2012年10月31日水曜日

1630年頃(寛永年間)のプールの風景(雑誌『SF』10月号より転載)。

雑誌『SF』(10月号)より転載

月刊体育施設『SF』に隔月で連載している「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の最新号(10月号)に掲載された記事を転載してみました。これで最大の大きさです。これ以上は大きくできないのが残念。下のキャプションの文字も小さいので読めないかも知れません。虫眼鏡でようやく読める程度ですが・・・。

 少しだけ解説をしておきますと,図像の中央の黒い部分が水たまりです。これが川なのか,池なのか,よくわかりません。この時代の屏風絵は,画家が勝手に想像をたくましくして,面白そうな風俗を描き込んでいますので,そのつもりでご覧ください。

 図像の上の方では,明らかに花見の宴が開かれていますので,桜の咲く季節がメインになっているはずなのに,水たまりでは「水掛けごっこ」をしてはしゃいでいたり,裸になって泳いでいたりしています。これも,現実にはありえないことです。が,そんなことはおかまいなしです。泳ぎのスタイルも,抜き手でもないし,犬掻きでもないし,泳ぐ真似をしているだけのようにも見えます。どうやら浅いところのようですので,交互に手を川底について,泳ぎ遊びをしているのでしょう。

 肝腎なことは,1630年(寛永年間)に,京都の庶民が泳ぎの真似ごとをして遊ぶ風俗があったということです。寛永年間といえば,江戸の上野に寛永寺が建造され,世の中がいくらか落ち着いてきたころと言っていいでしょう。関ヶ原の戦から30年後ですから。

 この時代に泳ぐことのできた人といえば,漁撈に携わる漁師たちと,あとは特別の訓練を受けた武士だけです。江戸時代に入りますと,会津藩の藩校などでは人工の池をつくり,そこで泳ぎの訓練を行っていました。いまも,その藩校が再現されていますので,その池,すなわち「プール」をみることができます。また,多くの藩では,城の周囲のお掘りを使って「水練」の稽古がなされていました。もちろん,海でも水練の稽古が行われ,それが「観海流」として三重県に伝わっています。水戸藩では水府流が生まれました。

 ですから,「泳ぐ」ということは,寛永年間の庶民にあっては,時代の最先端のかっこいい遊びだったのかもしれません。ですから,屏風絵にも取り込まれたのだろうと思います。

 たった一枚の屏風絵から,さまざまに想像力をたくましくして,あれこれ詮索するのも愉しいものです。わずか400年遡っただけで,庶民は,こんな素朴な遊びに興じていたということに,わたしは深く考えさせられるものがありました。時代の進歩とか,発展とは,いったいどういうことなのだろうか,と。まさに,スポーツ史の根源的な問いでもあります。

 みなさんも,いろいろと想像しながら楽しんでみてください。
 取り急ぎ,ご紹介まで。

2012年10月30日火曜日

スポーツを批評するとはどういうことか。(スポーツ批評事始め・その1.)

 スポーツ評論家やスポーツ・ライターを名乗る人は,最近,急激に増えていることは承知している。けれども,スポーツ批評家を名乗る人は寡聞にしてほとんど聞いたことがない。わたしの知るかぎりでは今福龍太氏,ただひとりだけである。しかも,スポーツ批評家としての立場を明確に示す著作まで著した人となれば,もう,今福氏を除いて他にはいない。

 その著作とは『ブラジルのホモ・ルーデンス──サッカー批評原論』(月曜社,2008年)である。そして,この本の序論のタイトルには「『サッカー批評』とは世界批評である」と書かれている。ここに今福氏のスポーツ批評家としてのスタンスが,これ以上の方法では考えられない形で,明確に示されている。

 この伝を借りれば,「スポーツ批評」とは世界批評である」,ということになる。つまり,「スポーツ批評」=「世界批評」,この両者は同義だということなのだ。となると,問題は「世界を批評する」とはどういうことなのか,というところにゆきつく。だからといって,スポーツ批評の側から,あえて「世界とはなにか」を論ずる必要はないだろう。むしろ,その逆を考えてみたい。つまり,なにゆえに「スポーツ」と「世界」はイコールで結ばれるのか,と。

 わたしの考える解は以下のとおりである。スポーツは世界を写し取る「写し鏡」である。つまり,世界を構成する重要な要素は,すべてスポーツのなかに組み込まれている,と。だから,スポーツとはなにかと問うことは,世界とはなにかと問うこととイコールになる。そのレベルに達したとき,初めて「スポーツ批評」が成立する,と。

 しかし,くり返すことになるが,世界とはなにかを考えるのはわたしたちの仕事ではない。だが,スポーツとはなにかを考えるのはわたしたちの仕事である。したがって,スポーツを批評するということは,スポーツとはなにかを考えることであり,スポーツの本質を問いつづけることである。具体的には,スポーツを成立せしめる根拠を分析・批判することにある。そして,そのことをとおしてわたしたちは結果的に世界の仕組みに接近していくことになる。すなわち,スポーツとはなにかを問うことは,そのまま世界とはなにかを問うことと同義となる。つまり,わたしたちはスポーツを徹底的に批評することをとおして,世界の諸矛盾に向き合うことになる。

 このように考えてくると,スポーツを批評するという営みが,予想をはるかに超える気宇壮大なる思考のひろがりと深みを持つものだということがわかってくる。世にいうスポーツ評論家やスポーツ・ライターと名乗る人たちとはまったく次元を異にする,きわめて特異な分野なのである。その内実は,今福氏の「サッカー批評原論」の構成をみれば,一目瞭然である。

 それによれば以下のようである。
 0 序論 「サッカー批評」とは世界批評である
 1 起源論 身体のアルカイックな分節
 2 伝播論 身体帝国主義の流れに抗して
 3 儀礼論 サッカーをいかに「想像」するか
 4 本能論 遊戯の消息,筋肉の機微
 5 陶酔論 ドーピングの淵から
 6 陶酔論〔続〕 身体の自然を愛すること
 7 戦術論 互酬性のリズムに揺れながら
 8 遊戯論 カーニヴァル,賭博,あるいはブラジルのホモ・ルーデンス
 9 戦術論〔続〕 サッカーにおける「第三のストラテジー」
10 ファンダム論 フットボール民衆神学
11 時間論 ピッチの上のニーチェ主義者

 これまで今福氏が書いてこられた膨大な著作に慣れ親しんできた読者なら,この目次をみただけで,その内容の大方は推測することができる。そして,その思考の魅力的な展開に誘われるようにして入り込んでいくことだろう。わたしがそのひとりであったように・・・・。

 今福氏の提唱する「サッカー批評原論」の骨格を,可能なかぎり単純化して述べておけば,以下のようになろうか。すなわち,その根底に流れているものは磐石の思想・哲学である。それも,ヨーロッパの形而上学の枠組みから大きくはみ出す,いな,それらを根底から否定し,らくらくと超えでていく思想であり,哲学である。そのような思想・哲学をどのようにして手にしたかは,今福氏の著作を丹念に分析していけば,おのずから明らかになる。したがって,ここではこれ以上は踏み込まない。改めて断るまでもなく,文化人類学者として独創的な見解を提示するときのよって立つ基盤と,この「サッカー批評原論」が通底していることは論をまつまでもない。

 このように考えてくると,では,お前はどのようにして「スポーツ批評」を展開しようとしているのか,というところにもどってくる。この点についても,ごく簡単に触れておけば以下のようになろうか。わたしの,いま現在の思想・哲学の大枠をつくる上でもっとも大きな影響を与えてくれたのは西谷修氏である。断るまでもなく,ジョルジュ・バタイユをはじめとするフランス現代思想の系譜につらなる人びとのものについての手ほどきを受けたことにより,わたしの思想・哲学遍歴がはじまる。いま,もっとも頼りにしているテクストはバタイユの『宗教の理論』と『有用性の限界 呪われた部分』である,と白状しておこう。もうひとつの柱は,禅寺に育った環境もあって仏教思想には早くから強い関心をもっていた。とりわけ,『般若心経』と道元と西田幾多郎の名は挙げておきたい。そして,最後のひとりが今福龍太氏である。今福氏の張りめぐらせているアンテナの高さと感度の良さは,もはや言語を絶するといえばいいだろうか。もちろん,西谷氏もそうだが,わたしは,このお二人の「おこぼれ」を頂戴しながら,こんにちを生きている。

 長くなっているので,このあたりで終わりにしよう。
 結論:スポーツ批評も世界批評も,問われるのは,その人が寄って立つ「思想・哲学」にある。あるいは,世界観にある,と言うべきか。

2012年10月29日月曜日

手書きの手紙が書けなくなっているわたし。パソコン依存症?

 朝,起きると,まずはパソコンを立ち上げてメールを確認する。そのつぎは,自分のブログのページビューを確認。それから歯磨き・洗顔。起きた時間が早ければ朝食前の一仕事。わたしの朝食は午前9時。早起きすれば,かなりの時間が確保できる。が,就寝が遅いので,いつも寝坊する。この悪しき習慣からなかなか抜け出せない。

 朝食後もすぐにパソコンを開いて,メールの返信を書く。それから鷺沼の事務所に向かう。これが日常の定番。しかし,ここでひとつ困ったことが起きている。メール・アドレスを持たない人(あるいは,わたしが知らない人)との交信がほとんどできなくなっていることだ。

 たとえば,こうだ。本が送られてくる。ときには顔見知りではない人からもある。どこかにメール・アドレスが書いてあれば,すぐに礼状を書くことにしている。しかし,必ずしもメール・アドレスが書いてあるとはかぎらない。その場合には,手書きの手紙で応答することになる。

 しかし,この手書きの手紙を書くことがいつのころからかやっかいだと思うようになっている。でも,努力して,万年筆なり,ボールペンなりで書いていた。が,とうとう,億劫になってしまって,最近ではどんどん後回しにするようになってしまった。そうして,いつのまにか礼状も書かないで(気持の上で書けないで)放置したままになっている郵便物が溜まっていく。これではいけない,と毎日のように返信しなくてはいけない封筒の山を茫然と眺めている。それでも,あとにしよう,明日でいいや,という弱気の虫が頭をもたげる。困ったものである。

 こんなことを言うのもおこがましい話だが,若いころは手紙大好き人間で,毎日,せっせと手紙を書いていた。故郷をあとにして上京してからは,孤独をまきらすためのもっとも重要な手段が手紙を書くことだった。だから,わざわざ毛筆で書いたりもしていた。ほとんど,毎日,だれかから手紙がとどいた。それが嬉しかった。だから,すぐに返事を書いた。それは毎日の一番の楽しみですらあった。にもかかわらず,いまや・・・・・。

 毛筆が万年筆に代わり,やがてボールペンとなり,いつのまにかワープロでメール交信することを覚え,これは気楽でいいと味をしめ,いまはパソコンに頼りきりである。その結果,とうとう手書きの手紙が書けなくなっている自分を発見して茫然としてしまう。

 はがき1枚の手紙を書くことなど,ほかの雑用のことを考えれば大したことではないはずだ。しかし,いまや,大仕事なのだ。なぜか。パソコンによるメールは,ある種の隠れ蓑のようなもので,自分の素顔を見られなくてすむ。つまり,自分隠しの道具でもあるのだ。ことばを紡ぎだすという営みは同じでも,文字を書くという営みがまるで別だ。

 手書きで文字を書くということは,生身の自分の心身の状態がそのまま表出することを意味する。心身のバランスのいいときには(つまり,気分のいいときには),自分でも納得のいく文字が書ける。しかし,そうでないときには,文字が勝手に叛乱を起こす。そして,こんな文字の手紙を送るのは恥ずかしい,と自制する力が強く働く。場合によっては,書いても投函しないで,放置してしまうこともある。

 言ってしまえば,手書きの手紙は,自分のありのままの姿を曝け出すに等しいのだ。だから,なんとしても文字を上手に書きたいと思う。加えて,書きはじめた文章は,途中で変えるわけにはいかない。修正がきかない。だから,かなりの緊張感をともなう。ところが,パソコンなら,書き終えてから推敲もできる。文字も明朝でもゴシックでも好きな書体を選ぶことができる。そうして,表面を整えることができる。つまり,自分のボロ隠しができる。

 これが常態化していくと,手書きの手紙は書けなくなってしまう。パソコンのメールは楽でいいし,修正ができるし,ポストまで行かなくてすむし,第一,料金が安い。手軽で,しかも,自分をこっそり隠すこともできる。すべては指先だけで処理できる。

 パソコンをわがものとし,わたしの事物であるかのように使いこなしているうちに,パソコンの機能の枠組みのなかにわたし自身が閉じ込められてしまう,ということが起きる。もちろん,本人は気づいてはいない。あくまでもパソコンの主人はわたしで,パソコンはわたしの奴隷だと思い込んでいる。しかし,いつのまにか,事物であるパソコンを使っているうちに,主人であるわたしもいつのまにか事物と化し,ついには,パソコンに従属する奴隷になっていることに気づき,愕然とする。

 いまのわたしがそのまま該当する。パソコンを使いこなすつもりが,パソコンの奴隷と化している。パソコンなしには手紙すら書けないのだ。なんたることか。まさに,頽落(Verfallen)そのものではないか。

 もう一度,原点に戻って,毛筆を手にしようと思う。しかし,相当の勇気が必要だ。それほどに,いまのわたしは堕落してしまっている。でも,そうと知ったからには,そこから脱出しなくてはなるまい。もはや毛筆を握る手も落ちているだろうが,そんなことを気にしていてはならない。むしろ,それが「いま」のありのままのわたしなのだと覚悟を決めて・・・・。それどころか,毛筆の醸しだす,さまざまな文字の表情をこそ楽しむべきだ。二度と同じ文字を書くことはできない,その瞬間,瞬間に意識を集中すること,そこにこそわたしの「生」の表出があり,「生きる」実体があるのだから。

 このさきは別のテーマ(哲学上の大テーマ)に入っていきそうなので,このブログはひとまずここで終わりにする。

結論:生の原点に立ち戻れ。自戒を籠めて。

2012年10月28日日曜日

今福さんのイベント:トークとピアノの工房<レヴィ=ストロース 夜と音楽>に行ってきました。

 素晴らしいイベントでした。いや,初めての体験でした。ですから,驚きと感動と新たな発見でいっぱいでした。加えて,いま考えつづけている「スポーツを批評する」という企画本についての新しいアイディアもいっぱい湧き出てきて,大満足でした。よし,これで行けると背中を押されたように思いました。あとは,これまでに溜め込んであるメモをもう一度,整理すれば,いよいよ執筆に向けてGOというわけです。

 考えてみれば,この体験には「前奏曲」というか,「序曲」がありました。ことしの夏の「第2回日本・バスク国際セミナー」(8月6日~9日)からずっと鳴り響いている「音」があって,その「音」の延長線上に位置づくもののように思います。その口火を切ったのが,8月6日(月)の国際セミナーの冒頭でなされた今福さんの特別記念講演でした。それも一人二役で,スペイン語で話したことを日本語に直してくれるという,これも初めての体験でした。その直後に,わたしが基調講演をするというプレッシャーの極に達する経験がありました。そして,残り3日間は,日本・バスクの研究者たちによるプレゼンテーションとディスカッションがありました。その最後の締めくくりに,西谷修さんが「グローバル化と身体の行方」とう特別講演をしてくださいました。この講演がまたことのほか大きな衝撃をもたらすものとなりました。その骨子は,西洋近代をとおして,どのように「グローバル化」が進展し,それとともに「身体」はどのように変化・変容してきたのか,ということをじつにわかりやすく,単純明解に提示してくれるものでした。

 その後も,今福さんが主宰する奄美自由大学(9月7~9日)での奄美の島々でのめくるめくような体験があり,さらには「アフター国際セミナー」(10月13日)での西谷修さんを囲む会での,またさらに新しい世界に踏み出す弾み車となる,稠密な時間の経験がありました。ですから,わたしの頭も身体も,今福さんと西谷さんという偉大なる「作曲家」兼「演奏家」による「音」の世界にどっぷりと浸りこんでいます。いってみれば,四六時中,わたしの耳にはいつでもお二人の音楽が鳴り響いています。

 その上での昨日の体験でした。一触即発といってもいいほどのレディネスがあったのも事実です。そこに,素晴らしいピアノの演奏と小沼純一vs今福龍太両氏によるじつに味わいのあるトークとが,みごとに絡み合い,不思議な時空間を醸しだしていました。ですから,あっという間に,レヴィ=ストロースの<夜と音楽>の世界に誘導され,丸裸にされたような感覚のなかで浮游しているわたしがいました。こうなれば,あとは,この「場」の力学に誘われるようにして新しいアイディアがつぎつぎに浮かんでくるだけです。

 「スポーツを批評する」,つまり「スポーツ批評」。そこへの第一歩をどのようにして踏み出すか,いまひとつ踏ん切りがつかないでいました。もう,単行本企画の構想のほとんどはできあがっているのですが,あとひとつ,背中を押すものが欲しかったのです。それが,昨日の今福さんのイベントで果たすことができた,という次第です。もう,あとは迷わず「離脱と移動」(西谷修)に向けて走りだすのみです。

 ちなみに,昨日のイベントのプログラムを紹介しておきますと,以下のとおりです。

 トークとピアノの工房<レヴィ=ストロース 夜と音楽>

 対話 今福龍太×小沼純一
 ピアノ 内藤晃

I レヴィ=ストロースと音楽家たち
 ショパン 練習曲作品10第3番「別れの曲」
 サティ 「ジムノペディ 1番」
 ラヴェル ピアノ編曲版「ボレロ」他

II レヴィ=ストロースのブラジル
 ダリウス・ミヨー 『ブラジルの郷愁』より「ソロカーバ」「ガヴェア」
 エイトール・ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ 第4番」Prelude

III レヴィ=ストロースの神話論理と音楽的主題
 バッハ「パルティータ第4番」序曲
 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」より
 ドビュッシー「音と香りは夕暮れの大気に漂う」他

日時:10月27日(土)15:00~18:00(開場14:30)
場所:日仏会館ホール(恵比寿駅下車徒歩10分)

 最後にピアノを演奏してくださった内藤晃さんにひとことお礼を。ピアノの音がこんなにもさまざまな表情をするものだ,ということを初めて知りました。まことに弱々しい頼りない音から夢幻に誘う音,そして剃刀のように切れ味鋭い音,さらに直近に落雷があったかとびっくりするような轟音,いやはや,驚くべきわたしの初体験のはじまりでした。いつもは舞台の上で,かなりの距離をおいて聞くことになるリサイタルしか経験がなかったものですから,びっくりしました。この日は,今福さんのアイディアもあって,舞台の上ではなく,聴衆と同じフロアにピアノをセットしてあったからでしょうか。じつに,繊細な音の変化を聞き取ることができました。しかも,内藤晃さんの演奏が抜群にいい。早速,CDを探しに行こうと思っています。

 この日,わたしがどのようなアイディアを頂戴したかは,これから書くことになる本のなかで明らかにしたいと思います。

 それにしても素晴らしいイベントを,今福さん,ありがとうございました。
 登山へのお誘い,赤道直下でのサッカー対決,できるだけ早い時期に実現させたいと思います。よろしくお願いいたします。

2012年10月27日土曜日

藤浪晋一郎君,ようこそ,阪神タイガースへ。Welcome !

