2014年11月30日日曜日

「沖縄の地鳴りを聞く」。県知事選で何が起きたか?

 沖縄から<地鳴り>が聞こえてくる。この沖縄から響いてくる<地鳴り>の震源地をさぐり,そこでいったいなにが起きているのか,その声に素直に耳を傾けてみようではないか。そして,その声(地鳴り)をこの東京にも広げていこうではないか。そんな主旨の連続講座の第一回目が開催されました。そのショート・レポートです。

 連続講座:沖縄の地鳴りを聞く
 第一回:県知事選で何が起きたか?
 講師:松元 剛(琉球新報)
 日時:11月29日(土)午後1時半開場,2時開会
 場所:法政大学(市ヶ谷キャンパス)58号館855教室
 主催:普天間・辺野古問題を考える会(代表・宮本憲一)
 共催:法政大学沖縄文化研究所

 プログラム的なことに少し触れておきましょう。午後1時30分開場,午後2時開会,午後5時閉会の予定でしたが,終わったのは午後5時30分をまわっていました。それだけ熱気の籠もった,実り多き会だったということです。最初に講師の松元剛さんのお話があり(約1時間半),つづいて松元さんと西谷修さんとの対話があり(約1時間),さらにフロアからの質疑,そして,最後に,主催者である「普天間・辺野古問題を考える会」のメンバーの方たち(和田春樹,前田哲男,宮本憲一,さんほか)からひとことずつのご挨拶がありました。司会進行は岡本厚さん(岩波書店)。雑誌『世界』の編集者・中本直子さんもお手伝い。

 わたしとしては,顔なじみの方が何人かいらっしゃると,とても落ち着いた気分で参加でき,快適な時空間でした。

 さて,問題の「県知事選で何が起きたか?」です。松元剛さんのお話は,理路整然,まことに説得力があって,配布されたレジュメの行間にいっぱいの書き込みをするのに夢中になるほどに,ひきこまれてしまいました。それを書きたいところですが,内容が多すぎて手にあまります。中本さんのお話では,雑誌『世界』の1月号(12月8日ころ発行)に松元剛さんの論文が掲載されるとのことですので,そちらでご確認ください。

 そこで,ここでは,わたしの疑問であった「沖縄県民の自覚と決断」を促した最大の力はなんだったのか,の答えを簡単にレポートしてみたいと思います。

 結論から入りますと,沖縄県民が目覚めた(翁長)のは,沖縄のジャーナリズムの発信力にあった,ということです。その主役を担ったのが,琉球新報と沖縄タイムスの2紙であった,と。

 沖縄では,この2紙が,競い合うようにして,沖縄県民に「真実」を伝える取り組みをしてきました。それも徹底した取材にもとづくもので,確たる根拠をもった情報の提供でした。つまり,説得力のある,確たる情報を提供しなければ,競合紙に負けてしまいます。ですから,お互いが必死です。幸いなことに中央政府の圧力を受けることほとんどありません。ですから,ことばの正しい意味での「真実」に迫る情報の競合が長い間,つづいているということです。沖縄県民の8割の人たちがこの2紙のいずれかを読んでいる,とのこと。そして,残りの2割が全国紙,その他。

 この2紙の競合の結果,このたびの県知事選に際して,沖縄県民を目覚めさせ,確たる認識を浸透させていくことになったポイントをいくつか挙げておきますと,以下のとおりです。

 ひとつには,米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因であることを周知徹底させたこど。その結果,沖縄の経済界が,ようやく米軍基地反対の動きに転じたこと。このことが沖縄に岩盤のようにして存在する自民支持の基盤に亀裂を生じさせた,ということ。翁長氏の「目覚め」「転身」はここからはじまったといいます。かくして,中央政府からの補助金頼みの姿勢から脱出し,経済的自立への道を多くの県民が選択した,という次第です。

 ふたつには,米軍基地の存在は,抑止力としてはなんの効果もない,ということの根拠を明らかにしたこと。その結果,米軍基地不要論が多数を占めるにいたった,ということです。本土では,いまでも,沖縄の米軍基地は抑止力として欠かすことはできない,という認識の人がほとんどです。なぜなら,本土のジャーナリズムは政府自民党のいいなりになっていて,ほとんど機能していないからです。その結果,無知のまま,抑止力を信ずるしかない,という次第です。

 みっつには,沖縄のアイデンティティと自己決定権の主張です。と同時に,沖縄差別の撤廃を求める声が次第に大きくなってきたということです。

・・・・・以上,未完。いずれまた。

2014年11月29日土曜日

断末魔の悪あがき,か。安倍自民党による報道規制。とうとう文書で。

 政府自民党が,折あるごとに報道機関にたいして,さまざまな圧力をかけているという情報を知らぬ人はいないだろう。とりわけ,NHKは政府御用達しの私設報道機関になりさがった・・・と。だから,受信料拒否の運動が展開していることも衆知の事実だ。ネット情報にアンテナを張っている人間からすれば,NHKの流すニュースは,まことにお粗末。政府自民党にとって都合の悪い情報は一切カット。その徹底ぶりは驚くほどだ。

 その姿勢がとうとう馬脚を現した。他のテレビキー局に,こともあろうに「文書」で圧力をかけるという暴挙にでたのだ。その冒頭の書き出しは以下のとおり。

 2014年11月20日
 在京テレビキー局各社
 
  編成局長殿
  報道局長殿
 自由民主党
  筆頭副幹事長 萩生田光一
  報道局長    福井 照
  <選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い>

 このあとに,投票日の12月14日までの報道について,<街頭インタビュー,資料映像等で一方的な意見に偏る,あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう,公平中立,公正を期していただきたい>として「4項目」にわたる要望を明らかにしている。

 「要望書」といえば聞こえはいいが,これはわれわれ国民が政府に対して提出する「要望書」とはわけが違う。「要望書」と見せかけた,政府自民党のまぎれもない「報道規制」そのものだ。要するに「自民党に不利な放送はするな」という恫喝そのものだ。

 その効果はてきめん,というべきか。今朝(29日)の東京新聞の社会面の記事に「評論家の出演中止」「テレ朝『朝生で質問偏る』」という見出しの記事が掲載されている。その冒頭の書き出しは以下のとおり。

 衆院選をテーマにしたテレビ朝日系の討論番組「朝まで生テレビ!」(29日未明放送)で,パネリストとして出演予定だった評論家の荻上(おぎうえ)チキさんが「(政治家ではない)ゲストの質問が一つの党に偏るなどして,公平性を担保できなくなる恐れがある」などとしてテレ朝側から出演を取り消されていたことが,荻上さんへの取材で分かった。(以下,省略)

 これが,いま現在,進みつつある現状の一端なのだ。しかも,これは氷山の一角にすぎないだろう。おそらく,表にでてこない「自粛」や「自発的隷従」は山ほどあろう。もう,すでに,そういう状態になっていたにもかかわらず,この「文書」によって一段と拍車がかかることになる。

 いまや,前代未聞の事態がつぎからつぎへと「目まぐるしく」進展していく。にもかかわらず,そこに歯止めをかけるべきジャーナリズムが機能しない。とっくのむかしに,安倍自民党によってメディアの首根っこが抑えられてしまっているからだ。だから,いまや,報道機関のほとんどが安倍自民党の言いなりだ。そういう,ほぼ完璧な報道規制が日常化してしまっていて,それが当たり前のこととなりつつある。これこそ「公平中立」「公正」を欠く,恐るべき「暴力」装置の完成である。

 もはや,戦前の戦時体制下の大本営発表という報道姿勢となんら変わらない報道が大通りを闊歩している。こういう偏向情報の垂れ流しが,安倍自民党の求める「公平中立」「公正」の求める理想なのだ。そういう状態に報道機関を追い込んでおいて,正義なき選挙を闘おう,というのである。勝負は最初からついている。

 こうした事態を裏返して考えてみれば,それほどまでに安倍自民党はこんどの選挙に危機意識をつよくもっている,という実態がみえてくる。その根底にあるものは,沖縄県知事選挙の自民党の大敗という結果に違いない。この情報をもみ消すために,安倍自民党はありとあらゆる手をつくしている,とも聞く。こんなに大きな画期的なできごと,言ってしまえば歴史的なできごとに,とにもかくにも「蓋」をすること,これがいまの安倍自民党の至上命令になっているようだ。

 だから,報道各社も,沖縄県知事選挙のもたらした重大な意味については,深く立ち入ろうとはしない。それどころか,極力,忌避している,というべきだろう。

 もはや,世も末というべきか。あるいは,安倍自民党の「断末魔の悪あがき」というべきか。そのすべてが,こんどの選挙にかかっている。だからこそ,沖縄県民のような長年の苦悩の結果,至りついた「自覚」と「決断」が,わたしたちにも不可欠なのだ。

 その沖縄県民のとった行動についての「連続講座」の第一回目が,今日(29日)の午後2時から法政大学(市ヶ谷キャンパス)で開催される。題して「沖縄の地鳴りを聞く」。第一回・県知事選で何が起きたか? 講師:松本剛(琉球新報)。

 これから,わたしもこの講座の聴講に出かけるところ。帰ってきたら,また,この報告をしたいと思う。お楽しみに。

2014年11月27日木曜日

「未来はここにある」。「図書新聞」のインタヴューで西谷修さん。必読。

 先々週の「週刊読書人」で西谷さんの近著『破局のプリズム──再生のヴィジョンのために』(ぷねうま舎,9月25日刊,四六判258頁・本体2500円)が書評され,ようやく西谷さんのお仕事が日の目を浴びることになったと喜んでいたところでした。すると,こんどは「図書新聞」(3184号,11月29日発行)が一面トップで西谷修さんのインタヴュー記事を掲載しました。一面から二面にわたる膨大な誌面を使っての紹介です。

 
西谷さんは,これまでも地道ながら着実にいいお仕事をされてこられました。東京外大時代には,時宜をえた話題をとりあげ,数多くのシンポジウムを開催し,そのつど,それらを単行本として上梓してこられました。しかし,どういうわけかメディアは無視しつづけてきました。ですから,某出版社の親しくしている編集者ですら,「最近,西谷さんの本がでないですね」とわたしに問いかけてきたほどです。「冗談じゃない,いっぱい本を出していますよ」とわたし。「えっ!?そうなんですか」といった塩梅でした。

 ですから,今回,こうして「週刊読書人」の書評(森元庸介)につづいて,「図書新聞」が一面トップの記事にしてくれたことを,わたしはこころから喜んでいます。なぜなら,西谷修さんほどの視野の広さをもち,しかも,問題の核心をみごとに抉りだす,たしかな思想・哲学をもった論者は稀有なことだ,と考えてきたからです。その西谷さんのお仕事をすくい上げるだけの力量を持ち合わせないメディアに,ある種の苛立ちすら覚えていたからです。

 
 が,とうとう,西谷修さんの舞台の幕開けの時代がやってきました。とはいえ,精確にいえば,こんどが二回目の幕開けというべきでしょう。一度目は,『夜の鼓動に触れる──戦争論講義』(東大出版会)が注目を浴び,『離脱と移動』『不死のワンダーランド』・・・・と話題作がつづき,いっときは大手書店には西谷修コーナーが設けられたほどでした。そうして,雑誌はもとより講演会など旺盛な言論活動が展開されました。

 こういう時代を通過したあと,西谷さんの問題関心は一気に拡大していったように思います。というか,以前から内に抱え込んできた問題関心が一気に表出しはじめた,というべきかもしれません。言い方を変えれば,それまでのフランス現代思想を起点にした思想・哲学的思考の方法論を大きく転回させ,血の流れている生身のからだを生きる人間を思考の機軸にすえる,というスタンスをとるようになった,とわたしは受け止めています。

 かくして,西谷さんの言論活動は,戦争,宗教(主としてキリスト教研究),経済,沖縄,フクシマ,経済,ドグマ人類学,アメリカ論,医療思想史,絵画,演劇,映画,舞踊,スポーツ,などなど多岐にわたって展開されることになります。そして,必要なかぎり現場に足しげく通い,それぞれのテーマの思考を深めていくという手法に磨きがかかってきます。

 そして,フクシマ(3・11)以前からアンテナを張っていた「破局論」が急展開することになります。フクシマとしっかり向き合い,現地に立ち,荒涼とした風景に接し,風を感じ,空気を吸い,みずからの生身のからだをとおして思考を深めるという手法が一段と冴え渡ってきます。そうした営為から生まれたのが近著『アフター・フクシマ・クロニクル』(ぷねうま舎,6月20日刊)であり,『破局のプリズム』(9月25日刊)である,というわけです。

 西谷さんは,こうした手法を「世俗哲学」と呼び,「チョー哲学」と名づけて,そこにユーモアの精神をも盛り込もうとしているかに見受けられます。いささか乱暴な言い方になりますが,ヨーロッパの伝統的な形而上学的思考の軛からみずからを解き放ち,血のかよう生身のからだから生みだされる思想・哲学の方に比重を移していく,そういう大きな思考実験が展開されているやにも見受けられます。

 その具体的な論考については,『破局のプリズム』の第五章 世俗哲学の方へ,に詳しく論じられていますので,そちらを参照してください。

 最後に,「図書新聞」の第二面の誌面を挙げておきましょう。

2014年11月26日水曜日

辺野古移設に新展開か?あるいは,選挙対策か?

 昨日(25日)のブログで,政府自民党は辺野古移設は日米協定にもとづき粛々と進める方針だ,と書きました。ところが,今日(26日)の東京新聞の「こちら特報部」の囲み記事によると,衆院解散で海上作業を中断し,キャンプ・シュワブに設置された浮桟橋の撤去作業(22日)をおこなっていたことが明らかになりました。

 お詫びして訂正いたします。

 じつは,ネット上でも,「高度な政治判断がくだされ,辺野古移設工事が中断された」という情報は流れていました。しかし,この「高度な政治判断」がどこでなされたのかが明らかにされていませんでしたので,わたしとしては慎重にならざるを得ませんでした。が,今日の東京新聞の記事によれば,「高度な政治判断」とは,衆院解散・選挙に向けての政府自民党がおこなったことだ,ということがわかりました。

 したがって,長野の地震被災地のみなさんへの厚い手当てと同様なことが,沖縄でもなされていたということになりましょうか。共通項は,「選挙」対策です。辺野古移設工事を選挙中も強行すれば,沖縄選出の自民党議員は「0」になってしまう,という判断があったようです。すでに,県知事選挙によって,沖縄県自民党支部は大きな痛手を負っています。ここはなにがなんでも「1」議席くらいはなんとか確保したいところでしょう。だとすれば,ここは,辺野古移設工事を中断して,少しでもマイナス要素を減らしておこう,という判断がはたらいたとしてもなんの不思議もありません。

 しかし,東京新聞によれば,それだけではなく,新たな展開がはじまっているようです。移設反対派の攻勢は沖縄県庁の内部にも浸透していて,「埋め立て判断」は新知事にゆだねようという動きがあるようです。

 仲井真知事の任期は12月9日まで。県では,沖縄防衛局による埋め立ての工法に関する事務審査をしていて,すでに二度にわたって県は防衛局に質問を投げかけ,いずれも回答が返ってきているのですが,まだ,充分ではないとして三度目の質問を防衛局に投げかける方針を固めた,というのです。そうなると,仲井真知事在任中の「ゴーサイン」は出せなくなってしまうというわけです。これは仲井真知事にとっては大変な事態が出来したというべきでしょう。

 このままいけば,埋め立て判断は新知事の翁長氏に委ねられることになる,というわけです。政府自民党は,仲井真知事在任中になんとしても「既成事実化」してしまおうと必死に頑張ってきたけれども,それが果たせなくなってしまいます。そして,ついには,政府自民党の辺野古移設工事計画に大きな風穴が開いてしまうことになりそうだ,というのです。

 これはどうやら,沖縄県民の総意を受けた,まったく新たな展開のはじまりではないか,と考えられます。「オール沖縄」の威力が,こんな形で反映されることになるとは,ちょっと想定外でした。意外なことに県庁のなかに,しっかりとした見識をもった人たちがいて,冷静に県民の総意を見極めて行動する良識が機能しているという事実に,わたしは瞠目させられてしまいました。

 沖縄はすごい,と。平和惚けしてしまった本土の人間とはまるで違う,つねに「エッジ」に立たされて,辛い選択を迫られてきた沖縄県民の,未来を見据える視線の鋭さ,決意,覚悟がひしひしと伝わってきます。やはり,本土とは次元の違う先鋭的な問題意識が充満しています。時代のはるかさきを突っ走っている,そういう姿が浮かんできます。

 こんどの選挙をとおして,本土の人間たちがどれだけ目覚めるのか,そして,沖縄県民をどこまで見習うことができるのか,日本の将来を決する重大な選択が迫られているという自覚をどこまで持つことができるのか,短期決戦が迫っています。

 とってつけたような「猫だまし」のようなフェイントに惑わされないよう,ご用心,ご用心。

2014年11月25日火曜日

長野の地震被災地住民には手厚く,沖縄県民の総意は無視して知らぬ顔の政府自民党。

 長野北部の地震災害の大きさが次第にわかってきて驚いています。29㎝も地面が移動した地域もあると聞き,これは一大事だと気づきました。倒壊した家屋も多く,あちこちに地面の段差ができたり,大きなひび割れが生じたり・・・でたいへんなことになっていることが報道されて,このたびの地震災害の大きさがわかってきました。避難生活を余儀なくされている人たちも少なくない,とのこと。遅ればせながら,こころからお見舞い申し上げます。

 シンちゃんはいち早く,被災地のみなさんの救済に乗り出しました。「全力を挙げて救済支援を行う」と宣言して,すばやく被災地に関係者を派遣して,その約束を行動に移しています。とても立派なことだと,まずは,賛辞を送りたいと思います。しかし,すぐに,素直に賛辞を送ることが躊躇されてしまいます。なぜなら,それが選挙を意識した,みごとなまでの計算・打算のもとでの行為にみえてしまうからです。だから,どこかに不快感を抱きながらも,とりあえずは,被災地のみなさんの救済支援を第一に考えたいという,割り切れない葛藤が伴います。

