2012年11月30日金曜日

神戸市外国語大学・連続講演・第3回目,無事に終了。

 昨日(29日)のブログにも書きましたように,今日(30日)は神戸市外国語大学で予定されていた連続講演の第3回目でした。が,なんとか無事に終了。とは言っても,今日の講演のためのレジュメを作成して竹谷さんに送信したのが,昨夜の午後11時すぎ。それから,竹谷さんが睡眠時間を削って,わたしのレジュメを編集したりしながら,このレジュメに必要とされる映像をパワー・ポイントで用意してくださったお蔭です。長年の友人というものはありがたいものです。以心伝心で,わたしの欲しい映像をみごとに選んで用意してくださいました。この映像に助けられながら,なんとか話をつなぐことができました。竹谷さん,ありがとうございました。そして,なによりも,まずは,この講演を聞きにきてくださったみなさんにこころからお礼を申しあげます。

 連続講演のとおしテーマは「スポーツとは何か」。その第3回目のテーマは「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツを考える」。

 講演を終えてみて考えることは,よくもまあ,こんなに大それたテーマをかかげて話をしたものだとわれながら呆れてしまいます。が,当初,この連続講演を構想したときには,相当に熱い思いがあって,このようなテーマ設定になったことは確かです。しかし,このテーマを1時間30分で話すにはいささか荷が重すぎたというのが,現段階での反省点です。

 でも,わたしなりに精一杯の話をさせていただき,また,新たな課題がみつかりました。その意味で,一番,勉強させていただいたのはわたし自身です。

 講演の具体的な内容につきましては,いつか,また,機会を改めて,このブログでも論じてみたいと思っています。いまは,とりあえず,気がかりになっていた講演が,ひとまず,無事に終わったということのご報告までとさせていただきます。

 明日(12月1日)からは,スポーツ史学会第26回大会のはじまりです。その準備もこれからとりかかるところです。というわけで,今夜はここまでとします。

 取り急ぎ,ご報告まで。



2012年11月29日木曜日

明日(30日)から神戸へ。講演会,学会とつづきます。

 嘉田由紀子さんによる「日本未来の党」の結成が大きな波紋を呼んでいます。面白いのは,各党の党首たちの狼狽ぶりです。言わずもがなの「批難」を繰り出し,かえって品格を失っているようです。他人を口汚くののしることが,自分の品位を貶めていることに気づいていません。なんと情けない政治家たちなのだろう,としみじみ思います。

 しかし,これでこんどの選挙がにわかに面白くなってきました。

 いまのところ,自民党と日本維新の会が原発推進,ほかはぜんぶ原発ゼロを目指すと言っています。ただし,ここにきて選挙用の,みせかけだけの原発ゼロをかかげている党もありますので,その点は,ご用心を。それにしても,国民の8割が原発ゼロを望んでいるという民意の受け皿はそろいました。ここはなにがなんでも原発ゼロ派で過半数を確保しなくてはなりません。

 12月2日から16日までの2週間は,わたしたちもしっかり覚悟を決めて,各党派の主張に耳を傾け,責任の負える一票を投じたいと思います。

 さて,そんな世の中の喧騒を横目に,わたしは明日から神戸にでかけます。

 明日(30日)の午後2時30分から,神戸市外国語大学三木記念会館で,わたしの講演会が行われます。テーマは「スポーツとはなにか」の連続講演の第3回目で,「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツを考える」というものです。一般公開,無料です。毎回,熱心に聞きにきてくださる方もあって,わたしも緊張しています。この講演の下敷きになるのは,以前,西谷修,今福龍太の両氏と共著として世に問うたことのある『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社刊)です。あれから,すでに,何年も経過していますので,その後の世界情勢の変化も踏まえて,新しい見解を提示したいと考えています。とりわけ,「3・11」後を生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」を意識して考えてみたい,と。

 翌日の12月1日(土)は午後1時からスポーツ史学会第26回大会がはじまります。2日(日)の夕刻まで,二日間です。会場は甲南大学(5号館1階511教室)です。

 この学会では,初日(1日)の午後3時45分から午後6時まで,シンポジウムが組まれています。そのテーマは「現代スポーツの苦悩を探る」というものです。これを受けて,甲南大学の井野瀬久美恵先生が基調講演「スポーツにおける英国のミッションは終わったか?」をなさってくださいます。このコメンテーターとして橋本一径(早稲田大学)さんとわたしが加わります。どんな話の展開になるのか,いまからドキドキしています。

 「9・11」にはじまる世界情勢の大きな変動とともにスポーツのミッションも大きく様変わりしてきました。とりわけ,わたしたちにとっては(もちろん世界も含めて),「3・11」後を生きるとはどういうことなのかという重大な問いがのしかかってきています。当然のことながらスポーツもまた無縁ではありえません。そして,なにより,スポーツ史研究のあり方もまた,根源的な問いをつきつけられているとわたしは考えています。

 イギリス近現代史の専門家として多くの著作を残していらっしゃる井野瀬先生,表象文化論・フランス現代思想を専門とされる橋本先生(『指紋論』が話題になりました),そこに,スポーツ史・スポーツ文化論という立場からのわたしが加わって,さて,どんな議論が展開されることになるのでしょう。いまのところわたしは白紙。まずは,井野瀬先生の基調講演を伺ってから,その場の力を借りて,わたしなりの話の内容を決めようと思っています。もちろん,橋本先生がどんなコメントをなさるのか,これもとても楽しみなことのひとつです。

 なお,このシンポジウムだけは「一般公開」「参加費無料」だそうです。どうぞ,興味・関心のある方はお運びください。

 というようなわけで,ひょっとしたら,このブログも一時中断することになるかも知れません。もちろん,パソコンはもっていくつもりですので,できるだけ書くように努力します。

 それにつけても,これからの政局の動向をメディアがどのように流すのか,とても気がかりです。ある特定の情報だけに流されないようにご用心を。いまや,世論調査という名の「世論操作」をやっているとしか考えられないメディアも少なくありません。困ったものですが,それが現実です。そこをかいくぐって,みずからの熟慮のもとで意志決定をしたいと思います。

取り急ぎ,今日のところはここまで。

2012年11月28日水曜日

ほんとうの第三極の誕生か。日本未来の党。嘉田由紀子党首に期待。

 「卒原発」を旗印に,「原発ゼロ」をめざす党派を結集して,みんなで大同団結し,新しい日本の未来を築こうと呼びかけた嘉田由紀子滋賀県知事の決断にこころからの拍手を送りたいと思います。いまこそ,小異を捨てて大同につく,つまり,なによりもまずは「卒原発」という大同のためにその他の小異は捨ててでも団結し,そこを出発点にして新しい日本の未来を構築して行こうという嘉田さんにこころからの敬意を表したいと思います。

 その「日本未来の党」に,「国民の生活が第一」を解党して合流する決断をした小沢一郎にも,こころからの敬意を表したいと思います。これに河村たかしと谷岡郁子と阿部知子の「原発ゼロ」派が合流すると聞いているので,これこそ正真正銘の「第三極」の誕生である。

 これまでメディアが喧伝してきた「第三極」は,完全に宙に浮くことになる。つまり,石原+橋下の日本維新の党である。もはや,存在理由がなくなってしまった。なぜなら,日本維新の党が石原と組むことによって,脱原発を放棄してしまった以上,日本維新の党も自民党も基本的にはなにも変わらなくなってしまったからだ。違うのはTPPくらいのものだ。人間の「命」のかかった原発のことを考えれば,そして,「命」を最優先させる政治を考えればTPPの問題をどうすべきかはおのずから「NO」という答えがでてくる。

 こんな簡単なことが,民主党もわかっていない。今日のマニュフェストの発表で「原発ゼロ」を30年を目処にめざすという。それでいて,TPPは積極的に参加するという。国民の反発をかわして,アメリカのご機嫌をとるという,なんとも依怙地な情けない党になったものだ。日和見主義などということばは使いたくもないが,こんな稚拙な対応で国民を抱き込むことができると,ほんとうに思っているのだろうか。もし,そうだとしたら,あの一見,賢そうにみえる民主党の若手リーダーたちは,単なる計算と打算の世界を泳ぐだけに専心する,たんなる水泳の名手であるにすぎない。

 今日(27日)の,この段階でのわたしの眼には,自民党と日本維新の党とは,それこそ大同小異。原発推進という点では同じ。橋下君は「原発ゼロ」は不可能だと街頭演説で断言した。そんなできもしないことをやろうとする野合が,いま進んでいる,と吐いて捨てた。わかりやすくていい。はい,よくわかりました。それで結構です。自民党と同じ。バツ(×)。

 民主党は「原発ゼロ」実行,と宣言した。ならば,いますぐ大飯原発を止めて,活断層の調査を優先すべきではないか。活断層の有無が「グレイ」なら,「即停止」がルールではなかったか。それすらしようとはしない。やはり,「原発ゼロ」は票集めのための見せかけでしかない。わたしは信ずることはできない。まずは,行動で示してほしい。やろうと思えばできるのだから。その上での選挙ではないのか。そんな有力な武器を使わないでいる。その気がないからだ。国民を舐めている。こんどの選挙での国民は,これまでの国民とはまったく違う覚悟をしている,ということがまるでわかっていない。

 社民党と共産党も,こんどの選挙の意味がわかってはいない。福島君などは,嘉田さんの決断は立派だと思います,と持ち上げた上で,にっこりわらって,でも,わたしたちは同調しません,と断言した。そのなんとも間抜けた表情が印象に残った。志位君も,けんもほろろという対応だった,と記憶する。全然,問題外だと言わぬばかりの・・・。いま,問われているのは「日本の未来」をどうするか,ということだ。そのことがわかっていない。これまでどおりの選挙の闘い方しか考えていない。その意味では,この両党とも「思考停止」の状態から抜け出せていない。「3・11」以後は,もはや,それ以前の論理はなんの役にも立たない,ということすらわかっていない。

 その点,国民の方がはるかに先に進んでいるように思う。もはや,党派などは考えても無駄だ,と。そして,日本の未来図を描くときに,まずは「原発」をどうするのか,推進するのか,ゼロにするのか,その決断いかんによって,その他の政策もおのずから決まってくる,と覚悟を決めている。たとえ,生活が苦しくなろうとも,それを耐え忍ぼう,と。そして,まずは「命」を守ろう,と。そこから,できることを始めよう,と。そのくらいの覚悟は決めている。

 とくに,幼い子どもを育てている母親は,まずは,なによりも,我が子の「命」を考えている。自分は仕方がないとしても,なんの罪もない子どもにだけは,可哀相な思いをさせたくはない。そのためにはからだを張ってでも守る。それが母親というものだ。この切実な思いを,政治家のみなさんはわかっているのだろうか。この母親の切実な思いは,当然のことながら,若い父親にも伝わる。当然のことながら,ジジ・ババにとっても可愛い孫のために・・・・・と切実な問題だ。そして,これはなんとかしなくては・・・と考える。最近は,我が子の運動会で一生懸命に走る父親が増えてきているとも聞く。

 マネーのために「命」を犠牲にしてもいいと考えるバカはいない。

 しかし,これまでの既成政党に所属する議員さんの多くは,「命」を忘れてマネーの魅力にとりつかれてしまっている。経済最優先。マネーの亡者となりはてている。そして,そこから抜け出せないでいる。情けないことだが・・・・。

 そこに「一撃」を加えようとして立ち上がったのが嘉田由紀子さんだ。まずは,なにがなんでも「卒原発」に舵を切ろう,と。それを前提にした政治を,これからは目指そう,と。日本が生まれ変わるための絶好のチャンスが,いまであり,こんどの選挙なのだ,と。そのためには「卒原発」で手を結び合おう,と。

 正真正銘の「第三極」が,忽然と,その姿を明らかにすることによって,投票する党派がみつからなくて,絶望に打ちひしがれていた国民の前に,明るい希望に満ちた日本の未来がみえてきた。選挙も,じつに,わかりやすくなってきた。さあ,これからだ。

 まだまだ,政局の行方は予断を許さないが,つまり,このさきなにが起こるかわからないが,選挙告示直前になって,ひとすじの光明がみえてきた。その意味で嘉田由紀子さんにこころからの拍手を送りたい。そして,それに応えられるような,多くの国民が納得できるような,大同の道筋を示してほしい。そのプロセスを,わたしはしっかりと見極めてみたい。そうすれば,ひょっとしたら,大きな「雪崩現象」が起こるかもしれない。

 いまこそ,国民の一人ひとりが,みずからの良心に問いかけ,本気で日本の未来を考え,選挙にみずからの意志を表明しようではないか。

2012年11月27日火曜日

特別展「出雲──聖地の至宝──」のメモリー。巨木信仰の起源は?


  この特別展の正式名称は,東京国立博物館140周年 古事記1300年 出雲大社大遷宮 特別展「出雲──聖地の至宝──」というようにとても長いものです。でも,これを頭から読むと,その意気込みと内容がそのまま伝わってきます。こんなことは100年に一度のことだ,といわぬばかりに聴こえてきます。同時に,日本の古代史にとっての出雲の存在がどれほど大きいものであったか,ということも伝わってきます。


  しかし,意外なことに,出雲に関する詳しいことはあまりわかっていません。オオクニヌシの国譲り神話は有名ですが,やはり国を取られてしまった一族のことですので,どこか秘されているようなところがあります。それは,諏訪大社も同じでしょう。

 出雲大社の主神はオオクニヌシ,諏訪大社の主神はタケミナカタ(オオクニヌシの次男)。なぜか,出雲大社も諏訪大社も,いまでも多くの日本人のこころに「なにか」特別のものが深く刻み込まれているようです。かつては別格官弊社としてとくべつ扱いされるほどの,大きな存在であったことも事実です。

 この二つの大社のことを考えると,わたしはいつも巨木信仰と神様の関係を思い浮かべてしまいます。同時に,三内丸山遺跡に立つ巨木のやぐらのことも思い浮かべます。諏訪地方に古くから伝承されている7年に一度の「御柱祭」を筆頭に,全国各地に,山から神がかった巨木を切り倒して,凄まじい勢いで流し落とす儀礼が残っています。

 これらのことを考えると,なにかとてつもないことが,いまも日本人の魂の奥底に伝承されているのではないか,としみじみ思います。そして,こういう巨木にまつわる伝承に,なんの抵抗もなくこころがすっと惹かれていくのはいったいなぜなのか,と考えてしまいます。

 こんな,漠然とした興味・関心がありましたので,この特別展はなにがなんでもみておかなくてはと考えでかけました。実際にでかけたのはもうしばらく前のことですが・・・・。ですが,いつものように買ってきた図録を,ときおりひっぱりだしてきては眺めています。その時間だけは,日常の憂さからは解放され,一気にオオクニヌシの時代まで飛翔し,非現実の世界を浮游しているような気分になります。至福のときです。

 で,この特別展の目玉は,やはり「巨木」でした。入場してすぐに眼についたのは二つの展示物。一つは,出雲大社本殿復元模型。もう一つは,宇豆柱(うずばしら)と呼ばれる古い柱の地中に埋もれていた考古遺物。


出雲大社本殿復元模型は,10世紀ころに立っていたとされる図面にもとづく実寸の10分の1の模型です。それでも,本殿の一番高いところは4メートル80センチ。近くに寄っていくと,仰ぎ見るほどの高さです。それを見ながら,実際はこの10倍,48メートルもあったのか,と驚くばかり。ちょっと想像がつきません。一番高いところに鎮座する本殿に至りつくには長いながーい階段状のアプローチを上り詰めなくてはなりません。これを見ながら,往時の人びとは,まるで天にも昇る境地でこの階段を登ったのだろうなぁ,と想像していました。こうした方法で神様に接近していくという行為そのものが,ありがたさを倍増していったのでしょう。こうした素朴なこころの一部が,いまも,わたしたちのこころのどこかに棲みついているようにわたしは思います。

 この一番高い大社本殿をささえる柱が,宇豆柱です。この宇豆柱の考古遺物が2000年に発掘され,それが会場の中央に,貫祿十分に,堂々と展示されていました。3本の太い木を1本に束ねて,強度を補い,丈夫で高い柱をつくったということです。出土した宇豆柱は鎌倉時代の1248年の遷宮のときのものである可能性が高い,とのことです。3本の木の直径はそれぞれ110,0~135.0センチもの太さです。3本束ねたときの太さがどれほどのものかと想像したとき,そして,この宇豆柱の高さが48メートルにも達していたと想像したとき,この時代の人びとの気宇壮大なスケールの大きさに唖然とするばかりです。


 この巨木を出雲では,どこから伐りだしていたのでしょう。どこか近在の森からでしょうか。奈良の東大寺を建造するときの巨木は岡山県の山から伐りだして運んだという話を聞いたことがあります。だとすれば,この木も遠くから運んだ可能性があります。

 そのイメージを浮ばせてくれるものが,諏訪の「御柱祭」です。諏訪の山深くに生い茂る森林の中から,何本かの木が「神木」として選ばれ,伐り倒され,人・木が一体となって山をくだり,野や川を練り歩きしながら,諏訪の大社まで運ばれていきます。いまではテレビの映像でみた人も多いことと思います。でも,それはほんの一部を切り取るようにして映像化されているだけですが,実際に「御柱祭」に費やされる労力もお金もたいへんなものだと聞いています。7年間,氏子の人たちはこの祭のために蓄財し,この祭りのためにすべてを消費(消尽)してしまうとのことです。ああ,これはマルセル・モースのいう「贈与」ではないか,と驚いてしまいます。しかし,これが祭りというもののもともとの姿に近いものだろうとわたしは想像しています。

 こうして,出雲と諏訪の関係を考えながら,その一方で,安曇野にある穂高神社の存在が急に気がかりになってきてしまいます。アズミ(あるいは,アスミ,アツミ)一族の渡来の径路と全国への分布の仕方などを考えると,この勢力の大きさもまた相当なものではなかったか,と考えてしまいます。

 もう一点だけ。諏訪大社に祀られたタケミナカタは国譲りのときにタケミカズチと相撲をとって負けた神様です。そのことと,野見宿禰が出雲の人であったという伝承との関係,そして,出雲大社では「三月会」(さんがつえ)の神事のあとの芸能として相撲が奉納されていたという屏風絵(図録に掲載されている)との関係,などなど相撲という視点からも興味はつきません。

 まあ,そんなロマンの夢をこれからも見つづけていたいものです。

2012年11月26日月曜日

日馬富士,新横綱場所顛末記。心技体のコントロールの難しさが露呈。これをバネに心とからだを鍛えて。

 9勝6敗。新横綱としては屈辱の結果。この場所,日馬富士になにが起きていたのか。ここを見届ける力量こそが相撲愛好家の基本条件。今場所の15日間の日馬富士の相撲の取り口,その内容をどのように分析するか,ここが相撲の醍醐味。

 悔しくて,悔しくて,今夜は眠れないのは日馬富士だろう。わたしの頭のなかも15日間の日馬富士の相撲が,何回も何回もリプレイされていて,たぶん,寝つかれないことだろう。でも,勝ち負けは度外視して,一番,一番,それぞれに意味のある相撲なので,わたしは満足しながらそのリプレイを楽しむことだろう。

 心技体とは,ほんとうによく言ったものだ。前半の相撲をみていて,今場所は,もうすでにいろいろと試行錯誤しながら横綱相撲のペースを貪欲に探っている,と受け止めていた。しかし,今日の相撲を見届けたところで,それは間違いであった,と気づいた。そうではなくて,日馬富士は,徹底して速い相撲をこころがけていた,ただ,それだけだということがわかった。その理由は,かれの足首に問題があった,ということ。もう,日馬富士ファンならだれでも知っているとおり,かれの両足首は時限爆弾をかかえているのだ。この両足首をだましだまし,ここまできた。先場所,先先場所の二場所が,奇跡だったと言った方がいいかもしれない。

 じつは,これまでも足首の調子がいいときは,いつも抜群の成績を残してきた。しかし,足首に痛みが走ると,とたんに負けがこむ。そして,見るも無惨な黒星を重ねることになる。今場所の日馬富士はその痛みをかかえての場所ではなかったか。だから,肝心なときに力が出せない。第一,足首の痛みを我慢することができない。今日の千秋楽の相撲がその典型だった。がっぷり四つに組んで渡り合ったのだから,あわてて巻き変えにいく必要はなかったはずだ。この体勢でどこまで通用するのか,じっくりと我慢して耐えるべきだった。先場所の日馬富士ならそうしたことだろう。が,今場所はそうはいかなかった。

 相撲が長くなることを日馬富士は嫌った。だから,先場所,ありえない巻き変えに成功して,勝ちをもぎとったことをからだが思い出したのだろう(あれはひょっとしたら八百長?だとしたら,もっと相撲は面白くなる。今場所はそのお返し?,と)。よし,今場所も,と日馬富士のからだが反応してしまった。そこを,待ってましたとばかりに白鵬は右からの上手ひねりを効かせながら,左から得意の投げにでた。これがみごとに決まった。が,ちょっとうまく決まりすぎたようにもみえた。それは足首のせいか,それとも八百長か。その両含みのところが味があっていい。

 今場所は,白鵬の心技体がみごとに充実していた。先輩横綱としては,二場所連続して全勝優勝をさらわれてしまったという事実は,なんとも屈辱だったに違いない。白鵬は,これまでとはまったく違った気持ちを籠めて,言ってしまえば心機一転して,徹底して心技体を鍛えてきたに違いない。その結果が,今場所の14勝1敗という成績である。白鵬は,日馬富士が横綱になったことを契機にして,一段と気持ちを引き締め,かつての全盛時代の相撲を取り戻してきた。このところ,どこかに気持ちのゆるみがあったのか,相撲そのものも厳しさを欠いていた。それが日馬富士の二場所全勝優勝という偉業を見せつけられて,白鵬の心に火がついた。

