2013年7月31日水曜日

全柔連につける薬なし。評議員会,お前もか。

 開いた口が塞がらない,とはこのことだ。内閣府公益認定等委員会から前代未聞の「勧告」がくだされて,いよいよ全柔連の理事会も評議員会も待ったなしの決断を迫られ,それなりの「腹」のくくり方をするものだとわたしは信じていた。しかし,そうではなかった。この人たちはまだまだことの真相がなにもわかってはいない,病重篤の人びとだと知った。

 昨夜,あちこち飛び交っていた情報によれば,了徳寺評議員が提案する予定の動議(前理事の辞任,ゼロからの再出発,など)を支持する評議員が圧倒的多数を占めるにいたった,ということだった。しかし,一夜明けた今日になってみると,がらりと様子が変わり,またまた現執行部支持の票決となった。この一夜のうちになされたらしい「工作」がどのようなものであったのかは,わたしたちの知るよしもないところだ。しかし,なにかがあったな?とはおもう。でなければ,こんな結果にはならなかったはずである。

 理事会の自浄能力が低下したときにこそ,評議員会が冷静に,客観的に,良識ある判断をしてその組織を守らなくては,その存在理由はない。その最後の頼みの綱である評議員会までもが「毒」で汚染されてしまっていた。もはや,全柔連につける薬はない。

 上村会長が8月末までに辞任する,と表明したとか。前にもそんな話を聞いた覚えがある。しかも,まもなく撤回された。そして,発したことばは「改革の目処が立ち次第」辞任する,ということだった。こんどもまた同じ「改革の目処をつけて」辞任するという。それも前倒しして,とか。わたしは信じない。一度,辞任というような重大な決意表明を撤回した人間は,また,同じことをやるだろうとおもっている。世の中の多くの人たちは,また,嘘をつくのか,また,騙すのか,そのための時間稼ぎか,とわたしと同じように受け止めているはずだ。それは,盗みの常習犯と同じだ。

 しかし,それにしても,全柔連はことの重大さをなにもわかってはいない。「思考停止」してしまった多くの日本人と同じレベルの人たちが,全柔連の理事会,評議員会を構成していることが,もののみごとに露呈してしまった。

 30日には,公益認定等委員会を所管する稲田朋美・行政改革担当相が「執行部が自発的に辞めただけでは勧告書どおりのガバナンス再構築とは到底言えない」と述べ,会長辞任にとどまらない抜本的な改革に取り組むよう求めている。そして,評議員会が解任案を否決したことについては「勧告書の趣旨を,果たして理解されているのか」と不快感を示し,8月末までに提出を求める報告書をもとに改革が不十分と判断した場合には「(公益認定を)取り消すこともあり得る」とくぎを刺している(31日の『毎日新聞』朝刊による)。

 すでに,わたしたちが知っている範囲でも,さきに出された「勧告」に対して全柔連は「反論書」を提出している。しかも,その書式ならびに文章がまるで中学生以下のレベルのものでしかなかった,ということも新聞をとおして知っている。全柔連の現執行部はそんな稚拙な対応しかできない集団だということも衆知のところだ。その集団が,あと残り一カ月という段階にさしかかって,どれだけの改革案を練り上げ,監督官庁に対して,文書として提出することができるのか,わたしはきわめて懐疑的である。

 日本の柔道をこよなく愛している人間のひとりとして,まことに残念の極みである。だから,あえてここに書いておきたいことがある。上村会長は8月末までに講道館館長の職も辞すべし,と。ここが上村会長の最終的な命綱だとおもっている。だから,講道館館長を辞任する考えはない,とすでに記者会見で述べている。それでは元も子もないではないか。

 内閣府の公益認定等委員会の眼は節穴ではない,とわたしはみている。こんどこそ襟を正して,柔道界を再生させるためにも,勇断をくだしていただきたい。評議員会までも「毒」がまわってしまった組織は一度,解体して,ゼロから出直すしか方法はない。つまり,つける薬はもうなにもない。残る方法は,外科的な解体という大手術のみだ。そのとき,はじめて,理事会,評議員会のみならず,純粋に柔道を愛好する人びとの眼が醒めるだろう。そこから,もう一度,やり直すしか方法はない。変な妥協をしてしまうと,かえって柔道界のためにならない。

 この問題については,じつは,もっともっと多くのことを語る必要がある。が,今回はこのあたりで,ひとまず終わりにしておこう。また,いずれこのつづきを書くことにして。いずれにしても,問題の根は深い。

「スポーツ批評」ノート・その5.ニーチェの『悲劇の誕生』が示唆するもの。

 ニーチェをどのように評価し,かれの思想・哲学からなにを継承するかという点については,いまでも議論の多いところだとおもいます。ハイデガーは,ニーチェはわたしの師匠である,といいました。それに対して,ジョルジュ・バタイユは「ニーチェを生きる」と断言しました。当時,ニーチェの思想・哲学を高く評価する哲学者のなかでも,バタイユのそれは異色だったとおもいます。わたしはバタイユのこの発言に刮目しました。「ニーチェを生きる」とはどういうことなのか,とわたしはかなり深刻に考えたことがあります。なぜ,バタイユはこんな言い方をするのか,と。そうして,考えていくうちに,ますますバタイユの世界にのめりこんでいくことになりました。

 いったい,バタイユに「ニーチェを生きる」と言わしめた理由はなにか。その全貌を語る資格はわたしにはありません。しかし,ニーチェのどこがバタイユを惹きつけたのか,その一端をスポーツ批評という観点から見出すことは可能だろう,と考えています。結論をさきどりしておけば,「ニーチェを生きる」ということばに,じつは,バタイユの「批評性」のすべてが籠められている,とわたしは考えています。つまり,「批評」とは,そういうことなのだ,と。以下には,その点に限定して,わたしの見解を述べておこうとおもいます。

 そのキー・ワードは,ニーチェがそのデビュー作である『悲劇の誕生』で提示した「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」のふたつです。ギリシアの古典を徹底的に分析した古典文献学者としてのニーチェが,その結論として導き出した概念がこの「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」のふたつでした。つまり,ギリシア悲劇が誕生するもっとも大きなきっかけは,理性的合理主義的な考え方(アポロン的なるもの)と情動的な快楽主義的な考え方(ディオニュソス的なるもの)との,真っ向からの対立,亀裂にあった,とひとまず整理しておきたいとおもいます。もう少しだけ補足しておけば,実際に生きる人間はこの両方の考え方につねに呪縛されていて,この両者の葛藤のもとに「生」を営んでいる,というのが実態であるわけです。ということは,人間が生きるとは,つまり「宙づり」状態を生きるしかないというわけです。しかし,このことをなかなか認めようとはしない人びとが多数を占めているのも事実です。ここに,じつは,現代の「悲劇」が待ち受けているという次第です

 もともと,ディオニュソス的なコスモロジーを生きていた古代ギリシアの人びとが,あるときから,「アポロン的なるもの」を優位に立たせて,ものごとを考え,生きるようになります。そして,情動的な「生」の喜び・快楽を徐々に蔑むようになってきます。そのようにして誕生した悲劇のひとつがエウリピデスの『イフィゲネイア』です。トロイア戦争に勝利するためには,ギリシア軍を率いるアガメムノンの娘イフィゲネイアを供犠にささげなくてはならない,という託宣がくだります。しかし,父アガメムノンとしては,その情において,それを実行するわけにはいきません。妻のクリュタイムネストラは娘イフィゲネイアを犠牲にささげることに徹底的に反対し,抵抗します。つまり,トロイア戦争に勝利しなければならないという目的(アボロン的なるもの)をなし遂げようとすれば,娘イフィゲネイアの命を救うことはできません。ここに「悲劇」が誕生するというわけです。

 ニーチェが抽出した概念「アポロン的なるもの」は,こんにちの時代に置き換えれば「科学的合理主義」です。それに対して,「ディオニュソス的なるもの」とは「生の源泉」に触れる喜びを重視する「生命中心主義」(あるいは「快楽主義」)に相当します。この情況は,じつは,古代ギリシアのむかしから,こんにちの現代文明社会を生きるわたしたちに至るまで,基本的には少しも変わってはいません。もっとはっきり言っておけば,科学的合理主義に信をおく原発推進派か,命を守ることを最優先させる脱原発派か,という分裂現象がじつによくこのことを表しています。ここに,現代の「悲劇」の誕生をみることができます。二者択一しかありません。しかし,よくよく考えてみれば,わたしたちは「科学」のみで生きることはできないということは,だれの眼にも明らかです。しかし,お金の魔術にひっかかってしまった人びとには,その可笑しさすらわからなくなっています。お金よりも「命」が大事という,こんな単純な論理すら理解できない人が多数を占めるようになった世の中をどのように考えればいいのでしょうか。

 ここに,「批評」が成立する根拠がある,とわたしは考えています。ということは,「スポーツ批評」もまた,このことと無縁ではありえません。スポーツにとって「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」をどのように考えるべきか,わたしのスポーツ批評を支えるひとつの重要な根拠はここにあります。

 スポーツにとって「アポロン的なるもの」とは,ルールであり,管理・運営する組織であり,経済的合理主義などによって絡め捕られる側面のことです。それに対して「ディオニュソス的なるもの」とは,スポーツをする喜びであり,フロー体験であり,エクスターズに接近していく快感のようなものを意味します。近代競技スポーツは「アポロン的なるもの」に大きく傾斜していきました。そのために「ディオニュソス的なるもの」を,ルールによって徹底的に排除していきました。そのために,スポーツのあるべき姿が極端に偏ってしまい,勝つことだけが唯一・最高の価値をもつにいたってしまいました。つまり,スポーツは,経済の市場原理に絡め捕られ,さらにはメディアの格好の餌食にされてしまい,形骸化・事物化(ショーズ化)し,金融化へとますます傾斜しつつあります。その結果,子どもの遊びにも等しい,素朴なスポーツをする喜びが軽視され,抑圧され,排除されるという経過をたどりつつあります。

 ニーチェの思想・哲学からは,スポーツ批評をする上において,もっともっと多くの重要な示唆をえることができます。それらについては,また,別の機会に触れてみたいとおもいます。今回は,とりあえず,「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」という,ニーチェの重要なふたつの概念装置について考えてみました。

 いかがでしたでしょうか。こんなことを,とりあえず,わたしは「スポーツ批評」を立ち上げるために必死で考えています。

 とりあえず,今日のところはここまで。

2013年7月30日火曜日

富士山に登山鉄道だってェーッ?! 

 富士山が世界文化遺産に決まったことを契機にして,またまた,一儲けしようという輩が動きはじめているという。なんでもかんでも儲かればいいというホモ・エコノミクス族の考えそうなことではある。その情報によれば,この登山鉄道をJRにつなげて,成田空港と直結して,外国人観光客をストレートに富士山に呼び込もうというのである。いやはや,儲かればいいという人たちの考えることは,わたしのような小国民とはケタが違う。そんなことをしたら,富士山が富士山ではなくなってしまう,などとは考えない。それよりも世界中の人が一人でも多く富士山にやってきて,日本にカネを落していってくれればそれでいい,ということらしい。

 ここまで書きながら,「それはもはや柔道ではない」という名セリフを思い出している。つまり,柔道がグローバル化した結果,世界に広まり,柔道人口が桁外れに多くなった。そのこと自体はまことに結構と歓迎され,日本もまた柔道の世界的普及のために力を注いだ。そして,オリンピック競技種目となり,世界選手権大会まで開かれるようになる。が,気がついてみると,「それはもはや柔道ではない」という結果を招来してしまうことになった。

 この謂いにならえば,「それはもはや富士山ではない」というときがやってくるのは明々白々である。苦労して富士山の頂上に立ってみたら,そこにいる人たちの顔のほとんどが外国人であった,ということもありえないことではない。ひょっとしたら,富士山の頂上が「外国」になってしまうこともありえないことではない。となると,霊峰富士は異教徒のマナーに占領されてしまう,ということだってありえないことではない。

 富士山の頂上に立つ,ということはわたしたち日本人にとっては,いわゆるふつうの山の頂上に立つこととはまったく異質のものだ。いまでは,もはや,信仰登山を意識して富士山に登るというような人はごくまれでしかないだろう。そんなことはまったく意識していなくても,無意識の底のどこかには霊峰富士という意識が生きているように思う。しかし,富士山に登る人の意識は,ほかの北岳や仙丈ヶ岳に登るのとほとんど変わらないだろうとおもう。それでも,こころの底のどこかには「富士山」という特別の意識があるようにおもう。それは,やはり,つきつめていけば,霊峰富士というところにゆきつく。

 富士山が世界文化遺産に指定されたとき,わたしは,なぜ,世界自然遺産ではないのか,とつよい疑問をいだいた。しかし,いろいろの情報を集めてみると,日本人はむかしから富士山を信仰の対象として仰ぎみ,みそぎをし,白装束に身を固めて登山する,という長年の慣習行動が高く評価された結果だと知った。しかし,いまでも,富士山の麓でみそぎをし,白装束で登山をする人がいるにはいるが,ごく少数にすぎない。このことはだれもが知っていることだ。にもかかわらず,富士山は他の山々とは別格であり,こころのどこかに「祈り」のようなものを抱いてしまうのはわたしだけであろうか。

 もちろん,穂高岳に登る人たちのなかには,穂高神社のご神体に「登らせていただく」という意識をはっきりともつ人もいることは間違いない。しかし,そういう人たちは,穂高神社の氏子さんか,あるいは,穂高にまつわる伝承に共鳴する人たちに限られるだろう。だから,数からしたら,ほんのごく少数にすぎない。しかし,穂高岳に登山鉄道を敷設するなどというプランが立ち上がったら,この人たちは黙ってはいないだろう。そして,それこそからだを張って,反対の意思表明をするだろう。なぜなら,自分たちの信仰の拠り所が,不特定多数によって独占されてしまうからだ。それは,耐えられないことだろう,とわたしはおもう。

 このことは富士山とて同じであろう。しかし,残念ながら,わたしは富士信仰の実態をほとんど知らない。コノハナサクヤヒメを祀る浅間神社のご神体が富士山である,という程度のことしか知らない。だから,どのような信仰形態がこんにちにも伝承されているのか知らない。つまり,具体的な信仰の形態はなにも知らないのに,わたしたちのこころのどこかに富士山を特別視する,不思議なものがあることは間違いない。

 さて,そこに登山鉄道を敷設する案が持ち上がっているというのだから,ことは単純ではない。この計画の詳しいことについては,http://www.nikkei.com/でご確認ください。この情報によると,富士山に登山鉄道やケーブルカーや地下ケーブルカーを敷設するプランは過去にも何回ももちあがり,そのつど,それぞれの理由があって実現にはいたらなかったという。その情報もじつに面白いのだが,今回は,割愛。さらに詳しく知りたい方は,村串仁三郎著『国立公園成立史の研究』(法政大学出版局)をご覧ください。

 ところで,今回の登山鉄道敷設計画は,はたして成功するのだろうか,とわたしは少なからず関心をもっている。なぜなら,あらゆるもの(人間の身体までも)が金融化されていく時代にあって,とうとう富士山までもが資本の論理に絡め捕られ,金融化していくのか,となかば呆れ果てて眺めている。と言いつつも,はたまた,ほとんど死んだも同然の富士登山の信仰が息を吹き返すのか,その行方にひとかたならぬ興味・関心をいだいている。

 結論を言っておけば,日本人としての「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)が問われている,と。すなわち,わたし日本人とっての「根」をもつことのひとつは,霊峰富士を共有することではないか,と。だから,富士山を可能なかぎり自然状態のままで維持・保存し,そこはかとなくこころの拠り所として大事にしておきたい,と考える。この点については,じつは,相当に詳しくそのロジックを明らかにしておかなければならないだろうとおもう。いずれ,機会をみつけて,とことん論じてみたいとおもう。が,今回は,ここまでとする。

2013年7月29日月曜日

部活の先生は教祖さま? 生徒を「洗脳」せよ,とか。

 第74回「ISC・21」7月大阪例会で盛り上がった話題のひとつは「洗脳」でした。体罰の問題について聞き取り調査をしたNさんが出会った部活の先生の口から飛び出したことばが「洗脳」だったというのです。つまり,部活の生徒たちを指導する理念は,まずは生徒たちを「洗脳」することだ,と語ったというのです。しかも,実際に,その部活の現場をみせてもらったら,驚くべき光景がそこでは繰り広げられていた,というのです。

 たとえば,女子のバスケットボールの部活での話。先生の指導したとおりに生徒たちが動かないとなると,先生はプイと顔を横に向け,椅子から立ち上がり,体育館からでていこうと歩きはじめます。すると,生徒たちは全員で先生のあとに追いすがり,土下座して,頑張りますから指導をお願いします,と謝るのだそうです。しかし,それでも先生は無視して,歩きはじめます。すると,さらに追いかけていって,ふたたび土下座して謝り,お願いをするというのです。こんなことを何回も繰り返して,先生は生徒たちに絶対服従を誓わせるのだというのです。

 なにか信じられないような光景ですが,現実には,いわゆる強豪校といわれるチームを育てている部活ではこのようなことは当たり前のことだそうです。もし,これが事実だとすると,強豪校で展開されている部活とはいったいなんなのだろうか,と首をかしげてしまいます。これは,どう考えてみても,学校教育の「教育活動」の範疇から大きく逸脱している,といわざるを得ません。しかし,こんなことが「教育」の名のもとで,学校の部活として美化されているというのです。

 これは恐るべきことです。しかも,こんな現実が,素晴らしいチームを育てている優れた指導者として褒めそやされ,尊敬を集め,美化されているというのですから,もはや,いうべきことばもありません。常時,県大会のベスト4以上の成績を収めている強豪校の指導者たちは,まるで教祖さまのように,生徒だけではなく,父兄や同僚の先生たち,さらには校長先生の上に君臨している,とも聞いています。

 大阪の桜宮高校のバスケットボール部の事件は,そうした風潮のなかから生まれた必然の結果であり,しかも,氷山の一角にすぎない,というのです。

 そうして,ひとたび「事件」となると,そういう先生の独断偏向を許した学校の校長はなにをしていたのか,そういう強豪校の現実を知っていながら,みてみぬふりをしていた教育委員会が悪い,父兄もなにをしていたのか,同僚の先生たちはなにをしていたのか,生徒たちもなぜ黙っていたのか,などとマスコミは喧しく騒ぎ立てます。そして,それらしき処分をして,その場しのぎの問題の解決をはかろうとします。つまり,氷山の一角が「事件」を起こしたために問題が表面化しましたが,それ以外の学校では自粛しているとはいえ,ほとんど変わることなく,これまでどおりの指導が展開しているといいますし,さらに,指導者が責任をとらなくてもいいように姑息な約束ごとが事前に文書で交わされているとも聞きます。

 問題はここからです。はたして,マスコミはもとより,それを他人事のように傍観しているわたしたちに,そのような学校現場を批判する資格があるのか,ということです。

 「洗脳」ということばを聞くと,わたしたちは思わず吹き出して笑ってしまいます。しかし,その資格がはたしてわたしたちにあるのだろうか,というのがわたしの疑問です。

 恥ずかしながら,わたしたちは自民党に圧倒的多数の議席を与える選挙行動をとってしまいました。はたして,自民党こそ信頼に足る政党であるとこころの底から信じて投票した人がどのくらいいたのでしょうか。自民党に一票を投じた人の多くは,ほかの政党よりはましだから,という判断だったと新聞なども報じています。つまり,ほかの政党よりはましだ,という判断はどこからきたのかといえば,それはまぎれもなく「洗脳」の結果です。

 「洗脳」されなかった人は,野党のどこかに次善の策として一票を投じ,息を潜めてその結果を見守ったはずです。ひどい場合には,夢も希望もないと失望し,棄権しています。ことの是非はともかくとして,各政党の教祖さまは陣頭指揮をとり,いかに多くの有権者を「洗脳」するかに全力投球をしました。その姿は街頭演説をみれば明らかです。そこに,マスコミがニュースの名のもとに便乗して,「洗脳」に参加しています。

 わたしたちはあの手この手で「洗脳」された結果として,安倍晋三教祖さまを選出してしまいました。これから3年間は,よほどのことがないかぎり,この教祖さまのもとに平伏して,絶対的な服従を強いられることになります。

 それとこれとは問題が違うと仰る方も多いかとおもいますが,わたしには,問題の本質においてまったく同じ現象だと受け止めています。つまり,教祖さまを生み出す土壌は,なにも学校現場の特殊事情によるものではなく,企業でも同じだと見聞きしていますし,官僚の世界ではもっと徹底しているとも聞きます。わたしのよく知っている大学という組織も同じです。たとえば,教授昇任の人事にいたっては,目に余るほどの「洗脳」が繰り広げられています。

 あるいは,家庭のなかの幼児虐待も同根だとわたしは考えています。さらには,DVも同じです。そこからさらに逸脱していくと,こんどは無差別殺人というところに飛び出していきます。

 ですから,学校現場はどうなっているのか,と批判する前にわたしたち自身にそれを批判する資格があるのか,と問うことが先決ではないか,と考えます。つまり,学校現場は社会の映し鏡にすぎない,というわけです。そこまで,わたしたちの思考をもどして再スタートを切らないかぎり,現状は単なる「モグラ叩き」のゲームをしているだけにすぎません。つまり,この「もぐら」を生み出す土壌を「除染」しないかぎり,半永久的にこのゲームはつづく,という次第です。

 まずは,わたしたち一人ひとりがなにものにも「洗脳」されることなく,みずからの思考を深め,しっかりとした思想・信条にもとづく生き方をしないことには,問題は解決しないと,とりあえずは言っておきたいとおもいます。

 なぜなら,「洗脳」の問題は,じつはそんなに単純ではありません。たとえば,公教育もまた,理想とする日本国民に仕立て上げるための「洗脳」にほかなりません。優れた哲学書を読み,考え,みずからの思考を深めていくこともまた広義の「洗脳」です。あえて申し述べておきますが,わたし自身もじつに多くの人の考え方によって「洗脳」された産物にすぎません。ですから,ここではひとまず,自立(自律)してものごとの判断ができる人間になること,そのベクトルに向けて努力すること,そうすることによって一過性の「洗脳」に対する抵抗力をわがものとすることが肝要である,というところに落しておきたいとおもいます。

 というところで,ひとまず,終わりとします。

2013年7月28日日曜日

新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルが多くなっているのでは?

