2015年3月30日月曜日

「朝飯前の一仕事」。4月1日から。ライフ・ワークのために。

 長年の習性で,4月を迎える時期になると,ことしこそはなにを実行しようか,とこころを新たにする。そして,毎年,立派な目標を立てる。しかし,たいていは三日坊主で終わり,それらが完遂されたためしは残念ながらない。それでもなお,懲りずに,ことしこそは・・・と誓いを立てる。

 ことしは,「朝飯前の一仕事」を,と考えている。この誓いも,すでに,何回も立てては失敗を繰り返している。にもかかわらず,久しぶりにこの誓いを立ててみようとこころに決める。

 というのも,ここ数年,そして,とくに去年一年は,目の前に現れるよしなしごとに引きずり回され,それに対応するのに精一杯。いな,それすらこなし切れないまま無為に時間ばかりが流れてしまった。その反省に立つ一大決心。

 と同時に,わたしに残された時間も手のとどくところにきてしまった,という実感がこの誓いの背後にはある。つまり,あと何年,頭の惚けと格闘しながら,これまで考えてきたことがらについてまとめの仕事をすることができるのか,という焦りである。それどころか,あと何年生きられるか,という大きなテーマまでかかえこんでしまっている。

 ならば,居直って,きちんとした仕事を残そうと決意。そして,なにかに熱中していた方が,いまのわたしのこころやからだにはいいに違いない。ならば,これまで積み上げてきたライフ・ワークのまとめに入ろう,と。そのためにはまとまった時間を「毎日」確保しなくてはならない。それが,すなわち「朝飯前の一仕事」だ。

 むかしから,仕事のできる人はみんな「朝飯前の一仕事」を実践している,と聞いている。それはそうだろうなぁ,とよくわかる。これまで何回も挫折したけれども,それでも「朝飯前の一仕事」は間違いなく一定の成果を挙げている。早朝の時間を確保することは,悪いことはなにもない。いいことづくめだ。なのに,挫折する。なぜか。

理由はかんたん。「早寝早起き」がつづかない。このリズムをきちんと維持することができない。意志薄弱。誘惑は「夜更かし」。面白い小説などを読み始めるとやめられなくなる。そして,ついつい読み終えるまで引っぱってしまう。こうして,リズムが崩れていく。この甘い誘惑を断ち切らなくてはならない。そのためには,それを実行する冷徹なこころをもつこと,そして,もっと夢中になれる,面白い仕事を「朝飯前の一仕事」に組み込むことだ。

 幸いなことに,いま,単行本企画が2本ほどある。その他にもプロジェクト企画もある。また,趣味の域を超え始めている古代史探索もある。面白いことは山ほどある。が,まずは,締め切りが迫っている単行本企画からはじめよう。ここから弾みをつけて,このリズムをからだに叩き込もう。そして,こんどこそは挫折しないように・・・・。

 でないと,肝心要のライフ・ワークが日の目をみないまま終わってしまう。幸いなことに,体調は上向いてきている。これに便乗しない手はない。それいけ,わっしょい,だ。そうすれば,なにもかもがいい方向に向かうだろう,と信じて・・・・。

 と言いつつ,じつは,このブログも自分自身に引導をわたすために書いている節がある。自分で自分を説得するために。書きながら,納得させる。そして,非の打ち所がないではないか,ととことん言い聞かせるために。

 ああ,やっぱり意志薄弱。ここまでしなくてはならないとは・・・・・。
 でも,それを前提にしてでも,呪術をほどこすしかないのだから・・・・。
 ブートストラップ。みえざる神の手でひっぱり挙げてもらうしかない。「聖なるもの」に祈りを捧げよう。神さま,仏さま,道元さま,西田さま・・・・・バタイユさま。
 どこまでいっても「思い込み」だけが真実なのだから。

2015年3月29日日曜日

エスカレーター功罪論。堕落する身体の一因。

 エスカレーターがみるみる普及し,いまや,いたるところにエスカレーターが設置されている。まことに便利になったものだ。が,便利なものには落とし穴がある。堕落する身体。脚力の低下。

 老いも若きも,エスカレーターがあれば,まず,間違いなくみんなエスカレーターに乗る。エスカレーターを横目に歩く人はごくわずかだ。広々とした階段はがら空きだ。なにか,あの空間がもったいないようにもおもうことがある。

 新幹線に乗るときに利用する新横浜駅にも,いたるところにエスカレーターがある。わたしの場合には,地下鉄から新幹線に乗り換える。このとき,深い地下から地上の新幹線のプラットフォームまで,118段の階段がある。ビルでいえば,3階から4階分ほどの階段だ。この階段は,よほど大きな荷物でももっていないかぎり,歩いて登ることにしている。しかし,ときどき恥ずかしいときがある。だれひとりとして階段を登る人がいなくて,全員がエスカレーターに乗り,ちらちらとたったひとりで階段を登っているわたしがみられているとき。まるで奇人変人あつかいだ。そういうときは,できるだけエスカレーターから距離をとって登ることにしている。

 大阪方面から帰ってきたときも同じである。こんどは,もっぱら下り階段。これが,とてもいいトレーニングになる。ここでも,いい歳をした老人が,ザックを背負ってとぼとぼと階段を歩いて下りていくのだから,奇異な眼でみられる。最近は,もう,すっかり慣れっこになってしまったので,平気だが,はじめのころは参った。

 まあ,ことほど左様に,階段があったらとにかく歩くことにしている。こんなことを,もう長年つづけているせいか,脚力に衰えはない。いな,階段を歩くことをはじめる前,ということは10年以上前よりも,いまの方が脚力は強い。同時に,息も上がらない。かつては太っていたこともあって,階段の上り下りはたいへんだった。しかし,あれから「10年」。その効果たるや,驚くべきものがある。嘘だとおもったら実行してみていただきたい。

 最近のわたしの周囲の人びと(同年配者)は,みんな足・脚が痛い,膝が痛い,股関節が痛い,腰が痛い,長くは立っていられない,歩くのがつらい,という。もっとも,わたしは77歳になったばかりだが,80歳前後の人は,ほとんどの人がそういう悩みを抱え込んでいる。そして,医者通いをしている。でも,ほとんどの人は効果が感じられないという。お気の毒に。

 最近は,若い人にも足腰に悩みをかかえている人が少なくないという。

 藪井竹庵(やぶいちくあん)先生の見立てでは,歩行運動不足,エスカレーター依存症が主たる原因だという。

 若者よ。せっせと歩こう。せっせと階段を歩いて登ろう。エスカレーターや駅のエレベーターに依存するな。足を使え。そうして,老後に備えよ。

 文明の利器・エスカレーターは,老人・幼児・弱者のためのものであって,健常者とは無縁のものだ,と考えよう。

 どこか勘違いをしている人が多い。甘えの構造。

 せっせとエスカレーターに乗って,スポーツ・ジムに通っている。このことの矛盾に気づいていない。ここからすべてがはじまる。文明化社会の「狂気」が。その延長線上に「原発」がある。このことにも気づいていない人が多い。

「ポストグローバル社会」のスポーツ文化を考える,とはどういうことなのか。

 昨日(3月28日),「ISC・21」3月大阪例会が大阪学院大学で開催され,とても刺激的な議論があって,考えることが多かった。こういう時間が過ごせることは幸せである。

 議論の焦点になったのは,「ポストグローバル社会」のスポーツ文化を考える,というときの「ポストグローバル社会」をどのように考えるか,ということだった。「ボストグローバル社会」ということば自体は,よくみかけるのでなんとなくわかったような気分でいる。しかし,いざ,わたしたちの研究会が議論してきている「スポーツ文化」が,「ポストグローバル社会」にはどうなっているのか考えよ,と言われると困ってしまう。

 なぜなら,「ポストグローバル社会」とは,と問われたとき,相手がどんな社会のことを想定しているのか,わたしには定かではないからである。たとえば,わたしの頭の中には,いくつものイメージが駆けめぐる。

 一つは,グローバリゼーションが徹底的に浸透して行って,あらゆるものがグローバル・スタンダードによって統一された結果として出現する社会,というイメージである。この社会は,いま,まさに進行中の「グローバリゼーション」が,このまま一直線に進展していった結果として誕生する社会,ということになるだろう。しかしながら,そこに浮かび上がってくる「社会」というものが,どんなものになるのか,わたしにはイメージしにくい点が多々ある。たとえば,キリスト教,資本主義,形而上学,などが支配秩序となる社会とはどんな社会なのか。残念ながら,わたしには殺風景な砂漠化した社会しか,イメージとしては浮かばないのだが・・・・。つまり,ジャン=ピエール・デュピュイのいう「破局」を迎えるしかない・・・・と。

 もう一つは,いま進行中のグローバリゼーションは,かならず行き詰まる,破綻をきたす,だから,グローバリゼーションにとって代わるものの見方・考え方・世界観・思想・哲学・宗教が誕生し,まったく別の価値観に支えられた社会が誕生する,というイメージである。しかも,たぶん,そうなるだろうと多くの人が想定している社会といっていいだろう。しかしながら,これもまた,きわめて抽象的なイメージでしかない。具体的に,なにが,どのようになるのか,その手がかりすら現段階では不明である。ましてや,そういう社会での「スポーツ文化」がどのようなものになるのか,イメージすることはきわめてむつかしい。

 さらには,J.P.デュピュイの「破局」論に立つとすれば,いま,ここの,目の前にてきしまった「破局」をいかにして先のばしにして遅らせるのか,そして,できることなら,その「破局」をうまい具合にクリアしていくのか,そのための思考を練り上げ,実践された結果として誕生する社会,というイメージである。たぶん,このようにして生まれる社会が,もっとも現実的であるようにおもう。では,どのようにしてそのような社会は可能となるのか。これが問題である。その中核をなすポイントは「聖なるもの」だ。この「聖なるもの」をいかにして止揚していくのか,これもまたとてもむつかしい問題をはらんでいる。このことは,同時に,「スポーツ文化」の「聖なるもの」をいかに止揚するか,という問題でもある。

 こんな風に,「ポストグローバル社会」のイメージは,さまざまに分散していってしまう。

 したがって,わたしたちの研究会では,この「ポストグローバル社会」をどのようにイメージし,共有していくのか,という問題についてさらなる議論の積み上げが必要となる。今回は,その第一回目の議論としてとても貴重だったようにおもう。もう少し継続して議論を積み上げていくことによって,問題の所在も整理され,理解も深まるのではないか,と楽しみである。

2015年3月28日土曜日

追悼・土屋實幸さん。うりずん店主の早すぎるお別れ。ハートの人。味覚の名人。

 沖縄・那覇市栄町に本店を構える「うりずん」の店主・土屋實幸さんが,わたしと同じ病いに倒れ,わたしよりもさきに逝ってしまわれた。わたしよりも少し若く,わたしよりも半年あとに発病(発覚)したにもかかわらず,さきに逝ってしまわれた。痛恨の極み。

 昨年の8月下旬に,久しぶりに娘の住んでいる沖縄を尋ねた。術後の抗ガン剤治療に入っていた段階で,まだまだ本調子ではなかった。でも,家に籠もっているよりは遠くにでかけ,元気であることをアピールした方が身のためとおもい,思い切って那覇まで飛んだ。懐かしい人たちにご無沙汰を詫び,旧交を温め,会話を楽しむために。

 わたしの手帳の記録によれば,昨年の8月22日(金),那覇に到着した日の夜,まっさきに「うりずん」本店を尋ねている。土屋さんは,いつものように満面の笑顔で,わたしたちを迎えてくださった。そして,いつものように冗談を交わしながらも,ときおり,ハッとさせられることばをわたしに向けて発してくる。この人はいつも平然とした顔をしていながら,深くものごとを考えている人だった。だから,わたしに向けても容赦はなかった。嘘の嫌いな人だった。だから,わたしに対しても,いつも,最後の極めつけのところは本音のことばが飛び出した。えがたい人だった。温かいハートと厳しさを兼ね備えた人だった。

 泡盛をこよなく愛した人で,百年古酒の会を組織し,百年後の泡盛の隆盛を夢見たロマンチストだ。そして,実際にも,百年後に開封する泡盛を名護の山の中に大量に仕込んだ人だ。つまり,有言実行の人だった。もともと,「うりずん」を創業するときのコンセプトが,沖縄のすべての泡盛を店に並べ,お客さんに楽しんでもらうことだった,という。そして,沖縄の,いや,琉球の美味しい料理を極め,お客さんに提供することだった,という。あるとき,「わたしは味覚の名人」です,これだけは自慢できる,とわたしに笑いながら話されたことがある。そのことばのとおり,伝統的な琉球料理を復活させることにも,ひとしなみでない情熱を傾けた人である。

 土屋さんとの思い出はつきない。これは大事にしまっておいて,息子さんの徹さんや,娘さんの光代さんとお会いしたときに,とっぷりと語るための宝物にしておこう。

 3月24日午後7時,息を引き取られた(3月26日の東京の新聞にも報道されたので,多くの人も知るところ)。25日の夜,お通夜からもどったばかりの娘から憔悴した声の電話が入る。1時間以上も話し込んでいるうちに,電話の子機の電池切れとなり,かけ直す。徹さんや光代さんとも話ができた,とそのときの様子も話してくれた。25日・26日と通夜式。27日(金)午前9時出棺。午後3時告別式。このスケジュールを聞いて,大急ぎで那覇に飛ぶ算段に入る。

 しかし,どう算段してみても身動きがとれないことがわかる。26日までには,いま,とりかかっている研究紀要「スポートロジイ」の「編集後記」と「巻頭言」を書き上げなくてはならない。そして,27日締め切りの原稿が1本。28日(土)は大阪で月例研究会。もどってきて,すぐに山のような初校ゲラの校正にとりかからなくてはならない。飛行機は春休みで,どの便もすでに満席。空港でキャンセル待ちをするしか方法はない,とわかる。おまけに,ほぼ,一カ月近くの間,体力の限界ぎりぎりのところまで追い込んでいる。

 これは,どう考えてみても,わたしのからだがもたない。土屋さんには娘の親代わりになってくれるほどのお世話になったご恩がある。なにをおいてもお別れのご挨拶には行かねばならない,大きな義理がある。しかし,それが叶わないとわかり,がっくり。

 この思いが土屋さんに伝わったのか,奇跡的に仕事がはかどり,どたばたの原稿にしては満足のいくできばえとなった(と信じている)。25日の深夜の仕事も,26日,27日の仕事も,ずっと思いは土屋さんとの思い出に引きよせられ,しばしば,中断した。しかし,その反面,驚くべき集中力に後押しされて,あっという間に原稿が進んだ。

 折しも,3月26日はわたしの77歳の誕生日。喜寿だ。しかし,そんなことをしている猶予は最初からなかったので,計画も立てなかった。また,やる気もなかった。それどころではない,その他の事情もあった。しかし,メールでは20人以上もの人からお祝いのことばをいただいた。この応答だけでも一仕事であった。でも,こういう人たちがいてくださるということは心強くもおもった。

 「70年」前の3月26日は,米軍による沖縄上陸作戦開始の日。慶良間諸島の海が米軍の艦船で埋めつくされるほどの大群が押し寄せた。撃戦地となった渡嘉敷島は大きな犠牲者を出すことになった。先年,訪ねた折には,胸が痛んだ。同時に,エメラルド・グリーンに輝く海が,太陽の移動とともにさまざまな顔をみせる,大自然のアートにも感動した。

