2015年11月30日月曜日

「非暴力の牙」(クルギ)。ヒップホップで政権を倒す。「まつりごと」(祝祭・政治)の原点に立つ。

 アフリカ・セネガルのヒップホップ集団≪クルギ≫のライブ&国際シンポジウム「非暴力の牙」(11月23日・於東京外国語大学)に参加して,一皮剥ける経験をしました。

 
簡単に言ってしまえば,「ヒップホップ」は,いま流行りの単なる若者たちの文化であって,ラップをしたり,踊ったりするものだ,というわたしの浅はかな認識を根底からひっくり返される,そういう経験だった,ということです。少なくとも,この≪クルギ≫という集団は,そういうとてつもない破壊力をもったラッパーたちだったということです。

 もうひとこと付け加えておけば,かれらのヒップホップは,ときのセネガルの政権をひっくり返すだけの破壊力をもった,ひとつの思想・哲学の徹底した表現であった,ということです。そして,いまは,ヒップホップの「力」を借りて,「社会変革」や「市民による表現と政治」にコミットし,さらには,「経済成長の破局と生者の主権復活」をめざしつつ,世界平和に向けて大きなうねりをつくり出そうとしています。そして,それは着実に成功しつつあります。

 そのことの実態の一部が,23日のライブと国際シンポジウムをとおして,明らかになってきました。わたしはその場に立ち合えたことをとても幸せにおもいました。

 
ひとことで言ってしまえば,ヒップホップは広い意味での「芸能」であり,芸能とは「まつりごと」(祝祭と政治)の根幹をなすものだ,ということをいまさらのように再認識させられた,ということです。つまり,もう一度,「まつりごと」(「政」と「祭」)の原点に立ち返って,世の中の諸矛盾を洗い出してみる必要がある,ということです。ラップは,そのもっとも直截的な方法であり,親しみやすい身近な文化なのだ,と恥ずかしながら知りました。

 その意味で,東京外大での「国際シンポジウム」は衝撃的でした。
 話題の引きだし役に徹した西谷修さんの,ツボをはずさない,みごとなまでの誘導と,広く深い見識にもとづくコメントが光っていました。もちろん,冒頭で,この国際シンポジウム設定の趣旨を話された真島一郎さんの,コンパクトながらもセネガルという国の歴史とクルギの誕生と活動の背景についてのお話が,これまた鮮明な印象を与えるものでした。そして,総合的な司会・進行役を勤められた中山智香子さん。この3人の息の合ったチームワークがみごとでした。

 
シンポジウムでは,リーダーのチャットがひとりで問いかけに応答していましたが,その主な発言の要点は以下のとおりです。

 〇ヒップホップは,政治家のいうむつかしいことばを日常の生活用語に置き換えて,自分たちの日常語で異議申し立てをするものだ。
 〇抽象的なことばでやりとりをしていても,民衆の間に,自分たちの主張は理解され,広まってはいかない。
 〇歌とリズムは,自分たちの思いのたけを,からだをとおして伝えることのできる最大の<武器>である。
 〇わたしたちの最大のコンセプトは「非暴力」ということだ。これは最初から貫いている。
 〇なぜなら,「暴力」による和解はありえないということを経験的に知っているからだ。
 〇「暴力」は,あらたな「暴力」を生み,連鎖反応を起こすだけだ。
 〇空爆もミサイルも平和実現のための武器にはならない。
 〇「非暴力」こそが最大の武器だ。
 〇人のこころを開く,人のこころに響くことばを伝える,人を動かすリズムを刻む・・・それがヒップホップだ。
 〇ヒップホップこそが,わたしたちの武器なのだ。


相方のクーリファのひとことも印象に残りました。
 二人は幼なじみで,子どものころから仲良しだったと聞いていますが,そもそも二人でヒップホップ集団を結成しようとした動機はなにですか,という問いにたいして,つぎのように答えていました。

 わたしたちの家は100mも離れてはいません。チャットの母とわたしの母は同時に「身ごもり」ました。母親同士は毎日のようにおしゃべりをしていました。だから,わたしたちは母親のお腹のなかに,いながらにしておしゃべりに参加していました。ということは,生まれる前から二人はセットだったのです。

 この話は,緊張した話題がつづいていただけに,会場に笑いを呼び,なごやかな雰囲気を醸し出す上で大きな役割をはたしました。どうも,この二人は,チャットがまじめで直球勝負するのに対して,クーリファは,ちょっぴりひょうきんで,意表をつく発言をして,その場をなごませる役割をはたす,そんな関係にあるようです。

 チャットは酒を飲みません。理由は,酔っぱらいが嫌いだから。このあたりにもチャットの性格を読み解く鍵があるようです。

 
シンポジウムのあとでしみじみおもったことがあります。
 それは,「根をもつ」ということ。大地に足が触れているということ。生きる場を確保すること。ここに「生者の主権」があるのであって,「経済成長の破局」はその生者の主権を「根こそぎ」奪い取ってしまうことなのだ,と。「難民」とは,「生きる根」を奪われた人びとのことだ。

 なにか大きな課題をおみやげに頂戴した,そんなシンポジウムでした。

2015年11月29日日曜日

伏魔殿・日本相撲協会の「浄化」は可能か。八角親方に期待。

 北の湖理事長が急逝した。九州場所の13日目。11月20日。62歳。直腸癌が全身に転移し,多臓器不全。胴長短足のアンコ型の,重心の低い力士で,スピードもあって,強かった。勝っても負けても鬼のような顔は変わらず,「憎らしいほど強い」と話題になった。みていて,どうして勝てるのかわからないような勝ち方も多く,不思議な力士だった。どうやら,重心の低さが最大の武器だったのだろう。

 没後のメディアの評価は生前と比べて総じて高い。まあ,お悔やみ代といったところか。しかし,実際のところはどうなのだろうか,とわたしには疑念が残る。一段落したところで,これからいろいろの論評がでてくるとおもわれる。まずは,その行方を楽しみにしたいとおもう。

 やや性急かもしれないが,現段階で,わたしの感想を言っておけば,以下のとおりである。
 表と裏を使い分けて協会運営を切り盛りした,という印象が強く,けしていい評価は与えられない。なぜなら,伏魔殿と言われる日本相撲協会をますます伏魔殿にしてしまい,見えない陰の力をはびこらせてしまったのではないか,と訝られるからだ。

 その最たるものは,協会の理事選挙。年が明けた1月には,次期理事の選挙が行われる。もう,すでに,激烈な票のぶんどり合戦がはじまっているという。北の湖理事長の没後,すぐに,その動きがはじまったという。先頭を走っているのが九重親方。前回の理事選挙で,九重親方は,こともあろうに落選している。当選確実とみられていたのに,蓋を開けてみたら,身内の票が削り取られて,当て馬候補に流れていた。それを画策した人物がいたのだ。

 その人物こそ,裏金・顧問と呼ばれる陰の実力者で,しかも,北の湖理事長の「右腕」として辣腕をふるっていた,という。しかし,理事長亡きあとの裏金・顧問はどのように動くのか。こちらも,すでに,動きはじめているという。

 なにせ,伏魔殿の中でのことゆえ,漏れ伝わってくる情報もあまり当てにはならない。しかし,火のないところに煙は立たないともいう。なにがしかの事実がその裏には隠されていると言っていいだろう。そこからの推測によれば,以下のようになるようだ。

 九重親方理事落選の裏舞台はこういうことだ,という。裏金・顧問が日本相撲協会とパチンコ・メーカーとの契約を結び(全力士の肖像権契約。しかも,これは理事会の議決を経ていなかったという),そのとき「裏金・500万円」が二度にわたって手わたされた。その現場を撮影した動画がネット上に流れた。これは事実。このことを知った九重親方は北の湖理事長に,大急ぎで知らせ,善後策をとるべきだ,と迫った。つまり,裏金・顧問はもとより,理事長としてもなにがしかの責任をとるべきだ,と。しかし,どこでどうなったかは不明だが,結果的には,この動画を撮ってネット上に流したのは九重親方に違いない,ということになり,理事長側は顧問も含めて結束を固めた。そうして,九重親方を理事から追い落とす作戦にでた。そして,それがまんまと成功した,というわけだ。

 もし,九重親方に作為がなかったとすれば,これは怨み骨髄ということになる。だから,こんどの理事選挙こそ正当に勝ち取って(票は十分にある),この裏金・顧問の追い落としにかかる,そのための万全の体勢を整えつつある,という。そんなことになっては一大事の裏金・顧問は,すでに数年前から貴乃花親方にすり寄り,再度,九重親方落選に向けて根回しをはじめた,というのである。

 となると,こんどは貴乃花親方の力量が,ここで問われることになる。貴乃花親方が理事長をめざしていることは間違いないが,このタイミングで立候補するかどうか,問題だ。なぜなら,時期尚早というのが,一般的な見方だから。

 もう一つ,超えなければならないハードルがある。いま,北の湖理事長急逝にともない,急遽,理事長代行をつとめることになった八角親方(事業部長・協会のナンバー2)の評判がことのほかいいからだ。バランス感覚に優れ,協会全体のあり方を視野に入れ,是々非々の立場を貫いているという。そして,マスコミの受けもいい,という。もっとも貴乃花親方を支持する若手の親方も少なくないと聞いている。が,現段階での,八角親方に勝てるだけの数にはまだ足りないだろう,という。だとすれば,八角親方のあとを狙うのが順当なところだ。

 しかし,八角親方は,急場のこととて,理事長代行は引き受けたものの,かれ自身はこの段階で理事長になろうという野望はいだいていない,とわたしは推測している。なぜなら,八角親方(元・北勝海)は九重親方(元・千代の富士)の弟弟子に当たるから,兄弟子を差し置いて・・・とは,かれの性格からして許さないだろうとおもう。だとすると,どうなるのか。

 そこを狙って貴乃花親方を担ぎだそうというのが,裏金・顧問だ。いずれにしても,九重親方が理事に復活すれば,情勢は一気に変わってくるだろう。なんと言っても協会を背負うに十分な名横綱としての実績がある。その九重親方の存在を,八角親方が無視するとは,とても考えられない。

 いずれにしても,裏金・顧問が,これからも暗躍するような協会であってはならない。そのための「浄化」は不可欠だ。とはいえ,伏魔殿のこと,なにが起こることやら,だれも見通せないのがミソだ。でも,こういう情況だからこそ,八角親方が大勢の親方衆に押されて,理事長に就任し,協会「浄化」のために尽力してほしい,というのが正論だ。

 あの,立ち合いから迷わず相手の胸に頭からぶち当たって一直線に押し出す,北勝海の相撲のように。その意味で,八角親方には大いに期待したい。

2015年11月28日土曜日

前倒しTPP対策は,剥き出しの選挙運動そのもの。

 TPP問題に関して,政府はめちゃくちゃなことを始めている。しかも,よくよく考えてみると,みごとなまでの計算・打算がそこには働いている。恐るべし,アベ政権。こんなことまでやるのかと,もはやことばを失ってしまう。しかも,そのシナリオを新聞・テレビなどの大手メディアはみてみぬふりをしている。一蓮托生,日本丸沈没に向かってまっしぐら・・・・。

 いまの,わたしの眼にはそのようにみえて仕方がないのだが・・・・。
 その理由について,述べておこう。

 
11月26日(木)の東京新聞は,上の写真のような記事をかかげている。

 まずは,この記事のツカミの部分を引用しておこう。

 政府は25日,環太平洋連携協定(TPP)への対策をまとめ,「総合的なTPP 関連政策大綱」として発表した。中小企業の製品や農産品の輸出支援と,安価な農産品の流入で打撃が予想される農業関係者への影響緩和策が柱。農業の収益力を高めるための対策など,政府が対応を急ぐ政策は,年末に編成する2015年度補正予算案や16年度当初予算案に盛り込む。さらに対策を検討し,来年秋をめどに追加する。

 すでに,民主党からは「影響の試算もないのに補正予算を視野に入れた対策をまとめるのは(来夏の参院選に向けた)自民党の選挙対策だ」という批判が出ており,国会審議での対立は必至だ,と東京新聞は報じている。

 そのとおりで,政府自民党は,TPPを旗印にかかげ,さっさと選挙運動を始めている,としか思えない。それも,すべて「空手形」を切っているだけの,「みせかけ」であり,税金を使っての「金のばらまき」(買収=選挙違反)に一意専心しているだけの話だから,あきれてしまう。わたしがこのように考える根拠をいくつか挙げておこう。

 ひとつには,もし仮に,TPPの条約が締結されるとしても,まだ2,3年先のことになること。大筋合意と言っているのは日本だけ。まだまだ,これから詰めなくてはならない大問題が,どの国にも山積している。だから,大筋合意どころの話ではないのだ。それらが,かりにまとまったとしても,各国の議会の承認を得なくてはならない。とりわけ,アメリカの次期大統領候補は,いずれの党も「TPP反対」の意思を表明している。ほかの国も最終的には降りればいいと考えているところも少なくない,という。日本は,「アメリカ様」次第で,どちらにも転ぶ。つまり,TPPが成立するかどうかも,まったく定かではなく,むしろ,怪しいということだ。わたしの個人的な推測では,最終的に空中分解する,とおもっている。政府自民党もどちらでもいい,と考えているに違いない。だって,「アメリカ様」次第なのだから。

 ふたつには,TPP条約が成立する前に,国家が税金を用いてTPP対策を講ずることは禁止されているということ。もし,それをやった場合,外国企業の不利益が生じた場合には,あとで罰金を払わなくてはならないという「ISDS」条項があること。このことを政府自民党は百も承知の上で,完全に無視している。そして,さっさと予算化して,中小企業や農業への支援を現実化しようというのだ。要するに,来夏の参院選の票集めのための金のばらまき(買収行為)だ。要するに,選挙に勝ってしまえば,あとはTPPがどうなろうと構わない,というのが政府自民党のスタンスだ。

 
こんな「ISDS」条項を無視するようなことを,政府自民党が平気でやってしまう背景には,どうせ,TPPはつぶれる,という見通しに立っているからだとしか言いようがない。そして,選挙に勝つためには手段を選ばず・・・ということだ。議席だけ確保してしまえば,あとはこちらのもの,という発想だ。その点,TPPは,利用するにはまことに都合のいいツールなのだ。どうせ,つぶれてしまうのだから・・・・。

 
みっつには,臨時国会をスルーした最大の理由は,このTPP政策大綱をつくり,国会承認をとりつけるための準備をするためだったということ。憲法を無視してまでも,臨時国会の開催をスルーしたのはこのためだった。たとえ,このTPP政策大綱が,「焼き直し」や根拠を欠く目標であろうが,とにかく提示して,予算化してしまえばそれでいいのだ。国会での答弁は,戦争法案(安保法制)のときと同じように,同じことを何回も何回も繰り返し答弁して,時間を稼ぎながらごまかしてしまえばいい,と学習済みである。またもや,空疎な国会論議がはじまる。それでも,数の論理で押し切ってしまおう,というのだ。

 というような具合で,まだまだ,問題点を挙げていけばきりがないほどだ。

 要するに,過去の自民党政権が慎重に構えてきた危ない橋を,憲法を無視してまでも平気で渡ってしまおう,という戦後日本の最悪の政治が,またまた,アベ政権によって展開されようとしているのだ。このことをしっかりと胸に刻んで,これからの推移を見届けていくことが肝要だ。まあ,つぎからつぎへと,国民に「猫騙し」をかけて,一気呵成に押し切ってしまおうというのだ。自民党内部にも,相当に,反対論があると聞く。しかし,公言できないのは,小選挙区制での党公認を確保するためだという。小選挙区制が,ファシズムを生みだすツールになるとは・・・・。たかが制度,されで制度。制度,恐るべし。

 もはや,歯止めの効かなくなってしまった日本丸狂想曲はどこまで鳴り響いていこうとしているのだろうか。このまま放置しておくことは,われわれ国民の怠慢だ。立て,そして,声をあげよ。

 自由と民主主義を守るために。それは「今だ!」。

2015年11月27日金曜日

一票の格差・違憲状態判決。「合憲」とした裁判官2名=桜井龍子と池上政幸の名前を覚えておこう。



ご覧のとおり,11月26日(木)の東京新聞一面トップの記事です。「一票の格差」をめぐる最高裁の判決です。もう聞き飽きてしまうほど「違憲状態」という言葉が耳に残っています。そして,またもや「違憲状態」。最高裁判決としては連続して3回目となります。もう,いい加減にしてくれ,というのがわたしの本音です。

 この記事のツカミの部分は新聞から借用することにします。

 「一票の格差」が最大2・13倍だった昨年12月の衆院選は有権者の一票の価値が不平等で違憲だとして,二つの弁護士グループが選挙無効(やり直し)を求めた計17件の訴訟の上告審判決で,最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は25日,「違憲状態」との判断を示した。選挙無効の請求は退けた。最高裁が衆院選を違憲状態と判断したのは,最大格差2・30倍だった2009年衆院選以降,3回連続。」

 きめのこまかな議論はここではできませんが,とりあえず,わたしが重視したい点だけをとりあげておきたいとおもいます。

 もっとも大きなポイントは,「2・13倍」の一票の格差を「合憲」だと判断した裁判官が2人もいた,という事実です。これまでの最高裁判決では「合憲」とした人はひとりもいませんでした。が,今回は「2人」もいた,ということはわたしには衝撃でした。「どうして?・・・・・」と。

 今回の最高裁で判断を下した裁判官は14人。その内,出身別にみてみますと,裁判官が6人,弁護士が4人,検察官が2人,そして,行政官と学者が各1人,の計14名。この中で「合憲」と判断した裁判官は,桜井龍子(行政官)と池上政幸(検察官)の2名。どうして,2倍以上もの格差がある選挙制度を「合憲」とするのか,その根拠がわかりません。

 同じひとりの人間を,一方は一人前とみなし,他方は半人前以下としかみなさない,こんな不合理が世の中で認められる道理はありません。これは,まぎれもなき「人権」の問題です。厳密に言えば「基本的人権」の侵害です。それを国家が国民に対して強要しているのですから,話になりません。