 そして,それをみごとになし遂げた白鵬は立派である。この白鵬の姿をほぞを噛みながら悔しがっているのは日馬富士その人に違いない。さぞかし,からだのどこにも痛いところのない,万全の態勢で白鵬と当たりたかったことだろう。しかし,今場所はそうはいかなかった。

 わたしは,今場所の日馬富士の相撲をみていて,日替わりのように立ち合いに工夫を加え,相撲内容もその流れにまかせている,と判断した。これは明らかに新横綱としての新しい相撲のスタイルを模索しているのだ,と受け止めた。だから,日馬富士の相撲は「進化」している,とこのブログにも書いた。「進化」をめざしていたことは間違いではない。が,「進化」をめざすには,その裏事情があったらしい。つまり,両足首の故障。古傷のうずき。この「痛み」とどのようにして折り合いをつけていくか,これが今場所の日馬富士の最大の課題だったのだろう,といまにして思う。その答えを,千秋楽で出してくれた。先場所の日馬富士は不利な態勢になっても必死になって我慢した。そして,勝機が訪れるのを待った。そして,最後の最後に勝負にでた。つまり,スタミナ勝負にでたのだ。その結果は,白鵬の防戦一方の相撲となった。

 あの日馬富士の右下手投げと白鵬の左上手投げの打ち合いで,日馬富士は主導権を握ったまま白鵬を土俵一周させた。この「耐える」「我慢する」相撲が,今場所はとれなかった。それが日馬富士の今場所の心技体の総決算だった。

 さぞかし,日馬富士はふがいなさと悔しさとを同時に味わったことだろう。これまでにもこのような経験をしてきたことではあるが,新横綱のそれはまた別であろう。9勝6敗。世に言う「クンロク」である。大関としても失格である。だから,当然,新横綱の場所としても失格である。しかし,よくよく考えてみると先輩横綱の多くも,ここの関門でつまずいている。千代の富士などは,途中で休場している。しかし,その悔しさをバネにして猛稽古を重ね,幕内最軽量横綱としての歴史に残る大記録を残した。

 日馬富士よ。焦ることなかれ。暮れ・正月と,足首を完璧に直すような地道な稽古をしっかり積んで,来場所に備えよう。その不安材料が解消できたら,立派な横綱相撲がとれるようになる。そして,なぜか,今場所は,ほとんど見られなかった得意の「張手」「喉輪」「突っ張り」「いなし」を徹底的に駆使して,得意の左上手を引いて頭をつける体勢に持ち込み,左からの出し投げを打って,相手の体勢をくずして寄ってでる,という相撲を復活させてほしい。白鵬の今場所は,信じられないほど張手を多用した。そこまでやるか,というほどの「張手」を繰り出した。マスコミのバッシングを気にして日馬富士がそれらの攻撃を遠慮したとしたら,それは間違いだ。

 なんと言ったって,千代の富士と同じ幕内最軽量の横綱なのだ。どんな立ち合いの手を用いてもいい。千変万化の立ち合いをして,相手を翻弄させ,自分有利な体勢に持ち込むこと,これは相撲のセオリーだ。しかも,日馬富士にだけ許された特権だ。なぜなら,先天的なスピードのある動きと運動神経の良さに恵まれた日馬富士にしかできない「芸」なのだから。

 9勝6敗。結果は結果。でも,わたしはその相撲内容には満足している。存分に堪能できたのだから。その一番,一番には意味があった。それをこれから分析してみたいと思う。どの一番で,どの足首を痛めたのか。つまり,負けには負けの意味がある。そこを見極める眼力を養うこと。これぞ相撲通の本領だ。

2012年11月25日日曜日

折口信夫著『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)を読む。

 旅にでるときにもっていく本が何冊かある。それは,わたしの好きな本で,しかもすでに何回も読み返している本ばかりだ。だから,通読するなどという野暮なことはもはやしない。旅のつれづれに,ふと本を取り出して,パッと開いたところを読む。それが不思議に,ちょうど読みたかったところであることが多い。ときには,ピン・ポイントで,長年考えつづけてきたテーマに新しい解決策を指し示してくれるような,まことに示唆に富むところと遭遇することがある。思わず「ウォッ!」と快哉を叫びたくなる。至福のときである。

 今回の「48会」に出席するために名古屋を往復するにあたり,2冊ほど文庫本をザックのなかにしのばせておいた。その一冊が折口信夫の『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)だった。もう一冊は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)である。この二冊に共通しているのは,どこから読みはじめても,すっと深いところに入り込むことができ,そのつど日常のわたしではないわたしに出会うことができるということだ。生きている喜びとは,新たなわたしに出会うことなのだろう,としみじみ思う。ほのぼのとしたエクスターズである。

 新幹線に乗ると,しばらくはぼんやりと車窓の景色を眺めている。いつも見慣れた景色ばかりなのに,ところどころで「エッ」と思わせるような新しい発見がある。が,そういう発見がないとすぐに飽きてくるので,おのずからザックのなかに手を滑り込ませる。そして,手が勝手に一冊を選んでとりだしてくる。ここが肝心なところである。どちらが出てくるかはわからない。つまり,眼でみて判断することを放棄して,手の触覚にゆだねるということ。主体性の放棄。運を天にまかせるということ。大げさにいえば自己を天命にゆだねるということ。計算も打算もない正義の根拠。なんのことはない,一か八かの「賭け」である。

 今回は,行きも帰りも,なぜか,わたしの「手」が探り当てたのは『日本藝能史六講』だった。

 そして,最初に開いたところには藝能か態藝か,能藝か態藝か,という議論がなされている。そして,能という文字は,態という文字の下の心が省略されて用いられるようになったらしい,と折口は推測し,その根拠をいくつか提示している。しかも,もともとの「態」の意味は「しぐさ」であり,「ものまね」のことだったという。たとえば,後花園天皇の時代(吉野朝)にできたといわれる『下学集』の藝態門には,風流(ふりゅう),早歌(はやうた),曲舞(くせまい),反ばい(へんばい・ばいは門構えの中に下という漢字)・申楽・田楽・松囃(まつばやし)・傀儡(くぐつ)・蹴鞠(けまり)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)といったものが,ひとまとめにされているという。つまり,これらが「藝態」の内容。しかも,この「態」という文字を「のう」と読ませていたかもしれない,と。

 わたしのひらめきは,そうか,こんにちの芸能のルーツをたどっていくと,それは「ものまね」にゆきつくのか,ということ。その「ものまね」のはじまりは降臨した神を演ずること,つまり,神の「ものまね」だったこと,その神を迎える「ぬし」を演ずること,さらに,ぬしは神を喜ばせるために即興の歌を歌う,それにつられるようにして神が舞い踊る。このようにしてこんにちの芸能は発生したのではないか,と傍証を挙げながら類推していく。

 しかも,こうした類推の仕方は折口特有の方法であって,これを「発生学風」と名づけ,この方法こそが近代のアカデミズムの限界を突破していくために必要なのだ,という。

 ここからひらめいたことは,なんと,ザックのなかにもう一冊しのばせていたジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』のことである。この本のなかでバタイユが展開した方法も,まさしく折口のいう「発生学風」の方法なのだ。サルからヒトになり,さらに人間となるときに,人間の存在の仕方になにが起きたのかというテーマの謎解きは,厳密にいえばだれも実証できないことだ。つまり,近代のアカデミズムの方法では不可能である。しかし,その限界を超えでていくためには,いくつかの仮説を提示しつつ,その仮説の向こうに見え隠れしてくることがらについて類推していくことが必要になる。そして,ヒトがいかにして「発生」し,人間がどのような契機で「発生」するかを傍証で固めていく。いまのところはそのような方法しか存在しないのだから,それに頼るしかない。もちろん,それが正しいという根拠はない。同時に,それが間違いであるという根拠もない。したがって,多くの人が支持するかどうかだけだ。近代のアカデミズムの実証の限界を超えでていくためには,折口のいう「発生学風」という方法をとるしか,いまのところないのだ。

 わたしがいま必死で取り組んでいる「スポーツ的なるもの」と「宗教的なるもの」との類縁性の問題も,その発生の「場」のアナロジーとなっていく。つまり,折口のいう「発生学風」な手法をとらざるをえない。だから,折口のこのテクスト『日本藝能史六講』にぐいぐい引き込まれていくというわけである。そして,読めば読むほどに,「スポーツ的なるもの」の発生の場も,折口のいう「藝能」の発生する「場」にあった,と納得できる。

 そんなわけで,このテクストもまた,わたしにとっては大事な座右の書なのである。これからも,なにかと思考が行き詰まってしまったときには,必ず繙くことになる書であることは間違いない。そして,そのつど,なんらかの新たな思考のヒントを提示してくれるはずである。これまでもそうであったように。

2012年11月24日土曜日

「ノリタケの森」に行ってきました。愛教大の元ゼミ生の会(48会)で。

  年に一回,定期的に集まっている愛知教育大学時代の教え子(ゼミ生)の会(48会)に行ってきました。ことしは瀬戸で教員をしているS君とUさんとが幹事をつとめてくれました。去年,幹事が決まるときの話では,瀬戸焼を中心に,というような話題もあって楽しみにしていました。が,最終案内をみましたら,瀬戸ではなく名古屋駅近くの「ノリタケの森」を中心にしたプランになっていました。カタカナで「ノリタケの森」とあったので,どういう森のことなのかなと考えてしまいましたが,よくみれば,陶磁器,セラミックの,あのNoritakeのことだとわかりました。そうか,焼き物つながり,というわけか,と納得でした。

あとで,幹事のS君の話を聞いてみましたら,地元の瀬戸で会をもつつもりでいろいろ計画をしてみたが,瀬戸焼の体験コーナーなども,去年までは無料でできたのにことしから有料になったりして,いろいろ不都合が生じたので,急遽,「ノリタケの森」にしたとのこと。なるほど,と納得。立案・計画はすべて幹事さんに一任ですので,そのときどきによっていろいろに変化します。それがまたそれぞれの個性的な味があって面白いところでもあります。

 11月23日(金)14時50分,名古屋駅集合。休日ということもあってか,駅周辺も人であふれ返っていました。予定されていた全員が揃ったところで,なごや観光ルートバス「メーグル」に乗車。すでに大勢の人がならんでいました。たまたまわたしのすぐ近くでチケットがどうのと,いささか焦ってせわしげにうろうろしているアジア系の若い女の子がいました。どこからきた女の子かわからないけれど英語でまわりの人に声をかけていました。外国旅行にでて乗り物のチケットを購入することでは苦労した経験がわたしにもありますので,こちらから声をかけてみました。すると,「メーグル」の案内パンフレットを握りしめ,「メーグル1DAYチケット」を購入したいのだ,という。ならば,乗るときに購入すればいい,とわたし。安心したようににっこり。バスに乗り込んでからも,わたしのとなりに坐ったので,少しだけかんたんな会話をしました。

 韓国ソウルからきた3人づれの友だちグループで3日間滞在すること,日本へは2回目,1回目は東京に行ったこと,そこには中央大学に留学している友だちがいて,とても楽しかったこと,などがわかりました。わたしへの質問もたくさんあって,それに応答するのは大変でした。突然の英語で,いやはや何年ぶりかであわててしまいましたが,なかなか賢い女の子で助かりました

 そんなハプニングがあって,あっという間に,目的地の「ノリタケの森」に到着。幹事さんからもらった資料によれば,Noritakeが操業当時の工場跡地をそのまま「ノリタケの森」として保存したところで,素晴らしい施設でした。イーストゲートから入っていくと,すぐ近くの噴水ひろばで消防署の吹奏楽団の演奏とバトンガールの実演が行われていました。まるで,わたしたちを歓迎してくれているかのように。しばらく見物。

 演奏終了後,まずは,クラフトセンターに移動。その途中でH君との雑談のなかで,「ぼくも定年まであと1年半を切りました」と聞き,びっくり。愛知県の教員の定年はたしか60歳だったはず。えっ,もう還暦を迎えるのだ,となにか妙な気分になってしまいました。冷静に考えれば,わたしだってもう74歳。来年春には四分の三世紀を生きることになるのですから,当たり前といえばそれまで。

 人間の人生経験の記憶というものは不思議なもので,点から点へと記憶が飛んでしまいます。そして,それらの点と点との前後関係もプロセスもなにもありません。突然,点となった記憶がよみがえってきて,そのことだけが鮮明に思い出されてきます。ですから,H君の話を聞きながら,大学の3年生だったH君の記憶に飛んでいきます。そして,2年間,ゼミ生としてともに過ごした時間。記憶は,ただ,それだけ。大学を卒業して教員となってからのH君のことは,わたしには白紙。そして,何十年ぶりかで再会するようになったときは,すでに校長先生。

 それはお互いさまで,わたしが愛知教育大学をわずか2年で去って,大阪大学に移り,そこでもたった2年で辞して奈良教育大学へ,といったその後のわたしの記憶はかれらにはなにもないわけです。にもかかわらず,そのお互いの空白をものともせずに,すぐに,ゼミ生だったころの雰囲気にもどっていくというのが,この会のいいところ。かれらが20歳のころ,そして,わたしが38歳。だから,いつのまにかわたしも赴任した当時の元気がもどってきます。しかも,わたしの初めてのゼミ生。ですから,気合が入っていました。お互いに若かったころの,元気いっぱいの,そのときの気分にもどっていくことのできる唯一の場,それが「48会」です。

 夜の宴会では,ひとりずつ順番にこの一年の経過報告がありました。やはり,みんな年齢相応の年輪を感じさせる密度の濃い一年だったことがみえてきます。学生だったころには考えられなかった,人間としての円熟味を増しています。一人ひとりの話を聞きながら,なるほどなぁ,と教えられることばかりです。なんだか,わたしだけがやんちゃなまま年齢が止まってしまったのではないか,と反省することしきりです。

 あと1,2年で,みんな定年を迎えます。そうなったら,いまの激務からも解放されて,いくらか時間の余裕もできてくることでしょう。また,違った雰囲気がでてくるのではないか,といまから楽しみにしているところです。場合によっては,どこかの温泉で一泊しながら・・・などというプランが生まれる可能性も。楽しいことを夢見て,その日の到来を待つことにしましょう。

 そのときには,日本国が原発ゼロに向けて,あらゆる努力を惜しまず,国民が一丸となっていることでしょう。もし,そうでなかったら,もはや,夢も希望ももてなくなってしまいます。なによりも,まずは「生きる」ということ,「命」を最優先する政治があって,それから経済でしょう。そんな話も,この「48会」ではさせてもらいました。みなさんがどのように聞いてくださったかまではわかりませんが・・・。

 みんな健康で,笑顔で再会できることを。今回,集まった人たちは大丈夫でしょう。そして,公務の都合でどうしても参加できなかった人たちとの再会を楽しみにしています。これがわたしの長生きのための最高の良薬。

2012年11月23日金曜日

「相撲の起源は芸能である」(折口信夫説)。

  折口信夫の名著のひとつに『日本芸能史六講』(講談社学術文庫)がある。この本の第四講に「相撲の起源は芸能である」ことの根拠が,かなり詳しく述べられている。しかも,そこには驚くべき根拠が提示されている。

 わたしはかねてから「相撲は芸能である」という立場をとってきた。そのつど,その根拠もいくつか提示してきたつもりである。しかし,世の中には「相撲は神事である」と信じて疑わない人が多い。日本相撲協会がそういう立場に立ち,それを前面に押し出していることもよく知られているとおりである。だから,ジャーナリストの多くも,その立場からの報道をくり返す。単なる垂れ流しである。みずから「相撲とはなにか」と問い,あまたある相撲の研究書を繙こうとはしない。せいぜい評論家の意見を取材する程度だ。そして,この評論家の多くもまた日本相撲協会の片棒を担ぐ。食っていくための箍をはずすことはできない。こうして,相撲神事説が再生産されていく。

 たとえば,八百長問題が大きな話題になったときも,相撲神事説とフェアプレイ精神の立場から,ポピュリズムを煽り立てるような報道がつづいた。朝青龍事件のときには,恥ずかしくて顔を覆いたくなるようなゼノフォビアまで登場し,世を挙げてバッシングにこれつとめたことを,よもや忘れてはいまい。

 しかし,わたしは相撲は芸能であると考えているので,八百長も大相撲のうち,という立場に立つ。八百長も芸能にとっては大事な「芸」のうちのひとつだから。ただし,バレるような,下手な八百長をやればお客さんが来なくなるだけのこと。だから,絶対にバレないような八百長を仕組まなくてはならない。ときには,見え見えの八百長なのに,それが立派な「芸」になっていて,お客さんから大きな拍手をもらえるようなときもある。かつては,そういう相撲もみられて,じつに楽しかった。力士とお客さんとの呼吸が合うと,その場になんともいえない一体感が生まれ,場所全体が別次元に移行していく。まるで,名優の演ずる素晴らしい歌舞伎芝居をみているような気分になることもあった。もちろん,升席でお酒を飲みながらの見物は,むしろ相撲の方が芸能の伝統を守っているとさえ言えるほどだ。

 そういう相撲はいまは望むべくもない。やせこけた,自分だけが正しいという,エゴイスティックで,自己満足的な正義感の強い人が増えたせいだ。そういう人たちの言っていることは間違いではない。しかし,大局的にみると,矛盾だらけの文化のもつ豊穣さをぶち壊してしまうことになり,なんとも寂しいかぎりである。その結果,文化としてはまことに貧相なものに堕してしまうことになる。大相撲も,すでに,そうなって久しい。

 興業主が「大相撲は神事だ」というのだから神事でもかまわないが,それをみて楽しむ側は,大相撲のもつもっと深い芸能性を楽しんだって一向にかまわないはずだ。しかも,その精神は立派にいまも生きているのだから。

 さて,前置きが長くなってしまったが,本題の折口信夫説をごくかんたんに紹介しておこう。

 第四講の小見出しはキー・ワード風に,あそび,田遊び,えぶり,相撲,わざをぎ,こひ,田楽,猿楽,能,座,とならんでいて,この順番に講義が展開している。

 これをみただけで,相撲があそびや田楽,猿楽,能,などと同列に取り扱われていることがわかる。そんなバカなという人は,相撲には「しょっきり」と呼ばれる相撲があることを思い出していただきたい。これなどは猿楽そのものだ。みているお客さんが大笑いするように仕組んである。勝負などどこ吹く風とばかりに,現実にはありえないような相撲をとって,お客さんを喜ばせる。これが相撲の原型なのだと折口信夫は力説する。つまり,相撲は「あそび」にその起源を求めることができるのだ,と。

 もともと古い和語の「あそび」は,「鎮魂の動作」を意味していた,という。古代の天皇が「野遊び」をするのは,「鎮魂の動作」としての意味がその根底に宿っている。同時に,大自然の「霊力」をわがものとする身振りでもある。これだけではなく,折口信夫は,わたしですら驚くような説を惜しみなく展開している。たとえば,以下のようである。

 「楽器を鳴らすこと,舞踊すること,または野獣狩りをすること,鳥・魚を獲ることをもあそびと言ふ語で表していますが,これは鎮魂の目的であるからです。つまり鳥,獣を獲ったり,魚を釣ったりするのは悦ぶためだといふ風に解釈されますが,そういう生き物が人間の霊魂を保存しているから其を迎えて鎮魂するのです。」

 「・・・・楽はあそびなのですから,田楽も田遊びも同じことになるわけですが,田遊びは田に於て鎮魂を行ったといふことではっきりしています。つまり田を出来るだけ踏みつけ,その田を掻きならして田に適当な魂をおちつけ,ぢっとさせておき,立派な稲を作るといふことなのであります。」

 「・・・ところが田遊び以前の田に関係した行事が考えられます。─中略─。演劇の昔の伝統を尋ねて行くと妙なことに他には行かないで相撲に行ってしまふことです。これは日本の演劇の正当なものなのです。宮廷では七月に相撲(すまひ)の節会(せちえ)といふものを行ひ,其時期が相撲の季節となりました。そしてこれはどうしても演劇にならなければならなかったのですが,途中から演劇の芽ばえが起こって来て,相撲はその方面に伸びなかったのです。」

 「・・・蹴速(けはや)のふみ殺された所は「腰折田」と称して残ったといふことですが,これはその通りの動作が行はれておったところなのでせう。地方に行きますと,囃田(はやしだ)とか鼓田(つづみだ)とか舞田(まいた)といふ名称の田がありますが,それは其処(そこ)に行って田植の時に芸能の行はれる事の意味なのです。」

 とまあ,こんな具合に眼からうろこが落ちるような話がつぎからつぎへと登場する。たとえば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲の真意について(まれびとの来臨),大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの相撲について(手を取る・・・相手の魂を招きこふ動作,この「こふ」が「こひ」(恋)となる,など),米の豊作を予祝する儀礼としての相撲について,などなど。これらはすべて年占いであり,演劇として演じられたものだと折口信夫は,じつに軽妙にその裏側の複雑な仕組みにいたるまでをわかりやすく説いている。

 この他にも,たくさんの相撲=芸能を裏づける話がでてくる。あとは,テクストに直接あたって確認してみていただきたい。その方が面白いこと請け合い。

 最後にひとこと触れておきたいことは以下のとおり。

 意外なことに,相撲と能とは,同じルーツから枝分かれした芸能であった,ということ。すなわち,田遊びという鎮魂のための芸能が,ひとつは相撲となり,もうひとつは田楽,猿楽,能楽となっていく,というわけである。このあたりのことは,調べていけば無尽蔵に面白い話がでてくるはずである。こんごの課題としておく。

原発推進のみならず,国防軍までもめざすという安倍・自民党。ここだけは断じて投票してはならない。

 えっ,国防軍?それって,戦争ができる軍隊のこと?なにを考えているのか。安倍・自民党は。ひょっとしたら,イシハラ君に煽られて,その先手を打つつもりなのか。それじゃあ,尖閣諸島のときの民主党と同じではないか。それよりももっと質が悪い。憲法を変えて戦争にまで手を伸ばそうとしているではないか。まるで,国境問題を軍事力で解決しようとでも思っているのだろうか。

