大きく報じられている。──中略。国際的大問題になっていることに私たちはいまだ鈍感なのではないか。政府は,原発被災者の救済とともに,汚染水などイチエフの事故処理に全力で取り組むことが急務であり,そのための識者の提言(たとえば本号筒井氏)を真剣に受け止めるべきである。再稼働も原発輸出も「正気の沙汰ではない」のは言うまでもない。

 その「正気の沙汰ではない」人たちが,「五輪招致レース」(このことば自体に,鳥肌の立つほどの違和感を覚える)に血眼になっている。その結果やいかに,とメディアも血眼になっている。日本時間の明日の早朝(8日午前5時ごろ)には投票結果が判明するとか。徹夜で報道の構えをみせているところもあるらしい。愚の骨頂。それに躍らされる国民の多くもまた困ったものだ。

 自分の愚かさは必死で隠すし,忘れようとする防衛本能のようなものがあるので,ほとんどの人は気づかないでいる。しかし,他人の愚かさは,手にとるようにわかる。

 ピエール・ルジャンドルの本に『西洋が西洋について見ないでいること』(森元庸介訳,以文社)という書名のものがある。ドグマ人類学を説くルジャンドルらしい,まことに当を得た書名である。しかし,ルジャンドルはフランス人として「西洋が西洋について見ないでいること」という,ある意味では自己批判として,この問題を提起している。残念ながら,日本の「正気の沙汰ではない」人たちは,イチエフ隠しのために,そして,国民を目隠しにするためのまことに都合のいいツールとして「五輪招致レース」に血眼になっている。

 いずれ詳しく書くつもりでいるが,「五輪招致レース」なるまことに馬鹿げた狂想曲を演奏する管弦楽団の一員になることが,いかに「愚の骨頂」であるか,と書くとこれまた「国賊」として呼びすてにされてしまうに違いない。「正気の沙汰ではない」人たちが日本のトップに立つ,恐るべき時代を生きぬくために,では,わたしたちはどうすればいいのか。

 西谷修・小森陽一対談:あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく,から読みはじめるとするか。「あらゆる知恵」に期待して。

 今夜,徹夜する人たちに告ぐ。今夜の狂想曲は,世界中の「正気の沙汰ではない」人たちによって演奏されるものであることを,じっくりと見届けていただきたい,と。

2013年9月6日金曜日

五輪招致を辞退すべし。フクイチのタンク漏水,ついに地下水に到達とか。無責任体質の成れの果て。国家の一大事。

 五月雨式につぎからつぎへと重大な事態が明るみにでてくるフクイチ(福島第一原発)。そして,後手後手にまわる対策。しかも,その対策が遅すぎる。とうとうフクイチの高濃度汚染水は地下水に達してしまい,「垂れ流し」状態に。

 このごに及んでもなお「フクシマは安全」と嘯き,五輪招致に盲進する日本のトップ(首相,都知事,など)の姿勢を,IOC委員はもとより,国際社会はどうみているのだろうか。少なくとも,わたしが感知しているかぎりでは,もはや日本の信用は地に堕ちた,としかいいようがない。にもかかわらず,日本のメディアは能天気に,国際社会の声を無視してドメスティックな情報しか流さない。だから,圧倒的多数の日本人は,メディアの「垂れ流す」情報をそのまま受け止め,あらぬ方向に意識が操作されていても気づかない。

 なにより恐ろしいのは,どれだけの放射性物質が太平洋に流れでているのかというその実態が,いまだにわかっていないということだ。あるいは,実際にはわかっていても公表していないだけかもしれない。だとしたら,もっと恐ろしい。

 なぜなら,これまで公表されてきた情報も,つねに「小出し」にして,その間隔を開け,その実態をさきのばしにしてきたからだ。そして,のちになってから,じつはそれらの事実はずっと以前からキャッチされていた,ということが多すぎる。

 「地下水」ということばの使い方にも,わたしは違和感を覚える。
 フクイチの原発があるところは,そのむかしは川だった,となにかの本で読んだ記憶がある。その川は水が枯渇して,涸れた沢になっていた,と。その上に近くの丘陵をけずって,その土をかぶせた敷地なのだ,と。その実態は,涸れた沢の下は伏流水が流れていて,いまもそれがつづいているというのだ。たしかに,伏流水は地下水の一種ではあるものの,その内実は大きく異なる。地下水なら仕方がないというあきらめもつくが,伏流水と聞けば,ちょっと待てということになる。この事実を知っていてフクイチが建造されたとしたら,ことは重大だ。