 それと対極にあるのが,「違憲」という判断をくだした3人の裁判官です。もっとも良心的で,常識に基づく判断だ,とわたしは受け止めています。こういう裁判官がもっと増えてきて,「違憲判決」を出すくらいにならないと,日本という国家はなし崩し的に沈没していってしまいます。少々,荒療治でもいい,選挙の無効を宣言し,選挙のやり直しを命ずるくらいの判決がほしいものです。

 
その点,「違憲状態」と判断した残りの9名の裁判官は「日和見主義者」としかいいようがありません。一見したところ,いかにも良識的であるかのようにみえますが,じつは,責任をとらない「無責任主義者」でしかありません。ここに,いまの日本国家に蔓延している病弊の根源がある,とわたしは考えています。司法がこんなことでは,どうにもなりません。やはり,厳正な法律のもとで,「是々非々」の立場を貫いてほしいものです。

 こんなことでは,政治家の思うつぼです。そして,国会の彌縫策がいつまでもつづく,国民を馬鹿にした政治を,司法が「公認」しているようなものです。この「悪」のスパイラルを断ち切ることこそ,最高裁判所の最大の義務ではないのか,と腹立たしくなってきます。これでは,せっかくの「三権分立」の制度が泣いています。

 こうなったら,もはや,国民が声を挙げる以外にはありません。どこも頼りにはなりません。「駄目」なものは「ダメ」と国民の側からはっきり主張しなくてはなりません。そして,選挙で,その意思を明確に反映させることです。政治家の意識を変革させるには,この手しかありません。

 憲法を勝手に解釈して,政治を行おうという政権がのさばっているのですから・・・・。この政権に天誅をくだす決意が国民には必要です。

 少なくとも「合憲」と判断した二人の裁判官には,つぎの選挙で,しっかりと「×」をつけることを忘れないようにしましょう。

2015年11月26日木曜日

「ふくらはぎは第二の心臓です」・李自力老師語録・その65。

 一般に,加齢とともに膝がしっかりと伸びなくなり,曲がったままの状態になっていく傾向があります。膝が曲がったままですと,功夫(ゴンブ)の姿勢のとき,後ろになった脚の膝が曲がってしまいます。すると,どうしても功夫の姿勢が不自然になってしまいます。つまり,安定した力強さが保てなくなってしまいます。ですから,準備運動で,しっかりと膝を伸ばす運動を多く取り入れることが重要ですよ,と李自力老師は強調されます。

 そう仰った上で,膝を伸ばすためのいろいろの方法を教えてくださいました。なかでも,ご自分が子どものころに,10㎏もの錘を使って,20分も30分も我慢して,膝をしっかり伸ばす運動をした経験談が印象的でした。膝がまっすぐに伸びるだけではなく,膝が内側に入り,脚が逆反りになるまでやった,というのですから大変なことです。まあ,李老師の場合には,プロになるための厳しい訓練をいくつも経て,こんにちにいたっているわけですので,身につまされました。

 そんなお話はともかくとして,高齢になってからでも,少しずつ膝を伸ばす運動をやれば,少なくともまっすぐに伸ばすことはできるようになるから,努力しなさい,というご指導が今日の稽古でありました。

 そして,脚は歩行運動の根幹を司っているわけですので,もっとも大事にしなくてはなりません,と。膝が曲がってしまうと,いわゆるお年寄りの歩き方になってしまうので,注意しましょう,と。

 そうして,李老師は以下のような興味深いお話をしてくださいました。要約しておきますと以下のとおりです。

 膝が曲がる原因は,ふくらはぎにあります。ふくらはぎが萎縮してしまい,十分に伸びなくなってしまうからです。ですから,ふくらはぎをしっかり伸ばすことが大事です。そのためには,ふくらはぎに十分な血液が流れるようにしなくてはなりません。そうしないと,痙攣が起きたり,足首からさきの土踏まずや指先にも痙攣が起きて,歩行が困難になってしまいます。その意味で,ふくらはぎは第二の心臓である,と中国では言われています。心臓が十分に働かなくなるということは,命にもかかわってきます。そのつもりで,しっかりとふくらはぎを伸ばす運動をやってください。

 胸にあるほんものの心臓と,ふくらはぎの第二の心臓とが協力することによって,よい姿勢の歩行運動が可能となる,というわけです。太極拳の基本は,歩行運動です。この歩行運動を支えているのはふくらはぎです。ですから,ふくらはぎを,柔らかくて,しなやかによく伸びる状態にしておくことが肝要だ,というわけです。

 なるほどと納得です。最初に「ふくらはぎは第二の心臓です」と聞いたときには,なんのことだろうかと訝りました。が,縷々,説明をお聞きしているうちに,なるほど,と納得しました。

 これからの稽古のときには,あるいは,それ以外のときにも,ふくらはぎを柔らかくする運動を工夫しながら加えていきたいと胸に刻みました。 

2015年11月25日水曜日

大相撲13日目。明暗を分けた日馬富士と白鵬の天下分け目の大一番。

 日馬富士の全身に気魄が漲り,立つ気満々で左手を下ろそうとして待っているのに,白鵬の手が下りない。戦略として,意図的に下ろさないのではない。気魄に圧倒されて,下ろせないのだ。この時点ですでに勝負はついていた。日馬富士は二度,立とうとした。が,白鵬は立てない。じれた日馬富士が右手で「待った」の合図をした。審判長から注意があったのか,日馬富士はそちらに向かって軽く会釈をした。だとしたら,それは間違いだ。審判長が注意すべきは白鵬の方だ。そして,白鵬が謝るべき場面だ。でも,このあたりは微妙だった。なぜなら,このときの審判長は伊勢ヶ浜親方だ。すなわち,日馬富士の親方だ。だから,分かっていたが,日馬富士の方に注意をした。これがまた,白鵬にはプレッシャーになったかもしれない。

 こんなこともあってか,二度目の立ち合いはお互いに呼吸を合わせてきれいに立った。日馬富士は鋭く立って,すぐに左に変わり得意の左上手をとりにでる。白鵬は前に泳いだが踏みとどまる。が,日馬富士に左から出し投げを打たれて体勢を崩す。向き直ったところに日馬富士が頭から真っ正面の白鵬の胸に向かって突っ込んでいく。白鵬は腰砕けの状態で仰向けに倒れた。決まり手は「押し倒し」。白鵬はなすすべもなく負けた。日馬富士の一方的な相撲だった。

 全勝できていた白鵬を一敗で追っていた日馬富士がみずからの力で待ったをかけた。これで一敗で横に並んだ。これで日馬富士にはますます気魄が漲ってくるだろうし,白鵬も負けじとばかりに頑張るだろう,とおもわれた。しかし,白鵬は14日目の照の富士戦で全力を使い果たして負けてしまった。右膝の悪い照の富士がよく頑張ったというべきだろう。照の富士は,もう,こうなったら気力だけで相撲をとっている。部屋の横綱・日馬富士が右肘の怪我で二場所休場しての再起の場所だ。休場している間,横綱がどれほど苦しみ,努力をつづけてきたか,照の富士はそばでみていたはずだ。

 しかも,稽古をしなければ強くはならないと照の富士に活を入れたのも日馬富士だ。そこで目覚めた照の富士は,猛然と稽古をはじめた。そして,あっという間に逸の城を追い越し,主役の座を奪い,大関にまで昇進した。さあ,これからだ,というときに右膝を痛めてしまった。今場所は手負いの場所だった。勝ち星もあがってはいない。しかし,白鵬にだけはどうしても勝ちたかった。そして,兄弟子の日馬富士の援護をしたかった。その気持ちが土俵に現れていた。そして,長い相撲を我慢し,疲労困憊の末に勝ち星をもぎとった。この勝ち星は大きい。こんごを占う上でも大きい。貴重な一勝を手にした。

 これで,14日目にして日馬富士が一敗で単独トップに立った。そして,千秋楽。日馬富士はこのところ圧倒的に有利な相撲を展開している稀勢の里が相手。勝てば,優勝決定。白鵬は鶴竜が相手。こちらも白鵬が得意としている。だから,日馬富士としては,みずからの勝利で優勝を手に入れること,そこに専念したはずだ。

 ところが「好事魔多し」という。なぜか,日馬富士の仕切り直しに迫力がない。勝てるという気持ちがどこかにあったか。淡々と仕切っている。それに引き換え,稀勢の里の目に力が漲っている。いつもよりも大きく目を見開き,相手をしっかりと見据えている。おやっ?と悪い予感が走る。案の定,日馬富士の立ち合いにいつもの鋭さがない。先手をとるための攻撃もない。だから,あっという間に稀勢の里の得意の左が入ってしまう。右肘の悪い日馬富士にとっては最悪の組み手。これでは勝負にならない。あっさり土俵を割ってしまった。

 これで,白鵬の逆転優勝の目がでてきた。いつものように鶴竜を裁いて,優勝決定戦に持ち込みたいところ。しかし,ここにも落とし穴が待っていた。鶴竜のいつもとは違う気魄に対して白鵬はいつもどおりの仕切り。この一番もまた,おやっ?という予感。いったい,どうしたのだろう,とテレビを見入る。ほとんど表情を変えない鶴竜だが,全身から発するオーラはいつもとは違う。案の定,こちらも鶴竜の一方的な相撲になってしまった。白鵬は,立ち合いから先手をとられ防戦一方,なすすべもなく負けてしまった。鶴竜の完勝である。これで,日馬富士の優勝が決まった。

 なんとも後味の悪い結末だった。もう少し,千秋楽らしい,すっきりとした面白いドラマが期待されていただけに残念だった。

 しかし,場所が終わってみると,今場所は13日目の日馬富士と白鵬の一番が強烈な印象となってのこっている。まさに,相撲の醍醐味が凝縮していたといっていいだろう。それも仕切り直しの間の両者の所作にすべてが表れていた。つまり,両者の気魄が仕切り直しのたびに,その差を広げていった。白鵬は仕切り直しのたびにそれを感じとっていたはずだ。だから,最後の仕切りでは「立てなかった」。

 これまでもそうだったが,日馬富士が絶好調のときには白鵬は一度も勝ったことがない。全部,日馬富士の相撲に翻弄され,必死で抵抗するのが精一杯だった。

 が,今場所の白鵬は,12日目に栃煌山を相手に「猫騙し」という奇襲戦法を用いた。その上,あっさり土俵を割った栃煌山の左胸を平手でポンと叩いた。あとで「愛の鞭」だと言ったそうだが,あれは余分だった。そういう所作が土俵上ででてしまうというところに,白鵬の勝負師としてのこころの隙を垣間見てしまった。この,わたしの見方は間違っているのだろうか。結果論とはいえ,それから三連敗。大横綱にしては解せない連敗記録だ。

 気力・体力ともに,いよいよ峠を越えたか,というのがわたしの正直な感想だ。来場所は,日馬富士の右肘はもっとよくなってくるだろう。照の富士の右膝もかなり回復してくるだろう。鶴竜も自信をつけ気持ちを引き締めてかかってくるだろう。となると,終盤の三日間に,この三人を倒すのは容易なことではない。もちろん,白鵬とて,こんなことでおめおめと引き下がるわけにはいかないだろう。もう一度,ギアを入れ直して,初場所に備えるに違いない。

 となると,初場所は,最後の三日間の星のつぶし合いで大いに盛り上がるのではないか。そこで,自分の相撲をとりきることができるのはだれなのか。心技体のバランスをうまく調整して,絶好調で初場所に臨むのはだれか。こうなってくると,初場所は,歴史に残る名勝負を期待できそうだ。勝っても負けても,感動を生みだす相撲を期待したい。大いに楽しみだ。

 来年は,日馬富士と照の富士が大活躍し,伊勢ヶ浜部屋時代の幕開けになるか,そんな期待も高まってきている。

2015年11月24日火曜日

ヒップホップ集団『クルギ』のチャットと握手してきました。人間として立派。

 世界的なヒップホップ集団「クルギ」が初来日。その初日の公演とシンポジウムが,昨日(11月23日),東京外大で行われました。ちょうど学園祭の最終日ということもあってか,大勢の人が集りました。野外ステージを目一杯動き回りながら,ラップを刻み,ときには笑わせ,ときには怒りの表現が迫力満点で繰り広げられ,会場は熱気につつまれました。

 リーダーのチャット(Thiat )が英語で語りかけていましたので,東京外大の学生さんたちはみごとに反応して,いい雰囲気が醸しだされました。立ち上がり,ちょっぴり不安そうでしたが,途中からは聴衆とも一体化し,後半からは乗りにのって,完全にかれらのペースとなりました。そのすさまじいまでのエネルギーがじかに伝わってくる迫力に圧倒されてしまいました。

 この公演は午後2時40分から行われましたが,そのあと,午後5時30分からかれらを囲むシンポジウムが開催されました。226教室(いつもシンポジウムを開催するときに用いられるかなり広い階段教室)は満席。しかも,すごい緊張感がみなぎっていて,遅れてきた人はドアを開けて,ちょっと覗いただけで,そのまま引き返すシーンも何回かありました。

 中山智香子さんの司会・進行ではじまりました。冒頭で,ヒップホップ集団を招聘する企画をリードした真島一郎さんが,この企画の趣旨について,そういうことだったのか,とこころから納得できるみごとなお話をなさいました。その要点だけを述べておきますと以下のとおりです。

 2011年3月11日(いわゆる「3・11」)の日本のできごとのあと,6月23日にセネガルの首都ダカールで「都市騒乱」(いわゆる「6・23ダカール騒動」)が起きました。この間,真島一郎さんはずっとセネガルに滞在していて,日本の情況・情報を海外から眺め,その一方でセネガルの「都市騒乱」を目の当たりにしていました。それは,ちょうど写し鏡のように両者がお互いを照らし合っているようにみえた,と真島さんは語ります。

 セネガルの鏡の中に日本がみえる。
 日本の鏡の中にセネガルがみえる。

 しかし,セネガルは「債務国」,日本は「ドナー国」。立場はま逆でありながら,両国ともに「非産油国」であること,「石油か核かの二者択一」という点では共通していて,そのもとでの経済発展をめざした両国は,その結果として人間の「命」の軽視へと歩を進め,ついに「破局」を迎えることになりました。

 しかも,両国の政権はともに憲法改正をかかげ,独裁体制を確立しようと試みました。が,セネガルでは,このヒップホップ集団「クルギ」が中心となって,ときの非民主主義的政権を,選挙によって倒し,新しい政権を誕生させました。それと同じような主張をもつ学生集団「SEALDs」が日本では誕生し,ことしの夏はその旋風が吹き荒れました。そして,いまも,全国にそのネットワークを広げ来年の参議院選挙に向けて活動をつづけています。

 この両者に共通しているコンセプトは「非暴力」です。この「非暴力」による民衆の「力」の喚起とはいかなるものなのか,「クルギ」の活動をとおしてその内実・実態を明らかにしたい,というのが今回のシンポジウムの趣旨です。というようなお話を真島さんがなさいました。もちろん,ことば足らずや余分なことも多少加えてありますが,それはわたしの責任です。お許しください。

 このあと,西谷修さんが代表質問をなさって,クルギのリーダー・チャットが応答するという展開でまことに充実した時間が流れました。なんといっても,質問者が西谷修さんである,ということがチャットの話を引き出す上できわめて効果的だった,とフロアーにいてそうおもいました。それは,じつに的確にツボを抑えた質問だったからです。しかも,ときには,みずからフランス語で語りかけて,質問の趣旨を補足説明したりしていましたので,チャットの応答もみごとにその「肝」に触れるものばかりでした。

 詳しいやりとりは割愛しますが,もっとも強烈に印象に残ったのは,チャットは「非暴力」というコンセプトについて,じつに深い思想・哲学的な思考を積み重ねてきている,ということでした。武器による「平和」はありえない,なぜならば・・・・という具合に,西谷さんとチャットの対話がみごとに展開していきました。これは,いま,凄い場面に立ち合っている,と鳥肌が立ちました。このシンポジウム(まだ,これを皮切りに仙台,沖縄とつづく)はいずれ,書籍となって刊行されることは間違いないとおもいますので,詳しいことはそちらに譲りたいとおもいます。

 
こうしたチャットと西谷さんとのキャッチボールのまにまに,西谷さんとチャットのこころが触れ合うような温かさも伝わってきて感動してしまいました。それは,ひとことで言ってしまえば「優しさ」でしょうか。人間としての,相手をいたわり会う「優しさ」「信頼」のようなものが,わたしにも熱く伝わってきました。これはすごいことだ,と感動しました。

 考えてみれば,中山智香子さんといい,真島一郎さんといい,そして,西谷修さんといい,もう全身全霊でヒップホップ集団「クルギ」を熱烈歓迎し,その優しさ・おもいやりのこころは,十二分に「クルギ」のメンバーたちには伝わっていたはずです。

 
そんな全体をつつみこむ「優しさ」の空気のようなものが,わたしのこころにも到達したのでしょう。すっかり感動してしまいました。その勢いをかって,シンポジウムが終わったあと,チャットに直撃。握手を求め,写真も一緒に撮らせてもらいました。もちろん,西谷さんに手助けしてもらってのことですが・・・。もっとも嬉しいことは,チャットと西谷さんとわたしのスリー・ショットが撮れたことです。この写真は大事にしたいとおもっています。

 
チャットには,下手な英語で,娘が沖縄で待っているからと伝えました。すると,話は聞いている,とても楽しみにしている,と返ってきました。このまま,沖縄まで追っかけをしたいところですが・・・・。そうもいきません。残念ながら・・・・。

 なお,このブログではいい足りないことが山ほどありますので,また,機会をみつけて書き足しをしてみたいとおもっています。乞う,ご期待。

2015年11月23日月曜日

重粒子線・陽子線治療(癌)という選択肢について。

 しばらく前のブログで,主治医から切除手術と抗ガン剤治療のふたつの治療法の提示があったことを書きました。すると,もう一つの選択肢があるが,そのことも検討してみてはどうか,という提案がありました。提案してくださったのは,むかしの教え子(ご主人がお医者さん)。

 選択肢は一つでも多い方がいい。そして,広い視野から検討した上で,最終的に自分の治療法を選択すべきだと考えましたので,早速,ご主人(N医師)に直接,お会いしてお話を伺うことにしました。場所は京都。これまでにも何回かお会いしたことがありますので,安心して,わたしのこれまでの経過と現状について,ありのままを報告させてもらいました。しっかりと耳を傾けてわたしの話を聞いた上で,あらかじめ用意してくださった印刷物を提示して,お話をしてくださいました。