 この不快感には,もうひとつ,大きな理由があります。

 「沖縄県民の意に沿うよう努力する」と,シンちゃんは沖縄県知事選挙前に,沖縄県民に向かって,大見得をきって宣言しました。しかし,その約束をすっかり忘れてしまったかのように,米軍基地の辺野古への移設は「日米協定にもとづき,粛々と進める」(官房長官)と記者会見で,臆することなく,へらりと述べています。わたしはそのときのテレビ放映をみていて,背筋が寒くなりました。この男のしらけきった顔,そして,そこになんの罪の意識もない冷徹さ,これが政府自民党のありのままの「顔」なのだ,と再確認しました。しかも,この官房長官の発言に対して噛みつく記者はひとりもいませんでした。再度,鳥肌が立ちました。

 こんな大嘘を平気でつける,もはや「虚言癖」という病魔に犯されているとしかいいようのないシンちゃんが,この国の指導者なのです。もはや,なにも信じることはできません。

 そのシンちゃんですが,目先の計算・打算だけは目ざとく,利用できるものはなんでも利用するという,なんとも卑しい才能だけは持ち合わせていらっしゃる。これが困ったちゃんの最大のガンですよね。

 ですから,シンちゃんが外遊するたびに,わたしたちはハラハラドキドキしてしまいます。その場の雰囲気によっては,ありもしないリップ・サーヴィスを平然と言いかねないからです。その前科もふんだんに積もっています。ですから,どこで,どのようにして,いったい,なにをしゃべってくるのだろうか,と。不安でたまりません。

 と,こんなことを書き始めると際限がなくなりますので,もとに話をもどします。

 言いたいことは以下のとおりです。

 長野の地震被災地住民に手厚く支援の手を差し伸べるのは,政府として当然のことであり,大賛成です。それと同じことを沖縄県民のためにもやってほしい,ただ,このひとことです。同じ,日本国民の一員なのですから。

 しかし,沖縄県民の総意をかき消すための戦略のひとつとして「解散・選挙」という大義なき暴挙にでた,とわたしは受け止めています。こんなことまでしなければならないほど,シンちゃんは,じつは,沖縄県知事選挙の結果に怯えている,というのが真相のようです。ですから,その反動として,長野の地震災害地には「仏」の顔をみせて,そのバランスをとろうとしている,しかも,それが選挙につながる・・・・と。

 しかし,シンちゃんのほんとうの「顔」も「こころ」も鬼です。冷徹そのままの「青鬼」です。その証拠には,福島の被災者・・・・,これを書き始めると際限がなくなってしまいます。あとは,みなさんの想像力にお任せ,としておきます。

 ただ一言,もう一度だけ,言わせてください。長野の地震被災地住民には手厚く,そのいっぽうでは,沖縄県民の総意を無視して平然としている,この厚顔無恥,計算・打算,虚言癖こそが,いまの政府自民党の本質だ,ということを。

2014年11月24日月曜日

白鵬,大鵬の大記録と並ぶ32回目の優勝。でも,朝青龍の人気にはほど遠い。なぜか。

 白鵬が,日本の父と呼び,敬愛してきた大鵬の優勝記録に並ぶ32回目の優勝を飾った。さすがの白鵬も人の子。君が代斉唱の途中から唇をふるわせて涙した。感慨無量だったのだろう。それにしても,今場所の相撲は,また一皮剥けたかのように,もう一つ高い次元に到達した,みごとな相撲内容だった。まずは,おめでとう,とエールを送りたい。

 しかし,朝青龍の相撲のような,鳥肌の立つような感動がない。あるいは,館内を熱狂の渦に巻き込む,圧倒的な迫力が感じられない。なぜか。それは白鵬という力士に漂う偉大さと俗物性のインバランスにあるように思う。確かに白鵬は強い。優勝回数からしても桁違いに強い。その意味では,じつに偉大だ。なのに,どこか魅力に欠ける。それは,土俵上で垣間見られる,大横綱らしからぬ挙動にあるように思う。

 つまり,勝てばいい,優勝すればいい,ということだけではないということだ。たとえば,相手を投げ飛ばしたあとの「ドヤ顔」。この顔で場内のお客さんを睥睨する。なんとも後味が悪い。あるいは,寄り切って勝負のついた相手の胸を一突きして土俵下まで落としてしまう悪いクセ。仕切り直しの間も,必要以上に相手を睨みつけるクセ。最後の仕切りが終わって塩をとりにもどるときの,なんとも下品な駆け込み方,四股の踏み方もいま一つ(貴乃花のような四股の美しさに欠ける),そして,なにより懸賞金を受けとったあとの所作の下品さ,これは目にあまる。

 大横綱としての名声を博した大鵬も,千代の富士も,貴乃花も,土俵上のマナーが美しかった。勝っても負けても,滅多に表情を変えることはなかった。淡々と仕切り,勝負が終わったあとも,淡々として引き上げて行った。少なくとも平常心を貫くことを心がけていた。そこに,それぞれの力士の美学を垣間見ることもできた。だから,土俵上の一挙手一投足を食い入るように見つめることになる。

 しかし,白鵬には,それがない。

 それに引き換え,朝青龍は,とても分かりやすかった。たとえば,裏表のない,子どものような純真さが丸見えだった。自分のなかの喜怒哀楽の感情をそのまま表出させた。演出も手抜きもなにもなし。まさにあるがまま。だから,なにもかもが丸見えだった。たとえば,仕切り直しですら絵になった。仕切り直しのたびに気合が入ってきて,気魄が漲ってくる。顔色も次第に紅潮してくる。そして,最後の塩で鬼の形相になる。この一連の流れを見るだけでお客さんは喜んだ。だから,最後の塩のときには大きな拍手が沸き起こった。

 つまり,朝青龍には,お客さんの目を釘付けにし,一心同体にさせる,不思議な力があった。だから,勝ったときのお客さんの拍手もものすごいものがあった。まさに,熱狂。また,負けるとお客さんの大きな落胆の声があがり,そのあとに拍手がきた。つまり,勝っても負けても,銭のとれる力士だった。これがプロの力士であり,横綱の面目躍如ということだ。

 しかし,朝青龍は「悪役」扱いされ,とうとう相撲界から追放されてしまった。これは大きな間違いだった。集客力ががたっと減ってしまい,「満員御礼」になかなか到達しない。いまごろになって日本相撲協会の幹部たちは「しまった」と思っているに違いない。これほど銭の取れる力士はそうはでてこない。それに引き換え,白鵬は「善玉」扱いをされ,漁夫の利を拾った。メディアも優等生扱いをした。しかし,白鵬には暗い陰の部分がある,ということが最近になって漏れ伝わってきている。たとえば,所属する部屋の親方とは口も聞かない犬猿の仲だという。いまでは,元平幕だった親方に「上から目線」で接し,相手にしていない,という。だから,協会内の評判はけしてよくはない,という。

 こういう二面性が,おのずから土俵上の挙動にも表出してしまうようだ。偉大なる横綱と下卑た横綱の両方の顔が・・・・。今日の優勝インタヴューもその典型だった。「この国の魂と相撲の神様がわたしを認めてくれたお蔭で今日がある」と,泣かせるではないか。しかも,最後には天皇への感謝のことばまで述べた。だれが智恵をつけたかは知らないが,明らかに,これは考え抜いた演出である。そういうことばを吐きながらも,インタヴューアーのアナウンサーをみる目は,まぎれもない「上から目線」だった。その態度の大きさには,どこか後味の悪さが残った。

 優勝回数32回という,大鵬とならぶ立派な成績を残した大横綱白鵬に,どうしても素直に喜べないわたしの思いを書いてみた。しかし,これはあくまでもわたし個人の見解である。白鵬ファンには申し訳ないが・・・・。

 ついでに,千秋楽の大一番について書いておこう。照ノ富士と逸ノ城の一番。力の入った攻防がみごとだった。この二人の取り組みは,毎場所,がっぷり四つの力相撲になるだろう。そして,この二人が,互いに切磋琢磨して地力をつけていけば,間違いなくつぎの角界を担っていくことになる,とわたしはみた。来場所からのこの二人の活躍が楽しみだ。

2014年11月23日日曜日

いま,辺野古がたいへんなことになっている。解散・選挙のドサクサにまぎれて米軍基地移設工事を強行中。

 「沖縄県民の意思に関係なく,辺野古への米軍基地移設は日米協定にもとづき粛々と進める」(菅官房長官発言)という,まさに民主主義を否定するような発言を,ほとんどのメディアは無視して,スルーしてしまっている。しかも,その菅官房長官の発言のとおり,沖縄県知事選挙の3日後には,沖縄県民の意思を無視して,辺野古での米軍基地移設の工事が再開された。のみならず,こんどは警察が移設工事に反対する住民に対し,選挙以前よりも乱暴な暴力をともなっている,という。

 米軍キャンプ(シュワブ)の正門横に青いテントを張って座り込みをつづけている人たちが,工事再開を聞いて,正門を封鎖するために正門前に並んだり,寝っころがったりして,工事用の車の出入りを止める行動にでた。すると,沖縄県警がやってきて,この人たちの排除にとりかかった。なかには,殴る,蹴るの暴力まで行使する警察官もいたという。そして,とうとう一人の老婆が倒れ,病院に搬送されるという騒ぎまで起きている。

 一方,辺野古の海では移設反対を唱えるカヌー隊が,海上保安庁の舟に「これまで以上に」強引に曳航されて,沖に排除されているという。いまでは,40隻あまりの海上保安庁の舟が出動して(小笠原諸島にまわす海上保安庁の舟は足りないのに),カヌー隊の監視にあたっている,とか。しかも,そのやり方は次第に荒っぽくなってきている,と。

 ここでは,そうした事態の詳細は割愛させてもらう。詳しくは,琉球新報や沖縄タイムスのネット版で確認すればわかる。また,わたしのFBでも,関連の情報をリンクして流しているので,そちらも確認されたい。写真つきのかなり詳細な内容がわかるようになっている。それらを見るかぎり,無惨としかいいようがない。

 これは,どう考えてみても,この解散・選挙のドサクサまぎれて,多少の暴力も「容認」しつつ,一気に移設工事を進展させておこう,という政府自民党の思惑があるとしか,わたしには思えない。案の定,この事態の進展をメディアは無視。メディアの話題は,もっぱら,解散・選挙関連のものばかり。かと思えば,われわれ日本人にとってはさほど重要でもない外国の情報を,大げさに流したりもしている。こうして,結果的に,いま,沖縄の辺野古で起きている非常事態は,完全に蓋をされてしまっている,というのが現状だ。政府自民党の思惑どおり,と言ってよい。

 一説によれば,解散・選挙は,沖縄県知事選挙が終わったらすぐにやる,という政府自民党の執行部の意思は,かなり早い時点で折り込み済みであった,という。なぜなら,沖縄県知事選挙で自民党が推薦する仲井真氏が勝てない,ということが最初からわかっていたからだ。だから,負け戦は避けた方がいいという意見もあって,なかには,仲井真氏の立候補を取り下げて,「不戦敗」という手段も検討されていた。が,そうはならなかった。

 その結果,「オール沖縄」の推す翁長雄志氏が約10万票の大差をつけての圧勝だった。この選挙は米軍基地の辺野古への移設が争点になった,と報じられ,そのように受け止められている。それはそのとおりなのだが,しかし,もうひとつの大きなテーマが「オール沖縄」の主張にはあった。それは「沖縄のアイデンティティ」の主張であり,「自己決定権」の主張である。つまり,沖縄は沖縄であり,沖縄のことは沖縄県民の意思で決めるのだ,という主張だ。

 米軍基地問題は,これまで沖縄県知事から日本政府に働きかけて,さまざまな改善のための要求がなされてきた。しかし,いつまで経っても改善の目処は立たないまま。「本土並み」という前提条件をかかげて「本土復帰」をはたしたのが1972年。それから40年余。事態は改善されるどころか,半永久的に米軍基地が沖縄に定着してしまうという最悪のシナリオが,日米協定となってこんにちを迎えている。かくして,沖縄県民の夢も希望も完全に無視されてしまった。

 かくなる上は,日本政府はもう当てにはならない。ならば,アメリカ政府と直接交渉(直訴)する以外にはない。そのためには,沖縄県民の意思を,しかも,圧倒的多数の意思を明確にする必要がある。そうして立ち上がってきた運動体が「オール沖縄」だ。もはや,党派やイデオロギーを論争している場合ではない,と。必要なのは,「沖縄のアイデンティティ」を明確にすることであり,「自己決定権」を明確に主張することだ,と。

 これが,こんどの沖縄県知事選挙の最大のポイントだった,とわたしは受け止めている。おそらくは,政府自民党も,この「オール沖縄」の運動が話題になり,これからさらに加速されて展開し,日本全国にも大きな影響を及ぼすことになることを,もっとも恐れたのではないか,とこれはわたしの推測。だから,なにがなんでも,早急に,この沖縄情報を,一旦は,遮断する必要がある。そのための鬼の手が,解散・選挙という首相の専権事項の行使である。

 こうして,とりあえずは,沖縄の「自己決定権」の主張に蓋をしておこう,というのが今回の解散・選挙の引き金の大きな要因になった,とわたしは考えている。そのすり替えが「アベノミクス解散」というお題目である。かくして,沖縄とフクシマという政治の最大の課題から,国民の目をそらすことができる,と。そして,憲法9条(閣議決定による集団的自衛権の行使容認)からも,原発推進からも,国民の目をそらすことができる,と。

 いまの野党はだらしがないから,いとも簡単に「アベノミクス解散」に吸いよせられ,金目の話に熱中してしまう。野党も駄目なら,国民も駄目。金目の話には興味・関心を示すが,国家の大義には目もくれない。その点,沖縄県民は立派だ。金目の誘惑を断ち切って「沖縄のアイデンティティ」と「自己決定権」という大義を最優先させる選択をした。それに比べると,本土の国民は幼稚だ。目先の飴玉にしか目が向かない。金の亡者と化している。

 だから,沖縄の基地がどうなろうと,本土の多くの国民は無関心。このことを,しっかりと見極めた沖縄県民は「オール沖縄」を組織して,つぎなるステージへとその第一歩を踏み出した。すでに,沖縄独立も視野に入れた運動が組織されてもいる(沖縄独立学会の設立)。本土はいまだにアメリカ依存でべったり。いまや,アメリカ合衆国の新しい属州となりつつあるかにみえる。そのつけの一端を,それも最大のつけ(日米安全保障条約・日米地位協定)を,すべて沖縄に押しつけようとしている。

 このように考えてくると,いま,解散・選挙の騒動の陰で「粛々と」推し進められている辺野古への米軍基地移設問題が,いかに重大な意味をもっているかがわかってくる。

 わたしはこころの底から胸を痛めている。

2014年11月22日土曜日

書評の地平。森元庸介氏による『破局のプリズム』(西谷修著,ぷねうま舎,2014年9月刊)の書評を読んで。

 書評とはなにか,とこのところ考えることがあって,定期購読している『週刊読書人』の書評をあれこれ考えながら読んでいる。ひとくちに書評といっても,そのスタイルやスタンスはさまざま。しかも,評者についての予備知識がない場合には,その人の書評がどういうものなのか,どのように受け止めればいいのか,その判断に苦しむことが多い。わたしが比較的よく知っている評者の書評は,言外の意味まで忖度できて,とても興味深いのだが・・・・。

 と,そんなことを考えていたら,『週刊読書人』(11月14日号)に,森元庸介さんの手になる西谷修さんの近著『破局のプリズム──再生のヴィジョンのために』(ぷねうま舎,2014年9月刊)の書評が掲載されていた。この書評はとても興味深く読ませていただいた。なぜなら,著者の西谷修さんも,評者の森元庸介さんも,いま,とても仲良くお付き合いをさせていただいて,お二人の著書もわたしなりにしっかりと読ませていただいているつもりの人だから。

 わけても,著者の西谷修さんとは,もう,ずいぶん長いお付き合いをさせていただいていて,この本も著者献本としていただいた。嬉しくてすぐに飛びつくように読んで,いつものことながら,うーんと唸りながら,もし,この本の書評をするとしたらどんな風になるのだろうか,と折あるごとに自問自答していたところだった。できることなら,このブログで書いてみたい・・・と。

 評者の森元庸介さんとも,最近になって親しくお付き合いをさせていただいている。だから,森元さんの手になる翻訳のお仕事(主としてフランス現代思想の翻訳)もひととおりは,読ませていただいている。なかには『猫の音楽』などという意表をつくタイトルの翻訳本もあり,不思議なレパートリーの広さといい,とてもよくこなれた翻訳の文章といい,そして,ご自身の書かれる,じつに味のある文章(文体)といい,森元さん独自の世界があって,それがまたたまらない魅力である。わたしはいつのまにかファンになっている。

 
そんな偶然も重なっていて,だから,この書評はわたしには特別の意味をもつことになり,いろいろと考えさせられた。書評とはなにか,という疑問にもある種の答えを導き出すことができたように思う。とりあえず書いておけば,書評とは,評者のもつ手鏡に写った心象風景が,ほとんどそのまま表出するものだ,と。だから,この書評もまた,森元さん固有の世界が,おのずから表出している。それが,わたしにはまたたまらない喜びをもたらしてくれる。

 したがって,評者の手鏡の大きさやその鮮明度などによって,そこから紡ぎだされる書評はまさに十人十色となる。

 さて,森元さんの書評。上の写真で読んでいただければ一目瞭然。いわゆる,わたしたちが馴染んできた,ふつうの書評ではない。言ってしまえば,最初から最後まで「森元節」が鳴り響いている。逆の言い方をすれば,森元ワールドがある程度わかっていて,しかも,西谷さんの思考の世界を熟知している人でないと,この「森元節」のよさはうまく伝わらないかもしれない。しかし,ありがたいことに「森元節」の奥深くに流れている含意が,わたしにはここちよく伝わってくる。滅多に味わうことのない僥倖である。

