2012年6月30日土曜日

寒すぎる冷房。電車もデパートもスーパーも大型書店も。どこか狂ってはいませんか。

 ことしの梅雨は蒸し暑い日がほとんどなく,どちらかといえば涼しい。梅雨の谷間の晴れ日には日中の外気の気温は高くなるが,日陰に入れば涼しいくらいだ。なのに,電車やデパートや大型書店などに入ると,冷房が効きすぎていて,ときおりからだの熱をすっかり奪われてしまい,寒くなってしまうことがある。あわてて,デパートを飛びだしたり,電車で途中下車をしたり,書店を移動することになる。

 これほど電気が足りないと言って騒がれているのに,デパートや電車や書店の経営者たちは,いったい,なにを考えているのだろうか。「理性」の狂気化現象の一つか。

 家庭の主婦の多くは,ことしの夏のピーク時の電力をどのようにして節約をし,やり過ごそうかと智慧をしぼっているというのに。そのためには,去年の夏にすでに経験したように,これまで窓を締め切ってエアコンに頼ってきたライフ・スタイルを断ち切り,家の窓を開けて風をとおしたり,濡れタオルを多用したりして,昼のピーク時の2~3時間をやり過ごそうとしている,というのに。

 この夏の節電の第一の難関は,ライフ・スタイルを変える覚悟と工夫ができるかどうかにある,とわたしは考えている。この覚悟と工夫ができれば,15%くらいの節電はなんでもない,と思っている。そのための智慧をみんなで共有することを考えるべきではないのか。しかし,マス・メディアはまことに無関心。だれもそのための音頭をとろうとしない。企業の多くも同じだ。

 しかし,城南信用金庫に行ってみるがいい。室内の明かりも最小に抑え(どことなく薄暗いが,仕事には支障をきたさないように工夫がしてある),エアコンも最小に抑えている。しかし,これも慣れの問題だから,何回も立ち寄ったりしているうちに,それが当たり前になってくる。脱原発宣言をした企業だけに,みずから率先垂範している。

 ところが,デパートやスーパー・マーケットやコンビニや銀行の多くは,もうすでに真夏対応の冷房の効かせ方をしている。明るさも,去年の経験を活かそうとはしていない。「3・11」以前の浪費型のライフ・スタイルにもどっている。これでは電気はいくらあっても足りるわけがない。

 最新型の電車の車両は窓の開閉ができない。いわゆる一枚ガラスで締め切りである。だから,エアコンに頼るしかない。会社のオフィスの窓も,最新のビルは開閉できない。ホテルも同じ。あちこち,電気がなくては成立しないライフ・スタイルが前提となっている。早急に,部分的でいい。小さなものでいい、小さな窓の開閉ができて,風をとおすことができるようにすべきではないのか。大きな企業ほど,そして金持ちほど贅沢なライフ・スタイルに頼りきるしかないようになってしまっている。こういうときにこそ貧乏人はいかようにも対応できるし,覚悟もできる。基準をここにおくべきではないのか。政治は金持ちのためにしか機能していない。原発問題を筆頭に。

 真夏日の12時から3時まで,病院などの施設は別として,健康な人が出入りする店舗や電車はエアコンを最小にして,我慢すること。そのための準備運動をいまからすべきではないのか。こんなことは小学生でもわかる。なのに,立派な「理性」をお持ちのはずの日本の中枢部にいる人たちにはわからない。それほど鈍麻しているということだ。

 人が生きるということの原点は,貧乏人にはよくわかっている。なにが大事で,なにはどうでもいいということが。しかし,金持ちにはそれがわからない。なぜなら,カネを払えばなんでも可能だと信じ切っているからだ。つまり,カネという「神」につかえていれば,なにも不自由はないという信仰を維持している。「カネ神さま」という新興宗教の信者たちが,この国を動かしている。しかも,「盲信」する原理主義者たちだ。そこには,ことばの正しい意味での「理性」のかけらもない。

 昨日(29日)は,神田神保町の大型書店Sに立ち寄ったが,あまりの寒さに15分でふるえ上がり,大急ぎで飛び出した。いつもなら,2時間,3時間を大型書店で楽しむことができるし,本もたくさん買って帰るのに。

 今日(30日)は,午後8時に鷺沼の事務所をでた。外はひんやりとしていて,半袖シャツでは寒いくらい。でも,いつものリュックを背負っているので,なんとかクリア。が,田園都市線に乗ったら,外気よりも低い温度設定の冷房が効いている。なんで? と思わず声に出してしまった。わずか,7分の乗車区間にもかかわらず,寒くなってきて途中で降りようかと思ったほどである。

 節電はこういう無駄なところからはじめるべきではないのか。そうして,からだを馴染ませることが先決ではないのか。公共の施設で,まずは,無駄な電気の節約を率先垂範することによって,各家庭にもその考え方が浸透していくのではないのか。家庭の主婦のアイディアだけに頼るのではなくて,サラリーマン諸氏の職場や通勤の電車の環境をとおして,この夏の通過の仕方の準備にとりかかるべきではないのか。

 それが,15%の節電をクリアするための基本ではないのか。

 しかし,そうはさせないという強い「意思」のようなものが隠然と働いているように思う。つまり,金持ちによる,金持ちのための,金持ちの「原発推進」という隠然たる強い「意思」が。言ってしまえば,原子力ムラの意思が。この意思に,政府はもとより,政界・財界・報道界・学界・官界が「五位一体」となって,「自発的隷従」の姿勢をとっている。「理性」の狂気化の根源はここからはじまる。この人たちが,すでに,「思考停止」してしまっている。

 「テクノサイエンス経済」(ルジャンドル)という新たな「神」(=「ドグマ」)に「自発的隷従」していることに気づいていない。あるいは,気づいていながら,その方が利益が多いという近視眼的な計算・打算にもとづく,ただその一点だけで判断をし,自己保存に専念している。そういう輩にわたしたちは振り回されているという,情けない現実がある。

 毎週金曜日に首相官邸前に集まってくる,自分の頭で考え,自分で行動を決め,自分の眼で確かめるためにその「場」に立つ,この人たちこそ「生きる人間」のほうとうの姿である,とわたしは信じている。だから,わたしはわたしのやり方で,みずからの信ずるところで考え,みずからの行動でその意思を示し,その「現場」に立って,さらに考え,つぎなる行動を起こそうと思っている。また,これまでもそうしてきたつもりである。これからも,そのつもりである。

 あちこち「明るすぎる」,「冷房が強すぎる」。
 無駄な電気を使わないライフ・スタイルを,もっとも身近なところから模索し,実践していくことにしよう。そんなことを,この夏に向けて真剣に考えている。

 みなさんのお考えをお聞かせください。
コメントを投稿