 もっとも,活断層の上に原発を建造して平気でいたという無神経さからすれば,伏流水の上に原発を建造するくらいのことは,なんでもないことなのかもしれない。こういう事前の調査からして,まことに杜撰であったとしかいいようがない。原発建造の当初から流れている無責任体質。いわゆる認可制度の盲点。官僚と企業の癒着体質。

 フクイチのタンク漏水が,伏流水に達して,そのまま海に流れていると想像しただけで気がとおくなってしまう。やはり,地下水と伏流水とでは大違いだ。

 国は500億円ほどの税金を投じて,高濃度汚染水の流出を防止するとか。それも素人にはその効果のほどが想像しにくい「凍土」作戦だという。こんな程度の「場当たり」的な手当てで地下水(伏流水)の流れを食い止めることができるのだろうか。わたしにはまったく理解できない。

 もはや,東電が悪いとか,国が悪いとか,言ってる場合ではない。国も企業もフクイチの,ことばの正しい意味での「収束」に向けて,なりふりかまわず全力を傾けるべきときだ。なのに,他方では大飯には活断層がないという判定をくだして,再稼働のための審査に入るという(これを八百長といわずしてなんというか)。とんでもない話だ。原発がなくてもこの国の電力は足りるということは,この夏の猛暑を乗り切ったという事実が証明している。

 再稼働をさせた場合の原発の最終的な収束に要する費用がどれほどになるのか,その試算もできない情況で,なにがなんでも再稼働ありきの思考しかできない頭の固さにはあきれるばかりだ。原発に依存する考え方が,いずれ行き詰まることが分かり切っているのに,なぜ,いまだに再稼働なのか,きちんと国民に対して説明してほしいものだ。

 再稼働などという邪道に走る前に,まずは,フクイチという「国家の一大事」に真っ正面から取り組んでほしい。このことの重大さをまだわかっていないのだとしたら,日本という国はまさに「破局」への道をまっしぐらということになってしまう。日本という国が,まことに無責任な国とみなされ,世界の邪魔者扱いにされてしまうことは必定だ。

 いまこそ,国内にあるすべての原発を廃絶させる方向に舵を切って,再生可能エネルギーの開発に取り組む姿勢を示すことだけが,国際社会に対する「誠意」というものではないのか。ドイツはフクイチの事故に対して素早く反応し,すべての原発を停止させて,再生可能エネルギーの開発に国を挙げて(官民一体となって)取り組んでいる。そして,もののみごとなシステムを構築しつつある。まもなく,電力輸出国になれる,という情報もある。

 五輪招致の最後のプレゼンテーションで,日本は五輪招致を辞退する,と高らかに宣言し,フクイチの収束に向けて全力で取り組むので,世界中の支援をお願いしたい,くらいのことをやってみたらどうか。世界中が拍手喝采を送ってくれるだろう。そういう,とてつもない,いささか常軌を逸していると言われるかもしれないが,それほどの決断がいま求められている。しかも,そのための最高の「舞台」が用意されているのだから。

 平和運動を標榜するオリンピック・ムーブメントの歴史に燦然と輝く「乾坤一擲」をいまこそ。


2013年9月5日木曜日

足の運び方は「X」(英字のエックス)の筆記体のように左右ともに弧を描くように(李自力老師語録・その35)。

 いつものように太極拳の稽古をはじめ,基本の動作に入ったところで,なんの前触れもなく李老師がひょっこり顔を出してくださいました。その瞬間から,わたしのからだは緊張してしまい,こちこちに。いつもできることまでできなくなってしまいます。なんとも情けないことですがほんとうの話。すっくと立っていたはずの軸もぶれてしまい,あっちへふらふら,こっちへふらふら。李老師は準備運動をしながら,じっと,わたしたちの稽古をみていらっしゃる。