 こんなタイミングを計ったかのように,土屋さんは逝かれた。

 3月末のこの時期は,わたしの誕生日もさることながら,さまざまなメモリアル・デーが折り重なる大事な日々となりそうだ。そして,毎年,その回想にふけることになるのだろう。かく申すわたし自身も,あと何回,こういう回想をめぐらすことができるのか,心もとないかぎりではある。

 与えられた命を大切に,そして,心静かに「生ききる/死にきる」ことに専念したいとおもう。

 土屋實幸さんのご冥福をこころから祈りたい。そして,こころからのお礼を申しあげたい。ありがとうございました。合掌。

2015年3月27日金曜日

<批評>の「学」としての「スポートロジイ」をめざす。

 21世紀スポーツ文化研究所の研究紀要『スポートロジイ』第3号の最後の原稿・巻頭言がようやく仕上がりました。もっとも,早く書いていただいた原稿は,すでに初校ゲラとなり,校正も終わっています。原稿が細切れになってしまい,五月雨式に原稿を送信することになってしまいましたので,出版社(みやび出版)や印刷所にはたいへんご迷惑をかけてしまいました。

 が,ようやく,これで第3号のすべての原稿が出揃いましたので,あとは,初校ゲラの校正を済ませ,校了に向けて一直線です。ここをどのように通過できるか,それによって,発行日がきまってきます。いまは,うまく進行することを祈るばかりです。

 さて,第3号の巻頭言をどのように書いたのか,紹介しておきましょう。短い文章のなかに,いろいろの想いを籠めて書き込みましたので,やや抽象的で,難解になってしまったかもしれません。が,第3号の内容のことを念頭に置きながら,それらともうまく呼応する内容になっているのではないか,とわたしとしては納得。

 巻頭言は以下のとおりです。

 <批評>の「学」としての「スポートロジイ」を目指して

 スポーツは時代や社会を写しとる鏡である。そこには,ありとあらゆるものが凝縮している。スポーツの有りようにじっと眼を凝らせば,それぞれの時代や地域や社会の姿がおのずから浮かび上がってくる。当然のことながら,そういう時代や土地や社会で「生」を営む人間の姿も,立ち現れてくる。

 したがって,スポーツを考えるということは,時代を考えることであり,土地を考えることであり,社会を考えることなのだ。そうすれば,最終的には「スポーツをする人間とはいったいなにか」という根源的な問いに突き当たることになる。つまり,生身の人間が「生」を営む上で,スポーツはいかなる役割を演ずることになるのか,を問うことになる。もっと詰めて言ってしまえば,人間の「生」とスポーツとの関係を問うということだ。さらに,結論的なことを言っておけば,人間の「生」を肯定する上で,スポーツはいかなる役割を演じているのか,を問うことである。

 「スポートロジイ」とは,この関係性に分け入っていくことを目的とする,新しい「学」を目指している。すなわち,人間とはなにか,スポーツとはなにか,と問いつづけるための類まれなる<批評>の学なのである。

 人間の「生」を否定して省みないような「学」を,21世紀を生きるわたしたちは「学」とは呼ばない。わけても,3.11以後を生きるわたしたちは,断じて認めるわけにはいかない。

 20世紀という時代をとおして大きな役割を演じた「スポーツ科学」とはなにであったのか,その是非をしっかりと見極める必要がある。その上で,わたしたちはそれを超克するための新たな「学」として「スポートロジイ」(=「スポーツ学」)を構想する。そのときの規範(criterion )は「善」(西田幾多郎)である。ここでいう「善」とは,ひとことで言えば,人間の「生」を肯定する営みのことを意味する。

 したがって,「スポートロジイ」は「善」の実現を規範としてかかげる,きわめつきの<批評>の「学」である。

 第3号の刊行にあたって,このことを肝に銘じておきたい。

 2015年3月26日。──この日付に万感の想いを籠めて。

 21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩。

2015年3月26日木曜日

沖縄戦(1945年3月26日)から「70年」。こんどは「沖縄独立戦」が視野に。

 1945年3月26日,アメリカ海軍が沖縄・渡嘉敷島沖合に集結して,いわゆる「沖縄戦」の幕が切って落とされた。そして,約20万人の島民がこの「沖縄戦」の犠牲になった。それも,ただひたすら逃げまどうだけの犠牲だった。まさに,無抵抗の,無辜の島民の犠牲だ。

 このことを昨年の夏,沖縄を尋ねた折に,ひめゆり記念博物館の年表で知った。その年表には,ひときわ大きな文字で「沖縄戦はじまる」と1945年3月26日のところに書いてあった。はっと虚を突かれた。なぜなら,「3月26日」はわたしの誕生日。そうか,この日だったのか,と。

 1945年3月26日,わたしはどこで,なにをしていたのだろうか,と回想する。しかし,その日の具体的なできごとはなにも記憶していない。戦中のこととて,誕生日を祝うなどという余裕などまったくなかったから,それらしきことはなにもしてなかったはずである。思い出すのは,1944年6月に豊橋市で空襲に遭い,焼け出されて母の実家に疎開していたこと,学校は春休みになっていたはずであること,冬の寒さが身にしみて(着るものが十分ではなかった),冬の間はいとこたちと日向ぼっこをして遊んでいたこと,,B29が空高く飛行機雲を流しながら飛んでいたこと,ときには艦載機が飛来してきて銃撃を受けたこと,などなど。

 いま,考えてみれば,このとき,すでに本土の空も海もほぼ完全にアメリカ軍に制圧されていたということだ。それは1944年6月に豊橋市が空襲に遭ったときから,すでに,そのような状態になっていたということだ。だとしたら,この段階で,「白旗」を掲げるべきだったのだ。そうすれば,沖縄戦の犠牲も,ヒロシマ・ナガサキの原爆による犠牲もなくて済まされたのだ。

 ところが,時の軍政は,「一億火の玉」となって,本土決戦も辞さずの姿勢を貫いていた。この段階で,すでに,この国の支配階級は揃いもそろってみんな「狂っていた」。狂気の沙汰。まともな情況判断ができる者がだれもいなかったのだ。それが無駄な,まったく意味のない国民の犠牲を強いることになった。

 本日,2015年3月26日。77歳を迎えたわたし。いま,なにをおもうか。「70年」前の,狂気の沙汰とまったく同じ情況を目の前にして愕然としている。いまのアベ政権だ。この政権は完全に狂っている。それを取り巻く執行部もみんな狂っている。自民党も狂っている。その狂気が公明党にも伝染してしまって,やはり,この党も狂っている。野党も大同小異,みんな狂っている。だから,アベ政権の「暴走」をだれも止められない。反論もできない。

 そして,ひたすら「戦争のできる国家」をめざしてまっしぐら。

 悲劇は,ジャーナリストまで狂ってしまったことだ。真っ正面から政権批判のできる大手メディアは皆無である。完全に政権与党にコントロールされてしまっている。NHKを筆頭に。

 そうして,たったこの2年ほどの間に,国家のありようが急変してしまった。閣議決定で憲法をも無視して,戦争の準備に入るための法令をつぎつぎに成立させている。気づいてみれば「わが軍」を語るトチ狂った総理大臣が登場し,それを「なんら問題ない」と擁護する官房長官がいて,それを傍観しているジャーナリストがいて,茹でガエル化してしまった国民は無反応のまま。ただ,無為のまま,流れに身をゆだね「平然」としている。この異常さ,この狂気にも,なんの違和感も感じないままに・・・・。

 77歳にして,こんな日本国の,こんな狂い方をした姿をみることになるとは夢にもおもわなかった。少なくとも「憲法9条」だけは遵守されるものと信じていた。しかし,狂った国民もまた51%が「憲法改正(改悪)に賛成」している,と読売新聞。こちらもまた政権党に肩入れしながら,せっせと世論操作(調査ではない!)に励んでいる。この操作にも,国民の多くは気づいてもいない。

 こんな暗い気分で3月26日を迎えようという前日の25日に,訃報が飛び込んできた。沖縄の「うりずん」の当主・土屋實幸さんが亡くなられた,と。しかも,わたしと同じ胃ガンで。昨年の8月,わたしは「うりずん」本店でお会いしている。そして,一緒に泡盛を酌み交わしている。なのに,その一週間後には,入院。それっきりで,一旦は退院したが,やはり駄目だったらしい,と。あまりに早い。わたしよりもあとに発症して,さきに逝ってしまわれた。とても,他人事ではない。

 折しも,辺野古新基地建設をめぐって,とうとう政府と沖縄県とが真っ向から対立。このままでは泥沼化する気配。事態は深刻だ。このまま政府が強行突破を図ろうとすればするほど,沖縄県民の意思は一つに固まっていく。もはや,日本国は当てにならない。沖縄県独自の生き延びる道を模索することに・・・。つまるところ,日本国からの分離・独立を視野に入れた運動の展開だ。まったく新しい時代の幕が切って落とされようとしている。

 そんな,過去の歴史にもみられなかった,もっとも緊迫した情況のなかで沖縄県民は「70年」という節目の年を迎える。わたし個人にとっても「77年」という節目の年だ。そして,わたしの娘にとってはかけがえのない「沖縄のお父さん」を見送る日に。

 忘れられない日になりそうだ。合掌。

2015年3月25日水曜日

沖縄・「丁寧に説明する」どころか,キバをむいて襲いかかるアベ政権。いよいよ全面対決に。

 うそつきシンちゃんの言う「丁寧に説明する」などということばは,てんから信じてはいませんでしたが,まさか,牙を剥いて襲いかかるとはおもってもみませんでした。もう少しやんわりと,のらりくらりとかわしながら,誤魔化すのだろうとおもっていたら・・・・。

 翁長知事の申し入れは,ちょっと約束が違うようなので海底調査をさせてほしい,という事実確認のための要望だけです。なのに,政府は目くじらを立ててこれを拒否。もちろん米軍も拒否。すでに,前知事から許可をもらっているのに「なにを,いまさら・・・」と菅君の弁。しかし,約束が違うとなれば,新基地建造工事をストップさせる権利が沖縄県にはある。これは工事を進めるために交わした「議定書」のなかに書き込まれている約束事だ。

 その約束事を確認したいので,そのための海底調査をさせてくれ,と翁長知事は言っているだけなのに・・・・・。よほど具合の悪いことをしているに違いない。でなければ,約束どおりですよ,どうぞ,調査をして確認してみてください,と言えるはずだ。それができない。

 米軍も強権発動である。日本政府の海底調査は許可しているのに,沖縄県の海底調査は許可しないという。その理由も明らかだ。日本政府の調査結果はいかようにも改ざんすることができる。あるは,秘匿することもできる。しかし,沖縄県の調査結果はそのまま公開されてしまう恐れがある。そうなると,米軍や日本政府がグルになって,悪事を働いていることが,完全に暴露されてしまう。そこだけはなにがなんでも避けなくてはならない。

 窮鼠,猫を食む,だ。逆のはずなのに。

 もはや,こんなことを論ってみても仕方のないことだ。

 すでに対決の幕は切って落とされた。7日以内に調査許可を出して,工事を一時ストップするかどうか。それに応じなければ,前知事の出した工事許可を撤回する,という。となると,いよいよ米軍・政府対沖縄県の全面対決となる。しかも,その公算はきわめて大である。

 なぜなら,うそつきシンちゃんが沖縄県民の民意を読み違えているからだ。仲井真前知事を最後の最後にカネで寝返らせたように,こんどの翁長知事も同じ手で,つまり,カネでつって,寝返らせればいいと考えている。なぜなら,仲井真・翁長は長い間,一心同体の自民党の党員であったし,沖縄の保守本流の中核をなしてきた人物だからだ。だから,なんとかなる,と。

 しかし,こんどのこんどは違う。仲井真・翁長のコンビは完全に決裂し,知事選挙を政敵として闘い,沖縄県民の圧倒的多数(10万票差)の支持を受けて翁長知事が誕生している。しかも,翁長知事を支持した基盤は,党派ではなく,超党派の「オール沖縄・島ぐるみ会議」だ。ここには多くの財界人も加わっていて,これまでに前例をみない結束の固さを誇っている。しかも,この組織が日に日に力を蓄え,活動もますます活発になってきている。翁長知事は,こうした人びとに背中を押されて,満を持してのこんどの決断なのだ。

 うそつきシンちゃんが沖縄をいじめればいじめるほど,沖縄県民の結束は強くなる。「建白書」を軸に結束している「オール沖縄・島ぐるみ会議」も活動をより活性化させる。この組織は,すでに,日本政府に見切りをつけ,米国政府に直に接触し,ロビー活動を展開する準備を進めている(5月には翁長知事渡米予定)。同時に,国連本部に向けて沖縄県民の人権を守る訴えを起こし,すでに,文書で申し入れをはじめている(島袋純・琉球大学教授)。ここにきて,ようやく国際社会も,沖縄県の動向に注目しはじめている。

 こうなってくると,うそつきシンちゃんも,とんだところから綻びをみせ,最大のピンチを迎えることになりそうだ。

 本土の主要メディアが沖縄のことはほとんど無視しているので,本土の人間はなにも知らないままだ。しかし,沖縄の二大新聞である『琉球新報』と『沖縄タイムス』を読んでいれば,沖縄でいまなにが起きているかは,手にとるようにわかる。本土のメディアでは『東京新聞』だけが奮闘しているが,情報量は多くない。見るに見かねたように『世界』が増刊号「沖縄 何が起きているのか」を発行(3月24日発売・このブログでも紹介済)。

 これからはじまる日本政府×沖縄県の,前代未聞の全面対決の推移を注意深く見守りたい。これは民主主義の闘いであり,人権の闘いでもある。大問題なのだ。いまこそ,ジャーナリズムよ,立ち上がれ。『琉球新報』『沖縄タイムス』にならって。

2015年3月24日火曜日

「憲法改正」に賛成51%。読売新聞の悪質きわまりない誘導操作。

 憲法を改正した方がいいですか,改正しない方がいいですか,と聞かれれば,無意識のうちに「改正した方がいい」に反応するのは世の常。

読売新聞が全国世論調査(郵送方式)を実施したところ,「憲法を改正した方がいい」と答えた人が51%に達した,と報じている(3月22日22時55分,読売新聞配信)。そして,「憲法を改正しない方がいい」と答えた人が46%だった,と。

この問いはあきらかに誘導尋問に等しい。つまり,誘導操作だ。これが読売新聞社のおこなう世論調査の陰謀の実態だ。

では,聞いてみよう。
「憲法を改悪した方がいいですか」
「憲法を改悪しない方がいいですか」
この結果がどうでてくるかは明々白々だ。憲法は改悪しない方がいいに決まっている。
この逆の手を使ったのだ。あの読売新聞社が。

世論調査の問いとしては,
「憲法を改定した方がいいですか」
「憲法を改定しない方がいいですか」
と問うべきでしょう。

しかし,この問いでも「改定」は,どことなく「よくないから改める」という意味が含まれている。だから,流れとしては「改定した方がいい」が多くなるのは必定でしょう。

だから,もっと精確に問いを立てるべきなのです。たとえば,「戦争放棄を規定している憲法第9条の是非について問います。この第9条をこのまま守り,戦争をしない国であることに賛成ですか。あるいは,この第9条を廃止して,戦争ができる国にすることに賛成ですか。」という具合に。

世論調査(アンケート調査)は,その設問の仕方いかんによって,いかようにも世論を「操作」することが可能なのです。このことを熟知していて,この手をうまく使い回すことの筆頭が読売新聞社の世論「操作」だ。

しかし,一般の読者はそんな仕掛けには無頓着で,結果の「51%」だけを刷り込まれてしまう。「へーぇ,そんなもんなの?」という具合に。「なんだ,過半数が賛成なのだ」「じゃあ,おれも賛成」という連鎖が起きる。それをねらいすました読売新聞社の「世論操作」だ。