 藤浪晋一郎君の阪神タイガース入りが決まった。嬉しくて,嬉しくて,もう躍りだしそう。阪神タイガースはドラフト1位指名選手の抽選に12年間,一度も当たったことがない。だから,ことしも駄目だろうと諦めていた。そうしたら,福の神は捨ててはおかなかった。13年ぶりに福をめぐんでくださった。やはり,神様はいらっしゃる,と信じたい。

 もう,いまさら藤浪君のすごさを書きつらねる必要はなにもないだろう。あるとすれば,このドラフトに臨んで藤浪君のとった姿勢は立派だった。すなわち,どこの球団でも指名してくれるところがあればすべてOKです,と断言していたその姿勢だ。これぞプロ野球をめざす人間のことばだ。ドラフト制度というのは,選手を商品として品評会に出して競売にかけるということだ。そこでは,単なる商品として静かに判定を待つのみである。だから,巨人でなければいやだとか,メジャーでなければいやだとか,ごねる人間はこの制度にはそぐわない。さっさと浪人するなり,アメリカに行くなりすればいい。それで生きていかれるのなら,それはそれで結構な話。しかし,世の中,そんなに甘くはない。あの江川君だってどれほど負い目を引きずらなくてはならなかったことか・・・・。小林君に最後まで頭が上がらなかったではないか。情けない。目先の欲得と生涯にわたる名誉と,どちらを優先させるかという人生哲学の問題だ。

 その点,藤浪君はえらい。きちんと覚悟ができている。どこから指名されようが,そこで全力をつくすのみ。自分の意志をとおすのは,フリーエージェントの権利を確保してからでいい。それまでに,さらに商品価値を高めておくことだ。そうすれば,自分の思うままに世界は開けてくる。それまでは,人間であることを封印しておこう。人間であることに蓋をして,ひたすらモノの振りをして,商品としての価値を高めること。このことのために,ただひたすらに励む。これが現代社会を生き抜くためのプロの根性というものだ。

 さてはて,このプロ根性のすわっている藤浪君に来季の活躍を大いに期待したい。阪神タイガースにとっては,待望のドラフト第一位の指名選手の入団である。虎キチとしては,ことしの不甲斐なさに絶望さえ感じていたが,これでようやく光明が灯ったというものだ。この藤浪君の入団を機に,他の選手たちも元気をとりもどしてほしい。みんながひとつになれば,まだまだ,阪神タイガースはやれる。

 今季の阪神タイガースは,あまりにもみじめだった。まずは打線がひどかった。去年までのような打線が健在であったら,まだまだ勝ちを拾えた試合はあった。しかし,いかんせん打線がしめったままの線香花火だった。どこか基本的なところで歯車が狂っていた。打線が狂ってしまうと投げる方も狂ってくる。だから,勝てそうな試合展開なのに,途中で投げる方が崩れたりする。なにせ,やることなすこと,ちぐはぐだらけ。場合によっては,完全な必勝パターンに入っているのに,崩れるはずのない投手が変調をきたす。信じられないような場面がいくつもあった。

 長い間,打の中心にあった金本が引退,そして城島も引退,さらには外人選手も入れ替わるとなれば,チーム・カラーも一新することになる。そうだ,藤浪君の入団を機に,生まれ変わればいいのだ。そして,1から出直せばいいのだ。レフトのポジションをだれが制するか。それによっては,センターもライトもポジション争いがはじまる。のみならず,内野も鳥谷のショートを除けば,あとは戦国時代だ。なんとしてでも早く実績を残し,だれよりも早く名乗りを上げたものが勝ち。まずは,キャンプで実績を残すこと。その意味では横一線に並ぶ若手選手たちの奮起を期待したい。だれにも同じようにチャンスはある。

 投手陣は,藤浪君の入団で,ピッチャーのレギュラー・ポジション争いが熾烈を究めることになるだろう。それでいいのだ。甘い空気が一変する。藤川さんのような直球の投げられる投手になりたい,とすでに藤浪君の目標も決まっている。このオフのブルペンでのポジション争いが厳しさを増すことだろう。こうなってくると,一度はキャンプを訪れてみたいものだ。

 でも,藤浪君よ,焦るな。君はまだ若い。まずは,大いに走り込んで,プロで通用するからだをつくること。一年をとおしてベスト・コンディションを維持することのできるからだをつくること。これはたいへんなことなのだ。そのためには,心技体のバランスが必要だ。よくよく考えて,どこをどのように鍛えなくてはならないか,的確に判断する能力が問われることになる。つまり,プロ選手として通用するために必要な「賢さ」を身につけること。ときには,狡賢いことも必要だろう。そういう知恵を,先輩たちから教えてもらうこと。あるいは,盗むこと。これも重要な能力のうち。あとは,自分の投手としての能力を信じて,全力を傾注しての精進あるのみ。

 さあ,来シーズンの阪神タイガースがとのように生まれ変わるか,新生タイガースの姿がどのようなものになるのか,いまから楽しみにしよう。そのための起爆剤となれるか,藤波君。大いに期待しているよ,藤浪君。

ようやく,虎の春がくる。

2012年10月26日金曜日

「江戸の判じ絵──これを判じてごろうじろ」展が面白い。

 ちかごろはよほどのことでもないかぎり渋谷にでることも少なくなってしまった。これではいけないと反省しつつ・・・・。でも,どうしても必要な本を探すときは渋谷まででかけることにしている。そのついでに,あちこちふらつくことにしている。

 そんなふらつきさきのひとつが「たばこと塩の博物館」。ここは満70歳以上の人は無料。無料といえば聞こえはいいが,入館料大人100円,高校生までは50円。いっそのことみんな無料にすればいいのに・・・とわたしのような凡人は考える。だが,そうもいかないらしい。

 この「たばこの塩の博物館」は,渋谷を歩き疲れたときの休憩場所にはうってつけ。とくに真夏の暑さに辟易としているときには,なんともいえないオアシスである。涼しいし,人がほとんど入っていないので,常設展などをのんびりと堪能することができる。しかも,あちこちに椅子が用意してあるのでとても助かる。ビデオ資料もふんだんなので,時間つぶしには,まことに結構。人と待ち合わせるにも便利。

 ここで,いま,「江戸の判じ絵──これを判じてごろうじろ」展をやっている。会期は11月4日(日)まで。江戸時代に「判じ絵」が流行したことがあるということは聞いてはいたし,ときおり,どこかで見かけたこともある。が,こんなにたくさんの判じ絵を一度にみるのは初めてである。まあ,あるわ,あるわ・・・・。ざっと眺めて廻るだけで小一時間はかかる。しかも,一つひとつの判じ絵に詳細な解説が加えてあり,判じ絵の正解も一覧表にして掲示してある。だから,全部,判じてやろうと思ったら,まあ,一週間は通わないと無理でしょう。

『図録』の表紙
そうはいかないので,図録を買ってきて(これがじつに安い),暇な折に開いては気分転換に利用している。判じ絵の内容は,たとえば,こんな風である。

 大きな象と金太郎の上半身だけを描いた判じ絵がある。これをどう判じると正解となるか。しばらく眺めていてもなかなか正解には到達しない。仕方がないので,解答表で確認する。正解は「ぞうきん」。腹をかかえて笑ってしまった。そうか,こういう具合になっているのか,と。


蝦蟇蛙がかしこまってお抹茶を立てている。さて,正解は?これはわたしにもすぐにピンとくるものがあった。答えは「ちゃがま」。


 大きなお釜を刀で真っ二つに切っている判じ絵がある。これもわかりやすかったので,すぐに,正解に到達した。「かまきり」。

 上の前歯と唇が大きく描かれていて,その下に猫が上下逆さまにうずくまっている判じ絵がある。これは,いつまで眺めていてもわからない。正解をみたら「はこね」。こういう仕掛けもありか,とひとつ大きな学習をする。


まあ,こんな調子の絵がびっしりと展示してある。図録にはそのすべてが収録されている。だから,飽きることなく眺めつづけることができる。安い買い物である。

 こんな判じ絵をじっと眺めていると,いつのまにか,そこはかとなく江戸の庶民の遊びごころの一端に触れているような,そんな感覚になってくるから不思議だ。なんとも,のんびりとした,素朴な楽しみ方をしていたものだ,と。こういう余裕というか,ゆったりとした時間の流れを,わたしたちはとうのむかしに置き忘れてきてしまった。

 しかし,眺めれば眺めるほどに,こころの奥底から,なんとはなしに懐かしさのようなものが疼きはじめる。この感情というか,情緒というか,情感はいったいなんなのだろうか,と考えてしまう。こういう情感こそ,人が生きるということの根幹をなす,きわめて重要な要素なのではないか,と。そのほのぼのとした情感を,わたしたちは,いつから,どのようにして,切り捨ててきてしまったのだろうか,と考える。

 わたしたちが伝統スポーツの問題を考えるのも,そして,グローバリゼーションとはなにかと問うのも,じつは,この「失われた情感」を求める(「失われた時を求めて」をもじったつもり)本能のようなものと,きっと不可分なのだ。もうひとつ飛躍させておけば,シモーヌ・ヴェーユのいう「根」を構成する要素のひとつもここにあるのではないか,と。

 まあ,こんなことを考えながら,今日も図録『江戸の判じ絵──再び,これを判じてごろうじろ』をめくりながら,あれこれ楽しんでいる。こんな時間もあったっていいではないか,と自分自身に言い聞かせながら・・・・。

2012年10月25日木曜日

慎太郎君,とうとう都知事を投げ出し,新党結成・国政参入だと・・・・?!

 石原慎太郎。希代の遊び人。火遊びの大好きな人。人が驚くようなことをやっては喜んでいる,まことの遊び人。いやになればすぐに投げ出す。つねに注目を集めていなくては気が済まない人。そのためには手段を選ばず。とうとう知事辞職,新党結成,国政参入,ときた。これで巨額の費用を注ぎ込んできた東京オリンピック招致運動も,間違いなく,致命的な打撃を受けること必定。そんなことは知ったことではない,とばかりに知事辞職,国政参入を合理化する。すべては東京都民のためだ,と。

 障子にペニスを突き刺す小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞して,学生作家としてデビュー。そのとき,母親は「物書きのような下卑た人間になりさがってしまって・・・。そんなことのために教育を受けさせた覚えはない」と息子の慎太郎を叱りつけた話は有名。そんな賢母の次男坊は映画俳優になってしまった。このとき,賢母はなんと言ったのだろう。

 この小説家という職業もまっとうすることなく,自民党に入党して,政治家に転身。作家時代には左翼がかった発言が多かったために,世間を「あっ」と驚かせた。なにゆえに「自民党なのか」と。

 そのときの言いぐさは,「体制内変革」。自民党の体質を変えないことには日本の政治はよくならない。外野席からいくら騒いでみたところで自民党は変わらない。自民党を変えるには,自民党のなかに入って,内側から変えるしか方法はない,と豪語。それが,すなわちイシハラ流「体制内変革」。

 自民党に入党して,参議院議員としてスタートしたとたんに「体制内変革」などどこ吹く風とばかりに,党の大御所に日参し,滅私奉公。これまたまことに熱心に励むことしきり。そして,覚えめでたくとうとう大臣のポストまで頂戴するようになった。この大臣ポストをいくつも楽しんでみたものの,すぐに退屈してしまう。しかも,自分の思うようにはならない。すると,とうとう自民党の体質は腐り切っていて変革は不可能だ,と捨て台詞を残して離党。

 一匹狼になって都知事選へ。さすがに美濃部亮吉現職知事には勝てず,敗退。挑むこと2度にしてようやくそのポストを手に入れる。ここでは歯止めをかける人間はだれもいない一国一城の主となって,やりたい放題。一族にばらまかれたという噂で持ちきりだった使途不明金がたくさんあったにもかかわらず,議会を恫喝して,強引に押し切ってしまう。それは,いまでは,常套手段。東京オリンピック招致運動も,すでに一度,手痛い失敗に終わったにもかかわらず,懲りずに二度目の挑戦。しかし,都民の盛り上がりがいまひとつ。それがネックになって,今回もIOC理事たちの評価は低いと言われている。それを見届けたかのように,東京オリンピック招致運動も投げ出し,さっさと鞍替え。

 なにか面白いものはないかと探していたら,あった,あった。センカクというまことにきわどい火遊びが。わざわざアメリカまででかけて行って,噂によれば,アメリカの右翼と手を結んで裏をとった上で,センカクを東京都が購入すると宣言。なにを血迷ったか,政府民主党は,慌てふためいてセンカクを国有化すると宣言。このために,わざわざ「棚上げ」になっていた領土問題に火をつけることになる。イシハラ君の思う壺となる。

 しかし,国有化となれば,イシハラ君の出番はもはやない。となれば,つぎの火遊びに触手が伸びる。あった,あった,新党結成。もういい加減,嫌気がさしていた知事職を投げ出すには千載一遇のチャンス。かねての打ち合わせのとおり「たちがれニッポン」と手をとりあって万々歳。つぎの総選挙には立候補して,最後のご奉公をする,という。

 いやいや80歳のご老体に国政は無理。もはや,時代の趨勢すら読みきれずに,むかしながらの,とんちんかなことばかりを仕出かすのがやま。その証拠に,芥川賞選考委員としてのご活躍がある。毎年,選考委員による「選評」なるものが『文藝春秋』に掲載されるが,このページだけは毎年,じつに楽しみにして読んできた。なぜ?イシハラ君,ただひとり,とんちんかんな選評を書いてくれるからだ。他の選考委員が押した受賞作を,なにを言っているのかわけがわからない,こんな作品に賞を与えること自体がナンセンスだ,と書きなぐる。そんなことが数年つづいたと思っていたら,ととうとう選考委員を投げ出した。

 自分が主役でなくなったり,理解不能になると,すぐに投げ出す。火遊び名人の通弊。だって,火遊びは「ドキドキ」しなくなったら,もうなんの面白みもなくなるのだから。

 さて,こんどの新党結成はどんな仕掛けをして遊ぶつもり?おざなりの新党結成では面白くもなんともないので,ここはひとつ,斬新な工夫をこらしてもらいたいものだ。少なくとも,政治が活性化するために。そう,政治を面白いものだと国民に思わせるための仕掛けとしての新党結成なら,大いにおやりなさい。そして,票が欲しかったら,脱原発路線を・・・・。多少,とんちんかんであっても許す,高らかに打ち上げなさい。吉本興業からスカウトがくるかも・・・・ね。

 とまあ,こんなことでも書いて憂さを吐きださないことには,わたしの人生やってられない。
 以上,虚実ないまぜにした,わたしのひとりごと。ジョーク半分,本気半分。虚実皮膜の間(あわい)に宿る真実を,どうか読み取っていただきたい。

 それにしても,今夜は悪い夢をみそう・・・・。困ったものだ。なにかいい方法はありませんか。


シモーヌ・ヴェーユの『根をもつこと』上・下(岩波文庫)に再挑戦。

 シモーヌ・ヴェーユの存在を知ったのは,今福さんの『ミニマ・グラシア』(岩波書店)をとおしてでした。このときのことは,すでに,このブログでも書いているので,ここでは省略。ただし,一点だけ。そのときは,「恩寵」ということばだけが気になっていました。つまり,シモーヌヴェーユのいう「恩寵」と今福さんのいう「恩寵」とは,どこでどのように重なるのか,どのように響き合っているのか,その意味内容はなにか,というところにわたしの関心が向っていました。ですから,「根にもつこと」への関心はほとんどないまま,読みとばしただけでした。ただ,妙なことばづかいだなぁ,とは思っていて,ひょっとしたら,という程度には考えていました。

 今回は,「アフター国際セミナー」の席で,西谷さんからシモーヌ・ヴェーユの「根にもつこと」という考え方に興味をもっている,という発言があったのがきっかけでした。「ややコンサーバティブに聴こえるかも知れませんが,そういう意味ではなくて,<根にもつこと>という考え方は一考を要するテーマだと思っています」,とさらりと西谷さんは触れただけでした。しかし,「グローバリゼーションと伝統スポーツ」をテーマにして考えてきた国際セミナーの流れからすれば,「根をもつこと」への西谷さんのまなざしは見すごすわけにはいきません。以前,今福さんの著作との関係を考えていたときに,ちらりと頭に浮かんでいたことが,今回の西谷さんの発言によって,にわかにとてつもなく大きな意味をもつことになりました。

 「アフター国際セミナー」からもどってすぐに『根をもつこと』を読みはじめました。しかし,どうしたことでしょう。いきなり,ハンマーで頭を叩かれたような衝撃を受けてしまいました。なぜなら,『根をもつこと』上の冒頭の書き出しの一行に,つぎのように書かれていたからです。

 「義務の観念は権利の観念に先立つ。」

 えっ!? びっくり仰天です。わたしは,権利の裏には義務がある,あるいは,権利を要求したり,行使したりする場合には,かならず義務も背負わなくてはならない,と教えられたように記憶しているからです。あるいは,無意識のうちにそのように刷り込まれていたのかもしれません。ですから,この冒頭の一行は,ほんとうに眼からうろこが落ちる思いで,わが眼を疑いながら,何回も確認しました。再読だというのに・・・と情けなくなってしまいました。が,これが「出会い」というものなのでしょう。こちらにレディネスがなければ,猫に小判です。

 しかも,この一文には,訳者による訳注がついていて,2ページにわたる詳細な解説があります。それを読んで,またまた,びっくり仰天でした。そこには,フランス革命のときのいわゆる「人権宣言」(「人間および市民の権利の宣言」)に,そのボタンのかけ違いのはじまりがあったことが指摘されていました。さらに,カントの『実践理性批判』と『道徳形而上学原論』を引き合いに出して,そこで述べられている権利や義務についての要点を紹介しています。そうか,ヨーロッパ近代は,義務と権利についても,大きな錯誤を犯していたのか・・・・と。そして,シモーヌ・ヴェーユはその根幹にかかわる疑問を提示して,もう一度「根をもつこと」の意味を問い直そうとしている・・・と。

 ここのところを何回も読み返してから,シモーヌ・ヴェーユのつぎの文章を読んでみました。そこには,つぎのように書かれています。

 「権利の観念とは義務の観念に従属し,これに依拠する。ひとつの権利はそれじたいとして有効なのではなく,もっぱらこれに呼応する義務によってのみ有効となる。権利に実効性があるかいなかは,権利を有する当人ではなく,その人間になんらかの義務を負うことを認める他の人びとが決める。しかるに義務は承認と同時に有効となる。たとえだれからも承認されずとも,その十全性はいささかも失われない。だが,だれにも承認されない権利などなにほどのものでもない。」

 そういうことだったのか,とわたしは自分自身のこれまでを振り返ってしまいました。かつて,「スポーツする権利」について議論が盛んになされていたことがあります。わたしはその議論のなかにどうしても加わることができず,傍観していました。その理由は,「権利」ということばの本来の意味と「スポーツする権利」という表現にどこか齟齬を感じていたからです。ですから,いまでも,「スポーツ権」ということばを使うことができません。その原因の一端はここにあるな,とこれはわたしの直感です。この問題は,また,いつか別の機会に論じてみたいと思います。

 シモーヌ・ヴェーユは,さきの引用につづけて,つぎのように書いています。

 「人間は一方で権利を有し,他方で義務を有するというのは意味をなさない。権利や義務といった語は観点の相異を示すにすぎない。このふたつの語の関係は客体と主体の関係である。個としてみた人間にはもっぱら義務しかない。──中略── 宇宙にただひとり存在する人間は権利をいっさい有さず,ただ義務だけを有するだろう。」

 この引用の最後のところにさしかかったときには,あれっ?バタイユ?と思ったりしながら,このさきも読みつづけることになりました。

 さて,このようにして義務と権利の関係から語りはじめるシモーヌ・ヴェーユの『根をもつこと』の「根」とはいったいどういうことを意味しているのか,いきなり,とんでもないテーマを与えられることになりました。これからもしばらくは,『根をもつこと』に挑戦しながら,わたし自身の思考を深めていきたいと思っています。また,その思考の断片はこのブログにも書かせてもらうつもりです。

とりあえず,今日のところはここまで。シモーヌ・ヴェーユに挑戦する第一報として。

実りの秋だ。守備のイニングが終わって攻撃のイニングへ。

 思いかえせばあの異常に長くつづいた猛暑日に,わたしのからだもこころも相当にダメージを受けていたようだ。猛暑日のつづく最中は,なんのこれしきの暑さなんか・・・と意地を張って,やり過ごそうとしていた。のみならず,暑いのは得意だとまで豪語していた。しかし,いまから考えてみれば,単なる強がりにすぎなかったようだ。

 猛暑日から一気に秋の後半がやってきたのも,知らぬ間にわたしのからだやこころに大きな負荷を与えたようだ。それがいまになってわかる。なぜなら,いまごろになってようやく気合が入りはじめ,攻めの姿勢が感じられるようになったからだ。からだとこころのバランスがよくなってきたことが,からだの芯のあたりから伝わってくる。なぜ,わかるのか。ここちよいから。やることに前向きになってきている自分に気づくから。

 考えてみれば,夏の間じゅう,ずっと守りに入っていたようだ。野球でいえば守備のイニング。外からやってくる仕事に受けて立つだけで精一杯だった。目の前の原稿はもとより,ずっとさきの講演やシンポジウムが気になって仕方がない。あれも読まなくては,これも読まなくては・・・・という具合に守りに入ると際限なくやらなくてはならないことが,つぎからつぎへと押し寄せてくる。それに圧倒されてしまって,結局はなにも手につかなくなってしまう。ただ,おろおろするだけ。それだけで日が暮れていく。思考が停止している。ますます焦る。悪の循環。

 ここ数日前から,気づけば元気がいい。からだに力を感ずる。弛緩状態だったからだが,どことなく頼もしい。太極拳の稽古をしても,膝から大腿筋,大臀筋から股関節まわりの筋肉まで,必要に応じてビシッと緊張してくれる。だから,ふらつきが少ない。自分でも不思議なほど安定している。とくべつになにかをしたわけでもない。これまでと同じ生活のリズムを刻んでいるだけだ。にもかかわらず,からだに力が漲っている。

 からだが充実してくると,気づけば,こころもしっかりしている。山ほど仕事がたまっているのに,なんとかなる,と落ち着きはらっている。これも不思議だ。たぶん,この季節の激変に,しばらくもたついていたのが,ようやく適応してみずからのリズムを取り戻したのだろう。なにより,こころの焦りが消えているのが嬉しい。

こうなると面白いことに,ずっとさきの仕事のことを考えはじめている。しかも,つぎつぎに面白いアイディアが浮かび,それを夢中になってメモっている。それがじつに楽しい。急に天才になったのではないか,と錯覚を起こすほどだ。問題は,そのメモが,数日後には色あせた,単なる愚考になってしまうのではないかという不安。そうならないで,ますます輝かしいメモであってくれ,と祈りながら,毎日,せっせとメモを貯め込んでいる。

 ああ,ようやく長いトンネルから抜け出して,見晴らしのいい景色の前に立つことができた,と自分で感動している。それいけ,ワッセイ!だ。野球でいえば「チェンジ!」。いよいよ守備のイニングが終わって,わが方の攻撃のイニングのはじまりだ。

 まず,筆頭にわたしの頭のなかを駆け回っているのは,『スポートロジイ』第2号の編集内容。すでに,余るほどの原稿がある。でも,もっといい原稿がほしい。それを,どのようにして発注していくか。そのアイディアもつぎつぎに浮かぶ。じつに楽しい。そのつぎは,すでに決まっている単行本の企画2本の構成。1本は共著,もう1本は単著。まずは,共著の方から。そして,どのように役割分担をしていくかをあれこれ考える。いくつもの案ができていく。どれも一長一短。もっと練り上げていく必要がある。単著の方も,これまでにない画期的なものにしよう,と意気込んでいる。世界中見渡してみても類書をみない,世界でただひとつの本にしよう,と。

 とまあ,こんなことを考えていたら,単なる躁鬱症ではないかと心配になってきた。長い「ウツ」を通過して,一気に「ソウ」になる,そういう友人がかつていた。いつも,その季節がくるたびに「ノーベル賞級のアイディアが湧いてきて,楽しくて仕方がない」と延々と電話で話しを聞かされたことを思い出す。わが胸に手を当てて,まだ,これまで躁鬱気味だったこともないから大丈夫だ,とみずからに言い聞かせる。そして,気持ちを引き締めて,「行くぞ,実りの秋」と気合を入れる。

 とはいえ,すでに10月も終わろうとしている。ということは,ことしもあと2カ月しか残ってはいない。だとすれば,もっとピッチを上げなくては年が明けてしまう。

 それいけ,ワッセイ。なんとか破綻することもなく守備のイニングを守り切ったのだから,こんどはのびのびと攻撃のイニングを楽しもう。でないと,人生,やってられない。

 なんだか,自分自身で一人芝居をしているようにみえてくる。それでも構わぬ。行け,行けっ!さて,この先,どうなることやら。この一人芝居,見てのお楽しみ。カッ!