 まず,冒頭の書き出しからして,いきなり宇佐美圭司さんへのオマージュからはじまる。それは,つい最近亡くなられた宇佐美さんの死に対して,西谷さんがとても悔しい思いをされていることを,森元さんは察知されているからだ。わたしもまた,西谷さんが「ちょっと油断していた」とポツリと言われたことばが印象に残っている。だから,宇佐美さんと西谷さんとの親密な交友関係を知っている者にとっては,この入り方は感動ものである。思わず「うまいっ!」と叫んでしまったほどだ。

 この導入からはじまって,森元節は徐々に唸りを上げていく。ソフトなタッチの文体ながら,厳密に読み取ろうとすると,どうしてなかなかの難解ものでもある。そこには森元さん独特の隠喩が,一分のすきもなく盛り込まれている。その隠喩に触れられたときにはそこはかとない至福の時が流れはじめる。しかし,そこに触手がとどかない時には,なにかフェイントをかけられたような目眩を覚える。

 それは森元さん固有の思考の深さから発してくると同時に,著者の西谷さんの思考を熟知した上での,二人の共振・共鳴関係から生まれてくる,そういう一種独特の知の地平を拓いているからだろう,とわたしは考える。そして,そうか,書評とは,かくも奥が深いものなのだ,と。つまり,著者と評者のシンクロニシティが成立したとき,その書評はもはやつきなみな書評のレベルをゆうゆうと逸脱していく。そして,それは,もう一つの新しい作品を生みだすことになる。

 だから,この書評を,わたしは,もうすでに,何回もとりだしてきて,読み直している。しかも,そのつど二度,三度と読み返している。そして,そのたびごとに新しい発見の喜びに浸っている。そして,なんという書評なんだ,とひとりごちしている。

 森元さんの選び抜かれたことば。けしてはずすことのないポイント。しかも,そのポイントを手掛かりにして,なお一層,その思考を深めていく,ウデの確かさ。その極めつけのシンフォニーが,最後の段落で鳴り響く。西谷さんのいう「世俗哲学」「チョー哲学」を語るくだりだ。正直に告白しておけば,ことここにいたって,ようやく西谷さんの仰る「チョー哲学」の真意を知ることができた。これぞ至福の時。

 あまりの感動を,やはり,ここにも書き留めておきたい。

 冒頭の書き出し。宇佐美さんの「思考をそこから始め直すチャンス」(破局)に呼応するようにして,森元さんはつぎのように書いている。

 「時の試しに己を開き,糺すべきものを糺して怯まぬ言葉の勁(つよ)さが戸惑いを呼ぶだろうか。しかし勁さは強(こわ)さでない。始め直すべき思考を「世俗哲学」,けれどまた「チョー哲学」と名づける著者は,ふと零れ出る笑いが思考の代えがたい伴走者であることを知るひとだ」。

 もはや,何をか況んや,である。

2014年11月21日金曜日

「アベノミクス解散」だそうな。違うでしょ,シンちゃん。ほんとうのところは・・・・?

 シンちゃんはまたまた新しいウソをつきましたね。今日(21日)の午後6時からの解散・記者会見をしっかりと聞かせてもらいましたよ。シンちゃんは都合の悪いことは一切伏せて,都合のいい「アベノミクス」だけを前面に押し立てて,この信を問うのだ,と大見得を切りましたよね。しかも,アベノミクスは成功しているのだ,とも大見得を切りましたよね。ならば,解散などする必要はないですよね。そこで,むりやりこじつけた理由は「税制という重要な改正を行ったので,国民の信を問う必要があるのだ」と。このときばかりは,シンちゃんとしてはいささか声が小さかったですよね。おやおや,やはり,あまり自信がないのだということがちらりと垣間見られましたよね。やはり,シンちゃんも人の子だなぁ,と思いました。

 はっきり言いましょう。シンちゃん,ほんとうのところは違うでしょ。記者会見で,シンちゃんが必死で隠蔽しようとしていたことこそが「国民の信」を問わなくてはならない最大のポイントですよね。それは集団的自衛権の行使容認の「手続」の問題でしょ。憲法9条の解釈を閣議決定で変更してもよいのかどうか,こここそが国民の審判を仰がなくてはならない最大の「争点」でしょ。つまり,憲法とはなにか,という国政の根幹にかかわる大問題だ,ということはわかっていますよね。もっと言ってしまえば,憲法解釈を閣議決定でよしとする「暴挙」は,まさに議会制民主主義の否定ですよね。シンちゃんが,もし,野党だったら間違いなくそこを突いて,徹底的に攻撃にでますよね。立場が変わるとこうまで変わる,まさに,シンちゃんの本領発揮ですよね。おみごと,おみごと,と拍手喝采を送りたいところですよね。

 しかし,閣議決定問題をいじられると選挙は戦えないことはわかっているので,その手続論は徹底的に無視することにしたんだよね。そして,経済一本に絞り「アベノミクス解散」と銘打って,みごとにすり替えをやってのけたというわけでしょう。これもまたシンちゃん得意の「猫だまし」の術。これまた「おみごと」。なぜなら,そのあとの記者の質問も,みごとにアベノミクスに乗せられたものばかりの,ことなかれ主義満載のものばかりでしたから。もっとも,あそこで,わたしのような意見を述べて質問したら,もう二度と,あの記者会見場には入れてもらえなくなってしまうでしょうよね。

 まあ,この問題はこれからも本格的に論じていきたいと思いますので,今回はこの程度にしておきましょう。その代わりといってはなんですが,そのアベノミクスの「まやかし」を徹底的に批判した伊東光晴(京都大学名誉教授)さんの論評が東京新聞の「こちら特報部」(11月19日朝刊)に掲載されていましたので,それを紹介しておきましょう。

 
 
伊東光晴さんの仰るには,アベノミクスは「まやかし」だと断言されていますよね。そして,第1の矢は「飛んでいない」,第2の矢は「折れている」,第3の矢は「音だけの鏑矢?」とのことです。その根拠をじつにわかりやすく説いていますので,ぜひ,シンちゃん,読んでみてくださいね。この論評に異議がおありでしたら,東京新聞に反論を投稿してみましょうね。東京新聞は熱烈歓迎をしてくれるでしょうからね。もし,それをしなかったら,ああ,シンちゃんは伊東さんの論評に降参したのだと判断することにしましょうね。

 二枚目の新聞切り抜きは,もっと強烈ですよね。原発稼働は「安全性は水掛け論」,労働政策は「低賃金化に拍車」,第4の矢は「危険な『戦後脱却』」ということですよね。わたしはこの伊東光晴さんのご意見に賛成ですよ。でも,シンちゃんは違いますよね。こちらにも,ぜひ,反論を投稿してみてくださいね。そういう議論を起こすことが民主主義にとっては必要不可欠な手続ですよね。もっとも,シンちゃんは,ほんとうのところを言ってしまえば,民主主義に懐疑的ですよね。だけど,議論もしない,などと言ってしまっては駄目ですよね。シンちゃんの戦略としては,みせかけであろうと,まやかしであろうと,民主主義の擁護論者である「ふり」はしなくてはなりませんからね。

 まあ,あまりダラダラと長く書いても仕方がありませんので,あとは,この新聞の切り抜きを熟読玩味してみてくださいね。そのくらいのことは,シンちゃん,してくださいね。よろしくね。そして,反論もね。

シンちゃん,「金」と「命」はどっちが大事?

 「国民の命と安全を守るために」は,シンちゃんの常套句ですよね。ことあるごとに「国民の命と安全を守るために」わたしは政治に全力を投球していきます,というような具合に。でも,少し考えてみれば,シンちゃんの言っていることと,やっていることとは矛盾だらけですよね。ここでも,シンちゃんは大きなウソをついていますよね。もちろん,わかっていますよね。えっ?ウソなんかついてないだって?それは困ったもんだねぇ。じゃあ,これをどう思いますか。

 「国民の命と安全を守るために」・・・集団的自衛権が必要なのです。
 
 「国民の命と安全を守るために」・・・特定秘密保護法が必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・原発再稼働は必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・7年以内に放射能汚染を処理することが必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・沖縄の米軍基地は必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・TPPは必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・尖閣諸島をわが国固有の領土とすることが必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・フクイチを「under control 」と言うことが必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・憲法9条を無視して閣議決定することが必要なのです。
 「国民の命と安全を守るために」・・・原子力ムラの発言を擁護することが必要なのです。

 シンちゃん,あなたが「国民の命と安全を守るために」と言って,国会に提案し,成立させた法案は無数にありますよね。ですから,もうこれ以上,挙げることはやめにしておきましょうね。

 とりあえず,10個ほど,上に書き出してみました。シンちゃん,もう一度,これらをよくよく眺めてみてください。衣の下に鎧がちらついてみえてきませんか。全部,もっともらしくみえながら,一皮剥いてみると,すぐに,その欺瞞や矛盾が,剥き出しになってみえてきますよね。

 その根拠について,前の選挙のときの自民党の公約と現状とを比較してみましょうか。

 集団的自衛権・・・公約:集団的自衛権の行使を可能とし,国家安全保障基本法を制定。⇨現状:基本法は制定せず,憲法解釈変更の閣議決定で行使を容認。
 特定秘密保護法・・・公約:記述なし。⇨現状:国民の知る権利を損なう恐れのある特定秘密保護法を制定。
 原発・・・公約:原子力に依存しなくてもよい経済,社会構造の確立を目指す。⇨現状:エネルギー基本計画で「原発は重要なベースロード電源」と明記。再稼働推進。
 エネルギー・・・公約:最優先課題として再生可能エネルギーの最大限の導入を図る。⇨大手電力会社が,固定価格買い取り制度に基づく受け入れ手続きを中断。
 基地負担・・・公約:沖縄をはじめ地元負担軽減を実現する。⇨現状:沖縄県名護市での普天間飛行場代替施設の建設を推進。
 TPP・・・公約:「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り,交渉参加に反対。⇨現状:「聖域なき関税撤廃が前提ではない」と交渉参加。
 政治改革・・・公約:議員定数の削減など国民の求める改革を断行。⇨現状:実現せず。
 社会保障・・・公約:安心できる制度に向け,弱い立場の人にしっかり援助の手を差し伸べる。⇨現状:生活保護の日常生活費を15年度までに計670億円削減。
 地方分権・・・基本法制定後5年以内の道州制導入を目指す。⇨現状:法案提出に至らず。
 ※以上,東京新聞(11月19日・朝刊)より。

 これらの内容をよくよく眺めていると,まあ,なんと国民を小馬鹿にした政治をシンちゃんたち自民党は展開してきたものか,とわたしなどはあきれ果ててしまいますよね。

 ここまできたら,私見も少しだけ述べさせてもらいましょうか。

 たとえば,集団的自衛権。これはまずは憲法違反ですよね。閣議決定で憲法解釈を変えることができるのであれば,もはや,憲法は必要ないですよね。ときの政権によって自由自在に憲法解釈ができる,という前例を作ったも同然ですよね。しかも,集団的自衛権は,シンちゃんの言う「国民の命と安全を守るために」必要だという理屈は成立しませんよね。日本が攻撃された場合には,いまの自衛隊法で対応はできますし,日米安全保障条約が機能することになっていますよね。問題は,アメリカがどこかで戦争をはじめたときに,日本の自衛隊(いや,こうなると軍隊と言うべきですが)を友軍として派遣しなくてはならなくなる点ですよね。シンちゃんは喜んで引き受けるべきだ,と考えているようですね。しかし,そうなると,「国民の命と安全を守るために」どころか,逆に「国民の命と安全が脅かされる」ことになりますよね。むしろ,憲法9条を遵守することの方がはるかに「国民の命と安全を守るために」役立つと思いませんか。シンちゃん。

 ことほど左様に,上に掲げた10項目について,一つひとつ解説を加えてみたいところですが,その必要もないですよね。少しだけ立ち止まって,じっと考えてみれば,だれの目にもそれらの欺瞞やウソがすぐにみえてきますものね。

 そのポイントは,いまさら指摘するまでもなく,「国民の命と安全を守る」というシンちゃんの決まり文句が,表面(おもてづら)だけのことで,なんの内実もともなってはいない,というところにありますよね。その,もっと深いところのポイントは,「金」と「命」とどちらを優先させるか,という二者択一にあるのもわかりますよね。シンちゃんは,口では「国民の命と安全を守るために」と言いながら,やっていることは「金」重視ですよね。だから,国民の多くは「ウソつきシンちゃん」と呼び,どんどんシンちゃんは信頼を失っているのですよ。

 そのことは,もう充分,承知してますよね。だから,できるだけバレそうにない「増税」問題にすり替えて,これで選挙を闘おうという作戦を立てたわけですよね。でも,どうやら,それも墓穴を掘っているように思いますが,シンちゃん,どうですか。

 賢明な沖縄県民は,「金」ではない,「命」だ,という決断をし,そちらを選択しましたよね。このことはもっとも都合の悪いことなので,一切,無視を決め込み,まるで,なにごともなかったかのように辺野古移設の工事をすぐにはじめていますよね。しかし,これはとてつもなく大きな瑕疵として,シンちゃんの政治に汚点を残すことになりますよね。

 ああ,いささか余分なことまで言ってしまいましたね。なので,この辺でこのブログは終わりにしましょうね。でも,最後にもう一度だけ。

 ウソつきシンちゃん,「金」と「命」はどっちが大事?

2014年11月20日木曜日

ウソつきシンちゃん,サヨウナラ。もう,これ以上のウソは聞きたくありません。

 子どものころからシンスケおじいちゃんに可愛がられ,そのおじいちゃんのご威光に支えられたまま大きくなり,政治家となって,とうとうおじいちゃんと同じ首相にまでなってしまったシンちゃん。自民党の長老たちもみんなおじいちゃんの息がかかった人ばかり。いまや,だれも怖い人はいませんよね。だから,いいたい放題,やりたい放題。もちろん,そのついでにウソもいっぱいついてきました。あまりたくさんのウソをついてきたばっかりに,どれがホントウでどれがウソなのか,その区別もつかなくなってしまったようですね。

 お父ちゃんのシンタロウさん(元外務大臣)が,いまにも死にそうな重症患者として入院している病室で,看病していたはずのシンちゃん。すぐに退屈になってしまって,ベッドの陰に隠れるようにしてゲームに夢中になっていた,という有名な逸話がありますよね。そこに,秘書の人が入ってきたので,あわてて,ゲームを隠し,とっさのウソをついた,という話も有名ですよね。自分のつごうの悪いことは,すべてウソをついて,その場をやり過ごせばいい,という必殺技もそのころにはすでに習得済みだったということなのでしょうね。

 でなければ,IOC総会での東京五輪2020招致のためのプレゼンテーションで,わざわざフクシマの問題に触れ,「under control 」と言ってのけた,この離れ業はできなかったでしょうね。磨きにみがきあげたウソつきの名人でなければ,ああは,しゃあしゃあとウソはつけません。そのフクシマはいまも手も足もだせず,放射能汚染は空を舞い,海に流れ込むのを,じっと見守るしかないという最悪の事態が粛々と進んでいます。

 ついこの間,東京新聞が報じたデータによれば,セシウム137の量が福島市よりも東京・新宿の方が高くなっている,といいます。いずれは,東京湾にもフクイチから放出された放射能がたまってくるのは時間の問題ですよね。すでに,荒川河口あたりには,局地的に恐ろしいほどの数値のセシウムが観測されていますよね。この近くには東京五輪2020の多くの競技施設が予定されていて,その開催そのものが大丈夫かといぶかる声も次第に大きくなってきていますよね。

 にもかかわらず,いまもなお,「under control 」のウソを訂正しようとはしていませんよね。相変わらず,ウソの上にウソをつきつづけ,ウソの屋上屋を積み重ねていますので,とうとうウソとホントウの区別もつかなくなってしまいましたよね。たぶん,シンちゃんは,全部,ホントウのことだと信じているのでしょうね。でなければ,恥ずかしくて生きてはいけないはずです。いまも,いけしゃあしゃあとウソをつきつづけることができるのは,その証拠でしょう。

 そしていま,また,解散・選挙で国民の信を問う・・・・というきわめつけのウソをついていますよね。沖縄県民が辺野古移設NOの意思表示を県知事選挙をとおして明確にしたにもかかわらず,その三日後には,辺野古の工事を再開していますよね。これは菅長官が記者会見で明らかにしたように,「沖縄県民の意思とは関係なく,これまでどおり工事を粛々とつづけていくだけです」を,そのまま実行に移したというだけの話ですよね。官房長官の発言ですから,これは,シンちゃん,あなたの意思を代弁したにすぎませんよね。

 沖縄県民の圧倒的多数の意思を無視して平気な人が,なにゆえに,解散・選挙では国民の信を問う,などと言えるのでしょうか。ここにもウソが隠されていますよね。こんどの選挙で,大きく議席を減らしたとしても,最終的に過半数をとれば「勝利宣言」をして,あとはやりたい放題,と目論んでいますよね。ここでも,「大きく議席を減らす」という国民の意思を,平気で見過ごす覚悟がすでにできていますよね。それは「国民の信を問う」こととは無縁のことです。

 でも,さすがに「過半数を割ったら辞任する」とシンちゃんは明言していますよね。それはそうでしょう。そうなったら,シンちゃんのやりたいことはなにもできなくなってしまうのですから。そのときは急性の下痢が発症して,政権を投げ出す,という以前にもあったシナリオどおりの話です。でも,伝え聞くところによりますと,すでに下痢の頻度はかなり高くなっているようですよね。国会答弁中でも,途中でお立ちになることがしばしばある,という話が伝わっています。たとえば,辻本清美議員の質問中にも「お立ち」になり,質疑を中断しましょうと提案したら,わたしが代わって答弁しますと菅官房長官が応答した,という話も聞こえています。