 ひととおり稽古が終ったところで,基本中の基本の指導をしてくださいました。
 それはなんと足の運び方でした。

 たとえば,右足から左足に体重を移し,右足を前に送り出すときには,一度,軸足になっている左足の真横まで引きつけてから弧を描くようにして右斜め前に送り出しなさい,と。そして,つぎに右足に体重を移したら,うしろにある左足を弧を描くようにして右足の真横にもってきてから,こんどは左斜め前に弧を描くようにして送り出しなさい,と。

 このときの左右の足の運び方は,真上からみると「X」(英字のエックス)の筆記体のようになります,と仰る。なるほど,と納得。こんなことは最初のころに言われていたはずなのに,すっかり忘れてしまって,勝手に足を運んでいました。恥ずかしいというか情けない。

 この足の運び方はうしろに下がるときも同じ。たとえば,右足に体重を移してから前にある左足を弧を描くようにして右足の真横に持ってきてから,こんどは,そのまま弧を描くようにして左斜め後ろに運びます。そして,左足に体重を移したら,こんどは前にある右足を弧を描くようにして左足の真横にもってきてから,右斜め後ろに弧を描くようにして運びます。

 このときの左右の足の運び方も,真上からみると「X」(英字のエックス)の筆記体のようになります。

 たった,これだけの動作なのに,李老師の足の運び方は,わたしたちとはまるで別世界のような美しさです。しかも,ねばり強く,どっしりとしていて,淀むことなく流れるように,足が引きつけられ送り出されていきます。そのポイントを伺ってみましたら,軸足の安定にある,とのこと。軸足が安定していれば,浮いている足は自由自在に動かすことができます,と。

 というわけで,こんどは,片手を壁に当てて,片足立ちになり,浮いた足を前に送り出したり,後ろに送り出したりを繰り返します。なるほど,軸足が安定すると,浮いた足は自由自在に動かすことができます。ですから,イメージどおりに弧を描くようにして前にも後ろにも送り出すことができます。つぎに,反対足を軸足にしてやってみます。

 こんどは,壁から離れて,軸足一本で立ち,他方の足を前に送り出したり,後ろに送り出したりの稽古をします。すると,とたんに「ふらふら」してしまって,余裕をもって弧を描くように足を運ぶことができなくなってしまいます。なるほど,問題は「軸足」の安定だと納得です。

 そして,このときのもうひとつの技法を教えてくださいました。それは,体重を移動させるときの技法です。たとえば,右足から左足に体重を移す瞬間に股関節をゆるめて,ほんのわずかだけ重心を低くすると,右足が床から浮き上がるように離れます。その逆も同じです。前に進むときも,後ろに下がるときも同じです。ここでも「股関節をゆるめる」が基本だというわけです。

 こんなことも,言われてみれば,最初のころに教えていただいたことです。なのに,すっかり忘れてしまって,我流で足を運んでいたという次第です。稽古場はエアコンが効いていて暑くはないのに,冷や汗たらたらです。

 簡単な動作ですが,とても大事なことを,ピンポイントで教えていただきました。こんどこそ,忘れることなく,からだに叩き込むべく稽古に励みたいと,いまさらのように思いを新たにしました。

 李老師,謝謝!

2013年9月4日水曜日

五輪招致レースの怪。いったいなにを考えているのか。

 五輪招致レース,だって?五輪を招致するための「競争」が行われている。まるで,スポーツであるかのように。いったい,なにを考えているのだろうか。IOCも,そしてメディアも。さらには,それらの情報を手にして一喜一憂するわれわれ読者も。みんな狂ってしまうと,だれも狂っているとは思わなくなってしまう,そんな恐ろしい軛のなかに世界中がはまり込んでしまっている。

 2020年五輪開催都市の決定が間近になって,メディアが騒がしくなってきた。それも,どうでもいい情報ばかりがまことしやかに流れてくる。どこそこの都市はこういう長所と短所があるとか,こちらの都市はこうだ,とか。そして,その優劣を比較して,どこが優勢だの,横一線だのと,まるで競馬の予想のようなことをして騒いでいる。

 いったい,五輪招致レースなどという言い方をだれがはじめたのか。五輪招致運動を点数化して競争させるなどという馬鹿げたことをだれがはじめたのか。いかにも公明正大であるかに見せかけて,じつはまことに胡散臭い。身も蓋もない話だが,この背景にはだれかが得をする仕組みが隠されているに違いない。激しい「招致レース」を展開させて,美味しい汁を吸う人たちがいる。でなかったら,これほどまでにヒートアップしないはずだ。