 今日(22日),発表された自民党の選挙スローガンをみて,茫然自失。この人たちって,ひょっとしたら「認知症?」,いやいや,むかしのことばを使えば「気がふれた?」ということ。もっと,わかりやすく言えば,「気が狂ったの?」となる。

 そんな気がふれた人のことばにしたがって,かくも危ない橋は絶対に渡ってはならない。そんなことは敗戦後の長い年月をかけて,しっかりと反省し,二度と戦争はしないと覚悟したではないか。つまり,敗戦から,すでに70年間,営々として日本国民は再軍備だけはしないという選択をしてきたではないか。アベ君,君はいったいなにを考えているのか。この東日本大震災・原発事故のドサクサまぎれに,一気に憲法まで変えて,近隣諸国を敵に回そうとでも考えているのか。ひょっとしたら,ご先祖さまが夢枕にでも立って,とくべつのご託宣でもあったのか。まさか,あのキシ君だって,サトウ君だって,晋太郎君だって,このタイミングで憲法を変えて再軍備せよ,とまでは言わないだろう。

 選挙まで,あと一ヶ月を切ったというのに,テレビはいつものとおりのバカ番組ばかり。選挙などどこ吹く風とばかり,お笑いと歌番組がずらりと並んでいる。この一ヶ月足らずの間に,日本国の命運を決する,おそらく歴史に残る意志決定をしなくてはならないというのに・・・。あるいは,これもまた原子力ムラの一致団結した隠密的な差配によるものなのか。だとしたら恐ろしいことだ。もっとも,よくよく考えてみれば,これまでの世論を自在にコントロールしてきたのはみんなマス・メディアだった。そのマス・メディアを動かしてきた力がどこからきていたのかということも,おおよそのところはわかってきている。そして,いまもなお眼に見えないところで,もののみごとに世論を意のままに操っている。

 いま,新聞もテレビも,最大のニュースとして取り上げなくてはならないのは,安倍・自民党が憲法を変えて「国防軍」の設立をめざす,と大見得を切ったことだ。この一大事を,どのテレビ局も取り上げようともしない。そして,ゴールデン・タイムでNHKがとりあげたのは,愛知県豊川市の信用金庫立て籠もり事件だ。しかも,時間を延長してまで。もちろん,これも重大なニュースには違いない。しかし,それよりもっと大事なのは,こんどの選挙で政権をとったら憲法を変えて国防軍をもつという安倍・自民党のスローガンだ。のみならず,憲法改正(改悪)の方法を,現行の三分の二から二分の一でできるようにもする,という。

 いやはや,そんなことになったら,政権が変わるごとに憲法が変わることになる。憲法は国の骨格だ。その国の骨格がそんなにコロコロ変わっては困る。ほんとうに憲法を変えなくてはならないときがくれば,国民がその意志を表明する。その意志が全体の三分の二以上の代議士を選出したときが憲法を変えるときだ。そんないっときの政権の都合で憲法を勝手に変えられては困る。憲法こそ,国民の意志で明確に決定しなくてはならない。その憲法を変えると安倍・自民党は選挙スローガンにかかげたのだ。これを支持すると,日本国は戦争「放棄」の国から一気に戦争「蜂起」の国になってしまう。そういう恐ろしいことが,あと一ヶ月足らずの間に決まろうとしている。

 みんなで叡智を出し合って,寄ってたかって議論をしなくてはならないときだ。そのためには正確で敏速な情報が欲しい。だから,ひとりでも多くの候補者の生の声が聞きたい。なのに,テレビでは相変わらずのバカ番組ばかりが勢揃い。NHKを筆頭に,思考停止の国民増産に励んでいる。ほんとうに,このままでは日本国は沈没してしまう。

 「3・11」以後の政府の醜態をみていると,こんどの選挙しかチャンスはない。国民が本気で,原発ゼロか原発推進かを熟慮し,覚悟を決めなくてはならないときだ。目覚めよ,「茹でカエル」。もう,すでに身動きできないとでもいうのだろうか。あまり深く考える必要もない。命とカネとどちらが大事か。それだけでいい。

 いずれにしても,原発推進,憲法改悪,国防軍設置・・・・の路線を鮮明に打ち出した安倍・自民党だけは回避したい。このことだけははっきり言っておきたい。

2012年11月22日木曜日

ボクシング小説・角田光代著『空の拳』(日本経済新聞出版社)を読む。

 スポーツ小説が花盛りです。これまでマンガ・動画の領域では大活躍していたスポーツですが,いつのころからか気がつけば小説の世界で大活躍です。取り上げられる題材も,野球,サッカー,陸上競技,相撲,などのメジャーなものから,マリン・スポーツやトレッキングなどの最近の人気スポーツにまで多岐にわたっています。以前は,もっぱら山岳小説が中心でしたが(こちらはむかしからずいぶん読んできました),最近は身近なスポーツが人気のようです。作家もまた,男性中心から女性へとひろがり,スポーツ小説の取り上げられ方も大きく変化しているように思います。詳しいことは,いずれ,とりあげてみたいと思いますが,今日は,いま話題の一冊の本をとりあげてみたいと思います。

 角田光代著『空の拳』(日本経済新聞出版社)です。しばらく前の『週間読書人』が角田光代さんのインタヴュー記事を大きくとりあげて(全面2ページ)いましたので,これは読んでおかなくてはいけない,と思っていました。で,すぐに本屋で手に入れてはあったのですが,なかなか読むところにいきませんでした。なぜなら,500ページにも及ぶ大作でしたので,おいそれと読みはじめるわけにはいきません。で,そのチャンスを狙っていました。

 狙ってはいましたが,いつまで経ってもその機会は巡ってきません。そこで,とうとうしびれを切らして,エイヤッ,と読みはじめることにしました。案の定,徹夜で読むはめになってしまいました。困った本の一冊になりました。

 この本の主題はボクシングです。しかも,作家は女性です。わたしのイメージでは,角田光代さんがボクシング小説を書くとは夢にも思っていませんでした。が,その角田さんがボクシング小説,いな,スポーツ小説に初めて挑んだというところが,わたしにはとても新鮮に映りました。なぜ,女性作家がボクシングを描こうとしたのか,ボクシングをとおしてなにを描こうとしたのか,ボクシングの神髄にどこまで迫ることができるのか,そして,現代社会を生きている若者たち(われわれ大人も含めて)にとってボクシングとはなにか,というのがわたしの興味・関心でした。

 それには,いささか理由がありました。ちょうど一年前,わたしの監訳で『ボクシングの文化史』(カシア・ボディ著,松浪稔+月嶋紘之訳,東洋書林)という翻訳本を世に問うということがありました。じつは,この『ボクシングの文化史』を書いたのも女性でした。しかも,著者のカシア・ボディはロンドン大学やその他の大学で現代英米文学やメディア論,文化論の教鞭をとる学者・研究者です。もちろん,評論やエッセイもたくさん書いている人ですが,なぜか,ボクシングにも興味をいだいて,とうとう『ボクシングの文化史』という大著(本文だけで570ページ)をものした人です。この本の巻末にわたしが「監訳者あとがき」を書いていますので,こちらも参照してみてください。

 そこでも述べておきましたが,ボクシングは,さまざまなスポーツのなかで,もっとも人間の野生を剥き出しにさせる文化装置ではないか,というのがわたしの仮説です。つまり,人間の野生回帰願望をもっとも多く叶えてくれる文化装置,それがボクシングではないか,と。そして,その野生性に対する反応の仕方は,男性と女性では,根本的なところで異なるのではないか,と考えています。あえて言ってしまえば,男性はどちらかといえば理性で野生性と向き合い,女性はそのままからだ全体でボクシングの野生性を受け止める傾向が強いのではないか,ということです。

 こんな問題意識をもっていたものですから,さて,角田光代さんは,女性として,どんな風に「ボクシング」を受け止め,ボクシングのどこに着目し,この小説をとおしてなにをメッセージとして伝えようとしたのか,といったようなことがらがなにがなんでも知りたいと思いました。案の定,いくつもの発見がありました。なるほどなぁ,女性作家がボクシングを小説として描くとこういうことになるのか,と納得するものがたくさんありました。それらについては,これから読もうという人のために,ここでは書かないでおきます。

 もちろん,バタイユ的な世界観からボクシングをとらえようとしているわたしからすれば,物足りないところもたくさんありました。それは,それで,無い物ねだりというものなのでしょう。そのことによって,逆に,わたし自身のボクシング観が浮き彫りにされてきて,ある種の快感も味わうことができました。描かれないことによって,そのことを,さらに強く意識させられるという反面教師的な役割も果たしてくれている,という次第です。

 たくさんの文学賞(海燕新人文学賞,野間文芸新人賞,坪田譲治文学賞,婦人公論文芸賞,直木賞,川端康成文学賞,中央公論文芸賞,伊藤整文学賞)を受賞してきた角田光代さんが,この作品によって,また,新たな境地を開いたことは明らかです。さて,この作品によって,こんどはどんな賞を受賞することになるのか,いまから楽しみです。

 わたしからのお薦めの一冊です。ただし,読みはじめたら徹夜をする覚悟をしておいてください。とくに,週末に読む小説としてお薦めします。

 以上。

手の指の関節,足首や膝の関節,そして股関節は努力次第で柔らかくなります(李自力老師語録・その24.)

 李老師の準備運動の最初の運動は,ほとんど例外なく,手の運動からはじまります。両手の指を交互に絡めたまま手首の力を抜いて柔らかく回したり,腕・肘を大きく動かしてくるくる巴(太極拳のマーク)を描くように動かしたり,指先をしっかり反らせたりする運動です。なんのことはない,最初からだれにでもできるかんたんな運動です。

 しかし,李老師のこの運動をよくよく観察してみると,どこかふつうの人とは違います。簡単に言ってしまえば,なぜか,とても美しいのです。その理由のひとつは,手首と指の関節が微妙に柔らかいのです。このことに気づいたのは,つい最近のことです。

 そういえば,いつだったか,子どものころに徹底的に関節を柔らかくする運動をやらされたことがある,と李老師からお聞きしていました。そのお話が,ふと脳裏に浮かんできました。とくに,足首を柔らかくするためには相当の痛みに耐えなくてはならなかったそうです。泣きながら,その痛みと闘っていた,と。ときには逃げ出したくなったこともある,と。

 股関節を中心とした柔軟運動も同じで,子どものころに相当に厳しい指導を受けたことがある,とも。大勢の大人たちに囲まれて,身動きできないよう抑え込まれての柔軟運動は,思い出すだけでも恐ろしいほどの経験だったそうです。しかし,そういう厳しい鍛練を経ることによって,太極拳をするからだが,少しずつ,成長とともにできあがっていくというわけです。人知れず,子どものころから,柔軟性を養うことを継続して,はじめてあの李老師のからだができあがっている,という次第です。一朝一夕にできあがったものとはわけが違います。

 その訓練はいまも継続してやっている,こんどは自分の意志でやっているとのことです。少なくとも,毎晩,寝るまえには,必ず柔軟運動をやることにしている,と。できれば,お風呂に入って,からだを温めておいてから柔軟運動をやると,とても効果的です,と。

 手の指の関節,足首や膝の関節,そして股関節,などは努力すれば必ず柔らかくなります,と。それぞれの運動の強度は,一人ひとりのからだの状態によって上手に調節する必要がありますが,まずは継続すること,これが第一です,と。

 李老師の仰ることはいちいちもっともな話ばかりです。あとは,実践あるのみです。が,問題はここです。理解していることと,実践することとは,別の話です。言うはやすし,行うはかたし。思いついたときに柔軟運動をやればいい,というようなことはだれでもわかっています。しかし,それを実践するのはまた別の話になります。実践は強い意志の力が必要です。よほどの動機がないとなかなかできません。

 わたしも若いころ,体操競技をやっていましたから,どのように柔軟運動をやればいいかは,ひととおりのことは知っていますし,実践もしていました。当時は,いまから考えても,とても柔らかなからだを維持していました。もちろん,そうでなくては競技はつづけられませんから,当然といえば当然のことです。それでも,自分の意志で柔軟運動を毎日,継続することは容易ではありませんでした。ですから,競技をやめたとたんに,もう,柔軟運動はほとんどしなくなってしまいました。それからこんにちまで,もう,何十年もの間,なにもしてないのですから,からだが固くなるのは当たり前です。そこに長年の加齢があります。

 でも,ときおり,思い立ったかのように,熱心に柔軟運動をはじめることがあります。そうすると,不思議や不思議,どんどん柔らかくなってくるのです。それで味をしめて,喜び勇んで柔軟運動に取り組みます。が,三日坊主ではないにしても,あまり長くはつづきません。すると,こんどはあっという間にからだが固くなってしまいます。からだを柔らかくするには相当の時間が必要ですが,からだが固くなるのは三日もあれば十分です。すぐに,もとの固いからだにもどってしまいます。ですから,ほんとうは毎日,少しずつ継続すればいいのです。それがなかなか・・・・・。

 でも,柔軟運動はこの年齢でもやれば必ず柔らかくなるというのは事実ですので,できるだけ努力したいと思います。そのためには,定期的に,表演を見せる/観てもらう,ということがいいようです。李老師もよくよく観察していますと,太ったり,細く絞りこんだりを繰り返していらっしゃいます。で,聞いてみますと,こんどどこどこで表演を頼まれているので,少し絞り込まないと・・・・というようなことを仰います。なるほど,と納得。ならば,それを見習うべし。上手/下手はともかくとして,だれかに定期的に観てもらうことが大事なようです。

 まあ,それはともかくとして,これから少しずつ柔軟運動を行う習慣をつけていきたいと思っています。そして,李老師を驚かすくらいの動機は許容範囲でしょう。密かに,始めて,李老師を驚かすことにしよう。もっとも,ここに書いてしまった以上は,バレバレですが・・・・。

2012年11月21日水曜日

日馬富士,白鵬の2横綱に土。終盤の星のつぶし合いが面白くなる。

 2横綱が立て続けに負けた。日馬富士はひとりで転んだ。白鵬は力負けした。さて,この負け方が残り4日間の両横綱の相撲にどのような影響を及ぼすことになるのか,俄然,面白くなってきた。わたしの予想は日馬富士の逆転優勝なるか,という希望的観測に賭けたい。

 今日の太極拳のあとのランチ・タイムで,珍しくNさんと相撲の話で盛り上がった。Nさんの批評は,ふつうの人とはちょっと眼のつけどころが違っていて面白かった。Nさんは,横綱という地位がそうさせるのか,あるいは,横綱に到達した人だからこそそうなるのか,たぶん,その両方なのだろうが,横綱の立ち合うまでの所作が,大関以下の力士とはまるで違う,という。

 横綱は,呼び出されて土俵に上がったときから,もう,すでに別世界を創り出す。土俵に上がってからの一つひとつの所作に凛としたもの感じさせる。つまり,見ているこちらのこころもからだも,ピリッと引き締まる,そういうオーラのようなものを発している。もっと言ってしまえば,力士として,相撲人(すまいびと)として,生きている次元が違う。そういう次元の違いを見せつける凛とした所作が,そこはかとない迫力となって伝わってくる。だから,当然のことながら,相撲内容も違ってくる。横綱相撲とは,そういう身心ともに充実した,ひとつ天井を抜け出た者のみが表出することのできる,密度の濃い相撲のことではないか,とNさんは力説する。

 わたしもまったく同感である。すくなくとも,朝青龍,白鵬,日馬富士とつづくモンゴル出身の横綱には,それが強く感じられる。だから,仕切り直しをしているときから,身も心も異次元に引きこまれていく。それが堪らない魅力になっている。

 その横綱が,今日(21日),立て続けに負けた。

 まず,日馬富士。両足ともに流れたまま,ばったり前に落ちた。まるで,ひとりで落ちたようにみえた。両足ともに一歩も前に踏み込んではいないのだ。とくに,左足はすべって,後ろに流れていたようにみえた。上半身に力が入りすぎて,下半身がお留守になってしまう,悪い立ち合いの見本のようなものである。低い立ち合いはむかしからのもので,そこを狙って相手力士は「はたく」のだが,滅多に前に落ちることはない。むしろ,そこを好機とばかりに相手のふところに飛び込み,得意の相撲を展開する。だから,こんな落ち方,それも自分で落ちたような落ち方は,わたしが記憶するかぎり見たことがない。そんな珍しい負け方をした。

 この負け方は尾を引くことはないだろうとわたしは考える。明日からは,これをバネにして,また,別人のようになって蘇ってくるだろうと,これはわたしの希望的観測。

 それに引き換え,白鵬の負け方は傷が深いとみる。琴欧州に左上手を引かれ,左から攻めつづけられ,ただ防戦するのみ。最後は,右半身で相手の攻撃を待つだけの,白鵬の悪いパターンが露呈した。そして,最後の最後まで,なすすべもなく,寄られるとあっさりと土俵を割った。一方的な琴欧州の勝ち相撲である。以前も,これとよく似た相撲でやられている。このままだと,琴欧州に左上手を引かれると,もう勝てないとからだが記憶してしまう恐れがある。

 このダメージは相当に大きいのでは?とわたしは考える。明日は稀勢の里だ。あの強烈な左おっつけが炸裂したときには,過去にも辛酸を舐めたことがある。それをどうさばくか,明日の壁が大きくのしかかってくる。今夜は眠れないのではないか,と思う。もっとも,それを撥ね除けるのが横綱たるものの力量というものだ。さて,どうなることか。

 昨日までの両横綱の相撲について,テレビの解説者(毎日,変わる)も,新聞の北の湖理事長の談話なども,白鵬の磐石の強さを絶賛している。その一方で,日馬富士の相撲に関しては辛口の批判が多かった。わたしは,この相撲の専門家たちの批判には違和感をいだいていた。白鵬の強さをほんものだろうか,と。どこか違うのでは?と。こういう一方的な勝ち方をしていると,形勢不利な態勢からの反撃ができなくなるのでは?と。その危惧が今日の相撲となってでた。それに引き換え,日馬富士は,毎日,違う相撲をとっている。わたしの推測では,いろいろの工夫を試しているのではないか,とさえ思う。とくに,立ち合いの仕方は,日替わりメニューのように違う。その歯車(手順)が狂ったのが,今日の相撲だ。あと4日間の相撲は,これまでに積み上げてきた勝ちパターンの立ち合いをしていけばいい。あとは臨機応変にスピード相撲をこころがければいい。

 さて,白鵬はどうするか。右を差して左上手を引けば,磐石の相撲がとれる。しかし,右腰に食いつかれて,左上手が引けない態勢になると,なすすべがなくなる。今日の琴欧州のように。日馬富士はその相撲が得意だ。しかし,先場所は白鵬の左上手投げと日馬富士の右下手投げの応酬だった。そして,土俵を一周する投げの打ち合いの結果,日馬富士が勝ちを制している。相撲の常識である上手投げと下手投げの打ち合いでは上手投げが有利という,その定石を覆す日馬富士の右からの下手投げだった。白鵬の得意とする左上手投げを制したのだ。このダメージは相当に大きいだろうと思う。

 こうなってくると,星勘定とは別の次元で,千秋楽の横綱対決はみものである。想像するだけで,もう,いまから息が止まりそうなほどだ。その鍵を握るのは「立ち合い」だ。ここで先手をとった方が勝ち。だから,この対決を意識してか,日馬富士の今場所は立ち合いの仕方を日替わりのように変化させ,試している。千秋楽には,すでに一度だけみせたあの千代の富士を彷彿とさせる立ち合い(左前みつを引く)が炸裂するのではないか,とわたしは楽しみにしている。

 さて,今日の負け相撲を,両横綱はどのように裁いて,明日以降の終盤の相撲に生かしていくのか,これもまた横綱に課せられた重要な課題である。明日からの星のつぶし合いが面白くなる。と同時に,わたしはその相撲内容にも注目していきたい。つまり,来場所につながる相撲をきちんととりきることができるかどうか。長い眼でみると,こちらの方が面白い。

2012年11月20日火曜日

「小異を捨てて大同につく」とは「原発ゼロを捨てて原発推進につく」ということでした。正体みたり。

  イシハラ君とハシモト君がとうとう手を組んだ。その記者会見では「小異を捨てて大同につく」とイシハラ君が大見得を切った。イシハラ君は数さえ集まればいいという無節操ぶりを曝け出し,減税のタカシ君もみんなのヨシミ君も抱き込もうとした。が,ハシモト君があくまでも政策で一致することが大事と主張してこの二人のことは先送りとなった。が,一方でそのハシモト君はみずからの政策まで変更してイシハラ君と手を組むことにした。

 すなわち,「原発ゼロ(小異)を捨てて原発推進(大同)につく」という選択だった。

 なんという無節操な・・・・。要するに権力への近道を選んだだけのこと。その一方でライバルは切り捨てておく,というハシモト君の根性もまるみえとなった。

 これで「原発推進」の自民党を筆頭に,軒並み「原発推進」を声高らかに宣言することになった。これで選挙が戦えると思っているらしい。国民をバカにするのもいい加減にしてほしい。民意の80%は「原発ゼロ」を希望しているというのに(政府発表の調査結果)。ただし,最近の東京都民の意識調査では56%だという。東京都民だけの異常現象なのか(都知事選に向けての調査なので,原発への意識は低くでたかも),それともあっという間に「原発ゼロ」の民意は薄れてしまったとでもいうのだろうか。それにしても,過半数は「原発ゼロ」を望んでいる。