まことに悪質だ。反吐が出そうだ。

しかし,こういう世論操作を大手メディアは足並み揃えておこなっている。その結果が,安倍政権支持率の実態である。悪の再生産が繰り返され,こんなとんでもない政権が,ますます暴走をつづけることになる。諸悪の根源を断ち切るしか方法がない。

大手新聞の購読者が激減しているという。その理由もわかるような気がする。ほんとうのことを隠していて報道しないということに多くの国民が気づきはじめているからではないか・・・・。

2015年3月23日月曜日

東京も開花宣言。このところの暖かさで一気に開花。

 桜の開花というものは不思議です。つい2週間ほど前には,まだまだつぼみが固く,こんなんではことしの開花は遅れるなぁ,と勝手に想像していました。が,ここ数日の暖かさで一気につぼみがふくらみ開花にこぎつけた。例年より少しだけ早いという。

 いつもの鷺沼の事務所に向かう途中でみかけた開花の様子を写真に撮ってみました。ご鑑賞ください。

 
最初の2枚は,あるお屋敷に咲いていた桜2種。ボタンザクラとヒカンザクラか。ちょっと自信がありません。右のヒカンザクラは間違いないでしょう。

そのつぎは,オカメザクラ。こちらはカッパーク公園の入口に咲いていました。木札がついていて,そこに「オカメザクラ」と書いてありました。みごとな咲っぷりに見とれてしまいました。まだ木も若く元気一杯です。オカメザクラという名前も初めてでした。


ここから下の写真は,いつもの植木屋さんの屋敷の開花情況。






この植木屋さんのお屋敷はいつ通ってみてもなにかの花が咲いています。ですから,四季折々の花の開花を楽しむことができます。ありがたいことです。

 
河津桜と梅の花びらが混じって散っていました。
この光景もなかなか風情があっていいものです。
 

『世界』臨時増刊・「沖縄 何が起きているのか」がとどく。充実の内容。必読。

 2015年4月1日発行の『世界』増刊,第868号が定期購読者の恩恵で,今日(3月22日)にとどいた。特集のテーマは「沖縄 何が起きているのか」。

 沖縄が辺野古基地建設をめぐって,いま正念場を迎えている,そのタイミングを見計らったピン・ポイントの特集である。大急ぎで,あちこちめくって全体のイメージをつかむ。その作業がとても楽しい。なぜなら,本号のすみずみにいたるまで,きめ細やかな工夫がこらされていて,なかなかの読みごたえのある内容になっているからだ。

 
冒頭を飾るグラビア「大琉球写真絵巻」(石川真生)が力作である。重いテーマを演劇仕立ての写真にし,するりと招き入れておいて,大きな感銘を与えた上で,冷たく突き放してくる。写真という媒体をいかんなく発揮した,素晴らしい作品となっている。繰り返して眺めたくなるページがつづく。

 このグラビア・ページと対をなすのが,巻末資料ⅠとⅡだ。巻末資料Ⅰは,いわゆる「建白書」の全文と翁長雄志那覇市長スピーチ(2013年1月27日日比谷公園野外音楽堂)。巻末資料Ⅱは,『琉球新報』でたどるドキュメント沖縄。「建白書」はしばしば話題になってきたので,なんとなく承知したつもりになっていたが,本文全文を読むのは初めてだった。だから,とても感銘を受けた。たとえば,「建白書」の正式名称はつぎのようになっている。「沖縄県内全41市町村長・市長村会議長ら県代表によるオスプレイ配備撤回・米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める建白書」。日付は「平成25年1月28日」。

 この建白書は,仲井真前県知事が筆頭署名人であったが,その仲井真氏が任期切れの土壇場で,全県民を裏切り,寝返ったのだ。そこが発端となって,こんにちの大混乱を引き起こしていることを,再度,想起させてくれる。その意味で,この全文掲載はとても意義がある。しかも,その内容もじつに簡単明瞭だ。前半は,沖縄県民が味わってきた苦難を訴え,後半で「負担軽減」を願い,最後に,たった「2項目」に要望をまとめている。一つは「オスプレイの配備を直ちに撤回すること」,もう一つは「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し,県内移設を断念すること」である。

 話が前後してしまったが,本文は,冒頭に「生きなおす沖縄」(大城立裕)をかかげ,以下に5項目の特集を組んでいる。その内容は以下のとおり。
 1.沖縄の声
 2.積極的平和主義と辺野古新基地建設
 3.沖縄経済の展望
 4.日本と沖縄
 5.私はこう思う

 わたしの知っている人では,松元剛,元山仁士郎,新川 明,仲里 効,半田 滋,G.マコーマック,屋良朝博,前泊博盛,西谷 修,井筒和幸,佐藤 優,落合恵子,片山善博,吉永みち子,などが名を連ねている。

 わたしが敬愛してやまない友人の西谷 修さんは,「辺野古の夜の授業──若者たちが吹き込む『未来』の風」という一文を寄せている。キャンプ・シュワブ前のテント撤去の日の夜(2015年2月26日),そこに集まった学生たちと車座になって夜の授業を展開した様子を伝えている。わたしは個人的にこのいきさつについて若干の話を聞いていたので,より一層,興味深く読ませていただいた。若者たちを啓発するという教師としての責務をきちんと果たそうとする,いつもながらの西谷さんの姿勢には頭が下がる。

 まだ読んではいないが,ガバン・マコーマックさんの「オール日本対オール沖縄──辺野古,高江,与那国島」や,座談会「いま発明し直される『独立』──伏流水としての自立論の系譜」(新川 明×仲里 効×親川志奈子),など魅力的な内容が満載である。

 翁長県知事が,日本政府を相手にして,最後の切り札である「決戦」を打ち出すかどうか,その決断が迫られている。その結果いかんによっては,沖縄の今後は大きく流れが変わる。そういう逼迫した情況にある沖縄問題を考える上では,じつにタイムリーな増刊号の特集である。

 必読をお薦めしたい。

2015年3月22日日曜日

FB・「このページはご覧いただけません」・・・だって。政府による言論統制?

 最近になって,この表示が多くなってきました。

 
しばらく前から出はじめ,なにごとか,とおもっていました。最近は,頻繁に出没することになり,いよいよきたか,という不快感でいっぱいです。

 「リンクに問題があるか,ページが削除された可能性があります」という表現もまた,なんとも怪しげなものです。「リンクに問題があるか」とひとつ逃げを打っておいてから,「ページが削除された可能性があります」ときます。いかにも技術的な問題であるかのようにみせかけておいて,「削除」の可能性をぼやかせています。

 問題は「ページが削除された可能性」にあります。だれが,いつ,なんのために,どのような基準で削除することができるのでしょうか。こんなことが「できる人」はごくごく限られた人でしかありません。となると・・・・という推測が,やはり・・・・という確信に変わってきます。

 このイラストもまた微妙です。小指をつめられた人の存在は承知していますが,親指をつめられてしまう人というのは承知していません。このイラストは,注意を喚起している人の親指を意味しているのか,そうではなくてFBを利用している「お前,要注意」だよ,お前の親指をつめてしまうよ,という脅迫にもみえてきます。

 もう,新聞にも公になっていますように,政府機関(内閣府)がSNSの不適切な内容についてはコントロールすると宣言し,かなりの人員を確保して(アルバイトもふくめて),チェック体制をしいていることは,もちろん,承知しています。「このページはご利用いただけません」などという「一方的な」指示が出せるのは,この系統の人しかいない,とわたしのような単細胞は素直に反応してしまいます。

 社会的に知名度もあり,信頼の厚い人からの,確かな情報,それもフクシマ,オキナワ関係の情報はどうしても知りたいところです。わたしの場合には,「このページはご覧いただけません」という表示がでてくるのは,こういう人たちからのFBに限定されています。それ以外の,ヘイト・スピーチまがいのFBは堂々とスルーしています。となると,ますます,その不信感はある一点に集中せざるをえません。

 国家権力の名のもとに,情報がコントロールされる時代に,それもSNSにまで浸透する時代になっているのに,これまた主要メディアは「沈黙」です。ここが大問題です。いま,もっとも問われなくてはならないのはジャーナリズムです。つまり,批評精神の欠落です。世間の動静に敏感に反応し,是々非々の姿勢を貫き,正々堂々と正論を吐くことこそがジャーナリズムの生命線なのに,その精神が「死んで」しまっています。諸悪の根源はここからはじまります。だから,世間の浄化装置はますます劣化してしまい,もはや歯止めもききません。とうとう,日本国没落に向かって一直線です。

 そのリーダーたるアベ君は,ツイッターやフェイスブックの利用料金を支払っている,と国会で答弁。どこに,どうやって支払っているのでしょうか。教えてほしいものです。

 ひょっとしてだけどー,ひょっとしてだけどー,のお笑い芸人のギャグの手法を借りれば,その落ちは,「削除料金」を支払っている~,の勘違いなのでは・・・・と勘繰りたくなってしまいます。日本国のトップ・リーダーがこのレベルです。国政全体が,はちゃめちゃな「舵取り」になってしまっているのも,むべなるべしとおもわざるをえません。

 こんな情況は一刻もはやく終止符を打たなければなりません。こういう無謀に突っ走る無知蒙昧な権力は,ある日,突然,一気に崩落するに違いない,とわたしは確信しているのですが・・・・。その日の早からんことを・・・・。

2015年3月21日土曜日

照ノ富士の快挙。白鵬の連勝を止める。

 照ノ富士が念願の初の金星を挙げた。しかも,白鵬の34回目の優勝決定に待ったをかけ,連勝記録にもストップをかけた。相撲史に残る大一番での快挙である。

 それも,立ち合いから攻めつづける完璧な相撲で。文句無しの圧勝である。大横綱を相手にして,眼を見張らせるほどの強さをみせつけた。

 立ち合い,臆することなく白鵬の左頬を張ってでた。そして,素早く得意の左上手をとった。それも,これ以上にいいところはないという絶好の位置の上手を引いた。白鵬も右を差して,右下手を引いた。しかし,照ノ富士の左上手の位置がいいために,白鵬の右下手が半分殺されている。照ノ富士は右でおっつけながら前にでる。白鵬はあっという間に土俵際に追い込まれる。苦し紛れに右から下手投げを打って,こらえるのが精一杯。土俵中央で,機をみて照ノ富士は白鵬の胸に頭をつけ,右腕を差し込む。この攻防で勝負がついた。照ノ富士が右の差し手を返して前にでると,白鵬はスタミナが切れたかのように力を抜き,勝負をあきらめた。土俵際の攻防もなく,あっさりと寄り切られ,土俵下に転落。

 同じ,負けるにしても白鵬にいいところはひとつもなかった。完敗である。その分,照ノ富士の相撲が光った。

 張り差し,左上手を引く,頭を下げる,右をこじ入れる,前にでる,どこひとつとしてセオリーからはずれることなく攻め続けた。これが勝因。照ノ富士がこの相撲を身につけたら,あっという間に大関・横綱に駆け上るだろう。

 性格もよさそうだ。勝負前の土俵上でのふてぶてしさもいい。まさに勝負師として逞しいかぎりだ。どんな相手にも臆するところがない。正々堂々と闘志を剥き出しにする。勝って勝ち名乗りをあげ,花道を引き上げてくるときの,まるでいたずらっこのような童心丸出しの笑顔がいい。

 逸ノ城の活躍が,照ノ富士の闘志に火を点けたようだ。相撲留学をしてきた高校の先輩として,後輩にあっさりとさきを越されてしまったのがきっかけか。先場所から相撲が変わりはじめていた。この力士は面白くなる,と多くの相撲通は眼をつけたに違いない。そして,今場所の「大化け」である。しかし,この「大化け」はほんものである。少なくとも,今日の大一番をみるかぎり。

 さて,来場所からの楽しみは,逸ノ城との大関争いになる。この二人が,がっぷり右四つに組み合っての力相撲を展開し,水入りになるような相撲を期待したい。それを凌ぎ切った方がさきに大関に上がるだろう。

 新しい大相撲の幕が切って落とされた。この二人に待ったをかける力士の登場も期待したい。

 まずは,照ノ富士の快挙をこころからよろこびたい。おめでとう! 照ノ富士。残り二日の相撲も内容のある展開を期待している。

2015年3月20日金曜日

凍み大根に口があったら・・・。NHK・今夜は路線バスの旅!

 夕食時間の,いわゆるゴールデンタイムのテレビ番組は,ちかごろなにも見る気になれない,お粗末なものばかり。そんな中で,いくらかましな番組かな,とおもってNHK・今夜は路線バスの旅!にチャンネルを合わせてみる。が,やはり,なんともはやかったるい内容。なにもかもがゆるゆるなのだ。ひょっとしたら,それが狙いなのかも・・・・。

 番組のアイディアそのものが,二番煎じ,三番煎じ。似たような人気番組の焼き直し。旅をする若手俳優(男性)も,二人組の旅だから,お互いのカラーが相殺されてしまって,凡庸な映像になってしまう。要するにカラーがでてこない。おまけに,ディレクターや編集のコンセプトも曖昧。なにが伝えたいのか,メッセージ性も乏しい。

 それでも,旅先の土地の人びとの語ることばには,ピカリと光るものがある。たとえば,都会に住む圧倒的多数の日本人がすっかり忘れてしまった「生きる」ことの根幹にかかわる教訓が,いまも人里離れた山村には生きている,という事実。それをさりげなく山村の老人が口にする。しかし,若手俳優さんたちは,その名言を拾い,ふくらませることができない。智恵のなさ。タレント性の欠如。人選のミス。

 こんなシーンがあった。わたしにはグサリときた。

 新聞の番組紹介をそのまま借用すると,▽雪の南信州・天空の里 松田悟志&内田朝陽は神々しい大自然に感動,となっている。内容は,この二人の俳優が飯田駅で下車し,そこから路線バスを乗り継いで,遠山郷をめざし,上町,木沢,などの集落を尋ねて歩く。そこでの人との出会いをカメラが追っていく。

 まさに天空の里ともいうべき遠山郷の上町で,凍み大根づくりのお手伝いをするシーン。ひとしきりお手伝いをしてひとやすみのシーンで,その家の主人である老人がぽつりと,つぎのようなことばを発する。

 大根に口があったら,「わたしらは食べられるために大根になったのと違う」と言うだろう,と。だから,大事にいただかなくてはいけないんじゃ,と。その瞬間,わたしはドキリとした。そして,「うわっ,すごいことを言う老人だ」と驚いた。しかし,くだんの俳優さんはなんの反応もなく沈黙。しばらく間があって,とってつけたように「子孫繁栄ですよね」で終わり。たぶん,編集のためにあとで付け加えたセリフのようにおもわれた。

 わたしなら,すぐに反応して,そうだよね,大根の一生には人間に食べられるというシナリオはないよね。種から芽を出し,大きく育って,花を咲かせ,種を残して,大根を大地に返して,肥やしにし,その生涯を閉じていくんだよね。なのに,人間であるわたしたちは,自分たちが生き延びるための糧として,大根を栽培し,食料(保存食)にするために,凍み大根にして,「いただいて」しまう。つまり,大根の生涯を「横取り」して,大根の「命」を「いただく」わけだから,両手を合わせて「(大根の命を)いただきます」と祈ってから,食べなくちゃね。