 いよいよ大詰めを迎えて,五輪招致のための表舞台でのプレゼンテーションと裏舞台での裏取引とが,なりふりかまわず加熱している。日本はとうとう皇室まで担ぎだす始末。まあ,みっともないことこの上なしだ。五輪招致に日本の皇室はなんの関係もない。なのに,猪瀬知事は「これでいいお膳立てができた」と喜んでいる。アホか。

 こんなことは,五輪憲章をよく読めば明白なことだ。第一,五輪開催都市としての優劣を,数量化して客観的に判定する基準などというものはどこにもない。それをまるであるかのようにして,どこの都市の評価点が高いとか,低いとか騒ぎ立てること自体がナンセンスだ。

 五輪招致のための条件はいくつもあるだろう。既存の施設が多いとか,安全・安心とか,いい出したら発展途上国は永遠に開催都市として立候補することすらできなくなってしまう。その結果は,すでにそうなっているが,文明先進国の間でのたらい回しに終る。それでは五輪憲章の精神に反することになる。

 そうではなくて,できるだけ多くの都市を巡回していくことが理想なのだ。だとしたら,最低限,五輪を開催できる条件をクリアしていれば,どこの都市も名乗りを挙げることができるようにすべきではないか。今回の場合は,6月に公表したIOCの評価報告書によれば,いずれの都市も「質が高い」となっている。そして,招致レースはいまのところ「横一線」だとロイター通信は伝えている。ということは,すでに,どこの都市も五輪を開催する能力を持ち合わせていると判定されている,ということだ。だとしたら,どこの都市に決まっても文句はなかろう。すなわち,三都市ともに「合格」とし,あとは抽選で決めてもいいではないか。もし,どうしてもオリンピック・ムーブメントの精神にのっとって評価をくだしたいというのであれば,五輪を開催するための大義名分についてのみ議論すればいい。

 となれば,欧州とアジアの架け橋,イスラム圏初の五輪開催,の二つのスローガンをかかげるイスタンプールが断トツであることは,だれの眼にも明らかである。

 にもかかわらず,約100名といわれるIOCメンバーを,あの手この手で絡め捕った都市が招致レースに勝つことになる。こんな馬鹿げたことがずーっとつづいているのだ。そして,その愚についてだれも多くを語ろうとはしない。なぜなら,五輪仲良しクラブ(わたしが勝手につけた名前)に属していないと,カネになる情報が得られなくなるからだ。だから,その愚についてはだれもが承知していながら,黙視する。批評精神の欠落。この体質がIOCという組織を腐らせていく。

 だから,今回の投票で,イスタンブールに決定しないとしたら,もはや,オリンピック・ムーブメントに明日はない,とわたしは主張したい。大義名分を重んずるか,それとも私腹を肥やすことを重視するか,まことに泥臭い「五輪招致レース」がいま終盤を迎えている。

 東京都知事も,総理大臣も,五輪憲章の精神などはなんのその,東京に五輪を招致すればそれですべてめでたしめでたし,という能天気ぶりだ。そして,そのことの度はずれた狂いぶりについて,メディアもだんまりを決め込んでいる。愚の再生産。愚の連鎖。こんなことが大手を振って表通りをのし歩いている。もはや,救いようがない。

 断っておくが,このようなまともなことを考えている人はわたしの周囲にも少なくない。しかし,このような意見を取り上げようとするメディアが皆無だということだ。ここが断末魔を迎えつつある日本国の最大の恥部なのだ。なぜ,是々非々の議論をメディアをとおして展開しようとしないのか,ジャーナリズムの批判精神が死んでしまったのだ。情けないことに。

 9月7日(日本時間では8日早朝)まで,五輪招致をめぐる情報が乱れ飛ぶことだろう。それも,本質的な議論ではなく,表層を流れるどうでもいい情報だけが一人歩きをして。その動向をじっと見極めてみたい。愚のゆくすえを。