 A4用紙に,「放射線治療」「重粒子線・陽子線治療」「ラジオ波治療」の3項目に分けて,それぞれの特徴,メリット,デメリットを,素人にもわかることばで解説がしてありました。いわゆる要点を整理したレジュメのようなものです。これを元にして,いろいろとお話をうかがうことができました。ありがたいことです。

 そこに書かれていたことの要点は,以下のとおりです。
 〔放射線治療〕・・・高エネルギーのX線をあてて,病変を治療。局所治療なので,全身への影響は少ない。が,一度照射した部位には再度(一定量以上)照射することはできない。治療法が確立されている。病変の種類により効果が違う。患部周辺に障害の可能性あり。被ばくあり。
 〔重粒子線・陽子線治療〕・・・炭素原子や陽子を使用し患部を照射する。放射線治療にくらべて副作用が一般に少ない。保険適用ではないので,かなりの高額の費用がかかる。治療施設が限定。被ばくあり。
 〔ラジオ波治療〕・・・AMラジオなどの周波数に近い周波数約450キロヘルツの高周波のことで,他の医療機器(電気メスなど)に使用される高周波と同じものを使用。身体に対するダメージが少ない。適用範囲が限定される。被ばくなし。

 これらの情報を元にいろいろのお話を聞かせていただきました。なるほど医療の最先端は日進月歩で,つぎつぎに新しい治療法が開発されているのだ,ということがよくわかりました。

 帰りの新幹線の中で,いろいろと思いをめぐらせながら,さて,どうしたものかと沈思黙考。問題は,わたしの癌がどういう性質のものであるのかを見極めることだ,という点に到達。が,こればかりは推測はできても断定はできない,そういう種類のものだ,ということも思考の中に入れて,さらにその先を考える以外にはありません。

 そのポイントは,これまでの経過をみるかぎりでは,初発が胃癌,転移が肝臓,そして,肝臓にもう一度,という具合に「一点」ものであるということです。つまり,転移が同時多発的に拡散するのではなく,一点ずつ発症しているということです。ということは,ダルマ叩きではないですが,一つ叩くと,つぎにまた別のところからダルマが顔を出す,というそういう種類のものらしいと考えることができそうです。

 だとしたら,一つずつ,しかるべき治療法を用いて対応していけばいいのか,あるいは,もう少し別の視点からの治療を考えた方がいいのか,判断がむつかしいところです。

 もう一点は,わたしの癌の場合は,どうやら速いスピードで病変する種類のものではなさそうだ,ということです。どうやら,ゆっくりとやってくる癌であるようにおもわれることです。だとしたら,のんびりとやってくる病変のスピードに合わせて付き合うという方法もありかな,と考えたりします。つまり,QOL(Quolity of Life )。

 まあ,いずれにしても,もう一つの選択肢が加わったことによって,わたしの思考の幅が広がりました。これらを含めて,もう,しばらく,じっくりと考えてみようとおもいます。

 N医師には,ご多忙のなか,わたしのために時間を割いてくださり,幾重にも感謝する以外にありません。ありがたいことです。少なくとも,精神的には,以前よりは安心して,冷静に考えることができるようになりました。これだけでもありがたいことでした。いずれまた,困ったときには相談に行きたくなるようなお人柄のN医師との距離が縮まったことがありがたいことです。

 こうして,多くの方々が心配してくださっていることを,なによりも感謝しなくてはいけないとみずからに言い聞かせている今日このごろです。これも「大きな流れ」のなかでのできごとと受け止め,おおらかな気持ちで,最終的な決断をしようとおもっています。

 とりあえず,直近のご報告まで。

2015年11月21日土曜日

末期癌を生きる。そのからだとこころ。

 2014年2月に初発の癌がみつかり(胃癌),切除手術。つづいて2015年7月に肝臓への転移がみつかり,切除手術。最初のときが,すでにステージ3のCという診断。転移した段階で,ステージ4に突入。すなわち,末期癌患者の宣告を受けました。短期間の間に二度もの大手術を受け,からだもこころもボロボロ。このダメージは筆舌に尽くしがたいものでした。

 いま,ようやく回復期に入って,さあ,これからという段階でまたまた肝臓の別のところに転移がみつかり(10月),さて,これをどうするかと思案中。主治医(外科)も,さすがに三度目の手術には慎重になり,いくつもの治療法の選択肢を提示してくれました。が,最後はご自分で決めてください,とのこと。

 それを受けて,いま,いろいろの人に相談したり,本を読みまくったり,と慌ただしい生活を送っています。この間にも,わたしのからだとこころは微妙に変化しています。揺れ動くからだとこころ,と言えばいいでしょうか。でも,その割には,自分で言うのも変ですが,意外に本人はケロリとしています。ここにきて,腹が決まりはじめているようです。

 基本的には,大きな流れに身を委ねる,という心境です。いまさら,じたばたしたところでどうなるわけでもありません。いま,肝臓の末端に転移した癌が,これからどのような動き方をするかはだれにもわからないのですから。ここはじっくりと自己と向き合い,そのからだとこころの声に耳を傾けながら,それなりの結論を導き出してみようとおもっています。

 まあ,それにしても1年5カ月の間に二度の手術を受けますと,人間,すっかり様変わりをしてしまうものです。いまや,まるで別人です。外見は,少し痩せたね,と言われる程度ですが,内面はまるで別世界を生きているというのが,わたしの正直な実感です。

 まずは,からだ。癌の宣告を受ける前までは,病気とはまるで縁のない,健康そのものの生活を送っていましたので,記憶に残るような病人のからだというものを経験したことがありませんでした。いまは,そのま逆のからだを生きているのですから,不思議な体験の連続です。たとえば,全身のいろいろの部位から日替わりメニューのように,いろいろのサインが送られてきます。それをどのように読解したらいいのかわかりません。仕方がないので,サインが出てくる元の原因を考え,それに対応するのが精一杯。

 いま,一番多いサインは,胃腸と背中。胃腸は食事をすると,必ず,なんらかのサインを発してきます。まずは,心地よいか,違和感があるか,を知らせてくれます。違和感がある場合には,その原因をあれこれ推測しながら考えます。そして,思い当たることがあればそれに対応して,つぎからはそうならないように気をつけるようにします。それらはじつに微妙なサインも含めると数えきれないほどです。背中にいたっては,まさに日替わりメニューのように痛む場所が転々と移動します。これはいったいなにごとだろうか,と最初は考えあぐねました。が,最近は,だいぶベテランになってきましたので,このサインはこれこれ,こんどのサインはこれだな,という具合にある程度は判断できるようになってきました。こうして毎日,四六時中,からだと会話を交わしていると言っても過言ではありません。

 つきは,こころ。癌については以前から関心がありましたので,かなりの本を読んでいました。たとえば,帯津良一さんの本はほとんど読んでいました。つづいて,近藤誠さんの本もセンセーショナルな内容でしたが,言っていることの根本はよくわかりました。ですから,最初の癌の宣告を受けたときには,手術を受けるべきかどうか相当に考えました。が,それほど動ずることはありませんでした。ただ,「来たか」という驚きはありました。もっとさきにあるとおもっていたものが,手のとどくところにきてしまったか,という一種の感慨のようなものでした。

 それからも癌の本は集中して,かなり読みました。しかし,癌というものの全体像はかなり明確になってきましたが,わたしの「こころ」の問題に応答してくれる本は,あってもほとんどピントがづれていて,役立たずでした。むしろ,いま,そうだったのか,と気づいて再読をはじめているのは『般若心経』であり,道元さんの『正法眼蔵』であり,『修証義』であり,はたまた西田幾多郎の本です。そこに,なんとフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェやマルチン・ハイデガーやジョルジュ・バタイユが加わり,一気にジャン=ピエール・デュピュイやジャン=ピエール・ルジャンドルへと連鎖してきています。そして,この人たちにはある共通点があることもわかってきました。ひとことで言ってしまえば,それは「ドグマ」。あるいは,「人間的生存の基底」。はたまた「演出」。つまりは,ルジャンドルの世界に回帰してくるというわけです。

 そして,つまるところ,こころの拠り所というものは自分で決めるしかない,ということ。それが正しいとか,間違っているとかは問題ではなく,いま,このとき,このところにおいて,わたしは「かく考え,そこに信をおく」ということ。すなわち,わたし自身がこころの底から納得するかどうか,ただそれだけ。古いことばを使えば,それは「信心」。いな,これこそが宗教の核心。「信ずる」ということが,どれほど大きな意味を持っているかということが,ようやくわかってきたようにおもいます。

 でも,まだまだ,どのように変化していくかはわかりません。道元さんのことばを借りれば「修証一等」です。つまり,死ぬまで悟りと修行の連続ですから。

 ここまで書いてきて,ふと,脳裏をよぎるのは,やはり『修証義』の第一節です。これもまた道元さんの名文の一つです。

 「生を明らめ,死を明らむるは仏家一大事の因縁なり,生死の中に仏あれば生死なし,但生死即ち涅槃と心得て,生死として厭うべきもなく,涅槃として欣うべきもなし,是時初めて生死を離るる分あり,唯一大事因縁と究尽すべし」。

 「生死を離るる分あり」ということばが,不思議な響きとともにこころにすとんと落ちてきます。よし,これで行こう,と。

2015年11月20日金曜日

『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から(落合博著)を読む。

 一度,取材を受けたあとお付き合いがはじまった毎日新聞・運動部記者・論説委員の落合博さんから近著が送られてきました。『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から(創文企画,2015年10月刊)。

 タイトルから推測できますように,落合さんが運動部記者として毎日新聞のコラム「発信箱」に書きつづけてきたエッセイ(2006年4月~2015年7月)を中心に,関連する文章を集めて一冊にまとめた本です。文字どおり「スポーツメディアの現場から」生まれた落合ワールドが満載です。ひとことで言ってしまえば,落合さんのスポーツ観がそのまま表出した,いかにも落合さんらしいスポーツ批評となっています。

 わたしのようなスポーツの現場とはやや距離をおきながら,一定の思想・哲学を背景にしてスポーツ文化論を展開してきた者にとっては,貴重な現場からの思考がみごとに結晶していて,とても勉強になりました。同時に,スポーツメディアの「力」の凄さをいまさらのように感じました。やはり,現場で取材を重ね,生の声を聞き取りながら思考を重ね,そこから生まれてくるひとつの到達点は,迫力満点です。

 もちろん,落合さんの博識に裏打ちされた達意の文章があってのものであることは間違いありません。じつに広い読書量が,抑制された短い文章のはしばしにちらりと表れ,それをテコにしてスポーツ文化の普遍に触手が伸びている,それが読んでいて心地よいかぎりです。加えて,落合さん自身がスポーツマンであること,そして,こよなくスポーツを愛していらっしゃる人であること,そういうスポーツに向き合う姿勢・愛情が文章に人としての温かさが注入されています。ですから,ついつい惹きつけられ,気がつくと心地よく落合ワールドにどっぷりとはまり込んでいます。

 のみならず,現代のスポーツ(ここでは広義のスポーツ,つまり,競技スポーツから学校スポーツ,趣味のスポーツにいたるまで,あらゆるスポーツ文化が対象)を考える上での貴重なヒントをいくつも提供してくれます。まさに,スポーツメディアの「力」だとおもいます。ですから,現場から遠いところにいる研究者はもとより,スポーツ学・体育学を学ぶ学生さんたちにも,是非,読んでもらいたい一冊だとおもいます。

 とりわけ,講義のネタの宝庫。講義の冒頭のまくらとして,問題の所在を明確にするには最適の教材になります。あるいは,大学院生を対象にしたゼミナールなどでのディスカッションのテーマを設定するには,こんなに面白いテクストはないでしょう。わたしが現役であったなら,この本一冊で,一年間,存分に授業を楽しむことになったでしょう。

 落合さんは,中学・高校とサッカーに熱中し,大学(東京外大)ではラグビーに身を投じています。おそらく足の早いスクラムハーフとして活躍されたのではないか,とこれはわたしの勝手な想像です。いずれにしても,熱血ラガーマンのイメージが彷彿としてきます。しかも,いまもランニングを日常的に楽しんでいらっしゃるとのこと,これにはこころから敬意を表したいとおもいます。こういう人こそが新聞のスポーツ記事を書くに値する人だとわたしは信じています。

 本書の内容について触れるだけのスペースが,残念ながらありませんので,ここでは本書の構成をとおしてみえてくる落合さんのスタンスを紹介するにとどめたいとおもいます。

 本書は8本の柱で編集されています。それは以下のとおりです。
 1.未来のために
 2.過酷な文化
 3.「主食」の悲劇
 4.仕組みを考える
 5.共に生きる
 6.疑義をはさむ
 7.変わるもの 変わらぬもの
 8.生きるということ

 以上が全8章の見出しです。これをじっと眺めているだけで,落合さんのスポーツに取り組むスタンスが透けてみえてきます。それは,どこまでも「人間中心」です。実際に現代社会を生きている人間(子どもも大人もふくめて)にとって「スポーツとはなにか」という根源的な問いが落合さんの思考の根っこにある,といっていいでしょう。そのことは読んでみれば,なおさら明白です。ですから,薄っぺらなスポーツ評論ではなく,魂の入ったスポーツ批評になっています。

 ほかのなによりも,この点を力説しておきたいとおもいます。

 各論に入りますと,これはもうエンドレスになってしまいます。わたしの考えとぴったり一致する点もあれば,微妙にスレ違っていく点も少なくありません。それは,たぶん,現場で磨き上げられたスタンスと,思想・哲学との接点を重視しながらスポーツ再考を試みるわたしのスタンスの違いであろうかとおもいます。ですから,一度,とことん深入りして議論をしてみたいなぁ,といまから楽しみにしているところです。

 鷺沼の事務所は,午後5時を過ぎると「延命庵」という居酒屋になりますので,ぜひ,そこで一献傾けながら語り合いたいとおもっています。落合さんの趣味の一つが「居酒屋探訪」ということですので,これは容易に成立することでしょう。

 落合さん,是非一度,お待ちしています。

「睨みすぎないように」。李自力老師語録・その64。

 久しぶりに劉志さんがわたしたちの稽古にきてくださいました。劉志さんは,李自力老師に子どものころから指導を受けた愛弟子のひとり。ずーっとこんにちまで李老師の背中を追って日本にまでやってきて,李老師と同じように博士論文を書きました。まあ,一心同体のような人。

 今日は一緒にやってくださるかな,と期待しましたが,じっと黙って座ったままでした。ので,こちらから,いろいろ問いかけることになりました。すると,いくつもの,いい応答をしてくださいました。そのうちの一部を以下に紹介しておきたいとおもいます。

 一つは,わたしの目の使い方について。全体的に「睨みすぎ」だ,と注意を受けました。気持ちが入っていることは悪いことではないけれども,あまりに「睨み」が強すぎるのはよくない,と。理由はふたつ。ひとつには,睨みが強すぎると,からだ全体にも力みがでてきてしまうこと。からだの力みを抜くためにも,睨まないようにこころがけた方がいい,とのことでした。ふたつには,太極拳は陰と陽のふたつの相反するものの和合が理想である,ということ。つまり,陰が強すぎてもいけない,逆に陽が目立ってもいけない,どちらの要素もほどほどに表出するように表演するのが理想である,と。

 別の言い方をすれば,睨んでいるようでいて睨んではいない,睨んでいないようでいて睨んでいるいる,ということです。つまり,中庸ということ。

 わたし自身は,目を剥いて睨んでいるという自覚はまったくありませんでしたので,いささか驚きました。そういえば,稽古をはじめたばかりのころに李老師から,目線は自然体で,と注意を受けた記憶があります。しかし,そのころは,まだ,その注意がなにを意味しているのか理解できませんでした。ですから,自然体,自然体,と自分に言い聞かせてきたつもりです。しかし,いつのまにか,かなりしっかりと睨んでいるようです。

 言われてみれば,なるほど,技が決まるときの姿勢になると,ぐっと目に気持ちが入っていくのが自覚できました。ああ,これか,とわかりました。でも,自分としては,そんなに睨んでいるとは夢にもおもっていませんでした。が,瞬間,瞬間には相当に睨んでいるなぁ,ということもわかってきました。でも,すでに習慣化していますので,これを修正するのはかなりむつかしいことだなぁ,とあらためて考えてしまいます。少しずつ,こころがけて直すようにしたいとおもいます。

 劉志さんの仰るには,目線は大事です,しかし,睨む必要はありません,と。むしろ,不要です,と。なぜなら,太極拳は武術ですから,それとなく自分の身のまわりに満遍なく注意を払うことが重要です。一点に注意が集中することは,かえって,それ以外のところに注意がまわらなくなってしまいます。つまり,相手に隙を与えることになってしまいます。

 ですから,睨むのではなくて,それとなく意識をそこに向けるだけでいい,というのです。意識をそこに向けつつ,同時に,ほかのところにも意識を向けていくことが肝要だ,というわけです。

 そして,陰陽の教えは,このことをも意味しているのだ,というわけです。太極拳の技が決まるときのポーズは明らかに相手を意識しています。が,同時に,その決まりのポーズに入るときにも,それ以外のまわりの状態に意識をめぐらすことが大事です。言ってしまえば,一点と全体,この両者を同時に満たすこと,意識をそのように向けていくこと,これが「集中」ということの内実なのだ,ということになりそうです。

 この点については,もう少し稽古を重ねて,自分でもある程度わかってきてから,李老師に問い糺してみたいとおもいます。

 劉志さんは,準備運動についてもいくつか重要な指摘をしてくださいました。それは,たとえば,わたしの足首の固さを補正しつつ,股関節を柔らかくするための運動です。わたしは,両足を揃えたまま膝を曲げ,お尻を下ろしていくと,うしろに倒れてしまいます。ですから,両足を肩幅ほど開いて膝を曲げ,お尻を下ろしていけば,かなり下まで下ろすことができます。が,そのことを劉志さんに聞いてみました。

 すると,劉志さんは,肩幅よりも少しだけ広めに両足を開いて立ち,しゃがみ込みながら,両手でなにかにつかまっていると,楽に,力が抜けた状態で,しかも,深く股関節を緩めることができる,と言って示範してくださいました。早速,やってみますと,なるほど,股関節の力みが抜けた状態で,さらに深く股関節の限界まで動かすことができる,とわかりました。これは,とても重要なひとつの収穫でした。

 この他にも,ちょっとした工夫で,肩関節の固さを補正する運動もいろいろあることを教えてくださいました。なるほど,いつもの決まった運動だけを繰り返すのではなくて,もっと自分に合った運動を,創意工夫すべきだ,ということを教えていただきました。

 こんなことは初歩の初歩なのに,準備運動も整理運動もいつのまにかマンネリ化してしまい,いつもの運動を繰り返しているだけになっていました。もっと,その日,その時のからだの状態を考えながら,自分に合った方法を工夫することが大事だと,いまさらながら,知りました。

 今回は,劉志さんに感謝です。
 ありがとうございました。そして,また,遊びにいらしてください。
 両手を広げて熱烈歓迎です。

2015年11月19日木曜日

「空腹」のすすめ。免疫力を高めるために。

 「癌」という字をよく見れば,「病だれ」に「品物」の「山」。
 つまり──食品を,山ほど食べれば,癌になる──という戒めなのです。

 『かんたん「一日一食」!!』(船瀬俊介著,講談社文庫,2015年8月初版)のP.306.からの引用です。散歩がてらの書店でみかけ,タイトルをみて,この本大丈夫かな,と首をかしげながら中味を拾い読み。やはり怪しいなぁとおもいながら第4章もめくってみる。ここから一気に正攻法。それまでは,もっぱら「体験談」で,いわゆる「ツカミ」の部分。しかし,第4章には,わたしをこころの底から納得させる理論が展開されていました。即,購入。

 「腹八分で医者いらず」
 「腹六分で老いを忘れる」
 「腹四分で神に近づく」
 (P.25.)