  毎月1回開催している「ISC・21」の月例会が,今月は,大阪学院大学を会場にして行われました。今回もとても充実した議論ができ,また,一歩積み上げができたかな,と大満足です。どんな議論がなされたのかということについは,いずれ整理しておきたいとおもっています。が,その前に,新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルの数が徐々に増えているのでは・・・・,ということに気づき,それからあとは夢中になってソーラー・パネルの姿ばかりを追い求めていました。

 むかしから,汽車に乗ると,じっと車窓からみえる景色を眺めるのが好きでした。ですから,いまでも新幹線に乗るときは可能なかぎり窓側の座席を確保することにしています。そして,ほとんどなにも考えないようにして,ぼんやりと景色を眺めています。そうすると,意外な景色が眼に飛び込んでくることがあります。いままで,とことん見慣れてきた新幹線からの景色であるはずなのに,ときおり予想外の発見をすることがあります。そして,そこから,いろいろの発想が生まれてきたりします。しかも,あくことなき想像力をはたらかせていくと,ふだん思ってもみなかった思考の地平がどんどん広がっていって,恍惚となることがあります。つまり,わたしにとっての新しいオブジェの発見というわけです。

 今回のオブジェは,ソーラー・パネルでした。もちろん,これまでにも新幹線の車窓からソーラー・パネルは眺めていたはずです。ですから,それは見慣れた当たり前の風景のひとつだったはずです。つまり,ソーラー・パネルが他の森や山や街並みと同じように,ただ,みえているだけのことであって,その存在が意識にまでのぼってくることはありませんでした。が,今回は,そのソーラー・パネルがわたしの意識にのぼってきて,おやっ?と気づかされることになりました。つまり,車窓からみえていたソーラー・パネルが,今日,初めてとくべつの意味をもちはじめたというわけです。

 そんなことを仰々しく取り上げなくても,みんな承知していることだよ,といわれるかもしれません。しかし,単なる風景であったソーラー・パネルが,特別の意味をもつ存在としてわたしの意識にのぼってきたのですから,これはわたしにとっては看過するわけにはいきません。

 そうだよ,ソーラー・パネルだよ・・・・,とひとりごとをいいながら,注意して眺めていると,家の屋根にソーラー・パネルがいくつもみえてきます。そして,こんなにたくさんのソーラー・パネルがあったかなぁ,と考えたりしています。よくよくみると,新築の家にソーラー・パネルが多い,ということに気づきます。そうか,新築のときに一緒にやってしまえば,電気代は不要となり,余れば売ればいい。ということは,これから新築する家にはソーラー・パネルが増えていくことになる。つまり,脱原発などといわなくても,みずから行動で意思表明をしているのだから。この方法はなかなかスマートでいい。お金のある人はぜひこの方法を採用してください。

 つぎに眼についたのは,学校の屋上,役所の屋上,病院の屋上にソーラー・パネルが増えているということでした。さらには,町工場の倉庫の上,空き地,休耕田,などにもちらほらとソーラー・パネルが設置してあります。これまでにも,時折,みかけることはありましたが,その数は微々たるものでした。それが,いつのまにか,かなりの数になっているのを知って驚いた次第です。

 これはいい。まだまだ設置する場所はいくらでもある。なにも,メガ・ソーラーのような大規模な発電装置にとらわれている必要はありません。国民ひとりひとりができるところからはじめればいい。それはたしかに微々たるものでしかありません。しかし,この微々たるものの総和となると,メガ・ソーラーの発電量をも凌ぎ,超えていくことは容易に想定できます。

 一昨年,訪れた中国雲南省の昆明市の光景を思い出してしまいます。高層ホテルの上階の部屋から眺めた昆明市の家々にはびっしりとソーラー・パネルが設置してありました。ビルの屋上にも,間違いなくソーラー・パネルが張ってありました。道路の信号機の一つひとつにも小さなソーラー・パネルが張ってありました。このことは,このブログにも書きました。詳細はそちらに譲ることにしたいとおもいます。

 日本も,原発にこだわり,そこにカネをかけつづけていることを考えれば,それだけの国家予算を,個人でソーラー・パネルを設置する人のために支援することなどいともたやすいことであるはずです。なのに,なんともはや腰の重いことか,とあきれ返ってしまいます。みるにみかねた城南信用金庫(理事長)は,中小企業主や商店主や地域住民を対象に,ソーラー・パネルの設置のための特別融資をかってでています。しかも,業者の推薦から,その後の管理・運営に関するいっさいを含めて支援することに全力を注いでいます。

 それにしては,国も地方自治体もフットワークが重すぎます。それにじれた国民が,率先垂範するようにして,自宅の屋根にソーラー・パネルを設置しはじめています。それに後押しされたのか,学校や病院や役所の屋上にソーラー・パネルが設置されるようになってきているようです。そして,さらには倉庫の屋根や空き地や休耕田などへとその動きが拡大しつつあるんだなぁ,とそんなことを新幹線の車窓からぼんやりと考えていました。

 ドイツの再生可能エネルギーへの取り組みは,こうした市民の小さな運動からはじまって,それらをつなぐ全国的なネットワークを構築して,膨大な電力を確保できるようになってきている,と聞いています。まもなく電力を輸出できるようになるだろう,とも。

 日本もドイツと同じようなことをやろうと思えばできます。しかも,そのキャパシティはドイツよりも有利です(日照時間の長さが圧倒的に違います)。なのに,政府はそこには手をつけようとはしません。なぜかは,もう,お分かりのとおりです。そうです。既得権益をなんとしても手放そうとはしない人びとが大きな壁になっているからです。この壁を,いかにして突き崩すか,まずは,ここからはじめるしかありません。

 とまあ,こんなことを新幹線の車窓から景色を眺めながら,考えていました。これからも,どんどん,ソーラー・パネルが増えつづけることを期待したいとおもいます。そして,気がついたら原発は不要の長物であった,という時代を早く迎えたいものです。単なる夢物語に終わらせたくない話ですね。

2013年7月26日金曜日

「スポーツ批評」ノート・その4.ベンヤミンの『暴力批判論』の示唆するもの。

  ヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』が,とりわけ「批評」の世界でさまざまに論じられ,いまも大きな存在であることは,衆知のとおりです。しかしながら,スポーツの世界では「スポーツ批評」が未熟なままであったために,ベンヤミンの『暴力批判論』をベースにした議論は,残念ながらほとんどありません。

 いわゆる「スポーツ評論」の分野はとても活発で,各競技種目ごとに専門家がいて,とてもにぎにぎしく「評論」が展開されています。しかしながら,腰のすわった本格的な「スポーツ批評」はほとんどみられません。ここでいう「評論」と「批評」の違いについては,とても重要な問題が秘められていますので,ぜひ,どこかでしっかりと論じてみたいと考えています。ので,ここでは「スポーツ批評」にとってベンヤミンの『暴力批判論』がどういう点で重要であるのか,というところに焦点をあてて考えてみたいとおもいます。

 スポーツ批評にとって,スポーツの「ルール」の問題を論ずることはきわめて重要な眼目のひとつだと,わたしは考えています。その点で,ベンヤミンが提示した「法措定的暴力」と「法維持的暴力」の二つの概念装置と,「神話的暴力」と「神的暴力」の二つの概念装置は,スポーツ批評にとっては不可欠な,きわめて重要な意味をもっている,といっていいでしょう。なぜなら,スポーツにとって「ルール」はその命運を決するきわめて重要なファクターであるからです。つまり,スポーツを成り立たしめている命綱であると同時に,アスリートたちのパフォーマンスを決定づける上で,きわめて大きな力となっているからです。

 ここではあまり深入りすることはできませんが,大急ぎでベンヤミンの『暴力批判論』の示唆するところを概観してみたいとおもいます。

 まずは,法措定的暴力。スポーツのルールはいつ,だれが,どのようにして決めるのか。少なくとも近代スポーツ競技にあっては,きわめて重大な意味をもっています。しかも,しばしば「ルール改正」(はたして「改正」であるかどうかを判断する基準・コンセプトが大問題)が行われます。そのときに働く「力学」がどのようなものであるのか,そして,それが,だれに利するものであるのか,つまり,アスリートにとってか,観衆にとってか,あるいは,競技の管理・運営者にとってか,さまざまです。こうして,なんらかの形でルールを措定するということは,まぎれもなくそれはひとつの「暴力」として機能することになります。

 つぎには,法維持的暴力。一度,定めたルールを維持しようとするときに働く力もまた,ルールを改正したいとする側からすれば,とてつもなく大きな暴力として機能することは明らかです。ここでは,激しい論争が展開することになります。そして,最終的には,特定の委員会での多数決に委ねられることになります。この多数決原理もまた,立派な「暴力」装置であることも見逃してはなりません。

 こうした法措定的暴力と法維持的暴力の二つの概念装置を,もう少し違った角度から焦点を当てたものが「神話的暴力」と「神的暴力」の二つの概念装置です。

 で,まずは,神話的暴力。ごく大づかみにわたしの理解しているレベルで書いてみますと,以下のようです。ルールを決定(措定)するときにはたらく暴力と,ルールを維持していこうとするときにはたらく暴力の二つを合わせたものが神話的暴力ということになります。つまり,ルールを決めることも,ルールを維持することも,確たる根拠はどこにもありません。ある,なにか,偶然のような「力」がはたらいて,ルールが決められたり,維持されたりしている,というのが実態です。そういう状態の暴力のことを,ここでは「神話的」とベンヤミンは言っているようにおもいます。

 つぎは,神的暴力。こちらは神話的暴力とは正反対で,神話的暴力を根底から引っくり返すような暴力のことを意味している,とわたしは解釈しています。つまり,ルールを決定したり,維持したりする,いわゆる権力に対して,徹底的に抵抗し,最後は「エイヤッ!」という決断しかないという暴力のこと,というわけです。言ってしまえば,ジャック・デリダが言った「力の一撃」に近い概念だとおもいます。ですから,それは「神話的」(世俗的)でもなんでもなく,神がかった理念のもとでの「暴力」とでも言えばいいでしょうか。ですから,「神的暴力」というわけです。ベンヤミンの頭のなかには,たぶん,革命がイメージされていたのではないか,とわたしは類推しています。

 このような,ベンヤミンの提示した「暴力批判」をどのように受け止めるかは,それこそ論者の思想・哲学上の問題であり,思想・信条の問題です。あるいは,広義の信仰,つまり,宗教の問題でもあります。ちなみに,ベンヤミンの立場は,マルクス主義とユダヤ教的救世主待望論とがミックスされた独特の歴史哲学にもとづいている,といわれています。

 スポーツ批評が未熟なままであるのも,じつは,このような確たる歴史哲学に立脚した「批評」を展開する論者が現れない,という一点につきます。批評とは,まったなしに論者の思想も哲学も歴史観も,みんな剥き出しにされてしまう行為にほかなりません。そういうスポーツ批評家を,できることならめざしてみたい,とわたしは考えています。

 ちなみに,ベンヤミンはナチスのユダヤ人狩りを逃れて亡命する途中に,ジョルジュ・バタイユに会って,遺稿をすべてバタイユに託しています。そして,フランスからスペイン国境にさしかかったところで自殺しています。

 というところで,今日のところは終わりとします。

2013年7月25日木曜日

「スポーツ批評」ノート・その3.マルセル・モースの『贈与論』が示唆するもの。

 マルセル・モースの『贈与論』をどのように読むかということについては,おそらく,専門家の間でもいろいろと議論が分かれているように聞いています。なのに,そこに,なぜ,スポーツ史家を名乗るわたくしごときが参入しなければならないのか,不思議におもわれる方も少なくないでしょう。とりわけ,勝利至上主義や優勝劣敗主義に色濃く染め上げられた近代スポーツ競技だけを「スポーツ」だと信じて疑わない人にとってはそうだろうとおもいます。

 しかし,スポーツという文化は時代や社会とともに大きく変化・変容してきました。そして,時代をさかのぼればさかのぼるほど,スポーツの競技性や競争原理は希薄化していきます。さらに,さかのぼると,スポーツは「儀礼」にゆきつきます。その儀礼の根幹にあるものは,人間を日常性から非日常性へと,つまり,祝祭の時空間へと「移動」させる文化装置であることがわかってきます。もっとつきつめていきますと,人間の内なる動物性への回帰願望を実現させる文化装置ではなかったか,というところにいたりつきます(このあたりのところは,わたしの到達した理論仮説です)。

 このような考え方は,すでに,何回も書いてきましたように,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(および,『呪われた部分 有用性の限界』)から導き出されたものです。しかし,ジョルジュ・バタイユにこのような著作を書かせる引き金になったテクストのひとつが,じつは,マルセル・モースの『贈与論』だったわけです。わたしが,この『贈与論』に惹きつけられ,そこからなにか特別なものを感じとるとすれば,それはバタイユ的視点からである,といってよいですし,またそれ以上のものでもありません。

 では,わたしはこの『贈与論』からなにを示唆されたのか,といえばそのもっとも大きなポイントは以下のとおりです。

 ものを与えたり,それを受け取ったりするいわゆる「贈与」行為の根幹にあるものは,ひとことで言ってしまえば「互酬性」であるということです。マルセル・モースは,かれの時代までに知られていた世界中の人類学的な調査研究の成果を丹念に読み解き,そこで展開されているさまざまな形態の「贈与」に注目し,それらについて整理し,考察を加えていきます。その結果,得られた結論は,それらの「贈与」の形態や性質は,それぞれの地域によってかなり違うということでした。しかし,最終的に到達したことは,それらが「互酬性」という概念でくくられる,ということでした。しかも,この「互酬性」という考え方は,なにもものの贈与・交換だけにかぎられたものではありません。それは,かれらの日常生活の隅々にまで浸透していました。のみならず,「贈与」にもとづく人生観や世界観も形成しているということがわかってきました。つまり,いつの時代や社会にあっても,人が生きる根幹の原理となっているものは「互酬性」ではないか,とわたしは読み取っています。

 ですから,この「互酬性」という概念を,たとえば,こんにちのスポーツを構成し,支えている文化全体に当てはめてみますと,また違った風景がそこに忽然と立ち現れることになります。いささか意外におもわれるかもしれませんが,この「互酬性」という概念は現代社会にも立派に生き続けているということがはっきりしてきます。それは,スポーツにおいてもまったく同じです。

 たとえば,野球の攻防。1イニングずつ,攻守交替しながらゲームを進めていく,このゲームの構造そのものが「互酬性」そのものです。そして,その結果として得点差による勝敗の判定があるだけです。この勝ち負けにこだわる見方と,そのプロセスである「互酬性」を楽しむかによって,野球というものの楽しみ方も変わってきます。これなどは,まさに,「互酬性」のもっともわかりやすい事例ではないでしょうか。あるいは,テニス。あの精神分析学の権威S.フロイトは,テニスをこよなく愛していて,このゲームのことを男女の性愛行為そのものだ,と断定しています。そして,それを立証するために,じつにきめ細やかなテニス・ゲームにおける「互酬性」について記述しています。もっとも,このことを記述したといわれるテクストは偽書ではないか,という批判もあることを申し添えておきます。が,それが偽書であれ,そこに記述されている内容は,性愛の「互酬性」であり,素直に納得させられるものでもあります。

 こうして,スポーツ種目をひとつずつとりあげて,「互酬性」について分析していくと,とても面白い世界が開かれてきます。それは,「賭け」の世界や「八百長」の世界とも,微妙につながっているということです。ヨーロッパ近代は,スポーツのもつこの「負」の側面を徹底的に抑圧し,排除・隠蔽していった経緯をもっています。その結果が,こんにち,わたしたちが立ち会っている近代スポーツ競技の世界だというわけです。

 この「互酬性」という概念を前面に押し出して,サッカー批評を展開した今福龍太氏の名著に『ブラジルのホモ・ルーデンス』があります。このテクストにはサブ・タイトルがついていて「サッカー批評原論」とあります。わたしは個人的には,サッカーをこのレベルで「批評」したテクストに,いまだにお目にかかったことがありません。それは,何回,読み返してみても驚くべきことばかり,その発見の連続です。いずれ,このブログでもとりあげてみたいとおもっています。

 が,マルセル・モースの『贈与論』との関連でいえば,『ブラジルのホモ・ルーデンス』の「プロローグ」に,これまで述べてきたことを集約するような素晴らしい記述がありますので,それを最後に引用しておきたいとおもいます。

 「最近は毎年数ヶ月サンパウロに住んでその社会の内奥をのぞきこみ,人々の日々の喜びと畏怖の感情に触れ,自分をそんなブラジル的日常のなかに投げ出して,ブラジルが与えてくれるものを刺戟と共に受け取ってきた。そのなかで,フチボール(サッカー)への愛がブラジル人の魂のもっとも深い部分で彼らの日常的な感情の統合を創りだしていることに気づいた。フチボールを単に娯楽として消費するのではない,それに支えられそれを支えながら生きる互酬的な「サッカー文化」の深い消息を発見して心打たれた。
 サンパウロに住むブラジル人の友人は,優勝が決まってすぐ私に思索的な電子メールを送ってきた。ロナウドとロナウジーニョが終始喜びを全身にあらわしながらプレーしていたこと,これがチーム全体に伝染し,結果やミスへの不安や恐れをぬぐい去り,遊戯的な快楽に満ちたプレーと勝利への深い確信とを合体させた,と彼は書いていた。そして『ブラジル人はその合体を信じ,勝敗という結果への拘泥を乗り越えたうえでブラジルの勝利を疑わなかった』と。
 友人が,ここでの『合体』という意味をポルトガル語の「結婚」(カザメントゥ)という言葉であらわしていることに,私は深く心揺さぶられた。フチボールを語る言葉が,こんな語彙によって修飾されることを,ここでは男女の愛を日常に結びつける結婚という現実がはらむ複雑な機微のなかでフチボールが想像されている。フチボールが,人間のひたむきで真摯な日常の感情と倫理をまっすぐに受けとめる。そしてそうした現実を,私が胸いっぱい呼吸していたからこそ,ブラジルチームへの私の没入は深い内実を与えられて輝かしく燃えたのにちがいなかった。」

 これはわたしの個人的な受け止め方にすぎないのかもしれません。が,マルセル・モースの『贈与論』の延長線上に,今福龍太氏のこの地平が待ち受けている,とわたしは信じて疑いません。わたしたちがメディアをとおして日常的に受け止めている近代スポーツ競技の世界のなかにも,いまも立派に「互酬性」に立脚したスポーツ文化が生き残っているという,この事実に注目したいとおもいます。しかも,その「互酬性」こそがスポーツをスポーツたらしめている本質ではないか,といまさらのように思いいたる次第です。

 スポーツを批評することの,つまり,現代社会に生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」と問うときの,ひとつの重要な拠点が,ここにあるとわたしは信じて疑いません。その意味で,マルセル・モースの『贈与論』は,これからの「スポーツ批評」を展開していく上で不可欠のテクストである,と考えている次第です。

 というところで,今日のところは終わりにしたいとおもいます。

2013年7月24日水曜日

気持ちを楽にすれば,からだの力みが抜けます(李自力老師語録・その33.)。

 今日(24日)の稽古に,ひょっこり,李老師が現れました。久しぶりのことです。今日は弟子の出席率が低く,わたしとNさんのふたりだけ。ふたりだけでおしゃべりをしながら準備運動をやっているところに,ドアが開いて,にっこり笑顔の李老師。Nさんは,思わず「あっ」と声をあげる。わたしはびっくりして振り返る。すると,李老師は「つづけて,つづけて」と指示。

 毎回,おもうことですが,李老師が稽古に顔を出されると,かならずなさることがあります。それは,ごく基本的な腕の上げ下げにはじまる初歩の初歩の注意,股関節のゆるめ方,腰のまわし方,腕・肘・肩の力の抜き方,目線のおき方,などなど。それと,いつのまにか身についてしまった我流の修正。

 こんな基本中の基本が,いまだに,できないのですから情けない話です。でも,考えてみれば,これらの基本ができれば,あとは自然にできるようになっていく,それが太極拳というものだ,という次第です。頭ではわかっているのに,それができません。だから,稽古をするのだ,という理屈。それも,ひとりではできない,みんなと一緒でないと稽古にならない,というのも不思議なことです。人間はひとりではなにもできない,やはり,他者からのそれとない働きかけが必要なのだ,としみじみおもいます。

 さて,そこで,如是我聞。今日の稽古中の李老師のことばのなかで,わたしの印象に残ったものを書き留めておきたいとおもいます。

 「気持ちを楽にしましょう。そうすれば自然にからだの力みが抜けていきます」というもの。これまでも,何回も,何回も聞いてきたことばです。なのに,いまごろになって,これまでとは違った,こころの底にすとんと落ちるように,そして,からだの隅々にまで浸透していくように「わかる」,不思議な体験でした。「わかる」にはいろいろの階層があるようです。

 たぶん,この「わかる」のレベルに応じて,個々人の稽古の質は違ってくるのだろうとおもいます。これは,なにも,太極拳にかぎったことではありません。わたしの経験したテニスや体操競技でも同じです。それはスポーツにかぎったことでもありません。新聞や雑誌を読んでいても,映画をみていても,あるいは,むつかしい専門書を読んでいても,「わかる」という経験は日常的にしているはずです。しかし,そこにも,「わかる」のレベルはさまざまに現象しているはずです。

 「気持ちを楽にしましょう。そうすれば自然にからだの力みが抜けていきます」などということは,だれでも知っているし,わかっているはずです。しかし,重要なのは李老師の口からでてくることばである,ということなのでしょう。つまり,一定の緊張感をもった師匠と弟子の関係ということが重要なのでしょう。そして,なにより李老師を太極拳の名人としてだけではなく,ひとりの人間としても尊敬できる人だと,信じて疑わないことが前提になるでしょう。ですから,稽古ごとにはいかによい師匠に恵まれるかがなによりも優先されるというわけです。李老師に稽古をつけてもらっている,わたしたち弟子は幸せというものです。

 こうして今日の稽古では,いつもにも増して丁寧に,基本中の基本の動作を一つひとつチェックしてくださいました。至福のひとときです。

 稽古が終わってからの昼食のときも,このつづきの話がありました。
 「太極拳は武術なのだから,仮想の相手を想定して,きびしいまなざしで眼を光らせて表演すべきだ,と考えている人が少なくありません。しかし,それは間違いです。むしろ逆です。仮に敵が目の前に現れたとしても,いつもと変わらず平然として,飄々と応対することが武術家として大事です。その段階ですでに勝負は決まっています。つまり,こころの昂りも,からだの緊張もない,まったくの自然体であることこそが武術としての太極拳の<わざ>が冴えわたり,生き生きとしてくるのです。気持ちが昂ってしまったり,からだが過剰に緊張してしまったら,もはや太極拳の<わざ>は死んだも同然です。ですから,太極拳の表演をするときも,自然体であること,そして,こころとからだの緊張を解き放ち,静かに集中していることが大事です」と。

 今日の稽古では,このほかにも,わたしのこころに響くことばがたくさんありました。いずれ,整理して,このブログでも紹介していきたいとおもいます。
 とりあえず,今日のところはここまで。

NHKスペシャル『封印された原爆報告書』について考える(聴講生レポート・その12.)

 1回(先々週)はわたしの都合でお休み,もう1回(先週)は大学のスケジュールの関係で休講。3週間ぶりの聴講生体験でした。N教授もお元気そうで,肩の力の抜けたゆったりとした態度で,とても内容のある授業をしてくださいました。今日で前期の授業は終わり。つまり,最終の授業。その締めくくりは「メディア」のお話。そのサンプルとして,ドキュメンタリー・NHKスペシャル『封印された原爆報告書』(NHK広島局制作,2010年8月6日放映,その後,何回も放映されているとのこと。ただし,視聴率はきわめて低いとも)を鑑賞しました。

 そのための前ふりのお話と,鑑賞したあとのショート・コメントが,どきりとさせられる素晴らしいものでした。

 結論から入ります。視聴覚メディアは,最近になってインフラに大きなコストがかかりすぎるために(たとえば,スカイ・ツリーの建設など),いつのまにか国家事業として取り組む必要が生じ,報道機関のもつ公共性との関連もあって,いまでは政府のコントロールのもとに位置づけられることになってしまったこと,ここに大きな問題がひとつ存在すること。もうひとつは,「市場の力」がメディアに強く働くようになってしまったこと,その結果,コマーシャル映像を流すスポンサーの影響をもろに受けることになってしまったこと,そのために,どうでもいいバラエティや食べ物・料理番組や紀行・旅ものがゴールデン・タイムを占有することになってしまったこと,その結果,国民としてしっかり考えなくてはならない重要な時局の報道はすっかり影をひそめてしまったこと,等々,これらの問題をとう考え,克服していかなくてはならないのか,という問題提起が最初になされました。

 そうしたことを考えるためのサンプルとして,表記のようなドキュメンタリー番組をみんなで鑑賞することになりました。これは文字どおりヘビーで,深刻な問題提起をふくんでいました。その概要をかんたんに触れておけば以下のとおりです。

 1945年8月6日,ヒロシマに新型爆弾が投下された直後に,陸軍省医務局のスタッフが現地に入り調査を開始します。そして,延べ1,300人もの日本の医師や科学者が,2年以上もかけて,181冊の報告書(全部で1万ページを超える)を作成します。その内容は,たとえば,200人の遺体を解剖した結果であったり,2万人以上もの人を対象にした聞き取り調査であったり,被爆者の日記であったり,と多種多様です。あるいは,旧陸軍病院・宇品分院には,約6000人もの被爆者が収容され,ムシロのようなふとんに寝かされたまま,治療の手も薬も間に合わず,ほとんど放置されていた,というような映像がつぎからつぎへと,これでもかというほど流れてきます。この段階で,みている者は圧倒されてしまいます。

 こうして原爆の被災国の医師・科学者がまとめた,原爆投下の直後からのきわめて貴重な調査結果をまとめた報告書が,なんと,そっくりそのまま加害国であるアメリカに提出された,というのです。しかも,この報告書はワシントンにあるアメリカ公文書館に,65年間にわたって厳重に保存されていた,といいます。そのため,被爆者のその後の救済に役立つためならばと死を目前にした被爆者たちの献身的な協力もむなしく,その人たちの善意も無視されたまま,放置されていた,というわけです。

 そのため,たとえば,原爆投下直後に広島市に肉親を探しに入って被曝したいわゆる「入市被爆者」が,国によって原爆被爆者として認められないまま放置されることになりました。が,65年後に,アメリカの公文書館に保管されていた『原爆報告書』のなかに,「入市被爆者」の日記(当時,医学生)があることがわかり,それによって初めて国は「入市被曝」を認めることになった,という話が登場します。しかも,その日記を書いた元医学生は,いまは84歳になり,闘病生活を送っています。映像は,その元医学生へのインタヴューも映し出しています。頭脳はまだ明晰なのに,からだは横たわったまま動けない状態です。なんとも,痛ましいとしかいいようがありません。

 このようにして,当時の生き証人を(すでに,90歳を超える高齢者ばかり)訪ね歩き,一つひとつ証言をとりつけていきます。痛々しいばかりの映像がつづきます。みていて耐えられないほどの息苦しさを覚えます。

 しかし,問題は,このさきにあります。
 原爆の被爆者をはじめ,医師や科学者たちが,みんな一致協力して原爆被害の『報告書』をまとめたにもかかわらず,その『報告書』が被爆者救済のためには用いられないまま「封印」されていた,という事実です。つまり,敗戦国日本は,2年以上もかけて必死になって作成した『報告書』を,率先してアメリカの調査団に提出してしまいます。それが国益につながると考えたのですが,結果的には,そのまま「封印」されてしまい,なんの役にも立たなかったという事実です。その結果として,被爆者はなんの恩恵も受けられないどころか,被爆者の認定もごく限られた人だけに限定されてしまい,あとの被爆者は国家から無視されつづけてきた,という事実です。そうした矛盾した実態がもののみごとに描かれています。

 日本という国家は,いまもなお,弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない,というこの情けない実態のひとつの原点がここにも確認できる,という次第です。この姿勢は,そのまま,フクシマにも引き継がれ,国は可能なかぎり蓋をしたまま無視しつづけようとしています。フクシマの事故処理はまだまだこれからが正念場なのに,国ははやばやと終結宣言をして,なにもなかったかのように振る舞っています。しかも,だれも責任をとらないまま,傍観者を装っています。

 それが,こともあろうに,選挙が終った翌日には,東電がフクシマの汚染水が海洋に垂れ流しになっている事実を公表しました。こんなことは,もう,とっくのむかしからわかっていたはずなのに,ひた隠しにしたまま,詭弁・虚言を弄してきました。が,自民党圧勝の選挙結果を見届けるようにして,汚染水の海洋垂れ流しの事実を認めるという,このタイミングしかない,といわぬばかりのやり口の汚さには呆れ果てるほかはありません。が,これが日本の権力のやり口であり,情けないことながら,現実です。