2013年9月3日火曜日

「スポーツ批評」ノート・その9.今福龍太のいう「スポーツ評論」と「スポーツ批評」の違いについて。

 これまでに何回も取り上げたことのある今福龍太の名著『ブラジルのホモ・ルーデンス』サッカー批評原論(月曜社,2008年刊)のなかで,「サッカー評論」と「サッカー批評」とは決定的に違うのだ,という明確な指摘をしている。これはそのまま「スポーツ評論」と「スポーツ批評」に置き換えが可能である(厳密にいうとそうではないのだが,ここではよしとしておく)。

 今福龍太は,わざわざ一章を立てて,この問題を詳細に論じている。しかも,「サッカー批評」とは世界批評である,という副題をつけて。

 で,まずは,そのさわりの部分を引用しておこう。

 ・・・・対象化された聖域のなかで幻想的・自己満足的な言説を繰り出すこともできるのが「評論」(コメンタリー)の世界だとすれば,「批評」(クリティーク)という行為はそもそもそうした書き手の主体性を,現実から隔離することが不可能な行為である。なぜなら批評とは,なによりも,思考対象への批評以前に,言説の生産者たる自己と自己が生きる社会への徹底したクリティークによって,批評的言説の生産の場自体を相対化することからしか,はじまらない行為だからだ。したがって,サッカー批評とは,サッカーというものが成立する歴史的・社会的・文化的・政治的文脈へのトータルな批評行為であり,それはすなわち,サッカーに対峙する私たち一人一人の人間の生存条件への徹底した批判力をも含み込んだものでなければならない。私たちがサッカーをし,サッカーを見,サッカーについて語る現実と,社会のリアリティの生産とが,いかに深く,複雑にかかわり合っているのか,という批判意識こそが,サッカー批評のすべての出発点になるからだ。(P.17~18.)

 まずは,この濃密で凝縮された,一部の隙もない,美しい文章を熟読玩味していただきたい。そして,これほどまでに過激に「評論」と「批評」の違いを断じた言説をわたしは知らない。しかも,この文言につづけて,さらに先鋭化した見方・考え方を,つぎのように提示している。

 そしてサッカーと世界とは,たしかに特別に魅力的な形態によって,深く複雑にかかわり合っている。サッカーを見,サッカーを語ることで,私たちは,このアクチュアルな「世界」を見,「世界」を語るもっとも効果的な方法論の一つを手に入れることができる。そして私は,まさにサッカー批評をつうじて,近代の「世界」そのものへの批評,二〇世紀という時代への批評,ひいては二一世紀へと移った現代の「世界」批評が可能であると考えているのである。(P.18.)

 このようにして,0.序論 「サッカー批評」とは世界批評である,の根拠を明らかにしている。こうした今福の批評精神はさらに深化し,つぎのように断言する。

 サッカーを近代スポーツ競技の内部に囲い込むのではなく,近代世界とさまざまな乖離を示しつつも,近代国家原理によって巧みに占有されながら飼い慣らされ,そうした乖離を隠蔽されてきたサッカーの本性を,いま明るみに出すこと。いわば,近代国民国家原理のなかで構造化されてしまったサッカーを,より原初的な身体運動の原理によって救い出すこと。そのうえで,ひと思いに,近代世界そのものを思想的に解体してゆくこと・・・・。「サッカー批評」が身につけるべきもっとも基本的な知的情熱は,ここにしかない。(P.21~22.)

 この壮烈な,気魄のこもった文章に,わたしは二の句も告げることなく圧倒されてしまう。したがって,別の人の言説に助けを求めるしかなくなってしまう。蓮實重彦は『スポーツ批評宣言』(青土社,2004年刊)のなかで,「運動の擁護」という視点からのスポーツ批評を展開しているが,この部分は今福の「より原初的な身体運動の原理によって救い出すこと」に通底しているように読み取れなくもない。そして,蓮實は「潜在的なるものが顕在化するその瞬間を擁護すること」にスポーツ批評の根拠をもとめている。それに対して,今福ももちろん同じ主張を展開しつつ,さらに過激に「ひと思いに,近代世界そのものを思想的に解体してゆくこと・・・」とつっこんでいく。ここに「評論」を切り捨てて「批評」へと跳躍しなければならないという今福の強い意志が「ひと思いに」ということばに籠められている,とわたしは受け止める。気魄満点である。