 まあ,いずれにしても,これ以上のシンちゃんのウソは聞きたくありません。こころある国民の多くは,みんな,シンちゃんのウソを見破っています。もう,これ以上は結構です,と。

 もし,これ以上,ウソはいいません,と約束するなら,まずは,沖縄県民の意思を尊重することから始めてください。そして,辺野古移設については原点に立ち返って出直すくらいの誠意を示すべきだと思います。住民の意思を無視して,日米協定を押し通すということは,言ってしまえば,それは「犯罪」にも等しい「暴挙」です。そのことを,シンちゃん,しかと考えてちょうだいね。

 これは民主主義の根幹にかかわる重大事なのですから。

 でも,そんなことを望んでも,シンちゃんの耳にとどくわけがありません。
 かくなる上は,もう,サヨナラを言うしかありません。

 ウソつきシンちゃん,サラウナラ! もう,これ以上のウソは聞きたくありません。

2014年11月19日水曜日

解散・選挙の裏に隠された真の意図はなにか。最悪のシナリオ。

 消費税増税,どうしても必要なものなら上げればいいではないか。駄目だったら下げればいい。情況次第でいかようにも対応はできる。なのに,これをむりやり「先送り」して,選挙の争点に仕立て上げ,民意を問うという。大相撲でいうところの,立ち合いの「猫だまし」のような手をアベ君は打ってきた。しかし,「猫だまし」という手は,一瞬の効果はあっても,すぐに化けの皮がはがれてしまうものだ。こんな邪道にも近い手を使わなくてはならない,止むに止まれぬ事情がアベ君にはある。そここそが問題だ。

 信頼に足るしっかりした野党が存在していれば,自民党政権はここで幕引きというところだ。つまり,劇的だった自民党から民主党への政権交代,そして,雪崩現象のようにしてふたたび民主党から自民党へと政権交代した,あの幕引きと同じ現象がいま起きている。しかし,残念ながら,いまの野党に政権交代できる力はない。その野党が低迷している間に,自分たちの失政を最小限の傷で抑え,なんとか「過半数」を確保して「勝利」宣言をすること,そうなれば,あとは自分たちのやりたい放題の政治が待っている。すなわち,アベ政権のつぎなる野望(暴挙)へ向かって一気に加速しようというのが,こんどの解散・選挙の大きな狙いだ。

 その眼目は,憲法改正の手続なしに閣議決定で「集団的自衛権」の容認を正当化しようという企みにある。解散・選挙をやるのなら,これを争点として掲げ,真っ向勝負にでるべきではないのか。国家の根幹にかかわる「憲法」の解釈を「閣議決定」などというまやかしの手で勝手に変えてもらっては困る。しかも,この手法を正当化して,具体的な法制化への道を切り拓こうとしている。この問題こそ国民の意思を問うべき最大の課題ではないのか。

 しかし,政府自民党はそれを徹底して忌避しようとしている。なぜなら,国民的議論のレベルに持ち込まれてしまうと,勝ち目がないことをよく承知しているからだ。しかし,それは民主主義の「否定」であり,民主主義の「死」を意味する。にもかかわらず,それを強行突破しようというのである。こんな恐るべき政府自民党の野望(暴挙)をむりやり合理化しようというのが,こんな年末の大変なときに,なりふり構わず解散・選挙に打ってでようという最大の魂胆だ。この暴挙に比べたら,消費税増税なんて屁のようなものだ。

 しかも,もうひとつの民主主義「否定」のための伏線もある。それは沖縄県知事選挙の結果,すなわち沖縄県民の意思をうやむやにしてしまおう,という政府自民党の戦略にある。沖縄県民の圧倒的多数の意思が辺野古移設反対であることは,選挙前にすでにわかっていた。だから,政府自民党は,この敗北の傷を可能なかぎり浅いものにしようと,さまざまな戦略を立てていた。そのひとつは,仲井真候補の立候補を辞退させて「不戦敗」でやり過ごそうという戦略。もうひとつは,沖縄県知事選挙が終わったところで,ただちに解散・選挙に打ってでる,というものだ。そうして,沖縄県民の意思をもみ消そう,と。

 今回は,前者の戦略が失敗したために,残る後者の戦略にでた,ということだ。そうして,沖縄県知事選挙の結果を見届けたところで,ただちに,菅官房長官は「沖縄県民の意思に関係なく,これまでどおり辺野古移設は日米間の協定どおり,粛々と進めていく」と談話を発表した。つまり,選挙による沖縄県民の意思を「無視」する,と高らかに宣言したのだ。しかも,アメリカ政府にも同様の発言をさせている。これを民主主義の「否定」といわずしてなんと呼ぶべきか。アメリカ政府もまた,日本政府の民主主義の「否定」に加担しているのである。

 こんなことが,いま,白昼堂々と,日本という国家のもとで行われているのである。この恥ずべき事態の「目隠し」をすること,それが解散・選挙という暴挙である。こんなことは,少し冷静に考えれば,だれの目にも明らかである。ましてや,国際社会で容認されようはずもない。むしろ,笑い物にされる格好の材料だ。それが,いま,この日本で起きている現実である。

 これと同じ構造が,原子力発電の再開に向けての「合意」にもみられる。住民の意思を無視した県知事の一存で政府間協定を結んでしまう(沖縄の仲井真君が県民の意思を裏切ってまで率先垂範してしまったように)。そうして,その「協定」を錦の御旗に見立てて,強行突破をはかろうというのである。地域住民の意思は,いまや,まったくの「無視」である。

 このたびの解散・選挙には,もうひとつの伏線もある。いま,日毎に悪化をつづけているフクイチの現状を風化させてしまおうという意図である。少なくとも,選挙が終わるまでは,まず,よほどのことがないかぎり,フクイチの情報はメディアには登場しないだろう。しかも,選挙が終わってみれば,もはや,師走に向かって一直線。暮れ・正月の対応に人びとの頭は切り替わってしまっている。こうして,フクイチはその存在さえ忘却のかなたに一時,後退である。これぞ,政府自民党の思うつぼである。

 そこにもってきて,錦織圭,高倉健・・・・。テレビはここにも飛びつく。そして,長時間にわたる垂れ流し。これもまた政府自民党にとっては棚からぼた餅だ。

 わたしたちは騙されてはならない。
 犯罪にも等しい,このタイミングでの解散・選挙という「暴挙」。そして,消費税増税「先送り」という卑劣きわまりない「猫だまし」の手。今回の問題の本質がそんなところにあるのではないことを。

 なによりもまずは,憲法を無視した閣議決定というまやかしで,集団的自衛権を容認しようという,詐欺にも等しい,まことに卑しい政府自民党の「政治」そのものが,問われていることを忘れてはならない。しかも,それは民主主義の「否定」であり,国民の意思を「無視」する,前代未聞の「暴挙」であることを。

鶴竜にスイッチが入る。白鵬,日馬富士も好調。終盤の星のつぶし合いが見どころ。

 久しぶりに3横綱がそろって好調だ。日馬富士が序盤戦でつまづいたが,完全に復調した。白鵬もひとつ落としたが,かえってのびのびと相撲をとっているようにみえる。全勝街道をつっぱしる鶴竜も,逸ノ城との一戦を寄り切りで破ってから,スイッチが入ったように相撲内容がよくなってきた。このままいくと,最後の横綱対決の三日間の星のつぶし合いがみものだ。横綱3人が絶好調同士でぶつかる相撲,久しぶりだ。

 なかでも鶴竜はこのところ真っ向勝負にでていて,すべて寄り切り。しかも,がっぷり四つに組んでの寄り切りだ。この勝ち方がいい。相撲内容からすると,このまま鶴竜が全勝街道を突っ走るのではないか,という予感がする。横綱に昇進したときのようなオーラがでている。眠っていた眼にも光るものが垣間見られる。気魄の表出である。いよいよ大物ぶりを発揮か。いまの鶴竜なら白鵬とがっぷり四つに組んで,充分に闘える。しかも,負けないだろう。

 白鵬は高安に一敗してから追う立場になって気が楽になったのか,相撲を楽しんでいるようにみえる。かえって動きがよくなってきている。あとは,3大関・2横綱との対決だ。まずは,苦手としている稀勢の里戦をどう通過するか。そして,豪栄道だ。このところ苦戦している。そこさえうまく通過すればあとは両横綱との対決を残すのみだ。しかし,今場所の両横綱はいつもと違って調子を上げてきている。力の差はほとんどない。しかも,日馬富士が絶好調のときには勝てないという過去の実績がある。鶴竜も同じだ。だとすると,今場所の白鵬はかなり苦しい展開になりそうだ。

 序盤にくらべたら,中盤の日馬富士の相撲は見違えるばかりだ。休場明けを考えると,これでようやく波に乗ったということか。得意の左に変わっての左上手出し投げで2番つづけて勝ったと思ったら,こんどは真っ向勝負で押し出しで2番つづけて勝っている。とくに,今日(18日)の稀勢の里戦はみごとだった。スピードに乗った鋭い立ち合いで圧倒。まずは,左のど輪で突き放し。この立ち合いで稀勢の里はいっぺんにはね飛ばされてしまった。そして,そのまま一気に押し出し。稀勢の里になにもさせない一方的な勝負だった。立ち合いの先制攻撃という武器をもっている日馬富士は,今場所は台風の眼となりそうだ。

 このまま3横綱が好調をつづければ,どんな展開が待っているのか予測がつかない。まあ,手堅く考えてみて,鶴竜もひとつくらいは星を落としそうだし,白鵬ももうひとつくらいは星を落とすだろう。それでも,日馬富士の優勝の目はでてこない。しかし,うまくすれば2敗で3横綱が並ぶ可能性もなきにしもあらず・・・。そうなると3横綱による優勝決定戦(巴戦)となる。そうなれば申し分なし。最高の場所になる。

 稀勢の里の2敗は立派だが,ここまでの勝ち方がよくない。たまたま勝ちを拾ってここまできたという感じだ。自分から攻めて,自分の型で勝ちきった相撲が少ない。だから,終盤はかなりの負けがこんでくるに違いない。安定しているようにみえても,相撲に迫力がない。これでは綱を手にすることはできない。やはり,破壊的な攻撃の型をもたなければ,綱への道は遠い。

 それに比べれば星はさっぱりだが,豪栄道の方が攻めている。しかし,勝ちに恵まれない。あと一歩というところで逆襲されている。どこか相撲勘が狂っているとしかいいようがない。二場所目にして,大関カド番。これを薬にして,来場所の活躍を待ちたい。

 今場所は,幕内上位の力士たちが力をつけてきた。つまり,上位との力の差が小さくなってきたということ。大関たちが食われてしまう原因はここにある。とてもいいことだ。だから,どの取り組みも目が離せない。

 逸ノ城の相撲については,場所が終わったところで総括することにしよう。

 というところで,今日はここまで。

最後の三日間の相撲にすべてがかかってくる,そんな予感でいっぱい。楽しみではある。

2014年11月18日火曜日

「オール沖縄」の翁長氏が仲井真氏を圧勝。ウチナンとヤマトの温度差に愕然。

 自民党沖縄支部を二つに割る,沖縄県知事選挙が終わった。選挙直前まで,日本のメディアは翁長氏がリード,仲井真氏が猛追,と報道していた。なにをとぼけた報道をしているのか,とわたしはこころのなかで苛立っていた。

 終わってみれば,10万票もの大差をつけた「オール沖縄」の翁長氏の圧勝である。ヤマト(「本土」と「沖縄」という言い方は好きではないので,その代わりに「ヤマト」と「ウチナン」を用いる)のメディアが,沖縄県知事選挙に関していかにいい加減な取材しかしてこなかったか,という実態が期せずして露呈してしまった。つまり,ヤマトのメディアはウチナンに対してこの程度のまなざしでしかない,ということだ。

 少なくとも,琉球新報や沖縄タイムスが報じていた県知事選挙の現地報道をすらヤマトのメディアは無視していたという事実がもののみごとに明るみにでた,と言ってよい。このヤマトの「冷たさ」が,逆にウチナンの「熱さ」を生みだしている,というべきか。いずれにしても,いまにはじまったことではない,このウチナンとヤマトの温度差に,いまさらながら愕然としてしまう。

 ことしの夏(8月下旬),どうしても辺野古の海とキャンプ・シュワブの正門の前に立ちたい,その上でさらに思考を深めたい,と考え5日間,ウチナンに滞在した。その間,可能なかぎり関連の抗議集会やシンポジウムにも参加した。そして,いろいろの人の意見も聞いた。その上で,いろいろと考えもした。それは,それまでのわたしが思い描いていたウチナンの姿とはまったく別のものだった。つまり,ウチナン自身が大きく変化しつつある,という強烈なものだった。

 もはや,これまでの党派が争っている場合ではない。イデオロジカルな党利党略はさっさとかなぐり捨てて,超党派の「オール沖縄」(『建白書』を軸に結束)という大同団結に向かって,猛然と走り出している,とてつもない情熱のかたまりを,わたしは肌で感じた。8月23日(土)に開かれたキャンプ・シュワブ前の県民集会での熱気(わたしは滞在中に8月25日の2度,参加)は,直接,わたしのこころに突き刺さってくるほどの強烈なものだった。

 また,8月25日(月)の夜,開催されたシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権」では,11月の県知事選挙に向けての熱い思いを語る論者のことばが印象的だった。「ただ,勝つだけでは意味がない。圧勝してこそ,はじめて意味をもつ」。このとき,すでに「圧勝」ということばが発せられ,大きな拍手が巻き起こった。この人たちの気合の入れ方は尋常ではない。こんどこそ,大どんでん返しが必要であり,そこからすべてが新しくはじまる,という決意がひしひしと伝わってきた。そのための「オール沖縄」の結束なのだ,と。

 多くの論者の話に耳を傾けながら,まぎれもなくウチナンは,いま,大きく様変わりをしようとしている,と実感した。そのひとつは,このシンポジウムを仕掛けた「新外交イニシアティブ」という団体の存在である。この団体は立ち上げてまだ2年だという。しかし,その目的や活動内容を知って,わたしは二度,びっくりだった。なぜなら,ウチナンはもはや日本政府からアメリカ政府へと,その交渉の相手をシフトする,というのである。しかも,この新外交イニシアティブの事務局長で弁護士の猿田佐世氏は,アメリカ政府へのロビー活動を支援する太いパイプをもっていて,ワシントン・ニューヨークを活動の拠点にしていて,すでに,大きな実績を残している,という。

 たとえば,稲嶺名護市長をアメリカ政府のロビー活動に導き,アメリカでは大きな反響を呼んでいるという。この事実も,ヤマトのメディアはいっさい無視していたので,わたしたちは知らないでいただけの話。この話の流れのなかで(シンポジウムの),明らかにされたのは,アメリカ政府のロビーでは「アメリカの海兵隊を沖縄に置く必要はない」と考える政府高官とも接触している,という事実。さらには,沖縄の米軍基地「抑止力」説はなんの根拠もない「虚像」にすぎない,という主張もあって,すでに著書を刊行してもいる(『虚像の抑止力』──沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸,新外交イニシアティブ・編,旬報社,2014年8月刊)。

 この夏の経験が,いまになって生きてきている。ヤマトの新聞やテレビが,翁長氏の過去の言動をあげつらって,右から左へ転向した信用ならぬ人物として,冷たくあしらっている報道が多々みられる。しかし,この人たちがいかに不勉強であるか,そして,場合によっては知っていて,なおかつ意図的にアジテーションを繰り広げている,として冷めて眺めているわたしがいる。それは,この夏の経験以後のアンテナの張り方による成果である。FBでの,かなりの信頼できる書き手のなかにも,沖縄の最近の大きな変化を感知しないまま,これまでどおりの机上の抽象論を展開し,翁長氏を批判している論者もいる。

 この落差に,わたしはいまさらながら愕然としてしまう。ヤマトンチュの平和惚け,経済惚けしてしまった頭ではとうてい理解不能,あるいは受け止めがたいウチナンチュの意識変化。すでに,沖縄独立論が大まじめで議論されていることも,ヤマトンチュのほとんどの人は知らないまま。なぜなら,ヤマトのメディアは「つごうの悪いことには眼をつむる」悪い習性をもっているからだ。しかも,「上から目線」。いまや,多くのウチナンチュの意識は,時代の,世界の最先端を切り拓く「戦場」と真っ正面から向き合っている。そういう自覚をもって生きている。

 わたしたちヤマトンチュはこころしてウチナンチュに芽生えつつある問題意識と向き合わなくてはならない。そうしないと,またぞろ,ヤマトの「無関心」「無視」という恐るべき「暴力」装置によって沖縄県民の総意をふみにじってしまうことになりかねないからだ。

 もうすでに,菅官房長官は,「仲井真氏の承認にもとづき,粛々とことを進めるだけ」と,今回の県知事選挙の結果を「無視」する姿勢を鮮明にしている。これはまぎれもない民主主義の「否定」であり,「死」を意味する。なんのための「選挙」だったのか,あらためて問い直したい。

 もし,「選挙」がその程度のものであるのなら,この年末のどさくさに紛れて行われようとしている解散・選挙は,なんの意味もないことになる。自分が言っていることの意味がなにもわかっていない,という点ではアベ君と瓜二つ。それが,いまの日本の最高指導者なのだ。情けない。

 その意味では,ウチナンチュのように,投票権をもった人間が目覚めるしかないのだ。いまや,この最後の切り札を生かす以外に方法はない。短期決戦で,それがどこまで実現できるか,わたしも力をつくしてみたい。このブログもその一助になればと願いつつ・・・。

