2012年11月6日火曜日

「日米地位協定」の拠り所は「安保条約」の裏に隠された「密約」にあり(孫崎享著『戦後史の正体』)。

 1945年,ポツダム宣言を受諾し,敗戦を認めてからまもなく70年になろうとしている。四捨五入すれば1世紀になんなんとする。日本はこの長きにわたるアメリカの占領政策にいまも翻弄されつづけている,と『戦後史の正体』の著者・孫崎享さんは主張する。その最たるものが「日米地位協定」である,と。しかも,そのルーツをたどっていくと「安保条約」(日米安全保障条約)の裏に隠された「密約」にいたりつくという。孫崎さんはその事実関係をみごとに解き明かしていく。まさに,総毛立つような論旨の展開である。

 言ってしまえば,日本はいまだにアメリカの占領下にある,と。その見本は沖縄の基地問題であり,オスプレイの配備にみることができる。すべては,アメリカの「言いなり」である。それに歯止めをかける法的根拠をもたないからだ。つまり,いまだに戦勝国と敗戦国の関係がそのまま維持されているということだ。その認識をわたしたちは欠いている。

 「日米地位協定」は沖縄でのみ機能しているかのような印象をうけるが,そうではない。「日米」と頭にあるように,日本とアメリカとの間に結ばれた「地位協定」なのだ。だから,日本全国のすべての軍事基地に適用される協定だ。本土のあちこちに点在する米軍基地は,すべてこの「日米地位協定」に護られている。いま,問題になっているオスプレイも,日本全土のどこの上空を飛んでも,「協定」上はなんの問題もないことになっている。

 この圧倒的な不平等「協定」が,なにゆえに,いまも生きつづけているのか。そして,なぜ,この不平等「協定」を改訂しようと,アメリカ側に働きかけようとはしないのか。その答えは簡単である。それは,「安保条約」の裏で秘密で取り交わされた密約「岡崎・ラスク交換公文」なるものがあって,これを護持しようとする政治勢力が圧倒的な力をもちつづけてきた,ということだ。この勢力を「対米追随派」とよぶ。ときには「自発的隷従」も辞さない行動をとる。それに対して,「自主路線派」と呼ばれる政治勢力がいっぽうにある。そして,時折,政権をとることもあるのだが,こちらの政権は,あの手この手のプレッシャーや秘密工作が加わっていずれも短命に終わっている,として孫崎さんは具体的なデータを提示している。

 たとえば,こうだ。
 芦田均・・・米軍の有事駐留を主張。
 田中角栄・・・米国に先がけて中国との国交回復。
 竹下登・・・自衛隊の軍事協力について米側と路線対立。
 橋本龍太郎・・・金融政策などで独自政策,中国に接近。
 小沢一郎・・・在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言,中国に接近。
 (以上は,『戦後史の正体』,P.84.より)

 この他にも,鳩山一郎(日ソ友好条約を結ぶ),石橋湛山(自主路線を主張,原因不明の病気で,2カ月で退陣),細川護煕,鳩山由紀夫,などがいます。あるいはまた,重光葵外務大臣などの突然死(夕食に大好きなすき焼きと餅を食べたその夜,突然,腹痛を起こし,坐って腹をなぜているときに前のめりに倒れて,そのまま死亡)を筆頭に,アメリカに不都合な言動をした政治家や官僚はすべて,出世街道のはしごをはずされてそのまま失脚し,姿を消すという運命をたどっている,という。

 こうなると,政界も官僚も財界も,そしてなにより言論統制を受けた新聞各社(当時はもっとも大きな影響力をもっていた)も,そして驚くべきことに学界も,その主要勢力の圧倒的多数が「対米追随派」に従属することになる。寄らば大樹の陰,長いものには巻かれろ「主義」が日本の中枢を占めることになったのは,ある意味ではわが身を守るための防衛本能だったともいえる。そして,骨のある「国士」たちが自主路線を主張して,失脚していく現実を,息をひそめて見守っていた,というのが現実のようである。

 そして,この「米国追随派」の遺産のひとつが,なにを隠そう「原子力ムラ」の住民たちである。そうか,「原子力ムラ」もアメリカの占領政策の一環として,営々として構築されてきたエリート集団だったのだ。ただし,売国という名をもつ破廉恥なエリート集団だ。

 そうした元凶のすべての基礎を築いた人物,すなわち「米国追随派」の元祖こそ,吉田茂だった。その「吉田学校」の卒業生たちが,その後の日本の政治の中枢を占めることになり,こんにちもなお,その流れのなかにあるというわけだ。だから,「岡崎・ラスク交換公文」なる「密約」をひた隠しにして,こんにちに至っているのだ。「日米地位協定」が不動のルールであって,それを改めるなどと主張した政治家はすべて失脚の憂き目にあっている。

 以上は,孫崎享さんの『戦後史の正体』からの受け売りである。しかも,そのほんの一端である。孫崎さんも書いているように,「岡崎・ラスク交換公文」なる「密約」に触れることは,長い間,タブーとされてきた。だから,だれも書こうとはしなかったのだ(専門家はみんな知っていたのだ。にもかかわらず頬被りをして知らぬ勘兵衛を決め込んでいたのだ。なんと罪深き知的エリートたちであることか。学者の風上にも置けない輩というべきか)。そのため,わたしのような人間はなにも知らないまま,こんにちに至っている。まさに,「戦後史」をともに生きてきた生き証人であるはずなのに,真実はなにも知らないままに・・・。情けないことではあるが・・・。

 しかし,いま,この歳になって知らされても,ただ,ただ,たじろぐばかりである。そして,深いふかい「絶望」の淵に追いやられてしまう。そして,そこからどうやって這い上がっていけばいいのか,と天を仰ぐばかりである。

 こんな悲しい本を薦めたくはないけれども,知らないでいることの方がはるかに犯罪的であると考えるので,ぜひとも読んでいただきたい。そして,『戦後史の正体』の著者・孫崎享さんにこころからのエールを送りたい。

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