 最後に,スポーツ評論について,今福は痛烈な一文を書き記しているので,そこの部分をとりだしておこう。
 
 ・・・・こうしたスポーツを聖別化する日常の構造の延長線上に,現在の「スポーツ評論」というジャンルが,したり顔で居座っている。スポーツ評論,スポーツ評論家,スポーツ・ジャーナリズム,スポーツ・ライター・・・。それがどのように呼ばれようと,またそれがいかに感動的な物語をつむぎだそうと,その内実は,スポーツという聖域の存在を無条件に肯定し,それを言説の自律的で純粋な対象として聖別化し,称揚する(あるいはときにスポーツという聖域への自己幻想がかなえられないといって罵倒する)という行為の不毛な繰り返しでしかない。スポーツ評論とは,スポーツという楽しげな小世界のなかで永遠に夢が見られるという錯覚によって成立しているのだ,といいかえてもいい。さらに現代では,学問の世界にもこうしたスポーツの聖別化の動きは広がっており,「スポーツ社会学」「スポーツ哲学」「スポーツ人類学」といったサブジャンルが,あたかもスポーツだけを学問的言説の対象として分離できるかのごとき幻想に陥りながら,社会学や人類学の余録に与って嬉々としている。(P.14~15.)

 この部分もまた強烈である。「スポーツ社会学」「スポーツ哲学」「スポーツ人類学」もまた「スポーツ評論」と同じ聖別化の道を歩んでいる,とバッサリ。いわれてみれば,まことにそのとおり。そこには,思想も哲学も存在しない。「ここでは,スポーツは人間の生活世界の趣味的な部分集合として領域化され,囲い込まれ,そのなかで自己完結した内向的な情報と言説がめぐっている」(P.14.)という次第である。ただ,不思議なことに「スポーツ史」が,この羅列からはずされている。このことの意味するところは重大である。このブログの長期にわたる読者には,その意味するところは明々白々であろう。

 というところで,今回はここまで。

2013年9月2日月曜日

オリンピック招致はイスタンブールが本命。あとは賑やかし。

  猪瀬知事がIOC総会に向けて出発した,という。9月7日の開催地決定にむけてのロビー活動に全力を挙げる,とか。乗り掛かった舟を,いまさら引き上げるわけにもいかず,なりふりかまわず前進するしかないとでもいうかのように。そのさまはまるで「ドンキ・ホーテ」のように見えてくる。いやいやそれ以下だ。それにしても,なんともはや無駄な労力というか,狂気の沙汰というか,情けないというか,公費の無駄遣いというか,やり切れない気分でいっぱいです。

 なぜなら,オリンピック憲章をよく読んでみれば明らかです。五輪のマークに象徴的に示されているように,オリンピック精神の根底にあるものは,五つの大陸がひとつになって,みんな仲良しになることです。つまり,相互理解にもとづく平和運動です。そして,その相互理解をより深めるために,できるだけ多くの都市を巡回してオリンピックを開催することが前提になっています。

 このオリンピック精神の原点に立ち返れば,2020年の開催都市は,イスタンブールが本命です。よほどの特殊な事情がないかぎり,初めて開催する都市が優先されるのは当然のことです。今回の立候補国は,日本もスペインも二回目の開催となります。しかも,AP通信によれば,現段階では(31日現在),3都市が横一線に並んでいて,やや東京が優位に立っているようだ,と報じています。

 過去の実績をみてみますと,開催地決定の直前の下馬評が第一位の都市が決まったためしはない,といわれています。このジンクスが生きているとすれば,東京は,この時点でみごとに脱落です。となりますと,あとはマドリードとイスタンブールです。最後の最後まで選挙権をもつ委員たちは
悩み抜くことになるとおもいますが,委員たちが健全な精神の持ち主であれば,つまり,オリンピック憲章をよく理解した人たちであれば,イスタンプールに票が投じられることでしょう。

 三つの都市が「横一線」で並んでいるというAP通信の下馬評は,よくよく考えてみると面白いことがみえてきます。どこの都市も,東京と同じような,それに匹敵するような難題を抱え込んでいるということです。つまり,どこの都市も東京と同じ満身創痍だということです。しかも,そんななかで東京がやや優位だという下馬評が流れているというのですから,まあ,どこもかしこもまともな条件を整えた都市ではない,ということになります。

