2013年7月29日月曜日

部活の先生は教祖さま? 生徒を「洗脳」せよ,とか。

 第74回「ISC・21」7月大阪例会で盛り上がった話題のひとつは「洗脳」でした。体罰の問題について聞き取り調査をしたNさんが出会った部活の先生の口から飛び出したことばが「洗脳」だったというのです。つまり,部活の生徒たちを指導する理念は,まずは生徒たちを「洗脳」することだ,と語ったというのです。しかも,実際に,その部活の現場をみせてもらったら,驚くべき光景がそこでは繰り広げられていた,というのです。

 たとえば,女子のバスケットボールの部活での話。先生の指導したとおりに生徒たちが動かないとなると,先生はプイと顔を横に向け,椅子から立ち上がり,体育館からでていこうと歩きはじめます。すると,生徒たちは全員で先生のあとに追いすがり,土下座して,頑張りますから指導をお願いします,と謝るのだそうです。しかし,それでも先生は無視して,歩きはじめます。すると,さらに追いかけていって,ふたたび土下座して謝り,お願いをするというのです。こんなことを何回も繰り返して,先生は生徒たちに絶対服従を誓わせるのだというのです。

 なにか信じられないような光景ですが,現実には,いわゆる強豪校といわれるチームを育てている部活ではこのようなことは当たり前のことだそうです。もし,これが事実だとすると,強豪校で展開されている部活とはいったいなんなのだろうか,と首をかしげてしまいます。これは,どう考えてみても,学校教育の「教育活動」の範疇から大きく逸脱している,といわざるを得ません。しかし,こんなことが「教育」の名のもとで,学校の部活として美化されているというのです。

 これは恐るべきことです。しかも,こんな現実が,素晴らしいチームを育てている優れた指導者として褒めそやされ,尊敬を集め,美化されているというのですから,もはや,いうべきことばもありません。常時,県大会のベスト4以上の成績を収めている強豪校の指導者たちは,まるで教祖さまのように,生徒だけではなく,父兄や同僚の先生たち,さらには校長先生の上に君臨している,とも聞いています。

 大阪の桜宮高校のバスケットボール部の事件は,そうした風潮のなかから生まれた必然の結果であり,しかも,氷山の一角にすぎない,というのです。

 そうして,ひとたび「事件」となると,そういう先生の独断偏向を許した学校の校長はなにをしていたのか,そういう強豪校の現実を知っていながら,みてみぬふりをしていた教育委員会が悪い,父兄もなにをしていたのか,同僚の先生たちはなにをしていたのか,生徒たちもなぜ黙っていたのか,などとマスコミは喧しく騒ぎ立てます。そして,それらしき処分をして,その場しのぎの問題の解決をはかろうとします。つまり,氷山の一角が「事件」を起こしたために問題が表面化しましたが,それ以外の学校では自粛しているとはいえ,ほとんど変わることなく,これまでどおりの指導が展開しているといいますし,さらに,指導者が責任をとらなくてもいいように姑息な約束ごとが事前に文書で交わされているとも聞きます。

 問題はここからです。はたして,マスコミはもとより,それを他人事のように傍観しているわたしたちに,そのような学校現場を批判する資格があるのか,ということです。

 「洗脳」ということばを聞くと,わたしたちは思わず吹き出して笑ってしまいます。しかし,その資格がはたしてわたしたちにあるのだろうか,というのがわたしの疑問です。

 恥ずかしながら,わたしたちは自民党に圧倒的多数の議席を与える選挙行動をとってしまいました。はたして,自民党こそ信頼に足る政党であるとこころの底から信じて投票した人がどのくらいいたのでしょうか。自民党に一票を投じた人の多くは,ほかの政党よりはましだから,という判断だったと新聞なども報じています。つまり,ほかの政党よりはましだ,という判断はどこからきたのかといえば,それはまぎれもなく「洗脳」の結果です。