 と,こんな風に応答したら,老人は,さらにもっと奥の深い生活の智恵やことばを発しただろうに・・・と残念でならない。

 「はしとらばあめつちみよのおんめぐみそせんやおやのおんをわすれず,いただきます」と,食事のたびに唱える習慣をこどものころに叩き込まれたのは,わたしたちの世代が最後かもしれない。もちろん,そこには,もうひとこと「てんのうへいか ありがとう」「へいたんさん ありがとう」のことばがつづく。戦時体制下での儀礼だ。この二つのことばを除けば,最初のことばそのものは立派な教訓である。

 そんな自然の恵みを,人間さまが「横取り」することの罪の意識が,まだ,いまも,南信州の遠山郷の老人のなかには,ごく当たり前のようにして息づいている。このことを知り,わたしは感動した。生きるということは,他者の命を「いただく」ことなのだ。それは絶対的な「暴力」なのだ。しかし,この「暴力」を否定したら人間は生きてはいけない。生き延びるための最低必要限度の「暴力」なのだ。だから,この「暴力」を神に祈って許しを乞う,それが「祭り」の原点だ。

 だから,他の集落での祭りのシーンでは,神主さんが氏子に向かって,稲の籾を撒く。その籾を白い紙を筒状に巻いたじょうごで受け止める。それを大事に持ち帰って,神棚に飾るのだ,という。つまり,神が人間に授けてくれた稲の命(籾)を大事に育てて,この稲からとれる米は食べてもよろしい,という大事な儀礼なのだ。

 こういうことをナレーションでもいい,流せば,この番組の奥深さがさらに素晴らしいものとなって,透けてみえてくるだろうに。

 いずれにしても,山村に住む老人が,ごく自然にぽつりと吐くことばが,ジョルジュ・バタイユと同じものだったことに,わたしはいたく感激した。そして,ここにも「聖なるもの」の刻印(ジャン=ピエール・デュピュイ)が息づいているという事実に感激した。

 3.11を通過したいま,わたしたちが,もう一度,再認識しなくてはならない人類の貴重な智恵は,意外に身近なところに遍在しているのだ。そういうことを気づかせる番組にすることも十分可能なのに・・・もったいない。もっとも,そんな企みがばれたら放送禁止にされてしまうかも・・・・。

2015年3月19日木曜日

「東京五輪2020を考える」研究会,青山学院大学で開催,のご案内。

 積極的平和主義などという欺瞞に満ちたモットーをかかげ,戦争のできる国家に向けてまっしぐら。こんな国家が平和運動のシンボルともいうべき五輪を開催することにもまことに熱心。この矛盾。一方では,フクシマやオキナワを無視・放置したまま,外国には惜しげもなく金をばらまく。のみならず,原発を売り歩く死の商人まで買って出る首相。他方では,長い間,慣れ親しんできた1964東京五輪のオリンピック・メモリアルである国立競技場をわざわざ解体して,国威発揚とばかりに超巨大な新国立競技場の建設に向けて突っ走るJSC(文部科学省の下部組織)ならびに五輪組織委員会(森喜朗会長)。良識ある識者たちの再三にわたる警告や市民団体によるデモンストレーションを無視して。

 こんな情況のもとで開催が予定されている東京五輪2020。いったい,この五輪とはそもそもなにか。だれのための五輪なのか。それを2020年に東京で開催することの意味はなにか。国際社会はどうみているのか。そういう素朴な疑問や巨視的で,しかも思想・哲学的な視点も交えながら,東京五輪2020とはなにか,をトータルに考えてみようという研究会を企画しました。興味・関心をお持ちの方はぜひ参加してみてください。

 研究会開催要領は以下のとおりです。

 テーマ:東京五輪2020を考える。
 日時:2015年4月25日(土)13:00~18:00。
 場所:青山学院大学・総研ビル8階第10会議室(正門のすぐ右の建物)
 プログラム:
  第一部:13:00~14:45.レギュラー・メンバー対象。
      研究活動報告(参加者全員),情報交換,こんごの研究活動の方針,など。
  第二部:15:00~18:00.一般公開。
      シンポジウム「東京五輪2020を考える」
      プレゼンテーター:西谷 修,稲垣正浩,もう一人交渉中。
     ※一般参加の方で,初めての方は〔inagaki@isc21.jp〕宛にメールでご連絡ください。
      会場の関係で,人数の調整をさせていただきます。その場合には先着順。
      その他,問い合わせも上記のメール・アドレスまで。
                                         以上。

〔追記〕
 研究会終了後,いつものように懇親会(約2時間)を開催します。こちらも公開です。ぜひご参加のほどを。会費は実費・当日集金。参加申し込みは,4月21日(火)までに,メールで。

2015年3月18日水曜日

暖かで穏やかな一日でした。河津桜が散り始め,緋寒桜が開花寸前。

 今日(3月17日)は4月中旬並の気温を記録し,急に春が到来したかとおもわれるほどの暖かい一日となりました。鷺沼の事務所に通う,いつもの植木屋さんの庭の河津桜が散り始めていました。そのすぐとなりの緋寒桜が開花寸前。春爛漫の雰囲気がこの一帯だけに漂っていました。なんとものどかな気分を味わうことができ,ほっとしました。

 
こちはは河津桜。桜は木の上の方から開花をはじめ,散るのもやはり上から。この写真でもおわかりのように,上の方はすでに葉桜になりはじめています。そして,中段から下段にかけて満開の度合いが違うのがよくわかります。左下のところに緋寒桜がちょっとだけ顔を覗かせています。ピンクの河津桜と緋色の緋寒桜が好対照です。


 こちらが緋寒桜の南側の半分。ことしは勢いがいいので,みんなみごとに咲いてくれそうです。こんなに元気がいいのは久しぶりです。一昨年は,蕾のままで枯れ落ちてしまいました。というより,なんとなく元気がなく,蕾もそれほど大きくならないので心配していましたら,やはり,中途半端な蕾のまま枯れてしまいました。なんともいやな気分でした。なにか緋寒桜にとって不都合な気象条件でもあったのか・・・と考えていたら,もしかして・・・?とけして現実になってほしくない妙な妄想までしてしまいました。昨年も,それほど元気があったとはおもえませんでしたが,なんとか開花することはできました。が,ことしは大丈夫なようです。ほぼ完璧な姿で開花することができそうです。もともと,下を向いて開花する種類ですので,どこか沈痛な気持にはさせられる花です。手前の右側は,いまにも開花せんばかりの勢いです。明日には開花することでしょう。

 世の中,暗い話題ばかりがつづきます。ひとつとして明るい話題がありません。ことしは,パッと花見でもして,気分転換をし,その勢いを借りて,フクシマやオキナワの集会やデモにも参加しようとみずからに言い聞かせています。それと,なにがなんでも戦争をする国になることだけは阻止しなくてはなりません。いまの若い人たちに戦争の悲惨さというものをつたえることも,わたしのような戦争体験世代の大事な仕事であり,責任だとおもいます。これまでなんとなく憚られて,あまり話題にもしてきませんでした。それがいけなかったのでは・・・と反省しています。

 いつものことですが,できるところから,ささやかでもいい,行動を起こすことからはじめたいとおもいます。そんな気持にさせてくれる,暖かくおだやかな今日一日の気候でした。

 あと10日もすれば,染井吉野が開花する,と気象庁は発表しています。ことしは少しばかり早いようです。いい天気に恵まれることを祈りたいとおもいます。

2015年3月17日火曜日

「今は震災後ではありません。次の震災の前です」(女川中学校生徒のことば)。

 ことしの「3.11」を通過するとき,これまでなにをしてきたのだろうか,と自責の念にかられた。ひとりの人間として,なにをしてきたのだろうか,と。ただ,呆然として,傍観してきたのではなかったか。たった一度だけ,被災地巡りをして,その惨状をまのあたりにし,呆然自失のままではなかったか。このままでいいのだろうか,と。

 あえて自己弁護をするとすれば,このブログをとおして,ささやかながらも自分の考えを述べ,少しでも多くの人と思いを共有する努力をしたことぐらい,だろうか。あるいは,被災者の方からのメールのやりとりが若干あって,いくらかの聞き役をはたすことができたかな,という程度。最近になって,FBをはじめたので,そこで思いを共有できる人たちとリンクを張り,情報を拡散することにつとめている,という程度。もちろん,月例研究会で集まってくる仲間たちとは,折に触れ,「3.11」を話題にとりあげ,意見交換はしている。

 ひとりの人間のできることは,ほんのささやかなことでしかない。でも,できる範囲で,できることをやる,これ以外にはない・・・と自分を慰める。でも,どこか忸怩たるものが残る。虚しいのだ。この虚しさとは裏腹に,「3.11」をめぐる諸問題に関する思考だけは,徐々に深くなっていく。そして,いまの日本という国家の尋常一様ではない「狂い方」が次第に明白となってくる。すると,こんどは焦りにも似た不安が頭をもたげてくる。

 3月に入ってこのかた,折をみつけては『3.11を心に刻んで 2015』(岩波書店編集部編,岩波ブックレットNo.920. 2015年3月5日第一刷発行)を開いて,あちこち拾い読みをしてすごしている。このブログの見出しに用いた「今は震災後ではありません。次の震災の前です」(女川中学校生徒のことば)は,この本の61ページからの引用である。

 このことばがわたしの眼に飛び込んできたとき,虚を突かれた。そうか。「次の震災の前」か,と。中学生の感性に脱帽である。

 大地震や巨大津波のような震災はかならずやってくる。大昔から繰り返されてきた地球の,ごく自然な活動なのだ。だから,これまでも,これからも,かならずやってくる。わたしたちはこの大震災と大震災の間を生きているにすぎないのだ。こんな当たり前のことを,すっかり忘れて,大震災を力で抑え込もうと必死になってあがいている。

 大震災に遭遇したことはもはやいたしかたのないことだ。この震災からなにを学び,つぎの震災にどのように備えるべきか,そのことを考えよう,とこの女川中学校の生徒は,じつに素直なことばで表現している。そのあまりの素直さに,わたしは虚を突かれた。つまり,これ以上でも,これ以下でもない,これだけが真実だから。

 これからの一年はこのことばを胸に刻んで,「3.11」を考え,行動をしていこうとおもう。言ってしまえば,思考や行動の原点なのだから。

 このブックレットの成り立ちや執筆者や構成などについてはここでは省略する。ただ,つぎのことだけは必要な情報だとおもうので書いておく。

 このブックレットのHPのアドレスは以下のとおり。
 http://www.iwanami.co.jp/311/
 ここを開けば,この本の内容も読める。毎月,3名の人が執筆を担当し,その一年分をまとめてブックレットとして刊行。これを繰り返して,この本が第3号。だから,来年もでる。いまも進行形。含蓄のあることばが満載。熟読玩味するに値する。お薦めである。

2015年3月16日月曜日

動画「かぐや姫の物語」をみる。テレビでみたのは大失敗。

 テレビで放映されるというので,それをみた。これが間違いのもとだった。ストーリーの展開がブチブチの細切れになってしまい,さっぱり面白くなかった。とくに,最後の別れのシーンでは,ひっきりなしにコマーシャルが入り,イメージはズタズタ。見終わった直後の感想は,なんという「駄作」というものだった。なんの感動もなかったからだ。やはり,映画(動画も)は映画館に足を運んで,大きなスクリーンでみなければ駄目だ,と痛感。監督は,最初から,そのつもりで製作しているのだから。映像といい,音響といい,すべてはそれを前提にして演出されているのだから。

 ついつい横着をして,その上,金までけちって・・・。愚かな自分を悔いた。結局は時間の無駄。

 原作の『竹取物語』をどう読むかは読者の自由だ。いくとおりもの「読解」が,いわゆる専門家と呼ばれる人びとによってなされていることも,そのうちのいくつかは読んで承知している。だから,日本の古代史の謎解きには不可欠の古典であることも承知している。したがって,高畑勲監督が,どのような「読解」をし,現代に蘇らせようとしたのか,そして,この「物語」をとおしていまの時代を生きている人びとに,そして,世界になにを訴えようとしたのか,知りたかった。

 それがテレビのコマーシャルによって,ズタズタに引き裂かれてしまい,なにがなんだかわけのわからない動画になってしまった。すべて自己責任。これだけ話題になった動画を,テレビ鑑賞で誤魔化そうとしたことが,そもそもの間違いだった。これは少なくとも,DVDでじっくりと鑑賞し直すべきだろう。そして,より深い鑑賞を,たとえば,何回も繰り返し鑑賞をした上で,本気で批評をすべきだろう。そういう問題作であるはずだ。そういう印象だけは残った。

 たとえば,ラスト・シーンの阿弥陀如来の来迎をどのように受け止めるか。ここに象徴された意味はなにか。大和の朝廷の力をもってしても「手も足も出せない」で,ただ呆然と見送るしか方法がなかった「対抗勢力(敵)」とはなにか。当時の阿弥陀信仰を支えた仏教の力とはどのようなものだったのか。その背景をなす勢力地図(権力による支配関係)はどうなっていたのか。仏教によって大和(倭)が支配されていた時代とはいつのことか。高畑監督が,阿弥陀如来来迎のシーンで,いかなるメッセージを伝えようとしたのか。わたしの興味・関心はとどまらない。

 『竹の民俗誌』(沖浦和光著,岩波新書)を引き合いに出すまでもなく,竹取の翁が背負っていた歴史の陰の部分は,きわめて重要だ。ここには,もうひとつの日本史が隠されているとさえ考えられている。万世一系の天皇家を中心に,表の日本史を埋めつくそうとしてきた矛盾の数々を,根底からひっくり返すほどの内容(内実)が「竹」にまつわる物語には籠められている,とわたしは長い間,考え続けてきた。

 だから,高畑監督が,『竹取物語』ではなく,『かぐや姫の物語』としたことに,すべての秘密(メッセージ)が籠められているのでは・・・と予想した。しかし,お粗末なテレビ鑑賞ではイメージがズタズタにぶっちぎられてしまって,わけのわからない代物になってしまった。これは,もちろん,わたしのせいだ。作品のせいではない。

 かぐや姫,天香久山,香具師,竹細工,お碗,漆,古着,というようなイメージの連鎖は,わたしの友人の古代史の専門家であるSさんに言わせれば,きわめて重大だ,という。そして,これこそがもうひとつの日本史を解く鍵をにぎっているのでは・・・とも。わたしも大賛成だ。

 だから,この動画の中でも,木をくり抜いてお碗をつくり,それを売りにいく「山の人」のシーンが重要な役割をはたしている・・・はずなのだが,コマーシャルが入ってぶった切り。なんとも,はや,味気ない。しかし,高畑監督の視野のなかにも「お碗」がしっかりととらえられていることだけは間違いない。

 アニメーション(animation )とは,静止画に命(魂)を吹き込んで動く映像にしたのが語源だ,という。つまり,アニメート(animate)した映像。動画。

 高畑勲監督は,「かぐや姫」にいかなる「命」(魂)を吹き込んで,新たなる「物語」をつくろうとしたのか。そこには明確な企みがあるはず。綿密な計算もあるはず。そこに触れることができなかった。テレビ鑑賞では。もう一度,DVDで鑑賞してみようとおもう。

 なにはともあれ,映像の美しさは天下一品だ。日本画の手法をふんだんに盛り込んだ,いかにも日本発のアニメーションといってよい。その映像を楽しむだけでも,十分に鑑賞に耐えうる作品だとおもう。しかし,知りたいのは高畑勲監督の本音の部分だ。そこに「触れる」ような鑑賞を,もう一度,しなければ・・・といまになっておもう。