2014年11月17日月曜日

抗ガン剤治療をしばらく延期。わたしの希望で,来年1月から再開,でまとまる。

 今日(11月17日)は,少し延期していた抗ガン剤治療のための診察の日。少し早めにでかけて,血液検査,薬剤師さんとの面談,そして主治医の診察,を受けてきました。

 結論は,抗ガン剤治療の再開をもうしばらく延期して,来年1月から再開することをめざして,12月15日にCT検査をし,その結果をみて判断しましょう,ということになりました。

 今回の血液検査の結果は,ほぼ,以前と同じ数値にもどっているので,このまますぐに抗ガン剤治療に入ってもいい状態になっている,というのが主治医の意見でした。ですが,わたしの自己診断は,もう少し休息をしたい,その理由は,からだにパワーがもどっていない,気持が前に向かない,この自己認識を重視したい,と申し入れをしました。

 このような自己診断をした目安のひとつは,体重がもとにもどっていない,という現実です。これまでですと,薬を飲むと体重が下がり,休息期に入ると徐々に体重がもどり,薬を飲む前の状態になっていました。ですから,からだにもパワーがもどり,気持も前に向かっていました。よし,いくぞ,という強い意思がはたらいて薬を飲む準備ができていました。しかし,今回は,体重が下がったまま,さらに50㎏を切ることもあり,いささかあせりました。いろいろ作戦を立てて,体重をもどす努力をして,今朝の計測で,やっと51㎏に到達していました。が,これまでのように52㎏,53㎏にはとどいていません。

 この理由がよくわかりません,と主治医に相談。すると,抗ガン剤治療というのは,ぎりぎりいっぱいのところでのせめぎ合いだから,50㎏の体重を維持できているということは,なんの問題もない証拠です,と仰る。そして,もっと下がっていっても不思議ではない,それが50㎏止まりで下支えしているのはとてもいい状態だと判断できます,と。だから,体重についてはなんら心配する必要はない,とのこと。

 そこで,わたしは,体重が下がるにつれて,気力も体力も落ちていくという自覚症状が気がかりです。そして,仕事の段取りも,腰が引けてしまって,あとまわしにすることが多くなってきていて,全体的に仕事の効率が低下している,これが悩みの根源にあります,と。

 これについては,体重と気力はあまり関係はないと思うけれども,自己診断は大事なので,それは少し考えることにしましょう,ということになりました。血液検査の結果は,全体的にはとてもいいバランスになってきているので心配はないし,いまのところは,転移も再発もみられないので,こちらも心配ない,したがって,稲垣さんの気力・体力がもどってくるのを待ちましょう。しばらく抗ガン剤治療を中止していてもなんの心配もありません。

 というような具合の相談の結果(このほかにもいろいろと相談をしていますが),ことしいっぱい薬はお休みにして,来年1月からの再開をめざしましょう,ということになりました。その代わり,次回の12月15日にはCTスキャンをとって,胃腸の状態もしっかり確認して,再開計画を立てましょう,というところで,今日の診察は終わりました。

 あと一カ月半,無罪放免。となれば,この間にやれることを精一杯やって・・・と急に前向きになってきました。人間のからだというものは正直なものです。やはり,からだが相当に抗ガン剤を拒否していたということがわかります。こころは嘘つきですから,理性のいうなりに,適当に帳尻合わせをしてしまいます。このギャップが病気を誘発する大きな原因のひとつだと,これはわたしの持論。このギャップを可能なかぎり小さくしていくことが健康生活の基本だ,と。

 みんなだれもが持ち合わせているわたしたちの「内なる自然」(=動物性)の声に耳を傾け,理性がその声に寄り添うことができるように,生活設計をすること・・・・これもまたわたしの理性が言っていることですが,大事にしたいと思います。

 今日は,主治医の先生が,わたしの考えていることを素早く察知してくださり,みごとにそれに対応してくださったことが,なによりの収穫。やはり,名医に遭遇することが大事,としみじみ思いました。この名医とのご縁を開いてくれたYドクター,そして,Kさんにこころから感謝です。ありがたいことです。

 これできっとからだがぐんぐんパワーを溜めて,万全の体勢を整えることができる,といまは確信しています。

 以上,ご報告まで。

2014年11月16日日曜日

「48会」(愛教大卒業生の会)に参加。「美術する身体」展を鑑賞のあと,懇親会で旧交を温めてきました。

 昭和48年(1973年)に愛知教育大学に入学した学生さんたちの集まりなので「48会」。わたしが同大学に勤務したのが,その翌年,昭和49年(1974年),36歳のときでした。これがわたしの初めての定職でした。それまでは非常勤講師やらなにやら,いろいろのことをしながら食いつないでいました。ですから,愛知教育大学に就職が決まったときは,これでなんとかやっていけると安堵したものでした。それだけに気合も入りました。

 その最初のゼミ生たちの会,それが「48会」です。言ってみれば,お互いにとても新鮮な出会いでした。まだ,教員の採用も多く,学生さんたちもみんな教員をめざして,大きな夢をいだきながら,元気よく学生生活を楽しんでいました。わたしもまた,長年,待ち望んだ大学教員としてのスタート点に立ったばかりのほやほやです。その人たちとの最初のゼミ生としての出会い。やはり,強烈な印象となって,いまも鮮明に記憶しています。

 年齢が近かったこともあったと思います。大学のなかには,まだ,70年安保の余韻も色濃く残っていました。ゼミ生以外には,熱烈な闘士もいました。そういう闘士たちと研究室で夜遅くまで激論を闘わしたこともありました。わたしとは主義主張も異なりましたので,どこまでも平行線でした。なかには「高給取りのくせに」と食い下がる学生もいましたので,「じゃあ,お前のおやじさんの給料明細書をもってこい。おれのも見せてやる」という話になりました。その結果,わたしの給料が学生の思っていた額よりもはるかに少なかったのでショックを受けていました。

 当時の愛知県の教員の給料のランクは,同一年齢で比較してみたら,名古屋市の教員が一番,つぎが愛知県の県立の教員が二番,ビリが国立の教員でした。これには,わたし自身もショックでした。ああ,そうなのか・・・・と。でも,難癖をつけてきた学生さんとは,その後,とても仲良しになりました。が,主義主張は相変わらず平行線。それでいいのだ,と諭したのですが,かれは納得できないと一歩も譲りませんでした。

 それに引き換え,どういうわけか,わたしのゼミ生はみんな穏健というか,自分の主義主張を強烈に主張するというよりは,わきまえている学生さんが多かったようです。ですから,とてもいい雰囲気でゼミを展開することができました。わたしはとても幸運でした。

 卒業後はみんな教員となり,それぞれが理想とする教員としての道を歩みました。校長職をめざして頑張る人もあれば,平教員であることを理想として生きた人もあれば,途中で,教職を辞し,方向転換した人もいます。なかには政治に身を投じた人もいました。人,それぞれに生きざまは異なりますが,それでいいのだ,といまは心静かに見守ることができるようになりました。

 その彼らも,もう,定年を迎えています。早い人はことしの3月で定年。その多くは来年3月で定年です。時間の経つのは早いものです。あの,紅顔可憐な美少年,美少女たちが,いつのまにか年輪を重ね,それぞれにいい顔をつくり上げています。なにより生き方に自信がみなぎっています。そして,とても情緒が安定しています。こういう人たちと,お互いに若かりしころに出会い,刺激を与え合いながら,Strum und Drang の激情を生きたのかと,いまさらながら懐かしさが込み上げてきます。

 今回の企画は,最初にまず「美術する身体」展(金山の名古屋ボストン美術館)をみんなで鑑賞してから,懇親会というものでした。ですから,懇親会では,この美術展の話で盛り上がり,いつのまにかピカソの話題に入ったあたりから,わたしのテンションが異常に高くなってしまい,気がついたら日本古代の蘇我氏の話を夢中になってしゃべっていました。さすがにみんな聞き上手で,適切な合いの手を入れてくれましたので,わたしはますます図に乗ってしまった,という次第です。みなさんにはとんでもない迷惑をかけてしまった,といまごろになって反省。いつもは,できるだけ聞き役に徹することをみずからに言い聞かせてきたのですが,今回はその路線から大いに逸脱してしまいました。

 来年もこの会は開催されるということですので,こんどは気をつけようと思います。
 久しぶりに興奮してしゃべったせいか,今日の体調は抜群にいいようです。ありがたいことです。やはり,いい話し相手と夢中になってしゃべることは,老後の健康維持にとっては最良の妙薬だ,と痛感しました。

 これからは,日常的にもおしゃべりをする時間をきちんと組み込まなくては,と思っています。
 「48会」に集まってくださったみなさん,ありがとうございました。そして,その幹事役をつとめてくださったH君,ありがとうございました。

 では,また,来年,お会いしましょう。それまでお元気で。

2014年11月15日土曜日

逸ノ城,怪物ぶりを発揮。横綱鶴竜を相手に2分30秒の熱戦を展開。

 やはり逸ノ城は怪物だった。得意の左上手もとれず,右腕一本。相手の横綱鶴竜は左上手を引き,右も浅く前まわしを引いて逸ノ城のあごに頭をつける万全の体勢。そして,寄って出るも俵に足のかかった逸ノ城を寄り切れない。逸ノ城は棒立ちのまま耐える。ふところが深いので寄って出た鶴竜もまた腰が伸びてしまって,あと一歩がでない。

 逸ノ城が右からすくい投げを打って体を入れ換える。それでも鶴竜がすぐに寄って出る。ふたたび逸ノ城は俵に足をかけて踏ん張る。両者の腹がはげしく波打っている。呼吸がいっぱいいっぱいであることが伝わってくる。こうして,しばらく動きが止まってしまったが,気を取り直したように,鶴竜がさいごの力をふりしぼるようにして右の前みつを引きつけて寄って出る。とうとう耐えられなくなった逸ノ城は土俵を割る。2分30秒の熱戦に館内のお客さんは大きな拍手を送る。

 勝った鶴竜の顔色がこころなしか黒ずんでみえた。酸欠のときに現れる顔だ。しかし,眼力は,いつもと違ってギラリと光っていた。大関から横綱に駆け上がったときの,あの眼の輝きである。しかし,その後は眠ったような眼でたんたんと相撲をとるようになった。この人の哲学と言ってもいいだろうが,平常心で相撲をとる,という姿勢を貫いている。そうして徐々に地力をつけてきている。いずれは,安定した堂々たる横綱になるだろう。わたしは密かに期待している。その鶴竜が,逸ノ城との一番で,酸欠となるほどの長い相撲を制した。それはさいごまで持ちつづけた気力のなせるわざだ。それが眼光の鋭さとなって表出したのだ。すべてを出し切った,そういう眼だった。この眼もわたしは忘れないだろう。

 これが大相撲なのだ,という見本のような正々堂々たる勝負。先場所,逸ノ城が立ち合い左に変化し,はたき込みであっけなく鶴竜に勝った。これもまた大相撲なのだ。しかし,プロとしてお金がとれる相撲は昨日(14日)のような,お互いに攻防を繰り広げて,2分30秒もの熱戦に力のかぎりを出し尽くす相撲だ。これを見たお客さん,その場に立ち会ったお客さんは大満足。おそらく生涯にわたって忘れることのできないいい思い出になることだろう。そして,いつまでも語り種として,折あるごとに,この名勝負を語りつぐことになるだろう。

 わたしは,残念ながら,テレビ観戦であったが,それでも生涯忘れない一番となるだろう。幕に入って二場所目にして関脇の地位を手に入れ,横綱と2分30秒の熱戦を繰り広げた逸ノ城の怪物ぶりを。やはり,久しぶりに現れた大相撲界の逸材である。それは間違いない。そして,遠からず大関,横綱へと駆け上がることだろう。

 この熱戦を目の前でみていた白鵬の相撲にも大きな影響を与えたようだ。高安に突き立てられて,両足が揃ってしまい,それでも前に出ようとしたところをはたかれ,バランスを崩して,ひとりで土俵下まで飛び出してしまった。予想外の展開である。しかし,高安は最初からこの相撲をねらっていたようだ。そして,逸ノ城の活躍を目のあたりにして,気合も入ったことだろう。よしっ,こんどは俺の番だ,と。

今場所は面白い場所になりそうだ。各力士が力をつけてきて底上げがうまくいっている。つまり,横綱との距離が縮まったということだ。これから中盤から終盤にかけて,ひと波瀾もふた波瀾も起きるだろう。日馬富士も,かつての元気だったころの相撲を取り戻しつつある。

 土俵から眼が離せない。楽しみな場所となってきた。最後に賜杯を抱くのはだれか?

2014年11月14日金曜日

『いのちにこだわる政治をしよう』(嘉田由紀子著,風媒社,2013年刊)を読む。感動。

 いよいよ解散風がつよく吹きはじめ,すでに世の中は選挙に向かってまっしぐらの様相。いつでもそうですが,ときの政権がぐらつきはじめると,傷が深くならないうちに解散・選挙となりまする。総理大臣の専権事項だそうだから,いたしかたないにしても,妙な制度ではありまする。

 すでに,ネット上を流れている情報によれば,政府自民党は多少の議席は減らすかもしれないが,勝利宣言をするだろう,そうなれば,あとは政府自民党の「やりたい放題」となる,と。これは困りまする。なんとしても,野党に頑張ってもらって,せめて政府自民党の「辛勝」くらいまでは追い込んでもらいたいものだと,これは小国民ならぬ老国民のささやかな願いでありまする。

 ところで,野党はなにを争点に据え,なにをスローガンにして選挙を闘うのでしょう。そこが最大のポイントとなります。ですから,しっかりと見届けたいと思います。

 先月,直接お会いした嘉田由紀子さんから直接いただいた本3冊をようやく読み終えたところです。いずれも,わたしの予備知識をはるかに超える,新鮮で素晴らしい感銘を受けました。その中の一冊を紹介しておきたいと思います。

 
書名は『いのちにこだわる政治をしよう』。前滋賀県知事として,これをスローガンにかかげ,8年間,必死に格闘した記録です。嘉田知事といえば,新幹線の新駅はいらない,無駄をはぶこう,と訴え,それを実行した知事という印象がつよく残っています。しかし,嘉田さんが政治に打ってでようと決意した原動力は「びわ湖を守ろう」という,まことに純粋な動機でした。言い換えれば「いのちを守ろう」という政治姿勢でした。

 考えてみれば,政治の原点は,市民・県民・国民の「いのち」を守ること,この一点にあるはずです。しかし,いまの政治家はそのことをすっかり忘れてしまって,目先の「金」のことしか考えていません。経済がよくなれば暮らしがよくなる,という根拠のあいまいな「甘言」をちらつかせて票を集めようとしています。問題は,その経済の考え方です。いまの政治家が考える「経済」は新自由主義のそれです。その新自由主義のフリードマンと直接,激しく論争をし,真っ向から対立する「経済」(金融化ではなく,社会的資本を機軸に据える経済)を主張した宇沢弘文さんのような経済の考え方は,残念ながら,いまの政治家の頭にはありません。

 これから少子高齢化社会に向かってまっしぐらという時代に,いまもなお「右肩上がり」の経済成長神話にしがみつく政治家ばかりです。この政治姿勢を「日本病」と名づけ,この病を治すためには地方政治から変えていくしかない,というのが嘉田さんの主張です。その機軸に「いのちにこだわる」というコンセプトをすえて闘おうと決意したのが,嘉田由紀子さんでした。別のことばでいえば「生活環境主義」です。まずは,「人が生きる」原点を見極め,そこから政治をはじめよう,という次第です。

 嘉田さんは,高校時代の修学旅行でびわ湖と初めて出会います。源氏物語の石山寺を見学してバスの止まっている駐車場まで歩く途中で,びわ湖から流れてくる水で野菜を洗っている老婦人の姿をみて,「こんな暮らしがしてみたい」と直感した,といいます。これこそが,むかしからの日本人の暮らしの原点ではないか,と。

 これがきっかけとなって,京都大学農学部をめざして勉学に励んだといいます。つまり,びわ湖と真っ正面から向き合ってみたい,と。そして,その夢を叶え,以後,びわ湖研究ひとすじ。やがて,このびわ湖を守ることこそが滋賀県の最大の政治課題ではないか,と考えるようになり,ついには知事に出馬することになります。

 一見,唐突にみえますが,じつは,嘉田さんは調査研究のために,びわ湖周辺の町や村をくまなく歩き,直接,「聞き取り」調査を長年にわたって行ってきました。ですから,嘉田さんの誠実な人柄や,その真剣さをみんなよく知っていました。滋賀県の大きな都市の住民よりも,地方の住民の間で圧倒的な支持をえたのには,こういう背景があったのです。

 嘉田さんが「卒原発」を主張する根拠は,なによりもまずびわ湖を守るためでした。びわ湖は京阪神に住む約1400万人の水瓶です。この水が安全でなかったら,京阪神の人びとの生活は成り立たなくなってしまいます。このびわ湖が,日本海側に並ぶ「原発銀座」からわずかに「80㎞」しか離れてはいません。もし,原発に万が一のことがあったら,滋賀県のみならず,京阪神の人びとの暮らしは全滅です。このことの重大さを,国会にいるほとんどの議員が気づいてはいません。いな,気づいているにもかかわらず「無視」です。これが嘉田さんのいう「日本病」です。

 この「日本病」を,滋賀県の政治をとおして治すこと,これが嘉田由紀子さんの最大の政治課題であったように思います。それを「いのちにこだわる」と表現したわけです。

 こういう政治家が輩出しないことには,「日本病」は治りません。そして,そういう政治家を見出し,背中を推すのはわたしたちの仕事でもあります。こんどの選挙に,清廉潔白で,「いのちにこだわる」政治を主張する政治家がどれだけ立候補するのか,注目してみたいと思います。