 むかしから言われてきた俚言です。科学とは無縁の「経験知」が生みだした智恵の産物です。このむかしの人の智恵が,最近の科学によって立証されるようになってきました。しかし,近代医学(西洋医学)と近代栄養学は,人間機械論の立場に立っていますので,むかしの人の智恵とはま逆の考え方をしています。すなわち,粗食ではなく,栄養価の高いものを,バランスよく,カロリーを計算して,一日3回食べなさい,というわけです。

 その結果は言うまでもなく「過食・運動不足」による肥満の大量生産です。要するに,からだが必要としない余分な栄養分も取り込み,それらが消費されることなくどんどん体内に蓄えられていくというわけです。この過剰な栄養が,じつは,からだには「毒」となり,病気の誘因になっている,と著者の船瀬氏は力説します。だから,減食をして,「空腹」を楽しむようにすれば,余分な栄養である「体毒」は燃焼したり,体外に排出されたりして,健康体をとりもどす,と。のみならず,「空腹」が免疫力を高めるので,悪い病気にとりつかれることも激減する,と説きます。

  この理論的根拠が,第4章にこってりと書き込まれています。そのごく基本的な考え方について述べておきますと,以下のとおりです。

 人間には,もともと「ホメオスターシス」(恒常性維持)という機能がからだに備わっている。からだをつねに一定の状態に保つはたらきのこと。たとえば,体温調節はその代表的なものの一つ。暑いときには汗をかいて体温を放出する,寒いときには身震いして熱を産出し体温を保つ,というわけです。これらは,自分の意思とはなんの関係もなく,からだのなかに備えられたホメオスターシスという仕組みが,自然にはたらくというわけです。このような仕組みが神経系(交感神経と副交感神経)やホルモン系(アドレナリン,インシュリン)をはじめ,からだを一定の状態に保つために,じつに巧妙に張りめぐらされています。

 このホメオスターシスのはたらきこそが,世間でいうところの免疫力であり,自然治癒力というわけです。しかも,このホメオスターシスをフル回転させ,万全の体勢を整えるためのウォーミング・アップが「空腹」状態だ,というのです。つまり,空腹はからだに「生体危急反応」を起こさせ,からだによくない危急状態に備えるのだ,というのです。もし,骨折したり,下痢をしたりしたときには,まずは断食をすることが一番なのだ,と。断食をすることによって,自然治癒力がフル回転し,骨折も下痢も自力で治してしまう,というわけです。

 まさか,骨折は断食とは関係ないだろう,と多くの人は考えます。しかし,シートンの『動物記』に,しばしば登場する狼は,骨折すると穴を掘ってその中にからだを隠し,骨折した前足を入口のところに出して砂をかけて一週間から10日ほど飲まず食わずでじっとしています。そとに出した前足の砂は雨に濡れて固くなり,ギブスの役割もはたしている,といいます。これだけで,狼は骨折が治るまでじっと断食をして待つ,という次第です。

 下痢の場合は,食べないでおくことが一番だ,ということは説明する必要はないでしょう。ことほど左様に内臓疾患の場合には,薬よりなにより,断食が一番だ,と船瀬氏は力説します。しかし,医者にかかると薬を与えられ,それを飲みます。すると,折角の持ち合わせの自然治癒力を発動させる機会を失い,ますます免疫力は低下していく,というわけです。

 そのもっとも典型的な事例が「風邪」です。市販薬がたくさん出回っていますので,自分で適当に薬を買ってきて飲用することは,もはや当たり前のようになっています。しかし,風邪もまた断食をして,自力で治すのが一番。そうすれば,免疫力が高まり,風邪が大流行しても,ひとり超然としていられるというわけです。

 この本は,基本的には,ファスティング(断食,減食,小食,など)によってデトックス(体毒の排出)し,「自己浄化」をめざすことを,微に入り細にわたり,ていねいに説いています。そして,どのような段階を踏んで,一日一食に到達するかを説いています。いきなり断食をしたり,小食にしたりするのではなく,自分のからだの声に耳を傾けながら,「空腹」を楽しめ,と説いています。このあたりのこともふくめて,わたしにはとても納得のいく一冊でした。

 ので,早速,手短にできるところからはじめることにしました。まずは,「空腹」を楽しむことから。つまり,一日に一回は「空腹」の時間をセットして,空腹を感じながら,「いいぞ,いいぞ」と声をかけ,「いま,ホメオスターシスにスイッチが入ったぞ」「さあ,来いっ!」と自作自演の演出を楽しんでいます。何カ月後には,たぶん,一日一食に到達することができるな,という確信のようなものも,いつのまにか芽生えてきています。

 「癌」という文字を筆で書いて飾り,「山のように食べてはいけない。病気になるぞ!」と言い聞かせながら・・・・。

2015年11月18日水曜日

パリ燃ゆ。後方支援の根っこが攻撃されたということ。いまや,戦場にならないところはない。

 こころを鬼にして,あえて書くことにしよう。

 マス・メディアをはじめ,世は挙げて「パリ市民の犠牲者に哀悼の意を表します」の一色のみ。それ以外の意見はすべて闇の中。ネットで,乙武さんのように勇気ある発言をすると,寄ってたかって「袋叩き」。議論すら許さない。

 この国の「一億総狂気化社会」はすでに完成している,としかいいようがない。
 同じように「国際社会」(このことばそのものがうさんくさいが)も,完全に「狂気」と化している。

 「9・11」のときもそうだったが,相手側からの攻撃を受けたところから,すべての物語がつくられていく。今回もまた同様。パリ市民が攻撃されたというこの一点から,今回の物語がつぎつぎにつくられている。欠落しているのは,なぜ,このような事態が生じてしまうのか,という問いだ。

 この問いには,完全なる蓋をしなければならない,大きな理由がある。

 「9・11」も,今回の「パリ燃ゆ」も,もとを糺せばアメリカが育てた武装集団による攻撃であるからだ。当初は,アメリカが武器も資金も与え,アメリカの役に立つ武装集団として育てあげたものだ。そして,アメリカのために大きな貢献をしたにもかかわらず,最後は,うっとうしくなってきて,なんの報償も与えることなく見捨ててしまった。武装集団の怒りの減点はここにある。以後,アメリカに対して徹底抗戦にでる。となると,こんどはアメリカの攻撃の対象にされる。しかも,圧倒的な武力の差のもとで一方的な空爆に曝され,一般市民をも巻き添えにした「無差別大量殺戮」の犠牲が日常化することになった。

 ことの経緯や詳しいことは,志葉玲(フリージャーナリスト・「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」事務局長)氏,安田純平(フリージャーナリスト)氏,伊藤和子(弁護士・国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長)氏,らのネットで展開しているFBやブログで確認されたい。

 たとえば,志葉氏はつぎのように訴えている。

 「不平等がテロを生む」
 どこかの国は人を殺してもいいのに,
 どこかの国が人を殺すとテロと言われる。
 この不平等がテロを生む大きなファクターになっている。
 どこの国だろうと国際法違反の犯罪を許さないということが必要だ。

 ここで言う「国際法違反の犯罪」を犯しているのは,アメリカを筆頭とする「有志国」であり,テロ集団だ。しかも,その犯罪の大きさは圧倒的に「有志国」である。この事実に蓋をし,無視する「国際社会」とはなにか。そして,自分たちは間違っていないとし,「正義」を主張してさえいる。こうなってくると,もはや,「狂っている」としかいいようがない。

 また,伊藤和子氏はつぎのように訴えている。

 アメリカやフランスの残虐さを棚に上げて「イスラム国」を邪悪だと言う。
 どれだけイラク戦争や空爆で市民が殺されたか。
 イラク政府による人権侵害について誰も何も言わない。
 国際社会を構成している大国は見て見ぬふりだ。
 人権侵害が追及されない。
 イスラエルの責任は追及されない。
 「イスラム国」だけが邪悪なのか。

 カナダは,ついに,「対ISの空爆」から離脱することを発表。
 この勇気ある決意に賛同する国家が陸続と現れてほしい。

 日本国は,アメリカ様・フランス様の主張を全面的に支持し,これからも全力で「協力」する,と声高らかに宣言した。これで,一気に,東京が「戦場」と化す可能性が高まった。後方支援の根っこを絶つ,ということはこういうことだ。

 国際法違反の犯罪を犯している「有志国」とそれを支援する国家は,もはや,戦場にならないところはない。いつ,なんどき,どこを攻撃されても文句は言えない。いまや,日本国民全員が,国際法違反の犯罪者の片棒をかついでいるのだから・・・・。

 この自覚・認識なくして,ただひたすら「パリ市民の犠牲者にこころから哀悼の意を表します」などと,のうのうと言える圧倒的多数の日本人(もちろん,「国際社会」も)は,もはや「正気の沙汰」とはいえない。

 この「狂気」が「ファシズム」を生んできた。過去の歴史を学ぶべし。

 いま,わたしたちはこういう時代・社会を生かされている,このことを肝に銘ずべし。

 東京が戦場になる。その日は遠くない。

 いたるところを赤・白・青の三色でライトアップしている無邪気な人たちに,その覚悟があるとはとてもおもえないのだが・・・・・。

2015年11月17日火曜日

「赤い実のなる木」はアメリカハナミズキだということがわかりました。

 10月25日のブログに「赤い実のなる木」の写真を載せ,この木がなんの木なのか教えてほしい,と書きました。が,だれからも応答がないまま日が過ぎていました。

 11月14日(土)に法事があって帰省し,久しぶりに親戚の人たちと顔を合わせました。その中の一人に従兄弟で植物に精通しているY君がいて,「赤い実のなる木の名前,わかったかん?」という。「いや,わからん」とわたし。「たぶん,ありゃあ,アメリカハナミズキだとおもうだがのん」という。「えっ?どうして?」とわたし。そこから,Y君の植栽に関する蘊蓄話がひとしきりつづきました。お蔭さまで,植物のことに疎いわたしにはとてもいい勉強になりました。

 Y君は,大学で生物を専攻した専門家です。自宅の庭にもさまざまな花や実をつける花卉を植えて,丹念に手入れをしてきたベテランです。中学校の校長を最後にリタイアし,いまは大好きな植栽と農作業を楽しみながら悠々自適の生活を送っています。羨ましいかぎりの人生です。わたしとは6歳ほど(?)年齢は離れていますが,子どものころから親戚のなかでは一番親しくさせてもらっている従兄弟です。

 もう少しだけ補足しておきますと,わたしが尊敬してやまない大伯父(一道和尚)の長男です。一道和尚のことについては,このブログでも何回も書いてきていますので,ご記憶の方も少なくないとおもいます。Y君は,大学受験のときに,英文学に進むか,生物学をやるか,大いに考えた末に生物学を選び,教職の道に進む決意をしました。以後,教員生活をまっとうし,3人の子どもさんを立派に育て,こんにちにいたっています。穏やかな性格の好漢です。

 さて,そのY君の蘊蓄をここに全部書くことはとても不可能ですので,最小必要限度にとどめておきたいとおもいます。

 「あの写真をみて,これはアメリカハナミズキに違いない」とおもったという。そして「あれだけの赤い実をみごとにつけているのをみると,相当の腕前の人が世話をしているなぁ」とおもった,と。「そう,あの木は植木屋さんの屋敷のなかにたくさん植えてある売り物の木の一本だから」とわたし。「ああ,そうだらぁのん。素人ではあれだけの赤い実をつけることはほとんどできんでのん」という。「どうして?」とわたし。ここから話は一気に面白くなりました。

 日本にむかしからあるハナミズキは,花弁の色(白,ピンクがほとんど)を楽しむだけの,どちらかといえば地味な木でしたが,アメリカからハナミズキの木がプレゼントされてから様子が一変しました。アメリカのハナミズキは,春の葉っぱのみずみずしさや初夏の花弁だけではなく,紅葉すると真っ赤になり,しかも落葉したあとに赤い実を残す木で,四季折々に楽しめる木としてアメリカではとても大切にされてきました。ですから,アメリカ人にとっては意味のある重要な木なのです。

 このハナミズキが日本にプレゼントされた背景にはこんな話があります。最初に,日本から吉野桜がワシントンに送られ,満開の花を咲かせ,多くのアメリカ人が感動しました。アメリカ人が,その返礼として選んだのが,このハナミズキだったのです。

 ところが,アメリカ育ちのハナミズキは日本の土壌とはなかなかうまく合わず,背丈だけは大きく育ちましたが,赤い実をつけるのは至難の技でした。そこで,いろいろと創意工夫をした結果,肥やしをやるタイミング,水を与えないでいじめるタイミング,土壌の管理,根切りの技術とタイミング,等々が必要だということがわかってきました。しかし,それをマスターしている人はほとんどいません。ですから,ほとんどのハナミズキは背丈だけが大きく伸びて,みずみずしい葉を生い茂らせるだけの木になっています。ましてや,赤い実をつけるように手入れするのはたいへんなことなのです。

 という話を,寺での法事を終えて会食するために移動中のバスの中で聞きました。そして,料理屋さんに到着すると,その入口の横にアメリカハナミズキがあるのを目ざとくみつけたY君が「この木だらぁ」という。「そうそう」とわたし。赤い葉っぱを少しだけ残していて,2,3個の赤い実がついていました。まぎれもなく,わたしが目にした「赤い実のなる木」でした。これで,完全にわたしの疑問は晴れました。Y君にこころから感謝です。

 もう一度,植木屋さんのアメリカハナミズキをじっくりと鑑賞してみようとおもいます。来年の春から,このアメリカハナミズキがどのように変化していくか,楽しみが増えました。

2015年11月16日月曜日

これは新しい「戦争」のはじまりだ。テロも空爆も殺人行為。そこに「正義」はない。

 「無辜のパリ市民を無差別に殺すなんて・・・」とパリ市民は怒っている,と新聞が書いている。ほんとうにそうだろうか,とわたしは首をひねる。ほんとうに怒る資格があるのだろうか,とわたし。フランスがシリア(IS) の空爆に軍隊を送り出しているのは,パリ市民のみなさん,あなたがたなんですよ。その空軍が「無辜のシリア市民を無差別に,しかも<超大量に>殺戮している」という事実はご存じですよね。しかも,ときには「誤爆」までして・・・・。その責任は,パリ市民のみなさんにあるのですよ。

 こんな風に書き出すつもりはなかった。なのに,いつのまにか指が勝手に動いている。不思議だ。どうやら,わたしは,いま,本気で「恐怖」におののいているらしい。なぜなら,いずれ,近い将来,東京でも同じことが起きる,と痛切に感ずるからだ。つまり,わたしたちは「集団的自衛権」の行使容認を止めることができなかったからだ。このままでは,アベ総理は間違いなく自衛隊を海外に派遣し,戦闘に参加させることになるだろう。それが日々,現実味を帯びてきている。だから,わたしは「恐怖」におののいている。

 そうなれば,こんどは東京がIS の攻撃のターゲットになる。そのことは間違いない。しかも,絶好のターゲットになる。そのときに,「無辜の東京都民を無差別に殺すなんて・・・」と言えるだろうか。言う資格があるだろうか。ない。いや,あるもないもない。なぜ? それはまったく新しい「戦争」のはじまりだから。戦争による殺人行為は犯罪ではなく,当たり前のことだから。

 もし,かりに,日本の自衛隊の活動が後方支援に限定されたとしても,その先端では空爆による大量無差別殺戮が行われ,「無辜のシラク市民が無差別に」殺されているという現実に変わりはない。となれば, IS からすれば,後方支援であろうがなかろうが,戦争に加担するかぎりすべて「敵」であることに変わりはない。しかも,後方支援を絶つ,のは戦略の大原則だ。ここを叩かないことには勝ち目はない。だから,前線よりも後方支援の方がより危険度は高いとさえ言われている。

 第一,東京が IS の絶好のターゲットになる理由は多すぎる。一つには,東京は丸腰の無防備に等しい,ガードの甘い都市だということ。二つには,東京五輪2020が控えていること。つまり,世界の注目を集めやすいということ。三つには,多くの外国人観光客がやってくること。四つには,すぐ近くに原発があること。あるいは,日本全国に原発があること。ここがテロのターゲットになったら,終わりだ。五つには,地下鉄,高速道路,新幹線といった交通網はスキだらけであること。というより安全確保はほとんど不可能に近いということ。六つには,日本人IS 要員は少なくないこと。等々,数え上げていけば際限がない。