 こういう体質は,むかしもいまも変わってはいない,ということをこの秀逸なドキュメンタリー『封印された原爆報告書』は,もののみごとに教えてくれています。

 いま,メディアが流す情報のほとんどは,政治権力と市場の力によって,管理され,コントロールされているといっても過言ではありません。だからといって,では,すべてのメディアの存在を否定してしまっていいのかといえば,そうではない,とN教授は仰います。なぜなら,メディアと人間との関係は,水と魚の関係にあって,お互いになくてはならない関係にあるからだ,というわけです。つまり,人間が生きていくにはメディアは必要不可欠なものなのだ,と。そして,なかには,このドキュメンタリーのようにきわめて秀逸なものも産出される可能性を秘めているのだ,と。だから,わたしたちは,このような優れたドキュメンタリーを擁護することによって,よりよいメディアを育てていくことが重要なのだ,とN教授は言外にほのめかしていたようにおもいます。

 以上,ことば足らずのレポートになってしまいました。が,これで,前期のN教授の授業を聴講させていただいたレポートはお終いです。次回は,後期の授業からになります。しばらく,お休みです。

 前期の授業を聴講させていただいた結論的な感想を少しだけ。大学の授業は,世の中の経験を積み,いろいろと悩み,考えたのちに,もう一度,聴講すべきだ,と痛切に思いました。なぜなら,学生時代にこのようなN教授の授業を聞いたとしても,その理解度はどれほどのものなのか,たかが知れています。が,いまは,N教授のお話が,もののみごとにストンと腑に落ちてきます。そして,新たに考えるべきヒントがつぎつぎに見いだされます。聴講していて,毎回,毎回,とてもエキサイティングでした。

 みなさんもリタイヤしたら,ぜひ,もう一度,大学の聴講生になることをお薦めします。ただし,いい先生を見つけ出さなければいけません。わたしにとってのN教授のように。

2013年7月23日火曜日

「スポーツ批評」ノート・その2.バタイユの『宗教の理論』が示唆するもの。

 すでに,これまで何回もこのブログで書いてきたように,「スポーツとはなにか」とわたしが問うときの思考の源泉はジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』にある。もちろん,『宗教の理論』を読み込むためには,バタイユの他の著作はもとより,『バタイユ伝』などという伝記を筆頭に,西谷修などのバタイユ研究者の論考などは不可欠の文献である。

 これらの文献の詳細については,このブログで検索していただければ,ほとんどすべて確認することができるとおもう。また,活字で確認されたい方には,『スポートロジイ』の創刊号と第2号に,ブログに書いた論考のなかから抜粋して「研究ノート」として掲載しているので,そちらを活用していただきたい。

 もうひとこと付け加えておけば,『宗教の理論』と『呪われた部分 有用性の限界』はある意味でセットになっているので,併せて参照していただきたい。

 その上で,『宗教の理論』から導き出される「スポーツ批評」のポイントについて,ここでは触れておきたい。

 まず,第一点は,「スポーツとはなにか」と問うことが「スポーツ批評」の原点にある,とわたしは考えている。しかも,この場合の「スポーツとはなにか」という問いは,その根底に「生身の生きる人間にとって,スポーツとはなにか」という根源的な問いをふくんでいる。その問題意識が,このブログのタイトルにもなっている。すなわち,「スポーツ・遊び・からだ・人間」というキー・ワードの羅列はこのことを強く意識してのものである。つまり,「人間とはなにか」という普遍のテーマから出発し,「スポーツとはなにか」に至り,ふたたび「人間とはなにか」というテーマに回帰してくるものだ,と考えるからである。

 その点で,『宗教の理論』は,まさに,ヒトが人間になる,そのときになにが起きたのかについての深い洞察からはじまる。だから,わたしの思考を展開する上では格好のテクストなのである。バタイユはそのこと(ヒトから人間になること)を<横滑り>という概念でくくる。そして,この<横滑り>によって出現した人間の困難から語りはじめる。その困難とは,人間は,ヒトの時代の「動物性」をひきずりながら人間としての「人間性」を生きなくてはならない,まさに「宙づり」状態を生きることを余儀なくされた困難である。そして,その困難は,いまを生きるわたしたちの困難でもある。

 この困難との葛藤のなかから,人間は人智を超越する存在に気づき,それへの「祈り」をささげるようになる,とする。そして,その「祈り」の形態のひとつが「舞い踊り」であり,「スポーツ的なるもの」(これはわたしの命名)ではないか,とバタイユは示唆している(ようにわたしは読み取る)。別の言い方をすれば,ヒトと人間との境界領域に出現する文化のひとつの形態が,わたしの考える「スポーツ的なるもの」だということになる。もっと踏み込んでおけば,全体重を人間性の世界だけに依拠して生きていくことに困難や行き詰まりを感じた人間は,どこかで動物性の世界へと回帰したい衝動に駆られることになる。そして,その衝動を実現させる場として祝祭という時空間が創出される。言ってしまえば,祝祭とは,抑圧され鬱積した人間の動物性への回帰願望を表出させる場である,ということになろうか。

 このように考えてくると,「スポーツ的なるもの」の<始原>もまたこの祝祭的な時空間のなかに求めることができる。だとすれば,スポーツの<始原>は,人間の動物性への回帰願望を実現するところにあった,と考えることができる。ここが,わたしの「スポーツ批評」の原基となる。

 しかし,<横滑り>を起こした人間は,やがて,文化や文明をわがものとするようになる。それは,同時に動物性からの乖離を意味することになる。近代に入ると,人間の内なる動物性をいかにして抑制し,隠蔽・排除していくかということが大きなテーマとなる。つまり,人間の内なる動物性(呪われた部分)を近代社会の定める「法律」(スポーツでいえばルール)によってコントロールすることになる。近代スポーツ競技の誕生の背景にはこうした根源的な自己矛盾が内蔵されている。この問題と真っ正面から向き合うこと,これがわたしの「スポーツ批評」の当面の課題となる。

 こうして,人間は呪われた部分,すなわち,内なる動物性を封じ込めることをとおして,みずからをも「事物化」させる道をたどることになる。そのきっかけとなったのは,人間にとって都合のいいように(役立つように,つまり,有用性にもとづいて)動物を飼育したり,植物を栽培することによって周囲の自然存在を「事物化」したことにはじまる。こうして,本来,自然存在であったはずの人間もまた,動物や植物と同じように「事物化」していく。その究極の姿のひとつが,ドーピングされるアスリートたちの身体である。つまり,スポーツをするために「飼育」された人間の身体である。

 バタイユは,こうしたことを見据えた上で,「有用性の限界」という指標を提示する。そして,その根源にあるものは経済についての考え方の誤りである,と指摘する。たとえば,資本主義経済ではなく贈与経済に注目する。そのための哲学的な根拠として「消尽」という概念を提示する。自然現象の根源にある機能はすべて「消尽」による,と。この「消尽」を「有用性」の考え方で絡め捕り,文化・文明の管理下におくことには「限界」がある,と主張する。こうしたバタイユの主張はそのまま,こんにちのわたしたちが当面している近代スポーツ競技の管理・運営に内蔵される諸矛盾にも当てはまるのではないか,とわたしは考える。

 と同時に,バタイユのいう「消尽」こそが,「スポーツ的なるもの」の源泉になっている,とわたしは考える。したがって,スポーツ文化を,もう一度,バタイユのいう「消尽」の次元まで遡って,とらえ直すことが喫緊の課題である,と位置づける。すなわち,<現代>の「スポーツ批評」はここまで触手をのばすことが求められているのである。そして,ここが<近代>の「スポーツ批評」と袂を分かつ,最大のポイントである,と考える。

 以上が,とりあえず,バタイユの『宗教の理論』が示唆するものとして指摘しておきたかった主要なポイントである。大方のご批判をいただければ,幸いである。

大相撲・名古屋場所雑感。千秋楽,最後の二番に相撲の醍醐味。

 千秋楽の翌日は近くの区立図書館に立ち寄って,各社の新聞をチェックするのが,わたしの長年の習いとなっている。ところがあいにくの参院選の翌日にあたり,珍しく新聞の奪い合い。仕方がないので,じっくり時間をかけて待つことにしました。

 わたしの狙い目は,昨日の千秋楽の最後の二番をどのように新聞(記者)は書くのだろうか,というただその一点のみ。つまり,稀勢の里と琴奨菊の取組みと,白鵬と日馬富士の対戦。わたしはテレビで観戦していて,「うーん」と唸ってしまうほどに,相撲好きにとってはなかなか味のある相撲内容だった。そして,そのあともあれこれ想像をめぐらせて,存分に堪能した。これぞ,大相撲の醍醐味だ,と。

 しかし,この二番は興ざめだった,と書く新聞が圧倒的に多かった。関心事は勝負の結果のみ。だから,相撲内容についての吟味はほとんどなし。あんな負け方をする稀勢の里には失望した,とか,横綱になる資格はない,などと書き立てている。つぎの横綱対決についても,あんな相撲をだれも期待していない,もっと熱戦を繰り広げなければ千秋楽の結びの一番には相当しない,といった塩梅である。それでいて白鵬には同情的で,日馬富士にはきびしいコメントをつける。わたしの眼からすれば,今場所ではもっともいい,芸術的ですらある,眼の覚めるような立ち合いをみせたというのに。そのことにはなにも触れようともしない。そして,9勝や10勝では横綱とはいえない,とこきおろす。つまり,勝率だけが新聞(記者)にとっては重要なのである。しかし,大相撲のほんとうの楽しみ方はそんなものではない,とわたしは考えている。あの,久し振りにみせた日馬富士の,もう失うものはなにもない,という覚悟の立ち合い。

 だから,わたしは存分にこの一番を堪能した。文句なく「大相撲は面白い」とおもった。うーん,相撲は奥が深い,と。では,この二番,わたしはどのように鑑賞したのか。

 まずは,稀勢の里と琴奨菊の大関対決。稀勢の里がつっかけたとき,あっ,負けだ,とわたしは直観。前日の白鵬と同じ。つまり,心技体のバランスがくずれている。気持ちがはやるとからだが自在には動かなくなる。案の定,琴奨菊はそこを狙っていた。後の先。一呼吸遅らせて,下から低く当たった。立ち会った瞬間に稀勢の里の上体が棒立ちになってしまい,あとは防戦一方。琴奨菊はしめた,とおもったはず。下から下から攻めた。棒立ちのままの稀勢の里のからだはなにもなすすべもなく,もたもたしているだけ。素早い反応ができないのだ。いつもなら,あそこからからだを左右に振って,組み手を振りほどくようにして,つぎの策に転ずるはず。なのに,なにもできないまま,諦めるようにしてあっけなく土俵を割ってしまった。これが稀勢の里の悪いときの典型的な相撲。つまり,いい,悪いの波が大きすぎるのだ。その最大の理由は,相撲の型がまだできあがってはいないからだ。そのため,こころの集中にも波がある。悪いときは悪いなりに体勢を建て直して,自分の充分な型に持ち込む。そういう工夫が足りない。自分充分でないときには,ほとんど抵抗らしい抵抗もなしに,あっさりと相撲を諦めてしまう。悪いクセである。ここを克服しないかぎり綱への夢は実現しないだろう。日本相撲協会も全国の大相撲ファンも,それをこころから待ち望んでいるというのに・・・・。

 この一番,もう少しだけ踏み込んで鑑賞してみよう。稀勢の里は,前日の一番で白鵬に土をつけ,連勝をストップさせた。これで一気に注目を集めることになり,最高に気分が乗っているはずだ。前にも白鵬の連勝を止めたことがある。が,これで波にのるかと期待されたとたんに,気負いすぎてしまう。こころが弱いのだ。つまり,立ち合いの呼吸を自分の方に引き寄せられないのだ。乱れてしまう分だけ,相手の呼吸になってしまう。

 稀勢の里の初日の立ち合いを思い起こしてほしい。二度もつづけて稀勢の里の呼吸が整わなくて立てなかったのである。平幕を相手に,いや,平幕が相手だからこそというべきか。「負けてはならない」という気持ちが先行する。とたんに,からだとこころが引き裂かれたような状態に陥る。稀勢の里は焦ったはずだ。ここが立つタイミングだとわかっているのに,からだが反応しない。負ける原因はここからはじまる。でも,初日はなんとか苦戦しながらも勝ちを拾った。それをみて,わたしは,ああ,今場所はダメだ,とみた。あとはご覧のとおり。前半で三つも取りこぼした。強い日と齢日の波が大きすぎるのだ。つまり,みずからのこころを律する力が足りないということ。したがって,横綱にはまだほど遠い,ということ。

 日馬富士が横綱に昇進したときには,二場所連続の全勝優勝だった。あのときの日馬富士の相撲は美しく輝いていた。心技体がひとつになり,多少,相手につけ込まれてもなんとか凌ぐ力をもっていた。その日馬富士も,横綱になってから苦しむことになる。その最大の理由は両足首のケガにある。そのケガが癒えた場所には,またまた,全勝優勝をはたしている。今場所もまた,その足首に泣かされた。どちらの足首が悪かったのかは不明である。本人も周囲の者も口を割らないからだ。親方ですらも知らないかも。ということは足首が悪いのか,悪くないのか,それもじつはまったく不明。しかし,今場所の,とりわけ立ち合いの乱れをみれば,明々白々だ。日馬富士本来の,まともな立ち合いをしたのは数番しかない。なんとか楽をして(足首に負担をかけないで),勝ちを拾おうとした。そういう相撲はことごとく失敗に終った。相撲はそんなに甘いものではない。

 その日馬富士が,千秋楽になって今場所,最高の立ち合いをした。千秋楽ならではの,覚悟の立ち合いだ。また,それくらいのことをしてでも,最後に「いい相撲」をとっておかなければ,自分が許せなかっただろう。日馬富士とはとういう力士なのだ。しかも,相手は横綱・白鵬だ。かりに,はたき落とされたとしてもかまわない,と覚悟を決めて。だから,その立ち合いの前に出るスピードはすさまじいものだった。立った瞬間に白鵬のからだが撥ね飛ばされた。こんなことは珍しいことだ。いかに体調が万全ではないとはいえ,白鵬を一発で,あそこまで後退させた力士はこれまでにはいなかったはずである。もし,あったとしても,そのつぎの瞬間には白鵬の体勢は,予想される攻防に備えて万全の体勢で構えているはずだ。しかし,その余裕を与える隙もみせずに,日馬富士の二の矢が飛んだ。それで勝負あり。

 この立ち合いのみどころは,この一番で,足首の古傷を痛めてもいいと覚悟した日馬富士と,この一番で,右脇腹の肉離れをこれ以上悪くしたくはない,と考えた白鵬との,みごとなまでの対照的な差がでた,とわたしはみる。吹っ切れた日馬富士と,ほんのちょっとした気の迷いがはからずも表出してしまった白鵬。これが勝負の行方の明暗を大きく分けることになった。が,これはあくまでもわたしの勝手な推測である。このような事実のわからない,実態が不明な,ひたすら想像力と推測に頼るしかない,まさに虚実のあわいに,じつは大相撲の醍醐味が隠されているのである。この微妙な心理状態と,置かれた立場によって,相撲内容は大きく変わる。また,そこには眼にみえない力士同士の気魄をとおしての駆け引きもある。もっと言ってしまえば,これまでの対戦成績の貸し借りもある。そうしたものがトータルになって,その日の土俵の上での勝負が繰り広げられる。それは,もはや,神のみぞ知る,そういう世界なのだ。そういう領域にどこまで接近できるのか,それが相撲を鑑賞する能力の問題だ。そこでは,もはや,熱戦であろうがなかろうが,関係はない。一瞬,一瞬の,瞬間に垣間見せる,力士同士の気と気のぶつかり合いのようなもの,その交換,交流,交信,駆け引きであり格闘,生身の身体が表出するなにか光を帯びたようなもの,そうしたすべてのものがトータルとなって,土俵下の控えにいるときから始まっている。このあたりのことは,場所に行って,じかに,自分の眼で確認するしかないのだが・・・・。それでも,テレビの映像をとおして,かなりの部分はみえてくる。

 大相撲の醍醐味とはこういうことなのだ。
 だから,千秋楽の横綱対決は,立ち会う前に勝負はついていた。白鵬は勝てそうにないと負けを意識した。その瞬間に日馬富士は勝ちを確信した。その結果,迷わず一直線に飛び込んで行くことができた。そこには一瞬の迷いもなかった。そうしたトータルが,この日の日馬富士の爆発的な威力とアーティスティックな美しさを秘めた,みごとな立ち合いを実現させえた,とわたしには見えた。だから,わたしは大満足だった。

 大相撲は奥が深い。わたしがみえているものは,まだまだ,その序の口にすぎないのだろうとおもう。なぜなら,たとえば,舞の海の解説を聞いていると,言外に含みをもたせた不思議なニュアンスを感ずるからである。そこを手がかりにわたしなりに想像力をたくましくしてみると,また,別の世界が開けてくるからである。その世界は,もはや,勝ち負けを度外視した,幽玄の世界に接近していくような,芸能者としての力士が遊ぶ,神がかりの世界にも等しいようにおもう。髷を結った異形の身体が放つ,この世にあらざるあの世を彷彿とさせるような,あるいは,そことの交信を楽しんでいるような相撲の世界である。

 ああ,本場所の砂かぶりの席で,力士の息遣いが聞こえる至近距離から,名力士の勝負をじっくりと鑑賞してみたいものだ。いつの日にか,これを実現させてみたい。死ぬ前に一度でいいから。

2013年7月22日月曜日

山本太郎さん,おめでとう。今回の選挙での唯一の朗報。

 いかなる既得権益からも無縁の,まったき一匹狼で初志を貫いた山本太郎さん,おめでとう。こころから言祝ぎたいとおもいます。これからも初心を忘れず,どこまでも反原発・反被曝を訴えつづけてください。あなたの言うとおり,人の命が第一です。

 ばんざいはしない,茨の道へのスタート点に立ったのだから・・・・という心意気やよし。勝ってかぶとの緒を締める,といいます。当選すればそれですべての目的が達成されたと勘違いする政治家がおおいなかで,この発言はひときわ異彩を放っています。どこまでも政界の「悪」と真っ正面から向き合い,政界浄化のために愚直に,そして,どこまでも純なこころで闘ってください。わたしは東京都民ではありませんが,となりの県から応援しています。

 かつて,評論家の田原総一郎氏が,山本太郎さんに向って,お前に原発を語る資格などない,と叱りつけたことがあります。一夜漬けの勉強くらいで偉そうなことを言うな,ということだったのでしょうが,わたしはこの映像をみていて,まことに不快でした。なんと上から目線で,と。いつからそんなに偉くなったのか,と。いつ,いかなる事情があろうとも,人間はあるとき,ある瞬間に目覚めることがあります。そして,そのことのために全身全霊を傾けて,命懸けで取組みはじめることがあります。王族の御曹司で,妻も子どもいて,なに不自由なく暮らしていたお釈迦さんの突然の「出家」がそうでした。「気づいたとき」が吉日。山本太郎さんは,これは変だ,と気づいたのです。

 以後,山本太郎さんは,この「変だ」を信じて一本道。俳優活動もままならなくなり(四面楚歌),とうとう所属事務所からもみずから身を引いて,反原発,反被曝への道をまっしぐら。その誠意と努力がようやく報われました。そして,多くのボランティアにも支えられ(全国から若者たちがやってきた,と聞く),ネットワークも広がったことでしょう。これからも,せっせと全国行脚をして,直接,みずからの主張を広げてください。そして,その上で,さらにネットを活用して,反原発,反被曝の主張を展開してください。この序例を間違えないように。つまり,直接,街頭に立って演説をぶつこと,その上で,ネットです。

 あなたのような志しをもつ同志が,ひとりからふたりへ,そして,さんにんへ,と少しずつ輪を広げることにも力をつくしてください。いま,必要なのは,純粋無垢の,つまりは,既得権益とは無縁の,まっさらな政治理念と理想をかかげる若い政治家の出現す。そういう人たちが現れないと,日本の政治は半永久的に既得権益のしがらみから抜け出すことはできません。つまり,「命」よりも「経済」が大事という政治です。これが間違っていることは小学生でもわかります。

 今回の自民党の「圧勝」は,メディアによってつくられた「虚構」だ,とわたしは考えています。選挙運動がはじまるやいなや,すべてのメディアが「自民党圧勝」を謳いあげました。政治のことにあまり関心をもたない人びとの無意識に働きかけるには,これが一番です。無意識を操作する。まことに卑劣な方法です。しかし,いつも,いつも,こういう報道がくり返されてしまいますと,それが当たり前のことになってしまいます。みんな慣れてしまうのです。そこに大きな落とし穴があるということさえ気づかなくなってしまいます。そして,予想どおり圧勝しました。しかし,これはどう考えてみても「虚構」にすぎません。

 たとえば,原発再稼働に関するアンケート調査では,過半数の国民が反対と答えているのに,結果は,再稼働推進派の自民党圧勝です。つまり,意識すれば「反対」なのに,無意識では「賛成」にすり替えられてしまう,という次第です。選挙というものはこういうものなのでしょうが,どう考えてみても民意が精確に反映しているとは考えられません。投票率もほぼ50%。自民党の得票率も,そのうちの半分強。つまり,有権者の約四分の一強の支持による自民圧勝です。

 もちろん,選挙に行かず,棄権した人が悪いのです。棄権をするということは現政権を承認することと同じ(山口二郎)です。しかし,棄権した人の多くは,反自民だけれども,ほかに受け皿となる政党がないから,行かなかったという人ではないかとわたしは推測しています。でも,それは反自民の意志表明にはなりません。最善の政党も候補者もみつからない場合には「次善の策」を講ずるしかありません。そして,少なくとも,自分の意に反する政党が独走しないように歯止めをかける必要があります。しかし,「棄権」はその「独走」を承認するのみならず,後押しをすることと同じになってしまいます。

 それにしても,今回の選挙は,まことにお粗末。ほんとうの「争点」をどの政党もぼやかしたまま,都合のいい,まことしやかな売り言葉,つまりは「虚言」「詭弁」ばかりでした。その点,その「虚言」「詭弁」をもっとも上手に,厚顔無恥にも使い切った安倍晋三君が勝利したのです。嘘つきの名人でした。

 その点,真っ向勝負の「直球」一本で,最後まで投げきった山本太郎さんは偉い。嘘つきや詭弁は許してはいけません。愚直なまでに,誠実に,ほんとうの気持ちを,有権者のみなさんに投げかけた山本太郎さんの声が,東京都民のみなさんのこころを打ったのだとおもいます。

 今回の参院選の唯一の収穫,朗報でした。
 山本太郎さん,茨の道にも負けず,全力で突き進んでください。
 いつまでもエールを送りたいとおもいます。
 これからも,金曜日の官邸前に,顔をみせてください。
 公務がないかぎり,愚直に,顔をみせてください。
 あの笑顔を押し殺した山本太郎は,政治家の顔になってきた,とわたしの友人は語っています。
 官邸前の集会で会いましょう。

「スポーツ批評」ノート・その1.思想・哲学的スタンスの問題について。

 「スポーツ批評」に関する著作をものするよう,某出版社からの依頼があり,この半年の余,考えつづけている。しかも,その原稿の締め切りが8月末。何人かの共同執筆なので,なんとかなるとたかをくくっている。が,その序章に「スポーツを批評するとはどういうことなのか」をわたしが書くことになっている。それを見届けてから執筆にとりかかる,と共同執筆者たちは待ち構えている。わたしは序章など待つ必要なく,それぞれの立場から「批評」を展開すればいい,と言っているのだがなかなか許してはくれそうもない。

 依頼を受けたときには,編集担当者に,その場で思い浮かぶ「スポーツ批評」のツボの部分について即興でお話をさせてもらった。すると,即座に,その話を序章にもってきましょう,と即決。そして,読者が大学の教養の学生という前提でわかりやすく書いてください,とのこと。はい,わかりました,と安請け合い。これがそもそもの間違いのもとだった。

 根が真面目なものだから,すぐに思い当たる「批評」「文学批評」「芸術批評」「スポーツ批評」などに関する文献をかき集めてポイントを整理しはじめた。ここからドロ沼にはまることになってしまった。つまり,各論者の主張に振り回されてしまうのである。いささかオーバーな表現をすれば,ピンからキリまで無限大の様相を呈している。そうか,「批評」というジャンルのひろがりはかくも多種多様なのか,と知る。

 どういうことかと言えば,「批評」とは,そもそも論者の主義主張をまるごとぶっつける行為であって,一人ひとりその思想・哲学のよって立つ基盤が異なるために,厳密に言えば,一人一家言という世界が可能であるからである。つまり,「批評」とはかくあるべし,などというマニュアルは存在しない,ということなのだ。だから,このことを前提にして「スポーツを批評するとはどういうことか」を大学の教養部の学生向けに書くということは至難の業と言わねばならない。まずは,ここでいきなり躓いてしまった。

 もう一つの困難は,「スポーツ批評」という分野がほとんど未開拓の分野で,これぞ「スポーツ批評」といえるようなテクスト,または前例が見当たらない,ということだ。もちろん,あることはある。しかし,きわめて少なく,その議論はまだまだその緒についたばかりというのが現状である。つまり,まだ,手さぐりの段階にあって,これから大いに議論していかなくてはならない,しかも,それがきわめて重要な分野であるということである。したがって,そういう,ある意味では未知の分野に分け入っていかねばならないという,初手から蛮勇が求められている。これは容易なことではない。そのためには相当に腹をくくらなくてはならない。

 しかし,少しだけ冷静に考えてみると,これらのもの言いは一種の逃げであって,問題はきわめて単純で明解なのだ,ということがわかる。つまり,「批評」とは論者の思想・哲学がもろに曝け出される行為にすぎない,というただそれだけのことなのだ。したがって,みずからの思想・哲学が確たるものであれば,その信念にもとづいて「批評」を展開すればいい,ただ,それだけである。しかし,その思想・哲学なるものがしっかりとわがものとなっていないが故に,みずからのスタンスを決めることができないだけの話である。その結果として,なんらかの権威に頼ろうとしてしまう。だが,それは大いなる間違いだ。どんなに権威に頼ろうとも,最後は論者の思想・哲学のレベルに応じて「批評」がなされるだけの話である。