 そして,同時に,選挙に備えて,この嘉田由紀子さんの本を読まれるようお薦めします。語り口調のとてもわかりやすい本です。一気に読める本ですので,ぜひ,どうぞ。

『談』──100号記念選集,がとどく。感無量。

 このブログでも『談』という季刊雑誌のことは,折にふれ書いてきましたのでご記憶の方も少なくないと思います。ちょっと類のない,そしてまた,定義のしずらい不思議な雑誌です。言ってしまえば,これまでのアカデミズムのジャンルを飛び越えた,あるいは横断する,トランス・ディスプリナリーな議論を展開することを主眼に置いた雑誌といえばいいでしょうか。

 年に4冊。時代の最先端を切り拓く研究者の話を,編集長の佐藤真さんが引き出し,整理してまとめたり,あるいは,ジャンルの異なる論者に対談をさせ,思いもよらぬ議論を展開させ,それをまとめたり,とさまざまな手法で未開拓の知の地平を切り拓くことをめざす雑誌です。そして,それを仕掛けたエディター(佐藤真)によるノート,インタヴューや対談の「before」と「after」が毎号,掲載されていて,これがなかなか読ませるすぐれものです。そして,エディター自身の思考が「進化」していくのが手にとるようにわかる,そういう雑誌でもあります。

 毎号,表紙の右上に「Speak, Talk, and Think 」とさりげなく刷り込まれているのですが,これこそがこの雑誌のコンセプトをもののみごとに表しているように思います。つまり,人に向かって「話す」,あるいは,人と「語り合う」ことによって思考の地平をさらに切り拓いていこう,というわけです。もっと言ってしまえば,ひとりで沈思黙考するのではなく,みずからの思考を「声」にだして話しかけたり,お互いの思考をキャッチボールしながら語り合うこと,そのことによって新たな知が拓かれてくる,その可能性にかけた思考実験でもあります。それが,この雑誌の魅力といっていいでしょう。

 
『談』は,1973年,TASC(たばこ総合研究センター,現在は公益財団法人たばこ総合研究センター)によって創刊された雑誌です。「はじめに」によれば,「『談』は40年にわたり,人間の嗜好,人間の欲求,人間の価値観の変化に関する様々なテーマを取り上げてまいりました」ということです。ですから,この40年間に取り上げられた話題は,ちょっと信じられないほど多岐にわたります。その仕掛けの中心にいた人が編集長の佐藤真さんです。

 その佐藤真さんが,なにがこの人の眼にとまったのか,わたしの出番を用意してくださいました。しかも,わたしが知らなかった柳澤田実さんという研究者との対談という「場」でした。まさに,初対面の若い女性の研究者です。ですから,大急ぎで柳澤さんのお仕事を勉強させてもらって,まさに,泥縄式で行われた対談でした。しかも,その「場所」が荒川修作がつくった集合住宅の一室でした。その部屋そのものが,人間の五感を狂わせる,いや,活性化させる不思議な仕掛けがつまった,いわゆる荒川ワールドでした。

 お膳立ては完璧でした。ですから,おのずから,いつものわたしではないわたしが表出してきて,自分でも驚くような話をはじめているのです。その,とんでもない話に柳澤さんが,これまた輪をかけたような不思議な話をされます。たとえば,「イエス・キリストはスポーツマンだった」という具合です。そして,こんな話題に触発されるようにして,わたしはわたしで,これまたとんでもない話題を提供したりして,あっという間に予定された時間がすぎてしまいました。

 このときのこの対談が,この『談』──100号記念選集に再録されたのです。述べ人数にして400人の話のなかから40人が選ばれ,その中の一人に入れていただいた,というわけです。これはまことに名誉なことであって,嬉しいかぎりです。まさに,感無量です。

 この100号記念選集が昨日(12日)にとどきました。今日(13日)は一日中,夢中になってあちこち拾い読みをしてすごしました。久しぶりに味わう至福の時でした。

 たぶん,まもなく書店にも並ぶと思いますので,見かけましたら手にとってご覧になってみてください。2014年11月23日,初版第一刷,水曜社刊,600ページ,2,200円,はお買い得だと思います。

とりあえず,ご紹介と感想とお薦めまで。

2014年11月12日水曜日

蘇我馬子,蝦夷,入鹿。このネーミングの不思議と乙巳の乱・大化の改新。その謎に迫る。その2.

 「蘇我馬子,蝦夷,入鹿」という蘇我一族の三代にわたる名前を,はじめて教科書でみたとき,なにか妙な気分になりました。古代の日本人,それもエリートたちが,こんな妙な名前をもっていて,しかも,この名前にプライドをもっていたのだろうか,と。と同時に名字にも不思議なものを感じました。「蘇我」・・・「蘇るわれ」。わたしのイメージは,一度,死んだ人が命を吹き返す,蘇生する,というものでした。我が蘇生する・・・・なにかあるな,と。

 のちになって,『古事記』のなかに,オオクニヌシの長男コトシロヌシが国譲りを承認したのちに,海に向かって駆け出し「宙返り」をして海に消えていった,という記述に接します。このことの意味がなんのことやら,長い間,わかりませんでした。しかし,この逸話を「コトシロヌシは国譲りを認めたあと,寝返って,相手のニニギノミコトの側についた」という記述に接し,ハッと虚をつかれたことがありました。それからしばらくして,「蘇我」とはこのコトシロヌシの寝返ったことの隠喩ではないか,と閃くことがありました。そうか,「蘇我」とは出雲のもう一つの顔なのか,と。

 この仮説を立てて推理してみますと,いろいろのことが,わたしなりにすんなりと理解できるようになってきました。以下の推論は,その延長線上にあるものです。

 馬子・・・「うまこ」。馬小屋で生まれたという伝承のあるイエス・キリスト。その伝承とあまりにも酷似している聖徳太子の出自。なにか,そこに謎が含まれているのではないか,と予感する。
 蝦夷・・・「えみし」。文字通り,これは「えぞ」の読み替え。外来の人。よそ者のイメージ。どこか天皇家の本筋からはまったく別の存在であり,中央から排除しようという意図を感じ取ることができます。この時代にあっては,北方に住み,天皇にまつろわぬ人びとの代名詞でもありました。
 入鹿・・・「いるか」。ことここにいたっては,もはや,意味不明。少なくとも,人間のイメージはない。しかも,動物にもいない。あるとすれば「海豚」(いるか)の当て字。だとすれば,入鹿は,人間と交信することができる海の哺乳類として,むかしから人間に近い存在。そのイメージでこの名を冠したとしたら・・・・。

 この親子三代は,時代的には,推古天皇から斉明天皇にいたる女帝たちを支えていた一族だということになります。しかも,馬子を筆頭にその権力を乱用・悪用し,かずかずの悪事を重ねた,というレッテルが貼られています。しかし,この時期と,聖徳太子が素晴らしい政治を展開した,という伝承とはぴったりと重なる時期です。

 しかも,近年になって,聖徳太子不在説が登場し,いまではこの説を否定する根拠が見当たらず,定説となりつつあります。この議論はいろいろに波紋を呼んでいますが,さらに,最近の議論では,聖徳太子を蘇我蝦夷に当てはめると,話の筋がすっきりする,というところにいたっています。これらの話は,本来ならば,もっと詳細に論ずる必要がありますが,ここではとりあえず,この程度にしておきます。

 そんなことを考えていたら,つい最近になって『聖徳太子は天皇だった』(渡辺康則著,大空出版)という新聞広告に出会いました。そのコピーによると「万葉集に登場する軍王は斉明天皇の恋人であり,蘇我蝦夷であり,天皇だった。『万葉史観』が誘う日本書紀が隠蔽した事実とは?!」とあります。わたしは,これをみた瞬間に,やはりそうだったのか,となんの疑念もなくすんなりと納得してしまいました。

 そして,不可解きわまりない「乙巳の乱」は,まぎれもなくクーデターだった,と。蘇我一族を抹殺・抹消するための,中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデターであった,と。

 斉明天皇に仕えていた蘇我入鹿は,宮中で中大兄皇子に切りつけられ,殺されてしまいます。この知らせを聞いた父親の蝦夷は「もはやこれまで」と観念して,自害してしまいます。その上で,中大兄皇子は蘇我一族を皆殺しにしてしまいます。つまり,蘇我一族の血をひく者たちをすべて(女子どもの)抹殺してしまいます。これが「乙巳の乱」というわけです。

 しかし,斉明天皇は中大兄皇子の母親です。しかも,入鹿の父親である蝦夷は斉明天皇の恋人であったとなれば,ことはそれほど単純ではなくなってきます。三代にわたる蘇我一族は相当に優秀な人物たちであったようで,素晴らしい業績を数多く残していて,絶大なる信頼をえていたように,わたしにはみえてきます。しかも,三代目の入鹿も若くしてその頭角を表していたようです。となると,中大兄皇子が,母親の斉明天皇のあとを引き継いで天皇になるチャンスはほとんどない,あるいは,大いに邪魔な存在である,と判断したとしても不思議ではありません。そこで,中臣鎌足と謀議を諮り,入鹿殺害に及んだ,というストーリーが浮上してきます。

 この「乙巳の乱」が,そのまま事実として歴史に記録され,記憶として残されると困るのは,のちに天智天皇となる中大兄皇子です。ですから,蘇我一族の善政を,聖徳太子という架空の人物を創出し,この人物にすべてかぶせ,蘇我一族を悪者に仕立てあげる,という悪知恵が登場します。その仕掛け人が,藤原不比等です。

 この藤原不比等もまた謎多き人物です。一説によれば,藤原不比等は天智天皇の子どもだとのこと。つまり,天智天皇が宮中に入れることのできない女性が身ごもったことを知り,この女性を中臣鎌足の妻として押しつけます。そして「生まれてきた子どもが女の子であったら,おれに返せ。もし,男の子であったら,お前の子どもとして育てろ」という密約があった,と。そうしたら男の子であった。だが,その子どもに中臣姓を名乗らせるのは忍びない,ということで鎌足に藤原姓を与え,中臣とは一線を画すことにしました。こうして中臣の血筋ではない,まったく新たな貴族・藤原不比等が誕生した,というわけです。

 ですから,のちの持統天皇とは腹違いの姉弟であった,ということになります。天智天皇と天武天皇は斉明天皇の子どもで兄弟だ,ということになっていますが,この二人の関係もじつに複雑怪奇です。たとえば,天智天皇は自分の娘3人を天武天皇の妻にしています。そのうちの一人が持統天皇です。つまり,藤原不比等は,天智天皇を父に,天武天皇を叔父に,持統天皇とは腹違いの姉弟という関係の中で育ちます。しかし,天皇にはなれない系譜なので,もっぱら天皇を支援する側にまわります。そして,藤原不比等は自分の娘たちを天皇家に送り込む戦略にでます(ここにも面白い話が満載ですが割愛)。

 かくして,藤原不比等は万世一系の天皇制を磐石なものにするために『日本書紀』の編纂にとりかかります。そのためには,なにがなんでも「乙巳の乱」を正当化する必要があります。そのために至りついたアイディアが「聖徳太子の創造」です。蘇我一族の善政をすべて聖徳太子の事跡として讃え,持ち上げておいて,あとは蘇我一族を悪者に仕立てあげればそれで万事OK,という空恐ろしい陰謀です。

 しかし,この陰謀がもののみごとに成功し,藤原一族は権勢をほしいままにして繁栄をつづけます。そして,その流れはこんにちの天皇制護持にまでつながっています。

 というところで,今日のところはここまでとします。このあとは,大化の改新と律令制の謎に迫ってみたいと思います。このアイディアはどこからでてくるのか,という問題です。では,その3.で。 

2014年11月11日火曜日

蘇我馬子,蝦夷,入鹿。このネーミングの不思議と乙巳の乱・大化の改新。その謎に迫る。その1.

 雑誌『世界』(12月号)の特集「報道崩壊」を読んでいたら,突如として,『日本書紀』『古事記』のことが脳裏に浮かび,つぎからつぎへと疑問が湧いてきて,とうとう抑えようがない衝動につき動かされてしまいました。その経緯をかんたんに説明しておきますと,以下のようになります。

 以前から,藤原不比等という人物の存在が気がかりになっていました。その根幹にある疑念は「記紀」の編纂のねらいはなにであったのかという点にあります。つまり,日本古代の「正史」を意図的・計画的に改竄・構築し,それを敷衍させなければならなかった理由はなにか,ということです。もっと踏み込んでおけば,どうしても隠蔽・排除しなければならない歴史の真実があったのではないか,というのがわたしの仮説です。

 それは乙巳の乱であり,大化の改新であり,律令制の基礎固めであり,万世一系の天皇制の確立,等々であります。つまり,これらがなにを意味しているのか,という問題に突き当たっていきます。その根底にあるわたしの問題意識は,国譲りにはじまる新しい統治者とオオクニヌシを崇める出雲族との「妥協」(「手打ち」)という名の対立抗争の内実と,その「尾」を断ち切ること,にあるのではないか,というのが第一点。そのためにこそ,歴史の真実とはまったく異なる新たな「歴史物語」(「記紀」)を捏造し,それを「正史」として位置づけること,つまり,歴史の真実を覆い隠すこと,にあるというのが第二点。この二点に集約することができます。

 もう少し踏み込んでおけば,以下のようになります。垂仁天皇によって取り立てられた出雲族のノミノスクネの末裔である菅原道真が,なにゆえに藤原一族によって「冤罪」をかけられ,太宰府に流されることになったのか。つまり,天皇制を確立し,それを護持することでみずからの存在理由を明確にしようとする藤原一族にとって,それ以前から隠然たる勢力を,それも全国ネットで維持している出雲族の存在が邪魔で仕方がなかったのではなかったか。その出雲族抹殺のはじまりが「乙巳の乱」であり,その幕引きが「太宰府流し」ではなかったか。しかし,それだけでは終わりませんでした。むしろ,深い深い怨恨を残すことになったというべきでしょう。

 たとえば,「河童伝承」もその陰の部分の表出であり,いまも隠然たる勢力をもつ神社のネットワーク,そこに深く結びついていると思われる古武術の系譜(弓術,剣術,など),垣内(かいと)や氏子組織,神社の祭祀,など挙げていけは際限がありません。それらの多くは,わたしの仮説では,出雲族の流れをくむものです。「一宮」「二宮」「三宮」といった制度の中核には,「オオクニヌシ」が厳然として存在しています。そのことの意味がどれだけ意識されているかどうかは別にして,そういうシステムがいまも生きているという事実は注目すべきではないか,と考えています。

 こんなことを考えていると,このたびの出雲大社と天皇家との婚姻は,まさに青天の霹靂であり,長い葛藤の歴史に終止符を打つ,象徴的なできごとであった,ということができるでしょう。あるいはまた,表と裏の顔があって,じつは裏ではしっかりとした絆で結ばれていたことの表出にすぎない,ということもできるでしょう。いずれにしても,出雲族と天皇家の,国譲り以来の「和合」がかなった,歴史的事件でした。

 と,話が脱線したところで,この稿はここまでとしたいと思います。本題のテーマに入る前の導入で終わってしまいましたが,この「つづき」は別稿に委ねたいと思います。とりあえず,これにて。

2014年11月10日月曜日

「報道崩壊」(『世界』12月号特集)。ジャーナリズムの「死」。恐るべき時代に突入。

 雑誌『世界』の最新号(12月号)が「報道崩壊」という特集を組んでいます。原寿雄,二木啓孝,金平茂紀,永田浩三,M.ドーリー,ほかの論客が名をつらね,それぞれの立場から鋭い指摘を展開しています。そして,なるほど,「報道崩壊」という四文字で,当今の目も当てられないジャーナリズムの堕落ぶりを表記してみせた編集部の炯眼に拍手を送りたいと思います。

 これまでは「ジャーナリズムの死」とか,「マス・メディアの融解」という表記で,自分なりのイメージを語ってきましたが,どうも長ったらしくて納まりが悪いと思ってきました。そこに「報道崩壊」という表記が眼に飛び込んできました。これはじつに単純明快で分かりやすい。そうなんだ,報道が崩壊してしまったのだ,と。

 
以下はわたしの個人的な感想ですが,「報道崩壊」がはじまったのは,それもこんにちのような,みるも無惨な「報道崩壊」がはじまったのは,たったこの数年のできごとではなかったか,それだけにその主犯ともいうべき第二次アベ内閣の罪は重い,と。

 それも「特定秘密保護法」が話題にのぼりはじめたころと軌を一にする,アベ政権の際立った暴挙の一つではなかったか,と。それに呼応するかのように,新聞もテレビも,もののみごとに歩調を合わせ,総崩れ的に転んでいってしまった,と。いま,真っ正面から現実をみつめ,そこに鋭い批評のまなざしを護持しつつ,「報道」を展開しているのは,管見ながら,新聞では『東京新聞』,雑誌では『世界』くらいなものではないか,と。テレビはすべて「崩壊」。あるいは「自己規制」,いや「自発的隷従」。

 わたしの印象では,ほんとうに,あっという間のできごとだった,と。これほどまでに急転直下に「報道崩壊」が起きるとは夢にも思っていませんでした。しかも,だれも止めようのない「なだれ現象」,あるいは「メルトダウン」。なぜなら,「報道崩壊」の危機を論評する論客の発言の場を,ほとんどのマス・メディアが奪ってしまったからです。つまり,足並み揃えて,自分たちにとって都合の悪い論客の発言を封じ込め,「無視」を決め込んだ,というわけです。

 ですから,一気に「右へならえ」がはじまり,あっという間にそれが常態となってしまいました。ですから,あまり深くものごとを考えようとはしない人びとにとっては,それが「当たり前」となり,一億総右傾化がこともなく進展してしまった,と。しかも,その右傾化が大いに支持されてしまったという側面も無視できない,と。

 それでも,それはほんのつかの間のこと。国民はそれほどやわではない,いや,やわだからこそ,というべきでしょうか,アベ政権の「暴走」ぶりに気づきはじめてきました。わたしの身辺でも,熱心なアベ支持だった人の中からも,これはやりすぎだよ,という人が増えてきました。少なくとも,どこか変だ,悪い夢をみせられているのではないか,といぶかる声が多くなってきています。