 つまり,明日は我が身だ。そのことを考えるから,わたしはパリ市民の反応,そして,国際社会(これが問題だが)の反応に,それも「衝撃的だ」という反応に,首をかしげてしまう。もちろん,日本のマスメディアの報道の仕方にも。

 わたしたちは,無差別空爆の下で,どれだけ多くの無辜のシリア市民が犠牲になっているか,この目で確認することができないだけだ。SNS で映像を確認しようとしても,例外的に市民が逃げまどっている映像がほんのわずかに確認できるだけだ。大半は闇のなかだ。そして,マス・メディアが報じている映像は,爆弾が投下される場面と,それが命中したかどうか,という映像しか目にすることはできない。つまり,そこで犠牲になっている「人間」の姿を確認することはできない。

 だから,シリアでどれだけ多くの人びとの命が犠牲になっているのか,それもじつに無惨に殺されているか,という事実を「視覚的に」とらえることはできない。その結果,なにごともなかったかのように錯覚をしてしまう。空爆の下でどのようなことが起きているのかという想像力すら失っている。つまり,感性が欠落したままなのだ。

 ひるがえって,ある日,突然,パリ市民が攻撃を受け,目の前で犠牲になっていく人びとの姿を見て,そのあまりの残虐性に驚き,怒りをあらわにする。自分たちの犠牲には過敏なほどに反応するが,シリアの市民の犠牲にはほとんど無感覚なままである。しかも,その空爆は,自分たちの「意思」で行われていることも忘れて・・・・・。

 要するに,テロも空爆も立派な「殺人行為」なのだ。そして,それぞれの立場で,その殺人行為を正当化している。しかし,殺人行為に「正義」はない。だから,これは新しい「戦争」のはじまりなのだ。「テロとの戦争」とはこういうことなのだ。自分たちが攻撃しているときは当たり前のような顔をしていて,いざ,こちらが攻撃されると大騒ぎをする。「9・11」も同じだ。

 もう一度,言っておこう。戦争に「正義」は存在しない。あるとしたら,両方にある。だから,殺人行為が繰り返される。ただ,それだけだ。

 今日はここまでで留め置くことにする。この問題は,書かなくてはならないことが多すぎる。

 でも,ひとつだけ書いておこう。わたしたちは戦争に加担してはならない,ということ。つまり,集団的自衛権の行使は阻止すること。そして,積極的に「不戦」を誓うこと。そのためにこそ「憲法9条」がある。それを守ることこそが「人間の尊厳」を守るということだ。このことだけは肝に銘じておきたい。

〔付録〕
IS を生み,育てたのはだれか。それが,なぜ,反逆行為をはじめることになったのか。
IS を支援している「死の商人」たちがいる。それはだれか。そして,なぜ?
この問いを解いていくと,とんでもない世界が忽然とその姿を現すことになる。いずれまた。

2015年11月15日日曜日

「おじ」「おば」ということばが消える。中国一人っ子政策の意外な側面。

 中国がついに二人まで子供を持つことを認める政策に切り換えました。

 毛沢東革命以後,中国は長い間,一人っ子政策が実施されてきました。いくらかの例外措置はありましたが,原則的には一人以上の子供を生んではならない,とされてきました。

 当初は,食料事情(需給のバランス)という大きな壁がありました。これ以上,人口が増え続けると国が成り立たなくなるという大問題をかかえていましたので,やむを得ない,ということで実施に踏み切ったようです。しかし,経済復興もはたしたいまとなっては,もはや,一人っ子政策を維持していく根拠もなくなってきました。それどころか,一人っ子政策ゆえの新たな問題もつぎつぎにでてきました。

 その最大の問題は労働力でした。中国では夫婦共稼ぎは当たり前。そうしないことには中国経済を支え,さらなる発展をめざすことは不可能でした。その目的もはたして,静かに振り返ってみますと,いろいろの新たな問題点が露呈していることに気づいたようです。

 そのうちのひとつが「伯父・叔父」「伯母・叔母」ということばが消えてしまうという珍現象でした。これは,たぶん,当初は想定していなかった事態ではないかとおもいます。

 一人っ子政策の二代目の子どもたちになると,両親ともに一人っ子ですので,「伯父・叔父」「伯母・叔母」は存在しません。ということは,日常会話のなかからこのことばは使われなくなってしまいます。使わないことばは子どもたちは覚えません。ということは,二代目の子どもたちの間からはこれらのことばが消えてなくなってしまうことを意味します。

 この問題は,「おじ」「おば」だけでは終わりません。「おじ」「おば」がいないということは「いとこ」もいないということになります。だとすれば,将来的には,「おい」「めい」もいなくなってしまいます。

 ここまで考えてみますと,なんだか薄ら寒い風が吹いてきます。つまり,親戚・親類・親族がみるまにやせ細ってしまって,両親と祖父母以外は血縁関係者はだれもいないという事態が起きているということですから。中国の一人っ子は,なんと孤独なことなんだろう,と考えてしまいます。

 のみならず,言語文化そのものもやせ細っていくことを意味します。まず第一に,「家族」ということばの概念そのものが変質してしまいます。つまり,「家族」ということばの内実がまるで別のものになってしまいます。二代目の一人っ子になりますと,たったひとりで両親と両親の両親(つまり,祖父母),計6人の老後を背負うことになります。この二代目の一人っ子が結婚をしますと計12人もの老人が後に控えていることになります。まあ,祖父母はともかくとして,両方の両親計4人の老後は間違いなく二人にのしかかってきます。これが「家族」ということばの内実となり,そこには厳しい現実が待っています。

 これまでの「家族」は,親・兄弟・姉妹,みんなで力を合わせて仲良く暮らすというのがスタンダードでした。しかし,二代目の一人っ子はそうではありません。なにごとも,たった独りでものごとに対応していかなくてはならないわけです。

 で,気づいてみれば,「おじ・おば」「いとこ」「おい・めい」ということばが自分の周辺からは消えてしまいます。この問題の根は深いとおもいます。もっと視点を変えて,さまざまな角度から分析してみると,思いがけない重大なことが明らかになってくるのではないかとおもいます。今回は問題点の指摘だけに留め置きます。

 なぜ,こんなことを書いたのかといいますと,そのきっかけは中国が一人っ子政策を放棄した,という情報が流れたことにありました。たまたま,日本に長く住んでいる中国人の友人と久しぶりに一献傾ける機会がありました。そのときの話題のひとつがこれでした。わたしはそんなこと考えたこともありませんでした。しかし,その中国人の友人が「中国では『おじ・おば』ということばが消え始めている」という話をしてくれて,びっくり仰天でした。「なるほど」と応じただけで,しばらくはことばを失っていました。

 中国が一人っ子政策を放棄した背景には,きわめて複雑で,しかも重大な問題がもっともっと存在しているようです。いずれ,専門家の研究がでてくるとおもいますので,その成果を待ちたいとおもいます。とりあえずは,意外な話題の提供まで。

 なお,出生率が1.5を割ってしまい,一人っ子が教室の半分以上を占めるようになった,わが日本国も他山の火事では済まされない問題であることも指摘しておきたいとおもいます。こちらは出産を推奨しても増えないというのですから,問題はさらに深刻だと言わなければならないでしょう。

2015年11月14日土曜日

「一億総狂気化社会」。ひらめいた瞬間,「からだがふるえる」。

 一昨日のブログの最後のところで,勢い余って「一億総狂気化社会」ということばが閃きました。が,その瞬間,戦慄が走りました。こんなことばが閃いたのも,なにを隠そう,「一億総活躍社会」などという絵空事を大まじめに政権構想にかかげる総理大臣のうさん臭さが,もはや我慢できなくなってきていたからです。わたしたちの世代であれば,まっさきに思い出すのは第二次世界大戦中のことば「一億火の玉」です。国民全員が「火の玉」となって,鬼畜米英を打ち倒す・・・・これが国是として掲げられたのです。そして,このことばに真っ向から異を唱える人間はだれもいませんでした。もちろん,異を唱えることはだれもできなかった,というのが実情だったのでしょう。

 しかし,もう一歩踏み込んでおけば,「一億火の玉」といわれて,どこか変だなぁとおもいつつ「だんまり」を決め込んでいた,というのがより事実に近かったのではないか,とわたしは考えています。だれだって,変なことは変だ,と気づくはずです。しかし,それを口にすることが憚られる,そんな空気の前に,みんな跪いてしまったというのが,より事実に近かったのではないでしょうか。そうこうしているうちに「自発的隷従」に走る人間が登場し,組織化され(「向こう三軒両隣」),もはや動かしがたい力となって人々の言動を拘束することになっていったのでしょう。

 ああ,「一億総活躍社会」とは,「一億火の玉」と同根ではないか,そして,これこそがまさに「一億総狂気化社会」と同義ではないか,と閃いたという次第です。

 「一億総活躍社会」とは,そのための「助走」にすぎません。すぐに脳裏に浮かぶことは,集団的自衛権を行使して自衛隊員が海外の戦場に派遣されることになれば,当然のことながら自衛隊員が大量に必要とされるようになります。人員をどこから確保するのか。まずは,失業中の若者に動員がかかります。なぜなら,「一億総活躍社会」の一員として,国家の急務に貢献するのは当たり前であって,なにをうろうろと働きもせずに無駄な日を過ごしているのか,それは「国賊」のすることだ,というようなことにいともかんたんになりかねないからです。

 そのためのお膳立てが,この「一億総活躍社会」というスローガンには見え隠れしているようにわたしにはみえてしまいます。だから,このスローガンこそ「一億総狂気化社会」へと突入していくための入口ではないか・・・・と。

 「一億総狂気化社会」を生みだすきっかけは,きわめて単純なものです。それは「命」の軽視です。いまや,だれもが,口先では「命」が大事といいますが,やっていることは「命」の軽視です。それがもっとも顕著に現れているのが原発の再稼働です。一度,壊れてしまったら多くの人々の命を犠牲にしなくてはならない恐るべき文明の利器であることは,フクシマでしっかりと学んだはずです。にもかかわらず,性懲りもなく原発再稼働に向けて国を挙げて一目散です。

 政権にとって重要なのは,命よりも経済(金)なのです。それも目先の経済(金)です。ですから,総理大臣が率先して,原発を外国にも売りに歩いています。事故があったら日本が全責任をもつ,とまで約束して・・・。まさに,日本の総理大臣は「死の商人」と化してしまいました。これを,政府与党の議員のだれも止めようとはしません。

 「狂気」と化したのは総理大臣だけではありません。政府与党の議員,全員が「狂気」と化してしまっているのです。そこから繰り出される政治スローガンのひとつが「一億総活躍社会」という発想です。この人たちに共通していることは,「命」の軽視です。だから,自衛隊員が海外の戦闘に巻き込まれて犠牲になることも辞さない。それよりも「集団的自衛権」の行使容認の方が大事なのです。なぜ? 強い日本国を復活させるために。

 その強い日本国の復活をめざしている母体こそが「日本会議」という妖怪・化け物です。この組織が徐々にその姿をさらけ出すようになってきました。こうなってきますと,「一億火の玉」はもうすぐそこです。戦争は,一触即発ではじまります。はじまったら,もはや止めようがありません。なぜ?戦争こそ,一瞬にして「一億総狂気化社会」を形成する特効薬なのですから。「一億総活躍社会」の究極の姿が戦時体制そのものなのですから。

 「命」の軽視が人を狂気と化すための前提条件であることは,一昨日のブログに書いたドイツの精神科医たちが始めた「T4」作戦という大量殺戮が,なによりの証拠です。狂気に知性はなんの役にも立たないということの証拠でもあります。狂気の歯止めとなる最大の武器は,情緒豊かな感性です。人の「命」をなによりも優先させなくてはならないとする感性です。もっと言ってしまえば,生きものとしての動物的「本能」です。すなわち,「動物性」。

 その対極にある「人間性」は,いざとなれば「命」を軽視して平然としていられます。しかし,「動物性」は,どこまでも「生きる」ことが最優先されます。自己の「命」が大切であると同様に他者の「命」もまた大切なものであることを知っています。同種の動物間での死闘は,例外を除いて,滅多にみられないのがそのなによりもの証拠です。

 結論。「一億総狂気化社会」に歯止めをかけるのは「動物性」(動物的感性)。「一億総活躍社会」の行き着くゴールは「戦争」。以上。

※文章,いささか乱調。お許しのほどを。

2015年11月13日金曜日

「相撲は馬力です」。もどってきた尾車親方の名解説と嘉風。

 今場所は,横綱・大関などの上位陣が全員勢ぞろいしました。とても充実した取組が展開していて,楽しみな場所となりました。やはり,横綱が全員顔をそろえ,大関陣が元気な場所は,いやでも盛り上がってきます。こうなると幕内下位の力士たちも,いつもにもまして気合が入るようです。テレビ観戦をしていて,そのことをしみじみ感じます。

 今日(12日)で5日間の取組が終わり,序盤戦が終了。早くも明暗を分ける力士が登場し,これからの中盤から終盤に向けての予測をする上での重要な手がかりを与えてくれています。そんな中で,先場所から絶好調をつづけている嘉風に注目してみたいとおもいます。

 初日・鶴竜,二日目・稀勢の里とつづけて横綱・大関に土をつけ,三日目は大関・琴奨菊が対戦相手でした。そして,この日の解説が尾車親方(元大関・琴風)。しかも,尾車親方は嘉風の師匠。この相撲は立ち合いひとつで流れが決まる,とわたしなりに予測をしていました。そして,お互いに間合いをとって,混戦に持ち込めば嘉風,抱え込んでしまえば琴奨菊,と。はたしてこの一番,どういう展開になるのかとわたしは大いに注目していました。

 が,結果は予想に反してあっけなく勝負がついてしまいました。琴奨菊の立ち合いから一気のがぶり寄りで,一方的な勝負になってしまいました。好調を維持していた嘉風はなにひとつできないまま土俵下まで吹っ飛ばされてしまいました。まさに,琴奨菊の圧勝でした。

 嘉風を贔屓にしているわたしの目には,立ち合いの失敗,つまり,立ち遅れたようにみえました。ですから,琴奨菊の圧力をもろに受けることになり,嘉風は腰砕けのような格好で土俵下まで飛ばされてしまいました。それだけに,琴奨菊の立ち合いの鋭さ,前に出る圧力の凄さ,なりふり構わずがぶり寄る馬力の底力,そういったことばかりが目立ちました。みごとな大関相撲でした。

 この相撲の感想をアナウンサーから問われた尾車親方は,一刀両断のもとに「相撲は馬力です」と言い切りました。「いろいろの小技も大事ですが,基本は馬力です」,と。このひとことで,わたしはすべてを納得してしまいました。なるほど,馬力の前にはどんなに技をもってしても,なすすべもなく吹っ飛ばされてしまう,というわけです。

 もちろん,尾車親方はアナウンサーに問われるままに,さらに,きめ細かな解説をしていきます。それは聞いていて心地よいものでした。

 強い琴奨菊がもどってきましたねぇ。大関に駆け上がってきたころの琴奨菊を彷彿とさせますねぇ。この調子を持続させていくと,後半戦が楽しみですねぇ。ひと波瀾もふた波瀾も起きる可能性がでてきましたねぇ。ご当地場所だけに盛り上がるんじゃあないてすか。強い大関が復活してくると,他の大関にも大いに刺激となるでしょうし,横綱もうかうかしてられませんからねぇ。

 嘉風も悪くなかったですよ。ただ今場所は,絶好調の琴奨菊の立ち合いの圧力に圧倒されてしまいましたが,これを機にさらに立ち合いの鋭い踏み込みを身につければ十分戦える力をもってますからねぇ。相撲は負けて覚えるのですから。嘉風は悔しさとともにこの相撲を記憶しておいて,鋭い当りを磨くことです。来場所はまたどういう結果になるかわかりませんよ。

 と,負けた嘉風にもエールを送ります。尾車親方の解説は,病気で倒れる前の絶好調のときからいまにいたるまで,終始一貫して変わらぬひとつの鉄則があります。それは,勝った力士のいいところを引き出し,それを褒めあげることであり,ひるがえって,負けた力士には敗因をピンポイントで指摘した上で,そこを修正してくると来場所の取組はどうなるかわからないですよ,とエールを送ることです。この心遣いの優しさが聞いている者のこころに響きます。尾車親方の人柄がにじみ出ていると言っていいでしょう。

 そうして尾車親方の解説を聞いていますと,大相撲の醍醐味がどこにあるか,そして,そのふところの広さと深さが次第にわかってきます。それとともにわたし自身の相撲鑑賞の仕方がどんどん深化していきます。たとえば,土俵下の控えにいるときの所作,土俵の上での一つひとつの立ち居振る舞いまでもが重要な鑑賞の対象となってきます。そこには力士たちのこころの有り様が如実に現れているからです。

 その点からしても,最近の嘉風は土俵上の所作も大きく変化してきています。じつに楽しそうに,さあ,これから大好きな相撲をとるんだ,という雰囲気がふわりと伝わってきます。表情からして平常心そのまま。そして,どの力士に対しても同じテンポで仕切り直しをし,最後の立ち合いは,相手力士よりも早く両手をついてじっと待っています。つまり,相手の呼吸に合わせて立ち合います。これはみごとというほかありません。

 昨日(11日)は横綱・白鵬の立ち合い一瞬の変化でコロリと転がってしまいました。横綱はいろいろと批判を浴びることになってしまいましたが,負けた嘉風は,あんなことで転がってしまう自分が悪い,と反省しています。このあたりも「おみごと」というほかありません。

 そして今日(12日)も栃煌山に真っ向勝負にでて,まずは,立ち合いの当り負けを防ぎました。そのあとは,自分のペースの相撲に持ち込み,最後は双差しで寄り切りました。嘉風に先手,先手で攻められた栃煌山はなすすべもなく負けてしまいました。これが,嘉風の相撲です。

 明日は日馬富士との対戦。これまでの対戦成績は6勝2敗と嘉風が大きくリードしています。スピード相撲の激しい展開となり,その混戦を制した方が勝つというのがこれまでの対戦内容です。たぶん,明日もこのパターンは変わらないとおもいます。だとすると,どういうことになるのか,楽しみな一番です。

