2012年4月20日金曜日

「手足や,上半身と下半身の動作は『上下相随』です」(李自力老師語録・その11.)

稽古の途中で,李老師が白板(黒板ではなく)に,サイン・ペンがなかったので手文字(指でなぞり書き)を書いて説明してくださる。その指の動きを追って行ったら「上下相随」という文字が読み取れる。最初,中国語で発音されたので,なんのことだろうと思ったが,この文字をみて「なるほど」とみんな納得。でも,李老師はじっさいに動作をしてみせながら,このことばの意味を咀嚼して教えてくださる。なるほど,李老師のあの流れるような,そして,絶えずからだのどこかが動いている,とても気持よさそうな表演の根幹はここにあったか,とこころの底から納得。その大意をわたしなりに理解したことは以下のとおり。

わたしたちのような初心者は,まず,手の動作,足の動作の順序を覚える。それらをきちんと覚えるのも容易ではないが,まじめに稽古をすれば,手足の動作の順序はなんとか身につく。それだけで,もう十分満足がある。たとえば,太極拳の24式がひととおり順序を追ってできるようになった,と嬉しくて仕方ない。それだけで,もう,李老師と一緒に,同じようにできるようになった,と錯覚を起こす。が,じつは,ここからが太極拳の極意修得への出発点なのだ。そのことを,李老師は,やんわりと「上下相随」ということばの説明をしながら,教え諭してくださる。そこで,はじめて不肖の弟子は「はっ」と気づく。

手の動作は足の動作に追随するかのように,そして同時に,足の動作は手の動作に追随するかのように,自然に動きはじめるところに極意の一つが隠されている。どちらかが優先して,他をリードするというのではない。お互いに追随するかのように動きはじめること,これが,すなわち「相随」。みごとなことばである。

が,じつは,ここからが大変なのだ。手の動作,足の動作は,樹木でいえば枝葉の動作にすぎない。この手足の動作は体幹から導き出されるものだ。手足の動作を導き出すための体幹とは,上半身であり下半身であり,その両者の動きを結び付ける結節点は腰椎と骨盤である。ここの連動がうまくいかないと,太極拳の流れるような美しさは生まれないし,みずからのからだに感ずる快感(李老師はこのことを力説される)も生まれない。

となると,ことは重大である。
まず,上半身(胴体と頭)は骨盤の上にとっしりと据えておきなさい,と李老師。骨盤が回れば胴体も頭も自然に回る。上半身の動作を導き出す根源は骨盤である,と。その骨盤を動かす原動力は下半身である。つまり,脚力だ。この脚力を上半身に伝える結節点が骨盤と腰椎である。じつは,この骨盤と腰椎のところに大きな秘密が隠されている。この秘密を伝え,表現するためのことばとして「上下相随」という俚諺が編み出されたのだ。

下半身の動作は上半身の動作を生み出す必要性に応じて導き出される。逆にみれば,上半身の動作の必要性に促されるようにして下半身の動作が生まれてくる。どちらが主でも従でもない。すなわち「相随」である。お互いに他者の意のままに動きはじめるようになること。その結節点が骨盤と腰椎の連動・連鎖である。さらに加えておけば,この骨盤と腰椎の連動を導き出すピン・ポイントが「股関節」である。李老師が折あるごとに「股関節を緩めましょう」と仰ることの意味は,じつは「上下相随」を導き出すための,ピンポイントの表現なのである。ここに太極拳の極意の,おそらくもっとも重要なポイントが隠されている。

李老師は,いよいよ太極拳の極意に向けての指導・助言をしてくださるようになった。そのことが,とても,重要で嬉しい。つまり,それを言ってもらえるような弟子になりつつあるということが。ようやく,極意に向けてのスタート地点に立つことができた,とものごとはよく解釈して,これからはもっとまじめに精進しなくては,としみじみおもう。李老師がしばしば仰る「からだの快感」を求めて。



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