 この数字とはうらはらに,政党支持では自民党がトップ,第二位に民主党,第三位に維新,第四位に国民の生活が第一,とつづく(新聞社によって調査結果が異なる)。このうち,「原発ゼロ」をはっきり謳っているのは国民の生活が第一だけ。民主党の「原発ゼロ」は口先だけで行動は再稼働,だから,わたしは信用しない。意外なのは,「原発ゼロ」を鮮明に打ち出している社民党や共産党への政党支持率が上がらないことだ。なにゆえに,こんなに支持率が低いのか。政党を代表する看板の印象がわるいのか,それともほかに理由があるのだろうか。

 でも,ここはワン・ポイント・リリーフでもいい。とにかく,政党のこれまでのイメージよりも,「原発ゼロ」をしっかりと掲げている政党,あるいは無所属の人を見極めるべきではないか。そして,民意をしっかりと反映する政治に向けて舵を切ることだ。その絶好のチャンスがこんどの選挙だ。その鍵はわれわれが握っている。このことを忘れてはいけない。

 ここを間違えるとたいへんなことになる,とわたしは考えている。かりに,自民党が政権党に返り咲いたとしたら,アベ君はすぐにイシハラ君,ハシモト君と手を結んで,巨大な権力を構築することになるだろう。そして,ノダ君のところの再選議員も雪崩をうって離党し,政権党に鞍替えすることになるだろう。あるいは,その前に雪崩現象が起きるだろう(誓約書を書かない候補は公認しないという異常ぶりに注目)。

 こうなると,55年体制よりももっとひどいことになっていく。長年かかって構築してきた原子力ムラの住民たちが一気に活性化し,かれらの思うままに日本が作り替えられていくことになる。ふたたび,全国の原発が再稼働され,つぎの大震災で日本列島は沈没していく。まさに,金に眼がくらんだ亡者どもの意のままだ。

 近隣諸国のもっとも恐れている日本の右傾化が,ますますはっきりしてくる。それこそ,この流れでいくと,憲法を改正(改悪)して,再軍備へ一直線,となりかねない。その結果は「ドンパチ」のはじまりである。しかし,それだけはなにがなんでも回避しなくてはならない。つまり,原発推進派がひた隠しにしているほんとうの意図は,いつでも原爆を製造可能な能力(最先端の科学技術)を保持することにある。もう一点は,原発を輸出して一儲けしようとする経済効果である。わたしたち国民の命を犠牲してまでも,いやいや世界中の人びとの命と引き換えに,恐ろしい道を突き進もうとしているのだ。

 そうしたすべての分岐点が,「原発ゼロ」か,「原発推進」か,なのである。ここさえ決まれば,つぎなる政策の選択肢が決まってくる。TPPも増税も沖縄問題も,なんの迷いなく意志決定することができるだろう。だから,ほんとうに今回の選挙は日本の未来の命運を賭ける大事なわれわれの意志決定なのだ。

 「小異を捨てて大同につく」などと立派なことを言っているが,じつは,下心がまるみえなのだ。繰り返しになるが,権力への近道を選んだだけで,たんなる利害/打算の結果にすぎない。こういう輩の言動に幻惑されないように,ご用心,ご用心。

2012年11月19日月曜日

東慶寺の西田幾多郎,鈴木大拙,和辻哲郎,ほかのお墓詣でをしてきました。

 11月18日(日)は,前日の雨があがって,快晴無風の素晴らしい青空がひろがりました。以前からお招きのあった北鎌倉に住む友人Oさん宅でのバーベキューの集まりには,申し分のない絶好の天気に恵まれました。小春日和を思わせるようなポカポカした温かい日差しを浴びてのバーベキューには最高でした。

 この集まりが12時からでした。ならば,折角,北鎌倉まででかけるのだから,その前に東慶寺に立ち寄ることにしようということで,朝,少し早めに家を出ました。北鎌倉の駅を降りてすぐのところに東慶寺はあります。線路を挟んで円覚寺の斜め前くらいのところに位置します。ついでに言っておけば,東慶寺は臨済宗円覚寺派のお寺です。鎌倉街道に面していますので,電車を降りた観光客が長蛇の列をつくって歩いています。その列から離れて東慶寺の境内へ。

 ひとりで,のんびりと,気の向くままに東慶寺の境内を散策です。急ぎ足でとおり過ぎてゆく観光客を横目にみやりながら,足元の草花を鑑賞したり,散りはじめた「いわたばこ」の葉を眺めたりしながらの散策です。ですから,ほとんどの人が気づかずにとおり過ぎてゆく「十月ざくら」もじっくりと鑑賞することができました。すでに,散りはじめていましたが,まだ,かなりの花が咲いていました。でも,あまりに小さな花なので,よほど注意をしないと気づきません。

 本堂を右手にみながら,メインの参道を登っていくとやがて墓地に達します。ここからが,今日のわたしの主目的です。以前,ここにきたときには大勢で歩いていましたので,その流れに身をまかせていました。が,今日はひとりだけですので,完全に自分のペースで歩くことができました。まずは,一直線に西田幾多郎の墓へ。その墓碑には「寸心居士」と彫ってあるだけですので,知らない人にはこれが西田幾多郎の墓だとはわかりません。とても素朴なというか,簡素なお墓です。しばらく,ここに佇んで,西田幾多郎に思いを馳せ,かれの悲劇的な生涯や,その生涯と深く切り結ぶことになったかれ独特の哲学(純粋経験,行為的直観,絶対矛盾的自己同一,「哲学とは悲劇でなければならない」という名言も残している)のことを考えました。


 その西田幾多郎の墓の左隣には安倍能成の墓が,そして右隣には岩波茂雄の墓があります。そして,さらに道を隔てた右前には鈴木大拙の墓があります。こちらも「大拙居士」とだけ墓碑に彫ってあるだけです。「寸心居士」と「大拙居士」の墓碑はほとんど同じ大きさ・形をしています。いずれも五輪塔です。金沢の四高時代からの同級生で,無二の親友らしく,墓碑まで相談してあったのではないかと思わせます。晩年の西田幾多郎は鎌倉に住んでいました。が,第二次大戦末期には食料を手に入れることができず困りはてていたようです。そこへ,鈴木大拙がさつまいものなどの差し入れをしてくれることがあって,とても助かるということを日記に書き留めています。が,西田は,ほとんど栄養失調のような状態で,敗戦直前にこの世を去ります。まるで,シモーヌ・ヴェーユの最後を思い起こさせるような死に方をしています。その西田の死を見届けたのちも,大拙は長生きをしています(1966年没)。ですので,大拙は折あるごとに西田のお墓に何回も足を運んでいたはずです。その大拙が西田とそっくりのお墓を残しているわけですので,これは偶然とはいえないでしょう。


 その西田や大拙のお墓から一段下がったところに竹林に囲まれた大きな構えの和辻哲郎のお墓があります。ここだけは独立して別世界を形成しています。ここでもしばらく佇んで,和辻の『風土論』(最近,見直されつつある)のことを考えたり,西田幾多郎との関係を考えたりして時間を過ごしました。

 大拙の墓の裏側には谷川徹三の墓が,西田の墓の二つ隣には野上弥生子の墓が・・・・という具合にこのあたりにひとかたまりになって著名人の墓があります。が,大半の人たちは足を止めることもなくなにげなく眺めてとおり過ぎていきます。時間がないのか,興味がないのか,なんだろうかと首をひねりながら,黙ってみやっていましたが・・・・。

 さて,このほかにも今回,初めて見つけた墓もいくつかありました。この墓地の一番奥の左端の高まったところに高見順の墓,墓地の中央あたりに田村俊子の墓,その近くに前田青邨の墓,さらに下ってきて左に小林秀雄(この墓碑には「小林」とだけ彫り込まれています。いかにも小林秀雄らしいと思いました)の墓が・・・・という具合です。

 最後に,以前,確認してあった織田幹雄と大松博文の墓(左の一番奥まったところ)を詣でてきました。意外に質素な墓ですが,二人並んでいるところが,なんとなく微笑ましい感じがしました。と同時に,なぜ,この二人の墓がここ東慶寺にあるのかなぁ,と考えたりしました。よほどの思い入れがないかぎり,わざわざここにお墓をつくる必要はないはずです。

中央の銅像が織田幹雄さんで,その左側にお墓がある。この銅像の右側が大松博文さんのお墓。織田さんは「精進」,大松さんは「根性」ということばをお墓に彫り込んでいる。
 ここまできたときに,1時間くらいは経過したかなと思って時計をみたら,なんと2時間が経過していました。すでに,集合時間に遅刻です。急いでOさんの家をめざしました。とはいえ,歩いて5分ほどのところです。最後の急坂を登りながら,もう,みんな揃っているのだろうなぁ,と想像しながら胸を躍らせていました。

 ここでの話は割愛。いつか機会をみて。

 愉しい,ほんとうに愉しい時間を過ごして,家にもどってから東慶寺のパンフレットを確認していたら,なんと楊名時の墓があることがわかりました。日本に最初に太極拳を普及させた功労者です。いまは,娘さんが後継者となり,活躍されています。わたしのやっている太極拳とは違って,楊名時のそれは「健康太極拳」,わたしのやっているのは「武術太極拳」。次回は,かならず詣でることにしようと思います。考えてみれば,楊名時の墓がここにあるというのも,不思議な感じがします。でも,ひと理屈こねれば,太極拳の太極思想と禅仏教の禅の思想とは親戚同士でもありますので,なにも縁がないというわけでもありません。この件については,また,いずれ。

 今日はここまで。


2012年11月18日日曜日

飲酒禁止の大学祭ばやり。いっそのこと「飲酒学入門」という授業科目を開設しては?

 東大を筆頭に,飲酒禁止の大学祭が,あちこちで開催されている,としばらく前の新聞にでていた。軒並み,右へ倣え,というわけだ。もっとも,大学生とはいえ,まだ多くの学生は未成年だ。だから,厳密に言えば飲酒は法律的に禁止されている。その意味ではなんの不思議もない。しかし,これまでの長年の慣行からすれば,なんだか変だ。

 大学側は,一気飲みなどによる死亡事故や不測の事態が絶えない現状を鑑み,大学祭での飲酒を禁止することにした,という。もちろん,だからといって,大学祭期間中,だれもが一滴の酒も飲まないとはかぎらないだろう。おそらくは,当局の眼をかすめるようにして,ささやかに飲酒する学生たちは少なくないだろう。ただ,大勢が集まって,賑やかにコンパを開き「一気,一気」と囃し立てて無理やり酒を飲ますようなことは,建前上,しないだろう。

 しかし,飲酒は禁止すればいいという問題ではないだろう。大学生といえば,たとえ未成年であっても,すでに立派な大人だ。すでに成年に達している上級生と,まだ未成年の下級生とが,膝突き合わせて酒を酌み交わし,ふだんとは異なる人間関係が結ばれる絶好の場を,そんなにかんたんに奪ってしまっていいものなのだろうか。飲酒は人間関係を蜜にする立派な文化だ。ときには,大学院生と新入生とが酒を酌み交わしながら歓談する場もあってもいいではないか。

 とはいいながらも,近頃の学生さんをみていると,大学祭の期間中にキャンパスのなかで飲酒を認めるには相当の勇気がいるというのも事実である。なぜなら,飲酒の知識も経験もきわめて未熟な新入生が少なくないからだ。一説によれば,新入生の多くは,飲酒して酔っぱらった経験はほとんどないという。だから,どの酒をどの程度,どのように飲めばいいのか,わからないという。一気飲みを強要されても,順番に飲んでいるのをみていると,断ることができないという。要するに,飲酒の経験が足りないのである。まあ,言ってしまえば,酒も飲んだことのない優等生ばかりなのである。

 わたしたちの世代の多くは,すでに高校時代に,友だち同士でこっそり隠れて酒を飲み,さまざまな失敗を経験している。だから,一気飲みを強要されても上手に回避する方法を心得ていた。もっとも単純な方法は,古代ギリシア人が得意としていた「嘔吐」である。どんぶり酒を強要されたら,飲み終わったあと,できるだけ早めにトイレに逃げる。そして,胃のなかを空っぽにする。そして,また,もとの席に戻ってきて,知らぬ顔をして坐っている。これは常識として心得ていた。

 近頃の学生さんは,おしなべて優等生で,従順で,幼稚化している。だから,上級生に強要されると断るすべを知らない。そのまま素直に実行してしまう。要するに,酒の飲み方を知らないのだ。だとすれば,大学の授業科目に「飲酒学入門」を取り入れて,一から酒の飲み方を教える必要がある。どこぞの大学では「恋愛学入門」という授業が人気科目だと,これも新聞に大きく取り上げられていたことがある。わたしは唖然としてしまって,世も末か,と正直思ったものだ。だから,このブログにも書いたことがある。

 その伝に倣えば,「飲酒学入門」はひとつの立派な文化を伝承するための教養科目として,いまの学生さんたちに教える価値がある,ということになろう。さあ,どういう先生が担当することになるのだろうか,そこが大問題だ。でも,「恋愛学入門」を教えられる先生がいるのだから,それに比べれば「飲酒学入門」の方が授業としてはやりやすいだろう。場合によっては,オムニバス方式で,それぞれの専門家に分担してもらう方法もあろう。

 そうだ,この授業は東大からはじめてもらおう。そうすれば,全国の大学に広まっていくこと必定だ。そして,大学祭での飲酒も安心して認めることができるようにすること。飲酒学を心得た上級生が多くなれば,おのずから上手な,そして,おしゃれな飲酒文化が広まっていくことになる。その方が,はるかに大人の文化国家を担う人材育成にも役立つ。学生の飲酒は禁止すればいいという問題ではない。上手な酒の飲み方を伝承する智慧が大事だ,とわたしは思う。

 ほんとうのことを言えば,子どもが大学生になるまでの間に,酒の飲み方くらいは親が教えておくべきだというのがわたしの持論。とくに,女の子には,不可欠だ。それすらできない家庭の教育力の方にこそ大きな問題があるということ。つまり,飲酒を禁止する大学が笑われる対象ではなく,そういう大学生に育ててしまった親が笑われているということ。自業自得。そのことを忘れて,すぐに大学に責任を押しつける,この無責任ぶり。ここにすべての元凶が宿る・・・・,と考えるのだが・・・・。

2012年11月17日土曜日

日馬富士の相撲が進化しつつある。千秋楽の横綱対決が楽しみ。

 日馬富士の相撲が進化しつつある。先場所までの相撲とは違うものが感じられる。その典型的な相撲が昨日(15日)の一番。西2枚目の魁聖(ブラジル出身)を相手に,おそらく本場所では初めてではないかという立ち合いをみせた。わたしは,思わず「あっ!」と声をあげてしまった。そこにみたのは千代の富士の立ち合いだったからだ。

 制限時間いっぱいからの仕切りは,いつものように平蜘蛛型をみせてから塩に向かう。最後の塩を撒いてからいつもの立ち位置に立ったあとで,意図的に一歩下がって立ち,相手の立ち位置をまず確認する。その上で,一歩前にでて腰を下ろして両手をつき,弾みをつけるようにして低い姿勢から左足を大きく踏み込んでいく。からだがぶつかった瞬間には,素早く左前みつをとり,頭は相手の右胸につけ,右はずの万全の態勢になっている。この後半の立ち合いの流れは,まさに千代の富士の立ち合いである。ここで勝負あり,だ。

 ここからの相撲の流れは,千代の富士とは違っていた。千代の富士は左前みつをさらにグイッとひきつけ,相手の腰が伸びたところで一直線に寄ってでる。いわゆる電車道だ。しかし,日馬富士はそうはしなかった。左から得意の出し投げを打って,からだの大きな魁聖をそのまま横転させた。そして,その相撲をかみしめるかのような表情で勝ち名乗りを受け,賞金を受け取り,土俵を下りていった。また,新たなオーラをからだから発散させながら。そして,土俵下でも顔色ひとつ変えることなく,いつもの平常心をこころがけている姿が印象的だった。

 千代の富士の全盛時代の立ち合いは,足の立ち位置を決めると,腰を下ろしながら加速させ,腰がしっかり割れたところでそのまま両手をついて,その反動を生かすようにして低い姿勢から左前みつをとりにいく。両手をついてからのスピードが,あまりに早いので,相手の力士はわかっていても,千代の富士の得意の左前みつを取られてしまい,右をはずにあてがう万全の態勢に持ち込まれてしまう。

 日馬富士は,明らかに,この立ち合いを意識して,得意の立ち合いの一つにすべく研究を重ね,自分のスタイルを完成させようと,工夫をこらしているようだ。日馬富士は幕内力士のなかでも最軽量の小兵横綱だ。千代の富士もそうだった。その千代の富士が編み出した立ち合いを,できることならわがものとしよう,というのであろう。その実験台にされたのが魁聖だった。大きなからだで,立ち合いにぶちかましてくるだけなので,それを逃げることなく真っ正面から受け止め,自分の有利な態勢にもちこむための立ち合い,それが千代の富士の立ち合いだったというわけだ。しかも,その試みがみごとに成功。あの間のとり方と,低い姿勢から飛び込んでいく,そのタイミングといい申し分なかった。

 これで日馬富士はまたひとまわり相撲が大きくなる。何種類もの立ち合いの型をもつというのは,相手にとってはいやな存在になるだろう。右の喉輪や左からのいなしもある。どこからでも先手がとれる立ち合いを身につけること。そうなれば,あとは相撲の流れに乗っていけばいい。こうなると,千秋楽の白鵬との横綱対決が面白くなる。優勝争いとか,星勘定を超えた,この両者にだけ秘められた引くに引けない,相撲の奥義ともいうべき対決が待っている。この両者の対決は,これからの大相撲のひとつの大きな華となる。

 その前哨戦が,先場所の千秋楽戦だった。互角の闘いを制したのは日馬富士だった。紙一重の力の差が,あのような展開となって表出した。見た目には紙一重だったが,闘っている両者にとっては,大きな違いとしてからだに記憶されたことだろう。いな,すでに,先場所,白鵬はそのことを自覚していたように,わたしは感じた。だから,結局,最後まで白鵬は防戦いっぽうの相撲をとることにならざるをえなかったのだ。このままいくと,今場所も白鵬は日馬富士には勝てない。なぜなら,気持ちの上でゆとりをもっているのは日馬富士だからだ。

 そのことは,今日(16日)の栃の心との一戦にも表れていた。今日の日馬富士の立ち合いは,昨日とは打って変わって,正攻法の立ち合いだった。しかも,後の先を試していた。つまり,腰高の立ち合いしかできない栃の心を,ほんの一瞬早く立たせておいて,その直後に下から相手の胸をめがけてぶちかました。そして,もののみごとに,あの大きな栃の心がふっとばされた。そうして,指し手争いを制して双差しとなり,あとは一直線の電車道。この立ち合いをするには,相当のこころの余裕が必要だ。

 これからの後半戦,日馬富士がどんな工夫をこらした立ち合いをみせるか,楽しみだ。相撲の醍醐味という点では,白鵬を上回る。じつに味わい深いものがある。まだまだ,日馬富士の相撲は進化をつづけるだろう。そうでないと横綱の地位を維持していくことは不可能でもある。そのことを一番よく知っているのは日馬富士自身だろう。だから,ますます,期待がふくらむ。

2012年11月16日金曜日

政界サル芝居のはじまり,はじまりぃっ。メディアも一緒にサルしばーいっ。下心まるみえ。

 衆議院を解散する,と大見得を切ったドジョウ君。この啖呵は政界サル芝居としてはおみごと。政界一座の座長としては大向こうを唸らせる立派な演技。解散しろ,解散しろと言い続けてきた,敵役のアベ君も度胆を抜かれ,しばし茫然としたあきれ顔。シナリオのある,約束ごとの演技ではとてもできない迫真の演技。政界サル芝居としては立派な山場をつくって,ドジョウ君もスッキリしたことだろう。

 大山鳴動して鼠一匹どころか,何十匹もの鼠が騒ぎはじめた。もう,すでに15日だけで,二つの新党結成が伝えられている。まだまだ,いろいろの新党が生まれ,新党までいかなくとも新会派が生まれることだろう。驚いたのは,社民党まで鼠が騒ぎはじめて,阿部知子が新党を結成するという。おやおや,である。加えて,高齢者議員がつぎつぎに政界引退を表明していることも,おやおや,である。こちらは,もはや,自分たちが馴染んできた政界ではなくなったという絶望がにじむ。こうして,若い鼠も,年老いた鼠も,身の振り方に四苦八苦というところ。これからしばらくは鼠の右往左往芝居がつづくだろう。

 長生きはするものだ。長年,日本の政界をそれなりに眺めてきたが,こんなに面白いサル芝居をみせてくれるのは生まれて初めてのこと。千載一遇のできごとのはじまりだ。あまりの面白さで,嬉しいというよりは悲しい,いや,情けない。しかし,これが日本の政界の現実だ。立派な議員バッヂをつけてふんぞり返っていると,なんとなく立派な人に見えていたが,なんのことはない,大山が鳴動したら,この人たちの多くは単なる鼠だった。たかが解散と言われただけで,とたんに,わが身の保身に走りまわり,どこに身を寄せようかと必死だ。みっともない話だ。国を挙げて自己中心主義の大流行。自分の利害のことしか考えてはいない。

 その一方で,なにを勘違いしたのか知らないが,もうすでに政権党になることが確約されたかのような顔をするどさ回りの一座もいる。この一座は,座長選びのときに5人もの座長候補が名乗りを挙げたが,揃いも揃って,みんな「原発推進」を高らかに明言した。それで平気なのである。いったい,だれに向かって宣言していたのだろうか。「原発ゼロ」を望む国民が80%に達しているというのに・・・・。かれらの顔は日本国の国民の方を向いてはいない。明らかに太平洋を越えたはるか東の国の方を向いて,ご機嫌をうかがっているようにみえる。