 嘉風がこの好調をとりもどした背景には,平幕力士のままで終わりたくないという反省があって,それから一心不乱に猛稽古をしたからだ,と聞いています。そして,やはり,なによりも立ち合いの当りの強さを磨いたのだ,と。ここで相手の勢いを一瞬,止めてしまえば,あとは自分のペースに持ち込めるというわけです。そして,もう一点は,一番一番,全力が出せればそれでいいのだ,と自分に言い聞かせ,相撲を楽しむことだ,と割り切れるようになったからだ,と。つまり,勝敗を度外視して,自分の相撲をとりきること,その一点を楽しむことだ,と。

 嘉風は位をひとつ上げたなぁ,とわたしは受け止めています。こうなりますと,どんな相手であろうと委細かまわず,淡々と相撲をエンジョイすることができるようになります。いいところに到達したなぁ,と嘉風ファンとしては大満足です。

 さあ,これから後半に向けての注目力士たちの活躍を期待することにしましょう。そして,尾車親方の解説の回数が多くなることを期待したいとおもいます。熱烈なる尾車親方ファンとして。 

2015年11月12日木曜日

FB(フェイスブック)でつながりませんか。上質の情報を手に入れるために。

 このブログを読んでくださっている方で,まだ,FB を開設していない方への呼びかけをさせていただきます。世の中が情報化社会と化してすでに久しいですが,その情報化社会がさらにつぎつぎに進化を遂げつつあります。そのスピードにわたしなどはもはやついていけないほどです。が,この世の中に生きているかぎりは,きちんとした情報をわがものとしないかぎり,生きている意味がありません。

 とりわけ,最近は,権力によるメディア介入が顕著になってきており,権力にとって都合の悪いまともな精確な情報がコントロールされ,排除されるようになってきました。その影響からか,なかでも,大手の全国紙と中央のテレビ局の体たらくぶりは目を覆うばかりです。つまり,権力におもねるような情報だけが最優先されているというわけです。ですから,わたしたちは無意識のうちに情報操作をされて,権力のおもうままに意識がコントロールされていく傾向が,日に日に強くなってきています。

 もちろん,賢明なみなさんのことですので,自己防衛のために,さまざまな工夫をされていらっしゃることとおもいます。わたしも遅ればせながら,この情報危機の時代をどうかいくぐっていくか,と苦心を重ねているところです。そのための柱になっているのが,わたしの場合には,FBの活用です。もっとも,このインターネットの世界にも権力が介入しつつありますが,それでもあまりに情報量が多すぎてその手にあまって苦戦しているようです。その意味で,この世界だけはなんとか凌ぎ切れるのではないか,とわたしは期待しています。

 ひとくちにFBといってもピンからキリまであります。わたしも始めたばかりのときにはなにもわかりませんでしたから,妙な,わけのわからない人たちから「リンク」を張られて,どうしたものかと悩んだことがあります。しかし,上質な情報は,探せば,これまた無尽蔵に流れていることがわかってきました。

 最近では,しっかりと身元がわかっている人,情報の取りあつかい方やその人の主張などをチェックして,どうも納得のいかない人は全部カットするようにしています。

 もう一点は,目まぐるしく変化する大事な情報に特化して,FB を演出しているということです。その主眼は,フクシマを中心とする原発問題,辺野古を中心とする沖縄問題,集団的自衛権やTPPをめぐる軍事・経済問題,それと東京五輪2020にかかわるスポーツの問題,などにフォーカスしてそれらだけを集中してとりあげる,というところにあります。

 そして,それ以外の問題で,わたしの個人的な興味・関心事については,このブログでとりあげることにしています。ブログの方のねらいは,ひとつには,わたしの思考訓練,もうひとつには,文章を書くトレーニングにあります。あとは,親しい友人たちにわたしの近況などをつたえるために,と考えています。

 つまり,大きくはFB とブログとを二本立てにして,自分の頭のなかを整理しているという次第です。もちろん,それ以外にも『世界』を定期購読したり,東京新聞,沖縄タイムス(こちは電子版)を購読したり・・・・といったさまざまな工夫はしているつもりです。

 それにしても,急いで,精確な時事的な情報を手に入れるには,まずは,SNS で検索したり,FB で確認したり,というのが一番手っとり早いという次第です。

 わたしのFB も,いつのまにか,とてもいい情報提供者とつながりをもつようになり,いまでは,手に余るほどの素晴らしい情報が,これでもかこれでもかというほどに集ってきています。全部はとても読んではいられませんので,これだけはという時事性と重要性の高いものだけを拾い読みしているというのが実情です。

 それにしても,びっくり仰天するような情報もときおり飛び込んできます。つい最近では,ドイツのホロコーストの手本となったのは「T4」と呼ばれる作戦だった,という動画がありました。それによりますと,ドイツの精神科の医者たちが,いろいろの特殊な事情や条件があったとはいえ,精神的・知的障害をもった人や特定の不治の病いをもった人たちをガス室に送り込んで大量殺戮をしていたという事実です。戦後70年を経て,ドイツの精神科のお医者さんたちの集りである医学会が,その事実を認め,謝罪し,その事実についての実態調査が歴史学会によって検証された,という次第です。

 大竹しのぶのナレーションがまた抜群で,迫力満点。わたしは一晩,ほとんど眠ることができませんでした。なぜなら,このお医者さんたちによる大量殺戮はヒトラーの指示によるものではなく,精神科の医師たちの独自の判断でおこなったという事実(つまり,もっともまともであるはずの精神科の医師の集団が,いとも簡単に「狂気」と化してしまうという事実,しかも,それに歯止めをかける人もいなかったという事実),そして,多くの市民がそれに気づいていたけれどもみんな「だんまり」を決め込んでいたという事実,そういうことを知って茫然自失してしまったからです。

 この有り様は,いま,わたしたちが目の前にしている「狂気」となんと酷似していることでしょう。法を無視して平然としている国家権力に対して,多くの国民が奇怪しいとおもいつつ「だんまり」を決め込み,「自発的隷従」に傾いていく,現代日本のこの情況は,どう考えてみてもまとめではありません。むしろ,「狂気」のなせるわざとしかいいようがありません。それは,まさに「悲劇」への道程以外のなにものでもありません。この「狂気」に陥っているのはたった一人だけではありません。その人に連なる多くの人も同時多発的に「狂気」に陥っています。しかも,それが「狂気」であるという自覚がまったく欠落していることも大きな特徴です。

これはどうみても「一億総狂気化社会」へとまっしぐら・・・・。恐ろしいことです。

 そうならないためにも,どうか,みなさん,少なくとも上質の情報を手にするためのFBを構築して,連携の輪を拡げていきませんか。来るべき選挙のためにも。

2015年11月11日水曜日

「TPP,合意したした詐欺」。嘘ばっか。『世界』12月号より。

 『世界』12月号に,TPPに関する二つの論文が掲載されています。ひとつは,首藤信彦:アトランタに仕組まれた「TPP大筋合意」,もうひとつは,内田聖子:市民社会の価値とTPP──実態を覆い隠すご祝儀報道。これらの論文はきわめて明解にTPPの問題点を洗い出してくれています。これを読んで,日本の政府はいったいなにを考え,なにをやっているのか,というその背景がまるみえになってきました。まことにタイムリーな企画で,助かりました。

 といいますのは,「TPP,大筋合意」とにぎにぎしく報道され,とうとうそんなことになってしまったのか,とわたしは落胆していました。これはえらいこっちゃ,と。それにしても,なにが,どのように「大筋合意」したのか,その具体的な内容がさっぱりわかりませんでした。なのに,メディアの大半は熱烈歓迎のお祭り騒ぎでした。

 それを見越したように,政府は,あたかもTPP締結は時間の問題であるかのごとく振る舞い,その対応を急ぎ,TPP対策予算まで組みました。しかし,SNSを流れる情報などによれば,「大筋合意」をしたとしても,各論の具体的条項の詰めをし,「文書合意」を経て,各国の議会で承認をえるまでには,早くて2年,遅ければ4年はかかるだろう,ということがわかってきました。加えて,アメリカの次期大統領候補たちは,両陣営ともにTPPには反対の立場を鮮明にしています。となると,TPPは成立不能になるという可能性までちらつきはじめています。

 となると,TPP対策予算はだれのため,なんのためのものか,という疑念が湧いてきます。そこで,思いついたのが,政府自民党の深慮遠謀のさきにあるものは,来年の参議院選挙のための軍資金ではないか,というものでした。このことは,このブログでも書きました。でも,そのときは自分でも半信半疑でした。

 しかし,上記の二つの論文を読んで,わたしの推測がズバリそのものであったことが判明しました。やっぱりそうだったのか,と。

 ここでは,二つの論文を取り上げて,ひとつずつ論評するということはしないことにします。いささか乱暴ですが,二つひっくるめて,なにを言っているのか,という結論的なことだけを述べておきたいとおもいます。

 ひとことで言ってしまえば,「TPP合意したした詐欺」だ,ということです。そして,政府自民党が仕掛けた「情報操作」は「嘘ばっか」だった,ということです。この「嘘ばっか」は佐野洋子の短編集のタイトルを借りました。この作品の書き出しは「桃太郎には桃次郎という弟がいました」というものです。まさしく「嘘ばっか」を創作した作品です。つまり,政府がやったことはこれとまったく同じだということです。つまり,存在しない「桃次郎」を想定して,ひとつの物語を仕組んだというわけです。それは「詐欺」にも等しい行為だ,と。だから,今回の政府の演出した情報操作は「TPP合意したした詐欺」と呼ぶにふさわしい,というわけです。

 どういうことかといえば,以下のとおりです。

 「大筋合意」は日本政府だけが編み出したことば(=嘘)にすぎない,ということです。その根拠は,「大筋合意」をした声明文すら,どこにも存在しないからです。日本政府が勝手にそう決めつけただけのことです。この種の決めつけは,なにも日本政府だけではないようです。どの国も,みんな,自分たちにとって都合のいい部分だけを強調して,わが国はTPP交渉の場においてかく戦かえり,といった勝利宣言をしている,と上記の二つの論文が教えてくれます。つまり,どの国も,TPP交渉は政局の道具にされている,ということです。

 すなわち,どの国も「桃次郎」を創作して,都合のいいように宣伝をしたにすぎません。だとしたら,「大筋」どころか,ほとんどなにも決まってはいないに等しい,というのが現実のようです。もちろん,何点かは,詰めた議論が展開され,それなりの「落としどころ」をみつけて解散したようです。しかし,その「落としどころ」に,アメリカ国内では猛反発が起きている,そのために次期大統領候補は両陣営ともに「反対」を表明するにいたった,というのです。

 ひるがえって,日本はどのような交渉をしたのか。情けないことに,日本はほとんどの条項を丸飲みして,聖域を守るどころか,放棄してまでして,交渉分裂回避に全力を挙げていたというのが実態だった,と二つの論文は強調しています。

 ここでも,集団的自衛権と同じように,日本は徹底してアメリカの「ポチ」であることを高らかに宣言したも同然であった,というのです。

 主権国家としての日本はどこに行ってしまったのでしょうか。わたしたちはこれまで気づかないできてしまいましたが,どうやら「サンフランシスコ条約」は見せかけのものであって,その裏で結ばれた「日米地位協定」にしばられたままの,言ってしまえば,アメリカの植民地にすぎなかったのではないか,そして,いまもなお,この「日米地位協定」のもとに完全に支配されているではないか・・・・と。だから,沖縄の米軍基地問題はまさに,この「日米地位協定」の産物にすぎないのだ,と。すなわち,辺野古問題で,日本政府が,沖縄県民の民意を無視してまで強硬策をとらなければならない背景には,この「日米地位協定」があるからだ・・・・と考えざるをえません。

 もうそろそろ多くの国民が目覚めて,アメリカの「ポチ」であることから離脱する道を模索しないことには,この国の行く末は哀れとしかいいようがありません。

 窓の外では,木枯らしに近い「秋風」が吹いています。 

2015年11月10日火曜日

「月面で猿が踊り狂っている」。「月光心猿」。又吉直樹の『新・四字熟語』より。

〔月光心猿〕

黄昏を不法投棄するため
外に出た 誰にも見つから
ないように歩く
                     黄昏 ティッシュ 残飯 ゴムが
                     弛んだ下着 シャツ 電気料金
                     表レシート 独り言 蕪雑な
                     袋の中で黄昏が汚れている
隠れているつもりか電柱の
陰に暗鬼 裸足の餓鬼がチョーク
で地面に描いた月 墨絵みたいな
鴉が翔び地面の月を襲う
                                    黄昏投棄
月が空に逃亡して夜が来た                   脳髄廃棄
辺りが覚えのある臭いに変わる                体躯遺棄
                                    感傷唾棄
                                    人間放棄

                     何かが爆ぜた


月面で猿が踊り狂っている


                     次の自動販売機で
                           珈琲を買おう 


 
∥ 月光心猿 ∥ げっこうしんえん

月明かりに照らされた途端,心の中で猿が
暴れるように,なにか行動を起こしたいと
いう衝動に駆られること。
迷い,悩み,苦しみ,立ち止まっていた人
間が,ひょんなことに刺激を受け,動き出
せそうな 『今』 というあの感じ。

 
ふたたび,又吉直樹の『新・四字熟語』から転載させてもらいました。どうしても転載したいという衝動に駆られて・・・・・。わたしのこころの中の月面で猿が踊り狂っています。読んだ瞬間に共鳴・共振してしまいました。もはや止めようもありません。

 やはり,又吉直樹は面白い。

2015年11月9日月曜日

MRIの検査結果がわかりました。

 今日(9日)の午後,MRIの検査結果を聞きに行ってきました。結論は,CTのときと同じでした。つまり,肝臓の末端に「一点」ものの転移が認められる,ということでした。肝臓のほかのところや,それ以外の臓器への転移もチェックしたが,とくに異常は認められなかったとのこと。そういう意味での「一点」ものの転移との診断でした。

 さて,ここからが問題です。担当医の総合的な見立ては以下のとおりです。

 現段階での検査技術でみるかぎり,一点ものであることはたしかである。しかし,肝臓の他の部位に癌の根がないとはいえない。ただ,見つけられないだけかもしれない。これはなんともいいようがないが,一応,視野のなかに入れておく必要がある。

 外科医としては,手術をお薦めする。しかし,短期間の間(二年間)に三度目の開腹手術をすることについては,かなりのリスクを覚悟しなくてはならない。とくに,高齢であること,それに伴う心臓・肺などの循環器系の機能の低下,低体重という体力の問題,などなど。手術をするとしたら,相当,慎重にならざるをえない。したがって,できることなら避けたいところ。

 第二の方法は,化学療法。つまり,抗ガン剤による治療。こちらは,入院して(2泊3日くらい)点滴で行う方法と飲み薬とを併用するもの。こちらの方法なら,まだみえていない癌の根にも効果が期待できる。ただし,この方法で,転移した癌を制圧できるかどうかは,やってみないとわからない。うまく効く人もいれば効かない人もいる。また,抗ガン剤の副作用もないとはいえない。

 いまのところ,この二つの方法を考えている,とのことでした。どちらにするかは,患者さんの意思による,とのこと。いますぐに結論をというわけにはいかないでしょうから,ご検討ください,と。

 一応,検討時間をということで,次回は12月17日(木)に外来の予約をとりました。それまでに,なんらかの結論を出すことにしました。

 帰宅してから,しまった,「QOL」の相談をしてくればよかった,と反省。つまり,この病院は,癌患者の「QOL」,つまり,Quolity of Life を支援するシステムをもっているかどうか,の確認です。でも,そういう対応ができる病院であれば,第三の方法として,これを提示することもできるはずですので,それがなかったということは,やはり,対応できないということなのでしょう。だとしたら,もし,患者がこれを選択した場合,病院はどのように対応してくれるのだろうか,とこのことも相談しておくべきだった,と反省。

 わたし自身としては,ある根拠があって,このQOL にはとても魅力を感じています。この問題は,また,機会をあらためてきちんと書いてみたいとおもいます。

 というわけで,とりあえず,12月17日(木)まで態度保留ということになりました。これから,じっくりと考え,相談できる人には相談に乗ってもらい,わたしの意思で最終決定をしたいと考えています。

 取り急ぎ,ご報告まで。

書芸の愉しみ。「へた・うま」の世界を超える経験。田中象雨。〇

 書は上手に,きれいに書かなくてはならない,という一種のトラウマのようなものがわたしたちのこころの片隅にあります。ですから,筆で文字を書くということは,できることなら避けたいと恐怖観念のようなものがあります。その結果,筆で文字を書くという習慣はどこかに消え失せてしまったようです。のみならず,手書きの文字すら姿を消しつつあります。

 ワープロが登場し,パソコンが普及するにつれ,もはや「直筆」の文字そのものがとても珍しい時代になってしまいました。その典型的な例が年賀状です。宛て名書きもすべて印字されたものばかりになってきました。そんな中で,手書きの宛て名に出会いますと,とても新鮮です。そして,その人の体温や呼吸までもが伝わってくるようにおもいます。そんな中に,時折,まさに例外的に,毛筆のものがでてきます。これはもう感動ものです。「いいなぁ」とおもわず声に出してしまいます。

 じゃあ,お前はどうだ,と問われますと,情けないことにこの2年ほどは年賀状も書けないほどの体たらくです。なのに,毎年,ことしこそは毛筆で・・・・とみずからを叱咤激励しています。が,実行力はゼロ。情けないかぎりです。ことしは,せめて,いただいた賀状に返信くらいはしなくては・・・とみずからに言い聞かせていますが・・・・,はたして,どうなることやら・・・・。

 さて,日展・書道をみてきてからというもの,妙に書に惹かれるようになってしまいました。大いなる刺激を受けてしまったようです。

 で,このブログでも紹介しましたが,又吉直樹の『新・四字熟語』に添えられている書が,たまらなく魅力的で,ぐっと惹きつけられてしまいました。ということで,その一端を,ここでは紹介してみたいとおもいます。まずは,以下の8点の書をとくとご覧ください。

 