 「洗脳」されなかった人は,野党のどこかに次善の策として一票を投じ,息を潜めてその結果を見守ったはずです。ひどい場合には,夢も希望もないと失望し,棄権しています。ことの是非はともかくとして,各政党の教祖さまは陣頭指揮をとり,いかに多くの有権者を「洗脳」するかに全力投球をしました。その姿は街頭演説をみれば明らかです。そこに,マスコミがニュースの名のもとに便乗して,「洗脳」に参加しています。

 わたしたちはあの手この手で「洗脳」された結果として,安倍晋三教祖さまを選出してしまいました。これから3年間は,よほどのことがないかぎり,この教祖さまのもとに平伏して,絶対的な服従を強いられることになります。

 それとこれとは問題が違うと仰る方も多いかとおもいますが,わたしには,問題の本質においてまったく同じ現象だと受け止めています。つまり,教祖さまを生み出す土壌は,なにも学校現場の特殊事情によるものではなく,企業でも同じだと見聞きしていますし,官僚の世界ではもっと徹底しているとも聞きます。わたしのよく知っている大学という組織も同じです。たとえば,教授昇任の人事にいたっては,目に余るほどの「洗脳」が繰り広げられています。

 あるいは,家庭のなかの幼児虐待も同根だとわたしは考えています。さらには,DVも同じです。そこからさらに逸脱していくと,こんどは無差別殺人というところに飛び出していきます。

 ですから,学校現場はどうなっているのか,と批判する前にわたしたち自身にそれを批判する資格があるのか,と問うことが先決ではないか,と考えます。つまり,学校現場は社会の映し鏡にすぎない,というわけです。そこまで,わたしたちの思考をもどして再スタートを切らないかぎり,現状は単なる「モグラ叩き」のゲームをしているだけにすぎません。つまり,この「もぐら」を生み出す土壌を「除染」しないかぎり,半永久的にこのゲームはつづく,という次第です。

 まずは,わたしたち一人ひとりがなにものにも「洗脳」されることなく,みずからの思考を深め,しっかりとした思想・信条にもとづく生き方をしないことには,問題は解決しないと,とりあえずは言っておきたいとおもいます。

 なぜなら,「洗脳」の問題は,じつはそんなに単純ではありません。たとえば,公教育もまた,理想とする日本国民に仕立て上げるための「洗脳」にほかなりません。優れた哲学書を読み,考え,みずからの思考を深めていくこともまた広義の「洗脳」です。あえて申し述べておきますが,わたし自身もじつに多くの人の考え方によって「洗脳」された産物にすぎません。ですから,ここではひとまず,自立(自律)してものごとの判断ができる人間になること,そのベクトルに向けて努力すること,そうすることによって一過性の「洗脳」に対する抵抗力をわがものとすることが肝要である,というところに落しておきたいとおもいます。

 というところで,ひとまず,終わりとします。

1 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

 洗脳、マインドコントロールという言葉が新聞やテレビで連呼されたのは、地下鉄サリン事件のころでした。
 そのころ、近所のご隠居とのちょっとした会話です。
 そのご隠居、事件当時80半ばで、薬剤師の資格を持っていて、油絵を描くといった方でした。
 そのご隠居のお父さんも、薬剤師で、戦前町長を務めた方でした。
 終戦間際の暑い日だったそうです。ご隠居のお父さんのところに、小学校の校長を始め、何人かで訪ねてきたそうです。
 そして校長先生が、真剣な顔で、その元町長のご隠居のお父さんに「神風はいつ吹くんですか?」と尋ねたそうです。
 ご隠居曰、「親爺はアメリカと戦争して勝てるわけなどなく、神風など吹くわけはないと思っておったで、その質問に困っておってのん」と。
 そして「オウムも高学歴の人が多いようだが、当時も、小学校の校長以下、神風が吹くだの、生徒に竹槍でB29を落とす訓練させるなど、いまのオウムと同じようなことをやっとった」と。
 続けて私に「日本人なんちゅあ、昔も今も変わらんで、騙されんように気を付けにゃあ駄目だぞん」と。
 近所のご隠居との何気ない会話でしたが、ご隠居の言葉で、色々と考えるようになり、色んなことに気付くようになった私でした。