 したがって,論者の思想・哲学がいかなるものであるかが「批評」の中核をなす,ということが了解されれば,いまさら序章の「スポーツを批評するとはどういうことか」を待つ必要はない。最初から,それぞれの論者が,みずからの「批評」を展開すればいい。確たる思想・哲学をわがものとしている論者はそのレベルでの「批評」を展開するであろうし,そうでない論者はそれぞれのレベルでの「批評」を展開するだけのことである。

 ただし,共著であるので,各論者の主義主張がまったくのばらばらでは困る。そのために,長年,ともに研究会で議論を積み重ねてきて,お互いに,どのような主義主張をしてきたかは,とことん知り尽くしている仲間を共同執筆者として選んでいる。したがって,どんな書き方をしようとも,大方の主義主張のベクトルが同じ方向に向っているはずである。だとすれば,それでよしとする,ここが落としどころである。

 ここまで書いてきて,はたと気づくことは,わたしがここ数年の間,書きつづけてきたこと,研究会で語ってきたこと,あるいは,このブログである議論を展開してきたこと,それらのすべてが「批評」そのものではないか,ということである。もっとわかりやすく言えば,「スポーツとは何か」という根源的な問いに対するみずからの応答,この行為そのものが「スポーツ批評」そのものである,ということだ。

 では,お前の主張する「スポーツ批評」の原点になる論考はなにか,と問われるむきには,つぎのように応答しておくことにしよう。

 繰り返しになるが,「スポーツ批評」とはとどのつまりは「スポーツとは何か」と問うことであり,その解を求める行為である。そのための議論をするための共通の土俵のひとつとして提示した論考が『スポーツ史研究』(スポーツ史学会学会誌)に総説論文として投じた「スポーツ」とはなにか──新たなスポーツ史研究のための理論仮説の提示(第23号,P.1~12.2010年)である。ここには,わたしの思想・哲学的なバック・グラウンドのほぼ全容が提示されている。ここが,とりあえずは,わたしの「スポーツ批評」の原点となる。

 もちろん,その後の思想・哲学的遍歴も加わっているので,いまは,それなりに「スポーツ批評」のスタンスも進化しているつもりである。しかし,とりあえず,公開されたもののうちで,いま一定の信を置いて確認できる根拠は,この論考ということになる。これを,このまま,別の語り口で書き直せば,それで序章・スポーツを批評するとはどういうことなのか,は出来上がる。

 わたしが「スポーツ批評」を展開する根拠は,とりあえずは,ここに集約されている,と断言しておこう。

 もう少しだけ補足をしておこう。この『スポーツ史研究』に投じた総説論文の骨子は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を軸にして展開したものである。しかも,そこから導き出される思考の淵源は,西田幾多郎の提示した「純粋経験」や「行為的直観」などとも通底するものであるし,さらには道元の『正法眼蔵』で展開されている思想・哲学とも共振するものである。もっと言っておけば,仏教の『般若心経』の世界にもつながっていく。

 このあたりのことは,21世紀スポーツ文化研究所の紀要である『スポートロジイ』の創刊号(2012年刊)と第2号(2013年刊)の研究ノートとして,拙稿が掲載されているので,参照していただければ幸いである。創刊号のタイトルは「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論(P.148~274.)。第2号のタイトルは,スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして(P.190~279.)。

 これだけでは無責任の誹りをまぬがれそうにないので,もう少しだけ踏み込んで,「スポーツ批評」ノートの各論を展開してみたい。その2.以下はそういう内容になる予定。かなり多岐にわたる予定であるが,お付き合いいただければ幸いである。

2013年7月20日土曜日

NHKの選挙運動報道にひとこと。自民党に肩入れしすぎではないか。

 いよいよ明日(20日)は参議院議員選挙。なんとも手応えのない気の抜けた選挙運動も幕を閉じて,あとは,あすの投票結果を待つのみとなった。

 それにしても,この選挙運動期間中のNHKの選挙報道には,納得しがたいことが多々あった。どう考えてみても自民党への肩入れが強すぎる,そういう印象が強く残ったからだ。もちろん,NHKとしては,公平中立をめざしていたはずである。にもかかわらず,無意識のうちにそのような結果になったとしたら,それこそが恐ろしいことだ,とわたしは考える。なぜなら,だれの責任でもない,という虚の世界が広がっていくからだ。

 たとえば,今日(19日)の午後8時からの「参院選特集 あす決戦9党党首の選挙戦密着 何を訴え戦ったのか」はその典型的な例だった。この報道でも踏襲されたが,取り上げる政党の順番がいつも同じ。自民党,民主党,日本維新の党,公明党,みんなの党,生活の党,日本共産党,社民党,みどりの党。この順番はこの選挙運動期間中,ほぼ,例外なく決まっていた。ほとんどの番組でこの順番が踏襲されていたことが,非常に気になっていた。なぜなら,視聴者もまた無意識のうちに,この順番がいつのまにか政党間の優劣の序列として刷り込まれていく可能性があるからだ。もっと,シャッフルして,そのつど,順番を変えるべきではなかったか。中立公平の立場をとるのであれば・・・・。政権放送の順番にあれほど神経をつかっていたのだから。

 のみならず,この番組では,幸福実現党と新党大地は除外されていた。完全に,政党としては無視されてしまったのだ。あすの選挙のことも考えながら,この番組を視聴していた人は少なくないはずである。にもかかわらず,この二つの政党は排除されてしまっていた。なぜ?この政党を支持している人たちにとっては,断じて許されないことだ。わたしは支持者ではないが,この二つの政党がどのような主張をし,どのような選挙運動を展開したのか見たかった。

 NHKがなんの考えもなしに,この二つの政党の選挙報道を排除したとは考えられない。なんらかの理由があってのことでなければならない。だとしたら,その理由・根拠を知りたい。NHKの恣意的な都合で勝手にそのような操作はすべきではない。国会の監視下に置かれている公共放送であるかぎり,だれにも説明できる理由がなくてはならないはずだ。

 こんなことが近頃,多すぎる。しかも,ごく当たり前のようにしてやり過ごされていく。NHKの番組制作が,最近とみに偏向しているのではないかと疑念をいだく人は少なくないはずだ。これまでだったら断じて許されなかったことが,当たり前のごくふつうのことになりつつある。その傾向がますます加速しているのでは・・・・とわたしは疑念をいだいている。なにか変だ,とおもうのはわたしだけなのだろうか。

 いつもの,どうでもいい番組ならまだしも,今回は,国の命運をかけた参議院議員選挙だ。あすの投票行動にも大きな影響を及ぼしかねない大事な選挙報道だ。そこに,このような偏見が紛れ込むことは許されない。この報道から排除されてしまった幸福実現党と新党大地は黙ってこのまま見過ごすのだろうか。

 わたしの印象では,この報道はNHKの確信犯的な振る舞いにみえて仕方がない。もし,そうだとしたら,これは犯罪にも等しい。しかし,自民党に守られているかぎり,NHKも,番組制作者も,みんなお咎めなしで済まされてしまうのだろう。が,それは違うのではないか。幸福実現党と新党大地がどのような行動をとるか,わたしは密かに楽しみにしている。やはり,おとなしく黙ってやり過ごすのか,それとも,裁判に打ってでるのか。

 ささいなことかも知れないが,わたしにはどう考えても重大な問題がその背景に潜んでいる,としか思えない。どこか,とんでもないところで日本全体が狂いはじめているのではないか。このことは,以前からわたしが感じていることであり,このブログでも繰り返し主張してきたことだ。

 選挙をメディアが操作しているのでは・・・・それも次第に露骨に・・・・自民党圧勝,などという具合に・・・・。ならば,そうはさせまいとする国民を増やすことを,自衛のためにも考えなくてはならない。報道の「自由」の名のもとでの,世論操作に対抗するためにも・・・・。とりわけ,NHKには厳しいまなざしを向けてかなくては・・・・と。

 こんな,ある意味では,意図的・計画的に仕掛けられた重大な問題も,あすの選挙結果報道に掻き消されていくに違いない。そのことも計算に入れた上での「確信犯」ではないか,と。だとしたら,事態はますます深刻だ。善玉の顔をしたNHKに仕掛けられた「悪」の装置,そこから放たれる「毒矢」がますますわたしたち国民の意識をマヒさせていくことになる。つまり,慣れっこになってしまうからだ。困ったものではある。が,なんとかしないことには・・・・。

 どなたか,いい智慧を貸してください。

高橋健夫君の死を悼む。よく頑張った,と遺影に。

 希代のプレイ・ボーイ。才能豊にのびのびと人生を謳歌した君。なにをやっても一流だった君。素晴らしい人生だったではないか。ひとは「早すぎる」と言う。しかし,ひとの3倍もの仕事をこなしてきたのだから,これはこれで仕方がないとわたし。「よく頑張った」,ほんとうに「よく頑張った」と遺影に向かって声をかける(19日(金)午後6時~,通夜式)。

 でも,ホンネを言えば,わたしよりも若い人がさきに逝くのは許せない。いまの時代,少なくとも80歳までは生きていてほしかった。そして,余生の馬鹿話のひとつもともに楽しんでみたかった。その最良の話し相手をうしなった。残念の極みである。

 思い返せば,走馬灯のように,さまざまなことが蘇ってくる。そのうちのひとつ,ふたつを,全国に散らばっている高橋健夫ファンに伝えておきたい。

 君は大阪大学を振り出しに,奈良教育大学,筑波大学,日本体育大学で,それぞれ大きな足跡を残した。わたしも,じつは,君の後追いのようなかたちで,大阪大学から奈良教育大学へと移った。そして,奈良教育大学では約10年間,同僚として,若き良き時間をともに過ごした。この時代は,いま振り返ってみても,まことに密度の濃い時間だったとしみじみおもう。お互いにとてもいい意味で牽制し合い,切磋琢磨していた。

 そんな時代のひとこまを。午後5時を過ぎると,テニスをやろう,と君はわたしを誘った。わたしにテニスを教えてくれたのも君だった。終って研究室にもどると,こんどは大先輩のN教授から「ちょっとだけビールを飲みにきなさい」と電話。もちろん,高橋君も一緒。そこにひとり,ふたりと学生たちも加わる。N教授のお話をしばらくは拝聴しているのだが,途中から九州弁がつよくなり,なにを言っているのかわからなくなる。退屈なので,高橋君とわたしはふたりで,当時の体育界の著名な偉い先生をひとりずつ俎上にあげて,徹底的に批判をはじめていた。しばらくその話を聞いていたN教授が,突然大きな声で「お前らはなにを偉そうなことを言っているのか。まるで天下国家をとったような話をしおって・・・。生意気だッ!」と怒鳴る。わたしもビールの勢いを借りて「生意気でなかったら生きてはいけません。天下国家をとるくらいの気概をもつことは悪いことではありません」とやり返す。さすがのN教授も開いた口が塞がらないという顔。そのあと,わたしと高橋君はふたりで顔を見合わせて「いつか,かならず天下国家をとるつもりだもんね」と固い約束。

 それ以前も以後も,お互いに,おれがやってやるという野心を胸の奥深くに秘めて,密かに猛烈な勉強をしていた。それは,お互いのほんの短い会話ですぐにわかった。たとえば,テニスをやっている最中でも,チェンジ・コートでスレ違いざまに「やっぱり,ヘーゲルを読まなきゃ駄目ですよね」と言ったりする。わたしの方は,ライジング・ボールをどこまで前にでて打つことができるか,と必死になって考えているときに。じつは,その当時,内緒でわたしはヘーゲルの『精神現象学』と格闘していた。そのことが,だれか学生から伝わったらしい。びっくりして,かれのの眼を見据えてしまう。そうなると,わたしは,もはや,テニスどころではなくなってしまう。でも,かれはテニスはテニス,ヘーゲルはヘーゲルと,瞬時に頭を切り替える才能をもっていた。わたしは,分裂症的才能と名づけていた。つまり,頭の切り替えがじつに早いのである。わたしは,ひとつのことをのんびりといつまでもいつまでも考えつづける粘着質的性質。だから,このふたりはぶつかることがない。

 わたしが50歳になろうとするとき,待ちに待った在外研究員の順番がまわってきて,ウィーン大学に遊学する。高橋君が45歳だったと記憶する。そのときに,ウィーンの自宅に高橋君から電話が入る。なにごとが起きたのかとびっくりする。話を聞いてみると,筑波大学からお誘いがきているが・・・,という。わたしは即座に「君の夢が叶うことなのだから,行きなさい。その代わり,天下国家に向かって号令をする人間になる,と約束してくれ」「約束はともかくとして,頑張ります」とかれ。帰国後,漏れ伝わってきた話によれば(虚実は不明),「稲垣がいない間に高橋を筑波に引き抜け」という密談があったとか,なかったとか。それを聞いて,なんと器の小さな人間とわたしが見られていたことか,とそのことを恥じた。よし,高橋君がいよいよ天下に向かって号令を発することになった。ならば,わたしは研究者としてその名を残す人間になろう,と決意。

 以前にもまして勉強に熱が入った。フランス現代思想の勉強に急激に傾斜していったのが,ちょうどこのころだった。研究者としてのスタンスを明確にし,高橋君がめざす道とは完全に袂を分かつことになった。その後の君は素晴らしい活躍ぶりをみせてくれた。『体育科教育』には毎号のように原稿を投じ,現場の体育教師に向かって進むべき道筋を提示しつづけるようになった。奈良から眺めていて爽快だった。よし,これでいい,と。

 しかし,義理堅い高橋君は,わたしのためにも『体育科教育』に原稿を書くチャンスを何回もつくってくれた。まあ,わたしが希代のプレイ・ボーイと高橋君のことを呼ぶ,その気配り,心遣いの細やかさが,こんなところにも発揮されていたのである。以後,直接,議論をすることはなかったが,折にふれ電話での相談はあった。それとなくわたしの仕事も遠くから見守っていてくれたのである。これがタケチャンマンの本性なのだ。

 わたしが60歳を迎えるときに,日本体育大学から,大学院博士課程を増設するので,来てほしいというお誘いがあった。そのときの条件は,大学院の授業だけやればいい,というものだった。わたしの夢の実現である。ならば,と勇んで日体大に移る。一年の準備期間をおいて博士課程がスタート。日体大での10年間は,こんにちのわたしの研究者としてのスタンスを確立する上で,かけがえのない濃密な時間であった。いい意味でも,悪い意味でも。

 ご縁というものは不思議なものである。わたしが定年で日体大を辞める一年前に,高橋君が大学院のスタッフとして着任。断っておくが,わたしが声をかけたわけではない。まったく別の力学がはたらいての人事だった。だから,たった一年だけ,日体大の同僚として過ごすことになった。でも,かれの忙しさを目の当たりにして,これはたいへんだと直感した。いかに頭の切り替えが早いとはいえ,それなりの責任のある地位で(たとえば,文部科学省の仕事),一定の成果を残していかなくてはならない。これではからだがいくつあってももたない。だから,わたしは仕事の量を少し減らした方がいい,と助言したこともある。でも,お人好しのかれは頼まれると断ることができない。それ以外にも,困った人がいれば全力で助けようとする。立派なものだ,と感心していた。あとは,からだがどこまでもつか,ただその一点のみ。

 だから,「よく頑張った」のひとことを遺影に向けて語りかけるのが,わたしとしては精一杯のことだった。あとは,浄土の世界でのびのびと羽を休めてください,と。でも,いらっちの君のことだ。一時もじっとしていることなく,あちこち駆け回っていることだろう。でも,それも仕方のないこと。それが面白くて仕方がないのだから。

 君がわたしに言ったことばを思い出す。「ぼくは商人の子だから,カメレオン的適応をして,だれにも好かれるように応対するように生まれついている。先生は,禅寺の坊主の子だから,来るものは拒まず,去るものは追わず,と淡々としていればいい。そして,言うべきことだけを言う,そういう生まれつきですね。」これはまことに言いえて妙。そうか,そんな風に考えていたのか,とそれを聞いたときはそうおもった。いま考えてみると,そこにはもっと深い意味が隠されているのだが・・・・。でも,基本的にはとてもうまい表現だとおもう。

 このブログがエンドレスになりはじめている。
 このあたりでとりあえず,終わりにしておく。
 また,折に触れて思い出すこともあるだろう。そのときに,追加をしていきたいとおもう。

 高橋健夫君,浄土の世界で安らかにお過ごしください。いずれ,わたしも参ります。そのときには現世よりももっと楽しいことをしましょう。それまで待っていてください。

2013年7月19日金曜日

スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。『スポートロジイ』第2号・巻頭のことばより。

 待望の『スポートロジイ』第2号が,今朝(7月19日)の10時に配達されました。大急ぎで梱包を開いてじかに手にとりました。やはり,感動でした。落ち着いた渋いシルバーの表紙がいい感じです。ベージをめくりながら,あれこれの感慨が一気に押し寄せてきました。からだを張った仕事が世にでるということの喜びはなにものにも代えがたいものです。これから取り次ぎを経て書店にも並ぶ予定。ただし,発行部数が多くないので大型店のみだと思います。どこかで手にとってじかにご覧いただければ幸いです。


 このブログでは,第2号の「巻頭のことば」を紹介させていただきます。第2号の概要を把握するには便利だと思いますので。

●巻頭のことば
スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。

 「スポートロジイ」(Sportology=スポーツ学)と銘打つ新たな「学」を立ち上げ,その実績を世に問うために,われわれはどこから手をつければいいのか,と考えつづけてきた。当然のことながら,しかるべき手順を踏んで,一歩一歩前に進むべきではないか,と悩み考えた。しかし,そういう近代的なアカデミックな方法論の呪縛にとらわれているかぎり,モダニティに取り囲まれたフィールドの内側でのリング・ワンデルングから抜け出すことはできない,と気づく。ならば,モダニティの呪縛の外に飛び出し,まずは,隗より始めよ,である。

 われわれ「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究員が,ここ数年にわたって取り組んできた研究テーマのひとつは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」であり,もうひとつは「ドーピング問題」であった。前者のテーマについては,2012年8月に開催された第2回日本・バスク国際セミナー(神戸市外国語大学主催)で議論され,一応の成果をあげえたと考えている。そして,後者のテーマは「ISC・21」が主催する月例研究会でたびたび議論を積み重ねてきたものである。そこで,この二つのテーマを第2号の特集テーマとして設定することにした。
 第一特集・グローバリゼーションと伝統スポーツには,国際セミナー開催時に特別ゲストとして参加していただいた今福龍太,西谷修の両氏による基調講演が収められている。お二人とも,「ISC・21」の月例研究会にも何回も足を運んでくださり,わたしたちの意とするところを充分にくみ取ってくださった上での基調講演である。「スポートロジイ」の新たな可能性に道を切り開く貴重な示唆に富んでいて,わたしたちを大いに勇気づけてくれる内容になっている。また,それに呼応するようにして若手研究者による原著論文3本がつづく。これまでの閉塞的な研究方法論の枠組みを悠々と乗り越え,伸びやかな感性のもとで魅力的な論考を展開している。
 第二特集・ドーピング問題を考える,の2本の論考もまた鮮烈をきわめる。1本は,これまで門外不出とされてきたドーピング・チェックの世界にメスをいれた元ドーピング・ドクター伊藤偵之さんによる研究報告である。眼からウロコが落ちる,そういう情報に圧倒されること間違いなし,の論考である。もう1本は,フランスの哲学者パスカル・ヌーヴェルによるドーピング問題の核心に触れる論考である。アンチ・ドーピング運動の正当性が根底から揺さぶられる問題提起となっている。橋本一径さんの手による気合の入った翻訳紹介。いずれも本邦初公開であり,ドーピング問題に関心をもつ人にとっては必見・必読の論考である。
 これらの特集に加えて,もう1本の貴重な論考を上梓した。わたしたちの月例研究会では,ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン──惨事便乗型資本主義の正体を暴く』上・下(幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年)の読書会を積み上げ,議論を重ねてきた。そして,最後にその仕上げの意味で西谷修さんを囲む「合評会」を開催した。そのときのメモリアルとして西谷修さんが書き下ろしの論考を寄せてくださった。わたしたちの熱意に応答する西谷さんの渾身の力作といっていい。グローバリゼーションとはどういうことなのか,を考えるための重要な礎を得た思いである。いまも加速しながら進展をつづけるスポーツのグローバリゼーションの問題系を考える上でも,これからますます重要視される論考になることは間違いないだろう。
 最後に,「スポーツとはなにか」という根源的な問いをつねに内に秘めつつ,その問いに応答しうる思想・哲学的な根拠を求める「研究ノート」(スポーツの<始原>をさぐる──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして)を掲載した。なぜ,ジョルジュ・バタイユの思想に注目するのか,なぜ,「スポートロジイ」の根拠をそこに求めようとするのか,を明らかにしようという意欲作である。
 以上が第2号の概要である。

 21世紀のスポーツ文化を模索する「ISC・21」の研究紀要『スポートロジイ』の第2号が,西谷修,今福龍太,橋本一径,伊藤偵之の4氏の力強い後押しによって,無事に世に送り出されることをこころから感謝したい。そして,これを励みに,毎月開催している月例研究会により一層の情熱をそそぎたいと思う。さらには,今日から,第3号の発行に向けて準備に取りかかりたい。

 併せて,読者のみなさんからの忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2013年6月15日  ようやく梅雨らしくなってきた空を見上げながら
         21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩

 以上です。これからどんな反響が返ってくるのかワクワクしています。みなさんもご覧になっての感想やご意見などお聞かせいだだければ幸いです。
 取り急ぎ,第2号がとどきました,というご報告まで。そして,ちょっと凄いことになっています,という予告まで。

2013年7月18日木曜日

「尖閣諸島を死守する」と安倍首相。石垣島で。冗談じゃない,「棚上げ」にもどすことこそ国益。

 石垣島の遊説で,安倍首相が「尖閣諸島を死守する」と訴えたそうな。これでは半永久的にお隣の大国・中国との「友好平和」をとりもどすことはできなくなってしまう。この40年間にわたる「日中友好平和条約」と両国の努力はなんだったのか,わけがわからない。

 このブログでも何回も書いてきているが,国際社会はすでに「棚上げ」にもどすことが,東アジアの平和のためには必要不可欠だという点で,大方の合意ができている,という。アメリカも基本的にはこの姿勢を貫いている。だから,中国はあわてず,騒がず,日本が勝手に決めた「領海侵犯」という示威行為を,意図的・計画的にくり返すにとどめている。そして,日本を飛び越えて,アメリカとの新しい関係づくりにつとめ,さらに大きな可能性を切り開こうと努力している。こういう情報を日本のメディアはほとんど無視している。

 こんなことを政府自民党は知らないはずはない。それどころか,自民党内にも,河野洋平のように,「棚上げ」にもどすべきだとう主張する議員も少なくない。にもかかわらず,「尖閣諸島は日本固有の領土」だと,一方的に宣言して,「実効支配」から一気に「領土化」してしまった。そして,これが既定の事実であるかのごとくメディアが騒ぎ立て,中国バッシングの情報ばかりを流しつづける。なにも考えようとはしない,つまり,「思考停止」してしまった国民の多くは,テレビも新聞も「領土」だと言っていることを鵜呑みにして,いまや,確信になってしまっている。

 これを先取りするかのように,石破自民党幹事長は,とんちんかんな再軍備論をぶち上げる。それも極端だ。おもわず正気か,と声に出してしまう。たとえば,兵役を拒否する国民は軍法裁判にかけるという。それも,非公開で判決を言い渡し,そのまま実行に移す,と。その多くは「死刑」。あるいは懲役300年,という。恐るべき「暴力」装置を構築しようというのだ。つまり,国の意志で国民をいかようにも裁くことができる国にする,と。

 これが政権党の幹事長の「ホンネ」らしい。もはや,つける「クスリ」もない。そんな政権党が,こんどの参議院議員選挙で圧勝する,とこれまたメディアが書き立てる。はたして,本当だろうか,とわたしは首を捻る。もし,メディアの言うことがほんとうだとしたら,いったい,この国はどこに向かおうとしているのか。

 安倍首相が「尖閣諸島を死守する」という背景には,石破幹事長の,こんな国民皆兵,軍法裁判構想があるらしい。そんなにまでしても「尖閣諸島」を「領土化」したいらしい。これまでの40年間のように中国も認めてきた日本の「実効支配」でいいではないか。そして,しかるべき時がきたら,両国で話し合って,最終的な結論を出せばいい。これが「日中友好平和条約」を結んだときの両国の了解事項だったはずである。

 この「事実」を鳩山由紀夫氏が語ると「嘘つき」と言って,メディアが囃し立てる。いつのまにか,鳩山由紀夫は「嘘つき」の代名詞になりつつある。今日(18日)の新聞に広告を出している某「週刊誌」は,またまた,大きな見出しで鳩山由紀夫は「嘘つき」と書き立てている。「嘘つき」は,いったい,どちらなんだ,とわたしはいいたい。こういう「嘘」ど「詭弁」がメディアを支配してしまっている。困ったものだ。

 いまの日本は,既得権益を守る集団(日本の中枢を占める政・官・財・学・報の五位一体=原子力ムラの住人たち)の発信する「嘘」と「詭弁」によって世論が操作され,恐るべき方向に向かって「暴走」している。これが,現段階での,わたしの現状認識である。こういうことを言う人間はすべて「国賊」として世の中から排除・隠蔽されてしまう。当然のことながら,わたしは正真正銘の「国賊」である。

 いまや,ヒトラーの率いるナチス・ドイツが選挙で多数党を構築して,独裁体制を布いた時代とそっくりそのままな状態が,いまの日本に再現されつつある。こんどの選挙はその天下を決する「関ヶ原」の戦いだ,とわたしは位置づけている。