 もう一度,じっくりと鑑賞し直そう。それだけの価値のある作品であることを願って・・・・。

2015年3月15日日曜日

「琉球処分」ふたたび(西谷修),を読む。どこまでつづく政府自民党の暴走。

 政府と沖縄県の間でこじれている米軍基地移設問題について,「丁寧に説明する」と約束したアベ君は,その舌の根も乾かぬうちに辺野古の移設工事を再開した。もちろん,なんの説明もなしに。それどころか,翁長知事が面会を求めても無視。中谷防衛相は「会っても意味がない」としてあからさまに「拒否」した。まさに,異常事態だ。

 一連の選挙をとおして明らかにされた沖縄県民の民意を,いったい,政府自民党はどのように考えているのだろうか。これまでどおりの「アメとムチ」で裁けるとタカをくくっているのではないだろうか。それは大きな間違いだ。なぜなら,これまでは保守対革新の勢力地図が沖縄県内にも明確にあって,それが選挙によって右に揺れ,左に揺れたりしたが,今回はそういう党派性を超えた「島ぐるみ」の意思表明であったからだ。もはや,沖縄県は,これまでの基地反対闘争から一歩抜け出て,もっとレベルの高いところに到達している。もはや,日本国に見切りをつけて,独立も辞さない覚悟を固めつつある。にもかかわらず,政府自民党は,これまでどおりの対沖縄県の姿勢を崩さないどころか,さらにトチ狂った「強権」を発動させる構えをみせている。そして,アベ君はアメリカ頼みでさらに強行突破をはかろうとしている。しかし,その頼みのアメリカの海兵隊トップが米議会で,沖縄の基地移転問題で懸念を表明している,という。どうやら,どんでん返しが起こりそうな気配だが,あまりに楽観的すぎるだろうか。

 とまあ,こんなことを考えていたら,西谷修さんがご自身のブログ「言論工房Fushino_hito」(これで検索すれば開けます)に「琉球処分」ふたたび,というみごとな現状分析をしてくれています。いま,まさに,日本国という国の成り立ちの根源が問われている,とみごとなまでの分析をしてくれています。明治政府がおこなった「琉球処分」を,いま,ふたたびアベ政権が繰り返そうとしている,と。その簡潔にまとめられた論考は,混迷の一途をたどる政府対沖縄県を考える上で,必見・必読です。そして,ついに前代未聞の「未知の領域」に突入した,とも。つまり,沖縄県民の民意を無視してでも国家の論理を優先させる権利が政府にあるのか,それとも県民の民意を楯にして県知事はどこまでも政府に対抗し,県民の利益を守る権利が優先されるのか,前例をみない闘いのはじまりだ,という次第です。そこには「民主主義」への根源的な問いも含まれており,これから大いに議論になる大問題が含まれている,と。

 しかし,そんな議論をしている暇はないのです。すでに,移設工事ははじまっており,政府が赤裸々に強行突破を目論んでいることは,地元紙の『琉球新報』や『沖縄タイムス』の連日の報道を読めば明白です。ただ,知らぬは本土の人間だけです。なぜなら,本土の主要メディアは,ことごとくアベ君に「コントロール」されていて,沖縄の「真実」をほとんどなにも報道していないからです。その意味では,完全なる「言論統制」が敷かれていると言っていいでしょう。これがアベ君の戦略でもあります。

 この異常事態に歯止めをかけることができるのは,いまや,国民であるわれわれだけです。厳しく批判の眼を向けつづけなくてはなりません。

 そのための理論武装の一環として,西谷修さんのブログ(あるいは,FB)を開いて,熟読玩味されることをお薦めします。また,できれば一人でも多くの人に,この情報を拡散してくださることを祈っています。西谷さんも拡散を歓迎されると信じています。とりいそぎ,ひとこと,まで。

2015年3月14日土曜日

『海を渡ってきた古代倭王』──その正体と興亡(小林恵子著,祥伝社,平成26年12月刊)を読む。奇想天外な展開に眼を剥く。

 教科書で教える日本の古代史とはなにか,この本を読んでまっさきにおもったことはこのことだった。日本の古代史はほとんどなにもわかってはいない。それどころか,まったくの嘘で固められた史料にもとづく架空の物語でしかない。

 歴史を教えるということはどういうことなのか。この問いが延々とつづく。やはり,どこまでいってもある特定のイデオロギーの押しつけに終始するようだ。それも「教科書」となると権力側のイデオロギーの押しつけに終わってしまうのが落ちだ。

 第二におもったことは,古代人たちの想像をはるかに超える大移動だった。わけても,定住を好まない騎馬民族の大移動には驚いた。覇権争いに負けると,驚くほどの距離を移動して逃避行をくりかえし,居心地のよさそうな新天地をみつけて,そこで覇権を握る。そのために,まさに,ユーラシア大陸を股にかけて大移動を繰り返す。その末端に日本列島も包含されている。そして,いとも簡単にやってくる。よほどいいところという情報が流れていたらしい。だから,覇権争いに破れた大王たちがつぎからつぎへとやってきて,支配したらしい。

 その鍵を握っていたのは,高度な戦闘能力と当時の先端技術。倭国は,その意味ではもっとも支配しやすい地政学的な位置にあったようだ。しかも,古代の倭人はおとなしかったらしい。とりわけ,農耕を主体とした倭国の先住民たちは,土地に根を降ろし,争いごとをできるだけ避けて,棲み分けていたようだ。そこに,定住にこだわらない騎馬民族が押し寄せてくる。もう,赤子の腕をひねるようなのもだったらしい。

 しかも,ユーラシア大陸に広がっていた情報や文化も,この騎馬民族たちによってつぎつぎに日本列島に持ち込まれていたらしい。

 もう,眼からウロコが落ちるような話がつぎからつぎへと展開する,言ってみれば,摩訶不思議な本である。少なくとも,これまでの「教科書」によって刷り込まれた(あるいは,洗脳された)日本の古代史の枠組みの外に飛び出して,自由奔放に想像力を働かせるテクストとしては,これ以上のものはないだろう。

 その典型的な一例が,聖徳太子伝説だ。よく知られるように「厩戸皇子」は馬小屋で生まれたという伝承には,明らかにイエス・キリストのイメージが投影されている。しかも,10カ国の言語を駆使したという。詳しいことは省略するが,この聖徳太子はそもそも騎馬民族の一派の王であったが,その覇権争いに破れて日本列島まで流れてきて,権力を握った,と著者の小林恵子さんは類推する。そして,倭国の王・タリシヒコとして中国の『隋書』に記録されているのは,まぎれもなく聖徳太子だった,という。

 この聖徳太子の事例はそのほんの一例であって,それ以前の倭国のよく知られた大王たちはみんなユーラシア大陸の勢力争いの余波を受けて,朝鮮半島を経由(あるいは,海路から直接)して,倭国に流れ着き支配したという。その支配も長くこだわることなく,力を溜め込むと,ふたたび朝鮮半島に押し寄せたり,さらには中国からユーラシア大陸にもどっていく。

 神武,仁徳,継体,雄略,などはみんなそうした騎馬民族だった,と小林さんは中国の古い文書や朝鮮の文書をとことん渉猟し,丁寧に読み解きながら類推する。これが事実だったとしたら,まずはこの驚くべき事実をひた隠しにすること,そして「万世一系」の天皇家を正当化するために天智・天武・持統の時代にさまざまに画策し,思考をこらして『古事記』や『日本書紀』を捏造した,というのだ。その主役を演じたのが藤原不比等だった,と。

 
こんな本を読むと,こんにちの倭国の人びとが,やれ中国がどうのこうの,北朝鮮がどうのこうの,韓国がどうのこうの,そして日本がどうのこうの,と重箱の隅をほじくるような議論が,まるで子ども染みた絵空事にみえてくる。小さい,小さい。ちっこすぎる。そして,もっともっと大きな視野に立つべきだ,と痛感させられる。いがみ合う必要などなにもない。なんのことはない。要するに,みんな「同族」ではないか,と。そして,その血の混ざり具合が多少,異なるだけのこと,というくらいの視野に立つと東アジアをみる眼が一変する。

 もし,どうしても万世一系の天皇制を信じたいのであれば,神武天皇は「突厥」からやってきた騎馬民族であった,という小林説も信じてもらいたい,とおもう。そして,日本民族は純粋な単一民族である,などという妄想も吹き飛ばしてもらいたい。これほどみごとに「混血」を繰り返してきた民族はほかに例をみないほどではないか,といまのわたしはおもう。そして,なによりも,倭国はユーラシア大陸の一員である,と。

 まあ,なんともはや気宇壮大な物語に出会い,いささか目眩を感じている。が,それでいてとても爽快な気分になれるのは,いったいどうしてなのだろうか。そして,いつのまにかとニヤニヤしている自分に気づく。

 ご一読をお薦めする。

 なお,小林恵子さんの手になる古代史シリーズは山ほどあるので,これから時間をみつけて少しずつ楽しんでみたいとおもう。

2015年3月13日金曜日

国立競技場解体工事に対する抗議声明文。ぜひ,ご一読を。

 2020TOKYO 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会が,いよいよはじまった国立競技場解体工事にたいして緊急の「抗議声明文」を発表しました。この会は,共同代表11名がすべて女性という,ちょっと面白い会なのです。言ってみれば,女性のまなざしをベースにした,これまでにない視点からの問題提起をくりひろげてきています。

 参考までに,そのメンバー11名を紹介しておきましょう。
 大橋智子,上村千寿子,酒井美和子,清水伸子,多田君子,多児貞子,日置圭子,森桜,森まゆみ,山本玲子,吉皮千晶。

 よく知られている人としては作家の森まゆみさんがいます。集会などでの司会もつとめていたり,記者会見などで目立っていますが,会の運営などの様子を外から眺めているかぎりでは,みなさん全員がそれぞれに役割を分担して和気あいあいとした雰囲気が感じられます。

 わたしは,早くから,この会の動向に注目していて,シンポジウムや抗議集会などにはできるだけ参加するようにしてきました。この会を応援する男性陣も錚々たるメンバーがいて,異色な存在ぶりを発揮してきました。

 この会が,とうとう「緊急声明」として「国立競技場の解体と神宮外苑の樹木伐採に抗議します」という声明文を発表しました。全文は,この会のホームページ http://2020-tokyo.sakura.ne.jp でご確認ください。なお,このホームページはとてもよくできていて,これまでの活動の記録がすべて整理されて掲載されています。たとえば,「新国立競技場問題年表」なども掲載されていて,とても役に立ちます。

 抗議声明文の,まえがきに相当する部分は短いので,せめてここだけでも転載しておきたいとおもいます。

 2015.3.5.
 国立競技場の解体工事が始まりました。
 当会は,2013年11月以来,新国立競技場の建設計画が
 財政や規模,環境,景観などの観点から市民の将来にとって,
 大きな負担になることを警告し,現競技場の改修と活用を求めてきました。
 解体に強く抗議します。

 この前文につづいて「声明文」(日本語)と「声明文」(英語)が掲載されています。

 宛て先は,「国立競技場将来構想有識者会議 委員」です。その委員の名前も参考までに挙げておきましょう。

 佐藤禎一,安西祐一郎,安藤忠雄,戸倉俊一,小倉純二,舛添要一,遠藤利明,横川浩,鈴木 寛,鈴木秀典,竹田恒和,張富士夫,鳥原光憲,森喜朗,笠浩史(以上15名)。

 この,民意から遊離してしまっている,常識を逸脱した特権階級の人びとの名前をしっかりと覚えておきましょう。これだけのメンバーがそろっていて,なぜ,「戦後最大の愚挙」と呼ばれる国立競技場解体と新国立競技場建設が,平然と行われてしまうのでしょうか。いやいや,このメンバーだからこそ,そうなってしまうのだ,と言うべきなのでしょうが・・・・。功なり名を遂げた人びとというのは,やはり,どこかふつうではありません。でも,こういう人たちが日本の将来に大きな影響力を及ぼす力をもっているのですから,困ったものです。でも,それが「有識者」と呼ばれる人びとの実態であるということだけは忘れないように。

 それに引き換え,女性11名の共同代表による「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」のみなさんのまなざしは,みごとなまでに正鵠を射ています。なのに,この人たちの声には耳を傾けようともしません。それが,こんにちの日本国の典型的な縮図となっています。一事が万事,この傾向がますます強くなってきています。民主主義さえ無視して平気の政府を筆頭に,むしろ,ブレーキの効かなくなった車同然,暴走をはじめています。

 このままの進み行きですと,東京五輪2020が,どんなものになってしまうのか,恐ろしいばかりです。東京五輪1964のときとは,まるで別世界の観がします。

 今回,発表された声明文は,みごとなまでの「名文」です。上に挙げた委員が名指しで責任を問われており,だれがどのような言動をしてきたのか,という実態まで浮き彫りにされています。ぜひ,ご一読をお薦めします。

 なお,この情報はFBでも,何人かの人にお願いをして流してもらっています。参照していただければ幸いです。ご友人にも声をかけ,拡散していただければ・・・と願っています。

 以上です。

2015年3月12日木曜日

「仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余(あま)り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開(ひら)き置(お)けり」。『修証義』第7節。

 前回のブログで,『修証義』の第一章「総序」が終わりました。つまり,『修証義』で説いている教えの総論は以上で終わりということです。そして,第二章からは,いよいよ各論に入りましょう,という次第です。その第二章は「懺悔滅罪」です。かんたんに言ってしまえば,「懺悔をすれば罪は軽くなりますよ」ということを説いた章です。その冒頭が「第7節」の文言です。

 仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余(あま)り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開(ひら)き置(お)けり,是(こ)れ一切衆生(いっさいしゅじょう)を証入(しょうにゅう)せしめんが為(た)めなり,人天(にんでん)誰(たれ)か入(い)らざらん,彼(か)の三時(さんじ)の悪業報(あくごうほう)必(かなら)ず感ずべしと雖(いえど)も,懺悔(ざんげ)するが如(ごと)きは重(おも)きを転(てん)じて軽受(きょうじゅ)せしむ,又(また)滅罪(めつざい)清浄(しょうじょう)ならしむるなり。

 
仏教への入信は,まずは「懺悔」からはじまります。なんの悩みもない,また,なんの迷いも苦しみもない人は仏教とは無縁です。仏祖お釈迦さんは「生老病死」(しょうろうびょうし)の四っつの苦しみ(=四苦八苦の四苦)があることに気づき,この四苦と向き合い,悩み苦しむことになりました。そして,そこからの解放を求めて修行の道に入りました。

 「わたしは王族の子として生まれ,なに不自由なく,なんの苦労もしないまま成長してきました。しかし,ふと気づくと生・老・病・死という四苦に取り囲まれていると知りました。そして,そこから解き放たれることはないと,日夜,そのことが頭から離れず,悩み苦しんでいます。なんとかしてそこから解き放たれたいのです。どうすればわたしは救われるのでしょうか」と思い詰め,苦悩の生活がはじまります。そうして思い悩んだ末に,王城を抜け出し修行の道に分け入っていきました。

 そうした経緯があったためか,『修証義』の第二章には「懺悔滅罪」が置かれています。ここもむつかしいことはなにも言っていません。特殊な仏教用語をクリアすれば,あとは,だれにも理解可能だとおもいます。

 「慈門」(じもん)とは,慈悲の門のこと。いかなる人をも慈悲のこころで受け入れてくれる門。救いの門。つまり,仏教の世界に飛び込んでいくための入口にある門。
 「証入」(しょうにゅう)とは,証とは悟りのことですので,悟りの世界に入ること。
 「人天」(にんでん)とは,人間界と天上界のこと。