 しかし,他の二つの都市にくらべて,東京はいささか特殊な悪条件を抱え込んでいるようにおもいます。ひとつは,フクシマ原発の「レベル3」問題,もうひとつは,尖閣諸島をめぐる問題です。さらに忘れてはならないのは沖縄の米軍基地とオスプレイの問題です。この他にも,都市直下型大地震が予想されていることです。

 わたしたち日本人は,自分たちのマイナス要素はできるだけ甘く考える性向がありますが,国際社会のみる目は甘くはありません。

 なかでも,フクシマ原発の高濃度汚染水漏洩問題は深刻です。なぜなら,タンクから漏れでた量ですら,いまも流動的で,精確には把握されていません。ましてや,地下水によって海洋に流出した量はまったく把握されていません。しかも,メルト・ダウンした原発の下がどのような状態になっているのかも,まったくわかっていません。つまり,今回,タンクから流出した量だけで「レベル3」と判定したにすぎません。その何十倍,何百倍もの,いやいや天文学的な数値の高濃度汚染水が海洋に流出している可能性があるというのです。そして,2020年には東京湾もほぼ間違いなくこの高濃度汚染水にまみれることになるだろうと推定されています。これは恐るべきことです。わたしたち日本人にとっても脅威です。いよいよ東京都民も移住しなくてはならなくなる可能性があるというのです。

 IOC総会の最終の詰めの段階で,この問題が大きく取り沙汰されるのではないか,とわたしは予想しています。しかも,これが致命的なダメージになると考えています。

 それに加えて,尖閣諸島の問題があります。国内向けの報道では,日本固有の領土である,と統一されていますが,国際社会の認識では,日中の「領土問題」であり,「紛争」地帯であるということです。しかも,いまは,中国が大人的に対応してくれていますので(これは中国の余裕です),ことなきをえていますが,中国が本気になったらすぐにも戦闘が始まります。その意味でも,オリンピックを東京で開催したいのであれば,まずは,「棚上げ」にもどすことが先決だとわたしは考えています。それにしても,イシハラ君はなにを考えていたのでしょうねぇ。

 というような次第で,ここに沖縄の米軍基地移設問題(これからますます大きな問題となる)とオスプレイ配備(東京の空の上を飛ぶのも時間の問題です。日米地位協定を読めばわかります)が加わります。そして,都市直下型大地震(加えて,富士山の大噴火も)が遠からず起こると予想されています。

 こんな問題だらけの都市がオリンピックを開催する資格はありません。まずは,これらの問題をクリアしてから名乗りを挙げるべきでしょう。それが国際社会に対する「マナー」というものです。なにがなんでもオリンピックを招致すればいいという考え方は,要するに,これらの重大問題に蓋をし,人びとの意識から遠ざける戦略でもあるのです。つまり,オリンピックが政治的に悪用される,ということの典型です。

 この他にも書いておきたいことは山ほどありますが,これらを俎上にあげるだけで,東京にオリンピックを招致する資格はない,ということは明白でしょう。

 それでもなお,IOC委員の多数が東京を選んだとしたら,もはや,オリンピック精神そのものが形骸化していることのなによりの証拠になります。となれば,もはやオリンピック・ムーブメントそのものが意味をなさなくなります。そのときがオリンピックの幕引きのときとなるでしょう。

 はたして,9月7日の結果やいかに。

2013年9月1日日曜日

「子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた」=<横滑り>(バタイユ)の内実?