 そこに,この「報道崩壊」の特集です。わたしの感覚では,絶妙のタイミングでの特集だと諸手を挙げて,絶賛したいところです。ぜひ,書店で手にとってめくってみてください。できることなら,このあたりでしっかりとしたみずからの認識を確認するためにも,購入して熟読玩味してもらえたらと思います。

 ついでに書き添えておきますと,すでに国会解散を前倒しして,選挙に入るという噂がネットの世界では乱れ飛んでいます。しかも,かなりの論客とおぼしき人たちまでが,危機意識をいだき,さまざまな論評を展開しています。火のないところに煙は立ちません。それらしき動きが政府自民党の内部で起きているということなのでしょう。

 「報道崩壊」を起こしてしまった日本のマスコミを前にして,では,わたしたちはどのようなメディア・リテラシーを確保すればいいのでしょうか。まずは,自衛のためにわたしはインターネット上に氾濫しているフェイス・ブック(FB)やブログのなかに,きわめて批評性の高いものがありますので,それらを探索しながら,みずからのスタンスを模索することにしています。玉石混淆で,とんでもない世界ではありますが,こちらの批評性さえしっかりしていれば,それらの見分けはいとも簡単です。

 それに新聞は『東京新聞』,雑誌は『世界』。これらを定期購読。これだけでは,やはり,心配になってきますので,時折,大手の新聞を単発で買って読んだり(比較しながら読むのはとても面白い),雑誌は本屋さんで立ち読み。目次や見出しをみるだけでも,おおよそのことは見当がつきます。おやっ?と思うような記事があったら,一気に読むこと。これは,いささか気が引けていますので,意外に読むスピードが早いものです。

 まあ,こんな風にして自己防衛をしていかないと,これからの時代はまともには生きてはいけません。恐るべき時代に突入したものだ,としみじみ思います。いよいよもってアンテナを高く張って,注意深く世の中の動向を見極めていくことが求められる時代になってきました。なにが真実であって,なにが世論誘導なのか,しっかりと見極める眼力が問われる時代,というわけです。

 それでもなお,「なにか少し変だぞ」という,やわな精神というか,純粋な感性がもっとも大事だ,ということも書き添えておきたいと思います。

 というところで,今日はここまで。

2014年11月9日日曜日

日馬富士,逸ノ城を一蹴。格の違いをみせつける。

 右眼窩骨折による休場明けの横綱と,破格の出世をした新関脇との一戦。どんな展開になるのか,今場所の命運を分ける一戦になる,とわたしは判断。眼をこらしてテレビ観戦。

 わたしの予想どおりに,日馬富士は素早い立ち合いから突き刺さるような右喉輪。立ち遅れた逸ノ城は棒立ちのまま防戦一方。がまんができなくなった逸ノ城ははたきにでた。押し込まれてからのはたきは負けを呼び込むのみ。案の定,そのまま日馬富士に寄り切られて勝負あり。横綱が格の違いをみせつけて圧勝。

 相撲の地力の違いをそこにみる。

 まずは立ち合い。日馬富士にはいくつもの立ち合いの秘策(引き出し)がある。それに引き換え,逸ノ城には立ち合いの妙は,先場所,みせた「はたき」のみ。真っ正面からぶち当たって攻め込む立ち合いの「芸」はまだない。要するに相撲が甘い。稚拙。

 スピードの違い。逸ノ城は「合わなかった」(立ち合いが)と感想を述べたそうだが,もし,「合って」いて,逸ノ城も一歩踏み込んでいたら,日馬富士の右喉輪をまともに受けて,のけぞっていたことだろう。そうなれば,また,日馬富士の独壇場。とっさに左上手を引いて出し投げで土俵に叩きつけることもできる。あるいはまた,相手のふところに飛び込み,両まわしを引いて,低い姿勢から寄り切るという正攻法もある。

 この一番をみるかぎりでは,今場所の逸ノ城は相当に苦戦を強いられることになるだろう,と思う。先場所,負けた相手は徹底的に研究してくるだろう。そして,逸ノ城の弱点をついてくるだろう。それらの攻撃をさばくだけの力量はまだない。いまのところはがっぷり右四つに組み止めて,それからの勝負しかない。立ち合いからいっきの「はたき込み」は,もはや,通用しないだろう。

 今日の相撲をみるかぎりでは,逸ノ城は完全に横綱の発するオーラに呑み込まれていた。先場所の逸ノ城とはまるで別人だった。やはり,新関脇という地位に,名前負けしているようにもみえた。先場所は,ビギナーズ・ラック一色だった。失うものはなにもない,ただ,無心でぶつかっていくだけ。あとは力まかせに左から投げを打つ。それで勝ちを拾っていた。

 しかし,今場所は違う。新関脇という肩書を背負っての場所だ。固くなるのはよくわかる。しかし,相手は横綱だ。失うものなどなにもない。真っ向から体当たりをかますくらいの気魄が欲しかった。それがないので,まるで迫力のない立ち合いとなった。

 まあ,いずれにしても,格の違いというものの恐ろしさすら感じられるほどの,今日の一番だった。逸ノ城にはいい勉強になったのではないか,と思う。まだ,初日だ。明日から,一番,一番,気魄を籠めた立ち合いに専念すること。そうして,がっぷりり右四つに組みとめる「芸」を身につけること。そうなれば,また,先場所のような活躍が期待できようというもの。

 それにしても,相撲の地力の違いというものを,しっかりと見せてくれた一番だった。さすがは,横綱・日馬富士。この調子で,今場所こそ,大暴れを期待したい。絶好調で白鵬との千秋楽の一番がみられたら,これはもう勝負を度外視した,素晴らしい相撲に立ち会うことになる。そろそろ,そういう大一番を期待したいものだ。

 頑張れ。日馬富士。大いに楽しみ。そして,逸ノ城へは気魄をもて,とエールを送りたい。

ブログが読めない,一夜明けたら読めた,なにが起きたのか。不思議。

 ブログを書き始めてからこんなことは初めてでした。が,なぜか,一時的にこのブログが読めなくなったのは事実です。親しい友人たちから,「読めなくなっているよ」と教えられ,びっくりしました。わたしのパソコン上ではなんの変化もなく,いままでどおりに読むことができたからです。ですから,なにが起きているのか,わけがわかりませんでした。

 しかも,全部が読めなくなったわけではありません。一部の人たちにはなんの変わりもなく,いままでどおり読めた,とのこと。ですから,ますます,わけがわからなくなってしまいました。呆然自失。わたしにはパソコンに関する基礎知識もテクニックもありませんので,手も足も出せません。ただ,呆然と様子を見守るだけ。

 こうなったら,困ったときの神頼み。このブログの構築・仕組みなどの面倒をみてもらっている伸ちゃん(寺島伸一君)に相談。すると,見られなくなっている人のパソコンに問題があるようなので,その人たちにはこの方法を指示すればいい,といって処方箋を知らせてくれました。

 そうこうしているうちに,今朝になって「一夜明けたら読めた」というメールがとどきました。わたしの方でなにかしたわけではありません。わたしはなにもしないでじっとしていただけです。ということは,わたしの承知していないところで,問題が解決していたようです。でも,まだ,すべて問題が解決したわけではなさそうでした。なぜなら,閲覧者数(ページヴューの数)は相変わらず低調で,いつもの5分の1程度しかありません。

 ようやく,これで問題は解決したのかなという状態にもどったのは,今日の午後4時以降のようです。この時間帯からは,いつものような閲覧者数が記録されはじめたからです。でも,もう少し様子をみてみないと,確実にもどったのかどうかはわかりません。

 それにしても,わたしの与り知らぬところで「読めない」「読める」「読めた」という摩訶不思議なことが起きたようです。時間帯でいいますと,11月8日の早朝から11月9日の午後4時まで。いまは,もう,みんな「読める」状態になっているのではないか,とこれもわたしの推測。

 もし,まだ,「読めない」という人がいましたら,わたしの方にご連絡ください。もっと本格的な処方を考えたいと思いますので。

 取り急ぎ,ブログ混乱のお詫びと,その間の情況・経緯,そして現状のお知らせまで。

2014年11月7日金曜日

リオ五輪の準備,マイペース。W杯に続き準備遅れ。東京五輪も暗雲が漂う。

 東京五輪2020の施設づくりが,新国立競技場の建造計画を筆頭に暗雲が漂いはじめ,このさきの行き先が不透明になってきた(この点については,いずれ詳しく書く予定),と思っていたら,なんとリオ五輪2016の施設づくりはもっと酷いことになっているようです。東京新聞の11月4日の「核心」という大きな囲み記事で報じています。

 もっとも,これがブラジル流といえばブラジル流。ことしの6月に開催されたサッカーW杯の準備も遅れに遅れ,大会ぎりぎりで間に合わせたことは,まだ,わたしたちの記憶に新しいところです。ですから,リオ五輪2016も同じようなペースで準備が進められているようで,いかにもブラジルらしいということでしょう。

 しかし,W杯のときには,突貫工事でなんとか大会ができるところまで漕ぎつけましたが,その内実は酷いものでした。あまりに工事を急いだために安全確保がおろそかになり,労働者に死者がでるという悲劇が生まれてしまいました。さらには,大会までに完成させる予定だった空港や道路などの工事のうち,23件は間に合わなかった,といいます。それでも大会はできた,だからそれでいいのだ,というのがブラジル流。

 
「私が見た歴代の開催都市の中で,最悪の準備状況」と,IOCのジョン・コーツ副会長が酷評しているという記事もここには書かれています。いつからこういうことが始まったのか,残念ながらわたしは承知していませんが,IOCは開催都市の準備状況を監視し,指導・助言をすることになっています。言ってみれば,いらぬお節介,です。なぜなら,IOCが開催都市を選定する段階で,それらの点については徹底的にチェックし,不安を払拭できているべきだからです。にもかかわらず,開催都市が決定してからも,定期的に視察にやってきて,いろいろと指導・助言という名の注文をつけたりするわけです。
 
そのたびに開催都市はIOC委員に対して丁重なおもてなしをすることになります。そして,おみやげも。つまり,IOC委員が甘い汁を吸うための豪遊に等しい,というのが実態であり,なんともみっともない制度を仕組んだものだ,というのがわたしの受け止め方です。

 それは東京五輪2020も同じです。すでに,何回もIOC委員が施設づくりの進行状況を監視するために来日しています。そのたびに,組織委員会,東京都,文部科学省,JOC,などが篤いおもてなしをしています。もともとが,ヨーロッパの貴族たちが寄り集まって始めた「お遊び」,それが近代オリンピック競技大会ですから,こんなことは当たり前という感覚かもしれません。

 それだけではありません。IOC委員に満足してもらうために,必要以上に立派な競技施設をつくろうという意識がはたらきます。さらには,五輪招致を絶好のチャンスととらえ,新しい都市開発に手をつけることも稀ではありません。実際に,東京五輪2020は東京湾の埋め立て地の空き地(東京都が保有しているもののいろいろ問題があって売れない土地)をフル活用して,新しい副都心を構築しようという陰謀が石原都知事によって仕組まれています(このことは,すでに,このブログでも書いたとおりです)。それが半径「8キロ圏内」のコンパクトな五輪構想の内幕です。

 そのための新しい競技施設をどんどん作ろうという当初の構想そのものが,資材や労働力の不足などの理由により,ゆらぎはじめています。新国立競技場の建造計画も暗礁に乗り上げていて,いましばらくは身動きすらできない状況に追い込まれています。それに追い打ちをかけるかのように,舛添都知事は,いまごろになって,東京五輪2020の施設計画を最初から見直す,とロンドンの視察先で宣言しています。そして,これから組織委員会や各競技団体との詰めの話をすることになっています。

 そのためには,もはや,時間の余裕がありません。来年2月には,最終的な施設計画と大会のスケジュールを決定して,IOCに提出しなければなりません。最後のもっとも大事な決定を,そんな短時間ではできるわけがありません。

 リオ五輪の準備も,ラグビー場建設予定地がまだ更地のままであるとか,ゴルフの会場も工事中であるのに裁判所から「環境保護上問題がある」として3ホール分の計画変更を銘じられ,いまは,工事が中断したままになっている,といいます。その他にも問題が山積していて,これらの難題を,残り1年9カ月という短期間で乗り切れるのか,不安ではあります。

 しかし,これを他山の火事として高みの見物をしている余裕は,東京五輪2020の実務担当者にはないはずです。こちらもまた背中に火がついたカチカチ山のたぬきさんと同じです。走れば走るほどに火の手は大きくなってきます。さてはて,この1,2カ月の間は,東京五輪の準備の動向から眼を離すことはできません。

 大変なことになってきている,というのがわたしの観測です。リオ五輪のことを笑っている場合ではありません。残念ながら・・・・。

2014年11月5日水曜日

ショッキングな国道6号の放射線量。これが「under control」の実態の一つ。

 11月4日(火)の東京新聞に,じつにショッキングな記事が掲載されていましたので,少しばかり考えてみたいと思います。

 内容は,東京新聞の記者(大野孝志,山川剛史)がフクイチのすぐ横を通る国道6号を車で走って放射線量を測定したルポです。その見出しは「原発周辺 車内も高線量」「田畑 雑草だらけ」「警備員は軽装」。

 ショッキングだったのは,フクイチのすぐ近く(大熊町夫沢)を通過するときの放射線量が5.5マイクロシーベルトであったという事実です(写真でご確認ください)。国が定めた除染の長期目標は0.25マイクロシーベルトですから,その高さのほどがわかろうというものです。この測定が行われた日はどうやら北風が吹いていたようです。大熊町から北の双葉町に入ったとたんに,0.23マイクロシーベルトに下がっています。それに引き換え,大熊町から南の地域は高線量がつづいています。

 
この国道6号を,平日は約1万2百台の車が走っているといいます(磐城国道事務所の集計)。ここをかりに南の楢葉町から南相馬市まで車で通過したとして,いったいどれだけの放射線を浴びることになるのでしょうか。その計算の仕方を知りませんので,なんともいえませんが,素人目で想像してみるだけで,相当の量の被曝となるな,と空恐ろしくなってきます。

 やむをえない事情があって,たまに,ここを通過するだけならそれほどのこともないのかも知れません。が,通勤などで毎日,ここを通過しなければならないとなると,これは考えてしまいます。また,運送業のトラックの運転手さんなどは,業務上,どうしても頻繁にここを通過することになります。となると,こちらも心配です。

 また,窓を開けて走ったり,停車して車の外にでたりすることは禁止されている,といいます。そんなところを「通過」させることが,どういう結果を生みだすか,専門家にはわかっているはずです。にもかかわらず,国は国道6号の通過を許可した,というわけです。それだけではありません。帰還困難区域に入るには許可が必要で,その入口には検問所があり,そこで警備員が働いています。しかも,この警備員の人たちはふつうの服装でマスクをしているだけだ,というのです。いったいこの人たちの線量はどのように管理されているのでしょうか。この点を糺してみますと,「細かい労務管理は委託先の業者」に任せている,と警備などの維持管理業務を発注している内閣府の担当者が語っていた,とのこと。

 これがアベ君のいう「under control 」の実態の一部です。こうして,きわめて危険な状態にあるにもかかわらず,あたかも「安全」であるかのような「実績」を積み上げようとしています。わたしたちは,国道6号を車で走り抜けることができるようになった,という事実だけを受けとって,なんとなく「安全」になったように錯覚してしまいます。そうして,なし崩し的に「安全」神話が広まっていき,さも,なにごともなかったかのような雰囲気をかもし出そうという,国の魂胆がここに表出しています。恐ろしい罠がそこには仕掛けられている,というわけです。

 生活の利便性と危険性は表裏の関係にあります。しかも,それはほとんどの場合,「命」が引き換えの対象になっています。その典型的な事例がここに凝縮している,とわたしにはみえてきます。みなさんは,どのようにお考えでしょうか。ぜひ,考えてみてください。

「わたしは障害者ではありません。サイボーグ人間です」「disoppotunity 論」(戸沼智貴)に感銘。

 戸沼智貴さんはわたしの友人です。みずから「義足の殺陣師」を名乗り,全国を股にかけて指導に歩き,その一方でNPO法人の仕事にも力を注ぎ,最近では,内閣府の仕事を引き受けてイギリスに出張したり,と多方面で活躍される超多忙人間です。

 そのかれが,最近のFBでとても魅力的な発言をしています。その一つが,見出しに書いたように「わたしは障害者ではありません。サイボーグ人間です」という発言です。それともう一つは日本語の障害者ということばの代わりに「disoppotunity」ということばにしよう,という提言です。

 わたしはこの戸沼さんのFBのことばに触れて,ハッと虚を突かれた思いに襲われました。なぜなら,わたしの意識の中では,戸沼さんは左足が義足である,という単純な理由で「障害者」の人と思い込んでいたからです。でも,ご本人にお会いするとそんな意識はまったくなく,また,感じさせもしない,ごくふつうの人です。なのに,わたしは勝手に仕分けをしていたというわけです。ですから,上記のようなことばに触れたとき,とても恥ずかしい思いがしました。

 じつは,わたしも「障害者」ということばは嫌いで,もっと適切なことばはないものか,と考えていました。なぜなら,そのむかし,特殊教育ということばが教育学で用いられていましたが,あまりに酷いということでそれに代わって障害教育(障害者教育,障害児教育)ということばが公用語として用いられるようになりました。多くの人がこれで問題が解決したと受け止めたようですが,わたしには抵抗がありました。「特殊」を「障害」に置き換えただけのことであって,ことの本質はなにも変わってはいません。

 それになによりも,「障害児」とか「障害者」ということばの概念がはっきりしません。「健康」ということばの定義がほとんど不可能なように(どこまでが健康で,どこからさきが健康ではないのか,その境界線は引けない),「障害児」「障害者」ということばの定義も釈然としません。つまり,「障害」であるかないかの境界線を引くことはできないからです。