 考えてみれば,もう,ずいぶん長い間,この一座の人たちは代々政権を担ってきて,東の方の米のなる木が生い茂る国の傀儡政権としての役割をはたしてきた実績をもっている。だから,そこに戻れば日本国は安泰だと信じて疑わないらしい。なぜなら,考える必要がないからだ。すべては,ご指示どおりに実行していれば,自分たちの身は保全される。その方が楽でいい。しかし,日本国民のことなど眼中にはない。沖縄をみれば一目瞭然だ。じかし,じつは,沖縄だけだと思っていたら大間違いだ。気がつけば,日本全体が,遠からず沖縄化するだけの話。それに気づいていても,気づいていないふりをする,もっとも質の悪い一座なのだ。

 このサル芝居を,側面から演出しているのがマス・メディアだ。かれらもまた保身に走り,どの一座に身を寄せているのが一番安泰なのかと必死で計算している。それは報道の姿勢をみていればよくわかる。NNKに似たテレビ局を筆頭に,みんな東の国の方を意識しているかのように,わたしには見える。新聞も同じ。売り売り新聞などはその典型だ。その他の新聞もあっちに転んだり,こっちに転んだり,たいへんだ。

 それは「第三局」をめぐる報道の仕方に如実に表れている。なにゆえに,第三局はハシモト君やイシハラ君の動きに集約されているかのような報道をするのか。いずれも,右側路線の,第三番目の政党にすぎないではないか。もっと,はっきり言っておこう。自民党は原発推進を明言しているし,民主党は脱原発をいいつつ,原発再稼働に踏み切っている。第三局も,どうみても原発推進派だ。ということは,みんな原発推進ではないか。

 なにゆえに,原発ゼロを主張している社民党や共産党などの動向を,メディアは無視するのか。現状では,原発ゼロをはっきりと主張している政党が,どことどこなのかを正確に答えられる国民はほとんどいないだろう。そのようにメディアが仕掛けているからだ。もっともひどいのは,小沢一郎潰しに,どこもかしこも一致団結している姿だ。国民の生活が第一が,原発ゼロを主張し,TPPに反対しているからなのだろうが,その事実すら報道しようとはしない。この暴力はどこからくるのか。それほどに小沢潰しに躍起になっている集団がどこかに存在するということは確かだ。小沢裁判はそのための仕掛けだったことも,いまにしてみれば明らかだ。検察が偽証までして起こした裁判だというのに,お咎めなし,というのもわたしには納得できない。いしめられると人は強くなる。小沢一郎がどういう戦略で,こんどの選挙を闘おうとしているのか,わたしは注目している。

 こんなに手の込んだ,執拗なまでの小沢潰しの元凶は,やはり,東の方の米のなる木が生い茂る国にあるらしい。しかし,これは,ほとんどわたしの確信に近い。そのための傍証も挙げろといわれれば,いくつも挙げることができる。そういうことを裏付け,実証している名著もたくさん出版されている。わたしは,そちらに「信」をおく。

 そういう名著の何冊かを読むと,日本の占領政策はいまもつづいている,と考えざるをえない。なにも考えない,新聞・テレビの報道を丸飲みにしてなんの疑いももたない,のみならず週刊誌の「・・・らしい」という記事までまるごと信じてしまう,そういう国民がいつのまにか圧倒的多数を占めるようになってしまっている。それもまた占領政策の一環だったのではないか,とわたしの頭の中は不信感でいっぱいだ。だとしたら,AIC?は恐るべし。

 こんどこそ,わたしたちが目覚めるときだ。これからはじまる「天下分け目の関ヶ原」という演目の政界サル芝居をとことん見極めて,みずからの命を託することのできる政党を探し出すこと。そのポイントはただ一つ。「原発ゼロ」か,「原発推進」かの二者択一だ。

 なにはともあれ,これから佳境に入っていくであろう政界サル芝居を見物しながら,問題の本質がどこにあるのか,しっかりと見極めることにしよう。そこでは,いいことも,悪いことも,なにもかもが,みんな丸見えになってくるはずだから。しかも,そこにメディアというバイアスまでかかってくるのだから。いったい,なにが本当で,なにが嘘なのかすらわからないような情況が生まれてくる。その虚実の皮膜の間(あわい)にこそ真実は宿るという。つまり,問われているのはわたしたちの眼力だ。

 さあ,これからはじまる政界サル芝居をとおして,われわれ自身の眼力を養うことにしよう。そして,しっかりと見極めることにしよう。その結果が,よくもわるくも,日本の将来を決するのだということを覚悟して。

2012年11月15日木曜日

「原発ゼロ」をめざす絶好のチャンス到来。われわれ国民の出番だ!

 とうとうドジョウ君が投げ出した。遅きに失した感もあるが,そんなことはどうでもいい。しっかりと前を見据えて,「原発ゼロ」(脱原発/反原発もみんなふくめて)を熱望する80%の国民の意志を,選挙行動で明らかにすること,そのための千載一遇のチャンス到来と受け止めたい。だから,わたしたちの責任は重い。

 これからの一ヶ月,なにが起こるかまったく予測ができない。政界再編があちこちで起こるに違いない。どうせ,みんな自分勝手な保身のための利害・打算で行動する安っぽい政治家たちばかりだ。そんなものに眼を奪われる必要はない。

 争点はただひとつ。「原発ゼロ」に向けての「やる気」のみ。

 復興はみんな言うに決まっている。そして,やって当たり前だ。なにがなんでもやらなくてはならない。これは争点にはならない。みんな共有/必須だから。

 問題は,「原発ゼロ」を玉虫色に見せかける政党がわんさとでてくることだ。この玉虫色に【ご注意】を。ことばの綾にごまかされないように。きちんと「原発ゼロ」に向けての政策(実現計画)がマニュフェストに書き込まれているかどうかを見極めること。

 そうして,これからの日本の行方を、わたしたち国民の側から指し示すこと。つまり,昨日(11月14日)までの日本(原発を止めるといいつつ,動かす,この支離滅裂)に決別し,新しい日本の姿/かたち(原発ゼロに向けての着実な行動計画)を模索していくこと。いうならば,天下分け目の「関ヶ原」の決戦である。ここでわれわれ国民が判断/選択の間違いを犯すとしたら,もはや,この国に未来はないだろう。まさに,原発列島沈没論が,現実になってしまう。

 だから,原発列島沈没論だけはなんとしても回避させなければならない。

 ほかにも論点は多々ある。しかし,原発ゼロの姿勢を毅然と示すことのできる政党であれば,おのずから,沖縄の基地問題もTPP問題も,間違いなく裁くことができる。消費税増税,憲法改正(じつは改悪),定数是正,などなど。すべて同根/同源だから。つまり,「人が生きる」という点を最優先させるかどうかということだから。もちろん,復興も同じだ。すべては,この「人が生きる」というところからの仕切り直しなのだ。それをこそ,こんどの総選挙の争点にしなくてはならない。そして,その指標が「原発ゼロ」だ。

 言いたいことは山ほどある。各論については,これから議論することにしよう。とりあえずは,昨日(14日)のドジョウ君の発言,そして,明日(16日)の衆議院解散に向けて,現段階でのわたしの「思い」をひとこと。

一つひとつの動作は技であることを意識して行いましょう(李自力老師語録・その23.)

 太極拳の一つひとつの動作は,すべて武術の技で構成されています。ですから,その技のイメージをしっかり頭に描いて,力強さや柔らかさがおのずから表出するように,表演することが大事です。ことばで言えばこれだけのことですが,これを完璧に実行するとなると,じつはとても難しいことなのです。その点は,みなさんもよくご存知だと思います。

 最近の国際大会などでは,国によってずいぶん個性のある太極拳が表演されるようになってきています。それは,太極拳の受け止め方,解釈の仕方などが国によって微妙に違うことを意味しています。それがそれぞれの国や地域の独特の文化によって個性化されていくのは,ある意味で仕方のないことだと思います。

 しかし,ときには,大いなる誤解による個性化が見受けられます。最近の国際大会で目立つのは,こちらの傾向です。つまり,太極拳を美しくみせようとするあまりに,太極拳の本来の動作ではなくなってしまう,という傾向です。もっと言ってしまえば,誤った解釈による表演が目立つようになってきている,ということです。

 簡単に言ってしまえば,太極拳が舞踊や体操になってしまっている,という悪弊です。とくに,舞踊化していく傾向が強いようです。なるほど,見た目にはその方が美しく見えることがあります。しかし,それは太極拳によく似た所作ではあるけれども,もはや,太極拳ではありません。そういう傾向が,最近の国際大会では目立つようになってきています。これは,どこかできちんと修正する必要があります。

 この傾向は,じつは,日本国内での大会でも見受けられます。トップ下で活躍している選手たちの間にも,ときおり見られます。美しくみせようといろいろ工夫を重ねていくうちに,技であることを忘れてしまって,ひたすら美しい動作を追求していくという次第です。採点競技ですので,美しくみせるための工夫は必要です。しかし,もともとの技のイメージが消えてしまったら,それはもはや太極拳ではありません。

 ここでのポイントはたったひとつ。それは,技の動作を磨き上げていって美しさに到達する,ということです。つまり,技としての力強さや柔らかさをとことん追求していった結果として,太極拳の究極の「美しさ」に到達するということです。ですから,なにがなんでも,ここまで稽古を積み重ねることが大事です。ついでに触れておきますと,このレベルに達すると,それはもはや単なる「表現」ではなくなり,からだの奥底から湧き出てくるようになります。つまり,おのずから「表出」するようになるからです。これが武術の技としての究極の美しさである,というわけです。

 ですから,初心者の稽古の段階から,きちんと技であることを学ぶ必要があります。そして,その技のイメージをしっかりと定着させておくことが肝要です。そこのところをおろそかにすると,日本の代表選手のレベルでも,とんでもない勘違いをしていることがあります。場合によっては,技であることすら意識していないことがあります。これは伝承の仕方,つまり,指導者の側に大きな責任があると思います。ただ,ひたすら,多くの太極拳の所作を覚えればいい,と考えている指導者も少なくありません。しかし,それは間違いです。

 以上,李自力老師がわたしに語ってくださったことを,わたしの理解の範囲で整理してまとめてみました。説明の過不足は,わたしの責任です。この点をお含みの上で,熟読玩味くださることを期待しています。

2012年11月14日水曜日

国民栄誉賞受賞対談・吉田沙保里vs高橋尚子。「からだの中で一番弱いのは頭」

 新聞休刊日明けのせいか,今日(13日)の朝刊は読みでがありました。気がつくと隅からすみまで読んでいました。それほどに面白い記事が多かったということ。しかも,記名入りの記事が多かったので,いずれも記事に気合が入っていました。やはり,記事は記者が一歩も引かない立場で書いたものには力があり,それが読者に伝わってきます。

 そんな中の一つ。「国民栄誉賞 受賞対談」が見開き2ページにわたって掲載されていました。とても贅沢なスペースを使っての記事でした。でも,わたしの好きなマラソンの高橋尚子さんとレスリングの吉田沙保里さんだったので,大満足。

 国民栄誉賞を受賞したから偉いとかそういうことではなくて,長い年月をかけて自分の信じた道を邁進し,ふつうではできないことをやり遂げた,その強い信念と実行力にわたしは大きな共感をいだき,共振・共鳴します。大きな目標を達成した人の顔は,じつに生き生きとしています。そして,じつに美しい。それは生命力にあふれた美しさです。トップ・アスリートに特有の,身もこころも充実している人の美しさです。そして,なによりも眼に力を感じます。いわゆる「眼力」(「がんりき」ではなくて「めぢから」)があります。ことばの正しい意味で「生きている」人の眼です。

 そんなお二人の対談のなかに,とても感動したことばがありました。
 司会者(この記事をまとめた運動部記者の高橋知子さん)が,つぎのように切り出したあとに発したお二人のことばです。

 ──アスリートにはメンタルが大切?
 吉田 そりゃ大切ですよ。こころが折れたら負けですから。
 高橋 私も走っていて思うのは,体の中で頭が一番弱い場所だということ。「あっ,駄目かもしれない」「きついな」「もうやめたいな」とか思うと,動いているはずの体もそこについていっちゃう。

 このあとに,それぞれの体験にもとづく興味深いお話がつづくのですが,ポイントはここにある,とわたしは受け止めました。とりわけ,高橋さんの発言,「体の中で頭が一番弱い場所だということ」は,けだし名言だと思いました。からだはまだ頑張れるのに,頭(こころ)が負けてしまうと,からだも動かなくなってしまう,というこの否定しがたい真実。

 「こころが折れたら負けですから」「駄目かもしれないと思うと体も動かなくなる」・・・・レスリングとマラソンとでは表現の仕方が違うだけで,じつは同じことを言っています。おそらく,このお二人は,読者のわたしが理解するよりもはるかに深いところで共振・共鳴し合っているに違いありません。一瞬にしてすべてを理解し合えるような,凡人には近寄れないような深い絆で結ばれているのでしょう。羨ましいような世界を,このお二人は切り開き,とても見晴らしのいい岡の上に立って,それぞれのスポーツの頂点からしか見ることのできない素晴らしい景色を堪能しているに違いありません。しかも,それをことばではなくて,もっともっと深い,ことばでは表現できない「からだ」のレベルで,分かり合っているのでしょう。

 スポーツの世界は,たんなる勝ち負けの世界ではなくて,からだをとおして分かり合える不思議な世界の広がりをもっています。それは,いかなることばをもってしても表現できない世界です。しかし,一度でも経験したことのある人同士には,黙っていても分かり合える世界です。

 『オリンポスの果実』を書いた田中英光は,主人公のボート選手(オリンピック代表選手・著者の田中英光もそうだった)につぎのように語らせています。恋人である陸上競技の女子選手(こちらもオリンピック選手)から「ボートを漕ぐ苦しさはたいへんなんでしょうね」と聞かれ,「ボートを漕いだことのない人にいくら説明してもわかりません。ボートを漕いだことのある人には,なにも説明しなくてもわかることです」と。

 この小説を最初に読んだときには,この部分で大いに感動したものです。ですが,必要があって,何回も読み返していくたびに,この部分が気になってきました。これは作家の田中英光のエゴではないか,と。ボートのオリンピック代表選手から太宰治に師事して小説家となった希有なる経歴の持ち主ですが,この部分の描写の仕方は,どこか違うのではないかと感じはじめていました。

 その疑問が,このお二人の対談をとおして,わたしの中ですっきりと氷解していくものがありました。それは,世界のトップに躍り出た経験をもつアスリート同士と,オリンピック代表選手どまりのアスリート同士の違いです。つまり,自分より上がない世界を経験した人間にしか見えない世界があるということ。そして,そうではないアスリートには,それなりの世界があるということ。つまり,それぞれが次元の違う世界をもっているということです。

 もうひとことだけ。高橋尚子さんが「からだの中で一番弱い場所は頭だ」とさらりと言ってのけるところが凄いと思います。これまでのアスリートでこんなことを言った人を寡聞にして知りません。なにが「凄い」かといえば,手短に言ってしまえば,理性中心主義的な考え方(近代合理主義)に対する根底的な否定を提示しているからです。つまり,現代社会を動かしている「頭でっかち」の人たちよりも,トップアスリートたちの方が,「人が生きるということはどういうことなのか」ということを,はるかに深ところで,つまり,からだをとおして理解しているということです。のみならず,この考え方は,心身論(西洋の哲学)ではなくて,身心論(禅仏教)の立場に近いということでもあります。この話はとても面白いテーマなのですが,とりあえず,ここでは頭出しだけにしておきたいと思います。



2012年11月13日火曜日

城南総合研究所調査報告書 No.1.をもらってきました。

 今朝(12日),城南信用金庫に立ち寄って「城南総合研究所調査報告書 No.1.」をもらってきました。いつも鷺沼の事務所に行くときに通る道筋にありますので,ちょっと立ち寄っただけです。もちろん,とても親切に対応してくれて,「今朝の便でとどいたばかりです」とすぐに渡してくれました。「いつも,応援してますよ」と声をかけたら,にっこり笑顔で「ありがとうございます」と元気のいい声がかえってきました。たったこれだけの会話でしたが,気持が明るくなり,とても元気がでるものです。

 気分爽快でしたので,事務所に到着してすぐに読みました。A4サイズで4ページ。まあ,リーフレットのようなものですが,大事なことが,わかりやすい文章で書いてありました。問題のポイントを,だれが読んでもすぐにわかるように,上手に説明しています。いっそのこと,全文を転載したいところですが,それはやめておきましょう。これまで,わたしがこのブログで書いてきたことと,ほとんど同じ論旨になっていますので,書かなくてもわかっていただけると思うからです。

 その代わりにといってはなんですが,城南総合研究所名誉所長・加藤寛(慶応義塾大学名誉教授)の挨拶文が掲載されていて,それがとても簡潔で,秀逸だと思いますので,こちらを全文,転載させていただきます。それは以下のとおりです。

 ただちに原発をゼロに!
 国民の手に安全な電気を取り戻し,日本経済の活性化を実現しましょう!!

 原発はあまりに危険であり,コストが高い。ただちにゼロにすべきです。原発がなくても日本経済は問題ないことは今年の原発ゼロですでに実証されています。火力発電だけで電力は十分に供給可能です。
 燃料費がかかると言いますが日本の経常収支は黒字です。仮に赤字になっても,為替レートで収支は調整されるので全く問題ないのです。それに為替レートが円安になれば国内企業にとっては輸出競争力が高まり,かえって経済の活性化につながるのです。
 松永安左エ門のつくった9電力体制は,地域分割で独占の弊害を是正しようとしたものですが,今では,政府と癒着し,利用者,国民を無視し,さらに原子力ムラという巨大な利権団体をつくってマスコミ,そして国家をあやつるなど,独占の弊害が明らかになっています。これを公共選択論という経済学では,レントシーキング(たかり行為)といいます。かつての国鉄は,独占を排除し分割民営化により,利用者や国民を向いた経営に転換しました。
 太陽光や風力,地熱,バイオマスなどの発電技術,LED,エコキュート,スマートグリッドなどの節電技術,さらには蓄電池などの技術などにより,電力の技術革新も急速に進み,地産地消や水素を用いた新たな配送方法が発達することが予想されます。こうした技術革新の中で,そもそも,原発に依存したこれまでの巨大電力会社体制も,近い将来は,時代遅れになり,恐竜のように消滅するでしょう。
 このまま「古い電力である」原発を再稼働しても,決して日本経済は活性化しません。むしろ脱原発に舵を切れば経済の拡大要因になります。中小企業などものづくり企業の活躍の機会が増えます。新しい時代の展望が開ければ新しい経済が生まれます。脱原発は新産業の幕開けをもたらし景気や雇用の拡大になります。経団連が雇用減少といいますが,むしろ脱原発は雇用拡大につながるのです。
 その意味でも,ただちに原発をゼロにすべきです。そしてかつての国鉄改革のように,電力の独占体制にメスを入れて,発送配電分離はもちろん,官庁の許認可に頼らない,真の自由化を実現し,国民の手に安全な電気を取り戻し,日本経済の活性化を実現しましょう。

 以上が名誉所長・加藤寛氏の挨拶文です。もはや,なんのコメントも必要としないみごとな論旨の展開です。こういうコンセプトのもとで,城南総合研究所が,これから個別のテーマに沿って,調査研究に取組み,報告書をまとめていくというのですから,とても楽しみです。大いに期待したいと思います。

 なお,この調査報告書の内容は,城南信用金庫のHPを開いていけば,読むことができると思いますので,ご確認ください。

 いつもの繰り言になりますが,政府の世論調査でも「原発ゼロ」が80%を越えているというのに,政府も官僚も財界も学界もメディアも,足並み揃えて「無視」しようとしています。これが日本の民主主義の実態です。エリート集団であるはずの,この人たちの「理性」はいまや完全に「狂気」と化しているとしかいいようがありません。しかも,この狂った人たちの考えが野放しにされたまま,しかも主流を形成しつつある,まさにいま,「選挙」が行われようとしています。いまこそ,わたしたちが目覚めなくてはなりません。そして,なにがなんでも,狂ってしまった人たちの「理性」を糾すための選挙にしなくてはなりません。関が原の戦いは,すでに火蓋を切って落とされました。これから問われるのは,わたしたち一人ひとりの曇りなき「魂の欲求」の要請にこたえる「理性」です。

 それも簡単なことです。命を守ることを最優先にする考え方に立つこと。つまり,生きることの基本を取り戻すこと。ここからのやり直ししかありません。

 この「生きる」人間にとって「スポーツとはなにか」,これを考えることがわたしのスタンスです。ようやく,その道すじも朧げながら見えてきました。これらはすべて一つの「根」に立ち返っていくように思います。原発の問題はそのことを,わたしたちに強く訴えているように思います。



2012年11月12日月曜日

「11.11反原発1000000人大占拠」(国会議事堂周辺)に参加してきました。

 朝から曇り空。雲の動きはゆっくりだ。どうかこのまま雨にならないよう,午後7時まで耐えていてほしい,と祈りながら天を仰ぐ。首都圏反原発連合が主催するデモが,日比谷公園の使用を東京都が許可しないために(東京地裁・申立却下,東京高裁・抗告棄却・・・これはひどい話),中止となり,急遽,国会周辺並びに周辺省庁での抗議・占拠(15:00~19:00)と国会正門前大集会(17:00~19:00)に変更となった。

 政府が発表したパブリック・オピニオンですら8割の日本国民が原発に反対しているというのに,原発廃炉への道が一向に見えてこない。それどころか,大飯原発は再稼働させるし,その下に活断層がある可能性が高いにもかかわらず,規制委員会は結論を先送りにしてしまい,政府は停止もさせない。おまけに「もんじゅ」を動かすことまで視野に入れているという。使用済み核燃料を最終処理する技術を確立することは不可能だといわれているのに,またまた,原発を建造する工事を再開させている。政府がやっていること,考えていることは支離滅裂だ。このデタラメをだれも止めようとしない。