2012年10月24日水曜日

大相撲の「巡業ちゃんこ」が廃止されていた・・・とは。

 日馬富士が二場所全勝優勝を飾って,めでたく横綱となったのに,メディアは意外にも冷やか。それどころか日馬富士バッシングの記事さえ,大新聞の誌面に躍っていたことさえあります。担当記者の記名入り記事もありましたので,いずれ,具体的に「名指し」で批判を展開してみようと密かに計画中です。

 今日は,偶然にも予想外の時間が空いたので,かねて購入してあった『相撲』10月号(ベースボール・マガジン社刊)をめくって楽しんでいます。もちろん,日馬富士の特集といってもいい「秋場所決算号」です。この号を買わずして日馬富士ファンとは言えません。表紙の見出しも,大きな文字で「日馬富士 満願成就」とあり,やや小さく「2場所連続全勝優勝で平成8人目の横綱誕生へ」とあります。そして,表紙の写真は,いうまでもなく日馬富士が羽織袴でどっかと座り,大盃を前に,右手で大きな鯛を掲げ,後援者に囲まれてにっこり笑っているものです。この号は,久しぶりにわたしの宝物として「永久保存版」となりそうです。

 この雑誌の中に,連載漫画が載っています。「琴剣の相撲のす」第16回巡業ちゃんこ,と標題がついています。この漫画によりますと,「人員削減,経費削減のため,平成7年の春巡業から廃止になった」とあります。ところが,去年のある巡業地で,白鵬関が昼食時にどうしてもちゃんこが食べたい,と世話人の人たちに頼んでつくってもらって食べたことがあるそうです。それを見た親方衆が「やっぱり巡業はちゃんこ鍋が合うよなぁ」と絶賛していたそうです。そんなこともあってか,今年の春巡業中に,ちゃんこの炊き出しを2回行ってみたところ,力士たちの評判はすこぶるよかったとのことです。

 漫画の内容は,こんな話題を切り出しに,むかしの巡業ちゃんこの思い出をたどっています。むかしのお相撲さんの中には,巡業ちゃんこの美味しそうな話に誘われて,それが動機になって弟子入りした人もいるとか,ちゃんこの食材の買い出しから後片付けまでの苦労話,などが描かれています。

 巡業ちゃんこを廃止して,では,お相撲さんの昼食はどうしているのかと思ったら,仕出しのお弁当が配給されているというのです。巡業先といえば屋外での食事です。青空のもとで仕出し弁当を食べているお相撲さんは絵になりません。むかしの巡業ちゃんこは,「その土地のうまいもの,刺身,酢の物,焼き肉,フライ,サラダなど,和洋中と品数にして10種類以上という豪華版!!別名・青空レストランと呼ばれるほど楽しみな食事でした」ということです。

 「人員削減,経費削減」が理由,と漫画には書いてありましたが,そうだろうか,とわたしなどは首を傾げてしまいます。なぜなら,人員削減・・・・ちゃんこ鍋は新弟子さんたちの仕事だったはず。新弟子が集まらなくて人手が足りない,ならわかります。ならば,兄弟子たちも手伝えばいいはずです。経費削減・・・・これも納得いきません。仕出し弁当といったって,お相撲さんの食べる弁当はふつうのサイズではないはずです。だとしたら,相当に高価なものになるはずです。たぶん,単純に経費を計算したら,ちゃんこの方が安上がりのはずです。しかも栄養満点です。

 そこには,漫画でも描けない内緒の事情があるのではないか,とわたしは想像しています。その事情とは,丁寧に説明しないと誤解を招く恐れがありますので,ここでは残念ながら割愛させていただきます。でも,あえて抽象的に書いておけば,以下のようではないか,とわたしは推測しています。

 つまり,日本相撲協会が,大相撲文化というものをどのように考えているのか,そのうちのなにを継承し,なにを改善していくべきと考えているのか,という基本的な理念を欠いている,ということです。巡業ちゃんこは,大相撲文化を支える重要な柱のひとつだ,とわたしは考えています。しかし,その巡業ちゃんこを継承するだけの力がなくなっている,そこに大きな問題点が象徴的に表出しているのではないでしょうか。

 たかが「巡業ちゃんこ」の存廃ぐらいで・・・と言われるかも知れませんが,わたしはすこぶる重要な問題がそこには隠されていると考えています。大相撲という伝統文化が,グローバル化という大きな波に洗われているうちに,伝統文化としての重要なエキス(旨味)がどんどん削ぎ落とされていく,そのあとには形骸化した形式(骨)だけが残る,その典型的な姿をみる思いがします。

 今日のところは,総論程度にして,各論については,これから折をみて展開してみたいと思います。本気で考えてみたいと思っています。

2012年10月23日火曜日

孫崎享論文「尖閣問題 日本の誤解」(『世界』11月号)がお薦めです。

 『世界』(岩波書店)11月号が,「尖閣問題」東アジアの真の平和のために,を特集しています。そして,中江要介,孫崎享,小林陽太郎,朱建栄,羽根次郎,姜誠,坂本義和,といった錚々たる論客が素晴らしい論考を展開しています。すでに,さまざまなメディアをとおして,さまざまな意見が披瀝されていますが,そのほとんどはわたしの失望を誘うものばかりでした。なかには,失笑をかってしまうほど稚拙な見解を(盲信というべきか),堂々と述べ立てる論客もいて困ったものだと思っていました。ですから,この『世界』11月号の特集は,たいへん役に立ちました。

 もう,ずいぶん前のブログに,わたしの記憶では,たしか,尖閣問題は「棚上げ」になっていたはずと書きました。そうしたら,『世界』10月号で河野洋平氏が「棚上げ」になった経緯について詳しく論じていることがわかり,ほっとしました。しかも,この「棚上げ」論は,日本の実効支配を認めるという点で中国側の驚くべき(当時)譲歩であった,とも論じています。間違っていなくてよかった,と安堵の胸をなぜおろしました。

 にもかかわらず,この「棚上げ」論を忘れてしまったかのように,日本の政治家たちを筆頭に,ほとんどの評論家たちもみんな,尖閣に「領土問題」は存在しない,日本固有の領土である,と口を揃えて平然としています。日本共産党の志位委員長さえもが,国際法上も日本固有の領土だと主張しています。メディアもそれらの情報をそのまま垂れ流しています。ですから,日本国民の大多数も,尖閣は日本固有の領土だと信じて疑わなくなってしまっているようです。しかも,日本政府は強行姿勢をくずそうとはせず,中国との外交交渉に入ろうともしません。ですから,事態はますます悪化の一途をたどろうとしているように見受けられます。困ったものです。

 このままでは,中国も引くに引けないでしょう。ですから,とことん自分たちの主張を貫こうとしているように思います。この問題は,なすすべもなく,だらだらと長期化していくことでしょう。まったく解決の糸口も見出せないままに。のみならず,場合によっては,やっかいなことになりかねません。すでに,自衛隊まで出動させて,力づくで「国有化」を押し進めようというのですから。

 わたしは単純に,尖閣に関しては,日本側のルール違反であり,一方的な約束破棄だと考えています。いわゆる日中友好条約を締結したときの紳士協定である「棚上げ」論が守られてきたからこそ,日中の「友好」がここまで進展してきたのではなかったでしょうか。その「40年」の節目の年に,なんの外交交渉もなく,突然,「国有化」などということを言い出したのは日本政府です。ほんとうに,いまの政府はなにをやりだすかわかったものではありません。やることが,思いつき,衝動的で,まるで子どもじみています。困ったものです。

 そのように考えていましたので,『世界』11月号の特集はとても役に立ちました。とくに,孫崎享論文「尖閣問題 日本の誤解」(P.86~92.)が,わたしにはもっとも納得のいく論考でした。詳しい内容については,ここでは触れることはできませんが,ピン・ポイントで問題の所在を紹介しておけば以下のとおりです。

 孫崎氏は,「1945年8月14日,米国,英国,ソ連,中国に対し『天皇陛下ニオカレテハ”ポツダム”宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ』との通告を関連在外公館に発出した。”ポツダム”宣言受諾が戦後日本の出発点である。かつ1945年9月2日の降伏文書には,『ポツダム宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スル』と記されている。」と述べた上で,さらに,つぎのように加えています。

 「このポツダム宣言は第8項において,『カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国の主権は本州,北海道,九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島に局限セラルベシ』となっている。」

 ここから説き起こして,さらにカイロ宣言の内容に立ち入り,その上で,日本が尖閣諸島を自国領とした経緯(外務省『尖閣諸島に関するQ&A』)を紹介し,加えて,中国側の主張(『北京週報1996年No.34,「釣魚島に対する中国の主権は弁駁を許されない」)を紹介しています。

 このさきの論考は,ぜひ,本文に当たってみてください。まだ,書店に並んでいますので,どうぞ,手にとってご覧になってみてください。孫崎氏の,このあとの論考を「小見出し」で紹介しておきますと,以下のとおりです。

〇尖閣に「領土問題はない」のか?
〇「係争地」にどう対応するか
〇「米軍参戦」をめぐるトリック
〇米国が傾く「第三の選択」とは

 以上です。眼からうろこが落ちるような分析と,それを裏付ける論拠とが,つぎからつぎへと展開しています。まことに説得力のある,素晴らしい論考だと,わたしは受け止めています。こういう論者をなぜマス・メディアは無視するのでしょうか。真実により深く接近する論考こそが,いまの日本政府および日本人には不可欠です。にもかかわらず,一方的に「わが国固有の領土である」で押し切ろうとしています。しかも,中国側は国際司法の場で議論をと提案しているにもかかわらず,日本側は拒否しています。これも情けない姿ではないでしょうか。(韓国との領土問題では,まったく逆の立場をとっているにもかかわらず・・・・)

 わたしの現段階での立場は,以下の二つです。
 1.もう一度,「棚上げ」論に立ち返って,仕切り直しをすること。実効支配が長くつづけば,その 実績によって国有化への道が開かれるのだから。
 2.でなければ,国際司法の場で堂々と決着をつけること。こちらは,どうやら日本に勝ち目はなさそうだ。そのことは日本政府がもっともよくわかっているはず。

 このままの状態を,いつまでもずるずると続けていてはならないことは,みんなわかっているはずです。目先の利害に走ることなく,長期的な視野に立つ決断が必要なことも,みんなわかっているはずです。そういうことも含めて,孫崎論文をぜひ一度,読んでみてください。

2012年10月21日日曜日

ついに補聴器を購入しました。「幕引き」も近いか。

  加齢とともに老化現象が現れるのは仕方のないこと,自然のなりゆきにまかせるしかありません。幸いなことに,からだの根幹に関してはとても頑健にできているらしく,ここ数年は風邪を引くこともなく,快適に暮らしています。が,耳だけは,もう10年ほど前から健康診断のたびに「軽い難聴」と言われていましたので,それなりに覚悟はしていました。

 が,ここ数年は,研究会や大勢の人のなかでの会話では,相手の話が聞き取りにくくなり,困っていました。まあ,なんとかわかったようなふりをして誤魔化してきたというわけです。しかし,テレビの音声も相当に大きくしないと,肝心要のところを聞き逃してしまいます。ニュースなども,アナウンサーの声質によっては,とても聞き取りにくいので困っていました。

 つい,この間の「アフター国際セミナー」のときも苦労しました。お話をしてくださる西谷さんの声が,精確に聞き取れないのです。すぐ,近くに坐っていながら。ですから,インタヴューアーとしての役割をきちんと果たすことができません。おそらく,トンチンカンな会話になっていたのではないか,といささか心配になっています。わたしの足りないところはうまく西谷さんがカバーしてくださって,なんとか体裁を整えてくださった,と信じていますが・・・・。

 そのあとの懇親会でも,西谷さんの声も,ほかのみなさんの声も,とても小さくしか聞こえません。ですから,断片的にしか会話についていかれません。あとは想像力を逞しくして,補うしかありませんでした。たぶん,このわたしの不調に西谷さんは気づかれたのでしょう。「稲垣さんもそろそろ歳だから,幕引きのことを考えておかないと・・・・」と切り出されてしまいました。でも,心優しい西谷さんは,「じつは,ぼくも幕引きのことを考えはじめているんですよ」と気遣ってくれましたが。

 じつは,わたしはかなり以前から「幕引き」のことを考えてきました。そして,研究会の世話人の人たちに,そのタイミングについては間違いのないように見極めてください,自分では判断できなくなるのが老化ですから,とお願いがしてありました。ですから,西谷さんから突然,「幕引き」のことばを聞いたときには,正直に言って「ハッ」としました。そして,思わず西谷さんの顔をじっとみてしまいました。難聴の度が進んで,いよいよみなさんにご迷惑をおかけするようになっていたのだな,と。ひょっとしたら,相当の実害もあったのではないか,と。

 ほんとうのところを申しますと,もう2,3年前から補聴器を買おう,と考えつづけていました。新聞の下に,補聴器の広告(かなり大きい)がでると,そのつど切り抜いていました。ですから,何種類もの補聴器が売られていることも知っていました。その性能も比べながら,どれが自分には合っているのだろうか,と密かに検討もしていました。両耳仕様がいいか,片耳仕様がいいか,ということも考えていました。そして,集音マイクの位置もどこについているものがいいのだろうか,ということも考えていました。そうして,買うなら,これがいいだろうというのも,じつは決めていました。

 ですから,今回の「アフター国際セミナー」と懇親会,そして西谷さんの「幕引き」発言は,ちょうどいいタイミングでわたしに引導をわたしてくれた,というわけです。しかも,2,3日前に,購入しようと思っていた補聴器の新聞広告がわたしの眼に飛び込んできました。迷わず注文をし,今朝(20日),配達されてきました。早速,調整をして試し聞き。ラジオでも,テレビでも試してみました。驚くほどはっきりと音声が聞こえてきて,世界が変わったように思いました。これなら,ラジオの音量を相当に小さくしても,こちらの補聴器の方のボリュームをあげれば,大丈夫です。その場,その場の状態に応じて自在に調整ができる,ということがわかりました。

 この補聴器のおかげで,いましばらくは「幕引き」のタイミングを遅らせることができそうです。でも,明らかに,五感のひとつに顕著な衰えがでてきたことは間違いありません。つぎは,どこなのだろうか。眼なのだろうか,それとも味覚なのだろうか。あるいは,しゃべるための歯なのだろうか。その前に脳ミソの方が危ない。すでに,相当におぼつかなくなってきていることは,はっきりと自覚できるほどですから・・・。とくに,自慢できるほどのものではありませんが・・・・(笑い)。

 でも,ありがたいことに足腰だけは太極拳のおかげもあって,まだ,しばらくは大丈夫のようです。まあ,歩けなくなったら,だれがみても,そこが完全に「幕引き」のときであることは間違いありません。が,一番困るのは脳の衰えでしょう。脳が衰えてきているなぁ,とわかるうちはまだ大丈夫でしょう。ほんとうに脳が衰えてしまったら,そのことすらも自分では判断できなくなってしまうのですから。この判断は,やはり第三者にお願いするしかありません。でなければ,自分で判断できるうちに「幕引き」をしなくてはなりません。

 そのようにしてもろもろのことを考えると「幕引き」のタイミングもそう遠くはないなぁ,と補聴器をいじりながら考えている今日このごろです。

2012年10月20日土曜日

茶番・日本に駐留する全米兵の夜間外出禁止令。

 沖縄の米兵による集団強姦事件に対する沖縄県副知事の強い抗議を受けて,在日アメリカ軍のアンジェレラ司令官は,「駐留米兵だけでなく出張者を含む米軍人全員の夜間外出を禁止する」指令を出したと,ほとんどのメディアが報道した。しかも,沖縄県だけではなく,日本に駐留するすべての米軍人を対象とする,これまでに前例のない厳しい措置だという。

 しかし,こんな茶番に騙されてはいけない。問題の核心にあるのは,沖縄で犯罪を犯した米兵を日本の法律で裁く権利を剥奪されている「日米地位協定」の存在だ。以前,沖縄国際大学のキャンパスにアメリカ軍のヘリコプターが墜落した事故のときには,沖縄の警察による現場検証すら排除され,ことの真相は米軍の提供する情報だけで終始した。これもまた「日米地位協定」によるものだと,そのとき知った。

 諸悪の根源はこの「日米地位協定」にあると認識すべきだ。そして,こんどの二人の米兵による集団強姦事件も,一応は沖縄県警による取り調べが行われているが,いずれ米軍が引き取り,アメリカ本国に送り返されて終わりである。つまり,米軍の保護のもとに置かれる。それどころか,米兵たちは沖縄での女性暴行事件は無罪放免になることを知っているらしい。だから,何回も同じことがくり返される。しかも,今回の事件を起こした二人は,沖縄に駐留する米軍に所属するのではなく,アメリカ本国の軍に所属する兵士で,「短期出張」で沖縄にやってきたという。なにを目的に「出張」してきたかは察しがつくというものだ。

 沖縄での婦女暴行事件は,もう,何回となくくり返されてきている。そして,そのたびに「夜間外出禁止令」を出してきた。それも「当分の間」だけのことだ。今回も同じ「当分の間」という条件つきだ。ということはいずれ解除になる。つまり,一時しのぎの茶番にすぎない。本質はなにも変わってはいない。沖縄県民はみんなわかっている。騙されるのはヤマトンチュだけのこと。

 メディアもアホだから,日本全土に駐留する米軍人のすべてに適用する前例のない厳しい措置だと強調する。夜間外出禁止令の内容がこれまた,ふざけている。夜間とは「午後11時から午前5時」までのことだそうな。こんな時間に外出する米軍人は,どこに,なにをしに出かけるというのか,聞いてみたい。この時間は,日本語では「深夜」という。だから,「夜間外出禁止令」という報道がまずは間違っている。「深夜外出禁止令」とすべきだ。そうすれば,この禁止令の茶番の実態が丸見えになる。

 日本語には「午前さま」ということばがある。ふつうの日本人は午後11時から遊びにでかける人はいない。ふつうの日本人は「午前さま」にはならないように帰宅を急ぐ。つまり,午後11時には帰宅すべく努力する。だから,午後11時から外出する日本人は,ごく特殊な,例外的な人たちしかいない。その目的もほぼ決まっている。

 ついでに述べておけば,アンジェレラ在日米軍司令官は記者会見で,はっきりと謝罪していたが,ルース駐日大使は謝罪のことばはひとことも発してはいない。「ことの重大さを深く理解している」という趣旨のことを述べたにすぎない。ここにも日米地位協定の一端がちらりと顔をのそがせている。