 いまも支持政党なし,支持候補者なし,という国民が4割もいるという。この「4割」の国民は,いま,息をひそめて,困り果てていると思う。かく申すわたしがそうだから。しかし,この「4割」が存在するということは,逆に「救い」でもある。なぜなら,この「4割」は,少なくとも,現在の政権党には投票したくない人たちだ,と読めるからだ。だとすれば,わたしも含めて,みんな総動員をかけて選挙に行こう。そして,国民皆兵をめざそうという政党の議席獲得を阻止しよう。まずは,そのことだけを考えて投票に行こう。この際,こころを鬼にしてでも,最低限の意志としてのみずからの「一石」を投じよう。

 某新聞の報道によれば,自民党を支持する女性は13%だ,という。刮目すべき数字ではないか。女性は偉い。命の尊さをからだで知っている。その点,企業に全身全霊まるごと絡め捕られてしまったサラリーマンは「甘い」。それどころか,「思考停止」をして,「自発的隷従」をしないことには,企業のなかでのポジションは維持できないのだろう。そして,カネ(経済)のことしか考えない。それこそが,既得権益を守るボスたちの思うつぼだ。そこから,一歩,勇気ある一歩を,こんどの投票で行動に移そう。

 このまま政権党を盲信して,身をゆだねてしまうと,日本という国家はあっという間に奈落の底に転げ落ちてしまう。わたしはそれが怖い。だから,「国賊」の汚名をもあえて甘受する覚悟を決めている。いな,いつの日か,いま「国賊」と呼ばれることが名誉となる日がやってくる,と確信している。また,そうでなくてはならない,と信じている。

 みなさんは,どのようにお考えなのでしょうか。おそらく苦しみ,悩んでいる人が多いのでは,と推測しています。どうか,この際,勇気ある投票行動をとることにしませんか。とりあえず,今回の選挙にかぎり・・・・という条件つきで。戦争だけは回避しましょう。

2013年7月17日水曜日

「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め。『スポートロジイ』創刊号のことばより。

 明日(18日)か,遅くとも明後日(19日)には『スポートロジイ』第2号が印刷所からわたしのところにとどく予定,とみやび出版の伊藤さんからメールが入りました。「よっしゃっ!」とひとりガッツ・ポーズ。昨年出した創刊号はどこか自信がもてないまま,手さぐり状態でしたが,第2号は腹をくくって編集方針を絞り込み,すっきりしたものに仕上がったと自負しています。もちろん,それに応えてくださった著者があってのことですが・・・・。

 まもなく書店にも並ぶということですので,今回のブログでは,なぜ,「スポートロジイ」なる研究紀要を刊行するにいたったのか,確認の意味で,創刊号のトップに書き込んだ「創刊のことば」を紹介しておきたいと思います。これを読んでいただければ,『スポートロジイ』第2号が,どの方向に向って第一歩を踏み出したのかも,おおよそのところはおわかりいただけると思うからです。ご笑覧の上,ご意見・ご批判などいただければ幸いです。

●創刊のことば
「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め

    「動物は世界の内に水の中に水かあるように存在している」(ジョルジュ・バタイユ)

 幼い子どもが遊びに熱中したり,大人でも遊びに忘我没入したりするとき,自他の区別がなくなっている。スポーツもまた,面白くなってくるとわれを忘れて夢中になっている。つまり,自他の垣根が取り払われて,他者と渾然一体となって溶け合ってしまう。これらは,自己を超えでていく経験であり,「生」の全開状態,すなわちエクスターズ(恍惚)そのものである。その経験は,ひたすら「消尽」であり,「贈与」である。
 スポーツ,あるいは,スポーツ的なるものが立ち現れる源泉はここにある,とわれわれは考える。スポーツの中核には,このようなエクスターズ(恍惚)への強い欲望がまずあって,その周縁にさまざまな文化要素が付随して,それぞれの地域や時代に固有のスポーツ文化を生成してきた,と思われる。だとすれば,スポーツとは「動物性への回帰願望の表出」そのものではないか,ということになる。
 そこで問題になるのは,スポーツを成立させることと理性のはたらきとの関係性であろう。このときの理性とは,ヒトが動物の世界から<横滑り>して,ヒトから人間になるときに新たに獲得した能力のことである。したがって,理性を人間性と置き換えてもいいだろう。いうなれば,理性(すなわち,人間性)は最初から,動物性を抑圧し,排除・隠蔽する力として働いてきた。しかし,理性がどこまで頑張ってみたところで人間の内なる動物性を消し去ることはできない。したがって,「生きもの」としての人間にアプリオリに備わる動物性と人間性とを,どのように折り合いをつけて,その「生」を最大限に発露させるか,という大きなテーマがそこに立ち現れる。
 スポーツは,いうなれば,その両者のはざまで揺れ動く,微妙な文化装置として登場したとも考えられる。だとしたら,「生きもの」としての人間にとってスポーツとはなにか,という根源的な問いがそこから立ち上がることになる。
 しかしながら,現代社会に君臨している「理性」は,いつのまにやら「テクノサイエンス経済」(ピエール・ルジャンドル)なる狂気と化して,「生きもの」としての人間の存在を脅かしはじめている。「3・11」後の原発事故による脅威は,その典型例といってよいだろう。いまこそ「生きもの」としての人間にとっての<理性>をとりもどし(西谷修),人間が生きるとはどういうことなのか,ということに思いを致すべきだろう。
 「21世紀スポーツ文化研究所」もまた,同じ立場に立ち返り,スポーツの側からこの根源的な問題に取り組むことが不可欠であると考える。そのためには,これまでの体育学やスポーツ科学のパラダイム・シフトが喫緊の課題であると考えた。その結果,スポーツにかかわるあらゆる題材を研究対象とする新たな「学」として,「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)を提唱することにした。
 「生きもの」としての人間にとって「スポーツ」とはなにか。
 すなわち,「3・11」後を生きるわれわれが,スポーツとはなにかを問うことは,まさに「生きもの」としての人間とはなにかを問うことだ。そのための最優先課題は,スポーツにかかわる思想・哲学的なバック・グラウンドを固めることにある。

 われわれの試みはまだその緒についたばかりである。つねに「スポートロジイ」がなにを課題としているかを忘れることなく,一歩ずつその地歩を固めていきたいと考えている。大方の忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2012年4月30日 ことのほか美しい新緑に眼を細めながら
        21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員 稲垣正浩

 以上です。
 これ以上に簡潔に言うことはできないというところまで切り詰めてのことばですので,この種の思考に慣れていない人びとにとっては,いささか難解であるかもしれません。が,少しだけ近代合理主義的な思考から「離脱」し,前近代的な非合理的な思考の方向に,立ち位置を「移動」させていただければ,その意とするところは,意外にすんなりと理解してもらえるのではないかと思います。

 この精神を深く胸に刻んで,『スポートロジイ』第2号の編集に取組みました。そして,その思いをこめた第2号にはどのような巻頭のことばを書き込んだのか,その内容については,明日,ご紹介してみたいと思います。

 それでは,今日のところはここまで。

2013年7月16日火曜日

『スポートロジイ』第2号,まもなく刊行。ちらし広告がでました。

 21世紀スポーツ文化研究所編『スポートロジイ』第2号のちらし広告が送られてきました。まもなく見本誌がとどくとのことです。楽しみです。予定では,来週の後半には書店に並ぶとのこと。いまのところ順調にきていますので,間違いないでしょう。

 詳しい内容については,このちらし広告を拡大して確認してみてください。もし,このちらし広告が必要だと仰る人はコメント枠を利用して住所をお知らせください。住所の記入してあるコメントは非公開にしますので,ご安心ください。

 なお,同じちらし広告を,21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)のホーム・ページにも掲示しておきましたので,そちらもご覧ください。こちらには表紙のPDFも掲示してあります。


 ついでですので,創刊号のちらし広告も載せておきます。こちらもご笑覧いただければ幸いです。もちろん,残部がありますので,星雲社にFAXしてみてください。

取り急ぎ,コマーシャルまで。


2013年7月15日月曜日

参院選投票まであと1週間。支持する政党も候補者もみつからない。ならば得票率で。

  いよいよ選挙まであと一週間。なのに気持ちはむなしさばかりがふくらみます。なんともはや気の重い選挙になってきました。支持したい候補者も政党もみつからないのですから。

 わたしの住んでいる溝の口は田園都市線とJR線とがクロスする交通の要所になっています。その乗り換えのためのコンコースが選挙演説をするには絶好のポイントになっていて,毎日のように各政党の候補者が入れ代わり立ち代わりして,演説をやっています。ですから,いつのまにかほとんどの政党・候補者の演説を聞き,パンフレットも集まっています。

 わたしがガッカリしてしまうのは,まずは,演説が下手。なぜ,もっと演説の仕方を研究しないのだろうか,と不思議です。この人たちはふだんから演説の稽古をしていなくては駄目でしょう。おそれ多くも,政治家を志すのであれば,道行く人の足を止め,聞き入らせるくらいの弁論術を身につけるべきではないか。なのに,どの候補者もまるで一夜漬けの素人演説。人を説得する力に欠ける。つまり,演説に感情移入が足りない。

 わたしが子ども時代を過ごした田舎の小さな寺は,選挙があるたびに候補者の演説会場となっていました。父はなぜか,政党の区別なしに,申し入れがあればどの候補者にも門戸を開いていたようです。ですから,子どものころから,地元では有名な政治家の演説を聞いていました。ふだん新聞もほとんど読まない農家の人たちを相手に,じつに気持ちの籠もった,説得力のある演説をぶっていました。小学生だったわたしにもなるほどと納得させる演説でした。ですから,政治家というのは偉い人たちなんだと思って育ちました。

 それに引き換え,市会議員候補の演説はやはり下手でした。小さな村から一人の市会議員を送り出すのが精一杯でしたので,事前に話し合いがなされ,競合を避けていたのでしょう。たいした選挙運動もせず,演説会もせず,当選していました。が,あるとき,同じ村から二人も立候補するときがあって,このときは激しい選挙運動が展開されました。演説会もひんぱんに開かれました。もちろん,わたしの寺もその会場となりました。ですから,両方の候補者の演説を聞かせてもらいました。が,演説の体をなしていません。これは仕方がないのだろうなぁ,と子どもごころにも理解していました。

 ですから,衆議院議員候補の演説のうまさがなみはずれて光っていました。子どもですらホロリとさせられるほどの情感のこもった語り口とことばが,聞く人のこころを打ちました。いま,こんな演説のできる候補者は数えるほどしかいないのではないか,と思います。

 この演説が下手な上に,訴える選挙スローガンが,わたしとは相容れない候補者ばかりです。ですから,演説を聞いていて,あなたはいったいどんな勉強をして,どんな情報にもとづいて,そのような主張をするようになったのか,と苛立つばかりです。しっかりとした裏付けのない,ほとんどなんの根拠もない,もっと言ってしまえば,誤解と勘違いによる主張ばかりが口からでてきます。しかも,人のこころをとらえる情話がほとんどありません。ですから,「無力感」というか,「むなしさ」ばかりがふくらんでいきます。

 わたしのスタンスは,まずは,脱原発に舵を切りましょう,つぎに尖閣諸島を「棚上げ」にもどしましょう(アメリカのニューヨーク・タイムスの社説でも「棚上げ」にもどすべし,と主張しています。これが国際社会の常識です。藪から棒の,突然の一方的なわが国固有の領土宣言は,百害あって一利なしです),その結果として,憲法改悪・集団的自衛権は必要なし(自民党の憲法草案を読むべし。中学生でもこれは変だということがわかります),そして,TPP反対(アメリカン・スタンダードに組み込まれるということは日本が日本ではなくなるということです),沖縄の米軍基地を県外へ(基地の大半を沖縄に押しつけて平気でいられるヤマトンチュであることが恥ずかしい。無責任そのもの),連動して「日米地位協定」の廃絶を(これがあるかぎり,日本は独立国とは言えません。つまり,主権国家ではないまま,こんにちにいたっているということです),そして,なによりもフクシマは終ってはいない,この国難に真っ正面から取り組むべし(臭いものにはフタ,という姿勢がありあり),そして,復興予算の適正な配分を(ほんとうに困っている人のところにとどくように)・・・・とうとう。あげていけば際限がありません。

 こんな風に考えていますので,支持政党も候補者もなくなってしまうわけです。ほんとうに日本再生を考えるのであれば,まずは,ここからはじめるべきだとわたしは考えています。「強い日本をとりもどそう」などといって再軍備にむけて舵を切ろうとしている政党こそ,ベクトルがまったく逆だ,とわたしは考えています。

 わたしが不思議で仕方がないのは,どの政党もこぞって「尖閣はわが国固有の領土だ」と主張しているということです。これでは,まるで「裸の王様」も同然です。情けないことですが,これが日本の政党の現状です。だれかひとりくらい「王様は裸だよ」という人がでてきてもいいのではないでしょうか。いまこそ,「裸だ」と言える「正気」をもった政治家(なんにんかいらっしゃることは,すでに,このブログでも書いたとおりです)が必要です。いまは「狂気」一色に染まってしまった政治情況からの離脱と移動が喫緊の課題だと,わたしは強く主張したいと思います。

 とはいえ,投票日はやってきます。棄権するのはくやしいので,圧勝を予想されている政党とは,少なくともどこかで対抗している政党のいずれかに投じようと思っています。そして,少なくとも,得票率だけでも過半数はやらない,という意志表明をしたい,と。

 みなさんはどんな風にお考えなのでしょうか。


日曜美術館・鈴木其一の「朝顔図屏風」をみる。解説がなにか変?

 恥ずかしながら鈴木其一という琳派の流れをくむ画家の名前も画業も知りませんでした。が,今日(14日),NHKの日曜美術館をみて初めて知りました。そして,ごの人の絵は桁がはずれていると素直に思いました。こんな凄いひとがいたんだ,とびっくりしました。「青い」朝顔を屏風いっぱいにうねりくねった姿で描いたこの屏風は素晴らしいと思いました。「青い」色にこんなに奥行きがあって,しかも柔らかい。変幻自在の「青」。この絵をみるためだけでもいいからメトロポリタン美術館へ行ってみたいとおもいました。

 しかし,この人の絵をめぐって,日曜美術館の制作者たちは,科学的なデータを示したり,解説をする画家や美術史家とか美術評論家といわれる人たちに,NHKにとって都合のいい解説ばかりを「編集」してみせていました。この人たちの解説を聞いていて,いったい,この人たちはなにを考えているのだろうか,と強烈な違和感を感じました。どう,考えてみても,今日の番組に登場して解説した人たちはみんな奇怪しい,とわたしは感じました。また,この人たちを起用したNHKの制作者たちも奇怪しい,と。

 まず,第一に,鈴木其一の「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館所蔵)という傑作を,科学的に分析してみると・・・・という発想そのものが奇怪しい。鈴木其一が描いた朝顔の「青い」色使いを科学的に分析してみた結果は,膠を混ぜる量が少し少なめであった,だから,其一独自の「青」が出せたのだ,という説明。バカいってんじゃないよ,と画面に向かっていつものように「吼え」てしまいました。画家が自分の好みの色をどのようにして出すか,そんなことを「科学」で説明してみたところで,だからなんなんだ,と聞きたい。ならば,どのくらいの割合で膠を混ぜたのか,そのデータを一つひとつ提示せよ,といいたい。そして,この色合いを出すにはこの割合だったと,もし,科学的根拠の正当性を主張したいのであれば,きちんとその「科学的」データを提示すればいい。でも,そんなことはなにもしませんでした。たぶん,それをやっている制作者たちも意味がないということを承知しているはず。だから,それで終わり。

 こうやって,NHKという公的メディアは,「科学」という名のもとに「正しい」とされる分析結果を提示することによって,これを視聴する国民の意識に対して,無意識のうちに大きな影響を与えつつげているのです。この事実にわたしは驚愕の念を禁じえません。「アート」を「科学」で説明してなんになる,というのがわたしの立場です。ことばでも科学でも説明できない世界のひろがりがあるからこそ,「アート」の存在理由がある,とわたしは考えています。それを「理性的」に,「合理的に」解説することの無力さをわたしは痛切に感じています。ですから,もし,どうしてもそのような議論をしたいのであれば,そのことの意味(有用性)と限界をはっきりと提示した上で,議論をしてほしいと考える者であります。

 それともう一点。何人かの解説のために登場した人びと(画家,美術史家,美術評論家,など)の多くの人が,鈴木其一を「「奇想の人」とか,「狂気の人」とか,「クレージー」ということばを用いて評論したこと。これは断じて許せません。あなた方はいつから「上から目線で」ものをいう資格をわがものとしたのでしょうか。これはこの番組を制作したプロデューサーやディレクターも同じだと思いますが,江戸時代の画家は,近代のわたしたちからみれば,まだまだ発展途上の未熟な存在でしかない,という不遜な目線に満ちあふれているように思います。この姿勢に対して,わたしは全体重をかけて「ノー」と言いたいのです。

 天才と呼ばれる人たちを,ふつうの物差しではかってはいけません。そこからはずれるからこそ「天才」なのです。そうでなかったら,ふつうの人で終わりです。鈴木其一は,ただ,ひたすら,みずからの信ずる「美」を追求しただけのこと。師匠を超えてやろうとか,ライバルを意識して違う方法を編み出したとか,そんなことはどうでもよかったはず。たとえば,「青」を,自分にとっての理想の「青」を出すためには,ありとあらゆる創意工夫・試行錯誤を繰り返したはずです。そして,この「青」こそが求めてやまなかったものだ,ということがはっきりした段階でその「青」をとことん表現していくのだと思います。

そのなによりの証拠を,青の色粉60グラムで米一俵に相当した,といわれる色粉を惜しげもなくつかってこの屏風図を描いたというところに,みてとることができます。鈴木其一にとって,カネなどというものはどこかにすっとんでいたはずです。ですから,解説者たちは「奇想の人」「狂気の人」「クレージー」などと名づけて平気でいられるのでしょう。しかし,このような「名づけ」をして平然としている人たちがもし「正気」であるというのなら,「正気」からはなにも新しいものは生まれてこない,ということです。むしろ,なにものにもとらわれない美意識をそのまま表現する営みこそが「正気」であって,近代合理主義的な考え方に支配された計算・打算で生きている人たちの方がむしろ「狂気」なのではないか,と考えます。裸の王様に向かって「裸だ」という人こそ「正気」であり,それが言えない人たちこそ「狂気」ではないか,と。

 「日曜美術館」を制作しているあなた方は,いまもなお「進歩発展史観」にあぐらをかいて,いまという時代を生きている自分たちこそが最高の歴史的遺産の上に存在しているのだ,と信じて疑わないのだろうなあ,と思いました。しかし,それこそが根本的に間違っているというのがわたしの立場です。いま,この日本で生きているこの社会は,はたしてわたしたち日本人がめざしてきた理想的な社会だったのでしょうか。そうではなくて,とてつもない「破綻」をきたした社会であることはだれの眼にも歴然たる事実です。ここで,あえて,原発の問題をもちだすまでもないでしょう。

 ましてや,「アート」の世界を近代論理(あるいは,近代の「科学神話」)で解説したところで,なんの意味があるというのでしょうか。「アート」の世界こそ,つねに,時代を超越した新しい感性が,時代の制約を突き破って花開く場だとわたしは考えています。たとえば,ピカソ。かれは,鋭く時代精神と対峙しつつ,そんなものはどこ吹く風とばかりに飛翔し,みずから信ずる「美」の世界の探求に没頭しました。それは,近代論理の限界をはるかに超越した,いや,近代の呪縛から解き放たれた「自由の世界」を遊ぶことだった,とわたしは受け止めています。

 ですから,鈴木其一の描いた「朝顔図屏風」を,近代論理の高みから解説することの「愚」を,今日の日曜美術館をみていて,いやというほど感じてしまいました。ああ,こうやって権力にとって都合のいい価値観を「日曜美術館」という番組をとおして,視聴者の無意識の底に流し込んでいくのだ,ということがよくわかりました。

 すこし前のブログで紹介した辺見庸の『青い花』(角川書店)のなかに,「模範的国民意識形成機関NHK」という痛烈な批評表現が書き込まれています。このことを,まさに,「地」でいく番組のひとつが「日曜美術館」であったかと,いまさらのように驚いている次第です。

 まあ,ここまで書いてしまいましたので,最後に,思い切って辺見庸の文章を引いて,このブログを閉じたいと思います。どうか,最後まで読んでみてください。そして,途中で笑い出さないでください。なにはともあれ,大まじめに読んでみてください。それが,わたしの願いです。

 ・・・・・・・・下痢ばかりしている戦争狂の道化。軍事オタクの同輩。テレビからひりだされてきた大阪のあんちゃん。あんちゃんに土下座してあやまる自称進歩的新聞社。どこまでも図にのるあんちゃん。道化どもをもちあげるマスコミ。模範的国民意識形成機関NHK。いいね! サムアップ。拡散希望! 歓呼の声をあげる貧しきひとびと。携帯をだきしめる貧しきひとびと。いきわたる貧困ビジネス。スマホ。スアホ。ドアホ。闇汁ファシズムは骨がらみひとをだめにする。闇汁ファシズムにとくていの領野はない。なんでも融かすのだ。石でも良心でも憎悪でも「不幸な意識」でも共産党でも,なんでも。だれをも不感症にしてしまう。税金と受信料と新聞代,携帯料金をはらってファシズムを買っている。われら貧しきひとびと。虐げられしひとびと。いいね! サムアップ。拡散希望! わたしはあるいている。風にのってどこからか,しずやかな歌声が聞こえてくる。これは演歌ではないか。わたしは耳を澄ましてあるいている。これはコロッケのふざけた声ではない,本物のちあきなおみの哀しい声だ。声が闇にとろけていく。ちあきなおみ本人の姿はない。「・・・こんなにはやく時はすぎるのか・・・紅い花,暗闇のなか・・・踏みにじられて流れた・・・紅い花・・・」。こんなにもはやくときはめぐるのか。青い花よ。きょうこ。わたしはあるいている。わたしは線路をあるいている。


2013年7月14日日曜日

工事完了。さて,これからが大変。「終活」に向けて第一歩を踏みだすこと。決意あるのみ。

 給排水管の総入れ替えをするという,築30年を経過したマンション(1,103世帯)の大修理が,ようやく今日(13日)夕刻,わたしの部屋のある階まで完了しました。全体でいうとあと少しだけ残っています。が,まずは,やれやれというか,お疲れさまというべきか,疲れました。ほぼ一ヶ月前から荷物の片づけに入り,大事なものもふくめすべて段ボールの箱につめてビニールの袋をかぶせて,ベランダに積み上げる,この作業に没頭していました。6月には20日から4日間,娘夫婦を沖縄から呼び寄せて,手助けをしてもらいました。そのあとは,老人がよたよたしながらの片づけです。ほとんど毎日,その作業に没頭していました。そして,この工事がはじまる前日の午前3時にようやく片づけが終わりました。滑り込みセーフでした。

 それから4日間,大勢の職人さんたちが出入りして,それはそれは凄い働きぶりでした。これは見ているだけで,とてつもない勉強になりました。肉体をつかって仕事をしている人たちは,まずはチーム・ワークが第一,その息の合った働きぶりは感動的ですらありました。われわれの頭しか使わない甘っちょろい仕事とは違う,としみじみ思いました。

 第一,この猛暑のなか,完全武装の作業服で身を固め,汗びっしょりかきながら,仲間と声を掛け合いながらひっきりなしにからだを動かし,休むことなく働きます。久し振りにこういう仕事をする人たちにじかに触れ合うことができて,とても勉強になりました。この仕事に比べたら,わたしたちのやっている仕事は甘っちょろい,とこころの底から反省した次第です。

 さて,問題はこれからです。いよいよ「終活」ということを具体化しなくてはなりません。まずは,あと何年生きるか,それまで元気でいられるのは何年か。そのあとはできるだけコロリと死ぬこと,そのための設計図を描かなくてはなりません。それを視野に入れて,さて,手元に残すべきものを厳選すること,あとは,保存してもらえる人に預けること(所有権を預けること,つまり,寄付すること),そして,その他は思いきって捨てること,この作業をしなくてはなりません。これをどのペースでやっていくか,こころとからだと相談しながらの,まったなしの思案のしどころです。

 まずは,書籍の処分。家に残すべきものはほんのわずかでいい。つまり,最小限にとどめること。しかし,これがそんなに容易なことではありません。片づける段階でそれに取り組んでみましたが,それをやっていては間に合わないということがわかり,途中で放棄しました。が,こんどは待ったなしで「捨てる」という最大の課題に取り組まなくてはなりません。

 これからのち,ある程度,まともな状態で仕事ができるとしても,あと5年。つまり,80歳を想定。それまでの間,手元に置いておきたい本を厳選すること。あとは,だれかに預けること。預けておけば,もし,必要があれば借りにいけばいい。幸いにしてそんなやっかいなことを引き受けてもいいと言ってくれる人も現れました。もっとも,自分の本を借りにいく,そんなことが,以後,何回,起きるだろうかと想像してみる。まずは,よほどのことがない限りないだろう,と想定。もし,あったとしたら旅行にでもいく気分ででかければいい。そんなつもりで・・・・・と自分に言い聞かせて選別にとりかかる。比較的気持ちは楽になる。でも,「捨てる」ということは勇気のいるものだと知りました。

 そのむかし,大阪大学の教員宿舎に住んでいたころ,社会学のS教授と親しくさせていただいた。この先生も,千葉大から大阪大学に移るときにもっていた書籍の半分以上は処分した,と仰っていました。そして,それは「とても勇気のいることでした」と述懐されていたことを思い出します。そして,どうしても必要な本はもう一度買えばいい,と腹をくくった,とのこと。なるほど,そこまでの決断があればあとはなんとでもなる,といまごろになって思い出しています。

 いまなら,アマゾンで手配すれば,すぐに手に入ります。必要がなくなったら,また,処分すればいい,といまは冷静に考えることができるようになりました。しかし,実際にどうなるかはわかりません。やはり,「捨てる」ということはものがなかった時代に成人した人間にとっては,ほんとうに大変なことです。いまの時代に育った人たちには理解不能だろうと思います。それは,ある意味では,トラウマのようになっていて,病気のようなものでもあります。