 では,最後にわたしの読解を提示しておきたいとおもいます。

 仏祖であるお釈迦様はとても憐れみ深い人でしたので,だれでも入ることのできる大きな救いの門を開いたままにしてくださいました。このお釈迦様の思いやりは,世俗を生きるすべての人が悩み苦しみから解き放たれ,やがては悟りの境地にいたることができるようにするためのものです。ですから,人間界はもとより天上界にあっても,この救いの門に入らない人はだれもいません。過去・現在・未来にわたる悪事による因果応報はかならず返ってくるのは間違いないとしても,懺悔をすれば重い罪も軽くしてくれるでしょう。そうして,懺悔を繰り返していけば,やがてはその罪も消えてなくなり,ついには浄土の世界にいたることでしょう。 

2015年3月11日水曜日

「欲しがりません,勝つまでは」。フクシマ・オキナワの「戦い」に勝つまでは。

 「欲しがりません,勝つまでは」などと書くと,年配の人たちに叱られそうですが,それでもあえて書きます。若い人にはなんのことか通じないかもしれませんが・・・。

 なので,まずは,若い人たちのために。このことばは,第二次世界大戦中に国家が国民に言わせた標語です。つまり,アメリカとの戦争に勝つまでは,贅沢はいいません。我慢します,という誓いのことばです。わたしが国民学校(いまの小学校のこと)に入学したころには,毎日のように,朝礼で言わされました。家でも「わがままを言っているときではありません。戦争に勝つまでは」とよく注意されたものです。そして,防空頭巾に身を固めて,隊列を組んで通学したものです。上級生の言うことには絶対服従でした。食べものも着るものも足りません。配給でした。それでもみんなじっと我慢し,耐えていました。みんなそうだったから。そして,情報も大本営発表だけが唯一,正しい情報とされました。要するに,みんな「洗脳」されていただけの話ですが・・・。

 いま,また,そういう時代に急転回させようと政府自民党がやっきになっています。困ったものです。

 このスローガンを,まったく逆の意味で,いま一度,蘇らせたい。なぜなら,いま,日本国はたいへんな「敵」と戦っている,戦争の真っ最中なのですから。いまや,日本国はいやがおうでも二つの戦争と向き合う戦時体制にあるのですから。その戦場は,いうまでもなく一つはフクシマ。もう一つはオキナワ。いま,まさに,前代未聞の恐るべき強敵との戦闘中なのです。なのに,政府自民党は,この国家の一大事に対して「無責任」な姿勢を貫いています。その行為は,もはや,犯罪的ですらあると言っても過言ではありません。

 今日(3月11日)は,あれから4年,かたときも忘れることのできない/忘れてはならない祈念日。この日が近づくと,お念仏のように各種のメディアがほんの少しだけ,お義理のような報道をする。それが過ぎるとまた「みてみぬふり」。喉元過ぎれば熱さ忘れる,の俚言のとおり,情報がほとんど流れなくなる。だから,国民のほとんどの人も意識から遠ざかり,いつのまにか忘れてしまう。いわゆる記憶の「風化」。

 政府・東電にいたっては,意図的・計画的に「風化」させることに必死だ。臭いものにはフタ。隠しても隠しきれなかったことだけを「公表」し,あとは知らぬ顔。問題をさきのばし。しかも,明らかに犯罪ではないかとおもわれる過失・瑕疵があっても,だれも責任をとろうともしない。検察も,問題の所在を追求し,その責任をまっとうしようという姿勢も示さない。要するに,政・財・官が三位一体となって,責任逃れのタッグを組んでいる。ここに,いまや,法曹界(裁判所)も加わろうという勢いです。

 もはや,救いようのない,とんでもない国家になりさがってしまっているのです。

 政治の腐敗(アベ君の暴走を止めようとする政治家がいない。なんと情けないことか。野党もふくめて),ジャーナリズムの怠慢(あるいは,死。すなわち総右傾化。権力のいいなり),学界の頽廃(補助金欲しさに権力にすり寄り,ご機嫌とり)。

 もはや,救いようがない。

 オキナワについても,まったく同様だ。あれほど明確に「民意」が示されたにもかかわらず,政府自民党は完全無視だ。選挙という,もっとも民主主義的で正当な方法によって「辺野古移設反対」がもののみごとに表明されたのに,だ。政府自民党の執行部は,沖縄県知事・翁長氏が面会を求めても,だれも会おうともしない。「忙しい」という子ども騙しのような理由で。馬鹿にするのもいい加減にせよ。直接,会って,説得できる論理がなにもないから,まともな顔では会えないのだ。だから,ただ,いたずらに逃げ回っているだけなのだ。

 しかも,連日,辺野古や東村では住民たちによる粘り強い反対運動が展開されている。その反対運動にも無謀な「取り締まり」が国家権力の手によって展開されている。圧倒的な暴力によって。その一方では,沖縄県が認可した「計画書」にも記載されていない工事(たとえば,指定海域外でのトンブロックによる珊瑚の破壊)が,「ルールに則って粛々と」(菅官房長官発言)行われている。

 これらの情報は地元紙の『沖縄タイムス』や『琉球新報』では,連日,詳細に報じられている。そして,量・質とも落ちるものの『東京新聞』もつとめて記事を書いている。が,その他の新聞・テレビは,みんな「みてみぬ」ふりをしている。時折,お義理で,ほんの少し情報を流す程度。そこには正当なジャーナリズム精神に則った「批評」が欠落している。

 その穴を埋めているのが,インターネット情報だ。玉石混淆だと批判もあるが,身元のたしかな情報ネットワークを構築すれば,上質な情報がつぎつぎに飛び込んでくる。それらを読んでいると,空恐ろしくなってくる。つまり,権力にとって都合の悪い情報はことごとく秘匿され,国民の眼に触れないようにしている構造がまるみえになってくるからだ。秘匿された情報というものは,思いがけないところから「亡霊」のように,ある日,突然,顔を出す。それは歴史が証明済みだ。

 長くなってきましたので,そろそろ終わりにします。

 ことほど左様に,日本国はいま国内戦争の真っ最中なのです。この未曾有の戦争の決着をみるまでは,「経済」(アベノミクスなどというような眼くらましにも等しい子供騙しの稚拙な経済政策)などという甘い汁に惑わされていてはならない。いまは戦時中なのだから,「欲しがりません,勝つまでは」の精神で,ここはじっと耐えて(贅沢に),忍ぶことが先決です。そして,一つはフクシマの原発処理と復興の早期達成をめざし,もう一つはオキナワの基地移設問題を国民的議論に押し上げていくことです。

 このままでは,フクシマとオキナワという弱者にすべてを押しつけて,われ関せず,という国民が圧倒的多数を占めてしまうことになります。それこそが政府自民党が狙っているところです。すでに,そうなりつつありますが・・・。

 そうはさせてはなりません。どんなことがあっても阻止しなくてはなりません。

 少なくとも,今日「3月11日」,一日だけは,しっかりと気持をフクシマに向けることにしよう。そして,沖縄県民の多くの人びとがフクシマの被災者たちに向けて救いの手を差し伸べているという事実にも,心静かに気持を向けることにしよう。そして,ささやかでもいい。そういう意思をどこかで表明し,行動しよう。そんな一日にしたいとおもいます。今日,一日だけでも。

2015年3月10日火曜日

Song of the Earth. 絵本も朗読も素晴らしい。

 昨日(9日)のブログのつづきです。

 とても感動した歌は帰宅後,CDで,何回も何回も「耳」(聴覚)をとおして聞き返し,こころとからだで受け止めています。そして,その歌詞の絵本をとおして,こんどは「眼」(視覚)をつかって「ことば」と「え」のハーモニーを楽しんでいます。さらに,歌詞のしみじみとした味のある朗読もたっぷりと鑑賞しています。

 この歌がどのようにしてつくられたのか,誕生したのか,フライヤーにわかりやすく書いてありますので,それをそのまま引いておきたいとおもいます。

 
'Song of the Earth' RELEASE PROJECT
 このプロジェクトの発起人’ラビラビ’は日本のオルタナティブな音楽シーンにおいて独創性溢れる演奏で年間100本以上のライブを日本各地,ときには地球各地で展開する旅の楽団。彼らが2009年,Candle JUNE 主催の新潟中越地震からの復興を願うイベント「SONG OF THE EARTH」に出演したとき,vo の azumi は即興で地震の唄を綴ります。やがて一年半後にやってきた東日本大震災を旅の途中立ち寄った青森県八戸市で目の当たりにしたラビラビは,あの唄を曲にする決心をします。

 'Song of the Earth'
 もう一度呼び起こした言葉に,仲間のシンガーソングライターの青谷明日香がメロディーを付けて地震の唄は完成し,被災地はじめ全国で演奏をくりかえすうち,共鳴した仲間のミュージシャンがそれぞれにこの曲を演奏するようになります。同時に高まるCD化の声,記憶を共有する仲間とひとつの音楽を創り,記憶を共有する全国の人びとからのカンパでCDを完成させ,売り上げのすべてをフクシマの子供たちに届けよう。震災がくれた地球の唄をリリースするためのプロジェクトが立ち上がりました。

 CD & PICTUREBOOK
 日本列島で何度もくりかえされてきた地震。それによって人類史上初めて引き起こされた原発事故。地震が起きるとどうなるのか。あらゆるフィールドの音楽家が集い,音楽で深い記憶に呼びかけるための挑戦をし1枚の作品ができあがりました。録音はすべて太陽光発電で行われています。また語り継ぐという私たちが忘れてしまったスキルに呼びかけるために,CDには朗読を収録,読み聞かせのための絵本を製作しました。この作品は著作権フリーです。誰もが自由に唄い,鳴らし,踊り,いつか’読み人知らず’の唄になりますように。

 これでこのプロジェクトの主旨はよく理解できたとおもいます。こういう人たちが,わたしたちの視野のとどかないところで,地道な努力をつづけているという事実を知ったときから,わたしなどはもっともっと努力しなくてはいけない,と痛感しました。その意味でもすごいパワーをもったプロジェクトなんだと感心してしまいました。

 最後に,この唄の歌詞を載せておきましょう。著作権フリーですので,大いに広めてほしい,というラビラビの希望にこたえて。

 
Song of the Earth.  ちきゅうのうた。
 ことば ラビラビ
 え かど ひでひこ

 だいちが ふるえると かいて じしんとよむ 
 だいちが ふるえると みずの やまができる

 あのとき ちきゅうさんは なにに ふるえたんだろう
 なにが あふれたんだろう

 わたしたちにも あるよね ココロ ふるえる よる
 わたしたちにも あるよね ナミダ あふれる とき

 だいちが ふるえるとかいて じしんとよぶ
 だいちが ふるえると いしはおどりはじめる

 あのとき ちきゅうさんは なにと おどったんだろう
 なにと ゆれてたんだろう

 わたしたちにも あるよね ココロ ゆさぶる ゆめ
 わたしたちにも あるよね カラダ はじける とき

 あのとき なにを つたえたかったんだろう
 あのとき なにを うけとったんだろう

 これから もっと みみを かたむけていこう
 これから もっと ココロ かたむけていこう

 ちきゅうさんの こえ
 ちきゅうの うた

 ぼくらは やくそくするよ
 ちきゅうさんと やくそくするよ
 ちきゅうさんの こえをきいて わらい ともにいきてゆくと

 ぼくらは やくそくするよ
 ちきゅうさんと やくそくするよ
 ちきゅうさんの うたをきいて おどり ともにいきてゆくと

 ぼくらは やくそくするよ
 ちきゅうさんに やくそくするよ

 ぼくらは あたらしい あたらしい あたらしい ぶぞくなんだと

 ちきゅうさんの こえ
 ちきゅうの うた

 それが Song of the Earth 

2015年3月9日月曜日

Song of the Earth. 2015.3.11 Release. ラビラビ+青谷明日香。

 2月7日(土),友人のTさんが所要で上京するので,そのついでに国会議事堂の前に立ちたい,という。喜んで,と案内がてらお付き合いをしました。ひょっとしたら,だれかが集会をやっているかも・・・と密かに期待しましたが,なにもありませんでした。翌日の8日(日)の午後には大きな集会があるということは承知していましたが,残念。

 午後4時に東京駅で会い,地下鉄で国会議事堂前へ。まずは,議事堂を正面から眺められるポジションに立つ。そこから議事堂を一周。途中,首相官邸の所在も確認。意外にかんたんに一周できてしまったので,Tさんは驚く。もっと大きいとおもっていた,と。やはり,現場に立ち,そこに身をおくことの大事さを感じた,と感想。

 久しぶりに,議事堂を一周しながら,明日(2月8日)は人の輪でこの議事堂を取り囲む,大きな集会が予定されていることなどの話をする。当然のことながら,いま国会で議論されている与野党の質疑応答の陳腐さにも触れ(NHKの国会中継をみての感想。ニッキョウソ,ニッキョウソの野次もふくめて),フクシマ,オキナワという国家存亡の最大のテーマをはぐらかし,そこで起きている「事実」についてはひた隠しにする,それをまたマスコミが追求しない,という悪循環は困ったものだ・・・というような話もする。そこでは意見が完全に一致。国民は国民で「茹でガエル」,それどころか「自発的隷従」。もう救いようがない,とも。

 ついでに明日,集会が予定されている日比谷公園まで歩こう,ということになる。皇居のお掘りにそって歩いているうちに「桜田門」という道路標示をみて,急いで道を修正。ちょっぴり回り道。それでも意外に近いので,Tさんはびっくり。周囲に大きな建物が立っているので視野が狭くなり,なんとなく遠く感ずるのだが,地図でみるとすぐそこ。集会場所となっている野外音楽堂はフェンス越しにちらりと覗き見。でも,雰囲気はわかった,とTさん。

 日比谷公会堂の前に立ち,振り返るとイベント広場からなにやら音楽が聞こえてくる。テントを張った屋台のようなものもたくさんみえる。行ってみようと散策気分。その一角で,かなりの人数の人だかりのするところがあり,近づいてみると音楽に合わせて聴衆が踊っている。とてもリズミカルな音楽で,いまどきの若者たちが好みそうな,それでいてどことなくしっとりとしたリズムを刻んでいる。もう,すでに夕闇が迫り,テントのなかのミュージシャンたちの顔もほとんど見えない暗闇の中。電気の照明もなし。自然光のなかでの演奏。

 そして,ラスト・ミュージックということで演奏されたのが,Song of the Earth.  雰囲気は一変し,静かな前奏がしばらくつづいたあと,しっとりとボーカルの azumi が歌い始める。みんな静かに耳を傾けている。おやおやとおもいながら,わたしたちもじっと耳を傾ける。いい歌だ。歌詞もメロディーも,そして歌声も,ごくごく自然にわたしのこころとからだに染みこんでくる。

 「あるんだよねぇ,こういういい歌が・・・。NHKも民放も流してくれない,素晴らしい歌が・・・」と,おもわずわたしはTさんに声をかけている。演奏が終わったところでボーカルの azumi が静かに語りかけてくる。この歌のCDと絵本をセットにして販売しています。これらの制作費もすべて寄付・カンパで賄いました。そして,これらの売上金は全額,フクシマの子どもたちにとどけます。約束します。

 わたしは一直線にステージ左の机の前に立つ。そこにそれらしきものが置いてあったから。そして,その場での最初の寄付者になりました。

 帰宅後にCDを再生して耳を傾ける。絵本もじっくりと読む。そして,あとがきまでしっかりと読む。ふたたび感動。その内容については,つぎのブログで。

2015年3月8日日曜日

「視野を広く保ちなさい」・李自力語録・その56。

 「太極拳は武術です。まず,このことをつねに意識することを忘れないようにしましょう」と劉志老師は口火を切ってから,武術にとって重要なことのひとつは,「つねに視野を広く保つ」ということです,とつづけられました。