 日本はいつからアメリカの属州となったのか,という議論がある。アメリカの言いなりではないか,と。しかし,この言い方も間違いである。アメリカの州は,国家とは別に独自の州法をもっていて,その州の住民の利害を守ることができる。たとえば,銃をもつことを認めている州もある。あるいは,進化論を公教育で教えてはいけない州もある。沖縄の基地に関して,沖縄県民の利害を守ることのできる法律は認められていない。しかも,沖縄県民の意志や希望すら,「日本政府」によって踏みにじられてきたのが「復帰40年」の歴史だった。この現実,まったく気の遠くなるようなこの現実を,ヤマトンチュの多くは「見て見ぬふり」をしてきた。だから,日本は「アメリカの属州」という議論はまったく見当違いだ。ましてや,沖縄に関してはアメリカの植民地以下ではないか。

 だから,沖縄に駐留するアメリカ軍兵士たちも,まるで治外法権であるかのように振る舞う。ましてや,短期出張と称して沖縄にやってくる兵士たちの振る舞いは,「旅の恥はかき捨て」的な感覚ではないかと思う。

 またまた脱線していきそうなので,この辺りでこのブログは終わりにする。
 もう一度だけ言っておく。問題の核心は「日米地位協定」にある,と。最小限,日本で犯罪を犯した米兵は,日本の法律で裁く権利を,わたしたちは確保しなくてはならない,と。それなくして,問題の根源的な解決はありえない,と。そうではない措置は,すべては「茶番」である,と。

2012年10月19日金曜日

1票の格差が5倍を越える不平等。選挙制度<違憲状態>(最高裁)からの脱出を。

「3・11」以後,これまでみごとに隠蔽されてきた日本の恥部が,「非常時」の対応のまずさからからつぎつぎに明るみにでてきて,そのあまりにもひどい実態を眼にし(それもまだほんの一部でしかないようだ),もはや打つ手もないのか,と頭を抱え込んでしまいます。毎日,毎日,くる日もくる日も,新聞を眺め,テレビをチェックし,ネット情報をサーフしながら脳裏に浮かぶことは,いまや,日本国および日本人の根幹にかかわる部分からメルトダウンを起こしている,というです。こんなにひどい国だったのか,そして,こんなに駄目な国民だったのか,と。そして,そんなことも知らずにのほほんと生きてきた自らの姿勢を,こころの底から悔やんでいます。

悔やんでばかりいても仕方がないので,遅まきながら,これからは悔やまなくて済むような生き方,行動の仕方,思考の練り直し(とくに,思想・哲学のブラッシュ・アップ)に残りの「生」の時間をそそぎたい,と泥縄のような覚悟をすることにしました。

脱原発への舵切りもできない政治家たち,見て見ぬふりをしつづける沖縄の基地問題に対するヤマトンチュ,省庁をあげての復興予算の分捕り合戦(被災地不在のまま,復興とはなんの関係もない部署に巨額の予算を配分),その復興予算審議で必死になって正当化しようとする政府の「愚」(眼にあまる責任転嫁,官僚の権力に政治家が怯えているとしかいいようがない),検察と司法がぐるになった「茶番」裁判(前福島県知事佐藤栄作久有罪判決,こんな例は山ほどあるという,メディアもそれを批判しない),検察による偽造文書作成,教育委員会をめぐる学校現場の問題(いじめ問題だけではない),肝心要の原子力規制委員会のいい加減さ(人事,役割分担,権限,など),尖閣諸島国有化の「愚」,領土問題をめぐる対応のお粗末さ,などなど。もうすでに,記憶から消え去ってしまったものまで拾えば際限がなくなります。

そんな中で,たった一つだけ,これも遅きに失しているとはいえ,ほんのわずかな光明をみる思いがしていますが,それも儚い幻に終わってしまうのでしょうか。それは,最高裁が出した結論「前回の参院選での一票の格差は<違憲状態>」だと断じたことです。しかも,「このままなら次の選挙は無効」とまで踏み込んだ判事もいたということです。ついでに言っておけば,衆院選での格差もすでに<違憲状態>だと最高裁は断じていることを記憶している人も少なくないでしょう。

もう,いまを去ること何十年前になるでしょうか(調べればわかることですが),一票の格差が2倍を越えたときに,不平等である,違憲だ,という議論が沸き起こりました。が,しかし,この一票の格差是正を解消するための権限をもっているのも,じつは,格差選挙によって選ばれた議員たちです。ですから,自分たちの首を締めるようなことには消極的でした。これまでにも,何回も議論としては持ち上がりますが,そして,具体的な提案もいくつかありましたが,いずれも一長一短で,お互いに叩きつぶしてしまい,改正案の成立をみるまでもなく,ずるずるとこんにちに至っているというわけです。とうとう,いまでは,一票の格差が5倍を越える選挙区まで存在するといいます(鳥取と神奈川)。ということは,2倍を越える格差選挙区はどれほどあるのだろうか,と考えてしまいます。新聞各社はぜひこの際,調べて選挙民に知らせる義務があります(しかし,それすら,いまの大手新聞社はやろうとはしないでしょうが・・・)。こんな失態を許してきたわたしたちが悪いのですが,議員もまた「無責任」のそしりをまぬがれることはできません。

国会議員の選挙制度が最高裁で<違憲状態>だと断じられた上に,このままの選挙は「無効」であるという判事まで現れた以上,このまま放置するわけにはいかないでしょう。それこそ,日本国の根幹にかかわる重大事です。日本人としての見識まで問われる大問題です。おまけに,もう目の前に迫りつつある総選挙も,このままでは「無効」になってしまいかねない,避けては通れない道です。となれば,現行の選挙制度を改正しないことには選挙もできません。民主党政権にとっては渡りに舟かもしれません。またぞろ,選挙制度改正案を提出して,時間稼ぎに走るには絶好のチャンスですから。

でも,この際ですから(ここまでメルトダウンを起こした重篤な事態にあることを考えれば),選挙制度調査特別委員会を立ち上げて,国民のだれもが納得のできる格差を2倍以下に抑える制度を立案・提案してほしいものです(長年の既得権などという議論を切り捨てて)。そして,積年のウミを一気に押し出すことをしないかぎり,国民の意志を国会に正しく反映させることはできません。とりわけ,原発推進か脱原発かを問う選挙になることを考えれば,つまり,日本という国家の命運を懸けた選挙になるということを考えれば,いましか,やるときはないのではないかと思います。それとも<違憲>と言われようが,なんと言われようが,厚顔無恥のいまの政治家たちは,国民の意志を無視して,(時間がないを理由に)現行制度のまま押し切ってしまうのでしょうか。

能面アーティストの柏木裕美さんの作品に「仏の顔も三度」という創作能面があります(柏木さんのブログをご覧ください)。大きな耳のついた,いや,巨大な耳のついた美しく気品のある顔をした小面です。もう,これ以上は許しませんよ,という柏木さんの覚悟が表出しているように思います。わたしたちも,その能面に負けないように,こんどというこんどこそ「覚悟」をもって選挙に立ち向かわなくてはいけないと考えています。

長くなってしまいましたが,今日のところはここまで。

2012年10月18日木曜日

選挙の小沢が「脱原発」でドイツと連帯。面白いアメリカ対策。

小沢一郎がようやく重い腰を挙げて,最後の大勝負にでたようです。「選挙の小沢」が「脱原発」をどのように打ち出してくるのかと思っていたら,やはり,練りに練った「奇策」で打ってでました。世界でもっとも早く,明確に「脱原発」を宣言して,再生エネルギーへと舵を切ったドイツと連帯しようというのです。矛盾だらけの原発政策を展開して,国民の意志を完全に無視しつづける政府・民主党をはじめ,原発推進で固まっている自民党の無能ぶりを見届けた上で,この逼塞した政局を打破するための選挙戦略としては抜群のアイディアとしかいいようがありません。これで,国民の7割に達しようという「脱原発」を望む選挙民の関心が一気に小沢一郎に向かっていくことは,ほぼ,間違いないでしょう。それほどに,他の政党がだらしないというだけの話ですが・・・・。しかも,この小沢一郎の戦略には,さまざまな伏線まで引かれているようです。とりわけ,アメリカ対策という点では,世界を視野に入れた絶妙な妙手としかいいようがありません。

昨夜(17日)の22時の共同通信の配信として,以下のような記事がネット上に流れていました。紹介しておきましょう。

〔ベルリン共同〕新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は,17日午後,ドイツのアルトマイアー環境相とベルリンで会談し,脱原発を進めるべきだとの認識で一致した。小沢氏は「『生活』は期限を切って10年後の脱原発を主張している」と強調。これに対しアルトマイアー氏は「福島の事故後『このままでは駄目だ』と,ドイツ国民の8割とすべての政党が脱原発を支持した」と国内状況を説明した。

この情報を,さて,18日(木)の新聞・テレビはどのように報道するのでしょうか。わたしは興味津々です。またぞろ「小沢つぶし」の圧力がどのようにかかってくるのか丸見えになるからです。小沢裁判も,まさに検察と司法とが手を組んで(だれが組ませているのかが問題),ひたすら茶番を繰り返しているにすぎません。すでに政治家としての小沢は瀕死の状態に追い込まれています。が,ここは不死身の起死回生,政治家としての最後の,とっておきの「一手」を繰り出して,間近に控えた選挙に臨もうと覚悟を決めたようです。

「国民の生活が第一」と名乗りを挙げた新党としては,ここはなにがなんでも「脱原発」を前面に打ち出して,流れを変えるしか方法はありません。自民党を除くどの政党も蚊の鳴くような声でしか「脱原発」がいえない(電力各社の労働組合に気兼ねしてか)腰砕けに,国民は嫌気がさしています。この逼塞状態から脱出するためには,世界的な視野に立つ戦略が不可欠でした。囲碁好きの小沢一郎らしく,盤面の戦況をしっかりと見据えて,ここで打つべき「手」はこれしかない,という選択をしたようです。

長年にわたる自民党とアメリカとの「裏約束」も十分に承知している小沢一郎が,その「腐れ縁」をどこまで断ち切ることができるか,そして,「国民の生活が第一」をどこまで徹底することができるか,少なくとも,ここしばらくの間はしっかりと見届けていきたいと考えています。ついでに,「沖縄県民の生活が第一」という看板も高くかかげて,OSPREYの配備撤回と日米地位協定の破棄,そして,基地の国外移転を,声高らかに謳ってほしいものです。

どの既成政党も,蓋を開ければ「派閥争い」ばかり。船頭多くして船進まず(民主党も自民党も同じ),その他の政党も似たようなもの。党内の空気を読むことばかりに追われていて,大局を見極める力量をもった政治家が現れません。ここは独断と偏見といわれようと,あるいは,限りなくクロに近いグレイといわれようと,「国民の生活が第一」を徹底させて,「脱原発」へと明確に舵を切る,豪腕を期待したいと思います。お断りしておきますが,他の政党があまりにだらしないが故の,わたしの窮余の選択です。ついでに言っておけば,小沢一郎という人物そのものは,むかしから好きではありません。その上での,限定つきの支援表明です。

日本という国の行方を決する最大の山場が,来るべき総選挙です。こんなことはもうみんなよく承知していることです。そして,こんどというこんどこそ,国民の本音をありのまま叩きつける以外には方法はありません。

その意味で,これからの小沢一郎の言動と,これに少なからず影響されるであろう他の既成政党の動向を見極めていきたいと考えています。

取り急ぎ,心情の吐露をさせていただきました。もちろん,これからの動向いかんによっては,わたしの気持も変わるでしょう。ただ一点でけ。小沢一郎のこの動きに,しばらくは注目していきたいということです。それ以上の他意はありません。

2012年10月17日水曜日

沖縄駐留米兵による暴行事件は年間150件に達する,というニュースを聞いてびっくり仰天。

鷺沼の事務所で夕食の支度をしながら,いつものようにラジオのJウェーブ(周波数81.3)を聞いていました。ちょうど,午後8時だったので,ヘッドライン・ニュースが流れてきました。その冒頭のニュースが,すでに新聞などでも流れていますように,米兵2名による婦女暴行事件についての解説つきのニュースでした。

それによりますと,沖縄が本土復帰してからの40年の間に,トータルで5,708件の暴行事件が起きていて,年間に換算すると約150件ほどになる,というのです。さらに,解説がついていて,この数字は2日に1回,あるいは,3日に1回の割合で起きている,と。えっ?と思わず耳をそばだててしまいました。つまり,沖縄では日常的に米兵による(婦女を含む)暴行事件が起きている,というのです。

さらに,解説はつづきます。これらの事件が起きると,一応,沖縄県警の取り調べが行われることになっていますが,その罪を裁く権利は日本にはありません。つまり,日米地位協定による治外法権だというのです。そのため,米兵たちはすべて,日本の裁判にかけられることなく釈放され,基地に引き渡され,そのまま霞か雲のようにどこかに消え失せてしまいます。

こんな状態が,本土復帰40年を経てなお,いまもつづいているのです。こんなバカな話が,こんにちもなお厳然として存在している,という事実を本土の人間はほとんど知りません。しかも,年間に換算しておよそ150件に達するということを知っている人は,まず,皆無でしょう。かく申すわたしも,恥ずかしながら,今日のJウェーブのニュースで初めて知りました。

たまに,婦女暴行事件の,かなり悪質な事件が起き,沖縄の人たちが抗議活動をすると(今回のように),本土のマスメディアもちらりと報道しますが,あとは無視です。ですから,わたしたちは「ときどき起こる」という程度にしか認識していません。ですから,こういう事件がくり返しくり返し起きているにもかかわらず,その実態も知らないままです。ましてや,このような事件が起きる問題の背景についてはほとんどなにも知らされません。

Jウェーブの解説はさらにつづきます。
この種の事件に詳しい評論家の〇〇さん(名前を聞き取ることができませんでした)の話によれば・・・という前提でつぎのように伝えていました。

米軍基地のなかでは,戦闘訓練をやっているのです。つまり,人殺しのための訓練を日常的にやっているわけです。もっと言ってしまえば,死線をさまよう,きわめて危険な状態を前提にした訓練です。ですから,相当にはげしい「暴力」行為がそこでは展開されています。先手必勝の攻撃の方法を訓練として行っています。その米兵が休日に市街地に繰り出してくるわけです。檻のなかの猛獣が,市井の繁華街に放たれたも同然です。ちょっとでも気にくわなければ,すぐに暴力をふるいます。しかも,治外法権であることを知っています。つまり,怖いもの知らずの,もっとも質の悪い,獰猛きわまりない人間が繁華街に繰り出してくるわけです。どんな悪事を犯してもまったく責任をとる必要のない「自由」をわがものとした人間たちです。そのことを考えれば,街中にでてきて「暴力」をふるうなどというのは日常茶飯のことだ,ということになってしまいます。

というようなことを,かなり懇切丁寧に伝えたあとで,やはり,なにを措いてもまずは「日米地位協定」の枠組みをはずすことが先決です,と結んでいました。

2~3日に1件の割合で,米兵による暴行事件が起きている・・・・・。なんとも気の遠くなるような話を,わたしたちはほとんどなにも知らされないまま,少なくとも本土復帰40年もの間,のほほんと過ごしてきたことに慄然としてしまいます。

その一方では,すでに配備されてしまったOSPREYが,那覇の市街地の上を10分間隔くらいで,低空飛行の訓練をやっている,と琉球新報と毎日新聞が伝えています。NHKはこの事実を無視しています。つまり,国民の眼にさらさないように,だれかがコントロールしているわけです。わたしたちは知らないうちに,このようにして情報をコントロールされているのです。やはり,受信料拒否をしなければ・・・と考えてしまいます。

Jウェーブは,このニュースのあとで,「みなさんは情報をどのような手段で手に入れていますか。どのメディアの提供する情報を信頼していますか」と問いかけてもいました。名指しこそしてはいませんでしたが,どこのメディアも危ないから要注意,と呼び掛けているように,わたしには聞こえました。そして,「Jウェーブ,頑張れ!」と密かにエールを送ることにしました。

沖縄に基地を押し付けて,知らん顔をしてきたわたしたちは,もっともっと沖縄情報にアンテナを張って,ひとりの人間としての恥じない判断と行動ができるよう,眼を覚ます必要があります。眠ったふりは,もう,これ以上は許されません。電車の中で,お年寄りが乗ってくると,すぐに眠ったふりをする人間にはなりたくありません。

わたし自身も,こころの底から驚いてしまいましたので,その情報のご紹介まで。

2012年10月16日火曜日

詩人の山中六さんから詩集『天の河──一行詩の試み』と『花と鳥と風と月と』がとどく。

奄美自由大学(今福龍太主宰)でお会いした詩人の山中六さんから詩集『天の河──一行詩の試み』と『花と鳥と風と月と』(いずれも,南方新社刊)がとどきました。神戸に出かけていましたので,その留守中に鷺沼の事務所にとどいていました。

今日(16日),久しぶりに鷺沼の事務所に向かいました。このわずか3日間の間に,金木犀が開花していて,事務所にたどりつくまでのあちこちからあの独特の甘い香りが流れてきて,とてもいい気分で歩いていました。そうしたら,郵便受けに,中山六さんから詩集がとどいていました。やはり,今日はとくべつのいい日でした。

山中六さんのことについては,奄美でお会いしたときに,ほんの少しだけの自己紹介で済ませていましたので,詳しいことはなにも知りませんでした。ただ,山中さんから漂う一種独特の雰囲気からして,ただの詩人ではないだろう,とは想像していました。が,その実態が,この詩集をとおしてまた少しつたわってくるものがありました。

詩人であることは承知していましたが,1992年に刊行された詩集『見えてくる』で,翌年の第16回山之口漠賞受賞,という輝かしいご経歴をお持ちの方であることを初めて知りました。ああ,やはり,そういう方だったのが,とこころから納得しました。あまり多くを語ることもなく,なんとなく顔を合わせてにっこりするだけの奄美での出会いでした。が,そこはかとなく漂ってくる雰囲気がふつうではありません。どういう詩を書かれる人なのだろうなぁ,という想像だけでした。だいたいが,今福さんの奄美自由大学に集まってくる人たちというのは,ふつうの人とは違う,まったく得体の知れない人たちばかりです。

山中さんのことを,今福さんが「六さん」と声をかけていましたので,わたしも「六さん,とお呼びしていいですか」とお断りをしたら,「ええ,どうぞ」と快く受けてくださいました。ですから,わたしは最初から「六さん」と呼ばせてもらっています。その「六さん」からの詩集が今日(16日)とどいていました(実際には,もっと前にとどいていたようです)。

事務所に着いたら,すぐにとりかかる予定の仕事(ゲラの校正)がありましたが,そんなものはあとでとばかりに,まっさきに六さんの詩集を開きました。そうしたら,もう,止まりません。2冊とも,息もつかずに一気に読ませていただきました。いやはや,驚きました。単なる詩人ではない,なにかが,奄美でお会いしたときからあって,それはいったいなんなのだろうなぁ,とそれとなく気になっていました。その謎が解けたのです。

なにを隠そう,六さんは舞踏のダンサーでもあったのです。詩集『天の河──一行詩の試み』の扉に,舞踏「天の河」を踊っている山中六さんの写真が載っていて,わたしは思わず「あっ」と声を発していました。そうか,舞踏ダンサーだったのだ,と。六さんの謎のすべてが一瞬にして瓦解しました。こうなったら,詩集を開いて読むしかありません。

しかも,一行詩という,わたしは初めて出会った詩の体験です。一ページに,たった一行の詩が書いてあるだけです。しかも,見開き二ページで対になっていて,右ページにはそのモチーフと思われるキー・ワードがひとこと,そして左ページには一行だけの詩。なんと贅沢な詩集であることよ,と半ばあきれつつ,じっくりと詩文を味わいながらページをめくっていくうちに,すっかり六さんワールドに嵌まり込むことになってしまいました。

たとえば,こんな具合です。

詩集『天の河』のタイトルとなった一行詩は以下のとおりです。
右側のページには,「天の河」と書いてあるだけ。それも,右側ページの8割は余白のみ,残りの2割くらいのスペースに(つまり,左側のページに限りなく近いところに),「天の河」と書いてあります。そして,左ページの中央にたった一行,つぎのように書かれています。

闇夜に精子は天使の衣をまとい

思わず呼吸が止まってしまいました。ナヌッ?! 思わず「天の河」に溺れそうになってしまいました。わたしは泳ぎは得意なはずのに・・・。この気宇壮大な詩空間に圧倒されてしまいました。六さんとはいったいなにものか,と。うん,なるほど,舞踏ダンサーの片鱗が詩にも表出しているではないか,と。

わたしは舞踏にそんなに詳しい人間ではありませんが,少なくとも土方巽と大野一雄の舞踏だけは,ほんの少しだけ拝見したことがあります。それも晩年の舞踏を。そこから敷衍できることは,山中六という詩人は,詩で表現できないことを舞踏で表出させ,そして,舞踏ではうまく表出できないことを詩で表現する,そうしてひとりの人間としてのバランス・シートを保っていく,しかも,それが自己実現のもっとも納得のいく方法である,と。わたしには,そんな風にみえてきます。