 でも,もう,この期に及んでは,そんなことは言ってられません。とにかく,こころを鬼にして「捨てる」。それなくして明日はない。とまあ,このブログは,私自身に引導を渡すために書いているようなもの・・・・。情けないですが,それが実態。

 一気に片づける気力も体力もありません。毎日,少しずつ,2時間ほどをこの片づけ仕事に当てて,のんびりやることにします。こうやって,おさらばの心構えをみずからに教え込んでいるようなものかもしれません。

 それでも,元気なうちはもうしばらくは・・・・と考えていますので,どうぞよろしくお願いいたします。このブログも自分自身へのエールのようなもの。書く元気のあるうちに書いておこう,と。

 というわけですので,元気がでるようなコメントをいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

2013年7月13日土曜日

『スポーツする文学』の批評性について。「スポーツする」文学なのか,それとも,スポーツする「文学」なのか。

 7月1日のブログ「『スポーツする文学』(疋田,日高,日比編著,青弓社)をどう読んだか」の末尾に,このテクストのもつ「批評性」について,のちほど考えてみたいと書き込んでおきました。その約束をこれからはたしてみたいと思います。

 ひとくちに「批評」といってもさまざまな立場があり,そんなに単純な世界ではないということは承知しているつもりです。しかし,その根源には思想,信条,哲学,宗教,などが渾然一体となった個々人の世界観なり人間観がある,と考えています。そして,そのレベルや是非論はともかくとして,そこから対象をみつめたときになにが写し出されてくるのか,それをどのように受け止め,論評するのか,これが一般的に考えられる「批評」のひとつの流れなのだろう,とも考えています。別の言い方をすれば,批評者は批評をとおしてみずからの裸体を曝け出す営みでもある,と。

 文学そのものはわたしの専門ではありませんが,以前,20年以上もの長期にわたってある雑誌(『月刊体育施設』,現在は『SF─スポーツ・ファシリティ』)に「文学にみるスポーツ」という連載をやっていた関係で,かなりの文学作品を読み込んだ経験があります。これらの連載は編集しなおして,何冊かの単行本にもなっています。その中の一冊は『日本文学のなかにスポーツ文化を読む』(叢文社)というものです。ですので,このテクスト『スポーツする文学』は,わたしにとっては以前から気になっていたもののひとつでした。それが,今回,直接,編著者と膝付き合わせてお話ができるというので,とても楽しみにしていた次第です。

 それと,もう一点だけ,文学批評ということで触れて置かなくてはならないことがあります。さきほどの雑誌連載中にも,かなり多くの文学批評に関する論考を読み漁りました。が,その中でもっとも強烈にわたしのこころを打った文学批評は,ジョルジュ・バタイユの『文学と悪』でした。この作品をどのように読んだか,ということについてもこのブログの中で書いていますので,検索してみてください。一口で言ってしまえば,バタイユが全体重をかけてそれぞれの作家・作品と対峙し,バタイユの思想・哲学の深奥で真剣勝負をしている,ということです。そして,これが「批評」というものなのだ,とわたしは深く納得しています。

 そういうこともあって,わたしは『スポーツする文学』というタイトルをみた瞬間に,まずは,つぎの二つのことが脳裏をよぎりました。ひとつは,「スポーツする」文学を研究対象にしているのか,あるいはもうひとつの,スポーツする「文学」に研究対象が置かれているのか,という点です。

 前者の「スポーツする」文学を研究対象とするのであれば,わたしが長年取り組んできた「文学にみるスポーツ」「文学作品のなかにスポーツ文化を読む」という営みとほとんど重なってくるのではないか,と考えました。もう少し踏み込んでおきますと,「スポーツする」文学とは,わたしの場合,「スポーツする」ことによって生まれるスポーツの熱狂や人間の葛藤などを文学作品のメイン・テーマとしている文学を意味します。しかし,そんな作品は厳密に言うとほんのわずかしかありませんので,もう少し枠組みを広げて,文学作品のなかに「スポーツする」情景が取り込まれている文学もこのなかに含むことにしています。ですから,ここでは「スポーツする」営みがどのように文学作品のなかに取り込まれ,描かれているのか,が考察の対象となります。もちろん,そこからさきの分析はスポーツ史やスポーツ文化論の,きわめて専門的な見識が強力な武器になってきます。わたしの職務はここにある,とずっと考えながら「文学にみるスポーツ」の連載をやっていました。

 もうひとつのわたしの関心事は,スポーツする「文学」,という発想にあります。つまり,「文学」がスポーツする,とどうなるのか,ということです。この発想はわたしのくたばってきた脳の皮を引っぱがすほどの,めくるめくような,新鮮な響きとともにあるなにかをわたしに訴えかけてきました。なぜなら,「文学」(とりわけ,小説の時代は終ったとする大江健三郎の主張や筒井康隆の主張など)がある限界に達しつつあるという危機意識のようなものが感じ取られていて,それを打破して新たな「文学」の地平を切り開いていくには「スポーツする」しかない,と編著者たちが考えているとしたら,これは凄いことだ,と考えたからです。つまり,「文学」に「スポーツする」という補助線を一本引くことによって,これまでにないまったく新しい「文学」の可能性がそのさきに待っている,とわたしは考えたからです。

 もし,編著者たちがここまで考えてこのテクストを編んだとしたら,では,そこで考えられている「スポーツとはなにか」という根源的な問いが立ち現れてきます。つまり,「スポーツ」を世間一般に理解されているような近代スポーツ競技という枠組みのなかでのみ考えるのか,そうではなくて,近代スポーツ競技というような近代的なシステムの枠組みからはこぼれ落ちてしまうような広義の「スポーツ文化」にまで広げて考えるのか,さらには,スポーツの「始原」をたどりながら,そこで「生成・変化」していくスポーツの「原初形態」にまで思考を広げていくのか,すなわち,生きる人間にとってスポーツとはなにか,という大問題にまで触手を伸ばそうとしているのか,ということです。ここまで思考の枠組みを広げていって,「スポーツする文学」を考えているとしたら,それはまさに「文学」のまったく新しいスタイルの誕生を意味することになるし,そこに向けて誘うような論考が展開されているとしたら,それこそ,わたしの考える「批評」のUrformenのひとつをみることになります。

 そんな意気込みで,このテクストを再読してみました。が,残念ながら,このような意図はわたしには感じ取れませんでした。だとすると,このテクストに秘められた「企み」はなにであったのか,編著者の人たちの意見・お考えをとことん聞いてみたい,という強い衝動に駆られています。もし,チャンスがあれば・・・・。

2013年7月12日金曜日

私説「エアコン功罪論」。小さい扇風機が大活躍。

 マンションの部屋の給排水管取り替え工事の4日目。畳を上げて床板をはがしての給排水管の取り替えと,天井に穴を開けての給排水管の取り替えが終わり,あとはトイレと浴室の細かいところの給排水管の取り替えを残すのみとなりました。工事をしている間は,窓という窓を全部開け放って自然の風を通します。なにせ,工事をしている職人さんたちは全員作業服(長袖,長ズボン,ヘルメット)で身を固め,汗びっしょりになって仕事をしているのですから。

 9階という高さと風向きがちょうどよかったのか,とてもよく風が抜けて具合がいい。夜も風が抜けるので,そのまま。ですから,テレビから流れてくる猛暑の情報が,身近なようであって遠い話に聞こえてきます。体温を越える気温となると,これはもう自力ではどうにもなりません。こうなると,エアコンを惜しまず使って身を守りましょう,に賛成です。ですが,この4日間,部屋のなかの気温は34℃。これくらいまでは風さえとおってくれれば,それでなんとか適応することができる,ということを学びました。

 そのむかし山を歩いていたころに教えてもらったことですが,山では風速1mにつき1℃下がる,と考えよ,とのこと。これをそのまま都会にも援用すると,この4日間,ほぼ,かなりいい風が吹いていたので,これを仮に風速5mとすると,平均34℃の室温は5℃低くなることになり,平均29℃となります。そうか,29℃なら,なんとかやりすごせるものなのだ,と知りました。

 で,今日(12日)は工事の山場を越えたと判断し,久しぶりに鷺沼の事務所にやってきました。第一の目的は風呂に入ること。工事中は浴室が使えませんので,仮説のシャワー・ルームを使うことになっています。汗をかいていますので,夕刻,行ってみました。が,あまりの汚さにびっくり。1103世帯が住むマンションのうち,すでにほとんどのところは工事が完了していて,わたしたちの住んでいるA棟が最後です。これまで相当の使用頻度ではあったのでしょうが,後始末というか,使用後の清掃ができていない,つまり,マナーが悪いために,汚れっぱなしです。これに懲りてしまって,あとはシャワーも浴びないまま,我慢していました。が,とうとう我慢の限界でした。

 ですから,鷺沼の事務所にきて,すぐに,ぬる目の風呂を入れて,のんびりとリラックスし,歌まで歌いました。ほんとうは熱めの風呂が好きなのですが,炎天下を歩いてきて吹き出すような汗みずくでしたので,まずは,シャワーで汗を流し,それからぬる目の風呂に入りました。やはり,風呂はいい。ほんとうにいい気分。

 事務所の窓は全部開けておいたのですが,なぜか,風が入りません。外の街路樹をみるとわずかですが,枝が揺れていますので,風は強くはないものの吹いてはいます。ですが,風向きが悪いようで,少しも入りません。事務所の窓は北側に二つ,東北側に斜めの窓が一つだけです。ですから,南風と西風の日は事務所にはひとつも風が入りません。今日はそんな最悪の日でした。

 とにかく風呂上がりの汗が扇子を使っても一向に引きませんので,とうとうエアコンにスイッチを入れました。28℃にセットして気分は最高。あっという間に汗は引いて,さっぱり。開けておいた窓を締めて,机に向かいました。ああ,エアコンはいいなぁ,としばらくは堪能していました。が,そのうちに少しずつ気分が悪くなり,吐き気がしてきました。これはいけない,と古い記憶が蘇ってきました。エアコンの効いている部屋で会議をしていて,何回も経験したのと同じだ,と思い出しました。このときには,ちょっと気分が悪いので外気を吸ってきます,と言って途中で退席。ものの10分もすると納まりますが,部屋にもどると,ほどなく同じような吐き気を催します。同僚からは「精神的なものではないか」と冷やかされましたが,わたしは本気(正気ではなく,狂気)で「たぶん,そうだと思います」と答えることにしていました。

 それを思い出しましたので,すぐにエアコンを切って,小型の扇風機をとりだしてきてセット。数年前に2,980円。一応,首振り。音も静かなので,これは便利。ちょうどいま,午後3時。机上の寒暖計は33℃。湿度50%。このパソコンを打っている手の甲にうっすらと汗が浮かんでいます。やはり,相当に暑いことはたしかです。が,夏が得意のわたしとしては,まあ,充分に許容範囲内。まずまず快適です。これなら原稿も書けますし,本を読むこともできます。

 でもまあ,半分以上は野生のままの,非文明人の言うことですので,話半分に聞いてください。でも,半分以上野生のままですので,お蔭さまで,この何十年もの間,風邪というものを引いたことはありません。文明化社会の進展とともに,病気の数も増えてきているといいます。つまり,文明人のからだは弱くなっている,ということ。免疫力の低下,適応能力の低下,恒常性維持能力の低下,などなど。野生人ヤフーは,文明化した人間よりも,はるかに適応能力が高い,と自負しています。このあたりも半分は冗談,半分は本気。

 いえいえ,半分以上は「狂気」,それ以外は「正気」を演じているだけ(辺見庸),かも。
 ああ,もう一度,辺見庸さんの『青い花』を読み返そう。まことにすぐれた,というよりは超越的な,あるいは神がかった文明批評のお手本なのですから。すなわち,スポーツ批評のお手本である,ということ。







遠のく稀勢の里の綱とり。必要なのは気魄の籠もった破壊力のある立ち合いだ。

 先場所の千秋楽で大関・琴奨菊に電車道で寄り切られた相撲が,ずっと気になっていた。その不安が,昨日(11日)の千代大龍の相撲で露呈してしまった。立ち合い一気に前に圧力をかけてくる力士に弱いという稀勢の里の弱点が修正されていない。つまり,立ち合いの先制攻撃と,自分の得意の型に持ち込む相撲の流れがまだできていない。となると,綱とりはまだまださきのことといわねばなるまい。

 立ち合いの厳しさを欠くと,もはや横綱でもなんでもないごく平凡な相撲になってしまう見本が,日馬富士の高安戦だった。高安に張手をくらってびっくりしてしまったのか,出足のないまことに平凡な立ち合い。そして,いともかんたんにがっぷり左四つ。その瞬間に高安の右からの上手ひねりになすすべもなく左膝をついてしまった日馬富士。負けた本人が一番不本意だったことは,テレビの画像をとおしてもはっきりと伺えた。しかし,この勝負の分かれ目は,日馬富士が,この日に限って立ち合いの厳しさを欠いたこと,ただこの一点にある。だから,高安の思いのままに相撲をとられてしまった。

 翌日から反省した日馬富士は,低い姿勢からの鋭い立ち合いと,それにつづく先制攻撃をとりもどした。これでもとの横綱の相撲をとりかえした。昨日の時天空との対戦などはその典型といってよい。低い姿勢からの下から上に向かって頭から突き上げていく立ち合いにつづいて,右手を延ばしてのどわにいく手が相手の胸に当たった。けたぐりの奇襲にきた時天空の重心が高かったので,そのまま時天空のからだは宙に浮き,その一突きで突き飛ばされる形になった。これでいいのである。これぞ横綱相撲。基本どおり。相手に付け入るスキを与えない,完璧な相撲。

 日馬富士が横綱に昇進するときにみせた二場所全勝の相撲内容は,けして褒められたものではなかった。しかし,立ち合いから一気に攻め込む,あの激しさ・闘魂が相撲内容を凌駕した。あの白鵬ですら2連敗したのだ。とりわけ,綱取りを決定づけた白鵬との死闘は歴史に残る名勝負だった。綱とり場所に求められるのは,こういう「激しさ」「気魄」「勢い」だ。あるいは「力」としかいいようのないプラスα。どんな相手であれ,自分の得意の型に持ち込んで屠る,そういう野生的な,空恐ろしい気魄がなにより必要だ。

 今場所の稀勢の里にはそれが欠けている。初日の立ち合いがまさにそれだった。負けられないという気持ちが先走ってしまっては相撲はとれない。なにがなんでもおれが勝つ。そのために全知全能を傾けて,もてる力のすべてを土俵にぶっつけていく。そのとき,生まれ変わった稀勢の里が姿を現す。そこの地平に飛び出していくための,最後の仕上げのハードル,それが綱とり場所だ。それをどう勘違いしたか,負けてはならないという守りの相撲になってしまっている。これでは元の木阿弥。無駄なとりこぼしの多い大関の汚名を返上することはできない。

 相手充分にはさせない破壊力のある立ち合いを身につけること。いかなる相手であろうと,自分の前に立ちはだかる相手はすべて「破砕」してやる,さあ,来い,というくらいの気構えがほしい。そして,迷わずわが道をいく,そういう強いこころがほしい。稀勢の里,意外に小心者か?土俵上の面構えも態度も,おれが一番という自信に満ちたオーラがいっぱいなのに・・・・。意外にもろい。

 才能のある力士として早くから期待され,そのとおりに伸びてきた。しかし,大関で足踏みをしてしまっている。なぜか。その理由をみずからとことん問い質し,そこを超克すること,ただ,この一点にかかる。大関稀勢の里よ,まだ若い。いまは亡き師匠・隆の里の,悩み苦しんだのちに綱とりに成功した例もある。

 これから後半戦に向けて,内容のあるいい相撲をとってほしい。勝ち負けを度外視したさきに,綱を手にする人たちの世界が開けてくる,そう信じて。未完の大器がいつ大輪の花を咲かせるか,いまから楽しみにしている。いつ,化けるか。それだけだ。

 頑張れ!稀勢の里!

2013年7月11日木曜日

10年前のイタリア・ミラノ駅で経験した40℃を思い出す。

  夏は得意だ,暑いのは平気だ,と嘯いてきたわたしですが,三日連続39℃を超えたという山梨県甲府市のニュースを聞くと,これはたいへんだとすっかり考え込んでしまいます。なにせ,相手が自然現象ですので,だれが悪いでもない,じっと我慢するしかないのですが,それにしても・・・・・。とついつい同情してしまいます。この猛暑がそんなに長くはつづくはずもない,と言ったところで自然のやることはわたしたちの理解をはるかに越えています。

 こんなニュースを聞いていたら,ふと,10年前のイタリア旅行のことを思い出してしまいました。2003年の3月から半年間,ドイツ・スポーツ大学ケルンの客員教授として招かれ,契約の授業がすべて終ってようやく迎えた夏休み。家族でスイスの友人宅に何泊かして,そのあとイタリアに向かいました。そうして乗り換えのためにミラノ駅に降り立ったときのことです。ここまでの列車はスイスの列車で,エアコンも効いていて快適。窓から眺める景色は抜群。深い山の中を何回も大きく曲がりながら,やっと平野にでたら,そこがミラノの駅でした。そこからはローマ行きの列車に乗り換えです。喜び勇んで列車から降り立ちました。

 とたんに異様なものを感じました。メラッと炎に舐められたのではないか,と思わず周囲を見渡してしまいました。まわりの建物が左右にゆらゆら揺れているように見えました。蜃気楼現象のように。しばらく,これはなにごとぞ,と考えてしまいました。いままで経験したことのない熱風が吹いていたのです。それも,けたはずれの熱風でした。これは尋常ではない,と直感しましたので,すぐに温度計がどこかにあると思って探しました。すると,駅舎の正面の時計の下に温度表示がデジタルででていました。なんと「40℃」とあるではありませんか。一緒にいた娘に,あれを見ろ,こんなところに長居は無用,すぐにレストランに入ろう,と思わず走り出していました。

 ですが,駅舎のなかのどのレストランもカフェもみんな満員。当然です。みんな逃げ込んでいたのです。まあ,当然といえば当然。わたしたちの乗る列車までは約1時間あります。ウェイターのお姉さんに事情を話して頼みこむことに。偶然,いい人に当たったようで,「大丈夫,すぐに席は空くから,ここで待っていなさい」と言って観葉植物の間に小さな椅子を出してくれました。なるほど,みんなつぎの乗り換え列車を待ちながら「一時避難」していたのです。ですので,つぎの列車の発車時刻が近づくとぞろぞろとお客さんはでていきます。

 まあ,これでなんとかことなきを得ましたが,そのあとがたいへんでした。レストランの中はとても快適。お茶で済ませてしまうのも悪いと思い(このあたりはとても日本的だと,あとでイタリアの友人に笑われてしまいました),定食を頼んで,ビールも頼みました。すぐに時間は過ぎて,さきほど確認しておいた5番線の列車に向かいました。席はがらがらで,まずは安心。しかし,エアコンつきの列車ではありませんでした。ですから,窓を開け放って,風を待つしかありません。しかし,風はかなり強く吹いているのですが,それが熱風。

 列車が動きはじめても,窓は開けっ放しで,こんどは猛烈な熱風がものすごい勢いで吹き抜けていきます。あっという間にからだ中の水分がどこかに吹き飛ばされていきます。まさかエアコンなしの列車とは思ってもいませんでした。が,いずれにしても水は必要と思って,一人一本ずつ買って列車に乗り込みました。が,この一本があっという間になくなってしまうのです。あとは,目的地のモデナ駅まで我慢。しかし,不思議なもので,モデナ駅に降り立ったときには,もう,それほど暑さを感じなくなっていました。慣れるというか,適応するというか,人間のからだはまことによくできているなぁ,とわれながら感心してしまいました。

 でも,のどはカラカラ。駅を降りてすぐに売店を探しました。そこに,友人がにっこりと笑って歓迎してくれていました。さすがに賢い子(女性・娘の友人)で,冷えた炭酸水を3本差し出し,まずは,これを飲みなさい,と。夕方から夜にかけてはすっかり涼しくなり,暑さから解放され,ほっとしました。「40℃」の気温を全身で感じながら,数時間を列車のなかで耐え忍びました。じっと,坐っているだけで,これはたいへんなことだ,と感じていました。家族のだれかが異常を訴えないように・・・と神にも祈る気持ちでした。ときおり,娘の顔を観察しながら,なんとか耐えてくれ・・・と。

 この年のイタリア北部は猛暑がつづいていたようです。このあとローマに滞在した三日間もかんかん照り。どれほどの水分を補給しながら歩いていたことか,いまから考えると想像を絶するものがありました。でもまあ,無事に楽しい旅がつづけられたのですから,丈夫なからだに生んでくれた親に感謝あるのみです。

 こんなことを考えながら,山梨県の人びとをはじめ,館林,熊谷,名古屋などの地名をニュースで見て,さぞやたいへんな日々を送っていらっしゃるのだろうなぁ,とわが経験に引き受けて考えていました。明日からいくらか気温は下がるとか,さきほどのニュース。でも,猛暑に変わりはないとのこと。猛暑つづきの人びとにこころからお見舞いを申しあげます。どうぞ,あらゆる智慧をしぼって,この猛暑を乗り切ってください。

 ということで,今日のブログはここまで。お互いに気をつけましょう。

辺見庸の最新作『青い花』(角川書店)を読む。文明批評てんこ盛りの「現代の黙示録」。感動。傑作。必読。

 フクシマの汚染水が地下水のみならず海洋にも拡散しはじめているらしいという,なかば予期された,しかし,そうあっては欲しくない最悪の事態が昨日・今日とメディアを賑わしている。しかも,打つべき手はなにもない,という。ただ,傍観するのみ・・・・。この無力感・・・・。

 作家辺見庸の直感力は,このことを充分に予期した上で,さらに,大震災が何回もくり返され,ついには戦争まではじまり,人びとが路頭に迷う,恐るべき近未来の世界を「黙示録」のようにして描き出す。大津波による流木や死体がごちゃ混ぜになってあたり一面に放置されたままの世界にあって,妻も子どもも両親も犬も友達もみんないなくなり,自分の存在がかぎりなく希薄化していくことを感じとりながら,ただ,わけもなく線路の上を「あるく」。これといった目的もなく,ただ,ぶらぶらと「あるく」。この世とあの世の境目も分別できない世界を浮遊物のように漂いつつ「あるく」。そして,あてもなく「あるき」つづける主人公の無意識の底を流れているものは,多幸剤「ポラノン」がほしい,ただ,その一念のみ。つまり,ただ「あるく」だけの存在でしかなくなってしまった「いま」もなお,高濃度の放射線を浴びながら,生死の境をさまよいつつも,人間の最後の欲望は「くすり」しかない,と言わぬばかりに。

 まるで,こんにちの日本人が,科学神話を盲信し,みずからの健康の保持増進をサプリメントに依存してこと足れりとする究極の姿,それは「薬物依存症」なのだ,と言わぬばかりに。この「狂気」が圧倒的多数を占めると,それが「正気」となり,薬物を拒否する人間が「狂気」のレッテルを張られてしまう。

 こういう階層秩序的二項対立(J.デリダ)の無意味・無根拠を,辺見はつぎつぎに具体的な挿話を繰り出して,証明していく。その挿話に恐るべき説得力がある。人間を丸裸にして,裏も表も,内側も外側もない,あるがままの人間に光を当てる。こういう話がつぎからつぎへと,意識も朦朧としたまま線路を「あるき」つづけるしかない主人公の記憶をたぐりよせるようにして,読者の前に突きつけてくる。

 たとえば,主人公を子どものころから可愛がってくれた叔父さんは,みずから「おれはキチガ〇だ」とだれはばからず公言し,実際にも近くの精神病院に入院して療養していたときの話がある。この話は,この小説のコンセプトを構築する重要な要素となっている。それは,療養中の叔父さんがみずから戯曲を書き,それを患者や医師,介護士,事務職などの人びとが配役となって演ずる話である。この演劇を病院の近所の人や患者の縁故の人たちにみてもらう。主人公も叔父さんの縁故でこの演劇をみる。終ってから,主人公は叔父さんと話をして驚く。主人公が,この役を演じている人は患者に違いない,そして,この役を演じている人は医師だろう,と予想していたことが,ことごとく裏切られていく。つまり,演劇で配役を決めて芝居をはじめると,「狂気」と「正気」の区別がつかなくなってしまう,というのだ。それどころか,ふだん「正気」を演じている人が,芝居で「正気」を演ずると「狂気」が露呈してしまうのだ,という。とりわけ,医師は演劇のなかでは,みんな「患者」にみえてしまう,という。この逆転現象はいったいなにか。

 日常生活で,無意識の世界でうごめいている気持ちをそのままことばや行動に移すと,その人は「狂気」と判定され,その無意識の世界でうごめいている気持ちを理性的にコントロールして,ことばを選び,慎重に行動する人が「正気」とされる。しかし,この「正気」は平和な日常性の中では機能しても,一端急を告げるような事態に陥ると,みんな丸裸の,素の人間に戻されてしまう。そこでは,「正気」の人は「狂気」となり,「狂気」の人は「狂気」のままだ。いったい,このことはなにを意味しているのか。

 小説なのに,こんなにひっきりなしに線を引かずにはおかない本も珍しい。前半はともかくも,後半に入ると,どこもかしこも線だらけ。何回も何回も立ち止まっては考え込み,そのつど書き込みもしてしまう。ときには,涙しながら読む。わたしのからだ(ん?こころか)の奥座敷のなかにまで,どんどん,なんの遠慮会釈もなしに入り込んでくる,この辺見庸の人間洞察力とその文体に圧倒されてしまう。んだ。こんな体験は初めてのことだ。なにゆえにこんなことが起きるのか。それには理由がある。その鍵を握っているのはジョルジュ・バタイユの思想。

 どうも,わたしがわかったような顔をして解説を書いているより,この作品のどこでもいい,みなさんに読んでもらった方が話が早い。なので,その一部を紹介してこのブログを閉じることにする。いずれにしても,恐るべき作品が世にでてきたものだ。でも,いったい,だれが,どのようにこの作品を「評論」するのか,そちらの楽しみもある。

 以下は,辺見庸の『青い花』からの引用である(P.161~163.)

