2012年11月8日木曜日

準備運動は大事です。しっかりやりましょう(李自力老師語録・その21.)

 李自力老師,「無言の教え」の巻。

 久しぶりに李自力老師が,わたしたちの稽古に顔をみせてくださいました。いつもは稽古の途中から現れて,じっと稽古のなりゆきを見つめながら,側面から個々人にこまかな注意や要領やこつについて教えてくださいますが,今日は,最初の準備運動から前に立って,号令をかけてくださいました。といいますのも,他のだれよりも早く稽古場にきてくださり,わたしと一緒におしゃべりをしながらアップをはじめていたからです。ですので,全員が揃ったところでわたしの方から,そのようにお願いをしたわけなのですが・・・・。

 じつは,このところわたしたちのメンバーの集合時間がばらばらになってしまっていましたので,到着した人からそれぞれ個々人で準備運動をしてもらうことにしていました。つまり,準備運動は個人の責任において・・・という次第です。ですから,早く到着した人はたっぷりと準備運動をやることができます。場合によっては,稽古の前の一汗をかき(夏の間はとくに),準備万端ととのったところで,套路の稽古に入ります。

 しかし,今日は李老師が前に立ってくださいましたので,みんないつもよりもピリッと気持ちを引き締めて稽古に入りました。李老師の指導してくださる準備運動にはいくつものパターンがありますが,今日のはどちらかといえば中程度のものだったように思います。しかし,このところ各自でやってましたから,当然のことながら甘えがでていました。ですから,今日の李老師の指導のもとでの準備運動はかなりきついものに感じました。

 思いかえすのは,初めて太極拳の稽古をはじめたころのことです。まだ,からだがカチカチのころでしたから,それを解きほぐすためにかなり念入りに準備運動をして,汗を流していました。とくに,ストレッチや柔軟運動は,その厳しさに悲鳴を挙げたほどです。でも,李老師は手をゆるめることなく,淡々と,はい,つぎはこれ,つぎはこれ・・・・という具合に運動を指示していきます。その種類,量の多さに,途中でなんども,もう耐えられないと思ったものでした。なにゆえに,こんなにも準備運動に時間をかけなくてはいけないものなのか,と疑問に思ったこともありました。しかし,一年経ち,二年が経ちしていくうちに,自分たちのからだが知らず知らずのうちに大きく変化していることに気づきました。

 Nさんも,Kさんも,どんどんからだが柔らかくなっていきます。わたしは一時,焦りました。Nさんなどは太ももが見違えるほど太くなっていました。あるとき,いままで履けたGパンが履けなくなってしまいました,という。わたしはますます焦りました。わたしのからだはなにも変化らしいものは確認できず,以前のままです。最初の稽古をはじめたころよりはいくらか柔らかくなったとはいえ,ほとんど変わってはいないのです。わたしの記憶では,四年くらい経過したころでしょうか,わたしのこころの方に大きな転機がやってきました。なぜか,しっかり稽古をしなくては・・・と。そのためには,太極拳のできる「からだ」をわがものとしなくては・・・・。という次第で,このころから自宅でひとりで予習・復習をするようになりました。すると,みるみる「からだ」が変化しはじめました。とりわけ,脚力がついてきて,ふらつきが少なくなり,安定がよくなってきたように思いました。

 そうか,ということでこころから納得しましたので,それからしばらくはかなり熱心にひとりでストレッチや基本の運動もやり,稽古もしました。ところが,最近は少し気が緩んでいました。馴れ合いになっていました。仲間同士で注意をし合うこともほとんどしません。これは駄目です。いいはいい,駄目は駄目,とはっきり指摘し合う信頼関係が大事です。

 今日の李老師が指導してくださった準備運動は,それほどきついものではありませんでした。が,横着をして鈍ってしまったからだには,ことのほかきついものに感じられました。これはいけない,と反省。まるで,李老師は,ふだんのわたしたちの準備運動が緩んでいることを見抜いたかのように,少しだけ頑張りましょうね,と無言で教えを垂れてくださったのだと受け止めています。

 とくに,膝まわり,股関節まわりの準備運動は念入りに,と。

 李老師,「無言の教え」の巻でした。

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