 となったら,われわれ国民の手で止めるしか方法はないではないか。その方法もたった一つ。原発推進派の議員を,つぎの選挙で落選させ,一掃すること。そして,なにがなんでも反原発(脱原発もふくめて)を公約する議員を増やすこと。なんとか頑張って,ぎりぎり過半数を確保すること。その意味では,つぎの選挙は日本の将来の命運を賭ける,いな,日本が生まれ変わるための絶好のチャンスなのだ。

 ずっと,このように考えてきたので,とにかく馳せ参じよう,そして,あの場に立って,さらにいろいろと考えてみよう・・・・と。15:00少し前に永田町駅で下車して歩きはじめる。右手に国会議事堂を,そして左手に国会図書館をみながら,国会議事堂の正面に向かう。すでに,国会議事堂側の歩道は封鎖されていて歩くことすらできない。道路を挟んだ反対側の歩道を歩く。もちろん,機動隊員がものものしく警備にあたっている。デモでもない,単なる非暴力直接行動であり,みんなそれぞれに集まってきて,それぞれにシュプレヒコールをして(なかには,黙って考え込んでいるだけの人もいる),帰っていくだけの人びとなのに。しかも,老人が圧倒的に多いというのに。

 まだ,時間が早いので,人もまばらなのだろうと思っていたら,議事堂正面の手前150メートルほどのところから人でいっぱい。指定された歩道は,前に進むこともできない。立ち止まったまま,動けない。このままでは,17:00からの国会正門前大集会に参加できない。仕方がないので,機動隊および主催者側スタッフ,報道関係者が歩く狭いスペースを歩く。なんとか正門前に達したが立ち止まることはできないので,横断歩道を渡って,文部科学省前に向かう。ここでも,すでに,超満員。シュプレヒコールや踊りのデモンストレーションやらが行われている。そこをかいくぐって,こんどは財務省・経済産業省にもある抗議エリアに向かう。ここでも大きな道路を挟んで,両側でそれぞれの抗議行動が展開されている。それから,さらに進んで外務省前抗議エリアへ。ここでもすでに歩道は抗議参加者であふれ返っている。それぞれのところで,一緒にシュプレヒコールをしてから,最初に通過してきた国会前抗議エリアに向かう。時計をみたら,16:40。しかし,すでに,はるか手前から人でいっぱい。前に進むこともできない。


 

そこで一計を案じて,国会前公園に入り込み,公園の内側から抗議エリアに接近。これはまんまと成功。人もまばらで,フェンスに掴まりながら背伸びをすればステージをみることもできる。一番,よさそうな場所を確保して,そこに陣取る(と言っても,立っているだけだが)。このころから少しずつ雨が激しくなってくる。おまけに寒い。かなり厚着をしてきたつもりなのに,あっという間に冷え込んでくる。もう,ここに到着したときから,つぎつぎに人が立って,演説をぶっている。鹿児島,福岡,愛媛,滋賀,富山,福島,北海道,といった遠方から馳せ参じたという人たちが,入れ代わり立ち代わり壇に立って一席ずつぶっている。女性が多いのに驚く。しかも,女性の方が演説がうまい。男は理屈が多くて駄目。こんなときに,そんなものは不要。たったひとことでいい。許せないのだ,ということを,自分の立場,自分のことばではっきりと宣言すれば,それで十分。みんな同じなのだから。

 わたしの知っている人も登壇した。福島瑞穂,志位和夫,亀井静香,新党きずな,国民の生活が一番,民主党(離党覚悟でやってきたのなら褒めてもやろう),などなど・・・・政治家なのにみんな演説が下手。湯川れい子,落合恵子,といった人たちの方がはるかに上手。余分なことは言わない。わたしは許せないのだ,なにが許せないか,それをかんたんなことばで語る。それでいい。つぎつぎに,絶え間なく人が登場するのだから,気持が伝わればそれでいいのだ。

 18:00を過ぎたころから急激に冷え込んでくる。脚もとから冷えてくる。ふくらはぎから太股へと,どんどん冷えてくる。あっという間に腰を越えて,背中にまわる。そのうち,鼻水が流れはじめた。これはいけない。早めに引き揚げなくては・・・・。と,思っていたら,宇都宮健児さんが呼び上げられた。

 この人の演説を聞いて帰ることにしよう,と耳を傾ける。東京都知事選挙に立候補したばかりだから,まだ,演説を聞いたことがない。都知事選に立候補するであろう人もふくめて,唯一,まともな人が立ってくれたと,個人的には思っていた。だから,こんなところで演説が聞けるというのは嬉しかった。弁護士らしく,落ち着いた語り口で,東京から脱原発を発信したい,それを日本全国に広げていきたい,そして,日本から世界に向けて脱原発を呼びかけたい,と訴えていた。とてもすっきりした話ぶりは好感がもてた。欲をいえば,もう少し,強烈なパンチがあれば・・・・。

 宇都宮さんの演説を聞いて,公園から抜け出し帰路につく。18:15。寒さに耐えながらの修行にも等しい最後の1時間余。でもまあ,いろいろの人の話を聞きながら,考えることはあった。印象に残ったのは,こういう集会をやっても少しも事態はよくならないではないかという人もいるが,リミッターとしての役割ははたしているのだ,これ以上に政府を暴走させない歯止めとしてのリミッターでありつづけることが重要なのだ,そのうちにカウンター・ブローとなって効いてくる,だから,しつこく継続していくことが重要だ,というだれかの演説だ。

 よし,金曜日にはまたここにきて立とう。あるいは,首相官邸前に。ひとりでも多くの人を誘って。このあたりをうろつくだけでもいい。国会議事堂散策周回コースでも設けて。群れをなして。鉢巻きでも締めて。あるいは,ちんどん屋の衣装でも着て。


2012年11月11日日曜日

「原発廃炉 経済的にも正しい」・城南信金シンクタンクにエールを。

  11月9日付けの『東京新聞』朝刊一面に,「原発廃炉 経済的にも正しい」という見出し記事が報じられています。情報の出どこは城南信用金庫のシンクタンク「城南総合研究所」(9日付けで本店企画部内に設立)。

 城南信用金庫といえば,「3・11」後に,いちはやく「脱原発」宣言をした金融機関として一躍有名になりました。正確にいえば,吉原毅理事長の強力なリーダーシップのもと,昨年4月に,「原発に頼らない安心できる社会」を目指す,という基本方針を発表しました。金融機関が「脱原発」を経営のコンセプトに据えて,全面展開をしているのは,おそらく城南信用金庫のほかにはないでしょう。寡聞にして,聞いたことがありません。

 この心意気に感動して,わたしもささやかながら口座を開設して,支援することにしたことはこのブログにも書いたとおりです。

 ですので,今回のシンクタンク「城南総合研究所」の立ち上げは,わたしにとっては大きな朗報でした。しかも,その第一報が「原発廃炉 経済的にも正しい」というリポートだったことも,大いに力づけられるものでした。といいますのも,原発推進派の動きが,最近になってふたたび活性化を始め,なし崩し的に原発再稼働に向って一直線・・・・ついには「もんじゅ」までもが息を吹き返しそうな勢い・・・になってきていたからです。

 民主党は自滅の道をまっしぐら,それを見届けながら,自民党はすでに次期政権に向けて手ぐすねを引いています。第三極も行き先不明・・・。もし,あるとすれば選挙の仕掛け人小沢一郎がどのようなわかりやすい選挙スローガンをかかげるか,だけでしょう。小沢一郎が,思い切って「原発の即時廃止」「再生エネルギーの推進」「日米地位協定の見直し」「尖閣問題の仕切り直し」「TPP拒否」等々の,日本の将来を決する懸案について決然と覚悟を決めるかどうか,ここだけを現段階では注目しています。でも,選挙の小沢は最後まで「だんまり」を決め込んでおいて,最後の最後で「切り札」を使うのだろうなぁ,と勝手な想像をしています。

 こんどの選挙は,なにがなんでも「原発」をどうするのかということについての決着をつけなくてはなりません。そのためには,国民の意志がきちんと反映される受け皿が必要です。その受け皿となるべき政党がいまのところ見当たりません。今日の『東京新聞』の世論調査結果がそれをみごとに映し出しています。つまり,投票したい政党がない,が圧倒的多数です。ここが大問題です。ここを小沢一郎が見逃すはずはない,とこれはもう妄想に近いものがわたしのなかに蠢いています。困ったものではありますが・・・・。ほかに,なにも打つ手がないのですから・・・。

 こういう情況のなかで,城南信用金庫のシンクタンク「城南総合研究所」の設立は,わたしにとってはタイミングのいい朗報だったというわけです。もちろん,ほとんどのメディアが無視するでしょうが,地域経済や中小企業にはそれなりの大きな役割をはたしていることを考えると,このシンクタンクのこれからのリポートには注目したいと思います。

 これまでに公表されてきた原発のコストは,国が支払う交付金も,使用済み核燃料の処理や保管に掛かる費用も含まれていません。これらを原発コストの計算のなかに加えるべきでしょう。そうすれば,原発コストが恐ろしい金額になることはだれの眼にも明らかです。そういうデータを,城南信用金庫のシンクタンクが,これからつぎつぎに提示してくれることを期待したいと思います。

 恐るべき原子力ムラの勢力に対抗して,ひとり孤軍奮戦する城南信用金庫を,これからもささやかながら応援していきたいと考えています。

2012年11月10日土曜日

日中国交正常化40周年特別展「中国王朝の至宝」2012~13年,をみる。素晴らしい。

 日中国交正常化40周年特別展「中国王朝の至宝」2012~13年,が上野の国立博物館・平成館で開催されています。入場料は1500円。図録・2300円。その内容,出来ばえから考えると,両方ともに安い。ついでに,本館で開催されていた「出雲──聖地の至宝」展もみてきました。いずれも,太極拳仲間の柏木裕美さん(能面アーティスト)に薦められて,出かけました(柏木さんのブログ参照のこと)。やや肌寒ささえおぼえる秋の半日を,ひとりでのんびりと,ほんとうに久しぶりに上野の森を楽しんできました。


 展覧会そのものはとても充実していて,大満足。
 展示内容は第一章から第六章まで,古い時代から順に六つのパートに分かれていました。
 第一章は王朝の曙 「蜀」と「夏・殷」,第二章は群雄の輝き 「楚」と「斉・魯」,第三章は初めての統一王朝 「秦」と「漢」,第四章は南北の拮抗 「北朝」と「南朝」,第五章は世界帝国の出現 「唐」──長安と洛陽,第六章は近世の胎動 「遼」と「宋」,という具合です。

 紀元前2,000年から紀元後1,200年までの,およそ3,200年にわたる王朝の「至宝」をずらりと展示してあるわけですから,それはそれはみごとなものとしかいいようがありません。古い時代のものはほとんどは王墓のなかに埋め込まれた埋蔵品です。これをスポーツ文化論的なアングルから眺めていくとなにがみえてくるのか,これがいつものわたしのスタンスです。そして,これはもはや定番ですが,墳墓には「力士」がつきものだ,ということです。

 写真を何点か紹介しておきましょう。
 最初のものは「力士」です。もともとは「石床板」と呼ばれる座具兼寝具の両サイドの脚の部分に描かれたものです。ですから,この力士は左右に2体,対になっています。北魏・5世紀のものだそうです。1997年出土。もちろん,王侯貴族の夫婦が,食事をしたり,眠ったりするための家具だったということです。そこに,なぜ,力士が描かれているのか,これはこんごの課題です。


 もう一つは「天王俑」。天王は仏教の守護神です。これが日本に入ってくると力士に変化します。つまり,大きな寺の山門の両側に立つ金剛力士像がそれです。この3体ある天王のうち,中央の天王は邪鬼を踏みつけていて,この形式は日本の金剛力士と同じです。が,両サイドの天王は動物の上に立っています。なにゆえに動物の上に立つのか,についての説明は図録にもありません。考えてみたいと思います。唐・8世紀。1998年出土。


 最後のものは,「力士〇棺」(〇は託の字の「ごんぺん」が「てへん」のもの・読みは「たく」)。小型の石棺(縦55.5,横43.0,高26.5)で,火葬後の骨を収納したものらしいとのこと。力士の大きさは高37.5,幅16.5。かなり小ぶりなものであることがわかります。「棺をかつぐ力士」というのが象徴的です。日本の力士埴輪のなかにも,葬送儀礼の行列の先頭に立つ力士というものが知られています。埴輪の提案者とされるノミノスクネ(野見宿禰)は葬送儀礼の伝承者であると同時に立派な「力士」であったことはよく知られているとおりです。


 まあ,こんなことを考えながら,その他の展示物も存分に楽しんできました。

 が,驚くこともありました。たとえば,中国の古代王朝は転々と時代とともに移動しています。その王朝のあったところはいまも都市としてよく知られています。西安,洛陽,咸陽,成都,武漢,南京,杭州,などは文字をみれば,かならずなにかを思い出させるよく知られた地名です。これらの都市のいまの様子が,各展示場のビデオ画像をとおしてみることができます。どの都市も,あっと驚く現代都市ばかりです。高層ビルが立ち並び,東京と同じ都会の風景になっています。

 昨年,李老師の案内で,西谷さん,柏木さんと一緒に,昆明から少数民族の多く住む雲南省の山岳地域を中心に旅をしました。そのときも驚いたのですが,どこもかしこも立派な都会であり,古い町並みも大事に保存されつつ,むかしからの文化遺産ともいうべき公園や庭園もとてもきれいに保存されています。わたしたちが,日本のテレビをとおしてみている中国のイメージとは,まったく別次元のようで,驚きました。が,今回の展示でも,かつての王朝のあった古い都市が,いまでは,東京とどこも変わらない大都会に変貌している,その現実に唖然としてしまいました。中国はもはや立派な文明先進国です。わたしたちが,無意識のうちにいだいている中国のイメージはかなり偏っていると知るべし,と反省した次第です。

 それにしても,「日中国交正常化40周年」特別展ということばが,なんと痛々しいことか。本来なら国を挙げて祝賀行事が行われるはずであっただろうし,この特別展もおおいに賑わうはずだっただろうに・・・・。中国からも来賓や観光客も押し寄せてきて,お互いの友好親善で大いに盛り上がっただろうに・・・・。

 そうはいきませんでした。なんともはや,あの「暴走老人」の早とちりの行動さえなかったら・・・・と悔やまれてなりません。世界で一番近い,しかも文化的にももっとも密接な交流のあった韓国,中国と仲良しになれない日本という国の情けない姿が浮かび上がってきます。同時に,いまもなお敗戦国の「占領」状態から,つまり,アメリカ支配から脱し切れていない,みじめな日本の姿が二重写しになってみえてきます。まあ,この話を書きはじめるとエンドレスになってしまいますので,今日のところはぐっと禁欲しておくことにします。

 こんなことも含めて,一度,足を運ぶに値する展覧会だと思います。なぜか,客足もすこぶる少ない,という印象でした。本来なら長蛇の列ができたはずなのに・・・・。

 わたしたちは無意識のうちに埋め込まれてしまっている中国に対する「偏見」(いろいろの意味で)を,一刻も早く清算しないと,将来に大きな禍根を残すことになる,と知るべきです。ご近所に友達のいない日本人であってはなりません。まずは,お隣さんから・・・・。それが生活の基本です。生きるということの基本です。

2012年11月9日金曜日

足を蹴り出すときの軸脚をしっかりさせましょう(李自力老師語録・その22.)

 套路の稽古に入る前に,準備運動に加えて,いつも基本の運動をしっかりやることになっています。その基本の運動の主たる目的は股関節を柔らかくすることにあります。その基本の運動のなかに「片膝を高く引き上げて足先/踵で相手を蹴る」という運動があります。この運動の主眼は,相手を蹴るという意識よりも,軸足と上体とをしっかり引き締めて立つことにある,と李老師はくり返し指摘されます。蹴り足を高くする必要はありません,とも。蹴り足の高さは低くてもかまいません。それより大事なことは,上体が後ろに反ってしまったり,腰が落ちてしまうという欠陥を防ぐことだ,と強調されます。その上で見本を示してくださいます。なるほど,と納得。でも,すぐにできるかと言えばそうはいきません。そして,ここでも,李老師の姿は美しいのです。一部のスキもない,完璧なフォームに圧倒されてしまいます。

 運動そのものはじつに簡単です。両手を腰にあてがって,一歩前に踏み出し,もう一方の脚を膝を折り曲げたまま高く引き上げ,それから膝を伸ばして,爪先/踵で蹴る,これだけの動作です。特別,むつかしい運動ではありません。しかし,李老師の教えのとおりにやろうとすると,なかなか思うようにはいきません。

 まず指摘されるのは,脚を高く蹴り出そうという意識が強すぎて,上体がうしろに反ってしまう欠点です。李老師のお手本は,膝がびっくりするほど高く引き上げられてから,やおら膝を伸ばして爪先/踵が伸びていきます。そして,少なくとも,爪先/踵は水平に伸びていきます。場合によっては,それより高いところに爪先/踵が伸びていきます。そのイメージが強く焼きついてしまっていますので,つい,自分もあのようにと思って無理をしてしまいます。その結果,上体がうしろに反ってしまいます。あるいは,軸脚が曲がって腰が落ちこんだ状態で,蹴る動作に入ってしまいます。ですから,腰が抜けたような蹴りになってしまいます。

 これでは,もし,相手がいて蹴ったとしてもほとんど効果はないでしょう。つまり,爪先/踵に蹴る威力が伝わってはいきません。ということは武術でもなんでもない,蹴りのまねごと,ごっこ遊びでしかありません。

 軸脚の上にまっすぐに上体を固定させるとき,腹筋を締めると同時に股関節まわりの筋肉もギュッと締めつけると,うまくできると李老師は仰います。その上,力強さも表出して,いかにも武術らしくなってきます,と。そのとおりなのでしょう。ことばで説明すれば・・・。そして,李老師はそのとおりにやってみせてくださるわけですから。でも,それを実際にからだで実施するとなると,これはたいへんなことです。

 上体をまっすぐに保ったまま脚を水平に蹴り出すには,相当の腹筋力を必要とします。そして,わたしの感覚では,それだけではなく,股関節まわりの細かな内層筋を締め上げることが重要であるように思います。このあたりの筋肉が使えるようになれば,微動だにしない毅然たる姿勢が保てるのではないか,と思います。これは,わたしの推測です。しかも,相当の上級者のレベルでないと不可能かもしれません。

 太極拳をする身体をわがものとするには,まだまだ,道は遠く険しいようです。でも,そこを通過しないことには,こんな簡単な運動すらできない,という次第です。ましてや,李老師のような「美しさ」が滲み出てくるようになるには・・・と思うと気が遠くなりそうです。でも,目標ははっきりもっていた方がいいと思います。できる,できない,はまた別の問題です。その目標に向って努力することに意義がある,と自分に言い聞かせつつ。

 努力はかならず報われます。わたしのような年齢に達していても,努力すれば,着実にからだが変化していくのがわかります。と同時にこころも安定してきます。さらには,李老師から受ける注意の内容も,いつしかレベル・アップしてきています。それが嬉しくて,嬉しくて・・・・。なぜなら,李老師は滅多に褒めてはくれません。よりレベルの高い,より厳しい注意/指摘が,じつは最高の「ほめ言葉」になっているからです。

2012年11月8日木曜日

準備運動は大事です。しっかりやりましょう(李自力老師語録・その21.)