驚くべきことに,これらの8点の書はすべて田中象雨の手になるものです。書にはいろいろの書体があることはだれでもご承知のとおりです。その書体を使い分けることも書の楽しみのひとつだとということも承知しています。しかし,たったひとりの手で,これだけの変化を可能にする,それもみごとに味を出す,その手法に驚いてしまいます。しかも,これらはそのほんの一部にすぎません。この本に載っているだけでも,240書体です。もはや,唖然とするほかありません。

 この書をみれば,一目瞭然,書は上手に書かなくてはいけない,という縛りはなにもないということがよくわかります。むしろ,自由闊達に,そのときの気分や書く文字の含意や紙の大きさや選んだ筆の太さや,その他,もろもろの条件に合わせて,好きなように書いていいのだ,ということがよくわかってきます。

 では,こんな文字がだれにでも書けるのかといえば,そうは問屋が卸しません。ひとつひとつの書法を初手からきちんと練習をして,そこを通過した者にしか不可能であることは明らかです。しかし,わたしたちは書家ではありません。ですから,それを作品として人さまにみてもらう必要はありません。書いている自分自身が楽しくさえあれば,それで十分です。ときに,親しい友人にでもちらりとみせて,それとなく論評してもらえれば,御の字でしょう。

 どんな紙に書いてもいいのです。いまでは,コピー用紙の裏側がふんだんに使えます。広告の裏紙でもいいのです。なんでもいいのです。そういう紙を集めておいて,惜しげもなく書き散らす。もう,衝動的に書き散らす。そのうちに筆遣いがわかってきます。そうしたら,つぎは和紙に挑戦です。この和紙もまた,いろいろの特性をもった紙が何種類もあります。となると,こんどはそれらの和紙に合う墨を選ぶことになります。その先は,もう,セミプロのやる世界だと思えば,そこに分け入っていく楽しさも倍増します。

 ちなみに,上の書の3段目の左は「矛先無茶」,右は「馬鹿駅員」と読みます。崩し方や筆順なども,自分で工夫して,その味を愉しむという手もあることを教えてくれる作品です。「矛先無茶」の「無」の字をよく眺めてみてください。おもしろい発見があるはずです。こんなことまでやってしまっていいんだ・・・・というような・・・・。

 さあ,どうですか。筆をもって遊んでみませんか。練習用の墨汁はどこにでも売っていますので,これを買ってきて,水で少し薄めて使うといいとおもいます。そうすれば,硯も墨も不要です。百均ショップで,お皿を2,3枚買ってくれば,それでもう準備完了です。

 上の書の「幹事横領」くらいから遊ぶといいとおもいます。場合によっては,左手で書くという遊び方もあります。そのくらいの気楽さではじめましょう。

※どうしても,画像が移動してしまいます。どうか,ご判読くださるようお願いいたします。

2015年11月8日日曜日

浅田真央の復帰戦,おみごと。異次元世界へあくなき挑戦。

 あくことなき可能性への挑戦。
 生まれ変わった浅田真央さん。みごとなまでの復帰戦でした。

 失敗もありました。レベルの高い跳躍技をふんだんに取り入れた演技構成。その大半をみごとに成功させ,まずまずの仕上がりぶりを披露してくれました。

 それよりなにより感動したのは,これまでとはまた一味違う異次元世界をかいま見せてくれたことです。守りにまわるのではなく,あえて,新しい自分を,自分の目標とする滑りを,全面に押し出したその勇気に感銘を受けました。

 リンクの中央に立ち,スタートのポーズをとった瞬間から,アップで映っていた顔の表情が変わりました。ここにいたるまでのプレッシャーを断ち切るかのように,ちょっと悲しげな仏像の表情になりました。そして,どこか遠い世界に思いを馳せているような,そんな表情にみえました。オーバーな言い方をすれば,興福寺の阿修羅像の顔が放つ,あの深遠な雰囲気が,一瞬でしたが流れました。この瞬間から,あっ,浅田真央が変わった,と確信しました。

 最初のジャンプを成功させると,一気に新しい浅田ワールドへの突入でした。滑りが違う。からだ全身から表出する動きの貯めが違う。いっぱいいっぱいの滑りの先に広がる夢幻の世界を彷彿とさせるなにか(etwas )が伝わってきました。彼女の理想とするフィギュアスケートに一歩近づいたのだ,とわたしは受け止めました。そちらに感情移入が大きくゆらぐとき,ジャンプに乱れがでてしまったようにおもいました。

 しかし,それでも彼女の演技は抜群の出来ばえでした。それは,みごとに点数に現れていました。採点競技は,どの種目でも同じですが,無慈悲なものです。きわめて物理的に「加点」「減点」をルールにしたがって行います。体操競技も同じです。ですから,よくわかります。

 浅田真央の前に滑った本郷理華も立派でした。元気いっぱい若さを全面に展開させる,これまたみごとな滑りでした。ミスもほとんどなく思い描いたとおりの滑りができたのではないかとおもいます。その結果は,フリーで最高得点。浅田に4.22点の差をつけました。が,SPの得点差を埋めることはかなわず,総合点で1.72点及ばず。しかし,大健闘でした。たくましい新人が登場し,日本女子フィギュアは,これからますます激しい切磋琢磨がつづきそうです。

 しかし,少しだけ厳しい言い方をしておきますと,浅田と本郷の滑りにはまだまだ格段の差があります。到達している境地そのものでいえば,天と地ほどの差があります。そこを,こんご,本郷はどう埋め合わせていくのか,大きな課題といっていいでしょう。でも,まだ若いのですから,本郷には十分そこを詰めていく可能性が残されています。それを楽しみに待つことにしましょう。

 この差はなにか。これを説明するのはむつかしい。体操競技でいえば,内村航平がめざしている「美しい体操」です。同じ演技内容で,同じように演技が成功したとしても,内村選手の演技と他の選手のそれとでは雲泥の差があります。しかし,物理的な加点・減点法のルールでは,ほとんど差はでません。にもかかわらず,ある程度,体操競技に精通している人間からすれば,まるで「次元」が違うという見方をします。見ていて,演技の内奥に秘められたetwas が伝わってくるのです。そこは,まさに深淵の世界であり,幽玄の世界です。こういう要素は加点の対象にはなっていません。ですから,現行ルールによる採点では,ほとんど差はでてきません。

 しかし,フィギュアの場合には,一人ずつ演技をしますので,会場の観衆のこころをつかむことはできます。今回の本郷は,ジャンプをつぎつぎに成功させることによって会場の空気をひとつにすることができました。ですから,彼女自身もその場の力に乗って,最後までのびのびと演技をすることができました。その結果が,フリーでトップの得点となって表れました。

 ということは,浅田選手の難度の高い構成のジャンプがつぎつぎに決まるようになってきますと,これはもう鬼に金棒です。おそらく,浅田選手はそれを目標にかかげているのだとおもいます。復帰第一線で優勝。このことが,まずは,なによりも「只者」ではない証拠です。強いセルフ・コントロールの持ち主です。自分に誓ったことはかならず実現させることでしょう。

 グランプリ・ファイナルに向けて,ようやくこれでスタートを切ることができます,と優勝インタヴューに答えていた浅田真央さん。これから,ますます,念願の「蝶々夫人」に磨きをかけて,ファイナルまでには完成させてくれることでしょう。どんな成長ぶりをみせるか,いまから楽しみにしたいとおもいます。

 浅田真央は,まずは,ひとりの人間として立派です。そこが好きです。ひとつの道を極めようというその姿勢が素晴らしい。こういう人に出会うと,わたしはもうぞっこんです。あっ,余分なことを書いてしまいました。最後の一文は「削除」(笑い)。

 浅田真央選手にこころのかぎりのエールを送りたいともおいます。

「河童速報」。又吉直樹著『新・四字熟語』より。〇

 
「明日,午後から関東を中心に河童が大量に発生します」というアナウンスがラジオから流れてきた。河童速報を聞くと,いつも思うのだが『発生』ではなく『出没』じゃないのか。河童は生まれてくるのではなく,何処かに隠れて存在していた者達が目に見えるところに出てくるだけなのだから。
 僕と同じような考えから,『出没』ではないのかとクレームの電話をかける人が未だに多くいるらしい。
 元々,河童速報の始まりは,天気予報を告げるキャスターが入院している自分の子供に一刻も早く病気を治し,外に出たいという気持ちを持たそうと即興で言った嘘だったらしい。そのため,もちろん原稿も用意されておらず天気予報で頻繁に使われている『発生』という言葉が自然と口から出たのだろう。
 そのキャスターは幸運なことに解雇されなかった。その日が四月一日でエイプリルフールだったのと,東京で桜が満開になりみんな機嫌が良かったからだ。
 ただ,問題はその後に起こった。速報を耳にした一部の若い河童達が,河童と人間の間で何かしらの協定が結ばれ,その日だけは河童が街に出ることを許容されたと勘違いして実際に出てきてしまったのだ。
 人間達は驚いた。若い河童達はもっと驚いた。何匹かの河童は捕獲されたが,人間の政界に紛れ込んでいた天狗の仲立ちもあって,三日以内に解放された。事後処理として,発端となった河童速報を流した番組のスポンサーである酒造メーカーがエイプリルフールと引っかけて仕掛けたキャンペーンだったということにした。翌年からも,不自然ではないように,そのキャンペーンを実行した。それが今も継続されている。
 しかし,実際に河童と遭遇した人間達は口を揃えて『あれは着ぐるみなんかじゃない』と言った。
 今でも,あれは本物の河童だったと信じる者もいるが,ほとんどの人は都市伝説と認識している。河童速報という言葉を,人々は『嘘で言ったことが本当になる』というニュアンスで使っているようだが,我々河童達の間では『千年に一度のお祭り』という意味で使われている。

 
以上は,又吉直樹の『新・四字熟語』(幻冬舎よしもと文庫,平成27年,3版,P.159~161.)からの引用です。冒頭の書も,P.161.に掲載されている書家の田中象雨の手になるものです。じつは,この本は,又吉直樹の創案になる四字熟語とその解説に,田中象雨の書が加わった,一種のコラボレーションという形式をとっています。

 世間では,もともとお笑い芸人ではないか,と上から目線の人が多いようですが,どっこい立派な芥川賞作家です。冒頭の引用を読めば,そのことは歴然としています。ユーモアを語るにしても,じつによく目配りの効いた観察眼は尋常ではありません。読後にほっとさせる,心根のやさしさがほんのりと伝わってきます。

 新・四字熟語としての「河童速報」は,「嘘で言ったことが本当になる」というニュアンスと,「千年に一度のお祭り」というニュアンスとの二つの意味が籠められている,と又吉さんは解説しています。こんな,四時熟語がこのテクストには満載です。

 たとえば,「神様嘔吐」「馬面猫舌」「夕焼左折」「編曲過剰」「構内抱擁」「日常主演」「無駄目撃」「水玉刺青」「放屁和解」「裏声柔道」「幹事横領」「布団反復」「肉村八分」「素人八段」「返事天才」「元祖偽物」「便所便覧」「全力保養」「絶命読書」・・・・といった具合です。もちろん,お笑いのネタになりそうなものばかり。それでいて,どこか人間の本質に突き刺さるような諧謔が籠められています。読んでいておもわず唸ってしまうものも少なくありません。

 加えて,この四字熟語を「書」にしてページを飾っている書家の田中象雨の存在が,わたしの目にはとても印象的でした。一人の書家が,全部,書体を変化させ,四字熟語の意味を忖度して,みごとな「書芸」としてみせてくれているからです。この人の書だけをめくってみていても楽しめる,不思議な本になっています。

 近日中に,この人の書芸を取り上げて,論評をしてみたいとおもいます。書とはなにか,ということを考える上でとても役に立つとおもうからです。

 ということで,今日のところはここまで。

2015年11月7日土曜日

こんな本,これまでにあったか?驚愕の書。『SEALDs 民主主義ってこれだ!』を精読。◎

 いやはや,参りました。

 民主主義を甘く考えていました。
 民主主義は,制度としてそこにあるものではなくて,自分たちで一つひとつ構築していくものだ,と叱咤されてしまいました。
 「民主主義ってなんだ!」から「民主主義ってこれだ!」に到達するまでの経緯が手にとるようにわかりました。そして,凄い,とおもいました。ここまで考えているのだ・・・と。

 この本は,「民主主義とはなにか」を学ぶためのバイブルにも等しい。

 
SEALDs の若者たちは,ほんとうに,素朴な疑問からスタートし,一つひとつ壁にぶち当たりながら,勉強をし,みんなで議論し,納得のできたところから実践していく,その並々ならぬ「不断の努力」を知り,感動しました。
 そして,なによりも,純粋で,しなやかなこころの持ち主たちに心の底から敬意を表します。
 同時に,これ以上,黙っていてはならないと決断したその「勇気」にも,こころからのエールを送りたいとおもいます。

 それにしても,一人ひとりが,いかにみごとに自立・自律していることか。
 自分の頭で考え,自分の足で歩き,自分のことばで語り,自分のからだ全体で表現をし,反省し,また,スタートから考える。
 そして,それをみんなが尊重し合い,認め合っている。お互いにだれからも束縛されない,だれをも束縛しない,この精神が貫かれている。こういう集合体であるということが,ほんとうに素晴らしい,とおもいます。

 そして,なにより,奥田愛基君,牛田悦正君をはじめ,みんながなんとよく勉強していることか。
 その読書量と読解力にびっくり仰天しました。
 そして,しっかりと自分のことばで語れる,その力量に驚きました。(※牛田君とは短い時間でしたが,直接,お話をすることがありました。)

 とりわけ,実践の一つひとつがたしかな思想・哲学に支えられていることに驚きました。
 たとえば,SEALDs という組織体は,あくまでも個人の集合体であって,そこには党派的な拘束力はいっさいありません。そのヒントは,モーリス・ブランショの『明かしえぬ共同体』(西谷修訳)にあるといいます(牛田君)。これはほんの一例にすぎません。思想・哲学の勉強だけではなく,憲法をはじめとする各種の法令の勉強から,過去の抗議行動の歴史を国内だけではなく外国の事例にまで触手をのばして研究しています。

 そして,実践をとおして鍛えられる思考力こそたしかなものはない,と知りました。机上の空論(あるいは,観念論)とは天と地ほどの差があります。かれらは,つねに「エッジ」に立たされています。つまり,個人をまるごと公衆の前にさらけ出してスピーチをし,コールの指揮をとり,デモという抗議行動をするということは,ありとあらゆる誹謗中傷から批判・批評をもすべて引き受けることを意味します。言ってみれば,退路がないということです。ですから,必死になって智恵をしぼり,勉強をし,議論をし,理論武装して,みずからの立ち位置をたしかなものにしなければなりません。その作業が不可欠です。こうして,若者たちは短時日のうちに,鍛えに鍛えられ,みごとに飛躍的に成長していきます。

 そうした足どりが,生々しく,痛いほど伝わってくるのです。この本を精読していると・・・・。

 わたしの長い生涯のなかでも,これほどの衝撃を与えた本はそんなにはありません。それほどにインパクトの強い本です。これからも,思い出しては,あちこち拾い読みしたいとおもっています。

 騙されたとおもって,ぜひ,ご一読を。

2015年11月6日金曜日

芸術の秋。日展・書道で,日比野光鳳(顧問),吉川美恵子(会員・審査員)さんの作品に出会う。感動。

 知人から日展のチケットをいただきましたので,早速,でかけてみました。秋晴れのいい天気でした。いつも感ずるのは新国立美術館の中のロビーに入ると,まるで空港のロビーに到着したような気分になることです。白い鉄骨を組んだ,全面,明るいガラス張りの明るい窓。しかも,全体が直線ではなく曲線。だから,室内の空間が広く感じられ,しかも,ソフトな雰囲気につつまれている。いい感じ。

 日展の全部門の展示が全館に繰り広げられているので,とても一日でみてまわれるようなわけにはいきません。だから,最初からみるポイントを決めてでかけることになります。

 わたしの場合には,いつも,まっさきに書道から。あとは,体力・気力の残余にしたがうことに。つまり,それほどに疲れるということです。作品の数と展示場の広さは半端ではないからです。延々と,何時間あっても見終わることはありません。疲れたら途中でロビーにでて,コーヒー・タイムをしながら,休憩をとります。この日は,風もなく晴れ渡っていたので,オープン・スペースにでてコーヒーを飲みました。紅葉した欅の葉が,時折,舞い落ちてくる。なかなか風情があっていい。

 さて,書道展。入口を入ったところから不思議な緊張感があって,例年になく作品に力があるな,と感ずる。このところ(ほぼ,毎年,見にきている),いろいろ騒動(審査の方法をめぐって)があったために,こちらの見る目が疑心暗鬼になっていたこともたしかだ。だから,どことなく「上手ではない」という先入観があった。でも,ことしはちょっぴり違う感じ。やはり,いい作品はないなぁ,などと勝手に類推していました。

 ことしはもうそういう先入観から抜け出たのか,比較的素直にみることができました。第一感は,みんないい作品ばかりだ,というもの。よくよくみてみると,入口にいい作品が集めてあるようです。が,それにしても上手い。達意の書が並ぶ。みごとなものだ,と感心してしまいました。が,欲をいえば,横一線。みんな似たような雰囲気の作品ばかり。つまり,そつなくこなれた筆づかいの作品ばかり,ということ。作品に,もうひとつ,気魄のようなものが感じられない。みる者のこころを「グイッ」と鷲掴みにして,動けなくさせるような迫力のようなものが伝わってこない。これは「ないものねだり」なのだろうか。

 ある展示室の入口のあたりに人が大勢いて,だれかが解説のようなことをしている。名札をつけた人も数人いる。ちょっと邪魔だなぁ,とおもいながら通りすぎようとしたら,「かな」の素晴らしい作品がかかっている。ああ,この作品の鑑賞をしているんだ,と納得。わたしは,作品全体の印象がとてもよかったので,足を止めてじっくりと鑑賞する。

