2012年6月1日金曜日

バスク民族のアイデンティティの象徴としてのアートに感動。

 わたしの研究者仲間のMさんが,いま,スペイン・バスクのLazkaoというところでフィールド・ワークを重ねながら研修に勤しんでいる。そのMさんから,謎かけの写真が送られてきた。わたしを含めて5人の仲間に送られてきた。そして,この下にある写真の正面奥にある「白い線」はなにを意味しているか当てなさい,というのである。

 スペイン・パスクの田舎の町であることを想定すれば,この写真は町の中心部に相当することまでは,わたしの少ないバスク滞在経験からもわかる。町の中心部にこのような位置関係で,浮かび上がっている「白い線」がなにであるのか,じっくりと考えてみた。しかし,古びた脳細胞ではどうしてもわからない。悔しいから,稲妻だ,花火だ,心霊写真だ,と言いたい放題。

 しかし,同じ研究者仲間のFさんが,「自由の魂の軌跡」ではないか,それも「Mさんの自由の」と応答したのが,正解にもっとも近くて,出題者のMさんを感動させた。おまけに,「わたしって,こういうものに反応する自分があるのだ,とFさんの回答をとおして,気づかされました」とある。

 Mさんを,これほどまでに喜ばせたFさんにジェラシー。あっ,Mさんのことが好きだということがバレてしまった。まあ,いいか。Mさんの学生時代から,この子の将来は楽しみだなぁ,と思いつづけた教師としては・・・・。そして,その期待どおりに成長している。わたしとしては誇りに思っているのだから。

 さて,本題にもどって,この写真の正面奥の「白い線」はいったいなにを表しているのか。みなさんも,とくとご覧ください。わたしは,この「白い線」の下の方になにか白い明かりのようなものが点々としているように見え,遠くのビルの窓の明かりにみえてしまったために,この巨大なる「白い線」は高い天空から降りてくる「なにものか」にみえてしまい,苦しむことになる。

Mさんのお気に入りの夜景
その回答が,この下の写真である。この茶色の板のボードをよくご覧ください。モダンな建築のなかに,ひときわ存在感を漂わせた「茶色の板」である。よく見ると,ペレー帽をかぶった典型的なバスクの男性が立っている。そして,右下の方になにか文字が書かれている。この「線」の部分が,夜になると,忽然と光のシンメトリーとなって,みごとな映像となり,立ち現れる。

種明かしの「昼の写真」
なぁーんだ,そういうことだったのか,と最初は思った。しかし,何回も,前の写真と後の写真とを見比べているうちに,これはいったいどういうことなのか,とびっくり仰天。わたしは深く考え込んでしまった。

 なんと,これは恐るべき現代アートではないか。それも,素晴らしい「傑作」ではないか,と。バスク,恐るべし,と。過去の歴史も含めて,この人たちの潜在能力の高さは,並大抵の話ではない,と理解してはいたが,それを目の当たりにして,わたしは茫然自失である。わたしは深い感涙に身をまかせながら,さらに深い思考へと落ちこんで行った。そして,これまで経験したことのない,まったく異質な至福のときを過ごした。

 ここには重いテーマが隠されている。
 昼の太陽の明かりのもとでみると,板の上に彫り込まれた単なる「線」でしかない。それでも,ベレー帽をかぶったバスクの典型的な男性の姿であるということは,わかる。それも単なる板の上に彫り込まれた「線」として。つまり,昼の明かりでみると,かろうじてバスクの男性であるということが認識できるだけの,これがアートであるとはだれも気づかない代物である。

 しかし,夜になると,まわりのすべての存在が消え去って,バスクの男性の姿だけが忽然と立ち現れる。この対比の素晴らしさ。一度,この両者をみてしまったら,もう,生涯忘れることなくこのイメージは,バスクのすべての人びとの脳裏から消えることはないだろう。それほどにインパクトは強い。単純にして強烈。

 しかも,この像は「半身」である。昼見ても,夜見ても,この男性像は「半分」である。残りの半分はどこに行ってしまったのか。ここにもっとも重要な,大きな隠喩が秘められている。

 バスクは,長い間のフランコ政権の弾圧から,ようやく解放された。しかし,その解放は「半分」でしかない。つまり,特別自治区としての承認は得たものの,スペインの支配下にあることに違いはないのである。バスクの最終目標は「独立」である。そのとき,はじめて「自由」をわがものとすることができる。その熱烈な思いが,このアートには籠められている,とわたしは気づいてしまった。

 Mさんから送られてきたこの二葉の写真を,これからは,涙なしには見ることはかなわない。深い,深い,バスクの人びとの魂の叫びが,わたしには聞こえてきてしまうからだ。聞こえてくる以上,それは止めようがない。そして,その魂の叫び声に,わたしの魂もまた共鳴してしまう。

 この叫び声は,なにもバスクの人びとのものだけではない。さまざまな歴史の中で,抑圧され,排除され,隠蔽されつづけてきた人びとが,普遍的に共有する「叫び声」である。アウシュヴィッツ,沖縄,フクシマ,という具合に,わたしの頭のなかでは一直線に連鎖していく。

 Mさんは,いま,一番のお気に入りの夜景がこれです,と言ってこの写真を送ってくれた。彼女のことだから,たぶん,直観だけが鋭く反応して,この夜景と共振・共鳴しているのだと想像している。その「直観」こそがもっとも大事なものなのだ。文明化した社会に生きている人間の多くが,この「直観」をどこかに置き忘れてきてしまっている。それを,いまも,きちんと保持しているMさんは素晴らしい。

 そのお蔭で,この写真を撮り,それをわたしたちのところに送りつけてくれる。お蔭で,わたしのような鈍い男も,その深い意味に気づかせてもらった。ありがたいことである。

 Mさんに,こころから感謝。ありがとうございました。
 これからしばらくは,このイメージを大事にしていきたいと思います。

 Mさん。お土産話を楽しみにしています。
 思いっきり羽を伸ばして,その冴え渡る「直観」を頼りに,フィールド・ワークを楽しんできてください。今晩は,これで。もっとも,バスクは,まだ午後の真っ盛りですね。お元気で。

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