 李自力老師,「無言の教え」の巻。

 久しぶりに李自力老師が,わたしたちの稽古に顔をみせてくださいました。いつもは稽古の途中から現れて,じっと稽古のなりゆきを見つめながら,側面から個々人にこまかな注意や要領やこつについて教えてくださいますが,今日は,最初の準備運動から前に立って,号令をかけてくださいました。といいますのも,他のだれよりも早く稽古場にきてくださり,わたしと一緒におしゃべりをしながらアップをはじめていたからです。ですので,全員が揃ったところでわたしの方から,そのようにお願いをしたわけなのですが・・・・。

 じつは,このところわたしたちのメンバーの集合時間がばらばらになってしまっていましたので,到着した人からそれぞれ個々人で準備運動をしてもらうことにしていました。つまり,準備運動は個人の責任において・・・という次第です。ですから,早く到着した人はたっぷりと準備運動をやることができます。場合によっては,稽古の前の一汗をかき(夏の間はとくに),準備万端ととのったところで,套路の稽古に入ります。

 しかし,今日は李老師が前に立ってくださいましたので,みんないつもよりもピリッと気持ちを引き締めて稽古に入りました。李老師の指導してくださる準備運動にはいくつものパターンがありますが,今日のはどちらかといえば中程度のものだったように思います。しかし,このところ各自でやってましたから,当然のことながら甘えがでていました。ですから,今日の李老師の指導のもとでの準備運動はかなりきついものに感じました。

 思いかえすのは,初めて太極拳の稽古をはじめたころのことです。まだ,からだがカチカチのころでしたから,それを解きほぐすためにかなり念入りに準備運動をして,汗を流していました。とくに,ストレッチや柔軟運動は,その厳しさに悲鳴を挙げたほどです。でも,李老師は手をゆるめることなく,淡々と,はい,つぎはこれ,つぎはこれ・・・・という具合に運動を指示していきます。その種類,量の多さに,途中でなんども,もう耐えられないと思ったものでした。なにゆえに,こんなにも準備運動に時間をかけなくてはいけないものなのか,と疑問に思ったこともありました。しかし,一年経ち,二年が経ちしていくうちに,自分たちのからだが知らず知らずのうちに大きく変化していることに気づきました。

 Nさんも,Kさんも,どんどんからだが柔らかくなっていきます。わたしは一時,焦りました。Nさんなどは太ももが見違えるほど太くなっていました。あるとき,いままで履けたGパンが履けなくなってしまいました,という。わたしはますます焦りました。わたしのからだはなにも変化らしいものは確認できず,以前のままです。最初の稽古をはじめたころよりはいくらか柔らかくなったとはいえ,ほとんど変わってはいないのです。わたしの記憶では,四年くらい経過したころでしょうか,わたしのこころの方に大きな転機がやってきました。なぜか,しっかり稽古をしなくては・・・と。そのためには,太極拳のできる「からだ」をわがものとしなくては・・・・。という次第で,このころから自宅でひとりで予習・復習をするようになりました。すると,みるみる「からだ」が変化しはじめました。とりわけ,脚力がついてきて,ふらつきが少なくなり,安定がよくなってきたように思いました。

 そうか,ということでこころから納得しましたので,それからしばらくはかなり熱心にひとりでストレッチや基本の運動もやり,稽古もしました。ところが,最近は少し気が緩んでいました。馴れ合いになっていました。仲間同士で注意をし合うこともほとんどしません。これは駄目です。いいはいい,駄目は駄目,とはっきり指摘し合う信頼関係が大事です。

 今日の李老師が指導してくださった準備運動は,それほどきついものではありませんでした。が,横着をして鈍ってしまったからだには,ことのほかきついものに感じられました。これはいけない,と反省。まるで,李老師は,ふだんのわたしたちの準備運動が緩んでいることを見抜いたかのように,少しだけ頑張りましょうね,と無言で教えを垂れてくださったのだと受け止めています。

 とくに,膝まわり,股関節まわりの準備運動は念入りに,と。

 李老師,「無言の教え」の巻でした。

2012年11月7日水曜日

バスク文学・キルメン・ウリベ著『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(金子奈美訳,白水社刊)を読む。

 訳者の金子奈美さんから,本邦初のバスク語からの訳本『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(白水社刊)をいただいたのに,なかなか読む時間がもてずに置いてあった。が,6日(火)午後6時から,作者のキルメン・ウリベを招いて,かれを囲む会が東京外国語大学で開催されるということがわかっていたので,それに間に合わせるために,大急ぎで読んででかけた。

 正直に告白しておけば,じつは,こんなにいい本だとは思っていなかったので,心底驚いた。だから,会場に向かう途中もずっとこの本のことを考えていた。というのも,これまで読んできた外国文学とはいささか構えが違うからだ。構えが違うという言い方をしたのは,わたしが馴染んできたいわゆる外国文学の範疇のなかには収まり切らない,不思議な仕掛け/視点が感じられるからだ。たぶん,それはウリベの母語であるバスク語で書くということと深く結びついているに違いない。そして,ウリベもそのことを強く意識して,バスク語だからこそ可能な小説の新たな地平を切り開くべく,果敢に挑戦しているからなのだろう。

 その不思議な作者の構えによるのだろう,とにかく最初から最後まで一気に読ませてくれる。訳文もよくこなれていて,読者を魅了してくれる。

 わたしの勝手な解釈を許していただけるとすれば,以下のようになろうか。
 バスクに固有な世界を,それをありのままに,できるだけ自然体で描くには,しかもバスク世界の深層にまで手がとどくように表現するには,バスク語しかないだろう,ということだ。つまり,作者のこころの奥底から湧き上がってくるような心象風景は,描写不可能なのに違いない。バスク人としての心情を吐露するには,スペイン語では限界があるということだ。別の言い方をすれば,同じことをスペイン語で書くと,おそらくそれは別のスタイルの作品になる,とわたしは考える。繰り返しになるが,バスクに固有の世界を描くにはバスク語しかないだろう,ということだ。他人行儀になることなく,ナチュラルで,しかもバスクに固有のバナキュラーな世界にまで根を降ろしていくとなると,それはもうバスク語でしか不可能だろう。

 バスクの伝統スポーツのことを考えつづけてきたわたしが,ウリベの作品に惹きつけられていくのは,以上のような理由からなのだろう。バスクに固有の,あの伝統スポーツは,おそらくわたしのような日本人が感動するのとはまったく次元の違うところで,バスク人のハートの奥深くを刺激してやまないのだろうと思う。たとえば,ペロタ場の一角に座を占めてペロタを見物しているわたしと,わたし以外のバスク人とは,同じペロタをみていながら,そこから感じ取るもの,受け取るものは,まったく次元が違うだろうということだ。

 わたしのペロタをみる眼はどこまでいっても日本人としてのまなざしでしかない。つまり,一旦はスポーツの普遍というスクリーンをとおして,その向こうに透けてみえてくるバスクの伝統スポーツとしてわたしの頭の中で概念化したもの,それがわたしに見えている「ペロタ」なのだ。だから,わたしの中でいろいろに物語化され,あるいは,わたしの勝手な想像力にゆだねられ,さまざまな記憶や回想とがないまぜになって,わたしなりのイメージを構築している。わたしにとってのペロタとはそういうものだ。

 だから,バスク人がバスク語で書かれた小説を読むということは,おそらく,バスク人がペロタをみるのと基本的には同じなのだろうと思う。わたしが日本人として私小説を読むという営みと,大相撲を鑑賞するという行為とが基本的なところで重なっているように。

 今福さんの言い方を借りれば,インスクリプションとディスクリプションの違いということになるだろうし,あるいはまた,批評(クリティック)と評論(コメント)の違いということにもなるのだろう。

 この小説のストーリーはまことに単純である。ビルバオからニューヨークに到着するまでの間に,主人公の脳裏に浮かんでくる記憶や回想を,現実のフライトと重ね合わせて描いているだけだ。しかし,その仕掛けはじつに巧妙で,ぐいぐいとウリベ・ワールドに分け入っていくことになる。主人公の回想は祖父から三代にわたるファミリー・ヒストリーを縦糸に,それぞれ祖父,父親をめぐる人間模様を横糸にして紡ぎだされる物語である。そして,ここでも,先祖代々,営々として引き継がれてきた漁師としての伝統世界が,わたしの世代で終わりを告げ,詩人・作家へと転進していく姿を描いている。つまり,失われ行くものへの複雑な郷愁を描きつつ,それらを断ち切るようにして新しい世界に飛び出していくわたしが浮き彫りになってくる。それをビルバオからニューヨークへのフライトという大きな流れと重ね合わせながら・・・・。しかも,記憶や回想のほとんどが想像/創造されたもので,真実は闇のなかに深く沈んだままなのだ,というライトモチーフも浮かび上がってくる。しかも,それが「生きる」ということの実体なのだ・・・とも。

 もう,これ以上,作品の内容に分け入っていくのは止めよう。これから読む人の楽しみを残しておくために。

 昨夜(6日)のイベント「バスク語から世界へ──作家キルメン・ウリベを迎えて」では,ばったりと萩尾生さん(バスク研究者)にお会いし,並んで座した。萩尾さんから専門家としてのご意見などを伺いながら,作家ウリベの話に耳を傾ける,という僥倖にめぐまれた。最初と最後にウリベ自身によるバスク語の詩の朗読があった。萩尾さんの感想では,その詩はバスク語としても限りなく美しいとのこと。わたしは音声だけに意識を集中させ,その響きに耳を傾ける。とても柔らかな響きのなかに,どことなく粘り強さのようなものを感じることができた。

 このつづきの話を萩尾さんともさせていただければと密かに期待している。
 また,今福さんからは,延命庵をやりませんかと誘われているので,訳者の金子さんをまじえてその機会をつくることができれば・・・・と,こちらは実現可能な話。

 バスク語からの初の翻訳本である『ビルバオ─ニューヨーク─ビルバオ』(金子美奈訳,白水社刊),ご一読を。そして,この本について語り合える人の多からんことを。

2012年11月6日火曜日

「日米地位協定」の拠り所は「安保条約」の裏に隠された「密約」にあり(孫崎享著『戦後史の正体』)。

 1945年,ポツダム宣言を受諾し,敗戦を認めてからまもなく70年になろうとしている。四捨五入すれば1世紀になんなんとする。日本はこの長きにわたるアメリカの占領政策にいまも翻弄されつづけている,と『戦後史の正体』の著者・孫崎享さんは主張する。その最たるものが「日米地位協定」である,と。しかも,そのルーツをたどっていくと「安保条約」(日米安全保障条約)の裏に隠された「密約」にいたりつくという。孫崎さんはその事実関係をみごとに解き明かしていく。まさに,総毛立つような論旨の展開である。

 言ってしまえば,日本はいまだにアメリカの占領下にある,と。その見本は沖縄の基地問題であり,オスプレイの配備にみることができる。すべては,アメリカの「言いなり」である。それに歯止めをかける法的根拠をもたないからだ。つまり,いまだに戦勝国と敗戦国の関係がそのまま維持されているということだ。その認識をわたしたちは欠いている。

 「日米地位協定」は沖縄でのみ機能しているかのような印象をうけるが,そうではない。「日米」と頭にあるように,日本とアメリカとの間に結ばれた「地位協定」なのだ。だから,日本全国のすべての軍事基地に適用される協定だ。本土のあちこちに点在する米軍基地は,すべてこの「日米地位協定」に護られている。いま,問題になっているオスプレイも,日本全土のどこの上空を飛んでも,「協定」上はなんの問題もないことになっている。

 この圧倒的な不平等「協定」が,なにゆえに,いまも生きつづけているのか。そして,なぜ,この不平等「協定」を改訂しようと,アメリカ側に働きかけようとはしないのか。その答えは簡単である。それは,「安保条約」の裏で秘密で取り交わされた密約「岡崎・ラスク交換公文」なるものがあって,これを護持しようとする政治勢力が圧倒的な力をもちつづけてきた,ということだ。この勢力を「対米追随派」とよぶ。ときには「自発的隷従」も辞さない行動をとる。それに対して,「自主路線派」と呼ばれる政治勢力がいっぽうにある。そして,時折,政権をとることもあるのだが,こちらの政権は,あの手この手のプレッシャーや秘密工作が加わっていずれも短命に終わっている,として孫崎さんは具体的なデータを提示している。

 たとえば,こうだ。
 芦田均・・・米軍の有事駐留を主張。
 田中角栄・・・米国に先がけて中国との国交回復。
 竹下登・・・自衛隊の軍事協力について米側と路線対立。
 橋本龍太郎・・・金融政策などで独自政策,中国に接近。
 小沢一郎・・・在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言,中国に接近。
 (以上は,『戦後史の正体』,P.84.より)

 この他にも,鳩山一郎(日ソ友好条約を結ぶ),石橋湛山(自主路線を主張,原因不明の病気で,2カ月で退陣),細川護煕,鳩山由紀夫,などがいます。あるいはまた,重光葵外務大臣などの突然死(夕食に大好きなすき焼きと餅を食べたその夜,突然,腹痛を起こし,坐って腹をなぜているときに前のめりに倒れて,そのまま死亡)を筆頭に,アメリカに不都合な言動をした政治家や官僚はすべて,出世街道のはしごをはずされてそのまま失脚し,姿を消すという運命をたどっている,という。

 こうなると,政界も官僚も財界も,そしてなにより言論統制を受けた新聞各社(当時はもっとも大きな影響力をもっていた)も,そして驚くべきことに学界も,その主要勢力の圧倒的多数が「対米追随派」に従属することになる。寄らば大樹の陰,長いものには巻かれろ「主義」が日本の中枢を占めることになったのは,ある意味ではわが身を守るための防衛本能だったともいえる。そして,骨のある「国士」たちが自主路線を主張して,失脚していく現実を,息をひそめて見守っていた,というのが現実のようである。

 そして,この「米国追随派」の遺産のひとつが,なにを隠そう「原子力ムラ」の住民たちである。そうか,「原子力ムラ」もアメリカの占領政策の一環として,営々として構築されてきたエリート集団だったのだ。ただし,売国という名をもつ破廉恥なエリート集団だ。

 そうした元凶のすべての基礎を築いた人物,すなわち「米国追随派」の元祖こそ,吉田茂だった。その「吉田学校」の卒業生たちが,その後の日本の政治の中枢を占めることになり,こんにちもなお,その流れのなかにあるというわけだ。だから,「岡崎・ラスク交換公文」なる「密約」をひた隠しにして,こんにちに至っているのだ。「日米地位協定」が不動のルールであって,それを改めるなどと主張した政治家はすべて失脚の憂き目にあっている。

 以上は,孫崎享さんの『戦後史の正体』からの受け売りである。しかも,そのほんの一端である。孫崎さんも書いているように,「岡崎・ラスク交換公文」なる「密約」に触れることは,長い間,タブーとされてきた。だから,だれも書こうとはしなかったのだ(専門家はみんな知っていたのだ。にもかかわらず頬被りをして知らぬ勘兵衛を決め込んでいたのだ。なんと罪深き知的エリートたちであることか。学者の風上にも置けない輩というべきか)。そのため,わたしのような人間はなにも知らないまま,こんにちに至っている。まさに,「戦後史」をともに生きてきた生き証人であるはずなのに,真実はなにも知らないままに・・・。情けないことではあるが・・・。

 しかし,いま,この歳になって知らされても,ただ,ただ,たじろぐばかりである。そして,深いふかい「絶望」の淵に追いやられてしまう。そして,そこからどうやって這い上がっていけばいいのか,と天を仰ぐばかりである。

 こんな悲しい本を薦めたくはないけれども,知らないでいることの方がはるかに犯罪的であると考えるので,ぜひとも読んでいただきたい。そして,『戦後史の正体』の著者・孫崎享さんにこころからのエールを送りたい。

2012年11月5日月曜日

シモーヌ・ヴェーユの「義務」についての補足・修正(稽古のあとのランチ・タイム,その2.)。

 11月1日のブログで,シモーヌ・ヴェーユの「権利と義務」について,Nさんからのお話を軸にして書きましたところ,補足・修正のメールが今日(4日),Nさんからとどきましたので,そのうちの重要だと思われる部分を紹介させていただきます。同時に,一部,わたしの記憶違いがあったようですので,お詫びしながら,その理由についても記しておきたいと思います。

 シモーヌ・ヴェーユの原書テクストで用いられている「義務」のフランス語は”obligation”で,英語とまったく同じです。第一義は道徳・宗教上のなすべきこと,つとめ,責務といったところで,そこから法律上の義務,債務,などに転用されます。英語の”duty”にあたる"devoir"は,支払い義務,哲学の当為(そうあるべき),宿題,などに使われて,怠ると罰がくるような感じがつきまといます。日本語で「権利・義務」というときには,つい”duty”=”devoir”を思い浮かべてしまいますが,病気で倒れているひとを助けるのは,ある人にとっては避けがたい”obligation”ではあっても,”devoir”ではないと言いたい気がします。というのは,”devoir”にはすでに,なにか社会規範等々を前提しているようなニュアンスがあって,そうしないと誰かに叱られるから,という感じがするからです。

 以上が,Nさんからの補足・修正の要旨です。なるほど,英語と同じ表記の”obligation”を用いているとすれば,やはり,日本語訳は「義務」しかないということになるのでしょう。また,もうひとつの「義務」に相当する”duty”=”devoir”と”obligation”のニュアンスの違いについても,丁寧にNさんが補足説明をしてくださっていますので,そのイメージはかなり明確になってきました。あとは,しっかりとテクストの第一部 魂の欲求 のところを読み込むことにしたいと思います。

 なお,わたしの記憶違い(あるいは,聞き違い=最近はよくあること)は,なにかの話の流れで,フランス語の”oblige”ということばが聞こえたような気がして,すぐに,「ああ,ノブレス・オブリージの,あのオブリージだ」と思い込んだのが原因のようです。断るまでもなく,”noblesse oblige”は,広辞苑にも載っている外来語で「高い地位/貴族階級に伴う道徳的・精神的義務」という語釈がなされています。

 ここからはわたしの勝手なアナロジーですが,こんにちのスポーツマンシップや武士道精神などのルーツもたどっていくと,おそらくこのノブレス・オブリージにいたりつくに違いない,と考えています。スポーツマンシップのもとになったのはジェントルマンシップであることは確かですので,そのもとをたどれば騎士道精神,そのさらにもとをたどれば,このノブレス・オブリージに到達するというわけです。

 となれば,スポーツマンシップやスポーツのマナーなども,一種の「義務」であり,それを共有することによって「根をもつこと」にもなっていく・・・・,だから,激しく競い合うライバルとも深い友情で結ばれていくことにもなっていく・・・・,勝敗を超えた絆が生まれてくることにもなっていく・・・・,などとあれこれ想像をたくましくしているところです。これらの点については,もう少し,シモーヌ・ヴェーユの「義務」について読み込みをした上で,あるいは,「魂の欲求」の意味を熟読玩味した上で,ある種の結論を出してみたいと思っています。

 というようなわけで,シモーヌ・ヴェーユの「義務」”obligation”は,スポーツ文化を考える上でも重要なキー概念になりうるものではないか,と考えています。こうなると,シモーヌ・ヴェーユのいう「根をもつこと」の意味や概念が,スポーツ史研究にとってもますます重要性を帯びてくるという次第です。

 取り急ぎ,Nさんの補足・修正と,わたしのアイディアの紹介まで。

2012年11月4日日曜日

浅田真央ちゃん,町田樹君,GP優勝おめでとう!でもね・・・?

 昨夜とその前夜と二晩つづけてフィギュアスケート・中国杯をテレビ観戦してしまいました。ちょっとだけ見て,すぐに切り上げるつもりでしたが,そうはいきませんでした。もともと,フィギュアスケートをみるのは大好きでしたから,見はじめたらもういけません。むかし,体操競技をやっていたこともあり,同じ採点競技という点で,いま考えなくてはならない問題を共有していることもあります。それは,太極拳競技の採点方法とも共通していて,こんな採点方法でいいのだろうか,とつねづね考えていることもありました。

 それはともかくとして,久しぶりに浅田真央ちゃん(もう立派な大人だから「ちゃん」では失礼か,でもむかしからのファンはやはり「ちゃん」と呼びたい)の笑顔がよみがえり,テレビの画面がいっそう明るくなりました。昨夜のフリーの後半では,じつに楽しそうに笑顔もこぼれながらの演技で,すっかり楽しませてもらいました。そして,大人のスケートを感じました。これまでのようないっぱいいっぱいの滑りではなく,ちょっと抑えぎみの演技でしたが,そこに大きな余裕が生まれ,みていて気持ちよく,これぞフィギュアだと思いました。スケーティングが上手な証拠。

 男子の町田樹君も優勝,おめでとう。あのあこがれの高橋選手を逆転しての優勝ですから,悦びも一入というところでしょう。羽生君という新人も現れ,若手選手の台頭は眼を見張るものがあります。町田君のスケートは,とても折り目正しい,きちんとメリハリの効いた,いかにも若者らしい演技だったと思います。いま持てる実力を本番できちんと発揮できる精神力の強さも立派です。これでファイナル出場権を獲得したわけですので,これからは,いまのスケートにもっともっと磨きをかけて,高橋選手の絶好調のときのスケートに挑戦しましょう。

 ショートプログラムが終わってトップに立った高橋選手は余裕で優勝するだろうと思っていたら,そうはいきませんでした。練習不足で不調だったとは,終わってからの話。それ以前に,これだけの選手でも大事な試合で「自滅」するのだということを見せつけられたことが,とても印象に残りました。この点は体操競技と同じ。勝ちを意識したり,演技を計算するようになると,とたんに乱れが生じ,自滅するということがよく起こります。どこまでも無欲で,無心でいなければなりません。これだけの実績をもっている選手でもそうなんですから,フィギュアスケートという競技もたいへんな世界だなぁ,と想像しています。

 第二位になったとはいえ,高橋選手のスケートのうまさは健在でした。スケーティングの技術,表現力,ステップのうまさは抜群のものがあります。他の選手の追随を許さぬ,まさに,別次元の世界を楽しんでいるようにも見受けられました。高橋選手よ,焦ることはない。ゆっくりと,いまのプログラムに磨きをかけていって,最後に笑えるように努力してください。必ず,そこに到達することができる,とこれまでの高橋選手をみていて思います。あの大きな怪我から立ち直った精神力の持ち主ですから。

 最後にひとこと。フィギュアスケートの放映をみていての不思議。単純に言ってしまえば,ジャンプを成功させるかどうか,それだけが勝敗の行方を決めているようにみえることです。そして,なにが,どのように採点されているのか,さっぱり分からないまま,ただ,ひたすらジャンプのシーンだけを見つめつづける(会場の観衆もそういう反応をしていた),そういう競技のようにみえてしまいます。しかし,解説者がときおり発している「技術点」とか「構成点」とか「工夫」とかの内容が,わたしにはよく分かりません。

 熱心なファンは分かるのだろうかと思いながら,フィギュアスケートの「採点方法」を全日本スケート連盟の公式ホームページで調べてみました。これがまたとてつもなく複雑で,一回や二回読んだくらいではとてもとても理解できるようなものではありません。要点をノートにとって整理してみようと思いましたが,途中で投げ出しました。体操競技の採点方法の複雑さを承知していますので,ある程度は覚悟していましたが,それに勝るとも劣るものではありませんでした。それは,まさに,伏魔殿のような仕掛けになっています。

 その結果,みえてきたことはなにかといえば,以下のようなことです。
 会場にいる審判も,選手も,監督・コーチも,観客も,そして報道関係者も,だれも演技結果の点数はわからないということです。つまり,分業化された審判の採点結果を一カ所に集めて,その上で,「ISU規則322号の表」に照らし合わせて,一つひとつ別の点数に換算し,それらを集計して,ようやく選手のトータルの点数がはじき出されるというわけです。ですから,演技が終わってから点数の発表まで相当に時間がかかります。もちろん,その間,コンピューターに入力し,すべての計算が終わるまで,人間はじっと待っているだけです。ですから,いまの演技が何点になるかは,だれにもわかりません。しかも,点数を予測することさえ不可能だと言われています。それほどに微妙な要素点が,つぎつぎに加点されながら,最終得点がはじき出されるという次第です。