 ・・・・・もとい。起立。礼。天皇陛下の赤子(せきし)たちは,カックン超特急にみんなで乗らせていただき璽(なんじ)臣民,其れ克(よ)く朕が意を体せよ,と朕さんかおっしゃるものだから,コクタイをゴジさせていただき,さんざがんばってはたらいて学校でガリ勉し,シャブばんばんうって労働もセックスもしまくり,戦中そろいもそろってあっさり思想転向したはずの共産党員も詩人も作家も記者も編集者も,戦後は口をぬぐって,民主主義万々歳やて。見あげたもんだよ屋根屋のフンドシ。そのていどのミンシュシュギやってん。朝鮮戦争にろくに反対もせず,戦争特需で大もうけし,戦争の苦しみをわすれ,浮かれ,かつ虚脱し,いちじは三百万人以上の潜在ヒロポン常用者がいたこと,すさまじい苦しみにのたうちまわっていたこと,一九五三年の医薬品総生産高は約七百五十六億円だったけれども,ヒロポンなど覚醒剤の売り上げは同年,一説に二百数十億円だったこと,ヒロポン生産に抗議した製薬会社のまじめな労働者たちが生産妨害者として解雇されたこと,理のとうぜん,精神科病院が超満員だったことを,セニョール,セニョール,ご存知ないのでありましょうか。と,叔父はあの芝居で表現したかったのではないだろう,とわたしはおもう。叔父はだれかを告発したかったのではないはずだ。叔父はそんなひとではない。麻薬撲滅をうったえたかったのでもなかろう。わたしはあえぎながらあるく。くらいカナルをあるく。もう,夜なのに・・・。きょうこのカナル,アナル,ナアル,エイナル,null・・・。狂気とはなにか。正気とはなにか。叔父は狂気というものの内的恒常性,正気の本質的虚妄をかんがえていたのではないだろうか。精神の下地には正気ではなく,狂気の海原がある。津波のような狂気の海原──それがこころの内層である。溺死体。「崩れ落ちた鼻の穴が太陽に向かっていびきをかく」のだ。狂気は凪ぐとまるで正気に見えてしまう。ヒロポン以前の狂気と正気。叔父はだれも告発しなかった。三重吉さんも,本橋先生も,きょうこも,ブタと性交した男も,だれひとり告発しなかった。だれのせいにもしなかった。だれのせいでもない。わたしはよろよろあるいている。

※わたしのワープロ変換技術の未熟さにより,一部,漢字をひらがなに,漢字を同義のもので代替したことをお断りしておきます。

2013年7月10日水曜日

大相撲が波瀾万丈。今場所は面白い。新しい主役が登場するチャンス。

 白鵬が二日つづけてドタバタ相撲。いつもの白鵬とはどこか違う。稽古不足を指摘する相撲解説者もいるが,それだけだろうか。仕切り直しをしている間に汗びっしょりになるあのからだは,これまでにもその傾向はあったが,今場所はとくにひどい。しかも,制限時間いっぱいになったあとも,その胸・腕のあたりの汗を拭おうともしない。そのまま,最後の仕切りに向かっていく。これも作戦というか,戦略というか,でも,ちょっと奇怪しいと思う。相撲内容は間の詰めが甘い。あれでは上位には通用しない。さて,これからどこまで修正していくか。

 日馬富士が不思議な負け方をした。それも,これまでに見たこともない負け方だった。高安が力をつけてきたことは間違いない。昨日の白鵬をあそこまで苦しませた力量は高く評価していい。2,3年前から,高安は強くなると目星をつけていたので,わたしとしては驚くに値しない。しかし,やや,時間がかかりすぎた。でも,これからでも遅くはない。今場所の台風の目となりそうな一人だ。しかも,将来を見据えても大いに期待できる。その高安に日馬富士が,がっぷり四つに組み合った瞬間のひねり技にからだが浮いてしまい,もろくも膝から崩れ落ちた。負けた日馬富士が一番不本意そうな顔をした。

 でも,これは,すべて日馬富士の責任だ。第一に,昨日の白鵬との一戦を意識しすぎたのか,立ち合いから守りの姿勢がみえた。消極的にすぎる。そして,がっぷり四つに組み合ったので安心したのではないか。もちろん,張手をくらって,一瞬,呆然としていたのかもしれない。しかし,その前に勝負は決していた。なぜなら,立ち合いのあの気魄に満ちた日馬富士の先手の攻撃がひとつもみられなかったからだ。昨日の相撲のように,立ち合い一気に押し込んでいく,そういう気魄の籠もった出足が,今日はまったくなかった。あれでは相撲はとれない。先場所と同じ轍を踏むことになるのだろうか。

 昨日の相撲の良さに自信を深めたのか,それとも横綱相撲を意識しすぎたのか。でも,それはちょっと違う。日馬富士の相撲は立ち合いから先手をとって,とことん攻め込んでいく相撲だ。その立ち合いからの激しい攻めを欠いてしまったら,ただの平幕の相撲になってしまう。明日からは,勝ち負けを度外視した,ほんとうにみごたえのある激しい相撲をみせてほしい。そして,終盤を全勝で飾ってほしい。それが起きると,今場所はまことに面白くなるだろう。

 高安についでの殊勲者は,栃煌山。綱取りに挑む稀勢の里に完勝。その取り口には余裕さえ感じ取られた。ここ3場所は栃煌山が勝ち越している。その自信なのか,あるいは,稀勢の里の苦手意識なのか,終始,土俵を支配していたのは栃煌山だった。稀勢の里は必死に攻めようとするが,なにひとつ通用しない。最後は,栃煌山の余裕の突き落としを食らってしまった。この決まり手は先場所と同じである。こういう苦手をつくってしまっては,稀勢の里の将来に暗雲が漂うことになる。しかも,下位の力士に。

 稀勢の里は初日の立ち合いに課題を残したように,心技体のバランスがどこか狂っている,と見受けた。とりわけ,「心」をどのようにコントロールするか,ここを克服しないかぎり横綱はみえてこない。相撲の型が未完成,というのがわたしが以前から気になっている点だ。立ち合いの攻撃から,いかにして自分得意の型に持ち込むか,という戦略や型がまったくみえてこない。たぶん,稽古場では噂のとおり他を寄せつけない強さをもっているのだろうと思う。しかし,本場所の一番はまったく違う。このハードルをいかにしてクリアするか,そこが問われている。とりわけ,後半戦に入ったときにどのような相撲を展開するか,いまから楽しみにしたい。

 もうひとりの楽しみは,蒼国来。今日,ようやく初日がでた。嬉しいだろうなぁ,と共感して涙してしまった。詳しくは言うまい。よくぞ,ここまで耐えて,本場所の土俵に立ち,初白星。感慨無量のものがあるだろう。インタビューを聞いていて涙してしまった。性格がとてもいい,という印象。かれの裁判を支えた女性ファンたちの気持ちもわかる。ソフトで,爽やかで,男前。三拍子そろっている。それでいて相撲はしぶとい。陰ながら応援したいと思う。

 十両でいえば,大砂嵐と青狼が,今日はいい相撲をとった。この二人,異色の力士ではあるが,そして,まだ粗削りではあるが,みていて面白い。つまり,味がある。これからどのように伸びてくるのか,楽しみ。

 部屋の給排水管の取り替え工事に立ち合いながら,久し振りにたっぷりと相撲を楽しむことができた。明日は,しばらく行っていない事務所で仕事の予定。こちらにも仕事がたまっている。でもまあ,元気がなにより。

2013年7月9日火曜日

今日(9日)から部屋の給排水管の取り替え工事がはじまりました。N教授の授業に出席できず,残念。

  昨夜午前3時までかかって,ようやく工事がしてもらえる状態にまでこぎつけました。狭い部屋にびっしりとものを詰め込んでしまい,ものを捨てるということをしてこなかったツケがここにきて露呈。これからは気をつけなくては,と大いに反省しています。

 そのむかし,わたしの親しくしていた友人のお宅にお邪魔したおりに,部屋がとてもすっきりと片づいているので驚いて尋ねたことがあります。子どもさん3人を育てながらの奥さんのことばは以下のようなものでした。収納スペースがいっぱいになった段階で,新しいものをつぎに購入したら,かならずそれに見合うものを捨てること。そして,常時,同じ状態を維持することだ,と。収納スペースからはみ出したものを部屋の隅に置かないこと,と。必ず廃棄処分にすること。なるほど,理屈はそのとおりですが,なかなかできることではありません。

 でも,ならば,われらも・・・・とそのときは固い決意をしました。そして,そのはずであったのですが,ついつい捨てられない症候群とやらの病魔に侵されてしまい,どの部屋も不用品で満杯です。その結果,必要なものが,すぐには見つかりません。ですから,この機会に一大決心をして不要なものは「捨てる」ことに徹しました。が,勇気が足りないというか,ものがなかった時代に育った人間の性というべきか,その大半は捨てることができないまま,段ポールの箱に入れたまま残ってしまいました。ですから,工事が終ってから旧に服するときに,相当に思いきって「選別」をし,さらに「捨てる」ことに全力を投球しなくてはなりません。

 その大半は書籍です。大した分量のものではないのですが,やはり長年かかって買い込んだ本の量ははんぱではありません。とりわけ,金銭的に苦労した時代に購入した本は,変色して,表紙もボロボロになっていて,もはやなんの役にも立たないことがわかっているのに,こういうものほど愛着が強くて,捨てることができません。まあ,自分たちの居住空間を本に奪われたまま,生涯を送ることになるのかなぁ,と半分は諦めています。

 でも,最近はやりの「終活」をいまのうちにやって置かなくてはいけない,と今回の片づけ仕事をしながらしみじみ思いました。工事が終って,ベランダに出してある書籍をもとに戻すときに,最小必要限度のものだけを手元に残すことにして,あとは,娘夫婦とも仲良くしていてくださる,信頼できる人に託そうと考えています。娘夫婦もあの人なら,と言ってくれていますので,それが一番かと考えているところです。

 この調子では,この夏休みは本の片づけだけで終ってしまいそうです。でも,いつかはこれをしなくてはならないわけですので,ちょうど,そのタイミングが今回の給排水管の取り替え工事によって現実になってきたのかもしれません。だとしたら,素直に,これを神様の啓示だと信じて,とりかかろうと決心しているところです。

 でも,この夏休み中に書かなくてはいけない原稿も山ほどあって,困ったなぁと思案投首。こころを鬼にして,ここではじめをつけないことには,もう,このあとはないだろうと思います。ここまでは,考えられるのですが,それを実行するにはもうひとつパワーが必要です。それは若さです。もう一度,この若さをとりもどして,書籍の分別に取り組んでみようと思っています。

 そうか,部屋を片づけるということは,若さを取り戻すことなんだ,と知りました。が,それができるかどうかは,やってみないことにはわかりません。でもまあ,こんな予期せざることがつぎからつぎへと起こるから人生はやっていかれるのかもしれません。まあ,そんなことをエンジョイするくらいの気分で,これから取り組もうと思っています。

 というようなわけで,今日はとっておきの火曜日のN教授の授業に出席することはできませんでした。初めて,わたしの個人的な理由で欠席することになってしまいました。今日も工事の進みゆきをみとどけながら,そして,工事責任者とあれこれ相談しながら,いまから行けばN教授の授業には間に合うなぁと思いつつ,やはりこの場を離れることは無理でした。

 先週の予告では,いろいろと映像資料をみながら,学生さんを交えた議論が展開されたのではないだろうか,と想像しています。いつも,一緒に傍聴に行かせていただいている太極拳仲間のKさんからお話を聞かせてもらおうと思っているところです。

 というようなところで,今日のわたしのレポートはこれでお終い。







原発再稼働はありえない。なのに5原発10基再稼働申請(プラス2原発も近々)。

 東電社長と新潟県知事の交渉の一部がテレビで流れ,みていてものの哀れを感じてしまった。いわゆる他流試合となると,東電社長という人間の器の小ささばかりが目立ち,新潟県知事の怒りをにこやかな笑顔で抑え込んだ人間の大きさが,強烈な印象となって残った。いわゆる既得権益者集団のなかで立身出世してきた人間は,なるほど右を見,左を見,上を,下を見ながらみずからの才覚で身の振り方を考え抜いてきた「優等生」には違いないだろう。しかし,既得権益集団の一歩外にでて,他流試合となると,相手の度量の大きさに飲まれてしまって,とたんに顔は凍りついてしまう。とても,とても相手を説得するなどという気魄もなにもない。ただ,伝えるだけ。説得とはほど遠い。

 ということは,同情したくなる点もないわけではない。なぜなら,自分たちの主張を相手側が飲んでくれるということは,最初から不可能だと承知しているからだろう。なぜなら,みずからの言い分が,既得権益集団(=原子力ムラ)の中では「常識」であるが,一歩外にでたら「常識はずれ」であるということがわかっているからだ。

 ということは,世間の「常識」は既得権益集団にとっては「非常識」,既得権益集団の「常識」は世間の「非常識」,ということだ。このギャップを埋める努力もしないで,原発再稼働ありきで突き進もうとする。なぜなら,政府自民党が後押しをしてくれるから。いまの自民党人気に乗っかれば押し切れる,という甘い判断がみえみえだ。だが,あれほど元気のいいふりをみせている安倍首相は,この「再稼働」の問題については「沈黙」を守っている。なぜ?票の増加につながらないからだ。だから,原発に関してはなんとか蓋をして「経済一本」で押し切ろうという作戦にでる。

 しかし,原発再稼働に踏み切ると最終的に日本の経済は破綻をきたすことはだれの目にも明らかだ。使用済み核燃料をとのようにして最終処理を行うのか,その方法すらまだみつかってはいない。一説によれば「不可能」だ,と専門家たちはいう。だとしたら,半永久的にこの使用済み核燃料の子守を子々孫々にいたるまで引き受けなくてはならない。この費用はだれが負担するのか。そこまで計算して「採算」を考えているのか。だとしたら,原発は「安上がり」だという根拠をもっと明確に提示してほしい。わたしたちが知らされている「採算」の積算の基礎は「単位時間」当たりのコストの比較でしかない。それは違うだろう。

 原発再稼働しか考えない政府自民党と,いちはやく原発廃止を決めたドイツ政府とでは,その思考回路が真反対だ。日本国政府は一度,手にした既得権を手放そうとはしない。権力の中枢にいる人びとが寄ってたかって既得権益を守ろうとする。多くの国民を犠牲にしてでも,わが身の保身のために盲目的に突き進む。ドイツ政府は「国民」にとって原発エネルギーと再生可能エネルギーのどちらが「幸せ」につながるかを熟慮した上で,再生可能エネルギーを選択した。国民の圧倒的多数がこれを支持し,政府と国民とが一丸となって再生可能エネルギーを確保するために,ありとあらゆる智慧を出し合って,その実現に向けて邁進している。しかも,それが驚くべき早さで進んでいて,近く「電力輸出国」になるという。

 やればできる。ドイツにできることが,なぜ,日本ではできないのか。その最大のネックになっているものが既得権益集団である。政・官・財・学・報の「五位一体」となったこの既得権益集団(またの名を「原子力ムラ」という。そういえば,近頃,この「原子力ムラ」ということばが消えつつある。なぜか。どこかから圧力がかかったことは間違いない)が,いまや,日本の中枢を占め,一致団結して国を動かそうとしているからにほかならない。この集団に対して日本国民は甘い。上意下達,寄らば大樹の陰,という江戸時代からの悪しき慣習行動が,いまも生きている。情けないことこの上ないが,その甘えの構造は間違いなく存在している。

 ドイツ国民には,自分たちが国を動かしているという自覚と自負がある。賢明なるドイツ国民は「フクシマ」を教訓にして,脱原発を「即決」した。そのときの決断の最大の根拠は「人の命」を最優先するという考え方である。そして,そのことのためなら国民は一致団結して行動を起こす。それには立派な実績ももっている。

 たとえば,西ドイツ時代(1960年代)の「ゴールデン・プラン」がある。国民の多くが過食・運動不足のために肥満体となり,成人病が多発した。そのため労働力の低下,医療費の増大,など連鎖的に国力の低下をもたらすという結果にいたる。その対策として考えられたのが「運動の促進」「健康の保持増進」運動であり,そのための「施設づくり」であった。国民一人あたりの運動施設面積を割り出し,それを実現しようという遠大な計画であった。そして,そのための金を国が半分,あとの半分は国民が負担する,ということを決めて,国民は募金運動を展開した。

 ところがである。目標としていた募金が,期限前に倍以上も集まってしまった。そこで,急遽,「ゴールデン・プラン」をさらに大きな規模に練り直すことになった。そうして,さらに「10年計画」を立て,「第二次ゴールデン・プラン」を実行に移していった,という実績をもっている。それが,こんにち,ドイツのどこに行っても見られる立派なスポーツ施設だ。

 日本でも,ひところ,各地方自治体が中心になって「ゴールデン・プラン」の日本版をめざしたが,さしたる成果はあがらなかった。なぜなら,市民が「募金」に応じなかったからだ。笛吹けども踊らず。こういう箱ものは国や自治体がやるものであって,国民・市民はそれをありがたく頂戴する,という受け身の姿勢から抜け出ていない。残念ながら,江戸時代からの慣習行動から,いまも抜けきれていないのだ。

 しかし,いつまでもそんなことではいけない。スポーツ施設ができなくてもいい,橋が架からなくてもいい。しかし,国民の「命」にかかわる原発だけはなんとしても回避しなくてはならない。このことに関しては,若いお母さんたちはみんなわかっている。そして,若い世代の人びとも関心は高い。なぜなら,まだまだ,未来に向けて「生きて」いかなくてはならないからだ。

 一番,鈍感なのは,既得権益に身をすり寄せることによって甘い汁を吸うことを覚えてしまった世代から上の世代だ。困ったことに,こういう世代が国の中枢を占めている。この人たちに目覚めてもらうしかない。

 こんどの参院選は,この原発問題だけは自分の選挙行動の起点においてほしい。つまり,選挙の「争点」から外してはならない。その意味で,日本の未来を決する重大な選挙だ。慎重に,慎重に。そして,一大決心を。

2013年7月8日月曜日

稀勢の里の綱取りはなるか。日本人横綱誕生の期待に応えられる「こころ」ができているか。

 稀勢の里が一回で立てなかった。豪風が2回もつっかけることになり,ひたすら豪風が土俵下の審判委員に頭をさげるシーンがテレビに映った。しかし,わたしの眼には,立ち合いのタイミングをはずしたのは稀勢の里にある,とみえた。タイミングをはずしたというよりは,むしろ,稀勢の里は「立てなかった」のではないか,とみた。

 綱取りのかかった場所の初日。緊張するのはとてもよくわかる。とにかく初日に勝って流れをつくりたい・・・これは綱取りの力士にかぎらず,だれも同じ。いずれにしても,この場所を占うことになる初日の勝ち負けは重要である。だから,どの力士も真剣そのものの顔をしている。だから,初日の相撲は面白いのだ。よほどのことがないかぎり,初日に八百長を仕掛ける力士はまずいない。だから,この場所の活躍を占うことができるのは初日,とわたしは考えてきた。

 その意味で,今日の稀勢の里の相撲は注目した。相手の豪風は小兵ながら,脇を締めて相手の腕を挟み付けるようにして前にでる,そして,相手の力を真っ正面から受けた瞬間に,その力をかわして逆襲にでる,それがかれの相撲だ。そんなことは稀勢の里は百も承知。だから,どのような相撲をとるか,は事前に充分に考えてきたはずだ。にもかかわらず,一回で立てない。いかにも慎重に仕切っているようにみえたが,どう考えても豪風の仕切りについていかれない精神状態にあったのではないか,とわたしはみた。だから,とても不安だった。

 わたしの眼には,なぜ,稀勢の里はあのタイミングで立たないのか/立てないのか,と不思議だった。やはり緊張しているんだ,とみた。その理由は,3回目も前2回とほとんど同じような流れの仕切りで,稀勢の里が立つという意志を露にして,ようやく立ち合いが成立。つまり,2回の仕切り直しの間に,稀勢の里は自分の気持ちの整理をしていた,とわたしはみた。

 あとは,小兵の豪風を徐々に,徐々に圧力を加えて自分有利の体勢をつくり,寄り切った。これで,稀勢の里はプレッシャーから解き放たれて,明日から,もっといい相撲をとることになるであろう。しかし,あえてここで苦言を呈しておくと,以下のとおり。

 今日の立ち合いをみるかぎりでは,右で張っておいて左差しに行った。しかし,右の張手は空振りだった。こんなことを稀勢の里がやるとは,わたしは思ってもいなかった。だから,やや意外だった。その結果,腰高の立ち合いになってしまった。でも,これは小兵の豪風にはよかった。いつもの稀勢の里のように一気に相手に圧力をかけて前にでる相撲ではなかったので,豪風はなすすべもなく徐々に,徐々に圧力を加えられて,最後は左四つの稀勢の里の得意の型に入って,勝負あったとなる。

 今日の相撲に味をしめてしまうと,前半戦はこれでいいかも知れない。しかし,後半戦はそうはいかない。たとえば,先場所の琴奨菊戦のように,腰高のまま立ち合い,相手の圧力を真っ正面から受けることになり,あっという間に押しこまれてしまうことになりかねない。ましてや,横綱戦ともなれば,相撲の中味がまったく違う。だから,できるだけ低い姿勢の立ち合いで,まずは,相手のでてくる圧力を受け止め,そこから自分得意の型に持ち込む,そこがポイントだ。

 さて,今場所の稀勢の里のゆくえはどうか。とにかく,初日に勝てたので,あとは気分よく連勝を重ねてほしい。しかし,上位との対戦を考えて,立ち合いの姿勢と,得意の「左」をどのように使っていくか,しっかりと試していくことが不可欠だ。そして,この得意の「左」で上位を制することができたとき,綱取りが実現するだろうと,期待している。

 この「左」を活かすも殺すも,あとは稀勢の里の「「こころ」の問題。ここが横綱になるための最後のハードル。ここをどのようにして越えていくか,横綱になれる力士となれない力士の違いだ。でも,過去の横綱たちはみんなここを通過していったのだ。さて,稀勢の里はどのようにしてこの「こころ」の問題をクリアしていくのか,楽しみはむしろこちらにある,とわたしはみている。勝ち負けを度外視して,自分の相撲を取りきる,そこに徹することができるようになったとき,「綱」がみえてくる。

 稀勢の里の相撲に関しては,わたしは,これまでとても辛口の批評をしてきた。それは,いまも変わらない。なぜなら,これまでの稀勢の里に日馬富士や白鵬を圧倒するだけのパワーがあるか,と問われれは「ノー」としか答えようがないからだ。稀勢の里よ,あわてることなかれ,日馬富士と白鵬を圧倒するだけのパワーを身につけてからでいい。その方が日本相撲協会の隆盛のためにいい。正統派大相撲ファンを納得させる横綱になってほしい。

 さて,あと14日間,楽しみである。

2013年7月7日日曜日

「熱中症にならないように惜しみなくエアコンを使いましょう」だって?NHKのニュースで。

 熱中症のニュースが飛び交っています。そして,水分の補給に充分注意するように,とさも非常事態であるかのようにメディアが騒ぎ立てています。ご丁寧にも,エアコンを惜しまずに使いましょう,となんとNHKのニュースで流れました。

 ああそうですか,一般家庭でもエアコンを惜しまずにどんどん使え,と公共メディアが指示するんですか,ととたんにへそ曲がりの虫が騒ぎだしました。いらぬお世話です。暑ければどうするかは,個人で考えること。その対策もそれぞれの場所や条件に合わせて考えること。それをわざわざ「エアコンを惜しまず使え」と?いったいNHKさまは何様なの?