一行詩の,これ以上に凝縮させることは不可能な世界への挑戦。そこに果敢に挑む山中六という詩人の抑えがたい衝動のようなものが,全ページをとおしてつたわってきます。

もう一冊の詩集『花と鳥と風と月と』も一気に読ませていただきました。こちらの詩集には,山之口漠賞受賞の「見えてくる」他の詩が収めてあります。こちらは,いわゆるスタンダードな詩集になっています。ちょっぴり安心しつつ,鋭い詩人の感性が,そこかしこに散りばめられた素晴らしい詩集になっています。山中六という詩人を理解するためには,まことによくできた詩集だと思います。

舞踏に片足を突っ込んだ詩人という人を初めて知りました。しかし,よく考えてみれば,土方巽にしろ,大野一雄にしろ,二人とも立派な詩人でもありました。かれらの書く文章は,ふつうの文章ではありませんでした。まさに,詩文でした。ことばとことばの間に,ほんとうの思いが籠められていて,そこに無限の時空間が広がっていました。わたしのような人間ですら,思いもよらない時空間へと誘ってくれる素晴らしい詩文をこの人たちは書いていました。山中六さんも,そういう感性の流れのなかに生きている人なのだ,とわたしは勝手に納得してしまいました。

山中六さん,詩集をどうもありがとうございました。
いつか機会をみつけて,じっくりお話を聞かせてください。
焼酎でも飲みながら。あるいは,泡盛でも飲みながら。

スポーツがグローバル化するとはどういうことなのか。

「アフター国際セミナー」を終えて,昨日(15日)一日中,その余韻に浸っていました。なぜなら,ようやく大きな山場をひとつ越えて,また,新たな知の地平が広がりはじめたからです。こうなったら,積み残しになっていた「第2回日本・バスク国際セミナー」での西谷修さんの特別講演のテープ起こしをしなければなりません。その講演のタイトルは「グローバル化と身体の行方」というものです。そして,このタイトルのなかの「身体」の内実は,伝統スポーツであり,近代スポーツ競技に焦点を当てたものなのです。これを文字化・文章化しておかないかぎりは,つぎなる議論を展開することはできない,とピンとくるものがありました。

本来ならば,8月のセミナーが終わったらすぐにテープ起こしにとりかかり,すぐにも,みんなで議論をする予定だったのですが,どこかエアーが抜けてしまって,後回しになっていました。そして,とうとう「アフター国際セミナー」にも間に合いませんでした。情けない話です。それが,昨日になって,にわかにやる気が起きてきて,午後からとりかかって一気に仕上げることができました。こんなことなら,もっと早くにやるべきだった,と後悔。

この西谷講演の内容は,多岐にわたるものですが,大きくは「グローバル化の3段階」「グローバル化の特質」「身体の自由と商品化」」「国民国家による身体の統合」「スポーツのグローバル化」「スポーツの感動とはなにか」「スペクタクルとしてのスポーツ」「スポーツの未来」くらいにまとめることができるでしょうか。このブログでは,「グローバル化するスポーツ」の問題を西谷さんはどのように分析しているのか,ということの主要なポイントについて書いてみたいと思います。

スポーツがグローバル化するとはどういうことなのか。これをひとことで言うとすれば,伝統スポーツのもっているバナキュラーで,マージナルな要素をすべて削ぎ落してしまい(脱魔術化/マックス・ウェーバー),近代合理主義のもとに合理化(ルール化,数値化,規格化,など)し,最終的には無色透明なもの,すなわち,中性化してしまうことだ,ということになります。つまり,ローカルな土着性や,非合理性をすべて削ぎ落してしまい,だれにも共有できる合理性だけをひたすら追求し,痩せ細ったスポーツの形骸化した部分だけがグローバル・スポーツとして生き残る,というわけです。その典型的な例が,ロンドン・オリンピックのときの「柔道」(JUDO)というわけです。

別の言い方をすれば,文化的・精神的な要素はすべて排除してしまい,どの国のだれが観ても理解できる要素だけが,グローバル・スポーツとして認知されるというわけです。そして,スポーツをこのような方向に導く原動力となったのは,産業社会であり,テクノ・サイエンス(科学技術)であり,経済原則だ,と西谷さんは強調します。ですから,グローバル・スポーツを支えるアスリートたちの身体は,極限まで鍛えられ(スポーツ・サイエンス),まるでサイボーグ化した身体そのものとなり,ついにはドーピングに手を染めることになります。トップ・アスリートの身体は,いまや,最先端のテクノ・サイエンスに支えられた「機械」そのものと化しています。ですから,オリンピックは,その「機械」の性能テストを公開し,世界一の「機械」を選別するための一大スペクタクルへと変化・変容していくことになりました。

こうして,スポーツは完全なる商品として,経済の流通のなかに組み込まれていくことになります。ですから,グローバル・スポーツのつぎなる淘汰は,観客を動員し,テレビの視聴率を稼ぎ,いかに利潤をあげるか,という点に絞られてきます。テニスも柔道も,世界選手権に出場する権利を得るためには,世界連盟公認の大会にひっきりなしに出場して,いい成績を残し,一定のポイントを稼がなければなりません。いまや,トップ・アスリートたちは骨身を削って,休む暇もなく,連戦しなければなりません。まさに,立派なスポーツ労働者です。ですから,商品価値の高い選手たちは,たとえば,サッカーの選手たちに顕著なように,世界中で取引の対象とみなされています。

こうなりますと,「神よ,いずこへ」(クォ・ヴァディス)ではありませんが,「スポーツよ,いずこへ」と問わざるをえません。とりわけ,アスリートたちの身体はどうなっていくのか,が気がかりです。しかも,グローバル・スポーツをささえている,その身体が,現代世界のテクノ・サイエンスや経済の潮流の最先端を担っているのですから。

西谷さんが提示した結論のひとつは,スポーツする身体は,なにかの目的(金銭,名誉,地位,など)のために酷使されるべきものではなくて,からだを動かすこと自体に大きな喜びや感動を覚えるものであり,それこそが人間が「生きる」という根源にあるものではないか,と指摘されます。そして,いま一度,人間が「生きる」ということはどういうことなのか,という根源的な問いに立ち返ることが重要ではないか,と。そのひとつの重要な示唆を与えるものとして,シモーヌ・ヴェーユの『根をもつということ』を取り上げています。現代社会を生きるわたしたちは,まさに,「根無し草」のように,宙をさまよっている孤独な人間ばかりだ,というわけです。スポーツもまた,伝統スポーツの保持していた,豊穣で,豊かな文化性を「根こそぎ」にされ,無色透明な,中性化したものへと突き進むことによって,グローバル・スポーツとしての地位を確保し,安心立命しようとしているかにみえます。しかし,そこには,スポーツの未来はありません。

グローバル化するということの,スポーツにおける実態は,このようなものではないかということを西谷さんはわたしたちスポーツ史・スポーツ文化論を研究している者たちに向けて,強烈なメッセージを発信してくださいました。もちろん,ここでは書き切れない,もっともっと細部にわたる分析にも,西谷さんの視線はとどいています。わたしたちは,この講演をひとつの指針として受け止め,さらなる思考の深化に努めたいと考えています。

この講演については,いずれ,「21世紀スポーツ文化研究所」の研究紀要『スポートロジイ』に掲載させていただく予定です。そうなれば,もっともっと広く,関係のみなさんとともに議論ができるようになるのではないか,と楽しみにしているところです。

それでは,今日のところはここまで。

2012年10月14日日曜日

「アフター国際セミナー」──西谷修さんを囲んで,無事に終了。

 このブログでも予告しておきました「アフター国際セミナー」が無事に終わりました。
まずは,プログラムどおりに,5人のプレゼンテーターの問題提起に対して,西谷さんから一人ずつコメントをしていただきました。テーマがすべて異なる特殊なものばかりだったにも関わらず,ひとりずつ丁寧に,しかもきわめて重要な視点をそれぞれに提示してくださいました。プレゼンテーターを務めた5人はみんな大喜びというところ。

 ごくごく簡単に,そのときの議論を紹介しておきますと,以下のとおりです。
 井上邦子さんからは,現代のモンゴル人の土地所有の考え方と,身体を所有することとの関係性,そして,身体の自由とはなにか,という問いが提出されました。それに対して,西谷さんからは,モンゴル人の考える「自由」ということばや概念は,西洋的な概念とは異なるのではないか,私的所有とは排他的所有であることを前提にして,モンゴル人の身体所有の内実を掘り下げていくと,そこにはまったく新たな知の地平が開かれてくる可能性があり,とても面白いのではないかと思います,というご指摘がありました。

 竹村匡弥さんは,翻訳ということばの壁のようなものが国際セミナーをとおしてつねにつきまとっていたことが気になっていること,かっぱの相撲好きの伝承の陰には「供犠」の考え方が透けてみえてくること,などが提示されました。それに対して西谷さんは,イエス・キリストの磔を引き合いに出しながら,旧約聖書に描かれているヤコブのすもうの例をとりあげ,自然神と一晩,朝まですもうをとりつづけることの含意を考えてみると面白いのではないか,と。さらには,マックス・ウェーバーの言った「脱魔術化」(=近代化)という考え方も,参考になるのでは,と。

 三井悦子さんは,バスクでは子どもたちがとても大切にされていること,大人と同じ土俵で同じ身体経験を積み上げ,それが共同体を構築する上できわめて重要な役割をはたしているのではないか,と指摘。つまり,ローカルなものがまだ生き残っていて,劈(ひら)かれた身体が大切に護られているような印象を強く受けた,と。たとえば,アウレスクというダンスでは,大人も子どものみんな同じステップを,一人ずつ順番に踏んでみせる,それをみんなが真剣に見守っている,と。西谷さんは,ひたすら同じステップを踏むことに大事な意味があるように思う,と。みんなが,ひとりずつ,必死になってまったく同じステップを踏もうとして頑張るけれども,どうしても違ってしまう,だから,なおのこと同じステップを踏もうとする。つまり,みんなが同じステップを踏もうと努力することによって,その地域に住む人びとが共有する身体が形成されていくのだ,と。それは,シモーヌ・ヴェイユの言う「根をもつこと」につながっているように思う,と。あるいは,アバンドン=自己を投げ棄てる(イスラーム)こととも通底しているのでは,と。

 松本芳明さんは,ヨーガがグローバル化するとはどういうことなのかと問い,インドの伝統的なヨーガとはまったく無縁のものに変質・変容していくプロセスを紹介し,最終的には「金儲け」のためのたんなる商品と化していくところに大きな問題がある,と指摘。西谷さんは,カトリック教会と修道院の関係,あるいは,沖縄(宮古島)の方言の問題(川満信一)などの事例を提示しながら,人間がよって立つべき「根」を,それこそ「根こそぎ」にしてしまう力学が近代化やグローバル化にはつきものである,グローバル化とはそういう暴力装置でもあるのだ,と。いま,わたしたちはそういう根源的な問題と真剣に向き合わなければならない,きわめて特異な時代を生きているのだ,と。

 竹谷和之さんは,バスクの伝統スポーツのほとんどは「労働」に起源をもつ,と指摘。つまり,有用性が重視されている。しかし,それが次第にたんなる「消尽」に変化・変容していくプロセスがみられる,と。さらには,カセリオという「賭け」が公然と行われており,その「賭け」に強い人は共同体の英雄として尊敬されている,と。それを受けて西谷さんは,「賭け」が公然と行われているところに,完全なる近代化を阻止する大きな要因があるのではないか,などなど。そして,この「賭け」の問題については,日本人であるわれわれが考えているものとはいささか性質の違いがあること,などが竹谷さんから追加説明があり,さらに深い議論へと進展していきました。

ここまでが,第一部。このあと10分間の休憩をはさんで第二部が行われました。その内容については,順次,これはと思われるエポックを取り上げて,このブログでも追跡していきたいと思っています。

とりあえず,第一部の概要のご紹介まで。

2012年10月12日金曜日

『坐禅は心の安楽死』─ぼくの坐禅修行記(横尾忠則著,平凡社ライブラリー)を読む。

 横尾忠則が,若いころに(30代)坐禅に興味をもち,せっせと坐禅道場に通ったときの体験談を,平凡社ライブラリーが復刻したもの。だから,話としてはもうかなり前のものである。でも,いかにも横尾忠則らしく,感じたことをありのまま記述していて,生々しい新鮮さを失ってはいない。その代わりに,かれの信ずるところをそのまま書いているので,それはちょっと違うだろう,というようなところも少なくない。だから,面白いのかもしれない。

 たとえば,こうだ。自分で望んで坐禅道場に申込みをし,道場に行って坐禅をはじめたのに,いきなり警策(きょうさく)で叩かれ,とたんに逃げ出したくなった,と書く。あれは「暴力」以外のなにものでもない。あんなことをしたってなんの意味もない,と断言する。もう少し手加減というものがあるだろう。なんの因果か,情け容赦なく,思いっきり,本気で「打つ」(と,横尾さんは感じている)。からだの「痛み」に対して我慢する適応範囲が狭いなぁ,とわたしなどは思う。

 わたしも何回か坐禅をした経験があるし,そのたびに何回となく警策に打たれている。樫の棒でできていて(ただし,打つ面は平たくなっている),それは痛いこと限りない。というか,なにごとか,とびっくりしてしまう。なぜなら,坐禅をしていて居眠りをはじめたとたんに「バシッ」とくるから,居眠りの心地よさを突如破られてしまうからだ。しかし,その痛みは瞬間のことであって,あっという間に痛みは引いていく。しかも,そのあとはなんとも清々しい。眠気がすっ飛び,やがて快感が訪れる。でも,そこのところを徹底的に「痛い,痛い」「冗談じゃない」「もう少し手加減をしてくれ」「いますぐにも逃げ出したい」「もう二度とくるものか」と直訴しているかのように,横尾さんは本音の弱音を吐きつづけている。そこが横尾さんの飾らない文章の魅力でもある。

 いまの横尾さんはすでに大家としての風格を備えているが,30代のころの横尾さんは,さぞかし面白い人だったのだろうなぁ,とあれこれ想像しながら楽しく読んだ。とりわけ,自分の直観のようなものをとても大事にしていて,その段階で,いやなものはいや,とはっきりいう。それでも,一度はいやと思ってもまたそれをくり返してみたりもする。とても好奇心旺盛な人だったことがわかる。

 その経緯を丹念に書き綴ったのが,この「坐禅修行記」だ。いやだ,いやだ,二度とくるものか,と逃げるようにして坐禅道場をあとにしておきながら,数カ月すると,またぞろ坐禅道場の門を叩くことになる。それは,坐禅道場から帰ってきてしばらくすると,自分のなかになにかが変化していることに気づくかららしい。そこに気づくと,またまた,坐禅の虫が騒ぎだす。そして,つぎの門を叩くことになる。

 ただ,われわれと違うのは,自由自在に禅の高僧を選んで,いきなりそこに尋ねていくことができるということ(このとき,すでに,名だたるアーティストとして高い評価を受けていた)。羨ましいことかぎりない,とわたしなどは垂涎の的でしかなかった山田無文さん,大森曹玄さん,松原泰道さんといった,いわゆる禅の大家の門を叩いている。しかも,直球勝負で,自分のなかにある疑問をそのままぶっつけている。まあ,度胸がいいというか,好奇心というか,貪欲さというか,やはり横尾さんはふつうの人ではない。この本を読んでいてつくづくそう思う。アーティストとはそういう人たちのことなのだなぁ,と凡人のわたしは思う。

 横尾さんは,わかったことはわかったとはっきり書くし,わからないことはわからないとどこまでも突っぱねて書いているので,禅の世界に少しずつ分け入っていく横尾さんの姿がそのまま手にとるように伝わってくる。この点が,この本の最大のセールス・ポイントなのだろう。ある意味では横紙破り的なところもあって,読んでいて面白い。

 もう一点だけ触れておけば,横尾さんはたいへんな勉強家で,禅の世界に分け入ろうとすると,相当の量の本を読破してから接近していく。だから,大家を前にしても,その人たちの著作は読んでいるので,なんら怯えることなく感じたままの疑問を提出することができるのだ。そして,その疑問に応答する大家の答えが,とてつもなく面白い。歯に衣を着せぬ丁々発止が,なんとも心地よい。これもまた,横尾さんが丸裸のまま身を投げ出すからこそ可能なのだろう。やはり,一流のアーティストは,生まれながらにしてどこかに禅的なところがあるように思う。

 あるがままとか,自然体とか,ことばとしてはだれもが理解しているものの,それを実行できるかどうかはまた別の話だ。それが実行できる人は,どの世界にいっても一流として評価されるに違いない。そうなるためには,只管打坐の修行が,凡人には必要なのだろう。生まれながらにして自然体でいられる人が,ときに存在する。神さまはなんと不公平なんだろうと思う。お与えのものが違うのだから。その差を埋め合わせるのも,只管打坐の修行あるのみ,か。

 坐禅の修行の本としては,なんとも親しみやすく,読みやすい本であることは間違いない。坐禅に興味をお持ちの方は,ぜひ,ご一読を。

2012年10月11日木曜日

10月13日(土)「アフター国際セミナー」開催。神戸市外国語大学三木記念会館にて。

 この夏に開催した第2回日本・バスク国際セミナー「伝統スポーツとグローバリゼーション」(8月6日~9日)の余韻を引きずって,さらに深くその意味を味わうべく,「アフター国際セミナー」を開催することになっています。要領は以下のとおりです。

日時:10月13日(土)13:00~18:00。
場所:神戸市外国語大学三木記念会館
テーマ:伝統スポーツとグローバリゼーション。
プログラム:
 第一部:西谷修特別講演「グローバル化と身体の行方」に触発されて。
  コメテーター:井上邦子(奈良教育大学):モンゴルの伝統スポーツの立場から
          竹村匡弥(「ISC・21」特別研究員):河童の相撲好き研究の立場から
          三井悦子(椙山女学園大学):身体論研究の立場から
          松本芳明(大阪学院大学):ヨーガ研究の立場から
          竹谷和之(神戸市外国語大学):バスクの伝統スポーツ研究の立場から
  応答者:西谷修(東京外国語大学)

 第二部:対談・西谷修×稲垣正浩(「ISC・21」主幹研究員)
  テーマ:グローバル化が進展する時代/世界のなかで,伝統スポーツを考える意味について。
       ※インタヴュー方式で話題を展開する予定。

 簡単な解説を付しておきますと,わたしとしては以下のようなことを考えています。

 第一部では,西谷さんの特別講演「グローバル化と身体の行方」,すなわち,現代という時代や世界がどのようにして構築されてきたのか,そして,そのこととわたしたちの身体はどのように関係してきたのか,という巨視的な視点から提示された西谷講演を,われわれ個々人はどのように受け止めたのか,そのことについてしっかりと検証しておこうというのが大きなねらいです。コメンテーターは5名。それぞれのエキスパートが,西谷講演をどのように受け止め,なにを継承し,どのような新たな展望がえられたのか,また,新たに生じた疑問点はなにか,を提示していただきます。それに対して,西谷さんにごく簡潔に応答していただく,一種のワークショップ形式をとりたいと考えています。その上で,総合的な見地からの西谷さんのお考えを,まとめてお話していただければ,と欲の深いことを考えています。

 第二部では,わたしがインタヴューアーの役割を担いながら,いま,わたしたちが直面している喫緊の課題はなにか,西谷さんからお話を伺えればと考えています。わたしの関心事としては,「3・11」後,これまでヴェールにつつまれていた日本の恥部が一気に曝け出されてしまい,いまや,収拾がつかない醜態を日々,見せつけられている,この実態をどのように考えればいいのか。とりわけ,復興,フクシマ,原発,地震災害,オスプレイ,などへの対応の稚拙さ,加えて,領土問題への対応のお粗末さ,などかぎりがありません。
 可能であれば,ぜひとも踏み込んでおきたいことがあります。それは,原発推進の論理とiPS細胞開発の論理とは,まるで一卵性双生児のような関係にあるのではないかということ,そして,それらの論理(ロジック)と近代スポーツ競技の論理とも密接な関係にあるのではないか,という点です。ただし,きわめて重いテーマですので,そんなに単純には扱えないことは承知の上で,ある程度の仮説の提示くらいまではたどりつけてみたいと考えています。
 もっと踏み込んでおけば,iPS細胞の開発が,これからのわたしたちの「身体の行方」にどのような影響を及ぼすのか,現段階で考えられるいくつかの重要なポイントについても,西谷さんのお考えをお聞きできれば・・・などと欲の深いことを考えています。
 あるいはまた,折角のチャンスですので,バタイユの『宗教の理論』を踏まえた,わたしなりの理論仮説についても西谷さんのお考えを伺えればと思っています。大きな仮説を提示しておきますと,人間の原罪は四つあるのではないか,と。ひとつは,原初の人間が,内在性(あるいは,動物性)の世界から抜け出してしまったこと,ふたつには,そこから自然との熾烈な闘いがはじまり,その折り合いをつけるために「宗教的なるもの」(祝祭的時空間)を立ち上げたこと,みっつには,プロメテウスの火ならぬ「核」の火を見つけてしまったこと,よっつには,iPS細胞を開発してしまったこと,です。人類は,最初から,こういうシナリオのもとに生きてきたのではないか,と。つまり,「理性」をわがものとした奢りが,ついに,命取りになってしまうのではないか,と。
 まことに稚拙で,乱暴な議論ではありますが,いまのわたしにとっては,とりわけ「3・11」後に考えつづけてきたことがらからすれば,最大の関心事であり,なんとも魅力的な仮説になっています。こうした,わたしの思考に対して,西谷さんはどのような応答をされるのか,これは「アフター国際セミナー」のような大きな「場」でないと,とてもお聞きすることができません。
 まあ,軽くいなされて終わり,ということもないわけではない,とある程度の覚悟はしています。が,やはり,一度,胸を借りるつもりで,稽古をつけてもらおうと考えています。