 これまでは李自力老師から「目線は遠くをみるように」と教えられてきました。このことを別の表現にすると「視野を広く保つ」ということになるのでしょう。そして,視野を広く保つための注意点について,劉志老師はつぎのように説明をしてくださいました。

 まずは,百会を高く保ち(からだの軸をしっかりと決め),その姿勢で水平線に視線を保ちます。それも,一点をじっと見つめるのではなくて,全体をぼんやりと眺めるようにこころがけてください。そうすると,視野が広くなってきます。真っ正面に視線を向けていても左右の様子がそれとなく視野のなかに入ってきます。これが大事です。太極拳は武術ですから,基本は,いつ,どこから敵に襲われてもそれに対応できる身構えが求められます。そのためには,まず第一に,正面はもとより左右の視野の死角になるぎりぎりのところまで,それとなく視野に収めておくことが必要です。見るともなく見る,そんなまなざしで全体を把握していることが重要です。

 こんな劉志老師のお話を伺いながら,わたしは「李自力老師には背中にも眼がついている」とひごろからおもっていることが脳裏をよぎりました。実際にも,一緒に稽古をしているときに,明らかに背中をみせている状態で李自力老師が,うしろを振り向きもしないで「安定,安定」と声をかけてくださいます。こういうときは,きまってわたしのからだが片足に乗り切れなくてふらふらしているときです。眼でみていなくても,背中全体でうしろの様子をそれとなく感じとっていらっしゃることを知ったときは驚きました。

 その後,いろいろの稽古のときの様子からわかってきたことがあります。李老師は人の気の流れ(気配?)を感じ取る力がひとなみはずれて鋭いということでした。つまり,視力とか聴力とか触覚だとかの部分的な感覚ではなくて,からだ全体で環境世界(環界)を受け止めているということです。もっと言ってしまえば,自己と他者の境界が徐々に希薄になっていき,他者のからだをも自己のからだとして感じ取ることができているのではないか,ということです。

 これは,坐禅を組むときに言われることとよく似ています。眼は半眼にして,見るともなく視線をやや前方に落とし,五官の感覚器官のすべてを全開にして,環境世界(環界)のなかに溶け込んでいくようにこころがけなさい。そうすると,やがては自己と他者の境界が希薄になってきます。さらに進むと,自己が他者となり,他者が自己となります。そのためには一切の雑念を振り払って,こころもからだも「無」にしなくてはなりません。

 そういえば,李老師は大観衆を前にした太極拳の表演中に,われを忘れてしまい,無意識で動いていたことがある,と仰ったことがあります。そして,その世界はもう快感以外のなにものでもない,と。忘我没入の世界です。

 太極拳の根本原理は道家思想(道教,タオイズム)に支えられています。その道家思想と仏教の禅とは密接な関係にありますので,まるで,悟りの境地にも似た李自力老師のような表演が出現してもなんの不思議もありません。

 「視野を広く保ちなさい」の最終ゴールは,たんに正面と左右を視野のうちに取り込むだけではなくて,360度,全方位が視野のうちに入るようになること,すなわち,自己が環境世界のなかに溶け込んでいくこと,そして,やがては自己と環境世界の区別がなくなること,自己と他者とが一体化すること,そこにあると納得しました。

 それはバタイユのことばで表現すれば「水の中に水がある」ということになるでしょう。すなわち,バタイユの「エクスターズ」(恍惚)の世界。

2015年3月7日土曜日

『れるられる』(最相葉月著,岩波書店,2015年1月刊)を読む。

 書名のタイトルに惹かれ,表紙帯のキャッチ・コピーにやられた。わたしは自分勝手に本の内容を想像してしまったからだ。

 
『れるられる』。まずは,このタイトルの巧さに参った。おお,存在論か,と。人間は「れる」でもあり,「られる」でもある。この二つの間を往来しながら,つまりはあやうくバランスをとりながら,みずからの「生」をまっとうする生きものだ。と,これはわたしの解釈。だから,最相葉月も,とうとうそこに踏み込んだか,と。

 そして,キャッチ・コピーを読んでわたしは確信してしまった。思わず「オーッ」と声を出してしまった。このコピーがまた巧すぎる。引いておこう。

 する。
 される。
 する。
 どちらかに
 落ちる時が,
 ある。

 なんとまあ淫らな・・・。恥ずかしながら,わたしは卑猥な妄想をふくらませてしまった。なぜなら,この境地こそが「存在論」の極致だ,とかねがね考えてきたからだ。しかし,まともな哲学者はだれひとりとしてこのテーマを真っ正面に据えてこなかった。ただひとり,ジョルジュ・バタイユだけは違った。かれの存在論のキー・コンセプトは「エクスターズ」だ。つまり,バタイユの「恍惚」だ。自己の境界線を踏み越えて他者の領域と渾然一体化していく。自己が自己でなくなる臨界点。その境界領域にこそ人間存在の根源をみる。

 有体に言ってしまえば,その一つの現象はそのものずばり「セックス」だ。バタイユには『エロチシズム』と『エロチシズムの歴史』という大部の著作がある。こちらを念頭においていただければ,わたしの言おうとしていることは理解していただけるだろう。

 だから,上に引いたキャッチ・コピーをみた瞬間に,「おお,バタイユではないか」と閃いてしまった。そうか,最相葉月も,ついにバタイユの境地に達したか,と勝手に納得してしまったのだ。

 しかし,わたしの「思い込み」は完全に裏切られてしまった。まったく予想だにしなかった内容だったから。どんな内容なのか。ここも表紙カバーのコピーを引いておこう。

 人生の受動と能動が転換する,その境目を,六つの動詞でつづった連作短編集的エッセイ。
 どうやって生まれるのか。誰にささえられるのか。いつ狂うのか。なぜ絶つのか。
 本当に聞いているのか。
 そして,あなたはだれかに愛されていますか?
 だれかを愛していますか?
 れる/られる,どちらかに落ちる時が,ある──。
 その六つの風景。

 この六つの風景が,一つひとつ,また強烈なメッセージ性を帯びている。
 「生む・生まれる」では,出生前診断を取り上げ,異常が見つかったときに「生むか,生まないか」をめぐる問題の所在を克明にたどっていく。
 「支える・支えられる」では,東日本大震災をはじめとする災害時に起こる「支える」人と「支えられる」人との関係性について,一筋縄では片づけられない難問に挑む。
 「狂う・狂わされる」では,精神を病む人の問題をとりあげ,母親の病いも,そして,みずからも「双極性障害Ⅱ型」(躁鬱症の一種)であることも告白しながら,「狂う」境界領域の問題に肉薄していく。迫力満点だ。
 「絶つ・絶たれる」では,バイオテクノロジーの最先端で研究に従事する「ポストドクター」の置かれている苛酷な情況と,この人たちが自死に追い込まれていくプロセスを追う。
 「聞く・聞かれる」では,眼を閉じた耳だけの世界の,無限に広がる可能性を追求している。視角がいかに人間の世界を限定してしまっているのか,人間の声を軽視しているかを問題にする。いささか意表をつかれる展開になっている。
 最後の「愛する・愛される」では,田宮虎彦の描く「愛の世界」をとりあげ,詩と真実に迫っていく。そして,最後に田宮虎彦が自殺してしまう背景になにがあったのかをつきつめていく。

 どれもこれも秀逸な作品ばかりである。そして,そのインパクトがあまりに強烈なために,わたしは目眩を覚え,おやおやこんなエッセイ集だったのか,と勘違いしてしまった。しかし,よくよく考えてみれば,どれもこれもみんな立派な「存在論」ではないか。しかも,それぞれの局面での極限情況が描かれていて,人間が生きるとはどういうことなのか,という根源的な問いをいずれの作品も発しつづけている。

 こうして,読後もまた,一本とられてしまった。最相葉月の「一本背負い」に。

2015年3月6日金曜日

当(まさ)に知(し)るべし今生(こんじょう)の我身(わがみ)二(ふた)つ無(な)し三(み)つ無(な)し。『修証義』第6節。

 「無二亦無三」(むにやくむさん)という,わたしが敬愛してやまなかった大伯父が書いた扁額が,いま,わたしの脳裏にくっきりと浮かんでいます。若書きの,勢いのある,スッキリした文字が仰ぎ見る者にそこはかとない迫力とともになにかが迫ってくる,素晴らしい扁額です。わたしは幼いころから,この扁額に引き寄せられるものを感じていました。もちろん,意味もなにもわからないまま・・・。いまにしておもえば,これぞ書の力。

 しかし,気がつけば『般若心経』の解説本を読みふけり(最初の出会いは山田無文さんの『生活のなかの般若心経』でした),いつしか『正法眼蔵』の解説本にも手が伸びていました。そのころになって,ようやく「無二亦無三」の出典を知りました。そうか,やはり,道元さんのことばだったのか,と。しかし,道元さんは「無二亦無三」とはどこにも書いてはいません。ということは,道元さんの「三時業」(『正法眼蔵』のなかの一節)の中にでてくる「当に知るべし今生の我身二つ無し三つ無し」を,「無二亦無三」とアレンジしたのは大伯父だったのだ,というわけです。

 宝林寺という寺の住職であった大伯父は,明らかに道元さんを念頭におき,道元さんをめざし,道元さんを生きたのだ,ということがいつのまにかわたしの確信になっていました。その理由は二つ。一つは,宝林寺という寺名は知る人ぞ知る,道元さんが最初に建てた寺の名前と同じであること,もう一つは,大伯父の僧名は「一道」(いつどう)であったこと。すなわち,宝林寺の一道和尚としてその生涯をささげたのです。

 いささか前置きが長くなってしまいました。それほどのインパクトのある(わたしにとっては)第6節を引いておきましょう。

 当(まさ)に知(し)るべし今生(こんじょう)の我身(わがみ)二(ふた)つ無(な)し三(み)つ無し,徒(いたずら)に邪見(じゃけん)に堕(お)ちて虚(むな)しく悪業(あくごう)を感得(かんとく)せん惜(おし)からざらめや,悪(あく)を造(つく)りながら悪(あく)に非(あら)ずと思(おも)い,悪(あく)の報(ほう)あるべからずと邪思〇(じゃしゆい)するに依(よ)りて悪(あく)の報(ほう)を感得(かんとく)せざるには非(あら)ず

 
ここの第6節の文言は,取り立てて解説する必要のない,そのままで理解ができる,とても分かりやすい部分だとおもいます。

 ここでは「邪見」ということばだけを,確認の意味でチェックしてきましょう。仏教用語としての「邪見」とは「正見」の反対語です。「正見」とは,仏教の根本原理のことです。すなわち,「因果応報」(「善因善果」「悪因悪果」)です。善いことをすれば善い結果がえられる。悪いことをすれば悪い結果をえる。だから,善(善行)を積み上げなさい,と。そうすれば,やがては浄土の世界に入ることができますよ,というわけです。

 ですから,「邪見」とは,仏教の教えを無視する考え方,つまり,この「因果応報」を無視する考え方を意味します。すなわち,地獄に堕ちていく人間の考え方である,ということです。

 ここさえ抑えておけば,あとは,何回も声に出して読み上げていれば,意味はおのずからからだに染みこんでくる,とおもいます。なぜなら,「声に出して読む」ことそのことが「善因」ですので,かならずや「善果」がえられるという道理です。

 「読経(どきょう)」とはそういうことなのです。 

2015年3月5日木曜日

政治献金ザル法を「議論しよう」だなんて,ソーリ,ソーリ,そんな逃げ方は許しませんぞ。

 ここ連日,国から補助金を受けた企業からの献金を受けとってはならないとする法律があるのに,それを受けとっていた政治家が芋づる式に明らかにされている。上は総理大臣から,各種の大臣,そして,大物議員へと,みんな「右へならえ」とばかりに連座。

 しかし,最初の風当たりの強いときの批判をまともに受けた前農林水産大臣が「辞表」を出してやめただけで,それ以後の総理大臣もその他の大臣も議員も,だれも辞めようとはしない。それはそうでしょう。みんな責任をとって辞表を出したら政治がストップしてしまう。それどころか,解散・総選挙になりかねない。だから,どうしたのか。

 居直った。

 「知らないで受けとった」場合には「違法ではない」,と。たしかに,条文を読むとそう書いてある。明らかに「ザル法」だ。これは,最初から,こういう逃げ道がつくってあったことは明白である。そのように智恵を出し合って,意図的・計画的に「自分たち」でつくったのだ。この「逃げ道」をつかって,なんとかこの場をしのごうというわけだ。そして,まずはソーリがその先陣を切った。

 その小細工が,この法律に問題があるのだとしたらみんなで議論しよう,と。要するに,みんなの「責任」に転嫁しようという意図がみえみえだ。

 こんな小手先の「眼くらまし」に誤魔化されてはならない。

 「知らなかった」が許される法律なんてあってもなくてもどうでもいい。そんな法律は,最初から,なんの存在理由もないのだから。だから,議論するまでもない。廃止すればいい。

 いま,問われているのは「道義的責任」だ。こういう法律があるのに,それを無視して献金を受けとった「道義的責任」だ。違法ではない,などという理屈など聞きたくもない。もともと「ザル法」なのだから。

 一国のソーリ大臣を支える秘書たちが,違法献金であることを「知らなかった」はずはない。しかも「そこまでは手がまわらない(ソーリ発言)」などと言っている場合ではない。ならば,なんのための法律なのか。なかには,「利益を挙げていない企業だから問題ない」と居直った大臣もいる。バッカじゃなかろうか。赤字企業がなんのために政治献金をするのか,子どもでもわかる。あっ,これは白鵬のセリフだ。

 話をもとにもどそう。ソーリは,法律に問題がある,ということで逃げ切ろうとしている。卑怯だ。  「知らなかった」といえば「違法ではない」ということを百も承知で,みんななんのチェックもなしに受けとっているのだ。だから,厳密に調査をすればほとんどの議員がひっかかるはずだ。一度,全議員の身体検査をしたらどうだ。

 あ,いけない,またまだ脱線していく。そうではない。補助金を受けた企業からの政治献金を受けとってはならないという法律を,自分たちでつくっておいて,さも「正義」面を国民にみせつけておいて,自分たちで無視していく,この卑怯な意地汚さが問われているのだ。この「道義的責任」をなんと心得ているのか,それが問われているのだ。だから,ここは潔く「道義的責任」をとって辞表を出してもらいましょう。

 それよりなにより,政治献金なんて,名前はいいが,考えてみれば「公的賄賂」ではないか。実際にも,ちゃんと機能してきていることもよく知られているとおりだ。「族議員」などという名称がその端的な現れだ。だから,あらゆる政治献金をすべて禁止にすればいい。いや,むしろ,そうすべきだ。そうして,いかなる企業からも影響を受けない政治をやってほしい。原発稼働に流れていく政治の最大の理由もここにある。

 でなければ,政党交付金などというものも廃止してしまえばいい。言ってみれば,「二重取り」だ。なんとまあ,強欲な。なにもかも,国民を無視した,自分たちに都合のいい理屈をこねて,政治家たちだけの「お手打ち」法で決まったことだ。

 ソーリ,「議論しよう」などというレベルの話ではありませんぞ。
 そんなことで国民の眼を欺こうなどというのは,とんでもない本末転倒の議論だ。

 この問題に関しては,珍しくメディアも思い腰をあげて動きはじめたかにみえる。どんどん事実を報道してほしい。そして,国民的議論に高めていくべきだ。議会の議論なんていうのは「茶番」だ。国民的議論こそが,国政を動かす原動力なのだ,ということを見せつける絶好のチャンスだ。