 作品の右肩のところに「日展会員賞」と書かれた金紙が貼ってある。その下に,「春日の山」とあり,さらに「吉川美恵子(会員,審査員,奈良県)」とある。おもわず「アッ」と声を挙げてしまった。あの「吉川さん」だ,と。わたしが奈良教育大学に勤務していたころ(もう,30年以上前になる)に,新しい書道の先生として着任されたうら若き女性の名前が「吉川美恵子」さん。以後,年に何回かある懇親会でお話もさせてもらった懐かしい人。もともと書道は好きだったので,書道の先生方とは仲良しでした。しかも,奈良教育大学の書道の先生方はむかしから実力者ばかり。だから,書道科には全国から学生が集ってくる,人気の学科でした。

 大学祭や奈良県の芸術祭や,その他のもろもろのアート関連の展覧会があると,書道科の先生方がふるって作品を投じていました。そのたびに,わたしは足を運んで楽しませてもらいました。だから,先生方もとても喜んで迎えてくれました。そんな懇意にしていた先生のおひとりである吉川美恵子さんの作品に,期せずして,ことしの日展で出会うことになるとは・・・。しかも「日展会員賞」。

 
作品は,「春日の山」という題で,つぎのような歌が書かれていました。
 「妹が目を始見の崎の秋萩は
 この月ごろは散りこますゆめ
 雨隠り情いふせみいで見れば
 春日の山は色づきにけり
 ──以下略。」

 
かなりの大作で,しっかりと鑑賞させてもらいました。

 じつは,奇跡はこれだけではありませんでした。

 この作品の斜め向かい側に,なんと「日比野光鳳」さんの作品が額に入ってかかっているではないか。この日比野光鳳さんも奈良教育大学の書道の先生で,学内では「池田先生」でした。わたしとほとんど同じ年齢でしたので,とても仲良くさせてもらいました。スキーの好きな先生で,学生のスキー実習に参加させてほしいと言って奥さんとお二人でいらっしゃったことがあります。お手並みを拝見したら,思いの外お上手でしたので,わたしの班(1班,一番上手なクラス)に入ってもらって,一週間ともに楽しく過ごしたことがあります。

 池田先生もわたしもまだ若かったので,お互いにまだ無名でした。が,すっかり意気投合し,仲良しになりました。しかし,その直後くらいから池田先生の大活躍の時代がはじまります。あっという間に日展・特選をへて会員となり,審査員となり,いまや「顧問」です。気持ちのやさしい人で,いつも飄々として,空気のような存在でした。なにごとも淡々とやりすごしながらも,時折,きらりと目が光ることがありました。そんなところを,池田先生のお師匠さんは(日比野五鳳),しっかりと見ておられたのでしょう。池田先生の号は「光鳳」。

今回,展示されていた作品は,以前にもまして飄々とした作風になっていました。
作品は以下のとおり。(大伴家持 新年)

「新しき年の初めの
初春の今日降る雪の
いやしけ吉事」

 
まあ,偶然とはいえ,こんな「出会い」もあるんだと欣喜雀躍の日展・書道の部でした。会場をあとにするときには,なんだかわたしまでも「偉く」なったような気分でした。古い知己の人びとが,世の中で活躍している姿に接するのは,これまたなにものにも代えがたい至福の時と言っていいでしょう。

 やはり,長生きはするものだ,としみじみ。とてもいい秋の一日でした。

2015年11月5日木曜日

ヒップホップ集団《クルギ》を迎えて,ライブとシンポジウム「非暴力の牙」開催のご案内。

 東京外国語大学の真島一郎さんから,写真のようなフライヤーがとどきましたので,ご紹介させていただきます。アフリカニストを自認され,セネガルと深くかかわって来られた真島さんの入魂の企画と受け止めました。これはなにがなんでも参加させていただこうとおもっています。23日(月)のプログラムはもとより,場合によっては,28日(土)の琉球大学でのシンポジウム「ヤナマール,新たな非暴力のかたち」も追っかけてみようかな,と密かに計画中です。

 もちろん,ついでに辺野古にも足を伸ばして・・・・・。


このフライヤーでは字が小さくて判読できないとおもいますので,必要な情報について補足しておきますと,以下のとおりです。

 〔主催〕東京外国語大学グローバルスタディーズラボラトリー(Global Studies Laboratory)。
 科学研究費基礎研究(B)「統治思想としての<オイコノミア>」

 〔日程〕
 2015年11月23日(月・祝)※入場無料・予約不要。
 ライヴ&国際シンポジウム「非暴力の牙」
 14:40~15:40 クルギ野外ライヴ 東京外国語大学 外語祭野外ステージ
 17:20~19:40 国際シンポジウム「非暴力の牙」 外国語大学研究講義棟226教室
             〔講演〕クルギ(チャット&キリフ&DJゼー)
             〔発言者〕西谷修/土佐弘之/桑田学/真島一郎/中山智香子

 2015年11月24日(火)※予約制 連絡先:hibouryokunokiba@gmail.com
  「社会変革の作り方」
 16:00~19:00 東京・馬喰町ART+EAT  tel:03-6413-8049
                                   https://www.art-eat.com/

  2015年11月26日(木)※予約制 連絡先:hibouryokunohito@gmail.com
  17:30~19:30(若干変更の可能性あり)仙台・センダイコーヒー(カフェ)

 2015年11月28日(土)
 「ヤナマール,新たな非暴力のかたち」
 9:30~12:00 沖縄・琉球大学
            〔出演〕阿部小涼/西谷修/土佐弘之/真島一郎/中山智香子
 〔関連企画〕
 11月29日(日)夜 沖縄・爆発コラボ・ライヴ「ヤナマール」


ラップ集団「クルギ」(Keur Gui )については,わたしのような者でも,どこかで聞いたことがある名前だな,とおもうくらいですから,いまさら説明をする必要はなかろうとおもいます。上のフライヤーにも詳しく紹介されていますが,残念ながら読めません。どうしても知りたい方はネットで検索してみてください。大量の情報を手にすることができます。

 最後に,このフライヤーのキャッチ・コピーを繰り返しておきたいとおもいます。

 非暴力の牙
 世界の鏡に照らして
 ≪3・11≫以後の思考を脱領土化する
 社会変革の新たな波動を牽引する
 ヒップホップ集団≪クルギ≫
 セネガルより来日!

 奮って参加してみてください。わたしも楽しみにしているところです。

2015年11月4日水曜日

「私は消費主義を敵視しています」。世界一,質素な大統領ホセ・ムヒカのことば。

  『ホセ・ムヒカの言葉』(佐藤美由紀著,双葉社,2015年3刷)を読みました。ざっくりとした書き方になっていますので,だれでも,すぐに読める本です。

 
ホセ・ムヒカ。南米・ウルグアイ共和国の大統領。2010年3月から2015年3月までの5年間。任期満了で退任。いまは,一国会議員として,政治活動を継続。

 若いころに極左武装組織「トゥパマロス」に参加。ゲリラ活動に従事するも逮捕され,1972年8月から1985年3月に釈放されるまでの約13年間,過酷な獄中生活を送る。1995年,左派中道政党「拡大戦線」から立候補して下院議員選挙で初当選。政治家としての道を歩みはじめ,上院議員を経て,2005年に農牧大臣として初入閣。2010年3月1日,第40代ウルグアイ大統領に就任。2012年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連会議でのスピーチが世界中の人びとを感動させ,一躍,時の人となる。

 大統領に就任しても,大統領官邸には住まず,農場にある掘っ建て小屋のような自宅に住み,自分で愛車(フォルクス・ワーゲン)を運転して通勤。警備員はひとりだけ。徹底して余分な経費を削減する。奥さんも議員であるので,お金は十分あるとして,大統領としての給料の9割を寄付。残りの1割を貯金。この貯金は,議員を引退してから貧しい人たちと一緒に働く農場を確保するためのもの。ネクタイはなんの意味もないとして着用しない。

 こんな大統領が追究したテーマは,豊かさとは何だろう?という問いでした。そして,圧倒的多数は貧しい人たちだ。ならば,その人たちの側に立つ政治を行うのは当たり前のことだろう,と考えました。そのためには,みずから質素な生活を送ることがなにより重要であると考え,議員になる前から住んでいた掘っ建て小屋のような自宅から議会に通うことにした,というのです。

 そんな大統領から飛び出してくるスピーチのことばが,世界中の人びとのこころをとりこにしました。以下には,スピーチのなかにでてくる珠玉のことばをいくつか挙げておきたいとおもいます。

 〇貧乏な人とは,少ししかものを持っていない人ではなく,無限の欲があり,いくらあっても満足しない人のことだ。

 〇西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を,世界の70億~80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。

 〇なぜ私たちはこのような社会をつくってしまったのですか。マーケット経済の子供,資本主義の子供たち,つまり私たちが,間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。

 〇マーケット経済がマーケット社会をつくり,このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 〇私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。

 〇このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で,「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。

 〇我々の前に立つ巨大な危機問題は,環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。

 といったような名言がつぎからつぎへと繰り出されてきます。こういう初歩的で,しかも,根源的な問いを発する大統領,それがホセ・ムヒカです。そして,かれは,みずから批判する「消費主義社会」から離脱し,あらたな「持続可能な社会」を構築する政治へと舵を切り換え,真剣に取り組みました。

 その政治的な実績はともかくとして,まずは,ホセ・ムヒカの「ことば」にぜひ一度,耳を傾けてみていただきたいとおもいます。わたしたちの生き方の,なにが,間違っているのか,がもののみごとに指摘されています。かつて,ものの豊かさはこころの貧しさを導き出す,と大塚久雄(経済史研究者)が指摘し,大きな反響を呼んだことがあります。が,いつのまにか,日本人はそんなことをすっかり忘れ去ってしまっているようです。

 その意味でも,この本をお薦めしたいとおもいます。

2015年11月3日火曜日

辺野古に機動隊100人投入。沖縄タイムスの反応。

 政府がなにがなんでも辺野古に新基地を建設しようとする強行姿勢に対して,翁長知事を筆頭に多くの沖縄県民は一歩も引かない姿勢を示している。これからますます新基地建設反対運動が過激化することを想定して,政府は辺野古に機動隊100人を投入するという。それを受けて沖縄タイムスの一面下のコラム「大弦小弦」が,沖縄県民のふところの深さとゆるぎない意思の強さのよってきたる所以を,みごとに言い当てている。

 広い意味での沖縄の特殊事情をみごとに言い当てているようにおもうので,引いておきたい。

 沖縄タイムス,11月2日朝刊一面,「大弦小弦」より転載。

 座り込む市民の中に,姉がいた。強制排除する機動隊の列には,弟がいた。オスプレイの配備が強行された2012年,普天間飛行場のゲート前。目が合い,二人は愕然とした──▼県警の警察官はここで共に暮らし,働いている。だから,こういうことが起きる。全国紙の記者に言わせると,「沖縄の警察は生ぬるい。東京だったらすぐに排除ですよ」となる。でも,県民多数の意思を肌で感じるから,むちゃはできない▼今,キャンプ・シュワブのゲート前でも,目をうるませる警察官がいる。年配の市民は「戦争に行くのはあなたたちだよ」と語り掛ける。現場が荒れた後も,最低限のつながりが生まれる▼そこへ,警視庁の機動隊を導入するという。沖縄の歴史と現状を知らない彼らの暴力が心配だ。抗議行動の「激化」は理由にはならない。一番激しかったのは昨夏だから。いまさら「長期化」でもない▼機動隊増派は,琉球処分で派遣された軍隊や警察を思い起こさせる。政府が反発を計算しなかったはずはない。新基地建設の強行へ,あえて力を見せつけ恐怖で支配する意図が見える▼安保関連法では根幹である憲法を破った。法の解釈や運用はどうにでも変えて,県との法廷闘争にも勝つつもりだろう。だが,政府が制御できないものがある。尊厳を踏みつけられる者の怒りだ。(阿部岳)

 解説は不要だろう。ただ,ひとことだけ感想を。わたしはこれを読んで胸が詰まった。このコラムを書いた記者のしなやかなハートと温かさと怒りの強さに。そして,いかにも「沖縄」らしいふところの深さを感じて。それに引き換え全国紙の記者のハートの冷たさに。この温度差こそが,辺野古問題を考えるときの,大きな分かれ目になっているのだ,と。

 かつて,このブログにも書きましたが,それこそ学生時代から購読していた朝日新聞に別れを告げて,東京新聞に乗り換えました。そして,しばらくして,沖縄タイムスもネット購読することにしました。お蔭で,沖縄をみる目,辺野古を考えるスタンスが一変しました。とりわけ,沖縄県民のハートをつかむ記事というものがどのようにして編み出されているのかがよくわかってきました。それはきわめて単純なことでした。それは読者に対して,いま,起きていることがらの「事実」をいかに的確に伝えるか,その一点にあるということ。たとえば,翁長知事とは反対の立場の主張もしっかりと記事にしているということ。つまり,政治的中立ということ。

 政治的中立ということは,賛否両論をあるがままに報道すること。そして,読者がそれらの主張について考える場を提供するということ。一方的な押しつけはしないということ。それを忠実に実行しているのが,いわゆる沖縄2紙といわれる琉球新報と沖縄タイムスです。その点で,この2紙は長年にわたって凌ぎを削ってきたのでしょう。ですから,全国紙などは遠く足元にも及ばない,真の意味でのジャーナリズムが生き生きと息づいていると言っていいでしょう。

 今日,紹介した「大弦小弦」の阿部岳さんのコラムはその典型的なもののひとつと言っていいでしょう。そんなおもいを籠めて,あえて,このコラムを紹介させていただきました。とくと,ご熟読のほどを。

2015年11月2日月曜日

MRI の検査を受けてきました。結果は9日に。

 11月2日(月)。予定どおり,MRI の検査を受けてきました。朝食抜きで,午前10時から。

 朝から雨。それも風雨。しかも,気温が低い。傘をさして駅まで歩く間に両手が完全に冷えてしまって,痛いほどでした。手袋を・・・と出掛けにちらっとおもったのですが,まだ,早いだろうと判断したのが間違いでした。ひらめきは大事にしなくては・・・。

 病院に到着してもからだは冷えっぱなし。でも,すぐに検査にとりかかるという。少しからだを温めてからにしてほしい,と言えず(気が弱いものですから),そのまま検査室へ。造影剤を注入する針を入れる血管がみつからず,看護師さんが苦労する。しばらくの間,こすったり,叩いたりして,ようやく血管が浮き上がってくる。それで針を刺す。この針がまた長い。しかも,痛い。

 こんなことは初めてでしたが,検査室に入ると,すぐにヘッドホーンをつけられ,これで検査技師の指示を聞き取ってください,という。「大きく息を吸って,吐いて,止めて」という,例のやつだ。なるほど,と納得して横になる。これも初めてでしたが,両腕を頭の上に伸ばしたまま,円筒形の機器の中にベッドが移動して入っていく。この円筒形の機器の中でストップしたまま撮影に入るらしい。その空間がまたけたたましく狭い。

 しばらくしたら,ヘッドホーンからなにか声が聞こえてくるが,はっきりとは聞き取れない。これはいけない,と慌てて「聞こえませんッ!」と大きな声で何回も怒鳴っても,検査技師には聞こえないらしい。円筒形の中で両腕は頭の上に伸ばしたまま,しかも,胴体はしっかりとしたベルトで固定されている。この円筒形の機器の中から出るに出られない。困った。足元をみてみたら,足先が少しだけ円筒形の外にでていることがわかり,急いで,足をバタバタさせる。ようやく,検査技師が気づいて中に入ってきて「暴れないでください」という。冗談じゃあないとおもいながらも,「音声が聞き取れません」と,これまた遠慮がちに言う。「はい,わかりました。音声を調整します」ということで一件落着。

 かとおもいきや,検査がはじまると音声が次第に小さくなっていく。かすかに聞こえてくる「指示」にしたがって,なんとか検査を終える。あとで気づいたのは,ヘッドホーンがぶかぶかで,耳にうまくフィットしていなかった,ということ。これなどは初歩的なミス。

 途中で,「これから10分間,間を空けてから,また検査をはじめます」という。この間,なにも聞こえない,なにも見えない,いやーな気分。この10分間の長いことながいこと。円筒形の中に缶詰にされたまま,眼をつむって,ひたすら待つ。せめて音楽でも流してくれればいいのに・・・などと考える。そのうちに,尿意を催してきて,これとの闘いがはじまる。必死で我慢するのだが,これは無理だと考え,「トイレに行きたいのですが!」と数回,怒鳴ってみても応答なし。冷や汗を流しながら,必死で堪える。やがて,「検査を再開します」という音声。

 これはもう駄目だと諦めて,少しだけ「ちびる」ことに。ほんの少しだけ「ちびった」つもりだったのでけすが,終わってみたら立派に「びしょ濡れ」。薄いブルーの検査着に着替えていたので,大きな,りっぱな「世界地図」が出来上がっていました。「はい,お疲れさまでした」と言って入ってきた看護師さんに,ことの顛末を話す。「ああ,大丈夫ですよ。よくあることですから」とあっけらかんと言われてしまう。そうか,俺ひとりだけではないのだ,と知る。

 このシステムには致命的な欠陥がある。音声が一方通行である,ということだ。これが双方向になっていれば,会話ができる。患者の要望も即座に伝えることができる。しかし,そうではないのだ。だから,検査の途中で尿意を催してもトイレに行くことができず,不本意ながらも「もらす」ことに。こういうことはいくらでも起こりうる。

 もう一点は,円筒形の機器の中に入れられてから,今日の検査は「約40分」ほどかかります,と言われたこと。そのときは,「40分」かぁ,少し長いなぁ,でも大丈夫だろう,くらいにおもっていました。が,この検査室が想像以上に寒く,途中でからだが冷えてきて,「寒い」と吼えてみましたが,応答はありませんでした。いやな予感が現実になってしまい,後悔してしまいました。あらかじめ,「40分」という時間を知らせてくれれば,その前に準備ができたのに・・・・と。

 とまあ,文句たらたら。どこかのタイミングでこの欠陥は修正するよう言わなくては・・・・とおもいながら帰宅。

 結果は,専門医のコンファランスを経て,一週間後の9日(月)にわかる。まあ,どういう結果になろうとも,慌てるな,と自分に言い聞かせている。でも,やはり不安ではある。でも,仕方がない,ともおもう。やはり,かなり「揺れて」はいる。正直に白状してしまえば・・・・。あとは,運を天にまかせる以外にはない,とみずからに引導をわたす。幸運を祈るのみ。