 ですから,発表された点数をみるまでは空白の時間が流れます。そしてその結果をみて,喜んだり悲しんだりするだけの,まことに単純な競技になってしまっています。観客の自己採点などということはまったく不可能です。テレビ観戦をしているわたしたちにもまったく手も足も出せません。それは,体操競技の採点方法とまったく同じです。これでは,競技そのものの醍醐味を味わうことはできません。むしろ,最初から拒否されているようなものです。

 ジャンプの成功が勝敗の鍵を握っているのは確かですが,それだけではないということも,もっと知られる必要があるように思います。たとえば,構成点の内容をみてみますと「スケート技術,要素のつなぎ,動作/身のこなし,振り付け/構成,曲の解釈」などが採点の対象になっています。これらの採点対象がどのように評価されたのかも,発表してほしいと思います。その上で「解説」をつけてもらえると,かなり質の高いテレビ観戦ができるようになるのではないか,とわたしは考えています。そうすれば,演技の途中でも,ここは加点される,ここは減点される,ということがわかってきます。そうなってくるとファンの数も質も,ともにレベルが上がってきて,俄然,面白くなると思うのですが・・・・。

 このままでは,採点の素点も,換算点も,そして集計のプロセスも,すべてコンピューターのなかで処理されて,終わりです。言ってしまえば,すべては密室の中,いや,闇の中で処理されているということです。もちろん,その記録は全部,残されてはいるでしょうが,競技の途中では分かりません。となると,最終発表の点数に対する異議申し立てもできません。

 こうなってきますと,フィギュアスケートという競技は,人間の手から離れ,神の領域に委ねられるところにきてしまった,と言わざるをえません。しかし,この神の領域とは,テクノサイエンスという新しい「神」の領域という意味です。つまり,原発やiPS細胞と同じことが,スポーツの世界でも着々と行われているということです。言ってしまえば,「科学神話」による「聖なる世界」の侵犯です。このまま放置しておいていいのだろうか,とこれまた深刻に考えています。

2012年11月3日土曜日

真紀子暴走。大臣の資質に欠ける。シンタロウ君とおなじ穴の「暴走老人」。

 日々の時事ネタは,もう,腹の立つことばかりで,しばらくブログで書くのはやめようと思っていたにもかかわらず,書かずにはおけない「事件」が続発している。沖縄の米兵の問題も,もはや,なにをかいわんや,というところ。ここまでくると,占領地支配のままの「日米地位協定」に諸悪の根源があることは明らか。にもかかわらず,そのことを,日本の政府は知らぬふりをして黙認している。のみならず,オスプレイを購入する話まででてくる始末。日本政府が,アメリカ政府に意のままにコントロールされている姿が丸見えになってきている。

 いま,即刻,取りかからなくてはならないことは「日米地位協定」の撤廃を求める外交交渉を政治レベルではじめるべきだ。このチャンスを逃したら,ますます事態は悪化の一途をたどることになる。しかし,だれも動こうとはしない。沖縄県民はますますヤマトに背を向けることになる。政治の空白はつづくばかり。

 と思っていたら,こんどは,久し振りに大臣に返り咲いた真紀子さん。前の外務大臣のときの過ちをくり返さないようにという配慮からか,文部科学大臣として慎重にスタートした,と思っていた矢先のことだ。やはり,またまた,暴走をはじめた。これは間違いなく病気だから,こういう病人を大臣のような要職につけてはならない。この人は,ひとりの国会議員とし「吼えて」いるだけなら人畜無害だが,大臣になるとそうはいかない。職権を乱用して暴走し,世の中を混乱に陥れ,大騒ぎになってしまう。こんどの「3大学新設認めず」もそれだ。大学設置・学校法人審議会が出した最終答申をひっくり返してしまった。これは,前代未聞のできごとだそうだ。しかも,常識を欠いている。なぜなら,文部科学省が積み上げてやってきた仕事を,最終段階で大臣職権を用いて否定したということだから。あちこち,四方八方,たまったものではない。

 メディアの報道で確認できた範囲では,真紀子さんの言っていることは正しい。しかし,方法は大間違い。つまり,こういうことだ。

 真紀子さんの言い分はこうだ(『東京新聞』2日夕刊)。
 田中文科相は同日の記者会見で「大学設置認可のあり方を抜本的に見直す」と指摘。設置認可を文科相に答申する審議会の見直しを進め,併せて設置認可手続きを厳格化する考えを示した。

 ここまでは正しい。わたしも賛成だ。しかし,だからといって,3大学の新設を,この段階で「NO」というのは間違いだ。これからさきに提出される新しい大学設置申請について,厳格化する,というのならとてもよくわかるし,国民の支持も得られよう。そうではなくて,この3大学は来年4月から学生募集するためのあらゆる準備を完了している。そこを見届けて,審議会が審査の結果「合格」を大臣に答申した。そうしたら,大臣が「NO」と言って結論をひっくり返してしまった。

 大学を新設するためには,およそ3年くらい前から,文科省と折衝を開始する。場合によっては,5年も前から折衝を開始する。そして,文科省の認可を得るために,徹底して文科省の指導・助言を仰ぎながら,慎重に準備を進めていく。そして,いくつものハードルを一つひとつクリアし,その上で,最終答申を待つ。だから,今回の3大学の場合も,文科省の指導どおりに準備を進めてきたはずだ。だからこそ,設置審議会は「合格」の判定をくだしたのだ。にもかかわらず,それを大臣職権でつぶされてしまった,というのだからたまったものではない。3大学からしてみれば,きつねにつままれたような話だ。

 3大学は,この11月の段階なら,建物も施設・設備もほぼ完成しているはずだ。教員採用人事もほぼ完了している。事務職員の採用人事も完了。そうした資料も全部提出して,あとは,最終答申をえて,大臣から大学設置認可をしてもらうだけのところにきている。それこそ今夜にでも「設置認可」が下りて,その祝杯を挙げる準備までしていたのではないか,と思う。

 もっと言っておこう。大学新設の場合には,教員採用に関しても,適格者であるかどうか,一人ひとりの研究・教育業績まで,文科省の審査を経ていなくてはならない。それらも,すべてクリアしてきて,どこにも問題がなく,設置審議会もOKだったのに,大臣職権による「NO」だ。とんでもない話だ。

 まあ,こうなったら,3大学側が「訴訟」を起こすしか方法はない。あるいは,真紀子さんが「NO」を引っ込めて陳謝するか。それなら急がなくてはならない。もう,あれこれ議論している時間はない。が,こんなケチがついてしまったら,学生も集まってはこないだろう。そうなると,こんどは損害賠償まで要求されることになる。

 いずれにしても,田中真紀子という人物が,大臣としての適性を欠く病人だということがはっきりしたのだから,即刻,辞めていただくしかない。「iPS細胞」に浮かれている場合ではない。こちらの取り扱いについても原発以上に厳重な法の整備をしておかないと,フクシマの二の舞になりかねない。わたしはとても心配している。それにしても人材がいない。

 政治の空白どころか,人材の空白。

シモーヌ・ヴェーユの言う「権利と義務」について(稽古のあとのランチタイム・その1.)

 太極拳の稽古のあとのランチ・タイムを,久し振りに楽しむことができました。「今日は会議がないので」とNさんが嬉しそうに,ゆったりとおしゃべりに付き合ってくれました。Kさんもわたしも大喜び。いつもは,会議の時間に追われて,あたふたとランチ・タイムは終わりになります。ですから,今日は積もる話をぞんぶんに・・・・というわけにはいきませんでしたが,それでもかなりの欲求不満を解消することはできました。

 そのなかの特筆すべき話題をひとつ。
 シモーヌ・ヴェーユのいう「権利と義務」ということについて。
 シモーヌ・ヴェーユの遺書ともいわれる『根をもつこと』(岩波文庫)の第一部「魂の欲求」の冒頭はつぎの文章からはじまります。

 「義務の観念は権利の観念に先立つ。権利の観念とは義務の観念に従属し,これに依拠する。ひとつの権利はそれじたいとして有効なのではなく,もっぱらこれに呼応する義務によってのみ有効となる。」

 この文章の違和感については,すでに,わたしのブログでも触れたとおりです。違和感というよりは,わたしにとってはびっくり仰天の驚きでした。そして,そのあとの文章を慎重に読み解くための努力をしているわけですが,どうしてもしっくりこないのです。シモーヌ・ヴェーユのいう「義務」の意味内容が,わたしが理解している「義務」とどこかすれ違うのです。もちろん,ぴったり合っているところも少なくありません。が,どうも,わたしが理解している義務とは別の意味での「義務」にみえてくるのです。ですから,さんざん悩んでいましたし,いまも,悩みつづけています。が,その疑問の一部が,今日(10月31日)のNさんのお話でいくらかやわらいできたように思います。

 Nさんの仰るには,シモーヌ・ヴェーユのいう「義務」は原文のフランス語では oblige(オブリージ)です,と。これは,英語でいえばobligation に相当します。でも,obligation も「義務」と訳されていますが,duty の「義務」とは若干,ニュアンスが違うように思います。あえて訳せば「責務」ということになるのでしょうが,それでも,まだ,ぴったりくる訳語ではないですね。訳者の冨原眞弓さんはしっかりした哲学者で,シモーヌ・ヴェーユ研究の第一人者ですから,彼女も相当に考えた末に,月並みにみえるけれども「義務」と訳したのだと思います。それが次善の策だったのではないか,とこれは推測です。翻訳というのはむつかしいんですよね。

 その上で,シモーヌ・ヴェーユのいう「義務」の意味を理解するための,わかりやすいたとえ話をしてくださいました。それによると,以下のようです。わたしの目の前にお腹がすいてふらふらになっている子どもが3人いるとします。わたしもお腹がすいているのですが,おむすびを持っているとします。このとき,わたしが,まず真っ先にしなくてはいけないことは,わたしのおむすびを3人のこどもたちに分け与えることです。これがシモーヌ・ヴェーユのいう「義務」の核心にふれる意味だと思います。この行為を,「義務」のほかになんと言えばいいか,日本語でも困ってしまいます。やはり,それは obligation を念頭においた上で「義務」という以外にはないでしょう。

 ここまでお話を聞いて,わたしなりに納得するものがありましたので,つぎのように問うてみました。「ということは,第一部で展開している『魂の欲求』にしたがって,なにかを遂行することがシモーヌ・ヴェーユのいう『義務』ということの意味内容と理解すればいいですね。」「そういうことです。」

 ちなみに,シモーヌ・ヴェーユは「魂の欲求」の指標として以下のようなキー・ワードを挙げて説明をしています。すなわち,秩序,自由,服従,責任,平等,序列,名誉,刑罰,言論の自由,安寧,危険(リスク),私有財産,共有財産,真理,です。これらの説明もまたまた微妙な内容となっています。ひとつ間違えれば,とんでもない保守反動と受け止められ兼ねない,そのぎりぎりのところにシモーヌ・ヴェーユの思考は分け入っていきます。これらの指標についても,いつか,このブログで取り上げてみたいと思います。

 蛇足ながら,Nさんが「飢えてふらふらになっている子どもとわたし」のたとえ話をされたのには,深い事情があってのことです。つまり,シモーヌ・ヴェーユのライフ・ヒストリーに依拠した,命懸けの「義務」が頭にあってのことだということは明らかです。

 シモーヌ・ヴェーユは,1943年,戦時下の窮迫した同胞たちの飢餓に苦しむ生活を思い,ほとんど食事をとらずに原稿書きに没頭し,徐々に衰弱していきます。そして,その間に肺結核が進行していて,同年4月には下宿の部屋で昏倒し,病院へ運ばれます。担当の医師が熱心に食事をとるよう説得するのですが,それに応ずることなく食事を拒否し,飢餓状態のまま死を迎えます。この事実が,Nさんの頭のなかにはあって,「飢えたこどもたち」とわたし,をたとえ話にしたというわけです。そして,同じ苦しみを分け合うこと,これがシモーヌ・ヴェーユのいう「義務」,すなわち,obligation なのだ,というわけです。

 稽古のあとのランチ・タイムは,Kさんとわたしにとってはなにものにも代えがたい貴重な「学びの時間」であり,至福の時でもあるわけです。ほんとうに「ありがたい」かぎりです。「ありがたい」とは「有り難い」と書くように「ありえない」ことだからこそ「ありがたい」という次第です。これもNさんに教えてもらいました。

取り急ぎ,今日のところはここまで。

2012年11月2日金曜日

『戦後史の正体 1945-2012』,孫崎享著,創元社,2012年8月刊。10月7刷。必読のこと。

 昨日(1日)のブログのつづき(4冊の本を衝動買いして・・・・)。その2.

 この本に手が伸びたのは,孫崎享(まごさき・うける)という著者の名前でした。そうです。『世界』(岩波書店)の11月号に「尖閣問題 日本の誤解」を書いた人です。この説得力のある論考が強烈に印象に残っていましたので,迷わず手が伸びていきました。そして,2~3ページ読んだところで,あっ,これは買わなくてはと即断しました。

 それでもなお,あちこちページをめくっては拾い読みをしていました。が,読めば読むほど面白い。しかも,驚くべき発見があちこちに見受けられます。元外務省情報局長,防衛大学校教授などを歴任,『日米同盟の正体──迷走する安全保障』『日本の国境問題──尖閣・竹島・北方領土』などの著者として知られているとおりの,あるいは,それ以上の迫力で読者に迫ってきます。

 面白いと思ったのは,この本が,高校生に読んでもらうために書かれた,という点です。ですから,あまりややこしいことは言わないで,話の骨の部分を単純明解に語りかけてきます。気がつけば,あっという間にかなりの分量を読んでいました。当然ながら,時間もびっくりするほど経過していました。立ち読みで,これほど惹きつけてくれる本も珍しいことでした。

 みなさんは,「ポツダム宣言」の全文を読んだことがおありでしょうか。恥ずかしながら,わたしはこの本で初めて読みました。高校生向けに口語訳になっていますので,とても読みやすく,一気に読みました。ここでも驚くべき発見がありました。わたしたちは「ポツダム宣言」すら忘れてしまって,いまを生きています。それも仕方のないことかもしれません。しかし,「ポツダム宣言」をよく読んでみますと,この無条件降伏を求めた条文すら忘れてしまった(あるいは,忘れたふりをしている),ヤワな頭で尖閣問題を「わが国固有の領土である」と言い切る政治家や官僚,そして,評論家に唖然とさせられてしまいます。このポツダム宣言の第「八」項にはつぎのように述べられています(全部で「十三」項)。

 八,「カイロ」宣言の条項は履行されるべきものとし,日本国の主権は本州,北海道,九州および四国ならびに,われわれの決定するいくつかの小島に限定される。

 これを読んで,わたしは戦慄を覚えました。なぜなら,沖縄諸島ということばはどこにも見当たりません。ということは,この「ポツダム宣言」の段階では,沖縄諸島の帰趨すらはっきりしてはいなかった,ということになります。ですから,1972年に沖縄が本土復帰を果たすまでは,アメリカの統治下に置かれたままだったわけです。しかも,それまでの尖閣諸島はアメリカ軍の軍事訓練の場所として使われていた,と聴いています。つまり,尖閣諸島の領土問題は未解決のまま,取り残されているというのが実情です。アメリカが,尖閣諸島は安保条約の範囲内ではあるが,領土問題としては日本にも中国にも与しない,という微妙な発言をすることの意味が,ここにあることがわかります。しかも,この本の趣旨からいいますと(つまり,孫崎さんの主張からいいますと),アメリカは「尖閣」をこんごの情勢いかんによっては日本・中国の両国に対する「取引」の材料にすることは充分に考えられる,というのです。

 おまけに,「降伏文書」(昭和20年9月2日東京湾上において署名)の冒頭の部分も,巻末に掲載されています。恥ずかしながら,わたしはこの文書を読むのも初めてで,思わず眼を皿のようにして読んでしまいました。いわゆる「無条件降伏」の文面です。つまり,すべては連合国側の思うままにされても文句はいいません,という誓約書です。

 その連合国側には,中国も入っています。このことを忘れてはいけません。ポツダム宣言もそうですが,連合国とは,アメリカ,イギリス,中国,そして,ソ連の4カ国です。この4カ国によって,日本国の主権の及ぶ範囲を限定する,と宣言しているのです。それを受けて,アメリカが6年間にわたって日本を占領下におき,統治します。そして,1951年9月に,ようやくサンフランシスコで講和条約と日米安保条約を締結します。が,このときすでに日本という国はアメリカの思うようにコントロールできる国としての性格が決定してしまいます。その主役を演じたのは吉田茂です。アメリカ従属路線を引いた主役です。日本の「自発的隷従」の姿勢はここからはじまります。

 「戦後史」(アメリカと日本の関係史)というもののほんとうの姿は,これまでひた隠しにされてきました。しかも,それを語ることはタブーとして,忌避されてもきました。ですから,わたしたちはアメリカと日本の「戦後史」の真実の姿をなにひとつ知らないまま,こんにちを迎えています。その覆い隠されてきた真実を曝け出そうというのが,この本です。ですから,最初からとてもスリリングな内容になっています。

 これ以上,書いてしまいますと,読む楽しみがなくなってしまいそうですので,この本についての話はここまでとします。あとは,本をめくりながら楽しんでみてください。日本国および日本人がいかにして骨抜きにされてきたか,その謎解きを。

2012年11月1日木曜日

4冊の本を衝動買い。みんな「買ってくれ」と向こうから声がかかりました。

 ふらりと入った本屋の書棚から,ときおり,「買ってくれ」という声が聴こえてくることがあります。昨日はそういう日でした。ちょっと恥ずかしいですが,聴こえるはずのない声に誘われて,衝動的に買ってしまった本を紹介しておきましょう。

 〇『空(そら)の拳(こぶし)』,角田光代著,日本経済新聞出版,2012。
 〇『重力と恩寵』,シモーヌ・ヴェーユ著,田辺保訳,ちくま学芸文庫,2012年,第13刷。
 〇『母なる海から日本を読み解く』,佐藤優著,新潮文庫,平成12年11月1日刊。
 〇『戦後史の正体 1945-2012』,孫崎 享著,創元社,2012。

 家に帰ってきて書棚をみたら,シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』は2冊目でした。こういうこともよくあります(買ったことを忘れている)。ですから,いい本は,ほとんど2冊持っています。場合によっては3冊になることがあり,さすがにこの場合にはだれか喜びそうな人にプレゼントすることにしています。そして,2冊揃った本は,1冊を書くこみ用にし,あとの1冊はなにも書き込まないできれいなままに保存しています。そして,そのときの気分で,書き込み用の本を取り出してきて読んだり,なにも書き込みのしてないきれいな方を読んだりしています。

 もちろん声を聴いただけでは本を買いません。そんなことをしていたら際限がなくなってしまいます。声が聴こえると,つい手が伸びていく。そして,あちこち,ペラペラとめくりながら拾い読みをします。その拾い読みが,なぜか,ピン・ポイントのようにその本のツボに当たることがあります。そうなると,もういけません。歯止めがききません。その瞬間に「買う」という意志が決まります。

 シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』を「買う」ことに決めた引き金はいくつもあります。ひとつは,シモーヌ・ヴェーユの本が一種のブームになっていて,あちこちの本屋さんに平積みにしておいてあります。そうか,とうとうシモーヌ・ヴェーユの時代がきたか,と感じとっていました。そこに,その日の太極拳の稽古のあとのランチ・タイムに,Nさんから,たまたまシモーヌ・ヴェーユの「義務」と「糧」の話がでてきて,いくつか質問をすることがありました。そのとき,あっ,そうか,というひらめきがわたしのなかに起きていました。さらには,この本の巻末にあるギュスターヴ・ティボンの「解題」(とても長いもの)が,ぐいぐいとわたしを惹きつけてくれました。

 もうひとつは,以前からシモーヌ・ヴェーユのいう「恩寵」という意味がいまひとつ納得がいかない歯がゆさがのこっていました。それは,今福龍太さんの『ミニマ・グラシア』(岩波書店)のなかで,シモーヌ・ヴェーユを引きながら,ホメーロスの英雄叙事詩『イーリアス』のなかの英雄同士の一騎討ちの場面をとりだし,そこに「恩寵」をみる,という話のところです。もう少し詳しく触れておきますと,イーリアスとリュカオン(トロイア王プリアモスの若い息子)との対決場面の最後の描写です。リュカオンはイーリアスに丸裸にされて,もはや戦うすべもなくなり,両手を広げてイーリアスに(命だけは助けてほしいと)懇願するのですが,それでもなおイーリアスはとどめの刃を突き刺します。このあたりのことを,もっともっと精緻に描きだしながら,ここに「恩寵」をみる,という言い方を今福さんはします(詳しくは,『ミニマ・グラシア』,「戦争とイーリアス」P.155~206.を参照のこと)。しかし,そこのところがいまひとつわたしの腑に落ちないままになっていた,ということです。

 しかし,タイミングといいますか,時期といいますか,レディネスといえばいいでしょうか,そういう出会い(シモーヌ・ヴェーユとの)がいまごろになって訪れた,といえばいいでしょうか。『重力と恩寵』の表紙カバーには,つぎのようなキャッチ・コピーが,わたしの眼にこれみよがしに目立つように書かれていました。

 「重力」に似たものから,どうして免れればよいのか?──ただ「恩寵」によって,である。「恩寵は満たすものである。だが,恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしかはいって行けない」「そのまえに,すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで,すべてをはぎ取られて神を待つ。

 このコピーは以前にも読んでいるはずです。が,そのときは,なんのことやらさっぱりわからないまま,わたしの思考は止まっていました。が,いまは,こんなにみごとな「恩寵」に関する言説があるのだろうか,と思うほどに納得できてしまうのです。ですから,そういうことなのか,では,「買わなくては」になってしまうというわけです。これもまたみごとな出会いとしかいいようがありません。もう,これだけで「買う」だけの価値があります。いまのわたしにとっては。

 さて,長くなってしまいましたので,ほかの本のことについては,また,機会を改めたいと思います。とりあえず,今日のところはここまで。