 というようなわけで,かなり入れ込んでいます。
 興味をお持ちの方は,ぜひとも,お出かけください。

取り急ぎ,直前の情報提供まで。

コメント「ついに人間が死ねない時代がきちゃった」(中3)について。iPS細胞のもつもうひとつの大問題。

 西谷修さんの著書に『不死のワンダーランド』という不思議な書名の本があります。いわゆるフランスの現代思想を取り扱った思想・哲学の本です。もうずいぶんむかしの本ですが,すでに,この時代に,文明先進国(ワンダーランド)では「死」に蓋をして,「死」の不在を装うことに専念している愚挙に警鐘を鳴らす異色の本でした。言ってしまえば,「死」についての深い洞察がそこでは展開されています。しかも,その議論はいまも古びるどころか,ますます,新鮮な輝きを増しているようにさえ思います。

 iPS細胞を開発した山中教授がノーベル賞を受賞することになり,これまで縁遠い存在だった「iPS細胞」に関するかなり詳しい情報が一気に流れるようになり,その実態が身近に感じられるようになってきました。そして,とてつもない可能性を秘めている文明の利器や産物には,かならず両義性があるという事実もまた,わたしたちの眼前に曝け出されたように思います。

 時折,このブログにコメントを入れてくださる「大仏さん」から,10月9日のブログにどきりとさせられるコメントが寄せられました(すでに,公開してありますのでご覧ください)。中3になる次男さんが「ついに人間が死ねない時代が来ちゃった」とつぶやいた,というのです。世の中が「めでたい,めでたい」で浮かれているさなかに,「死ねない時代」を直感した大仏さんの次男さんは素晴らしい感性の持ち主だと思います。

 いまの医療はすでに,最善の治療を施し患者が意識不明のままになっていても,あるいは,完全に植物人間になってしまっていても,あらゆる手段を弄して患者の寿命を引き延ばすことに全力を傾けます。つまり,本人の意志に関係なく,すでに「死ねない」情況が生まれています。場合によっては,こういう人ですら,iPS細胞を応用すれば,意識がもどってくるかもしれない,というこれまでは考えられなかったような期待をいだかせもします。ということは,もはや「死ねない」という情況が不動の事実となって現前する方向に,やみくもに進んでいるように思います。

 こうした情況を見据えた上で,「ついに人間が死ねない時代が来ちゃった」ということを中3の少年に直感させたとしたら,iPS細胞のもつ影響力は測り知れないものがあります。iPS細胞の「初期化」機能を応用して,古くなった細胞をつぎつぎに新しくしていけば,たしかに,人間は「死ねなく」なってしまうのでしょう(あまり詳しいことはわかりません)。

 だとしたら,ここで大問題が立ち現れることになります。人間が死ねなくなってしまったとしたら,あちこちに「300歳」「500歳」,いやいや「1000歳」などという老人(いな,若者?)がごろごろしていることになります。「死」の不安から解放された人間は,さぞかし幸せなことだろうと,「死」に閉じ込められた側の多くの人は想像することでしょう。しかし,人間から「死」を奪い取る,あるいは,「死」に蓋をしてしまうと,人間はどうなるのでしょうか。「死」とは無縁の,永遠に生きつづける人間を想像してみてください。少し考えてみれば明らかになるように,死ぬという現実がなくなってしまえば,もはや,生きる意味もなくなってしまいます。「死」のない世界を「生きる」ことは「死んでいる」ことと同じになってしまいます。つまり,「生」と「死」の違いがなくなってしまいます。

 人間は「死に向かって生きている」といわれます。「死」があるから,生命が有限であるからこそ,「生」を大事にし,その「生」を輝きあるものにしようという意欲が湧いてきます。これが,人間が「生きる」ということの実態ではないでしょうか。

 繰り返しますと,「死」と「生」の境界がなくなってしまうということは,人間が生きる意味を失ってしまうということになります。となると,人間が「存在」する意味もなくなってしまいます。それは「死の世界」となんら変わらないことになってしまいます。あの世もこの世も同じになってしまいます。

 こうなると,もはや「倫理」などという低俗な問題ではなくなってしまいます。人間が存在する根拠も理由もなにもかもなくなってしまうのですから,「倫理」もへったくれもありません。もはや,「死」の世界を生きているのと同じになるのですから。

 この大問題に,わたしたちは,人類史上はじめて直面することになってしまいました。もう,あともどりはできません。開けてはいけない「パンドラの箱」の蓋を,開けてしまったのですから・・・。いったい,だれが,どのようにしてこの蓋を締めるのでしょうか。

 と,ここまで考えてくると,山中教授のやったことはいったいなんだったのだろうか,というとんでもないところに帰着することになります。そして,そのあとを追って,iPS細胞の実用化に向けて凌ぎを削っている世界中の研究者・学者の行為とはいったいなんなのか,という大きな,大きな,根源的な疑問も同時に湧いてきます。そのさきには,ますます恐ろしい世界が待ち受けているように,わたしには思えて仕方がありません。

 すでに,「パンドラの箱」の蓋は開けられてしまいました。しかも,その蓋の締め方を,だれも知りません。これは「核」とまったく同じ構造ではありませんか。

 ここからさきのことは,少し,わたし自身の頭を冷やしてから考えてみたいと思います。
 「死ねない時代」・・・「不死のワンダーランド」が,ついに現実のものとなりつつある,その進みゆきにわたしたちはいま立ち会わされているのです。ひょっとしたら,核とiPS細胞という二つの,「神の領域」からひっぱり出してきた「人工物」を前にして,「死」と「生」のワンマンショウを見せられているのかもしれません。

そして,人類とはなんと愚かな生きものであることか,と。

2012年10月10日水曜日

太極拳は,踊りでもなく,体操でもありません。武術です。(李自力老師語録・その20.)

李老師:最近の太極拳は,踊りのような所作になったり,ダンスに近い体操になったりする傾向があり,困ったものです。太極拳は武術です。このことを忘れてはなりません。
わたし:でも,日本では,太極拳は「健康体操」だと思っている人は少なくありません。わたしの周囲にもたくさんいらっしゃいます。
李老師:そのことは,わたしもよく知っています。日本の太極拳は,最初に,楊名時さんが健康法の一種として紹介し,それが広まったために,いまでも多くの人がそう思い込んでいるところがあります。そして,いまも,その娘さんである楊慧さんが日本健康太極拳協会を組織して,「健康太極拳」の普及に努力していらっしゃいます。ですから,太極拳は健康法の一種であると信じている人は少なくありません。そして,そういう目的で太極拳をやること自体はなにも悪いことではありません。ただ,わたしが考えている太極拳はあくまでも武術であるということです。
わたし:なるほど。だから,日本武術太極拳連盟は,健康太極拳とは違いますよ,と宣言しているわけですね。
李老師:そうです。中国語では太極拳は武術を意味します。ですから,武術太極拳という言い方は,中国人からすると少し変な感じがします。なぜなら,武術・武術というトートロジー(同語反復)になってしまうからです。でも,日本語としては違和感がないようですので,武術太極拳という言い方は内容をはっきりさせるという意味で,とてもいいと思います。
わたし:では,武術太極拳が踊りのようになってしまうのは,なぜなのでしょうか。
李老師:表演を美しく見せようと意識しすぎるからだと思います。表演の採点では,動きのしなやかさや滑らかさ,美しさと同時に力強さも要求されているのですが,いつのまにか力強さが忘れられて美しさに向っていく傾向があります。とくに,女性の場合にみられがちです。ある程度は仕方のないことですが,それでも美しさの中に力強さが加わったときに,太極拳の真の美しさが表出するのだと考えています。
わたし:なるほど,力強さを欠いた美しさは,単なる踊りのようになってしまうということですね。では,ダンスに近い体操になる傾向というのはどういうことですか。
李老師:最近では東南アジアでも太極拳が普及していて,アジア大会などにも選手が出場するようになりました。ところが,どこで,どのように解釈を間違えてしまったのか,ダンスと体操のミックスしたような動きをする選手がでてきています。これは早急に直さないといけないと思っています。日本ではそのような誤解は生まれてはいません。
わたし:そうですか。それは,太極拳が国際化していくときのひとつの宿命のようなものでもありますね。日本の柔道が,いま,JUDOとなって,オリンピックでも行われるようになりましたが,わたしからみると,もはや柔道とはいえない,別のもの,すなわち,JUDOになってしまっています。太極拳も競技化とともに大きく変化していますし,それが,さらに国際化していくと,また違った変化を起こすことになるのでしょうね。
李老師:柔道がJUDOに変化したことに,わたしは強い関心をもっています。太極拳も,国際化すればするほど,かならず大きな変化をしていくことになると思っています。そのときに,どこまでも「武術」であるということをしっかりと意識していく必要があります。
わたし:日本の太極拳は,中国や東南アジア,そして,ヨーロッパの太極拳とくらべたとき,なにか,特徴のようなものがありますか。
李老師:日本の太極拳は,とても忠実に,本来の太極拳の精神を引き継いでいると思います。むしろ,本家の中国の方が,極端に競技志向に向っていて,伝統的な太極拳が軽視されているように思います。これはちょっと困ったことになりつつある,とわたしは憂慮しています。その点,日本の指導者は伝統的な太極拳を基礎に置いて,その上に競技を考えているように思います。これはとてもいいことだと思っています。
わたし:そのうちに,日本が太極拳の本家になるかもしれませんね(笑い)。
李老師:このままでは,そうなりかねません。が,中国もそのうちに気づくのではないか,と思っています。わたしも,そのように働きかけていますので・・・・。
わたし:どうも,ありがとうございました。今日のところはここまでにしましょう。

2012年10月9日火曜日

第二の「神の領域」に踏み込んだiPS細胞の開発。核の二の舞にならないように。

 マラソンを走るノーベル賞学者。ジャマナカさん,おめでとう。高校で柔道をやり,大学ではラグビーに打ち込み,そして,いまは研究費募金のためにマラソンを走る。その意味で,とても親近感をおぼえます。しかも,不器用で臨床医(外科医)をあきらめ,基礎医学をめざすことにした,という挫折を通過している点も,とても親しみを感じます。世の中,順風満帆に生きることをめざす人が多すぎます。やはり,長い人生,一回や二回,挫折があるものなのだ,そこを克服したさきに大きなゴールが待っている,それを実証してくれた山中伸弥教授にこころからの祝福のことばを贈りたいと思います。素晴らしい,のひとこと。

 昨日の夜から今日にかけて,そして,これからしばらくは山中さんのノーベル賞受賞の話題でもちきりになるだろう。それほどの大きなできごとであるし,祝福すべきことでもあるとわたしも思います。しかし,iPS細胞の開発は手放しで喜べるものではない,ということをこの際に言っておきたいと思います。山中教授も充分に承知していて,すでに,何回も発言されてこられたように,倫理という大きなハードルが残されている,ということです。できるだけ速やかに,京都大学iPS細胞研究所の中に「倫理部門」を立ち上げるべきだ,と山中教授が強調していることに,わたしたちはもっと真剣に耳を傾けるべきでしょう。

 いまさら,わたしのような素人が言うまでもないことですが,iPS細胞は自然界には存在しない細胞を,人間の手で創り出してしまったものだ,ということです。つまり,「神の領域」に手を突っ込んだ,ということです。これは,まさに原罪に等しい行為です。最初の原罪が,内在性(動物性)の世界から離脱してしまったこと(リンゴをかじったこと)にあるとすれば,第二の原罪は,ウランの核分裂を発見したこと(1938年)であり,第三の原罪が,山中教授のiPS細胞の開発である,とわたしは考えています。

 核は,言うまでもなく,核分裂の最終処理技術を確立する前に実用化に踏み切ってしまったために,いま,わたしたちは日々,そのツケの支払いに悩まされることになってしまいました。このさき,10万年もの長きにわたって,この問題と向き合っていかなくてはなりません。「神の領域」に人間が土足のまま踏み込んでしまった結果の,当然といえばあまりにも当然の,とんでもないしっぺ返しを神から受けることになってしまいました。

 それと同じ轍を踏まないようにすること。iPS細胞のもつ,計り知れない可能性について,世の中のほとんどの人が大きな期待を寄せているのが実情でしょう。いわゆる「移植医療」から「再生医療」への道を開くものとしての期待です。あるいは,具体的な治療法のない難病の治療にも道を開くものだ・・・・という具合に。それはそのとおりなのでしょう。それは,難病に苦しむ人やその関係者からすれば夢のような恩恵に浴することになる話に違いありません。

 しかし,人間の手で遺伝子の「組み替え」をし,まったく新しく創造した人工細胞に,核のような大きな落とし穴がないとは限りません。また,iPS細胞の応用の仕方によっては,なにが起こるか,まったく予断を許さない,まさに想像を絶するものがあるとも言われています。そういうことをもっともよく知っているのも山中教授その人でしょう。ですから,山中教授は,一刻も早く医療に応用できるところまで「技術」を高めていきたいと情熱を語る一方で,克服すべき「倫理」の問題がある,と付け加えることを忘れてはいません。

 すでに,iPS細胞の実用化に向けて「特許」競争が激烈化しているという情報も耳にします。この技術は,核と同じで,自由競争の市場原理に委ねておいていい問題ではありません。では,どのように管理すればいいのか,これが大問題です。核のように,早いもの勝ちの既得権のようにして特定国にのみ独占させるようなことがあってはなりません。このことによる世界の力関係の「歪み」が,いま,いたるところで噴出していることはよく知られているとおりです。では,iPS細胞の技術はどのように管理すればいいのか。その方法はまったく手つかずのままです。ですから,山中教授は,早急に「倫理」部門の立ち上げを・・・と声を大にして言っているわけです。

 山中教授に,こころからの祝意を表すると同時に,山中教授の恐れていることに対応できる国際的な管理機構の確立を,わたしもこころから願っています。そうでないと,いよいよ人類の歴史に終止符を打つときが,すぐそこにきている,ということになりかねません。いや,もはや,そうなるべきところにきてしまっている,とさえ考えざるをえません。もし,そうだとしたら,山中教授のやったことはいったいなにを意味していることになるのでしょうか。火を点けたものの,消火の方法はよろしく,といっているようにもみえてきます。となると,核の二の舞,そのままです。

 今日のところは,ここまでにしておきますが,わたしのかかわってきたスポーツの世界においても,iPS細胞が切り開くであろう可能性(いい意味でも,悪い意味でも)は無限大です。そして,それは,もはや「ドーピング」などというレベルをはるかに超えでていく,「まったき他者」が支配する,まさに恐るべき世界の到来を予感させるに充分なものがあります。これらの問題については,いずれまた,考えてみたいと思います。

とりあえず,今日のところはここまで。


2012年10月8日月曜日

「OSPREY NO」のパレードに参加してきました。

 今日(10月8日)は午後からパレードに参加してきました。まずは,渋谷・けやき通り(NHKの前の通り)に午後1時30分集合。挨拶や役割分担などを決めて,隊列をつくり,午後2時30分出発。NHK前の交差点をわたって公園通りを渋谷駅に向かいました。

 題して「風船と凧(たこ)の渋谷パレード~オスプレイの沖縄配備に反対する(東京・渋谷)」。
 主催は,オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク(「沖縄県民大会と同時アクション」改め)。

 参加者は約400名。当初はまばらだった人が,いつのまにか増えていて,隊列に並んだ人だけでほぼ400名。隊列から離れて,風船や凧を配布したり,ビラを配布する人たちも相当数いましたので,450名ほどにはなっていたのではないかと思います。わたしの個人的な感想としては,もっと少ないだろうと思っていましたので,よくぞ集まったなぁ,というのが率直なところです。

 ふつうのデモと少し違っていたなぁと思ったことは,シュプレヒコールの声があまり大きな声にはならなかったことです。もちろん,型通りのシュプレヒコールの音頭をとっているのですが,それに呼応する隊列の人たちの声が小さかったということです。それよりも,新鮮だったのは,途中,2回ほど,歩行者が大勢立ち止まっている交差点で,主催者が道行く人びとに呼びかけた,こころのこもったショート・スピーチでした。たとえば,以下のようです。

 やさしい女性の声で。
 「みなさん,沖縄の人びとの苦しみや痛みを分かち合いませんか。日本全国の基地の75%を沖縄県の人びとが担っています。そんな無理難題を押しつけたまま,わたしたちは日常の平和な生活をほしいままにしています。ほんの少しでもいいです。沖縄の人びとがどれほど基地問題に苦しんでいるか,想像してみてください。そして,その苦しみを分かち合える感性を大事にしましょう。沖縄では,すべての市町村長,および議会が全員,オスプレイの配備に反対しています。にもかかわらず,日本政府はオスプレイの沖縄配備を決定し,実行してしまいました。今日も,沖縄では,朝から普天間基地のゲートの前で座り込みをし,多くの人びとが集まって風船を飛ばし,凧を上げています。わたしたち「オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク」は,その沖縄の人びとの想いを受け止め,こうしてパレードをすることにしました。どうか,道行くみなさん,ほんの少しの間でも結構です。わたしたちと共にパレードに参加しませんか。ご協力,よろしくお願いいたします。」
 というような趣旨のスピーチがありました。とても,わかりやすい,道行く人びとのこころに訴えかける,とても温かいものでした。わたしは,このスピーチを聞きながら,ああ,これまでのデモとは違うなぁ,と感じていました。なぜか,涙がでそうになりました。そうなんだ,ただ,大きな声でシュプレヒコールすればいいという問題ではない,と。もはや時代遅れでもあるシュプレヒコールなどよりも,道行く人びとのこころに染みこんでいくような,気持の籠もった温かいショート・スピーチ(呼びかけ)こそが大事なのではないか,と。

 よくよく考えてみれば,「風船と凧(たこ)の渋谷パレード」と題する集会だったのです。ですから,シュプレヒコールなどはしなくてもよかったのではないか,とわたしも思いました(行進を終えてから,主催者のひとりから,こんな心づもりではなかった,シュプレヒコールはしないつもりだったのに,やはり,こうなってしまったわ,と残念そうな発言を耳にしていました)。静かにパレードをしながら,歩道を歩いている人びと一人ひとりに声をかけ,風船を手渡したり,凧を手渡したりする,つまり,直接的な会話が成立するようなパレードがいいなぁ,といまにして思うことでした。

 シュプレヒコールではなくて,簡潔にして要をえたスピーチを,やさしい声で,気持をこめて語りかける方が道行く人びとに訴えるものがあるのではないか,としみじみ思いました。それこそ,三つ,四つのスピーチの原稿を用意しておいて,プロの語り手にお願いをしてもいいのではないか,と。あるいは,仲間うちにいる語りの上手な人にお願いをするとか・・・・。つまり,示威行為ではなくて,情緒に訴える方法で・・・・。そして,それこそがこれまでのデモ行進とは一線を画す,まったく新しい意志表明の仕方=パレードではないか,と。

 今日の渋谷は大勢の人でごった返していました。わたしが渋谷駅から代々木公園に向かうときですら,歩道は人であふれ返っていました。午後にはもっともっと大勢の人で埋めつくされていました。わたしたちがパレードをしている間も,大勢の人が立ち止まって,じっとこちらを見据えていました。その表情はさまざまでしたが,わたしには「虚をつかれた」という顔をした人が少なくなかったように感じられました。ヌッ? 渋谷でオスプレイ反対のパレードかっ!,と。そして,少なくとも,いい加減な気持でわたしたちのパレードを見過ごす人はほとんどいなかったのではないか,と。ですから,じつに多くの人びとが「なにか」を感じ取ってくれたのではないか,とわたしは希望的観測をしています。

 いま,日本は大きく変化しつつある,ということをパレードをとおして「からだ」で感ずることができました。やはり,現場に立つということは大事だなぁ,と。そして,大きな大きなうねるような伏流水が,ゆっくりと,静かに,目に見えないところで流れはじめているのではないか,と。それがなにであるのか,そして,なにであらねばならないのか,しっかりと考えてこれからも「行動」していきたいと思いました。