 嘘ばっかりついて平気な人(虚言癖・情緒障害),嘘を言っていることにも気がつかない人(無知・知的障害),他人の話を真っ正面から聞き取ることのできない人(無意識的聾者・身体障害),金と命のどちらが大切かがわからない人(金の亡者・守銭奴・価値障害),などなど・・・,こんな人は世の中にはざらにいます。とくに,政治家は酷いものです。とりわけ,いま,その筆頭に立つ人物は重篤な障害者以外のなにものでもありません。緊急入院して治療をする必要があります。しかし,こんな人が野放しになっていて,日本丸沈没に向かってまっしぐらです。でも,この人を「障害者」であるとは,だれも言いません。つまり,障害があるとも,障害はないとも,どちらとも言えないグレイ・ゾーンが無限に広がっていて,そこでのうのうと生きている,ということです。ということは,ほとんどの人間が「障害」と共に生きているということを意味します。この自覚が,いわゆる健常者には欠けています。

 いささか脱線してしまいましたが,こんなことをSMSを用いて書くわたしは,そのうち手にお縄を頂戴することになる可能性大だということもついでに書いておきましょう。なぜなら,ことばの正しい意味での「障害者」が議会で多数を占め,自分たちにとって都合の悪い人間をつぎつぎに摘発できる法律を連発しているからです。もう,すでに,ほんとうのことは言ってはいけない社会になってしまっているのですから・・・。

 さて,本題の戸沼智貴さんの話にもどします。
 もっとも注目したい戸沼さんの「disoppotunity 」論です。10月31日のFBで,つぎのように主張していらっしゃいます。少し長いですが,大事な部分たけは引用しておきたいと思います。

 まず最初に,日本語の障害者に相当する英語表記を,つぎのように整理していらっしゃいます。
 people wity disability/challenged people/disabled person/handicapped people・・・と。
 そして,これらの英語表記も,どれをとってもいま一つ釈然としない,とした上で以下のように主張されています。

 そもそも障害者と健常者の境目はなんでしょう?
 私にはよく分かりません。
 障害があるから社会参加が出来ないんじゃない。
 社会参加する≪機会(oppotunity)≫や,可能性をみつける≪機会(oppotunity)≫かあまり無いのが問題なのです。
 そこで,新しい言葉,新しい定義として
 「people with disability」では無く,
 「people with disoppotunity」
を日本から世界に向けて提案します。
 日本語にすると,「機会(oppotunity)に恵まれない(dis)人」,「機会(oppotunity)を迫害(dis)されている人」といった訳になるでしょうか?
 この時点で,障害も,高齢も,子どもも,不登校も,ニートも,一般も,全ての人に当てはまる「言葉」になると思います。
 ≪機会/キッカケ≫が目の前に与えられれば,
 そこに選択の自由が与えられます。
 やるのも,やらないのもその人の自由。
 つまり,自主的な自己決定につながります。
 「障害者をサポート」「高齢者をサポート」「ニートをサポート」といわれると,「専門的知識も無いし・・・」などと気後れする人は多く居るでしょう。
 しかし,その人に「選択する≪機会(oppotunity)≫を一緒に作りませんか」といわれれば,
≪機会(oppotunity)≫を作るだけなら私でも出来そう,と思えるかもしれません。。。
 自分が変われば,世界は変わる。
 ぜひ,この生まれたての赤ん坊〔disoppotunity〕を
成人式まで,みんなで育ててみませんか?

 なんとみごとな提言ではありませんか。戸沼さんはこの内容のものを内閣府への報告書として11月中にまとめて提出するといいます。ぜひ,読んでみたいものだと思います。

 そして,さらに,戸沼さんはこの disoppotunity にぴったりの日本語訳を募集しています。それを,これまでの「障害者」ということばに替えて,広めたいという意向です。わたしもなんとか工夫をして,応募してみたいと思っています。

 適材適所で役割分担をしていく社会を拡大していくこと,そうして,あらゆる人に社会参加の機会(oppotunity)を提供できる社会をつくること,そういう時代を早く迎えられるようにするためにはわたしたち一人ひとりの意識変革が必要です。戸沼さんのおっしゃるように「自分が変われば,世界は変わる」,この精神で取り組むこと。口でいうのは簡単ですが,実行するとなるとなかなか大変です。でも,その壁を超えないことには,なにも始まりません。

 近日中に戸沼さんにお会いして,とっぷりとお話を伺いたいものだと思っています。とりあえずは,直訳の「被奪機会者」(disoppotunity )ということばを俎上に乗せて。

2014年11月4日火曜日

新関脇逸ノ城の原寸大の「手」。みればみるほど不思議な手。

 「逸ノ城×原寸大」「天下逸品 大草原の手」という見出しの,一面の半分を割いた,とてつもない記事を『東京新聞』がやってのけた。11月1日(土)夕刊。

 一瞬,一面トップに「広告」?と勘繰った。つぎの瞬間には,ああ,とうとう,東京新聞もスポーツ新聞に堕落したか,と脳裏をよぎる。

 しかし,よくよくみると紙面の左下のところに「ビジュアル夕刊」とあり,企画編集・甲斐毅,写真・沢田将人,文・平松功嗣,と書いてある。うぬっ?ちゃんとした企画ものではないか。その主旨がどこかに書いてあるかと思って探してみたが,どこにもない。あとは,こちらの勝手な想像。

 そうか,世の中,ますます暗いイメージの方に押し流されていく。そして,考えれば考えるほどに,ますます憂鬱になってしまう。たまには,パッと明るい気分になれる情報を流すことも必要ではないか,と編集長は考えたのだろうか。ならば,今月9日(日)に初日を迎える大相撲九州場所で,驚異的な出世をして登場する新関脇逸ノ城にスポットを充ててみるのも一案ではないか,と。少し肩の力を抜いた夕刊の企画としては面白かろう,と。

 とまあ,そんなことを考えながら,逸ノ城の原寸大の「手」をじっとみる。おやっ?どこか変だ。原寸大ということを度外視して,少し遠くに離して,もう一度,じっとみる。どうみても変だ。少なくとも大人の手にはみえない。そう,子供の手,いや,赤ん坊の手に近い。

 
指の根元が太い割には指先が細い。しかも,先端がずんぐりと丸い。思わず,自分の手と比べてみる。わたしの手は根元から指先までほとんど同じ太さ。しかも,指先はもっととんがっている。こうなると,爪はどうなっているのだろうか,と気がかりになる。

 つぎにやったことは,自分の手をあてがってみる。なるほど,でかい。掌の一番下に合わせてみると,その大きさに驚く。桁違いの大きさだ。これまでにもお相撲さんの手形はたくさんみてきたが,たぶん,特大の部類に入るだろう。

 もう一度,遠くから眺めてみる。すると,手のひら(掌)が異常に大きいということに気づく。そして,指は意外に短い,と。おやおや?である。そうか,この巨大な手のひらと指の短さのアンバランスが手の幼児性となって現れているのか,と。遠く離して眺めてみると,なんと可愛らしい手であることか。幼児の手そのものだ。

 これが遊牧民の標準的な手だとしたら面白い。手のひらが異常に大きくて指が短い,この手が遊牧民の労働形態から生みだされた必然だとしたら・・・。しかも,指先が細くなっている。これは手先が器用な人に多い指だ。かれの巨体に似合わず,手芸などが得意かもしれない。握力約70㎏は,力士としては少ない方だ。記者はなにか勘違いしているようだが・・・。たぶん,ほんとうの握力はもっとあるはずだ。力士は総じて握力検査をまともには受けようとはしない。むしろ,怪力を隠す傾向がある。

 まあ,いずれにしても逸ノ城のこの可愛らしい手が,九州場所でどのように活躍するのか,いまから楽しみにしておこう。ちなみに,わたしのみる手相術からすると,とてもいい手相をしている。この手相は横綱に値する。新関脇は間違いなく大活躍することだろう。手のつけられない怪物ぶりを大いに発揮してもらいたい,といまから楽しみ。

2014年11月3日月曜日

「植物のいのちをいただく」(志村ふくみ)。このことばの重みに感動。

 「”色”で綴る四季の物語 人間国宝志村ふくみ1年の日々」(1.NHKテレビ)に朝から釘付け(11月3日)。こういう番組づくりをみると,NHKはやはり一流だなぁ,と思う。もういっその事,ときの権力の顔色を伺いながら,政治・経済などで嘯かなくてはならないような報道は放棄して,もっぱら文化番組に専念したら・・・と本気で思う。

 90歳の人間国宝はいまも健在で,かくしゃくとして仕事をつづけていらっしゃる。草木染めの素材集めから,煮出し,染色,織物にいたるまで,すべての工程をこなす。立っているときの姿勢もいいし,歩く姿もなに不自由なく流れるように美しい。そして,なによりも顔だちが素晴らしい。老人の匂いをいっさい感じさせない。つるりとしたうりざね顔は,まだ,初老の人という雰囲気だ。しかも,そこはかとない色気が漂う。そして,なにより語る「ことば」がいい。無駄がひとつもなく,染色ということの本質を,短いことばでみごとに表現される。

 その極めつけのひとつは,草木染めとは「植物のいのちをいただく」ことだ,とズバリ。そして,草木染めの原点は「藍染めにあり」,とこれもひとこと。10日間,藍の葉を仕込んで発酵させた瓶のふたをとり,指をつっこんで,そのまま「舐める」。わたしは思わず「あっ」と声をだしてしまった。そして,毎年,舐めるたびに味が違う,と仰る。だから,まったく同じ藍染めというものは二度とできないのです。毎年,一回一回が,真剣勝負です,と。

 つまり,藍の葉を採集するときから,「いのちをいただく」気持を忘れずに,一つひとつの工程を祈りながら,魂を籠めていくのです,と。だから,藍染めは,糸を染め上げ,機織りして,着物に仕立てあげても,なお,藍の葉の魂は生きているのです,とさらりと仰る。このことばの重さに圧倒されてしまう。

 志村ふくみさんは,また,文章の名人でもある。長年にわたる草木染めの経験からにじみでてくる,研ぎすまされ,洗練された美しいことばの連鎖をそこにみることができる。『一色一生』(求龍堂,文春文庫,講談社文芸文庫)で第10回大佛次郎賞・1983年。『語りかける花』(人文書院,ちくま文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞・1993年。そして,2006年には第14回井上靖文化賞を受賞。

 どの本でもいい。本屋さんで手にとって文字を追ってみてほしい。たちまちにして,志村ワールドに引き込まれ,あっという間に本のとりこになってしまうことを請け合います。嘘だと思って,ぜひ,一度,試してみていただきたい。

 近江八幡市のご出身で,現在は京都・嵯峨野に工房を構えて,日々,精進されていらっしゃる。近年はドイツの詩人リルケの世界に共振・共鳴。多くの著作を残している。これらの本もみごとです。ぜひ,ご一読を。

 志村ふくみ語録を少しだけ。
 「植物の魂のレベルは人間よりずっと上」
 「植物に話しかけ,植物と魂の交流ができたら,それは現世とは異次元の,とてつもない世界に触れることになるでしょう」
 「わたしは一歩でもその世界に近づきたいと日々,祈っています」
 「自然の流れに逆行している現代こそ,植物の魂に触れる経験が不可欠です」

 この世界は,わたしにとってはジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』の世界であり,ル・クレジオの『物質的恍惚』の世界そのもの。ジーンとこころの奥底まで響いてくることばです。

 急に坐禅がしたくなってきました。これからすぐに始めます。

舛添東京都知事「五輪会場の”やり直し宣言”」。なにをいまさら,遅きに失す。

 舛添東京都知事が,「民間の智恵を入れて最初から」東京五輪会場の「見直し宣言」をした,とネット上に流れています。例によって,ほとんどの大手メディアは無視。こんなことまで言論統制がなされているのかと思うと,空恐ろしくなってきます。

 それはさておき,ロンドン五輪の施設などを視察した舛添都知事が,10月31日(日本時間11月1日)にロンドンで記者会見。東京五輪の施設計画について「民間の智恵を入れて最初から見直す」と宣言。なにをいまさら,遅きに失す,というのがわたしの感想。

 なぜなら,6月の時点で,資材・人材のコストが急騰している現実を見据え,東京都の準備していた金では足りないので,五輪施設の新設計画を見直す,と舛添都知事は宣言していたからです。あれから5カ月もの間,なにをやっていたのか。なにも情報がないので,ひょっとしたら徒手空拳・無為のままだったのでしょうか。そうして,ようやくロンドン五輪施設などの視察にでかけ,その結果を踏まえての,再度の「見直し宣言」。こんどは,大会後のことをきちんと決めて計画を立てること,つまり,負の遺産を残さないように配慮しなければならない,という。

 なにをいまさら,笑止千万,というしかありません。東京五輪2020の主催都市の都知事が,いまごろになって,なにを寝言を言っているのか,と。

 すでに,すべてが時間切れ,なのです。もちろん机上の計算ではまだ間に合うことになっているのですが,実際の実務交渉が難航するであろうことを考えると,とてもではないが,まったく時間がありません。その最大のネックは,来年2月までに,IOCに対して大会開催基本計画を提出しなければならない,というタイム・リミットです。残された時間は,たった3カ月しかありません。

 都知事は帰国後,五輪組織委員会の森喜朗会長に,民間との協力体制の構築を求める,と言っています。これまで「民間の智恵」を徹底的に排除・無視しつづけてきた組織委員会会長が,おいそれと簡単に話に乗るとは考えられません。少なくとも,これまでの準備段階の経過をトータルにみて,「部外秘」を貫き,徹底した「密室」の会議」でことのすべてを決めてきたことを考えるだけで,もう,最初から「民間の智恵を入れる」ことなど拒否されることは明らかです。

 しかも,都知事の腹案としては,五輪組織委員会会長,JOC会長,文部科学大臣(五輪担当者),都知事,そこに「民間の智恵」者を数人加えて,新たな委員会を構築したいようです。もし,仮に,「民間の智恵」者としてここにに槇文彦さんや森まゆみさんらが加わるだけで,この委員会は完全に機能不全を起こすだろうことは必定です。ですから,そうではない委員を加えることになるでしょう。だとしたら,屋上屋を架すだけの話で,無駄もいいところ。

 いかにも理想論の大好きな舛添都知事の考えそうなことではありますが,現実的にはまったく無意味。立ち上げるなら,都知事に就任してすぐに,それまでの東京五輪計画を「見直す」と宣言し,かなり自由に議論のできる時間と場所を保障した上でのことでしょう。いまは,すでに,その時ではありません。

 でも,「民間の智恵を入れて最初から見直す」というのですから,ぜひ,やってもらいましょう。そして,瓢箪から駒が飛び出すようなことでも起きれば,もっけの幸いです。やらないよりはやった方がいい。ぜひ,やってもらいましょう。しかも,その経緯を公開するくらいの覚悟で。そうなれば,わたしもぜひ傍聴にでかけてみたいと思います。

 まずは,帰国後の舛添都知事の言動に注目してみたいと思います。はたして,その展開やいかに。

2014年11月1日土曜日

運動会「人間ピラミッド」の是非論をめぐって。

 運動会の人気プログラムのひとつに組体操の「人間ピラミッド」があります。途中で崩れてしまったらどうしようと,これを演ずる児童・生徒たちも,それを見守る父兄たちも真剣そのものです。長い時間をかけて練習をしているわけですが,最終的には,みんなの気持と場の力がひとつになることによって成功を収めることができます。

 運動会で「人間ピラミッド」を成功させる,というひとつの目的に向かって大勢の児童・生徒たちが一丸となることの経験は,学校教育の場面でも数少ない貴重なものではないか,とわたしは考えています。しかし,統計的に処理をしたところ事故が多すぎるとして,高さを競う人間ピラミッドには教育的な意味はなにもないと断定し,即刻,中止すべきだと主張する人もいらっしゃいます。はたして,そんな単純な理論(理屈)で,人間ピラミッドを「全否定」してしまっていいのだろうか,というのがわたしの立場です。

 ここで問題になっている「人間ピラミッド」は,わたしが経験した古典的なピラミッドではありません。世界中に,それぞれに工夫された「人間ピラミッド」がありますが,それとも違います。いま,話題になっている「人間ピラミッド」は,よしのよしろう(吉野義郎)さんの創案に成るものです。よしのさんは兵庫教育大学の大学院で「組体操」の研究に取り組み,その研究成果の一つが「人間ピラミッド」という名の,まったく新しいコンセプトによる組体操です。方法もずいぶん斬新なものです。しかし,この新しい方法の創案によって,組体操「人間ピラミッド」が生まれ変わり,より多くの児童・生徒に楽しんでもらえる教材となりました。

 そのなによりの特色は,大勢の児童・生徒が一団となって取り組むことができるという点にあります。体力のある子も,きわめて軟弱な子も,それぞれに役割分担をすることによって,全体に貢献することができます。つまり,そのポジションによってきわめて難度の高いパートと,だれでもすぐにできるパートの両方を併せ持つ組体操である,ということです。その組み合わせさえ間違わなければ,6段,7段くらいの「人間ピラミッド」は容易に組み立てることができます。ですから,児童・生徒たちにも人気があります。

 問題は,どの高さまでは安全で,それ以上は危険だ,という境界線の引き方・判断の仕方のむつかしさにあります。つまり,先生の指導力と児童・生徒の習熟度によってケース・バイ・ケースの判断をするしか方法はありません。この点さえ,間違えなければ,わたしは組体操「人間ピラミッド」は立派な運動課題であり,誇るべき教育内容である,と考えています。

 まくらの話はこの程度にして,いま話題の「人間ピラミッド」について,いつもの『ひろばユニオン』(労働者学習センター刊,11月号)に拙稿を投じましたので,ご一読いただければ幸いです。

 
 
 
 
なお,読後の感想,ご意見などお聞かせいただければ,なおいっそうありがたいと思います。