  (31日)の『東京新聞』の「筆洗」に面白い話が紹介されていました。『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』(福岡伸一著,日経BP社刊)という本のなかにつぎのような話がある,というのです。わたしは読んだ瞬間に,あっ,これはジョルジュ・バタイユが仮説として提示した<横滑り>の内実の話だ,と直観しました。

 短い文章ですので,そのまま引いておきます。
 人類誕生をめぐるこんな説があるらしい。ある時,サルの中に成熟が遅い,言い換えれば,子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた。普通に考えれば,不利な存在のはずなのに,なぜかそのサルが繁栄するようになった。食料調達や縄張りなど「大人の問題」に悩まされず,好奇心に従っていろいろ探ったり,遊びで新しい技を身につけたりする時間がたっぷりあったために,脳の発達が促されたというのだ。長い子ども時代は人間だけに与えられた特権であり,その中で「世界の成り立ち」や「自分の存在意義」などという「大きな問い」を発明した・・・と,福岡さんは指摘している。そして,そんな人類がたどってきた進化の道を自分で踏みしめてみることこそ,勉強なのだと。

 この仮説の立て方は,なんの違和感もなく,わたしにはまことにすんなりと入ってきました。そして,それがそのままジョルジュ・バタイユが立てた仮説<横滑り>の内実を意味している,と感じた次第です。なぜ,そのように感じたのかということについて,できるだけ簡単に書いておきたいとおもいます。

 野生のサルの世界は,バタイユのことばでいえば「内在性」を生きる世界です。何回もこのブログでも書いてきましたように,「水のなかに水があるように」存在する様態のことです。つまり,自他の区別がきわめて曖昧な,あるいは自他が一体化した状態を生きているということです。そういう状態で生きている野生のサルにとっては,生まれた子どももできるだけ早く大人と同じ生活を営むことができるようになることが,なによりも優先される絶対条件でしょう。ですから,子どものサルは生まれてすぐに母親のからだにしがみついて離れないでいられる手足の握力をもっています。馬や鹿の子どもたちが,生まれてすぐに立ち上がり,歩きはじめるのと同じです。

 しかし,そこに未熟児のまま子どもを生むサルが登場したのではないか,しかも,このサルたちが繁栄の一途をたどったのではないか,しかも,そのサルの系譜こそ人類の始祖ではないか、という説があるというわけです。この仮説の面白いところは,未熟児で生まれ,かつ,子ども時代がとりわけ長いということは生存競争を生き延びていく上ではきわめて不利になるはずなのに,その不利な条件をかえって有利にするという逆転現象が起きたのではないか,というところにあります。ここが,すなわち,バタイユのいう<横滑り>です。そして,そこが,他者を意識しはじめる始原の場ではなかったか,というのがわたしの直観です。

 つまり,未熟児を産んだ母サルは,もはや,単純な内在性を生きているわけにはいかなくなるはずです。つまり,未熟児の子サルを外敵から守り,育てるためにさまざまな創意工夫が必要になったはずです。と同時に,未熟児で生まれてきた子サルは,親サルの庇護のもとにのんびりと,自由気ままな遊びに熱中します。そして,自分の身のまわりの環境世界を対象(オブジェ)としてとらえるようになり,やがて,それらを事物(     )として自分たちに都合のいい道具(石器など)にしたり,動物の飼育や植物の栽培へと,その歩を進めていくことになります。ここが,サルからヒトへの<横滑り>の始原の場ではなかったか,というわけです。つまり,自然を事物にするサル,すなわち,文化を獲得したヒトの出現へ,という次第です。

 その一端が,新聞に書かれているように(福岡さんの話のように),「好奇心に従っていろいろ探ったり,遊びで新しい技を身につけたり」したのだろう,という話になってきます。この未熟児サルから大人サルに達するまでのプロセスは,こんにちの人間の赤ちゃんが成人するまでのプロセスと原則的にはほとんどなにも変わらないだろうとおもいます。

 そのプロセスを効率的に学習し,身につけることが,こんにちの「勉強」の中核にあるのだ,と福岡ハカセは仰るわけです。もちろん,バタイユのいう<横滑り>の仮説はこれだけではありません。もっともっと多くの複合的な問題がからんでいます。それらについてはひとまず措くとして,未熟児のまま生まれてくるサル,そして,その結果として,とりわけ長い少年時代を送ることになるサル,このようなサルが突然変異として出現したという仮説は,バタイユの<横滑り>仮説を補填する内実としては文句なく説得力がある,とわたしは受け止めました。

 人類の脳の発達は,二足歩行とは別にもう一つ,「とりわけ長い少年時代」を過ごすことにその鍵が隠されていた,という次第です。わたしにとっては,<横滑り>の内実が一つ明らかになった,という点で大満足でした。これからも福岡ハカセの著作には注目していきたいとおもいます。