 こんどこそは,なんとしてもそこまでもっていきたいものだ。

2015年3月4日水曜日

李自力老師語録「如是我聞」を『スポートロジイ』第3号に転載します。

 『スポートロジイ』第3号の編集の最終段階に入っています。あとひとふんばりで初稿ゲラが出せるところまできています。

 そのひとふんばりの一つが,このブログに連載させていただいています「李自力老師語録」を転載するための原稿の整理です。ところが,とんだところで足踏みをしてしまいました。といいますのは,ブログに書いた原稿をダウン・ロードすることができません。これまでにも,何回も,こんなことは日常的にやってきたのに,どういうわけかそれができません。あちこち試してみましたが,どうにもなりません。どうやら,もっとも基本的な操作の仕方を忘れてしまったようです。

 仕方がないので,急遽,21世紀スポーツ文化研究所の特別研究員のTさんに頼んで,この作業をやってもらいました。いとも簡単に,このパターンではどうか,あるいは,このパターンの文書ではどうか,といくつもの提案をしてくださいました。お蔭で,わたしのパソコンとの相性のいい文書に変換してもらうことができ,ほっとしています。

 李自力老師語録は,数えてみましたら,もう55回も書いていました。できるだけ書いたときの感動を生かしたいと考え,ほとんど,このままで転載しようと考えています。

 しかし,このまま「李自力老師語録」として掲載するにはいささか問題がありますので,「如是我聞」というサブタイトルを付すことを考えています。といいますのは,これらの原稿はわたしが李老師のお話を聞いて,なるほどとおもった部分を切り取って,わたしなりに脚色をして書いているからです。つまり,李老師のチェックを経ていない,ということです。

 そこで,苦肉の策として,お釈迦様のことばを弟子たちがまとめて経典にしたように,「わたしはこのように聞いた」=「如是我聞」という手法をとろうという次第です。これならば,文責:稲垣,で済ませられます。

 それでもなお,一応,全体の文体の整理や内容のバランスなどをチェックして・・・と考えています。かなり長い期間にわたって連載してきたものですので,どうしてもその時々の気分や感動の程度によって文体には相当のばらつきがみられます。それはある程度までは仕方のないことでもあります。でも,ひととおりは眼をとおして・・・と考えています。

 それにしても,55回の連載はたいへんな分量になります。太極拳に関する語録,それも李自力老師の語録としては前例のない初の試みとなります。太極拳に関する実技書は,これまでにも各種とりまぜてたくさんの本が刊行されています。が,理論書や実技の細かな解説書というものは,管見ながら,まだみたことがありません。その意味では画期的な試みだと自負しているところです。

 ですから,李自力老師が語った語録を,まとめて『スポートロジイ』第3号に掲載しておくことは,いろいろの意味で役に立つと確信しています。とくに,このブログをとおして「李自力語録」を熱心に読んでくださっている方々には喜んでもらえるのではないか,と期待もしています。

 きちんとした出版社をとおしての刊行となりますので,できあがりましたら,また,ここで紹介させていただきます。入手方法なども併せて。

 もうひとふんばり,頑張ってみようとおもっています。
 取り急ぎ,現状のお知らせまで。

2015年3月3日火曜日

善悪(ぜんあく)の報(ほう)に三時(さんじ)あり。『修証義』第5節。

 まずは,第5節の文言を引いておきましょう。

 善悪(ぜんあく)の報(ほう)に三時(さんじ)あり。一者(ひとつには)順現報受(じゅんげんほうじゅ),二者(ふたつには)順次生受(じゅんじしょうじゅ),三者(みっつには)順後次受(じゅんごじじゅ)これを三時(さんじ)という,仏祖(ぶっそ)の道(どう)を修習(しゅじゅう)するには,其(その)最初(さいしょ)より斯(この)三時(さんじ)の業報(ごっぽう)の理(り)を効(なら)い験(あき)らむるなり,〇(しか)あらざれば多(おお)く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり,但(ただ)邪見に堕(お)つるのみに非(あら)ず悪道(あくどう)に堕(お)ちて長時(ちょうじ)の苦(く)を受(う)く。

 
仏教の教えには深い意味があって,その読解にはいろいろのレベルがある,と世間ではよく言われています。しかし,道元さんはそんなことは言ってはいません。それを証明する典型的なことばが「修証一等」です。修行することと悟り(証)とは一つのことであり,この二つはまったく等しいのだ,と説きます。つまり,頑張って苦行をすれば高いレベルの悟りに到達することなどはありません,と。そして,いま,あるがままの姿がそのまま悟りなのだ,と説いています。この教えを,いろいろな場面に当てはめて,順々に説いているのがこの『修証義』です。

 すなわち,修行するとはどういうことなのか,そして,悟りとはどういうことなのか,そのことの教えを説いたもの,それが『修証義』です。

 この第5節では,「善悪」の問題をとりあげています。因果応報といいますが,善悪も同じです。つまり,「善因善果」,「悪因悪果」というわけです。善い行いをすれば善いことがある,悪い行いをすれば悪いことがある,というきわめて単純な教えです。

 ただし,この因果応報の現れ方には三つの時間(三時)・時差がある,といいます。それは現世(順現),来世(順次),来々世(順後)だ,と。つまり,因果応報は,いますぐ現世で現れ受けるもの(報受)と,死後の来世で受けるもの(生受)と,二度死んだあとの来々世で受けるもの(次受)の,三世にわたって現れるのだ,というわけです。

 ですから,因果応報を短絡的に考えてはいけません。この世とあの世と,さらにそのつぎの世との三世にわたって,その報いが現れる,というわけです。これは恐ろしいことです。ですから,仏道に分け入ろうとする者は,まず最初に,この三時の業報(因果応報)があるということを,しっかりと頭に叩き込んでおくことが肝要である,と道元さんは説きます。

 このことをしっかりと弁えていないと,ほとんどの人は「邪見」に囚われてしまうことになり,目先の欲得に惑わされてしまうことになりますよ,と。しかも,それだけではなくやがては悪道に走ることになりますよ,と。その結果は,地獄に堕ちてしまい,幾世にもわたって苦しむことになるのですよ,と。のみならず,子や孫や,その末代までも因果は及ぶのですよ,と。

 「親の因果が子に報い」とはこのことを意味しています。

 言ってみれば,仏教の基本的な考え方である「輪廻転生」(りんねてんしょう)を,別のヴァージョンで説いた教え,それが「善悪の報に三時あり」というわけです。

2015年3月2日月曜日

「胃袋が喜ぶ」食べものがわかってきました。

 今日も朝から晴れ。気分よし。太陽の日差しも元気がいい。鷺沼の駅を降りると,さらにまわりの景色が明るくなり,日差しのぬくぬく感が心地よい。パソコンを背負って歩く足どりもいつもよりは軽い。たんなる気持の問題だが,それが重要。

 「消化器系の内臓は脳より賢い」と,なにかの本に書いてあった。それを読んだときには「へーえ,そんなもんなの?」という程度の認識だった。

 しかし,今回の経験で,そのことの意味がよくわかった。

 抗ガン剤治療は体質的に合う人と合わない人とがあり,その個人差は大きいという。わたしは,合わない側の人間だったらしく,まことに苦労した。それも,極端に合わない人だったらしい。いまになって,冷静に考えてみると,からだが徹底的に拒否していたようだ。最初から猛烈に拒否反応を示していたということ。しかし,経験がないので,こんなものなのかなぁ,という程度の認識しかない。だから,しばらく様子をみることに。

 しかし,5カ月を経過したところで,決断した。これはいけない,これ以上つづけていたら,健全なからだの本体までやられてしまう。それではもとも子もないではないか,と。

 それから5カ月が経過。抗ガン剤はしつこくからだの中に残留していて,なかなか抜けてくれない。でも,わずかずつではあるが,抜けていくのがわかる。なぜなら,からだが喜んでいるからだ。とくに,今朝のように天気がいいと,はっきりわかる。もう,鷺沼に行きたくて行きたくてうずうずするのだ。元気だったころのあの感覚。あの鷺沼の高台から東京方面を見渡しながら坂道をくだる,この快感がたまらない。

 そのもっとも顕著な兆候は「胃袋」である。気分がいいと胃袋さんもご機嫌である。

 そのむかし,学生時代に杉靖三郎先生から「ストレス学説」なるものを教えてもらった。そのときに,ストレスと胃袋は直結している,脳がストレスを感知するよりずっと早く胃袋は反応している,と。つまり,胃袋はこころの映し鏡である,と。

 今回の胃潰瘍から胃ガンへの進展の主要因も,ストレスだったらしい。しかし,わたしの脳は気づかなかった。背中が痛い,変だなぁ,という程度のものでしかなかった。しかし,胃袋さんはとっくに悲鳴を挙げていたのだ。それに気づかなかったわたしの脳はアホだった。

 つい,最近になって,胃袋さんが元気をとりもとしてきた,と気づく。その基になっているのは,どうやら「味覚」さん。まだ,完璧ではない。自己観察では7割くらいはもどってきたようだ。それとともに胃袋さんも,なにかと情報を発信てしくれるようになってきた。

 第一に,下痢をしなくなった。その最大の理由は,食べ過ぎをコントロールできるようになったことにある。胃袋さんが,もう十分だよ,というサインをはっきり出すようになった。つい,この間までは,満腹なのか,まだ,足りないのか,その区別がつかない。だから,いくらでも食べてしまう。つまり,胃袋さんもマヒしていたのだ。ところが,そのマヒという呪縛から徐々に解き放たれてくると,胃袋さんも「もう十分」というサインをくれるようになった。

 ところが,脳はまだ食べたいと言ってきかない。あるいは,眼が食べたいと言う。一瞬の葛藤があるが,いまは,胃袋さんの判定にしたがうことにしている。その方が間違いなく調子がいい。

 と同時に,胃袋さんが喜ぶ食べものもわかってきた。

 いま,定番にしている朝食。リンゴとにんじんのミックス・ジュース。どんぶりに一杯。ジュースといっても,ふつうの水分たっぷりのジュースではない。ジューサーでこなれる程度の,最小限の水を加えただけの,ドロドロのもの。だから,飲めないので,スプーンで食べる。これを,わたしの胃袋さんはことのほか喜ぶ。それが手にとるようにわかる。

 食べ終わったときには「これで十分」というサインがくる。しかも,スッキリ感がさわやかだ。ただし,すぐに空腹感がやってくる。そこで,間食を少しだけつまみ食いをする。いま,一番気に入っているのが,赤ちゃんの離乳食用のビスケット(できるだけ,プレーンなものがよい),あるいは,むかしからある「乾パン」。こちらは山を歩いていたころ,いつも,ポケットにしのばせておいて,空腹を感じたら食べることにしていた。胃袋さんの負担にならずに,空腹感をごまかすことができる。

 いま,一番いけない,つまり,胃袋さんが喜ばない間食は油系のもの。こちらは見た目には食べたがる。味覚的にも悪くない。しかし,胃袋さんは喜ばない。しかも,食べすぎると気持が悪くり,すぐに下痢をしてしまう。それはみごとなほどだ。

 ことほどさように,いまは,胃袋さんのいうなり。

 夕食もごはんと梅干しと豆腐の味噌汁が一番。おかずは,野菜なり,肉なり,魚なり,ともかく現物を自分で調理したもの。加工食品は駄目。これもみごとなものだ。たぶん,加工食品のなかに含まれている化学添加物が駄目らしい。

 からだは嘘をつかない。

2015年3月1日日曜日

もうすぐ春(ハール)ですねぇ。キャンディーズの歌が懐かしい。

 あのころはよかった。なにせ,戦争をしない国をめざしてみんな一致団結していたから。どんなことがあっても戦争だけはしない,と。みんなこころに決めていた。それが当たり前だった。当時は,自民党ハト派も健在だった。

 厳しい冬をやりすごせば,必ず暖かい春はやってくる,とみんな信じていた。そんな気持を代弁するかのようにキャンディーズが,明るく,爽やかに,声を合わせて元気よく歌っていた。子どもに人気があった。この歌を聞きながら,大人もなんとなくほっとしたものだ。みんな希望に燃えていた。元気だった。朗らかだった。笑顔だった。

 それが,どうだ。街中から笑顔がどんどん消えていく。冬の寒さとあいまって,こころなしか,みんな背中を丸めて俯いて歩いている。歩く姿に元気がみられない。スピードもどことなく遅い。足どりが重い。それ以上に気持が重い。

 ニュースも暗く憂鬱になるものばかり。
 ・中一の,離島から川崎にやってきた,バスケットボール好きの,明るい少年が,こともあろうに多摩川の河原で殺されるなんて・・・・。
 ・違法政治献金は「知らなかった」のであれば違法ではないと総理大臣が「居直り」。それを弾劾するジャーナリズムも政治家もいないなんて・・・。
 ・一年も前から高濃度の汚染雨水が垂れ流しになっているのを承知していて隠しつづけていた東京電力。しかも,公表する必要はなかったとおもっていた,だなんて・・・。
 ・沖縄県民の民意にはいっさい耳を傾けようともしない政府自民党。自由民主党という名が廃る。民主主義を頭から否定する政治を臆面もなくやってのける。独裁体制の確立。
 ・目に余る国家権力という名の「暴力」の横行。みんな「みてみぬふり」「だんまり」を決め込むしかないかのように・・・・。
 ・原発再稼働にむけてまっしぐら。だれも止めようともしない,この異常さ。反対運動はいっさい無視(メディアも)。

 もう,これ以上,あげつらうのは止めにしよう。悲しくなるだけだから。

 こうした人間のあざとさをあざ笑うかのように,自然界は自然の摂理を粛々とすすめている。

 久しぶりに浴びる日差しが暖かい。太陽に,いつのまにか勢いがでている,と気づく。
 思わず口をついて出てくる歌。「もうすぐ春(ハール)ですねぇ」(ピンク・レディー)。

 鷺沼の事務所に向かう道路の,いつもの植木屋さんの屋敷の植物がいつのまにか色づいている。しばし,足を止めてカメラを向ける。

 
緋寒桜のつぼみが赤みを帯びて大きくなっている。開花が近い。

 
河津桜がちらほらと咲いている。このくらいのときの方が控えめの春を強く感じさせる。わたしの好きなさくら。

 
ひいらぎの花も開花。これから,どんどん開花していく。毎日が楽しみ。


 レモンの黄色い実が濃緑の葉に映えている。綺麗だ。

 
木蓮(白)のつぼみもふくらみはじめている。これも,もうすぐ開花だ。

 
しだれ桜はもう満開だ。この種類はなんというのだろう。こんど植木屋さんに逢ったら聞いてみよう。とても,気さくに教えてくれる。すっかり顔なじみ。昔気質の心地よい会話が楽しめる。このごろあまり姿をみかけないが,元気なんだろうなぁ,とちょっぴり心配。

 カレンダーをみてびっくり。もう,3月1日(日)なんだ。

※朝早く,お二人の方から「ピンク・レディー」ではなく,「キャンディーズ」だ,とご指摘をいただきました。最初のお一人からのご指摘のときは,「エエッ?まさか?」と半信半疑でした。が,すぐにお二人眼からのご指摘があり,これはもう「白旗」を挙げるしかない,と覚悟。急いで訂正をさせていただきました。ああ,もう,その区別すらできなくなっている・・・・と情けなくなっています。ショボン。