 パレードのあとのお茶がとても美味しかったです。二人の「Nさん」にこころから感謝。


               街行く人びとに配布された風船。


               凧にする図案。これに竹ひごが2本。


               パレード出発前のご挨拶と打ち合わせ。

異色の市民運動発電,相模原の「藤野電力」に注目。

 10月6日(土)に藤沢市で,「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」が主催したイベントに参加し,ドイツのドキュメンタリー映画『シェーナウの想い』をみてきました。とても大きな衝撃を受け,こんな市民運動がはたして日本で可能なのだろうか,と帰る道筋,ずっと考えていました。

 シェーナウのあの美しい山村風景のもとで生をうけ,みんなが顔見知りという,古きよき時代の共同体のなかで育った人たちのような郷土愛が,いまの日本のどこで育っているのだろうか,ということがわたしの最大の気がかりでした。日本の都会はもとより,郊外も崩壊寸前,農村社会も徐々にその共同性が弱体化しつつある現状を考えたとき,ドイツのシェーナウのような市民運動ははたして可能なのかどうか,その点が気がかりでした。

 ところが,今日(10月8日)の『東京新聞』朝刊には,「エネルギー再考」という大きな【コラム】記事があり,日本も捨てたものではない,ととても勇気づけられました。その記事の冒頭のつかみの文章は以下のとおりです。

 太陽光や小水力なと,再生可能エネルギーを利用した発電を地域内で強力に進めようとする動きが,全国各地で目立ち始めている。自治体が関わるパターンが目立つが,相模原市緑区藤野地区の「藤野電力」は純粋な市民運動で異色。脱原発や再生可能エネルギー推進の各地の市民運動に刺激を与えている。(白井康彦)

 さらに記事はつづきます。
 市民グループ「藤野電力」は昨年五月にスタート。中心メンバーは十人ほどで,活動拠点は地元アーティストらが使っている「牧郷(まきさと)ラボ」。03年に廃校になった小学校の建物だ。

 この廃校となった小学校に「太陽光」の拠点をつくろう,まずは使われなくなったプールに太陽光発電パネルを並べることからはじめよう,というところから藤野地区の市民運動が立ち上がります。そして,やがては小水力発電の装置を地区内に設置する予定だという。いまは,その資金集めのための寄付を募集中。これがうまくいけば「市民発電所」となる予定。

 その一方では,パネルやバッテリーなどの発電セットを自作して,増やしていく。そして,「ミニ太陽光発電システム」セットの組み立て方を伝えるワークショップの開催,藤野地区の個人宅へのセットの設置,などを柱として活動を展開している,という。これ以上の詳しいことは新聞の記事でチェックしてみてください。

 この記事の末尾には,つい二日前にみてきたばかりのドキュメンタリー映画の舞台,シェーナウ市の事例が紹介されています。そして,再生可能エネルギーを推進しようとしている日本各地の市民運動も,このシェーナウの事例に勇気づけられている,という。そして,着実に市民運動をとおして,「大量消費型社会システムから,環境に優しい持続可能な生き方に移行」しようという英国生まれの「トランジット」の試みが,日本の各地に浸透しつつある,といいます。

 シェーナウの事例を知らなかったのはわたしだけで,すでに,再生可能エネルギー推進に取り組んでいる市民運動家たちの間では常識だったようです。こういう情報が,これから少しずつ一般市民の間にも浸透していくにつれ,やがては大きな運動に展開していくことを期待したいと思います。遅ればせながら,わたしもその一助になれればと考えています。

 政府はもとより,ありとあらゆる細部の組織までからめ捕られてしまった「原子力ムラの支配」から抜け出すためには,自分たちの手で,具体的に,地域分散型の再生可能エネルギーを確保していく以外には,いまのところ方法はないようです。

 毎日,毎日,憂鬱になる情報ばかりが駆けめぐっているなかで,このような小さな努力が,着実に立ち上がっていることに,わたしは大きな希望を託したいと思っています。そして,できることなら,わたしもまた,その一員になっていきたいと考えています。まずは,できることからはじめる,そのようにみずからに言い聞かせながら・・・。

 今日はこれから代々木公園に行ってきます。のちほど,その報告も。

2012年10月7日日曜日

三浦しをん『舟を編む』(光文社)を読む。その2.

その1.からのつづき。

 ことばの海を自在に漕ぎ渡るための舟を編むために孤軍奮闘する国語辞典『大渡海』編纂室の10年間の物語。国語辞典を編纂する編集者たちが,どれほど情熱を傾けて「ことば」と格闘しつづけていることか,まずはそこに惹きつけられてしまう。そうだろうなぁ,そうでなければできない仕事だよなぁ,と。そして,その情熱がしだいに周囲に伝染し,いつのまにかじつに多くの人びとの支援をえていく。やがて強力なチーム・ワークを生み出し,作品としての『大渡海』が誕生する。とても感動的な作品になっている。

 この本を読みながら,かつて三省堂の『大辞林』第2版にかかわっていたときのことを思い出していた。すでに掲載されているスポーツ用語の語釈のチェック,追加すべきスポーツ用語の選出,それらの語釈・用例の記述,などが主な仕事だった。まさか国語辞典の原稿を書くことになるとは思ってもみなかったので,いささか憚られるものがあった。国語辞典に関してはずぶの素人だ。スポーツ用語については考えたことはあるが,国語というものをしっかりと考えたことはなかった。だから,スポーツ用語を「国語」として取り扱うとはどういうことなのか,まずはそこから考えた。

 仕方がないので,すでに持っていた『大辞林』初版と『広辞苑』第2版以外の,大型の国語辞典を買い集めることからはじめた。そして,一つの同じことばの「語釈」が辞典によってどのように違うかを比較検討することにした。それは驚くべき経験であった。こんな不思議な世界があるものなのか,と一瞬眩暈がしたほどである。ウソだと思ったら,書店で,同じことばの「語釈」を読み比べてみてほしい。とても愉しい「遊び」であることを請け合います。

 たとえば,「右」「左」の語釈。あるいは,「東」「西」「北」「南」の語釈。さらには,「男」「女」の語釈。あまりに当たり前すぎて,わたしたちが日常的には引くことのないことばを選んで,読み比べてみてほしい。抱腹絶倒しそうな語釈が,まことしやかに記述されている。

 一つだけ紹介しておけば,この作品にも取り上げられている話に「男」ということばの語釈がある。『広辞苑』には,「人間の性の一つで,女でない方。男子。男性」とでている。では,「女」はどうか。「人間の性別の一つで,子を産み得る器官をそなえている方。女子。女性。婦人」とある。こういう語釈ではいけないのではないか,と作品の中の辞典編集者は主張し,新しい「語釈」を試みる。かれの主張は,これでは語釈としての意味をなさないのではないか,しかも,性同一性障害に苦しむ人たちは不快を覚えるのではないか,というものである。そうして,新しい「語釈」に挑戦していく話が描かれている。

 わたしがかかわった『大辞林』初版には「クリケット」という見出し語があって,これにはいささか驚いた。なぜなら,「クリケット」は日本人にとって「国語」なのか,という疑問がわたしの中にはあったからだ。クリケットということばを知っている人は少なくないだろう。だから,カタカナ語辞典のなかにあるのは不思議ではない。しかし,国語なのか,といわれるとわたしには心もとない。が,もっと驚いたのは,この「クリケット」ということばの語釈だ。なにを言っているのかさっぱりわけがわからない文章になっている。クリケットを知っていて,ゲームもしたことのあるわたしが読んでも,その文意はまったく不明なのである。そんなものが掲載されている。

 これには,さすがのわたしも呆れ果ててしまった。そこで,仕方がないので,まったく新しい語釈を試みることにした。少し長くなったが,なんとかゲームの仕組みがわかるようにした。それも,何回にもわたる担当編集者とのやりとりの結果,到達したものだった。だれが読んでもわかる語釈。無駄なことばをすべて削除した語釈。これ以外にはいいようがない語釈。しかも,他の辞書の真似にならない語釈(著作権にひっかかる)。などなど,語釈というものはまことにたいへんな作業だということを知った。

 新しく追加することばの語釈は,他の辞典が見出し語として採用していないかぎり,わたしの書く語釈がオリジナルとなる。だから,じつに新鮮で愉しかった。しかし,すでに掲載されていることばの語釈を「訂正・修正」するときは,とても神経を使い,他の辞典の語釈とバッティングしないかどうか,一つひとつ確認する必要があった。でも,これはこれでとても勉強になった。ことばの語釈というものは一種の「生きもの」のようなもので,時代や社会とともに変化していくものだ,ということも知った。だから,国語辞典が何回も版を重ねて改訂されることの意味もわかった。

 この作品では「愛」ということばの語釈をめぐる議論が,とても魅力的に描かれていて,しかも,その「愛」がこの作品の通奏低音として鳴り響いているのだ。そして,「舟を編む」ということは人が「生きる」ということと同義であり,「愛」なしには辞典の編纂は不可能だというところに流れていく。その手法がまことにうまい。

 三浦しをんさんの作品は,わたしが読んだかぎりでは,どれを読んでも「厭味」がない。読後感が,じつに爽やかなのである。ほのぼのとしたものが,そこはかとなく伝わってきて,心地よい。そして,「生きる」ということに希望が湧いてくる。これが三浦しをんという作家の体質なのだろう。作品のタイトルにも不思議なメッセージ性があって,ユーモアと深い人間洞察力とことばのセンスのよさが凝縮しているように思う。

 暗い世の中なればこそ,三浦しをんさんのような作品が,わたしたちのこころを救済してくれる。そういう作品として,この『舟を編む』をお薦めしたい。必読。

2012年10月6日土曜日

住民の力で電力会社をつくったドイツのドキュメンタリー映画『シェーナウ市民の熱き想い』をみる。圧巻。

 「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」が主催するイベントが藤沢で行われるというので,でかけてみました。わたしの主たる目的は,そこで上映されるドキュメンタリー映画『シェーナウ市民の想い』(Das Shoenauer Gefuehl)を観ること。溝の口の駅前コンコースで手渡されたちらしによれば,原発から身を守るために,自分たち市民の手で電力会社をつくっていくプロセスを追ったドキュメンタリーだということです。これは,後学のためにもなにがなんでも観ておかなくてはいけない,と覚悟を決めてでかけることにしました。もちろん,メールで予約を入れておきました。担当者からは,丁寧に,会場でお待ちしています,という返信までいただきました。

 少し早めに到着しましたので,まだ,人もまばら。一番前の席を確保して上映を待ちました。しかし,上映がはじまるころには超満員。立ち見の人もあったほどでした。

 このドキュメンタリー映画の舞台となった「シェーナウ」(Schoenau)市は,映画に映し出された風景からすれば,ドイツの高地地帯(北部山岳地帯)の谷間の,文字どおり美しい谷間に広がる街(村に近い),とお見受けしました(地図で調べればいいのですが,省略)。ヨーロッパの山岳地方の谷間には,どこに行っても美しい集落が点在しています。が,ここ「シェーナウ」は「美しい」=schoenという形容詞に「アウ」=auという語尾(おう!あっ!という強調語)がついた地名です。ですから,意訳すれば「絶景地」となります。映画のタイトルになっている「シェーナウアー」=Schoenauerは,語尾の「er」は人を意味しますので,「絶景地に住む人びと」となります。もっと意訳すれば「素晴らしい人びと」とも訳すことができます。

 ですから,映画のタイトルは,わたし流に訳せば「絶景地に住む人びとの想い」「素晴らしき人びとの想い」となります。ドイツ人はそういう意味をくみ取りながら,このタイトルを受け止めているはずです。が,わかりやすく「シェーナウ市民の熱き想い」と訳すことにしました。いずれにしても,この「シェーナウ市民」は,いわゆる「並みの人びと」ではありません。なにせ,自分たちの命を守るために大手電力会社の原発依存電力に反対して,自分たちでソーラーシステムを中心とした再生可能エネルギーを供給する電力会社をつくってしまった人たちなのですから。しかも,10年にわたる長期間,苦労に苦労を重ねて,その目的を達成したのですから・・・。

 ことの発端はチェルノブイリでした。シェーナウから25キロのところに原発があることは,むかしから承知していました。しかし,チェルノブイリの惨状がリアルにわかってくるにつれ,まずは,チェルノブイリの子どもたちを一時避難させて預かり,支援することから市民の運動がはじまります。そして,すぐ近くにある原発の存在が徐々に脅威となって市民の間に浸透していきます。もし,チェルノブイリのような事故が起きれば,自分たちもまた故郷を捨てて避難しなくてはならないことをはっきりと自覚します。しかも,二度と帰ることもできないことも。やがて,原発を停止させなくてはならない,がシェーナウ市民の合言葉になります。

 そうして,まず第一に取り組んだことが「節電」でした。無駄な電力を使わない,これを徹底させていけば原発に依存する必要はなくなる,と考えました。一年で驚くべき成果をあげました。その成果を踏まえて,シェーナウ市民は,電力使用量の少ない人の電気代を安くして,大量に使用する人から高い料金を徴収したらどうか,と電力会社に迫ります。が,電力会社はまったく相手にもしてくれません。

 ならば,自分たちで電力会社をつくってしまおう,という運動が立ち上がります。ここからが大変でした。自分たちの電力会社をつくるかどうかをめぐって市民の意見は真っ二つに分かれて,大議論になっていきます。そうして,二度にわたる住民投票を経て,僅差で電力会社をつくる案が勝利します。この間の,住民運動の,粘り強い努力が,事細かに,じつに詳しく描かれています。それだけでも感動そのものでした。

 しかし,それからが大変でした。まだまだ電力会社をわがものとするための高いハードルがありました。それは,電気の送電線を大手電力会社から購入するための資金でした。どこまでも自力で,と考えた市民たちは,その資金を住民の寄付に頼ることにしました。それも驚くべき速さで目標額を達成。いよいよ大手電力会社に購入交渉に入ると,こんどは準備した資金の倍以上の金額を要求されます。困った市民たちは,一方で裁判の準備をしつつ,ドイツ全国にわたって寄付を呼びかけます。そして,その寄付は,裁判で勝ったときには,できるかぎり還付する,という条件つきでした。これが効を奏して,あっという間に目標額を大きく越えてしまいます。すると,大手電力会社の方が,裁判に勝てないと判断して,大幅な減額を申し出て一件落着です。

 それ以後の話は省略します。が,結末(2007年)には,シェーナウ電力会社(市営)は再生可能エネルギーで生産された電力をドイツの各地から買い集め,それを販売する一大事業として成長していきます。まさに,シェーナウはドイツにおける反原発運動の嚆矢として,輝かしい歴史を築いたという次第です。そして,この運動は,ドイツの各地方に広がっていきます。やがて,送電線は無料で解放され,だれでも使えるものになります。

 こういう実績があって初めて,ドイツ政府による原発廃止という一大決定を可能とした,ということをわたしたちは肝に銘ずべきです。情けないことに,わたしたち日本人は,チェルノブイリの事故も,スリーマイルズ島の事故も,まったく他山の火事とばかりに傍観するのみでした。そして,なんの反省もしませんでした。政府も国民も。間抜けでした。そして,突然,「3・11」(2011年)という大災害のもとで,フクシマの事故を経験しました。それでもなお,政府は玉虫色から原発稼働に傾き,自民党は明確に原発維持を打ち出し(総裁選挙の結果),流れはどんどん再稼働に向かっているように思われます。まさに国民不在の政治がまかりとおっています。困ったものです。

 国民の約7割は,反原発,脱原発だと言われているにもかかわらず,そんなことはどこ吹く風とばかりに,政治家の大多数と財界・官僚・学会・メディアが手を組んで,原発推進をめざしています。でも,こんどというこんどは,国民も黙ってはいません。これから,いずれ遠からずやってくる選挙に向けて,はっきりと「NO!」と言える覚悟を決め,その輪を広げていく必要があります。そうしないと,とんでもないことになってしまいます。

 経済のことはとりあえず我慢すればいい。命はなにものにも代えられません。まずは,命です。その上で,経済(それもこれまでとは違う経済)をみんなで智慧を出し合って考えればいい。

 シェーナウの人びとのように,10年かけてでも,反原発運動をつづける覚悟が,いまの日本人にあるだろうか(わたしも含めて)と心もとない想いで,映写会をあとにしました。仕事の関係で,そのあとの懇談会には参加できませんでしたが・・・。

 それでも,「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」のような活動が,さまざまなかたちで全国的に展開されていることに,わたしは意を強くしています。そして,なにかが動きはじめている,という実感が日毎に大きくなりつつあります。今日/明日にかけても,そして,これからも,じつに多くの集会があちこちで予定されています。そして,デモも広がっています。しかし,テレビ/新聞のほとんどは,国民のこの小さな(しかし,あなどることはけしてできない)意思表明を無視しつづけています(沖縄のオスプレイ配備に対する反対運動も)。いったい,この国の中枢にいる人びとはなにを考えているのだろうか,と信じられない想いです。

 若者たちは,もはや,テレビにも,新聞にも「見切り」をつけています。そして,インターネットにシフトしています。ここには,直接的な,人びとの生の声が露出しているからです。もはや,権力によるコントロール不能の,自由な世界が広がっているからです。これからの可能性はここにある,と言っても過言ではないでしょう。

 小さな,小さな個別の市民運動が,徐々に徐々に,その輪を広げていき,やがて,大きな輪となって手を結び合うときがかならずくる,と夢見ています。そのために,わたしも折あるごとに,あちこちの集会やデモに顔を出し,微力をつくしたいと思っています。

 今日は「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」のみなさん,ありがとうございました
 取り急ぎ,お礼に代えて,このブログをしたためました。これが,映写会に参加させていただいたわたしの感想です。もう一度,ありがとうございました。

2012年10月5日金曜日

緊急・たったいま入ってきたデモへの呼び掛け情報です。

「風船と凧(たこ)の渋谷パレード~オスプレイの沖縄配備に反対する(東京・渋谷)」

http://www.labornetjp.org/Event Item/1349311153127staff01

具体的な内容は上記のアドレスを開いてご確認ください。
要点だけ記しておきます。
日時:10月8日(月)体育の日。14:00集合,14:30デモ開始
場所:代々木公園

代々木公園から渋谷の街を行進する予定とか。詳しいことは未定。
デモ行進しながら風船と凧とアピールビラを,街ゆく人びとに渡すそうです。

時間はそれほどかかるとは思えません。途中で消えてしまっても構いません。時間の許す範囲で参加してくだされば幸いです。わたしは参加することにしています。もし,一緒にということであれば,わたしにメールを入れてください。

もし,どうしても予定があって参加できない方は,この情報を少しでも多くの人に拡散させるようご協力ください。よろしくお願いいたします。

取り急ぎ,お願いまで。

三浦しをん『舟を編む』(光文社)を読む。その1.

