2012年3月7日水曜日

「稽古場は広いほどよい」(李自力老師語録)その8。

ことしの1月から稽古場を大岡山から溝の口に移しました。その理由は,広い稽古場を確保できるというメリットがあったからです。

稽古場が狭いと,それに見合うこじんまりした太極拳になってしまいます,と李老師。だから,できるだけ広い稽古場がいい,と。おおらかなのびのびとした太極拳が身につきます,と。

一つひとつの動作をきちんと覚えれば,稽古場の広さなどはたいして影響はないはず・・・と素人のわたしは甘く考えていました。ですから,鷺沼の事務所の6畳一間のテーブルを端っこに寄せて,空いたスペースでも稽古は十分できる,と考えていました。そして,自分としてはかなり上達したつもりでいました。が,それは大いなる間違いである,ということが今日の稽古ではっきりしました。

溝の口の稽古場は,大岡山のそれと比べると,3倍ほどの広さになります。ですから,稽古の最初に行う基本の動作も,単純に計算すると3倍ほど多くなります。

たとえば,こういうことです。
腰のうしろに両腕まわして,前進しながら足の運び方,腰の回転のさせ方,股関節の緩め方,ゴンブの仕方,などの一連の稽古があります。そして,こんどは腹の前に両手を置いて,後退しながら足の蹴り方,運び方,腰の回転のさせ方,などを身に染み込ませる稽古があります。

このとき,大岡山では,左右2歩ずつ,計4歩前進・後退すれば,それで終わりでした。が,こんどの溝の口では,その3倍の運動量が可能になります。しかし,李老師は,一度に3倍に増やすことはしませんでした。これまでの運動量よりもやや多めにして,慣れてきたら,少しずつ増やせばいい,と教えてくださいました。

しかし,今日の稽古は,李老師不在の,わたしたちだけの自主稽古でしたので,試しにスペースをいっぱいに使って,つまり,これまでの3倍の運動量で稽古をしてみました。ところがどうでしょう。最初のうちはなんとか頑張ることができたのですが,後半に入ると,もう,軸足が耐えられなくなって,ふらふらの稽古になってしまいました。

もう少し詳しく述べておきましょう。
たとえば,足の運びだけの稽古から,腕の動作をつけて前進するロウシーアオブーの距離が3倍,後退するときのダオジュエンゴンも3倍,つづけて,イエマーフェンゾンで3倍前進し,そして,再度,ダオジュエンゴンでもどってきます。

途中で「これはまずい」と気づきましたが,試しにやってみようと思い立ち,最後まで押し通してみました。その結果,どういうことが起きたのかといいますと,仕上げの24式の稽古が「ガタガタ」になってしまったのです。つまり,軸足にねばりがなくなり,重心をうまく保つことができなくなり,ふらふら揺れてしまうのです。李老師がいつもくり返し仰る「安定」がまったく保てません。

そういうことであったのか,とこころの底から得心。この話は李老師にはできません。しばらくは内緒にしておくつもり。もし,お話すれば,「やりすぎ」という答えが返ってくることは間違いありません。つまり,身のほどを知れ,ということです。

もっと言ってしまえば,わたしたちはまだまだ「小さな」太極拳しかできない,ということでしょう。太極拳をするからだが,まだ,その程度のものでしかない,ということでしょう。

そうか,のびのびとしたおおらかな太極拳ができるようになるには,そのようなからだを作り上げることが先決なのだ,と納得。そのためには,少しずつからだを慣らしながら,運動量を増やしていくことが肝腎,と。ああ,この考え方は禅道場でいうところの「修証一等」(しゅしょういっとう)と同じなのだ,と気づきました。

いつの日にか,この3倍の基本の動作の稽古が,余裕でできるようなからだにできあがったとき,初めて24式が,微動だにせぬ,磐石の,悠揚として迫らざるものに近づいていくことになるのでしょう。李自力老師の表演のように,行雲流水そのものの太極拳に近づくことが・・・・。

今日はとても大きな収穫のある稽古ができた,と大満足。


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