 わたしに言わせれば,エアコン依存症になっているから,すぐに熱中症にやられてしまう,ただ,それだけ。だから,日頃からできるだけエアコンに依存しない生活の仕方を工夫すべきだ,ということになります。

 たしかに今日はこれまでにもまして暑かったことは間違いありません。しかし,風もいつもよりはよく吹いていて,かなり涼しくもありました。わたしは今日は朝から必死で部屋の片づけをしていました。なにせ,9日(火)の朝から一週間かけてマンションの部屋の給排水管の総入れ換えの工事がはじまります。そのために,給排水管のとおっている部屋の荷物はすべてどかさなくてはなりません。結論的に言えば,約半分の部屋を空にして,その荷物を残りの部屋に入れなくてはなりません。そんなことはとてもできません。したがって,この際,不要と思われるものをどんどん捨てなくてはなりません。その選別と荷造り,そしてゴミ置き場までの運搬,となかなか大変なのです。ですから,朝から丸一日,肉体労働がつづきました。たしかに暑くて汗をいっぱいかきました。

 でも,窓という窓をすべて開放すると,風が強すぎて涼しすぎるくらいでした。ですから,窓を開ける度合をコントロールしながら,肉体労働をしていました。それでも,汗はかきますし,喉も乾きます。当然のことながら,作業は水分を補給しながら。でも,わたしは夏の水分は冷たい水ではなく,熱いお茶を飲むことにしています。その方がわたしのからだには具合がいいということを,長年の経験で知っています。

 今日の作業の途中で,段ボールが足りなくなり買い出しにでかけました。ついでに,食材なども買い出しにとスーパーとコンビニにも立ち寄りました。が,段ボールを売っている「ハウス・センター」のエアコンは弱冷房になっていて,とても快適でした。が,スーパーとコンビニは,あまりに冷やしすぎていて,寒くて長くはいられませんでした。汗ばんだ皮膚には冷たい空気は過剰に効いてきます。あっという間に皮膚の温度が下がってしまって,寒くて仕方がありません。

 そういえば,しばらく前からわたしの住んでいる近くのデパートもスーパーもコンビニも,がんがんにエアコンを効かせています。女性の店員さんたちの多くはカーディガンを羽織っています。足元をみると,みんな長いソックスをかなり上まであげて履いています。これでなくては耐えられないのでしょう。そこへ,わたしのような人間が,Tシャツに短パンで,サンダル履きで(外ではこれでも暑い),入っていきます。一度に冷やされてしまって,とても長くはいられません。駆け足で(ほんとうに走って),必要最小限のものを買って,外に飛び出しました。いったいお客さんの都合というものを考えているのだろうか,と首をかしげてしまいます。

 そのむかし,生理学の授業で,人間の体温調節の適応範囲は「7℃」までだ,と教えてもらったことがあります。つまり,部屋の外と中の温度差が「7℃」であれは,人間のからだは自動的に調節できる,というのです。その温度差を超えたら,一枚着るなり,脱ぐなりしなければならない,と。ですから,エアコンの温度調節は,外気の温度よりも「7℃」の範囲で下げればいいわけで,それ以上下げると着衣によるコントロールが必要になる,というわけです。

 NHKが流すべき情報はこのようなことであって,「惜しみなくエアコンを使え」ということではないはず。「7℃」の範囲内で,上手にコントロールしましょう,というべきなのに・・・・。

 「えっ?」「惜しみなくエアコンを使え」だって?
 ああ,NHKも東電と同じ既得権益を保持するために一致団結しているグループなんですね,そして,政府自民党にみえみえのエールを送っているんですね。この選挙運動の最中に。これって「選挙違反」にならないの?のみならず,自民党が過半数を獲得する「勢い」とかいって,それに関するニュースをご丁寧に流すのも,おやおや?です。こういう情報の流し方も,わたしには立派な「メディア・コントロール」にみえてきます。まさに,メディアこそが自分たちに都合のいい偏向情報だけを流して,民意を操作しようとしているではないか,と。

 やはり,わたしたち一人ひとりが相当にしっかりと「メディア・リテラシー」をしっかり身につけ,自衛していないと,メディアの思うままに操られてしまうことになりかねません。

 何気ないNHKのニュースのなかにも,悪質な「毒」が潜んでいますので,要注意です。クワバラ,クワバラ。

 熱中症にかからないように惜しみなくエアコンを使いましょう・・・・なんとおみごとなことか。
 これとまったく同じ情報に「お中元はいつもより2~3割高めの商品が人気」「景気が回復しているらしい」というものもあります。思わず「バカヤローッ」とテレビ画面に向かって吼えてしまいました。気をつけなくては・・・・。クワバラ,クワバラ。

2013年7月6日土曜日

政党党首の書いた文字をみてびっくり。う~ん。

 いまどきの政治家は,色紙を書いたり,掛け軸になるような揮毫をしたりすることはないのだろうか。昨夜のNHKのニュースをみていて驚いた。4日の参院選の公示を受けて,一斉に選挙運動に入った各政党党首に問う,というかたちで特番が組まれていた。たぶん,ご覧になった方も多いことと思う。

 NHKのアナウンサーと政治部の記者が交互に,各政党党首に質問をするという形式で進められた。その質問の仕方も,わたしには不満だらけであったが,それはもういつものことなので,この際は問わないことにする。それ以外の、まことに些細なことにみえるかもしれないが,わたしにとっては一大事だと感じたことを書いてみたい。

 各政党党首は,NHKが用意した三つの質問に対してその考えをボードに書かされて,それを自分の映像の前に立ててみせながら,再度,質問に答えるということを「演じさせられた」。みなさん大まじめにお答えになっていたのだが,その構図がなんとも漫画チックで可笑しかった。その効果を上げたのが,ボードに書かれた各政党党首の「文字」だった。

 まともな「文字」が書けていたのは,海江田氏と小沢氏ともうひとり女性の代表だけで,あとの党首たちは,みるも無惨。これが政党の党首と呼ばれる人たちの書く「文字」なのかと大いに失望した。平均点は「中学生」なみ。およそ「文字」というものが本来どういうもので,それを読む/見る人にどのような印象を与えるか,なにも考えていないかのようだ。もちろん,それがその人の性格を期せずして露呈するものでもある,などということには一切無頓着の様子。まあ,読めりゃあいいんだろ,というような「投げやり」の姿勢がわたしにはもろに伝わってきた。

 海江田氏は,これまであまりいい印象はなかったが,この人の書いた「文字」をみて,ああ誠実な人なんだなぁ,と思った。まじめに,きちんと楷書で,整った「文字」になっていた。上手・下手は問わない。一生懸命に書いたな,つまり,気持ちの籠もった「文字」だな,と伝わってきた。ただ,欲を言えば,もう少し「力」のある「文字」を書いて欲しかった。党首なのだから。

 それと同じことが,小沢氏にも言える。辣腕・小沢というイメージがゆきとどいている割には,「文字」は小心者。余白をいっぱい残したまま,小さな文字で,律儀にきちんと書かれていた。まあ,褒めるとすれば「隙のない文字」。さあ,どこからでも掛かってこい,と言わぬばかりの「守り」の文字。なるほど,囲碁好きの小沢氏らしく,まずは「守り」から入るというわけか。

 もうひとりの女性(名前を間違えるといけないのでこのままにする)は,しっかりと視聴者に読まれることを意識して,デザインまでされていた。漢字を大きく,ひらがなを小さく,そして,全体のバランスまできちんと配慮されていた。この人は,あらゆることに神経を行き届かせて,他人に不快感を与えることのないように,という心配りのできる人かなぁ,と想像した。

 あとの人は,なにを考えているのか,いや,なにも考えないで,ただ書いた,という「投げやり文字」。安倍氏は,その意味では天真爛漫。これがときの総理大臣の文字とはとても思えない。かえって,あまりに無邪気・無神経・無防備な文字に,この人,大丈夫?という不安をいだいてしまう。もっとひどかったのが橋下氏の文字。中学生以下,小学生上級生の悪筆のレベル。まさに,傍若無人。読む人,それを見る人のことなど眼中になし。書きゃーいいんだろっ,という腕白坊主そのままの性格が文字にみごとに露呈している。その意味でとてもわかりやすかった。

 あとの人のことは割愛。論評するに値しないということ。

 わたしの記憶では,むかしの偉大なる政治家と呼ばれた人たちは,その多くが立派な書を残している。勢いのある「力」の籠もった書をあちこちでみかけ,その個性的な書が,わたしの印象に残っている。明治の人たちは「書」を嗜むことが教養のひとつだったとも聞く。それが,時代とともに書の文化が廃れていく。いまでは,手紙の代わりに,すべてパソコンで書いて,そのまま送信して終わり。文字を手で書くことはどんどん減っていく。だから,文字に対する感覚もほとんどなくなってきている。文字は試験の答案を書くためのツールくらいにしか考えてはいないらしい。そこでは文字の上手下手は問題にされない。

 むかしの武将はこぞって「力」のある文字を書いた。あの教養がないといわれた豊臣秀吉ですら,文章の中味はともかくとして,書く文字は桁外れに「威力」をもっていた。誰はばかることもない天真爛漫さに加えて,気魄が相手の武将を圧倒するような「力」をもっていた。だから,かれの書はわたしのこころを釘付けにしてきたし,味があってわたしは大好きである。

 文字は体を表す。そして,性格を表す。その人の身振りを表す。つまりは,その人のすべての要素が凝縮しているパフォーマンスのひとつなのだ。もっと言ってしまえば,文字はもともとは「呪文」を表すもので,書く人の魂が籠もっているものだ。だから,なにも考えないで文字を書く人の気持ちは,そのままに伝わる。つまり,気持ちが籠もっていない,と。

 テレビ・カメラの前で,自分で書いたボードを持たされて,それをもとにして質問がなされる。視聴者はじっとそのボードに書かれた文字に注意をそそぐことになる。場合によっては,ボードだけがクローズアップされて,人物の顔さえ画面からは消えている。こうなると,ボードに書かれた文字が,その人の顔の代役となる。

 だから,がさつな人はそのまま文字に表れていて,とてもわかりやすい。武者小路実篤のように,ヘタウマという文字もある。それが度を超えているので,ある「呪力」をもちはじめる。となると,何回見ても飽きない味がでてくる。だから,色紙として大切にされた。武者小路実篤の書の根底にながれていたものは「誠心誠意」である。

 いまの政治がハチャメチャにみえるのも,この政治家たちの書いた文字を眺めながら,なんとなく納得してしまった。もちろん,立派な文字を書かれる政治家も少なくないと思う。たとえば,江田五月さんなどは立派な書家の域に達している。だから,この人の揮毫された文字はあちこちでみかける。切れ味のいい鋭い文字である。が,欲をいえば,政治家らしい太い線がとぼしい。

 いまの学校現場が乱れてしまうのも,きちんとした気持ちの籠もった文字の書ける先生が激減してしまったことと,どこかで符号しているように思えてならない。

 以上,政党党首の書いた文字雑感まで。
 ひとこと断っておけば,「筆跡学」はわたしの趣味のひとつ。

2013年7月5日金曜日

『読売新聞』社説 「尖閣問題を紛争のタネにするな」(1979年5月31日)を読む。エッ? まさか?

 びっくり仰天するような「社説」に出会いましたので,紹介したいと思います。ブログの見出しにも書きましたように「尖閣問題を紛争のタネにするな」と,こともあろうに『読売新聞』の社説が主張していたという事実です。1979年5月31日。この時代には,『読売新聞』ですら,こんなに「健全な」主張を社説をとおして展開していた,ということを知り驚いた次第です。それに引き比べ,いまの大手新聞の堕落ぶりには呆れ果ててしまいますが・・・・。

 ネタ元は,『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫,孫崎亨,植草一秀共著,飛鳥新社,2013年6月27日刊,P.136~138)。この話がでてくる節の見出しは「尖閣問題の出発点は田中角栄・周恩来間の棚上げ合意」というものです。

 問題の社説には,つぎのようなことが書かれている,と孫崎亨氏が丁寧に紹介し,問題の本質がどこにあるのかを鮮明にさせています。その要旨は以下のとおりです。
 「日中双方とも領土主権を主張し,現実に論争が”存在”することを認めながら,この問題を留保し将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが,政府対政府のれっきとした”約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は,これを順守するのが筋道である」,と。

 この社説については,該当ページ(P.137.)に写真も乗せ,巻末には全文が資料として掲載されています。この事実を確認した上で,さらに3人の意見交換がそのあとにつづきます。とてもスリリングで,重要な内容がふくまれています。ぜひ,ご一読いただければ・・・と思います。


 そこでの議論の入り口のところを紹介しておきますと,以下のとおりです。

 日本政府の主張は,「尖閣列島は”先占の法理”によって日本の領土になっており,中国も1970年代までは文句を言ってこなかった」の一点張り。

 この点について,孫崎亨氏がきわめて重要な指摘をしていますので,少し長いですが,紹介しておきたいと思います。

 「日本政府は1895年に,尖閣列島にはどの国の主権も及んでいないという10年間の調査の結果をふまえて,これを日本の領土だと宣言します。これが”先占の法理”と言われるものですが,この”先占の法理”とは,ある時期の植民地支配の理論でもあるわけです。例えば,中東遊牧民のベドウィンが歩いているような地域は,誰の支配も確立していな無主の地であるから,先に宣言した欧州列強の領土であるという理論だったわけですが,この理論は,いまでは国際司法上はあまり大きなウェイトを占めていないと思います。中国は,明,清の時代,周辺地域に対して非常に大きな影響力を持っていました。例えば,日本の海賊である倭寇(わこう)を討伐する人間が任命されたりしている。ということは,この地域が無主の地ではなく,中国が公権力を及ぼしていた事実があるとも考えられるわけです。
 いずれにしても田中角栄,周恩来による日中国交正常化交渉の中で,『日中双方とも領有を主張し,現実に論争が存在することを認めながら,この問題を留保しようということで棚上げになった』わけです。さらに,この”棚上げ”の確認は,周恩来の時代とトショウヘイの時代,二度にわたって行われています。」

 こうした事実確認をした上で,鳩山由紀夫,孫崎亨,植草一秀の三氏による鼎談は佳境に入っていきます。われわれには隠されていた,さまざまな事実関係が,この三氏によってつぎつぎに明らかにされていきます。とりわけ,鳩山由紀夫という血統書つきの政治家が徹底的に標的にされて,メディア・バッシングがくり返されてきたことの背景が浮き彫りになるという点で,きわめて刺激的です。なぜ,これほどまでに鳩山由紀夫という政治家が「宇宙人」だの,「言った,言わない」だの,「嘘つき」だのとメディアに叩かれるのか,わたしには不思議でした。やはり,鳩山由紀夫という政治家はよほど奇怪しいに違いない,と思い込まされていました。

 しかし,この本を読むと,眼からウロコが落ちるようにして,その背景がみえてきます。ひとことで言ってしまえば,圧倒的多数の政治家や財界のリーダーたちが「対米従属」によって獲得してきた既得権益を死守しようとするのに対して,鳩山由紀夫は,「対米自立」をめざし,既得権益を打破して,友愛の精神にもとづく政治の理想をかかげ,国民主権の政治の実現をめざすことにあるからだ,ということになるでしょうか。わけても「東アジア共同体」の理想をかかげたことがアメリカおよび「対米従属」派にとっては許しがたいことだったようです。ですから,既得権益派は徹底して鳩山由紀夫排除のためにあらゆる手段を用いたということなのでしょう。

 そうしたメディア報道に,圧倒的多数の日本人は間違いなく「洗脳」されてしまいました。わたしもそのうちのひとりであったことを正直に告白しておきましょう。ですから,だれもが鳩山由紀夫=宇宙人と思い込んでいます。しかし,そうではない,ということがこの本をとおして明らかになってきます。つまり,鳩山由紀夫=宇宙人は,メディアがでっちあげた「嘘」と「詭弁」であり,そうすることによって政治の世界から葬り去ることが目的であった,と思い至ります。

 断っておきますが,私自身は,この本に書かれていることがすべて正しい,と言うつもりはありません。そうではなくて,これまでの支配的なメディアが流してきた鳩山由紀夫バッシング情報と,この本のなかでしっかりとした事実関係を確認しながら論を展開していく三氏の議論の両方を,読み比べることが大事だ,と言いたいのです。つまり,両方の意見のあまりの隔たりが,どこからくるものなのか,素直に耳を傾けながら,みずからの思想・信条(心情も)にもとづく結論を導き出すこと,そのための,きわめて重要なテクストとしてこの本を紹介したい,ということです。

 わたしたちは,いまや,あらゆるメディアをとおして,ほぼ完璧に「メディア・コントロール」されてしまっています。そして,無意識のうちに思想・信条までもがコントロールされつつあります。そこを突き抜けるための「メディア・リテラシー」を身につけることが,いま,もっとも求められており,ひとりの人間としての基本的な能力として不可欠である,と考えています。このことは,昨日のブログにも書いたとおりです。

 しばらくの間は,この本を手放すことはできそうにありません。それほどの説得力を,いまのわたしにはもっています。

2013年7月4日木曜日

「メディア・リテラシー」で自衛せよ。(聴講生レポート・その11.)

 4週間のフランス出張からもどられたN教授の授業が7月2日(火)から再開されました。やや日焼けした顔をよくみると顎のラインがすっきりしています。おやっ?と思って全身を観察すると,以前より細身になっていらっしゃる。余分な肉は落したい,と以前から仰っていたので,さては,パリで密かに・・・?と勘繰ったりしながら,久し振りに楽しい授業を聞かせてもらいました。

 間が開いたせいか,最初のうちはシラバスのことを気になさって,その辻褄合わせの調整をなさっていましたが,いつのまにか教卓の前に立って,フリーハンドで熱弁を展開。こうなるとN教授の面目躍如というところ。やはり,シラバスなどに縛られないで,いま,現在の,その場の力に反応する臨機応変のお話の方がはるかに迫力があって,魅力的です。授業は「生きもの」なのですから。

 いつもにも増して刺激的なお話が多かったのですが,7月2日(火)の講義で,もっともわたしのこころに響いてきたお話は「メディア」の問題系でした。その中核になっているテーマは「メディア・コントロール」と「メディア・リテラシー」だと受け止めました。

 講義の冒頭で,カタール政府の肝入りで立ち上げられた放送局「アルジャジーラ」をとりあげ,このアラブ世界・アラブ人の目線から,つまり,攻撃される側から湾岸戦争(1990年)を報道するということの画期的な意味についてお話をされました。それは,それまでの戦争報道は,つねに圧倒的戦力を誇る攻撃側からの情報のみが垂れ流しになっていて,世界中のほとんどの人びとの,いま,行われている戦争のイメージを固定化するはたらきをもっていました。

 わたしも記憶していますが,戦闘機の頭にテレビ・カメラを設置して,そのカメラが映し出す映像をみながら,まるで実況中継をしているかのような報道が常態化していました。いま,標的のどこどこに命中しました。こんどは,どこどこの標的を狙っています。これです。この建物はテロリストの拠点になっていて,ここを爆撃することが重要です。照準が定まったようです。発射しました。みごとに的中しました・・・というような報道が日本のテレビにもそのまま流れていたわけです。

 ところが,そこには爆撃されて死んでいく人びとの姿はどこにも映ってはいません。しかし,実際には,大量の人間が無差別に(つまり,多くの市民を巻き込んだまま)殺されているわけです。その実態を,攻撃される側に入り込み,みずからの身の危険も辞さずという決意のもとに,爆撃され死んでいく人びとの実態を同じ地に立って,映像化して世界に向け発信していく,それがアルジャジーラという放送局でした。もちろん,アルジャジーラの多くのジャーナリストがアメリカ軍の攻撃を受けて,死んでいきました。いな,アメリカ軍はアルジャジーラのジャーナリストたちを標的にして,殺すことに血眼になっていました。

 わたしたちは,このアルジャジーラの報道をとおして,はじめて湾岸戦争のもう一つの側の実態をしることができたわけです。それでもなお,日本のメディアは,アルジャジーラの報道をほとんど無視していました。が,インターネット情報をとおして,少し頑張ればわたしたちでも眼にすることができました。

 ここで問題になっているのが「メディア・コントロール」ということです。第一に既得権益を守ろうとする人びと(日本のメディアのほとんどはそういう人びとに独占されています)にとっては,都合の悪い情報は一切流しません。その結果,どうなるのか。アメリカ軍は「正義」のためにテロリストを撲滅しているのだ,というグローバル・スタンダードを世界中の人びとに「刷り込む」ことに成功するわけです。いまでも,アメリカは「正義」の国であると固く信じている日本人が驚くほど多いのはその成果の賜物といっていいでしょう。ですから,わたしのように,それは違うよ,アメリカが聖書に対して「正義」を誓うのであれば,テロリストと呼ばれる人びと(アメリカが勝手に名づけているだけ)はイスラム教を守るための「聖戦」(ジハード)を戦う「正義」そのものだ,と主張すると白い眼でみられて多勢に無勢というみじめな扱いを受けてしまいます。どちらも「正義」を主張している以上,両者の言い分にとことん耳を傾けて,その上で,自分の考えを固めるしかありません。それが良識ある人間のすることだ,それこそが責任ある言動だ,とわたしは信じています。

 この「メディア・コントロール」の力はすでに日本の社会のなかには根強く浸透しています。ですから,わたしたちがいま,日々,受け止めている情報の大半は,まちがいなく既得権益を守る人たちにとって都合のいいものばかりです。そうでない情報はきれいに排除されています。つまり,メディアによる「浄化作用」が,意図的・計画的にはたらいています。

 たとえば,政権交代をはたした小沢一郎が,検察もメディアも一致団結して,よってたかってあること・ないことをでっち上げて叩きつぶしにかかりました。しかし,どこまで叩いてみても,裁判でそのことを立証することはできませんでした。まるで,イラクに大量破壊兵器が隠されているという前提で,イラクを叩きつぶしてみたものの,大量破壊兵器はみつからなかった,というアメリカと同じです。しかも,小沢一郎の検察調書のなかには「嘘」ででっちあげたものまであったにもかかわらず,その調書を作成した検事は不起訴です。イラクをつぶしてしまったアメリカも無罪です。こんなことが,いま,平然と日本をふくめた世界で起きているわけです。

 最近では,メディアによる「国賊」呼ばわりによる「制裁」です。この構図は,アメリカとテロリストの関係とそっくりです。政府自民党の考えに反することを言ったり,行動したりすると「国賊」扱いにされてしまいます。わたしなどは,このブログを書いたり,デモにも参加したり,改憲反対のシンポジウムにも聴講にでかけます。もはや疑いようのない「国賊」です。でも,あまりに小物ですので,まだ,「国賊」と名指されたことはありません。

 いま,その矢面に立たされているのが鳩山由紀夫です。最近,刊行されたばかりの(6月27日発行)『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫/孫崎亨/植草一秀共著,飛鳥新社)で,徹底的に裏付けになる資料まで明示して,みずからの考えを主張しているのに,今日発売の『週刊新潮』と『週刊文春』が鳩山由紀夫つぶしにやっきになっている大見出しが躍っています。『戦後史の正体』というベストセラーが話題になっている外交の専門家・孫崎亨もまた,鳩山由紀夫の言動の正当性を支持し,政治・経済の専門家でありアメリカの情報通でもある植草一秀もまた,鳩山由紀夫を支持する根拠をきわめて明確に提示しているにもかかわらず,それらに対する反論ではなくて,たんなる「誹謗中傷」だけで鳩山叩きを展開しています。

 ここで問題になるのか「メディア・リテラシー」ということです。どちらの言い分が正しいのか,どちらの言い分にわたし自身は「信」をおくのか,それを決定するための徹底的な情報の分析です。どちらの「言い分」にもそれなりの根拠があるはずです。ですから,両者の「言い分」に,まずは耳を傾けること,そこからはじめるべきでしょう。しかし,相手を頭ごなしに一方的に否定するだけでは議論ははじまりません。たとえば,「尖閣諸島が係争地であるということを認めるところから仕切り直しをするしか,中国との国交正常化はありえない」と,しかるべき根拠を提示して主張する鳩山由紀夫を「国賊」のひとことで切り捨ててしまいます。これでは,議論もくそもありません。ヘイト・スピーチそのままです。情けないことに。それでもなお,深く考えようとはしない(「思考停止」している)多くの国民を「メディア・コントロール」の力で誘導することが,真の「国益」になるのだろうか,と考えることが必要です。どちらが「国賊」で,どちらが「国益」になるのか,しっかりと見極める力が,いま,国民に問われています。

 今日(4日)は参院選の告示日です。もう,すでに「メディア・コントロール」がさまざまなかたちで展開しています。これから,ますます,激しくなってくることでしょう。それらの「メディア・コントロール」を突き抜けていく「メディア・リテラシー」で自衛するしか,いまのわたしたちにできることはありません。そして,ひとりでも多くの人たちと議論を闘わすことが必要です。ほんの少し冷静になって,情報を集め,話し合うだけで,だれが,いつ,どこで,どんな風にして,「嘘」をでっちあげ,それをまことしやかな情報に仕立て上げて,メディアをとおして流しているか,じつに鮮明にみえてきます。

 N教授の名講義を聞きながら,わたしが考えたことの一端を,レボートにしてみました。ご批判をいただければ幸いです。

2013年7月2日火曜日

『スポートロジイ』第2号,表紙の色校正がでる。


 『スポートロジイ』(「ISC・21」=21世紀スポーツ文化研究所紀要)第2号の表紙の色校正がとどきました。写真ではうまく撮れませんでしたが,シルバーの,つやのあるなかなかおしゃれな表紙になりました。キャデックの井上登志子さんにお願いしました。創刊号の「水色」を,こんどは「シルバー」にしてみました。

 コンセプトは「水のなかに水がある」と「舞い躍る」と「無頭人」。頭の部分にはうっすらと八つの水玉。こんなやっかいなわたしの注文に井上登志子さんが応答してくださったのが,創刊号の作品。それの色違いということで第2号のシルバー版です。

 夜の写真撮影でしたので,シルバーが反射してしまって,ずいぶんと苦労しました。電灯の光をそらすような角度に被写体であるこの表紙をセットすると,反射が少なくなるということも初めて知りました。いろいろとやってみるものです。

 さて,それはともかくとして,特集 I グローバリゼーションと伝統スポーツ,特集 II ドーピング問題を考える,の二つの特集が眼に飛び込んできます。以前にも書きましたように,特集 I には、今福龍太,竹村匡弥,松浪稔,井上邦子,西谷修氏の玉稿がならびます。そして,特集 II には,伊藤偵之,橋本一径の両氏による,ドーピング問題を考えるためのとっておきの情報が上梓されています。おそらく大きな話題になること必定と確信しています。

 このほかにも,西谷修さんの手になる「書き下ろし」原稿が掲載されます。ナオミ・クラインの『ショックドクトリン』を俎上に乗せて,「自由主義」の由来について徹底的に論じています。眼がくらむような論の展開のなかに,わたしたちのスポーツ史・スポーツ文化論を考える上での重要なヒントも無数に埋め込まれています。

 そして,最後に,拙稿の「バタイユ読解」が研究ノートとして掲載されます。創刊号に書いたものと連動するものですので,ぜひ,読んでみてください。

 このままの進行でいきますと,7月16日(火)に見本が,そして,7月23日(火)には書店に並ぶとのこと。ぜひ,書店で手にとってみてください。発行・みやび出版,発売・星雲社。定価・本体2,400円+税。

 いよいよ現実味を帯びてきました。どうぞ,よろしくお願いいたします。
 とりあえずのご紹介まで。