 ことばの海を自在に漕ぎわたることのできる辞典『大渡海』を編む人びとの苦悩と努力と愛と感動をみごとに描いてみせた三浦しをんさんに拍手。なにより一つの仕事に打ち込む人間を描かせたら,三浦しをんさんは天下一品。ほのぼのとした温かい人間模様がそこから浮かび上がってくる。辞典の編纂という,どちらかといえば地味にみえる仕事が,じつはとんでもなく面白い世界であることをしをんさんは存分に教えてくれる。いや,しをんさんが書くから面白い世界に変身してしまうのかもしれない。とにかく,面白い。久々に晴々とした気分になることができた。

 しをんさんの作品と最初に出会ったのは,直木賞作品『まほろ駅前多田便利軒』。第一に「しをん」という名前に惹かれた。それから「多田便利軒」という意味深なタイトルが,読まずにはおかせない不思議なメッセージ性をもっていて,こころがざわついたことを記憶している。そして,文字どおりの奇想天外な内容であることに呆れつつ,いつしか感動してしまっていた。驚くべき筆力をもった新人が現れたものだ,と感心したものだ。

 そのつぎは『風が強く吹いている』。ご存じ箱根駅伝にチャレンジする大学チームの涙と感動の物語。実際にはありえない二流,三流どころか,ずぶの素人までもが,ランニングをとおして「変身」していく姿を,もっともらしく描き,読者をその気にさせてしまう,そのマジックのような筆力に感動した。わたし自身も,いつのまにか本気で声援を送りはじめている自分の姿に気づいたときは,心底呆れてしまったほどだ。それほどに,読む者をして,みごとに「しをん・ワールド」に引き込み,現実を忘れさせ,たえず新しいなにごとかに向き合わせつつ,いつのまにか読者自身が格闘をはじめ,小説世界が読者の現実をとりこんでしまう。とにかく,われを忘れさせるほどに面白いのだ。ましてや,スポーツが好きな人間にはたまらない。そんな作品である。

 わたしの読んだもう一冊は『神去むなあなあ日常』。「神去む」はカムサムと読む。この本もタイトルに惹かれるものがあって,中味を確認しないまま衝動的に購入した。読みはじめてびっくり。ぐうたらな若者がひょんな動機から,山に入って木を育てる仕事にとりつかれていく話。この世界もまた,なんと人間くさいことかと驚いた記憶がある。人間と自然とが直に向き合う仕事,その奥がどれほど深いかを思い知らされる。諏訪の御柱祭りのような,大木の伐り出し行事が三重県の山奥でも行われていることを知り,山に生きている人びとに共通する「なにか」に感動した。いま考えてみれば,この「なにか」とは,まぎれもなく「供犠」そのものではないか,と。大木には「神」が宿る。その大木を伐り倒すには,それなりの「儀礼」が必要だ。そこまで考えたときに,はじめて「神去む」の意味が忽然と立ち現れてくる。それを「なあなあ日常」と受け流すしをんさんの,恐るべき文学的センスのふところの深さを知る。なんとも,この「かったるい」感じがいい。

 わたしの「三浦しをん」体験は,この『舟を編む』で四冊目である。今回は,しっかりと中味を確認して,辞典編纂にかかわる人びとの人間模様が描かれている,と承知して購入した。しかし,目の前に迫ってくる,まったなしの仕事がつづき,この本は長い間,書棚に飾られたままだった。2日の講演が終わって,一区切りついたところで,自分へのご褒美にこの本をとりだした。つぎの仕事への,ほんのわずかな間隙を縫うようにして読む本としては最適であった。

 息もつかずに一気に読んだ。食事をとる間も惜しむようにして。その代わり,その間,なんにもしない。メールの返信も,片づけ仕事も,風呂に入るのも・・・。まことに困った本である。久しぶりにこういう本に出会った。至福のときを過ごすことができて大満足。

 さて,本題に入らないまま,すでに,こんなに長くなってしまった。一旦,ここで切って,この稿を「その1.」とし,さらに「その2.」をつづきとして書くことにしたい。ひとまず,ここまで。

三軒茶屋の裏通りを散策。敗戦直後の雰囲気が漂う路地裏。

 世田谷・生涯大学の講演会の講師として,わたしを紹介してくださったのはDさんです。このDさんは,生涯大学の講師としてすでに16年(21年?記憶が定かではない)もお仕事をなさっている方です。たまたま高校が同窓だったことがご縁で知り合いになりました。日本近代文学がご専門です。講演会にはそのDさんもお出でくださいました。

 数日前にメールで,講演会のあとビールでも飲みませんかというお誘いがあり,「喜んで」と応答。生涯大学は世田谷線の若林から歩いて数分のところにあります。ですから,三軒茶屋はDさんにとっては乗換駅でお馴染みのところ。Dさんの仰るには,三軒茶屋に美味しいおそばを食べさせてくれる小さなお店がある,というのでそこを目指しました。しかし,開店は午後5時30分から,と店の前に書いてあります。まだ,小一時間はある。

 じゃあ,三軒茶屋の裏路地でも散策しませんか,と誘ってくださる。わたしは,学生時代もこちらの方にはきたことがないので,まったく土地勘がありません。最近は,田園都市線沿線に住むようになってから三軒茶屋はお馴染みの駅名にはなりましたが,いつも通過するところであって,降り立ったことがありません。まるで未知の土地です。ですから,喜んでお供します,とわたし。Dさんは,毎日,少しでも多く歩くことを楽しみにしているとか。ならば,わたしも望むところとばかりに,おそば屋さんの開店時間まで,一緒にあちこち散策することにしました。

 三軒茶屋の駅周辺はとても複雑な構造になっていて,田園都市線と世田谷線の「三軒茶屋」の駅は少しばかり離れたところにあります。田園都市線の三軒茶屋の駅は国道246号線の下にありまずが,世田谷線の駅は,もう一本裏通りに面しています。その国道246号線と一本裏通りの間に,むかしながらの飲食街が密集しています。まさに,敗戦直後にできた飲食街がそのまま残っているという感じです。大通りから一つ角を曲がると急に道が細くなり,さらに一つ曲がるともっと細くなる。しまいには,人がすれ違うのが精一杯というような,いわゆる裏路地に入っていきます。

 でも,不思議なことに,陰湿な雰囲気はまるでなく,とても健康的(これは言い過ぎか)とさえ言えるほどの,活気のある飲食街です。どの店も準備中で,店の人たちもせわしなく準備に追われている姿がまるみえです。ですから,歩いていても楽しい。店のなかが丸見えのところなどは,お客さんが入っていると思って入ろうとしたら,「ただいま賄い飯を食べているところで,すんません」という。おやおや,お客さんだと思ったら,店員さんたちだった。

 そんな風にして歩いていたら,この中に面白い小さな食材屋さんがありますが,立ち寄ってみますか,とDさん。そういう店は見るだけでも楽しいので,ぜひに,とお願いする。ほんとうに小さな店で,間口も2間くらいはあるのだろうか,両側に商品を並べて,真中が通路になっていて,人がすれ違うのがやっと。奥行きは4間くらいだろうか。そこにびっしりと食材が並んでいる。

 入ってすぐに驚いたのは,「金トビ印のうどん,そうめん」が置いてあるではないか。これはわたしが大学に入ったころに,郷里(愛知県豊橋市)で美味しいと評判だったものです。ですから,郷里に帰省するたびにたくへん買い込んで東京に持ち帰り,夜食にして,その美味を満喫した記憶がいまも鮮明に残っています。もう,躊躇することなく買い求めました。

 そして,もう一歩奥まったところに足を踏み入れたら,またまた驚きがありました。渥美半島の沢庵漬けが真空パックに入って売られているではありませんか。しかも,安い。スーパーで売っている沢庵は驚くほど高い。ですから,これも即,購入。案内してくださったDさんは,なにを隠そう,この渥美半島の出身の人です。いまは田原市になりましたが,以前は,渥美郡神戸(かんべ)村のご出身。わたしの大伯母もたしか神戸村出身の人だったと記憶する。わたしの母の在所もその近くです。ですから,ただ,ただ,懐かしいだけの衝動買い。

 他にも,珍しい特産品が少しずつ並んでいる。見るだけでも楽しい。Dさんも,隅から隅まで,まるで品定めをするかのようにチェックをしていらっしゃる。そういえば,渋谷に女性のためのミーティング・ルーム兼バーを開業していたことのあるDさんです。わたしも2回ほどお邪魔したことがあります。そのときの手料理がまことに美味だったことを思い出しました。考えてみれば,それらの食材購入から調理までDさんはやってらしたわけだから,その意味ではプロだった,と。

 そんな楽しい散策をしている間に,小一時間はすぎ,おそば屋さんも開店。その日の最初のお客さん。ちょうどのどが乾いていたので,ビールの美味しかったこと。そして,当然のことながら,そばの美味しかったこと,などなど。そこでは,Dさんが住んでいらっしゃる根岸の町と正岡子規の話に華が咲きました。この話はまたいつか機会を改めて,書いてみたいと思います。

 三軒茶屋の一角に,大都会とはとても思えない裏露地がいまも残っていて,敗戦直後の雰囲気がそのまま漂っている飲食店街があることを知り,びっくり仰天。ここは古い記憶を刺激してくれる面白い場所ですので,また,ぶらりと息抜きにやってこようかと思っています。Dさん,ほんとうにいいところを案内してくださり,ありがとうございました。こころからお礼を申します。

 またひとつ,自己を超えでる経験をさせていただきました。生きていることの内実。生の源泉。それらに「じか」に触れることの愉しさ。Dさんに感謝。

2012年10月4日木曜日

講演「オリンピックに未来はあるか」「NO!」・顛末記。

 結論。やはり,いささか惚けてきたなぁ,と反省。
 理由。聴衆のことをすっかり忘れて,自分の関心事のみを書きつらねて,レジュメを用意したこと。つまり,無意識のうちに,いつものように研究会のプレゼンテーション用のレジュメを準備してしまったこと。それもエッジに立つ,ぎりぎりの論点を前面に押し出して。しかも,すでに広報されている講演会のタイトル「オリンピックの未来を考える」を無視して,「オリンピックに未来はあるか」「NO!」などという過激なタイトルをレジュメにつけたこと。
 反省。そろそろだれかにマネージメントをしてもらわないといけない,と。

 平成24年度 第2回 世田谷区生涯大学公開文化講演会
 「オリンピックの未来を考える」 講師/稲垣正浩
という大見出しのポスターやリーフレットまで作成されて,広報されていた講演会。わたしのところにも,メールで送られてきていたので,十分承知の上。

 しかし,残念なことに,7月の中旬ころの話だったので,もう,すっかり忘れてしまっていた。頭の中には「オリンピック関連」のことをなにか話すことになっている,という程度の記憶しかない。で,講演会の日程が迫ってきたころに,担当者から,そろそろレジュメを・・・・という連絡が入った。しかし,その前にやらなくてはならない雑用があって,それどころではない。しかし,そうかといって放っておくわけにもいかない。そこで,大慌てで,いま,頭に浮ぶ関心事を抜き出してレジュメにまとめて送信。だから,頭のモードはいつもの研究会や原稿を書くときのまま。

 いつもの研究会なら,「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」というタイトルは大受けに受けたに違いない。そして,とことん理屈をこねて,それを思想・哲学的なオブラートでつつみこめば,だいたいは満足してもらえる。しかし,そうはいかなかった。

 講演会がはじまる15分前くらいに会場に到着すればいいと考え,わたしは近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら,レジュメとにらめっこして話の内容を整理する。で,意を決して講演会場に向かう。会場の入り口あたりに男性が二人ほど立っているのが,遠くからみえる。なにごとだろう?といぶかりながら歩いていく。なにやら,異様な雰囲気。挨拶もそうそうに「どうぞ,こちらへ」と応接室にとおされる。

 早速ですが,と館長さんからのお話。
 講演会用のレジュメのタイトルが最初に聞いていたものと違っているので,もとどおりのタイトルに直してもらえないか,という。わたしとしては,どちらでもいいとは思ったものの,一応,「オリンピックの未来を考える」という間口の広いテーマを,もう少し絞り込んだものがレジュメの「オリンピックに未来はあるか?」「NO!」となったものなので,なんの矛盾もないのですが・・・・,と応答。すると,ここは公共の機関ですし,東京都はオリンピック招致運動に力をそそいでいる,世田谷区としてもそれを支援している,なのでこのままのタイトルではまことに困る,とのこと。この瞬間,惚けてきたなぁ,と気づく。そりゃあそうだ,まずいよなぁ,と。

 ああ,わかりました。公表してあったタイトルに統一しましょう,とわたし。館長さん,やっとほっとした顔。タイトルを打ち直して,大急ぎでプリント・アウトして聞きにきてくださった方たちに配布。ですから,時間ぎりぎり。準備ができしだい,すぐに,講演開始。

 会場に入って,二度目のびっくり。100名先着順,と聞いていたので,少なくとも5~60名くらいはいらっしゃるのかな,と想定していた。ところが,である。待っていてくださった聴衆は12名。そこに,館長さんと担当の事務官がひとり。計14名。おやおや,である。どうやら,ほとんどの人は生涯大学に通ってきている人らしい。なかには,日の丸のバッジを背広の胸につけたちょっと雰囲気の違う人もいらっしゃる。うーん,こりゃ困った。で,講師紹介の間に急遽,対策を練る。

 パラパラとちらばって坐っている人に向かって話をするのはなかなかむつかしい,ということは経験的に知っている。そこで,早速,わたしの方から提案をする。この人数だったら,もっとお互いに近づきませんか。お互いの表情や息遣いも感じられるように,椅子を移動させて,みんなで丸く輪をつくってラウンド・テーブル方式にしてもらえませんか,と提案。みなさん,とても素直に応じてくださったので,まずは安心。

 つぎは,話の内容もむつかしいことはカット。だれが聞いてもわかる話に,急遽,変更。そして,話の途中,いつでも割って入ってきても結構なので・・・と提案。少しだけくつろいだ雰囲気が漂いはじめる。でも,途中でハプニングが起きたりして(日の丸のバッジはダテではなかった),なかなかエキサイティングな場面もあったが,聴衆のみなさんのご協力もあって,なんとかわたしの話は無事に終了。最後の30分は質疑応答の時間にセットしてあったので,ここでは,なかなか面白いご意見を聞かせてもらうこともでき,わたしとしては楽しかった。

 一般市民向けの講演のやり方については,これまであまり経験がなかったので,とてもいい勉強になった。オリンピックを語るためのポイントは,もっともっと別の切り口から入らないと駄目だということもわかった。たとえば,オリンピックは多くの人を「感動」させるための文化装置である,などといきなり力説したところで,なんのこっちゃ,という程度の反応しかえられない。そして,「感動」の仕組みを,「自己を超えでる経験」などと言ったところで,だから,なんなんだ,となってしまう。もっと身近な事例を挙げながら,諄々と説いた上で,わたしがわたしではなくなる経験,すなわち,自己の他者経験である,というところまで持ち込まなくては意味がない。これは至難の技だ。まだまだ未熟だなぁ,と反省。

 ああ,どこまでいっても反省ばかり。でも,こういう反省があるから,つぎへの希望が生まれ,人は生きていかれるのかも・・・などと居直っている。老人は居直るのみ,か。でも,いままでのわたしとはまたひとつ違うステージにでてきたようにも思う。これが唯一の救い。これぞ生きる源泉,か。

 また,頼まれればどこにでもいそいそと講演にでかける惚け老人。困ったものである。

2012年10月2日火曜日

「愛知県東部地方」って,どこのこと?

 昨日(30日)の台風17号の進路が気になって,テレビでその情報を追っていました。最初にテレビをつけたときには,紀伊半島の海岸沿いを移動していて,やがて渥美半島付近に上陸して豊橋市あたりを通過していく見通し,という情報が流れていました。ところが,それからしばらくすると突然,渥美半島も豊橋市の名前も消えてしまい,愛知県東部地方を通過中,という表現に変わってしまいました。それを聞いて,「えっ?愛知県東部地方って,どこのこと?」と首を傾げてしまいました。以後のテレビ報道は,すべて愛知県東部地方で一貫していました。テレビ報道とはNHKのことです。

 愛知県東部地方?愛知県のどのあたりのことを指しているのか,わたしには理解できませんでした。突然,台風が未知の土地に移動してしまったような,そんな狐につままれたような感覚に陥ってしまいました。そしてとうとう,こんな地方があったのか?と自問自答していました。豊橋市で育ったわたしとしては,愛知県東部地方といえば,それはまぎれもなく静岡県です。もう少し狭く考えれば,浜名湖周辺のこと,あるいは,浜松市です。

 わたしの疑問は,なぜ,突然,渥美半島や豊橋市の地名が消えてしまって,東部地方などという言い方をしたのか,ということです。これはNHKの責任ではなくて,たぶん,気象庁がそのように発表したのだと思います。それをそのまま鸚鵡返しのようにして「愛知県東部地方」と報道したのでしょう。しかし,わたしには妙にひっかかるものがあって,なんとも納得がいきません。

 同じ愛知県の名古屋市の人が,「愛知県東部地方」と聞いたとき,どの地方を思い浮かべるのでしょうか。ひょっとしたら,名古屋市からみて「東部地方」と聞けば,長野県か,その隣接地域のことを想像するのではないでしょうか。そして,渥美半島や豊橋市の人間は,自分たちの住んでいる場所を「愛知県南部地方」だと思っているのではないでしょうか。少なくとも,わたしはそう思い込んで,これまで生きてきました。

 どうしても「愛知県東部地方」という地域を特定するとしたら,わたしの場合には豊橋市から飯田市に向かう飯田線で北東に進んだ山の中になってしまいます。ですから,最初に,「台風17号は愛知県東部地方を通過して北東に進んでいます」というニュースを聞いたとき,「えっ? もう,そんなに進んだの?」とびっくりしてしまいました。

 ささいなことと言えばささいなことではあります。が,固有の地名があるのに(それも,懐かしい故郷の地名があるのに),なにゆえに,わざわざ「愛知県東部地方」などという意味不明な抽象化した地名を「創作」し(少なくとも,地元ではこのような言い方はしていません),ひとくくりにしなければならなかったのでしょうか。そこには,なにか他意があったのではないか,という余分な推測をがわたしの脳裏をよぎります。

 なにゆえに,こんなことにこだわるのか。たとえば,「放射性廃棄物」といえばいいものを,わざわざ「指定廃棄物」と言い換える,政府の政治的な深慮遠謀にもとづく「すり替え話法」が,あまりにも無原則に乱用されていると思うからです。とりわけ,地名というものは固有名詞です。人間の姓名と同じです。渥美半島や豊橋市という固有名詞を否定し,わざわざ「愛知県東部地方」などと呼ぶとなると,そこになにか特別の「他意」がはたらいたのではないか,と勘繰りたくなってきます。こういうすり替え話法が,いつのまにか,とんでもなく大きな(それこそ想定外の)結末を迎えることになりかねないと危惧するからです。

 もう一点だけ。こういうものごとを無色透明化させる話法に現代という時代の病根がある・・・とこのところ考えつづけている大きなテーマがあることも付け加えておきたいと思います。このテーマについては,また,別の事例をとりあげながら展開してみたいと思っています。

 今日のところはここまで。

2012年10月1日月曜日

「太極拳する身体」をつくること,初心者はそこからはじめます。(李自力老師語録・その19.)

 李老師:最近,ある健康体操の指導者(女性)から誘いがあって,当惑したことがありました。それは,ヨーガやテラピスやエアロビックスなどのプログラムのなかに太極拳を加えたいので協力してほしい,というものでした。しかも,全体で60分,そのなかの15分を太極拳で埋めてほしい,とのこと。もちろん,お断りしましたが・・・。

 わたし:とんでもない話ですね。太極拳がまったくわかっていない。ひょっとしたら,楊名時さんの健康体操としての太極拳のことを言っているのでしょうか。

 李老師:たぶん,そうだと思います。彼女の頭のなかには,太極拳は武術であるという発想はまったくありません。完全に健康体操の一種だと思っているようです。こういう人が多くて困ります。

 わたし:じゃあ,剣でも持たせて太極拳をやってもらったらどうですか(笑い)。あるいは,長拳でもやってもらったら?

 李老師:そんなことより,15分で太極拳を教えるという発想がまったく理解できません。たぶん,ゆっくりした動きなので,だれにでもすぐできると考えているのでしょうね。愛好者のなかには高齢者の方たちも多いことですし・・・。

 わたし:そうですね。わたしの周囲にも太極拳はかんたんだと思っている人がいっぱいいます。

 李老師:太極拳の稽古ははじめる前に,すくなくとも15分以上の準備運動が必要です。少し上級者になれば,30分はしっかりとアップして,太極拳のできるからだをつくります。それから太極拳の稽古に入ります。でないと,筋肉を傷めたり,怪我をしてしまいます。ゆっくりと動くということはとても大きな負荷がかかるということです。このことがわかっていない。困ったものです。

 わたし:太極拳は健康のためにいい,というキャッチ・フレーズが世間に広まりすぎているように思います。だから,みんな単なる健康体操だと思っているんですよね。太極拳だって,ほかの武術と同じで,やり過ぎればからだを壊してしまいますよね。わたしも,夢中になって稽古をやり過ぎたときがあって,からだが奇怪しくなったことがあります。そのときに,先生から「やりすぎ」といって注意を受けました。

 李老師:そうです。太極拳は上達するにつれて,太極拳をする身体ができあがってきます。それとともに稽古の時間や回数も増やすことができます。初心者は,しっかり準備運動してからでも,太極拳の稽古を15分もやればからだが悲鳴をあげます。それで,もう十分です。それ以上やると脚の筋肉を傷めてしまいます。ですから,まずは,じっくり時間をかけて太極拳をする身体をつくりあげることが大事です。ある程度,からだができあがってくれば,相当に無理をしても大丈夫になってきます。長時間の稽古にも耐えられるようになってきます。それまでは焦ってはいけません。いま,できあがっているからだのレベルでの稽古しかできません。それ以上の稽古を無理してやっても,ほとんど効果はありません。

 わたし:なんだか坐禅の話とよく似てますね。初心者が無理をして頑張って坐禅をしてもほとんど効果はないといわれています。道元さんは「修証一等」(しゅしょういっとう)ということを言っています。これは,修行と悟りとは「一等」である,つまり,ひとつのことで表裏一体なのだ,というわけです。悟りに応じた修行しかできません,と説いています。

 李老師:なるほど,よく似てますね。太極拳も徐々に,徐々にからだが出来上がっていくにしたがって,稽古の質も上がっていくということです。どの道もみんな同じことを説いていますね。老家思想も太極の思想も同じことを説いています。

 わたし:それはそうでしょうね。禅は,インドから伝わった仏教と老家思想や太極の思想と接触することによって生まれたと言われていますから,同じでなくては困ります。

 李老師:太極拳をするからだは,少しサボるとすぐにレベル・ダウンしてしまいますから,毎日,ほんの少しでもいい,自分のからだに合った稽古をつづけることが大事です。

 わたし:ありがとうございました。今日はこの辺で。